安倍晋三が考え、自衛隊が担う後方支援は任務遂行型でなければならず、自己保存型では務まらない

2015-05-31 10:19:19 | 政治


 安倍政権は「国際平和支援法」によって燃料や弾薬、武器、兵士の補給・輸送等の自衛隊による他国軍に対する後方支援を、「重要影響事態安全確保法」によって補給、輸送、修理及び整備、医療、通信、空港及び港湾業務、基地業務、宿泊、保管、施設の利用、訓練業務等の同じく自衛隊による他国軍に対する後方支援を実現させようとしている。

 「重要影響事態安全確保法」は武器の提供は含まないが、弾薬の提供及び戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油及び整備は実施可能としているとネットに書いてあった。

 いわば後方支援とは兵站(ロジティクス)そのものであって、自衛隊はその重要な一部を担う。

 5月27日衆議院平和安全特別委員会で志位和夫共産党委員長がこの兵站(ロジティクス)について追及している。

 志位和夫「私は後方支援の本質論を聞いていきたいと思う。政府の法案で後方支援と呼んでいる活動、弾薬や燃料など、補給、武器弾薬・兵員輸送などの後方支援という言葉は日本政府だけが使っている造語であって、国際的には兵站、ロジティクスと呼ばれている。

 4月に日米政府が交わした新ガイドラインでも、日本語では後方支援ですが、米語ではロジティクスサポートに全部なっている。ロジティクスは前方や後方などの概念ではない」――

 そしてロジティクスが如何に重要な任務であるか、米軍海兵隊の教本を例に説明した。

 志位和夫「米軍海兵隊が作った『海兵隊教本』であります(と、コピーした一部資料を持ち上げて示す)。このロジティクス、兵站の項を持ってきました。現在使われている。

 兵站について冒頭部分で、『我々のドクトリンは兵站が戦争と一体不可分であると思っている』と強調した上で、次のように述べている。『兵站は如何に重要か。兵站は軍事作戦の如何なる実施の試みに於いても不可欠な部分で、兵站なしには計画的な組織的な活動としての戦争は不可能である。

 兵站なしには部隊は戦場に辿りつけない。兵站がなければ、武器や弾薬はなくなり、車両は燃料なしとなり、装備は故障し、動かないままとなり、病人や傷病兵は治療がないままになり、前線部隊は食糧や避難場所や医療なしに過ごさなければならない』

 兵站の重要性について非常に分かりやすく、書いています。次に、『兵站と戦争』という項がある。

 『兵站は戦争の一機能であるがゆえに兵站システムとそのシステムを作動させる部隊及び要員が暴力を呼ぶ危険の対象となる。兵站の部隊、設備、敷設は軍事行動の格好の目標であることを認識することが重要である』」――

 要するに志位委員長は後方支援活動の自衛隊部隊が攻撃対象となりやすい危険性を常に抱えることになる可能性を指摘した。

 対して安倍晋三は、「攻撃を受けたなら、応戦をするということではなくて、応戦しながら業務を継続するということではなくて、直ちに退避に移るわけでございます」と言って、自衛隊員の安全を保証した。

 しかしこの発言は兵站という重要な役目の本質に反する言葉となる。

 【兵站】「戦場で後方に位置して、前線の部隊のために軍需品・食糧・馬などの供給・補充や、後方連絡線の確保などを任務とする機関。その任務」

 部隊はその組織を動かし、戦闘を維持する血として様々な物資・弾薬・武器等の補給・輸送を求める。それらなくして戦闘を維持できず、当然、部隊は動かなくなる。

 血が人間が生き・活動していくために不可欠な要素であるように兵站は各部隊の維持と、各部隊の維持を通した全体としての軍の維持に不可欠な要素として存在する。

 この不可欠性と、兵站が担う任務が常に緊急性を要するとは限らないが、ときには緊急性を要する場合があることは否定できないから、いわば緊急性に備えていなければならないことから、これら不可欠性と緊急性への備えから言って、自衛隊が担う兵站そのものである後方支援は極めて強い意志を持たせた任務遂行型の性格を持たせなければならないことになる。

 当然、武器使用も、安倍晋三は正当防衛や緊急避難等の自己保存型の武器使用のみを認めると言っているが、任務遂行型の武器使用でなければ、兵站という重要な任務を満足に遂行できないことになる。

 こういった任務の構造を考えると、補給・輸送を断つために敵勢力が後方支援を担う自衛隊そのものに攻撃を加えたからと言って、安倍晋三が言っているように応戦せずに退避するという自己保存型の活動を優先させた場合、極めて強い意志を持たせた任務遂行型の性格を持たせなければならない兵站の重要性に矛盾する行動となる。

 実際に法律が成立・施行されて自衛隊が兵站そのものである後方支援の現場に立った場合、任務の不可欠性と緊急性への備えに否応もなしに促されることになって、任務遂行型の姿を取らざるを得なくなり、攻撃があれば、自己保存型の武器使用だと言ってはいられなくなって、任務遂行型の武器使用に迫られることになるはずだ。

 特に自衛隊が弾薬や武器、燃料の輸送を行っていたなら、単に兵站を妨害するための蹴散らす形の攻撃ではなく、その捕獲を狙った攻撃という形を取った場合、目的を達するための攻撃となって、攻撃に対する捕獲阻止の反撃は否応もなしに激しい戦闘の形を取らざるを得なくなる。

 当然、死傷者が出ることも覚悟しなければならない。

 安倍晋三や中谷元、岸田が自衛隊のリスクが増大することはないと言っていることはリスクの増大を隠す詭弁に過ぎない。

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安倍晋三は5月27日国会質疑で本人は気づかずとも新安保法制によって自衛隊から戦死者を出す可能性に言及

2015-05-30 11:31:05 | 政治




      「生活の党と山本太郎となかまた ち」

     《5月31日(日)主濱了生活の党副代表NHK『日曜討論」出演ご案内》    

     NHK『日曜討論』  

     テーマ:「10党に問う 集団的自衛権・後方支援」をに議論します。
     日 時:平成27年5月31日(日)午前9:00~10:15

     内容
     ○集団的自衛権の行使について
     ○外国軍隊への後方支援について
     ○PKO活動などについて
     ○今後の国会審議について          

 先ず新たな安全保障関連法案を閣議決定した2015年5月14日の記者会見。

 西垣フジテレビ記者「この機会なので、まだ、これから法制が始まる、国民の不安、懸念などについて説明を伺いたいと思います。

 先程総理は戦後日本が平和国家の道を歩む、そういうことに胸を張るというお話と、自衛隊の方々の活動の平和に貢献というのがありました。

 これまで、自衛隊発足後、紛争に巻き込まれて自衛隊の方が亡くなるようなことはなく、また、戦闘で実弾を使ったりすることがないことが、日本人の国内の支持であったり、国際的な支持というのも日本の平和にあったかと思います。

 今回、その平和安全法制が成立した暁に、こういった自衛隊の活動が重要事態に行くとか、あとは任務遂行型の武器使用になるとかいうことで、すごく危険だとか、リスクな方に振れるのではないかというような懸念があるかと思われるのですけれども、そういったことに対する総理の御説明をお願いいたします」

 安倍晋三「先程申し上げましたように、例えばPKOについて駆けつけ警護ができるということは、近傍で活動している地域の、例えば子供たちの健康のために、医療活動のために従事している日本のNGOの人たちがいて、その人たちに危険が迫って、自衛隊員の皆さんに救援に来てもらいたいと頼まれて、しっかりとした装備をしている自衛隊員の皆さんが救助に行けなくていいのでしょうか。そういう訓練をしている、まさに自衛隊員の皆さんは、日頃から日本人の命、幸せな暮らしを守る、この任務のために苦しい訓練も積んでいるわけであります。まさにそういう任務をしっかりと、これからも同じように果たしていくものだということであります。

 そして、今までも自衛隊の皆さんは危険な任務を担ってきているのです。まるで自衛隊員の方々が、今まで殉職した方がおられないかのような思いを持っておられる方がいらっしゃるかもしれませんが、自衛隊発足以来、今までにも1800名の自衛隊員の方々が、様々な任務等で殉職をされておられます。私も総理として慰霊祭に出席をし、御遺族の皆様ともお目にかかっております。こうした殉職者が全く出ない状況を何とか実現したいと思いますし、一人でも少ないほうがいいと思いますが、災害においても危険な任務が伴うのだということは、もっと理解をしていただきたいと、このように思います。

 しかし、もとより、今、申し上げましたように、自衛隊が活動する際には、隊員の安全を確保すべきことは当然のことであります。今回の法制においても、例えば後方支援を行う場合には、部隊の安全が確保できない場所で活動を行うことはなく、万が一危険が生じた場合には業務を中止し、あるいは退避すべきことなど、明確な仕組みを設けています」――

 自衛隊員の中にイラク戦争やアフガニスタン戦争でのPKO支援活動などで戦死者は出ていないが、その他の活動、訓練等で1800名が死亡している。例え新しい安保法制となったとしても、安全を確保する。

 5月27日平和安全特別委員会での大串博志民主党議員との質疑。

 安倍晋三「先程、私の記者会見の言葉を引用されましたが、(自衛隊員から)死傷者が出るのではないかという質問がありました。ですから、今までまるで死傷者が出ていなかったかの如くの認識ですが、それは違いますよということを私は申し上げたわけでございます。

 自衛隊の諸君はですね、訓練に於いてもリスクの高い訓練をしていなければですね、現場に於いて機敏な、また国民の命を守るための活動はできないわけであります。

 いわば普通のリスクとは違うということはやっぱり、これ国民みんなで認識していかなければならないということを申し上げたわけです」――

 この日の最後に志位和夫共産党委員長が質問に立っている。事前に質問通告してあるから、自衛隊から戦死者を出していなくても、イラクやアフガンからの帰還兵から自殺者が出ていることを承知していて、大串議員に答弁していたはずだ。

 志位共産党委員長「これまで自衛隊に戦死者が出ていないものの、犠牲者が出ていないわけではない。アフガニスタン戦争に対してのテロ特措法、イラク戦争に対してのイラク特措法に基づいて派遣された自衛官の内、これまでに自ら命を断った自殺者が何人か、防衛省、報告されたい。

 真部朗人事教育局長 「平成26年の現在、その時点でございますが、イラク特措法に基づきましてイラクに派遣された経歴のある自衛官の内、陸上自衛官が21名、航空自衛官が8名、計29名。

 それからテロ特措法に基づいて(アフガニスタンに)派遣された経歴のある自衛官の内、海上自衛官が25名。これは統計の関係で平成16年度以降でございますが、以上、29名と25人で54名が帰国後の自殺によって亡くなられております。

 一般に申し上げると、自殺の原因は様々な要因が複合的に影響しあって発生するものでございます。従いましてですね、個々の原因については特定することが困難な場合が多(おお)うございます。自殺した自衛官について海外派遣との因果関係、そういったものを特定することは困難な場合が多いということを進言させて頂きたいと思います」――

 自殺原因が複合的であっても、頻発なテロの発生と発生したテロに対する軍事行動・戦闘行為が頻発していたイラク、あるいはアフガニスタンへの海外派遣を経歴としていて、その帰国後という共通項を担っている以上、自殺した背景として無視できない大きな要因であるはずである。

 複合的原因を持ち出すことによって海外派遣を原因に結びつけることから遠ざけようとする意図を窺うことができる。

 自身の記者会見発言と志位委員長の質問通告を受けて、訓練中の死亡だけではなく、海外派遣の自衛官から自殺者を出していることまでを念頭に置いた安倍晋三の大串議員に対する答弁でもあるはずだ。

 「今までまるで死傷者が出ていなかったかの如くの認識ですが、それは違いますよということを私は申し上げたわけでございます」

 「今までも出ていたんですよ」という思いは今後も出る可能性の宣言に他ならない。

 勿論、死傷者には色々ある。

 2001年11月から2007年11月までのアフガニスタンのPKOにしても、2003年12月から2009年2月までのイラクへのPKO派遣にしても、自衛隊自身が様々に安全確保の仕組みを設けたはずで、イラクの自衛隊派遣の場合はオランダ軍、その後はオーストラリア軍が自衛隊の護衛に当っていたが、それでも帰国後に自殺者を出した。

 いくらリスクの高い訓練をしようとも、高度の安全対策を講じようとも、少なくとも今後とも自殺者の発生は否定できないことになる。

 果して自殺者だけで済むだろうか。

 志位委員長は後方支援中の自衛隊自身が攻撃され、武器を使用することになる可能性を言い、安倍晋三が昨日の志位委員長の質問に対して、「自分や共に現場に所属する自衛隊員などの生存と身体の防護のため止むを得ない必要がある場合、武器を使用できる」と発言したことを問い質した。

 安倍晋三「それは自己保存型の武器の使用になるわけでございます。要件については当然ですね、これは正当防衛と緊急避難に限るわけです」

 志位委員長は自己保存型であっても、武器を使用すれば相手からの反撃を受けることになって、応戦することなり、結果として戦闘することになるのではないのかと更に追及した。

 安倍晋三「先程も答弁しましたが、自己保存型の武器の使用しかできないわけでございます。そん中に於いてもし攻撃を受けたなら、応戦をするということではなくて、応戦しながら業務を継続するということではなくて、直ちに退避に移るわけでございます」

 安倍晋三は応戦の禁止を言い渡した。

 不可能を可能とするような矛盾を平気で言う。この発言をベテランの自衛官が聞いていたら、笑ってしまったろう。

 「自分や共に現場に所属する自衛隊員などの生存と身体の防護のため止むを得ない必要がある場合」自己保存型の武器使用はできる。

 攻撃を受けても応戦せずに被害なく退避を完成させるためには退避に対する追尾を受けないことの絶対的な保証がなければならない。退避に対して追尾のない攻撃が世の中に存在するだろうか。

 追尾があれば、当然何らかの応戦で追尾を阻止する必要に迫られる。

 応戦せずに常に退避できるとは限らないのだから、第一義的には後方支援中の万が一の攻撃に対する応戦が自己保存型の武器使用に当たり、応戦せずに退避することができたとしても、追尾を受けない保証がない以上、追尾に対する応戦も自己保存型の武器使用に当たることになる。

 だが、安倍晋三は応戦の禁止を言い渡した。このことの実際の意味は自己保存型の武器使用まで禁じたことになる。

 そうでなければ、後方支援中の万が一の攻撃も退避に対する追尾も決してないとの断言となる。

 大体が応戦には自己保存型の性格を持たせた応戦と任務遂行型の性格を持たせた応戦があるはずだ。

 そして応戦によって一人でも犠牲者を出さないために、あるいは犠牲者を一人でも少なくするために、あるいは部隊全員が無事退避できるよう、それらの任務遂行のために自己保存型の武器使用はいつでも簡単に任務遂行型の武器使用に変わり得る。

 「自己保存」のためにときには敵勢力殲滅の激しい戦闘を任務とし、遂行しなければならない場合も生じる。

 当然、全員無事の場合もあるし、死傷者が出る場合も生じる。

 だが、安倍晋三は応戦自体を否定している。応戦を否定されたなら、応戦でしか対応できない場面に遭遇したとき、自衛隊員はどうするのだろうか。大いなる矛盾と矛盾に対する激しい怒りしか感じることができないことになる。 

 そもそもからして、自己保保存型の武器使用任務遂行型の武器使用を分けること自体に無理がある。

 安倍晋三が言っていることを自衛隊が活動の現場で厳格に守っていたなら、いずれの矛盾もクリアすることはできないはずだ。

 今ままでの活動とは質を異にした、物資や兵員の補給・輸送等の任務対象部隊に対する輸血に相当する兵站を担う以上、敵はその輸血を可能な限り止めなければならない必要上、攻撃対象となりやすくなる。安倍晋三自身は頭が悪いから自分が何を言ったのか気づいていないだろうが、「今までまるで死傷者が出ていなかったかの如くの認識ですが、それは違いますよということを私は申し上げたわけでございます」という文言で、「今までも死傷者を出していた」とすることで、今後とも出すと、自衛隊から戦死者を出す可能性に言及したのである。

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安倍晋三・安倍内閣の新安保法制国会議論は拡大解釈の隠し球を至る所に潜ませていると見なければならない

2015-05-29 11:17:12 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまた ち」

     《5月26日「太郎と一郎、参院選に向け野党結集呼びかけ」》

     「太郎と一郎、参院選に向け野党結集呼びかけ」と題して『スポーツ報知』が5月26日、小沢一郎代
     表と山本太郎代表の野党結集に関する記事を掲載しています。ぜひご一読、拡散をお願い致します。

     《5月26日(火)玉城デニー幹事長 法案提出》    

     生活の党と山本太郎となかまたちは5月26日、民主党、維新の党の3野党共同で「労働者の職務に応
     じた待遇の確保等のための施策の推進に関する法律案」(「同一労働同一賃金推進法案」)を衆議
     院に提出しました。詳細は党ホームページをご覧ください。

 辻元清美民主党議員の2015年5月28日午後の衆院平和安全特別委員会質疑。

 辻元清美「新3要件を満たせば、どこに自衛隊を派遣できるか。2月2日の参議院審議、このときに安倍総理の答弁が大事なところです。予算委員会でもこれを取り上げて、質疑しました。

 『集団的自衛権を行使するのは新3要件が当てはまるかどうかで決まる。地理的にどこだから当てはまらないということはない』と答弁している。そして3月3日、私と法制局長官との遣り取りで、『新3要件そのものに地理的制限はございません』と答弁している。

 防衛大臣にお伺いします。新3要件が満たされれば、他国の領土・領海・領空でも武力行使ができるという理解でよろしいか」

 中谷元「武力行使の目的を持って、そうした部隊を他国の領土・領海・領空に派遣する、いわゆる海外派遣は一般に自衛のための必要最小限を超えるものであって、憲法上許されないとされている。

 このような従来からの考え方は新3要件の元、集団的自衛権を行使する場合であっても全く変わらず、新3要件から論理的に満たされないものです(ママ)」

 辻元清美「中谷大臣はよく質問を聞いてくださいね。中谷大臣も先日の5月2日の記者会見でこう答えています。『他国の領域に於ける』、領域というのは領土・領海・領空です。『領域に於ける武力行使であっても、新3要件に該当するものであるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動を取ることは許されないわけではない』と、記者会見でおっしゃっている。

 もう一度お聞きします。新3要件が満たされれば、他国の領土・領海・領空でも武力行使ができるという理解でよろしいでしょうか」

 中谷元「ハイ、そのとおりでございます」

 辻元清美「総理も同じでよろしいですね』

 安倍晋三「それはつまり今まで答弁しているように他国の領土・領海・領空に於ける武力行使というのは海外派兵の一般禁止、海外派兵は3要件に於ける必要最小限の実力行使にとどまることに反するということだから、一般に海外派兵は許されない。

 これは個別的自衛権に於いてもそうであって、一般的ということの中に於いて、例えホルムズ海峡の機雷封鎖のようなものを、その機雷を除去するということについてはいわゆる受動的に制限的に行うわけだから、必要最小限度の中にとどまる可能性はある。

 しかしそれは第1要件に当てはまるかどうかはまた別の判断だが、一般に海外に於ける武力行使――海外派兵、これは禁じられているという考え方です」

 辻元清美「質問にお答えになっていない。それは必要最小限度という新3要件の一つに当たらないという場合のことを総理はずっとおっしゃっている。当たるかどうかは後で検証したいが、中谷大臣が記者会見で、『他国の領土・領海・領空に於ける武力行使であっても、新3要件に該当するものであれば、憲法上の理論としてはそのような行動は許されないわけではない』

 同じですね、総理」

 安倍晋三「これは昨日も累次答弁しているが、基本的に必要最小限度の実力行使にとどまらなければならない。明確に書いてあるわけです。そこから導かれる論理としては一般に海外派兵はこれは認められない。

 これは基本であります。

 この基本の中に於いて、これは一般にであるから、例外としてホルムズの例を挙げているが、これ以外に於いて念頭にはないということでございます。

 これはかなり個別的なことに限って議論をしているわけだが、ただ法理論上、法理上に於いては、まさに一般の中に於いて、一般というのは概(おおむ)ねということだが、その外というのは100%ないというわけではありませんから、これが例えばホルムズとしてあり得るということだから、法理上はその余地は残っているが、基本的には一般未満になりますから、それは認められない。

 それを以て海外での武力行使が全面的に可能であるかの如くの、海外と言うか、領土・領海・領空に於ける武力行使が可能であるかの如くの誤解を与えてはならない。

 ここは大切なことだから、繰返し申し上げるが、必要最小限度というのは他の領海に入っていって、空爆を行ったり、上陸をしていって攻め込んだり、大規模な攻撃を行ったりということはできない。これは明らかにできないということは明確に申し上げておきたい」

 辻元清美「それはずっとおっしゃっているので存じ上げている。必要最小限度に当たらなかったらできないのは当たり前なんです。中谷大臣が記者会見されているのは新3要件だから、3つに当てはまったら、他国の領土・領海・領空でも行けると記者会見でおっしゃったので、総理も法理上は行けるという立て付けですね」

 安倍晋三「純粋法理上はあり得るということは先程申し上げたとおりですよ、政策上はホルムズ以外に念頭にはないということを繰返し申し上げておきたい」

 中谷元が記者会見で、「他国の領域に於ける武力行使であっても、新3要件に該当するものであるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動を取ることは許されないわけではない」と言い、安倍晋三は既に国会答弁しているように「いわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されない」のタテマエを取っているものの、「法理上に於いては、まさに一般の中に於いて、一般というのは概(おおむ)ねということだが、その外というのは100%ないというわけではありませんから、これが例えばホルムズとしてあり得るということだから、法理上はその余地は残っているが、基本的には一般未満になりますから、それは認められない」と言って、新3要件を満たせば、現在のところホルムズ海峡の例以外に念頭にはないが、法理上は海外派兵の余地は残っている、いわば認められる場合もあるとしている。

 「法理論上」とは、「日本国憲法は」という意味である。そして「一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されない」としている海外派兵を、例え新3要件の縛りを入れていたとしても、法理上の余地を残しているということは拡大解釈の余地を残しているということを意味するはずだ。

 いわばいつの日かの拡大解釈の隠し球とならない保証はない。

 そして新3要件自体が拡大解釈の可能性を潜ませていないとは限らない。このことは集団的自衛権に関わる従来の政府見解を見れば十分に理解できる。

 「国際法上、国家は、集団的自衛権、即ち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも関わらず、実力を以って阻止する権利を有しているものとされている。我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然である。しかし、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」(防衛白書)――

 にも関わらず、我が国を取り巻く安全保障環境の根本的な変容を根拠として憲法を拡大解釈して集団的自衛権行使は憲法に違反されないとされるに至った。

 従来の政府見解が拡大解釈という隠し球を従前から潜ませていたとは断定できないが、結果として拡大解釈を露わにした。しかも拡大解釈はこれが初めてではない。日本国憲法第9条の戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認は主権国家としての固有の自衛権を否定するものではないとの拡大解釈の元、警察予備隊を出発点として自衛隊という軍隊と軍隊が当然備える戦力を持つに至った。

 こういった前科が何犯かの前例がある以上、新3要件の一つ、「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の「必要最小限度」という言葉自体が既に曖昧で抽象的な文言となっていて、如何ようにも拡大解釈できる余地を持たせている以上、ある日突然、拡大解釈の姿を取る日を迎えないとも限らない。
 
 既に行動範囲に関しては中東にまで拡大しようとしている。実力行使の程度に於いても「必要最小限度」の制約がその文言の曖昧さゆえに「必要最小限度」のまま踏みとどまる保証はない。

 貧乏人が必要とする最小限度の生活費とカネ持ちが必要とする最小限度の生活費は桁違いであろう。小国の小規模な軍事力に対する場合と、大国の大規模な軍事力に対する場合とでは必要とする実力行使の規模は自ずと違ってくる。この場合の「必要最小限度の実力行使」はこの程度だと、いくらでも変えることができる。

 拡大解釈の隠し球はどこにでも、如何ようにも潜ませることができる。安倍晋三の意志がそうさせていると見なければならない。

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安倍晋三はサマワ、中谷元は御嶽山を例に訓練が自衛隊リスク回避可能とすると「訓練絶対安全神話」を披露

2015-05-28 12:07:00 | 政治


 5月27日(2015年)、衆議院平和安全特別委員会で大串博志民主党議員が新安全保障法制では現行の周辺事態法と比較して自衛隊の活動場所が「非戦闘地域」から「現に戦闘が行われている場所」以外に拡大するゆえに自衛隊のリスクは増大すると追及した。

 1999年(平成11年)5月28日施行の周辺事態法(「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」)について「Wikipedia」を参考に簡単に触れたいと思う。

 〈目的

 そのまま放置すれば、日本に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等、日本周辺の地域における日本の平和及び安全に重要な影響を与える事態(「周辺事態」)に対応して日本が実施する措置、その実施の手続その他の必要な事項を定め、日米安保条約の効果的な運用に寄与し、日本の平和及び安全の確保に資することを目的としている。

 内容

 通常、自衛隊が軍事行動を起こす場合、自国の領域において脅威が発生した場合のみだが、この法律は放置すれば日本に脅威をもたらす場合にも軍事行動をとる事を可能とする法律。

 対応措置

 後方地域支援
 後方地域捜索救助活動
 船舶検査活動(船舶検査活動法に規定するもの)

 後方地域の定義

 「我が国領域並びに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。以下同じ。)及びその上空の範囲をいう。」

 つまり後方地域とは「日本の領域と日本周辺の非戦闘地域」のこと。後のテロ特措法やイラク特措法のように「外国の領域」は含まれていないが、自衛隊イラク派遣、自衛隊インド洋派遣で議論された「非戦闘地域」の概念がこの法律で示された。 なお、2010年11月の延坪島砲撃事件については、政府は周辺事態に該当しないとの見解を示している。〉――

 中谷元「現在も自衛隊が我が国を守るという任務を持って、隊員も危険を顧みず、国民の負託に応えられるように日々訓練をして備えております。

 で、そういう意味に於いて、じゃあ、日本を守るリスクって、どういうものがあるかと考えれば、これ、千差万別あるんですね。そういった予期せぬ事態にも対応する。そして予期せぬ場合でも、国民のために出動を求められる。

 去年御嶽山、あのー、非常に高い標高ですね、民間の方々に救出に行えない場合に自衛隊に命令がかかりますけれども、非常に高度が3千メートルの山場で、あのヘリコプターを操縦するということはホントーに危険なことですので、できないこと、そういうリスクを帯びてもですね、自衛隊は任務を遂行しております。

 このように将来起こり得ることに対して備えをしておりまして、今回海外に於ける対応等につきましても、やはり基本的には法律を定めて、実際に準備をし、訓練をし、能力を上げていく。

 こういう基本的となる法律でありますので、法律に基づいて実施できるような値をしてリスクを軽減させていくということでございます」

 日々訓練をして、訓練の能力を上げていけば、リスクは軽減できると言っている。言ってみれば、訓練によって絶対的に安全が確保されるとする「訓練絶対安全神話」である。確実に言葉通りに非戦闘地域であるなら、ヘリコプター運行に少しぐらい危険な天候であっても、少しぐらい危険な場所であっても、訓練のそのままの応用でリスクは避けることができるだろう。

 だが、自衛隊が海外で行う他国軍への後方支援は「非戦闘地域」限定から「現に戦闘行為が行われている現場」以外と規程、「戦闘が起こったときにはただちに部隊の責任者の判断で一時中止をする。あるいは退避する」としていることは過去に戦闘行為が行われていたが現在は戦闘が行われていない地域か、あるいは現在戦闘行為が行われていなくても、将来、戦闘が行われる可能性は否定できない地域という意味となって、例え一時中止が何事もなく成功したとしても、退避を無事果たすことができたとしても、常にそうできるという保証はないし、常にそれを予定調和とすることはできないはずだが、四六時中戦闘との遭遇を想定した活動を前提としなければならないことになる。

 戦闘は何も敵兵が接近して白兵戦を交えることだけを言うのではない。接近過程で探知することができれば、活動の一時中止も退避も可能となるが、遠距離からの迫撃砲が活動中の自衛隊員を標的として、あるいは同じく遠距離から対ヘリコプター携帯ミサイルが自衛隊のヘリコプターを標的として、さらには同じく遠距離から対戦車携帯ミサイルが自衛隊の戦車ではなくても、自衛隊の軍用トラックを標的として前触れもなく飛来してきた場合の一時中止や退避は何らかの被害を受けたあとの行動を想定しなければならない。

 そういったリスクを想定しなければならない活動に対して迫撃砲や携帯ミサイル、機関銃からの被弾も想定せずに済む御嶽山のヘリコプター運行を例にして、同じ程度のリスクだとし、日々の訓練でそういったリスクを軽減できるとする「訓練絶対安全神話」は合理性もないバカげた判断能力と言う他ない。

 大串議員は尚も新しい法制になったらリスクは増大すると追及した。

 中谷元「私が申し上げましたのは現在もリスクを負って厳しい任務をしておりますし、今回の法律に基づく任務も同様の、従来と同様のリスクというものはあるんですよ。

 しかしどういうことが起こって、どういう対応をするかということは今後のことでありまして、特に政府としてそういった任務に寄与するということにつきましては法律の基づいてしっかりと計画をし、最終的には国会で承認を頂いて派遣するわけで、当然リスク、色んなリスクはあると思います。

 しかしそれを軽減し、極小化してですね、計画を立てるというのは当然のことでありますし、また派遣された場合も安全に対応するということをやっていくということです」

 あくまでも新しい法制でも、「色んなリスクはある」が、「従来と同様のリスクというものはあるんですよ」と従来と変わらないリスクだとしている。そしてこういったリスクにしても、計画を立てて軽減し、極小化していくと請け合っている。

 計画で立てたとおりにリスクを軽減し、極小化できるなら、つまり計画を立てたとおりに物事を進めることができたなら、アメリカ軍はイラクでもアフガンでも犠牲者を遥かに少なくすることができたろう。

 太平洋戦争で旧日本軍が計画を立てたとおりに戦っていたなら、いわば計画通りに全ての戦闘を遂行可能としていたなら、アメリカに勝利することを計画していたはずだから、最終的には勝利していたことになる。

 相手があることであり、その出方が一定ではなく、なお且つ偶然という作用に影響される可能性が否定できない状況での活動である以上、こちらの思い通りに事が運ぶ保証はないことを前提としなければならないはずだが、そのことに反して計画を立てたとおりに物事を進めることができるとするのは、今後起き得ると想定した全ての事態が想定した予想通りに結果も予想通りとする予定調和以外の何ものでもない。

 大串議員が「戦闘が起こったときにはただちに部隊の責任者の判断で一時中止をする。あるいは退避する」としている規程に対して、戦闘現場になるかならないかをその場で判断しなければならない現場の部隊長は非常に大きな負担がかかる。にも関わらず中谷元は「どういうことが起こって、どういう対応をするかということは今後のことだ」と言ったが、そういう対応でいいのかと迫った。

 安倍晋三「サマワ、あのときもこういう議論があったのです。例えば半年間サマワ活動、自衛隊が駐留している期間、ずっと非戦闘地域だということは本当に予測することが可能なのかという議論がございました。

 そこにどこからかミサイルや迫撃砲が飛んできて着弾したらどうなるのかという議論がずっとあったじゃないですか。ただ今回はですね、今回は大切なのは自衛隊が駐留している場所、そして活動を行う場所。例えばサマワで議論しましたね。サマワ全体ではなくて、いわば自衛隊が駐留場所と活動場所について、そこで自衛隊がまさに現実に活動を行う期間について戦闘行為が発生しないと見込まれる場所を実施区域に選んだわけでございます。

 しかし先程申し上げましたようにそう十分に見込んでいたとしても、そうでなくなる可能性というのはやはりあります、それは。しかしそれをですね、そういうことがあり得るという頭、心構えをしながら、そのとき指揮官が正しい判断をして、そこはやめますよと、他の区域だったら大丈夫ですね、と言うことで他の区域に予め移ることができるわけで、そういいう危険な状況になる前に予め柔軟に移すことができるわけです。

 今までは現行法ではまさにサマワ全体がこれは自衛隊が駐留している間は全部が安全大丈夫という非戦闘地域ということがまさにタテマエとなっていたわけであります。それはまさに一回だけの議論の中でできた概念であります。

 しかし今まで活動を重ねてきている経験によってですね、サマワの中にも色々ありますね。ということが分かるわけですよ。サマワの中でも色々あって、広いし、そいう中で状況というのは変わってきます。日々変わりながら、そこで正しい判断をして自衛隊員に死傷者を出す前にそこでは現場の指揮官が判断をすると、こういうことでありますから、まさに法律の書いてしまえば、安全だということではなくて、まさに現場の指揮官が正しい的確な判断ができるようにならなければいけない。

 まさにそのような判断をする訓練を積んでいますし、それを前提としてこれからも判断ができる訓練を行っていくように参ります」――
 
 戦闘現場ではなかったが、戦闘現場となる「そういうことがあり得るという頭、心構え」は訓練によって手にすることができる判断能力を指す。要するに訓練によって何事も解決するという「訓練絶対安全神話」に他ならない。

 そしてリスク回避の「正しい的確な判断」は現場の指揮官の能力にかかっているが、「そのような判断をする訓練を積んでい」るし、「これからも判断ができる訓練を行っていく」と、訓練によって如何様なリスクも回避できるとする「訓練絶対安全神話」から離れることができない。

 イラクやアフガンに派遣されたアメリカ軍将校も厳しい訓練と様々な戦闘経験を経ていたはずだ。だが、多くの犠牲を出した。

 アメリカ軍が置かれた危険度は格段に違うと言うだろうが、危険度に応じた訓練を受けていたはずだし、アメリカ軍が経験した戦争・戦闘にしても、その危険度は高かったはずで、そこからの学習は当然、危険度に応じた質を備えていたはずだ。

 訓練や経験からの学習は常に絶対ではないということである。にも関わらず、「訓練絶対安全神話」を振り回す。「訓練絶対安全神話」も予定調和のうちに入る。リスクはない、安全だと想定して、その想定が結果も想定通りとなるとする予定調和である。

 大体がサマワを後方支援の学習例として、訓練によってリスクを回避できるとすること自体がバカげた議論に過ぎない。イラク戦争2003年3月開始、2003年5月のフセイン政権崩壊後の2003年7月から、オランダ軍がサマワのあるムサンナ県に駐留、治安維持に当てり、自衛隊の護衛も担っている。

 2005年3月のオランダ軍が撤退が決まると、日本の要請によってオーストラリア政府のハワード首相がイラク南部の兵員を増大することを決定し、2005年4月25日 オーストラリア軍の先遣隊(43人)がサマーワに到着し、2005年5月1日、オーストラリア軍本隊第1陣(約450人)がイラク南部の治安維持活動のためサマーワに入りして、自衛隊の護衛に当たっている。(Wikipedia

 そういった他国軍隊に守られた自衛隊の状況を今後独立した組織としての活動を予定しているケースの学習参考とし、頭のいい中谷元にしても安倍晋三にしても、訓練でリスクが回避できるかのような「訓練絶対安全神話」の“予定調和”を振り回して、新安保法制は国民の命と平和な暮らしを守るためのものだと言う。

 そのバカさ加減は計り知れない。

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なぜ安倍晋三の報道圧力を受けてマスコミその他は萎縮するのか 日本人の権威主義的行動様式に遡る

2015-05-27 09:26:39 | Weblog



      「生活の党と山本太郎となかまた ち」

     《15月19日 小沢一郎代表・山本太郎代表の定例記者会見要旨》 

     小沢代表は「権力を濫用することを何とも思わない安倍政権は何するか分からない。野党が真剣に本
     気にならないといけない」と野党協力の重要性を指摘。

     山本代表は新ポスターの制作意図などを説明

     【質疑要旨】
     ○維新の党、野党との選挙協力について
     ○橋下大阪市長の政界引退表明・再登板について
     ○「大阪都構想」住民投票と道州制・国民投票との関係について
     ○安保法制における内閣法制局の役割について
     ○TPP交渉差止・違憲訴訟について
     ○福島健康調査で甲状腺がんの子供が126名に達したことについて
     ○生活の新ポスターについて

《5月26日 小沢代表・山本代表記者会見動画 党HP掲載のご案内》

     安保法制、日米関係、官僚主導、野党結集、経済政策などの質問に答えました。

 安倍晋三はよく知られているように教育政策に熱心である。勿論、国家主義者らしく、その教育政策は国家主義的教育の彩りを纏わせている。

 国家主義とは国家を優先させた国民の存在性という構造を取っている。そこから安倍式愛国心教育が生まれている。

 上から国を愛せと言うのは国を上に置いて国民を下に置くことによって可能となる。上が下に対してああしろ、こうしろと指示・命令する構造を取ることになるからだ。

 国民の間から自然発生的に生じた愛国心はああしろ、こうしろという指示・命令を受けたものではないゆえに国を上に置くのでもなく、下に置くのでもなく、対等視した国と国民の関係を取ることになる。

 男女の関係も同じであろう。

 安倍晋三の教育政策の中身はともかく、政策決定のプロセスにこの上を絶対的とする国家主義の力学が働いていることを窺わせる記事に出会った。

 《教育改革:「再生会議」が次々と提言 「実行力」に警戒も》毎日jp/2015年05月25日 09時34分)   

 記事全体はアクセスして読んで貰うとして、政策決定のプロセスのみを取り上げてみる。

 自民党の「教育再生実行本部」が具体案を含む「改革の骨子」を作成
       ↓
 政府「教育再生実行会議」(2013年1月設置)が上記「改革の骨子」を肉付けした「改革案」を作成、文科相の下村博文に提言
       ↓
 下村博文が文科相の諮問機関中央教育審議会(中教審)に諮問 
       ↓
 中教審で制度設計に向けて審議し答申
       ↓
 文科省が法改正などで実現

 こういった形式を取るそうだ。

 政府「教育再生実行会議」を牽引する教育再生担当相と政策を具体化する文科相を下村氏が兼務していることが提言の実現度を高めているとの指摘もあると記事は解説している。

 別に兼務自体に問題があるわけではないはずだ。問題は中教審の委員や元委員の間に不満の声があると伝えていることである。

 ある委員「中教審に諮問された段階で結論が決まっていて、それから外れた結論は出せない雰囲気がある」

 元委員の一人「最近は(教育再生)実行会議の提言が『上意』となってしまっている。だが中教審は毅然(きぜん)とし、自分たちの教育的観点から吟味すべきだ」

 元委員の一人が「中教審は毅然(きぜん)とし、自分たちの教育的観点から吟味すべきだ」と危機感も露わに警告を発しているが、自分たちが理想とするそのようなあるべき姿に持っていくことができない状況と彼らの無力を見て取ることができる。

 なぜ彼らはその時々の場で政治家たちの結論ありきに対して教育に関わる自分たちの主張を闘わせることができないのだろうか。なぜ結論ありきの勢いに抵抗することができずに自分たちの考えを飲み込んでしまって、最初からの結論に従ってしまうのだろうか。

 ここに見て取ることのできる両者の関係は自民党議員や文科相とは対等な関係ではなく、そういった関係を築くことができず、自分たちをその下に置いた上と下の関係である。

 このような上下関係が上の最初からの結論ありきを許し、結論に対する下の沈黙を可能とする。明らかに国家主義の上下関係をここにも見ることができる。

 このように政治家を上に置いて自分たちを下に置き、上に妥協する姿は中教審の委員たちばかりではないのを我々は見てきている。

 既に周知の事実となっているが、2014年12月14日の総選挙約1カ月前の11月18日、安倍晋三がTBS「NEWS23」に出演、番組が街の声をインタビューした録画を流した際、その声の殆どがアベノミクスに否定的だったことに対して「街の声ですから、皆さん選んでいると思いますよ。もしかしたら」と、さも番組が街の声を意図的に情報操作したかのように発言したことに端を発した、その2日後の11月20日の「自由民主党 筆頭副幹事長 萩生田光一/報道局長 福井照」の差出し人名で在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに番組報道の公平・公正・中立を求める文書を送った報道圧力に対して萎縮状態を呈することとなったテレビ局の現場の人間たちである。

 この報道圧力を今年に入った2015年3月9日、衆議院予算委員会で民主党の細野豪志が取り上げて安倍晋三を追及している。 
 細野豪志「昨年の11月18日のNEWS23のあの御発言。これは解散を表明された日ですね。アベノミクスについていろいろな方がコメントしたのに対して、これ全然声が反映されていませんが、おかしいじゃないですかという発言をされた件、あれ、私、テレビを見ていて非常に気になりました。

 さらに気になったのが、それに対して大串議員が質問をしたことに対して、これおかしいじゃないですかとおっしゃった発言を、私の考えをそこで述べるということは、これはまさに言論の自由だと言い切った。正直言って、ちょっと衝撃を受けたんですね。

 こういう発言も、総理の言論の自由だという御発言は、これは変わりませんか。この思いは変わりませんか」

 安倍晋三「先ず、私は、これは裏で言った話ではなくて、細野さんもごらんになることができるテレビの前で、いわば国民の声としてさまざまな街の声が紹介された。その中で、いわば、実体経済として、先ほど就職の内定率等お話をさせていただきました。そして、間違いなく名目賃金においてはよくなっているわけでございます。そういうことについて、これは反映されていないではないかということを言うのは当然のことなんだろうと思います。

 そして相手側も、そうした私の指摘に対して、それはそんなことありませんよと反論すればいいだけの話じゃないですか。当然そうでしょう。反論できないわけじゃないですよ。

 もしかしたら、私の論調が、私に対して議論を挑むと論破されることを恐れたのかもしれない、こんなように思うわけでありますが、いわば、当然、そこで議論し合えばいいだけの話ですよ。わざわざここで、予算委員会で何か、そんな、表現の自由とか報道の自由とかいうところから議論をするような話ではなくて、そこはまさに、番組において、私はそう思いますよということを述べた」

 ――(中略)――

 細野豪志今起こっていることは、実際、私も報道関係者と話をしていますけれども、この話になると、みんな口を閉ざすんですよ。表現の自由とか言論の自由を常にいかなる状況にあってもしっかりと確保するだけの状況をつくるのが総理の仕事であって、報道機関に対してクレームをつけて、それを言論の自由なんと言われたら、それは人権そのものに対する大変な侵害なんですよ。

 少なくとも、総理、いろいろ意見を言いたいことはあるでしょう。それは言っていただいて結構。しかし、こういう、報道に対して意見を言うことを言論の自由と言うことは、これからやめていただきたい。いかがですか」

 安倍晋三「全くそれは認識の間違いだと思います。

 いわば、選挙を前にしていて、報道は正しくしてもらいたいという考え方があります。真面目にやっていただきたい。その中で、例えば、私がその当該番組の関係者に電話して何かクレームをつけるというのとは違うんですから。その場に出ていて、国民の皆様の前で、私はこう考えますと述べている。それを圧力と考える人なんか、私は世の中にいないと思いますよ。それを、圧力とかそういう形で。
 そして、番組の人たちはそれぐらいで萎縮してしまう、そんな人たちなんですか。情けないですね、それは。極めて情けない。別にそれが、みんな萎縮しているわけではなくて、例えば夜、夕刊紙でも買ってくださいよ。何と書いてありますか。見事に、日本では言論の自由は守られているんですよ」

 ――(中略)――

 細野豪志総理、現実に、報道機関の萎縮はかなり起こっています。私は、今の自民党のこのやじの状況が危機的だと思うんですよね。

 私はある自民党の重鎮の方にこの話を少し話しましたが……(発言する者あり)ちょっと聞いてください。静かにしてください。こういったことに関して、自民党の中から、総理、そんなことを言うべきでないと言う人が一人もいないということが非常に問題だと、その自民党のOBの方は言っていましたよ」

 ――(中略)――

 安倍晋三「前程自民党側から全く声が出ないというのは、私は、議論に値しないと皆さん思ったんだろう、いわば議論以前の問題だろうと」―― 
 安倍晋三の答弁には相変わらずウソとゴマカシが混じっている。細野が質問の中に加えなかったからでもあるが、テレビ局の現場が萎縮したと言われているのは安倍晋三の側近中の側近の萩生田光一がもう一人と連名で在京テレビキー局に送った番組報道の公平・公正・中立を求める文書が原因となっているのであって、安倍晋三の「NEWS23」での発言は単に報道圧力の端緒となったに過ぎない。

 細野豪志が「この話(萎縮の話)になると、みんな口を閉ざすんですよ」と言い、「総理、現実に、報道機関の萎縮はかなり起こっています」と言ていることからすると、巷間噂されていたように報道の現場では実際に萎縮が起きていたようだ。

 そのような萎縮が安倍晋三をして正論を導き出させることになる。

 「相手側も、そうした私の指摘に対して、それはそんなことありませんよと反論すればいいだけの話じゃないですか」

 「番組の人たちはそれぐらいで萎縮してしまう、そんな人たちなんですか。情けないですね、それは。極めて情けない」

 「当然、そこで議論し合えばいいだけの話ですよ」

 そうしなかった、あるいはそうするだけの意志の力を持てなかったために、「もしかしたら、私の論調が、私に対して議論を挑むと論破されることを恐れたのかもしれない」などと思い上がったことを言わせることになった。

 このような萎縮現象が起きるのは、既に触れたように政治家、あるいは総理大臣という対象に対して報道の人間たちが自分たちを下に置いた上下関係を取っているからである。

 もし対等な関係を取っていたなら、堂々とした論陣を張って渡り合い、萎縮は起きない。

 そしてこの現象は、前々からブログに書いていることだが、日本人の行動様式・思考様式である権威主義から来ている。

 上が下を従わせ、下が上に従う権威主義は地位の上下をそのまま人間関係の上下としている。上の言うことを、例えそれが間違いだと思っても、言いなりに従うことが下の者として優秀な人間とされる。

 アメリカ映画では下士官が上官に対して上官の意見に反する主張をしたり、一警察官が署長等の上司の主張に対して反論したりするシーンをよく目にする。上の者が最後に、「これは命令だ」と従わせようとすると、憤然として踵を返し、ドアを音と立ててバターンと占めて、反抗の態度を示す。

 日本映画ではそういったーシーンにお目にかかることはない。お目にかかったとしても、現実にはないシーンであろう。

 権威主義は生まれてから上に位置した親が下に位置させた子どもに対して、ああしろ、こうしろという指示・命令を出す育児で植え付け、学校に入ると上に位置した教師が下に位置させた児童・生徒に対して教師が教える知識・情報を教えるなりに暗記させ、児童・生徒がそのままに自分の知識・情報とする形式で権威主義を色濃く育てていくことになる。

 結果、児童・生徒が教師に対してまともな議論の形で意見を言うことも自分を主張することもないし、児童・生徒が同じくまともな議論の形で相互に意見を言うこともないし、ましてや言葉を戦わせることもない。

 議論とは自身の考えを戦わせることを言い、自己主張の形を取る。だが、そういった習慣がないままに大人となっていく。このことゆえに言語能力の欠如が言われる。

 日本人の大人が上の地位の人間に対して自己主張が不得手なのはこの権威主義が原因となっている。 

 アメリカの教育は逆に自分の意見を言うこと・自分の考えを持つことを重視するという。教師は児童・生徒の意見・主張を導き出すために「Why?」、「How?」、「What ?」という言葉を多用するという。

 学校入学前から、意見を言うこと・考えを述べることに関して子どもは親に一個の人間として対等に扱われ、学校でもそのように訓練づけられた児童・生徒は当然、教師に対しても自身の意見を述べたり、自身の考えを主張したり、あるいはお互いに言葉を闘わせたりすることを慣習として身につけ、成長していくことになる。

 安倍晋三はアメリカにはない、日本独特の地位の上下=人間の上下とするこのような権威主義が最も有効とする総理大臣という地位を巧みに利用して、権威主義に縛られて自身を下に置く者達に自分の意見・考え・主張を押しつけ、従わせている。

 それがときには言論の圧力という形を取り、ときには自分たちの政策をそのまま結論としてしまう圧力を演じることになる。

 現在、この権威主義が安保法制で繰返されようとしている。

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安倍晋三の安保法制議論は狭い領域概念に終始、“軍事的危険地帯”での活動という広い領域概念を欠いている

2015-05-26 10:50:37 | 政治


 何日か前のブログで安倍晋三と岡田民主党代表の5月20日党首討論を取り上げて、安倍晋三の新3要件に基づいた集団自衛権行使等の安保法制議論が「今後起き得ると想定した全ての事態が想定した予想通りに結果も予想通りとする予定調和」で成り立たせていると批判した。

 例えば後方支援活動で自衛隊が非戦闘地域で活動していても、そこが戦闘現場になった場合は直ちに活動を一時中止するか退避するから、リスクはないという趣旨の発言をしているが、一時中止、もしくは退避が想定したとおりに保証されるものとしている前提に象徴的に予定調和が表れている。

 自衛隊が活動を一時中止したからといって、敵勢力が一時中止に応じて攻撃を停止する保証はないし、当然、そこで戦闘行為が起こらない保証はない。自衛隊が活動場所から退避したからといって、敵勢力が追撃しない保証はないにも関わらず、一時中止、退避を想定した通りに可能とする予定調和である。

 だが、今回は別の視点から安倍晋三の党首討論の発言と、安倍晋三の発言とは異なる防衛相の中谷元と官房長官の菅義偉が挙げた安保法制に関わる事例を取り上げてみる。

 後方支援にしても集団的自衛権行使にしても、議論の殆どが“戦闘地域”か“非戦闘地域”かで行われている。

 例えば集団的自衛権行使に基づくペルシャ湾の機雷除去に関して次のように発言した。

 安倍晋三「いわば機雷の除去というのはこれはいわば一般ということの外に置いてと何回も説明してきているところでございます。そこで、そこで巻き込まれるかどうか。

 もう時間がまいりましたので最後に簡潔に申し上げますと、巻き込まれるかどうか、日本の意志に反してですね、日本が戦闘活動に巻き込まれていくということは当然ないのは当たり前のことであります」

 つまり機雷除去に関しても「日本が戦闘活動に巻き込まれていくことはない」という表現で非戦闘地域を予定調和としている。例え非戦闘地域であっても後方支援活動で発言したようにそこが戦闘現場になった場合は直ちに活動を一時中止するか退避するかすることでリスク否定を予定調和とするのだろう。

 この予定調和以外に問題なのは自衛隊の活動場所を“戦闘地域”か“非戦闘地域”かといった非常に狭い領域の概念で区切った議論でなされていることである。常に“戦闘地域”であるか、“非戦闘地域”であるかを問題としている。

 戦闘地域を避けて非戦闘地域を選択するという判断自体が“戦闘地域”であるか、“非戦闘地域”であるかの狭い領域概念を前提とした議論であろう。

 非戦闘地域であっても、戦闘現場になり得るという議論にしても、“戦闘地域”であるか、“非戦闘地域”であるかの狭い領域概念を前提としている。

 但しそのような“非戦闘地域”なのか“戦闘地域”なのかの狭い領域概念を前提とした議論がその場所限定の状況であるなら問題はないが、「イスラム国」がイラクやシリアに侵略の活動範囲を広げているようにそこがときには一国内、あるいは一国を超えた広い領域概念である“軍事的危険地帯”下にある場合の“非戦闘地域”なのか“戦闘地域”なのか、狭い領域概念での議論は、“軍事的危険地帯”ということは敵勢力の軍事的影響下にあるということをも意味し、場所限定を予定調和とすることは無効化して、“非戦闘地域”と“戦闘地域”は常にいつでもどちらにも変わり得る背中合わせの流動的な危険地域と見なければならない。

 つまり自衛隊の後方支援活動にしても集団的自衛権行使にしても、“戦闘地域”か“非戦闘地域”かといった狭い領域概念を前提とした議論ではなく、一国内、あるいは一国を超えた“軍事的危険地帯”を頭に置いた広い領域概念で、“非戦闘地域”がいつでも“戦闘地域”に変わり得る常なる危険性を想定した議論が行われなければならないということである。

 北朝鮮有事に関しても同じ想定でなければならないはずだ。北朝鮮内の一地域のみを取り上げて、そこが非戦闘地域だ、戦闘地域だと議論しても不毛そのものである。

 事実そこが非戦闘地域であったとしても、北朝鮮軍による排除の力が働くことを想定しなければならない。

 広い領域概念である“軍事的危険地帯”を想定しなければならない後方支援活動であり、集団的自衛権行使であるなら、当然、自衛隊のリスクは狭い領域概念での議論よりも高めに見なければならないことになる。

 安倍晋三が党首討論で、自衛隊員の「安全が確保されている」とか「リスクとは関わりがない」とリスクを否定できるのは今後起き得ると想定した全ての事態が想定した予想通りに結果も予想通りとする予定調和に立っていることと、“戦闘地域”か“非戦闘地域”かといった狭い領域概念を前提とした議論だからである。

 防衛相の中谷元も似たような論理構造に則っている。5月22日閣議後記者会見。

 中谷元「自衛隊員はこれまでも災害派遣などで非常に厳しい任務を負ってきており、法整備による任務のリスクは従来と同様のものだ。今回、新たに任務は増えるが、リスクを軽減する措置はしっかりと規定しており、増大することはない」(NHK NEWS WEB

 “軍事的危険地帯”での危険性を想定しなければならないのに狭い領域概念である“戦闘地域”か“非戦闘地域”かまで飛び越えて、災害派遣活動と同然だと矮小化している。

 また中谷元の5月24日夜のNHK番組での発言。

 中谷「(石油が輸入できない期間が)半年以上も続くと国民生活に死活的な影響が及ぶ事態が発生する」(時事ドットコム

 記事が解説しているが、集団的自衛権を行使できる存立危機事態に該当する事例だとの認識である。

 半年も石油がストップする。つまり米政府も米軍も半年の石油ストップを許している状況を前提としていることになる。ただ単に許すはずはないから、例えばホルムズ海峡の機雷封鎖を原因とした石油半年ストップなら、半年間機雷を放置していることになる。

 しかし、《ホルムズ海峡における機雷戦の考察(第1回)》チャンネルNippon)の、〈過去の米国の対機雷戦の事例に基づく予測では、もしイランに小規模な機雷敷設キャンペーンでも許してしまえば、ホルムズ海峡を再び啓開するには1か月若しくはそれ以上を要する。〉という記述と明らかに矛盾することになる。

 矛盾するばかりか、ホルムズ海峡の機雷封鎖は集団的自衛権の行使事例として議論の対象としていることからも分かるように日本だけではなく、アメリカにしても想定事態として監視対象としているはずである。それが大規模な機雷敷設であると仮定するなら、大規模な敷設に応じて時間もかかるはずだから、監視対象としていながら、その時間内に機雷敷設の情報をキャッチもせず、機雷封鎖阻止の攻撃も行わなかったことになる。
 
 そして半年待って、集団的自衛権を行使できる存立危機事態に該当するからと自衛隊を機雷除去の活動に派遣する。米軍が自衛隊を出動させるために機雷封鎖阻止の攻撃も行わず、敵勢力に機雷を敷設するに任せたとしか考えることができない。

 この議論を矛盾しているとするなら、中谷の議論自体が矛盾しているとしなければならない。

 菅義偉が5月25日の記者会見で、他国領域での武力行使の例として他国によるミサイル発射を防ぐための敵基地攻撃もあり得るとの認識を示したと、「TOKYO Web」が伝えている。

 菅義偉「他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地を叩くことは法律的には自衛の範囲に含まれ、可能だ」

 この発言は敵基地攻撃によって全てのミサイル発射装置を破壊できることを予定調和としている。いわば一発の報復のためのミサイル攻撃も想定しない予定調和である。

 あるいは一箇所か複数の敵基地を攻撃、破壊して、目的を達したからと攻撃を中止して、攻撃側に何事も起こらないことを予定調和としている。

 果して可能な予定調和だろうか。

 もし一発でも報復のミサイル攻撃を想定しているなら、新しい安保法制によって日本が戦争に巻き込まれる危険姓が減るとか、巻き込まれることはないといった議論は事実に反することになる。

 例え報復のミサイルを受けることがなかったとしても、敵基地攻撃は戦争を仕掛けることになることを最悪の危機管理としなければならないはずだ。

 安倍晋三の党首討論の発言とも矛盾する。

 安倍晋三「一般に海外派兵は認められていないという考え方。これは今回の政府の見解の中でも維持されているということであります。つまり外国の領土に上陸していって、戦闘行為を行うことを目的に武力行使を行うということはありませんし、あるいは大規模な空爆を共に行うなどのことはないということは、はっきりと申し上げておきたい、このように思います。

 再三申し上げますが、議論をしているときに後ろの方でどんどんヤジをするのは、もうやめて貰いたいと思いますよ」――

 安倍晋三はヤジを批判することで自身の答弁を正当化する術を心得ている。

 敵基地攻撃は「外国の領土に上陸していって、戦闘行為を行う」方法を取るか、自国ミサイルか戦闘機によって「大規模な空爆」という方法を取るか、あるいは両方を併用するか、いずれかであろう。

 安倍晋三が党首討論で否定したことを菅義偉は記者会見で肯定する。

 想定される自衛隊の活動範囲を狭い領域概念で把え、リスクはないとする予定調和で議論を完結させようとするこの支離滅裂な安保法制が国民に押し付けられようとしている。それも国民の生命、自由、幸福追求の権利を守るためだと言う。

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Nスペ「総理秘書官が見た沖縄返還」で佐藤秘書官楠田實は沖縄に感謝すべきと言うが、感謝してはならない

2015-05-25 12:23:59 | 政治


 2015年5月9日(土) NHK総合放送で、NHKスペシャル「総理秘書官が見た沖縄返還~発掘資料が語る内幕~」を放送した。佐藤栄作(在任1964年11月9日~1972年7月7日)が自身で「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」という非核三原則を打ち出しながら、沖縄返還を有事の際は米国の核の持ち込みを許すとする密約で獲ち取った日本国民に対する裏切りであったことは既に周知の事実となっているが、番組はもう一つ、日本国民と言うよりも、沖縄県民対する裏切りを浮き立たせている。

 番組の構成は1967年から1972年まで佐藤栄作の首席秘書官を務め、佐藤栄作のスピーチライターでもあった産経新聞出身のが楠田實残した沖縄返還に関わる膨大な政府中枢の資料の一部を読み解き、沖縄返還と返還から約40年経過しても在日米軍施設の74%が沖縄に集中する表と裏を見るという体裁を取っている。

 因みに安倍晋三のスピーチライターは谷口智彦内閣官房参与である。勿論谷口が元となる文章を作った上で安倍晋三の希望等を入れて、二人で最終稿をつくり上げるのだろうが、言葉は美しいが内容のないスピーチは安倍晋三の人格的体質とうまくマッチしていることの反映でもあるはずだ。

 〈佐藤の政治方針を言葉にしていく過程で沖縄返還に関わる政府中枢の情報が首席補佐官の楠田の元に集まり〉、その数段ボール箱100箱余りが自宅で発見され、現在は楠田が沖縄返還の歴史を書きたいので手伝ってほしいと伝えていたという和田純神田外語大学教授の千葉にある研究室に非公開のまま保存されている。

 資料の中には録音テープも残されいていた。

 楠田實テープ音声「沖縄返還後の日本の政権というのは沖縄問題というものを返還だけで事成れリと。

 何か上滑りというか、『おカネだけ、補助金だけやればいいんだろう』という感じのものがあって、1億2千万人の国民が一緒になって考えなきゃいけないという政治的リーダーシップが必ずしもないんじゃないかと思っている」

 番組は沖縄県民は日本復帰で基地が本土並みに縮小されると期待したと解説しているが、佐藤栄作も含めて返還後の歴代政権は沖縄の日本への返還という歴史的事実のみを成果としていたとことになり、政府と沖縄県民のこの食い違いが今日の普天間基地の辺野古移設反対へと発展しているはずだ。

 いわば沖縄県民の多くは沖縄の日本への返還だけではなく米軍基地の返還をも求めていたが、日本政府は前者のみの返還で良しとしていた。

 では、返還に向けてどういう動きがあったのか。

 佐藤の首相就任直前、当時佐藤番記者だった(番組では解説していない)楠田實は先ず沖縄を訪問し、沖縄返還を大きな政治課題だとすべきだと進言。

 楠田メモ(佐藤宛)「これまでの沖縄の努力に報い、現状を知るために1965年夏までに沖縄を訪問したいとの意向を表明すべきである」

 1965年とは敗戦から20年目だと解説している。
 
 楠田實テープ音声「100万人も日本人がいる島をアメリカが占領してそこに日本の施政権が全く及ばないと。(沖縄戦で)沢山の人が島で死んでいるわけでね。

 その島そのものをいつまでも放おっておくのかと。日本の責任下に置けないのは非常におかしいじゃないかと。それを政権構想に持って行こうじゃないかと――」

 楠田の進言通りに佐藤栄作は訪問。空港に降り立つと、楠田が用意していた首相として戦後始めて沖縄を訪問したことを謳う演説を行う。

 佐藤栄作「私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国にとって戦後は終わっていないことをよく承知しております」

 その後人口に膾炙されることとなった「沖縄の祖国復帰なくして日本の戦後は終わらない」は楠田實考案の言葉だった。

 だが、沖縄県民は祖国復帰のみならず、米軍基地返還なくして日本の戦後は終わらないとしていた。そして沖縄と日本政府との、あるいは沖縄と日本本土とのこの大きな懸隔は今日にまで続き、沖縄の戦後は終わっていない。

 つまりナレーションで解説しているように、日本に復帰すれば敗戦後米軍に接収されて20年間施政権下に置かれていた基地が本土並みに縮小すると抱いていた期待は裏切られることとなった。
 
 那覇での総理大臣歓迎式典での演説では楠田が作成した原稿に新たな文章が付け加えられていた。

 佐藤栄作「我が国が日米安保条約によって米国と結ばれており、盟邦として互いに相協力する関係にあります。

 また、極東に於ける平和と安定のために沖縄が果たしている役割は極めて重要であります」

 番組は楠田の演説草稿にはなかったこの発言が沖縄の米軍基地の日米にとっての軍事戦略上の重要性を謳い、沖縄に於ける米軍基地の必要性を意味づけているといった解説をしていたが、後から気づくことになるのだが、この時点で既に米軍基地の維持を暗黙の了解としていたということなのだろう。

 このことは佐藤とアメリカとの沖縄返還交渉が核の問題に集中し、基地返還が背景に押しやられていたことが証明する。

 その結果、2015年3月29日NHK「日曜討論」での外交評論家岡本行夫の「本土の基地は65%以上、削減されたけれども、沖縄は20%しか削減されていない。それが現在の74%という数字になっている」という言葉につながっている。

 本土の基地を削減して、削減した分を沖縄の基地を維持することで補填していた。だから、65%以上の本土基地削減に対して沖縄基地削減は20%という少ない割合となって、依然として在日米軍施設の74%を占めるに至っている。

 1967年11月、佐藤栄作は訪米、当時のションソン米大統領と会談、沖縄のアメリカ軍基地が極東で重要な役割を果たしていることを認め、返還の時期については2、3年のうちに合意することが決まったと解説している。

 但し沖縄には当時核兵器が配備されていて、アメリカ側はそれを維持したいと日本側に申し入れていたが、唯一の被曝国という立場上国民の反核感情は根強く、佐藤自身、「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」の非核3原則を宣言していた手前、核を残した返還を認めることができる状況ではなかった。

 当時父島が米軍の核貯蔵庫となっていた小笠原諸島返還が核の扱いをどうするかの試金石となった。

 番組は駐日米大使館で小笠原返還交渉を担当した書記官のロドニー・アームストロング氏の、両者の会談に直接加わっていたわけではないが、書記官という立場上、知ることができたのだろう、その証言を用いて1968年の三木武夫外相とジョンソン駐日米大使との会談の経緯を映し出している。

 アームストロング氏は会談後部屋から出てきたジョンソン大使の顔が怒りで赤くなっていたのを見て、会談の結末を咄嗟に判断できたという。

 ジョンソン大使の緊急時には今後も父島に核兵器を持ち込みたい、日本側もそれに理解を示して欲しいとする要望に対して、三木外相は日本には非核3原則があり核兵器の持ち込みは許すことができないと抵抗した。

 アームストロング元書記官「三木外相は署名した場合に起き得る国内での政治的反応に耐えられないと感じたから、サインをしなかったのだろう。しかし私たちは小笠原の返還のあり方が沖縄返還のあり方になると考えていたのです」

 「小笠原の返還のあり方」たるや、核兵器の再持込みは棚上げされたまま小笠原は返還された(1968年(昭和43年)6月26日)と番組は解説することになった。

 沖縄の核問題が不透明となったことで、佐藤は野党の「核抜きで沖縄返還が実現できるのか」と追及を受けるたびに、「基地のあり方についてはまだ白紙でございます」という答弁を繰り返したという。

 楠田實テープ音声「(核抜き返還を)発言すること自体、非常に賭けなんですね、政権としては。だって、できるかどうか分からないし、まだ交渉が始まっているわけではないですから。

 だから、失敗すれば、もう当然引責辞職しなければならない」

 引責辞職を避けるために有事の際は核の持ち込みを許すとする密約で凌いだことになる。佐藤本人にしたら、日本の安全保障にとって米軍の核は必要だったから、国益を考えて密約を結んだと言うだろうが。

 いずれにしても基地のあり方が本土並みの縮小ではなく、核抜きであるかどうかに与野党の関心は集中していた。

 楠田實は佐藤と日米の有力政治家に太いパイプを持ち、当時のニクソン大統領とも面識があったハリー・カーンとの会談の際の発言を官邸で書き取ったメモを自身の資料の中に残していた。

 小笠原諸島が返還された年の1968年12月9日、佐藤の公式上の面会が全て終わった後、カーンとの会談が行われた。

 佐藤栄作「沖縄についてのことなのだが、今話すには一寸早い。はっきり言うわけにはいかない。頭の中は実はこの考え(核の問題)で一杯なのだ。

 沖縄の祖国復帰を一日も早く実現したい。しかも日本の安全を些かも弱めないで解決する方式があるか。その方式が何かということだ」

 カーン「米国にとって日本本土及び沖縄の基地は基本的に朝鮮半島の事態に対処するために必要なのだ。朝鮮半島の事態に対処する戦略的な根拠地はホノルル、あるいはグアムだ。

 米軍を支援する後方基地として日本と沖縄の果たす役割は絶対だ」
 
 佐藤栄作「それでは日本は困るのだ。非核3原則もあり、そうなると沖縄の基地の取り扱いを難しくする」

 佐藤のカーンの発言に対する反応からすると、カーンが沖縄の基地と言うとき、核の存在を前提としていることが分かる。核のある基地がイコール沖縄の基地となっている。

 佐藤栄作「僕としてはニクソン新大統領に日本の実情を十分に且つ正確に理解して貰いたい。米国が今後も沖縄の基地を利用していく上でも、現地住民の協力なくしては、その有効利用は確保できない点を十分認識して貰いたい。

 ニクソンは1月20日の就任式まで外国からの来訪者には一切会わないというのは本当かどうか。僕としては岸(信介)にでも行って貰いたいと思っていたのだが――」

 カーン「岸程の人が来たら、タテマエは何だとしても、ニクソンも会うのじゃないだろうか。いずれにしても、帰ったら、確かめてみる」

 1969年1月ニクソンから佐藤に親書が届いていたことが楠田の資料から分かる。

 ニクソン親書「就任式が終わったら、すぐにあなたの兄(岸信介)と話すことを楽しみにしています」

 親書が届いた直後の2月、カーンが再び佐藤の元に現れる。

 カーン「沖縄の核装備はいずれにしてもその規模は小さいものだ。日本国民は沖縄の基地の現状維持を認めると思うか」

 カーンの論点は相変わらず核抜きかどうかではなく、核付き現状維持に主眼を置いている。誰が見ても分かるように、アメリカ側の意見を代表している。

 佐藤栄作「それは問題にならない。(核抜き)本土並みの世論が極めて強いのを理解して貰わなければならない。

 沖縄に核が残らない方がよいのか、それとも沖縄に核があることが日本のために必要だとお考えなのか。

 いずれにしても沖縄の核は通常時には要らないだろう。核については憲法上の制約の関連から、色々難しい問題がある」

 佐藤栄作「朝鮮半島情勢に対処するためには何も沖縄に核を置く必要はないだろうし、むしろそのような核なら、韓国に置いたらよいだろう。

 尤もそういう事態が発生したら、米軍は日本本土の基地を使えばいいのだ。その結果、日本が戦争に巻き込まれても、仕方がない」

 番組は佐藤のこの提案をこれまでにないものだと解説している。

 佐藤栄作「朝鮮半島で米軍が出なければならないような事件が起こった場合、日本がそれに巻き込まれるのは当たり前だ。このことを自分の口から言うのは初めてだ。国会では勿論、こんなことは言ったこともないし、絶対に口外しないで欲しい」

 カーン「よく分かっている」

 番組は佐藤のこの発言と異なる国会答弁を紹介している。野党の日米安保条約があるために日本はアメリカの戦争に巻き込まれるのではないかという追及に対してものである。

 佐藤栄作「日米安保条約があるから、日本が戦争に巻き込まれた、そういう経験はございません。また今後も左様な発展は実はないと――」

 ただ単に日本が戦争に巻き込まれる有事を経験していないというだけのことで、有事を前提とすると、安倍晋三の集団的自衛権行使にしても自衛隊の海外派遣にしても、戦争に巻き込まれる可能性は否定できないし、巻き込まれる可能性を想定した軍事的危機管理に立たなければならないはずだが、安倍晋三は佐藤栄作の表向きの態度と同様に戦争に巻き込まれる可能性の否定一点張りを押し通している。
 
 番組はここでこの両者の会談の遣り取りについての楠田の日記を紹介している。

 楠田日記「沖縄は核抜き本土並み。但し朝鮮半島で事が起こったら、本土基地を使わせる。その際、日本が戦争に戦争に巻き込まれても止むを得ない、というのをこれではっきりした」

 この会談の10日後、1969年3月佐藤は国会で初めて沖縄の核抜き返還をアメリカに求めると発言。

 実際の交渉に当たった外務省の担当者が官邸に直接上げた、アメリカが沖縄の核兵器の維持よりもアジアに広く展開できる作戦行動の自由に重点を移しているとする「千葉北米課長報告書」が楠田の資料に残されていた。

 当時アメリカはベトナム戦争の只中にあり、爆撃機の発進地として沖縄の重要性が高まっていたと番組は解説しているが、こういった状況を受けた北米課長報告の“米軍活動の自由度”ということなのだろう。

 いわば沖縄は朝鮮戦争時の発信基地となったことを始まりとして、以後朝鮮半島有事に備えた米軍基地としての役割を担うことになり、さらにベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争等に於ける発進基地・補給基地・訓練基地へと役割を拡大していった。

 楠田の資料に残されている千葉北米課長作成の外務省内部文書が紹介される。

 「米軍がいる地域ということになりますと、朝鮮半島及びベトナムにとどまらず、フィリピン、タイ、あるいは台湾も入ってくる。いくらでも広がるのではないかということにもなろうかと思われる」

 ベトナム以外はアジアを飛び越えて中東にまで広がっていった。出発点が出発点にとどまらず、際限もない形で広がっていく。

 この前例からすると、安倍晋三が自衛隊の活動を中東にまで広げようとしていることについても、「必要最小限度の実力行使」と決めている出発点が際限もない武器使用となる可能性は否定できない。

 以後も日米間で沖縄返還の交渉が行われて、1971年(昭和46年)6月17日に沖縄返還協定の調印式が行われる。

 佐藤栄作「沖縄返還は協定は日米両国間の信頼と友好関係を緊密にして強固なものとするものであります」(首相官邸記者会会見)

 協定は沖縄配備の核兵器撤去、朝鮮半島有事に於ける本土基地の使用、さらに情勢次第での台湾やベトナムに対応可能を確認する内容となっていた。

 和田神田外語大学教授「戦後の日米安全保障体制の、あるいは極東の安全に関わる日米協力に関しての大きな方向性がここで決められたということだと思いますね。

 沖縄の基地から米軍が海外に出ていくことに関して、日本がそれに協力するというか、そういう基地を提供するということの出発点になった」

 際限のなさへの出発点となったということである。

 1972年7月7日、佐藤栄作は沖縄返還を花道に退陣。

 誰もが有事の際の核の持ち込みと軍用地の原状回復費用の日本の肩代わりを密約していたとは気づかなかった。

 佐藤栄作は1974年、それが偽りのものだったが、非核3原則が主として評価されてノーベル平和賞を日本人として初めて受賞することとなった。

 と言うことなら、安倍晋三もノーベル平和賞受賞の資格者足り得ることになる。

 番組は他にも、1995年9月4日の沖縄米兵少女暴行事件がキッカケに当時の橋本内閣とアメリカとの間で普天間基地の返還が合意されたのを受けて楠田實が再び活動を開始、沖縄基地問題に関する提言を行おうとして有識者を集めて会合を開いたことを伝えている。

 楠田の資料に残されていたテープ。

 田中明彦国際政治学者「本当に嘉手納基地というのは立派な基地ですね。あれ程の立派な基地はなかなかないんじゃないかという感じがしました。沖縄の米軍基地が有効に機能し続けることを確保するのは日本にとっての通常の意味での国益であろうというふうに思います」

 下河辺淳元国土庁事務次官「米軍も沖縄にとってはプラス要因なんですね、経済的に言えば。ただ気持はあまりいいはずはないですね。占領されたような気分ですから。知事は深刻そうに『一つ沖縄に来て住んでくれませんか』と言ってましたよ。

 何かこう同情的な話とか、平和がいいねとかっていう話から始まるもんですから、こじれるわけです」

 田中明彦国際政治学者「こちら側からですね、『(米軍が)やっぱりいなくなってください』という筋合いは今はないと思う」

 京極純一政治学者「居て貰った方が日本がより多く平和維持的と言いますかね、いられるわけだし、軍備増強しなくても済む面もあるし、無理に帰って貰う必要はないな」

 ナレーション「有識者の本土側から見た沖縄、楠田がこれらの意見を元に政府に提言したという記録は残されていない。楠田は何を考えていたのか」

 番組は最初の方でテープに残した楠田自身の言葉を紹介していた。「沖縄返還後の日本の政権というのは沖縄問題というものを返還だけで事成れリと。

 何か上滑りというか、『おカネだけ、補助金だけやればいいんだろう』という感じのものがあって、1億2千万人の国民が一緒になって考えなきゃいけないという政治的リーダーシップが必ずしもないんじゃないかと思っている」――

 「返還という歴史的事実だけで終わらせてはいけない、1億2千万人の国民が一緒になって考えなければいけない」と言っているのに対して、あるいは沖縄県民の多くが本土並みの基地縮小を伴った本土返還を求めていたのに反して有識者は日本の側からのみ沖縄を見て、日本全体で負担するという思いをサラサラ持たない。火葬場とか焼却場は人間生活に必要な施設だと頭では理解していても、近所にできると土地の資産価値が下がるとか環境が悪化すると反対して、遠くにできることを望むように沖縄の問題を対岸の火事としていた。

 政府に提言できようがないではないか。

 番組は最後に楠田の手記を紹介する。

 楠田實手記「日本人は昨日のことは考えない。今日と明日のことしか考えない民族だとよく言われるが、考えてみよう。祖国復帰までの27年間、沖縄県民は特殊な環境下で日本人としての魂を守り続けた。

 復帰後、日本政府は巨額の公共投資をして街並みも以前とは比較にならない程近代化した。しかし、それとても沖縄県民の魂の飢餓を満たすものではない。

 日本政府は沖縄県を47都道府県の一つの単位としか思わないし、日本の若者たち快適なリゾートの一つとしか映っていない。沖縄県民に対する感謝の気持が国民感情の中にどの程度存在するのか定かでない。

 今沖縄の有識者層の間で沖縄独立論が持ち上がっているという話を聞いたが、そのことの可否はともかく、日米両国で知恵を出し合って、沖縄の未来像を描くべきときが到来したと思う」

 楠田が亡くなったのは2003年9月、それから約12年、日米双方共に沖縄の基地の重要性の観点は変わりはない。楠田は「沖縄県民に対する感謝の気持」を持つべきだと指摘しているが、感謝してはならない。

 なぜなら、感謝というのはありがとうという気持を示すことを意味するからだ。これまでの沖縄の基地の歴史と現在の基地負担とそれらによって否応もなしに見舞われている「沖縄県民の魂の飢餓」にありがとうの気持を示したとしたら、それらを全て是とすることになる。

 例え変えることができない歴史であっても、忌避しなければならない歴史であり、忌避しなければならない基地の現状であり、あってはならない飢餓感として、そのように仕向けている諸々の事柄を忌避し、是としてはならない「沖縄県民の魂の飢餓」だからだ。

 逆に鹿児島藩の琉球征服以来抱えることとなった沖縄の不公平に対する謝罪の感情であり、更に持つべきはその不公平を放置し続けている日本政府に向けた怒りの感情であろう。

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安倍政権のオスプレイ着陸失敗の危機管理対応に於ける日本国民の生命・財産を米軍任せとした対米従属姓

2015-05-24 07:53:57 | Weblog


 5月18日(2015年)午前、ハワイのオアフ島にある空軍基地でアメリカ海兵隊のMV22オスプレイが演習中に着陸に失敗して直後に炎上、搭乗中の22人のうち海兵隊員1人が死亡、21人が手当を受けている。

 官房長官菅義偉の午後の記者会見。

 菅義偉「アメリカ側には、『着陸失敗の原因などの関連情報を速やかに提供してほしい。普天間飛行場のオスプレイについて安全面で最大限の配慮をしてほしい』と申し入れた。

 アメリカ側から外務省ルートで、本件については迅速で透明性をもって対応したいという連絡があった。」(NHK NEWS WEB
 
 (下線個所は解説文会話文混じりを会話文に直す。)

 記者「安全性が確認されるまでオスプレイの運用停止をアメリカ側に求める考えがあるか」

 菅義偉「ヘリコプターの中でもオスプレイは安全だと思っている。海外の事故であり、アメリカ側には、できるだけ早く事故原因を解明してほしい」

 オスプレイは継続的に事故を起こしている。だが、「ヘリコプターの中でも安全」であるばかりか、海外の事故だから、米軍の日本での飛行には問題ないと言っている。

 この反応の鈍さは騒ぎ立てたくないという気持の表れなのだろう。万が一墜落して国民の命に支障が起きることになったらといった危機管理意識はない。「国民の命と財産、幸せな暮らし」はそのように宣言する必要に迫られたとき口にする言葉であるらしい。

 同じ5月18日の午後、翁長沖縄県知事が沖縄県庁で記者会見して、沖縄に配備されている同型機24機に関して事故原因が究明されるまで飛行を停止するよう米側に求める方針を明らかにしたという。

 翁長知事「県民の安心安全を守るという見地から、しっかりと対応したい。

 米軍の運用に関しては、日本側は関わることができないというのが今までの日米地位協定上の日本の立場である。こういった環境に置かれた上でのオスプレイの配備は、県民からすると到底容認できない」(時事ドットコム

 国交省は民間機が重大なトラブルを起こすと、同型機の一斉点検を指示する。国民の生命に対する万が一を考える危機管理上の当然の責任を負い、その責任を果たす意味からの指示であることは断るまでもない。

 翁長知事にしても県知事として県民に対する万が一を考える危機管理上の責任を負い、その責任を果たす義務を負っていることからの米軍運用に関わる当然の懸念であろう

 翌5月19日の防衛相中谷元の参議院外交防衛委員会での発言。

 中谷元「現時点でアメリカ政府から、『現在調査を行っているが、設計に根本的な欠陥を疑う理由はなく、通常の運用を停止させる理由は発見されていない』と説明を受けている。

 アメリカ政府は、『運用の安全性を確認しており、引き続き最大限の考慮を払って運用する』としている。安全面に最大限考慮を払って活動すべきなのは言うまでもなく、アメリカ側に適切な対応を求めていきたい」(NHK NEWS WEB

 同日官房長官記者会見。

 菅義偉「アメリカ政府からは、『オスプレイの設計に根本的な欠陥はなく、通常運用を停止すべき理由は発見されていない』と説明を受けている。安全性に最大限配慮して運用するのは当然であり、アメリカ側としっかり連携して取り組んでいきたい」(NHK NEWS WEB

 中谷元と菅義偉は同じことを言っている。要するに両者共にアメリカ側の説明で良しとしている。アメリカがオスプレイをアメリカ本土で飛行させる場合はアメリカ国民とその生命・財産を下に置いてその上空で飛ばすことになるが、米軍が日本本土で飛行させる場合は、日本国民とその生命・財産を下に置いてその上空で飛ばすことになる。

 つまり菅義偉にしても中谷元にしても、日本国民の生命・財産を米軍任せにしたことになる。例えオスプレイが結果的に日本本土で墜落や着陸失敗がなくても、日本政府が担うべき日本国民の生命・財産に関わる危機管理を米軍任せたとしたという点は何ら変わることはない。

 また、日本に於ける米軍運用のオスプレイであっても、国民に対する危機管理を決して米軍任せにできない理由がある。日本がオスプレイの購入を計画しているからである。

 《平成27年度防衛関係予算のポイント》には次のような記述がある。   

 〈2.主要な施策

 「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」、「中期防衛力整備計画」(平成26年度~平成30年度)」(平成25年12月17日閣議決定)に基づき、統合機動防衛力の構築に向け、引き続き防衛力整備を着実に実施するため、主に以下の施策が盛り込まれている。(計数はいずれも初度費除きの数字)〉

 〈(2) 島嶼部に対する攻撃への対応〉

 〈ティルト・ローター機(V-22)の取得(5 機:516 億円)〉

 ティルト・ローター機とは通称オスプレイのことで、防衛相購入の「V-22」とハワイ空軍基地で着陸失敗したアメリカ海兵隊のMV-22オスプレイとは型式名は違うが、「Wikipedia」に〈1985年にはJVX(陸軍、海軍、空軍、海兵隊4軍共同の「統合垂直離着陸研究」)で開発する機体の名称が"V-22 Osprey"(オスプレイ)と決定され、米海兵隊向けをMV-22、米空軍向けをCV-22とした。〉とあるから、元々の「V-22」という名称を使ったのだろう。

 例え米軍運用であっても、日本本土上空でのオスプレイの飛行に関しての日本国民の生命・財産に関わる危機管理は日本政府自らが担わなければならない以上、さらには日本政府がオスプレイを購入して日本国民とその生命・財産を下に置いて日本本土上空を飛行させる計画がある以上、このことの前以ての危機管理を含めて二重の責任を負っているのだから、原因究明までの日本に於けるオスプレイの飛行の中止、更には防衛省に所属するのか、国交省に所属するの分からないが、航空事故に関わる事故調査官をハワイに派遣して調査に加わらなければならないはずだが、アメリカ側の説明だけで良しとして、二重に負っている危機管理の責任を二重共に放棄している。

 安倍政権の日本国民の生命・財産に関わる危機管理の不作為・無責任は、普段の「国民の生命・財産、国民の幸せな生活を守る」の言葉をウソとし、如何ともし難い。

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安倍晋三の女安倍昭恵の日本一国主義の独善性にまみれた靖国神社参拝

2015-05-23 08:53:58 | 政治


 安倍晋三の女安倍昭恵が5月21日、東京・九段北の靖国神社を参拝したと複数のマスコミ記事が伝えていた。勿論、安倍昭恵を「安倍晋三の女」などといった尊称で表現はしていない。

 安倍晋三の女安倍昭恵自身が自身のFacebookで伝えているというから(安倍晋三のFacebookからはブロックされているからアクセスできないが、幸いなことに安倍晋三の女安倍昭恵からはブロックはされていない)、アクセスしてみた。

 〈5月21日 13:57

 久しぶりに靖国神社参拝。
 そして久しぶりに遊就館に入りました。
 家族に宛てた手紙や遺書を読むと胸が苦しくなります。
 どんな気持ちで戦火に散っていたのだろうか・・・...
 多くの遺影が語りかけてきます。

 今、私達が平和で豊かな日本に暮らせることを感謝し、改めて世界平和のために私にできることをやっていきたい・・・と思いました。

 戦後70年。
 日本の役割は大きい・・・〉――

 安倍晋三の女安倍昭恵が靖国神社を通して戦前の日本の戦争に向ける視線には日本一国しか映っていないようだ。外国との戦争は対

戦国が存在して初めて成り立つが、滑稽なことに対戦国はなく、日本一国の戦争であるかのように見える。

 家族に宛てた手紙や遺書を書くのは日本兵のみではない。日本軍は中国やアメリカやオーストラリア、オランダ等々の多くの兵士に家族に宛てた手紙や遺書を書かせた。

 将来にそれぞれが希望を持ちながら、それが打ち砕かれる無念や絶望的な思いで戦火に散っていったのは何も日本兵のみではない。兵士として若くして命を落とした息子や戦火の犠牲となった娘や子ども、あるいはその他の家族の遺影を親やその他が家に飾り、今なお戦争の遺影としてそれが代々受け継がれ、家の風景の一部として残されているのは何も日本だけに限ったことではなく、日本との戦争に関わった外国に於いても同じ経緯を辿っているはずだ。

 どのような理由があれ、日本は戦争を起こした国である。そしてアジアの国々に対して悲惨な破壊と人的な犠牲をもたらした。当然、日本国民が平和で豊かな暮らしをする前に日本が戦火に巻き込んだ国々の国民が平和で豊かな暮らしができるようにする責任を順序として持っていることになる。

 だが、安倍晋三の女安倍昭恵は「私達が平和で豊かな日本に暮らせることを感謝し、改めて世界平和のために私にできることをやっていきたい」と順序を逆にしているような物言いをしている。

 いわば順序に対する日本の責任を一切意識していない発言となっている。

 発言の全体から窺うことのできる印象は戦争に巻き込んだ国々とその国民を一切排除した、日本という国のみを頭に把えて、日本という国のみを視野に入れた日本一国主義の独善性のみである。

 このことは当記事に挿入した、Facebook記事に添えた写真が証明の材料となる。

 「平成27年 遊就館特別展」を「大東亜戦争七十年展 最終章」と銘打っているが、日中・太平洋戦争を「大東亜戦争」と名乗っている点で既に「硫黄島作戦」にしても、「沖縄戦」にしても、「本土防衛作戦」にしても肯定する観点からの日本の戦争に関わる歴史認識となっていることが分かる。

 「Wikipedia」を参考にすると、1940年7月27日の大本営・政府連絡会議で、1940年4月から6月のドイツの電撃戦により東南アジアに植民地を持つオランダ・フランスがドイツに降伏し、イギリスも危機に瀕していたため、このことを利用して東南アジアを自己の勢力を組み込めば危機的状況から脱出できると考え、場合によれば武力を行使してでも東南アジアに進出することを決定した。

 この武力南進決定直後の1940年8月1日、世界をそれぞれ「指導国家」が指導する4つのブロック構造(アメリカ、ロシア、西欧、東亜)に分けるべきとする、言ってみれば新世界秩序論を持論としていた当時の松岡洋右外相がラジオで談話を語った際、「東亜」ブロックを「大東亜共栄圏」と称したのが最初と言われているが、要するに現実の武力南進が何よりも証明していたように「共栄」とは名ばかりで、植民地化以外の何ものでもなかったように、中国やアジアを日本の支配下に置くことを目的とした「大東亜共栄圏」なるアジアに於ける新秩序であった。

 『日本史広辞典』山川出版社)の「大東亜共栄圏」の項目には次のような記述がある。

 〈日本の南進が欧米帝国主義の植民地政策とは異なることをアピールするために、「八紘一宇」、「共存共栄」の名のもとに日本によるアジア解放の夢を掲げた。しかし実際には、占領地域で欧米帝国主義以上の収奪が行われ、日本の敗戦とともに消滅した。〉――

 だが、遊就館は戦前の日本の戦争を今以て「大東亜戦争」と名付けていることによって、中国やアジア諸国を日本の支配下に置く「大東亜共栄圏」の構想に基づいた武力南進を肯定している。

 安倍晋三の女安倍昭恵はそこを訪れて、何ら違和感も感じずに自然体で遊就館の歴史認識に馴染むことができ、遊就館の日本の戦争を肯定する特別展の宣伝文句の前で記念に写真まで撮ることができた。

 いわば安倍晋三の女安倍昭恵は靖国神社と遊就館を訪れて、両施設が表現し、主張している日本という国のみを視野に入れた日本一国主義の独善性で成り立たせた歴史認識と自らの歴史認識を響き合わせた。

 安倍晋三も同じ歴史認識に立っている。一心同体者の立場からの一心同体の訪問と訪問によって発信した言葉と言うことができる。安倍晋三はアメリカ訪問のために靖国神社参拝を断念している。きっと安倍晋三と連れ立った靖国神社参拝の思いであり、遊就館訪問の思いであったはずだ。

 歴史認識に於けるその密接な一心同体性から、安倍晋三の夫人とか妻とかの表現よりも、安倍晋三の女安倍昭恵とした方がより濃密な一心同体性を浮き立たせることができる。

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安倍晋三の過去の戦争を肯定的に把えた「不戦の誓い」という逆説性を露わにした志位共産委員長との党首討論

2015-05-22 08:43:13 | 政治


 安倍晋三の「不戦の誓い」、その「積極的平和主義」が過去の戦争を肯定的に把えた逆説性を露わにしたのは何も今回の5月20日(2015年) 国家基本政策委員会合同審査会での安倍晋三と志位和夫共産党委員長の党首討論が初めてではない。要するに同じ歴史認識を今回も演じたに過ぎない。

 志位委員長はポツダム宣言とカイロ宣言を持ち出してそこに日本の戦争は侵略戦争であると断定していることを以って安倍晋三に同じように日本の戦争が侵略戦争であることを認めさせようとしたが、安倍晋三は元々日本の戦争を侵略戦争だとは認めていない。

 2013年4月23日の参院予算委員会。

 安倍晋三「特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係に於いて、どちら側から見るかということに於いて違うわけでございます」――

 見方によって違うと言っている以上、ポツダム宣言が日本の戦争を侵略戦争だと断定しようがカイロ宣言が断定しようが、安倍晋三にとってはそれは相手国側の見方であって、自分の見方ではないと腹の中では思っているはずである。

 当然、認めていないことを前提として質問しなければならなかったはずだが、認めるかどうか聞いたためにポツダム宣言について「つまびらかに承知していない」からと体よくかわされてしまった。

 志位委員長が「ポツダム宣言及びカイロ宣言の見方を取りますか、それとも取りませんか」と聞けば、「つまびらかに承知していない」と逃げようとしたとしても、、「今読み上げたことは事実その通りに書いてあるのであって、読み上げたことと同じ見方をするのかしないのか、それだけのことを聞いているのです。そのくらいの判断能力はあるでしょう」と言えば、同じ逃げるにしてもより苦しい言い訳となって、面白い展開になったかもしれない。

 もし安倍晋三が常套句としている「歴史認識は歴史家に任せるべきだ」という逃げ口上を使うようだったら、「ルーズベルトもチャーチルも蒋介石も歴史家ではなく、政治家が下した歴史認識だから、総理も下せないわけはない」と言えば済む。

 先ず最初に志位委員長が質問の中で取り上げていたポツダム宣言の第6項と第8項とカイロ宣言についての言及箇所を参考のために記載し、次に所要時間8分の短いやりとりだから、全文を挙げてみる。



 《ポツダム宣言》

6 吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ

8 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州、四国及吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ

 《カイロ宣言》

3大同盟國(米・英・中)ハ日本國ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル爲今次ノ戰爭ヲ爲シツツアルモノナリ

 志位和夫共産党委員長対安倍晋三党首討論

 志位委員長「今年は戦後70年です。この節目の年に当たって、日本が、そして総理自身がどういう基本姿勢を取るかは大変重大な問題であります。戦後50年の村山談話では、『わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んだ』と述べ、過去の日本の戦争に対して『間違った戦争』、という認識を明らかにしております。

 総理に端的に伺います。過去の日本の戦争は間違った戦争、という認識はありますか。事は日本自身が行った戦争の善悪の判断の問題です。歴史の研究の話ではありません。日本の平和と安全に責任を負う政治家ならば、当然、判断をしなければならない問題です。間違った戦争、という認識はありますか。端的にお答え下さい」

 安倍晋三「えー、今年は戦後70年の節目の年であります。70年前、戦争は終結をしました。しかし、先の大戦に於いて多くの日本人の命は失われたわけであります。同時にアジアの多くの人々が戦争の惨禍に苦しんだ。日本はその後の歩みの中で、まさに塗炭の苦しみを味わったと言ってもいいと思います。戦争の惨禍を二度と繰返してはならない。我々はこの不戦の誓いを心に刻み、戦後の70年間、平和国家としての歩みを進めてきたわけであり、その思いに全く変わりはないわけでございます

 そしてだからこそ、地域や世界の繁栄や平和に貢献をしなければならない、こう決意しているわけでございます。当然また、村山談話、あるいは小泉談話、節目、節目に出されているこの政府の談話を私たちは全体として受け継いでいく。再三再四、申し上げてきた通りでございます」

 志位委員長「あの、私が聞いているのは何も難しい問題じゃないんです。過去の日本の戦争が間違った戦争か、正しい戦争か、その善悪の判断を聞いたんですが、全くお答えがありませんでした。この問題は既に70年前に歴史が決着をつけております。戦後の日本は1945年8月、ポツダム宣言を受諾して始まりました。ポツダム宣言では、日本の戦争についての認識を二つの項目で明らかにしております。

 一つは第6項で、日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服に出ずるの過誤を犯した勢力を永久に取り除くと述べております。日本の戦争について世界征服のための戦争だったと明瞭に判定しております。日本がドイツと組んでアジアとヨーロッパで世界征服の戦争に乗り出したことへの厳しい批判であります。

 今一つ、ポツダム宣言は第8項で、カイロ宣言の条項は履行せられるべく、と述べています。カイロ宣言とは1943年、米英中3国によって発せられた対日戦争の目的を述べた宣言でありますが、そこでは3大同盟国は日本国の侵略を制止し、罰するため、今次の戦争を行っていると日本の戦争について、侵略と明瞭に規定すると共に、日本が暴力と強欲によって奪った地域の返還を求めています。

 こうしたポツダム宣言は日本の戦争について、第6項と第8項の二つの項で、間違った戦争だという認識を明確に示している。総理にお尋ねをします。ポツダム宣言のこの認識をお認めにならないんですか。端的にお答えください」

 安倍晋三「ま、このポツダム宣言をですね、我々は受諾をし、そして敗戦となったわけでございます。そして今、私もつまびらかに承知しているわけではございませんが、ポツダム宣言の中にあった連合国側の理解、例えば日本が世界征服を企んでいたということ等も、今ご紹介になられました。

 私はまだその部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから、今ここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思いますが、いずれにせよですね、いずれにせよ、まさに先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけでありまして、我々はそのことは忘れてはならない、このように思っております」

 志位委員長「私が聞いたのはポツダム宣言の認識を認めるのか、認めないのかです。はっきりお答え下さい」

 安倍晋三「今申し上げたように、まさにポツダム宣言を私たちは受け入れて、これがまさに戦争を終結させる道であったということであります。この我々は受け入れることによって終戦を迎え、そしてまさに、日本は平和国家としての道を、その後歩き始めることになったということではないかと思います」

 志位委員長「私はポツダム宣言が認定している間違った戦争という認識を認めないのかと聞いたんですが、認めるとおっしゃらない。これは重大な発言であります。

 戦後の国際秩序というのは、日独伊3国の戦争は侵略戦争だったという判定の上に成り立っております。ところが総理はですね、侵略戦争はおろか、間違った戦争だともお認めにならない。総理が今進めようとしている集団的自衛権の行使とは、日本に対する武力攻撃がなくても、アメリカが世界のどこであれ、戦争に乗り出した際に、その戦争に自衛隊を参戦させるというものであります。

 しかし米国の戦争の善悪の判断が総理にできますか。日本が過去にやった自らの戦争の善悪の判断もできない。総理、米国の戦争の善悪の判断、できるわけないじゃないですか。

 戦争の善悪の判断ができない、善悪の区別がつかない。そういう総理がですね、日本を海外で戦争する国につくり変える戦争法案を出す資格はありません。撤回を強く求めて終わります」

 安倍晋三からしたら、日本の戦争を侵略戦争だと認めていないのだから、既に触れたように志位委員長が取り上げたポツダム宣言とカイロ宣言に書いてある日本の戦争を侵略だとしている位置づけは連合国側の価値判断、見方に過ぎないとしているはずである。

 つまり安倍晋三の中では日本の戦争についての「善悪の判断」は既にできている。岸信介の膝の上で育って、物心つく頃から形作られ、中高校生の頃にはできあがっていたのかもしれない。

 当然、岡田民主党代表との党首討論で安保法制に関わる「我々が提出する法律についての説明は、全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と自己を絶対化していたように「米国の戦争の善悪の判断」についても、その判断は「全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と自己を絶対化するはずだ。

 民主国家にいながら自己を絶対化する一国の指導者とは限りなく独裁意志に支配されていなければできない心理構造の持ち主でなければならない。

 安倍晋三が日本の戦争を侵略戦争だと認めていないことは改めてここに挙げる次の発言からも見て取ることができる。

 安倍晋三「えー、今年は戦後70年の節目の年であります。70年前、戦争は終結をしました。しかし、先の大戦において、多くの日本人の命は失われたわけであります。同時にアジアの多くの人々が戦争の惨禍に苦しんだ。日本はその後の歩みの中で、まさに塗炭の苦しみを味わったと言ってもいいと思います。戦争の惨禍を二度と繰返してはならない。我々はこの不戦の誓いを心に刻み、戦後の70年間、平和国家としての歩みを進めてきたわけであり、その思いに全く変わりはないわけでございます

 そしてだからこそ、地域や世界の繁栄や平和に貢献をしなければならない、こう決意しているわけでございます。当然また、村山談話、あるいは小泉談話、節目、節目に出されているこの政府の談話を私たちは全体として受け継いでいく。再三再四、申し上げてきた通りでございます」――

 「日本人の命は失われた」と言っても、日本人の命以上にアジアの国々の人々の命が失われたことについては触れていない。「アジアの多くの人々が戦争の惨禍に苦しんだ」とは言っていても、村山談話が「我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と「我が国」を加害の主語に明確に位置づけているのとは違って、「戦争の惨禍に苦しんだ」主語を「アジアの多くの人々」としていて、戦争の惨禍に苦しめた加害者が誰なのかの主語は決して明確には述べてはしない。

 自身の肯定的な立場上、戦前の日本を否定的に把える歴史認識に関しては常に常に曖昧な受け止めの姿勢しか見せない。

 「不戦の誓い」を掲げていたとしても、明らかに日本の戦争が侵略戦争だったという反省に立った「不戦の誓い」であるはずはない根拠がここにある。

 「不戦の誓い」がそうである以上、安倍晋三が得意になって掲げている「積極的平和主義」にしても、過去に対する反省から発している思想ではないと言うことができる。当然、過去の戦争を肯定的に把えた「不戦の誓い」であり、「積極的平和主義」であるという逆説性を取っていることになる。

 安倍晋三の最近の日本の安全保障に関わる議論や自衛隊の海外派遣に熱心な姿勢から見ると「積極的平和主義」や「不戦の誓い」の仮面を被(かぶ)って、日本の軍事的影響力を世界に広めようとしているだけに見える。

 こういったことと安倍晋三の密かに抱えている独裁意志から見ると、日本の軍隊である自衛隊の世界進出を果たして、自衛隊を軍隊として認知させた日本の最初の首相として歴史に名を残したい衝動に支配されているのかも知れない。

 もしそうなったら、日本国民が手を貸したことになる。

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