菅の相変わらず「政治は結果責任」意識なき首相談話

2011-08-31 11:18:13 | Weblog

 昨30日(2011年8月)菅内閣が総辞職した。首相就任の「自分はサラリーマンの息子」に始まって最後の「内閣総辞職にあたっての内閣総理大臣談話」まで、在任449日間ずうっと「政治は結果責任」意識を欠如させたまま首相職にとどまった稀有な総理大臣として歴史に名を残すに違いない。

 合理的判断能力を欠いていることから「政治は結果責任」を欠くことになっているこの連鎖は考え、物事を決定する基本の能力をそもそもから欠いているゆえに断ち難く折々に曝け出すこととなる自らの資質としているのではないだろうか。

 内閣総辞職にあたっての内閣総理大臣談話

 2011年(平成23年)8月30日 

 菅内閣は、本日、総辞職いたしました。

 昨年6月の内閣発足以来、国民新党との連立政権の下、これまで先送りされてきた政策課題に正面から取り組んできました。

 私は、総理就任時に、政治が目指す目標として「最小不幸社会」の実現を掲げ、「雇用の確保」を重視した「新成長戦略」の推進、特命チームによる課題解決、地域主権改革を推進しました。

 社会保障と財政の改革については、精力的に議論を重ね、「社会保障・税一体改革」の成案をまとめました。この問題は、もはや先送りできません。今後、与野党の論議等を通じ、改革が推進されることを心から希望します。

 外交面では、日米首脳会談等を通じて日米同盟を深化させるとともに、横浜APEC開催などにより、近隣諸国との関係強化を推進し、安全保障面でも新防衛大綱策定などに取り組みました。

 本年3月11日の東日本大震災と東京電力福島原子力発電所の事故の発生は、大規模かつ広範にわたる被害をもたらしました。この未曾有の災害に対し、発災直後から被災者の救出・救助に取り組み、その後、仮設住宅の建設やガレキ撤去、被災者の生活支援など、復旧・復興に向け、被災地の方々とともに懸命に取り組んでまいりました。

 また、原発事故の収束に全力を挙げ、その結果、「安定的な冷却」状態が実現できました。さらに、今回の事故を受けて、エネルギー政策を白紙から見直し、原発依存度低減のシナリオの作成や原子力政策の徹底的な検証、原子力安全規制の組織の根本的改革を行うことを決定しました。

 しかし、今なお残された課題は多くあります。新内閣において、復旧・復興と事故収束に向けた取組を一層推進されることを期待します。

 本内閣において、必ずしも十分な対応ができなかった点については、大変申し訳なく思っております。歴史がどう評価するかは、後世に委ねますが、私を始め閣僚全員は、その持てる力の全てを挙げて誠心誠意取り組んできました。今後、新内閣の下で、大震災から日本が力強く再生することを願ってやみません。

 これまでの間の国民の皆様のご支援とご協力に感謝いたします。ありがとうございました。

 殆んどが「取り組んでまいりました」の結果を見ないうちの状態を言っているに過ぎない。「行うことを決定しました」も同じ。

 “取り組む”という行為にしても、“行うことの決定”にしても、「結果責任」を出す前の単なる姿勢を言うのであって、当然、「結果責任」は評価不明の状態にあるのだから、「政治は結果責任」を使命としている以上、「正面から」取り組もうと横から取り組もうと、いくら誇っても意味はない。

 江田五月も8月26日の記者会見で似たような「政治は結果責任」意識を欠いたことを言っている。

 江田五月「内閣として批判は反省するが精一杯やった。一歩一歩、懸案を前に進めてきた」(MSN産経

 「精一杯やった」も「懸案を前に進めてきた」も、「結果責任」を出す以前の状態のことであって、当然、「政治は結果責任」を果したことにはならない。

 高校野球夏の甲子園大会でも一回戦敗退チームも精一杯やったはずだ。高校野球の場合は結果以前の姿勢でしかない精一杯やったを目的とすることはできても、政治はあくまでも結果を目的としなければならない。  

 江田は具体的な成果として大阪地検特捜部の不祥事を受けた検察改革や、兼務した環境相としての東日本大震災の瓦礫処理促進を挙げたということだが、検察改革は改革の成果は未だ不明であって、瓦礫処理促進にしても満足に進んでいるとは決して言えない。特に放射能に汚染した瓦礫処理となると、中間処理施設も最終処分施設も建設地がまだ決まっていない状態にある。

 要するに江田の「精一杯やった」は「政治は結果責任」を念頭に置かない弁解に過ぎない。あるいは「精一杯やった」ことを以って「政治は結果責任」に代えようとするペテンを働かせているに過ぎない。

 菅仮免の「最小不幸社会」にしても「実現を掲げ」ただけのことで、社会の形として形を成すところまで「結果責任」を見せたわけではない。社会の中で形を成して初めて「政治は結果責任」を果したと言えるのだが、単に「実現を掲げ」たのみで終わっている。

 いわば「最小不幸社会」に関して結果責任を果たしていなかった。有言不実行で終わったということであろう。

 時間がなかったという言い訳は効かない。短期間の退陣も「政治は結果責任」に関わる自身の実力のうちだからだ。

 「『雇用の確保』を重視した『新成長戦略』の推進」も同じ、「特命チームによる課題解決、地域主権改革」も同じ、結果を見る以前の状態の「推進しました」の姿勢で終わっている。当然「結果責任」を果したとは言えない。

 「社会保障・税一体改革」にしても、「成案をまとめました」(=考えを纏めました)と言うだけのことで、纏めるという点では「政治は結果責任」を果したと言えるが、それだけで終わる「政治は結果責任」であるはずだ。

 いくら「今後、与野党の論議等を通じ、改革が推進されることを心から希望します」と切に願ったとしても、首相としての菅の手を離れた以上、内容・形が変わらない保証はない。言ってみれば、ほんの一歩踏み出したと言うだけのことで、自身の手で法律に仕上げたわけはないし、例え法律に仕上げて国会で成立させ、施行したとしても、その法律を社会に適用し、税と社会保障の点で国民生活を利便化させる成果を挙げて初めて「結果責任」を果たしたと言える。まだ海の物とも山の物とも言えない机上のプランでしかない。

 菅自身がそこまで見届けずに退陣しなければならないのは「結果責任」の放棄に当たり、最たる問題点であろう。

 外交では日米同盟の深化を成果の一つに挙げているが、その外交能力からして国際関係が日米双方に仕向け、要求することになっている状況任せの、いわば自身の力が殆んど関与しない深化といったところで、そこに日米首脳同士の信頼関係が裏打ちされているならまだしも、日本側の首相がコロコロ代る事情が必要上の関係で終わらせている側面は否定できないはずだ。

 結果、外交でも「政治は結果責任」を満足に果たすことができなかった。

 また近隣諸国との関係強化推進にしても最も留意しなければならない中国との関係は領土問題や海洋資源開発問題等の対立を抱えていて必ずしもスムーズにいっているわけではない。

 さらに言うと、退陣表明から3ヶ月間居座ることによって辞めていく首相との約束が継続性を持たないことから外交空白を長々とつくり出した「結果責任」も重いものがあるはずである。

 だが、「政治は結果責任」意識を欠いているから、反省もなく菅内閣の成果に数え上げることができる。

 福島原発事故に関しては、「原発事故の収束に全力を挙げ、その結果、『安定的な冷却』状態が実現できました」と言っているが、あくまでも『ステップ2』を残した段階での「ステップ1」の達成であって、このことが基本となるとしても、放射能被害からの避難民の全面的な帰宅問題は見通しがつかない状況にあり、肝心な問題を抜かした「政治は結果責任」の中途半端な成果となっている。

 最後は極めつけの「政治は結果責任」意識の欠如となっている。

 菅内閣が最も力を発揮することを求められた「結果責任」は震災対応及び原発事故対応であろう。かつて「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」と言い切って、自己存在を大袈裟に意義付けたのである。

 あるいは原発事故と震災があった「そういう時に首相だったことは歴史の中で消えることはない」と自己存在に歴史的な意味づけを行っていたのである。

 この二つの発言自体が何を成すかを目指す、あるいは何を成したかを問う「政治は結果責任」意識を欠いた言葉に過ぎないが、自己存在を「宿命」だとか「歴史の中で消えることはない」と事々しく評価付けた以上、最大限の力を発揮する、いわば最大限の「結果責任」を果す意志を自らに課したはずだ。

 最大限の「結果責任」を果す意志を自らに課しもせずに「宿命」だ、「歴史の中で消えることはない」などと大見得を切ったとしたら、滑稽そのものとなる。

 だが、「本内閣において、必ずしも十分な対応ができなかった点については、大変申し訳なく思っております」と、最も力を発揮することを求められて、求められたとおりの、あるいは求められた以上の「結果責任」を最大限残さなければならなかったはずの震災対応・原発事故対応でありながら、最大限の「結果責任」を果したことにはならないことを言っている。

 にも関わらず、「大変申し訳なく思っております」の言葉のみで済まそうとしている軽い責任意識は元々「政治は結果責任」意識を欠いていることに対応した軽さであろう。

 また、「必ずしも十分な対応ができなかった点」があると自らの「結果責任」の未達成を認めておきながら、「歴史がどう評価するかは、後世に委ねます」と既に現れている「結果責任」評価を歴史に委ねる矛盾を犯して自ら気づかない鈍感さを示している。

 と同時にこの「歴史がどう評価するかは、後世に委ねます」は被災者のことは何も思っていない、あるいは何とも思ってもいない言葉であろう。

 歴史がどう評価しようと、被災者が日々痛切に感受している「政治は結果責任」に対する評価がどのようなものなのかが真に重要な点だからだ。

 カネと時間をかけることによって復旧・復興は遂には達成されることになる。だが、達成の中身である。復旧・復興政策の的確性の問題、スピードの有無は人権尊重の濃淡に即座につながる。

 となると、被災者や国民が菅内閣の「政治は結果責任」に対して現在進行形の形でその時々に評価していくその全体像が歴史評価と一致しなければ、真の歴史評価と言えないことになる。

 またそうでなければ、民主党が掲げる「国民の生活が第一」をウソとすることになる。現実には「国民の生活が第一」となっていないにも関わらず、歴史が評価するという矛盾を来たすことになるからだ。

 次のように言うこともできる。被災者に数々の精神的な飢餓状態を強いておいて、歴史が高く評価しようと意味をなさないと。

 すべては菅と言う政治家が「政治は結果責任」意識を欠いているからこそ、歴史の評価に逃げ込むことになる。

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渡部恒三に見る世論に関して学習能力なき政治のご都合主義

2011-08-29 09:32:44 | Weblog

 

 《渡部氏 代表選後は挙党態勢で》NHK NEWS WEB/2011年8月28日 23時59分)

 渡部恒三民主党最高顧問は、東京都内で小沢元代表と会談。どの候補が勝利しても、選挙後は互いに協力して挙党態勢を確立すべきだという考えを伝えたと記事は書いている。

 渡部恒三「政権交代させてくれた国民の期待に応えられる最後のチャンスだ。これまで党が2つに割れていたことが、政治を小さくしていた。選挙では戦っても、終わったあとは誰が代表になろうと、1つになって新しい政権に協力しよう」

 小沢氏同調。

 会談後にNHKの取材に対して。  

 渡部恒三「所属議員一人一人が、国民の世論で選ぶと確信しており、世論に逆行するような結果にはならないと思う。小沢氏の命令で動くようでは笑われる」

 「所属議員一人一人が、国民の世論で選ぶと確信」とは奇麗事のご都合主義の最たるものであろう。

 世の中、国民の世論のみが利害ではない。国民世論をどの程度の利害とするかによって、国民世論との距離が決まってくる。菅仮免は自己政治の否定につながるため、首相就任後と昨年9月の民主党代表選当時以外は常に国民世論に距離を置いてきた。

 渡部恒三はまた、「世論に逆行するような結果にはならないと思う」と言っているが、世論が期待に対する評価・判断と結果責任に対する評価・判断の二つの側面を持っているにも関わらず、その二つを混同して世論を把える視野狭窄に陥っているばかりか、昨年(2010年)9月14日の民主党代表選の今日に至る結末、いわば結果責任に対する学習能力ゼロを曝け出して、カエルの面にショウベンを演じて平然としている。

 記事はまた渡部恒三が小沢元代表が支持している海江田経済産業大臣以外の候補者を支持することを伝えたと書いているが、「所属議員一人一人が、国民の世論で選ぶと確信しており」と言っている以上、世論の数値が一番高い前原誠司に1票を投じるということでなければならない。

 前原以外の候補者に1票を投じることは世論で選択しないことになって、厳密には言っていること自体が矛盾していることになるが、全体としては世論に逆行しない結果、世論に従った結果となるということを言って、昨年の菅選択の失敗に懲りない世論信奉の主張となっている。

 昨年の代表選前の菅内閣支持率は不支持を少し上回っていた。但しその前回の内閣支持率は不支持が上回っていた。この逆転は小沢元代表が立候補に名乗りを上げたことからの反小沢風潮が押し上げた反動に過ぎないことは世論調査のいくつかの質問項目を見れば歴然とする。

 9月14日民主党代表選約10日前に行った朝日新聞世論調査

 菅内閣支持
  支持 ――49%(前回8月7、8日調査 37%)
  不支持――30%(前回8月7、8日調査 43%)

 反小沢風潮に助けられて前回調査から支持・不支持が逆転しているものの、最も要求される肝心の政治能力の面で前回調査と殆んど変化がないままに不支持が支持を上回っている。

 政策の面
  支持 ――20%(前回8月7、8日調査 20%)
  不支持――27%(前回8月7、8日調査 30%) 
   
 実行力の面  
  支持 ――13%(前回8月7、8日調査 9%)
  不支持――51%(前回8月7、8日調査 49%)

 この政治能力面の不支持・支持の前回調査と殆んど変わらない現象こそが内閣支持率の前回調査と比較した逆転が反小沢風潮の成果であることを明確に物語っている。

 以上の項目が示している数値は世論調査に於ける期待に対する評価・判断に対する対応値ではなく、直近の菅政治の結果責任に対する評価・判断であるはずである。

 どちらが次期代表に相応しいか
  菅 ――65%
  小沢――17%

 実行力の面での期待度
  菅 ――34%
  小沢――49%

 国民は菅仮免の肝心の政治能力に関しては評価していないものの、次期代表としての期待は小沢氏に対して大差を付けている。この数値はあくまでも小沢氏を比較対象とした世論調査に於ける期待に対する評価・判断を示しているに過ぎない。

 他の世論調査も似たり寄ったりの傾向を示している。例えば8月28日、29日に行った読売新聞世論調査

 菅内閣
  支持 ――54%(8月6~8日前回調査 44%)
  不支持――35%(8月6~8日前回調査 46%)

 どちらが次期代表に相応しいか
  菅 ――67%
  小沢――14%

 指導力
  菅 ――1%
  小沢――40%

 毎日新聞社8月28、29日実施の世論調査。

 菅内閣
  支持する  48%(7月24、25日の前回調査 41%)
  支持しない 35%(7月24、25日の前回調査 40)

 次期代表に相応しいのは。
  菅 ――78%
  小沢――17%

 菅仮免と小沢元代表とを比較した政治能力の調査は行っていない。

 かくかように昨年の代表選では小沢元代表を対立候補とした場合の国民の菅仮免に対する期待からの評価・判断はその政治能力が表した結果責任に対する評価・判断は低いものの高い数値を示した。

 世論調査が示したこの高い期待値が民主党国会議員ばかりか、地方議員、党員、党友、サポーターにも大きく作用した菅当選であったはずだ。渡部恒三の言葉を借りると、大半の「所属議員一人一人が、国民の世論で選」び、「世論に逆行するような結果」の選択を拒否した。

 だが、世論調査が大きく影響した菅選択の結果は散々だった。神奈川11区比例復活の新人議員横粂勝仁は投票日近くまで迷った末、世論調査に従って菅に投票した。

 その成果が6月2日(2011年)菅内閣不信任案賛成の1票であったが、不信任を突きつけただけで満足できずに菅仮免の政治家としての存在自体に対する拒絶感を高じさせて、7月21日国会内で記者会見、次期衆院選で菅仮免選挙区の東京18区から無所属で立候補することを表明。

 落選させることでその存在を抹消したい衝動に駆られたというわけである。

 横粂勝仁「ただひたすらに延命を図る首相の政治を終わらせるため直接、堂々と戦いたい」(MSN産経

 大体が渡部恒三自体が菅選択を後悔している。当時の世論調査に対する自己否定であるが、そのことに自ら気づいていない。

渡部恒三「とにかく小沢を代表にしちゃいけないというので、みんな菅に入れたけど、本当にひでえのにやらせちゃったな」MSN産経

 「とにかく小沢を代表にしちゃいけない」と言うのは小沢拒絶感の国民世論に従った、いわば国民世論に「逆行」しない趨勢として受入れた自分たちの態度でもあったはずだ。

 自分たちが小沢氏に拒絶感を持っていたとしても、国民世論が拒絶感を持っていなかったなら、大分薄めなければならなかった趨勢であったろう。

 いずれにしても昨年の代表選当時の「どちらが次期代表に相応しいか」の国民世論の大差の菅判定は正しい評価・判断ではなかった。

 もし渡部恒三がこのことを厳密に学習していたなら、「とにかく小沢を代表にしちゃいけないというので」云々と言っている以上、厳密に学習していなければならないはずだが、「所属議員一人一人が、国民の世論で選ぶと確信しており、世論に逆行するような結果にはならないと思う」などとは決して言えなかったはずだ。

 学習していないままに単に菅を選択して「ひでえ」目に遭ったからとこれまでの推移を表面的に解釈して反省しただけで終わらせているから言えるのであって、厳密に学習していない以上、ご都合主義の世論調査の利用ということになる。

 二つの側面を持つ世論調査に於ける結果責任に対する評価・判断は内閣の政治の結果を見ての評価・判断だから、小沢アレルギーの反動といった特別の事情が付け加わらない限りほぼ当たると言えるが、結果を見ないうちの期待に対する評価・判断は必ずしも期待通りの成果を生むとは限らない。

 何ら学習能力がないことからすると、何のために民主党最高顧問に就いているのか意味不明である。

 確かに次期代表としての期待値が高い前原誠司は国交相や外相を経験していて、大臣時代の結果責任を例え評価していたとしても、首相は未経験であって、首相としてのどのような結果責任も誰も見ていないから、期待することはできても、結果責任に対する評価・判断は不可能である。

 但し参考となるのは民主党全体を率いていた代表時代に根拠も裏付けも確かめもせずに虚構の事実を振り回しただけのメール問題に自ら深く関わって責任を取り辞任するという、リーダーに必須の能力である情報管理と情報駆使という点でリーダーに相応しくない失態を犯している。

 時間の経過が政治家として成長を果たしているだろうが、それでも世論調査に於ける期待に対する評価・判断は常に正しい
姿を取るとは限らないという事実に変わりはない。

 期待に対する評価・判断を示す世論調査を振り回すのは単なるご都合主義に過ぎないということである。


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単純・単細胞な政治性の持主だという意味でだろう、小沢元代表「前原では日本が潰れてしまう」の正当性

2011-08-28 10:14:45 | Weblog



 小沢元代表が8月25日、自らに近い議員に対して次のように発言したと言う。

 小沢元代表「前原氏では日本がつぶれてしまう」(NHK NEWS WEB

 朝日新聞が行った8月25、26の両日、全国緊急世論調査(電話)では次期首相適任者では前原誠司がダントツの40%を掻き集めている。海江田万里と原口一博が5%、野田佳彦と馬淵澄夫が4%、小沢鋭仁が3%、鹿野道彦が1%、樽床伸二が0%、その他・答えないが19%・・・・

 他候補から比べた前原の40%の支持は天文学的な数字、独り占めと言える。この40%だけを見たら、とてもとても「日本が潰れてしまう」どころか、日本国期待の星、沈みゆく日本を救う救世主の出現に思える。

 問題は国民の前原に対するこの高い期待が結果に結びつくかどうかである。

 今朝3時頃投稿したツイッター。〈朝日新聞世論調査では次期首相適任者は前原40%。まさかと思うが、顔がいいからと女性陣、あるいはオバサン連中が大部分を占める40%?かつて橋本龍太郎元首相は歌舞伎俳優似の顔だからと「龍様」と呼ばれてオバ様たちから大いなる支持を受けた。小泉元首相も女性に支持受けした。〉――

 前原誠司は民主党代表だった2005年12月9日、米戦略国際問題研究所で行った講演で勇ましいばかりに次のように発言。

 前原誠司「中国の軍事的脅威に対して日本は毅然とした態度を取るべきである」(Wikipedia
 
 日本に向けた中国の軍事的脅威がさも目の前に迫っているかのように言い、それに対して「日本は毅然とした態度を取るべきである」とした。余りにもストレート過ぎる中国認識であると同時に余りにもストレート過ぎる日本の対抗意識となっている。

 言ってみれば、お前がその気なら、こっちだって考えがあるぞの喧嘩腰の挑戦状の叩きつけとも言える。

 前原は講演で日中の経済関係や文化交流等にも言及しただろうが、中国の存在は軍事的に脅威だと中国と日本の関係を単純化したのである。

 「中国の軍事的脅威」を日本に対する重点的且つ喫緊の関係と把えたこのような単純化は当然、経済関係や文化交流等の他の関係を相対的に無力化させる。

 軍事的脅威が日本に対する侵略とか軍事的攻撃といった具体的意志の形を取っていたなら、前原の主張は例え口先だけの強がりであっても正当性を得るが、そうではなく、単に軍事力増強を謀っているだけのことなら、政治指導者は経済関係や文化交流等の他の関係を強めて、逆に「中国の軍事的脅威」を相対的に無力化させる方法を講ずるべきではなかっただろうか。

 戦争をしたなら、経済的にも文化的にもお互いに傷つく関係に持っていくということである。日中が戦争をした場合、中国の経済的損失は何兆円、日本の経済的損失は何兆円といったふうに試算し、それを公表するのも一つの手かもしれない。

 前原の「中国軍事的脅威」論は当然中国は激しく反発した。前原はそのことを予想し、その先を計算した中国の軍事的脅威を相対化する何らかの戦略性を持っていたのだろか。

 いわば中国の反発を問題としない、中国の軍事的脅威を相対化する何らかの戦略性を保持した上で、「中国軍事脅威」論を主張したのかということである。

 前原は米戦略国際問題研究所の講演のあと中国を訪問、中国側は前原と中国要人との会談を拒否。

 前原誠司「(率直に物を言わぬ上辺での)友好は砂上の楼閣になってしまう」(Wikipedia

 要するに話し合いを持たない「友好は砂上の楼閣になってしまう」と話し合いの必要を訴えたということなのだろうが、中国を相手とした場合は会談拒否を予想していなければならなかったことだったし、例え話し合いを持ったとしても、言葉で「中国軍事的脅威」論を相手に納得させようとしたとしても相手の反発を一層高めるだけのことは目に見えている。

 直接的な言葉が通じないということなら、わざわざ米戦略国際問題研究所で「中国軍事的脅威」論を持ち出すまでもなく、民主党の政治指導者として粛々と中国の軍事的脅威を相対化する外交的・経済的・文化的な戦略を構築し、対中外交に役立てることをすればよかったということになる。

 一つの政党の指導者でありながら、前原の「中国軍事的脅威」論は外交という点で単純・単細胞に過ぎたと言うことである。

 前原の単純・単細胞な戦略性は他にも例を示すことができる。国交相兼沖縄北方担当相だった当時の2009年10月17日に北海道根室市の納沙布岬を訪れ、対岸の北方領土を視察。

 前原誠司「歴史的に見ても国際法的に見ても(北方領土は)日本固有の領土。終戦間際のどさくさにまぎれて不法占拠されたもの。やはり四島の返還を求めていかなければならない」(毎日jp

 ロシアが反発すると、

 前原誠司「鳩山外交の姿勢と違うとは全く思っていない。・・・自民党政権時代からの日本政府としての法的な立場を改めて申し上げただけだ。

 お互いの認識が違うからこそ、領土問題が未解決になっている。四島の帰属を明確にし、日露間で平和条約が結ばれた中でさらなる協力関係が結べる状況になればいい」

 当座はそう言っていたが、それ以来「不法占拠」という発言を自ら封じた。

 2010年11月12日の外務委員会で新党大地の浅野貴博議員が当時の前原外相に「北方四島がロシアに不法占拠されているという認識に、大臣、今でも変わりはありませんでしょうか」という質問に次のように答えている。

 前原誠司「北方領土は我が国固有の領土であるけれども、管轄権を事実上行使できない状況が続いているということでございます」

 「管轄権を事実上行使できない状況」であって、「不法占拠」ではないとしている。

 要するにロシアの反発の先を計算した何らかの戦略性を準備した上での「不法占拠」発言ではなかった。言葉のための言葉に過ぎなかった。

 外交的な戦略性のない政治家が沖縄北方担当相としてロシア外交に携わっていた。

 外交に対して戦略性を満足に備えていなければ、菅仮免の例を出すまでもなく、内政に関しても満足な戦略性を持たない政治的資質の持主だと断言できる。

 昨年9月の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件での中国人船長逮捕劇も同じ構造を取っている。逮捕した当初は「国内法に則って粛々として処分する」と関係閣僚が口を合わせて言っていながら、中国の圧力に屈して船長を処分保留で釈放。にも関わらず日中関係は険悪なまでに冷却した。菅首相は胡錦涛や温家宝との会談を望みながら、暫くの間相手にされなかった。

 これも中国人逮捕の先を計算した何らかの戦略性を持たず、中国の圧力にただウロウロした周章狼狽しか見えなかった。前原誠司は菅内閣の外相として関わっていた。

 単純・単細胞な外交戦略しか持たない、ひいては内政的戦略性にも影響しているはずの前原誠司が次期首相として国民から40%の期待を集めている。私自身の批判が妥当とするなら、この逆説性を素直に読むと、小沢元代表の「前原では日本が潰れてしまう」は正当性得る発言と言える。 

 参考までに。2006年3月15日記事――《単細胞な「中国脅威論」 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 2010年3月15日記事――《ロ大統領の国後訪問は前原の「不法占拠」発言に対する対抗意識からのロシア領宣言のデモンストレーション - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》


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菅仮免の「政治は結果責任」意識を欠いた「自分はサラリーマンの息子」は政権運営に役立ったのか

2011-08-27 10:40:31 | Weblog



 ―首相就任時から「政治は結果責任」意識の欠如に始まって欠如させたままの退陣となる―

 昨日(2011年8月26日)の記者会見で民主党代表の辞任を表明、新代表選出が決まり次第、首相を辞任すると言明。

 昨年の6月8日の首相就任記者会見で次の言葉を聞いたとき、「政治は結果責任」意識を欠いている男だなと思い、期待感を抱かなかった。

 菅仮免「この多くの民主党に集ってきた皆さんは、私も普通のサラリーマンの息子でありますけれども、多くはサラリーマンやあるいは自営業者の息子で、まさにそうした普通の家庭に育った若者が志を持ち、そして、努力をし、そうすれば政治の世界でもしっかりと活躍できる。これこそが、まさに本来の民主主義の在り方ではないでしょうか」

 確かに普通の家庭に育った人間が自らが志しさえしたなら、努力次第で自由に政治の世界に飛び込むことのできる環境は必要だが、特に障害なく政治の世界に飛び込むことができたとしても、このことが「政治の世界でもしっかりと活躍できる」確実な可能性、いわば「政治は結果責任」を保証するわけではない。

 リーダーシップ(=指導力)や統治能力、洞察力、先見性、豊かな識見といった政治的資質こそが、「政治の世界でもしっかりと活躍できる」、結果的に「政治は結果責任」を生み出すより確実な可能性を保証する。

 いわば「普通の家庭に育った」、「普通のサラリーマンの息子」といった条件が「政治は結果責任」の可能性を約束する訳ではない。

 但し、すべてではないにしても、多くが例え政治の経験が浅く、リーダーシップ(=指導力)や統治能力等の政治的資質を欠いていたとしても、当初から「政治は結果責任」意識を強く心がけ、常にその思いを維持していたなら、様々な政治の場面を経験する間にリーダーシップ(=指導力)を養うことができ、合理的判断能力の育みを伴うことになるはずだ。

 なぜなら、常に結果を求めることを自らの責任とするからだ。求めることによって、「政治は結果責任」意識がリーダーシップ(=指導力)や統治能力等の政治的資質と相互反映し合う好循環の関係を持つに至るからだ。

 勿論その結果は一部の国民を利する結果であってはならない。社会全体の利益につながる国民の利益でなければならない。

 「普通の家庭に育った」、「普通のサラリーマンの息子」であっても、「政治は結果責任」に基づいたリーダーシップ(=指導力)や統治能力といった政治的資質を備えていなければ、意味を成さないということである。

 あるいは逆もまた真なりで、リーダーシップ(=指導力)や統治能力等々の政治的資質と相互反映させた「政治は結果責任」意識を発揮できなければ、さしたる業績は期待できないことになる。
 
 にも関わらず、菅首相はリーダーシップ(=指導力)や統治能力等々の政治的資質に価値を置かずに、あるいはそういった優れた資質を持った人間が総理大臣となることを条件とせずに、「普通のサラリーマンの息子」が総理大臣になったことに相当な価値を置いていた。

 この価値の置き所の錯誤が「政治は結果責任」の所在を疑わせた。いわば「自分はサラリーマンの息子だ」という発言自体が「政治は結果責任」意識を欠如させた言葉となっているということである。

 2010年8月1日の当ブログ――《菅首相の最近の識者との会談を栄光浴から読み解く - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》には次のように書いた。

 〈菅首相は6月3日の鳩山前首相退陣を受けた代表選出馬記者会見でも、6月8日の首相就任記者会見でも、「普通のサラリーマンの息子」であることを強調していたが、裏を返すと、普通のサラリーマンの息子が総理大臣に上り詰めたことを誇示、自慢して、そこに一種の自己存在証明を置いていた。いわばたいした人間、たいした政治家ではないかと暗に誇っていた。

 実際はあくまでも自身の能力の問題で、大金持ちの息子だろうが、ホームレスの息子だろうが、妾・愛人の類の息子だろうが(韓国の金大中元大統領は自叙伝で自分が妾の子であることを告白しているそうだ。)、あるいはハーフの息子だろうが関係ないことだが、そこは合理的判断能力を欠いているから、サラリーマンの息子であることに自身の能力の根拠を置いていたのだろう。〉――

  2010年9月11日の当ブログ――《菅首相の結果責任意識希薄に対応する“首相頻繁交代”アレルギー - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》では次のように。

 〈民主党代表選は菅首相の勝利で終わる形勢であるかのように報じるマスコミも現れた。勝利したら、機会あるごとに「普通のサラリーマンの息子」だと誇っていた自らの出自を再び誇ることになるのだろうか。

 このこと自体が既に菅首相が結果責任意識を欠如させていることの何よりの証明となる。大金持ちの息子だろうが、ホームレスの息子だろうが、愛人・妾の類の息子だろうが、あるいはハーフの息子だろうが、帰化外国人の息子だろうが、政治家として何を成したかの結果が何よりも重要であって、その事実を欠いたなら、大金持ちの息子だろうが、ホームレスの息子だろうが、愛人・妾の類の息子だろうが、あるいはハーフの息子だろうが、帰化外国人の息子だろうが、出自自体への誇りは意味を成さなくなる。

 もし菅首相が結果責任意識を常に頭に置いている政治家であったなら、「普通のサラリーマンの息子」であることが指導力、リーダーシップと呼び習わされている政治家に欠かせない必須能力を根拠づける資質とは無関係であることに気づいていたろう。指導力、リーダーシップは父親の身分や職業、学歴、さらに自身の学歴等の出身、あるいは出自に関係なく、その人自身に備わる能力であり、備えなければならない能力だからだ。

 また指導力、リーダーシップが結果を保証し、結果責任をもたらす。〉――

 首相就任半年後に次のように発言できたことも「政治は結果責任」意識を欠いていたからに他ならない。

 菅首相「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間で、いろいろなことに配慮しなければならず、自分のカラーを出せなかった。これからは本免許を取得し、自分らしさをもっと出し、やりたいことをやっていきたい」

 結果を出すことによって一国のリーダーとしての価値が認められて責任を果たすことになる国民との関係から、常に結果を出すことに務めなければならない「政治は結果責任」の使命を担った立場にあるのである。「政治は結果責任」意識を常に肝に銘じていたなら、「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間」だったなどと、結果を出していないことの弁解としかならない甘えたことは口が裂けても言えなかったろう。

 菅首相は次ぎの発言を国会答弁等で機会あるごとに発言してきた。

 菅首相「政権を担当したら4年間の衆院の任期を一つのメドとして一方の政党が頑張ってみる。4年後に(衆院)解散・総選挙で継続するかしないか国民の信を問うという考え方がこれから政治的な慣例になっていくことが望ましいと思います」 

 いわば一人の首相は衆院任期の4年間を任期とすることが理想だということを持論としていた。途中からの任期とは言え、衆院任期2年を余すところで、代表としての任期は約1年を残して引き摺り下ろされる形の辞任となった。自ら価値を置いていた「自分はサラリーマンの息子である」の人的要件が何ら「政治は結果責任」につながらなかったことの証明となっている。

 昨日(2011年8月26日)午後開催の民主党両院議員総会でも菅仮免は辞任の挨拶を行ったということだが、そこでの発言の中にも「政治家結果責任」意識を欠いた言葉を忘れていない。《晴れ晴れ笑顔、成果強調=「やるべきことやった」-辞任正式表明の菅首相》時事ドットコム/2011/08/26-16:36)

 昨年7月の参院選敗北の原因が消費税増税をめぐる自らの発言にあったと認めながら――

 菅首相「厳しい環境の下で、私自身はやるべきことはやったと考えている」

 結果責任を果たしたと言っている。ではなぜ来年9月の正規の代表選を待たずに任期途中で退陣しなければならなかったのか。ではなぜ自身が持論としている2013年の衆院任期まで首相職を持たせることができなかったのか。

 原因と結果の因果関係を一切無視した、合理性も客観性もない自己評価となっている。

 東日本大震災と福島第1原発事故に触れて――
 
 菅首相「そういう時に首相だったことは歴史の中で消えることはない」

 東日本大震災と福島第1原発事故の発生時に「首相だったこと」を誇りとしているが、この言葉自体には何を成したのかの成果・結果に対する視点を一切欠いている。

 肝心なことは「首相だったこと」ではなく、あくまでも首相として何を成したのか、どのような利益を国家と国民にもたらしかである。そのことを以って「歴史の中で消えることはない」と誇るなら、「政治は結果責任」に添った、真に誇り得る自らの使命の達成、あるいは目的遂行の達成と確実に言える。

 大震災発生から1か月目の首相官邸での記者会見でも似たようなことを言っている。

 菅首相「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」

 大震災と福島第1原発事故の発生時に「首相だったこと」ことは単なる時期的な偶然に過ぎない。地震と津波と原発事故が菅仮免が首相であるときを狙って発生したわけではあるまい。もしそうであるなら、ただでさえ大迷惑な自然災害が日本国民になお一層の悪意ある害をなすために時期を狙って発生したことになる。

 要は東日本大震災、そして福島第1原発事故が発生したとき、大多数の国民が、特に大多数の被災者がたまたま菅首相でよかったと心から感謝する、時期的偶然と重なった「政治は結果責任」の反映にこそ価値を置くべきだが、元々「政治は結果責任」意識を欠いているから、菅仮免の感覚ではそうとすることができない。

 言ってみれば、「自分はサラリーマンの息子である」と相互対応した、「政治は結果責任」意識を全く欠いた「そういう時に首相だったことは歴史の中で消えることはない」の言葉と言える。

 果たして東日本大震災、そして福島第1原発事故のとき、菅首相でよかったと思った国民、あるいは被災者がどれ程いるだろうか。「その功績はきっと歴史の中で消えることはない」と言葉を発することで、「政治は結果責任」を物の見事に果たしたと確信した国民、あるいは被災者がどれ程存在するだろうか。

 国民のこのような評価を生み出す「政治は結果責任」の成果こそが、衆院任期までの続投の保証となり、内閣高支持率の保証ともなり、国会ねじれ現象を跳ね返す強力な力ともなる(野党の方からすり寄ってくる勢力が出てくるに違いない。)源泉となったはずだが、現実はすべて逆の現象で推移した。

 被災自治体の首長を初め、各市町村長の多くが菅内閣の震災対応を評価していない。身内中の身内とも言える日本大震災復興構想会議議長の五百旗頭(いおきべ)真防衛大学校長が菅仮免を批判している。《東日本大震災:復興構想会議議長が首相の限界指摘》毎日jp/2011年8月25日 18時57分)

 ソウル市内で開かれたシンポジウムで講演したときの発言だそうだ。

 五百旗頭「国難を乗り切るため一生懸命やろうとしているが、市民運動出身者の限界で政府機関の能力を有効利用できていない。

 (構想会議の人選について)東北ゆかりの人々をいろいろ集めたという感じで専門性が弱い」

 迅速な意志決定と迅速な実行に基づいた「政治は結果責任」が求められる多様な組織の集合体である政府運営に於いて系統だった指揮命令の経験がなかった、当然統治経験もなかったと言うことだろうが、能力の点で相互に反映し合う関係にある合理的判断能力に支えられたリーダーシップ(=指導力)を備えていたなら、その合理的判断能力に助けられて瞬間瞬間に学習し、それなりの指揮命令能力や統治能力を発揮して「政治は結果責任」を果たしていくことができたはずだが、基本となる「政治は結果責任」を欠いていたためにリーダーシップ(=指導力)も合理的判断能力も欠くこととなり、「政府機関の能力を有効利用」できなかった。

 「政治は結果責任」意識の欠如は昨日の辞任記者会見でも見受けることができる。

 菅仮免「政権スタートの直後、参議院選の敗北により、国会はねじれ状態となりました。党内でも昨年9月の代表選では全国の党員を始め多くの方々からご支持を頂き、再選させていただきましたけれども、それにも関わらず厳しい環境が続きました。そうした中で、とにかく国民のために必要な政策を進める。こういう信念を持って1年3カ月、菅内閣として全力を挙げて内外の諸課題に取り組んでまいりました。退陣に当たっての私の偽らざる率直な感想は、与えられた厳しい環境の下でやるべき事はやったという思いです。大震災からの復旧・復興、原発事故の収束、社会保障と税の一体改革など、内閣の仕事は確実に前進しています。私の楽観的な性格かもしれませんが、厳しい条件の中で内閣としては一定の達成感を感じているところです

 もし「政治は結果責任」に厳しい態度を持ち得ていたなら、「一定の達成感」は自らの「政治は結果責任」の成果として実現させることができた国民の「一定の達成感」を反映させた内閣としての「一定の達成感」でなければならないはずだが、内閣支持率を見ても分かるように国民は「一定の達成感」から程遠い場所に置かれたままである。

 いわば「政治は結果責任」を果たすことができないことによって国民が利益とし得なかった「一定の達成感」を置き去りにした内閣としての「一定の達成感」に過ぎない。

 この「政治は結果責任」意識の欠如はそのまま首相としての資格喪失を意味するはずだ。首相就任記者会見で「自分はサラリーマンの息子だ」と発言したことに始まった「政治は結果責任」意識の欠如の、終わりのない連続性を持った菅仮免の「政治は結果責任」意識の欠如であることは間違いない。

 最初に触れたように首相就任時から「政治は結果責任」意識の欠如に始まって欠如させたままの退陣となるということである。

 誰かマスコミの記者は機会があったら、「サラリーマンの息子であることが内閣運営に役立ったのか」聞いてもらいたい。詭弁・強弁を専らとする政治家だから、「役立った」と答えるかもしれないが。


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菅か前原か馬淵か、「八ッ場ダム」建設迷走の一番の悪者は

2011-08-26 09:58:06 | Weblog


 
 民主党に政権が移って鳩山内閣発足早々の2009年9月に当時の前原国交相が八ッ場ダム建設の中止を打ち出した。それから1年ちょっと経過しただけの2010年11月、前原国交相の元で国交副大臣を務めていて、その跡を引き継いだ馬淵澄夫新国交相が建設中止を凍結。

 今回の民主党代表選に立候補を見送る動きを見せていた前原前外相がここに来て立候補を表明。野党自民党は前原が国民から次期首相として最も高い支持を集めている有力候補であることから、代表当選、新首相の可能性を睨み、閣僚時代の問題点を取上げて早くも戦いを開始した。

 《“前原氏 献金問題で説明責任を”》NHK NEWS WEB/2011年8月23日 12時25分)

 石原伸晃自民党幹事長「政権に入ってから、政策的に散らかす癖がついている。八ッ場ダムの問題や日米や日中関係についても言いたいことを言っているが、その後の始末をせず、さまざまな問題が生じている。

 (外国人献金問題の責任を取って外相を辞任したことに関して)説明責任を果たしていないなかで、なぜ急に立候補を考えたのか。説明責任を果たし、国民の理解を得て、代表選挙に出るほうが望ましい。

 (民主党代表選について)政策論争が全く見られず、いわゆる『小沢詣で』が繰り広げられている。政策論争がしっかり行われなければ、国民にとっては不毛だ。

 (民主党内に小沢氏の党員資格停止見直し論が出ていることについて)代表が代わったからといって、党として決定したことを変えるのは、朝令暮改の最たるものであり、国民から批判が出るのは必然だ」

 最後の党員資格停止見直し論に対する批判。党がルールに則って決めたことを党がルールに則って見直すことがどこに間違いがあるのか。党の決定は裁判と違って永遠に一事不再理を宿命づけられているわけではない。もし宿命づけられていたら、たちまち党組織は硬直化してしまうだろう。

 勿論見直した場合は国民に対する説明と結果に対する責任を負うことになる。

 以前、ブログで、「世論は期待に対する評価・判断と結果責任に対する評価・判断の二つの側面を持つ」と書いた。前原前外相に対して次期首相として高い支持を示している世論はあくまでも期待に対する評価・判断であって、結果責任に対する評価・判断ではない。菅仮免に対しても首相に就任直後は高い支持率を得ていたが、たちまち支持を失い、ほぼ低下傾向の一途を辿ったのは当初は菅政治に対する期待から高く評価し、判断したものの、その期待・判断が菅政治の正体を逐次見るに及んで裏切られた思いが働き、裏切られた期待の相当量に応ずる形で結果責任に対する評価・判断が萎んだということであろう。

 期待に対する評価・判断が結果責任に対する評価・判断に必ずしも結びつかないことを常に厳しく認識していなければならない。

 前原前外相は外国人献金問題に関しては8月25日午前に行った衆院議員会館での若手議員十数人との懇談で、「きちんと調べた。法的に問題はない」(MSN産経)と断言したそうだが、八ッ場ダムに関しては次のように自身を正当化している。

  《前原氏「八ツ場ダム、私が国交相続投なら中止だった」》asahi.com/2011年8月25日20時6分)

 前原前外相「国土交通相の時に八ツ場(やんば)ダム中止と言ったのにできていない、という話があるが、続けさせてもらえればやった」

 要するに自身が国交相をそのまま務めていたなら、中止で一貫性を持たせた、中止凍結は自分には関係ないことだと自己免罪を働かせている。

 記事も、〈前原氏としては、代表選で同じく立候補をめざすライバルの馬淵氏こそ責められるべきだ、との思いがにじむ。〉と穿った解説で自己免罪の発言だとしている。

 だが、この「続けさせてもらえればやった」という前原発言は巨大公共工事を総理大臣の了承も内閣の了承も得ずに一閣僚のみの意向で左右できるという趣旨となる。

 だとしたら、馬淵前国交相も総理大臣の了承も内閣の了承も得ずに一閣僚としての自身の意向で中止凍結を決めたことになる。

 大体が八ッ場ダム建設中止は2009年マニフェストに掲げていた政策であって、前原個人が決定した英断でも何でもない。マニフェストの政策に従った中止でしかない。

 《2009年マニフェスト》 

 〈公共事業

  ○川辺川ダム、八ツ場ダムは中止。時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す。
  ○道路整備は費用対効果を厳密にチェックしたうえで、必要な道路を造る。
 
 《民主党政策集INDEX2009》 

 〈大型公共事業の見直し

 川辺川ダム、八ッ場ダム建設を中止し、生活再建を支援します。そのため、「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法(仮称)」の制定を目指し、国が行うダム事業を廃止した場合等には、特定地域について公共施設の整備や住民生活の利便性の向上および産業の振興に寄与する事業を行うことにより、当該地域の住民の生活の安定と福祉の向上を図ります。〉――

 民主党政権がスタートし、鳩山内閣が発足したとき、当然、内閣としてこの政策を打ち出すことになった。ダム建設を所管する国交相がたまたま前原だったに過ぎない。

 但し建設中止の政策をどのようなスケジュールを以って如何に迅速且つデメリットを避けて遂行するかは本人の能力にかかってくるが、如何せん、1年2か月足らずの就任に過ぎなかった。

 菅仮免内閣の〈2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)〉では、〈中止の方針を表明している八ッ場ダムをはじめ、全国のダム事業について、予断を持たずに検証を行い、「できるだけダムにたよらない治水」への政策転換を一層進めます。〉と検証を経た上で不必要と認めたダムは中止の方向に向けるとした政策を掲げているのみで、八ッ場ダムの建設中止の凍結を謳っているわけではない。

 もしここで既に八ッ場ダム建設中止の決定をも“検証”の対象としていたとするなら、この時点で2009年マニフェストの八ッ場ダム建設中止の政策を変更したことになる。

 だが、そんなことは一言も言っていないはずだ。

 あくまでも八ッ場ダム建設中止は「2009年マニフェスト」に掲げた政策であるゆえに国交相が代わっても引き継がれなければならない政策でありながら、2010年11月に馬淵澄夫新国交相が建設中止凍結の方針を発表した。

 《馬淵国交相、八ツ場ダム建設中止方針を撤回》MSN産経//2010.11.6 14:59)

 11月6日(2010年)午後。

 馬淵国交相「私が大臣のうちは『中止の方向性』という言葉には言及しない。予断を持たず(ダムの)検証を進め、その結果に従う」

 記事はこの発言を、〈政府方針を撤回する考えを示した。〉ものだとし、〈八ツ場ダム建設が民主党政権下で再開される可能性が出てきた。〉と解説しているが、一大臣の意向のみで政府方針を撤回できるわけのものではないはずだ。

 政府方針とは政府が決めた方針であり、当然その方針の撤回は政府の決定でなければならない。
 
 そもそもからして八ッ場ダム建設中止はマニフェストで国民に約束した政策である以上、いや、そうではなかったとしても、馬淵国交相一人の意向で左右できる巨大公共工事ではないはずだ。

 馬淵国交相は鳩山首相を受け継いだ菅仮免に2010年9月に任命された閣僚である。当然、内閣としての意向が働いたか、菅仮免自身の意向が働いたか、最終的にはマニフェストに従った八ッ場ダム建設中止に対するマニフェストから外れた建設中止凍結の菅内閣が決定した政府方針でなければならない。

 もしこの政策遂行に関して一貫性がないという批判が当るとしたら、発端は誰の意向であろうと、最終責任は内閣の長たる菅仮免が負うわなければならない。一番の悪者は菅仮免だと言うことである。

 菅仮免を最終責任とした八ッ場ダム建設中止凍結の政府方針ということなら、前原前外相が「続けさせてもらえればやった」と言おうと、その実現可能性は怪しくなる。凍結に持っていくための国交相交代の演出と疑うこともできる。

 中止を言い出した閣僚にその中止を凍結させたとしたら、その一貫性のない政府方針が災いして、確実に菅内閣は一挙に信用を失ったに違いない。

 尤もそうではなくても、指の間からこぼれていって手のひらの砂がなくなっていくように国民の信頼を着実に失っていった。


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小沢氏党員資格停止処分見直し是非に見る自己都合な発言しかできない菅、前原、江田五月、玄葉

2011-08-25 08:59:23 | Weblog



 8月27日告示、8月29日投開票予定民主党代表選立候補表明議員のうち、海江田経産相と小沢鋭仁元環境相、馬淵前国交相が小沢元代表に対する党員資格停止処分の見直しを表明している。

 理由は、党内融和。

 これは菅執行部が小沢氏を党員資格停止処分としたばかりか、小沢グループ議員に対しても主要な内閣人事と党人事から排除したことによって党内分裂・党内対立を生じせしめた非生産的な党運営を反面教師とした見直し表明であろう。

 参議院に於いて全野党に対して数の劣勢を強いられているばかりか、党内に於いても数を分裂させて党運営や内閣運営ばかりか、政策運営に関しても様々な障害を生じせしめ、菅仮免はただでさえ欠いている自らの指導力を数という勢力の前に一層無力とした。

 いわば菅仮免の党及び内閣運営が教えた党員資格停止処分見直しであるはずだ。

 但しすべての代表選立候補予定議員が見直しを示唆したわけではないし、現執行部側からも見直しに異を唱える声が上がった。必然的に代表選の争点に浮上することになる。

 現執行部側からは、先ず江田五月と玄葉光一郎。《小沢氏処分、江田法相「裁量で動かせぬ」=玄葉戦略相も見直し否定》時事ドットコム/2011/08/23-12:18)

 江田五月「(新しい)代表の裁量であれこれ動かせるものではない。今の体制の下で決めたことは尊重すべきだ。見直す必要があるなら、それなりの手続きを取ってやることになる」

 言っていることが前後で矛盾していることに気づかないらしい。党員資格停止処分は現執行部の決定事項であって、新執行部がそれを引く継ぐか、あるいは見直すかは新執行部の党に諮った上での決定事項であるはずだ。

 要するに江田が言っているように「見直す必要があるなら、それなりの手続きを取ってやることになる」というわけであって、党に諮って進めるルールに則した手続きを取りさえしたなら、「(新しい)代表の裁量であれこれ動かせるものではない」と絶対決定事項だと決めつけることは決してできない。

 江田五月は瓦礫処理問題の国会答弁で、「瓦礫処理は進んでいます」と怒り声で何度も言い張っていたが、具体的な処理率と具体的な現地の状況を示されると最後には「進んでいます」の言い張りをトーンダウンさせた判断能力の持主だけあって、どこまでいってもトンチンカンを引きずるようだ。

 こんなことは誰にも分かることだが、単に自分たちの決めたことだから、あるいは小沢憎しの感情から見直したくないというだけの自己都合からの発言に過ぎない。

 玄葉光一郎「執行部が時間をかけて丁寧に出した結論だ。小沢元代表もそんな小さな話をいちいち問題にするような器の方ではない」

 江田五月とドッコイドッコイの頭の良さを示している。党員資格停止処分は小沢氏にとって「小さな話」なのか。

 もし小沢元代表が党員資格停止処分を受けていなければ、再度代表選出のチャンスに賭け、自らの政治を実現する最後の挑戦と看做さない可能性は否定できない。

 小沢氏自身、7月に自らの党員資格停止処分に不服申し立てをし、却下されている。「小さな話」だったなら、不服申し立てなどするだろうか。

 半数を少し超える民主党国会議員が昨年の党代表選挙で無能な菅を無能だと気づかずに代表に投票し、首相の椅子に座らせた過ちを犯した。半数を少し超える中から決して少なくない議員がその反省から一国のリーダーには何よりも指導力が必要であることを学んだはずだ。その学習効果と菅に1票を投じた反省から今回もし小沢氏が立候補していたら、小沢氏への確かな流れをつくる勢力足り得る可能性も否定できない。

 決して「小さな話」ではないのに「小さな話」だと矮小化できる認識能力は素晴らしい。

 玄葉は「執行部が時間をかけて丁寧に出した結論」だと言っているが、党員資格停止処分が「小さな話」であるなら、逆に「時間をかけて丁寧に出した結論」だとすること自体に矛盾が生じることになる。

 菅執行部は「小さな話」に時間をかけて丁寧に結論を出す態勢となっていることになる。だから「小さな話」に時間を取られることとなって、肝心の震災対応で、その初動と二次対応、三次対応に遅れを取ることになったのだろうか。

 いくら「執行部が時間をかけて丁寧に出した結論」だとしても、現執行部の決定事項であることに変わりはなく、現執行部の決定事項を次期執行部はすべて引き継ぐこととするという取り決めがない以上、新執行部の前執行部とは異なる決定事項として違反だとすることはできない。

 要するに合理的に判断する前に自分たちが決めたことで変えたくないという感情的思惑から、それを次ぎの執行部にまで押し付けようと自己都合を働かせているに過ぎない。

 菅仮免も自己都合の範囲でしか認識できていない。《菅首相:小沢元代表の党員資格停止処分見直しけん制》毎日jp/2011年8月23日 22時44分)

 8月23日参院財政金融委員会。

 菅仮免「きちんとルールに則って決めたことは、本来守られるべきものだと認識している。代表選に立候補しようとする方が、自ら信ずる政策や党運営を述べるのはそれぞれの見識だ。議員の処分は、党のルールに従って常任幹事会が党倫理委員会に諮って決定している。もし決定を変えるなら、改めて常任幹事会で議論すべきことになる」

 江田五月と同様に前後の発言に矛盾を犯している。「もし決定を変えるなら、改めて常任幹事会で議論すべきことになる」と発言の最後で非絶対的決定に過ぎないとしていながら、「きちんとルールに則って決めたことは、本来守られるべきものだと認識している」と絶対的決定に位置づけている。

 同じ執行部であっても、途中で処分を見直す場合もある。いわば、「きちんとルールに則って決めたこと」を「きちんとルールに則って決め」直すケースの存在であり、常に絶対的決定であるわけではないということである。

 当然、新執行部が決め直す正当な機会を有するはずだ。菅が「もし決定を変えるなら、改めて常任幹事会で議論すべきことになる」と言っているように、「党のルールに従って常任幹事会が党倫理委員会に諮って決定」し直す正当な機会の執行の資格を保有しているはずである。

 条件は唯一党のルールに則って行うことであって、決して絶対的決定であることを条件としているわけではないにも関わらず、さも絶対的決定が条件であるかのように装う自己都合を働かせている。

 では、一旦は代表選立候補を見送る姿勢を見せていたが、23日に正式に立候補表明した前原誠司。《「小沢史観」脱却を訴え…代表選立候補の前原氏》YOMIURI ONLINE/2011年8月23日19時03分)

 前原誠司「小沢史観というようなものとは脱却しなければいけない。特に被災者に寄り添う、そういった目線が今は何よりも大切なので、党内がどうのこうのとか、あるいは大事な政策で与野党でにらみ合う、あるいは足を引っ張り合う、そういう政治からは脱却しなくてはいけないと思う」

 党内融和を訴えているが、この記事では小沢氏の党員資格停止に関しては何も書いていない。

 《小沢氏処分は執行部の決定を尊重すべき…前原氏》YOMIURI ONLINE/2011年8月23日19時29分)

 前原誠司「経緯があって何度も役員会や、最終的には常任幹事会で決定されたものなので、現執行部が決定を下したことを尊重するという考え方で党が結束すべきだと思う」

 前原誠司が言うべき言葉は、「もし私が代表に選ばれ、新執行部を編成することになったら、前執行部の決定を尊重し、そのような体制のもとで党は結束すべきだと思う」であろう。

 だからと言って、党のルールに則りさえすれば、見直しができないわけではない。それが唯一の条件だからだ。

 一番まともなことを言っているのは野田財務相である。

 8月23日の会見。

 野田財務相「新体制ができた時、今までの執行部や関係者の説明を聞いて、新体制で判断するということだ」(asahi.com

 現執行部の決定が絶対ではないということを言っている。

 但し、増税路線には賛成しかねる。


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菅の「間違ったことやったからではない」の辞任感覚・「政治は結果責任」意識の欠如

2011-08-24 11:09:14 | Weblog



 菅仮免が昨日(2011年8月23日)参院財政金融委員会で辞任は「間違ったことやったからではない」と、間違いからの辞任を否定したという。《「間違ったことやったからではない」 菅首相が“失政退陣”を完全否定》MSN産経/2011.8.23 19:40)

 たちあがれ日本の中山恭子参院幹事長代理に対する答弁だそうだ。

 菅仮免「首相を辞する決意をしたのは、何か間違ったことをやったから責任を取るということではありません」

 記事が題名で「“失政退陣”を完全否定」としていることに関係する菅の発言はこれのみ。菅仮免が“失政退陣”否定の文脈で「間違ったことをやったからではない」と発言したのは分かるが、どういう意味合いで「間違ったこと」としているのか理解できないために《参議院インターネット審議中継》で、中山恭子議員の質問をダウンロードし、関係する箇所のみを文字に起してみた。

 記事が他に伝えている菅仮免の発言は内閣支持率に関するもので、「脱原発依存」宣言などを念頭にした発言だと解説している。誰の質問かは書いてない。中山恭子女子の質問を動画ソフトのスライダーを動かして要所要所探ってみたが、中山女史の質問の中から見つけることができなかった。あるいは見逃したのかもしれないが、記事の発言からのみ、先に取上げて感じたことを記してみることにする。

 菅仮免「「世論調査の厳しい数字は率直に受け止めなければならない。・・・・私が提起した政策が否定されたのかというと、同じ世論調査でもそうではない数字が出ている」

 菅仮免は8月11日(2011年)の参院予算委員会でも小坂憲次自民党議員の内閣支持率の低迷に関して追及を受けて次のように答弁している。

 このことは既に《菅仮免の愚かしいばかりにご都合主義の“世論調査論” - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で触れている。

 菅仮免「ま、世論調査に関しては私は、まあ、一つの民意として尊重しなければならないとは思っています。シー、しかし、それだけで物事を判断するわけではなくて、先程申し上げましたように、私は内閣としてやるべきことがやれているかいないか、それが、やれていないとなれば私の責任ですから、あー、それは辞めなければならない。

 しかし現実には常に第二次補正が成立をし、そして、えー、次ぎの復興の基本方針も、おー、決めて、そして第三次補正に向かっての作業も始まっております。ですから、私は内閣の動きが、おー、止まってしまっているというふうには全く思っておりませんですから、あー、世論調査について、それは色々な判断がありますけれども、一つの判断であって、それだけで私の進退を決めるということではありません」

 世論調査は一つの民意として尊重はするが、一つの判断であって、それだけで物事を判断するわけではない、いわば物事を決定するに至る絶対的判断ではないと否定的に把えている。

 にも関わらず、ここでは「私が提起した政策が否定されたのかというと、同じ世論調査でもそうではない数字が出ている」と個別政策に関しては絶対的判断だとするに等しい肯定的な価値を世論調査に与えている。

 これは8月11日の参院予算委員会の発言と正反対の把え方となっている。世論調査は「一つの判断」に過ぎないと価値づけているなら、個別政策に関しても例え高い支持率を得たとしても、「一つの判断」とするのが一貫性ある判断というものであろう。

 高い支持率を得ている項目のみの世論調査を肯定し、低い支持率しか得ることができない項目は「一つの判断」に過ぎないとするのは合理的判断を無視したご都合主義の何ものでもない。

 確かに菅仮免の「脱原発依存」発言は福島原発事故の影響を受けて高い支持を得た。だが、総理大臣として記者会見を開いて「脱原発依存」の主張をさも政府の方針であるかのように発言しておきながら、後になって前以て内閣に諮ったわけではない「個人の考え」としたことに関しては国会の中でもマスコミからも国民からも批判を受けることになった。

 このことは読売新聞社が8月5~7日に実施した全国世論調査に象徴的に現れている。

 先ず菅内閣支持率。

 支持する ――18%(前回7月調査24%)
 支持しない――72%(前回7月調査63%) 

 「脱原発依存」の方針

 「賛成」――67%
 「反対」――21%

 首相が内閣で調整せずに表明したことを「適切だった」と思うか。

 「適切だった」  ――16%
 「そうは思わない」――74%・・・・

 このことからも如何にご都合主義な世論調査論となっているか分かろうというものである。尤も菅仮免の自己を利するだけのご都合主義な解釈は今に始まったことではない。

 次に中山恭子女史との遣り取り。

 中山議員「今回責任を取られるということですが、これまで総理は、自分に責任があります、責任を持っています、お言葉が何度も使われました。ただ、そのあとで、えー、責任は逃げるわけにはいかないので、責任を果たさなければならないというお言葉がそのあとに続きます。

 で、全力で取上、全力を挙げて取り組んでまいりますという、そういう、ロジックになります。責任という日本語の二つ意味のある、この二つを上手に使い分けていらしゃったんだろうと思いますが、やはり責任がある場合には、何か事が起きたときには責任を取るということでございまして、今回色んな問題がございます。

 東日本震災への対応の問題、原子力発電所の事故の対応の問題、経済回復、雇用、TPP、普天間、領土問題、円高。

 どれも総理が在任中に問題があった案件でございまして、まだその解決に至っておりません。こういったことを考えて、責任を今回お取りになるんだろうと思いますが、あのー、是非、これからもですね、大きな意味で日本のために尽くしていただけたらと思っています。(菅、エールに対して一つお辞儀をしてから、早くも右手を上げる)私自身の質問はこれで終わります」

 委員長「今国会の総理としての最後の質問となるかと思いますので、どうぞ、思いをおっしゃっていただいて結構でございますので――」

 委員長が話し終えないうちにマイクの前に立って話し出す。反論したくて大人気ないばかりに相当に急いていたようだ。

 菅仮免「あのー、本当に、イー、温かいご質問を頂き、有難うございます。

 確かに責任というのはですね、責任を果たすという意味での責任と、何かこう、このー、間違ったことをやったから、責任を取るという責任と、若干違うと思います。

 私は、今回、あのー…、おー、代表、あるいは総理を辞するとしたのは、別に何か間違ったことをやったから、あるいは責任を取ると言うことは(声を強める)全くありません。全くありません。

 えー、私が、あー、今回の、おー、ケイサン(?聞き取れない)としたのは、6月2日の時点で野党のみなさんが不信任案を出されたのはこれは、あー、我々もしょっちゅう出しておりますから、野党は、あー、政権交代を求めて、不信任案を出すものであります。

 しかし、イー、残念ながら、与党の中でも、その不信任案に、えー、同調する動きが広がってまいりまして、そのみなさんに対して、えー、私としては一定のメドが、あー、ついたら、若い方に、イー、そもまで、それまでは、あー、しっかり責任を果たしさせてください、ということを、おー、6月2日の代議士会で申し上げまして、そして、大多数の、おー、まあ、それは代議士会でありますから、衆議院のみなさんが、それを理解していただいて、エ、大差で不信任案を否決をしていただきました。

 ですから、そののち、イー、3カ月、ウー…になりますか、そいう中で、私は一定のメドがつくまでですね、しっかりと責任を果たして、いこうと考えて、で、それから、あー、まあ、余り数え上げると、昨日の、あのー、愛知さんに対する答弁と同じになってしまいますが、エ、かなりのことは、あのー、オ、責任を果たして、きたと思っております。

 えー、ですから今回の、おー、私が、あー、代表や、あー…、総理、うー…、辞するという決断をしたのは、決して何かが間違っていたから、責任を取るということではなくて、エ、まあ、あのー、党の、おー…、そうした代議士会の中でえー、ある意味で、えー………、メドをつくまで責任を果たすことが、あー、必要だと、あの段階で、多くの、おー、仲間が、まあ、いわゆる造反ということになると、内閣としても、あー、機能しなくなって、えー、なり、イー、混乱を国民のみなさんに与えることになると、そういう判断で私自身が申し上げた、その、ある意味では、あー、党内にに向けての、約束を、おー…、きちっと、果たす、ことがやはり、まさに政治家の、ケジメであろうと、思ったわけでありまして、シー、そのことは、あのー、ご理解をいただけるかどうか別として、私の真意であることを、こういう場で発言させていただく機会を与えていただきました。どうもありがとうございました」

 中山オバサン女史、席に座って菅の「有難うございました」の声に頭を下げる。拍手が起こり、中山女史自身も手を叩く。(散会)

 相当に苦し紛れの責任回避のご都合主義発言となっている。ご都合主義者の面目躍如といった最後の晴れ舞台といったところか。

 先ず「責任」なるものについて、「責任を果たすという意味での責任と、間違ったことをやったから、責任を取るという責任」の二つがあると言っているが、前者の責任は自分が引き受けて実現させなければならない任務として、あるいは義務として行わなければならない行為のことを言うのであって、任務・義務である以上、当然結果を出すまでが責任範囲となる。

 「政治は結果責任」と言われる所以の一つはここにある。
 
 後者の責任は自分が引き受けた任務、あるいは義務をどれだけ果たすことができたのか、その結果に対して負う責任であって、何も「間違ったこと」だけではなく、中途半端で終わったことや、口で言っただけで何も成さなかったことや、言ったことと違うことをした場合も負わなければならない責任である。

 また逆に任務・義務を遺漏なく果たした場合は、責任を果たしたことになる。

 いわば前者の責任を引き継いだ結果に対する後者の責任であって、「政治は結果責任」は前者・後者共に深く関わっていると言える。

 だが、菅仮免は総理としての任務・義務を満足に果たし得たかどうかの責任が問われているはずだが、後者の責任を「間違ったことをやった」場合の責任としてのみ狭い意味で把えている。

 この合理的判断能力の欠陥は如何ともし難い。

 また、中山議員が総理として自らに課した任務・義務を満足に果たしていないから責任を取ることになったのだろうとの指摘に対して不信任案を出されたことや、6月2日の代議士会で「一定のメドがついたら」云々と、これまでも何度も国会で繰返してきた答弁をまたぞろ長々と繰返しているが、責任を取って辞任するわけではないことを強弁する意味もない戯言(たわごと)に過ぎない。

 出来事にはすべて原因と結果がある。菅仮免は「6月2日の時点で野党のみなさんが不信任案を出されたのは、これは、あー、我々もしょっちゅう出しておりますから、野党は、あー、政権交代を求めて、不信任案を出すものであります」と言っているが、一般的には衆議院に於いては野党は数の劣勢に立たされているから野党であって、不信任案はいくら出しても否決される運命にあり、決して政権交代を求めることが理由の不信任案提出ではなく、内閣の政治の現状を原因とした理由がなけれが出すことはできないもので、殆んどが内閣の政治の現状を印象づける意味合いでの提出であろう。

 いわば不信任案提出という結果に対してあるはずの、あるいはなければならない政治に関わる原因の存在を無視して、「我々もしょっちゅう出しておりますから、野党は、あー、政権交代を求めて、不信任案を出すものであります」と言うのは責任逃れの誤魔化し以外の何ものでもない。

 野党が6月1日に出した不信任案にしても、「しょっちゅう出して」いるから出したのでもなく、「政権交代を求めて」出したわけでもない。主として震災対応に於ける初動の遅れや指揮命令系統の混乱、震災復興の停滞等を原因として挙げ、最後にその原因をつくり上げている菅首相の退陣を求めたもので、そのような原因に対する結果としての不信任案提出なのである。

 最後は合理的判断能力もなく訳の分からないことを言っている。

 「代議士会の中でメドをつくまで責任を果たすことが必要だと」言った、「あの段階で多くの仲間がいわゆる造反ということになると内閣としても機能しなくなって混乱を国民のみなさんに与えることになる」、「党内に向けての約束をきちっと果たすことがまさに政治家のケジメであろうと思っ」て辞任することになった。「辞するという決断をしたのは、決して何かが間違っていたから、責任を取るということではな」い。

 バカもここに至れりの感しか浮かばない。

 民主党代表という地位は民主党議員、その他が決めることだから、民主党議員その他がいくらでも弄んでもいい。民主党内の問題として完結させても結構と言える。

 だが、総理大臣という地位は資質という点では全体的には民主党議員その他のみならず、全国会議員や国民世論が決めることで、それらを差し置いて民主党議員その他が自分たちのみで弄んでいい地位ではない。全国会議員の支持傾向、国民の支持傾向等を反映させた民主党議員その他の行動でなければならないはずだ。

 それを「党内に向けての約束をきちっと果たすことがまさに政治家のケジメ」だなどと党内問題でのみ扱っている。いわば菅仮免は国民に対する責任を省いて、「党内に向けての約束をきちっと果たすこと」だけを一国の総理としての責任としている。

 この感覚も凄いが、あくまでも就任から辞任に至る経緯は総理大臣に就任したものの国民に対する責任は果たすことができなかった、「政治は結果責任」を実現できなかったことを原因とした辞任という結果であって、そういった原因と結果の関係だと把握しなければならないはずだ。

 そのように把握することができないところに菅仮免が合理的判断能力を決定的に欠いている証拠となり、と同時に「政治は結果責任」意識を決定的に欠いている所以としなければならない。


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子どもたちの被爆は健康への影響だけが問題ではなく、活動の制約を招いていることも問題視すべき

2011-08-23 10:16:13 | Weblog



 政府の原子力災害対策本部が福島県の子ども約1150人を対象にした甲状腺の内部被曝検査で45%の被曝が確認されたと福島県いわき市で8月17日開催の説明会で発表している。

 説明会には検査を受けた子どもの保護者ら約50人が参加。

 《福島の子ども、半数近くが甲状腺被曝 政府調査で判明》asahi.com/2011年8月17日21時26分)

 すぐに医療措置が必要な値ではないとの判断だというが、被曝量から計った健康への影響だけが問題ではない。
 
 記事は、〈低い線量の被曝は不明な点も多く、長期的に見守る必要がある。〉と書いているが、これも被曝量から見た健康の観点からの指摘となっている。

 問題は放射線が子どもの活動を制約していることであろう。身体的な活動の制約は多少の違いはあっても、精神面の抑圧、あるいは感情面の抑圧に微妙につながっていく。
 
 精神面の抑圧とは思考や判断能力に対する歪めた働きを言う。感情面の抑圧とは喜怒哀楽に対する制約をもたらす。少なくと活動の制約は思考や判断能力の幅を狭くし、喜怒哀楽の表出を抑えることになる。それぞれの子どもにとって当たり前の活動を様々に制約するとはそういうことであろう。

 外に出て遊ぶのは1時間だとか2時間だとか、なるべく建物の中にいろ、暑くても長袖を通せと活動と精神を様々に制約する。耐え得る許容度は大人と違って子ども程小さく、負の影響力は大きいはずだ。このことが子どもの心身の発達に関しても様々な制約を微妙に与えていく。

 元々家の中にいて遊んだり本を読んだりすることが好きな子ならば問題は少ないだろうが、遊びたい盛りの子どもの頃、外に出て遊びたくても、思い切って遊ぶことができなかった子どもが活動的な面のみならず、精神面に於いても喜怒哀楽の感情面に於いてもすくすくと育っていくだろうか。

 勿論、ある一定の年齢に達したとき、多くの子どもが軌道修正を図ることができるだろうが、他県の子どものように何の心配もなく外で遊びまわって成長していった子どもと違って、身体と頭のどこかに子どもの頃思い切って活動できなかったという負の記憶を残しているはずだ。

 上記記事の、いわき市と川俣町、飯舘村の0~15歳の子どもの1150人のうち、条件が整い測定できた1080人は全員が0.10マイクロシーベルト以下で、原子力安全委員会が精密検査が必要と決めた甲状腺被曝線量が毎時0.20マイクロシーベルト以上だとした基準値を下回ったという。

 福島靖正対策本部原子力被災者生活支援チーム医療班長「問題となるレベルではない」

 この発言も被曝量から計った健康への影響の面からのみを問題としている。

 国が学校の校庭等の活動を制限する目安として1時間当たりの放射線量を3.8マイクロシーベルト、年換算20ミリシーベルトとしていることを受けて、福島県が4月下旬、県内13か所の公園の放射線量を測定、4公園で3.9マイクロシーベルト、1公園で3.8マイクロシーベルトの値が出たために県はこの5公園の利用を1日1時間以内に制限した。

 だが、テレビで放送していたことだが、幼い子ども連れの母親が、「子どもへの影響は大人よりも大きいから、公園では遊ばない」といった趣旨のことを言っていた。これは自然な反応だろう。兎に角目に見えないのだから、どこどうより高い放射線量を浴びない保証はどこにもない。近づかないに越したことはないというわけである。

 いわば公園で毎日きちきちと1時間の制限を守ったとしても、他の場所で高い放射線量を浴びたなら、公園での毎日の1時間は却ってアダとなる。

 どこでどう放射能を浴びるかもしれない不安だけではなく、学者の中には1時間当たりの許容放射線量3.8マイクロシーベルト、年間許容量20ミリシーベルトは高過ぎると批判する向きもある。政府の原子力政策を批判して内閣参与を辞任した小佐古敏荘氏は文科省選定の1時間当たり放射線量3.8マイクロシーベルト、年換算20ミリシーベルトの許容度を「とんでもなく高い数値で、年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」とさえ主張している。

 大人よりも放射能の影響が大きい子どもを持つ親としたら、浴びる放射線はより少ないに越したことはないと判断するのは自然の人情であろう。例え意図しない活動の制約につながり、それが精神面や感情面の抑圧となって心身の発達に何らかの影響を与えたとしても、万が一身体を蝕むことになった場合の放射線の悪影響は心身の発達の元も子もなくしてしまうだろうから。

 除染が進んでいるとは言え、少なくない学者が許容度として指摘する年間被曝量1ミリシーベルトにまで除染が進まなければ、一旦小中学校の屋外の活動を制限した以上、時間を気にかけずに遊びまわることが果たしてできるだろうか。

 このことを証明する記事がある。《福島県外避難5万人超す 子ども千人超、夏休みに避難》asahi.com/2011年8月22日21時37分)

 福島県災害対策本部によると、原発事故の影響を避けたり、仕事を求めたりで福島県から県外へ避難した住民が5万人を超えたという。

 県の発表で、県外避難者は8月11日現在で5万1576人。6月末時点の4万5242人より6千人以上増加。

 避難先で最も多いのは山形県の1万43人。新潟県の6199人、東京都の5642人。県内も含めた全避難者数は6万4367人(8月22日現在)で、うち約8割が県外避難。

 主として放射能を恐れてなのは、総務省の全国避難者情報システムに基づく宮城県の県外避難者、8月17日現在で7848人、岩手県は1540人で、福島県の県外避難者5万1576人の多さが証明している。

 福島県の子どもに関しては、7月15日現在の県調査で県外避難小学生は5710人、県外避難中学生1962人、夏休みのうちに県外への避難希望児童・生徒が計1081人。

 政府と自治体が校庭の土を重機で一生懸命に削ったり、通学路の側溝を高圧水流で流し集めて、それをバキュームで吸い込んで他処に運んでいって可能な限り放射能の除去に務めていても、夏休みの間の子どもたちの県外への流れはこの有様である。

 いくら除染に努力したとしても、親や子どもが自然な選択としてある外での活動を控えた場合、放射能の身体への影響を避ける活動の制限が意図しないままに十全であるべき心身の活動を抑圧し、思考や判断をつかさどる精神と喜怒哀楽をつかさどる感情の制約につながっていくことになるが、放射能の影響が少ない県内避難、あるいは殆んどない県外避難することによって行動の自由な活動を確保した場合、同じく意図しないままに精神や感情の抑圧からの解放を味わうことができる。一般的な範囲で思いのままの自由な思考と思いのままの自由な判断が好きにできる。自由な喜怒哀楽の発散を可能とすることができる。

 福島の子どもたちが夏休みの間、県外の自治体から海水浴や林間学校等に招待されて思い切り心行くまでの心身の解放を果たすように県内避難・県外避難によってそれが年間の保証を得ることができる。

 放射能は心身の発達に何ら障害とはならなくなる。

 政府は被曝量から見た健康の観点からのみの範囲で、大丈夫だ、影響はないと言うのではなく、子どもたちの活動を様々に制約することによって作動させることになる精神面の抑圧、あるいは感情面の抑圧までも考慮して、心身の発達に問題はないかどうかの判断まですべきだろう。

 建物の中と外とを問わずにすくすくと育つ活動、伸び伸びと行動することができる活動の保証であることは言うまでもない。

 環境の保証のみではなく、活動そのものの保証である。


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菅仮免の「ステップ2」及び帰宅の前倒し実現約束は文科省と情報交換を果たした上でのことだったのか

2011-08-22 11:26:04 | Weblog

 

 《冷温停止で警戒区域見直し検討 首相、地元に表明》中国新聞/'11/7/17)

 菅仮免と細野原発事故担当相が7月16日午後、福島県郡山市内で福島第1原発周辺12市町村の首長らと会談して、政府側は原子炉が冷温停止した段階で、立ち入りが禁じられた半径20キロ圏内の「警戒区域」の見直しを検討すると表明したという。

 菅仮免(「ステップ1」が7月17日の期限内に達成できる見通しになったことを前提に)「多くの人がふるさとに帰れるよう(冷温停止を達成するとした)ステップ2を前倒しで実現できるよう全力を挙げたい」

 この「警戒区域」の見直しは菅仮免が「多くの人がふるさとに帰れるよう」と言っている以上、わざわざ断るまでもなく、解除の方向に向けた見直しであろう。

 「ステップ2」は来年の1月までを工程として、原子炉の温度を100度以下にする「冷温停止」状態を目指すと同時に放射性物質放出の削減、土壌及び生活空間の放射性物質除染と警戒区域や計画的避難区域の解除・放射能避難住民の帰宅を目標としている。

 いわば菅仮免は「ステップ2」前倒しと帰宅の前倒しの実現を約束した。当然、土壌及び生活空間の放射性物質除染の達成を伴わせていたはずだ。

 また菅仮免のこの約束は原子力行政機関の関係者やその他の専門家と話し合いの上、そうなるだろうという確信を与えられ、自身も確信を得ていたことを前提としていなければできない約束であろう。

 この前提がないままに実現を約束したとしたら、カラ約束を振り撒いたことになる。警戒区域や計画的避難区域殻の避難住民からしたら、帰宅の希望の灯火(ともしび)が見えてきたことになる。「あと半年の我慢だ」と。

 菅仮免に同伴していた細野原発担当相も同じ考えに立っていたはずで、この会談の2日前の7月14日の震災復興に関する衆議院特別委員会で次のように答弁している。《“冷温停止が警戒区域解除の前提”》NHK NEWS WEB/2011年7月14日 23時19分)

 細野「警戒区域の方々は、いつ帰れるのかを心待ちにしている。慎重な対応が必要だが、基本的には原発事故の収束に向けた工程表の『ステップ2』の冷温停止が達成できたときに帰っていただく前提が整うことになる」

 これは単に工程表の実施項目どおりの目的を述べたに過ぎない。だが、次ぎの発言が「ステップ2」達成と帰宅の実現を前提とした内容となっている。

 細野「ステップ2が達成できたときに、帰っていただけるところには帰っていただきたい。来週以降、できるだけ早い段階で、放射線量のモニタリングや除染、インフラ整備などの準備に取りかかりたい」

 これが単に工程表にはこのような方針となっていますの説明であったなら、説明されるまでもない既知情報の不必要な再説明となって許されないことになる。「放射線量のモニタリングや除染、インフラ整備」は帰宅のための準備だということである。

 だが。だがである。菅仮免と細野原発事故担当相が福島第1原発周辺12市町村の首長らと会談した7月17日から半月しか経たない8月20日になって、政府は東電福島第一原発事故で高濃度の放射性物質に汚染された周辺の一部地域について、長期間にわたって居住が困難になると判断、警戒区域を解除せず、立ち入り禁止措置を継続する方針を固めたと、《原発周辺、長期間住めないと判断…首相陳謝へ》YOMIURI ONLINE/2011年8月21日03時01分)が伝えている。

 記事題名に「首相陳謝へ」となっているが、また記事本文も〈政府は4月、原発20キロ圏内を原則として立ち入りを禁じる警戒区域に設定。来年1月中旬までに原子炉が安定的に停止する「冷温停止状態」を達成し、警戒区域を解除する方針を示してきた。〉が、その方針の撤回を受けて、当然、立ち入り禁止措置も居住禁止も長期間に亘ることになるから、避難の長期化を陳謝する方向で検討することになったしている。

 しかし政府と東電が4月17日に作成した「事故収束に向けた道筋」(「工程表」)の「ステップ2」がここに来て変更を余儀なくされたということなら理解もできるが、4月にどころか、ほんの半月前に冷温停止の「ステップ2」の前倒しと、この前倒しに連動する帰宅時期の前倒しの実現を除染達成を前提として約束したばかりであるのだから、陳謝も陳謝、当然の「陳謝」となるが、原子力安全委員会や原子力安全・保安院、あるいは東電を含めたその他の原子力の専門家と議論し、今後の方針を詰めた上での確信のもとで行った7月16日の発言だったのか、疑わしくなる。

 もし専門家の意見を取り入れた実現の約束であったなら、専門家たちの知識や判断能力は疑わしくなる。

 記事は、〈数十年続くとの見方も出ている。〉と書いている。この「数十年」は居住困難の期間でもあり、同時に高濃度の放射能汚染が続く期間でもあろう。 

 半月前に与えたばかりの希望を半月後に取上げる。陳謝では済まない失態となる。

 記事は、〈文部科学省が原発20キロ圏内の警戒区域内で事故発生後の1年間で浴びる放射線の積算量を推計した〉と書いているが、この推計を受けた長期間に亘る居住居住禁止であり、避難の長期化なのは断るまでもない。

 だが、いつ推計したのかの時期については記事は触れていない。

●大熊、双葉両町を中心とする35地点で、計画的避難区域などの指定の目安となる年間20ミリ・シーベルトを大きく超えた。
●原発から西南西に3キロ離れた大熊町小入野では508・1ミリ・シーベルト、同町夫沢で393・7ミリ・シーベルトと、高い推計値を示した。

 この文科省の調査に関して、《原発警戒区域の年積算線量、最高508ミリシーベルト》asahi.com/2011年8月20日10時45分)が8月19日公表の東京電力福島第一原発から20キロ圏内警戒区域の「原発事故発生から1年間の積算放射線量推計値」調査であり、各地の推計値を詳しく伝えている。

 立ち入りが禁止された警戒区域9市町村のうち、8市町村の50地点を調査。事故から来年3月11日までの1年間、毎日、屋外に8時間、木造家屋内に16時間いたと仮定した積算量の推計だという。

 各地の原発事故発生から1年間の推計値――

 原発から西南西3キロにある福島県大熊町小入野が508.1ミリシーベルトの最高値。

 この値は一般の人が浴びる人工の放射線量限度1ミリシーベルトの500年分に相当。

 最低値は南相馬市小高区の3ミリシーベルト台。

 計画的避難区域指定などの際に目安とされた年間20ミリシーベルトを超えたのは50地点のうち35地点では、第一原発のある大熊町では全12地点が20ミリシーベルトを超え、うち7地点で100ミリシーベルト以上。
 
 浪江町では最高が北西20キロの川房で223.7ミリシーベルト、最低は北8キロ地点の4.1ミリシーベルト――。

 菅政府は放射線量の高い地域住民の帰宅を長期間禁止する代償としてだろう、〈その地域の土地を借り上げる方向で検討に入った。〉と、《原発周辺の土地、国借り上げ検討 居住を長期禁止》asahi.com/2011年8月22日3時4分)が伝えている。

 長期に亘って住むことができない土地を借り上げて地代を払うことで住民への損害賠償の一環とする考えだそうだ。

 先ず、立ち入りを禁止した原発から半径20キロ圏内の「警戒区域」の中で継続して高い放射線量が観測される地域について警戒区域の指定解除を見送る方針。

 次に、福島県双葉、大熊両町等の原発から半径3キロ圏内外に亘る地域に関しては3キロ圏外でも放射線量が高い地域があり、指定解除見送りの範囲が広がる可能性がある等々を伝えている。

 政府のこのような動きを示す気配、兆候の類いがここ何日かの間にあったのだろうか。文科省が東京電力福島第一原発から20キロ圏内警戒区域の「原発事故発生から1年間の積算放射線量推計値」調査を公表したのが8月19日。《警戒区域 一部は当面解除せず》NHK NEWS WEB/2011年8月21日 12時25分)によると、政府は8月9日の原子力災害対策本部の会合で、放射線量が極めて高いなどの理由で、相当長期にわたって帰宅が困難な区域の存在も今後明らかになるという見方を初めて示したと伝えている。

 〈政府は、事故の収束に向けた工程表でステップ2に当たる、原子炉の冷温停止状態が達成されたあと、原発から半径20キロ圏内の警戒区域の解除の検討に入る方針でしたが、こうした長期にわたって帰宅が困難な区域については、当面解除せず、立ち入り禁止措置を続けることになりました。具体的に該当する区域としては、原発から極めて近く、放射線量が依然として極めて高い地域を検討しています。そして、菅総理大臣が、近く、そうした区域に該当する自治体に対し、住民の避難が長期化する見通しや、それに伴う住民への支援策などについて、直接説明する方向で調整を進めることになりました。〉――

 とすると、8月9日前後以来の政府の動きということになるが、文科省の調査はその近辺でほぼ結論を得ていたことになる。

 なぜ菅仮免は7月16日午後の原発周辺12市町村首長らとの会談で、「多くの人がふるさとに帰れるよう(冷温停止を達成するとした)ステップ2を前倒しで実現できるよう全力を挙げたい」などと発言せずに文科省のこの調査の結論を待たなかったのだろう。
 
 ここで分かることは、「ステップ2」が「冷温停止」の達成と同時に土壌及び生活空間の放射性物質除染の達成を目標としているはずなのに、菅仮免は7月16日に「ステップ2」と帰宅の前倒しの実現を約束したとき、「ステップ2」に含まれる「冷温停止」は頭に入っていて達成できるとしていたが、除染に関しては頭に入っていなかったことになる。

 このことと文科省の調査を待たなかったことを考え併せると、菅仮免と文科省との間に遺漏のない情報交換がなされていなかった疑いが出てくる。

 もし調査に関してすべてに亘って逐一報告を受ける情報交換が実行できていたなら、放射線量調査も待たずに「ステップ2」の前倒しと帰宅の前倒しの実現を約束などしなかっただろうし、いや、できなかったろうし、実現が約束できないことが既定事実化して陳謝しなければならないといった事態も生じないはずだ。

 だが、実際には半月前には実現の約束をし、それから半月経ってそれを反故とする陳謝を行わざるを得なくなった。

 もしかしたら、なでしこジャパンに対する国民栄誉賞授与にエネルギーを取られていたということなのだろうか。

 菅仮免はなでしこジャパンが決勝進出を決めると、7月16日午後の原発周辺12市町村首長らとの会談2日前の7月14日、次のように発言している。

 菅仮免「是非優勝してもらいたいね、優勝をね」(asahi.com

 帰宅前倒しの実現の約束違反だけではなく、もし文科省との間で情報交換を満足に果たしていなかったとしたら、この二つだけで十分なまでに放射能避難住民に対してだけではなく、被災者全体に対する裏切り行為だと言える。


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菅の震災発生後「1週間眠れなかった」は被災者を考えてなのか、自己評価への跳ね返りを懸念してのことか

2011-08-21 11:04:13 | Weblog



 《首相「1週間眠れなかった」 原発事故で》MSN産経/2011.8.21 00:35)

 8月20日夜、衛藤征士郎衆院副議長が近く退陣する首相を慰労するために横路孝弘衆院議長と共に副議長公邸に夕食に招いた。〈東日本大震災と福島第1原発事故への対応について〉、次のように述べたという。

 菅仮免「発生後、1週間眠れなかった」

 簡単には回復可能とは言えない政治不信を国民の間につくり出した無能首相を何のために慰労する必要があったかは不可解だが、結論を先に言うと、震災が与えている被災者や国に対するダメージ、その生活再建や被災地再建そのものを考えて「1週間眠れなかった」のではなく、震災に対する自身の危機管理対応の正否を懸念して、「1週間眠れなかった」のだと断言できる。

 危機管理対応が失敗した場合、即自身に対する評価となって撥ね返ってくる。いわば最終的には自分がどう評価されるか心配になって「1週間眠れなかった」ということだろう。

 もし自身がどう評価されるか気にして「発生後、1週間眠れなかった」のではないとすると、自身に対する指導力欠如や危機管理対応欠如の批判をかわすためについたウソに違いない。

 いわば「1週間眠れなかった」程に被災者と被災地のことを考えて全力で事に当たったと誤魔化すために。

 先ず3月11日大震災発生翌日3月12日の首相官邸でマスコミ記者を集めて行った震災に関する「菅内閣総理大臣メッセージ」とさらに13日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」は記者の前で発言していながら、記者からの質問を一切受け付けずに自分の発言だけでさっさと切り上げている。

 3月15日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」で初めて記者の質問を一つ受け付けるが、一人のみで終了。

 3月25日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」になって初めて内閣広報官が「それでは、質問を3~4問受けさせていただくことといたします」と言って、複数の記者から質問を受け付けるが、「3~4問」のうちの最大の4人で打ち切っている。

 そして4月1日から「菅内閣総理大臣記者会見」と普通の名称に戻して、15人もの記者から質問を受けている。

 このことは《菅総理の演説・記者会見等 -首相官邸ホームページー》で確かめてもらいたい。

 「発生後、1週間」と言うと、3月18日までとなる。菅仮免の1週間は国民も政府は何をしているのか、どういうふうな考えの対応を取っているのか、多くのことを貪欲に知りたいと思っていた1週間でもあるはずである。その多くの中には首相が発する情報のみではなく、記者が質問によって掘り起こすことで首相が新たに発することになる情報までを含んでいるはずだ。

 だが、菅仮免は3月12日、13日と続けて首相官邸に記者を集めていながら、自分の情報発信だけで、記者が聞いて掘り起こし、国民に伝えたいと思う情報の発信には一切応じる姿勢を示さなかった。

 「国民の皆様へのメッセージ」と銘打ちながら、国民に対する説明責任を誠実に満足ゆくまで応えようとする積極性を一切見せないこの姿勢は記者から追及を受けて失言や間違った情報を発信をした場合の自身に対するマスコミや国民の批判、あるいは不評を恐れていたからに他ならないはずだ。

 もし被災者や被災地のこと、国のことを真に心配していたなら、あらゆる疑問に応えて説明責任を可能な限り果たそうという誠実な姿勢で「国民の皆様へのメッセージ」に臨んだだろうし、当然、記者の質問に快く応じたはずだ

 だが、一切の質問を受け付けなかった。

 3月15日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」で初めて一人に限って質問を受け付けたのは13日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」終了後の枝野詭弁家官房長官の夜8時からの記者会見で、共同通信社の記者から、「総理はメッセージを発せられたけど、総理が質疑応答に応じられないということはどういうことなのか」とクレームがついたからだろう。

 だが、クレームがついて一人のみの質問を許したことからは誠実さとは縁のない仕方なしの姿勢しか窺うことができない。

 次に記者の質問を受け付けなかった震災発生翌日の3月12日の「東北地方太平洋沖地震に関する菅内閣総理大臣メッセージ」の発言から、「発生後、1週間眠れなかった」が被災者や被災地のことを思ってのことではなく、自身が危機管理対応の責任を果たせるかどうかによって決まってくる自身に対する評価、自分がどう評価されるかを気にしてのことだということを証明してみる。

 先ず自衛隊ヘリコプターで福島原発視察と被災地上空視察に言及してから、自衛隊の派遣について発言している。

 菅仮免「今回の地震は大きな津波を伴ったことによって、大変甚大な被害を及ぼしていることが、その視察によって明らかになりました。まずは、人命救出ということで、昨日、今日、そして明日、とにかくまず人命救出、救援に全力を挙げなければなりません。自衛隊にも当初の2万人体制から5万人体制に、そして、先ほど北澤防衛大臣には、更にもっと全国からの動員をお願いして、さらなる動員を検討していただいているところであります。まず、1人でも多くの皆さんの命を救う、このために全力を挙げて、特に今日、明日、明後日頑張り抜かなければならないと思っております」

 さらに言葉を継いで、

 菅仮免「そして、既に避難所等に多くの方が避難をされております。食事、水、そして、大変寒いときでありますので毛布や暖房機、更にはトイレといった施設についても、今、全力を挙げて、そうした被災地に送り届ける態勢を進めているところであります。そうした形で、何としても被災者の皆さんにも、しっかりとこの事態を乗り越えていただきたいと、このように考えております」

 被災者の困窮を考えての発言となっている。果たして被災者の困窮を、さらに被災地の混乱、国家経済への影響等を考えて、「1週間眠れなかった」と言うことだろうか。

 次いで3月13日の「菅総理からの国民の皆様へのメッセージ」の発言から。

 菅仮免「地震発生から3日目の夜を迎えました。被災された皆さん方に心からのお見舞いを申し上げます。また、被災地を始め、国民の皆様には大変厳しい状況にある中で、冷静に行動をしていただいていることに対して、感謝と心からの敬意を表したいと、このように思います」

 先ずは被災者の身の案じている。

 菅仮免昨日に続いて今日一日、人命の救出に全力を挙げてまいりました。これまで自衛隊や警察、消防、海上保安庁あるいは外国からの支援も含めて、約1万2,000名の方を救うことができました。本日の救援体制を少し紹介いたしますと、自衛隊は陸海空で5万人が展開し、10万人体制を準備いたしております。また、警察官は全国から2,500名を超える皆さんが被災地に入っていただいております。消防、救急隊は1,100隊を超える隊が現地に入っております。さらに災害派遣医療チームも200を超えて現地にお入りいただいております」

 さらに3月21日午後に官邸で開いた緊急災害対策本部と原子力災害対策本部合同会議での発言。《「関係者の命がけの努力が少しずつではあるが前進」 政府対策本部の首相発言》MSN産経/2011.3.21 18:17)

 菅首相「今日で震災から11日目となった。その中で本当にうれしいニュースは、(宮城県)石巻で80歳のおばあさんと16歳のお孫さんが救出された。大変な被害、多くの方が亡くなられる中で、尊い命が救われたことは、私たち自身、国民の皆さんも大変喜んでいると思う。
 今朝の報告では、2万6650名の皆さんを、自衛隊はじめ、多くの機関で救助することができた。関係者の努力に改めて感謝を申し上げたい」

 この自衛隊をどのくらい派遣し、何名を救助したかに関しては野党が国会で震災対応の遅れを追及するたびに遅れてはいないこと、しっかりと対応していることの証明として繰返し何度でも持ち出している。

 だが、菅が10万人も自衛隊を派遣した成果である「約1万2,000名の方を救うことができました」にしても、「2万6650名の皆さんを」救助できたも、津波が引かない中で建物の中や屋上、あるいは孤立した地域といった場所に目に見える形で取り残された生存者が殆んどで、当たり前と言ってもいい救出に過ぎない。

 いわば閉じ込められた部屋の窓から手を振っているか、屋上からシーツを救助要請の旗代わりに広げたりしているか、孤立した地域では何らかの通信によってか、それぞれの生存者が飛行中のヘリからの目視によって救助を求めていることを知り、自衛隊その他がそれに応じた、訓練を受けた者なら容易にできる救出であった。
 
 残酷なことだが、実際には倒壊した建物の中に自力で這い出ることができずに閉じ込められたまま何日かして息を引き取った被災者もいたに違いない。

 肝心なことはこういった被災者の救出だが、そういったことに向ける視線を持たないから、目に見える形の生存者を何人救ったと自らの成果とすることができる。

 菅仮免が言っている、地震発生から10日目に救出された石巻で80歳のおばあさんと16歳のお孫さん」は津波に流されて倒壊した家屋の中に、いわば外から見えない形で9日間祖母と共に閉じ込められていた16歳の孫がこの日自ら柱や板、家財といった障害物を取り除いて屋根の上まで出て、自ら周囲に助けを呼んだ声に警察官が気づいて救出したもので、「約1万2,000名」や「2万6650名」の殆んどのような最初から目に見える形での生存とは異なる救出である。

 そして記者会見だけではなく、国会でも自衛隊を10万人派遣して、1万人救出した、2万人救出したと自らの成果としている間に、記者会見で「食事、水、そして、大変寒いときでありますので毛布や暖房機、更にはトイレといった施設についても、今、全力を挙げて、そうした被災地に送り届ける態勢を進めているところであります」言っていながら、実際には食糧支援も毛布も暖房器具も、さらに医薬品等も支援が遅れに遅れていた。

 ガソリンや灯油といった燃料の支援も遅れに遅れていたし、また瓦礫処理や支援金配布も遅れていた。

 もし「発生後、1週間眠れなかった」程に放射能避難住民も含めて被災者の生活、被災地の状況を心配していたなら、各種支援があれ程にも遅れることなかったし、遅れている実態からしたら、「眠れなかった」のは「1週間」では済まなかったろう。

 さらに心底「発生後、1週間眠れなかった」程に誠実に震災と向き合っていたなら、4月26日午後の衆院予算委員会で仮設住宅8月お盆まで希望者全員入居を確信もなく国会で安請合いして、見せ掛けの希望を与えるような誠実さとは百八十度正反対のことは発言しなかったろう。

 要するに自身の能力誇示のために仮設住宅8月お盆まで希望者全員入居を安請合いした。決して被災者の困窮・苦難を思って、そこから1日も早い解放を果たすべく言ったわけではない。

 自身の能力誇示とはこの場合、「約1万2,000名」や「2万6650名」の救出を成果とするのと同じ類いで、危機管理対応の責任を果たしていると見せ掛けることによって自身に対する評価につなげる意識の発動を言うはずだ。

 震災発生以後、暫くは記者の質問を受け付けなかった姿勢、被災者や被災地に対する実質的な支援・救済を欠いていながら、あるいは復旧の遅れを来たしていながら、目に見える形で取り残された生存者の救出人数をいつまでも成果としていたこと、同じく肝心要の被災者や被災地に対する実質的な支援・救済を欠いていながら、自衛隊を直ちに10万人派遣しただの、消防を派遣しただのと、そういったことを以って自らの危機管理能力としていたこと、確信もなく仮設住宅入居を安請合いしていたこと等を考え併せると、震災「発生後、1週間眠れなかった」は自身の危機管理対応如何に応じて違えてくる自身に対する評価を懸念したとしか結論づけることはできない。

 そうでなければ、最初に書いたように自身に対する指導力欠如や危機管理対応欠如の批判をかわすために一生懸命に取り組んだと装うためについた真っ赤なウソであろう。


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