内閣府調査「生活に満足」74.7%2年連続過去最高から賞味期限切れによる首相の交代時期を読み取るべき

2018-08-31 11:41:34 | 政治
 

 2018年8月24日付で各マスコミがほぼ右へ倣えで記事題名に“内閣府の世論調査生活満足度74.7%”と書き入れて、2年連続で過去最高だと伝えていた。と言うことは、安倍晋三のアベノミクスがあってこその国民広範囲の生活満足度と言うことになる。

 安倍晋三が様々な統計を上げて、アベノミクスの成果をジェスチャーたっぷりに得々と大宣伝するだけのことはある。どういった内容となっているのか、このことを報道した「NHK NEWS WEB」記事が既にリンク切れしているから、ここに全文を記してみる。

 「生活に満足」74.7% 2年連続で過去最高 内閣府調査(NHK NEWS WEB/2018年8月24日 17時23分)
内閣府が行った「国民生活に関する世論調査」で、現在の生活に満足していると答えた人は74.7%で2年連続で過去最高を更新し、内閣府は景気や雇用状況が緩やかに回復していることなどが背景にあるのではないかと分析しています。

内閣府は、国民の生活に関する意識などを調べるため、ことし6月から7月にかけて、全国の18歳以上の男女1万人を対象に世論調査を行い、59.7%に当たる5969人から回答を得ました。

それによりますと、現在の生活に「満足」が12.2%、「まあ満足」が62.5%で、合わせて74.7%の人が満足していると答え、同様の質問を始めた昭和38年以降で、最も高かった去年を0.8ポイント上回り、2年連続で過去最高を更新しました。

満足していると答えた人を年代別に見てみますと、18歳から29歳が83.2%で最も多く、30歳から39歳が78.9%、70歳以上が75%などという順になりました。

また政府が力を入れるべき政策を複数回答で尋ねたところ、社会保障の整備が64.6%で最も多く、次いで高齢社会対策が52.4%、景気対策が50.6%でした。

これについて、内閣府の担当者は「景気や雇用状況が緩やかに回復しているため、生活への満足度が高くなっているのではないか」と話しています。 

 この記事は「満足」・「まあ満足」に対置させているであろう「不満」・「まあ不満」の数値は示していないが、100から引けば、自ずと大した数字ではない答を見通すことができるからだろう。他の記事は所得や収入についての満足度を取り上げているが、やはり「満足」の方が上回っている。「不満」の方が上回っていたら、生活満足度の「満足」+「まあ満足」=74.7%の高さに整合性が取れなくなる。

 但し「生活に満足」74.7%と言っても、「満足」12.2%+「まあ満足」62.5%という内訳で、全部が「満足」ではなく、「まあ満足」が「満足」の5倍以上も占めている。

 あるいは「満足」は全体74.7%の16%に過ぎないのに対して「まあ満足」は同じく全体74.7%の84%にものぼっていて、圧倒的に後者が大多数と占め、全体で見た場合「満足」の色合いがかなり薄い74.7%ということになり、アベノミクスに対する満足度は「満足」一辺倒ではなく、かなり色合いが薄い「満足」となっていると見なければならない。

 では、この色合いの薄さが具体的にどの程度なのか、「まあ満足」の「まあ」の言葉の意味を先ずは知る必要がある。

 【まあ】(副詞)「十分ではないが、一応は我慢できる程度であるさま」「goo辞書」
 
 一応は我慢できる程度の「満足」とは、ギリギリの満足を言うはずである。アベノミクス5年8カ月間も取り組んでいて、大企業は軒並み最高益を上げて大いなる満足を得ているのに対して国民の生活の満足度が「満足」とまではいかないギリギリの満足を示す「まあ満足」が圧倒的に多数派であるという状況は、上の利益の増加に応じて下の利益もそれなりに増加していかなければならないトリクルダウンの所得分配方式が満足に機能していないことを示すもので、上だけが存分に増えて下が殆んど増えないという相対的には格差が拡大していることの証明以外の何ものでもない。

 他の質問と回答との兼ね合いで「満足」と「まあ満足」の具体像を知るために、《「国民生活に関する世論調査」の概要》(内閣府政府広報室/平成30年8月)にアクセス、記事をダウンロードした。文飾は当方。

1 現在の生活について

(1)去年と比べた生活の向上感

問1 お宅の生活は、去年の今頃と比べてどうでしょうか。この中から1つお答えください。

         平成29 年6 月   30 年6月

・向上している   6.6%    →   7.2%
・同じようなもの  78.4%    →   78.7%
・低下している   14.7%   →   13.8%

 「向上している」は7.2%の少数派で、前年比僅か+0.6ポイント、「同じようなもの」が78.7%の大勢、前年から0.3ポイントしかプラスされていない。その反面、「低下している」は前年の14.7%から13.8%へと0.9ポイント減っているものの、「向上している」の7.2%に対して1.9倍、約2倍近くも占めている。現状維持派が多数を占める中で、「向上」に対して「低下」が2倍近くも占めるということは安倍晋三がアベノミクスの成果を言い立てる割には底辺の底上げが満足に機能していないと同時に見る程の進展はないということであろう。

(2)現在の生活に対する満足度

問2 あなたは、全体として、現在の生活にどの程度満足していますか。この中から1つお答えください。

 平成29 年6月        30 年6月

満 足(小計) 73.9%    → 74.7%
満足している 12.2%    → 12.2%
まあ満足している 61.7% → 62.5%

不 満(小計) 25.0%   → 24.3%
・やや不満だ 19.9%    → 19.5%
・不満だ 5.1%        → 4.8%

 NHK NEWS WEB記事は「満足」+「まあ満足」が「去年を0.8ポイント上回り、2年連続で過去最高を更新しました」と伝えていたが、「満足」自体は前年と変わらない12.2%で、ギリギリ満足の「まあ満足」が0.8ポイント増えただけのことであって、アベノミクスに対する積極的評価かと言うと、かなり様相が違ってくる。

 但し「不満」について見ると、「やや不満だ」も「不満」も前年比で僅かに減ってはいるが、各状況を多い順に比較してみると、「まあ満足」 62.5%>「やや不満」19.5%>「満足」12.2%>「不満」 4.8%>となって、「やや不満」が「満足」を上回っている点が明らかになり、アベノミクスに対する積極的評価はどこからも見えてこない。

 僅かな底上げがあるから、相対的な格差拡大を見えにくくしていることから、安倍晋三の「我々は最低賃金も100円以上上げ、パートの時給も過去最高になり、その結果、80%で頭打ちだった生活保護世帯の子どもの高校進学率は90%になった。一人親世帯の子どもの大学進学率も政権を取る前は24%だったが42%に上がってきた」といったアベノミクスの自慢を許すことになるのだろう。
 単に格差拡大の修正を図っているのに過ぎないのだが、トリクルダウンの所得分配を機能させることができずに単に政策で手当しているだけだから、その修正にしても、アベノミクスの好循環にしても中途半端に終わることになっている。

(3)現在の生活の各面での満足度

ア 所得・収入

問3-①あなたは、所得・収入の面では、どの程度満足していますか。この中から1つお答えください。

        平成29 年6月   30年6月
満 足(小計)  51.3%     →  51.5%
・満足している 7.9%     →  8.6%
・まあ満足している 43.4% →  42.8%
不 満(小計)    46.9% →  46.4%
・やや不満だ    34.1%  →  34.6%
・不満だ       12.8%  →  11.8%

 生活の満足度と同じ傾向が現れているが、所得・収入が生活の満足の大きな要素を占めることから当然なのだろう。「満足」の今年51.5%のうち、「満足」が僅かに 8.6%、ギリギリ満足の「まあ満足」が51.5%のうち42.8%も占めていて、前年よりも0.6ポイント減少しているだけではなく、アベノミクスに対する積極的評価に当たる「満足」が前年比で+0.7ポイントのたったの 8.6%しかない。

 対してギリギリ満足の消極的評価が42.8%と最大多数派を占めている。

 「まあ満足」前年比-0.6ポイントが「やや不満」の前年比+0.5ポイントとなって現れているのかもしれない。但し「不満」は1ポイント減っているが、全体で見た場合、「満足」 51.5%に対して「不満」46.4%で、5.1ポイントの差しかない上に5.1ポイントのうち、ギリギリ満足の「まあ満足」が半分近くの2.2ポイントも占めている悲劇的状況にある。

 アベノミクスを5年も続けて積極的に評価するに至っていないだけではなく、借金だけを増やしている予算状況を見た場合、そろそろ首相の交代時期をこの内閣府の世論調査から読み取るべきではないだろうか

 以上の傾向は「資産・貯蓄」の調査となると、さらに悪化するのは生活満足度調査でギリギリ満足の「まあ満足」が多数派を占めている以上、当然の結果値と見なければならない。

イ 資産・貯蓄

問3-② あなたは、資産・貯蓄の面では、どの程度満足していますか。この中から1つお答えください。

         平成29 年6月   30年6月
満 足(小計)     44.4%  →  44.6%
・満足している    5.6%   →  5.8%
・まあ満足している 38.7%  →  38.9%
不 満(小計)     52.4% →   52.2%
・やや不満だ     37.3% →   38.1%
・不満だ        15.1% →   14.1%

 「不満」以外、他の全ての項目で僅かずつだが、前年よりも悪化している。全体の「満足」に対して全体の「不満が」7.6ポイントも逆転することになっている。「満足」の5.8%に対してギリギリ満足の「まあ満足」が6.7倍の38.9%。これは現状維持派と見るべきだろう。そして「まあ満足」の38.9%に対して「やや不満」が38.1%と接近し、「満足」の5.8%に対して前年よりもわずかに改善されているとは言え、「不満」が14.1%と2.5倍に近い値となっている。

 ここからは格差縮小は見えてこない。実質的には格差が拡大していることからの存在するはずはない格差縮小ということなのだろう。

 他の調査の項目もアベノミクスに対する積極的評価ではなく、消極的評価としか映らない。否定的評価とならないのは、やはり現実には起きている相対的な格差拡大が見えにくいことによって安倍晋三を助けているからだろう。

 最後に関連する2つの調査を取り上げてみる。

問5 あなたは、日頃の生活の中で、悩みや不安を感じていますか、それとも、悩みや不安を感じていませんか。

                 平成29年6 月  30 年6月
・悩みや不安を感じている    63.1%   →  63.0%
・悩みや不安を感じていない  36.4%   →  36.2%

 半数以上の生活者に対してアベノミクスは悩みや不安を解消する特効薬とはなっていないようだ。

イ 悩みや不安の内容

更問 (問5で「悩みや不安を感じている」と答えた方(3,762 人)に)

悩みや不安を感じているのはどのようなことについてですか。この中からいくつでもあげてください。(複数回答)

(上位4項目)
                 平成29年6月 → 30年6月

・老後の生活設計について     53.5% → 55.4%
・自分の健康について        52.1% → 54.5% ↑
・家族の健康について        42.1% → 42.2%
・今後の収入や資産の見通しについて 39.7%  → 40.4%



 更問(さらとい)と読みを当て、追加の質問を意味する役人言葉らしい。追問(ついもん)とでも当てれば、意味も読みも簡単に察しがつくと思うのだが、自分たちだけの理解にしておきたいらしい。

 この調査は要するにアベノミクスは老後の生活を保障するまでには至っていないことの証明となっている。全世代型社会保障をあれ程言っていながら、悩みや不安の解消どころか、勇ましい宣伝だけで終わっている。

 どうも首相としての賞味期限は切れかかっているようだ。この調査が示すことになっている国民の生活意識から今後、好転への期待が読み取れない以上、安倍晋三の交代時期と見なければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の「安倍政権で格差拡大というのは誤りだ」は事実か、アベノミクスの不都合隠蔽の言い逃れか

2018-08-30 12:03:49 | 政治

 
 「NHK政治マガジン」(2018年8月27日)

 福井市で開かれた会合での講演。いつものように有能な政治家を演出するために思わせぶりな顔の表情を殊更につくり、手を左右に大袈裟に広げたり、指を上に突き立てたり、つくったジェスチャーで人目を惹こうとしたに違いない。

 安倍晋三「『安倍政権で格差が広がった』というのは誤りだ。我々は最低賃金も100円以上上げ、パートの時給も過去最高になり、その結果、80%で頭打ちだった生活保護世帯の子どもの高校進学率は90%になった。一人親世帯の子どもの大学進学率も政権を取る前は24%だったが42%に上がってきた」

 発言していることは例の如くに既に披露した成果の繰返しとなっている。安倍政権5年余で「我々は最低賃金も100円以上上げた」と言っても、2018年10月初めにまで上げる最低賃金の全国平均額は昨年度から平均26円引上げの874円であって、民主党の鳩山由紀夫政権当時の2010年6月に当時713円だった最低賃金の全国平均を2020年までに1000円に引き上げる目標を決めていたが、2020年までの残す2年間で1年平均30円ずつ上げるとしても、60円+874円=934円で民主党政権の2020年1000円には66円追いつかない金額となって、2011年まで待たなければならない。

 「パートの時給も過去最高」と言っているが、パートの時給以上に正規社員の給与は上がっている。「平成28年分民間給与実態統計調査結果報告」(国税庁/平成29年9月)を見てみる。

 正規年平均給与487 万円(対前年比0.4%増、20千円の増加)
 非正規年平均給与172 万円(対前年比0.9%増、16 千円の増加)

 増加率は非正規の方が0.5%多いが、母数の差額315万円の大差から見たら、焼け石に水にもならない。しかも安倍政権の人口政策の無策が招いた人手不足で特に非正規対しても賃金を上げざるを得なかった正規と比較した非正規の賃金増加率0.5%で、これらのことを以って格差拡大は「誤りだ」とすることはできない。

 その根拠を次に挙げる。

 先ず2012年から2016年までの安倍政権下の企業の内部留保(利益剰余金)の推移をネット上から探し出してみた。国税庁の企業統計を覗いてみたが、適当な記事を探し当てることができなかった。

 2012年 304兆円
 2013年 327兆円 +7.6% 
 2014年 354兆円 +8.3%
 2015年 378兆円 +6.8%
 2016年 406兆円 +7.4%

 企業の収益がどれだけ労働者に配分されたかを示す「労働分配率」は2017年10~12月の大企業のそれは43%台だマスコミが伝えていた。

 但し中小企業程労働分配率が高いということは、低ければ退職されてしまう恐れからだろうが、労働分配率が高くても、大企業と中小企業の賃金格差を縮めるまでに至っていない。

 では、いくつかある公的な統計から算出した2012年から2016年までの民間給与者の平均年収を、「平均年収.jp」から見てみる。

 2012年 409万円
 2013年 414万円 +1.2% 
 2014年 415万円 +0.2%
 2015年 420万円 +1.2%
 2016年 422万円 +0.5%

 前出の国税庁の統計でも、2016年の正規の年平均給与が対前年比で+0.4%、非正規年平均給与が対前年比で+0.9%だから、さして遠くない数字ということになる。

 アベノミクスから最大の恩恵を受けた頂上の利益が企業の内部留保(利益剰余金)だとすると、民間給与者の年収は頂上とは正反対に位置した利益とすることができる。

 内部留保(利益剰余金)の伸び率と平均年収の伸び率が目に見えて縮まっていれば、格差は縮小傾向にあり、伸び率に大きな差を維持した状況であるなら、格差に変わりはなく、内部留保(利益剰余金)のみが大きな伸び率を確保しているようなら、格差は拡大傾向を示しているとすることができる。

 確かに平均年収は僅かずつだが増えてはいるが、増加率が1%前後の範囲でうずくまった状況にあるのに対して内部留保(利益剰余金)を年々増やしていき、その伸び率は平均年収の伸び率の5倍から7倍、6%台から8%台の間を確保している。

 全ての企業が「労働分配率」を上げることで民間給与の現状以上の大幅アップを図って内部留保(利益剰余金)を少しでも減らせば、両者の伸び率はほんの僅かづつでも接近していくはずだが、いわば格差は縮小していくはずだが、内部留保(利益剰余金)のみが大きな伸び率を確保している状況は格差縮小とは逆の格差が拡大している状況を示すものだろう。

 と同時に両者の伸び率に大きな差があるということは、社会保障や高校授業料無償化制度等の様々な政策手当を除いてアベノミクス本体が担うべき国民の収入そのものの伸びという点では見るべき程の成果を上げていないことの何よりの提示となる。

 いわばアベノミクス本体の力によって企業の内部留保(利益剰余金)を労働分配率を上げさせて下への配分をより厚くする所得再分配のトリクルダウンを満足に機能させることができないままに、その不足を社会保障や高校授業料無償化制度等の様々な政策手当で所得の再分配を図っているが、その程度で「80%で頭打ちだった生活保護世帯の子どもの高校進学率は90%になった」だ、「一人親世帯の子どもの大学進学率も政権を取る前は24%だったが42%に上がってきた」と自慢しているが、アベノミクスの最大の受益者である企業の大儲けから見たら、雀の涙程度の底上げでしかない。

 企業の内部留保(利益剰余金)だけが大幅に増えて、国民の給与は大幅とは無縁のほんの少ししか増えていない。少なくとも格差は相対的に拡大していると言うことができる。企業の業績活況に比較して「アベノミクスで景気の実感は感じられない」という多くの街の声は自ずとそこに格差を指している。

 安倍晋三が「『安倍政権で格差が広がった』というのは誤りだ」と言っていることはアベノミクスの不都合を隠す例の如くの恥ずかしげもない言い逃れに過ぎない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の総裁選での地方重視姿勢は石破茂の同狙いへの焦りと単なる地方党員票起こし

2018-08-28 12:35:11 | 政治


 安倍晋三が8月25日(2018年)から地方行脚を本格化させているのは地方重視の姿勢をアピール、党員票を掘り起こしたい考えからだといったことをマスコミが伝えていた。

 「時事ドットコム」の「首相動静」を見ると、8月25日は宮崎市のシーガイアコンベンションセンター内の宴会場「サミットホール」で午後7時から同9時6分まで自民党宮崎県連所属国会議員、地方議員、地元首長らとの懇談会。8月26日は鹿児島県垂水市で午後4時近くに総裁選立候補表明、鹿児島市の鹿児島サンロイヤルホテル内宴会場「太陽の間」で午後5時過ぎから自民党鹿児島県連の政談演説会に出席し、演説。

 2018年8月27日は福井市に行き、午後0時15分から同43分までホテルフジタ内宴会場「瑞雲」で自民党福井県連の山崎正昭会長ら衆参両院議員、県議らと昼食。同午後0時52分から同1時34分まで同ホテル内の宴会場「天山」で同県連の会合に出席し講演を行い、その合間に農林水産関係その他の施設の視察等をこなしている。

 但し8月26日に鹿児島県垂水市で記者団に向けて表明した総裁選立候補発言には「地方」という言葉は一言も入っていない。

 「出馬表明全文」(産経ニュース/2018.8.26 18:26)

 記者「総裁選の告示まで2週間を切ったが、出馬についての考えをお聞かせください」
 安倍晋三「『日本を取り戻す』。この志のもと、党一丸となってこの5年8カ月、内政、外交に全力を尽くして参りました。5回の国政選挙において、国民の皆様から安定的な政治基盤をいただき、誰にも働く場所がある、まっとうな経済を取り戻し、外交においては日本の大きな存在感を取り戻すことができました。

 今こそ少子高齢化、激動する国際情勢に立ち向かい、次の時代の新たな国づくりを進めていく準備は整った。この思いで昨年、総選挙に打って出ました。そして国民の皆様から大きな支持をいただいたのは、わずか11カ月前のことであります。この国民の皆様の負託に応えていくことは、私の責任であります。

 来年、皇位の継承、そして日本で初めてG20(20カ国・地域)サミット(首脳会議)を開催します。そしてそのさらに先には、東京五輪・パラリンピックが開催されます。まさに日本は大きな歴史の転換点を迎える。今こそ日本の明日を切り開くときです。平成のその先の時代に向けて、新たな国づくりを進めていく。その先頭に立つ決意であります。

 6年前、大変厳しい総裁選を戦いました。厳しい総裁選となることは初めから分かっていましたが、国民のため、日本国のため、それでもなお挑戦しなければならない。その決意は今でも変わりはありません。そして、そのときの志にはいささかの揺らぎもありません。そして、この志を支える気力、体力、十二分であるとの確信に至った以上、責任を果たしていかねばならないと考えています。

 子供たちの世代、孫たちの世代に、美しい伝統あるふるさとを、そして誇りある日本を引き渡していくために、あと3年、自由民主党総裁として、内閣総理大臣として、日本のかじ取りを担う決意であります。その決意のもと、来月の総裁選に出馬いたします」

 記者「総裁選の争点はどうお考えでしょうか」

 安倍晋三「これから先の、まさに歴史の大きな転換点を迎える中にあって、日本の国づくりをどのように進めていくか。どのような国づくりをしていくかということが争点であろうと思います。そういう骨太の議論をしていきたいと思っています」

 記者「石破茂元幹事長が政策テーマごとの討論会を求めていますが、応じるお考えはありますか」

 安倍晋三「どのような総裁選にしていくか。これはまさにそれぞれの候補者が自分の考え方を持っておられるんだろうと思います。その中で、自由民主党において、選挙管理委員会がありますから、その中で、今までの総裁選挙と同じようにルールを決めて、しっかりとその中で論戦を戦わせるべきなんだろうと思います」

 「『日本を取り戻す』。この志のもと、党一丸となってこの5年8カ月、内政、外交に全力を尽くして参りました」、「子供たちの世代、孫たちの世代に、美しい伝統あるふるさとを、そして誇りある日本を引き渡していく」、「日本の国づくりをどのように進めていくか。どのような国づくりをしていくか」等々、例の如く実態を無視した抽象的な耳障りのいい言葉を並べているだけである。

 アジアを取り巻く安全保障環境は悪化の一途を辿り、その中で悪化していた中国との関係の改善への進展が僅かな光となっているが、この現象は中国とアメリカとの関係悪化を受けた相対的な関係改善でしかない。その証拠に中国の南シナ海への軍事的進出、覇権主義は膠着状態にあるままである。

 「外交に全力を尽くして参りました」と言っているが、北朝鮮の核脅威に軍事力強化で対抗することが果たして外交努力と言えるだろうか。

 「外交においては日本の大きな存在感を取り戻すことができました」と言っていることも、どの国のどの首脳に対しても北朝鮮の脅威に対して「圧力強化、圧力強化」と声を上げていることの印象がつくり上げた存在感に過ぎない。

 5年8カ月の政治成果として「誰にも働く場所がある」ことを挙げているが、内閣府の《新規学卒就職者の在職期間別離職状況》を見ると、見つけた「働く場所」が働くに常に理想の場所ではないこと教えていて、その流動性を加味した場合、「誰にも働く場所がある」なる言葉は事実から遠ざかる。

 2016年3月に大卒で就職した44万7628人に対して3年目までの離職者数5万627人。離職率が11.3%。この離職者数5万627人は1年目の離職者数を指し、この統計にはまだ2年目と3年目の離職者数と離職率が記載されていない。

 前年の2015年3月に大卒で就職した44万1783人に対して3年目までの離職者数9万8342人、同離職率が22.3%。これは1年目の離職者5万2490人と2年目の離職者4万5852人を合計した人数で、3年目の離職者数はゼロということはあり得ないはずだが、記載されていない。

 いずれにしても2015年は3年目までの離職率が22.3%のなかなかの高率となっている。このような離職に加えて時間の都合がつくことの代償に安い賃金で我慢せざるを得ないパートや非正規の状況を考えると、「誰にも働く場所がある」のバラ色ははますます色褪せて見えてくる。

 安倍晋三は「少子高齢化」に関してはこの言葉を一言言ったのみで、「5年8カ月」の間にどのような政治成果を上げたのか、上げなかったのかは触れずじまいで、「激動する国際情勢に立ち向かい、次の時代の新たな国づくりを進めていく準備は整った」と巧みに切り替えている。

 安倍政権は人口減少と少子高齢化には何ら手を打つことができなかったばかりか、「地方における人口定住」を掲げることで東京圏一極集中の阻止を図ろうとしていたが、何ら成果を上げることができないでいる。

 さらに人口減少と少子高齢化を受けた人手不足対策に移民政策に反対している手前、在留資格を条件とした外国人の受け入れを進めているが、ただ単に人手不足の解消を言うだけで、それがどのような「国づくり」に繋がるのか、あるいは「どのような国づくり」のもと、外国人受け入れを進めていくのかのグランドデザインについてはついぞ耳にしてはいない。

 少子高齢化、人口減少、農業の後継者不足、耕作地放棄等々の現実を前にして、「子供たちの世代、孫たちの世代に、美しい伝統あるふるさとを、そして誇りある日本を引き渡していく」と平気で発言できる如何わしさは相変わらずである。石破茂が総裁選キャッチフレーズに「正直・公正・謙虚で丁寧な政治」を掲げるのも無理はない。

 「5回の国政選挙において、国民の皆様から安定的な政治基盤をいただいた」と言い、「昨年、総選挙に打って出ました。そして国民の皆様から大きな支持をいただいた」と言っているが、2014年12月の総選挙では国民が最大の利害対象の一つとしている消費税増税の延期、2017年10月の選挙では消費税増税分の教育費無償化への使途変更で甘い餌を撒き、北朝鮮の脅威で国民をその気にさせた巧みな選挙戦術が要因となった議席数の大幅な獲得であって、このような勝利が安倍政権が拡大した格差の是正には何ら役立っていない。

 この格差拡大は大企業が軒並み最高益を得ていながら、一般国民の給与は満足に増えず、その結果、個人消費の低迷となっているところに現れている。

 要するに都合がいいことだけ口にして、都合の悪いことは触れない、いつもの弁論術を巧みに駆使しているに過ぎない。

 一方の総裁選立候補者石破茂はアベノミクスの主要な弱点の一つが中央と地方の経済格差と見たのだろう。《自民 石破元幹事長 安倍政権の地方創生 「勢い失った」と題する2018年8月24日付「NHK NEWS WEB」が石破茂の発言を伝えている。

 石破茂「地方創生は安倍政権で始まり、初代の担当大臣は私だが、少し勢いを失ったかもしれないという実感を地方が持っているのが現実だ。

 政府の骨太の方針には『経済成長の果実を都市から地方へ』とあるが、私はその考えはとらない。果実は地方で生み出すもので、『地方こそ成長の主役』という考えを政策の中心に据える」

 「骨組との方針」、「経済財政運営と改革の基本方針2018について」(平成30年6月15日閣議決定)には、〈6.地方創生の推進

 アベノミクスの推進により回りつつある経済の好循環を一層拡大していくためには、経済成長の果実を都市から地方へ、大企業から中小企業・小規模事業者へ波及させていくことが不可欠である。〉と実効性あるかのように謳っている。

 何しろ「骨太」と略称している以上、半ば実効性を自ら保証しているようなものでなければならない。

 〈経済成長の果実を都市から地方へ、大企業から中小企業・小規模事業者へ波及させていく〉利益分配はトリクルダウン方式を採っていることになる。ブログに何度も書いてきたが、トリクルダウン(trickle down)とは「(水滴が)したたる, ぽたぽた落ちる」という意味で、法人税減税等の税制や日銀の金融政策、その他の政策で大企業や富裕層を富ませることによって、その富の恩恵を中小企業以下、中流以下の下層に向かって滴り落ちていく利益再分配の形を取るが、上が富の恩恵をすべて吐き出すわけではないし、より下の階層も同じで、受けた恩恵を自らのところに少しでも多く滞留させようとする結果、各階層毎に先細りする形で順次滴り落ちていくことになり、最下層にとっては多くの場合、雀の涙程の富の恩恵――利益分配ということもある。

 但し人間社会に於ける収入という利益獲得は否応もなしにトリクルダウン式利益配分の構造によって成り立っている。会社(=企業)が利益を上げ、その中から被雇用者に給与として利益配分する給与体系を基本としている以上、上がより多く手にし、下がより少なく手にするトリクルダウン式利益配分になるのは宿命と言うことができる。

 当然、そこには経済格差が生じる。経済格差によって、社会は上層・中間層・下層という階層社会を形成することになる。このような階層構造そのものがトリクルダウン式利益配分そのものを象徴している。

 経済格差は避けられない社会的構図だとしても、トリクルダウン式利益分配が偏り過ぎないように監視し、偏り過ぎた場合は是正するのが政治の役目であろう。

 ところが、安倍晋三は自身のアベノミクスを自慢するが、トリクルダウン式利益分配が偏り過ぎないように監視し、偏り過ぎた場合は是正する自らの役割に無力であった。

 尤も安倍晋三自身は数々の統計を上げて、「安倍政権で格差が広がったというのは誤りだ」と格差拡大を否定しているが、大企業が日銀の異次元の金融緩和で軒並み最高益を上げているのに対して個人消費が低迷している経済状況はトリクルダウン式利益分配が下にまで満足に機能せず、上にだけ利益が集まる格差拡大の象徴以外の何ものでもなく、安倍晋三は強弁という手を使って、自分の目を見えなくしているに過ぎない。

 安倍晋三はこの強弁という一種のウソ混じりの主張を自身のアベノミクスがトリクルダウンであることを否定する際にも使っている。2015年3月16日の参議院予算委員会。

 自民党の伊達忠一君が2015年1月のNHKの世論調査で「景気回復の実感を全国に届けることについて期待できない」が58%、日経済の2月の世論調査では、「景気回復を実感できない」が81%あったが、GDPの消費税増税後初めてのプラスや株価の値上がりを例にして、世論調査に現れた数字に首を傾げ、安倍晋三の経済ブレーンであるエール大学の浜田教授の「アベノミクスはどちらかというとトリクルダウンだ」との発言を挙げて、これは勘違いで、こういった勘違いが世論調査の数字に現れているのではないかと安倍晋三に質問した。

 安倍晋三「浜田さんはまさにマクロ経済学者、特に金融の分野の専門家としてのお考えを述べられているわけでございます。その中においてトリクルダウンという言葉を使われたということでございますが、そもそも、例えば浜田先生は、この2年間はなかなか言わば賃金が上がっていくという状況は難しいんではないかということもおっしゃっていたわけでありますが、我々は政治的にそれはそこまで待つわけにはいかないから、その前に政労使の会議を始めて我々はまさに賃金を引き上げていく、その前に前倒しして引き上げていくという政策を打っているわけでございまして、ここがいわゆるトリクルダウン理論とは違うものでございまして、言わば我々の取っている政策というものは、しっかりと底上げを図っていく、国民の皆さんの収益が増えていく、私たちが進めている政策によってなるべく早く皆さんの収入が増えていく、そしてそれは地方にも展開をしていく、そのための政労使の会議であり、地方創生であるわけでございます」

 トリクルダウン方式ではない経済政策などあり得ない。大体が会社が利益を挙げて、その利益のいく分かを給料として従業員に配分するのもトリクルダウン方式であって、トリクルダウン方式とは逆の流れを取る底上げ型で、従業員の給料が先に増えて、そのことによって会社の利益が上がるカネの流れなどあるわけはない。
 
 安倍晋三のこの不正直さは如何ともし難い。要するにトリクルダウン式利益分配が偏り過ぎないように監視し、偏り過ぎた場合は是正する自らの役割を怠ってきた。
 
 その怠慢を隠すために「アベノミクスはトリクルダウン理論とは違う」とウソをつき、格差拡大を否定する。石破茂は地方創生相だった機会を生かして地方の活性こそが新しい国造りだと気づき、安倍政権の「経済成長の果実を都市から地方へ」のトリクルダウン式利益分配は取らずに「果実は地方で生み出すもの」と、地方の独立性――地方自身が果実を生み出す政策を打ち出すことになったということなのだろう。

 但しどのような経済政策であれ、トリクルダウン式利益分配は免れることはできないが、地方の独立性を高めれば、「経済成長の果実を都市から地方へ」のトリクルダウンの流れは阻止できるはずだ。

 安倍晋三自身が言うように「安倍政権で格差拡大は誤りだ」が事実なら、いわば中央と地方の経済格差をつくり出したのは安倍政権以前の政権で、その格差をアベノミクスによって是正しているなら、そのことの功績によって石破茂の地方重視はさして意味はないことになる。

 だが、東京圏一極集中、地方からの人口流出が進行している状況からは中央と地方の経済格差の拡大しか見えてこない。そのような状況下で石破茂が地方重視を謳い出した。前々回の総裁選で地方議員票で安倍晋三は石破茂に大差をつけられている。その苦い経験から、地方行脚に精を出さざるを得なくなった。
 
 と言うことは、地方回りで農林水産関係の施設をどう視察しようと、地方議員を集めてどう演説しようと、石破茂の地方重視姿勢への焦りと地方党員票起こしの地方行脚だと、目的は自ずと限られてくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石破茂の総裁選キャッチフレーズ「正直・公正・謙虚で丁寧な政治」は個人攻撃として嫌悪されるべき徳目なのか

2018-08-27 10:01:09 | 政治
 

 2018年8月13日の当ブログ記事に自民党元幹事長石破茂が2018年8月10日に国会内で記者会見して9月の党総裁選への出馬表明を行った後、早々に「私は、正直で公正、そして、謙虚で丁寧。そういう政治を作りたいと思っております」との発言で国民に対する自らの政治姿勢を訴えたが、これらの発言は安倍晋三人格への対義語であって、その証明として森友・加計疑惑に関わる国会追及に対する安倍晋三のこれらの人格とは程遠い答弁を取り上げた。

 要するに石破茂が提示した「正直・公正・謙虚で丁寧な政治」等の徳目は安倍晋三の人格が深く関わることになる政治姿勢に対するアンチテーゼとして突きつけた最大のウイークポイント攻撃だったはずだ。

 そうでなければ、わざわざ「正直・公正・謙虚で丁寧な政治」といった徳目を掲げる意味はない。相手が政治姿勢とすることができないでいるが、それではいけないと安倍晋三を反面教師としてのだろう、自分なら可能だとアピールすることによって初めて意味が出てくる。

 ところが、 このアピールを個人攻撃だとして嫌悪感の対象とする人物が現れた。その人物とは自由民主党参議院幹事長であり、竹下派会長代行であると同時に石破支持で参院竹下派議員21人の取り纏めを一任された吉田博美である。

 いわば身内からの攻撃に遭遇することになった。尤も参院竹下派が石破支持に動いた背景には様々な利害が複雑に絡み合っているようだ。吉田博美は元々は心情的には首相支持だが、2010年に引退して息子を後継者に仕立てている、長らく参院のドンとして政治屋的影響力を誇っていた元自民党参院議員会長青木幹雄が吉田博美から政治の師と仰がれている関係から石破支持で参院竹下派を纏めろと指示を受け、止むを得ず受け入れた石破支持だとマスコミは伝えている。

 こういった利害が絡んでいることも驚きだが、要するに吉田博美は安倍晋三に後ろ髪を引かれる思いでいるから、「正直・公正・謙虚で丁寧な政治」が安倍晋三の政治姿勢のアンチテーゼとして掲げられたことに我慢ならなくなって、個人攻撃だと嫌悪感を示すことになったのだろう。

 確かに各政策の中身、その実現性は大切だが、それらの政策がどのような政治姿勢、どのような徳目に基づいているかによって、政治の恩恵の行きつく先がそれぞれに異なってくることに意を用いなければならない。「正直・公正・謙虚で丁寧な政治」をウイークポイントとする政治家の政策が一般大衆にどれ程の恩恵をもたらすだろうか。

 逆に政治の恩恵を一般大衆に置いていたなら、政治家の政治姿勢は「正直・公正・謙虚で丁寧」といった徳目に自ずと集約されていく。

 政治の恩恵が大企業や富裕層に偏るのは「正直・公正・謙虚で丁寧」であるべき政治姿勢のうち第一番に「公正」という徳目を欠いているからであって、「公正」を欠けば、「正直」も欠くことになり、「謙虚で丁寧」も頼るべき政治姿勢としていないことになる。

 勿論、「正直・公正・謙虚で丁寧」を装うために様々に言葉を費やすだろうが、政治の結果責任はいつまでも多言で覆い隠しおおすことはできない。

 当然、「正直・公正・謙虚で丁寧」といった徳目を政治姿勢とし得るかどうかは政策以前の問題であって、石破茂がこれらの徳目を安倍晋三の最大ウイークポイントと見て、その政治姿勢に対するアンチテーゼに据えたからといって、吉田博美が個人攻撃だと嫌悪する理由とはならない。

 ホンネは安倍晋三支持であるのに対して青木幹雄の外からの干渉に止むを得ず従った形式的な石破支持とは言え、支持の代償に「正直・公正・謙虚で丁寧」の徳目を欠くことになっている政治姿勢を安倍晋三の最大のウイークポイントとされることに間尺の合わなさを感じ、その精神安定剤に個人攻撃だと嫌悪し、石破キャッチフレーズの修正を謀ろうと意図することになったのだろう。

 但し「正直・公正・謙虚で丁寧」を安倍晋三に対する個人攻撃と見ること自体、吉田博美自らがそのような徳目を安倍晋三自身が欠いていることを証明することになる。

 対して石破茂は8月25日のネット番組で、「(キャッチフレーズは総裁選が)スタートする時は変わるかもしれない。道徳の標語っぽいものがメインスローガンかというと違うかもしれない」と発言、番組後記者団に「人を批判するつもりはないが、そう捉える方もあるなら、変えることはある」と述べ、「正直、公正」等のキャッチフレーズを封印する可能性を示したと2018年8月25日付「朝日デジタル」記事が伝えている。

 ただでも少ない国会議員票をこれ以上減らして惨敗への道を歩む危険性の浮上を恐れたのかも知れない。だが、「正直・公正・謙虚で丁寧」を政治姿勢とし得るかどうかは政策以前の問題であって、そういった徳目を問い質すこともなく知らん振りをする総裁選は、ある意味恐ろしい。

 そのような徳目を欠いた安倍晋三をのさばらせることになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三はトランプを利用して拉致問題がさも解決するかのように見せかける薄汚い詐欺行為はやめよ

2018-08-24 11:39:24 | 政治
 

 トランプが拉致解決で安倍晋三と協力できることは何もないことが既に明らかになっている。

 安倍晋三は2018年8月22日にトランプと電話会談を行い、首相官邸エントランスホールで記者団に答えている。

 「トランプとの電話会談」(首相官邸)

 安倍晋三「日米電話首脳会談を行い、トランプ大統領と北朝鮮情勢について話をいたしました。歴史的な米朝首脳会談から2か月が経過しましたが、最新の情勢分析を行い、そして同時に、今後の北朝鮮に対する方針について綿密な打合せを行いました。

 そしてまた、拉致問題についても、改めて日本の拉致問題に対する取組について説明をし、今後の協力についてトランプ大統領に改めて依頼をし、そしてトランプ大統領もしっかりと日本の考え方に沿って協力をしていくという話がありました。

 朝鮮半島の完全な非核化を実現するとの方針においては、日米は完全に一致しております。こうした日米の取組、そしてさらには韓国、ロシア、中国との協力を進めていくことによって、核問題、そしてミサイル問題、何よりも重要な拉致問題の解決に向けて全力で取り組んでいきたいと思います」(文飾は当方)

 2017年10月12日、安倍晋三は新潟県新発田市の遊説で11月初旬来日予定のトランプが日本滞在中に横田夫妻等拉致被害者家族と面会する意向であることを明らかにした。

 「産経ニュース」(2017.10.12 15:51)     

 安倍晋三「新潟といえば、横田めぐみさんを思い出します。13歳の時に北朝鮮に拉致されました。ほんとにひどい話です。お母さんの早紀江さん、お父さんの滋さんは『自分たちは、だんだん年を取った。何とかしてよ、安倍さん』。

 その思いに私は答えていかなければいけません。このお父さん、お母さんが、しっかりとめぐみさんを抱きしめる日がやってくるまで、私の任務は終わらない。この決意で全力を尽くしていく。

 昨年(2016年11月10日)、ニューヨークでトランプ大統領とお目にかかったときも、そしてこの今年の2月(2017年2月11日)、フロリダでトランプ大統領とゆっくり話をさせていただいたときも、めぐみさんのことも、そして拉致問題についてもお話をした。

 『シンゾー、それひどいな』。トランプ大統領はこう言ってました。そして先般のニューヨークにおける国連総会のアメリカ大統領の演説。アメリカ大統領の国連総会における演説は世界中が注目します。その場でめぐみさんについて触れてくれました。本当にうれしかった。

 その後、(2017年9月21日、国連総会出席訪米時のニューヨークで)トランプ大統領と行った首脳会談で、私は『大統領、是非11月に日本を訪問した際には、めぐみさんのご両親、拉致被害者のご家族に会う時間をとってください。会ってください』

 こうお願いをしましたら、その場で『分かった、シンゾー。その皆さんと会うよ。ほんとにひどい話だ。日本の拉致被害者救出をするために、オレも全力尽くしていくよ』。こう約束をしてくれました」――

 この首脳会談の2日前の2017年9月19日、トランプは国連総会の一般討論演説で初の演説を行い、拉致問題を取り上げている。翌9月20日、官房長官の菅義偉が自民党のインターネット番組でトランプの拉致問題言及に、「安倍首相が電話会談の際に『日本には拉致問題もある』と極力言っていた。大統領の発言は涙が出る程嬉しかった」と述べたと「産経ニュース」が伝えている。

 トランプは2017年11月5日に初訪日、翌日の11月6日、迎賓館赤坂離宮で安倍晋三と首脳会談。会談後、同じ迎賓館で北朝鮮に拉致された被害者の家族らと約30分間面会した。トランプは「悲しい話をたくさん聞いた。拉致された被害者が愛する人々の元に戻れるよう安倍晋三首相と力を合わせていきたい」(朝日デジタル)と述べ、拉致解決に向けた協力を約束したという。

 安倍晋三は2018年6月7日も、トランプとワシントンのホワイトハウスで会談している。既に2018年6月12日にシンガポールで歴史上初の米朝首脳会談の開催が決まっていた。その「共同記者会見」(首相官邸) 

 安倍晋三「日米は常に共にある。シンガポールで行われる、歴史的な会談の成功を強く期待しています。

      ・・・・・・・・・・

 拉致問題を早期に解決するため、私は、勿論、北朝鮮と直接向き合い、話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意です」

 安倍晋三は拉致解決の提起をトランプにお願いする一方で拉致問題の当事国として、極々当然のことだが、北朝鮮との直接交渉に言及した。但し「話し合いたい」と希望を述べる段階にとどまっている。

 そして2018年6月12日のシンガポールでの歴史上初めての「米朝首脳会談」。トランプが拉致問題の解決を提起したことに対して金正恩は「拉致問題は解決済み」の従来の態度を取らなかったとされている。いわば拉致解決に後ろ向きの態度ではなく、前向きの態度を示したサインと受け取り、トランプの影響力のお陰と見たといったところなのだろう。

 米朝首脳会談後の同2018年6月12日午後9時34分から約20分間、安倍晋三はトランプと電話会談を行い、その後記者会見を開いている。

 安倍晋三「拉致問題についてでありますが、まず私から拉致問題について、米朝首脳会談においてトランプ大統領が取り上げていただいたことに対して、感謝申し上げました。

 やり取りについては、今の段階では詳細について申し上げることはできませんが、私からトランプ大統領に伝えた、この問題についての私の考えについては、トランプ大統領から金正恩委員長に、明確に伝えていただいたということであります。

 この問題については、トランプ大統領の強力な支援を頂きながら、日本が北朝鮮と直接向き合い、解決していかなければいけないと決意をしております」――

 2018年6月7日のトランプとの共同記者会見では、「私は、勿論、北朝鮮と直接向き合い、話し合いたい。あらゆる手段を尽くしていく決意です」と述べていたのに対して電話会談後の記者会見では、「日本が北朝鮮と直接向き合い、解決していかなければいけないと決意をしております」となっていて、北朝鮮との直接交渉による解決により強い決意を示している。前者の「私は」が、後者では「日本が」と言葉を変えていることは、最終的解決はアメリカではなく、日本自身の責任だという意味であって、この点からも決意の強さを窺うことができる。

 金正恩が「拉致問題は解決済み」の従来の態度を取らなかったことのトランプの影響力の効き目に勇気づけられた要素も混じっているはずである。

 このことは電話会談翌日6月13日の幹事長代行萩生田光一の安倍晋三との会談後の対記者談発言が明らかにしてくれる。

 萩生田光一「トランプ大統領が単に拉致問題を提起しただけではなく、今まで『拉致問題は解決済みだ』と公の席で言ってきたキム・ジョンウン委員長からそういう反応がなかった。

 これは大きな前進だ。北朝鮮とこれからさらに話をするという確認ができたと思う。日本が前面に出て、しっかり拉致問題の解決に向けた努力をしてもらいたい」(NHK NEWS WEB

 安倍晋三が「大きな前進」と見ていないのに萩生田光一の方で「大きな前進」と吹聴するのは分を超えることになる。「僅かな前進」と見ていたなら、萩生田光一も右へ倣えで、「僅かな前進」と言うだろう。

 「大きな前進」はトランプの金正恩に対する影響力の大きさも現している。その影響力の大きさの裏打ちがあってこその「大きな前進」という関係を取ることになる。

 ところが、トランプのこの影響力に冷水を浴びせるサインが北朝鮮側から示された。2018年6月12日の「米朝首脳会談」から3日後の6月15日夜放送の北朝鮮国営ピョンヤン・ラジオ放送。

 「日本は既に解決された拉致問題を引き続き持ち出し、自分たちの利益を得ようと画策している。国際社会が一致して歓迎している朝鮮半島の平和の気流を必死に阻もうとしている」(NHK NEWS WEB

 トランプの金正恩に対する拉致問題での影響力は何の効き目もなかった。「大きな前進」どころではなかった。「拉致問題は解決済み」から一歩も進んでいなかった。

 2017年9月19日にトランプが国連総会の一般討論演説で拉致問題を取り上げたことに対して官房長官の菅義偉が翌9月20日に「大統領の発言は涙が出る程嬉しかった」と感激していたが、「政治は結果」を口癖としている政治家にはあるまじき早トチリだったことになる。

 2018年6月12日のピョンヤン・ラジオ放送の発言自体が示していることだが、その後の拉致問題に関わる北朝鮮側の態度を見ても、拉致問題の取扱はトランプがどう口を挟もうと、そのこととは無関係に北朝鮮自身のペースで取扱うことを示している。

 いわば北朝鮮側が発する「拉致問題は解決済み」といった文言はトランプに影響されないことの宣言と見るべきだろう。実際にも影響されていないから、米朝会談で金正恩はトランプから拉致解決の提起を受けながら、その後に「拉致問題は解決済み」の態度を取ることができる。

 米朝首脳会談で金正恩が「拉致問題は解決済み」という従来の態度を取らなかったのではなく、トランプの提起に対して何か言わなければならないその場凌ぎの体裁上、「努力します」程度のことを発言したのに対してトランプが自画自賛大好き人間として成果に仕立てたい余りに作り上げた金正恩の態度ということもあり得る。

 トランプの拉致解決に向けた影響力が金正恩には何の効き目もないということはトランプが拉致解決で安倍晋三と協力できることは何もないという関係を取る。

 にも関わらず、記事冒頭で触れたように安倍晋三は2018年8月22日のトランプとの電話会談で拉致解決の協力をトランプに改めて依頼し、トランプは協力を約束した。

 日本の首相によるアメリカ大統領に対する協力の依頼とアメリカ大統領の日本の首相の依頼に対する協力の約束についての経緯には物事が何らかの解決に向かって進展する予感を自ずと振り撒くことになる。

 そのような予感を振り撒くことにならなければ、電話会談での依頼も約束も意味を失う。電話会談の内容を記者会見で公表する意味も失う。予感を振り撒き、予感が実際の形を取ってこそ、トランプの影響力は証明される

 現実問題としても、これまでの首脳会談や電話会談でも、あるいはトランプと拉致被害者家族との面会でも、拉致問題が何らかの解決に向かって進展する予感を振り撒いてきた。そのたびに拉致被害者家族は期待を抱き、希望をつないだ。

 だが、米朝会談後の経過を見る限り、トランプの拉致解決に向けた影響力が目に見える形を取っていない以上、安倍晋三がトランプとの関わりで何らかの解決に向かって進展する予感を振り撒くことは、予感が成果という形を取ることのない予感だけのことであって、トランプを利用して拉致問題がさも解決するかのように見せかける薄汚い詐欺行為でしかないことになる。

 このような薄汚い詐欺行為はもうやめるべきだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の掛け声だけ踊らせていた障害者を含めた実効性なき「誰もが活躍できる一億総活躍社会」の実現

2018-08-23 10:53:12 | 政治
 

 省庁が障害者雇用促進法で法的な義務を付されている障害者雇用人数を水増ししていた。しかも厚労省は現行制度が始まった1976年から40年超続いていると見て、全省庁を調べているという。

 水増しとは体のいい言葉で、実際は人数をゴマカシていた。高い倫理観が求められる役人がその自覚もなく、裏付けのない成績に手を染めて役所としての体裁を守る。

 そこにはどれだけのウソを介在させていただろうか。ウソに慣れて、後ろ暗さも感じなくなっていたに違いない。

 役人たちの倫理観を失った所業は最近目に余る。公文書の所在隠蔽、公文書の改竄、息子の裏口入学依頼、多額の飲食接待を形式とした収賄、職務上の権限に関わる第三者の依頼に応える受託収賄等々が次々に起きている。

 水増しの手口は障害者雇用の場合は障害者手帳所持が条件となるが、所持せず、指定医の診断書もない職員を人数に加えていたという。あるいは障害者手帳の発行条件を満たさない、法定雇用率算出外の軽度障害者も算入していたという。例えば障害者手帳の取得要件に該当しない弱視者も数に加えていた。

 要するにあの手この手を使った数合わせのゴマカシを働いていた。

 2018年8月22日付の「NHK NEWS WEB」記事が、水増しは 中央省庁で1000人超の見通しだと伝えている。

 記事は、総務省や国土交通省、経済産業省、国税庁、環境省の少なくとも5省庁で水増しが行われていた疑いがあり、ほかの省庁にも広がる見通しだと告げた上で、去年6月の時点で中央省庁で働く障害者は合計約6000人で、官公庁に対する法的な義務の2.3%に対して省庁全体で2.49%と上回る達成度となっているが、水増し分を除くと逆に下回ることになり、省庁によっては1%以下のところもあると解説している。

 要するに法的義務の達成を目的に水増しのゴマカシを働いていたことになる。このゴマカシは役人たちが障害者雇用促進法を空文化させていたことを意味する。何という悪質な所業だろうか。

 しかも右へ倣えで、ゴマカシていたのは国だけではなく、山形県や栃木県教育委員会、高知県なども水増ししていた。洗い出せば、他の自治体もも同じ穴のムジナと化す可能性も否定できない。

 あるいは民間も同様の手口を駆使している疑いも払拭できないことになる。

 次のサイトから、平成29年の民間企業と公的機関等に於ける「障害者雇用状況集計結果の取りまとめ」を見てみる。

 「厚労省」(2018年12月12日)

 この取りまとめは毎年6月1日現在の身体障害者、知的障害者、 精神障害者の雇用状況について障害者の雇用義務のある事業主などに報告を求め 、それを集計したものだという。

 <民間企業>(法定雇用率2.0%)

 ○雇用障害者数、実雇用率ともに過去最高を更新。

  ・ 雇用障害者数は 49 万5,795.0 人、対前年4.5%(2万1,421.0人)増加
  ・ 実雇用率1.97%、対前年比0.05ポイント上昇

 ○法定雇用率達成企業の割合は 50.0%(対前年比1.2ポイント上昇)

<公的機関>(同2.3%、都道府県などの教育委員会は2.2%)※( )は前年の値

 ○雇用障害者数及び実雇用率のいずれも対前年で上回る。
 ・ 国 :雇用障害者数 7,593.0人(7,436.0人)、実雇用率 2.50%(2.45%)
 ・ 都道府県 :雇用障害者数 8,633.0人(8,474.0人)、実雇用率 2.65%(2.61%)
  ・ 市町村 :雇用障害者数 2万6,412.0人(2万6,139.5人)、実雇用率 2.44%(2.43%)
 ・ 教育委員会:雇用障害者数 1万4,644.0人(1万4,448.5人)、実雇用率 2.22%(2.18%)

 <独立行政法人など>(同2.3%)※( )は前年の値

 ○雇用障害者数及び実雇用率のいずれも対前年で上回る。
  ・ 雇用障害者数1万276.5人(9,927.0人)、実雇用率 2.40%(2.36%)

 民間企業の法定雇用率2.0%に対して前年比+4.5ポイントとなっているが、 実雇用率1.97%で法定雇用率2.0%に僅かに達していない。しかも法定雇用率達成企業の割合は対前年比+1.2ポイントとは言え、全体の半数に当たる50.0%に過ぎない。

 従業員100人超の企業は法定雇用率未満の場合、不足する人数1人あたり月5万円(一部経過措置あり)を国に納めることが義務付けられ、法定雇用率を超えて雇用すると1人あたり月2万7千円が支給され、100人以下の企業は、別の基準で報奨金が支給されると「コトバンク」が解説しているが、アメとムチが必ずしも効力を発揮していない。

 対して公的機関は法定雇用率を全て達成しているが、水増しのゴマカシ分を差し引くと、達成は怪しくなるだけではなく、今年2018年4月1日から
民間企業は対象規模が従業員50人以上から45.5人以上へ、法定雇用率は2.0%から2.2%へ、国、地方公共団体等は2.3%から2.5%へ、都道府県等の教育委員会は2.2%から2.4%へと引き上げられている。

 公的機関に関しては上辺の数字を事実と解釈して引き上げたことは必ずしも責めることができないが、法定雇用率達成企業の割合が全体の50.0%に過ぎないなら、先ずはその割合を100%に可能な限り近づける努力を求めもせずに法定雇用率と対象規模だけを引き上げるのは理解できない。

 水増しが見逃されていたなら、同じ方法を以ってして達成する方向に走る可能性は否定できない。

 この引き上げは安倍晋三の掛け声に対応した措置なのだろうか。文飾は当方。

 「「日本とASEAN・Always in tandem――「3本の矢」で一層のWin-Win関係へ」」(首相官邸/2013年年7月26日)  

 安倍晋三「日本は、より強い経済を手に入れ、アジアを人種や性別、年齢の違い、障害の有る無しにかかわりなく、すべての人が可能性を追求できるダイナミックな社会とし、我々はより素晴らしい場所に変えていきたいと考えています。

 そうすることで、ASEANがより豊かになり、アジアが、子どもたちの将来に希望輝く場となるよう、日本は、自らの責任を果たしていくことをお約束します」

 安倍晋三の自民党総裁としての「1億総活躍社会記者会見」(自民党/2015年9月24日)

 安倍晋三「ニッポン一億総活躍プラン。 目指すは『一億総活躍』社会であります。

     ・・・・・・・・・・

 女性の皆さんが、家庭で、職場で、地域で、もっと、もっと活躍できる社会を創っていかなければなりません。一度失敗を経験した皆さん、難病や障害のある方、すべての人が、もう一歩前に踏み出すことができる社会を創ることが必要です。『多様な働き方改革』を進め、誰にでも活躍のチャンスがある経済を創り上げてまいります」

 「内外情勢調査会2015年12月全国懇談会 安倍総理スピーチ」(首相官邸/2015年12月14日)  

 安倍晋三「少子高齢化に歯止めをかけなければ、日本経済の持続的な成長は望めません。高齢者も若者も、女性も男性も、難病や障害のある方、誰もが活躍できる社会をつくることができれば、新たなアイデアが生まれ、イノベーションを起こすことができる。つまり、第二の矢と第三の矢があって、初めて、第一の矢が成り立ちます」

 「第3次安倍改造内閣発足記者会見」(首相官邸/2015年10月7日)

 安倍晋三「本日、内閣を改造いたしました。この内閣は、『未来へ挑戦する内閣』であります。

 少子高齢化に歯止めをかけ、50年後も人口1億人を維持する。そして、高齢者も若者も、女性も男性も、難病や障害のある方も、誰もが今よりももう一歩前へ踏み出すことができる社会をつくる。一億総活躍という輝かしい未来を切り開くため、安倍内閣は新しい挑戦を始めます」

 「第50回 国家公務員合同初任研修開講式」(首相官邸HP/2016年4月6日)

 安倍晋三「 若者もお年寄りも、女性も男性も、難病や障害のある方も、一度失敗を経験した人も、誰もが活躍できる社会であります。誰もが生き甲斐を感じられる社会を創り、少子高齢化に歯止めをかける。『一億総活躍』とは、国民一人一人の前に立ち塞がる、様々な「壁」を取り除くことであります」

 「一億総活躍・地方創生全国大会in九州」(首相官邸/平成28年7月27日)

 安倍晋三「子育て中の人、親の介護をしている人、難病や障害のある人、一度失敗を経験した人、人生経験豊かな高齢者の皆さん、恐れを知らない若者たち。多様な人々が、多様な経験や視点を持ち寄ることで、これまでにない社会の活力が生まれると思います。

 これが、『一億総活躍社会』なんですね。

 その実現のための最大のチャレンジが『働き方改革』であります」

 他の機会でも「子育て中の人、親の介護をしている人、難病の人」と共に「障害のある人」も加えて、これらの国民を2015年10月に発足した第3次安倍晋三改造内閣の目玉プラン「一億総活躍社会」の確かな一員とする公約を掲げた。

 当然、特に公的機関は障害者をその雇用を通して、安倍晋三が言っている「今よりももう一歩前へ踏み出すことができる社会」――「一億総活躍社会」の確かな一員とする、その公約実現に向けて率先垂範の努力を鋭意傾けなければならなかった。その結果の障害者雇用人数の水増しであるなら、公的機関側は数合わせに注力を注ぎ、安倍晋三は少なくともそのような公的機関に対しては確かな一員とすることの実効性を持たせることができないままに障害者雇用の掛け声を踊らせていたことになる。

 尤も安倍晋三が掛け声だけなのは障害者雇用に限ったことではない。「誰もが活躍できる一億総活躍社会」の実現自体が掛け声倒れとなっていて、実効性を見通せないでいる。

 それでもなお、安倍晋三は図々しくも首相の続投を目指している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1票の格差と違い、日本全体の0.6%沖縄に米軍専用施設約70%集中(沖縄本島約15%)を問題にしない感覚

2018-08-22 11:42:45 | 政治


 沖縄の「アイデンティティー」を掲げ、普天間基地の辺野古への移設に強硬に反対していた翁長沖縄県知事が2018年8月8日に亡くなっった。

「1票の格差」を「コトバンク」がデジタル大辞泉の解説を用いて解説している。

 〈選挙で、一人の議員が当選するために必要な得票数が選挙区によって異なること。そのため、有権者の一票の価値に格差が生じることをいう。→定数不均衡

 [補説]選挙区の有権者数を議員定数で割った「議員一人当たりの有権者数」が最も多い選挙区Aで50万人、最も少ない選挙区Bで20万人だった場合、一票の格差は2.5倍で、選挙区Aの有権者が持つ一票の価値は選挙区Bの有権者の半分以下(5分の2)となる。

 こうした格差は、憲法が保障する法の下の平等に反するとして、選挙の無効を求める訴訟が繰り返し提起されている。最高裁判所は、著しい格差(衆院選で3倍、参院選で6倍以上など)が生じた場合に、違憲あるいは違憲状態とする判断を示しているが、事情判決の法理により選挙は有効としている。 〉(文飾当方)

 この「こうした格差は、憲法が保障する法の下の平等に反する」は、「日本国憲法第3章 国民の権利及び義務 第14条」、〈すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。〉を指している。

 〈政治的関係において、差別されない〉は政治の扱いに於ける平等性を、 〈社会的関係において、差別されない。〉は社会を生きる上での平等性を謳っているはずである。

 日本全体の面積に対して0.6%の面積しかない沖縄に日本全体のアメリカ軍専用施設の約70%が集中し、沖縄本島の約15%を占めている。このことは日本国憲法が保障している全ての国民を対象とした法の下の平等に対して政治的関係と社会的関係に於いて果たして平等であると言えるだろうか。

 頻繁に指摘されていることだが、問題はこういった不平等性が沖縄自身よる自己決定によってでははく、一方的な他者決定に基づいていることであろう。
 
 自己決定は、それがどのようなものであれ、自らが自立的存在であることを肯定された状況が可能とする。対して一方的な他者決定は支配と従属の関係が先にあって、自らが自立的存在であることを否定された状況が可能とする。

 沖縄に於けるこのような関係性は歴史的なものとなっている。独立国家だった琉球王国の薩摩藩による独立国家の体裁は維持したままの併合を「Wikipedia」から見てみる。

 〈島津藩による琉球併合
 1609年(琉球暦万暦37年・和暦慶長14年)、薩摩藩の島津氏は3000名の兵を率いて3月4日に薩摩を出発し、3月8日には当時琉球王国の領土だった奄美大島に進軍。3月26日には沖縄本島に上陸し、4月1日には首里城にまで進軍した。島津軍に対して、琉球軍は島津軍より多い4000名の兵士を集めて対抗したが敗れた。4月5日には尚寧王が和睦を申し入れて首里城は開城した。

 これ以降、琉球王国は薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣した。その後、明を滅ぼした清にも朝貢を続け、薩摩藩と清への両属という体制をとりながらも、琉球王国は独立国家の体裁を保ち、独自の文化を維持した。琉球王国が支配していた奄美群島は、薩摩藩直轄地となり分離されたが、表面上は琉球王国の領土とされ、中国や朝鮮からの難破船などに対応するため、引き続き王府の役人が派遣されていた。〉――

 軍事的に支配と従属の関係を強いられることになった併合以降の琉球は薩摩藩によって一方的に過酷な徴税を強いられた。表面的には独立国家であったとしても、自立的存在たることを断たれた。

 同じく「Wikipedia」から「琉球処分」

 〈1871年、明治政府は廃藩置県によって琉球王国の領土を鹿児島県の管轄としたが、1872年には琉球藩を設置し、琉球国王尚泰を琉球藩王に「陞爵」(しょうしゃく)して華族とした。明治政府は、廃藩置県に向けて清国との冊封関係・通交を絶ち、明治の年号使用、藩王自ら上京することなどを再三迫ったが、琉球が従わなかったため、1879年3月、処分官松田道之が随員・警官・兵あわせて約600人を従えて来琉、武力的威圧のもとで、3月27日に首里城で廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じ、4月4日に琉球藩の廃止および沖縄県の設置がなされ、沖縄県令として鍋島直彬が赴任するに至り、王統の支配は終わった。〉――

 琉球から沖縄への改称は日本の領土であることを示すためだという。この改称にも支配と従属の関係で律して自立的存在であることを否定、そのことが可能とする自己決定の剥奪を見て取ることができる。

 薩摩藩に代わって、今度は日本政府が武力的威圧を用いて沖縄を支配と従属の関係下に置き、薩摩藩に引き続いて沖縄の自立的存在性を無視し、自己決定を認めない状況に置いた。

 沖縄が日本に支配された、いわば日本の下にある存在ということからだろう、1910年の日本の韓国併合によって日本人が韓国人を二等国民として差別したように日本は沖縄を差別することになった。

 差別自体が自立的存在性証明の重要な手掛りである自己決定を支配と従属が奪うことになっている構図を示す。

 日本政府が沖縄と本土の同化政策や皇民化教育の徹底に乗り出した明治末期から大正時代にかけて、沖縄では差別解消を願って沖縄独特の姓名を本土風に改める改姓改名運動が起きた。

 この自己決定の放棄となる日本風の改姓改名も、支配と従属の力学によって自立的存在性を否定されていることから発している止むを得ない選択であったはずだ。

 そして太平洋戦争で唯一地上戦となった沖縄戦。沖縄が自立的存在として自己決定した戦争ではない。日本政府及び日本の軍部が決定して、沖縄に押し付けた。「沖縄県平和祈念資料館」が沖縄戦での死者、日本側188,136人の内訳を沖縄県出身一般人を94,000人、沖縄県出身軍人・軍属を28,228人。合計の沖縄県出身者を122,228人と記している。

 沖縄県以外の日本人死者は65908人。沖縄県出身一般人が最も多い犠牲者となっている。

 これが沖縄が起こしたわけではない、昭和天皇と日本政府と日本の軍部が起こした戦争の一部である沖縄戦の結末である。自立的存在であることをカギとした自己決定の関与の余地は何ら与えられていなかった。

 そして敗戦、日本はGHQの占領下に置かれ、特に沖縄はアジアを睨む地政学的観点から土地が強制的に接収され、米軍の基地の島と化し、それが今日にまでほぼ続いている。

 この土地の強制的接収にしても、沖縄の米軍基地化にしても、沖縄が自立的存在であることを認められた上で自己決定した事態ではなく、米軍と日本政府によって一方的に決定した逆の事態なのは断るまでもない。

 日本は1952年4月28日に発効したサンフランシスコ平和条約によって全ての主権を回復し、独立を果たしたが、沖縄や小笠原諸島、奄美群島は米国の施政下に残った。

 沖縄が米国の施政下に残るという自己決定を下したわけではない。宮内庁御用掛の寺崎英成が天皇の希望をメモに纏め、その希望をシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝え、シーボルトがマッカーサー元帥に図った米国による琉球諸島の軍事占領の継続とされている。

 寺崎英成が纏めたメモには、〈天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られる。〉などと記されているという。

 沖縄が日本に返還されたのは1952年のサンフランシスコ平和条約締結から20年も遅れた1972年(昭和47年)5月15日である。この間、日本の一地方自治体としても、日本に於ける沖縄県民としても、自立的存在としての自己決定は許されなかった。

 このように日本が沖縄を支配と従属の関係で律することで自立的存在を否定、否定を通した自己決定の剥奪は歴史として続いてきた。

 そして日本全体の面積に対して0.6%の面積しかない沖縄に日本全体のアメリカ軍専用施設の約70%が集中し、沖縄本島の約15%を占めている現状が証明する基地の島としての役割を今以って与えられ続け、普天間米軍飛行場に関しても、辺野古への移設に反対しているにも関わらず、日本政府によって沖縄は自己決定外に置かれ、その自立的存在性は否定され、辺野古への移設が強行されようとしている。

 このことは政治の扱いに於ける平等性と社会を生きる上での平等性を保障している「日本国憲法第3章 国民の権利及び義務 第14条」の法のもとに於ける平等から明らかに逸脱している。

 1票の格差を憲法が保障する法の下の平等に反するからと問題にするなら、日本本土と沖縄の基地所在の格差も、法の下の平等の観点から問題になって然るべきだが、1票の格差程には問題になっていない。

 この感覚は本土が現在も沖縄を下に見、差別感情をなくしていないことが原因となっているのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三たちの主権国家を理由に自国憲法を無視、「必要最小限」で誤魔化した自衛隊と個別的・集団的自衛権合憲論

2018-08-20 11:59:30 | 政治
 

 安倍晋三は2017年5月3日憲法の日に東京・永田町で開催の「第19回公開憲法フォーラム」にビデオメッセージを寄せ、その中で日本国憲法への自衛隊明記を提起している。

 安倍晋三「私は、少なくとも、私たちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます」

 そして翌年の「第20回公開憲法フォーラム」は2018年5月3日の同じ憲法の日に東京・平河町の砂防会館別館で開催され、安倍晋三は同じようにビデオメッセージを寄せて、日本国憲法への自衛隊明記を訴えている。

 安倍晋三「私は昨年、この「公開憲法フォーラム」へのビデオメッセージにおいて、自民党総裁として一石を投じる気持ちでこう申し上げました。『いよいよ私たちが憲法改正に取り組むときが来た。憲法9条について自衛隊を明記すべきだ』

   ・・・・・・・・・

  しかし、残念ながら近年においても『自衛隊は合憲』と言い切る憲法学者は2割にとどまり、違憲論争が存在します。その結果、多くの教科書に合憲性に議論がある旨の記述があり、自衛官たちの子供たちもその教科書で勉強しなければなりません。皆さん、この状況のままでいいのでしょうか。

 この状況に終止符を打つため、憲法に、わが国の独立と平和を守る自衛隊をしっかりと明記し、違憲論争に終止符を打たなければならない。それこそが今を生きる私たち政治家の、そして、自民党の責任です。敢然とその責任を果たし、新しい時代を切り開いていこうではありませんか」

 違憲論争に終止符を打つために日本国憲法へと自衛隊の存在を明記する。と言うことは、憲法明記によって自衛隊合憲を誰の目にも明確にして、違憲論の入り込む余地をシャットアウトする意図を持たせた作業を意味する。 

 つい最近も、山口県下関市内で開催の長州「正論」懇話会設立5周年記念講演会での席でも、「『自衛隊を合憲』と言い切る憲法学者はわずか2割だ。その結果、多くの教科書に自衛隊の合憲性に議論があるとの記述があり、自衛官の子供たちも、その教科書で勉強しなければならない。そのために憲法に自衛隊を明記する」と同じことを言い、次の国会に自民党の憲法改正案を提出できるよう、党内議論を加速させたいという考えを示している。

 では、憲法にどのように自衛隊を明記するかと言うと、2017年5月3日の「第19回公開憲法フォーラム」で、「勿論、9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません。そこで『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います」と述べている。

 改めて日本国憲法第2章9条を見てみる。

 〈第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。〉

 いわゆる「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を謳っている。と言うことは、厳密に解釈すると、日本国憲法は個別的であれ、集団的であれ、あるいは専守防衛であれ、軍事的自衛権を認めず、当然、戦争という形で交戦するための戦力である自衛隊は違憲としていることになる。

 ここから誤魔化しが始まる。2016年11月22日鈴木宗男提出の「軍隊、戦力等の定義に関する質問主意書」に対する2016年12月1日「政府答弁書」

〈憲法第9条第2項は「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止しているが、これは、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解している。自衛隊は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織であるから、同項で保持することが禁止されている「陸海空軍その他の戦力」には当たらない。〉

 日本国憲法が保持を禁じている「陸海空軍その他の戦力」とは「自衛のための必要最小限度を超える実力を保持」した戦力のことであり、「必要最小限度の実力組織」にとどまる限り、「不保持」を謳っている「『陸海空軍その他の戦力』には当たらない」と、簡単に言うと、自衛隊は戦力ではないから、違憲ではないとしていることになる。

 一つを誤魔化すと、次も誤魔化すなければ、辻褄が合わなくなる。

 2015年6月8日参議院議員中西健治提出の〈集団的自衛権における「必要最小限度の実力行使」に関する質問主意書〉に対する『政府答弁書」

 〈お尋ねの「我が国に対する武力攻撃が発生し、これを排除するために、個別的自衛権を行使する場合」の「必要最小限度」とは、武力の行使の態様が相手の武力攻撃の態様と均衡がとれたものでなければならないことを内容とする国際法上の用語でいう均衡性に対応するものであるが、これと必ずしも「同一の範囲・内容」となるものではない。

 新三要件に該当する場合の自衛の措置としての「武力の行使」については、その国際法上の根拠が集団的自衛権となる場合であれ、個別的自衛権となる場合であれ、お尋ねの「必要最小限度の実力行使」の「範囲・内容」は、武力攻撃の規模、態様等に応ずるものであり、一概に述べることは困難である。〉(一部抜粋)

 先ず「最小限」と言う言葉の意味を大辞林で見てみると、「それ以上は切りつめたり小さくしたりするのが無理だという限度」とある。だとすると、「必要最小限度」とは、一定程度の固定性を持たせた必要とする最小限の武力、あるいは実力を言うことになる。

 次に「武力」であろうと、「実力」であろうと、それが軍事組織の力を表す以上、兵員数・兵器数などの総合力・戦闘力を内容とする兵力を指し、兵員や兵器の規模が兵力の大小となって現れる。

 そして鈴木宗男に対する政府答弁書ではその兵力が「必要最小限度」にとどまる限り、第9条2項が禁じている「戦力」に当たらないと、自衛隊兵力に一定程度の固定性を持たせたせているが、この答弁書では、〈個別的自衛権を行使する場合」の「必要最小限度」とは、武力の行使の態様が相手の武力攻撃の態様と均衡がとれたもの〉であるが、その「均衡」は国際法が言っているところと必ずしも「同一の範囲・内容」ではないと断りを入れてから、〈「必要最小限度の実力行使」の「範囲・内容」は、武力攻撃の規模、態様等に応ずるものである〉と、前者の固定性を外して、「均衡」の名の下、相手の戦力の変化に応じた同等性を与えている。

 極端なことを言うと、相手が核兵器で攻撃する意図を示した場合、「均衡」の同等性を確保するためにこちらも核兵器を用意することになる。このことは2016年4月1日の閣議決定した政府答弁書が証明してくれる。

 〈政府は、憲法第9条と核兵器との関係についての純法理的な問題として、我が国には固有の自衛権があり、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法第九条第二項によっても禁止されているわけではなく、したがって、核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは、必ずしも憲法の禁止するところではないが、他方、右の限度を超える核兵器の保有は、憲法上許されないものであり、このことは核兵器の使用についても妥当すると解しているところであり、平成二十八年三月十八日の参議院予算委員会における横畠内閣法制局長官の答弁もこの趣旨を述べたものである。〉―― 

 自衛のための「必要最小限度の実力」にとどまる限り、核兵器の所有は憲法は禁じていないとしている。但し所有だけであったなら、「均衡」の同等性は確保できなくなる。使用しなければ、「武力攻撃の規模、態様等に応ずる」ことはできない。


 日本国憲法を言葉通りに読む限り、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を謳うことで個別的であれ、集団的であれ、あるいは専守防衛であれ、如何なる軍事的自衛権を認めず、それらの行動主体である自衛隊を違憲としている憲法9条を安倍晋三やその他は「必要最小限度の実力行使」というマジックを使ってどのような戦力とすることも可能な誤魔化を働かせている。

 このようなマジックを使うに至った前提は日本は「主権国家」であるから、他の主権国家同様、個別的自衛権も集団的自衛権も認められるとする論理を呼び水としている。

 1972年の「自衛権に関する政府見解」は、〈我が国が国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない〉としつつ、憲法前文を、〈わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。〉と解釈、このような自衛の措置は〈あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置としてはじめて容認される〉ものの、〈右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきもの〉だからと、〈わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる〉と個別的自衛権に限って許容し、〈他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。〉と集団的自衛権は違憲としている。

 だが、安倍晋三とその一派は集団的自衛権の行使にまで触手を伸ばすことになった。2015年6月1日の衆議院憲法審査会。

 高村正彦「現在国会で審議をしている平和安全法制の中に、集団的自衛権の行使容認というものがありますが、これについて、憲法違反である、立憲主義に反するという主張があります。これに対して、昭和34年のいわゆる砂川判決で示された法理を踏まえながら、私の考え方を申し述べたいと思います。

 憲法の番人である最高裁判所が下した判決こそ、我々がよって立つべき法理であります。言いかえれば、この法理を超えた解釈はできないということであります。

 砂川判決は、憲法前文の平和的生存権を引いた上で、『わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない』と言っております。

 しかも、必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておりません。ここが大きなポイントであります。個別的自衛権の行使は認められるが集団的自衛権の行使は認められないなどということは言っていないわけであります。

 当時の最高裁判事は集団的自衛権という概念が念頭になかったと主張する方もいます。しかし、判決の中で、国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えていると明確に述べていますので、この主張ははっきり誤りであります。

 そして、その上で、砂川判決は、我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う、こうはっきり言っているわけであります。


    ・・・・・・・・・・・

 従って、合理的な解釈の限界を超えるような便宜的、意図的憲法解釈の変更ではなく、違憲であるという批判は全く当たらないということを改めて強調したいと思います。

 憲法の番人は、最高裁判所であって、憲法学者ではありません。もしそれを否定する人がいるとしたら、そんな人はいないと思いますが、憲法81条に反し、立憲主義をないがしろにするものであることを申し添えたいと思います」

 高村正彦は個別的と集団的自衛権の行使を主権国家であることを理由に認められるとはしていないが、憲法の番人である砂川判決は憲法の前文を「必要な自衛のための措置をとりうる」と読み解き、しかもこの措置に関して判決は「個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしていないとして、日本国憲法は個別的と集団的自衛権の行使を認めていることになると主張している。

 では、「砂川判決」をざっと見てみる。憲法9条に〈いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしも ちろんこれにより我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。〉との文言で、9条の戦争放棄と戦力の不保持の規定にも関わらず、「我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されていない」と断じている。

 そしてこの判決の少し後で、戦争放棄と戦力の不保持によって〈生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。〉と述べているが、この意味は「安全と生存を保持」する方法として日米安全保障条約を締結したことを指す。

 この解釈を以ってすると、〈我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。〉としていることは、日米安全保障条約締結国の米軍の武力を借りて我が国の自衛権を発動することまでは日本国憲法は否定していないという意味を取ることになる。

 要するに日本国憲法は同盟国の軍事力に頼ることまで禁じて、〈わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない。〉との判決言い分となる。

 以上の解釈に間違いないことは次の判決箇所によって明らかとなる。

 憲法9条2項に於いて〈戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持 し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。

 従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留する としても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。〉

 憲法9条2項が不保持を規定している戦力は「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」、即ち自衛隊であって、当然、自衛隊は違憲の存在ということになるが、「外国の軍隊」、即ち同盟国の米軍は憲法9条2項が禁止している「戦力には該当しない」としていて、そうする必要性は自衛隊が違憲であることによって米軍に「我が国が主権国として持つ固有の自衛権」を肩代わりして貰わなければならないからだろう。

 判決が「自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」と言っていることは、禁じているとした場合、現実に存在する自衛隊そのものの存在をも否定することになるから、このことを避ける意味で付け加えた文言であろう。

 要するに砂川判決は日本は主権国家だから、「固有の自衛権」を有しているが、憲法が9条で「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を謳っている関係から、違憲の存在である自衛隊自身を使った自衛の措置は憲法上許容されず、米軍は憲法が禁じている戦力には当たらないために自衛の措置を憲法前文が規定している「平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持する」規定上、米軍に頼ることは何ら問題ではないとの趣旨となる。

 次の判決箇所も同じ趣旨を辿ることになる。
 
 〈平和条約(サンフランシスコ講和条約)の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。〉(文飾当方)


 〈平和条約(サンフランシスコ講和条約)の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状〉に対して憲法が「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を規定している関係から、〈主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有〉し、〈国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している〉ことに鑑みて、日本駐留の米軍に〈わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定める〉ことは何ら問題はないとする意味以外に解釈のしようがない。

 要するに主権国家は個別的と集団的自衛権を持つことは国際法上の一般論であって、日本の場合は主権国家であることに対して憲法それ自体が禁じている例外に当てはまる。

 にも関わらず、日本が主権国家であることを根拠に様々な理由を用いて個別的と集団的自衛権は認められているとし、尚且つ、一定程度の固定性を持たせたわけではない、相手の戦力の変化に応じていくらでも兵力の規模を拡大させることができる同等性というマジックを用いた「必要最小限度の実力行使」を口実に憲法9条の文面はそのままに自衛隊の存在の明記を付け加えることで「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」に対する抹消と自衛隊と個別的・集団的自衛権の合憲を実質的に狙っている。

 安倍晋三とその一派の見事な誤魔化しとなっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の玉串料奉納は靖国参拝そのもの 戦前国家とその戦争の肯定であると同時に国民の戦争犠牲は視野の外

2018-08-17 11:29:26 | 政治
 
 
 8月15日の終戦の日に安倍晋三が自民党総裁特別補佐の柴山昌彦 を通じて自民党総裁として私費で靖国神社に玉串料を納めたと2018年8月15日付「NHK政治マガジン」が伝え、柴山昌彦の奉納後の対記者団発言を紹介している。

 柴山昌彦「昨年に引き続き自由民主党・安倍晋三総裁の名代として私がただいま参拝をさせていただいた。安倍総裁からは『先人たちのみ霊にしっかりとお参りをしてください。本日は、参拝に行けずに申し訳ない』という言葉があった」

 首相名ではなく、自民党総裁名としたのはご都合主義以外の何ものでもない。

 記事解説。〈安倍総理大臣は、第2次安倍内閣が発足して1年後となる5年前平成25年12月に靖国神社に参拝しましたが、それ以降は参拝しておらず「終戦の日」には、毎年、私費で玉串料を納めています。〉――

 この玉串料奉納に対して記事は韓国と中国の反応を伝えている。

 韓国外務省「日本政府と議会の責任ある指導者たちが、過去の植民地収奪と侵略戦争の歴史を美化している靖国神社に、ふたたび玉串料を奉納して参拝を強行したことに対して深い憂慮を示す。
 韓国政府は、日本の政治指導者たちが歴史について真摯に反省する姿勢を見せるよう、追及する。そのような姿勢のもとで、日韓関係は未来志向的に発展し、日本は周辺国の信頼を得られるという点を指摘したい」

 中国外務省「靖国神社は侵略戦争に対して直接の責任を負うA級戦犯をまつっていて、日本側の誤った対応にわれわれは断固として反対する。
 日本には侵略の歴史を直視して深く反省し、実際の行動をもってアジアの隣国や国際社会の信用を得るよう促す」

 安倍晋三は聞く耳を持たない。

 以前、何度か当ブログに書いてきたことと重なるが、小泉内閣当時の自民党幹事長代理だった安倍晋三は2005年5月2日、ワシントンのシンクタンク「ブルッキングス研究所」で次のように講演したという。

 安倍晋三(中国が小泉首相の靖国神社参拝の中止を求めていることについて)「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」――

 「国のために」という言葉は、言わずもがな、「国の役に立つ、国の利益になる」という意味を取る。勿論、単に国の役に立とうと戦ったと把えているわけではない。

 そして戦争に絡めて「国のために」と言うとき、往々にして個人よりも国家優先の国家主義を忍ばせていることになる。

 安倍晋三は外交官岡崎久彦との対談本『この国を守る決意』で、「(国を)命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」と述べているという。

 いわば「国のために戦った方に尊敬の念を表する」は顕彰の意(「隠れた善行や功績などを広く知らせること」)を含ませている。

 「国のために戦った」=“国に役に立とうと戦った”は当時は事実そうとおりだろうが、戦後、一般的には侵略を性格としていたと評価を受けることになった戦争を、安倍晋三自身はそうは思っていないが、振返ってみてなお「国のために戦った」と評価することは、戦った兵士の行動のみならず、戦うことで役立ちの対象としたその国家も戦争も肯定していることになる。

 侵略戦争だったと評価した場合、国家をも否定、兵士に対しては国家の本質に気づかずに戦争することになり、尊い命を犠牲にしたと、ただただ痛惜の念や悲しみの思いしか与えることができないはずで、「尊敬の念」を以ってして顕彰したとしたら、バカにしていると受け取られることになる。

 安倍晋三は小泉純一郎を継いで2006年9月26日に首相に就任。1年経過した2007年9月26日、病気を理由に首相職を投げ出して辞任。「次の首相も靖国神社に参拝するべきだ、リーダーの責務だ」と大見得を切った自らの信念を、信念とは程遠い単なる言葉で終わらせることになった。

 だが、再起を目指して2012年9月26日投票の自民党総裁選に立候補、9月14日の立候補者の共同記者会見での発言。

 安倍晋三「国の指導者が参拝し、英霊に尊崇の念を表するのは当然だ。首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極みだ。(参拝は)今言ったことから考えてほしい」(MSN産経

 今度こそ首相として参拝し、戦死者を顕彰すると宣言している。勿論、この顕彰は国家肯定とその戦争肯定の儀式を併せ持たせている。

 「国のために戦った」戦死者の犠牲行為を讃え、肯定しているからこそ、「英霊に尊崇の念を表する」顕彰が可能となり、英霊に対するその顕彰を通して、讃えるべき犠牲行為を捧げた国家とその戦争をも肯定することになる。

 自民党総裁に当選、2012年12月の総選挙に自民党は大勝、2012年12月26日に第2次安倍内閣を発足。翌年の終戦記念日2013年8月15日には参拝を果たすことができず、内閣発足から1年後の2013年12月26日に参拝している。
 
 安倍晋三「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました」

 「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた」

 ここでも戦死者たちの「国のために戦い、尊い命を犠牲」にした行為を「哀悼の誠」と「尊崇の念」を以って讃え、顕彰することで肯定、その肯定を国家とその戦争にまで広げていることになる。

 今年8月15日終戦の日の安倍晋三の靖国神社への玉串料奉納に関しての柴山昌彦の「昨年に引き続き自由民主党・安倍晋三総裁の名代として私がただいま参拝をさせていただいた」の発言と、「本日は、参拝に行けずに申し訳ない」と安倍晋三自身の言葉から、玉串料奉納は靖国神社参拝の代用でしかないことが分かる。

 つまり柴山昌彦を名代で参拝させ、玉串料を奉納することで本人は気持の中で靖国神社を参拝したことにする。きっと安倍晋三は8月15日の何時かの時点で、あるいは柴山昌彦が靖国神社で手を合わせる時間を見計らって、靖国神社の方向に向かって自分も手を合わせ、戦死者たちの「国のために戦い、尊い命を犠牲」にした行為を「哀悼の誠」と「尊崇の念」を以って心中密かに、あるいは口に出して讃え、顕彰することで肯定、その顕彰という行為を通して戦前日本国家とその戦争を肯定する儀式を行ったはずだ。

 同じ8月15日、日本武道館で全国戦没者追悼式が行われ、安倍晋三が「式辞」(首相官邸サイト/2018年8月15日)を述べている。(一部抜粋)

 安倍晋三「苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃(たお)れた御霊(みたま)、戦禍に遭い、あるいは戦後、遠い異郷の地で亡くなった御霊、いまその御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます」

 全国戦没者追悼式の追悼対象者は第2次世界大戦で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人と空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人の計約310万人の戦没者だそうだ。勿論、A級戦犯の東条英機その他も含まれている。

 既に触れたが、安倍晋三が言うように確かに当時の日本の兵士たちは「祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃れた」であろう。そして戦争に加わらずとも、内地や異郷で戦争の被害に遇い、犠牲となった一般市民約80万人が存在した。

 だが、全国戦没者追悼式では式典の名のとおり、戦没者の中にA級戦犯を含めていようと、追悼の対象としているのみで、安倍晋三自身も「御霊安かれ」なる言葉で追悼を表しているだけで、靖国神社のA級戦犯を含めた戦死者に対するようには誰も顕彰の対象とはしてはいない。

 このことと靖国神社での戦死者に対する顕彰が戦前日本国家とその戦争を肯定していることになる関係性からすると、全国戦没者追悼式の追悼対象者約310万人の戦死者を除いた国内外での一般市民約80万人の戦争犠牲者に対する追悼は戦前日本国家とその戦争の肯定的価値観の視野の外に置いていることになる。

 その理由は安倍晋三とその一派にとって一般市民は戦前日本国家とその戦争を肯定する道具とはならないからだろう。いわば「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた」顕彰の対象とすることもできないし、命を投げうったと国家的価値づけもできないからだろう。

 救いは戦前日本国家とその戦争を肯定する道具とはされない点のみであるが、戦争で犠牲となった一般市民約80万人にしても、一般の戦死兵士にしても、国家主義の犠牲である点は忘れてはならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の長州正論懇話会「自衛隊員は日本国民の誇りだ」は文民統制からの逸脱、危険な軍国主義

2018-08-16 11:24:18 | 政治
 

 安倍晋三が2018年8月12日午後、山口県下関市で長州「正論」懇話会設立5周年記念講演会で講演し、その発言を「産経ニュース」記事が伝えている。

 冒頭の発言。

 安倍晋三「西日本豪雨の発災以来、最大で3万1千人を超える自衛隊の諸君が行方不明の捜索、大量に流れ込んだ土砂やがれきの撤去、炊き出しや入浴などの被災者支援に当たってきた。被災者のため、黙々と献身的に任務を全うする彼らは日本国民の誇りだ。

 毎年、防衛大学校の卒業式に出席し、最高指揮官として真新しい制服に袖を通したばかりの自衛官たちから『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える』との重い服務宣誓を受ける。

 彼らは国民を守るために命を懸ける。しかし、近年でも『自衛隊を合憲』と言い切る憲法学者はわずか2割だ。その結果、多くの教科書に自衛隊の合憲性に議論があるとの記述があり、自衛官の子供たちも、その教科書で勉強しなければならない。


 こんな状況に終止符を打つ。全ての自衛官が誇りを持って任務を全うできる環境を整えることは、今を生きる政治家の責任だ。憲法の中に、わが国の独立と平和を守ることと、自衛隊をしっかりと明記することで責任を果たしていく決意だ」――

 「被災者のため、黙々と献身的に任務を全う」したのは災害派遣された自衛隊員のみではない。被災自治体の警察官や消防署員も、救出・救助活動、その他の活動を通して「被災者のため、黙々と献身的に任務を全う」した。

 警察官・消防署員は被災自治体のみならず、警察庁が西日本豪雨被災地広島、岡山、愛媛の3県に19都府県警から広域緊急援助隊として計約680人を派遣したとマスコミは伝えている。

 そして多くのボランティアが被災地に入り、任務として与えられたわけではないが、ボランティアとしての役割を「黙々と献身的に」行っている。被災者にしても、被災や近親者の犠牲にもめげずにボランティアや役所、その他の助けを借りて生活の建て直しに懸命に立ち上がり、生き抜く強い意志を発揮している。

 警察官も消防署員も被災者もボランティアも日本国民であり、一国の指導者の立場からは「日本国民の誇り」だと称賛してもいい対象ではないだろうか。

 被災地の住民ではなくても、その他の地域の日本国民である住民それぞれがそれぞれの立場に立ってそれぞれの役割を黙々と、あるいは懸命に担うことで地域が成り立つ働きとなり、それらの総合が国が成り立つ働きとなっている以上、「日本国民の誇り」と称賛すべき対象とはなり得ないだろうか。

 一国の指導者の目から見てだけではなく、多くの誰もが相互に「日本国民の誇り」と称賛されていい対象であり、そうであることをそれぞれが自覚していていい認識でなくてはならない。

 にも関わらず、安倍晋三は一国の指導者でありながら、自衛隊員の被災者支援が任務として行っている当然の行為でありながら、「自衛隊の諸君」と自衛隊員のみの活動を的にして、「日本国民の誇りだ」と称賛、その流れで「日本国民の誇り」だとする称賛を「彼らは国民を守るために命を懸ける」と服務宣誓が言っているところの軍事的国家防衛にまで広げている。
 
 そのような称賛の対象でありながら、「近年でも『自衛隊を合憲』と言い切る憲法学者はわずか2割だ。その結果、多くの教科書に自衛隊の合憲性に議論があるとの記述があり、自衛官の子供たちも、その教科書で勉強しなければならない」境遇に置かれているから、自衛隊の存在を憲法に明記、誰が見ても合憲の状態にして、自衛官の子供たちも誇ることができるようにすると、その決意を述べている。

 だが、安倍晋三の自衛隊員のみの被災者支援を「日本国民の誇り」とし、「国民を守るために命を懸ける」軍事的防衛にまでその称賛を広げるのは国家的任務を上に置き、警察官や消防署員やボランティア、あるいは被災者、それ以外の一般的な日本国民を含めた、言ってみれば彼らの市民的任務を下に置く、それぞれが大切であることを無視した優劣の価値をそこに見ていることになる。

 いわば相対化の力学を通して称賛しなければならない「日本国民の誇り」でありながら、相対化を抜きに優劣のモノサシを当てることで自衛隊員を絶対化した「日本国民の誇り」としている。

 この絶対化には自衛隊員を選ばれた特別な存在、一種の選民扱いとする意識を否応もなしに忍ばせていて、危険な軍国主義さえも窺うことができる。

 安倍晋三のこのような愚かしい意識を受けて、その反映として多くの自衛隊員が何様意識を持つに至った場合の危険は計り知れない。

 戦前の大日本帝国軍隊兵士は天皇の軍隊の天皇の兵士だと天皇と同様に自らを絶対化することで選民意識を持つことになり、他の国民を下に見、自らは何でも許される横暴な存在、何様へと祭り上げていった。軍隊や軍人のこの何様意識も軍国主義と結びつきやすく、事実、いとも簡単に軍国主義を跳梁跋扈させていった。

 また安倍晋三が「彼らは国民を守るために命を懸ける」と特別扱いでいくら断言しようとも、自らが成立させた平和安保法制に基づいて行った場合の戦争に最終的に勝利したとしても、無傷のままに勝利する絶対的な保証はどこを探してもないのだから、国民を守らない戦争は戦前と同様、否定し難く存在することになって、特別扱いの断言は断言としての完璧性を失うことになる。

 特に旧日本軍は戦闘で窮地に立ったとき、自分たちだけが敵軍から逃れることを考えて、そこで生活していた日本国民を放置して撤退したり、共に撤退したとしても、泣き声が敵軍に知られるからと母親に赤ん坊まで殺させるといったことまでした。今の自衛官がいくら国民を守るために義務付けられていようとも、状況次第で兵士に課せられた服務の宣誓はそっちのけに人間としての素のエゴイズムを曝け出して、自分を守るためにのみ命を懸ける事態も十分にあり得ることになる。

 このように完璧・絶対だと保証できない自衛隊員を選ばれた特別な存在、一種の選民扱いとした場合の軍国主義に向かいかねない何らかの反動を考えた場合、当然のことだが、シビリアンコントロールの点でも問題が生じることになる。

 今更持ち出すまでもなく、日本国憲法「第5章内閣 第66条2項」は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定、陸海空自衛隊の最高指揮権を握っている総理大臣が自衛隊に対してシビリアンコントロールの頂点に立っていることになる。

 その総理大臣が自衛隊員を選ばれた特別な存在、一種の選民扱いをしている。この精神的親和性からは、一歩間違えると双方共に軍国主義化しかねない点も踏まえて、果たして厳格なシビリアンコントロールを期待ができるだろうか。旧日本軍の二の舞を危惧したとしても無理はない自衛隊員に対する絶対化・特別な存在視が安倍晋三の意識から臭い出てくる。

 その臭いに反応した場合の自衛隊員の危険性も考えなければならない。

 安倍晋三と自衛隊員共々のあり得る可能性が低いとは決して言えない危険性と比較した場合、講演の最後の方で「生活保護世帯の子供たちの高校進学率は初めて90%を超えた」とか、「この春、高校、大学を卒業した若者たちの就業率は過去最高水準となった」、あるいは「中小企業の倒産は政権交代前から3割減少し、この27年間で最も少なくなっている」等々の政策自慢とその成果は評価する程のことではなくなる。

 我々は戦前日本軍隊の軍国主義の脅威を見てきた。安倍政権は安全保障環境に於ける軍事的脅威の名のもとに軍事的色彩を強めている。シビリアンコントロールという点からも、首相の続投資格があるのか、自民党総裁選で次期総裁として選ぶ資格を持っているのか、考えるべきだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする