麻生太郎の「いくら動機が正しくとも、何百万人も殺したヒトラーは、ダメだ」の舌足らずな認知機能の問題点

2017-08-31 10:17:14 | 政治

 総理兼財務相の麻生太郎(76歳)が2017年8月29日の派閥研修会での発言がマスコミを賑わしている。

 2017年8月30日付「NHK NEWS WEB」記事。

 麻生太郎「政治家になろうとした動機は、私は問わないが、結果が大事だ。いくら動機が正しくとも、何百万人も殺したヒトラーは、ダメだ。きちんとした結果を国民に残して初めて、名政治家だったと言われる」

 記事添付の動画から。

 麻生太郎「結果が大事なんです。いくら動機が正しくても、何百万人殺ちゃったヒトラーはやっぱりいくら動機が正しくても、タメなんですよ、それじゃあ。

 結果をきちっとした国民に、確たる結果を残す。初めてその人はどんな人であろうとも、あるいは名政治家だったと言われる」

 記事添付の動画では、「政治家になろうとした動機は、私は問わないが」が抜けている。実際に発言した「いくら動機が正しくても」という言葉自体が“動機を問わず”との趣旨を含んでいることと全体の趣意から、「政治家になろうとした動機は、私は問わない」という言葉をつけたのか、実際にその通りに発言したのかは分からない。

 いずれにしても、“動機は問わず・結果を問う”との発言趣旨となる。

 麻生太郎は「いくら動機が正しくても」と強調しているから、この場合の「いくら」という言葉は「どれ程に」、あるいは「相当程度に」という意味を取る。

 問題は二つある。一つ目は誰もが気づいていると思うが、何百万人という殺戮を結果としたヒトラーの政治家となった「動機」を相当程度に正しい例に挙げていることである。

 例えば、「彼がいくら正しくても、あれは遣り過ぎだよ」と言うときの「いくら」は「実際は正しくないが、例え正しくても」という仮定の意味で使っているのではなく、「相当程度に正しいことは正しいが」と正しいことを認めた上で、そのことを前提としても、結果に対して批判している文脈を取るはずである。

 ヒトラーが「いくら」正しい動機で政治家を志したとしても、結果との関係で初期の動機は無意味となる。結果の否定に対応した動機の否定の関連付けを行った発言をしなければならないのだが、単細胞の麻生太郎はそんな気の利いたことはできない。

 「ヒトラーはユダヤ人を否定民族の道具に使ってドイツ人の民族優越に走ったためにユダヤ人その他を何百万人も殺すことになったのだから、ヒトラーの政治家を志した動機がいくら正しかったとしても、その正しさを見失ったことになる。その程度の動機だったのだ」と。

 要するに麻生太郎の認知機能は舌足らずに出来上がっていて、物事を満足に判断できないから、失言となって現れることになる。

 二つ目の問題点は、「国民に、確たる結果を残す。初めてその人はどんな人であろうとも、あるいは名政治家だったと言われる」と言って、政治という結果さえ残せば、「どんな人であろうとも」と、その人の行為・人格は問わないとしている点である。

 政治は支持率との戦いである。安倍晋三の本質は国家の在り様を最優先し、国民の在り様を国家の在り様に従属させる国家主義者であるが、個人の権利・自由を無視して国家を優先させてばかりいたら、支持を失って政治の表舞台から去らなければならなくなるために個人の権利・自由に関してもそれなりに考える政治を行うが、あくまでも国家優先の範囲内の個人優先に過ぎない。

 だから、安倍政治は各種格差を生むことになる。

 要するに麻生太郎の「名政治家」とする評価基準からすると、個人よりも国家を優先させる安倍晋三とてそれなりの結果を残せば、「名政治家」の範疇に入るとしていることになる。

 また副総理兼財務省という立場にありながら、行為・人格に厳格さを求めないことが不祥事を起こしたり、問題発言をしたりする議員が自民党内で跡を絶たないことにも繋がっている原因ともなっているはずだ。

 麻生太郎は2013年7月29日の東京都内のホテルでの講演で、「憲法改正はナチスの手口を学ぶべきだ」といった趣旨の発言をして問題視された。

 この発言を巡って2013年8月1日エントリーの当「ブログ」で取り上げたが、この発言にも麻生太郎の舌足らずな認知機能を窺えることから、参考までに一部分再度取り上げてみることにする。 

 麻生太郎はこのブログでは取り上げなかったが、「ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法(の下)で出てきた。 憲法が良くてもそういったことはあり得る」と発言している。

 〈ワイマール憲法はドイツが第1次世界大戦(1914年~1918年)に敗れて国内が混乱していた翌年の1919年8月11日に制定、第1条で国民主権を規定していて、近代憲法が自由権に絶対的価値を見出していたのに加えて社会権の保障を謳って現代憲法への転換がなされ、その後に制定された諸外国の憲法の模範となったという。〉

 麻生は憲法がいくら優れていても、独裁者を生み出し得ると言ったことになる。

 〈ヒトラーはワイマール憲法を他処に1933年、議会多数派を利用して野党の反対を押し切り、立法府(立法を担当する機関。国会)が行政府(政府)に立法権を含む一定の権利を認める、5年間の時限法である全権委任法(授権法)を成立させ、ワイマール憲法を死文化させることになった。

 要するにヒトラー政権は国会が持つ立法権を政府が握って、政府一存で政府が望む法律を制定することができるようになり、ナチス以外の政党の解散を命じた。独裁権力の成立である。

 このような一連の出来事は憲法をいくら民主的な思想で成り立たせていても、議会の最大勢力の政治的恣意によって、憲法の民主的な精神は抹殺し得るということを教えている。

 麻生太郎の頭の中ではヒトラーはナチス憲法を手に入れるために「落ち着いた世論の上に成し遂げる」手口を用いたということが事実として記憶されている。

 あるいは「(国民が)騒がないで、納得して変」えていく手口を使ったということが事実として記憶されている。

 だが、手口はそうであっても、独裁権力を可能にするという目的があって、その目的に対応させた手口であることも見逃してはならない事実である。

 手口は目的としたものを周囲の状況に対応して手に入れるために決まってくる。手口が目的を伴うと言うこともできる。当然、目的に向けた手口ということになって、目的が違えば、手口もそれなりに違ってくる。

 いわば周囲の状況の中で手口と目的は切り離すことのできない関連性によって相互に結び付けられている。手口の中に既に目的が含まれていると言うこともできる。

 そうである以上、手口だけを学べばいいというものではない。頭の程度が知れているから、自分では気づいていないだろうが、手口を学びさえすれば、済むと思っている。

 ヒトラーがどのような目的を持ってその手口を用いたかを考えもせずに手口を学ぶべしと勧める頭の程度は如何ともし難い。

 だが、何よりもワイマール憲法という、その当時としては最先端の民主憲法下のヒトラーの独裁権力掌握が教えている、憲法をいくら民主的な思想・条文で成り立たせていても、議会の最大勢力の政治的恣意によって、憲法の民主的な精神は抹殺し得るという教訓、憲法とて絶対的ではないという示唆は常に学ぶべき知識としていなければならないはずだ。

 既に安倍憲法改正思想は前文で、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」と、天皇を上に置いた国家を先に持ってきて、当然、国民を下に置くことになる“国民主権”を謳い、基本的人権の中に関しても、「公共の福祉に反しない限り」と、反するか反しないかは国家権力が決め得る、いわば国家権力の介入の余地を持たせた国家権力主体の基本的人権となっているのである。

 安倍晋三が独裁権力とまでいかなくても、静かな遣り方で「誰も気が付かな」い間に国家権力を次第次第に強めていき、一方の国民主権、基本的人権が弱められる方向に向かわない保証はない。

 あるいは麻生太郎が「ヒトラーの手口を学んだらどうだね」と言ったことが、手口が目的を伴う関係から、安倍政治の国家主義化の予言とならない保証もない。

 気をつけた方がいい。〉(以上)・・・・・・

 麻生太郎の脳ミソの奥底にはヒトラーなる歴史上の人物が深く沈殿し、こびりついているようだ。だが、間違った歴史認識、舌足らずな認知機能でヒトラーを持ち出して、さも真理を鋭くついているかのようにハッタリをかまされたのでは適わない。

 このような麻生太郎が派閥の親分でございますと鎮座している。麻生財閥のカネの力とハッタリの力でのし上がったのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日米安全保障条約破棄・日露軍事同盟締結で北方領土は還ってくる

2017-08-30 09:26:45 | 政治

 安倍晋三とプーチンは2016年5月6日、ソチでの日露首脳会談で北方領土交渉の停滞を打破し、突破口を開くために双方に受入れ可能な解決策の作成に向け、今までの発想に囚われない「新しい発想のアプローチ」で交渉を精力的に進めていくとの認識を両首脳で共有した。

 そしてその年の暮れ、2016年12月15日に安倍晋三とプーチンは安倍晋三の故郷山口で首脳会談、翌日12月16日も東京で会談、「新しい発想のアプローチ」に基づいて北方四島で共同経済活動のための双方の法的立場を害さない「特別な制度」を構築、共同経済活動によって北方四島の経済発展と島民の生活向上への貢献を通して平和条約締結という共通の目標へと前進させていくことで合意した。

 だが、この首脳会談から8カ月経過していながら、“双方の法的立場を害さない「特別な制度」”を構築し得ないでいる。ロシア側がロシアの法律に矛盾しないことという条件を突きつけているからだ。

 つまり北方四島でのロシアの主権を譲らないでいる。対して日本側は北方四島の領有権の帰属を解決してロシアとの間で平和条約を締結するという方針を掲げている以上、“双方の法的立場を害さない「特別な制度」”は領有権の日本側への帰属にスライドさせる前段階と位置づけていることになる。

 「特別な制度」のところで停滞していながら、日本の企業団が北方四島を訪れて、経済開発や企業活動の話だけが進んでいる。いわば“双方の法的立場を害さない「特別な制度」”は置き去りにされた形を取っている。ロシア側、あるいはプーチンにとっては好都合な状況となっているということなのだろう。

 相手にとって好都合と言うことは安倍晋三、日本側にとって不都合と言うことになるが、安倍晋三は“双方の法的立場を害さない「特別な制度」”の構築が置き去りにされたとしても、プーチンと十何回も首脳会談を行って築いてきた信頼関係をウリにしている手前、共同経済活動を投げ出す訳にはいかない。

 投げ出してしまったなら、全てをフイにするだけではなく、安倍晋三自身の外交無能力が問われることになって、批判に曝されることになるだろう。

 プーチンは共同経済活動を前に進める以外手がない安倍晋三の足許を見て、ロシアの主権に基づいた共同経済活動を譲らないでいるのだろう。

 いわば北方四島を返還する気はサラサラない。だから、北方四島でミサイル配備等の軍備増強を図り、軍事演習まで行い、軍事拠点化を進めている。ロシア国民に土地を条件付きで無償提供して北方四島の住民を増やしている。

 なぜプーチンが北方四島を返還する気がないかは北方四島が米国の軍事的脅威に対抗する重要な軍事拠点と見做しているからであり、プーチン自身が2017年6月1日にサンクトペテルブルクで各国の通信社代表らと会見を行い、そのことを自ら明らかにしている。

 そして2017年6月15日、プーチンは国民からの質問に直接答えるテレビ番組に出演したあと、記者団の北方領土での日本との共同経済活動について質問されて、「問題を複雑にしているのは、この地域で、日本が同盟国に負っている義務など安全保障上の課題だ。詳細かつ入念な検討作業が必要で、最終的な決定は、この作業の行方次第だ」(NHK NEWS WEB)と答えている。

 これはロシアが日本に北方領土を返還した場合にアメリカ軍が日米安全保障条約に則って北方四島に駐留する可能性への指摘ではないはずだ。なぜなら、断るまでもなくプーチンは返還する気はないからだ。「第2次世界大戦の結果、ロシアの領土となった」というロシア領有権の正当性を持ち出すこともないだろう。

 あくまでも懸念を示すことで、返還しない口実に利用しているだけだろう。

 もし返還した場合、米国の軍事的脅威に対抗する重要な軍事拠点としての北方四島を手放すことになる。そうすることは2014年にウクライナの主権と領土の一体性を侵害してクリミアをロシア領土に併合した際、それまで良好な関係を築いてきたアメリカとの関係が併合に対する対ロ金融・経済制裁によって決定的に悪化したことの教訓を無意味化することになる。

 常に利害が一致するとは限らない。双方共に譲ることができない利害が衝突した場合、それが軍事的衝突となって現れない保証はない。最悪、それが戦争に発展しない保証もない。

 これがクリミア併合後の米ロ関係の教訓であったはずだ。そのような最悪に備えて常に軍事的に対抗できる力を蓄えなければならない。軍事的な力は軍事的拠点に左右される。

 北方四島は太平洋側からの軍事攻撃に対する格好の軍事的拠点足り得る。

 と言うことなら、日本が日米安全保障条約を破棄、日ロ軍事同盟を結んで、返還を受けた場合の北方四島での太平洋側の米軍事攻撃に対する防波堤の務めを日本自身が担うことにすれば、ロシア自身が防波堤の役目を負うよりも好都合であるはずし、ロシアにとって、日ロ軍事同盟締結は四島返還の最高のプレゼントになるはずだ。

 これくらいの思い切ったことをしなければ、北方四島は返還されることはないだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄の米軍基地からの解放を米に納得させるには日米同盟破棄、中国と軍事同盟締結で可能

2017-08-29 11:23:16 | 政治

 民主党政権時の初代首相鳩山由紀夫は沖縄の米軍普天間飛行場の移設を自民党政権が決めた県内辺野古移設を「国外、最低でも県外」の公約を掲げ、国外案としてグアムやテニアン島、県外案として鹿児島県の徳之島、その他を模索したが、徳島案は米側が辺野古移設が最善とする態度を取りっていること、外務省では県内移設が主流派を占めていたこと、いわば「国外・県外」で積極的に動かなかったこと、県外として徳之島以外に全国知事会で引き受けてくれる自治体を求めたが、知事の誰一人として手を上げなかったことなどで「国外、最低でも県外」は行き詰まり、自民党時代とほぼ同じ辺野古移設に回帰することになった。

 但し鳩山由紀夫の貢献なのか、その「国外、最低でも県外」が沖縄県民の大多数の意識を「普天間の辺野古移設反対・県外移設」で高めることとなった。

 その一方で「国外、最低でも県外」の挫折はその後の民主党、さらに維新の党と合流した民進党は負の遺産として引き継ぐこととなり、2017年8月21日告示の今回の民進党代表選挙で立候補した前原誠司と枝野幸男の民主党本部で行われた同日共同記者会見でも沖縄の基地問題で記者から質問を受けることになった。  

 「共同記者会見」ログミー/2017年8月21日)     

 記者「沖縄タイムスのウエチです。両候補にお聞きします。野党として協力をしている自由党だったり社民党も、辺野古という問題を重要政策に掲げています。また、民進党の沖縄県連と党本部とも、辺野古問題についての解決策については差があると思いますが、両候補がどのように普天間問題を解決していくかというスタンスをお聞かせください」

 枝野幸男「まず、今の政府が進めている、沖縄の県民の多くのみなさんの声をないがしろにする、逆なでするような強引なやり方、これはやめさせなければならないと強く感じています。では、どういう解決策を出すか。

 これも民主党政権の反省と教訓の1つです。簡単に拙速に答えの出せる話ではないということがあの時の大きな教訓であり、そのことによってとくに沖縄のみなさまを中心に大きな失望を与えてしまいました。

 まずやることは、あの時のプロセスを含めて、現状、そして背景、それについての検証を始めなければいけないと思っています。その検証の中から、リアルな、現実的な、そして沖縄のみなさんも、そして日本政府としても、あるいはアメリカとしても納得できる答えを見出していく。その努力は、いろいろな経緯のある我々ももう始めなければならないと思っています」

 前原誠司「私もまず沖縄県民のみなさま方にお詫びから申し上げたいと思います。旧民主党政権の時に辺野古への移転を取り消して、そして県外、できれば国外と、こういった期待だけを県民のみなさま方に持たせてしまい、結局それができずに辺野古に戻ってしまった。

 そして期待から失望に変えてしまったということについて、改めて沖縄県民のみなさま方にはお詫びを申し上げたいと思っております。その上で、今回の辺野古への移設というものは、他の沖縄の基地負担の軽減というものとパッケージで、これは私も外務大臣として進めさせていただきました。

 アメリカは当時は、辺野古への移設を認めなければ他の基地の返還は認めないということに固執をしておりましたけれども、それを後の玄葉外務大臣の時に、いわゆるデカップリングというやり方をして、辺野古の決定がなされていなくても、基地の返還、沖縄の負担軽減に取り組みをさせていただく仕組みを作らせていただきました。

 我々が沖縄のみなさま方にご迷惑をかけたことを認識しつつ、今のプロセスというものを、我々が戻ってしまったわけで申し訳なかったわけでありますが、進めてきたプロセスでございますので、これについてしっかりと進めるということが大前提になると思っておりますが。他方で、沖縄県民のみなさま方のお気持ちというものをしっかりと汲み取るような話し合いのプロセス、こういったものも同時並行でしっかりと受け止めるのが政治の役割だと、このように感じております」

 枝野幸男は民主党政権時の鳩山由紀夫の「国外、最低でも県外」の失敗を「反省と教訓の1つ」と挙げて、前原誠司は失敗そのものと見做して謝罪している。

 その一方で枝野は鳩山以来の経緯を検証、その中から「リアルな、現実的な、そして沖縄のみなさんも、そして日本政府としても、あるいはアメリカとしても納得できる答えを見出していく」と、「リアル」という言葉を使いながら、その意味とは程遠い具体性が何もない抽象的な解決策を提示している。

 現在の安部政権の辺野古移設への進め方を「沖縄の県民の多くのみなさんの声をないがしろにする、逆なでするような強引なやり方、これはやめさせなければならないと強く感じています」と強く批判しているが、沖縄対日米の利害対立を解消できる具体性と実効性ある移設案を提示できなければ、批判は言葉は達者だが、中身はないと言うことになる。

 前原誠司の方は「デカップリング」という言葉そのものに移設の考え方が現れている。意味を知らなかったから、ネットで調べてみると、国際間の農業に関わる貿易交渉で使われいる言葉で、「生産、消費あるいは貿易にひずみを与えない方法で農民の生活を支持するという考え方を示す用語」だそうだ。

 沖縄の基地問題に当てはめると、日米同盟を損なわないために辺野古移設を進めるが、沖縄にも様々な支援を行う」ということになる。

 要するに民主党政権が鳩山由紀夫の「国外、最低でも県外」が頓挫した以後進めてきた沖縄全体の基地負担の軽減をパッケージとした辺野古移設を今後共進めていくという意味を取ることになる。

 これが「進めてきたプロセスでございますので、これについてしっかりと進めるということが大前提になると思っております」という言葉になって現れている。

 要するに安部政権の日米同盟最重要視の姿勢と何も変わらない。

 「他方で、沖縄県民のみなさま方のお気持ちというものをしっかりと汲み取るような話し合いのプロセス、こういったものも同時並行でしっかりと受け止めるのが政治の役割だと、このように感じております」と言っている最後の言葉も、沖縄県民側からしたら、その大多数が県外移設を求めている以上、民進党が政権を取ったとしても、万が一という形容詞を付けた方がよいかもしれないが、100%近い期待外れとなるに違いない。

 改めて断るまでもなく、中国は国家体制維持のためには中国国民の基本的人権、思想・言論の自由を厳格には守らない共産党一党独裁国家であって、そのためには、あるいは共産党一党独裁のルールを守らせるためにはときには民主的なルールとは相容れない手段を選ばない強権的手法で国民を律しようとする。

 政府を批判する者、反政府活動をする者に対しては「国家政権転覆煽動罪」をかけ、ときには抗議活動の場からそのまま拘束し、正規の裁判をかけたとしても、公平に行われることはなく、国家が望む罪状を着せて、長い刑務所生活を送らせることで社会での活動を取り上げる。

 いわば反政府活動を隔離する。例え釈放しても軟禁状態で当局の監視下に置き、第三者との自由な接触を禁じて、同じく反政府活動は疎か、一般的な社会生活もできないようにする。

 一方、対外的には国外向け、国内向けに核心的利益と位置づけた政策に関しては決して譲らず、固執し、対外的な海洋進出に関しては国際ルールを無視して、力による現状の変更を辞さない態度を取っている。

 アメリカはトランプはいざ知らず、一般的には日本と同様に「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」を厳格に守る民主主義国家であって、このような民主主義のルールを国内外に対する政治姿勢としている。
 
 当然、アメリカは軍事力を使った“力による現状変更”を迫る場合はその前に民主主義のルールに則った話し合いを同じテーブルに就いて行う。

 対して中国は対外的に共産党一党独裁の国家体制と領土的野心から出ている一度こうと決めた領土・領海に関わる核心的利益を守るために同じテーブルについて民主主義のルールに則って話し合って解決を図ることには期待が望めないことになる。

 米中どちらが民主主義のルール、国際間のルールに逆らう領土的な侵略性を国家体制の体質として色濃いかと問うとしたら、圧倒的に中国に軍配を上げざるを得ないはずだ。

 だからこそ、日本はアメリカと日米安全保障を結び、結んだだけでは安心できずに様々に軍備を増強し、各兵器の性能を高めていく努力を続けていかなければならない状況に立たされている。

 この状況はそうせざるを得ない相手が存在するからであろう。中国が対内外的に平和国家であったなら、日米同盟は相当部分、重要性を失う。ほんの少しの対ロシア警戒と対北朝鮮警戒を割くだけの同盟で済む。

 もし日本が日米安全保障条約を破棄して中国と軍事同盟を結んだ場合、中国は同盟国である日本を侵略するだろうか。侵略したら、中国は世界で最も危険な国というレッテルを貼られるだろうし、狂犬国家としての栄誉を戴くことになるだろう。

 アメリカは日本が同盟を破棄しても、民主主義国家として日本をどうかする考えはなく、中国の米侵略の万が一の危険性に備えることになるはずだ。

 もし米中戦争が勃発するような状況になったなら、日本は中立を宣言すればいい。中国は日米同盟破棄で米軍基地のなくなった日本に戦争を仕掛けても、米国を痛めつけることにはならない。

 日中同盟締結は中国はその条件として尖閣諸島を中国の領土として要求する可能性は出てくるが、日本の領土として認めなければ、日米同盟を維持、それを破棄して中国とは軍事同盟を結ばないと主張すれば、中国にとってどちらの利害を優先すべきか、簡単に判断できるはずだ。

 もう一つ、中国は日本国内に中国の軍事基地を要求する可能性はあるが、日本も同じように中国国内に日本の軍事基地を要求すればいい。すべての点に於いて対等性を求めたとしても中国は日本がアメリカの同盟から離れる中国にとっての利益を選択するはずだ。

 勿論、この交渉は秘密裏に行い、決着を見てから公表することにする。

 日米同盟破棄・日中同盟締結で沖縄の米軍基地は普天間に限らず、一切なくなることになる。沖縄の米軍基地からの解放となる。

 日本国内の中国軍基地は本土内に限定して、米軍基地跡に設ければいい。

 北朝鮮にしても中国と軍事同盟を結んだ日本を簡単には攻めることはできない。

 結果として日本の安全保障は米と軍事同盟を結ぶよりも、中国と結んだ方がより効果的、日本の国土と日本国民の生命・財産はより安全となる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の8/26北ミサイル発射後の優雅な週末と「弾道ミサイル想定住民避難訓練」との乖離した危機管理

2017-08-28 11:40:03 | Weblog

 北朝鮮が日本時間の26日午前6時49分から午前7時19分までの30分間に短距離弾道ミサイル3発を発射した。米軍は当初、3発共、発射に失敗したと発表した。

 だからなのか、「時事ドットコム」「首相動静(8月26日)」によると、安倍晋三は〈午前中は来客なく、公邸で過ごす。〉となっているが、公邸と官邸はほんの一跨ぎの距離で隣接しているそうだが、首相官邸に入らなかったということなのだろう。       

 安倍晋三のこの対応はミサイル発射後に官房長官菅義偉が午前8時過ぎに官邸入りして、記者会見発言で示した状況と一致する。と言うよりも、記者会見で示した状況に安倍晋三が自身の対応を一致させたのだろう。

 「NHK NEWS WEB」((2017年8月26日 7時50分)      

 菅義偉「我が国の領域や排他的経済水域に落下するような弾道ミサイルは確認されず、わが国の安全保障に直接、影響を与えるものではないと確認した。

 安倍総理大臣には逐次、報告しており、安倍総理大臣からは、国民の生命や財産を守るために高度な警戒監視態勢を維持し、万全の態勢で臨むよう指示があった」

 要するに菅義偉なりから報告を受けて、官邸入りせずに公邸に留まっていた。

 だが、日本の「領域や排他的経済水域に落下するような弾道ミサイルは確認され」なかった、あるいは発射に失敗したからと言って、簡単に日本の「安全保障に直接、影響を与えるものではない」で片付けることができるだろうか。

 米軍は当初、3発共発射に失敗と発表したが、マスコミは夕方の時刻になって米軍が最初の発表を訂正、2発目は失敗したが、1発目と3発目は発射に成功、北東方向に250キロ余り飛行したと修正したことを伝え直した。

 発射地点は北朝鮮江原道安辺郡旗対嶺。その地点から北東方向と言うと、朝鮮半島の日本海側海岸線と日本の排他的経済水域の中間の方向に飛翔したことになって、尚且つ250キロの飛行距離では北朝鮮から日本本土に届く場所はないから、地理的には確かに日本には直接の影響はないことになる。

 但し直接の無影響はあくまでも今回の発射に限った結果論であって、例え最終的に失敗ということになったとしても、全てはミサイル開発の一環として行っている発射なのだから、失敗が次の成功のステップとなる可能性、あるいは直接影響を与える形に変化していく可能性は否定できない上に開発が進めば進む程に日本の安全保障に直接的にも間接的にも深刻な影響を与えていくことは必至な状況にあるのだから、今回の発射に限った結果論そのままに、いわば今回の発射は大したことがないから、首相が午前8時に目と鼻の先の公邸にいながら、直々に官邸入りしなくてもいいと手軽い対応で済ますことは安全保障上の危機管理として許されることだろうか。

 安倍晋三は上記「首相動静」によると、午後1時40分に公邸発、午後1時50分に東京・六本木のホテル「グランドハイアット東京」着、同ホテル内の「NAGOMIスパアンドフィットネス」で午後5時13分まで運動となっている。

 午前中は来客もなく公邸で過ごし、午後はホテルのフィットネスジムで約3時間、トレーニングマシン相手に汗を流す。なかなか優雅な時間を過ごしたようだ。

 政府は内閣官房を先頭にして自治体と手を組み、「弾道ミサイルを想定した住民避難訓練」の実施を奨励し、各地で実地に実施している。今回北朝鮮がミサイルを発射した8月26日も国と三重県と同県津市が共同して津市内2カ所で訓練を行っている。

 7月28日(2017年)付の「内閣府の記者発表」によると、場所は津市榊原町の榊原小学校及び周辺と高齢者福祉施設「特別養護老人ホーム榊原陽光苑」。時間はミサイル発射の午前6時49分から午前7時19分から約2時間半後の9時55分から10時15分までの20分間。   

 訓練は、〈X国から弾道ミサイルが発射され、我が国に飛来する可能性があると判明〉した場合、〈国からのエムネットによる県、市への情報伝達を実施〉、〈防災行政無線(屋外スピーカー)による住民への情報伝達を実施〉し、〈小学校において、奉仕作業中の児童、保護者、住民が避難を実施〉という手順が前以って決められている。

 防災行政無線(屋外スピーカー)による住民への情報伝達は地域衛星通信ネットワークを利用して市町村の防災行政無線を自動起動し、国からの情報伝達を直接住民に伝える仕組みの「全国瞬時警報システム」(Jアラート)を使用してのことらしい。

 高齢者福祉施設「特別養護老人ホーム榊原陽光苑」の訓練の場合は同じJアラートを使って施設の携帯電話にエリアメール・ 緊急速報メールを配信、〈職員による避難誘導(入所者の安全確保)を実施〉という手順になっている。

 「NHK NEWS WEB」記事によると、榊原小学校の訓練は弾道ミサイルが発射され、日本に飛来する可能性があることが判明したという想定で行われて、参加した児童たちは頑丈な建物や地下に直ちに避難するようにとの呼びかけに応じて体育館に避難、前以って教師から教えられていたのだろう、身を屈める姿勢を取った伝えている。   

 国や県、市の実施する側は失敗と発表はあったものの、北朝鮮が約2時間半前にミサイルを発射したばかりだから、訓練の必要性を身に染みて感じ取ったに違いない。

 「弾道ミサイルを想定した住民避難訓練」一件や二件にとどまらない。「内閣官房 国民保護ポータルサイト」には2017年度として5月19日から8月23日までに15回の各地での訓練が記載されている。

 その内の1回は訓練内容は他国からのミサイル発射を想定した点は同じだが、6月20日付で「平成29年度における国民保護に係る国と地方公共団体の共同訓練の実施について」と銘打って、国、地方公共団体、警察、消防、自衛隊及びその他の関係機関が参加、実動訓練を5県、図上訓練を24都道府県で大掛かりに実施する予定を伝えている。    

 「国民の生命と財産の安全」の名の下、このような避難訓練を全国各地で繰返し実施していくことで、北朝鮮のミサイルに対する国民の危機管理を切迫感を持たせて意識に刷り込んでいくことになる。そしていざというときにその意識が実際の行動となって現れる。

 このことを狙った訓練であるはずだ。北朝鮮に対する国家の危機管理に国民の危機管理を対応させる。成功すれば、意識のみならず、実際の行動としても、「一億総動員」は不可能ではない。

 安倍晋三が一国のリーダーである以上、国民をこのような危機管理に追い込んでいることをいっときも忘れてはならないはずだ。忘れない行動を取らなければ、リーダーとしての無責任を問われることになる。

 当然、北朝鮮の今回のミサイル発射に対して「わが国の安全保障に直接、影響を与えるものではない」、大したことのない発射だったからと官邸入りもせずに公邸で午前中は来客がないままいに過ごし、午後の3時間をフィットネスジムでトレーニングマシン相手に汗を流す優雅な週末の過ごし方からは国民をして追い込んでいる危機管理を忘れていないと見て取れる行動は何一つとして確認できない。

 余りにも乖離した危機管理となっている。少なくとも午前中早々に官邸入りして、自身の危機管理と国民の危機管理を対応させるべきだった。

 潰瘍性大腸炎を薬で治療したものの、その再発を薬で押さえているという62歳の身体で本当に午後の3時間もフィットネスジムで汗を流していたのだろうか。

 ホテルのジムと言うことだから、予め予約しておいた部屋に休養という体裁でトレーニングは早々に引き上げて、そこで若い女とでも会っていたということはないだろうか。安倍晋三が部屋を引き上げてから数時間後にチェックアウトすれば、人には知られずに密会はできる。

 それが午後のことであったとしても、一度官邸入りすると、余分な用事ができて邪魔されることはないだろうかと用心が働いて、公邸から目と鼻の先にある官邸に入ることをしなかった。・・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民進党は消費税増税で社会保障充実、低所得対策に軽減税率導入、デメリット対策富裕税導入・法人税現状維持

2017-08-27 12:02:10 | 政治

 9月1日投開票の民進党代表選、前原誠司、枝野幸男、どちらに決まっても余り期待していない。若手から立候補に期待がかかっていたとかの玉木雄一郎が間違えて代表になるよりはマシかもしれない。

 「幹事長代理として代表や幹事長を支える立場であったので、代表や幹事長が辞めた後に行われる代表選挙に自分が出るのは筋ではないと思っている」(NHK NEWS WEB)などとトンチンカンなことを言っているようでは期待などできない。

 蓮舫と路線を同じくして執行部入りしたなら、路線を引き継いで立候補することはあり得るし、路線が違いながら、挙党態勢を築く必要上から請われた執行部入りなら、2016年9月2日の前回代表選に自らの政治を掲げて立候補している以上、再度の挑戦ということもあり得る。

 「自分が出るのは筋ではない」と言いながら、「『新しい世代で頑張ってほしい』という声も頂いており、いろいろな要素を考えながら、最終的に判断したいと思う。現時点では白紙だ」(同NHK NEWS WEB)と立候補の可能性をちらつかせて色気を示しているが、と言うことなら、玉木雄一郎の「筋」なるものは一つの選択を押し通して他の選択を排除する意味で使ったのではなく、他の選択もあり得る多様性を持たせた言葉となっているようだ。

 「筋」という言葉が当てにならないと、人間自体の節操が疑われることになる。
 
 要するに立候補したいのだが、立候補に必要な20人の推薦人を集める自信がないから、立候補できなかったときに備えて、「執行部を支えた立場であったから自分が出るのは筋ではない」といった体裁のいい言い訳を前以って口にしていたということなのだろう。

 2016年の代表選では推薦人を20人集めて立候補した。当然、今回も集めることができるはずだが、できなかったということは前回代表選で前原誠司が3人立候補によって第1回投票で3人共が過半数割れの状況を作り出して、玉木と2・3位連合を組んで前原自身を当選に導くために推薦人を貸したと見ていた。

 ところが蓮舫が第1回投票で過半数を獲得してしまったために2・3位連合は幻となってしまったといったところなのだろう。

 玉木雄一郎の昨年の推薦人20人を自前で集めていたなら、その中の誰かと仲違いしていなければ、今年も集められたはずだ。一人二人の仲違いなら、誰か他に頼み込んで補充できないこともなかったろう。

 昨年の2・3位連合構想が敢えなく潰えたために前原誠司は今年は策を弄しないことにし、結局玉木は推薦人を集めることができなかった。そのことに前以って備えて体裁のいい策を弄したのは玉木雄一郎だけだった。

 立候補者前原誠司と枝野幸男の政策の違いが既に顕になっている。各マスコミ記事から消費税増税、社会保障政策 法人税、低所得者対策等の違いを見てみることにする。文飾は当方。

 2017年8月21日の「共同記者会見」ログミー/2017年8月21日)    

 枝野幸男「私が目指す多様性を認め合いお互い様に支え合う社会を作っていくためには、将来的には恒久財源としての消費税の負担を国民のみなさんにお願いをしなければならない。また今の財政状況、財政健全化のためにもそうしたことが必要だと思っています。

 一方で、税はそうしたべき論だけでは決められません。経済状況あるいは税の使い方に対する国民の信頼、そして全体としての税のあり方。こうしたものを考えるとき、現状で消費税を上げられる状況ではない。消費不況はまだまだ続いています。

 それから昨年法人税を減税している。法人税を減税しておいて消費税を上げるのか。とても国民のみなさんの理解を得られるとは思いません。こうした状況では、今消費税は上げられないというのが私の考えです」

 前原誠司「旧民主党政権のときの野田総理の元で政調会長を務めさせていただきました。そのときの社会保障・税の一体改革、これは先ほど私が申し上げたAll for All、みんながみんなを支え合う。その原点だというふうに思っておりますし、またこれを与党の政調会長として進めた私は大いなる責任、責務を負っているとこう思っております。

 2段階に分けて消費税を上げ、その代わり教育・子育て、そして医療・年金・介護・福祉、この恒久財源をしっかりと担保していく。これについては私は責任を自分自身が持ちたいとこう思っております。

 同時にこのAll for Allというのは、ご高齢者の方々の不安を解消するために安定した年金あるいは介護の待遇改善、あるいは教育の無償化、さまざまなことを提唱させていただくことになります。財源が必要になります。

 この中間報告にはその財源論からは逃げないということで、これは党で決めております。党で決めたことですからその財源論についてはしっかり今後、それはどういう財源なのか、行革なのか、あるいはどういう税の負担なのか、あるいはマイナンバー制度を導入してストックを把握し、フローの所得はないけれどもストックの所得がある方々にも応分負担を求めていく。

 そういったさまざまなミックスが考えられます。そういう財源論というものをしっかりと逃げずに、我々としては議論していきたい。そう考えております」

 枝野幸男は現状での消費税増税に反対、前原誠司は賛成との姿勢を示している。しかし安倍晋三が2度も消費税増税を先送りしたために社会保障がかなり窮屈になって、介護保険料や介護保険の自己負担分が値上がりして、低所得層の生活をさらに窮屈にしている。

 給付型奨学金や教育の無償化も財源不足でなかなか前に進まない。消費税増税は避けて通れないと思うのだが、枝野幸男は赤字国債の発行を考えている。

 枝野幸男「現在の不況、経済の低迷は消費不況です。消費を増やさない限り、実は国内消費向けの投資も増えない。まず消費を増やすこと。なぜ消費が冷え込んでいるのか? それは格差が拡大し、低賃金で不安定な働き方の人が増えて可処分所得が減ってるんですから、消費が冷え込むのは当たり前です。

 経済を建て直すには、賃金の低い方、そして中ぐらいの方。そうしたみなさんの所得を底上げをすること。これが可処分所得の増大につながり、消費を拡大させる。ですから私は具体的に人手不足の分野で、しかも低賃金である看護師・介護職員あるいは保育士、こうした人たちの賃金に公的な資金を投入してでも賃金の底上げをするということを言っています。

 これは前原さんの言うAll for All、私の言うお互い様の支え合いの社会という将来のビジョンを実現することに向けたプロセスであると同時に、短期的ではそれ以上に最大の景気対策、経済政策だと。この位置付けを明確にしてこなかったことが、私は今まで若干理解を得られなかったことだと思っています。景気対策ですから、景気が悪いときには国債を発行してでも財政投入する。当たり前じゃないですか

 枝野幸男は「低賃金である看護師・介護職員あるいは保育士、こうした人たちの賃金に公的な資金を投入してでも賃金の底上げをする」ことで消費不況を改善し、その財源を消費税を増税せずに赤字国債で凌いでいく。但し現役世代の負担は抑えられるが、将来世代の負担が増えることになる。財政再建も遠のくことになる。

 法人税の扱いにしても両者は対立している。

 「日テレNEWS24」(2017年8月24日 21:57)   
 
 枝野幸男「法人税率を上げるということ。もちろん中小零細企業には配慮して、もうかっている所にはちゃんと払っていただく」

 前原誠司「それはそんな簡単な議論では、私はないと思います。世界は法人税は下げる方向でみんなが見直している。法人税を上げることになると、むしろ企業のクビを絞めてしまう可能性がある」

 以上を纏めてみると、枝野幸男は消費税を増税せずに低所得者対策や高齢化社会や共稼ぎ社会に応じて社会的必要性が高まっていながら、低賃金の状況に置かれている介護士や保育士の賃金を上げて消費不況に対抗すると同時にその財源を法人税増税や赤字国債に求める。

 前原誠司は消費税を増税して、教育・子育て・医療・年金・介護・福祉の恒久財源とすることで社会保障を充実させていく。その一方で法人税率は企業の国際競争力維持の観点からだろう、下げる方向での検討も考えている。

 消費税を増税すると、低所得者程収入に対する食料品などの生活必需品購入費の割合が高くなり、高所得者よりも税負担率が大きくなる逆進性対策として前原誠司はかねてから「給付付き税額控除」を掲げている。

 この「給付付き税額控除」は民主党が政権担当時に消費税増税を計画したとき、逆進性対策として打ち出したものである。その方法とは低所得者の各年間所得に応じた基礎的消費支出額を算出、その支出額を線引きとして、相当する消費税額を給付するというもの。

 例えば年間100万円以下の低収入の生活者の基礎的消費支出額を90万円と算出された場合、現在ではその8%分の7万2千円が給付されることになるが、7万円に線引された場合、2千円の負担が生じることになる。例えそれが2千円であっても、低所得者にとっては少なくない負担であろう。

 あるいは月によって必要に迫られて少ない蓄えの中らから引き出し、年間合計で100万円近くに消費額が達した場合、90万円との差額分の給付は無視されることになる。

 いわば低所得者程、線引された金額以内に消費支出を抑える必要に迫られ、その線引きを超えなければ余分な給付を受けることになるが、超えた場合、自己負担となるから、家計簿をつけてなければ、常に超えるか超えないかの不確かさの中で不安に付き纏われながら消費を抑える傾向が習慣づくことになる。

 家計簿をつけていたとしても、月割にしてその範囲内の消費に抑えようという意識はどうしようもなく持つことになるはずだ。
 
 現役世代の中所得者であっても、日々の買い物で1円でも安いスーパーを選び、金額の高い商品は避けるという傾向にある。この傾向が個人消費額が低迷している原因の一つであるはずである。

 もし「給付付き税額控除」が各年収額に応じた基礎的消費支出額を実際の支出額よりも2万も3万も水増しされるなら、この制度を歓迎するに違いないが、国は差引きマイナスとなる税収減に鈍感ではないはずだ。

 自公の与党は消費税を10%に増税した場合は食料品の購入に対しては8%に据え置く軽減税率の導入を考えている。消費税が低所得者程収入に対する食料品などの生活必需品購入費の割合が高く、負担が大きくなるのは確かで、食料品の税率だけでも低く抑えられるのは立派な逆進性対策となるが、同時に低所得者とは比較にならない食料品の購入額の大きい高額所得者に対しては低所得者以上のメリットを与えることになり、税収も少なくなる。

 但し軽減税率は低所得者にとっては食料品に支払っただけの消費税が免除されるから、安心はしていられる。公明党が逆進性対策として軽減税率を打ち出した当座、世論調査では圧倒的に軽減税率を歓迎する割合が多かった。

 将来世代にツケを回さずに現役世代にも負担を求めて、尚且つ社会保障制度の充実のためには消費税増税は必要不可欠であるが、増税による低所得者対策としての逆進性対策は食料品に使った分、税が免除される安心を与えるためには軽減税率がふさわしく、軽減税率でより大きなメリットを受ける高額所得者対策として富裕税を導入して、軽減税率導入による減収分を補填させたらいい。

 その代わり法人税は国際競争力維持の観点から現行のまま据え置いて各企業が利益を上げるのを支える。

 このようにするのは企業幹部が年間10億円前後の高額の報酬を受けるのは本人の能力もあるが、それ以上に企業の一人ひとりの従業員の貢献の合計が可能にしている報酬であるはずだからであり、株所有者が株で大儲けできるのは、従業員一人一人の貢献の合計が企業経営を順風に招いているからでもあるはずだからだ。

 決して各報酬は企業幹部だけの問題でもなく、株所有者だけの問題ではない。その他大勢の貢献を受けた報酬なら、企業は儲けさせても、その報酬に関しては富裕税と名付けるなり。現行の所得税の累進課税率を上げるなりして、国の税収増への貢献を求めていいはずであり、それぞれの貢献が循環していくことになると同時に軽減税率導入によって受ける高額所得者のメリットのバランスをも図かることができる。

 軍隊は将軍だけでは成り立たない。全ての兵卒の貢献無くして将軍として成り立たない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文科省大学設置審の新設認可判断保留が図らずも露呈した内閣府国家戦略特区加計学園獣医学部新設認可の欠陥

2017-08-26 11:00:08 | 政治

 文部科学省の大学設置審議会が来年4月開学予定の加計学園獣医学部新設に関わる認可判断を保留、10月末に改めて結論を出すことを明らかにしたと8月25日(2017年)付マスコミが一斉に報じた。何が不足だったのか、「NHK NEWS WEB」記事から見てみる。       

 大学設置審議会は教員の数や学生の定員、教育内容などが適切か審査するが、教育内容のうち、特に実習時間が問題とされたという。

 獣医学部では講義形式でなく、実地や実物で知識や技術を身につける「実習」の時間が極めて重要とされているにも関わらず、既存の獣医学部が約4カ月間実施の実習時間に対して加計学園の約1カ月の実施設定は主として加計学園が生命科学等の分野専門の獣医師養成を目指している点に於いて満足な教育環境の提供は成し得ないとされたとの趣旨のことを記事は書いている。

 具体的には加計学園獣医学部の実習計画は140人の学生を2つのグループに分けて、1つの実習科目を約1カ月間で履修する時間割を組んでいたとしている。

 実習時間が既存の獣医学の4分の1と短い上に1グループ70人の学生が一度に実習を受ける。解剖にしても上からカメラで写して、その場面を教室の大型スクリーンに写し出して70人が漏れなく目にすることができるような仕掛けの実習を設けるのだと思うが、自分の席から一定の距離を置いて二次的な仕掛けを通して見るのではなく、間近で実物を自分の目でみて、解剖の進め方を自分の目で確認していくのとでは実感という点では大きな差があるように思える。

 あるいはテレビドラマでやっているように手術室の一段高い場所に手術室を囲むように一面ガラス張りの見学室が設けてあって、そこに70人を閉じ込めて、上から手術やその他の処置を実習させるといったことをするののかもしれない。

 いずれの方法であっても、即席感を免れることはできない。

 1学年約120人の学生が在籍している現在の獣医学部の中では最も多い北里大学獣医学部(青森県十和田市)は実験動物学や解剖学など19の実習科目に加えて、独自に10の実習を必修としていると、記事は加計学園との違いを伝えている。

 北里大学の高井伸二獣医学部長「獣医師となるには基礎から臨床までさまざまな分野を学ぶ必要がある。多くのスキルを身につけた実践的な獣医師を養成するためこれだけの実習を組んでいる」

 実習の実践こそが実戦に通じるということなのだろう。

 大学設置審議会はこの他に〈全国で最も多い140人の学生に対し、教員の指導体制が不十分であることや、学生が研究を進めるうえで十分なスペースが確保されていないのではないか〉といったことを指摘したと記事は書いている。

 学生が研究を進めるうえで十分なスペースが確保されていないということは140人の学生を2グループに分けた70人ずつの実習に対しての指摘も含まれているはずで、窮屈感しか浮かんでこない。

 その上に教員の指導体制が不十分ということなら、ハンパな即席感と窮屈感ではないことになって、質の高い獣医師養成は望めないことになる。

 ということなら、計画を見直すよう求めた大学設置審議会の次の言葉にしても、かなり厳しい指摘が込められていると見なければならないことになる。

 「学園の計画は、短期集中型で、学生が予習や復習も含めて知識や技術が身につけられない」

 加計学園は修正案を提出、余程のことがない限り最終的には認可されることになるだろうが、そうであったとしても、文科省大学設置審議会による加計学園獣医学部新設認可申請に対する認可判断保留は加計学園が獣医学部新設構想を満足に描ききれないうちに獣医学部校舎の建設に取りかかり、教員の募集・採用を行って、国家戦略特区指定の今治市に獣医学部新設が認められてから、内閣府によるその事業主体公募に応募し、内閣府がその応募に対して不満足な獣医学部新設構想に基づいて事業主体を加計学園に決定した経緯を取った事実に変わりはないことになる。

 加計学園側からすると、2015年6月30日に閣議決定された「日本再興戦略改定2015」で獣医師養成系大学・学部の新設に関する、いわゆる石破4条件のうち、「既存獣医師養成でない構想」、「既存の大学・学部では対応困難」等要求されたグレードアップに対応しきれなかった様子が浮かんでくる。

 一般的な大学新設は文科省の大学設置審議会に設置認可申請を行い、その後は申請側と審議会両者の設置適否の問題に帰すが、国家戦略特区を通した新設の場合は大学設置審議会の設置適否の議論以前に内閣府が間に入って大学設置審議会とは異なる石破4条件も含めた基準で設置適否の判断を下した。

 結果として、内閣府は不満足な獣医学部新設構想であるにも関わらず、新設認可の一次的なゴーサインを出したことになる。

 そしてこのゴーサインに対する大学設置審議会側の“一次的なノー”――新設認可に関わる判断保留によって内閣府による国家戦略特区を通した獣医学部新設認可という制度の欠陥を図らずも露呈させたことになる。

 このいわゆる二重基準が日本獣医師会をして「獣医師の需給問題の解決や獣医学教育の改善に特区制度に基づく対応は馴染まない」とさせている要因なのだろう。

 上記記事は文部科学省の話として、大学設置審議会が認可の判断を「保留」したケースは過去10年間で110件、そのうち大学が計画を修正し最終的に認可されたケースが89件、大学が申請自体を取り下げたケースが19件、不認可となったケースが2件あると解説しているが、加計学園の獣医学部新設が大学設置審議会によって最終的に不認可となった場合は、国家戦略特区の手続き全てが最悪、無意味・無駄骨となる。

 行政上の危機管理からすると、最終的に不認可にならなければいいのではないかといった不確かさに頼るのではなく、想定される最悪のケースは避ける確実さが必要になることを考えた場合、日本獣医師会の「国家戦略特区を使った獣医学部新設は馴染まない」の主張は正しいことになる。

 あくまでもモチはモチ屋に頼めということなのだろう。

 モチはモチ屋に頼まずに専門外の部署にモチを頼んで、品質を問わずに、ハイ、モチですと言ってしまったこと自体が土台、無理な設定なのだが、加計学園を持ってくるためには無理を承知でモチ屋ではない内閣府を必要としたということなのだろう。

 こうしたところに安倍晋三の政治的関与を窺うこともできる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小池都知事の歴史修正主義者の陰謀にはまった関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式追悼文送付中止

2017-08-25 12:42:24 | 政治

 ――歴史修正主義者は“数の根拠の希薄”を持ち出して歴史の事実そのものを無きものにしようとする謀り事を常套意志としている――

 9月1日日朝協会等市民団体主催の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に小池百合子知事が都知事恒例の追悼文送付を中止したと8月24日(2017年)付のマスコミが伝えていた。

 その一つ「The Huffington Post」がその背景を次のように伝えている。文飾は当方。

 〈小池氏は3月、都議会で自民都議が、主催団体の案内文に虐殺の犠牲者数が「6千余名」とあるのは根拠が希薄などとして問題視し、追悼文送付を見直す必要性を指摘したのに対し、「毎年慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁して見直しを示唆した。都建設局はこの答弁などを受けて追悼文の送付中止を検討し、その方針を小池氏も了承したという。〉

 要するに都の役人から「毎年慣例で送付しているだけですよ」と言われ、その説明に従って小池百合子は昨年は慣例だからと機械的に追悼文を寄せたことになる。

 記事は昨年の小池百合子の追悼文の一部を紹介している。

 「多くの在日朝鮮人の方々が、言われのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でもまれに見る、誠に痛ましい出来事」

 都の役人が文章を用意し、一応小池百合子に目を通して貰って了承を得てから、そのまま送付したのかもしれない。あるいは代理の役人が式典に出席して読み上げたのか。

 慣例で追悼文を送付するとは恐れ入る。

 安倍晋三の広島・長崎の原爆死没者慰霊式の出席も慣例で出席し、役人が書いた追悼文を慣例で読み上げているだけなのだろう。本当は出席したくはないはずだ。慰霊式主催者やマスコミから核廃絶に向けた姿勢の及び腰を毎年批判される。

 安倍晋三の核に対する本質的な姿勢は憲法は核の使用を禁じていないとするものである。原爆死没者慰霊式で核廃絶を訴えているが、心にもないことを喋っているに過ぎない。

 最初に書いたように歴史修正主義者は南京虐殺もそうだが、“数の根拠の希薄”を持ち出し歴史の事実そのものを無きものにしようとする謀り事を常套意志としている。

 “数の根拠の希薄”を以って虐殺の事実を抹消しようとするなら、可能な限り正確な数字を出さなければならない。その数字によって、虐殺の程度を計らなければならない。

 だが、自民党都議古賀俊昭はそこまではしていない。

 上記記事が自民党都議が“数の根拠の希薄”を持ち出したのは3月の都議会と書いているから、ネットでその質疑を探してみたところ、うまく見つけ出すことができた。 

 平成29年東京都議会会議録第4号(平成29年3月2日)  

 古賀俊昭「まず、都内墨田区に所在する東京都立横網町公園に建つ朝鮮人犠牲者追悼碑などの問題について質問を行います。

 本年は、10万人余が犠牲となった大正12年の関東大震災から94年になります。この震災の混乱の中での不幸な事件により生じたのが、朝鮮人犠牲者であります。

 横網町公園内に朝鮮人犠牲者を追悼する施設を設けることに、もとより異論はありませんが、そこに事実に反する一方的な政治的主張と文言を刻むことは、むしろ日本及び日本人に対する主権及び人権侵害が生じる可能性があり、今日的に表現すれば、ヘイトスピーチであって、到底容認できるものではありません。

 追悼碑には、誤った策動と流言飛語のため6千余名に上る朝鮮人が尊い生命を奪われましたと記されています。この碑は、昭和48年、共産党の美濃部都知事時代に、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会が建てて、東京都に寄附したものでありますから、現在、碑文については東京都に全責任があります。

 本来は、当時、都が受領に際し、6千余名、あるいは流言飛語などの表記、主張に対しては、公的資料などによる根拠を求めるべきでありましたが、何せ共産党を中核とする革新都政でありましたから、相手のいうがままであったと思われます。

 私は、小池知事にぜひ目を通してほしい本があります。ノンフィクション作家の工藤美代子さんの「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」であります。工藤さんは、警察、消防、公的機関に保管されている資料を詳細に調べ、震災での死者、行方不明者は2700人、そのうち不法行為を働いた朝鮮独立運動家と、彼らに扇動されて追従したために殺害されたと思われる朝鮮人は約800人、また、過剰防衛により誤って殺害されたと考えられている朝鮮人は233人だと調べ上げています。

 この書籍は「SAPIO」に連載され、現在、産経新聞から単行本として出版されています。

 6千余名が根拠が希薄な数であることは、国勢調査からもわかります。日本で初めての国勢調査が、関東大震災の3年前、大正9年に実施されていますが、その中の国籍民籍別人口では、朝鮮人の人口は、埼玉県、千葉県、東京府、神奈川県全てを合わせて3385人なのであります。

 ・・・・・(中略)・・・・・・

 歴史の事実と異なる数字や記述を東京都の公共施設に設置、展示すべきではなく、撤去を含む改善策を講ずるべきと考えますが、知事の所見を伺います」

 ・・・・・(以下略)・・・・・・

 小池百合子「古賀俊昭議員の一般質問にお答えを申し上げます。

 まず、都立横網町公園におけます関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑についてのご質問でございます。

 この追悼碑は、ご指摘のように、昭和48年、民間の団体が資金を募集し、作成したものを受け入れる形で、犠牲者の追悼を目的に設置したものと聞いております。

 大震災の際に、大きな混乱の中で犠牲者が出たことは、大変不幸な出来事でございます。そして、追悼碑にある犠牲者数などについては、さまざまなご意見があることも承知はいたしております。

 都政におけますこれまでの経緯なども踏まえて、適切に対応したいと考えます。

 そして、この追悼文についてでありますけれども、これまで毎年、慣例的に送付してきたものであり、昨年も事務方において、例に従って送付したとの報告を受けております。

 今後につきましては、私自身がよく目を通した上で、適切に判断をいたします」

 小池百合子は事務方から追悼文を送付したという報告を受けただけで、追悼文に目を通すことすらしなかった。6000名が不正確な数字なら、そのことも問題となるが、追悼文送付の主が目を通さずに機械的に送付することの方がより問題に思える。

 古賀俊昭の「歴史の事実と異なる数字や記述を東京都の公共施設に設置、展示すべきではなく、撤去を含む改善策を講ずるべきと考えますが」という発言自体に“数の根拠の希薄”を持ち出して歴史の事実そのもののの抹消を謀ろうとする意志が現れている。

 そしてこの手の遣り方が歴史修正主義者の常套意志となっている。

 古賀俊昭はノンフィクション作家の工藤美代子の著書を根拠に〈震災での死者、行方不明者は2700人〉から、〈不法行為を働いた朝鮮独立運動家と、彼らに扇動されて追従したために殺害されたと思われる朝鮮人は約800人〉+〈過剰防衛により誤って殺害されたと考えられている朝鮮人は233人〉の合計1033人を差し引いた1667人が流言飛語を原因とした実質的な虐殺の犠牲者だとしていることになる。

 そして古賀俊昭は一般的に流布している虐殺犠牲者約6千人と比較した工藤美代子の1667人という少ない検証を大正9年実施の日本最初の国勢調査を補強証拠として持ち出している。

 大正9年の〈朝鮮人の人口は、埼玉県、千葉県、東京府、神奈川県全てを合わせて3385人〉なのだから、6千人の犠牲者を出しようがない。全員虐殺されたとしても、6千人に2千人不足することになる。工藤美代子の1667人が妥当な犠牲者数ではないのかとの文意となる。

 その多くが無抵抗の朝鮮人を大勢で寄ってたかって無差別に虐殺していって1667人を数えたということは、その残虐さを決して無視できない。

 古賀俊昭は3つの点を見落としている。一つ目は出稼ぎ朝鮮人が多く存在していた問題である。

 「朝鮮人労働者の内地及外国出稼状況」神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 労働)なるサイトが関東大震災5カ月前の1923年(大正12年)4月14日付の「京城日報」に基づいて朝鮮人出稼ぎ労働者について触れている。  

 主なところを拾ってみるが、漢数字を読みやすくするために算用数字に変え、段落無しとなっているために適宜段落を用いた。

 〈大正6年から大正11年上半期の間に於て団体的出稼者は2万1千7名単独出稼者は1万7千113名総数3万8千120名の多きに達した

 是等は概ね鉱山土木紡績製鉄所其他各種工場に於て労役に従事するもので内地各府県に散在するが就中大阪府に在住するもの最も多く福岡県之に次ぎ兵庫県、北海道、京都府、広島県、山口県、東京府の各府県には何れも1千人以上の居住者がある〉

 〈従来朝鮮人が内地に渡航するに当って規定に依り居住地警察官庁に旅行の目的と旅行先とを届出て旅行証明書の下付を受け朝鮮最終の出発地の警察官に之を提示ずるを要したのであったがこの規定は朝鮮人間に兎角の非難があり且夥しい手数を要するので大正11年11月15日を以て右の規則は廃止されたのである

 以降朝鮮人の内地往復は極めて自由となりその結果朝鮮人の内地渡航者は俄かに激増の趨勢を生ずるに至ったのである〉

 大正6年から大正11年上半期の間に於て団体的出稼者は2万1千7名、単独出稼者は1万7千113名、総数3万8千120名の多きに達していて、尚且つ関東大震災発災の大正12年9月1日を約9カ月半遡る大正11年11月15日を以って右の規則は廃止され、結果、内地渡航者(=出稼ぎ朝鮮人)の数は激増した。

 しかも旅行証明書の発行を受けるだけで、住民登録をするわけではないから、国勢調査には現れない人口となる。

 古賀俊昭が挙げていた1府3県のうち、千葉は乗っていないから、他の人数を画像から拾ってみる。

 大正12年の東京府は男1121人、女27人の合計1148人、神奈川男502人、女ゼロ、合計502人、埼玉男57人、女7人、合計64人の総勢1714人となる。

 これらが国勢調査には載らない数字として東京を中心とした神奈川・埼玉に存在していた。 

 見落としている2つ目が当時の朝鮮人不法入国者である。

 「Wikipedia」「日韓併合」(1910年(明治43年)8月)
「移入制限と解除」

1919年(大正8年)4月には朝鮮総督府警務総監令第三号「朝鮮人旅行取締ニ関スル件」により日本への移民が制限され、1925年(大正14年)10月にも渡航制限を実施したが、1928(昭和3年)年には移民数が増加した。朝鮮では1929年(昭和4年)から続いた水害や干害によって、国外に移住を余儀なくさせられる者が増えた。

1934年(昭和9年)10月30日、岡田内閣は「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定し、朝鮮人の移入を阻止するために朝鮮、満洲の開発と密航の取り締まりを強化する。

1937年(昭和12年)に日中戦争がはじまると、1938年3月南次郎朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年(昭和9年)の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した。

 1919年(大正8年)4月に朝鮮半島からの日本への移住が制限された。

 「Wikipedia」「韓国併合」の項目には、〈日本内地へ多くの朝鮮人が流入したことによって、内地の失業率上昇や治安が悪化したため、日本政府は朝鮮人を内地へ向かわせないよう、満洲や朝鮮半島の開発に力を入れるとともに、内地への移住、旅行を制限するようになった。〉との記述もある。

 このことは注釈から調べてみると、「国立公文書館 アジア歴史資料センター」に昭和9年の措置が最初となっている。

 要するに1919年(大正8年)4月の移民制限から「内地の失業率上昇や治安が悪化」する程に大量の朝鮮人が日本に移住し続けたことになる。この中には旅行証明書の発行を受けて入国した朝鮮人の出稼ぎ労働者も入っているだろうが、彼らは容易に人数制限ができる。人数制限のできないところでの増加が多分に内地の失業率上昇や治安悪化を招く原因となっているということであるはずだ。

 移住する側にとっては必要に迫られての行動だから、制限されれば、不法移住が増えることになる。江戸時代の自分の土地では食えない逃げ百姓の多くが無許可で江戸や大阪に集まったように関西は大阪、関東では東京や横浜と言った大都会により多く集まったはずであり、この数は正確には分からないが、この人数も決して無視することはできない。

 古賀俊昭が見落としている3つ目は国内の朝鮮人人口が国勢調査時のままではないということである。

 「Wikipedia」「在日韓国・朝鮮人」の項目の「戦前の在日韓国・朝鮮人移入の背景」には、〈「大正9年(1920年)および昭和5年(1930年)の国勢調査(民籍別)」を記載した1938年(昭和13年)発行の年鑑 によれば朝鮮人の民籍は、大正9年(1920年)で40,755人、昭和5年(1930年)で419,009人との記載がある。したがって、この十年で人口増は378,254人ということになる。〉との記述がある。

 古賀俊昭が掲げた大正9年の〈朝鮮人の人口は、埼玉県、千葉県、東京府、神奈川県全てを合わせて3385人〉は1府3県の朝鮮人口であって、それに対して「Wikipedia」が記述している大正9年(1920年)の「40,755人」は本土全体の朝鮮人人口を示す。

 中央のたったの1府3県に全体の1割近くの朝鮮人が住んでいたということは都会集中を物語っていて、役所に届け出ない違法移住者も同じく都会に集中していたことを示すことになる。

 要するに大正9年の国勢調査に於ける1府3県の朝鮮人人口だけでは割り出すことはできない。

 上記「Wikipedia」には国勢調査による大正9年(1920年)の朝鮮人人口40,755人に対して昭和5年(1930年)の朝鮮人人口は419,009人と、10年で約10倍に一挙に増えている。その人口増は378,254人。

 単純計算になるが、1年で少なく見積もって約3万7千人ずつ増えた計算になる。大正9年の国勢調査から関東大震災の大正12年(1923年)9月までの2年9カ月の増加数は3万7千人×2年+{(3万7千人/12カ月)×9カ月}≒10万人。

 要するに大正9年の朝鮮人人口は40,755人は大正12年9月には約10万人と約2.4倍に増えている。、

 この倍数を古賀俊昭の大正9年1府3県の3385人に当てはめてみると、3385人×2.4倍≒8124人。これに東京府と神奈川、埼玉男の出稼ぎ労働者総勢1714人を加えると、9838人。これに決して無視できない数字であったはずの不法移住朝鮮人を加えると、優に1万人を超える。

 もし朝鮮人虐殺が徹底的に行われたとしたら、6千人という数字は決して非現実的とは言えなくなる。
 
 「朝鮮人暴動」の流言飛語がたちまち首都圏を中心に飛び交い、瞬く間に在郷軍人、青年団、消防団が主体となって町内単位の自警団が迅速に組織されたという。

 このことは特に強い形で現れていた戦前の日本人の集団主義・権威主義の行動様式から十分に理解できる。

 自警団組織のこの迅速さはまた、当時の朝鮮人差別に対する朝鮮人の反抗の可能性を恐れる余りの恐怖心が暴動を現実のものに描いてしまう効果として働いた迅速さでもあるはずだ。

 どれ程に過酷であったのか、出なかったのか、呉林俊(オ・リムジュン)なる在日著者の『朝鮮人のなかの日本』三省堂・昭和46年3月15日初版)の中に「横浜市震災史」から引用したという朝鮮人虐殺の場面から見てみる。

 ヒゲ面が出してくれた茶碗に水を汲んで、それにウイスキーを二、三滴たらして飲んだ。足が痛みだしてたまらない。俄に降りつのってきたこの雨が、いつまでもやまずにいてくれるといいとさえ思った。

 「旦那、朝鮮人はどうです。俺ア今日までに六人やりました」

 「そいつあ凄いな」

 「何てっても、身が守れねえ。天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさあ」

 雨はますますひどくなってきた。焼け跡から亜鉛の鉄板を拾って頭にかざして雨を防ぎながら、走りまわっている。ひどいヒゲの労働者は話し続ける。

 「この中村町なんかは一番鮮人騒ぎがひどかった・・・・」という。「電信柱へ、針金でしばりつけて、・・・・焼けちゃって縄なんかねえんだからネ・・・・。

 しかしあいつら、目からポロポロ涙を流して、助けてくれって拝むが、決して悲鳴を上げないのが不思議だ」という。・・・・

 「けさもやりましたよ。その川っぷちにごみ箱があるでしょう。その中に野郎一晩隠れていたらしい。腹は減るし、蚊に喰われるし、箱の中じゃ身動きが取れねえんだから、奴さんたまらなくなって、今朝のこのこと這い出した。それを見つけたから、みんなでつかまえようとしたんだ。・・・・」

 「奴、川へ飛び込んで、向う河岸へ泳いで逃げようとした。旦那、石ってやつはなかなか当たらねえもんですぜ。みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ。で、とうとう舟を出した。

 ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分ぐらい水の中にもぐっていた。しばらくすると、息がつまったと見えて、舟のじきそばへ顔を出した。そこを舟にいた一人が、鳶(トビ)でグサリと頭を引っかけて、ズルズルと舟へ引き寄せてしまった・・・・。まるで材木という形だあネ」という。「舟のそばへくれば、もう滅茶々々だ。鳶口一つで死んでいる奴を、刀で切る、竹槍で突くんだから・・・・」

 好き放題に、あるいは朝鮮人と見たら、手当たり次第に、本人は残酷さを意識しない虐殺が次々を行われていった様子を窺うことができる。

 1人で6人の朝鮮人を殺す。「何てっても、身が守れねえ。天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさあ」と自慢する。

 頭の中では存在している暴動に立ち向かって先手を打って一人ひとりを殺していくことで潰していくために現実には存在しない暴動、武器も心構えも何ら準備していないに暴動に立ち向かっていくことになったのだから、好きなように相手の息の根を止めていくことができたはずだ。

 結果、虐殺は過酷さを徹底的に極めることになった。朝鮮人が首都圏で優に1万人を超えていて、朝鮮人虐殺が徹底的に行われたとなると、犠牲者が6千人という数字は決して非現実的とは言えなくなる。

 よしんば6千人が4千人だったとしても、あるいは2千人だったとしても、無抵抗の人間を竹槍や鳶口で次々と無差別に殺していく、いくら時代が時代だったとしても、その非人間性は長く語り継がなければならない。時代が巡って、似たような状況に立たされない保証はないのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

籠池泰典は何事もウラがあることを承知している嗅覚を以ってして似た者同士として安倍晋三に近づいたのか

2017-08-24 11:18:32 | 政治

 安倍晋三から100万円を有り難く頂いた森友学園理事長(当時)籠池泰典が数々の補助金詐欺疑惑で攻勢から一変、守勢一方に立たされている。

 籠池泰典は2017年7月31日、大阪地検特捜部は在宅で取調べていた籠池理事長を逮捕した。容疑は実際の小学校建設工事費15億5500万円に対して設計会社役員らと共謀、23億8400万円と記載した虚偽の工事請負契約書を2016年2月下旬に提出、木材使用の先進的な建築を対象に支給される国の補助金計約5600万円を詐取したというもの。

 2017年8月21日、大阪地検特捜部は籠池泰典を再逮捕、妻も逮捕した。容疑は森友学園運営の幼稚園を舞台に障害児童数と専従教員数を水増し申請して大阪府の補助金合わせて約9200万円を詐取したというもの。

 その内容が酷い。実際に在園している障害児童に対して専門の職員を配置するなどの特別な支援を一切行わず、補助金の申請に必要な保護者の同意も得ていなかった疑いがあるという。

 籠池泰典は補助金詐欺を働いているなどとは思ってもいないだろう。教育にはカネがかかる、日本の教育のために補助金を最大限に活用しているに過ぎない、最終的には日本の教育に利益は還元される。何事もウラがあるんだと自己を正当化し、結果、海千山千の処世術となって現れているはずだ。

 一つ一つの正当化が自身の生き方の正当化へと繋がっていく。生き方さえ正当化できれば、罪の意識は毛程もなしに教育に関するありとあらゆる補助金制度を虚偽申請を用いて利用、得た補助金を日本の教育のために活用しているという“好循環”の信念を手に入れることができる。

 籠池泰典は自身が抱いているのと同じ天皇主義・国家主義の思想を安倍晋三が血とし肉としている近親性から極めて高い尊敬の対象にしていた。建設を計画していた瑞穂の國記念小学院の名前を当初安倍晋三記念小学校と命名を希望、安倍晋三に断られて断念していたが、尊敬自体は相互の思想の近親性が理由となっていたとしても、安倍晋三という政治家の存在を国有地をタダ同然(不動産鑑定評価額約9億5600万円に対する購入額約1億3400万円はタダ同然に当たる)で手に入れるために利用したのは世の中は何事もウラがあり、自分なりのウラを活用してきた信念となっている生き方がある種の嗅覚を身に付けさせていて、安倍晋三に似た者同士を嗅ぎ取っていたからであろう。

 もし安倍晋三がウラ・オモテの些かもない、自分とは似ても似つかない清く正しい政治家だと嗅ぎ取っていたなら、経験上、ウラでの相互利用の関係は拒絶するだろうと分かっているだろうから、晋三の妻安倍昭恵を通して安倍晋三の名前を利用するようなことは考えもしなかったはずだ。

 政治資金規正法は第21条で個人献金は2千万円を、資本金50億円以上の企業は3千万円を、資本金10億円以上50億円未満の企業は1千5百万円を、資本金10億未満の企業は750万円を超える企業献金を禁止している。

 一方で第12条で、個人献金5万円以上に対して領収書を提出、その領収書(写し可)と共に政治資金報告書に記載しなければならないとし、収入が1千万円以上の政治資金パーティーについては20万円を超えるものについては領収書と共に支払者の氏名等を記載した政治資金報告書を提出しなければならないとしている。

 問題は政治資金パーティーである。5万円のパーティー券を同一企業が50枚100枚と購入しても、企業自体が購入した形式を取らずに従業員50人100人の名前を使って、勿論、本人の許可を取るというよりも上からの指示で承諾させて購入し、そういったパーティーが年3回、4回あったとしても、各パーティの合計額が1千万円を超えなければ、報告しなくてもいいし、あくまでもパーティー券の購入代金であって、個人献金ではないから、一人ひとりに対しての領収書も不要となり、例え各パーティーの収入が1千万を超えたとしても、全体の収支の報告だけで済ませることができて、パーティー参加者に対する領収書不要ということは前者・後者いずれの場合も収入金額を操作できることになる。

 籠池泰典は政治の世界でもこのくらいのウラがあることは承知しているだろうし、政治家にしても政治はカネがかかる、日本の政治のために国民の浄財(=献金)を最大限に活用しているに過ぎない、最終的には国家建設に利益は還元される、何事もウラがあるんだと自己を正当化していることも飲み込んでいるはずでである。

 籠池泰典はこのように何事もウラがあることを知っている海千山千の処世術を手に入れた似た者同士だと自らの嗅覚を以てして見做して、安倍晋三に近づけさせたに違いない。

 その嗅覚が当たって、オモテに出さずにウラのことに収めておくようにとの意味で名前を出さないようにとの断りと共に安倍昭恵の手を通して100万円を受け取ることになった。

 その瞬間、海千山千の処世術を以てして生きる者同士としての親近感を強く抱いたに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆半島沖米イージス駆逐艦衝突事故で艦長・副艦長等責任者3人の解任にまで及んだ統率力欠如とは

2017-08-23 07:28:05 | 政治

 今年6月17日午前1時半頃、静岡県の伊豆半島沖でアメリカ海軍横須賀基地配備のイージス駆逐艦「フィッツジェラルド」の乗組員7人が死亡するフィリピン船籍のコンテナ船との衝突事故が起きた。

 このような事故は一般的にはレーダー監視も含めて見張員の問題であるはずだ。適切に周囲を見張って、近くに船影を発見すれば、操舵手に注意を促す。

 ところが米海軍は8月17日に事故当時見張りに就いていた乗組員約10人の処分だけではなく、艦長・副艦長・上級下士官3人の解任を発表した。

 解任にまで発展させなければならなかったということは指揮命令に関して重大な欠陥があったことを示す。いわば部下は規則通りに行動せず、艦長・副艦長・上級下士官の3人は部下を規則通りに行動させる統率力を欠いていたことを意味する。

 「CNN」記事は、衝突の発生時、艦長と副艦長は共に就寝中で、上級下士官はブリッジを離れていたと伝えている。   

 ここで問題となるのは、ブリッジ(軍艦中央部の展望を兼ねた指揮所)を離れていた上級下士官ということになる。衝突時、居るべき場所に居なかった。

 艦長と副艦長は上級下士官に対してその規則を守らせることができていなかった。あるいは艦長がブリッジで指揮を取っていないときは副艦長が、副艦長が指揮を取っていないときは艦長が指揮を取って、上級下士官の一人がその補佐を務める規則になっていたが、艦長と副艦長が共に就寝していた上に下士官もブリッジを離れたいた三人揃った規則違反が規律違反に問われたということだろうか。
 
 7人も死者を出したのは事故が夜間で、衝突箇所近くで寝ていた乗組員が浸水や衝突の衝撃で殆ど逃げる暇がなかったからのようだ。要するに衝突するまで気づかなかったことが死者を多くしたことになる。

 甲板にいた乗組員がコンテナ船に気付いたときには既に衝突を回避する時間がなかったということだが、上記CNN記事は艦長が衝突前に警報が鳴っていなかった可能性を示唆したと伝えている。

 要するに誰かに伝える暇もない程に接近した状態でコンテナ船に気づいた。

 この怠慢が就寝中の乗組員に衝突するまで気づかせることができなかった原因となり、7人も死者を出した原因となった。

 モラン米海軍作戦副部長(国防総省での会見)「事故原因の調査は終了していないが、(フィッツジェラルドが所属する)第7艦隊のアーコイン司令官は、艦長をはじめとする乗組員が深刻なミスを犯したと認定するだけの証拠があると判断した。艦を率いる能力に対する信頼を失った」

 解任という思い切った処罰である程、何よりも艦長自身の「艦を率いる能力」――統率力の欠如の重大さを物語ることになる。そして事故当時見張りに就いていた乗組員約10人に対する一人や二人ではない余りにも多人数な処分。

 この関係性から浮かんでくる状況は統率力のない兵士を艦長という重職に就けるということはないだろうから、乗組員の規律の無さに艦長の統率力が及ばなかったか、艦長が何らかの理由で統率力を失ったがために、それに応じて乗組員も規律を失っていったか、いずれかになる。

 但し人間は何らかの役目を負っている以上、能力に差はあっても、役目上の規則に応じた行動を取るという習性は保持している。

 この習性を自分から損なうよくある原因の一つに飲酒がある。一般社会に於いては一般的には昼と夜の区別をつけて、役目から離れた夜の時間内に翌日の役目に差し障りのない範囲内での飲酒は許されているし、そのことを守っていさえすれば、上記習性は守られていく。

 もし艦内で飲酒が禁止されていたとしたら、そのことに反して密かに酒類を持ち込み、隠れて飲酒していたとしたら、極めて規律に関する事柄となり、艦長等の上官の統率力に関わってくる。

 あるいは少量の飲酒を許されていたとしても大量に飲む習慣が出来上がっていたとしたら、やはり規律と統率力の問題に帰す。

 もし艦長も副艦長も部下と同様に飲酒を習慣としていて、そのことが指導力欠如の原因となり、部下の規律違反に繋がっていたとしたら・・・・

 事実は全く異なるかもしれないが、衝突事故では一般的には見張りの問題であるにも関わらず、見張り担当の10人の乗組員の処分で終わらずに乗組員の規律の緩みを誘い出していたことになる統率力の問題として艦長・副艦長・上級下士官3人の解任にまで発展した処罰は飲酒抜きではなかなか考えることはできない。

 この推測がゲスの勘繰りでしかなくても、人災であることに変わりはない。人災で7人の乗組員の命を失わせた。

 何らかの組織内で引き起こされた事故の多くが人災を原因としている。指導力欠如、規律違反、油断、怠慢等々人間が生み出す過ちが事故を引き起こす。

 イージス駆逐艦「フィッツジェラルド」の衝突事故も人災の例として記憶しておくべきだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民進党代表選:世論調査の結果を国民の最大公約数の声とし、野党共闘の場合の政策・理念とすることも一方法

2017-08-22 11:50:54 | 政治
 
 8月21日(2017年)次期代表選に立候補した前原誠司と枝野幸男が共同記者会見ログミー/2017年8月21日)を行った。今回は野党共闘に関して考えたことを記事にしてみたいと思う。

 前原誠司「政治家、政党の命は理念・政策です。とくに次の選挙は衆議院選挙でありますので、政権選択の選挙です。この政権選択をする選挙で理念・政策が合わないところと協力するということは、私はおかしいと思います。理念・政策と合うところとなら幅広く協力する。そういったスタンスで臨ませていただきたいと思っております。

 前政権で結ばれた4党の合意事項でありますけれども、4党が協力していろんな取り組みをされてきた。また協力をされてきた。そういった重みというものをしっかりと受け取めながら、是非についても見直しをさせていただきたいというふうに思っております。

 とにかく理念・政策、民進党が掲げる、私が掲げるAll for All、こういった考え方。内政については北朝鮮の脅威、そして中国の拡大路線。こういったものにどうしっかりと日本が対処していくか。その意味では現実路線、これにしっかりと考え方の合う政党との協力というものを目指してまいりたいと考えております。

 枝野幸男「野党間で我が党の主体性を持ちながら、できることを最大限やる。できないことはできない。そのメリハリをしっかりつけていくことが重要だと思っています。

 私は昨年の参議院選挙、幹事長として対応に当たりました。野党共闘とか選挙協力という言葉は、あのときも使っていませんしそういう意識ではありません。あのとき現実に実行できたのは、幅広い市民のみなさんとの連携の中で野党の候補者を1本化する。そのことはできました。

 そしてそれは成果を上げることが一定程度できたと思っています。それはそれぞれの党の理念・政策が違う中で、しかし自民党の暴走を止めて欲しいという市民のみなさんの声を受けて、できることできないこと、その範囲の中でギリギリの着地点を努力したからだと思っています。

 政権選択の衆議院選挙は一層困難が大きいと思っています。しかし一方で、地域でがんばっている仲間たちを1人でも多く当選させる。そのことによって今の政治の暴走に少しでも歯止めをかける。これも私たちの大きな責任だと思っています。

 理念・政策・主体性をしっかりと守った中で、できないことはできない、しかしできることはできる。それがどこなのか最大限の努力をしたいと思っています。

 前原誠司は理念・政策と合わない政党とは協力できない。枝野幸男は民進党の理念・政策・主体性を守りながら、取捨選択していく。

 どうも枝野幸男の野党共闘は抽象的で理解しにくい。前原誠司の方が明快である。

 但し選挙が理念・政策の選択であるとは限らない。なぜなら、断るまでもなく、国民の最大の利害は経済(=生活)だからだ。「テロ等準備罪」は自民党、公明党、日本維新の会を支持する国民は賛成の立場を取り、野党支持の国民は反対の立場を取るという二分した賛否を占めることになったが、2013年12月6日に成立、2014年12月10日に施行した特定秘密保護法にしても、2015年9月成立の安保関連法制にしても、多くの国民は反対の立場を取ったが、選挙ではいずれも自民党が大勝、安倍内閣支持という結果を出したのも、選挙が理念・政策の選択であるとは限らないことと、経済(=生活)に直結しない理念・政策の場合は、国民は左程問題にしないことのの証明となる。

 安倍晋三は国民の最大の利害は経済(=生活)だということを十分に弁えていて、憲法改正やその他、国家主義的な自身の政策は争点隠しを行い、国民の経済(=生活)に最も直結する消費税増税先送りも味方につけてアベノミクスを争点の前面に掲げることで経済(=国民の生活)で勝負、成功した。

 だからと言って、民進党が理念・政策の異なる野党と連携したり、連立を組んだりすると、自民党、公明党、日本維新の会から野合と批判されて、支持失点の一大要素となる。

 だが、厳密に言うと、自民党にしても民進党にしても、各政党のすべての議員が理念・政策を一致させているわけではない。自民党内には右から左まで、幅広い勢力を混在させているし、民進党にしても、同じ混在勢力となっている。

 今回の代表選にしても、前原保守vs枝野リベラルと表現されている。だが、自民党にしても民進党にしても一応は統一した体裁を保っている。

 総裁選、あるいは代表選で最大の支持を得てそれぞれの地位に就いた総裁・代表の理念・政策がその任期中、各党の理念・政策をリードすることは当然であるが(総裁選・代表選にしても、理念・政策のみで総裁・代表を選択するわけではない)、いわゆる総裁派閥・代表派閥の理念・政策のみを党全体の方針とすることは、いわば総裁選・代表選に敗北した、理念・政策のみが基準となっているわけではないにしても、同じ国民の選択を受けた勢力の理念・政策を無視することになって、党内少数派無視の驕りをそこに介在させることになる。

 もしこのことが許さるなら、政権党を支持する国民の利益に適う首相の理念・政策から出た方針のみを推し進めて、政権党を支持しない国民の利益を無視する驕りにしても許されることになる。

 民進党が野党の中では国民の大多数の支持を得ているから、民進党の理念・政策のみを優先させるということも、一種の思い上がりであって、同じ構図を取ることになる。安部政権が選挙で国民の大多数の支持を得たのは自身の政権だからと言って、自身の理念・政策のみを推し進めたとしたら、明らかにゴリ押しとなって、そのこととさして変わらない。

 少数野党を支持する少数の国民も日本国民である以上、その国民が支持する少数野党の政策もそれなりに尊重されるべきであって、その尊重は少数派の国民の生存への尊重そのものとなって反映していくことになる。

 勿論、尊重できるかできないかの線引きに関しては限度というものがある。安倍晋三のような国家主義を理念・政策としている政治家、そして安倍晋三を国家主義の点で、その理念・政策を支持している国民を尊重しろと言われても、同じ日本国民としての基本的人権とその他の権利は同等に持つが、尊重という点では埒外の限度を設ける以外ない。

 民進党の長島昭久が今年の4月に「共産党との選挙共闘という党方針は、私にとって受け入れがたい。保守政治家として譲れない一線を示す」との理由で離党したが、民進党内の保守派は共産党に対する拒絶反応には強いものがある。共産党の理念・政策を支持する国民が少数派と言えども存在する以上、尊重しろと言われても、そこに限度を設けざるを得ないだろうが、次の総選挙で政権交代はとても無理であっても、安部政権に反対する野党全体でその政権運営に最低限ブレーキをかけるだけの勢力伸長が望めるならいいが、各野党が各選挙区に個々に立候補者を立てたなら、あるいは共産党が全選挙区に候補屋を立てたなら、野党同士が足の引っ張り合いを演ずることになって、これまでの選挙と同様に逆に安部政権を利することになり、却ってその延命に手を貸すことになるのは目に見えている。

 安部政権にブレーキをかけるためには共産党の力が必要であることも現実問題として横たわっている。

 現実を選んで安部政権に対して少しでもブレーキをかける方策を選ぶか、理念・政策を優先して、却って安部政権の延命に手を貸す逆説を選択するか、明確に分ける方法もあるが、選挙区によっては当選するためには理念・政策は別にして共産党の力を借りたいという候補者も存在するに違いないから、現実はなかなか複雑である。

 前者・後者の中間を取るという方法がないではない。理念・政策の異なる点に関しては世論調査の結果を国民の最大公約数の声として、その調査結果を政策として掲げるという方法である。

 このことを憲法に関わる世論調査を例に取って話す都合上、その前に二人の憲法政策を見てくる。

 憲法改正

 前原誠司「安倍政権の下での憲法改正は反対だというのは、私は国民の理解を得られないと思います。野党第一党として、そして政権を目指す政党として、しっかりと国のもといである憲法の議論は行っていく。そういうリードをしていく代表でありたいと、こう考えております。

 他方で、2つのことを申し上げたいと思います。安倍さんが当初おっしゃっていました、「今年中に憲法改正の草案をまとめて、来年国会で発議する」。こんな性急な拙速な話はありません。

 なぜ国民投票を行うかというと、ほかの法律と違い、憲法というのは権力者を縛る、そういうものであるからであります。

 1章1章、1条1条、国民のみなさま方にご理解をいただき、そして国民の総意として、どこが憲法として変えるべきなのか、残すべきなのか、という議論は年単位で私はかかると思っておりますので、拙速な憲法改正のスケジュール、ましてや安倍さんの、言ってみれば実績づくり、あるいは思い出づくりに与するつもりはまったくありません。

 また同時に中身については、私は自分自身の考えがありますが、党のみなさま方全体を信頼をしておりますので、しっかりそこは議論していただいたらいいと思います。

 1つだけ付け加えるとすれば、安全保障法制というのは、あれは憲法違反の下で作られました。したがって、あのあととそして前ではまったく状況は異なった。

 自衛隊を憲法に書くということをしたとしても、あれを上乗りして、マネーロンダリングのように、まさに自衛隊、憲法違反を逃れようとすることについては、私はまったく考え方を異にするということについては申し上げておきたいと思います」

 枝野幸男「民主主義を強化し、国民の人権保障をより高め、あるいは国民生活や国民経済をよりよくするために憲法を変える必要がある、あるいは変えたほうがより進む、ということがあるのであれば、私はその議論は積極的に進めるべきであると思っています。

 これまでも党の憲法調査会長として、そうした議論をリードしてきたという自負があります。ただ、今のところ、そうしたものがあるという結論は、さまざまなテーマについて議論をしてきていますが、ありません。

 今あえて申し上げあれば、これは憲法を変えないと対応ができない可能性が高いテーマとして、内閣総理大臣、内閣による衆議院の解散権。

 これは多くの先進議院内閣制の国でもはや時代遅れになっています。これについて、さらに議論を深めていくということは積極的に進めてまいりたいと思っています。

 一方で憲法9条に関しては、立憲主義を破壊する解釈変更、安保法制。今、憲法9条に手をつければ、それを事後的に認めることになる、追認をすることになります。

 私どもの綱領には、安全保障について専守防衛を前提にと書いてあります。専守防衛にも反しています。まず、この安保法制の憲法違反の部分を少なくとも消さなければ、9条について議論の余地はないと思っています。

 では、2017年3月実施の次の世論調査から、憲法に関わる国民の最大公約数の声を見てみる。ここで言う「最大公約数」とは、「種々の意見の間にみられる共通点」(goo辞書)のことを意味する。

 《世論調査 日本人と憲法 2017》NHK NEWS WEB/2017年4月29日)     

 全国の18歳以上の4800人を対象に電話ではなく、直接会って聞く個人面接方式で実施し、55.1%に当たる2643人の有効回答。

 「憲法改正は必要か」

 「必要」43%
 「必要ない」34%
 「どちらともいえない」17%

 「『戦争の放棄』を定めた憲法9条を改正する必要があると思うか」

 「改正する必要があると思う」25%
 「改正する必要はないと思う」57%
 「どちらともいえない」11%

 この世論調査だけではなく、他の世論調査でも同じ傾向が見受けられるが、憲法9条改正に関しては「改正する必要はないと思う」が国民の最大公約数の声となっている。

 但し「憲法改正」そのものに関しては意見が別れている。どの条文・条項を変えたいのか、あるいは付け加えたい条文・条項があるのか、さらに世論調査等の方法を使って国民の最大公約数の声を聞き取らなければならない。

 このように世論調査の結果、あるいはその他から国民の最大公約数の声を引き出していく。そして国民の最大公約数の声を共闘する場合の理念・政策に据えて選挙を戦えば、あくまでも国民の最大公約数の声に従うことになって野合という批判は避けることができる。

 もしこの方法を間違いだと言うなら、安倍晋三が国民の大多数が反対し、あるいは審議時間が短くて拙速な成立だと批判し、世論調査に現れていた国民の最大公約数の声を無視して法案を数の力で強行採決し、成立させてきた遣り方は正しいことと認めなければならない。

 少なくとも世論調査の結果を国民の最大公約数の声と見做して、野党共闘する場合のそれぞれの理念・政策の違いを乗り超える一方法とはなる。

 但し財政再建や社会保障政策の充実のために引き上げざるを得ないと判断した場合の消費税の増税が最大の利害となっている生活を脅かすという理由で国民に不人気で政策の遂行にブレーキがかかるようなら、政治の側は自らの声で消費税増税賛成を国民の最大公約数の声とすべき最大限の努力を払わなければならないことは断るまでもないだろう。

 財政再建と社会保障政策の充実は回り回って国民の最大の利害である生活に於ける将来的な利益となって戻っていくことになる。その利益が不公平にならないような、限りなく公平となる制度設計を国民に示さなければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする