日本維新の会が3月30日党大会を開催、党綱領を決めた。自分たちが決めたことをどれ程理解しているか分からないが、橋下徹らしい立派な言葉を並び連ねている。
「都市と地域、個人が自立できる社会システムを確立」と三者の自立を同列に扱い、前二者を個人の自立の上に置いていない認識が否応もなしに理解不足の疑いを生じせしめる。
《維新綱領の要旨》(時事ドットコム/2013/03/30-16:54)
そもそもからして日本維新の会のウエブサイトには「党大会お知らせ」の項目はあるが、「日本維新の会党綱領」という項目が未だ記載されていない。前以て決めていた党綱領だろうから、党大会と同時にいち早く国民に詳細に知らせる情報共有の姿勢を取ってこそ、国民と共にあろうとする姿勢を窺うことが可能となるのだが、そうなっていないところを見ると、言行不一致、有言不実行を感じ取らざるを得ない。
では、記事が伝える綱領要旨の最初の2項目を見てみる。
1項目「日本維新の会は、都市と地域、個人が自立できる社会システムを確立し、世界で常に重要な役割を担い続ける日本を実現する。」
2項目「わが国の歴史と文化に誇りを抱き、良き伝統を保守しながらも、多様な価値観を認め合う開かれた社会を構築する。地域や個人の創意工夫、自由な競争で経済と社会を活性化し、賢くて強い日本を構築する。」――
「日本維新の会は、都市と地域、個人が自立できる社会システムを確立し」と言っていることは、現状では確立していないことの裏返しの表現であろう。
現実に於いても地方分権=地方の自立は今以て確立できていない。いわば地方は国家の地方に対する支配を許しているということである。
このような国家(=中央)による地方支配の構造を以って中央集権と言っているはずである。
では中央集権の由って来たる理由は何かと言うと、組織とか機構とかは個人の集団によって成立しているのだから、組織・機構が自立していないということは個人が自立していないことになる。
自立していない個人が組織している組織・機構だからこそ、組織・機構にしても自立していない状態に陥る。
個人個人が自立していたなら、組織・機構自体の自立をイコールとするはずである。
いわば個人の非自立が反映した組織・機構の非自立であるはずである。
では、中央に位置する国家自体は自立しているかというと、国家自身が自立していたなら、国家を構成する日本人だけが自立していない自己矛盾を生み出すことになり、個人の非自立に対応した国家の非自立と見なければならない。
もし国家が国家を構成する個人と共に自立していたなら、国家の自立は地方にも反映して、地方に対しても対等の自立を求めるはずだから、現実にはその逆の上に立つ国家が下に位置する地方等の組織・機構の自立を抑制していることになる。
この抑制の構造は国家が地方に対して相互に自立した対等な関係ではなく、対等とは反対の上に位置している上下の関係性が可能としている、国家の非自立に対応した下の自立に対する抑制であろう。
要するに兼々言っているように国家と地方は権威主義関係にあるということである。上を上位権威に置き、下を下位権威に位置づけて、上の権威が自らを絶対として下の権威を従わせ、下の権威が上の権威に従う上下の従属的関係性をそのまま反映させた上の非自立が強いることとなっている下の自立の抑制であり、相互対応としてある非自立ということであろう。
では、個人の非自立を反映させて国家・地方共に非自立の存在であることを前提として党綱領2項目の「わが国の歴史と文化に誇りを抱き、良き伝統を保守しながらも、多様な価値観を認め合う開かれた社会を構築する。地域や個人の創意工夫、自由な競争で経済と社会を活性化し、賢くて強い日本を構築する。」を見てみる。
自立した個人こそが他に支配されない、あるいは他に従属しない自立した認識を持ち得る。
逆に自立していない個人は他に支配された、あるいは他に従属した認識しか持ち得ない。
この最適の例として戦前の1937(昭和12)年3月文部省が「国体の本義」を刊行して全国の官公庁や学校に配布、国民の国家観、伝統観を支配・規定した例を挙げることができる。
日本という国を天皇を親として、国民をその子ども――赤子と位置づけることで皇室を宗家とする一大家族国家と規定して、天皇への絶対従属を説き、そのことの正当化理論として共産主義の温床と理屈づけて個人主義を排撃し、西洋文化を排除、国民を日本文化と伝統を絶対とする全体主義に導いた。
もし当時の日本人がそれぞれに自立していて、自らの考えで自らの行動を決めていく姿勢を獲得し得ていたなら、現在でも自立していないのだから、あり得ない仮定選択肢なのだが、「お国のために、天皇陛下のために」と無条件・無考えに戦争遂行に協力することはなかったし、勝敗逆転が不可能とな敗色濃厚となった早々の時点で国民自身が戦争を止める自立した力となり得ただろうが、国民が軍国日本の意志代弁者であることから離れて自らの意志を示すことができたのは日本がポツダム宣言を受け入れて敗戦が決まってからであった。
だからと言って、自立した存在となり得たわけではない。単に戦争の責任を怒りに任せて政府と軍部になすりつけた意志表示に過ぎなかった。
要するに「わが国の歴史と文化に誇りを抱き、良き伝統を保守」するについても個人の自立を基本としなければ、その人独自の生きた知識・教養として身につき、その人独自の自立した行動性に結びつかないということである。
勿論、戦前のように上が解釈した歴史と文化、伝統に一律的・画一的に従属した全体主義的な行動性は期待できる。「国体の本義」がその重要な役割を担った。
上記記事が紹介する日本維新の会党綱領の最後の2項目、「日本が世界で名誉ある地位を占めることを実現する。価値を共有する諸国と連帯し、世界の平和に貢献し、文明の発展と世界の繁栄に寄与する。」にしても、「国家再生のため、決定でき責任を負う民主主義と統治機構を構築するため体制維新を実行する。」にしても、日本人全体が自立した存在たり得ていなければ、「世界で名誉ある地位を占める」ことも、「国家再生のため、決定でき責任を負う」ことも困難となる。
自立するということはまた、主体的存在となるということ意味する。主体的であることが可能とする「世界で名誉ある地位」であり、「決定」と「責任」だからだ。
主体的でない存在が組織や機構を代表して決定し、責任を負うということは矛盾そのもので、大した決定も責任もできない。当然、どのような名誉ある地位も期待できない。
以上書いてきたことを振り返ると、党綱領が立派な言葉を並べて決めたことの実現のすべては個人の自立を何にもまして要件とすることによって出発点とし得ることになる。
だが、立派な言葉を並べただけで、そのことへの視点を欠いている。
日本の教育自体が教師が伝達する知識・情報に従属させるだけで、結果として児童・生徒が自ら考えて自分なりの知識・情報へと高める過程を欠き、その過程で獲得していく個人の自立を阻んでいるのである。
日本の教育が児童・生徒に対して個人の自立を促す教育たり得ていない以上、日本の教育システムを根本的に替えなかればならないはずだが、教育に関しては「基本的な考え方」として、教育の機会平等の保障にしか触れていない。
この記事の冒頭で、「自分たちが決めたことをどれ程理解しているか分からないが」と書いたのはこの点を指す。
学校社会が一般社会に送り出す人材を自立していない人材として送り出す循環を繰返していたなら、日本維新の会党綱領がいくら立派な言葉を並べ立てたものであっても、絵に描いた餅と化しかねない。
例え地方分権がそれなりに体裁を整えることになったとしても、自立していない人間が地方を組織するという滑稽な状況が生じる。上の権威に位置する官僚が自立していないままに権威のみを力に国家を運営しているようにである。
当然、満足に機能する「決定」や「責任」は望むことはできない。満足な「決定」や「責任」の存在しない場所に迅速かつ生産性の高い役割は期待できない。
中央と地方の上下関係が両者間の格差の原因となっている効率性の悪い中央集権であっても、兎に角国家運営を成り立たせているように、形式だけの地方分権であっても、格差や過疎化を抱えたまま地方を成り立たせていくことはできる。
個人の自立への視点を欠いたまま。
――企業の「処理能力優秀な指示待ち人間」評価は東大生に限らない――
3月22日(2013年)放送のTBSテレビ「ひるおび」で、企業の東大卒業生に対する評価を次のように紹介していた。
「東大生は企業から見ると処理能力は優秀だが、 指示待ち人間が多い」――
パソコンを叩きながらで、しっかりと聞いていたわけではなく、この紹介しか頭に入って来なかった。
評価の意味は全員が全員そうではないが、総体的に指示した仕事の処理能力には力を発揮するが、それだけの才能しか持っていない人間が多いということであろう。何しろ仕事の指示を待ってから、その仕事を、多分二流三流大学の卒業生顔負けの鮮やかさで処理する点に関しては長けているということなのだから。
いわば指示がなくても必要とする仕事を自ら率先して創り出し(創造し)、取り組み、成果を上げていく果敢な姿勢を持ち合わせている東大卒業生は少ないと言っているのである。
だが、こういった評価を聞いたとしても、驚かなかった。2010年7月11日放送のフジテレビ「新報道2001」で、既に建築家の安藤忠雄が自らの経験から言い当てていたからであり、言い当てるの待つまでもなく、こういったことが暗記教育の成果だと兼々考えていたからだ。
このことは2010年9月23日当ブログ記事――《2010年7月11日放送「新報道2001」『答のない時代 教育とはナンだ?』を読み解く(1~7) - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。
須田アナ「安藤さんところに優秀な新人が入ってきたそうですが、如何ですか、期待度は?」
安藤「優秀な、学校だと言うだけでは。優秀な学校だと言われている学校だけれども、先ずは自分から一歩踏み込むことはしないから、言われたことはやる。だけどそれ以上のことはやらない」
須田アナ「そしたら、どんどん言うんですか?どうなんですか?」
安藤「私はどんどん言います。朝からバンバン言いますが、掃除ひとつできない」
吉田恵アナ「言い続けていくと、どの方向にどんどん変わっていくのですか?」
安藤「ちょっと遅いですけどね、大学出ていたら、24でしょ?」
須田アナ「へこたりませんか、安藤さんの強い言葉にパッパと言われると」
安藤「大阪弁で喋る。何か恐怖感を持つらしいですよ」
須田アナ「あの、社会に羽ばたくにはやはりチャレンジ精神ですかね?」
安藤「ですね。やっぱり強い気持ちを持たないといけないと思います」
安藤忠雄建築事務所には東京大学工学部建築学科卒や京都大学工学部建築学科卒等、錚々たるメンバーを採用しているそうだが、「自分から一歩踏み込むことはしない」、「言われたことはやる」、「それ以上のことはやらない」と言っているのだから、「ひるおび」で紹介した企業の東大卒評価と何ら変わらない。
要するに決められたレールに乗って走ることは得意だが、レールから飛び出すことは知らない。
しかも、「掃除ひとつできない」動作状態にある。例えこれまで部屋の掃除は母親任せで、一度の経験がなく、初体験であっても、どう手を付けたら効率よく綺麗にできるかを先ず頭で考えながら、兎に角試行という名の実行に移してみて、試行の過程で今まで経験してきたことからの応用をも含めてよりよい方法を見つけ出していくことが掃除に限らず、経験したことのない仕事に取り組む場合に求められる姿勢であるはずだが、経験したことのない仕事の場合は指示されても満足にできないというのでは、挑戦という文字は自らの辞書の中に存在させていないことになる。
尤も私自身挑戦の姿勢ゼロだから、あまり偉そうなことは言えないが、私は大学にも行っていない人間で、天下の東大と言われている大学卒である以上、挑戦に縁のない姿勢と言うことなら、「天下」という名称が泣くことになる。
頭脳優秀だと言われていて、創造的な知性・教養の発揮に関しては先頭に立っていいはずの天下の東大卒が一般的に指示された仕事の処理能力は優秀だが、指示されない仕事に関しては自ら必要性を見い出して創り出していく、仕事の創造と挑戦に劣るということなら、他は推して知るべしの全体的に創造性と挑戦的態度を欠いていることになる不満足な知性・教養は保育・幼稚園、小中高、大学生活の蓄積の上に成り立っているはずだ。
いわば保育・幼稚園、小中高、大学とも、そこで伝達する知識・情報が創造的な知性・教養の涵養と挑戦的姿勢の涵養に役立っていないことになり、東大卒業生ですら、このような人間像を成果としているということであろう。
原因は兼々言っているように保育・幼稚園、小中高、大学の全体を覆う日本の教育が考えるプロセスを介在させていない暗記教育だからなのは論を俟たないはずだ。
当然、解決すべき方向性は既に決まっていることになる。
文部科学省は3月26日(2013年)、2014年度から使用の高校2・3年生向け教科書の検定結果を発表している。1年生向け教科書の検定は昨年度終えているそうで、1・2・3年生全体の主要10教科の平均ページ数は現行版に比べ15%増えたという。
小学校も中学校も教科書のページ数が増えている。インスタントラーメンとかの増量宣伝ではないが、教科書のページ増量が時代的趨勢であるようだ。
文科省の学校教科書増量作戦は解決すべき方向性に的確に歩を進めているのだろか。
いわば「東大生は企業から見ると処理能力は優秀だが、 指示待ち人間が多い」という企業の評価を払拭し、併せて他の卒業生にも応用できる方向に確実に向かう保証を備えているのだろうか。
教科書が問題ではなく、日本の教育システム自体が問題となっているのであって、そこに生徒が自ら考えるプロセスを介在させなければ、精々可能なことは暗記量の増量に手を貸すだけのことで、考える力の増量とはならないはずだ。
単に教科書のページ数を増やしただけでは東大卒業生を筆頭とした不満足な知性・教養人間の増量に手を貸すだけのことで終わりかねないように思える。
この懸念は愚かな杞憂に過ぎないのだろうか。
教科書検定問題を取り上げた「沖縄タイムス」記事に、〈沖縄分離の背景とされ、米軍の長期占領を認めた「天皇メッセージ」については実教出版の日本史B1冊のみだった。〉と、「天皇メッセージ」に触れた教科書は1冊のみだとする記述があったが、「天皇メッセージ」なるものの存在についての知識は無学文盲ゆえ、一切なかった。 《昭和天皇の「沖縄メッセージ」》(風のまにまに(by ironsand)/2006-12-31)
国家主義者安倍晋三が1952年のサンフランシスコ講和条約発効から61年を迎える今年の4月28日に主権回復を記念する式典「主権回復の日」を政府主催で開催するとしたことに対して、日本本土にとっては主権回復の日であっても、沖縄にとっては独立どころか、逆に米国施政権下に置かれることとなった「屈辱の日」とされているということを新聞記事で知っていたから、天皇のメッセージが関わっていた沖縄分離ということなら、「主権回復の日」は違った側面を映し出すことになる。
《主権回復式典に強い不快感=講和条約発効、切り離された日-沖縄知事》(時事ドットコム/2013/03/12-22:39)
仲井真沖縄県知事「(条約発効で)沖縄を置き去りにして46都道府県が占領状態から解放された。向こう(日本本土)は慶賀に堪えないでしょうけど。
なぜ突然やるのか分からない。理解できないところがある」
翁長雄志那覇市長「僕らの立場からするとある意味、切り離された日だ」
沖縄の日本復帰は1952年の主権回復から20年も遅れた1972年(昭和47年)5月15日の米国の施政権返還によって実現した。
そこで「天皇メッセージ」をインターネットで調べてみて、歴史に詳しいわけではないが、調べ上げた範囲内の文言に解釈を施す形で自分なりに答を出して見ることにした。
当然、妥当な解釈となっているかどうかは、それぞれの判断に委ねるしかない。
最初にサンフランシスコ平和条約締結までの経緯を見てみる。
1947年(昭和22年)3月に連合国軍最高司令官マッカーサーが早期講和条約を提唱、極東委員会構成国に対して対日講和予備会議の開催を提案した。
但しソ連・中国(国民党政府)が反対し、挫折。
米国は日本がソ連勢力圏に取り込まれることを阻止、米国の同盟化を狙って日本の政治的安定化と、その安定化をバックアップする経済の安定化を図ることを先手とした。
経済の安定(=国民生活の安定)こそが政治を安定させるというわけである。
政治と経済の安定は1951年まで待たなければならなかった。この間、冷戦が進行して、米ソ間に色々な問題が生じたはずだが、1951年9月4日からサンフランシスコで講和会議を開催。
1951年9月7日、吉田茂首相による条約受諾演説。
1951年9月8日、会議参加国のうちソ連、ポーランド、チェコスロバキアの3カ国を除く49カ国が署名。
1952(昭和27)年4月28日 サンフランシスコ平和条約と(旧)日米安全保障条約発効。
次に「天皇メッセージ」であるが、米国国立公文書館に収蔵されている1947年9月22日付の英文のコピーで、米国による沖縄の軍事占領に関して宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をシーボルト自身が纏め、国務長官宛に出したメモだそうだ。
次のブログから参考引用する。和数字を算用数字に替えた。
(a)総司令部政治顧問シーボルトから国務長官宛の書簡
主題:琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解
国務長官殿 在ワシントン
拝啓
天皇のアドバイザーの寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする1947年9月20日付けのマッカーサー元帥あての自明の覚え書きのコピーを同封する光栄を有します。
米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
敬具
合衆国対日政治顧問 代表部顧問
W.J.シーボルト
東京 1947年9月22日
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「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」を主題とする在東京・合衆国対日政治顧問から1947年9月22日付通信第1293号への同封文書
コピー
連合国最高司令官総司令部外交部
1947年9月20日
マッカーサー元帥のための覚え書
天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを私に伝える目的で、時日を約束して訪問した。
寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立ち、また、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼及び左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような“事件”をひきおこすことをもおそれている日本国民の間で広く賛同を得るだろうと思っている。
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)にたいする米国の軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借――25年ないし50年あるいはそれ以上――の擬制にもとづくべきであると考えている。天皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島に対して永続的野心を持たないことを日本国民に納得させ、また、これによる他の諸国、とくにソ連と中国が同様の権利を要求するのを阻止するだろう。
手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。寺崎氏によれば、前者の方法は、押しつけられた講和という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解を危うくする可能性がある。
W.J.シーボルト
「擬制」とは、日本が沖縄に対して潜在主権を持つものの、それは表面的な装い・形式に過ぎず、実質的にはアメリカの占領状態であったという意味での「擬制」と言うことなのだろう。
『潜在主権』「アメリカの信託統治下にあったかつての沖縄に対し、日本が潜在的に持つとされた権利。立法・行政・司法上のあらゆる権利はアメリカが持つが、領土の最終的処分権は日本に残存されるというもの。残存主権」(『大辞林』三省堂)
要するに沖縄という領土の最終的処分権は日本にあるのだから、いつかは返還して貰うが、返還までの立法・行政・司法上のあらゆる権利はアメリカ側にあり、日本の権利はどのようにも及ばないという取り決めなのだから、実質的な占領支配と何ら変わらない。
日本の天皇が「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること」をアメリカ側に伝えたのは敗戦から2年後の1947年9月22日である。
サンフランシスコで講和会議が開催された1951年9月4日から遡る3年9カ月前のことである。当時から日本全土で主権を回復し、独立を果たそうという気運が充満していたと思うが、現実には沖縄を含めて日本自体がアメリカの占領下にあった。
いわばアメリカの占領下という点に於いて沖縄の基地問題を除いて日本本土も沖縄もほぼ平等な状態にあったはずだ。当然、主権回復と独立は沖縄を含めた日本全体を選択肢として初めて、沖縄と日本本土間の平等は維持される。
だが、天皇は講和条約締結から3年9カ月も前に沖縄の軍事占領をアメリカに勧めていた。
そして天皇が勧めてから3年9カ月経って、講和条約を締結するに至り、翌年4月28日の条約発効で独立を果たすことができ、主権を回復した。
同時にアメリカは沖縄・奄美諸島・小笠原諸島を施政権下に置き、占領状態とした。
アメリカ政府と日本政府との間に様々な取り決めがあっただろうが、要約するなら、結果的に天皇の勧めにアメリカは応じたのである。少なくともそういった経緯を取っている。
ごくごく常識的に考えても、「天皇メッセージ」がアメリカの外交・防衛上の欲求を満たして、その欲求を現実化させた講和条約締結としか見えない。
日本側から言うと、沖縄・奄美諸島・小笠原諸島の占領を交換条件に主権と独立を獲得したと指摘することができる。
悪い言い方をすると、沖縄・奄美諸島・小笠原諸島を貢物にして主権と独立を手に入れた。
問題は天皇自らの意志によって「天皇メッセージ」を発したかである。
シーボルト連合国最高司令官政治顧問が「天皇メッセージ」として国務長官宛に伝えた日付は1947年9月22日。天皇の御用掛の寺崎英成がシーボルトに天皇の意向を伝えた日は1947年9月22日からそう遠く遡ることはないはずだから、日付はそれ程違いはないはずだ。
日本国憲法の公布は1946年11月3日。施行は1947年5月3日。1946年11月3日の公布の時点で既に天皇は象徴天皇の地位に据えられ、日本国憲法第4条「天皇の機能」第1項で、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定められる立場にあることは1946年11月3日の公布を待たずとも理解していたはずだ。
天皇の御用掛の寺崎英成自身にしても弁えていなければならない日本国憲法の天皇規定であったろう。
だが、「国政に関する権能を有しない」と規定されていながら、沖縄の地位に関する政治行為を行った。
天皇自身、背後からの日本政府の関与なくして為し得ない政治行為と見なければならない。日本政府が発した「天皇メッセージ」だということである。
沖縄犠牲の汚れた手で獲得した日本の主権回復・独立であるなら、胸を張って祝うことはできないことになるが、安倍晋三は逆にその日を、誇りとする意図があるからだろう、政府主催で祝典とする。
その歴史認識は理解し難い。
私自身にとっては安倍晋三の「主権回復の日」が炙り出した“天皇メッセージ”といったところである。
卒業式のシーズンが幕を閉じつつあり、新入式のシーズンを迎えようとしている。卒業式の式次第(式次)はほぼ形式化されている。平成何年度の○○学校卒業式を開会しますの「開会式の言葉」、「君が代斉唱」、「校歌斉唱」、「卒業証書授与」、「学校長式辞」、市長や県知事の「来賓祝辞」、在校生の卒業生を送る言葉を述べる「在校生送辞」、それに答える「卒業生答辞」、そして「仰げば尊し」や「蛍の光」を全員で歌う「式歌斉唱」と大体が決まっている。
最も最近では定番となっている「仰げば尊し」や「蛍の光」に替えて、SMAPの「世界に一つだけの花」や森山直太郎の「さくら」、長淵剛の「乾杯」を歌うケースも多くなっているという。いわば時代なのだろう。
どんな歌であれ、式歌斉唱が最も感動的で、最も涙を誘う場面であろう。だが、感動も涙も記憶に僅かに残るとしても、一過性で長続きはしない。
なぜなら、卒業式が終わって現実世界に戻ると、感動などザラには転がっていないからだ。
尤も高校の卒業式となると、既に希望通りの大学受験に合格している卒業生にとっては期待に胸膨らむ思いでいるかもしれないが、逆に不合格の卒業生にとっては日々が苦い現実であるに違いない。
何れにしても卒業は人生に於ける一つの区切りが終わり、次の区切りに向かう新たなスタートラインである。個人的には卒業式が自らの思いを新たにするキッカケを与えてくれて、人生に立ち向かう決意を奮い立たせるといったこともあるだろうが、大事なことは卒業式ではなく、小学校で6年間、中高校で3年間ずつの学校生活こそが人間形成に深く関わった大事なことであって、一見すると卒業式がそのような学校生活を締め括って次の人生に向かう転換点であるように見えるが、実際には児童・生徒個人個人が前の生活で得た自己同一的且つ実体的な経験や知識を糧に次の生活に如何に繋げつつ人間形成を高めていくかであって、その役割を卒業式が実質的に担っているわけではない。
あくまでも個人個人が担っている人間形成であって、そのことを如何に自覚するかである。
当然、例え来賓の市長や県知事が祝辞でいくら立派なことを述べようとも、大概は秘書が書いた原稿を読み上げるだけだと言われているが、児童・生徒のこれまでの経験と知識を刺激して、そこから新たな経験と知識を芽吹かせるような実体的な言葉でなければ、次の段階に向けた人間形成の役には立つまい。
インターネット上にあった2010年3月1日、京都府立峰山高等学校の卒業式を一例に挙げてみる。
中山泰京丹後市長「 本日ここに京都府立峰山高等学校 第62回卒業証書授与式が挙行されるにあたり、一言お祝いの言葉を申し上げます。
307名の卒業生の皆さん、今日の佳き日、ご卒業誠におめでとうございます。
この3年間は皆さんにとってどのような日々であったでしょうか。きっと、高き理想を持たれ充実され、そして、今、一生懸命に頑張った3年間の思い出が走馬灯のようになつかしく心を駆け巡り、感慨もひとしおのことと存じます。
今後は、いち早く実社会で活躍される方、進学される方、各々歩まれる道は変わりましても、伝統ある峰山高等学校の卒業生であることに誇りを持たれ、溢れる夢と志を抱いて、自己の信じる道を力強く、粘り強く切り拓いていかれますよう心からご期待をしています」云々――
「高き理想を持たれ充実され」とか、「伝統ある峰山高等学校の卒業生であることに誇りを持たれ」、「溢れる夢と志を抱いて、自己の信じる道を力強く、粘り強く切り拓いていかれますよう心からご期待」とかは児童・生徒それぞれの自己同一的且つ実体的な経験と知識と響き合って、それを刺激し、高める言葉とは到底言えず、多くの来賓が口にする月並みで奇麗事に過ぎない、空疎な言葉ということになる。
既に卒業式に何が必要かを書いた。式歌斉唱して、感動し、涙を流していっときの充実感に浸るのもいいだろう。児童・生徒が小学校で6年間、中高校で3年間ずつの学校生活で得た自己同一的且つ実体的な経験や知識に僅かな数行を付け加えて、次の生活に繋がっていく人間形成に実体的に役に立つというなら。
だが、形式化した卒業式からはそういったことは期待できまい。
先ずは小学生なら6年間の、中高校生なら3年間の学校生活で得た経験や知識がどのようなものであったか、それぞれが自覚しなければならない。人間形成は経験や知識に基づき、ほぼ等身大を形作るから、経験・知識を自覚することによって自らがどういった人間か確認し、そうすることが人間形成への少なくない助けとなるからだ。
だとするなら、卒業式という学校生活の締め括りの日に従来の卒業式に代って各個人の悩みを聞き出し、解決方法を教えるカウンセラーのように卒業生全員から、小学生なら6年間の、中高校生なら3年間の学校生活での、ときにはそれ以前にまで遡ってそれぞれの経験や知識を聞き出すことで、それぞれがどういった経験をしてきたか、どういった知識を獲得するに至っているか、どういった人間として存在しているかを聞き出すと同時に自覚させる、聞き出す側が自覚の手助けをする確認作業となる手続きこそが卒業式にふさわしいということになる。
では、どういった手続きが最適かと言うと、大勢のゲストを全面に半円形に配置して、司会者がそれぞれのゲストに質問することでそれぞれの経験と知識を聞き出して、ユーモアを交えてゲストの人となりを炙り出すトーク番組形式の卒業式が児童・生徒の経験・知識を聞き出して自覚させる形式として最もふさわしいのではないだろうか。
大勢が集まった場所でお互いが話をして自らがどういった人間かを確認する作業は自分以外の人間の経験・知識をも知ることになって、お互いにどういった人間かを確認する相互作用となり、その確認がまた自身の経験・知識の積み重ねとなって跳ね返り、人間形成の養分となるはずだ。
講堂に椅子を半円形に並べて、生徒それぞれにピンマイクを付けさせ、卒業生の担任を担ったすべての教師が司会役となって、生徒それぞれの経験と知識を聞き出していく。
教師はよりよく人間像を知り得ているクラスの生徒に質問が集中しがちとなるが、クラスの生徒に限らず、生徒の発言に応じて、様々に言葉をぶっつけて、経験と知識をより深く、より広く聞き出さなければ、生徒自身の自らの人間像を自覚する手助けとはならない。
勿論、在校生も出席して、卒業生のトーク作業を見守る。知らなかった卒業生の人となりを具体的に知り得た場合、在校生の知識・経験の糧ともなり、自身の人間形成の一助にもなり得るはずだ。
親が離婚したり再婚したりした児童・生徒もいるだろうから、先ず離婚統計、再婚統計を話して、離婚・再婚が特別のことではないことを知らせてから、「この中に親が離婚した児童・生徒はいるか。どうだ、辛かったこと、悲しかったこと、逆に良かったと思ったことなど話してみないか。親の離婚・再婚が経験となって、これからの人生に役立つかもしれないし、話がほかの児童・生徒の人生に役立つかもしれない」と聞き出すのもそれぞれの知識・経験の相互的な自覚と相互的な人間形成に役立つのではないだろうか。
話を聞き出す司会役の教師は親の事情とは別に、例えハンディギャップを負っていたとしても、自分自身がどう生きていくかは自分自身が決めていかなければない問題だということを教えなければならない。
いじめ問題や体罰も取り上げなければならないだろう。
「先生に体罰を受けた児童・生徒はいるか。イジメを受けた児童・生徒は。先生に相談したが、相談に乗ってくれなかった先生はいるか。どうだ、もう卒業していくのだから、思い切ってぶちまけてしまわないか」
みんなの前で話すことによって辛い経験がカタルシスの手助けとなり得る場合もある。また、このことが新たな経験と知識となって、人間形成の薬味となるはずだ。
トークが終わったところで、「君が代斉唱」、「校歌斉唱」、「卒業証書授与」、「式歌斉唱」へと進んでいく。紋切り型の校長の式辞や来賓の祝辞などは要らない。「在校生送辞」も「卒業生答辞」も要らない。
卒業生たちが自身の経験と知識を話し合い、それを在校生が聞くことに優る送辞・答辞はあるまい。
「式歌斉唱」がいっときの感動、いっときの涙で終わったとしても、それぞれが知識・経験を話すことで相互に知識・経験を共有し、共有することで深めた相互理解・相互信頼はなかなかに忘れることはないだろう。
こういった児童・生徒の経験と知識を聞き出し、自分自身をどういった人間かを相互に自覚させるトーク形式の卒業式の方が従来の形式化した卒業式よりも遥かに意義あると思うが、どうだろうか。
願わくば、聞き出し名人の司会者さんまみたいな教師が司会役を務めたなら、他に望むことはないのだが、教師は教師同士で絶妙なタイミングで話を巧みに聞き出す練習をしなければならない。
教師にしても言葉を獲得する訓練となる。
以上の新しい卒業式は空想に近く、現実的でないかもしれない。だとしても、教師と生徒が教科書の問題以外の個人的な問題でも忌憚なく話し合うことの出来る人間関係の構築は望ましいはずだ。
安倍首相が3月24日(2013年)午後、福島県郡山市を訪問、東日本大震災の原発事故の風評被害に苦しんでいる野菜農家や畜産農家など農業の現場を視察し、政府として農産物の風評被害対策に全力で取り組む考えを強調したと次の記事が伝えている。《首相 農産物の風評被害対策に全力》(NHK NEWS WEB/2013年3月24日 17時55分)
先ず畑の除染などに取り組んでいる農家を訪れ、畑に出て収穫の様子を視察した。
農家の夫婦「福島の農産物に拒絶反応を示す人がいたが、土の入れ替えなど、手探りで思いつくことを自分たちでやった。何千万円も経費はかかったが、立ち上がるための努力を重ねた」
安倍首相「仕事の場があって初めて復興はできる。大変な困難のなかでも従業員を解雇せず、よく頑張ってくれた」――
以上の発言からでは、土の入れ替え等を行った結果、福島の農産物に対する拒絶反応を少しでも縮小させることができたのかどうかは窺うことはできないが、安倍首相がこの後記者団に話した発言によって縮小させることができていなことが判明する。
安倍首相「政治の仕事は、風評被害を払拭(ふっしょく)していくことだ。しっかりと政策にして実行することにより、福島の農業が再び力強く立ち上がることができるようにしたい」――
政治の力で風評被害を払拭させると力強く宣言している。
但し、「しっかりと政策にして実行する」と言っているが、具体的な農産物の風評被害対策を提示したわけではない。
だとしても、「しっかりと」約束した。
政治の力で風評被害を完全に払拭させることができると考えて、約束したのだろうか。
完全にはできないと考えつつ約束したのだろうか。
前者だとしたら、政治的認識能力は程度が低いと言わざるを得ない。
後者だとしたら、言葉の軽さを証明するだけで終わる。
政策的な風評被害対策は政治による農業に対する重要な危機管理の一つであり、ときには農業という一つの業種を超えて国の産業を守る危機管理ともなる。
だが、一般的に個人の自身に対する危機管理の第一は健康である。例え病弱の身で生まれついたとしても、最低限、現状の健康を守ることが危機管理の第一となる。
健康が自らの生命を約束し、人生を約束する基盤となる。
このような危機管理は自身の生命に対する本能とさえなっている。
当然、農林水産物に含まれる放射性物質が国の基準値以下で安心だ、健康に害はないといくら言われたとしても、福島県いわき市の水産関係者が築地を訪れていわきの魚の安全性をいくらPRしようとも、国民の心理的な面からのそれぞれの健康被害回避の危機管理は被災地の農林水産物回避となって否応もなしに現れることになる。
こういったことはテレビで放送する街の声が証明している。
若い母親が「幼い子どもがいるから、被災地の野菜や魚は食べさせることはできない」、あるいはお腹の大きな若い女性がお腹に手を当てながら、「生まれてくる子の健康を考えると、選り好みすることになる」等々と言っていることは生命に対するごく自然な本能的危機管理であろう。
妊娠中の母親は勿論、お腹の子の栄養に関係していくから、自身も被災地の食品は回避しているはずだ。
あるいはこれから結婚を人生の予定としてスケジュールしている若い男女に被災地の農林水産物を勧めた場合、食することを快く引受けてくれるだろうか。自身の健康やそう遠くない何時の日か生まれてくるだろう子どもの健康を考えて、極力被災地の農林水産物を避ける食生活を自分たちの健康維持・生命維持の危機管理として選択するに違いない。
政治の危機管理に対して果たして個人個人の生命維持の本能的な危機管理に勝てるのだろうか。
予期していなかった極端な金融危機に急激に陥ったとき、政府が銀行は大丈夫だ、倒産することはないといくら叫んだとしても、国民が預金を下ろしに銀行に殺到する取り付け騒ぎを抑えることができるだろうか。
自分のカネを守ることは健康を基本として次に重要な生命維持の危機管理である。
安倍首相はこういったことまで考えて、「政治の仕事は、風評被害を払拭(ふっしょく)していくことだ」と言ったのだろうか。
考えた上で言っていたとしたら、約束できないことを約束したことになり、口先だけのカラ約束となって、やはり言葉の軽さは免れることはできない。
考えていないままに言ったとしたら、頭の程度が疑われることになり、その認識能力が知れるばかりか、言葉の軽さという点で変わらないことになる。
風評は避けることのできない現実と把えて、除染に力を注ぎ、どの場所でも残留放射能に不安なく安心して生活できる環境を整えることが先決ではないだろうか。
そもそもからして原発事故から2年経過していながら、3月15日付の「NHK NEWS WEB」が、千葉県の10の市で原木椎茸から基準を超える放射性物質が検出されたため千葉県が県内使用の椎茸原木を検査したところ、全体の17%に当たる32万本が基準を超えているとみられることが分かったとか、同じく3月15日付の別の「NHK NEWS WEB」が、東京電力福島第一原発専用港の中で採取された「アイナメ」から、これまでで最大となる1キログラム当たり74万ベクレルの放射性セシウムが検出されたといった健康不安への記憶を新たにするニュースを今以て目にする以上、風評被害に対する政治の危機管理は個人の健康維持・生命維持の危機管理に対して力を削がれることになる。
健康不安の払拭のない場所に風評被害の払拭はないとさえ言うことができる。
では、政治の力を用いた風評被害の危機管理解決策が全然ないかと言うと、次の記事がその存在を示唆してくれる。
《東電 風評被害の賠償地域を拡大》(NHK NEWS WEB/2013年3月25日 20時32分)
東京電力が原発事故に伴う農林水産物の風評被害の賠償対象地域を、茶葉や牛乳・乳製品、水産物など7つの産品について北海道や広島県などにも拡大することを決めたと伝えている。
拡大する賠償対象地域と賠償対象産品。
水産物は北海道、青森県、岩手県、宮城県。
牛乳・乳製品は岩手県、宮城県、群馬県
キノコ類は青森県、岩手県、宮城県、東京都、神奈川県、静岡県、広島県。
倍賞対象は生産者だけではなく、加工業者や流通業者も加えると書いてある。
東京電力の倍賞対象費用は原発事故の風評被害による売り上げの減少や放射線検査の費用等。
このような記事自体が健康不安の記憶を新たにして健康維持・生命維持の危機管理の感覚を研ぎ澄ますことになり、政治の風評被害対策の危機管理を相殺する役目を結果的に果たすことになる。
結局のところ、放射性物質が国の基準値以下の農林水産物は市場に出すにしても、除染が進んで、住民が元の生活場所に帰還、老若男女全てが普通に生活し、普通に外出できることが可能となる地域の拡大が自ずと健康維持・生命維持を証明、そのことの反映として生じることになる風評被害の縮小を待つ以外に風評被害払拭の決定的な方法はないのではないだろうか。
その時が来るまで、代償として、東電に風評被害による損害を確実に補償させる。
何れにしても安倍晋三の「政治の仕事は、風評被害を払拭(ふっしょく)していくことだ」は実効的な具体策とタイムスケジュールを提示していない以上、口先だけ、軽い言葉と見做されても仕方がないはずだ。
大阪府知事だった橋下徹が府知事を辞任、府市二重行政の解消や大阪都構想を掲げて大阪市長選に出馬し、府知事は橋下徹と同じ大阪維新の会の幹事長松井一郎が橋下の後継として出馬した2011年11月27日投開票の大阪ダブル選挙は両氏の圧勝で終わった。
このとき、橋下の市長選対抗馬として戦った現職平松邦夫大阪市長の選挙応援に大阪市職員が勤務時間中に庁舎内で選挙活動を行っていたことから、橋下徹が問題視し、外部の弁護士等で構成の市調査チームを立ち上げ、市職員の政治活動や組合活動の実態調査を開始した。
《橋下市長 事前通知せずメール調査》(NHK NEWS WEB/2012年2月22日 16時44分)
調査の一環として、厚生労働省が職員に対する事前通知を指針としているにも関わらず、事前通知なしで市役所サーバー保存の約150人分の職員のメールデータの提供を市担当者に求め、受理していた。
橋下市長(通知なしのメールデータの提供について)「調査については了解していた。厚生労働省の指針の方が間違っている。事前に通知すれば削除されてしまう。生ぬるい調査では実態を解明できず、法律の範囲内の実効性ある調査で何の問題もない。大阪市役所の組合問題や政治活動の問題を徹底調査することが市民の求めだ」――
ごく常識的な疑問として、電子メールの本人に対する無断閲覧は通信の秘密の侵害に当たらないのだろうかという思いが浮かんだ。日本国憲法第21条「集会・結社・表現の自由と通信の秘密」第2項「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と定めている。
通信(=信書)とは一般的に手紙や葉書を指すが、電子メールも個人間や会社間の遣り取りでは秘密の通信の側面を持つのだから、信書の内に入らないのか調べてみた。
『信書に該当する文書に関する指針(案)」パブリックコメント時の御意見と総務省の考え方』
『意見の概要』《全日本運輸産業労働組合連合会》
「近年、FAXや電子メールなど電気通信の利用が大幅に増えているが、信書との関わりについての考え方を明確にすべき」
『総務省の考え方』
「ファクシミリや電子メールによる通信は、電気通信役務です。また、信書の送達は、紙等の有体物に記載された通信文を特定の受取人に送達することです」
役所らしい紋切り型、固定観念に彩られた答弁となっている。通信手段や通信材料が問題ではないはずだ。通信内容自体の取り扱いが信書に当たるかどうかの問題には触れていない。
しかもこのページは日付が記されていない。他のインターネットページと総合勘案して、電子メールは依然として信書ではないとされているようだ。
だが、厚生労働省が電子メールのサーバーからの開示には職員に対する事前通知を指針としているということはそこに「通信の秘密」(信書であること)を認めているからではないだろうか。
だとしても、橋下徹は「厚生労働省の指針の方が間違っている」として電子メールに「通信の秘密」の要素を一切見なかった。
橋下徹は市職員の政治活動や組合活動の実態調査の一環として同時に職員の政治活動に関するアンケート調査を指示、業務命令として提出を義務づけた。
対して市の労働組合側は2月13日に不当労働行為に当たるとして大阪府の労働委員会に救済を申し立てを行い、一般の裁判の仮処分に当たる措置として既出のアンケートの廃棄を合わせて求めた。
判断は2月22日に示された。
大阪府労働委員会「組合の運営などに対して、市側が支配したり、介入したりする不当労働行為に当たるおそれのある項目がアンケートには含まれていると言わざるをえない」
大阪市側に対して最終判断が出るまでアンケートの続行を差し控えるよう勧告。
但し勧告に法的な拘束力はないそうで、アンケート実施の市の調査チームは労働委員会への申し立てが行われたことを理由に提出されたアンケートを開封したり、分析したりすることを凍結した。
いわば大阪府労働委員会の判断待ちということになったということなのだろう。
そして11カ月後の3月25日(2013年)になってようやく判断が出た。《大阪市政治活動アンケートは「違法」》(NHK NEWS WEB/2013年3月25日 14時33分)
〈大阪府の労働委員会は、組合活動への違法な介入にあたる不当労働行為だと認め、市に対して、このような行為を繰り返さないことを誓約する文書を組合側に提出するよう命じ〉た。
3月25日の関係3者の発言。
労働委員会、「アンケートは市長が職員の組合活動に否定的な見解を強く表明している状況のもとで、強制力を背景に、記名式で行われたことなどを考慮すれば、組合活動への支配介入だと言わざるをえない」
橋下市長「厳粛に受け止め、命令に従う。不当介入ということであれば、大変申し訳ないので、組合に対しては謝罪もしなければいけない。
労働組合の活動に対して、正すべきはしっかり正していくが、これからは法にのっとった行政運営をするということを組合に対してしっかり意思表示したい」――
午前中の記者会見での発言だそうで、意外なと思う程謙虚に判断を受け入れている。
上谷高正大阪市労働組合連合会執行委員長「アンケートの違法性が指摘されて満足している。今回の命令は、橋下市長が進めてきた組合事務所の退去などの組合活動への介入を是正するよう求めたもので、今後の団体交渉で労使関係の健全化を進めていきたい」――
市役所サーバー保存のメールデータの提供問題はどうなったのか、どの記事も触れていない。
何れにしても一件落着かと思った。
ところが、午前中の発言を一転させ、同じ日の夕方になって再審査の申し立てを行う考えを示した。《橋下市長 再審査申し立ての考え示す》(NHK NEWS WEB/2013年3月25日 22時26分)
橋下市長「組合側は、自分たちがこれまでやってきたことをすべて棚に上げて、鬼の首をとったように、自分たちが正義で、市長は襟を正せと言うのは市民感覚にはそぐわないと思う。市民の代表として、それは違うと言わなければいけない」――
記事を読む限り、市の労働組合が大阪府労働委員会に申し立てて争った事案は大阪市長選挙期間中の市職員の勤務中の選挙活動・政治活動に対する市長指示のアンケート調査の妥当性であって、だからこそ記事は労働委員会のアンケートに対する判断を伝えているのであって、市職員労働組合のすべての活動を判断対象として正義だと認定しているわけではないはずだ。
当然、橋下徹はあくまでも大阪府労働委員会のアンケート調査に対する判断の妥当性に限って再審査申し立ての対象としなければならないにも関わらず、「組合側は、自分たちがこれまでやってきたことをすべて棚に上げて」と、すべての活動を非正義と判断、そのことを感情的な背景とし、且つ「市民の代表」をダシにして再審査申し立ての理由とする考え違いを犯している。
要は組合の活動を個別的に取り上げて個別に批判するなり争うなりすべきを個別を活動全体とすり替えて悪とするペテンを働かせている。
こういった心理が起きるのも、組合が「自分たちが正義で」どころか、自分自身を正義に置いているからこその、組合全活動非正義の発想であろう。
問題は午前中に大阪府労働委員会の判断を受け入れる意思表示を示していながら、その日の夕方になって一旦こうと決めた意思表示を再審査申し立ての意思表示に一転させたことである。
理由は二つあるはずだ。
一つ目は大阪府労働委員会が出すであろう判断に対して、それがいずれを支持する判断であっても、前以て理論武装をしておく危機管理態勢を取っていなかった。
二つ目は、理論武装を怠っていた上に判断が出た時点で自分の頭の中で考えを巡らせずに決めてしまった、熟考しなかったとしか考えることができない。
だから、午前中と午後とで発言を変えることができる。当然、その言葉は軽くなる。
過去に於いても普天間基地の移設問題で関空で引き受けるようなことを言って、あとになって発言を変えているし、大飯原発再稼働問題でも当初は絶対反対を言っていながら、夏季限定での稼働を認める発言をしている。
簡単に言うと、熟考せずにその場で思いつくままに決めてしまう性癖があるからだろう。熟考し、他とも議論を尽くした上で決めたことの発言を後で変えるとしたら、無責任極まりないことになる。
悪いことに自分が正義だと思っていて、その正義を熟考しないまま、あるいは相手との議論を経ずに他に強制するから、独裁性が生じることになる。
日銀総裁選出問題でも日本維新の会国会議員団が日銀総裁に黒田東彦アジア開発銀行総裁を推しているのに対して橋下徹は反対、その反対を国会議員団に押し付けようとする独裁性を発揮したときも両者間で議論を存在させなかった。
自己が常に絶対正しいとは限らないにも関わらず、誰とも諮らず、誰とも議論を尽くさずに自己を絶対正しいとして押しつける独裁性である。
多分、自分を正義だとしている思いが大阪府労働委員会判断受入れの午前中の意思表示が我慢ならなくなって、朝令暮改さながらに夕方になって変えるに至ったといったところではないだろうか。
自身を正義とする価値感の訂正は、それがほんの僅かなものであっても、自身の独裁性を損なうと同時に自尊心をも傷つけることになって、橋下徹という人間には耐えられないのかも知れない。
安倍首相が3月24日午前、根本復興相と共に東電福島第1原発事故で住民避難の福島県浪江町を訪問、人気(ひとけ)のない商店街を視察し、馬場有町長から被災状況の説明を受けた。
《首相「時が止まったよう」 福島・浪江町を視察》(日経電子版/2013/3/24 14:28)
記事は現在、全域が警戒区域や計画的避難区域に指定されて原則立ち入りできないことになっている浪江町が4月1日から原則立ち入り禁止の「帰還困難区域」のほか、日中立ち入りできる「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3区域に再編されると伝えている。
このことを前提に安倍首相の視察の目的は、〈近く避難指示区域が再編されて日中は立ち入り可能な区域ができるのを前に地域の現状を把握する狙い。〉と解説している。
安倍首相(人気のなさに)「時が止まったような状況だ。復興を加速化させていきたい」
馬場有町長からは将来の住民の帰還に必要なインフラの速やかな復旧を要請されたという。
「時が止まったような状況」とは、住民帰還にまで政治の力が及んでいない状況を言うはずである。だからこその復興の加速化――時の針を前に進めなければならないということなのだろうが、2011年3月11日の大震災発生から2年経過してもなお生活再建にまで至らない時の停止を招いている復興に向けた政治スケジュールの妥当性(=政治の力)をこそ問題としなければならないはずだ。
そのことを問題とせずに単に人気がないから、「時が止まったような状況だ」と言うのでは単に状況を表面的に見たままを言っているに過ぎないことになるし、一国の首相がそのような発言をする日本の政治の質も問われることになる。
住民帰還・生活再建は偏に除染の成果にかかっている。
浪江町のHPや環境省のHP、その他のHPを参考にコマ切れの記述から、除染スケジュールを拾い出してみた。
●2011年8月末――国の責任で除染を義務付ける等を内容とした「特別措置法」公布
●実施期間(2011年12月7日~2011年12月19日)
防衛省自衛隊による村役場除染
本格的な除染事業を開始するに当たり、福島県富岡町、浪江町、楢葉町、飯館村等の各町役場を除染。
●国直轄の除染を義務付ける「特別措置法」(2011年〈平成23年〉8月末公布。
●2011年12月7日~2011年12月19日
民間業者による本格的な除染事業を開始するに当たり、防衛省自衛隊による福島県富岡町、浪江町、楢葉町、飯館村の各町役場除染。
●2012年1月1日――国直轄・民間業者施工除染特別地域の指定。
●2012年1月26日――除染特別地域の除染の進め方についての考え方を「除染特別地域における除染の方針(除染ロードマップ)」として示す。
●実施期間(2012年6月~2012年12月)――浪江町拠点施設の除染(浪江町HP)
2011年3月11日の大震災発生から2011年8月末の国の責任で除染を義務付ける等を内容とした「特別措置法」の公布にまで5カ月も必要としている。
公布から本格的な除染事業を開始するに当っての自衛隊による各町役場の先行除染に取り掛かるまで3カ月。
さらに国直轄・民間業者施工除染特別地域の指定に「特別措置法」公布から計算して4カ月。
「除染ロードマップ」策定までに「特別措置法」公布から5カ月。
「除染ロードマップ」策定から浪江町拠点施設の除染完了まで約11カ月。地震発生から約20カ月も経過している。
その上、現在に至っても浪江町商店街は人気がない。
但し避難指示区域が再編されて、浪江町の一部区域に限るが、4月1日から日中のみが立ち入り可能となる。
一見すると、除染が進み、住民の帰還に向けて一定の進展があるように見えるが、2011年3月11日の大震災発生から「特別措置法」公布まで5カ月、除染の方針を示す「除染ロードマップ」策定までに2011年3月11日の大震災発生から10カ月、「特別措置法」公布から5カ月、浪江町拠点施設の除染に取り掛かかるまで2011年3月11日の大震災発生から15カ月、終了まで21カ月かかっていることと、除染作業従事の民間の人手不足が政府の除染スケジュールの進展に貢献するとは考えられないから、進展とは逆の遅れが生じていると見なければならないはずだ。
このことはマスコミの世論調査にも現れている。
3月8日から3日間行った「NHK」の電話世論調査。
「被災地復興への評価」
▽「進んでいる」1%
▽「ある程度進んでいる」19%
▽「あまり進んでいない」53%
▽「進んでいない」23%
3月2日、3日実施の「朝日新聞」の電話世論調査。
「東日本大震災や原発事故から2年がたち、福島の復興への道筋が、どの程度ついたと思いますか。(択一) 」
大いについた1%
ある程度ついた17%
あまりついていない59%
全くついていない21%
住宅の高台移転の遅れや3月23日付「NHK NEWS WEB」記事が、岩手、宮城、福島3県で発生した大量瓦礫のうち処理済みが50%を超えたと、環境省の纏めとして伝えているように瓦礫処理の遅れも入っているだろうが、除染の進捗も復興に占める大きな要素であるから、除染の遅れも対象とした世論調査の評価であるはずだ。
勿論、安倍政権が発足してから約3カ月しか経っていない。多くは民主党政権が関わってきた問題である。だとしても、復興は与野党を挙げて取り組まなければならなかった、自民党も関与していた国策だったはずである。
いわば与野党の協力の上に成り立たせた復興計画であった。
当然、これら諸々の復興の実態を把握した上での浪江町の視察でなければならない。
把握した浪江町訪問であることを前提とすると、浪江町商店街の人気のなさに対する「時が止まったような状況」という形容は福島第1原発事故がつくり出した状況とのみ認識するのではなく、与野党挙げた政治の遅滞や機能不足が招いている原状回復の遅れでもあると認識しなければならないことになる。
野田前首相は記者会見等で、「被災者の方々に寄り添う支援に万全を期したいと思います」と言い、あるいは「私は被災地への支援、寄り添うということは経済的な面だけではなくて、精神的な面においても私は日本にとっても極めて重要だと思います」と言い、安倍晋三にしても、「被災地の皆様の心に寄り添う現場主義で、復興の加速化に取り組んでまいります」と2013年1月7日の「政府与党連絡会議」の冒頭挨拶で述べているが、いわば寄り添いが不足していたことになる。
だとすると、そこに自らにも責任がある日本の政治に対する反省がなければ、安倍晋三の「時が止まったような状況だ」と言っていることは人気のなさを見たままに表現した言葉で終わることになる。
だが、どの記事を見ても反省を窺わせる言葉はなく、単に復興の加速化を主張しているのみである。
復興の遅れに政治が原因していながら、復興の加速化だけを言うのは一種のゴマ化しであろう。原因の実態を追及・把握して、その反省の上に改善すべき点は改善して復興の加速化を計画しないことには加速化は満足に機能しないことになる。
当然、反省があってこそ、改善点が加味されることになって復興加速化の約束に信頼が多少なりとも芽生える。
被災者は復興に関わる日本の政治の質にも苦労している。いくら復興の加速化を約束しようとも、現状を「時が止まったような状況だ」と言うだけの見た目そのままの言葉に政治の質の変化は期待しようがない。
――マヤカシとする理由は、戦前の沖縄戦の犠牲に加えるに1945年8月15日敗戦を起点とした戦後の1972年5月15日沖縄本土復帰までの米軍統治の犠牲と差別の歴史的総量と全国土0・6%の沖縄の土地に米軍基地75%の差別が強いている物心共に亘る国民負担の総量と比較した場合、嘉手納基地以南返還の負担軽減のみでは差別解消のうちに入らないからだ――
沖縄県知事も名護市長も、多くの沖縄県民も普天間の沖縄県内移設に反対している中、防衛省が3月22日(2013年)、米軍普天間飛行場の移設先となっている名護市辺野古沖の埋め立てを申請する書類を沖縄県に提出した。
2月22日(2013年)の安倍・オバマ日米首脳会談で普天間の辺野古移設に向け具体的に対応していくとオバマ大統領に約束したとおりに、できなことをは書かない・言わないをモットーとしている手前、早速実行に移したというわけなのだろう。
これに対して地元沖縄県知事も移設先となっている名護市長も県外移設を求めた。
仲井真沖縄知事、「『辺野古への移設は、事実上無理ですよ、不可能ですよ』とずっと申し上げてきたのに、政府がなぜそれを考えないのか理解できない。実現の可能性を考慮しないで、政府が決めたから実行できるということは考えられない。」(NHK NEWS WEB)
仲井真知事は「政府がなぜそれを考えないのか理解できない」と言っているが、安倍晋三はアメリカとの約束優先で、移設を果たしてアメリカによくやったと褒められたいことしか頭に無いことが理由となっていることに気づいていないわけではあるまい。
頭の中にアメリカのことしかないとなれば、当然沖縄県民の反対意思など占める場所はない。
稲嶺進名護市長「これまでの環境アセスに関する書類の提出でも見られたように県民の目を欺くかのような不意打ちの形で埋め立て申請が提出されたことに憤りしか感じない。沖縄県は、これから審査に入ると思うが、環境アセスの段階でも県の指摘事項が多くあり、県は埋め立て申請に対して、『はい分かりました』とはいかないと思う。県から意見を求められればこれまで表明しているとおり、はっきりと『辺野古への移設は、まかりならん』と言いたい」(同NHK NEWS WEB)
普天間移設県外要望の沖縄感情は沖縄戦や戦後の米軍統治、さらに全国土0・6%の沖縄の土地に米軍基地75%の過度な国民負担に現れている日本本土の沖縄に対する差別への反発を養分としているはずだ。
このような沖縄の反対感情に対して我が日本の安倍首相は辺野古沖埋め立て申請後、次のように記者団に発言している。
安倍晋三「嘉手納以南の返還も含めて、沖縄の負担軽減に全力を尽くしていきたい。普天間の固定化はあってはならない。 断じてあってはならないと」(テレビ朝日)――
先に挙げた沖縄の歴史的と現状を合わせた基地に関わる犠牲と負担の総量、さらに全国土0・6%の沖縄の土地に米軍基地の75%を引き受けている国民負担の差別から見て、「嘉手納以南の返還も含めて、沖縄の負担軽減」では明らかに限りなくゼロに近い、いわばないに等しい不公平な交換条件(=代替補償)でしかない。
「100万円の損害を与えてしまった。キャンデー一本奢るから、チャラにしてくれないか」と言っているようなものだが、そんなことが気づく安倍晋三の賢明なる脳ミソとはなっていない。
佐々江駐米大使にしても脳ミソという点で安倍晋三と変わらない。3月22日(2013年)、ワシントンのシンクタンクで講演している。
佐々江駐米大使「申請が承認されれば、人口の少ない地区に基地が移設され、沖縄に駐留するアメリカ海兵隊の一部のグアムへの移転と基地の整理統合が促進されることになり、沖縄にとってとても大きな利益になる」(NHK NEWS WEB)
沖縄の米軍基地問題は現在にまで続いている沖縄全体の歴史的と現状の問題であって、その全体を見ずに一地域を取り上げて、「人口の少ない」というレベルからのみ基地問題を解釈、「沖縄にとってとても大きな利益になる」と言うことができるのは、安倍晋三と同様に辺野古移設を果たすことのみを米国への使命と考えていて、そのことしか頭にないからだろう。
ではなぜ辺野古移設の米国への使命のみが頭に占めるかと言うと、民主党政権の歴代首相と同様に普天間の県外移設という困難を実現するだけの政治力を安倍晋三にしても持たないからだろう。
困難に挑戦する政治力を持たない替りに海兵隊と航空部隊の一体運用の必要性とか沖縄の地理的特性とかの口実を設けて、沖縄全体の歴史的と現状から目を背け、今まで通りに沖縄に押しつける安易な道を選択しているに過ぎない。
その証拠は普天間海兵隊の一部グアム移転、一部オーストラリアやハワイへのローテンション移転の計画が証明する普天間の相対的価値低下許容の可能性であり、このことは同時に沖縄の地理的特性の相対的地位低下をも意味するはずだ。
こういった最近の状況は普天間基地を海兵隊と航空部隊の一体運用の形で日本の九州地方や中国地方に移転させても部隊としての価値維持の可能性をも教えていることになる。
また国家防衛・国土防衛の安全保障は軍事力と外交と経済の一体的運用によって力を発揮するのであって、如何に一体的に運用するかは偏に政治の力にかかっているはずだ。
最大限であるべきは政治の力だと言うことになる。
その政治の力を満足に発揮できず、かつての沖縄全島米軍基地化の固定観念に麻痺し、その範囲内で足し算したり引き算したすることでしか沖縄の米軍基地問題を考えることができない制約を日本の政治は自らに課している。
〈沖縄県・尖閣諸島周辺の領海に中国公船が近づいた際、海上保安庁の巡視船が領海内で操業している日本の漁船に対し、領海外へ待避するよう勧告していることが20日、明らかになった。〉と次の記事が伝えている。
《海保、日本漁船に退避勧告 尖閣、苦肉の安全策》(MSN産経/2013.3.21 01:30)
漁船の安全確保を図るための苦肉の策だそうで、地元の漁業協同組合も巡視船の勧告に従っているという。
第11管区海上保安本部(那覇)の巡視船による日本漁船への領海外退避勧告は中国公船が領海侵入を繰返し始めた昨年9月以降だそうだ。2012年12月26日まで続いた野田政権時代から始まった対応ということになる。
記事のどこにも安倍政権になって改めたとは書いてないから、現在も継続中の退避勧告ということになる。
このような現在進行形の状態を以って、〈中国公船による断続的な領海侵犯で異常事態が生まれている形だ。〉と解説している。
海上保安庁関係者「正確な数は把握していないが、複数回行っていることは事実だ」
記事は日本の漁船に対する領海外への退避勧告の狙いを中国公船が漁船を逮捕して尖閣周辺での「管轄権行使」を既成事実化することへの防御だと伝えているが、と同時に自国の領海からの退避勧告は極めて異例だとしている。
海上保安庁幹部「過去のケースでは記憶にない」
上原亀一八重山漁業協同組合組合長「組合員がトラブルに巻き込まれては困るので、(領海内からの退避は)仕方がない。
本来、こういうことがあってはならない。政府は毅然と対応しつつ、新政権同士の話し合いで安心して操業できる環境を整えてほしい」
そして記事は最後に昨年9月以降の中国公船による尖閣周辺の領海侵入回数を伝えている。
今年3月18日現在で計34件延べ109隻。
昨年9~11月は3~5件だったのに対し、12月は8件、今年2月は7件。
侵入時間は昨年9月の最長6時間54分に対して今年2月は最長14時間16分。
この記事を読んだとき、いくら日本漁船の安全確保とは言え、また、勧告という形を取ったとしても、漁船が勧告に従っている以上、海上保安庁による日本漁船に対する一時的な領海放棄ではないかと思った。日本漁船は海上保安庁の指示を受けて、自国領海でありながら、領海を一時的に放棄する。
他の「MSN産経」記事は「国家主権の放棄」だと批判している。〈「漁船の安全確保のため」と海保は説明するが、一時的であれ日本の領海内で日本漁船が操業できないのは、国家主権の放棄につながる。〉と。
何れにしても日本の領海であることを常に守って、日本漁船が安全に操業できる状態を常に保障しなければならない併行義務を負う海上保安庁という国の機関が一時的であっても日本漁船を領海外へ退避させるというのは漁船を守ることにはなっても、領海を常に守っていることにはならない併行義務の破綻を意味するはずだ。
問題はこのような対応が野田政権時代に決められたことではあっても、尖閣周辺海域に於ける野田政権の対中国公船対応を批判した、2012年12月26日発足の安倍内閣でも、批判しながら継続させていることである。
このことは明らかにウソつきと言われても仕方のない有言不実行に当たる。
3月7日(2013年)の衆院予算員会での安倍首相による野田政権の対中対応批判は2013年3月11日当ブログ記事――《3月7日の午前中の衆院予算員会3月7日衆院予算委、岡田克也の頭の悪い追及が頭の悪い安倍晋三を助けている - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で既に取り上げているが、再度批判個所を掲載してみる。
3月5日(2013年)付「MSN産経」記事が、野田前政権が海自艦艇が中国軍艦に対する場合は15カイリ(約28キロ)の距離を置き、中国側が近づくと後退することと領海侵犯の恐れがあっても先回りして警戒することを禁じる、中国側に過度に配慮した指示を岡田克也前副総理が中心となって出していたと複数の政府関係者の話として伝えた。
午前中の審議。
萩生田光一自民党議員「産経新聞の報道は事実か」
安倍晋三「前の政権では、過度に軋轢を恐れるあまり、領土・領海・領空を犯す行為に対して、当然行うべき警戒・警備の手法に極度の縛りがかけられていた。相手方に誤ったメッセージを送ることになり、不測の事態を招く結果になると判断したので、安倍内閣が発足した直後から、前の政権の方針を根本から見直し、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示した」(NHK NEWS WEB)
「極度の縛り」の中に海上保安庁の日本漁船に対する領海外退避勧告が入っているのか、後で検討するが、野田政権発信の「極度の縛り」によって「当然行うべき警戒・警備」を行ってこなかった。だから、「安倍内閣が発足した直後から、前の政権の方針を根本から見直し、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示した」と言っている。
午後に入って、岡田克也民主党議員が、野田政権が海上保安庁に対して極度の縛りをかけていたという事実はないと追及した。
安倍晋三「私はですね、総理になってから、まさに事務方から態勢について聞いた結果、今、個々のことについては敢えて申し上げませんよ、そこまでは。
いわばこちらの手の内を明かすことになりますから、過去のことは申し上げませんが、私は事務方から態勢について聞きました。防衛省と海上保安庁から聞きました。で、その態勢はですね、明らかに、過度な配慮をした結果であろうと思って、ですね、致しました」――
事務方から直接聞いた判断だと言っている。岡田克也はなお追及した。
安倍晋三「これはですね、私は実際に確認しているから、この場で述べているんですよ。しかし、それは敢えてここのことについてはですね、手の内に関わることですから、申し上げませんよ。
しかし別に民主党を非難するためにだけで、えー、申し上げているわけではありません。いわば対応についてはですね、いくつかの対応、これは海上に於ける対応もそうですし、えー、上空、航空識別圏に於ける対応もそうですが、これも含めて全面的に対応を見直し、そして然るべき対応に変えたわけであります」――
午前中の答弁では「前の政権の方針を根本から見直し」たと言っているのに対して午後の答弁では「全面的に対応を見直し」たと言っている。
“根本的見直し”だけでは必ずしも前の事柄に対する全面否定とはならないが、そこに“全面的見直し”が加わると、前の事柄に対する全面否定を確実に意味することになる。
当然、安倍晋三が言った「極度の縛り」の中に海上保安庁の日本漁船に対する領海外退避勧告も入っていなければならない。そうでなければ、“根本的見直し”+“全面的見直し”の全面否定とはならない。
そして安倍晋三は全面否定による「極度の縛り」の解除・是正によって中国に対して「冷静かつ毅然とした対応」に改めたという経緯を取ったと宣言した。
だが、実際には全面否定したはずの「極度の縛り」の中に入れていなければならない野田政権による海上保安庁の日本漁船に対する領海外退避勧告は安倍政権になっても継続させていた。
いわば、“根本的見直し”言っていたことも、“全面的見直し”と言っていたことも虚偽答弁に過ぎなかったことになる。
当然、対中国「冷静かつ毅然とした対応」にしても虚偽答弁――口先だけの真っ赤なウソに過ぎなかったということになる。
3月18日にも尖閣周辺日本領海に中国の海洋監視船3隻が侵入、3時間航行している。中国の継続的な領海侵犯を停めることができない「冷静かつ毅然とした対応」などというものは大体が逆説かつ倒錯そのものである。
安倍晋三は自民党政策の公約を語るとき、「できないことは言いません」を口癖にするが、国会で答弁したことも広い意味での公約である。
一旦口にして公約としたことを実行しなかったこともできなかったことに入る。
口先のウソ・ゴマ化しに類する虚偽答弁でその場を凌ぐことができたとしても、そのウソ・ゴマ化しはいつかわ現れることになる。
民主党政権時代、官房長官や経産大臣を務めた、あの詭弁家の枝野幸男が3月18日(2013年)大阪市で講演、環太平洋連携協定(TPP)交渉参加を巡る自民党の意見集約手法を褒め、翻って民主党政権の足らざる問題点を挙げたという。
《TPP「自民うまい」=民主・枝野氏》(時事ドットコム/2013/03/18-22:39)
枝野詭弁家「大変うまくやっている。長年積み重ねられたノウハウがある。
(対して民主党の政権担当は)3年3カ月、我々なりに蓄積をしてきた部分はあるけれども、自民党の蓄積とは比べものにならない」――
そして民主党政権の問題点として、情報の共有と党内の意思疎通、意見集約の手続きを挙げたと言う。
足らざる能力が、「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」であるなら、見るべき足りている能力はほぼゼロとなる。この3つの能力は全体として組織運営能力を構成する重要な各個別要素だからだ。
内閣運営能力も党運営能力も未熟だった、最悪ゼロだったと言っているに等しい。
実際にも党は人事に関しても政策に関しても分裂状態であったし、それが、「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」の全てに亘って影響し、その影響は当然内閣運営にも波及して、意志決定のバックアップを弱体化し、ときには混乱状態に陥れ、ときには決定に至る迅速性を欠き、こういったことの反映として、政策そのものの強力さを欠くこととなっていった。
しかしこの民主党の内閣運営能力・党運営能力の未熟さは民主党政権獲得前の当時の小沢一郎代表によって既に指摘を受けていた。
自民党の福田内閣は参院野党民主党第1党のねじれ国会を受け、政権運営に四苦八苦状態にあった。どちらが働きかけたのか、2007年10月、突然、自民党と民主党の大連立構想が持ち上がった。
小沢一郎民主党代表が福田首相との10月30日・11月2日(07年)の2回の党首会談で取り決めた大連立構想を党に持ち帰って協議、執行部の反対に遭い、政治的混乱が生じたとして代表辞任を決意、辞職願提出後、11月4日記者会見を開いて、その意向を各報道機関に伝えた。
私自身もブログに大連立は政策の競争原理を奪うことになるとして反対の記事を書いた。
尤も小沢氏は党内から強い慰留を受け、11月7日の記者会見で辞任を撤回している。
11月4日の辞任記者会見で小沢氏は次のように辞任の理由を述べている。
小沢代表「代表辞任を決意した3番目の理由。もちろん民主党にとって、次の衆議院選挙に勝利し、政権交代を実現して『国民の生活が第一』の政策を実行することが最終目標だ。私も民主党代表として、全力を挙げてきた。しかしながら、民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、国民の皆様からも、自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか、という疑問が提起され続けている。次期総選挙の勝利はたいへん厳しい。
国民のみなさんの疑念を一掃させるためにも、政策協議をし、そこで我々の生活第一の政策が採り入れられるなら、あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績も示すことが、国民の理解を得て、民主党政権を実現させる近道であると判断した。
政権への参加は、私の悲願である二大政党制に矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考える」(asahi.com)――
大連立反対のブログ記事を書いたときには反対の気持ちが強くて小沢発言を明確に読むことができなかったが、要するに民主党が政権を担当するには「様々な面で力量が不足して」いるから、自民党と連立を組むことで参院野党第1党の力関係を利用して民主党の政策を飲ませていくことで政権担当能力があることを有権者に印象づけると同時に自民党の政策実現の過程とその政権担当のノウハウを学んで実地の政権担当能力をつけて、最終的に民主党政権の自立を図るという深慮遠謀だった。
だが、民主党は政権獲得後、鳩山首相が普天間の移設問題の停滞や母親からの献金問題で2010年6月8日に辞任、小沢氏の資金管理団体「陸山会」土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で元秘書石川知裕民主党衆議院議員ら3名が逮捕されたことを受け、小沢氏も幹事長を辞任している。
鳩山首相の後継として菅直人が首相に就任した。民主党はただでさえ「様々な面で力量が不足して」いたにも関わらず、菅直人が首相になってから、枝野が言う「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」がより混乱を来すこととなった。
党人事から小沢氏を排除したばかりか、小沢グループの議員まで主要な党人事・内閣人事から排除したからだ。無能菅は排除することで、有権者の人気を得ようとした。
いわば無視できない勢力の排除自体が、党運営能力・内閣運営能力を個別的に構成する「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」の各能力を阻害し欠落させる要件へとつながっていく。
そして野田首相になって小沢グループ排除から一転して党内融和を図ったが、2009年マニフェストに反する消費税増税法案を強硬に採決に持っていったことで、党内融和は形だけで終わり、依然として「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」の問題点、その稚拙さ――いわば党運営能力・内閣運営能力の稚拙さを有権者に印象づけることとなった。
これらの稚拙が招いた2012年衆議院選挙大敗北、政権放棄ということであるはずだ。
いわば党運営能力・内閣運営能力の基盤を成す「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」の各能力を育んでいくべきところを小沢グループ排除やマニフェスト違反の政策を強行することによって阻害する逆を行ったのである。
理由はただ一つ、小沢氏が2007年に気づいていた政権担当の力量不足を菅直人や野田佳彦とその閣僚たち、党役員たちは自覚すらしていなかったことにある。3年3カ月の政権を失って初めて自覚することができた。
枝野の上記発言は自身では気づいていないが、小沢氏の大連立構想正解と小沢氏排除の失敗を言い当て、証明していることにもなるはずだ。