麻生所信表明演説の改革点はすべて自民党政治の無為・無策がつくり出した日本の現状
新しい総理大臣となった自民党総裁麻生太郎が29日、所信表明演説を行った。
<わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました。>
総理大臣としての華々しき国会デビューの第一歩である。 「かしこくも、御名御璽をいただき――」・・・・・。
「御名御璽」とは、「御名」が「天皇の名前」「御璽」が天皇の公印のことで、「内閣総理大臣・最高裁長官の任命書、天皇の国事行為に伴って発せられる文書に用いられる」と『大辞林』(三省堂)に出ている。いわば天皇の署名の後に押す判子というわけなのだろう。9月24日の夜皇居で行われた首相親任式で天皇の名前が書いてあり、判子が押してある総理大臣任命書を有難くもいただいたということなのだろう。
内閣総理大臣が国会で所信表明演説するとき、誰もが用いる慣例なのか「首相官邸HP」で調べてみたら、福田首相の2007年10月1日の所信表明演説は、「この度、私は、内閣総理大臣に任命されました」
安倍首相の2006年9月29日の所信表明演説は福田首相とまったく同じ表現の「この度、私は、内閣総理大臣に任命されました」で、福田首相と同じく自分の名前は出していない。わざわざ自分の名前を告げなくても、「私は」で、それが誰か十分に理解できるからだろう。
安倍晋三内閣総理大臣閣下は自分の名前こそ出さなかったが、続いて「日本が、厳しい時期を乗り越え、新世紀の発展に向けた出発点に立った今、初の戦後生まれの総理として、国政を預かる重責を与えられたことに、身の引き締まる思いです。多くの国民の期待を正面から真摯に受け止め、身命を賭して、職務に取り組んでまいります」と「初の戦後生まれの総理」であることをそれとなくアピールしているが、「身命を賭して、職務に取り組」むことなく、1年そこそこで呆気なく政権を投げ出してしまった。
さらに小泉総理大臣の2001年年5月7日の所信表明演説は、「この度、私は皆様方の御支持を得、内閣総理大臣に就任いたしました」と、表現はほん少し違うものの、上記2人と同様に名前を出さないままあっさりと「私は」で終わらしている。
以上3人の前任者のあっさりとした自己紹介から比べると、我が麻生太郎の<わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました。>
は自分の名前まで出した上で、一方に「国権の最高機関による指名」なる手続きを置き、対した位置に天皇の署名捺印付きの内閣総理大臣任命書の受理を置いて、それを「かしこくも、御名御璽をいただき」と大時代的に表現したのはその時点で天皇と麻生太郎自身を響きあった関係に置くもので、突出した自己顕示を示しているということだけではなく、天皇を戦後的な存在ではなく、戦前的な存在と看做している様子を窺うことができる。
天皇を戦前的な存在と看做しているとは、麻生太郎が天皇に対して自己を一国民の位置に置いているのではなく、臣下の位置に置いているということである。そうでなければとても「かしこくも、御名御璽をいただき」などという、それを名誉とする大仰に有難がる表現は出てこないだろう。
このことは「就任いたしました」に続いての言葉、<わたしの前に、58人の総理が列しておいでです。118年になんなんとする、憲政の大河があります。新総理の任命を、憲法上の手続にのっとって続けてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄の如き、連綿たる集積があるのであります。
その末端に連なる今この時、わたしは、担わんとする責任の重さに、うたた厳粛たらざるを得ません>からも証明できる。
「118年になんなんとする、憲政の大河」とは、1947〈昭和22〉年5月3日に日本国憲法の施行を受けて廃止された『帝国議会』が開催された1890〈明治23〉年11月29日から数えて「118年」の歴史を言っているのだろうが、麻生太郎は昭和戦前の軍部独裁の時代を画することなく一続きの歴史・「大河」として把えている。
そう把えるのは、麻生太郎の意識の中で『大日本帝国憲法』の「第一章 天皇」の「第一条 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と「第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」、いわば「天皇陛下バンザイ」を利用した「国民主権」とは程遠い昭和戦前の軍部独裁時代、侵略戦争時代と国民主権の昭和戦後が何の抵抗もなく流れを止めない力強いゆったりとした「大河」の如くにつながっているからだろう。
だからこそ「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と言えるのであり、「(靖国神社に)祭られている英霊は、天皇陛下万歳といった。天皇陛下の参拝が一番だ」と昭和戦前の天皇のありようとそれと響き合った国民のありようを肯定することができる。
ここで一つ、就任5日にして辞任することになった中山成彬単純細胞センセイの懲りない自己正当化に過ぎない「言葉狩りしていると、政治が活性化しない」ではないが、似たような「言葉狩り」をしてみる。
上記言葉の中で、「新総理の任命を、憲法上の手続にのっとって続けてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄の如き、連綿たる集積があるのであります」と言っているが、「新総理の任命を」の「を」は動作・作用の紹介に結びつける「を」のはずだが、どのような動作・作用を行うかの提示がなく、脈絡正しい一続きの文章となっていない。
いずれにしても常に未来に向って延々と続く「今」が問題なのである。「統治の伝統」がどうであれ、「今」が意味のない瞬間であるなら、「統治の伝統」をどうあげつらおうと、それで「今」を正当化できるわけではない。
麻生は「伝統」と言うハコモノをさも重大なこととのように言っているに過ぎない。その点で安倍晋三と近親相関関係にあると言える。
麻生太郎は「統治の伝統」で「今」を正当化しようとしつつ、引き続いて日本の「今」の矛盾を言い立てる。自らが所属する自民党政治がつくり上げた矛盾であることを無視して。
<民主党は国会運営に於いて「政局を第一義とし、国民の生活を第二義、第三義とする姿勢に終始したのであります。>と、さも自民党は「政局第一義」の政治行動は取ったこともなく、「国民の生活第一義」の政治を終始行ってきたようなことを言っている。
では自民党は<国会運営に於いて「政局を第一義」>とせず、「国民生活第一義」としてきた結果、この格差社会、都市と地方の格差による地方の疲弊、自治体の財政破綻問題、1998年以降昨年の2007年までの10年間、自殺者が年間3万人を超える、主要国の中でも突出した「自殺大国」という金メダル、100万世帯を突破した生活保護世帯、各地で引き続く公立病院閉鎖、医師不足・看護師不足の問題、ワーキングプア等々の社会矛盾を成果とすることができたと誇ろうとでもいうのだろうか。
そういった成果して手に入れることができなかったにも関わらず、<与野党の論戦と、政策をめぐる攻防は、もとより議会制民主主義が前提とするところです。しかし、合意の形成をあらかじめ拒む議会は、およそその名に値しません。>と、かくある格差社会、自殺天国社会 生活保護世帯創出社会等をつくり出してきた自民党の「国民の生活第一義」政治と「合意の形成」をと迫る。
「合意の形成」などできようがないのは当然の動向であり、できようがないから、野党は政権交代を求めている。
「合意の形成」を求めること自体が滑稽なことだと気づきもしない。アキバの漫画オタク、メイドオタクに人気があるからと、それを記念碑としていられる程に軽薄・単細胞に出来上がっているから、その滑稽なことに気づかないのだろう。
このような滑稽・鈍感な総理大臣が単なる任命の儀式に過ぎない遣り取りを「御名御璽をいただき」とさも光栄なこととしているのだから、なおさら始末に悪い。
日本経済の立て直しは三段階を踏んで行うと言っている。「第一段階は景気対策」、「第二段階は、財政再建」、「第三段階が改革による成長」と。
だが、既に自民党の「国民の生活第一義」政治の正体がバレているのである。何をどう言葉を繕っても始まらない。<財政再建は手段、目的は日本の繁栄>などと言っている、いざなぎ超えの戦後最長の景気では大企業と一部富裕層のみが「繁栄」し、既に指摘しているように一般的な国民は年間自殺者数や生活保護世帯増加、一向になくならないワーキングプア層が証明しているように「日本の繁栄」から取り残された。「財政再建は手段」と言いつつ、財政再建のみが優先された結果の成果であろう。すべて自民党の口では言っている「国民の生活第一義」政治の成果ではなかったか。
いや、「国民の生活第一義」は昨年07年7月の参院選挙で与党大敗を受けた政権交代逃れの急遽借り着したスローガンに過ぎない。自民党政治は常に大企業の利害代弁者として存在し、大企業の利害代弁を自らの存在証明としてきたのである。
それを今さら、「国民目線」だとか「消費者第一」だとか「国民の生活第一義」を臆面もなく、あるいは鉄面皮にも掲げる。当然「国民の生活第一義」はどう言い繕おうと、キレイゴトの運命を免れることはできない。
例えば『暮らしの安心』について次のようにキレイ事を並べている。「不満とは、行動のバネになる。不安とは、人をしてうつむかせ、立ちすくませる。実に忌むべきは、不安であります。国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を、再び我が物としなくてはなりません。」
3万人を超える国民が既に「不満」の域、「不安」の域を超えて10年続けて自殺しているのである。このことと「不満」の域、「不安」の域を超えてはいるが、死と紙一重の場所にどうにか踏みとどまっている自殺予備軍の国民が少なからず存在しているだろうことを考えなければならない今の現実を考えると、「国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を、再び我が物としなくてはなりません」は現実感もなく無難な言い回しとしか言いようがない。「国民の生活第一義」が借り着でしかないから、認識が甘く当たり障りがない抽象的表現でとどまることとなっている。
<「消えた年金」や「消された年金」という不安があります。個人の記録、したがって年金給付の確実さが、信用できなくなっております。>は歴代自民党内閣の所管大臣及び大臣統括責任者たる歴代総理大臣の監督責任の無能・無能力が関わった成果のはずで、そのことを棚上げにしている。
官僚に教えられないと政治ができないから、官僚は好き勝手なことをするようになったに過ぎない。
<救急医療のたらい回し、産科や小児科の医師不足、妊娠や出産費用の不安、介護の人手不足、保育所の不足。いつ自分を襲うやもしれぬ問題であります。日々不安を感じながら暮らさなくてはならないとすれば、こんな憂鬱なことはありません>はすべて自民党政治の失政が原因。「何をやっているんだ」という自民政治の由って来る資質・政治的創造性をまず検証・総括すべきだろう。同じ脳ミソを抱えていたのでは、言葉で装いを整えても、何も期待できない。
自民党政治のありよう自体が「こんな憂鬱なことはありません」なのである。
<すべからく、消費者の立場に立ち、その利益を守る行政が必要なゆえんであります。既存の行政組織には、事業者を育てる仕組みがあり、そのため訓練された公務員がありました。全く逆の発想をし、消費者、生活者の味方をさせるためにつくるのが、消費者庁であります。国民が泣き寝入りしなくて済むよう、身近な相談窓口を一元化するとともに、何か商品に重大な事故が起きた場合、その販売を禁止する権限も持たせます。悪質業者は、市場から駆逐され、まじめな業者も救われます。>
「既存の行政組織には、事業者を育てる仕組みがあり」は国民の利害ではなく、企業の利害を代弁してきたことの暴露・告白に過ぎない。企業利害代弁を戦前の政治を継いで戦後も血とし肉としてきたのである。特に麻生が昭和戦前の天皇主義・国家主義の踏襲者ということなら、消費者・国民の立場に立つことなど、口先だけのスローガンで終わることは目に見えている。
その他「持続可能な環境」とか、「誇りと活力ある外交・国際貢献」とかもっともらしく所信を表明しているが、今の日本を成果としている自民党「国民の生活第一義」政治の正体を問わず、さらに政権党としての資格・資質の有無を省みることもせず、すべてこれからの問題だとしているのだから、腐った土台の上に豪華マンションを建てるようなもので、マンション経営・販売のヒューザーやマンション建設の木村建設、姉歯建築士の耐震偽装よりも始末に悪く、今こそ<自民党政治を「ご破算で願いまして」新しい日本にリセット>する時期に来ていると言える。いや遅すぎるくらいだ。
麻生太郎が自民党総裁に当選、国会で首相に任命されて麻生内閣が発足、そして閣僚任命、任命された一人国土交通大臣中山成彬が在職わずか5日で自らの発言が批判され、昨9月28日に辞任することになった。
「日本は随分内向きな、単一民族」発言、成田空港整備「ごね得」発言、「日教組の強いところは学力が低い」発言、「日教組はガン」発言等々、就任早々に大臣にあるまじき不穏当発言のオンパレードを演じ切ったのである。
当然閣僚任命権者たる麻生首相の任命責任が問われることとなる。昨9月28日日曜日夕方の日テレ「バンキシャ」が伝えていたぶら下がり記者会見での麻生首相の「任命責任」に関する見解とその有無について。
麻生太郎「この方を指名した段階に於いては、私は適任だったと思います。少なくともこの種の発言は、普通、官僚の経験のある人はされないはずです」
――総理はご自身の任命責任は?
麻生首相「その点に関しては、任命責任はあったと――」
前後の発言に明らかに矛盾がある。「指名した段階に於いては適任だった」は任命判断に間違いはなかった。間違いは中山大臣自身にあった。「この種の発言は、普通、官僚の経験のある人はされないはず」だが、その通例を破って発言した中山自身の資質に問題があった。
いわば、「その点に関しては、任命責任はあったと――」と言いつつ、麻生太郎に任命責任はないとしている。
だから、「この方を指名した段階に於いては、私は適任だったと思います」という自己正当化の言葉が口を突いて出たのだろう。
この矛盾はなぜ生じたかというと、表向きは任命責任はなかったとすると批判が集中してできないが、内心は任命責任はなかった、中山自身に責任があるとしたかったから、その表裏の気持の違いが言葉の矛盾となって現れたのだろう。
野球である投手を先発にしてオーダーを組んだ。ところが1回から散々に打ち込まれてノックアウト、チームは大敗した。監督は「ブルペンで投げているときは最高の調子を見せていた。先発を命じた段階では私の判断は間違っていなかった」と暗に打たれた投手自身に敗戦の責任があるとすることができるだろうか。
敗戦の責任は投手にもあるが、先発の判断を下した監督自身がチーム統括者としての責任をより重く負うはずだ。トップは初期の判断は元より、結果に対しても責任を担う。結果責任が昨今喧しく言われるのは安倍首相や福田首相は元より、結果責任を負わない事例があまりにも蔓延していて、結果責任を負うことの必要性が緊急課題として持ち上がっているからだろう。
当然、初期の判断は正しかった、結果に対する責任はないでは済まない。麻生太郎は本心は総理大臣にもあるまじく無責任にも結果に対する責任はなしとしたかったから、「この方を指名した段階に於いては、私は適任だったと思います」という言葉を弄んだのである。
麻生太郎は「少なくともこの種の発言は、普通、官僚の経験のある人はされないはずです」と言った。確かに中山成彬センセイは東京大学法学部卒業後大蔵省に入省、「官僚の経験」を立派にかどうか知らないが、こなしている。
もし麻生太郎の「この種の発言は、普通、官僚の経験のある人はされないはずです」が真正な常識だとすると、「女性は子供を産む機械」発言をした柳沢伯夫厚生労働大臣にしても中山成彬センセイと同様、東京大学法学部を卒業して現在の財務省である大蔵省に入省、やはり麻生首相が「この種の発言」はしないとしている「官僚の経験のある人」に当てはまるが、そのことに反した発言の矛盾はどう説明するのだろうか。
「原爆投下しょうがない」発言で辞任することとなった久間章生防衛大臣にしてもも東京大学法学部をご卒業後、農林省に入省して「官僚経験者」とおなり遊ばせている。
麻生太郎の「この種の発言は、普通、官僚の経験のある人はされないはずです」は発言と職務経験との間の法則足りえず、ただ単に中山センセに責任転嫁するための思いつきで言ったに過ぎないということなのだろうか。
それとも中山成彬センセイにしても、柳沢センセイにしても、久間センセイにしても、例外中の例外だということなのだろうか。他にも官僚経験者で失言している政治家がいくらでもいるに違いない。
奇妙なことにNHKの昨28日日曜日7時からのニュースでは麻生首相の「官僚の経験のある人」のところが、「閣僚になられたなら」に変化している。
周囲の者から「中山センセイ以外にも『官僚の経験のある人』で『この種の発言』をしておられるセンセイ方がたくさんおられます」とでも注意を受けたから、急遽お言葉をお変えられなさられたということなのだろうか。
麻生首相「発言として甚だ不適切。大変残念ですけれども、関係しておられた国民各位、また、それに、関係しておられた方々に対して、心からお詫び申し上げる次第です。必然的に辞めていただきます」
これは中山本人の責任を厳しく糾弾する言葉であろう。悪く取るなら、自分には責任はない、責任は中山にあるとするために敢えて厳しい言葉としたと受け取れないこともない。
麻生首相「この方を指名した段階に於いては、私は適任だったと思います。この種の発言は普通、閣僚になられたら、されない種類の発言だったと思う。任命責任はあったと、いうことだと思います」
「いうことだと思います」とは、あまりにも距離を置いた第三者的な物言いではないか。
――「任命責任を、もう認められますか?」
麻生「はい」(と言ってから、二度無言で頷く。だが、どのような責任を取るか、言ってはいない。)
「官僚経験者」が「閣僚」に変化しているが、「女性は子供を産む機械」は柳沢伯夫センセイが厚生労働大臣という「閣僚になられ」てからの不適当発言であるし、「原爆投下しょうがない」にしても、久間章生なる政治家が防衛大臣という「閣僚になられ」てからの発言で、と同時に「官僚経験者」でもあって、麻生の言っていることは二重の矛盾を犯している。
そして何よりも麻生首相自身の「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」発言は総務大臣という「閣僚在任中」の事実・実態に反する発言であって、自らが言う「この種の発言は普通、閣僚になられたら、されない種類の発言」から外れる事例ということになる。
さらに言うなら、古くは 1986年に飛び出した「アメリカは多民族国家だから教育が容易でなく、黒人、プエルトリコ、メキシカンなどの知的水準がまだ高くない、日本は単一民族国家だから教育が行き届いている」なる中曽根康弘大センセイの客観的認識能力に則った鋭い指摘は閣僚中の閣僚、総理大臣時代の発言であって、麻生の言っていることがまるきり的外れとなる。
中山成彬センセイは文科相時代にも「従軍慰安婦の言葉が教科書から減ってよかった」と放言して物議を醸している。何も新たに国土交通相という「閣僚になられた」から始まった失言ではない。麻生首相センセイは中山成彬センセイと歴史認識や復古的な道徳観等でお仲間だから、前科を咎め立てもできず、麻生内閣となって閣僚に任命したのだろう。
だが、いくらお仲間でも、麻生内閣の足を引っ張られては敵わない。このことを目下の基本姿勢としているから、「この種の発言は、普通、官僚の経験のある人はされないはず」だとか、「この種の発言は普通、閣僚になられたら、されない種類の発言」だと言って、中山成彬センセイ自身の資質に責任をかぶせ、自分は責任問題から距離を置こうとしたのだろう。
この姿勢が「その点に関しては、任命責任はあった」、あるいは「任命責任はあったと、いうことだと思います」と矛盾するのは、どういう形で責任を取るかは狡猾にも示さないまま、口で言うだけで終わらせようとしているからだろう。
実際には蚊に刺された程も「任命責任」を感じていないということである。
多08年9月28日日曜日、「NHK日曜討論」を見ていたら、9時39分、臨時ニュースとして「中山大臣が辞任」とインポーズが出た。
問題が長引くと麻生内閣の支持率に影響して総選挙で不利な戦いを強いられることを考慮して自らが辞任することで事態の悪化を最小限にとどめようと判断した自発的辞任と見る報道もあるが、選挙での自分のクビを心配して公明党を含めた与党内からの辞任圧力が既に始まっていたことと、野党の任命責任追及は麻生首相のみに向けられる“矢”であって、“矢”の当たり所次第では麻生自身の道連れの危険性が生じることも自ら警戒しなければならないことを考えると、辞任から任命責任追及まで時間を置くことも一つの手だから、トカゲのシッポ切りよろしく早々に詰め腹を切らせたといったところだろう。
閣議で中山が辞表を提出し、麻生総理が受理するといった手続きはもっともらしい儀式に過ぎないのだから、誰も信じないだろう。与党の連中だって信じないに違いない。ただ顔にも口にも出さないだけだ。
どうもこの中山騒動が、そうなって欲しいという強い期待感がそう思わせていることもあるだろうが、麻生内閣のケチのつき始めに思えてならない。
多分麻生は次のように言って逃げの手を打つのではないだろうか。
「『単一民族』発言だけだったなら、私も『一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」』と言っていて「単一民族幻想」に取り憑かれている点では同罪だが、『単一民族』以外に『日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低いんだ』とか、『ごね得というか、戦後教育が悪かったから成田空港の整備が遅れた』といった余計なことを喋っている。そのプレミアムがあるかないかで、私は生き残る資格を得て、彼は死ぬことになった。プレミアムは中山大センセイの個人的な思想上の財産で、任命責任者の私であろうと想定外のことだった」
だが、まさか親分が失言する前に同じ穴の「単一民族幻想」ムジナ子分が失言して、その尻尾を切ることになるとは任命前は考えもしなかったろう。首相のクビが呆気なく飛ぶかもしれない自分の失言に関しては相当に気にかけ、失言しないよう神経を使っていたことは「一国の指導者となりますと、何事も軽々には申しておりません。いつも寸止めで踏みとどまってきたんじゃないかと。ご安心をいただけると存じます」と総裁選前に語っていた発言から否でも窺うことができる。
例え自身の失言ではなくても、自分が任命した閣僚の失言であっても任命権者たる自身のクビが飛ぶこともあり得ることを今さらながらに戦々恐々と実感しているに違いない。
昨9月27日土曜日夜のNHKニュース。
中山センセイ、地元の宮崎に帰って地元後援者からお叱りを受ける。中山センセイが椅子に神妙に坐っているすぐ脇に自民党宮崎県連緒崎会長がマイク片手に立ち、かなりきつい調子で苦言を呈する。
緒崎会長「インタビューの中で、我々が誤解を招くような発言があったということで、先生自身も表現の不味さ等については十分に反省していただきまして、県連が一体感を持って選挙戦に取り組む、その足を引っ張るような発言は厳に慎んでもらいたいと、ということをよろしくお願い申し上げておきたい――」
中山センセイ、慌てず騒がず表情も変えずにゆっくりと立ち上がって「不愉快な思い、させてしまったと、そういうこともありましたもんですから、ホント、これから、あの、謝罪申し上げたいと――」
「そういうこともありましたもんですから」とは、何とまあ他人事な。カエルの面にショウベンとは中山センセイのためにつくられた諺に思えてくる。
謝罪だけで済ませておけばいいものを、そこは才能ある政治家、済ませておくことができなかったのだろう。
中山センセイ「日教組の問題につきましては、私も言いたいことがあるわけで、ございまして、一部の方々がですね、本当にそういう意味で、考えられないような行為を取ってるわけでございます。何よりも問題なのは、道徳教育に反対している。私はこれからですね、小泉さん流に言えば、日教組をぶっ壊せ。この運動の先頭に立ちたい――」
外に出て記者に囲まれる「日教組が強いところの成績が悪い、ってことですね、学力が低いという。その発言の内容については?」
中山センセイ「それは撤回していません」
記者「謝罪も、ではされていない?」
中山大センセイ「(二度頷いてから)日本の教育のガンが日教組だと思っています」
記者「大臣の職についての辞職する考えはないということですか?」
中山大センセイ「うん、まーあ、国会審議等が、そういったことに影響があるということに、なればね、絶対、あの、辞めんだと言って、しがみついているつもりはありません。まあ、推移を見守りたいと思っています」
小沢民主党代表「非常に不見識な、軽率な、まあ、あー、偏った、発言だと、いうふうに思っておりまして、エー、国務大臣としての資質と見識を問われる。内閣は一体、ということも、オー、ありますし、中山大臣の責任ちゅうのは、オー、任命責任者のちゅうことと、オー、イコールの問題、だというふうに把えるべきではないかと――」
そう、いくらトカゲのシッポをうまく切ったとしても、任命責任の問題は残る。
河村官房長官「総理も知っとられたようですが、『うーん』って言ってただけで、それについて後は何もおっしゃいません。ちゃんと真意を質してから、ということになるんじゃないでしょうかね?」
官房長官というものは、それが詭弁であろうと言い逃れであろうとなかろうと言葉が豊かでなければならないはずだと思うが、何と言葉が貧しい官房長官なのだろう。
引き続いてNHKニュース、同じコナーが続く。成田空港午後6時半頃のインポーズ。中山大センセイが空港ロビーなのか、人混みの中を歩いている。記者が囲む。このスッポンのしつこさ。これぞジャーナリスト魂。
記者「昨日謝罪があったので、これで翻ってくる感じに聞こえてしまうんですが――」
中山大センセイ「あれは国交省の中でしたからね。国交相を離れて一政治家として、今日は発言させていただきました。自分の出処進退は自分で決めます」
記者「総理から辞表を出せと言われたら、それは応じるという」
中山大センセイ「まあ、今晩家に帰って、女房と二人でゆっくり相談しますよ」
中山恭子拉致問題担当首相補佐官は亭主のクビが心配で、拉致問題どころでなかったろう。
小沢民主党代表が中山前国交相のことを大センセイながら、「国務大臣としての資質と見識を問われる」と言っていたが、中山大センセイ、日教組が道徳教育に反対しているから、「日本の教育のガン」だとか主張しているが、学校教師だけが子供の人格形成、精神形成、あるいは道徳形成に与るわけではない。親も関わり、社会の大人も直接的に、あるいは情報を通して間接的に関わっている。
学校教師や親が子供と関わる時間・質量よりも社会の情報が関わる時間・質量の方が遥かに優るのではないだろうか。マンガや雑誌、テレビ、映画、インターネットが発する情報は自分から取捨選択して吸収する形式を取るゆえに短い時間で身につく質量が大きく、当然その影響力は学校教師や親の影響力の比ではない。
子供は大人がつくるものであり、子供の姿とは大人の姿のヒナ型であると言われる所以がここにある。
社会の大人が全員でかかって今の子供をつくっているのである。もし今の子供が道徳心に欠けるとしたら、それは今の日本社会の日本人の大人たちの道徳心の欠如を受けた、その反映と把えなければならない。
事実、政治家・官僚のカネや地位・人事にまつわる不正行為、会社・企業の食品偽装、取引上の談合、脱税、補助金の不正受給、不正雇用、大学教授とかの社会的地位ある者の性犯罪、医療機関の不正行為、不正請求等々、例を挙げたなら枚挙に暇もない日本人の大人たちの道徳心を欠いた行為が跡を絶つことなく蔓延しつづけている。
道徳心を欠いた姿は何も子供だけではなく、日本の大人たちも同じ姿を取っている。子どもが先なのか、大人が先なのか。子どもが先なら、大人は子どもに影響を受けた非道徳ということになる。
そんなことはあり得ないことで、大人が先なのは断るまでもなく、子どもは後からつくられる。大人の姿を受け継いだ子どもがちの道徳心を欠いた姿なのである。
それを日教組学校教育の責任だと単細胞な把え方しかできない。もし日教組の学校教育を受けた者が成長して社会に占めた結果の非道徳だと言うなら、日本人は大人への成長過程で社会から何も学ばない生きものと言うことになる。
逆に大人の非道徳を子どもたちが学んで成長していった結果の同じ姿と把えてこそ、跡を絶つことのない非道徳の蔓延と言える。
そういったことも考えることができない。日本の最高学府東京大学で学び、卒業していながら、このお粗末な頭、単細胞はどういった逆説によって手に入れた獲得物なのだろうか。「日本の教育のガン」とは軽薄単細胞な麻生太郎とか中山成彬といった政治家やそれに類した日本人の大人たちの存在をこそ言うべきであり、そういった人間が国会議員、ましてや国務大臣として世に憚ること自体を問題としなければならないのではないだろうか。
麻生内閣が正式に発足したのは皇居で首相親任式・閣僚認証式が無事終了した9月24日深夜。初閣議と閣僚懇談会の開催が翌25日未明。午前中なのか午後なのか、一部報道各社とのインタビューの中で、どちらにしても就任ホヤホヤ、まだ湯気が立っている出来立てホヤホヤの肉まんといった中山成彬国土交通相の口から「単一民族」発言が飛び出し、マスコミや野党、関係団体、与党内からも批判の一斉射撃を受けることとなった。
どういった経緯で発言が飛び出したのか、<来月1日に観光庁が発足するのに関連した観光行政の課題について「日本はずいぶん内向きな『単一民族』というか、内向きになりがちで、まず国を開くというか、日本人が心を開かねばならない」と発言しました。>(「NHK」)ということだから、直接的には日本という国の民族構成に言及した発言ではない。
大臣の資格なし、国会議員の資格もない中山成彬が言いたかったことは、「観光客として多くの外国人を受け入れるについては日本人は外国人にもっと開放的にならなければならない、内向きであってはならない」ということだったのだろう。
だが、日本人が外国人受け入れに後進的なのは「ずいぶん内向き」だからではなく、外国人に対してだけではなく、同じ日本人であっても、それが他処者(よそもの)である場合、簡単には受け入れずに拒絶反応を示しがちな閉鎖性を民族性としてからなのは前々から言われていることである。
大臣の資格なし、国会議員の資格もない中山成彬は「日本人は閉鎖的」と言うべきところを「日本人はずいぶん内向き」と言ったのである。
このような控えめな表現となったのは大臣の資格なし、国会議員の資格もない中山成彬が単に客観的認識能力に欠けていると言うだけではなく、同じ客観的認識能力欠如の働きによって日本人は優秀な民族だと思い込んでいるから、その優秀性に反する「閉鎖的」という言葉が使えずに当たり障りのない、情状酌量を働かせ過ぎた「ずいぶん内向き」という表現になったのだろう。
例え直接的には日本という国の民族構成に言及した言葉ではなかったとしても、「単一民族」という言葉を口にすること自体、大臣の資格なし、国会議員の資格もない中山成彬が「単一民族幻想」に囚われていることをものの見事に証明していて、日本民族の優秀性を「単一民族」に置いていることは明らかである。
「単一民族」とすること自体が他処者排除(=他民族排除)を構造としていることを意味しているが、日本人が他処者、外国人に閉鎖的なのは日本人が民族性としている権威主義性が関係した性格傾向であろう。権威主義的行動様式に於ける上は下を従わせ、下は上に従う上下関係・縦割り関係がそもそもからして横の方向からの入り込む隙を与えない構造となっているからだ。
但し腰を極端に低くして風下に立つ姿勢を示した者に対しては簡単に警戒心を解く。風下に立つとは上下関係の最下位に立つことを意味するから、許すことができる。
大臣の資格なし、国会議員の資格もない中山成彬は「単一民族幻想」に取り憑かれている以上、他民族排除の立場に自分を置いているにも関わらず、外国人観光客受け入れに関するどのような発言も矛盾行為となることを無視して、鈍感だから気づきもしなかったのだろう、「国を開くというか、日本人が心を開かねばならない」などとカエルの面にショウベンで言っている。
だが、「単一民族幻想」に取り憑かれているのは大臣の資格なし、国会議員の資格もない中山成彬だけではなく、中山成彬が大臣の資格なし、国会議員の資格もないにも関わらず国土交通大臣に任命した麻生太郎首相自身が「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言したことからも窺うことができるように「単一民族幻想」に取り憑かれているのである。
いわば麻生首相と中山国交相は「単一民族幻想」憑依者として同じ穴のムジナ同士なのである。大臣の資格なし、国会議員の資格もない中山成彬国交相の「単一民族」発言が不穏当だからと、中山国交相のみを罷免し、自分は首相職にとどまるのは自分の発言だけは許す不公平な措置となる。
麻生首相自身が「単一民族幻想」憑依者であり、同じ「単一民族幻想」憑依者である大臣の資格なし、国会議員の資格もない中山成彬を国土交通大臣に任命した。
このような任命責任の経緯から言ったなら、麻生首相は自分と同じ考えに立っている中山国交相の「単一民族」発言を擁護し、どのような批判を浴びようとも罷免すべきではないだろう。
麻生太郎・中川昭一・中山成彬の3人に共通した優れた資質とは科学的態度の欠如、合理的精神の欠乏にあると言える。科学的態度の欠如、合理的精神の欠乏が彼らの自国家絶対正義を成り立たせしめている。
既に自作HPや当ブログで何度か書いていることだが、彼らが発言した言葉から、日本国家を絶対正義と把える意識を再度拾ってみる。3人が一つ内閣に折角顔を揃えたのだから、その祝福の意味を込めて。
麻生太郎
「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」(1983年2月9日/「しんぶん赤旗」「しんぶん赤旗」)
「創氏改名は、朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」
2006年5月31日 東大学園祭の講演で
「(歴史認識についての質問に答える形で創氏改名について)当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり、『朝鮮人だな』といわれた。仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ」――
東京都知事選挙。都民の選択は間違った判断だと論ずることはできる。だが、その判断に従うことが民主主義に於ける正義のはずだが、「婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」とすることで民主主義の正義を正義とせずに、参政権付与が国家にとって正義であったかどうかのレベルで論じている
いわば麻生太郎は「婦人に参政権を与えた」のは国家絶対正義に反すると談じたのであり、それは麻生太郎が常に自己を国家絶対正義の立場に置いていることを示している。
民主主義に於ける正義の立場に自己を置いていたなら決して口に出てこない「婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」であろう。
橋本元首相や小泉元首相の場合にしても元より、選挙での女性票獲得が自民党が民主党を遥かに上回っているのは皮肉な現象と言える。
「創氏改名」――は、朝鮮人皇民化の一環として日本側が打つ出した政策であって、「改名しない者には公的機関に採用しない、食糧の配給対象から除外するなどの圧力をかけたために期限内に全戸数の80%が届け出た。『内鮮一体』を提唱する南次郎朝鮮総督の政策の一つ」と『日本史広辞典』(山川出版社)は解説している。いわば主として「食糧の配給対象から除外」という食糧攻めが効いた朝鮮人固有の名前から日本式の名前への強制的な改名であろう。
「朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」とするのは日本の国が強制したことではない、日本は間違ったことをしていない――日本国家絶対正義とする発想であろう。
それにしても麻生太郎の自国家の正義を打ち立てようとする科学的な歴史態度には目を見張るものがある。科学的歴史性を欠乏させているゆえに「全体的な絶対正義」なるものは存在しないにも関わらず、何から何まで自国家絶対正義に意識を向けるあまりに否応もなしに欠乏させていくこととなった科学的歴史性なのだろう。
国家を最上・最高の権威、最上・最高の価値と看做す権威主義性を自らの精神としているから、当然の措置として科学的態度の欠如、合理的精神の欠乏を反対給付される。
朝鮮名を名乗ったままの陸軍中将や衆議院議員、朝鮮貴族等がいることを根拠に日本名への改名は強制していなかったという主張があるということだが、戦前・戦後を通じて確かに差別されることを嫌って日本人名(通名)を多くの朝鮮人が自らも名乗り、朝鮮人であることを隠したが、戦前の日本帝国に対する協力者である社会的上層に位置する朝鮮人を日本名に改名したなら、前者とは違った意味で朝鮮人の協力者がいることを隠すことになってその点でのメリットを減殺することになるから朝鮮名を許していたといったこともあったのではないか。
国際社会に人権抑圧もなく仲良くやっているところを見せるダミーにもなったことだろう。
創氏改名はあくまでも朝鮮半島内の皇民化(=日本人化)を狙った政策で、日本国内という内地に於いては多くの朝鮮人自身が日本人による過酷な差別から逃れるために日本政府がわざわざ強制しなくても自分から通名に改名したといったことではないだろうか。
1923(大正12年)の関東大震災時の混乱の最中に起きた数千人と言われる朝鮮人虐殺は朝鮮人差別・朝鮮人蔑視を原因とした事件で、当時の朝鮮人が日本人から受けていた差別・蔑視が如何に過酷なものであり、そのような過酷な差別・蔑視が彼らをして朝鮮人であることを隠して日本人の中に隠れる方便としての日本名(=通名)を名乗らせる方向に如何に向かわせたか、証明して余りある虐殺が展開された。
どれだけ多くの朝鮮人が日本人の差別・蔑視から逃れるために日本人になろうと、日本人に近づこうと努力したことだろうか。
このような場面は戦前の沖縄でも同じように展開されていた。沖縄風の名前を捨てて、日本風の名前を名乗ったり、沖縄方言を捨てて、標準語を話す訓練をした。内地の日本人が沖縄人を差別していたからだ。
朝鮮人虐殺に関してブログ・HP、その他に何度でも用いている引用文だが、<ヒゲ面が出してくれた茶碗に水を汲んで、それにウイスキーを二、三滴たらして飲んだ。足が痛みだしてたまらない。俄に降りつのってきたこの雨が、いつまでもやまずにいてくれるといいとさえ思った。
「旦那、朝鮮人はどうです。俺ア今日までに六人やりました」
「そいつあ凄いな」
「何てっても、身が守れねえ。天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさあ」
雨はますますひどくなってきた。焼け跡から亜鉛の鉄板を拾って頭にかざして雨を防ぎながら、走りまわっている。ひどいヒゲの労働者は話し続ける。
「この中村町なんかは一番鮮人騒ぎがひどかった・・・・」という。「電信柱へ、針金でしばりつけて、・・・・焼けちゃって縄なんかねえんだからネ・・・・。しかしあいつら、目からポロポロ涙を流して、助けてくれって拝むが、決して悲鳴を上げないのが不思議だ」という。・・・・
「けさもやりましたよ。その川っぷちにごみ箱があるでしょう。その中に野郎一晩隠れていたらしい。腹は減るし、蚊に喰われるし、箱の中じゃ身動きが取れねえんだから、奴さんたまらなくなって、今朝のこのこと這い出した。それを見つけたから、みんなでつかまえようとしたんだ。・・・・」
「奴、川へ飛び込んで、向う河岸へ泳いで逃げようとした。旦那、石ってやつはなかなか当たらねえもんですぜ。みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ。で、とうとう舟を出した。ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分ぐらい水の中にもぐっていた。しばらくすると、息がつまったと見えて、舟のじきそばへ顔を出した。そこを舟にいた一人が、鳶(トビ)でグサリと頭を引っかけて、ズルズルと舟へ引き寄せてしまった・・・・。まるで材木という形だあネ」という。「舟のそばへくれば、もう滅茶々々だ。鳶口一つで死んでいる奴を、刀で切る、竹槍で突くんだから・・・・」>(『朝鮮人のなかの日本』呉林俊(オ・リムジュン)著・三省堂昭和46年3月15日初版/「横浜市震災史」から引用として描出してある)
「ハングルは日本人が教えた」
「(日本が教育制度を整えたことなどを理由にあげて、植民地統治がハングル普及に貢献したとの見方を示し)正しいことは歴史的事実として述べた方がいい」(03年6月2日付「朝日新聞」からの引用として/以上「Janjan」)――
「ハングル」は朝鮮王朝第4代世宗により1443年につくられ、46年に「訓民正音」の名前で公布されたと『日本史広辞典』(山川出版社)は教えている。日本政府が学校を造り、字の書けない子供を通わせて結果としてハングル文字を教えたとしても、先に植民地政策ありの措置――朝鮮支配の一環として行った措置――であって、「日本人が教えた」と正義は日本にありのようなことは決して言えないだろう。植民地支配をしておきながら、自国家絶対正義を唱えるのはやはり科学的態度の欠如、合理的精神の欠乏を素地として国家・民族に最高・最上の価値を置く権威主義に侵されているからに他ならない。
アフリカにNGOが自分たちの資金で小学校を建て、字の書けない子供たちに字を教えたとしても、NGOの彼らは正義は我にありと言いたげに「アフリカの文字を我々が教えた」と言うだろうか。教える場所さえ用意すれば、どこの国の人間だろうと教えることができる事柄だからだ。
「ハングルは日本人が教えた」は麻生太郎の国家絶対正義の頭が勝手につくり出した歴史的事実に過ぎない。
例えば朝鮮半島の近代化に尽くしたとか、インフラ整備に貢献したといったことを言って植民地支配と差引き計算する主張があるが、朝鮮人の人格を抑圧・無視し、彼らの人間としての尊厳を著しく傷つけ、否定してきた事実の過酷さに比較した場合、差引き計算はすべて帳消ししなければならないだろう。
帳消ししないで自らの得点に結びつけようとするのは日本国家絶対正義の立場に立っているからに他ならない。
06年1月28日 名古屋市での公明党議員の会合で
「(靖国神社参拝について)英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言った人はゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」――
麻生太郎のこの名言に対して当ブログで次のように書いた。
<戦前の天皇は国民に対しては神聖にして侵すべからず存在として大日本帝国に君臨した絶対統治者であり、陸海軍を統帥する絶対権力者であって、首相の権力などその比ではなかった。唯一その絶対権力ゆえに国民は戦争に於いては「天皇陛下バンザイ」の教育を受け、その具体化が生きて虜囚の辱めを受けずの死を賭した玉砕行為であったのであり、コロコロ代わる首相バンザイなどあり得るはずもなく、あり得るはずもなかった「首相万歳」を持ち出して「天皇万歳」と比較すること自体が麻生に於いては合理的客観性・合理的認識性の欠如発揮の最たる場面であろう。
もしかしたら日本は首相がコロコロ代わるから、(天皇を)日本民族優越性の証明以外に万世一系という長期性を政治制度上の背景として現在も必要としているのかもしれない。
麻生の「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのだから、天皇陛下が参拝するのが一番だ」は「天皇陛下万歳」の肯定であり、戦前の肯定を意味する。このことによって麻生太郎は安倍晋三国家主義者と同類であり、国家主義的兄弟だと看做すことができる。>と。
麻生が国家主義者であると言うことは安倍晋三と同様に国家に最上・最高の価値を置く権威主義に絡め取られていることを示す。国家に最上・最高の価値を置くからこそ、天皇に靖国神社参拝を求める。
麻生太郎は首相指名後の閣僚発表で「国民本位の政策を立ててもらいたい」と閣僚に注文をつけたが、これは福田前首相と同じく衆議院選用の俄仕立ての借り着で終わるに違いない。国家に最上・最高の価値を置く国家主義者に「国民本位」は矛盾した規定でしかないからだ。
そのことは05年10月15日 福岡県太宰府市での開館記念式典の来賓祝辞で述べた「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」という言葉にも表れている。
様々な制度を含めた中国・朝鮮文化、及び欧米文化を混血としていながら、それを無視しているのだから、自国家・自民族を純粋民族(=優越民族)に置く権威主義表現に他ならない。
大体が国民一人ひとりの存在性が常に国際比較されるグローバルな時代に例え事実であったとしても「一文化、一文明、一民族、一言語」を誇ってどれ程の意味があるのだろうか。OECDの学習別到達度調査で日本の15歳・高校1年生が他国の生徒と比較して科学的応用力・数学的応用力が劣るという結果が出ただけで慌てふためいているというのに。
いわば麻生の言う「一文化、一文明、一民族、一言語」が日本の生徒の科学的応用力・数学的応用力の育みに何ら役に立っていないということではないのか。日本の政治家の政治的想像性(創造性)発揮に「一文化、一文明、一民族、一言語」がどれ程に力となっていると言うのだろうか。
科学的な想像性(創造性)も合理的客観性もな持たないから、国民という中身を問題とせずに国家だとか民族だとかのハコモノに価値・権威を置く。置く結果、国家絶対正義を打ち立てたい衝動を抱えることになる。
中川昭一
第3次小泉改造内閣で農林水産大臣就任記者会見(1998年7月)
(従軍慰安婦の軍関与に関して)「いろいろと議論の分かれるような、少なくとも専門家の皆さんがけんけんがくがく議論されていることについて教科書、義務教育の教科書に、すべての七社の義務教育の教科書にほぼ同じような記載で記述されていることに疑問を感じている。強制性があったかなかったかを我々が判断することは政治家として厳に慎まなければいけない。歴史について我々は判断する資格がない。これは最初から我々の基本方針です。ただ、いろいろな方がないとかあるとか言って話が違う。これだけ議論が分かれているものを教科書に載せていいのかなというのが我々の勉強会のポイント。だから事実としてあるということに、我々が信じるに足るような事実がどんどん出てくれば、我々は素直にその事実を受け止める」
「議論がいろいろとまだ出ている最中だから、教科書に載っけるというような、大半の専門家の方が納得できるような歴史的事実として教科書に載せる、ということには我々はまだ、疑問を感じている、という状況だ。つまり、ないともあるともはっきりしたことが言えない」 ――
「強制性があったかなかったかを我々が判断することは政治家として厳に慎まなければいけない。歴史について我々は判断する資格がない」と言いつつ、「議論がいろいろとまだ出ている最中だから、教科書に載っけるというような、大半の専門家の方が納得できるような歴史的事実として教科書に載せる、ということには我々はまだ、疑問を感じている、という状況だ。つまり、ないともあるともはっきりしたことが言えない」 と「政治家として厳に慎まなければいけない」「判断」を臆面もなく下している。
要するに自分たちに都合の悪い歴史解釈の動きには「判断放棄」し、都合のよい動きには積極的に「判断関与」するという矛盾行為なのはミエミエの言い分となっている。もしも歴史は歴史家だけが判断する資格があるとしたら、政治は政治家だけが判断する資格があり、国民は判断する資格を有しないことになる。
この規定から言うと、麻生が言った「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」は「婦人」だけではなく、一般男性の美濃部に投票した判断も否定しなければならなくなるだろう。中川昭一は「強制性があった」と「判断することは政治家として厳に慎まなければいけない」と言っているに過ぎない。
やはり中川昭一も麻生と同じく国家・民族に最上・最高の価値を置く権威主義・国家主義を自らの血としているから、国家絶対正義の衝動を抑えがたく、それを満足させない歴史判断には我慢がならないのだろう。
基本的には科学的態度 合理的精神を欠いているからに他ならない。欠いているからこそ国家・民族に最上・最高の価値を置く権威主義・国家主義に囚われ、無考えに国家絶対正義の衝動を抱えることになる。
中山成彬
(05年06月11日開催の静岡市でのタウンミーティング)「そもそも従軍慰安婦という言葉は、その当時なかった。なかった言葉が教科書に出ていた。間違ったことが教科書からなくなったことはよかったと評価した」(『朝日』)
(沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定問題について)「11万人が集まれば教科書が変えられるのか。そういう前例を残すことはどうなのか」
「従軍慰安婦や南京事件の記述についてもさまざまな位置付けがあり、その人たちから見ると、たくさん人を集めれば教科書を書き直せるのかということにもなる」(msn産経/2007.10.5 13:42 )――
これが日本の最高学府東京大学を卒業している政治家の言葉なのである。これらの言葉を聞いて、合理的精神の一カケラも感じ取ることができる人間がいるだろうか。感じ取れるのは麻生や中川といった想像性(創造性)も合理的客観性も持ち併せていない同じ穴の政治家たちだろう。
後世の人間が「奈良時代」という名称で便宜的に区分し、一般的に妥当な表現と看做している時代に対して、「そもそも奈良時代という言葉は、その当時なかった」からと言って、その時代に起きた数々の歴史的事実までなかったとすることができるだろうか。平安時代についても同じことが言えるだろう。
「そもそも従軍慰安婦という言葉は、その当時なかった」としても、後の人間が「従軍慰安婦」と名づけて、その存在をよりよく言い当てていた場合、名前は一般化し、呼び習わされることになる。その存在性からいって、そのような名づけが妥当な表現だと認知されたと言うことである。
いわば存在していたという事実が先行していて、単に名前を後からつけたに過ぎない以上、教科書から記述がなくなったとしても、歴史的事実そのものは消えずに残る。
既に自作HPに書いていることだが、中山成彬は「教科書」にその「言葉」が載っていないことによって、その事実を知らされない小中高生と、その後に続く小中高生が順次大人になっていき、日本の人口を占める。かくして殆どの日本人の知識から「従軍慰安婦」の事実は消える。教科書に載せないことによって彼らの知識から掻き消したいということなのだろう。
と言うことは中山成彬が批判していた「11万人が集まれば教科書が変えられるのか」、あるいは「従軍慰安婦や南京事件の記述についてもさまざまな位置付けがあり、その人たちから見ると、たくさん人を集めれば教科書を書き直せるのかということにもなる」ということ同じことを逆の形で自分も行っていることになる。歴史的事実の消去不能に逆らって「従軍慰安婦」の知識を持った者を限りなくゼロに持っていくことで、その事実を間接的に消去可能とすることができるからだ。
消去し得たとき、国家絶対正義が打ち立て可能となる。従軍慰安婦の事実も南京虐殺の事実も強制連行の事実も日本人の知識の中に存在しないこととなり、国家絶対正義のみが存在するいうわけである。
だから中川昭一にしても、「議論がいろいろとまだ出ている最中だから」とかの理屈をつけて科書に載せまい、載せまいとする意志を働かせていた。中川は「強制連行があったのか、なかったのか分からない。中学校教科書に従軍慰安婦問題が記述されたことも疑問だ」とも言って、教科書への記述を阻止したい衝動を疼かせていた。
麻生太郎、中川昭一、中山成彬3羽ガラスの戦前の大日本帝国の絶対正義追求の飽くなきまでの執念には目を見張るものがある。
麻生太郎は学習院大学政治経済学部卒、中川昭一と中山成彬は東京大学法学部卒。学校でも社会でも人間の現実を学ばず、国家及び民族の権威だけを学んで国家・民族に最高・最上の価値を置く権威主義に絡め取られ、国家絶対正義の衝動を身に纏うに至ったのだろう。
国民のありよう、存在性よりも、国家のありよう、国家の存在性を上に置く日本国家絶対正義に思考硬直した政治家に明日の日本を託すことができるのだろうか。
同じ財政出動・バラ撒きであっても、国民一人ひとりのあるべき姿を思い描いたバラ撒きならまだしも、企業収益はどうだ、国際収支・貿易収支はどうだといった国家の形態のみに目を向けたバラ撒きは国民に利益配分されないまま終わる単なるバラ撒きと化すように思えてならない。
昨日2008年9月24日、麻生太郎が第92代、59人目の首相に指名されると100%分かっていながら、午後になって第92代、59人目の首相に指名され、1日不愉快な思いをしていた。ニュースを見たくもなかったが、我慢して見ていた。この不愉快と我慢を次の総選挙で民主党が自民党を敗北に追いやり、晴らしてもらいたいと思っている。
どうしようもない戯言を一席
夜の8時に総裁選に使った選挙遊説大型ワンボックスカーに乗って現れると既に道路を埋め尽くし、「麻生太郎日本国総理大臣」と書いたプラカードを林立させていたアキバの若者、メイド姿の若い女性等々が一斉にウオッー・キャッーと声を上げ、「麻生日本国総理大臣、麻生日本国総理大臣、麻生総理日本国大臣」のコールを開始する。そのシーンを捉えようとする脚立に乗ったマスコミ各社のカメラの夥しいばかりの放列。群集に押されて脚立が倒れ、人混みの中に倒れるカメラマンもいる。
麻生太郎は満面に嬉しさを隠さず、車から降りてゆっくりとステップを伝ってワンボックスカーの屋根に上っていく。マイクを手に取り、
「オタクの皆さん、秋葉原でも、結構評判がいいんですが、キャラが立ちすぎても永田町の古い古い自民党にも『選挙の顔』用にウケがよくなって第92代、59人目の首相に指名された麻生太郎です。正直、ウケがよくならなきゃなれなかった」
爆笑。
「日本国総理大臣となってから何かと忙しかったもんで、アキバの皆さんに応援・支持のお礼に来るのが遅くなってしまった。失礼な話なんだけど、オタクたちには」
笑いと歓声の混じったどよめきがウオッー・キャッーと上がる。続いて再び「麻生日本国総理大臣、麻生日本国総理大臣、麻生総理日本国大臣」のコール、連呼。それが鳴り止むのを待って、
「お蔭様で念願の日本国総理大臣をこの手に(と手を前方に差し上げ、広げていた手のひらをぎゅっと握って見せてから)ゲットすることができました。何てったって今回の自民党総裁選挙では全議員票の6割、217票も転がり込んでくるといった圧倒的支持を受け、その結果の麻生太郎日本国総理大臣の誕生というわけで、古い古い自民党のウケがよくならなきゃごっつぁんできないご馳走みたいなもんで、麻生太郎に入れてくれた票を家に持ち帰って、寝る前に毎日数えている麻生太郎でもあります」
若者たちが「麻生日本国総理大臣コール」を途絶えさせて、麻生の言葉に迎合する大袈裟な笑い声を上げる。
「217票の重みを噛み締めることができるように指に唾をつけて、1枚、2枚、3枚と2時間はたっぷりと時間をかけて数えてるんだぜ。そのシーン、みんなの目に見えると思うよ。麻生コールを聞いているときと同じくらいの至福の瞬間だぜ」
再び「麻生日本国総理大臣、麻生日本国総理大臣、麻生総理日本国大臣」の熱狂。鷹揚ににこやかに手を振って応える麻生太郎日本国総理大臣。
「選挙に勝ちたい一心で『選挙の顔』にと上納金紛いにバラ撒いてくれた217票は何もかも古い古い自民党のお陰なんだけど、ご安心ください。首相官邸に入ったからといって、アキバを忘れはしない。マスコミがこのアキバでヒーロー扱いされる麻生太郎を大騒ぎして全国放送してくれるんだから、アキバにも顔を向けるし、古い古い自民党にも顔を向ける。必要に応じてどっちにも顔を向ける、みなさんに便利な『選挙の顔』麻生太郎。支持率が下がったら、元気を貰いにこのアキバに必ずやってくる」
次の言葉を掻き消しかねない周囲を揺るがす「麻生日本国総理大臣」、「選挙の顔っ」の連呼をやむのをしばらく待たねばならなかった。
「何てったって古い古い自民党の代表、密室キングメーカー・森喜朗元首相センセイの後押しがあって、その他有象無象が麻生、麻生とウケが良くなったわけだから、古い古い自民党とは親戚になったようなもので、親戚の信頼を裏切るわけにはいかない。
信頼を裏切って、安倍さんは『安倍さんでは選挙が戦えない』、福田さんは『福田さんでは選挙が戦えない』となったけど、最初の発信元はこの麻生太郎じゃないかとドキッとさせた議員センセイもいたが、お鉢が回ってきて『麻生さんでは選挙が戦えない』となる考えられる唯一の原因は『失言』しかなく、失言して突然総理大臣を辞任する記者会見を開いて、カメラのフラッシュで目を開けていられなくなってきつく閉じたはずが、ハッと目が覚めて冷や汗で身体中がびっしょり濡れているいやーなユメを見るようになった」
笑いとそのジョークを見事と誉めそやす拍手が一斉に起こる。
「野党はこぞって麻生太郎の失言を待ち構えていると思うよ。我が自民党の中にも少数派だが、失言を期待している議員センセイが少なからずいる。アキバのオタクの中にもいるかもしれない」
「期待しているっー」の声があちこちから上がり、爆笑が起こる。
「マスコミは間違いなく期待している」
一斉に「期待しているっー」
ワアッと爆笑。
「失言しない戒め・おまじないに寝るときは口にガムテープを貼って寝るんだけど、夢の中で勝手に失言してしまう。政治も分からないアキバのオタクが騒いでくれるお陰で、政治家麻生の人気確立の一因ともなれた、これってどういうことなんだとつい自虐的失言を楽しんでしまう」
再び嬉しそうな笑いが起こる。手が叩かれる。
「失言しない麻生太郎にしようとするあまり口にチャックしたら、アキバにも顔を向け、古い古い自民党にも顔を向ける麻生太郎らしさを失ってしまうんじゃねぇか。それが心配だ。心配だけど、麻生らしさを失わないためについお喋りが過ぎたら、『麻生さんでは選挙が戦えない』になりかねない。悩み多き麻生太郎を癒してくれるのはマンガとアキバのオタクだけなんじゃねえか。いやーな夢を忘れさせてくれる」
「麻生日本国総理大臣、麻生日本国総理大臣、麻生総理日本国大臣」のコールが鳴り止まない。
「ありがとう、アキバのオタクたち。アキバのオタクが永遠である限り、政治家麻生太郎も永遠の命を授かる。サンキュー・ベルマッチ、イギリス留学時代の英語仕込み」
手を大きく振る。「麻生日本国総理大臣、麻生日本国総理大臣」のコールと入り混じった吠え声じみたウオッー・キャッーの声。拍手。
最後に言いそうになった「失言だけが麻生太郎の永遠の命を一瞬のうちに奪う」の言葉は呑み込んで口の中で「クワバラ、クワバラ」と呟き、顔をブルブルッと振るわせた。顔から笑みが消えていた。
多くの世論調査で次の首相に麻生がふさわしいと答え、麻生にプロポーズしている。
この女で大丈夫なのか。自民党という50年以上も続く家柄を背景としていたとしても、背景で誤魔化されるほど馬鹿げたことはない。
女は家柄でも見た目でもないよ、中身だよを示してほしい小沢民主党といったところか。
食の安全に関わる危機管理とは一言で言うと、「疑ってかかる」ということだろう。少なくとも現在の国民は自分たちが生活する日本社会からそう教えられ、学んだ。
「Wikipedia」を参考にすると、53年前の衛生管理不備から溶血性ブドウ球菌を発生させた雪印脱脂粉乳中毒事件と8年前の病原性黄色ブドウ球菌混入が原因の雪印集団食中毒事件、1950年代のヒ素が混入していて1万3千名もの乳児がヒ素中毒となり、130名以上の死亡者を出した森永ヒ素ミルク中毒事件。詳しい発生原因や発生年月を忘れていても、多くの人間が事件名だけはうろ覚えでも記憶しているはずである。
海にタレ流した有機水銀含有の工場廃液に汚染した魚介類を食して各種重度の神経疾患を発病させることとなったチッソ水俣病と同じ原因の新潟水俣病は工場廃液の恐ろしさを国民に教え、国民は学んだ。
そして中国産のうなぎやアサリを国産と偽る食品の産地偽装。台湾産のうなぎを国産と偽った事例もあった。あるいは国産でも別産地の安価な商品をブランド品を産する地名をつけて割安に売る国内的産地偽装。
07年の卵が埋めなくなった廃鶏を比内地鶏と偽って販売した事件は食品偽装の代表例の一つだろう。
さらに牛挽肉と原料名に明記しながら豚肉や鶏肉を混ぜて製造したコロッケを販売していた北海道のミートホープ社の原材料偽装事件。牛肉の産地を偽っていただけではなく、箸をつけずに食べ残した料理を次の客に使いまわしていた高級料亭・船場吉兆の産地偽装と料理偽装。くず米を銘柄米として販売して摘発された07年の「日本ライス」事件。
売れ残った「赤福餅」の製造日を偽装して再出荷、あるいは再加工して新製品として出荷していた昨年の三重県伊勢市の和菓子屋赤福の商品偽装。
その他数々の賞味期限切れ、あるいは消費期限切れ偽装食品の続出。
消費者は多くを教えられ、多くのことを学ばされた。食品に限ったことではないが、多くのウソ・偽り・危険が存在することを教えられ、多くのことを学ばされた結果得た結論とは、「疑ってかかる」ということではなかったろうか。「疑ってかかる」が食のウソ・偽り・危険から身を守る危機管理上の必須条件となった。
テレビ・新聞等のマスコミは「何を信用していいのか分からない」という消費者の声を伝えた。「疑ってかかる」を余儀なくされた消費者の心理を表す情報であろう。
消費者に対して食の安全に関わる危機管理は「疑ってかかる」を基本姿勢とするに至らしめたということである。
例え消費者の食の安全に関わる危機管理が「疑ってかかる」を基本意識としていなくても、国民が口にする食の問題を扱う行政府たる農林水産省は食の安全を国民に担保するために食のすべてに対して「疑ってかかる」を食に関わる危機管理の基本姿勢とすべきであろう。そうでなけれは農林水産省の食の問題を扱うことの存在意義を失う。
だが、今回の三笠フーズによる農林水産省から安価に仕入れた農薬汚染等の非食用の事故米の食用米への転売に関しては農林省は2004年度から08年度まで5年間に亘り、計96回も立ち入調査を実施していながら、その不正を見抜くことができなかった(「時事通信社」)。
昨07年1月に手紙による内部告発を受けて立ち入り調査したがやはり見抜けず、今年8月の匿名電話の告発があって初めて不正発覚のキッカケとすることができた(「msn産経」)。
この職務不全、あるいは職務不能に納得のいく説明を施すとしたら、やはり「疑ってかかる」という危機管理上の基本姿勢が不足していたからとしか言えないのではないだろうか。
それとも十分に「疑ってかかる」を基本姿勢として立ち入り検査に臨みながら、不正を見抜くことができなかったということなのだろうか。
<農水省によると、事故米を三笠フーズに売却した東京農政事務所に、昨年1月(07年1月)、「三笠フーズが焼酎メーカーに売却しようとしている」という趣旨の匿名の封書が届いた。東京農政事務所は本省に報告し、コメの保管・出荷業務を行う同社九州工場(福岡県筑前町)を管轄する福岡農政事務所にも情報を伝えたが、「保管場所がない」との理由で大阪農政事務所には連絡しなかった。
連絡を受けた福岡農政事務所は同年1月29日から2月初め、九州工場に抜き打ちで立ち入り調査を行い、コメの在庫や帳簿類を確認したが、二重帳簿で、不正転売を見破ることはできなかった>(≪三笠フーズ告発情報、農水省は本社管轄の大阪事務所に伝えず≫2008年9月20日14時35分 読売新聞)と「抜き打ち」で検査が行われたことを伝えているが、03年以降の九州工場の加工作業に対する96回の立ち入り調査は事前連絡によるものだというから、抜き打ち検査も含めて明らかに食の安全に関わる危機管理意識とすべき「疑ってかかる」を停止させた検査と言える。
食の安全に関わる危機管理上保持しなければならない「疑ってかかる」という基本姿勢を忘れた農水省の態度とは何を意味するのだろうか。
今年6月には農林水産省近畿農政局大阪農政事務所・消費流通課の職員から三笠フーズ本社に事故米を「三笠さんは大量に買い付けているから本省が関心を持っている。行動を慎んだ方がいい」という電話があったと三笠フーズの元社員が19日に証言していることに対して、<近畿農政局大阪農政事務所の田中正雄・消費流通課長は6月の電話について「本省から『三笠フーズがMA米を大量購入しているので用途を確認してほしい』と指示され、担当係長が電話をかけた。ただ、行動を慎重に、とは言っていない」と話し>(「asahi.com」)ていると伝えているが、この食い違いは何を意味するのだろうか。
ただ言えることは事故米を糊加工用として販売しているのだから用途確認の指示を出すこと自体、尋常なことではないことと受け止めなかったのか、本省から「用途確認の指示」を受けながら、電話で済ませている安直さ(=検査不全)は食の安全に関わる危機管理上保持すべき「疑ってかかること」から程遠い態度であって、農水省が「疑ってかかる」を食の危機管理の基本姿勢としていないことを証明する象徴的出来事と言えるかも知れない。
消費者が自らの食の安全に関わる危機管理上の基本姿勢として「疑ってかかる」を余儀なくされているにも関わらず、農水省の方は「疑ってかかる」を危機管理上の基本姿勢としていないという倒錯性・矛盾はブラックユーモアそのものではないか。
三笠フーズによって食用として転売された非食用事故米が「米転がし」を経て病院の食事やコンビニのおにぎり、焼酎の原料として利用されていたことが発覚し社会問題化したとき、食の安全を取り扱う農水省の最高責任者たる太田農水大臣は「人体に影響がないことは自信を持って申し上げられる。だからあんまりじたばた騒いでいない」(「しんぶん赤旗」)とか、「焼酎は製造過程で無害化されることもある」(「紀伊新報」)といったことを公言して食の安心を請合ったが、人体に影響があるかどうかのみの基準で把え、影響がなければそれでよしとして、事故米を食用米として流通させた農水省自体の検査及び管理体制の不備・責任の所在を「じたばた」して俎上に乗せるべきを乗せない消費者の感覚から外れた発想と、農水省の事務方のトップである白須事務次官の「責任は一義的には食用に回した企業にある。立ち入り調査は不十分だったが、農水省に責任があるとは考えていない」(「時事通信社」)と自らの検査及び管理体制の不備を問題視しなかった責任感覚が一連の騒ぎに拍車をかけることとなって、大方の見方だが、政府がこのままでは来る総選挙に不利となると見て鎮静化を図るために大臣共々引責辞任を科したということだが、福田首相は記者団に対して任命責任を認め、「私はすべてのことに責任を持っている。(消費者重視と)1年間言い続けて、末端まで届かなかった。私の気持が次官、部長、課長、そして地方に行き渡らなかった」と語ったと9月20日の『朝日』朝刊 ≪時時刻刻 農水ずれっぱなし 大臣・次官 ダブル辞任≫が伝えている。
そして<政府高官は退陣直前に閣僚を交代させた福田首相の心中を「『消費者行政を重視した内閣はこれまでなかったのに、最後にこれか』といたたまれない思いがある」と推し量>ったと解説しているが、自民党は大企業の利害代弁者としての地位を保持することで政党としての自己を存在させてきたのである。いわば大企業の利害代弁と「消費者行政重視」は相反する価値観であって、企業に対して「疑ってかかる」姿勢を本来的に備えていなかったと言える。
熊本県水俣湾周辺で発生した有機水銀中毒を熊本大学医学部が新日本窒素の廃液中の有機水銀が原因と特定しながら、政府は65年新潟でも同じ有機水銀中毒が発生、熊本大学医学部の原因特定から12年後の68年になって初めて新日本窒素の廃液中の有機水銀が原因だと認めた例が大企業の利害代弁者であり、そのために「疑ってかかる」をしなかった象徴的事例に挙げることができる。
大企業の利害代弁と「消費者行政重視」は相反する価値観であるにも関わらず福田首相が「消費者重視」を掲げたのは昨年の参院選の与野党逆転が発端となって次の総選挙で政権交代の序幕となりかねない危機感が赴かせた立場に過ぎないだろう。
言ってみれば、福田首相とて大企業利害代弁の水で育った自民党政治家であり、企業に対して「疑ってかかる」ことをしない政治性を自らの姿勢としていたのである。「消費者重視」は政権維持を図りたい一心の国民に対する媚として持ち出した柄にもない姿――借り着であって、俄仕込みなのだから、本人がそうである以上、「(消費者重視と)1年間言い続けて、末端まで届かなかった。私の気持が次官、部長、課長、そして地方に行き渡らなかった」のは当然の成果であろう。
着慣れない衣装を大急ぎで纏ったに過ぎなかった。食の安全に関わる基本的な危機管理意識としての「疑ってかかる」は「消費者重視」にもつながる姿勢となるはずだが、「疑ってかかる」ことをしなかった姿勢がそのことを証明している。太田農水相も白須事務次官も職員も「疑ってかかる」という「消費者重視」を果たしていなかった。
もし福田首相が「私はすべてのことに責任を持っている」と言うなら、太田・白須の引責辞任だけで済ますのではなく、既に総理大臣を辞任することを宣言しているのである。議員辞職するくらいの覚悟を示さなければ、言葉だけで終わる「責任」となりかねない。「消費者重視」はウソのままで推移しかねない。
≪時時刻刻 農水ずれっぱなし 大臣・次官 ダブル辞任≫(『朝日』朝刊/08.9.20)
5日後に内閣総辞職を控えた太田農林水産相が19日、突然辞任にした。底なし沼のような事故米不正転用問題。「消費者重視」に泥を塗られた福田首相の思いも映す辞任劇だが、農水行政の信頼回復には程遠い。迫る総選挙でどんな形で跳ね返ってくるのか、与党も見通せずにいる。
「消費者重視」響かず
首相、いら立ち募らす
「あと4日残すばかりだが、ただ時間が過ぎるのを待つのではなく、農水省全体としての責任をはっきりしておいた方がよいだろうと辞意を固めた」
太田農水相は福田首相に辞表を提出した後、記者会見で辞任理由をこう説明した。だが、町村官房長官は会見で「誤解を生む発言があった。組織というより大臣個人にかかわる点ではなかったかと思う」と切って捨てた。
福田首相が政権浮揚をかけて内閣改造に踏み切った。8月1日。農水相に起用され、官邸に呼び込まれた太田氏は首相に対し、自分の胸をたたきながらこう言った。「私を選んだのは正解です」。ところがその太田氏が、福田政権の約1年間で初めて辞任に追い込まれた閣僚となった。
自らの政治団体の事務所費問題の発覚に加え、「消費者重視」という内閣の看板にかかわる「失言」が相次いだ。中国製冷凍ギョーザによる中毒事件を受けた国内の安全対策について「日本は安全なんだけど、消費者、国民がやかましいから徹底していく」。事故米問題でも、不正転用が次々判明して国民の不安が増大するのを尻目に「人体に影響がないことは自信を持って申し上げられる。だからあまりじたばた騒いでいない」と消費者心理を逆なでした。
一向に収まらない事態に、業を煮やして動き出したのが福田官邸だ。
11日には官邸に太田氏を呼び、首相が「これからどうするのか。再発防止策はどういう考え方でいくのか」としかりつけた。白須敏朗事務次官の辞任について、関係者は「官邸と総理の意向が働いている」と明かし、事実上の更迭との見方を示した。
政府高官は退陣直前に閣僚を交代させた福田首相の心中を「『消費者行政を重視した内閣はこれまでなかったのに、最後にこれか』といたたまれない思いがある」と推し量る。実際、福田首相は19日、記者団に対し、「私はすべてのことに責任を持っている」と、太田氏の任命責任も認めたうえで、「(消費者重視と)1年間言い続けて、末端まで届かなかった。私の気持が次官、部長、課長、そして地方に行き渡らなかった」と語った。
大臣と次官の異例の「ダブル辞任」の背景には、こうした福田首相のこだわりに加えて「このまま総選挙になれば格好の餌食になる」(首相周辺)との判断も働いた。
与党内からは「(大田農水相が)下手に続けて失言などが出れば、自民党全体に悪影響を及ぼした。潔く辞めたという点では選挙にプラス」(自民党中堅)と前向きに評価する声も上がるが、「太田氏辞任は明らかに選挙にマイナス。なぜこの時期に辞めるのか理解できない。『また放り出しか、無責任だ』と受け止められる」(閣僚経験者)と悪影響への懸念もある。
民主党の鳩山幹事長は19日、「自民党は『けりがついた』という党利党略で辞めさせたと思うが、国民の怒りは収まらない。総選挙ではこの問題も大きなテーマとして、なぜこんなに農水省が辞めざるを得ない自公政権なのか厳しく追及していく」と、農水行政を見過ごしてきた与党の体質を選挙の争点に掲げる考えを示した。
批判集中、負担は現場に
太田農水相の辞任会見から7時間後、東京・霞ヶ関の内閣府で、事故米の不正転売問題を検証する第三者委員会(座長・但木敬一弁護士)の初会合が開かれた。消費者側の委員らが農水省に「集中砲火」を浴びせた。
「商品名も出してほしい。あいまいな情報を流せば、消費者のパニックを増幅させるだけだ」
「農水省には反省が見られない。事故米を売った会社が契約違反だったというが、なぜ非食用を食品を扱う会社に売ったのか。その説明がないと前に進めない」
農水省はこの問題で失点続きだった。
5日に、三笠フーズ(大阪市)不正転用していたことを発表。その後、同社への立会い調査が96回に及びながら不正に気づかなかったことや、大阪農政事務所の元担当課長が接待を受けていたことが相次いで発覚した。
小中学校の給食、コンビニのおにぎり・・・・・。ここ数日は、農水省の追跡調査を上回るスピードで、関係府県の調査が進み、汚染された米の使用実態が次々に明かになり、農水省の失政の大きさが改めて浮かび上がった。
そんな中、太田氏の「じたばた騒いでいない」や、白須前事務次官の「私どもに責任があるとは今の段階では考えていない」という発言は、逃げ口上ととらえられた。
不信にとどめを刺したのは流通先の業者名の公表をめぐる問題だ。
発表前日の15日夕の時点で、農水省は公表しない予定だった。事故米と知らずに買った業者も多いうえ、非公表を前提に調査に応じてもらっていたからだ。最終的に福田首相の意向をくんだ太田氏が夜になって公表を指示。しかし、点検に時間が足りず間違いが続出。出先機関である各地の農政局には、業者から「だまされた」「客が減った」と抗議が相次いだ。
「矢面に立つのが我々なのは当然のこと。しかし、霞ヶ関の常識では、企業名の実名公表は『ありえない』こと。このリスクをすべて負わされているのも事実」。農水省の担当者は打ち明ける。
16日の業者名発表からは、農水省は責任者でもなくなった。この問題は、消費者庁の母体となる予定の内閣府が仕切ることになったからだ。
町村官房長官19日の会見で「農水省全体の問題だが、長い間の行政に甘えや慣れが感じられる。これまでの行政に常に厳しく見つめなおし、より良い行政を進めていく必要がある。そういう面で欠けているところがあった」と農水省の体質を痛烈に批判。農水省幹部は「被告席に立つべき農水省の発表では信用できないということ。政府内でも信頼が地に落ちた」と自嘲気味に語る。
三笠フーズの本社を抱える近畿農政局(京都市)は19日、「「消費者相談窓口」を土日返上で当面延長することを決めた。この日で終了予定だったが、消費者の相談や苦情の電話が止まらない。太田氏の辞意表明後にも「辞めて済む問題ではない」「無責任だ」という憤りのこもった電話が続いた。
同社の九州工場がある福岡農政事務所では、職員が連日深夜まで伝票を調べている。職員は「人の数が限られており、疲れはたまっている。大臣や事務次官が辞任しても、ただただ作業を続けていくしかない」と話した。
都市差別は住民差別を背中合わせとする
そして外に対して差別する者は内に対しても差別する。逆もまた真なり。内に対して差別する者は外に対しても差別する。「差別表現」は権威主義性を性格的素地として育ち、内も外も区別しないからだ。
そもそもの発端は今月14日(08年9月)に名古屋市・名古屋駅前で行った自民党総裁選の街頭演説。9月16日の「TBSニュース」インターネット記事によると、我が麻生太郎は「防災のためには、都市部でも公共工事や社会資本整備が必要だ」との趣旨の発言を展開中、多分「アルツハイマーの人でもわかる」ようにとの優しい心遣いからだろ、先月の8月28日から29日未明にかけての記録的な集中豪雨で岡崎市の場合は9月16日正午時点で2人が死亡、家屋の床上・床下浸水2916件(「時事通信社」インターネット記事から)という洪水被害に見舞われた岡崎市と、さらに安城市も引き合いに出して、「あそこ(岡崎市)は140ミリ(1時間の雨量)だぜ。これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど、あれ、名古屋で同じ事が起きたらこの辺全部洪水よ」と誰でも理解できる噛んで砕いた言い回しで公共工事の必要性を主張したという。
対して「これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど」と引き合いに出された岡崎市は「配慮のない発言は極めて遺憾」とする抗議文を麻生に送り、安城市も抗議することを決めていると上記「TBSニュース」インターネット記事は伝えている。
問題発言の部分は9月17日の「毎日jp」記事≪自民党総裁選:豪雨、岡崎でよかった? 麻生氏発言に市側が抗議文≫によると、我が麻生は8月末の集中豪雨を例に取って、<都市型災害を防ぐためにも公共事業を悪と決めつけるのはおかしいとの文脈で、岡崎で1時間に140ミリを記録したことに触れながら「名古屋で同じことが起きたら、洪水だよ」などと話した。>となっている。
岡崎・安城両市の対応は、<岡崎市の石川優副市長と山本雅宏議長は連名で「『岡崎だったらいいけど』との麻生氏の発言は、今も災害からの復興活動を続ける岡崎市と岡崎市民を深く傷つける発言」と抗議。安城市の神谷学市長も同様の指摘をした。>となっている。
公共工事を悪だなどと誰も言っていないことで、麻生が勝手に言っているか思っているだけのことだろうが、逆に公共工事すべてが善だと思っている人間も誰もいないことに果して思いを馳せているかである。いるかどうかは本人の客観的認識性の問題だが、麻生に関して言えば、限りなく期待薄ということになるのではないだろうか。
ちょっとした急激な大雨でも水が出て洪水状態と化す。あるいは洪水となる。公共工事を積み重ねてきて都市を形作ってきながら、雨に対して脆弱という欠点を多くの都市が抱えている。都市設計がなっていないと言うことで、そういうことなら、これまでの都市設計に関わる公共工事は何だったのかということになる。そのことが問題であって、そのことへの指摘もなく「防災のためには、都市部でも公共工事や社会資本整備が必要だ」と一般論だけを述べる。
決して公共工事が悪だとか善だとかの問題ではない。一般論だけで公共工事を続けていったなら、出水に弱い都市の性格は変わらないだろう。我が麻生に関してはどういった都市設計が水に対して強いかまで考えて公共工事の必要性を主張しているかどうかは疑わしい。
結果、公共工事に税金をばら撒いて景気回復を策して失敗した、国土交通省とゼネコンだけを喜ばせてバラ撒きで終わったかつての古い手を再度誘発することになりかねない。
麻生太郎は岡崎市の抗議に「迅速」に応えて謝罪文を送った。謝罪文の全文が昨18日(08年9月)の「中日新聞」インターネット記事≪「お詫び申し上げます」 麻生氏、岡崎と安城へ手紙≫に出ている。
記事の中で<自民党支持者という岡崎市明大寺町の会社員男性(38)は「間違いをすぐに訂正できるのが麻生さんの良さ」>と麻生を持ち上げているが、総裁選がかかっているのである、どのような水の漏れも許されない。マスコミにこれ以上大騒ぎされる前に手を打っておこうという意味の「迅速さ」でもあったろう。
<特に支持政党がないという同市百々西町の主婦(27)は「選挙前だから気にしたんでしょうね」>という感想の方が支持政党なしで距離を置いているだけあって、客観的に妥当な判断と言えるのではないか。
「中日新聞」インターネット記事全文を引用すると――。
<「不用意な発言で、皆様方に不愉快な思いを抱かせたことに、お詫(わ)び申し上げます」-。岡崎、安城両市に十七日届いた自民党の麻生太郎幹事長名の市民あてのおわびの手紙。市民や市幹部は複雑な表情で受け止めた。
麻生幹事長の「(豪雨は)安城や岡崎だったからいいけど」との発言に素早く抗議文を送った岡崎市。市長職務代理者の石川優副市長は「返事を要求したわけではないのに、迅速な対応をいただいてありがたい」と破顔一笑。安城市の神谷学市長も「謙虚な謝罪で、誠意も感じられる」とした。
両市は、ホームページなどで市民に公表する考えだ。
市民は歓迎と白けた声が半々。自民党支持者という岡崎市明大寺町の会社員男性(38)は「間違いをすぐに訂正できるのが麻生さんの良さ」。特に支持政党がないという同市百々西町の主婦(27)は「選挙前だから気にしたんでしょうね」。
麻生幹事長のおわびの手紙
市民の皆様
先般の豪雨被害で、大きな被害を受けられたことについて、お見舞い申し上げます。ここに、先日、名古屋での自民党総裁選挙街頭演説において、私の不用意な発言で、皆様方に不愉快な思いを抱かせたことに、お詫び申し上げます。災害はどの地域にあっても、発生しては困るものです。一政治家として、自由民主党幹事長としても、すべての日本国民と地域の安全を心がけねばならないものであります。また、不幸にも災害が生じた場合は、早急なる復旧に、政府をあげてつとめるべきであります。あらためて私の発言を深くお詫びするとともに、復旧についてできる限りのことをすることをお誓いいたします。>・・・・・・・
「災害はどの地域にあっても、発生しては困るものです」は当たり前のことをごく当たり前に言っているに過ぎない。一般論じみている上に他人事に聞こえるのは、これまでの都市設計の不備に関する指摘もなくfont size=“3” color=“blue” style=“line-height:130%;”>「防災のためには、都市部でも公共工事や社会資本整備が必要だ」と一般論だけで把握することしかできない、その反映としてあるありきたりな釈明といったところだろう。
「不幸にも災害が生じた場合は、早急なる復旧に、政府をあげてつとめるべきであります」もごく当たり前のことであって、当たり前のこととして言っているに過ぎない。政府も呼応させるべき当然の義務・責任でもあり、今更ながらに「つとめるべきであります」と言うべきことではない。麻生が「政府をあげてつとめるべきであります」と断るまでもなく、地方自治体と協同して復旧工事を既に遂行しているはずである。
問題は別のところにある。麻生の「これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど」は、名古屋なら問題であるが、「安城もしくは岡崎は」“お構いなし”ということを意味していて、都市に差別を設ける発言をしたということであろう。
意地悪く言うと、「安城もしくは岡崎」は「どうでもいい」と言っていると批判することもできる。そういった地域に応じて差別をつける態度――地域を関係なく同等に扱う態度の欠如――を問題とすべきであろう。
例えば東京なら大騒ぎをするが、地方の小さな都市ならさして問題視しない態度は同じ日本人を住む場所に応じて差別することでもある。東京に住んでいる日本人は大事に扱い、地方の田舎に住んでいる日本人は大事にしないことを意味する。
麻生の「これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど」は、都市を差別しただけではなく、名古屋に住む日本人よりも岡崎・安城に住む日本人を疎かに扱う差別を行ったのである。
元々差別主義者である。麻生の「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」という発言も、だから日本民族は優秀であるとする趣旨を持たせた言葉であって、否応もなく日本民族を優越的に把えた意識の存在を窺わざるを得ない。
当然、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」とする発言は他民族を日本民族よりも劣るとして下に置く意味を持たせた発言でもある。
最初に「外に対して差別する者は内に対しても差別する」と言ったが、民族を基準に優劣の差別をする者は同じ民族の中でも地位・身分、身体的状況で差別する。麻生が都市の規模でそこに住む住人を差別したとしても不思議はない。
私が麻生太郎をヒトラーになぞらえるのは違う時代に生きているからヒトラーみたいに他民族虐殺は行わないものの、麻生が民族を基準とした差別主義者という点で本質的にはヒトラーとさして変わらないからだ。
都市を差別し、都市を差別することでそこに住む住人を同じ日本人でありながら差別することになるという指摘が間違っていないなら、上記「中日新聞」インターネット記事が伝えている<市長職務代理者の石川優副市長は「返事を要求したわけではないのに、迅速な対応をいただいてありがたい」と破顔一笑。安城市の神谷学市長も「謙虚な謝罪で、誠意も感じられる」とした。>麻生の謝罪文に対する好意的反応は客観性を欠いた甘い対応だとしか言いようがない。どのような言葉を使って謝罪しようとも、麻生が自らの人格性としている差別意識は変わらないだろう。
差別主義者麻生を日本の次期総理大臣に選出する。「選挙の顔」で投票するのだから、差別意識を持っていようがいまいがお構いなしといったところか。
岡崎市・安城市、麻生氏発言に猛反発(TBSニュース/08.9.16)
<日本のリーダーとなる人を決める自民党総裁選ですが、立候補している麻生幹事長に愛知県・岡崎市と安城市が猛反発しています。麻生幹事長が先月の豪雨被害について触れたこの発言が原因です。
問題となっているのは、麻生氏が日曜日、名古屋で市民を前に行った街頭演説で飛び出したものです。
「あそこ(岡崎市)は140ミリ(1時間の雨量)だぜ。これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど、あれ、名古屋で同じ事が起きたらこの辺全部洪水よ」(自民党・麻太郎生幹事長〔14日〕)
麻生氏は「防災のためには、都市部でも公共工事や社会資本整備が必要だ」と発言の趣旨を説明していましたが、「安城や岡崎だったからいいけど」という表現に豪雨被害を受けた2つの市が猛反発。
2人の死者を出した岡崎市は、「配慮のない発言は極めて遺憾」とする抗議文を麻生氏に送りました。
「私としては37万市民を代表して、今回の発言に対しては抗議をさせていただいた」(岡崎市・石井優副市長)
安城市も抗議することを決めています。
以前にも麻生氏は、アルツハイマー病患者を揶揄する発言をしたとして、批判を浴びたことがありました。
そういえば先週金曜日、麻生氏は自分のことについてこう話していました。
「3つ申し上げます。1番目、麻生太郎は、ばらまきである。2番目、いわゆる失言癖。3番目、中国・韓国を敵にまわすのではないか。ご心配をいただいております。麻生太郎です」(自民党・麻太郎生幹事長〔12日〕)
麻生陣営では、総裁選に臨むにあたって、失言に気をつけるよう麻生氏本人に注意していたということです。
「一国の指導者となりますと、何事も軽々には申しておりません。いつも寸止めで踏みとどまってきたんじゃないかと。ご安心をいただけると存じます」(自民党・麻太郎生幹事長〔12日〕)>
9月12日に自分の発言をそう保証した。麻生太郎はウソをつかない。その2日後の「安城もしくは岡崎だったからいいけど」は当然のこと、「寸止めで踏みとどまっ」た差別発言なのである。麻生らしい見事な「寸止め」ではないか。
9月12日日本記者クラブ主催の自民党総裁選公開討論会で拉致問題について問われた答弁として9月13日「毎日jp」記事≪特集:自民党総裁選・公開討論会 5候補による討議/報道陣との質疑応答≫は石原伸晃と麻生のみを取り上げて次のように伝えている
石原伸晃「拉致問題は時間との戦いだ。04年の小泉首相の訪朝以来まったく動いていない。私なら北朝鮮に乗り込んで直談判する気迫を持って取り組む」
麻生太郎「拉致問題は、日本の主権が明らかに侵された。日本は今後も堂々とやっていき、曲げちゃいかん。しかし、これは相手(北朝鮮)の対応が問題で、乗り込んでどういう答えが出てくるかだ。ましてや(金正日(キムジョンイル)総書記が)『脳卒中だ』との報道もあり、対応できる人が出てこないとらちがあかない。ただ乗り込んでいく種類の単純なものではない」
まず石原が「04年の小泉首相の訪朝以来まったく動いていない」と04年5月22日の2度目の訪朝以降の小泉・安倍・福田の日本政府の拉致問題に関わる無能・無策外交を臆面もなく真っ正直に告白している。
臆面もなく真っ正直にと言うのは小泉内閣では行革担当大臣、国土交通大臣を務めていて、閣議に出席して拉致問題に意見を述べることができる立場にいたからであり、安倍内閣では党の役員として幹事長代理、政調会長の役職に就いていたのだから、党の立場から拉致解決に向けたアイデアを提案できる場所に立脚していたにも関わらず、「04年の小泉首相の訪朝以来まったく動いていない」ということなら、石原自身も拉致問題解決に何ら意見を述べることもアイデアを提供することができなかった無能・無策の同罪者に位置しているはずで、そのことに気づかずに論評できる無神経・鈍感さを持ち味としているからだ。
対して麻生にしても石原と事情は同じで、小泉内閣で自由民主党政務調査会長、総務大臣、外務大臣、安倍内閣で引き続いて外務大臣、福田改造内閣で党幹事長と重要な役職を務めているのだから、小泉・安倍・福田各内閣の拉致無能・無策外交を陰から支えていた一人で偉そうなことを言える資格はないのだが、そんなことはお構いなしに「乗り込んでどういう答えが出てくるかだ」とか「ただ乗り込んでいく種類の単純なものではない」と知ったかぶりに広言しているのは石原の「私なら北朝鮮に乗り込んで直談判する気迫を持って取り組む」と述べた言葉に反対意見を加えたものだろう。
二人が「乗り込んでいく」かどうかを問題点としたのは小泉の2度の訪朝を「乗り込んでい」ったと把えているからなのは間違いなく、そう把えること自体が客観的状況判断をまったく欠いた発想でしかないことに石原も麻生も総理大臣を目指すだけあって幸せにも気づいていない。
小泉首相は「乗り込んでい」ったのではなく、金正日が拉致した日本人の内、5人の帰国で拉致問題のすべてを片付けて日朝国交正常化へ持っていき、日本の戦争補償と経済支援を受けようとした意図の元、小泉首相を「乗り込」ませたのであって、そのことは2002年10月12日の『朝日』夕刊≪北朝鮮 「人を探して帰国も可能」「補償、方式はこだわらず」 昨年1月には柔軟姿勢≫が証明している。
記事の中で01年1月、シンガポールのホテルで中川秀直前官房長官(当時)と北朝鮮の姜錫柱・第一外務次官との「秘密接触」が行われたことを伝えている。中川秀直が<「拉致問題は避けて通ることのできない政治問題。交渉に入る前に(一定の回答が)示されるべきだ。(被害者の)安否確認や帰国して家族と面会することは可能か」とただしたところ、姜氏は「行方不明者」という表現ながらも、「即、動きを見せることができ、人を探して帰すこともできるだろう」と具体的に言及し、柔軟姿勢を見せた。>と「秘密接触」の遣り取りを紹介している。
小泉首相・金正日首脳会談が行われたのは、2002年9月17日である。それに先立つこと20ヶ月前、ほぼ2年近くも前に既に「『行方不明者』という表現ながらも」拉致認知と、それに続く拉致被害者の帰国のレールは敷かれていたのである。中川秀直前官房長官・姜錫柱第一外務次官の「秘密接触」前後、及び以降、日朝首脳会談開催の実現に向けて、外交当局者同士の幾度かの「秘密接触」や事前交渉を重ねて、話し合われる内容・お互いが求める成果を煮詰めていき、一応の到達点である2002年9月17日の小泉・金正日首脳会談に持っていったということだろう。
いわば首脳会談はお膳立てができていた決定事項を主役が登場して最終確認し合ったに過ぎない。決定事項には前以て準備しておいた成果も当然含まれていて、成果は最後に登場した主役が最終確認という儀式を経ることで主役自身の手に自動的に帰する。「秘密接触」や事前交渉を譬えてみれば、表に現れない舞台稽古であり、首脳会談こそが、観客を集めて開演された舞台そのものと言える。何も小泉首相自身が、よく言われるように自らの創造的意図によって形作るべくして形作った歴史的瞬間でも、歴史に対する貴重な一歩というわけでもない。
逆に上記記事が<「拉致」カードで経済立て直しの「カネ」を引き出すという対日基本方針は〔第1回日朝首脳会談の〕2年近く前に固まっていたようだ。>と書いていることが示している通りに「拉致認知」と「5人生存」をエサに日本からの戦争補償と経済支援という自らの側のエサを手に入れるべく小泉首相を日朝首脳会談の場に金正日がまさしく「乗り込ませた」のである。「乗り込ませ」て、「日朝平壌宣言」で真っ先に「1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために「2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした」と戦争補償と経済支援に向けた第一歩となる「日朝国交正常化交渉」という成果を金正日は手にしたのである。
いわば金正日も小泉首相も北朝鮮側の「拉致認知」と「5人生存」でシャンシャンシャンと手を打つつもりでいた。小泉首相は初訪朝を控えた記者会見で「拉致問題を棚上げして国交正常化交渉は進まないというのは一貫した考えだ。その方針でいく」(≪日朝首脳会談:小泉首相、拉致問題優先の基本方針を最終確認≫「毎日jp」/2002-09-15-21:43 )とした態度で日朝首脳会談に臨み、2002年9月17日に「日朝平壌宣言」締結、その2週間後以降の「2002年10月中」に国交正常化交渉へ進むべく国交正常化交渉再開を同意しているのだから、拉致問題は言ってみれば「棚から下ろすことができた」――解決を見たとしたということなのだろう。
シャンシャンシャンのはずが、日本の世論が「8人死亡」に反発して全面的な「拉致解決なくして国交正常化なし」の状況に進むとは金正日にしても小泉首相にしても予想だにしていなかったろう。
麻生が「これは相手(北朝鮮)の対応が問題で、乗り込んでどういう答えが出てくるかだ」と言っていることは「相手の対応」、相手の「答」に問題解決の基準を置く相手次第の態度であって、自らの側の主体性を放棄する他力本願の姿勢以外の何ものでもない。
いわば相手が変わらなければ、こちらは何もできないという態度であって、麻生総理大臣になっても日本の拉致政策はこれまでと同様に口では「対話と圧力」と言いつつも、スローガンで終わらせ、北朝鮮側の態度の変化をひたすら祈るだけの待ちの政策を取り続けるということを結果として宣言したのである。
相手の態度を変化させるべく働きかけるのではなく、その可能性が期待できるならまだしも、期待できないままに相手の態度が変わるのを待つという外交とは日本側の外交政策の思考停止を意味しないだろうか。麻生総理大臣になっても、拉致政策は思考停止状態を続けるということである。
尤も第3次小泉内閣・安倍内閣と拉致問題を重要政策とする外務大臣を務めていて拉致問題が何ら進展を見ずに思考停止状態となっていたのだから、その思考停止が麻生総理大臣となっても続くとしても当然の結果であって不思議はない。
また麻生は「拉致問題は、日本の主権が明らかに侵された」とも言っているが、日本人拉致が北朝鮮の国家機関が関わった犯罪であることが判明した時点で日本の主権侵害事項であることは自明の事実となった出来事・北朝鮮の国家犯罪であって、その「主権侵害」という自明の事実だけを持ち出して「主権侵害だ、主権侵害だ」と言い立てたとしても解決の糸口にもならないことで、麻生次期総理大臣はまったく以って無意味なことを言っているとしか言いようがない。
「主権侵害」を北朝鮮に補わせるには拉致問題の全面解決以外に方策はないことも「自明の事実」としてある事柄であって、次期総理大臣であるならその解決方法を創造的に模索すべきだが、自力性を一顧だにせず「相手の対応次第」だと他力本願なことを言っているようでは全面解決に向けた「外交センス」は麻生外務大臣時代と同様に麻生総理大臣となっても期待不可能ということなのだろう。
外交センスのない政治家が日本の総理大臣となる。まったく以って倒錯的事実としか言いようがない。そんな政治家を自民党国会議員及び自民党員は自民党総裁に選ぶ。自民党国会議員及び自民党員の政治センスをも疑わなければならない出来事だと言える。
≪北朝鮮 「人を探して帰国も可能」「補償、方式はこだわらず」 昨年1月には柔軟姿勢≫(「朝日新聞」2002.10.12.夕刊)
「(拉致された)人を捜して帰国させるのも可能だ」「(補償の)名目や方式にこだわらない」
01年1月、朝鮮人民民主主義共和国<北朝鮮>が拉致事件や補償問題で、日本側に大胆な提案をしていたことがわかった。それまでの政策を転換し、「拉致」カードで経済立て直しの「カネ」を引き出すという対日基本方針は2年近く前に固まっていたようだ。
複数の外交関係者によると、提案があったのは日朝首脳会談にも同席した姜錫柱・大外務次官と、中川秀直前官房長官との秘密接触の席。シンガポールのホテルの一室で通訳1人を交えて約5時間、話し込んだ。
姜氏は「過去の清算の話がこれまでの日朝交渉で議論されていない。他の問題(拉致)と混同されることは間違っている。こういうことを重ねると、『日本との会談が不要である』との声も(北朝鮮で)出てくる。まず過去の清算の問題、次に行方不明者の問題だ』と原則論を主張した。
そのうえで姜氏は最高首脳は日本がこれらの問題への立場を示してくれれば(問題解決に)取り組む意思がある」として、首脳会談による政治決着を提案した。
「過去の清算」については「中身(金額)が大事であり、名目や方式で日本の対面、メンツを考えてできる」と説明。それまで主張してきた「賠償」を撤回し、韓国に対して行った「経済協力方式」を受け入れる意向を明確にした。
中川氏が「拉致問題は避けて通ることができない政治問題。交渉に入る前に(一定の回答が)示されるべきだ。(被害者の)安否確認や帰国して家族と面会することは可能か」とただしたところ、姜氏は「行方不明者」という表現ながらも、「即、動きを見せることができ、人を探して帰すこともできるだろう」と具体的に言及し、柔軟姿勢を見せた。
一方、姜氏が「植民地支配や強制連行などもあり、日本の罪も残酷だ。日本の動き(過去の清算)が選考するのが当然で、そうでなくては(北朝鮮は)収まらない」と反論する場面もあった。>
≪日朝首脳会談:小泉首相、拉致問題優先の基本方針を最終確認≫「毎日jp」/2002-09-15-21:43 )
小泉純一郎首相は15日午後、東京都内のホテルで福田康夫官房長官、安倍晋三官房副長官、竹内行夫外務事務次官らと朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)訪問に向けた大詰めの協議を行い、日本人拉致問題が進展しなければ、国交正常化交渉は再開しないとの基本方針を最終確認した。また首脳会談後に発表される日朝共同宣言(仮称)には、日本人拉致問題について、北朝鮮の関与を認めない形で北朝鮮側の「遺憾の意」が盛り込まれる方向になった。
小泉首相は17日早朝、政府専用機で羽田空港を出発し、午前9時すぎに平壌入りした後、金正日(キムジョンイル)総書記との史上初の日朝首脳会談に臨む。日本側は会談に安倍副長官、高野紀元外務審議官、田中均外務省アジア大洋州局長が同席する。同日夕には首相が平壌で記者会見する。
首相は15日の協議後、記者団に「拉致問題を棚上げして国交正常化交渉は進まないというのは一貫した考えだ。その方針でいく」と説明した。同時に「安全保障、拉致問題、いろいろ包括的に議論する」と述べ、不審船、ミサイル、核開発など北朝鮮をめぐる安全保障問題や、日本の植民地支配に伴う「過去の清算」問題を一括して協議対象にする考えを重ねて強調した。拉致被害者の家族については「もうすでに会っている。(家族の気持ちは)十分に理解している」と述べた。
共同宣言の内容は日朝事務レベルの事前折衝で固まった。拉致問題については、行方不明者問題として北朝鮮側の「遺憾の意」と再発防止を盛り込むよう日本側が強く要求。北朝鮮側も基本的に同意した。ただし、北朝鮮の直接的な関与は認めず、ぼかした表現になる見通しだ。共同宣言の表記は最終的に金総書記の判断にゆだねられるため、流動的な要素が残っている。
この問題について政府筋は「拉致問題は北朝鮮側の意思表示がなされないと、日本の国民感情は納得しない。それは北朝鮮もよくわかっているはずだ」と述べ、北朝鮮側の態度表明が不可欠との認識を示した。