市川女性刺殺、結果的に警察のストーカー警告が殺意の火をつけたとしたら、その教訓とは

2013-11-30 08:38:57 | 政治



      生活の党PR

 《7月参議院選挙岡山選挙区「違憲で無効」の広島高裁岡山支部の判決を受けて》生活の党総合政策会議議長・衆議院議員畑浩治談話(2013年11月28日)

 「本日、広島高裁岡山支部で、本年7月の参議院議員選挙の一票の格差訴訟で「違憲で選挙は無効」の判決が下された。「参議院選挙が無効」とされた司法判断は初めてであり、全国14の高裁・支部に提起されている本年参議院選挙に関する訴訟の最初の判決として、極めて重い意義を持つものである。

 すでに最高裁大法廷は昨年10月に、最大格差が5.00倍であった2010年の参議院選挙は違憲状態とし、「速やかに不平等を解消する必要がある」としていた。国会質疑において抜本的な選挙制度改革をすべきとの警鐘を鳴らしたにもかかわらず、4増4減の弥縫策で、実質的に違憲状態を放置した国会の責任は重いと言わざるを得ない。

 正当な選挙により選ばれた議員により国会が構成されることは、議会制民主主義の基本である。投票価値の著しい不平等が是正されないまま、選挙が選挙区で違憲無効と判示された参議院で、国民の権利に重大な脅威を及ぼす「特定秘密保護法案」が論議されることは、国民主権に基づく民主政治を否定する行為といえるものであり、本法律案の成立阻止に全力を尽くすことを誓うものである。」(以上) 

 元交際相手の岡逸人(はやと)(23)が11月27日夕方、市川市の路上で市内に住む湯浅栞さん(22)を刃物で刺して殺害した事件が起きた。

 二人は交際中の約2年間、10代で結婚していたときの長女(3)と3人で同居生活を送っていたが、今年9月に別れたという。殺害された当時は婚約相手の男性(35)と同居。長女を保育園に迎えに行くとき、待ち伏せされ、刺された。

 翌11月28日、知人がいて、土地勘がある八丈島にフェリーで到着したところを警察が逮捕。

 当然、待ち伏せして刺した男の方が付き纏っていたことになり、殺害された女性の方からの別れということになる。

 これだけのことなら、未練と恨みによる犯行ということでさして話題にならなかったかもしれないが、一度警察が男を注意していながら犯行が起きたということを大方のマスコミが話題にした。

 《女性刺殺 元交際相手タクシーで尾行か》NHK NEWS WEB/2013年11月28日 13時53分)の記事の中から、警察の注意の個所についてのみ取り上げてみる。

 男は別れて数週間後の9月24日、当時女性が暮らしていた市川市内の実家に押しかけ、復縁を迫った。記事は、〈このとき、岡容疑者本人が警察に110番通報し〉となっている。

 推測だが、女性が「帰ってくれないと警察に電話する」と言ったのに対して男が、「電話すればいい」と開き直った。女性が警察への電話を躊躇していると、「じゃあ、俺がかけてやる」と強がって掛けたといったところなのかもしれない。

 「女性を殴った」

 警察官が駆けつける。

 女性「私には交際相手がいるのでもう来ないようにしてもらいたい」

 この箇所は「毎日jp」記事は、「殴られてはいないが復縁を迫られ困っている」という言葉となっている。

 警察官は男を交番に連れて行き、聴き取りで暴力はなかったことから、これ以上付き纏うとストーカー行為になると口頭での注意で済ませた。

 「毎日jp」記事には交番への連行については触れていないが、警察官は次の発言をしていることになっている。

 警察官「また自宅に押し掛けるとストーカー行為として取り締まりの対象になる」(毎日jp

  「二度と行かない」(同毎日jp)――

 女性から警察に男とのトラブルの相談があったのはこのときだけだという。

 男は殴ってもいないのに、なぜ警察への電話で「殴った」などと言ったのだろう。推測に過ぎないが、女性は殴られていたが、傷害罪といったふうに事が大きくなるのを恐れて「殴られていないが」と言ったのか、男は殴ってはいなかったが、警察への電話を躊躇する女性の様子を見て、警察なんか問題ではないところを見せるために殴ったと大袈裟に出たのだろうか。

 あるいは「殴った」と言えば、手っ取り早く警察官が駆けつけると思ったからだろうか。

 「毎日jp」は、女性が35歳の男性と同居するようになったのはこの一騒ぎの後としている。

 この両者の間に殺害事件が起きるまで二度目のトラブルはなかったが、10月、男が市川市内の路上で「女を奪(と)られた」と騒いでいだため、警察が保護して保健所に通報したが、女性とトラブルになっている男だと把握せず、女性に注意の連絡を取る対応もしていなかったと別の「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 保健所に通報したのは男が酔ってでもいたからなのだろうか。

 男は女性に直接電話したり、あるいは直接接触して恨みつらみや厭味を言っり、復縁を迫ったり威したりしたわけではないから、「また自宅に押し掛けるとストーカー行為として取り締まりの対象になる」という警察の注意を忠実に守ったことになる。

 だが、未練を吹っ切れずに関係のない路上で喚いたりの騒ぎを起こした。

 と言うことは、男は自分がストーカー男となることへの恐れが女性への欲求をどうにかコントロールしていたことになる。ストーカー男にならない範囲での荒れた行動を女性に対する未練の代償行為としていた。

 このように判断すると、記事が「注意」と書いている男に対する警察の指示を男は注意のレベルで受け止めたのではなく、警告のレベルで受け止めた可能性は否定できない。

 もし警告として深刻に受け止めていたなら、男に取って相当な精神的な抑圧となっていたはずだ。完全燃焼させることのできない、不完全燃焼のままの抑圧させた欲求は抑圧させた状態で順次蓄積されていくことになって内側からの反発力が加わり、膨張していく形を取る。蓄積が止まらなければ、臨界点に達し、抑圧と膨張のバランスが崩れて自ずと爆発を強いられてカタルシスを迎えることになる。

 いわば警察のストーカー警告が殺意の火をつけ、最終的に抑圧された欲求の爆発という形を取った完全燃焼が刺殺という殺人となって現れた。

 このような経緯は凶器を事前に用意していたことと致命傷となった右腹部の刺し傷が肝臓や肺にまで達する(「MSN産経」)程の計画性と強い殺意に基づいた犯罪であったことが証明している。

 以上は推測でしかないし、結果から見た解釈ではあるが、例え警察の注意、もしくは警告がなかったとしても、未練を抑圧させていき最終的に凶行の形で感情を爆発させることになったかもしれないが、現実にストーカー警告の後殺害行為が起きている以上、注意して、素直に従ったで終わらせてはいけないことを教えている。

 逆に警告の後、相手が例え素直に従ったとしても、心してストーカー対策に腐心しなければならないことを教訓としている。単にマニアル通りに対処すれば手落ちとはならないこととして済ましてはいけないという啓示であるはずだ。

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小野寺五典如きに陸自「別班」の存在疑惑に関わる判断能力からして日本版NSCのメンバー足り得ない

2013-11-29 09:09:06 | 政治



      生活の党PR

      11月26日衆議院本会議

      《特定秘密保護法案、玉城デニー幹事長代理反対討論》
   
      《特定秘密保護法案衆議院通過を受けて、鈴木代表代行・幹事長会見》

 小野寺五典如きが日本版「国家安全保障会議(NSC)」が設置予定の情報一元化のための首相・官房長官・外相・防衛相を構成員とする「四者会合」のメンバー足り得なければ、任命責任者たる右翼の軍国主義者安倍晋三の人物を見る目がないことの証明となり、その判断能力の程度が問題となって、安倍晋三自身も同じくメンバー足り得ないという評価を受けることになるはずだ。

 11月27日(2013年)、共同通信が陸上自衛隊秘密情報部隊の内閣の関知しない場所での関知しない情報活動の存在を報じた。

 《陸自が独断で海外情報活動 首相、防衛相に知らせず》47NEWS/2013/11/27 20:16 【共同通信】)  

 要約すると、陸上幕僚長経験者、防衛省情報本部長経験者ら複数の関係者が共同通信の取材に証言したこととして、陸上自衛隊の秘密情報部隊「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」(別班)が冷戦時代から首相や防衛相(防衛庁長官)に知らせず、独断でロシア、中国、韓国、東欧などに拠点を設け、身分を偽装した自衛官に情報活動をさせてきたことが分かったという内容である。

 記事は、〈自衛隊最高指揮官の首相や防衛相の指揮、監督を受けず、国会のチェックもなく武力組織である自衛隊が海外で活動するのは、文民統制(シビリアンコントロール)を逸脱する〉ことだと解説している。

 勿論、事実かどうかが問題となる。ガセネタ、誤報の類も存在する。

 但し小野寺五典は防衛相という立場上、この報道事実を実在的事実かどうか証明しなければならない。もし実際に存在する事実であったなら、歴代内閣の一大スキャンダルと化す。「自衛隊法」第7条は、〈内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。〉と定めている。

 いわば陸上自衛隊は内閣総理大臣の手のひら(=指揮監督)を離れて活動してはならないにも関わらず、その一部部隊が手のひらから離れて活動していたことになって、文民統制の非効力ばかりか、内閣総理大臣の指揮監督の不行き届きの問題にも発展する。

 小野寺五典は同11月27日の夜になって記者の質問に答えている。《陸上自衛隊「別班」の存在否定 共同通信の報道に小野寺防衛相》47NEWS/2013/11/28 00:14 【共同通信】)

 小野寺五典「陸幕長に過去と今、そのような機関があるのかという確認をしたが、ないという話があった」――

 聞いたけど、否定した。だから、存在しないでは満足な証明とはならない。

 陸幕長の否定は事実かもしれない。だが、あくまでも事実の可能性であって、事実そのものの証明とはなっていない。聞いた・否定したで事実そのものの証明となるなら、現行犯逮捕の犯罪以外はこの世から犯罪も犯人もなくすことができる。

 知っていながら、それが組織や自身にとって不都合な事実なら、誰もが最初は否定するという人間の心理がなさしめる事例を何ら疑わない鵜呑みの判断の可能性も否定できない。

 あるいは陸幕長の関知しないところで不都合な事実が存在するということもある。

 鵜呑みの判断を以って事実の証明とすることができる頭の程度なのだから、小野寺五典はとてもとても日本版「国家安全保障会議(NSC)」のメンバーの資格はないと言っているのである。情報収集にしても収集した情報の解読にしても、適宜疑うことを判断の基準の一つにしなければ、両者の満足な運営を望むことはできない。

 共同通信の取材に証言した陸上幕僚長経験者、防衛省情報本部長経験者からも確認し、双方からの確認によって判断し、結論を出すのが上に立つ者の責任ある合理的判断能力であろう。

 勿論、共同通信社は取材対象者に対する守秘義務として名前を明かさない可能性がある。だとしたら、冷戦時代以降のすべての陸上幕僚長経験者、すべての防衛省情報本部長経験者を聴取して、事実を明らかにすべきである。

 「別班」なる組織がもし存在したなら、経験者全てを聴取しなければならない程に重大な問題であり、そうすることが重大な事実解明の何よりの証明方法の主たる一つなる。

 だが、聞いた・否定したを唯一の証明とする鵜呑みの判断で一切を片付けようとしている。その頭の程度を問題としなければならない。そのような頭の程度の人物を防衛相に任命した安倍晋三の頭の程度を問題としなければならない。

 いくら謳い文句を立派に飾り立てようとも、日本版「国家安全保障会議(NSC)」が満足に機能するはずがない。

 菅官房長官も「別班」の存在を否定している。《陸自情報活動、報道を否定=菅官房長官》時事ドットコム/2013/11/28-11:53)

 〈陸上自衛隊が秘密情報部隊「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」を組織し、首相や防衛相に知らせず独断で海外に拠点を設けて情報活動をしてきたとの共同通信の報道〉についての11月28日午前の記者会見。

 菅官房長官「報道にあるような組織はこれまで自衛隊に存在していないし、現在も存在していないと防衛省から聞いている。

 防衛省・自衛隊の情報収集は任務や所掌事務の範囲内で法令に従って適切に行われている」――

 これも防衛省から聞いた・否定したの形式で、存在しないことの証明とする鵜呑みの判断で済ませている。

 2007年に軍需産業山田洋行からゴルフや旅行の接待、ワイロを受けて様々な便宜供与を図って逮捕された当時の守屋武防衛省事務次官にしても、2007年10月29日の衆議院での証人喚問で、各種接待は認めたが、致命的な命取りとなる便宜供与自体は不都合な事実として否定している。

 だが、後に便宜供与を認め、懲役2年6月、追徴金約1250万円の実刑が確定している。

 このことは聞いた・否定したを唯一の存在否定、あるいは事実否定の根拠とすることは許されないことの何よりの証明であろう。

 単細胞菅官房長官の存在否定の根拠とした防衛省の証明は岩田陸幕長からの聞き取りであろう。

 《防衛相、陸自「別班」再確認する 陸幕長は消極的》47NEWS/2013/11/28 19:43 【共同通信】)

 先ず岩田陸幕長の11月28日夕の記者会見。

 岩田陸幕長「報道にあったような組織は過去も現在も存在しない。部下から(別班が)存在しないと確認でき、大臣にも報告した。歴代の担当には聞いていない」――

 陸幕長は陸上自衛隊のトップである。トップがその存在を否定したとしても、不都合な事実としての否定ということもある。

 また陸上自衛隊トップの存在否定が確実性を持つなら、なぜ部下に存在を確認しなければならなかったのだろうか。念のためというなら、陸上自衛隊トップの存在否定の確実性は最初から失うことになる。

 部下に対する存在確認にしても、「別班」の存在を「47NEWS」記事が伝えたのは11月27日20時16分であり、岩田陸幕長の記者会見は11月28日夕である以上、約1日しか経過していないのだから、聞いた・否定した形式からの鵜呑みの判断に基づいた証明の範囲を出ないはずだ。

 小野寺五典(11月28日参院国家安全保障特別委員会)「再度しっかり確認していきたい」―― 

 最初の確認がしっかりしていないのに、「再度しっかり確認していきたい」と言う。確認の程度を推し量ることができる。

 《「北朝鮮にスパイ送った」 元陸自別班メンバーが実態語る》中国新聞/'13/11/28)が元メンバーの「養成」、「任務」、「資金」について語っている共同通信の取材を報じている。

 記事冒頭で、〈首相や防衛相が関知しない独断による情報活動が明らかになった陸上幕僚監部運用支援・情報部別班(別班)。国内担当だった元メンバーが28日までの共同通信の取材に、陸自内部でも存在そのものが秘匿されてきた情報部隊の実態を語った。〉と書いている。

 以下詳細は一応、リンクを付けておいたが、マスコミがこうまで報道している以上、自衛隊に対する内閣による文民統制という事の重大さから言っても、正確且つ徹底的な事実確認の調査と事実の証明が首相と防衛相が遂行しなければならない責任となる。

 聞いた・否定したを唯一の証明とする鵜呑みの判断による「別班」の存在否定は責任回避そのものであると同時に、もし存在していたなら、文民統制の制約から自由である分、中身の不法な活動を放置・隠蔽する臭い物に蓋の、いつ爆発するかも分からない危険な爆弾を抱えることになる。

 いずれにしてもマスコミの「別班」報道に対する安倍晋三以下の閣僚の事実確認を見ると、日本版「国家安全保障会議(NSC)「四者会合」のメンバー足り得る頭の程度となっているとは思えない。
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安倍晋三の日本版「国家安全保障会議(NSC)」は中国防空識別圏設定対応から見て満足に機能しない

2013-11-28 08:48:01 | 政治



     生活の党PR

 《特定秘密保護法案の衆議院強行採決を受けて 小沢一郎生活の党代表談話》(2013年11月27日)

 〈昨日、特定秘密の保護に関する法律案が、本会議において強行採決され、与党とみんなの党などの賛成多数で可決された。

 同法律案については、国民世論の多くが反対であり、法曹界からは憲法違反の疑義が指摘され、報道・出版界からも報道・取材の自由が侵害されるとの強い抗議の声が上がっている。さらに与党内からも国民の知る権利を著しく制約することへの懸念が示されている。

 しかし、与党は、こうした国民の世論を踏まえ時間をかけた徹底審議を求めていた野党議員の声を全く無視して、採決を強行した。本来、国民の基本的人権を制約する、このような法律案については、国会で徹底的な審議を行うことが当然であり、与党には、国民世論および野党の要求を真摯に受けとめ、十分な審議時間を確保する器量が求められる。

 この法律案の根本的に問題な点は、「官僚主導」がさらに深刻化することである。米国のように政治家がリードしている国でさえ、ひとたび官僚から「国家のため」といわれると、政治家も情報統制に口出しできないと言われている。ましてや、未だ官僚が政治行政をリードしている日本において、この法律案が成立すれば、官僚が全権を握り、強権的に国民を支配する「全体主義国家」になるおそれすらある。

 そもそも同法律案では、「大臣が特定秘密を指定する」とされているが、それは現実的に不可能である。結局、全て官僚がリストを作り、大臣はハンコを押し追認するだけになる。官僚は、所属する官僚機構の利害を優先するため、次々と特定秘密が指定され、それを入手しようとすると罰せられるということにもなりかねない。最終的に警察・検察国家になる危険性があるこの法律案を推進する政治家群は、自ら自分の首を絞めているようなものである。

 なぜ、国民の代表として国政を信託され行政をリードするはずの与党が官僚主導を強化し、国会の権能を弱め、国民の基本的人権さえ蔑ろにする同法案を強行採決したのか、理解に苦しむ。これは、もはや国民主権に基づく民主政治を否定する行為といえるものであり、本法律案を推進する議員に猛省を求めるものである。

 生活の党は、基本的人権、国民主権という日本国憲法の基本原則と根本的に矛盾するこの特定秘密保護法案に反対する。本日より始まった参議院での徹底審議、国会内外の各界各層との連携の強化によって、本法律案の成立阻止に全力を挙げることを固く誓うものである。〉――

 11月27日日本版「国家安全保障会議(NSC)」創設関連法が成立した。新設する首相、官房長官、外相、防衛相構成の「四者会合」が外務、防衛などの関係省庁に分かれている情報を一元化、首相官邸主導で外交・安全保障政策の迅速な決定を可能とする仕組みの法律だそうだ。

 「首相を中心として、外交・安全保障に関する諸課題につき、戦略的観点から日常的、機動的に議論する場を創設し、政治の強力なリーダーシップにより迅速に対応できる環境を整備する」と謳っている。

 謳い文句だけを見れば素晴らしいが、大したことはできまい。看板倒れ、ハコモノで終わる予感がする。メンバーとなる右翼の軍国主義者安倍晋三以下、官房長官、外相、防衛相の面々を見てみれば簡単に理解できることである。

 11月23日、中国は東シナ海に防空識別圏を設定した。日本が既に設けている防空識別圏と重なり合い、沖縄県の尖閣諸島上空周辺を含んでいる。その空域に侵入した中国軍機に日本の自衛隊機がスクランブルをかけ、逆に中国軍機が自衛隊機を侵入者と見做してスクランブルをかけるという同時発生的な危険な事態も想定可能となる。当然、危険な事態が不測の事態の発生に進展しない保証はない。

 また、中国の防空識別圏設定は安倍晋三が中国に対して常々「対話のドアはオープンにしている」と宣っていた対中外交の一つの成果でもある。この対中外交能力一つを見ても、強力且つ創造的なリーダーシップに基づいた官邸主導は期待できまい。

 日本版「国家安全保障会議(NSC)」創設関連法は2013年6月7日国会に提出、10月25日、衆院本会議で審議入りし、11月7日、衆院にて賛成多数で可決、参院に送付、11月8日から参院審議入り、11月27日可決成立した。

 中国の防空識別圏設定は日本版「国家安全保障会議(NSC)」創設関連法が参院で11月27日に可決成立した3日前の11月23日である。いわば参院で審議中の出来事であった。

 翌11月24日の日曜日、右翼の軍国主義者安倍晋三は神奈川県茅ケ崎市で友人や秘書官とゴルフを楽しんだとマスコミが伝えている。

 記者中国が東シナ海に防空識別圏を設定したが、空をどう守るのか」(下線部分は解説文を会話体に直す)

 安倍晋三「気持いいですね」(時事ドットコム

 要するにゴルフを愉しんでいるのだから、政治の話で煩わすなというイナシなのだろう。

 安倍晋三が中国の防空識別圏設定に関して首相官邸で既設の安全保障会議を開催、岸田文雄外相、小野寺五典防衛相、菅官房長官ら関係閣僚と対応を協議したのは11月26日である。

 11月23日の中国の防空識別圏設定から3日後のことである。中国防空識別圏設定11月23日翌日11月24日の安倍晋三ゴルフから2日後である。

 第一番に参議院で日本版「国家安全保障会議(NSC)」創設関連法が審議中であり、可決・成立は予定範囲内であったことからして、その組織発足に気持の上で備えていたはずだし、メンバーも日本版NSCの「四者会合」の4者と既設の安全保障会議メンバーと重ねることができることも加えて、成立した場合の新設の日本版「国家安全保障会議(NSC)」の予行演習とするだけの気概を持って、なぜ直ちに安全保障会議を開くことをしなかったのだろうか。

 だが、中国の防空識別圏設定から3日後の安全保障会議であり、たったの24分間の開催となっている。開催後の11月26日菅官房長官の記者会見発言を見てみる。

 菅官房長官「続きまして、中国国防部による『東シナ海防空識別区』の発表について、外務省、防衛省より報告がありました。政府としては、国際社会と連携しつつ、中国側に強く自制を求めてまいる所存であります」(首相官邸

 これだけである。安全保障会議での議論は中国の防空識別圏設定以外は「防衛計画の大綱」の見直しについての議論とフィリピン中部の台風被害についての議論、締めて24分間。

 菅官房長官「次に、フィリピンにおける台風被害及び我が国の対応について、防衛省、外務省より報告がありました。詳細につきましては、防衛省、外務省にお尋ねをいただきたいと思います」(首相官邸

 菅官房長官は午後の記者会見で中国の防空識別圏設定に関して初めて具体的な指示を出している。

 菅官房長官「我が国としては、防空識別圏を飛行する航空機について、これまでのルールのとおりに運用を行っていくとの政府方針を中国側に通告した。

 政府としては、官民一致して対応すべく、改めて国土交通省からそれぞれの航空会社に対し、中国側に飛行計画書を提出しないよう協力を要請した」

 記者「各国も日本と同じように提出しない方向か」

 菅官房長官「殆どの国は提出していないようだ」

 記者「民間機がトラブルに巻き込まれた場合、誰が責任をとるのか」

 菅官房長官「そうしたことは全く考えていない。日本の航空機だけでなく、世界の数十社の飛行機がその空域を飛んでいる。中国側からも『今回の措置は民間航空機の飛行の自由を妨げるものではない』という回答を得ている」(以上NHK NEWS WEB

 当日午後は安全保障会議を開催していないから、安全保障会議で決めたことではないはずだ。

 各航空会社に対する中国当局への飛行計画書提出拒否要請は前日11月25日に全日本空輸と日本航空が、〈防空識別圏を通過する台湾便などの運航で、中国当局に飛行計画の提出を始めたことを明らかにした。〉(MSN産経)ことを受けた対応であろう。

 いわば後手の対応であった。中国が11月23日の防空識別圏設定に当って飛行計画書の提出や防空識別圏を管理する中国国防省の指示に従うことなどの公告を出していたにも関わらずである。

 だが、直ちに対応できずに安倍晋三は11月24日にゴルフ、3日後の11月26日にやっと安全保障会議を開催しても、外務省と防衛省からの報告と国際社会との連携、中国側に対する強い自制要求程度のことしか決めることができなかった。

 日本航空と全日空が政府要請に応じて飛行計画書を提出しないことを決めたのは政府要請の11月26日当日夜になってからである。夜になったのは各航空会社で政府要請に従うべきか従わるべきか協議に時間を要したからだろう。

 このような事態一つとっても、政府のやることは後手の対応だと分かる。
 
 こういった体たらくで、いくら謳い文句が素晴らしかろうとも、日本版国家安全保障会議(NSC)が組織されたとしても、満足に機能すると誰が思うだろうか。

 最初のうちは気張るかもしれないが、そのうちマンネリ化し、形式化するのがオチではないか。結果、謳い文句倒れとなる。

 日本版国家安全保障会議(NSC)を組織したとしても大したことはできないと考える本質的な理由は日本人の思考様式・行動様式が権威主義の図式に従っていることである。上の指示・命令に従う思考・行動に慣らされていて、上と下が上下の境なく忌憚のない議論を交わしてより創造的な結論を得ることに不慣れなため、情報収集には能力を発揮できたとしても、創造的な結論の生み出しに当たる収集した情報の解釈に力を発揮することが期待できない恐れにある。

 情報解釈が満足に機能しないと、解釈した情報の活用にも自ずと限界が生じる。不満足が不満足を相互対応させるということである。

 中国の11月23日防空識別圏設定に対する11月26日午前の安全保障会議開催と午後の各航空会社に対する中国への飛行計画書提出拒否要請の後手の対応はまさに上記ケースに当てはまる、情報をそれなりに収集できたとしても、その情報の解釈と解釈に従った創造的な活用の機能不全を示しているはずだ。

 特に右翼の軍国主義者安倍晋三は合理的判断能力を欠いている。この能力欠如は日本版NSCが謳う「戦略的観点」を成り立たせ可能とする戦略的思考性の未熟を示す。とてもとても強力なリーダーシップなど期待しようもない。

 菅官房長官は当初、日本版国家安全保障会議(NSC)の議事録は作成しないとしていた。だが、参議院は「国の安全保障を損ねない形で会議記録の作成を検討する」(NHK NEWS WEB)とした付帯決議を採択、法案を可決・成立させている。

 要するに「国の安全保障を損ねる」と理由をつけることで、議事録作成を免れることができる。

 だが、議事録作成と作成した議事録公開とは性格を異にする。国の安全保障を損ねることのない一定の年数を経過した後、何が議論されていたのかの国民の検証を得るためにも公開することが自分たちが負っている責任であるはずだが、「国の安全保障を損ねる」という理由で議事録そのものを作成していなかった場合、公開は不可能となり、公開不可能は検証不可能をイコールとして政治行為に欠落を生じせしめ、当然、国民に対する説明責任の不履行へとつながっていく。

 このような議事録作成に関する熱意のなさは既設の安全保障会議の議論を踏まえた状況としてあり、同時に責任感の希薄性に帰着するはずだ。既設の安全保障会議で見るべき創造的な議論(=見るべき創造的な情報解釈)を交わすことができ、見るべき創造的な情報活用に発展させて国民に対する見るべき創造的な利益を生み出していたなら、メンバーとして負っている責任を十分に果たしていることになり、議事録公開は別にして議事録作成自体には何ら躊躇する理由はないはずである。

 だが、逆の状況にあるということは組織として掲げた目的に添う議論すら交わしていないということであるはずだ。

 こういった面からも、日本版国家安全保障会議(NSC)は満足に機能しない恐れを抱えていると言わざるを得ない。

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ウソつき猪瀬都知事のウソと矛盾満載の11月26日(2013年)借用書存在証明記者会見

2013-11-27 12:26:08 | 政治



 記者の質問のたびに答える内容が猫の目のようにくるくる変わる猪瀬都知事の記者会見であった。借用証をこの通り存在すると見せたが、ニセモノの借用書だから、答える内容を変えなければならなかった。もし、この借用証に徳田氏側から異議申立てがなかったとしたら、前以て話をつけておいたからなのは断言できる。
 
 事実真正の借用書なら、こうまでも答える内容がくるくると変わることはない。一言で言うと、ウソつき猪瀬都知事ということになる。

 先ず最初に猪瀬都知事が徳洲会グループのボス徳田虎雄前理事長との面会から昨日11月25日の借用書の所在確認までの経緯を時系列で記載してみる。

2012年11月6日  神奈川県鎌倉市の病院で医療法人徳洲会グループ徳田虎雄前理事長と面会
2012年11月14日 東京都内の和食店で、前理事長の次男の徳田衆院議員と仲介人(政治団体「一水会」の木村
          三浩代表)の3人で会食
2012年11月19日 徳田議員から電話で議員会館に足を運ぶよう求められた。
2012年11月20日 1人で議員会館を訪れて5000万円を受け取り、徳田氏が用意した借用書に署名を求めら
          れ、借用証を書く
2013年1月下旬頃  徳田毅議員に返却の連絡を入れる
2013年2月3日   2月4日に行うことになっていた借入金返却の打ち合わせが徳田氏側の不都合で急遽キャンセ
           ル
          以後公務と妻の介護に忙殺される。
2013年8月23日  借入金返却のため妻名義の貸金庫から保管していた現金を取り出す手続きを確認
2013年9月26日  徳田氏と連絡を取り、この日を返却の日と決める
          鈴木特別秘書が都内のホテルで徳田毅氏代理人である徳田秀子氏に面会、借入金を全額返却
          後日、借用証は徳田毅氏事務所から都知事の事務所に郵送される
2013年11月25日朝 借用書が猪瀬氏の貸し金庫にあることを確認(以上)

 記者会見での猪瀬都知事の冒頭発言は東京都のHPにも記載されているが、次の記事を参考にした。《猪瀬直樹知事、5000万円の「借用書」問題で緊急会見【発言全文】》The Huffington Post/2013年11月26日 19時41分)

 記者との質疑は東京都のHP――《知事の部屋/記者会見》(平成25年11月26日)を参考にした。
  
 必要な個所のみを取り上げて、その都度矛盾やウソを突いていくことにする。先ずは冒頭発言から。

 猪瀬都知事11月19日に、徳田毅議員から電話にて、議員会館においでいただきたいとの話がありました。翌11月20日、衆議院第一議員会館の徳田毅事務所を訪問し、徳田毅氏と面会したところ、徳田毅氏から5000万円をお貸しすると話され、徳田氏が用意した借用書に署名を求められました。これ、借用書であります。

 受け取った金銭は、自宅に持ち帰り、使う予定もないので、妻の貸し金庫に預けることにしました。今年1月下旬ごろ、お借りしたお金を返す旨を徳田毅氏に連絡し、2月4日に借入金の返却の方法を打ち合わせすることになりましたが、前日の2月3日に徳田氏側から都合が悪くなったとの連絡が入り、打ち合わせは急遽キャンセルになりました」――

 11月19日の徳田毅議員から電話では5000万円の話は出ず、翌11月20日に議員会館で徳田毅議員に会って初めて5000万円の話が出たことになる。

 そして徳田毅議員が用意してきた借用書にサインした。但し5000万円は「使う予定もないので、妻の貸し金庫に預けることにし」た。

 「使う予定もない」のになぜ借りたのかは後の発言によって分かる。

 猪瀬都知事「選挙にお金がかかるという話題が出ましたときに、僕自身は3000万ぐらいで選挙をやるつもりですというふうな話をしました。で、実際に今回の選挙でかかった費用は3000万円でした。あと、確認団体分入れて3700万円でした。ただ、そのときには、その後の生活とか、その先のことが全く見えなかったので、お金をお借りするという、個人的にお金をお借りするという気持ちになっていました」――

 要するに選挙資金としては使う予定はなかったが、都知事選に落選した場合にだろう、「その後の生活とか、その先のことが全く見えなかったので」、将来的生活資金を予定して、そのことに備えて借りることにしたということになって、「使う予定もない」は整合性ある発言となる。

 但し、「使う予定もないので」が選挙資金としてのことであるなら、政治資金としての使途目的を持たせた両者間のカネの遣り取りということになる。

 例えば親元を離れて東京の大学に通学し、マンションに下宿している息子が次の月の部屋代を払済みだが、理由をつけて他のことに使ってしまったと親にウソをついて余分に1カ月のマンショ部屋代をせしめ、遊興費に使ったとしても、親と息子の間のカネの遣り取りで交わされた使途目的はあくまでも部屋代であって、遊興費とすることはできないのと同じである。

 要するに猪瀬都知事がいくら個人的使い途で5000万円を受け取ったと抗弁しようとも、徳田毅議員は5000万円を政治資金として提供し、猪瀬都知事は政治資金と分かって受け取ったが、後の方の記者との質疑で、「私の貯金で選挙をやりますということで、選挙の責任者には伝えておきました」と言っているように選挙は貯金してあった自己資金「3000万ぐらいで」で済ますつもりでいたから、選挙資金としては「使う予定もな」かったが、将来に備えて個人的に借用したという経緯を取るということになる。

 以上のことを言い換えるなら、猪瀬都知事が「個人の借金」としていることはそのことを相手に伝えていない以上、あるいは相手に伝えて了承を取っていない以上、猪瀬都知事自身の個人的事情に過ぎないことになる。

 了承を取って初めて、徳田毅議員も使途を猪瀬都知事の「個人的借金」として貸すことになる。そうでないのだから、政治資金としての性格を抹消させることはできない。

 猪瀬都知事「借入金返却のため、妻名義の貸し金庫から保管していた現金を取り出す手続きが8月23日に確認できたため、返還する準備を進めました。ブエノスアイレスから帰国後、徳田毅氏に連絡をとり、借入金の返却日時を9月26日とすることとし、その日、特別秘書の鈴木が都内のホテルで徳田毅氏の代理人である徳田秀子氏に面会し、借入金を全額返却いたしました。

 お借りしたときに作成した借用証は、徳田毅氏事務所から、後日、人を介して私の事務所に郵送されてきました。
 
 経緯は以上であります」――

 先ず徳田毅議員に連絡を取って返済を申し出たところ、徳田毅議員の代理人である徳田秀子(虎雄前理事長の妻で徳田毅議員の母)が来たので、鈴木秘書が5000万円を全額返却した。

 借用証に関しては「お借りしたときに作成した借用証は、徳田毅氏事務所から、後日、人を介して私の事務所に郵送されてき」た。この「人を介して」の意味が分からないが、後で記者の質問を受けて訂正している。

 兎に角借用証は全額返還と同時に受け取らなかった。「後日」郵送されてきた。「後日」がどのくらいの時間差か、後のほうで徳田氏自身が応えている。

 猪瀬都知事「えーと、9月26日ぐらいのところのあたりで戻ってきてるということになりますが、はい。」

 はっきりした日付は分からないことになる。「9月26日」は5000万円を返却した日だから、「後日」ということにはならない。だから「ぐらい」としたのだろうが、正当性を証明する話す事実の全てが曖昧な表現となっている。当然、現実にあった事実と受け取ることができないことになる。

 猪瀬都知事「お金を返しに行きましたら、その場に借用書がなかったので、それで、後で徳田毅さんの事務所のほうから送ってもらうようにということで返していただいたわけですね」

 記者「じゃ、事務所から知事のほうに郵送で来たということですか」

 猪瀬都知事「そうです。はい」――

 と言うことは、徳田毅議員は返却の連絡を猪瀬都知事から前以て受けていながら、常識的には考えられないことだが、借用証を代理人である徳田秀子氏に持たせなかったことになる。

 この常識では考えられないことを記者は追及せずじまいにしてしまった。

 徳田秀子氏は徳田毅議員が指示した代理人である以上、徳田秀子氏に借用証を持たせるはずである。借用証は手許に残してカネだけ受け取ったことになる。

 説明に矛盾があるとしか解釈できない。

 「徳田毅氏に連絡をとり」、「徳田毅氏の代理人である徳田秀子氏に面会し」たという発言も、あとで飛び出すことになる発言と矛盾する。

 猪瀬都知事「お返ししたのは、えーと、徳田秀子さんにお返しして、毅さんのほうのご連絡いろいろと、うちの特別秘書のほうでいろいろあちこちご連絡したときに、徳田秀子さんが連絡先になりましたので、そこにお返ししておいたということになります」――

 ここでは徳田秀子氏は徳田毅議員の代理人としてではなく、徳田毅議員に連絡がつかず、「徳田秀子さんが連絡先」となったために徳田毅議員の代理として徳田秀子氏に返却したということになる。

 いわば最初から徳田毅議員から代理人に指定されていたわけではないことになる。

 天下の都知事でありながら、また高名な文筆家でありながら、なぜこうも発言が二転三転するのだろうか。

 但しこの場合、借用証は持っていなかった可能性に正当性は生じる。上記発言に続いての記者との質疑で持っていなかったことを改めて証明する。

 記者「すいません、秀子さんのほうはですね、『借用書を見たことがない』とおっしゃっているそうですが、そのあたり……」

 猪瀬都知事「あっ、だから、秀子さんとこになかったんです。なかったので、借用書を毅さんの事務所のほうから、もうお返ししましたのでということで、送ってくださいということだったんです」

 記者「秀子さん自身は、ご自身はそのとき借用書の存在を知らなかったということですか」

 猪瀬都知事「はい。それ知らないと思います。なぜかというと、毅議員と僕の間で借用書を書いてますので、その秀子さんは知らないと思います、借用書の存在とか、そういうものについて。はい」――

 猪瀬都知事は徳田秀子が借用証を知らなかったとすることに成功したが、「あっ、だから、秀子さんとこになかったんです。なかったので、借用書を毅さんの事務所のほうから、もうお返ししましたのでということで、送ってくださいということだったんです」と言っている意味は、徳田秀子が「借用書を毅さんの事務所のほうから、もうお返ししましたので」と言ったことになり、鈴木秘書が「(じゃあ)送ってください」と応じたことになる。

 だとすると、関係者の話として徳田秀子が「借用書は見たこともない」と発言したとしていることと矛盾するし、猪瀬都知事自身が「はい。それ知らないと思います。なぜかというと、毅議員と僕の間で借用書を書いてますので、その秀子さんは知らないと思います、借用書の存在とか、そういうものについて。はい」と言っていることとも明らかに矛盾する。

 ここにウソがなければ、このような矛盾は発生しない。発言のウソは借用証存在自体のウソに限りなく重なる。

 当然、借用証が「えーと、9月26日ぐらいのところのあたりで戻ってきてるということになりますが」もウソということになる。

 もしこの「借用書を毅さんの事務所のほうから、もうお返ししましたのでということで、送ってくださいということだったんです」が鈴木秘書から5000万円返却後に猪瀬都知事が返却の報告を受けたとき、相手はこう言っていましたので、私はこう答えておきましたという遣り取りの報告だとしたら、借用証は存在することになるが、11月22日午後の記者会見で借用証の存在を知らないとか、「いらなくなったらいらないということで破棄してしまうということもありますので」とか、存在抹殺のための奥の手を使う必要は生じなかったことになる。

 借用証存在証明のための猪瀬都知事の創作としか受け取ることはできない。

 借用証は亡くなった妻の名義の貸し金庫は使えなくなったので、自分名義に変更した貸し金庫に事務所の職員に指示して保管させた。

 順を追わずに肝心なところだけを拾い上げる。

 猪瀬都知事「きのうの朝、貸し金庫にあることが確認されたので、それで公開することにしました。つまり、どこにあるかちょっと自信がなかったものですから、書類の山だったものですから、それで確認ができたので、今こうやってお見せしているわけです」――

 いくつかの質疑の後の遣り取りで矛盾が生じてきて怪しくなる。

 臼井東京新聞記者「その借用書は最近つくったもの、借用書というのは公正証書と違って、立会人、公証人もいませんし、いくらでもつくれるものだと思います。そう思っている人が多いかと思います。貸し金庫にお入れになったとおっしゃってます、スタッフの方が。その報告、お受けになっていなかったんですか、そんな大事なものなのに」

 猪瀬都知事「いやいや、それは誤解なので、これは間違いなく原本です。原本です」

 臼井東京新聞記者「貸し金庫に入れるように指示されたんですか」

 猪瀬都知事「いや、それは、だから、大事なものは貸し金庫に入れるということでありまして……」

 臼井東京新聞記者「スタッフの方が借用書をお受け取りになって、そして、貸し金庫にお入れになったとおっしゃいました。その報告をお受けになってなかったんですか、26日の後の時点で」

 猪瀬都知事「お金を返したら借用書が戻ってくるのは当然のことだと思っていました」

 臼井東京新聞記者「もう一遍お伺いしますけど、貸し金庫にお入れになる、そのときに、借用書が自分の手元に、事務所側に戻ってきたことをスタッフの方に確認されなかったんですか」

 猪瀬都知事「いや、だから確認してますよ。だから、僕が見てなかったと言ってるだけであって、普通に返済されたら借用書は戻ってきますので、それで、お金を返したということで、それでもう僕としては、片づいたなと思っております。で、この借用書については、徳田毅さんにも見ていただければ、これが本物だということは確認していただけます。はい」

 臼井東京新聞記者「もう一遍お伺いしますけど、じゃあ、26日、借用書が返ったときで、ご報告お受けになっていたんですか」

 猪瀬都知事「えっとね……」

 臼井東京新聞記者「だから、貸し金庫に保管されるように指示なさったんですか」

 猪瀬都知事「それは事務的なものですから……」

 臼井東京新聞記者「でも、大事なものですよね、知事にとっては」

 猪瀬都知事「これ、返ってきたっていうことは、もう当然のことで、当たり前だと思ってますから。ええ。当然、返ってくるのは。お金返したら借用書が戻ってくるというのは当然のことだと思っています。で、それは、鈴木特別秘書から、借用書は戻ってますよという報告は受けてるが、どこにどうしまったのかについて知らなかったということであります」――

 借用証は郵送されてきた。当然、剥き出しの状態では郵送できない。当たり前のことだが、封書で送られてきた。差出人が徳田毅自民党議員となっていたとしても、猪瀬都知事が前以て徳田議員からの郵送があったならと指示を出しておくか、差出人が徳田毅議員となっている封書が届いたという報告がなければ、それが大事なものかは事務所のスタッフは判断できないことになる。

 ところが記者の「報告をお受けになってなかったんですか、26日の後の時点で」との質問に明確に答えることができず、「大事なものは貸し金庫に入れるということでありまして……」と、そういう習慣になっていることを言っているが、いくら習慣だろうと、中身を知らないまま、あるいは中身を知らされないまま大事なものとして扱う矛盾が生じる。

 デタラメを言っているしか思えない。

 しかも、「大事なものは貸し金庫に入れるということでありまして……」と言いながら、その舌の根が乾いているはずもないうちに、「鈴木特別秘書から、借用書は戻ってますよという報告は受けてるが、どこにどうしまったのかについて知らなかったということであります」と、大事なものは貸し金庫保管の習慣に矛盾することを平気で言っている。

 これで借用証所在に決着をつけたつもりでいるだろうが、散々な矛盾した発言の展開は決着がつないまま残ることになる。
 
 借用証のウソから発しなければ、こうまでも矛盾した発言を1億もカネをかけた結婚式並みに派手に披露することはできない。

 もしこれで決着がつくとしたら、徳洲会グループ側と前以て話をつけておいたからだと、名誉毀損裁判を覚悟して改めて断言しておく。

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安倍晋三は基本的に国家主義者であり、特定秘密保護法案は国民の知る権利よりも国家秘密を優先利益とする

2013-11-26 07:38:52 | 政治


 
 【国家主義】「国家をすべてに優先する至高の存在、あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想」(『大辞林』三省堂)

 右翼の軍国主義者安倍晋三が如何に国家主義者であるかを見てみる。

 安倍晋三は天皇主義者である。天皇主義者であることこそ、国家主義者の何よりの証明となる。天皇主義とは天皇を至高の存在として国家の中心に据える思想を言う。

 安倍晋三「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」(自著『美しい国へ』)

 安倍晋三「むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね」(2012年5月20日放送「たかじんのそこまで言って委員会」

 戦前では通用する思想を戦後の民主義国家日本に於いても今以て引きずって日本国の中心に天皇を据え、国民の存在を天皇の下に置いている。

 天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」(日本国憲法)であったとしても、その地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」と日本国憲法が規定している以上、日本国の中心は国民であって、天皇ではない。国民の総意あっての象徴天皇とは国民の存在があってこその天皇の存在ということを意味しているからだ。

 あくまでも国民は天皇の上に位置する。「国民主権」とはこのことを言うはずだ。

 だが、右翼の軍国主義者安倍晋三は天皇の存在あってこその国民の存在としている。この関係性が「皇室の存在は日本の伝統と文化、そのもの」という言葉となって現れている。あるいは「真ん中の糸」という言葉で皇室を日本国の中心に据えることで、天皇の存在あってこその国民の存在とする関係性を提示している。

 天皇を中心に据えた国の形の優先は「万世一系」への誇りにも現れているし、「2600年の歴史」だとか、「世界に類のない男系天皇」といった誇りの言葉からも見て取ることができる。

 当然、このような天皇と国民の関係性は「自民党日本国憲法改正草案・前文」にも現れることになる。

 〈日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。〉――

 「天皇を戴く国家」とは天皇を国民の上に置く国家という意味である。当然、天皇の存在あってこその国民の存在という関係性を描くことになる。結果として、「国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」と保障したとしても、「国民主権」は国民が上に戴くことになる天皇によって精神的な制約を課せられることになる。
 
 右翼の軍国主義者や保守派政治家が「国柄」という言葉を好んで使うが、その言葉を使うとき、国家主義が現れる。

 2013年3月15日のTPP交渉参加決定記者会見――

 安倍晋三「最も大切な国益とは何か。日本には世界に誇るべき国柄があります。息を飲むほど美しい田園風景。日本には、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら五穀豊穣を祈る伝統があります。自助自立を基本としながら、不幸にして誰かが病に倒れれば村の人たちがみんなで助け合う農村文化。その中から生まれた世界に誇る国民皆保険制度を基礎とした社会保障制度。これらの国柄を私は断固として守ります」――

 2013年3月17日自民党大会――

 安倍晋三「国益とは麗しい日本の国柄だ。日本は古代より朝早く起きて田畑を耕し、病気の人が出ればみんなでコメを持ち寄って助け合った。ここから生まれた国民皆保険制度は断固として守る」――

 日本の国柄こそが国益だと言っている。そして「国柄」とは安倍晋三の言葉から汲み取ると、日本古来からの伝統・文化が今に続いて発展の礎となっている国の形を言っているはずだ。

 だが、この思想は国の形の優先(=国家優先)を旨としていて、国家あってこその国民の存在という国家主義を描いている。

 もし国民優先であったなら、農村と農村生活者の現実にこそ視線を向け、少子高齢化、過疎化、後継者不足、耕作放棄による農地の荒廃等を問題にしたはずだ。当然、「息を飲むほど美しい田園風景」などといった言葉は出てこない。中身の生活が惨憺たる状況にあったなら、「美しい田園風景」はハコモノに過ぎない。

 国家優先だから、「日本は古代より朝早く起きて田畑を耕し、病気の人が出ればみんなでコメを持ち寄って助け合った」と農村を美しく描くことで、そのような国家を美しいとする。

 安倍晋三は国家優先・国民従属の国家主義者だから、伝統的な家族制度・伝統的な婚姻精度に拘り、伝統を断ち切った、時代に則した新しい家族のあり方、新しい結婚のあり方に拒絶反応を示して、制度の中身としてある個人の権利という幸福を無視することができる。

 あくまでも昔からの形を重視する。昔からの国の形、昔からの家族の形、昔からの結婚の形・・・・というふうに形を重んじ、中身の個人を問題としない。国家主義者たる所以である。

 離婚後300日以内に生まれた子は「前夫の子」と推定することを定めた民法772条の規定が離婚・再婚が当たり前となった現在、不合理な制度となっているにも関わらず、家族制度や婚姻制度の維持を口実にその見直しに忌避反応を示すのも、最終的には国家の形に拘り、国家の形に個人の権利を従属させて、その幸福を奪う国家主義から来ている忌避反応であろう。

 安倍首相「(300日規定見直しは)婚姻制度そのものの根幹に関わることについて、いろんな議論がある。そこは慎重な議論が必要だ」――

 右翼の軍国主義者安倍晋三の靖国神社参拝も国家主義に依拠している。

 安倍晋三「国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」――

 どのような国家だったのか、国家の姿と国家の姿に制約された中身としての国民の在り様(ありよう)を問題とせずに「国のために戦った」と国家を優先させる思想は国民を国家に従属させる国家主義以外の何ものでもない。

 国家主義が向かわせる靖国参拝と言うことができる。

 大体が右翼の軍国主義者安倍晋三の景気政策であるアベノミクス自体が国家主義に立脚している。

 大企業の経済を豊かにし、国家を富ませることを優先させて、その利益を国民に再分配することを次善とする優先順位は国家主義そのものであろう。だからこそ、非正規従業者の増加にも正規従業者と非正規従業者の所得格差にも目をつぶることができる。 

 国税庁の「2012年民間給与実態統計調査」によると、正規従業者平均給与467万6000円に対して非正規従業者168万円で、その格差は300万円近くにもなる。

 総務省2013年11月12日公表の「労働力調査(詳細集計) 2013年7~9月期平均(速報)結果」は、役員を除く雇用者5205万人のうち,非正規の職員・従業員は1908万人、前年同期比79万人増加、四半期ごとに集計を開始した2002年1~3月期以降最多。正規の職員・従業員は3295万人、32万人減少となっていて、正規従業者の減少以上に非正規従業者が倍以上も増加し、雇用者に占める非正規従業員が 36.7%にものぼる年々増加の傾向は格差拡大の一途化を示しているはずだ。

 国の形を重視し、国家を優先させる国家主義はこのような格差を無視できる。

 国家を優先させ、その国家に国民を従属させる国家主義者である安倍晋三のリーダーシップのもと、特定秘密保護法案の成立が進められている。当然、特定秘密保護法は国家主義と同じ構造を取ることになる。「国民の知る権利」という国民にとっての利益よりも国家秘密を国家の優先利益とするということである。

 いわば後者の国家利益に前者の国民利益を従属させることになる。このことは法案にも現れている「国民の知る権利」の軽視であろう。このような構造はときには国民の利益としてある「国民の知る権利」を軽視以上の犠牲へと持っていくことも起こり得る。

 安倍晋三が国家主義主義者の立場を取っている以上、特定秘密保護法が制約することになる国家と国民の優先順位関係は変わることはないはずだ。

 国民はその成立に心しなければならない。廃案が最善だが、国家主義の数の力に負けることになるだろう。

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九州場所大関稀勢の里が横綱白鵬を破った瞬間に飛び出した万歳に見る日本民族優越主義からの他民族排他主義

2013-11-25 08:44:07 | 政治



 題名からしてオドロオドロしいが、決して大袈裟でも何でもない。多くの日本人の血の中に権威主義からくる日本民族優越主義が今以て眠っていて、時としてそれが現れ、日本民族優越主義の反動としての他民族排斥主義を伴わせることになる。

 大相撲九州場所14日目の横綱白鵬と大関稀勢の里の対戦で稀勢の里が白鵬を破ると、万歳が湧き起こったという。新聞記事で知り、YouTubeの動画《白鵬vs稀勢の里 激しい睨み合い (なぜか万歳三唱 )》(2013/11/23)で確かめてみた。 
   
 大入り満員の盛況を呈していた。13日まで全勝の横綱白鵬に対して既に2敗を喫して来場所横綱挑戦の位置に残れるかどうかの瀬戸際に立たされていた大関稀勢の里、長い時間の睨み合いが続き、時間一杯で立ち上がってすぐさま左四つになると、稀勢の里は右上手を掴んで一気に土俵際に寄った。白鵬が左下手投げで稀勢の里を投げ倒そうとすると、稀勢の里が右上手から投げを打ち返して、白鵬が先に落ち、稀勢の里の勝利となった。

 動画で見た限りでは、その時点でまだ万歳は湧き起こっていなかった。呼び出しが次の取組となる西方力士を呼出しているとき、土俵を囲むように四方の観客席のかなりの数の観客が両手を上げ下げして万歳を湧き上がらせた。

 次の記事から、対戦そのものよりも迫真の表現となっている記事文章から、そのときの情景を窺ってみる。《稀勢の里 白鵬ブン投げた/九州場所》日刊スポーツ/2013年11月24日8時48分)

 〈異例の万歳コールが起こった。大関稀勢の里(27=鳴戸)が横綱白鵬(28)を上手投げで破り、2日続けて全勝横綱を止めた。今場所最多6986人の観客は、万歳三唱とスタンディングオベーションで盛大に祝福。結びの一番で横綱日馬富士(29)が勝ったため、逆転優勝の目は消えたが、来場所の綱とりへ大きな1歩を刻んだ。

 興奮冷めやらぬ館内に、声が響いた。最初は静かに。だがやがて、波のように大きなうねりとなって広がった。7000人近い観客が、一体となって声を上げた。立て続けに起こった万歳三唱。その数、10度。立ち上がる人もいた。異例の光景。その声を、稀勢の里は全身で感じ取った。「すごいことですよね。本当にうれしかった。相撲を取って良かったと思います」。優勝の目は、もうない。だが、主役はこの男だった。〉――

 この記事によると、今場所最多の入場者数6986人のうちほぼ全員の観客が座ったまま両手を上げ下げして万歳を唱えたことになる。中には立ち上がって万歳したものもいた。

 但し動画ではかなりの数の観客が万歳していたが、していない観客も窺うことができた。だとしても、三々五々バラバラに湧き起こったわけではなく、塊となった万歳三唱であった。

 白鵬がモンゴル人力士ではなく、日本人力士であったなら、これだけの観客が果たして万歳しただろうか。これまでは白鵬が日本人力士相手に勝ったとき、圧倒多数の観客が歓声を上げ、手を叩いていたはずである。

 白鵬を応援せずに対戦相手の日本人力士を常に応援していたなら、負ける機会の多い日本人力士の不甲斐のなさに失望の溜息や非難のブーイング等が起こるはずだが、そういった情景は起きていない。勝利を祝福する歓声と拍手で迎えられていたはずだ。

 いわば多くの観客が白鵬を贔屓にしていた。

 だが、圧倒的多数の観客が普段は白鵬を応援し、贔屓にしていながら、14日目の稀勢の里戦では相当数の観客が稀勢の里の勝利を万歳で迎えたということは、白鵬を応援していた観客の中にも稀勢の里に対する万歳に回った観客も存在していたことになる。

 外国人力士白鵬に日本人力士がいつも負けさせられている無意識下のもやもやした鬱憤が抑圧されて精神の奥底に蓄積した感情が、稀勢の里の対白鵬戦勝利で解放され、得た精神の浄化(カタルシス)が万歳の連呼という形となって現れたということだろうが、白鵬の普段のフアンをも巻き込んだこういった突発的な現象自体が白鵬に対する応援・贔屓の多くが日本人力士と対置させた場合は表面的であったことを物語ることになるはずだ。

 「万歳」は極めて日本的な最大限の歓迎表現である。それが外国人力士に勝った日本人力士に向けられた。原因はやはり白鵬が日本人力士ではなく、モンゴル人という外国人力士だからだろう。だから、白鵬に対する応援・贔屓は日本人力士と対置させた場合は表面化してしまう。

 もし白鵬が日本人力士であったなら、歓迎表現は万歳にまで進まなかったはずだ。今場所からなのか、座布団は投げることができないように4枚に括りつけの状態になっているというから、せめて立ち上がってスタンディングオベーションの形で拍手したり歓声を上げたりするのが対白鵬戦稀勢の里勝利に対する精々の歓迎表現であったろう。

 だが、熱狂的な万歳に至った日本人の精神は相手が外国人力士であることから起こった歓迎表現であることを考えると、外国人に対する排他主義を裏合わせした、そのような構造の、日本人力士稀勢の里に見せた最大の歓迎表現である万歳であったはずだ。

 外国人に対する排他主義=他民族排斥主義は自民族優越主義に於ける反動主義として併存する。いわば他民族を自民族よりも劣等民族と見做し、排斥することによって自民族優越主義を成り立たせる。

 戦前の日本人の多くが日本民族優越主義に取り憑かれ、中国人や朝鮮人等の他民族を劣等民族と見做して蔑視し、排斥した。そのような血が日本人の精神の根の所に眠った状態で生きづいたまま戦後も引き継がれて、日本人力士稀勢の里の外国人力士白鵬に対する勝利の場で稀勢の里に対しては熱狂的な万歳という形で日本民族優越主義が目を覚まし、白鵬に対しては日本民族優越主義の反動的対応としての他民族排斥主義が同じく目を覚まして表現されることとなった。

 現在問題となっている在日韓国・朝鮮人に対する日本人のヘイトスピーチも理由のないことではない。

 日本民族優越主義が他民族排斥主義を友として眠った状態で日本人の精神の奥底に生きづいている以上、戦前のように国家の洗脳・誘導によって再び戦争遂行に覚醒し、熱狂する場面を迎えない保証はない。

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猪瀬東京都知事の5000万円脳ミソ占拠の眠れぬ夜、借用書発言だけを見ても数々のウソ・ゴマ化しがある

2013-11-24 10:20:16 | Weblog


 
 猪瀬東京都知事は2020年夏のオリンピック開催都市東京決定まで眠れぬ夜を過ごしたと思うが、徳田虎雄自民衆院議員に対する昨年12月衆院選での運動員買収の公職選挙法違反容疑で東京地検特捜部が9月17日、徳洲会グループへの強制捜査に乗り出してから、5000万円の札束が脳ミソを占拠してしまい眠れぬ夜を過ごしているに違いない。

 このことは猪瀬都知事の「やはり借りるべきではなかったな」という後悔の言葉が証明している。

 だが、借りたが事実なら、何ら後ろ暗いところはないし、必要とした5000万円ということになって、借入と金額の正当性を損ないはしない。

 但し手付かずにしていたから、そっくり返却した。どこに後悔するところがあるのだろうか。

 後悔すること自体が疚(やま)しさを印象づける。そして眠れぬ夜を迎えることとなった・・・・はずだ。

 猪瀬都知事の会見発言に見る数々のウソは、これまで東京オリンピック開催の成功に向けて強気の発言を続けてきただけに非常に興味を抱かせる。

 11月22日の猪瀬“5000万円借入釈明”記者会見の「借用書」に関する発言だけを見たとしても、不明朗な5000万円であることが分かる。

 発言の詳細は、《【猪瀬直樹知事会見詳報】(上・中・下)》が伝えている。発言はこの「詳報」に拠った。リンクは(上)のアドレスである。

 記事が発言の遣り取りを伝える前に、〈東京都の猪瀬直樹知事は22日の定例会見で、昨年12月の都知事選前に医療法人徳洲会グループから5千万円の提供を受けた問題について報道陣から多数の質問を受け、「個人の借入金だった。すぐに返すつもりだった」との説明を繰り返した。借入の際につくった借用書について、貸主の名義を「見なかった」と話し、借用書が残っているかどうかについても、「ちょっと確認しないと分からない」と話すなど不自然さも目立った。〉と解説していて、「借用書」に関わる言及自体に疑惑の存在を指摘しているが、「借用書」の発言だけを取り上げ、自分なりの解釈を加えて、そのウソ・ゴマ化しを浮き立たせたいと思うが、そうすることで5000万円借入に関わる経緯全体のウソ・ゴマ化しがどれ程のものか、想像することができると思う。

 記者「借用書をつくったということだが、貸した側は徳洲会という団体なのか個人名なのか。虎雄さんかもしれないが」

 猪瀬都知事「わかりません、すいません」

 記者「借用、書いて分からないのか」

 猪瀬都知事「ていうか、その…借用書と書きました」

 記者「貸した側も当然名前があると思うが」

 猪瀬都知事「名前見ませんでした」

 記者「え?」

 猪瀬都知事「見ませんでした。だけど徳洲会側だとは当然認識していますから、そして借りましたということで、また徳洲会側に返済すればいいと思っていました」

 記者「11月の中旬くらいにさまざまな方に挨拶行っていろいろな方に協力いただけるということで、同じようにお金を貸してくれた団体はあったか」

 猪瀬都知事「ありません、記憶にありません」

 記者「じゃ借りたのは徳洲会側だけ?」

 猪瀬都知事「先ほど申し上げたように、申し出がありましたのでお断りするのも何かいけないような感じがしましたので、とりあえず、とりあえずお預かりする。お預かりするのも借用書を書かないといけないので、借用書を書きました。お預かりしただけですから1月には返済するとお伝えしたわけですね」――

 「お預かりするのも借用書を書かないといけないので、借用書を書きました」の発言と、借入に関しては秘書も事務所の会計責任者も誰も関与していなかったと別のところで行っている発言から、借用書は猪瀬都知事自身が書いたことになる。だが、借用書を書くについては貸主――カネを貸してくれる相手の名前を、徳洲会名とするのか、徳田虎雄前理事長名とするのか、徳田毅衆院議員名とするのか、いずれか相手の名前を宛名書きしなければ、正式な、あくまでも正式な借用書は成り立たない。

 隠しガネとするつもりであったなら、宛名を隠す場合もあるだろう。

 だが、記者の「貸した側も当然名前があると思うが」という問に対して、猪瀬都知事は「名前見ませんでした」と答えている。見る、見ないの問題ではなく、借用書を自分で書いたときに、当然記入しなければならない宛名を書いたのか、書かなかったのかの問題である。

 書いたのか、書かなかったのか、どちらかの記憶としなかったところに明らかにウソ・ゴマ化しがある。

 勿論、借用書自体を書かず、当然、渡していなかったということもあり得る。借用書を書かなければ、宛名書きの記憶もないことになる。

 実際に宛名書きした借用書を相手に渡していたなら、正式の借用書となるが、宛名書きをしないままの借用書を手渡したか、借用書自体を渡していなければ、出所(でどころ)を知られたくない、黒いカネとしての貸し借りの処理ということになる。

 宛名を書かなかったとしても、借用書を相手に渡していたなら、宛名は誰か、頭に入っているはずだ。

 どちらも記憶がないとしていることは、借用書自体を書かなかった疑いが色濃く出てくる。このことは後の展開を見ると、理解することができる。
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 記者「借用書をつくったと言ったが、その場でつくったのか」

 猪瀬都知事「借用書はもちろんすぐその場でつくられますね」

 記者「日付の入っているものですか」

 猪瀬都知事「はっきり記憶していないが、多分それは日付が入っているかもしれませんね」

 記者「借用書は金を返した後、自分の手元に戻ってくるものだと思う。今、手元に残っているものなのか、それとも破棄してしまったのか」

 猪瀬都知事「多分、借用書は返ってきていることになると思います。借りたものですから返して、借用証は向こう側にないということになりますね」

 記者「それを捨てるケースもあると思います。返していれば借用書が不要になるケースもある。今、ありますか」

 猪瀬都知事「ちょっと分かりません。返済に直接行ってませんので。ただ、借用書はもう要するに返したということは聞いています」

 記者「知事が直接(5000万円を)受け取ったと言ったが、渡したのは徳洲会関連の徳田毅議員か」

 猪瀬都知事「直接、本人に確かめてください」

 記者「しかし、この会見はテレビで多くの人がごらんになっていると思いますし、何よりも知事の選挙と関係があるのではと思ってみている人が多いと思います。知事が選挙じゃなくて個人の借り入れと言っているが、先ほど読売新聞の記者も言っているが、徳洲会という医療法人が強制捜査を受けて全国的な注目にもなっていると思います。5千万円という大金を知事に渡した人が誰かというのは大事な問題だと思います」

 猪瀬都知事「分かりました」

 記者「徳田毅議員ですか」

 猪瀬都知事「徳田毅議員です、それは」

 記者「受け取ったのは議員会館でしょうか」

 猪瀬都知事「ちょっとどこだったのか、今…。あのいろんな人に会っていたので当時は、誰がいつというのは認識がちょっと薄いところがあります」――

 ここの遣り取りでは最初からウソがある。猪瀬都知事は記者の追及に押し切られて、あとのところで返却場所を、「議員会館だったかもしれません」と答えている。つまり猪瀬都知事が議員会館に出かけて行って、5000万円を返却したことになる。

 記者が「借用書をつくったと言ったが、その場でつくったのか」と聞いたのに対して、猪瀬都知事は「借用書はもちろんすぐその場でつくられますね」と答えている。

 猪瀬都知事が5000万円を受け取るために議員会館に出かけるについては相手から受渡し場所と受渡し時間の電話やメール等による前以ての連絡が入っていなければならない。何の連絡もないままに、指定時間通りに指定場所として議員会館に出かけることはできない。

 何の連絡もないままに指定時間通りに指定場所に出かけることができたとしたら、猪瀬都知事は超能力者である。

 借用書を書いたが事実としたら、通常、連絡後に借用書を用意するし、連絡時点で、電話してきた相手が宛名書き(貸主)は誰にするか指定するはずである。

 指定がなければ、借用書としての体裁を整えるために、猪瀬都知事の方から宛名を聞かなければならない。

 電話等で前以て連絡を受けながら、借用書を用意せずにカネの受け渡し場所に出かけて、その場で書くということは常識として考えることはできない。

 勿論、借り手のサインを書くだけで済む体裁の借用書を相手が用意してくるというケースもある。その場合はその場で署名することになるが、そうであったなら、相手が用意してきたことを言わなければならない。「借用書はもちろんすぐその場でつくられますね」と、そのことが常識であるかのように言うだけで済ますことはできない。済ませているところにウソ・ゴマ化しを感じさせるだけではなく、さも常識であるかのような言い方自体に実際は借用書は存在しないのではないかという疑惑まで窺わせる。

 5000万円渡した相手に関しては最初は、「直接、本人に確かめてください」と言っている。関係者の話として徳田毅議員の名前が上がっていることからの暗黙の了解として用いた「本人」であろう。

 猪瀬都知事と記者たちの間に暗黙の了解がなければ、「本人」が誰だか特定不可能となる。だが、暗黙の了解を利用して、「本人に確かめてください」と言っているところになるべく名前を出すまいとするゴマ化しがある。

 正しい借入なら、ウソもゴマ化しも必要とはしない。ウソもゴマ化しも必要とするのは正しくない借入であるという逆証明としかならない。

 記者になお追及されて、徳田毅議員の名前を出したが、受け渡し場所はなお濁している。

 かくまでもウソ・ゴマ化しを必要としているということである。

 これで毎夜ぐっすりと眠れるとしたら、怪物である。いくら図太くても、眠れぬ夜を迎えているはずだ。
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 記者「5千万円が個人の借り入れということですが、この選挙で後継指名を受けてあいさつ回りをされている中でですね、その時期に5千万円を受け取って返されたということであれば、借用書をですね、広報通じても結構ですので公開していただけないか」

 猪瀬都知事「借用書があるかどうかちょっと確認しないと分かりませんので、返してもらっているはずですから、それは間違いなく返済されたというふうになっております。実際に返済しましたから。繰り返しますが、僕は選挙というものをよく知りません。いろんな方がいろんなことをおっしゃいますので、だからむしろ手つかずにしておいて、あ、結局こういうものは関係ないんだなという認識で、取りあえず受け取りましたが、あくまでも個人として借入金として受け取って、従いまして持っている必要ないなというふうに、だんだん気付きまして1月にお返しするとちゃんとこういう問題が起きる前にお伝えしました」

 記者「借用書は公開できるのか」

 猪瀬都知事「それは確かめてからにします。僕は今、直接持っていないので」

 記者「あるかないかを確認してから、公開するか決めるということか」

 猪瀬都知事「まあそういうことになりますが、もしかしてそれは終わったら借金を借り入れしたわけですから、いらなくなったらいらないということで破棄してしまうということもありますので、あるかどうか分かりません。あくまでも貸した側が借用証を持っているわけですから、返したら借用証がいらなくなるわけですよね。ですから借用証を僕は持っている必要がないので、それはどうなったかは分かりません」――
 
 記者が借用書の公開を求めたのに対して猪瀬都知事は、「借用書があるかどうかちょっと確認しないと分かりませんので」と言って、公開の確約を避けている。

 5000万円の借入と返済に何ら疚しいとことがなければ、そして実際に借用書を書いているなら、当然、返済と同時に返済の証拠として借用書を取り戻しているはずだから、公開に潔く応じるはずだが、逆の潔くない回避意識を見せている。

 疑うなと言われても、ウソ・ゴマ化しを感じ取って疑わざるを得ない。

 しかも公開の確約を避けたあと、カネの取り扱いに不慣れだったと借用書の公開とは関係ないことに多くの言葉を費やしていることも、ゴマ化そうと意識を働かせているからと見ないわけにはいかない。

 記者がなおも借用書の公開を求めると、返済したなら、「いらなくなったらいらないということで破棄してしまうということもありますので」と奥の手を出した。

 だが、借用書を実際に書いていたなら、奥の手を出す必要はない。その借用書が人に見せても不都合もゴマ化しもない借用書なら、いわば正しい貸し借りであり、返済であるなら、やはり奥の手は必要としない。

 逆説するなら、借用書を実際に書いていなかったか、ゴマ化しのある借用書の場合は奥の手が必要となる。

 借用書に関わる釈明にウソ・ゴマ化しを潜り込ませているから、「あくまでも貸した側が借用証を持っているわけですから、返したら借用証がいらなくなるわけですよね。ですから借用証を僕は持っている必要がないので、それはどうなったかは分かりません」と、矛盾だらけのウソ・ゴマ化しの発言で纏めなければならないことになる。

 確かに貸し手側は貸金の返済を受けたなら、借用書は必要なくなる。だが、逆に借り手側は返済と同時に返済の証明と借り手の立場から解放された証明として返還された借用書を所有しておくことが必要となる。

 だが、「ですから借用証を僕は持っている必要がないので」と、逆のことを言っている。

 必要なのは借用書だけではない。民法は次のように規定している。

 〈(受取証書の交付請求)
第486条  弁済をした者は、弁済を受領した者に対して受取証書の交付を請求することができる。

(債権証書の返還請求)
第487条  債権に関する証書がある場合において、弁済をした者が全部の弁済をしたときは、その証書の返還を請求することができる。〉――

 「債権に関する証書」とはここで取り上げている「借用書」のことなのは断るまでもない。

 両条とも義務規定ではないが、一般常識的には借入金の返済と同時に借用書の返還と返済したことを証明する「受取書」、もしくは「受領書」の類を請求して、返済を有効たらしめるために手許に一定期間置いておくことをするはずだ。

 だが、猪瀬都知事は借用書を手許においていないばかりか、「受取書」、もしくは「受領書」の類に関して何の言及もない。まるで借用書の返還も、「受取書」や「受領書」の類も必要としない5000万円の借入と返済であるかのようで、社会一般の常識をどこにも感じさせない借入と返済となっている。

 法に触れない、どこに出しても恥ずかしくない借入と返済であるなら、果たして東京都知事という要職にある者が取る態度と言うことができるだろうか。

 「借用書」に関わる釈明一つとっても、様々にウソとゴマ化しが存在する。一つのウソ・ゴマ化しはそれを正しいことと証明するために次のウソ・ゴマ化しを呼ぶ。当然、釈明全体にウソ・ゴマ化しが波及することになる。

 このようなウソ・ゴマ化しは事実としていないことを事実とすることによって発することになる。

 猪瀬都知事は益々眠れぬ夜を迎えることになるはずだ。進退への波及を恐れて。

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猪瀬都知事は徳洲会からの5千万円受領に纏る疑惑の説明責任を果たさない限り、オリンピックを語る資格なし

2013-11-23 09:37:32 | 政治



      生活の党PR

      《11月19日の衆議院本会議『社会保障プログラム法案、小宮山国対委員長反対討論全文』》

      《11/24 鈴木克昌代表代行・幹事長『日曜討論』(NHK)出演のご案内》

     番組名:NHK『日曜討論』(生放送)

     日 時:平成25年11月24日(日)9:00~10:00

     出演者:鈴木克昌代表代行・幹事長
 
     ☆衆議院議員 鈴木克昌 オフィシャルサイト
      
     内 容

     ○一票の格差”を巡る最高裁判決について
     ○特定秘密保護法案について
     ○終盤国会にどう臨むのか    等      

 猪瀬東京都知事が大手医療法人徳洲会から5000万円を受け取っていたことが判明。どのような経緯でその5000万円が徳洲会から猪瀬都知事に渡ったのか、見てみる。

 猪瀬都知事は昨年11月29日都知事選告示前の11月上旬、知人と共に神奈川県鎌倉市の病院を訪れ、入院中の徳田虎雄・前徳洲会理事長(75)に対して都知事選に立候補する考えを伝えた。前理事長はその後秘書を通じて支援を表明。徳洲会から猪瀬氏側に5000万円が提供されたという。

 要するに選挙資金の無心に行ったのではなく、徳洲会グループの票を期待してなのだろう、立候補の挨拶だけのために面会したことになる。

 だが、徳田虎雄・前徳洲会理事長の次男徳田毅自民党衆院議員に昨年12月の衆院選で運動員を買収した疑いが浮上、9月、徳洲会グループは東京地検特捜部の強制捜査を受けることになった。

 この強制捜査後、猪瀬都知事は5000万円を「個人的な借入金」としていて、全額返却している。

 この時期の符合自体が否応もなしに疑惑の臭いを掻き立てる。

 次の記事が伝えている猪瀬都知事の釈明発言から、5000万円受領の正当性を探ってみる。

 《都知事「個人の借り入れ金で選挙活動と無関係」》NHK NEWS WEB/2013年11月22日 18時19分)

 5000万円の「選挙運動費用収支報告書」への未記載について。

 猪瀬都知事「個人的な借入金であり、選挙活動と全く関係ない」――

 5000万円は「選挙活動と全く関係ない」と言っているが、借用するに至る経緯は選挙資金を使途目的としている。入院中の徳田虎雄・前徳洲会理事長に自分から会いに行き、都知事選に立候補する考えを伝えたところ、徳洲会から5000万円が提供された。猪瀬都知事自身も選挙資金だと認識したはずだ。それを「選挙活動と全く関係ない」「個人として」借用したとしている。

 では、個人的などのような使途を目的に借入したのだろうか。カネを借りるについては個人的な借用だろうと、団体向けの借用だろうと、目的とする使途が存在する。借金は貸し手に対して何らかの恩義が生じるから、使い道はないが、貸してくれるというのだから、取り敢えずは借りておくかといったことは先ずしない。無駄な恩義をつくるだけのこととなる。

 また貸手も、使い道を把握しないまま資金提供を申し出ることはないはずだ。貸手側からの申し出であっても、相手が必要とする使い道を推察した上での申し出であろうから、相手の返事によって、資金そのものを必要とするかしないかを把握することになり、必要とする場合は、使い道そのものを事実として把握することになる。

 もし「選挙活動と全く関係ない」「個人的な借入金」が事実なら、前理事長は使途目的を確認しないまま、あるいは使途目的の推察を間違えたまま5000万円という大枚の資金提供を行ったことになる。

 当然、猪瀬都知事はどのような使い道の「個人的な借入金」であるか、説明責任を果たさなければならない。但し5000万円を最初から内緒のカネとしていたために「個人的な借入金」としたという説明が最も分かりやすい。

 今年3月提出の「資産報告書」に借入金の存在を記入しなかったことについて。

 猪瀬都知事「不手際だった。大変申し訳なく思っている。11月22日に報告書を訂正した」(下線部分は解説文を会話体に直す)

 「個人的な借入金」としているのだから、「選挙運動費用収支報告書」に書かなかったことは理解できるとしても、「資産報告書」に書かなかったことは「不手際だった」では済まない。

 猪瀬都知事「いかなる政治団体や利益団体とも特別な関係を持つつもりはなくオリンピックの開催実現に向け、頑張っていきたい」――

 東京オリンピック主催責任者であることを以って免罪符にしようとしている。あるいは開催実現に向けた責任遂行を以って疑惑の免罪符にしようとしている。

 ここに狡猾さ・巧妙さを感じる。

 記事は総務省と政治資金に詳しい専門家の見解を伝えている。

 総務省「選挙のために資金を借り入れた場合は、例え使わなかったとしても選挙後に選挙管理委員会に提出する『選挙運動費用収支報告書』に記載する必要がある。」(下線部分は解説を会話体に直す)

 岩井奉信日本大学法学部教授「お金を借りること自体には法的な問題はないが、猪瀬知事が、政治資金にしよう、あるいは選挙に使おうと思って借り入れたとなれば収支報告書の虚偽記載の可能性が出てくる。

 そもそも金融機関ではなく、徳洲会という医療法人グループ側からお金を借りるというのは常識的に考えておかしい。猪瀬知事は、このお金の性格や意味を有権者に納得のいくように説明すべきだ」――

 5000万円の返却が東京地検特捜部の強制捜査後になったことについて、別の「NHK NEWS WEB」が都知事の発言を伝えている。

 猪瀬都知事「去年11月に徳田虎雄前理事長のところにあいさつに行き、資金提供という形で応援して貰うことになった。個人としての借用をお願いした。

 受け取った現金は手つかずだったので返却しますと申し入れたが、向こう側の事情があってもう少しあとでと言われたので妻の貸金庫に入れておいた。早く返却した方がいいんじゃないかと指示してことし9月に秘書が返却した。もっと早く返すつもりだった」――

 前段の発言だと、選挙資金として「応援して貰うことになった」が、「個人としての借用」としたということになり、前の「選挙活動と全く関係ない」という発言と明らかに矛盾する。

 また、このこと以前の問題として、選挙活動を使途目的としていながら、「個人としての借用」とすること自体が矛盾する。使途目的を選挙活動とした「個人としての借用」という奇妙な経緯を辿ることになる。やはり5000万円を最初から内緒のカネとして隠しおくために「個人的な借入金」としたという説明が最も分かりやすいことになる。

 後段では5000万円の「現金は手つかずだった」としている。選挙活動に使うつもりでいたが、別に保管しておいた5000万円まで使う必要が生じなかったということだとしても、「個人としての借用」という矛盾は残ったままとなる。

 岩井日本大学法学部教授が「お金を借りること自体には法的な問題はない」としていて、そうでありながら、なぜ選挙資金を「個人としての借用」としたのか。

 猪瀬都知事がどう釈明しようと、疑惑が消えるどころか、逆に釈明の言葉自体から疑惑が噴き出してくる。

 この記事を書いている途中で、朝7時からのNHKニュースが、関係者の話として徳田虎雄徳洲会前理事長が次男の徳田毅衆議院議員から電話で「猪瀬さんが『余ったら返すので先ずは1億円をお願いしたい』と言っている」と伝えられ、「5000万円で対応しろ」、「足がつかないよう議員会館で渡せ」と指示していたと伝えていた。

 早速NHKのサイトにアクセスして、そのニュースを取り出した。《徳洲会側「猪瀬知事が1億円お願い」》NHK NEWS WEB/2013年11月23日 4時50分)

 次男の徳田毅衆議院議員は父親の指示通りにだろう、議員会館の事務所で知事本人に直接、現金で5000万円を手渡した。

 記事は11月22日の猪瀬都知事の記者会見での発言も伝えている。

 猪瀬都知事(受け取った資金は個人的な借入金だと強調したうえで)「徳洲会側から申し出があり、厚意を断るのは失礼だと考えて借りた。5000万円という額になった理由は分からない」――

 関係者の話が事実なのか、猪瀬都知事の釈明が事実なのかが問題となる。「徳洲会側から申し出」が事実なら、徳洲会側が選挙資金として必要だろうと使途目的を推察した申し出であり、その申し出を猪瀬都知事が受入れた選挙活動資金としての5000万円ということになる。

 いわば5000万円は選挙活動資金であるという事実は動かないことになる。では、なぜそれを「個人としての借用」としたのかの疑惑は前よりも膨らんで依然として残る。

 次の記事も新たな疑惑を伝えている。《徳田毅氏の母「借用書知らぬ」 猪瀬知事の説明と食い違いか》47NEWS/2013/11/22 23:34 【共同通信】)

 猪瀬知事が記者会見で、「借用書は返してもらったと聞いている」と話していることに対して、〈東京都の猪瀬直樹知事が、徳洲会グループから5千万円を受け取った際に書いたとしている借用書について、知事側から現金を返された徳田毅衆院議員の母親が「知らない」とグループ内で説明していることが22日、関係者への取材で分かった。〉としている。

 記事解説。〈返金と同時に借用書が返還されないのは不自然で、知事と徳洲会側で資金提供の経緯について見解が食い違っている可能性がある。〉――

 NHK記事が伝えている関係者の話として徳田虎雄徳洲会前理事長が「足がつかないよう」用心していたが事実なら、借用書は証拠として残る危険性を考えて、天下の猪瀬都知事である、借りた覚えはないなどと言うはずはないと借用書を用いない信用貸しということもある。

 先ずは借用書が事実存在するなら、借用書自体を見せなければならない。それがニセモノでない限り、徳洲会側の関係者の指紋、あるいは汗ぐらいはついているはずだ。

 大体が返金が代理人を通じたものであっても、返金と同時に受け取った借用書は代理人から、借りた本人である猪瀬都知事に直接手渡されるのが常識である。それを「借用書は返してもらったと聞いている」と第三者からの報告のみで良しとして、代理人の手許に残したままなのは常識的には考えられない。

 猪瀬都知事はNHK記事の関係者の話が事実なのか、自身の釈明が事実なのかの点も含めて誰もが理解できるように説明し、疑惑を払拭しなければならない。

 もし説明も疑惑の払拭もできなければ、猪瀬都知事は今後オリンピックを語る資格はない。オリンピック憲章はオリンピックの根本的精神を次のように謳っている。

 〈オリンピズムの根本原則

1. オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である。〉――

 オリンピック開催責任者がこのような精神を体現せずして、果たしてオリンピック開催に向けた責任者としての振舞いは許されるだろうか。

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薬事法改正案詐術に見る特定秘密保護法案の決して否定できない恣意的秘密指定の危険性

2013-11-22 09:49:35 | 政治

 

 11月12日、医療用医薬品の大衆薬転用市販直後品は安全性評価終了まではネット販売を認めず、劇薬5品目はネット販売禁止を内容とする政府の「薬事法改正案」を自民党総務会は了承した。

 この結果を受けてネット販売大手の楽天三木谷浩史社長が政府の産業競争力会議民間議員を辞任するだ何だの騒動があり、右翼の軍国主義者安倍晋三如きに慰留されて、辞意を撤回、骨のないところを見せている。

 要するに医療用医薬品から大衆薬に転用して市販したばかりの医薬品は安全性評価が終了しなくても一般薬局での販売は許可し、ネット販売は許可しないということになるが、例え一般薬局には薬剤師が存在したとしても、そのことが合理的理由となる販売差別と言えるのだろうか。

 それとも一般薬局の購入者で安全性の実験をしてから、ネット販売に回すということなのだろうか。

 勘繰るとしたら、一般薬局での購買を慣れさせてから、ネット販売に回すということかもしれない。

 慣れは習慣を生むから、一般薬局で買い慣れをつけさせておくといったところでなのかもしれない。

 この勘ぐりが間違っていないとしたら、自民党も政府も薬局業界と調剤薬局と結びついている医師会の利害を代弁した「薬事法改正案」と言うことができる。

 劇薬5品目ネット販売禁止は副作用等についてネット販売では一般薬局の薬剤師程には丁寧な説明対応ができないということなのだろうが、一般薬局での購入者がどれ程に薬剤師の説明を煩わしているのだろうか。

 煩わせたとしても、医者のように脈拍や血圧、その他を計った上で病気の種類とその進行具合を把握してから副作用を説明して薬を処方するわけではなく、購入者が買い求めたい薬の種類に合わせて説明書に書いてある程度のことを話すといったことで役目を終了させているはずだ。

 薬剤師を煩わせることのないその他大勢は大抵が懐具合と箱に書いてある能書きを照らし合わせた買い求めを行い、家に帰ってから箱を開いて中の説明書を読む程度であろう。

 だとしたら、ネット販売でも製品の表示と同時に説明書の表示を義務付けることで問題は片付く。既に説明書の表示を行っているネット販売業者も存在する。リンクページにして印刷できるようにすれば、説明書を手許に控えておくこともできる。

 もし副作用が心配で、一般薬局の薬剤師の説明が必要だという購入者は一般薬局で購入すればいいし、ネット販売での購入を優先する購入者はそうすればいいことであって、要は購入者の判断に任せればいいことではないだろうか。

 大体が薬剤師を置いている一般薬局で購入した医薬品であっても、副作用は一切ない保証はどこにもない。カネボウの美白化粧品が肌が斑になる白斑症状の副作用を起こしたのはまだ記憶に新しい経験である。

 また、副作用を起こしたネット販売の医薬品と同じ医薬品の薬剤師を置いた一般薬局での販売では副作用を起こさないという呪(まじな)いの力を一般薬局が持っているわけではない。

 一部医薬品をネット販売禁止にする合理的理由がどこにあるのか全く以って分からない。

 問題は「薬事法改正案」の一部医薬品ネット販売禁止の理由として政府の規制改革会議の報告書が触れていない理由をさも触れているかのように利用していることである。

 次の記事がこのことに関して取り上げている。《薬のネット販売規制 規制改革会議議長が批判》NHK NEWS WEB/2013年11月19日 21時2分)

 政府「規制改革会議」岡議長が記者会見で、報告書にはネット販売を認めないと記載していないにも関わらず、その報告書を基に厚労省が一部の規制を残すよう求めたことを批判しているという内容の記事である。

 厚労省「副作用があったときに、販売した薬剤師が責任を持って即座に対応できることが必要だ」――

 厚労省はこのような理由で報告書がネット販売を一部規制する必要があるとしているかのように装い、その理由を受けて政府が今の国会に薬事法の改正案を提出したとしている。

 岡規制改革会議議長「安全性を確認した専門家の作業グループの報告書には、ネット販売を認めないという記載は一切なかった。やり方がスマートではなかった。

 薬剤師による対面販売が全国各地で実際にどのように行われているか、しっかりフォローしていきたい」――

 発言の前段は、言葉は「やり方がスマートではなかった」とソフトな批判となっているが、要は報告書を捻じ曲げたということを意味しているはずだ。

 あとで触れるが、最終的にはどう規制するかしないかは政府に決定権があり、規制改革会議の報告書を反映しないこともあるということだが、例えそのことが許されていることであったとしても、その決定に規制改革会議の報告書に基づかない情報をさも規制改革会議の報告の一部であるかのように利用することは情報の捏造であり、情報操作に当たる。

 医薬品のネット販売を全面解禁するかしないかの法律を決める「薬事法改正案」一つ取っても、関係行政機関による情報の捏造や情報の操作といった詐術が平然と行われているとしたら、特定秘密保護法案が秘密指定の過程でどのような情報の捏造や情報の操作等が行われて、恣意性を忍び込ませる詐術を行わない保証はどこにもないことになる。

 岡議長の後段の「薬剤師による対面販売が全国各地で実際にどのように行われているか、しっかりフォローしていきたい」という発言は、厚労省が「副作用があったときに、販売した薬剤師が責任を持って即座に対応できることが必要だ」としたネット規制の理由に果たして正当性があるかどうか、実際の対面販売を検証してみるということなのだろう。

 だが、検証してみるまでもなく、頭痛薬を服用したら胃の調子が悪くなった程度なら簡単な対応で済むが、一定程度以上の副作用の場合、医者の治療を頼まずに薬剤師がどう対応できるというのだろうか。

 後者の副作用の場合、ネット販売の医薬品でも同じことであるはずだ。

 副作用のない薬は存在しないと言われている。副作用が軽いか重いかの差しかないと認識し、重い場合は即座に医者に見て貰うことを各個人のルールとして一般薬局の医薬品であろうとネット販売の医薬品であろうと付き合うことが肝要であるはずだ。

 政府の規制改革会議がどのような報告書を纏めたのか見ることによって、報告書に対する厚労省の情報の捏造や情報の操作がどの程度のものか判断できる。《第19回規制改革会議終了後記者会見録》を見ると、纏めた報告書の内容をほぼ知ることができる。
 
 岡議長の発言の主なところと質疑の主なところを拾うことにする。

 岡議長「これまで何度か皆様とお話をする機会がありましたので、皆さんにも御理解いただいていると思いますけれども、私ども規制改革会議といたしましては、『安全性を確保した上で』ということで、安全性を大変重要視していることを、まず強調したいと思います。その上で、対面販売とインターネット販売における合理的な理由なき差別はすべきではないということが私どもの一貫した主張であります」――

 どうも「安全性の確保」という点が理解できない。薬品の安全性の確保は第一義的には製薬会社が負うべきで、その製造販売の担保は製薬会社の臨床試験等を経た厚労省の承認が負っている。

 だからと言って、厚労省の製造販売の承認が常に正しい訳ではないことは過去の経験が教えている。

 だが、この経験は対面販売もネット販売も等しく負うもので、薬剤師がいるいないで決まるわけではなく、差別はないはずだ。副作用が実際に出た場合の対応は既に述べた。

 岡議長「結論的には、28品目が他の一般の薬と比較して、やはりまだまだ注意しなければいけない部分があるのであれば、そこのところはしっかりと議論をしていただいて、そのための販売方法を含めて、きちんとルールづくりをしてもらうべきではないのかということもこのペーパーに書いてあるとおりであります。ただし、繰り返しになりますが、合理的な理由なくして、対面販売とインターネット販売の差別をすることはおかしいですねということです」――

 差別をつけるなら、差別が許される合理的理由を言えと言っている。

 記者「規制改革としての意見というのは、劇薬5品目に関しても含めて、改めて全面解禁ということを求めていらっしゃるのか。まず、そこを確認させてください」――

 岡議長「私どもの意見は23プラス5品目、28品目全てを対象として、合理的な理由なく、対面販売とインターネット販売で差をつけることはやるべきではないということを言っているわけです。全面解禁するかしないかは政府が決めることですが、全面解禁するときに、インターネットだけはだめですよ。対面販売だけは認めますよということに対しては、私たちは賛成できませんと申し上げている。そういうことでよろしいですか」――

 ここで最終決定権は政府にあるということを言っている。但し規制改革会議の意見として、差別はあってはならないと釘を刺している。

 岡議長「厚労省とのやりとりの中で、対面販売におけるフェース・トゥ・フェースで顔色がどうだとかという部分はインターネット販売ではカバーできませんねという発言が厚労省側からありました。それは言いかえれば、対面との比較において、インターネットではカバーし切れない部分の具体例だと思います。厚労省からはその点をかなり重視した発言がございました」――

 厚労省としてはこの点に対面販売の有利性の一つを置いているということだろうが、顔色は病気の兆候の一つであって、病気の原因ではない。医薬品の購入者が病気の原因、もしくは具合の悪い身体の部位の自覚がなければ、対面販売であろうとネット販売であろうと医者以外は対応することはできない。

 もし自覚しているなら、対面販売もネット販売も等しく対応できる。但し緊急の服用を必要とする場合、ネット販売では間に合わない。購入者は時と場合に応じて対応すればいいことであって、規制に関係していくわけではない。

 市販薬で済む軽度の持病の場合、前以てネット販売によって用意しておく服用者も存在するはずだ。

 記者「(劇薬5品目を)ネットと対面で差別するという案に関して、議長として、または会議として、どんなやり方であったとしても、ネットは禁止というのはダメなのだという形のお考えなのか、それともきちんとした理屈付けがあるのだったら、それぐらいだったら除いてもいいのかなという思いなのか、そこの点を伺えますか」

 岡議長「『劇薬に対して』と限定した言い方がいいか別にして、私どもは一貫して、『合理的な理由があれば』と言っているわけです。『合理的な理由があれば』と。

 ですから、もしも、これは対面販売だけこの条件で販売することはオーケーだけれども、インターネット販売の場合にはだめですよというアイデアを出すのであれば、なぜだめだということについての合理的な説明をしていただく必要がありますと、我々は以前から言っているし、今日も申し上げているわけです。

 ですから、具体例として、例えば劇薬5品目について、こういう理由があるから、当面、対面に絞りますよ、こういう理由があるからということを出していただいて、それを私どもが納得できる合理的な説明があれば、頑なに、無条件で、何があっても対面とインターネットを同列にしろと申し上げているわけではないですから、そこのところの説明が、残念ながら今日の会議でも、委員の皆さんが納得するような説明がいただけなかったということです」――

 要するに対面販売とネット販売を差別してネット販売に規制をかける「合理的理由」もしくは「合理的説明」は存在しないという前提に立った報告書の取り纏めということになる。

 逆の前提なら、こうまでも無差別論を自信を持って展開しないだろう。

 だが、厚労省は一部医薬品のネット販売禁止を決める内容の「薬事法改正案」とした。

 当然、そこには合理的な理由、もしくは合理的な説明があって然るべきだが、規制改革会議の報告が触れている理由でもあるかのように装った。

 厚労省自らが「合理的理由」もしくは「合理的説明」を構築することができず、規制改革会議の報告書を捻じ曲げる情報の捏造と情報の操作を用いた理由づけに過ぎなかった。

 一部業界の利益を代弁する利益誘導の体質を今以て抱えているとしたら、成立した場合の特定秘密保護法の秘密指定に関しても、業界の利益を代弁する、恣意的意図を介在させた秘密指定が紛れ込まない保証はない。

 当然、秘密指定の妥当性をチェックする第三者機関の設立は欠かすことのできない必要事項となる。

 「薬事法改正案」から見ることができる情報の捏造と情報操作から、特定秘密保護法案の秘密指定を考えてみた。

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安倍晋三と菅官房長官の韓国大統領の安重根石碑建立不快感は安倍内閣の歴史認識を違える小狡い精神性の発揮

2013-11-21 08:28:27 | 政治



      生活の党PR

      《2012年衆院選の「一票の較差」訴訟の最高裁判決を受けて・小沢生活の党代表談話》

 11月18日、朴槿恵(パク・クネ)大統領が韓国訪問中の楊中国国務委員(外交担当)とソウルで会談、初代韓国統監を務めた伊藤博文殺害の安重根を讃える石碑を殺害現場の中国・ハルビン駅に建立する計画の良好な進捗に謝意を示したとマスコミが伝えている。

 【安重根】(日本語読み/アン・ジュウコン)「1879年7月16日~1910年3月26日。李氏朝鮮末期の独立運動家。1905年(明治38)の第二次日韓協約で韓国が日本の保護国になったことに憤慨し、義兵運動に参加した。のちウラジオストクに亡命し、抗日独立運動を展開、韓国の道徳立国を主張し、日本の背信を避難した。1909年10月26日、ハルピン駅で前統監伊藤博文を暗殺、翌年旅順監獄で死刑に処せられた。韓国の国家的英雄。」(『日本史広辞典』山川出版社)

 この石碑建立の謝意に関わる朴槿恵韓国大統領の動向に我が日本の右翼の軍国主義者である安倍内閣・菅官房長官が不快感を示したという。

 菅官房長官「日韓関係のためにならない。我が国は韓国政府に対して、『アン・ジュングン(安重根)は犯罪者である』とこれまでも伝えている。そうしたなかでこのような動きがあることは、日韓関係のためにはならないのではないか」(NHK NEWS WEB/2013年11月19日 11時39分)

 しかしこの発言は安倍内閣の一員として矛盾している。なぜなら安倍晋三の歴史認識に従わなければ、歴史認識に於いて内閣不一致をきたすからだ。

 4月23日(2013年)の参院予算委。

 安倍晋三「侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」(MSN産経) 

 侵略の定義は現在では1974年12月14日の国際連合総会第29回総会採択の「侵略の定義に関する決議」によって国際的に定まっている。

  侵略とは〈国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう。〉(Wikipedia

 安倍晋三は戦前は定まっていなかったと言うかもしれないが、事実そのとおりであり、また国連が侵略をどう定義しようとも、「国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」という立場上の認識の違いは否応もなしに生じる。

 戦争行為を受けた国は「侵略だ」と言い、戦争行為を仕掛けた側は「侵略ではない」とする立場の違いに応じた自己正当性の違いは往々にして必然的とするだろうからである。

 問題は一国のリーダーがどのような歴史認識に立っているかが問題なのであって、安倍晋三は「侵略という定義は国際的にも定まっていない」とすることによって自身の戦前の日本の戦争を侵略戦争と見ていない歴史認識をゴマカシているに過ぎない。

 だが、「国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」という歴史認識に立っている以上、安重根に関しても、「国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」という認識を当たり前としなければならない。

 いわば韓国が安重根を国民的英雄とすることを韓国側の当然の評価と認め、犯罪者だとすることを日本側の当然の評価だと主張する、相互の認識の違いを相互に冷静に受け止めて、評価の併立を図らなければならないはずだ。

 尤も韓国側にしても、日本側にしても、一般的な評価に従わない人間も存在するだろうが。

 それを「アン・ジュングン(安重根)は犯罪者である」からと日本側の評価を以って韓国側の評価としてある安重根の、その功績を讃える石碑建立に不快感を示すことは公言している歴史認識を自ら否定する、自己都合で認識を変える小狡い精神性の現れと言わざるを得ない。

 朴槿恵韓国大統領は今年の6月に訪中して習近平国家主席と首脳会談を行った際に安重根の石碑建立の協力を要請したということだが、この協力要請に対して我が日本の安倍晋三も7月5日夜のBSフジの番組で、自らの歴史認識を自ら裏切る小狡い精神性を発揮した批判を行っている。
 
 安倍晋三「(伊藤博文は)尊敬されている偉大な人物だ。それはお互いにしっかりと尊重し合うべきだろう」(時事ドットコム/2013/07/05-21:29)

 要するに安重根称揚の石碑建立は「尊敬されている偉大な人物」である伊藤博文に対する評価否定に当たるから、韓国も「尊敬されている偉大な人物」として伊藤博文を「お互い位にしっかりと尊重し合うべきだろう」と、自らの歴史認識を時と場合に応じて都合よく変え、自身の考えに利益になることだけを口にする手前勝手な論理を展開している。

 右翼の安倍晋三にしても、その子分の菅官房長官にしても、何と自己都合主義な政治家なのだろうか。

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