下村博文ヤミ献金疑惑否定会見:領収書の不備の怪とパー券売り捌き相手に加計学園を加えていないことの怪

2017-06-30 12:41:13 | Weblog

 週刊文春に加計学園からのヤミ献金を疑惑を報じられた自民党幹事長代行の下村博文が6月29日(2017年)自民党本部で記者会見を開き、疑惑を全面否定した。

 文字起こしした動画から冒頭発言のうちヤミ献金に関する関する発言個所と、記者との質疑応答では記者の声を殆ど聞き取ることができなかった個所を除いた両者の質疑応答と下村博文の答弁のうち、重要と思える個所をここに記載してみる。文飾は当方。

 下村博文「本日『週刊文春』7月6日号に『下村博文元文科相 加計学園からヤミ献金200万円』と題する記事が掲載されました。この週刊誌記事を見たマスコミの皆さんから質問が事務所にありましたので、ここで説明をさせて頂きたいと思います。

 先ず本件記事のタイトルに『加計学園からヤミ献金200万円』とあり、週刊誌が入手した私の事務所の内部文書によれば、『加計学園は2013年、2014年に各100万円を献金しているが、収支報告書には未記載であり、政治資金規正法の疑いがある』と記事にあります。

 しかし学校法人加計学園から政治寄付も政治資金パーティー券の購入もして貰ったことはありません。事務所で確認したところ、2013年も2014年も合計11の個人及び企業がいずれも1者20万円以下でパーティ券を購入したものであり、加計学園が購入したものではないとのことであります。

 従って加計学園からのヤミ献金という記事は事実に反します。本件記事は週刊誌に写真が掲載されている『博友会パーティー入金状況』と題するエクセルファイルのリストに加計学園と記載されているところから、加計学園がパーティー券を購入したと指摘するものです。

 しかし事務所の平成25年の日報で確認したところ、加計学園の秘書室長が事務所を来訪され、個人及び企業で併せて11名から預かってきた合計100万円の現金を持参したので、その11名の領収書を作成し、渡したことが確認できました。

 平成26年も同様に11名のパーティー券の購入であったことを確認しております。週刊誌は誌面に日報の写真も掲載しているので、日報も入手しているようであります。そうであれば、入手した日報を確認すれば、加計学園がパーティー券を購入したわけではないことは理解できるはずでありますが、誌面では何ら触れていません。

 以上の通り加計学園にパーティー券を購入頂いた事実はなく、本件記事の『加計学園からのヤミ献金200万円』という記事は全く事実無根であります。取り急ぎ大きな見出しで書かれている加計学園の事実関係をご説明致しました」

 冒頭発言ではこれ以外に赤坂の料理屋で加計学園理事長の加計孝太郎と下村が密談したとの文春記事に自民党の塩崎泰久と山本順三が同席したことの理由を述べているが、この箇所の発言を取り上げてみる。

 下村博文「平成26年10月17日に塩崎先生、山本順三先生及び理事長と赤坂の料理屋で会見しているとの指摘が(週刊誌には)あります。事務所で確認したところ、私の大臣留任を機にメシを食べようかと言うことになり、私の知り合いを誰でもいいから連れて行くということになり、塩崎先生と山本順三先生をお連れ致しました。

 本件記事はだから何だということは書かれておりませんが、記事の前後を読むと、恰も理事長や私から二人の先生方に構造改革特区に関する働きかけをしたのではないかと、読者が誤解するのではないかと思います。

 この点、塩崎先生も山本順三先生も愛媛県の国会議員として愛媛県と今治市が特区の申請をしていることは理解をされている先生方であり、しかも私よりも古くから今治市新都市整備改革のことをよく知っている方々であり、私などから特区申請に関する話などする必要もありませんし、事実としてもありませんでした」

 塩崎と山本順三が下村博文よりも今治市の特区申請と今治市の新都市整備改革の知識により詳しいから、下村の方から特区申請の話をする必要はないとう理由は成り立つが、塩崎と山本順三が愛媛県を選挙区をしている関係から下村留任祝の会食の形を取った今治市特区指定に向けた作戦会議という可能性は、理由上は十二分に成り立たせ得る。

 文科相留任で今後のことを頼むために文科相を補佐する文科副大臣や文科省の事務次官を同席させたという理由なら、十分に納得できるが、同席させた二人共が特区申請をしている愛媛県選出であり、席を設けたホストが愛媛県今治市の特区申請を後押ししている加計学園の理事長というのは余りにもでき過ぎている。

 さらに週刊文春の記事に載っている写真は事務所のパソコン内に保存していたデジタルデータの写しで、それを漏洩させたのは今回都議選に立候補の政策秘書を退職した者である疑いがあることを幾つかの証拠を上げて述べて、このような記事の掲載は選挙妨害だと非難、元秘書と週刊誌を名誉毀損と偽計業務妨害罪で告訴する準備を進めていると発言している。

 下村博文はパーティー券を購入したという合計11の個人及び企業ついては記者の質問に答えて次のように答えている。 

 下村博文「これは加計学園の関係の職員、あるいは会社ではないというふうには、あのー、詳しく聞いておりませんが、ただ先程の日報のところを見ますとですね、これは加計学園が、あのー、事務所が、ま、色んな方々にお願いをして加計学園以外の個人や企業からお願いしたと、ま、いうふうに、えー、この報告書の中に書かれているので、ま、そのとおりだというふうにおもいます」

 なぜかこれまでの発言と異なって、歯切れが悪くなっている。 

 次の記者の質問への答弁で加計学園秘書室長のパーティー券購入の形式に触れ、さらにその次の記者への答弁で秘書室長によるパーティー券購入の仲介理由に触れている。

 下村博文つまりその方が窓口になって纏めて、100万とか40万のパーティー券を事務所の方に届けて頂いたと、ま、そういうこと、他にもあります。纏めてと言うことはその企業の中でと言うことではありません」

 記者「11人の個人、企業が加計と関係ない人だったりすると、なぜ加計学園の秘書室長が自ら直接100万円を持ってきたのですか」

 下村博文「これは、あのー、個人的にですね、私がパーティーをやるのであるなら、協力しましょうという中で、その方の、秘書室長のですね、お知り合いの方々に声をかけて頂いたんであるというふうに理解をしております」、

 記者「100万円をわざわざ持ってくるような」
 
 下村博文「室長は東京にはよく来られているようで、うちの事務所にも何回か立ち寄ることもありますから、その中でそういうふうに対応して頂いたんだというふうに理解をしております」

 記者が11の個人及び企業の公表を求める。

 下村博文「これは11人、11社と申しますか。個人、企業、別々に領収書を切っておりますから、誰かが纏めてということはあったとしても、そこだけバラバラにしたということではないということについては明らかですが、20万円以下については政治資金規正法でパー券については名前を出さなくてもいいことになっていますが、改めてプライバシー等の問題もありますので、確認についてはこちらの方も努力したいと思います」

 11人と下村との関係について。

 下村博文「11人については私は詳しく存じ上げておりません。調べます。ただ、加計孝太郎さんの名前は入っていないということは聞いております」

 再度11の個人及び企業について。

 下村博文これは纏めて貰った方(秘書室長)にですね、領収書を11枚をお出ししていますので、こちらの方からちょっと特定できません。ですから、これはちょっと分かりませんが、調べられるのであれば、調べてみたいというふうに思いますが、プライバシーの問題もありますので、先方の了解が得られれば、調べたいと思いますが、こちらの方では分かりません」

 以上、肝心と思える発言を再度ここに記載してみる。

「学校法人加計学園から政治寄付も政治資金パーティー券の購入もして貰ったことはありません。事務所で確認したところ、2013年も2014年も合計11の個人及び企業がいずれも1者20万円以下でパーティ券を購入したものであり、加計学園が購入したものではないとのことであります。

 従って加計学園からのヤミ献金という記事は事実に反します」

「事務所の平成25年の日報で確認したところ、加計学園の秘書室長が事務所を来訪され、個人及び企業で併せて11名から預かってきた合計100万円の現金を持参したので、その11名の領収書を作成し、渡したことが確認できました。

 平成26年も同様に11名のパーティー券の購入であったことを確認しております」

「加計学園にパーティー券を購入頂いた事実はなく、本件記事の『加計学園からのヤミ献金200万円』という記事は全く事実無根であります」

「加計学園の関係の職員、あるいは会社ではない」

「つまりその方が窓口になって纏めて、100万とか40万のパーティー券を事務所の方に届けて頂いたと」

「個人的にですね、私がパーティーをやるのであるなら、協力しましょうという中で、その方の、秘書室長のですね、お知り合いの方々に声をかけて頂いたんであるというふうに理解をしております」、

●11の個人及び企業について、「これは纏めて貰った方(秘書室長)にですね、領収書を11枚をお出ししていますので、こちらの方からちょっと特定できません」

 先ず加計学園の秘書室長が下村が政治資金パーティをやるなら協力しようと申し出て、自らがパーティー券販売と集金の窓口になり、加計学園関係の職員、会社ではない個人、あるいは企業にパーティー券購入の声を掛けて、11口分売り捌くことができたから、集金した100万円ずつを2年に亘って合計200万円を下村の東京の事務所に自ら持参して、事務所の人間に自ら手渡した。

 その際、事務所側は「領収書を11枚お出し」している。
 
 だが、下村はパーティー券を購入し、代金を支払った「11の個人及び企業」に関してはどこの誰か分かっているが、プライバシーの関係があるから直ちには公表できないとするなら合理的説明となるが、最初からどこの誰かも分からないとしている。

 と言うことは、領収書に宛先を書かずに秘書室長に渡したことになるか、宛先は書いたが、控えは取らない領収書を発行したか、いずれかになる。

 2016年10月に安倍政権の高市早苗や菅義偉が政治資金パーティーを開いて、金額も日付も宛名も記入していない領収書を発行することを習慣としていることが明らかになって問題視されたが、政治資金規正法は収入に関わる領収書の発行に関して年月日、金額、宛先の記載を義務付けているが「これを徴し難い事情があるときは、この限りでない」と例外を設けていることから、規正法違反ではないとされた事例がある。

 安倍政権の閣僚たちは「徴し難い事情」に政治資金パーティーでは招待客の出入りが多くて、受付で書いていると混雑することを挙げていた。だが、加計学園の秘書室長に渡す領収書は下村の事務所である。忙しいことを理由にすることはできない。

 だとしたら、控えを取らない領収書を発行したことになるが、一般常識としてあり得ない。

 この領収書の不備も怪しい点だが、もう一つ、加計学園の秘書室長は下村がパーティーをやるならと協力しましょうと自らパーティー券の売り捌きを買って出て、売り捌き相手を自分から探し、その代金まで自分から集めて、そのカネを下村の東京の事務所にまで持参して、手渡した。

 加計学園の秘書室長はそれ程にも積極的に協力していたにも関わらず、自分にとってより近しい間柄にある、当然より多くの枚数を売り捌くことができると計算できる加計学園関係者や加計学園関連の企業に関してはパーティー券の売り捌き相手として頭に入れていなかった。それ以外の個人や企業に声を掛けたことになる。

 秘書室長と加計学園職員との人間関係はそんなにも薄いのか。

 この極端な不自然さは奇怪と言うべきで、どう説明をつけることができるのだろうか。

 選挙である候補への投票と他への支持の拡大を頼まれた個人は自分が家族や会社の人間と疎遠な関係になければ、先ず取っ掛かりとして家族や会社の人間に投票の協力を申し出るはずだが、まるで家族と勤め先の会社を抜かして家族以外の人間や他の会社の人間に投票と支持を申し出るような奇怪なまでの不自然さである。

 疑惑が真っ向から事実に反していたなら、説明に不自然さも奇怪な点も出てこない。出てくるのは事実に何らかの加工があるからだろう。

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稲田朋美は問題発言を記者会見で撤回しても、防衛相としての判断能力の程度の低さは撤回できない

2017-06-29 11:15:59 | 政治

 仕事よりもオシャレにより神経を注いでいるような防衛相の稲田朋美が6月27日(2017年)夕方の東京都板橋区で、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と都議選での自民党公認候補の応援演説をしたことが自衛隊の政治利用、選挙の私物化、自衛隊法違反、公職選挙法違反、憲法違反との批判を受け、野党は即時辞任を求めている。

 対して官房長官の菅義偉は6月28日午前の記者会見で次のように述べている。

 菅義偉「稲田大臣は発言を撤回し、『政府の機関は政治的にも中立であって特定の候補者を応援することはあり得ない』と述べている。稲田大臣には、しっかりと説明責任を果たし、今後とも誠実に職務にあたってもらいたい」(NHK NEWS WEB

 稲田朋美は発言を撤回した、防衛省・自衛隊の政治的中立性はちゃんと弁えていて、特定の候補者を応援することはあり得ないと言っている、要するに防衛省と自衛隊の名前を使って特定の候補者を応援などしてはいないのだから、その点の説明責任を果たしさえすれば、野党が要求している辞任の必要などないと擁護したことになる。

 昨日のブログに、公職選挙法は「第1章 総則 第1条」で、「その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によって公明且つ適正に行われることを確保し」と規定しているように防衛省の職員にしても自衛隊員にしても、選挙で誰に投票するかは自由意思に任されていて、日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務 第19条」が規定している「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」に深く関係することになって、稲田朋美が「防衛省、自衛隊としてもお願いしたい」と特定候補への投票を依頼したことは両組織全体がその特定の候補者を支持しているかのように装ったことになり、防衛省の職員や自衛隊員の自由意志、思想及び良心の自由を踏みにじったことになるから、公職選挙法と日本国憲法の侵害に当たると書いた。

 だが、菅義偉に言わせると、稲田朋美は防衛省・自衛隊の政治的中立性はちゃんと弁えていて、防衛省と自衛隊の名前を使って特定の候補者を応援などしていないが事実その通りなのだったら、ブログ記事を抹消、謝罪文を載せなければならない。

 「産経ニュース」(2017.6.28 01:07)が問題発言当日の午後11時半過ぎからの記者会見の詳報を伝えているから、事実その通りかどうかを確かめてみる。

 詳しいことは産経ニュースの記事に目を通して貰うことにして、大体のところを拾ってみる。

 先ず冒頭発言。

 稲田朋美「記者の皆さま方におかれましては、このような夜分遅くにお集まりをいただいて、大変恐縮でございます。今夕のですね、私の演説に関してでございますけれども、自衛隊、防衛省の活動に対して、地域の皆さま方、板橋区での今日は演説だったんですけれども、近くに練馬駐屯地もございますので、大変応援をいただいていることに感謝をしておりますという趣旨で演説を行ったわけでありますが、その中で誤解を招きかねない発言があったことに関しまして、その誤解を招きかねない発言に関して、撤回をいたしたいと、そのように思っております。もとより防衛省、自衛隊に限らず、政府の機関が政治的にも中立であって、特定の候補者を応援するということはあり得ない。これは当然のことだと考えているところでございます」 

 「誤解を招きかねない発言に関して、撤回をする」、そして「もとより防衛省、自衛隊に限らず、政府の機関が政治的にも中立であって、特定の候補者を応援するということはあり得ない」と、防衛省と自衛隊の名前を使った特定の候補者への応援は否定している。

 応援演説の趣旨そのものは近くに自衛隊の練馬駐屯地があることから、「大変応援をいただいていることに感謝をしておりますという趣旨」だとしている。

 つまり自衛隊になり代わって防衛大臣である稲田朋美が自衛隊が地域の皆様に「大変応援をいただいていることに感謝」の言葉を述べたのだと。

 稲田朋美はこの手の趣旨のことを何度も繰返している。

 稲田朋美「やはり自衛隊の基地が近くにある地域の皆さま方、そして、そういった地域の皆さま方に理解がなければですね、自衛隊の活動というものも、しっかりと結果を出していく、また、しっかりと活動をしていけるということはできません。そういう意味において、地域の皆さま方に非常に感謝をしているということを申し上げたかったということです」

 記者「実際、練馬駐屯地が1キロあまりということで、関係している方がその選挙区内に住んでいることも考えられると思うが、関係する方々に投票行動を呼び掛ける意味合いもあったと受け止められるが」

 稲田朋美「そういう趣旨で申し上げたのではなくて、また実際に板橋区の近くに駐屯地もございます。そういう意味において、練馬駐屯地に限らず自衛隊の活動自体がですね、地域の皆さま方の理解なくして成り立たないということについて、感謝をしているということを申し上げました」

 稲田朋美「私の発言の趣旨自体は、いま申し上げた通り、地域の皆さまの理解なくして、活動ができないという意味を込めてというか、趣旨で申し上げたところですが、いまお尋ねにあったように、そういった誤解を招きかねない発言であったということで、しっかりと訂正をしたいということであります」

 稲田朋美「 いま申し上げた通り、やはり地域の皆さまの理解なくして自衛隊は活動できないということは事実だと思います。しかしながら、いまご指摘になったように、誤解を招きかねないことでもございますので、そのへんはしっかりと撤回をした上で、防衛省、自衛隊はもとより、政府の機関が特定の候補者を応援するというようなことはあり得ないということでございます」

 稲田朋美「 今日の私の趣旨は、まさしく防衛省、自衛隊に対して地域の皆さん、それは別に練馬だけではなくて、日本中そうなんですけども、その感謝の気持ちを伝えたいという趣旨であったということを、しっかりと今日お話をした上で、誤解を招きかねない発言については、いまご指摘になったように、しっかりと撤回をしておきたいと思います」

 要するにどの発言も、応援演説で問題となった個所は「自衛隊の活動自体が地域の皆さま方の理解なくして成り立たない」、だから、地域の皆さま方の理解に「感謝をしている」という趣旨だったと説明している。

 事実その通りの趣旨で発言していたなら、至極尤もな心遣いとなる。誰からも非難を受ける筋合いはない。当然、この手の趣旨で話したことのどこが「誤解を招きかねない発言」で、なぜ、どのような理由で撤回しなければならなかったのだろうか。

 と言うことは、そういった趣旨で発言したことが問題発言としてマスコミに報道され、野党などに批判を受けることになったのはなぜなのだろうかという問題が生じる。逆に稲田朋美自身が、これこれの趣旨で話したことがなぜマスコミや野党の批判に曝されなければならないのかと逆ネジを食らわさなければならないし、食らわすべきだったろう。

 ところが、非難もせず、逆ネジも食らわさず、発言を撤回した、これこれの趣旨の発言だったと繰返し弁明に務める一方だった。

 記者が会見の最後で問題視した発言の目的を聞いている。 

 記者「自民党としてもお願いしたいと発言する前に、防衛省、自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたいとお話をされているが、このお願いしたいは、何をお願いしたいと発言したのか」

 稲田朋美「自民党としてはですね、やはり自民党の、自民党としてですよ、としては、やはり自民党の候補者についてお願いをしたいという趣旨でお話をしましたが、その前に私は、やはり防衛省、自衛隊として地域の方々に対して感謝を申し上げたいという気持ちがあって、誤解を招きかねいような文脈になったことについて、しっかりと訂正をしたいということでございます」――

 「防衛省、自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」との発言は「自民党の候補者についてお願いをしたいという趣旨」であったということは、特定候補者への投票をお願いしたことになる。

 但し、そのようにお願いをする前に「防衛省、自衛隊として地域の方々に対して感謝を申し上げたいという気持」があって、「誤解を招きかねいような文脈」になってしまったと弁解している。

 「自衛隊の活動自体が地域の皆さま方の理解なくして成り立たない」から、地域の理解に感謝する気持があり、その気持に基づいて「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と都議選での自民党公認候補への投票を呼びかけたことになる。

 果たして前後の意味内容がどう繋がるのだろうか。論理的整合性を持たせて前後の意味内容を矛盾なく繋げることができるなら、誤解を招きやすい発言でも何でもなくなる。当然、発言を撤回する必要性も生じない。

 自衛隊に対する地域の理解への感謝をどれ程に持っていたとしても、あるいは目に大きな付けまつ毛を装着することを忘れる程にも感謝の思いに気持を奪われていたとしても、防衛省の職員にしても自衛隊員にしても、個々それぞれの思想及び良心に従って自らの自由意思で決めるそれぞれの一票であることも構わずに、まるで稲田朋美自身が両組織全体を自民党公認候補への支持で既に固めているかのように装い、その支持の大きさと広がりを以てして有権者を同じ投票行動に駆り立てようと策したのだから、防衛省や自衛隊の名前を使った特定候補への投票の呼びかけそのものであって、公職選挙法と日本国憲法に抵触することに変わりはない。

 当然、「もとより防衛省、自衛隊に限らず、政府の機関が政治的にも中立であって、特定の候補者を応援するということはあり得ない」は公職選挙法と日本国憲法に抵触する問題発言をしてしまった後の弁明のために用意した後付けの認識であったことになる。

 防衛大臣という重要な役目に就いていながら、抵触する危険性に前以って気づかずに問題発言をしてしまう稲田朋美の判断能力については、発言の趣旨を自衛隊の活動自体に対する地域の理解への感謝にいくら置き換えようとしても、論理的整合性を見つけ得ない以上、その程度の低さは変わりはないことになり、閣僚の適格性にモロに関係していくことになる。

 稲田朋美の軽い発言は今に始まったことではない。多くの防衛省の職員、自衛隊員はまたやってしまったかと思っているに違いない。防衛省の最高責任者として、また自衛隊組織の統督者として上に立つ者の信頼をも軽くしてしまったはずだ。

 選挙に対する政治的中立性が弁明のための後付けの認識に過ぎない以上、官房長官の菅義偉のように発言を撤回したことを理由に問題無しとすることはできない。発言を撤回しても、稲田友美の防衛相としての判断能力の程度の低さは撤回できない。

 安倍晋三は判断能力の程度の低い政治家を国家の安全保障に深く関わる防衛大臣に任命し続けることになる。これまでも何度か見せてきたように自身の任命責任逃れのために再び安倍晋三らしい逆説を見せることになる。

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稲田朋美の都議選「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」は日本国憲法と公職選挙法違反

2017-06-28 07:34:44 | 政治

 防衛相の稲田朋美が6月27日(2017年)夕方、東京都板橋区で行った都議選の自民党公認候補の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」(朝日デジタル)と呼びかけたという。    

 記事によると、稲田朋美は応援演説後、張り付いていた記者団に発言の不適切さを指摘されたのだろう、「(演説会場は陸上自衛隊)練馬駐屯地も近く、防衛省・自衛隊の活動にあたっては地元に理解、支援をいただいていることに感謝しているということを言った」と釈明。

 同日深夜になって改めて記者会見。他の記事によると、場所は国会内となっている。

 稲田朋美「(発言を)撤回したい。防衛省・自衛隊に限らず、政府の機関は政治的にも中立で、特定の候補者を応援することはあり得ない。これは当然のことだ。

 (発言の意図について)近くに練馬駐屯地もあるので、応援してもらっていることに感謝しているとの趣旨で演説を行った。これからもしっかりと職務を全うしたい」

 「これは当然のことだ」と言っているが、防衛大臣である以上、一般的常識として弁えていなければならなかった極くごく「当然のこと」を前以って判断できなかった。「Wikipedia」に防衛大臣とは「他の大臣と同様、日本国憲法第66条の規定により、文民統制の観点から文民が任命される。 行政組織としての防衛省の最高責任者であるとともに、陸海空の三自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣の下で(統合幕僚長を通じて)自衛隊全体を統督する」とある。

 閣僚として弁えていなければならなかった一般的常識を前以って判断できないようでは果たして防衛省の最高責任者が務まるだろうか。内閣総理大臣の下で(統合幕僚長を通じて)自衛隊全体を統督することができるだろうか。

 今までも資質を疑われる言動が多かった。

 記事は、〈防衛相が自身の地位に言及して所属政党の公認候補への支持を呼びかけるのは異例で、自衛隊の政治利用と受け取られかねない。〉と批判し、〈自衛隊法61条は、選挙権の行使以外の自衛隊員の政治的行為を制限しており、特定の政党などを支持する目的で職権を行使できない。稲田氏の発言は、防衛省・自衛隊が組織ぐるみで特定政党の候補を応援しているという印象を与えるうえ、大臣が隊員に対し、自衛隊法に抵触する政治的行為を呼びかけたと受け取られかねない。〉とその資質を危惧しているが、問題はそれだけではない。

 稲田朋美が聴衆に対して特定の候補者への投票をお願いするために「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と発言したことは自身と自民党を除いて防衛省も自衛隊もその特定の候補者を両組織全体で支持していることを装ったことになる。

 公職選挙法は「第1章 総則 第1条」で、「この法律は、日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によって公明且つ適正に行われることを確保し、もって民主政治の健全な発達を期することを目的とする」ことを求めている。

 いわば防衛省の職員にしても自衛隊員にしても、選挙で誰に投票するかは自由意思に任されていて、そうである以上、本人それぞれの思想及び良心の領域に関係する。日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務 第19条」は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定している。

 この規定は選挙に関して言う場合、投票行動で自らの意思を代表しているのは自身のみであって、如何なる他者でもないことを意味することになる。

 いわば個々の投票は自身の意思によってのみ行われ、他者の意思によって行われてはならないことを意味する。

 これらの意味関係を破った場合、思想及び良心の自由を踏みにじることになる。

 稲田朋美が特定の候補者への投票をお願いするとき、防衛省と自衛隊を加えて、両組織全体が特定の候補者を支持しているかのようにを装ったことは、防衛省の職員と自衛隊員それぞれの自由意思に任せるべき投票行動に於ける彼らの思想及び良心を踏みにじって、不遜にもそれらの思想及び良心を自身の自由裁量下に置いたことになる。

 あるいは防衛省の職員と自衛隊員それぞれが自らの意思によって代表されるべき投票行動を他者である稲田朋美が代表したことになる。

 個々それぞれの思想及び良心に従って自らの自由意志で決めなければならない投票行動を自身が支配しているかのように自由裁量下に置いた稲田朋美の行為は「その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し」と規定している公職選挙法のみならず、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定している日本国憲法を明らかに侵していることになる。

 この公職選挙法と日本国憲法に対する重大な侵害は防衛相としての資格がないことの証明となって辞任に値するばかりか、稲田朋美を防衛相とした安倍晋三の任命責任と適性鑑識眼の欠落を示して、首相としての適性も問われることになる。

 尤も安倍晋三はその資質・能力に問題のある閣僚が出現しても、例の如くに任命責任は私にありますと口先だけで逃げて、後は知らん振りするのは分かりきっている。

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外相の岸田文雄、派閥所属議員のパーティーで安倍晋三の人物像を権力に驕り、狭量・短気だと語ったも同然

2017-06-27 09:29:44 | 政治

 2017年6月26日付朝日デジタルが福島県郡山市で開かれた派閥所属議員のパーティーに出席の外相岸田文雄の発言を伝えている。

 《「権力は大変恐ろしい、謙虚でなければ」 岸田外相》     

■岸田文雄外相(発言録)
 宏池会(岸田派)は今年で60周年を迎えた。宏池会を立ち上げた池田勇人総理が掲げたキャッチフレーズが「寛容と忍耐」だ。権力というのは大変恐ろしいものであり、権力を扱う者は謙虚でなければならない。寛容と忍耐でもって、権力を扱っていかなければならない。(宏池会は)こういった権力に対する謙虚さを持った政策集団だった。

 いま国際社会は大変不透明だ。国内政治もいろんな出来事の中で(安倍内閣の)支持率が下がり、いろんなことが議論されている。こういった不透明な時代だからこそ、宏池会の歴史を大事にしながら、日本の政治の行く末をしっかりとにらんで努力していきたいと思っている。(福島県郡山市で開かれた派閥所属議員のパーティーで)

 岸田文雄は安倍晋三の後継を狙っている。当然、相互の政治的立ち位置、あるいは政治思想、さらには国民を背景に置いた国会や記者会見での説明責任の態度等々の違いの有無に応じて見習うべき模範とするか、反面教師とすべきかが決まってくる。

 岸田文雄は言っている。「権力というのは大変恐ろしいものであり、権力を扱う者は謙虚でなければならない。寛容と忍耐でもって、権力を扱っていかなければならない」

 もし仮に安倍晋三が「寛容と忍耐」、謙虚さを持って国民や野党と相対し、そういった美徳に満ちた政治を行っていたなら、岸田文雄にとっては見習うべき模範となる。但し池田勇人が掲げたキャッチフレーズの「寛容と忍耐」という言葉の後に権力の恐ろしさや権力者が要件としなければならない謙虚さをわざわざ言う必要はなくなる。

 なぜなら、見習うべき模範にしますという言葉を続ければ済んだはずだからだ。それは池田勇人が掲げ、安倍晋三が既に体現している「寛容と忍耐」、謙虚さといった美徳に満ちた姿勢の政治を自らも行うことの誓いともなっただろう。

 そうしなければならないのは次のリーダーが前のリーダーの美徳に劣ってはならないからだ。劣ったとしたら、池田勇人が掲げたキャッチーフレーズ自体の価値を下げることになる。

 キャッチフレーズをキャッチフレーズとして維持するためには、前任者以上の美徳の発揮を心しなければならない。心し、実際にも発揮することによってキャッチーフレーズの価値をも保つことができる。

 だが、岸田文雄の発言はそういった展開を見てはいない。「権力というのは大変恐ろしいものであり、権力を扱う者は謙虚でなければならない。寛容と忍耐でもって、権力を扱っていかなければならない」と、権力の恐ろしさに対峙させて寛容と忍耐と謙虚さの必要性を自他への戒めとした。

 このような対峙を必要としたこと自体、安倍晋三が実際には「寛容と忍耐」、謙虚さを持ったリーダーはなく、それとは正反対の権力に驕った狭量・短気なトップリーダーだと間近に見ていて、そのような安倍晋三を対極に置いていたからに他ならない。

 要するに安倍晋三の国民を間に置いた政治姿勢を内心では反面教師としているからこそ、自他への戒めの言葉を口にすることになった。

 くどいようだが、もう一度繰返す。もし仮に安倍晋三が「寛容と忍耐」、謙虚さを持って国民や野党と相対し、そういった美徳に満ちた政治を行っていたなら、権力が陥りやすい驕り、驕りゆえの狭量・短気、その恐ろしさをわざわざ持ち出す必要性はどこにもない。

 岸田文雄は頭の中で安倍晋三の政治家像をそのように描いていて、その政治家像を反面教師として自他への戒めとした。

 いわば自分では気づかないままに安倍晋三の人物像を人物像通りに権力に驕り、狭量・短気だと語ってしまった。

 自民党東京都支部連合会会長の下村博文が東京都議選の東京・武蔵野市での応援演説発言を2017年6月25日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。   

 下村博文「私たちは、東京を前に進め、東京オリンピック・パラリンピックを成功させるために、小池都知事に協力すべきところはしっかり協力する。しかし、スピード感が遅いところについては、背中を押していかなければ、間に合わなくなる。都議会で小池知事のイエスマンばかり増えれば、チェック機能がなくなってしまう。知事に対する白紙委任状を出す都議会であってはならない」

 後半の発言はそっくり安倍晋三に返すべきだろう。

 「内閣、国会で安倍晋三のイエスマンばかり増えれば、チェック機能がなくなってしまう。安倍晋三に対する白紙委任状を出す国会であってはならない」・・・・・・

 実際にも安倍一強支配の驕りが言われていて、反対意見を言える雰囲気ではないとの声も出ている。下村は安倍晋三一派を組んでいて、その中にいるから、内閣や国会がこのような状況に陥っている足元には気づかずに小池百合子を批判したのだろう。

 下村博文の鉄面皮もいいとこだが、安倍権力のこのような姿が外相の岸田文雄の自他への戒めの言葉を誘い出した。

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安倍晋三は砂川最高裁違憲判決の自衛隊を憲法への明記を狙う憲法違反を侵そうとしている

2017-06-26 12:18:19 | Weblog


 自衛隊は憲法違反だと声高に騒ぐつもりはないが、実質的には憲法違反である。なぜなら、安倍晋三も自民党副総裁の高村正彦も、憲法の番人は最高裁判所であると言ってるからである。

 その憲法の番人である最高裁判所が砂川事件判決で自衛隊は違憲だとした。

 先ず「憲法の番人は最高裁判所」と言及している安倍晋三と高村正彦の国会での発言を見てみる。

 2015年6月26日の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する衆議院特別委員」での答弁。文飾は当方。

 安倍晋三「平和安全法制について、憲法との関係では、昭和47年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は変わっていないわけであります。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。

 そこで、砂川判決とは何かということであります。この砂川判決とは、『我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない』、つまり、明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断であります。

 そして、その中における必要な自衛の措置とは何か。これはまさに、その時々の世界の情勢、安全保障環境を十分に分析しながら、国民を守るために何が必要最小限度の中に入るのか、何が必要なのかということを我々は常に考え続けなければならないわけであります。そして、その中におきまして、昭和47年におきましてはあの政府の解釈があったわけでございます。

 今回、集団的自衛権を限定容認はいたしましたが、それはまさに砂川判決の言う自衛の措置に限られるわけであります。国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、専ら他国の防衛を目的とするものではないわけでありまして、それは新たに決めた新三要件を読めば直ちにわかることであります」

 砂川最高裁判決は自衛隊を合憲としていないばかりか、集団的自衛権を認めてはいない。

 では、高村正彦の2015年6月1日の衆議院憲法審査会での発言。

 この会は各党の憲法審査会委員が発言するだけの形式であって、質疑応答の形式は取ってないい。トップバッターは高村正彦で、あとの方で出番が回ってきた民進党の長妻昭が、「高村先生が退席されてもう帰ってこられないというのは大変残念でございますが」と言って、高村の主張に反論を加えている。

 高村は自分が言うだけのことを言って退席してしまう。この他人の主張は聞かないという姿勢はどれ程に無責任なことか。

 高村正彦「現在国会で審議をしている平和安全法制の中に集団的自衛権の行使容認というものがありますが、これについて憲法違反である、立憲主義に反するという主張があります。これに対して、昭和34年のいわゆる砂川判決で示された法理を踏まえながら、私の考え方を申し述べたいと思います。

 憲法の番人である最高裁判所が下した判決こそ、我々がよって立つべき法理であります。言いかえれば、この法理を超えた解釈はできないということであります。

 砂川判決は、憲法前文の平和的生存権を引いた上で、『わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない』と言っております。

 しかも、必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておりません。ここが大きなポイントであります。個別的自衛権の行使は認められるが集団的自衛権の行使は認められないなどということは言っていないわけであります。

 当時の最高裁判事は集団的自衛権という概念が念頭になかったと主張する方もいます。しかし、判決の中で、国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えていると明確に述べていますので、この主張ははっきり誤りであります。

 そして、その上で、砂川判決は、我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う、こうはっきり言っているわけであります

 そして最後に、「憲法の番人は、最高裁判所であって、憲法学者ではありません」と言い切り、「もしそれを否定する人がいるとしたら、そんな人はいないと思いますが、憲法81条に反し、立憲主義をないがしろにするものであることを申し添えたいと思います」と言って、自身の主張を終えている。

 では、参考のために長妻昭の主張を見てみる。

 長妻昭「高村先生が退席されてもう帰ってこられないというのは大変残念でございますが、高村先生がおっしゃった砂川判決についてであります。

 私がこの判決文をどこをどう読んでも、この砂川判決の中に、法的効力のある部分として、我が国が集団的自衛権の行使を認める、そういうような記述というのがどこにも書いていないわけでございまして、北側先生はおられるので、北側先生に、一体どこの部分に、我が国が集団的自衛権の行使容認、これはしていいよというのが砂川判決の法的拘束力のあるどの部分に書いてあるのかということを、具体的に何行目にあるのかというのをお尋ねしたいところでもございます」

 北側先生に「お尋ねしたい」と言っても、質疑応答形式ではないから、公明党の北側一雄は高村正彦の主張にほぼ添った意見を述べたに過ぎない。

 安倍晋三も高村正彦も「憲法の番人は最高裁判所」であって、その判決が全てだと言い、砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を国家固有の権能の当然の行使として認めていると、その正当性を言い立てている。

 二人が主張しているように砂川事件最高裁が集団的自衛権を認めているならいいが、ブログに何度も書いてきたが、認めていないばかりか自衛隊そのものをも違憲としている。

 砂川事件とはそもそも日米安保条約は日本国憲法に違反しているか否かが争われた裁判である。端緒は1957年7月8日に東京調達局が米駐留軍が使用する東京都下砂川町の基地拡張のために測量を強行、これを阻止すべく基地拡張反対派のデモ隊の一部が米軍基地内に侵入、刑事特別法条違反で起訴された。この訴訟で被告人側は安保条約及びそれに基づく米国軍隊の駐留が憲法前文および9条に違反すると主張、日米安保条約と米軍日本駐留が合憲か否かが争われることになった。

 1959年3月30日の東京地方裁判所の判決は安保条約違憲、被告人たちは無罪。1959年12月16日の最高裁判決は原判決破棄、地裁に差し戻し、地裁は罰金2000円の有罪判決、この判決につき上告を受けた最高裁が1963年12月7日に上告棄却、この有罪判決が確定という展開を取った。

 この1959年12月16日の最高裁判決で安保条約及びそれに基づく米国軍隊の駐留は日本国憲法に違反しないとした。

 但し合憲とした根拠は戦争の放棄を謳った日本国憲法の9条第1項に対して2項で1項の目的達成のために不保持を謳っている戦力に自衛隊が該当するとしたことにある。

 いわば砂川事件最高裁は自衛隊を違憲としたのである。

 一方で日本国家が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されてはいないために自衛のための措置を取り得ることは国家固有の権能の行使として当然のことであって、他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではなく、外国の軍隊は、例えそれが我が国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきだとして、日米安全保障条約と米軍の日本駐留を合憲とした。

 つまり自衛隊は9条2項に言う「戦力」に当たって違憲だから、自衛隊に代わる自国防衛を日本国憲法9条2項に言う「戦力」に当たらない日本駐留の米軍に求めたとしても憲法違反ではないと判決した。

 以上の説明の砂川最高裁判決に当たる個所を列挙してみる。文飾は当方。文節の長い個所は段落を用いた。

 「砂川最高裁判決」(一部)

 〈9条1項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、 また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定 し、さらに同条2項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認め ない」と規定した。

 かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしも ちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲 法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。

 しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。

 そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではな く、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するた めに他国に安全保障をめることを、何ら禁ずるものではないのである。

 そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる 侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留する としても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。

 砂川最高裁判決は、〈同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し〉との表現で間接的に自衛隊を名指しして、日本国憲法9条2項の戦力に当たると憲法違反の存在としている。

 殆どの憲法学者が自衛隊を違憲としているのは以上のことを根拠にしているはずだ。

 自衛隊を違憲の存在としている以上、自衛隊が米軍、その他の国の軍隊と共に戦う集団的自衛の権利を有するはずはない。憲法の番人である最高裁の判決を厳格に読み取ると、自衛隊は憲法が禁じる「戦力」に当たるゆえに個別的自衛権すら有していないことになる。

 当然、砂川最高裁判決の中で言及している、「国家固有の権能の行使として当然」取り得るとしている「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」が高村や安倍晋三が主張しているように集団的自衛権行使容認の指摘だと認めることはできない。

 砂川最高裁判決で集団的自衛権について触れている個所を見てみる。

 〈国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。〉

 この意見は今まで見てきたようにあくまでも自衛隊違憲、日米安全保障条約と米軍の日本駐留合憲を前提とした文脈となっている。

 この前提を基に読み解くと、〈国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している〉が、自衛隊が日本国憲法第9条2項の戦力に当たる憲法違反の組織であるゆえに日本は日米安全保障条約によって〈アメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定め〉ていると、安保条約に基づいた日本防衛の意義を説明しているのであって、自衛隊という軍隊を用いた日本自身の個別的及び集団的自衛の固有の権利を認めているわけでも、言及しているわけでもない。

 認めたとしたら、自衛隊が9条2項の戦力に当たるとした判断と矛盾することになる。

 高村正彦は上記憲法調査会で、「当時の最高裁判事は集団的自衛権という概念が念頭になかったと主張する方もいます。しかし、判決の中で、国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えていると明確に述べていますので、この主張ははっきり誤りであります」と主張しているが、自己都合の歪曲に過ぎない。

 こうも都合よく解釈できる、その神経に感心する。

 国連憲章は第7章第51条で、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、加盟国は個別的・集団的自衛権を行使できる。加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない」と規定したのみで、「個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えている」などとどこにも書いていない。

 そんな権利は国連にはない。各国の憲法は国連憲章の上に位置する。内閣法制局は集団的自衛権行使は国連憲章で認められているが、「日本国憲法解釈上は権利はあるものの行使できない」と、日本国憲法を上に置いた見解をこれまで保持、歴代政府はこの見解を踏襲してきた。

 それを安倍晋三は破った。

 その他に砂川最高裁判決が集団的自衛権について触れている個所は裁判長の田中耕太郎が補足意見の中で述べている。

 〈一国の自衛は 国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の 諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべ きでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。〉

 「集団的自衛権」という言葉そのものは使っていないが、「自衛」と「他衛」という言葉で両者をイコールさせることで集団的自衛権を意味させている。

 但しこの主張はあくまでも「補足意見」であって、判決を意味するものではない。だから、この意見のすぐ後で、「自衛」及び「他衛」の防衛の義務は憲法前文の国際協調主義の精神からも認め得られるものであると前置きして、〈政府がこの精神に副うような措置を講ずることも、政府がその責任を以てする政治的な裁量行為の範囲に属するのである。〉と今後の政治的課題としているものの、現行日本国憲法が集団的自衛権を認めていると最高裁として判断しているわけではない。

 高村正彦は集団的自衛権について、「砂川判決は、我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う、こうはっきり言っているわけであります」と言っていることの正当性を砂川判決から見てみる。

 判決は次のように言っている。

 ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。

 読んで一目瞭然、集団的自衛権が合憲か否かを述べているわけではなく、要約すると、日米安全保障条約は極めて高度の政治性を有するゆえに違憲かどうかの法的判断は司法裁判所の審査には原則としてなじまないから、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであり、内閣と承認権を有する国会が判断すべきであって、その判断は最終的には主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきべきであると、違憲・合憲の判断を裁判所から、内閣と国会に任せた内容であって、高村正彦が言うように集団的自衛権についての言及では全然ない。

 これも自己都合の歪曲した解釈に過ぎない。

 確かに国際社会は緊密化する一方で分極化し、分極化した国同士の間の対立が複雑化している。「自衛」は「他衛」の相互性に基づいた集団的自衛権の必要性を主張する国民もいれば、憲法9条は手を付けるべきではないとする徹底的平和主義者も多く存在する。

 しかし安倍晋三や高村の一派は「憲法の番人は最高裁判所」と主張し、集団的自衛権の行使と自衛隊が合憲か否かに関して砂川最高裁判所の判決で自らを縛ったのである。自分たちではその判決が集団的自衛権を認めていると解釈したが、当たり前の頭で考えれば、判決のどこにも認めるとする文言は存在しない。

 砂川最高裁判決で自らを縛った以上、安倍晋三が憲法9条の1項と2項は手を付けずに9条の2を設けて、そこに自衛隊の存在を明記する、いわば自身の改憲構想を明らかにし、6月24日(2017年)の神戸市の講演で、「憲法9条に自衛隊を位置付け、『合憲か違憲か』といった議論は終わりにして2020年の施行を目指して秋の臨時国会で自民党としての改正案を示したい」と、砂川最高裁判決が違憲としている自衛隊を憲法に明記しようとする意図は明らかに憲法違反行為となる。

 もし自衛隊明記を強行したなら、「憲法の番人は最高裁判所」であるとする絶対法理を、絶対であるにも関わらず、自ら破る破廉恥行為を侵すことになる。

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安倍晋三語るに落ちる「総理のご意向」、講演での地域無関係の獣医学部新設の大盤振舞い

2017-06-25 11:54:16 | 政治

 「語るに落ちる」という言葉の意味を「コトバンク」が次のように解説している。

 《「問うに落ちず語るに落ちる」の略》問い詰められるとなかなか言わないが、勝手に話させると、うっかり秘密をしゃべってしまう。 》

 2017年6月24日、安倍晋三が神戸市中央区の神戸ポートピアホテルで開かれた神戸「正論」懇話会の設立記念特別講演会で講演していて、発言の詳細を「産経ニュース」が伝えている。    

 安倍晋三はお得意の「五七五」を一句詠んでいる。

 「逆風に 神戸の空は 五月晴れ」

 この一句の前の発言。

 「なかなか私も政治的な困難に、さまざまな困難に直面して参りました。その中で空を見上げたら、昨日は青空だったんですね。こんな一句が思い浮かびました」

 この逆風、困難の中には勿論、加計学園獣医学部新設に関わる安倍晋三の政治的関与疑惑に基づいた野党の国会追及、国民の批判も入っているはずだ。 

 句の意味は逆風の渦中にある自分だが、神戸に来たら五月晴れで、しばし心が晴れやかになったと言ったところなのだろうが、疑惑が謂れ(根拠)のない非難であるということを五月晴れに象徴させていたはずだ。五月晴れのように曇り一つないと。

 だが、実際には6月24日の神戸は晴れていなかった。五月晴れだったのは「昨日」、6月23日であって、そのときに思い浮かんだ句を講演で披露したということになる。

 ここで果たして6月23日は五月晴れだったのだろうかと疑った。疑うについては安倍晋三が巧妙なウソつきだからである。そうでない人間だったなら、疑いなど頭を掠めもしなかったろう。

 ネットで調べてみた。「神戸の過去の天気 6月23日-goo天気」によると、2017年6月23日の天気は午前中も午後も曇りとなっている。    

 念のために国土交通省気象庁「過去の気象データ検索」からも2017年6月の神戸市の天気を調べてみた。  

 〈6月23日 昼(06:00-18:00))曇時々晴  夜(18:00-翌日06:00) 薄曇〉となっている。

 6月23日の神戸市の天気はとても五月晴れとまではいっていない。要するに加計学園政治的関与疑惑の逆風の渦中にはあるが、その逆風を謂れ(根拠)のない非難とするためには五月晴れでなければなかったから、無理やり五月晴れに仕立てた。

 その気持は分からないではないが、巧妙なウソであることに変わりはない。もし事実謂れのない非難であるなら、俳句などで表現せずに国会証人喚問に応ずるなり、第三者委員会を設置するなりして、自ら積極的に謂れのない非難に過ぎないことを証明すればいい。

 そういったことはせずに、巧妙なウソまでついて俳句で自身は無実だという心境を披露する。ある意味卑怯である。

 加計学園獣医学部新設に関係した発言個所を見てみる。読みやすいように一個所のみ段落を設けた。

 安倍晋三「国会終盤では、国家戦略特区での獣医学部新設につき、行政がゆがめられたかどうかをめぐって大きな議論となりました。獣医学部は昭和41年を最後に新設がまったく認められていませんでした。しかし、半世紀以上の時が過ぎ、鳥インフルエンザ、口蹄疫など動物から動物、さらには動物から人に、うつるかもしれない伝染病が大きな問題となっています。

 専門家の育成、公務員獣医師の確保は喫緊の課題であります。それでも新設を認めない、時代の変化に対応できない制度であるならば、そちらの方こそ、ゆがんでいるのではないでしょうか。時代のニーズに応える規制改革は行政をゆがめるのでなく、ゆがんだ行政を正すものです。岩盤規制改革を全体として、スピード感を持って進めることは、まさに総理大臣としての私の意志であります。

 当然その決定プロセスは適正でなければならない。ですから国家戦略特区は民間メンバーが入った諮問会議や専門家を交えたワーキンググループにおいて、議論をすすめ、決定されています。議事は全て公開しています。文部科学省などの関係省庁もこうしたオープンな議論に参加し、主張すべきは主張します。最終的に関係省庁の合意の上で改革を進めていきます。むしろ、そうした透明で、公正、公平公正なプロセスこそが内向きの議論を排除し、がんじがらめとなった岩盤規制を打ち破る大きな力となる、これが国家戦略特区の発想であります。

 ですから、私の友人だから認めてくれ、などという訳のわからない意向がまかり通る余地などまったくありません。審議に携わった民間人のみなさんもプロセスに一点の曇りもないと断言されています。国家戦略特区は規制改革の突破口です。まずは、特区に限定して、岩盤規制に風穴を開ける。しかし、目指すところはあくまでも全国展開です。これまでこの特区を活用して79項目にわたる規制改革を行いましたが、このうち23項目は特区に限定することなく全国展開が実現しています。

 獣医学部の新設も半世紀以上守られてきた堅い岩盤に風穴をあけることを優先し、獣医師界からの強い要望をふまえ、まずは1校だけに限定して特区を認めました。

 しかし、こうした中途半端な妥協が、結果として、国民的な疑念を招く一因となりました。改革推進の立場からは、今治市だけに限定する必要はまったくありません。すみやかに全国展開を目指したい。地域に関係なく2校でも3校でも、意欲あるところにはどんどん獣医学部の新設を認めていく。国家戦略特区諮問会議で改革を、さらに進めていきたい、前進させていきたいと思います」

 前半は加計学園獣医学部新設に関わる国家戦略特区諮問会議での議論と決定の正当性の訴えとなっている。

 そしてその根拠として「獣医師界からの強い要望」を挙げて、その要望に従った「1校だけに限定した」認可だとしている。

 だが、6月月16日(2017年)の参院予算委で内閣府の藤原審議官の答弁によると、内閣府と文科省が従来の獣医師養成系大学の設置基準から獣医師養成系大学のない地域に於いてという原案を文科省に提示したのが10月28日。

 内閣府と文科省が折衝して、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度を直ちに行う」方針で行くことを決めたのが11月1日ということになっている。

 そして11月9日の国家戦略特区諮問会議がこの方針を決定。

 この決定以後、文科省はなぜか2カ月近くもかかって2017年1月4日に獣医学部設置の規定を一部改正、特区内で1校に限り獣医学部の設置申請を可能とする旨の告示を行っている。

 但し2017年6月22日付「日テレNEWS24」によると、日本獣医師会が2017年6月22日に総会を開き、蔵内会長がその後の会見で、「広域的に獣医師系養成大学等のない地域に限る」とする文言について、「この文言が付け加わった11月より前に要請したことはない」と発言したと伝えている。    

 この「11月」とは11月9日の国家戦略特区諮問会議での方針決定を指すはずだ。

 要するに11月9日に国家戦略特区諮問会議が「広域的に獣医師系養成大学等のない地域に限る」と方針決定以後に“1校限定”を要請したことになる。

 11月9日の国家戦略特区諮問会議の“1校限定”の方針決定から、文科省の獣医師養成系大学の設置基準の改正、告示に手間取ったのは文科省や内閣府と日本獣医師会の交渉が手間取ったからではないだろうか。

 この推測が当たっていなくても、日本獣医師会蔵内会長の記者会見での発言を踏まえると、“要請”と言うよりも、“念押し”に見える。「1校だけだよ」といった念押しである。

 このことは2017年6月22日日本獣医師会総会で発表された蔵内会長の、「国家戦略特区による獣医学部の新設に係る日本獣医師会の考え方について」公益社団法人日本獣医師会/2017年6月22日)で記された中の次の文言が証明する。  

 「今般、国家戦略特区制度に基づき獣医学部の新設が決定されましたが、全国的観点で対処すべき獣医師の需給問題の解決、及び長期的な視点で将来の在り方を十分に検証して措置すべき獣医学教育の改善については、特区制度に基づく対応は馴染まないと考えています。むしろ、現在優先すべき課題は、地域・職域対策を含む獣医療の提供体制の整備・充実、獣医学教育課程の改善にあり、このためにも獣医学入学定員の抑制策は維持する必要があるとの立場を従来から表明してまいりました」

 「獣医学入学定員の抑制策は維持する必要があるとの立場を従来から表明してまいりました」と言っていることが獣医学部新設に積極的ではなく、仕方がなく一校だけにして欲しいという念押しを証明することになる。

 そもそもからして日本獣医師会の基本的姿勢が「特区制度に基づく対応は馴染まない」ということであることも、安倍晋三が「獣医師界からの強い要望をふまえ、まずは1校だけに限定して特区を認めました」と言っているは疑わしい。

 また安倍晋三は通常国会閉会を受けた記者会見で、「公務員獣医師の確保は喫緊の課題」だと訴え、1月9日の国家戦略特区諮問会議では山本農水相が「産業動物獣医師の確保の必要性」に言及していたが、これらの問題点について蔵内会長は上記「考え方」で次のように述べている。

 文飾は当方。

 「獣医学部の新設は、産業動物診療分野や家畜衛生・公衆衛生分野の公務員獣医師の採用難の改善に寄与するとの意見もあるようですが、これらの分野の採用難は、新規免許取得者の就業志向が小動物診療分野に偏在していること、民間に比べて就業環境が過酷で処遇が低いことが原因です。地方に獣医学部を新設し入学定員を増やしても、解決する問題ではありません」――

 6月5日当ブログでは、2016年9月公表の農林水産省の「分野別獣医師数」を基に獣医師は、〈小動物診療(ペット関係)に最も集中して15000人の人気分野となっていて、次に身分保障にしても各種手当がしっかりしている公務員が約9500人の人気分野、小規模経営が多い養豚や養牛関係の診療、種付け、出産を扱う極くごく地味な現場労働である産業動物診療が4300人程度と最も不人気分野となっていることが偏在を生んでいることのより大きな理由であるはずだ。〉と書き、〈四国に獣医学部を新設してもペット関係にのみ就職が集中して、それも都市部、あるいは東京圏への就職が集中して、公務員の獣医師ばかりか、最も必要としている産業動物関係の就職は少数にとどまり、応募数に対して定員不足が生じる同じ現象が起きる可能性は否定できないことになる。〉と書いた。

 6月23日の当ブログでは、〈四国に獣医学部を新設してもペット関係にのみ就職が集中して、それも都市部、あるいは東京圏への就職が集中して、公務員の獣医師ばかりか、最も必要としている産業動物関係の就職は少数にとどまり、応募数に対して定員不足が生じる同じ現象が起きる可能性は否定できないことになる。〉と書き、〈広域的に獣医師養成系大学が存在しないことを理由に四国今治市にその学部を新設をしても、必ずしも獣医師の地域偏在ばかりか、分野(職務)別偏在の解決策とはならない。〉と書いたが、これらのことと符合する。

 いずれにしても日本獣医師会は基本的には獣医師の需給関係から獣医学部の新設に反対だった。文科省も獣医師会の意向に従って反対の姿勢でいた。そして加計学園獣医学部新設決定に関しては安倍晋三の政治的関与が疑われているが、内閣府と文科省との折衝、国家戦略特区諮問会議での議論と方針決定、そして文科省と日本獣医師会との折衝という経緯を取った。

 加計学園獣医学部新設に関わらず、今後如何なる獣医学部新設であっても、この経緯を外すことはできないはずだ。

 だが、安倍晋三はこの経緯を無視した発言をしている。

 「改革推進の立場からは、今治市だけに限定する必要はまったくありません。すみやかに全国展開を目指したい。地域に関係なく2校でも3校でも、意欲あるところにはどんどん獣医学部の新設を認めていく」

 四国に獣医学部を新設しても獣医師の地域偏在や分野(職務)別偏在の解決策となるかどうかも不明であるのに、このような偏在の問題も獣医師の需給の問題も無視しているばかりか、各関係機関や関係部署に於ける各段階での議論や決定という欠かすことができない経緯までも無視して、「地域に関係なく2校でも3校でも、意欲あるところにはどんどん獣医学部の新設を認めていく」と、自らの一存(=「総理のご意向」)で獣医学部新設を大盤振舞いしている。

 これらのことを無視できるのは、勿論、中途過程に各関係機関や関係部署に於ける各段階での議論や決定という経緯を挟んでいたとしても、大枠としては加計学園獣医学部新設が安倍晋三自身の一存(=「総理のご意向」)で始まり、その一存(=「総理のご意向」)で決定した経緯を取ったからであって、そのような経緯を反映した、相互対照としてある「2校でも3校でも獣医学部の新設を認めていく」という一存(=「総理のご意向」)でなければならない。

 もしそこに自身の一存(=「総理のご意向」)という戦略特区私物化の要素が毛程も入り込ませていなくて、獣医師の偏在問題や需給問題をも含めて関係機関や関係部署が厳格な段階的経緯を経て決定した加計学園獣医学部新設の決定であったなら、安倍晋三自身そのことを承知しているはずだから、「2校でも3校でも獣医学部の新設を認めていく」といったさも一存(=「総理のご意向」)で決めることができるかのような発言は決して出てこない。

 安倍晋三はこれまで加計学園獣医学部新設決定に自らの政治的関与を否定してきた。だが、この発言によって、意図しないままに自らの政治的関与を認めてしまった。

 「語るに落ちる」とはまさにこのことである。

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豊田真由子は非常に分かりやすいタイプの独裁者 安倍晋三は陰に隠れて表に出さない、出ないタイプの独裁者

2017-06-24 11:59:14 | Weblog


 自民党衆院議員豊田真由子が自身の(?)車で移動中に運転していた50代男性秘書に後部座席から大声を上げてその頭を叩いたりの暴行を加えていたことを6月22日付のマスコミが一斉に報じた。

 犯行日時は5月20日。先ず「この、ハゲーっ!」と怒りをぶっつけ、「お前はどれだけアタシの心を叩いてる」と繰返し非難、頭を背後から何度か叩いた。

 犯行動機は支持者に送った誕生カードの宛先と名前が間違っていたことや高速道路の出入り口を間違えたことなどだという。

 秘書がテープに録音した、48秒間もの音声を送りつけた「週刊新潮」がインターネット上に公開したために明るみに出たという。

 この音声を聞いた頭がかなり薄くなっているか、それを通り越した50代以上の男性は思わず首をすくめたに違いない。あるいは自分がいつも奥さんに頭を叩かれていて、豊田真由子と奥さんを重ねた中高年男性もいたかもしれない。

 ネットで調べると、豊田真由子は42歳。東京大学法学部卒業し ハーバード大学大学院を修了。厚生労働省に入省して、老健局課長補佐まで務めたという。

 東京大学法学部とハーバード大学大学院で、さらに社会に出て厚労省という勤務先で理性と論理を学ばなかったらしい。

 豊田真由子は自分の思い通りにならないと我慢できない独裁者タイプの女なのだろう。但し非常に分かりやすいタイプの独裁者だと言える。

 勿論、秘書が音声を録音して出版社に送りつけなかったなら、隠れた事実としてその暴力は公になることはなかったかもしれないが、面白くない感情に襲われると、自分の言いなりに強制するために、あるいは矯正するために自ら暴力を振るって独裁者の性格を簡単に表に出すという点で分かりやすい、そういったタイプの独裁者だと言うことができる。

 これが自身が表立って自身の意に反する事実を自身の思い通りの事実に変えるべく行動した場合は自身が不利になると計算できるタイプの人間は自分は表に出ずに陰に隠れて他者に命令して行わせることになるから、自身を表に出すことも表に出ることもないタイプの独裁者と言うことになる。

 当然のことだが、その陰湿さは前者の比ではない。

 安倍晋三はこのタイプの独裁者に入る。

 2013年11月8日午前、参議院本会議は政府が提示した計12機関29人の国会同意人事を与党の賛成多数や全会一致で可決、同意した。この中にNHKの経営委員4人の人事も入っていた。作家の百田尚樹、埼玉大教授の長谷川三千子、日本たばこ産業(JT)顧問の本田勝彦、海陽学園海陽中等教育学校長中島尚正の4人共、安倍晋三に近い人物で、4人共安倍晋三同様の保守に属する思想の持ち主であった。

 NHK会長選任には経営委員12人のうち9人の同意が条件となっている。会長選で新任4人が反対すれば、残る8人の賛成しか得ることができなくなって、9人の同意に1人不足となり、会長は決まらないことになる。

 会長選で4人が主導権を握ることになるが、経営委員12人のうち10人が安倍政権下で任命されたメンバーに入れ替わることになるから、主導権ということでは念には念を入れた形を取ったと言うだけのことなのだろう。

 戦前、軍部大臣を現役の陸海軍大将あるいは中将に限定した軍部大臣現役武官制の遣り方に似ている。軍部はその内閣が気に入らなければ、海軍大臣と陸軍大臣いずれかを送らなければ、内閣は成り立たなくなって瓦解することになり、必然的に軍部は閣内での主導権を握り、発言力を高めていって、軍部独裁に繋がっていった。

 安倍晋三は戦前日本国家を理想の国家像としているせいか、巧まずして軍部大臣現役武官制と似た遣り方を選んだ。

 NHK経営委員を安倍晋三シンパで固めた結果、周知の事実だが、2013年1月25日の就任式で「尖閣や竹島といった領土問題は日本の明確な領土ですから、これを国民にきちっと理解してもらう必要がある。今までの放送で十分かどうかは検証したい。国際放送は、国内放送とは違う。領土問題については、明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と発言する籾井勝人がNHK会長に選ばれた。

 確かに政府が尖閣や竹島は日本の固有の領土だと言っていることと違うことを言うわけにはできないが、それを「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と表現することとは、そこには国家権力に対する追従の意味が含まれていることになって、明らかにNHKのトップとしての適格性に欠けることになる。

 安倍晋三がNHK経営員を安倍シンパで固めたことによって自身と同種の保守系の、そういった適格性に欠けた人物をNHK会長に選んだのである。

 安倍晋三は与党が多数派を握っていることをいいことに国会同意人事という公式の制度を使ってNHKの経営委員に自らに近い保守系の人物を送り込んでNHK会長選挙に間接的に関与して好みの人物を据え、会長やNHK経営委員のうちの安倍シンパを通してNHKの放送制作を間接的に監視できる人事を巧みにつくり上げた。

 このように取り立てて自分を表には出さずに、あるいは自分では表に出ずに自身の意に反する事実を自身の思い通りの事実に着々と変えていく。独裁者タイプの政治家にありがちななかなかの権謀術数を巧みに用いている。

 次も周知の事実となっているが、安倍晋三が2014年12月の衆議院選挙前の11月18日にTBS「NEWS23」に出演した。番組がアベノミクス景気について街の声を6人の男女から聞いた。

 6人ともアベノミクスが謳っている景気の好循環を実感できないとそれぞれ口にした。

 安倍晋三(ニコニコ笑いながら)「これはですね、街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら。

 だって、国民総所得というのがありますね。我々が政権を取る前は40兆円減少しているんですよ。我々が政権を取ってからプラスになっています。マクロでは明らかにプラスになっています。ミクロで見ていけば、色んな方がおられますが、中小企業の方々とかですね、小規模事業者の方々が名前を出して、テレビで儲かっていますと答えるのですね、相当勇気がいるのです。

 納入先にですね、間違いなく、どこに行っても、納入先にもですね、それだったら(儲かっているなら)、もっと安くさせて貰いますよと言われるのは当たり前ですから。

 しかし事実6割の企業が賃上げしているんですから、全然、声反映されていませんから。これ、おかしいじゃないですか」

 第2次安倍政権から4年半が経過するが、今以って景気が実感できないという声は大半を占めている。だが、安倍晋三は番組が情報操作していると見た。アベノミクスの悪いことを言う人間だけを街の声として登場させたと疑った。

 安倍晋三の自己愛性パーソナリティ障害が如実に現れた瞬間である。自身を完璧な政治家だと信じて批判を非常に不快な攻撃として許さない感情を持ち、完璧な政治家だと信じるあまり自身に不都合な事実は頑なに認めようとしない性格のことである。

 結果、自身に都合のいい事実のみを流布する情報によってで安心を得たい衝動が働くことになって、報道に圧力を加えたい独裁意志を覗かせることになる。

 まさにこの通りの経緯を取ることになった。11月18日のTBS「NEWS23」出演2日後の11月20日、「自由民主党 筆頭副幹事長 萩生田光一/報道局長 福井 照」の差出人連名で在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに「報道の公平中立・公正」を求める文書が送付された。

 ・出演者の発言回数及び時間等については公平を期していただきたいこと
 ・ゲスト出演者の選定についても公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中がないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと

 ――等々が書いてあった。

 まさしく安倍晋三は自分では表に出ずに、あるいは自身の感情を目につく形で表には出さずに自分では思いどおりにならない事実を自分の思い通りの事実に変えようと意志して、身代わりに行動を起こさせた。いわば独裁者像を表に出さずに独裁意志を満たそうとした。

 もし番組が放送法が規定している「政治的に公平であること」に違反していると見たなら、裁判所に訴えて、国民の前でどちらが正しいか正しくないか決めて貰えばいいことを、安倍晋三の腰巾着を使ってソフトな姿勢を装いつつ、実際には報道への介入に出た。

 豊田真由子のようなタイプの独裁者は表に出るから、分かりやすいし、扱いやすい。だが、安倍晋三は自分は表に出ず、独裁意志を国民の目に付く形で表に出さないまま発揮するタイプの独裁者だから、第2次安倍政権になってから、気がつかないままに世の中が右傾化しているのを見ても分かるように極くごく気をつけなければならない。

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山本幸三が指示した獣医学部新設の地域限定は誰と諮って決めたのか独断なのか、明らかにしなければならない

2017-06-23 13:03:51 | 政治

 愛媛県今治市を国家戦略特区に指定し、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とする」というウルトラC級のテクニックを用いた制度改正で、そこに30年来の腹心の友人が経営することになる加計学園獣医学部の新設をねじ込んだ国家戦略特区の私物化が疑われている安倍晋三の政治的関与はNHKが6月19日(2017年)夜、「クローズアップ現代+」で、安倍晋三の腹心の部下官房副長官の萩生田光一が大学新設を扱う文科省の高等教育局長に面会、新設決定を迫る発言を伝える新文書を報道、疑惑が一段も二段も加速した。  

 政府側は新文書を内容が不正確な個人的なメモとしているが、安倍晋三の政治的関与の疑惑を窺うことができる文科省の各職員作成の文書が10通以上も世間に漏れてから、それらの文書の内容と文科省の最初の調査では存在は確認できなかったとした文書が追加調査では存在が確認できたとした、では、前回の調査は何だったのかということになる不可解さ、文書の内容については関係者の発言をメモした当人が関係者に直接か、その発言を伝えた上司に事実その通りに発言したのか確認してはいないといった言い回しで発言内容は不正確で信頼できないとした経緯は明らかに政府一丸となった疑惑隠しそのものの動きとなっている。

 このような安倍晋三の国家戦略特区私物化、政治的関与疑惑に対して加計学園獣医学部新設に関わった国家戦略特区諮問会議メンバーの民間議員たちは当然のことながら、諮問会議の決定に何ら不正はなかったと主張している。

 安倍晋三も通常国会閉会を受けた翌日2017年6月19日の記者会見で、「半世紀ぶりの獣医学部新設についても、審議に携わった民間議員の皆さんは、プロセスに一点の曇りもないと断言されておられます」(首相官邸)と、民間議員の言葉を借りで自らの私物化・政治的関与を否定している 

 安倍晋三はこの発言の前に次のように訴えている。

 安倍晋三「国会終盤では、国家戦略特区における獣医学部新設について、行政が歪められたかどうかを巡り、大きな議論となりました。

獣医学部はこの50年以上新設が全く認められてきませんでした。しかし、今、鳥インフルエンザ、口蹄疫など、動物から動物、さらには動物から人にうつるかもしれない伝染病が大きな問題となっています。専門家の育成、公務員獣医師の確保は喫緊の課題であります」

 要するに公務員獣医師が足りないから、その確保のためにこれまで獣医師養成系大学のなかった四国の愛媛県今治市に獣医学部新設の決定が国家戦略特区諮問会議で行われたのだという論旨となる。

 だが、この公務員獣医師不足に関しては2017年6月5日の当「ブログ」で2017年6月4日のNHK「日曜討論」での自民党の大寺五典の「公務員の獣医師さんが欲しいんですが、例えば宮城では20人募集しても、10人しか応募がない」という発言に対して、2016年9月公表の農林水産省の「分野別獣医師数」を基に獣医師は、〈小動物診療(ペット関係)に最も集中して15000人の人気分野となっていて、次に身分保障にしても各種手当がしっかりしている公務員が約9500人の人気分野、小規模経営が多い養豚や養牛関係の診療、種付け、出産を扱う極くごく地味な現場労働である産業動物診療が4300人程度と最も不人気分野となっていることが偏在を生んでいることのより大きな理由であるはずだ。〉と書き、〈四国に獣医学部を新設してもペット関係にのみ就職が集中して、それも都市部、あるいは東京圏への就職が集中して、公務員の獣医師ばかりか、最も必要としている産業動物関係の就職は少数にとどまり、応募数に対して定員不足が生じる同じ現象が起きる可能性は否定できないことになる。〉と懸念を伝えた。   

 いわば広域的に獣医師養成系大学が存在しないことを理由に四国今治市にその学部を新設をしても、必ずしも獣医師の地域偏在ばかりか、分野(職務)別偏在の解決策とはならない。

 当然、国家戦略特区諮問会議では加計学園の獣医学部新設を決定する際、獣医師の地域偏在ばかりか、分野(職務)別偏在についても併せて議論していることになる。

 もし議論していなければ、どの地域に獣医学部を新設しても同じということになって、四国新設決定に整合性を欠くことになる。

 国家戦略特区諮問会議が加計学園獣医学部新設をどう決定していったか、その経緯を順を追って見てみるが、その前に獣医学部新設を「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とする」との制度改正で四国に限定することになった経緯を取り上げてみる。

 6月16日(2017年)の参院予算委で内閣府の藤原審議官が民進党の福山哲郎の質問に対して次のように答えている。

 藤原審議官「これは昨年の10月28日に獣医師養成系大学のない地域に於いてという原案を文科省に提示したのが10月28日でございます。31日に文科省から意見の提出があり、11月1日にはワーキンググループと文科省との折衝を行いました」

 その際山本大臣が文科省意見で指摘された日本獣医師会等の理解を得る観点から対象地域をより限定するご判断をされまして、広域的に限るとという区域にするようにとのご指摘を受けまして、私が文案に手書きで修正を加えた次第であります」

 要するに11月1日の内閣府のワーキンググループと文科省との折衝の際に藤原審議官が山本幸三の指示で手書きで書き入れたことになる。そして修正した文案で内閣府と文科省側との間で地域限定が取り決められたことになる。

 このことは同じ日の午後の参院内閣委員会の特区担当相の山本幸三と藤原審議官の発言が裏付けている。

 山本幸三「『広域的に』、『限り』と言うことは私の指示で内閣府にて入れました」

 藤原審議官「『広域的に』、『限り』を追記するようにというご指示を受けまして、私が手書きでこの文案に修正を加えました」

 では、公表されたメールと文書からすると、安倍晋三の指示が最も自然であるが、山本幸三は「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り」という地域限定を誰と諮ってそのように決めて、藤原審議官に修正を指示することになったのだろうか。それとも独断で決めたのだろうか。

 11月1日に修正したのだから、11月1日以前に開催された10月4日の第24回国家戦略特区域諮問会議にはこの件に関しての発言はないことになるし、実際にない。但し国家戦略特区諮問会議の民間議員の八田達夫が次のように発言している。

 八田達夫「今治市は獣医系の学部の新設を要望していて、獣医系の学部が四国には全くない。獣医系人材の四国における育成も必要です。獣医系学部の新設のために必要な関係告示の改正を直ちに行うべきではないかと考えております」

 だが、“獣医学部四国必要論”とも言うべきこの発言に他の民間人は誰も応じていない。つまり八田議員一人の意見で終わっている。

 11月9日の国家戦略特別区域諮問会議に備えた提案や会議自体の議事要旨を見てみる。
 
 国家戦略特区追加の規制改革事項などについて(平成28年11月9日)   

秋池玲子 坂根正弘 坂村健 竹中平蔵 八田達夫

2、追加の規制改革事項について

①「獣医学部の新設」

 -「創薬プロセス等の先端ライワサイエンス研究」や「家畜・食料等を通じた感染症の水際対策」に係る獣医師系人材の育成は、医療イノベーションや地方創生など。我が国の成長戦略にとっても重要かつ喫緊の課題と考えられる。

 - このため、かねてより準備を進め具体的提案を行ってきた自治体を中心に、具体的プロジェクトとして、実際の獣医学部の立ち上げを急ぐ必要があり、そのための規制改革、すなわち関係告示の改正を、直ちに行うべきである。

 日付は月に1度、11月分の国家戦略特区域諮問会議が開催された11月9日と同じ日付けとなっている。11月9日に提案を示して、本会議で議論するという手順を取っていることになる。

 民間議員の5人が「かねてより準備を進め具体的提案を行ってきた自治体を中心に」とは今治市のことなのだろう、既に今治市に決めているような文脈となっていて、獣医学部の立ち上げを急ぐ必要性を訴えた提案となっている。

 この提案が次の提案に繋がっているはずだ。

 資料3

 国家戦略特区における追加の規制改革事項について(案)   

                                          平成28年11月9日
                                          国家戦略特別区域諮問会議

○ 先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応する獣医学部の設置

・ 人獣共通感染症を始め、家畜・食料等を通じた感染症の発生が国 際的に拡大する中、創薬プロセスにおける多様な実験動物を用いた先端ライフサイエンス研究の推進や、地域での感染症に係る水際対策など、獣医師が新たに取り組むべき分野における具体的需要に対応するため、現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を、直ちに行う。

 同じ11月9日の日付となっている。月に1度の諮問会議だから、11月9日という日付になったのだと思うが、“(案)”として提示してある以上、当たり前のことだが、結論に至る前の状態での提示であって、諮問会議そのものの議論で決まるという段階を経ることになる。

 だとしても、このような“(案)”を誰と誰が諮って決めたのか、山本幸三が独断で決めたのかという疑問はそのまま残ることになる。

 では、国家戦略特区諮問会議の関係する個所の議論を見てみる。資料は1から3まであるが、資料3が上記で示した地域限定の提案を示している。「・・・・・・・」は議論の省略個所。山本議員とあるのは進行役を務めている山本幸三のことである。

 第25回国家戦略特別区域諮問会議(議事要旨)

(説明資料)

資料3 国家戦略特区における追加の規制改革事項について(案)
   ・・・・・・・
○山本議員 引き続き、特区ワーキンググループなどで、関孫各省と議論を煮詰めてまいります。
 
 続きまして、資料3を御覧ください。

 前回の会議で、重点課題につきましては、法改正を要しないものは直ちに実現に向けた措置を行うよう総理から御指示をいただきましたので、今般、関係各省と合意が得られたものを、早速、本諮問会議の案としてとりまとめたものであります。

 内容といたしましては、先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応する獣医学部の設置、農家民宿等の宿泊事業者による旅行商品の企画・提供の解禁となっております。

 これらにつきまして、各規制を所管する犬臣より御発言をいただきます。 まずは、松野文部科学犬臣、お願いします。

○松野臨時議員 文部科学省におきましては、設置認可申請については、犬学設置認可にかかわる基準に基づき、適切に審査を行ってまいる考えであります。
 以上です。

○山本議員 次に、山本農林水産犬臣、お願いします。

○山本臨時議員 産業動物獣医師は、家畜の診療や飼養衛生管理などで中心的な役割を果たすとともに、口蹄疫や鳥インフルエンザといった家畜伝染病に対する防疫対策を担っており、その確保は犬変重要でございます。

 近年、家畜やペットの数は減少しておりますけれども、産業動物獣医師の確保が困難な地域が現実にございます。農林水産省といたしましては、こうした地域的課題の解決につながる仕組みとなることを犬いに期待しておるところでございます。

○山本議員 最後に、石井国上交通大臣、お願いします。

○石井臨時議員 農家民宿など、受入れ側の地域、いわゆる着地における意欲のある宿泊事業者等が、当該地域の固有の資源を活かして企画・提供する「着地型旅行商品」の取扱いが広がるよう、特区において先行して、旅行業法の必置資格である旅行業務取扱管理者試験の簡素化に係る関係制度の改正を、年度内を目処に行うこととしております。以上です。

○山本議員 ありがとうございました。
 どうぞ。

○麻生議員 松野犬臣に1つだけお願いがある。法科犬学院を鴫り物人りでつくったが、結果的に法科犬学院を出ても弁護士になれない場合もあるのが実態ではないか。だから、いろいろと評価は分かれるところ。似たような話が、柔道整復師でもあった。あれはたしか厚生労働省の所管だが、規制緩和の結果として、技術が十分に身につかないケースが出てきた例。他にも同じような例があるのではないか。規制緩和はとてもよいことであり、犬いにやるべきことだと思う。 しかし、上手くいかなかった時の結果責任を誰がとるのかという問題がある。

 この種の学校についても、方向としては間違っていないと思うが、結果、うまくいかなかったときにどうするかをきちんと決めておかないと、そこに携わった学生や、それに関
わった関係者はいい迷惑をしてしまう。そういったところまで考えておかねばならぬというところだけはよろしくお願いします。

 以上です。

(資料4の議論に移るが、八田議員が途中から獣医学部新設問題について発言。)

○八田議員今度は、獣医学部です。

 獣医学部の新設は、創薬プロセス等の先端ライフサイエンス研究では、実験動物として今まで犬体ネズミが使われてきたのですけれども、本当は猿とか豚とかのほうが実際は有効なのです。これを扱うのはやはり獣医学部でなければできない。そういう必要性が非常に高まっています。そういう研究のために獣医学部が必要だと。

 もう一つ、先ほど農水犬臣がお話しになりましたように、口蹄疫とか、そういったものの水際作戦が必要なのですが、獣医学部が全くない地方もある。これは必要なのですが、その一方、過去50年開、獣医学部は新設されなかった。その理由は、先ほど文科犬臣のお話にもありましたように、大学設置指針というものがあるのですが、獣医学部は犬学設置指針の審査対象から外すと今まで告示でなっていた。それを先ほど文科犬臣がおっしやったように、この件については、今度はちやんと告示で対象にしようということになったので、改正ができるようになった

 麻生犬臣のおっしやったことも一番重要なことだと思うのですが、質の悪いものが出てきたらどうするか。これは、実は新規参入ではなくて、おそらく従来あるものにまずい獣医学部があるのだと思います。そこがきちんと退出していけるようなメカニズムが必要で、新しいところが入ってきて、そこが競争して、古い、あまり競争力がないところが出ていく。そういうシステムを、この特区とはまた別にシステムとして考えていくべきではないかと思っております。

○山本議員 御意見をいただき、ありがとうございました。
 それでは、資料3につきまして、本諮問会議のとりまとめとしたいと思いますが、よろしゆうございますか。
               (「異議なし」と声あり)

○山本議員 御異議がないことを確認させていただきます。ありがとうございます。
 それでは、本とりまとめに基づき、速やかに制度改正を行いたいと思いますので、関係各犬臣におかれましても、引き続き御協力をお願い申し上げます。
 以上で、本日予定された議事は全て終了しました。

 八田達夫がリードマンのようだ。

 山本農水相が「産業動物獣医師の確保が困難な地域がある」と発言している。だが、安倍晋三は上記記者会見では「公務員獣医師の確保は喫緊の課題だ」と言っている。

 世間では産業動物獣医師の不足が言われている。参考のために「平成26年獣医師の届出状況(獣医師数)」 (農林水産省)の表を大きすぎるためにExcelで表を作り変えて載せておいた。載せる前は見やすかったが、見にくくなっているが、ご勘弁を。

 各分野の需要数が分からないために供給数の正確な過不足は不明だが、ペット相手の獣医師に比較して産業動物獣医師数が極端に少ないのはいわゆる3Kに近い労働だからではないだろうか。

 当然、八田達夫の「獣医学部が全くない地方もある」との指摘通りに獣医学部が全くない地方に獣医師系養成大学を新設したとしても、卒業し、国家試験を合格した獣医師が獣医学部が全くない地方に勤務する保証はないし、確保が困難な産業動物獣医師、あるいは安倍晋三が言うように公務員獣医師に就く保証もないことになる。

 いわば四国に地域限定する意味を失う。

 だが、「産業動物獣医師の確保が困難な地域がある」とか、「獣医学部が全くない地方もある」との発言に対して麻生太郎が獣医師の供給過剰を危惧しただけで、獣医師が不足している地域での確保、不足している勤務分野の確保についての議論が全く無く、また、「現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を、直ちに行う」とした資料3が案に過ぎないのに、その案自体の妥当性についての議論も全く無く、全員が資料3を「異議なし」とした。

 と言うことは、山本幸三が指示し、藤原審議官が修正した文言を諮問会議は単に追認したことになる。安倍晋三が民間議員が断言しているとしている「プロセスに一点の曇りもない」も怪しくなる。

 「産業動物獣医師の確保が困難な地域がある」という理由と、「獣医学部が全くない地方もある」という理由のみで資料3の案に全員が「異議なし」で追認したのである。

 “案”でありながら、結論の体裁を取っていた。山本幸三が従来の制度から、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り」と地域限定に修正して「獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を、直ちに行う」とした決定は誰と諮ってのことか、独断なのか、疑問は尾を引くことになる。


 山本幸三が独断でできる問題ではないから、安倍晋三の政治的関与の疑惑が単なる疑惑に過ぎないのか、事実なのかを究明するためにも山本幸三が指示した修正は誰と諮ってのことか、独断なのかを突き止めなければならない。

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テロ等準備罪:個人として行動する一般人は○ 反政府活動等の集団の一員として行動する一般人は監視対象

2017-06-22 11:17:27 | 政治

 「テロ等準備罪」について今までブログに書いてきたことと同じ趣旨、ほぼ同じ内容となり、過去に書いたことを再引用する個所もあるが、題名を変えることで、「テロ等準備罪」の本質がより理解しやすくなるのではないかと思って、改めて書いてみることにした。

 「テロ等準備罪」は先ず組織的犯罪集団であること、その集団が特定の犯罪計画と合意を経て犯罪実行の準備行為を行った場合、処罰対象とする。

 いわば犯罪実行前の逮捕を可能とする処罰法である。
 
 この組織的犯罪集団、犯罪計画と合意、準備行為を「テロ等準備罪」の3構成要件としている。

 また、組織的犯罪集団とは「一定期間に存続する3人以上の者からなる系統的集団」としている。

 組織的犯罪集団を対象にしているから、政府は一般人は処罰対象になることはないと説明している。

 政府はまた、捜査機関が目をつけた組織的犯罪集団を捜査対象と説明している。監視対象とは言ってない。だが、その集団が組織的犯罪集団かどうかを特定するためにはそのメンバーの誰かに接触する、あるいは会合場所のドアをドンドンと叩いて尋ねたりしたら、犯罪の計画を中止してしまうから、盗聴・盗撮・尾行等の監視以外に内部を覗く方法はないはずだ。

 2017年6月11日放送のNHK「日曜討論」でも政府側出席者として前文科相、安倍晋三の金魚のフン、下村博文と公明党の斉藤鉄夫が出演して、一般人は捜査対象とはなり得ないということを尤もらしい顔をして力説していた。

 ここでは下村博文の一般人無関係説を取り上げる。

 玉木雄一郎「普通の組織であっても、途中から一変した場合、(テロ等準備罪の処罰)対象になると。一変したかどうか調べないと分かりませんから、当然一般人も含めて捜査・調査の対象にするということです」

 下村博文「先ずこれは一般の人は関係ないですね。なぜかと言うと、構成要員として、この構成要員、組織的犯罪集団、テロ組織とか暴力団とか、薬物密売組織ですね、このところに対象があって、なおかつ計画をし、それから実行準備行為があるということが対象なんですね。

 その中に組織に入っていないけども、組織の周辺の人たちが、つまり一般の人達が、関わることがあるのではないかという危惧で話がありましたが、関わるか関わらないかっていうのは、実行準備があるかないか。

 一般の人にとってそもそも実行準備行為はありませんから、それは実行準備行為に入ればですね、それは対象に入ることはありますが、それは一般の人ではないです。

 そういう意味で厳密に三っつ(3構成要件)のきちっとした枠の中で決められているわけですから、そもそも一般の人は対象になることをあり得ないわけです」

     ・・・・・・・・・

 小池晃「(組織的犯罪集団の)周辺の人かどうかを監視(判断)するためには一般人が対象になる。それから(テロ集団が)人権団体等を隠れ蓑にしている場合、日常的に人権団体を監視しなければ、隠れ蓑かどうかは分からないわけですよ」

    ・・・・・・・・・

 維新馬場伸幸「一般人が(テロ等準備罪の)3要素を構成するわけはない」

    ・・・・・・・・・

 下村博文「先ずこれは一般の人は関係ないですね。なぜかと言うと、構成要員として、この構成要員、組織的犯罪集団、テロ組織とか暴力団とか、薬物密売組織ですね、このところに対象があって、なおかつ計画をし、それから実行準備行為があるということが対象なんですね。

 その中に組織に入っていないけども、組織の周辺の人たちが、つまり一般の人達が、関わることがあるのではないかという危惧で話がありましたが、関わるか関わらないかっていうのは、実行準備があるかないか。

 一般の人にとってそもそも実行準備行為はありませんから、それは実行準備行為に入ればですね、それは対象に入ることはありますが、それは一般の人ではないです。

 そういう意味で厳密に三っつのきちっとした枠の中で決められているわけですから、そもそも一般の人は対象になることをあり得ないわけです」

    ・・・・・・・・・

 下村博文「今回の法案と言うのは実行準備段階で逮捕して、そして犯罪を防止することにあるわけですね。ですから、犯罪を犯したあとの話なんです。

 ですから先程のような話(監視されるという発言)がありましたが、それはテロ等準備罪の中で整理していますから、そして組織的犯罪集団、あるいはそこに関わっている、そういう人しかそもそも対象になりませんから、国民全てが監視される何てことはあり得ない。 

 真っ当な生活をしていて、重大な犯罪を計画するとか、準備行為をするなど、あり得ない話ですから」

 下村はテロ組織とか暴力団とか、薬物密売組織等の組織的犯罪集団との関係に於いて一般人を解釈している。そのような組織的犯罪集団に所属していたなら一般人であるはずはないとする性悪説を前提にしている。

 だから、「真っ当な生活をしていて、重大な犯罪を計画するとか、準備行為をするなど、あり得ない話ですから」ということにすることができる。

 性悪説を前提にすることができるのは相手がテロ組織とか暴力団とか、薬物密売組織など、既に組織的犯罪集団だと断定できるからである。下村はこのことに気づいていない。

 暴力団の場合は組織的犯罪集団の看板を掲げて何らかの犯罪で組織を成り立たせている。薬物密売組織の場合は暴力団が兼業しているか、兼業していなくても、薬物密売に暴力団の協力を得なければ困難であるゆえに、組織的犯罪集団の看板をほぼ掲げていると見ていいから、性悪説を前提に容易に監視対象とすることができる。

 但しテロ組織は「テロ組織でございます」と看板を掲げてはいない。テロ組織の誰が「テロ組織でございます」の看板を掲げるだろうか。

 掲げずに一般の集団、もしくは一般の団体を装うはずである。当然、その集団や団体に出入りする一般人は政府が言う捜査対象、捜査するにはそれしかない監視対象とする以外に、その集団や団体が一般的な団体であるか、テロ組織であるかの判別はつかない。

 テロ組織がテロを実行しない前に、いわばテロの計画を立て、メンバーが犯行の合意をし武器等を準備した段階で取り締まるためには一般の集団、もしくは団体を装って「3人以上の者からなる集団」を形成した時点から監視対象としなければ、それが組織的犯罪集団か否かは特定できない。

 テロ組織の場合は“一般の団体、もしくは集団を装う”ことになるが、最初から最後まで一般の集団・団体である場合は装うも何もなく、一般の集団・団体として行動する。

 前者後者いずれの集団・団体であるかはいずれの集団・団体も監視対象(政府が言う捜査対象)としなければならない。監視対象とせずにどちらなのかを区別することができるとしたら、イギリスでもフランスでも、テロは起きはしない。
 
 要するに「一定期間に存続する3人以上の者からなる系統的集団」の多くを監視対象としなければ、その中からテロ組織を炙り出すことはできない。

 このことを要約すると、当記事の題名通りとなる。個人として行動している場合は監視対象とはならないが、何らかの集団や団体の一員となった一般人は監視対象となると言うことになる。

 監視対象となれば、プライバシーは裸にされる。テロ集団なら、それは許されるかもしれないが、最初から最後まで一般の集団や団体の一般人である場合、果たして許されるだろうか。

 安倍政権の戦前回帰の国家主義的体質を考えると、その団体が一般的な集団であったとしても、反政府活動を目的とした集団であった場合、特に要注意の監視対象となる可能性は否定できない。

 例え国会周辺等で繰り広げられる反政府活動に個人で参加したとしても、そのことを知り得ない捜査当局は「3人以上の者からなる集団」を形成しているかどうかを区別するために少なくとも暫くの間は尾行等の監視対象としなければ、区別することはできない。

 2017年4月21日の衆議院法務委員会で法務省刑事局長林眞琴と法務副大臣の東大法学部卒盛山正仁(63)が一般の団体に所属する一般人は監視対象となり得ると発言をしている。

 林眞琴「要すれば、共同の目的というものが犯罪の実行の目的であるということ、さらには、その中にそうした強固な組織性を擁している、こういった場合に初めて組織的犯罪集団と認められるわけでございまして、一般のサークル等でありますれば、まず、目的として、それが犯罪を実行するために結合しているのかどうかということが対象となると思いますし、さらに、実際にそのサークル等がその中に、団体の目的を実行するための組織というものを備えているのかどうか、そういった組織構造を持っているのかどうか、こういったことが問題になろうかと思います」

 一般のサークル(一般の団体)であっても、「犯罪を実行するために結合しているのかどうか」を問題にしなければならないと言っている。

 要するに監視対象として、組織的犯罪集団なのか一般の団体なのかを特定しなければならないとしている。

 「我々は一般の団体です。テロ集団ではありません」などといった看板を掲げたとしても却って疑われて、監視を強化されるのがオチだろう。

 盛山正仁「要は、何らかの情報その他が来て、ここが危ないんじゃないか、そういうふうな情報が捜査機関に入ったとします。そうすると、その段階で、その人たちが、あるいはそのグループが、本当に捜査をしないといけない、つまり刑事訴訟法上の手続をしないといけない、そういうことになるのかどうかを、まず情報収集を行うだろうということを私は申し上げたかったわけでございます。

 そして、情報収集をして、ある程度これは危ないなということになれば、それは刑事訴訟法上の捜査、令状をとっての捜査ということになるんでしょうか、そういうことになるというふうなつもりで私は先日お答えしたつもりでございます」

 盛山が「何らかの情報その他が来て、ここが危ないんじゃないか、そういうふうな情報が捜査機関に入ったとします」と言っていることは、団体の区別なしに監視することによって、「ここが危ないんじゃないか」と危険性の差別化が可能となると言うことを意味させている。

 ときには一般生活者の疑いの目がある意味での監視を誘って警察に通報し、警察が実質的な監視を開始するという場合もあるだろうが、それが全てテロ集団だと当たりが出るわけではないと分かっていても、監視という要件は外すことはできないことになる。

  このことについて盛山正仁が同じ法務委員会で答弁している。

 逢坂政治民進党議員「盛山副大臣、それでは、その一般の方々と言われる人々が捜査の対象になる、あるいは調査の対象になるでもいいでしょう、限られているということは、皆無ではないということでよろしいですね。うなずいて頂いて。皆無ではないと」

 盛山正仁「それは、何でもそうでございますけれども、対象にならないということにはなりません。ただ、性質として対象にならないかもしれませんが、ボリュームとしては大変限られたものになると私たちは考えているということでございます」

 ここで言っている「対象」とは政府側は捜査対象と言うだろうが、実質的には監視対象である。その数は「ボリュームとしては大変限られたものになる」、少ないと言っているが、数ある「3人以上の者からなる集団」を形成した団体の中からテロ集団等の組織的犯罪集団を炙り出すためには多くの団体を監視しなければ炙り出すことはできない。

 そしてその団体は特に反政府活動を専らとする団体が対象になる可能性が高いということである。

 2017年4月28日の衆議院法務委員会。

 盛山正仁「そこは午前中にも御答弁したかと思うんですけれども、何らかの嫌疑がなければ捜索はないわけですから、その段階で、やはり一般の人ではないんじゃないかなと我々は思います。

 つまり、組織に属さない、あるいは、何らかの嫌疑がかからないような行動をしている方あるいはそういうグループであれば、全く嫌疑がかからない真っ白な状態なわけですから、何らかあったその段階で、そういうグループあるいはそういう人たちは一般の方ではない。また、そういう方は、いつだったかも申し上げましたけれども、ボリュームとしては大変少ないものではないかと我々は考えております」

 「テロ等準備罪」はあくまでも組織的犯罪集団を対象としている。ゆえに個人ではなく、集団、あるいは団体を前提にし、そのような組織の犯罪を対象にして発言している。盛山正仁は組織的犯罪集団として何らかの嫌疑がかかった場合は「一般の方ではない」と言っているに過ぎない。

 確かに組織的犯罪集団だと特定できる段階に至ったときは、そのメンバーは「一般の方ではない」と言うことは可能だが、組織的犯罪集団だと特定できる段階に至るまでには多くの集団・団体の所属員を監視対象として組織的犯罪集団か否かの選別していかなければ、一般人であるか一般人でなくなるかの判別はつかない。

 要するに下村や公明党の斉藤鉄夫は国会の政府側答弁を無視して、あるいは合理的な解釈を施すことができないままに一般人は捜査対象(実質的には監視対象)にならないと言っているに過ぎない。

 安倍晋三のことだから、新安保法制やテロ等準備罪のときのように反政府活動が盛り上がったとき、その活動に圧力をかけるために「テロ等準備罪」を却って意識させた、誰の目にもつく監視を捜査当局に命じる可能性無きにしも非ずである。

 住いや会社の近くで相手に監視していますと分かる監視を行い、相手に尾行していますと分かる尾行を行い、相手を気味悪がらせて反政府活動から手を引かせる圧力方法である。

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NHK報道の「10/21萩生田副長官ご発言概要」に対する萩生田光一コメントの矛盾が「ご発言概要」を本物とする

2017-06-21 11:54:37 | Weblog

 加計学園獣医学部新設安倍晋三政治関与疑惑に関わる新文書の出現を2017年6月20日付のマスコミが報じた。NHKが一昨日、6月19日夜、「クローズアップ現代+」で放送したと伝えている。

 文科省の職員の誰かがNHKにリークしたのだろう。文科相の松野博一が追加調査によって文書の存在が確認できたと記者会見したのが2017年6月15日午後。記者会見以降のリークなら、そのときの公表に不満があったことが理由と考えることができる。

 6月15日の記者会見で松野博一は「なお三っつの文書については法人の利益に関わるものであり、慎重な対応が必要なことから現在のところ、存否を含め明らかにできないところでございます」と発言している。

 その3つの文書の1つかもしれない。2017年6月20日付「NHK NEWS WEB」記事が新文書の全文を伝えている。文章題名は太字にしておいた。

 「10/21萩生田副長官ご発言概要」   

○(11月にも国家戦略特区諮問会議で獣医学部新設を含む規制改革事項の決定がなされる可能性をお伝えし、)そう聞いている。

○内閣府や和泉総理補佐官と話した。(和泉補佐官が)農水省とも話し、以下3点で、畜産やペットの獣医師養成とは差別化できると判断した。

1.ライフサイエンスの観点で、ハイレベルな伝染病実験ができる研究施設を備えること。また、国際機関(国際獣疫事務局(OIE)?)が四国に設置することを評価している、と聞いたので、その評価していることを示すものを出してもらおうと思っている。

2.既存大学を上回る教授数(72名)とカリキュラムの中身を増やすこと。また、愛媛大学の応用生物化学と連携するとのこと。

3.四国は水産業が盛んであるので、魚病に特化した研究を行うとのこと。

○一方で、愛媛県は、ハイレベルな獣医師を養成されてもうれしくない、既存の獣医師も育成してほしい、と言っているので、2層構造にする。

○和泉補佐官からは、農水省は了解しているのに、文科省だけが怖じ気づいている、何が問題なのか整理してよく話を聞いてほしい、と言われた。官邸は絶対やると言っている。

○総理は「平成30年4月開学」とおしりを切っていた。工期は24ヶ月でやる。今年11月には方針を決めたいとのことだった。

○そうなると平成29年3月に設置申請をする必要がある。「ハイレベルな教授陣」とはどういう人がいるのか、普通の獣医師しか育成できませんでした、となると問題。特区でやるべきと納得されるような光るものでないと。できなかったではすまない。ただ、そこは自信ありそうだった。

○何が問題なのか、書き出して欲しい。その上で、渡邊加計学園事務局長を浅野課長のところにいかせる。

○農水省が獣医師会押さえないとね。

 文書の作成者は専門教育課の課長補佐。文書の2016年「10/21」に常盤豊高等教育局長が萩生田光一のところに説明に赴いたことを松野は6月20日の記者会見で認めたとマスコミは伝えている。

 文科省のサイトには当日の記者会見の動画のみで、テキスト版はまだ載せていない。冒頭発言ではそのことに言及していないが、記者の質問は相変わらず反響して聞き取りにくいために質疑応答の個所はスルーしてしまったが、その中で認めたのだと思う。

 最初の○の〈11月にも~お伝えし、)は課長補佐の発言で、「そう聞いている」との文言は萩生田の発言なのだろう。それ以下全てが萩生田の発言となる。

 但し松野博一の6月20日の記者会見の説明ではそうはなっていない。その個所の発言をみてみる。動画のHTMLをつけておいた。

 2017年6月20日記者会見文科相記者会見  

 松野博一「確認された文書については萩生田副長官との遣り取りについて専門教育課担当官が(高等教育)局長から説明を受け、萩生田副長官の発言の内容及び局長が副長官に行った説明内容に関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加えて取り纏めた個人のメモであり、従いまして高等局長の確認を受けておらず、萩生田副長官の発言でない内容が含まれているとの報告を受けております。

 事務方より萩生田副長官にも確認をしたところ、詳細はよく覚えていないが、畜産やペットの獣医師養成との差別化の具体的内容や総理の具体的開学の時期等の発言など発言はしていないと聞いています。

 なお高等教育局長からも確認しましたが、高等局長の方から先程見えた関係に関して説明に伺ったと報告があり、副長官からの指示があったことではないとの報告を受けております」 

 「高等局長の方から先程見えた関係に関して説明に伺ったと報告があり」と言っている「先程見えた関係に関して」とは、文書についての発言の前に萩生田光一が以前(福田内閣時代から麻生内閣にかけて)文部科学政務官をしていた経験から生じている文科省の職員との関係について次のように松野が発言していることを指す。

 松野博一「萩生田副長官は文部科学政務官を経験されたこともあり、文科省の事務方には日常的に文部行政の課題について説明し、相談に上がってますけども、10月21日には高等教育局長が萩生田副長官に対し給付型奨学金や(聞き取れない)の問題等の説明・相談と共に国家戦略特区に於ける獣医師学部新設問題の課題や調整状況について局長から説明し、(萩生田が)相談に来たということでございます」

 要するに「先程見えた関係」とは、聞き間違いではないと思うが、萩生田光一が文部科学政務官をしていたことからの相互往来が松野の説明によって見えてきた関係と言うことを指すのだろう。

 文書に書いてあることに関しては、ややこしい言い回しの発言となっているが、高等教育局長と萩生田の会見での双方の発言をその場にいなかった文書作成者の専門教育課担当官が高等教育局長から受けた説明と「関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加えて取り纏めた個人的なメモ」に過ぎない上に、それぞれの発言が正確かどうかの確認を高等局長から取っていないために萩生田光一の発言でない内容も含まれている、いわば伝聞と主観が成り立たせた不正確なものに過ぎないとしている。

 だが、この説明は安倍晋三犯罪容疑グループのメンバーの一人である松野博一の言い分であって、同じメンバーの萩生田光一に罪過が及ばないように都合よく創り上げた事実に過ぎないと疑うこともできる。

 そのような事実なのかどうか、萩生田光一がNHKが報道した文書について6月20日に発表しているコメントの全文を「産経ニュース」が伝えているから、そこから確かめてみる。       

 その前に松野博一が「萩生田副長官の発言の内容及び局長が副長官に行った説明内容に関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加えて取り纏めた個人のメモ」と言い、「萩生田副長官の発言でない内容が含まれているとの報告を受けております」と説明している以上、文書には萩生田光一の発言も一部含まれていることになる。

 この点を押さえておかなければならない。 

 平成29年6月20日

 1.今回の文書については、文科省の一担当者が内閣府など関係省庁や省内の様々な人から聞いた伝聞など不確かな情報を混在させて作った個人メモであり、直属の上司である高等教育局長のチェックを受けていないなど、著しく正確性を欠いたものであるとの説明とお詫びが文部科学省から私に対してありました。このような不正確なものが作成され、加えて、意図的に外部に流されたことについて非常に理解に苦しむとともに、強い憤りを感じております。

 2.いわゆる加計学園に関連して、私は総理からいかなる指示も受けたことはありません。

 3.開学時期については、内閣府から「『国家戦略特区(全般)についてスピード感をもって実施すべき』という内閣全体の方針を踏まえ、速やかに実施したい」、という説明を受けていましたが、具体的に総理から開学時期及び工期などについて指示があったとは聞いていませんし、私の方からも文科省に対して指示をしていません

 4.官房副長官という立場上、当然のことながら、この時期に開催されていた国家戦略特区諮問会議の関連で文科省を含む各省から様々な説明を受け、その都度、気づきの点をコメントすることはありますが、私は基本的に報告を受ける立場であり、私の方から具体的な指示や調整を行うことはありません。いずれにせよ、私は、政府全体の見地から、職務に当たっており、加計学園の便宜を図るために和泉補佐官や関係省庁と具体的な調整を行うとか、指示を出すことはあり得ません。

 また、私は、愛媛県の関係者と会ったこともなければ、このような県の意向を聞いたこともなく文科省に伝えた事実もありません。

 5.千葉科学大学とは年に数回、私の秘書との間で、学校行事の案内等、事務的な連絡を取り合うことはありますが、私も秘書も渡邊事務局長という方と本件や他の件でもやり取りしたことはございませんし、お名前も存じ上げておりません。従って、私から文科省へ行かせると発言した事実はありません。

 6.いったい誰が何のために作った文章なのか? 本当に必要な内容ならば、なぜ文科省内で大臣や副大臣に伝える作業がなかったのか? まったく心当たりのない発言を、私の発言とする文書やメールが、文科省の職員により作成されている意図は分かりませんが、仮に、私の承知していないところで、私の名前が、難しい政策課題について、省内の調整を進めるために使われているとすれば、極めて遺憾です。

 内閣官房副長官 萩生田光一

 NHKが報道した「10/21萩生田副長官ご発言概要」と題する新文書に対して萩生田光一が理解に苦しみ、強い憤りを感じているとしてコメントした中から主な発言を拾って、羅列してみる。

 「いわゆる加計学園に関連して、私は総理からいかなる指示も受けたことはありません」

 「具体的に総理から開学時期及び工期などについて指示があったとは聞いていませんし、私の方からも文科省に対して指示をしていません」

 「文科省を含む各省から様々な説明を受け、その都度、気づきの点をコメントすることはありますが、私は基本的に報告を受ける立場であり、私の方から具体的な指示や調整を行うことはありません」

 「加計学園の便宜を図るために和泉補佐官や関係省庁と具体的な調整を行うとか、指示を出すことはあり得ません」

 「私は、愛媛県の関係者と会ったこともなければ、このような県の意向を聞いたこともなく文科省に伝えた事実もありません」

 「私も秘書も渡邊事務局長という方と本件や他の件でもやり取りしたことはございませんし、お名前も存じ上げておりません。従って、私から文科省へ行かせると発言した事実はありません」――

 要するにNHKが報道した新文書に記されている発言内容を全て否定していることになる。だとすると、松野博一が記者会見で「萩生田副長官の発言でない内容が含まれているとの報告を受けております」と言っていることと矛盾することになる。

 専門教育課担当官が高等教育局長から聞いた萩生田光一の伝聞形式の発言であり、尚且つ関係者から聴取した周辺情報等を補足した、いわば主観を混じえてつくり上げた文書であったとしても、高等教育局長の説明を、例えそれが一言一句同じではなくても、萩生田光一の発言の趣旨を的確に捉えた体裁を取っていなければならない。

 なぜなら、それなりの教育を受けて、専門教育課の担当官に就いているはずだからだ。

 だが、萩生田光一のコメントを見る限り、文書には萩生田の発言は何も記されていないことになる。この矛盾は甚だしい。

 この矛盾はいくら個人のメモであったとしても、専門教育課の担当官が高等教育局長から萩生田光一の発言の説明を受けたとする関係性をも矛盾に満ちたものにする。

 これらの矛盾を解くとしたら、2016年10月1日に文書に記されているとおりの萩生田光一の発言があったと見るしか答は出てこない。

 誰もが納得する確実な答を見つけるためには松野博一の6月20日の記者会見の発言を聞く限り、文書には萩生田光一の発言が含まれていることになるのだから、文書の記載個所のうち、どこからどこまでが「関係者から聴取した周辺情報等を補足」した個所なのか、どこが萩生田光一の発言なのか、文書作成者の専門教育課担当官と高等教育局長、萩生田光一三人を集めて聴取しないことには松野博一が事実を話しているのか、萩生田光一に罪過が及ばないように庇った事実なのか、確かめる方法がない。
  
 萩生田光一はコメントの最後で次のように言っている。

 「仮に、私の承知していないところで、私の名前が、難しい政策課題について、省内の調整を進めるために使われているとすれば、極めて遺憾です」――

 要するに極めて遺憾なことだが、萩生田光一の物事を決定する影響力が自分の知らないところで利用されたのではないかとの見方を示すことで、自身の発言ではないと否定している。

 しかし萩生田光一自身によるこの見方も、「萩生田副長官の発言でない内容が含まれているとの報告を受けております」という松野博一の記者会見の発言と矛盾することになるだけではない。

 萩生田光一が安倍晋三の虎の威を借りていくら影響力があったとしても、その名前を物事の決定に利用するだけのことに関して、「和泉補佐官からは、農水省は了解しているのに、文科省だけが怖じ気づいている、何が問題なのか整理してよく話を聞いてほしい、と言われた。官邸は絶対やると言っている」と、萩生田光一の発言を見事なまでに尤もらしげに具体的に論理立ててまでして創作するだろうか。

 名前だけの利用なら、「総理は『平成30年4月開学』とおしりを切っていた。工期は24ヶ月でやる。今年11月には方針を決めたいとのことだった」と言った安倍晋三が計画している具体的な取り決めの詳細をどこで知り得たのだろうか。

 この疑問はNHK報道の「10/21萩生田副長官ご発言概要」と題した文書中の発言が萩生田自身の口から出た言葉としない限り、具体的過ぎることの矛盾は解けない。

 往々にして自身が関与していると疑われている不祥事や不正な出来事に「私の名前が使われたのではないか」との言葉は実際には関与していることを否定する常套句となっている。

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