安倍晋三の「桜を見る会」私物化容疑、201回国会代表質問答弁で「これで逃げます」のパターンを列挙

2020-01-26 12:10:28 | Weblog
 第201回通常国会が2020年1月20日に招集、当日安倍晋三の施政方針演説が行われた。演説ではカジノを含む統合型リゾート施設(IR)事業に絡む汚職事件と首相主催の「桜を見る会」に於ける招待客数のそれまでの7千人半ば台の推移に対して自民党総裁選挙の2018年(9月20日投開票)には9千人半ば台に膨れ上がったことから、総裁選に利用したのではないのかとの疑惑と、さらに自民党事務局総務部が2019年7月21日投開票参議院選挙での自民党参議院改選議員に対して出した「桜を見る会」案内状には「一般の方(友人、知人、後援会等)」を4組まで招待できる内容になっていたことから参院選に利用したのではないのかとの疑惑に掛けられた公式行事の私物化容疑に関しては一切触れなかった。

 野党は安倍晋三の施政方針演説に対して代表質問でIR疑惑と「桜を見る会」私物化容疑を追及することになった。ここでは「桜を見る会」の私物化容疑に対する追及のみを取り上げることにする。安倍晋三の答弁はNHKテレビ中継の録画から文字化した。

 「日本共産党委員長志位和夫代表質問」(しんぶん赤旗/2020年1月24日)

 2020年1月23日衆院本会議。

 志位和夫「私は、日本共産党を代表して安倍総理に質問します。

 総理、あなたの施政方針演説を聞いて、私が驚いたのは、『桜を見る会』の『サ』の字もなく、カジノ汚職の『カ』の字もなく、公職選挙法違反の疑惑で2人の閣僚が辞任した問題にも、一言も触れなかったことです。

 これらはすべて、総理の直接の責任が厳しく問われる問題です。総理には、その自覚がないのですか。国民にすすんで説明しようという意思がないのですか。まず、お答えいただきたい。

 (血税を使った買収疑惑――事実上ノーチェックで招待されていたのではないか)

 具体的に聞きます。

 『桜を見る会』疑惑で第一に問われるのは、総理が、国民の血税を使って、地元有権者を買収していたのではないかという疑惑です。

 総理は、安倍事務所が「後援会の関係者を含め、…幅広く参加者を募り、推薦を行っていた」ことを認めたものの、招待者は最終的には内閣官房と内閣府で取りまとめを行っているので、公選法違反にあたらないと弁明しています。

 ならば聞きます。安倍事務所が推薦した人は何人で、そのうち内閣官房と内閣府の判断で招待者にしなかった人は何人いるのですか。事実上ノーチェックで招待されていたのではありませんか。そうであれば、血税を使った買収そのものではありませんか。

 (悪徳商法の会長の招待――個人情報を盾に答弁を拒否することは成り立たない)

 第二は、悪徳商法で悪名をはせていたジャパンライフの山口会長を、総理自身の推薦で招待し、被害を広げた疑惑であります。

 総理は、この問題を問われると、『招待者や推薦元については、個人情報なので、回答を控える』といいますが、なぜ『推薦元』まで開示できない個人情報なのか。また、山口会長自身が招待をされたことを自ら大々的に明らかにしている以上、個人情報を盾に答弁を拒否することは成り立たないではありませんか。

 悪徳商法の会長を一体誰の責任で招待したのか。しかとお答えいただきたい。

 (公文書を法律や規則を無視して廃棄――最初から組織的隠蔽をはかったのではないか)

 第三は、2013年~17年の招待者名簿が、公文書管理法に違反して、行政文書ファイル管理簿にも記載せず、総理の同意手続きも行わないまま破棄されるという、違法行為が行われていたことを政府が認めたことについてです。

 そうなりますと総理の昨年12月2日の『内閣府は定められた手続きにのっとって招待者名簿を廃棄している』とした国会答弁は、虚偽答弁だったということになるではありませんか。内閣府の責任者は総理大臣です。総理、あなたは違法行為の責任、虚偽答弁を行った責任を負っているとの自覚はありますか。お答えいただきたい。

 さらに、政府が2019年の招待者名簿を、『会の終了後、遅滞なく破棄』したとしていることにも重大な問題があります。公文書管理法にもとづく行政文書管理ガイドラインは、森友問題などを踏まえ、『事業の実績の合理的な後付けや検証に必要となる行政文書』については、原則として1年以上の保存を義務づけているからです。『遅滞なく破棄』したなら、自ら決めたガイドライン違反ではありませんか。

 これらのすべての事実は、安倍政権が当初から、国民の知的共有財産である公文書を法律や規則を無視して廃棄したとすることで、招待者名簿の組織的隠蔽(いんぺい)をはかっていることを疑問の余地なく示していると考えますが、いかがですか。明確な答弁を求めます。

 安倍晋三「志位和夫議員にお答え致します。施政方針演説と説明責任についてお尋ねがありました。先ず『桜を見る会』については本年は開催せず、また今国会に提出した100兆円を超える来年度予算には関係予算に全く計上していないことから、施政方針演説に特段の記載を行っておりません。

 また(IR疑惑について)捜査に関する事柄に関しては内閣として言及することが個別の事案の捜査に影響を与える可能性があることから記載しなかったものであります。

 いずれにしましてもこれらについては私の演説内容如何に関わらず国会によるご指摘があることは元より承知をしているところであり、こうしたご指摘については誠実に対応させて頂く所存であります。

 『桜を見る会』の推薦者についてお尋ねがありました。私の事務所からの推薦に基づく招待人数の概数については既に官房長官が内閣官房及び内閣府の事務方を含む関係者からの聞き取りを踏まえて、国会にご報告をしたところでございますが、私の事務所から何名を推薦したのかについては既に記録が残っていないことから、その詳細は明らかではありません。

 また内閣官房が確認した結果、私の事務所から推薦を行ったもので、招待されなかった例もあったものと承知をしております。具体的な人数については名簿も廃棄されていることから、明らかではありません。

 いずれにしても、『桜を見る会』の招待者については提出された推薦者につき、最終的に内閣官房及び内閣府に於いて取り纏めを行っているところであり、当該プロセスに私は一切関与していないことから、公職選挙法に抵触するものではないかとのご指摘は当たりません。

 『桜を見る会』の招待者についてお尋ねがありました。『桜を見る会』の個々の招待者の推薦元に関する情報そのものは個人に関する情報であると共に招待者に密接に関係する情報であることから、從來から回答を差し控えさせて頂いているところであります。

 また、招待のルート等については個人に関する情報であり、個々の言動等を踏まえて、政府として明らかにすることは考えておりません。なお一般論として申し上げれば、『桜を見る会』が企業や個人の違法・不当な活動に利用されることは決して容認できません。

 招待者名簿の管理についてお尋ねがありました。ご指摘の私の答弁についてはあくまで昨年の招待者名簿に関して行ったものであり、昨年の招待者名簿は内閣府に於いて公文書管理法などのルールに基づき、会の終了後遅滞なく廃棄する対応をしたところです。虚偽答弁とのご指摘は当たりません。

 また、ご指摘の行政文書の管理に関するガイドラインについては平成29年12月にこれを改正し、保存期間1年未満の行政文書の取扱に関する新たなルールを設けたところです。

 これに基づき、『桜を見る会』の招待者名簿については会の終了を以って使用目的を終えるほか、個人情報を含んだ膨大な量の文書を適切に管理するなどの必要が生じることから、保存期間1年未満文書として終了後遅滞なく廃棄するとの扱いとしたものです。

 このような対応はガイドラインに則った対応であると考えており、法律を無視して組織的隠蔽を謀ったとのご指摘は当たりません。

 なお、野田内閣の、民主党政権時代の平成23年、24年を含めて、平成23年から平成29年の間の招待者名簿の取扱については公文書管理法に違反するものであり、当時の文書管理者である担当課長を厳正処分すると共に官房長官から内閣府に対して改めて文書管理のルールの徹底を指示したところと承知しております」

 

 「日本共産党副委員長山下芳生代表質問」(しんぶん赤旗/2020年1月25日)

 2020年1月24日参院本会議

 山下芳生「(「桜を見る会」――問われているのは安倍首相が行った私物化)

 まず、『桜を見る会』について聞きます。

 どの世論調査でも7、8割の国民が、総理の説明に『納得できない』と答えています。ところが、総理は施政方針演説で、この問題に一言も触れませんでした。あまりに無自覚、無反省といわねばなりません。

 以下、端的にうかがいます。

 一つ。総理は、『長年の慣行の中で』『招待者の基準が曖昧であった結果として招待者の数がふくれあがってしまった』との答弁をくり返していますが、問われているのは『長年の慣行』ではありません。第2次安倍政権で総理自身が行った『桜を見る会』の私物化です。その認識はないのですか。

 二つ。下関市の安倍晋三事務所が、『桜を見る会』の参加者を募り、安倍事務所主催のツアー旅行に利用した、総理はこのことを認めますか。これが『桜を見る会』の適切な招待だという認識ですか。

 三つ。総理は昨日、安倍事務所が推薦したもので、招待されなかった例もあったと答弁しましたが、その根拠は何ですか。

 四つ。2018年には、自民党の都道府県会議員研修会の参加者に対し、希望者には翌日開催される『桜を見る会』の招待状を渡していたとの報道があります。これは事実ですか。内閣府が提出した資料でも、2018年は『総理等』の招待者が最も多い9494人に達しています。これは、同年行われた総裁選挙で地方票を獲得するために、自民党地方議員を多数招待したからではないですか。

 以上、明確な答弁を求めます」

 安倍晋三「山下芳生議員にお答え申し上げます。

 『桜を見る会』についてお尋ねがありました。『桜を見る会』については昭和27年以内来、内閣総理大臣が各省庁からの意見等を踏まえ、各界に於いて功績・功労等があった方々などを幅広く招待し、日頃のご労苦を慰労すると共に親しく懇談する内閣の公的行事として開催しているものです。

 当会の招待者については 提示された推薦者につき内閣官房及び内閣府に於いて取り纏めを行っているところですが、当該プロセスに私は一切関与しておりません。

 他方、『桜を見る会』については長年の慣行の中で行われてきたところでありますが、招待者の基準が曖昧であり、結果として招待者の数が膨れ上がってしまった実体があると認識しています。こうした運用を大いに反省するとともに国民の皆様からの様々なご批判を踏まえ、来年度の開催を中止するほか、今後、私自身の責任に於いて全般的な見直しを幅広く意見を聞きながら行ってまいる所存です。

 『桜を見る会』の推薦等についてお尋ねがありました。私の事務所に於いては後援会の関係者を含め、地域で活躍されているなど、『桜を見る会』への参加にふさわしいと思われる方を始めとして、幅広い参加者希望者を募ってきたところです。

 他方でご指摘の都内観光ツアーについては私の事務所によれば、希望する方に対して旅行会社の紹介等を行っていたとのことですが、ツアー自体の主催企画はあくまで旅行会社であったとのことであります。

 次に私の事務所から推薦を行った者で招待されなかった例もあったものと承知しておりますが、これは内閣官房が確認した結果であると聞いております。

 なお長年の慣行で与党にも推薦依頼を行っているところですが、自民党内の推薦の経緯等については政府として掌握はしておりません。

 IRについてお尋ねがありました。・・・・・・」

 安倍晋三の志位和夫に対する答弁の中に、当然のことだが、山下芳生に対する答弁と重なっていることと、更に安倍晋三のこれまでの「桜を見る会」に関わる国会答弁、記者会見発言をも重ね合わせると、「桜を見る会」に関わる選挙利用や予算等の私物化容疑から、「これで逃げます」のパターンが、今後の国会審議で様々なバリエーションを駆使することになるだろうが、基本的には列挙されていると見ることができる。

 となると、追及に立つ野党側はこのパターンを打ち破る論理を打ち立てなければならない。明日2020年1月27日から衆議院で予算委員会が始まるが、野党は「桜を見る会」に関わる私物化容疑を持ち出さないはずはない。志位和夫と山下芳生に対する代表質問答弁から窺うことができる「これで逃げます」のパターンをどう打ち破ることができるのかどうか、見ものだが、その可能性は私自身についても言える。

 但し私は国会議員みたいに追及のプロではなく、全くのド素人だが、ド素人の限界を弁えつつ、安倍晋三の「これで逃げます」のパターンを打ち破るべく、これから書くことは以前ブログに書いたことと重なるが、試してみることにする。

 安倍晋三は志位和夫に対しては「内閣官房が確認した結果、私の事務所から推薦を行ったもので、招待されなかった例もあったものと承知をしております。具体的な人数については名簿も廃棄されていることから、明らかではありません」、山下芳生に対しては「次に私の事務所から推薦を行った者で招待されなかった例もあったものと承知しておりますが、これは内閣官房が確認した結果であると聞いております」と答弁している。

 第一に内閣官房は招待者名簿が廃棄されているにも関わらず、招待洩れの例をどのようにして確認できたのだろうか。内閣官房は廃棄した招待者名簿以外の物的証拠(形あるモノに基づいた事実提示)からの確認なのかどうかを明らかにしなければならない。

 もしそれが記憶に基づいた証言(記憶を言葉に変えた事実提示)であるなら、利害関係にある者同士の言葉だけの証言は口裏合わせの可能性が否定しきれないだけではなく、利害関係のない第三者からはその記憶自体の事実性を確認する如何なる方法もなく、官邸や官房長官の菅義偉に言わされている、あるいは内閣官房の方から官邸や菅義偉を忖度して、そうと言っているといった疑惑をいたずらに招いて、そうであることの可能性にしても否定しきれなくなり、証拠能力を著しく欠くことになり、安倍晋三の主張を事実そのとおりと受け止めることは不可能となるか、不可能に近くなる。

 もし安倍晋三も菅義偉も内閣官房に言わせているわけではない、忖度させているわけではない、内閣官房も言わされているわけでもないし、忖度して庇っているわけでもないということなら、そのように否定できる、利害関係にある者もない者も等しく納得し得る確かな可能性を提示して、証拠能力をカバーしないといけない。 
 第二にあべ事務所が送付した《「桜を見る会」への参加申込書》と自民党事務局総務部が2019年(平成31年)1月31日に参議院改選議員に宛てたとの整合性の問題である。

 前者のあべ事務所が送付した《「桜を見る会」への参加申込書》に書かれている内容。(一部抜粋)

〈※ご夫婦で参加の場合は、配偶者欄もご記入ください。
 ※後日郵送で内閣府より招待状が届きますので、必ず、現住所をご記入ください。
 ※参加される方が、ご家族(同居を含む)、知人、友人の場合は、別途用紙でお申し込み下さい。(コピーして利用して下さい)〉・・・等々が記載されている。

 この参加申込書は記入欄に必要事項を記載すれば、「後日郵送で内閣府より招待状が届きます」との物言いで、「申し込めば、ストレートに招待状が届く」体裁を取っている。安倍晋三が答弁しているように「私の事務所から推薦を行ったもので、招待されなかった例もあった」とすることができる断りは、そのカケラさえも文面のどこからも窺うことはできない。参加を申込めば、全員当選の形式以外の何ものでもない。

《「桜を見る会」のお知らせ》 後者の自民党事務局総務部が2019年の参議院選挙の改選議員に送った《「桜を見る会」のお知らせ》は、冒頭、〈内閣府主催による「桜を見る会」が、下記の通り開催されることになり、一般の方(友人、知人、後援会等)を、4組までご招待いただけます。〉と記載されていて、自民党の改選参議員共々、その友人、知人、後援会員等々の4組までの参加を無条件に請け合っていて、4組までの範囲内なら、改選参議員1人につき全員当選の形式を持たせている。

 もし安倍晋三が答弁のように「私の事務所から推薦を行ったもので、招待されなかった例もあった」ことが事実とすると、〈4組までご招待いただけます。〉の保証は詐欺行為に当たることになる。

 逆にノーチェック・フリーパスだったからこそ、前者の《「桜を見る会」への参加申込書》も、後者の《「桜を見る会」のお知らせ》も、それぞれの文面を体裁とすることができたとしなければ、整合性が取れない。

 但しこの整合性は安倍晋三の答弁と実際の招待との間の整合性を逆に否定することになる。

 共産党委員長志位和夫の「政府が2019年の招待者名簿を、『会の終了後、遅滞なく破棄』したとしていることにも重大な問題があります。公文書管理法にもとづく行政文書管理ガイドラインは、森友問題などを踏まえ、『事業の実績の合理的な後付けや検証に必要となる行政文書』については、原則として1年以上の保存を義務づけているからです。『遅滞なく破棄』したなら、自ら決めたガイドライン違反ではありませんか」と問い質したのに対して次のように答弁している。

 安倍晋三「ご指摘の行政文書の管理に関するガイドラインについては平成29年12月にこれを改正し、保存期間1年未満の行政文書の取扱に関する新たなルールを設けたところです。

 これに基づき、『桜を見る会』の招待者名簿については会の終了を以って使用目的を終えるほか、個人情報を含んだ膨大な量の文書を適切に管理するなどの必要が生じることから、保存期間1年未満文書として終了後遅滞なく廃棄するとの扱いとしたものです。

 このような対応はガイドラインに則った対応であると考えており、法律を無視して組織的隠蔽を謀ったとのご指摘は当たりません」

 原則として1年以上の保存を義務づけられていた行政文書管理を2017年12月に保存期間1年未満とする新たなルールへと改正した。この改正に則って2019年4月13日開催の「桜を見る会」の招待者名簿を会の終了を以って使用目的を終えたことから、1ヶ月も満たない5月9日に廃棄した。

 新ルールへの改正は2017年12月だから、2018年4月21日開催の「桜を見る会」の招待者名簿の廃棄も、2019年の1ヶ月も満たない廃棄の素早い対応に照らすと、廃棄した正確な月日の情報は把握していないが、保存期間1年未満の早い時期、それも2018年4月21日開催から1ヶ月かそこら経ったか経たないうちに廃棄したことが予想される。

 3ヶ月も4ヶ月もあととなると、「個人情報を含んだ膨大な量の文書を適切に管理するなどの必要が生じる」ことを廃棄の理由に挙げていることと矛盾が生じる。少なくとも2019年「桜を見る会」開催の4月13日よりも半年も前の廃棄でないと説明がつかないことになる。

 2019年11月21日午前の記者会見での官房長官菅義偉の答弁。

 菅義偉「先ずは内閣官房・内閣府から各省庁等に対して推薦を求める際に幅広く色んな方を招待するための前提として同じ人が推薦をされないことも配慮事項の一つであるというお願いを致しております。

 実際に前年の招待者の再度推薦をされることもあるかと思いますけども、まあ、頂いた推薦を基に内閣官房・内閣府が最終的に取り纏めを行っている。いずれにせよ、配慮事項はそういうことになっております」

 つまり再度推薦される例は間々あるが、原則として同じ人物の招待を避けるルールとなっていた。但しこのルールを徹底するためには前年の招待者名簿と照合する必要が生じる。例え行政文書の管理に関わるルールを保存期間1年未満としていたとしても、各年の招待状発送がその年の3月以降ということだから、招待状発送の前の2月の末頃までは保存しておかなければ、照合不可能となる。

 2019年の「桜を見る会」の招待者を決める際、前年の招待者名簿を破棄しておいて、何を根拠にして同じ人物の招待を避ける手立てとしていたのだろうか。

 安倍晋三の「桜を見る会」私物化容疑の影響を受けて2020年の「桜を見る会」は中止となったが、中止が決まるまでの間、内閣官房及び内閣府は招待者名簿を早々に廃棄してしまった以上、2021年の招待者について同じ人物の招待を避ける方法として如何なる文書に基づくつもりでいたのだろうか。

 内閣官房及び内閣府は何に基づくつもりだったのか、明らかにしなければならない。まさか招待者は全て頭の中に記憶しているなどとは言うはずはない。

 3期福岡市長を務めている高島宗一郎は5年連続で「桜を見る会」に招待されていたと自ら明らかにしている。その記事を全文参考引用しておく。

 桜を見る会 福岡市長、5年連続出席 招待理由は「把握せず」(毎日新聞2019年12月12日 10時58分)

 福岡市2019年12月は11日、高島宗一郎市長が首相主催の「桜を見る会」に少なくとも今年まで5年連続で出席していたことを明らかにした。また、高島市長は同会の前夜祭にも「時間が合えば参加している」として今年出席したと述べた。開会中の12月定例市議会で山口湧人議員(共産)の一般質問に答えた。

 市によると、高島市長は桜を見る会にいずれも公務で出席。具体的な招待理由は「把握していない」とし、招待の推薦者の区分が記された受付票は「当日の受け付けに提出しているため、内容を確認することができない」と説明した。高島市長も「最終的に内閣府がとりまとめて招待状が来るので、どういった形で来たかは分からない」と述べた。

 また、前夜祭の会費5000円を自費で払ったとした上で「立食で飲み物とおつまみのようなものがあり立派な食事が出たわけではないので適切かなと思う」と語った。【加藤小夜】

 内閣官房及び内閣府は同じ人物の招待を避けるルールに抵触せずに5年連続も続けて招待したことが"間々ある"うちに入る例であるということの正当性ある、誰もが納得できる説明をしなければならない。

 安倍晋三も菅義偉も内閣官房及び内閣府も招待基準を「各界に於いて功績・功労のあった方々」としている。福岡市長高島宗一郎は2010年12月就任から9年務めている。3期など短いうちで、5期、6期、7期、あるいはそれ以上長く務めている市長もいるはずで、もしそういった市長でありながら、招待されていなかったとしたら、そういった市長と高島宗一郎とで招待基準である「功績・功労」の点で、どういった違いがあるのか、内閣官房及び内閣府は、この点についても正当性ある、誰もが納得できる説明責任を果たさなければならない。

 ほかにも連続で招待されたという証言を載せている報道がある。こういった例からすると、実際に同じ人物の招待を避けていたのか、「各界に於いて功績・功労のあった方々」としている招待基準に厳密であったのかどうか、実際はノーチェック・フリーパスではなかったのか疑わしくなるが、この疑惑を解くためにも、既に触れたように内閣官房及び内閣府は招待者名簿を次の招待者を取り纏める前に廃棄している以上、同じ人物の招待を避けるためにどのような方法を採用してきたのか、あるいは2020年以降は採用するつもりでいたのかに関しては確実・全面的に明らかにしなければならない。

 そうしなければ、安倍晋三の「桜を見る会」に関わる私物化容疑は晴れない。安倍晋三は「『桜を見る会』が企業や個人の違法・不当な活動に利用されることは決して容認できません」と断言しているが、「違法・不当な活動」として「利用」する「個人」の中に安倍晋三自身を入れなければならない。勿論、多くの国民が既に入っていると見ている。

 以上、安倍晋三が代表質問答弁で列挙した、「桜を見る会」私物化容疑に対する「これで逃げます」のパターンを破る論理の打ち立てを試みてみたが、どんなものだろうか。

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安倍晋三の行政と予算の私物化を隠蔽し、正当化する意図的な作為からの「桜を見る会」招待者名簿等の「管理簿」記載漏れ

2020-01-20 12:22:03 | Weblog
 当ブログの官房長官菅義偉の記者会見の模様は「buu」氏がツイッターで文字起こししていたから、それを拝借させて貰うことにした。

 官房長官菅義偉が2020年1月9日午前の記者会見で「桜を見る会」の招待者名簿等の「行政文書ファイル管理簿」への記載を行っていなかったことを明らかにしたと同日付、「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 記事は、〈公文書管理法では、1年以上保存する行政文書は原則としてファイルにまとめ、「行政文書ファイル管理簿」に記載して公表することが義務づけられています。〉と伝えている。記載漏れは2013年から2017年の5年分。

 この5年分の「桜を見る会」の招待者名簿と各省庁への招待者の推薦依頼文書を、当記事も触れているが、公文書管理のルールを定めた政府のガイドラインが文書廃棄時に行政文書ファイル名や廃棄日などを「廃棄簿」に記載することを義務づけているのに対して記録を残していなかったことを2019年12月29日付で既にマスコミが明らかにしている。二重の怠慢ということになる。

 「文部科学省」のサイトには「行政文書ファイル管理簿」について次のように記載している。文飾当方。
 〈行政文書ファイル管理簿は、公文書管理法及び情報公開法の円滑な運用に資するものとして、文部科学省・スポーツ庁・文化庁で保有する行政文書ファイルの名称、作成組織、作成時期などについて国民の皆様に対して案内を行うものです。〉

 他の省庁ではその省庁が「保有する行政文書ファイルの名称、作成組織、作成時期など」を「行政文書ファイル管理簿」に記載することが義務付けられていることになる。

 〈行政文書ファイル管理簿は、公文書管理法及び情報公開法の円滑な運用に資する〉目的の"国民の皆様に対する案内"だと位置づけている。当然、行政側からしたら軽々しく扱ってはならない重大性(事が重要であって軽視できないさま、またはその度合いを意味する語。「Weblio辞書」)を持つ文書管理ということになる。

 何しろ公文書を管理する側が軽々しく扱ったなら、国民の知る権利の一つとなっている情報公開法の円滑な運用に支障を来たすことになる。行政側はこの重大性を常に認識していなければならない。

 だが、内閣府お完了はこの種の文書管理が持つ重大性を認識しないままに「桜を見る会」の招待者名簿と各省庁への招待者の推薦依頼文書の「行政文書ファイル管理簿」への記載を怠っていた。このことは昨年2019年4月13日に開かれた「桜を見る会」の招待者名簿を内閣府では名簿の保存期間を2018年4月に「1年」から「1年未満」に変更していることを理由に1ヶ月も経たない5月9日に廃棄したことと関係があるのだろうか。

 いわば廃棄した手前、「行政文書ファイル管理簿」への記載もナシにする必要が生じたということはないだろうか。

 菅義偉の2020年1月10日午前の記者会見で記者が公文書の未記載は「しばしばあるのか」と質問すると、次のように答えている。

 菅義偉「先ず、内閣府や各省庁が行う、これ、内部監査、その中で、そのような事例が、把握されている事もあると、このように聞いています」

 つまり「行政文書ファイル管理簿」への記載漏れは内閣府だけではなく、他の省庁でも、「そのような事例が、把握されている」。と言うことは内閣府の5年分の「桜を見る会」の招待者名簿と各省庁への招待者の推薦依頼文書以外にも「行政文書ファイル管理簿」への記載漏れの文書は存在していることになる。

 菅義偉は他の省庁の同様の事例と内閣府でも「桜を見る会」に関係する文書以外にも記載漏れがあることを明らかにすることによって意図的未記載ではないこと、つまり偶発的手落ちだと示唆したことになる。

 但し偶発的手落ちからの記載漏れのその偶発性を意図的記載漏れにまで被せて、その意図性を隠蔽するのは誤魔化す個人、あるいは誤魔化す組織が頻繁に利用する手である。

 記者は記載漏れは「桜を見る会」関係文書以外にどのような文書があるのか聞くべきだった。菅義偉は上記発言の最後に「ま、詳細は内閣府の、公文書管理担当にお尋ねを頂きたい、このように思います」と言っているから、野党の内閣府に対するヒアリングの際に問い質すべきだろう。内閣府職員がほかにも記載漏れ文書を持ち出すようなら、文書管理の杜撰さが浮かび上がる。その杜撰さが少しでも不自然であるなら、意図的記載漏れの疑いが(このことは招待者名簿と招待者の推薦依頼文書の廃棄の意図的可能性に繋がる)浮上、追及の突破口とすることができるかもしれない。

 菅義偉は2020年1月14日午前の記者会見になって、それまでは「事務的な記載漏れ」としていた2013年から2017年までの5年間の「桜を見る会」招待者名簿と各省庁への招待者の推薦依頼文書の「行政文書ファイル管理簿」への未記載が「11年と12年は開催直前に桜を見る会が中止になり、管理簿に掲載すべきだった招待者名簿を掲載せずに廃棄した。その取り扱いが前例として13年以降も漫然と後任に引き継がれた」と説明したと2020年1月14日付「毎日新聞」記事が伝えている。

 菅義偉「11、12年も内閣府は各省から推薦名簿を集めて招待の準備をしていた。当時のルールでは(作成した)招待者名簿は管理簿に記載すべきだったが、中止になり、名簿も管理簿に掲載せずに廃棄していた」

 記事は、〈第2次安倍政権下で開催された13~17年の招待者名簿も「公文書管理違反の扱いが漫然と引き継がれていた」と、前政権での扱いを前例踏襲したものだったと語った。〉ことと、〈民主党政権時代の2011年は東日本大震災、2012年は北朝鮮のミサイル対応のために中止になった。〉と解説している。

 中止なら、「行政文書ファイル管理簿」への記載の必要性は失うはずだが、そのことを前例として未記載を踏襲したということはどういうことなのだろう。
 
 「buu」氏の文字起こしから2020年1月15日午前会見の遣り取りの要所要所を拾ってみる。

 記者の2011年と2012年の中止になって招待されなかったケースと2013年以降の決行して招待されたケースとでは性格が異なるにも関わらず、漫然と引き継いだという説明は不自然だがという質問に対して、菅義偉は「各省から推薦名簿を集めて、内閣府として、招待の準備をしていた場合はルール上は管理簿に掲載されるべきだが、事務的なミスで掲載しなかった」といった趣旨の答弁をしている。

 この発言は納得できないことはない。中止になったけれども、何人の推薦があり、その中で何人が招待される予定だったか、そして中止となったイキサツはのちの参考として文書に残して置かなければならないかもしれない。

 だが、記者の質問どおりに2011年と2012年の中止による「行政文書ファイル管理簿」への未記載を漫然と引き継いだ、あるいは事務的なミスだとすることは組織要員としての文書管理上の能力の問題となってきて、簡単には見過ごせない。雇用の問題にも関わってくる。

 記者が職員に違反の認識にあったのかないのかを問うと、菅義偉は「この2011年から2017年、この7年間の担当者に確認しましたから、ルールはあまり調べずに対応しておりですね、これ前例を踏襲する中で、違反の認識はなかったと言うことです」と答えている。

 「ルールはあまり調べなかった」、違反の認識もなく、ただただ「前例を踏襲」してきた。つまり頭から無考えのまま、自らに与えられた職務を遂行してきた。

 このこと自体が文書管理を職務として与えられている職員としては考えられない姿勢だが、考えられないのは当然で、調べる、調べないの前に頭に入れて置かなければならない公文書管理のルールだからである。

 さらに文書管理は一人の職員が1点の文書のみを管理するのではなく、一人でか、あるいは数人で協同してそれぞれに数点ずつに亘って管理する体制を取っているはずだから、それが一人の仕事だとしたら、1点の文書の未記載は他の文書の未記載となり、数人で協同の場合は、扱う全ての文書に亘って未記載か、記載かのいずれかに分かれることになる。

 と言うことは、一人で数点に亘って文書管理をする場合でも、数人で協同して数点に亘って文書管理する場合でも、管理した文書の全てに亘って未記載であったときにのみ、
文書管理のルールに対する無知によって全ての文書に亘って未記載が生じたとすることは受け入れることができるとしても、「前例を踏襲する」云々の問題ではなくなる。

 なぜなら、菅義偉が言っているように記載漏れの「事例が、把握されている」としても、記載されている文書が存在する以上、「桜を見る会」に関係する文書のみの未記載を以って前例踏襲というのは成り立たないからだ。逆に2011年と2012年の未記載の理由を中止と、その中止に対応した未記載となった諸般の事情から思慮し、2011年と2012年の未記載と厳しく区別して、2013年以降の文書管理に対処しなければならない。

 いわば文書管理の全体性から言って、一部の文書にのみ関係した未記載の前例踏襲は文書管理法に逸脱することになる。あるいは自分たちで文書管理法の一部を曲げたことになる。

 その自覚もなかったとしたら、文書管理上の能力の問題と雇用の問題を再び言わなければならない。一言で言うと、こういった職員を雇用していることは税金のムダ遣いである。

 事はこれ程にも重大であるが、菅義偉は職員の文書管理上の能力の問題と雇用の問題を一切無視して、平然としている。この平然とした無視は文書管理の重大性を認識していないことによって生じている。

 菅義偉「行政文書の管理簿と言うのは、極めて事務的なものであって、そして各年度の担当者がルールと言うものをきっちりと調べずに、前年において管理簿に掲載されないという、そうした前例を漫然と踏襲したと、そういうことであると言うことです」

 文書管理の重大性を無視して、「極めて事務的なもの」で片付けている。文書管理の重大性を前にして、「極めて事務的」であってはならないと言うことである。

 「公文書管理法」

第一条 この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。
第四条 行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。

一 法令の制定又は改廃及びその経緯
二 前号に定めるもののほか、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議(これらに準ずるものを含む。)の決定又は了解及びその経緯
三 複数の行政機関による申合せ又は他の行政機関若しくは地方公共団体に対して示す基準の設定及びその経緯
四 個人又は法人の権利義務の得喪及びその経緯
五 職員の人事に関する事項
 (文飾当方)

 このようなルールに則って一つに纏めたものを「行政文書ファイル」としている。

 公文書管理法の第1条「目的」に書いてある文書管理の重大性と照らし合わせた場合、「ルールはあまり調べなかった」はあり得ない姿勢であり、違反の認識もなかった、「前例を踏襲」で片付ける無考えな官僚の姿は誰が素直に認めることができるだろうか。

 日本の官僚は優秀であるとの評判を得ている。事実でないことを事実と言いくるめるときだけが優秀ではあるまい。存在する文書を存在しないことにするときだけが優秀ではあるまい。

 だが、菅義偉は「ルールはあまり調べずに対応して、前例を踏襲する中で違反の認識はなかった」と優秀とされる日本の官僚像のメッキを懸命に剥がしている。菅義偉が描くメッキの剥げた官僚像は事実でないことを事実と言いくるめるときの優秀な官僚像と余りにもかけ離れていて、余りにも現実的ではない。存在する文書を存在しないことにするときの優秀な官僚像とも余りにもかけ離れていて、余りにも現実的ではない。

 菅義偉と内閣府官僚の「公文書管理法」の重大性を頭に置かない非現実的な姿勢と合わせて、菅義偉が優秀性とは正反対の信じ難い凡庸性を殊更に国民の前に描き出している、メッキを剥がした内閣府官僚像のその非現実性を実際の現実に近づけるためには、「桜を見る会」の招待者名簿等の「行政文書ファイル管理簿」への記載漏れは「桜を見る会」の招待名簿の意図的な廃棄に続く意図的な作為と見ないと整合性が取れない。

 菅義偉が言っていることを要約すると、内閣府官僚はバカだから、招待名簿を破棄し、「行政文書ファイル管理簿」へ記載漏れが生じたとしていることになる。

 だが、内閣府官僚はバカではない。至って優秀であるはずだ。当然、文書管理に関わる官義偉のこの意図的な作為は「桜を見る会」を利用した安倍晋三の行政の私物化・予算の私物化を隠蔽し、正当化する作用を持たせていなければ、終始一貫しない。

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レイプジャーナリスト山口敬之著作『総理』という不名誉なキャッチフレーズ回避の官邸介入不起訴処分 民事一審が断罪

2020-01-13 11:23:52 | 政治
 山口敬之(のりゆき-慶應義塾大学経済学部卒53歳)のレイプ事件の最近までの経緯についてよく纏まっているから、「Wikipedia」の記事を借りて紹介する。昔風に言うと、"毒牙(邪悪な企み)にかかった"相手の女性は実名で紹介されていて、その名前は既に広く知られているが、彼女の勇気に敬意を評して、「女性」という一般名詞に置き換えた。ネット上には31歳と出ている。

 〈2015年4月3日、女性が自身の就職やアメリカの就労ビザについての相談のため、東京都内で当時TBSの政治部記者でワシントン支局長であった山口敬之と会食。同日深夜から4日早朝にかけて飲酒後に記憶をなくし、ホテルで乱暴されたとして準強姦容疑で警視庁に被害届を提出。

 東京地裁が2016年7月に嫌疑不十分で不起訴としたため、伊藤は2017年5月、検察審査会に審査を申し立てた。東京第6検察審査会は2017年9月、不起訴を覆すだけの理由がないとして「不起訴相当」と議決した。

民事訴訟

 2017年9月28日、「望まない性行為で精神的苦痛を受けた」として、女性が山口を相手に1100万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。その直後の10月18日、女性が自らの訴えを綴った手記「Black Box」を出版し、24日には日本外国特派員協会で会見を行った。一方で山口は同月26日発売の月刊『Hanada』に、「私を訴えた女性へ」と題する手記を掲載し、女性の主張を全面的に否定した。

 2019年2月、山口が「女性の記者会見での発言などで社会的信用を奪われた」として女性を相手に慰謝料1億3000万円と謝罪広告の掲載を求めて反訴した。裁判は山口、女性の双方の訴えを同時に審理し、12月18日、女性側の請求を認め、330万円を支払うよう山口側に命じた。山口の反訴は棄却。〉――

 山口敬之は民事で敗訴した翌日の2019年12月19日に都内の日本外国特派員協会で自らの正当性を訴える、いわば不同意の上の性行為ではなく、合意の上の性行為であるとする会見(Yahoo!ニュース/2019/12/19(木) 17:06)を開いた。

 最初に山口敬之の代理人弁護士である北口雅章が発言、民事での女性の証言と女性の著作『Black Box』の内容との食い違い等を引き合いに出して、さも女性がウソつきであるかのような物言いをしたあと、英語で話す司会に対して通訳が簡単に日本語訳をし、記者が同じ英語で話して、通訳が日本語訳する遣り取りが少し続いてから、山口敬之が英語で話した。記事は英会話のところはすべて割愛している。

 山口敬之と記者との英語での質疑応答が5問ほど続いてから、通訳が次のように訳す。

 通訳「簡単に言いますと、逮捕状が出たのを聞いていません。逮捕状が出てるのは知りませんでした。なので、警察がいつどこで私を取り調べてるかっていうのを私は知りませんでした。本当は裏で総理大臣などの力を借りてるんじゃないですかっていうことで、いいえ、私、一切そんなことやってません」

 通訳の日本語訳を補足する形で山口敬之が日本語で発言。

 山口敬之「ちょっと訳、日本の方に言わせていただくと、私は6月8日に成田に着いて、そこで逮捕状が執行されなかったという報道が出ていることについての質問だと思うんですが、私のところに警視庁の方が任意の聴取にいらっしゃったのは6月中旬で、それまで私は捜査対象であるってことを一切知らないんですね。当然、警察の方が私を逮捕しようと思ってるのであれば、私にそれ、事前に伝えるはずがないですよね。ですから、出てるかどうか知らない逮捕状のことを、私は誰にも頼むことができないっていうことを申し上げた。ちょっと訳を補足させていただきました」

 山口敬之は英語で「逮捕状が出たのを聞いていません。逮捕状が出てるのは知りませんでした」といった趣旨の発言をしたことになる。但しその通訳内容に対して「2015年6月中旬に警視庁の任意聴取を受けるまで捜査対象であるってことを一切知らなかった」こと、知らなかった理由は「警察の方が私を逮捕しようと思ってるのであれば、私にそれ、事前に伝えるはずがないから」であり、「出てるかどうか知らない逮捕状のことを、私は誰にも頼むことができない」との物言いで、検察の取り調べて不起訴処分となったのは「裏で総理大臣などの力を借りてるんじゃないですか」との記者の問いに対してなのか、安倍晋三への依頼の疑いに関わる身の潔白を強く主張した。

 このような疑いが出てくるのは逮捕直前の逮捕状執行停止の経緯と山口敬之が安倍晋三に近いジャーナリストとして2016年6月9日に『総理』なる題名の著作を出版していることなどによるらしい。

 山口敬之が安倍晋三に対して逮捕逃れの依頼、あるいは不起訴処分扱いへの依頼をしていなければ、逮捕状が出ているのを知らなくて当然である。レイプ事件から警視庁が山口敬之を事件に関わる任意聴取をするまでをネットから拾った時系列で見てみる。

2015年4月3日 女性が山口敬之が食事と飲酒を共にしたあと高輪にあるホテルに連れ込まれる。
2015年4月9日 女性が原宿署へ相談。
2015年4月15日 女性、高輪署の捜査員とホテルの監視カメラ映像を確認。
2015年4月18日 山口敬之が女性に「合意の上だった」との文面でメールを送信。
2015年4月30日 高輪署に被害届を提出。準強姦容疑(当時)で女性の告訴状受理。
2016年6月8日 高輪署の逮捕状請求に対して東京地裁が逮捕状を発行。
  同日     逮捕状を取った高輪署員が成田空港で帰国の山口敬之氏を待ち構えて、逮捕状執行を図る。直前、逮捕状執行停止。担当警察官「警視庁幹部
         の指示で逮捕を取りやめた」
2015年6月中旬 警視庁、任意聴取。

 何度でも断るが、安倍晋三に対して逮捕逃れの依頼、あるいは不起訴処分扱いへの依頼をしていなければの条件下で山口敬之が逮捕状が出ていることを知るのは成田空港で山口敬之に対して逮捕状が執行される瞬間である。だが、逮捕状は執行されずに逮捕取調ではなく、任意聴取に変わった。

 逮捕状を検察に請求して降りれば、即逮捕に向かうのは刑事物のテレビドラマで常識となっている。世間的にも即逮捕が常識であろう。逮捕に足る最有力の容疑者ということになれば、逃亡や証拠隠滅阻止のためにも逮捕は緊急性を要することになる。

 だが、2016年6月8日に東京地裁が逮捕状を発行し、即逮捕に向かったものの、執行停止の指示が警視庁幹部から降りた。

 いわば逮捕状は反故にされた。高輪署の任意聴取の際も、逮捕状執行停止が警視庁幹部の指示と言うことなら、取調担当官は逮捕状執行停止のイキサツどころか、逮捕状の「タ」の字も口にすることはできなかったろう。下手に口にしたら、山口敬之から警視庁幹部にどう伝わるか分かったものではないからだ。

 当然、逮捕状に関しては、あくまでも安倍晋三に対しても誰に対しても逮捕逃れの依頼と不起訴処分扱いへの依頼をしていなければの話だが、出ていることは知らなくても当然である。その代わり、逮捕状が出ていることを知らなかったからと言って、安倍晋三に対しても誰に対しても逮捕逃れの依頼や不起訴処分扱いへの依頼をしていない証明とはならない。例えば山口敬之自身がその当時置かれていた状況から逮捕の可能性を予測していた場合は、「もし逮捕状が発行されるようなら、執行を止めることはできないだろうか。検察の取調に進んだとしても、不起訴処分に持っていけないだろうか」と依頼することはできる。

 山口敬之の代理人弁護士である北口雅章が外国特派員協会での記者会見で山口敬之に先立って行った発言の中に女性がレイプに関わるイキサツを書いた『Black Box』の内容を引用した次のような下りがある。

 北口雅章「伊藤さんは事件の当日、避妊のためピルを飲んでいます。彼女はピルを飲んだ5日後に月経があったと医師に申告しています。そのため医師は、伊藤さんは妊娠の可能性がないと、殆どなくなったと診察しています。それにも関わらず、伊藤さんはそのあと山口さんに何度もメールをして、妊娠の不安を訴えています。性犯罪の被害者は正直に話すのが普通ではないでしょうか。カルテとの矛盾はほかにもいっぱいありますけれど、この辺にとどめます」

 要するに女性の訴えの信用のなさを主張している。但し女性と山口敬之との間にメールの遣り取りがあったことが明らかになる。女性がホテル所在地の高輪署の捜査員とホテルの監視カメラ映像を確認した2015年4月15日と高輪署に被害届を提出した2015年4月30日の間の2015年4月18日に山口敬之が女性に「合意の上だった」との文面でメールを送っている。

 このような文面となっているのは女性側からの「不同意」の訴えに対する山口敬之側からの「同意」の主張であって、女性側の「不同意」の言い分に対して山口敬之側が「同意」の言い分を戦わせていたからであろう。

 戦わせていなければ、山口敬之は「合意の上だった」などといった文面のメールを送る必要性は生じない。生理があって、もはや妊娠の心配がなくなったのに山口敬之に妊娠の不安を訴えるメールを送っていたのは、事実との違いは歓迎できないが、「不同意」(望んだ性交ではなかったこと)を相手に証明させる窮余の策だったと見ることもできる。

 「不同意」か「合意」かのメールの遣り取りがあった以上、女性が山口敬之にホテルに連れ込まれたあと、原宿署に相談したり、高輪署の捜査員とホテルの監視カメラ映像を確認していることは、「不同意」の強い後ろ盾とするためにも女性から知らされていただろうし、山口敬之は少なくとも2015年4月18日の時点までには女性が強姦罪か、準強姦罪で警察に相談、その相談に対して警察が取調に動いていることを知っていたことになる。
 
 当然、「捕状が出てるのは知らなかった」とすることはできるが、山口敬之が2015年4月18日に女性に「合意の上だった」との文面でメールを送った際には既に警察が動いていることからも、女性側の「不同意」に対する山口敬之側の「同意」の立証の困難性を、「同意」に対する「不同意」の立証の困難性も相互対応することになるが、ジャーナリストとして承知していたはずで、立証の困難性に伴って職業的立場や職業的立場に応じた世間体に与える知名度への悪影響(社会的地位上のダメージ、イメージダウン等々)が小さくないことが予想されるという点から、自分が厄介な難しい場所に立たされている、あるいは立たされかねないことは認識したはずである。

 その認識は警察で取調を受ける万が一の危惧、逮捕状が出るかもしれない万が一の危惧、裁判で被告席に立たされる万が一の危惧を伴うことになる。伴わなかったしたら、社会的地位を築いたジャーナリストとは言えない。万が一の危惧どころか、実現可能性の確率が高い危惧として目の前に迫ったいたということもあり得る。

 このような認識が安倍晋三にか、厄介事の処理を依頼する根拠となり得るはずだが、誰に対しても逮捕逃れの依頼や不起訴処分扱いへの依頼をしていなければ当然とすることができる「逮捕状が出てるのは知らなかった」という事実のみを何事も依頼しなかったことの証明とするのは事件の経緯や事件の性質と矛盾するだけではなく、この種の犯罪の立証の困難性に対してジャーナリストとして弁えていなければならないする認識とも明らかに矛盾する。

 だが、山口敬之は、その実質性に於いて果たしてジャーナリストなのか、他の事情は一切排除して、「逮捕状が出てるのは知らなかった」という事実一つのみを以って安倍晋三に対しても、誰に対しても逮捕逃れの依頼や不起訴処分扱いへの依頼をしていないことの証明としている。

 この手の証明は自分の立場を良くする情報操作なくして成り立たない。「逮捕状が出てるのは知らなかった」こと以外の事実は一切排除する、あるいは見えなくするという情報操作である。当然、安倍晋三か、誰かに対して逮捕逃れの依頼や不起訴処分扱いへの依頼をしていなかったなら、「逮捕状が出てるのは知らなかった」は当然とすることができる事実なだから、そのことの利用は必要としない情報操作となる。

 この情報操作は次の遣り取りからも窺うことができる。

 神保哲生「すみません、前からで。重要なポイントなので。山口さん、じゃあ、すみません。こちらから質問させていただきます。ビデオニュースの神保です。山口さんご自身は、政治家にも官僚にも誰にもこの事件で頼んだことはないと、きのうもおっしゃって、今日もおっしゃっていますけど、政治家や官僚には頼んでないけれども、そのとき、もしくは事後に、どなたかが山口さんのことで官邸なり、あるいは菅さんなり、あるいは中村さんなり、北村さんなりに働き掛けをしたということはまったく、山口さんはお聞きにもなっていないのか。

 それはTBSの方でも結構ですし、どなたか、山口さんの知っている方で、そのような働き掛けがあったということを事後にもお聞きになっていないのか。山口さんがまったくうかがい知らないところで、そういうことがもしあったとすればあったということなのか、それをもし、今この時点でご存じのことがあれば教えてください」

 通訳が英語の質問に変えたあとに山口敬之が日本語で答弁。

 山口敬之「先ず私がはっきりと申し上げられるのは、このケースのこと、この事件、事案について、私はどの政治家にも、警察の方にも、官僚の方にも、要するに誰にも、何もお願いしていない。それ以上のことは、私は何も聞いていませんので、何か、私の知らないところで何かが起きていたかという質問は、私がお答えするのは適切ではないです。それで、それについて何かが動いたというような話を間接的にも聞いたことは一切ありません」

 神保哲生「ではあれだけ、あのようなことが動いたというような報道があっても、その真偽のほどを、しかも、ご自分のことであるにもかかわらず、それは、じゃあ確認もされていないということなんですね」

 山口敬之「先ず私は自分で犯罪を犯していません。ですから、捜査が行われているということを知る由もないから、誰にも頼めなかったという物理的なことをご理解いただいた上で、そのあと、この報道が出たあとは、特に、私が例えば誰かに電話をかけたり、それからメールを送ったりすること自体が誤解を招くということで、一切の連絡は断ちました、私は。ですから、私が通常の連絡すらしておりませんので、このケースをどの政治家にも、どの官僚にも一切頼んでいない。私からはっきり申し上げられるのはそれだけです」

 山口敬之は、「私は自分で犯罪を犯していません」と、自己の正当性、正義は自己にありを言い切っているが、女性と山口敬之との間で「不同意」か「合意」かで争う、自身の評判を落としかねない厄介事となる性行為を犯していて、その件で警察が動いていることを両者のメールの遣り取りで気づいているはずで、「不同意」か「合意」かの決着は最終的には裁判に委ねられる可能性が色濃くなっていたのだから、自己の正当性、正義は自己にありを言い切ること自体が情報操作に当たる。

 当然、「捜査が行われているということを知る由もない」も情報操作でなければ、文脈上の整合性を図ることができないし、「知る由もない」の情報操作は、「誰にも頼めなかったという物理的なことをご理解」の発言も、情報操作を自ずと引き継ぐことになる。

 要するに山口敬之のこの記者会見の以下の発言の中で自己の正当性を訴えるどのような発言も、情報操作に基づいていなければならない。他から与えられた自己正当性は検察の取り調べで2016年7月に嫌疑不十分で不起訴となったこと、女性がこの不起訴処分を不服として審査を申し立てた検察審査会が2017年9月に不起訴を覆すだけの理由がないとして「不起訴相当」を議決したことぐらいだろう。

 但し安倍晋三なりに依頼して獲ち取った自己正当性に過ぎない。

 2016年6月8日に山口敬之に対する逮捕状執行の停止を逮捕した「警視庁幹部」とは2017年5月31日付「ディリー新潮」(2017年5月25日号)には当時の警視庁刑事部長だった中村格(いたる)として紹介されている。

 〈中村氏が「(逮捕は必要ないと)私が判断した」と本誌(「週刊新潮」の取材に答えたものだから、新聞・テレビの記者はその真偽のほどを本誌発売後、探りに行っている。そのあらましについて、事情を知る記者に語ってもらうと、

 「“記事の件は、あまりまともだと思わない方がいい。なんで2年前の話が今ごろ出てくるのか、不自然でしょ。女も就職の世話をしてほしいという思惑があったから飲みに行ったのであって所詮男女の揉め事。彼女は2軒目にも同行しているんだしさ。その就職の話が結局うまくいかなかったこととか、最近、山口さんがテレビによく出ているからという、そういうことも(告白の)背景にあるんじゃないの”と、中村さんはこんな感じの話しぶりだったそうです」・・・・

 ネットで調べたところ、中村格が取材に答えた「週刊新潮」は、2017年5月18日発売で、《官邸お抱え記者「山口敬之」、直前で“準強姦”逮捕取りやめに 警視庁刑事部長が指示》と題してネット上に紹介されている。

 要するに中村格は「週刊新潮」の取材に対して「なんで2年前の話が今ごろ出てくるのか、不自然でしょ」、「女も就職の世話をしてほしいという思惑があったから飲みに行ったのであって所詮男女の揉め事」といったことを伝えた。

 週刊誌は発売日よりも1週間程度か、前に発売される。2017年5月10日見当までの事件の経緯を改めて振り返ってみる。

 女性が望まない不同意の性行為を力づくで受けたのが2015年4月3日。原宿署への相談等を経て、高輪署が女性の準強姦容疑での告訴状を受理し、逮捕取調の予定が逮捕状執行停止を中村格から指示されて、任意聴取に切り替えたのが2015年6月中旬。そして東京地検が嫌疑不十分で不起訴決定を下したのは2016年7月22日で、中村格の逮捕状執行停止指示を伝えた「週刊新潮」の取材の時点頃までに1年と約4ヶ月も過ぎている。

 そして女性が東京地検の不起訴決定に対する不服申立を検察審査会に行ったのは2017年5月29日、検察審査会が「不起訴を覆すだけの理由がない」として「不起訴相当」と議決したのは2017年9月22日と続くのだが、中村格が「なんで2年前の話」がと言った「2年」は自己の立場を正当化するために少々色を付けた「2年」だとしても、女性からしたら1年と約4ヶ月はいつ決着がつくかも分からない、精神的に宙ぶらりんの状態をいたずらに招くだけの途中経過に過ぎず、このことを含めて、女性からしたら自身の人格とその尊厳に深く関わる忌まわしい出来事の一つの決着を図っている真摯な事実に対して警察にしても真摯に向き合わなければならないところを、「なんで2年前の話が今ごろ出てくるのか、不自然でしょ」と言い、「所詮男女の揉め事」と断罪することで女性の人格とその尊厳を貶めている自身の酷薄な感性に気づかない。

 中村格の経歴をネットで調べてみた。東京大学法学、1986年警察庁入庁、2012年12月に内閣官房長官菅義偉の秘書官。2015年3月から2016年8月まで警視庁刑事部長、2018年9月14日より警察庁長官官房長を歴任している。年齢は出ていないが、東大卒の年から計算して、55歳見当か。

 これだけの学歴と経歴を以ってして、この酷薄な感性である。

 中村格は内閣官房長官菅義偉の秘書官として2012年12月から2015年3月頃まで首相官邸に出入りしていた。一方の山口敬之は安倍晋三対する積み重ねた取材と出版に当たって新しく取材した情報も付け加えているかもしれないが、それを纏めた本を『総理』と題して2016年6月9日に出版した。

 その前日の2016年6月8日、山口敬之に対する準強姦罪の容疑で取った逮捕状を高輪署の捜査員が携えて、帰国してくる成田空港に出向いたが、逮捕直前に当時警視庁刑事部長だった中村格が所轄署である高輪署の権限を超えて逮捕状執行停止を指示した。

 中村格は菅義偉の秘書官をしていた。山口敬之は安倍晋三と親しい関係にあった。しかも安倍晋三という政治家を題材とした出版を間近に控えていた。山口敬之を不起訴処分にする人材は揃っていた。不起訴処分にしなければならないお膳立ても揃っていた。山口敬之がレイプジャーナリストといった不名誉なキャッチフレーズで呼ばれることと、そのようなレイプジャーナリストがモノにした『総理』なる著作物といった不名誉なキャッチフレーズがつくことは安倍晋三にとっても不名誉なことで、それを回避するためのお膳立てであり、持てる人材を駆使した。

 だが、民事裁判に於ける地裁の一審判決が断罪を下すことになった。山口敬之は控訴した。一審判決を覆すにはさらに強力な安倍晋三等の裁判介入が必要となるはずだ。

 (加筆 2020年1月13日11:58)

 もし山口敬之が言っている「合意」が事実なら、冷静な状況下の性行為ということになって、大人の態度として「妊娠は大丈夫か」ぐらいは聞いたはずだ。「大丈夫」と答えれば、膣内射精で行くし、「大丈夫ではない。何の用意もしていない」と答えたなら、膣外射精で行っただろうし、その際の遣り取りが「合意」の有力な証拠となり得る。

 そういった遣り取りがなかったなら、逆に「不同意」の強力な状況証拠となる。
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安倍晋三の憲法改正意思は国民が望んでいない戦争する自衛隊を前提としたその明記であり、平和主義堅持はデタラメ

2020-01-06 10:50:06 | 政治
 安倍晋三の2020年1月1日年頭所感(一部抜粋)

 「未来をしっかりと見据えながら、この国のかたちに関わる大きな改革を進めていく。その先にあるのが、憲法改正です。令和2年の年頭に当たり、新しい時代の国づくりへの決意を新たにしています」――

  2019年1月4日安倍晋三年頭記者会見(一部抜粋)

 東京新聞記者島袋良太「総理は憲法改正について2020年の改正憲法の施行を目指す考えを示しておられますが、2019年は改憲に向けて、どのように取り組まれるか、教えてください」

 安倍晋三「憲法についてでありますが、憲法は国の未来、そして国の理想を語るものでもあります。本年は皇位継承が行われ、我が国で初のG20サミットが開催され、世界中の首脳が日本に集まります。

 そして、ラグビーのワールドカップ、2020年には東京オリンピック・パラリンピック、新しい時代の幕開けに当たり、私たちはどのような国づくりを進めていくのか。この国の未来像について議論を深めるべきときに来ていると思います。

 憲法改正について、最終的に決めるのは主権者たる国民の皆様であります。だからこそ、まずは具体的な改正案を示して、国会で活発な議論を通じ、国民的な議論や理解を深める努力を重ねていくことによって、また、重ねていくことが選挙で負託を受けた私たち国会議員の責務であろうと考えています。

 国会において活発な議論がなされ、与党、野党といった政治的な立場を超え、できる限り広範な合意が得られることを期待しています」――

 憲法は理想とする国の在り方(国民にとって当然そうでなくてはならないという国の状態)を規定しているが、国の在り方には、当然、理想とする国家権力の在り方に対する規定も含んでいることになるし、理想とする国民生活の在り方、国民一人ひとりの個人としての理想とする在り方に対する規定も含んでいることになる。いわば憲法は理想とするそれぞれの在り方に反してはならないという規定でもある。

 ゆえに国家権力も憲法に縛られるし、国民も縛られることになる。憲法改正は改正内容に応じて国家権力を新たに縛り、国民を縛る規定となる。縛った結果としての、その程度に応じて、新たな国の在り方へとバトンタッチされる。安倍晋三が言っている「新しい時代の国づくり」がそれである。

 安倍晋三の憲法改正意欲は突出している。「憲法改正について、最終的に決めるのは主権者たる国民の皆様であります」を常套句としていて、政治が決めるわけではない、政治がすることは決める元となる改正案を示して、国民が理解し、その判断材料となるよう国会で活発な議論をするよう促すことだとし、改正することに正当性を与えている。

 だが、9条に関して言うと、国民の間から9条のこの箇所が理想とする在り方と時代的にズレてきたから、改正すべきだとの機運が高まってきて、政治がそれを受け止めて改正の動きに出ているわけではない。安倍晋三という国家権力を率いる者が自らの理想とする9条の在り方、国家の在り方ともなるが、を提示して、選挙で獲得した国会での頭数と与党自民党と公明党、憲法改正を掲げている野党に投票した国民の数に恃んで改正発議と国民投票での投票総数2分の1以上の賛成獲得、改正成立を狙っている。

 このように国民の間から改正機運が高まってきたのではなく、国家権力そのものの安倍晋三自らが改正機運を意図的につくり出していることから、国民から見て9条改正が理想とする国家の在り方を新たに規定することにはならずに、安倍晋三という国家権力から見て理想とする国家の在り方を規定する改正となる危険性を抱き合わせかねない。

 では、安倍晋三はどのような憲法改正を狙っているのかをみてみる。

 2017年5月3日開催「第19回公開憲法フォーラム」にビデオメッセージ日経電子版/2017/5/3 15:19)を送っている。一部抜粋

 安倍晋三「憲法改正は、自由民主党の立党以来の党是です。自民党結党者の悲願であり、歴代の総裁が受け継いでまいりました。私が首相・総裁であった10年前、施行60年の年に国民投票法が成立し、改正に向けての一歩を踏み出すことができましたが、憲法はたった1字も変わることなく、施行70年の節目を迎えるに至りました。

 憲法を改正するか否かは、最終的には国民投票によって、国民が決めるものですが、その発議は国会にしかできません。私たち国会議員は、その大きな責任をかみしめるべきであると思います。

 次なる70年に向かって、日本がどういう国を目指すのか。今を生きる私たちは、少子高齢化、人口減少、経済再生、安全保障環境の悪化など、我が国が直面する困難な課題に対し、真正面から立ち向かい、未来への責任を果たさなければなりません。

 憲法は、国の未来、理想の姿を語るものです。私たち国会議員は、この国の未来像について、憲法改正の発議案を国民に提示するための「具体的な議論」を始めなければならない、その時期にきていると思います。

 わが党、自由民主党は未来に、国民に責任を持つ政党として、憲法審査会における『具体的な議論』をリードし、その歴史的使命を果たしてまいりたいと思います。

 例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。

 私は少なくとも、私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。

 もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません。そこで『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います」

 安倍晋三は「少子高齢化、人口減少、経済再生、安全保障環境の悪化」等の日本が「直面する困難な課題」を挙げて、その克服法として憲法改正の必要性を訴えているかのように見せかけているが、改正の要点を隠すわけにはいかないから、最後には「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」との物言いで自衛隊合憲の証文を9条に書き込むことを明らかにしている。

 一方で「9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません」と誓っているが、国民の方から望んだのではなく、安倍晋三自身が望んで仕掛けている改憲意思からすると、国民が日本国憲法に抱いている平和主義が安倍晋三が抱いている国家権力に即した平和主義へと変質、国民がいつしかそのことに慣らされていく経緯を踏まない保証はない。

 このことは「憲法改正は、自由民主党の立党以来の党是です。自民党結党者の悲願であり、歴代の総裁が受け継いでまいりました」と言っていることに対して2012年4月27日に自民党当時の総裁谷垣禎一が発表した「自民党憲法改正草案」と安倍晋三の自衛隊合憲証文の9条書き込みまでの移り変わりから窺うことができる。文飾は当方。

 日本国憲法現行9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」を、改正9条では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」というふうに、「永久に放棄する」から単に「用いない」に変わっている。

 そして現行第2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」が改正草案では「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」に変えていて、「自衛権の発動」の際は「武力による威嚇又は武力の行使」を用いることができるとしていることになる。

 そして自民党新憲法草案は9条の2を新設、5項まで設けて、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」と国防軍の創設とその行動規定を定めている。

 対して安倍晋三の改正案は上記自民党改正案をさらに改正させたものではなく、安倍晋三自身が唱えて、自民党が従った改正案となっている。2017年5月3日の「第19回公開憲法フォーラム」で提案したように「自民党憲法改正草案」とは違って、9条1項と2項をそのまま残した上で現行憲法にはない、自民党新憲法草案と同じように「第9条の2」を設けて、その1項で、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」と自衛隊の保持を謳い、第2項で、「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する」とその行動を規定している。

 日本が既に保持している自衛隊を改正した憲法でその保持を謳う。この矛盾は安倍晋三の中では矛盾していない。自衛隊合憲の証文を是が非でも獲ち取りたいと願っているからだ。このことは安倍晋三がこれまでに明らかにしてきた憲法改正意思が証明する。

 そして安倍晋三が自衛隊合憲の証文を必要としている理由は上記憲法フォーラムに向けたビデオメッセージで述べている次の発言から窺い得る。

 「例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任で」、「私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである」

 要するに憲法学者や一部政党の「自衛隊を違憲とする議論」――自衛隊違憲論を封じ込める必要性からの自衛隊合憲の証文の9条への書き込みである。

 だが、安倍晋三のこの立派な決意には別の矛盾が潜んでいる。自衛隊を戦争主体と見た場合は、「自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」の「何かあれば」の「何か」とは戦争、あるいは武力紛争ということになり、安倍晋三が「9条1項、2項を残し」た場合は現行憲法の9条1項、2項で謳っている戦争放棄と武力の不行使、交戦権の否認をそのまま生かすことになって、その条文に抵触することになる。

 大体が武器を持っていること自体が自衛隊が戦争主体であることの証明であり、違憲だ、合憲だと議論することも、自衛隊が戦争主体であることを前提としているからこそであろう。

 自衛隊を災害救助主体と見ると、「何かあれば」の「何か」は災害ということになって、憲法違反の問題は生じないが、9条に明記する意味を失う。逆に自衛隊を戦争主体視しているからこそ、9条への明記を必要とすることになっている。
 少なくとも安倍晋三が「自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである」と言っていることは自衛隊を、勿論、災害が発生した場合には災害救助に派遣するだろうが、一次的には戦争主体と見ていて、災害救助主体であることは二次的な役割と見ていることになる。

 自衛隊を主として戦争主体と見ているからこそ、違憲とされることに拒否反応を持ち、結果的に戦争や武力紛争を暗に想定した安倍晋三の改憲意思となっているのであって、そのような改憲意思だからこそ、9条の2の1項を自衛隊合憲の証文とすることに向かわせることになっている。

 こういった点にこそ、国民が現憲法に見ている平和主義と安倍晋三が見ている平和主義とは大きな違いがあって、その違いが国家権力に即した平和主義へと変質することになりかねない懸念となって跳ね返ってくる。

 安倍晋三が自衛隊を戦争主体視していることと、その平和主義がどのような質を抱えているのかは2004年1月27日発売の安倍晋三と元外交官岡崎久彦(2014年10月26日死亡)の対談集『この国を守る決意』でのネット上に流布している発言からも窺うことができる。

 安倍晋三「言うまでもなく、軍事同盟というのは“血の同盟”です。日本がもし外敵から攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし、今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです。実際にそういう事態になる可能性は極めて小さいのですが、しかし完全なイコールパートナーと言えるでしょうか。日米安保をより持続可能なものとし、双務性を高めるということは、具体的には集団的自衛権の問題だと思います」

 アメリカ軍が血を流した場合は自衛隊も血を流す「双務性」を求めている。かくこのように自衛隊を戦争主体視している上にこのような“血の同盟”に基づいた平和主義を自らの思想としている。

 国民の平和主義は世論調査から見ることができる。〈「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」の概要〉(2015年3月・内閣府政府広報室)

 調査時期2015年1月8日~1月18日(調査員による個別面接聴取)

4 自衛隊の役割と活動に対する意識

(1)自衛隊が存在する目的
 問4 自衛隊には各種の任務や仕事が与えられていますが,あなたは自衛隊が存在する目的は何だと思いますか。この中からいくつでもあげてください。(複数回答)
(上位4項目)

                                     2012年1月→ 平成27年1月
・災害派遣(災害の時の救援活動や緊急の患者輸送など)             82.9% →  81.9%
・国の安全の確保(周辺海空域における安全確保,島嶼部に対する攻撃への対応等)  ※    → 74.3%
・国内の治安維持                               47.9%  → 52.8%
・国際平和協力活動への取組(国連PKOや国際緊急援助活動など)        48.8%  → 42.1%

 調査時期2015年1月8日~1月18日は憲法解釈によって集団的自衛権行使容認と海外派遣を可能とする「自衛の措置としての武力の行使の新3要件」を閣議決定した2014年7月1日から5ヶ月余となっている。当然、戦争する自衛隊、戦争主体視した自衛隊への関心が高まっていていいはずだが、国の安全の確保74.3%に対して災害派遣が1位の81.9%を占めていて、明らかに災害救助主体と見る向きがより多数を占めていて、国民の平和主義の一端と安倍晋三の平和主義との大きな違いを窺うことができる。

 同じく自衛隊の活動に対して国民の意識を尋ねた2017年3月15日に調査票を郵送して4月24日までに届いた返送総数2077通・有効回答2020通となった2017年5月2日付の「朝日新聞世論調査」を見てみる。

 「自衛隊が海外で活動してよいと思うことに、いくつでもマルをつけてください」

 災害にあった国の人を救助する92%
 危険な目にあっている日本人を移送する77%
 国連の平和維持活動に参加する62%
 重要な海上交通路で機雷を除去する39%
 国連職員や他国軍の兵士らが武装勢力に襲われた際、武器を使って助ける18%
 アメリカ軍に武器や燃料などを補給する15%
 アメリカ軍と一緒に前線で戦う4%(以上)

 戦争する自衛隊と見ることになる「アメリカ軍と一緒に前線で戦う」は僅かに4%、対して災害救助する自衛隊と見ることになる、日本も含むはずである「災害にあった国の人を救助する」が92%も占めていて、上記内閣府調査よりも国民の平和主義がどこにあるかを色濃く物語っている。

 同調査の憲法に対する問を見てみる。

「憲法第9条を変えるほうがよいと思いますか。変えないほうがよいと思いますか」

 変えるほうがよい29%
 変えないほうがよい63%――

 他の世論調査でも、安倍内閣に求める政策の優先度で憲法改正は殆どが最下位を占めている。

 やはり自衛隊を災害救助主体と見る国民の割合が多数を占めていて、その割合がそのまま平和主義の質を決めることになっている。その平和主義の質は改憲意思に反映、その程度を現すことになる。

 安倍政権は2019年12月27日に中東海域で航行する日本関係船舶の安全確保のための情報収集を目的として海上自衛隊の護衛艦と哨戒機を派遣することを閣議決定したが、そのことに対する世論調査は賛成・反対いずれかが僅差で上回っているが、あくまでも目的が情報収集であって、不測の事態が発生して武器を使うことになる紛争に発展した場合、国民の平和主義から類推するに派遣中止の世論が湧き上がって然るべきであろう。

 当然、上記「第19回公開憲法フォーラム」で発言している、「例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています」はどちらかと言うと災害救助する自衛隊に対する信頼であって、戦争する自衛隊に対してではないことになる。

 かくまでも安倍晋三の自衛隊を戦争主体視した憲法改正意思とその平和主義の質が違いながら、「憲法改正について、最終的に決めるのは主権者たる国民の皆様であります」と、最終決定者を国民だとすることで改正の正当性を振り撒く一種のペテンに勤しんでいる。

 安倍晋三が自衛隊に対する国民の信頼は9割を超えているものの、「多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています」と言い、自身やその一派の自衛隊合憲の根拠は「憲法の番人は最高裁である」ことを理由にして砂川事件最高裁判決に置いている。

 2015年6月1日の衆議院憲法審査会。

 高村正彦「現在国会で審議をしている平和安全法制の中に集団的自衛権の行使容認というものがありますが、これについて憲法違反である、立憲主義に反するという主張があります。これに対して、昭和34年のいわゆる砂川判決で示された法理を踏まえながら、私の考え方を申し述べたいと思います。

 憲法の番人である最高裁判所が下した判決こそ、我々がよって立つべき法理であります。言いかえれば、この法理を超えた解釈はできないということであります。

 砂川判決は、憲法前文の平和的生存権を引いた上で『わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない』と言っております。

 しかも、必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておりません。ここが大きなポイントであります。個別的自衛権の行使は認められるが集団的自衛権の行使は認められないなどということは言っていないわけであります。

 当時の最高裁判事は集団的自衛権という概念が念頭になかったと主張する方もいます。しかし、判決の中で、国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えていると明確に述べていますので、この主張ははっきり誤りであります。

 そして、その上で、砂川判決は、我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う、こうはっきり言っているわけであります」――

 2015年6月26日の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する衆議院特別委員」

安倍晋三「平和安全法制について、憲法との関係では、昭和47年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は変わっていないわけであります。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
そこで、砂川判決とは何かということであります。この砂川判決とは『我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない』、つまり、明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断であります」――

 憲法の番人である砂川事件最高裁が下した自衛隊合憲説の判決だと、水戸黄門の葵の印籠並みのオールマイティを与えている。

 砂川事件は1957年のアメリカ軍の立川基地拡張に対する反対運動が旧日米安保条約に基づいたアメリカ軍の日本駐留が違憲であるか、合憲であるかのが憲法判断に発展したもので、高村正彦は最高裁判決を自分に都合のように色々と解釈を施しているが、判決文から自衛隊が合憲か違憲かに関してのみ取り上げてみると、どこにも合憲であるとも、合憲であると解釈させる文言も見つけることはできない。

 砂川最高裁判決が自衛隊をどのように憲法解釈しているか、その箇所を見てみる。文飾当方。

 「憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである

 要するに日本国憲法第9条2項が「その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指」すと、自衛隊を指して日本国憲法が保持を禁止している違憲の戦力であると判断している。

 但し「外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」との表現で日本駐留のアメリカ軍は日本国憲法第9条2項に言う「戦力には該当しない」とし、さらに他の判断も加えて、アメリカ軍の日本駐留は日本国憲法に違反していない、合憲であると判決している。

 高村正彦が都合の良い解釈をしている一例を挙げてみる。

 高村正彦「当時の最高裁判事は集団的自衛権という概念が念頭になかったと主張する方もいます。しかし、判決の中で、国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えていると明確に述べていますので、この主張ははっきり誤りであります」

 集団的自衛権に関する砂川事件最高裁の判断は、アメリカ軍の日本駐留を合憲とする解釈とも重なるが、次のとおりである。

 「右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、(サンフランシスコ)平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。」

 「(サンフランシスコ)平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認してい」たとしても、日本国憲法は第9条1項、2項でそれらの権利の承認を認めない構造を取っている。いわばそれらの権利に制約を加える役目を果たしていたのであって、「国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えている」などと砂川最高裁判決のどこにも述べてなどいない。

 当然、安倍晋三の「砂川判決とは『我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない』、つまり、明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断であります」にしても自己都合主義に彩った砂川判決解釈そのものであり、自己都合一色の自衛隊合憲説に過ぎない。

 憲法の番人として砂川最高裁判決に従うと、自衛隊は戦争主体としては実際は違憲ではあるが、市民権を既に獲得しているために違憲には見えないだけの話に過ぎないということになる。
 
 「多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています」と、さも自衛隊違憲論は間違っているかのような言説もデタラメなら、国民が望んでもいない、自衛隊を戦争主体視した憲法改正意思なのだから、「9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません」にしてもデタラメとなる。

 結局のところ、9条の2を設けて自衛隊を明文化することに成功すれば、自衛隊が憲法違反だと誰もが言うことができない状態にすることができて、例え9条1項と2項を手つかずにしておいて対置させたとしても、新安保法制で如何ようにも自衛隊を駆使できる、そのことが狙いの日本国憲法への自衛隊明記であろう。

 何もかもデタラメである。デタラメは安倍晋三の得意技である。

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