北朝鮮が4月4日~8日の間に自らは人工衛星の打ち上げだと称しているミサイルを日本の上空を越えて太平洋に落下させるコースで発射する。
対して麻生首相の対応は韓国や米国、英国と協力して安保理決議採択を目指していくことと、北朝鮮に対する新たな経済制裁、そして北朝鮮ミサイルが日本に落下する場合に備えてミサイル防衛(MD)システムを海陸に配備し撃ち落す実戦配備を現在進めている。
このミサイル防衛(MD)システムによる迎撃に関してはマスコミが決まりきって“美人”と名づける人妻を自身の議員宿舎に連れ込んで宿泊させ名を馳せたことで、普段は黒子的に陰に隠れているものだが、政界の表舞台に立つことになった鴻池副官房長官が3月26日の参院予算委員会で政府の対応に冷水(れいすい)を浴びせるような発言をしている。
「私はピストルの弾がピストルの弾に当たる、ピストルの弾同士が当たるというのは、なかなか難しいことだなあと思っている」(「asahi.com」)
鴻池副官房長官が参議院に呼ばれたのは“政府筋”という肩書きでマスコミに「鉄砲をバーンと撃った時にこっちからも鉄砲でバーンと撃って(弾と弾が)当たるか。当たらないと思う」(同「asahi.com」)と発言したため、その真意を問われることになったからだが、多分麻生首相が進めているミサイル迎撃が骨折り損のくたびれ儲けに終わるよ、やめた方がいいよと教えたい親切心からだろう、それとも不倫問題でマスコミに露出し騒がれ、脚光を浴びた味が忘れられなくて、再び露出したくなったことからの発言だったのだろうか。
閣内不一致とも取れる発言だが、その不効果発言に意地でも迎撃態勢を強硬に推し進めなければならなくなった一面もあるに違いない、政府は3月27日に自衛隊にミサイル破壊措置命令を発令、自衛隊は発令を受けて部隊を移動させるに至っている。
もし北朝鮮のミサイルが日本上空で落下しなければ、迎撃ミサイルは発射されることはないわけで、大山鳴動ネズミ一匹も出ないことになるが、そうなる前触れとなるような象徴的出来事が起きている。
北朝鮮ミサイル迎撃に備えて移動中の地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)部隊の発射機を載せた大型特殊車両が道を間違えて30日午後10時20分頃、秋田市新屋町の野球場「こまちスタジアム」入り口にある照明灯土台ブロックと接触、車両はブロックと球場の壁に挟まったまま約3時間半立ち往生した(「asahi.com」事故のことだが、失敗は許されない部隊展開の中での3時間半も立ち往生したつまらない失敗はそれが本来業務とは関係ない失敗だとしても、それがつまらないことである程、意外と本来業務の先行きを予測する。
麻生首相は3月10日、記者から北朝鮮のミサイル発射に絡めて拉致被害者救出に向けた質問を受けている。
記者「北朝鮮は人工衛星の名をかりたミサイルの発射をちらつかせるなど強硬姿勢である。現状を踏まえて、拉致被害者救出の道筋については」
麻生「少なくともミサイルというような問題を、撃つ、撃たない。これは国連の安全保障理事会との関係もこれあり、基本的に主権に対する侵害という点に対しては、拉致の問題もミサイルの話も、基本的なところは日本にとりまして大きな主権の侵害ということになっている。また拉致、えー、ごめんなさい、ミサイルの方に関してもこれは、ロケットと言おうと何と言おうと、これは日本の上空をいきなり飛んでくる確率、極めて高いものなんであって、そういったものに関して、安保理条約の決議に違反していることははっきりしてると思いますんで、これはこれまで同様の対応です」(≪【麻生首相ぶら下がり詳報】北朝鮮ミサイル「日本にとりまして大きな主権の侵害」(10日夜)≫msn産経/2009.3.10 21:55)
拉致も日本上空を通過させるミサイル発射も日本の主権侵害だと主張しているが、麻生ではなくても誰でも言える非難言葉であろう。単に事実をなぞった発言から一歩も出ずに答を終わらせている。
「外交の麻生」を宣伝しているからには、「拉致被害者救出の道筋について」滔々と喋っていいはずだが、答えないことが「外交の麻生」と言うことなら、答えない姿勢は間違っていないことになる。
「国連の安全保障理事会との関係」とは「Wikipedia」を参照して説明すると、「国際連合安全保障理事会決議1718」のことで、北朝鮮が2006年10月9日に行った核実験を非難し、これ以上の核実験と弾道ミサイルの開発・発射中止の要求、さらに特定兵器の禁輸を含めた経済制裁等を盛り込んで2006年10月14日に国連の安全保障理事会で採択した決議のことを言い、今回の北朝鮮のミサイル発射を日本や韓国、米国、英国は「国連決議1718」違反だとして、安保理の場で新たな決議を求める動きに出ているというわけである。
つまりもクソもないが、2006年10月14日に国連の安全保障理事会で採択した「国際連合安全保障理事会決議1718」は北朝鮮を制御するに何ら役に立たなかったことを意味する。役に立っていなかったにも関わらず、新たな決議を採択する。決議にしてもその効果に関しても、双方共に屋上屋を架すようなものに思えるが、そうではないのだろうか。
決議決定権を握っている安保理常任理事5大国のうち中国・ロシアが慎重な姿勢を取っていることから、その面でも実現性の程度を懸念する声が既にマスコミの間に挙がっている。
この辺の事情を「asahi.com」記事で見てみる。
≪「安保理決議違反ってのは大きいですよ」26日の首相≫(asahi.com/09年3月26日19時43分)
【北朝鮮ミサイル問題】
――北朝鮮のミサイル発射施設で、「テポドン2号」とみられるミサイルが発射台に設置されたという報道がされている。4月4日から8日の発射に向けて、着々と準備が進んでいる模様だが、改めて政府として今後、どのような対応を取っていくのか。
「基本的には、これまで申し上げてきた通りです。それもう1回言うの? 昨日も申し上げたんで。同じことを聞いておられるんですかと聞いている」
――確認だが………。
「あー、確認ですか。あの、昨日も申し上げたと思いますが、基本的には日本として、こういうような行為は、仮に衛星であろうと、何であろうと、国連安保理決議1718違反であることは、はっきりしておりますんで、そこのところは、きっちり我々としては、国連で安保理決議の可能性を含めてやっていかなければならんと思っていますし、国際社会が一致した形で、これを非難する方向で行く、ということをやっていかなければならないと思っています。あの、昨日お答えした通りだと思います」
――関連だが、いまの総理の答えの中で、ミサイルが発射された場合には、国連安保理決議違反だと言うことで、当然、国連安保理決議などの対応を含めて、という話だった。決議の中にも制裁決議、非難決議であったり、それより低い議長声明とかの対応が安保理で考えられると思う。日本政府としては、安保理のメンバーとして、どのような対応を目指していくのか。
「それ、いま申し上げた、お答えした通りです。安保理決議を目指していく。安保理の、いわゆる安保理決議という名の1718違反ですから、いま申し上げたじゃないですか。それを目指していきますと」
――ただ、制裁決議とか非難決議とか、決議にも………。
「安保理決議違反ってのは大きいですよ。えらくなめたこと言ってるけど。安保理決議違反なんですから、安保理の決議違反に対して、国連加盟国として当然に安保理の話に従ってもらうというのは、通常の国の対応です。それを、まあ、あなた、えらい軽いもんに見られているようだが、全然違いますよ。僕は違うと思います」
何が「それ、いま申し上げた、お答えした通りです」なのかわけが分からないが、要するに本人もロシア・中国の態度から判断して非難に向けた強いメッセージ性を持たせることができる「制裁決議」や「非難決議」を獲ち取ることは難しく、実現できたとしても「議長声明」ぐらいと分かっているから、満足に答えることができず、ミサイル発射は「安保理決議違反」だを持ち出すしかなかったのだろう。
しかし「外交の麻生」を看板としているということだけからではなく、説明責任という点からも正直に「中国やロシアの態度を考えると、制裁決議や非難決議を実現させることは難しい。最悪の場合、議長声明だけでも実現させたい」と国民に説明すべきだと思うが、そうではないだろうか。
大体が麻生太郎ご本人が成果が覚束ないままにヒステリックにキャンキャン吠え立てる安っぽい犬みたいにいくら「安保理決議違反」だ、「安保理決議違反」だと叫び立てたとしても、「国連決議1718」自体が役に立たなかったことを証明しているように北朝鮮の将軍様金正日は最初からそんなことを聞く耳を持たない偉大なる将軍様なのであって、そんな相手のことも計算に入れずに「安保理決議違反」を言うこと自体に無理がある上に滑稽ですらある。例え最も非難性の高い「制裁決議」が実現して、新たな経済制裁を加えることができたとしても、金正日のこれまでの例からしたら、カエルの面にショウベンに過ぎないだろう。
「外交の麻生太郎」は安保理での決議採択と並行させて日本独自の経済制裁の発動を考えているそうで、その具体的な内容は「朝鮮総連などの資産凍結を発動して、北朝鮮がミサイル関連部品入手の資金源を断つ」(「msn産経」)ことや北朝鮮への輸出全面禁止といったところらしいが、「毎日jp」記事は<だが、既に実施した北朝鮮船舶の入港禁止などの制裁で、05年に69億円だった輸出実績は08年は8億円に激減。「相当な制裁をやっており、これ以上はなかなか難しい」(外務省幹部)ため、象徴的な意味合いのものにとどまりそうだ。>と、安保理の決議採択と同様に実効性に疑問符をつけている。
日本のこれまでの経済制裁が効果を見ないのは誰の目にも明らかなことだが、後ろに控える中国やロシアが北朝鮮を外交カードとしてそれなりの経済援助や貿易取引の機会を与えていること、ミサイル技術の中東諸国等への輸出、多分跡を絶っていない麻薬の密造と販売や偽ドル紙幣の発行での荒稼ぎによる外貨獲得等を北朝鮮経営の算段としているからだろう。
経済制裁の実効性が曖昧なことも「外交の麻生」らしく、「外交の麻生」でなくても分かることだが、承知していることを「msn産経」記事(【麻生首相ぶらさがり詳報】海自の海賊対策開始「心から感謝と敬意を」(30日夜)≫2009.3.30 20:33 )から見てみる(一部抜粋)。
【北朝鮮ミサイル問題】
--北朝鮮の関連だが…
「北朝鮮。はい」
--本日昼、公明党の太田昭宏代表と会った際に、北朝鮮がミサイルを発射した場合の追加経済制裁について、首相は『考えなければならない』とおっしゃったそうだが、追加経済制裁についていかがお考えか
「まず、北朝鮮にミサイルを発射させないようにするのが一番です。それに今、当面全力を尽くしているというのが、当面のところ。これが一番。仮に発射された場合どうするかという件については、国連の安保理の対応、他国との対応等々、考えたうえで、考えさせていただきます」
--今のところ追加経済制裁については…
「最初から、まだ打つ前の話…。打ってからの話。打つ前の話を今してるんで。今、打つ前の段階ですから。あらかじめすべての段取りが決まってて、そういったらしますよ、なんて言うわけないでしょうが?」
「北朝鮮にミサイルを発射させないようにするのが一番です」――ごく当然の当たり前のことだが、再度の核実験と弾道ミサイルの開発・発射中止を求めた「安保理決議1718」すら役に立っていないのを無視して、こう言える神経はさすが「外交の麻生」と言うだけはあると寒心する。“感心”ではない。
経済制裁についても勿論のこと、実際的な決定は状況の経緯を受けて変化を伴うだろうが、北朝鮮が発射を中止した場合を想定した経済制裁シナリオは存在しないはずで、あくまでもミサイルを発射した場合を想定して、予定としての経済制裁のおおよその内容――「段取り」を前以て想定していないはずはない。
ミサイルを発射しました、それでは経済制裁の具体的な取り決めを始めましょうでは危機管理の点からだけではなく、外交としての体裁を成さないことになる。それを「打ってからの話」などと言う。既に新聞・テレビが全面禁輸とか朝鮮総連などの資産凍結とかを伝えているにも関わらず、そういった報道すら平気で無視する。
その効力が怪しいから、安保理決議の種類を言うことができないのと同じく具体的な経済制裁の内容まで言えないのだろうが、それでは国民に対して説明責任を果たさないことになり、不正直の謗りを免れない。
正直に実際のところを国民に説明してこそ、総理大臣としての説明責任を果たすことができ、人格的にも信頼が置けるということになるのだが、そうせずに予想される効果を隠すから単なる強がりに堕す。
「外交の麻生」が張子に変じて、「強がりの麻生」と化すことになる。元々張子だから、「強がりの麻生が」実体といったところなのだろう。
北朝鮮は日本の安保理決議採択を求める動きを批判し、国連安保理で何らかの行動があった場合は核問題をめぐる6か国協議から離脱することも辞さない構えを見せている。既に触れたように「外交の麻生」は記者に「拉致被害者救出の道筋について」質問され、「外交の麻生」らしくそんな「道筋」は頭の中に思い描いているはずはなく、狡猾にも答をはぐらかせて不正直にも国民に向けた説明責任を放棄して済ませたが、ただでさえ拉致問題は解決した、2008年秋までに拉致再調査を終了すると08年8月に約束しておきながら、その約束さえも果たしていない北朝鮮がもし6か国協議から離脱したなら、すべての話し合いの場を失うこととなって、元々立てることができなかった拉致問題の解決の見通しはますます立たなくなる。
そのようになった場合の日本の対応の国民に向けた説明があって然るべきだが、「北朝鮮にミサイルを発射させないようにするのが一番」だとか、「安保理決議違反」だ、「安保理決議採択だ」と言うだけで、拉致に関わる予想される障害に関しては「外交の麻生」の口から何も説明はない。
このことに関しても国民に正直な説明責任を果たしているとは言えないことになる。日本の対北朝鮮外交は拉致解決を最優先としていたはずだが、ここにきて拉致問題が口にされることは殆どなくなり、ミサイル発射と迎撃ばかりが取り上げられているが、最優先とした以上、拉致解決を軸にミサイル問題や安保理決議問題を議論していいはずだが、「外交の麻生」流からしたら、変幻自在、置き忘れても何とも思わないのだろう。
「外交の麻生」が言う「北朝鮮にミサイルを発射させないようにするのが一番」の具体的な方法は単に各国と連携して安保理決議採択の動きを見せるとか、ミサイル発射を北朝鮮に自制する働きかけを中国やロシアに求める、あるいは日本独自の経済制裁を科すとするメッセージを発するといった、これまでも何ら役に立っていなかった同じ外交策を単に繰返しているように見えるが、当然、「1718」の結末を見るまでもなくマスコミや識者が見ているように今回も成果は期待できない危険性が高く、金正日が聞く耳を持たないから当たり前のことかもしれないが、同じことを繰返しているだけでは芸がなさ過ぎはしないだろうか。
今日3月31日、衆参両院でミサイル発射に自制を求める決議をそれぞれ全会一致で採択したというが、これも他に打つ手がないから埋め合わせに行う儀式でしかないだろう。
はっきりしていることは独裁者金正日が北朝鮮を支配し・統治している間は拉致問題も核問題も本質的な解決は期待できないということであろう。拉致に関しては拉致首謀者は金正日自身だろうからである。
いわば金正日の生存中は自身を冷酷な極悪人に貶める拉致の全面的な解決は望めない。
例え金正日が目出度くあの世に旅立ったとしても、金正日の子供が世襲して権力を掌握した場合、権力継承の正統性を父親である金正日に置くことになるから、常に英雄として扱わなければならない必要に迫られて、金正日の仮面を暴いて極悪人の顔を曝すことになる拉致解決は依然期待できないことになる。
軍事体制に関しても世襲の場合はその正統性が弱まって不安定な体制を招きやすく、国内統制のために軍事的締め付けを強化する必要上、国際世論の反発に対して軍事力を一段と増強して現在以上に核兵器を虎の威としない保証はない。
世襲以外の場合、それが金正日に近い独裁思想の持ち主であっても、その権力が単独ではなく、集団指導であっても、軍事力を国民統治の道具としたとしても、経済回復に日本の戦争補償が必要となった場合、拉致解決と交換の可能性は生じる。
金正日の将軍様の仮面を暴いて極悪人の顔を曝すことになったとしても、極悪人に貶めることで逆に自分たちを正義の立場に置くこと可能となるからだ。例え日本からの戦争補償の大部分が万が一の彼らの中国やロシアに向けた国外逃亡資金として私腹を肥やすことになったとしても。
金正日は北朝鮮経済復興に日本の戦争補償を喉から手が出るほどに欲していながら、自分が拉致首謀者だから、経済回復を犠牲にして拉致の全面解決に持っていくことができないでいる。
と言うことなら、日本にできる北朝鮮向けの圧力は「外交の麻生」のように「安保理決議違反」だ、「安保理決議採択」だと叫び立てるのではなく、ミサイル開発や核開発に関しては、「そのことに巨額のカネを費やすよりも、国民を満足に食わせることが為政者の務めではないか」というメッセージを様々な方法で送ることではないだろうか。「国民を満足に食わせることのできない為政者はその資格を失う」と。
「国民の食料やを生活を成り立たせるエネルギーを外国からの援助に頼って、ムダな軍事力にカネを使っている。北朝鮮にとっての外敵は自由と人権の抑圧という内敵に起因しているのであって、自由と人権の抑圧によってつくり上げている内敵を取り除きさえすれば、同時に外国からの脅威――外敵も取り除くことができる。その役目を金正日は果たしていない」というメッセージを。
拉致解決に向けた圧力は当然、世襲による権力継承に反対するメッセージを発することである。例え内政干渉だと批判されようとも、特に中国・ロシアに働きかけ、反対意識の同盟国を形成するよう努力すべきだろう。もし世襲ではない権力の継承が実現したなら、拉致解決の可能性は僅かながらでも出てくる。
「外交の麻生」は北朝鮮の世襲権力に関して次のように答えている(一部抜粋)。
≪最近おやせになった?「すごい健康」20日の首相≫(asahi.com/2009年2月20日23時45分)
【北朝鮮】
――次です。外交の話なんですが。
「外交、はい」
――アメリカの複数の有力紙、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズなんですが、クリントン国務長官が北朝鮮の権力継承問題について「仮に平和的な継承でも、一層の先行き不安が生まれ、国内の権力基盤固めのため、さらに挑発的な行動が誘発される可能性がある」と発言したと伝えています。ミサイルなどの脅威もある中、日本政府の認識を。
「あの、少なくとも、外国の外務大臣が言った言わないって話を、外国の報道機関を通じて入った、そのことに関して、裏もとれない間に、コメントすることはありません。それから、それを、北朝鮮を、北朝鮮の行動については、引き続き注意深く、これはもう、今までと変わらず、いろいろ言われている通りなんで、あのきちんと、あの、なに、よく見ておく、というの、当然の、当然のことなんであって、少なくとも、核保有国だと、言っている国が、極めて、その行動というものがよく見えないところに対しては、隣国として当然、注意して見守っていく。当たり前のことです」
2月20日の記者会見である。1ヶ月以上経過するが、「外交の麻生」はクリントンに対してその発言の「裏を取」る労を費やし、北朝鮮の権力継承とそのことによって引き起こされるだろうと予想される北朝鮮情勢、及びそのことに影響を受ける朝鮮半島情勢、日本の情勢について「日本政府の認識」を親切・正直に国民に説明する説明責任を果たしたのだろうか。
一切聞いていないように思えるが、知らないのは私一人だろうか
要するに満足な答が頭に浮かばなかったから、「裏も取れない」と言ったまでで、だから理路整然とは無縁のしどろもどろの回答となったのだろう。
この「外交の麻生」の外交オンチはまさしく “麻生パラドックス”と名づけてもいい滑稽な逆説性を抱えた外交能力と言える。
首相、言い間違い連発 G20の場所、個人資産の額…
(asahi.com/2009年3月29日0時53分)
麻生首相は28日、訪れた高知市での講演や記者団との質疑などで、単純ミスとみられる言い間違いを連発した。
自民党高知県連の講演で、首相は金融危機をめぐる話のなかで「来週からワシントンで会議をする」。自身も出席して4月2日にロンドンで開かれる金融サミット(G20)の場所を間違えた。また学生らとの意見交換では、豊後水道の位置の説明で「西側に四国、東側に九州。この間に通っている海が豊後水道」と東西の位置を取り違えた。
その後の記者団との質疑では「1兆4千億円台の個人金融資産をそのままじっと置いておいたら景気には関係しない」と発言。個人金融資産は1500兆円とされており、ほぼ3ケタ少なく言及した。(五十嵐誠)
記事は言い間違えを「単純ミス」としているが、麻生太郎は世界に冠たる経済大国日本国総理大臣を仰々しくも肩書きとしている政治専門家の立場にいる。総理大臣という日本に於ける最たる政治の専門家として必要とする基本情報はその肩書きの仰々しさにふさわしく常に自らの頭の中に整理しておき、把握していなければならないはずである。
そうでなければ総理大臣をしている意味を失う。意味を失うと言うことは総理大臣としての資格がないことを意味する。
国会答弁で「頻繁(ひんぱん)」を「はんざつ」と言い間違え、「踏襲(とうしゅう)」を「ふしゅう」と言い間違える。テレビでは「未曾有(みぞう)」を「みぞゆう」と言い間違える等々は政治専門家として政治を行う上での基本情報ではないとしても、総理大臣という肩書きを有している以上、漢字の読みの基本情報としていなければらならない責任範囲事項のはずだ。
ところが、読みの基本情報とし得ずに漢字知識に関わる総理大臣としての、あるいは役目上の責任を果たしていない。総理大臣という肩書きを満たしていない。役目に反している。
そこへ持ってきて、総理大臣の立場で言葉を発する上で必要不可欠な政治上、あるいは政策上の基本情報が頭の中で整理がついていない。当然、満足な把握を受けていない。だから言い間違える。
このことの整合性ある答を見つけるとしたら、総理大臣の資格がそもそもからしてないからではないのか。基本的に資格を欠いているということである。
言葉は達者に駆使する。にも関わらず漢字の読みにしても、政治上、政策上の必要情報にしても言い間違えると言うことは言葉だけを踊らせている単なるお喋り過ぎない疑いが濃厚となる。
だから、ほんの一例に過ぎない次のようなことになるのではないのか。
社説:地方分権工程表 首相には荷が重かった (毎日jp/2009年3月29日 0時13分)
やはり政権の力不足ということだろう。政府は地方分権改革のスケジュールである工程表を決定した。焦点だった国の出先機関の見直しについて、さきに地方分権改革推進委員会が勧告した3万5000人を削減するとの数値目標や、各省出先の統廃合構想はいずれも明記しなかった。
衆院選を控え麻生政権内では、分権改革を阻もうとする中央省庁やこれを後押しする族議員らの圧力が強まっている。麻生太郎首相の熱意も見えない中、出先機関の改革は現内閣に荷が重いと言わざるを得ない。国が自治体を縛るさまざまな基準の撤廃や、公共事業の地方負担金の見直しなど自治体の後押しも得られる分野で成果をあげ、改革の失速を回避すべきである。
政府の分権委が昨年12月にまとめた勧告では、丹羽宇一郎委員長が主導する形で国の出先職員21万人のうち、3万5000人の削減方針を明記した。さらに、国土交通省地方整備局、農水省地方農政局などを地域ブロックごとの「地方振興局」などに再編する構想も示した。ところが工程表では勧告の「方向性に沿った」検討との表現にとどめ、具体像は年内にまとめる改革大綱に先送りした。
確かに「3万5000人」の内訳にはなお精査が必要な面もある。しかし、客観指標がないと、見直しはいよいよ尻すぼみになる。分権委から強い不満が噴出したことも無理はない。国道、1級河川の地方移管でどの程度人員の削減や地方への移管を目指すかは最低限、示すべきだ。
一方で、各省の出先を地域ブロックごとに統合する構想は、再検討してはどうか。人員をよほどスリム化しないと分権の流れに反する巨大な国の拠点を地方に新設しかねない。自治体からも懸念が示されている。
分権委は今後、税・財政見直しを含めた勧告の提出も予定している。だが、出先機関の見直しと同様、衆院選を控えた政権にどこまで抜本改革が遂行できるか、こころもとない。こうした課題は、民意の信任を得た本格政権に委ねるべきではないか。
中央で分権改革への慎重論が強まる中だけに、地方が後押しする分野で着実に成果をあげることが必要だ。たとえば保育所の設置基準など中央省庁が自治体をさまざまな基準で縛る「義務づけ、枠づけ」の撤廃を地方は切望している。橋下徹大阪府知事が火をつけた国の直轄事業など公共事業に対する自治体の負担金の見直しも、国、地方の協議が近く本格化する。
政府・与党には、さきの「三位一体改革」による地方交付税削減などを引き合いに分権改革自体があたかも景気対策に逆行するかのような議論すら出ているが、論外だ。むしろ地方の自主性を高めることが、地域再生への生命線なのだ。
2009年3月21日20時44分の「asahi.com」記事――
待機児童問題、首相の認識不足あらわ「急に増えたよね」
経済危機克服のための有識者会合最終日の21日、少子化対策に関連して、麻生首相らの認識不足があらわになる場面があった。
複数の有識者が、就業希望の母親はみな働けるようにするため、保育所などの受け入れ児童数を現在の約200万人から100万人増やす必要があるとの推計に触れ、保育所の早急な整備を訴えた。
これに対し与謝野財務相は「保育所はわりにやったつもりだったが、100万人とはびっくりした」と試算の根拠を尋ねた。麻生首相も「急に増えたよね、この数字は。そんなに生まれてもないのに」と続けた。だが、この推計は福田内閣時に厚生労働省が示したもので、これをもとに福田内閣は昨年2月に「新待機児童ゼロ作戦」を策定、10年間で受け入れ児童数を100万人増やす目標を掲げた。麻生内閣も08年度第2次補正予算に、ゼロ作戦のための「安心こども基金」(1千億円)の創設を盛り込んでいる。
しかし、会合で推計を披露したのは政府側ではなく、資生堂の岩田喜美枝副社長らだった。岩田氏は会議後、記者団に「(保育所整備が)まだ足りないとご認識いただけたとすると、今日は最高に良かった」と語った。
16日に始まった有識者会合では延べ84人からの意見聴取を終了。首相は会合後、「頂いた意見は諮問会議などで、きちんと検討すべきものがあればさせて頂く」と述べた。
福田内閣が昨08年2月に策定した「新待機児童ゼロ作戦」に関しては08年年1月18日に福田総理が施政方針演説で次のように述べている。
「これからの社会保障を持続可能な制度とするために、安定した財源を確保しなければなりません。このため、社会保障給付や少子化対策に要する費用をあらゆる世代が広く公平に分かち合う観点から、消費税を含む税体系の抜本的改革について早期に実現を図る必要があります。将来にわたり安心して生活できるよう、各党各会派が胸襟を開いて、すべての国民の生活にかかわるこの問題について話し合いが行われることを強く望みます。
少子化は、我が国の活力にもかかわる問題であり、社会全体で取り組み、着実な効果をあげる必要があります。その一環として、保護者それぞれの事情に応じた多様な保育サービスを充実し、保育所での受入れ児童数を拡大するなど、質と量の両面から取り組む『新待機児童ゼロ作戦』を展開します。併せて、車の両輪として、『仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章』の行動指針で示された残業削減等の数値目標の達成や育児休業制度の拡充など、働き方の改革に向けて取り組みます。」・・・・・
福田康夫が掲げていた「新待機児童ゼロ作戦」とは少子化対策の一環――少子化問題を解決する重要な方策だということであろう。
つまり「新待機児童ゼロ作戦」は常に「少子化問題」との関連で把えなければならない。待機児童をなくせば済む問題ではないと言うことである。
当然そこには“女性の就労問題”も関わってくる。仕事に出たいが、子供を預かってくれるところがない、子供を生みたいが、今の仕事を辞めたくない、続けていくためには生まれた子供を預かってくれる適当な施設が手近にないから、産みたくても産めない等々――――。
具体的内容については2008年02月27日03時06分の「asahi.com」記事(≪保育所100万人増目標 待機ゼロ10年計画 政府検討≫)が報道している。箇条書きにすると・・・・
①保育所の整備などを進め、2017年までの今後10年間で、受け入れ児童数を現在の202万人から300万人
に100万人増やす。
②小学生(1~3年生)を対象にした学童保育を68万人から213万人に145万人増やす。
③保育サービス拡充に年間1.5兆~2.4兆円の財源が必要と試算。消費税率の引き上げを念頭に「
効果的な財政投入」を求めている。
④待機児童は07年4月現在、都市部を中心に約1万8000人。
記事にも書いてあるが、「保育環境が整えば、子どもを預けて働きたいと考えている母親らの潜在的なニーズ」を満足させることができ、「就業希望のある母親がすべて働けるように」なる。
記事は母親のみを対象に保育所問題・待機児童問題との関連で「新待機児童ゼロ作戦」を解説しているが、まだ母親になっていなくても、これから結婚する女性、結婚しているが、まだ子供を設けていない女性の“就労と出産”問題にも関係してくる「新待機児童ゼロ作戦」であろう。
「待機児童は07年4月現在、都市部を中心に約1万8000人」だが、2017年までに保育所の受入れ児童数を現在の202万人から100万人に増やして300万人にする。
いわば07年4月現在の待機児童約1万8000人を受入れ可能な保育所を新設・整備して、現在の202万人+1万8000人の受入れ数の確保で終わらずに、それを超えて、さらに96万2000人の受入れ可能な保育所の新設・整備を目指している(ここでは「学童保育」問題を外して、「待機児童問題」のみを扱う)。
既に触れたように現在の待機児童を消化すれば済む問題ではなく、「新待機児童ゼロ作戦」=保育所の新設・整備を少子化現象を食い止めて出生率を上昇させ、そうすることで人口減に歯止めをかけ、人口増へと逆転を賭けるカードとしているということであろう。
「待機児童」問題が現在の待機児童を消化すれば済む問題であったなら、我が麻生太郎が言っていた素朴過ぎる疑問、「急に増えたよね、この数字は。そんなに生まれてもないのに」は全く以って合理的客観性を備えた正しい認識と言えるが、待機児童問題を少子化問題と常に関連づけて把握しなければならない整合性から言うと、麻生らしいトンチンカンな“素朴”となる。
改めての説明になるが、福田前首相は上記施政方針演説で「少子化は我が国の活力にもかかわる問題」と言っている。少子化とは人口減を意味する。いわば「新待機児童ゼロ作戦」が少子化問題を解決し、日本の人口を増加傾向にまで持っていき、日本の活力を増大させようとする一大政策だと考えると、麻生太郎の「急に増えたよね、この数字は。そんなに生まれてもないのに」は現在の待機児童数にのみ目を向けた短絡的・近視眼的視野狭窄からのたわ言としか言えなくなる。
2007年の出生率は1.34で、出生数は108万9745人だと言う。これは06年を0・02ポイント上回っているが、出産適齢期の女性の数そのものが減っていて、出生数自体は2929人減だそうだ。人口自体が減少しているから、出生率の微妙な増減と関連して、出生数の減少と人口の減少の追っかけっこが続くに違いない。
人口の自然増と自然減との境目となる合計特殊出生率は2.08だそうだが、2007年の出生率1.34と2007年の出生数108万9745人から出生率2.08となった場合の出生数を計算すると、169万1544人となる。
出生率2.08を確保して日本の人口を減少傾向から増加傾向に転じさせる政策を講じ、何年かかるか分からないが、そのとおりとなった時点で169万1544人の幼児を日本の人口に含むことになる。
となると、2017年までの今後10年間で受入れ児童数を現在の202万人から300万人へと100万人程度増やすだけでは計算上は70万人近く不足する。
経過年数に応じて幼児人口は増加し、当然学童保育を必要とする児童も増加する。現在の保育所等の受入れ児童数202万人に対して、待機児童が約1万8000人で片付けることができる問題ではないとことを改めて理解しなければならない。出生率2.08・169万1544人+(経過年数×出生数)に向けた保育所等の新設・整備の連動を常に頭に置いて、麻生が口で言う割には実行力が伴わない「スピード感」を持って実現に当たらなければならない2017年に向けた100万人増の「新待機児童ゼロ作戦」=保育所の新設・整備なのである。
日本の人口を増加に転じさせるためには、どこに住んでいても、自分の住いから最寄の保育所が常に空いている、安心して子供が産める、安心して二人目も三人目も産むことができ、安心して働きに出ることができるという状況に持っていかなければならない。そのための少なくとも10年かけた「受入れ児童数を現在の202万人から300万人に100万人増や」べき保育所の新設・整備のはずである。
ところが人口減少傾向にあるにも関わらず、現時点で待機児童が約1万8000人も存在する。出生数そのものが減少しているにも関わらず、約1万8000人の待機児童といった後進国並みのお粗末な状況にある。母親の中には働きに出るのを最初から諦めて、自らのキャリアを犠牲にし、そのための隠れ待機児童も相当いると考えなければならないだろう。
我が麻生太郎は以上の諸々の事情全体に目を向けることができずに短絡的・近視眼的視野狭窄にも就業希望の母親がみな働けるようにするため、保育所などの受け入れ児童数を現在の約200万人から100万人増やす必要があるとの推計を持ち出されると、約1万8000人という現在の待機児童数に表面的に反応し、単純素朴に「急に増えたよね、この数字は。そんなに生まれてもないのに」と疑問を呈したのだろう。
日本の総理大臣だから許される短絡的・近視眼的視野狭窄症に違いない。
上記“推計”を持ち出した一人である資生堂の岩田喜美枝副社長が「会議後、記者団に『(保育所整備が)まだ足りないとご認識いただけたとすると、今日は最高に良かった』と語っ」ているが、「ご認識いただけた」ことよりも、「ご認識」していなかった“認識不足”を問題とすべきだろう。
指摘がなければ、いつまでも「認識」不足のままでいる可能性だってあるというだけではなく、的確に認識していてこそ、政策は内閣主導で着実な実行を伴う。麻生太郎が好んで使う「スピード感ある政策遂行」にも影響するはずだが、待機児童問題だけではなく、その他の多くの問題でも露となっている認識不足が口先だけのスローガンに過ぎないことを暴露している。、
それを「今日は最高に良かった」と鬼の首でも獲ったかのように喜んでいる。麻生太郎に似た短絡的・近視眼的視野狭窄症の女に見える。
我が麻生太郎が認識していなかったことから見ると、官僚任せ、官僚主導の「新待機児童ゼロ作戦」だったに違いない。
何とも頼りになる日本国総理大臣麻生太郎であることか。
3月19日夜の火災で10人の老人が死亡した群馬県渋川市の高齢者向け住宅「静養ホームたまゆら」。
「たまゆら」は有料老人ホームとしての届け出がなかったという。その上スプリンクラー等の防火設備の整備を怠っていただけではなく、建築確認も受けずに増改築を繰返して廊下は狭く、複雑な間取りの構造物となっていて、共同生活用施設としての体裁を備えていないかった欠陥建築物だったらしい。
しかも「東京都墨田区は、死亡した10人のうち6人が区の紹介で施設に入所した生活保護費受給者とみている」と3月23日の「時事ドットコム」(≪身寄りなく身元特定難航=連絡先、福祉事務所の人も-遺体で発見の7人・施設火災≫(時事通信社が伝えている。
3月22日の「『朝日』社説」(≪高齢者施設火災―福祉行政と防災の貧しさ≫)の報道では入居していたうち15人が東京都墨田区からの生活保護受給者だったとしているが、火災の発生時の入居者は16人(「YOMIURI ONLINE」)で、文京区からも一人が入所していたということだが、無事だったらしい。
入居者16人のうち墨田区からの入居者が15人、そのうちの6人、半数近くが災害死したことになるが、「たまゆら」は墨田区で維持していたと言える。その感謝の印によくあることだから疑いたくなるのだが、墨田区職員が接待や贈答を受けていたといったことはなかっただろうか。特に世話になる側が法や規則を犯していて後ろめたい立場にある場合、お手柔らかにとかお目こぼしをといった気持を伝えるためにも接待や贈答を有効活用する。
3月24日の「YOMIURI ONLINE」記事(≪無届け有料老人ホーム、少なくとも全国464か所≫)が題名どおりに読売新聞社の全国調査として「無届け有料老人ホーム」と見られる施設が少なくとも464か所あることが分かったとしている。
記事によると、「2007年2月の厚生労働省の調査では、377か所が確認されており、高齢化で、行政の目が届かない高齢者施設が増加していることがうかがえる。」と、その増加理由を解説している。
どの記事も従来は10人以上の利用者に対して介護や食事などを提供する施設が有料老人施設と定義され、届出を必要としていたが、2006年の老人福祉法改正で1人でもサービスを提供した場合は届け出が必要となったとしている。
届出をすれば監査対象となり、入居者に対する介護人数や食事内容や入浴回数といった待遇問題、暮らしが快適になされているかどうかといった居住空間の質の問題等が施設側の報告と自治体側の把握との関係の中で常に一定以上に保つ必要が生じる。
いわば施設側にしたら、届け出るだけでコストの上昇を招くことになる。当然のこととして上記「『朝日』社説」記事(≪高齢者施設火災―福祉行政と防災の貧しさ≫)が指摘しているように、「施設の関係者はこんな事情を明かす。『届けると設備基準などを満たすための投資が必要で、利用料に跳ね返る』」ことになるが、入所施設と要入所者の需給関係は自治体が地方の施設に依存する状況から見ても明らかなように要入所者の需要過多・施設の供給不足に陥っているのだから、施設整備にかかったコスト上昇分を利用料に上乗せして請求すれば片付く問題のはずだが、無届老人ホームが「少なくとも全国に464か所」もあるという利用料に上乗せでは片付かない状況にある。
例え都内や東京都に準ずる都市部では施設が満杯状態であったとしても、地方では施設が余っていて、入所者を奪い合わなければならない需要不足・供給過多の状況にあるというなら、設備にカネをかけてはいられない安い利用料で入所者誘致合戦を繰り広げなければならないが、需給バランスの針は逆に振れているにも関わらず、無届の安値提供を図っている。
それとも設備や介護にかかる人件費や入所者の食費にカネをかけずに、カネをかけたものとしてその分を利用料に上乗せして請求し、儲けの部分をいわばボロ儲け、あるいはうまい儲けとして懐しているということなのだろうか。
いずれの場合であっても、都や都市部の施設利用よりもコストを低く抑えることができるということで、利用(=需要)はなくならない。それが無届老人ホームが「少なくとも全国に464か所」もあるという“無法状態”を招いているということではないだろうか。
この点に於ける自治体側の利用価値から言うと、既存の施設のみでは高齢化に追いつかない、自前で老人施設を新たに建設するとしたら、カネがかかる、予算が足りない、かといって他の都市部の老人施設を利用するとなると、もともと土地代や人件費が地方と比べて割高という事情から、利用料がバカにならない。そこで予算・経費を極力抑えることを最優先に地方の安い施設を利用するという利害が一致した地方施設依存ということなのだろう。
言ってみれば、自治体にとっての無届老人ホームとは不況で利用率を下げなければならなかったものの、ある意味企業にとっての派遣会社や請負会社と同等の利用価値関係にあったということではないのか。
このような状況を3月22日の「東京新聞」インターネット記事(≪10人死亡火災 無届け施設『貧困ビジネス』漂流高齢者の受け皿≫)によると、
「背景には、高齢者を受け入れる施設が飽和状態な上、生活保護費をあてにした『貧困ビジネス』ともいえる高齢者施設の実態がある。」と解説している。同記事は墨田区の高橋政幸保護課長の釈明を次のように伝えている。
「目の前にいる被保護者の保護、受け入れ先の確保に汲々(きゅうきゅう)としていた」。
さらに墨田「区内の今年一月の新規生活保護申請が前年同月比43%増となるなど、経済・雇用情勢の悪化に伴い、生活保護のニーズが急増している現状を強調」、「区の生活保護費受給者で、区外の施設に入所中の高齢者は三百五十二人。『たまゆら』以外にも、無届けの施設に七十六人を紹介した」と生活保護受給者の増加とその増加に比例した無届施設を含めた区外施設の利用とその人数を明らかにしている。都全体では、
「東京都福祉保健局によると、昨年一月時点で生活保護費を受けている高齢者のうち約五百人が、都外の有料老人ホームやグループホームに移っていたが、その後、激増しているとみられる。」(同「東京新聞」)という状況にあるとのこと。
墨田区の生活保護受給世帯は東京23区で4番目に多い4842人に上り、約半数が高齢者のみの世帯で、ケアする施設の確保が難しいと区が強調していたことを「毎日jp」(≪群馬・渋川の老人施設全焼:東京・墨田区「防火」調べず 訪問は年1回、健康確認だけ≫)が伝えている。
他のインターネット記事でも同じ扱いだが、要するに墨田区は「たまゆら」が届出していないことを承知していて、入所者を斡旋していた。上記「東京新聞」インターネット記事では「『たまゆら』については有料老人ホームではなく、届け出義務のない『ケア付き高齢者賃貸住宅』と認識していたと強調し」、「たまゆら」への入所業務を違法ではないとしている。
だが、墨田区の高橋政幸保護課長は「同施設への訪問調査は原則として年1回で、ケースワーカーが入所者の健康状態などを確認する程度」で、墨田区からの入所者15人に対して「報告書はA4判1枚」のみ、その少ない報告に関しては、「ケースワーカーが入所者1人ずつに(きちんと)話したかなどは確認していない」――いわばケースワーカー任せ、報告書は目を通しもせずに承認印は機械的に押していたといったところなのだろう。
但し次のように弁解している。
質問内容に関して、「ルールはない。元気かどうかを確認し、意思疎通している」
「ケースワーカーが入所者1人ずつに(きちんと)話したかなどは確認していない」にも関わらず、「元気かどうかを確認し、意思疎通している」とどうして分かるのだろうか。責任逃れの口実としか受取れない説明となっている。
責任逃れなのは「たまゆら」の近隣住民から苦情が出ていて、墨田区に入所者の紹介をやめるよう求めていたことも証明している。
墨田区に入所紹介やめるよう要請 9人死亡施設の近隣住民(47NEWS/2009/03/21 18:12 【共同通信】)
9人が死亡した群馬県渋川市の老人施設「たまゆら」の火災で、東京都墨田区に対し、たまゆらの近隣住民が2006年、「介護状況は問題が多い」として、入所者の紹介をやめるよう求めていたことが21日、分かった。
死亡した9人のうち、5人は墨田区の紹介でたまゆらに入所したとみられる。(後に死亡者が1人増えて10人となった。)
住民側は、食事や介護面などで問題が多い施設なのに、区が「良好」と判断して入所者を「派遣」していると指摘。施設の閉鎖を求めていた。
墨田区福祉事務所の横山信雄所長らが21日、火災現場を訪れ献花。横山所長は報道陣に「紹介したところで亡くなった方にはおわびを申し上げる」と語った。
住民からの要請については「報告を受けていないので確認したい」と答えた。
県警は21日午後も現場検証を続け、施設を運営する特定非営利活動法人(NPO法人)「彩経会(さいけいかい)」の高桑五郎理事長(84)から事情を聴いた。
2年以上も前の2006年に「住民側は、食事や介護面などで問題が多い施設なのに、区が『良好』と判断して入所者を『派遣』していると指摘。施設の閉鎖を求めていた。」ことに対して、「住民からの要請については『報告を受けていないので確認したい』」 と、要求が上層部にまで届かずに宙に消えてしまった指示・伝達系統の不備、さらに上司である自らの管理・監督体制、あるいは統括体制の不備を問題とせずに「確認」を言うだけにとどめている。
墨田区の福祉事務所横山所長が言っている「たまゆら」訪問・調査の説明も墨田区高橋政幸保護課長が言っている「ケースワーカー」のことなのだろうか、3月21日の<b>「毎日jp」記事(≪群馬老人施設火災:墨田区職員が献花 多くの受給者紹介≫)が、<たまゆらが有料老人ホームの届け出をしていなかったことについて「認識していたが、書類上は住宅になっていたので、届け出は必要ないと思っていた」と説明。防火設備などがなかった点も「1年に1度、施設を訪問し、調査していたが、職員から問題があるという報告は上がってこなかった。処遇面を中心に確認し、防火設備や建物の構造、設備については、専門家ではないので確認はしていなかった」と話しているが、いくら「専門家ではな」くても、福祉関係の人間である以上、どういった建物の構造が施設に適しているかいないか、備品が置くにふさわしい場所に置いてあるかどうか、廊下が避難通路としてふさわしい広さが取ってあるかどうか、避難の際簡単に外に出れる構造になっているかどうかといったことは感覚的に把握するものではないだろうか。
それとも年に一度の訪問・調査が汚染米の食用への転売が発覚した米卸売加工会社「三笠フーズ」への福岡農政事務所の月1回程度の立入り検査が事前通告した上での検査と同じ性格のものだというなら、「たまゆら」側は訪問・調査に合わせて前の日に風呂にも入れて入所者の身繕いを整えさせ、食事も特別食とし、廊下に置いていた備品等もすべて片付けて何から何まできれいさっぱりとさせ、墨田区が入所依頼するにふさわしい施設の顔をして訪問・調査を待ち構えていたということもある。
だが、例え「たまゆら」がそう謀ったとしても、また建築関係の専門家ではなくても、増改築して建物が入り組んでいること、何も置いてなくても廊下が一般の施設よりも狭いことぐらいは看取できたはずである。例え「有料老人ホームではなく、届け出義務のない『ケア付き高齢者賃貸住宅』と認識していた」としても、火事や地震といった災害が起きた場合の避難の条件に関しては施設目的に関係なしにほぼ等しくなければならならないだろうからである。
だが、墨田区は最も肝心なことを見逃してきた。
また生活保護法では受給者に認知症など金銭管理能力がない場合を除き、生活保護費は受給者本人に支給することが原則規定されていながら、墨田区は一括して「たまゆら」に送金、「たまゆら」側は入所者に了承を得ずに家賃や食事代などを天引きしていた上、15人のうち金銭管理能力がある数人についても、天引きをしていたと、3月24日の「東京新聞」記事(≪生活保護費天引き 火災の老人施設 入所者の了解得ず≫)が伝えている。
同記事は墨田区の説明を「全員に金銭管理能力がないと判断し、全員の委任状をもらった上で内訳書とともに一括送金してきた。施設を信頼していた」と伝えているが、記事は「一部の委任状は本人以外が署名した可能性がある。」と疑いを挟んでいる。
だが、実際に「金銭感覚」がなかったとしても、逆に「金銭感覚」がないからこそと見て、金銭感覚がないことをいいことに施設側が勝手に生活保護費を施設経費に流用していないか検証し、確認する責任を墨田区は負うはずである。
それを単に「施設を信頼していた」からと生活保護費が適切に使われていたかどうかも調べなかったのは職務怠慢・責任逃れ以外の何ものでもないだろう。
さらに「たまゆら」は火災保険が切れていたにも関わらず、継続契約を怠った。と言うよりも、継続契約を中止した。3月24日の「47NEWS」記事が伝えている。
≪老人施設火災保険切れ、補償困難 理事長会見で説明≫
10人が死亡した群馬県渋川市の老人施設「たまゆら」の火災で、運営する特定非営利活動法人(NPO法人)「彩経会」が建物にかけていた火災保険が切れ、遺族への補償が困難なことが24日、分かった。
高桑五郎理事長(84)が記者会見で説明。「全責任はわたしにある」と謝罪した。
高桑理事長によると、火災が起きた3棟は撤去して新しく本館を造ろうと昨年4月に考え、火災保険を継続しなかった。「ことし3月中に撤去するつもりで防火態勢は取らなかった」という。「遺族への賠償は一番重要。お金がないでは済まされず、真剣に考えたい」と話した。
7人が死亡した別館には、段ボールなどが絶えず置いてあったことも判明。徘徊防止のための引き戸のつっかえ棒とともに、逃げ遅れにつながった可能性があるとみられる。
火災保険は建物の構造が変わっても、契約内容を変えることで以前支払った保険料をムダにすることなく、継続可能となるはずである。だが、火災保険が切れたところで、万が一のことを考えることもできずに契約を一時中断させて新規契約時までの分を浮かせた。
茨城県の老人施設から数年前に「たまゆら」に移った入所者が「ちゃんとしたところと聞いてきたが、食事は野菜ばかりだ」(「毎日jp」)と不満を漏らしていたり、満足に入浴の機会を与えない、オムツ交換を頻繁に行わない、掃除は身体の動く入所者任せといった不満足な待遇面と併せ考えると、有料老人ホームとしての届出をしなかったことは施設費・施設維持経費を可能な限り安く上げて、それを上回るが、正規の施設よりも安い利用料で自治体から入所者を受入れ、その差額から儲けを捻り出そうとするカネ儲け主義からの施設運営であることが分かる。
墨田区にしても、「たまゆら」への訪問調査が年にたったの1回、どのような調査なのか、確認していない、15人入所させていながら、報告書はA4判1枚のみ、防火設備や建物の構造、設備については専門家ではないので確認はしていなかった、入所者に支払う生活保護費は「全員に金銭管理能力がないと判断し、全員の委任状をもらった上で内訳書とともに施設一括送金」、施設が家賃や食事代を天引きしてからそれぞれに手渡す方式で、適切に使用され、適切に残金が支払われているかどうかも検証しなかった等々からすると、生活保護費内で済む安価さにかまけてほぼ預けっ放し状態にしていたことが分かる。
つまり墨田区も「たまゆら」も入所者を人間とは見ていなかった。区は如何にコストをかけずに済ますか、施設側は待遇に如何にカネをかけずに如何にたくさん儲けるか、一人ひとりをカネ換算していた。
老年を迎えた場面で人間的側面を蔑ろにされ、カネ換算されてカネがかかるかかからないか、利益を上げることができるかどうかのカネの価値でのみ扱われるということは、ある意味姥捨山に置かれることを意味しないだろうか。
舛添要一厚生労働相は「たまゆら」の火災・死亡事故を受けて24日の閣議後会見で、「老人施設を拡充するいろんな施策を展開したい」と述べた(≪舛添厚労相「老人施設拡充したい」10人死亡火災で≫「msn産経」/2009.3.24 10:55)ということだが、最初の「YOMIURI ONLINE」が無届施設が「2007年2月の厚生労働省の調査では、377か所が確認されて」いると伝え、2008年9月5日の「asahi.com」記事(≪老人ホーム、無届け15% 行政監視追いつかず≫)が都道府県に設置の届け出をしていない有料老人ホームが全体の約15%に上ることが総務省の行政評価で分かり、総務省は厚生労働省に改善を勧告すると報道している。
記事によると具体的な数字は<総務省が22都道府県を選んで調べたところ、07年4月時点で都道府県が有料老人ホームとみなしている2345施設のうち、無届けは14都道府県の353施設。東京が80、埼玉が68、神奈川58、千葉47など都市部が大半だった。 >となっている。
双方の施設数に多少の違いはあるもののの、「たまゆら」の近隣住民が施設の欠陥を見抜いて墨田区に求めていた入所紹介の中止要請が区の上層部にまで届いていないことは重大な責任問題だが、総務省の改善勧告に対して厚労省がこれまでどのような対策を講じてきたか、「老人施設拡充したい」という今後の政策以上に重視しなければならない責任問題ではないだろうか。
何も対策を講じてこなかったと言うことなら、厚労省も加担した火葬場も兼ねた平成版「たまゆら」姥捨山と言うことになりかねない。
各政党及び各議員が国民1人あたり年間250円の政党助成金を受取るることで政治活動に於ける“カネの問題”の解決方法としながら、パーティを開いたり、政党支部を迂回させたりする方式で従来どおりに企業献金に大きく依存し、その集金力・カネの力を今なお政治力としている。
裏返すと、政治力が集金力・カネの力によって育まれ、左右されている。そしてカネの力によって育まれた政治力の差が親分・子分の力関係の違いをつくる。親分・子分とまで行かなくても、上下関係という格差をつくる。各地元に於いては後援会及び後援会員を維持し、県市町村議員にいい顔をするには活動費を援助する必要があり、カネの力がモノを言う。
後援会及び後援会員維持は票集めばかりではなく、国会報告会や立会演説会に動員して支持者の頭数とする重要な装置である。貸切バスを仕立て、バスの中で弁当を食わせ、会場まで送り迎えまでして、頭数を準備する。聴衆が閑散とした会場内の写真を撮られてテレビや新聞で報道されたのでは支持度・人気度に換算されて、選挙のときの投票に影響する。例えそれがサクラ紛いの聴衆であろうと、自分が演壇上にいる間は空席をつくるわけにはいかない。マクドナルドだって新商品の発売を盛り上げるためにアルバイトを雇ってその商品の発売を待ちかねる行列に並ばせ、人気の程を知らしめるサクラに仕立てている。
派閥の親分たちがたいした話をするのでもないのに高級料亭を使うのはカネの力でモノにした政治力が可能とした議員年数や閣僚経験が箔づけの元となった “格”が、それがハッタリめいたものであっても、カネ換算されて等価とされる場所だからだろう。
総理大臣や閣僚経験のある派閥の親分が東京ばかりか地元でも公民館といった公共の場所を借りてペットボトル一本のお茶で会合を主催するとなったら、俺がそんなケチな真似ができるかと言うだろうし、招待される側も、ケチな真似をしやがってと貶すだろう。会合場所にしても“格”がカネ換算を受けて場所選択の決定権を握る。地位・格に応じてカネをかけてこそ、さすがだという再認識を持続させることができる。
いわば日本では“格”がカネの高によって価値計算される。実力者とはカネの実力を有している者と言い換えることができる。カネを力とし、人を周囲に集めるにカネを如何にうまく使いこなすかに実力者への登竜門がかかっている。
企業献金という名の企業からのカネを如何に政治の力に替えるか、その錬金術とカネを有効活用して仲間を周囲に集める人心掌握術が大きくモノを言う日本の政治と言える。
なぜ日本の政治がこういったカネを力とする構造を構成するようになったかと言うと、政策は官僚任せで、政治家自らは他人の政策をオウムや九官鳥のように喋るだけの能しかなく、それが内発的な創造物でないために政治の話で刺激を与えることができないから、その代償物として刺激を与えるのは大勢の人間が集まったかどうか、あるいはたいした顔ぶれであるかどうか、カネをかけた料理であるかどうか、カネをかけた酒であるかどうか、侍らせた女がいい女かどうかということになり、カネにモノを言わせた場所や料理や女、そして集まった人間の顔ぶれ・人数が実力の見せ場ということになってしまっているからだろう。
会合主催者である実力者はどこそこでどんな顔ぶれで何人集めて会合を開いたかが自らの経歴の輝かしい追加となり、集められた方も、何々先生の会合に出席し、どんな顔ぶれで何人集まったと地元報告の勲章とし、それらを以ってそれぞれの素晴らしい政治行動とする。
結果、アメリカ追随で、自律(自立)していない日本の政治と言われることになる。
こういった不名誉な日本の政治体質(と言うよりも、政治的病質と言った方が正確かもしれない)を根底から変えるには当然の結論として「政治に於けるカネの力を無力とする」以外に方法はない。カネの力が無力となれば、政策で勝負するしかない。政策は政治の力をカネの力としてきたことによって日本の政治家に欠けることとなった政治的創造性に負う。
カネの力を無力とする方法は先日のブログで「国会議員への登竜門である選挙にカネがなくても立候補でき、不足なく選挙活動できる体制を整えることが、政治家をしてカネの力に依存させない第一歩ではないだろうか」と書いた。
これも同じブログ記事で取り上げたことだが、NHKテレビの「総理に聞く」(3月15日放送)で麻生太郎は政治活動には政党助成金だけでは不足で、企業献金は悪ではなく、必要だとする考えに立って、「小選挙区約40万人。有権者40万人。そのうち10万人にテリー伊藤のパンフレット。郵便代切手80円。印刷代、封書して印刷しますから、それで約10万人かけますと、印刷代、封筒代何とかで最低200円。それでかける80円、足す80円。280円かける10万円、それで2800万円ですよ。あれだけ1枚で。これだけお金がかかるということはテリーさん、それだけかかると思っておられました?」と、政治や選挙にカネがかかるから、カネが必要だと今ある選挙の姿を表面的になぞるのみで、カネのかからない政治にするにはどうしたらいいのか、カネのかからない選挙にするにはどうすべきかといった発想は一切なく、そういったことに向けた創造性は抜きに「国民にとって民主主義というルールを維持する」コストだとし、「企業は企業、個人は個人、団体は団体、それぞれに民主主義というものをきちんと運営するコストを払ってもらわなにゃいかんわけ」と、国民が1人あたり年間250円支払う政党助成金のみならず、企業や団体からの政治献金も必要だと短絡的に理由づけている。変革意識も発展意識もない。
麻生らしいといえば麻生らしい短絡性とは言える。日本の偉大な総理大臣麻生太郎がカネがかかるからカネがかかるんだ、民主主義を維持するコストだと、今ある現実の姿に短絡的に即するのみの変革意識も発展意識もない政治的創造性を振りまわすだけでは日本の政治は何も変わらない。
脳ミソが短絡的に出来上がっているからこそ、3月21日土曜日の首相官邸で開催した「経済危機克服のための『有識者会合』」で、株価対策に関連して「株屋ってのは信用されてない」発言を口から飛び出させることになったのだろう。発言要旨を3月21日の「中国新聞」インターネット記事が伝えている。
有識者会合の首相発言要旨
麻生太郎首相が21日の有識者会合で証券市場に関連して発言した部分の要旨は次の通り。
首相 東京証券取引所の株式市場の閉鎖性は、参加している人はどうして言わないんですかね。
松井道夫松井証券社長 (逆に)日本だけが先進国の中で外国人がメーンプレーヤーになっている。株式が悪だという雰囲気を払拭する対応を具体的に出さないと直っていかない。
首相 まったく賛成よ、まったく賛成だけど、やっぱり株式会社、株屋ってのは信用されてないんですよ。ぼくはそうだと思うなあ。やっぱり株をやってるっていったら、田舎じゃ何となく怪しいよ。「あの人は貯金してる、でもあの人株やってんだってさ」っていったら、何となく今でも、まゆにつば付けて見られるところがあるでしょうが。おれたちの田舎では間違いなくそうよ。経企庁長官のときから「貯蓄から投資へ」って話は、もう10年以上前から言ってんだけど、「株ですか…」って、みんな声がね。今は株屋さんを通さなくて直接やるようにし始めてるでしょ。
「株式会社、株屋ってのは信用されてない」と「株屋」という商売形態そのものが信用されていないと言っている。そして「やっぱり株をやってるっていったら、田舎じゃ何となく怪しいよ」と株売買行為自体も信用されていないと言っている。だが、最後に「今は株屋さんを通さなくて直接やるようにし始めてるでしょ」と「株屋」を通さない株売買行為は “悪”とは把えていない。「株屋」という存在だけが悪なのか、株売買行為も悪なのか、はっきりさせるべきだが、発言進行過程で自分がどういう発言をしているのか振返って頭の中で咀嚼し直すこともできない単細胞だから、政府自体が「個人金融資産を株式市場に呼び込むために『貯蓄から投資へ』のスローガンを掲げている」(「msn産経」)こととの整合性も考えることができず、2008年の自民党総裁選で「民間には個人資産だけで1545兆円あり、これが貯蓄から投資に回ることを考えている」(「毎日jp」)と自らの経済対策として主張していながら、そのこととの矛盾を考えることもできない。
麻生太郎と「株屋」とどちらが信用されていないかで軍配を上げなければならないとしたら、確実に麻生太郎の方に軍配が上がるはずだが、自分ではそうだとは思っていないからこそ言える〝株屋〟性悪論なのだろう。
麻生が退場したって日本は困らないが、「株式会社、株屋」が退場したら、証券市場は成り立たなくなって日本の経済ばかりか、日本そのものが壊滅してしまうだろう。
大体が「経済危機克服のための『有識者会合』」の席で得々と「おれたちの」と自分の「田舎」まで持ち出して喋ることなのだろうか。何とも立派な日本国総理大臣であることか。
こういった日本国総理大臣を日本の政治の土俵から駆除するためにも、国会議員へのそもそもの登竜門である従来のカネが力となる選挙制度を根本から劇的に変えるべきで、政治家をしてカネの力に依存させない第一歩であろう。
政治家からカネの力を奪うには何よりも最初に企業献金を禁止しなければならない。集金能力が政治能力となる日本の政治風土を過去の風習とする手始めとするためにも。
次に国民1人あたり年間250円で決められる政党助成金の2分の1は直近の国政選挙の得票率(衆議院総選挙と過去2回の参議院通常選挙)に応じて各政党に、残りの2分の1は政党の所属議員数の割合に応じて配分されるということだが、得票率に応じた政党への配分はやめて、衆議院議員定数の480人、参議院定数の選挙区146人、全国区比例代表96人併せて242人、衆参併せて722人で均等割りにした金額を勤続年数、役職経験度、派閥の親分子分の上下関係等一切なしに全議員に平等に配分すべきではないだろうか。
配分の平等はカネの力が人間を縛る権威主義的上下関係から各議員をフリーにして、派閥の親分も三下もない、勤続年数にも関係ない、閣僚経験も関係なしに同じ土俵の上に立たせる個人性の平等につながる最初の象徴行為となるだろう。
政治献金を廃止し、政党助成金を議員頭で平等に配分することで、カネを力とする派閥政治、料亭政治は力を失っていく。
次に02年3月27日に自作HP「市民ひとりひとり」に第52弾として発表した記事だが、≪雑感AREKORE part11 政治におけるカネの力を無力とする≫にこう書いた。(一部抜粋)
社会的に上位を基礎づける支配的条件となっている〝カネの力〟が政治の社会でも威力を発揮する対応関係をつくり出している。だからこそ、当然なこととして、そのような政治を体現する政治家こそが有力者として君臨可能となるのであって、さらにカネが有力な力となる金権力学を必然化せしめているのである。集金能力が政治能力となる現象は、以上の結果としてある政治の姿に過ぎない。
カネ集めにエネルギーを費やし、その能力を十全に発揮した政治家が実力者にのし上がる。あるいは、金庫番と称する秘書・事務所関係者にカネ集めを全面的に任せ、集めたカネを〝力〟に変え、取巻きや腰巾着・手先・子分を誘い寄せて、発言力を高める。そのような構造の政治活動がイコール政治能力となっている。日本の政治世界が本質のところで政治屋集団で占められ、支配されているからこその、政官癒着であり、族議員の跋扈・躍動なのである。
〝カネが力〟となっているということは、一方にカネで自己の節度を曲げる人間をつくり出していることを意味する。カネをバラまく有力議員に若手議員・その他が面倒見がいいとすり寄り、有力議員に自己を売り渡し、忠実な言いなり人間と化す。派閥の形成である。
――(中略)――
日本の政治世界が政治能力・カネが力を優越的な生存条件としている以上、それを否定的条件とし、その延長上に日本の政治世界から政治屋を排除して、政官癒着・族活動の終焉をもたらすには、政治におけるカネの力を無力化することが、唯一の原因療法となるのは言を俟たない。
どちらがニワトリか卵か分からないが、日本の政治の後進性を形作っている日本人における政治哲学・政治思想の欠如・貧困がカネの力を必要としている側面もあるのだが、現実問題として政治、特に議員としての資格を得る選挙にカネはかかる。となれば、議員となる出発点である選挙をカネがかからないものとする以外に方法はないだろう。カネが力とはならず、政治思想・政治哲学、あるいは人格・品性が有力な武器(力)となる選挙であったなら、議員となった以降も、次の選挙でのカネの心配は一切持つ必要もなく、同じ武器を力とすることが維持可能となる。
そうするためには、現在の公職選挙法で許されている選挙方法のすべて――選挙ポスターの貼付・選挙カーでの運動・電話での投票依頼、さらに公示前の後援会活動等々――を一切禁止して、現在テレビで盛んに行なわれている政治家と評論家を交えた討論番組を参考に、選挙があるなしに関係なく、定期的に選挙区の議員が有権者から選ばれた質問者(選挙期間中の場合は立候補者と質問者)を交えて、政策議論を闘わす公開討論会を公費負担による各選挙管理委員会主催で開催し、それを唯一公職選挙法で許される選挙活動とすればいい。
例え公開討論会を直接傍聴しない有権者であっても、その模様を伝える新聞・テレビのマスコミの報道、あるいはインターネットの報道を各議員・各立候補者の政策・政治姿勢を知るよすがとし、それを投票判断の材料とする。また、落選中の元議員、新たに立候補を決意している立候補予定者は後援会活動を禁止されると、政策と人となりを有権者に知らせる方法を失うために、質問者に加える方法を取ることで、その問題は解決するだろう。
定期的な各選挙管理委員会主催の公開討論会を選挙区での唯一の政治活動・唯一の選挙活動とすると(有力政治家の各地で行なう演説会も、貸し切りバスを仕立てて支持者を動員し、食事を無料で提供するといったカネを食うものとなっているから、禁止し、テレビ・新聞での与野党議員と評論家を交えた討論会を演説会に替わるものとする)、当然、これまで力としていた〝カネ〟は無力化の方向に進む。カネが無力となれば、企業献金は不必要となり、廃止は容易となる。回りまわって、政治家は様々な癒着から独立性を高めることが可能となる。
質問内容は緊急な解決が求められる内政・外交に関してだけではなく、国際的な諸問題・世界の文化の問題・家庭内暴力といった女性の地位に関わる問題・人権問題等々、広範囲にわたらなければ、各議員・各立候補者の政策、さらに政治思想・政治哲学を全般的に問うことはできないだろう。勿論、単に問うだけではなく、各議員・各立候補者の独自性を問題とすることを基本的なコンセプトとすることを義務としなければならない。独自性を求めることによって、各議員・各立候補者は否応もなしに自らの政治思想・政治哲学を高める必要に迫られることとなり、そのことが日本の政治家からカネを力としていた政治屋体質を排除する契機となるからである。
独自性を求める質問に対して、所属政党の政策の単なる反映・単なる説明で終わるなら、そのことを厳しく咎める感性を質問者のみならず、有権者は持たなければならない。
日本の政治家の大多数がそれぞれに独自の政策・独自の政治思想・独自の政治哲学を身につけたとき、〝カネが力〟の反映としてある、対米追随外交・カネをバラまくだけの援助外交に代表される政治の後進性から解き放たれ、先進国の名にふさわしい真に信頼される国となることができるはずである。
また、一国の政治は国民の政治意識を等身大とした反映を姿としていると言われているが、政治のそういった構造からすると、政官財癒着や族議員構造といったことだけではなく、例えばハンセン病隔離政策やエイズ薬害問題・BSE対応遅れ、その他その他の例を挙げれば枚挙に暇のない政治家・官僚の怠慢・不作為をも含めた日本の政治全体の姿は実際には国民もそのシナリオ作りに関わっていることになり、政治家・官僚の無能を責め、批判するだけでは済まされなくなる。いわば国民は政治という作品作りに常に参加しているのであり、作品の出来映えを左右する自らの政治意識に責任を自覚する方法として、国民が納めた全体の税金から政治運営に関わる支出を行なうのではなく、目的税化して、成人一人一人から収入に応じて徴収するようにしたらどうだろうか。誰もがいやでも政治に対するどうあるべきかの監視を強めることになるのではないだろうか。(2002/3/25)
最後の「目的税化して、成人一人一人から収入に応じて徴収する」とは国民一人頭年間250円の政党助成金方式を廃止して、収入に応じて金額を決める方式への変更だが、各議員の政治活動費の平等な増額につながる。
現在各議員が討論・議論を繰り広げる報道番組が各テレビ局で制作され、多くの有権者がそれを聴取し、あるいはその内容を伝えるテレビニュース番組や新聞記事を耳にし、目にする。あるいはインターネット記事や動画で知る。
こういった政治に関わる情報伝達の全選挙区化が以上述べた方法である。この方法が有効なものかどうかは分からない。改良すべき点もあるだろうが、政治からカネの力を無力とする方法とはなり得るとは思う。
現在様々に制限されているインターネットの利用も広げなければならないだろう。
いずれにしても「政治に於けるカネの力を無力」としないことには違法な企業献金問題は跡を絶たないだろうし、カネ集めの能力とカネで周りに人を集める人身掌握術が政治家としての実力者の条件となっている日本の政治風土を変えることはできない。
先ずはカネのかからない選挙制度から
禁止されているにも関わらず小沢民主党代表の資金管理団体が西松建設からの企業献金と知りつつダミー会社を通じて受取っていた政治資金規正法違反容疑(虚偽記載等)で公設第1秘書の大久保隆規が逮捕され、それを受けた小沢代表の記者会見での説明に満足できないと言う国民が圧倒的に多く、その進退問題ばかりか、自民党閣僚(かつて菅直人民主党代表代行から「道路族のドンは、古賀さんとか二階さんとか、顔を見るからに利権だけは離さない決意が表れている」と言われた内の一人、二階俊博経済産業相)や議員にも西松建設問題が飛び火して企業献金の是非が問われた。
自身の問題もあったからだろう、3月18日に小沢代表が企業・団体献金の全面禁止の方針を打ち出したが、企業からの献金を政党支部等を迂回させて受取り、活用している議員が多くいる都合からに違いない、与野党に賛否の議論を巻き起こした。
麻生首相自身はというと、その態度を3月18日の「時事ドットコム」記事(≪企業献金「悪ではない」=麻生首相≫)が次のように伝えている。
麻生太郎首相は18日午後、民主党の小沢一郎代表が企業・団体献金の全面禁止に前向きな姿勢を示したことに関し、首相官邸で記者団に「企業献金が悪という考えにはくみしない。企業献金の正当性に関しては最高裁判決もきちんと出ている」と述べた。
首相は「民主主義を実行するコストとして、企業献金の仕方についていろいろ各党・各会派でずっと(議論を)やってきた長い歴史の結果が今のものだ」と語った。(了)
前回のブログ記事で扱ったNHKテレビ「総理にきく」(3月15日放送)では取り上げなかったが、テリー伊藤が西松問題を質問している。再度3月15日の「YOMIURI ONLINE」記事(≪「総理にきく」全文…支持率「厳しい評価を頂いている」≫)を参考引用して、見てみる。
【西松建設問題】
――西松建設の問題だが、首相には捜査関係の情報が事前にあったのか。
首相 私のところに、小沢さんの第1秘書の逮捕が事前にテレビに出る前にあったか。ありません。あの日は確か、全く、経済財政諮問会議がやってた最中に逮捕という話が出たと記憶しますけれども、それ終わった後、秘書が言ってきましたんで、それまで全く聞かされておりません。
――なぜいまの時期に捜査なのかという点に関連して、検察当局ではなくて、法務省の当局が国会で説明する必要ではないかという意見もある。
首相 日本の場合は、司法、立法、行政という三権がきちんと独立を維持されていると私自身は、民主主義国家としての基本は確実にこれまで守られていると思っております。従って、このタイミングだからやるべきじゃないという種類の判断を検察がするかというのはなかなか考えにくい。事実、この国は内閣総理大臣、田中角栄ですら逮捕するという国ですから、そういった意味では、今言われたような配慮をしてというような感覚というのは検察には持ち合わせていないと私自身はそんな感じがしますけど。
――(テリー氏)今回の件では麻生さんにガッカリした。もっと怒って良かった。おれが政策で頑張っているのに、何を水を差すんだと。公共事業を受注している企業の企業献金はなくなると、麻生さんから各党各派に発言すべきだった。
首相 これはね、テリーさんなかなか難しいんですよ。法律的には。基本的には。少なくとも、国民にとって民主主義というルールを維持するのにコストの話ですから、企業は企業、個人は個人、団体は団体、それぞれに民主主義というものをきちんと運営するコストを払ってもらわなにゃいかんわけ。
――(テリー氏)そのために国民は政党助成金として払っている。国民は納得しない。
首相 テリーさんね、例えば、小選挙区約40万人。有権者40万人。そのうち10万人にテリー伊藤のパンフレット。郵便代切手80円。印刷代、封書して印刷しますから、それで約10万人かけますと、印刷代、封筒代何とかで最低200円。それでかける80円、足す80円。280円かける10万円、それで2800万円ですよ。あれだけ1枚で。これだけお金がかかるということはテリーさん、それだけかかると思っておられました?
麻生首相の「日本の場合は、司法、立法、行政という三権がきちんと独立を維持されていると・・・・」云々は鳩山由紀夫民主党幹事長の小沢代表公設秘書逮捕を「国策捜査のような雰囲気がする」と言ったことに対する、国策捜査はあり得ないとする趣旨からの発言であろう。
各閣僚も鳩山発言を厳しく批判している。
森法務大臣「検察当局は法と証拠にのっとって、厳正公平かつ不偏不党に、対象が誰であれ、刑事事件として取り上げるべきものを取り上げて対処している。『国策捜査』だというそしりを受けるところは一点もない」(NHK/ 09年3月6日 12時34分)
甘利行政改革担当大臣は「『国策捜査』はありえない。『国策捜査』だと信じている政党が政権を取ったら、相手の党はたまったものではない。検察は政府から独立している捜査機関だ」(同NHK)
河村官房長官も「『国策捜査』ということばが飛び交っているが、『国策捜査』などということは断じてない」(同NHK)
町村信孝前官房長官「誠に常識を欠いた、めちゃくちゃな発言だ。幹事長なり法相が本気で怒らないといけない」(「日経ネット」 /2009年3月5日)
安倍晋三元首相「首相が検事総長を呼んで『やれ』なんてあり得ない」(同「日経ネット」)
山崎拓「ぜひ今国会で本人自ら証人として立って(小沢氏が批判している)検察ファッショと戦われるのが最上の取り組みではないか」(同「日経ネット」)・・・・・
いくら公正・中立を謳っても、検事も人間であり、それなりに政治思想を有し、自らに固有の政治感情に囚われていて、完璧に不偏不党の姿勢を保つことは不可能であろう。更迭された航空自衛隊元空幕長田母神みたいな国家主義者が検察内部に存在しない保証はない。
思い込みや狂信に濃淡の差はあるだろうが、日本の政治を託すことができるのは自由民主党だと頭から唯一絶対の政党と看做し、日教組出身や労働組合出身議員がいて、労働組合の支持を受けている民主党が政権担当した場合、日本をダメにする、三流国家に貶めると危惧、あるいは忌避、あるいは危険視する政治的性向、あるいは国家主義的性向を抱えた検察官は皆無と断言できる保証はないはずだ。
例え検察官本人が極端な国家主義者ではなくても、あるいは極端な保守主義者ではなくても、その傾向を抱えていた場合、外部の国家主義者や保守主義者の意向、もしくは唆し・教唆を受けて元々の国家主義・保守主義の素地に熱い火を焚きつけられ、日本を守るためには自民党政権でなければならない、民主党政権を潰さなければならないとその線に添って自らの権限を悪用しない保証はない。勿論、本人は悪用とは思っていない。あくまでも日本のため、正義のためと信じて行動するだろう。
安倍晋三が相変わらず単細胞らしく言うように「首相が検事総長を呼んで『やれ』」とすることだけが国策捜査ではなく、“国のため”を装った擬似的な国策捜査もあり得るということである。
自らの政治的衝動からの“国のため”だとする個人的な国策捜査というケースも可能性としては存在し得る。
田母神が論文問題で更迭されずに航空自衛隊に居座って、自らの政治的思想・日本を絶対とする国家主義的思想を隊員に植えつけ、自己流の日本民族絶対主義の愛国心でマインドコントロールし、そのシンパを航空自衛隊に広く繁殖させた場合、実行に移すかどうかは別問題として、例え実行に移したとしても成功するか否かも別問題として、自らが抱える自己絶対傾向に触発されてクーデターに向けた衝動を抱えないとは決して言えない。
衝動から実行へと一線を踏み越えた場合、戦闘機は東京上空を旋回・威嚇に使い、ヘリコプターを使って首相官邸・国会議事堂・放送局。皇居の占拠など簡単にできる。
アパグループが募集した論文に田母神一人ではなく、多くの航空自衛員が応募していた問題で参院外交防衛委員会に参考人として招致された田母神は民主党浅尾慶一郎議員の「論文への応募を誰に紹介したのか」という問いに、「航空幕僚監部教育課長にこういうものがあると紹介した。わたしが(応募を)指示したと言われているらしいが、指示したとすれば1000人を超える数が集まる」(≪前空幕長、参考人質疑のポイント詳報≫「時事ドットコム」/2008/11/11-12:30))と同調者が「1000人を超える」と豪語している。
軍隊のような階級社会では影響力は田母神を頂点として、上官から下位階級に向かって底辺を広げる形でピラミッド型に浸透していく。「1000人を超える」中に田母神航空幕僚長の言動に心酔する空幕僚長以下の上官が順次連なっていたとしたら、それぞれの部下は例え「1000人を超える」中に入っていなくても、田母神の命令を受けた上官の強制で仕方なく行動を共にする部下も生じるはずである。航空自衛隊のトップである航空幕僚長の命令だと、従わなければこの場で銃殺に処すと威されれば、命令内容を問題とはせず、命令であることだけを根拠に動く隊員が相当数出てくることまで計算すると、「100人を超える」が2000人、3000人を超える集団に膨らんだとしても、おかしくはあるまい。
こういったことを考えると、小沢代表公設秘書の逮捕が例えどのようなケースでの国策捜査からの動きではなくても、麻生を筆頭に森法相や甘利行改革担当大臣や町村前官房長官、安部元首相のいわば“国策捜査絶対皆無論”、あるいは“検察公正・公平かつ不偏不党論”は単純で甘い希望的観測に過ぎないことが分かる。
麻生太郎の「企業献金が悪という考えにはくみしない」にしても、企業が営利団体である以上、企業献金は投資であり、斡旋利得とまで行かなくても何らかの見返り利益を期待しない企業献金という名の投資は存在しないという本質部分に対する視点を欠いた甘い、単純な性善説となっている。いわば企業献金は斡旋利得誘導装置の性格を抱えてもいると看做すべきを看做すだけの用心深さ(危機管理意識)のカケラも持てない単純さである。
単純・単細胞に仕上がっているから、「小選挙区約40万人。有権者40万人。そのうち10万人にテリー伊藤のパンフレット。郵便代切手80円。印刷代、封書して印刷しますから、それで約10万人かけますと、印刷代、封筒代何とかで最低200円。それでかける80円、足す80円。280円かける10万円、それで2800万円ですよ。あれだけ1枚で。これだけお金がかかるということはテリーさん、それだけかかると思っておられました?」と得意気に計算しているが、選挙の現実を単に表面的になぞるだけのことしかできない。
「2800万円」もかけたパンフレットの中身を詳しく読む人間がどれ程いるかということを考えることもできないからだ。例え内容を読んだとしても、本人の履歴書とどれもこれもテレビ・新聞が既に報道している所属政党の政策を単に羅列・列挙し、そこに“地元”という文字を加えてある似たり寄ったり・横並びのパンフレットに過ぎない。
要するに選挙の慣行行事として行っているパンフレットの配布であろう。それを麻生は得々と「民主主義というルールを維持するコスト」「2800万円」だと言う。
後援会を維持し、後援会員を維持するためにバスを連ねて旅行に連れて行ったり、演劇公演に連れて行ったり、大相撲に連れて行ったり、カネを必要とし、そのためにカネ集めに奔走する。
国会報告会だと講演会を開いて支持者を動員して、何人集まったと自慢し、選挙中は選挙カーを止めて演説する場所に同じく支持者を動員して、さもたくさんの支持を受けているかのように装う。
それらに必要とする経費を「民主主義というルールを維持するコスト」だと言う。
大体が余程のスキャンダルを抱えなければ、有権者は一般的には政治家単位ではなく、政党単位で投票先を決める。無党派層にしても、最終決定要素は政党単位であろう。支持しない政党の立候補者への投票はごく少数派のはずだ。投票する政党はテレビや新聞が報道する党首・党代表の人柄や政党の政策、リーダーシップ如何で決める。世論調査に表れているそれぞれの調査項目と調査数値がそのことを証明している。
要するに、以前自作HPにも書いたことだが、「政治にカネがかかる」と言い、「選挙にカネがかかる」と言って「カネがかかる」ことを常識として、慣行としてきたに過ぎない。
日本という国に於いてはカネが政治的創造性の欠如を補って政治家を成り立たせる代償物となり得ているからだろう。
そのカネの大きな部分を企業が献金という形で補っている。国会議員への登竜門である選挙にカネがなくても立候補でき、不足なく選挙活動できる体制を整えることが、政治家をしてカネの力に依存させない第一歩ではないだろうか。
NHKテレビが「総理にきく」と題して演出家のテリー伊藤と日本商工会議所会頭で東芝会長の岡村正を麻生首相と対談させる番組を15日(09年3月)日曜日の午後3:05から40分間放送したらしいが、放送を知らなくて、マスコミの報道で知った。
3月5日の「YOMIURI ONLINE」(≪「総理にきく」全文…支持率「厳しい評価を頂いている」≫)がその全文を掲載している。
これを参考引用しながら、最初の三つまでのテーマである【支持率】、【漢字の誤読】、【景気対策】と、途中の【首相にふさわしい人】、そして最後のテーマとなっている【解散・総選挙】に限って取り上げ、如何に麻生太郎が面目躍如として自己都合なゴマカシのレトリックを並べ立てているか暴いていく。
【支持率】
――NHKの世論調査では、麻生内閣について「支持する」が昨年9月は48%、今月は18%、「支持しない」が40%から71%になった。非常に厳しい数字をどう受け止めるか。
麻生首相 この支持率の話ですか。支持率の話はこれは私に対する基本的に評価なんであって、そういった意味では、厳しい評価を頂いているんだと、そう思っております。
従って、何て言うの、これまで約5か月少々たちますけれども、これまでの間、いろいろ我々の予想しない形で景気とか、経済というものが、世界中、今ほど悪くなるということを予想された方はおられないと思いますが、それにしても世界同時に不況というのを、しかもデフレ傾向をもって不況というのは、過去60年間、先の大戦が終わった後、1回もない状態が起きておりますんで、その対応というのに非常に追われたというのが、この5か月で、やっぱり目先、景気対策というのをきちんとやる、これを説明をやっていかないと、いかんのであって、その結果が出てきた上で、支持率がという話だと思っておりますんで、支持率を回復するためにどうするというようなつもりが、今あるわけではございません。>
言っていることは現在の支持率は“麻生首相に対する基本的な評価”ではあるが、景気対策の結果が出てきたときの支持率こそが実体を備えた「麻生評価」だと言うわけである。
要するに現在の地面激突すれすれの超低空飛行の支持率を「私に対する基本的に評価」だとしているのは口ではそう言っているに過ぎないまったくのゴマカシのレトリックそのもので、実際はそうは思っていない、見掛けの支持率に過ぎないと見ているということである。
麻生のこのレトリックから読み解く本心というものは景気回復まで解散を引っ張って、景気が回復したら、さすが麻生さんだと支持率が上がるはずだから、そのときこそ解散・総選挙に打って出て自民党勝利を掴みたい願望を抱えている、そういった願望をひそかに燃やしているということなのだろう。
だが、9月までの任期はどうするのだろう。9月までに景気回復という保証はどこにもない。9月までの任期がなければ、任期を無視して景気回復まで解散を引っ張りたいが本心なのかもしれない。そう受取るべき本心なのかもしれない。
3月14日の「asahi.com」(≪解散か、補正予算成立後か 麻生首相、難しい判断≫)が、<麻生首相が追加経済対策の検討を与党に指示し、政局の焦点は、首相が「春解散」に踏み切るかどうかに移った。追加対策を盛り込んだ09年度補正予算案のメニューを示して信を問うのか。「麻生おろし」のリスクを覚悟で補正予算を成立させて延命を図るのか。難しい判断を迫られる。>と伝え、昨17日の同じ「asahi.com」(≪首相、G20後に補正予算指示の意向 春解散遠のく≫)ではNHKの対談と<与謝野財務相がガイトナー米財務長官に、国内総生産(GDP)の2%を超える景気対策を約束。4月の金融サミットも財政出動の必要性で一致する見通しで、補正予算の実行は国際公約の色彩を強めつつある。>ことを踏まえて題名どおり解散先延ばしを予測しているが、景気対策の結果が出てきたときの支持率こそが実体を備えた「麻生評価」だとしていることと否応もなしに整合させるとしたら、「『麻生降し』のリスクを覚悟」しようが何しようが経済対策を口実に補正予算への道を何が何でも突き進む選択は間違いないだろう。断るまでもなく限りなく解散を先延ばしして、「延命を図る」道である。
「私は決して逃げない」のキャッチフレーズまでもゴマカシのレトリックそのものとする麻生らしいと言えば麻生らしい「延命」・解散先延ばしと言える。
【漢字の誤読】
――(テリー伊藤氏)麻生さんはしゃべりの脇が甘いというのを感じる。例えば、漢字を読み違えたというのがある。どうして漢字を前もって読んでおかないのか。
首相 原稿をあまり見てしゃべるようなことをしないから、というのが大きいと思いますけどね。あの何となく、原稿を見て、ずっと読みながらってというと、あまり間違えないんだと思いますけど、パッと見ますもんですから間違えるっていう、誤読とか何かいろいろ言われましたけれども、そこの所は、もう少し原稿に目を落とすようにしないといかんのかなという感じは今反省としてはあります。
「原稿をあまり見てしゃべるようなことをしないから」読み間違いをする。「原稿を見て、ずっと読みながらってというと、あまり間違えない」――
原稿見たら正しく読めるが、見なければ間違えるということは、頭の中にある読みがそのまま口をついて出たということで、原稿を見る見ないに関係なく、読みを知らないと言うことに他ならない。
頭の中にある間違った読みを原稿を見て正しく読むには――正しい読みに変えるには原稿に振り仮名が振ってなければならない。
いわば振り仮名が振ってあるかないかを抜きに「原稿をあまり見てしゃべるようなことをしないから」読み間違いをする。「原稿を見て、ずっと読みながらってというと、あまり間違えない」とするのはゴマカシのレトリック以外の何ものでもない。ゴマカシに“狡猾な”という形容詞をつけなければならないだろう。
例えば麻生が読み間違えて有名となった「未曾有」という漢字に「みぞう」と振り仮名が振ってなかったなら、例え原稿を見て読んだとしても、「みぞゆう」と読み間違えただろう。
いわば麻生にとって漢字を読み間違えない基本的な絶対的条件は原稿に振り仮名が振ってあることであって、原稿を見て読むことは次なる条件でしかない。それを「原稿を見て、ずっと読みながらってというと、あまり間違えない」などと言う。まさしく狡猾なまでのゴマカシのレトリックと言われても仕方がないだろう。
官僚が書いた文章で、官僚が気を利かせて読み間違えないように振り仮名を振ってあったにも関わらず原稿を見なかったために頭の中にある読みのまま口にして読み間違えたとしたら、その文章に前以て目を通していなかったことになる。目を通せば、振り仮名によって読み間違えていたことに気づくからだ。
もし自分が書いた文章で、読み間違っている漢字を読み間違っているままに書いた文章なら、やはり原稿を見ようが見まいが、読み間違ったまま漢字を読み上げることになる。
公になる文章なのだからと、官房長官なりに目を通させたとしても、官房長官は「未曾有」と正しく読んだとしても、麻生の中にある「未曾有」が「みぞゆう」となっていることに気づかなければ、正しようがなく、やはり「みぞうゆう」と読み間違えることになる。
官僚が書いた文章であっても、自分が書いた文章であっても、麻生以外の人間によって振り仮名を振ることがやはり読み間違えない絶対条件となる。その上で原稿をきちんと見て読み上げるか、あるいは前以て目を通すことが必要となる。
何とも厄介な日本国総理大臣ではないか。満足に漢字を読めない人間が一国の総理大臣を勤めていること自体が奇異なことで、如何なる弁解も効かない。 「原稿をあまり見てしゃべるようなことをしないから」読み間違いをする。「原稿を見て、ずっと読みながらってというと、あまり間違えない」と弁解すること自体がおかしいことに本人は気づかないまま弁解してるのだから、ゴマカシのレトリックも極まる滑稽なことと言える。
【景気対策】
――(テリー氏)首相は信頼が大きい。信頼があると、その人の話を聞こうということがある。本当はそこも大事ではないか。
首相 やっぱり、政策はテリーさん、やっぱ今一番景気対策というの名の政策は絶対に今国民にとって優先順位の一番だと思ってますね。
――(テリー氏)もちろんそうですね。
首相 従って、これをどうするか、その中には雇用もありますんで、雇用対策を含めて、この部分は少なくともこの5か月間、決して間違っていなかったと私自身はそう思っています。少なくとも年末、年度末等々はきちんとした資金対策、資金がつかないために倒れるというのをなかなか経営者じゃないと分かって頂けないんですが、倒れると、とたんにそこに中小企業で平均6・5人の雇われている方がいるとなると、それだけでいきなりそこが失業につながりますんで、今回約40万社って言いますから、24万人強の人が単純計算すれば、失業対策を必要とされずにすんだという部分なんかはたぶん評価して頂いているところなんだと思うんですが、なかなかスピードを出せなかった。これは、与野党の交渉ですんで、野党の方で賛成してこられないとなると、これ、なかなか60日、何日かかることになりますんで、スピード感をと言われる。そこの所はちょっと残念ながら、今言われたように、スピード感がいまいち出せずにいるというのは正直歯がゆい思いが私自身もあります。
テリー伊藤が言う「信頼」は支持率を下げている大きな要因であるはずだが、頬被りして答えない。
定額給付金を高額所得者が貰うのは「さもしい」発言も医者は「はっきり言って社会的常識がかなり欠落している人が多い」発言にしても、読み間違えたまま頭の中に収めている漢字と同様、そういう思いを胸の中に収めているからこそ出てくる不見識であろう。
謝罪がまた見識を欠いている。「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」
不快な思いをさせた、ではなく、「不快な思いしたっていうんであれば」と仮の話にして、自己正当化の部分をかなり残すゴマカシのレトリックを働かせている。
社会的常識を欠落させた医者もいるだろうが、政治家にしたってその手の欠落者はゴマンといる。その最たる政治家は麻生太郎そのものであろう。人に信頼を与える人格そのものを欠いているからこその支持率の低下であるはずだ。どのような政策を打って出ようとも、信頼を獲得することはできないに違いない。
麻生太郎は野党の反対で政策に「スピード感が出ない」と言っているが、野党が参議院で多数派を形成することになった時点で野党の反対は想定内の事態としなければならなかったはずである。野党の反対を崩すには解散・総選挙に打って出て、自民党勝利へと導き、参議院の民意は過去のものとなった、現在の民意は自民党にあり、麻生内閣にありとしてそこに正統性を持っていくべきを、政権を失うことを恐れて、解散・総選挙に打って出ることもできず、「国民が望んでいることは、単に対立するのではなく、迅速に結論を出す政治です」だとか、「国民生活というものを守るというのは、これは誰がどう考えたって自民党が一番の能力がある」とか、「自民党以外に経済対策をきちんとやる政党がどこにありますか」とか、参議院の与野党逆転・ねじれ現象という今ある現実の壁の解消に何ら役に立たない能書きを垂れ、口先だけで自民党は一番という正統性を訴えるばかりで、“迅速に結論を出せない政治”を引きずったままにしている。
いくら能書きを垂れようが、野党の反対に手こずる現実は変わらないのだから、犬の遠吠えに等しい麻生の能書きということになる。
【首相にふさわしい人】
――世論調査だが、衆院選後の首相にふさわしい人を聞いたところ、麻生首相、民主党の小沢代表ともに下がっている。感想は。
首相 これはちょっと私、自分の所に関してしか、ちょっとほかの方の
話をちょっとするのはいかがなものかと私自身が思いますので、私のところに関して言わせて頂ければ、さらに努力をしていかなければならんと改めて思うということ以外、ほかの方の下がった分に関してはちょっと何とも申し上げられませんね。
――(テリー氏)秋葉原で人気があって、総理になってまさかこんなに支持率が下がるとは思わなかったのでは。
首相 支持率って正直、私そんなにしょっちゅうしょっちゅう見てるもんじゃないんです。私、各社によって随分いろいろ違いますし、またネットなんかで、また全然違った話は聞きますし、僕はあまり支持率っていうのは見たことがありませんので、簡単にいえばあまり気にしていないということなんでしょうけど、そういった意味では、最初から、私あんまり子供のときから好かれる性格じゃありませんでしたので。
世論調査のたびにぶら下がり記者会見等で記者が支持率の低下を質問し、首相は否応なしに答えさせられているし、また閣僚も閣議後の記者会見で何らかの感想を述べているのだから、「支持率って正直、私そんなにしょっちゅうしょっちゅう見てるもんじゃな」くたって、承知していない超低空支持率のはずはなく、それを「簡単にいえばあまり気にしていないということなんでしょうけど」とゴマカシのレトリック面目躍如とくる。
例えば3月10日のNHKニュースでは西松建設違法献金で民主党小沢代表の公設秘書逮捕を受けたNHKの世論調査の結果に各閣僚が記者会見で答えている。
鳩山総務大臣「西松建設の事件は、麻生内閣にとって支持率の上昇要因にはまったくならない。『何だ、民主党ってこんな政党か』ということにはなるが、麻生内閣の得点にはならない」
甘利行政改革担当大臣「相手側の敵失で自分の支持率が上がることを期待すべきでない。麻生総理大臣のもと、内閣が身を捨てる覚悟で日本の課題に取り組んでいく姿勢が、国民に伝わるかどうかだ」
舛添厚生労働大臣「敵のエラーというだけで、喜ぶべき状況ではない。自民党側も検察から事情聴取を受ける可能性があるという報道もあり、政治全体に対する不信感につながらないよう、与野党を超えて政治家が襟を正し、必要な説明は国民にきちんとすべきだ」(いずれも「NHKインターネット記事」から)
対談の冒頭にも触れている3月の世論調査数値「支持する――18%」、「「支持しない――71%」そのものが「西松建設の事件」の影響を何ら受けず、敵失エラーで自軍棚ボタの得点といかなかったことの反映であり、3閣僚ともその結果をそのまま表面的に把えて能もなく感想を述べたに過ぎない。支持率上昇は常に期待事項であるのだから、「期待すべきでない」と戒めるのは期待が裏切られたからで、本心は期待していたということなのだろう。
大体が期待もしていなかったことを「期待すべきでない」とわざわざ戒める必要も断る必要も生じない。
朝日新聞が2月19日と20日に行った世論調査の結果について首相は次のような質問を受けている。
――早く辞めて欲しいとの回答が7割前後と……。
「はい」
――いうことになる見込みです。そのことについてどう思われるか。
首相「あの、世論調査に対しては、いつも同じことしかお答えしていないかと思いますが、あのー、基本的には、世論調査というものの内容が良かろうと悪かろうと、真摯(しんし)に受け止めるべきもんだと思っています。それに対して、あの、特にコメントはありません」 ・・・・・・・・・
「早く辞めて欲しいとの回答が7割前後」だからと言って、「ハイ辞めます」と答えることができないに対して、それしか答えようがない「真摯に受け止める」という見せ掛けの謙虚さであろう。
いわば「真摯に受け止め」てなどいないことは最初に触れた、景気対策の結果が出てきたときの支持率こそが実体を備えた「麻生評価」だと自分では思っていることが証明していることでもある。
最後に「最初から、私あんまり子供のときから好かれる性格じゃありませんでしたので」と冗談を使ってうまく逃げたつもりだろうが、福田康夫と総裁を争った当時、次の総裁選で自民党総裁を獲ち取った前後の秋葉原での若者人気との整合性を失うゴマカシのレトリックに過ぎない。
では、あのときの若者人気は何なんだと言うことになる。
また「またネットなんかで、また全然違った話は聞きますし」を持ち出したのは、新聞各社の世論調査の支持率の低さと相殺したい気持があったからで、新聞各社の世論調査の支持率の低さを意識していなければできない比較対照であろう。
しかしいくら「ネット」人気を持ち出そうとも、かつての勢いを失った秋葉原人気の名残 麻生政策とは無関係のマンガ趣味が惹きつけている、それゆえに政策遂行の後押しとならない人気に過ぎないことを弁えることもできずに「ネット」人気を持ち出して、その人気でプラスマイナスしようとしている。
単純且つ幼稚としか言いようがない日本国総理大臣麻生太郎と言ったところだろう。
【解散・総選挙】
――衆院解散・総選挙について、今の段階で、首相の本音はどういうことになるか。
首相 あの、テレビの前で本音をしゃべるということは基本的にはない。ね。これ、テリーさんに乗せられないようにと思ってしゃべっているわけではないが。基本的に今、岡村会頭の話をみましても、景気とか雇用に対する希望、国民の希望は極めて高いと私は思っている。
従ってこの状況を考えた時に今、(日本商工会議所が提言している)30兆の補正の話がでましたけども、世界でもGDPの2%という話が出てきたりして、財政出動を世界中で言っている時代でもありますんで、我々としてはきちんとそういったものを対応するというのは考えなければならんところでもあるし、それを実際言っただけで実行できないのでは何だということになるだろうし、これはいろんなことを考えなければならないと思っている。従って、今の段階で5月とか6月とか申し上げる段階にはない、といことだと思う。
――(岡村氏)今度の総選挙に希望したいのは、争点を日本の将来の国家像をどうするのかというところに置いてほしい。
首相 まったく賛成。あと何分あるんです?
――あと1分です。
首相 あと1分で全部しゃべるのは無理かもしれないが、ものすごく手短に。今、言われている論点明確にする。正しい、絶対に正しい。安全保障。ものすごく大事です。(米国の)第7艦隊さえいればいいんだという話とは私全然意見が違いますから、第7艦隊の話ふくめて安全保障。今言われた、福祉の問題については我々は中福祉・中負担。その中福祉がほころびが出てきていると思いますんで、それには小負担ではきませんから中負担をお願いせねばならんと申し上げている。 それと、もう1つは今言われたように雇用、中小企業、地方というものに関しては我々は将来のことを考えて目先やりますよ、地方、中小企業やりますよ。しかし将来のことを考えたら科学技術立国、環境立国含めて、こういった将来のことも考えて我々は対応していくべきだ。(対談終了)
「解散・総選挙」は「今の段階で5月とか6月とか申し上げる段階にはない」――
景気対策の結果が出てきたときの支持率こそが実体を備えた「麻生評価」だと自身はそう信じ、景気回復まで解散を引っ張って、景気が回復したら、さすが麻生さんだと支持率が上がるはずだから、そのときこそ解散・総選挙に打って出て自民党勝利を掴みたい願望を抱えていると見たことに整合性を与える「今の段階で5月とか6月とか申し上げる段階にはない」であろう。
だが、「景気とか雇用に対する希望、国民の希望は極めて高いと私は思っている」と「景気とか雇用に対する」“国民の声”を持ち出して、自身の景気政策・補正予算提出を正当づけているが、各新聞社の世論調査での解散・総選挙の時期について「できるだけ早く実施すべきだ」が朝日新聞が3月7、8日に実施した「緊急世論調査」を一例に取って説明すると、
できるだけ早く実施すべきだ 64
急ぐ必要はない 28
となっているし、政権の形も
自民党中心の政権 24
民主党中心の政権 45
となっている。これらは麻生内閣にもはや何も期待していないことがそのまま表れている世論調査に於ける各種数値=国民の声であるはずだが、それを「景気とか雇用に対する希望、国民の希望は極めて高い」とする“国民の声”に置き換えて、解散総選挙を「できるだけ早く実施すべきだ」の“国民の声”を無視するゴマカシのレトリックを展開して止まない。
どこまで狡猾なのか、まさしくゴマカシのレトリック満載麻生太郎の面目躍如といったところであろう。
3月10日の当ブログ記事≪不法滞在に時効はないのか≫に次のようなコメントがあった。
回答が少し長くなることと、コメントにも回答にも気づかない人がいるかもしれないから、回答を本文記事に代えることにした。
コメント
反対意見 (ハル) 2009-03-14 17:58:34
もし、本当に母国語を話せないのなら、両親とどうやってコミュニケーションとっていたのでしょうか?
のり子さんは13歳で両親の不法入国は14年前。では覚えて間もない片言を娘に教えていたのでしょうか?
両親は自分達が不法入国だということを考慮して、強制退去の覚悟は常に持っているべきではなかった
のですか。いくら時間が経過しようが、犯罪は犯罪です。両親の怠慢や過ちがのり子さんを苦しめてい
るのです。
法に従った人々を非道扱いすることはおかしいですよ
回答
生まれた子供が言葉を話すようになるのは一般的には生後1年前後です。両親は外国人として日本の社会で生きていくためには日本語の会話が不可欠です。早く上達するために家で夫婦二人きりのときでも、覚えた日本語を使うように心がけたとしたら、のり子さんが生まれてから言葉をまだ理解できない間も日本語を少なからず耳にしていたと考えることができます。
そして生後1年前後、両親が日本に来てから2年前後から2年以上経過している計算になります。のり子さんが言葉をカタコトで喋れるようになったとき、両親が母国語を少しは残していたとしても、また正確な発音、正確な言葉遣いでなくても、殆ど日本語で成り立たせた言葉を話していた可能性は否定できません。
何年か日本で生活し、日本で働きながら、日本語が殆ど話せない日系ブラジル人がいます。テレビて見た経験があると思います。
彼らは日系ブラジル人を企業に現場労働者として派遣する派遣会社に勤め、そこから企業に派遣されて仕事をするのですが、企業に集団で派遣されて集団で製造現場に携わるため、仲間との意思疎通に日本語は必要とせず、母国語であるポルトガル語で常に用を足すことができるから、勢い日本語を覚えないようです。
会社の指示は現場全体の仕事に精通している上にポルトガル語と日本語に通じている者が伝える仕組みになっているということで、日系ブラジル人にしたら意思疎通に不自由ない生活を日本で送ることができたわけです。
通訳がついているために日本のプロ野球に来て何年いても片言の日本語しか話せない外国人助っ人みたいな立場にあるのです。
両親が満足に日本語を話せない日系ブラジル人であっても、その子供たちは学校に通う必要上、学校でもポルトガル語しか話せない子供に重点的に日本語を教える時間を取る関係もあって、親と違って日本語を話せるという会話ギャップが親子間で生じることにもなっているようです。
そういった親の中には自治会の問題等で日本人と話す必要が生じると、子共に通訳を頼んで用を足すということですが、まさしくプロ野球の外国人助っ人状況と同じです。
両親が早くに日本語を覚えて、子供が両親との意思疎通を殆ど日本語で取るようになり、外でも日本語のみをコミュニケーション手段とするようになると、両親は母国語を血肉としているために忘れることはなくても、子供はポルトガル語を使ってきた日が浅いために忘れてしまう現象が生じるといったこともあるようです。
父親がドイツ人、母親が日本人のタレント・ウエンツ瑛士は小さい頃は英語が話せたが、今は全然話せないと確かテレビで言っていました。
のり子さんが幼少期に両親と母国語で意思疎通を図っていたものの、現在では母国語を話せなくなっていたとしても不思議はないわけです。
のり子さんの父親は主に解体現場等で働いていたということだから、日本人と日本語による意思疎通は欠かせなかったでしょう。否応もなしに短期間のうちに日本語を学ばなければならない立場に立たされていたはずです。母親にしても、不法滞在者という身分から、履歴書だ、何だとうるさいことを言う会社には勤めることができなかったと考えると、言葉の保護を受ける機会はゼロに近かったはずで、やはり日本語を早い時間に覚えざるを得なかったと思います。
先に挙げた日系ブラジル人の例からも分かるように、要するに用が足せるか、足せないか、必要か必要でないかということと、日本での生活期間の長短が言葉の獲得と上達の要件となることを考えると、必要に迫られた両親の日本語の獲得と日本に於ける生活期間の長さが子供に影響した日本語のみのコミュニケーション能力ということだと思います。
次に「両親は自分達が不法入国だということを考慮して、強制退去の覚悟は常に持っているべきではなかったのですか。いくら時間が経過しようが、犯罪は犯罪です。両親の怠慢や過ちがのり子さんを苦しめているのです。」に対する回答。
「強制退去」の可能性は常に頭にあったはずです。当然、「覚悟」もあったでしょう。
但し確かにあなたが「犯罪は犯罪」と言うように不法入国・不法滞在は「犯罪」そのものです。そうであっても、3月14日の記事≪カルデロン・アラン氏 不法滞在15年/犯罪歴なしは立派な履歴書≫に書いたように、不法入国・不法滞在という「犯罪」に対する「強制退去」処分を猶予させる「法相の裁量で決める在留特別許可」制度があります。
「asahi.com」記事を次のように引用しました。
「在留特別許可は、強制退去処分が出ても、法相が本人・家族の状況や人道的配慮の必要性などを総合的に考慮して、個別に滞在を認める制度だ。法務省は06年、ガイドラインを公表した。07年までの5年間で年に7千~1万3千件程度認めており、希望者の8~9割前後が許可された計算になる。 」――
「07年までの5年間で年に7千~1万3千件程度認め」られ、それが「希望者の8~9割前後」にまで達しているという現実が存在する以上、「在留特別許可」を求めて行動しない手はありません。その範囲内の要求行動だと思いますが。
その正当理由に私は15年以上、不法滞在者の身分で犯罪も犯さず、一般市民としての務めを果たしたことは「在留特別許可」に値するのではないかという主旨で記事を書いたのです。
対する、あなたが言う「法に従った人々」に当たると思いますが、入管・法務省の権力側の態度が単一民族意識に立った可能な限りの外国人排除ではないかと批判したのです。その限りでは「非道扱い」したことになりますが、私自身は「おかしい」ことだとは思いません。
不法滞在者が法務大臣に求める「在留特別許可」という機会は、被告の裁判に求める機会と同じだと思います。殺人という重大犯罪を犯したとしても、裁判で情状酌量を求めたり、一審で判決が重いと考えれば、控訴・上告して、刑罰の軽減を求めます。これは法律上被告人となった犯罪者に許されている裁判行動のはずです。
殺人という重大犯罪を犯した人間でも、「いくら時間が経過しようが」、その犯罪に対する処罰を自己に有利にする活動は認められているのです。不法滞在者に於いても許されているはずです。
不法滞在を摘発した、逮捕した、即強制退去では人間の人間に対する余裕をそこには感じることができません。このことが法律上の制度としてそうしろとしている決定であるならなおさらのことですが、日本人の精神性から生じた行動慣習としてある決定なら、不法滞在問題だけではなく、他の事柄にも影響する人間の人間に対する余裕のなさとなって現れることになるでしょう。
その先にあるのは独裁国家同様の余裕のない社会です。不法滞在問題に於いて、そうならないための「在留特別許可」制度のはずです。
問題はもっと難民受け入れを増やせ、外国人労働者を受け容れよといった外圧が認めさせるに力のあった「在留特別許可」ではないかと言うことです。最近は改善された外国人の日本国籍獲得も同じ線上にあると言えると思います。l
不法滞在を理由に国外退去を求められていた埼玉県蕨市のフィリピン人、カルデロン・アラン氏一家の3人で一緒に日本で暮らしたいという希望が「法相の裁量で決める在留特別許可」(毎日jp)を日本の星である法務大臣森英介自身が認めず、打ち砕かれ、4月13日に帰国する場面転換を迎えた。
東京入国管理局の「のり子さん1人を残して帰国するか、家族3人全員で帰国するか決断しなければ母親と娘の2人も収容して家族を強制送還する」(NHK)と恫喝した上での措置であった。
「在留特別許可」なるものが法務大臣の裁量によって決定する。「在留特別許可は、強制退去処分が出ても、法相が本人・家族の状況や人道的配慮の必要性などを総合的に考慮して、個別に滞在を認める制度だ。法務省は06年、ガイドラインを公表した。07年までの5年間で年に7千~1万3千件程度認めており、希望者の8~9割前後が許可された計算になる。 」と「asahi.com」記事にも出ている。
勿論官僚の意見を聞くだろうが、最終的には法務大臣の意思が決定する。例え官僚の言いなりの決定であっても、そのような決定しかできないと言うだけの話で、どのような決定であっても決定のゴーサインを出すのは最終裁量者である法務大臣本人であろう。
少なくとも法務省側と同一歩調を取った我が法務大臣森英介の態度であると言える。「本人・家族の状況や人道的配慮の必要性などを総合的に考慮して、個別に」判断した形跡が一切伺えないからだ。
3月12日の『朝日』社説が法務省の態度を次のように伝えている。
<法務省の姿勢はこうだ。極めて悪質な不正入国だ。十数年滞在した事実はあるが、ほかの不法滞在者への影響を考えると厳格な処分で臨むべきだ。裁判所も退去処分を認めている。>――
一方森法務大臣の受け止め方は3月13日の「asahi.com」が次のように紹介している。
<森法相はこの日(13日午前)の閣議後会見で、「情において思うところはあっても、日本の治安と社会秩序を守る責任がある」と述べ、改めて両親の在留は認めない姿勢を表明した。>――
法務省側の言い分である裁判所が退去処分を認めていたとしても、「在留特別許可」が「強制退去処分が出ても、法相が本人・家族の状況や人道的配慮の必要性などを総合的に考慮して、個別に滞在を認める制度」であるなら、理由にはならない言い分だが、法相自身が「日本の治安と社会秩序を守る責任がある」と“治安と秩序”を大上段に振りかざす「厳格な処分」で裁判所や法務省と同一歩調を取っているのだから、「本人・家族の状況や人道的配慮の必要性」といった「個別」の判断など窺いようがない。最初から、その手の判断は持ち合わせていなかったに違いに。
「極めて悪質な不正入国」とは「偽造旅券で入国しており、入管は正規のビザが切れた不法残留より悪質と判断」(同上「asahi.com」)のことを言い、その経緯を槍玉に挙げているらしいが、このような入国と正規の旅券を用いて入国し、観光ビザ等の正規の短期滞在査証を受けた者が期限が切れた後、当初から不法滞在が目的で姿を隠す、決して少なくない事例とどれ程の違いがあるのだろうか。
目的は同じであって、それを実現させる初期的な手段が他人を装うか装わないかの違いしかないではないか。同じ不法滞在が目的であっても、本人の名前で行うことを以ってより悪質ではないと言えるだろうか。
言えるとするなら、偽造ではない、自分名義のパスポートを使った短期滞在名目の不法滞在のススメを入管は自ら行うことになる。
1月20日(09年)の「スポニチ」が次のような記事を伝えている。
≪不法滞在17年以上も 所持金1千円…「国に帰りたい」≫
兵庫県警尼崎南署は19日、入管難民法違反(不法残留)の現行犯で韓国籍、住所不定、無職林武淳(イム・ムースン)容疑者(54)を逮捕した。林容疑者は「不況で働くところがなくなった」と同署に出頭してきた。
調べでは、林容疑者は1991年8月に観光目的で入国、約3週間の在留期間が切れた後、約17年以上も不法に滞在した疑い。
林容疑者は大阪府や兵庫県などで土木作業員として働いていたという。出頭時に所持金は約1000円だった。「日本では生活できない。国に帰りたい」と話しているという。
正真正銘の観光目的だったが、滞在期間の「3週間」の間に不法滞在へと気持が変わったとはとても思えない。
1月1日(09年)の「YOMIURI ONLINE」(記事(≪「生体認証」破り入国、韓国人女がテープで指紋変造≫)では、観光目的で来日した韓国人女性(51歳)が滞在期限後も長野市内でホステスをして働いていて07年7月中旬に摘発され強制退去処分を受け韓国に送還されたが、5年間は日本への再入国を禁じる規則を破って1年も経たない2008年4月、入国審査時に指紋照合で本人確認する生体認証(バイオ)審査をくぐり抜け再度不法入国して逮捕された事件を伝えている。
これなども明らかに正規の旅券、正規に受けたビザを利用した当初からの不法滞在目的の入国であろう。
こう見てくると、法務省の言う「悪質」の根拠が怪しくなってくる。国家試験を通った正規の医者でも、カネ儲け主義に邁進して、診療報酬は誤魔化す、過少申告して税金は誤魔化す、ベンツを乗り回して金満生活を送りながら、何ら摘発されずに済ましているといった人間がいる一方で、ニセ医者ながら、腕がよく、丁寧な診察で患者に親切で評判がいいといった医者もいる。
正規の医者の犯罪が露見せず、ニセ医者が露見した場合、「悪質」の基準は国家試験を通って医師免許を受けているかいないかが根拠となる。正規の医師免許状を待合室に掲げているか、偽造した免許状を掲げているかどうかの違いである。
法務省の判断はこれと同じようなもので、人間を表面的に見るだけの至ってあやふやな評価に過ぎない。
「asahi.com」記事が代弁している法務省の姿勢を<十数年滞在した事実はあるが、ほかの不法滞在者への影響を考えると厳格な処分で臨むべきだ>としているが、国外退去させたい犯罪者が政治家・官僚を筆頭に数多くいるにも関わらず、日本国籍を有しているというだけで日本にとどまることができている人間がゴマンといる中で、あるいは不法滞在外国人の犯罪が少なくない中で、「十数年滞在し」、何ら犯罪を犯さず、市民としての責任を果たしてきたことは、それだけで誰にも負けない立派な“履歴書”であって、そういった人道面を何ら考慮に入れずに「ほかの不法滞在者への影響を考え」て「厳格な処分で臨」んだ場合、不法滞在者を必要以上に地下に潜らせ、そのことが場合によっては犯罪世界に追い込むことにならないだろうか。
法務省や法務省の思想と連なる日本の保守主義者・国家主義者・天皇主義者たちの正義は日本人を優越的に絶対とする正義だから困る。自己を絶対とするから、他者をできる限り排除する意志を働かす。
前のブログでも書いたように、もし滞在許可を手にすることができたなら、「ほかの不法滞在者への影響」は15年も犯罪を犯さなければ特別在留資格を手に入れることもできるのだと学ぶべき励ましを与えるお手本となって、多くの不法滞在者は犯罪に手を染めまいと自らに誓い、一般市民としての勤めを果たそうと努力すると思うのだが、どんなものだろうか。
いずれにしても、夫妻は自主的国外退去ということになった。
しかし悪いことばかりではない。親と離れて日本で暮らすことになる13歳の女の子にとっては強い意志を育てるいい機会だと把えて、今後の試練に立ち向かうしかない。例え両親が不法入国という悪質な動機からの日本の生活であり、そのことによる国外退去ではあっても、15年以上も犯罪を犯さず、市民としての務めを果たしたことは強い意志を持って父を誇ることができ、自らの支えとすることができる忘れてはならない人生の通過点となるに違いない。
私自身は試練に背中を向け、逃げてばかりいたから、偉そうなことは言えないが、試練は人を強くすると言う。両親の国外退去かどうかの重大決意の場に臨んでいたせいもあるだろうが、ニュースが載せていたのり子嬢はいい顔をしていた。この表情を失わないことを願うのは私一人ではあるまい。
渡り鳥に国境を存在させたなら、渡り鳥は渡り鳥でなくなる。人権に国境を存在させたなら、人間の尊厳は特定の人間にのみ許される特権と化す。渡り鳥と同様に人権にも国境を存在させてはならない。
チベット動乱から50年を迎えた。ダライ・ラマ14世がチベットの独立ではなく、外交と国防以外はチベット人の手で行う“高度な自治”を求めているのに対して、中国はチベットに於ける中国語の公用語化やその他の制度の中国化を強権的に着々と進めている。
チベットの中国化とはチベット国土の侵略・支配を前提として可能となるチベット文化・チベット精神に対する侵略・抹殺に他ならないことは改めて言うまでもない。チベット人自身が望んで行う自発的な中国化ではなく、チベット人に強権的に言うことを聞かせて選択させる外発的な中国化――中国から見た場合の自国化だから、国土の侵略・支配なくしては実現不可能な中国化であろう。
当然のこととして、その中国化にはそれを可能とするためのチベット人に対する様々な人権抑圧が伴う。外に対して人権抑圧を行う者は内に対しても人権抑圧を行う。逆もまた真なりで、内に対して人権抑圧を行う者は外に対しても人権抑圧を行う。強権的権威主義を基本的な行動原理としているから、自分に対して都合の悪い勢力が相手の場合は内に対しても外に対しても同様の行動を取る。
中国当局の国内人権家・反体制主義者に対する人権抑圧を伴った取締まりを見れば分かる。ミャンマー軍事政権やアフリカのスーダン政府の反対派に対する人権抑圧に目をつむることができるのも、内に対しての整合性を持たせた外に対する連動的な態度であろう。
アメリカ国務省が2008年版の人権報告書で中国政府の一向に改まらない人権抑圧政策を非難している。
<【ワシントン=弟子丸幸子】米国務省は25日、諸外国での人権改善への取り組みをまとめた2008年版の人権報告書を発表し、中国について「激しい文化・宗教弾圧」が続いていると強く非難した。中国政府の取り組みは乏しく、「悪化している分野がある」と指摘。北朝鮮、イラン、ロシア、ミャンマーなどの人権問題への対応も批判した。
米国務省は例年、同報告書で中国を批判しているが、チベット自治区の弾圧問題、北京五輪における反政府活動家の厳しい取り締まりがあった08年は、例年にまして批判のトーンを強めた。中国ではプライバシーの権利、言論・集会・結社の自由について「市民が制限を受ける状況が続いている」と強調。政府当局による拷問、自白の強制、強制労働があると指摘した。
ヒラリー・クリントン米国務長官は同日、人権報告書について記者団に「人権の推進は、我々の外交政策の本質的要素だ。国務長官として、私は自分のエネルギーを人権に注ぎ続ける」と語った。(18:11) >(≪「激しい弾圧」続く 米の人権報告書、中国を強く批判≫日経ネット/09.2.26)
中国当局がこのような人権抑圧体質を専らの生地としているから、ダライ・ラマ14世によって「中国は人口、軍事力、経済力で超大国の条件を満たしているが、世界の尊敬と信頼が足りない」(「YOMIURI ONLINE」)と批判されることになる。尤も中国には痛くも痒くもない批判だろうが。
だが、アメリカ国務省人権報告書に対しては痛くも痒くもないというわけにはいかないどころか、敏感に反応している。9月27日の「サーチナニュース」≪「中国で人権悪化」米国務省報告書に人民日報が猛反発≫が次のように伝えている。
<米国務省が人権状況に関する年次報告書で中国を非難したことを受け、中国共産党機関紙「人民日報」は、27日付で猛反発した。
「人民日報」によると、米国発表の報告書は「中国を含む190以上の国と地域を非難しておきながら、自国の惨憺(さんたん)たる人権状況には全く触れていない」など、一方的な内容だ。
一方、中国政府は26日、「2008年米国の人権記録」と題する報告書を発表。米国の暴力犯罪、特に銃を使った犯罪の多発や、女性や子供の人権が守られていないことなどを、詳細なデータを使って説明した。
「人民日報」は自国の報告書を引用し、「米国は少年に終身判決を下すことができる唯一の国」、「5・8分に1回レイプ事件が発生」などの記事を配信。中国が報告書を発表した目的を「世界の人々に米国における人権の現実を知らしめ、米国に自国の不当な行為への反省を促すため」と主張した。(編集担当:吉田庸子)>――
だが中国側がアメリカの国家体制に矛盾が存在するからとどう反発したとしても、アメリカと違って基本的人権の自由を基盤として国民を統治するのではなく、その自由を認めない方法で統治している点は差引きゼロにはできない重要な問題であろう。
全体的には国家権力自体が強権を以ってして行っている基本的人権の抑圧かどうかの違いが米中間に横たわっているとういうことである。
中国の対チベット姿勢に向けたアメリカの批判に関しても、「粗暴な内政干渉」だと批判していると3月12日の「msn産経」記事が伝えている。
<中国外務省の馬朝旭報道局長は11日、米政府が中国のチベット問題でチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世側との対話を通じての問題解決を求めたことについて「粗暴な内政干渉」と批判、米側に厳正な申し入れを行ったとの談話を発表した。
局長はダライ・ラマ側との対話が進展するかどうかは、ダライ・ラマ自身が反省し、チベット独立のもくろみを放棄するかどうかにかかっていると強調。米側に対して「チベット問題を利用しての内政干渉を停止し、中米関係の大局を傷つけない」よう求めた。(共同)>(≪「内政干渉」と米に抗議 中国、チベット問題で≫
中国政府はチベット動乱のキッカケとなった中国のチベット侵略と支配を<中華人民共和国政府は、中国の侵攻以前のチベットは「9割が農奴」で占められていて、中国が農奴解放を行ったと主張>(「Wikipedia」)することで正当化し、その歴史化のためだろう、1月19日(09年)に<中国政府が1959年に「チベット動乱」を制圧し、同地域の統治権確立を宣言した3月28日を「農奴解放記念日」とする議案を採択>したと1月30日(09年)の「msn産経」(≪弾圧強化と中国非難 チベット亡命政府≫が伝えている。
同記事は<弾圧強化の背景には、「解放」されたとは感じていないチベット民族の反発を封じる意図などがあるとみられる。>と解説している。
中国側の「農奴解放」の正当づけに対して<亡命政府のペマ・ギャルポは、チベットの大半は「農奴制」が可能な土地ではなく、大半が遊牧生活を行っていた。>(「Wikipedia」と主張しているとのことだが、例え中国側が主張する「9割が農奴」が正真正銘の事実だったとしても、チベットの「国内問題」だったはずで、ミャンマーやその他の国の人権抑圧も「国内問題」だ、「内政干渉」だと外国が関わることに反対しておきながら、自らはチベットの「農奴」という「国内問題」に干渉する矛盾を犯したのである。
「国内問題」を理由とした「内政不干渉」の原則をチベットに対して軍事力を用いた侵略と支配で初期的に破っておきながら、チベットを自国の所有物としてから「国内問題」とするのはご都合主義に過ぎる。
このご都合主義な遣り方である中国がチベットに行った侵略とその正当化の口実に倣うなら、ミャンマー軍事政権下の国民に対する国家権力による人権抑圧政策をミャンマーの国内問題だから外国がとやかく言うのは内政干渉だとしているが、外国がミャンマー国民を自由の抑圧から解放するためを大義名分にミャンマーを侵略・支配した後、中国等の批判に対して、「国内問題だ」と正当化づけることも許されることになる。
昨年8月にグルジアの南オセチア自治州とアブハジア自治共和国に対してロシアが独立を承認、だがロシアも加盟している上海協力機構は中国を始めとしてロシアの独立支持要請に応じなかった。
南オセチア自治州とアブハジア自治共和国のグルジアからの分離・独立が中国のチベットやウイグル自治区の分離・独立に跳ね返ることを恐れたロシアの支持要請に対する回避態度だと見られていたが、自国のものだとしている領土の分離・独立に反対するなら、そのことに連動させて文化の分離・独立にも反対すべきだが、チベットの文化・精神をチベットから中国に向けて分離・独立させる別の矛盾まで犯している。
ダライ・ラマ14世がチベット領土の中国領土からの分離・独立を求めず、ただ単に、外交と国防以外はチベット人の手で行う“高度な自治”を求めているに過ぎないにも関わらず、強権的な身体的・物理的弾圧と基本的人権の抑圧を以ってして領土と文化の分離・独立を阻み、中国化を果たそうとしている。
中国は昨年北京オリンピックを開催したが、第29回夏季オリンピックの候補地として立候補した際、「中国は、五輪開催が人権状況の改善を含む社会的な進歩につながると主張していた」(「YOMIURI ONLINE」)と国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長が証言している。
いわば国際オリンピック委員会(IOC)は北京開催決定に中国が自ら申し出た「人権状況の改善」を決定要因の一つとしたということであろう。
だが、聖火リレーやチベット問題で人権問題が浮上すると、ロゲ会長は「その道義上の約束を中国が尊重してくれることを求める」(同「YOMIURI ONLINE」)と開催前から要求しなければならなかった。
言ってみれば、「人権状況の改善」を貢物として差出して開催をお願いし、その貢物が受け容れられて開催に漕ぎつけたといったところなのだろう。その上で昨年8月の開催を経て、開催後現在に至っても中国の「人権状況の改善」は見られず、改善させるとした「道義上の約束」を尊重もせず、果たしもしなかった。貢物は口で言っただけで、心まで込めてはいなかった。
「米国民の7割、『北京で五輪開催の判断は間違い』」(ロイター記事見出し)と見ていたことは間違いなかったわけである。
2008年04月9日の「ロイター」は次のように伝えている。
<[ワシントン 8日 ロイター]米調査機関ゾグビーが行った世論調査で、米国の有権者の70%が中国での五輪開催の決定は間違いだったと考えていることが分かった。ただ、北京五輪のボイコットが中国の人権問題解決につながらないと考えている人も同数だった。
調査は今月4─7日の期間にインターネットを通じて計7121人を対象に実施。米国が中国の人権問題を理由に北京五輪の開会式をボイコットすべきとの回答は全体の48%、開会式に参加すべきとの回答は33%だった。
また、回答者の31%は米国オリンピック委員会(USOC)が北京五輪そのものをボイコットすべきとしており、23%が中国の人権問題に抗議するためブッシュ米大統領は同五輪不参加を決めるべきだとしている。
米大統領選の民主党指名を狙うヒラリー・クリントン上院議員は7日、ブッシュ大統領に対し、中国の人権状況が改善しない限り8月の北京五輪開会式を欠席するよう要請。一方、胡錦濤国家主席から開会式に招待されているブッシュ大統領は、中国の人権問題に対する米国の懸念は中国側に直接伝えることができるとして、開会式欠席への提言を退けている。
2007年5月に行われた調査では、2008年夏季五輪の開催地を北京と決定した国際オリンピック委員会(IOC)の判断を44%が支持しており、否定的な見方をしていたのは38%だった。今回の調査結果は、チベット自治区で起きた騒乱の影響を色濃く反映している。
ただ、北京五輪ボイコットの効果については、今回の調査でも疑問視する声が大半。「世界の指導者たちのスタンドプレーとしてそれぞれの国内での政治に役立つかもしれないが、中国の指導者に国民への姿勢を変えさせる効果は期待できない」という意見が全体の70%だった。
また回答者の71%は、米国が中国から大量の物品を輸入しており外交関係も緊密である以上、北京五輪への不参加は言行不一致だとしている。
北京五輪の報道に関しては、中国の悪い面を強調した報道を中国政府が阻止すると考えている回答者は全体の94%に上った。中国にとってネガティブな内容を伝えた報道機関に中国政府が制裁を加えると考える人は78%だった。>(≪米国民の7割、「北京で五輪開催の判断は間違い」=調査≫)
中国側の「道義上の約束」違反はオリンピック憲章に反する重大行為に当たる。誰もが軽い違反に過ぎないと言うことはできないに違いない。そうであるなら、国際オリンピック委員会は北京オリンピックは終了しましたで片付けることができるのだろうか。ドーピング違反を犯した選手に対しては、そのことがレース終了後に判明した違反であっても、その選手がメダルを獲得していた場合、メダルを剥奪し、違反に応じた出場停止処分、あるいは永久追放といったを処分を下す。
メダルを獲得していなくても、記録を抹消の上、何年かの出場停止処分を科する。
個人に対しての違反行為には処罰を行うが、国に対しては行わないのは卑劣なダブルスタンダード以外の何ものでもあるまい。
オリンピック憲章でも『根本原則』で次のように定めている。「オリンピズムの目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することを視野に入れ、あらゆる場で調和のとれた人間の発達にスポーツを役立てることにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独又は他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に携わる。」
「人間の尊厳」は基本的人権の保障なくして成り立ち得ない。裏返して言うと、基本的人権の保障のない社会では「人間の尊厳」を自らのものとすることはできない。
オリンピック憲章は「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励する」と規定することを通して基本的人権の確立を謳ったのである。
まさにチベットやミャンマーでは「人間の尊厳」を蔑ろにする人権の抑圧が起きている。中国でも人権の自由を叫ぶ活動家たちや中国当局の権行為に異を唱える国民の間に起こっている。
当然のこととして、基本的人権を抑圧する社会はオリンピック憲章が目指す「平和な社会」とは相容れない。国際オリンピック委員会が中国側の「道義上の約束」違反行為に口を噤むのはオリンピック憲章を自ら有名無実化する怠慢な自己矛盾に当たるというだけではなく、中国の人権抑圧に間接的に加担する行為であろう。
オリンピックに参加する国々の人権抑圧政策に警告を与え、それらの国民の「人間の尊厳」の確立に力を貸すためにも、今後ともあることとして、国際オリンピック委員会は中国の北京オリンピック開催に向けた「人権状況の改善」という「道義上の約束」不履行に対して、「第29回夏季オリンピック北京開催」という記録をオリンピック記録から抹消する懲罰を与えるべきではないだろうか。
当然選手の記録まで抹消するのかという整合性が問われることになるが、人権擁護の立場に立つ選手は消えた記録として記録されることに満足して、開催記録の抹消に協力すべきだろう。
少なくとも希望としては世界の世論に影響を与える発言を可能とする人間が自分の提案として主張するだけでも中国に対する牽制となるのではないだろうか。
人種・民族・性別・職業に関係なしに基本的人権の自由は世界中すべての人間に認められなければならない人間にとっての基本的、且つ本質的な権利であって、世界中のすべての人間に認められるためには基本的人権に国境は設けてはならないことになる。渡り鳥に国境は存在しないと同様に人権にも存在しないとしなければならない。
当然のこととして国境のない問題に内政干渉の問題は存在しない。「人権に国境は存在しない。ゆえに人権に内政干渉は存在しない」が合言葉とならなければならない。合言葉としならなければならない。