6月28日「新報道2001」出演の金美齢発言から社会・政治問題の提言者としていることの正当性を問う

2014-06-30 11:26:42 | Weblog



 2014年6月28日日曜日のテレビ各社も都議会女性蔑視ヤジを取り上げていた。マスコミ的には犯人探しの趣向もあって、格好のネタとなっているのだろう。テレビや識者が批判している「セクハラヤジ」にしても、あるいは「女性差別発言」にしても、双方共に女性よりも男性を上に置く構造の権威主義の力学が為さしめる行為であって、要は日本の男たちがかつて色濃く持っていた、権力的に男女を上下の関係に置く男尊女卑の風習の、今以て引きずっている名残りが言わしめたヤジであって、男の側の女性側に対するパワハラとしての側面も持っているはずだ。

 男女平等の意識が根付いていたなら、この手のヤジは出てこないし、ヤジに同調した笑い声も起こらない。

 フジテレビ「新報道2001」でもこの問題を取り上げていた。金美齢が出演していて発言していたが、言っていることの判断能力がどうも気になった。今更気づいたことではなく、前々から気づいていたことではあるが、番組が金美齢を、〈80歳、台北出身。育児から政治まで幅広く提言。〉と紹介していたことに対して果たして社会・政治問題の提言者としての合理的判断能力を備えた発言資格ある人間と看做すことができるのだろうかと疑問に思えた。

 あるいは私自身のみが疑問に思えただけのことで、社会的に正当性ある発言と看做す意見もあるかも知れない。俎上に載せて、判断を仰ぎたいと思う。

 舛添東京都知事も出演していて、〈セクハラやじ “揺らぐ信用” 女性活用政治の本気度〉と番組コーナーは銘打っていた。

 金美齢「世の中の動きとしてはね、なるべくならね、若い人たちに結婚してくださいよと。結婚して下さいよって、これ一般論じゃないですか。みんなそう願ってるわけ。少子高齢化なんて言ったら、唯一解決策。

 高齢化はね、止めようがないですよ。私だって、もう少し長生きしたいし。でも、少子化はね、何とかなるんですよ。みんなが意識を変えていけば。

 だったらね、あの場所、あのヤジは、勿論、問題外ですけどもね、早く結婚した方がいいんじゃないですかっていう言葉はね、タブーにしちゃあいけないと私は思う」――

 確かに生活の保証の元となる賃金の保証を受けて若い男女の多くが安心して結婚出来る経済的環境を提供して、二人、三人と安心して子どもを産んで安心して育てることのできる家庭状況及び社会的状況を与えることができれば、少子化の解決策となる。但し、唯一ではない。外国人の移入による人口増加を手段として出生数を高める方法もある。その両方を関連させることで、少子化のより有効な解消策となるはずだ。

 だが、「高齢化はね、止めようがないですよ。私だって、もう少し長生きしたいし」と言っていることは、高齢化を歳を取ることと判断していることを意味する。高齢化とは総人口に占める年配者の割合が大きくなることを言うのであって、金美齢の合理性を欠いた判断能力は社会・政治問題の提言者としての発言資格が疑われることになる。

 1人の女性が生涯に産む子供の数を示す合計特殊出生率を飛躍的に改善できれば、高齢化も改善可能となるし、若い外国人労働者を移民として迎え入れれば、「高齢化はね、止めようがない」ことはない。

 金美齢はまた、「早く結婚した方がいいんじゃないですかっていう言葉はね、タブーにしちゃあいけないと私は思う」と言っているが、あくまでもケースバイケースであって、父・母と息子・娘といった相互に相手側の人間性や置かれている状況を理解し、信頼し合っている極々親しい私的関係に於いては許されるケースであっても、そうではない他者的関係に於いては許されるはずもなく、その区別もない合理性を欠いた判断となっている。

 父・母と息子・娘の近親者関係であっても、他者的人間関係というものは存在する。常に相互理解に立った親しい私的関係にあるとは限らない。もし息子が性同一性障害者で、父・母がそのことに気づいていない場合、父・母の立場から、なかなか結婚しない息子に対して結婚しろよと不用意に言おうものなら、簡単に他者的関係を築くことになるだろう。

 あるいは息子・娘が夫ある女性と、妻ある男性と恋愛関係にあった場合、父・母が相手として想定している「結婚しろよ」は息子・娘を追いつめるだけで、タブーとなる場合も生じるだろう。

 また、「早く結婚した方がいいんじゃない」という言葉かけが許されるのは人間関係の濃密が基準になるだけではなく、時と場所も条件となる。人間関係の距離だけではなく、時と場所を考えない都議会のあのヤジ自体は問題外だと言う以上、そこから「早く結婚した方がいいんじゃないですかっていう言葉はね、タブーにしちゃあいけないと私は思う」とする主張を導き出すこと自体が合理的とは言えない。あくまでも別問題である。

 タブーにしてはいけないと言うことによって、ヤジ自体を擁護するニュアンスを含むことになる。

 同じ日曜日の「たかじんのそこまで言って委員会」の「許せないニュースに吠えまくりスペシャル」で、やはり都議会の「早く結婚した方がいいんじゃないか」と言い放ったヤジを取り上げていて、出演していた橋下徹が珍しくまともな発言をしていた。

 ヤジを許せるかどうかパネラーに問いかけた。

 パネラーの一人津川雅彦が、「許せる」とし、「あれをセクハラにされたら、かなわん」とパネルに書き込んでいた。

 津川雅彦「結婚しろっていうことぐらいでセクハラ扱いされたら、娘に俺は何て言えばいいんですか」

 山本司会者「家で言うことと、都議会で言うことと・・・・」

 津川雅彦「都議会も、家も一緒です」

 津川雅彦は公私の関係で違いが生じる場合があることを理解するだけの頭を持っていない。

 橋下徹「津川さんが言っていることも、ある意味、理があって、これはセクハラ問題で誤解されることは、これは人間関係があるかどうかなんですね。人間関係がある中で、それは早く結婚しろよと。
 
 僕も親だから、言いますよ。子どもに対して。で、例えば、それからもうちょっと広がって、友人・知人関係になるか、しっかり人間関係がある中で、そういう発言というのがある程度許される場合もあるかもしれませんが、やっぱり議員同士っていうのは、そういう人間関係にある者同士じゃありませんからね。

 ただ、僕はこの発言というのは、やっぱり今の日本社会、セクハラ発言になると思いますし、私は基本的にはヤジはやるべきではないと思っています」――
 
 橋下徹が最後に言っている「私は基本的にはヤジはやるべきではないと思っています」は、議員の経験がなく、首長の経験しかない立場が言わせているご都合主義に過ぎないことに本人は気づいていない。

 首長がヤジることは絶対にないとは言い切れないかもしれないが、議員が首長の答弁に我慢できなくなってヤジることはあっても、首長が議員の質問に不用意にヤジることは目立ち過ぎて、品性に関わってくる。
 
 ヤジはゴミ捨てと同じで、近くに居る者は誰がヤジったと分かったとしても、全体的には匿名性を利用する。だから、ヤジが問題となると、誰か特定する手続きが必要となる。

 もう一つ、金美齢の合理的判断能力を欠いた発言を取り上げて、社会・政治の提言者としての発言資格があるか、問い質してみる。

 舛添知事「基本的なことを申し上げますと、このレベルの都議会かって言うんですが、都議会を選んだのは都民なんですよ。ですから、例えばこういうことがあったから、都議会の(ママ)――。

 何度でもあのビデオが流されていますけども、じゃあ、都議会に来ていますか?都議会、ちゃんとしているか。

 で、要するに次の選挙で審判下せばいいわけです。私も都民のみなさんに選ばれたから、公約を掲げて、公約を超スピードで実行していく。そして成果が上がらなければ、都民の審判を受ける。こういうことなんで――」

 大体が党より人と言うが、政党の公約で一票の行方を決めることが多い選挙の構造となっている。ホンネの人間性は隠して、政党の公約を右へ倣えで並べ立てるだけだから、ヤジが問題となるといった突発事態が起きない限り、人間性は知りようがないことになる。

 金美齢「じゃ、それはね、私自身の反省でも実はあるんですよ。今日考えながら来たのは。じゃあ、私は区会議員に一票を投じるときに、都議会議員に一票を投じるときに、その人、本当に知って投票したのかと。

 知らないんですよ、ね。私たち知らされていないし、本当に勉強もしていないし、関心を持ってね、実は、じゃあ、有権者が本当に大切な一票というふうに投じたかって言うと、私自身がいい加減だったなっていうふうに思います。

 仰るとおり、有権者の責任でもあるんですよ。

 ただ、桝添さん覚えているかどうか、大分前に(TV )タックルでこういうことを申し上げたことがあったんですよ。つまり、女性が女性の立場に立って発言するときには、大多数の女性が体験していることを体験してから、そうじゃないと説得力がないって言ったことがあるの。

 舛添さん、すぐに理解してくれてね、なる程ねって仰ってくれたけど、相手の人はね、全然理解できなかった。

 だから、自分が発言するための説得力を持つために大多数の人が体験したことを自分も体験してからっていうふうに私は思うわけですよね。

 だからね、本当に、さっき言ったようにね、あの立場で、あの原稿をね、ただ、ただ棒読みにしているという状態自体がね、誰も批判しないってこともね、今後の選挙の、さらにいい、その選良をね、生み出すことができない。

 だから、メディアの報道の責任でもあるわけ」――

 選挙の構造がどうなっているのか何も理解できずに都民に責任転嫁し、社会・政治問題の提言者で御座いますの発言を垂れ流している。

 「女性が女性の立場に立って発言するときには、大多数の女性が体験していることを体験し」た発言でないと説得力を持たないが真正な事実なら、結婚も妊娠も出産も経験していない塩村文夏都議は妊娠や出産等に関する子育て支援策に関わる都の取り組みについての質問は説得力を持たないから、質問の資格はないということになる。

 人間は想像力というものも備えている。物事を判断し、考えを構築する力を持っている。女性が女性の立場に立って発言する場合であっても、大多数の女性が体験していることを体験せずとも、今の日本社会に欠けている生活上の制度・ルールは何か、どのような新たな制度・ルールを必要としているのか、考え、その考えを纏める力を有していないわけではない。

 金美齢は、その多くが公共の電波を使った社会・政治問題の提言者として発言していながら、人間が優れた能力として持つ想像力を否定している。いくら他者の体験を自らが体験しようとも、想像力なければ、表面的な理解で終わって、説得力を持つには至らないないだろう。

 金美齢の人間の想像力否定の、体験こそが言葉に説得力を生み出すとする体験絶対論に舛添要一がすぐ理解して、「なる程ね」と仰ったとしたら、金美齢と同じくその合理的判断能力は問わなければならなくなる。

 果して金美齢を社会・政治問題の提言者としての発言資格があると、その正当性を認めることができるのだろうか。

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安倍内閣の拉致全面解決の姿勢を示していながらの「特別調査委員会」に関わるお粗末な外交不在

2014-06-29 10:01:50 | Weblog


 
 5月26~28日(2014年)スウェーデン・ストックホルムで外務省局長級の日朝政府間協議が開催され、北朝鮮は拉致調査の再開を約束した。

 日本の外務省は5月29日、「日朝政府間協議合意事項」を発表した。

 その一つ、北朝鮮側が1945年前後に北朝鮮域内で死亡 した日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人を対象とする調査を具体的かつ真摯に進めるために特別の権限(全ての機関を対象とした調査を行うことのできる権限。)が付与された「特別調査委員会」を立ち上げることとしたのに対して日本側は、北朝鮮側が包括的調査のために「特別調査委員会」を立ち上げ、調査を開始する時点で、人的往来の規制措置、送金報告及び携帯輸出届出の金額に関して北朝鮮に対して講じている特別な規制措置、及び人道目的の北朝鮮籍の船舶の日本への入港禁止措置を解除することとした。

 立ち上げた「特別調査委員会」が調査を開始する時点での一部制裁解除は調査の実効性を呼び込むエサであると同時に実効性への期待の表明でもあるはずだ。

 実効性を期待できないにも関わらず実効性を呼び込むエサを与えることは無駄を覚悟していることになり、安倍内閣で全面解決という姿勢が示さなければならない積極性と矛盾することになる。

 また、実効性への期待は実効性をそれなりに見込んでいたことになる。見込むことができないままに実効性を期待していたなら、倒錯した判断ということになる。

 いわば安倍内閣で全面解決という積極的姿勢を示している以上、本来なら日本側から実効性を貪欲に求めて、その実効性を確実なものとしていかなければならない。と言うことは、一部制裁解除は確実な実効性へと向かわせる序章としての効果をも持たせていたはずだ。

 ところが、大方のマスコミが「特別調査委員会」の実効性を問題にし出した。北朝鮮側の手順としては「特別調査委員会」を立ち上げて調査を開始し、ある程度の調査の実績を挙げる熱意を示してから求めるべき要求を、「特別調査委員会」を立ち上げもしないうちから、いわば調査を開始しないうちから、在日朝鮮総連中央本部ビルの売却問題が日朝合意に含まれるとの認識を示したり、万景峰号が北朝鮮船舶の入港禁止解除の対象になっていないにも関わらず禁止解除への期待を示したり、それとなく匂わせたことがマスコミに対する実効性への疑義を膨らませることになったはずだ。

 多分、安倍政権もその疑義に影響を受けたのかもしれない。一部制裁解除というエサまで与えて実効性をそれなりに見込んだはずの「特別調査委員会」設立の合意でなければ、合意自体が意味を失うことになるために本来なら影響を受けてはならないはずだが、時ここに至って見込んでいたはずの実効性が根拠のないものであることを暴露することになった。

 安倍政権が何時頃から北朝鮮側が設立予定の「特別調査委員会」の実効性に疑いを持ち出したか分からないが、「特別調査委員会」の組織や権限などについて説明を受けるための局長級による日朝政府間協議開催を北朝鮮側と協議、来月7月1日に中国・北京で開催することが決まったと6月26日夕方、マスコミが記事で伝えていた。

 要するに「特別調査委員会」の組織や権限などについての具体的な説明は受けていなかった。受けていないままに実効性への期待を持ち、実効性を呼び込むエサとして一部制裁解除を示した。

 ここに外交なるものを見ることができるのだろうか。安倍内閣が拉致全面解決の積極姿勢を示していながらの、その姿勢に反する「特別調査委員会」に関わる外交不在である。

 7月1日の中国・北京での日朝協議には拉致問題や北朝鮮情勢に詳しい警察庁の幹部職員1人を派遣するという。

 この派遣からは組織や権限の具体性の精査に腹を据えて臨む姿勢を窺うことができるが、このことはまた、腹を据えてかからなければならない程に組織や権限についての精査を行っていなかったことの証明としかならない。

 5月末のスウェーデン・ストックホルムでの日朝政府間協議から1カ月も経過してから、「特別調査委員会」の組織や権限の具体的な姿の確認に取り掛かる。確認し、実効性が担保できる委員会なのかどうかを推定しなければならない。

 安倍晋三は積極的平和主義外交だ何だと機会あるごとに自身の外交能力を誇示しているが、口で勇ましいことを言っているだけとしか思えない、拉致問題に於けるお粗末な外交不在としか言い様がない。

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安倍晋三は集団的自衛権行使容認、いずれの方法が最善か、衆院を解散して国民の選択を問え

2014-06-28 10:08:21 | Weblog



 6月27日、政府は集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更を議論する自公の「安全保障法制整備に関する与党協議会」(座長・高村自民副総裁)の第10回会合を開催、解釈変更の閣議決定最終案を自民、公明両党に示し、公明党が概ね了承したため、来月1日次回与党協議で合意を成立させて、集団的自衛権行使容認の閣議決定をその日のうちに行う方針だという。

 閣議決定最終案には6月13日自民党提示の自衛権発動の新3要件を踏まえて、集団的自衛権について「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に必要最小限度の実力を行使するのは憲法上許容されると判断するに至った」として、憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認の方針を盛り込んだという。

 自民党提示の自衛権発動の新3要件を「TOKYO Web」が次のように伝えている。

(1)日本の存立が脅かされ、国民の生命や幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある
(2)これを排除し、国民の権利を守るためにほかに適当な手段がない
(3)必要最小限度の実力行使にとどまる――

 だが、である。「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に必要最小限度の実力を行使する」とは、具体的にどのような事態の発生を想定しているのだろうか。

 例えば中東のある石油生産国が日本の年間石油使用量の50%近くを日本に輸出していて、その国に対する武力攻撃が発生し、石油の輸出が止まったと仮定した場合、「日本と密接な関係にある他国」と言うことになるが、日本が経済的に大打撃を受けることになったとしても、それで以って、「日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険」の発生と言うことができるのだろうか。

 大体が、「日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険」が予想される「他国に対する武力攻撃」とは、単発的なテロ行為を言うはずはなく、大掛かりで広範囲な攻撃を対象としているはずで、そのような攻撃に対して「必要最小限度の実力行使」がどれ程に役立つというのだろうか。

 安倍政権は「必要最小限度の実力行使」として機雷掃海を想定しているそうだが、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」している中で、その攻撃に関連して切迫した危機が想定される日本の存立と国民の権利が機雷掃海で回避可能だとでも考えているのだろうか。
 
 日本の存立と国民の権利を守る「必要最小限度の実力行使」とはそもそもからして論理矛盾そのものである。

 結局はアメリカ等の本格的な必要最大限の実力行使が収めることになる「他国に対する武力攻撃」という他力本願に頼ることになる。

 ただ単に憲法解釈による集団的自衛権行使容認を公明党と国民に納得させるための「必要最小限度の実力行使」云々に過ぎない、大したことではないと思わせる形容詞として用いている「必要最小限度」としか解釈しようがない。

 安倍晋三は、「日本の存立が脅かされ、国民の生命や幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」他国に対する武力攻撃とは具体的にどのような事態を想定しているのか、国民に明らかにすべきである。

 また、「日本の存立が脅かされ、国民の生命や幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」武力攻撃が日本に対するものである場合の自衛措置は、集団的自衛権が他国が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である以上、集団的自衛権行使ではなく、個別的自衛権の行使であって、日本と安全保障条約を結んでいるアメリカの集団的自衛権行使となるはずである。

 あるいは国連決議に基づいた侵略国制裁の集団安全保障措置にイギリスやドイツ、フランスが応じた場合の、それぞれの集団的自衛権行使ということになる。

 但し国連安全保障常任理事国の中国やロシアが国連決議に反対した場合、イギリス以下の参戦は国連決議に基づくことの根拠を失うことになる。

 武装勢力のテロ攻撃や外国による攻撃に対する日本の集団的自衛権行使に基づいた軍事的参加が常に「必要最小限度の実力行使にとどまる」保証はない。にも関わらず、安倍政権はその保証もない「必要最小限度の実力行使」を掲げて、憲法解釈を手段として集団的自衛権行使を獲ち取ろうとしている。

 ここに大事(おおごと)ではないと思わせるマヤカシを見ないわけにはいかない。

 大事(おおごと)となる危険性を排除できない以上、あるいは国家権力の恣意的支配の制限と国民の権利保障を共に謳っている憲法に深く関係する集団的自衛権の行使である以上、時の国家権力が数の力で単独で行うことができる憲法解釈とするか否かは国会のみで決めることではなく、国民も参加して行うべき決定でなければならないはずだ。

 安倍晋三は6月24日の通常国会閉幕を受けた首相官邸で記者会見で記者の質問に答えて、次のように述べている。

 内海共同通信記者「共同通信の内海です。

 総理が目指すように、集団的自衛権の行使を憲法解釈変更で容認すれば、憲法の規範性が損なわれるとの批判があります。安全保障環境の変化があれば、今後も憲法解釈変更で対応するつもりなのか、それとも、憲法9条改正に取り組む必要があるとの考えでしょうか。憲法解釈変更に伴う法整備、内閣改造の時期についてはどうお考えでしょうか」  

 安倍晋三「まず、憲法改正の是非については、国民的な議論の深まりの中において判断されるべきものだろうと思います。国民投票改正法案の成立により、一層国民的な議論が深まっていくこと を期待したいと思います」――

 自身は憲法改正の選択肢を否定し、あくまでも憲法解釈を目指している。

 だが、国民的議論の行く末は世論調査に現れることになる。

 6月21、22両日実施の共同通信社全国電話世論調査は次のようになっている。

 「憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認」

 賛成29・6%
 反対57・7%

 「集団的自衛権そのものの行使容認の賛否」

 賛成34・5%
 反対55・4%

 「行使を一度容認すれば、容認の範囲が広がる懸念があるかないか」

 懸念する62・1%

 記事には「懸念しない」のパーセンテージは出ていないが、62・1%が安倍晋三等の説明に信用を置いていないことになる。

 朝日新聞社が6月21、22日実施電話全国世論調査でも、似たような結果が出ている。

 「集団的自衛権そのものの行使」

 賛成 28%
 反対 56%

 「憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認」

 適切だ 17%
 適切ではない 67%

 「安倍政権の集団的自衛権をめぐる議論は十分か」

 十分だ 9%
 十分ではない 76%――

 かくこのように国民的議論は世論調査に現れている。

 多くの地方議会も反対や慎重であるべきだとする意見書を可決している。

 可決したのは100を超す市町村の議会だと、「47NEWS」記事が伝えている。

 以上の状況からしても、あるいは安倍政権が憲法解釈を手段とした集団的自衛権行使容認を大事(おおごと)ではないと思わせようとしていることの中には容認後の行使範囲の拡大解釈をも隠しているからであって、なぜなら常に必要最小限度の武力行使で終わる保証はない以上、武力の程度も行使範囲も拡大解釈に進まざるを得ないのだから、このような隠蔽は胡散臭いばかりだが、であるなら、時の内閣が決めることではなく、国民の参加を容認決定の要件とすべきだろう。

 一番分かり易い方法は衆議院を解散して、このことを争点に国民の選択を問うことである。

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W杯日本C組予選最下位敗因は日本人サポーターの試合後のゴミ拾い

2014-06-27 09:51:55 | Weblog


 サッカーのルールに詳しいわけではない。サッカーの試合も、テレビ観戦はW杯が開始してから、見る機会があれば見る程度で、Jリーグの試合をテレビ観戦することは皆無に近い。閏年並みの関心しかない。

 W杯ブラジル大会C組予選で日本は最下位敗退、予選突破を果たすことができなかった。順位は端なくも世界ランキングと重なった。

 世界ランキング

 コロンビア 4位
 ギリシア 15位
 コートジボワール 17位
 日本 44位

 予選終了後の大方の総評は、「日本の実力」、「世界との実力の差」であった。2戦目で世界ランキング44位の日本が世界ランキング15位のギリシャと0-0で引き分けたのだから、よく戦ったと言えるが、ギリシャは前半38分のところで、ミッドフィルダーが2度目のイエローカードを突きつけられて退場。後半45分を11人対10人の有利な状況で目一杯戦いながら、1点もぎ取ることができなかった。

 実力通りの結果と言うことなら、実力通りに素直に戦っても、勝てないと言うことになる。しかし、実力通りに戦って、実力通りの結果を得た。

 サッカーは往々にして偶然に支配される機会が多い。ゴール前のこぼれ球一つで相手に点が入り、あるいは味方に点が入ることがある。オウンゴールで自チームに点が入るなどは偶然の典型であろう。

 ペナルティーエリア内で相手チームの誰かが反則して得た自チームのペナルティーキックによって安々と手に入れた1点は反則という偶然が献上してくれたプレゼントのようなものだろう。

 偶然はゴール前の混戦が最も生み出しやすい。と言うことは、ゴール前の混戦に持ち込めば、偶然を期待できることになる。 

 相手陣営にボールを持ち込んで攻撃する場合は、フォワード2人、ミッドフィルダー5人、デフェンス3人のうち8人を攻撃陣として、左右のサイドラインからサイドラインまで目一杯使って横にパスをつなぎながら前進、ペナルティエリアライン付近にボールを持ち込んだとしても、直接シュートしたりせず、あるいはオフサイドにならないようにペナルティエリア内に回り込んだ味方の選手にパスを通してシュートさせるといったこともせずに、ペナルティエリアかゴールエリア、いずれかのゴール近くの場所にボールを高く上げると、落下地点目がけて付近にいた両チームの選手が殺到することになって、相手チームの選手はヘディング、その他でボールを弾き返そうとし、味方選手はヘディングか、オーバーヘッドシュート、その他でゴールに押し込もうとする混戦を期待できることになる。

 そこに味方選手の前にボールがこぼれるといった偶然が生じない保証はない。

 但しヘディングの場合、一般的に外国選手は背が高く、身体能力も高いから、相手選手のヘディングでボールが弾き返される確率が高くても、身体がぶつかり合うことで相手選手を押しのけることができて、背が低く、跳躍力の低い日本人選手がボールを拾う可能性は決して捨てきれない。

 例え相手選手のヘディングが優ってボールを弾き返されたとしても、過去の例からどのくらいの距離で弾き返されるか、その確率を前以て計算しておいて、8人のうちの3人ぐらいはそのことに備えて弾き返されたボールを待ち構える姿勢でいれば、再びボールを保持でる可能性を生むことができる。

 そのことに成功した場合、機を見て直接シュートするか、再びボールを高く上げて偶然を狙うか、ボールをパスした上でシュートに持ち込むことを狙うか、その判断はその選手に任されることになる。

 このように時には実力通りの正攻法で戦ったり、偶然をつくり出す作戦を利用したり、硬軟織り交ぜる。実力通りがダメなら、何かしら工夫しなければならない。実力通りの正攻法のみで戦って、なかなか点が入らないと、心理的に疲れてくる。心理的疲労は体力的疲労を加速させる。当然、決定力を欠く要因となる。

 他チームと比較して実力で劣るということは即そのまま決定力が劣ることを意味する。決定力の劣ることが試合時間の経過と共に心理的疲労を招き、それが肉体的疲労を加速させるとしたら、ブラジルのような高温の場所での試合は90分を通して実力通りの試合運びも期待できないことになって、実力の差はなお広がることになる。

 偶然を狙わなくても、偶然に恵まれることもあるが、今回の予選では、そういうことは一度もなかった。

 硬軟織り交ぜた試合運びには実力が劣るチームにとって実力通りの試合運びでは期待できない大胆な荒々しさが必要となる。

 日本のサポーターもそのことを期待して声援を送らなければならない。しかし6月15日の日本チームにとっての第1戦であるコートジボ ワール戦では、中には試合後、ゴミを拾う心の準備をしながら応援したサポーターも存在した。マスコミが注目することを期待していなかったろうか。もし期待していたなら、不純な虚栄心を動機としていたことになる。

 実際にも世界のマスコミが注目することになった。1-2で日本が敗れた試合後のゴミ拾いは以下のような評価を得た。

 「試合には負けたが、礼儀正しさで高得点を挙げた」

 「日本は初戦を失ったが礼儀正しさの面では、多くのポイントを獲得した。日本人サポーターの行為はインターネット上で大いに称賛されている」

 「日本のサポーターは、試合後の礼儀正しさを示した」

 「市民の模範」

 「日本のサポーターは雨のなか、ゴミ拾いをして気品を示した」

 「尊敬に値する素晴らしいマ ナーだ」

 「敗北したが、日本の応援団のカリスマ性はブラジル人の心を掴んだ」

 「民度の高い国は尊敬に値する」等々――

 もし日本チームがコートジボ ワールに勝っていたなら、勝利の誇らしい高揚感に加えて日本のサポーターに対する評価がなお一層の誇らしさを与える役割は果たして、2戦目以降の試合に実力にプラスアルファーの力を与え、モチベーションを高めていたかもしれない。

 だが、試合は負けた。負けたとしても、サッカーの一部であり、心情的にも切っても切れない日本のサポーターに対する評価はチームにある種の満足感を与えなかったろうか。日本のマスコミやブラジルに出掛けない日本のサッカーファンは世界の評価に対して素晴らしいことだと満足し、流石(さすが)だと持て囃した。

 脇役であるべきサポーターが主役となり、負けたチームを背景に退かせたのである。

 予選C組の世界ランキングで実力が遥か最下位の日本チームは初戦に勝って勢いをつけなければならない大事な試合に負けた以上、どのような一かけらの満足もいっときでも心に紛れ込ませてはならなかった。

 何かをプレーするとき、自身が頭に描いた巧みな動きが思うようにできなくて、あれ、おかしいなと思った瞬間から、こんなはずではないという余分な意識に囚われることになって、修正を試みても、修正できずに最後まで引きずってしまい、思った通りの力を発揮できずに終えてしまうことがあるが、満足という余分なものを紛れ込ませると、それが一かけらであり、いっときのことであったとしても、実力を上回る力を引き出す勝つという強い意志が必要でありながら、実力が実力だから、それを生み出すのがなかなか困難なところへ持ってきて、余計に困難となる。

 芸術家が一作品を完成させたとしても、その出来栄えに満足してはならないと自身を戒めるのは、満足することの恐ろしさを知っているからだろう。

 だが、日本のゴミ拾い活動をしたサポーターたちがその満足を日本のチームに与えたと私は見ている。

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麻生太郎の単細胞にもイジメに譬えた集団的自衛権発言は何が問題なのか

2014-06-26 09:50:20 | Weblog

  


      生活の党PR

       《6月20日(金)小沢一郎生活の党代表 両院議員総会挨拶要旨》

      『小沢代表、安倍政権の傲慢さ、強引さを許したのは野党にも大いに原因がある』


 麻生太郎が6月21日の自民党栃木県連会合で集団的自衛権に言及した際、イジメを譬えに持ち出して説明したという。

 麻生太郎「学校で一番イジメられるヤツはどんなヤツかと言えば、喧嘩は弱い、勉強もできない、しかも貧しい家の子と、三つ揃ったら先ず無視。イジメの対象になりません。しかし、勉強はできない、喧嘩は弱い、だけど金持ちの子、これが一番やられる。

 日本は間違いなく軍事力がある。しかしきちっと外から見えてない。金はあるということは分かってる。いちばん集中攻撃されやすい国が日本。

 抑止力は基本的に力がないとできない。その力を使うという国民的合意がいる」――

 多くのマスコミがイジメが問題化して「いじめ防止対策推進法」が昨年9月に施行され、各自治体がイジメ対策を進めている中で、特定条件の子どもをイジメに遭いやすいタイプだと無批判に発言した姿勢が問われるといった論調の批判を加えていた。

 だが、麻生太郎が持ち出したそれぞれのタイプに論理的な根拠は見出し難い。「喧嘩は弱い、勉強もできない、しかも貧しい」と三拍子揃った子は無視されるタイプで、「イジメの対象になりません」と決めつけているが、会社で上司に叱られてばかりいる夫がそのイライラの発散を家に帰って妻に言葉の暴力やときには身体的暴力の八つ当たりで代償させる例は、妻を弱い立場に立たすことができることで比較対照的に自分を強い立場に立たすことが可能とする反撃される恐れのない安心感からの不満解消であるように、三拍子揃った子は反撃される恐れのない安心感を最も与えやすい弱い立場に立たされがちなタイプであって、その安心感からいつイジメの対象とされかねず、決して「イジメの対象になりません」と決めつけることはできない。

 また、「勉強はできない、喧嘩は弱い、だけど金持ちの子、これが一番やられる」と言って、一番イジメの対象となりやすいタイプであるかのように言っているが、金持ちの子がカネの力で仲間を集めて構成した集団を力として、自身は直接喧嘩はしなくても、集団全体で自分たちを強い立場に立たせることでより弱い立場の子を安心して攻撃する力を持った場合、一番イジメの対象となりやすいタイプであるどころか、変じて一番イジメを働きやすいタイプとならない保証はないし、そういった例があることは決して否定できない。

 あるいは集団の中で自身を力関係でトップか上位に置いていた場合、最も弱い立場の子を安心して攻撃できる対象としてイジメ等の攻撃を働かない保証もない。

 金持ちの子に仲間が集まる例はよく見かけることである。

 イジメは常に固定されるとは限らない、時に応じて変り得る上下の力関係の中で上に位置する力から下に位置する力に向けて攻撃の形を取る。

 麻生太郎のイジメ対象のタイプ分けは単細胞でなければできないタイプ分けとなっている。大体が一国の安全保障をイジメのタイプに譬えること自体が単細胞でなければできない。

 一番イジメを受けやすいタイプとして、「勉強はできない、喧嘩は弱い、だけど金持ちの子」を挙げた。

 それが現在の安全保障下の日本だと言っている。

 確かに日本を金持ちの子に譬えることはできる。

 だが、「日本は間違いなく軍事力がある」と言いながら、「喧嘩は弱い」子に譬えることができるのだろうか。軍事力があるばかりではない。日米安全保障条約によって米軍に守られてもいる。

 また、高度な技術力に基づいて築き上げ、今日の経済力を有することとなった日本を「勉強はできない」子に譬えることができるのだろうか。

 集団的自衛権憲法解釈行使容認に向けて無理矢理こじつけているに過ぎない論理破綻しか見えてこない。これが一国の副総理であり、財務大臣だと言うから、安倍晋三の任命責任を問わなければならない。

 麻生発言はあくまでも集団的自衛権行使容認の必要性から、国の安全保障の譬えにイジメのタイプを持ち出した。だが、国政を担う政治家として、更には国政の運営に直接携わっている閣僚として、国の安全保障のみを専門の政策的視野としていいわけはない。例え専門外であっても、政策全般に亘る視野を備えていなければならないはずだ。

 だから、現在は財務大臣で、財政全般に亘る政策を専門としているにも関わらず、専門外の集団的自衛権にまで発言することができるのであり、集団的自衛権行使容認の必要性からイジメ問題を譬えに持ち出した以上、例え前者にメインの言及を置いていたとしても、イジメ問題に関わる政策的視野にしてもそれなりの見識を備えていなければならない。

 それなりの見識を備えずに譬えに出したとすると、論理的な整合性を失うことになる。

 だが、イジメのタイプの分析がそれなりの見識を備えていない単細胞なものとなっていることも問題だが、集団的自衛権行使容認の必要性への言及は国を守る思いから発した政治家としての、あるいは閣僚としての一見識であるはずだが、イジメを譬えに出した以上、譬え自体に論理的整合性を欠いているものの、国を守る見識を示したことに対してイジメから子どもを守る見識を対置させて初めて平等な政策的視野とすることができるはずだが、単にイジメのタイプを示しただけで終わっていることを何よりも問題としなければならない点であるはずだ。

 いわば麻生太郎は国政を担う政治家として、あるいは閣僚として政策全般に亘る視野を備えていなければならないにも関わらず、国を守るそれなりの見識を披露することができたとしても、イジメられる子を守るそれなりの見識にまで配慮を示さない片手落ちを犯した。

 菅官房長官は6月23日の記者会見で、今回の麻生発言を、「麻生氏にいじめを許容し正当化する意図は全くなかった」(47NEWS)と擁護しているが、問題がどこにあるのか気づいていない発言に過ぎない。

 確かに麻生太郎はイジメを許容し正当化してはいない。国を守る見識を示しながら、イジメから子どもを守る見識を示さなかった不平等な政策的視野が問題なのである。国だけのことを考えていた。これを国家主義と言う。

 安倍晋三が任命した麻生太郎だけのことはある。

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安倍晋三は自民党都議の女性都議に対する女性蔑視ヤジで浅尾みんなの党代表に謝罪すれば済む問題か

2014-06-25 09:14:23 | Weblog




      生活の党PR

       《6月20日(金) 鈴木克昌生活の党代表代行・幹事長 定例記者会見要旨》

      『石原環境大臣発言、安倍政権の考え方を如実に表している』

      【質疑要旨】
      ・石原環境大臣不信任決議案提出について
      ・野党再編に向けた動きについて

 今回の都議会での女性蔑視ヤジ騒動の犯人探しは、NHKが誘拐事件や殺人事件、振り込め詐欺事件等の犯人音声の声紋鑑定や音声識別分析などで警察の捜査協力の実績がある民間の研究所だと紹介して、その民間の研究所である「日本音響研究所」にヤジ音声の分析を依頼するというオマケまでついた。

 結果は鈴木章浩自民党都議が追いつめられて自白するに至った 「早く結婚した方がいいんじゃないか」というヤジ以外に別の男性の声で「とりあえず結婚」というヤジが確認され ものの、ヤジ攻撃の餌食となった塩村文夏都議が聞こえたと指摘した「先ずは自分が産めよ」といったヤジは分析からでは出てこなかったという。

 但し鈴木都議以外の声は笑い声やその他の声が重なって、聴き取りにくい状態になっていると書いている記事もある。分析した音声は塩村文夏都議が使っていたマイクが拾って録音されたものだと思うが、塩村文夏都議の耳には聞こえたが、笑い声などと重なってマイクが拾い切れなかったということがあるかも知れない。

 あるいは塩村都議にとって35歳で結婚していない女性として敏感な問題には耳が鋭くなっているということもあり、議場を見渡す位置に立っていたという立ち位置の関係も加わって、彼女には聞こえたということもあるのかもしれない。

 自民党は「ほかのヤジは聞こえなかった」としているそうだが、最初はヤジ自体を否定していた上に、鈴木都議が名乗り出て、「早く結婚した方がいいんじゃないか」とヤジを飛ばしたことを認めたものの、NHKの今回の音声分析で判明した「とりあえず結婚」というヤジは認めていないのだから、仲間意識で庇っているのだろうが、自民党の言うことは信用できない。

 安倍晋三が通常国会閉会を受けた各党への挨拶まわりでみんなの党控室を訪れた際、浅尾慶一郎みんなの党代表に、「都議会の方で、色々とご迷惑をおかけしました」(NHK NEWS WEB)と陳謝したという。

 例えヤジが鈴木都議の「早く結婚した方がいいんじゃないか」と 別の男性都議の「とりあえず結婚」だけであったとしても、妊娠や出産等に関する子育て支援策についての都の取り組みに関する質問中のことである以上、質問テーマの妊娠・出産と、あるいは子育てまで含めて、塩村都議が35歳で結婚していないことを関連付けたヤジであって、彼ら都議にしたら、35歳で結婚適齢期を過ぎていると見ていたからこそできたのだろう、結婚適齢期を過ぎて未婚である女性を社会的存在として(あるいは社会人として)否定する発想がなければできないヤジであったはずだ。

 いわばそのヤジが塩村都議に向けたものであっても、塩村都議一人に向けたものだとすることはできない。女性都議と同じような状況に置かれている世の女性全般を社会的存在として同時に否定していたのであり、女性全般の社会人としての役割を未婚・既婚で価値づけてもいたのである。

 社会人としての価値が未婚・既婚で決まるわけでもないにも関わらず、男の側の女性に対する未婚・既婚を基準とした社会人としての価値づけは明らかに女性差別を意味していて、差別は女性蔑視を必然的に伴う。

 結婚適齢期を過ぎていながら結婚していない女性を蔑む気持がなければ、妊娠や出産に関わる質問中に「早く結婚した方がいいんじゃないか」といったヤジは飛ばすことはできなかったろうし、このヤジを受けて、「とりあえず結婚」といったヤジで以て追随することはできなかったはずだ。

 自民党都議のみんなの党女性都議に対するヤジが女性都議一人にとどまらず、女性都議と同じような状況に置かれている世の女性全般に向けられることになる女性差別・女性蔑視の差別である以上、塩村都議一人に謝罪して済ますことはできない問題であり、あるいは浅尾慶一郎みんなの党代表に謝罪して片付けていい事柄ではない。

 にも関わらず、安倍晋三は通常国会閉会を受けた各党への挨拶まわりのついでに浅尾代表に謝罪したものの、自民党都議のヤジが同じような状況にある女性全般に向けられたヤジでもあるからと世の女性に向けて謝罪はしていない。

 今後謝罪するかもしれないが、国民の信託を受けて国政を担っている立場上、浅尾代表に謝罪する前に謝罪しなければならないはずだ。そうしないということは、自民党都議のヤジの本質を理解していないことになる。

 6月24日、安倍晋三は首相官邸で榊原経団連会長、小林経済同友会副代表幹事、三村日本商工会議所会頭と会談、「女性の活躍」を促進する取り組みについて意見交換したと、《首相 女性登用へ行動計画策定を要請》NHK NEWS WEB/2014年6月24日 17時35分)が伝えていた。

 安倍晋三「最大の潜在力である女性のさらなる活躍の促進に向けて取り組みを強化することは、成長戦略の中核だ」

 記事は、〈2020年までに指導的な地位の3割を女性が占める目標を達成するため、各企業が女性の登用の目標を盛り込んだ行動計画を策定することや、有価証券報告書に女性役員の割合を記載するなど積極的に情報を開示することなどを要請し〉したと解説している。

 要するに女性の活躍の促進と活躍の場の拡大を企業界に訴えた。

 だが、安倍晋三が自民党都議のヤジの本質を理解していないということは、ヤジが女性の人権や人格、さらには女性の尊厳に関わる問題でありながら、そのことを理解していないということでもあり、理解していないままに女性の活躍の促進と活躍の場の拡大を訴えたことになる。

 と言うことは、女性の人権や人格の尊重に立った、あるいは女性の尊厳を尊重する立場からの女性の活躍の促進と活躍の場の拡大ではなく、前々から言っていることだが、単に不足する労働力確保を目的とした、あるいは経済好転を目的とした女性の必要性が実態といった女性の活躍の促進と活躍の場の拡大ということになる。

 安倍晋三の内なる政治上の女性とはこの程度のことなのだろう。果たしてヤジに関して世の女性全般に謝罪せずに済ませてしまうのだろうか。

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鈴木都議の対女性都議女性蔑視のヤジ騒動は様々な教訓を含み、実名教材にすれば、小中高生の教育に役立つ

2014-06-24 08:08:27 | Weblog



 6月18日の東京都議会で独身35歳の女性都議が質問中に、「早く結婚した方がいいんじゃないか」、「産めないのか?」などと男性都議が飛ばした女性蔑視ヤジの犯人探しは、疑われた自民党自身の所属議員全員に対する聞き取り調査等を経て、自民党大田区選出の鈴木章浩議員が自身の発言であることを認めたことで一応の決着を見た。

 一応というのは、「早く結婚した方がいいんじゃないか」というヤジのみを認めて、他のヤジは自分ではないと否定しているからなのは断るまでもない。

 6月22日のフジテレビ「新報道2001」 の犯人探しのインタビューでは鈴木章浩議員は次のように発言していた。 
 
 鈴木章浩自民党都議「分からないと思いますよ、きっと。ヤジなんていちいち聞いている人いないですから」

 いちいち聞いている人はいないから、誰がヤジを飛ばしたの分からないと言っていた。自分自身がヤジを飛ばした一人でありながら、これ程巧妙なウソはない。

 番組がインタビューした他の二人の自民党都議もウソをついていたことになる。

 来代勝彦自民党都議 (きたしろ かつひこ)「いやー、私は・・・・、そんな、ヤジは聞いていないですよ。聞こえなかったですね」

 小磯明自民党都議「私も、はっきりとした、何を言っている、明確にこうね。あのー、内容的な、パッとね、聞こえてこなかったことがあるんですよ」

 独身35歳の女性都議に聞こえて不快な思いをさせたということはヤジの意味を解したからに他ならない。議員席からヤジに同調する笑いが起きたということにしても、同じくヤジの意味を解したからである。聞こえなかったなら、意味を解することはできない。当然、同調の笑いを見せることもできない。

 同調して笑ったということは、ヤジが意味するところを肯定する意識があったから、笑うことができたということであり、ヤジの内容に否定、もしくは反発する意識があったなら、笑うことはできなかったはずだ。

 みんなが笑ったから、自分も笑ったというのでは余りにも主体性を欠くことになる。主体性のない都議会議員とい 倒錯は許されない。

 今回のヤジと犯人探しの騒動、その果ての犯人の一人が名乗り出た一連のドラマには様々な教訓が含まれている。人間の在るべきではない否定的な 姿を映し出しているがゆえの、そのことを反面教師としなければならない教訓である。

 反面教師とすることによって人間の在るべき肯定的な姿を教えることが可能となる。この教訓は学校教育に利用する価値が十分にある。

 ヤジを認めた鈴木章浩自民党都議が6月23日、都庁で釈明の記者会見を開いたが、その発言もいくつかの教訓を含んでいる。《ヤ ジ謝罪の自民・鈴木章浩都議  会見での主なやりとり》asahi.com/2014 年6月24日00時35分)全文を無断拝借することにする。

 記者「なぜこのような発言をしたのか」

 鈴木自民党都議「少子化、晩婚化が問題となる中で、早く結婚していただきたいという思いがあり、あのような発言になった。したくても結婚できない方への配慮が足りず、深く反省している」

 記者「当初はヤジを否定していた」

 鈴木自民党都議 「『子どもを産めないのか』など私以外の発言も報道される中で、謝罪する機会を逸してしまった。党会派の聞き取りにはウソをついた」

 記者「出産にまつわるヤジは誰が言ったのか」

 鈴木自民党都議「他の発言は確認していない。騒がしかったとは思っている」

 記者「20日には、ヤジは議員辞職に匹敵するとの考えを示していた」

 鈴木自民党都議「そのような発言をしたか記憶にない。初心に戻って都議としてがんばりたい」

 記 者「国際的な批判も起きている」

 鈴木自民党都議「6年後に五輪を控え、正常化のためにがんばらなければいけない」

 記 者「今後もヤジを飛ばすか」

 鈴木自民党都議「すべてのヤジをしないほうがいいとは思っていません」

 記 者「ほ かのヤジ発言をした人はどうするべきか」

 鈴木自民党都議「ヤジを発したのが事実なら、その人は承知しているはずなので名乗り出て謝罪してほしい」(以上)

 以上の顛末から教訓を拾い出してみる。

 先ずはヤジが飛ばした本人は単なる冷やかしと思ったかもしれないが、この女性蔑視のヤジは、実体は男尊女卑に根ざした女性の人権軽視から発した「言葉の攻撃」であるという教訓を見なければならない。

 子どものイジメにしても、そ の多くが相手の人権や人格を無視した「言葉の攻撃」によって成り立っている。「キモイ」、「死ね」、「臭い」等々、言葉を使った攻撃で相手の自分らしく生きようとする人間としての自然な姿を歪め、追いつめ、相手から本来持っているその自分らしさを奪っていく。

 人は自分が自分でなくなったとき、自分ではない自分を維持するのが苦しくなって、その混乱から時として自分で自分を死へと誘(いざな)うこともある。

 言葉が相手の心を傷つけ、苦しめる攻撃の武器となるのは言葉を無自覚に使うからではあるが、その無自覚さは自身の精神性から来ているはずである。いわば無自覚さと精神性は相互に対応し合っている。

 女性蔑視のヤジを飛ばした都議の精神性自体が男尊女卑に基づいた女性蔑視を糧としていた。それがヤジの形を取った言葉の攻撃となって現れた。
 
 糧としていなければ、女性の人権や人格に関わる発言は無自覚さを免れることができたはずだ。

 ヤジった都議は今後同じ失敗を繰返さないために女性に関係する言葉の使い方に自覚的になるだろうが、精神性の糧としている女性蔑視を払拭できずに心に残している限り、言葉で装うだけの女性の人権尊重、あるいは人格尊重とならざるを得ないということも、小中高生の教訓として教えることができる。

 心にもないことを言うとはこのことであると。

 不正直とは、犯人探しのときに言葉で繕って自分ではないように装う類いのことを言うだけではなく、自分自身の思想や精神としていないことを、さも思想や精神としているかのように言葉を繕って装うことも不正直のうちに入るとする教訓とし得る。

 そして政治家だからと言って、常に正直であるとは限らないこと、正直さの代償は経歴に栄誉を与えもするが、不正直さの代償は経歴を傷つけ、時には職そのものを失うことがあることを教える教訓とすることが可能となる。

 釈明記者会見について言うと、自身の精神性から出た男尊女卑に基づいた女性蔑視ヤジ以外の何もでもないから、このことを認めて謝罪する以外、釈明自体が綻びることになる。

 記者に発言の動機を聞かれて、「少子化、晩婚化が問題となる中で、早く結婚していただきたいという思いがあり、あのような発言になった。したくても結婚できない方への配慮が足りず、深く反省している」と釈明している。

 鈴木都議が個人として特定の未婚女性を対象に向き合っていたのなら、未婚女性を一人でも減らしたい、子どもを一人でも増やしたいという思いから発することもあり得る「早く結婚した方がいいん じゃないか」という言葉は成り立たせることができる。

 だが、そういった関係からの言葉ではなく、地方政治家として都議会という政治の場で質問者個人と向き合っていたのであり、当然、両者の背後には多くの都民・有権者が存在しているのだから、「少子化、晩婚化のなかで早く結婚していただきたいという思い」は結婚していない、あるいは結婚していても自身の、あるいは男女の意志的選択として子どもを産まない(非意志的選択としての産めないではない)不特定多数の女性を対象に練る政策を通して問いかけるものであって、質問者個人に向ける思いとすることは決してできない。

 大体からして少子化・晩婚化対策の政策を滔々と述べる中で未婚女性は「早く結婚した方がいいんじゃないか」という一節を加えることを考えると、この言葉の妥当性ははっきりと分かる。

 あくまでも個人が個人として女性個人に向ける言葉である以上、元々女性差別意識を持っていたことからの女性蔑視ヤジであることを誤魔化すために尤もらしい理由づけの次なるウソを必要とした、「少子化、晩婚化が問題となる中で、早く結婚していただきたいという思いがあり、あのような発言になった」ということでなければならない。

 一度ついたウソに対して謝罪以外に正当化できる言葉は存在しない。自身の精神性の何が動機となった発言だったのかという謝罪を省いて正当化だけを考えるから、次なるウソを必要とすることになる。

 その典型例を鈴木都議の釈明記者会見の発言として挙げることも学校教育に於ける小中高生の教訓とすることができるはずだ。

 20日にはヤジは議員辞職に匹敵するとの考えを示していながら、「そのような発言をしたか記憶にない。初心に戻って都議としてがんばりたい」と、記憶にないを口実に前言を翻している発言にしても、報道を検証すれば確認できることなのだから、本人の記憶は問題ではなくなる。にも関わらず、自身の記憶を条件として辞職を撤回する不正直さを破廉恥にも曝している。

 都議自身の精神性の一つとしていた男尊女卑に基づいた女性蔑視ヤジが国内外に広げた騒動に自身は関係していないかのように装ったウソ・不正直を自身の精神性を改もせずに取り繕おうとして新たなウソ・不正直を必要とし、その連鎖にハマり込んでいって、ついには自らが築いてきた経歴と信用を傷つけることとなった。

 この身から出た錆・自業自得の経緯には今まで記してきた、あるいはそれ以上の教訓を見ることができるはずだ。これらの教訓は人間、如何に在るべきかの、学校教育に於ける小中高生の教育とすることが十二分にできる。

 是非、実名の教材とすべきだ。

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舛添都知事以下、都議先生方がウソつきであることを露わにした今回の塩村都議に対する女性蔑視発言の波紋

2014-06-23 05:35:12 | Weblog

 

 6月18日の東京都議会の一般質問でみんなの党の塩村文夏(あやか)女性議員(35)が妊娠や出産等に関する子育て支援策についての都の取り組みに関しての質問中、男性都議が飛ばした女性蔑視のヤジが海外のマスコミにも取り上げられて、その品位ばかりか、都議にとどまらない日本人の女性差別意識や女性の地位の低さを反映した男性議員に比較した女性議員の少なさ等が問われ出した。

 昨日日曜日の各局の報道番組も、黙ってはいられないとばかりに取り上げていた。フジテレビの「新報道2001」が都議として許すことができない女性蔑視発言として誰がヤジを飛ばしたのかの犯人探しをしていたが、その過程で分かったことは、ウソつきの都議がいるということである。

 東京が日本の首都であり、代表的な国際都市であるということを省いたとしても、いくら地方政治家と言えどもウソつきの政治家が存在するという倒錯は無視できないはずだ。

 殆どのマスコミが、もしヤジを飛ばしたのが自民党議員だったなら、同じ自民党の安倍内閣の女性の社会進出政策や女性の活躍重視政策に影響を与えかねないといった方向から主として問題視していたが、女性蔑視のヤジを飛ばす政治家、あるいは女性蔑視のヤジに同調して笑うことで同じ感覚の持ち主であることを曝すこととなった政治家、さらには犯人探しのマイクを向けられてウソをつく政治家が女性の社会進出ばかりか、教育を議論したり、青少年の育成を議論したりすることが何よりも問題となるはずだ。

 政治家としての資格があるのだろうかということである。

 番組は塩村都議のヤジは自民党席の方から聞こえたという発言を証言として、3人の自民党都議に犯人探しのマイクを向けた。

 来代勝彦自民党都議(きたしろ かつひこ) 「いやー、私は・・・・、そんな、ヤジは聞いていないですよ。聞こえなかったですね」

 鈴木章浩自民党都議「分からないと思いますよ、きっと。ヤジなんていちいち聞いている人いないですから」

 小磯明自民党都議「私も、はっきりとした、何を言っている、明確にこうね。あのー、内容的な、パッとね、聞こえてこなかったことがあるんですよ」

 言葉は、それが口から発せられるとき、親しみや逆のよそよそしさといった心理的な距離感だけではなく、物理的な距離感を持たせて、聞く者にそれらの距離感を届ける。

 議会で議員席から壇上の質問中の質問者にヤジるとき、その距離を無意識のうちに計算して、届く声の大きさを出す。質問がバカげたものだと思って、周りの2、3人に聞こえる程度に質問を皮肉る言葉を発したとしても、それはヤジにはならない。例えそれが人種差別の言葉であっても、人種差別意識を持った人間であることに変わりはないが、ヤジとしては成立しない。

 それがヤジる発言である以上、基本的にはヤジる対象に届く声を発する。但しヤジる意識で声を発しながら、臆する気持ちがあって、ヤジる対象にまで届かない場合があるが、かなりの範囲にまで届くことになる。ヤジる対象にまで声が届かなければ、ヤジの目的を達することはできないし、ヤジる意味も失う。

 今回の場合、ヤジる対象者の耳に届いたのだから、居眠りさえしていなければ、ヤジった本人とヤジられた対象者の距離の範囲内にいた都議に聞こえないはずはない。笑うことで女性蔑視に同調する複数の都議が存在しながら、それを「聞こえなかった」とか、「ヤジなんていちいち聞いている人いない」とか、「聞こえてこなかった」とか言う。明らかにウソ以外の何ものでもない。

 もし居眠りをしていて聞こえなかったなら、居眠りしていたことを隠すウソをついたことになる。

 もし審議に集中していなかったとしても、普段の議場の雰囲気を破る突然の笑い声に我に返らない程に集中していなかったとしたら、怠慢の誹りを免れることはできない。我に返りさえすれば、ヤジは一回だけではかったのだから、一人で複数回ヤジったのか、他の都議が同調・追従してヤジったのか分からないが、あとのヤジは聞こえたはずだ。

 番組によると、「子どももいないのに」、「自分が早く結婚すればいいんじゃないか」、「まずは自分が産めよ」、「子どもを産めないのか」のヤジがあったとしている。

 実は舛添都知事も、6月20日の記者会見でヤジに笑ったものの、ヤジそのものは聞こえなかったと発言している。

 《【舛添知事定例会見詳報】(上)都議会でのやじ 「品位のない野次は慎むべきだ」》MSN 産経>/2014.6.21 12:00)と《【舛添知事定例会見詳報(下)】やじは「なんにも聞こえないです」「ざわめいたと きに私もつられて笑みを浮かべたという、それだけの話です」》MSN 産経>/2014.6.21 12:00)から、都知事の発言を引用。


 記者「今週開かれた都議会の一般質問でみんなの党会派の塩村文夏議員が 一般質問をしているときに、『早く結婚した方がいい』などといった野次が飛んだと思うのですけども、知事もその議会にいらっしゃって、どのように感じられたか、またどのように受け止めておられるか、お聞かせいただけますか」

 舛添知事「まず、ああいう品位のない野次は断じて慎むべきだと思います。それから、都議会のみなさん方が良識に従って、これはきちんと対応さ れる。知事がどうしろ、ああしろというような権限があるわけでもありませんし、議会の話ですから、議会がしっかりとやっていただきたいと 思っております」

 記者「私も上から見ていたましが、ひとりそのような発言があったときに、ざわついて笑い声がしていて、何人かが笑っていたんですけども、知事も笑っていたようにうつったんですが、その時の状況をどういう形だったのか説明し ていただけますか」

 舛添知事「あのですね、知事席に座ります。あなた見ていればわかりますが、私が何やっているかとっていうのは、一言一句、聞き漏らさないために、質問者の方をずっと見ています。それはわかりますね。そして、答弁のときも、その質問者が席に着いたら、その人の目を見なが ら明確に答えていますね、そこまではわかりますね。そうするとね、ざわついたのはわかりますけども、何言っているか。私がここにいて、質問者がいて、そっち見ていますから。まったくわからないんです。そして、議員がにこっと笑われたんですよ。私は誰かが面白いことをおっしゃったので笑われたのかなって、同時ににやっと笑ったので、私もあれ何か楽しいことがあったのかなと思って、笑みを浮かべた、それだけの話です。そして、だからわかりません。こうしてどう答弁しようかって、一言一句いつもやっているでしょ。それやって、それで議席に議員がお戻りになったので、答弁する責任がありますから、彼女の目を見ながら話しましたね、このやっぱり、おっしゃったような問題は大切な問題だから、しっかり都としてもやりますということを言ったんですけども、その時に急に泣き始められたので、なんで泣いたかもわからなかったんです。

 だから、私は、なんで泣かれているのだろうと。それで、できれば、私の希望を言えば、こう目を見ながら、一生懸命答えているので、私の目を見て聞いてくだされば良かったのになという思いでいて、そしたら、後でテレビ報道なんかを見ると、こういうんだったと。私の席からは彼女全部の表情を見ながら一言一句を見ているので、それがそういう状況です」

 記者「早く結婚した方が、というような発言は知事の方には」

 舛添知事「なんにも聞こえないです。なんにも聞こえないです。何かざわめいて、私が見ていて、彼女が笑ったので、何か彼女が笑うようなことを誰かが言ったのかなと思って、その認識しかないです」

 記者「私には結婚というのは聞こえたんですけども、耳には入らなかったということか」

 舛添知事「もう、彼女の質問を一言一句落とさないようにチェックしているわけですから。だから、何かざわめいたのは聞こえているんですけども、それが今の現状です。それ以上のことはありません。だから、なんで泣いたかさえ、わからなかったですよ。あそこ座ってみてくだ さい。そして、質問者のところで、私がやったのと同じことなったら。必ず鉛筆握って、一言一句どうだってしているでしょ。質問者だって、準備したのと違うことをおっしゃるかもしれない、順番違えて答えるられるかもしれない。私はこう答えないといけないというのをこうやっているわけですから、それだけ構えているわけですよ。だから、にこっと笑われたので、ざわめいたときに、何かそんなことかなっていって、みんなこう笑っちゃったんで、私もつられて笑みを浮かべたという、それだけの話です」 

 記者「でも、そうすると泣かなければ、ずっとあのまま見過ごされるということか」

 舛添知事「それはわかりません。それはわかりません。他の方は聞いていたかもしれない。私は答弁の準備に一生懸命で、答弁することに集中していますから、何であったかはわからない。それだけのことなので。それはわかりません、そこは、仮定の話なので。よろしいでしょう か」

 記者「確認で、品位のない話があったというのは、あとの報道で気づいたということ」

 舛添知事「そうです。そうです。あとで言われて、聞きましたので、そういうことは慎むべきだということです」(以上)

 最初の記者の質問に対する舛添要一の最初の答弁は饒舌に過ぎる。私も経験があるが、ウソをつくとき、自然と饒舌になる。ウソを本当と思わせたいためにこれでもかと説明しなければならなくなって躍起となるからだろう。

 記者から、「知事も笑っていたようにうつった」と問われて、「一言一句、聞き漏らさないために、質問者の方をずっと見て」いたから、「まったくわからな」かった、いわば聞こえなかったと言い、だが、笑った理由については、「議員がにこっと笑われたんですよ。私は誰かが面白いこ とをおっしゃったので笑われたのかなって、同時ににやっと笑ったので、私もあれ何か楽しいことがあったのかなと思って、笑みを浮かべた、それだけの話です」と釈明している。

 「新報道2001」で塩村都議がヤジを受けたときの表情の瞬間を映像で映し出していたが、舛添要一が言うように「やっと笑った」という積極的な表情ではなく、戸惑いと苦笑が入り混じった笑みを口元にほんのりと見せて口をわずかに開いた程度にしか見えなかった。

 だが、他人が笑ったからと言って、笑った理由も分からないままに自分も笑うのは自分を持たない人間がすることである。都知事である以上、なぜ笑ったのだろうかと怪訝な面持ちとなる程に自分を維持していなければならないはずだが、単に他人の笑いに意味もなく追従(ついじゅう)した。

 問題は、「一言一句、聞き漏らさないために、質問者の方をずっと見て」いたと言いながら、あとから、「もう、彼女の質問を一言一句落とさないようにチェックしているわけですから」と言い、「必ず鉛筆握って、一言一句どうだってしているでしょ。質問者だって、準備したのと違うことをおっしゃるかもしれない、順番違えて答えるられるかもしれない。私はこう答えないといけないというのをこうやっているわけですから、それだけ構えているわけですよ」と、鉛筆を握りながら質問通告書と耳に聞こえる発言を照らし合わせせながら、質問通告書に目を落としてチェックしていたと、両方は同時にはできない矛盾したことを言っている。

 「一言一句落とさないようにチェック」するには、耳で塩村都議の発言を聞くのみで、目は質問通告書に常時向けていなければならない。その目をどうして質問者の方に、「一言一句、聞き漏らさない」ように向けることができると言うのだろう。

 だが、そうすることができて、塩村都議が笑ったことまで目に入った。

 舛添要一が質問通告書に目を落とすことに集中していたとしても、質問者の声に神経を集中させていればいる程、その集中に比例して、質問者の発言を遮る何らかの破調が生じたことに気づくのが人間の自然である。少なくとも二度目のヤジ、三度目のヤジに耳を向けざるを得なかったはずだ。

 舛添要一はウソをついた。ヤジを聞いて、他の都議と同じように女性蔑視のヤジを笑った。

 再び言う。このような都知事、都議が教育を議論したり、青少年の育成を議論したりする資格が果たしてあるのだろうか。

 今回の女性蔑視ヤジが都議会の女性差別を炙り出しただけではなく、ウソをつく都知事、都議の存在まで炙り出し、さらに自民党が都議全員から聞き取りをすることを決めたり、みんなの党が声紋鑑定することにしたことまで波紋を広げている。

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安倍内閣の「河野談話」作成過程検証が当時の日本政府の主張・考え方を歴史的事実としているマヤカシ

2014-06-22 10:25:05 | Weblog

 

 ――最大のマヤカシは河野談話は事実ではないが、内閣として継承するというマヤカシ――

 安倍政権が2014年6月20日、河野談話の検証結果を、《慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯 ~河野談話作成からアジア女性基金まで~》と題して公表した。

 以後、「検証報告」とする。

 検証はあくまでも「河野談話」作成過程を限定としていて、「慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行っていない」としている。

 断っておくが、安倍政権が任命した5人の検討チームの検証結果であり、その報告である。5人の解釈と言うこともできる。その解釈を読んだ者がど う解釈するかである。

 結論を先に言うと、要するに河野談話が認めた業者の慰安所設営への旧日本軍の関与にしても、慰安婦募集の際に用いた甘言、強圧等の強制的な募集への旧日本軍の関与にしても、歴史的事実ではなく、韓国政府が韓国世論を宥めるために日本政府に要請し、主としてその要請に基づいてお互いが調整し合って作り上げた取引き・妥協の産物であるが結論となっている。

 「河野談話」作成のそもそもの発端を述べた「検証報告」の次の件 (くだり)が既にこのことを証明している。

 〈1991年8月14日に韓国で元慰安婦が最初に名乗り出た後,同年12月6日には韓国の元慰安婦3名が東京地裁に提訴した。1992年1月に宮澤総理の訪韓が予定される中,韓国における慰安婦問題への関心及び対日批判の高まりを受け,日韓外交当局は同問題が総理訪韓の際に懸案化することを懸念していた。1991年12月以降,韓国側より複数の機会に,慰安婦問題が宮澤総理訪韓時に懸案化しないよう,日本側において事前に何らかの措置を講じることが望ましいとの考えが伝達された。また,韓国側は総理訪韓前に日本側が例えば官房長官談話のような形で何らかの立場表明を行うことも一案であるとの認識を示し,日本政府が申し訳なかったという姿勢を示し,これが両国間の摩擦要因とならないように配慮してほしいとして,総理訪韓前の同問題への対応を求めた。既に同年12月の時点で,日本側における内々の検討においても,「できれば総理より,日本軍の関与を事実上是認し,反省と遺憾の意の表明を行って頂く方が適当」であり,また,「単に口頭の謝罪だけでは韓国世論が治まらない可能性」があるとして,慰安婦のための慰霊碑建立といった象徴的な措置をとることが選択肢に挙がっていた。〉――

 最初から妥協を出発点としていたということは、日本政府は韓国側や一部日本のマスコミが取り沙汰している従軍慰安婦に関わる残酷な事実を残酷な事実として最初から一切認めていなかったということになる。にも関わらず、相手の主張を部分的に認める取引きに応じた。

 韓国側と調整が必要になった論点について、「検証報告」は次の3点を挙げている。

 ①慰安所の設置に関する軍の関与
 ②慰安婦募集の際の軍の関与
 ③慰安婦募集に際しての「強制性」

 ①については、「検証報告」は〈慰安所の設置に関する軍の関与について, 日本側が提示した軍当局の「意向」という表現に対して,韓国側は,「指示」との表現を求めてきたが,日本側は,慰安所の設置について,軍の「指 示」は確認できないとしてこれを受け入れず,「要望」との表現を提案した。〉となっている。

 〈慰安所の設置について,軍の「指示」は確認できない〉としているが、戦時中、中曽根康弘元首相はボルネオ(現インドネシア)のバリクパパンに旧海軍の主計中尉として赴任、1978年発刊の自著『終りなき海軍 若い世代へ伝えたい残したい』(文化放送開発センター出版 部、)で、「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と記していることは、少なくとも〈日本側が提示した軍当局の「意向」〉の範疇に入れることのできる慰安所設営であり、韓国側が求めた軍の「指示」の範疇に入れてもいい慰安所設営であることを物語っている。

 探し出せば、中曽根康弘の例は他にもあるはずだ。

 だが、「河野談話」は、日本側の提案通りの表現で、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたもの」となった。

 ここにマヤカシを見ないわけにはいかないが、日韓双方共に歴史的事実に反して取引き・妥協した「河野談話」であるとする検証の構造は、「河野談話」作成過程の検証を限定として、「慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行っていない」としているものの、逆に当時の日本政府の主張・考え方をある意味“歴史的事実”とした検証となっているということを示していて、この矛盾は、慰安婦問題の歴史的事実そのものの調査・検討を欠いていることから起きている矛盾でもあるはずだ。

 そもそもからして検証が事実であるかどうかを確かめることを意味する以上、作成過程の検証であっても、検証材料としての何らかの事実が必要となるはずだが、慰安婦問題の歴史的事実そのものの調査・検討を回避し、排除したことから、当時の日本政府の主張・考え方を残された事実とする構造を取ったということなのだろう。

 当時の日本政府の主張・考え方をある意味“歴史的事実”とした検証であることは、②の「慰安婦募集の際の軍の関与」の検証にも現れている。

 〈慰安婦募集の際の軍の関与についても,韓国側は「軍又は軍の指示を受けた業者」がこれに当たったとの文言を提案し,募集を「軍」が行ったこと,及び業者に対しても軍の「指示」があったとの表現を求めてきたが,日本側は,募集は,軍ではなく,軍の意向を受けた業者が主としてこれを行ったことであるので,「軍」を募集の主体とすることは受け入れられない,また,業者に対する軍の「指示」は確認できないとして,軍の「要望」を受け た業者との表現を提案した。

 これらに対し,韓国側は,慰安所の設置に関する軍の関与,及び,慰安婦の募集の際の軍の関与の双方について,改めて軍の「指図(さしず)」という 表現を求めてきたが,日本側は受け入れず,最終的には,設置については,軍当局の「要請」により設営された,募集については,軍の「要請」を受けた業者がこれに当たった,との表現で決着をみた。〉――

 この検証も当時の日本政府の主張・考え方を歴史的事実と見做して、そのことへの妥協という観点に立っている。 

 何度か当ブログに取り上げているが、《日本軍と業者一体徴集・慰安婦派遣・中国に公文書》》朝日新聞朝刊/1993年3月30日)は異なる歴史的事実を伝えている。

 1944年日本軍天津防衛司令部が天津特別市政府警察局に〈軍人慰労のため「妓女」を150人出す〉よう 〈1944年5月30日〉に通知、天津特別市政府警察局は 公娼業者の集りである〈「天津特別市楽戸連合会」を招集し、勧誘させた〉ところ、<229人が「自発的に応募」して性病検査を受けたが、12人が塀を乗り越えて逃げ出〉す「自発的」状況を曝した。〈残った86人が 「慰安婦」として選ばれ、防衛指令部の曹長が兵士10人とともにトラック4台で迎えに来た〉が、〈86人のうち半数の42人も逃亡した〉という歴史的事実が1944年から45年にかけて日本軍の完全な支配下にあった天津特別市政府警察局作成の約400枚の報告書の中に残されているという。

 記事題名は「日本軍と業者一体徴集」となっているが、共同で行った「一体徴集」ではなく、日本軍が業者に働きかけた「徴集」であり、それも日本軍が軍隊として持っていた暗黙の強制性・威嚇性を利用した募集であることは逃亡慰安婦が出現したことが証明していることであって、当時の日本政府が主張・考え方として持っていた歴史的事実とは異なる。

 だが、検討チームは当時の日本政府が主張・考え方としていた歴史的事実に寄り添うことから一歩も出ていないために「河野談話」の信用性を崩す方向の検証を專らとすることとなった。

 「河野談話」は「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という表現となったが、このことは③の「慰安婦募集に際しての『強制性』」にも関係するため、そのところで述べることにする。

 ③の「慰安婦募集に際しての『強制性』」――

 「検証報告」 は、1993年〈3月中旬に行われた日韓の事務方の協議において,日本側は,①慰安婦問題の早期解決,②韓国政府による世論対策の要請,③前出の大統領発言(1993 年2月赴任の金泳三韓国大統領の発言、「日本政府に物質的補償を要求しない方針であり,補償は来年から韓国政府の予算で行う。そのようにすることで道徳的優位性をもって新しい日韓関係にアプローチすることができるだろう」のこと。)を 受けての韓国政府の方針と日本による措置に対する韓国側の考え方の確認等を軸とする対処方針で協議に臨んだ。この対処方針の中で日本側は,「真相究明の落とし所として,日本政府として『強制性』に関する一定の認識を示す用意があることを具体的に打診〉したものの、〈同年4月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて,韓国側は,仮に日本側発表の中で「一部に強制性があった」というような限定的表現が使われれば大騒ぎとなるであろうと述べた。これに対し,日本側は,「強制性」に関し,これまでの国内における調査結果 あり,歴史的事実を曲げた結論を出すことはできないと応答した。また,同協議の結果の報告を受けた石原官房副長官より,慰安婦全体について「強制性」があったとは絶対に言えないとの発言があった。〉 としている。

 要するに韓国政府の国内世論対策の要請を考慮して、「真相究明の落とし所として」、「強制性」 に関する一定の認識を示す用意があることを打診したが、韓国側から、「一部に強制性があった」とする限定的表現では国内世論が納得しないと応答。対して日本は強制性に関する資料が見つかっていない以上(資料が見つかっていないとしているのは、「これまでの国内における調査結果もあり,歴史的事実を曲げた結論を出すことはできない」の発言が表している。)、「歴史的事実を曲げた結論を出すことはできないと応答」。さらに石原官房副長官が慰安婦全体について「強制性」があったとは絶対に言えないと発言したことが意味する歴史的事実を事実として採用して、妥協が強いることになった歴史的事実に反した「河野談話」であるとする文脈の検証となった。

 明らかにこの検証の構造自体にしても、当時の日本政府の主張・考え方を歴史的事実と前提したものとなっている。

 日本側は強制性はないを歴史的事実としながらも、妥協の結果として「河野談話」は、既に触れたように「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められ た事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」という表現となった。

 この表現自体が意味するところは、強制性があったとしても、主として業者がやったことで、業者に官憲が加担したケースもあったということである。この意味の裏を返すと、官憲が独断・主体的に強制を働いたことはないということになる。

 だが、日本軍占領下のインドネシアでオランダ民間人収容所に日本軍の軍用トラックで乗り付け、未成年者を含むオランダ人女性を複数拉致し、慰安所に閉じ込めた上に強姦して慰安婦に仕立てた事実は日本軍が独断・主体的に行った強制連行であるはずである。

 また、同じインドネシアで現地人未成年女子を含む若い女性を日本の軍人が同じくトラックで乗り付けたりして略取・誘拐し、慰安婦に仕立てているし、日本軍が日本やその他の国への留学話で未成年の女性を集め、強姦の洗礼を浴びせて慰安婦として扱うこともした事実にしても、日本軍が独断・主体的に行った強制連行であるはずである。

 このことを裏付ける日本軍の資料は確かに存在しない。だが、オランダ人女性強制連行は戦後現地で開廷オランダ軍によるバタビア臨時軍法会議の裁判記録に残されているし、オランダ人女性やインドネシア人女性の証言も残されている。

 「検証報告」にアジア女性基金を使った金銭補償を韓国、台湾、オランダ、フィリピンに対して行っている。インドネシアの場合、同国政府が個人支給を認めなかったので、高齢者福祉施設を建設したということだが、フィリピンの慰安婦をネットで調べてみると、岩波書店がフィリピン元従軍慰安婦が著した『ある日本軍「慰安婦」の回想 フィリピン現代史を生きて』を出版しているのを知った。

 この書物は「夢多き少女時代,抗日ゲリラへの参加,そして性的奴隷としての地獄のような日々…….「生きている間に語りたい」と1992年, フィリピンで初めて名乗り出た元「慰安婦」が日本人に向けてつづる,波乱に満ちた過去」と紹介されていた。

 この「性的奴隷」という言葉自体が既に強制連行の事実を意味しているが、「Wikipedia」 記載の彼女の証言、「道路を歩いていて、日本軍に略奪され、監禁、強姦される」、「行列をつくった兵隊たちが幼い私(14歳)を後から後からレイプするのです」の言葉は強制連行以外の何ものでもないことを物語っている。

 これらの食い違いは検討チームの検証の全てが当時の日本政府の主張・考え方を歴史的事実と見做して、そのことを前提とした立場からの検証となっているからこその食い違いであろう。

 「河野談話」作成過程検証は「河野談話」が当時の日韓両政府の妥協・取引きの産物であることを暴露して、その信用性を完膚なきまでに突き崩すことに成功した。

 だが、当時の日本政府の主張・考え方を歴史的事実とするマヤカシに始まって、いくつかのマヤカシを存在させている。

 最大のマヤカシは「河野談話」検証によって談話が描いている事実は歴史的事実に反していることが判明したが、安倍内閣として継承していくというマヤカシであろう。

 6月20日午後の記者会見。

 菅官房長官「河野談話の見直しはせず、これを継承するという政府の立場は変わらない」(asahi.com

 「河野談話」で行ったのと同じマヤカシの取引き・妥協を今回も行やらかそうとしている。

 このようにできる理由は当時の日本政府の主張・考え方を歴史的事実として現在の安倍内閣も引き継いでいるからに他ならない。

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安倍政権が拉致調査の実効性を問題にしている「拉致特別調査委員会」は何を調査する組織のだろうか

2014-06-21 04:04:10 | Weblog

 


      生活の党PR

       《6月16日(月) 小沢一郎生活の党代表定例記者会見要旨》
   
      『政府成長戦略、目先のことだけで算段するようなやり方は問題をはらんでいる』

      【質疑要旨】
      ・党首討論について
      ・政府の成長戦略素案について
      ・統一地方選挙と野党連携について
      ・特定秘密保護法廃止法案参議院提出について

 安倍内閣が拉致問題解決で一番問題にしているのは今回の日朝協議で北朝鮮が約束した「拉致特別調査委員会」 の実効性であり、日本側がその担保を如何に獲得するかという点であるらしい。

 だが、北朝鮮の「特別調査委員会」は、何を調査する組織なのだろうか。

 5月29日の記者会見。

 菅官房長官「我が国としても調査の進捗(しんちょく)過程について随時、通報を受け、調査結果を直接確認する仕組みを確保する。

 北朝鮮の調査を確認できるようにすることが実効性を確保する上で重要だ」(毎日jp

 要するに日本側が直接目にした事実確認ではなく、北朝鮮側報告による間接的な事実確認となるから、調査結果を直接確認できる仕組みに変えて確保しなければならないとしている。

 「特別調査委員会」 メンバーに日本側の人間を入れずに北朝鮮メンバーのみで構成した組織を前提とした官房長官の発言となるが、今さら実効性の担保云々を言うのではな く、日朝協議の時点で日本側メンバーの参加を求めてその要求を通していたなら、このような発言とはならなかったはずだ。

 求めたが、断られた。だが、北朝鮮側の今までの態度から、実効性に対する不安が消えないから、実効性が担保できるようにしなければならないという経緯を辿ったのだとしたら、 お粗末な外交と言わざるを得ない。

 尤も首尾よく「特別調査委員会」 メンバーに日本人を参加させることができ、日本側が直接目にし、確かめることができた事実であったとしても、その事実自体が拵え物であったなら、 実効性は架空のものと化す。

 アメリカ映画の「スティング」のように詐欺を働く舞台の登場人物全員をサクラで固めて、大掛かりな仕掛けでウソのストーリーを事実と思わせて演じて誑(たぶら)かす手を使わない保証はどこにもない。

 何しろ国家という一つの主体が本人のものではない他人の遺骨を偽って日本に送ってきた北朝鮮である。

 翌5月30日の安倍晋三の対記者団発言は菅官房長官の発言とかなり趣を異にする。

 安倍晋三「今回の合意で、北朝鮮は初めて拉致被 害者だけではなく、拉致された可能性が排除できない特定失踪者を含むすべての日本人の調査を行うことを約束し、日本人が発見されれば帰国できるように北朝鮮が力を尽くしていくということも文書に書き込まれた。

 私たちはしっかりと『特別調査委員会』が出来て、調査が実行されるよう強く促していく。調査が実行されれば小泉政権以来のこととなり、固く閉ざされていた拉致被害者救出の扉をまずは開くことができたと思う。これからも北 朝鮮がこの約束を実行するように強く促していく考えだ」 (NHK NEWS WEB)――

 約束が実行されれば、北朝鮮側が提示した事実はイコール真正な事実だとする性善説に立った無条件の楽観性を前提とした発言となっている。

 だから、「調査が実行されれば、固く閉ざされていた拉致被害者救出の扉をまずは開くことができたと思う」などと、性善説など期待できない北朝鮮を相手に性善説なことを言って、客観的認識能力のお粗末なところを曝すこととなっている。

 政府が5月29日公表の日朝局長級協議合意文書では、北朝鮮から調査状況の報告を受けた日本側が内容の確認を求める場合の取り決め事項は次のようになっているという。

 (1)日本側関係者の北朝鮮滞在
 (2)日本側関係者の北朝鮮側関係者との面談
 (3)日本側関係者の関係場所の訪問

 北朝鮮側関係者が北朝鮮当局の息のかかった回し者、いわばサクラではない保証はないし、訪問した関係場所に現れる北朝鮮人が全員グルとなって、ウソのストーリーをまことしやかに演じない保証もない。

 北朝鮮側は「特別調査委員会」に強力な権限を付与して、北朝鮮のすべての機関を対象とした調査を行うことができるようにするということだが、そのような権限を与えることができる人物は金正恩を措いて他にはいない。与えられた人物は金正恩の思惑通りに動くことになる。

 いわば実際の事実を事実としてそのままに報告するのか、ウソの事実を事実として報告するのかは金正恩の指示一つで決まることになる。全てが前者であるなら問題はないが、後者が都合よく混じっていたなら、いくら日本側関係者が北朝鮮を訪問して確認しようと、みながみな口裏を合わせてウソの ストーリーを演じることもできるのだから、真正な事実と見せかけたウソにはまらない保証もない。

 疑ったら、キリがない、一つ一つを確認していく他はないと言うだろうが、疑う理由は北朝鮮側が立ち上げる「特別調査委員会」が何を今さら調査する必要が存在するのか、その必要性自体が疑わしいからである。

 調査は日本人拉致被害者の拉致された経緯、現在の所在等を対象項目としているはずだが、このことの裏を返すと、北朝鮮当局は拉致された経緯にしても現在の所在にしても一切把握していないことになる。

 把握していないが事実であるなら、その事実の裏をさらに返すと、拉致後か、拉致後のいずれかの時点で拉致被害者を北朝鮮社会に野放しにしたことになる。だから、所在確認の調査が必要になり、併せて拉致された経緯の調査も必要になるということになる。

 野放しにされた日本人拉致被害者が野放しであることを利用して、その中から誰かが北朝鮮人と混じって今日までに脱北した者がいないという事実も奇妙である。北朝鮮人が生活苦を脱北の動機とする以上に拉致被害者は日本に戻りたいという故国望郷の念を動機としていいはずだ。

 2013年5月末に北朝鮮の青少年9人がラオスに脱北、その中に日本人拉致被害者女性の息子が一人加わっていると報道されたが、9人とも北朝鮮当局の付き添いで強制送還されて、最終的な事実確認は取れていない。

 事実拉致被害者の息子であったとしても、拉致被害者本人ではない。

 果たして日本人拉致被害者は北朝鮮当局がその所在の調査を必要とする野放し状態に置かれていた、あるいは置かれているのだろうか。

 拉致被害者で帰国を果たすことができた蓮池薫さんは2013年8月27日の金沢市内のホテルでの講演で、北朝鮮当局の厳しい監視の下での生活を余儀なくされたと話している。

 同じく拉致被害者で帰国を果たすことができた地村富貴恵さんは、「最初は逃げたい気持ちもあった。ただ、『幹部』が1、2カ月に1回来て、脅されるようなこともあり、だんだん逃げることを考えられなくなった」(福井新聞)と明かしている。

 北朝鮮幹部が地村夫妻宅を訪問するのは「1、2カ月に1回」だとしても、幹部自らが監視役を担うはずはないから、下っ端が常時監視していて、幹部が逃亡の気持を起こさせないために念押しをする形で「1、2カ月に1回」訪れて、逃亡したならどうなるのかと脅したということでなければならない。

 かくこのように拉致被害者が北朝鮮当局の監視下にあるとしたら、「特別調査委員会」 は初期的には調査のための組織ではなく、北朝鮮当局が拉致被害者の所在を把握していないと見せかける組織を出発点としていると見なければならない。

 となると、調査の実効性は調査自体の実施状況にかかってくるのではなく、北朝鮮側がどういう発見のシナリオを書くかにかかってくる。

 もう一つ、拉致被害者が監視されていることを示す最新の記事がる。《拉致被害者への思想教育復活 金第1書記が指示》47NEWS/2014/06/12 10:18 【共同通信】)

 韓国の拉致被害者家族団体「拉北者家族会」の崔成龍代表が6月12にまでに平壌の消息筋の話として北朝鮮が3月以降、韓国人拉致被害者らを対象に北朝鮮体制の優越性を理解させる集団思想教育を復活させたことを明らかにしたと伝えている。

 そしてその中に日本人も含まれていたとしている。

 集団思想教育は「講習」と呼ばれ1980年代まで行われていて、金正恩第1書記が治安機関の国家安全保衛部に「特別指示」を出して復活させたものだと記事は書いている。

 記事解説。〈日本政府が認定した未帰還の被害者らが含まれているかは不明だが、何らかの形で、北朝鮮に在住する日本人の管理を当局が強めている可能性がある。〉――

 記事から三つの事実が浮かんでくる。

 一つは韓国人拉致被害者を北朝鮮当局の監視下に置いていて、その所在を確認しているから、集団思想教育の「講習」が可能となるという事実である。

 次は「講習」対象者の中に日本人拉致被害者が含まれていなかったとしても、北朝鮮当局が韓国人拉致被害者のみを監視下に置いていたということはあり得ないという事実である。 

 最後に日本人拉致被害者が韓国人拉致被害者共に北朝鮮当局の監視下にあるなら、「講習」対象者の中に日本人拉致被害者が含まれていても不思議はないという事実である。

 だとすると、北朝鮮は調査を装って拉致被害者の所在を把握したように見せかけ、日本に報告することになる。北朝鮮は日本の制裁解除を獲得するためにも、誰一人返さないということはないだろうが、問題は全員を把握するところまでニセの調査を進めるかどうかである。

 安倍晋三「全ての拉致被害者のご家族がご自身の手でお子さんたちを抱きしめる日がやってくるまで、私たちの使命は終わらない」

 安倍晋三のこの全員帰国の保証に対して北朝鮮がニセの調査でどれ程に応えるかどうかである。

 日本人拉致被害者の所在を当初から把握していながら、ニセの調査を進める如何わしさから考えて、そこに相当な取引が介在することになることだけは間違いない。簡単には全員を返さないことを予想しなければならない。

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