安倍晋三の空々しいウソを散りばめた主権回復の日式辞と天皇バンザイと天皇を祝った復古感覚

2013-04-30 10:32:03 | 政治

 4月28日(2013年)、政府主催の「主権回復の日」式典が執り行われた。 

 主権回復を祝うとは、主権を回復した国家と国民を直接的対象として祝うことであるはずである。だが、式典の最後に「天皇バンザイ」と三唱、壇上で安倍晋三も両手をバンザイさせて唱和し、天皇を直接的に祝った。

 この瞬間、国民主権はどこかに消え、天皇主権に取って代わった。バンザイした連中は言葉では国民主権を言ったとしても、頭の中では天皇を主権としているに違いない。

 主権回復の式典が国家と国民を直接的に祝う儀式であり、天皇を直接的に祝う儀式ではない以上、バンザイすべき対象は国家と国民であり、天皇バンザイは介入させるべきではない余計な場面であったはずだ。

 多分、常日頃から精神に宿らせている天皇崇拝の血が国家と国民を祝う主権回復の式典でありながら、普段から希薄な国民主権の意識を払拭させて頭をもたげさせることとなり、バンザイ三唱という行動を取らせたに違いない。

 主権回復61周年を記念して国家と国民を祝うはずが、天皇崇拝を背景に置いているために肯定した日本の姿を取らざるを得ないことから、否応もなしにウソで満たすことになった安倍晋三の式辞であるはずだ。

 安倍晋三の式辞は次の記事――《【主権回復の日】首相式辞全文「日本を良い美しい国にする責任」》MSN産経/2013.4.28 22:11)に依った。
  
 安倍晋三式辞に対する批判は式辞の途中途中で()付きの青文字で記載することにした。

 安倍晋三「本日、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、各界多数の方々のご参列を得て、主権回復・国際社会復帰を記念する式典が挙行されるにあたり、政府を代表して式辞を申し述べます。

 61年前の本日は、日本が自分たちの力によって再び歩みを始めた日であります。サンフランシスコ講和条約の発効によって主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日でありました。その日から61年。本日を一つの大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたいと思います。

 国敗れ、まさしく山河だけが残ったのが昭和20年夏、わが国の姿でありました。食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた初めての、そして最も深い断絶であり、試練でありました」――

 (結果は常に原因に対応する。原因のない結果は存在しない。主権回復・独立をサンフランシスコ講和条約発効までなぜ待たなければならなかったのか、「国敗れ、まさしく山河だけが残った」日本という結果、「食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月」という結果は何がそうさせたのか、結果に対するそもそもの原因を反省する国家としての自省精神があってこそ、61年前を思い起こして改めての再出発とする新たな決意を確かなものとし、その確かな決意の上に未来を築くことができるはずだが、安倍晋三の式辞には結果に対する原因に関わる言及が一切ない。

 原因と結果の関係を無視して占領時代から主権を回復して独立したという歴史の転換点を出発点として61年前以後の結果の推移を描くだけだから、61年前以後の歴史の表面的な俯瞰とならざるを得なくなっている。

 当然、61年前以前の占領時代、さらにそれ以前の戦前日本というそれぞれの歴史をそれぞれの原因とするそれぞれの結果の無視ということでもあり、そのことが必然としている61年前以後ばかりか、61年前以前の歴史の表面的な俯瞰をも併行させている結果を招いている。

 主権回復を祝うとき、軍国主義・天皇全体主義を発端とした戦争と敗戦を経た占領時代への歴史の転換、いわば占領軍が軍国主義・天皇全体主義を強制排除し民主主義を担った時代への歴史の転換、そして主権を回復し、独立国家として自ら民主主義を担うことになった歴史の転換を深く認識することが、その認識を未来の歴史に対する戒めとするためにも歴史に対する正直な姿であるはずだが、式辞に現れている安倍晋三自身にはそういった歴史に対する正直な姿、正直な歴史認識が一切見えてこない。

 安倍晋三の再度の登場で日本の未来の歴史――日本の未来の姿に危険を感じるのはこのように都合の悪いことは隠し、都合の良いところだけを取り上げる歴史認識にある。)


 安倍晋三「そのころのことを亡き昭和天皇はこのように歌にしておられます。

 『ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ』

 雪は静謐(せいひつ)の中、ただしんしんと降り積もる。松の枝は雪の重みに今しもたわまんばかりになりながら、じっと我慢をしている。我慢をしながら、しかしそこだけ目にも鮮やかに緑の色を留めている。私たちもまたそのようでありたいものだという御製(ぎょせい)です。

 昭和21年の正月、日本国民の多くが飢餓線上にあえぎつつ、最も厳しい冬を、ひたすらしのごうとしていたときに詠まれたものでした。多くの国民において心は同じだったでしょう。

 やがて迎えた昭和27年、主権が戻ってきたとき、私たちの祖父、祖母、父や母たちは何を思ったでしょうか。今日はそのことを国民一人一人深く考えてみる日なのだと思います。 

 61年前の本日、国会は衆参両院のそれぞれ本会議で主権回復に臨み4項目の決議を可決しております。

 一、日本は一貫して世界平和の維持と人類の福祉増進に貢献せんことを期し、国連加入の一日も速やかならんことを願う。

 二、日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。

 三、日本は領土の公正なる解決を促進し、機会均等、平等互恵の国際経済関係の確立を図り、もって経済の自立を期す。

 四、日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す。

 以上、このときの決議とは、しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたいと、そういう決意を述べたものだと言ってよいでしょう。

 自分自身の力で立ち上がり、国際社会に再び参入しようとする日に、私たちの先人が自らに言い聞かせた誓いの精神が、そこにはくみ取れます。

 (やはり昭和天皇がそういった歌を詠まざるを得なくなった結果に対する原因、「日本国民の多くが飢餓線上にあえ」ぐ結果を招いた原因には触れず、表面的な歴史の俯瞰で終わっている。

 だからこそ、上記
「4項目の決議」が単に「しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたい」といったふうに連合軍占領の状態から主権回復し、独立に向けた日本のあるべき姿に向けた誓いだと表面的に把握する結果を招くことになっている。

 勿論、占領時代に対する反発として希求することになった誓いではなく、戦前の歴史の反省に立った、その対立概念として描いた未来の日本のあるべき姿への誓いでなければならないはずだが、そういった歴史認識がないからだろう、そうと把握することができない文脈となっている。

 そうであることは、
「日本は一貫して世界平和の維持と人類の福祉増進に貢献せんことを期し」「世界平和の維持と人類の福祉増進」「日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す」「アジアの諸国と善隣友好の関係」「世界平和の達成」、そして「日本国民はあくまで民主主義を守り」「民主主義」は戦前の軍国主義国家・天皇全体主義国家に於いてはどれも体現していなかった日本の姿であり、それを主権回復・独立を機に実現を期そうとしていること自体が戦前の軍国主義国家・天皇全体主義国家の対立概念して描いた「4項目の決議」であることを証明している。

 いわば戦前の軍国主義国家・天皇全体主義国家に逆戻りしないぞという決意表明・誓いであったはずだ。

 このことを抜かしているのだから、安倍晋三の頭の中にある主たる歴史認識は占領時代から主権回復以後の日本の姿しかない。このことは以下の発言が証明している。)


 安倍晋三「主権回復の翌年、わが国の賠償の一環として当時のビルマに建てた発電所は、今もミャンマーで立派に電力を賄っています。主権回復から6年後の昭和33年には、インドに対し戦後の日本にとって第1号となる対外円借款を供与しています。主権回復以来、わが国が東京でオリンピックを開催するまで費やした時間はわずかに12年です。自由世界第2の経済規模へ到達するまで20年を要しませんでした」――

 (まるで主権回復の独立が果たした成果であるかのように言っているが、敗戦以後の各国やユニセフ等の各機関の援助、さらに1950年6月~1953年7月の約3年間の朝鮮戦争によって手に入れることができた、〈1950年6月の朝鮮戦争勃発から始まる戦争特需の1958年12月までの8年6カ月間の広義の特需の範疇に入る特需収入は51億5,318万ドル(1ドル=360円換算で1兆8,552億円)に達し〉、〈1958年の日本の一般会計決算の歳出総額1兆3,121億円をはるかに超える特別収入〉であり、〈この金額は1950年の国民所得3兆3,815億円、1958年の国民所得8兆4,487億円と比較して見ると、特需の役割がいかに大きいものであったかを立証している。〉(《朝鮮戦争と日本経済の特需効果》から)といった歴史的事実を得て可能とした対外国援助であるというさらなる歴史的事実を隠した発言であり、隠している以上、「主権回復以来、わが国が東京でオリンピックを開催するまで費やした時間はわずかに12年です」には当然、ウソが含まれていることになる。

 結果、以下の発言にしても、空々しいウソに満ちた発言となる。


 安倍晋三「これら全ての達成とは、私どもの祖父、祖母、父や母たちの孜々(しし)たる努力の結晶にほかなりません。古来、私たち日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた豊かな伝統があります。その麗しい発露があったからこそ、わが国は灰燼(かいじん)の中から立ち上がり、わずかな期間に長足の前進を遂げたのであります」――

 (朝鮮戦争特需が起爆剤となった日本の経済一大回復であり、「私どもの祖父、祖母、父や母たちの孜々(しし)たる努力」、あるいは「田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた豊かな伝統」だけでは獲得できなかった東京オリンピック開催であり、「20年を要し」ない「自由世界第2の経済規模」への到達であった。

 すべては奇麗事で成り立たせた空々しいウソに過ぎない。)


 安倍晋三「しかしながら、国会決議が述べていたように、わが国は主権こそ取り戻したものの、しばらく国連に入れませんでした。国連加盟まで、すなわち一人前の外交力を回復するまで、なお4年と8カ月近くを待たねばなりませんでした。

 また、日本に主権が戻ってきたその日に奄美、小笠原、沖縄の施政権は日本から切り離されてしまいました。とりわけ銘記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が最も長く日本から離れたままだった事実であります。

 『沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない』。佐藤栄作首相の言葉です。沖縄の本土復帰は昭和47年5月15日です。日本全体の戦後が初めて本当に終わるまで、主権回復からなお20年という長い月日を要したのでありました。沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなしません。私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います」――

 (主権回復の1952年(昭和27年)4月28日から20年後の昭和47年5月15日の沖縄本土復帰で「日本全体の戦後が初めて本当に終わ」ったとするなら、なぜ日本全体の主権回復の日として毎年の5月15日を主権回復を祝う日としなかったのだろうか。

 要するに安倍晋三は日本全体の主権回復ではなく、本土のみの主権回復しか視野に入れていなかった。占領のアンチテーゼとした本土のみの主権回復だからこそ4月28日であり、そこに沖縄の占領は入れていなかった。少なくとも沖縄を運命共同体と見ていないからこそできた4月28日であるはずだ。

 運命共同体と見ていたなら、昭和天皇を政治利用して、アメリカに日本独立の交換条件として日本独立以後も沖縄の占領を続けるよう天皇のメッセージを発することもなかったろう。

 沖縄と運命共同体と見ていなかったから、あるいは日本の安全保障政策上必要な地理的要件としか見ていないから、
「私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います」と、「沖縄が経てきた辛苦」を戦中から戦後の沖縄の本土復帰止まりとすることができる。

 本土と比較した荷重な基地負担の
「辛苦」が今なお沖縄の肩に重くのしかかっている事実から目を背けている。

 このことの認識のないことが、
「私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います」という言葉を空々しいウソにすることになる。)

 安倍晋三「わが国は再び今、東日本大震災からの復興という重い課題を抱えました。しかし同時に、日本を襲った悲劇に心を痛め、世界中からたくさんの人が救いの手を差し伸べてくれたことも私たちは知っています。戦後、日本人が世界の人たちとともに歩んだ営みは、暖かい、善意の泉を育んでいたのです。私たちはそのことに深く気付かされたのではなかったでしょうか。

 中でも米軍は、そのトモダチ作戦によって、被災地の人々を助け、汗と、時として涙を共に流してくれました。かつて熾烈(しれつ)に戦った者同士が心の通い合う、こうした関係になった例は、古来まれであります。

 私たちには世界の行く末に対し、善をなし、徳を積む責務があります。なぜなら、61年前、先人たちは日本をまさしくそのような国にしたいと思い、心深く誓いを立てたに違いないからです。ならばこそ、私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務があるのだと思います』――

 (なぜ「そのような国にしたいと思い、心深く誓いを立てた」のか、原因と結果を結びつける歴史の作業を行わずに、やはり主権回復の日を起点とした日本の新たな出発であるかのような、安倍晋三ならではの歴史のウソを展開している。

 あくまでも今日の起点は戦前の軍国主義国家・天皇全体主義国家が引き起こした愚かな戦争であり、その戦争の結末としての惨めな敗戦があったからこそ占領軍を介在させた日本の民主化があったのであり、その民主化こそが主権回復の日に歴史を進めることができた原動力であり、さらに今日の日本へと歴史を進めてきた。

 だが、安倍晋三はすべて主権回復・独立が可能とした
「世界の行く末」に対する「善をなし、徳を積む責務」であるかのように巧妙にウソを散りばめている。)

 安倍晋三「戦後の日本がそうであったように、わが国の行く手にも容易な課題などどこにもないかもしれません。しかし、今61年を振り返り、汲むべきは、焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て、貧しい中で次の世代の教育に意を注ぐことを忘れなかった先人たちの決意であります。勇気であります。その粘り強い営みであろうと思います。

 私たちの世代は今、どれほど難題が待ち構えていようとも、そこから目を背けることなく、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、日本を、私たちの大切な国を、もっと良い美しい国にしていく責任を負っています。より良い世界をつくるため進んで貢献する、誇りある国にしていく責任が私たちにはあるのだと思います。

 本日の式典にご協力をいただいた関係者の皆さま、ご参加をくださいました皆さまに衷心より御礼を申し上げ、私からの式辞とさせていただきます」――

 (最後の最後まで空々しいウソを重ねている。「焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て」たのは安倍晋三が占領軍がつくったと忌避している日本国憲法であり、占領軍政策であった。

 決して日本人自身の手で獲ち取り、育てた
「国柄」ではない。

 ウソもいい加減にして貰いたい。

 最後に、式典では当初天皇のお言葉を述べる段取りになっていたが、取り止めている。天皇がお言葉を述べるにしても、沖縄をアメリカの占領下に放置した主権回復であった関係から、天皇にしても沖縄に対する言及は避けることはできない。

 いわば安倍晋三は天皇のお言葉の中に沖縄に関する言葉を取り入れて、天皇に喋らせなければならない。

 だが、現天皇の父親の昭和天皇のメッセージが主権回復以後の沖縄占領に関わっていた以上、
「沖縄が経てきた辛苦」をどのような言葉で話そうとも滑稽なことになる。あるいは歴史の皮肉となる。

 こういった問題が起こることを避けるために天皇のお言葉を取り止めたとしたなら、これも歴史に対する空々しいウソに相当する。

 当時の国家権力が天皇を政治利用して沖縄をアメリカの占領地として売り渡し、その子の現天皇が沖縄の痛みに言及する滑稽、あるいは歴史の皮肉を避けることができたとしても、安倍晋三たち式典出席者は「天皇バンザイ」を三唱した。

 この「天皇バンザイ」は現天皇のみを対象としているわけではなく、万世一系の歴代の天皇を含めた全天皇に対するバンザイ――天皇制に対するバンザイでもある復古感覚から出たはずだ。

 当然、政治利用されて沖縄をアメリカに売り渡すことになった昭和天皇をも対象に含めたこの天皇バンザイは昭和天皇の「天皇のメッセージ」を認識の対象外に置くことになって沖縄に対する非礼行為となる。

 いわば安倍晋三は主権の日を4月28日にして沖縄本土復帰の5月15日としなかった歴史認識の点に於いても、「天皇バンザイ」の三唱の非礼行為の点に於いても、沖縄を蔑ろにしたのである。

 蔑ろにしておきながら、
「沖縄が経てきた辛苦」云々と言葉だけで思い遣った。

 安倍晋三流の日本の歴史を美しい姿に描いて「美しい日本」とするウソの散りばめは民族的な誤謬性を排除する日本民族優越主義の現れそのものであり、非常に危険である。

 そういった式辞でしかなかった。

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石破茂自民党幹事長と高市早苗自民党政調会長のクエスチョンマーク付きの頭の中

2013-04-29 08:33:15 | Weblog

 石破茂自民党幹事長の山口県防府市での街頭演説。《「日本の平和は、独裁者信じては守れない」自民・石破氏》asahi.com/2013年4月27日0時9分)

 石破茂「憲法の一番最初に何と書いてあるか。『日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの(安全と)生存を保持しようと決意した』と。本当か? 世界の人はみんな平和を愛する人たちなのか?『日本にミサイルを撃ち込もう』『核実験をやろう』『米国に核ミサイルを撃ち込むぞ』と脅かしている独裁者が平和を愛する人とは思っていない。

 人を信じることは良いことかもしれないが、日本国の独立と平和、国民の生命と財産は、そういうものを信じて守ることはできない」――

 石破茂は頭のいいことに、「平和を愛する諸国民」を民主国家の国民も、独裁者を狂信して、独裁者の対外的敵対姿勢に殉ずるべく構えている戦前の日本国家のような国民、あるいは現在の北朝鮮の国民も味噌もクソもなく一緒くたに扱う見事な認識能力を示している。

 前文が言っている「諸国民」とは「平和を愛する」という性質を有していると限定付けた、あるいは条件付けた「諸国民」を指しているのであって、無限定・無条件に世界のすべての国のすべての国民を指して「諸国民」と言っているわけではない。

 あくまでも「平和を愛する」「諸国民」のことを言っていて、平和を愛さない「諸国民」は除外している。

 頭のいい石破が言っているように「世界の人はみんな平和を愛する人たち」などとはどこにも書いてないし、そう言っていると思わせる文意もどこにも存在しない。

 当然、前文は〈日本国民は民主的な平和国家の諸国民と協力・協調し合って、それら諸国民の公正と信義に信頼して、われらの(安全と)生存を保持しようと決意した」と解釈しなければならないことになる。

 石破は例え意図していないことであっても、あるいは頭が悪いから、間違った解釈しかできなかったとしても、前文が伝えようとしている民主的な平和国家の諸国民と協力・協調し合うという文意を考察対象から外し、世界は平和を愛する諸国民ばかりではないことを主たる考察対象とする情報操作を結果的に行なって、「人を信じることは良いことかもしれないが、日本国の独立と平和、国民の生命と財産は、そういうものを信じて守ることはできない」との趣旨で軍事力の増強の必要性、あるいは憲法9嬢改正の必要性を国民に信じこませようとしたのである。

 ここには日本国憲法前文の曲解と曲解に基づいた軍事力及び憲法改正の必要性の情報操作だけではなく、外交の力を国民に知らしめない二重の情報操作が存在する。

 いわば前文を曲解する頭の悪さから出発して二重の情報操作に至る狡猾な頭の使い方を示している。

 4月26日のブログ記事――《高市早苗は日本の戦争を侵略戦争だと認め、靖国神社の戦没者を侵略戦争加担者と位置づけている - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、高市早苗自民政調会長が4月23日の靖国参拝翌日の4月24日の都内講演の発言を取り上げて、記事題名通りに「日本の戦争を侵略戦争だと認め、靖国神社の戦没者を侵略戦争加担者と位置づけている」と書いたが、その発言を記事を進める必要上、再度ここに掲載してみる。

 高市早苗「外交問題になること自体がおかしい。例えば植民地政策や開戦時の国家意志が良かったのか、悪かったのかとなると、フランス、アメリカ、イギリス、オランダはどうだったのか。

 (米国の)アーリントン墓地に日本の閣僚が行ったら花を捧げる。では、ベトナム戦争が正しかったのか。東京大空襲は明らかな陸戦法規違反だが、あれが良かったのか悪かったのか。そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない」(MSN産経)――

 要するにフランス、アメリカ、イギリス、オランダの植民地政策を悪とする価値づけとの比較で日本の植民地政策と開戦時の国家意志を悪と位置づけ、さらにアメリカのベトナム戦争や東京大空襲を悪と価値づけて、「そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない」という言い方で、例え日本の植民地政策と開戦時の国家意志が悪であっても、慰霊の正当性に変りはないことを主張する逆説用法を用いている。

 決して日本の植民地政策や開戦時の国家意志は正しかった、だから、慰霊は正しいと直截に主張しているわけではない。

 だが、高市早苗が参拝後に靖国神社で記者団に語った発言は「日本の国策」という言葉を使って、日本の植民地政策と開戦時の国家意志を正しかったと価値づけている。

 時間的には参拝後の発言の方が先になるが、先に正しいと発言しながら、翌日に間違っていたと矛盾した発言を行う頭の中はどうなっているのだろう。

 高市早苗「参拝した国会議員の数はいつもに比べて多かった。新人議員も多く参拝したので、うれしく思う。日本の国策に殉じて尊い命を捧げて国を守ってくれた方々をいかに祀り、どのように慰霊するかは日本人が決める国内の問題だ。これが外交問題になることは、絶対におかしい」(NHK NEWS WEB)と述べました

 「日本の国策に殉じて尊い命を捧げて国を守ってくれた」と戦没者を価値づける以上、守る対象とした「日本の国策」も戦前日本の国も正しかったと価値づけていることになり、そうでなければ脈絡上の整合性を失う。

 また、このように価値づけることによって、高市早苗の靖国観は国家主義者安倍晋三の靖国観と整合性を一致させることができる。

 だが、靖国参拝翌日の4月24日の都内講演では、日本の植民地政策と開戦時の国家意志をフランス、アメリカ、イギリス、オランダの植民地政策やアメリカのベトナム戦争や東京大空襲と比較同レベルに置いて、逆説的な言い方で、悪、間違っていたとした。

 石破、高市のクエスチョンマークを付けたくなる頭の中は安倍晋三の合理的認識性を備えていない頭の中に準じているのだろうか。

 とても、とても国家を任せる気にはならない石破であり、高市であり、特に安倍晋三だとクエスチョンマークを付けたくなる彼らの頭の中である。

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安倍晋三乗用公用車の先頭警護車への今回追突事故はどのようなケチのつき始めを予兆するのかしないのか

2013-04-28 08:49:49 | Weblog

 安倍晋三乗用の公用車が首都高料金所入口で追突事故を起こした。
 
 東京・日比谷で開催の拉致被害者支援組織「救う会」等主催の集会に向かうために午後1時36分、東京・富ケ谷の私邸を出発。東京・渋谷区の首都高速道路4号線に入るべく代々木料金所を通過する際、車列先導の警護車両がETCのバーが上がらなかったために急停止。そこへ後続2台目の安倍乗用公用車が追突。さらに後続の警護車両等、合わせて5台追突の事故となったという。

 SP2人が軽傷を負ったのみで、安倍晋三は予定通り集会に出席した。 

 後続の車を運転していた運転手なり、警察官なりが運転の危機管理がなっていなかった。前の車がスムーズにETCを通り抜けるとばかり頭に思い描いていて、そのイメージ通りにハンドルを握っていた。スムーズに通り抜けることが日常の光景となっていて、その光景が運転の心得と化していた。

 安倍晋三が首相として乗っていた車の追突事故は今回が初めてではなく、第1次安倍内閣時代にも起きている。2007年7月14日、遊説中の大阪府内で安倍晋三を乗せた車が赤信号で停止、そこへ警護の府警四輪駆動車が追突、さらに後続のジャンボタクシーが追突。怪我人はなかった。

 この追突事故の2007年7月14日は2007年7月29日投開票参院選挙2週間前である。第1次安倍内閣の閣僚の不適切発言や同じく閣僚の事務所費問題、年金記録漏れ問題等で参院選前内閣支持率は30%を下回っていて、マスコミその他が参院選で自民党が多くの議席を失うだろうと予想していた。

 そういった状況下での追突事故である。安倍晋三自身、一瞬のことであっても結果に対する前知らせのような感じがしてイヤーな思いをしたはずだ。

 大事の前の障害が例えそれが些細な障害であっても、悪い結果を受けて、そのことを前以て知らせる予兆だったと思わせることが往々にして生じることがあり、逆に大事の前の障害が結果に対する悪い予兆だと前以て受け止める心理を生むことになっているはずだ。

 出かける前に結ぼうとした靴の紐が切れるのは縁起が悪いと言われているのはそのためだろう。

 人間の心理は決して強くはできていない。弱ったり、躊躇ったりする心理を意志の力でどうにか抑えて行動する。

 安倍晋三の乗った車が追突事故を起こして、何も感じなかったとしたら、余程鈍感にできているに違いない。

 勿論、当時の追突事故が単なる偶然の出来事で、何も予兆するものではなかったということもある。だが、安倍自民党は参院選で大敗、参院第一党を民主党に譲り、翌月の8月27日に政権を放り出すようにして辞任、第1次安倍政権の作・演出によるこの衆参ねじれが2009年の政権交代につながっていった。

 今回の追突事故が何かを予兆する出来事なのか、あるいは何も予兆しない偶然に過ぎないのか、いずれかは分からないが、間近に迫った今夏の参院選は現在の安倍内閣や自民党の支持状況からすると、負ける勢いになく、逆に大勝を予想させる状況にある。

 悪い予兆として考えられることはアベノミクスの持続性に対する不確実性を挙げることができる。円安・株高で外需主体の大企業や資産を持っている層の資産価格を格段に増大させて恩恵の独り占めを生じさせているが、果たして広く恩恵を一般国民の間に行き渡らせるために実体経済を伴わせることができるのか、財政規律や財政再建を履行することができるのか、公共事業や規制緩和を駆使した成長戦略を言葉通りに実行させることができるのか、すべてが円安・株高のみを武器として解決が保証できる問題ではないはずだ。

 アベノミクスを否定的に把える指摘も多い。

 当然、今回の追突事故にしても何らかの悪い結果を知らせる予兆の可能性は否定しきれないことになり、前回の追突事故をネタに事故の翌日の2007年7月15日に悪い予兆の可能性の観点から書き上げたブログ記事を参考のために、望む読者は少ないかもしれないが、再度全文を掲載してみることにした。

 《安倍首相が受けた間の抜けた追突事故は何を物語るのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》  

 今日の『朝日』朝刊。≪安倍首相の車に警護車が追突≫(07.7.15)

 < 大阪遊説中、けが人なし

 14日午前11時40分ごろ、堺市境区宿院町西3丁目の国道26号交差点で、大阪府内を遊説中の安倍首相を乗せた車が信号待ちのため止まったところ、すぐ後ろで警護に当たっていた府警の四輪駆動車が追突。さらに後続のジャンボタクシーが四輪駆動車に追突した。けが人はなかった。

 四輪駆動車を運転していた警察官の前方不注意と見られる。>

 短期決戦の場合、何事もスムーズにいってこそ、いい結果を得ることができる。途中過程でのちょっとしたつまずきも、ちょっとした滞りも、短期決戦であるからこそ、スムーズな進行とそれに見合う良い結果とのバランスの取れたあるべき関係を壊す象徴的な前知らせの役目を持つ場合が往々にしてある。

 いわばちょっとしたつまずきやちょっとした滞りが後になって、望んだものではない悪い結果を前以て知らせる縁起でもない前兆であったことを理解するといったことがある。そういった経験からの学習が、逆につまずきや滞りが起きた時点で、悪い結果を予兆する縁起の悪い出来事ではないかと警戒することになる。

 だからこそ多くの人間がそういったことを招かないように今日一日無事に事が運ぶようにと縁起を担ぐことになる。家を出るとき、あるいは選挙事務所を発つとき、神棚に手を合わせたり、必勝のお守りを懐に忍ばせたり、昼飯は〝トン勝つ〟を食べることに決めたりして、有権者の反応の獲得をも含めた予定した十全の活動がスムーズに運ぶことを祈り、願う。

 安倍首相は自分の乗った車があろうことか首相である自分を警護すべき役目の人間が運転する車に追突されたとき、オールマイティに進むべきスムーズな移動と活動そのものを予期しないアクシデントで中断させられて、イヤーな感じがしたのではないだろうか。

 特に様々な経験と起伏ある人生を送った者には、そういったアクシデントが不吉な前兆を示すことがあることを知ってもいるだろうから、ケチのつき始めにならないか、内心苦々しい思いで受け止めるということもある。

 もしも選挙が与野党逆転という安倍首相にとっては悪夢にも等しい最悪の結果で終わったなら、追突事故はそのことを知らせる縁起の悪い前兆としての意味を持つに違いない。その可能性大だが、与野党逆転を防げたなら、結果にケチをつける出来事でも何でもなかったということになるが、反自民の人間としては結果を予告する不吉な追突事故であって欲しいと願うばかりである。

 とにかく警護の警察官の運転する車に追突され、さらにその車にご丁寧にも後続のジャンボタクシーが追突するという身内同士で演じた間の抜けた事故である。その間抜け加減が何も象徴しないということがあるだろうか。(以上)

 小泉内閣・第1次安倍内閣時代の中低所得層の生活の底上げを省略した「戦後最長景気」といった形ではない日本の経済回復は実現されなければならない。非正規雇用という名称に含まれる貧しいイメージを過去の産物とする景気回復は必要だろう。

 だが、安倍晋三の国家主義に立った愛国心教育・道徳教育、歴史認識、改憲意志に危険を感じる者として、アベノミクスによる経済回復が安倍晋三の愛国心教育・道徳教育、歴史認識、改憲意志を加速させる大きな力となることは確実であって、このことは円安・株高、さらに内閣支持率に自信をつけた最近の発言に既に現れているが、その危険性と経済回復を差引き計算すると、私自身は、あくまでも個人的な考えだが、経済回復という要素は捨て、追突事故がアベノミクスの持続性に対する悪い予兆――ケチのつき始めであることを願う。

 この願いに一般的な妥当性がないわけではない。

 アベノミクスが失敗した場合のキズは大きいと言われている。成功を願うとしても、願いだけで成功が実現するわけではなく、あくまでも安倍晋三と安倍内閣の政策実行力にかかっている。

 政策実行力が決定する日本経済回復である以上、今回の追突事故がアベノミクスの持続性に対する悪い予兆なら、実行力に対する悪い予兆――ケチのつき始めということでもあり、何を願おうが、願わなかろうが、一般国民の手が及ばない力としなければならない。

 このことに関しては民主党政権が既に証明している。国民の大いなる願い・期待が力となって及ばない場所で民主党政権は自滅していった。

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安倍晋三の自己都合の歴史認識を振り回しつつ、歴史認識は専門家・歴史家に任せるべきだとする敵前逃亡

2013-04-27 05:56:44 | 政治

 安倍晋三が4月26日(2013年)午前の衆院内閣委員会で赤嶺政賢共産党議員の歴史認識に関わる質問に対して「歴史認識は専門家・歴史家に任せるべきだ」と答弁したことをマスコミ記事で知った。

 この種の答弁は初めてではなく、常套句となっている。問題は歴史認識を専門家・歴史家に真に任せて、自身が一切口にしなければ発言に整合性を与えることができるが、自ら自己都合な歴史認識を振り回しながら、国会で追及を受けると、「歴史認識は専門家・歴史家に任せるべきだ」と追及を免れる敵前逃亡同然の姿勢は卑怯そのもので、一国の首相として許されることではないことである。

 衆議院インターネット審議中継から赤嶺議員と安倍晋三の遣り取りを見てみた。

 先ず赤嶺議員が取り上げた安倍晋三の4月23日参院予算委での答弁。

 安倍晋三「村山談話は曖昧な点がある、特に侵略という定義についてはこれは学会でも定まっていない。それは国と国との関係に於いて、どちら側から見るかということに於いて違う」

 赤嶺議員はこの発言を韓国が問題視し、韓国外務次官が別所浩郎駐韓大使を呼んで抗議したことを取り上げてから、次の質問をした。

 赤嶺議員「日本の過去の戦争はどちら側から見るかで評価が違うのか。中国や韓国から見ると侵略だが、日本から見ると、違うということなのか」

 安倍晋三「いわゆる村山談話は戦後50年を機に出されたものであり、戦後60年に亘っては、当時の小泉内閣が談話を出している。我が国はかつて多くの人々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた。その認識に於いては安倍内閣としては歴代内閣共通の立場、同じ立場だ。その上に於いて、然るべきときに21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したいと考えており、そのタイミングと中身については考えて行きたいと先般、そのように答弁した。

 いずれにせよ、韓国や中国を始めとする近隣諸国の国々は日本にとっても重要なパートナでもあり、これらの国々との関係強化を引き続き努力していくと共に地域の平和と反映に積極的に貢献をしていく所存だ。

 歴史認識の問題については、基本的に私が先般述べたことは政治家がとやかく言うべきではなく、歴史家や専門家に委ねることが適当だろうと考えている。

 私は歴史認識に関する問題が外交問題、政治問題化されることは勿論、望んでいない。歴史認識については政治の場に於いて議論することは結果として外交問題、政治問題に発展をしていくわけで、だからこそ歴史家・専門家に任せるべきだろうと判断している」

 赤嶺議員「再度確認するが、村山談話で植民地支配と侵略がアジア諸国の多くの人々に対して多大の損害と苦痛を与えたという認識は継承するということか」
 
 安倍晋三「継承するとかしないとかということではなく、村山談話は50年を機に出されたものであり、60年を機に小泉談話を出した。今回政権が代わり、安倍内閣が誕生した中で、もうじき70年を迎えるから、内閣として未来志向の談話を発出していくことが適当ではないかということも含めてよく考えて行きたい」

 赤嶺議員は、その答弁は曖昧だとして、米英中3カ国が日本の戦後処理の基本方針と日本が無条件降伏するまでの対日戦遂行の確認を決定した1943年11月のカイロ宣言が日本の侵略戦争の制止と処罰を規定していること、カイロ宣言の履行を明記した1945年7月のポツダム宣言受諾が現在につながる戦後の国際秩序と国連体制が形成されたことを前提に、安倍晋三が国によって侵略であるかどうか見方が違うすることは歴史の事実の否定ではないかとさらに追及した。

 安倍晋三「今も答弁したとおりだが、歴史というのは一般論として言うと、確定するのは難しく、長い年月をかけて専門家の手によって新たなファクトが掘り起こされていくこともあるのだから、専門家・歴史家に委ねるべきであって、私が政治家として神の如くに判断することはできない」――

 安倍晋三がまともに答弁していないために堂々巡りとなっている。

 「歴史というのは一般論として言うと、確定するのは難しく、長い年月をかけて専門家の手によって新たなファクトが掘り起こされていくこともある」なら、安倍晋三がかつて言っていたように「慰安婦狩りのようなことがあったことを証明する証言はない。裏付けのある証言はない」からと言って、官憲が家に押し入って強制連行して従軍慰安婦に仕立てるといった事実はなかったと断言することはできなくなり、自身の発言との矛盾が生じる。

 「長い年月をかけて専門家の手によって新たなファクトが掘り起こされていくこともある」可能性は否定できないことになるからだ。

 一方で証言がないからと、従軍慰安婦構強制連行否定の歴史認識を、「政治家として神の如くに判断することはできない」と言っていることに反して事実決定したが如くに自ら語りながら、「歴史認識は専門家・歴史家に委ねるべきだ」と逃げる。

 赤嶺議員が指摘した安倍晋三の4月23日参院予算委での答弁の「村山談話は曖昧な点がある」にしても、「曖昧」とする解釈するについては自らの歴史認識を介在させなければ解釈できないことで、いわば自らの歴史認識を以てして「曖昧」と解釈したのであって、自らの歴史認識を旺盛に展開しながら、国会で追及を受けると「歴史認識は専門家・歴史家に委ねるべきだ」と逃げる。

 まさしく自身の歴史認識を以って堂々と戦うのではなく、「外交問題、政治問題に発展をしていく」という口実のもと戦わずして逃げる敵前逃亡そのものである。

 また安倍晋三の「侵略という定義についてはこれは学会でも定まっていない。それは国と国との関係に於いて、どちら側から見るかということに於いて違う」として、間接的に日本の侵略を否定していることにつても、侵略否定という歴史認識を自ら施しているからこそ言うことができる、「学会でも定まっていない」云々であり、「どちら側から見るかということに於いて違う」ということであって、そこに侵略否定の歴史認識を介在させていなければ、「学会でも定まっていない」云々の答弁は出てこない。

 例え「侵略という定義についてはこれは学会でも定まっていない」、定義が争われているとしても、日本の戦争は侵略戦争だとする歴史認識に立っていたなら、「侵略という定義についてはこれは学会でも定まっていないが、私は侵略戦争だったとする立場に立っている」と答弁して、侵略戦争肯定の歴史認識を示していたはずだ。

 だが、侵略戦争否定の歴史認識を取っている。

 いわば侵略戦争肯定・否定のいずれの立場に立とうと、歴史認識を介在させて初めて決定し、示すことができる立場であり、問題はどちらに正当性があるかにかかっているはずである。

 安倍晋三に正当性の勝ち目があるなら、自ら歴史認識を施しながら、国会等で追及されると、「政治家として神の如くに判断することはできない」との口実を設けて、あるいは「外交問題、政治問題化する」からとの口実を設けて、「歴史認識は歴史家や専門家に委ねるべきだ」といった敵前逃亡を謀ることはないはずだ。

 卑怯である。正々堂々と自らの歴史認識に立つことができない。「外交問題、政治問題化する」からと回避するなら、歴史認識については一切口を閉ざして、自分のものとしている歴史認識を振り回すべきではない。

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高市早苗は日本の戦争を侵略戦争だと認め、靖国神社の戦没者を侵略戦争加担者と位置づけている

2013-04-26 05:13:28 | Weblog

 戦前日本の戦争を侵略戦争と認めつつ、「自衛のための戦争だった」とするタテマエを取っている、4月24日の発言はどう解釈してもそうなる、奈良2区(比例近畿ブロック)選出、52歳の高市早苗が4月23日午前8時、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」メンバーらと雁首を揃えて靖国神社を参拝した。

 翌4月24日、都内で講演。《「外交問題になること自体おかしい」自民・高市氏、靖国参拝反発の中韓を批判》MSN産経/2013.4.24 13:27)

 高市早苗「外交問題になること自体がおかしい。例えば植民地政策や開戦時の国家意志が良かったのか、悪かったのかとなると、フランス、アメリカ、イギリス、オランダはどうだったのか。

 (米国の)アーリントン墓地に日本の閣僚が行ったら花を捧げる。では、ベトナム戦争が正しかったのか。東京大空襲は明らかな陸戦法規違反だが、あれが良かったのか悪かったのか。そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない」――

 聡明な頭をしている。理路整然、説得力抜群。冷静沈着なる判断能力。言っていることの正当性は素晴らしい。

 断るまでもなく、発言の全ては靖国参拝をした者による靖国参拝を正当化する文脈で成り立たせている。

 フランス、アメリカ、イギリス、オランダの植民地政策が植民地住民に対して差別や抑圧を伴った、基本的人権を認めない非道・不当な支配であったとしても、そのことを基準に日本を開戦に向かわせた対アジア植民地化の国家的侵略意志を比較して、まだ罪が軽いのではないかと、そのことを以って侵略戦争を正当化できるわけではない。

 フランス、アメリカ、イギリス、オランダの植民地政策はそれぞれの国の植民地政策ごとに個別に判断し、個別に評価されるべきものであって、日本の開戦時の国家意志にしても、戦争行為そのものの正当性にしても、戦争時に於ける占領下の住民に対する取り扱いにしても、個別に判断し、個別に評価しなければならないからだ。

 俺は一人しか殺していないが、あいつは二人も殺しているからと、二人を殺した殺人者との比較で一人を殺した殺人者の罪が判断され、評価されるわけではなく、それぞれの殺人行為を個別に判断、評価し、罪が決定されるのと同じであろう。

 もし高市早苗の言っていることが正しいとすると、日本の戦争の被害を受けたアジアの国々にしても日本の侵略戦争をフランス、アメリカ、イギリス、オランダの植民地政策との比較で判断し、評価することが正しい歴史認識だと要求することになる滑稽な現象が生じることになる。

 アジアの国々にとって日本の侵略という戦争行為そのものはあくまでも個別の問題であるはずだ。このことを無視している点、日本の立場からのみの視点に立った、如何にご都合主義の言葉かが分かる。

 当然、「外交問題になること自体がおかしい」と言うこと自体がおかしいことで、外交問題となっていい靖国参拝となる。

 高市早苗は個別的評価対象を相対的評価対象にすり替えて日本の戦争の正当化を謀るゴマ化しを働いたに過ぎない。

 高市早苗が後段で「(米国の)アーリントン墓地に日本の閣僚が行ったら花を捧げる。では、ベトナム戦争が正しかったのか」と言っていることはベトナム戦争は間違った戦争だと位置づけた言葉の意味となる。

 ベトナム戦争は間違った戦争だったが、アーリントン墓地にはそのような間違ったベトナム戦争に加担して戦い、死者となった兵士が眠っていても、日本の閣僚が訪米した場合、アメリカ国家の間違った戦争、アメリカ人兵士の間違った戦争加担に関わらず花を捧げると言っていることになるはずだ。

 このことを踏まえるなら、高市早苗の発言の全てが靖国参拝を正当化する文脈で成り立たせている以上、日本の戦争は間違った戦争――侵略戦争であり、靖国神社に眠る兵士は日本の間違った戦争――侵略戦争の加担者たちだったとしても、それでも日本の閣僚たちは花を捧げるという意味とならなければならない。

 いわば高市早苗は日本の戦争を侵略戦争だと認めていることになる。侵略戦争だったが、フランス、アメリカ、イギリス、オランダの植民地政策との比較で日本の侵略戦争の正当化を謀った。

 「東京大空襲は明らかな陸戦法規違反だが、あれが良かったのか悪かったのか。そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない」と言っていることは意味不明だが、無理に解釈するなら、アメリカは東京大空襲で陸戦法規違反を犯したが、それでも訪米すれば、アーリントン墓地に訪れ、花を捧げる、陸戦法規違反だからと言って「そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない」と言う意味なら、同じく日本の戦争を侵略戦争と認め、靖国神社に眠る戦没者が侵略戦争の加担者たちであったことを認め、その上で「そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない」と言ったことになる。

 安倍晋三は間違っていない戦争だとし、高市早苗は間違った戦争だとしている。この矛盾にどう整合性をつけるのだろうか。

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安倍晋三の中韓靖国参拝抗議を「脅かし」と表現する頭の悪さ だからこそできる歴史の歪曲

2013-04-25 05:27:52 | 政治

 安倍内閣の総務相が4月20日、国家公安委員長が春の例大祭初日の4月21日、麻生副総理兼財務相が21日夜、高市自民党政務調査会長が例大祭終日にそれぞれ靖国神社を肩書きをつけたりつけなかったりして参拝、安倍晋三が総理大臣の肩書きで真榊を奉納した。

 対して中国外務省が「どんな方式、どんな身分であれ、靖国神社を参拝したことは、本質的に軍国主義や侵略の歴史を否定しようとするものだ」(MSN産経)と抗議。

 韓国が「安倍内閣の歴史認識は疑わしく、深く遺憾に思う。日本の政治指導者の時代錯誤的な認識は残念でならない」(MSN産経)と抗議。
 
 韓国が今月末頃に検討していたユン・ビョンセ外相の日本訪問を取りやめたことを明らかにしたことに関連して菅官房長官の発言。

 菅官房長官「それぞれの国にはそれぞれの立場があり、そうしたことの影響を外交に及ぼすべきではない」(NHK NEWS WEB

 だとしたら、北朝鮮の核実験も、北朝鮮側からしたら、「それぞれの国にはそれぞれの立場があり、そうしたことの影響を外交に及ぼすべきではない」と発言することも許されることになる。

 ご都合主義はやめるべきだろう。

 では、靖国参拝の親玉、安倍晋三は中韓の抗議に対してどう発言しているか、次の記事――《首相 「どんな脅かしにも屈しない」》NHK NEWS WEB/2013年4月24日 18時19分) から見てみる。
  
 昨日4月24日(2013年)の参議院予算委員会。

 安倍晋三「韓国が抗議を始めたのはいつかといえば、ノ・ムヒョン大統領の時代に顕著になっている。中国も、A級戦犯が合祀されたときには、総理大臣の参拝には抗議しておらず、ある日、突然、抗議を始めた。そのことをよく認識しておく必要がある。

 国のために尊い命を落とした尊いご英霊に対して、尊崇の念を表することは当たり前のことだ。わが閣僚に於いては、どんな脅かしにも屈しない自由を確保していくのは当然のことだ。

 靖国神社で、ご英霊にご冥福をお祈りすることを批判されることに対して、何にも痛痒を感じないのは、おかしいと思う。国益を守り、歴史や伝統の上に立った誇りを守っていくことも私の仕事で、それをどんどん削れば、関係がうまくいくという考え方の方が間違っている」――

 何でこうも頭が悪いんだろう。中国や韓国のいつの時代の指導者が日本の閣僚の靖国参拝の抗議を始めたかということを以って靖国参拝の正当性の一つに置くこと自体、頭の悪い人間でなければできないことである。

 A級戦犯の合祀は1978年。小平が権力を握り、改革開放経済を採用したのがA級戦犯の合祀と同じ1978年。日本の対中国ODAの開始は翌年の1979年。

 日本の中国に対するODAは外務省HPよると、2009年度までに有償資金協力(円借款)を約3兆3165億円、無償資金協力を1544億円、技術協力を1704億円、総額約3兆円以上のODAを実施、中国に道路や空港、発電所といった大型経済インフラや医療・環境分野のインフラ整備のための大きなプロジェクトを推進、現在の中国の経済成長が実現する上で大きな役割を果たしたと書いている。

 要するにA級戦犯合祀及び改革開放経済開始の1978年頃の中国は経済発展前の姿を取っていて、対日関係に関しては日本のODA資金に依存する関係にもあり、中国は日本に対して相対的に低い力関係にあったと言える。

 だが、安価な人件費を武器に外資を呼び込み、1980年代の間、農業及び工業生産高が毎年約10%の成長を見るに至った。

 中国が靖国参拝に懸念を示したのは中国が高い経済成長を示していた1985年の中曽根康弘元首相公式参拝後である。いわば中国の日本に対する力関係が相対的に高くなっていた時期と重なる。このことは中国が日本に対して物申す力を獲得したことを意味するはずだ。

 経済発展が国家としての自信をつけ、発言力を高める。

 このような関係は日米地位協定に関しても言うことができる。日本の経済発展と共にアメリカに物申す力をつけてきたが、それでも今以て不平等条約だと言われている。

 韓国の場合は1965年に日本との間で日韓基本条約を締結、1ドル360円時代に無償資金3億ドル・有償資金2億ドル・民間借款3億ドルを提供。このことにより当時の軍人出身の朴大統領が漢江の奇跡と呼ばれる高度経済成長を遂げ、1965年以後30年程で先進国入りしている。

 外務省HPによると、韓国は2000年に被援助国から卒業、ODA対象国ではなくなっている。盧武鉉大統領の任期は2003年2月25日~2008年2月24日。被援助国及びODA対象国から脱した以後の大統領である。また、最も日本の援助の恩恵を受け、漢江の奇跡を成し遂げることができた朴大統領に連なる軍人出身の大統領でなかったことも影響していたかもしれないが、経済的に自立した国家としての対外的発言力はより自由な立場を確保できていたことを考えると、日本に物申す姿勢を取り始めたとしても不思議はない。

 要は中国にしても韓国にしても、日本の指導者が先の日本の戦争を侵略戦争と見ているか否かに抗議の基準を置いているはずである。靖国参拝は日本の政治家が自らの戦争を侵略戦争と歴史認識していないことの根拠としているということである。

 だから、中国外務省は閣僚の参拝と安倍晋三の真榊奉納を「本質的に軍国主義や侵略の歴史を否定しようとするものだ」と批判し、韓国は「安倍内閣の歴史認識は疑わしく、深く遺憾に思う」と抗議した。

 対して頭の悪い安倍晋三は中韓の批判・抗議を「どんな脅かしにも屈しない自由を確保していくのは当然のことだ」と「脅かし」と表現した。

 だとすると、北朝鮮の核実験やミサイル発射に対する日本や他の国の批判・非難・抗議を北朝鮮は「脅かし」とすることが許される。
 
 「脅かし」などと言わずに、「国のために尊い命を落とした尊いご英霊に対して、尊崇の念を表することは当たり前のことだ」と、自らが正当としている根拠を述べさえすればいいものを、言わなくてもいい余計なことまで付け足した。

 安倍晋三は4月23日の参院予算委で次のように答弁している。

 安倍晋三「侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかということにおいて(評価が)違う」(MSN産経) 

 「侵略という定義」が国際的に定まっていないことを理由に日本の戦争が侵略戦争であることを間接的に否定している。

 安倍晋三は「歴史に対する評価等については専門家や歴史家にまさに任せるべき問題ではないかというのが私の考えであります」と常々言っていながら、自らのその発言を自ら破って、歴史に対する評価を専門家・歴史家に任せずに自らが正しいとする評価を自ら下すゴマ化しを働いている。

 いわば自分が正しいと言っているから、正しいことなんだと言っているのと同じである。

 この「国と国との関係で、どちらから見るかということにおいて(評価が)違う」という言葉は歴史認識に限らず、すべてについて当てはめることができる。

 例えば北朝鮮の核保有は外国から見ると間違った行為であっても、北朝鮮から見ると、北朝鮮の正義であって、「国と国との関係で、どちらから見るかということにおいて(評価が)違う」として自己正当化はいくらでも可能となる。

 だが、前々からブログ等に書いてきたことだが、「侵略という定義は国際的にも定まっていない」という言葉を待つまでもなく、「国のために尊い命を落とした尊いご英霊に対して、尊崇の念を表することは当たり前のことだ」と言っている言葉自体に戦略戦争否定意志が既に含まれている。

 戦没者が「尊い命を落とした」対象としての国家の姿・内容を一切問題視していなからだ。国民の基本的人権を制限した軍部独裁の軍国主義国家、天皇絶対主義国家であったこと、国力のケタ違いの相違にも関わらず、精神論に頼って勝てない戦争をアメリカに仕掛け、多くの兵士の命を無駄死にさせて無残な敗戦を迎えた、そういう国家だった。

 そういった国家であったことを一切問題とせずに逆に「尊い命を落とした」と戦没者を美化することで、落とす対象とした戦前日本をも美化し、持ち上げることができる。なぜなら「尊い命を落」とすについては、落とす対象とした国家が「尊い命」と同等の尊さを保持していなければ、落とした命の尊さ、その価値は意味を失うからだ。

 例えば所属する暴力団のために組員が尊い命を落としたとすることはできない。

 当然、戦前日本の国家の姿・内容を問題とせずに、「靖国神社で、ご英霊にご冥福をお祈りすることを批判されることに対して、何にも痛痒を感じないのは、おかしいと思う」という発言は倒錯そのものとなる。

 「お国のために尊い命を落とした」と戦没者の行為のみで戦前日本とその戦争を正当化するのではなく、先ずどのような国家であったかのか、その姿・内容を問題とし、「尊い命を落」とすにふさわしい国家だと検証し得て初めて、命を落とした行為が尊いと言えるはずだし、正しい歴史認識はそこから始めなければならないはずだ。

 だが、安倍晋三は戦前日本の国家の姿・内容を一切問わずに、戦没者の「尊い命を落とした」行為のみを以って戦前日本の国と戦争を正当化し、美化する歴史のゴマ化し・歴史の歪曲を演じている。

 頭が悪くできているからこそできる歴史のゴマ化し・歴史の歪曲であろう。

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4月21コメントに対する「A級戦犯は国内法的には犯罪者では無い」等々に対する返答

2013-04-24 10:19:55 | 教育



 4月21日(2013年)、「やい」氏なる人物から当ブログ記事――《安倍晋三の「主権回復の日」は戦前日本の肯定と占領時代及び東京裁判抹消願望からの発想 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に以下のコメントが寄せられた。誤解があるようだから、少々自分なりの意見を述べたいと思う。

 

  Unknown 2013-04-21 18:34:59 やい 安倍晋三の「主権回復の日」は戦...

 〉戦前の日本には存在していなかった現在の民主主義・基本的人権、自由は占領時代に与えられた継続として存在しているということの証明でもある

ギャグでおっしゃっているのか。

戦時中において日本は、米国と比して思想犯処刑数で全く下回り、米国では白人のみに認めらた基本的人権に対して日本は朝鮮人国会議員が存在した。

アメリカの公民権運動は何年に実現したと思っておるのか。その程度のアメリカが民主主義というのなら、日本も十分民主主義であったろう。

安倍信三を批判するのは大いになされば良いが、アメリカを崇めたて祀るのはいい加減にしたらどうなのか。

そもそも、言論の自由は米軍占領下が最も弾圧された時代である。冗談もほどほどにしていただきたい。

安倍晋三がA級戦犯を国内法的には犯罪者では無いと言ってるのも、歴史認識、願望、どうこうの問題ではない。端的な独立国家日本の法秩序として、単に事実であるだけだ。

あなた様が天皇制廃止まで含めた極左思想であろうが構わないが、奴隷のような欧米崇拝と独立国家の人間としての基本的常識は、最低限弁えていただきたい。言っておくが、私は20代初めの小僧である。

そんな小僧にこんな基本的なことを大人に説教させないでいただきたい。情けなくて泣けてきます。

 〈戦前の日本には存在していなかった現在の民主主義・基本的人権、自由は占領時代に与えられた継続として存在しているということの証明でもある。〉という文言はアメリカ国内の人権状況との比較で述べたものではない。幣原内閣の日本国憲法松本草案との比較で述べたもので、松本草案の天皇絶対主義と天皇絶対主義実現との対比で国民を天皇の臣民と位置づけ、国民の基本的人権に制限を設けたのに対して、マッカーサー原案を基にした日本国憲法天皇絶対主義を排除し、制限を設けない基本的人権を謳っていることを指摘したに過ぎない。

 このことを以って、〈戦前の日本には存在していなかった現在の民主主義・基本的人権、自由は占領時代に与えられた継続として存在しているということの証明でもある。〉と書いた。

 確かにアメリカで黒人差別撤廃を目指す公民権法の成立は1964年の遅い時期になってからで、法律上は白人と黒人は基本的人権を同等とする立場に立ったが、白人によるその内面的な黒人に対する差別は依然として残っている。

 但し、「Wikipedia」を参考にすると、1865年終結の南北戦争以降に連邦議会が奴隷制度廃止や公民権の付与、黒人男性への参政権の付与を中心とした3つの憲法修正条項(アメリカ合衆国憲法修正第13条・14条・15条)を追加したことで、黒人奴隷の「解放」が表向きは実現したことになっていたものの、1883年の公民権裁判での最高裁の判断は、「アメリカ合衆国で生まれた(または帰化した)すべての者に公民権を与える」とした「修正第14条は私人による差別には当てはまらない」として、個人や民間企業によって公民権侵害を許すこととなり、1896年5月18日の合衆国最高裁判所は、「分離すれど平等」の主義のもと、「公共施設での黒人分離は人種差別に当たらない」とする、事実上人種差別を容認する判決を下している。

 要するに反動・後退が生じた。この傾向はアメリカの全州に亘っていたものの、その中心勢力は南北戦争を南軍として戦った、黒人奴隷制度擁護のジョージア州やアラバマ州、ミシシッピ州などの南部諸州であったと書いてある。

 このようなアメリカ国内の白人による黒人に対する人種差別=基本的人権の否定に対して戦後のマッカーサーを最高司令官とする占領軍に於いては基本的人権・民主主義・自由の思想を確立する勢力が存在していたということであり、そのような思想を日本国憲法として具体化させたということであるはずだ。

 そしてまた占領軍が日本国憲法に表現することになった基本的人権・民主主義・自由の思想は戦前日本の軍国主義の反動として現れた要請でもあったはずだ。

 黒人に対する反動・後退は安倍首相等の国家主義的保守政治家の戦前の日本国家体制を郷愁とする戦後に於ける後退・反動に擬えることもできる。

 「やい」氏また、「言論の自由は米軍占領下が最も弾圧された時代である。冗談もほどほどにしていただきたい」と批判しているが、私自身は「弾圧」とは解釈せず、占領政策をスムーズに履行するための一時的・便宜的な「制限」と解釈している。

 同じく「Wikipedia」を参考に1945(昭和20年)占領軍発布の「新聞出版法」の検閲対象を見てみる。

1. SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
2. 極東国際軍事裁判批判
3. GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
4. 検閲制度への言及
5. アメリカ合衆国への批判
6. ロシア(ソ連邦)への批判
7. 英国への批判
8. 朝鮮人への批判
9. 中国への批判
10.その他の連合国への批判
11.連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
12.満州における日本人取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.冷戦に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交渉
24.闇市の状況
25.占領軍軍隊に対する批判
26.飢餓の誇張
27.暴力と不穏の行動の煽動
28.虚偽の報道
29.GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表

 要するに占領軍が最も警戒し、最も嫌悪した対象は軍国主義の復活であり、それが検閲対象に多く現れている。

 このことは占領軍が少なくとも日本人の政治権力者たちの血の中に軍国主義が色濃く根づいていると見ていたことの現れでもあるはずである。

 次に占領政策のスムーズな運営に対する妨害に用心している。

 これらを以てして、私自身は言論の弾圧を目的とした検閲ではなく、占領政策を障害なく推進するための一時的・便宜的な言論の制限と見ている。

 少なくとも占領政策下の検閲を日本国憲法にまで広げて正当化することはしなかった。日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務 第21条 集会・結社・表現の自由と通信の秘密」第2項は、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と規定している。

 「やい」氏はさらに「米国では白人のみに認めらた基本的人権に対して(戦前の)日本は朝鮮人国会議員が存在した」と言って、基本的人権の点で日本の方が優れているとしているが、アメリカの公民権を持ち出している関係で、この指摘は朝鮮人差別は存在しないとの間接的な主張となる。

 あるいは百歩譲ったとしても、大したことのない朝鮮人差別ということになるはずだ。

 1925(大正14)年の普通選挙権は朝鮮籍、台湾籍であっても内地に居住していれば参政権(選挙権・被選挙権)が付与された。

 だからと言って、朝鮮人差別が存在しない、もしくは軽微であったというわけではない。

 1923年の関東大震災に発した朝鮮人虐殺では軍隊、自警団、警察などによって数千人の朝鮮人が虐殺された程の仮借ない朝鮮人差別が演じられた。

 この朝鮮人差別は戦後も長く続き、現在も厳密に払拭されたとは言えないが、在日朝鮮人の引受先は主にヤクザかトラック運転手と言われていた。

 トラック運転手が、現在はドライバーとして市民権を得ているが、市民権を得るまでの時代は雲助(江戸時代の悪質な駕篭かき)と呼ばれていて、まともな市民の就職先とは考えられていない時代があった。

 尤も現在でも過酷な勤務条件から、自身を自嘲的に「雲助」と称するトラック運転やタクシードライバーもいるようだが、要するに在日朝鮮人は社会的一般的な雇用の対象として排除の差別を受けていたということである。

 確か広域暴力団の山口組の組長だったと思うが、「俺達が在日朝鮮人や刑期を終えて刑務所を出所した前科者を受け入れてやっている」と、暴力団の社会的存在の正当性を訴えていた。

 組長の発言は在日朝鮮人や前科者に対する差別がひどく、一般社会が受け入れていないことの裏返しでもある。

 ご存知かもしれないが、1970年(昭和45年)、在日朝鮮人青年が日立製作所戸塚工場の従業員募集に履歴書に通名と偽装した本籍を書いて応募した。

 採用試験に合格し、戸籍謄本等の必要書類の提出を求められたが、在日朝鮮人であるために日本に本籍地にがなく、戸籍謄本が存在しないこと、そして本名を伝えたところ内定を取り消されたために日本国籍を所有していないゆえの差別だと提訴した。

 4年後の1974年、横浜地裁は社会的な朝鮮人差別を受けた通名の使用であり、本籍地の偽装だとして、双方を正当化、原告を敗訴とし、原告は控訴せずに判決が確定している。

 このような日本社会に於ける歴史的な長年の朝鮮人差別を考えると、戦前の日本に於いて朝鮮人国会議員が存在したことを以って朝鮮人差別がなかった、あるいは軽微だったとすることはさして意味を持たない。

 但し日本人は権威主義を行動様式としていて、社会的強者に対して諂(へつら)う傾向にある。特に戦前はその傾向が強かった。それが例え普段差別している朝鮮人であっても、ヤクザとか会社経営で成功して地域の顔役となっている朝鮮人に対しては従順な態度を示した。

 すべてか、あるいは何人かの朝鮮人国会議員が地域の顔役だったとは証明することはできないが、当選させるについては地域の顔役となった朝鮮人が尽力したということはあったはずである。兎に角戦前から戦後の最近そう遠くない時期までカネが物を言った選挙であり、地域の有力者が選挙資金のスポンサーを一手にに引き受けていたのである。当選者を心理的に自分の支配下に置いて自身に対する利益誘導の便利な存在とする投資だったに違いない。

 旧軍隊内でも朝鮮人差別は発揮された。2009年9月6日に当ブログ記事――《日本の戦争が人種平等の世界の実現を目的としたとする田母神が航空自衛隊トップであったことの怖ろしさ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたことだが、在日朝鮮人作家呉林俊(オ・リムジュン)氏はその著『朝鮮人のなかの日本』の中で『朝鮮出身兵ノ教育参考資料』(旧教育総監部)を部分的に取り上げて日本人が半島人(=朝鮮人)に対して如何に独善的な偏見に満ちていたかを紹介している。

 いわばその独善的偏見を軍隊内に反映させていたのである。

 『朝鮮出身兵ノ教育参考資料』には「半島人の性格、能力」として7項目に分けて解説してあるという。

 1.「利己的性格」
 2.「策謀的性格」
 3.「阿強侮弱的性格」
 4.「模倣的性格」
 5.「儒教的性格」
 6.「耐乏的性格」
 7.「譚、諧謔、議論好ミ」に分類。

 3.「阿強侮弱的性格」は次のように書いてあるという。

 〈半島国家ガ対外的ニ事大(定見ナク勢力ノ強イ者に従フ)対内的ニハ誅求ヲ事トセシ如ク半島ノ個人ハ阿強(強者ニオモネル)侮弱的性格を有ス。強者ニ対シテ阿諛、迎合、詭弁、哀願等ノ手段ヲ尽クシ、弱者ニ対シテハ傲岸不遜、同情心薄ク冷酷ナリ。従ッテ人ノ情ヲ感ズルコト薄ク義侠ニ乏シ。報恩感謝ノ念亦薄シ」

  「多数ノ半島人ニ対シ施サレタル知能検査結果ニ依レバ、内地人ニ比シ稍(やや)劣レルガ如シ」

 「半島人ノ意志ハ概シテ強カラズ、一般ニ斃レテ後已ムノ気魄ニ乏シ。勿論意欲ノ対象ニモヨルコトニシテ目ニ見エタル利己的刺戟アラバ大イニ奮起ス」〉――

 「誅求」――税などを厳しく取り立てること。
 「侮弱」――弱者を侮る。
 「譚」――(タン)話すこと。
 「斃レテ後已ムノ気魄ニ乏シ」――斃れて終わりにしようという気魄が乏しい。玉砕精神の欠如を言っている。

 ブログにこう書いた。〈人間は劣る性格のみで人間を成り立たせているわけではなく、また逆に優れた性格のみで成り立たせているわけではない。時に応じ、状況に応じて優劣それぞれの性格を覗かせ、その性格に従って行動する。悪人か善人かはどちらの性格をより多く発揮するかにかかっている。このことは人種や国籍に関係しない。

 上記「阿強侮弱的性格」に言う内容は日本人についても言えないこともない。但しすべての日本人が同じだと言うことではない。人それぞれで、また性格の現れ方にも強弱がある。

 朝鮮人の性格に合理的な判断を持てないのは日本人を優越民族の位置に置く非合理性にそもそもから侵されていたから、その非合理性の支配を受けた対朝鮮人に向けた性格判断となっていたからだろう。〉――

 要するに半島人(=朝鮮人)を劣る人種と見て、劣る人種として扱っていたのである。

 「安倍晋三がA級戦犯を国内法的には犯罪者では無いと言ってるのも、歴史認識、願望、どうこうの問題ではない。端的な独立国家日本の法秩序として、単に事実であるだけだ。」云々について。

 1953年(昭和28年)に衆参両院が圧倒的多数で「戦犯赦免に関する決議」を可決している。だが、この「戦犯赦免に関する決議」の可決は日本人自身の手によって戦争総括をせず、誰の責任も問わない、誰も責任を負わない一国主義的な戦犯名誉回復であり、尚且つ、「国内法的には犯罪者」ではなくなっていると言っても、人道の罪等の戦争犯罪の事実は残る。消えるわけではない。

 殺人者が刑に服した後、社会復帰したとしても、殺人の事実は残るのと同じである。勿論社会復帰した者に対する如何なる差別もあってはならないが、その罪は一生背負って行かなければならないし、一生懸命働く、二度と罪を犯さない等、何らかの形で社会に対して償わなけれがならないはずだ。

 だが、安倍晋三及びそれ以下の靖国参拝者を見ると、「戦犯赦免に関する決議」を根拠に「国内法的には犯罪者では無い」としつつ、戦争犯罪の事実まで消した行動を取っている。

 ポツダム宣言を国体護持の条件が受け入れられないと黙殺し、その結果、広島と長崎に原爆を投下されて多くの住民が犠牲となり、その後遺症に苦しみ、今もなお苦しんでいる戦争事実を抹消し、「お国のために尊い命を捧げた」と戦没者の側からのみ戦争を語り、戦争を正当化する歴史認識の虚偽を働いている。

 日本人の、特に政治権力者たちの戦争を総括しない体質が最も象徴的・集約的に現れている発言がある。2012年8月15日NHK総合テレビ放送のNHKスペシャル「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」で取り上げた、戦後に残された録音テープの音声である。

 外務省政務局長安東義良「言葉の遊戯ではあるけど、降伏という代わりに終戦という字を使ってね(えへへと笑う)、あれは僕が考えた(再度笑う)。

 終戦、終戦で押し通した。降伏と言えば、軍部を偉く刺激してしまうし、日本国民も相当反響があるから、事実誤魔化そうと思ったんだもん。

 言葉の伝える印象をね、和らげようというところから、まあ、そういうふうに考えた」――

 戦前の政府権力の一端を担った人物のこの発言からは戦争の総括などといった責任履行の意志・体質は窺うことはできない。そしてどのような政府も総括を行わなかったし、国民の側からも求めて、それを政府を動かす大きな声とすることもなかった。

 日本人全体を覆っていた戦争総括に関わる意志・体質だと言うことができる。

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安倍晋三の少しいい気になっている「もう一度花を咲かせた」の合理的精神なき脳ミソ

2013-04-23 02:57:30 | 政治

 安倍晋三が首相主催の「桜を見る会」を4月20日午前、2010年以来3年ぶりに都内の新宿御苑で開催し、各界著名人が約1万人集まったという。

 集まったと言っても、勝手に集まってくるわけはないから、招待状を1万枚乱発し、掻き集めたといった状況なのはテレビに映し出された芸能人の政治には無縁と思えるような面々を見ると、そういった感がしないでもない。

 そこでの安倍晋三の発言を次の記事から見てみる。《「私はもう一度花咲かせた」 首相が桜を見る会》MSN産経/2013.4.20 11:15)

 安倍晋三「安倍政権の大きな使命は東北の復興だ。東北はこれから桜の満開を迎える。日本を世界の真ん中で咲かせるためにこれからも全力を尽くしたい。

 大切なのは葉桜になってもまた咲くことだ。私ももう一度花を咲かせることができた」――

 「日本を世界の真ん中で咲かせるためにこれからも全力を尽くしたい」とはなかなか剛毅だ。だが、日本経済は総合的な国力の点からして外国経済依存型の構造下にあるから、「世界の真ん中」と言うこと自体、合理的精神を欠いた脳ミソが言わせている思い上がり以外の何ものでもなく、このような言葉を発すること自体がいい気になっているとしか言いようがない。

 「世界の真ん中で咲かせる」とは日本が世界の経済を引っ張るという意味でもあるが、米国内の経済指標や景気指標を受けた米国自身の株価の動きが日本の株価に影響する関係は払拭できないし、中国の経済動向にも影響を受ける従属性は事実として存在する関係なのだから、「世界の真ん中」どころか、「世界の真ん中」に振り落とされないように引っ付いてまわる経済的衛星国といった日本と対米・対中関係を心得ていなければならないはずである。

 まさか戦前の「天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ヒイ)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス」とした、後に戦後になって天皇自身が否定することになった妄想に負けじ劣らずの妄想の再現というわけではないだろうが、再現と思わせる戦前日本肯定の国家主義者安倍晋三の発言となっている。

 「私ももう一度花を咲かせることができた」とは、首相として返り咲いたことを言っているはずだ。「政治は結果責任」の業績を言っているのだとしたら、第1次安倍内閣では改正教育基本法を成立させたといっても、教育事情は殆ど変わらないのだし、約1年で政権を投げ出したのだから、以前花を咲かせていないのに「もう一度花を咲かせることができた」は事実に反する虚偽そのもの――合理性に悖(もと)る事実提示となる。

 だとしても、単に再び首相になったことを「もう一度花を咲かせることができた」とすることは、首相になったこと自体に意義を置くことになり、業績自体が重要事項となる「政治は結果責任」を省くことになって、やはり合理的精神を欠いた脳ミソが言わせている発言としか受け止めようがない。

 確かに安倍晋三が「大胆な金融緩和策」を盛んに発言した効果で円安、株高を招き、続いての日銀新総裁黒田東彦の異次元の金融緩和策で円高・株高は加速し、アベノミクスの第1の矢は現在のところ成功したといえる。

 安倍自身も言っているように世の中の雰囲気は明るくなった。だが、実体経済が動いたわけではない。

 第2の矢である「機動的財政政策」の柱に公共事業を据えている。安倍晋三自身、内閣発足前から「公共投資で需要を作り、日本全体に景気(回復)の波が及ぶようにする」(SankeiBiz)と発言していたという。

 但し公共工事の主体が防災・減災となると、例えば津波防止の堤防を構築した場合、地域住民は安心を手に入れることができるが、工事が出す一時的な経済効果は期待できても、それのみで、堤防自体が継続的な経済効果を出していくわけではない。
 
 あるいは喫緊の課題となっている、笹子トンネルの天井板崩落に代表される既設インフラの老朽化対策・維持管理対策は同じく防災・減災に相当する公共事業であって、それを行ったからと言って、既設インフラがそれまで出していた経済効果以上の経済効果が期待できるわけではないだろう。

 新しく高速道路を造るとしても、必要とする場所は順次建設済みで、残りは多くないはずだ。それを無理に造るとなると、今までもそうであったように費用対効果が無視され、カネをバラ撒くだけのムダな公共事業となりかねず、財政悪化の元凶といった結果を招くことになる。

 日本の債務残高は対GDP比で主要先進国中最悪の水準ということになっているが、当然赤字国債発行額を減らして、国家予算を可能な限り税収内に近づけていく財政規律の問題もあるし、債務残高を少しでも減らしていく財政健全化の問題も残っている。

 当然、公共事業にしても他の何にしても、財政出動は精査の上に精査が必要となる。計画は素晴らしくても、計画と結果は別物だということを散々に見てきた。

 だからこその日本の債務残高が対GDP比で主要先進国中最悪の水準ということであるはずだ。

 3本目の「民間投資喚起・規制緩和の成長戦略」にしても、言葉通りにうまくいく保証があるわけではないし、結果が出てくるのはまだまだ先のことである。

 要はこれらの結果如何で、「私ももう一度花を咲かせることができた」と言っている首相に返り咲いたことが意味のあることにつながるのか、意味のない結末で終わるのか、分かれるのであって、現在のところは結果という真の花を咲かせたわけではないのだから、現時点で首相に再びなったというだけのことを「私ももう一度花を咲かせることができた」と言うこと自体、やはり合理的精神を欠いた脳ミソが言わせている発言としか判断しようがない。

 円安、株高、内閣支持率高で機嫌が良くなっているのは分かるが、「桜を見る会」の約1万人掻き集めた賑やかさにさらに機嫌を良くして浮いた気持ちになったのかもしれないが、自身も常々口にしていて、肝に銘じていなければならない「政治は結果責任」の鉄則をどこかに置き忘れたのは、元々合理的認識能力を欠いていて、身についている「政治は結果責任」の鉄則ではないために円安・株高のトントン拍子が逆に災いして、既に結果を見たようないい気になって、少々舞い上がってしまったといったところか。

 安倍晋三は4月20日、首相就任後初めて地元・山口県を訪れて、午後5時過ぎ、自民党山口県連主催首相就任祝賀会に出席、挨拶の中で夏の参議院選挙について「親の敵のようなものだ」と言い、勝利を目指す考えを強調したと言う。

 第1次安倍内閣のもとで行われた2007年参院選挙で自民党が大敗、安倍退陣のキッカケとなったゆえに名誉回復という意味だけではなく、政権運営のためにも今夏の参院選に是が非でも勝利しなければならない状況にあるとは言え、国政選挙は国民の信託を受ける重要且つ厳粛な機会である。その勝ち負けを「親の仇」のレベルで把える認識能力は、やはり合理的精神なき脳ミソの持主でなければ口にはできない程度の低い言葉であろう。

 こういった合理的精神なき脳ミソの持主が日本の首相を務めている。

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下村博文の、これでよく文科相を務めていられるなと思う検証精神なき認識能力

2013-04-22 02:41:32 | Weblog

 安倍晋三が4月19日日本記者クラブ講演で、成長戦略の一つの政策として「チャレンジ社会」・「全員参加型社会」の構築に言及したが、現在そういう社会になっていないことに発している構築意欲である以上、構築できていなかったことの原因を探らなければ、満足な構築はできないと一昨日のブログに書いたが、下村にしても教育行政を与っていながら、他国の高校生と比較して日本の高校生が自分はダメな人間だと思う比率が66%もあることに言及しながら、その原因がどこにあるのか一言も触れもせず、あるいは原因を想像することもせず、嘆くだけで答弁を終えている。

 これでよく文科相を務めていられるなと思う中途半端な認識能力を曝していることにサラサラ気づかずに文科相でございますと振舞っている鉄面皮はさすがである。

 まあ、安倍晋三とお仲間なのも、こういった検証精神が共にない共通項がお互いがお互いを引き寄せている理由なのかもしれない。

 文科省の人材を駆使して調査するか、他の教育関係の機関に依頼して調査するかすれば、答は出てくるはずだ。答を出して原因を突き止めなければ、66%の高校生の自信を取り戻す政策なりの手の打ちようはないはずだが、日本青少年研究所の調査を表面的に受け止めて、表面的に解釈する情報解読能力は、暗記教育形式の知識・情報授受の構造に従っているに過ぎない情報解読であって、表面的受け止めと表面的解釈から何ら発展がないことも、これまた暗記教育の知識・情報授受と同じ構造を取っている。

 その発言は4月10日(2013年)の衆院予算委員会で、坂本祐之輔日本維新の会議員が「学校教育の果たす役割」について下村文科相に質問したときに飛び出している。

 下村博文「先程総理もお話されておりましたが、日本青少年研究所というところで毎年4カ国の意識調査をしております。この中で高校生の意識調査で、自分をダメな人間だと思うと答えている中国の高校生は12%。韓国の高校生が45%。アメリカは23%。日本は自分はダメな人間だと思う、イエスと答える高校生が66%もおります。

 他の国に比べてもですね、圧倒的に、なおかつ中学生のとき以上に高校生になると、さらに自分はダメな人間だと思う子どもたちの数は増えている。

 それがそのまま大人になったとしたら、日本社会でも7割以上がですね、自分がダメな人間だと思う国にですね、活力が生まれるはずがないわけでございまして、そういう意味で、学校教育の本質的な意味としてですね、やっぱり一人一人の子どもたちが、あの、自分に対して自信を持ってですね、自分は素晴らしい人間であると、そして自分という存在がさらに能力を引き出して、教育によって引き出して、そして社会に貢献できる、自分という人間がいることによって、周りの(人に)喜んで貰う、そういう一人一人を養成するということが教育の役割であるというふうに思います」――

 教育の役割は一人一人の子どもたちが自信を持つことができ、社会に貢献できるよう、教育によって引き出すことだと素晴らしいことを言っているが、自分がダメな人間だと思う子どもが66%も存在する原因を突き止め、あるいは想像することで原因を想定し、その原因を除去せずに、言っているところの理想像の育みを教育の役割とすることができるのだろうか。

 そういった手続きを取らずに原因を残したまま、自信を持たせることができると考えた教育を施したとしても、不毛な土地に素晴らしい収穫を約束するという新種の種を蒔くのに似た結果しか招かないのではないだろうか。

 少なくとも教育行政を与る政治家として、まずは原因を突き止めるか想像するかで、その原因の除去に努める責任を有しているはずだし、原因の特定が対策の特定につながるケースが多いことから考えても、その方面の発言が一切ないということは責任の放棄・不作為に当たる。無責任そのものではないか。

 下村博文は自身の公式サイトでも同じ話題を取り上げているが、やはり原因追求の姿勢を見せることはない。 

 《日本再生 教育創世」》(下村博文公式Web/2012年7月30日)

 『4ヶ国の中高校生意識調査』

 日・米・中・韓の4ヶ国中高校生の意識調査によると、「自分はダメな人間と思う」中学生は、日本56.0%、米国14.2%、中国11.1%、韓国41.7%。高校生になると、日本65.8%、米国21.6%、中国12.7%、韓国45.3%と、財団法人日本青少年研究所の調査で分かった。

 どうして日本の中高校生は、こんなに多くの割合で「自分はダメな人間だ」と思っているのだろう。彼らの心情を思うと、切なく暗くなる。

 子供がダメなのではない。そのように多くの中高校生が「自分はダメだ」と思わせる日本社会が問題であり、子供達はその社会の鏡に過ぎない。

 また、「よく疲れていると感じる」中学生は、日本76.0%、米国55.1%、中国47.9%。高校生は日本83.3%、米国69.3%、中国63.9%で、日本の中高校生は、ほとんど疲れている。

 ところが、日本の中高校生の1日の勉強時間は、学校、自宅、塾を含め1日平均8時間で、中国は同様に1日約14時間。日本の中高校生は中国の中高校生のほぼ半分しか勉強していないのだ。

 それでも日本の子供の方が疲れているのは何故だろう。就寝時間が短いのも影響しているようだ。他国の子供に比べ、ダラダラ生活を送っているようだ。

 同研究所は「中韓と比べて、勉強もしていないのに弱音を吐いている現在の子供たちの姿がはっきりみえた。甘えの気持ちが強いのではないか」と分析している。

 子供は社会の鏡だ。日本の社会そのものからシャキッとする必要がある。日本を建て直そう! 

 「どうして日本の中高校生は、こんなに多くの割合で『自分はダメな人間だ』と思っているのだろう」と考えながら、原因を考えてみることすらせず、「彼らの心情を思うと、切なく暗くなる」と、合理性のカケラもない情緒的反応で済ませている。

 また、「日本社会が問題であり、子供達はその社会の鏡に過ぎない」と言いながら、では日本社会にどのような問題があって、その問題が子どもたちにどのように影響しているのかを考え、子どもたちに悪影響を与えない手立てを探るでもない。

 何も考えない、何も手立てを探っていないことは日本青少年研究所の「中韓と比べて、勉強もしていないのに弱音を吐いている現在の子供たちの姿がはっきりみえた。甘えの気持ちが強いのではないか」としている分析を単に紹介するのみで、自分自身の分析を何ら付け加えていないところにも現れているが、結果的に日本青少年研究所の分析を正しい分析として無考えに従っているに過ぎないことになる。

 要するに暗記教育の知識・情報伝達の構造さながらに自身の解釈は施さずに日本青少年研究所が伝える解釈をそのまま受け止めて自身の解釈に変えただけで、そこに何らの発展も試みていない。

 一昨日のブログにも似た趣旨のことを書いたが、実社会に於ける大人たちの学歴主義や有名大学主義、あるいは有名人を持て囃す一種の英雄主義等の価値感を反映して学校社会が児童・生徒たちの可能性を社会の価値観に応えることのできるテストの成績能力と部活運動能力にほぼ限定していることが、それらの可能性に恵まれていない児童・生徒を学校社会から弾き出すことになり、学校社会が求めていないことによって自身の可能性を見つけ出すこともできず、「自分はダメな人間だ」と思わせる自信のなさを生んでいる原因ということではないだろうか。

 当然、学校社会はテストの成績能力と部活運動能力に限定した可能性だけを求めるのではなく、他の様々な可能性も用意して、そのような可能性の探求に力を貸して、その可能性に邁進させることでより生きやすい学校社会とすることができるはずだし、そのような生きやすさの確立が「自分はダメな人間だ」と自己否定し、自信を喪失する児童・生徒の数を減らす要因にもなるはずだ。

 可能性を限定していることが、学校社会が求める可能性から排除された生徒のうち、イジメを自らの可能性とし、それを自己活躍の手段とする児童・生徒も現れる原因ともなっているはずだ。

 下村博文のように教育行政を与りながら、満足に考えることのできない政治家は安倍晋三と同様に逆に日本の教育を危うくする。

 このことは道徳の教科化に現れているが、そのことに関しては別の機会に論じたいと思う。

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安倍晋三の「主権回復の日」は戦前日本の肯定と占領時代及び東京裁判抹消願望からの発想

2013-04-21 09:17:14 | Weblog

 ――安倍晋三の戦前日本の戦争肯定と占領時代及び東京裁判抹消願望は戦後のスタートをこの主権回復の日の4月28日としたい願望を含む。4月28日を主権回復の日だと国民に意識づけることによって歴史的に戦後日本のスタートの日だとすり替え可能となり、安倍晋三が言っている「戦後レジームからの脱却」を可能とすることになる。――

 政治権力が国民の前の時代に対する怨嗟等を巧みに煽動し、あるいは巧みに誘導して、前の時代の制度、慣習、文物等を否定することから次の時代を始めるというケースもあるが、主権回復の日以後の時代の日本は前の時代に当たる占領時代の否定から始めたわけではない。そのことは占領時代に制定された日本国憲法を主権回復の日以後も日本の憲法としていて、憲法が規定する表現の自由や思想・信条の自由、良心の自由等の基本的人権の恩恵を受けてきていることが証明している。

 この証明は主権回復以後の時代の日本が占領時代の日本の上に築かれていることの証明でもあって、戦前の日本には存在していなかった現在の民主主義・基本的人権、自由は占領時代に与えられた継続として存在しているということの証明でもある。

 いわば占領時代は日本国民にとって、何ら否定されるべき時代ではなく、肯定されるべき時代だったと言える。

 もし占領という歴史的事態が日本の戦後に存在しなかったなら、4月8日当ブログ記事――《安倍晋三が「占領軍が作った憲法」だと言うなら、日本国民にとってそれが正解だった日本国憲法 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、当時の日本の国家権力――幣原内閣によって、天皇を大日本帝国憲法(明治憲法)の「神聖にして侵すべからず」の存在から、「至尊にして侵すべからず」の相も変わらない絶対的存在に位置づけた、いわば国民を遥か下に置いた、だからこそ国民を主権者と位置づける発想を持たなかったのだろう、大日本帝国憲法(明治憲法)と変わらずに天皇の臣民と規定し、信教の自由も言論の自由も国家権力が決める安寧秩序や義務、法律の範囲内に限定した憲法を押し付けられることになっていただろう。 

 だが、日本側の憲法草案はマッカーサーに拒否され、日本人学者構成の憲法研究会が草案した「憲法草案要綱」を参考に作成した「マッカーサー草案」を幣原内閣は受け入れを決定、一部修正等の経緯を経て、国会で成立させた。

 因みに憲法研究会草案の「憲法草案要綱」を掲載しておく。

根本原則(統治権)

一、日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス
一、天皇ハ国政ヲ親ラセス(読み・「自らせず」)国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス
一、天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル
一、天皇ノ即位ハ議会ノ承認ヲ経ルモノトス
一、摂政ヲ置クハ議会ノ議決ニヨル

国民権利義務

一、国民ハ法律ノ前ニ平等ニシテ出生又ハ身分ニ基ク一切ノ差別ハ之ヲ廃止ス
一、爵位勲章其ノ他ノ栄典ハ総テ廃止ス
一、国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス
一、国民ハ拷問ヲ加へラルルコトナシ
一、国民ハ国民請願国民発案及国民表決ノ権利ヲ有ス
一、国民ハ労働ノ義務ヲ有ス
一、国民ハ労働ニ従事シ其ノ労働ニ対シテ報酬ヲ受クルノ権利ヲ有ス
一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス
一、国民ハ休息ノ権利ヲ有ス国家ハ最高八時間労働ノ実施勤労者ニ対スル有給休暇制療養所社交教養機関ノ完備ヲ
  ナスヘシ
一、国民ハ老年疾病其ノ他ノ事情ニヨリ労働不能ニ陥リタル場合生活ヲ保証サル権利ヲ有ス
一、男女ハ公的並私的ニ完全ニ平等ノ権利ヲ享有ス
一、民族人種ニヨル差別ヲ禁ス
一、国民ハ民主主義並平和思想ニ基ク人格完成社会道徳確立諸民族トノ協同ニ努ムルノ義務ヲ有ス

 「日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」と規定して間接的に国民主権を謳っている上に、言論の自由に対しても信教の自由に対しても何ら制限を設けていない。この 「日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」が日本国憲法が前文で謳っている国民主権に発展したとも解釈できる。

 だが、安倍晋三は昨年2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」にビデオメッセージを寄せ、「占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」と、占領時代を否定している。

 そして2013年4月5日衆院予算委員会で、現憲法の改正姿勢に立って、「事実上占領軍が作った憲法だったことは間違いないわけであります」と答弁して、占領時代の否定を意思させている。

 戦後レジームから脱却を訴えていることも占領時代の否定意志の内に入れることができる。

 占領時代の否定は戦前日本の肯定と相互対照させているはずである。いわば戦前日本を肯定しているからこそ、占領時代を否定することになる。

 2006年7月初版の安倍著『美しい国へ』に戦前日本肯定の一文が記されている。

 『その時代に生きた国民の目で歴史を見直す』と題して、「歴史を単純に善悪の二元論で片付けることができるのか。当時の私にとって、それは素朴な疑問だった。

 例えば世論と指導者との関係について先の大戦を例に考えてみると、あれは軍部の独走であったとの一言で片付けられることが多い。しかし、果たしてそうだろうか。

 確かに軍部の独走は事実であり、最も大きな責任は時の指導者にある。だが、昭和17、8年の新聞には『断固戦うべし』という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化する中、マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していたのではないか」と書き、当時のマスコミ・国民が支持していたのだからという文脈で間接的に戦争を正当化している。この正当化は戦前日本の肯定そのものであろう。

 だからこそ、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」(同『美しい国へ』)と、日本の歴史が戦前日本の汚点を抹消して平和裡に連綿と継続してきたかのように言うことができる。

 この戦前日本肯定の上に戦後占領時代の否定を関係づけているわけだが、もし「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」が正当な歴史認識の方法だというなら、戦後の日本国民の多くは解任されたマッカーサーに対して涙し、その解任を惜しんだ事実からすると、安倍晋三の占領時代否定に反して国民は占領時代肯定の態度を取っていた事実はどう解釈するというのだろうか。

 また、惨めな敗戦を迎えて殆どの国民が戦争を後悔し、その過ちに気づいて、時の国家権力や軍部を憎んだという事実は戦前の時代に引き続いて戦後の時代も生き残った同じ国民の判断からの事実であって、「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」とする歴史認識の方法を無効にすることになる。

 いわば一つの時代に於いて肯定されたことでも、同じ国民による別の時代からの否定もあり得るし、そのような国民の解釈を引き継いでいたなら、遙か後の時代の国民の否定も正当化されることになり、「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」とする歴史認識の方法は絶対ではなくなる。

 安倍晋三がA級戦犯を「国内法的には犯罪者ではない」と位置づけている東京裁判否定も、戦前日本の肯定願望から発している歴史認識であるはずだ。

 安倍晋三は戦前日本を肯定するがゆえに戦後占領時代を否定することになり、戦前日本の戦争を断罪しているがゆえに東京裁判をも否定、日本国憲法も日本人自らの手によるものではなく占領軍がつくったとして否定、すべてを日本の歴史から抹消したい願望が占領から解放された1952年(昭和27年)4月8日を日本の新しいスタートとしたい精神性につながっているはずだ。

 安倍晋三が策す日本国憲法の改正が部分的にとどまったとしても、精神的には否定しているからこそ、「占領軍がつくった」と言うことができるはずはずである。

 日本国憲法そのものを廃して、全く新しい憲法を制定したくても、国民主権にしても、思想・信教の自由や良心の自由等の基本的人権にしても、全面否定するだけの理由を見つけることができないからだろう。いくら願望しても、全面否定したら、国民の猛反発を受けることぐらい、いくら頭が悪くても認識しているはずだ。

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