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県と市の危機管理に関わる怠慢・不作為が招いた都賀川増水事故死

2008-07-31 11:42:57 | Weblog

 「親水」を目的とした河川施設であるなら、「水」はサービス対象であり、管理対象となる

 兵庫県神戸市灘区の都賀川に設けた親水公園で水遊びしていた小学生男女児2人と保育園児1人、それに保育園児に付き添っていた20代後半のまだ若いおばの計4人が局地的集中豪雨による10分間で1メートル30センチ強も水位が上がるという急激な増水を受けて流され、亡くなった。

 六甲山系の南側には都賀川を含め25の川があり、いずれも傾斜が急で川幅が狭く、他の川や水路が合流するため短時間で水嵩が増し、流れが速くて(asahi.com)、近隣住民は雨がちょっと強く降っただけで簡単に増水することを知っていたと言う。

 また神戸新聞インターネット記事によると、都賀川では1998年に行楽客8人が大雨による増水で橋脚の土台などに取り残されたが救助される事故があり、2002年には、西宮市の夙川下流で釣りをしていた男性が急な増水で流され水死する事故が起きていると伝えている。

 例え行政区域は異なっていても増水による救助騒動と死亡事故が発生しているという事実、あるいは似たような河川状況に対して河川管理者が行うべきことは危機管理上の情報として急激な増水の存在とその増水が死亡事故を引き起こす危険性の存在を常に記憶しておき、それを防ぐ対策を似たような条件下にあるすべての河川を対象に常に講じていかなければならないということであろう。

 またそうすることが河川管理者に課せられた義務であり、責任であるはずである。

 どのような対策を講じていたのだろうか。考え得るすべての対策を講じていて、尚且つ事故が起きてしまったと言うなら、初めて不可抗力と言える。

 神戸市は06年度から市内の2級河川30カ所に監視カメラを設置し、川を常時録画して、その様子を2分ごとに市のホームページ上に映像として公開しているということだが、「それでも、今回のような急激な増水には役に立たない」と今回の事故が不可抗力だったことを指摘している。

 あるいは兵庫県の担当者は「警報システムがあっても、今回のように短時間で一気に増水するケースでは役に立たない」(MSN産経)と言っているとのことだが、同じ県内にある河川で6年前に急激な増水による死亡事故が発生しているという事実を受けて河川管理者の県が行うべきことは急激な増水と増水による死亡事故の危険性に対する備えを目的とした監視カメラの設置、あるいは警報システムの構築でなければならないはずである。各河川に監視カメラを設置してその映像を2分ごとに市のホームページ上に公開することが本来の目的に添った備えだと言えるのだろうか。

 そして神戸市のそういった備えのみで県はよしとしていた。

 過去に生じた増水による死亡事故の今後の対策として設置した監視カメラであるなら、増水の発生が予想される現場にいる者を直接的な対象とし、直接的にその者の役に立つ対策でなければならなかったのではないか。

 川に遊びに行きたいが、今朝方まで強い雨が降った、川は増水しているだろうかと携帯もしくはパソコンから市のHPにアクセスして監視カメラが映した映像を眺める。

 そういった現在は川から離れている人間には役には立つこともあろうが、あくまでも川という現場にいる者を対象とした情報提供とはならない。

 それを2分ごとに市のホームページ上に映像として公開するといった暢気なことができたのは水の危険性に対する想像力(=警戒心)の欠如がなさしめた緊張感のなさ――無責任による対策不備以外の何ものでもないだろう。

 尤もムダ遣いを特技としている役人にしたら、ムダ遣いに添う立派な役目だとは言える。

 兵庫県河川整備課はこうも言っている。

 「これほど水位が急上昇したのは近年ない。想定外の増水だった」(asahi.com)

 大きな事故・危険はその殆どが想定外の出来事として発生する。想定外の事件・事故に対処することが、あるいは「想定外」のことを「想定内」に近づける努力をすることが危機管理ではないのか。それ以外に危機管理は存在するのだろうか。「想定外」のことをすべて想定内として把え切れないがケースの方が多いだろうが、しかし大枠に関して想定内と把えてから、各細部を可能な限り想定内へ近づけていくのが危機管理対策であろう。東海地震対策、首都圏直下型地震対策がその好例である。新型インフルエンザ対策も同じであろう。すべてを想定内にはできないが、すべてを想定外としているわけではない。

 いわばすべてを想定内とすることは不可能ではあっても、「同様の事故」を想定内としておくことが河川管理者の想像力であり、それが欠如していたと言うことであろう。

 また「親水」を目的とした河川施設であるなら、「水」はサービス対象であり、サービス対象である以上、「水」も管理対象とすることが河川管理者の義務であり、責任のはずである。その「水」たるや、都賀川に於いては1998年に行楽客8人を救助されたものの橋脚の土台に追い詰め、都賀川と似たような条件下にある西宮市の同じ六甲山系の夙川下流で釣りをしていた男性を押し流して水死させる事故を引き起こしている。

 当然のこと、川に親しんでいる者を守るために「想定外」の増水の発生を「想定内」のこととしてどのような監視方法、どのような警報システムによって知らしめるかも管理対象とし、種々の対策を講じておかなければならなかったはずだった。

 だが、監視カメラは「今回のような急激な増水には役に立たない」と言い、「警報システムがあっても、今回のように短時間で一気に増水するケースでは役に立たない」と言っている。

 さらに同河川を管理する兵庫県、神戸市とも事前に危険を知らせることは難しかったと言い、「自ら危険を察知して逃げてもらうしかなかった」(asahi.com)と言っている。

 これを被害者の自己責任に責任転嫁する責任逃れと言わずに何と言ったらいいのだろうか。自らの対策不備を棚に上げて、その責任には目を向けず、被害者に責任を負わせている。

 昨30日のasahi.com記事によると、28日の局地的な豪雨で、都賀川は10分間で134センチ水位が上昇し、垂水区の山田川で10分間で103センチ、同県西宮市の津門川でも134センチ水位が上昇したが、これらの河川は水防法に基づく「水位情報周知河川」であるものの、避難指示・避難勧告の目安として設定されている避難判断水位(特別警戒水位)を下回っていて、避難指示・避難勧告は出されなかったと言っているが、このことも水の危険に対する想像力(=警戒心)の欠如がなさしめていた基準設定であり、責任逃れに幸いした未達水位と言える。

 海の水位の上昇、川の水位の上昇は流れを伴う。また水位の上昇速度に応じて、流れの圧力は増す。タンクに1メートル水位で水を張った中に身体を入れるのとは訳が違う。水の危険性を流れを計算に入れずに「水位」のみで判断する想像力(=警戒心)の愚かな欠如を証明して余りある。2002年の西宮市の夙川下流での水死事故の直接原因である急激な増水はタンクに水を入れるように上から下の方向のみに水面が持ち上がった増水だったと言うのだろうか。人間の身体を回転させて激しく下流に押し流す下方向により強い圧力がかかった水面上昇だったはずである。

 例え50センチの水位であっても、流れの速さによって足をすくわれる場合がある。流れのない場所なら、首から上が水面から出ていれば、水が身体を凍えさせる程に冷たくさえなければ溺れることはない。川は常に流れを伴っていることを危険性の条件に入れなけれならないはずである。泳げる人間でも海が怖いのは波の流れによって知らず知らずのうちに沖へ持っていかれて、岸に戻ろうとしても流れに遮られ戻りきらないうちに体力が消耗してしまうからだろう。
ところが兵庫県は「想定外の増水だった」とか「自ら危険を察知して逃げてもらうしかなかった」と言っていたが、あるいは「警報システムがあっても、今回のように短時間で一気に増水するケースでは役に立たない」と言っていながら、その舌の根も乾かない30日になって警報システムを設置することを決めたと言う。

 兵庫県の河野信夫土木局長「事故を教訓に、河川の利用者が避難の判断をしやすい情報を出すことに力点をおいて整備を進めたい」(NHK/08年7月30日夜7時のニュース)

 なぜ1998年に都賀川で行楽客8人が大雨による増水で橋脚の土台などに取り残され事故後に、一歩譲って2002年の凪川水死事故後に早急に対策を講じなかったのだろうか。何もしなかったのは行政の怠慢・不作為以外の何ものでもないだろう。

 上記警報システム設置は重大な事故が発生して初めてまともに腰を上げる典型的な役所仕事の例であろう。しかも最初にさも不可抗力だと言っておきながらである。連中にとっての「不可抗力」は責任逃れの言葉でしかないことを暴露する警報システム設置への態度豹変と言える。

 とは言っても、危険を前以て読み取る想像力(=警戒心)の欠如――危機管理意識の欠如そのものを証明した事が起きてからの対策であることに変わりはない。

 過去に急激な増水による水死事故を抱えていながら、あるいは救助者を出していながら、同じことの繰返しを予想して(「想定内」として)何らかの手を打つこともできなかった。決して命が戻ることはない4人もの死者(そのうちのさ3人は幼い子供たちである)を出してから対策にかかる水の危険性に対する想像力(=警戒心)の欠如、後手後手の危機管理対策。死亡被害者の関係者は県と市に賠償請求を行うべきである。

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「大型ヘリによる重機運搬」に関する首相官邸・内閣官房・内閣府との不毛なやりとり(1)

2008-07-29 08:15:47 | Weblog

 6月16日(08年)の当ブログ記事≪岩手・宮城内陸地震/福田首相の「人命救助が一番」の危機管理は口先だけではないか≫で土石流に襲われて倒壊・埋没した宮城県栗原市の「駒の湯温泉」の1階部分に生き埋めとなった7人の行方不明者の一刻を争う捜索に自衛隊・レスキュー隊は手間と時間のかかる手作業で臨んだが、なぜ四川省大地震で中国当局が行ったように大型ヘリで運搬して重機を直接投入しなかったのか、「災害時緊急支援体制検討委員会」が平成18年2月22日に当時の安倍晋三内閣官房長官に提出した『大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する』とした提案書は自衛隊の大型ヘリよる重機運搬の活用を提案しているが、その提案はどうなったのか、中国ができて日本にできないということはないだろうから、提案が検討されないままに放置されたとしたら福田首相の言う「人命救助が一番」は口先だけのウソになるといった内容を書いたが、「生存限界」とされる72時間を遥かに経過した、地震発生から12日経過した6月26日になってやっと大型ではない、大型よりも作業効率が格段に劣る4トン重機を最初に1台、その後もう1台と合計2台投入している。

 その後手、後手に見える人命救助活動及び危機管理対策に疑問を覚えて「首相官邸」にHPを通じて初期段階からなぜ大型重機を投入できなかったのか、また平成18年の提案書はどうなったのか6月20日(08年)に問い合わせてみた。

 以下「大型ヘリによる重機運搬」に関する首相官邸・内閣官房・内閣府との不毛なやり取り――

●最初に「首相官邸」

 「首相官邸HP」の「ご意見募集/FAQ」ページは「ご意見募集 国政に関するご意見・ご要望をお寄せ下さい」と書いてある。

 注意書き

 国政に関するご意見・ご要望をお寄せ下さい。
 下記の項目にご記入の上、送信して下さい。
 なお、各府省へ直接送信される場合はこちらへ。

※ ご意見・ご要望の欄以外のご記入は任意です。
※ 文字化けを防ぐため、半角カタカナ、丸数字、特殊文字は使用しないで下さい。
※ ご意見・ご要望は2000文字以内でお願いします。
※ 返信をお出しする際に、ご意見をお寄せいただいたのがパソコンからか携帯電話からかを判別する必
  要があり、そのため、使用されているブラウザの種類の情報を取得しております。取得した情報につ
  いては判別以外の目的には使用せず、また、判別終了後、破棄しております。

テーマ <自衛隊大型ヘリによる重機運搬に関して>

ご意見・ご要望 <今回の岩手・宮城内陸地震による土石流の直撃で2階建ての1階部分が宿の住人と宿泊客を閉じ込めたまま土砂に埋まった温泉宿「駒の湯温泉」に向けた自衛隊員・レスキュー隊員の救出で新聞もテレビも「道路の寸断等が理由で重機を入れることができないために手作業で作業を行わざるを得ず、救出が捗っていない」といったことを伝えていました。

 中国の四川省大地震では堰止め湖の排水工事でパワーショベル重機が何台も稼動して作業を行っている映像をテレビが流していましたが、それが「唐家山ダムに排水路を敷設して水を抜くための工事が進められており、作業用の重機を運ぶ大型ヘリコプターが北川県の上空を往復している」と毎日新聞が伝えていた重機かどうか分かりませんが、とにかく中国では大型ヘリで重機を運搬して活用しているようです。

 中国が災害復旧に重機を大型ヘリで運搬して活用しているのに、日本でそれができない理由があるのですか。大型ヘリで運搬すれば、道路の寸断や橋の崩落といった問題をクリアして、直接現場に短時間で重機を運び込むことができます。

 「災害時緊急支援体制検討委員会」が「瓦礫に埋もれている人を出来る限り短時間に救出するため、自衛隊所有の大型ヘリコプターで(組立てなしの)12㌧前後のハサミ重機を、被災現場に空輸する」自衛隊の大型ヘリよる重機運搬の活用を提案内容の一つとした『大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する』とした提案書を平成18年2月22日に当時の安倍晋三内閣官房長官に提出しています。

 以後2年4ヶ月が経過しています。災害被災民救済及び災害復旧を目的に重機が直接入れない場所への自衛隊用大型ヘリによる重機運搬はどうなっているのか、その後のイキサツを教えてください。福田首相が言っていた「人命救助が一番」に関わってくる問題です。>
         * * * * * * * *
 4日後の6月24日になって返事が来た。

送信者: "首相官邸HP発信専用" <hentou@kantei.go.jp>
宛先: <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
件名 : [首相官邸より]
日時 : 2008年6月24日 8:46

 ご意見等をお送りいただきましてありがとうございました。
 いただきました国政へのご意見・ご要望は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただくとともに、関係する省庁へも送付させていただきます。

  首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当
         * * * * * * * * 
 この返事では当方の問い合わせに対する回答になっていない。福田首相の言う「国民目線」には見事合致した親切丁寧な対応だとは言える。

 そこで再度送信フォームを使って問い合わせた。日時は6月24日14時30分。
         * * * * * * * * 
テーマ <「自衛隊大型ヘリによる重機運搬に関して」の回答は質問に対する回答になっていません>

ご意見・ご要望 <災害時に自衛隊大型ヘリで重機運搬を行うことを提案の一つとした平成18年2月22日に当時の安倍官房長官に提出の『大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する』とした提案書はその後どうなったのかお聞きしたのです。

 「ご意見等をお送りいただきましてありがとうございました。
 いただきました国政へのご意見・ご要望は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただくとともに、関係する省庁へも送付させていただきます」ではあまりに形式的・事務的で答になっていません。お宅の方で調べて回答するか、そういった問題はどこそこに問い合わせてくれと問い合わせ先を教えるか、どちらかにして貰わねば疑問の解きようがありません。

 災害時に中国では大型ヘリで重機を運搬して活用しているのに日本では活用せず、手作業で生き埋め者の救出作業を行っている。福田首相の「人命第一」の言葉を裏切ることになりかねない重大問題です。「提案」がどうなったか教えてください。どこへ問い合わせたなら知ることができるか、案内願います。>
         * * * * * * * * 
 いくら待っても返事なし。首相が「国民目線」と言っているのだから、内閣府のすべてのスタッフが「国民目線」を自らの姿勢として体現していなければ、首相一人だけの「国民目線」となって滑稽な矛盾を来たすことになる。いわば返事を出さないのも福田首相が口癖にしているとおりの「国民目線」に従った親切ご丁寧な対応ということにしなければならない。こちらからは「ありがとう」と礼を言うべきだろう。

 ついしつこい気持になって、1週間待ってから7月1日10時40分に再度送信
フォームから問い合わせることにした。
         * * * * * * * * 
テーマ <被災地への自衛隊ヘリによる重機搬入について再度お伺いします。>

ご意見・ご要望 <5人が死亡、2人が行方不明の栗原市の旅館「駒の湯温泉」被災現場に6月26日に初めて自衛隊ヘリによって重機が搬入され、午後には2台目が搬入されると新聞が報道していました。

 この自衛隊ヘリによる重機搬入は6月14日午前8時過ぎに地震が発生して「駒の湯温泉」の建物が土石流に押し潰され1階部分が2階部分を背負う形で倒壊、1階部分に7人が生き埋めになったことがその日のうちに判明した時点で手配すべきことだったのではないでしょうか。

 「20~30センチ掘ると水がわいてくる。非常に困難な状況だ」と6月17日の時点で東京消防庁のハイパーレスキュー隊のメンバーが言っていたそうですが、重機はマフラーの排気ガス排出口がキャタピラ部分より上に出ていれば、キャタピラが埋まるぐらいの水量の場所でも運転可能です。「20~30センチ掘ると水がわいてくる」場所など問題ではないはずです。新聞の写真を見ると、建物の傾いている下方は水に浸かっていますが、上方の地面には水は見当たりません。十分に重機が動ける状態に見えます。

 また新聞は重機搬入ができなかった理由に「道路の寸断」を挙げていましたが、空を飛ぶのだから、「道路の寸断」はヘリによる重機運搬の条件にはなり得ても、それを不可能にする条件とはなり得ません。公的機関の発表を鵜呑みに報道しているとしか思えません。

 また、自衛隊ヘリによる重機搬入は平成18年2月22日に当時の安倍官房長官に提出した、災害時に自衛隊大型ヘリで重機運搬を行うことを提案の一つとしている『大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する』とした提案書の正式な具体化を受けた措置なのでしょうか。

 そうだとしたら、今回の4トンの小型重機2台と提案書の「自衛隊所有の大型ヘリコプターで(組立てなしの)12㌧前後のハサミ重機を、被災現場に空輸する」としている提案規模との違いはどういう理由によるものなのでしょうか。

 私には政府の人命救助に関わる危機管理が拙劣に思えてなりません。

 返事を待ちます。
         * * * * * * * * 
 前回は4日後だったが、今回は翌日の7月2日に返事が来た。

送信者: "首相官邸HP発信専用" <hentou@kantei.go.jp>
宛先: <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
件名 : [首相官邸より]
日時 : 2008年7月2日 8:33

 ご意見等を拝見しました。
 いただきました国政へのご意見・ご要望は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただきます。

  首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当

         * * * * * * * *
 これってふざけているのかな?悪い冗談?それとも小島よしおのギャグ「そんなの関係ねえ、オッパッピー」を役人言葉に翻訳して回答したということなのだろうか。

 いやいや、あくまでも福田総理大臣閣下同様、右へ倣えで「国民目線」に立っているはずだから、「国民目線」に従った精一杯のご親切ご丁寧な返事なのだろう。どんなに貧乏・無力な国民でも徒や疎かには扱わないはずだ。

 それで当方としても精一杯の親切丁寧を発揮することにした。「首相官邸」からの返事のメールを読み終えると同時に首相官邸HPにアクセス、送信フォームから再度問い合わせた。
         * * * * * * * *
テーマ <『再度地震の災害地への自衛隊ヘリによる重機搬入についてお尋ねします』>

ご意見・ご要望 <前回の問い合わせに対して最初の問い合わせに対するのと全く同じ「ご意見等を拝見しました。
いただきました国政へのご意見・ご要望は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただきます。

 首相官邸ホームページ「ご意見募集コーナー担当」なる機械的、紋切り型の返事をいただきました。」

 当方の要望内容も読まずに用意してある返信用メールを送信したと疑いたくなるものの見事に素っ気ない同じ返事となっています。福田首相は「生活者重視」を政策の基本姿勢としています。首相官邸に所属するスタッフとして首相の「生活者重視」の意向を身を以て体現する立場にあると思いますが、このような返事を送信することが福田首相の「生活者従事」の基本姿勢に合致する態度なのでしょう。

 道路が寸断した災害地に自衛隊ヘリで重機をいち早く如何に搬入するかどうかの問題は偏に「生活者重視」の問題に関わってくる事柄だと思いますが。
         * * * * * * * * 
 4日経過しても返事が来ない。そこで7月6日に「首相官邸」から「内閣官房」へ変えることにした。

 「大型ヘリによる重機運搬」に関する首相官邸・内閣官房・内閣府との不毛なやりとり(2)に続く

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「大型ヘリによる重機運搬」に関する首相官邸・内閣官房・内閣府との不毛なやりとり(2)

2008-07-29 08:06:36 | Weblog

 「内閣官房」HP

 「内閣官房の業務に関するご意見・ご要望をお寄せください。
以下の項目にご記入の上、送信してください。」となっている。例え業務違いの質問であっても、「国民目線」に立って親切丁寧に答えてくれるのが誠意というものと思ってフォームに入力。

ご意見・ご要望 <『岩手・宮城内陸地震・「駒の湯温泉」への自衛隊ヘリによる重機搬入についてお尋ねします』

 6月14日岩手・宮城内陸地震による土石流の直撃で温泉宿「駒の湯温泉」の倒壊建物内に生き埋めとなった7人の宿泊客等に対する自衛隊員・レスキュー隊員の救出では新聞もテレビも「道路の寸断等が理由で重機を入れることができないために手作業で作業を行わざるを得ず、救出が捗っていない」といったことを伝えていました。

 中国の四川省大地震では堰止め湖の排水工事で大型のパワーショベル重機が何台も稼動して作業を行っている映像をテレビが流していましたが、それが「唐家山ダムに排水路を敷設して水を抜くための工事が進められており、作業用の重機を運ぶ大型ヘリコプターが北川県の上空を往復している」と毎日新聞が伝えていた重機かどうか分かりませんが、とにかく中国では大型ヘリで重機を運搬して活用しているようです。

 中国が災害復旧に重機を大型ヘリで運搬して活用しているのに、日本でそれができない理由があるのですか。大型ヘリで運搬すれば、道路の寸断や橋の崩落といった問題をクリアして、直接現場に短時間で重機を運び込むことができます。ヘリによる重機運搬の場合、空を飛ぶわけですから、「道路寸断」は搬入不可能の条件とはなりません。

 そして6月14日地震発生から12日後の6月26日になってやっと「駒の湯温泉」現場に自衛隊ヘリによって重機が搬入され、午後には2台目が搬入されると新聞が報道していました。新聞は今回もこれまで重機搬入ができなかった理由に「道路の寸断」を挙げていましたが、空を飛ぶ以上、「道路の寸断」はヘリによる重機運搬の条件にはなり得ても、それを不可能にする条件とはなり得ません。公的機関の発表を鵜呑みにした報道としか思えません。

 この自衛隊ヘリによる重機搬入は地震発生後、1階部分に7人が生き埋めになったことが判明したその日のうちに手配すべきことだったのではないでしょうか。もしできたのにしなかったとしたら、危機管理に問題が生じます。福田首相が言っていた「人命救助が一番」の言葉にも関わってきます。

 それとも搬入したいと思ったが、できなかったのですか。

 「道路の寸断」はできなかった理由にはなりません。また水が出ていた問題ですが、「20ないし30センチ掘ると水がわいてくる。非常に困難な状況だ」と6月17日の時点で東京消防庁のハイパーレスキュー隊のメンバーが言っていたそうですが、重機はマフラーの排気ガス排出口がキャタピラ部分より上に出ていれば、キャタピラが埋まるぐらいの水量の場所でも運転可能です。「20ないし30センチ掘ると水がわいてくる」場所など問題ではないはずです。新聞の写真を見ると、建物の傾いている下方は水に浸かっていますが、上方の地面には水は見当たりません。十分に重機が動ける状態に見えます。

 重機が運転可能な場所であったなら、搬入していなければならない理由があります。

 「災害時緊急支援体制検討委員会」が「瓦礫に埋もれている人を出来る限り短時間に救出するため、自衛隊所有の大型ヘリコプターで(組立てなしの)12㌧前後のハサミ重機を、被災現場に空輸する」自衛隊の大型ヘリよる重機運搬の活用を提案内容の一つとした『大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する』とした提案書を平成18年2月22日に当時の安倍晋三内閣官房長官に提出しています。

 この提案は福田首相が言っていた「人命救助が一番」の国民生命に対する危機管理の点からも何としても具体化させなければならなかった提案だったはずです。以後2年4ヶ月が経過しています。具体化させるには十分過ぎるくらいの時間が経過しています。

 当然具体化させているはずで、この具体化に添って、「駒の湯温泉」の災害現場に大型自衛隊ヘリによる大型重機の搬入が行われていていいはずですが、なぜか搬入されず、「道路の寸断等が理由で重機を入れることができないために手作業で作業を行わざるを得ず、救出が捗っていない」といった状況を呈していました。

 実際に行われたのは地震発生12日後に大型重機ではなく、作業効率が遥かに劣る4トンのパワーショベル重機の自衛隊ヘリによる搬入です。

 1.この搬入は平成18年2月22日に当時の安倍官房長官に提出した、災害時に自衛隊大型ヘリで重機運搬を行うことを提案の一つとした提案書の正式な具体化を受けた措置なのでしょうか。

 2.そうだとしたら、今回の4トンの小型重機2台と提案書の「自衛隊所有の大型ヘリコプターで(組立てなしの)12㌧前後のハサミ重機を、被災現場に空輸する」とした提案規模との違いはどういう理由によるものなのでしょうか。「12トン」とまでいかずとも、7トンの大型重機を2台搬入したなら、作業効率は大幅に上がり、作業時間も大幅に短縮できるはずです。 

 この2つの点について、 お答え願いたいと思います。

 手代木恕之
         * * * * * * * * 
 「送信」を何度クリックしても「ERROR」表示。「ERROR」の文字以外、何も書いてない。だから、「ERROR」の理由が分からない「国民目線」に立った親切丁寧さ。

 すべての意見が「ERROR」表示なら、一通もメールが来ないのはなぜなのかと不審に思って調べるだろうから、IPアドレスで「ERROR」を選択しているのだろうかと疑い深い手代木恕之は考えた。

 そこで次の日の7月7日、友人にメールで理由を話して同じ文章を入力して送信してくれるよう依頼した。友人からの返信メールは「ERROR表示が出るだけ」だった。

 すべての送信が「ERROR」で「ご意見・ご要望」が一通も届かないということなら少しはおかしいなと思って調べてもいいはずだが、おかしいなとも思わない「危機管理意識」の持主ばかりなのか、日を置いて送信しても「ERROR」表示のみ。

 次に疑えることとしたら、機械的な返事が役にも立たないと分かっているから一々答えるのが面倒臭くなって、「国民目線」に立って「ERROR」表示とし、「ご意見・ご要望」が一切届かないようにしてしまったということなのだろうか。
         * * * * * * * * 
 ではと思って、食いついたら離れないスッポンのしつこさで「内閣府」のHPに場所換えした。1000字以内の文字制限となっているから、「内閣官房」に送信した内容をさらに削ることにした。

 「内閣府・防災対策」のページを開くと

 内閣府防災担当へのご意見・ご感想
 
 <内閣府防災担当へのご意見・ご感想がありましたら、下記の事項に記載の上、
「送信」ボタンをクリックしてください>と案内があり、続いて

 <ご意見・ご感想などを下記に記載後、[送信]ボタンをクリックしてください。
また、記載した内容を修正するときは[クリア]ボタンをクリックしてください。>

 これぞまさしく「国民目線」に立った子供の手を引くような親切丁寧な注意書きである。間違える人間は誰一人いないだろう。もし間違えて[送信]ボタンをクリックするところを[クリア]ボタンをクリックしてしまったとしたら、内閣府の「国民目線」に立った折角の親切丁寧さを裏切ることになる。

 ご意見・ご感想 <『岩手・宮城内陸地震・「駒の湯温泉」への自衛隊ヘリによる重機搬入についてお尋ねします』

 栗原市の温泉宿「駒の湯温泉」の建物が土石流を受けて倒壊、生き埋めとなった7人の救出作業は「道路の寸断」を理由に重機搬入ができず、捗らない手作業となりました。

 しかし中国四川省大地震では堰止め湖排水工事に大型ヘリで大型重機を搬入して工事の進捗を図っています。中国ができて日本ができない理由があるのですか。ヘリによる重機運搬の場合、空を飛ぶわけですから、「道路寸断」は搬入不可能の条件とはなりません。

 平成18年2月22日に「災害時緊急支援体制検討委員会」が「瓦礫に埋もれている人を出来る限り短時間に救出するため、自衛隊所有の大型ヘリコプターで(組立てなしの)12㌧前後のハサミ重機を、被災現場に空輸する」自衛隊の大型ヘリよる重機運搬の活用を提案内容の一つとした『大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する』とした提案書を当時の安倍晋三内閣官房長官に提出しています。

 この提案は福田首相が言っていた「人命救助が一番」の国民生命に対する危機管理の点からも何としても具体化させなければならない提案であり、以後2年4ヶ月の時間が経過しています。

 当然この具体化に添って、「駒の湯温泉」の災害現場に大型自衛隊ヘリによる大型重機の搬入が行われていていいはずですが、なぜか搬入されず、「手作業」、「救出が捗っていない」といった状況を呈していました。

 実際に行われたのは地震発生12日後に大型重機ではなく、作業効率が遥かに劣る4トンのパワーショベル重機の自衛隊ヘリによる搬入です。

 1.この搬入は平成18年2月22日に当時の安倍官房長官に提出した、災害時に自衛隊大型ヘリで重機運搬を行うことを提案の一つとした提案書の正式な具体化を受けた措置なのでしょうか。

 2.そうだとしたら、今回の4トンの小型重機2台と提案書の「自衛隊所有の大型ヘリコプターで(組立てなしの)12㌧前後のハサミ重機を、被災現場に空輸する」とした提案規模との違いはどういう理由によるものなのでしょうか。「12トン」とまでいかずとも、7トンの大型重機を2台搬入したなら、作業効率は大幅に上がり、作業時間も大幅に短縮できるはずです。 

 この2つの点について、 お答願いたいと思います。>
         * * * * * * * * 
 「国民目線」に立った親切丁寧な<ご意見・ご感想などを下記に記載後、[送信]ボタンをクリックしてください。
 また、記載した内容を修正するときは[クリア]ボタンをクリックしてください。>の指示通りに、その親切丁寧さを裏切らないように[クリア]ボタンをクリックせずにしっかりと[送信]ボタンをクリックした。

 ページが変わり、

 <送信完了

 ご意見・ご感想の投稿ありがとうございました。>の親切丁寧な表示。
         * * * * * * * * 
 ところが <ご意見・ご感想などを下記に記載後、[送信]ボタンをクリックしてください。
 また、記載した内容を修正するときは[クリア]ボタンをクリックしてください。>の「国民目線」に立った子供の手を引くような親切丁寧さはどこへいったのか、待てど暮らせど返事が来ない。完全な無視である。

 時折思い出しては「ERROR」が修復されているかと思って「内閣官房」HPの「ご意見・ご要望」から送信してみるが、ムダな抵抗はよせとばかりに「ERROR」の文字だけが表示されるだけ。これ程の「国民の目線」に立った「ERROR」は他に見当たらない。

 このやり取りをブログ記事にするつもりでいたから、食いついたら離れないすっぽんのしつこさを再度見せておくためにも昨28日、これが最後と「内閣府・防災対策」のページから同じ文章を送っておいた。

 ページが変わって、おなじみの

 送信完了

 ご意見・ご感想の投稿ありがとうございました。
         * * * * * * * * 
 「駒の湯温泉」の当初の手作業救助活動が平成18年に当時の安倍内閣官房長官に提出した提案書を検討もせず忘却の彼方に放置した結果の自衛隊ヘリによる大型重機搬入場面に変わる「国民の目線」に立った「人命救助が一番」の危機管理意識が成さしめた手作業場面なのだろうと頭から疑っていたから、まともに返事を出しようがなく、返事が来ないのは当たり前のこととして、最後の入力に対する返事を待たずに今日、ブログ記事に仕立てることにした。

 大体が提案書名に「全国主要地に予め基地を設け」と掲げているが、自衛隊所有のヘリを使用と言うことなら、いずれかの自衛隊の基地が指定されていいはずだが、どこを候補地とし、どこが指定されたといったことも含めて、そのような「基地」自体の存在すら聞いたこともない。

 日本全国いつどこで大地震が起きてもおかしくない日本の地殻状況を考えたなら、「全国主要地に予め基地を設け」る危機管理提案はにしても自衛隊大型ヘリ運搬による大型重機の災害地搬入の危機管理提案にしても是非具体化させなければ提案であろう。

 それが具体化していないと言うことは政治の怠慢以外の何ものでもない。政治の不作為だと糾弾されても仕方のない政治家たちの思考停止に相当する。

 また「国民目線」に立った「人命救助が一番」は考え得る危機管理準備をすべて具体化させてから言えることで、具体化という準備もないまま言うのは、子供騙しに等しいその場凌ぎの、単に言葉で終わる「人命救助が一番」に過ぎない。

 生き埋め情報判明時点での大型重機搬入もない福田首相の「人命救助が一番」はマヤカシに過ぎない人命尊重に過ぎないと言うことである。

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カネに余裕のある人間は無差別殺人を犯さない

2008-07-27 19:41:04 | Weblog

 ――世の中・社会に対する不公平感は経済的不遇者のみに関係し、カネに余裕のある者には無縁の感覚だからだ――

 7月22日(08年)午後9時40分頃の八王子駅ビル通り魔無差別札殺人。書店のアルバイト店員22歳の女子大生が包丁で胸を刺され死亡。客の21歳女性が軽症。

 「仕事がうまくいかず、人を殺そうと思い包丁を買った。むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」(毎日jp)

 「仕事がうまくいかず、親に相談したが乗ってくれなかった。むしゃくしゃし、無差別に人を殺そうと決意した」(日刊スポーツ)

 逮捕された菅野容疑者(33歳)は高校を中退、この数年間八王子市内の製造業数社を派遣社員として転々としてきたとのこと。一度結婚し、離婚している

 6月8日(08年)日曜日、7人を殺す秋葉原通り魔無差別殺人。「世の中が嫌になった。生活に疲れてやった。誰でもよかった」(『朝日』社説)

 両親が離婚、「親とうまくいってなかった」

 加藤容疑者は高校卒業後自動車関係の専門学校に進学。途中4年制大学編入を目指したが実現せず、それ以降主に派遣社員として職を転々。

 上記二件の通り魔殺人の「誰でもよかった」という無差別性は自分が勤めている会社の人間なら誰でもよかったでもなく、自分が通学しているの学校の生徒なら誰でもよかったでもなく、一般社会という集団を対象とした、その中の不特定人間を指している。

 自分が勤めている会社の人間なら誰でもよかったは自分が勤めている会社そのものを憎悪していることによって生じる無差別性であり、自分が通学している学校の生徒なら誰でもよかったは自分が通学している学校そのもをも嫌悪・侮蔑していることによって生じる無差別性なのは断るまでもなく、通り魔殺人犯の「誰でもよかった」は社会そのものを憎悪・嫌悪していることによって誘導された無差別性であろう。

 その社会たるや同時に自分も住んでいる社会であって、同じく住んでいる社会の人間でありながら、誰でもよかった――。それ程にも社会を憎悪・嫌悪していたと言える。

 但しいくら社会を憎悪・嫌悪していたとしても、社会そのものを破壊することは陰険で危険な独裁者なら可能かもしれないが、権力も金力も持たない一個人には不可能事であることを知らないはずはなく、それゆえにこそ社会全体を相手とした攻撃意思を持ち、社会全体を相手とした憎悪の発現の体裁を取りながら、その中の「誰でもいい」少数者の誰かを標的とすることで、社会そのものへの攻撃意志を充足させる。社会そのものへの憎悪感情を浄化させる。例えそれが正当な攻撃であろうとなかろうと、あるいは憎悪であろうとなかろうと「誰でもよかった」という不特定の人間を対象とした通り魔無差別殺人はそういったプロセスを一般的には取るはずである。

 そして彼らの社会に対する憎悪、攻撃意志はそれぞれが置かれている社会が制約している彼らの社会的な存在性から発しているのは断るまでもない。

 7月23日(08年)水曜日のNHK夜9時からの「ニュースウオッチ9」「急増する高校中退者、生活苦から・・・・格差社会ここまで」というコーナーを設けていた。

 番組は家庭の所得が生活保護水準しかない場合などに適用される授業料免除の高校の生徒数がここ10年で2倍以上に増えたという文科省調査のグラフを示して、平成18年には22万4385人に達したと伝えている。

 このことは貧困家庭がここ10年で約2倍に増加したことを示しているとも言える。その影響が生徒の高校中退という事態となって現れ、深刻化しているという。

 その一例として埼玉の公立高校を取り上げ、入学時には32人いたあるクラスの生徒が3年の間に次々と中退、卒業を果たしたのは約半数の17人のみであったという。一人や二人ではなく、15人もの中途退学者の出現である。

 中退理由は父親が死亡、両親が離婚、母子家庭等々、授業料免除を引き起こしている経済的な理由が殆ど。件のクラス担任もそのことを指摘している。

 「一番の根幹は経済的な問題。普段の授業以外に学校行事、修学旅行だとか林間学校だとか遠足だとかありますけれども、そういう行事にもカネがなくて参加できない。水が漏れるように、溢れるようにポロポロと辞めていくような――」

 高校中退の問題に詳しい放送大学・宮本みち子教授「今や殆どの子が塾へ行っているような時代ですよね。そうしますと、親に経済的な余裕がない。そうするとどこかもうすぐ早期な段階で学校の勉強についていけなくなってるんですよね。友達や社会との関係をつくっていくっていう意欲も出てきませんし、そうしてもう自分はダメだって言うことになりますので、学校を続けていくというエネルギーも出てこない――」

 宮本みち子教授の言葉に続いて番組解説者が「高校を中退した生徒が安定した仕事に就くのは容易ではありません」と社会的な雇用価値観がどの辺にあるかを伝え、その一例として一人の中退女子生徒を取り上げて正社員の求人が高卒に偏っていて、中退者や中卒には門戸が狭い社会的な就職観が原因して中退後スーパーのレジのアルバイトや派遣といった不安定な生活を強いられている様子を伝えている。

 高校社会での経済的理由から塾にも行けない、各種学校行事にも参加できないといった事情で学校生活に意欲を失っていく、あるいは親にこれ以上負担をかけるわけにいかないといった心理的圧迫感から中退を余儀なくされるといったプロセスは本人は気づいていなくても、学校社会で既に実社会を体験しているということであり、中退者となって実社会に出て、そこで学校社会で体験した経済的困窮からの苦い人生を社会人に姿を変えたものの同じことの繰返しとして再度体験するということであろう。

 いわば高校中退を強いた親の経済的事情=カネのないことが実社会に於いてもフリーターとかアルバイトとか派遣とか低収入の道を選択させしめ、その結果としてまるで親子二代で築いていくかのように今度は自分自身が生み出す問題として経済的事情=カネのない生活が再生産されていく。

 あるいは親がある程度カネがあり、無事高校を卒業できたとしても、一旦フリーター人生や派遣人生にはまり込むと、正社員は新卒という雇用価値観から社会の方からそこからなかなか抜け出させてくれなくて、否応もなしに低収入の経済的に不安定な人生を歩まされることになる今の日本の社会の現実。

 このことは極々当然のことではあるが、学校社会のカネに関わる価値観は一般社会に於けるカネの価値観の反映として存在し、生徒の誰もがその影響下にあるからなのは断るまでもないことであろう。

 この関係を如実に証明する『朝日』記事(08年7月21日朝刊)がある。≪ハーバード志望者に特別塾≫

 教育大手のベネッセコーポレーションがハーバード大など米国の有力大学を志望する高校生のための少人数・個別指導、年間授業料150万~300万円の特別価格、定員15名、150分ずつ週2回の特別塾を東京都千代田区で始めたという内容である。

 授業料免除の措置を受けている高校生には気の遠くなる年間授業料150万~300万円であるに違いない。だが、多くの場合その150万~300万円が将来を決定する。

 また親が高学歴である程子供の教育にかける投資額が高く、親の高学歴を引き継いで子供も高学歴を獲得していくという親から子への高学歴の伝達、あるいは高学歴の再生産の傾向は既に社会現象化しているが、この傾向は高学歴が収入(=カネ)を保証することによって可能となる継承であろう。

 このように高学歴が収入(=カネ)を保証し、その収入(=カネ)が自分の子供への教育投資を保証し、それが子供の高学歴を保証するという親の高学歴・高収入にまつわる子供に向けたその将来に対する保証の連鎖はその対極に親の経済的理由から高校中退、もしくは高校進学断念といった学歴の無保証とそのことが原因する収入(=カネ)の無保証の悪循環を置いていて、そのような両者関係は社会の現実としてある親の収入格差から出発した教育格差であり、教育格差が引き出すことになる学歴格差であり、学歴格差が招くことになる就職格差であり、就職格差が否応もなしの答として導き出すことになる収入格差・生活格差であり、そういったことが最終的に描き出す姿としてある人間格差であろう。

 こういった今の日本の社会の現実に不公平感を抱かない高校進学断念者、あるいは高校中途退学者、さらに実社会に出てからのフリーター経験者、派遣経験者がどれ程いるだろうか。

 しかも各マスメディアが正社員と非正社員の生涯賃金の差とか非正社員の低収入を原因とした結婚率の低さ、独身者数の増加とか、各省庁が調査した彼らの将来像をものの見事に予測する統計をご丁寧にもニュースとして日々伝えてもいる。そのような統計を自分の人生に重ねないフリーター、派遣社員がいるだろうか。希望を持てない人生を送っている経済的不遇者から希望の滓さえも奪う統計の数々でもあろう。

 カネはすべてを解決する万能の力を持っているわけではないが、大いなる力を持っていることは確かで、多くのことを解決してくれる。と言うことなら、「経済的事情」というカネのないことの表現となっている経済的不遇が世の中に対して不平等感を抱かせる最大の要因なのは断るまでもない事実のはずである。

 一方で社会は不公平で矛盾に満ちていると分かっていながら黙々と頑張っている若者の方が遥かに多く、社会に対する恨みから無差別殺人に走るのは甘えた逆恨みでしかないという主張もあるが、例え「身勝手」、「甘えている」、「自分勝手」、「自分本位」、「自立できていない」、「大人になり切れていない」等々何と批判しようが、自分の人生がうまくいかないそもそもの発端は経済力のなかった親であり、追い討ちをかけて社会が自分を追い詰めているにも関わらず親は相変わらず何の力にもなってくれないと把えて無差別殺人に走る若者が少数ながら存在するのも現実としてある社会の姿である。

 今後とも学歴と相互関連し合ったカネがあるなしの親の経済的存在性とその影響下にある子供の学校社会での存在性にさしたる変化は見ないだろうし、その影響を諸に受けて実社会で経済的不遇に見舞われる若者も存在し続けることを考えると、当然のこととして社会に対する不公平感というものは募ることはあっても
解消に向かうことはないと確実に言える。

 その募るばかりの不公平感がある者をして社会に対する恨み・憎悪を持たしめ、それが高じて攻撃意志へと増殖・転化させる。

 経済的不遇が学歴にも就職にも生活そのものにも不利に働き、その犠牲となって恋愛も含めて人生がままならない自分を一方に置き、親の収入が請合う高学歴に社会が味方して高収入を約束し、その先に将来的な人生もを保証する社会の有り様――社会的価値観を冷ややかに見据え、その幸運に見舞われた若者を対極に置くことで、その格差に対する不当な思いを――社会に対する不公平感を生じせしめているとしても、学歴格差・就職格差・収入格差といった各種格差が社会の現実として如何ともし難く存在し続け、そのことを是正する即効薬がないということなら、別の方法で社会に対する不公平感を少しでも和らげる方法を講ずるべきであろう。

 考えることができる一つの方法は高学歴・高収入・社会的高地位の個人、あるいは高学歴ではなくても高収入・社会的高地位にある個人及び高学歴・高収入・社会的高地位にある個人を主たる組織員とした企業のこれまでは訂正申告で済ませた所得申告漏れや脱税、あるいは謝罪で済ませてきた企業生産品の性能数値の偽装報告や原材料の偽装等のありとあらゆる不正行為、官僚・役人の類のこれまで何ヶ月かの懲戒や停職で処理した裏ガネづくりや取引行為上のキックバック、名目を設けた不正利益獲得等の処分を懲役刑を含む厳罰処分に変えることによって社会的不遇者に「世の中は少しは公平だな」という思いを与えることができ、不公平感を少なからず和らげることが可能ではないだろうか。

 自らの高学歴によって得た社会的に高い地位利用の不正が横行する割には強力犯と比較した殆どが執行猶予付きの知能犯罪の罰則の軽さが「偉い人たちはうまいことをやっている」という思いを抱かせしめ、そのことも社会的不公平感を催させる無視できない原因の一つとなっているのだから、「うまいこと」を些かでも許さない強力な罰則を与えることによって社会的不公平感を少なからず断つことができるはずである。

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石原慎太郎の皇太子「五輪招致活動」協力要請は政治利用だけで終わらない

2008-07-25 01:49:37 | Weblog

 6月20日(08年)の都知事の定例会見で石原知事が五輪開催都市の投票を行う来年10月のコペンハーゲンで開催のIOC総会に皇太子の出席を政府を通じて正式に要請することを明らかにしたそうだが(≪東京五輪招致、東京に勝算は? ロビー活動がカギ 「皇室」による招致構想≫MSN産経/2008.6.22 21:21 )、迂闊にもこのようなニュースの存在に気づいていなかった。

 記事は6月22日付け。当ブログ記事≪石原慎太郎、東京五輪開催に向けた中国に対する態度三様≫を書いたのが7月21日。知らずに書いていたから、些かトンチンカンな内容が生じていると思う。悪しからず。

 テロ対策を名目にオリンピック開催期間中、監視カメラの設置だ、車両検問だ、手荷物検査だ、一般人の立ち入り禁止区域だ、車両進入禁止区域だと市民生活に不便を強いる監視社会とさせてまでする国威発揚か、日の丸誇示かと思っている上に人格の一部としている石原慎太郎の権性がオリンピック憲章だ、オリンピック精神だ、フェアプレーだを口にする資格はないはずだと思い定めているいるから、正直東京が落ちればいいと考えている国賊の一人だが、最終的な当落結果と東京開催に関わる石原慎太郎の動向に関心を持っていたにしてはまさに迂闊であった。

 その動向たるや石原慎太郎が皇室及び皇太子のネームバリューを利用する。日本人が皇室に担わせているその文化性でもって世界各国のオリンピック委員の気持を惹こうというのだから、なかなかの策士である。

 このことは昨07年7月4日に中米グアテマラで開催された2014年冬季オリンピック開催地決定のIOC総会にロシアのプーチンが直に乗り込んでロシア語、英語、フランス語で演説して国自らが約1兆5000億円の支援をすることを表明、同じく盧武鉉大統領が乗り込んでプレゼンテーションを行った前評判の高かった韓国の平昌(ピヨンチヤン)を51票対47票の僅差で押さえて開催都市をロシアのソチに決定せしめた劇的なプーチンの演説姿に日本の皇太子を重ねて二匹目のドジョウを狙いたい思いもあったに違いない。

 だが、KGB出身で権謀術数に長けている上に各国首脳相手に外交の場数を踏んでいるプーチンと日本の皇室の役目としてひたすら真面目で誠実な姿を演じるべく飼い慣らされた皇太子とではその政治的ハッタリは比べようがなく、裏でカネや贈答品が飛び交うと言われている開催都市決定の舞台の登場人物として果たしてふさわしいかである。

 裏でカネや贈答品が飛び交うその辺の事情は長野五輪の招致が証明している。長野冬季五輪は91年バーミンガム総会で決定したが、その前後にIOC委員への買収や過剰接待等が行われた疑惑が浮上、だが長野決定の91年のたった1年後に長野冬季五輪招致委員会の会計帳簿を焼却処分とする常識的に考えたなら証拠隠滅としか考えられない挙行に及んでいる。

 だが会計帳簿紛失問題の長野県調査委員会が県庁内で帳簿のコピーと内部資料を04年3月に発見したが、現在も調査継続中だからとその一枚を公表したことを05年1月13日の『朝日』朝刊(≪長野五輪招致 土産代に1766万円 91年IOC総会前後の支出 資料一部公表 総額3億6400万円に≫)が伝えている。箇条書きにすると、

1.招致委事務総長代行の土産代(ブローチ等)1766万円
2.IOC総会に関わる航空運賃、宿泊代、車借上費等9943万円
3.プレゼンテーション6671万円
4.ロビーイング1億1339万円
5.旅費、宿泊1億1374万円
  ――総会中の経費総額 3億6405万円

 「土産代」を除いて日本の招致委員会チームのみの移動及び宿泊に於ける実質経費が千万単位でかかるはずはない。石原慎太郎が01年のワシントン海外出張で最高で1泊26万3000円のホテルに宿泊しているが、招致委のメンバー全員がロールスロイスのリムジンで移動し、アラブの王侯貴族が利用するような超豪華ホテルに宿泊して贅沢三昧を尽くしたというなら相当なカネがかかりもしようが、招致を目的にしている以上、自分たちに大枚のカネをかけても効き目が出るわけでもないことで、「招致委事務総長代行の土産代(ブローチ等)1766万円」が象徴しているように歓心を買うために各国委員の便宜を図った過剰支出なのは目に見えている。

 裏で飛び交ったカネや贈答品関連の諸経費と見ざるを得ないということなのだろう。いや、日本の立場から言うと、裏でカネや贈答品を飛び交わらせたとなる。もし皇太子に総会で演説させるとなると、表舞台にのみ目を向けさせることとなって、例え意図しなくても結果としては決して美しくない舞台裏を隠す役目を皇太子に担わせることになるに違いない。

 石原慎太郎の皇太子東京五輪招致協力要請に対して宮内庁の野村一成東宮大夫は「招致段階からかかわるのは難しい」との見解を示した(≪石原知事、知事会でも批判「宮内庁のバカが余計なことを言って」≫MSN産経/2008.7.17 22:29 )ということだが、対して石原は宮内庁のバカが余計なことを言って」と批判したと同記事は伝えている。

 「国民が熱願することだ。宮内庁が反対する理由は私はないと思う。せっかくある皇室を私たちは大切にしてきたんだからこの際、『お国のために皇太子さんがんばってくださいよ』と声を上げるのは当たり前のことだと思う」といったことを主張したと同記事は紹介している。

 私人としての発言なら相手がその場にいないのだから、「バカ呼ばわり」は時と場合に応じて許されることもあるだろうが、公人としての発言と考えた場合、相手がいるいないに関係なしに許される発言ではないだろう。石原は公人・私人の立場にあるかどうかの区別をつけるだけの良識すら持ち合わせていないらしい。

 「宮内庁ごときが決める話じゃない」と言っていると別のインターネット記事は伝えてもいる。

 民主党の土屋敬之都議が7月16日に「自分の目的のために皇室を使うという発想には賛成できない」と批判。自民、公明、民主の都議らでつくる五輪招致議員連盟から脱退したことを明らかにしたと同日付の「47NEWS」≪「皇室利用」と知事を批判 五輪東京招致で民主都議≫が伝えている。

 「知事が中国の政治体制を批判してきたのに、北京五輪の開会式に出席するのは賛成できない。知事の提唱する東京五輪には反対していく」といったことも同記事は紹介している。

 この民主党都議の「皇室利用批判」に対して「日刊スポーツ」記事(≪皇室利用批判に石原都知事「影響ない」≫2008年7月18日18時14分)が「オリンピックには政治性があるが、オリンピックそのものは政治じゃない。
そういうくくり方はおかしい」

 「東宮大夫が判断する権利とか資格があるのか。あくまで宮内庁長官の問題じゃないか」と批判をかわした石原知事の姿を伝えている。

 どうも石原慎太郎の言っていることが合理性に欠け、理解できない。「オリンピックには政治性がある」としたら、オリンピック招致活動はより政治性を担うはずである。国威発揚とか国の威信をかけてとか政治性を持ったオリンピックは招致活動の産物だからだ。当然オリンピック自体よりも政治性を持つ。前述のグアテマラIOC総会に登場したプーチンなどは招致活動に於ける最たる政治性の演出者だったはずである。

 その政治性を持った「招致活動」に皇太子を巻き込むと言っているのである。
「天皇のお言葉」ならぬ「皇太子のお言葉」を裏で寄ってたかってこね繰り回して尤もらしげに仕上げ、皇太子に喋らせるといったことをするのだろう。これを「政治性」と言わずに何と表現したらいいのか。政治利用そのものと言えるだろう。

 前述の「47NEWS」の民主党土屋都議も石原知事の北京五輪開会式出席に触れていたが、北京市が今年1月、石原慎太郎に中国公使を通じて8月8日開催の開会式の招待状を出していたという報道があったことも迂闊も迂闊、全然知らなかった。

 このことに関して7月16日の「MSN産経」≪石原知事、チャーター便で北京五輪開会式出席へ≫は「国会議員時代から『対中強硬派』で知られる石原知事は、過去に北京五輪について『ヒトラーの行った政治的なベルリン五輪に似ている』などと発言。中国側の強い反発を招いていたが、都が五輪招致を目指すことで昨年から双方の関係にも変化がみられるようになっていた。」と招待状を出すに至ったイキサツを解説している。

 あれほど中国側の反発を招いた「支那」発言も中国人犯罪手口の「民族DNA論」もどこかに吹っ飛んでしまっている。これら反発問題を帳消しにして開会式招待状を出していたとは驚きである。君子豹変とも言うべき中国側の態度変更ではないだろうか。

 尤も石原側から働きかけて裏で詫びを入れて既に手打ちが終わっていると勘繰ったなら、驚きでも何でもなくなる。手打ちがあったと仮定した場合、中国側にしても大衆に影響力のある石原慎太郎が「支那」発言、その他の中国批判を控えたなら、情報宣伝上自国に有利に働くと言う計算を働かせた、その類の手打ちに違いない。

 確実に言えることは2016年のオリンピック開催都市が決定するまで、それが東京都の場合であったなら、東京オリンピックが閉幕するまで石原慎太郎の口から中国批判の言葉は期待できないだろうと言うことである。「宮内庁のバカが」と言ったようには、「中国のバカが」とか、「胡錦涛のバカが」とは決して言わないということである。
 
 だがである、皇太子の「五輪招致活動」はいやでも他の国と争わせる政治性を担うということだけではなく、いくら石原と中国が手打ち式を行ったとしても都の長である石原のその権性と共に人格の一部をなしている対中国人蔑視感情に関係しないわけにはいかないだろう。例え気持の問題に限ったとしても、容認できるかできないか決着をつけなければならないはずである。

 皇太子がもし決着のプロセスを持たずに招致活動に協力できるとしたら、いわば石原慎太郎の権性も対中国人蔑視感情も何ら痛痒を感じずに無色透明で吸収することができるとしたら、問題は何も生じない。
信条的に容認できない立場にあるとしたら、自らの節を曲げる妥協が否応もなしに生じる協力となる。皇太子は自らを偽ることになって、その心理的な負担は大きなものがあるだろう。

 「日本のためだ、国民のためだ、東京都民のためだ」と言い聞かせながら招致活動を行う背後で石原都知事の「皇太子の活動が誰それに好印象を与えた。IOCのメンバーの多くを東京に惹きつけた」と皇太子を招致活動に巻き込んだのは自分だとさも自分の手柄として喜ぶ姿を見ることになるに違いない。

 石原の対中国人蔑視発言は過去のもので、未来志向で行こうと日本の過去の歴史をケロッと忘れるように気分転換できるなら幸せだが、できないとなったなら、「せっかくある皇室を私たちは大切にしてきたんだからこの際、『お国のために皇太子さんがんばってくださいよ』」と言われたからといって、ハイ、そうですかと気軽に引き受けることはできまい。

 いわば皇太子が極当たり前の人間感情の持ち主であったなら、皇太子自身の側からすると、「五輪招致活動」は政治的に利用されるだけで終わらないと言うことである。

 報道を見る限り皇太子を招致活動の舞台に引きずり出すことは困難のように思えるが、石原の皇太子五輪招致活動協力要請は裏を返すと、東京に決定しなかった場合の石原慎太郎自身に向けられるに違いない非難・謗りを計算に入れざるを得ない、その裏返しとしてある皇太子に依頼しなければならない程に後がないと言うことなのではないだろうか。

 独りよがりな自尊心だけは強い石原慎太郎なのである。だから公人の立場にある公の席であっても他人を平気で「バカ呼ばわり」ができるのだが、東京か否かは晩節を左右する決定となるだろうということを本人自身が自覚しているに違いない。

 東京都に決定しなかった場合、「あのバカが、余計なカネを使いやがって。ドブに捨てたようなものじゃないか」と非難の合唱が起こることは目に見えている。そうなることを切に願っている石原の権性・対中国人蔑視に同調できない手代木です。まあ、石原慎太郎にしたら痛くも痒くもない、「そんなの関係ねえ、オッパッピー」だろうが。

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自民党は「国のため」を言うなら、一度政権を手放すことを考えたらどうか

2008-07-23 08:42:15 | Weblog

 人口の都市集中とその反動としての地方の過疎化が生み出している経済的な地域格差と収入格差、都市部に於いても食える者と満足に食えない者の収入及び生活の二極化、そのことが原因した多くの若者の貧困化、貧困化が招いている生活設計が立たないことによる非婚率の増加と路上生活化にまで至らないネットカフェを住まいとせざるを得ない「ネットカフェ難民化」、子供を生みたくても生めない社会の状況が招いている少子化とその裏返し現象の世界に例を見ない速度で進行している高齢化。

 04年4月から開始の自民党政府が打ち出した新しい医師臨床研修制度が特に災いした医師の地域間偏在と偏在が生み出している地方の医師不足の深刻化、医師不足による公的病院の診療科の閉鎖、それらが強いている多くの住民に対する生活の不便と病気への不安。

 役人・官僚の類の国民の生活を考えない年金の杜撰な取扱い、国民の税金を税金と考えない恣(ほしいまま)のムダ遣いと自分たちだけがいい思いをすることを考え、自らの懐を肥やす私利私益行為、その延長にある天下り行為の蔓延とお手盛り待遇。

 こういった目に余る社会制度上の諸矛盾・社会のひずみは省のみの利益獲得とそれを手柄として生み出す自らの私益獲得に執着した役人・官僚たちの存在様式と、彼らと癒着して各省所属の族議員と化し、省益擁護に動くことで自らの地位と名誉を守ってきた自民党政治家の政治が生み出した矛盾の数々、ひずみの数々であって、もし彼らが真に「国のため」を言うなら、諸矛盾・ひずみにブレーキをかけるためにも、またそれらを生み出した責任を取るためにも一度政権を手放すことを考えるべきではないだろうか。

 この場に及んで内閣改造などと政権にしがみつくようなことはせずに福田首相は潔く衆議院解散・総選挙に打って出るべきことこそが真の責任の取り方ではないはずである。

 自民党の面々は民主党の政策は政権を取らんがために財源論を置き去りにした大衆迎合のバラ撒き政治に過ぎない、ムダ遣いの排除や談合・天下りの根絶、特殊法人の原則廃止等で自分たちが打ち出している漁業の燃油代直接補填や農業部門への戸別所得補償、その他を賄い切れるはずはないと批判しているが、役人・官僚の類と彼らと癒着する一部存在にのみ利するムダ遣いの排除がどのくらいに重要なことか自民党の面々は気づいていない。小沢の財源論を批判する同じ民主党の前原も気づいていない。

 豪勢なばかりで利益を上げない赤字施設の数々の建設だけがムダ遣いではない。
個人的な慰安のために健康器具やテニスコートを国家予算で用意し、私的利用することだけがムダ遣いではない。国家予算の支出を高値で落札させる談合、国家予算を財源とした特殊法人・公益法人に於けるお手盛り給与とお手盛り賞与、お手盛り退職金を既得権とした官僚の天下り等は最たるムダ遣いであるが、ムダ遣いはそういったことだけで終わらない。

 「ムダ遣い」は予算面、あるいは金銭面の損失にのみとどまらない。職務非能率がコインの裏表の関係で伴う。ムダ遣いを生み出し、そのムダ遣いに鈍感な人間が国民を満足させる能率の高い仕事ができるはずはないからだ。能率的な制度設計を伴った予算の効率使用ができてこそ有能と言え、国民をより満足させる社会づくりに向かう。

 国際的に見た日本の公務員の生産性の低さ(仕事の非能率・非効率)は国から地方すべてに亘って慣習化しているムダ遣いの蔓延と決して無関係ではあるまい。いや、日本全国に亘っているムダ遣いの蔓延こそが日本の公務員の生産性の低さ(仕事の非能率・非効率)を招いている原因と見るべきだろう。

 ムダ遣いと生産性の低さ(仕事の非能率・非効率)との関係は役人・官僚たちの立法上(官僚におんぶに抱っこの立法)及び行政上の政策的な創造性を欠如させていることの現れでもあり、そのことが災いして満足な立法も満足な行政もできないが、東大だ京大だの最高学府を出て官僚として昇進を極めていく過程で塗り重ねることとなったメンツだけは満足させようとするから、充足させることができない立法上及び行政上の業績の埋め合わせに学歴と地位に助けられて手に入れた「カオ」が求める各業務を取り仕切りたい支配欲求から駆引きや口利き、便宜供与といった「カオ」を効かすだけで実現可能となり、私利私益行為にもつながる活躍にエネルギーを注ぐことになる。

 いわば与えられた地位に付属する責任行為を満足に果たすことができない人間程、その代償行為として本来的な責任行為から外れた無責任行為に走り、それを地位に備わった働きであるかのように手柄とする。

 こういったすべての局面に亘る役人・官僚たちの存在形式自体が国家予算を食い潰す「ムダ遣い」と言うわけである。

 そしてこのような役人・官僚の類の職務上の姿勢とそれを管理監督できずに好き勝手にさせている自民党政治家の無責任な姿勢が社会制度上の諸矛盾を増殖させているそもそもの原因だということであり、表面に現れた予算上の「ムダ遣い」はそれら諸矛盾を発生させ、国家予算を食い潰している無視できない引き金の一つと把えなければならない。

 ということは社会制度上の諸矛盾の解決は予算上の「ムダ遣い」の排除を始まりとして役人・官僚の類の職務上の非能率・非効率を是正し、最終的には彼らの立法上及び行政上の政策的な創造性を育むところまでに持っていかなければならないことになる。いわば「ムダ遣い」の排除は決して疎かに扱ってはならない重要な位置を占めていることになる。

 これらのことを要約すると、民主党の自民党との政権交代による政権担当能力の如何は如何に「ムダ遣い」を正し、正すことで「ムダ遣い」と深く関連し合った官僚の職務非効率・怠慢を是正して彼らが備えるべき立法上及び行政上の創造性の向上に如何につなげていくかにかかっているということであり、例え民主党の「バラ撒き」政策が消費税増税を財源としなければ不可能であったとしても、ハイ、消費税を増税しました、財源が確保できましたでムダ遣いはそのままですでは自民党政権がしてきたことと同様に官僚の職務非効率・怠慢による職務上の「ムダ」は当然のこと、立法上及び行政上の創造性の欠如がもたらす社会の制度設計に関わる「ムダ」にしても正されないまま引きずることとなって、自民党政治と官僚たちがつくり出した今ある社会の矛盾・ひずみは今あるままに残り、消費税増税による国民の新たな負担までも犠牲にしかねないということになる。

 実際に竹下内閣が導入した消費税から得た歳入のかなりの部分をこれまでムダにしてきたのであり、そのことと連動して消費税に関わる国民の負担をムダにしてきたのである。

 まずは民主党が言うように、あるいは小沢代表が言うように「ムダ遣い」の徹底した排除から進めるべきだろう。そこから初めて社会制度上の諸矛盾の是正に立ち向かうべきである。

 それができずに社会制度上の矛盾・ひずみを噴出させるに任せてきた自民党政権はその責任を取るためにも、また「国のため」を言うなら、今の矛盾だらけ・ひずみだらけの日本の姿を変えるためにも一度政権を手放すべきであると言っているのである。

 自民党のいい加減な政治ばかりを目の当たりにさせられて、国民の誰が「最初に消費税ありき」を納得するだろうか。

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石原慎太郎、東京五輪開催に向けた中国に対する態度三様

2008-07-21 11:36:16 | Weblog

 2016年夏季オリンピック国内候補都市は2006年8月30日に福岡を押さえて東京に決定。2007年9月14日、シカゴ(アメリカ合衆国)、東京(日本)、リオデジャネイロ(ブラジル)、マドリード(スペイン)、プラハ(チェコ)、バクー(アゼルバイジャン)、ドーハ(カタール)の7都市が立候補し、その中からIOCによって2008年6月4日、シカゴ、東京、リオデジャネイロ、マドリードの4都市が一次選考で選ばれたと発表された。東京は書類選考での総合評価ポイントが他の3都市を押さえてトップのポイントを獲得したと言うことだが、このことが必ずしも開催地決定の絶対的な条件とはならないと言うことらしい。

 世界5大陸で同じ大陸に所属する国が続けて開催された前例がないことから判断すると、北京に続いて同じアジア大陸に所属する東京は前例に該当することになる。しかし前例なるものがすべて常に絶対的条件の地位を獲得しているわけではない。開催地の決定権は国際オリンピック委員会の構成メンバーである世界各国の国内オリンピック委員会(National Olympic Committee)が握っている。

 常識的に言えば、東京が前例を打ち破る最初の都市となれるかどうかは競技施設とその付属設備の充実を含めてオリンピック開催中の都市機能の滞りのなさと同時に東京で開催する意義を如何に訴え、如何により多くの支持を得るかどうかが重要なポイントとなるということだろうが、それぞれの国内オリンピック委員会が所属する国家権力の国益上の政治的判断が影響することはないだろうか。

 例えば05年日本は国連安保理常任理事国入りを目指して様々に活動したが、足許のアジアの国中国と韓国から歴史認識を理由に反対され、特に中国にアジア・アフリカ各国に根回しした強硬な反対運動に遭い、目的を断念せざるを得なかった。いや、断念させられた。

 「中国は各国大使館に現地政府関係者を招き、日本が戦争行為で残虐な行為をしたことを告発する映画を上映して日本への不支持を呼びかけたとの報告が外務省に入った」と06年5月3日の『朝日』朝刊(≪小泉時代 『強い男』)演じた外交≫)は中国の日本の常任理事入り反対キャンペーンを伝えている。

国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指す日本、ドイツ、ブラジル、インドの4カ国(G4)が協同して設けた安保理を15カ国から25カ国に拡大する「枠組み決議案」を国連総会に現地時間07年7月6日に提出したが、G4を除く共同提案国23カ国のうち日本のODA最大の供与地域であるアジアからの共同提案国は何とブータン、アフガニスタン、モルジブの3カ国のみでASEAN諸国、南アジア諸国からもことごとくそっぽを向かれてしまった状況も中国の影響力がつくり出した状況だと言われている。

 当時我が日本の町村外務大臣はアフリカ連合(AU)の支持を取り付けるべく彼らの案との決議案一本化を謀り、「合意」に漕ぎ付けることができたと早トチリし、合意文書を作成したわけでもないのに「合意」を表明、それが幻の「合意」と判明して中国と格段の差がある日本の優秀な政治力・外交術を世界に見せ付けることとなった。

 その程度の政治力・外交術の町村が現在内閣官房長官として記者会見で何様顔を曝しているから滑稽である。

 08年5月の胡錦涛来日、福田首相との首脳会談で安保理常任入りを望んでいる日本の立場に一定の理解を表明したものの共同声明に「支持」という表現を盛り込むことはできなかったという。このことは依然として日本の常任理事国入りの決定権を中国が握っていることを示している。

<【国連改革】
 福田首相 (国連安保理常任理事国入りを目指す)日本の立場に理解と支持を求める。

 胡主席 現時点で一致案はない。当面は各方面の利益に配慮した具体的な改革案を探すべきだ。中国は
     、日本が国連で積極的な貢献をしていることを評価している。日本が国際社会でさらに大きな
     建設的役割を果たすことを望む。(≪日中首脳会談:要旨≫毎日jp/08.5.8.東京朝刊
     から)

 アジアやアフリカ諸国の国内オリンピック委員会に対する東京オリンピック開催支持の決定権も中国が暗々裏に握っていると言えるのではないだろうか。少なくともアジア・アフリカの国々の多くが中国の動向を窺いつつ態度決定に走る可能性は言えると思う。

 だが、幸いなことにと言うべきか、<中国共産党の王家瑞対外連絡部長は18日、自民党の山崎拓前副総裁と北京市内で会談し、2016年夏季五輪の東京招致について「東京で再び五輪が開催されるのであれば大歓迎だ」と述べ、支持する考えを明らかにした。>(≪「東京五輪は大歓迎 中国共産党部長が支持≫)という。

 これが単に中日友好を謳う表向きのポーズでなければの話である。と言うのも東京オリンピック主催者の東京都の知事石原慎太郎に対する中国の印象は決してよくはないはずだからだ。

 石原慎太郎は2000年前後に日本国内で横行した不法入国者も混じった在日中国人の犯罪の手口を「『民族的DNA』を表示する」ものだとし、その悪質性が『民族的DNA』に起因しているが如き主張を持論として産経新聞(2001年5月8日朝刊≪日本よ【内なる防衛を】≫)に展開、「手入れして一網打尽は不可能ではないがその後彼等を収容する場所がない。なんとか拘留してもそれを送り返すための費用を担当の国の役所が出し渋る。ある警察の高官が、中国に限らず強制送還する相手国には必ずODAが及んでいるのだから、その分を差し引きしたらといっていたが妙案だと思う。しかし腰の引けた外務省の反対は目に見えている。」(同記事)と、自らは対中ODAの削減、削減で浮いた費用の中国人国外送還費用への充填を主張している。

 この新聞記事に関しては政治問題化しなかったようだが、2003年7月17日の自民党本部での講演の東京で発生する犯罪のうち「圧倒的に割合が多いのはシナ人だ」との発言。中国人による日本の要人子弟の誘拐事件が「必ず起こる」と競馬の予想もどきのご託宣を述べ、、その場合捕まえて送還する費用は「(対中国)政府開発援助(ODA)なんかを削ればいい」、「シナという言葉は決して悪い言葉ではない。堂々とシナという言葉を使ってもらって結構だ」等々の発言(2003年7月20日(日)「しんぶん赤旗」≪石原都知事の「シナ」発言 中国外務省が抗議≫は中国側の反発を受ける政治問題化を引き起こしている。

 <外交部の孔泉スポークスマンは18日、石原慎太郎・東京都知事が中国人を「支那人」と呼び、対中ODAを削減、削減で浮いた費用を中国人の国外送還費用に充てると発言したことに対し、「公然と中国を攻撃し、中国人民の感情を傷つける言論」だとしたうえで、「強烈な憤慨と非難」を表明した。

孔泉スポークスマンは「中日善隣友好は中日両国人民の根本的利益であり、共通の願いであって、歴史の潮流に逆らうことはできない。中日友好を破壊する画策は人心を得ることはできず、画策が実現することはない」と述べた。(編集IN)>(≪石原都知事の「支那人」発言に「憤慨」表明 外交部≫「人民網日本語版」2003年7月19日)
 中国のホンネが口にしたとおりの「東京で再び五輪が開催されるのであれば大歓迎だ」であるなら、多くのアジア・アフリカ諸国が中国の支持に倣うだろうが、それが石原憎しも手伝った友好を装うタテマエであったなら、「前例」を破って東京都開催ということにはならない可能性が生じる。

 東京都は中国のホンネが「大歓迎だ」にあるかどうかを確かめ、あると確かめることができたなら、途中変心することなくホンネがホンネどおりに維持されて一票に具体化させるべくデンマークのコペンハーゲンで開催の第121次IOC総会で開催都市が決定する2009年10月2日の前日まで中国に対する働きかけを行わなければならないに違いない。

 「大歓迎だ」をホンネとさせる重要な要件は中国にとっての問題は石原慎太郎自身の態度だから、石原慎太郎がどう出るかであろう。東京開催に漕ぎ付けるために石原都知事はこれまでの態度を改めてなり振りかまわずに「支那」に対していい子になり「支那」の支持を取り付けようとするのだろうか。

 いや、今年5月の胡錦涛来日の歓迎夕食会で胡錦涛が福田首相に約束した死んだばかりの上野動物公園のリンリンに代わるパンダ2頭の貸与申し出に対する石原慎太郎の「パンダ発言」から見ると、「支那」姿勢を変えるつもりはサラサラないようにも見える。

 ≪【石原都知事会見詳報(3完)】≫ MSN産経/2008.5.16 21:13 ) 

 <--先週、ジャイアントパンダの件で中国側からレンタルの打診がされたが

 「そんなことやると、また針小棒大に言われるからね、あんまり言いたくないね。でもやっぱり都民の意識調査したらね、金払うならいらんなという人が97%いたよ。金払うのは、上野の動物園が払う、払うってのは都の税金だよな。都の財政ですよ。まあそれまでして見たいかね、パンダね? ずいぶん写真で見たらわかると思うし、他の日本の動物園もたくさん持ってるみたいだから、よほど見たいならそっちに行けばいいんじゃないの。まあ私はどうでもいい、それは。だけど、好好(ハオハオ)、友好友好言うけれど、友情の証で金を取るっていうのはどんなもんなのかな、やっぱり」

 --パンダのぬいぐるみやグッズが上野動物園には山積みになっている。やはりパンダあっての上野、という感じがするが

 「パンダパンダと言うけどね、グッズが余ったらね、パンダのいる他の動物園に分けてったらいいと思うね」

 --(レンタル料)1億円といわれているが

 「ずいぶん法外な値段だと私は思います」>・・・・・・

 東京開催決定に於ける「支那」の重要性に気づいていたのかいなかったのか、大胆な発言となっている。それとも裏で既に「支那」にワビを入れているのだろうか。

 石原慎太郎の取るべき態度は三様ある。

1.ワビを入れず、「支那」の支持はいらない、パンダもいらないを貫く。
2.パンダはいてもいなくてもいいが、「支那」の支持はあってもなくてもいいというわけにはいかないか
  ら、裏で頭を下げて支持をお願いする。いわばこれまでの発言のワビを入れて手打ち式を行う。当然
  石原慎太郎の口から「支那人」、「支那」の言葉は消える。
3.ホンネは支持がほしいがワビを入れるのは癪だから、我慢の子を決めて今後発言には気をつけるだけ
  のことをする。東京が選考に洩れても止むを得ずとする。

 最も可能性の低い態度は3.であろう。どう決定するか、今後が見ものである。

 私自身の気持は「東京五輪だって?そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ、オッパッピー」

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日本民族優越論そのままに日本人が優秀なら、竹島は韓国領有とせよ

2008-07-19 08:15:00 | Weblog

 文部科学省が中学校の新学習指導要領の解説に竹島は「日本固有の領土」とする文言を明記する方針を固めたところ韓国の反発を受けて、どう記載するか福田総理大臣の判断に一任した。国家の領土に関する問題だから、一行政機関の判断よりも内閣総理大臣の判断の方が韓国に対して効き目があるとでも思ったのだろうか。

 結果として「日本固有の領土」とする表現の明記は避けて、次のような記述となったという。

 ≪中学校学習指導要領解説 社会編≫(文科省HP)

 <「領域の特色と変化」の中の「領域」とは,領土だけでなく,領海,領空から成り立っており,それらが一体的な関係にあることをとらえさせることを意味している。

 「特色と変化」とは,「我が国の海洋国家としての特色を取り上げる」(内容の取扱い)とあることから,例えば,我が国の領土はたくさんの島々からなり,それらは弧状に連なっていることや,他の国々と国土面積で比較したり,領海や排他的経済水域を含めた面積で比較したりするなど,我が国の海洋国家としての特色を様々な面から取り扱うことを意味している。

 また,我が国は四面環海の国土であるため直接他国と陸地を接していないことに着目させ,国境がもつ意味について考えさせたり,我が国が正当に主張している立場に基づいて,当面する領土問題や経済水域の問題などに着目させたりすることも大切である。

 その際,「北方領土が我が国の固有の領土であることなど,我が国の領域をめぐる問題にも着目させるようにすること」(内容の取扱い)とあることから,北方領土(歯舞群島,色丹島,国後島,択捉島)については,その位置と範囲を確認させるとともに,北方領土は我が国の固有の領土であるが,現在ロシア連邦によって不法に占拠されているため,その返還を求めていることなどについて,的確に扱う必要がある。

 また,我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違があることなどにも触れ,北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要である。>・・・・・・

 非常にさりげない表現となっているが、まず「北方領土はわが国の固有の領土」の言葉を先に持ってきて、「北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要である。」と竹島を北方領土同様の扱いにしているのだから、例え「日本固有の領土」という直接的な表現はなくても、言っていることは誰が読んだとしても「竹島は日本固有の領土」としているのと同じである。

 首相官邸での「学習指導要領の解説書」に関する町村官房長官記者会見(平成20年7月14日(月)午後/「首相官邸」HPから)

 <大変ご関心をお持ちの方々も多いようでありますが、学習指導要領解説書における領土の扱いでございます。これにつきましては詳しくは文科省の事務方の方から事前の若干のブリーフがあったことと思いますけれども、お手元に文書はもう伝わっているのかな、まだですか。伝わっておりますね。はい。そういうような表現にしたところでございます。韓国は、言うまでもございませんが、日本にとって大変に重要な隣国でもあります、特に今年は2月の李明博大統領就任の際の福田総理の訪韓、或いは4月の大統領の訪日によりまして、シャトル首脳外交が軌道に乗り、日韓、二国間関係の強化のみならず、両国が国際的な課題にも共に取り組んでいこうという取組みが始まって、いわゆる日韓新時代を切り拓いていく、そういう動きが始まったところでございます。今後、日韓関係がギクシャクをするようなことになりますと、この新時代に向けた積極的な動きが頓挫するだけではなくて、6者会合プロセスであるとか、或いは拉致問題を含めた日朝間の諸懸案の解決にも悪影響を及ぼしかねないと考えております。加えて、現在の韓国のおかれました政治状況などを踏まえて、政府の中で、主管大臣である文部科学省を中心に外務省、そして私(官房長官)を含めて調整をしてきたところでございますが、今回、別添のような記載にしたところでございます。そういうことで、私共としては韓国への配慮を含め、また他方これまでの教育基本法の改正、またその後の中教審の答申等々を尊重して、その間の文部科学大臣の発言、国会でのご審議、国民の動き等を総合的に、主体的に判断をして、今回のような結論に立ち至ったということでございます。私(官房長官)からは以上です。>・・・・・・・

 「韓国への配慮」「主体的判断」が導き出した場面が駐日韓国大使の一時帰国命令、事実上の召還措置(≪新学習指導要領:「竹島」問題の中学校解説書記載 韓国、大使を召還’≫ 「毎日jp」7月15日(08年))であり、これは「01年4月の歴史教科書問題を巡る摩擦で崔相龍(チェサンヨン)大使(当時)が10日間帰国して以来」(同記事)のことだそうだが、米国産牛肉輸入反対デモから変じた在韓国日本大使館への抗議デモ(「17日昼までに鶏卵200個余りが大使館の建物に投げつけられたが、参加者は総計約1200人と小規模だった」毎日jp)、そして「韓国国会は15日、『独島守護・歴史歪曲対策特別委員会』を新たに設置して、国会議員が抗議のため集団で訪日することを決めた。」(≪韓国議員、訪日し抗議へ 大使館前で集会続く)47NEWS/2008/07/15 22:09【共同通信】)、さらに韓国駐日大使による「竹島問題で日本が是正措置を取らなければ、拉致問題やエネルギー支援など6カ国協議での日本への協力姿勢を変更する可能性の示唆」(≪「竹島」学習指導要領解説書記載 韓国大使、6カ国協議での姿勢を変更する可能性示唆≫FNNニュース/07/17 20:59)といった頭を「主体的」に捻りに捻った「配慮」にふさわしい日本政府が回避意図した「日韓関係がギクシャクしない」を裏切る「日韓新時代を切り拓いていく」に違いない数々であったらしい。

 このことに関する自民党の伊吹文明幹事長の言動を「MSN産経」記事(≪【竹島問題】伊吹幹事長「国際司法裁判所で解決を」≫2008.7.15 11:19)が次のように伝えている。

 <自民党の伊吹文明幹事長は15日午前の記者会見で、中学社会科の新学習指導要領解説書の竹島に関する記述に韓国が反発していることについて「事実関係を淡々と書いており、韓国にもそのことをよく説明しなければならない」と述べ、韓国側に冷静な対応を求めた。

 その上で伊吹氏は「(竹島の領有権を明らかにするため)国際司法裁判所に提訴し、ここで解決するのが国際的なルールだ」と語り、提訴に応じない韓国側を暗に批判した。>・・・・・・・

 確かにさりげなく「淡々と書いて」いる。日本だけの「事実関係」ならそうも言える「淡々」さだが、あいにくと日本だけで済ますことができる「事実関係」ではない。だからこそ、「国際司法裁判所に提訴し、ここで解決するのが国際的なルールだ」と言っているのだろう。日本だけの「事実関係」でないのに「淡々と書いて」いると言える神経はさすがに自民党政治家の中で幹事長だ閣僚だと出世できる才覚の持主だけのことだけのことはある。

 韓国に提訴に応じるように説得して両国共に国際司法裁判所に委ねた判断に従うべきが順序であるはずが、伊吹自身は順序を逆にしていることに気づいていない。

 どちらの領土か決着が先決であるはずが、それをせずに「こっちの領土だ」と一方的に新学習指導要領に記載したからといって向こうは向こうで「こっちの領土だ」と言っているのだから、無事で済むはずはないし、勿論「実効支配」が韓国側から日本側に移行するわけでもない。

 それとも韓国のナショナリズムを刺激するのは承知していて、それと響き合わせる形で日本のナショナリズムをも刺激し、支持率沈没寸前の福田内閣浮揚の奇策にでもしようとしたといった魂胆だったのだろうか。

 だとしたら、差引き計算が問題となってくる。生活上の腹の足しに直接的に結びつかない領土問題と腹の足しに常に関係してくる経済格差(収入格差)や医師不足、介護費、年金、物価等の問題とどちらが恒常的に把えられるかである。

 ナショナリズムは個人を国民の位置に立たせるが、生活上の問題は個人を生活者の位置から離さない現実問題として横たわることになるから、後者の方が恒常性はより強いはずである。

 政治とはより自由でより十全な人間活動を保証する社会を様々な制度や法律によって創造し、構築していく能力のことを言うなら、何よりも生活上の問題解決を政治に於ける最優先課題としなければならないし、そういった点からも、領土問題で刺激を受けたナショナリズムは長続きしないに違いない。

 そのことは上記「毎日jp」記事(≪新学習指導要領:「竹島」問題の中学校解説書記載 韓国、大使を召還’≫ )が伝えている「01年4月の歴史教科書問題を巡る摩擦で崔相龍(チェサンヨン)大使(当時)が10日間帰国」しただけで帰任した過去の事実が証明してもいる。

 いわば学習指導要領解説に新たに付け加えた記述を削除しようがしまいが、竹島領有権問題は未解決なまま推移することになるだろう。削除せずに済ますことができたとしても、平行線を辿っていることに変化はない以上、日本側の自己満足で終わる可能性が生じる。記述自体が目的と化す自己目的化へすり替わらない保証はない。

 例え生徒に「竹島は日本固有の領土」と教えてそうであることを信じ込ませることができたとしても、韓国も領有を主張している関係からそれが日本人のみの知識となった場合、単に縄張りを主張するセクショナリズムの側面を抱えかねない。

 当ブログ『ニッポン情報解読』by手代木恕之・≪パレスチナの取る道――世界を領土とせよ/かつてのユダヤを倣う≫(2006.4.1)で竹島問題も取り上げている。再度ここに掲載してみる。

 <世界は急速にグローバル化している。グローバル化に応じて、国境を自由に跨ぎ、世界を一つ舞台とした人間の往来と活動が激しさを増している。領土はもはやその絶対性を失いつつあり、国家の管理と自由な相互関係との二重性を持つに至っている。多くの人間がそのことに留意しないだけである。その流れを利用して、領土の分割を超え、世界全体を機会実現の領土とする、いわば領土の従来的性格の相対化を図るべきではないか。

 ユダヤ人はその逆をいって、イスラエルを獲得した。ならば、パレスチナ人はさらにその逆をいって、現在のグローバル化と同調し、世界を領土とすべきだろう。現在のパレスチナの土地から比べたら、世界は無限の広さと可能性を持つ。

 現在パレスチナ人の多くが自国で仕事を得ることができずに、イスラエルやアラブ諸国に出稼ぎに出ている。その送金はパレスチナGDPの相当部分を占めるというが、多くは単純労働で得た稼ぎだという。しかし、祖国に仕送りしたそのカネを優先的に子どもの教育に投資し、国もその予算の多くを教育政策に割き、小中教育の設備を整備充実させて、まずは子どもたちの知識・教養を高め、一定の年齢に達したなら、単純労働ではなく、さらに上の技術や学問を目指して留学や研修の形で海外に出すことを国の政策とする。

 他に誇ることのできる技術や知識を獲得した者がその国の企業に職を得るのもよし、研究所に勤務するのもよし、その国の国籍を獲得するのもよし、自国に戻って、パレスチナの発展に尽力するのもよし。それぞれの選択にかかっているが、世界を領土とする目的から言ったら、海外を恒久的な活躍の場とすることの方が優先事項とされるべきだろう。頭脳流出といった側面も弊害として生じるだろうが、100人が100人帰国しないわけではないだろうし、海外成功者は祖国の子どもの教育に何らかの手を差しのべる援助を慣行としたなら、教育投資の循環が教育そのものへの意識を継続的に高めて、次に続く者の教育意欲を刺激し、そのようにして得た教育の質がパレスチナ人一人一人の生産活動とその生産性を良質なものにしていくことに役立つに違いない。

 あるいは教育産業をパレスチナの一大重要政策として、各種研究所や大学といった教育機関、国際機関等を外国から誘致し、海外進出者のUターンの場とすることで、パレスチナ人頭脳流出の防御壁とすることも考えられる。

 勿論時間はかかるが、軌道に乗ったなら、1948年の第一次中東戦争からの現在までの時間を無駄に過ごしたことに気づくのではないだろうか。世界のグローバル化がインターネットの普及などによって情報の加速度的な伝達と流通にも及んでいて、その広範囲・迅速さの恩恵を受けて、従来以上のスピードでパレスチナ人の才能の底上げは可能となるに違いない。1975年のサイゴン陥落前後から始まった南ベトナム人難民の海外で教育を受けた年少者の少なくない者が高々30年の年月を経ただけで、その国で高度な職業に就くに至っている。

 かつて紀元前に国を失ったユダヤ人は流浪の民と化して世界各地に散り、「十九世紀なかばに西欧諸国でユダヤ人の解放が行われるまで、周知のように金貸しが彼らに許されたほとんど唯一の生業だった」(『ヒトラーとは何か』セバスチャン・ハフナー著・赤羽龍夫訳・草思社刊)が、多分そのことが幸いして、手に入れたのが歓迎されざる資産家の地位であったとしても、カネの価値に代わりはなく、他国人の仲間に入れない埋め合わせを金貸しの利子で得たカネをふんだんに使ってユダヤの仲間同士で、あるいは個々に読書や音楽、絵画や彫刻といった芸術鑑賞・趣味で肩代わりさせて自らの生活を充実させ、金貸しの裏に併せ持ったそのような私生活を親から子へ、さらに孫へと代々受け継いで2000年近くに亘った流浪の年月を満たしてきたのだろう。その成果が各種才能への開花を促し、単なる金貸しからの大いなる発展をもたらしたのではないだろうか。

 「おおざっぱにいって、十九世紀なかば以降、ユダヤ人が一部は天分により、一部は、否定できないことだが、彼らの強い結びつきにより、多くの国々の多くの分野で指導的な地位を占めるようになったのが顕著に認められた。とくに文化のあらゆる領域で、それにまた医術、弁護士業、新聞、産業、金融、科学および政治の分野でもそうであった」(同『ヒトラーとは何か』)

 ユダヤ人の「天分」は決して民族的に生来的なものではなく、幾世代にも亘る学問や芸術に対する継続的な親しみによって培われた才能であろう。食うや食わずの生活環境であったなら、読書や芸術に親しむ余裕は生まれない。才能を開花させる機会に恵まれるためには親しむ余裕を十分に持てる資金(カネ)をつくり出すことから始めなければならない。

 ただでさえ差別や迫害を受けていたユダヤ人がナチスドイツのホロコーストを受けて、シオニズム思想に則った自国領土所有への意識(国家建設への意識)が高まったことは理解できるが、現在のグローバル化の世界にあって、領土を世界に向けた発信基地と考えた場合、領土は世界に於ける単なる一時的滞在地と化す。領土の相対化である。

 自国から一歩も出ない人間であっても、外国の生産物の(工業製品や農業製品だけではなく、映画や書物、絵画といった創作品まで含めて)恩恵を受けている。

 領土の相対化という観点から考えると、日本と韓国の間の竹島領有権の問題、中国との間の尖閣列島の領有権も問題も、小さく見えてくる。

 もし日本が自らの才能・技術に自信があって、日本の領土を超えて世界を舞台に活動できる力を持っているなら、すべてを譲れとは言わないが、二分割するとか、共同領有とする選択肢も可能ではないだろうか。だが、海外での活躍はインド人や中国人に見劣りがするのは、その伝統性から言っても、如何ともし難いようだ。>――――

 日本は暗記教育を知識授受の基本としていたとしても高等教育制度が充実し、その恩恵を受けて教育文化の高度な蓄積を果たし、世代から世代へと受け継いでいる。

 竹島を韓国領有とすることは日本の排他的経済水域といった問題にも関わってくるが、日本人が自ら信じている「日本民族優越論」そのままに日本人が優秀なら、竹島放棄によって招く様々な経済的利益の損失を世界を活躍の領土・機会実現の領土とすることによって補い、失う経済的利益に優る経済的利益、と同時にインド人や中国人に見劣りしない海外での活躍という名誉の獲得を目指す道の選択こそが日本人を大きく見せることになって得策ではないだろうか。

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福田内閣暫定税率復活の論理から言うと漁船一斉休漁は温室効果ガス排出抑制のために歓迎すべき兆候

2008-07-17 06:26:25 | Weblog

 平成20年度予算は成立したものの道路整備事業に使途を限定した道路特定財源の大部分の原資となる揮発油税の暫定税率を定めた租税特別措置関連法が08年3月31日に期限切れを迎えるに当たって、それに代わる暫定税率維持を盛り込んだ政府与党の税制改正法案が衆院を与党賛成多数で2月29日(08年)に通過したものの参院で民主党以下の野党の審議入り拒否にあって期限切れを迎え、4月1日よりガソリンが平均25円値下げされる事態前日の3月31日に「20年度予算成立と道路関連法案の年度内未成立について」 福田内閣総理大臣は記者会見(「首相官邸」HPより)を行っている。
 
 <まず世界では、ガソリンに対する税金を引き上げる傾向に今あります。これは、世界が地球温暖化問題に立ち向かうため、ガソリン価格の引き上げが、CO2を排出するガソリンの消費を抑えることに役立つと考えているからであります。この結果、ガソリン価格は今、イギリスでは1リットル250円です。フランスやドイツでも1リットル220円であります。もしここで日本がガソリンの税金を25円安くすれば、ガソリン価格は125円となり、イギリスの半分になってしまいます。地球温暖化対策に取り組んでいる世界に対して、日本はガソリンの消費を増やそうとしているんではないか、という誤ったメッセージを発することになりかねません。時代逆行の動きであります。

 今年7月には北海道洞爺湖において各国首脳が集まり、この地球温暖化問題への対応を検討します。そのとき、ガソリンは安い方がよいということでは、各国の首脳が果たして納得してくれるでしょうか。


 今、私たちは京都議定書の6%削減を達成しようとしております。少なくとも環境問題を重視すべきこの時期に、ガソリンの税率を引き下げることは適当ではないと考えております。>・・・・

 福田総理大臣の側近の位置を占めている町田官房長官も同じ考えに立っているのは当然ことである。

 ≪「ガソリンの暫定税率の問題について」町村官房長官記者発表≫(08年1月17日/首相官邸HPより一部抜粋) 

 パネルを使っての力説(写真/「asahi.com記事」から――

 <これも今更言うまでもございませんけれども、地球温暖化問題というのが、私は大変大きな問題としてあると思います。当初から、ガソリンは地球温暖化、ガソリン税はですね、地球温暖化対策を目指してやったわけではございませんけれども、お手元の表をご覧いただければ分かるとおり、実は、その日本の税金、或いはガソリンの価格そのものも、税負担が低いが故に、155円から160円くらいということで、日本は非常に低い数字なんですね、今、上がった上がったと言っても、155円前後。お隣の韓国は193円、今もう200円を超えたそうです。それから、他のこのイギリス、ドイツ、フランス等々は、大体今、240円から230円、或いは220円台というようなことで、日本と比べると、まだまだ数十円高い。
 
 その値段差は何かというと、この緑の部分がそうですが、正に税金の負担格差なんですね。これだけあれがあります。だから、細かい数字で恐縮ですけれども、イギリスなどは、小売価格の66%、3分の2が税金、日本はどうかというと、39%、61円分が税金ということであります。アメリカはどうかというと、ここはもう車がないと何も成り立たない国ですから、しかも税金はほとんど取らないという国ですから、これだけ低いのは、アメリカの今の実態なんだろうなと思っております。

 こういうことで、実は、OECDのいろいろな資料を見ると、日本は環境税という言葉は使っておりませんけれども、環境の改善に役立っている税という分類の中に、日本の揮発油税等々は、もう既に計算をされております。ヨーロッパの国々は、当初炭素税と言ったり、或いはガソリン税、灯油税と言ったりしておりますけれども、日本のガソリン税も正にそういう意味では、環境対策税制の中にも入っております。

 それから、もう一つご覧いただきたいのは、一番左端が1980年をとっておりますけれども、その時から日本は、ずうっと変わらないで横ばいなんですね。3枚目の図表をお配りしてありますけれども、日本はずうっと横一線で変わっておりません。それに対して、イギリス、フランス、ドイツ、特に一番今値段が高いのはイギリスですか。ここまで、今上がってきておりますから、1980年を100とすると、今イギリスはガソリンの税額で見ると、1980年と比べると4.5倍くらいになっているわけですね。日本は全然変わっておりません。

 これだけ諸外国は環境ということも考えて、これだけ税額を上げてきているわけです。日本は上げてきていないというようなことを、やはり考えなければいけないんだろうなと思っておりまして、これからサミットが開かれる時に、日本が環境問題を訴える、その時に日本はガソリンの値段を、税金を下げました。油の値段を下げましたと言った時に、はたして諸外国が、日本は環境問題に熱心に取り組んでいるねというふうに見られるかといえば、それは全く正反対の効果しかないんだろうなと思っております。

 それでは、ガソリンの値段が上がった人達への影響はどうなんですかと、ここは正に、昨年の年末12月に入って2回の会議を開き、補正予算或いは本予算の中で、様々な原油価格高騰対策というものを既に打ち出し、発表しているのはご承知のとおりであります。寒い地域では福祉灯油というようなものを自治体がやる場合には、そのかかった財政負担を、できるだけ緩和するために、特別交付税の配分で、自治体の財政を緩和しようといったようなことも既に手を打っているところでございますので、是非、そうした面もご理解をいただければと思います。>・・・・・・・

 町村は地球環境対策上、「日本の揮発油税等々」の維持(=本則税率+暫定税率の維持)の必要性を訴える中で「日本はガソリンの値段を、税金を下げました。油の値段を下げましたと言った時に、はたして諸外国が、日本は環境問題に熱心に取り組んでいるねというふうに見られるかといえば、それは全く正反対の効果しかないんだろうなと思っております」とガソリン価格の値上げ欲求を露骨に見せている。

 この主張は福田首相の「ガソリン価格の引き上げが、CO2を排出するガソリンの消費を抑えることに役立つと考えている」と軌を一にする主張であろう。

 「ガソリン価格の引き上げ」こそが「地球温暖化対策に取り組んでいる世界に対して、日本はガソリンの消費を増やそうとしているんではないか、という誤ったメッセージを発」しかねない危険を正すことになる。

 町村の場合は「様々な原油価格高騰対策というものを既に打ち出し、発表しているのはご承知のとおりであります」とは言っているものの、暫定税率の復活によるガソリンの値上げだけではなく、原油高騰という政策的に意図せざる要素に連動したガソリンのなお一層の高騰は彼らのガソリン価格値上げ欲求と期せずして合致することとなり、結果的にガソリンの消費抑制――CO2排出抑制――地球環境対策(温室効果ガス排出抑制)へと順次つながっていっているのは確かな事実であって、原油高騰そのものが福田内閣が期待して止まない地球環境対策(温室効果ガス排出の抑制)に役立っているということであろう。

 原油の高騰のみならず、物価の値上がりについて福田首相は4月12日に新宿御苑で自らが主催した恒例の「桜を見る会」で「まあ、いろいろありますよ。物価が上がるとか、しょうがないことはしょうがないのだから、耐えて工夫して切り抜けていくことが大事だ」「47NEWS」と言って、「しょうがないのだから」と肯定してもいる。

 否定したら、即ガソリンの値上げを意図することにもなる自らの暫定税率復活の論理に矛盾することになるからだろう。

 と言うことは、こうも言えるのではないのか。福田首相及び町田官房長官以下の福田内閣の面々にとって嬉しいことに原油高騰のお陰を以ってガソリンは180円へと値上がりしたが、フランスやドイツの1リットル220円にまだ40円は及ばない「時代逆行の動き」は依然として続いているのであります。「世界が地球温暖化問題に立ち向かうため」には日本がそのリーダーシップを取るためにも日本のガソリンはまだまだ値上がりが必要というわけであります。ガソリン1リットルにかけている揮発油税(24.3円)と地方道路税(0.8円)併せた暫定税率分だけでは不足で、原油高騰こそが地球環境対策の何よりの良薬となっているということではないだろうか。

 原油高騰が日本経済活動に与える弊害面については福田首相が言っているように「しょうがないことはしょうがないのだから、耐えて工夫して切り抜けていくことが大事」なのです。

 一作日15日(08年7月)に燃料油高騰によって採算が合わないからと全国で20万隻の漁船が一斉休漁のストライキに出たが、福田内閣暫定税率復活の論理から言うと20万隻が休漁することよって成し遂げることができた温室効果ガス排出も原油高騰が与えた恩恵だと言うことができる。

 燃料高騰が漁業に与えている打撃救済に関して業界団体が求める燃料費への直接補助は行わないということも、直接補助が燃料費補填となって間接的な燃料値下げとなるばかりではなく、暫定税率を復活させてガソリンを値上げした手前もあって、同じ原油高騰の影響を受けている他の業界や一般消費者に不公平になるからだろう。

 地球環境対策を主目的とした自らの暫定税率復活の論理に照らすなら、値上げは必要不可欠事項なのである。

 福田内閣は一斉休漁によってどのくらいの温室効果ガスの排出抑制ができたか、地球環境対策上の効果を町村官房長官を以ってしてパネルを使って発表させるべきではないだろうか。その数値を世界に向けて公表し、日本の漁業の1日20万隻一斉休漁のみでも日本は温室効果ガスをいくらいくら削減できたと、その成果を記念すべき日本の誇りとすべきであろう。

 こういった把え方は牽強付会(こじつけ)に過ぎるだろうか。まあ、ちょっとしたひねくれた皮肉と受け取ってもらいたい。

 それにしても町村大長官、「アメリカはどうかというと、ここはもう車がないと何も成り立たない国ですから、しかも税金はほとんど取らないという国ですから、これだけ低いのは、アメリカの今の実態なんだろうなと思っております」は自らのガソリン値上げ論理に添わせた地球環境対策の観点から批判するなら理解できもするが、瞬間的健忘症にかかったのか批判もせず、あっさりとアメリカの現状を現状のままに追認してしまう単純反応はお見事としか言いようがない。さすが日本の内閣官房長官だけのことはある。
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 ≪物価上昇しょうがない 首相、桜を見る会で)(47NEWS/2008/04/12 12:07 【共同通信】)


 「桜を見る会」で(右から)にしおかすみこさん、菊川怜さん、ギャル曽根さんらと記念写真に納まる福田首相=12日午前、東京・新宿御苑

 福田康夫首相が主催する恒例の「桜を見る会」が12日午前、東京都内の新宿御苑で開かれ、暖かい日差しの中で、政財界人、タレントら約1万人の招待客が満開の八重桜を楽しんだ。
 首相はあいさつで「こんな桜ばかりのような日本にしたい。政治と行政をしっかりさせるのが私の役割で、先は明るいと思っていただきたい」と強調。ただ「まあ、いろいろありますよ。物価が上がるとか、しょうがないことはしょうがないのだから、耐えて工夫して切り抜けていくことが大事だ」とも述べた。
 首相は御苑内を約1時間半歩き、握手や記念撮影に応じた。招待客から「党首討論はよかった」と声を掛けられ、にこやかに手を振る場面もあった。タレントのギャル曽根さんや女優の菊川怜さん、歌手の西城秀樹さんらも招かれた。

 ――大食いタレントギャル曽根、思っても見なかった一世一代の晴れ舞台だったでしょう。

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新興国の「温室効果ガスの蓄積は先進国の歴史的責任」は一方的過ぎないか

2008-07-15 06:14:14 | Weblog

 北海道洞爺湖サミット2日目・G8首脳宣言「我々は、2050年までに世界全体の排出量の少なくとも50%の削減を達成する目標というビジョンを、UNFCCC(国連気候変動枠組条約)のすべての締約国と共有し、かつ、この目標をUNFCCCの下での交渉において、これら諸国と共に検討し、採択することを求める。」(外務省HP)

 北海道洞爺湖サミット3日目・主要経済国首脳会合宣言我々は、成長、繁栄及び、持続可能な消費と生産に向けた主要な努力を含む持続可能な開発のその他の側面を保証する、排出量削減の世界全体の長期目標を含む、長期的な協力行動のためのビジョンの共有を支持する。これらはすべて、低炭素社会の実現を目指すものである。我々は、科学的知見を踏まえ、世界全体の排出量の大幅な削減が、同条約の究極的な目的の達成に必要となること、及び適応はそれに応じた極めて重要な役割を果たすことを認識する。我々は、条約の下での交渉において、締約国が衡平原則を考慮して、世界全体の排出量の削減について世界全体の長期目標を採択することが望ましいと信じる。(外務省HP/仮訳)

 G8の合意である「50%の削減を達成する目標というビジョン共有し、この目標を検討し、採択することを求める

 07年ハイリゲンダム・サミットの「2050年までに温室効果ガスを半減することを真剣に検討する」合意と文言の違いを除けば、どこがどう違うというのだろうか。「採択することを求め」ているが、「採択することを」義務付けてはいない。求めに応じない自由も許されていると解釈するなら、「真剣に検討する」との違いはなくなる。来年のイタリアサミットでの温室効果ガス削減論議は振出しに戻るだけのことだろう。

 その上サミット3日目の拡大会合(主要経済国首脳会合)が追い討ちをかけた。
2050年には中印を含む途上国の二酸化炭素(CO2)排出量は世界全体の6割を超えると見られているにも関わらず、中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカの新興5カ国は8日会合を開いて地球温暖化原因の温室効果ガスの蓄積は「先進国の歴史的責任」「毎日jp」記事)と位置づけ、「共通だが差異のある責任」「日経ネット」記事)を掲げて「先進国は2020年までの中期目標として1990年比で25~40%、2050年までの長期目標では90年比で80~95%削減すべき」「日経ネット」記事)と先進国に厳しいまでにより多くの削減責任求める「政治宣言」を発表、その姿勢のまま拡大会合に臨んだ新興5カ国を説得できず、G8首脳宣言で合意したとする「50%」という削減目標値を盛り込むことができなかった上にG8の「採択することを求める」が拡大会合では「採択することが望ましいと信じる」へと後退してサミットは幕を閉じた。

 それなのに福田首相は「一応の成果を上げた」と言う。

 温室効果ガスの蓄積は「先進国の歴史的責任」だとする中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカの新興5カ国の主張は全面的に正しい議論だと言えるのだろうか。

 先進国がせっせとたゆまず怠らずに温室効果ガスを排出して地球を散々に温暖化させ、散々に痛めつけて経済発展を遂げ、そのことによって蓄えたカネの支援、技術の移転を受けて途上国は経済発展の道に就くことができたのである。

 いわば中国もインドも自国の経済化・工業化に先進国が排出してきた温室効果ガスの恩恵に浴してもいたのである。先進国による温室効果ガスの排出がなかったなら、現在のような先進国の経済発展もなかっただろうし、その影響下の中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ等の新興国の経済発展もなく、「新興国」という名前すらついていなかったかもしれない。

 言ってみれば、先進国が排出した温室効果ガスの後押しを受けた新興国のこれまでの経済発展と言える。先進国の温室効果ガス排出なくして、新興国の経済発展はなかったとも言える。

 先進国が生産拠点を中国に移した結果中国の温室効果ガスの排出が増えた側面もあるが、そのことも中国経済発展の原動力に含まれるべき因果性であろう。

 いわば温室効果ガス排出とその削減に関しては先進国も発展途上国も一蓮托生だということではないのか。

 一蓮托生な上、温室効果ガスが地球環境維持に悪影響を及ぼすということなら、「先進国の歴史的責任」だとか「共通だが差異のある責任」だとばかり言ってはいられず、その削減に協同で当たらなければならないはずだが、言って憚らない責任の一方的押し付けには胡散臭さを禁じ得ない。

 

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