どんな理由からかと言うと、京都と奈良が世界に誇れる観光の街、神戸が日本を代表するファッションの街、そのように名を馳せているのに対して大阪をエンターテインメントの街として名を馳せしめることを初期目的としたいらしい。
「大阪をもっと猥雑にするためにも、カジノをベイエリアに持っていく」
猥雑(雑然として下品なさま)としていていやらしい街――これが橋下知事が望む活気ある都市のイメージということなのだろ。カジノを持ってきて、今まで以上に猥雑としたいやらしい街にグレードアップする。
具体的にはどんな街かと言うと、バクチ打ちで賑わい、バクチ打ちと一緒にバクチに打ち興じる女、バクチで儲けた男たちに群がる風俗の女、あるいは逆に風俗の女に群がるバクチで儲けた男たち、当然そういった男と女が利用するホテル――いわばバクチとセックスに溢れた猥雑としていていやらしい街の出現を描いていて、そのような街を大阪のために活気ある風景とすることを初期的成果とするということなのだろう。
外国の要人も、日本の政治家とか官僚といった要人も、あるいは大手企業経営者等がこっそりと訪れてギャンブルと女の刺激にありつくといったことも風景の一つとすることも考えられる。
勿論、マスコミにすっぱ抜かれてセンセーショナルなスキャンダルとして報道されることも起こり得る。
「TBS」記事――《橋下知事「カジノ構想」、関西活性化》
――きのう(29日)講演会で、またカジノ構想を関西ベイエリア・・・(?)、バクチ打ちを集めるとかいうようなお話されたようですが。
橋下「アハハ、まあ、あの、そこだけ取られてしまうとね、表現はね、えー、講演会だったんで、えー、バクチ打ちとか、猥雑な街とか、まあ、色んな表現は使いましたけど――」
橋下「きちんと環境を整えた形でのカジノというものは、カネを稼ぐ、地域がカネを稼ぐ重要なツールに僕はなると思ってますんで――」
橋下「エンターテインメントの部分をすべて大阪で引き受けてもいいんじゃないでしょうかね。早く財布を一つにしてね、えー、上がった税収をみんなで分けるっていう、その方向に早く持っていかないと、オー、関西はもう、ほんとにもう、沈没してしまいます」(TBS動画から)――
「関西が一丸となって、それぞれの役割分担をしたらいいと。エンターテインメントの部分をすべて大阪が引き受けてもいいんじゃないでしょうかね」 (FNN記事)
「国に頼らず、地域で財源を生み出す仕組みをつくることが重要だ」 (同FNN記事)――
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「早く財布を一つにしてね、えー、上がった税収をみんなで分けるっていう、その方向に早く持っていかないと、オー、関西はもう、ほんとにもう、沈没してしまいます」
カジノ開催を関西が沈没しないための、もうこれしかない最後手段と位置づけ、その上がりを財政再建の早急且つ「重要なツール」としたい、それが初期成果が次のステップとする最終目的だとしている。
カジノ構想は周知のように橋下知事が最初ではない。上出「TBS」記事も触れているが、石原慎太郎都知事が2001年にお台場カジノ構想をぶち上げ、「国の頭が固すぎる」と言って断念しているし、2006年8月に当時自民党政調会長だった中川秀直が米軍基地の跡地を利用した沖縄カジノ構想を那覇のホテルで行った講演で披露している(「琉球新報」)。
だが、カジノも風俗街もホテル街も全部引き受けるとなったなら、引き受けなくても雨後の筍のように風俗街やホテル街を出現させることになるだろうが、意図しないことであっても、闇世界をも引き受けることになる。「TBS」記事も大阪商工会議所の野村明雄会頭の声として伝えている。
「集客施設としてこれほど大きなものはないと評価がある一方で、闇社会だとか、教育的に良くないとか、そういうネガティブリストを書き出したらきりがない」
バクチで儲けた男たちからカネを搾り取るために闇世界の男たちが雇った女を派遣し、肉体で稼がせ、その稼いだカネを闇世界の男たちが搾り取る、あるいは個人経営の形で自主的に参加した女たちを威してみかじめ料を取って間接的搾取とする光景を出現させないではおくまい。
警察が取締れば済むことだと考える者もいるだろうが、警察の取締まりが日本の売春防止法の条文が描いているとおりの禁止状況をつくり出しているのかというと、そうはなっていないその反映をカジノ世界にも描くことになることは間違いない。一般社会と同じく警察の取締まりは単なるモグラ叩きで終わるだろう。
モグラ叩きのモグラは叩かれると一旦は姿を隠すが、モグラ自体の数は減るわけではない。釈放されれば活動を再開する者、新たに参入する者が出現して、決して跡を絶たないことは現実世界が証明している。
いわば例えカジノを合法化しても、売春、あるいは闇世界という非合法まで招き寄せ、共存共栄を図ることとなる。
となると、闇世界の活性・発展を背中合わせする地方の財政再建及び地域活性化、地域発展という皮肉な現象を覚悟しなければならない。
このような構造を防ぐ有効な手段(絶対的手段ではない)は売春の合法化しかない。女性による肉体を武器とした経済活動の合法化である。勿論個人経営のみの合法化としないで、雇われた形を含めた合法化の場合、搾取の形態を残すこととなる。
橋下知事はどちらの形態を取るのだろうか。売春を非合法のままにして闇世界が蔓延るに任せるのか、あるいは売春を合法化に持っていって、闇世界の活動の阻害・抑制を図るのか。どちらにしても覚悟のいるカジノ開催願望と言える。
また女子高生や女子大生が、あるいは年齢を偽ってだろうが、女子中学生までがカジノとその周辺の華やかに活気づいた世界に出入りし、女子高生や女子大生であることを武器に、あるいは未成年であることを武器に小遣い稼ぎに、あるいは小遣いといった半端なものではなく、堂々たる経済活動に及ぶ場面の出現を考えると、橋下知事は全国学力テストで大阪府の成績が悪かったことから、大阪府の名誉のためにだろう、日本一成績の良い自治体にすると宣言したが、一方で成績の良い子をつくり出し、一方で学校文化と無縁の売春文化に生活する子どもたちをつくり出すその二重性まで、覚悟の一つに入れなければならない。
女子中・高・大学生が小遣い稼ぎに売春する、援交するは一般社会で既出の生態だとしても、彼女たちからしたら、新たな活躍機会、新たな進出場所となる。橋下知事側から言うと、カジノ開催によって例え意図しないことであっても、新たな活躍機会・新たな進出場所を彼女たちに提供することになる。
裏側に「全部引き受ける」とする「猥雑」で「いやらしい」世界を抱え込むこととなる、その実態と覚悟を差引いたとしても、賭博の上がりで財政再建を図ろうとする橋下知事の政治的創造性は見事と言うしかないが、その見事さを考えたとしても、余りに短絡的で貧しい政治的創造性と言えないだろうか。
それとも何で稼ごうと、カネはカネだとでも言うのだろうか。この論理を正当化するなら、女たちが自分の肉体を武器とした経済行為で稼いだカネだけではなく、その経済行為自体も正当化しなければ、不公平となる。
また大阪のカジノが成功した場合、その成功の独り占めは日本中殆んどの自治体が財政再建を迫られていることから、他の自治体からしたら指をくわえて眺めているだけで済ますわけにはいかず、我も我もと手を上げることとなったなら、政府としても大阪だけ許可と言うわけにはいかず、日本中カジノだらけとなって客足が分散減少することとなったなら、一頃は財政創出に貢献のあった競馬や競輪がその後客足が減って撤退する自治外が続出した二の舞とならない保証はない。
『役務賠償』解明は戦争総括の一つとなり得る
〈第2次世界大戦後、旧ソ連によってシベリアに抑留された元日本兵ら計57人(うち5人は死亡)が、国に1人当たり1100万円の損害賠償を求めた訴訟で、京都地裁は28日、原告側の請求を棄却する判決を言い渡した。 〉と10月28日(09年)付「asahi.com」記事――《シベリア抑留、賠償請求棄却「政治的決断待つべきもの」》が伝えている。
原告側は冷戦終結後にロシアで見つかった資料をもとに終戦後にシベリアなどに連行され、強制労働に従事したのは大本営の参謀や関東軍が旧ソ連に日本兵の抑留と強制連行を認めたからで、国による遺棄行為や安全配慮義務違反があったと賠償請求。
国側「過去の訴訟で解決済みの問題を蒸し返しているにすぎない」
吉川慎一裁判長「抑留被害は深刻かつ甚大なものだったが、(現在まで補償を定めた立法や予算措置がないことに触れ)政治的決断に待つべきもの」と政治的解決を求めた。
〈大本営の参謀や関東軍が旧ソ連に日本兵の抑留と強制連行を認めた〉とは自民党歴代内閣が日米核密約と同様、一切認めてこなかった「役務賠償」を指す。
既に広く知れ渡っているが、「役務賠償」は終戦間際の1945年7月にソ連に日米和平の仲介を依頼すべく近衛文麿を特使としてソ連に派遣することを決定、ソ連の特使受け入れの拒絶に遭って実現しなかったが、近衛文麿は側近と共に作成した仲介交渉の取り決め条件を記した『和平交渉に関する要綱』の中に既にその姿を現している。
〈(四)賠償及び其の他
イ、賠償として一部の労力を提供することには同意す。〉――
【役務賠償】(えきむばいしょう)とは「労力を提供することによって相手国に与えた損害を賠償すること」(『大辞林』三省堂)である。
少なくとも近衛文麿はそう考えていた。
しかしこの考えは近衛一人のものではなく、関東軍司令部が実際にソ連に申し出たとする内容を1993年7月6日付の『朝日』記事――《関東軍司令部から申し出 旧満州捕虜のシベリア使役》が伝えている。
シベリア抑留経験者で組織する全国抑留者補償協議会(山形県鶴岡市)の斉藤六郎会長がロシア国防省の公文書館で発見した山田乙三関東軍総司令官がワシレフスキー極東ソ連軍総司令部に送ったと見られる報告書によって明らかになったという。日付は8月15日終戦の日から約半月経過した1945年8月29日、関東軍はまだ現地に残り、ソ連と関東軍の武装解除等の交渉の目途をつけていた段階で、その中での申し出だという。
(帰国までの間)「極力貴軍の経営に協力するが如くお使い願いたい」
記事の言葉を使うと、「国際法に基づいて捕虜の即時送還を求め」ずに、逆に労働に使ってくださいと捕虜を差し出し、最終的なステップとして関東軍の撤退を置いていたのである。
これは上から下に仕向けた犠牲強要の力学に則った一種の国家権力による棄民に当たる。他者に犠牲を強いることによって自らを助ける生贄の構図そのものを窺うことができる。
記事は次のように書いている。
〈シベリア抑留問題では、関東軍がソ連側に「役務賠償」の秘密提案をしたとの疑惑がくすぶり続けていたが、初めて文書で裏付けられた。〉――
さらに1993年8月13日の『朝日』記事――《大陸残留の邦人180万人 大本営、「土着化」を想定》は、〈終戦直後の混乱の中で、当時の大本営が旧満州や朝鮮半島の民間日本人やソ連の捕虜となった軍人計180万人を、ソ連の指令下に移し、国籍離脱まで想定、病人などを除き現地に「土着化」させ、事実上“棄民”化する方針を固めていたことを示す朝枝繁春大本営参謀名の視察報告書がロシア軍関係の公文書施設で発見された。〉と伝えている。
報告書の日付は昭和20年8月26日付、関係箇所の具体的内容を次のとおりになっている。
「今後の処置の部
内地ニ於ケル食料事情及思想経済事情ヨリ考フルニ既定方針通大陸方面ニ於テハ在留邦人及武装解除後ノ軍人ハソ連ノ庇護下ニ満鮮ニ土着セシメテ生活ヲ営むム如キソ連側ニ依頼スルヲ可トス。・・・・満鮮ニ土着スル者ハ日本国籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス」――
60万人の軍人がシベリアなどに強制労働に連行され、6万千人の死者を出すに至ったのはその後のことだという。
記事は朝枝繁春の談話を載せている。
大まかに紹介すると、「自分の筆跡ではなく、偽造されたものだが、これに似た内容の文書を作成、打電した。関東軍に残ったものがソ連軍に押収されたのかもしれない。私の独断で起草、打電したもので、大本営、日本政府の意向ではない。結果的に日本人の抑留に影響したかもしれないが、独断で指示を出したことは反省しており、懺悔したい」
話に矛盾がある。「関東軍に残ったものがソ連軍に押収された」のだとしたら、偽造する必要は生じない。筆跡にしても、そのとおりに残るはずである。
また、「独断で起草、打電したもので」、「大本営、日本政府の意向ではない」と言っているが、「既定方針通」と、その「方針」が既に決まっていたこととしている。
当然、「打電」は「既定方針通」の実行を促す意図を持たせていたはずである。
例えそうではなくても、「打電」後の段階で、大本営に参謀としての意向は伝わっていたはずである。朝枝繁春大本営参謀名の視察報告書の日付が昭和20年8月26日付、最初の記事の関東軍司令部からの申し出の日付はその3日後の1945年8月29日である。難しい暗号の場合は解読に日数がかかると言うことだが、既に日本は降伏している。暗号化する必要がなかったと考えると、電報を手段とすれば、3日の間に関東軍総司令部に朝枝の意向が東京の大本営本部を経由して反映されていたことは十分に考え得る。
関東軍総司令部にしてもいくら自分たちが生き残りたいと思っても、大本営の方針を無視して「極力貴軍の経営に協力するが如くお使い願いたい」とは言えないはずである。
ソ連側の日本人シベリア抑留者に対する強制労働が実際に日本側が許容した「役務賠償」であるなら、国は「過去の訴訟で解決済みの問題を蒸し返しているにすぎない」で片付けるわけにはいかなくなる。当然、裁判に影響を与えて、判決も違った姿を取る可能性が生じる。
何よりも戦争の総括の一部としてシベリア抑留が日本側が申し出た「役務賠償」に基づいていたのかどうか、間違いなく国家権力による“棄民”だったのか、核密約解明と併行させて解明すべきだろう。
鳩山首相が以前からシベリア抑留問題解決に意欲を持っていたと紹介する記事がある。以下全文参考引用。
≪記者の目:シベリア抑留者補償=栗原俊雄(東京学芸部)≫(毎日jp/2009年10月15日 0時12分)
官僚主導から政治主導への移行、大規模公共工事の見直し、地球温暖化防止のための二酸化炭素排出量の大幅な削減……。自民・公明の2党連立から民主・社民・国民新の3党連立へ政権が代わり、日本や世界の行く末を左右する課題が次々と大きく動き出した。一方、今回の政権交代によって、60年以上前にさかのぼる問題が解決するのではないか、と期待している人々がいる。第二次大戦後、シベリアに抑留された人たちだ。
ソ連がシベリアへ連行した日本人は約60万人。そのうち約6万人が抑留中に亡くなったとされる。この問題は「歴史の一コマ」ととらえられがちだが、抑留者たちは今も、失われた尊厳を取り戻すために闘っている。鳩山由紀夫首相は以前から、問題解決へ向けた決意を繰り返し表明してきた。政権を取った今こそ、約束を果たすべき時である。
全国抑留者補償協議会(全抑協)の会長を務めていた寺内良雄さん(昨年10月死去)らをしのぶ会が、昨年11月に東京都内で開かれた。その際、鳩山氏が行ったスピーチが印象に残っている。「祖父一郎が抑留された方々を戻すことは手伝ったが、その尊厳を取り戻すまでには至らなかった。労働の対価は(現状では)日本が負うことは当然だが、政府は慰謝で済ませようとしてきた。それでは尊厳は回復されない」。言葉は熱を帯び、力がこもっていた。
私は抑留者の取材を続けている。極寒の地での過酷な強制労働、日本人同士のきずなを切り裂いたソ連式共産主義の洗脳教育、抑留者が今も抱えている肉体・精神的後遺症。そうした抑留の実態について、今年1月28日の本欄などに記した。これは明らかに国際法違反である。抑留者には賠償や労働賃金の支払いを求める権利があった。
1956年の日ソ共同宣言により、最後までシベリアに残されていた日本人約1000人の帰国が実現した。一方、戦争に関する賠償請求権を相互に放棄したため、ソ連に補償を求める道は絶たれた。共同宣言を実現させたのは当時の鳩山一郎首相である。
抑留者は日本政府に補償を求めるしかなくなったが、応じてもらえない。全抑協は訴訟を起こしたものの、1、2審とも敗れ、97年に最高裁で敗訴が確定した。原告らの損害は「国民が等しく負担すべき戦争損害であり、これに対する補償は憲法の予想しないところ」(東京地裁)などという「戦争被害受忍論」の壁が高かったのだ。
全抑協は運動方針を変え、補償を可能にする法律の制定を目指して、民主党などに働きかけた。民主・共産・社民の野党3党は05年、国が30万~200万円を支払う法案を衆参両院に提出したが、「郵政解散」で廃案となった。
その後、野党が法案を再提出したとき、衆院総務委員会で趣旨説明をしたのが鳩山氏である。「生存しておられる方々の平均年齢も84歳前後、一刻も早く本法案を成立させなければ」。06年、この法案は否決され、自民・公明の連立与党が旅行券10万円分などを「特別慰労品」として贈る法案を成立させた。
だが、抑留者の多くは不満を抱いた。「賃金なしに働くのは奴隷。奴隷のまま死ぬわけにはいかない」(平塚光雄・全抑協会長)という思いである。だからこそ「慰め」ではなく、国家による「補償」を求めているのだ。全抑協とは別に行動する抑留者30人は07年末、国に賠償を請求する訴訟を京都地裁に起こした。今月28日に判決が下される。
民主党などは新たに、国が25万~150万円を支払うことなどを定めた「戦後強制抑留者特別措置法案」をまとめ、09年3月に参院へ提出した。「今度こそ」と抑留者の期待が高まっていた5月、参院議員会館で全抑協設立30周年を記念する会が開かれた。ここにも鳩山氏の姿があり、「参議院だけでなく、衆議院でも皆様の思いが通る政治に変えていきたい」と語った。政権を獲得して問題を解決する、という約束であろう。
その後、同法案は衆院の解散に伴って廃案となった。8月30日投開票の衆院選を前に、全抑協は「私たちにとって最後の総選挙。最後の一票を有効に行使しよう」と抑留者やその遺族、関係者に呼びかけた。そして、民主党は歴史的勝利を収めた。
生存する抑留者は約9万人で、平均年齢は87歳と推定される。多くの人は「国は我々が死ぬのを待っている」と語ってきた。国家への不信感は、それほど深いのだ。
抑留者に残された時間は少ない。戦後政治に翻弄(ほんろう)され、司法から突き放されてきた彼らに手を差し伸べられる機会は、今回が本当に最後だろう。「問題山積で後回し」は許されない。そのことは鳩山首相や民主党などもよくわかっている、と信じたい。
《首相らの「答弁資料」作成指示 内閣総務官室、すぐ撤回》(asahi.com/2009年10月27日15時1分)
指示したのは首相官邸の内閣総務官室。22日付のものだという。
「脱官僚だ」、「政治主導だ」だと散々言っていた政党の、「脱官僚」・「政治主導」を率先垂範し牽引すべきその司令塔のすぐ足許で「官僚依存」の背信が演じられた。
記事によると、指示文書は「国会答弁資料について、これまで同様、各省庁のご協力をお願いします」で始まり、〈「国会答弁資料についての留意点」として、「総理答弁にふさわしい格調高い表現にしてください」「質問の趣旨を踏まえた簡潔な内容に」「『~に資する』『適切に対応する』など役人にしかわからない表現は使わないで」「両論併記は認めない」など、書きぶりに至るまで具体的に注意喚起する内容になっている。 〉と事細かな要請内容となっているという。
これは以前問題になった教育タウンミーティングで予め決めた質問者に質問の内容を言葉遣いまで指示したヤラセと同じ仕掛けであろう。
結構毛だらけ、ネコ灰だらけの指示だが、“格調の高さ”は自身の知性・教養に恃むしかない自身で表現すべき資質のはずだが、それを官僚がつくり上げた文章に恃むのはいくらそれらしく見せることができたとしても、見せ掛けの“格調の高さ”で国民を欺くペテンとはならないだろうか。
記事は指示文書は自公政権時代に国会開会前に出されていた内容とほぼ同じだとする関係者の話を伝えている。いわば慣例となっている官僚作文・閣僚読み上げ国会答弁ということなのだろうが、そのことを記事はある省の担当者の話で補強している。
「目新しい内容ではない」――同じことの繰返しとしてあるいつもの「答弁資料」作成指示だとうことである。
官僚や閣僚はそれでいいかもしれないが、国民は閣僚の声として、あるいは主義主張として聞いてきたはずだから、これまで長い間騙されてきた国民からしたら、バカにされた思いがするはずである。
政治家の側から言うと、国民をバカにしてきた。
だが、国民を欺くことだなどとはつゆ程も考えていない首相官邸高官の政権交代後も各省による答弁資料づくりを事実上認める内容の談話を記事は紹介している。27日に記者団に語ったという。
「答弁は官僚が書けばいい。官僚から上がってきたものに(政治家が)手を入れればいい」
では、「脱官僚」・「政治主導」は一体何だったのか。記事も触れているが、民主党の小沢一郎幹事長が官僚の国会答弁を禁じる国会法改正を目指している動きに刃向かう“官僚依存”となる。
但し首相官邸内閣総務官室指示によるこの国会答弁の“官僚依存”を平野官房長官は27日の記者会見で関知していないことだったと語ったという。
「(指示文書が)出されたことを初めて知った。私から指示したわけでは全くないし、首相からも指示していない。私どもが求めている政治主導からみれば、逆行していると認識している。(指示文書の)撤回を含めて考える」(同asahi.com)
鳩山首相も「指示していない」と否定している。
このことが事実とすると、首相官邸という組織全体に亘って「脱官僚」・「政治主導」で意志の統率を図ることがができていないことを示す。統率を行き届かせることができていなかった鳩山首相や平野官房長官の責任は重大なものがある。
なぜなら、指示を受け取った各省は、「なーんだ口程にもない、脱官僚だ、政治主導だと散々言っておきならが、結局は官僚依存か」と見くびったことだろうからである。例え指示を撤回したとしても、「脱官僚」・「政治主導」の看板の手前撤回したに過ぎない話だと高を括るだけのことで、見くびる気持は残したに違いない。
官僚が見くびったと言うことは当たり前の起承転結だが、政治家側が見くびられたということである。新聞記事は既に触れたように指示文書は自公政権時代に国会開会前に出されていた内容とほぼ同じだと関係者の話を伝えているが、森自民党政権から9年続いた自公連立政権以前から続いていた霞ヶ関の文化・伝統・歴史と化していた官僚作文・閣僚読み上げ答弁だったろうから、このことと併行して官僚の政治家側に対する見くびりにしても長年続いていた文化・伝統・歴史と化していて、自らの体質にまで高めていたはずである。
大臣でございます、首相でございますと偉そうに構えていても国会答弁一つ自分では満足にできないではないか。何様だと格好をつけていられるのは誰のお陰だ、官僚様のお陰ではないか。
このような見くびりの経緯は官僚の存在なくして内閣を構成する各政治家は成り立たないという論理を学習させていたはずである。
だが、官僚の存在なくして内閣を構成する政治家は成り立たないというこういった関係構造に反して官僚を散々こき使うだけで自分たちだけ楽をして、閣僚様だ、総理大臣様だといい思いをしている。
当然、代償として政治家側のいい思いに代る官僚側のいい思いを求めたとしても、人情の自然としてある感情の発露であろう。
それが随意契約で与えた利益の業者からのキックバックであったり、接待であったり、盆暮れの高額な贈答品であったり、その最大の収穫が天下り・渡り等の“いい思い”となって現れたとしても不思議はない。
厚生労働省国民健康保険課の職員30人が冊子などを外郭団体等に発注、その「監修料」として99年から03年までの4年間に1億8千万円の報酬を受け取って職員に配り、飲食費に使ったり現金で配ったりしていた“いい思い”は幹部キャリアが天下りや渡りをして高額の報酬を得る特大のいい思いに対抗する自分たちのいい思いであったろうし、かつての社会保険庁職員の保険料を財源として各種マッサージ器を購入して仕事中にマッサージをしたり、パソコンの1日に叩くキーの回数などを上層部と取り決めて仕事を楽にしていたのは天下ってきた長官が実務を知らなくても幹部に任せて自分は単にお飾りで居座っているに過ぎないのに高額報酬を手にするいい思いに対抗する自分たちの「バカらしくてまじめに仕事などやっていられるか」から発したいい思いであったろう。
そしてそのような仕事の怠慢の先に年金記録の改竄や年金横領があった。
上のいい思いが下のいい思いを誘い出す。上のいい思いが下に対する人事管理の手を縛ってしまうために下がそれを見透かして上のいい思いに対抗する下のいい思いを恣(ほしいまま)とする。
いわば上の恣のいい思いと下の恣のいい思いは相互対応関係として生じる。
官僚の国家予算を随意契約で何らかのキックバックを受ける、あるいはもっと直接的に備品等をカラ発注してその代金を裏ガネとしてプールさせて飲み食いの不正流用にまわす、あるいは補助金を大盤振舞いして後の天下りに備えるといったムダ遣いにしても、政治家の政治は官僚任せで自分たちは何様ヅラし、何様と振舞ういい思いに相互対応した官僚たちのいい思いであろう。
日本の政治家が自らの骨とすべき責任観念を持たないから、政治家に準ずる責任観念のない日本の官僚を出現させ、ムダ遣いに走って自分たちの利益とする。
民主党党政権が「脱官僚」、「政治主導」を掲げながら、かつての自民党政治家の二の舞を演じて官僚依存に擦り寄るかどうかの性根の見せ所であろう。
各省に出した国会答弁作成指示書が知れたのは「共同通信が入手した内部文書で分かった」と「47NEWS」が伝えているが、「脱官僚」を掲げ、官僚側からしたら天下り・渡りを敵視している民主党に対して一矢報いる意図で放った一種の内部告発、あるいは情報漏洩といったところではないだろうか。
少なくとも今回民主党に投票した国民の少なくない有権者が「脱官僚」・「政治主導」に疑いの目を向けたはずで、官僚たちが望んでいるに違いない民主党の失点につながったことは確かである。
会計検査院の調査で明らかになった実態だが、箇条書きに要約すると――
1.独立行政法人の日本学生支援機構(旧日本育英会)が扱う奨学金の滞納増加はこれまで不況
による低所得や失業などが背景にあるとされてきたが、約132億円分の未回収は滞納者の
転居先を把握していない機構の「努力不足」が一因。
2.奨学生は、「返還誓約書」に住所や電話番号などを書いて機構に提出し、最後に奨学金を受
けた月の7カ月後から口座振替の形で返済する取り決めとなっているが、卒業後、就職を機
に転居する奨学生が多く、その後も転勤に伴う転居に備えて機構は転居届の提出を求めてい
るが、出されないケースに機構は機敏に対応していない。
3.機構が貸し倒れの危険がある「リスク管理債権」とする3カ月以上の滞納約21万4千件、
約2253億円分(07年度末現在)のうち件数・金額ともに6%前後の約1万3千件、約
132億8千万円分が転居先が不明で、口座振替の案内書などが「あて先不明」として返送
されている。
4.1年以上の滞納について機構が07年度末段階で債権回収会社に委託した8231件の6割に
当たる5121件が電話で連絡が取れていない状況にある。
5.07年3月に卒業した奨学生だけを見ても、機構が5カ月後に送った「返済開始のお知ら
せ」の1464件があて先不明として返送されている。
6.これらの事情から滞納額が約2253億円に上った要因は機構が連絡先を確実に把握できてい
ないことにある。
7.検査の過程で、失業や病気療養などで返済猶予の対象となる卒業生が多数判明。連絡を取
って返済猶予の手続きをするように指導すれば滞納残高の減少につながるが、住所を把握し
ていなかったことで、こうした手続きも取られていなかった。
会計検査院の調査に対する機構の言い訳。
「検査院の指摘は真摯(しんし)に受け止める。自治体に照会するなど転居先把握に努めているが、費用や時間がかかるのも実情だ」――
「費用や時間がかかるのも実情だ」からと言って、滞納額の約2253億円を放置していい理由にはならない。「時間」をカネ換算して「費用」に足して2253億円を上回ることになったとしても、せっせと貸して約2253億をドブに捨てることをしていることになる。
記事から窺うことができるのは第一に機構の怠慢である。債権回収会社任せ、自治体任せで、自分たちはノホホンとしている横着な姿しか見えない。
第二に、奨学生は機構と「返還誓約書」を交わしているはずである。例え就職を機に転居することはあっても、あるいは転勤や再就職によって転居を繰返すことがあっても、転居のたびに転居先の住所を自己申告する義務を負うはずだが、3カ月以上の滞納約21万4千件のうち1万3千件の奨学生と、1年以上の滞納8231件のうち5121件の奨学生がその義務が果たしていない。
借りた奨学金は返済する性格のものだと分かっていて利用しているのだから、義務の未履行は意図的な返済逃れであろう。いわば踏み倒しに当たる。例え生活苦から返したくても返せない状況に追い込まれていたとしても、返済猶予の手続きをして、少しずつでも返済していくのが最低限の履行すべき義務のはずだが、それさえも果たしていない。
だが、転居先不明の未返済者以外の残る3カ月以上の滞納約20万件、1年以上滞納の未連絡以外の残る約3千件はどんな理由で返済に応じていないのだろうか。すべて返済猶予の手続きを取っている“残り”に当たるのだろうか。
それとも口座は設けているものの、入金ゼロとなっていて、あるいは意図的に入金ゼロにして、引き落とせない状態に放置しているということなのだろうか。
いずれにしても転居の自己申告という最低限の義務を果たすことができない元学生、あるいはこういった元学生と重なるに違いない意図的返済逃れの元学生の金銭感覚のルーズな点は日本の官僚の国民の税金を原資とした国家予算を裏ガネづくりや随意契約、あるいは天下りを活用して一身上の利益に用立てる金銭感覚のルーズさと相互に近親関係にある資質のように思える。
奨学金返済に関わる最低限の義務さえもを果たさない元学生を日本の官僚に採用したなら、両者は必ずや協力し合って各種ムダ遣いに才能を発揮してますます国家予算を増やし、赤字国債の着膨れで日本を暖かく包み込むことに役立つのではないだろうか。
その実現のためにはムダ遣い根絶を掲げた民主党政権では期待不可能で、ムダ遣いを垂れ流してきた自民党に政権復帰を願うしかない。谷垣禎一総裁の自民党に一刻も早い党再生を!?!?!?!?――
特に皇室や皇族に関する情報はマスコミの公的な報道からでは窺うことはできない一般国民の考えを知る情報源としてインターネットに優る情報獲得場所はないように思える。
もしもそういうことなら、岡田克也外相が23日午前の閣議後の閣僚懇談会で国会開会式で天皇陛下が述べる「お言葉」の見直しを求めた問題にしてもマスコミの報道だけではなく、インターネット上に投稿してある主張・意見等に触れて、一般国民がどう把え、どう考えているか一通り目を通しているのではないだろうか。
天皇や皇太子がパソコンを操作してインターネットにアクセスし、あれこれの情報に接している姿を想像すると何だか楽しくなる。
皇族の発言は政治的に制約を受けているが、もしもインターネットに自由にアクセスして各種情報に自由に触れることまで禁止されているとしたら、日本は本質のところでは民主主義を装った独裁国家ということになる。天皇を国家権力に都合のいい情報で支配し、それをあるべき天皇像として国民の目に触れさせて、それを介して国民の意識を間接的にコントロールしていることになる。マスコミがつくったタレント像にファンが惑わされるように。
だが、実際はそうなっていなかった。
2001年12月18日の天皇の記者会見で記者から、「世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年、日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ、両国の市民レベルの交流も活発化していますが、歴史的、地理的にも近い国である韓国に対し、陛下が持っておられる関心、思いなどをお聞かせください」と問われて答えた天皇の発言は、小泉純一郎が2001年の自民党総裁選で「私が首相になったら毎年8月15日に靖国神社をいかなる批判があろうと必ず参拝します」と公約、首相になったものの中国・韓国の反撥から8月15日参拝を避けて2日前の8月13日に参拝したが、中韓の激しい抗議を受けて関係がギクシャクした3ヶ月後の記者会見であり、新聞・テレビだけではなく、インターネット等で得た内外の反応が頭になかったとは思えない。
天皇「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし、残念なことに,韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して、両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております」(宮内庁HPから)
「武寧王の子孫」なる情報がインターネットからではなく、直接『続日本紀』を勉強して得た情報か何かではあろうが、国家権力に都合のいい情報で支配されていない証拠とはなり得る。
この発言だけからみると、天皇の発言が政治的制約を受けていないように見えるが、2001年12月23日の「朝鮮日報」記事――《全日本が沈黙してきた‘ルーツ’を言及「意外」》は、〈今回の発言が日本政府と事前の調整がなされた痕跡はなく、日王自らの判断によるものである可能性が高い。記者会見での質問は、慣例によって事前に提出する。しかし、宮内庁の実務者が準備した回答資料に「百済」や「武寧王」などの言葉はなかったと、いくつかの消息筋は伝えている。〉と、「宮内庁の実務者が準備した回答資料」から外れた異例の発言であることを伝えている。
「記者会見での質問は、慣例によって事前に提出する」は、2003年12月18日の天皇誕生日記者会見で、「70歳と申しますと杜甫の詩に『人生七十古来希』と詠まれた年齢です。とはいえ現代ではむしろ多くの人が迎える年齢で、当時とは意味合いも違ってきているように思われます。一つの節目として70年を振り返り、陛下ご自身に喜びや悲しみをもたらした出来事についてお聞かせください」との質問に対する天皇の回答、「質問に正しくお答えするために、紙を準備してきましたので、それに添ってお話ししたいと思います」から前以て質門内容が伝えられていることを窺うことができる。
天皇の発言が“異例”とは、政治的制約を受けているからこそ、その政治的制約が強制している天皇の発言の一般性に反する、その反撥の大きさを指しているはずである。いわば天皇の一般的な発言の中に入っていない、あるいは周囲が一般的に認めている天皇の発言の中に入っていない文言ということで、だから“異例”とならないように「回答資料」を「宮内庁の実務者が準備」することにしているのだろうが、このことは天皇が外的な有形無形の制約を受けている、あるいは自発的な有形無形の制約を自らに課していることとイコールを成すはずである。
日本民族の優越性を象徴させている「万世一系」を看板とした天皇家が朝鮮半島人の血を受けているということは日本の保守の単一民族主義差者にとっては都合の悪い話で、その発言は当然極めて“異例”な、政治的発言の部類に入る。
私は容量の関係でアップロードから外したままになっているが、自作HP「市民ひとりひとり」<第49弾 雑感AREKORE part9>〈2002.1.15(火曜日) アップロード〉に感想を次のように書いた。
平成天皇、単一民族説を自ら否定する
〈平成天皇は2001年12月18日、68歳の誕生日を迎えるに先立っての記者会見の中で、次のように述べている。
「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」
日本民族を優越的民族だとするためには、純粋民族(=単一民族)を条件としなければならない。混血民族とした場合、その優越性の根拠は薄れる。最悪の場合、優越性の勲章は混血部分の民族に奪われかねない。だからこその、跡を絶たない単一民族発言なのである。あるいは、中国・朝鮮半島からの文化や技術の伝播は認めても、人間の移動を黙殺してきた、一般性としてある歴史態度の表れなのである。
天皇自身、気づいているかどうか知らないが、自身の発言は純粋民族(=単一民族)を否定する内容のものであり、同じ記者会見での、「韓国から移住した人や招聘された人々によって様々な文化や技術が伝えられた」という発言も、人間の移動に関わる日本人の意図的な隠蔽に事実訂正を迫るもので、純粋民族(=単一民族)否定を補強する発言趣旨となっている。
このことは、国民の中にある、日本民族優越性の証明として優越的存在だとしている天皇自らの権威性を天皇自身が否定していることを意味している。〉――
日本の保守、単一民族主義者たちにとっては都合の悪いこの天皇発言を受けた単に事実を伝え、常識に添った解説を加える形のマスコミ報道だけではなく、マスコミ報道の常識的な情報処理を破った一般的な国民が記したインターネット上の書き込みを天皇は自分の発言の世間一般に与えた反響を知りたい誘惑に打ち勝って、覗かないでいられただろうか。
もし覗かなかったとしたら、人間味を感じないというだけではなく、発言から判断する国民の天皇自身に対する把え方に目をつぶることになる。
また、“否定”は単なる事実誤認から発している間違いの指摘、あるいは愚かさから発している間違いの指摘等の形式を踏むが、天皇の単一民族否定の“単一民族”は単純な事実誤認からではなく、愚かさから発している間違いと把えているはずで、にも関わらず、それ以降も日本の保守の「単一民族」発言は姿を消すことはないまま推移している。そのような状況に単一民族主義を否定した本人である天皇は無感覚でいられただろうか。
2004年の10月28日の天皇主催の元赤坂御苑での秋の園遊会で東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけたのに対して、天皇が「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と答えたことが、異例だとされた。
2004年10月28日の「asahi.com」は〈天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。〉と伝えている。
対して宮内庁羽毛田信吾次長が、異例ではないと記者会見で答えている。
「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います。・・・・国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」(同asahi.com)
政治的発言ではないにウエイトを置いた発言となっている。だが、米長は東京都という一自治体の教育委員でありながら、権限外の「日本中の学校」を対象とした。そのことだけを以ってしても「『強制しようとするものではない』との首相答弁」を踏み越えた強制的ニュアンスを漂わせていることが分かる、狂信的とも言える自己使命を「私の仕事でございます」と天皇に向かって訴えた。
対して天皇は「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と答えた。
しかし二人の遣り取りの背景にある現実世界は「国歌・国旗法」が1999年8月13日に公布・即日施行される以前から当時の文部省の指導で、日の丸の掲揚と君が代斉唱が事実上義務づけられていて、君が代のピアノ伴奏を断った教師や国旗掲揚時に起立しなかった教師が学校側から懲戒処分を受けたりして、強制化への動きが加速していた。
いわば宮内庁羽毛田信吾次長が言うような「自発的に掲げる、あるいは歌う」といった“自発性”は許されない状況にあった。
天皇が自分という存在に深く関わる君が代・日の丸にどういった態度の持ち主であるかは別として、君が代・日の丸がその当時そういった強制化に動いている現実を知らなかったはずはない。
そんな中での「やはり、強制になるということではないことが望ましい」である。現実に即しないまま一般的見解で終わっている「『強制しようとするものではない』との首相答弁」に添った意思表示ではなく、「自発的に掲げる、あるいは歌う」といった“自発性”は許されない、逆に強制化への動きが加速している現実に異議申し立てすることになる「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と見るべきではないだろうか。
つまり自分という存在に深く関わる君が代・日の丸に対して従来の国家権力――自民党権力の強制意志に反して強制してはならないとする意志を天皇は示したと看做すべきだろう。
この見方が正しいとなると、日本の保守を掲げる麻生太郎は政権を失う前のまだ首相であった当時、掲揚が強制でなければ批判に当たらないはずだが、強制したい意志があったからだろう、何しろ単一民族主義者の代表格である、自民党本部には日の丸を掲げているが、民主党は掲げていないと言って批判していたくらい日の丸掲揚、君が代斉唱が暗黙の強制を受けている時代にあって、それに異を唱える形の天皇の君が代・日の丸に関わる姿勢は極めて政治的な発言となる。
この構図は一方に政治的制約があるからこそ、それを破る“異例”が生じせしめることとなる極めて“政治的”ということであろう。
天皇はこの発言のあと、インターネットで自分の発言の影響を確かめることはなかったろうか。マウスを操作し、これと思った書き込みに出会って読み通す姿を想像するのも一興ではないだろうか。
天皇が「象徴天皇とはどういうものか日々考えている」といった発言をした記憶があるが、象徴天皇との兼ね合いで徐々に自分の言葉で発言しようとする極めて“政治的な”意志を持って、その機会を狙っているように思えてならない。特に日本の保守が専らとしている日本民族に優越性を置く歴史認識に天皇は自分の言葉を記そうとしているのではないだろうか。岡田外相の「お言葉」の見直し発言はその手助けとならないだろうか。
もし天皇が日本民族に優越性を置く考えの持ち主であるなら、「宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています」といった平等思想からの発言は誰も耳にすることはなかったろう。
岡田「今日は、あの、開会式に向けての、、まあ、陛下のお言葉の、オー、まあ、承認がありましたが、まあ、私からは、エー、過去の例を見ても、確か私の記憶では大きな災害があった直後の一回を除いてはすべて同じ、、ご挨拶を頂いていると。陛下にわざわざ国会にまで来ていただきながら、同じ挨拶を頂いているということの、まあ、その、そのことについて、よく考えてもらいたいと。
もう少し陛下の思いが、色々と難しいことはあると思います。政治的な意味合いが入ってはいけないと。しかし、陛下の思いが少しは入った、そういう言葉を、オー、頂くような工夫ができないものか、考えて貰いたいというふうに言っておきました」(NHK動画から)
「NHK」インターネット記事は「お言葉」について、〈国会の召集は、憲法で天皇陛下の国事行為の1つと定められており、国会の開会式では、天皇陛下が、政府が作成して閣議決定したお言葉を述べられます。〉と解説している。
「東京新聞」は、〈お言葉は国事行為ではないが、内閣が責任を持つ。宮内庁によると、文面は内閣官房で考案。閣議決定を経て、天皇陛下がそのまま読み上げている。〉と解説している。
岡田氏が言う「大きな災害があった直後の一回」とは1995年の阪神大震災直後の開会式のことで、〈「速やかな救済と復興は現下急務」との内容が加えられたことがある。〉(YOMIURI ONLINE)に当たるらしいが、「お言葉」が「政府が作成して閣議決定」(NHK)という経緯を踏む以上、あるいは「文面は内閣官房で考案。閣議決定を経て、天皇陛下がそのまま読み上げている」という経緯を踏む以上、「速やかな救済と復興は現下急務」なる言葉も天皇自身の言葉ではなく、閣僚、あるいは自民党有力者の意向を汲んで政府が決定した“お言葉”ということになるのだろう。
また、そういうことなら、「お言葉を述べられます」ではなく、実質的には言わせているに過ぎないのだから、「お言葉を読み上げます」と表現しなければ、正確な場面表現、あるいは正確な情報伝達とはならないはずだが、あくまでも形式として天皇が自らの「お言葉」を“述べる”という行為表現となっている。
「お言葉」でないものを「お言葉」とすること自体が既に虚偽の体裁を成し、それを読み上げさせるのは一種のヤラセと言えるもので、このことこそ天皇の政治的利用に当たるはずである。
自分が作成した言葉ではない言葉を「お」をつけて天皇の「お言葉」として、単に読み上げているに過ぎない他人が作成した言葉をさも自分の言葉であるかのように“述べる”場面展開は天皇の言葉であるかのように見せかけるゴマカシを介在させて初めて成り立つ。
ゴマカシをゴマカシと見せかけないためには天皇に天皇としての権威があるからで、そのときの権威はゴマカシと背中合わせの状態にあるのだから、権威は単なる勿体ぶりによって保つことになる。
国会の開会式の「お言葉」はどのような内容かと言うと、〈「国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし、国民の信託にこたえることを切に希望します」などのくだりが例年盛り込まれている。〉(asahi.com)という。
岡田氏は23日夕方の記者会見で自身の発言を改めて説明している。
「無難に対応しようという官僚的発想で(お言葉が)同じ表現になっている。わざわざ国会までお出かけいただいているのに、陛下に申し訳ない」
「国事行為に準じるので、『あまり政治的にならないように』という配慮が行き過ぎた結果、(お言葉の内容が)繰り返しになっている。ある意味で内閣の責任で、もっと陛下の思いが伝わる工夫がされるべきではないか」(以上時事ドットコム)
「政府が作成して閣議決定」(NHK)するという、あるいは「文面は内閣官房で考案。閣議決定を経て、天皇陛下がそのまま読み上げている」(東京新聞という「お言葉」がどういうふうな成り立ちを見せているか、自作HP等で何度か利用してきたが、改めて過去の新聞記事から見てみる。
当時の韓国大統領盧泰愚(ノ・テウ)が1990年5月24日から26日まで国賓として訪日するに当たり、5月14日に韓国ソウルの大統領官邸・青瓦台で日本人記者との間で懇談会形式の会見が開かれた。
「私の前任者(全斗煥前大統領)の訪日時、昭和天皇が不幸な歴史に遺憾の意を表明した。両国間に不幸な歴史があったことは誰もが認識している。
加害者が誰であり、被害者が誰であったかについても共通の認識がある。加害者が被害者に『すみません』とか慰めの言葉を言うのは当然のことだ。
韓国側から言うと、謝罪がはっきりしない。被害者は加害者の真心を疑わざるを得ない。真心から『すみません』と言ってくれれば、被害者としても『いや、結構です。これからうまくやりましょう』と言えるのではないか。
日本の徳川時代、通信使の往来など両国は善隣友好の関係にあった。こんな歴史を見ると、不幸な過去は一時期のことだ。壬申倭乱(豊臣秀吉時代の朝鮮侵攻)と今世紀上半期の歴史(日本による植民地支配)は数千年の歴史から見ると点に過ぎない。今やこの点すらなくす時期にきている。
『間違った』、『すみません』と言うおおらかな心を見せれば、韓国だけではなく中国や東南アジアが日本に対する認識を変える契機になる。力量があり、強い方(ほう)がおおらかな心を見せることが必要だ」(《盧泰愚大統領会見 主な内容》(『朝日』/1990年5月15日―― 一部抜粋引用)
要するに全斗煥(チョン・ドウファン)前大統領の訪日時よりも踏み込んだ謝罪を平成天皇の宮中晩餐会での「お言葉」に求めた。これを伝え聞いた当時自民党幹事長の小沢一郎が「(過去の植民地支配や侵略戦争について)反省している。(経済面などで)協力している。これ以上地べたにはいつくばったり、土下座する必要があるのか」と批判して韓国国内から“妄言”だと猛反撥を受け、政府・自民党首脳会議の場で迷惑をかけたと謝罪している。
安倍晋三や麻生太郎と違って学習能力を備えているはずだから、民主党支持者としてこのときの小沢一郎ではないはずだと思いたいが・・・・・。
盧泰愚韓国大統領の要望に対して当時の坂本官房長官が、〈「天皇陛下は象徴天皇であり、憲法で天皇の国事行為は限定的に列挙し、非常に厳しい制約がある。公的行為による発言も、内閣の助言と承認が必要であり、天皇陛下のお立場に照らして慎重に考えるべきだと思う」と述べ、政府として「お言葉」の扱いに慎重に対応する考えを明らかにした(『朝日』1990年5月15日)が、「今世紀の一時期、不幸な過去が存在したことに対して、心の痛む思いがいたします」の表現で検討を進めてきた「お言葉」を、「その不幸な過去を思うとき、悲しみと苦しみを痛切に感じます」の表現とすることで政府・自民党の最終調整に入る方針を決めたと1990年5月23日の『朝日』記事に出ている。
この二つの記事からすると、「内閣の助言と承認が必要」という条件付きながら、「お言葉」に天皇の意志が介在しているように窺えるが、実際はそうではないことを中曽根元首相が自ら種明かししている。
《84年の昭和天皇「お言葉」 中曽根氏が決断》(『朝日』/1990年5月22日)
盧泰愚が言っている「「私の前任者(全斗煥前大統領)の訪日時」の昭和天皇の「お言葉」に関してである。全文参考引用。
〈中曽根元首相は21日午後、都内の事務所で記者団と懇談し、1984年(昭和59年)に韓国の全斗煥大統領(当時)が来日した際に昭和天皇がお述べになった「今世紀の一時期に於いて(日韓)両国の間に不幸が存在したことは誠に遺憾」とする「お言葉」は政府部内で検討を重ねた上で最終的には、首相だった中曽根氏自身の決断で決まったものであることを明らかにした。
中曽根氏によると、盧泰愚大統領の来日を控えて現陛下がどのような「お言葉」を表明されるか問題になっているのと同様、当時も昭和天皇が過去の植民地支配などにどう言及されるのが適当か、ということで外務省や宮内庁などの間で様々の議論があった。
このため首相官邸を中心に政府部内で、それまで諸外国に対して述べられた「お言葉」の先例を参考にしながら文案づくりが進められ、最終的には中曽根氏自身が「全大統領は政治生命をかけて日本にやってくる。大統領が(ソウルの)金浦空港に帰ったとき、韓国国民が喜ぶような環境づくりをすることが日韓親善促進の上で、キーポイントだ。ついては私に一任させてほしい」と一任をとりつけ、「お言葉」の表現を決めたという。
昭和天皇の「お言葉」は84年9月6日、皇居で開かれた歓迎夕食会の席上、述べられた。〉――
記事は〈当時も昭和天皇が過去の植民地支配などにどう言及されるのが適当か、ということで外務省や宮内庁などの間で様々の議論があった。〉とか、〈「お言葉」は政府部内で検討を重ねた〉、あるいは〈首相官邸を中心に政府部内で、それまで諸外国に対して述べられた「お言葉」の先例を参考にしながら文案づくりが進められ〉たと、いずれかの場面で天皇を主体とした天皇自身の意志が介在し、そのような介在を背景として「議論」、「検討」、「文案つくり」が行われたかのような内容となっているが、〈一任をとりつけ、「お言葉」の表現を決めた〉とする経緯は最終的には天皇の意志の不在を物の見事に証拠立た中曽根の得意げな打ち明け話となっている。
その「お言葉」に天皇の意志が関わっていたにも関わらず、中曽根がそのように発言しているのだとしたら、天皇を蔑ろに僭越行為となるが、どちらにしても天皇の意志を不在の状態に置いた「お言葉」であることに変わりはない。
つまり、〈現陛下がどのような「お言葉」を表明されるか問題になっている〉にしても、〈昭和天皇が過去の植民地支配などにどう言及されるのが適当か〉にしても、検討、その他を加えている主体は天皇を一切関与しない場所に置いた外務省や宮内庁、あるいは内閣だというわけである。
1991年9月の昭和天皇のASEAN3カ国(タイ・マレーシア・インドネシア)訪問時の《『天皇陛下ASEAN訪問のお言葉 「過去」に触れるが、強い謝罪は避ける 政府が方針を決める』》(『朝日』1991.9.19.)は「お言葉」の一段と天皇の意志の不在を証明する記事内容となっている。(一部省略)
〈政府は18日までに、天皇陛下の東南アジア3カ国(タイ・マレーシア・インドネシア)訪問の際の歓迎晩餐会などでの『お言葉』について、第2次世界大戦の際に日本が与えた被害について言及するものの、謝罪の念を表すような表現にはせず、また3カ国とも同じ表現にするとの方針を固め、外務省で文案を作り、現在首相官邸、宮内庁などとの間で最終的な詰めを急いでいる。・・・・・・・
陛下は昨年5月に盧泰愚韓国大統領が来日した際、「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じ得ません」と、戦前の植民地支配など「不幸な時期」が日本の責任であることを明確にした上で、お詫びの気持を示されている。
外務省よると、韓国大統領への「お言葉」について、国内から天皇の政治的利用という批判があったことから、今回の訪問先の3カ国が陛下の謝罪を求めていないことから、一時は、「お言葉」の中で「過去」にまったく言及しないことも検討された。
しかし、「未来を志向した友好親善への期待を述べられる中で、過去にも言及される方が自然で、言及がないとかえって論議を招く」との判断から言及することになった。ただ、韓国大統領に対しての「お言葉」のように強く謝罪の意を滲ませることは避ける方針で、文案はかつて昭和天皇がスハルト・インドネシア大統領やマルコス・フィリッピン大統領ら東南アジア諸国の元首を迎えた際に、「不幸な過去」「不幸な戦争」という表現で間接的に遺憾の意を示したのを参考に練ったという。今回はこれに近い表現になる見通しだ。〉――
最後の〈文案はかつて昭和天皇がスハルト・インドネシア大統領やマルコス・フィリッピン大統領ら東南アジア諸国の元首を迎えた際に、「不幸な過去」「不幸な戦争」という表現で間接的に遺憾の意を示したのを参考に練ったという。今回はこれに近い表現になる見通しだ。〉とする箇所は恰も天皇の意志が少しは関わった「遺憾の意」であるかのように思わせるが、〈韓国大統領への「お言葉」について、国内から天皇の政治的利用という批判があったことから、今回の訪問先の3カ国が陛下の謝罪を求めていないことから、一時は、「お言葉」の中で「過去」にまったく言及しないことも検討された。〉や、〈韓国大統領に対しての「お言葉」のように強く謝罪の意を滲ませることは避ける方針〉といった箇所から窺うことができる経緯はまさしく天皇を蚊帳の外に置いてその意志を全く介在させない自分たちだけの楽屋うちのみの「お言葉」作成となっている。
あとは天皇がさも自分の言葉であるかのように「お言葉」を書いてあるとおりに読み上げる連携プレーがあって、「お言葉」は役目を終える。
但し、日本の天皇が謝罪したという外国にとっての成果は残る。天皇自身が心の底から謝罪の気持を持ったとしても、日本の政府も日本の国民も自らは厳しく先の戦争を総括しない場所に立っている以上、日本の政府や日本国民から見た場合、単に天皇に言わせた謝罪、あるいは天皇が言ったに過ぎない謝罪――形式で終わる。
いわば日本の政府が天皇を政治的に利用しているだけではなく、日本国民も意図しないまま気づかずに天皇の政治的利用に加わっていることになる。露骨に言うと、天皇は政治的利用体として存在させられているに過ぎないことになる。
政治的利用体であることは、〈韓国大統領への「お言葉」について、国内から天皇の政治的利用という批判があった〉としている解説そのものが直接的に証明している。「お言葉」が天皇自らの言葉でない以上、政府はあそこまで謝罪させる言葉を天皇に喋らせることはなかったとする意味の批判でなければならないはずだから、「お言葉」をつくった政府が政治的に利用した側で、天皇は政治的に利用されたという文脈となる。
そこで〈今回の訪問先の3カ国が陛下の謝罪を求めていないことから、一時は、「お言葉」の中で「過去」にまったく言及しないことも検討された。
しかし、「未来を志向した友好親善への期待を述べられる中で、過去にも言及される方が自然で、言及がないとかえって論議を招く」との判断から言及することになった。〉と、天皇を介してそう思わせる言葉の操作を施すこととなった。施す側は言葉の操作――もっともらしい言葉のつくりのみだと思っていても、言葉に重みと価値を与えるのは天皇の権威なのだから、やはり天皇の政治的利用以外の何ものでもなくなる。
もし天皇が政治的利用体ではなく、「お言葉」が天皇自身の主体性に任されていたなら、周囲がアドバイスすることはあっても、〈今回の訪問先の3カ国が陛下の謝罪を求めていないことから、一時は、「お言葉」の中で「過去」にまったく言及しないことも検討された。〉といった展開は起こりようもないことであろう。
もしそのような「検討」が天皇自身の意志の全面的な介在の元で行われていたとしたら、天皇の人柄が知れるということになる。
いわば日本政府が天皇を、その〝お言葉〟を介して、侵略戦争の謝罪を強めたり薄めたりする政治的に利用する道具としているということである。
このように天皇を介してその時々の状況に応じて変化を持たせる謝罪態度にしても、日本政府自らが厳しく戦前の戦争を総括していないことから起きている、その相互反映としてある現象であろう。
「2600年の歴史」と、その「2600年の歴史」を脈々と生きついできた「万世一系の天皇」を日本民族の優越性を証明する一大権威としていること自体が既に天皇を利用する存在としていることの証明でしかない。そして天皇の権威を日の丸や君が代に反映させて、日本民族の優越性を証明する付属装置としている。
もし岡田外相の「陛下の思いが少しは入った言葉を」の要請が「お言葉」に天皇の主体的意志の介在を求めたものなら、本人は意図していなかったとしても、政治的利用体としての天皇から政治的利用の側面を僅かでも削ぐことになる。政府がつくった言葉をさも自分の言葉であるかのように「お言葉」として単に機械的に読み上げる、あるいは言わせられる利用される存在からの部分的救出を結果とする。
だが、そのような意図的、あるいは無意図的な期待に反して、逆に岡田外相の言動を批判する声が上がった。
自民党大島理森幹事長「政府が陛下のお言葉にものを申し上げるのは、憲法上も、政治論としても行き過ぎた発言だ。民主党のおごりを感じる」(msn産経)
「政府が陛下のお言葉にものを申し上げ」て、その時々の都合に合わせてきた政治的利用こそが問題なのだが、利用してきた一員に属する自民党の古い政治家だからなのか、自分たちがしてきたことがどのようなことなのかには気づかない。
政治評論家有馬晴海「天皇陛下は政治的に独立していて、政治に介入しないのが大原則。それなのに国会議員、まして閣僚が天皇陛下の言動に触れるのは暴走だ」(サンスポ)
天皇を「政治的に独立」した存在だとするのは日本政府とは独立した政治的存在と位置づけることになる。日本国憲法は「第1章 天皇」、「第4条 天皇の機能」で、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とする規定を受けていることからすると、天皇を政治的存在だとするのは憲法に違反することになる。
いわば「お言葉」が天皇の主体的意志の介在によって作成され、内閣の助言と承認を経るという経緯を踏んでいたなら政治的利用云々とは無関係と言えるが、政府が外交上の措置として自分たちで作成し、自分たちで承認した文章を天皇の「お言葉」として天皇に機械的に読み上げさせること自体が既にその権能を持たない天皇に国政に関わらせる政治的利用に足を踏み入れていることになる。
それが謝罪であろうとなかろうと、天皇の言動が外交上の措置としてあるなら、憲法が禁じている「国政に関する権能を有しない」とする規定を破る政治的利用に当たるということである。これは「お言葉」が誰が作成するか否か以前の問題であろう。外交とは「国政に関する権能」の一つに当たるからだ。
同「サンスポ」は〈有馬氏には、慎重といわれる岡田氏までがこういう発言をするとは、民主党全体が“のぼせ上がって”いるようにみえるという。〉と伝えた上で、さらに有馬氏の発言を続けている。
「今までの“自民党的常識”を破らないと国民に評価されないと勘違いして、見栄えのいい政策のアドバルーンを上げる競争を党内でやっているようなところがある。しかし『オレがオレが』は実行してから言ってほしい。岡田氏も自分のところの米軍普天間基地移設問題を片づけるのが先だ」
天皇の政治的利用という点で、どうも的外れな批判に思える。
民主党西岡武夫参院議院運営委員長「開会式における陛下のお言葉について、私どもが政治的にあれこれ言うことは、あってはならない。信じがたい」(毎日jp)
「陛下の政治的中立を考えれば、お言葉のスタイルについて軽々に言うべきではない。極めて不適切」(東京新聞)
岡田氏の「陛下の思いが少しは入った」は「お言葉」の作成に天皇の意志の介在を求めたものに過ぎず、それが「政治的中立」を備えた「お言葉」なら、問題はないはずだが、既に触れたように先の戦争に対する謝罪であれ何であれ、天皇のどのような言及もそれが外交上の措置であるなら、「国政に関する権能」を持たせることとなって、「政治的中立」は齟齬を来たす。
例えこのことを無視したとしても、政府が作成した言葉を外交上天皇の「お言葉」とする政治的利用の問題は残る。先の戦争の国家・国民一体となった総括の回避が天皇の謝罪を続けさせる結果となっているのだから、その問題をクリアすることが「お言葉」に関わる政治的利用からの唯一の解決策となるのではないだろうか。
そういったステップを踏むことによって外交的にも天皇は自らの言葉を持つことができる。天皇が先の戦争を侵略戦争だとは把えていないとしたら、話は別だが、どのような言葉を発しようとも、自分が発した言葉は自らが責任を負う一般原則に立つことによって、天皇であっても表現の自由を確保し得る。
このような自律的存在とする規定があって、戦前にもあった天皇の政治的利用から自らを遠ざけておくことができる。
現場は片側1車線の直線。事故当時は雨で路面が濡れていた。
67歳男性とその妻63歳、追突された車に同乗していた22歳女性が全身を強く打って死亡。追突された22歳男性は足の骨を折る重傷。
35歳農協職員は車をその場に放置、徒歩で逃走、帰宅。いわばひき逃げを敢行。警察は14日未明(夜がまだ明けきらない頃)だというから夜明けが5時だとしても、8時間後、1時間差引いて7時間後に逮捕。呼気1リットル中0・15ミリグラム以上のアルコールが検出されたという。
本人曰く。「事故を起こした。怖くて逃げた」(以上四国新聞インターネット記事)
10月22日、検察側は懲役12年を、被害者参加制度に基づいて出廷した遺族は最高刑(懲役15年)を求めていた35歳元農協職員の自動車運転過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)に対する札幌地裁(岩見沢支部)の判決が下りた。
判決は検察側の立証を全面的に認容した上で(?)懲役7年。
井上裁判官「今年に入って10回以上は飲酒運転を繰り返していた。事故当時も深く酔っていたと推測できる。極めて無謀かつ危険。過失の程度は重く、結果も重大。・・・・事故後の現場で当事者と申告し、道交法上の報告義務を果たした。将来は二度と運転しないと誓っている」
同井上判官「自動車運転過失致死傷事案としては最も悪質だが、反省の態度を示している」
反省の態度を汲んで、情状酌量に処した。(以上毎日jp)
井上裁判官「相当酔った状態で時速100キロを超える速度で追い越そうとして事故を起こし、救護せず逃走した。・・・・同種事案としては最も悪質な態様」
但し、事故当時、現場に駆け付けた警察官に当事者であることを告げており、道交法の報告義務の一部を果たしたと認定。「反省し、二度と運転しないと誓っている」と情状酌量。(以上47NEWS)
「現場に駆け付けた警察官に当事者であることを告げ」ながら、「救護せず逃走した」――、「現場に駆け付けた警察官」の目を盗んで、「事故を起こした。怖くて逃げた」ということなのだろうか。
「今年に入って10回以上は飲酒運転を繰り返していた。事故当時も深く酔っていた」――飲酒運転常習者なら、飲酒運転で事故って人を殺しても、怖くなって逃げる前に警察官が駆けつけたなら、事故を起こした当事者であることを告げ、駆けつけなかったなら、自分が当事者であることをメモに書いてウインカーにでも挟んで置き、形だけでも道交法の報告義務の一部を果たしてから救護せずに逃げ、裁判になったら、二度と運転しないと誓って盛んに反省したところを見せれば軽い罪で済むぐらいは学習しなければならない。
裁判で常習的な飲酒運転がいつかは行き着く結末に行き着いた必然性を問題点としないでくれるのは飲酒運転常習者としては丸きり助かる有難いことだ。譬えて言うと、「酒を飲んで運転ばかりしていたから、いつかは飛んでもない事故を起こすと思っていたが、案の定、起こしやがった」と人に言われる普段の心がけの悪質性とそれが引き出した悪質で重大な事態が問われるのではなく、事態に驚いて否応もなしに本人を見舞うことになる後悔や反省といった後付の感情的必然性だけが、普段は見せないことなどどうでもよく、問われるのだから、裁判は飲酒運転常習者の味方であって、心強い限りである。
上出「毎日jp」記事――《司法:元農協職員に実刑判決 情状酌量認め7年に 飲酒運転3人死亡事故で地裁岩見沢支部》(2009年10月23日 0時27分)が各関係者の主張を伝えている。
被害者参加制度に基づき初公判に続いて判決公判にも出廷した夫婦遺族の長女、次女。
「全く納得できない」
「7年はアッという間。刑務所で罪の償いが済んだと思わず、一生罪を背負って生きてほしい」
札幌地検次席検事「事件の悪質性、被害者遺族の心情を考えると、量刑について大いに不満が残る。上級庁と協議の上、適切に対応したい」
交通事件を多く手がける高山俊吉弁護士=交通法科学研究会事務局長(東京)
「一般的な量刑基準と変わらない。遺族が重罰を求めることは自然な感情だが、裁判官は流されることなく判断した。たとえ被告が重罰に処せられても遺族が癒やされることはなく、被害者参加制度自体に問題がある」
弁護士と裁判官とが利害が一致するのは飲酒運転常習者にとっては最高に嬉しいことで歓迎しないわけにはいかない。弁護士は常に加害者側(=被告側)の利害に立つ。加害者側(=被告側)の利害を代弁する。軽い刑で済ます程、被告の利害とぴったりと一致し、弁護士としての手腕も評価され、被告から感謝を受ける。そこに裁判官の利害の一致が加わるのだかから、言うことなしではないか。
「遺族が重罰を求めることは自然な感情」なのだから、「被害者参加制度」などといって遺族が出廷して最高刑(懲役15年)を求めて裁判官の判断に影響を与えようとすること自体がそもそもからして間違っている。「裁判官は流されることなく判断」できる環境を用意するためには「被害者参加制度」はない方がいいという考え方とも飲酒運転常習者には有難い利害一致となる。大賛成。
「遺族が重罰を求めることは自然な感情」だとすると、「たとえ被告が重罰に処せられても遺族が癒やされることはな」いとするのは矛盾した主張となるが、それを矛盾だとすると飲酒運転常習者の利害に反することになるから、気づかぬ振りをしなければならない。例えどのように重罰に処したとしても、事故で殺された家族が戻らない点は「癒されることはな」いだろうが、一抹の心の救いとなるなどとするのは被告と弁護士の利害に反する考え方でしかない。
謝罪と反省反省。酒を喰らって運転して事故って誰か殺したら、先ずは誰彼構わずに謝罪し、反省の色を見せる。被告と弁護士と裁判官の利害が一致したら、シメタものだ。
反省の色って、どんな色なのだろうか。飲酒運転して事故って人殺しして、裁判で被告席に立ったら、どんな色か考えてみよう。そのときまで反省することはないのだから。
尤も自民党総裁の肩書だけではなく、日本国総理大臣の肩書を共に戴いていたなら、我が麻生太郎がそうしたように08年10月の秋季例大祭と09年4月の春季例大祭の靖国神社に直接参拝に訪れるのではなく、一歩退いた真榊奉納でショックアブソーバーを働かせていたかもしれない。
麻生の前の首相であった安倍晋三も首相就任前は「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝すべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」とワシントンの講演、その他で言っていながら、小泉の跡を継いで日本国総理大臣の肩書を戴くと、その言葉をボロ雑巾のようにどこかに打ち捨て、直接参拝ではなく、同じく真榊奉納で綺麗さっぱり事勿れを図っている。
谷垣禎一も2006年9月の安倍・麻生・谷垣と3人が立候補した自民党総裁選で、〈小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝が外交問題化していたことを踏まえ、首相就任後の参拝自粛を表明した経緯がある。〉(《谷垣総裁:靖国神社参拝 参院選にらみ遺族会に配慮か》(毎日jp/2009年10月19日 19時44分)
具体的には06年9月11日の日本記者クラブ主催の公開討論会で次のように述べている。
「第2次世界大戦は、中国との関係で言うと侵略戦争だったことははっきりしている。そこを前提に考えないと、安定した日中関係はつくれないのではないか」(asahi.com)
日中間に外交上の緊張関係をもたらした小泉首相の参拝姿勢に異を唱えて、「安定した日中関係」を構築するためには参拝は避けるべきだと主張したのである。
総理大臣ではなく、総裁だけでは「中国との関係」に直接関わるわけではないからと、それを「前提に」参拝に踏み切る君子豹変を演じたのだろう。立場立場で目敏く態度を変える。安倍晋三にしても真榊奉納ではなく、今回参拝しているのは総理大臣という資格を欠いた自由の身だったからだろう。
今回はこのことのみの目敏さからではなく、記事が題名に書いているように〈来年夏の参院選をにらみ、支持団体の日本遺族会に配慮したとみられる。〉とする、その目敏さも加わった谷垣参拝ということらしい。
ということは、自民党総裁という現在の立場では「安定した日中関係」よりも選挙の票に直接的な利害を置き、優先順位を目敏くも票に置いていることを示している。
参拝後、我が谷垣自民党総裁は記者団に次のように語ったという。
「日本の近代史の中で、この前の戦争に限らず亡くなった方がたくさんおられる。その霊をなぐさめる気持ちだ」(同毎日jp)
06年の自民党総裁選時は「第2次世界大戦は、中国との関係で言うと侵略戦争だったことははっきりしている」と、「第2次世界大戦」――いわば「この前の戦争」を「侵略戦争だった」と位置づけ、そこに問題を置いていた。そのハードルをいともたやすく外して、日露戦争、日清戦争、さらには戊辰戦争までかもしれない、遥か過去にまで遡って戦争の対象を広げる幅の広さ、懐の深さを見せ、直前の戦争が正体としていた侵略的側面をそれらの戦争とこねくり合わせて中に潜り込ませてしまう詐術を巧妙に行い、参拝の自己正当化を策している。
また「msn産経」記事――(《谷垣氏、秋季例大祭の靖国神社を参拝 自民総裁では3年2カ月ぶり》(2009.10.19 18:36) には、〈鳩山由紀夫首相が意欲を示す国立追悼施設の建設には「『戦死したら靖国にまつられるんだ』と思って亡くなった方がたくさんいる。その重みはある」と反対の考えを示した。〉と出ている。
「戦死したら靖国にまつられるんだ」は戦前の国家体制が国民に強制的に植えつけた全体主義的行動意識からの因果性を物語っているに過ぎない。天皇のため、国のために命を捧げることを求めた国家主義を起因として、最も忠義ある自らの生き方・国家への奉仕を「戦死したら靖国にまつられる」ことを以って結果とする因果性である。表向きは自らの個人性を捨象して、常に国家性を体現すべく努めさせられた。
このことは“全体主義”という言葉の意味が如実に示している。
〈個人は全体を構成する部分であるとし、個人の一切の活動は、全体の成長・発展のために行わなければならないという思想または体制。そこでは国家・民族が優先し、個人の自由・権利が無視される。〉(『大辞林』三省堂)
まさしく辞書が解説しているとおりの国の姿を取っていた。個人(=国民)は国家という全体のために存在させられ、個人の自由・権利が無視された中で、「戦死したら靖国にまつられるんだ」と、このことに国家への命の捧げを集約化させていた。
安倍も麻生も谷垣もこのことを是としている。日本国民の生き方として優れたサンプルとしている。このような考え方を真の日本の保守というわけなのだろう。
尤も国立追悼施設建設に賛成したなら、遺族会の神経を逆撫でして逆に票を失うことになるから、選挙の票の方に優先順位を置いた靖国神社の「重み」も含まれているに違いない。
かくも自身が置かれた立場の違いで態度の使い分けを目敏く行う。自分で自分をピエロにする行為であるというだけではなく、この態度の使い分けは日本では通用しても、外国では本質のところで信用されないのではないだろうか。
安倍、麻生、谷垣と争った自民党総裁選投票日は06年9月20日。その2ヶ月前の7月20日の「朝日」が当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)がメモに記し、家族が保管していた昭和天皇の死去前年の1988年の発言を記事にしている。
「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている。だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」――
松岡――日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相。
白取――白鳥敏夫元駐伊大使。外務省皇道派。対米英強硬派。国際連盟脱退推進派。
筑波――66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤
麿・靖国神社宮司。
松平の子――終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣の長男で、合祀に踏み切った松平永芳・靖
国神社宮司
記事は靖国神社への戦犯の合祀は1959年、まずBC級戦犯から始まり、A級戦犯は78年に行われた、対して昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝したが、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかったと書いている。
天皇発言メモに関して安倍晋三は7月20日の午後の記者会見で、「政府としてコメントすべき立場ではない」と発言。
谷垣財務相「天皇陛下がどういうふうにおっしゃったというのを政局と絡めて言うつもりはない」
谷垣「陛下の言動を引用して政治的発言をするのは差し控える」
A級戦犯合祀が参拝中止の理由だとする天皇の発言に対してそれを正直に解釈したなら、日本の保守として自分たちがこれまで取ってきたA級戦犯合祀を許容した靖国神社姿勢に矛盾を来たして大問題となり都合が悪いから、「政局」に関係するとか「政治的発言」になるとかの口実を設けて無視する、そのときの状況・立場に応じた態度を見せたのだろう。
だが、2ヵ月後の自民党総裁選の際には、「第2次世界大戦は、中国との関係で言うと侵略戦争だったことははっきりしている。そこを前提に考えないと、安定した日中関係はつくれないのではないか」と発言した。
「第2次世界大戦」、あるいは「この前の戦争」を「侵略戦争」だと否定的に認識するなら、一般的常識からすると、その戦争を指導したA級戦犯は靖国神社に合祀されるべきではない否定的存在だとする認識を同時併行させなければならないはずだから、死去前年の1988年の天皇の発言を当時の富田朝彦宮内庁長官がメモとして残していたことが2ヶ月前に明らかになった際に発言から容易に窺うことができる天皇のA級戦犯合祀に対する忌避感に少しは心に引っかかりを持たせてよさそうなものだが、我が日本の谷垣禎一の「天皇陛下がどういうふうにおっしゃったというのを政局と絡めて言うつもりはない」にしても、「陛下の言動を引用して政治的発言をするのは差し控える」にしても、些かも引っかかりを窺わせない、その場を事勿れに凌ぐ発言となっている。
このことは06年自民党総裁選時の9月11日の日本記者クラブ主催公開討論会での「第2次世界大戦は、中国との関係で言うと侵略戦争だったことははっきりしている。そこを前提に考えないと、安定した日中関係はつくれないのではないか」とした発言が総理・総裁の立場に立って日中関係を考えた場合に限定した主張に過ぎないことを物の見事に証拠立てている。
だから、06年自民党総裁選時には首相に就任した場合の靖国参拝の自粛を表明していながら、今回は自民党総裁の肩書のみで首相に就任しているわけではないと立場の異なりを利用してのことなのだろう、靖国神社に恭しくも堂々の参拝を敢行できた。
大体からして政治家にはご都合主義者が多いが、谷垣自民党総裁にしても立場立場に応じて、あるいは各種状況に応じてご都合主義街道を今後ともひた走りにひた走っていくに違いない。「みんなでやろうぜ、全員ご都合主義野球」といったところなのだろう。
民主党はムダ遣いの徹底排除を主たる公約の一つに掲げて政権を獲得した。自民党政権の予算には至る箇所にムダがあり、予算の効率的編成が為されていないと一刀両断してきたのである。にも関わらず“過去最大”の概算要求では民主党政権としては自民党政権に向けてきたムダ遣い批判の効力を些か失う。
特にムダ遣いそのものだと批判した麻生政権最後の総額14兆7千億円の今年度補正予算から当初は2兆5千億円を、さらに上積みして2兆9259億円までを目標額に掲げていた3兆円に僅かに届かなかったもののムダな予算だと洗い出して執行停止処分とし、来年度予算計上の民主党がマニフェストに掲げていた「子ども手当て」等の政策執行の財源として振り替える、あるいは年明けの通常国会提出の今年度2次補正予算に充当させる方針だという。
中にはムダ遣いとまでは言えず、優先順位から言って後回しにした予算も入っているだろうが、14兆7千億円の中から2兆9259億円の執行停止は約20%に相当するムダ排除となる。ケースバイケースだろうが、20%は不要(=ムダ遣い)・不急(=非優先)の目安となる確率ではないだろうか。
概算要求が過去最大の95兆380億円にのぼるのに対して09年度税収は今年度当初に見込まれていた46兆円を下回って40兆円以下に落ち込む可能性が指摘され、鳩山首相が就任前から否定してきた赤字国債増発は必至となる状況となり、政府内から国債発行も止む無しの発言が出始め、首相自身も発行を検討する考えを示したという。
そして仙谷由人行政刷新相が18日日曜日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で新規国債の発行について麻生政権が予定していた今年度の当初予算と補正予算を合わせて過去最大となる国債発行44兆円を「超えさせないという決意の下に概算要求を削減していく」(asahi.com)と強調、過去最大の95兆380億円を政権公約の実現に必要な予算以外は厳しく査定して予算規模を3兆円程度圧縮し、92兆円に持っていく方針を示したという。
いわば民主党の各閣僚が要求した要求予算から不必要部分がないか、今度は身内のムダを省くという作業に取り掛かると言うわけである。
では要求額の95兆380億円に対してなぜ3%程度にしか当たらない3兆円の圧縮、事業見直しなのだろうか。麻生14兆7千億補正予算にしても、民主党の概算要求額95兆380億円にしても、マニフェストに掲げた政策以外は殆んどが官僚主導で作成した事業であり、その事業に合わせた予算額だろうから、自民党と民主党で予算積み上げの中身はさ程の違いはないはずである。
麻生14兆7千億補正予算からムダ遣いや優先順位を洗い出してその約20%に相当する2兆9259億円を取り除くことができた。95兆380億円から約20%を取り除くとしたら、19兆076億円圧縮できて、76兆304億円と下げることができる。
官僚の計算額から20%削減は不可能だろうか。
昨年10月に会計検査院が調査した12道府県すべてが年度内に使い切れなかった予算を裏ガネとしてプールしていた不正経理問題も、さらに今年に入って26府県と2政令指定都市を調べたところ、全自治体から計20数億円の不正経理が見つかった問題(内部調査で総額約30億円の不正経理を9月に公表したばかりの千葉県からも約11億円の不正経理が発覚、飲食などの私的流用が行われていた。)も、国の補助金が含まれていたことは国の予算運用と運用した予算に対する適正執行の検証が共に杜撰だったことの証明であって、元を質すと、予算査定能力(コスト査定能力)を官僚が欠いていたことから出発している過剰配分であり、その結果のムダ遣いでろう。
検査したすべての自治体で不正経理が行われていたということは1都1道2府43県、日本全国すべての自治体に対して中央省庁は予算をムダに配分していた疑いが限りなく濃厚となる。
また中央省庁OBの天下り先となっている公益法人が所管省庁から受けた補助金等の国費支出額はOBの再就職を受け入れていない法人への支出額の平均6200万円に対して約7.6倍の4億7200万円に達していたことが会計検査院の調査で判明したと10月半ばにマスコミが伝えていたが、事業の内容と規模に応じて査定し、配分すべき予算を天下りの頭数で査定・配分する不適正なムダが所管省庁に存在していたということであろう。
同じ10月半ばに複数の防衛商社が海外メーカーから販売手数料を受け取っていながら、それを見積書や請求書に含めて防衛省に提示、契約がその金額を基本としていたために商社に手数料の二重取りを許していたことが検査院の調査で判明したと言うことだが、これも予算にムダを生じせしめていたことを物語っている。
また各省庁が自らの事業や備品を発注する際、競争入札ではなく、随意契約や競争入札を装った一社入札で済ませることも、予算にムダを伴う官僚行為と確実に言えることで、随意契にしても一社入札にしてもムダの所在そのものを示す。
9月18日付の「日経ネット」記事――《国交省など競争入札、「1社応札」5割超 検査院調べ》が〈国土交通省と地方整備局などが2008年度(4~12月)に締結した契約(約5千件、約599億円)で、一般競争入札にもかかわらず1社しか応札しない、いわゆる「1社応札」が5割を超えることが18日、会計検査院の調べで分かった。全国100の独立行政法人が結んだ契約でも1社応札が4割で、「競争性を確保しにくい状況」(検査院)が続いている。〉と「一社入札」の競争性の不確保によるムダを伝えている。
さらに記事は〈「天下り」との指摘が強い独立行政法人から契約先公益法人への再就職状況も検査。再就職者が在籍するケースでは、1法人当たりの契約支払額は「在籍ゼロ」の28倍に達し、天下り先との癒着ぶりが明らかになった。〉と、天下りと契約額の関係が既出の天下りと補助金支出額との関係ともそっくり連動している状況を教えている。
ここにムダ遣いが存在しないと誰が証明できるだろうか。
勿論、随意契約・一社入札は国だけの専門事項ではなく、国所管の独立行政法人なども右へ倣えで専門とする契約事項となっていることは周知の既定事実となっている。
今年1月7日付の「47NEWS」記事――《一社応札45%、一般競争入札で 政独委、府省に改善要求》が〈総務省の政策評価・独立行政法人評価委員会(政独委)は7日、国が所管する独立行政法人が2007年度に実施した一般競争入札で、参加企業が1社だけだった一社応札が45%に上〉り、〈07年度に独立行政法人が実施した一般競争入札は2万4168件で、うち一社応札は1万768件。所管府省別の一社応札の割合は、総務省の76%、文部科学省の55%、経済産業省の47%などが高かった。〉とその一端を伝えているが、これはことわざが言うところの“上のなすとところ、下これに倣う”の構図を踏んだ関係図であろう。
行為をムダなる言葉に代えていうと、「上のムダ、下これに倣う」となる。ムダがありとあらゆる場面、隅々にまで蔓延していることの証明に他ならない。
ちょっと古くなるが、07年10月17日付「毎日jp」記事――《<ODA>無償の施設工事、7割が落札率99%以上》が伝えている日本企業が参加する〈政府開発援助(ODA)の無償資金協力の施設建設工事で、03~06年度に成立した入札166件のうち7割近い112件が落札率99%以上だったことが会計検査院の調べで分かった。〉にしてもODA予算のバラ撒きに当たるムダ遣いそのものであろう。
記事は一社入札も取り上げている。
〈入札参加社数が少ないほど、落札率がつり上がる実態も浮かんだ。1社のみ参加の29件の平均落札率は99.31%、2社参加の48件は97.98%。一方、最大の5社が参加したカンボジアの村落飲料水供給事業(06年度)の落札率は62.16%だった。
不落随契も割高な契約となり、ガーナの幹線道路改修計画(04年度)の場合、予定価格約35億円を約1億円引き上げて、ようやく交渉が成立した。〉――
ここから見ることができる絵柄は国や独立行政法人・公益法人のムダをそれぞれの法人や民間企業が食い物にする図であろう。
〈小泉内閣時代に行われたタウンミーティング(TM)で、契約書が事業の開始後に作成されていたため、業者が価格設定を変更してより多くの代金を請求できる状態〉にあった(《代金過大支払いの可能性=集会開催後に契約書-タウンミーティング会計・検査院》時事ドットコム/07年10月17日17時32分配信)は官僚たちがムダに如何に鈍感であったか、コスト査定能力の歪みを証明して余りある。
こういったムダ遣いに鈍感な姿勢、コスト査定能力の歪みがすべての省庁、法人に亘って、いわば組織全体に亘って蔓延・横行しているということであろう。もしもコスト査定能力が正常に機能していながら、ムダをつくり出しているということなら、救いはなくなる。
いずれにしても各省庁の各事業すべてに亘ってムダの存在を前提とすることができる。例え必要な事業だと査定したとしても、コスト査定の段階でムダが生じていることとなって、ムダの存在が想定可能となる。
そういうことなら、すべての事業に亘って、機械的・一律的に一定の割合で各事業の各予算をカットしてもいいことになり、カットすることでムダを省くことが可能となる。例えカットによって必要な予算まで削ったとしても、カットした予算内で遣り繰り算段させる訓練を積ませることで、ムダなコスト査定を減らしていくことができる。
家庭でも夫が失業した、給与が削減されたとなると、生活に関わるすべての支出項目に亘って予算を削る。食費をいくら抑える、駅までバスを使っていたのを自転車に変えて交通費を抑える、ちょっとした頭痛でも医者に通っていたのを市販薬で直す。夫の小遣いを削る、等々。遣り繰り算段の中途過程でどうしても必要な予算が不足するなら、補正で補ったらいい。
以前建設談合が大手を振って罷り通っていた時代、元請会社は入札金額から上前をハネて下請に丸投げするといったことをした。ハネる率は2割から2割5分が相場だと聞いた。下請はさらに2割前後ハネて二次下請に仕事を回す。
このことを裏返すと、多くの公共事業が4割から4割5分差引いた建設費で賄うことができたということであろう。談合防止法の制定等で談合自体が減ってきていると言っても、北陸新幹線の建設では新潟県内の30余りのトンネル工事で橋梁や高架橋と比較して平均で4ポイントから9ポイント高い98%の落札率で、工事のほぼ半数は単独の共同企業体が競争入札なしで契約を結んでいたと「NHK」が伝えているし、八ツ場ダムの関連工事の大半が落札率94%を超えていて、市民オンブズマンが談合の可能性を指摘、近く国交省に質問状を提出する方針だと「47NEWS」が伝えているように談合が依然として蔓延っている可能性は否定できない。
4割から4割5分の疑惑数値の半分を取ったとしても、公共事業に2割のムダを指摘できる。この2割は麻生補正予算14兆7千億円から見直し査定によって2兆9259億円に圧縮した率に相当する。
このムダだとする2割の可能性を来年度予算案の概算要求一般会計の総額95兆380億円にそのまま当てはめるのは危険ということなら、2割の半分の1割をかけて9兆538億円減らして85兆842億円に圧縮し、それを各事業の概算要求に均等に振り分けて、その中で予算を執行させることはできないだろうか。
例え必要とする事業であっても、兎に角一律的に1割カットといったふうに予算を少な目に強行設定して、その少ない予算の中で遣り繰り算段させる。そこを出発点としてコスト査定能力を高め、官僚のムダ遣いを正していく道筋とする。
こういったいわば一種の強硬手段を取らなければ、ムダ遣いはなくならないように思えるが、どんなものだろうか。
「NHK」記事――《年金記録 2年で70%確認を》(09年10月17日 6時41分)を参考にすると、具体的スケジュールは紙台帳記録8億5000万件とコンピューター記録の照合を10年度は全体の5%の4250万件を、11年度中に70%に当たる5億9500万件の照合、より照合が困難という理由で最後まで残る可能性が高いということでだろう、残りの2億1250件を12、13年度ですべて終了させるということらしい。
07年当時の安倍政権は「1年で解決、全額支払い」を7月の参議院選挙の公約に掲げた。一度ブログに書いたことをほぼそのまま引き写すと――、
安倍(7月の参院選時)「最後のお一人に至るまで、みなさまの年金の記録をチェックして・・・・、責任政党はできないことは言いません。しかし言ったことは必ず実行してまいります」
安倍(7月5日)「1年以内に名寄せを行い、突き合せを行う。そんな1年以内にできるわけないだろう、そんな批判が野党からもありました。私はさらに専門家にこの突き合せ、前倒しできないか、精査させました。そして結果、前倒しでそれが可能なことが明らかになったわけでございます」
だが、参院選敗北を受けて安倍晋三が政権を投げ出し、福田政権となった。
福田首相(10月3日国会答弁)「平成20(08)年3までを目途に5000万件の年金記録について名寄せを実施する」
桝添(8月28日厚労相就任当時)「公約の最後の1人、最後の1円まで確実にやるぞ、ということで取り組んでいきたい」
07年12月、就任から4ヶ月程度経過したのみで舌の根が乾く暇はなかったはずだが、残す3ヶ月余りで「公約の最後の1人、最後の1円まで」が到底不可能と気づいたのだろう。早々と前言撤回、サジを投げることにしたらしい。
桝添(記者会見)「ここまでひどいというのは想定しておりませんでした。・・・・最初うまくいくかなあっと思って5合目ぐらいまでかなり順調でありました。そっから先、こうなったときに、こんなひどい岩山と言い、その、アイスバーンがあったのかっていう・・・・」
桝添「無いものは無いってことを分かる作業を3月までやるってことですから、それを着実にやってます」
桝添「3月末までにすべての問題を片付けると言った覚えはないんです」
女性記者「じゃあ、それはいつまでですか?」
桝添「エンドレスです。それでできないこともありますよ。恐らく他の方が大臣になってやられたって、あの、結果は同じだと思います。無いものは無い」
このような一連の舛添の態度は図々しいまでの開き直り以外の何ものでもないだろう。
町村(記者会見)「最後の1人まで、最後の1円まで、これを全部3月にやると言ったわけではないわけでありまして、えー、選挙ですから、年度内にすべてと、まあ、縮めて言ってしまったわけですけれども」
小沢民主党代表(記者会見)「まさに国民に対して、を冒涜する、責任を回避するいい加減な、無責任な言い草ではないかと思います」
福田(07年12月11日夜の官邸)「まあ、『解決する』というように言ったかなあ――。名寄せすると、まあ、それをですね、来年の3月までにやると、ようなことを言ったかもしれませんけどね。そのあともずっと引き続き努力していくと、ま、いうことになりますよ」
このような経緯は自民党歴代政権が国家行政機関に対する組織管理及び人事管理の不手際、あるいは不行き届きを物語っているだけではなく、そのことによって生じた不始末や混乱を解決するスケジュール能力を欠いていたにも関わらず、安請け合いしたことを物語っている。その結果の公約違反だった。
不始末・混乱の中には持ち主が分からない5千万件の「宙に浮いた年金記録」や、保険料納付の記録がない「消えた年金」だけではなく、地方社保庁事務所の健康保険や厚生年金の保険料を滞納した事業所に課す延滞金の不正減額や国民年金保険料納付免除を加入未納者に断りなく手続きして納入者数を減らし、全体の納付率が上がったように見せかける偽装も含まれている。
国家行政機関に対する組織管理及び人事管理欠如にしても、安請け合いから生じた国民に対する公約違反にしても、その責任は第一に安倍・福田・麻生の自民党歴代政権にあり、同時に年金混乱を直接的につくり出した厚労省と社保庁が負わなければならない責任のはずである。
その責任を民主党政権が引き継ぐこととなった。勿論、このような照合作業にはヒトとカネが必要となる。ヒトに関しては11日付「asahi.com」記事――《年金記録対応で大幅増員要求 厚労相方針》が、〈長妻昭厚生労働相は10日、「年金記録問題に対応できる職員をきちっと配備し、日本年金機構が本当に信頼される組織となるように概算要求をしたい」と述べ、記録問題に対応する職員の大幅増員を求める考えを示した。厚労省内で記者団に語った。〉と伝えている。
具体的人数に関しては、〈紙台帳の記録8億5千万件をコンピューター記録と照合する作業は、延べ6万~7万人がかかわる「国家プロジェクト」〉になると「asahi.com」記事――《年金記録救済、厚労相「早く」 外部委初会合》(2009年10月17日2時57分)が解説している。
カネに関しては「NHK」記事――《年金記録 2年で70%確認を》(09年10月17日 6時41分)が〈長妻厚労相は照合作業に来年度予算案の概算要求で1779億円を盛り込んだ。〉と伝えている。
1779億円が概算要求どおりに予算として認められたとしても、1779億円で済むかどうかだが、例え予定額内で収まったとしても、手作業で行う照合作業であり、「延べ6万~7万人」の頭数が必要ということなら、1779億円の殆んどは人件費として費やされることになるだろう。
責任が自民党歴代政権と年金問題に関しては直接的には厚労省と地方の事務所を含めた社会保険庁にあるなら、1779億円は両者が負うべきカネであって、不始末・混乱のツケを国民にまわす形で、国民の税金を原資とする1779億円で解決を図るのは筋違いというものではないだろうか。
1779億円を負わずにその1779億円を新たに予算として付けた場合は、責任は単に「照合」という名の事務的手続き・修正で終わる。負うことによって、不始末・混乱をつくり出した当事者自身にその責任を当然のこととして帰着させることができる。
このようなごく当たり前の帰着によって、責任を取るということはどういうことかということと責任の所在を明確にすることができる。責任の重さを知らしめる動機にもなる。
責任を「照合」という名の事務的手続き・修正で終わらせた場合、責任の所在も責任そのものも雲散霧消させることになる。
ではどういった方法で当事者に責任を帰着させるかと言うと、年金問題解決に新たに採用する職員以外を除いて、1997年1月に基礎年金番号を導入、年金手帳の基礎年金番号への統合を進めてきたというから、その当時まで遡った歴代自民党の総理大臣、及び厚労大臣(厚生大臣)、社保庁長官がそれぞれの管轄下の組織及び人事管理の不味さの責任を、そして同じく現在の職員からその当時まで遡った厚労省と社会保険庁の職員が職務怠慢・職務非効率の責任をそれぞれが受けた給与から累進課税的に応じて支払う方法とすべきではないだろうか。
例え既に退職して在職していない職員、あるいは社会保険庁長官であっても、過去の給与に応じて賠償させる。勿論厚労省から天下って高額の報酬を受けていた歴代社保庁長官はその高額さに応じて支払い責任額も高額となる。
厚労省や社保庁の中には俺は関係ない部署の人間だと言う者もいるだろうが、ムダ遣いや怠惰・怠慢は省庁全体を覆っている構造的体質と化しているということと、高校野球や大学の運動部員が例え部員一人の問題であっても強姦事件やその他の犯罪を犯した場合、甲子園出場辞退や対外試合禁止といった運動部全体としての処分を受けることからしたら、公務員という立場上からも組織の一員としての責任は当然生じるはずである。
ツラの皮の厚い安倍や麻生には痛くも痒くもない責任かもしれないが、金額的に責任を負ったという記録は残る。残すべきだろう。