自由と人権と生活の保障に国境なし
9月28日の朝日朝刊の見出し、≪物価急騰で困窮 ガス輸出益 特権層に≫が今回のミャンマーの僧侶たちによる反政府デモの原因と国家のありようを最もよく言い表している。記事の内容を箇条書きにしてみる。
①デモの直接の引き金は8月15日の燃料価格の引き上げ。それがバス運賃に
跳ね返って2~4倍も上昇した。
②ミャンマーの平均月収は3万チャット程度だが、通勤のバス代が月4千チ
ャットにまで占めるに至っている。
③燃料価格の引き上げは政府による補助金の削減によるものだが、それが食
料品価格にまで波及して、生活を直撃している。
④多くの非効率な国営企業の赤字経営と「治安維持などのための」(と解説
しているが、実態は独裁権力維持のためのだろう)軍事支出が政府の財政
赤字の原因となっていて、燃料価格への補助金をカットせざるを得なかっ
た。
⑤首都移転に伴う莫大な経費と移転首都を機能させるための忠実な要員をつ
くり出すために公務員の給与を6~12・5倍程度に引き上げたことによる
国家財政の逼迫。
(移転首都を滞りなく機能させることが即軍政維持につながる最重要事項なのは言うまでもない。)
⑥96年からの米国及び欧州諸国の経済制裁、さらに03年の米国のミャ
ンマー制裁法の制定がミャンマーの経済に打撃を与えたが、中国の需要増
を背景とした 最近の天然資源価格の上昇が天然ガスを算出するミャンマ
ーに米欧の経済制裁に よる経済的打撃を上回る恩恵をもたらし、06年度
の輸出額は43億ドルと、90年の 10倍以上に膨らみ、一時は2億ドル程度
に低下した外貨準備高を06年度には12億 ドルまで伸ばしている。
⑦但し、潤沢となった国家の富が一般国民に公平に分配されることな
く、軍政を担う軍人や一部の政商といった特権階級の懐に滞り、以前から
の豊かな者がますます豊かになる構図を加速させるにとどまった。(見出
しの≪ガス輸出益 特権層に≫がこれに当たる。)
記事は<昨年11月には、最高実力者のタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の身内による豪華な結婚式の様子が明かになり、不評を買った。
同国では、一部の特権階級が利益を得る仕組みが以前からあった。例えば、通貨の公定為替レートと実勢レートには大きな開きがあり、公定レートにアクセスできる一部の政府関係者が、より少ない現地通貨でドルを手に入れることができる。
ガソリンも原則として割当制で、一部の高級官僚や軍人には多く割り当てられ、それを闇市場に流すことで利益を上げてきたとされる。>と伝えている。
最高実力者のタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の娘の超豪華な結婚式のビデオが1カ月後に世間に流出し、如何に権力上層部が豪華な生活を送っているか、一般市民の知れるところとなったとテレビが報じていた。
通貨の公定為替レートと実勢レートの差を利用して<より少ない現地通貨でドルを手に入れ>た<一部政府関係者>は多分それを実勢レートで現地通貨と交換するだけで、その差額を簡単に懐できる仕組みを利用していることだろうし、割り当てられたガソリンを闇市場に流して、その儲けを手に入れるといった地位に伴うあらゆる役得を利用した権力上層部の無数の小さな流れがやがて大河をなすような富の一極集中が国家財政の逼迫、補助金のカット、燃料費の高騰、諸物価への波及という流れをつくって国民生活の困窮を誘発しているということだろう
こうして見てくると、アメリカ・欧米諸国が経済制裁を科さなくても、その結果経済が順調に成長し、なお且つ近年の天然資源高騰で国がなおのこと豊かになったとしても、一旦味を占めた権力上層部の富の独占は簡単には手離すはずはなく、手離さないための唯一の絶対条件は軍事独裁権力の絶対維持であり、そのためにその富の一部を最大限利用する必要上(軍人給与や軍事予算への厚い手当て等々)、富の独占は続き、その当然の反動として国民に対する不公平な富の分配を従来どおりに付随事項とすることとなり、どう転んだとしても民主化に向かう要素は見い出し不可能となる。
このことは国民の飢餓・餓死に無頓着なキム・ジョンイル独裁の北朝鮮の国民支配の構造を見れば簡単に理解できることであり、サダム・フセインが独裁支配していた当時のイラクを見れば容易に類推可能となる。
サダム・フセインはかつて米国がイラクへの医薬品供給を止めた結果、どんなに多くの子供が死んだか知っているのかと、国連の経済制裁にさらされたイラクの窮状を訴えた。しかしサダム・フセインは治療薬に恵まれずに死んでいく「多くの子供」に金持ちにふさわしいモノを与えるイスラムの教えを政治権力者にふさわしくなく裏切って、大量の金塊・大枚のドル紙幣を隠し持ち、金や大理石を惜しげもなく使った豪勢な宮殿をいくつも所有する国家の富の独占・国家の富の私物化を図っていた。
また、9月27日「朝日」朝刊ミャンマー関連記事中の『キーワード ミャンマーと民主化運動』は、一方で国内の民主化運動に弾圧を加えながら、<その一方で、軍政は7段階の「民政移管計画」を表明。第1段階とされる新憲法の基本方針を決める国民会議(93年発足)が、9月に14年がかりで終了した。しかし、軍の権力維持のための内容がちりばめられているうえ、今後の日程も明らかにされていない。>と解説し、軍事政権の意志がどこにあるかを間接的に物語っている。<14年>という年月は「民政移管計画」が形式に過ぎず、長引かすための<14年>だったと言うことだろう。
このように独裁は国家の富の独占・国家の富の私物化と表裏一体の姿を取り、権力者たちは富の独占・富の私物化のために独裁を死守する意志を働かす。とすると、町村長官のミャンマー制裁を求める欧米の声に対して「今後議論するテーマだが、結果としてミャンマーが中国にだけ傾斜していく姿がいいのかも考えなければならない」(9月27日朝日新聞夕刊≪対ミャンマー 安保理議長が「懸念」≫)という言い分も、「いたずらに欧米の国と一緒になってたたきまわるのがいい外交なのか、という感じが前からしていた」(9月27日朝日新聞朝刊≪ミャンマーデモ 軍政包囲網じわり≫)なる言い分も、「ミャンマーが中国にだけ傾斜して」現在ミャンマー最大の支援国に鎮座していたとしても、中国が共産党一党独裁国家であることの親近性からある意味当然と言えるから、日本がこれまで対ミャンマー最大援助国であったことと、その膨大な対ミャンマー援助が民主化に些かも効果がなかったこととを照らし合わせて考えると、日本の外交姿勢を正当化する内容とまでなっていない。
2000年から小渕政権下で始まり、その後森喜朗政権が受け継いだ「教育改革国民会議」を文部大臣として主宰したのが町村信孝である。しかし何ら成果を挙げることができなかったし、なぜ無成果だったのかの検証も行わず、だからこそ安倍「教育再生会議」へと包装紙を取っ替えただけで中身の殆ど変わらない新装開店を遂げたのだが、町村信孝はそのような無能・無責任を裏に隠した澄まし顔で日本外交の無策を帳消しにすべく中国や欧米の対ミャンマー外交に責任を転嫁して何ら恥じない鉄面皮を曝している。
アメリカはミャンマーに新たな制裁を科し、非難を強めているが、中国・ロシアが今年1月の国連安保理でのミャンマー非難決議案に「内政不干渉」を理由に拒否権を発動し、そのような中ロの「内政不干渉」政策が欧米の制裁の効力を奪っている。しかし<同じく中国と関係の深いスーダンのダルフール問題のように、08年の北京オリンピックと絡めて人権批判を浴びることは避けたい>(07.9.27『朝日』朝刊≪ミャンマーデモ 軍政包囲網じわり≫)意向から、<最近は国際社会からの視線を意識して、ミャンマーに民主化を促す姿勢も見せ始めている>(同記事)ということだが、同時にミャンマーが民主化されて親米政権が成立することを恐れてもいるということだから、程々に民主化を求める姿勢に終わる公算が高い。ミャンマーにしてもゴマカシの民主化で中国の要求に応えて国際社会を宥めるといった手を使うに違いない。何らかの形の政変が起きない限り、至高最大の甘い蜜と化している権力と富を手離そうとしないだろうからだ。政変の予防は国民に対する締め付けしか手はない。締め付けが非難されたら見せ掛けの民主化でその場を凌ぎ、国民が見せかけの民主化に乗って反政府の態度を見せたなら、再び締め付けるという機に臨み変に応じる場面転換を既定路線とするに違いない。これまでも演じてきた似たり寄ったりといったところだろう。
中国やロシアの「内政不干渉」主張に対抗するには単に経済制裁を手段に民主化を求める姿勢だけではなく、「内政不干渉」主張を打ち破る対抗理論を構築する必要があるのではないだろうか。
国籍・人種に関係なく、すべての国民・全世界のすべての人間は十全に生き、十全に活動する権利を有する。十全な生命・十全な活動は自由と人権と生活の保障によって可能となる。このことは自由と人権と生活を十二分に保障していない北朝鮮やミャンマーの国民の姿が証明し、かつてのサダム・フセイン独裁下のイラク国民の姿が証明している。
十全に生き、十全に活動する権利が国籍・人種に関係なくすべての国民・全世界のすべての人間に等しく保障されるべきものであるなら、自由と人権と生活の保障は国境を超えて賦与されるべき権利としなければならない。そうである以上、自由と人権と生活の問題に関して「内政不干渉」の立場を取ることは「十全に生き、十全に活動する権利が国籍・人種に関係なくすべての国民・全世界のすべての人間に等しく保障されるべきものである」とする理想を否定する態度となる。
いわば自由と人権と生活の保障に国境を設けてはならないとしなければならないわけで、国境を設けないことによって自由と人権と生活の保障の問題に関しては「内政干渉だ」とする非難はその有効性を失い、「内政不干渉」政策で以って傍観的態度を取ることも、その正当性を失う。
こういった理論を確立させて世界的合意とする運動を起こし、中国・ロシアに認知させる。そういう方向を取るべきではないだろか。
もし中国が内政干渉に当たるとして軍政当局の人権抑圧に鈍感でいられるとしたら、1989年に中国当局が天安門事件で見せた人権感覚から何ら進歩していない不感症状態にあるとの批判をぶっつけ、もし中国が<スーダンのダルフール問題のように、08年の北京オリンピックと絡めて人権批判を浴びることは避けたい>としているなら、ミャンマーの民主化に対する態度次第では、国際オリンピック連盟に対して北京での開催を中止するよう圧力をかけるべきだろう。
オリンピック精神は自由及び人権と深く関わっているはずである。安定した生活も保障されなければならない。そうである以上、自由と人権と生活が保障されていない国の人間が打ち立てた如何なる好成績も、それが世界記録であっても、独裁権力の特別な保護のもとに可能となった記録だろうから、その価値は独裁政治同様に認めることはできないだろう。当然自由と人権と生活の保障に不感症な国家にオリンピック開催の資格はないことになる。
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参考に『朝日』の記事を引用し。
◆ミャンマー経済失政 不満爆発
物価急騰で困窮 ガス輸出益 特権層に(07.9.28『朝日』朝刊)
【バンコク=高野弦】ミャンマー(ビルマ)の軍事政権に対するデモは27日も続き、新たに死傷者を出した。僧侶と市民が連帯して立ち上がった背景には、政治的な自由を求める声とは別に、軍政が失敗した経済運営に対する生活者として鬱積した強い不満があったとされる。天然ガスなど豊富な資源を抱えながらも、急激な物価上昇により人々の生活は困窮化。今回の値上げを機に一気に爆発したと見られる。
デモの直接の引き金になったのは、8月15日の燃料価格の引き上げ。バスの運賃だけでも2~4倍に上昇。現地の日本人駐在員は「ミャンマーの平均月収は3万チャット(実勢レートで1米ドル=約1350チャット)程度なのに、通勤のバス代が月4千チャットまで跳ね上がった」と過度な負担増を指摘する。
価格上昇は食品などにも及び、主食のコメは5%程度、ジャガイモやトマトなどは60%程度値上がりしたという。市民の困窮で、托鉢で暮らす僧が同情し、互いの連帯を強めたとの見方もある。
燃料価格の引き上げは、政府による補助金の削減によるものだ。
非効率な国営企業がなお多くを占めるミャンマーでは赤字企業が多く、税収が上がりにくい構造になっている。日本のアジア経済研究所によると、国内総生産(GDP)費で毎年5%程度の財政赤字を出し、中でも石油公社の赤字は全公社の赤字の14%程度を占めるという。
また治安維持などのため、軍事支出が増える傾向にあり、予算に占める軍事費の割合は3割程度を占め、教育費の倍以上にのぼる。
ミャンマーの消息筋は「原油価格が世界的に上昇する中で、財政負担が増え、補助金をカットせざるを得なかったのではないか」と見る。
04年に9%程度だったインフレ率は05~06年にかけて20%~30%程度にのぼった。昨年4月、首都をヤンゴンから300キロ以上離れたネピドーに移したのに合わせ、公務員の給与を6~12・5倍程度に引き上げた。移転に関わる支出は財源を圧迫し、債券の発行のみならず、紙幣の印刷でまかない、インフレを加速させたのと指摘もある。
03年に加速した米国による経済政策も打撃となった。米国への輸出のほか、国内への投資も滞り、経済は先細りする一方。停電は日常茶飯事の出来事になっている。
尤も、中国の需要増を背景とした最近の天然資源価格の上昇は、天然ガスを算出するミャンマーにも恩恵をもたらしている。06年度の輸出額は43億ドルと、90年の10倍以上に膨らみ、一時は2億ドル程度に低下した外貨準備高は06年度には12億ドルまで膨らんだ。
ただこうして得られた富の分配の仕方にも問題があったようだ。同国の事情を知る経済界の関係者は「一部の政商と軍人の手にとどまり、豊かなものがますます豊かになった。それを目の当たりにしたことも、市民の不満が爆発した背景にあるのだろう」と話す。
昨年11月には、最高実力者のタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の身内による豪華な結婚式の様子が明らかになり、不評を買った。
同国では、一部の特権階級が利益を得る仕組みが以前からあった。例えば、通貨の公定為替レートと実勢レートには大きな開きがあり、公定レートにアクセスできる一部の政府関係者が、より少ない現地通貨でドルを手に入れることができる。
ガソリンも原則として割当制で、一部の高級官僚や軍人には多く割り当てられ、それを闇市場に流すことで利益を上げてきたとされる。
燃料価格に対する今回の補助金の削減を「補助金が反映された割当価格と、闇価格の差をなくし、透明性を高めるための改革の一環」(関係者)と見る向きもあるが、国民に対する説明が一切なく、却って混乱を招く要因になった。
キーワード ミャンマー
インドシナ半島西部、タイの西隣に位置し、人口約5300万人。面積約68万平方キロ(日本の約1・8倍)。英領インドに編入。日本軍による侵攻を経て1948年、英国との交渉で完全独立。
89年、英国人の発音から、現地の発音に沿った形で国名をビルマからミャンマーに、当時の首都ラングーンの名称をヤンゴンにそれぞれ変更した。首都はネピドーに移転した。
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◆時時刻刻 ミャンマーを注視 (07.9.28『朝日』朝刊)
緊迫の度を増すミャンマー情勢を国際社会が注視し、動き始めた。親米政権の成立を警戒しつつ、圧力を強める国際世論を無視できなくなってきた軍事政権最大の後ろ盾の中国。「人権」を武器に一気の民主化も視野に入れる米国。一方で、過去に対ミャンマー非難決議案を否決している国連安全保障理事会では、情勢次第で新決議沙汰国動く可能性も出てきた。
(北京=板尻信義、ワシントン=野島剛、ニューヨーク=松下佳世)
五輪を控え板ばさみ 中国
「中国はミャンマーの各方面に対し、自制を保持し、いま起きている問題に適切に処理することを希望している」
中国外務省の姜瑜副報道局長は27日の定例会見で、これまでより一歩踏み込んだ表現で軍事政権などに自制を求めた。
その一方で、海外メディアによる中国批判の報道は「中国に対する辱めだ」と反発し、国際社会の厳しい視線に神経を尖らせていることをうかがわせた。
ミャンマー軍事政権にとって、隣国で最大の支援国でもある中国は「後ろ盾」といえる存在だ。それだけに、中国が影響力を行使することへの期待も大きい。しかし、東で国境を接する北朝鮮と同様、西で国境を接するミャンマーは中国にとってインド洋への窓口でもあり、安全保障上の重要な友好国だ。
ミャンマーとは中国石油天然ガス集団公司(CNPC)が今年、天然ガス田のガス購入権や中国に向けたガスと石油のパイプラインの建設などで合意した。これらが完成すれば、マラッカ海峡を通らない中東への輸送路を中国は確保できる。
ミャンマーへの武器供給や軍事技術の支援も中国は積極的とされ、人民解放軍とミャンマー軍事政権の関係の深さは「中国共産党と朝鮮労働党の間柄に似ている」との指摘もある。
ミャンマー情勢の混迷化で中国が最も懸念しているのは「第2のダルフール化」だ。史上最悪の人道危機といわれたスーダンのダルフール問題では、政治・経済・軍事的につながりの深い中国が同国への同国への制裁に消極的だったことから批判の矛先を向けられ、「08年の北京五輪をボイコットすべきだ」との声も欧米諸国の一部では上がった。
中国は今年1月米英がミャンマー軍政非難決議を提出した際、国連安保理で「内政不干渉」を理由に、8年ぶりの拒否権を行使してまで採択を阻止した。だが、今回、事態がさらに悪化した場合には、北朝鮮が核実験を強行した昨秋のように「制裁」に賛成するか、軍事政権を擁護して孤立化するかという二者択一を迫られる危険性もある。
中国にとっては軍事政権が転覆し、ミャンマーに親米政権が誕生することは好ましくない。当面は制裁論議と距離を置きつつ、事態の沈静化と軍事政権の継続につながる「建設的な支援」(姜副報道局長)を国際社会に呼びかける構えだ。
人権を重視圧力を強める 米国
民主化や人権を重視し、軍政を「恐怖政治」と毛嫌いするブッシュ政権は、今回の事態で「我々の懸念が現実になった」(政府高官)と受け止め、軍政と近い中国やインドなど周辺諸国への圧力を強めている。
米政府内には、88年の弾圧では沈黙を守った中国らも今回ばかりは一定の対応を取らざるを得ないとの見方がある。
中国は来夏に北京五輪を控え、僧侶への弾圧光景が89年の天安門事件の記憶を呼び起こすことを嫌う、との読みだ。米印関係も88年当時と比べて大幅に改善し、東南アジアでも民主化が進むなど国境環境は変化した。
「(ミャンマーの)隣人たち、特に中国やインドの役割は重いと思います」「中国は周軍たちに国を変えるチャンスだと呼びかけて欲しい」
ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんを敬愛するというローラ米大統領夫人は26日にラジオ出演し、中印の影響力行使を繰返し呼びかけた。米国には亡命者などミャンマー出身者も多く、大統領よりも高い好感度を持つ夫人の言葉は世論を動かす力を秘める。
世論を利用する手法はダルフール問題で実証済みだ。スーダン政府と中国の密接な結びつきを批判する声がハリウッドから広がり、中国は国連平和維持軍を受け入れでスーダン政府の説得に回ったと言われる。米国は「軍政のキー・パートナーたち」(国務相のケーシー副報道官)と位置づける中国などへの説得工作を続け、包囲網を構築する戦略と見られる。
新決議は現地報告次第 国連
すでに独自の制裁を科している米国などは、今回の騒動を機に国連憲章代7章に基づく決議を採択し、制裁を国連の全加盟国に義務づけることを狙っている。そのためには、ミャンマー問題が国際的脅威であることを安保理が認定することが前提となる。.
だが、26日に開かれた安保理の緊急会合でも隣国・中国は「地域の脅威ですらない」との考えを改めて示した。安保理の行動としては最も軽いとされてきた「報道声明」よりもさらに弱い非公式な声明にしか同意せず、「非難」を盛り込むことも許さなかった。
だが、その中国にも、人道状況がさらに悪化すれば軍政を擁護しきれないという認識はある。
中国の王光亜・国連大使はこの日、「ミャンマーの安定と国民的和解、民主化に向けた進展を望む」とも述べ、ミャンマーに緊急派遣されたガンバリ国連事務総長特別顧問に期待を示した。
ガンバリ氏の帰国報告の内容次第では、中国は非難決議に同意するのではとの見方もある。
東南アジア諸国連合(ASEAN)のメンバーで、1月の決議案採択で棄権したインドネシアノナタレガワ国連大使も同日、軍政に「最大限の自制を求める」と発言し、ASEANとして問題解決に積極的に取り組む考えを示した。1月に拒否権を行使したロシアも、中国の対応次第では態度を変える可能性はある。
日本
福田首相は27日、記者団に「解決するには一体何をしたらいいか、外務省で一生懸命考えている最中だ」と述べた。町村官房長官も会見で「ミャンマー政府に強圧的に実力行使をしないように求めている」と語った。
日本は89年に軍事政権を承認、援助してきた。03年にスー・チーさん拘束後、民政移管を求める形で新規援助を停止したが、05年度に約17億円の無償資金協力をするなど主要援助国の一つだ。
「経済援助や投資を通じて静かに変化させるほうが近道」との立場で、制裁に傾く欧米と一線を画してきた。
日本も自制促せ 英タイムズ紙社説
【ボーンマス(英国)=大野博人】英国の有力紙タイムズは27日、「独裁性を白日の下に 中国、日本とASEANはビルマに自制を促せ」と題した社説を掲載し、「人々がさらなる弾圧から守るために」影響力を行使するべきだと訴えた。
ミャンマー政府への影響力は、批判的な姿勢が明確な欧米より、近隣諸国や貿易相手国の方が大きいと指摘。日本については、中国と同様、エネルギー資源のためにミャンマーの「歓心を買おうとしてきた。歴史的におとなしく友好的に見えるこの国に温かい感情を抱いている」と述べ、そう感じるなら弾圧阻止に乗り出すべきだと主張している。
ミャンマー軍事政権に対して
中 国・・・・・・・・・経済・軍事などで支援
ロシア・・・・・・・・・原子力分野で協力
日 本・・・・・・・・・05年度に17億円余りの無償資金
協力をするなど多額の援助
東南アジア諸国連合・・・民主化促進を要求
ASEAN
米 国/欧州連合(EU)・人権抑圧非難
自律性(自立性)は主体性・自主性を基盤とする
大相撲の時津風部屋の力士、時太山(ときたいざん)が入門して2ヶ月の名古屋場所前の6月26日、愛知県犬山市内の宿舎で兄弟子たちから暴行を受けて17歳の若さで死亡した事件。9月26日(07年)の時事通信社のインターネット記事は次のように伝えている。
≪今も残る「制裁」=問われる角界の体質-時津風部屋暴行事件≫
<大相撲の時津風部屋で6月に若手力士が死亡した問題は、師匠の時津風親方(元小結双津竜)らが刑事立件されるという異例の事態に発展する可能性が出てきた。死亡との直接の因果関係は別としても、角界の指導の在り方が厳しく問われそうだ。
相撲部屋には「かわいがり」といって、特定の若手を集中的にしごく慣習がある。親方衆らによると、純粋に期待の若手を鍛える場合と、脱走や盗みなどの不始末をした者への制裁として行う場合があり、後者は辛抱の重要性や集団生活のルールを教え込むのが目的で、鉄拳や竹刀を振るうことも多いという。
制裁は近年、減る傾向にあった。若い力士の心身がひ弱になったことや、アットホームな雰囲気の少人数の部屋が増えたこと、厳しい指導を望まない親が増えたことなどが理由だ。
しかし、時太山の場合は、時津風親方らが再三の脱走を理由に挙げており、普段ならけいこが終わる時間帯に事故が起きている点などからも、何らかの制裁だったとみてよさそうだ。親方らの供述通りなら、ビール瓶で殴るなど、けいこの延長線上ではない暴行も加えられたことになる。
スポーツの世界では、しばしば「愛のムチ」が正当化されてきたが、こうした制裁の慣習が残る社会が、今の時代に受け入れられるのか。角界は「厳しさ」の意味を見詰め直す必要に迫られている。(了)>
記事中の<若い力士の心身がひ弱になった>、<厳しい指導を望まない親が増えた>といった状況を同じ時事通信社の9月26日インターネット記事≪独自の調査、議論を=力士急死、スカウトにも影響-大相撲≫)が<「少し厳しくすると親に電話をかけ、親が迎えにくる力士がいる」「親から、訴えてやると言われた」>といった実態例で説明している。その結果<相撲部屋の指導はかつての面影がないほど甘くなり、有望力士が育ちにくくなった。>(同記事)と。
だが、<辛抱の重要性や集団生活のルール>は人が教えて身につくものではなく、自らが学び取るべき資質であろう。例えば上位力士であっても、本場所中の取組みで不利な体勢を強いられて辛抱すべきところを辛抱しきれずにあれこれ仕掛けて裏目に出るといったことがよくあるが、それは辛抱が厳しい稽古に耐えるだけで身につくといった種類のものではないことから起きる。真の辛抱とは精神面の資質を言うはずである。
厳しい稽古は肉体が許すなら受身の姿勢でも凌ぐことができることから、肉体面での耐性はついても、それが精神面の耐性につながる保証とはならない。要求されて示す肉体面での辛抱は単に肉体的に従うだけの形式を取るに過ぎない。
「ああ、あの時もう少し辛抱すべきだったけど、つい焦って仕掛けてしまった」と後になって述懐する。弟子のときの竹刀やあるいはビール瓶で殴られた訓練が辛抱の育みに効果がなかったことの証明でもある。
また<集団生活のルール>にしても、自分から学び取ったものではない規範は状況次第で簡単に崩れる。
事件は9月26日のasahi.com記事≪時津風親方を立件へ 力士急死巡り傷害容疑 愛知県警≫を見ると、さらに詳しく知ることができる。
<県警は、親方や同部屋の力士ら関係者から、任意で事情を聴取。死亡前日の25日午前、斉藤さんは部屋を逃げ出そうとして兄弟子らに連れ戻された。こうした斉藤さんの態度に腹を立てた親方が、力士らとの夕食の席上、ビール瓶で斉藤さんの額を殴り、切り傷を負わせていたことがわかった。その後、けいこ場の裏手で兄弟子数人が斉藤さんを取り囲み、数十分にわたって殴るけるの暴行を加えたことも、親方らは認めているという。
26日は午前7時半ごろからけいこの予定だったが、斉藤さんは起きてこず、午前11時10分ごろ兄弟子とぶつかりげいこを開始。約30分後に土俵上で倒れたが、119番通報がされたのは午後0時50分ごろで、それまでは近くの通路に寝かされていたという。>
「かわいがる」という名のもとの制裁で時太山が受けた傷を9月26日のライブドアニュース≪[時津風親方]「通常のけいこ」一転 遺族に暴行認める≫)で見てみると、<今年6月26日深夜、亡くなった愛知県犬山市のけいこ場から自宅に運ばれた斉藤さんの遺体の傷を目にして、遺族は言葉を失った。割れた額、腫れ上がった顔、全身に無数のあざ、足にたばこを押しつけたような複数の跡――。
無残な遺体を前に、時津風親方は「通常のけいこだった」と遺族に説明した。正人さんは「普通のけいこじゃないと思った。あれじゃ幕内力士でも死んでしまう。相撲のけいこの名の下に殺されたんだ」。抗議したが、親方の説明は変わらなかった。
しかし8月6日、時津風親方は斉藤家を訪れ、一転して正人さんら遺族に自分や弟子の暴行を認めたという。>と伝えている。
9月27早朝の「日テレ24」は時津風親方へのインタビューを伝えている。「大事な子どもを死なせるようなことは私はしませんよ、正直言って。何がいけないって言われてもですね、正直言って、今答えようがないですよ。別に普通どおりっていう頭ありましたんで・・・・」
「正直言って」と言う言葉が如何に当てにならないことか。
<一転して正人さんら遺族に自分や弟子の暴行を認めた>のは警察の取り調べですべて認めることになったからだろう。最初の「大事な子どもを死なせるようなことは私はしませんよ」という態度から判断すると、散々に追及されて、認めざるを得ない状況に追い込まれた挙句の自白だったに違いない。死亡した後、時津風親方は葬式はこちらに任せてくれと親に言い、親が断って遺体を引き取って体の傷に気づいたことから、証拠隠滅のために自分の方で火葬に付そうとした疑いまで出ている。何という性悪。
上記「ライブドアニュース」が「元NHKアナウンサーで相撲ジャーナリストの杉山邦博さんの話」なるものを伝えている。
「極めて残念だ。相撲の世界は厳しさの中にも師弟関係を大事にし、激しい稽古の中で時に良かれと思って厳しく指導することは過去にもあった。まれに竹刀などを使って厳しく指導した場合もあったが、当然、度を超してはいけない。今回はその範囲を超えて、ある種の制裁的なこともあったやに聞いている。厳しさが求められる勝負の世界で、過保護の時代を反映してややもすると指導が甘すぎるという批判もあるが、だからといって今回のようなことは決してあってはならない。協会も大切な子どもさんを預かっているのだから、配慮の行き届いた指導が望まれる」
16、7歳の少年を「子どもさん」と言う感覚。例え主体性・自主性を備えていなければならない一個の人間と見ることができない程に人間的に幼稚であったとしても、一個の人間と扱うことで、相手に個の意識を自覚させることができる。相手が未成年者の下の者であっても、一個の人間と見ることができない〝幼稚さ〟が杉山某にはある。
テレビや新聞、それに相撲ジャーナリストの杉山某が言うように暴行死は単に厳しい指導が度を越したといった問題なのだろうか。「過保護の時代を反映してややもすると指導が甘すぎるという」状況を快く思っていなくて、そのことへの「批判」から生じた、指導は厳しさを以って旨となすの「かわいがり」がついエスカレートして「かわいがり」過ぎて死なせてしまったといった事柄なのだろうか。
このような論理は時太山が「再三」部屋から逃げ出し、親に説得されて親と共に部屋に戻り、親共々親方に謝罪の頭を下げているイキサツから、強い力士に育てる必要条件としての厳しい指導に対して、そのような厳しい指導を生理的に受け付けない今の若者の柔な資質とのミスマッチが引き起こした予期しない行き過ぎだったで片付けることになりかねない。
日本人は大相撲に限らず、ハードトレーニング、スパルタ式トレーニングを好む。民族性から来ているのだろう。それが許される状況にあるなら、体罰まで加えてハードな練習を課す。現在の時代的に許されない状況下でも、時折り体罰まがいの練習や直接的な体罰そのものが露見して、問題となることがある。試合に負けて、たるんでいる、緊張感がなかった、勝とうという意欲がなかった、格下のチームに負けてだらしがないと言って、試合後に殴ったり、あるいは運動場を何周という制裁のための過度なランニングを強制したりする。
このような構図から窺えることは、監督が選手に、大相撲で言うなら、親方が弟子にすべてを任せることができない姿がそこにあるということではないだろうか。上達するもしないも本人次第、試合(取組み)に勝つも負けるも本人の意欲・気力次第だと任せる。任せる厳しさと任せられて自分で一つ一つ解決していかなければならない厳しさがぶつかり合って、そこに技術的な強さと精神面の強さが生まれてくるのではないのだろうか。
そもそもからして制裁・体罰の類はそれを加えられる側が内心は反発していたとしても受容する姿勢にあるときに成立する。いわば体罰を加える側と加えられる側が支配と被支配の関係(言うことを聞かす者と言うことを聞く者との関係)にあることを条件としている。ハードトレーニング、あるいは厳しい稽古にしても、指導する側と指導される側が言うことを聞かすことと言うことを聞くことという支配と被支配の関係になければ、成立しない。
支配と被支配の関係は相互に自律(自立)していない関係を言う。上が下を従わせ、下が上に従う権威主義を両者間の行動力学としているからだ。
支配が厳しい稽古やハードな練習によって強まれば強まるほど、相互の自律(自立)性は狭まっていく。指導する側が指導を受ける側にすべてを任せることができないから、自らの自律性(自立性)を自ら狭めて指導という支配を強め、その支配を受け入れることによって、指導を受ける側も自らの自律性(自立性)を狭めていく。言ってみれば、指導や練習を厳しく要求すればする程、自律性(自立性)は相互縮小が進む。
大相撲で言うなら、親方が自律(自立)していないから、弟子の稽古に口出ししないでいられず、親方の非自律(自立)性を受けて、弟子も自律(自立)できない関係となっているということではないだろうか。
一通りの稽古方法を教えて、あとは足りないところをああしたらいいじゃないのか、こうしたらいいじゃないかといったアドバイス程度にとどめて、強い相撲取りになるもならないも本人の努力次第だと、その自律性(自立性)に任せることができない。自律性(自立性)とは反対の支配意志が働き、指導という名のもとにあれこれと厳しく世話を焼く、あるいは「かわいがる」という名目で稽古を利用して兄弟子たちに弟弟子を痛めつけさせる。
自律(自立)していないから親方にしても兄弟子にしても下の者に対する指導という名の命令・支配でしか自己の力、自己存在を証明できない。
今の若者は我慢強くない。飽きっぽい、ひ弱だという先入観――これも本人の自律性(自立性)に任せることができない支配意志を生じせしめる原因となっている。
「Sankei Web」の9月26日の記事≪相撲部屋の聖域、けいこ場にメス “愛のむち”逸脱?≫、<大相撲におけるけいこの厳しさは、昔からの伝統だ。親方や兄弟子が竹刀で殴るのはよくあることで、力士が血を流し、気絶寸前の状態になることも、相撲部屋では少なからず見られる。
ただ、その過程で一人の尊い命が失われたとなれば話は全くの別問題だ。
“制裁”と“愛のむち”を混同してはならない。>は、<その過程で一人の尊い命が失われ>なければ、<昔からの伝統だ>だ、<“愛のむち”>なら許せるとしている。親方や兄弟子たちの下の者たちに対する任せることのできない典型例を図らずも示している。
相撲協会(北の湖理事長)が<警察の捜査を理由に協会としては独自には調べないことと、身内による「力士指導に関する検討委員会」を設置する方針を決めた>ことに対して、文科省が<①自ら真相究明して必要な処分をする②過去の類似例を検証し、再発防止策を検討する③協会の「力士指導に関する検討委員会」に外部の識者を加える――ように指導した。>(9月29日『朝日』朝刊≪相撲協会に文科省指導 力士急死の究明求める≫)という関係は、自分たち協会の問題、大相撲の問題なのに自らは主体的・自主的に動かない姿勢であったにも関わらず文科省の指導で動くのは文科省の支配を受けることを意味し、このことはそのまま相撲協会の非自律性(自立性)を証拠立てる文科省と相撲協会の支配と被支配の関係であろう。
【支配】「意志・命令・運動などが、ほかの人間や物事を規定し束縛すること」(『大辞林』三省堂)
身体ばかり大きくても、大人になり切れていないと言うことである。この場合の大人とは単に年齢的に成長した人間のことを言うのではなく、主体性・自主性と響き合わせた自律性(自立性)を備えるに至った人間のことを言う。
内閣の政策と異なる政策を党内であからさまに言い出すと、自民党は独裁政党ではないから、異なる考え・意見があっても不思議はないとか、派閥の決定に従わない所属員が生じると、かつては鉄の結束を誇ったが、派閥は独裁組織ではないから、派閥の決定に絶対従わなければならないわけではないと言う。自由民主党は名前の通り、自由な組織なんだと。
「独裁ではない」ということは、ごく当然のことだが、思想・信条の自由を認め、原理・原則のルールとしているということだろう。
小泉内閣で政府が提出した郵政民営化法案に反対票を投じ、あるいは棄権したために解散総選挙で自民党公認を得られなかったばかりか、自民党の全面的なバックアップを受けた、いわゆる刺客なる対立候補を立てられて落選組まで生じせしめ、党除名や離党勧告を受けて自民党を追われた国会議員をつくり出したが、自民党の思想・信条の自由は法案採決前までで、採決を境に異なる姿勢・異なる意見を一切認めない限定つきの保障のようだ。
アメリカでは共和党の法案に民主党議員が賛成票を投じたり、その逆もあり、自己の所属する党の法案に反対したりといったことがごく当たり前のように行われていると思うのだが、日本の自由民主党の場合は最終的には個人は党によって思想・信条の自由を取り上げられた場所に置かれているようだ。何と窮屈な思想・信条の自由なのだろうか。
法案を賛否にかけるまでの思想・信条の自由でありながら、「自民党は独裁ではないから」とことさらに断る。制限付をカモフラージュする口実なのか、許されている場所があることをせめて訴えたいからなのか、どちらにしてもわざわざ断らなければならないところが苦しい。自然な形で全面的に許されていないことがことさらの断りを生じせしめているに違いない。
このことは自民党だけのことなのか、他も党も似たり寄ったりなのか、後者なら、日本の政党は思想・信条の自由が空気のような存在となっていないことを示す。
日本には「党議拘束」という思想・信条の自由を制限する規定が存在する。Wikipediaで自由民主党の「党議拘束」を見てみると、自由民主党の<総務会は31名の総務をもって構成され、党の運営及び国会活動に関する重要事項を審議決定する。幹事長を始めとする党内人事の指名に関する承認権限も持っているが、総裁や幹事長の指名を追認する事例が殆どである。また、総務会が党の役員会に決定を一任する事例もある。政府が国会に提出する政府案は閣議決定前に総務会で事前承認されることが原則となっている。総務会で可決された案には「党議拘束がかからない」とする旨の文言がある場合を除いて、党議拘束がかかる慣例となっている。また、党則では総務会は多数決が明示されているものの、党内に亀裂を残さないために全会一致を原則とすることが慣例化されており、議題に反対する総務がいても反対意見を述べた上で退席し、形式的に全会一致としていた。総務会決議による党議拘束を解除するには、党則によると党大会もしくは両院議員総会における議決が必要であるが、過去に例はない。
小泉純一郎が総裁に就任してからは、総務会による事前審査なしでの政府案提出や多数決による採決が行われるようになってきている。>
<総務会で可決された案には「党議拘束がかからない」とする旨の文言がある場合を除いて、党議拘束がかかる慣例となっている。>の<「党議拘束がかからない」とする旨の文言>なる規定は、<議題に反対する総務がいても反対意見を述べた上で退席し、形式的に全会一致としていた。>と同じく形式的な規定に過ぎないのだろう。形式的でなければ、全会不一致もいいわけで、全会不一致が許されるなら、国会の場での反対も許されることとなって、「党議拘束」は不要となる。だが、そうはなっていない。
このことは小泉内閣が自ら提出した郵政民営化法案に反対した自民党国会議員に対して除名・離党勧告を行い、反対に対する懲罰を厳しく行ったことが証明している。議員それぞれの思想・信条の自由を抹殺したのである。
一見すると、<小泉純一郎が総裁に就任してからは、総務会による事前審査なしでの政府案提出や多数決による採決が行われるようになってきている。>という説明は総務会の思想・信条の自由に対する規制を緩めたようにも解釈できるが、郵政民営化法案採決で思想・信条の自由を否定し、造反議員に懲罰まで与えた独裁意志から判断すると、総務会の「党議拘束」の権限が小泉純一郎に移って、「小泉拘束」としたということではないだろうか。
だから、福田新内閣の伊吹幹事長が「平沼復党」に前向きであっても、小泉首相が伊吹氏と平沼氏がかつて同じ派閥に所属していたことを念頭に「党のためになるかどうかを第一に考え、ときには友情を切る非常さも必要だ」(07.9.27日テレ24)と懲罰を与えた本人として反対しているのも、採決の時点では思想・信条の自由を許さない「小泉拘束」を今以て効力あるものとしていることの証明でもあろう。前の復党でも、小泉純一郎が遠まわしな言い方で反対したことを武部前自民幹事長は伝えている。
「私はねえ、さっき小泉総理と会いました。心配してましたよ。既得権者の票を当てにして、絶対参議院は勝てっこないと言ってましたよ」
自民党執行部が平沼復党には「郵政民営化を支持する文書の提出が必要だ」としているのは前の復党劇と同様の〝踏み絵〟を要求する行為であって、あるべき思想・信条の自由を自ら侵すものだろう。前の場合は次のような条件を掲げた。
①郵政民営化を含む「政権公約2005」の遵守
②安部総理の所信表明演説への支持
③党紀・党則の遵守
だが一方で、現職である平沼氏と落選組の復党は分けて考えているということは、選挙や頭数を基準とした復党で、思想・信条の自由の観点からの修復とはなっていない。依然として思想・信条の自由から離れた場所で相互の利害を角突き合わせているに過ぎない。
小泉元首相にしても、平沼復党反対は自分が決定した離党勧告であることと、復党した場合、いわゆる小泉チルドエレンに不都合が起こる懸念からの「ときには友情を切る非常さも必要だ」であって、思想・信条の自由からの観点からではないことははっきりしている。懲罰自体が思想・信条の自由にツバ吐きかける独裁行為だったからである。
「日本を最大の援助国」としたことの訂正及び謝罪
9月23日の当ブログ記事≪麻生の日本の伝統・歴史に優越性を纏わせた「誇れる国日本」≫で<「軍事独裁国家ミャンマーに対しても日本は現在でも最大の援助国である>と書きましたが、間違えた情報でした。謝罪して訂正します。
9月27日の朝日新聞夕刊の≪対ミャンマー 安保理議長が「懸念」≫の記事には、≪実力行使の自粛を要望≫の小見出しで、<町村長官は27日の記者会見で、ミャンマーの反政府デモで死者が出たことについて「大変遺憾だ。ミャンマー政府に対して、強圧的に実力行使を求めないように求めたい」と述べた。外務省が駐日ミャンマー大使を呼び、冷静な対応を求めるとの見通しを示した。
また町村長官は、ミャンマーへの最大の支援国は中国だと指摘。欧米でのミャンマー制裁を検討する動きについて「今後議論するテーマだが、結果としてミャンマーが中国にだけ傾斜していく姿がいいのかも考えなければならない」と述べた。>と出ていて、現在のミャンマー最大援助国は中国ということです。
同じ日の(9月27日)朝日新聞朝刊の≪ミャンマーデモ 軍政包囲網じわり≫には、<ミャンマー問題は民主化外交を掲げるブッシュ政権にとって象徴的な問題だ。03年にはミャンマー制裁法を制定して同国との貿易、金融取引を規制。米国人の投資や旅行も制限している。
だが、民主化運動指導者アウン・サン・スーチー氏や政治犯の解放という条件をのまない限り対話に応じないという強硬姿勢は、結果的にミャンマーを中国やロシア、インドとの関係強化に追いやったといえる。
その結果、最近は国際社会の対応が割れ、国連安保理で今年1月に米国などが提案したミャンマー非難決議案も中ロによる拒否権で否決された。>と出ていて、町村長官の「結果としてミャンマーが中国にだけ傾斜していく姿がいいのかも考えなければならない」とする懸念の根拠を示す内容となっている。
同じ記事は最後に<日本とミャンマーは経済協力の分野での結びつきは強い。日本は54年以来、ミャンマーに対して経済協力を行ってきた。03年にスー・チー氏が拘束されて以降、新規案件の実施は見合わせたが、緊急性が高く人道的な一部の案件は実施している。>
<日本は54年以来、ミャンマーに対して経済協力を行>い、<03年にスー・チー氏が拘束され>るまで、50年近くもミャンマー軍事政権に対して経済協力を行ってきたのである。中国のように昨今のことではない。
03年6月14日日付のHP≪Web東奥・社説20030614≫社説には、≪厳格な対ミャンマー外交を≫と題して、<ミャンマー(旧ビルマ)軍事政権が民主化勢力への弾圧政策を続け、国際社会は非難を強めている。一方で、最大級のミャンマー援助国、日本はき然とした態度を示せず、相変わらずの弱腰外交を維持している。これで果たしていいのか。問われているのはミャンマー軍事政権だけではない。>云々と、03年当時は日本を「最大級のミャンマー援助国」扱いとしている。
また、3年前の04年更新のHP<首相官邸>の小泉首相(当時)の<アジア欧州会合後の内外記者会見(要旨)>平成16年10月9日)には次のような件(くだり)がある。
<【質問】 日本はミャンマーの友好国にして最大の援助国であり、アウン・サン・スーチー女史が軟禁状態から解放された際に最初に援助を再開したのは日本であったと承知している。日本の対ミャンマー政策がプラスの方向に変化していくこと、また、スーチー女史の解放について、どのような関係があるのか。
【小泉総理】 ミャンマーの国民的和解、民主的プロセスについては今回のASEM会合においても各国から活発な議論が出された。議論というか、ミャンマーの民主化に対する懸念。これが各国から表明された。私は、今回新たにミャンマーがASEM首脳会議に参加する国として承認されたが、まだ民主化が十分ではないという懸念は分かるが、果たしてミャンマーを排除して、それが民主化につながるか、ということは疑問に思っている。むしろ、ミャンマーが新たにASEMに加わり、多くの国からミャンマーにおける国内改革、国民的和解、民主化プロセスについて多くの国が奇異の目を持っている、懸念をもっていることを真剣にミャンマー側が受け止めるべきではないかと。そして、ミャンマーが国際社会の一員として、ミャンマーとしての役割を果たしていきたいという意欲を示す方が、ASEM各国においても、ミャンマーにとってもプラスではないかと思う。日本のミャンマーに対する支援は、人道案件に限られている。そのような観点から、私は、今後も引き続き、ミャンマーに対して、民主化努力を促したいと思うし、今回の会合においても、ミャンマーの代表は各国の懸念を十分真剣に受け止めたと思う。私は、むしろミャンマーを排除するのではなく、迎え入れて、お互い協力をできるような改革を国内で進めていくことがミャンマーにとってもプラスである、ということを十分認識して民主化プロセスに向かってさらなる努力を促したいと思う。そのことが、ASEMにとっても良いことではないかと思う。>
自民党もそうだが、一旦手に入れた政治権力はあらゆる手段を使ってでもしがみつこうとする。特に軍事独裁権力となると、民主的な手続きによって自らの権力の可否を国民に問うことは稀で、国民が抑圧に堪えかねて最後の土壇場で立ち上り武力に訴えるか、外国からの攻撃に頼ることが多いことを考えると、小泉首相の<ミャンマーが新たにASEMに加わり、多くの国からミャンマーにおける国内改革、国民的和解、民主化プロセスについて多くの国が奇異の目を持っている、懸念をもっていることを真剣にミャンマー側が受け止めるべきではないかと。そして、ミャンマーが国際社会の一員として、ミャンマーとしての役割を果たしていきたいという意欲を示す方が、>云々は見込みがないままに当たり障りなく述べた希望的観測に過ぎない。事実ミャンマーは小泉首相がそう述べたときから変わっていないばかりではなく、今回の僧侶たちのデモに対する武力弾圧という最悪の事態を迎えている。
長年の日本からの経済援助がミャンマーの民主化に何ら役に立たなかったことから判断すると、要するに日本は長年続けていた対ミャンマー最大援助国の地位を欧米からの批判等を受けて数年前に日本から中国に手渡しただけのことで、そのことを棚上げした町村官房長官の「ミャンマーへの最大の支援国は中国だ」との指摘も、「結果としてミャンマーが中国にだけ傾斜していく姿がいいのかも考えなければならない」もさも懸命なことのように言っているように聞こえるが、中国にのみ罪を着せるようなもので、日本自らの責任を誤魔化す薄汚い自分勝手の詭弁に過ぎない。
ミャンマーに対する今の中国の姿はかつての日本の姿だということである。しかも中国の何層倍もの姿をしていた。日本が対ミャンマー民主化に力となっていたなら、中国に政治体制を無視した付け入る隙を与えなかったに違いない。
命名―「背水の陣内閣」
一歩間違えれば自民党が政権を失う恐れが出てくる内閣だとして、「背水の陣内閣」と福田首相が自ら命名したという。いわば「背水の陣内閣」が「政権交代内閣」に変わり得る可能性を限りなく孕んだ内閣ということなのだろう。
民主党以下の野党は「政権交代内閣」となって欲しいとの祈りを込めて、いつどんなときでも、国会の質問でも、「福田政権交代内閣」と呼び習わすべきである。
新人事は、
官房長官・町村信孝。
町村信孝外相―→高村正彦外相
高村正彦防衛相→石破茂防衛相
伊吹文明文科相→渡海紀三朗文科相(初入閣)
再任
額賀福志郎財務相
大田弘子経済財政担当相
渡辺喜美金融・行革担当相
桝添要一厚労相
柴鉄三国土交通相
鳩山邦夫法相(麻生支持)
甘利明経済産業相(麻生支持)
その他有象無象。
町村官房長官を含めて4人の入れ替えで、再任は閣僚候補の「身体検査」に十分な時間を取れなかったためと言う。万が一「政治とカネ」の問題が持ち上がった場合でも、前任命者に責任を擦り付けることができる。高村新外相は安倍改造内閣で防衛相に就任するとき「身体検査」を受けているだろうから、あとは石破・渡海のお二方だけに気をつけてもらえばいいわけで、その分安倍晋三よりも福田首相の方が枕を高くして眠れるわけである。機能性胃腸障害とやらで内閣を放り出す懸念も同じくその分少なくなる。
柴鉄三国土交通相の再任は、どうせ公明党には一閣僚渡さなければならないのだから、相手の求めに応じただけのことだろう。あの胡散臭げなご面相と厭味な体の太りようは公明党や創価学会の人間はみんなあんななのだろうかと疑われて、テレビに映るたびに公明党や創価学会には利益にならないと思うのだが、タレ流しっ放しの公害を放置するのと同じで本人共々頓着ないようだ。
桝添要一厚労相の再任に関して言うなら、宙に浮いた5000万件の年金記録問題を来年3月までに確実に記録照合(名寄せ)を終わらせると約束したのは安倍首相で、その任命を受けて安倍改造内閣で厚労相に就任した経緯から、記録照合(名寄せ)が期日内に終わらなかった場合(現状でもその恐れが十分にある状況となっている)、あるいは訂正したものの遺漏が生じた場合、限った期限が短すぎて元々無理な約束だったのだと前首相に責任転嫁できるし、桝添要一の能力が絡んだ不手際なら、無所属ゆえに派閥や派閥の領袖とかに責任が飛び火する心配もない、泥をかぶるのは本人一人で済むといった計算もあった再任に違いない。
能力遂行上、桝添要一と同じように難しい立場に立たされているのは「天下り」の問題解決に道筋をつけなければならない渡辺喜美金融・行革担当相だろう。これも安倍首相が任命した閣僚である。任命責任は安倍首相にかぶせることができる。
渡辺喜美の話だけを聞いていると、悩み事すべて解決の万能薬を約束してくれそうに思えるいいこと尽くめを並べ立てているが、、本人がノー天気にも俺に任せておけばすべて解決すると、そう信じているからに違いない。
これは安倍1年ポッキリ短命首相の「官製談合、天下りの問題は、私の内閣で終止符を打ちたい」とか「年金問題はすべて私の内閣で解決する」と同じ安請け合いになりかねない。政治資金収支報告に関わる1円以上はすべて領収書添付の義務付けでも、その公開の方法についてもそれぞれに利害を異にしているのだから、十分な法案ができたと思えても矛盾や不足や抜け道が出てくる。いわば「すべて解決」は完璧にはできないことを完璧にできるかのように言っているに過ぎない。そういったことを常に認識して、天下りの問題でも現在できることを精一杯努めるという姿勢を持つことができたなら、何でも解決とかすべて解決といった安請け合いになりかねないいいこと尽くめの言葉は吐けない。安倍前首相がその代表格だったが、言葉が先行する政治家の言動は疑ってかかるに限る。
総裁選を争った麻生太郎に福田首相が入閣要請したが、固辞したと言う。取り込んで従順な羊に変えよとしたのか、断ることを承知していて形式的に要請したのか。取り込んでおけば、次の総裁選で前首相に当たる福田を批判する言動を抑える役には立つ。入閣して羊となった時点で麻生太郎には批判する資格を失うからだ。
形式的ということなら、当たり前のことだが、福田首相はそのことを前以て認識していたことになる。麻生派以外の全派閥が福田支持に雪崩を打った状況を「派閥談合」と批判し、「古い自民党」だと福田支持の自民党の面々をこき下ろしたのである。さらにアキバのオタク相手に「キャラが立ちすぎて永田町の古い自民党にはあんまりウケがよくない麻生太郎です」と福田支持派に厭味な皮肉まで投げつけた。
そのような前科があるのだから、よもや受け入れまいと踏んでいた。ただ単に全党的姿勢を見せるだけの体裁上、入閣要請したということになる。
麻生太郎にしても、散々「古い自民党」、「派閥談合」だとケチをつけていたのである。そのような派閥談合の古い自民党によって成り立たせた福田内閣にいくら要請があったからといって、おめおめ入閣するのは節を曲げることになる。下手をすると、言動不一致の政治家と自分の方が批判されかねない。
もし麻生太郎が一旦示した自らの姿勢を守るとするなら、入閣要請固辞にとどまらずに、例え自分一人であっても、散々批判してきた手前、派閥談合体質の古い自民党と袂を分かつために自民党を出て、自らの言動を一致させるべきだろう。派閥談合体質の古い自民党に居座ること自体、既に自らの言葉を裏切る言動不一致となっている。
鳩山邦夫法相と甘利明経済産業相は麻生候補を支持していた。鳩山邦夫は麻生太郎の選対部長まで務めている。親分が特にその選出過程を批判対象とした派閥談合の古い自民党によって支持され成立した福田内閣に再任を要請されて唯々諾々と受け入れる。批判しながら、その批判対象に身を置くのである。警察官が暴力団は善良な市民を食い物にするに組むべき集団だと非難しながら、退職後に暴力団の相談役に就いたとしたら、麻生太郎と同じ轍となる。批判自体がホンモノかどうか、自分たちを正義の人と見せる単なる便宜的なのウケ狙いではなかったか批判そのそのを疑わせる鳩山・甘利の無節操な変心である。
尤も派閥の支持を受けることができなかったための麻生太郎の「派閥談合の古い自民党」批判なのは既にお里が知れていることではある。
9月24日(07年)の自民党総裁選挙の結果。
福田――議員票/254 都道府県票/76 計330 (62.6%)
麻生――議員票/132 都道府県票/65 計197 (37.4%)
この結果に大方のマスコミが麻生候補の予想外の善戦・健闘と伝え、派閥批判の反動、派閥求心力低下等々分析。意気軒昂なのは麻生太郎である。<地方票を足しても90票程度」と悲観的な読みを口にする陣営幹部もいたほどだった。>(07.9.24/デーリースポーツ≪自民総裁選、麻生氏予想外の大善戦≫)選挙前の萎えた予想に反して、<麻生氏は23日夜、「オレんとこ(麻生派)16人しかいないんだぜ。それが(議員票だけで132票と)約9割増えた」「197票は大事な大事な財産です」と満面の笑みで手応えを口にした。>(07.9.24/日刊スポーツ≪麻生氏予想外!?197票に完敗してカンパイ≫)程の大機嫌である。
安倍の次はオレだ、と固く思い定めていたに違いないが、今回の結果から福田の次は今度こそオレだと意を強くしたに違いない。寅さんなら、結構毛だらけ、ネコ灰だらけと言うかどうかは分からない。
官房長官に町村が鎮座したなら、内閣ナンバー2の座である、本人も一度は総裁選に色気を示しているのだから、福田選出に力添えした自民党最大派閥の領袖という力をバックに同じ派閥の福田から派閥領袖の町村へという有利な条件も味方にして、ナンバー2からナンバー1へバトンタッチということもあり得る。運悪くそうなったなら、男麻生太郎、町村の次は今度こそオレだと思うほかない。
<党員投票を実施した35都道府県の党員票の総数では、麻生氏は25万3692票と、福田氏の25万613票を上回った。「演説をした東京、大阪、高松、仙台は勝っている。偉い方が決めるところ以外の党員投票をやったところでも得票総数で勝った。それがうれしかった」。総裁選落選は3度目となったが、「4度目の正直」について「この世界一寸先は闇だからなあ」としながら「期待にはこたえなければならない」と気力をみなぎらせた。>(上記日刊スポーツ)。
都道府県投票総数では麻生太郎が上回ったものの、結果は24日の朝日朝刊が≪地方票は54%対46% 麻生氏、予備選ほぼ互角≫は<福田氏が39都道府県から計76票を獲得し、過半数を制した。都道府県連票に期待をつないだ麻生氏は、予備選を実施した東京や神奈川、千葉、大阪など大都市圏を中心に善戦したが、36都道府県の計65票(同46%)にとどまった。>と伝えている。
「偉い方が決めるところ以外の党員投票をやったところでも得票総数で勝った」という発言は、派閥力学に支配されない、そこから離れた磁場を条件として投票が行われたなら、オレが勝っていたという思いが言わせた発言に違いない。福田は派閥の力、オレは自分の力、といった具合に。
だが、派閥政治の是非を基準に投票した議員、党員がいたとしたら、俺は派閥政治に反対だから、福田ではなく、麻生に投票したというケースがあったことも考えなければならないから、麻生票のすべてが麻生政治を支持しての票とは限らない可能性を差引き計算しなければならない。いわば、すべてオレの力とするわけにはいかない。
断るまでもなく、都道府県連党員投票はそれぞれの地域の利害が映し出される。年金記録問題以上に高齢化や人口流出、雇用機会の少なさといったことが原因した地方の衰退が必然的につくり出した都市と地方の格差の問題、あるいは地域間格差の問題を特に地方格差の被害が著しい地域の人間は喫緊の課題としていたに違いない。
そうである以上、両候補それぞれにその解決を訴えて支持獲得の重要な柱としなければならない。それを毎日新聞のインターネット記事(07.9.17≪自民総裁選:福田氏「小泉継承」麻生氏は「脱小泉」色で≫)で見てみると
<麻生氏は昨年9月の総裁選で、安倍氏との政策の違いをあえて鮮明にしなかった。もともとお互いの考えが近かったせいもあるが、ポスト安倍をにらんだ「禅譲」狙いの戦略だった。しかし、今回は、8派が推す福田氏との違いを打ち出さなければ展望が開けない状況に追い込まれている。
では、小泉改革のどこを「修正」するのか。7月の参院選で1人区を中心に自民党が惨敗したことを踏まえ、両氏はともに地域間格差の問題に焦点を当てている。
「小泉改革の中で経済合理主義を追求した部分がある。その結果が都市と地方の問題になった。企業間格差、雇用の格差も生じた。その格差を埋める努力をしなければいけない」。福田氏は16日の立会演説会で、格差是正に取り組む考えを強調した。
麻生氏も同日の街頭演説で「市場競争原理主義みたいなものにくみすることはできない。配慮がいる。地方の景気は難しいという面を考えないと(いけない)」と訴えた。>
その結果として地方は≪地方票は54%対46% 麻生氏、予備選ほぼ互角≫(上記『朝日』)なる審判を下した。麻生太郎側は劣勢を撥ね退けての「予備選ほぼ互角」という成果なのだから、当然麻生太郎にしたら、「偉い方が決めるところ以外の党員投票をやったところでも得票総数で勝った」という読み――派閥選挙でなかったなら、俺が勝ちだという読みを披露しないわけにはいかなくなったのだろう。
が、しかしである。「地域間格差の是正」を言うなら、「演説をした東京、大阪、高松、仙台は勝っている」と誇るのは言っていることに少なからず矛盾が生じないだろうか。「演説をした東京、大阪、高松、仙台」はそれぞれが都道府県庁所在地であり、それぞれの都道府県の勝ち組都市であるだけではなく、日本という国の中でも勝ち組に所属する都市だからである。特に東京は第1位の勝ち組、大阪は≪大阪―Wikipedia≫によると、
<大阪都市圏
大阪市を中心とする都市雇用圏(10%通勤圏)は、奈良県、兵庫県、京都府、和歌山県、滋賀県、三重県におよび、約1212万人(2000年)の人口を擁する日本第2位の都市圏を形成している。大阪市への流入超過人口は107万人であり、昼間人口は366万人となって、横浜市の昼間人口を越える。>
仙台も大都市の部類に入るだろうし、同じくWikipediaによると高松市は<四国の北東部、香川県のほぼ中央に位置する都市で、同県の県庁所在地である。旧香川郡。国から中核市に指定されている。瀬戸内海に面する四国の港町の一つでもあり、本州に最も近い地の利を利用して、江戸時代には譜代大名・高松藩の城下町として盛えた。現代以降も四国の玄関口、支店経済都市として四国を統轄する国の出先機関のほとんどや、企業の四国支社・支店の多くが置かれた。かつてこの街のシンボルであった高松城天守は明治時代に破却されたが、2004年に高松シンボルタワーが完成して以降は、それがシンボル的存在になっている。 四国地方の最大の都市ではないが、四国地方の政治経済の中心都市である。>
勿論、その場に集まった聴衆に対してだけではなく、メディアを通してそれぞれの都市が属する都道府県全体、さらに日本全国に向けて地域間格差の是正を訴えたのだろうから、地域格差の被害に遭っている地域の人間にも届いて、それらの情報をもとに投票態度を決したに違いない。だが、集まった聴衆の多くがそれぞれの都道府県に於いてだけではなく、日本全体に於いても勝ち組に位置する都市の住民だろうし、格差の痛みに左程敏感とは思えない住人たちであったろう。にも関わらず「東京、大阪、高松、仙台」と勝ち組都市の名前を挙げることができたのは、都市の格差の痛みに左程敏感とは思えない種類の聴衆ではないかと差引き計算する疑いの意識を欠落させていたからできたことではないだろうか。
もし集まった聴衆の多くが地域格差の被害を受けている地域の党員を動員したものであり、例えそこで麻生太郎の演説を聞いて麻生太郎に投票を決めた党員がいたとしても、動員の所期の目的はあくまでもその場の関心の強さを演出することを目的としたもので、動員がなくてもテレビ・新聞で演説内容は知ることができるのだから、街頭演説と票数とを結びつけることは必ずしも正確とは言えない。単に勝ちを制した地域と街頭演説が行われ場所は偶然に一致したという可能性も考えなければならない。そのことをも差引き計算したなら、やはり単純に「演説をした東京、大阪、高松、仙台は勝っている」とは言えなかったに違いない。少なくもと、「偶然の一致かもしれないが」という断りを一言入れるべきだろう。
もしも地域格差を受けて困窮している地域をどうにかしなければならないと心底考えていたなら、聴衆に直接語りかけながらも、気持ちの中では真に語るべきは困窮した地域の不特定多数の住民であると思い定めて、そこに意識の的を絞って語りかけていただろうから、それが動員された聴衆であろうとなかろうと、特定少数に過ぎないのだから、差引き計算もなく「東京、大阪、高松、仙台」と勝ち組都市の名前を挙げることはできなかったに違いない。
差引き計算できない場面は他にも見ることができる。麻生太郎が秋葉原で行った街頭演説ではアニメやマンガを通して熱狂的に人気があるというアキバのオタクたちが大勢集まり、大騒ぎの大歓迎を受けた。気をよくして、「秋葉原では結構評判がいいみたいだが、キャラが立ちすぎて永田町の古い自民党にはあんまりウケがよくない麻生太郎です」と天と地の人気の格差をご満悦顔に一席ぶった。テレビがその様子を映し出し、新聞も伝えていたが、そのご満悦顔はアキバの群衆が示す熱狂から、彼らがどれ程政治を知っているか、どれ程長続きするのか、政治を知っていて麻生を支持しているのか、その程度を差し引き計算しない無条件の満悦であった。
また、開票日に党本部前に若者が投票前の午後1時ごろから300人近くが集まって、午後4時頃まで「麻生」コールを繰返し、福田当選を知ると泣き出す若い女性もいたというフィーバー振りだったそうだが、その様子を上記日刊スポーツ記事≪麻生氏予想外!?197票に完敗してカンパイ≫は次のように伝えている。
<両院議員総会が行われた自民党本部前には、正午ごろから「YES! 麻生」のプラカードなどを手に約300人の麻生サポーターが結集。インターネット掲示板「2ちゃんねる」での呼び掛けなどで集まった若者が中心で、機動隊数十人に取り囲まれながらも、総裁選終了後の午後4時ごろまで「麻生! 麻生! 麻生!」と連呼し続けた。
連呼が途切れたのは午後3時15分すぎ、選挙結果が発表され、麻生氏の善戦にどよめきが起きた時と、福田氏擁立を画策した森喜朗元首相(70)が党本部から現れ、ブーイングに切り替わった時の2回だけ。午後4時前に30人以上の報道陣とSPに囲まれた麻生氏が、車道を中央分離帯まで横切って「ありがとう、ありがとう」と両手を振ってもエールは止まらなかった。
麻生氏は「(大勢が応援に駆け付けた)新宿、秋葉原。そして今日の永田町。あれ、多分、自民党員ゼロよ。2ちゃんねるで(スレッドが)立ったんだろうけど、永田町にあんなに人が集まるなんて過去に例はない。すごく感激した」と話した。>
この<「ありがとう、ありがとう」と両手を振って>エールに応える感激した様子、「永田町にあんなに人が集まるなんて過去に例はない。すごく感激した」という態度はやはり麻生政治を真に理解した反応かどうかの差引き計算なしの単純反応がつくり出している無条件の感激であろう。
いわば「演説をした東京、大阪、高松、仙台」の聴衆、アキバのオタク、総裁選投票日の党本部前で演じられた若者300人等に対する麻生の反応・受け止めは言ってみれば差引き計算して中身を弾き出すべきを、そういったことをしていないゆえに中身を問題とせずにハコモノ状態のまま表面を表面どおりに見た反応・受け止めとなっている
安倍首相は国家というハコモノだけを問題とした。改正する必要もない教育基本法を単に日本人の手でつくるというハコモノの考えから改正して、そこに中身の国民を考えない国家を優先させる愛国心を埋め込み、それを成果とした。ハコモノ思想の点で、本質的には麻生太郎も安倍晋三と似た者同士のようである。
9月19日(07年)の外国特派員協会での福田・麻生自民党総裁選両候補の記者会見では麻生太郎は靖国参拝問題について、「自分の国のために尊い命を投げ出してくれた人たちに対して最高の栄誉を以って祀るということを禁止している国は世界にないと思います」との論理展開で、兵士の行為を肯定することを通して、戦前の戦争を肯定する安倍首相と同じ国家主義者である。同じハコモノ思想の持主なのは当然の帰結とも言える。
「新宿、秋葉原。そして今日の永田町」の熱狂が総裁選での麻生票を保証する熱狂なら、ハコモノであることを超えて価値ある現象ということになる。本人も言っているように「あれ、多分、自民党員ゼロよ」ということなら、殆ど総裁選に役立たない、あるいは当選を保証しない情景に過ぎない。
「永田町にあんなに人が集まるなんて過去に例はない。すごく感激した」という最後の言葉を窺うと、総裁選での麻生票を保証するのかどうかの差引き計算をして中身を弾き出したものではないハコモノのまま、その表面的な多人数、その凄さに感激しているしか思えない。
麻生太郎が上記若者たちの麻生人気の情景を夢にまで見て、夢の中でニンマリするようなら、安倍晋三以上のハコモノ政治家と言われても仕方がないだろう。安部晋三同様に、大いなる宰相像を夢見るがいい。安倍晋三を例に出すまでもなく、ハコモノの行く末は目に見えている。
9月21日(07年)の日本記者クラブ主催の自民党総裁選公開討論会。拉致問題で一方の総裁候補の麻生太郎は小泉訪朝時の官房長官だった福田康夫総裁候補の対応を批判したが、続いての討論で国家観の違いを浮き立たせた。福田康夫の国民への視点を持った国家観に対して麻生太郎は安倍晋三同様に日本の伝統と歴史に最重要の価値を置き、そのような伝統と歴史を織り成してきた日本人に絶対的信頼を寄せた国家観に立っている。いわば日本人、そして日本の伝統と歴史をすべて肯定する立場に立っている。否定要素を排除し、肯定要素のみに目を向ける。そこから侵略戦争否定につながっていくのだろう。「創氏改名は朝鮮人が望んだ」という話になっていくのだろう。
福田(過去の総裁選でも考え方に違いがあるように見えても、ニュアンスの違い程度で基本的な考え方は似通っているものだ、目指すところは似ていると前置きした上で)「ちょっと違いがあるとすれば、私の方は割合と遠くに、将来を見据えた議論をしている。麻生候補は割合と近場を中心とした議論をされている。こういう違いがあるかなというふうに思う。そういう意味で言うと、例えば『誇れる国日本』というキャッチフレーズを(麻生候補が)挙げている。『誇れる国』とは将来誇れる国であって欲しいということだと私は理解する。そういうことでそれでよろしいですか?」
麻生「私は自由民主党の党員として、自民党員です。自民党の青年局ですと、言うように誇れるようになりたい。私は党員に対していつもそう思っている。同様に日本人も、何人ですかと聞かれたときには私は日本人ですと、いうことを堂々と誇れるような日本、という国が私共の目的とすべきだと。落着くところは、一番大事なところはここが一番国民として大事なところではないかと申して、思っておりますんで、短期的にも長期的にも誇れる国というのは短期の目標でもあり、長期の目標でもあり、私はそう思っている」
――(こういった物言いが翻訳不可能に当たるのだろう。日本という国を誇る、日本人であることを誇る。だが、1億3千万人近くもいる様々な人間を日本人と単一に把え、様々な社会の集合体であることを超えて日本国と単一に把えたとき、その日本人・日本国は全体的な装いを指すこととなり、そのような全体的な装いである日本人・日本国を誇るのはそれぞれの背後に抱えている矛盾や間違いを排除・抹消、あるいは無視する客観性を欠落させた意識があって成り立つ誇りであろう。
いわば間違いはない、矛盾はないとする自己無誤謬性を客観性とするゆえに、その誇りは少なくとも優越意識を纏わせることになる。自分が社会の一員として求められている責任を十分に果たしているのか、日本が先進国、経済大国として求められている責任を他の国々に対して果たしているのか、そこに矛盾や過誤はないか、優越意識につながりかねない誇ることよりも、そういった個別的な社会関係意識、対外関係意識こそが必要なのではないだろうか。)
福田「そこでさらに尋ねるが、時々BBCの調査を例に挙げているが、BBCの調査によると、日本は非常に国際社会に役に立っているいい国だと、そういうことなんだけど。世界で一番だと、そういう説明をしている。しかし昨年のBBC調査、1月のね、今年のBBC調査では若干下がる。昨年は本当の1番だった。今はもう一つ1番の国が出てきた。日本が下がって、一番の国が出てきた。日本が下がって、他の国が上がってきた。ですから、どうも誇れる、そういう意味では『誇れる国日本』と言うのは昨年、一昨年とか、そういうのをピークにして段々下がっていく心配があるのではないか。そんなふうにも思う。特に最近はODAも相当減額して、一頃は10年ほど前は世界で一番のODA供与をしていた。それが二番手になり、そしてどうやら来年辺りは四番、五番になるんじゃないかというようなことを言っている。それが金額的に多いというのであればいいのだが、人口当たりの、一人当たりのODAということになると、一番いいときでもやはり10番以内、今は恐らく20番近くになってきているのではないか。それだと国民一人ひとりが負担しているODAというのは諸外国に比べて少ない。そういう実情を先の外務大臣としてどう考えているのか」
麻生「基本的に今言われたのは昨年同率2位になった。カナダが2位。同率2位。同率1位になった、カナダが。3位は確かイギリスだったと記憶している。そういう意味で私共も少なくとも誇れる国であったという話で、今誇れる国でないと言うんであれば、なおさら今誇れる国にすべきなんだと、私はそう思っている。ODAの額というものもきわめて大きい。確かにおっしゃるとおりにODAの総額は例の一律3%のマイナスという指示によってODAは減らされ続けてきたのは、この5,6年間間違いのない事情です。その前からも減らされてきている。そういう意味では日本として、日本にはきちんとした対応をもっとしてもらいたいと国連からの要請は度々あったところでもある。それに対して我々として色々なこれら努力してきた。間違いない事実だと思う。しかしカネと同時にやはり日本という国がやっていることは、例えばよく例に引くホンジュラス、中米の小さな国だが、そのホンジュラスで行っている海外協力隊員、何でホンジュラスの子どもはこれだけ計算できない、算数ができないということを色々と考えて、要は教科書が悪いという結論に達して、海外協力隊員みんなで集まって、ホンジュラスでスペイン語によって算数の教科書を作っている。これによって結果は出た。そしてホンジュラス政府は昨年から日本が海外協力隊員が作った初めて、国定教科書に指定。隣国にも是非にという話をしている。算数の先生が作ったんじゃあない。海外青年協力隊員、色々な文野の人たちが行って作っている。こういったものが日本として大きな力を出しているものだと私は思っている。カネも大きい。確かに大きい。日本というものが出しているその他のものも大きく評価されて然るべきだと私はそう思っている」
――(ODAの金額がすべてではない。福田氏にしても金額を問題にしているが、被援助国の国民生活の向上に直接的に役立っているかということが最も問題とされるべきで、かつてのインドネシアに対する日本の援助がスカルノやスハルト独裁体制の維持と独裁権力者たちの私腹肥やし役立ったが、インドネシア国民の生活向上にさして役には立たなかった。軍事独裁国家ミャンマーに対しても日本は現在でも最大の援助国でありながら、ミャンマーの民主化には役立たず、却って軍事独裁権力強化にこそ役立っているのではないだろうか。
こういったことを無視・排除して「日本人を誇る、日本という国を誇る」というのは少なくともミャンマーの独裁体制下にある国民の不自由に胸を痛めている人間にはあまりにも単細胞、悪い冗談と映るに違いない。
ホンジュラスの日本の海外協力隊員による算数教科書の作成が現地の子どもたちの成績向上に役立ったという話にしても、それはそれで評価されるべき事柄だが、個別の成果であって、それを以て日本が関わっている援助事業全体の成果とするわけにはいかないはずである。そのことはたくさんの例があって然るべきだが、普遍性を持たせないまま「よく例に引く」個別性がよりよく証明していることである。)
福田「そうおっしゃるけど、それは過去のことで、これからどうするか。これから本当に誇れる国になるかどうかということが問題だと思う。私はどちらかと言うと、後者の方を取りたいと思う。そのために日本がどういうふうにすべきか、格好だけじゃダメで、中身が伴っていなければいけない。内容の充実化が必要だというふうに思っている。環境問題についても日本が先進的な立場で諸外国をリードするということが必要なんだと思う。そのため具体的な提案を私は用意しているけれども、部分的に用意しているけれども、そういうものを核にして諸政策を展開していきたいと思っている。そういうようなことで、同じ考え方では?」
――(ここで初めて福田康夫は全体的は装いやハコモノではなく、「中身」に言及している。全体的な装いでしかない日本人であることを誇ることよりも、一人ひとりが現に生き、活動している中身の姿に注意を払い、社会的なその充実度をこそ誇るべきだろう。)
麻生「質問ですか、今のは?」
福田「同じような考え方ですよね?」
麻生「誇れる国というのは常に今でも必要以上に自虐的な史観を私は持っておりませんし、そういった自虐史観に基づく考え方は私の哲学とは合わない。したがって誇れる国と思っていますし、今後とも誇れる国であるようにするというところが一番肝心なところだと私は基本的にそう思っている」
福田「誇れる国でいいですよ。これからの問題なんです。そういう意見が出るとすぐに自虐史観とか、そういうように切り捨ててしまうということにはやはり問題があるのではないかというように私は思うが、どうなのか」
――(麻生太郎は日本の歴史と伝統を金ピカに裏打ちした国家という全体的な装いを常に優先させた意識・考え方をここでも示している。「誇れる国」に異議を唱えてさえ、「自虐史観」と看做す。裏返すなら、日本の伝統と歴史、それらに培われた日本という国に絶対的価値を置いているからに他ならない。相対価値で把えていたなら、福田が言うように、「そういう意見が出るとすぐに自虐史観とか、そういうように切り捨ててしまう」といった極端な評価に走ることはないに違いない。)
麻生「私は自分の国を少なくとも私共親が習い、また私共幸いに学校から習った時期に於いて、そういう感じで自分の先祖、何となく明治、またその前に向かって、色々な脈々として続いてきた伝統というものは誇れるものだと、私はそう思っている。事実、それに立脚して全く過去60年前と60年以後を全く違う国かの如き話には私は組しない。従って、そういうものを前提にして伝統・歴史を伝統にして、それに立脚して今後どうやっていくかということを申し上げているのであって、今後もこれからも我々がつくり上げてきたそういったものを一つ一つ、紙芝居を例に引いたけれども、そういった例も含めて、今後とも土台の上に立ってという話をしております」
――(この件(くだり)も翻訳しづらいに違いない。
戦前の天皇絶対性を頭上に装った軍部独裁体制は明治・大正・昭和初期からの発展した政治体制、発展形であり、日本人が営々としてつくり上げた国家であり、国家体制だった。それは日本人がすべての時代を通して民族性としてきた集団主義・権威主義が最も先鋭的・暴力的な形で露礁した国家の姿であったはずである。つまり、江戸時代も明治も大正も戦前昭和も日本人がつくり出したそれぞれの時代であり、社会である。また戦後はアメリカの影響を受けたとはいえ、その影響下で日本人がつくり出した時代であり・社会である。日本が最も成功した社会主義国であると言われるのは、アメリカの自由主義・個人主義の影響を受けつつも日本人が民族性としている集団主義・権威主義から離れることができなかったことを証明している。社会主義国にしてもその基本的な国家経営原理、もしくは行動原理は集団主義・権威主義をルールとしていることから、日本人の似た者の行動性と響き合い、社会主義国の装いを取るに至ったということだろう。
同じ日本人がつくり出した戦後の時代、戦後の社会ということで、麻生の言うとおりに
決して「過去60年前と60年以後を全く違う国」ではない。珍しくまともなことを言っている。
下線部分の「紙芝居を例に引いたけれども」は、確か他のテレビで「昭和恐慌機に紙芝居を始めて不況を乗り切った日本人の優れたチエ」として称賛していたのを思い出した。これも個別的成果を全体的な成果と勘違いさせる詭弁の類だろう。
詳しく知ろうとインターネットで探すと、幸か不幸か麻生太郎のHPに遭遇した。そこに次のような件(くだり)を見つけた。
<「桃太郎、一寸法師、また浦島太郎等々、子供向けの物語があんなに早くからあった、という国は、ほかの国にはありません。
ちなみに大人向けの童話ではありますけれども、グリム童話集、あれは1812年が初版であります。19世紀に入ってから。
私はこれが文化の土台としてあったからこそ、昭和に入って大恐慌になったとき、私はある偉大な失業対策事業が全国に広まったんだと存じます。
何かといえば、紙芝居です。
失業者が手軽に出来る仕事でもありました。>(『たろうのひめくり 麻生太郎さんの講演』)
「グリム童話集」は「集」となっているから、時代的には遡った時代から、地理的には各方面から「集」められて「集」となしたことを意味しているはずである。そこで『大辞林』三省堂)で調べてみると、「グリム兄弟がドイツのヘッセンを中心に、民間の伝承を採取して編集した童話集」と出ている。「民間伝承」ということなら、麻生太郎の言う「子供向けの物語があんなに早くからあった、という国は、ほかの国にはありません」はたちまち合理性を失う。「グリム童話集、あれは1812年」以前から、遥か昔に溯って物語の形を取って語り継がれてきた童話も「グリム童話集」の中に存在する可能性も否定できないからだ。物語は人類が言葉を話す能力を持つと同時にそれがごく単純でごく短いストーリー、起承転結であっても作られるようになっただろうし、例え文字を持たなくても口承の形で言い伝えられてきたのである。
また旧約聖書には神々の、紀元前8世紀ごろの作だという『ホメロスの叙事詩』にはギリシャやトロイの英雄たちの活躍物語がたくさん語られている。親が子どもに読んで聞かせ、子どもの胸を躍らせたといったことは否定できない事実であろう。あるいは子ども向けに脚色した物語もできただろうことは容易に想像できる。と言うことは、「子供向けの物語があんなに早くからあった、という国は、ほかの国にはありません」は根拠のない優越感と化す。決めつけるところが麻生らしい単細胞と言えば「誇れる」単細胞と言える。
「偉大な失業対策事業」だったとする昭和初期の「紙芝居」にしても、『日本史広辞典』(山川出版社)によると、「昭和初期に出現し、香具師支配の飴売り行商のおまけとして街頭で演じられた。」と出ている。不況時代、失業した人間は労働時間ばかり長くて賃金の安い職業に流れていくものだが、紙芝居という職業も失業者を吸収したかもしれないが(日本が高度経済成長に差し掛かる頃だったと思うが、まだ朝鮮人差別が強く残っていてまともな就職先を探すのが困難だった時代、差別されて職業に就けない在日朝鮮人を我々は受け入れて、無差別に犯罪に走るのを防いでいると胸を張った暴力団の組長がいた)、香具師の支配下にあったことが事実とすると、「偉大な失業対策事業」と麻生が言う程に大層なものではないように思える。
有斐閣選書の『昭和史』は「恐慌下の国民生活」の章で、<大原社会問題研究所発行の『日本労働年鑑』(昭和6年発行)は1930年(昭和5)の「失業者の数が国勢調査の32万の3倍4倍を超ゆるであろうことは全く想像に難くない」と述べており、『エコノミスト』誌も30年の失業者を120万~130万人と推定している。>と言い、これは<6人に1人が失業者>に当たるとしている。また、農村出身の失業者の<農業への還流人口は年々25~30万人に及びながら、しかも農業から非農業への流出人口は、還流人口より年平均(1930~35年平均)13万7000人も多い。>と、農村が全体として農村出身失業者の吸収では納まらないことを解説している。にも関わらず、紙芝居を「偉大な失業対策事業」だっとする。一事の成果を以ってそれを全体の成果となすに等しいゴマカシ・詭弁の類だろう。)
福田「そういう話になってしまうと、現状をすべて認めてしまうというような感じになる。私は現状には色々問題がある。また将来を考える上に於いて、今までの考え方を大いに変えていかなければいけない、そういうような課題がたくさんあるわけで、むしろそういう課題がたくさんあるんだと、今の日本の現状をもっとよくしていこうと、こういう気持ちがなければ日本はよくならないのだというふうに思う。そして誇れる国になりたいというのは実際には妥当なんだというふうに思う」
――(福田康夫はあくまでも中身を問題としている。次期総理・総裁はよりまともな福田康夫ではなく、安倍晋三と同様に今の時代とズレている時代錯誤な国家主義者・麻生太郎になって欲しいが、その希望が打ち砕かれるのは時間の問題のようである。)
司会者から、マトメを3分間ずつ行うよう指示。
福田「現状は肯定したい。肯定したいけど、肯定し切れないところが今色々なところで出てきているわけで、例えば教育の問題にしてもそうです。地方の問題もそうです。そういうことをどうしていくかということが我々の課題と思っている。政治家というものは問題を解決するのが政治家なんです。問題を起こすのが政治家では、政治家の仕事ではない。だから、問題解決、その問題山程ある。いやになる程ある。それを一つ一つ着実に解決していく中で、国民との信頼というものが生まれてくる、というように思っているから、私はそういう方向に努力したいと思っている」
麻生「将来に対するところで、今は誇れる国か、今後とも誇れる国であり続けるかという話で、質問って言うか、福田候補から質問があって、ありました。私は基本的には今後とも、現在も私共は誇れる国なんだということに自信をもっと持つべきなんだと申し上げてきた。日本の底力とか色んな表現を使わしていただいた。1年前もこの言葉を使ったと思う。そういう意味では今我々に課せられている問題というのは少なくとも小泉改革・安倍改革の中で中長期的な方向は決して間違っていなかったと言うことはできると思う。ただそれによって短期的な話が今起きてきている。それが年金であったり、地域間格差であったり色んなところで問題が起きてきている。その問題を我々は長期的にではなくて、短期的な部分を今解決せねばならぬというのが、今の内閣に与えられている最大の仕事なのだと、我々はそう理解しているので、短期的なところだということだと申し上げております。そのためには信頼が必要と、当然のことです。そういった意味では私は今置かれている状況というものは決して絶望もしませんし、あまり悲観主義に陥ることもありません。我々はそういった過去、いくつかの難しい課題を潜り抜けてきたというチエと、そういったものをやってきたという歴史というものをもっと信頼をし、日本人に対する信頼というものをもっときっちりと持った上で、政治というものに取り組んでまいりたいというように思っています」(第1部終了)
――(相変わらず日本の伝統と歴史に優越的な価値を置き、それらを纏わせた日本という全体の姿・国に拘っている。今回の参議院選挙では「今置かれている状況」に「絶望」し、そのような絶望的状況をつくり出した自民党政治に嫌気が差して、投票を政治主体を変えるチャンスとして民主党やその他の野党に票が流れた。その結果の大敗であることを麻生太郎は健忘症にも忘れてしまったのか、少なくともそのことへの視点を持たない議論となっている。単細胞ゆえの気楽さからなのか。
麻生の話は「誇れる国日本」の開祖らしくいいことしか話さない。日本という国のいいところ、日本人のいいところに限られている。宗教の勧誘に似ている。かつて創価学会で会員獲得の方法として、既に会員となっている信者がハンドバックをひったくられた、南無妙法蓮華経と口の中で唱えると、踏切の遮断機が下りてひったくっていった男がそこから逃げられなくなり、ハンドバックを取り返すことができたとか、なかなかやめられなかったギャンブルが入信して一生懸命南無妙法蓮華経と唱えたお陰でギャンブルをやめることができた、アルコール依存症から抜け出ることができたと信心の効果だけを話す。次々と話す信心の効果を信じたなら、創価学会が万能の力を持った宗教に見えてくる。世の中に万能(=オールマイティ)なる仕掛けなど存在しないにも関わらず。麻生太郎の話はそういったいいこと尽くめに満ちている。)
昨9月21日(07年)の日本記者クラブ主催の自民党総裁選公開討論会での拉致問題に関する福田・麻生の遣り取り。「ということであるならば」といったバカ丁寧なまでに回りくどい格好付けの言い方やことさらな丁寧語は普通語に直しています。
麻生「北朝鮮との関係は基本的に圧力と対話。この国とのこれまでの交渉を約2年間、私はやらせていただいた。いずれにしても拉致は日本の自主権というものを大いなる侵害であることははっきりとしている。従って、この日本という国から日本人というものを攫(さら)って持っていったという事実というものは物凄く大きな事実であって、国家にとっては大問題だと私はそう思っている。従ってこの問題は安易に(聞き取り不明)帰してもらうという話ではない。基本的にはきちんとした対話を成り立たせるためにはこれまでも圧力が必要だったと思っている。今日6者協議がスタートできた。最大の理由は少なくとも7月10月に於ける国連安保理事会に於ける日本のリードにより少なくとも全会一致の圧力というものが6者協議を生み、日朝作業部会というものが曲がりなりにも動き始めた、大きな背景があると私自身はそう思っているが、先ず伺いたいのは圧力は言うに及ばず。そしてもう一点、拉致被害者という方々はすべて亡くなっておられるという前提だという話を福田官房長官は口にしておられましたけど、私はそういう方々は生きているという前提でこの交渉をすべきもんだと思ってこれまでやってきたが、この点についてのご見解を伺いたいと思います」
福田「拉致はやはり人道的な問題として考えることが第一番に必要だと思う。ということは今現在北朝鮮におられるんですよね。まだ残っているおられるというように考えると、そういう方が一刻も早く日本に帰っていただくことを最優先にすべき問題だと思っている。ですから、このことを中心に考えたときにどういうことなのか、だからと言って過大な要求を突きつけられるということはあってはならないわけで、これはハイジャックの問題とか色んなときに自問自答させられるということがあるが、そういうことも含めてこれは北朝鮮と日本に帰っていただくことについての交渉だと思う。勿論その交渉の過程で対話一本槍ということはない。やはり対話と圧力という、そういう交渉上のことは外交交渉、その他の交渉で常にあることであり、そういう手法を駆使しながら、交渉を進めていくということがある。ただ最初から話し合いは拒否というような感じでもって向こうに受け止められるようなことがあれば、向こうから対話をする意欲は萎える。しかし現状は先方はこちらに対話するような雰囲気はまったくないということで対話は双方途絶えてしまっている。と言うことなら、やはり対話と圧力が必要ということかな、というふうに思う。いずれにしてもそのバランスは外交交渉上の問題であるから、その時々の状況に応じてそういう手段を発揮することになる。どちらかということでなない。両方をうまく利用しながら、活用しながら、交渉していくということになる」
麻生「対話と圧力というお話でしたけど、確か5人の拉致被害者が日本に帰ってきたという、その人たちを北朝鮮に戻すか戻さないかという話は官房長官のときに結構話題となった。帰すべきではないというご意見に対して官房長官は約束どおり帰すべきだったと、帰すべきだと主張されたと思うが、あのときの主張と今のお話を伺っていると、何となくこの間に少し変わってこられているのかなあと思う。あのときは確か拉致被害者は死んでいるという前提で話をし、拉致被害者の方が記者会見を開いていた記憶が私にはあるが、ちょっと間違っているかもしれない。こういったところをちょっともう一回質していただければと思います」
福田「正しくお話ししましょう。外務大臣されているのだから、その辺はその過去の資料をよく括(くく)っていただきたかった。先ず私が9月17日、5年前ですけれども、その日に北朝鮮から報告を受けた。こういう状況です。私はその通りを報告した。それ以上の報告すべきものはなかったから。その通り、先方から、先方というのは現地にいる外務省、その通り話をした。外務省の連絡によると、こういうことですと、外務省の連絡によるとこういうことですということを明確に拉致された方のご家族の方々には申し上げた。私が断定的にそういうことを言ったということではない。当時知り得た情報のすべてであります。それ以上のことを言う必要性もないし、またそれはできなかった。そういうことを言うことはできなかった。そういうことです。そして5人の家族の方が帰ってきた。そのとき帰すか帰さないかという話は確かに合った。しかし元々一旦帰ってきたということに於いて、それは帰るんだということを前提に話は進んでいた。ですから当初は私はそういう報告を聞いて、あ、帰るのかなと私は思っていた。しかし帰すべきではないという話が起こった。そのことについての議論はした。そのとき私は帰すべきだというふうには申し上げなかった。ただ、そういう約束があるのだから大丈夫かなと外務省によく尋ねた。そして帰すべきではないという判断があったときにじゃあ最終結論を出すときに、最終結論を出す前にご家族の方に、ご家族の方とか、ご本人ですね、意向を聞いてくださいと。それぞれにどういう事情があるか分からないから、ご家族、遺族、ごめんなさい、帰国本人、拉致されて帰国されたご本人に意向を確認してください、そうことをお願いして、その確認が取れた。取れて、それではそうしようという結論を出した。そういうプロセスを経ているから、私は十分配慮しながら、この道筋を進むというふうに思っている」(以上時間切れ)
麻生は9月16日に自民党本部で行われた立会演説会で「拉致被害者が取り残されているが、後退したわけではない」と言っている。「後退したわけではない」を言葉通りに受け取るとしても、何ら進展していないのも事実なのだから、小泉・安倍が掲げ、麻生も北朝鮮「とのこれまでの交渉を約2年間、私はやらせていただいた」ことによって関わってきた「圧力と対話」戦略は単にその言葉を繰返すだけの効果しか上がっていないことの証明でしかない。そうであるにも関わらず、そのことへの視点もなく、また今後はこういうような効果を持たせるとする対策も示さず、麻生は愚かにも「圧力と対話」を従来どおりに繰返すだけのことをしている。
いわば「圧力と対話」は拉致問題解決の進展に何ら役に立たなかった。役にも立たなかった「圧力と対話」を麻生は依然として振り回している。客観的認識能力に欠陥があるからとしか考えようがない。
確かに「6者協議がスタートできた」のは麻生が自慢げに言うとおりに「国連安保理事会に於ける日本のリードにより少なくとも全会一致の圧力」があったとと、その「圧力」の延長線上に「日朝作業部会」が実現したとしても、そのことが北朝鮮の「拉致問題は解決済み」という態度を変更させる「圧力」とはなっていないことも認識しなければならない事実でありながら、認識できていない麻生の事実となっているのは客観性を欠いているとしか言いようがない。
麻生は別の機会にも確か国連が始まって以来日本が「リード」して行った初めての議題だとかやはり自慢げに話していた記憶があるが、如何なる自慢も拉致問題が解決としたときに意味を持つのであって、拉致問題進展につながっていない事実に目を向けないまま国連での日本外交を自慢する。安倍首相が教育基本法改正やその他で見せた成果を見ないうちの自慢と同じで、その点で両者は双子の関係にあるのだろうか。その手の無神経は客観性を欠いているだけで片付けるわけにはいかない政治家として恥知らずな態度と言える。
麻生太郎は福田康夫が「拉致被害者という方々はすべて亡くなっておられるという前提」で交渉に関わっていたと批判しているが、5人以外はすべて死亡としたのは北朝鮮側で、小泉首相にしても5人の拉致被害者とその家族の帰国で問題解決として国交交渉をスタートさせ、日朝国交正常化を果たした総理大臣として、自らの名を日本の歴史に記そうと欲したはずである。
その証拠は小泉首相が「8人死亡・5人生存」という事実に関わらず、キム・ジョンイルの謝罪を受け入れたことを先ず挙げなければならない。謝罪の受け入れは補償とかの問題は残るにしても、日朝間に横たわる障害事項の消滅を意味するからである。
消滅の傍証として、小泉首相が大量のマツタケを土産に貰って日本に帰ってきたことを挙げることができる。「8人死亡」の事実解明が少しでも意識にあったなら、解明が果たされるまで受け取ることはできなかったろう。しかも民主党員から国会で追及されても、マツタケであることを隠し、生鮮食料品と偽る偽装は北海道はミート社の偽装コロッケに優るゴマカシのテクニックだろう。
国内世論が「8人死亡・5人生存」事実に怒りだすと、小泉首相は今後の国交正常化交渉の過程で拉致疑惑の事実解明を更に進めると国民向けに説明したが、国交交渉を優先事項とし、それとの並行した形で拉致疑惑解明を従の位置に置いて取り組もうとした姿勢も、拉致を国交交渉の障害事項から外していたことを物語るもので、国交交渉が成立したなら、当然のこととしてそれを果たした総理大臣の名誉ある席に座ることになる。
だが、その辺の欲求を国内世論の更なる高まりが打ち砕いてしまい、「拉致解決なしに国交正常化なし」の態度を打ち出さざるを得なくなった。また、一時帰国した拉致被害者を北朝鮮に帰すか帰さないか問題になったことも、小泉・安倍ラインが「一時帰国」という形式を取ったことがそもそもの間違い、外交的な大失敗で、拉致・誘拐された以上、それを元に戻す「原状回復」を譲れない原理・原則、譲れない一線として求めるべきを、何を血迷ったのかノー天気にも一時帰国してまた北朝鮮に戻すという「一時帰国」の形式とした。
非難するとしたら、小泉・安倍に対してだろう。帰国させなかったのは、「一時帰国」という自分たちも関わった約束をあとから破って軌道修正したに過ぎない。自分の生まれた国から外国に暴力的に拉致・誘拐された人間を一時的に生まれた国に帰すというそもそもの発想はどこから出てきたのだろうか。
その点に思い至らないで、5年前を振返って「帰すべきだと主張された」とさも得点としようとするかのように批判する。合理的な客観的認識能力の欠陥を自らの体質としている点に関しても「A・Aライン」ということなのだろうか。
次の文章は私のHP「市民ひとりひとり」の第55弾「拉致雑感」(容量の関係で削除済み)の中の「金正日に一時帰国ではなく原状回復を求めよ」と、パソコンの不具合を何度も起こして、宛先アドレスが誰のものか不明となったメールで、「原状回復」説は後付けのものではなく、その当時から言っていたことの証拠に参考までに掲載しておきます。興味ある人は読んでみてください。あて先アドレスは消しました。
* * * * * * * *
HP「金正日に一時帰国ではなく原状回復を求めよ」
(日時・2002年10月5日 3:40)
日本人拉致が金正日が言うように「特殊機関の一部が妄動主義・英雄主義に走って行った」もので、自身が何ら関与していなかったということが真正なる事実であるなら、特殊機関のすべての行動に対して最終責任を負うべき立場にある北朝鮮国家の最高責任者である金正日が自らの職務上からも、誠実さという点、あるいは人道的観点からも、まずなすべきことは、生存者5人とその家族に謝罪し、その上で5人を拉致した場所に送り返す速やかな原状回復を行うことであろう。原状回復とは、日本人に戻すということをも意味するのは当然なことで、5人は日本という場所・国で日本人に戻った上で、自らの進退を決するべきである。それが純粋に本人の意志で決定される保証を確保されなければならない必要上、原状回復は5人の家族を伴った状態のものでなければならないだろう。
謝罪すべき直接的な対象は小泉首相ではなく、拉致された5人と日本の家族であって、それをしないだけではなく、原状回復の〝ゲ〟の字も口に出さないというのは、自らの関与があったからに他ならない。
日本政府にしても小泉首相自身にしても、勿論外務省も、〝原状回復〟の要求をほのめかすことすらせず、特に日本政府拉致調査団は5人に帰国の意思を確かめながら、北朝鮮で生まれ育った子どもたちへの配慮を理由に早期帰国には慎重姿勢だったと、そのままを調査結果として伝えるだけでは、子どもの使いの域を出ないお粗末さである。マッカーサー元帥がかつて日本の政治は13歳の子ども程度だと言ったが、それ以来今もって成長していないようである。
日本の主権を侵害されてまで、国民が暴力的に拉致・誘拐されたのである。5人の希望や都合で実現する形式の帰国ではなく、あくまでも金正日に原状回復を認めさせ、その実施をもって国交正常化交渉開始のあくまでも前進的条件とすべきだろう。つまり、原状回復は国交正常化交渉開始に向けた糸口――第一歩でしかなく、解明に向けた真相の進展に応じて、第二歩・第三歩とし、日本の家族を含めた日本側のすべてが十二分に納得したことをもって最終条件とする国交正常化そのものの交渉に入るべきではないだろうか。
* * * * * * *
メール
送信者: "Hiroyuki.Teshirogi" <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
宛先: <・・・・・・・ >
件名 : 「なぜ拉致被害者家族は帰国できないのか」
日時 : 2003年9月20日 0:17
言うまでもなく、生まれ育った日本に返すべきという原状回復政策を絶対原則と
すべきを、小泉首相は一時帰国政策で解決できると見通しを誤った結果だろう。
一時帰国政策こそが北朝鮮の「約束違反」という言いがかりを許している最大の
原因となっているのである。
原状回復要求が受入れられなかったために、一時帰国で譲歩したのか。最初か
ら、原状回復は頭になく、一時帰国としたのか。一時帰国はお願いの部類の要請で
あり、原状回復要求は、当然の権利としての主張の部類に入る請求である。それを
しなかった・できなかったのだから、毅然とは正反対の、何とも不様な卑屈外交を
展開したことか。それが今もって尾を引いている。
手代木ヒロユキ
http://www2.wbs.ne.jp/~shiminno/
wbs08540@mail.wbs.ne.jp
* * * * * * * *
HP文中の「原状回復は5人の家族を伴った状態のものでなければならない」は、拉致被害者とその家族が日本と北朝鮮に引き離されていたなら、被害者は自らの主体的な意志で決断できないから、家族を伴った環境に置くべきという意味です。舌足らずであったかも。
メーリングリストから
【平野:それとね、宮崎さんがご指摘のこの辞め方の背景にね、ぼくは謀略的なものがあると思いますね。
宮崎:謀略的なもの!】からの続き・・・・・
平野:それはですね、所信表明に対する代表質問を終えて辞めた場合ですね、これは安倍さんの政策の継承になるんですね、次の政権は。そういう形で辞めることが出来るわけですよ。
宮崎:うん。
平野:ところが所信表明やりっ放しで、あと投げましたよね。
宮崎:うん。代表質問なしで。
平野:これは所信、やり直しでしょ、新しい政権の。そうすると次に出て来る政権は、安倍さんの政策を継承するとか、影響を受けるっていうことは一切なくなりますからね。これはおそらく私はね、かなり計算されたね、次のなりたい人がね・・・
宮崎:それは今の話の流れからすると、麻生さんがそれを仕組んだという風に聞こえますが、如何ですか。
平野:うーん、まあ推測的にいえばね、意図的に仕組んだのか、或いは
宮崎:流れがそうなっちゃったのか。
平野:流れをそう作っていったのか。
宮崎:それは別として、麻生さんが、そういうことの中心になっていた可能性が高いということ。
平野:完全に小泉・安倍から離れた政策を選択することが出来るわけでしょ。麻生さんはそうすると言ってたでしょ。
宮崎:要するに、「小泉さんは壊した、自民党。自分たちは作らなきゃいけない」という風に幹事長に就任された時におっしゃってましたよ。あれの意味というのは、もう小泉・安倍政権の構造改革の流れというのは継承しないと。そういう構造改革政権ではないという風なものが、まあ決意表明であったと。
平野:そうです。
上杉:小泉路線を放棄したというのは、今回の改造内閣ができた時にわたしが申し上げたのは、これは「麻生仮装内閣」だと。いわゆる麻生準備内閣で、実状の面々をみると、人事権の一部をとった麻生さんが、次の政権のためにもう準備した布陣だと申し上げたんですね。
特にそのポイントとなるのが与謝野さん。官房長官がさっそく経済政策に対して舵を切り、それから遠藤さん、総理を抜きにして事実上の更迭を決めてしまうという形で、もうほとんど、トップは安倍さんですが、事実上は麻生さんが非小泉政権を作り出していたという観点からすると、正に今おっしゃった通りじゃないかなと思いますね。
宮崎:そうなると陰謀めいてくるんだけど、今日も辞任会見では安倍さん、なんで続投したのか仰いませんでした。これ、みんなが疑問に思うこと。
だって7月29日に続投して、1ヶ月半しか経っていないのに辞めるんだっていうのは、これは最大の謎ですよ。それはきちんとしたお答えが無かったですね。なんでなの。
上杉:たまたま明日の「週刊文春」に書いたんですが、実は3週間ほど取材をしていて、やはり精神的なものというか正直なところ、安倍さん自身の精神がもう持たなくなったと。
ちょうど2週間くらい前から、最初は党7役の懇談会があったんですが、それ終わった直後、その7役の一人の方が、「ちょっとおかしいぞ、総理は。前をぼーっと見たまま、全然生気が感じられない。何を言っても棒読みのような返事しか返って来ない。大丈夫か?」というようなことで、ちょっと情報もらったんですね。
で、翌日に論説懇というのがあって、その時も同じような情報が入って。その後にAPECに行く前に、ちょっとかかり付けのお医者さんに少し診てもらって、APEC行ったんですが。APECでも、今までの安倍さんとは違う状態だというような声がずっと聞こえて来てたところ、取材をしているなかで、この週末になって、もうそれも耐えられなくなって来たんじゃないかという声がいくつかあったんですね。
シドニーで職責には拘らないとおっしゃった時点では、もうお辞めになるという意思は・・・
宮崎:だから既に心が折れていたんだね。
上杉:ええ。ただ時期は今日ということではなく、一日でも長くという風に思ってたでしょう。
宮崎:うん。
上杉:あともう一つ大きな要素としては、お母様が非常に重要な・・・
宮崎:安倍洋子さんですね。
上杉:ええ。色んな政治判断をされる時にも、お母様の羅針盤的役割というのを重要視してたんですが、どうも先週以来体調を崩されて。で、そういう家庭内のストレスも含めて、もう内閣総理大臣としての職務を、やるのが辛いと。
宮崎:まあ、悪い言い方をすると、三界に家無しという状況になって、孤立感・孤独感を深めていった。それがやっぱり精神的に影響してきた。そういう風に見てもいいんですかねぇ。
平野:その通りです。もともとね、精神的に弱い方なんです。わたしが衆議院の事務局にいた頃、お父さんの晋太郎さんが幹事長、竹下内閣の、いろいろ使われました。その頃晋三さんは秘書をしてました。
それから私が議員になってから、保保連合・自自連合、しょっちゅう安倍さんたち与謝野さんたちと会合を持って、料亭で色んなことを相談したんですが、他の政治家に比べて、黙って静かに・・・、体調もよろしくない、しわーっとしてる人でしてね・・・。
私は話しかけて、昔話しながら、身体をよくしてしっかりと勉強してお父さんの志を遂げなきゃ駄目だと、
宮崎:うん。衣鉢を継がなきゃ駄目だと。
平野:ええ。「協力するから」というような関係だったんですよね。段々その・・・小泉さんが可愛がるにつれて、格好はつけるけど内容的なものが伴わなくなったと、ぼくは見てるんですよ。
それでそもそも去年の9月に、理念も政策も全くちがう人達が、70%くらいの自民党の応援で、家柄と顔で選挙用に総理に就けた。この時から今日の運命というのは、私は決まってると思うんですよ。
宮崎:ええ。私はね、あれは毎日新聞に、「草木も安倍になびくというような状況で、自民党は堕落した」という風に書いてるんです。
平野:その通りです。
宮崎:結局その禍根というのが、こういう形で出てしまったということですよねぇ。
平野:ですから、これから自民党は崩壊の過程に突っ込むと思いますね。
===== 中略 =====
平野:総裁選を決めたこの早さっていうのは、もう一つ麻生さんが懸念していたのは、総理の職務執行不能という状態になると、これ憲法で規定されているように、ナンバー2という、いわゆる与謝野官房長官が総理大臣になる可能性があったんです。
それをもう早めに摘むために、総裁選をやるということを、もう午前中のうちに発表すると。そういう意味も含めて、これはもう着実に、このために布石を打っていたというのは、まあ取材をしながらも充分に伝わってきましたね。
宮崎:麻生さん、出馬すると思いますか。
平野:すると思います。それから今年になってから、アメリカ方面の情報として、麻生さんを早く幹事長にして、安倍さんと取り替えるというアメリカ側のね、様々な思惑という背景もあったと思いますね。
===== 中略 =====
宮崎: 例えば遠藤武彦前農水大臣の事実上の更迭、辞職させたことも、実は麻生さんがイニシアティブを取ったと。麻生・与謝野で決められたという印象が強いですよねぇ。
しかも世の中に対して、そういうアピールをしたわけです。テレビカメラで、麻生さんと与謝野さんの会談のシーンまで撮らせて。あれを見た時にね、私は「ああ、これはいけない!」と思ったんですが、どうですか、平野さん。
平野:岸信介さんのDNAとね、吉田茂さんのDNAとね、所詮相容れないんですよ。それが一つ。
それから麻生・与謝野・平沼というのはね、麻布高校の同級生で、一緒に机並べていた仲ですからね。平沼さんの復党問題だって、安倍さんにしてみれば物凄く複雑、且つ難問なわけですよね。で、こういうものをあの二人は平然として進めようとする。で、党内を、呑ませようとする。そのとばっちりは、両院議員総会とか代議士会で、みんな安倍さんのとこへ来る。
宮崎:うん。
平野:こういう役回りになったら、安倍さんとしては敵いませんよ。あのお坊ちゃんでは。あの精神力では。
宮崎:うん。でも、麻生さんとしてはね、小泉的なものを掃討するために、これはシンボリックな意味で平沼さんの復党というのは、プライオリティーの高いものだった訳ですよねぇ。そうすると、かなり仕組まれていた辞任劇だった、或いは追い込まれて来た辞任劇だったんじゃないかと思うんですが。
平野:その通りですね。
上杉:やはり麻生さんの復党問題に関する政治力というのは、安倍さんと比較してやっぱり大したものだなと思うのは・・・。麻生さんが平沼さんを復党させると、無条件で。それは党内に対してもそうですけど、やはり小沢民主党に対して最大の牽制になりましたよね。
結局その国民新党が、選挙前は必ず与党側ではなく野党側に付いていた。旗幟鮮明にしたにも拘わらず、あの一言が出た途端に急にぶれて、国民新党は。
要するに郵政民営化。平沼さんが入れれば、当然ながら自分たちも入れる資格があるんで、いきなり統一会派を組まずに、もうやや民主党の方から少し外れたと。
となると、民主党の方としても、国民新党がいれば共産党入れなくて参議院野党過半数いたのが、結果として共産党・社民党にまた頼らなきゃいけないと。こういう数の対小沢戦略のなかで麻生さんがそういう力を発揮したのかなと。
宮崎:そうなると、麻生さんは首相の座に就けば、郵政民営化法案を見直すと言いかねないですね。
平野:その通りですね。わたし一昨日ね、亀井静香さんと偶然会ったんですよ。30分くらいね、上杉さんがおっしゃったような話をしてたんですがね。まあ、国民新党でも、人によって違うでしょうけど、要するに平沼さんを巡って、相当やっぱり新しい政権寄りの流れができて、民主党のまあ保守系としては、国民新党との寄り合いが非常にまずくなってます。
来年にかけて、まあ選挙もあるでしょうけど、これは大きな再編の予兆になると思いますね、自民党を中心とした。
宮崎:民主党も巻き込まれますよね。小沢さん、困るんじゃない?
平野:勿論そうですね。まあこれね、彼はまあ、政権交代をするきちっとした構造を作ることが目的ですから、本来は国民の選挙による選択で政権交代をやるべきだと。それ以外の裏工作の政権交代というのは、出来ないしやるべきでないという論なんですが、
宮崎:正論ですね。
平野:どうもね、それが一体になるような・・・、その・・・選挙巡ってですね、そんな感じが私はしていますね、この安倍さんの突然の異常な辞め方で。
===== 中略 =====
堤:正に嵌められたんだな、可哀想だなという感じがするんですが、それとは別にね、こういう形で首相が途中で放り出すっていうのは、やっぱり他の国からみても異常ですよね。
今後これは日本の国際的な立場とか、民主主義国家としての信頼にどういう風に影響していくのか、お二人にお訊きしたいんですが。
平野:先ずね、平成8年に住専国会で騒いだ時に、村山自社さ政権が予算を編成して国会に提出せずにね、辞めちゃったんですよ。これが先例なんですよね。
宮崎: うん。
平野:ですから日本の政治文化っていうのはね、健全な議会制民主主義国家じゃないんです、はっきり言って。格好だけこう、議会多数決原理を機能させてるんで。
宮崎:形だけ!
平野:形だけ。これは自民党だけじゃなくて、民主党だって他所の党だって同じことなんです。議会主義の真髄っていうものが、日本人はまだ理解してませんね。
宮崎:だからこれは要するに、日本の政治文化の後進性の表れという風に外国から見られても仕方ないと。
平野:はい。で、今度のことはね、特に国家としての信頼性を失って、国益にものすごくマイナスになる。
上杉:もうおっしゃる通りで、例えばAPEC行って来たんですけど、「じゃあ、安倍総理が話したことは、なんだったんだろう」という風に思われて、これは当然ですよね。
それからやはり象徴的だったのは、赤城農水大臣がお辞めになった翌日に、GUTウルグアイ・ラウンドからドーハ・ラウンドに移るときの、アメリカの農務長官との重要な会議の前だったですね。それをどたキャンして、しかも代理も行かせなかったと。
となると今後この一番大事なドーハ・ラウンドに、日本はプレーヤーじゃないということを自ら宣言したようなもので、その時はよかったんですけど、絆創膏は、長い目でみると非常に日本の農政に対してマイナスだということも考えると、こういう政治音痴はいいんですけど、長い目でみると国際的に信頼をどんどん失ってると言わざるを得ないですね。
堤:どうしたらいいんですかね。
上杉:もう、普通のことをすればいいんですよね。人間関係。外交ですら、やはり人間関係だし信頼関係なんで、当たり前のことをすればいいんですが、もうそういう海外に対する目が行かなくなってて、内側内側に向いてるのが今回の10ヶ月11ヶ月の安倍政権だったのかなぁと。
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以上です。(文責: マリネッリ恵)
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(「日本の政治文化の後進性の表れ」――日本の政治家の政治文化は日本の国民の政治文化と対応し合い、相互に響き合う関係にある。決して個別に存在するわけではない。
出席者の話題の質そのものがそのことの証明となっている。)
(メーリングリストで17日(07.9)に配布された文章です。既に読んだ人もいるかもしれませんが、転送・転載自由ということで、それ以外の人の参考のために掲載します。発言者に「~氏」の敬称が付いていましたが、略すことにしました。代わりに太字にしました。行操作と空白詰めを行った箇所があります。文言そのものは何も手をつけておりません。字数の関係で2日に分けて掲載します。
一読して感じたことは、出演者自体が興味本位にスキャンダルを追う方向の次元の低い話題に終始しているのだが、政策とかは一種のモノづくりで、なお且つ共同作業だから、それなりの体裁を持たせることができるが、人間それぞれの活動は自己利害や打算、権力欲などを動機とした低い次元で蠢いているものだということ。そう感じた箇所は下線を引きました。
以下配布文書です。)
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超長文で申し訳ありません。以下の文章を転送・転載なさる場合は、御自由にどうそお願いいたします。
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杉並区のマリネッリ恵です。
9月12日(水) 、朝日ニュースターの「ニュースの深層Evolution」を見ました。出演者は次の方々でした。
平野貞夫(ヒラノ・サダオ) --- 元衆議院事務局職員、元参議院議員
上杉隆(ウエスギ・タカシ) --- ジャーナリスト、『官邸崩壊』の著者、当番組火曜担当メインキャスター
宮崎哲弥(ミヤザキ・テツヤ) --- 水曜担当メインキャスター(評論家)
堤未果(ツツミ・ミカ) --- 水金曜担当サブキャスター(ジャーナリスト)
12日の20時の放送ですから、麻生幹事長が次期総裁候補の本命だろうと思う人が多い段階です。未だ福田氏の名はあまり出ていません。興味深い部分をお伝えいたします。
なお御発言はなるべく正確にお伝えしますが、文中・文末のですます調などは省かせて頂く場合があります。
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宮崎:安倍さんの辞任というのは、これは驚きました。どうお感じになりました?
堤:もうすごいショックですね。国民が辞めてほしいという民意を出した時には辞めないで、「新しくやります」と言った直後に辞めてしまう。
宮崎:所信表明演説の直後に辞めるなんて、私はね、TBSの「ピンポン」という番組をやってた時に、その第一報が入ってきたんですけど、戦後政治史上に残る稀に見る事件だという風にコメントしたんですが。これはまあ、珍事ですよねぇ。
堤:政治って、もう少し重いものじゃないんですかねぇ。職場放棄・・・・
宮崎:職場放棄なのかっていうことも、議論していきたいと思うんですが。与野党の本格論戦、代表質問が始まるその矢先に、突然の辞任でした。この背景にはいったい何があるのか。どういう動きがあったのか。それと今後の政局ですね。いったいどうなってしまうのか。
今日は、衆議院の事務局にもお勤めになって、国会というものを知り尽くしているこの方にゲストに来て頂きました。
堤:元参議院議員、平野貞夫さんです。平野さんは小沢さんの側近としても、小沢手法などを知り尽くしているという、そういうお方です。
宮崎:小沢手法だけではなく、色んな手法を知り尽くしている、もともと自民党の方ですから、この方。
平野:よろしくお願いいたします。
宮崎:自民党の手の内も知り尽くしている方。ただね、私は安倍さんを追い込んだ二人の人物がいると思うんだけど、政界では小沢一郎さんですよね。小沢一郎さんの知恵袋ですから。
平野:いえいえ。
堤:間接的に追い込んだという・・・
宮崎:そう、そう言っても過言じゃない。そしてね、もう一人、安倍さんを追い込んだ人が来てくれるんですね。(未だ到着なさっていない)
この本『官邸崩壊』の著者です。上杉隆さん。お馴染みの火曜日の深層キャスター。そうとう官邸が機能不全に陥っているということを、あからさまにしてしまった訳ですね。これもね、私は安倍さんを追い込んだ一つの原因だと思ってる。
===== CMを挟んで =====
宮崎:ただね、与謝野官房長官が、病気が第一の原因だろうと言われてましたが、病気ならばこういう辞め方があるとは、ちょっと考えにくいですよねぇ。どうですか。
平野:宮崎さんおっしゃるようにね、120年くらい続いた明治からの議会政治の中で、初めての異常事態ですね。
宮崎:ええ。
平野:私はね、年内、健康状態が原因でね、もう職は続けることが出来ないだろうという予測してまして、対外的にも、或いは訊かれた時にも、そういう解説をしていたんです。
ただおっしゃるように、所信表明というのは、政権を続けるという・・・、安倍さん個人の問題じゃありませんからね。これを途中でぶん投げるっていうのは、議会政治の否定じゃないですか?
宮崎:そんなに病状が悪いんだったら、病気で辞めるんだったら、代理を立てられるわけですから、
平野:そう、そう、そう。
宮崎:そういうような措置をするのが、行政の長としての役割ですよねぇ。
平野:そうです。
宮崎:だから結局わたしは病気という形は取られなかったということだと思いますね。
平野:あの、石橋湛山さんが総理になって、病気になって、で、岸信介さんを代理に立てられて・・・
宮崎:本日のスペシャルゲスト(いつもはゲストは一人)、お馴染みの上杉隆さんです。
上杉:よろしくお願いします。
宮崎:単刀直入に伺います。なんで辞めたの?
上杉:2週間くらい前から、士気というか、生気が失われていて、辞めるのは時間の問題ではないかと、まあこれ取材していてずっと言われていたんですね。
で、まあ今日ということではないですが、まあ近いうち、今月中はもう持たないだろうというのが、取材していて、ほんとうに身近に居る人の意見でしたね。
で、いくつか切っ掛けを言われてるんですが、まあ小沢さんの党首討論断ったというのは、あれはないというのが、総じての意見で。一つにはやはりこの、病気というか精神的にかなり追い詰められたんではなくて、もうその、最後に残っていた柱というか、意思の力というのが、折れてしまったというのが・・・
宮崎:けっきょく心が折れたということですよね。
上杉:ええ。
宮崎:心が折れたということですよね。心が折れるにしても、所信表明演説をしたばかりですから、なにか切っ掛けがあったと。
平野さんに伺いたいのは、安倍さんは少なくとも辞任の記者会見では、小沢さんに対して党首討論を申し込んだ。ところが、民心から乖離してしまった人とは話しても意味がないといって断られた。そこで自分は辞めざるを得なかったというような意味のことをおっしゃって、これは小沢さんが後に否定されましたよねぇ。大島国対委員長から今日来たばっかりで、そんな前から知らないと。真相はどうなんですか。
平野:私ね、きょう午後4時から1時間近く小沢さんと二人でね、話す機会があったんですがね。その事も話題になりましたが、党首討論とか代表質問とか、もちろん予算委員会の、表の討論を重ねて、そして問題点と、それから追求しなきゃいけない部分っていうのが出て来て初めて、そのトップの話っていう、党首会談っていうのが、政治の順序でしょ。全く唐突にですね、しかもマスコミの報道が先行して国対委員長のところに来たと。自分が断ったことを理由に辞めるというのは心外だと、はっきり言いました。
それからもう一つね、実質的に断ったという言い方を安倍さんしてましたね。
宮崎:してましたね。
平野:ここが非常にいやらしいところなんです。まあ安倍さんがいやらしいというより、大島国対委員長の手口なんですよ。私は彼の手口よく、衆議院事務局時代から知ってますからね。
まあ、山岡・大島の両国対委員長だったらですね、双方の真意はね、なかなか掴めませんわなぁ。 (^^;)
宮崎:じゃあ敢えて伺います。上杉さんでもいいけど、大島さんは、背後に居るというか、それは麻生さんですよね。そうすると麻生・大島ラインでいま平野さんが言ったいやらしい事をやったということになりますが、どうですか。
上杉:その可能性は無きにしもあらずですね。というのは、一昨日の所信表明が終わった後、昨日とか取材してると、まだ辞めるつもりはなかったんですね、昨日の夜までは。
宮崎:うん。
上杉:まあ少なくとも総辞職は考えていたんですが、一日でも長くやってみようという風におっしゃっていたんで。それが朝明けてなったというのはですね、これ実は、最初はTBSが報じるんですが、
宮崎:はい。私が番組で報じました。
上杉:ああ、そうですか。まあ、このニュース自体が麻生さんのサイトから流れていると。で、それも確実に「辞意」というわけではなくて、
宮崎:これはね、「党幹部に対して辞意を表明した」というのが第一報だった。
上杉:そうですよね。で、それに対して、もうやや流れをつくってしまったと、自民党のほうが。特に麻生さんの方が、流れをつくった形跡が充分ありましたね、今日の午前中には。
宮崎:だからね、私はこの党幹部というのは、間違いなく麻生幹事長だという風にコメントしたんですよ。
とはいえじゃあなんで、この時点で辞めることになったのかっていうのは、辞意を表明することになったのか、解からない。だから麻生さんは、月曜日から知ってたっていう風に言ってるわけですよね。どうしてなの、これ?
上杉:週末からですね、まあいくつかの要素が考えられるんですが、政治とは別にメディアのほうの動きがあって、一つには「週刊現代」が来週というか今週末に・・・、安倍さんの脱税問題で取材を行っていたんですね。これ、実は脱税といって、まあ各紙夕刊で打ったりですね、NHKも最近流してましたけど、実はこれは安倍さんが勘違いされた部分があると。
で、これ、中身を説明すると、要するに25億円のお父さんの時代からの遺産を相続する時に、お母様の洋子さんから安倍さんに渡したと、その遺産の部分を、貰った部分を。で、これが寄付行為ではなくて、マネーロンダリングをしたということで、取材をされていたんです。
が、実際はこれ今年の3月に「東京スポーツ」に藤本順一さんというジャーナリストが、もう書いてまして、ここは実はセーフだったと。
宮崎:要するに「週刊現代」の記事の内容というのは、結論というのは、相続税を脱税したという形になってるわけですねぇ。
上杉:ええ。
宮崎:ところがそれはセーフだったと。
上杉:セーフだったのを、安倍さんは、この部分で更に隠してることが実はあってですね、そこの部分が突っ込まれるのではないかと、要するにやや勘違いして少し怯えていたんです。
宮崎:要するに、彼としては非常に致命的な意味をもつ、その本件が出て来たのではないかという風に思ったと。
上杉:ええ。それは週末に確かに、近い人に洩らしていました。非常に気にしていたと、この取材に関しては。で、それが一つにあってですね、ただ安倍さんも「週刊現代」もお互い違うところを勘違いして、思い込んでしまったというのが、一つの要素としてありますよね。
宮崎:その本件というのは、致命的な意味をもつんですか。
上杉:そうですね。ただ時効で、同じく相続税の部分ですが、実は25億円、これ相続税払うんですが、12億はもちろん配偶者である洋子さんが払って、残りの部分をご兄弟で分けてるわけですね。これはもうクリアーしてます。ただその他に、25億円のほかにですね、はっきり額は申し上げられないんですが、未申告の部分が実は晋太郎先生があって、そこの部分を追求して来るんではないかと、誤解されていたようなんですね。
宮崎:平野さんね、そういう週刊誌記事というので、総理大臣が辞めるっていうの、あるのかしら。
平野:これはね、やっぱり安倍さん本人の精神状況の問題でしょうね。
宮崎:ああ、既にその前にそうとう追い詰められていた。
平野:それとね、宮崎さんがご指摘のこの辞め方の背景にね、ぼくは謀略的なものがあると思いますね。
宮崎:謀略的なもの!
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(安倍辞任劇と照射し合う日本の政治文化(2)に続く。