安倍対習近平の国連を舞台とした対アフリカ・対中東援助レース、安保理常任理事国入りの実弾となるのか

2015-09-30 09:47:33 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《9月28日 共産党との党首会談の要旨及び記者会見動画 党HP掲載ご案内》

      小沢一郎代表は9月28日、国会内で日本共産党の志位和夫委員長と会談し、「『戦争法(安保法
      制)廃止の国民連合政府』の実現をよびかけます」との提案を受けました。会談要旨及び会談
      後の小沢代表の記者会見動画をホームページに掲載しました。ぜひご覧ください。

 第70回国連総会が15日ニューヨークで開幕。28日から一般討論が始まった。我が日本の首相安倍晋三は日本時間の9月30日未明、一般討論演説に臨んで、様々な問題を抱えるアフリカや中東への資金援助を申し出、多分腹の中では誇らしげにだろう、それぞれの金額を掲げた。

 援助項目と金額

 ① シリアとイラクの難民・国内避難民に向けた支援約8億1000万ドル(972億円)――昨年実績の3倍」
 ② イラク民生安定向け上下水道整備と中東・アフリカの平和構築推進に約7億5000万ドル(日本円900億円)
 ③ シリア等の難民受け入れ国レバノンに200万ドル、中東難民の対欧州移動ルート上のセルビア、マケドニア
   等に約250万ドルの支援。
 
 安倍晋三の難民支援で見えてくることは、特に最後の③に象徴的に現れているが、中東にとどまっている難民の面倒と欧州に向かう難民の移動のお手伝いはしますよという対外的支援に限定している点である。国内的受入れ支援は見えてこない。

 演説冒頭の発言。

 安倍晋三「今また、私たちの目の前で、多くの難民が命を賭してでも恐怖から逃れようとしている。しかし、例えどんな問題があろうとも、国連の下、共に立ち向かおう」(NHK NEWS WEB) 

 記事解説は、〈中東各地から難民がヨーロッパに押し寄せている問題の解決に向け、国際社会の一致した行動を呼びかけた。〉となっている。

 要するに国際社会の一致した行動と言っても、日本はその殆どが対外的支援に限定した一致した行動というわけである。
 
 次に中国の習近平主席。安倍晋三に4日先立つ9月26日、世界各国の首脳が参加する国連サミットで演説、次いで途上国首脳を集めた会合を開催。これら二つの場所で表明した支援と金額。

 ① 今後5年間で途上国向けに貧困対策や農業協力など6分野で計600項目のプロジェクトを支援する20億ドル(約2400億円)拠出の「南南協力援助基金」の設立。
 ② 対後発開発途上国投資を2030年までに120億ドル(約1兆4400億円)を目指す。
 ③ 同後発開発途上国対象に2015年末に返済期限を迎える政府間の無利子融資の未返済分の債務免除方針の表明。

 習近平「国際社会は(先進国が途上国を支援する)南北協力を堅持しながら、(途上国同士の)南南協力を深化させなければならない。

  (中国推進のシルクロード経済圏構想「一帯一路」や中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)にも言及)途上国の経済成長と国民生活の改善のため貢献する力になりたい」(時事ドットコム) 

 日本は日本政府が主導、国連・国連開発計画(UNDP)・アフリカ連合委員会(AUC)・世界銀行共同開催のアフリカ開発会議(TICAD)を来年の2016年、アフリカのケニアで開催を予定している。そこでも多額の資金支援を表明するだろうし、中国も様々な機会に対中東・対アフリカ援助を行うだろうが、あくまでも今回の国連を舞台とした援助レースに限って見ることにする。

 日本の対中東・アフリカ支援は年間約2000億円と計算して、難民問題が解決したら、他に振り向けるだろうから、200億円を2030年まで今後15年間続けるとすると、約3兆円となる。これは中国の対後発開発途上国投資2030年までの120億ドル(約1兆4400億円)の2倍以上となる。

 中国の貧困対策や農業協力等6分野で計600項目のプロジェクト支援20億ドル(約2400億円)拠出の「南南協力援助基金」を加えても、1兆円以上の開きがある。

 今回の国連を舞台とした援助レースでは金額の点では日本が中国に優っている。

 日本は2005年に引き続いて国連の安全保障理事会の改革を行ってその常任理事国入りを目指している。だが、前回の2005年の小泉時代、常任理事国を現行5カ国から11カ国に増やすことを主な内容とした日本、ドイツ、インド、ブラジルと29カ国の共同提案国と共に国連総会に提出した「安保理改革に関する枠組み決議案」(G4案)はアジア・アフリカ国から賛成を得ることができずに廃案とされている。

 賛成を獲得できなかった理由が中国のアジア・アフリカ各国に対する根回しだとされている。

 天児慧早稲田大学教授「国連分担金の多さは米国に次ぐ2位(05年で全体の19.5%)、その他災害支援、イラク・アフガン支援をはじめ実質的な国際貢献は高い。しかしそれは日本の常任理事国入り支持にならない。しかもG4案の共同提案国29カ国中、日本のODA最大の供与地域であるアジアからは、なんとブータン、アフガン、モルジブの3カ国のみでASEAN諸国、南アジア諸国からもことごとくそっぽを向かれてしまった。これは明らかに深刻な外交的失敗である」

 エンディ・バユニ・ジャカルタ・ポスト編集局長「実際、日中韓の緊張が続く中で、中国は日本の安保理常任入りに反対するよう、インドネシア政府に様々な働きかけをしてきた。

 再び2人の友人のどちらかを選ぶような状況に追いやられたくないのが、インドネシアの本音だ。だが、仮に同じような状況が来れば、国益を最優先に考える。その結果は東京を喜ばすことはできない。中国を選ばざるを得ないからだ」(朝日新聞

 当時、アフリカ連合(AU)も改革案を提出していた。日本はアフリカ各国からも支持を得ることができるように日本政府は対アフリカODA倍増を打ち出し、AU案との一本化を働きかけた。だが、拒否された。
 
 中国がAU各国に中国と敵対する国の常任理事国入りへの反対を求め、AU各国がその反対に応じたからだという。

 中国はアフリカ各国にある自国大使館に現地政府関係者を招き、日本が戦争行為で残虐な行為をしたことを告発する映画を上映して日本への不支持を呼びかけたとの報告が外務省に入っていたと当時の朝日新聞は伝えている。

 安倍晋三は9月26日朝(日本時間9月26日夜)に米ニューヨークに到着後、直ちにと言うべきか、早々とドイツ、インド、ブラジルと「G4」首脳会合に臨んでいる。

 安倍晋三「今年は国連創設70周年。安保理は21世紀の現実にあった姿に改革されるべきだ」(YOMIURI ONLINE

 安倍晋三のことだから、自分の手で安保理常任理事国入りを果たし、集団的自衛権行使容認と共にそれを功績とした自身の名を日本の歴史に刻み込みたいと激しく、激しく願っているに違いない。

 そのための国連を舞台とした中国援助金額を大きく上回る多額の対中東・対アフリカ援助だろうが、果たしてアフリカ各国やアジア各国の支持を得ることのできる実弾足り得るのだろうか。

 中国の後発開発途上国対象に2015年末に返済期限を迎える政府間の無利子融資の未返済分の債務免除といったことが日本にとって意外とボディブローとなって効いてくるかもしれない。

 いわば最初に決めたルールを最後まで決めたとおりに進めて完結させるのではなく、相手側の状況が不利となった場合に応じて相手に有利となるルールに臨機応変に変えていく。

 このことはインドネシアの高速鉄道整備計画でも見ることができる。インドネシア政府は財政負担が生じることと融資に対して政府の返済保証を負うことの双方の負担の大きさをを警戒して一旦は計画を中止したが、中国側がその両方共に負担を求めないこととしたことによって中国側が建設の受注を決定に持ち込むことができた。

 日本側は特にインドネシア政府の返済保証に最後まで拘った。要するに損はしたくないという気持を最後まで働かせていた。

 国連を舞台の日中援助レースが日本の安保理常任理事国入りにどう働くか、見ものである。

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共産党の連立政権構想、1994年の社会党村山富市首班自社さ連立政権のウルトラCを学ぶべき

2015-09-29 07:30:19 | 政治



 【謝罪】ページトップの画像のキャプションが「2017年7月次期参院選挙」となっていますが、頭の中では「2016年7月」としてたのですが、間違えてしまいました。訂正します。


 共産党の志位和夫委員長が各野党に対して国政選挙での野党間の協力と安全保障関連法の廃止を目的とする暫定的な連立政権構想に関する協議入りを要請し、各野党党首との会談を行っていることをマスコミが伝えている。

 会談がどういった経緯を辿ったのか、各マスコミ記事をみてみる。

 先ず9月25日付「時事ドットコム」記事。

 岡田代表「(共産党との選挙協力について)保守層・中間層の支持が減ってしまい、結果的に(政権交代の)目的が達成できなくなるという議論もある。
 
 (志位氏が「国民連合政府」と表現する連立構想について)果たして現実的か。共産党と政府を共にするのはハードルが高い」――

 会談後の記者会見。

 岡田代表「政策が一致していないと、国民にとって困ったことになる。選挙協力もなかなか厳しい」

 記事は解説している。〈岡田氏は当初は前向きな姿勢を示していたが、民主党内で保守系議員を中心に反対論が根強い事情を考慮し、軌道修正した。〉

 維新の党松野頼久代表が「過去のしがらみを引きずったまま民主党とくっついても魅力がない」との考えのもと、維新と民主双方が解党した上で新党を結成する必要性を訴えているのに対して民主党の岡田克也は「(重要なのは)解党や手続き論の話ではない。形を取ったから信頼が戻るという問題ではない」(時事ドットコム/2015/09/12-18:28)と解党に慎重な姿勢を示したという。

 では、来年の参院選で安倍自民党に勝利できる何らかの強力な打開策を見出し得るのだろうか。例え勝利しなくても、せめてねじれ現象をつくり出して安倍晋三に責任を取らせて退陣に追い込むことができる程にも大幅に議席を減らすことができる何らかの妙手・奇策の類いを打ち出す得るとでも言うのだろうか。

 9月19、20日実施の朝日新聞世論調査の政党支持率では自民党33%に対して民主党10%。3分の1以下である。支持政党なしが37%。この37%の中から如何に多くの有権者を惹きつけるかに選挙の趨勢はかかってくる。37%の内の多くに民主党に政権を期待させる何らかのキッカケを与えることができるというのだろうか。

 慎重なだけでは何も生まれないし、前にも進まない。せいぜい成果とすることができるのは現状維持である。

 大体が民主党の政党支持率10%と言うのは民主党鳩山・菅・野田の3政権の余りの無能に対する有権者の失望、あるいは怒りが、「とても民主党には政権を任せることはできない」という固定観念を作り上げて、それが未だに溶けないままに記憶として強く残っているからだろう。

 その上代表の岡田自身がいつどこで見ても、新鮮さもない、溌剌さもない、カリスマ性もない、面白みもない、融通が効かない、地味で杓子定規な感じの固苦しさだけといった否定的なリーダー像しか浮かんでこない。

 岡田克也は「解党や手続き論の話ではない。形を取ったから信頼が戻るという問題ではない」と頭の堅いことを言っているが、基本は頭数(=議席)である。頭数がなければ、望む政策を形にすることはできない。自民党の政策の実現を指を加えて眺めるしかない。

 政策の違いは国民の世論(国民が政策それぞれについて望む方向)を重視し、それとバランスを取りつつ、最大公約数(異なる意見の間で見つけることのできる共通点の最大値)を見い出す努力をして、その最大値を以って政策とする取り決めをすれば、例えそれが共産党を相手とする連立政権であっても、どうにか凌いでいけるはずだ。

 言葉では簡単に言うことができるが、現実の話となると難しいと言うかもしれないが、1994年6月30日から1998年6月までの自民党が社会党の村山富一を首相に迎え入れた自社さ連立政権のウルトラCを学ぶべきだろう。

 村山富市は首相となって最初の1994年7月18日の第130回通常国会の所信表明演説で社会党が違憲としていた自衛隊を合憲としたばかりか、それまで掲げていた日米安保条約破棄の政策を転換、日米安保堅持を打ち出している。

 この社会党の日本の安全保障政策の大転換は党内で激しい議論があったと思うが、自社さ連立政権にとっての最大公約数として打ち出した政策であったはずだ。

 志位共産党委員長は9月28日、社民党の吉田党首、生活の党と山本太郎となかまたちの小沢代表と相次いで会談している。吉田党首と小沢代表は前向きに検討する考えを示したという。

 会談後、それぞれが記者団に発言している。

 吉田党首「『戦争法』の廃止や、安倍政権を1日も早く倒さなければならないという点は一致しているので、前向きに受け止めて、野党間の選挙協力を進めていきたい」

 小沢代表「共産党がすべての選挙区に候補者を立てるという従来の方針を転換したことは評価すべきことだ。安倍政権を倒すためにも大義の旗を立てて選挙を戦っていくべきだ」(NHK NEWS WEB

 二人からはかなり積極的な姿勢を窺うことができる。

 この両党の積極的な姿勢の背景を両党共に〈所属国会議員数が政党要件ぎりぎりの5人まで落ち込み、来夏の参院選も苦戦必至という事情がある。躍進が続く共産と連携することで党勢の低迷に歯止めをかけたい考え〉(毎日jp)からだと、選挙事情からのものとしているが、そういった利害関係もあるだろうが、小沢氏は野党各党単独の選挙戦には前々から警告を発していて、最終的には野党同士が喰い合い、共倒れすることになって自民党を利することになるばかりだと警告を発していて、「オリーブの木」の名の下、野党が連携しないことには自民党に勝てないことを訴えていた。  

 小沢氏の記者会見発言を9月28日付「IWJ Independent Web Journal」が詳しく伝えている。  

 小沢代表「特に共産党は、今まで全選挙区の殆どすべてに候補者を立ててきた。その従来の方針をまったく転換して、安倍政権に変わる新しい政府を作るために力を合わせよう、という話です。その大胆な決断を高く評価します、というふうに申しあげました。事実、この共産党の方針転換は非常に大きな意味を持つものです。
 我々も共産党に先を越された格好になっちゃったけど、自公政権じゃ国民のためにならない、という人たちが力を合わせ、自公に変わる政権を作るために力を合わせて頑張る。今後、そのためにお互いに緊密に連絡を取り合いながら努力をしていきましょう、ということで今日の会談は終わりました。

 (「一緒に政権を共にするのはハードルが高過ぎる」といった民主党・岡田克也代表などの意見について)『連合政府』というのは、野党が力を合わせて選挙で勝ったうえでの話。共産党が『大義の旗』として連合政府を掲げることは、とやかくいう話ではない。あとは選挙協力して野党で過半数取ったらその上で考えることだ。

 僕は従来から、(共産党が)『各選挙区すべてに候補者を立てるのは自民党の補完勢力に他ならない』と言ってきた。現実的に、野党で統一すれば国政・地方問わず、自公に勝るということは簡単な足し算でもわかる。選挙協力をするという決断をしたのは、共産党としては『清水の舞台から飛び降りる』どころではない、大胆な決断だっただろう」――

 小沢代表が政策の違いは「あとは選挙協力して野党で過半数取ったらその上で考えることだ」と言っていることは決して間違っていない。

 ギリシャの左右勢力の連立政権を思い出して、ネットで調べたことだが、議会が3回にわたって大統領を選出できなかった場合は議会を10日以内に解散するとする規定に基づいて議会を2014年12月に解散、2015年1月の総選挙で極端な財政危機から厳しい緊縮政策を取っていた当時の政権が国民の反発を受けて支持を失い、反緊縮政策を掲げた急進左派連合が第1党を取ったものの、過半数を得るに至らず、右派政党の「独立ギリシャ人」と連立を組んで、政権担当に道をつけた。

 チプラス率いる急進左派連合が右派政党の「独立ギリシャ人」と連立を組んだ。これは選挙前はどれ程の議席を獲得できるか分からなかったのだから、あくまでも選挙の結果を受けた協議の末の結論だったはずだ。

 チプラス政権は反緊縮政策を掲げたものの、極端な金融危機からEUから金融支援を必要としていたギリシャは、EUが見返り条件とした緊縮政策を受け入れることにしたものの、その財政改革法案の議会採決に急進左派連合の一分議員が反対票を投じた結果、急進左派連合は分裂状態に至ってチプラス首相は議会を解散、再び総選挙に打って出たものの、やはり第1党を確保できたが、過半数に足らず、再び右派政党の「独立ギリシャ人」と連立を組むに至った。

 要は異なる政策に対して最大公約数を持たせた一致点を見い出す知恵である。

 例えば民主党野田政権時、小沢氏は野田政権の消費税増税政策に反対して党を割った。民主党が政権を獲った2009年8月の総選挙のマニフェストは政権4年間は消費税は増税しないとしていたし、そのマニフェストを根拠として公約違反だと国民の反対も強かったのだから、野田佳彦は小沢氏との間で増税か・増税しないかの決定は国民世論を参考とした最大公約数(異なる意見の間で見つけることのできる共通点の最大値)はマニフェスト通りに増税しない、次期衆院解の公約とすべきだったが、自民党と公明党の協力まで仰いで増税を成立させ、協力の大小として解散、その結果、国民から政権を奪われるというお土産を頂いた。

 一方安倍晋三は2015年10月の消費税率10%への再引き上げを2017年4月へと先送りを決定、国民の信を問うとして解散、2014年12月の総選挙で再び自民党は大勝した。野田佳彦は消費税増税を掲げて政権を失い、安倍晋三は先送りという消費税の利用によって政権を維持することができた。

 この失敗と成功は大悲劇と大喜劇に譬えることができる。

 思い切った手を打つ以外に安倍政権を政権担当の座から引きずり降ろす知恵を見い出すことができると言うならそれも結構。最低限、反対している安保関連法を廃案に持っていくことができると言うならそれも結構。

 チャンスを一度失うと、なかなか取り戻すことはできない。永遠に取り戻すことができない場合もある。知恵のある男か、ない男か、岡田克也はその瀬戸際に立たされている。

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安倍晋三の言う「1億総活躍社会」とは初期的な所与条件で「矛盾ゼロ社会」と言うことでなければならない

2015-09-28 08:43:36 | 政治

 
 安倍晋三が9月24日の自民党両院議員総会での自民党総裁に再任後の記者会見で「1億総活躍社会」を打ち出した。

 安倍晋三「ニッポン1億総活躍プラン

 目指すは『1億総活躍』社会であります。

 少子高齢化に歯止めをかけ、50年後も、人口1億人を維持する。その国家としての意志を明確にしたいと思います。

 同時に、何よりも大切なことは、一人ひとりの日本人、誰もが、家庭で、職場で、地域で、もっと活躍できる社会を創る。そうすれば、より豊かで、活力あふれる日本をつくることができるはずです。

 いわば『ニッポン「一億総活躍」プラン』を作り、2020年に向けて、その実現に全力を尽くす決意です。

 そのために、新しい『三本の矢』を放ちます。

 第一の矢、『希望を生み出す強い経済』。

 第二の矢、『夢をつむぐ子育て支援』。

 第三の矢、『安心につながる社会保障』。

 希望と、夢と、安心のための、「新・三本の矢」であります。

 アベノミクスによる成長のエンジンを更にふかし、その果実を、国民一人ひとりの安心、将来の夢や希望に、大胆に投資していく考えであります」・・・・・

 安倍晋三のこの記者会見の発言を受けて、2日程前のブログに次のように書いた。

 〈「1億総活躍社会」とは、断るまでもなく、日本人全員が一人の洩れもなく活躍できる社会の実現の公約である。まさか現在1億2千万余の人口の内、1億人のみが活躍できる社会を作り、あとの2千万余の日本人は切り捨てるという意味での「1億総活躍社会」ではないはずだ。

 一人の洩れもなく活躍できる「1億総活躍社会」の実現と言うことなら、自殺者をゼロとしなければならない。日本の統計上の自殺者数は1998年以降14年連続して3万人を超えていたが、2012年は2万7858人、1,997年以来、15年振りに3万人を下回っている。

 これをゼロに持っていく。ゼロに持っていけば、2009年から2014年までの全国の小・中・高生の自殺者数は「学校問題」等の悩みを原因として小学生55人、中学生501人、高校生1376人の計1932人となっているが、この1932人もゼロにすることができる。

 1932人のうち、イジメが原因の自殺は26人。イジメを原因とした自殺を確実にゼロにするためにはイジメそのものをゼロにしなければならない。たまたまのイジメが自殺を招かない保証はないからだ。

 イジメ自殺で社会を騒がすこともなくなる。

 「1億総活躍社会」とは、「自殺ゼロ社会」ということにもなる。日本人全員が健康で生き生きと活躍できる社会である。

 失業しても、次の就職先が即座に見つかるようにしなければ、しかも前の会社よりも待遇が良くなければ、「1億総活躍社会」とは言えない。女性が妊娠出産して育児休暇を安倍晋三が掲げた3年を目一杯取ったとしても、勤めていた会社に前の地位のまま戻れないような事態が1件でも発生したなら、「1億総活躍社会」はたちまちハッタリと化す。

 女性の誰もに対しても以前のキャリアを捨てて、パート勤めをせざるを得ない意に染まない状況を招くことがあったなら、「1億総活躍社会」は破綻する。

 正規社員と非正規社員の平均年収格差約300万円が導き出すことになる一方が年に何回も海外旅行に出掛け、もう片方が国内旅行もままならない消費活動の格差と、他の消費活動にも影響している格差を限りなくゼロに持っていかなければ、「1億総活躍社会」とはならない。

 と言うことは、非正規社員をなくす以外に消費活動に関わる「1億総活躍社会」は実現しないということではないか。

 少なくとも年間所得200万円以下の世帯をゼロにしなければ、「1億総活躍社会」とは言えないはずだ。

 安倍晋三はまた、第三の矢の「安心につながる社会保障」の分野では「介護離職ゼロ」を掲げた。これは「1億総活躍社会」実現の一環でもあるはずだ。介護のために仕事を放棄することによって仕事に於ける本来の活躍の場と活躍の機会を失うことは本人を「活躍社会」から仲間外れにすることを意味することになって、「1億総活躍社会」実現の趣旨に反することになる。〉などと書いた。

 このブログには書かなかったが、新たに断ると、「活躍」という言葉は「目覚ましく活動すること」を言う。但し身体的のみではなく、精神的であることも条件とすることができる目覚ましい活動の機会を手にすることによって成り立たせることができる「活躍」ということであるはずだ。

 そして「活躍社会」と言うからには、この「活躍」は社会的な活躍を意味することなる。いわば安倍晋三は日本国民全てに平等な「社会的活躍」を約束した。

 平等でなければならないからといって、何もかも同じでなければならないということではない。最低限、初期的な所与条件が等しくなければならないはずだ。

 但し社会的矛盾によって初期的な所与条件が異なった場合、平等な「社会的活躍」は平等であることが阻害される。と言うことは、「1億総活躍社会」とは初期的な所与条件に違いをもたらす社会の矛盾をゼロにするということであり、初期的な所与条件に関係することになる「矛盾ゼロ社会」をイコールしなければならないことになる。

 これらの忠実な履行によって「1億総活躍社会」は実現する。

 正規と非正規社員について書いたが、職業によって労働の対価としての報酬は異なる。また、同種の労働であっても、会社によって経営状態に違いがあるから、会社ごとの報酬は微妙に違いが出てくる。

 だが、同じ会社の同じ職場で同じ労働を受け持ちながら、報酬に差があるということは初期的な所与条件に不平等が存在する矛盾そのもので、その報酬の差が趣味・娯楽、旅行・行楽までも含めた消費活動の豊かさと貧しさの差となって現れたなら、不平等な「1億総活躍社会」そのものとなる。 

 あるいは車椅子生活を余儀なくされている身体障害者が外に出て何らかの活動を望みながら、移動に関わる所与条件に健常者と格差があり、外出もままならないとなったなら、社会的矛盾を強いられていることになって、「矛盾ゼロ社会」とは言えなくなり、このような障害者は「1億総活躍社会」から外されることになる。 

 また、2012年の都道府県(従業地)別人口10 万人対医師数は京都府が296.7 人と最も多く、次いで徳島県296.3 人、東京都295.7 人で、埼玉県が148.2 人と最少、次いで茨城県167.0 人、千葉県172.7 人となっている格差は同じ日本人でありながら医療に関わる初期的な所与条件が地域によって格差を受け、医師が少ない地域の住民に対して程、時間的負担や心理的負担をかけている不便な点で目覚ましく活動する時間や精神面の活動性を奪うことになって、「1億総活躍社会」に反する矛盾を与えていることになる。

 昨今産科医不足が言われているが、産科医不在の公立病院は今や珍しくなく、いくつかの町村の出産の拠点となっていた産婦人科から産科医がいなくなって、なお遠い産婦人医院か公立病院の産婦人科に身重の身体で自分で車を運転しながら、40分(田舎の道での40分だから、その距離は想像して余りある)もかけなければ診察できないといった状況に見舞われていて、いつの頃からなのか、病院出産を希望しながらも希望する地域に適当な出産施設がない、あるいは施設はあっても分娩予約が一杯でなかなか受け付けて貰えない妊婦の境遇を行き場を失った難民に擬(なぞら)えた「出産難民」という言葉も生まれているという。

 このような産科医の地域偏在が影響を与えることになっている医療に関わる初期的な所与条件の格差は時間的負担や心理的負担をかけている不便な点で目覚ましく活動する時間や精神面の活動性を奪うことになる「1億総活躍社会」に反する矛盾と言うことだけではなく、次の出産に対する躊躇や諦めを与えた場合、「1億総活躍社会」実現の基本政策となる第一の矢である「希望を生み出す強い経済」をいくら実現させたとしても、第三の矢である「安心につながる社会保障」は矛盾状態にあることを示すことになるし、第二の矢である「夢をつむぐ子育て支援」にも反する。

 安倍晋三は高らかに「1億総活躍社会」の実現を謳った以上、以上挙げてきた初期的な所与条件に関係する社会的な格差や矛盾だけではなく、その他の同種の社会的格差や矛盾を魔法の杖の一振りで一切この世から葬り去って、不可能を可能とするような「矛盾ゼロ社会」を作り上げてくれるに違いない。

 安倍晋三は常々「国民の命と幸せな生活を守り抜いていく責任がある」と言っている。約束を違えるはずはない。

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安倍晋三の安保関連法案に対する戦争法案のレッテル貼り、徴兵制に道を開くのレッテル貼りには根拠がある

2015-09-27 11:25:33 | 政治


 安倍晋三が189回通常国会会期末に当たり首相官邸で記者会見した。そこで今国会で成立した安保法制が戦争法案だとか徴兵制を招くといった批判はレッテル貼りに過ぎないとの趣旨の抗議の意思を示している。 

 安倍晋三「私も含めて、日本人の誰一人として戦争など望んでいない。当然のことであります。世界に誇る民主主義国家の模範であるこの日本において、戦争法案といったレッテル貼りを行うことは、根拠のない不安をあおろうとするものであり、全く無責任である。そのことを改めて申し上げたいと思います。

 もし、戦争法案であるならば、世界中から反対の声が寄せられることでありましょう。しかし、この法制については、世界のたくさんの国々から支持する声が寄せられています。先の大戦で戦場となったフィリピンを始め、東南アジアの国々、かつて戦火を交えたアメリカや欧州の国々からも強い支持をいただいています。これは、今回の法制が決して戦争法案などではなく、戦争を抑止する法案であり、世界の平和と安全に貢献する法案であることの証であると考えています」

 そして記者との質疑でも、同じ趣旨のことを発言している。

 安倍晋三「他方で、戦争法案とか徴兵制になる、こうした無責任なレッテル貼りが行われたことは大変残念に思います。国民の命を守り、そして幸せな暮らしを守る、平和な暮らしを守っていくための法制であり、安全保障の議論というものはしっかりと国際情勢を分析しながら、どのように国民を守っていくかという冷静な議論をしていくべきであろう。我々国会議員は、そういう中において単なるレッテル貼り、無責任な議論は厳に控えなければならない。こう思っております。そういう無責任な議論があったことは大変残念なことでありました。

 実際に、もし戦争法案ということであれば、これは世界中から非難が寄せられているはずであります。非難轟々だったのではないでしょうか。それは全く違いました。多くの国々から支持や理解の表明があったわけであります。圧倒的な支持を受けていると言ってもいいと思います。その点からしても、戦争法案という批判がただのレッテル貼りにすぎないということの証ではないか。こう考えています」

 戦争法案といったレッテル貼り、いつかは徴兵制を招くのではないのか、戦前のような徴兵制を復活させるのではないのかと言ったレッテル貼りは果たして「無責任な議論」なのだろうか。

 その前に「この法制については、世界のたくさんの国々から支持する声が寄せられています」と言って安倍晋三安保法制の正当性を訴えているが、中国やロシア、北朝鮮と軍事的に、あるいは政治外交上対立する関係にある国々は日本と同盟関係にある米国の軍隊、あるいは安全保障協力関係にあるオーストラリアやインド等の軍隊への日本の軍事的貢献は、米国やオーストラリア、インドのみならず、それぞれの国々の軍事的に、あるいは政治外交上の利害と一致すると考えるから、支持して当然である。

 但し米国をはじめとするこれらの外国の利害と新安保法制が憲法に違反しているかどうかとは別の問題である。

 各国に支持されているからといって、憲法に違反しているなら、安保法制の正当性を失う。支持=正当性とはならない。本人たちは合憲と考えているが、反対派の多くは違憲と考えているのだから、各国の支持を持ち出されても、見当違いにしか見えない。

 安倍晋三は正当性を訴えるなら、各国の支持ではなく、日本国憲法には違反していないことの説明を国民の多くに理解・納得させる形で尽くし終えて初めて、自らが成立させた安保法制の正当性を訴える資格が出てくるのだが、頭が悪いから、単に利害関係からの各国の支持を持ち出して、「こうした点について、国民の皆様の理解が更に得られるよう、政府としてこれからも丁寧に説明する努力を続けていきたいと考えております」と、見当違いな説明に走ろうとしている。

 この見当違いな説明は記者質疑でも見せている。

 阿比留産経新聞記者「今回成立しました安全保障関連法をめぐっては、憲法学者らから違憲との指摘が相次いだこともあって、マスメディアを含めて国論が二分しました。そして、成立後の各種世論調査でも、国民の半数以上が国会での審議はまだ十分ではないという回答をしていることが挙げられます。これをどう見ていらっしゃいますか」

 安倍晋三「平和安全法制は、国民の命と平和な暮らしを守るために必要不可欠なものであります。安全保障環境が厳しさを増す中、法案の成立によって、子供たちに平和な日本、安定した、繁栄した日本を引き渡していくことができると確信をしています。

 国会審議では、野党の皆さんからも複数の対案が提出をされまして、深い議論ができたと考えています。真摯な協議の結果、民主的統制を強化することで合意に至り、野党3党の賛成も得ることができた。より幅広い合意を形成することができたと考えています。それは、この法案の成立に当たって大きな意義があったのではないでしょうか。200時間を超える充実した審議の中で、野党の皆さんにも我々の問題意識を共有していただいた結果ではないかと、こう思います」

 そして上記取り上げたように「戦争法案とか徴兵制になる、こうした無責任なレッテル貼りが行われた」と批判したうえで次のように発言を続けている。

 安倍晋三「実際に、もし戦争法案ということであれば、これは世界中から非難が寄せられているはずであります。非難轟々だったのではないでしょうか。それは全く違いました。多くの国々から支持や理解の表明があったわけであります。圧倒的な支持を受けていると言ってもいいと思います。その点からしても、戦争法案という批判がただのレッテル貼りにすぎないということの証ではないか。こう考えています。

 今後とも私自身、そしてまた、関係閣僚始め、あらゆるレベルで国民の皆様の御理解を得るべく努力を重ねていきたい。そして、根拠のないこうしたレッテルを剥がしていきたい。こう考えています。

 かつての安保条約改定時もそうでした。また、PKO法制定の時もそうでありましたが、時を経る中において、その実態について国民の理解が広がっていったという事実もあります。そういう意味におきましては、今後、時を経る中において今回の法制の実際の意義、意味については十分に国民的な理解は広がっていく。このように確信をしております」――

 「法案の成立によって、子供たちに平和な日本、安定した、繁栄した日本を引き渡していくことができると確信している」としていることと、各国の支持・不支持のレベルで正当性を訴えているが、前者・後者共に各国軍隊への軍事的貢献が絶対保証する事柄と断言することはできない。

 例え前者の「確信」を保証できたとしても、憲法に違反してもいいという理由となならない。違反してもいいという理由としたなら、憲法はいつ、どんなときでも国家権力に恣意的に解釈され、権力遂行の道具に貶めることになる。

 当然、日本国憲法には違反していないという説明の方法を採るべきだが、安倍晋三に関しては決してそうはならない。正当理由とはならない理由を挙げて、正当性を訴える見当違いを犯しているに過ぎない。

 安倍晋三は戦争法案はレッテル貼りだと言い、徴兵制を招くの批判にしてもレッテル貼りだと言う。

 先ず安倍晋三は安全保障環境が厳しさを増したことを理由に「もはや一国のみで自国の安全を守ることはできない」と集団的自衛権を含めた相互的な軍事的貢献の必要性からの安保法制としているが、日本周辺の安全保障環境の変化は中国の軍事力の増強、北朝鮮のミサイル開発・核開発、更には新冷戦時代と言われる米ロ対立が不測の事態を招いて軍事的衝突をした場合の同盟国としての日本が巻き込まれる可能性としての危険な状況を挙げることができる。

 中国は果たして日本に戦争を仕掛けるだろうか。中国にしても経済のグローバル化に身動きが取れない程にカッチリと組み込まれている。日本に戦争を仕掛け、日本の軍事同盟国である世界一の軍事大国アメリカの軍事的参入を招いた場合の経済的停滞、その経済的損失は量り知れない規模にのぼることになるだろう。

 だが、中国は領有権を主張してやまない尖閣諸島を一つ取っても、それに対して何一つ軍事的行動を起こすことができないでいる。行動を起こすことができない裏返し行動が尖閣諸島周辺の排他的経済水域での中国公船の航行であり、日本領海内での中国公船の侵入といったデモンストレーションであろう。

 中国はそういったデモンストレーションでしか尖閣諸島の領有権を主張できない。

 北朝鮮の軍事的危険性に関して言うと、北朝鮮の金正恩体制がクーデターか経済的破綻で崩壊の危機に立たされた場合、統制が取れなくなって暴発する形で日本を核攻撃することも予想されるが、攻撃を受けたとしてもあくまでも自国の攻撃への反撃という形を取り、個別的自衛権の範囲内の軍事行動となるから、新しい安保関連法が成立しようと成立しなかろうと関係ないことになる。

 このときアメリカが日本と共に軍事行動を起こすのはあくまでも日米安全保障条約に基づいた、アメリカ側の集団的自衛権行使に過ぎない。

 このことは中国の日本に対する戦争のケースについても言うことができる。

 北朝鮮がアメリカの艦船をミサイル等を使って攻撃した場合、日本が傍観することができないから、援護できる集団的自衛権は必要だとしているが、北朝鮮は自国内への反撃が予想されるアメリカ艦船への攻撃を強行するだろうか。

 アメリカ艦船への攻撃が自国内への反撃、特に軍事施設への反撃を誘発した場合、直ちに金正恩体制の崩壊に繋がらない保証はない。

 当然、反撃が予想される危険な賭けは犯さないだろう。その艦船に日本人が乗船していようといなかろうと条件は変わらない。

 但し単発的な事態に収めることができる、攻撃とは言えないアメリカ艦船に対する挑発行為は可能性としては否定できない。この場合にしても、集団的自衛権の範囲外となる。

 こうして見てくると、個別的自衛権に関わる日本と北朝鮮、あるいは中国との国対国の戦争は想定できても、集団的自衛権に関わる国対国の戦争は想定不可能に置かなければならない。北朝鮮、あるいは中国がアメリカを攻撃する場合、同時併行、あるいは先行する形でアメリカ軍の基地のある日本を攻撃するだろうから、日本に対する攻撃となって、反撃は個別的自衛権の性格を持つ。

 日本周辺以外に関しては戦争の性格が変わったことを考慮しなければならない。

 中東やアフリカの軍事紛争に関しては欧米各国は第2次大戦以後のアメリカがそうであるように一度も自国を戦場としていない。自国の軍隊を外国に派遣して戦争をする形、あるいは紛争処理のための軍事行動を取る形となっている。

 このような戦争、あるいは軍事行動に日本の自衛隊が後方支援という名目で参加する。安倍晋三及びその政権は後方支援を単に弾薬や燃料・食糧、さらに兵員等の補給に関わる輸送活動のみで、敵部隊から攻撃を受けた場合は活動を一時停止、あるいは撤退すると主張して、リスクを伴わない活動だとしているが、同盟関係にある、あるいは安全保障協力関係にある味方部隊が軍事行動を継続する目的に寄与する物資・兵員の補給は武力支援の意味を持つことになり、後方支援部隊が直接的に攻撃に加担しなくても、支援される側は補給された軍事物資で戦争、もしくは戦闘を継続させるのだから、武力行使一体化の側面を持つことになる。
 
 少なくとも敵部隊側は後方支援部隊が提供した武器、その他で相手勢力が戦争、あるいは戦闘を継続していることになって、否応もなしに武力行使一体化と見るはずだ。

 当然、日本も後方支援を行うことで戦闘、もしくは戦争している後方支援対象国に対して間接的に戦闘、もしくは戦争に参加していることになる。

 日本国憲法が国際紛争を解決する手段として国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄し、国の交戦権は認めないと規定していることを破って、例え自国を戦場にする戦争をしなくても、外国の地で戦争、あるいは戦闘に間接的にであっても、参加していることになる以上 戦争法案だと断罪せざるを得ない。

 どこがレッテル貼りだと言うのだろうか。

 間接的な参加が予期しない不測の事態が生じて直接的な軍事行動に変じない保証はどこにもない。

 徴兵制に関しては、国家権力が〈「国を愛する心があれば、国の徴兵制に基づいた兵役を奴隷的拘束と受け止める日本人は存在するだろうか。そのような兵役を苦役と感じ取る日本人がいるだろうか。兵役を奴隷的拘束とし、苦役とする者は国を愛する心を持たない日本人だ」といった論理を巧妙に展開して、集団的自衛権行使憲法解釈容認は日本を取り巻く安全保障環境の急激な変化を口実としたが、愛国心を口実にして18条の解釈は変え得る。〉と、以前ブログに書いた。 

 改憲しない以上永久不変であるべき平和憲法の象徴たる憲法9条を解釈で変えて、その永久不変性を取り上げ、集団的自衛権の行使を可能にしたのである。であるなら、尚更に18条の永久不変性は保証の限りではないことになる。「徴兵制になる」と警告を発していることに関してどこがレッテル貼りだと批判することができるだろうか。

 批判できるのは頭の悪い安倍晋三だけである。

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下村博文の内閣改造での引責交代だとしても、辞任せずは責任の明確化の回避であり、安倍晋三の任命責任回避

2015-09-26 10:40:14 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《9月26日(土)山本太郎代表がテレビ東京の『田勢康弘の週刊ニュース新書』出演》

     番組名:テレビ東京『田勢康弘の週刊ニュース新書』
     テーマ:『ひとり牛歩…山本太郎がホンネ激白!!』
     日 時:平成27年9月26日(土)午前11:30~12:05
        (BSジャパン:午後1時30分~2時5分)

 工事費の見積もり上の高騰化とこのことを受けた屋根を取るだ、取らないだといったデザイン、その他で二転、三転と迷走し、挙句の果てに整備計画を白紙に戻し、ゼロベースで見直すことになった新国立競技場の迷走問題を検証した《新国立競技場整備計画経緯検証委員会検証報告書》が9月24日公表された。 

 責任を問われた文科相の下村博文は辞意を表明、安倍晋三に辞任を申し入れたが、まもなく行われる内閣改造までの留任を指示、これを以て「事実上の更迭」だとか、「引責交代」だと伝えているマスコミもあるが、果たして正当な責任の取り方と言えるのだろうか。

 報告書から、下村博文やJSCに関する責任に触れた個所を、必要に応じて注釈をつけて取り上げてみる。 

 〈日本スポーツ振興センター(JSC)は、文部科学省が所管している独立行政法人で、国立霞ヶ丘競技場(以下、国立競技場)の運営等を行っている。本プロジェクト(新国立競技場の建設)の推進主体であった。〉

 〈主務大臣(ここでは下村文科相)は、独立行政法人の理事長を任命する。〉

 当然、下村博文は同じく責任を問われた河野一郎JSC理事長に対する任命責任を有することになる。

 〈独立行政法人(ここではJSC)は中期目標・中期計画の達成に必要となる予算を主務省(ここでは文科省)に要求し、主務省は財務省との調整を経て独立行政法人に予算を支出する。〉

 要するに事業計画立案とその遂行とこれらに必要な予算決定の、情報共有と相互連携を内容とした責任体制に触れている。

 と言うことは、責任体制が確立されていなかったことになる。

 このこと一つを取っても、主務省文科省のトップである下村博文の責任をは免れることはできない。

 ブエノスアイレスIOC総会が2020年東京オリンピック・パラリンピック開催決定の2013年年9月7日から約1カ月後の〈2013年10 月19 日には、毎日新聞が新国立競技場の工事費が最大で3,000 億円になると報道し、その後の23 日には、下村文部科学大臣が国会で、このことについての事実を確認されたため、「最優秀作品となったザハ・ハディッド氏(原文まま)のデザイン、それをそのまま忠実に実現する形での経費試算は約3000億円に達するものでございまして、これは余りにも膨大な予算が掛かり過ぎるということで、率直に申し上げまして、もう縮小する方向で検討する必要があると考えております。デザインそのものは生かす、それから競技場の規模はIOC基準に合わせますが、周辺については縮小する方向で考えたいと思います。」と答弁した。

 なお、ヒアリング対象者からは、この報道を受けた国会での審議が行われるまでは、下村文部科学大臣に対して、工事費が最大で3,000 億円になるという情報は、報告されていないことを聴取した。〉

 文科省とJSCの間に予算を含めた新国立競技場建設に関わる情報共有と相互連携が満足に行われていなかった。当然、このことに関しては一人JSCに負わせるのではなく、相互責任となる。

 〈文部科学省は、JSCの主務省である。文部科学省は、本プロジェクトに関して、主として予算・コストの側面に関する協議等(財務省との調整を含む。)及びJSCに対する技術者の派遣等の人材面の支援(国土交通省との調整を含む。)を行った。〉

 「技術者の派遣等の人材面の支援」が適切な選定であったかどうかが問われることになる。
 
 〈本プロジェクトは、タイトなスケジュール、高度な技術を要するデザイン、都心における建設工事等、熟達したプロジェクト・マネジメントが求められるものであったが、JSCにはこれだけの複雑な建設プロジェクトをマネージできるだけの経験を持った者(プロジェクト・マネージャー)はいなかった。JSCは文部科学省に対して人的支援の要請を行い、その結果、文教施設企画部から施設整備に関する知識と経験を有する技術系職員が派遣された。

 しかし、もともと文教施設企画部においても、プロジェクト・マネージャーとしてこれだけの国家的プロジェクトをマネージできるだけの経験を持った者はおらず、早期から建設専門家の充実や国土交通省との十分な連携を行うこともなかった。

 さらに、民間におけるプロジェクトでは、プロジェクト終了まで同じプロジェクト・マネージャーが担当するのが常識であるが、本プロジェクトにおいては、担当理事も含め、担当者が通常の人事ローテーションで異動していた。また、外部有識者等による様々な会議・委員会等が設置され、重要な意思決定に関して、それらの委員会等の判断を仰ぐ形式をとったことと相まって、権限と責任が曖昧になり、さらには当事者意識が欠如していた。

 理事長は、組織の長として、文部科学省に人的支援の要請を行ったという事実はあるが、結果として、国家的プロジェクトに求められる組織体制を整備することはできなかった。〉

 人材派遣に関わる適格・優秀な人材不足と言うよりも、そのような人材を選定して派遣するという組織としての体制が不備な状態にあったために適切な対応を文科省は取ることができなかったということであろう。

 また、新国立競技場竣工までの人事ローテンションではなく、通常の人事ローテーションでの異動の形を取っていたために権限と責任が曖昧になり、さらには当事者意識が欠如することになった。

 最初から最後まで典型的な役人の姿を取っていたと言うことなのだろうが、下村博文に工事費が最大で3000 億円になるという情報が報告されていなかったことと併せて、下村博文自身が事業が適切に進捗しているかどうかの監督を怠っていたと言うこともできる。

 〈ヒアリング対象者からは、「ナショナルプロジェクトであるからには、新国立競技場を利活用する裁量権を持っている方には、有識者会議に入っていただいてご意見を頂戴した。」(プロジェクトの意思決定に関しては)「有識者会議の御意見を頂戴し、最終決定するのはJSCだが、独立行政法人の性格上、文部科学省の了解を得ずに決定ということは基本的には無かった。」旨の発言が聴取された。〉

 プロジェクトの意思決定は文部科学省の了解を得なければ、JSCは最終決定することができなかった。

 にも関わらず、文科省とJSCとの間に情報共有と相互連携が満足に機能せず、しかも文科省はJSCに対する監督を怠っていた。

 権限と責任体制の曖昧性、当事者意識の欠如のみが浮き上がる。

 〈JSCの設置本部長には、重要事項についての実質的決定権限がなく、文部科学省や有識者会議が頭に並ぶトップ・ヘビーの体制で実質的な意思決定が行われていたことが問題視される。特に、有識者会議のメンバーはそれぞれの分野の実力者であったが、建設工事の専門家と言える者は一人の建築家以外は含まれていなかった。また同会議の位置づけは、JSC理事長の諮問機関であったが、事実上、重要事項について報告した上で了解を得ており、意思決定の承認機関となっていたことから、JSCの意思決定が遅れ、多くの対策が後手に回った感がある。

 また、工事費の決定のプロセスこそ、集団的意思決定システムの典型であった。本章2.(1)で指摘しているとおり、本プロジェクトの予算の上限額は、文部科学省・JSCの関係者間の曖昧な了解で推移し、平成25 年8月に設計JVが設計を始めてまもなくザハ・ハディド案で関係団体の要望をすべて取り入れた場合、工事費が3,000 億円を超えることがJSCから文部科学省に報告された際も、「いくらまで縮減せよ」という明確な上限の指示がなされた訳ではなかった。さらに設計JVが作成した試算の1,625 億円と、実際の施工を行う技術協力者・施工予定者の見積もり金額とが大きく乖離するようになった場合どう対処するかというシミュレーションも行われていなかった。

 本プロジェクトの意思決定がトップ・ヘビーで、機動性がなかったことは、逆に一旦有識者会議で決定されてしまうと、JSCが後日それを変更することは著しく困難となるという意思決定の硬直性を招いたと言えるであろう。〉

 「トップ・ヘビー」とはネットで調べてみると、「船の復原性、 トップヘビー:重心が上昇し、船を起す力が小さくなること。復原力が小さくなった状態を言う」とある。

 要するに有識者会議の議論に対抗できる議論の持ち主も責任もJSCには存在しないためにJSCが最終決定権を持つが、有識者会議の議論を後追いする形の、あるいは単に鵜呑みにし、追従する形の決定しかできず、その決定も文科省の決定で最終的に決まるというトップ・ヘビーな体制にあったために意思決定と対策の遅滞を招いた。

 JSCと文科省それぞれと両者間の相互的な連携と体制の全てに亘って満足に機能させるだけの構造を構築できていなかった。

 体制不備の指摘は続く。JSCに関して。

 〈ECI方式(技術協力者・施工予定者の早期設計参加(技術提案競争・交渉方式、いわゆるECI方式: Early Contractor Involvement))の採用には発注者(JSC)側に建築プロジェクトを整合的にマネジメントする体制があることが前提であり、その専門家がいない場合は発注者チームを支援する主体を採用することが必要である。本プロジェクトにあてはめた場合、JSC側に必ずしも整備されたマネジメントチームはなかったが、発注者支援者(ジョイントベンチャーである「山下設計/山下ピーエム・コンサルタンツ/建設技術研究所共同体」)にそのような権限が委譲されているわけでもなかった。〉

 〈JSCには、設置本部という本プロジェクトを担当する部署は置かれていた。しかし、担当理事と設置本部長の権限関係は曖昧で、誰がプロジェクト・マネージャーであるかが不明確であった。また、後述の独立行政法人制度に起因する面も一部あるが、プロジェクトの完遂に不可欠な全権が担当理事ないし設置本部長に委任されていなかった。〉

 文科省に関して。

 〈文部科学省では、JSCを所管するスポーツ・青少年局が予算の協議を担当し、文教施設企画部が施設整備に関する技術的支援を担当するという役割分担となっていた。しかし、スポーツ・青少年局は予算のみを担当し、施設整備に関することは文教施設企画部が責任を負っていると認識していた一方で、文教施設企画部はJSCを所管するスポーツ・青少年局がプロジェクト全体の責任を負っていると認識していたなど、適切な組織体制が構築されていたとは言い難い状況であった。〉

 〈経費の削減については、平成25 年8月より、事務次官の下にスポーツ・青少年局、文教施設企画部及びJSCの関係者が集まり、組織的に検討することになったが、専門的・技術的な見地から、関係者がプロジェクトの優先順位を組織として共有していくことができるともっと良かった、という趣旨の発言が前スポーツ・青少年局長よりあった。

 また、事務方の最上位である事務次官までは随時相談がなされていた。しかし、工事費が1,300 億円を大幅に上回って規模の見直し等が必要になるとの情報は、平成25年10月の新聞報道の時点以前には、文部科学大臣に報告されていなかった。同年末に工事費について1,625 億円で関係者が合意して以降は、平成27 年4月時点まで、物価上昇・消費税増税で説明のつかない工事費の大幅超過や竣工時期の遅れは報告されていない。すなわち、省全体を統括する文部科学大臣には、定期的にプロジェクトの進捗の報告・相談がなされるようにはなっておらず、解体工事入札の不調等の問題が生じた際に、その顛末の報告だけがなされるという対応となっていた。このことが、結果として、技術協力者・施工予定者より、工期がラグビーワールドカップに間に合わないおそれがあるとの情報がもたらされた際に、文部科学大臣への報告・相談が遅くなった遠因となった可能性がある。

 なお、この点に関し、設計JVと技術協力者・施工予定者の見積もりの乖離について、きちんと検討していけばそれなりの予算に収まるので、自分に相談・報告する案件ではないと考えていたのではないか、という趣旨の発言が文部科学大臣よりあった。

 文部科学大臣は組織の長として、また、事務次官は事務方の最上位として、上記のような問題が生じることのないように、文部科学省全体を運営・管理する責任があるが、計画に沿ってプロジェクトが推進されているかを常に注意深く見守り、通常の業務の処理というレベルを超えて組織内の調整を図って報告・相談が密に行われる仕組みづくりや風土の醸成(プロジェクト文化)が十分ではなかった。

 ここで明確に下村博文の監督責任・管理責任を指摘している。文部科学省全体に対する運営・管理する責任とは文部科学省全体を通した自らが所管するJSCに対する監督責任・管理責任でもあり、JSC側から下村博文に報告していることもあったのだから、直接的な監督責任・管理責任もあったはずだ。

 以上のこと以外にも文部科学省とJSCの連携体制不備やその他を取り上げているが、最後にもう一つ取り上げる。

 〈本来のプロジェクト・マネージャーは、与えられた予算と工期の中で、全権をもって工事に関する一切の事項について決定権を持ち、決断をする者であるが、本プロジェクトで、本来プロジェクト・マネージャーの地位にあると思われる設置本部長(文部科学省とJSCとの間で定期的な情報交換を行う連絡協議会の下の技術支援連絡会内のJSC側の役職)は、文部科学省、財務省、有識者会議等の意思決定のヒエラルキーの最も下に位置しており、通常のプロジェクト・マネジメントの意思決定のヒエラルキーとは全く逆の構造となっていた。工事費や工期等の重要事項に関する設置本部長の実質的決定権は、全くなかったと言ってよい。〉

 権限を持つべき者に権限を与えずに、では自分たちがその権限を十全に発揮したかというと、そうではなく、〈すべての重要な決定は、文部科学省、財務省、JSC及び有識者会議のなかで、「止むを得ない」という「空気」を醸成することで行われていた。〉と、他人任せ、リーダー不在、責任回避の馴れ合い状況を呈していた。

 安倍晋三は2013年9月7日のアルゼンチン首都ブエノスアイレスでのIOC総会で2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定されたあとのプレゼンテーションで演説している。

 安倍晋三「ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が、確証されたものとなります」

 ザハ・ハディド女史デザインの新国立競技場を頭に置いて、世界に向けてこのように宣言し、そのデザインで建設を進めるべく、予算に適う建設費の設定に掛かったが、3000億円という巨額な建設費が見積もられたりして、迷走することになった。その原因がプロジェクト・マネジメント不足の体制が招くことになった他人任せ、リーダー不在、責任回避の馴れ合いにあるとするなら、JSCトップの河野一郎の責任も重いが、それ以上に文科省トップの下村博文の責任は重い。

 例え引責交代であったとしても、内閣改造の時期まで文部科学省の大臣として在籍して別の政治家に大臣を引き継ぐことと直ちに辞任するのとでは、責任のとり方の明確さ、重さの点で遥かに異なる。

 それを6カ月分の給与と賞与の自主返納で済ませようとしている。

 当然、下村博文を文科相に起用した安倍晋三の任命責任をも問わなければならないことになる。

 だが、内閣改造時の交代ということなら、下村博文の責任を明確化することを回避させることになるばかりか、安倍晋三の任命責任まで回避させ、曖昧にすることになる。

 こんな不条理を許していいものだろうか。

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安倍晋三の自民総裁再任記者会見「1億総活躍社会」のハッタリを具体策不提示の「介護離職ゼロ」から見る

2015-09-25 11:31:45 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《9月17日 鴻池委員長不信任動議・賛成討論「断腸の思いで・・」安保特、山本代表》    
     
     山本太郎代表は9月17日、鴻池参院安保特委員長の不信任動議に賛成の立場から討論を行いまし
     た。その全文をホームページに掲載しました。安保法は成立しましたが、今後の戦いの参考のため、
     ぜひご一読ください。

 安倍晋三が9月24日、自民党両院議員総会での自民党総裁に再任後、記者会見を行い、柳の下にドジョウ二匹を狙ったのか、「新しい三本の矢」を打ち出し、それぞれに第一の矢「希望を生み出す強い経済」、第二の矢「夢をつむぐ子育て支援」、第三の矢「安心につながる社会保障」と名付けたうえで、「1億総活躍社会」の実現を公約した。

 「1億総活躍社会」とは、断るまでもなく、日本人全員が一人の洩れもなく活躍できる社会の実現の公約である。まさか現在1億2千万余の人口の内、1億人のみが活躍できる社会を作り、あとの2千万余の日本人は切り捨てるという意味での「1億総活躍社会」ではないはずだ。

 一人の洩れもなく活躍できる「1億総活躍社会」の実現と言うことなら、自殺者をゼロとしなければならない。日本の統計上の自殺者数は1998年以降14年連続して3万人を超えていたが、2012年は2万7858人、1997年以来、15年振りに3万人を下回っている。

 これをゼロに持っていく。ゼロに持っていけば、2009年から2014年までの全国の小・中・高生の自殺者数は「学校問題」等の悩みを原因として小学生55人、中学生501人、高校生1376人の計1932人となっているが、この1932人もゼロにすることができる。

 1932人のうち、イジメが原因の自殺は26人。イジメを原因とした自殺を確実にゼロにするためにはイジメそのものをゼロにしなければならない。たまたまのイジメが自殺を招かない保証はないからだ。

 「1億総活躍社会」が実現すれば、みんなハッピーということで、イジメ自殺で社会が騒ぐこともなくなる。

 「1億総活躍社会」とは、「自殺ゼロ社会」ということにもなる。日本人全員が健康で生き生きと活躍できる社会である。

 失業しても、次の就職先が即座に見つかるようにしなければ、しかも前の会社よりも待遇が良くなければ、「1億総活躍社会」とは言えない。女性が妊娠出産して育児休暇を安倍晋三が掲げた3年を目一杯取ったとしても、勤めていた会社に前の地位のまま戻れないような事態が1件でも発生したなら、「1億総活躍社会」はたちまちハッタリと化す。

 女性の誰に対しても以前のキャリアを捨てて、パート勤めをせざるを得ない意に染まない状況を招くことがあったなら、「1億総活躍社会」は破綻する。

 正規社員と非正規社員の平均年収格差約300万円が導き出すことになる一方が年に何回も海外旅行に出掛け、もう片方が国内旅行もままならない消費活動の格差と、他の消費活動にも影響している格差を限りなくゼロに持っていかなければ、「1億総活躍社会」とはならない。

 と言うことは、非正規社員をなくす以外に消費活動に関わる「1億総活躍社会」は実現しないということではないか。

 少なくとも年間所得200万円以下の世帯をゼロにしなければ、「1億総活躍社会」とは言えないはずだ。

 安倍晋三はまた、第三の矢の「安心につながる社会保障」の分野では「介護離職ゼロ」を掲げた。これは「1億総活躍社会」実現の一環でもあるはずだ。介護のために仕事を放棄することによって仕事に於ける本来の活躍の場と活躍の機会を失うことは本人を「活躍社会」から仲間外れにすることを意味することになって、「1億総活躍社会」実現の趣旨に反することになる。

 安倍晋三「社会保障は、高齢者の皆さんのみならず、現役世代の『安心』も確保するものでなければならない。そうした観点で、社会保障制度の改革・充実を進めてまいります。特に、仕事と介護の両立は、大きな課題であります。私は、『介護離職ゼロ』という、明確な旗を掲げたいと思います。

 直近の調査で、介護離職者が初めて年間10万人を超えました。離職を機に、高齢者と現役世代が、共倒れしてしまうという悲しい現実があります。

 東京五輪が開かれる2020年には、団塊世代が70歳を超え、その数は、さらに増えていく。日本の大黒柱である団塊ジュニア世代が大量離職する事態となれば、経済社会は成り立たなくなる。その危機は、もう目前に迫っています。

 今、ここから、始めなければなりません。

 『介護離職ゼロ』を目指して、介護施設の整備や、介護人材の育成を進め、在宅介護の負担を軽減する。仕事と介護が両立できる社会づくりを、本格的にスタートさせたいと思います」――

 「介護離職ゼロ」に持っていく条件に「介護施設の整備」、「介護人材の育成」、「在宅介護の負担軽減」を掲げている。

 要介護者が家族の中から出た場合は施設に預けて、全ての介護を専門の介護職員に任せ、自身の持間を介護に取られないようにすることによって介護離職を回避するか、在宅介護であっても、自身の介護持間を介護離職しないで済む範囲内に抑えて、訪問介護職員の介護の持間を長くすることによって介護離職を回避するか、いずれかの方法を採ることになる。

 そのための「介護施設の整備」であり、「介護人材の育成」であり、「在宅介護の負担軽減」である。

 だが、どちらの方法であっても、国の税金の投入を免れることはできない。2014年の福祉施設の介護職員の全国平均の月給は21万9700円、訪問介護員(ホームヘルパー)22万700円、介護計画を作るケアマネジャーも26万2900円で、前二者は全産業平均32万9600円より約11万円低く、後一者も7万円近く低いと、2015年3月10日付「日経電子版」が伝えている。

 この賃金格差が介護職員の離職率を高めている原因の一つだという。

 記事は政府は2015年4月から介護職員の賃金を月1万2000円上げる方針と書いているが、他の記事を見ると、「介護職員処遇改善加算」という名目で行うとのことだが、これ以前は「介護職員処遇改善交付金」という制度を設けて、介護職員(常勤換算)1人当たり月額平均1.5万円を交付してきた。

 この金額に対する1万2千円の加算ということなのだろう。

 月額平均1.5万円の交付によっても尚、介護職員訪問介護員の月給は全産業平均月給32万9600円より約11万円の賃金格差、ケアマネージャーが約7万円近くの賃金格差があったのだから、月1万2千円の加算に持っていくために税金を投入しても追いつかないはずだから、介護職員の月額給与を全産業平均32万9600円に限りなく近づける必要性が生じ、先ずはその実現を図らなければ、「安心につながる社会保障」とはならないし、「1億総活躍社会」も覚束なくなる。

 但し巨額の税金の投入は例え10%に引き上げも、さらに引き上げが必要だと言われている消費税増税に跳ね返っていくことが予想されるし、介護保険料にも跳ね返っていくはずだ。

 当然、安倍晋三は「安心につながる社会保障」と銘打って「介護離職ゼロ」を打ち出し、そのために「介護施設の整備」、「介護人材の育成」、「在宅介護の負担軽減」を重要政策とするとした以上、国民の負担が年間所得金額階級別にどのくらい増えるのか、計算して数字を示して初めて具体的な政策となるはずだし、それが中低所得層の負担とならない金額でなければ、“安心につながらない社会保障”と言うことになって、「1億総活躍社会」は矛盾を来たすことになる。

 だが、具体的な数字も、具体的な政策内容も提示せずに、いわば負担の度合いも分からない「1億総活躍社会」の実現を夜空に燦然と輝く大玉の花火のように威勢よく打ち上げた。

 「介護離職ゼロ」の例を見ても具体策が見えないし、自殺ゼロの実現可能性やイジメゼロの実現可能性、育児休暇女性の元の姿のままの社会復帰の実現可能性まで入れると、「1億総活躍社会」はハッタリ以外の何ものでもないようにしか見えない。

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山口公明党代表の国会での「ニセモノの学会員に騙されるな!」は戦前の「非国民」呼ばわりに通じる全体主義

2015-09-24 09:22:42 | 政治




【謝罪】

 昨日も同じ内容の「謝罪」を記載しましたが、今日も同じ「謝罪」を記載します。

 当ブログに外相の岸田文雄のプーチンの訪日と北方四島問題、その他を話し合う訪ロに対してアメリカから何の牽制もクギも刺されることもなかったことは安保関連法の成立をアメリカへの贈り物とした機会を安倍晋三が狙った「小さな成功」だといった趣旨のことを書いて、本日10時00分の時点でアップロードしましたが、9月23日10時22分発信の「NHK NEWS WEB」記事がアメリカ国務省のトナー副報道官の22日の記者会見の発言として「ロシアがウクライナ東部で停戦合意を守っていないことを考えれば、ロシアと通常の関係に戻る時ではないと確信している」と日本の対応を牽制していることを伝えていました。

 早トチリであったことを謝罪します。しかし安倍晋三が安保関連法をアメリカへの贈り物としたことを絶好の機会とばかりに狙って岸田文雄を訪ロさせたのではないかという推測はあながち否定できないと思います。  

 このことが安倍晋三にとって小さな成功でなくなれば、6回の首脳会談の信頼関係構築の失敗ばかりに目立つことになる(かもしれない)。


 共産党の党副委員長、その他の役職に就いている小池晃が9月18日の自身のツイッターに次のように投稿しているのを第三者のツイッターで知った。

 〈公明党の山口那津男代表は、今まであまりヤジなど飛ばしませんでしたが、豹変。本会議の間中ヤジり続けていました。「戦争法案じゃないよ!」「5党が賛成したんだから強行採決じゃないよ」「ニセモノの学会員に騙されるな!」『平和の党』完全終了〉・・・・・・・

 最後の〈『平和の党』完全終了〉は断るまでもなく小池晃の公明党に対する感想である。

 多分、いずれかの野党議員が、「安保関連法案に抗議する国会周辺デモに創価学会員も加わっている。公明党は賛成でも、足元の創価学から反対する者が出ている。そんな法案だ」とでも言って、そのデモを自分たちの法案への反対の正当性の一つにでも加えたのだろう。

 対して山口代表が「ニセモノの学会員に騙されるな!」とヤジを飛ばした。

 一度著名人がツイッターに書くと、その情報は瞬時に拡散する。当然、小池晃が山口代表を貶めるために流した偽情報なら、批判や抗議の投稿もまた、ネット上に拡散することになる。

 そういった様子はないから、事実、「ニセモノの学会員に騙されるな!」とヤジったのだろう。

 また、公明党や創価学会を貶めるためにニセモノを仕立ててデモに参加させるといった陰謀を企てる恐れがないとは言い切れないから、山口代表がヤジっているようにデモに参加している創価学会員が「ニセモノ」なのかどうか、ネットを調べてみた。

 『AERA』や『週刊朝日』掲載の記事を分かりやすく纏めて配信するという「朝日新聞出版」の情報サイト「dot.」がデモに参加している一人の創価学会員を匿名で、もう一人は反対の署名活動と同時にデモに参加している創価学会員を実名入りで取り上げている。 

 創価学会の旗である〈赤、黄、青の3色の上に「SGI AGAINST FASCISM」と記されたプラカードを持った男性の姿があった。

 「SGI」とは言うまでもなく「創価学会インタナショナル」の略称。そう、プラカードは与党の一角を担う公明党の支持母体である宗教団体・創価学会のシンボルの「三色旗」なのである。男性は神奈川県在住の30代の創価学会員。デモに参加した気持ちを本誌にこう訴えた。

 「今の公明党は自民党の子分みたいになってしまった。平和の党として言うべきことを言ってほしいと、デモに参加しました。私の周りにも、学会本部に投書をするなど同じ考えの人が出てきている。今はバラバラの点と点ですが、デモをきっかけにして線や面になっていければと思います」〉――

 創価学会インタナショナルとは創価学会の国際組織だそうで、プラカードの「SGI AGAINST FASCISM」は「創価学会インタナショナルはファシズムに反対」という意味になる。

 もしこの創価学会員が山口代表が言うように「ニセモノの学会員」であるなら、あるいはこの記事が捏造であったなら、公明党や創価学会から激しい抗議が起きるだろうし、その激しい抗議もネット上に拡散されて、サイトは炎上といった事態に追い込まれたかもしれないし、事実そういった事態が起きていたなら、マスコミが記事にするはずだが、その手の記事を耳にも、目にもしていない。 

 デモに参加していたのが“ホンモノの学会員”であるなら、画像検索すれば載っているはずだからと、「Google画像検索」を使って「SGI 安保関連法案 反対デモ」で検索してみると、左から縦に青色・黄色・赤色三色の創価学会の旗をプラカードに貼り付けたり、ビニールケースに入れて手に持っているデモ参加者が出てくるわ、出てくるわ、何人でも見かけることができ、「SGI AGAINST FASCISM」のプラカードも見つけることができる。 
 
 三色の旗には「SGI AGAINST FASCISM」以外に、「戦争法案 即刻廃案」とか、「公明党の議員よ 人間革命を読み直せ」とか、「公明党は絶対平和主義を捨てたのですか?」等々書いてある。

 「Google画像検索」での創価学会員のデモの画像のこのような拡散は逆に参加している学会員がホンモノであることの証明以外の何ものでもないことを教えてくれる。

 実名入りで反対の署名活動をしている創価学会員についての記述個所を見てみる。

 〈愛知県在住の創価学会員・天野達志さん(51)は、7月30日から安保法制の白紙撤回を公明党の山口那津男代表に請願する署名活動を始めた。

「ひとりの学会員」として署名を呼びかけているが、対象は学会員だけに限っていない。フェイスブックなどのソーシャルメディアを駆使し、同調者を集めている。天野さんがこう語る。

 「学会の幹部には『組織の会合で声を上げることは会員を動揺させるから、よく考えていただきたい』と言われましたが、知人を通じてやるのはかまわないというので署名活動をすることにしました。すでに十数件の問い合わせが来ています。私も組織を惑わせたくはなく悩ましいですが、池田大作名誉会長らの教えに倣って『戦争をするのは違う』と声を上げたいという思いが根本にあります」

 天野さんも東京都内のデモに参加し、他の学会員の参加者と少しずつ交流を深めている。〉――

 記事が、〈他の学会員の参加者と少しずつ交流を深めている。〉と書いていることも、デモ参加者が複数存在していて、山口代表が言うように決して「ニセモノの学会員」ではなく、“ホンモノの学会員”であることを証明することになる。

 だが、山口公明党代表は「ニセモノの学会員に騙されるな!」と、デモ参加の創価学会員をニセモノだと断罪した。

 断罪という心理(心の働き)には排除する意志を自ずと内包させている。安保関連法案に反対するような、いわば同調しない創価学会員は創価学会員ではないと断罪すると同時に排除する意志の働きである。

 排除の意志は法案に反対する者を創価学会員として異物と見做すことによって発動される。

 更に言うと、断罪と排除は全体主義の反動としての側面を持つ。全体主義とは「全体の利益を第一とし、個人の価値は全体に奉仕する点でだけを認める思想」を意味する言葉通りに、全体への奉仕へと各個人を統一する強制をメカニズムとしている。

 ゆえに統一に反対する者を異物として断罪し、排除することになる。

 山口公明党代表はデモに参加した創価学会員を「ニセモノの学会員」としてその資格を停止し、創価学会から追放するような強権力を働かせはしなかったが、働かせたら大問題で、実質的に働かせることができなかったのだろうが、心理的には実際にデモに参加した創価学会員が少なくない人数で存在していたにも関わらず、創価学会員全てを法案に賛成させたい全体主義への願望から彼らを「ニセモノの学会員」だと創価学会の異物に貶め、断罪と排除の心理を働かせた。

 そうすることで、創価学会員全てが法案に賛成しているとすることができる。誰も反対していないと。

 戦前の日本は国全体に亘って物心総動員の全体主義が支配していた。戦争遂行の国策に従わない国民は、あるいは物心総動員に従わない国民は「非国民」、「国賊」として日本国民と見做されない異物扱いにされ、村八分等の断罪と排除の対象とされた。

 山口公明党代表のこのような全体主義は戦前の日本が国民に対して国策と物心に亘る総動員への統一を求めた全体主義とは社会的な支配力や強度という点では遥かに異なるが、心理的な構造の点では非常に似通っている。

 全体主義の精神を内面に抱えていなければ、どんなときでも顔を覗かせることはないのだから、内面に抱えているがゆえに図らずも顔を覗かせた山口代表の危険な全体主義と見なければならない。

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外相岸田文雄訪露から見える安倍晋三の小さな成功と大きな失敗

2015-09-23 10:00:56 | 政治




【謝罪】(2015年9月23日16:59)

 当ブログに外相の岸田文雄のプーチンの訪日と北方四島問題、その他を話し合う訪ロに対してアメリカから何の牽制もクギも刺されることもなかったことは安保関連法の成立をアメリカへの贈り物とした機会を安倍晋三が狙った「小さな成功」だといった趣旨のことを書いて、本日10時00分の時点でアップロードしましたが、9月23日10時22分発信の「NHK NEWS WEB」記事がアメリカ国務省のトナー副報道官の22日の記者会見の発言として「ロシアがウクライナ東部で停戦合意を守っていないことを考えれば、ロシアと通常の関係に戻る時ではないと確信している」と日本の対応を牽制していることを伝えていました。

 早トチリであったことを謝罪します。しかし安倍晋三が安保関連法をアメリカへの贈り物としたことを絶好の機会とばかりに狙って岸田文雄を訪ロさせたのではないかという推測はあながち否定できないと思います。  

 このことが安倍晋三にとって小さな成功でなくなれば、6回の首脳会談の信頼関係構築の失敗ばかりに目立つことになる(かも知れない)。

 外相の岸田文雄が9月20日からロシアを訪問、日本時間の9月21日夜、ロシアのラブロフ外相と会談し、北方四島返還問題と平和条約交渉、そしてプーチンの訪日問題について話し合い、22日午前(日本時間同日午後)、岸田文雄とシュワロフ・ロシア第1副首相共同議長の「日露貿易経済政府間委員会」で、経済協力問題を議論したという。

 岸田文雄の訪露で明らかになった安倍晋三の小さな成功とは訪露の目的が日露の経済発展やプーチンの訪日問題を含みながら、アメリカがその訪問について何ら牽制しなかったことである。

 周知のようにアメリカはウクライナ問題を巡ってEUと共にロシアに対して厳しい経済制裁を科している。2015年5月21日、欧米が渡航禁止の制裁を科しているが、日本は科していないプーチンの側近ナルイシキン下院議長が訪日の際、安倍晋三は側近と会談、プーチンの訪日を要請したとされている。

 対してアメリカは「現在の状況では、ロシアと通常の関係を持たないとする原則を守ると信じている」とラッセル米国務次官補を使って、プーチンの訪日と日露関係正常化を牽制した。

 だが、アメリカは今回の岸田文雄のプーチンの訪日問題や経済協力問題について話し合う訪露に対して何ら釘を差すことも牽制することもしていない。

 その原因は安全保障関連法の成立がアメリカへの贈り物となっていたからだろう。

 安倍晋三はアメリカの牽制を逃れるためにアメリカ側がその贈り物の有り難みが薄れない、まだホットな賞味期間内を狙って岸田文雄を訪露させて、プーチンの訪日のあらましのスケジュールを決めてしまおうとしたのではないだろうか。

 だが、日露外相会談の中身は芳しいものではなかった。

 どんな中身だったか、「NHK NEWS WEB」記事から見てみる。 

 岸田文雄「昨今の北方4島を巡るロシア側の一方的な言動は、日本の立場と相いれない。おととし4月の安倍総理大臣とプーチン大統領の首脳会談の際に発表した共同声明に基づき、双方が受け入れ可能な(北方四島返還問題に関わる)解決策を議論する必要がある」

 ラブロフ外相「対話は続けなければならない」

 記事冒頭で会談での発言を紹介しているのはこれだけだが、岸田文雄が「昨今の北方4島を巡るロシア側の一方的な言動は、日本の立場と相いれない」と言っていることは、日本の反対にも関わらずロシアの副首相が8月13日に、続いて8月22日にメドベージェフ首相が北方領土の択捉島を訪問したり、ロシアで対日外交を担当するモルグロフ外務次官が9月2日、インタファクス通信のインタビューに答えて北方領土について、「日本政府と島々の問題について、どのような対話も行っていない。この問題は、既に70年前に解決している」などと発言したり、あるいは北方領土を含む極東への移住を希望する国民に土地を無償分与する計画の発表もしている、立て続けのロシア側の動きを指している。

 上記記事が伝えている会談後の記者会見でのラブロフ外相の発言は日本側にはかなり厳しいものとなっている。会談でも示していたラブロフ外相の厳しい態度の記者会見に於けるそのままの反映と見なければならない。

 まさか会談では和気藹々の話し合いが進み、記者会見では一転して厳しい課題を突きつけたというわけではあるまい。

 岸田文雄「今回の会談は、日ロ関係を一歩前に進め、プーチン大統領の訪日につなげるうえで有意義なものになったと感じている」

 ラブロフ外相「具体的な日程は、ホスト国である日本が決めるのが前提だ。日本側から具体的な提案があれば検討したい。

 (但し)首脳会談を行うために前提条件をつけるのは非生産的だ。ロシア側は北方領土について議論していないし、我々の対話のテーマにもなっていない。議題となっているのは平和条約締結の問題だ。最近の日ロ関係は好意的とは言いにくく、両国は貿易、経済、投資など幅広い分野で関係を発展させることが必要だ。

 (10月8日の外務次官級での平和条約交渉再開予定について)両国の立場には大きな食い違いがあり、交渉は容易ではないが、両国の首脳の指示に従って、双方が受け入れ可能な解決策を模索することを確認した。

 日本が戦後の歴史の現実を受け入れて初めて、問題を前に進めることができる」――

 「戦後の歴史の現実」とは、記事が解説しているが、「北方領土が第2次世界大戦の結果、自国の領土になったというロシア側の主張」を指す。この主張は以前から日本に突きつけている主張であって、今回が初めてではない。

 この主張を受け入れろということは、北方四島はロシア領であることを認めろということであるが、日本側が北方四島の領有権を諦めることによって日ロ関係を発展させることができると言っているに等しい

 日本にはロシア側がこういった厳しい態度を取るのはウクライナ問題で日本が欧米に同調してロシアに経済・金融制裁を科していることに対する牽制だという見方があるが、ロシアの以前からの北方四島に対する積極的な開発姿勢を見ると、北方四島に対する領土的執着は感じ取ることはできても、日本から経済制裁解除を獲ち取るためだけのために厳しい態度を見せているようには見えない。

 ここでロシアが日本に北方四島を返還するつもりがあるのかないのか、メドベージェフ首相の8月22日の択捉島視察1カ月前の7月23日の発言によって占うことができる。
 
 「島々はロシアの国境を守る役割を果たしてしいる」(NHK NEWS WEB

 ソ連が崩壊し、米ロ関係はかなり改善したが、ウクライナ問題を巡って再び米ロ対決、新冷戦時代が到来したと言われている。プーチンはウクライナのクリミアをロシアへ併合した際、ウクライナを支援する北大西洋条約機構(NATO)との全面対決という事態に備えて核兵器の使用を準備していたことを明らかにしている。

 プーチン、あるいはロシアの政治家はロシアが国家間の戦争や国家間の関係の友好・対決の変遷の歴史を繰返してきたことから、国家間の友好な関係は永遠ではないことを学んでいるはずだ。

 当然、友好関係にある国家に対しても軍事的備えをしつつその友好関係を維持することになる。ロシアにとってアメリカは対決時代を迎えた場合の最大の軍事的脅威国となり、最も気をつけなければならない大国であって、現在、決定的な一触即発の険悪関係にまで至っていないが、新冷戦時代到来とも言われているかなりの対決時代を迎えている。

 そして日本はアメリカと軍事同盟を結んでいるロシア以上の経済大国であり、それなりに軍事大国でもある。今後アメリカとの間に関係改善が進んで友好関係の時代を迎えることがあっても、それがまた対決時代に変わることもある歴史の変遷を考えたとき、北方四島を返還した場合、そこに日本が軍事基地を設ける危険性を安全保障上の危機管理としないはずはない。

 対決時代に於ける米に対する軍事的備えの必要性から言っても、同時に行わなければならないアメリカと軍事同盟を結んでいる日本に対する軍事的備えから言っても、「ロシアの国境を守る役割」を負わせるべく、そのために軍事施設の建設を進めている北方四島を返還することがあるだろうか。

 最初に取り上げたNHK NEWS WEB記事は、日露外相会談の際岸田文雄が安保関連法について「地域と国際社会の平和と安定に積極的に貢献していくものだ」と説明したのに対してラブロフ外相は「日本の憲法解釈の変更に周辺国が懸念を示していることを注視している」と発言したと伝えている。

  ラブロフ外相は間接的に「周辺国」と言ったが、ロシアも入れいている「周辺国」であるはずだ。

 例え日本が返還された場合の北方四島に軍事基地を設けないと約束しても、ロシアはその約束を信じないだろう。かつてソ連が通告もなく日ソ不可侵条約を破って満州に攻め入ったことを日本の場合に当てはめて学習するだろうからである。

 岸田文雄訪露から見える安倍晋三の大きな失敗とは、今回の日ロ外相会談によって安倍晋三があれ程までに首脳会談を重ねてプーチンとの間に築いてきたと誇っていた信頼関係が何の役にも立っていないことである。

 2014年7月19日、安倍晋三は地元山口で開催の長州「正論」懇話会1周年で講演している。 

 安倍晋三「プーチン大統領とは 1年半で5回、首脳会談を行いました。ロシアには、責任ある国家として国際社会の問題に建設的に関与して貰わねばなりません。そのためには、私はプーチン大統領との対話を続けていきます。1日も早い平和条約の締結に向けて粘り強く、交渉していきます」(首相官邸HP)

 この発言の約4カ月近くあとの11月9日、APEC首脳会議出席のために訪問中の中国・北京でプーチンと6回目の首脳会談を行っている。

 安倍晋三自身は領土返還問題に有効だと信じて、せっせと信頼関係を築いていた。今回もプーチンを訪日させて、新たに信頼関係を重ねようとしていた。

 プーチンは返還を期待させる幻想を餌に付けて日本の経済協力や技術移転を釣り上げることだけを狙っているように見える。

 ロシアが北方領土は第2次世界大戦の結果、自国の領土になったと主張するなら、その論理を破る以外に手はないのではないだろうか。

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安倍晋三の安保法案反対デモを「国民の一つの声」と相対化のマジックにかけて過小評価する十八番の詭弁

2015-09-22 09:18:17 | Weblog


 安倍晋三が9月20日日本テレビの番組に出演したときの発言を「asahi.com」記事が伝えている。

 安倍晋三「(安保法案反対の国会周辺デモについて)表現の自由、言論の自由をさまざまな形で国民は行使できる。我々も行政府の立場として、さまざまな声があるということは、さまざまな方法で知ることができる。当然、国民の一つの声だと思う。

 (祖父の岸信介元首相が日米安保条約を改定したときの反対デモと今回を比べて)あのときは『総理大臣の身辺の安全を完全に守ることは難しい』とまで(岸元首相)本人は言われていた。今回そういうような状況にはまったくなっていないから、私は平常心で成立を待っていた」――

 「国民の一つの声」と言っていることは、安倍晋三が安保法案反対の声を多くある声の内の一つと価値づけていることを意味する。多分、安倍晋三は腹の中では「一つに過ぎない」と軽んじていたのかもしれないが、多くの中の一つとする相対化によって特殊な事例を一般的な事例に貶めたのである。

 一般的に「相対化」とは「他の同類と比べて位置づけることで、それが唯一絶対ではないと一般化すること」などを言うが、安倍晋三の場合は単に特殊な事例を一般的な事例とするだけではなく、他の同類を並べた中に置いて、一般性や時代性を纏わせて見えにくくしたり、対比的に大したことはないと価値を低めたりすることに用いている。

 例えば自身の殺人行為を似たような殺人、あるいはより残虐な殺人を持ち出して比較化させ、殺人を犯すのは自分一人だけではないと一般化させようとしたり、あるいは時代がさせたと、時代性のせいにしたりして、自らの殺人の罪をまだ軽いものだと思わせようとする殺人者が用いるのと同じ相対化を安倍晋三は得意としていて、十八番にさえしている。

 さらりと言って、特殊な事例を一般的な事例に変身させるその見事な手際は相対化のマジックとさえ言うことができるが、自身に不都合なことはそのような相対化のマジックによって隠したり、存在しないものとしてしまうのは詭弁そのものである。

 今回の安保法案反対のデモによって表されていた国民の声は一部の声ではなく、安保法案に関わる世論調査に現れていた国民の声のそのままの反映でもあり、両者は相互反映の関係にあったのだから、単なる「国民の一つの声」ではなく、「国民の決して小さくはない大きな声」としなければ正確な表現とは言えないはずだが、お得意の十八番が出たのだろう、多くある内の「国民の一つの声」だと相対化のマジックにかけて大したことではない一般的な事例に見せかけた。

 抗議デモが「国民の決して小さくはない大きな声」であることは安保法成立後の9月19、20両日の「毎日新聞」の世論調査を見てみれば一目瞭然である。

 「成立を評価するか」    

 「評価しない」57%
 「評価する」33%

 「強行採決について」

 「問題だ」65%
 「問題ではない」24%

 「憲法違反か」

 「違憲だと思う」60%
 「思わない」24%

 「国民への説明」

 「不十分だ」78%
 「十分だ」13%

 等々となっている。

 もう一つ、同じく9月19日、20日の両日行った「朝日新聞」の世論調査を見てみる。

 「安保関連法に賛成か反対か」

 「賛成」30%
 「反対」51%

 「強行採決について」

 「よかった」16%
 「よくなかった」67%

 「国会の議論は尽くされたか」

 「尽くされた」12%
 「尽くされていない」75%

 「国民の理解を得る努力について」

 「十分にしてきた」16%
 「十分にしてこなかった」74%

 「抑止力は高まるか」

 「高まる」32%
 「高まらない」43%

 「他の国の戦争に巻き込まれる可能性」

 「高まる」64%
 「高まらない」21%

 「憲法違反か否か」

 「違反している」51%
 「違反していない」22%

 等々となっている。

 抗議デモは世論調査に現れている安保法に批判的な国民の声を代表し、代弁もしていた。あるいは世論調査に批判的な回答を寄せた国民は抗議デモに「もっと、もっと抗議の声を上げてくれ」と声援を送っていたはずだ。

 そのような相互関係にあった。当然、「国民の一つの声」などといった一般的な姿を纏わせてもいいはずはなく、一般的とは区別して際立った現象としてみるべき「国民の決して小さくはない大きな声」であった。

 以前ブログに書いたことだが、安倍晋三の他の同類を並べた中に置いて、一般性や時代性を纏わせて見えにくくたり、対比的に大したことはないと価値を低めたり、特殊な事例を一般的な事例とするこれまで使ってきた相対化のマジックを見てみる。

 2014年4月23日夕刻、オバマ米国大統領が訪日、翌4月25日午前中離陸し、次の訪問国韓国に向かった。同日午後、パク・クネ韓国大統領と首脳会談を行い、会談後共同記者会見に臨んでいる。

 先ずパク・クネ大統領が安倍晋三が従軍慰安婦の問題について政府の謝罪と反省を示した河野官房長官談話を見直す考えはないと表明したことに触れて次のように発言した。 

 パク大統領「安倍総理大臣が約束したことに関して誠意ある行動が重要だ。今後、日本が大きな力を傾けてくれればと思う」

 オバマ大統領「(慰安婦の問題は)甚だしい人権侵害で衝撃的なものだ。安倍総理大臣も日本国民も、過去は誠実、公正に認識されなければならないことは分かっていると思う。

 日韓両国はアメリカの重要な同盟国だ。過去のわだかまりを解決すると同時に未来に目を向けてほしいというのが私の願いだ」(NHK NEWS WEB)――

 このオバマ大統領の発言に対して安倍晋三は4月27日午後、視察先の岩手県岩泉町で記者の質問に答えている。

 安倍晋三「筆舌に尽くし難い思いをされた慰安婦の方々のことを思うと、本当に胸が痛む思いだ。20世紀は女性を始め、多くの人権が侵害をされた世紀だった。

 21世紀はそうしたことが起こらない世紀にするために日本としても大きな貢献をしていきたい。今後とも国際社会に対して、日本の考え方、日本の方針について説明していきたい」(NHK NEWS WEB)――

 要するに日本軍が暴力的に拉致して軍慰安所へ強制的に監禁、強制売春を強いた従軍慰安婦という特殊な事例としてあった人権侵害を20世紀にあった様々な女性に対する人権侵害の中に紛れ込ませて一般的な事例とする相対化のマジックをやってのけて、日本の過去の歴史、あるいは日本軍の罪薄めを謀った。

 次のこともブログに取り上げているが、8月14日(2015日)発表の「安倍晋三戦後70年談話」でも詭弁でしかない見事なまでの相対化のマジックを披露している。

 安倍晋三「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第1次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたり得なかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして70年前。日本は、敗戦しました」――

 ここで言っていることは日本の戦争が侵略と植民化を目的としていたがゆえに「村山談話」が日本個別の特殊な事例とし、そうすべき歴史の事実を安倍晋三にとっては不都合な事実であるゆえに言葉による相対化のマジックを使って20世紀という時代が生んだ産物だと時代性を纏わせて一般的な事例に変えているのであって、そうすることで日本の戦争から侵略と植民地の影を取り去っているのである。

 かくかように自身に不都合な事実を安倍晋三は相対化のマジックを用いて自分の目の前から取り払い、好都合な事実だけを自身の事実とすることをお得意中の十八番としていて、そのための詭弁にこの上なく長けている。

 どうして国民を見る目が育つだろうか。その程度の一国のリーダーだと心得なければならない。

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民主党は野党中一番質問持間が長く与えられていながら、安保法案を成立阻止する言葉の能力を持たなかった

2015-09-21 10:32:06 | 政治


 安全保障関連法が9月19日未明の参議院本会議で採決が行われ、自民・公明両党と次世代の党などの賛成多数で可決され、成立した。

 この前日9月18日の本会議は午前0時11分に開会されて、民主党提出の防衛相の中谷元に対する問責決議案や山崎正昭参院議長の議長不信任決議案、安倍晋三に対する問責決議案等の提出で採決に対する抵抗を図ったが、自民党が決議案の趣旨説明や討論の時間を1人10分以内に制限する動議を提出、賛成多数で可決、全ての決議案が反対多数で否決された。

 そして9月19日未明、最終的に法案を強行採決に持っていき、可決・成立させた。

 9月19日の法案に対する賛成・反対の討論が行われ、民主党の福山哲郎の発言を「asahi.com」記事が伝えている。      

 福山哲郎「与党の暴力的な強行採決は断じて認められない。三権分立の我が国で、立法府で審議中の法案にOBとはいえ最高裁長官が『違憲』と言うのは極めて異常な事態だ。安倍首相は、この国の法治国家としての基盤を崩してしまうことをなぜ理解しないのか。法律のできの悪さや矛盾を、なぜ修正したりすることを考えないのか。立憲主義と平和主義と民主主義を取り戻す闘いはここからスタートする」

 自身の、そして民主党の衆参共に質問持間を一番長く与えられていながら、安保法案成立を阻止するだけの言葉の能力を持たなかったことを証明するに余りある発言となっている。

 「三権分立の我が国で、立法府で審議中の法案にOBとはいえ最高裁長官が『違憲』と言うのは極めて異常な事態だ」と言っている。

 この発言はOBの最高裁長官の違憲だという主張を借りて、「法案は違憲だ」と言っているだけのことで、自らが自身の言葉で政府に対して法案が違憲であることを証明させているわけではない。

 証明することができていないから、最後の最後までOBの最高裁長官の違憲だという主張を借りなければならない。

 いくら他人の言葉を借りても、自身の言葉で違憲であることを相手に認めさせる証明を果たさなければ、違憲だとすることにはならない。

 2015年6月4日の衆議院憲法審査会で自民党の推薦で参考人として招致した3人の憲法学者が集団的自衛権を行使可能とする新たな安全保障関連法案はいずれも「憲法違反」との見解を示したことを鬼の首でも獲ったかのように法案が違憲であることの証明として政府を追及したが、「憲法の番人は最高裁判所であり、憲法学者ではない」とか、「100の学説より1つの最高裁判決」とかわされて、違憲だと認めさせることはできなかった。

 「1つの最高裁判決」とは断るまでもなく、集団的自衛権を認めているとしている1959年の砂川事件最高裁判決を指し、安倍内閣はこの最高裁判決と1972年の個別的自衛権を認めた政府見解を合憲であることの根拠とし、その根拠に基づいて海外派遣だ、後方支援だ、武器使用だと様々な新たな自衛隊の運用や安保法制の新たな取り組みを組み立てている。

 であるなら、もし民主党や他の野党が集団的自衛権を違憲だとするなら、砂川事件最高裁判決を集団的自衛権行使の合憲の根拠としている、その妥当性を先ず第一に論破する以外に道はなかったはずだ。

 そうすることはせず、憲法学者やその他の著名な識者、あるいは世論調査が示していた「違憲」の声を借りて、違憲だと政府を追及する繰返しに終始した。

 何もかも違憲であることを政府に認めさせる言葉の能力を自分たちが持たなかったからである。

 持たなかったことの反映として現れた特別委員会での委員長席を取り囲んだりの身体的な阻止行動であり、最終的には本会議での安保法案の可決・成立に繋がっていった。

 言葉の能力を持たなかったことは特別委員会での混乱を民主党の辻元清美と自民党の稲田朋美が非難し合った9月20日のNHK「日曜討論」にも現れていた。

 辻元清美「(特別委員会での)採択の遣り方もカマクラ方式と言うらしいけど、自民党の屈強な男性たちが委員長を囲んで、委員以外の人がですね。そして議事録を見ても、聴取不能という状態が今続いている。

 修正合意と言っているけど、そのことも議事録に残っていない」

 稲田朋美「採決の前は理事会室に委員長を閉じ込めて、廊下には女性陣が鉢巻をして、議院総会でセクハラですよ叫ぶとか、計画的に審議を妨害する。

 特別委員会で暴力行為や器物破損行為などがなされたことに私は国権の最高機関の国会で良識の府と言われる参議院で、しかも予算等が行われる第1委員会でこのようなことがなされということは私は恥ずかしいと思う」

 辻元清美「与党の立場として余りおっしゃらない方がいいと思いますよ。法案を通して頂くという立場が与党なんです。その与党の皆さんが、私は20年くらい国会におりますけども、今回は本当に屈強な男子を揃えて、委員長の周りを取り囲んで――」

 安倍政権は強行採決であろうとなかろうと法案を通すという強い意志で国会に臨んでいるのに、辻元清美は「法案を通して頂くという立場が与党なんです」などと、ないものねだりの謙虚さを求める。

 衆参の審議を通して、安倍晋三や中谷元、その他の安倍内閣の閣僚の答弁に「法案を通して頂くという」謙虚さを感じ取ることのできる機会があっただろうか。質問に満足に答えない、関係ないことを長々と答弁する、言い間違いをする、大臣席からヤジを飛ばす等々、謙虚さのカケラもない態度に終止していたはずだ。

 それを稲田朋美が特別委員会での民主党議員の態度を批判した途端に、「法案を通して頂くという立場が与党なんです」と言う。小賢しさだけが目立って、自分が何を言っているのか気づいていない。

 違憲だと言うなら、法案を決して通させないという立場に民主党はあったはずである。いわば通すか・通させないかの闘いであった。審議持間が衆議院で約116時間、参議院で約100時間、その中で民主党が野党第1党として最も長い質問時間を与えられていながら、違憲だと認めさせる言葉の能力も持たなかったために決して通させないという強い意志を発揮できないままに政府に屈した。

 もし辻元清美が法案の可決・成立後であっても、違憲を証明する言葉の能力を自身、あるいは民主党が欠いていたことが招いた結果だと少しでも反省していたなら、「日曜討論」の冒頭で批判合戦を演ずることはなかったろう。

 言葉の能力の欠如をそのままに反映させた「日曜討論」の冒頭の遣り取りだったということである。

 参考までに――

 2015年6月22日当ブログ記事――《砂川事件最高裁判決が安倍政権の集団的自衛権憲法解釈行使容認の根拠となるかどうかは国会で集中審議すべき - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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