鳩山首相に求められているのは言葉への責任を要件とする強力な指導力ではないのか

2010-05-31 06:33:41 | Weblog

 民主党の黄門様こと渡部元衆議院副議長が29日のTBSの番組「時事放談」で鳩山首相の自発的辞任に期待したという。

 《民主・渡部氏、参院選前の首相辞任望む》TBS/10年5月29日17:24) (動画から)

 ――鳩山政権は辞めなくてよいのかどうか?

 渡部「辛いですねえ。本人がやると言っている以上、支える側になんなくちゃなんないんだけど、ま、彼が、この国の未来・将来、国民のために決断してくれることを願っています」

 《退陣公然化にも首相あくまで強気》msn産経/2010.5.29 23:41)が渡部氏の収録後の記者団に語った発言を取り上げている。記者というのは出演した政治家の発言次第で有難いネタになるからなのか、テレビの収録が終えるのを待ち構えているようだ。 

 渡部「政治家・鳩山由紀夫が後の世の歴史に残る判断をしてくれることを神様に祈るような気持ちだ」

 神様次第と言うことか。

 29日夜、福島県会津若松市での会合。党内から公然と退陣論をぶち上げたのだから、当分はマスコミに追いかけられる羽目に立たされたということか。首相が参院選で敗北した場合は退陣は不可避として――

 渡部「(後継は)菅直人副総理兼財務相、前原誠司国土交通相、岡田克也外相のうちの1人であることは間違いない」

 民主党が政権を取った途端にどれも代わり映えがしなくなった面々に見える。
 
 記事は党首が罷免された社民党の又市征治副党首の同29日、宮崎市内での講演発言も伝えている。例のツバを飛ばすような言い方で言ったに違いない。

 又市「鳩山内閣はつぶれる。一昨日から民主党の中から鳩山降ろしがとうとう始まった。・・・・政治家は計算が速い。参院選で敗北して退陣するなら今のうちに退陣してもらった方がボロ負けしないですむとの動きが起きるのは当たり前だ」

 対して鳩山首相は訪問先の韓国・済州島で同行記者団に対して――

 鳩山首相「党内にさまざまな声があることは理解しているが、そうした人たちにも理解が得られるよう努力したい。これが私の責任だ」――

 この鳩山発言は「asahi.com」記事――《参院選前の内閣改造「発想持ち合わせてない」 鳩山首相》(2010年5月29日23時24分)では次のようになっている。

 鳩山「党内に様々な声があるが、自分自身のとった行動に理解を願えるよう努力していく。それが私は今の立場での責任を果たすやり方だと思う」

 退陣要求は、もう職務を全うすべきではない、全うするだけの能力・指導力を失っている、あるいは能力・指導力を発揮できていないという状況の提示でもあるのだから、その提示が的を得ていた場合、鳩山首相がいくら「自分自身のとった行動に理解を願えるよう努力し」たとしても、ムダな抵抗となる。

 提示が的を得ていない場合に限って、“理解努力”は可能となる。いわば周囲の能力・指導力を失った、発揮的できていないという指摘に反して、鳩山首相が内閣を率いて政権運営を維持できる能力・指導力を十分に備えていた場合に限ってということである。

 だが、「自分自身のとった行動に理解を願えるよう努力」が何ら実効性ないことを既に何度も証明している。「沖縄の皆様方のご理解」を得ると言って沖縄を訪問して、辺野古と決めた「自分自身のとった行動に理解を願えるよう努力」したものの、理解を得るだけの効果を何ら見い出すことができなかったし、訓練の一部徳之島移転と決めた「自分自身のとった行動に理解を願えるよう努力」するために首相官邸に徳之島3町長を招いて会談、しかしその「ご理解」の「努力」は実を結ばなかった。

 辺野古移設に反対する連立政権を組んでいる社民党の福島党首に対して、辺野古移設と決めた「自分自身のとった行動に理解を願えるよう努力」したが、移設に関わる政府の対処方針の全閣僚の署名を経た閣議決定の場面で署名を拒否され、その結末としての罷免は首相の「自分自身のとった行動に理解を願えるよう努力」が何ら実を結ばなかったことの何よりの証拠であろう。

 大体が「国外、最低でも県外」の「自分自身のとった行動に理解を願えるよう努力」をそもそものからして自分から放棄していることから見ても、「自分自身のとった行動に理解を願えるよう努力」に関しては鳩山首相は自分から自分を既に“オオカミ首相”としているのであって、もはや頭から信用できない「自分自身のとった行動に理解を願えるよう努力していく。それが私は今の立場での責任を果たすやり方だと思う」なのである。

 上記「msn産経」記事の渡部氏の鳩山首相早期退陣の“神様への祈り”は「NHK」記事――《渡部氏 首相は辞任が望ましい》10年5月29日17時11分)では次のようになっている。

 渡部「世論調査では、8割以上の人が『鳩山総理大臣のことは信頼できない』と言っている。鳩山総理大臣が歴史に残るような判断をしてくれることを神様に祈るような気持ちで願っている」

 この際、福島瑞穂の罷免に関して次のように発言している。

 渡部「福島氏は、閣僚が内閣の方針と異なる行動を行うときには事前に辞表を出すという政治のイロハのルールを無視したのであり、罷免は正しい判断だ。ただ、社民党とは普天間基地の問題だけで連立政権を組んだわけではなく、格差の是正など、今後もいっしょにやっていけるならやっていきたい」――

 もし渡部恒三のこの“政治イロハルール”が正しい発言であるなら、内閣が国民が期待した「方針と異なる行動を行」った場合は、各閣僚の辞任に相当する総辞職を行い、内閣総理大臣は内閣を率いている責任者として自らの退陣を選択が“政治イロハルール”と言うことができる。

 各マスコミが最新の世論調査を今日、次々と報道しているが、内閣支持率が20%を切って、17%だ、19%だと鳩山首相がこれまで取ってきた行動に対する国民の“理解”が示しているように、鳩山首相は国民が期待した「方針と異なる行動を行」っているのである。

 渡部恒三の“政治イロハルール”からしたら、退陣の答しか残されていないことになる。

 渡部氏の「世論調査では、8割以上の人が『鳩山総理大臣のことは信頼できない』と言っている」の発言は、国民は言動不一致を含めて、もはや鳩山首相の言葉が信用できない、言葉の信頼性を失っていると見ているとした上で、渡部氏自身も同じ評価で受け止めていること示唆した発言であろう。

 福島社民党党首は鳩山首相の彼女に対する罷免措置を受けて28日に記者会見を開き、言葉の信頼性について発言している。(動画から、全発言参考引用)

 《罷免をうけ福島消費者相が会見 ノーカット》日テレNEWS24/2010年5月28日 21:31)

 福島「エー、どうもお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。エー、連立政権の中で、エー、大臣として、多くの人々と、頑張ってきました。労働者派遣法の改正、エ、消費者問題、エ、消費者施策、自殺対策、子ども政策、男女共同参画などです。

 しかし、社民党は、私は沖縄を裏切ることはできません。数々の犠牲を払ってきた沖縄の人たちに、これ以上の負担を、押し付けることに、加担するわけにはいきません。だから、署名をしませんでした。

 12月3日、私は、この内閣が辺野古に基地を造るという、エー、決意をした場合、社民党としても、私としても、重大な決意をしなければならない思います、というふうに述べました。まさにこの内閣が日米共同声明の中で、エー、辺野古、沖縄ということを書き込み、また、閣議決定の文案でも、エー、はっきり、そのことを書き込んでいる、という状況の中でエー、そのことに、エー、署名することは、あの、できません。

 エ、辺野古に基地を造らせない。それを沖縄の人たち、国民のみなさんに、約束をしてまいりました。私は言葉に責任を持つ政治家をやっていきたいと思います。だから、その言葉に従って、サインをしませんでした。

 この問題には三つの大義の問題があると考えています。エ、沖縄の人と日本国民との連帯です。沖縄の人たちはもうこれ以上基地を新たに造らないで欲しいと、異議申し立てをしております。その沖縄の人たちの異議申し立てに国民はしっかり応えるべきです。辺野古に基地を造るというのは、この連帯を踏みにじるもので、沖縄の人たちの異議申し立てを踏みにじるものだと思います。

 二つ目の大義、これは、国民のみなさんと日本政府との間の信頼関係です。「国外、最低でも県外」、辺野古には造らせない、という約束を、エー、色んな形でしてきたのであれば、そのことに実現すべきなのです。その国民や沖縄の人たちに対する約束を反故にするのであれば、それは日本政府と、国民との間の信頼関係は破壊をされます。

 三点目の大義は、日米関係です。沖縄の人たちの同意なくして、今回日米共同声明はつくられました。そのことは日本政府も、エ、アメリカ政府も、熟知しているわけであります。地元の人たちの賛成なく、反対の中で、強行することは、日米関係も、破壊すると思っています。

 三つ、第一に沖縄の人と、国民の連帯。二つ目、日本政府と国民との信頼関係。三点、日米関係の信頼関係。これが大事な大義です。これを今回の日米共同声明は、そして閣議決定は、踏みにじるものだと思います。

 エー、先程、エー、言葉に、エー、ちょっとごめんなさい。鳩山総理は辺野古の、海を埋め立てるのは『自然への冒涜』だ、とおっしゃいました。その思いで、この内閣は頑張ってきたはずです。社民党も、私も、全く変わっておりません。私を罷免することは、沖縄の、沖縄を切り捨てることでございます。私を罷免することは、沖縄を切り捨てることです。私を罷免することは、国民を裏切る、ということでございます。

 先程、言葉に責任を持つ政治家をやらなければならない、というふうに思いました。エー、そのことは鳩山総理にも本日しっかりと申し上げました。エー、社民党は、そのしっかり言葉に責任を持つ政治をやらなければ、存在意義はありません。エ、そして、そうでなければ日本の政治を切り拓いていけない、というふうに思っております。

 私たちは、社民党は、私は、国民のみなさんに、沖縄の人たちに約束した政治をしっかり、これからもやって参ります。新しい時代を、むしろ、切り開いていきたいと思っております。今後沖縄問題の真の解決のために、沖縄の人々、国民、そして、世界中の人たちと手を結び、渾身の力を込めて、問題解決のために、これからも邁進をしてまいります。以上」――

 安全保障政策の違いは横に置いておくとして、少なくとも当初示唆していた連立離脱を異論を押さえて、その方向に党を纏め上げるだけの指導力を発揮した。発揮し得たことによって、自らの行動、自らの言葉に終始一貫性を与えることができた。

 「自分自身のとった行動に理解」を得ることができるもできないも、問われるのは常に指導力であり、指導力は言葉に対する責任を要件とする。言葉に責任を持ってこそ、自らの言葉への終始一貫性が保証可能となり、そのことが指導力へと結びついていく。

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再度、進言する 沖縄は独立せよ

2010-05-30 06:23:22 | Weblog


  まあ、届きはしない進言ではあるが。

 2007年4月28日に一度当ブログで誰にも届かない独立を進言している。《集団自決「軍強制」を修正検定》――副題《沖縄は日本から独立せよ》(2007-04-28 09:48:26)

 琉球王国は足利義教が室町幕府六代将軍に就いた1429年に樹立。中国・明に入貢し、明に対して臣属関係にあったが、歴(れっき)とした独立国家であった。上記ブログエントリーにもほぼ同じことを書いているが、1609年、徳川幕府の許可を受けた薩摩軍の侵攻によって、その支配を受けることになり、明治維新後、明治政府は段階的に“琉球処分”に動く。以下、「日本史広辞典」(山川出版社)から引用。

 【琉球処分】〈明治政府による琉球国の日本国への併合に至る一連の措置。処分の経過は三つの段階に区分される。1872~74年(明治5~7)の第一段階では琉球王国を琉球藩に、国王を藩王と改称し、外務省の管轄下に置き、日本軍の台湾出兵を契機に外務省から内務省へ移管。75年~79年の第二段階では、冊封進貢関係廃止、明治年号の使用などを命じ、裁判権の接収を強行。79年3月~81年3月の第三段階ででは、廃藩置県を宣言して併合を完了したが、琉球及び清国側の抵抗にあい、全米国大統領グラントの調停を契機に琉球分割条約を結ぶものの、琉球人の抵抗などにより廃案となり、以後併合の事実を積み重ねる。〉――

 【冊封】(さくほう)〈冊書(命令書)・称号を与え、国王(琉球に対しては「藩王」)に封じること。〉
 【進貢】(しんこう)〈貢物を捧げること。〉

 1879年(明治12)の廃藩置県の宣言とは軍隊・警察官を動員して、沖縄県の設置を命じたことを言い、王国の解体、その歴史を閉じせしめている。

 いわば、日本は1910年に韓国を併合したように明治政府によって琉球は併合された。

 日本による琉球併合の歴史にアメリカが関わっていたとは初めて知ったが、米軍を相手とした沖縄戦、アメリカ統治、そして現在もアメリカの軍基地が深く関わっているが、琉球・沖縄の歴史に日本を介してアメリカが一本の棒のように突き刺さっているのはどのような歴史の因縁からだろうか。

 韓国は日本の敗戦によってその併合を解き、アメリカ・ソ連の朝鮮分割占領を経て、韓国、北朝鮮共に1948年に独立している。

 沖縄もそろそろ日本の併合を解くときが来たのではないだろうか。薩摩藩支配の搾取と明治政府以降から戦後にかけての沖縄差別を米軍基地の過剰な負担という形で今以て引き継いでいる。“うちなんちゅう”の「国外、最低でも県外」の裏切りは併合を解き、独立を目指すいいキッカケとなるのではないだろうか。

 かつて存在しないわけではなかった琉球独立運動である。「Wikipedia」が琉球独立運動について書いている。(ほぼそっくり参考引用)
 
 琉球独立運動

琉球独立運動は、1879年の琉球処分以降に始まった運動で、琉球王国の再興、または琉球民族による国家の独立を求める運動。沖縄独立運動(おきなわどくりつうんどう)ともいう。

明治時代
1879年の琉球処分で琉球王国は消滅し、沖縄県が新たに設置された。これに不満を持つ旧支配層の一部には、旧宗主国の清国に亡命して清政府に「琉球王国の再興」を働きかける者まで現れた。このように清に脱出し、琉球王国の再興に奔走した人士を「脱清人」という。県内でも、琉球王国の再興を求める「頑固党」とそれに反対する「開化党」の対立が続いた。

しかし1894年に始まった日清戦争で清が敗北したことで、琉球王国の再興は絶望的な状況となった。頑固党もこれを期に急速に衰えることになった。

また日本の主権は認めるものの、尚家による統治を求める公同会運動も起きたが、これも日本政府に却下され、終息に向かった。

これ以降、組織的な独立運動は絶えることになった。

アメリカ統治下
1945年の太平洋戦争終結後、日本を占領したアメリカは、旧琉球王国領である沖縄県及び鹿児島県奄美群島を日本より分割、信託統治領として軍政下に置いた。これはかつて琉球王国があった1854年に、那覇を訪れたペリー提督の艦隊により琉米修好条約を締結した歴史を持つアメリカ側が、日本と琉球は本来異なる国家、民族であるという認識を持っていたことが主な理由だった。また、この割譲はアメリカにとって「帝国主義の圧政下にあった少数民族の解放」という、自由民主思想のプロパガンダ的意味もあった。ファシズムに勝利したという第二次世界大戦直後の国内の自由と民主主義への期待と高揚から、統治当初は、アメリカ主導での将来的な琉球国独立の構想が検討されてもいた。

占領国アメリカがこの認識を持って日本領を分割したことは、日本(琉球)側にも大きな影響を与えることとなり、自らを琉球民族と定義する人々のナショナリズムを刺激し、琉球独立運動の動機となった。

そうした時代背景から誕生した琉球独立運動では、日琉同祖論に倣い琉球民族が日本民族の傍系であるとは認めつつも、琉球民族は歴史的に独自の発展を遂げて独立した民族になったと主張し、明治時代より強引に同化政策を施されはしたが、日本の敗戦により再び琉球人になり、アメリカ信託統治を経て独立国家になるだろう、と予測した。本土では、戦後沖縄人連盟などが結成され、一部の連盟加盟者から独立への主張もなされていた。また、戦後日本共産党(沖縄民族の独立を祝うメッセージ)や日本社会党は琉球民族が大日本帝国に抑圧されていたと規定し、表面上、沖縄独立支持を表明した。

一方、米軍統治下の旧琉球王国領では、米影響下からの独立を企図して、非合法組織ではあるが、奄美共産党(奄美大島社会民主党)、次いで沖縄共産党(合法組織として沖縄人民党)が結成された。奄美共産党の初期目標には「奄美人民共和国」の建国が掲げられていた。

しかし、住民の多くは日本への復帰を望んでいたため、その後、これらの政党は独立から復帰へと活動目標が変更された。奄美共産党は、奄美群島での日本復帰運動の中心的役割を果たしている。沖縄・奄美の両共産党は、それぞれの地域の日本復帰後に日本共産党に合流した。

戦後初期の独立論は、米軍を「解放軍」と捉える風潮が広がったことと密接に絡んでいた。ところが1950年代以降になると、冷戦を背景にアメリカ国内で沖縄の戦略上の価値が認識され、アメリカの沖縄統治の性格は軍事拠点の維持優先へと偏重していった。米軍政下の厳しい言論統制や度重なる強圧的な軍用地接収、琉球人への米兵の加害行為の頻発により「米軍=解放軍」の考えは幻想だったという認識が県民の間に広まり、一転して「平和憲法下の日本への復帰」への期待が高まる。こうした流れの中で、独立論は本土復帰運動の中に飲み込まれていった。

いったん沈静化した独立論は、1972年の沖縄返還が近づくにつれ、「反復帰論」として再び盛り上がりを見せる。背景には、復帰交渉において日本政府が在沖米軍基地の現状について米軍の要求をほぼ丸飲みし続け、沖縄県民が期待した「本土並み復帰」が果たされないことが明確になったことから、日本政府への不信感が高まったことがある。さらに1979年が明治政府の琉球処分から100年目にあたることもあり、「琉球文化の独自性を見直そう」といった集会が沖縄各地で活発に開かれた。

1977年には、当時の平良幸市知事が年頭記者会見で「沖縄の文化に対する認識を新たにしよう」と、反復帰論を意識した提唱を行った。

しかし、1970年代の独立論は政治運動化せず、文化復興運動として落ち着いた。

現状
独立を指向する言論の中には、1972年の復帰時にも米軍基地の多くが返還されぬまま残されたため、日本政府に対して「本土並み」を期待した沖縄県民の落胆は大きいとし、米軍基地の返還交渉を自由に行なうための主権獲得が、独立のメリットとする主張もある。1995年に、沖縄県で米軍基地に対する反対運動が起こったときなどに、琉球独立論が取り上げられた。

2007年に、琉球大学法文学部准教授の林泉忠(イギリス籍在日香港人)が、沖縄県民意識調査を実施(電話帳から無作為抽出して電話をかける方法で、18歳以上の沖縄県民を対象に実施、1201人から有効回答を得た。2005年度より毎年実施。なお、対象者が沖縄県出身者か否かは問われない)。結果、沖縄県民の内、自らが「日本人ではなく沖縄人である」と答えた人は41.6%(2005年度40.6%)、「沖縄が独立すべきだ」と答えた人は20.6%(2005年度24.9%)であったとされる(琉球新報2007年11月29日報道)。

なお、このような内容の調査(自らの住む都道府県の独立への希望、および都道府県民への帰属意識が国への帰属意識を上回るか)が沖縄以外の都道府県民に対して行われたことはないため、この調査とその内容が示した数字の大小、意味合いを、他の都道府県の調査と比較して評価することは困難である。

また、沖縄県外には200万人以上の沖縄・奄美関係者(婚姻相手及び子孫)が居住し、沖縄・奄美には10万人弱の沖縄県以外の出身者が居住している。

将来への展望
現在全国的に導入が論議されている道州制と結びつけ、沖縄県を単独の道州とすることで大幅な自治権を獲得する案も議論されている。内閣総理大臣の諮問機関である地方制度調査会が2006年に発表した答申[1]に示された道州制区割り案では、いずれも沖縄を単独の道州としている。また民主党は「一国二制度」論を掲げ、沖縄県を地方分権のモデルとして、より強力に自治権と経済的競争力を強化することを提案している。ただし、そのことが独立論に直接に結びつく訳ではない。

現在、琉球独立運動は一般の沖縄県民の支持を得るに至っていない。2006年の沖縄県知事選挙では琉球独立党(現・かりゆしクラブ)党首の屋良朝助が党公認で出馬したが、得票数6220票、得票率0.93%で落選している。これは琉球独立運動家による主張の実現可能性が低いことも関係している。たとえば、琉球独立の支持者や賛同する市民団体の中には、琉球共和国及び地域の名称として沖縄特別自治省、元首(首長)の役職として沖縄省主席を主張している。もちろん、これらが実現不可能であると断ずることはできないが、決して実現可能性が高いとは受け止められていない。かつて川満信一が発表した「琉球共和社会憲法C私(試)案」[2]では、「軍備の廃止」のみならず、「司法機関(警察・検察・裁判所)の廃止」「私有財産の否定」「情報の統制」「商行為の禁止」も謳うなど、理念先行という印象を与え、現実を見据えた自立(独立)に向けた政策の研究が見られないことも独立論の実現可能性に疑問符がつく原因となっている。

 なお「Wikipedia」記事中にある2007年実施の琉球大学法文学部准教授林泉忠の沖縄県民意識調査を伝えた琉球新報記事を全文参考引用してみる。
 
 《政府の施策、68%「不満」 沖縄アイデンティティ調査07》琉球新報/2007年11月29日)
10(上から)沖縄住民のアイデンティティの基本構造、「沖縄独立」の是非をめぐる沖縄住民の見方、日本政府の沖縄に対する姿勢、政府の沖縄施策に満足しているか

 今の政府の沖縄施策に68・3%が不満―。琉球大の林泉忠(リム・チュンアンティオン)准教授らが実施した「沖縄住民のアイデンティティ調査2007」では日本に対する沖縄の意識や思いが浮き彫りになった。41・6%が「沖縄人」だとの意識で、日本との差異を意識して依然として20・6%が独立志向。だがその一方で林准教授は若者の「日本志向」を指摘し「いくら反発はしても日本の枠組みは離れない」と分析している。

 調査は3年連続で今年が最終年。3、4日に電話で実施。2000人のうち1201人から回答を得た。

 日本政府の対沖縄姿勢への意識は「どちらかというと」を含めると「友好的」と見ているのが22%にとどまり、「友好的ではない」が54・7%に上った。沖縄施策への満足度は「どちらかというと」を含めると68・3%が満足しておらず、「満足」は17・9%だった。

 帰属意識の設問では「沖縄人」が41・6%、「日本人」が25・5%、「沖縄人で日本人」が29・7%だった。林准教授は過去2年の調査も踏まえて「時には沖縄人と日本人の間に葛藤(かっとう)する姿も見られるが、沖縄人はあくまで日本人という枠組みの中で存在することで安心感を覚えているようだ」と分析した。

 沖縄独立の是非をめぐっては独立に否定的な人は64・7%に上るが、一方で20・6%が独立を支持している。否定派は経済的理由を最大理由に挙げ、独立派は「政治的・経済・社会的、歴史的経験が本土と違う」ことを挙げた。

 今回の普天間基地「国外、最低でも県外」の反故、裏切りによる県内回帰が沖縄人の“うちなんちゅう”に対する反撥を激しく誘導、日本政府の対沖縄姿勢の「友好的でない」54・7%を押し上げ、このことと関連して、独立に否定的な64・7%と独立支持の20・6%を相互に反転方向に針を動かす意識の移動を生じせしめるに違いない。

 まさしく独立への動きをスタートさせるにいいキッカケではないか。

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鳩山首相の沖縄県民の民意が頭になかった「米大統領も感謝していた」の自画自賛

2010-05-29 09:45:30 | Weblog

 民主党は参院選勝利に向けて鳩山首相を“罷免”しよう!!

 普天間基地の辺野古周辺部移設の日米共同声明発表を前に鳩山首相は成果を誇りたかったからなのか、昨28日朝、アメリカのオバマ大統領と電話会談している。《移設問題 日米首脳が電話会談》NHK/10年5月28日 9時3分)

 電話時間は20分。よく20分も持ったと思うが、多分、オバマ大統領が、「Can I trust You ?」と聞いたのに対して、鳩山首相がいつもの如く自信たっぷりに、「Trusut me !」と答え、対してオバマ大統領が、「It' True ? Can I trust You ?」と再度聞く。そのキャッチボールが20分のうちの後半10分間続き、最後にオバマ大統領が、「Ok , I trust You」と締めくくって双方共に受話器を置いたといったところではないだろうか。

 鳩山首相は電話会談後、記者団に話している。記事動画から――

 鳩山首相「オバマ、大統領とは、先ず、日米関係を、さらに深化させようと。その意味でも、普天間問題、に関して、エー、この5月末ということで、エ、結論を、エ、出したと。日米、プラス・ツーで合意できた、ということを、先方も大変、感謝しておりました」

 事実「感謝しておりました」かどうかは、鳩山首相とオバマ大統領のみぞ知るところだが、相手が実際に感謝した場合、その感謝を当然のこととして受け取ったから、記者団に「先方も大変、感謝しておりました」と披露することができたのだろう。

 もしオバマ大統領が感謝の言葉など述べずに事務的に片付けただけだったとしたら、鳩山首相自身の方で感謝を受けて当然のことをしたという自負から、オバマ大統領の感謝を演出したと勘繰ることもできる。

 感謝したことは事実だとしても、今後のスムーズな進展を考えて、持ち上げる意味からの感謝ということもある。アメリカ側のほぼ思い通りになった“合意”であることを考えると、感謝の安売りにオバマ大統領としても惜しまなかったということもある。

 どちらにしても、鳩山首相は日米合意という成果を相手方の感謝という言葉で評価した。

 しかし鳩山首相が記者団に「先方も大変、感謝しておりました」と披露したとき、沖縄の民意、沖縄への気遣いが首相の頭に毛程も思い浮かべていなかったとは確実に言える。日米合意のみに目を向け、そのことだけで頭が一杯になっていた。

 自らが公言していた「国外、最低でも県外」を実現する指導力を発揮できずに沖縄の期待を裏切った経緯からして、沖縄の民意、沖縄への気遣いが頭に少しでもあったなら、記者団に「先方も大変、感謝しておりました」などと、日米合意だけを成果とする発言を口にすることはできなかったはずである。

 少なくとも現時点では今回の日米合意が沖縄側からしたら、沖縄の不同意と対立関係を成しているからに他ならない。

 いわば、現時点での沖縄の不同意という民意とのバランスを考えたなら、また自らが「5月末決着」とした地元、連立内閣、日米の三者合意のうち、日米一者のみの不安全な合意となっている以上、その不完全な成果に対応した控え目な評価にとどめておくべきだったろう。

 だが、沖縄の民意を一切気遣わずに、「先方も大変、感謝しておりました」と二者落ちの日米合意のみの成果を「感謝」という言葉で自らの評価として誇った。

 このように沖縄の民意を頭に毛程も気遣うことができなかった鳩山首相自身の姿勢、大袈裟に言うと、人間性は常日頃から口にしている「沖縄の皆様方」、あるいは「沖縄の痛み」といった沖縄への気遣いに反するものであり、整合性を持って然るべき気遣いが破綻を示していること自体が「沖縄の皆様方」、あるいは「沖縄の痛み」といった言葉が如何に怪しい言葉か暴露している。首相の姿勢、人間性に相応した口先だけの言葉だということができる。

 何事も口先だけだから、その口先だけであることに応じて、「国外、最低でも県外」を党の公約ではなく、代表としての発言だと平気で言い替えることができた。

 口先だけとは、沖縄の民意、沖縄への気遣いは実際は本心にはないということである。

 口先だけの言葉は昨28日、普天間移設の政府対処方針の閣議決定後の夜9時から記者会見の発言でも随所に見ることができる。 

 (記者会見記事は首相官邸HPから。)

 「日本の国土のわずか0.6%の沖縄県に、駐留米軍基地の75%が集中するという偏った負担」を強いられているという気遣い。「沖縄は、先の大戦においても、国内でほぼ唯一の、最大規模の地上戦を経験し、多くの犠牲を強いられることとなりました。ここでもまた、沖縄が、本土の安全のための防波堤となったのであります」の気遣い。「戦後は、27年間にわたるアメリカ統治下でのご苦労、さらに返還後も、基地の負担を一身に担ってきたご苦労を思えば、現在の基地問題を、沖縄に対する不当な差別であると考える沖縄県民の皆様方のお気持ちは、痛いほど分かります」の気遣い。

 1972年5月15日発表した沖縄復帰に当たっての政府声明、「沖縄を平和の島とし、我が国とアジア大陸、東南アジア、さらに広く太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命をささげられた多くの方々の霊を慰める道であり、われわれ国民の誓いでなければならない」を取り上げて、「この声明が発表された後、38年を超える年月を重ねました。私たちは、祖国復帰を果たした沖縄への『誓い』を十分に果たすことができているのでしょうか?」の気遣い等々。――

 これらの心の底から訴えかける気遣いの数々に答を見つけるとしたら、自身が当初言っていたとおりに「国外、最低でも県外」を当然の答としなければならないはずだが、それを当然の答とはせずに口先だけとし、「普天間の代替施設を『県外』に移せないか、徳之島をはじめ全国の他の地域で沖縄の御負担を少しでも引き受けていただけないか、私なりに一生懸命努力をしてまいったつもりでございます」と「努力」に変質させる。あるいは「何とか県外に代替施設を見つけられないか、という強い思いの下、沖縄県内と県外を含め、40数か所の場所について、移設の可能性を探りました。

 しかし、大きな問題は、海兵隊の一体運用の必要性でございました。沖縄の海兵隊は、一体となって活動します。この全体を一括りにして本土に移すという選択肢は、現実にはありえませんでした。ヘリ部隊を地上部隊などと切り離し、沖縄から遠く離れた場所に移設する、ということもかないませんでした」と「県外」不可能に至った経緯を持ち出して、「県外」移設の目はないとしながら、「私が当初思い描いていた、沖縄県民の負担や危険性の抜本的な軽減、あるいは除去に比較すれば、この閣議決定は、最初の一歩、あるいは、小さな半歩かもしれません」と、まだ道筋がついているわけではないにも関わらず、その道のりの遠さを感じさせずに、これで終わりではない、これから先のある話だと早くも期待を抱かせるようなことを言う言葉の軽さにしても、単に言葉を弄する一種のゴマカシに当たる。

 口先だけのゴマカシはまだある。

 「民主党自身も野党時代に県外、国外移設を主張してきたという経緯がある中で、政府は昨年9月の発足以来、普天間飛行場の代替施設に関する過去の日米合意について、見直し作業を実施をいたしました。

 鳩山政権として県外の可能性を米国に投げかけることもなく、現行案に同意することにはどうしても納得できなかったのでございます」

 自身が先頭に立って「国外、最低でも県外」と言ってきたことを、「民主党自身も野党時代に県外、国外移設を主張してきたという経緯がある」と口先ですり替えるゴマカシ。

 「自分の言葉を守れなかったこと、それ以上に、沖縄の皆様方を結果的に傷つけることになったことに対して、心よりお詫びを申し上げます」とは言っているが、米側との交渉、予定していた移設先の地元との交渉の結果、「国外、最低でも県外」を果たすことができなかった、結果として「自分の言葉を守れなかった」とするならまだしも、党の公約ではない、代表としての発言だと口先ですり替えるゴマカシを演じている以上、またオバマ大統領との電話会談で、沖縄の苦渋・怒りを毛程も気遣うことなく、日米同意を「先方も大変、感謝しておりました」と、三者全体に通用しない「感謝」を自身への評価とする姿勢からも、すべてが口先の誤魔化しに満ちた発言としか受け取ることはできない。

 「5月末決着」を一つでも完成させるために二者合意を無視、後回しにして日米合意のみを果たしておきながら、首相は質疑応答で次のように発言している。

 鳩山首相「2014年までの移設完了に関してでございますが、当然のことながら、一番大事な沖縄県民の皆様方の御理解を深めていくということでございます。そのためには、仲井眞知事を始め、あるいは名護市民の皆様方の御理解を深めていくということ、そのことに誠心誠意、心を尽くしてまいりたいと思っておりまして、私ども辺野古周辺に代替の施設を建設をするということを2プラス2でアメリカとの間で申し合わせたわけでございますので、その方向に向けて最善の努力を積み重ねていく、そのことで環境のアセスの問題もあるわけでございますが、できる限り2014年までに完了できるようなスケジュール感を持って進めてまいりたいと、そのように考えております」――

 「一番大事な沖縄県民の皆様方の御理解」という言葉に込めた「一番大事」だとするこの気遣いは日米合意を「一番大事」だとして優先させた姿勢とは一致せず、「国外、最低でも県外」の気遣いとは天と地の距離があり、すべてが口先だけのゴマカシであることを暴露している。

 また福島者大臣を罷免したことについて、「連立3党の中で、私は連立3党の、特にいわゆる普天間を始めとする米軍再編に関する食い違いが際立ったところがございましたが、連立3党も真剣に政権の樹立のときに合意をいたした文書がございます。そこには米軍再編は見直すということが書かれておったわけでありますが、その合意文書の中に、必ずしも県外・国外ということを規定したわけではありません。ただ、私自身の発言、あるいは民主党自体がかつてそのことを主張していたという事実がございました。

 したがって、連立3党の合意の中には、そのような県外・国外ということは書かれておりませんでしたけれども、発言の重さということをとらえた中での考え方の近似性の中で、社民党さんとすれば、政権はそれを守るべきだと主張された。そこの最終的な中での食い違いというものが表面化をしたということと理解をいたしております」と言っているが、3党合意文書には「国外、最低でも県外」と言っていた手前、「県内」とも書かれていなかったはずだ。書いてあれば、社民党が「国外」を最初に模索するという事態は生じなかったはずで、また社民党の従来の“国外姿勢”からも、「県内」と規定することは反対しただろうから、「県内」と書いてなかったと言える。

 いわば鳩山首相やその他の閣僚が最初盛んに言っていた場所の選定に関しては“ゼロベース”の状態だったのだから、社民党が国外、県外に拘っても間違いではない。首相自身も民主党も最初は「沖縄県内と県外を含め、40数か所の場所について、移設の可能性を探りました」と言っている。

 当然、「合意文書の中に、必ずしも県外・国外ということを規定したわけではありません」を根拠に3党合意文書で移設場所を制約することには無理がある。もし福島瑞穂女史が3党合意文書で国外、あるいは県外と規定したと言っているなら、彼女自身も間違っていることになる。

 いずれにしても、「国外、最低でも県外」を掲げていながら、自身が最も否定していた県内移設へと舵を切った。それも「自然への冒涜だ」と拒絶反応を見せていた辺野古への回帰を平然と果たそうとしている。「国外、最低でも県外」、あるいは「自然への冒涜」をなかったことと抹消し、県内移設を正当化するために訓練の一部移転、その他の負担軽減を掲げた。掲げた手前、実現に努力する義務を負うことになるが、鳩山首相が基地移設に関して沖縄県や沖縄県民に対して発信している自身の発言が偽り・ゴマカシで成り立たせていることに変わりはない。

 それにしても4月21日午後に衆議院で鳩山首相と自民・公明両党首との2回目となる党首討論で鳩山首相が言った、「昨年の12月において、もし、『エイヤ』と、辺野古という場所に新たな普天間の移設先を決めていれば、どんなに楽であったか、はかりしれません」の言葉は何だったのだろうか。「国外・最低でも県外」を党の公約ではない、党代表の発言だとした言葉に負けず劣らすの偽り・ゴマカシに満ちた言葉ではないだろうか。

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鳩山首相“この国の人々で守る発想が今の日本にはない”の矛盾した嘆き

2010-05-28 08:23:19 | Weblog



 鳩山首相が嘆いたのは26日夜の首相官邸ぶら下がり記者会見。《普天間「政府対処方針は閣僚の署名が自然」5月26日午後6時25分》毎日jp/2010年5月26日)からその箇所だけを参考引用――
 
 〈Q:総理は1回目の沖縄訪問以降、抑止力を学んだ結果、沖縄県内および程近いところに基地が必要だと考えるようになったと言われてますが、そうだとすると、以前総理が、総理の立場で一時的に封印すると言っていた「駐留なき安保」という考え方は、一時的ではなくて、根本的に違ったというふうに考えますか。

A:「駐留なき安保」ではありません。「常時駐留なき安保」であります。私はいま、その考え方は封印をしておりますが、しかしその根底、すなわち、この国はこの国の人々で守るという、それは、すべての国にとって当たり前の発想だと思います。

 それが今の日本にはない、そのことを自然でいるかどうかという発想は、私は、国民の皆さん一人一人、やはり根底の中には持ち続けるべきではないかと、そのように思っています。
 
 鳩山首相は昨27日、沖縄米軍の訓練の一部移転を各自治体首長に求める全国知事会議を東京都千代田区の都道府県会館で開催。言ってみればこの全国知事会議は鳩山首相にとって「この国はこの国の人々で守る」ことを求める行脚の旅の一コマだったと言える。

 一般国民が「この国はこの国の人々で守る」「当たり前の発想」がなかったとしても仕方がないとしなければならないかもしれないが、全国の知事ともなると、あらゆる意味に於いて地域を守る立場にあるのだから、「当たり前の発想」としているだろうから、会議は基地の奪い合い、訓練の奪い合いの盛況のうちに終わったはずである。

 尤も大方の知事が「当たり前の発想」としていたなら、わざわざ全国知事会議と銘打って会議を開く必要性はないかもしれない。1都1道2府43県の47自治体のうち4割近くの知事が欠席、副知事が代理出席といった熱心さ、積極性を見ないで済んだ可能性も生じる。

 どのように「当たり前の発想」を見せてくれた会議だったのか、《【普天間】首相と知事会のやり取り》MSN産経/2010.5.27 21:54)から全文参考引用――
 
 《【普天間】首相と知事会のやり取り》MSN産経/2010.5.27 21:54)

 全国知事会議における主な議論は次の通り。

 鳩山由紀夫首相「(米軍)基地問題で沖縄県に多くの負担をお願いしているが、国民全体の問題として思いを分かち合ってほしい。東アジアの平和維持には日米同盟の維持が極めて重要だが、これ以上、沖縄県民に過重な負担をかけることは避けなければならない。米側との交渉過程で米軍機能の一部だけを移転することは難しくなった。沖縄県内に普天間飛行場の移設先を見いださざるを得ないが、訓練の一部移転が皆さま方のふるさとで可能だという話があればありがたい」

 沖縄県・仲井真弘多知事「県民の負担は重すぎ、大幅に減らしてほしい」

 神奈川県・松沢成文知事「自衛隊増強を考えるべきではないか」

 首相「自衛隊を増強して、米軍のプレゼンスを大きく減らすことが許される状況ではない」

 東京都・石原慎太郎知事「尖閣諸島で日中が衝突したら日米安全保障条約は発動されるのか。沖縄問題の前に日本の領土を守る抑止力があるかどうかを米国に確かめてほしい」

 首相「(尖閣諸島の)施政権は当然日本が有しているが、日中間で衝突があったときは、米国は日本に対し安全保障条約の立場から行動すると理解しているが、確かめる必要がある。米国は帰属問題は日中間で議論して結論を見いだしてもらいたいということだと理解している」 

 千葉県・森田健作知事「なぜ今、全国知事会議を招集したのか。普天間問題の火の粉を全国に分散することになる」

 首相「普天間の移設先は辺野古付近で考えているが、知事会を開催してもらったのは沖縄の負担軽減に理解を深めてほしいからだ。将来的に訓練移転を引き受けてやろうとの気持ちを示してほしい

 北海道・高橋はるみ知事「政府が具体的に移転候補先を示すべきだ」

 首相「すぐに理解を得られるとは思っていない。これから知事や市町村長に、より具体的な政府からの提案をしていきたい」

 大阪府・橋下徹知事「大阪は負担していないので、真っ先に手を挙げないといけないが、米国との問題もある。必要なら沖縄県に行き、我慢してくださいとおわびしたい」

 首相「感謝する。ぜひ協力してほしい」

 鹿児島県・伊藤祐一郎知事「徳之島は、島をあげて反対だと伝えたい」

 首相「反対の姿勢は分かっているが、将来的に訓練の移転先の一つとして徳之島を挙げて日米間で議論を詰めている」

 鳩山首相が会議で言った「将来的に訓練移転を引き受けてやろうとの気持ちを示してほしい」はイコール「この国はこの国の人々で守る」ということであろう。そしてそれは「当たり前の発想」でなければならないとした。

 千葉県・森田健作知事「なぜ今、全国知事会議を招集したのか。普天間問題の火の粉を全国に分散することになる」

 北海道・高橋はるみ知事「政府が具体的に移転候補先を示すべきだ」

 大阪府・橋下徹知事「大阪は負担していないので、真っ先に手を挙げないといけないが、米国との問題もある。必要なら沖縄県に行き、我慢してくださいとおわびしたい」

 鹿児島県・伊藤祐一郎知事「徳之島は、島をあげて反対だと伝えたい」云々――

 例え橋下知事が「真っ先に手を挙げ」たとしても、あるいは高橋はるみ北海道知事に対して「政府が具体的に移転候補先を示」したとしても、その先に県民の意向、あるいは地元とされる住民の意向がある。

 鳩山首相にしても徳之島住民の意向、あるいは沖縄県民の意向が障害となってスムーズに動けずにいるのである。

 いわば基本は地元住民の意向であろう。地元住民の意向が最終決定要因となる。橋下知事が「米国との問題もある」と言っているが、米軍基地機能維持との兼ね合いで、どこの自衛隊基地が訓練の移転可能か一つ一つ検討して、米側のOKが降りた時点で、その自治体の知事に、高橋はるみ北海道知事が言っている、「政府が具体的に移転候補先を示」す形式で話を通し、最終的に住民の意向を尋ねる手順を取るべきだが、逆の手順を取っている。

 要するにいくら知事が手を挙げても、その前に「米国との問題」があり、最終的には住民の意向の問題がある。

 住民の意向を無視して、押し付けると言うなら、話は別となる。住民意向無視なら、全国知事会を開催する必要性も失う。「この国はこの国の人々で守る」「当たり前の発想」を求める必要性も失う。沖縄県民が移設先に反対しているにも関わらず、日米合意を優先・先行させているように知事の意向を無視して、また住民の意向を無視して、米側が合意した訓練移転先を決定していけばいい。

 尤もこの手法は戦前の全体主義国家権力が上からの絶対的押付けですべてを取り仕切った政策遂行に近くなるが、そういった手法が許される時代ではないことが問題となる。

 それにしても橋下府知事は自身の人気・支持率に自信過剰となっているのか、「必要なら沖縄県に行き、我慢してくださいとおわびしたい」態度を示しさえすれば、沖縄県民が諸手を挙げて「ハイ、我慢しましょう」と従うとでも思っているのだろうか。思っているとしたら、思い上がりも甚だしいというだけではなく、物事を単純に考え過ぎている。あるいは口先だけで調子のいいことを言っていると見られても仕方がない。

 実際にやってみればいい。恥をかくだけだのことだろう。

 断るまでもなく、住民の意向とは民意とイコールを成す。

 鳩山首相が「この国はこの国の人々で守る」「当たり前の発想」を求めたということは、そういった内容の民意に期待したということであるのは断るまでもない。国会議員を選挙するそもそもの時点からしてそうであるように、民主主義が民意に則る制度となっているのだから、当然の方向性を示したに過ぎない。

 民意に期待したのなら、民意の選択である選挙を経て県政の負託を受けた知事であっても、知事の専権事項だとして決定できるわけではない基地や訓練の受入れに関することを、そこに民意を挟まないままに要請すること自体が間違っていたのではないだろうか。

 知事が民意を問わずに決定することが許されるなら、首相にしても、総理大臣の専権事項だとして、自身の判断一つで基地の場所も訓練の場所も決定できることになる。沖縄や徳之島を訪問して、受入れをお願いする必要もなかった。

 鳩山首相は言っていることとやることが矛盾している。

 矛盾は他にもある。鳩山首相個人からしたら、「この国はこの国の人々で守る」「当たり前の発想」だとしても、日本国憲法自体が、9条で軍事力を持たずに“この国を守る”ことを国の形としたのである。私自身は世界の平和維持に先進民主国家が等しく責任を持つことが要求されているグローバル化の時代に憲法9条は既に破綻していると思っているが、日本国民全体で見た場合、憲法9条に関わる世論調査でも、9条を守るべきだが半数を超えた“民意”にある。
 
 《憲法9条「変えない方がよい」67% 朝日新聞世論調査》asahi.com/2010年5月2日23時12分)

 〈調査方法〉4月17、18の両日、コンピューターで無作為に作成した番号に電話をかける「朝日RDD」方式で、全国の有権者を対象に調査した。世帯用と判明した番号は3457件、有効回答は2083人。回答率60%。

 戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条

 「変えない方がよい」――67%
 「変える方がよい」 ――24%

 日本の平和や東アジアの安定に9条がどの程度役立つと思うか

 「大いに役立つ」    ――16%
 「ある程度役立つ」   ――54%
 「あまり役立たない 」 ――19%
 「まったく役立たない」―― 3%

 (「役立つ」という人は若い年代ほど多い。)

 「大いに役立つ」と思う人の83%が9条を「変えない方がよい」
 「ある程度役立つ」と思う人の75%が「変えない方がよい」

 憲法を全体でみた場合の改正

 「改正の必要がある」――47%
 「改正の必要はない」――39%

 改憲の「必要がある」という人の9条への態度

 「変える方がよい」 ――41%
 「変えない方がよい」――52%


 これが全体的な“民意”である。いわば国民の67%が戦争放棄と戦力不保持を規定した憲法9条に則って「この国はこの国の人々で守る」「当たり前の発想」としているということである。

 そうでない国民が24%。

 だとすると、鳩山首相のそもそものの「この国はこの国の人々で守る」とするのが「当たり前の発想」だとする「発想」自体が、民意から大きくズレた「当たり前」ではない発言だとしなければならない。

 もし鳩山首相が日本の軍隊である自衛隊だけではなく、米軍駐留による軍事力を併せて日本という国を守る力として必要と考え、その考えに添って、「この国はこの国の人々で守る」ことを「当たり前の発想」とする“民意”を期待するなら、自身の言葉で国民に同じ考えに立つことの共感・共有を求め、民意をして、「この国はこの国の人々で守る」ことを「当たり前の発想」とする以外に道はないのではないのか。

 憲法9条を腫れ物に触るような扱いばかりして、政治家としての自らの言葉に恃んで、「この国はこの国の人々で守る」ことを「当たり前の発想」とする“民意”形成の努力を怠ってきたと言うことではないのか。怠ってきたから、ここに来て立ち往生せざるを得ない状況に追い込まれている。

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シベリア抑留と靖国神社の裏と表の関係

2010-05-27 09:34:40 | Weblog

 「NHK総合」5月25日放送の《クローズアップ現代『シベリア抑留 終わらない戦後』》が改めて日本の国の姿を教えてくれた。

 NHKのHPでは番組を次のように案内している。

 〈太平洋戦争終結後、57万人以上の人々が強制労働を強いられたシベリア抑留。酷寒や飢餓により少なくとも5万5千人が命を落としたとされるが、その多くが身元など死亡状況さえ不明のままだった。今回、ロシアで新資料が見つかり、戦後65年を経た今、ようやく遺族に抑留時における死の通告が行われ始めた。遺族にとってはようやく戦後の句読点を打てたという一方で、帰国した抑留者たちには、これまで補償を受けることも出来なかったことへの不信感が高まっている。今回NHKが独自に入手した政府の内部文書によって、なぜ今までシベリア抑留者に対しての補償がなされなかったのか、初めて明らかになってきた。戦後65年をむかえ、解明が進み始めたシベリア抑留の新事実を伝える。〉――

 抑留中に死亡した5万5千人のうち、2万1千人については身元が確認できていないという。また、帰国した46万人を超える元抑留者のうち生存者は7万~8万人。生存者の平均年齢は87歳。抑留中の未払い賃金を求めて国や裁判所に訴えてきたが、すべて斥(しりぞ)けられている。番組では取り上げていなかったが、南方から帰国した捕虜には労働賃金が支払われている。この差別の原因はどこにあるのだろうか。

 但しここに来て、これも民主党へ政権交代したお陰か、自民党政権時代は実現しなかった、1人当たり25万円から150万円の「特別給付金」を一時金として支払うことを定めた救済の立法が行われる見通しとなった。《シベリア特措法が参院通過 全会一致、今国会成立へ》(47NEWS/2010/05/21 12:00 【共同通信】)

 21日の参院本会議で全会一致で可決され、直ちに衆院に送付、今国会で成立する運びだという。

 これは特別措置法案だと言うことだが、なぜ“特別”の措置なのだろうか。国の責任として当たり前に行うべき補償ではなかったろうか。

 記事は、〈対象は日本国籍を持つ元抑留者に限られ、韓国など旧植民地出身の元抑留者への対応は今後の課題だ。〉と書いている。

 もう一つの差別である。

 財源は、〈抑留された期間に応じて元抑留者を5段階に分類。独立行政法人「平和祈念事業特別基金」の約200億円を取り崩し〉て行い、〈元抑留者が死亡した場合は相続人が請求でき〉、さらに〈抑留の実態解明が不十分として、総合的な調査を行うための基本方針作成を政府に義務付け〉ている。

 「クローズアップ現代」はかつての西ドイツでは300万人の国民が旧ソ連に捕虜となり、強制労働に従事させられた補償を戦後間もない早い時期に行っていることを伝えて、日本との差を炙り出しているが、これは西ドイツという国の姿を示していると同時に日本という国の姿を示す一つの象徴的出来事でもあろう。

 このドイツの補償に関しては、《シベリア抑留補償 戦後65年とは遅すぎる》岩手日報Webnews/2010.5.23)が日本の「シベリア特措法」と比較したドイツの素早い救済を同じく伝えている。

 〈シベリアなどに200万人以上が抑留されたドイツは、56年に元ドイツ人捕虜の補償に関する法律を制定、補償金の支払いや住宅などの生活基盤確立制度を整えた。加えて、40万人の元兵士からの証言をもとに抑留・捕虜の歴史を検証している。〉――

 やはり国の姿、姿勢の現れであり、その違いであろう。

 番組では、戦後60年を経過して、新たにロシアで抑留者の個人情報を記した大量のカードが発見されたことがキッカケとなって、抑留の実態が僅かながら分かりかけてきたと伝えている。このことは「NHK」がニュース記事でも伝えている。

 《シベリア抑留死者 新たに確認》(10年 5月25日 4時35分)

 終戦直後、シベリアに抑留され死亡した約5万3000人のうち、名前が確認できず埋葬場所が不明の2万1000人の中で421人の名前、その他がロシア側から取り寄せた資料で新たに確認され、厚生労働省が明らかになった情報を順次、遺族に伝えていると書いている。

 これは厚生労働省がロシア側と協議し、去年から今年にかけて約70万枚に上る資料を取り寄せ、分析作業を進めてきたものだという。

 厚生労働省業務課・馬場孝男調査資料室長「資料は、ロシア人が当時記録したものなので、氏名のつづりがまちがっていたり、ロシア独特の専門用語が使われたりしていて、解読や分析に時間がかかっている。戦後65年がたち、遺族も高齢化しているので、できるだけ早く作業を進めたい」

 言っていることが狂っている。「解読や分析に時間がかかっている」ことよりも、「戦後65年がた」つまで実態解明が殆んど進んでいなかった事実の方が遥かに大きな問題なのだが、そのことの認識がないままに表面的な事情のみを述べている。

 いくら時間がかかろうと、「解読や分析」は既に過去のものとしていなければならなかったはずだ。それを「戦後65年がた」った現在、進行中の課題としている。恥ずかしさを感じないらしい。

 番組では、モスクワにあるロシア国立軍事古文書館に保存されていた、今までないとされていた抑留者の記録で、ロシアと日本政府との交渉の中で、去年の秋存在が確認されたと紹介している。 
 
 記録には、連行日、収容所名、死亡日、死亡原因等が記されているという。戦後6ヶ月を経過してから栄養失調で死亡したと厚労省から伝えられた遺族の女性は、「終戦後6ヶ月で栄養失調で死なせてしまうなんて、随分酷い国ですねぇ」と言っていた。

 兄を亡くした弟「日本政府がなぜ助けてくれなかったという思いがあります。何とかならなかったのかと思います」

 旧ソ連に連行されたのは軍人ばかりではなく、民間人も混じっていた。しかも、16歳という未成年の身で。当時旧制中学校4年生、16歳だったシベリアからの帰還生存者阿部順造氏。

 中学生だった自分がなぜ抑留されなければならなかったのか、現在も疑問に思っているという。戦後直後の旧満州の同級生と一緒に暮らしていた宿舎に突然ソビエト兵と一緒に日本軍の大尉がやってきた。大尉が当時16歳の彼らを集めて伝えたことを阿部順造氏は次のように証言している。

 阿部順造氏「大尉が今から君たちを内地(日本)へつれて帰ってやると。年齢を聞かれたら、18歳と言えよと指示された。何でこんなことを言われるんだと、という具合に感じていた」

 ところが阿部順造氏と同級生の合せて25人が連れて行かれたのは日本ではなく、シベリアだった。これは国際法上許されない民間人の抑留だと番組は言っているが、国際法違反であると同時に日本軍隊の自国民間人に対して行った国家犯罪そのものであろう。

 旧満州に駐留していた日本軍人が旧ソ連に抑留された理由は関係者の今までの調査で旧ソ連に対して日本軍人を労働力として提供する目的の役務賠償(「労力を提供することによって相手国に与えた損害を賠償すること」『大辞林』三省堂)である疑いが濃く出ているが、日本の大尉自らが16歳を18歳と言わせたことから明らかに分かるように、労働力として差し出した役務賠償の民間版と言える。

 日本の軍隊はかくかような醜悪、破廉恥としか言いようのない犯罪まで犯した。

 (この役務賠償に関しては、2009年10月29日エントリーの当ブログ《民主党は日米核密約だけではなく、シベリア抑留に関わる『役務賠償』も解明すべき 》
にも書いている。参考までに。)

 阿部順造氏は厚労省に電話し、旧ソ連資料に自分が何歳生まれと記されているか問い合わせるが、「死亡者以外はまだ調べておらず、分からない」との回答を得たという。

 生存抑留者からしたら、それぞれが解けないナゾを抱えていても、役所からしたら、抑留者の中の1名に過ぎないのだろう。少なくとも侵略戦争という国家犯罪の被害者の一人だという意識すらないに違いない。

 民間人の抑留には電話交換手や日本語教師、通りすがりの女性まで含めて30数名の民間女性も含まれていたとゲストの辺見じゅん(歌人・ノンフィクション作家)が言っている。

 さらに実態解明の遅れについても語っている。

 辺見じゅん「ヨーロッパでは、例えば3人委員会(?)とか、色んな、フランスなんかを中心とした、それからドイツが、そういう運動が起きていた。しかし日本人はしなければならないと口では言っていたが、行動力に移さなかった」

 キャスター国谷「それは政府ですか、それとも人々ですか」

 辺見じゅん「先ず政府。それから何も知らなかった私たち国民。先ず政府、及び官僚、政治家。その方たちが一番ある意味、ニュースを早く知るわけです。その方たちが動かなかった。一般は分からなかったと思います」

 番組は抑留帰還者のソ連抑留時に於ける強制労働未払い賃金請求に政府が応じてこなかった理由を今回入手したという政府の内部文書から明らかにする。

 内部文書とは、『戦後処理問題懇談会』が遺した資料のことで、戦後処理の政策を方向づけた会議の内容となっているという。

 会議開始は昭和57年(1982)で、当時はシベリア抑留者や原爆被爆者等、戦争被害者から補償を求める声が全国的に高まっていた時期で、会議を前に進行役となる5つの省庁の官僚たちが準備会を開催。シベリア抑留者の補償を認めると、その他の戦争被害者に波及、国家財政に大きな影響を与えるとする懸念が支配的であったという。

 外務省課長の発言記録「外務省としては懇談会で取り上げ、検討することすら、すべて反対する」

 内閣審議室長の発言記録「パンドラの箱をぐっと閉める方向に持っていきたい」

 シベリア抑留者に対する補償を開けるとありとあらゆる災いが起きるという箱に譬えている。何という見事な発想だろうか。

 解説が、官僚たちは戦後処理はすべて終わっているという認識に立っていたと解説している。

 メンバーは7人、財界の有力者、学識経験者、各省庁の元高官等有識者による第一回『戦後処理問題懇談会』が昭和57年6月30日に開催。

 元内閣法制局長官(当時)吉国一郎委員の発言記録「空襲などを含めて、あまり対象を広げると、寝た子を起こすことになる」

 三菱総研副社長(当時)牧野昇委員の発言記録「あまり突つくと、広がり過ぎることになる」

 当時の委員の殆んどが死亡している中で生存している深谷隆司総理府総務副長官(当時)(自民党前衆議院議員)「シベリアへ不法に持っていかれた人たちが、それこそ本当に寒い中を苦労しながら労働をやってきた。それは耐え難いご苦労をなさって、本当に同情してますけれど、それを動かすことによって、もっともっとほかに広がりがあるんですよ。例えば原爆の被害を受けた人たちにしたって不満が起こっているし、色んな形でさらに、こう傷口を広げていくという懸念があったかもしれませんね」

 「懸念があったかもしれませんね」と第三者的に距離を置いた言い方をしているが、同じ考えに立っていなかったという証明にはならない。

 また「傷口」を国民の間に補償を受ける者と受けない者との間で、あるいは金額の違い等で亀裂が生じるという意味で使っているが、番組が伝えているこれまでの官僚たちの発言からすると、実質的には財政上の「傷口」のことで、日本の国の都合を優先させた事情であることを深谷は巧妙狡猾にも隠している。

 さらに、「シベリアへ不法に持っていかれた人たち」との言い方は、「持ってい」った主語がソ連となっていて、ソ連を「不法」行為者としているが、日本側が役務賠償として差し出したシベリア抑留であったなら、「不法」行為者は日本となって、重大さと意味が違ってくる。少なくとも民間の未成年者でありながら、16歳を18歳と偽らせてソ連に差し出した旧制中学生の抑留、民間版役務賠償については明らかに日本側の「不法」行為であろう。

 深谷は悪者を旧ソ連のみに定めて、日本の悪事、国家犯罪については認識すらしていない。

 会議では西独が自国民のシベリア抑留者に行った補償の資料を取り寄せて、補償する場合の金額算出方法や予想金額の検討を行ったという。

 日本貿易会会長(当時)水上達三委員から、補償を求める団体の意見を聞いたらどうかと言う意見が出たが、官僚から反対の声が上がる。

 内閣審議室長(当時)の発言記録「先方に過大な期待を与える恐れがあり、また、すべての団体から聞くということは事実上困難である」

 日本の官僚らしく、決して困難ではないことを、「困難である」とする。国家財政を守るために聞く耳を持たなかったに過ぎないと言うことであろう。

 当時日本の抑留者への補償額は数千億円規模に上るとされていたという。

 深谷隆司「何かやるにしても、おカネがかかることですから、役人の側からいけば、もう具体的にいくらかかって、出てきますし、どう配るか落ちこぼれがないようにどう配るかということ、今の年金と一緒ですよ。それだけ容易なことじゃありませんから、そういうことも含めて、すべてそれだけにという思いがあったんでしょう」

 国家の都合を優先させて、国民個々の事情を犠牲にした。

 第9回『戦後処理問題懇談会』(昭和58年(1983)7月1日)

 解説が、議論は官僚たちが描いた筋書きに戻っていたとしている。

 元自治事務次官小林與三次の発言記録「ただ要求が強いからやるというのは筋が通らない。遣り出したらキリがない」

 元大蔵事務次官河野一之委員「もう30年以上も経って、戦争とは関係のない世代の税金でやってもらうということには疑問を感じる」

 「戦争とは関係のない世代」は戦争と関係した世代の事績や経験の上に、それが反面教師としての参考材料であったとしても、それを受け継いで自分たちの社会を築いているはずだから、歴史を否定しているだけではなく、税金だけの問題として扱っている。人間が酷薄に出来上がっているからだろう。

 結局、最終報告書で、もはやこれ以上国に於いて措置すべきものではないと結論づけられたというが、官僚たちは日本の官僚らしく、国家の財政を守ったことで国を守ったと自負したに違いない。

 補償を認めない代わりに、抑留者に慰労金(他の記事によると10万円)と慰労する賞状と銀の杯(銀杯)、旅行券などを贈呈したという。国家財政からしたら、ポケットマネー程度の金額だったに違いない。

 シベリア抑留が国の犯罪に相当する役務賠償の疑いが出ていると書いた。16歳の旧制中学校4年生の日本軍の指示で行われたシベリア抑留と強制重労働はシベリア抑留が役務賠償の疑いの強力な傍証となる事実であろう。

 日本の政府は国家の犯罪が暴かれることを恐れてか、役務賠償であったかどうかの調査すら行っていない。

 例え役務賠償ではなくても、シベリア抑留は日本の政府が行った戦争の結末として招いた事態である。その責任があるばかりか、南方から帰国した捕虜に対しては労働賃金を支払いながら、シベリア抑留者に対しては支払わない差別を演じている。さらに国家財政の維持を優先させて、特段の補償を何ら行わない二重、三重の犠牲を強いている。

 一方でシベリア抑留や原爆被害、沖縄戦集団自決、あるいはバンザイ・クリフの集団投身自殺といった国家犯罪に等しい醜悪な仕打ちを国民に対して招いておきながら、そういった醜悪な裏面をさも存在しない出来事であるかのように隠して、もう一方で靖国神社という表の舞台では、戦死した軍人を、「国のために尊い命を捧げた」、「尊い命を投げ出した」と政治家自らが先頭に立って顕彰し、英霊として祀る。

 靖国神社の英霊顕彰を日本国家、日本民族には過ちはないとする無誤謬証明の装置だとこれまでは言ってきたが、このように日本という国、日本民族を立派な佇まいと見せる靖国神社参拝、英霊顕彰は戦前と戦後の国家が国民に対して行ってきた醜悪な数々を常に裏に位置させカムフラージュする表の位置に置いた日本の姿ではないだろか。

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小沢幹事長の「代表の発言と党の公約は同じ」は責任への言及

2010-05-26 02:46:47 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――

 陸山会での政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で告発を受けた小沢民主党幹事長を東京地検特捜部が嫌疑不十分で不起訴したことについて検察審査会が4月末に「起訴相当」とする議決を行ったものの、東京地検は再捜査して5月21日に再び不起訴とした。3日後の24日の定例記者会見で、鳩山首相が昨夏の衆議院選挙で普天間移設問題に関して訴えていた「国外、最低でも県外」は党の公約ではなく、自分自身の発言と否定したことに関して、自身の見解を述べている。
 
 《小沢氏会見の要旨 「代表発言と党の公約は同じ」》MSN産経/2010.5.24 22:11)
 
 --辺野古移設案だが
 「政策の決定は総理大臣で、私は過程も結論も一切聞いておらず、論評する立場でない」

 --検察が不起訴にした

 「当日(21日)にコメントを出した通りでございます」

 --政倫審に出席するか

 「政倫審には出るとか出ないとか一度もしゃべったことはない。報道が先行しただけだ。別に拒んでいるわけでもないし自然体だ」

 --普天間問題で社民党が連立離脱しないよう調整に動くか

 「社民党の党首が内閣の意思決定には当然参加しているだろう。まあ、正式な意思決定をしたのか分からないが、社民党のことまで、私がとやかく言う立場ではない」

 --普天間移設で、鳩山由紀夫首相は昨夏の衆院選の際、党代表として「最低でも県外」と言ったが

 「代表(の発言)と党の公約は、一般論でいえば同じようなことだろうと思っている。ただ、直接聞いてないので。なんて言ったかはあんた方(報道)からの伝聞でしかないですけれども」

 小沢幹事長が「代表(の発言)と党の公約は、一般論でいえば同じようなことだろうと思っている」と発言したことについて記者から問われて、鳩山首相は5月24日の首相官邸記者会見で次のように答えている。

 《「3党合意に反しているわけではない」24日の鳩山首相》asahi.com/2010年5月24日22時20分) (一部抜粋)

 【普天間問題・日米合意先行か】

 ――日米関係を優先させて大筋で同意した後に沖縄に伝えるという方法について、手順が違うのではないかとか、日米合意の地元への押しつけではないかという批判が出ているがどう考えるか。

 「これは、日米まだ、最終的な合意には至っておりません。そういう中で、沖縄の仲井真(なかいま)知事をはじめ、関係者の方々と対談をして、会談をしてまいりました。わたくしどもの思いを、ある意味で同時にお伝えしてきております。決して日米先行ということではありません。また様々、沖縄の皆さま方、知事を中心にわたくしどもとしての考え方は随時申し上げてまいりました」

 【普天間問題・辺野古は不可能という発言】

 ――1カ月前の(自民党の)谷垣総裁との党首討論で、辺野古への移設は実現不可能だという発言をしているが、1カ月で考えが変わったのか。そして普天間基地の返還が遅れることが懸念されるが、この8カ月間の迷走は何だったと考えるか。

 「8カ月間、様々、この普天間の移設先に関して、40カ所以上検討してまいりました。時間がかかったことは国民の皆さんにまたいろいろと不信感をお与えしたと思います。そのことは正直にまたおわびを申し上げなければならないと思います。で、現行案に戻るという話ではありません。あの、わたくしが申し上げたのは、現行案としての辺野古は、これは無理だと。その意味でさらに環境に配慮する、その前に当然、住民の皆さんの安全というものを考えなきゃなりませんが、米軍の運用上の問題も含めて、それが満たされるというものを見いだしていく中で、最終的に辺野古周辺という状況になったということでございます

 【普天間問題・社民党の説得】

 ――社民党の福島党首が今日、3党の政策合意に反していると発言。これからどう内閣の意思疎通を図っていくつもりか。

 「はい。これは福島党首には恐縮ですが、3党の合意に反しているわけではありません。3党合意の中には、当然沖縄の負担軽減ということは申し上げております。したがってわたくしはこの8カ月間、沖縄の皆さま方のこれまでのご苦労を考えたときに、できる限り負担軽減をしたいということで努力をしてまいりました。したがって、この辺野古への移設ということと共に、沖縄の負担軽減というものを様々はかってまいりたいと、これからも思っております。で、その意味で政策の合意に反しているということではないと。これは福島党首にもしっかりと申し上げなければならないと思っています」

 (秘書官「最後1問にしてください」)

 【普天間問題・代表時代の発言】

 ――小沢幹事長が定例会見で「代表の発言と党の公約は同じ」と。どう考えるか。

 「はい、公約というものの意味をいろいろとおとりになることはあり得ると思います。従って代表としての言葉の重さというものは、私も理解をしています。それだけに、自分の発言したこと、という重さを感じながら、できる限り、それに沿うようにと努力をして参りました。なかなかその意に沿わないということもあったことも、率直に認めなければならないと、反省しています」

 「現行案としての辺野古は、これは無理だと」。だから、「現行案に戻るという話ではありません」「最終的に辺野古周辺という状況になった」に過ぎない。

 しかし現行案を土台とし、現行案に乗っかって、滑走路建設は環境型だ、訓練の一部は県外に持っていくといった色づけを施そうとしているだけのことだから、現行案を基本にしていることに変わりはないはずだが、それを「現行案に戻るという話ではありません」と言っている。「最終的に辺野古周辺という状況になった」と言っている。

 現行案を基本にしているからこそ、現行案を最善だとしていたアメリカの合意を得ることができたはずである。

 要するに他の場所を見つけることができなかったに過ぎない。見つけることができなかったことを「現行案に戻るという話ではありません」「最終的に辺野古周辺という状況になった」と誤魔化している。

 「国外、最低でも県外」の結末、正体が「最終的に辺野古周辺という状況」となったという事実が、そのことまで含めて何よりもゴマカシであることを証明している。
 
 しかも鳩山首相はその結末、正体に何ら痛みも痒みも感じていないらしい。

 小沢幹事長が言った、「代表(の発言)と党の公約は、一般論でいえば同じようなことだろうと思っている」とは、言った本人が気づいているかどうかは分からないが、代表の発言は「党の公約」と同等の責任を伴う、あるいは同等の責任を負うということへの言及であろう。

 当然のことで、例え言った本人が気づいていなくても、発言は同等の責任を伴う、あるいは同等の責任を負うという意味まで含んでいなければならない。

 首相が言っているように、「公約というものの意味」の取り方、解釈の問題で終わらせていい小沢発言では決してない。

 例え「同じ」でなくても、代表個人としての発言は党公約に準じた責任を伴うはずである。

 ここで言う責任とは一旦口にしたことを果たす責任のことなのは断るまでもない。党公約ではなくても、党代表として口にした以上、党代表として果たさなければならない責任を負ったということである。そして果たすことができなければ、次に果たせなかったことの責任に関係してくる。

 「国外、最低でも県外」を果たすことができなかったのである。「現行案に戻るという話ではありません」とか、「最終的に辺野古周辺という状況になった」などと言っている場合ではない。

 「反省しています」という責任の取り方ではいつまで経っても政治の世界にゴマカシを通用させることになる。

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鳩山も平野も「負担軽減」を移設の伝家の宝刀としているが、沖縄にとっては迷惑な刀でしかない

2010-05-25 04:58:00 | Weblog

 鳩山首相も平野官房長官も、米軍普天間飛行場の県内移設の正当化口実に何かと言うと、「負担軽減」、「負担軽減」と言って、それが沖縄の利益を叶えさせる伝家の宝刀であるかのように「負担軽減」を振り回しているが、前日のブログでも、〈選挙中に言っていた「国外、最低でも県外」のゼロに向けた「負担軽減」から見た場合、「軽減」が逆にゼロから計った方が近い後退形を取っている。〉と書いたように、二人が言っている「負担軽減」が沖縄にとって沖縄の利益に適う「負担軽減」ではないことに留意できていない。

 いわば政府からしたら県内移設を基準とした「負担軽減」を頭に置いているのに対して、沖縄からしたら、県外移設を基準とした「負担軽減」を念頭に置いていて、そのミスマッチに気づかずに「負担軽減」をさも有難いおまじないであるかのように振り回している。

 逆説めくが、政府の県内移設を基準とした「負担軽減」は沖縄から見た場合、県外移設の「負担軽減」と比較したとき、必ずしも沖縄の利益とはならない「負担軽減」だと言うことである。

 その基準を誘い込んだのは鳩山首相の「国外、最低でも県外」なのは断るまでもない。鳩山首相にしても平野官房長官にしても、今後とも「負担軽減」を振り回していくことになるだろう。負担軽減を図るんだから、それでいいじゃないかと、「負担軽減」=沖縄の利益とばかりに押し付けがましい態度さえ見せながらである。

 二人の「負担軽減」発言を拾ってみる。

 《首相 社民党に理解求める》NHK/10年5月24日 21時5分)

 〈社民党が名護市辺野古への移設に反発を強めていることについて〉――

 鳩山首相「3党の合意に反しているわけではない。3党合意では、沖縄の負担軽減を申し上げており、8か月間、できるかぎり負担軽減をしたいと努力してきた。これからもさまざま図っていきたい。これは、福島党首にも、しっかり申し上げなければならない」

 鳩山首相が選挙中に言っていたのは「国外、最低でも県外」の「負担軽減」だったのである。そのことに反して県内移設の「負担軽減」を得々と言っている。沖縄にとっては「最低でも県外」移設でなければ、「負担軽減」ではないことに気づかないから、このような発言となる。

 鳩山首相「移設先の検討に時間がかかったことや、国民に不信感を与えたことは、正直におわびしなくてはならない。現行案に戻る話ではなく、環境への配慮や住民の安全、それにアメリカ軍の運用上の問題が満たされるものを見いだしていった結果、辺野古周辺となった」

 「最低でも県外」を求めている沖縄住民にとって、理解不能・意味不明の発言であろう。シュワブ沿岸部としたことが「現行案に戻る話」ではないとしても、自民党政権が現行案とした辺野古への回帰と取られることを避けたいと拘っているのは鳩山首相一人だけで、沖縄からしたら、県内であることに何ら変わらない。

 いわば鳩山首相が「現行案に戻る話」ではないと大きな問題としていることと、沖縄が大きな問題としていることの決定的な違いをこの発言に見ることができる。

 〈移設先との合意よりも、日米合意を優先しているとの指摘が出ていることについて〉――

 鳩山首相「私どもの思いは同時に伝えてきており、決して日米先行ではない。沖縄の仲井真知事を中心に、私どもとしての考えは随時伝えてきた」

 ところが仲井真知事は23日の沖縄県庁での鳩山・仲井真会談で次のように言っている。

 仲井真県知事「私ども、総理が5月4日にお見えいただいて、そのときに普天間の飛行場の件が一部県内の負担といいますか、残るだろうというような趣旨のご発言を、私は直接はうかがってなかったんですが、報道その他でお聞きをいたしました」

 (《【首相・沖縄県知事会談詳報】(上)「言葉守れず、お詫び申し上げる」》MSN産経/2010.5.23 18:42)

 仲井真知事の報道等を通してしか聞かされていなかったという発言はこれが初めてではなく、何度か言っている。

 〈去年の衆議院選挙で「最低でも県外」と発言していたことについて〉――

 鳩山首相「自分の発言の重さを感じながら、できるかぎり、それに沿うように努力してきた。意に沿わないことがあったことも率直に認めなければならないと反省している」

 「最低でも県外」の「負担軽減」を振りかざしたのである。いわば普天間移設に関しては負担ゼロを約束した。それができなかったのだから、県内移設で「負担軽減」を言うべきではない。「県外」から県内へ変えることによって、ゼロから逆のプラスへ負担を転じたのである。そこから何がしかの負担軽減を図ったとしても、沖縄県民から見た場合、大きな負担が残ることに変わりはない。

 勿論、鳩山首相は札幌市の民主党の会合に公邸からのテレビ中継で、「沖縄の皆様にもこれからもしばらくご負担をお願いせざるを得ない状況だ」と挨拶しているし(《普天間移設:シュワブ沿岸、日米合意 工法は9月に先送り》毎日jp/2010年5月23日 2時43分)、他の機会にも同じ趣旨のことを発言しているが、「国外、最低でも県外」の違約によって生じせしめることとなる「負担」である以上、いわば自分で撒いた種(=「負担」)を自分で刈り取る(=軽減する)独り相撲の「負担軽減」なのだから、自分の愚かさに鞭打って事に当たるべきを、「8か月間、できるかぎり負担軽減をしたいと努力してきた。これからもさまざま図っていきたい」と言っていることからも分かるように、県内移設の「負担軽減」を以ってして、それが沖縄の利益であり、移設問題での自らの任務であるかのように正当化を図ろうとしているのみである。

 平野官房長官も鳩山首相と同じく、県内移設での「負担軽減」を以ってして、それが自分たちの正当な任務であり、沖縄の利益だとしている。

 《官房長官 政権合意に反しない》NHK//10年5月24日 14時8分)

 平野「沖縄の負担軽減が、実質の成果として上がれば地元の理解は得られると思うし、この6か月の間でぎくしゃく進めてきたことが、沖縄県民にとってもプラスになる結論を導きたい」

 確かNHKテレビでは、「負担軽減とならなければ、了としない」とか言っていた。

 平野にしても、沖縄住民が「最低でも県外」の「負担軽減」(=負担ゼロ)を「実質の成果」として求めていることに気づかずに、県内移設での「負担軽減」を「実質の成果」と看做している。この鈍感さは呆れるばかりである。

 少なくともそのことを認識して交渉に当たるべきを、認識すらしていない。

 〈社民党が、今回の対応に反発を強めていることについて〉――

 平野「連立政権だから、鳩山総理大臣の思いを理解してもらうべく、ていねいに説明をする。あらゆる場面を通じてお願いをしなければならない。・・・・われわれとしては、連立を組む際の3党合意に基づいて、基地問題にも対応してきたつもりだ。重要なテーマであることは否定しないが、連立政権を発足させた際の構成要件には入っていない」

 繰返しになるが、沖縄が求めている「実質の成果」、沖縄の利益とは普天間基地機能の「国外、最低でも県外」であって、このことは4月35日の9万人の県民が結集した4・25県民大会や5月15日の本土復帰38周年平和集会、その他の集会・大会で主張されていたことであり、あるいは名護市長選挙で民意で示されたことであって、沖縄が求めている「実質の成果」、沖縄の利益に反して「国外、最低でも県外」の約束を破って県内移設にシフトした。例え訓練の一部を県外に持っていっていったとしても、滑走路を環境型工法で建設しようと、それは「負担の軽減」ではなく、負担ゼロからプラスとなる逆行を強いることでしかない。

 この認識がないから、平野官房長官は「沖縄の負担軽減が、実質の成果として上がれば」とか、「沖縄県民にとってもプラスになる結論」だといったことが言える。あるいは、「負担軽減」を沖縄の利益だとして振り回すことができる。

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鳩山首相は自分が言った「国外、最低でも県外」を別の意味に誤魔化している

2010-05-24 07:43:20 | Weblog

 政治家に言葉の責任を求めるのは無理な話かもしれない

 普天間移設問題で日本側が日米に関してのみ「5月末」で取り繕いたい必要上からだろう、米側と5月22日に決着とは程遠い形の大筋合意を果たした。

 《普天間移設:シュワブ沿岸、日米合意 工法は9月に先送り》毎日jp/2010年5月23日 2時43分)――

 ▽米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)に滑走路を建設する
 ▽普天間の基地機能の沖縄県外への分散移転を検討する
 ▽代替施設の工法や、沿岸部のどの場所に建設するかは決めず、9月に先送りする

 この3点で大筋合意したと伝えている。そして、〈28日にも発表する予定の日米共同声明に盛り込まれる見通し。〉だと。

 「普天間の基地機能の沖縄県外への分散移転を検討する」の「基地機能」とは、他の報道によると、訓練のことで、その「分散移転を検討する」――いわば決定事項ではなく、今後の検討課題としている。これは主として受入れる自治体が決まっていない理由からだろうが、現在のところ、受入れる自治体との関係で決まる「負担軽減」という宙ぶらりんな状況にある。

 鳩山首相が「負担軽減」のもう一つの柱としていた海兵隊部隊の一部移転は米側が主張するヘリ部隊と地上部隊の一体運用の壁に阻まれて姿を消しているから、当初より後退した「負担軽減」となる。

 但し、選挙中に言っていた「国外、最低でも県外」のゼロに向けた「負担軽減」から見た場合、「軽減」が逆にゼロから計った方が近い後退形を取ることになる。

 だからこそ、鳩山首相は、「5月で終わるわけではない。今後とも努力していく」と言っているのだろうが、後退している(=バックしている)事実は拭い去ることはできない。

 「国外、最低でも県外」に期待した沖縄県民にとっては限りなくゼロに近い「負担軽減」と映るに違いない。それが知事を初め自治体の長の反対姿勢となって現れている。

 上記「毎日jp」は日米大筋合意の中身を次のように解説している。

 〈移設先を巡っては、日米実務者間の協議では当初、日本側は共同声明に「辺野古周辺」と明記することを求めた。しかし「辺野古への回帰に納得していない」(政府関係者)とされる鳩山首相が難色を示し、移設先としては「辺野古」を明記しない方向での調整を指示。結局「シュワブ沿岸部」との表現で、事実上の「辺野古」に落ち着いた。

 工法については、当初日本側が検討した「くい打ち桟橋(QIP)方式」に米側がテロ攻撃に弱いなどと難色を示したことから、日米で「埋め立て方式」を検討中だが、共同声明には盛り込まない。米側は、具体的な建設場所や工法について詰めることにはこだわらず、現在進めている環境影響評価手続きを遅らせないよう求め、双方の折衷案となった。

 普天間の基地機能の一部移転先として政府が検討している鹿児島県・徳之島も米側が難色を示していることなどから文書には盛り込まないことになった。

 また沖縄の負担軽減策として日本側が求めた環境特別協定の締結は、他の同盟諸国との関係を考慮した米側から明記を拒まれた。〉――

 鳩山首相が「辺野古への回帰に納得していない」ために移設場所を「辺野古」と明記せずに「シュワブ沿岸部」の文言を使ったからと言って、「辺野古への回帰」が消えてなくなるわけではない。鳩山首相はこの場に及んでもゴマカシを働かせている。

 日米大筋合意を受けて、鳩山首相は23日日曜日に沖縄を再訪、仲井真知事や稲嶺名護市長などと会談している。23日の12時に「NHKニュース」で仲井真知事との会談の模様を一部流していたから、文字に起こしてみた。時間経過どおりに映像を流したわけではなく、部分的に中抜きしてあるように思えた。

 民放では最初に仲井真知事が立ち上がって挨拶と沖縄が受入れるのは難しい状況にあることの説明を行っていたが、NHKでは省いている。

 鳩山首相は仲井真知事のあと、自身も立ち上がって話し出すが、途中で仲井真知事から、おかけいただきませんかと促されて、座って話を続ける。
 
 鳩山首相「普天間の、オー、返還、いうものを含んで、沖縄の皆様方のご負担を、できる限り軽減を申し上げたいと。あるいは普天間の、周辺の皆様方の、様々な、アー、危険を、できるだけ早く、除去、申し上げたいと、そのような思いの元で、エー、政府の、考え方を、様々、模索して、参ったところでございます。

 国内、イー、及び、日米の間で協議を重ねた、結果、エー、普天間の飛行場の代替地、そのものは、やはり沖縄の県内に、エー、より具体的に申し上げれば、この辺野古の付近に、お願いせざるを得ないと、いう結論に、至ったところでございます。

 代替施設の詳細を決める際には、言うまでもありませんが、住民の皆様方の、暮らしや、あるいは環境への影響というものに最大限、配慮、いたすことは当然で、ありますので、地元の皆様方とも、しっかりと協議をしながら、進めてまいらなければならないと考えております。このことは言うまでもないことだと思っております。

 この、オ、方針というものは、人口密集でございます。普天間の飛行場の返還を実施するために、どうしても、代替施設を、捜していかなきゃならないという現実を踏まえて、エー、断腸の思いで、エー、下した、エ、結論で、エ、ございます。

 私自身の、オー、言葉、『できる限り、県外』だということを、この言葉を守れなかったということ。そしてその、結論に至るまで、エー、その過程の中で、県民のみなさん方に大変、エー、ご迷惑を、オー、招いていしまいましたことに関して、エー、心からお詫びを申し上げたいと、思っております」(以上)――

 工法は別として、「毎日jp」記事が書いていたように現行案回帰を「この辺野古の付近に」と場所を特定としないことで誤魔化している。

 「地元の皆様方とも、しっかりと協議をしながら、進めてまいらなければならないと考えております。このことは言うまでもないことだと思っております」と言っているが、日米大筋合意には沖縄との協議を排除してその頭越しに行いながら、大筋合意という決定事項を受入れさせることを前提とした段階になってから、そういった前提がないかのように沖縄との協議を言う、一種の騙しの手口を使っている。

 「エー、断腸の思いで、エー、下した、エ、結論で、エ、ございます」から、「エー」とか「オー」とかの短い言葉が入る。次の言葉が容易に思い浮かばないことからの間合いの言葉というよりも、「断腸の思い」が実際はそうではない偽りの感情だから、次の言葉が素直に出てこなかったからだろう。

 その偽りは「できる限り、県外」という言葉が何よりも証明している。「断腸の思い」が正真正銘の正直な感情から出た言葉であるなら、鳩山首相自身がかねて言っていた言葉も言っていたとおりに正直に言うはずで、誤魔化したりはしないはずだ。

 いわば感情表現上は「断腸の思い」「できる限り、県外」は照応し合っている言葉でなければならないはずであるということである。

 鳩山首相は「国外、最低でも県外」と言っていたのであり、「できる限り、県外」と言っていたのではない。もし言ったことがあるとしたら、「国外、最低でも県外」からハードルを後退させたときに口にした言葉としなければならない。「国外、最低でも県外」「できる限り、県外」とは似て非なる言葉だからだ。

 「できる限り、県外」は可能性の提示、努力目標であって、厳密な意味での約束ではない。例え、「できる限り、県外を約束します」と言ったとしても、可能性の範囲内の「約束」、限定された「約束」となる。

 だが、「国外、最低でも県外」は、「国外」を移設候補の第一選択肢としたことを意味する。「国外」を移設候補の第一選択肢としつつ、それがダメなら、「最低でも県外」とした場合の「最低でも」とは、それ以下はないという限度を示す“最低限”という意味であって、「県外」を最低限約束したということ、あるいは「県外」で線を引いたことを意味する。

 夫が妻に「最低一日に一度は愛していると言う」と約束した場合、「一日に一度」に線を引いたことになって、最低限、一日に一度は「愛している」と言わなければ約束違反となるが、「できる限り一日に一度は愛していると言う」の約束の場合は、「できる限り」の努力目標を意味するから、できない場合も生じたとしても許されることになる。

 最低限、「県外」でなければならならなかった約束を、その言葉の責任も取らずに「できる限り、県外」だと可能性の問題にすり替えて、「国外、最低でも県外」の反故を正当化しようとするゴマカシがここにはある。

 当然、「断腸の思い」も信用できない言葉と化す。

 小さな問題のように見えて、人間性に関わる問題だから、決してい小さな問題だと済ますわけにはいかない。「国外、最低でも県外」の約束を果たさないのだから、「沖縄の皆様方」とか「ご負担」だとか、いくら言葉をバカ丁寧に敬語使用したとしても、どのような意味も成さないばかりか、虚ろに響く役目しか果たさないだろう。「沖縄の皆様方」、あるいは「ご負担」という言葉を聞くたびに腹立たしい思いをする沖縄県民も多くいるに違いない。

 「NHK」テレビは仲井真知事との会談を終えたあと、鳩山首相は記者会見を開いている。

 鳩山首相「なかなか厳しいと、いうお話は、いただきました。これからも、しっかりと、理解を深めていけるように努力して参りたい。今回、この5月末で、エー、すべてが、終わりだ、という話では全く思っておりません。これからもアメリカに対して、求めて、いきたい。エー、負担軽減策は、様々ございます。そういったものも、しっかりと、これから、先の議論として、エー、協議をして、纏めていきたい・・・・」――

 負担軽減策を5月以降も模索したとしても、「国外、最低でも県外」を無とした負担軽減であることに変わりはない。こういった状況をすべて自分でつくり出しておきながら、その反省も認識もなく、“5月以降”を言っている。

 尤も、自分の中で「できる限り、県外」と言っていたと心底受け止めるゴマカシを働いているようなら、無としたわけでも何でもなく、却って負担軽減に向けた進展を図ろうとしているのだと信じているに違いない。

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自民党「『政治主導』の在り方検証・検討プロジェクトチーム」が民主党への政権交代の意義を認める

2010-05-23 06:26:34 | Weblog

 自民党の「『政治主導』の在り方検証・検討プロジェクトチーム」(座長・林芳正政調会長代理)が5月21日、〈「官僚主導」と呼ばれても仕方のない状態に陥ることもあった――。〉とする、与党時代の反省を盛り込んだ報告書素案を纏めたと、《与党時代「官僚主導」だった… 自民PT反省の報告書案》asahi.com/2010年5月22日0時42分)が伝えている。

 詳しく知ろうとして、自民党HPにアクセス、検索したところ、2009年12月16日日付の、《「政治主導」の在り方に関する緊急提言》をヒットしたが、民主党の「政治主導」の批判に論点を置いた内容で、「asahi.com」記事が5月21日に纏めたと伝える内容とは違っている。記事が書いている「我が党の政権運営の総括」の章を探しても見つからない。日付が違うから、自民党HPのそれが記事が伝えている内容と違うのだろうと見て、記事を頼りに以下を書くしかない。
 
 「我が党の政権運営の総括」の章には次のように書いているという。

 「政務三役が自ら責任を持って行うべき与党・政府間の政策調整を、往々にして官僚任せにしてしまうことがあった」――

 「具体的なあるべき姿」の章――

 「予算編成過程がいわゆる『族議員』主導の硬直化したものと化していたとの反省に立つ」

 「記者会見は各省庁の政策責任者たる政務三役が原則として行うべきもの」――

 要するに自民党政権時代の官僚主導政治、族議員政治の自らの手による総括・否定が結果的に民主党の政治主導政治、族議員政治否定の肯定を成し、例え意図したことではなくても、間接的に民主党への政権交代の意義に向けた認知となっている。

 政権交代がなかったなら、自民党政治は自民党政権時代のまま、官僚主導、族議員主導の惰性で推移しただろう。政権交代が官僚主導、族議員主導を反省する報告書素案作成のキッカケとなった。

 族議員は族議員のみで成り立たず、特定省庁の官僚と結びつく政官癒着によって政策と予算執行の主導権を握り、さらに“財”と結びついて業界団体や利益団体の利益獲得への橋渡しをし、このような政官財癒着の構造を以って自らも様々な見返りの利益を得ることを自らの存在意義とし、こういった構図で特定省庁の官僚と利益獲得の“族”(=一門・系統)を築くことから、族議員と称せられたのだろ。

 その代表的なのが、国土交通省と結びついた道路族、文科省と結びついた文科族、厚生労働省と結びついた厚労族といったところを挙げることができる。

 いわば自民党政権時代は族議員が我が物顔に振舞って、業界団体や利益団体への利益獲得の橋渡しを優先させた政策と予算執行を行う政治を恣(ほしいまま)にしてきた結果、その成果が財政規律を考えない借金政治となって現れ、現在の国の借金が過去最大の882兆円、国民1人当たりに直すと、695万円という有難い財政無規律であろう。

 民主党は政策運営の弊害となる族議員形成の阻止を掲げている。成功するかしないかは別問題だが、族議員反対の意志を明確に持たなかった自民党政治に対して、民主党がその意志を掲げた点に限っても、政権交代の意義がある。

 政務三役とは、各省庁に於ける国会議員任務の閣僚、副大臣、政務官を指すが、自民党時代は政治主導ではなく、官僚主導の政治であったために政務三役とは名ばかり、大臣にしても政策、予算執行が官僚任せの官僚におんぶに抱っこであったことから、官僚なくして自民党議員、族議員は成り立たない存在形式へと自らを追い込んでいたために官僚の天下りや予算の無駄遣い、私的流用等に口出しも、突くこともできず、野放し状態としてきた。

 このことは民主党の事業仕分けが何よりも証明している。事業仕分けによって、初めてこれまでの野放し状態を断ち切る作業に取り掛かることができることになった。ここにも政権交代した意義を認めることができる。

 民主党は衆院選マニフェスト(政権公約)で「政務三役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する」と掲げている。政治主導だからと言って、特定の集団・団体に利益誘導を図らない保証はないが、自民時代の族議員主導・官僚主導の特定の集団・団体に利益誘導を図った政官財癒着政治からの転換を意図していることだけでも、政権交代の意義を認めなければならない。

 国民はもしも民主党の政治主導政治に賛成するなら、政治主導に反する事例が生じたときは批判を加えるなりして、政治主導がいい方向に向かうように、あるいは政治主導が慣例として確立できるように監視していかなければならない。

 自民党自体が自らの政治体質としてきた自民党政権時代の官僚主導政治、族議員政治を自ら総括・否定して間接的に民主党の政治主導政治、族議員政治否定を肯定、民主党への政権交代の意義を折角認めているのである。この機会を逃さずに政治主導政治、族議員政治否定の確立に目を向けなければならない。

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鳩山首相は内閣支持率下落は自身の政治的資質ではなく、菅直人同様に報道が原因と思っている

2010-05-22 06:10:20 | Weblog

 《ぶら下がり取材、避けたい?=鳩山首相》時事ドットコム/2010/05/18-20:47)

 5月18日夜の首相官邸での記者団ぶら下がり取材。鳩山内閣支持率下落原因について――

 記者「首相が語る内容より、報道に問題があると考えるか」

 鳩山首相「報道に問題があるなどと申し上げるつもりはない。・・・・ぶら下がりだと限られた方からの取材になる。それよりもすべての方々にオープンな記者会見をもっと活用したい」

 この発言を記事は次のように解説している。

 〈首相官邸では、米軍普天間飛行場移設問題などをめぐるマスコミ報道のせいで内閣支持率が下落しているとの不満があり、首相もぶら下がり取材は極力少なくしたいとの思いをにじませた。〉ものだと。

 鳩山首相の後段の発言の意味は、《【鳩山ぶら下がり】「ぶら下がりより記者会見を活用したい」(18日夜)》MSN産経/2010.5.18 20:05 )が、ぶら下がり取材とは首相官邸記者クラブの所属記者に限定された取材だと教えてくれる。

 要するに首相官邸記者クラブ所属記者限定のぶら下がりよりも、他の記者もより多く参加できる記者会見の方がいい、前者よりも後者の記者会見により善なるものとして価値を置こうとしているということであろう。

 その思いを、限られた記者だけではなく、その他大勢、より多くの記者を参加させたい親切心と解釈できないこともない。

 上記「MSN産経」記事はこのときのぶら下がり取材での鳩山首相の発言を詳しく伝えている。

 〈--最近、首相官邸内ではぶら下がり取材では首相の真意が伝わらないから見直したらいいんじゃないかという意見がある。首相も同じ考えか?。また、政権が普天間問題等で苦境にある中で、首相は首相ご自身が語られる中身よりも、それを伝える報道のほうにこそ問題があると考えるか

 「それは報道に問題があるなどというようなことを申し上げるつもりはありません。ただ、私はぶら下がりよりも、本来、記者会見を充実させるべきではないかと。よりオープンな形で、すなわち、ぶら下がりですと、限られた方々からの取材ということに、どうしてもなりますから、それよりもすべての方々に対してオープンな記者会見というものをもっと活用したいという思いは感じております。で、その方向に私の考え方はございますが、しかし、やはり今までぶら下がりをやってまいりましたから、これを今、ご案内の通り、続けているという状況でございます」〉――

 この発言を要約すると、上記「時事ドットコム」記事が伝える鳩山首相の発言となる。

 しかし、鳩山首相の言っていることに矛盾がある。と言うよりも、記者会見という事柄に対する認識に客観性を欠いている。

 ぶら下がりが首相官邸記者クラブ所属記者限定の、少人数相手の記者会見であったとしても、その内容は新聞・テレビの報道を通じて、国民に広く知れ渡る。特に首相官邸でのぶら下がり取材のテレビ報道は毎日のように目にするが、放送に編集があったとしても、肝心の発言箇所は首相の発言どおりに一言一句ストレートに伝わる。

 いわば「限られた方々からの取材」であったとしても、その報道を通じて国民に対してオープン化される点に於いて、「オープンな記者会見」と条件を異にするわけではない。また国民にしても、首相の発言に触れる機会は首相官邸でのぶら下がり取材の新聞・テレビの報道に依存することが多いとしても、首相官邸以外のぶら下がり取材、あるいは国会中継や正式の記者会見の中継等の新聞・テレビ報道に依存し、発言全体からその人柄や指導力、発言の整合性等を総合的に判断するのであって、そのような総合的判断に首相官邸でのぶら下がり取材が首相官邸記者クラブ所属記者限定であるとかないとかは判断の条件として関わってくるわけではないはずだ。

 にも関わらず、首相がそう発言したのは、背後にいる国民の存在に目を向けずに首相官邸記者クラブ所属記者だけを相手にしているという狭い認識に立っていたからだろう。

 普天間問題に限って言うと、成算も見通しもなく、「国外、せめて県外」と言ったこと、それを公約ではない、個人的な発言だとしたこと、誰に対しても納得させる成算がさもあるが如くに「私には腹案がある」と尤もらしく党首討論で言いながら、既に知れ渡っていた案でしかなく、しかも地元からもアメリカからも、連立相手からも反対されて、腹案どころでなかったこと、埋め立ては「自然への冒涜」だと高邁なことを言って現行案への回帰を拒絶したような素振りを見せておきながら、埋め立てではなく、杭打ち桟橋方式に変えて現行案への回帰を試み、それがアメリカの反対に遭うと、環境型だと言って、「自然への冒涜」の免罪符として埋め立て現行案に後戻りしたこと、「5月決着」と言っておきながら、それが無理な状況になっても、さも可能であるかのように「5月決着」を言い張り、ここに来て政府案の日米合意のみを以って「5月決着」の体裁を繕おうとしていること。

 そういった姿勢に対するマスコミの目、国民の目が決定づけることとなった評価が世論調査に現れた支持率であって、報道の問題ではないはずだ。

 要するに「時事ドットコム」記事が記者の質問として取り上げている言葉を使うなら、「首相が語る内容」に問題があったということであろう。

 鳩山首相自身は口では、「報道に問題があるなどというようなことを申し上げるつもりはありません」と言っているが、ぶら下がり取材から「オープンな記者会見」に軸足を移そうと意志していること自体が既に「報道に問題がある」としていることであろう。

  記者会見のこの発言は既に書いているように18日夜の発言である。少し前のブログで菅直人が鳩山内閣支持率下落について、同じ18日の午前の記者会見で同じ趣旨の発言をしていることを取り上げたが、この「少なくとも政権を担当した時点から比べれば、かなり景気も改善しているし、一歩一歩前進している。報道がしっかりしていれば国民に理解されるのではないか」の発言と考え併せると、鳩山首相の「報道に問題があるなどというようなことを申し上げるつもりはありません」は腹の中では反対のことを思っていながら、差し障りなく体裁のいいことを言った発言としか解釈しようがなくなる。

 このように解釈するのは、報道に問題があるからなのだろうか。支持率低下はすべては自分自身が撒いた種である。例え自分自身に直接関係のない問題であったとしても、それをどう処理するかの自身の指導力が常に問われ、問われた指導力の発揮内容によって支持率へと如何ようにも関係していく。

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