安倍政権の高校授業料無償化所得制限は親の経済格差が子の教育格差の相互反映に手を貸す愚かな選択

2012-12-31 10:12:26 | Weblog

 安倍政権は政権発足早々、公約に掲げた高校授業料無償化の所得制限を打ち上げた。《文科相 高校無償化に所得制限》NHK NEWS WEB/2012年12月27日 2時28分)

 高校授業料無償化は民主党政権が所得制限無しで2010年度から実施していた。

 12月27日(2012年)の初閣議後の記者会見。

 下村文科相「自民党は選挙公約で所得制限を設けることを約束しており、その公約を速やかに実現する方向で検討したい。

 (所得制限設置時期について)いま中学3年生の生徒は、現行の制度を前提に進路の選択を考えている。生徒や保護者などに混乱が生じないよう、所得制限は、再来年度以降の実施を考えていきたい」――

 カネに余裕のある親の子から授業料を徴収するということだけを考えた所得制限の導入だろうから、いきなり制限を掛けたとしても困る金持は存在しないと思うが、言っていることがどうも腑に落ちない。

 『J-ファイル2012 自民党総合政策集』には高校授業料無償化について次のように記載している。
 
 〈63 激動の時代に対応する、新たな教育改革(平成の学制大改革)

 高校授業料無償化については、所得制限を設け、低所得者のための給付型奨学金の創設や公私間格差・自治体間格差の解消のための財源とするなど、真に公助が必要な方々のための制度になるように見直します。〉――

 「平成の学制大改革」と「改革」に「大」をつけてあるのは恐れいった話だが、大と名づけた改革で名づけたとおりに利害関係が固定化した制度の改革を成し遂げることができていたなら、大と名付ける改革は必要なくなっているはずだ。

 改革が目指したとおりに改革できずに旧態依然の制度として残すことになるから、いつまで経っても「大改革」と名付けなければならなくなる。

 政治家や官僚の力とはこの程度だと自己客観視できていたなら、改革に「大」などと名付けることなどできないだろう。謙虚に控えめに普通に「改革」と名付けて、但し強い責任感を持って自らが理想とする改革に挑戦する姿勢を取るはずだ。

 公務員削減や議員定数削減の改革、あるいは一票の格差是正の選挙区改革等を一つ取っただけでも、理解できる話である。

 政策集の安倍自民党の高校授業料無償化は所得制限を設けて浮かした財源を「低所得者のための給付型奨学金の創設や公私間格差・自治体間格差の解消のための財源とする」と、カネの遣り取りだけで片付けていて、高校生の立場に立った視線は抜きにしている。

 高校授業料無償化は例え親がそのカネを払わなくて済むとしても、その最終利益者は高校生である。特に中・低所得層の高校生は授業料で親に負担をかけなくて済むことになるから、心理的な解放感を最大の利益とすることができる。

 心置きなく勉強に励むことができると考える生徒も出てきているはずだ。尤も親に授業料の負担をかけているわけではないから、後ろめたさを感じることなく遊ぶことができると考える不心得な生徒も存在するかもしれない。

 いずれにしても高校授業料無償化は最終的には高校生の問題である。自治体の問題でもなければ、学校の問題でもない。安倍自民党の高校授業料無償化所得制限導入に高校生の立場に立った視線が抜けているとしたのはこの点からである。

 国家を最優先に考える国家主義者の安倍晋三らしいと言えば、らしいと言える。

 所得制限がなけれが、金持の子は国からの授業料の支払いは必要ではないかもしれないが、誰もが金銭的な恩恵を平等に受けることになる。金銭的な平等は心理的な平等となって、生徒それぞれに反映する。

 金持の子どもの中には、「俺のウチは必要ないけど、所得制限がないから貰っているだけのことだ」と嫌味な受け止め方をする場合もあるだろうけど、少なくとも生徒間では誰もが貰っていることとして金銭的な平等を維持可能とし、心理的にも平等な立場に立たしめ可能とすることになる。

 だが、所得制限を掛けた場合、所得制限がなかった場合の金銭的平等性と心理的平等性を壊して、無償化を受けている高校生と受けていない高校生との間に金銭的立場とこのことの影響として現れる心理的立場に優劣の格差を生じせしめることになりかねない。

 そうなった場合、所得制限無しで中・低所得層の高校生が手に入れることができるだろう心理的な解放感は相殺されることになる。

 親が高額所得者の高校生の息子や娘が授業料の無償化に与(あずか)っていないことをいくら隠そうとしても、与らないままに授業を受け、与らないままに高校を卒業した場合、少なくとも授業料に関して金銭的優位性のみならず、心理的優位性を否応もなしに自らに備えることになるだろうし、その優位性がいくら親のお陰であったとしても、親の子に対する他の投資から得た学歴や知識取得といった諸々の成果と共に将来的な勲章となって、その勲章が他者に対する立ち位置を有利にすることは親の経済格差が子どもの教育格差や学歴格差、職業格差、最終的には収入格差につながっていくことによって証明し得るはずである。

 逆に授業料の無償化を受けて高校生活を送る中・低所得層の子息は無償化を受けていないクラスメートに対して意識・無意識に金銭的にも心理的にも劣位な立場に自らを置き、ある種の負い目として精神に刻み込むといった状況は否定できない。

 特に金持の子を友人に持った所得の低い家の高校生は無償化の恩恵を受けていること自体が友人に対する劣等感となって跳ね返らない保証はなく、無償化の恩恵に与る高校生の多くが親の経済格差の追い打ちを無償化という形で受けることにならないとも限らない。

 そういう状況に追いつめないためにも高校3年間の生活に精神的な影響を及ぼす授業料に関しての無償化に限ってはせめて平等を旨として、親の経済格差が子どもの経済格差に発展していく負の連鎖に巻き込まないささやかな砦として無償化問題を残しておく配慮は必要ではないだろうか。

 だが、無償化の所得制限がつくり出す生徒間の金銭的格差に加えた心理的格差は逆に親の経済格差が子どもの経済格差に発展していく負の連鎖に一枚加える格差となり、そのような格差の追加に政府自身が手を貸すことになる。

 無償化に所得制限を設けなくても、所得税の累進化率を高くするとかして、代替することができるはずだ。

 税金を多く払っている親の子と少ししか払っていない親の子との間に精神的優劣の感情が生じたとしても、高校生が一個の個人としての立場に立った場合、同じ額の授業料無償化の恩恵を受けている点で格差がないことは高校3年間の生活に金銭的負担も心理的負担も限りなく縁遠いものとするはずである。

 安倍政権の高校授業料無償化所得制限導入は最終利益者である高校生の立場に立って考えることができない、親子間で受け継ぐ経済格差の負の連鎖に手を貸す単細胞にして愚かな政策としか映らないが、どんなものだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三、尖閣公務員常駐で高村副総裁を通してマニフェストのゴマ化しが既に始まっている

2012-12-30 10:50:35 | Weblog



 12月29日(2012年)のテレビ東京の番組での発言だそうだ。 

 《尖閣へ常駐「させるとは公約してない」高村・自民副総裁》asahi.com/2012年12月29日17時56分)

 高村正彦・自民党副総裁「尖閣諸島に公務員を常駐させるとは、衆院選の公約に書いていない。衆院選で出したJファイル(政策集)には『検討する』と書いてある。常駐させるとは書いてない。

 検討するということは、たとえば中国が実効支配を強引に力で侵そうとして、常駐をすることがそれを守ることに資するなら、そういうこともありうるよという一つのメッセージだ。だから、そうではない時に、わざわざ常駐させて中国の国民感情をあおるのは、外交上得策ではない。

 これは当たり前のことで、あまり乱暴なことをしたらそういうこともありうるよというメッセージだ」

 確かに、「『検討する』と書いてある。常駐させるとは書いてない」が、「中国が実効支配を強引に力で侵そうとして、常駐をすることがそれを守ることに資するなら、そういうこともありうるよという一つのメッセージ」だとするなら、そのようなメッセージだとなぜ最初から書かなかったのだと言いたくなる。

 政策集に書いてある尖閣に関わる箇所を拾い出してみる。 

 『J-ファイル2012 自民党総合政策集』
  
3. 領土・主権

132 尖閣諸島の実効支配強化と安定的な維持管理

 わが国の領土でありながら無人島政策を続ける尖閣諸島について政策を見直し、実効支配を強化します。島を守るための公務員の常駐や周辺漁業環境の整備や支援策を検討し、島及び海域の安定的な維持管理に努めます。 

 「わが国の領土でありながら無人島政策を続ける尖閣諸島について政策を見直し、実効支配を強化します」と断定していることは公約としますの物言いそのものであり、また実効支配強化とは恒久的な性格を持たせた実効支配政策の構築を言うはずであり、その線上での公務員常駐の「検討」であって、「そういうこともありうるよという」可能性としての「一つのメッセージ」では済ますことはできないはずである。

 もし単なるメッセージであったなら、公約としている「実効支配を強化します」の恒久性を持たせた実効支配政策をどこかに吹き飛ばしてしまうことになる。

 それを実効支配強化とは無関係の可能性で済まそうとするところに既に薄汚いゴマ化しがある。

 「無人島政策を続ける尖閣諸島について」の政策の見直しとは「無人島政策」から有人島化政策への一大転換の趣旨を持たせた公約宣言であり、有人島化することによって日本国有の領土であることの領有意志を厳格に示す、具体性と恒久性の実現に向けたメッセージとするということでなければならないはずだ。

 いわば領有意志表示の主たる方法を“公務員常駐”による有人島化とするということの「検討」ということであって、中国の態度如何で決定する変数ではないはずだ。変数だとする意図を汲み取ることのできる文言はどこにも見当たらない。

 もし“公務員常駐”を中国の態度如何で決定する変数としたならば、政策集に謳う以上、恒久性を持たせなければならない厳格な領有意志表示――「実効支配を強化します」とは決してならない。

 無人島政策を見直すと言いながら、当面は無人島政策を続けることになる。

 大体が、「中国が実効支配を強引に力で侵そうとして、常駐をすることがそれを守ることに資するなら、そういうこともありうる」とする政策手順は、少なくとも中国の侵略気配を嗅ぎ取ってからの、あるいは最悪、中国が侵略行動を開始してからの常駐行動ということになり、後手に回る恐れが生じる。

 中国が前以て釣魚島は中国固有の領土だから、これから釣魚島奪還の軍事行動に移ると宣言してくれるなら、さして後手に回ることはないかもしれない。

 1941年12月8日未明(日本時間)の真珠湾攻撃は択捉島に集結した日本海軍機動部隊が攻撃12日前の11月26日にハワイへ向けて出港の隠密行動を取っている。しかも対米宣戦布告は攻撃開始の30分前と決めていた秘密行動である。

 但し翻訳等の遅れから、実際の宣戦布告は攻撃開始1時間後となる。

 こういった手違いがなかったとしても、中国は行動するギリギリまで行動開始を告げることはないだろうし、不法占拠されている自国領土の奪還だから、宣戦布告を含めてどのような行動開始の告知も必要としないとする態度を取る可能性は否定できない。

 しかも中国と日本は一跨ぎのところにある。中国行動開始察知後の常駐では間に合うはずはない。

 逆に“公務員常駐”は検討課題だと言いつつも、尖閣諸島は日本固有の領土であり、尖閣に対するどのような行動も中国に許さないとする牽制の意を込めた前以ての強い意志表示にしようと思い定めていたはずで、そのような意志表示を無人島政策の見直し、いわば恒久的な有人島化政策の具体的な形に添わせようとしていたからこそ、検討課題としたはずだ。

 そうであるにも関わらず、政策集に尖閣の無人島政策から有人島化政策への変更による実効支配強化を謳い、その手段として公務員常駐化を検討課題としながら、実際に政権を獲って公約通りに推し進めた場合、逆に中国との関係悪化を招くと見て、中国の態度次第のメッセージだと詭弁を用いて誤魔化すに至った。

 実際には公約で謳う段階で既に中国の反発を予定事項として、「中国の国民感情を煽る」関係悪化を覚悟していなければならなかったはずだ。

 それを後付けで持ち出して、体裁のいいゴマ化しを働く。

 もし中国の行動次第のメッセージであって、それらしき行動を示していないときに「わざわざ常駐させて中国の国民感情をあおるのは、外交上得策ではない」と言うなら、何も政策集に書く必要は生じない。

 政策集に尖閣実効支配強化の趣旨に則らせる形で“公務員常駐”の「検討」を書きながら、実効支配強化の趣旨から外れた弁解を展開するようでは中国に足許を見られて、何とまあ腰の抜けた連中だと日本の外交がバカにされるだけである。

 尖閣実効支配強化の一方法とすべく検討課題とした“尖閣公務員常駐”は実際には番犬の役目を果たさない犬の遠吠えに過ぎなかった。

 安倍晋三は今回の選挙中、街頭演説等でマニフェストに「自民党はできることしか書いていない」と何度も訴えた。「できることしか書いてない」も強がるだけが得意の犬の遠吠えに堕すことになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の高校授業料無償化朝鮮学校適用除外は北朝鮮懲罰の朝鮮高校生への卑劣な転化

2012-12-29 09:45:58 | Weblog

 《授業料無償化 朝鮮学校は対象にせず》NHK NEWS WEB/2012年12月28日 12時58分)

 保留処分となっていた朝鮮学校に対する高校授業料無償化について12月28日(2012年)閣議後記者会見。

 下村文科相「朝鮮学校については、拉致問題の進展がないことや、朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容などに影響が及んでいることから、現時点で無償化の対象に加えることは、国民の理解が得られない。

 安倍総理大臣からは、『その方向でしっかりと進めてほしい』という指示があった。子どもに罪はなく、民族差別をするわけではないので、今後、拉致問題の進展や国交の回復など、一定の問題がクリアされれば、無償化の対象に加えるかどうか検討することになる」

 次も閣議後記者会見。

 菅官房長官「閣僚懇談会で、下村文部科学大臣から、朝鮮学校は朝鮮総連と密接な関係にあり、拉致問題の解決に向けた進展が見られないなかで、高校授業料の実質無償化の対象にすることは、現時点で国民の理解が得られないという提案があった。これを受けて、安倍総理大臣が、対象にしない方向でしっかりと対応するよう指示したもので、これは政府全体の方針だ」――

 最初に断っておくが、高校授業料無償化とは公立高校が生徒から授業料を徴収せず(=不徴収に付し)、国が公立高校を管轄する自治体にその分のカネを払うということであるが、最終利益者はあくまでも高校生自身である。高校生の身になって、その利益を考え、授業料無料で高校教育を受けることができるようにするという目的からの無償化であろう。

 一定額の就学支援金の支給となっている私立高校の場合もそうだし、各種学校として認可・開設されていて、無償化の対象となっている朝鮮学校の場合にしても、最終利益者は朝鮮学校生徒に置いているはずである。

 下村文科相の発言からすると、彼の朝鮮学校無償化適用除外判斷は「拉致問題の進展がないこと」を主たる理由とした北朝鮮当局に対する懲罰を目的としたものだということになる。

 「今後、拉致問題の進展や国交の回復など、一定の問題がクリアされれば」検討し直すと言っていることも、北朝鮮当局に対する懲罰であることを物語っている。

 では、北朝鮮当局に対する懲罰がなぜ朝鮮学校生に結びつくかというと、北朝鮮当局と朝鮮学校を経営する朝連総連が密接な関係にあり、金一族を崇拝し、金正恩現独裁体制を支持、朝鮮学校教育を通して在日朝鮮高校生に金一族崇拝と現独裁体制支持の教育を行なっていて、そのような偏向教育の悪影響を生徒が受けている関係から北朝鮮当局に対する懲罰を朝鮮学校生に結びつけて、無償化の最終利益者たる資格から除外するという判斷となったということであろう。

 このような関連性を趣旨とした発言が「朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容などに影響が及んでいる」ということであろう。

 何のことはない。北朝鮮当局に対する懲罰の朝鮮学校生に対する転化に過ぎない。

 下村は「子どもに罪はなく、民族差別をするわけではない」とは言っているものの、「子どもに罪はなく」は実質を伴わない単なる見せかけの空疎な言葉でしかなく、実際には北朝鮮当局の罪を「子ども」にまでなすりつけている。

 父親が殺人犯で、その子はその父親の生き方の教育を受け、「影響が及んでいる」からと言って、世間の父親に対する社会的な懲罰をその子にまでなすりつけ、転化してもいいものだろうか。

 朝鮮学校生が金一族崇拝と現独裁体制支持の教育によって生徒が洗脳されていたとしても、北朝鮮当局者や在日朝鮮人の大人たちの都合であり、「子ども」はその都合に翻弄されているに過ぎない。

 戦前の日本に於いても日本の若者は学校教育によって日本民族優越性に基づいた愛国心教育を受け、日本民族の優越性を妄信するに至る精神の翻弄に曝された。

 そのような若者のうち誰かがイギリスやアメリカに留学するからといって、その手の妄信を理由にアメリカやイギリスは入国を拒絶しただろうか。日本の大人たちに対する懲罰を日本人の子どもたちにまでなすりつけ、転化するようなことをしただろうか。

 日米開戦からは他の理由で入国を禁止したことはあったかもしれない。

 北朝鮮当局に対する懲罰として朝鮮学校を無償化対象から例え除外したとしても、その除外が北朝鮮当局に対する懲罰としてどれ程の効果が発揮可能だというのだろうか。

 単なる嫌がらせ程度の象徴的な懲罰の意味しか持たないようにしか見えない。何しろバックに中国が存在する。

 無償化の最終利益者はあくまでも今後日本社会に巣立っていく在日朝鮮人高校生である。在日朝鮮人の大人たちではない。在日朝鮮人高校生の心に日本人に対する暗く屈折した心理を植えつけたとしたら、そのことのマイナスの方が大きいように思える。

 「安倍総理大臣からは、『その方向でしっかりと進めてほしい』」とゴーサインが出たということは、首相は内閣の最終責任者であるから、安倍首相自身の判断でもあるということになる。

 安倍晋三やそれ以下の自民党の面々には大人たちの犠牲者だと見做して許す度量はないらしく、逆に大人たちに向けるべき懲罰を子どもにまでなすりつけ、転化するのは卑劣で、ケツの穴が小さいとしか言いようがない。

 そのうち安倍晋三のケツの穴の小ささが多くの国民に知れ渡るようになるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国際的学力調査「TIMSS」日本成績、理数得点上昇傾向は暗記教育の成果

2012-12-28 11:11:41 | Weblog



 少し前の話だが、オランダに本部がある国際学会が4年に一度行っている学力調査「TIMSS」で、日本から参加の小学4年生と中学2年生合計8800人の算数・数学、理科平均得点が小中学校共に上昇傾向を示したという。

 《日本の子ども 理数得点が上昇傾向》NHK NEWS WEB/2012年12月11日 19時0分)

 小学校平均得点

 算数――585点・50カ国中5位(前回・平成19年+17ポイント)
 理科――559点・50カ国中4位(前回・平成19年+11ポイント)

 中学校平均得点

 数学――570点・42カ国中5位(前回・平成19年±0)
 理科――558点・42カ国中4位(前回・平成19年+4ポイント)

 文科省の分析「授業に実験や観察を多く取り入れるなど学校が指導を改善したためではないか」

 要するに考える教育への転換が図られたと見立てていることになる。

 算数・数学、理科に対する意識

 小中学生の「勉強は楽しい」――前回を上回る。
 中学生の「数学や理科の知識を使うことができる職業につきたい」――約2割(国際平均-30ポイント)

 記事解説。〈子どもたちの理数の学力は、8年前のこの調査で低下傾向が明らかになり、文部科学省が「ゆとり教育」を転換して授業時間や学習内容を増やすきっかけとなりました。各学校は、授業に実験や観察を多く取り入れ、子どもたちが算数・数学や理科を日常生活と結び付けて考えるよう改善していて、文部科学省はこうした取り組みの成果が出てきているとして、さらに指導の充実を図ることにしています。〉云々――

 この解説でも、〈子どもたちが算数・数学や理科を日常生活と結び付けて考えるよう改善していて〉と、考える教育となっていることを指摘している。

 だが、授業時間や学習内容を増やす脱「ゆとり教育」とは暗記教育(=詰め込み教育)の強化以外の何ものでもないはずだ。学習内容の量はそのままに授業時間だけを増やした場合、児童・生徒に考える時間を与えることも可能となる。

 児童・生徒は考えることによって教師から与えられた知識・情報を自力で発展させることができ、知識の点でも、情報の点でも年令と共に視野を広げていくことができる。

 知識・情報の獲得と拡大の構造がこのようになったとき、欠く授業に対して楽しみの刺激を否応もなしに感取することになるはずだ。

 要するに児童・生徒の大多数が算数・数学、理科の授業を楽しいと感じたとき、その授業は児童・生徒が自分から進んで考える教育となっていることの証明となる。

 だが、上記記事は算数・数学、理科に対する意識は、小学生の場合は〈前回を上回る。〉とのみ紹介していて、中学生の場合の「数学や理科の知識を使うことができる職業につきたい」が国際平均と比較して30ポイント下回る状況では、考える教育となっていないことの証明としかならない。

 次の記事――《国際理数学力調査:学力向上も「好き」は低率 日本の子供》毎日jp/2012年12月11日 22時32分)が意識の程度を詳しく取り上げている。

 2012年調査

 「算数・数学が好きだ」

 「強く思う」+「そう思う」

 小4――65.9%
 中2――39.1%

 「理科が好き」

 小4――83.2%
 中2――52.5%

 2007年調査

 「算数・数学が好き」

 小4――66%(国際平均80%)
 中2――37%(国際平均65%)

 「理科が好き」

 小4――82%(国際平均83%)
 中2――52%(国際平均75%)

 暗記教育であると前提した場合、小学校ではどうにか暗記についていくことができたが、中学生になるとついていけなくなって、苦痛となり、好きでなくなっていったと解釈できる。

 もし考える教育であると前提した場合、年齢を経るごとに考える力はついていくのだから、算数・数学にしても、理科にしても、小学生の時よりも中学生の時の方が“好き”は増えていいはずだ。

 好き”が増えていないということは元々小学生の時から知識・情報を自ら考えて獲得し、発展させていく楽しいという刺激を経験する構造の教育ではなかったことを物語っていることになる。

 小学4年の学力向上の理由について――

 奈良哲文部科学省参事官(学校運営支援担当)「新学習指導要領が09年度から先行実施され授業時数が増えたこと。

 07年から全国学力テストが導入されたこと」

 記事解説。〈今回のTIMSSは学習の「到達度」を測るため、問題の多くは授業に沿った内容で、授業時間数が増えれば得点も上がるのだ。〉――

 暗記教育であることの言い替えに過ぎない。授業時間を増やして、より多く暗記させた。

 暗記教育でなければ、好きな授業となっているはずである。
 
 猿田祐嗣国立教育政策研究所総合研究官「勉強の仕方や楽しさ、大切さは授業で教えないと子供の意識は変わらない」

 児童・生徒が考えて身につけていく教育とならないことには楽しい授業とはならない。暗記させるという機械的強制では楽しさの刺激など手に入れようがない。

 参加国の順位も日本の教育が暗記教育であることを物語ることになる。

 (「NHK NEWS WEB」記事)小学校、中学校とも、シンガポール、韓国、香港、台湾が上位を占め、日本はそれに次ぐ結果だという。

 韓国の受験競争の苛烈さを受けた徹底的な暗記教育は評判となっているが、シンガポールについては、《シンガポールの政策・教育政策編》(2011年改訂版)に次の一文の載っている。 

〈(1)学力偏重主義からの脱却

シンガポールでは、天然資源を持たず、人材こそが最大の資源であるという国家観のもと、1959年の自治権獲得や1965年のマレーシアからの独立を経た、生存をかけた国家発展の黎明期にあっては、全体の質を底上げするため、中央集権的な教育システムの構築が行われた。そこでは、今日まで続く「二言語主義」や「能力主義」が導入されてきた。

後者の「能力主義」は、学力に基づいて内容や進度を変えることのできる仕組みであり、能力さえあればチャンスは平等に開かれているという、多民族、多文化から構成される社会に合致するものであるとされる一方、一旦低いレベルに振り分けられた後、高いレベルへ移ることは事実上困難であり、それ故に、激しい競争による学力偏重主義を生み出してきた。これを受け、シンガポールでは、詰め込み型から教育内容の多様化による思考力を養成する教育への変革が図られているところである。〉――

 「詰め込み型」と言えば聞こえはいいが、暗記型と同義語でしかない。

 「能力主義」と言いながら、その「能力」とは暗記知識の量で計る能力でしかなかった。

 次の記事はアジア勢の成績の良さは暗記教育の成果だとあからさまに指摘している。

 《アジア勢、理数学力上位独占 暗記偏りの表れ? 国際学力テスト》MSN産経/2012.12.12 00:09)

 〈11日に公表された2011年「国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)」では、理数教育に力を入れる韓国、シンガポール、台湾などアジアの国・地域が国際比較の上位をほぼ独占した。日本は小4算数の平均得点を大きく伸ばしたが、他のアジア勢がさらに高得点だったため順位は1つ下がる結果となった。〉――

 文部科学省幹部「TIMSSでアジアが強いのは基礎知識の暗記に偏っていることの表れかも」

 文科省の幹部が直々に日本の教育は暗記教育だと言ってはマズイはずだが、要するにシンガポール、韓国、香港、台湾共に暗記教育のシステムを採用していることを示唆している。

 だが、シンガポール、韓国、香港、台湾の暗記教育に続いて日本の暗記教育が席を占めたのは名誉なことではないか。暗記教育であったとしても、成果であることに変りはない。

 安倍新政権は“考える教育”を基本に置かないまま、世界トップレベルの学力、規範意識、そして歴史や文化を尊重する態度を育む教育の再生を謳っている。

 考えることの楽しさ、その刺激が自らの知識・情報を生み、視野を広げ、行動力をつけていくということを知らないままでは、どのような教育再生も不可能だろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森本防衛相の去りゆく者とは言え、政治のゴマ化しここに極まれりの普天間に関わる詭弁発言

2012-12-27 10:34:39 | Weblog



 「MSN産経」が紹介していた、まだ防衛相の首がつながっていた森本氏の記者会見発言だったから、防衛省のHPにアクセス、関係する発言箇所をより詳しく見てみた。 

 森本防衛相記者会見(防衛省HP/2012年12月25日 10時50分~11時16分)
  
 記者「沖縄問題にとてもお詳しい大臣で、今回、半年の間に沖縄の負担軽減に努力されていたと思いますが、1点だけ確認というか。普天間の辺野古移設は地政学的に沖縄に必要だから辺野古なのか、それとも本土や国外に受入れるところがないから辺野古なのか、その1点だけ、考えをお願いします」
 森本防衛相「アジア太平洋という地域の安定のために、海兵隊というのは今、いわゆるMAGTFという、MAGTFというのはそもそも海兵隊が持っている機能のうち、地上の部隊、航空部隊、これを支援する支援部隊、その3つの機能をトータルで持っている海兵隊の空地の部隊、これをMAGTFと言っているのですが、それを沖縄だけはなく、グアムあるいは将来は豪州に2500名以上の海兵隊の兵員になったときにはそうなると思いますし、それからハワイにはまだその態勢がとられていないので、将来の事としてハワイにもMAGTFに近い機能ができると思うのです。こういうMAGTFの機能を、割合広い地域に持とうとしているのは、アジア太平洋のいわゆる不安定要因がどこで起きても、海兵隊が柔軟にその持っている機能を投入して、対応できる態勢をある点に置くのではなくて、面全体の抑止の機能として持とうしているということであり、沖縄という地域にMAGTFを持とうとしているのは、そういうアジア太平洋全体における海兵隊の、いわゆる「リバランシング」という、かつては1997年頃、我々は「米軍再編計画」と言って、「リアライメント」という考え方ではなくて「リバランシング」というふうに言っているのですが、そのリバランシングの態勢として沖縄にもMAGTFを置こうとしているということです。

 これは沖縄という地域でなければならないのかというと、地政学的に言うと、私は沖縄でなければならないという軍事的な目的は必ずしも当てはまらないという、例えば、日本の西半分のどこかに、その3つの機能を持っているMAGTFが完全に機能するような状態であれば、沖縄でなくても良いということだと。これは軍事的に言えばそうなると。

 では、政治的にそうなるのかというと、そうならないということは、かねて国会でも説明していたとおりです。そのようなMAGTFの機能をすっぽりと日本で共用できるような、政治的な許容力、許容できる地域というのがどこかにあれば、いくつもあれば問題はないのですが、それがないがゆえに、陸上部隊と航空部隊と、それから支援部隊をばらばらに配置するということになると、これはMAGTFとしての機能を果たさない。したがって3つの機能を一つの地域に、しかも、その持っている機能というのは、任務を果たすだけではなくて、必要な訓練を行う、同時にその機能を全て兼ね備えた状況として、政治的に許容できるところが沖縄にしかないので、だから、簡単に言ってしまうと、『軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると、沖縄がつまり最適の地域である』と、そういう結論になると思います。というのが私の考え方です」

 以上、ざっと纏めてみる。

 先ず海兵隊の地上部隊、航空部隊、これを支援する支援部隊、その総合機能部隊としての「海兵隊の空地の部隊」=MAGTF(インターネット上では、「米海兵隊空陸任務部隊」と和訳されている)をグアムやオーストラリア、将来的にはハワイを加えて展開させる。

 要するに最近言われ出した、常時駐留ではなく、一定期間ごとの交代制を言う「ローテーション駐留」ということだと思う。

 ローテーション展開の目的は「アジア太平洋のいわゆる不安定要因がどこで起きても、海兵隊が柔軟にその持っている機能を投入して、対応できる態勢をある点に置くのではなくて、面全体の抑止の機能として持」たせるためだと説明している。

 ということは、米側は抑止力を太平洋全地域に亘る「面全体」で機能させる態勢に転換、沖縄はその「面全体」の一点としての、あるいは一部分としての役目を負うことになったということになる。

 それ故に次の発言が出てくる。

 森本防衛相「沖縄という地域でなければならないのかというと、地政学的に言うと、私は沖縄でなければならないという軍事的な目的は必ずしも当てはまらない。

 例えば、日本の西半分のどこかに、その3つの機能を持っているMAGTFが完全に機能するような状態であれば、沖縄でなくても良いということで、これは軍事的に言えばそうなる」


 以上の考えは米側の考えでもなければならない。米側が沖縄の役目をそのように把握していないにも関わらず、森本防衛相が個人的な考えとして述べたでは済まない。日本駐留の米軍を動かしているのはアメリカである。森本ではない。

 発言の前半は米海兵隊駐留は地政学的にも軍事的にも沖縄である必要はないと言いながら、後半の発言で政治的には沖縄でなければならないと主張している。

 森本防衛相「MAGTFの機能をすっぽりと日本で共用できるような、政治的な許容力、許容できる地域というのがどこかにあれば、いくつもあれば問題はない。

 政治的に許容できるところが沖縄にしかない。

 簡単に言ってしまうと、『軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると、沖縄がつまり最適の地域である』と、そういう結論になる」
――

 “政治的に許容可能”とは、日本の側の政治の判斷によって決定された許容可能性を言うはずである。

 いわば軍事的にも地政学的にも沖縄でなくてもいい、だが、政治の判斷は沖縄以外にないという主張になる。

 このような言いくるめを詭弁とは言わないのだろうか。

 民主党政権が掲げてきたように沖縄の「地理的優位性」、あるいは「地理的特性」を言い募って、地政学から見た軍事的優位性という点で沖縄でなければならないという主張なら、まだしも正当性を窺うことができるが、軍事的にも地政学的にも沖縄限定ではなく、「日本の西半分のどこかに、その3つの機能を持っているMAGTFが完全に機能するような状態であれば、沖縄でなくても良いということだ」と言う以上、政治の強力な判斷によって、「政治的な許容力、許容できる地域」をつくり出してもいいわけである。

 つくり出すことによって、全国土0・6%の沖縄県に日本全国駐留米軍基地のうち75%も集中している過重負担に対する根本的な真の負担軽減となるはずである。

 根本的な負担軽減に取り組む強力な政治判断を採らずに、単に軍事的にも地政学的にも沖縄でなくてもいいが、政治的には沖縄でなければならないと片付けている。

 政治の貧困以外の何ものでもないはずだ。

 要するに前者の困難な道よりも日米合意で既に決まったことだと安易な道を選択しているに過ぎないから、以上のような詭弁が生じることになる。

 鳩山元首相の政権を投げ出す一因ともなった、「国外、最低でも県外」の失敗に懲りて、鳩山元首相が米側と取り決めた日米合意を安全弁として唯々諾々と従っているに過ぎない。

 このことは菅無能の2010年12月17、18日沖縄訪問、仲井真県知事と会談、会談後の18日午後記者会見発言が如実に証明している。

 仲井真沖縄県知事は菅無能との会談で、「米軍基地は日本全体で受け止めて考えて頂くことが必要だ」と求めたという。

 菅無能「私は、日本全体の皆さん、この日本の安全保障のために日米安保条約が必要であり、米軍基地の日本国内の存在が必要であると、そういう風に思っておられる方も私含めて多いと思いますので、そういう中でこの問題を全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならないと、こう思っておりますし、こういう形で申し上げることも、いわばそういうことを全国民に、あるいは全47都道府県の、沖縄以外の46都道府県の皆さんにも考えて頂きたいという思いで申し上げさしていただいたところであります」(asahi.com/2010年12月18日19時32分)

 米軍基地は「全国民の課題」だと言いながら、その発言に反して自分が決めたことではなく、鳩山元首相が決めたことだから、最も安全な選択となる日米合意踏襲、普天間の辺野古移設一点張りの姿勢を取り続け、野田首相も右へ倣いをした。

 安倍自民党政権となり、新防衛相に就任した小野寺五典氏が12月26日午後、衆院議員会館で記者会見している。

 小野寺防衛相、「沖縄のアメリカ軍普天間基地の固定化は、絶対にあってはならない。抑止力を維持しつつ、沖縄が、早期の負担軽減を実感できるように努力し、丁寧に説明することに尽きる」(NHK NEWS WEB

 民主党政権と同じ姿勢となっている。既に触れたように森本前防衛相の発言は米側の考えでもあるはずだから、小野寺新防衛相は例え本人が認識していなくても、結果的には森本前防衛相の詭弁をも受け継ぐことになる。

 地政学的にも軍事的にも沖縄でなくてもいい米海兵隊基地を県外に移転させる困難を伴う政治の判斷を行わずに、地政学的にも軍事的にも沖縄でなくてもいい米海兵隊基地を政治的判斷による「政治的な許容」から沖縄に置き続ける口実の詭弁として生き続けることになるだろうということである。

 政治のゴマ化し、ここに極まれりである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田首相2012年総選挙壊滅的惨敗は2011年8月26日民主党代表選が準備した皮肉

2012-12-26 09:34:17 | Weblog

 昨日2012年12月25日、野田首相が2012年衆院選壊滅的敗北の責任を取って辞任した民主党代表選が行われて、民主党非主流派が推す海江田万里氏が野田首相等の民主党主流派が推す馬淵氏を54票に抑えて90票を獲得、新代表に選出された。

 非主流派が政権を担って総選挙に散々な形で敗れたというなら理解もできるが、主流派が政権を担いながら歴史的な惨敗を食らうというのは皮肉な結果としか言いようがない。

 だが、既に多くが指摘しているもう一つの皮肉に私なりに言及しないわけにはいかない。昨年の2011年8月29日、菅無能の代表辞任を受けた代表選挙では、前原、馬淵、海江田、野田、鹿野の各氏が立候補、第1回目投票で海江田氏が143票、野田氏が102票と1位、2位を占めたが、いずれも有効投票数の過半数に達していなかったために決選投票が行われ、野田佳彦215票、海江田177票、逆転で野田佳彦が代表を射止めた。

 野田佳彦は首相に指名され、以後、マニフェストに書いてなかった消費税増税に不退転の決意で一大エネルギーを注ぎ、邁進した。増税法案を与野党議席逆転の参院を通過させるための頭数として必要な自公に対して交換条件として解散をカードとし、12年8月10日の参院本会議で可決・成立させた。

 但し成立のカードとした「近いうちに信を問う」の解散確約は解散・総選挙の場合は劣勢が伝えられていることから、言を左右にし、引き伸ばし作戦に出て3ヶ月は持ったが、2012年11月14日午後の野田・安倍党首討論で売り言葉に買い言葉の形で威勢よく11月16日の解散を宣言。

 12月16日の投開票によって世論調査が順次示していた以上の壊滅的惨敗を受けることとなった。

 要するに2011年8月29日の代表選決選投票で第1回目投票1位の海江田氏を決選投票で逆転、海江田代表を葬り去り、野田自身が代表選出・首相就任そのものが、消費税増税に向けたスタートそのものであったのであり、その時点で既に民主党の2012年総選挙壊滅的惨敗を本人は気づかないままに自ら準備することになっていたのである。

 このことを言い替えるなら、2011年8月29日民主党代表選をスタートとした野田首相の消費税増税に向けた不退転の猪突猛進が皮肉にも2012年総選挙民主党壊滅的惨敗に向けた回避不能の猪突猛進でもあったということである。

 そのような皮肉をつくり出した象徴的な原因は消費税増税がマニフェストに書いてなかったからであるのは誰の目にも明らかであろう。野田首相はマニフェストに書いてなかった政策を遂行するために様々にウソをついてきた。

 その代表が、「消費税増税は衆院任期4年後だから、マニフェスト違反ではない」という発言であろう。

 2014年8%、2015年10%の増税なら、それを争点に掲げて総選挙を行なってからでも遅くなかったはずだし、マニフェスト違反と批判されることもなかったはずだが、何を血迷ったのか、自分たちで作り上げ、国民と契約したマニフェストを菅無能に引き続いて野田首相は蔑ろにした。

 野田首相の元、2012年衆院選民主党惨敗、野田代表辞任を受けた2012年12月25日民主党代表選で、2011年8月29日民主党代表選決選投票で逆転で敗れた海江田万里が皮肉にも2012年衆院選民主党大惨敗という余分な支払いを受けたのちに代表に選出されることとなった。

 何もかも消費税増税がつくり出した一連の皮肉な現象に見える。

 もし海江田氏が2011年8月29日民主党代表選で代表に選出されていたなら、消費税増税反対の小沢一郎氏に推されての代表選出馬だったのだから、衆院4年間の消費税増税法案の提出は直ちに撤回、野田代表選出によって出来することとなった2012年12月衆院選大惨敗という皮肉は少しは違った形を取ったはずだ。

 海江田民主党代表のもと2013年7月参院選挙にジリ貧状態で敗北を喫し、衆参併せた勢力をさらに後退させることとなった場合、自民党政権に対する国民の信頼度にもよるが、菅・野田がつくり出した負の遺産が修復に至らないことの結果でもあるはずだ。

 もし議席増か、最低でも現状維持を守ることができたなら、消費税増税によってつくり出された皮肉は更に浮き彫りにされることとなる。

 さらに安倍晋三は2014年消費税増税は景気を見て判断すると発言している。もし増税先延ばしということになった場合、野田首相の皮肉はその皮肉度を増して世間の目に映るに違いない。「不退転」と発言した言葉の意味も失う。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の「長州出身の政治家として恥じない結果を出していく」という大時代な非自律的自尊心

2012-12-25 06:48:06 | Weblog

 我が安倍晋三が12月22日(2012年)、山口県田布施町にある母方の祖父岸信介元首相の墓参りをし、政権奪還を報告したという。

 ぞろぞろとひっついて回っていたのだろう、墓参り後、マスコミの記者に囲まれて、墓に向かって何を報告したのか聞かれたという構図が目に浮かぶ。

 《「祖父と同じ信念と決断力を持って」自民・安倍総裁》asahi.com/2012年12月22日15時38分)

 安倍晋三「祖父(岸信介元首相)の時代も大変混乱の時代で、安全保障環境も厳しい時を迎えていて、日米同盟が新しい時代を迎えなければいけないという信念で、日米安保条約の改定を祖父は行ったんですが、私も祖父と同じ信念と決断力を持って、長州出身の政治家として恥じない結果を出していきます、という報告をいたしました」・・・・・

 ここで言う「長州」とは単なる一地域のことではなく、その地域輩出の政治家が明治維新以降成し遂げた国家的業績をも含めて「長州」という地域に象徴させているはずだ。

 安倍晋三は「長州」という偉大な地域性、その地域に生まれた人間にもたらす土地の血に権威を置き、それをバックボーンとして自身の権威を打ち立てているということである。日本の他の地域と比較して特別な業績を成就させた土地柄・土地の血だと見做すことによってこのような精神構造は可能となる。

 東大卒の政治家、その他が東大という一大学組織によってこれまでに輩出された人間が成し遂げた業績をバックボーンとして自身の権威を打ち立てることができるのも、東大という組織がつくり出す血を信奉し、一大権威としているからだろう。

 このように個人を権威とするのではなく、土地や組織がつくり出す血を権威とする精神性はその先に国家という地平がつくり出す血を権威とする国家主義に行き着く。

 安倍晋三のこの長州権威主義は彼の国家に最大の権威を置いて個人を国家の下に置く国家主義のベースを成しているはずだ。日本国家の血を否定した場合、長州の血との整合性が失われる。日本国家の血が長州の血によって成し遂げられたと肯定した場合、いわば長州という土地の血が生み出した日本国家だと見た場合、安倍晋三の長州権威主義は正当化し得る。

 12月4日、衆院選の遊説で福島県会津若松市を訪れたときの発言。

 安倍晋三「私は山口県の出身だ。(幕末の戊辰戦争で戦った)長州出身者は会津では評判が悪いかもしれないが、まず私の先祖がご迷惑をおかけしたことをおわびしたい。これから会津のみなさんと長州がしっかり力を合わせ、新しい日本をつくっていく決意だ。福島の復興、被災地の復興なくして日本の未来はない」(毎日jp

 長州を上に置き、会津を下に置いた上から目線の言葉となっている。安倍晋三の中では今以て長州を勝者と見ていて、会津を敗者の位置に置き、勝者の立場から協力を求める権威主義性を発現している。

 個人に権威と価値を置く民主主義時代の現代日本に於いて今以て自身の生まれ故郷長州の血に権威と価値を置く大時代な、その古臭い権威主義的感性には驚く。

 戦前の万世一系の天皇これを統治する大日本帝国を理想の日本としている国家主義者だから、日本を長州だ、薩摩だ、会津だと区分けて考えても不思議はないのかもしれない。

 もし鹿児島出身の政治家が「薩摩出身の政治家として恥じない結果を出したい」と言ったら、どう響くだろうか。

 あくまでも個人の業績・結果――個人性が評価対象となるはずだが、そこから離れている点に於いて菅無能が自身をサラリーマンの息子であることに権威を置いたのに似ている。

 確かに長州からは名だたる政治家を輩出しているが、それは明治維新以降の日本を薩長が主たる支配層として君臨、明治10年の西南戦争で西郷隆盛が敗れて自刃、薩摩閥が後退するに及んで長州閥が明治政府の主導権を完全に握った名残りでもあるはずである。

 戦後日本で言うと、長きに亘った自民党ほぼ一党独裁体制が自民党から多くの首相を排出したのと同じ構図で、民主党や旧社会党よりも自民党の方が多くの首相を輩出しているからといって、自民党を誇ることができるだろうか。

 長州が名だたる国家指導者を多く輩出しているからといって、その土地の血を誇った場合、自民党が多くの国家指導者を輩出しているからといって自民党の血を誇るのと同じ滑稽な事態となる。

 長州出身の山縣有朋は陸海軍大臣の補任(ぶにん・ほにん「官職に任命すること」)資格を当初少将以上の武官に限っていた軍部大臣現役武官制を1900年(明治33年)9月、現役の大将・中将に限ると規定、その後一旦廃止されるが、復活し、結果として内閣の組閣を左右する力を軍部に握らせることになり、軍部独走の基礎をつくった。

 結果は見てのとおりである。

 安倍晋三は「日本のために命をかけた英霊に対して尊崇の念を表する。これはどの国のリーダーも行っている」などと戦前の靖国思想に今以て取り憑かれているが、長州出身の山縣有朋制定の「軍部大臣現役武官制」が多大な影響を与えた多くの日本軍兵士の犬死であって、長州の血を尊ぶ権威主義・国家主義からの英霊に対する尊崇の念は明らかに矛盾するが、お目出度くできているのだろう、本人はトンと気づかない。

 過去長州出身の政治家を多く輩出していたとしても、その政治家のすべてが光を放っていたわけではなく、功罪を伴っていたと見なければならない。

 いわばあくまでも個人を基準に評価、価値付けなければならないはずだが、地域の血や国家の血で価値づける権威主義から逃れることができないでいる。

 このような合理的な判斷能力を欠いている結果、長州という土地柄・土地の血に自己存立の正統性・権威を置く歴史観を含んだ滑稽な価値観を生じせしめることになる。

 東大卒業者から多くの首相を輩出しているからといって、東大に自己存立の正統性・権威を置く価値観と滑稽さに於いて優るとも劣らない。

 生まれ育った土地の風土・文化、生い立ち、人間関係、その後の人間関係、人生経験、その総合としての自己の持つ個人性を存立の基盤とせずに、長州という風土・文化、土地の人間等々の総合を土地の優れた血と見て、そこに権威を置き、その権威の上に自己を成り立たせている。当然そこには独特としての自己=個人性は存在しないことになる。

 前者は自律的自尊性と言うことができ、後者は非自立的自尊性と見做すことができる。

 物価上昇率目標2%の金融緩和政策にしても、ブレーンの経済学者が提唱している政策であって、それに従っているに過ぎない。

 自立的自尊性を持たない政治家が今後の日本の国のリーダーを務める。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の竹島政府主催祝典と尖閣公務員常駐は総選挙票集めのパフォーマンス

2012-12-23 10:55:12 | Weblog



 安倍晋三は竹島と尖閣の各問題で政権獲得の場合の公約を2012年総選挙用の『J-ファイル2012 自民党総合政策集』に次のように記している。 

 竹島

3. 領土・主権

129 領土・主権問題を担当する政府組織の設置

 民主党政権発足後、わが国の領土・主権問題に関わる周辺国の挑発行動が相次いでいます。この流れに歯止めをかけるべく領土政策の立て直しが急務です。そのため、国家として取り組みを強化するために、内閣府設置法を改正し「領土・主権問題対策本部(仮称)」を政府に設置します。不法占拠の続く北方領土と竹島の問題については、交渉を再活性化してわが国の強い意志を示します。

328 「 建国記念の日」、「主権回復の日」、 「竹島の日」を祝う式典の開催

 政府主催で、2 月11 日の建国記念の日、そして2 月22日を「竹島の日」、4 月28 日を「主権回復の日」として祝う式典を開催します。 

 

 尖閣

3. 領土・主権

132  尖閣諸島の実効支配強化と安定的な維持管理

 わが国の領土でありながら無人島政策を続ける尖閣諸島について政策を見直し、実効支配を強化します。島を守るための公務員の常駐や周辺漁業環境の整備や支援策を検討し、島及び海域の安定的な維持管理に努めます。

 要するに政権を獲得した場合は毎年2月22日に政府主催による「竹島の日」祝典を開催し、尖閣諸島には公務員の常駐を敢行、日本固有の領土としての強い領有意志を示すと1億2665万の国民に公約した。

 尤も国民の中には安倍公約に反対する者もいるだろうが、兎に角1億2665万の国民に向かって公約したことになる。

 また竹島に関しては北方領土と共に「交渉を再活性化してわが国の強い意志を示」す自国領土意思表示と政府主催「竹島の日」祝典開催の自国領土意思表示が対立事象とはならないことと認識していたことになる。

 いわば政府主催「竹島の日」祝典開催を強行しても、「交渉を再活性化してわが国の強い意志を示」すことのできる交渉のテーブル着席が対立することなく可能だと考えていた。

 このことは中国と尖閣で交渉することはないにしても、尖閣諸島公務員常駐を敢行しても、他の交渉や関係に関しての障害とはならないと見ていたことになる。

 ということは政府主催「竹島の日」祝典開催の自国領土意思表示は韓国の反対や抗議の無視を、尖閣諸島公務員常駐の自国領土意思表示は中国の反対や抗議の無視を予定行動と想定した上で祝典開催や公務員常駐といった自国領土意思表示を強硬に進めることを以って対韓・対中外交政策とし、これらのことが新たな障害を出来させる原因とはならないとしていた。

 韓国や中国の反対、もしくは抗議を当然の想定行為として、それを無視する覚悟でいた上に日本にとってどのような不都合な問題も生じないと洞察していなければ、上記公約は成り立たない。

 そして12月16日投票の2012年衆議院選挙で自民党が単独過半数を得て政権の座に就くことが決まったことは公約のストレートな履行の責任を負ったことを意味する。

 ストレートな履行でなければ、公約したことの意味を失う。

 ところが12月19日投票日の韓国大統領選で初の女性大統領朴槿恵(パククネ)女史当選の翌日の12月20日のことである。

 石破茂自民党自民党幹事長(「竹島の日」政府主催祝典公約に関して)「政権を担っている間に実現に向けた雰囲気を醸成していくのが先決だ」(東京都内で記者団に発言)

 要するに衆院4年間は雰囲気作りに専念すると言っている。開催できるような雰囲気を作ることと祝典開催とは中身を違えたことになる。雰囲気作りでは領有の直接的で強固な意志表示とはならない。

 さらに韓国の反対や抗議の無視を予定していたはずの当初の態度から、反対や抗議を考慮する態度への後退を物語ることになる。

 石破発言は安倍公約の色の塗替えに当たるのだから、個人プレーではなく、安倍晋三との連携プレーであろう。安倍自身の口から直接発言した場合の批判にワンクッション置いて和らげるために幹事長の石破が代理で公約違反の批判をなるべく避けて公約変更で済ますべく尤もらしい口実をつくり上げたといったところなのだろう。

 上記記事は山口公明党代表の同12月20日記者会見発言も伝えている。

 山口代表「慎重に考えた方がいい。今後の日韓関係の改善を妨げる要因となることは政府として避けるべきだ」

 既に触れたように「今後の日韓関係の改善を妨げる要因となる」ことは前以て想定し、それを無視する覚悟で公約としたはずだ。いわば関係改善よりも竹島を日本固有の領土であるとする自国領土意思表示の優先を公約としていた。

 だが、12月16日の政権復帰決定から竹島に関しては4日後の12月20日、尖閣に関しては6日後の12月22日の舌の根も乾かないうちに自国領土意思表示よりも関係改善を優先させる逆転現象を来した。

 1億2665万の国民に向けた公約である。口先では強いことを言って、実行が伴わないで片付ける訳にはいかない。

 2012年8月10日に李明博韓国大統領が竹島に上陸、多くの日本国民の反発を買った。

 さらに4日後の8月14日の天皇謝罪発言が日本国民の感情を反発を超えて憤慨へと高めた。

 李明博韓国大統領「独立運動で亡くなった方たちに、心から謝罪するのであれば訪問するように(日本側に)伝えた。

 (日本による韓国植民地支配は)加害者(日本)は忘れられるが被害者(韓国)は忘れられない。痛惜の念という言葉を言いに来るのであれば(天皇陛下は)来る必要はない」(MSN産経)――

 8月14日は日本の植民地支配からの解放を祝う「光復節」の前日だそうだ。

 日本人の反発は世論調査に表れている。

 《本社世論調査:対韓感情「悪化」50%…竹島上陸で》(毎日jp/2012年08月12日 22時45分)

 「韓国大統領の竹島上陸を受けて韓国に対する感じ方はどうなったか」

 「悪くなった」――50%
 「変わらない」――44%

 年代別

 20歳代
 「悪くなった」――25%
 「変わらない」――72%

 50歳代
 「悪くなった」――53%

 70歳代以上
 「悪くなった」――60%

 全体で見ると差は大してないが、年代が上がるにつれて感情悪化を伝えている。これは年令と共に保守的傾向を持つのに比例した現象であろう。

 NHKが8月10日~12日に行った世論調査では差はさらに広がっている。

 「韓国のイ・ミョンバク大統領が、日本政府が中止を求めるなか、島根県の竹島に上陸したことが日韓関係に与える影響を懸念しているかどうか」

▽「大いに懸念している」――44%
▽「ある程度懸念している」――31%
▽「あまり懸念していない」――14%
▽「まったく懸念していない」――5%

 では、《外交に関する世論調査》(内閣府/2012年11月21日)から日本人国民の対中感情・対韓感情を見てみる。

 「中国に対する親近感」

 「親しみを感じる」――18.0%(2011年10月前回調査26.3%)
 「親しみを感じない」――80.6%(2011年10月前回調査71.4%)

※「親しみを感じる」とする者の割合は20歳代で高く、「親しみを感じない」とする者の割合は70歳以上で高い。

 「韓国に対する親近感}
 
 「親しみを感じる」――39.2%(2011年10月前回調査62.2%)
 「親しみを感じない」――59.0%(2011年10月前回調査35.3%)

※「親しみを感じる」とする者の割合は20歳代、30歳代、50歳代で、「親しみを感じない」とする者の割合は70歳以上でそれぞれ高くなっている。

 当然のことではあるが、対中感情、対韓感情、共に悪化している。と同時にこの調査でも悪化感情は年齢が高くなるにつれて強まる保守的傾向に応じた反応となっている。

 断るまでもないが、政治が、特に外交政策で中国と韓国に対して融和策を取った場合、あるいは優柔不断策を示した場合、若年層の有権者から高年齢の有権者に向かって順次より多くの反発を買うことになり、年代に応じて票を失うことになりかねない。

 特に選挙となると、どの年代層からも一票でも多く獲得しなければならないから、どのような政策でも票を失わない手立てを講じなければならない上に、安倍晋三はより年代の上の有権者層と保守主義という点でより濃密に呼応し合う関係にあるから、何よりも年代層の高い有権者の票を取りこぼしの対象とするわけにはいかないはずだ。

 選挙に関わるこのような面での望ましくない事態を防ぐには尖閣諸島と竹島に関しては中国・韓国に対する日本人の国民感情に添う政策の打ち出しが最も効果的は方法となる。

 いわば竹島政府主催祝典と尖閣公務員常駐は総選挙票集めのパフォーマンスだったのではないのかということである。

 もしそうでなければ、新たな障害の出来を前提とせずに自国領土意思表示を公約とすることはできなかったろう。

 だが、前提とせずに公約とした。ここに無理が存在することになるが、パフォーマンスであるなら、国民に対してはある程度の不都合は生じても、対中・対韓関係に関しては何の不都合も生じないことになる。

 国民に対する不都合は様々な口実を設けて言葉巧みに誤魔化すということなのだろう。石破の「政権を担っている間に実現に向けた雰囲気醸成」といった言葉がこれに当たる。

 大体がどの政党が政権を担当しようともスケジュールに前以て優先事項として書き留めて置かなければならない対中・対韓関係改善であり、それを後出しすることはなかったろう。

 安倍晋三にとっては選挙に勝ち、政権復帰を果たすことによって前回果たすことのできなかった自らの政治の全てが始まる。選挙に負けたなら、何も始まらない。

 勝つために手段を選ばなかったことが対中・対韓に対する強硬な外交姿勢――尖閣公務員常駐・政府主催「竹島の日」祝典開催のパフォーマンスということだったはずだ。

 選挙が勝利で終われば必要なくなる。公約を公約として維持していたなら、却って外交の障害となる。

 もし選挙に負けて野党のままなら、国民の歓心を買うために政府に対して強硬姿勢を求める。

 選挙で権謀術数を用いながらも、対中関係改善・対韓関係改善の功名心に走っているようだが、決して正々堂々とした態度とは言えない。

 このようなゴマ化しこそが足をつまずかせる障害とならない保証はない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田・岡田・前原、ここに至っても責任回避な無責任3人男

2012-12-22 10:37:21 | Weblog

 最初に岡田ご都合主義原理主義者。自分の都合次第で原理・原則を使い分ける人間をご都合主義原理主義者と言う。

 《副総理が苦言“選挙は自分の責任”》NHK NEWS WEB/2012年12月18日 17時32分)

 この「苦言」は12月18日の閣議後記者会見の田中真紀子文科相の発言に対してだと記事は指摘している。NHK別記事から、田中文科相の発言。

 田中真紀子文科相「朝なのに、きょうの閣議は、お通夜のような雰囲気だった。解散の時期が適切だったとは全然思わない。総理大臣が独り善がりで解散を決めてしまった。解散されたとき、これでは民主党は惨敗するので、『自爆テロ解散』だと思ったが、そのとおりになった」――

 岡田ご都合主義原理主義者「選挙は、最終的には自分の責任だ。野田総理大臣の決断を理由に自分は負けたというのは、努力が足りていない。執行部や他人の責任にするところを改めないと民主党は再生できない。

 (自公連立政権に対して)社会保障と税の一体改革は協力しなければならないが、基本的には是々非々で対応し、ときにはピリっとわさびを利かせなければならない。われわれが目指している方向は間違っていないので、来年の参議院選挙で勝つことにとどまらず、次の衆議院選挙で政権をもう一度、担うという長い視野でやっていく」

 国民に対して民主党の存在理由としている「国民の生活が第一」という理念に関しての方向性は間違っていなかったとしても、政策優先順位に関わる方向性は間違っていた。

 マニフェストとは衆議院任期4年間の公約なのは断るまでもない。《民主党政策集INDEX2009》には消費税について、〈現行の税率5%を維持し、税収全額相当分を年金財源に充当します。〉と書いている。

 4年間は5%の維持だと約束した。

 その上で、〈税率については、社会保障目的税化やその使途である基礎的社会保障制度の抜本的な改革が検討の前提となります。その上で、引き上げ幅や使途を明らかにして国民の審判を受け、具体化します。〉と、社会保障目的税化と基礎的社会保障制度の抜本的改革が先だと優先順位づけを行なっている。

 この優先順位づけは制度の改革像に応じて必要増税率が違ってくるから、当然の措置であろう。

 だが、野田首相は早々に増税率を決め、社会保障制度の具体像自体は今後開催予定の国民会議に委ねることになっていて、未定状態の具体像とする逆方向の優先順位を採択した。

 このことが国民の支持を失った一つの大きな要因となったはずだ。消費税の増税率と増税時期が決まったものの、社会保障制度の具体化が先送りされたため、具体像が見えない、中身が見えないという国民の批判が付き纏うこととなったからである。

 いわば民主党が存在理由としていた「国民の生活が第一」という理念の方向性が政策優先順位の方向性と一致せず、結果的に「国民の生活が第一」という理念を裏切ることとなった。

 欧州の金融危機の影響を受けた日本の経済状況であったとしても、生活保護受給世帯の増加や非正規社員の増加をせめて最小限に食い止める対策を打つことが「国民の生活が第一」の理念の方向性に合致する政治だったはずだが、消費税増税に優先的にエネルギーを注いで、合致させることができなかった点に関しても国民の信頼に対する裏切りとなった。

 要するに国民の生活維持を最優先の政策順位としなければならなかったはずだが、何をどう血迷ったのか、何をどうのぼせ上がったのか、国民の生活維持を放置してマニフェストで約束していなかった消費税増税にひた走った。

 こういった優先順位の間違いが国民の信頼を喪失し、内閣支持率と政党支持率という結果値を招いたはずである。火のないところから煙が立ったわけではない。

 勿論閣僚の失言や説明能力、職権に関わる知識不足等が内閣支持率や政党支持率に影響することはあっても、基本的には野田首相自身が選択した政策優先順位であり、政策の方向性が主原因となって招くこととなった内閣支持率であり、政党支持率であり、これらの支持率がモロに衆院選挙に打撃を与えることとなった民主党惨敗という選挙結果だったはずだ。

 当然、岡田ご都合主義原理主義者が言っている「選挙は、最終的には自分の責任だ。野田総理大臣の決断を理由に自分は負けたというのは、努力が足りていない。執行部や他人の責任にするところを改めないと民主党は再生できない」は野田首相の責任を不問に付して責任回避に手を貸す無責任な発言ということになる。

 本人は鈍感だから気づいてもいないだろうが、野田首相の責任回避に手を貸すということは副総理を務めて一心同体の関係にあった岡田原理主義者の責任をも回避する意思表示ともなる。

 野田首相の責任回避を手伝いながら、狡猾・巧妙にも自身の責任回避をも謀っていたということである。

 次に責任回避な前原口先番長。

 《前原氏「全くの白紙」 衆院選敗北は「公約にない増税やった」》MSN産経/2012.12.18 15:07)

 記事題名の「全くの白紙」は野田首相の民主党代表辞任を受けた代表選立候補に関してである。

 衆院選惨敗の理由について記事は次の発言を伝えている。

 前原口先「公約に書いていない増税をやって、失望、怒りになったのが一番大きい。

 新たな方を決めただけで再スタートが切れるとは思わない。総括をやり、反省点を時間をかけて示さないといけない」

 民主党政調会長として消費税増税のお先棒を率先して担いできたのは前原口先だけだったはずだ。

 3月27日(2012年)夜の消費税増税民主党事前審査。

 前原口先「皆さんの思いを受け止めたので法案の審査などについて、ご一任いただきたい」(NHK NEWS WEB
 
 消費税増税反対派から「議論は尽くされていない」といった強い反発の抗議を受けながら、自ら一任取り付けを強引に行って、「公約には書いてない」増税決定で以て事前審査とし、3月30日の閣議決定へと持っていってお先棒の役目を物の見事に果たした。

 いわば「公約に書いていない」ことを承知でお先棒を担いだ確信犯だったのである。

 お先棒を担いだ確信犯であったことを忘却の彼方に沈め、今更ながらに「公約に書いていない増税をやって、失望、怒りになったのが一番大きい」などと言う。

 要するに消費税増税にのみ目を向け、お先棒を担ぐのが一生懸命であるあまり、どういった事態を招くか、見通す先見性を持ち得なかった。

 民主党再生に関して「総括をやり、反省点を時間をかけて示さないといけない」と尤もらしく言っているが、自分が「公約に書いていない」ことのお先棒を担いだ経緯を忘れているような貧弱な判断能力であるなら、少なくとも前原口先に対しては国民が納得する総括も反省点も望むことは期待不可能の口先だけで終わる確率は高い。

 最後に演説に関しては折り紙つきに巧みな野田首相。既に触れた政策の優先順位づけと絡んでくる。2012年12月21日の最後の野田首相官邸ブログ《感謝の思いを、皆さん》に次のような一節がある。

 「政府の責任者として『国民の暮らしを守る』という役割を担うことは、直接にお目にかからなくても、すべての国民と心の結びつきを持つことだと思っています。そういう意味では、国民の皆様一人ひとりに支えられた482日でありました」―― 

 「政府の責任者として『国民の暮らしを守る』」政策で「すべての国民と心の結びつきを持つこと」ができたと思っているのだろうか。

 まさか思ってはいまい。内閣低支持率の推移がこのことを証明していたし、今回の総選挙が決定的に思い知らせることとなった。

 野田首相は機会あるごとに社会保障の安心を訴え続けた。このこと自体が政策の優先順位の間違いを証明している。

 社会保障政策も「国民の暮らしを守る」政策ではあるが、特に現役世代の国民にとっては将来の安心を保障する政策であって、今日の安心を保障する政策ではない。今日の安心こそが腹を満たし、生活を維持する。

 当然、今日の暮らしの安心があって社会保障政策が約束してくれる将来の暮らしの安心は安心として生きてくる。今日の暮らしの安心がなければ、いくら将来の暮らしの安心を保障されても、絵に描いた餅に過ぎず、腹を満たさないという点で変りはない。

 「国民の生活が第一」という理念で言うと、今日の「国民の生活が第一」の政策こそが今日の暮らしの安心を生み出すのであって、その安心が生み出されないままに将来の「国民の生活が第一」の約束をいくら言われようと意味をなさない。

 にも関わらず、同ブログで、「国論を二分する難しい課題があっても、将来世代のために決断を下し、『動かない政治』を動かすために全力を挙げてまいりました」と消費税増税法成立を成果とし、今日の安心を生み出すことができなかった責任不履行にトンと目を向けない責任回避の無責任さを演じている。

 もしも野田政治に国民が今日の安心に希望を見い出すことのできる政策があったなら、こうまでも選挙で惨敗することはなかったろう。
 
 選挙に大勝した安倍自民党は野田政権の政策優先順位の間違えを反面教師にしてだろう、景気回復という今日の安心を最優先の政策順位に置いている。

 人間はパンのみにて生きる生きものではないとしても、パンを利害の第一番に置いている。パンなくして食生活以外の人間的生活は成り立たない。

 野田にしろ岡田にしろ前原にしろ、所詮、国民が何を必要としているのか、見る目を持ち合わせていなかった。持ち合わせないままに日本の政治を担った。

 そもそもから間違っていたということになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の教育が暗記教育であることの1つの事例

2012-12-21 08:35:13 | Weblog

 ――暗記教育が生んだ「規律性」充足と「働きかけ力」不足――

 《若手社員:得意能力は「規律性」 苦手は「働きかけ力」》毎日jp/2012年12月04日 18時02分)

 12月4日(2012年)発表の大阪商工会議所実施――『在阪中小企業の上司・先輩に聞く!新入・若手社員に対する意識調査』である。

 経済産業省が学生キャリア教育支援で重視する社会人基礎力12項目を使用、上司・先輩の目を通した入社3年目までの若手社員の姿を調査対象とした。

 目的は調査を入社3年目までの若手社員の人材育成支援に役立てるため。

 ということなら、調査対象の入社3年目までの若手社員の学歴は大学卒ではなく、高卒以下ということになる。

 大卒であるなら、大学4年間で身につけるべきとしているキャリア必要の社会人基礎力12項目を入社3年目までの若手社員が実際に身につけているかどうか改めて調査したということになり、調査の目的は経産省の学生キャリ教育支援が役立っているかどうか、あるいは社員側が役立たせているかどうかの判定ということになる。

 要は高卒ではあるが、実社会の入社3年間で大学4年間で身に付けるべきキャリアとしての社会人基礎力12項目をどの程度身につけているかどうか調査し、その程度に応じて若手社員の人材育成支援の教材にしようということであるはずである。

 調査は10~11月に大商実施の研修講座参加者767人を対象に実施、413人(有効回答率53.8%)が回答。

 「得意分野」+「やや得意分野」上位3分野

 規律性
 傾聴力
 柔軟性

 「やや苦手分野」+「苦手分野」上位3分野

 働きかけ力
 創造力
 課題発見力

 「得意分野」+「やや得意分野」のうちの「柔軟性」とは思考の柔軟性ではなく、上司・先輩が誰であっても、それぞれが言うことに対して素直に聞いて、素直に従う「柔軟性」ということであろう。

 こういった態度は規律性を発揮することになるが、悪くすると、自分を持たない人間だという評価を下されないとも限らない。思考の柔軟性は自分を持った人間であることを条件としないと、軽薄なだけということになる。

 記事解説。〈仕事のルールや約束を守る意識は高いが、先輩社員らを能動的に巻き込んで踏み出す能力が乏しいと上司らが評価している実態が浮かび上がった。〉――

 大商は調査の結果、〈仕事を進める上で他部門と円滑に進める段取りの付け方など苦手分野である“巻き込む力”を強化する研修講座を来年度に開く計画〉だそうだ。

 働きかけ力や創造力、課題発見力等を自己能力とすることができ、それらが合わさって相乗的な総合性を持ち得たとき、主体的立場からの大きな「巻き込む力」となって周囲にプラスの影響を及ぼすことになる。

 ところが、入社3年目以下の若手社員は研修講座等の上からの教えがなければ他者を「巻き込む力」(=働きかけ力)は身につかない姿を取っているということになる。

 この手の姿は必要に応じて自分が取るべき言動を他者の命令・指示に仰ぐのではなく、自分で考え、判断して、試行錯誤を繰返した上で一つの型に完成させていくのとは正反対の姿だと言うことができる。

 自身の言動を自らの考え・判断に負う姿とは自力性を備えた姿を言い、その逆の他者の命令・指示に負う姿は自力性を欠いた他者依存型ということになる。

 当然、前者は自立的存在と言うことができ、後者は非自立的存在と言うことになる。

 暗記教育とは教師が児童・生徒に伝える知識・情報を、その伝達の過程で児童・生徒が考えるプロセスを置かずにほぼそのままなぞる形で暗記して自らの知識・情報とする構造を取る。

 いわば考え、判断する思考動作の下からの働きかけがない、上から下への丸のままの一方通行構造だということになる。

 思考動作の下からの働きかけというプロセスがないのは上に位置する教師が下に位置する児童・生徒に対して考え、判断する思考動作を求めないからだろう。

 求めたとしても、暗記教育である以上、暗記した知識・情報の中から一つを選び出して答とすれば済む程度の思考動作といったところであるはずだ。

 学校テストの形式自体がこういった構造を取っている。但し最近は思考力を試す設問も用意してあるそうだが、日本人の思考様式・行動様式が上位下達の権威主義的構造となっているから、普段の授業で常に思考力の発動を必要とする知識・情報の伝達と授受の形式を取らずにテストの時だけ思考力を試しても、周囲を巻き込む力となり得る程の確かな思考性として根付かせることは困難ではないだろうか。

 若手社員の自身の言動を上司・先輩等の上に位置する他者の命令・指示に負う自力性を欠いた姿はそのまま暗記教育の知識・情報授受の構造そのものが反映した姿と言える。

 また「得意分野」+「やや得意分野」上位3分野の規律性、傾聴力、柔軟性は教師が授業で伝える知識・情報を児童・生徒がそのままなぞる形でノートに取り、頭に暗記する型通りの受容によって獲得し得る能力であって、このこともまた暗記教育の知識・情報授受の構造そのものが反映した姿と言うことができる。

 尤もここ10年以上の間、児童・生徒の中には規律性、傾聴力、柔軟性自体を欠き、授業そのものが機能しない、荒れた教室となっているケースも存在する。

 いずれにしても大商が上司・先輩を対象に行った入社3年目までの若手社員の意識調査によって浮かび上がった彼らの姿は日本の教育が暗記教育となっていることの一つの重要な事例を示したものだと指摘することができる。

 教師が伝える知識・情報に従うだけの暗記教育を脱し、自分で考え、判断して、自分で決める、いわば自分の判断に従って自己決定する考える教育を目標とした総合学習を日本の教育の現場に実現させないことにはいつまで経っても働きかけ力や創造力、課題発見力を欠いた人間を社会に送り出し続けることになる。

 当然、会社や商工会議所等の組織は周囲を巻き込んで新しいことに挑戦する人間へと改造のカネと手間をかける時間のロスを代償としなければならないことになる。非生産的な人間を生産的な人間に代えるために。

 問題の根っこは日本の教育にあることを自覚しなければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする