麻生の国民を愚弄する「最初からこだわっていない」厚労省分割

2009-05-31 00:15:52 | Weblog

 安心社会とは「働くことが報われる公正で活力ある社会」と定義づけられているという。

 我が日本の総理大臣麻生太郎は5月19日の経済財政諮問会議で、「働くことが報われる公正で活力ある安心社会」構築を念頭にカラッポな頭で「国民の安心とか安全の立場に立ってどういったような形がいいか、内閣府の中にある少子化という問題もありますんで、そういったもの含めて全部突っ込みで基本は国民の安心安全の立場に立って再編を検討したらどうですか、という話をし」、厚労省の「国民生活省と社会保障省」に分割・再編を指示した。

 これは5月28日のぶら下がり記者会見で話した言葉を利用した文章だが、厚労省の「国民生活省と社会保障省」に分割・再編を指示したことはないと言っている。

 ぶら下がりでの遣り取りを「毎日jp」から関する部分のみを参考引用。
 

《首相VS記者団 厚労省分割案「最初からこだわってない」 5月28日午後5時56分~》毎日jp /2009年5月28日)

 ◇厚生労働省の分割再編問題

 Q:次に厚生労働省の分割・再編をめぐっておうかがいします。河村官房長官は、総理は厚生労働省の分割・再編にこだわっているわけでないと述べておりますが、総理はどのようにお考えなんでしょうか。

 A:あの最初からこだわってないと思いますんで、最初からこだわったような話を作られると困るんで、一番最初から国民の安心安全というものを考えた時にはどういったものがいいのかというのを考えた時に、少子化の問題含めて今の厚生省、労働省、いろいろ問題がありますけれども、ここのところをもう一回、国民の安心安全の側に立って、一回精査してみたらどうだ、これ確か読売新聞でなかったかな、あれは。渡辺さんが最初に言われたせりふだったと思います、私の記憶では。それを元にしてスタートをさせておりますんで、あのー、何となく分割の話ばっかりしているNHKはおかしいと思いますね。

 Q:総理、テレビ朝日ですが、総理、「安心社会実現会議」の中でその国民生活省と社会保障省を例示されておっしゃってましたけど、それにはまったくこだわらないと?

 A:ああ全然こだわりませんよ。ああいうところは自由な論議をした途端にそれをあたかも既成事実のごとく作られるような話をするのはやめたほうがいいですよ。

 Q:その後その、諮問会議で、与謝野さんが諮問会議後のぶらさがりで「総理から指示があった」と。

 A:指示をした内容は、国民の安心とか安全の立場に立ってどういったような形がいいか、内閣府の中にある少子化という問題もありますんで、そういったもの含めて全部突っ込みで基本は国民の安心安全の立場に立って再編を検討したらどうですか、という話をした。ほとんど正確にそういうことを言ったと思いますね。

 Q:与謝野さんは具体的に「厚生労働省の分割と幼保の一元化とを指示された」と。その会見でおっしゃったんです。
 
 A:あのー、違うと思いますね、それは。幼保の一元化は、それは、その中の一つの話なんであって、こども園とか今いろいろやっているところですから、現実問題として。こども園て知ってます?

 Q:はい。

 A:近くにある?

 Q:いや。

 A:ないでしょ? ないんですよ。だから問題なんですよ。本当はなくちゃおかしいんだから。もっとできてなくちゃおかしいでしょ。どうしてできないんですかと、僕はそう思ってますよ。
 


 自民党政府は何年も前から引きずっていた問題を新たに「新待機児童ゼロ作戦」という仰々しい名前をつけて待機児童解消に向けて政策を展開しているが、満足に進めることもできていないのに、こども園が近くにないことを、「だから問題なんですよ」と言うのは人事の言い方であろうlいや、言える神経は麻生ならではの素晴らしさと言える。

 麻生は言葉では否定しているが、ぶら下がりから判断するに実際は「・・・全部突っ込みで」、「再編を検討したらどうですか、という話をした」中に、厚労省を、国民生活省と社会保障省に分割・再編する検討が入っていたことが窺える。

 そうでなければ、「そういったもの含めて全部突っ込みで」と言うことにはならない。特別養護老人ホームになかなか入れない低所得高齢者の問題。待機児童ならぬ、待機高齢者である。その延長にある無許可老人ホームの問題、高いカネを先に取っておいて倒産してしまう有料老人ホームの問題、あるいは経営難から最初に約束したサービスの基準を下げてしまう有料老人ホーム、生活保護受給者の増加と自殺者まで出している情け容赦のない過度な受給制限の問題、各種保険の支払い、記録の問題、輸血製剤からの肝炎問題、また他の省庁とも通じる所管法人問題、天下り問題等々――より多くの問題を抱えている厚労省抜きに「国民の安心安全の立場に立って再編を検討したらどうですか」とまさか「突っ込みで」指示はできないだろう。

 厚労省とは国民の福祉と生活を預かっているのである。それを抜きに「国民の安心とか安全の立場に立」つ。あるいは安心社会を語る。これ程の矛盾はないだろう。

 「突っ込み」とは「良否・大小などすべてひっくるめること」と『大辞林』(三省堂)に出ている。「突っ込みで」とは恐ろしい言葉を使ったものである。さすが麻生太郎。マンガの世界だと思っているのだろうか。公務員改革、組織改革、どのような改革も「ひっくるめ」て話すことができる問題でもないし、「ひっくるめ」て話ができる程簡単な事柄でもあるまい。

 例え「突っ込みで」「話した」ことだとしても、相手が「ハイ、分かりました」と返事したなら、「話」は“指示”となる。相手に「時期尚早ではないか」、「現在優先させなければならない事柄ではない、バカめ」などと言われて、麻生太郎が、「そうか、時期尚早か、優先事項ではないか」などと言って沙汰止みとなったなら、その話は“指示”とまではいかずに、「話」のまま終わる。

 今回は党に持ち帰った時点で反対されて引っ込めたと言うことなら、後者の「話」で終わるケースに当てはまることとなるが、自身のリーダーシップのなさが取り沙汰されることを恐れて、「こだわっていない」とすることで、徹底的に「指示」と受取られかねない影の跡形もない証拠隠滅を図る必要が生じたのではないのか。

 新聞・テレビは19日の経済財政諮問会議後の記者会見で与謝野財務・金融・経済財政担当大臣(三大臣分の給料を貰っているのだろうかと余計な心配をしてしまった)が話した「首相から厚労省の仕事の切り分け、すなわち組織の分割、幼保一元化は与謝野氏が案を出してくれという指示があった」(「msn産経」)を根拠に各閣僚や自民党内からの反対に遭って再編・分割を断念、その上「最初からこだわっていない」と表明したものだから、迷走だ、またぶれたとの批判を大合唱したのだが、打たれ強い麻生太郎はぶれ批判・迷走批判にもめげずに再編・分割指示を否定、ぶれていませんと相変わらず打たれ強いところをご披露に及んだ。

 そこへ鳩山邦夫前“死神”法務大臣、現総務相というツヨーイ味方が現れて、29日午前の記者会見で、「首相は厚労省を分割する方向で検討してくれと言ったことは一度もない。ぶれていない」(「msn産経」)と見事な援護射撃。

 次いで、「やや正確性に欠けていたかな、と思う。・・・・正確には首相は『考え方の整理をして下さい』と言われた」(「asahi.com」)と与謝野が19日の記者会見の自らの発言を軌道修正、これ以上確かなことはない最大級の蘇生カンフル剤を麻生の鼻に吹き込んだ。

 自分の言い間違いで、麻生は正しいと発言訂正したのである。腹の中で頭はカラッポだけどと言っていたかどうかは誰も窺い知ることはできない。

 ここでは麻生は経済財政諮問会議では厚労省分割・再編に関わる明確な指示は出していなかったとしよう。

 だが、である。麻生が「国民の安心とか安全の立場に立って」と言っているように今回の経済財政諮問会議は「安心社会実現」をテーマに開催している。当然、「安心社会実現」を阻害している制度上の問題、省庁の組織上の問題、あるいは運営面での問題を分析・把握して、改善点の必要な箇所を拾い出し、一つずつ改革していくというプロセスが必要となる。

 例え暗黙の了解であっても、このようなプロセスを踏む手順を取っていたなら、厚労省の分割・再編の指示を出していないということは、様々な点を分析・把握したが、制度面でも組織面でも運営上の事柄でも問題点は見つからなかった、実際にはそんなことないのだが、ということになる。

 最初の段階である分析・把握の時点で問題点を見い出していたなら、その改善を指示するはずだからである。だが、厚労省の分割・再編に向かうまでの問題点は何ら洗い出せなかった。だから、その点についての指示は何も出さなかった。

 と言うことなら、記者会見で述べる言葉は次のようにならなければならない。

 「現在のところ組織をいじるところまでは必要ないから、分割・再編といった指示は出していませんでした」

 それを「あの最初からこだわってないと思いますんで、最初からこだわったような話を作られると困るんで」と言っている。

 この言い方は問題点がないか分析・把握した結果、いくつかの、あるいは様々な問題点を見い出したが、たいしたことはない、再編・分割にまで拘ることはないということで、「あの最初からこだわってないと思いますんで、最初からこだわったような話を作られると困るんで」となったということでなければならない。

 麻生がもし厚労省の分轄・再編は必要なしと拘っていないとしたなら、現実にある厚労行政の様々な問題点を分轄・再編以外の方法で改革し、解決に導く方法を国民に説明する責任を負ったことになる。これこれこのようにして国民の安心・安全を守ります、安心社会をつくっていきますと。

 説明をする責任を果たさずに、「あの最初からこだわってないと思いますんで、最初からこだわったような話を作られると困るんで」で終わらせるとしたら、国民を愚弄することになる。麻生の「安心・安全」はただ口で言っているだけのことになる。

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口達者なだけの麻生党首討論/「政権交代は手段であって目的ではありません」は事実誤認(1)

2009-05-29 01:52:11 | Weblog

 

 5月27日、衆議院で行われた麻生と鳩山民主党新代表との党首討論の麻生の口達者なだけの言い分を俎上に載せたいと思う。「口達者なだけ」というのは、そのような印象だけしか受けなかったから、こう言うしかないのだが、「口達者」はその人独自の思想・哲学といった中身を持たないことによって成立させ得ることは断るまでもない。党首討論を追うにつれ、このことが明らかになってくる。

 党首討論の内容は5月27日(09年)付「毎日jp」記事、《党首討論:詳報》を参考引用し、党首・代表の強調したい言葉は蛍光ペンで、私自身の感想は青文字で記した。

 党首討論:詳報その1 鳩山代表「北朝鮮核実験は野党も与党もない 断固抗議」

 ◇鳩山代表  

 麻生総理とこのような形で党首討論ができることを大変幸せに感じております。私にとりましては4人目の総理大臣でございますが、国民のみなさま方が最も不満に思っていることとか、あるいは一番気にかかっていることとか、そういうことを国民のみなさま方を代表して私の方からお尋ねをし、また意見交換ができればと、このように思っておりますので、有意義にぜひ意見交換をしたいと考えております。

 その意味では、基本的には内政問題を中心にお尋ねをしたいと考えておりますが、やはり最初は北朝鮮の核実験のことに関して申し上げなければなりません。このことに関しては、私ども野党も与党もありません。北朝鮮のあのような行為に関しては断固抗議をしなければならない。その思いは同じでございます。従いまして、協力を申し上げるべきところは大いに政府にも協力を申し上げたい。その思いをまず申し伝えておきます。

 ただ、ちょっと気になっておるのは、このような大きな出来事が発生したときに、いかに情報というものを、入手をして、そしてそれをコントロールするかが大変重要なことだと思っております。言うまでもありません。北朝鮮は日本には事前に通告はなかったのでありますが、アメリカや中国には通告があったと伺っております。その事前通告、アメリカから日本に対してすぐに通告があったのかどうかということに関して、やや混乱しているように思われてなりません。中曽根外務大臣は、それはなかった、外務省の幹部の方もなかった、しかし一部の官僚の方はあったと、そんな話が伝わってきます。事実というものを国民のみなさんにお知らせ願いたい。

 こういう大きな出来事に対する情報の入手とコントロールは大変、この国の危機管理において大事なことだと、そう思っておりますので、ぜひみなさん方に、国民のみなさんに事実をお伝えいただきたい。 
 党首討論:詳報その2 麻生首相「どちらがふさわしいか党首討論で意見を戦わせたい」 ◇麻生首相

 まず新しく、代表に、再び代表に就任されましたことをお祝い申し上げたいと存じ上げます。党首討論は私どもの方からも、これまで民主党に何度も開催を申し入れてきていたところでもありますので、今回ようやく実現したので我々も喜んでおります。ぜひ我々、そしてどちらが内閣総理大臣としてふさわしいか、どちらの政党が、政権担当、担う力があるかということを、こういった党首討論という機会にいろいろ意見を戦わせていきたい。

 ただ、討論でありますんで、これは予算委員会等の質問にお答えするというだけではありません。討論というんですから、私どもの方から主張致しますし、私どもの方からの質問にも意見にも鳩山党首のご意見なり、民主党のご意見なりを聞かせていただいて、それで初めて討論になるんだと思っておりますので、私どもとしては、ぜひその点もあらかじめ、お話をさせていただいておかなければならないと存じ上げます。

 「どちらが内閣総理大臣としてふさわしいか、どちらの政党が、政権担当、担う力があるか」の有権者の一次的回答は各メディアの世論調査を通して既に出ている。次の首相に誰がふさわしいかで麻生よりも鳩山民主党代表、政党支持率でも自民党よりも民主党、比例区での投票先でも自民党よりも民主党と各質問項目とも上回っている。この党首討論でどのくらい覆すことができるかに賭けて持ち出した「どちらが内閣総理大臣としてふさわしいか、どちらの政党が、政権担当、担う力があるか」だろうが、最終的な答は選挙で出るものの、選挙を間近に控えたこの時期の有権者の判定を覆すのは至難の技なのは、中身のない口達者だけで成り立たせている討論から断定できる。

 また麻生はこれは討論であって、予算委員会等の質問とそれに答える(=答弁する)、いわば質疑応答の関係ではなく、相互に意見を主張する関係にあると言っているが、このことはこの党首討論の最後にも持ち出している。

 党首討論が例え相互に意見を主張し合う形式のものであっても、このような形式は国会の質疑応答にも言えることで(言えないとしたら、国会の質疑応答には自己の意見・主張を含んではならないということになる)、わざわざ断る必要もないのにことさらに断っているのは世論調査のあまりにも不都合な結果を覆すには党首討論に賭けるしかないと思いつめるあまり、麻生の質問に対する鳩山代表側の意見のつまづきに期待し、そこに活路を見い出すしかないところにまで追いつめられている焦りからではないだろうか。

 哀れな麻生。


 ぜひ我々としては、今置かれております状況というのは、よく100年に一度と言われますように、極めて経済危機というものに端を発し、いろいろな危機が我々の前に存在しております。従って我々としては国民に対する、いわゆる社会保障と、そして国家としての安全保障と二つの保障というものが極めて大きな意義を持っている問題だと思っております。ぜひ、そのうえで我々としてはこの基本的な二つの保障という問題に対してはどのような考え方をお持ちであるかということが、我々としては最大の関心事であろうとも存じます。

 ぜひともその点を考えました時に、まず最初の安全保障の件に関して言わせていただければ、北朝鮮の核の実験、これは2回目の核実験であります。国連の安全保障理事会の決議にも、1718にも明らかに反した事件でもあります。そういったことに関しましては、断固、国際社会で一致して国際社会のメッセージとして北朝鮮にきちんとした国際社会の世論というもんを正しく伝えるというのが一番大きな意義であろうと存じます。この点に関しては双方違いがあろうとは思いませんが、その意味で今回の実験に関して情報がかなり早めに伝わっていたということは事実でございます。しかし、その事実をいつの時点でどうあったというのは、これは双方、この種の話はしない約束になっている、これまで来ております。

 これまでこの種の情報をあらかじめ何時何分に、いつ来たということを政府として申し上げたことは一回もないと存じますし、他国もそういったことは約束してお互いの情報に関してはきちんとしたことを言わないというのがルールでありますんで、私どもとしましては、その点はぜひご理解いただいておかなければならないと思っております。従いまして、我々としては、一番の問題は、この種の話が起きた後の問題として国際社会とどのような対応をするか、私は少なくともアメリカの大統領と話をし、韓国の大統領とも話をし、そしていろいろな他国との話等したうえで、国連におけます安保理の決議を速やかに実行すべく、ロシアの議長の時期ではありましたけれども、ロシア議長のきちんとした対応として今回の安保理決議は極めて厳しいものになる、いうものを今、目下我々が作った文章でこれは今作成しつつあるというところまできておりますので、一番肝心なのはこの種の問題が起きた後の対応が一番大事なんだと、私どもはそう考えております。 

 鳩山民主党代表の「事前通告」があったのかどうかのさして長くない質問に「事前通告」はあったが、それがいつされたかは
「この種の話はしない約束になっている」と答えるだけで済む遣り取りに対して、あまりにも饒舌すぎる「事前通告」ありの説明となっている。

 そして
「事前通告」よりも事後対応が一番大事なことだと言い、「私は少なくともアメリカの大統領と話をし、韓国の大統領とも話をし」たと、両者との話し合いがあったことを持ち出しているが、そのことを以って「事前通告」ありの証明にすり替えているような印象を受ける。

 大体が
「一番肝心なのはこの種の問題が起きた後の対応が一番大事」とわざわざ断ること自体が、「事前通告」に何らかの不備があった証明ではないだろうか。「事前通告」はあったが、「この種の話はしない約束になってい」ます、事後対応も大事です。現在国連安保理で鋭意・・・云々で済む回答である。 
 党首討論:詳報その3 鳩山代表「情報管理をうまくなさらないとこの国、もたないんじゃないか」

 ◇鳩山代表

 質問にお答えいただけないのは残念でありますが。

 私ども、当然のことながら国民のみなさま方に政府がいかにサービスをするかということであり、このような北朝鮮の核実験という大きな問題がかかっている時は、いち早く国民のみなさま方に対してそれを知らせる義務があるのではないかと思っているわけであります。

 これを隠して、結果として知らなかったと言ったり、事前に知っていると言ったり。そのこと自体、麻生総理がお話しされるんだったら、それは言わないことになっているんだとすれば、みなさんおっしゃっているじゃないですか。知らなかったと言ったり、あるいは知っていたと言ったり、そのようなことに対してもっと情報管理をうまくなさらないとこの国、もたないんじゃないかと本当に心配でございます。

 安全保障の問題もいろいろとこれから将来、麻生総理とは、しばらくの間、党首討論が、機会があろうかと思いますので、その時に大いにやり取りをしたいと思っておりますが。

 私は、一番大事なことは、時の総理がこの国をどのようにしたいか。すなわちビジョン、理念というものがまずあって、この理念に基づいてどういう具体的な政策を作り上げていくか、これが極めて大事であるのに、どうも今までの自民党総裁、総理になられた時に、総裁総理になることが目的であって、なって何をやるかということがなかなか決まっておられない。だからこそ結果として、官僚任せの政治になってしまっているのじゃないでしょうか。私はそのことが一番心配でございます。

 私は、つい先日ありました代表選挙の時に……。

 (静かにしてください)

 私が申し上げたのは、友愛社会というものを建設をしたいということを申し上げました。このことに関していろんな批判の声も聞こえてきます。でも私は非常に、ある意味では古いけれども極めて新しいテーマだと、そのように思っているわけでございます。

 今この国に欠けているのは、社会におけるきずながずたずたに切れてしまっている。一人一人のみなさん方に居場所がない。これは大変深刻な事態だと思います。私は愛という言葉を用いましたが、きずなのある、居場所を一人一人が見いだして、みんなが役に立っているな、みんながそのことによって幸せを感じられる社会を作りたい。一言で言えば、人の幸せを自分の幸せと思えるような、そんな世の中にしたいと、そのように思っておりますが。少なくとも今の日本の政治はまるでそうなっていない。相手の幸せをねたんでみたり、人の、むしろ不幸というものを喜んでみたり、こういう世の中が結果として政治も悪くするし、社会も悪くしているんじゃないか。

 なぜそのような現実が起きてしまったか、総理におうかがい申し上げたい。
 
 口達者なだけの麻生党首討論/「政権交代は手段であって目的ではありません」は事実誤認(2)に続く

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口達者なだけの麻生党首討論/「政権交代は手段であって目的ではありません」は事実誤認(2)

2009-05-29 01:35:07 | Weblog

 

 党首討論:詳報その4 麻生首相「友愛は抽象論 現実は100年に1度の経済危機」 

 ◇麻生首相

 あの友愛という精神は昭和30年、確か鳩山一郎・内閣総理大臣の時に使われた言葉と思います。確か中学3年生ぐらいの時でしたけれどもかなり記憶が残っている言葉でしたけれども、私どもとしましては、その言葉をかなり大事に使われている。

 私は人に対する情愛というものを掲げられているということに関しましては、私どもは全く異論はございません。ただ、問題はこの種の理念、抽象論ということではございませんで、現実問題として我々は100年に1度という経済危機に直面していることは事実です。

 現実的に「問題」となっているのは「100年に1度という経済危機」であって、「友愛社会」といった「この種の理念、抽象論」ではない、「100年に1度という経済危機」という「現実問題」の解決が優先課題とされているということなのだろうが、その解決にしても、総理大臣自身の政治理念・政治哲学がベースとなる。いわば「現実問題」解決のそれぞれの政策は総理大臣の政治理念・政治哲学の影響を受け、それらが反映した政策となる。陰の権力者が存在していて、その傀儡・ロボットでなければ。

 当り前のことだが、経営理念についても同じことが言える。産地を偽装し、原材料を誤魔化し、金儲けを優先させるのもその経営者にとっての経営理念であり、消費者の健康を考え、少しでも喜んでもらおうと安心安全・低価格の商品づくりに励むのも、その経営者の経営理念をベースとした経営姿勢からであろう。それぞれの経営理念は商品・製品に反映され、そこに集積する。

 いわば麻生が打ち出している各政策は麻生の政治理念・政治哲学の反映であり、それらの集積を受けている。それゆえ、最優先されるべきは目の前に横たわっている
「現実問題」であって、「友愛社会」といった「この種の理念、抽象論」ではないと切り捨てることができるのは、麻生自身が核とする何らかの見るべき政治理念・政治哲学を持たないからだろう。

 例えば定額給付金が公明党のゴリ押しで受け入れた政策であっても、受け入れる以上は総理大臣の使命として自らの政治理念・政治哲学の解釈を施して、それを加味した最終的な形へと整えて施行すべきで、そうしたプロセスを経ていたなら、所得制限を設けずに全員に支給する、いや、高額所得者に生活支援と言うのはおかしいから、所得制限を設ける、いや、生活支援から、景気対策の側面が出てきたから、所得制限をやめて全員支給にするといったブレは生じせしめることはなかったろう。

 他の政策でも見ることができるこのブレは麻生が見るべき政治哲学・政治理念を持たないことの裏返しである。

 麻生太郎に政治哲学・政治理念というものがあるとしたら、麻生財閥の家督相続者として生まれ、一般消費者が直接的な顧客である第三次産業ではなく、一般消費者を遠くに置いた第二次産業の麻生セメント(現:株式会社麻生)の元経営者らしく、そのことを自慢するだけあって、自身の地位や生活感に近いより所得の高い層を目線に置いた上位者優先の政治哲学・政治理念といったところだろう。

 このことは国民、いわば下を基準とした国家観ではなく、国家体制や民族、いわば上を基準とした麻生の国家観からも窺うことができる。

 勿論、
「現実問題」と妥協すると言うこともある。政治が利害調整を役目としていることからも、ある意味妥協の連続ではないか。だが、政治哲学・政治理念を持った上でのそれとの妥協と政治哲学・政治理念を持たない無節操からの妥協とでは結果が大きく違ってくる。社会的弱者を平気で切り捨てることができるのは、政治哲学・政治理念を持たない無節操からの妥協の産物であろうし、選挙対策からの弱者対策も同じ構図を描いた産物に違いない。

 それに伴いまして、多くの雇用の問題が発生してみたり、また住宅の問題が起きてみたり、また新たに朝鮮半島の脅威などなど、数え上げれば切りがないような現実論を抱えておりますので、それにどのように対応していくかは我々時の政権にとりましては最も重要な案件だと思っております。

 そのうえで私どもは、小さくても温かい政府ということを確か最初のころに、7カ月ほど前に申し上げて参りました。我々はきちんとした対応をしながらもということを申し上げて、政府は小さくすればいいというだけではないのではないかということも申し上げた。

 また最初に、我々はどのような形で国を、というお話がありましたので、我々はこの置かれている状況を、今後とも日本としては、ほころんできているいろんな福祉の面に関しましても、我々はきちんとやっていかなければならないということを申し上げているのであって、我々としての理念がないとおっしゃられるなら、私どもこそきちんとした理念というものをそれなりに申し上げておりますし、そして現実問題として政権交代と言われますけれども、政権交代は手段であって目的ではありません。

 「政権交代は手段であって目的ではありません」――「政権交代」「手段」として政権担当を「目的」とすると言いたいのだろうが、【政権】とは「政府を構成し、国の統治機関を動かして実際に政治を行なう権力」(『大辞林』三省堂)のことを言うのだから、【政権交代】とは「政府を構成し、国の統治機関を動かして実際に政治を行なう権力」の交代を言う。

 いわば
「政権交代」とは単に政権を握る政党を代えるという意味ではなく、代えた上に政権を担当することまでを含んでいる。だから、政権担当能力の有無が「政権交代」以前から問題となる。その能力の有無に対する国民の判定は各種世論調査で刻々表され、最終的には選挙で決着を見る。

 例えばマラソンランナーとしてオリンピックのスタートラインに立ち、42.195キロのコースに挑みたいと思っているマラソンランナーがその目的を果たすためには、世界選手権か、東京国際、大阪国際、名古屋国際等の陸連が決めた候補者選考大会で好記録で優勝するか、それに準ずる成績を上げることとする条件をクリアしなければならない。

 彼にとって選考大会で好記録・好成績を上げることが手段で、オリンピックでマラソランナーとしてマラソンコースを走ることが目的だと言えるだろうか。選考大会で好記録・好成績を挙げることも目的であり、その目的を果たすことによって、オリンピックで走るという次の目的がついてくるのだから、選考大会で好記録・好成績を挙げることの中に既にオリンピック出場という目的達成は含まれているである。

 政権交代も同じで、その目的を果たして、政権担当という次の目的が付随してくるのだから、政権交代中に既に政権担当含まれている。
「政権交代は手段であって」という言い方はおかしい。

 言ってみれば政権交代は第一目的であり、政権担当、自分たちが考える政治を行うことが第二目的、そしてその政治によって、日本という国を経済をも含めて活性化して国民の生活を向上させることが最終目的であろう。

 自民党は日本という国を活性化して国民の生活を向上させるという最終目的を視野に入れず、経済的な国家経営の成立のみを優先的に視野に入れているから、いざなぎを超える戦後最長の好景気で各大手企業が戦後最高益を出しておきながら、一般国民は賃金が上がらず、その当然の反映として個人消費も活性化しない、国民の生活向上もないことを無視できた。


 従いまして、どのようなことを現実問題として民主党がなさろうとしているのか、そこが我々から見ますと、社会保障の問題も、また安全保障の問題も、極めて不安を抱かざるを得ないというのが多くの国民の気持ちだと思います。

 「どのようなことを現実問題として民主党がなさろうとしているのか」と相変わらず「現実問題」を持ち出す。「現実問題」以外は政治課題ではないようだ。

 そしてその点に
「極めて不安を抱かざるを得ないというのが多くの国民の気持ちだと思います」と懸念を示す。事実そのとおりなら、世論調査で民主党により多くのポイントを与えはしないだろう。より多くの支持を与えはしない。世論調査で次の首相も投票先も政党支持率も民主党が上回ったと言うことは、国民は麻生政権に「不安を抱かざるを得」ず、見切りをつけた、もはや政権担当能力なしと見た、判定したということを意味している。麻生太郎は世論調査を読み取る能力もないらしい。

 口達者なだけの麻生党首討論/「政権交代は手段であって目的ではありません」は事実誤認(3)に続く

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口達者なだけの麻生党首討論/「政権交代は手段であって目的ではありません」は事実誤認(3)

2009-05-29 00:39:10 | Weblog

 


 党首討論:詳報その5 鳩山代表「古い政治よ、さよなら」

 ◇鳩山代表

 いろいろお話をうかがいましたけれども、理念的なことは一切聞かれませんでした。残念であります。私どもは当然のことながら政権交代は目的ではまったくありません。スタートラインだと思っております。そこから新しい日本が生まれるんだと。そのスタートラインに我々は立たなければならない。私は、具体的な話がなかなか見えないとおっしゃるものですから、時間の制約はありますが、一つこういう具体例を申しあげたい。それは三鷹第四小学校の例です。

 そこでは当然、教師はおりますが、教師のほかに200名のボランティアの教師がエントリーされております。20人のクラスに1人の先生と3人、4人のボランティアの教師がついて、例えば分数の教育を行う時に、なかなか落ちこぼれが多く子どもたちが困っている。それに対して一人ひとり、個人指導をして、今はまさに落ちこぼれがなくなっている。子どもたちも満足をしてボランティアの人たちも子どもたちにも幸せを与えることにより幸せを感じている。

 私が先ほど申し上げたように、みんなが人の幸せを自分の幸せに感じることができる、それはまさに社会のきずな、あなた方は小さな取るに足らない小さなことだと思っているかもしれないけれども、これがこれからの日本を築き上げていく原動力だと思っております。

 すなわち、一人ひとりが何が幸せか感じ取れるような社会、居場所というものを持てるような社会を作り上げていかなければならない。しかしそれには今のこういう話を冷笑するような人たちの考え方を去っていただかなくてはならない。政権交代をしなくてはならない。

 すなわち今の、具体的に申し上げますが、今の麻生政権、連立政権ではございますが、官僚主導の政権ではありませんか。それに対して私たちは国民、市民、生活者に視点を当てた政権を作りたいんです、みなさん。もっといえばいわゆる「タックス・イーター」、税金というものを食ってばかりいる人たちに発想を求めるのではなくて、「タックス・ペイヤー」、税金を支払っている側に立って、その発想のもとで、一つひとつの政策を作り上げていく。中央集権的の発想があなた方にはまだあるのです。その中央集権的な発想をやめて、地域のことは地域に任せる、地域主権の国づくりに変えていく。それが私たちの考え方です。もっと分かりやすくいえば、みなさん方、業界中心の縦国家なのです。そういうものに対して我々は市民の連帯を大事にする横社会というものを作り上げていきたい。こういうことを私たちは革命的な志としてやらなければならない。

 一言で言えば「古い政治よ、さよなら」です。新しい政治を作るという発想に、どうしてもっと麻生政権、前向きになれないんですか。
 党首討論:詳報その6 鳩山代表「政治とお金 協力して法案の成立を図ろうじゃありませんか」

 ◇麻生首相

 今、三鷹小学校という一例を引かれたんですが、全体像がよく見えてこないんで、今一つそれを全国でやれるということをやる場合に、どのような、具体的にどのような政策にして、どのようなルールを作って、どのような予算をつけて、ということを具体的にやっていかないと、なかなか我々としては目に見えてこないんだと思っておりますけれども。

 三鷹小学校以外にもそういう例がないわけではありませんから、そういった意味では、今の例を申し上げられましたけれども、それだけではなくて、お互いにそれぞれの居場所を考えてるというような話も極めて抽象的ですんで、ぜひ現実問題として、いろいろな例を引かれるというのに伴って、それに合わせて政策を実現する、政策として具現化していくということが最も大切なんだと思っております。

 これが一番大切なんじゃあないんですか。政治家してるんですから。我々は学者しているわけではありません。評論家しているわけでもありませんので。現実問題をやらなければならないという立場におりますので、そういったものをきちんとして、我々はやっていかなければならない。また官僚目線というお話がありましたけれども、公務員には私は公務員としての仕事があると思っております。公務員というものは誇りを持って公のために、国家のために尽くすような誇りを持ってやれるようにしてあるというのが基本であって、官僚バッシングだけやっててもなかなかうまくいかないのではないか。

 加えて、官僚を使われる立場に今なろうと目指しているのでしょうから、その時には官僚ということを言われるというんであれば、官僚に対してぜひ、その公に尽くすという公務員というものをきちんと、その人たちをやる気にさせるような方法を、社長になられるおつもりなら、そういったものを考えておかれないと、とても役人、公務員というのは動かないと思いますよ。それが基本だと思っています。

 「全体像がよく見えてこない」とは恐ろしく創造力を欠いた男だ。「三鷹小学校」を一つの例として挙げて、非常に難しい問題だが、おちこぼれをつくらない教育を論じたのであって、麻生には理解できない。麻生の頭には経済上の景気回復問題しかないらしい。教育も親の学歴が就職や所得に反映し、それが塾に行くとか習い事するとかの子どもにかける教育費に影響して、教育格差問題を生じせしめ、そういったことが原因となって、できる子とできない子の成績格差を生み、できない子が落ちこぼれとなって、いじめや暴力を発生せしめるといった教育の荒廃問題を生じせしめている。このような教育問題が「やらなければならない」「現実問題」のうちに入れることができない。

 何たる恐ろしい日本の総理大臣であることか。

 公務員に関して言っている
「公のために、国家のために尽く」という考え方にも、国民を下に置き、民族や国家を上に置く上位者優先の政治理念・政治哲学を見ることができる。

 麻生にとっては政治家も官僚も“国民のために尽くす”を使命としているのではなく、
「公のために、国家のために尽く」を使命としている。これこそ鳩山代表の言う「官僚目線」であり、国家目線だと言える。

 ゆえに鳩山代表の次の発言である
「極めて上から目線の麻生総理らしいお答えをいただいたなと思います」は極めて正鵠を得た、的確・妥当な反応と言える。

 少なくとも国民の福祉・利益を図って、そのことによって国家を成り立たせることを最大限の努力目標に置くべきだが、麻生はそうなっていない。鳩山代表の次の発言を借りて言うなら、経済的にも教育の問題でも国民の中から一人として落ちこぼれをつくらないことを最大限の努力目標とすることが政治の目的だということになるのではないだろうか。


 ◇鳩山代表

 極めて上から目線の麻生総理らしいお答えをいただいたなと思います。私は、もっと分かりやすく言えば、政府による解決は、これはお金がかかりすぎる、ある意味での悪平等という弊害に陥ると、それに対して市場原理というものにすべてを委ねると、今度は弱肉強食という世界に入ってしまう。悪平等と弱肉強食、これはどちらとも国民のみなさま方に幸せを与えるものではなかった。だから私たちは今、第3の道を模索しなければならない大事な時なんです。

 その発想はむしろ、今までボランティアとかNPOとかコミュニティースクールとか、なかなか大きな光というものが政治に与えられて来なかった分野に対して、もっともっと政治に、そういう政治の光を当てることによって、全体としてコストもかからないんです。ボランティアを中心として頑張れる社会なんですから。コストがかからないし、満足もより得られる、そういうさまざまな仕組みがいろんなところでできているんです。もっともっとまじめに、総理そして麻生政権を構築しておられる方は、そのことをまじめにご覧になっていただかないと大変であると。だからこそ私たちはやはり、分からない方々がそちらにおられると、政権交代してスタートしなければならない、そういう発想にならざるを得ない。

 私はここであえて申し上げたい。友愛社会の国家を築いていく時に、二つのことが必要なんです。それは一つは、いわゆる国民のみなさんに、そうは言ったって政治に対して信頼ないねと言われたら終わりですから、政治に対する信頼というものを回復させねばならないと。それからやっぱり、上から目線の官僚主導の政治というものを打破していかなければならないんです。この二つが我々の基点です。そしてその、今日、政治改革推進本部というものが開かれて、岡田本部長のもとで、我々は政治とカネの問題、確かに西松の問題ありました。反省の中から我々としては結論を出しました。

 これは……(ヤジ)うるさいですね。企業、団体献金をパーティー券も含めて、3年後には完全に禁止をするというのが一つです。それからいわゆるダミーの政治献金、政治団体からの献金、これは3年後ではなくて今からすぐにすべて禁止をする。それから世襲に関しても当然、制限をする。3親等以内、同じ選挙区からは出られないことを党規で決める。このことを私たちは、三つのことを決めましたが、ぜひ、これからですね、法案をすぐに準備をいたしますので、政治とお金の問題に関して、自民党さん公明党さん、与党のみなさんも協力して法案の成立を図ろうじゃありませんか、国民のために。
 党首討論:詳報その7 麻生首相 西松事件「国民目線から見ると理解しがたい」

 ◇麻生首相

 まず、基本的に官僚目線、上から目線というのがよく使われるお好きな言葉であるということはよく理解しておりますが、国民目線と、国民目線といわれる言葉を使われるんだったら、やはり国民からして最大の関心は西松の問題だと思います。この国民からの目線というものは、一番の関心事であって、これに対しては、鳩山代表として十分にその問いに対して、説明を果たされたと思っておられるのでしょうか。また、責任を取られたという話をされますが、責任を取られた方が、鳩山代表に次ぐ代表代行になっておられるのが、責任の取り方なんでしょうか。

 私から見ますと、なかなか国民目線から見ると、なかなか理解しがたいというのが正直な実感だと、私は、ほとんどの方がそう思っておられる。これは世論調査でもよく出てきている数字だそうですから、ぜひその意味で、きちんとした説明責任というのを十分に果たされていないと、これらのご質問に対しては、なかなか問題なのではないかと。

 麻生は狡猾にも西松違法献金問題に国民が関心を持って目を向けている様子を伝えるに「国民目線」を使っているが、鳩山代表がここで言っている「官僚目線、上から目線」とか、「国民目線」とかの「目線」と、麻生の言う「なかなか国民目線から見ると、なかなか理解しがたい」「国民目線」とは似ても似つかぬ別物である。

 鳩山代表が言っているところの
「目線」の主体は総理大臣や閣僚、官僚であって、国民ではない。意味するところは総理大臣や閣僚、官僚が主としてどこに目を向けて政治を行っているのか、主としてどこに目を向けて行政活動しているのか、結果として主として誰の利益に貢献しているのかの目の向けどころであって、鳩山新代表はそのことを問題にしたのである。勘違いも甚だしい。このようなとんでもない勘違いをするから、漢字だけではなく、空気が読めないと言われる。

 西松問題に現れている“政治とカネの問題”は小沢問題や西松という企業にとどまらず、遥か遠い過去から連続してなお断つことができていない問題だから、
「国民からして最大の関心」と言えるのであって、自民党の閣僚及び自民党国会議員も関わっているその連続性をも問題としなければならないはずだが、麻生は自己都合にも小沢一郎と民主党の問題だけに矮小化すべく企んでいる。

 いわば
「なかなか国民目線から見ると、なかなか理解しがたい」は小沢+民主党のみならず、自民党も大きく関わっている連続性をも対象としなければならない。

 以前、国会答弁で世論調査が必ずしも正しくないようなことを言っておきながら、
「世論調査でもよく出てきている数字」を言うのも、自己都合の発言と言うほかない。しかも自身の政策の不人気、不誠実な人格の不人気が原因となっている「世論調査でもよく出てきている数字」は取り上げず、都合で使い分けて平然としている。

 少なくとも今回の企業とか団体献金禁止を打ち出されておられますが、これは違法の献金の疑いで小沢代表の秘書が逮捕されたことがきっかけではなかったんですか。私どもからはそう思っている。従って現在の法律ですら守られていないという疑いがあるということだと思っておりますので、少なくともこの改正法の前に、現行法ですら守られていないところが問題なんだと思っています。従って秘書の……。

 (静粛に願います)

 秘書の違反を契機に、制度が悪いと言うのは論理のすり替えだと思います。私どもはそういった意味でぜひこの点に関しては十分な説明をされるというのが大事なんであって、そうしないと少なくとも違反の話を棚上げにして、制度の変更、というのは、これは単なる論旨のすり替えだと言われてもやむを得ないところだと思います。

 鳩山代表が意図し、麻生が言っている「秘書の違反を契機に、制度が悪い」、変えようというのは過去から現在まで自民党の閣僚及び自民党国会議員も関わっているその連続性をも問題としているからで、「論理のすり替え」でも何でもない。麻生は頭が悪いから理解できないだけのことである。

 また企業献金、世襲の話などいろんなご論議があり、私はいいことだと思います。ぜひこれまで議論を積み重ねて、少なくとも後援会は企業、団体からの献金は禁止になったわけですから、それを犯された方がそこにいらっしゃるわけで、そういった意味では、きちんとした決着をつけねばならない。

 私どもはきちんと、そういった疑いがあるから逮捕されたと思っております。ぜひそういった意味では、我々としては、きちんとした対応がなされるようにならないと、この話はなんとなく空理空論ということになりかねないという、そういう感じを思っております。

 また世襲の話が出ましたが、各党がいろいろなルールを作られるのは、いいことだと思います。私どもは少なくとも、安倍幹事長代理のころだったと思いますが、あのころから公募という制度を積極的に採用させていただいて、多くの地域で公募というものを正式にスタートさせていただいて、その支部でいろいろされる。私はその中から選ばれた方は、有為な方であれば、立派な支部、党の選択であって、私どもとしては、その党の中の論議としては、踏まえて行うべきだと思っています。

 また法律に関しては、言わしていただければ企業献金の話も法律の話ということだったと思いますが、それは先ほどお答えした通りです。

 口達者なだけの麻生党首討論/「政権交代は手段であって目的ではありません」は事実誤認(4)に続く
  

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口達者なだけの麻生党首討論/「政権交代は手段であって目的ではありません」は事実誤認(4)

2009-05-28 23:56:59 | Weblog

 

 党首討論:詳報その8 鳩山代表「天下り天国を作ってしまっている」

 ◇鳩山代表

 総理、今ですね、大変聞き捨てならない発言をされました。私どもの側に政治資金規正法を犯した者がいる? 決まったわけじゃないでしょう? 決まったわけじゃないでしょう? これから裁判で決着がつく話でしょう。その話で言えば、そちらにもたくさんおられたじゃないですか。

 おかしな話ですよ。漆間官房副長官がおっしゃいましたよね。「自民党には捜査は及ばない」。及んでないんですよね。同じことをして、一方では秘書が逮捕・起訴され、他方ではなんにもおとがめなし。こんなバカなことが行われている。これが検察官僚のやることなのかと。我々はここで官僚国家に対して、しっかりとした歯止めをかけなければならない。そう真剣に思っているわけであります。

 それから、国民のみなさんが一番関心があるのがこの話だということに関して申し上げれば、新しい体制ができて、この新しい体制のおかげで、さいたまの市長選挙も勝利できましたよ、おかげで。国民のみなさまが、たいへん期待感を持っていただいているということは、我々にとっても大変ありがたいことだと思っているんです。

 小沢代行の説明責任について申し上げれば、私が幹事長時代に、第三者の方々に集まっていただいて、第三者委員会というものを作りました。そこに、もう既に小沢代行を呼んで、2時間ほどヒアリングしました。そこで、説明責任の部分がほとんど理解されたようでありますから、いずれ近いうちに報告書が出ますから、それをどうぞご覧になってください。もっと大事なことは、小沢代行の説明責任の話ばかりで、検察も第三者委員会に来るのを逃げましたし、メディアの方も逃げましたよ。誰も来ないですよ。おかしいんですよ。こういう一方的な国のあり方というものに対して、だから私たちは、上から目線の政府に対して、国民の目線に立った政治というものを今こそ作り上げていかなきゃならない。そう、重ねて申し上げたい。

 さらに申し上げれば、全然、今の企業団体献金に関して、答えになってないじゃないですか。これは別に、我々だけがやらなきゃいけないって話じゃないんですよ。みなさん方も一緒にやって、そのことによって国民のみなさんが、日本の政治も政治家も、少しはマシになったね、と言われたいじゃありませんか。そのためにも、もっともっと努力しようじゃありませんか。まだ通常国会の時間が残っていますから、我々、法案を必ず出します。どうぞ、通すために協力を心から願いたいと存じます。

 時間が大分なくなって参りましたが、私から申し上げたいことが、まさに、その、官僚目線の話でございます。民主党の若いメンバーが中心となって調査を致しました。つい先日、結果が出て参りました。天下りです。どのぐらい、いると思いますか? 4500の天下り団体に、2万5000人の天下った方々がおられて、そこにですよ、国の予算がどれだけ出てると思います? 12兆1000億円のお金がそこに流されているんです。そのうち半分が随意契約ですよ。どうなっているんですかこれは、この国は。まさに官僚の利権をそのまま擁護する政治家たちが、このような信じられない天下り天国を作ってしまっているじゃありませんか。どうお考えなんですか。
党首討論:詳報その9 麻生首相 西松事件「企業団体献金の禁止にすり替えるのはいかがなものか」

 ◇麻生首相

 まず最初に企業団体献金の話ですけれど、私どもの聞いてる範囲では明らかに、後援会というものには企業団体から献金はできなくなっているんじゃないんですか。基本的にそうなっていると思いますでしょ? そこに明らかに出されたと思われているから、こういった話になったんだということなんじゃないんですか? 私どもはそこが一番肝心なとこで、それが一番の多くの疑念を抱かれているのに対して、説明責任をきちんと果たしておられますか、と聞いておるんであります。

 責任を果たしておられないという世論というものに合わせて代表を退(ひ)かれたんだ、というのはそれなりだと思いますが、その後すぐ代表代行に間に置かれる。またその後、その時には一心同体だとか、殉ずる時は殉ずると言っておられた方が、そのまま代表になっておられますんで、そういった意味では、我々としてはなかなか、あれ? こないだの話とは違うではないかと、正直にそう思っております。従いまして、言葉というものは極めて大事にしなくちゃいかんと思いますので、私どもとしては、そういったようなことを、大事にするということを、我々としては、政治というものの信頼を回復していく上でも、ものすごく大事なことだと思っております。

 言葉というものは極めて大事にしなくちゃいかんと思いますのでと人に言える資格はない。

 企業献金につきましては、先ほどご答弁申し上げたと思いますが、企業献金については、企業にも、社会の一構成員としての立派な存在意義があると思っております。きちんとした法律で認められておりますので、企業団体献金はきちんとした政党に出さなければならないというルールに決まっておりますので、そういった形で政党に企業としての献金をするということに関しては、我々が論議して認めたルールなんではないですか。そういったことを考えて、もちろん、労働団体、労働組合含めまして、団体からのいろいろな献金というものがいろんな形でなされているのはご存じの通りでしょう。

 そういった意味で、我々としては、今申し上げたような形を、きちんとした形で対応していくというこれまでの経緯がありますので、いろいろ論議されるのは全然問題ない、我々は前から大いに賛成ですとずっと申し上げてきていると思っておりますんで、これは政党間でいろいろ話をしていただかなきゃならんのであって、私が申し上げてるのは、今回の端を発したもともとの話を企業団体献金の禁止にすり替えるのはいかがなものかということを申し上げてますんで、そのことが一番違っているところだと思っております。

 また今の話に関してましては、天下りの話に関しましては、法律で向こう3年間天下り、渡りは認められておりましたけど、私の時に、渡りに関しては、天下りに関しましては、いずれも今年から禁止ということにいたしたと記憶します。従いまして、そういった3年以内の話をきちんとした対応をしたというのも、はっきりと対応したと思いますので、その種のことに関しては、いろいろと、今後とも、随意契約の話、また入札の話、我々は今後とも、こういったものがきちんとした、開かれた形で行われるよう、努力していかなきゃならないと、基本的にそう思っております。
 
 官僚世界をこのような体たらくとした自民党政治の責任、政官馴れ合いから生じた共犯関係を棚に上げている。しかも野党の追及と国民世論の突き上げで仕方なく「法律で向こう3年間天下り、渡りは認められておりましたけど、私の時に、渡りに関しては、天下りに関しましては、いずれも今年から禁止ということにいたした」に過ぎないのであって、決して「そういった3年以内の話をきちんとした対応をした」というわけではない。

 さらに言うと、今まで散々に放置しておいて、その責任を無視して、
「今後」「努力していかなきゃならない」の話としている。

 鳩山代表が言っているように
「まさに官僚の利権をそのまま擁護する政治家たちが、このような信じられない天下り天国を作ってしまっているじゃありませんか」なのである。  
 党首討論:詳報その10 鳩山代表「あまりにもめちゃくちゃな補正予算」

 ◇鳩山代表

 積極的にやっていただけるのか、やっていただけないのか、さっぱり分からないご答弁でありました。ただぜひ、企業団体献金は我々、すり替えの議論をしているつもりはまったくありません。李下(りか)に冠を正さずという言葉をお送りしておきたいと思いますし、ぜひ、正しいことをやっていた、全部オープンにしていた、でもそのことによっても逮捕されてしまった。ならばその元を断たなきゃいけないでしょ、と。

 (ヤジ)うるさいですね、静かにしてください。私も、企業団体献金を悪だと決めつけるわけじゃありません。現実の問題としていろいろな事件が起きてしまう、そのことによって政治に対する信頼が失われてしまう、この繰り返しだけは避けなきゃいけない。小沢代行のだけの話じゃないですよ。そちら側にも、むしろ数としてはあまりにも多く同じことを起こしてる人がいるのに何もおとがめないということのほうが、私にはよっぽどおかしな話だなと思っています。

 この話を繰り返していてもまさにせん方ない話で、我々法案を出しますから、みなさん方のご協力で成立をしていただきたい、重ねてそのことをお願いしておきます。

 それから、あまりにもめちゃくちゃな補正予算であることは、あなたがたがよくお分かりになっていると思います。官僚まかせの弊害極まれるという話でありますが、アニメの殿堂、総理がアニメがお好きなのは知っておりますが、117億円を、なんで、ソフトパワー重要なのは分かりますけども、箱物にそんなお金を使う必要があるのか、このことは逆に、いわゆるマンガ喫茶の民業圧迫になるじゃありませんか。こういうことを平然と行ってしまう。

 それから役所にだけはですよ、71億もかけて地デジ対応のテレビを入れるってんでしょ。7万1000台をなぜ国民でなく役所が先に地デジ対応のテレビを入れなきゃならないんですか。エコカーにしてもなんで、役所は最後でいいはずなのに、なんで最初に1万5000台、588億ですよ。ばかにならないお金ですよ。それをあっという間に目をつぶってはんこを押してしまう。こんなことに補正予算を使っていいんですか。補正というのはそもそも、緊急性のあるものに対して使われる予算でなきゃならないのに、まるで緊急性がないものに平然として使われてしまっている。この国の仕組みはやっぱり官僚任せだな、その極めつけは役所や、あるいは独立行政法人に対する施設整備費、どのぐらいだかお分かりですか? 本予算で6490億円だったと思いますが、本予算でも6490億円だったのに、補正だけで2兆8000億円ついてんですよ。なんで役所の整備のためにこれだけの予算がつくのですか。これはまさに、官僚の官僚による官僚のための予算だと言われてお答えできますか?

 官僚の悪乗り、お手盛り、焼け太り、そんな予算じゃありませんか。私たちはだからこそ、こういう無駄遣いを徹底的になくすために今日まで戦ってきたんです。あなた方が本来ならやらなきゃならないことを、野党の我々が協力してやってきたんです。そのことに対して、もっとあなた方は評価をされるべきです。ぜひですね、こんな無駄遣い、一掃させようじゃありませんか。そのためにはこんな補正予算、やめようじゃありませんか。
 党首討論:詳報その11止 鳩山代表「意味のない答弁長い」 麻生首相「討論であって答弁ではない」

 ◇麻生首相

 あの、いろいろご意見は、ご意見があるようですけど、まず最初にさきほどの話をうかがうと一つだけどうしても気になったとこがありますので、そこだけ再確認させていただきたいのですが、正しいことやったのに秘書が逮捕されたと言ったのですか。

 ◇鳩山代表
 本人としては政治資金規正法にのっとってすべて行ったにもかかわらずと、これは本人が昨日、保釈をされましたその時の弁であります。

 ◇麻生首相
 基本的にご本人の話であって正しいと思ってやったけれども、法に違反していたという話はよくある話ですから、少なくともそれをもって、国策、国策捜査のごとき話にすり替えられるのは、本人が正しいと思ったという話ですけれど、本人が正しいと思ったことであっても、少なくても間違った場合は逮捕されるということは十分にあるのであって、それは国策捜査ということではない、私どもは基本的にそう思っております。

 民主党側だけが捜査を受け、逮捕者が出た。自民党側にも西松から献金を受けていた者が判明していたにも関わらず、捜査を受けもしない、そこへ漆間官房副長官の「自民党には捜査は及ばない」という発言があって、国策捜査ではないかと民主党側が主として騒いだ結果、検察が動いて二階の政策秘書を事情聴取した、この一連の顛末から国策捜査ではないかと言っているのであって、それを麻生は「本人が正しいと思ったことであっても、少なくても間違った場合は逮捕されるということは十分にあるの」だからと、そのようなケースは「国策捜査ということではない」とトンチンカンな的外れのことを言っている。「国策捜査」とは政権を担っている政治権力が直接、あるいは外からの圧力を受けて検察を動かして自分たちの目的に添った捜査を行わせることを言うのであって、麻生が言っているようなことを言うのではない。

 また、いろいろな国の予算の話がありましたけど、まず基本的には我々は今回の複数年度の予算、単年度ではなく複数年度の予算編成をということを考えないと今回の危機には対応できない、私どもはそう思っております。従いまして、我々としては複数年度の予算をするための考え方の一つとして基金というものを、使わせていただいたというのが基本であります。

 従って、これが今回の経済危機に対応するにあたって、きちんとした対応をしていったというようにご理解いただければと思っております。また東京の外環の道路の話にしても、そのほか長期間かかるものに関しては、我々としては今年度を考えた場合、時間としては、我々としては、当然ある程度時間がかかるというのは当然のことだと思います。

 また自動車、テレビのお話がありましたけど少なくても御党では、確か次の中期目標に関しましては最大限6%、えー、22%か、1990年比で、確かそういう目標、極めて高い目標を掲げておられました。それを達成するためには、その目標を達成するためには、我々としてはかなりな個人の経費がかかるということも覚悟していただかねばならん。私どもはそういうご意見が出されておりましたけど、少なくとも可処分所得で22万円新たにかかることになります。加えて光熱費も14万円かかる。合計36万円もの支出がかかるということを世論が認めているかといえば、多くの世論はそれに対して反対のパブコメを寄せておられるというのもご存じの通りです。

 従ってきちんとした対応というものを考えないと、理想だけ抱えても現実論としてそれだけの経費負担を国民が払うということに関しては理解が得られない。我々はそれに対してきちんとした対応を我々なりに考えさせていただいた結果であります。

 鳩山代表が次に「何かね、意味のない答弁を長くされて時間だけつぶされて」と言っているが、何を言っているか意味不明、自分でも何を言っているのか分からなくなったのではないのか。

 ◇鳩山代表
 何かね、意味のない答弁を長くされて時間だけつぶされて、これが党首討論だと言われたらもったいないですよ、国民のみなさんに。本当に残念でなりません。結局みなさん方の考え方は官僚に依存して予算を組む、しかしほとんどが借金だと。借金でこれはやってられないから2年後には消費税の増税だと、そんなめちゃくちゃなですね、予算を組むような政府には早くご退出を願うように、私どもも全力を尽くして参りたいと思います。

 まず国民のみなさま方が新しい政治を起こすために、協力をしていただいて、そのことで誇りに思えるような国をぜひ作っていきたいと思いますから、これからもどうぞ党首討論、存分にやろうじゃありませんか。終わります。

 ◇麻生首相
 あの、ひと言だけ。今後のこともありますので、ひと言だけお答えします。答弁が長すぎるというお話でしたけど、これは討論であって答弁ではありませんので、今後とも討論をさせていただくうえには、答弁を求めるというような形ではなく、討論を申し込んでいただくようにお願いを申し上げます。

 麻生は最初の発言でこれは討論であって、国会質疑とは違うとわざわざ断りを入れる拘りを見せていたが、ここでも再び討論であることに拘っている。相手の意見・主張に対して自身の意見・主張を以って答える(=答弁する)という形式も討論の中には含まれるはずだから、鳩山代表が「答弁が長すぎる」と言ったとしても間違いではない。

 中身がないから、瑣末なことに拘る。大体が最後の締めにもう少し高邁なことが言えないものだろうか。最初から最後まで、口達者なだけという印象しか受けない。鳩山代表は
「まず国民のみなさま方が新しい政治を起こすために、協力をしていただいて、そのことで誇りに思えるような国をぜひ作っていきたいと思いますから、これからもどうぞ党首討論、存分にやろうじゃありませんか」と意見の闘わせを通して国の発展に寄与しようと締め括ったのである。それとも麻生という政治家にはふさわしい無味乾燥な締め括りだと言うのか。

 麻生が言った
「責任を取られた方が、鳩山代表に次ぐ代表代行になっておられるのが、責任の取り方なんでしょうか」などは意見・主張というよりも典型的な質問であって、当然質問に対する答弁が生じる。それを棚に上げて討論に於いても答弁が存在することを鈍感にも否定している。

 こんなことも理解できない男が日本の総理大臣を務めている。

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政権交代で自民党・官僚のムダ遣いメタボ体質を断ち切らねば、メタボは永遠に残る

2009-05-27 10:17:52 | Weblog

 

 5月25日の「asahi.com」記事≪クルーグマン教授「給付金は0点だ」 与謝野氏と対談≫

 5月24日にフジテレビの報道番組が24日放映したそうだが、ノーベル賞経済学者で米プリンストン大のポール・クルーグマン教授が与謝野財務・金融・経済財政相と対談して、定額給付金の支給について「0点だ」と辛口評価したと言っている。

 その理由。

 「他の国で失敗している。米国では歴史的にみて給付金は使われず、ほとんど貯金される」

 省エネ家電への買い替えを優遇するエコポイント制度については――
 
 「評価は保留。現時点でポイントが何に使えるかわからないのに、ポイントが与えられる理由がよくわからない」

 だが、懐に余裕のある消費者は「何に使えるかわからな」くても、貰えるものは何でも貰おうとエコポイント商品に殺到している。環境に負荷をかけないハイブリッド車や電気自動車、低燃費車等の新車購入補助制度や住宅購入に関係した贈与税の減免、新築住宅購入に向けた住宅ローン減税等々は派遣切りにあって失業中の者や正社員でもリストラを受けて失業した者、学校を卒業したものの、就職できなかった者、採用内定あるいは採用そのものを打ち切られた者のうち、親にも財産がないといったことで懐に余裕のない者、元々の低所得者等の大多数を占める者にはすべて縁のない経済政策でしかないことは断っておかなければならない。

 財政・予算を取り仕切った我が日本の財務省与謝野馨大臣は15兆円という規模についてこう語っている。きっと胸を張って堂々と語ったに違いない。そうでなければ、語ることはできない内容だからだ。喉頭がんを手術したとかで、かすれて聞き取れない声だったのは残念だったのではないか。誰にでもはっきりと聞かせたい話だったからだ。

 「どうせ金を使うなら人々が驚くぐらいの額を、という考え方だ」

 そして、「来年春には日本経済はプラス成長になっていると思う」

 「どうせ金を使うなら人々が驚くぐらいの額を、という考え方」・発想で、実際には13兆9256億円という補正予算額を決定した。今、どのような対策が必要なのか、それをギリギリ実行したなら、どのくらいの予算・金額が必要なのか、その予算・金額を積み上げていったなら、13兆9256億円という合計予算額に達したというわけでなく、逆に「人々が驚くぐらいの額」を先ず考えて、その予想した金額に対策を埋め込んでいって、予想金額を満たした。それが「人々が驚くぐらいの額」であるということである。

 例え最初の予想金額を超えても、気にも留めなかったことも起こったろう。何しろ「人々が驚くぐらいの額」を目指したのだから、少々超えたからといって気に病んでいたななら、「驚か」すことなどできない。だから、緊急補正予算の中に「予算作成後に生じた事由に基づき特に緊要となった経費の支出」を補正予算で組むことができるとした「財政法」を無視して、「緊要」でもない、本来なら本予算に組むべきハコモノでしかない「漫画の殿堂」設立に117億も予算を組むことができた。

 岡田民主党新幹事長が「サンデープロジェクト」でこのバラ撒きについて次のように言っていた。

 「最初に金額アリで、財務相が各省に具体策をどんどん出させ、出した具体策をただホチキスしただけ」

 官僚の言いなりにつくった補正予算案だと言っているのである。

 麻生と組んで与謝野は自分たちからバラ撒きを企んで、官僚たちの好き勝手なバラ撒きを招き込んだのである。25日に東京板橋で焼け跡から夫婦の殺人遺体が見つかった事件の被害者のうち74歳の夫は自身の財産を誇って、池袋駅まで行くのに他人の土地を通らずに行ける、自分の土地を通るだけで行ける、「おれの飲み代は月300万円だ」「asahi.com」)、家にいつも1千万円程現金で置いていると吹聴していたそうだが、その自慢話が強盗殺人犯を呼び込む誘い水となっていたに違いないのだが、それと同じように、「人々が驚くぐらいの額」を最初に想定したバラ撒き意識が招いた官僚側からのバラ撒き反応だったに違いない。

 いや、自分たちの素地が元々からしてバラ撒き体質・バラ撒きメタボに出来上がっていたから発想できた「どうせ金を使うなら人々が驚くぐらいの額を、という考え方」だったのであり、官僚側からのバラ撒き案はなお一層のバラ撒きを含んでいたということなのだろう。素地のないところにバラ撒きは立たない。

 バブル崩壊後の失われた10年から脱出するために自民党政府が行ってきたバラ撒き財政出動を「(日本は)そういう経験を15年間やってきた。初めて同じような状況に直面している欧米諸国の中には、財政出動の重要性を理解していない国がある。それがドイツだ」と麻生は批判したが、自身が採用している財政出動のバラ撒き無秩序を棚に上げて他国元首に調子よくお説教を垂れたのだから、滑稽な限りである。 ヘビースモーカーが人に禁煙の教えを垂れるようなものである。

 24日日曜日の「NHK日曜討論」や朝日テレビの「サンデープロジェクト」でも、岡田民主党新幹事長は民主党自らの経済対策の財源を残された埋蔵金の活用と次の衆議院4年間の任期の中での歳出削減及びムダ遣いの削除で確保していく、埋蔵金と言われる特別会計200兆円あるその中からムダ遣いは20兆円と見ていると言っていた。

 その主張に対して石原伸晃幹事長代理。

 (歳出削減として)「本当に切れるおカネは20兆円、20兆の中でムダを見つけても、その1割の2兆程度で、それが合理的な考え方」だとか何だとか言っていた。

 公共工事は社会活動の質の向上に貢献しない、当然、社会性や社会意識の向上にも貢献しない赤字経営のハコモノが殆ど、社会保障制度にしても教育制度にしても、母子関係制度にしても、障害者制度にしても、各種医療制度にしても真に国民に満足を与えるものとなっていない、それゆえに制度としては形だけ整えた中身のないハコモノとしか言いようがない、その殆どがムダ遣いに終わっている政治を自民党は戦後延々と国民に提供しておいて、そのことを棚に上げて、石原はカラッポ頭だからだろう、「本当に切れるおカネは20兆円、20兆の中でムダを見つけても、その1割の2兆程度で、それが合理的な考え方」だとか言っている。

 国の借金が09年度末に900兆円を超えるという報道があったが、戦後ほぼ一貫して政権を握ってきた自民党政治がつくり出した借金なのだから、そのハコモノ政治体質・ムダ遣いメタボ体質、さらに政治の結果責任性を併せて考えると、借金の900兆円丸々、ムダ遣いだと見るべきだろう。

 それを石原はムダ遣いは20兆円の1割の2兆円程度だと責任意識のかけらも見せずにノー天気なことを言う。

 あくまでも黒字という成果を生まなかった赤字である以上、ムダ遣いそのものと言える900兆もの国の借金を生み出しているムダ遣いメタボ体質に対してだけではなく、所得格差や都市と地方の格差、学歴格差、教育格差といった社会の矛盾をつくり出したことに対しても結果責任を果たさない自民党政治を政権交代で断ち切らずにこのまま延命させたなら、現在の官僚政治、自民党ハコモノ政治、ムダ遣いメタボ体質をも永遠に生き延びさせることになる。

 日本の今の社会の政治的癌を断ち切るには政権交代と言う荒療治しか残されていない。

 最後に最近の官僚のムダ遣いを伝えるインターネット記事を参考引用しておく。
 
≪職業能力協会が3500万円不正支出、補助金を飲食などに≫YOMIURI ONLINE /2009年5月15日03時09分)

 政府の今年度補正予算案に7000億円の基金設立が盛り込まれた厚生労働省所管の法人「中央職業能力開発協会(中央協会)」(東京都文京区)と傘下の都道府県協会に会計検査院の調査が入り、中央協会と8県の協会で、職員らによる飲食など計約3500万円の不正が指摘されていたことがわかった。

 検査院は夏までに全国47協会の調査を終える方針で、不正額はさらに膨らむ見通しだ。


 検査院が調べたところ、中央協会では2002~04年度、補助金では支出が認められない酒食を伴う懇親会を3回開き、計約64万円を会議費として処理していた。地方協会では岩手、宮城、栃木、新潟、石川、福井、島根、広島の各協会で計約3410万円の不正が見つかった。

 福井県の協会では05年度までの4年間で、約1585万円の不正支出が判明。このうち990万円は、役職員らが民間関係者などとの懇親目的の宴席に使っていた。毎回のように女性コンパニオンを呼び、2次会のスナックでの代金も約80万円に上っていた。栃木県の協会では02~05年度で計約1267万円が発覚。職員らの懇親会のほか、退職金の積み立てにも充てられていた。その他6県の協会では、職員の慶弔費や、補助金では目的外の会報誌郵送代などで約560万円が判明。このうち、宮城、広島を除く4協会では職員らによる飲食が見つかった。

 一般会計総額約14兆円の今年度補正予算案では、46基金に約4兆3700億円を計上。このうち中央協会の7000億円がトップで、職業訓練者の生活支援給付などに充てられる。

 福井県協会は「昨今の社会状況からすれば、懇親会への支出は不適切だった」としている。 

 ◆中央職業能力開発協会=モノ作りなどに携わる人材育成を目的に、職業能力開発促進法に基づき設立。各都道府県には地方協会がある。建設、金属加工、食品など12分野で125の技能職種を定め、等級を与える検定試験や技能競技大会を開催する。国からの補助金、事業委託費などで運営されている。

 自民党政治が国民目線・生活者重視の政策に真に立っていたなら、官僚組織もその姿勢の反映を受けて、私腹肥やしや公私混同の薄汚いコジキ行為はできまい。立っていないことの証明であり、同質性による管理不行き届き・監督不行き届きが許している怠慢・怠惰。遊惰の姿であろう。

 こういった報道がこれまでもゴマンとあったことからすると、官僚たちの私腹肥やしや公私混同の薄汚いコジキ行為は各省庁に跨って蔓延していると見るべきだと思うが、どうだろうか。

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子ども達の言語力低下に力を貸す麻生の『漫画の殿堂』117億円

2009-05-26 14:25:03 | Weblog

 事業費117億円で09年度補正予算案に盛り込み、文化庁所管で設立構想されている「国立メディア芸術総合センター(仮称)」を野党はムダ遣い・バラ撒きの「漫画の殿堂」と揶揄・批判。マンガ好きで、自らマンガの読書量を誇り、その努力の甲斐があって、自らの知性をマンガで染めている日本のマンガチック総理大臣・麻生太郎は勿論のこと、マンガを貶(けな)されたのだから、野党のバラ撒き・ムダ遣い批判に反論。

 「メディア芸術の分野はわれわれが思っている以上に国際的評価は高い。日本のソフトパワーをきちんと評価すべきだ」(≪麻生首相「漫画の殿堂」批判に反論≫スポニチ/ 2009年05月21日 21:12)

 文化庁HP、≪メディア芸術の国際的な拠点の整備について≫
で『メディア芸術の国際的な拠点の整備について』、いわゆる「国立メディア芸術総合センター(仮称)」について次のように紹介している。

 <「メディア芸術」とは、映画マンガアニメーションCGアートゲーム電子機器等を利用した新しい分野の芸術の総称です。

 1997年以来、文化庁主催で「文化庁メディア芸術祭」を毎年開催、(2009年)2月に開催された「第12回文化庁メディア芸術祭」においては、「アート」「エンターテインメント」「アニメーション」「マンガ」の4部門合計で2,146作品の応募があり、うち、外国からは、43カ国・地域より512作品の応募がありました。
 
 今日「文化庁メディア芸術祭」は、世界のクリエーターの登龍門として着実に実績を積み上げています。

 本年の「アニメーション部門」の大賞を受賞した「つみきのいえ」(加藤久仁生監督)は、その直後に、映画「おくりびと」とともに米国アカデミー賞を受賞(短編アニメーション賞)し、映画・アニメーションなど日本のメディア芸術が高く評価されたことは記憶に新しいところです。

 メディア芸術祭は,年に1回2週間程度の開催期間に過ぎず、国際的な評価や関心は高まってきているにもかかわらず、国内においていつでも観ることができる施設はありません。

 また、国内に点在する既存のメディア芸術関連施設は、それぞれ独自の取組を進めており、相互の情報の集約・発信や連携協力を図る中核的な機能を果たす拠点が求められています。

 さらに、現在は世界的に親しまれている我が国のメディア芸術を、今後もその強みを維持していくためには、この分野の人材育成や調査研究を推進していく拠点が必要となっています。

 このことから,本年(2009年)4月に,文化庁「メディア芸術の国際的な拠点の整備に関する検討会」において,これまでの「文化庁メディア芸術祭」などの成果の蓄積を踏まえて,メディア芸術に関する国際的な拠点の整備を求める報告書がとりまとめられました。>云々――

 「アート」、「エンターテインメント」、「アニメーション」、「マンガ」の4部門の作品を世界から募集して「文化庁メディア芸術祭」を開催するまでは結構毛だらけ、猫灰だらけである。

 最初にひっかかったことは、「新しい分野の芸術」としての「メディア芸術」の中に映画、マンガを持ってきて、「国立メディア芸術総合センター(仮称)」の展示品目としていることである。両者は従来的な芸術・文化の類だと思うのだが、そうではないのだろうか。しかも、最初に持ってきている。

 大体からして文化庁主催の「文化庁メディア芸術祭」は「アート」「エンターテインメント」「アニメーション」「マンガ」の4部門に限られていた。だが、4部門に付け加えて、「国立メディア芸術総合センター」は新たに「映画」を付け加えようとしている。

 アニメーション「つみきのいえ」と映画「おくりびと」を例に挙げて、日本のメディア芸術が高く評価されているとしているが、アニメーションの場合は宮崎駿監督のいくつかとその他のアニメーションがここ暫くの間は世界的に高い評価を受けている。映画の場合は散発的にではあっても、恒常的に高い評価を受けているというわけではあるまい。

 「アニメーション、CGアート、ゲーム」等を「新しい文野の芸術」の仲間に入れるのは理解できる。アニメーション自体はかなり歴史を経ているが、コンピューターグラフィックス(CG)と合体させた新しい形式のアニメーションへと発展していているから、「新しい文野の芸術」としたに違いない。

 マンガも最近は線描・色づけ共にコンピューターで仕上げる作家が増えていると言うことだが、例えCGソフトを利用して人物や事物を描いたとしても、仕上がった作品自体はコンピューターの関与を残さない昔ながらの静止画の仕様となっていて、デジタルアートとは言い難い。

 パソコンの文章作成ソフトを使って小説を書き、それを印刷した作品をデジタル小説と言わないと同じであろう。「アート」、「エンターテインメント」、「アニメーション」、「マンガ」の4部門だけ集めて「国立メディア芸術総合センター」と銘打つには内容不足があるから、映画を付け加えて盛り沢山とし、正当性を持たせようとしたということだろうか。

 「国立メディア芸術総合センター」を正当づけることができると、「新しい文野の芸術」の範疇に入れ難いマンガにもその正当性が逆照射して、それらしく正当性を纏わせることが可能となる。

 当然、マンガが大好きで肩入れしている麻生首相の顔を立てることもできるし、出番を作ることもできる。

 「文化庁メディア芸術祭」が主催し、「アート」、「エンターテインメント」、「アニメーション」、「マンガ」の4部門でどのような作品を優秀作品としているか見ることによって、この芸術祭の趣旨・性格を窺うことができる。昨08年第12回の各部門の優秀作品だけを取り上げてみる。

 上記文化庁HP、≪メディア芸術の国際的な拠点の整備について≫では、「(2009年)2月に開催された「第12回文化庁メディア芸術祭」においては」と言い、「本年の『アニメーション部門』の大賞を受賞した『つみきのいえ」(加藤久仁生監督)となっているが、同じ文化庁のHP≪平成20年度(第12回)文化庁メディア芸術祭 受賞作品 文化庁メディア芸術プラザ≫では「20年度受賞作品」となっている。

 まず、「アート部門」はMarcio AMBROSIOなる人物の『Oups!』という作品が「大賞」作品となっている。テレビ画面をさらに大きくした大型のスクリーンの前で人物が踊るように手足、腰を動かすと、その姿がスクリーンに映し出されて同じ動きをすると同時に、その人物が跳び上がると、CG操作によるものだろう、画面の人物の腰の左右に火花を吹くロケットエンジンが現れ、人物がロケットのようにとび上がって見えたり、子どもが腰をぐるぐるまわすと、回転するレコード盤が現れて、その上で腰をまわしているように見え、子どもが腰を止めるとレコードの回転も止まるといった構成のアニメーションとなっている。私は芸術的センスがゼロだから、ちょっと気の利いた作品にしか思えなかったが、少なくとも大衆受けする作品には見えなかった。HP「文化庁メディア芸術プラザ」でその動画を見ることができる。
 
 「エンターテインメント部門」は岩井俊雄なる人物がヤマハと共同で制作した電子楽器「TENORI-ON」が受賞している。「Yue-Tube」で紹介しているが、30センチ四方程度の矩形の板にボタンが相当数ついていて、それを様々に押すと様々に演奏を奏でる。電子音ではあっても、リズム・音色共に素晴らしい。

 この電子楽器が「エンターテインメント部門」で優れているとの評価を受けたと言うことは、「エンターテインメント」とは娯楽を意味する英語なのだから、楽器としての“つくり”以上に、娯楽の道具とするには最適の楽器だとの紹介をしたということではないだろうか。

 一昨年の07年第11回の「エンターテインメント部門」は任天堂のWii Sportsが受賞しているが、部屋でWiiリモコンを手に握ってテニス・ベースボール・ゴルフ・ボウリング・ボクシングの5種類のスポーツに限って実際の競技に近い動きで動かすと、ゲーム場面に競技の模様が映し出されて、実際に自分がプレーしているような臨場感を味わえるというテレビゲームらしいが、このことも娯楽性の優秀さ、適合性を評価したものであろう。

 「アニメーション部門」は最初に紹介してあった、日本初となるアカデミー賞短編アニメーション賞を受賞したという加藤久仁生監督の「つみきのいえ」である。海面上昇に伴い上へ上へと建て増しされていく家に、たった一人で暮らす老人が馳せる「家族」への思いを描き12分の短編アニメ作品だそうだ。

 「マンガ部門」は一色まこと作「ピアノの森」

 <町外れの「ピアノの森」で育った少年カイの物語。はじめは楽譜すら読めないカイが周囲を取り巻く人々によりピアニストとしての才能を開花させていく過程を描いている。>と「Wikipedia」が紹介している。

 つまり「文化庁メディア芸術祭」が毎年取り上げてきた開催テーマに連なる優れた作品を事業費117億円もかけて取り上げ、まだ仮称だが、「国立メディア芸術総合センター」なる施設を造って、誰もがいつでも観ることができると同時にそこに国内に点在する既存のメディア芸術関連施設がそれぞれに独自に発信してきた情報を集約・発信・相互連携形成の中核的機能を担わせ、尚且つメディア芸術分野の人材育成や調査研究を推進していく拠点とする。

 だがである、メディア芸術分野の人材育成や調査研究は文科系、あるいは芸術科系の大学、専門学校が既に行っていることで、それぞれに足りないところに補助金を出せば済むことで、官が上の立場に立って関与することになったなら、それぞれが持つ発想・意識にある種の枠をはめ込むことにならないだろうか。

 例えば安倍晋三と並び立つ国家主義者自民党議員稲田朋美が今年の2月12日に中国人監督のドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』の内容を確認したいと文化庁に申し出て、国会議員に特別試写を行うこととなったが、稲田は「靖国神社が、侵略戦争に国民を駆り立てる装置だったというイデオロギー的メッセージを感じた、反日的だ」と御託宣。この映画製作に日本国行政機関である文化庁管轄の独立行政法人「日本芸術文化振興会」が750万円補助したことを問題視、3月4月に右翼が街宣車を繰り出して騒ぎ出し、各映画館が相次いで上映自粛に出たが、文化庁は自民党国家主義議員の批判や口出しを恐れて、彼らの政治思想に抵触する人材や作品を敬遠するという枠をはめることになる恐れは十分にある。

 少なくとも映画『靖国 YASUKUNI』の思想・テーマに相通じる映画・アート・エンターテインメント・アニメーション・マンガの類は排除を受けることになることを教えている。

 また「msn産経」記事(≪安倍、町村氏らがNHK番組を批判「偏っている」≫/2009.4.23 22:53 )によると、今年の4月には日本の台湾統治を取り上げたNHKスペシャル『アジアの“一等国”』を狙い打ちして、自民党右翼議員、お馴染みの稲田朋美は「台湾は李登輝元総統など親日家が多いのに番組は反日の部分だけを偏向して報じた」

 同じく右翼議員安倍晋三「週刊新潮も取り上げたが、番組はひどすぎる。関心を持ってこのシリーズを見てほしい」との呼びかけを行った。

 これは言葉の圧力・干渉の類だろう。

 <中山成彬(なりあき)元文部科学相も記者団に、自らが会長を務める議連「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」としてNHKへ公開質問状を出す意向を示した。>――

 この例はこれまでの例と同様に戦前の日本の国家的過ちを指摘すると批判を受けるという教訓を与えるもので、批判の対象となり、排除されると分かっている人材側も自分たちの方から近づくまいとして、結果として思想的に無難な作品、あるいは思想的に無色の作品のみの情報の集約・発信・相互連携形成の中核的機能と化しやすくなる。

 このことを言葉を違えて言うと、責任を取らなくてもいい、政治色のない娯楽一辺倒の作品のみを扱う無難を優先させたお役所仕事の施設となりがちとなるということになる。そうなった場合、「国内においていつでも観ることができる施設」と言っても、主として小・中・高生が修学旅行で立ち寄る目玉施設として最も役に立つ場となりかねない。117億もかけて。

 修学旅行訪問の定番施設となった場合、問題は別にも生じる。麻生の言うように「メディア芸術の分野はわれわれが思っている以上に国際的評価は高い。日本のソフトパワーをきちんと評価すべきだ」としても、国が映画・アート・エンターテインメント・アニメーション・マンガの文化を突出させた場合、一頃言われていたテレビばかり見ていて、最近の子どもは本を読まなくなったという社会風潮のテレビ原因説を転移・増殖させる決定的要因とならないだろうか。

 本離れ・読書離れ・活字離れはテレビだけが原因ではない。テレビの中にはアニメーションも入る。そしてテレビゲーム、最近では携帯メール等への依存へと原因が転移・増殖し、一段と子どもたちの文化・教養の劣化を招いている。

 そこへきて、子どもたちが修学旅行等で大挙して「国立メディア芸術総合センター」を訪れる。その賑わいに麻生太郎が、そら見ろ、と手を叩いて喜んだとしても、そこで子どもたちが目を輝かせた分、なお一層のこと子どもたちを書物から、読書から、活字から遠ざけることになるキッカケとならないだろうか。

 既に前倒し実施を始めている学校もある小・中学校の11年度開始新学習指導要領は全教科で「言語力」育成を図る内容となっているということだが、マンガ・アニメーション・テレビゲーム・携帯メール等々で簡単な短い言葉に慣らされ、軽薄短小文化を血とし、肉としているところへ持ってきて、麻生の117億円「国立メディア芸術総合センター」でなお色濃く肉付けされた子どもたちが果して拒絶反応もなく新学習指導要領「言語力」育成についていけるだろうか。

 かつてのマンガブームは大学生までが本を読まなくなった、電車の中でもマンガを読んでいるといった現象にまで年代的に広範囲化し、そのことを裏合わせとしたマンガ流行現象だった。日本の総理大臣麻生太郎が国会という公の場で常識的な漢字の読みを平気で間違えるのも、マンガ好きでマンガばかり読んでいることと無関係ではあるまい。アメリカの首都の名前も知らず、ロシアという国が世界地図でどこを占めているのか指差すこともできない若者が少なくないのも、マンガやアニメーション、テレビゲーム、携帯メール嗜好の裏返しとしてある現象であろう。

 それらが招いている本離れ・読書離れ・活字離れが強いることとなった現象なのは間違いない。

 言葉のセンテンスが短くなり、言葉遣いが常套句化して、幼稚となっているのも、携帯メールに応用するには好都合であっても、マンガ嗜好と無関係ではあるまい。

 だからこその11年度新学習指導要領「言語力」育成なのだろうが、そのことには無頓着に麻生太郎は日本人の精神を麻生そっくりのマンガ頭脳としようとしている。彼らの精神を麻生太郎が脳ミソとしているマンガ知性で色づけようとしている。

 かなり前のブログに書いたことだが、小泉政権下の03年の「情報通信白書」は、「IT 日本は世界を先導、トップ水準」(03年7月4日『朝日』夕刊)と大体的に謳っていた。

 <携帯電話や携帯端末の普及により、米国が先導してきたパソコン中心の情報技術(IT)の拡大は『限界を露呈している』とする一方、日本が追いつく段階から先導役に移行しつつあると指摘。携帯端末などを通じて、どこでもインターネットに接続できる『ユビキタス』分野で、日本が世界をリードしていく必要があると主張している。>云々――

 ところがそれから6年、「日本が世界をリードしていく」どころか、その携帯たるや、小中高校生には有害なものとして所持禁止にしろだ、有害サイトアクセス規制だと大騒ぎとなっている。携帯を使ったいじめも問題化している。

 マンガ、アニメ、テレビゲーム、携帯と段階を経てつながってきた果ての教養・文化の劣化、精神の劣化のはずだが、麻生太郎はなおマンガ文化・マンガ知性に拘っている。良貨を与えてて悪貨を駆逐すると言うだろうが、人間は悪貨ほど染まりやすい。麻生のマンガ知性も良貨を素材に育てた知性・教養だとは言えまい。悪貨育ちだからこそ、国会で平気で言葉の読みを間違え、「医師は社会的常識に欠ける」といった失言を平気で口にすることができる。

 以上のことから考えると、文化庁は「文化庁メディア芸術祭」毎年開催で満足しておくべきではないだろうか。麻生が主張している「メディア芸術の分野はわれわれが思っている以上に国際的評価は高い。日本のソフトパワーをきちんと評価すべきだ」の「きちんと評価すべきだ」は各コンクールの選者や批評家、あるいはテレビや映画を通じて判断することとなる個人の嗜好・感性に任せればいい。創造力に任せればいい。

 今までもそうしてきた。117億円も費やす必要はない。まさしく民主党や他の野党が批判するようにバラ撒き・ムダ遣い以外の何ものでもない。

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田原総一郎の拉致「死亡説」に見るマヤカシ

2009-05-24 05:55:45 | Weblog

 

 田原総一郎が4月25日のテレビ朝日「朝まで生テレビ」で北朝鮮に拉致された横田めぐみさん等「8人死亡説」を披露、拉致被害者家族会が「確実な根拠も示さず死亡説を公共の電波に乗せた」といった内容の抗議文を送りつけたそうだ。

 死亡説を唱えようと幽霊説を唱えようと自由だが、職業ジャーナリストとして公的立場に位置している以上、具体的確証を示す義務と責任を有する。

 発言の経緯を5月11日付「asahi.com」記事≪田原総一朗氏に拉致被害者家族会など抗議文 「生きていない」発言で≫は次のように伝えている。

 <田原氏は4月25日のテレビ朝日の「朝まで生テレビ!」で、拉致問題交渉が難航する背景について、「2人は死亡した」と主張する北朝鮮側に対し、日本側が生存を前提に交渉しているためと説明。「外務省も生きていないことは分かっている」と発言した。>

 ここでは「2人死亡」となっているが、別の記事では「8人死亡」となっている。

 「生きていないことは分かっている」とされた外務省自体が田原本人に抗議している。

 中曽根外相(19日の閣議後の記者会見)「全くの誤りで、大変に遺憾だ」(≪拉致巡る田原氏の発言、中曽根外相が批判「全くの誤り」≫/asahi.com/2009年5月19日12時55分)

 対して田原本人の釈明。

 「家族会の方が抗議される気持ちはよく分かる。しかし、私は事実を言ったまでです」(同asahi.com

 田原発言をより具体的に知りたくて、その他にもいくつかのインターネット記事から発言と抗議に対する田原本人の釈明を拾ってみた。

 「外務省も生きてないことは分かっている。生きてないという交渉をやると、こてんぱんにやられる」
≪拉致家族会が田原氏に抗議 テレ朝番組「生きてない」≫「47NEWS」/2009/05/11 19:51 【共同通信】)

 「こてんぱんにやられる」とは、国内世論の批判を浴びるということなのだろうが、もう少し格調高い言葉が使えないものだろうか。

 「被害者の皆さんの気を悪くして申し訳なく、気持ちはよく理解できるが、事実を言ったまで」(同「47NEWS」

 「具体的な情報源を示すことなく発言したことは深く反省している」(上記「asahi.com」≪田原総一朗氏に拉致被害者家族会など抗議文 「生きていない」発言で≫

 「事実を言ったまで」とする姿勢と「具体的な情報源を示すことなく発言したことは深く反省している」とする姿勢にはかなりの差異がある。前者は完璧な自己正当化で、後者では自己の情報提示方法に間違いを認めている。但し、「事実」発言そのものを修正したわけでも否定したわけでもない。

 当然、「事実」であることを証明するために日本の誇るトップジャーナリスト田原総一郎は「具体的な情報源を示」して、何人(なんぴと)も納得し得る「事実」であることの提示を行う公的人間としての義務と責任を発生させたことになる。

 だが、マスコミやジャーナリストは守秘義務を掲げて情報源を明かさないことを認められている。

 5月11日付「asahi.com」記事≪田原総一朗氏に拉致被害者家族会など抗議文 「生きていない」発言で≫では「具体的な情報源を示すことなく発言したことは深く反省している」となっている釈明が、5月19日の「asahi.com」≪拉致家族に「申し訳ない」 田原氏の発言でテレビ朝日≫ではより言葉数を費やした謝罪となっている。

 「人の生死に関する問題を、具体的な情報源を示すことなく発言したことは深く反省している。横田さんたちが生きていることを心から望んでいる。言葉が足りず、大変申し訳ない」

 これも「具体的な情報源を示」さなかったことに対する謝罪で、自らの死亡説を否定、もしくは修正して謝罪したわけではない。

 だが、この謝罪にはマヤカシがある。死亡説を否定せずに「事実」としたまま、いわば死亡を前提としていながら、「生きていることを心から望んでいる」と生存への期待を口にするマヤカシである。

 息子が父親なりを殺して遺体を山中に埋めて警察に家出人捜索願いを出す。警察の事情聴取に人に恨まれるようなトラブルを抱えていたように思えないから、事件に巻き込まれるといったことは思い当たらないし、家出するような事情も思い当たらない、車で撥ねて殺してしまったからと遺体を隠してしまう事件も起きているし、自動車事故にでも巻き込まれたんじゃないかと心配で心配で、歳が歳だし、「生きていることを心から望んでい」ますと死の事実に反して生存への期待を口にするのと同じマヤカシである。

 また、「生きていることを心から望んでいる」は生存の可能性への言及でもあり、死亡は「事実を言ったまで」だとする自己完璧正当化に対する間接否定でもあろう。

 最初に言っていたことと正反対の違うことを言ったのである。いわば日本が誇る高名なジャーナリスト、日本のジャーナリズム世界をリードする田原一郎は二重のマヤカシを犯したのである。

 田原一郎らしいマヤカシだと言えば、そうと言えないことはない。元々ハッタリとヨイショだけで持っている胡散臭さを身上としていたようなところがあった。マヤカシは田原の人間性からしたら、必然的な性格発露と言える。

 「言葉が足りず、大変申し訳ない」と謝るなら、情報源を明かすなり、守秘義務から明かせないなら、別の方法で足りない「言葉」を補って、死亡は「事実」を具体的に証明し、どう非難されようと、どう批判されようと最初から最後までその「事実」で貫き通すべきだが、それさえできない。自分たちでは持っていると信じているジャーナリスト魂というやつなのだろう。

 5月12日の「J-Cast」≪田原氏が唱える拉致被害者 「8人死亡説」の根拠≫が一連の経緯をかなり詳しく報道している。我が田原総一郎の発言を拾ってみる。

 「北朝鮮が死亡したと主張している8人は、実は外務省側も死亡していることを知っている」

 「ところが北朝鮮は繰り返し、『生きていない』と言っているわけ。外務省も生きていないことは分かっているわけ」

 「一次情報から(情報を)得ている。だが、情報源を言うことはできない」(事務所を通じてのコメント)

 「(横田めぐみさんなど)8人は死んでいるが、それ以外で生きている人はいる」(07年10月、早稲田大学でのシンポジウムで北朝鮮高官から聞いた話を元に)

 「宋日昊(ソン・イルホ、日朝国交正常化交渉担当大使)の説明に不自然だと感じられるところはない。どちらかと言えば、北朝鮮側が『死亡した』と発表した8人を『生きている』と主張している日本側の方に無理があるのではないか。それに、日本側が調査を依頼していない人々の中には生存者がいる、と、これは交渉にあたった外務省の当事者から直接聞いた」(「世界」/08年7月号)

 「米国で再鑑定すべき」(国内の鑑定で偽物だとされた遺骨について)・・・・

 “8人死亡説”は北朝鮮の公式見解であって、宋日昊(ソン・イルホ)の個人的見解ではない。北朝鮮が公式見解としている“8人死亡説”に関する宋日昊(ソン・イルホ)の説明に「不自然だと感じられるところはない」と言っているのであって、不自然に受取られるふうに話すバカはいないだろうが、その「不自然」ではない説明と「日本側が調査を依頼していない人々の中には生存者がいる」と「交渉にあたった外務省の当事者から直接聞いた」伝聞を根拠として、日本側の“8人生存説”に「無理があるのではないか」との推測を以って結論としているのである。

 相手国側の「説明」と外務省の人間からの伝聞に基づいたこのような田原一郎の結論を正しいとする唯一のネックを解消するためには北朝鮮が自らの死亡説を証拠立てるために日本側に渡し、日本側が別人のものと鑑定した遺骨を本人のものと証明する「再鑑定」が当然必要となる。

 それが「米国で再鑑定すべき」という発言となっているのだろうが、本人のものと鑑定してくれるなら、米国でなくても、どこの国であってもいいに違いない。

 同じ「J-Cast」記事が田原総一郎の「死亡説」に懐疑的だとするコリア・レポートの辺真一編集長の考えを取り上げている。

 「外務省が『8人が亡くなっている』という話をしているのは、公式にも非公式にも聞いたことはありません。(田原氏は)北朝鮮担当者以外の、外務省関係者の『個人的な見方』を伝えているに過ぎないのでは」・・・・

 08年12月17日、東京・有楽町の外国特派員協会で会見を開いた拉致問題の担当大臣である河村建夫官房長官に辺真一編集長が次のような質問をしたことを記事が紹介している。

 「8名が間違いなく生存しているとの確証を持っているのか。死亡した可能性は全くないと受け止めてもよいのか」

 河村「『死亡した』との確固たる証拠がない以上、我々(政府)としては、生存としているとみて、救出に全力を挙げる」――

 この応答に対する辺真一編集長の意見。

 「北朝鮮は『亡くなっていることを証明できない』一方、日本側は『生存していることを証明できない』というのが公平な見方なのでは」・・・

 そして続けて。――

 「実は、拉致問題の全貌については、北朝鮮外務省当局者でも良く分かっていません。宋日昊や政府高官も、『表の人間』に過ぎず、奥深いところまでは把握していません。拉致にかかわったのは、工作機関などの『裏の人間』。金正日総書記は『裏』も掌握していますから、『真相は金正日のみぞ知る』ということです」・・・・

 金正日のみが真相を知るということなら、金正日自身が死亡を証明しなければ、日本からの戦争補償と経済援助を手に入れて北朝鮮経済の建て直しの重要な一助とすることはできない。またそうすることによって北朝鮮国民に様々な宣伝で植えつけている“偉大な将軍様”という虚像を実像に少しでも近づける有効な方法となる。

 尤も虚像だという思いがなければ、そういった気持の働きは起きないだろうが、少なくとも“偉大な将軍様”の偉大さをさらに偉大ならしめるだろうことは本人も承知しているはずである。

 当然、金正日はあらゆる手段を尽くして死亡を証明する行動に出るはずだが、「亡くなっていることを証明できない」でいる。

 実際に死亡しているなら、例え証明できる物的証拠、あるいは実在資料がなくて「証明できない」としても、金正日の国内的独裁権力を以ってして状況証拠を捏造してでも「証明できない」ことがあるだろうか。

 死亡間近に交渉のあったという人間をデッチ上げた上で日本の調査団を北朝鮮に受け入れ、ウソ八百を並べ立てる証言をやらせることである。自動車事故で死んでしまったと聞いたときには本当にびっくりしました。お葬式は立派なものでしたよ。デッチ上げられた人間が情報機関で訓練された者なら、キム・ジョンイル将軍様のためにものの見事な演技を披露することになるだろう。
 
 独裁権力を以ってしても考え得る「証明できない」事態はただ一つ、私自身は金正日が真相を知っているというだけではなく、拉致を命じた張本人だと推測していて、これまでもブログ等で述べてきたが、“生存”を選択した場合、帰国という段階に進まざるを得ないだろうし、最初に5人を帰している手前、一時帰国であっても許さないということは不可能だろうから、その際に真相を知る金正日の秘密暗部をも曝す危険性を抱えることになるために死人に口なしの死亡とした場合であろう。

 いわば最初に帰した5人は金正日に仇する危険人物ではなかった。

 金正日からも見た場合、喉から手が出る程に欲している北朝鮮経済建て直しの重要資源となる日本からの戦争補償と経済援助をフイにしてまで、拉致解決に向けて障害となり得る理由は他に考えられるだろうか。

 私自身、8人すべてとは証明できないが、何人かに対する“生存説”が例え間違っていようとも、それで以って田原総一郎はマヤカシ人間だとする私の指摘まで間違っているとすることはできないに違いない。

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麻生の鴻池無罪放免と自民党兵庫県連の「除籍」有罪のねじれ

2009-05-22 06:54:13 | Weblog


 20日(09年5月)午後の参院予算委員会でお騒がせ鴻池前官房副長官問題に関して民主党の峰崎直樹委員対麻生首相、河村官房長官長で次のような遣り取りがあった。

 峰崎「総理大臣、鴻池大臣がですね、この期間(新型インフルエンザ患者発生期間)、というか、アー、実は、アー、今病気で入院されているということなんですが、えー、JRパスを利用されて、えー、まあ、温泉旅行行かれたとか、新型インフルエンザの問題で官邸が一致結束していかなきゃならないときに、こんな不祥事を出されました。

 この方は、まあ、病気で退職を容認されたのか、それとも罷免されたんですか、どちらなんです?」

 麻生「こー、鴻池長官の方から官房長官の方に対して、健康上の理由により副長官の職を辞したいとの申し出がありましたので、辞職を認めることにしたものであります」

 峰崎「官房長官、先日NHKのテレビジョン見ておりましたけども、これ、罷免に値するとか、おっしゃっていませんでしたか?」

 河村官房長官「罷免に値すると、おー、申した・・・・覚えはございませんけど、あのー、病気を理由で辞職を認めました」

 峰崎「あの、JRパスを利用され、実は、その、料金をお出し、お返しなさったということですが、総理大臣、こういうときに、これはやはり、罷免に値するということで、その罷免を、実は結論を下されるのが、当り前じゃないんですか。もう一度、どうですか?」

 麻生「私は基本的に、今ー、JRパスの話の目的外使用があったと、いう点につきましては、これは明らかに、明らかに、それは遺憾なことでありますから、そう、そう申し、申し上げて、本人にも、官房長官を通して、言ってあります。本人が弁済したと聞いております。

 また、今、この時期にというお話だと思いますが、鴻池副長官はインフルエンザ関係に関しましては直接の担当者ではありませんでしたので、連絡は取れるようになっていさえすれば、それは問題ではないと、私は基本的にそう、そう思っておりますので、罷免、ということに関しては、私は本人の健康上の理由で辞職、得たのを率直に、素直に受取ったと、ご理解いただければと存じます」――

 要するに鴻池女性スキャンダルにしても「JPパス」目的外使用に関しても制裁不問&無罪放免。

 制裁・処罰の類と言えるかどうか、管理・監督責任、任命責任を負う任命権者たる麻生総理大臣の「遺憾」の意を伝えたのみ。腹にこたえる程のタマかどうかが問題となるが、右から左で、こたえることはないだろう。「遺憾」を伝えた河村官房長官にしても、「まあ、暫くは音無しの構えで大人しくしていてください」ぐらいのことしか言わなかったのではないのか。

 実は5月17に首相官邸に意見投稿した。

 『鴻池氏は無料「JRパス」使用が今回限りなのか、説明する責任があるのではないのか』

 「辞任した鴻池祥肇官房副長官が熱海で行った女性同伴ゴルフが個人的レジャーであるにも関わらず、政治活動に限定して認められている公務用『JR無料パス』を熱海までの往復の移動に使用したことが週刊誌報道によって発覚、この使用分をJRに自費弁済したそうですが、私的流用がこの往復に限っているなら辻褄を合わせることができます。

 もし常習化させていた目的外使用なら、今回の熱海往復分のみの自費弁済は他の不正使用を隠したままにしておく誤魔化しとなります。目的外使用が今回に限ったことなのか、他にもしていたことなのか、鴻池氏には麻生内閣に対しても国民に対しても説明責任を負ったことになります。

 鴻池氏は自分から説明責任を果たすか、果たさないなら、麻生首相自身から要求すべきではないでしょうか」――

 2日後の5月19日に首相官邸からの返事――

 「ご意見等をお送りいただきましてありがとうございました。
         首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当」――

 国民の声・意見には常に親切、思いやりを持って耳を傾ける国の姿勢を痛い程に感じ取ることができて、涙が出るほど嬉しくなった。述べた意見に対してどう受け止め、どう考えるかの次に進んだ意見がない。発展させる気持など、さらさら持ち合わせていない。

 勿論、その必要はありませんよという否定意見もある。例え否定意見であっても、否定の具体的な理由を述べることによって、最初の意見が発展することもある。

 まあ、この機械的、杓子定規、紋切り型の返事は最初から分かっていたことだし、当方も厭味で送ったに過ぎない投稿だから、あまり文句も言えない。

 要するに麻生内閣は「JRパス」目的外使用の余罪なしと調査もなしに認めたことになる。熱海の往復のみに限っての使用のみだとした。

 鴻池センセイ、大助かりだったのではないのか。余罪を突つかないことによって、麻生センセイも任命責任を口で言うだけで済ますことができて大助かりをする。臭い物には蓋である。

 病気を理由に辞表を提出した。それを「率直に、素直に受取った」。純粋な心の持主でなければできない芸当だ。

 「JRパス」目的外使用は自費弁済した。後は何が残る。鴻池にしても麻生にしても、本人たちは大きな声では言えないが、“大助かり”が残ったといったところだろう。

 こちら側からしたら、三つ問題が残っている。

 先ず第一に、やはり余罪の問題である。私的流用を常習化させていなかったか。回数に応じて、国会議員としての姿勢に問題が生じる。一度や二度ならまだしも、年がら年中私的用件に使っていた常習犯ということなら、人格的な適格性の問題まで取り上げなければならなくなる。

 第二に、「JRパス」目的外使用は熱海不倫旅行とセットだと言うことである。同じ目的外使用であっても、使途によって、その悪質さに違いが生じる。地元後援会の関係者の葬儀に出席するために使ったといったことと問題の程度・質共に異なる。

 例えばサラリーマンが出張で新幹線の往復の座席指定券を渡されていながら、それを金券ショップで売って自由席券に代え、その浮いた分を自分の小遣いにするのと、出張に不倫旅行を抱き合わせて、往復の運賃もホテル代も会社のカネで済ますのとでは、悪質さの点で大きな違いが生じるのと同じである。

 犯罪に於いて、犯した種類・凶悪性の程度・計画性等に応じて、罪に違いが生じる。コソ泥と殺人の罪が同じであるわけがない。同じ殺人でも、凶悪性や計画性を無視して一括りで扱うわけではない。あくまでも今回発覚した鴻池副官房長官の「JRパス」目的外使用は不倫旅行に用立てるために使ったのである。不倫は職務に支障をきたしたわけではない個人の問題であっても、「JRパス」目的外使用を使途を問わずに他の「目的外使用」と一緒くたに「目的外使用」の名目のみで一括りして片付けてしまっていいのだろうか。

 麻生は一切合財を不問に処して、辞任は「健康上の理由」、「JRパス」目的外使用は「遺憾」で幕降しを謀っている。

 第三の問題は、自民党兵庫県連が鴻池前長官を除籍処分に処していることである。その主たる理由を5月21日付の「スポニチ」は兵庫県連が「首相官邸で新型インフルエンザの対策本部幹事会が開かれていた4月30日に、問題の旅行をしていた」ことに置いて、それを不謹慎行為だと看做していることを伝えているが、他の殆どのインターネット記事にしても県連に対する取材を通して得た情報なのだから、当然と言えば当然なことだが、同じ文脈となっている。

 <役員会では、鴻池氏が政府の新型インフルエンザ対策本部が発足した4月28日に熱海旅行に出かけたことに対し、「緊張感が足りない」などの批判が噴出した。五島壮幹事長(県議)は「県連の自浄能力を発揮しなければ次期衆院選は戦えない」と話した>(「asahi.com」

 <同県連は19日に緊急役員会を開き、4月30日に官邸で新型インフルエンザの対策が話し合われていたことなどを重視。鴻池氏の除籍を決め、党本部に報告した。五島壮幹事長は「危機管理に取り組まなくてはならない時期なのに、非常識だった」と話している。>(「47NEWS」

 <女性との旅行が、新型インフルエンザ発生で政府が対策に追われていた時期と重なっていたため、役員会では「職務放棄だ」と批判が上がったという。

 五島壮幹事長は20日、「重要な時に緊張感を欠く行動で、恥ずかしい限りだ。しかも県連に対して何の事情説明もない」と話した。>(「時事ドットコム」

 <県連によると、19日に緊急役員会を開き鴻池氏の処分を検討。政府が新型インフルエンザ対策本部を設置した日に旅行に出発していたことに批判が集中し、最も重い除籍処分を決定した。今後、県連として鴻池氏の政治活動を支援することはないという。

 県連の五島壮幹事長は「女性問題というより職務放棄に当たり、内閣支持率にも影響しかねないとの意見が大半だった。重い決定だが、反対や慎重論はなかった」と話している。>(「msn産経」

 <緊急役員会では、政府が新型インフルエンザ発生を宣言し、対策本部を設置した日に鴻池氏が旅行に出発していたことに批判が集中。「単なるスキャンダルではなく、政権要職にありながら職務放棄だ」などの声が相次ぎ、最も厳しいとされる除籍処分にも異論は出なかったという。県連として今後、鴻池氏の政治活動にはかかわらない。>(「神戸新聞」

 上記「スポニチ」は次のことも書いている。

 <党としての処分はなく自民党籍はそのままだが、今後は県連所属議員としての活動ができなくなる。国政選挙での公認決定は、地方組織からの推薦などを受けてなされることが多いことから、県連への“復権”がなければ、鴻池氏は改選を迎える2013年参院選で無所属出馬を余儀なくされる可能性もありそうだ。>――。

 除籍処分は「県連としては最も重い処分で、国会議員に対しては前例がない」と上記「asahi.com」が伝えている。

 県連が「最も重い処分」を下したのが5月19日。麻生首相が参議院で答弁したのが次の日の5月20日。1日のずれがある。

 政府が新型インフルエンザ発生を宣言し、対策本部を設置した最中(さなか)の旅行を「職務放棄だ」と問題視した県連の処分に対して、我が日本の麻生太郎はそれを覆して、「鴻池副長官はインフルエンザ関係に関しましては直接の担当者ではありませんでしたので、連絡は取れるようになっていさえすれば、それは問題ではないと、私は基本的にそう、そう思っております」と問題視しない処分とし、完全無罪を宣言している。

 同じ行為に対して、こうも懸け離れた処分が下された。この“判断のねじれ”は単なる見解の相違、あるいは危機感の濃い薄いで済ますことができるだろうか。

 内閣は無罪、自民党兵庫県連は有罪としたのである。高裁が一審有罪判決を破棄して上告が行われなかった場合、もしくは最高裁が二審有罪判決を破棄して無罪判決を下したなら、本人の無罪は確定するが、兵庫県連の「除籍」処分はいくら総理大臣がそれを破棄、覆して無罪判決を下そうと、その無罪に同調して「除籍」が解かれるわけではないし、また簡単に解くことはできないだろう。

 麻生の判断が正しいということなら、県連の「最も重い」除籍判断は冤罪そのものとなる。県連の「最も重い処分」こそが正しい判断ということなら、麻生の判断は間違った無罪判決と言うことになる。どう説明づけたなら、この“判断のねじれ”を解消し、処罰の整合性を与えることができるのだろうか。

 鴻池からしたら、この“判断のねじれ”は大きいに違いない。「今後は県連所属議員としての活動ができな」いばかりか、公認を得るにもままならないとなったなら、県連も麻生と同じく無罪放免としてくれないことには、地元政治活動は村八分状態となりかねない。

 いわば鴻池が望む処罰の整合性とは麻生太郎の処罰に合わせた県連の処罰ということだろう。

 麻生は鴻池の迷惑など考えずに、このあまりにもかけ離れた判断を「それは地元がそうお決めになったことですから、地元としての判断なのだから、地元は地元としてお決めになられたらいいと思います。地元としての判断を『率直に、素直に受取』ります」と、“判断のねじれ”を無視するのだろうか。

 勿論、ねじれの無視は処罰の整合性の無視に通じる。処罰を与える側は無視できても、処罰を受ける側は人情として軽い方の処罰との整合性を望むだろうが、同じ行為に対して異なった判断を受ける謂れはない。総理大臣の方が力関係は上なのだから、総理大臣が無罪だと言っているのに、県連が有罪だとは何たることだと反論できないことはない。

 いくら総理大臣だからといって、処罰の整合性を無視できるだろうか。麻生太郎は県連と自身の判断の違いを国民に説明すべきだろう。

 以下は余談だが、鴻池問題に関する遣り取りの前に峰崎議員は鳩山民主党新代表に対する世論調査の支持率を取り上げて麻生に質問している。

 峰崎「実は私共は、あの、鳩山代表を新代表に選出したわけでございます。その新代表を設立、選出してですね、昨日は執行部が発足いたしました。で、それについて世論をやった結果はですね、お手元の資料に配布しているとおりでございます。政党支持率もかなり一挙に上がってまいりました。これはあの、私たちにとって、大変、ある意味、嬉しい数字でございます。

 次の首相にふさわしいというところはですね、鳩山――、あの、総理大臣じゃないですよ、鳩山由紀夫さんと麻生総理大臣、較べてみるとですね、凄い、やはり、鳩山新首相候補に、予定者に対する、有権者に対すると言うか、今度の選挙に向けて、私たち、大変高い数字が出てきております。この結果についてですね、総理大臣、どのように判断されていますか」

 麻生あのー、世論調査の結果って、詳しく承知してませんので、今、これ、初めて、よく拝見しました。正直な、正直なところでございます。

 (声を小さくして脇に顔を向けて、「質問しなくて、答えなくていい?静かにしていなくて」と言ってから、正面を向いて「そちらの方から言っていただかなければ、聞かないみたいだから」――何なのか意味不明。首相をしていることも意味不明。)

 あの、民主党代表選挙についての、一定の評価があったんだと、私どもそう思っておりますが、ただ私共の話では、小沢前代表の政治資金の問題について、国民の説明が求めていることに関する民意とのねじれの問題についての結果に、どうなったのかというのは、我々にとっては凄く関心があります」

 峰崎「小沢代表のですね、そういうご指摘はマスコミ等を通じてお話なさっているのは、よく存じております。小沢代表は自分で記者会見等発表されてですね、今日こられたと思います。そして、民主党の調査もやっております。調査委員会を。

 調査委員会の報告も出てまいります。それらを是非見ていただきたいし、色々な見方があることを、勿論、私はご存知ですけども、知っておりますけども、しかし、これは元法務省の、検事さんのOBの方から見ても、ちょっと、これは行き過ぎじゃないかと、いうようなご指摘を実は受けているところです。

 そういった実はですね、今の総理の指摘については、私どもは、それはー、為(ため)にする意見だなと、いうふうに思えてなりません。・・・・・」(次の質問に移る。)

 鳩山新代表を「新首相候補」、あるいは新首相「予定者」と名づけたところまで面白かったが、「小沢前代表は説明責任を果たしていない」とする60~70%の有権者の意識と鳩山新代表に対する有権者の高い支持意識との「ねじれ」に関する麻生の指摘を受けて、あれこれ反論しているが、「民主党のあり方として小沢辞任、鳩山新代表でよしとした有権者の意識が次の選挙でどの党に投票するか、どの党に政権を握って欲しいか、次の首相に誰がなって欲しいかの支持率の高さとなって現れたのではないのですか。現在の麻生太郎を総理大臣とした自民党政権のあり方ではダメだと言ったんですよ」と答えるべきで、それを最初に持ってきて、必要とするなら、次に小沢擁護と行くべきだったのではないだろうか。

 世論調査は自身に対する国民意識の動向を示す一つの指標であり、選挙に影響を与える重要情報に入るはずだから、「あのー、世論調査の結果って、詳しく承知してませんので」などと言うのは、自分を裸の王様に置いて憚らない愚かしさの提示以外の何ものでもないということになる。

 大体が峰崎議員が配布した「お手元の資料」が新聞記事をコピーしたものだろうから、虚偽情報であるはずはなく(新聞記事のコピーではなくても、虚偽情報を渡したら大問題となる)、一瞥しただけで「詳しく承知」できたはずで、それを「詳しく承知してませんので」とするは自己の不利を不利と思わせたくない取り繕いからの弁解言葉でしかないだろう。

 その場で聞けば質問の内容を理解できるはずだが、「事実関係を知りませんので」や「詳細を知りませんので」、あるいは「新聞の言っていることで、直接聞いておりませんので」などを常套句として明確な答を示さないのは、やはり日本の総理大臣麻生太郎が質問内容が自分に都合が悪くて答に窮したり、あるいは答えたくないときに用いる、不誠実であることからできる弁解言葉の一覧としてあるものに違いない。

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官僚の操り人形政党・傀儡政党自民党に政権担当能力があったと言うのか

2009-05-20 13:45:30 | Weblog

 

 「小沢は説明責任を果たしていない」と言うなら、自分たち内閣にも「説明責任を果たしていない」に当たる閣僚・二階がいるのを無視して、「小沢代表は説明責任を果たしていない」口撃が小沢辞任で効果を減ずると、民主党新代表選出選という段階で鳩山有利の情勢に水を差すべく国民支持の大きい岡田よりも鳩山の方が総選挙を戦いやすいとちょっかいを出したが、水差しがたいした効果を上げずに鳩山が新代表決定となると、水を差したことなどご都合主義にも棚に上げてさも最初から望んでいた結果であるかのように装い、「岡田よりは鳩山の方が戦いやすい」の声を一段と大合唱することになったが、代表選直後の民主有利・鳩山有利の世論調査が自民党の程度の低い安っぽい邪魔立てをことごとく砕いてしまった。

 そこで鳩山新代表が小沢一郎を筆頭&選挙担当の代表代行に任命したのを利用して、「小沢院政」「二重権力」「操り人形」の批判を持ち出し、尚且つ「政権担当力なし」の貶めを口撃の新たな手口とした。

 甘利明行政改革担当相「完全に小沢院政が敷かれたと思う。(鳩山氏に)その呪縛(じゅばく)から逃れるだけのパワーはない」「時事ドットコム」

 余計なお世話ではないか。小沢代表時代は小沢氏のリーダシップという強い要素が絡んでいたとしても、政治はチームプレーである。各政策で小沢氏一人の意向が常に全面的に通用するわけではない。それぞれの政策に関わる他の議員との勢力図の影響を受けて決定していくはずである。

 例えば官僚主導政治から内閣主導政治に改革するために内閣人事局を新設、幹部公務員の人事を一元管理する公務員改革の法案を政府が国会に提出したが、内閣人事局トップの人事局長を省庁の事務次官経験者を充(あ)てることが慣例となっている内閣官房副長官に兼務させて、元官僚が官僚人事を一元管理するという、輸入食品の農薬検査を輸入業者に任せるような、あるいは食品産地の検査を食品製造業者に任せるような、悪く言うと、同じ穴のムジナ同士が管理し合う相通じ合うトップ人事となっているという。

 このトップ人事は与党内に反対意見があったものの、「官僚とは、私と私の内閣にとって、敵ではありません」の官僚の強い味方麻生太郎の意向で決定したというが、反対意見が頭数を占めず、一部にとどまった勢力図からの決定ではないのか。

 全体としては自民党自体が「いい湯だな」と官僚政治にどっぷりと浸かり官僚主導政治となっていたことからの、だから官領主導から政治主導に向けた公務員改革を必要とするようになったのだが、官僚の意向を受けて改革に後ろ向き、不熱心なことから、麻生首相の「官僚とは、私と私の内閣にとって、敵ではありません」をいいことに歩調を合わせた勢力図の影響を受けた決定といったところではないかということである。

 このことは逆の譬えでも証明できる。
 
 公明党が定額給付金を持ち出したとき、地域振興券の二の舞と見て自民党内には反対意見が多かったが、勢力図としては連立与党内ではほんの一握りの頭数しかなく、少数意見として無視したなら、実現を見なかったに違いない。

 だが、選挙で世話になるその力は自民党の頭数に多大に影響するものがあり、選挙を間近に控えていることからも、公明党の意向という点で頭数以上の勢力図を誇っていたために無視することもできず、自民党の同調を得ることができたといったところだろう。いわば頭数とは関係ないものの、選挙利害を考えた場合の勢力図が影響した決定と言える。

 政治がチームプレーであり、チームプレーであるからこそ、政策決定が一人の人間の意向のみが決定要因となるわけではなく、頭数を基盤とした勢力図や頭数からだけではない勢力図を決定要因とするといった様々なケースを抱えるはずで、この点からすると、独裁国家でない以上、「院政」批判は当たらない。

 鳩山邦夫総務大臣も甘利とは言葉は違うが、同じ趣旨の批判を民主党新代表にぶっつけている。

 「兄弟の間で非常に言いにくいが、・・・・国民の誰から見ても小沢さんの操り人形に見える」

 昨19日のNHK「ニュース9」によると――

 鳩山邦夫「小沢さんの操り人形に見えるわけでしょう?小沢さんから、・・・こう、・・・こう、・・・何つうの?(両手を肩の上で盛んに上げ下げして、人形が操られている格好。)ぶら下がっている。操り人形の糸を一つずつ切っていったらいいと(指をハサミにして糸を切っていくマネ。)、こういうふうに、思いますね――」

 もう少しテキパキと言えないものだろうか。人の心配するよりも、自分の言葉の出来具合を心配すべきである。

 麻生の「国民的人気」という幻想の操り人形となって雪崩を打って自民党総裁に選出、総理大臣に押し上げたはいいが、その政策の一貫性のなさ、人間の軽さ・軽薄さに裏打ちされた言葉の軽さ・軽薄さが災いして支持率が危険水域で低迷している。

 その麻生操り人形の「呪縛から逃れるだけのパワーはない」ばかりか、自分たちからその「呪縛」に取り入っていることを甘利も鳩山邦夫も問題とすべきである。「麻生では選挙は戦えない」と言っていた武部や中川秀直なども最近は音無しの構えで、「呪縛から逃れるだけのパワー」を発揮できずにいる。麻生内閣の支持率自体が内閣の「パワー」を示すバロメーターそのものであるにも関わらず、「呪縛」任せでいる。

 現在政権を担当しているのは自民党であり、麻生内閣である。民主党ではない。自前内閣の「パワー」を問題とせずに、政権を担当しているわけではない野党民主党の「パワー」をあげつらうことに血眼となっている。そのなり振りの構わなさ。自分で自分が情けなくならないものなのだろうか。

 自民党の古賀選挙対策委員長にしても、そのなり振りの構わなさは際立っている。19日夜の民放の衛星放送番組で話したらしい。

 「わが党にとっては、やはり投票率はあまり高くないほうがいいのではないか。投票率が高いと自民党にプラスということもあったが、ここ最近は高いのは怖い」「NHK」インターネット記事)

 番組が終わったあと、記者団に対して「自民党の支持層をしっかりと広げていく努力が必要だ。ちょっと表現が悪かったのかもわからない」(同「NHK」)と釈明したそうだ。

 「毎日jp」記事は「有権者の棄権を期待したかのような発言は、今後批判を招きそうだ」と批判しているが、確かに「投票率はあまり高くない」は「棄権」によって期待できる状況だが、その前提として、国民が政治に関心を持たない、無関心であるという政治意識を条件としなければならない。

 古賀誠はその名のとおり「誠」の気持を持って政治に無関心な国民であることを期待した。国民が政治に無関心であることによって政治に対する批判を無効状態に置くことができる。

 このことは選挙での投票が誰を選ぶかだけではなく、誰を選ばないかの批判を表裏としていることからも証明できる。有権者が政権交代を選択するということは、現政権に対する批判の裏返しであろう。

 いわば古賀は国民が政治に関心を持たないことを通して自民党及び麻生内閣に対する批判を封じ込めることを期待したのである。あまりにも国民をバカにした言葉ではないか。

 なり振り構わなくなると、ここまでくる。

 政権党・内閣がなり振り構わなくなったら、政権の末期症状を示す兆候以外の何ものでもあるまい。なり振り構わなくなるとは、品性も矜持も投げ捨てた状態を言う。投げ捨ててこそ、なり振り構わなくなれる。往生際悪くも、麻生内閣・自民党とも、そういった末期症状の品性・矜持の投げ捨て状態に陥っている。

 日本が誇る麻生総理大臣の場合は「説明責任」の薬効が切れると、今までも使用していた旧型兵器を持ち出して「政権担当能力」を爆撃機に装着して落とし始めた。

 「民主党は政権交代を主張しているが、どなたが代表であっても、問題は政権担当能力があるかどうかだ」「時事ドットコム」

 では、自民党及び歴代自民党内閣は「政権担当能力」を所持していたと言うのだろうか。

 内閣に所属する各大臣が人事管理・監督の責任を有しながら、各省庁の官僚を満足に管理・監督できず、天下りの好き勝手な私腹肥やし、省庁取引の随意契約からのキックバック、天下り所管法人への天下りの立場をよくするための過大・不当な利益のツケまわし等々の不利益行使、ムダの発生を許してきた。政策も官僚任せで、その戦後以来の時代的な積み重ねが所得格差・都市と地方の格差、少子高齢化社会、地方の過疎問題、貧困問題、自殺問題等々の日本社会の現在の各種矛盾を生み出したのであって、誰が見ても「政権担当能力」を有していたことからの国民利益、社会的成果ではあるまい。

 麻生は支持率の低さが証明しているように自らの「政権担当無能力」を先ずは問題とすべきであろう。

 自民党歴代内閣及び自らの「政権担当無能力」を棚に上げて、まだ未知数の民主党の「政権担当能力」をあげつらう。自らの「政権担当無能力」を、俺ら、そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ、と言っているようだ。

 民主党にとって幸運なのは「政権担当能力なき」自民党を反面教師として政権を担当できることにある。
 
 それが鳩山新代表の「政権交代を果たし、官僚主導の政治を打破するため、先頭を切って走ることを誓う」の言葉であろう。

 「政権交代」があって初めて「官僚主導政治打破」が可能となる。「政権交代」がなければ、不可能ということになる。いわば「政権交代」を日本の政治世界に必要事項としたこと自体が「政権担当能力なき」自民党政治を反面教師とすることを意味する。

 歴代自民党内閣及び自前内閣の「政権担当能力なき」を棚に上げて、民主党の政権担当能力を云々するとは、おこがましいばかりに自省能力を欠いている我が日本の麻生太郎と言わざるを得ない。

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