安住の中央集権国家であることとそれゆえの責任の大きさを忘れた口汚い被災首長批判

2011-07-31 11:37:20 | Weblog



 民主党の被災地衆院宮城5区選出の安住淳国会対策委員長が30日(2011年7月)のテレビ東京番組で被災自治体の県知事を言葉激しく批判したという。

 《「国からお金、泥はかぶらず」 安住氏、被災首長を批判》asahi.com/2011年7月30日19時51分)

 安住淳民主党国会対策委員長「『知事は頑張っている』と言うが、仕組みが違う。自治体の首長は都合がいい。増税しないんですから。国からお金をもらって自分は言いたいことを言い、できなかったら国のせいにすればいい。『増税も無駄の削減も国会議員がやれ』と、立派なことは言うけど泥はかぶらないという仕組みを何とかしないといけない」

 被災地の有権者に対して――

 安住淳民主党国会対策委員長「家、財産、家族がなくなった人は不満は持っているが、だからといって『全部国会議員が悪い』というのは感情的な話だ」

 もう一つの記事から重なる発言は除外して、発言の全体像を探ってみる。

 《民主党:安住国対委員長「首長は泥をかぶらない」》毎日jp/2011年7月30日 19時48分)

 安住淳民主党国会対策委員長「地元では『ハエが大きくなったのもお前のせいだ』と言われることもある。被災者のストレスが私に来て、私のストレスが首相に行く。みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」

 この発言を記事は安住が菅仮免の政権運営を批判してきた経緯がありながらの発言として紹介している。いわば菅に対する批判から「みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」の同情論に変わっているところを把えたということなのだろう。

 安住の菅批判は松本前復興担当大臣の辞任を巡って激しく噴き出している。

 《安住氏 菅首相の姿勢公然批判》NHK NEWS WEB/2011年/7月5日 18時18分)

 安住(松本前復興担当相の辞任について)「菅総理大臣の任命責任は当然ある。被災地から見れば情けない話であり、総理大臣みずからが被災者の方々におわびしないといけないのではないか。過酷な環境ですべてを失っている被災者に対して、こういう醜態は恥ずかしい」 

 安住(辞任についての説明が首相官邸から一切説明がなかったことを明らかにした上で)「国会を円満に運営する努力をしている国会対策のメンバーに対する配慮が全くない政権だ。これでは政権なんて崩壊する。率直に言って、とても求心力があるとは思えない」

 ついでにこの記事が伝えている渡部民主党最高顧問の発言も記載してみる。

 渡部最高顧問「松本大臣が辞めるのは当たり前の話だ。大臣でなくても、普通の人間の常識として許されない行動で、被災地の皆さんの心を逆なでしてしまった。ああいう人を大臣にした菅総理大臣に、いちばん重い責任がある。菅総理大臣には、国民のためにも、被災地のためにも、民主党のためにも、1分でも1秒でも早く辞めていただきたい」

 安住は「これでは政権なんて崩壊する。率直に言って、とても求心力があるとは思えない」と激しく批判したことを忘れたのか、「みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」と肩を持つまでに至っている。

 だが、首相は間違っていないとは言っていない。みんな悪くはないということは一部分を除いて悪いということの言い替えであろう。

 また、悪いと言うのは責任があるということの言い替えでもある。

 となると、被災自治体の県知事の立場との関係で、それが許されるかという問題になる。一国のリーダーである首相と県知事との立場は自ずと違う。立場が違えば、自ずと責任も違ってくる。立場の違いは権限の違いを対応させる。

 このことを厳格に把えて責任に言及しなければならない。

 ここでいう責任とは、自分が引き受けて行わなければならない任務・義務のことを言うはずである。断るまでもなく、政府が国として引き受けなければならない任務・義務と地方が引き受けなければならない任務・義務は自ずと異なる。権限が違うのだから、当然のことである。

 勿論、大震災の復旧・復興は国だけの問題ではなく、また地方だけの問題でもなく、地方の責任分も含めて全責任をすべて国に押し付けることはできない。当然、「みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」ということになり、国と地方の責任を明確に分けなければならない。

 また分けたとしても、国と地方の任務・義務は相互に影響し合う。あるいは責任は相互に影響し合う。

 その上で言うと、忘れてはならないことは日本は中央集権の国家体制にあるということである。カネも権限も国が大きく握っている。「asahi.com」記事が伝えている安住の「増税も無駄の削減も国会議員がやれ』と、立派なことは言うけど泥はかぶらないという仕組みを何とかしないといけない」は大きく言うと、国と地方の関係の見直しへの言及であろうが、現状は見直されていない中央集権体制の状況にある。

 決して国と地方が相互に自立した、自立しているという点で対等な関係に見直された国家体制にあるわけではない。国は地方を支配し、地方は国に支配された関係にある。

 対等ではない、カネも権限も国が大きく握っている中央集権体制である以上、国はこのことに応じた大きな責任、より大きな任務と義務を負うことになる。

 カネも権限も大きく握っていながら、主たる責任は地方が負ってくださいでは現在の国家体制に於ける国としての立場を忘れたあまりにも無責任な責任回避に相当する。国が国として引き受けなければならない任務・義務に相応しい責任を果たす厳しい姿勢を常に示さなければならないはずだ。

 今日のフジテレビ「新報道2001」に出演していた日産のカルロス・ゴーンが「必要なのは結果です」と言っていた。政治とて結果責任である。

 国と地方の立場の違いに応じた権限の違いが規定する責任の大きさ・責任の量を判断すると、そのことを無視しているゆえに自制心を失ったヒステリックなと言える安住の被災自治体批判、被災者批判は、その裏を返すと、国として負うべき責任(=任務・義務)としてある復旧・復興対応を菅政権が満足に機能させることができていない、満足に結果を出すことができていないことからの苛立ちが国と地方の立場の違い、権限の違い、責任の違いを忘れさせて国の責任を地方にも負わせよとすることで解消を図る、あるいは解消できると勘違いした心理からの批判に過ぎないと解釈できる。

 国としての復旧・復興対応が機能していたなら、少しぐらい地方が地方として負うべき責任を果たしていなくても、安住は苛立つことはなかったろう。

 簡単に言うと、自身の立場を忘れて、地方に八つ当たりしたに過ぎない。

 安住の地方の対応に対する批判は別にして、政府の対応が機能していないと把えている判断に反して菅仮免は7月29日の記者会見で記者の質問に答えて国としての責任を果たしているとしている。
 
 菅仮免「私はいつも、自分の内閣が今必要なことをしっかりとやれているか、あるいはやれていないかということは、私なりに注意深く見ているつもりであります。勿論色々な意見があることは承知をしております。

 しかし私はこの間、この大震災に対する対応、そして原発事故に対する対応について、内閣としてやるべき事、勿論100点とは申し上げませんが、私はやるべき事はしっかりと取り組んでいる。その早い遅いの見方はありますけれども、着実に復旧から復興に物事は進んでおりますし、先ほども申し上げましたように、原発事故の方も、当初は本当にどこまでこの原子炉そのものがコントロール可能になるかどうかという心配をした時期もありましたけれども、ステップ1がほぼ予定通り終了し、ステップ2に向かって今努力が始まっております。

 そういった意味で、私がやらなければならないことは、内閣が今やるべき仕事が出来ているかどうか、出来ていると私は思っておりますので、その事を通して国民の皆さんにご理解がいただけるものと、このように思っております」

 国が満足に責任を果たすには地方が国の責任に的確に応えて自らの責任をよりよく果たすことによって可能となる。地方が責任を果たさなければ、その障害は国にも及んでその責任行為の足を引っ張ることになる。

 国として責任は果たしていますとする菅のこの発言を事実とするなら、地方も国の責任に応えて自らの責任をそれなりに果たしていることになり、その事実を信じさえすれば、安住は何も苛立つこともないし、被災自治体の首長をあれこれ攻撃する必要性もないことになる。「みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」は何ら根拠のない全く以って見当違いの発言となる。

 世論調査の内閣支持率、早い時期に退陣すべきだ、指導力がない、責任を果たしていないといった国民の政府に対する評価・判断自体にしても菅仮免が描く責任履行の事実と鋭く対立することになる。

 だが、安住は菅仮免が描く責任履行の事実を信じていない。信じていないからこそ、地方批判の攻撃が口を突いて出た。被災地や国民の認識と菅仮免が自ら責任を果たしているとする認識との落差がつくり出してもいる、カネも権限も握っている国の立場として復旧・復興に負うべき責任の不履行でもあろう。

 自身が認識する事実ではなく、現実にある事実を事実として認識する判断能力を持っていたなら、政府として果たすべき責任、果たすべき任務・義務に不備・遅滞が生じていたなら、それを修正・手当する判断が働くものだが、現実にある事実を認識せずに自身が認識する事実に安住している間は修正・手当する判断は働きにくくなる。

 国としての立場上の責任不履行の出発点は全て菅仮免のこの歪んだ判断能力にあるはずだ。いわば安住は被災自治体の首長を批判するのではなく、菅自身の歪んだ判断能力を批判することから始めるべきだった。


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菅の「脱原発依存」とエネー・環境会議「原発依存度低減」矛盾しないはチョッピリとした花持たせ?

2011-07-30 10:46:14 | Weblog


 菅仮免が昨日(2011年7月29日)夜9時05分から記者会見を開いた。テレビはゴールデンタイムだし、NHKも「ニュースウオッチ9」を放送していて記者会見を生中継していなかった。菅仮免がテレビを通じて国民の目に触れる時間帯を意図的に避けたのかどうかは分からない。緊急でもない会見を夜の9時に行うのは異例ではないだろうか。

 記者会見の前に12時18分から1時間近く第2回エネルギー・環境会議を開いている。この会議の決定内容を受けた記者会見なのだから、夜9時05分からと言うのは時間が空き過ぎている。

 首相官邸HPがエネルギー・環境会議終了後、「本日の議論を踏まえ」という形で菅仮免の発言を伝えている。エネルギー・環境会議

 菅仮免 「今日のこの会議で、2つの重要な考え方を確認したところです。

 まず、省エネなど需要構造の改革等に力を入れる。供給構造の改革であらゆる主体の電気力供給への参加を促す。発送電の分離を含めた電力システムの改革を行う。原発の安全対策の徹底を目指すことが確認されました。

 次に、もう一つの大きな点は、中長期的な革新的エネルギー・環境戦略の中間的整理が提示されました。この中では、エネルギーの新たなベストミックスの実現のため、現行の考え方をある意味で見直して、原発依存度低減のシナリオを描く。原子力政策の徹底的検証を行い、新たな姿を追及する。新たなエネルギーシステムとして、分散型エネルギーシステムの実現を目指す。国民的議論の展開と原子力発電のコストや再生可能エネルギーの導入の可能性。客観的データの検証に基づいた戦略の検討を柱としてます。 

 さらに、こうした基本理念について、短期、今後3年間の対応。中期、2020年。長期、2020年から2030年、さらには、2050年を目指しての課題と工程表が中間整理の中で、将来しっかりしたものにしていく前提として提起されています。

 今日、正に政府としてこの革新的エネルギー・環境戦略の提起ができました。今後、さらに議論を重ね、1年位かけて最終的な絵にもっていくために中間的なとりまとめをベースにして、内閣として政府としての方向性を、この延長上に打ち出せるよう一層の努力を心からお願いしたい」――

 要するにエネルギーとしての原子力発電の把え方に関わる、少なくとも結論、議論の取りまとめに関しては、7月13日の菅仮免記者会見で述べた「脱原発依存」、あるいは、「原発がなくてもきちんとやっていける社会」の実現という将来的な全原発廃棄へと着地したわけではなく、「原発依存度低減のシナリオ」=減原発で決着を見たということである。

 いわば「脱原発依存」記者会見発言を自分で「個人の考えを述べたもの」と形容したよう「脱原発依存」、あるいは、「原発がなくてもきちんとやっていける社会」は政府の方針とすることが叶わず、「個人の考え」のままで終わった。わざわざ総理大臣記者会見と銘打って発言したことを考えると、大山鳴動してネズミ一匹といったことになる。

 個人的考えが取り入れられることなく無視されたにも関わらず、「正に政府としてこの革新的エネルギー・環境戦略の提起ができました」と、「革新的」だと言える神経はまさに菅のツラにショウベン、何も感じないでいられるらしい。

 そして夜の記者会見首相官邸HP/記者会見

 冒頭、二つの報告を行っている。復興本部に於ける復興基本方針の決定と最初に触れたエネルギー・環境会議でのエネルギー政策に関する決定。

 だが、復興基本方針は自身が盛んに宣伝していた「社会保障と税の一体改革」が消費税増税時期に関して原案の「2015年度までに10%へ段階的に引き上げる」を「2010年代半ば」と時期の曖昧化にすり返らざるを得なかったように財源を曖昧なままとする、いわゆる玉虫色決着で終わっている。

 エネルギー・環境会議でのエネルギー政策に関する決定に関しては、「これらの議論は3月11日、原発事故発生以来、様々な機会に私が申し上げてきたことでありますが」と前置きして、次のように発言している。

 菅仮免 「本日関係閣僚によるエネルギー・環境会議で、原子力を含めたエネルギー政策に関する重要な決定が行われました。具体的には、一つは当面のエネルギー需給安定策を取りまとめたものであります。そしてもう一つは、中長期的な革新的エネルギー・環境戦略として、原発への依存度を低減をさせて、そして、それに向けての工程表の策定や原発政策の徹底的検証などを行うことを決定をいたしました」

 報告の形の発言だから、当然、「原発への依存度を低減」と反復することになる。

 だが、「脱原発依存」ではなく、「原発への依存度を低減」=減原発であり、いわば一部原発維持となっているにも関わらず、「この2つの重要な決定が出来たことは、大変重要でもあると同時に喜ばしいことだと考えております」と諸手を上げてその成果を誇っている。

 但しどの程度の「低減」なのか、どの程度の「減原発」なのか、再生可能エネルギー等を含めた分散型エネルギーシステムのどの程度の導入なのかは将来的な課題へと先送りしている。

 当然、少し後から発言している「今後、原発に依存しない社会を目指し、計画的段階的に原発への依存度を下げていく、このことを政府としても進めてまいります」はさも自身の「脱原発依存」の個人的考えを政府の考えとして進めていくかのように聞こえるが、ここでの「原発に依存しない社会」は菅仮免が主張していた「脱原発依存」を指すのではなく、電力供給の主たる地位から外すことを意味することになる。

 「脱原発依存」から大きく外れているにも関わらず、「これらの議論は3月11日、原発事故発生以来、様々な機会に私が申し上げてきたことでありますが」と自己成果誇示を忘れないところもなかなかの神経である。

 冒頭発言の最後に次のように述べている。

 菅仮免 「本日夕方、中学生のグループが官邸に来られまして、震災復興にかかわる人達への激励の横断幕を頂きました。その中に、『政府の力を信じています』という言葉があり、胸に響いたところであります。私はこのような中学生あるいは多くの国民が政府に信頼を寄せて頑張るようにというその気持ちを大切にして、この大震災の復旧・復興、さらには原子力事故の収束に向けて、全力を挙げて責任を果たしてまいりたいと、このことを改めて決意したところであります。私からは以上です」

 世論調査を見る限り、国民の大多数は「政府の力を信じています」という状況とは正反対となっているし、「多くの国民が政府に信頼を寄せて頑張るように」という気持を持つどころか、逆にそういった気持を萎えさせている。

 客観的な判断能力を元々欠くから、自己都合な解釈しかできない。客観的な判断能力を欠き、自己都合な判断しかできない政治家はリーダーシップを備えようがない。

 記者との質疑応答に入り、二人の記者が菅仮免の「脱原発依存」と「原発依存度低減」(=減原発)の齟齬を追及した。

 田中毎日新聞記者「毎日新聞の田中です。まずエネルギー・環境会議の中間整理について伺います。ここでは原発への依存度を下げるというふうに記されておりますけれども、総理は先日の会見で原発がなくてもしっかりやっていける社会を目指すと仰っておりました。今回の中間整理では原発をゼロにして、脱原発を実現する方向性がはっきりは示されておりませんけれども、総理はご自身のお考えが十分反映されたとお考えでしょうか」

 菅仮免 「先ほども申し上げましたが、3月11日の原発事故発生以来私は2030年に53%を原子力発電所で賄うとされてきたエネルギー基本計画を白紙から見直す、こういう方針を立て、内閣の中でも議論を既に始めておりました。また原子力安全・保安院について経済産業省に属することは問題であると、新たな問題も次々と出ておりますけれども、そのことをIAEAに対する政府としての報告でも申し上げ、この独立の方向も議論を致してまいりました。

 こういった議論の方向性と私がこの間申し上げてきたことは、方向性としては決して矛盾するものではありません。そして今回のエネルギー・環境会議においてはこうした私の指摘、あるいはこれまで政府が既に議論を始めていることなどをトータルでまとめて議論の場に乗せて革新的エネルギー環境戦略、そういう形で議論をスタートをし、そして今回中間的な取りまとめを決定を致したところであります。

 そういった意味で私は今回のこのエネルギー・環境会議の中間的整理、取りまとめというのは私がこの間申し上げてきたことあるいは政府として既に取り組んでいることの、いわばこの時点における集大成を関係閣僚の下で議論をし、決定をされたと」――

 3月11日の原発事故発生以来エネルギー基本計画を白紙から見直す等、内閣の中で行ってきた「議論の方向性と私がこの間申し上げてきたことは、方向性としては決して矛盾するものでは」ないし、エネルギー・環境会議の中間的整理、取りまとめに関しても、「私がこの間申し上げてきたこと」と「政府として既に取り組んでいること」を「集大成」として議論し、決定したもので、「脱原発依存」と「原発依存度低減」(=減原発)とは方向性は何ら矛盾しないと言っている。

 だが、「原発依存度低減」(=減原発)だと議論を纏めている以上、実態は「内閣」の「議論の方向性」が取上げられ、菅仮免の「脱原発依存」は一切取上げられなかったということであろう。こじつけと誤魔化しを展開しているに過ぎない。

 穴井読売新聞記者「読売新聞の穴井です。先ほどは、先日の会見と今日決まったエネルギー・環境会議の中間報告に矛盾はないとおっしゃいましたけれども、最終的な姿として原発をなくす、ゼロにするということと、依存度を抑えて活用するということについては決定的な違いがあると思います。その点はどうお考えなのか。それが具体的に、例えば新規の原発を造るのかどうかとか、あるいは海外に対する原発の輸出にどう臨むかということにも関わってくると思うのですが、この辺はどうお考えでしょうか」

 菅仮免 「この中間的な整理というものをよくお読みをいただくと、いろいろな可能性について、現在ここまでは、ほぼ、なんといいましょうか、方針として打ち出せるというものと、それからこれから先はさらなる議論が必要なものという形になっております。短期、中期、長期に分けて工程表が、6つの基本的な理念についても出されております。そういう中での議論をしていくということと、私が申し上げてきたことには矛盾はないと、こう思っております」――

 「原発依存度低減」(=減原発)は現在打ち出すことができる方針であって、「脱原発依存」はこれから先「議論が必要」という位置づけになっているとして、決して斥けられてはいないとしている。

 だが、「脱原発依存」と「原発依存度低減」(=減原発)とは方向性は何ら矛盾しないと言っている以上、「議論」は「脱原発依存」決定を予定調和としていなければ、矛盾は払拭できない。

 決定を予定調和とした「議論」であるなら、「脱原発依存」の言葉が決定事項としてエネルギー・環境会議でも記者会見でも出てこなければ、新たな矛盾を示すことになる。

 「議論の方向性と私がこの間申し上げてきたことは、方向性としては決して矛盾するものではありません」といった発言、あるいは「私がこの間申し上げてきたことあるいは政府として既に取り組んでいることの、いわばこの時点における集大成を関係閣僚の下で議論をし、決定をされたと」といった発言が内閣の結論と方向性が矛盾していながら、それが放置状態にあるのは首相という立場にあることからの、チョッピリ花を持たせる意味からの無視といったところに違いない。

 要するに辞任する相手である、誰も真剣に相手にされていないということなのだろう。相手にされていたなら、「脱原発依存」は7月13日の記者会見以来、何らかの形で取上げられ、昨日のエネルギー・環境会議でも取上げられたろう。


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気象庁の観測データーに機械的に従う予測ではなく、「危機管理」の思想に基づく新しい津浪予測

2011-07-29 10:09:58 | Weblog



 気象庁は東日本大震災時の津浪警報の反省を踏まえて、新方式の津波警報に切り替える。《“想定しうる最大規模警報を”》NHK NEWS WEB/2011年7月27日 19時18分)

 従来の警報方法は地震計に従って地震規模を推定し、津波の高さを予想、警報を出す。だが、3・11の場合は地震の規模をマグニチュード7.9と推定、地震発生から3分後に予想津浪高を宮城県「6メートル」、岩手県と福島県「3メートル」と見て津波警報を出した。

 その後、沖合観測の津波高を参考に予想到達津浪高を段階的に「10メートル以上」に引き上げたが、停電等の影響で最初の警報しか伝わらなかったケースが多く存在した。

 当然、住居を内陸部に構えていて、海岸からの距離に応じて6メートル程度なら、あるいは3メートル程度なら、ここまで到達しないだろうと判断し、逃げ遅れた犠牲者が多数出たはずだ。

 新方式は地震発生から3分程度で津浪警報を発表する迅速性は今後も確保する。停電等によるあとからの二次情報、三次情報が伝わらない可能性をクリアするためにマグニチュード8を超える巨大地震の場合は地震規模に応じて想定し得る最大規模の警報を発表する。

 要するに地震規模が大きい場合、何よりも住民に避難行動を選択させるということであろう。取り敢えず避難を促しておいて、より時間をかけることで得ることができるより正確な観測データに基づいて最大規模の警報以下の津浪データーである場合は警報内容をデーターの水準に切り下げる。

 この方法は最大規模の危機を常に想定して、想定と対応させて準備しておいた考え得る最大限の有効な防御方法を的確、合理的に駆使し、危機を最小限に抑える危機管理の思想に則った、気象庁の新方式の津浪予想方法と言える。

 いわばこれまでの方法は危機管理の思想に則っていなかった。器機が観測データーとして示す数値を機械的に忠実に読み取って、その数値から予測し得る範囲内の津浪を予想してきた。

 そして最終的な正確なデータは時間を置いてから、あるいは日を置いてから、つまり被害が既に発生してから判明する、遅きに逸した情報提供と言うことになった。

 次ぎの記事が津浪警報の伝達状況を伝えている。《震災避難者の7割近く、津波警報の更新知らず》YOMIURI ONLINE/2011年7月27日19時29分)

 内閣府などの調査だそうで、岩手、宮城両県の避難者の7割近くが最初の予測しか見聞きせず、その後「高さ10メートル以上」に引き上げられたのを知らなかったという。 

 当然のことだが、この7割近くというのは生存避難者の7割近くであって、避難死者の殆んどは10割近く知らなかった可能性が考えることができることからすると、全体で8割、9割が知らなかった可能性が生じる。

 調査対象は避難所や仮設住宅の住民(岩手391人、宮城385人)。

 地震発生3分後に出された最初の津波高警報は「岩手3メートル」、「宮城6メートル」。

 更新された情報を知らなかったとの回答者。

 岩手――63%
 宮城――74%

 「予測の高さなら、避難しなくても大丈夫」と判断した割合。

 岩手――10%
 宮城―― 3%

 より内陸に位置していたか、予測津波高よりも高い防潮堤に守られていたかどちらかであろう。そしてこの割合も生存避難者の割合であって、これを避難死者にそのまま当てはめることはできない。

 上記「NHK NEWS WEB」記事に戻るが、最初に発表する津波高予想は具体的に発表するかどうかは結論は示さなかったという。理由をそれぞれが発言している。

 専門家委員「具体的な数字より、『巨大津波が到達する』などと、住民が逃げようと判断できるような表現にすべきだ」

 専門家委員「住民向けや自治体の防災担当者向けなど、受け取る人によって情報の内容を分けてはどうか」

 永井章気象庁地震津波監視課長「重大な事態を正しく伝え、住民に逃げてもらうための警報にすることが大事で、今後、避難を呼びかけるための表現の工夫などをさらに検討していきたい」

 自覚しているかどうかしらないが、危機管理の思想に則った津浪予想の新方式への切り替えということはあくまでも最初の観測データーから予測したよりも高い津波が襲った場合に備えた危機管理であって、この備えに関して一般住民も自治体の防災担当者の区別はないわけで、住民に1分1秒を争う緊急を要する避難行動を選択させる危機管理からの津浪予想である以上、自治体の防災担当者も広報無線等による避難指示後は同じ行動を取らせるべきだろう。

 分けた情報を鵜呑みにして自分たちは大丈夫だと安心しているところへ最初の予報よりも高い津波が襲ってきた場合、逃げ遅れる危機管理の失態を招かない保証はない。

 先ず避難、津波が収まってから、救助なり自治体としての対応を取る。死ななくても済む人命を犠牲にしたのでは危機管理にならない。

 また実際の津波高が初期の観測データを以てしても気象庁の職員にも分からない時点での住民に避難行動を緊急的に選択させる危機管理からの予想であるなら、マグニチュード8といった地震規模に応じて「15メートルクラスの津浪が予想されます」と数値を出して高めに設定した方が危機管理としての役目を的確に果たすことができ、住民に避難行動を取らせやすくする。

 そのためには地震発生直後には正確な津波高は予測できない、高い津波が襲ってくる場合もあり、低い津浪の場合もあるが、高かった場合に備えた危機管理からの予想され得る最大規模の津波高予報だと前以て周知徹底させる必要がある。

 あくまでも危機管理の思想に則るという自覚を持つべきであり、こういった危機管理を機能させる観点からの気象庁の対応とすべきで、また機能させてこそ、人命の犠牲を可能な限り抑えることができるはずだ。

 参考までに上記「NHK NEWS WEB」記事を全文参考引用。 

 《“想定しうる最大規模警報を”》NHK NEWS WEB/2011年7月27日 19時18分)

ことし3月の巨大地震の直後に、気象庁が発表した大津波警報で、津波の高さの予想が実際を大きく下回っていた問題を受けて、気象庁は、巨大地震が起きた場合には想定しうる最大規模の警報を発表し、より正確な規模が分かった段階で適切な水準に切り下げるという考え方を初めて示しました。

3月の巨大地震の直後、気象庁は、地震の規模をマグニチュード7.9と推定して大津波警報を出し、予想される津波の高さを宮城県で「6メートル」、岩手県と福島県で「3メートル」と発表していました。その後、沖合で観測された津波の高さを参考に、高さの予想を段階的に「10メートル以上」に引き上げましたが、停電などの影響で最初の警報しか伝わらなかった人も数多くいました。気象庁は27日、津波警報の改善策を探るために設けた勉強会の2回目の会合で、今後の警報のあり方について初めて基本方針を示しました。それによりますと、地震発生から3分程度で警報を発表するという迅速性は今後も確保しながら、あとからの情報が伝わらない可能性があることを考慮するとしています。そして、今回のようにマグニチュード8を超える巨大地震の場合、地震や津波の規模が小さく見積もられるおそれがあるため、想定される最大の地震に基づいて最大規模の警報を発表するとしています。そのうえで、観測データなどからより正確な規模がわかり次第、警報の内容を適切な水準に切り下げるとしています。一方で、最初に発表する警報で、津波の高さの予想を具体的に発表するかどうかは結論を示しませんでした。これについて出席した専門家の委員からは「具体的な数字より、『巨大津波が到達する』などと、住民が逃げようと判断できるような表現にすべきだ」という意見や、「住民向けや自治体の防災担当者向けなど、受け取る人によって情報の内容を分けてはどうか」などといった意見が出されました。気象庁の永井章地震津波監視課長は「重大な事態を正しく伝え、住民に逃げてもらうための警報にすることが大事で、今後、避難を呼びかけるための表現の工夫などをさらに検討していきたい」と話しています。気象庁は、9月初めごろに3回目の会合を開く予定で、地震や津波の対策を検討している国の専門調査会の議論も踏まえて、この秋までに警報の改善策の最終報告をまとめることにしています。

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子供手当を「社会全体で子どもを育てる」理念から学歴格差縮小への意味づけの変更も一つの手

2011-07-28 10:30:49 | Weblog


 
 民主党が目玉政策として2009年衆議院選挙マニフェストに掲げた「子ども手当」が今になって始まったわけではないが、迷走を続けている。子どもを社会全体で育てるという理念の元、所得制限なしで中学生以下の子ども1人当たり月26000円支給する政策内容だったが、財源不足から2010年度は13000円。この金額を2011年度以降引き継ぐとしたが、自公がバラマキだと反対。所得制限を設けて、支給額を減じるべきだと主張。

 民主党は赤字国債発行法案のねじれ国会下での通過が子ども手当等の政策の見直しを条件としている自公の協力を欠かすことができないために先ず子ども手当の見直しに舵を切ることになった。

 7月15日になって民主党は次ぎの案を自公に提示した。

(1)所得制限の下限を1800万円とし、実際に制限を行うかの判断は各市町村に任せる
(2)高額所得者の手当を基準額より減額して支給する(「asahi.com」

 だが、自公は「所得の低い世帯に重点配分することにならず、2兆7000億円という総額も賛同できない」(NHK NEWS WEB)と受入れ拒否。

 7月21日になって岡田幹事長が記者会見で、「マニフェストを作成する際に政策の必要性や実現の見通しの検証が不十分なところがあった。その見通しの甘さを国民に率直におわび申し上げたい。各党には、こうした考え方を理解してもらい、赤字国債発行法案の成立に向けて協力してもらえればありがたい」(NHK NEWS WEB)とマニフェストの見直しと見直しに併せて赤字国債発行法案の成立を交換条件とする考えを表明。

 この表明に各閣僚が岡田幹事長の考えに追随する発言を行い、菅仮免も「本質的な方向は間違っていないが財源問題で見通しが甘い部分があった。不十分な点は国民に申し訳ないとおわびしたい」(asahi.com)と同調・追認し、政権担当の正当性を失うことには触れず、鈍感だから気づかないのか分からないが、公約不履行を陳謝。

 岡田幹事長マニフェスト見直し発言の翌22日に民主党は先に出していた所得制限年収1800万円を800万円値切って、年収1000万円とし、1000万円以上の世帯に対しては支給額を月13000円から4000円値切って9000円とする新たな所得制限案を提示。

 大分ケチ臭くなってきた。

 これもあれもすべて菅仮免が参院選大敗を「天の配剤」(=天が与えたチャンス)だとしたにも関わらず、このことに反して逆説に満ちた、与党民主党にとっては防戦一方の野党との攻防といったところなのだろう。

 だが、この1000万円所得制限案の受入れにも自公は難色。「天の配剤」として落ち着くまでには至らなかった。

 石原自民党幹事長「年収が手取りで1000万円以上という世帯はかなり少ないのも事実で、所得制限を現実的な数字に下げていくべきだ。公明党が示した年収860万円というのが落としどころとして良い数字なのではないか」(NHK NEWS WEB

 そして、7月27日の3党の実務者協議。所得制限の対象をバナナの叩き売りよろしくさらに140万円値切って「主たる生計者の年収が手取りで860万円以上」(NHK NEWS WEB)に引き下げる案を新たに提示。

 その上で、〈所得制限の対象となる世帯にも何らかの配慮が必要だとして、年末調整で税金を一定額、還付するか、手当を減額して支給するかのいずれかの措置を講じる方向で調整を進めたい〉(同NHK NEWS WEB)と、あくまでも社会全体で子どもを育てるとする理念に拘ったようだ。

 対して自公が実務者レベルでのすり合わせを終了させるべきだとしたため、3党の幹事長か政策責任者のレベルに引き上げた協議への移行と相成った。

 主たる一致点は「asahi.com」によると、

 所得制限を受けない世帯への支給額

 ▽0~3歳未満に1万5千円
 ▽3~12歳の第1、2子に各1万円、第3子以降に1万5千円
 ▽中学生に1万円とする

 但し自民党内から、「手取りで860万円というのは額面で1150万円以上年収があることになり高すぎる。所得制限の対象世帯への手当ての一律支給は認められない」との異論が出ているという。

 与野党でなかなか纏まらず、民主党内でも纏まらず、自民党内でも纏まらない。参院選大敗が「天の配剤」と言う程にまったく機能していないことにやはり菅のツラにショウベンで、痛くも痒くも感じないのだろうか。感じない図太い神経の持主だからこそ、居座りを決め込むことができているのだろう。

 民主党は所得制限をかけても、かけた世帯に減額して一律支給するか税の一定額還付する考えに拘っている。だったら自らマニフェストを見直しして政権担当の正当性を投げ打つよりも、赤字国債発行法案不成立の時点で解散を断行、改めてマニフェストの正当性を問うべきだが、解散を断行して選挙を戦う力がないというなら、菅仮免が民主党が野党時代の1998年に当時の与党に民主党提案の金融再生法を丸呑みさせた例を挙げてねじれ国会乗り切りの有効な手段だとしたように野党自公案の丸呑み以外に解決の方策はないのではないのか。

 「天の配剤」とは丸呑みのことを言うということである。

 とにかく菅仮免が言い出したねじれ国会乗り切りの「丸呑み」アイディアなのだから、所得制限をかけた世帯には一円も支給しないとする自公案であったなら、その丸呑みとなる。

 所得格差が学歴格差を生み、学歴格差が所得格差を生む親から子への社会的循環が実態として出来上がっている。この社会的循環が大きく影響している若者世代の低所得層の増加であり、低所得(=経済力の低さ)ゆえの未婚率の高さとなって現れているはずである。

 「社会全体で子どもを育てる」理念の実現が立ち行かないということなら、一定の所得以上の世帯の子ども手当を切って、その分を低所得層に手厚く配分するのも学歴格差の解消とまでいかなくても、格差の縮小を図る一つの手になるかもしれない。

 「社会全体で子どもを育てる」から、学歴格差縮小の子ども手当だと意味づけを変えるということである。


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菅仮免のIAEA事務局長会談での「国民的な議論」の必要性発言は「脱原発依存」のトーンダウン?

2011-07-27 08:14:55 | Weblog



 こんな男を首相官邸に住まわせておくこと自体が取り返しもつかなく刻々と積み上がっていく税金のムダ遣いだということを国民は知るべきだが、首相であることが単なる形式と化している菅仮免を訪日中のIAEA(国際原子力機関)の天野事務局長が昨日(2011年7月26日)、首相官邸を訪れて会談した。

 《首相 IAEA事務局長と会談》NHK NEWS WEB/2011年7月26日 14時59分)

 天野事務局長(7月25日に東電福島第一原発を視察したことを説明した上で)「IAEAには放射性物質の除染や、溶けた炉心、使用済み燃料の取り扱いについて知識と経験があり、日本への協力が可能だ」

 菅仮免「福島第一原発の事故については、収束に向けた工程表のステップ1が終了し、ステップ2に向かっているところだ。IAEAとも十分に協力していきたい」

 菅仮免(原発に依存しない社会の実現を目指す考えを打ち出したことに関連して)「福島第一原発の事故を受けて、幅広い観点から国民的な議論をしていく必要があるのではないかという気持ちを持っている」

 天野事務局長(会談後記者団に)「多くの国は、地球温暖化対策などで原発は必要だという考えを持っていて、今後、世界中で原発が増えていくことは間違いない。安全な原発を建設することが原子力の安全利用に資することだと思う」

 7月13日の「脱原発依存」記者会見では国会の立場からの議論、内閣の立場からの議論、与党の立場からの議論に関しては言及している。しかし「国民的な議論」の必要性は一言も言及していない。

 記者会見では冒頭次のように発言している。

 菅仮免(福島原発事故を受けて)「私としてはこれからの日本の原子力政策として、原発に依存しない社会を目指すべきと考えるに至りました。つまり計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく。これがこれから我が国が目指すべき方向だと、このように考えるに至りました」

 そのためには2030年には原子力による発電の比率を53%に高めるとしたエネルギー基本計画を白紙撤回するとした。

 国家のエネルギー政策の「脱原発」に向けた大転換の宣言である。

 このように記者会見は国家の立場から述べた「脱原発依存」宣言だったが、何ら内閣とも与党とも議論を持たない、それゆえに全体的な結論を得たわけでもない国家の立場から述べた個人的発言という矛盾した倒錯性が批判されることになったが、この矛盾に菅仮免はめげなかった。

 2011年7月21日の参院予算委員会での菅仮免の国会答弁。

 エネルギー基本計画は白紙から見直すということで既に内閣の中で議論を始めている、安全規制行政の見直しに関する検討も閣内で行っている、当面の電力需要の見直し等に関しても経産大臣、国家戦略担当大臣が精査している、原子力政策についても色々議論が進んでいる。そういった中で7月13日の「脱原発依存」記者会見は「私としての考え方を申し上げたもので、決して、政府の考え方、あるいは内閣の考え方と私が申し上げたことと矛盾するものではないと考えております」

 いわば個人の考えとして述べたが、政府の考え方、内閣の考え方と方向性は一致しているから公式的な主張と何ら変わりはないと記者会見の発言を正当化している。

 そして天野IAEA事務局長と会談して、「脱原発依存」は幅広い国民的議論が必要だと発言。

 結論はまだ出ていないとしたのである。結論は国民的議論を経た上で出されるべきだとの謂いであろう。

 「国民的議論」とは各階層からの幅広い議論のことを言うはずである。原発をどうするか、国家のエネルギー政策はどうするか、結論は国民の議論に委ねることを言ったのである。

 勿論、一般国民も参加した形の議論だが、各界の専門家が議論をリードすることになるだろうから、原発維持の結論も否定できない。脱原発の結論だとしても、国家経済を毀損しない方向の脱原発だとしたら、脱原発までの到達はより時間がかかることになることも予想される。

 だが、どのような結論に至ろうとも、記者会見は将来的な国のエネルギー政策に関して個人の考えをさも国の政策としてそのように進めていくかのように述べるのではなく、国民的議論の必要性を訴える内容でなければならなかった。

 と同時に7月13日の記者会見の「脱原発依存」発言から国会での菅本人の考えと政府の考えの方向性一致の発言を経て、天野IAEA事務局長との会談での「国民的議論」の必要性発言に至る経緯は、結論は国民的議論が必要だとしている以上、最初の「脱原発依存」発言のトーンダウンの軌跡を描いているはずだ。

 脱原発の国民世論が高いことから、国民世論を味方につけるための「国民的議論」の必要性だったとしても、既に触れたように議論のリードのされ方次第で菅個人の思惑や世論に反する結末も考え得るし、一旦示した方向性を撤回して結論を今後とした以上、本質的にはトーンダウンであることを免れることはできないはずである。


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菅仮免は国民の安全と安心が目的のストレステストであっても、他に混乱を招くのは統治能力欠如の証明

2011-07-26 11:49:50 | Weblog



 記事題名を《菅仮免は国民の安全と安心が目的のストレステストであっても、他に混乱を招くのは統治能力欠如の証明》とした。

 勿論、国民の安心・安全獲得の反動として招く可能性を計算した上での確信犯的な混乱は許されもするが、計算しないまま招いた混乱は統治能力欠如の証明そのものであるはずである。

 7月25日(2011年)午前参院予算委員会。福岡資麿(たかまろ)自民党議員が玄海原発の再稼動騒動の経緯について菅仮免を追及した。

 その前に海江田経産相の、いわゆる「原発安全宣言」から菅仮免がストレステストを持ち出した国会答弁までを時系列で辿ってみる。

 2011年6月18日 

 海江田経済産業大臣談話・声明

 原子力発電所の再起動について
    
 1.原子力は、化石エネルギー、再生エネルギー、省エネルギーと並んで我が国の未来のエネルギーを担う重要な4つの柱の一つであり、国が安全性も含め責任を持って取り組んでいく。

 2.そのためには、東京電力福島第一原子力発電所の事故について、その実態を明らかにするとともに、受け取るべき教訓を汲み取って原子力安全対策の全体像を示し、それらを実行に移すことが不可欠である。

 3.これまで経済産業省は、各電気事業者に対し、津波による全交流電源等喪失を想定した緊急安全対策の実施を3月30日に指示し、この着実な実施により、炉心損傷等の発生防止に必要な安全性を確保していることを確認した。これにより、原子力発電所の運転継続及び再起動は安全上支障がないと考えている。なお、中部電力浜岡原子力発電所については、想定東海地震とそれに伴う大規模な津波襲来の切迫性という特別な状況を踏まえ、「一層の安心」を確保するため、例外として、運転停止を求めたものである。

 4.今般、万一シビアアクシデントが発生した場合の対応をより迅速・的確なものとする観点から、水素爆発防止対策等の直ちに措置すべき事項について、6月7日にその実施を指示し、14日に各電力会社から報告が提出された。これを踏まえ、現地での立入検査等により厳格に評価した結果、措置は適切に実施されていることを確認した。

 5.これらの原子力発電所の安全性については、本日発表したシビアアクシデントへの対応に関する措置についての確認結果も含め、立地地域及び国民の皆様に丁寧に説明し、理解と協力を得たいと考えている。

 6.その上で、地域住民の皆様、国民の皆様に併せて理解いただきたいことは、電力制約が、我が国経済の成長にとって最大の課題であるということである。電力供給への不安と、火力発電で代替することによるコストの上昇は、国内投資の抑制や海外移転につながり、産業の空洞化を招きかねない。

 7.今夏の電力需給については、仮に定期検査等で停止している原子力発電所が再起動できない場合、西地域の5社から東京電力及び中部電力への融通ができなくなるだけでなく、西日本の電力需給も逼迫することが避けられない。生産等の西日本シフトも見られる中、西日本も含めた電力需給の安定は、震災からの復興と日本経済の再生のために不可欠である。

 8.したがって、我が国経済の今後の発展のためにも、原子力発電所の再起動を是非お願いしたい。必要があれば、私自身が立地地域に伺って、直接御説明とお願いを申し上げたい。

 2011年6月19日 政府インターネットテレビ

 菅仮免「きちんと安全性が、確認されたものはですね、順次、イー、稼動を、おー…して、えー、いこうじゃないか。あるいはいただきたいと。まあ、そういう趣旨のことを、あの、経産大臣が、あのー、おー、言われたわけであります。

 ですから、私も、そこはまったく同じですね」――

 要するに経産省の原子力発電所の運転継続及び再起動に対する安全性確認方法を、「それでよし」と追認している。

 2011年6月29日

 海江田経産相、佐賀県に玄海原発再稼動を要請。

 2011年7月4日

 岸本英雄玄海町長、玄海原発再稼動受入れ表明。

 2011年7月6日 衆院予算委員会

 菅首相、国会答弁で初めてストレステストに言及。その日の内に全国の原発に対するストレステストの実施を表明。

 では、福岡自民党議員の追及。
 
 福岡議員「自民党の福岡資麿です。玄海原子力がある佐賀県の選出であります。えー、6月29日海江田大臣、あの、佐賀を訪問をされ、再起動をお願いされました。その海江田大臣の言葉を信じて、岸本町長は7月4日に再稼動を発表をされました。の了承を発表されました。

 しかし突然のストレステストの実施の発表をされたため、当然この判断撤回されまして、岸本町長は私をバカにしているのかとまで、発言をされています。

 私も存じ上げておりますが、岸本さん、本当に温厚な方なんですね。で、この方が、これだけの発言をされたということは、余程のことなんです。佐賀県民も振りまわされたことに怒り心頭です。総理、佐賀県民にお詫びすべきでありませんか」

 菅仮免「私はこの問題はですね、二つに分けて、きちんと議論をしなければならないと思っています。確かに色んな、あー、いわゆるストレステストというものを参考にして、えー、きちんとしたルールを、つくるようにという、指摘が、あのー、指示が遅くなったことでですね、えー、佐賀県の、おー、町長の初め、みなさんにご迷惑をかけたことについては、率直にお詫びを申したいと思います。

 シー、しかし、イー、いわゆる、原子力、安全・保安院だけが、あー、こうした問題をー、判断するというですね、えー、これまでの法律がそうであるから、それでいいということになるかと言えば、私は、それはなかなか国民的な理解は得られないだろうと、そういうことでご承知のように、えー、統一した、方向性が出され、私も、ショー、おー、了解し、その上で現在ですね、既に原子力安、えー、安全委員会も関与する形で、いわゆる、ウー、一次評価、二次評価、という考え方が出され、えー、それも了解をし、いよいよこういう考え方で、えー、いわゆるストレステストを行うんだということを、実際にも説明し、そして事業者から、それを報告を受けると。

 そうした報告が出たときには、同じく、えー、保安院と原子力安全委員会も関与する中で、えー、確認をすると、そういう専門家が、複数の専門家が関与すると同時に、公開されますので、色々な中身が、ある意味ではそれら以外の方からも、色んな意見が出されるでしょう。

 そういうことを踏まえて、そして自治体の、オ、地元のみなさんの意向も踏まえ、最終的には、あー、4大臣で、私も含めて、えー、政治的な判断をし、法律的には、あー、今の法律に基づく、うー、形で、経産大臣の最終的な、あー、決定ということになると。

 そういう意味ではこの間の、こうしたしトレステストを実施するということについて、私は御党を含めて、基本的には賛成いただいていると思いますので、内容的な問題と段取りの問題、段取りについては、お詫びを申し上げなければならないということはありますけれども、(声を強めて)内容的には私はこれは、多くの国民が望んでいることだと、そのように思っています」

 福岡議員「あの、長い答弁の中でですね、お詫びでは、もー、前段のほんのちょっとだけなんですね。えー、私、本当に、ハレ、腹立たしく思うのは、これまでの答弁、ずっと議事録を精査しました。

 『多少の不十分さはあった』とか、『若干の遅れがあった』とか、『やや物事の段取りとしては遅かった』。言葉の端々から重く受け止めていないというのは明らかなんです。

 海江田さん、ちょっとお伺いさせていただきますが、岸本町長、もう苦渋の決断でですね、悩みに悩んだ末に出された決断なんです。ただ、この菅さんの、『若干のやや』、こういう岸本さんの発言というのはあなたの言う鴻毛のような発言だったんですか」

 海江田経産相「えー、福岡委員にお答えいたします。あのー、ま、私も、おー、玄海の町長、岸本さんとは何度かお目にかかりました。あの、私が直接、シー、あの玄海に出向いて述べたのは1回でございましたけども、ま、そこで本当にずっと、あのー、経産、省に来ていただいたことも何度かございましたが、そういう、岸本さん自身と、何回か、そういう話をする中で、えー、本当に岸本さんが、あー、この問題では本当に心を痛めていたということは、私もよく承知をしておりましたので、その意味では本当に、ま、今回こういうことになって、あのー、お手紙を書こうかと思いましたけれども、その、シ、電話で、あのー、話を、本当に申し訳ありませんでしたということを、シー、お話をしましたら、ただ、ま、これだけで、あのー、済むことではありませんので、いずれ、機会を見て、また直接、うー、お目にかかって、お詫びを申し上げようと思っております。

 ま、大変、あの、苦渋の選択であったということは何回かのお話の遣り取りの中で、え、理解をしております」

 福岡議員「岸本町長にお聞きしたらですね、えー、海江田大臣から本当に申し訳ないと、いう気持の、誠意が伝わる電話を頂いたという話がありました。一方で総理からは、岸本町長並びに佐賀県知事に対しても、何の一言もないと、いうようなことであります。

 え、今回ストレステストの導入を、時期を遅れたり、時期を決断したのは総理ではないですか。なぜ自分から、直接謝罪を申し上げないんですか」

 菅仮免「シー、えー、先程も申し上げましたが、あ、私はこの問題は、確かに、あのー、私の指示が遅れたことで、えー、関係者のみなさんに色々とご迷惑をかけたことは、本当に申し訳なく思っております。

 しかし、イー、国民の安全と安心に、かか――」

 委員長「答弁が聞こえません。こう少しお静かにお願いします」

 菅仮免「国民の安全と安心に関わることでありますので、えー、えー、例えば、あー、この、おー、経産省に属する、保安院だけがですね、一定の基準を進めて、一定の、オ、判断をするという遣り方は、あのー、国民の、みなさんがですね、理解は、十分されないと思っておりますので、そこは若干、遅れて申し訳ないところがありましたけれども、オ、やはり、イー、本来、国民のみなさんに、納得して、えー、いただけるような新しいルールをつくって欲しいということで、関係大臣に指示をして、きちんとした、ルールができて(拳でテーブルを何度か突き)、色々、ロン、色々本格的に、まさに、イー、この検証が始まるわけですから、私は大きい意味では、前進したと思っております。

 えー、機会があれば、あー、知事、知事とはまだお目にかかっておりません。町長とはまだお目にかかっておりません。えー、機会があれば、あー…、直接お会いして、そういう段取りについて、えー、大変申し訳なかったことについては、お詫び申し上げたいと思いますが、ストレステストを導入したことが私は誤っているとは思いません」

 福岡議員「あのー、私も、あの、古川知事もですね、ストレステストはやることはいいことだと言ってるんです。だったら、その、海江田大臣が6月29日に頭を下げる前にそれを決めるのが筋なんですよ。

 その後に決めて、振りまわしたことに対して、しっかりとしたお詫びが、誠意が感じられない、このことを指摘させていただきたいと思います。

 で、8月9日に、総理、長崎に行かれるということを承っております。是非隣の佐賀県にも足を運んで、玄海町長、古川知事に謝罪されたら如何ですか」

 菅仮免「あのー、おー、検討して、エ、見たいと思います」

 福岡議員「ハイ、ちょっと伺いたいんですが、えー、6月29日、えー、海江田大臣が佐賀に来られるときに、えー、昨日、その前日に、総理に話をして、佐賀に伺うことについて、話をしていると、いうようなことを言われています。その際、菅総理は海江田大臣に電話で何というふうにおっしゃいましたか」

 菅仮免「えー、翌日、ウー、佐賀に、イ、行きますという報告を受けまして、ご苦労様ですという、多分、そういう趣旨の事を申し上げたと思います」

 福岡議員「えー、佐賀に行く趣旨というのは、え、ゲン、玄海原子力発電所の、再稼動を、要請されるために行かれる、ということを当然ご承知だったわけですね」

 菅仮免「私として、どういうルールで、どうするといったような、具体的な報告は、あの、いただいては、おりませんでした。ただ行かれるという以上は、この問題について、あのー、行かれる、ということについては認識をしておりました」

 福岡議員「あの、分かり辛いので、もう一度聞きます。えー、再稼動を要請されに佐賀に来られるということは承知されていたわけですね」

 菅仮免「今申し上げたように、再稼動についてどういうルールでどういうふうに進めていくかという具体的な説明は、それまで、あのー、特に、えー、役所からも、いただいておりませんでした。

 ですから、この課題で、えー、例えば現地のみなさんとお話をされるだろうということは、分かっておりました」

 福岡議員「えー、その遣り取りについて海江田大臣、少し詳細に語っていただきませんか」

 海江田経産相「まあ、私――」(ヤジ)

 委員長「質疑をいたしますので、えー、質疑、答弁が聞こえません。大きな声は慎んでください」

 海江田経産相「まあ、私は、あのー、まあ、6月10日の、おー、閣僚懇談会から、数次に亘ってお話をしておりましたので、その意味ではご理解をいただいているものと、思って、えー、おりました。

 先ず、先ず、定期検査の中のもので、安全が確認されたものは、再起動するということ。そしてその、シー、第一番目と申しますか、そして、あの、実際に私が行って、え、そして、安全性を改めて確認をして、そしてですね、現地に行ってですね、地元の方々にお会いをしてということは何度も、えー、えー、会見などでもお話をしました。

 そしてその中で、えー、最初が、エー、玄海に、イー、なると、言うことは、私なりに、ご理解をいただいているもんだと思いましたが、あー、まあ、総理は、どういうお考えになっていたかということは、今、この国会でお話になったとおりだろうと思っています」

 「それでいいのか」のヤジ。

 福岡議員「海江田大臣ですね、佐賀県で記者会見されたときも、えー、佐賀県知事に再稼動を、お願いをしに来ることは、昨日電話でその旨をお話して、えー、総理からしっかりお話をしてきてくださいと言われたというふうに記者会見でおっしゃっています。

 そういうことではないということですか、菅さん」

 菅仮免「先程来申し上げていますように、イー…、私が、その時点で、えー、もっと早くにですね、えー、どういうルールで、どういう手順で、えー、やるのかということを、お聞きをして、えー、方針を、もし、ストレステストという必要性をやるとすれば、その時点で、えー、申し上げておればよかったと。それは先程来申し上げているように、反省をしております。

 シー、ただですね、私も、あのー、改めてですね、この法律体系を全部調べてみました。例えば(声を強めて)、原災法(原子力災害対策特別措置法)に基づく私は本部長でありますけれども、原災法、という法律では、あのー、すべてのことは原子力委員会に、いや、原子力安全委員会にも助言を求めることになっております。

 しかし、この、おー…、原災法というのは、災害の範囲が限定されておりまして、それ以外のことについては原災法本部長の、権限ではない。ま、つまり、ルールとして、えー、その、原子力安全委員会の、意見を聞くという、仕組になっていないということを、私は残念ながら、その時点で率直に言って、えー、つまりは、あのー、原災法では、全部原子力安全委員会に行くもんですから、えー、そういった他のことも聞いているんだろうと思っておりました。

 そして改めて聞きましたら、いや、原子力安全委員会では、あ、今の再稼動に関する法律では、そういう、ウー…、意見を聞くことになっていないから、あ、そういうことになっていませんといわれたので、それではちょっとなかなか理解が得られないんではないですかということを申し上げたわけであります」

 福岡議員「あの、先ず閣内の意思の疎通が取れていないんですね。で、総理、過去の議事録を見てもですね、指示が遅れたことについては、なかなかバタバタしていてですね、なかなかそこまでは思い至らなかったということですが、少なくとも海江田さんが、佐賀に行かれる前日に、再起動をお願いしてしに行くっていうことを、報告された時点でですね、そういうお考えだったら、佐賀に行くなと、まだ自分の考えとは違うからと、ストップさせるのが筋じゃないですか」

 菅仮免「ま、そういう意味では、私も、もう少しですね、え、詳しくお話を聞いて、えー、そうした、保安院だけの、判断、をベースに、いわゆる原子力安全委員会の判断が入っていないということが、その時点で分か、分かれば、あのー、そうした方がよかったではないかと、今では反省をいたしております。

 しかしその時点では、原子力委員会の関与については、ま、私が聞かれなかったことも、ま、その、聞いたのはその後ですから、そのあとですから、聞かなかったことも含めて、えー、特に説明がありませんでしたので、えー、私としては、あー、適切な、その、おー、ルールで、安全性が、あ、確認される、とすればですね、一般的にはそれはそれでいいわけですから、少なくとも、おー、今回の場合は、原子力安全委員会も、関与していないというのでは、納得が得られないだろうということで、えー、申し上げたわけです」

 福岡議員「あのー、少なくともですね、玄海町長は、え、菅総理が総理である以上、判断はできないというように話をされてるわけであります。全く信頼性がない、信頼ができない、というふうに言われているわけなんですね。

 だから、イク、如何にですね、いい、ストレステスト、いい方針だと思いますよ。そういうのを示しても、菅総理の元でそういうことを実施すること自体がそもそも信頼をされないということをですね、分かっていただきたいというふうに思います」

 ストレステストの具体的方法についての質問に移る。

 菅仮免に「菅総理の元でそういうことを実施すること自体がそもそも信頼をされないということをですね、分かっていただきたいというふうに思います」と言おうが言うまいが、菅のツラにショウベンだと気づかなければ、いつまで経っても同じ答弁を引き出す結果に終わる。

 自民党も反対しない、と言うよりも反対しようがない、原発立地自治体も反対しようがないストレステスト導入の正当性を以って自らが招いた混乱・迷惑までも狡猾にも正当化すべく謀っている。

 菅仮免が今回の国会答弁では玄海原発再稼動の動きが出たあとから急にストレステストを持ち出したことに関して「内容的な問題と段取りの問題」に分けて、ストレステストは内容的には正しいからと、段取りのまずさの責任回避を企んでいるが、7月19日の衆院予算委員会の小池百合子自民党議員との質疑応答では、「手順と中身の問題」として扱い、中身の正しさを以って手順のまずさを正当化していた。

 このことは7月21日(2011年)の当ブログ記事――《菅仮免の手続きか中身か二者択一的に把えて中身をより重視する性懲りもない学習能力ゼロ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、菅仮免は手続きよりも中身をより優先させて、しかも手続きか中身か二者択一的に選択しているが、〈政治が手続き、中身、結果を順序として国民の審判を受けるルールとなっていることからすると、菅仮免のように手続きか中身か二者択一的に把握するのは結果を抜いていることになり、あるいは結果を見据えていないことになり、その政治姿勢は計画性や先見性を欠いていることになる。〉と書いた。

 福岡議員も順序の問題として把え、「海江田大臣が6月29日に頭を下げる前にそれ(ストレステスト)を決めるのが筋なんですよ」と言って批判している。

 だが、菅仮免のこういった姿勢は「手順と中身の問題」、あるいは「内容的な問題と段取りの問題」であることを超えて、ある目的達成のためにはその過程に於ける反動として一時的、あるいは部分的な混乱も止むを得ない、目的達成の利益と混乱を差引きプラス国益が見込まれると前以て計算して混乱を無視して確信犯的に目的達成に邁進したのではなく、止むを得ない混乱だったと断言していない以上、計算した混乱ではなかった混乱を招いたことになって、やはり国や社会をどう治めるかの統治能力の問題に帰着する。

 それに前以て関係機関と議論を尽くす「段取り」を踏んでいたなら防げた混乱でもある。統治能力を欠いていたとしか言いようがない。

 このことは菅仮免が原災法(原子力災害対策特別措置法)に基づく本部長でありながら、原発の運転継続及び再起動が「どういうルールでどういう手順でやるのかということを」知らなかった、「具体的な説明は役所からもいただいておりませんでした」と言っていることにも現れている。

 原発再稼動の問題は果たして安全性は確保できるのか大きな問題となっていた。しかも海江田経産相が6月18日に「原発安全宣言」をした翌日の6月19日に菅仮免は同じ姿勢だと追認までしているのである。そして6月29日に海江田経産相が佐賀県に玄海原発再稼動を要請した。

 当然、ある一定のルールと一定の手順を経た再稼動の保証だったはずである。一般国民がその具体的なルールと手順を知らないのは自然だとしても、原災法本部長であり、国家の基本エネルギー政策構築の責任者でもある菅仮免が知らなかったでは迂闊に過ぎるばかりか、責任を果たしていないことになる。

 ストレステストを持ち出した理由を原子力安全委員会が運転継続と再稼動に関与していなかったから、関与すべきだとするためだと言っているが、例えそうであったとしても、従来のルールと手続きを知っていなければならない立場にいたのであり、実際に知らないでいたなら、その無知自体が菅仮免自身の統治能力の有無如何に関係してくる。

 菅仮免の統治能力欠如が招いた、玄海原発立地自治体のみならず、その他の原発立地自治体の混乱であり、福岡議員はこの点を追及すべきだったのではないだろうか。

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被災3県議会議長の菅退陣緊急要請方針は被災3県知事の菅内閣震災対応批判の踏襲

2011-07-25 08:56:10 | Weblog



 岩手、宮城、福島3県の県議会議長が、27日(2011年7月)の全国都道府県議会議長会の総会に菅直人首相の退陣を求める緊急要請を提出する方針を固めたと、《被災3県議会議長、首相の退陣要求へ 「ビジョンない」》asahi.com/2011年7月24日19時35分)が伝えている。

 記事は、〈都道府県議長は自民系議員が大半で、採択される可能性がある。〉と書いている。

 佐々木一栄・岩手県議会議長(民主)(朝日新聞の取材に)「中央と被災地の温度差を感じており、首相に被災地の意思を示したい

 緊急要請案の内容――

 〈震災や原発事故への菅首相の対応について「明確なビジョンの提示もなくスピード感に欠ける」「場当たり的」などと批判。辞意を表明しながら退陣時期を明確にしていないことが、復旧・復興の足かせになっているとの見方が強まっているとして「いさぎよく退陣を」と求め〉ている。

 菅仮免自身と菅仮免内閣の「明確なビジョン」の不在、「スピード感」欠如は震災発生以降から言われていた。

 だが、菅仮免は“菅のツラにショウベン”の繊細な感性がそう思わせているのだろう、7月13日(2011年)記者会見の冒頭発言の冒頭早々。

 菅仮免「一昨日で、3月11日の大震災からちょうど4カ月目になりました。この間、大震災に対する復旧復興の歩み、被災者の皆さんにとっては、遅々として進まないという部分もあろうかと思いますけれども、内閣、自治体それぞれの立場で全力を挙げてまいっております。そうした中で仮設住宅の建設、あるいは瓦礫の処理など復旧の分野も着実に進むべきところは進んでまいっていると、そのように認識を致しております。そうした中で復興基本法が成立をし、6月28日に復興本部が立ち上がりました」

 「着実に進むべきところは進んでまいっている」――

 この発言には「明確なビジョン」の不在、あるいは「スピード感」欠如の感覚はサラサラない。

 7月19日(2011年)の衆院予算委員会国会答弁――

 菅仮免「ま、世論調査を含めて、国民の声は、真摯に受け止めなければならない、えー、受け止めているつもりであります。

 えー、先程申し上げましたが、私は、3月11日の、おー、大震災発災以来、内閣として、やるべきことがやれているか、それともやれていないか、私なりに見てまいりました。

 えー、そして、えー、それは100点万点とは言えませんけれども、しかし、きちっとですね、当初の救命、えー、そして復旧、ウー、そして今復興、を進めております。そして原子力、うー、発電所の事故に関しても、ステップ1が今日で、予定通り、ま、一部は予定よりも、オ、前倒しで、あのー、おー、達成し、えー、ステップ2に向かっていくというところまで来ております。

 えー、そういう意味で、私は、内閣としてやるべきことは、あ、基本的に前進していると、そのように、え、考えていることも併せて、エ、申し上げて、えー、おきたいと思います」

 「内閣としてやるべきことは、あ、基本的に前進している」――

 「明確なビジョン」の不在、あるいは「スピード感」欠如批判を否定し、無縁とする「基本的に前進している」の発言であり、一貫して内閣としてやるべきことはやっているという姿勢の貫きであった。

 被災現場の認識との乖離を事実としない菅のツラにショウベンのこの無感覚こそが菅の一国のリーダーとしての矜持を保ち、菅をして「この大震災のときに総理という立場にあったひとつの宿命」(震災発生1か月目の記者会見発言)と自らに受け止めさせている自尊と覚悟であったに違いない。

 だが、被災現場から見ると、菅のこのような矜持、自尊、覚悟は決定的に虚構、もしくは幻想に過ぎないと映っている。

 岩手、宮城、福島3県の県議会議長の菅仮免に対する「明確なビジョン」の不在、あるいは「スピード感」欠如批判は被災3県知事の菅及び菅内閣に対する震災対応批判を踏襲する批判であるはずだ。

 軌道修正されないままに「明確なビジョン」の不在と「スピード感」欠如が当たり前の光景となって被災現場を覆っている。止むに止まれず知事たちのを踏襲して自らも批判を示すべく、退陣緊急要請方針となった。 

 7月11日(2011年)、全国知事会議のプレイベントとしてシンポジウム「東日本大震災からの復興に向けて」が秋田市内のホテルで開催。そこで被災3県の知事が政府の対応を批判している。《国の指導力不足批判 被災3県知事ら分権訴え 秋田》MSN産経//2011.7.12 02:38)

 達増岩手県知事「現場力のすごさが如実に表れたが、国の調整力、指導力の不足が見えてきた」

 記事は、〈市町村の行政機能が失われた災害で、内陸市町村や自衛隊の支援が奏功した半面、例えば燃料の確保、支援など複数の省庁にまたがる問題では数週間も遅れるなどの対応を批判した。〉と解説。

 村井宮城県知事(携帯電話の不通などで県内35人の首長の安否確認に3日もかかったこと、燃料確保が遅れたことなどを例を挙げて)「情報伝達のインフラ整備は国が役割を果たすべきだ。燃料管理についても一元的に国が計画を立てておくべきだ」
 
 佐藤福島県知事「教育現場の放射線は20~1ミリシーベルトとなっているが、暫定的な基準。正確な基準や指示を出すように、国にはがんばってほしい。屋内退避と自主避難も、連日のように(国の指示が)変わって、住民が困惑した」

 そして7月5日現在で瓦礫処理率34%という遅れ、仮設住宅建設の遅れは散々言われてきた。 

 被災自治体から見た場合、「明確なビジョン」の不在、「スピード感」欠如は一貫した現象として存在した。菅仮免の指導力不足が全ての原因を成しているこれらの欠落でありながら、官邸と被災現場との認識のあまりの乖離に耐えられずに現場の声として上げた、被災県知事の批判を踏襲する被災3県議会議長の菅退陣緊急要請方針となって現れた。そうとしか見ることができない。


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南相馬市で生活保護打ち切り/生活保護費は生活のみの保証で安心感まで保証しないらしい

2011-07-24 09:32:33 | Weblog



 日弁連の調査によると、福島県南相馬市は生活保護受給世帯のうち219世帯に対して福島第1原発事故を受けた東京電力からの仮払い補償金や震災義援金を収入と看做し、生活保護を打ち切ったという。

 《生活保護停止219世帯に 南相馬市、日弁連が批判》47NEWS/2011/07/22 19:46 【共同通信】)

 日弁連会長声明「義援金などは収入認定するべきでない。被災自治体は人道にかなう運用を行い、国も自治体を適切に指導すべきだ」

 声明を市や厚生労働省に送付するという。

 南相馬市「各世帯の(東電仮払い補償金や震災義援金の)受取額から生活必需品などの購入額を差し引いた残額を収入と認定し、6カ月以上生活できると判断した世帯の生活保護を打ち切っている」

 生活保護を受給するについては相当額の預金等の蓄えを持っていると許可されない。

 許される蓄えの範囲はどれくらいまでなのだろうか。南相馬市が「6カ月以上生活できると判断した世帯の生活保護を打ち切っている」と言っていることからすると、生活保護費1か月分×6か月分の蓄えが受給不許可のラインだと推測できる。

 この額はそのまま今回生活保護を打ち切った、(東電仮払い補償金や震災義援金)-(生活必需品等の購入額)=6ヶ月以上の生活可能額にほぼ相当するはずである。

 仕事がなくて定収入がないから、生活保護を受けていた。あるいは生活を維持できるだけの収入を得ていないために住所を置いている自治体の生活保護費から差引き不足分の生活費を生活保護として受ける。中には被災によって仕事も財産もを失った世帯も含まれているだろう。 

 だが、ここにきて東電仮払い補償金や震災義援金等の臨時収入が入ることになった。生活必需品等の購入額を差し引いて、1カ月を生活保護費相当額で生活して6カ月以上生活できる金額が手元に残る計算だという理由によって生活保護が打ち切られることになった。

 生活保護支給を許可するときと同じルールに則ったということなのだろう。

 しかし年齢等の理由によって仕事がなかなか見つからず、収入ゼロの状態が続いた場合、1カ月を生活保護費相当額で生活して6カ月以上生活できる金額が手元に残ったとしても、どれ程の安心感を与えてくれるだろうか。

 このことを裏返して言うと、補償金や震災義援金を蓄えとして手許に残すことを許すことで生活収入のない被災者が得ることができる何がしかの安心感すら奪うことを意味する。

 収入ゼロのまま、1カ月を生活保護費相当額で生活を続けて、1カ月ずつその分を消費しながら、たかだか「6カ月以上」かそこら生活して、使い切ることになる。

 蓄えとは言えず、単に「6カ月以上」かそこらで使い切ることになるカネが与えてくれる安心の保証はどの程度だろうか。

 手元に残った1カ月を生活保護費相当額で生活して「6カ月以上生活できる」金額を使い切った場合、再度生活保護を申請すれば、市は不許可とする理由はどこにもないだろうから、生活は維持できる。

 再び生活保護の生活が続くことになるが、蓄えが許されない、人間らしい安心感を得ることができないままの切り詰めた生活を強いられることになるに違いない。

 尤も被災県以外の自治体の生活保護受給世帯の多くが安心感を得るところまでいかないギリギリの生活を送っていることだろうから、このこととの兼ね合いも難しいが、状況の違いとして被災したという事実は精神的に相当な打撃となっているはずだ。

 福島県は義捐金だけのことなのか、国や県からの第1次義援金を収入と看做さない通知を6月21日に県の保健福祉事務所各市町村に対して出しているが、このこととの関係はどうなっているのだろう。

 《義援金は収入とみなさず 福島県が生活保護運用を弾力化》asahi.com/2011年6月22日0時0分)

 これは生活保護の打ち切りが相次いでいることからの措置としている。対象者は県が生活保護業務を担当する町村の被災者。

 これまでは生活用品の購入や家の補修など自立更生に必要な費用を項目ごとに細かく集計して「自立更生計画書」に記入する必要があったが、義援金を「生活基盤の整備に必要なもの」として一括で申告すれば収入とみなされず、使い道の確認も不要になると記事は伝えている。

 1カ月の生活保護費はどのくらい支給されるのか、「Wikipedia」で調べてみた。

  東京都区部と地方郡部などの比較     東京都区部など     地方郡部など

 標準3人世帯(33歳、29歳、4歳)   234,980円      199,380円

 高齢者単身世帯(68歳)         80,820円        62,640円

 高齢者夫婦世帯(68歳、65歳)      121,940円      94,500円

 母子世帯(30歳、4歳、2歳)      177,900円     142,300円

 こども手当、児童扶養手当等は別途支給される。

 現制度では国3/4、地方1/4の割合で負担。――

 地方の高齢者には厳しい金額となっている。


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菅仮免の“国民の納得”を私物化した独裁姿勢からの「脱原発依存」論

2011-07-23 13:43:54 | Weblog


 
 ここで言う「独裁」とは絶対権力による独断専横を言うのではなく、自分一人の判断で物事を決める独断専行のことを言う。この“自分一人の判断”、独裁(=独断専行)が際立って現れている菅仮免の国会答弁を拾い出して、その正当化に「国民の納得」を勝手に使っている、いわば如何に私物化しているか示してみようと思う。

 昨日(2011年7月22日)の参院予算委員会。渡辺孝男公明党議員が岡田幹事長の2009年衆院選のマニフェストを「政策の必要性や実現の見通しの検証が不十分なところがあった。国民に率直におわび申し上げたい」として見直す方針を示したことを取上げ、菅首相に質問している。

 この遣り取りを昨日の当ブログ記事――《岡田幹事長は自身の衆院選挙マニフェストの優越性否定が政権担当の正当性喪失の宣言だとは気づいていない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で少し触れて、政権担当の資格の有無の視点から論じたが、国民の納得の点から考えてみたいと思う。

 渡辺孝男公明党議員「次にちょっとこれ質問通告していなかったんですが、急なことで。

 えー、岡田幹事長がですね、昨日の、記者会見で、えー、2009年、衆議院選の選挙公約で、いわゆるマニフェストでありますけれども、民主党の方のマニフェストでありますけれども、政策の必要性と実現の、見通しに検討が不十分だった。見通しの甘さを素直に国民にお詫びをしたい。ま、このような発言があったと言うことです。

 国民にお詫びをしたいということでありますので、この点、総理も、このマニフェスト、不十分であった、検討が不十分だった。これ謝罪するわけでございますか。総理のお考えをお聞きしたいと思います」

 菅のツラにショウベン「え、マニフェスト、イ、関してはこの間、あ、党の方で、えー、そのー、おー、見直しを含めて、議論を、ヲー、して、えー、いただいておりました。

 シー、まあ、昨日、うー、岡田幹事長、の方から、一定の、オ、見解が示されたということは承知をしております。シー、私は、あのー、マニフェストの、本質的な方向は、え、決して、えー、間違って、いない、イー、と今では、思っておりますが、シー、確かに、イー、岡田、幹事長が言われるように、えー、その、財源に関して、えー、やや、見通しが、あー、甘かった部分も、あった。

 あるいは、このー、おー、3月11日の震災、以降に関して言えば、より、イー緊急性が高いという、ことを考えたときに、えー、必ずしも、え、マニフェストが全てに優先するというよりは、震災復旧を、より、優先させなければならない、エ、ことも十分あり得ると、ま、こういうことを総合的に、イー、判断をして、えー、幹事長として、えー、不十分さは、あー、について、国民のみなさんに、お詫びを、おー、されたと思っております。

 基本的な認識は、岡田幹事長と、おー、一致を、いたしておりまして、そういう点では、あー、マニフェストに関しても、おー、不十分なことがあったという点については、国民のみなさんに、えー、申し訳ない、お詫びを申し上げたいと思います」

 渡部孝男公明党議員「ま、どういうところがですね、あのー、不十分だったのか、検討がですね、そういった内容についても国民に、えー、きちんと、情報公開をしまして、で、どこをどう改めるのか、この点もはっきり国民に示してもらいたいと思います」

 これだけで終えて、予定の質問に入っている。

 菅仮免は「3月11日の震災、以降に関して言えば、より、イー緊急性が高いという、ことを考えたときに、えー、必ずしも、え、マニフェストが全てに優先するというよりは、震災復旧を、より、優先させなければならない、エ、ことも十分あり得る」と、いわば“国民の納得”を前提としてマニフェスト変更を正当化している。

 だが、実際には震災前から、特に子ども手当では財源を裏付けることができずに支給額を2010年度月1万3千円を2011年度はマニフェストに約束したとおりに倍の月2万6千円支給予定を2010年度と同じ月1万3千円、3歳未満児に限って月2万円の増額を以って全体の減額を誤魔化していたのである。

 昨日のブログに書いたようにマニフェストに掲げておきながら、財源を裏付ける能力を果たし得なかった点で既に政権担当能力を失っていた。

 菅仮免は昨年(2010年)2月24日(2010年)午後の衆院本会議で次のように発言して、小沢元代表に責任転嫁し、2万6千円自体を否定しようとした。

 菅仮免「私もこの議論がなされている小沢(一郎)代表の当時、『2万6000円』と聞いたときに一瞬ちょっとびっくりしたことを覚えている」

 びっくりしようが何しようがマニフェストで公約とした金額でありながら、財源の裏付けに努力せずに2010年2月24日の時点で既に2万6千円の金額にサジを投げていた。

 例え国民が被災地の復旧・復興を優先させる思い遣りからマニフェストの政策を見直すことを許したとしても、その点での“国民の納得”のみを重要視して、政権担当能力の点で“国民の納得”を得ることができなかったことを無視するのは正当性を得ないということだけではなく、“国民の納得”を好き勝手に扱う私物化以外の何ものでもないだろう。

 震災と被災者を人質に、さらに復旧・復興に向けた“国民の納得”を人質に自分たちの政権担当無能力を誤魔化そうとしているに過ぎない。

 次に一昨日(2011年7月21日)の参院予算委員会で、岸信夫自民党議員が菅仮免の例の7月13日のいわゆる「脱原発依存」記者会見を取上げている中から“国民の納得”の私物化を見てみる。

 岸議員「7月13日の記者会見、これも最悪であったと思います。これ、相変わらず、個人的な考え、の表明、ということでございます。お答えください」
 
 菅仮免「3月11日の、おー、原発事故、発生以来ですね、えー、これまでの、おー、エネルギー、イー…、政策のままでいいのかという中で、シー、先ず、うー、エネルギー基本計画について、えー、従来は2030年までに、えー、53%を、原発で賄うとしていたこの計画を、白紙から見直すことに、イー、いたしました。エ、そして既に、イー、内閣の中で議論を始めて、エ、おります。

 シー、まあ、あー、一方で、えー、原子力の安全規制については、6月7日IAEAにイー、提唱した(提出した)あー…、報告書に於いても、原子力安全・保安院を、おー、経産省、おー…、という、ま、どちらかと言えば、あー、原子力を推進する、役所の中にあるのは、やはり、イー、問題があるということで、えー、経産省から独立させ、原子力安全委員会も含めて、安全規制行政の見直しを進めていくと、こういう方向で検討を、おー、閣内でいたしております。

 さらに、当面の電力需要の見直し等についても、経産大臣、国家戦略担当大臣に、えー、精査をしていただいている、ところであります。

 シ-、さらには原子力政策について、えー、色々議論が進んでいる中で、私としての考え方を、オ、申し上げたものでありまして、エ、決して、政府の、おー、考え方、あるいは内閣の考え方と、おー、私が申し上げたことと矛盾するものではないと、こう考えております」――

 エネルギー基本計画の見直しについて、「既に内閣の中で議論を始めております」にしても、原発規制機関である原子力安全・保安院と原子力推進の経産省が一体となっていることの組織改編に関しては、「安全規制行政の見直しを進めていくと、こういう方向で検討を閣内でいたしております」にしても、「当面の電力需要の見直し等についても、経産大臣、国家戦略担当大臣に精査をしていただいているところであります」にしても、あるいは「原子力政策について」もすべて「色々議論が進んでいる」と、いわばすべて議論は進行中の状態だと言っている。

 全て議論が進行中であるにも関わらず、言葉を替えると、政府として、あるいは内閣として結論を得たわけではないのに記者会見を開いて政府代表として、あるいは内閣代表として「脱原発依存」を個人の考えとして公表して、「決して政府の考え方、あるいは内閣の考え方と、おー、私が申し上げたことと矛盾するものではないと、こう考えております」と平気で矛盾したことを言っている。

 考えを同じくする閣僚とは矛盾しないだろうが、全ての閣僚が考えを一致させているわけではない。

 この矛盾に気づかない判断能力、あうるいは自省心は凄い。

 岸議員はこの点を突く。

 岸議員「総理の会見等というのはもっと重いもんだと思いますよ。きちんと実現性に、イー、裏付けられた内閣としての、やっぱり、えー、総意に立った、イ、上で、えー、発言をして貰わなければいけない。少なくとも国民は、そういう目で(内閣の総意だと判断した目で)、エ、見ているわけです。学説の発表会でないわけですからね、きちんと応えて、国民がそれに反応してしまう。

 それぞれの立地の、オ、みなさん、大変困惑をしてます。山口県だって、新しい新規の原発の計画があります。二井(にい)山口県知事も同じようなことをおっしゃっております。大変な混乱を招いていることについて、どのようにお考えですか」
 
 菅仮免「先程も申し上げましたけれども、えー、3月11日の、この、おー、東電、福島原発事故というのは、勿論、えー、チェルノブイリとか、あー、スリーマイルとかという、大きな事故も外国にはありますけれども、複数の原発が、ア、同時的に、イ、シビア、あー、アクシデントに、イー、襲われるという、ある意味、イー、最大級の、オ、事故であります。

 えー、そして、おー、原因については今、エ、事故調、あるいは、事故、おー、調査検証委員会で、色々と、オ、おー、調査をいたしていただいて、おりますけれども、シー、そういう中にあってですね、えー、少なくとも、従来、えー…、経産省に所属する、うー、原子力安全・保安院が、あー、色々なことをですね、えー、自ら提起をして、チェックをして、いたわけでありますけれども、私は、その現状の、現行の、おー、法律に基づくだけでは決して国民的な理解は得られない。

 ま、こういうことで、えー、関係大臣にお願いをして、エ、現行の法律では、あー、保安院、及び、経産大臣の判断でオッケーということになっておりますけれども、国民的な、あ、理解を得るには原子力安全委員にもきちんと関与をしていただいて、えー、そうした、あー…、ルールをきちんとしていただくとことが必要であろうということで、えー、指示をいたし、エ、そしてその後一つの方向性を纏めていただきました。

 ま、私の指示とか若干、オ、遅れたことがあって、色々とご迷惑をかけましたけれども、しかし、私は、そうしたきちんとしたルールというものを今つくっていただいていることは、私は国民的に、イ、大変、えー、重要だと。

 是非ですね、あの、自民党のみなさんにもおー、色々、ご批判されることは勿論結構でありますけれども、じゃあ、どういう、ルールが望ましいかということも、できれば是非、イー、ご教示をいただければ、ありがたいと思っております」

 国の問題で一つのテーマを取上げて議論するについては原発立地自治体等の関係機関に議論することを伝えて、その議論に関係機関も加えて行うことが関係機関のみならず、国民に対する情報公開ともなり、その議論の結論に至るまでの過程が情報公開と併行することになり、このプロセス自体が混乱を防ぐ手続きとなるはずだが、当たり前とすべきこういった手続きを一切省いて先ず自分がいきなり言い出して混乱を招きながら、「国民的な理解を得る」を全ての正当性の口実として手続きを省いたことも混乱を招いたことも抹消しようと謀っている。

 逆説するなら、「国民的な理解を得る」ためには当たり前とすべき手続きをどう省こうと正当化されるわけではない。だが、菅仮免は「国民的な理解を得る」ためと称して当然の手続きの省略を正当化している。

 このことも自分一人の判断で物事を決める独裁に従った“国民の納得”の私物化以外の何ものでもない。この詭弁に誤魔化されてはいけない。

 岸議員「私が冒頭申し上げたように、イー、議論のすり替え、はぐらかしはしないんで欲しいんです。私の質問に誠実に答えていただきたい。記者会見が、もたらした地方のそれぞれの混乱に対して、あなたは責任を感じていないんですか」
 
 菅仮免「今申し上げたましたように、私が、あー、あのー、こうした指示だとか、あー、遅れて、そういった面で、あのー、ご迷惑をかけたということは、ま、率直にお詫びを申し上げたいと思います。

 ただ、あー、保安院だけで、えー、こうしたことを全部、あのー、質問もつくり、判断もするという、今のルールのままで、あっていいということではないと、そう思っておりますので、エ、そういう、ウ、新たなルールを、あー、今、あー、現実につくっていただいて、えー、その方向で今作業を進んでいるということでありまして、そのことについては私は、多くの国民のみなさんは、あー、理解していただいていると、こう、このように承知をいたしております

 手続きを尽くしたのかどうか、手続きを尽くした議論を経て得た結論に立った、岸議員が言う総意に基づいた記者会見だったのかを問題としているはずだが、新しい安全基準のルールづくりのみを以って「多くの国民のみなさんは理解していただいていると、このように承知をいたしております」からと、“国民の納得”を楯に記者会見自体の独裁(=独断専行)を正当化している。

 “国民の納得”を適当に解釈、利用する“国民の納得”の私物化以外の何ものでもない。

 真の“国民の納得”は新しい安全基準のルールづくりだけではなく、脱原発に向けた方法論やスケジュールまで含めた議論から結論に至る全プロセスの確立とその情報公開によって打ち立てられるはずで、その結果得ることができた“国民の納得”こそが政治家の私物化から免れることができる。

 議論を経ない、結論に至ったプロセスも不明。情報公開もない。自分の考えとして記者会見して、“国民の納得”を得たとする。まさしく独裁意志からの“国民の納得”の私物化と言える。

 例え正しい方向性を示した記者会見の発言だったとしても、この方法が許されるとしたら、間違った方向性を示した場合でも“国民の納得”を得たとすることが可能となって危険となる。常に議論と結論の手続きをそこに置くことによって危険性を避けることができるはずだ。

 岸議員も同じ思いだが、なかなか追及しきれない。

 岸議員「全く、お答えに、なっていないと思いますね。菅さんからの指示が遅れたから、問題なんかじゃなくて、きちんとした閣内の一致が見られないままに、早、早計にね、発言をすることが地方に混乱をもたらしているということを言ってるんですよ。そのことについてどう考えるんですか」
 
 菅仮免「今申し上げた、あー、繰返しになりますけれども、問題は、どういう、ウ、国民的な納得が、え、得られる形で、安全性を確認するかということでありますので、私は新しいルールを、エ、少なくとも将来ですね、事故調の報告とか何かが全部出たあとに、えー、1年とか2年の内に新しい基準をつくることに当然なると思いますが、今の段階でも少なくとも、、従来の、エ、やり方で国民的な納得が得られるとは思いませんので、エ、そうした、あー、先ずは、今の段階での、おー、新しいルール作りをすることは、私は、国民のみなさんの、より安心感を持って貰う上で、必要だと思っています」――

 新しいルールをつくることは一向に構わない。新しいルールで国民により安心感を与えようと政治的な意志を働かすことも間違ってはいない。だが、菅仮免は客観的判断能力を著しく欠如させているために、関係者全員による議論の手続きを経た、情報公開をも併行させた全員の結論として記者会見したのか、全員の結論から得た「国民的な納得」なのかが問題となっていることに気づかない。

 このような手続きを経ずに個人の考えとして記者会見を開いて、国民が納得していると「国民的な納得」を勝手に振り回しているに過ぎない。

 これを以て“国民の納得”を私物化する独裁姿勢だと言っている。

 岸議員「全く答えていただけなくて、本当に残念です。私が申しているのは、閣内でも色々な意見が出て、全く纏まっていない中で、総理が、意見発表している。そんなことで地方が混乱しているということじゃないですか。

 海江田、大臣、えー、質問をさせていただきたいんですけど、海江田大臣は、この、オ、総理の記者会見について、えー、どのように事前に、お知りになったんでしょうか」

 手のひらの真ん中に「忍」の字を,マジックでだろう、書いた左手を上げて、委員長の指名を待つ。

 海江田経産相「えー、総理から、あー、記者会見の、オー、発表がございます前に、お電話を頂戴いたしました」

 岸議員「そのときに、どういう内容で、ありましたか。細かに、そういう、記者会見をするんだ、こういう、説明があったでしょうか。それに対して、どのようにお答えになったんでしょうか」

 海江田経産相「まあ、あの、おー、総理からは、あ、記者会見で発表するような中身の、ご説明がありました。私は、私の考えを、お伝えを申し上げました」

  岸議員「あのー、何を言っているか全然分かんないんですね。もう既に毎日新聞の、おー、インタビューでも、述べられていると思うんですけど、そのことを確認してください。お願いいたします」

 海江田経産相「あの、総理のお話と言うのはもう、そのあと、おー、会見をやっておりますので、ご承知だろうと思います。私がそのときに申し上げた議論というのは、確かに方向性として私は、原子力発電を減らしていくというのは構わないと。私もそう思います。

 しかしゼロということについては、私は少しまだ、あー、自分の中で考えが纏まっておりませんで。特に、やはり日本の国というのはこれまで、エ、核兵器を持たずにですね、その中で原子力の技術を開発をしてきたわけでございますから、それがゼロということになりますと、まさにそうした技術が途絶えて、しまうわけでございますね。

 それで本当にいいのかどうなのかということはもう少し私自身も色んな方の意見を聞きたいし、そうしたことについてもう少し色んな確度から、多角的な角度から議論を、した方がいいんではないだろうかと思いましたので、そのことをお伝えをしたわけであります」

 海江田経産相の答弁が問題の全てを語っている。「原子力発電を減らしていく」、最近「減原発」という言葉を当てているが、その方向性は一致している。

 だが、「減原発」だろうが、「脱原発」だろうが、その方法論となると、様々にあるはずだ。一人の考えで進めて、全て国益に適うというわけではないだろう。だから海江田経産大臣は「もう少し色んな確度から、多角的な角度から議論をした方がいい」とする手続きを申し出た。多くの人間を交えて十分な議論を経て、どのような方法とスケジュールで「脱原発」を図るのか、「減原発」を図るのか、結論を得るべきだと。その結果の“国民の納得”だと。

 勿論ここには情報公開が含まれていなければならない。
 
 いわば菅仮免にない、独裁ではない方法論を提示した。

 岸議員「即ち、海江田大臣がお答えしたとおりに、この原発、原子力政策について大きな見直しするような、あ、総理の記者会見をするのはちょっと早過ぎる、そういうふうにお答えになったんですね。確認ください」

 海江田経産相「私は総理から任命されてる、ウ、経済産業大臣でございますので、エ、その任命権者であります総理が、これから記者会見をやるとおっしゃったわけでございますから、それを私には止める手立てはございません」

 岸議員「原子力政策、エネルギー政策の責任者である海江田大臣が、総理の会見の内容について、えー、ちょっとまずい、こういうふうに思われたと言うことを、総理はそのときに感じなかったんでしょうか」

 菅仮免「今、あのー、経産大臣からお話がありましたような、あー、電話の遣り取りがあったことは覚えております。

 ま、そういった、あー、中で、私、として、えー…、原発依存を下げて、えー、いくと、そういう、うー、原発に依存しない社会を目指していくという、考え方。私は、あのー、そういったことを含めて、具体的なことについては勿論、おー、既に議論している部分もありますし、エ、これから議論しなければいけない部分もあると。そういうふうにお聞きをいたしました」

 岸議員「全く議論が熟さないまま、総理があのような会見をした。こういうことであります。そのことで混乱をしている。こういうことだと思いますよ」

 電力需給の質問に移る。

 海江田大臣が多角的な角度からの議論が必要だ、脱原発の記者会見は早計だと忠告したのに対して菅仮免が「具体的なことについては勿論、おー、既に議論している部分もありますし、エ、これから議論しなければいけない部分もあると。そういうふうにお聞きをいたしました」と言っているが、この議論は進行中だとしている部分を海江田経産相のみの発言だとすると、「既に内閣の中で議論を始めております」と言っている菅仮免の発言、あるいは「色々議論が進んでいる」との発言との整合性を欠くことになる。

 菅仮免自身も認めている議論の進行中でなければならない。

 だが、既に触れたように議論の結論を得ないままに自身の結論のみを記者会見で述べて、その結論を以ってして独裁的に“国民の納得”だとする独断専行を犯している。

 例え国民の総意として「脱原発依存」、あるいは原発に依存しない社会の実現を望んでいたとしても、どういった方法、どういったスケジュールで国の経済と国民生活に打撃を与えずに進めるかの議論は省略していいわけではなく、やはり省略したまま「脱原発依存」の記者会見を行って個人の考えを述べたという独裁的遣り方を以って多くの国民の理解を得ているとするのは、“国民の納得”の独裁的な私物化としか言いようがない。


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岡田幹事長は自身の衆院選挙マニフェストの優越性否定が政権担当の正当性喪失の宣言だとは気づいていない

2011-07-22 10:20:28 | Weblog



 岡田民主党幹事長が21日(2011年7月)記者会見で2009年衆院選挙マニフェスト(政権公約)について実現の見通しが甘かったことを認め、謝罪したと言う。《岡田幹事長 政権公約で謝罪》NHK NEWS WEB/2011年7月21日 19時28分)

 岡田幹事長「実現できていない政策がある理由として、マニフェストを作成する際に政策の必要性や実現の見通しの検証が不十分なところがあったことが挙げられる。政権交代で大きな政策転換を一気に実現するという意気込みが、歳出の増大につながった。その見通しの甘さを国民に率直におわび申し上げたい。

 マニフェストに盛り込んだ政策が、震災復興の予算措置と比べて重要性が高いのか検証することも必要だ」――

 「政策の必要性や実現の見通しの検証が不十分なところがあった」

 「その見通しの甘さを国民に率直におわび申し上げたい」

 これは岡田幹事長が一人認めたことなのか、党全体と内閣も認めている認識なのかは分からないが、少なくとも与党幹事長でありながら、岡田幹事長は「国民に率直におわび申し上げたい」で済むことだと思っているらしい。当時野党だった民主党は2009年衆院選でマニフェストに掲げた政策の与党自公の政策に優る優越性を訴えて政権担当の国民の審判を受けることになった。

 公約とした政策を実現するとはその優越性を実現することを言うはずである。いわば政権担当の正当性はマニフェストに掲げた政策の優越性の実現にある。

 訴えた優越性を実現できずに平凡な実現で終わった場合も、やはり政権担当の正当性を失うはずだ。

 それが一つ二つの政策の優越性が実現不可能となって優越性そのものを失った場合、少なくともその政策に関しては政権担当の正当性を失う。

 だが、マニフェストに目玉として掲げた民主党としての主たる政策で国民に訴えた優越性をそのままに実現することができずにその優越性を失っているということなら、与党として政権を担当する全体的な正当性そのものを失っていることになる。

 当然、岡田幹事長が「政策の必要性や実現の見通しの検証が不十分なところがあった」と自らマニフェスト政策の優越性を否定したということは否定を通して政権担当の正当性喪失を自ら宣言したことになる。

 だが、岡田幹事長はそのように宣言したことになることに気づかずに、あるいは政権担当の正当性を失っていることに気づかずに、「マニフェストに盛り込んだ政策が、震災復興の予算措置と比べて重要性が高いのか検証することも必要だ」と政権に居座ったままマニフェストを見直そうとしている。

 このことが許されるとすると、政権を賭けた選挙でマニフェストでいくらでもウソをついてもいいことになる。政策の優越性を根拠もなく口先だけで訴えることも許されることになる。

 岡田幹事長は政権に居座ったままマニフェストの見直しを画策しているばかりか、見直しを野党に対する法案成立の取引材料にしようとしている。

 岡田幹事長「各党には、こうした考え方を理解してもらい、赤字国債発行法案の成立に向けて協力してもらえればありがたい」

 何が起ころうと、それが大震災であろうと、政策は優越性を剥がしてメッキとしてはならないはずだ。メッキとした場合、政権担当の正当性を失ったとして、解散・総選挙して、新たにマニフェストをつくり、改めて政策の優越性を掲げて政権担当に関わる国民の審判を受け直すべきだろう。

 特に岡田幹事長は原理主義者で知られている。厳密に政権担当の正当性に照らした行動を取るべきである。

 もし財源が不足するというなら、あらゆる方法を尽くして何としてでも財源を捻り出し、震災の復旧・復興とは別にマニフェストに掲げた政策の優越性を守り、その優越性の実現に全力を尽くすべきである。それが政権党の国民に対する責任であろう。

 このような厳しさがなければ、政権担当の力は生まれてこないはずだ。厳しさもなく、選挙で議席を獲得しさえすれば政権は担当できると甘く考えることになり、選挙自体、あるいは議席獲得自体が目的化することになる。

 記事は最後に次のように解説している。

 〈民主党のマニフェストを巡っては、自民党が、菅総理大臣が退陣の条件の1つに挙げている赤字国債発行法案の成立に協力する前提として、子ども手当などの主要政策が実現できないものであることを認めるよう求めており、岡田氏としては、これに応じて見通しの甘さを謝罪することで、法案の成立に向け、自民党などの協力を取り付けたいというねらいがあるものとみられます。岡田氏は、22日開かれる、民主・自民・公明の3党の幹事長会談で、直接、説明することにしています。〉――

 結局政策の(優越性の)実現よりも駆引きだけが残る。

 野党も、岡田幹事長と同じくマニフェスト政策の優越性の喪失が政権担当の正当性の喪失を意味していると受け止めていない。《岡田氏謝罪 民主動向見極めへ》NHK NEWS WEB/2011年7月22日 5時51分)

 岡田幹事長の記者会見での発言を受けた自公の反応を伝えている。

 大島自民党副総裁「岡田氏が国民に謝罪したことは、現状を客観的に考えた上での率直な意見だと受けとめている」

 石破自民党政務調査会長、「マニフェストの中身をどのように見直すのか。そして、今年度予算の歳出を、どのように削るのかということがない限り、ほとんど意味がない」

 歳出の見直しが行われなければ、赤字国債発行法案の成立には協力できないなどという意見が出ていないという公明党。

 公明党「党内で根回しもせず唐突に打ち出したことは問題だ」

 かくかように岡田幹事長が「各党には、こうした考え方を理解してもらい、赤字国債発行法案の成立に向けて協力してもらえればありがたい」と、マニフェストの政策変更を取引材料とした思惑通りには野党は素直に反応していない。

 だが、マニフェストの政策変更を取引材料とすること自体が間違っている。同じことを繰返すことになるが、自ら政策の優越性を放棄し、政権担当の正当性を喪失させることになるからだ。

 ちょうどこの記事を書いているときに参議院予算委員会のNHK中継で、公明党の渡部孝男議員が岡田幹事長の記者会見発言を取上げて、菅仮免も同じ考えで国民に謝罪するのかと質問すると、菅仮免は、「マニフェストの方向性は間違っているとは思わない、ただ財源の問題で実現できない政策や、緊急性の問題で震災復興を優先させなければならない場合もあり、マニフェストを全てに優先させなければならないとは限らない。マニフェスト見直しは党で現在行っていることで、見直さなければならない点は岡田幹事長と思いは同じで、その点に関しては国民に謝罪したい」といったことを言っていたが、民主党のマニフェスト問題は殆んどが財源問題で、財源不足を理由にマニフェストの不履行を許すとしたなら、そもそもからして財源の裏付けなくして政策の優越性はいくらでも訴えることができることになり、その不備・不徹底自体が政権担当の正当性を欠く理由となる。

 あるいは政権担当の資格が最初からなかったことの証明としかならない。

 当たり前の状況にあるなら、解散・総選挙で政権担当の正当性を問い直すべきだが、震災復興を優先させなければならないために直ちに選挙ができないと言うなら、政権担当の正当性を失った内閣として菅内閣は総退陣して、新しい内閣に政権を担当させるべきだろう。


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