安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(1)

2022-03-31 09:10:37 | 政治
 プーチンは真正な民主義制度のもとの公正・公平な選挙によって選ばれたロシア大統領とは言えない。このことを様々なマスコミ報道によってコマ切れに既知の情報としていたが、「2021年ロシア連邦下院選挙にみるプーチン政権の安定性と脆弱性」(日本国際問題研究所溝口修平法政大学法学部国際政治学科教授/2021-12-21)から順不同となるが、簡単に纏めてみる。

 プーチン批判の急先鋒アレクセイ・ナワリヌイ氏の逮捕に象徴される有力な大統領選対立候補者に対する様々な妨害・締め付け。因みに記事は触れていないが、アレクセイ・ナワリヌイ氏は2020年夏に西シベリアからモスクワに戻る機中で体調不良を起こし、ロシア内の病院で治療、後にドイツの病院に転院、そこで体内の毒物が特定されている。2021年1月のロシア帰国の空港で逮捕状が出ているとの理由で逮捕、アレクセイ・ナワリヌイ氏は現在も収監中である。

 官憲による反体制デモ参加者の拘束。裁判所の有力な反体制派団体に対する「過激派」認定。認定を受けた団体指導者は5年間、関係者は3年間の被選挙権の剥奪。これは有力な反体制派立候補者を大統領選立候補や国会議員選挙候補から遠ざける企みであろう。

 中央選挙管理委員会による大統領選だけではないロシア連邦議会国家院(下院)の野党候補者に対する不当な選挙介入、投票や票の集計に於ける不正。因みに上院に当たる連邦院は連邦構成主体の行政府及び立法機関の代表各1名からの推薦で成り立っていて、任期は無いという。

 こう見てくると、ロシアの選挙は民主主義の体裁を成していないことが分かる。プーチンがロシアで強権を手に入れたのはこのような選挙の不正や反体制派への弾圧・排除等々を利用してのことだと理解できるが、これらの不当行為自体が強権を手に入れるための必須要件となっていたことになる。警察や検察、裁判所にプーチンの息のかかった人物を配置、周囲はプーチンの望みどおりに動き、そのうち、プーチンの望みを前以って感知して、その望みに先回りして、望むことと同じことをする、あるいは忠実さのウリと報酬やよりより地位を期待して望み以上のことをする。こういった構造がロシアの隅々にまで確立すると、独裁の成立の完璧な条件となる。プーチンの陰険さはその顔にまで現れている稀有な例であろう。

 安倍晋三はこうしたまともではないロシア大統領プーチンを7年8ヶ月もの間、まともに相手にしてきた。

 反体制派への弾圧・排除は反プーチンの女性ジャーナリストにまでその魔手を伸ばしている。2006年には女性ジャーナリストアンナ・ポリトコフスカヤがアパートのエレベーター内で何者かに射殺され、2009年にはロシア軍元大佐によるチェチェンの少女誘拐・殺人事件を担当中でチェチェンの人権問題にも取り組んでいた男性弁護士と彼を取材中だった女性ジャーナリストアナスタシア・バブロワが白昼の路上で射殺されている。プーチン自身が命令を下したのではないかもしれないが、自身の権力維持の障害となる邪魔者は生死に関わらず消せの構造構築の第一歩を進めたのがプーチン自身でなければ、大統領として厳しい取り締まり側に立っていただろうから、このような妨害が社会的に日常風景化するはずはない。プーチンが望んでいるに違いないと誰かが忖度して行なったことであっても、そう仕向けているのはプーチン自身の邪魔者を消したがっている意思から始まっていることになる。邪魔者を消すことの意味と価値をソ連の情報機関・秘密警察であるKGB時代に学んだに違いない。

 ロシアの国家院(下院)選挙と大統領選挙にはロシアの中央選挙管理委員会の要請を受けて国際選挙監視団が派遣され、日本も参加している。中央選挙管理委員会自体がプーチンと政権与党である「統一ロシア」の勝利のために選挙不正や選挙妨害までしながら、国際社会に国際選挙監視団の派遣を要請する。プーチンと「統一ロシア」の勝利を正当づけるための振る舞いなのだろうが、そうまでして正当づける必要性は逆に自らは事実として抱え込んでいるゆえに消し難い選挙の不正を国際選挙監視団が代わって消してくれることを望んでいるからだろう。勿論、不正が露見しないように様々な細工はするはずである。プーチンを筆頭とした中央選挙管理委員会や、警察や検察、裁判所まで加えた様々な不正露見阻止の細工が、いわば反体制派の弱体化がプーチンの権力を強固な一枚岩とし、否応もなしに独裁へと導いていく。そしてこのようなプーチンの独裁状況の確立はロシア人の多くが民主主義を体現していないことの結果値であり、その筆頭の位置にプーチンが君臨しているということであろう。

 2022年2月24日、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始した。侵攻直前にロシアの国営テレビは「プーチンの国民向けの演説」(NHK NEWS WEB/2022年3月4日 18時25分)を放送している。全文閲覧はアクセスして貰うことにして、要点をかいつまんでみる。

 プーチンはNATOの東方拡大によってその軍備がロシア国境へ接近している自国の安全保障状況は西側諸国の無責任な政治家たちがロシアに対して露骨に、無遠慮に作り出している根源的な脅威となっているとしているが、ウクライナのクリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市のロシア併合に象徴される旧ソ連領に対するプーチンの領土拡張欲求と旧ソ連邦を目標とした大国回帰願望を内包した独裁体制に対して西側が高めることになっている軍事的警戒であって、いわばプーチン側が撒いた種なのだが、その道理も考えずに一方的に敵意ある対抗心を剥き出しにしている。

 要するに自身の行いの悪さがそれ相応に招くことになった因果応報といったところだが、自分は偉大で優秀であるという誤った尊大な自己愛に取り憑かれているからだろう、客観的に自らを省みることができないから、自身に不都合なことの原因を周囲の人間や周囲の事情に置くことになる。独裁という行為自体が自己絶対の自己愛なくして成り立たない。

 プーチンの領土拡張欲求は次の言葉に現れている。〈問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。〉――

 ウクライナはかつてはソ連邦を形成する一共和国ではあったが、ソ連邦が崩壊した時点で領土に於ける歴史的一体性は終止符を打った。勿論、主権に関しても歴史的一体性は終えた。にも関わらず、「歴史的領土」だとして、暗に領土と主権の一体性の継続を求めている。これはプーチンの領土拡張欲求の現れであり、今回のウクライナ侵略という形を取ることになった。

 ウクライナを現在も「歴史的領土」と見る考え方は次の言葉にも現れている。〈完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。〉。このことが事実だとしても、ウクライナの主権の問題であるし、領土拡張を意図した軍備増強ではないことは隣国ロシアの石油や天然ガス等の豊富な地下資源を背景としたIMF2020年名目GDP世界順位11位の経済規模に対してウクライナ55位、特にロシアの世界有数の軍事力との大きな差を比較すれば明らかなことで、このことは逆に国土防衛に限った軍備増強であることを物語ることになる。仮にウクライナにNATO軍が居座ることになったとしても、民主主義国家で形成されているNATO軍が理由もない侵略をロシアに対して仕掛けはしない。NATO軍が居座らないうちに侵略意思を見るのはプーチン自身が侵略思考を抱えていて、その思考をウクライナにも投影してしまうからだろう。

 このウクライナの国土防衛限定の軍備増強はその必要性の対象をロシアに置いていることはウクライナをプーチンが「歴史的領土」と現在も見ていることと、既に触れているが、実際に起こった問題として2014年3月のウクライナの主権と領土の一体性を武力を用いた現状変更によってクリミアをロシアに併合した一事、いわばロシア側から仕掛けた事態であることによって証明可能となる。にも関わらず、ウクライナの国土防衛限定の軍備増強を、〈アメリカとその同盟諸国にとって、これはいわゆるロシア封じ込め政策であり、明らかな地政学的配当だ。〉と自身の侵略思考を投影させて、ウクライナの国土防衛限定をロシア全領土対象の軍事的包囲網であるかのように被害妄想を最大化させて非難、〈我が国にとっては、それは結局のところ、生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来に関わる問題である。誇張しているわけではなく、実際そうなのだ。これは、私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。〉と、ウクライナもNATO諸国もロシアに対する攻撃の意思がないにも関わらずロシアに対する脅威に仕立て上げて、被害妄想を解き放つべくウクライナに対して先制攻撃に出た。

 要するにウクライナのロシアに対する脅威はプーチン自身が作り上げた虚構に過ぎない。「歴史的領土」としているウクライナをロシアの“現実的的領土”とするか、最低限、領土と主権の一体的関係に置く狙いがある。ウクライナを物理的にも心理的にもロシアの支配下に置く、旧ソ連時代への回帰意思なくして行い得ない強硬措置であろう。

 そして第2次世界大戦後の国際秩序は〈実務において、国際関係において、また、それを規定するルールにおいては、世界情勢やパワーバランスそのものの変化も考慮しなければならなかった。しかしそれは、プロフェッショナルに、よどみなく、忍耐強く、そしてすべての国の国益を考慮し、尊重し、みずからの責任を理解したうえで実行すべきだった〉が、〈あったのは絶対的な優位性と現代版専制主義からくる陶酔状態であり、さらに、一般教養のレベルの低さや、自分にとってだけ有益な解決策を準備し、採択し、押しつけてきた者たちの高慢さが背景にあった。〉と西側に責任をなすりつけているが、そもそもの原因が西側民主主義とは異質なロシアの、というよりはプーチン自身の専制主義的体質がそうさせている西側の警戒心であって、「現代版専制主義」はプーチン自らに向けるべき批判なのだが、西側諸国への責任転嫁を謀っている。

 この責任転嫁は相当に根深い。〈西側諸国が打ち立てようとした“秩序”は混乱をもたらしてきた。なぜ、このようなことが起きているのか。自分が優位であり、絶対的に正しく、なんでもしたい放題できるという、その厚かましい態度はどこから来ているのか。私たちの国益や至極当然な要求に対する、無配慮かつ軽蔑的な態度はどこから来ているのか。〉

 自身の絶対権力への誇示が招くことになっている独裁主義(専制主義)、独裁主義が与える万能感を力としてかつてのソ連邦が世界に占めていた国力と地位への回帰願望が強いることになっているソ連邦と同等の領土を手中に収めたい対外拡張欲求等々のプーチン自身による「現代版専制主義」の野望が西側のそれを許さない民主義体制の壁が阻むことになっている道理を悟ることができないでいる。独裁主義は自身のみ、あるいは自国のみを考えることによって成り立つ。

 要するにプーチンの西側に対する非難は自身の所業の言い換えに過ぎない。自身の所業を西側に投射しているに過ぎない。それをプーチンの演説から改めて拾ってみる。

 〈アメリカは“うその帝国” NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。繰り返すが、だまされたのだ。俗に言う「見捨てられた」ということだ。〉

 〈確かに、政治とは汚れたものだとよく言われる。そうかもしれないが、ここまでではない。ここまで汚くはない。〉

 〈我が国について言えば、ソビエト連邦崩壊後、新生ロシアが先例のないほど胸襟を開き、アメリカや他の西側諸国と誠実に向き合う用意があることを示したにもかかわらず、事実上一方的に軍縮を進めるという条件のもと、彼らは我々を最後の一滴まで搾り切り、とどめを刺し、完全に壊滅させようとした。〉

 〈私たちからの提案に対して、私たちが常に直面してきたのは、冷笑的な欺瞞と嘘、もしくは圧力や恐喝の試みだった。〉云々――

 ロシアという大国で独裁権力を手に入れるために政敵の選挙を妨害したり、ときには毒を用いてその存在を断ったり、脅かしたり、反体制ジャーナリストを銃を用いて抹殺、あるいは反対政治団体や反政府報道機関を「過激派」認定し、反政府デモや反戦デモの開催を許可せず、強行すれば、無許可デモとして暴力的に取り締る様々な手段で報道・言論を統制し、プーチン自身に都合のいい報道・言論のみの発信を仕向ける。

 「アメリカは“うその帝国”」どころか、プーチンこそが“うその帝国”を築き、独裁権力を手に入れる素地とした。

 「冷笑的な欺瞞と嘘、もしくは圧力や恐喝の試み」はプーチンがロシア国民に対して用いてきた常套手段そのもので、西側を非難しながら、自身のことを語っている何よりの証拠となる。当然、〈私たちの政治の根底にあるのは、自由、つまり、誰もが自分と自分の子どもたちの未来を自分で決めることのできる選択の自由だ。〉の発言は独裁権力からは決して生み出すことはできない種類の「自由」である以上、自らの独裁主義を隠し、見せかけの民主主義を誇示しているに過ぎない言葉となる。「目的はウクライナの“占領”ではなく、ロシアを守るため」 と言っているが、ロシアを守るためにウクライナの市民の生命を奪っていいという法はない。ウクライナにしても、ほかのどこの国も、ロシア国民の生命を奪おうと画策しているわけではない。だが、プーチンはロシアがかつてのソ連邦のような巨大な国土を擁したいがためにウクライナを餌食にしようとしている。もしかしたら、プーチンはロシア皇帝相応の地位を欲し、歴史にその名をとどめたいのかも知れない。

 プーチンが何を望もうと勝手だが、自国民や他国民を犠牲にするどのような権利もない。問題はロシア防衛を口実に自らの軍事力を誇示している点である。

 〈軍事分野に関しては、現代のロシアは、ソビエトが崩壊し、その国力の大半を失った後の今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している。この点で、我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない。〉
 
 要するにこの誇示はロシアの防衛のみを目的とした示威ではなかった。ウクライナ侵略に対する欧米主要各国の軍事的反発を抑える一種の威しの色彩を纏わせている。ロシアに軍事攻撃を仕掛けるようなら、核の使用も辞さないぞという"核の脅迫"そのものであった。それが「我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない」とする言葉によって表現されている。

 しかもご丁寧なことにウクライナ国境にロシア軍を集結させた状況のままベラルーシで行った2022年2月10日から20日までのロシア軍とベラルーシ軍との合同演習の際、2月19日にモスクワの大統領府からプーチンの遠隔指揮下でロシア軍による大陸間弾道ミサイル(ICBM)と極超音速ミサイルの発射演習を行っている。このこともプーチン演説で示した「世界で最大の核保有国の1つだ。そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している」という言葉でそれとなく核使用も辞さないぞと見せかける"核の脅迫"をホンモノと思わせる有効な伏線とし得ているはずである。

 さらにウクライナ侵略3日後の2月27日にプーチンは戦略核の運用部隊を特別態勢に置くようショイグ国防相とゲラシモフロシア連邦軍参謀総長に命令した。西側の出方によっては核使用も辞さないぞの"核の脅迫"に、どうせハッタリだろうという受け止められ方が大勢を占めていたとしても、実際にはやるつもりはなかったが、やるそ、やるぞと見せかけていたことが何かの拍子に実際にやらざるを得なくなる場合がある突発的偶然性が核の使用もありうるという疑心暗鬼を作り出して西側の行動を制約し、結果的に"核の脅迫"がそれなりに効果を上げることもある。

 さらに2022年3月4日にロシア軍がウクライナにある欧州最大のザポロジエ原子力発電所を攻撃・制圧し、5日後の2022年3月9日にチェルノブイリ原子力発電所への外部からの電力供給を切断したことに関しては核弾頭を搭載したミサイルを直接発射したわけでも、あるいは爆撃機に核爆弾を装着して直接投下したわけでもないが、発電設備に万が一にも事故が発生した場合は放射性物質の広範囲な拡散と広範囲な放射能汚染に発展して住民の生命を危険に曝し、その場所に住めなくする事態の発生は想定範囲内となり、プーチンの核使用も辞さないぞの"核の脅迫"に現実味を与えた可能性は否定できない。

 このようにプーチンはいざとなったなら核を使用するのではないのかという懸念はプーチン自身が自国民、他国民に関係なしに基本的人権の保障を重点価値とする民主主義を自らの哲学(経験からつくりあげた人生観)としているのではなく、選挙妨害でも見せている、国民の利益よりもプーチン自身の利益――有能・偉大な大統領と見せるために軍事的にも経済的にも巨大なロシアとすることを最優先させる、そういったことの利益に合致したときのみ国民の利益を考える国家主義に立った、思想・言論の統制を武器とした押すに押されぬ独裁者としてロシア国家に君臨している冷酷無比な現実主義に依拠した感情の発露であろう。こういったことが最終的に「プーチンならやりかねない」と一言で思わることになっているはずである。

 例えば米国大統領バイデンの場合は核の使用も辞さない国家指導者だと見るだろうか。民主主義を経験からつくりあげた自らの人生観=哲学としているはずだから、無差別で広範囲な人間生命の殺戮と無差別で広範囲な生活破壊を引き起こす非人道的な惨劇を自ら作り出そうとするはずはなく、そのような危機が迫ったときだけ、危機回避を目的に、あってはならないことだが、可能性としての核使用は考えられる。このことは通常兵器使用の戦争の場合についても言えることだろう。

 要するに国家指導者の人となりが核使用をも含めた戦術決定の大きな要素となる。民主主義体制下にある国家指導者の場合は他の閣僚の意見も聞いて総合的は判断を下すだろうが、独裁体制を自ら敷いている国家指導者は自身の決定を絶対とする独裁意志のもと、鉄の意志の所有者でありたいと思う独裁者にありがちな願望が、あるいは自身は鉄の意志の塊そのものだと見がちな信念が自己の偉大さと同時に自国の強大さを見せつけたい虚栄心を常に誘発する状況に置き、人類が考えついた最強・最大の武器である核の使用もいとわないといった強がった身構えを取りがちとなる。それが現在のところ、核の使用も辞さないぞという"核の脅迫"となって現れている。

 となると、核保有国の核の使用を制御する最大の決定要件は核のボタンを独裁者に委ねてはならないという法則が成り立ちうる。大体が独裁(主義)国家は国民の基本的人権(思想の自由、宗教の自由、言論の自由、集会・結社の自由、居住・移転の自由、信書の秘密、住居の不可侵、財産権の不可侵等々)を大なり小なり認めず、抑圧する体制にあり、基本的人権を認めている立場の民主主義国家と相容れない立場上、民主主義を自らの独裁主義を崩壊させる危険思想、あるいは独裁者としての自らの地位を脅かす最悪の主義・主張と看做して敵対し、独裁主義体制と独裁主義国家を守る目的で核を最強・最大の武器と価値づけることになっている。核を守り神として、核の使用をちらつかせれば、国民の基本的人権を否定する独裁体制であっても、下手には手出しできないだろうとの計算である。

 当然、核というものからその危険要素を限りなく取り除くためには独裁者の存在を許さず、北朝鮮みたいに独裁主義に反対する民主主義勢力の存在は一切許さない完璧な独裁国家も存在するが、そうではない、民主主義を掲げる反対勢力が規模は小さくても根強く存在するロシアのような独裁国家に対してその勢力を長い時間と長い道のりを必要としたとしても、例え内政干渉と非難されても、資金提供してプーチン勢力と対等に戦うことができるまでに育てていく。あるいはプーチン側の勝手に法律を変える締め付けが厳しく、国内での活動が狭められるようなら国外に亡命政府をつくる手立てと資金を提供して、プーチンの追い落としにまで持っていくことを独裁国家に於ける核の脅威を取り除く有効な方法論としていかなければならない。独裁者の排除はロシアの場合は、勿論、プーチンのロシアの政治の舞台からの排除であり、北朝鮮の場合は金正恩の排除ということになる。

 こういったことの前提として西側諸国は先ずは核使用の危険性を回避する第一歩は独裁者の排除に置かなければならないという情報を世界に向けて発信し、「物事の平和裏な問題解決の唯一の道は独裁者の排除と民主体制への転換以外にない」を世界の合言葉としなければならない。世界の全てが民主主義国家で占められたとき、話し合いでの解決が優先事項とされ、力による領土や主権の一方的な現状変更といった暴挙は影を潜めるだろう。大体が力を用いた一方的な現状変更はイスラエルのように民主国家の体裁を取りながら、軍事的強硬国家の例外があるものの、現在では独裁国家の専売特許となっている。

 イスラエルの場合はユダヤ系アメリカ人がアメリカの選挙での影響力の大きさからイスラエルの暴挙を許してきたが、全世界に民主主義のルールを求める以上、パレスチナの領土を一方的に変更、割譲することは許されないこととしなければならない。

 プーチンがウクライナに侵略を開始した2022年2月24日から3日後の2022年2月27日に安倍晋三がフジテレビ番組「日曜報道 THE PRIME」に出演、プーチンのウクライナ侵略と核使用もありうると思わせる発言や態度を受けてのことだろう、番組で行なった安全保障関連の発言をNHK NEWS WEB記事が伝えていた。

 安倍晋三「国連は大切だが、安保理の常任理事国が当事者だった場合は、残念ながら国連は機能しない。自分の国を自分で守るという決意と防衛力の強化を常にすべきだ。

 (アメリカの核兵器を同盟国が共有して運用する政策について見解を問われて)非核3原則はあるが、議論をタブー視してはならない。NATO=北大西洋条約機構でドイツなども『核シェアリング』をしている。国民の命をどうすれば守れるかは、さまざまな選択肢をしっかりと視野に入れながら議論すべきだ。

 (その一方で)核被爆国として核を廃絶するという目標は掲げないといけないし、それに向かって進んでいくことは大切だ」

 翌日にこの記事を読んで、次のようにTwitterに投稿した。
 
 このように投稿したのは核保有軍事大国の核の使用に関わる懸念材料とはそれぞれの大国の指導者が良識ある人物であるかどうかにかかっていると見ていたからであるが、ここではその良識は民主主義を自らの哲学としているか、独裁主義を自らの哲学としているかが分かれ道となるということを付け加えたが、良識を糧としていないゆえに核の使用に走りかねない存在として独裁者の排除をTwitterに投稿し続けた。たいした読者がいるわけではないが、参考までに挙げておく。

 2月28日 〈殺人者プーチンの排除をロシア国民に呼びかけるべき。プーチンの排除が北方領土返還のキッカケとなる可能性なきにしもあらず。プーチンが独裁者であり続ける限り、返還の目はない。〉

2月28日 〈世界平和の敵、第1級の殺人者プーチンの排除をロシア国民に呼びかけよ!!〉

3月2日 〈プーチン・ロシアのウクライナ侵略。これで第3次世界大戦の枠組みが決定的となった。この将来的な世界的危機回避の最大有効策はプーチンのロシアからの排除、可能なら、中国からの習近平の排除による両国の民主化以外にないだろう。「力の行使による現状変更」といった事態は限りなく影を潜める。〉

3月5日 〈思想・言論の自由を抑えつけ、人間存在の奴隷化を謀るこの独裁者・プーチンのクビに賞金を賭ける勇者はいないのか。そんなことをしたら、プーチンと同じように権威主を背中合わせとすることになるから、したくてもできないのか。〉

3月9日 〈少しぐらい価格が高騰しても、プーチンを追いつめ、ロシア政治の舞台から追い落とし、成功すれば、世界政治の舞台からも抹殺できる。ロシアの民主化も期待でき、プーチンの秘密警察政治からも決別できる。独裁者として長く君臨し続け過ぎた。物事には潮時というものがある。既に前世紀の異物に過ぎない〉

3月9日 〈安倍晋三のお友達、プーチンを死刑台に!!地球上に独裁者の生きる道はないことを知らしめなければならない。〉

3月9日 〈プーチンの死刑台は昔ながらのギロチンが相応しい。ウクライナの子どもたちの命を奪う残酷さから比べたなら、プーチンの首を刎ねるギロチンはオモチャみたいなものだ。〉

3月9日 〈世界経済への悪影響はプーチンを死刑台に送るための一時的な代償に過ぎない。その代償は支払う価値がある。死刑台送りができなければ、代償は一時的な完結性を失い、潜在的な持続性を備える可能性が生じる。確実に死刑台に送る必要がある。〉

3月9日 〈「プーチンを死刑台に送ろう」を世界の合言葉にしよう。〉

3月18日 〈バイデン、プーチンは「人殺しの独裁者で生っ粋の悪党だ」。単なる人殺しではない。子ども・大人の区別構わない無差別殺人者である。その罪に相応しい末路として、次は「プーチンを死刑台に送ろう」と世界に向かって呼びかけるべきだろう。〉

3月23日 (プーチンの核使用の可能性に対して各国で核抑止論を正当化する声が上がっていることに対して)〈何らかの核利用を以って核抑止するのではなく、独裁者の排除と独裁主義体制から民主主義体制への創造力を用いた変換を核抑止の一歩とすべき。〉

3月23日 (ロシア反体制派ナワリヌイ氏がさらに禁錮9年の刑を受けたことについて)〈プーチンは独裁者としての自身の地位を守るためにどんな冤罪もつくり出す名人。尤も警察、検察、裁判所がプーチンの息のかかった組織でなければ、できない冤罪づくり。秘密警察時代に磨きに磨いた連携なのだろう。プーチンの排除なくしてロシアに真の民主主義は育たない。奴の政治生命を断つのは誰か。〉

3月27日 〈バイデン「この男を権力の座に残しておいてはいけない」。ホワイトハウス高官「大統領は体制の転換について議論しているわけではない。隣国などに力を行使することは許されないとする趣旨だった」何と弱気な。「問題解決の唯一の道は独裁者排除と民主体制への転換以外にない」を世界の合言葉とすべき。〉

3月27日 NHK 米バイデン大統領 プーチン氏「権力の座に残してはいけない」

3月28日 〈「プーチンは権力の座にとどまり続けてはいけない」のバイデン発言にロ大統領報道官「バイデン氏が決めることではない。ロシア大統領はロシア人によって選ばれる」。反対派不当取締、選挙妨害、暗殺、立候補資格剥奪等々様々な汚い手を使ってプーチンを当選させてきた。ロシア国民選出の正統性は皆無。〉

 どこの国の誰が核を使用しようとも、核の報復を受けない保証はない以上、核攻撃を受ける側の被害で終わらずに核攻撃を行う側にも報復の被害を覚悟しなければならない関係から、核保有軍事大国の国民は良識ある人物=民主主義を自らの哲学としている人物を国家指導者に据える義務を有することになり、この義務を、報復の被害を避けるためにも自覚するよう独裁主義国家の国民に向けて発信していかなければならないことになる。

 そして良識ある人物を国家指導者として選出する国民の義務は今回のプーチンの一主権国家に対するウクライナ侵略の非正当性と侵略の阻止を目的とする西側諸国の軍事的な介入を牽制する一つの方策として核使用も辞さないという"核の脅迫"を持ち出した一事によって明らかになった国家指導者の資質の問題にリンクする。

 だが、安倍晋三のプーチンのウクライナ侵略を受けた「核共有」発言には国家指導者の資質の点については何も触れていない。念頭に置いているだろうロシアや北朝鮮の核に対抗して国民の命を守るためにはアメリカの核を如何に活用するか、核共有を含めて議論することを勧めているのみである。但し現在の日本の安全保障は核に関しては米国の核の傘の元にある。要するに同盟国への核攻撃の目論見には米国の核を傘のように差し伸べて対抗するぞという警告自体を初期的な核抑止としている。尤も同盟国への核攻撃の動きが見えたとき、あるいは核攻撃を行なった場合、米国が自国への核報復を避ける安全意識から核の傘に基づいた核使用を回避した場合、最終的には核の傘は名ばかりとなって機能しないことになる。

 こういった恐れも考えうる核の傘に対して「核共有」を持ち出す意味は自国にアメリカの核を備蓄する関係から敵国により強力な警戒心を抱かせて、核の傘以上に安全保障という点で効果的だと踏んでいるからだろう。だが、軍備増強の厄介なところは相手もそれ相応の対策を取るか、それ相応以上の対策を取って、自らの軍事力の優越性を誇ろうとする点にある。そのレベルは核弾頭搭載可能な音速の5倍(マッハ5=時速約6千キロ)以上の極超音速ミサイルの開発や宇宙空間の軍事基地化にまで到達している。

 このことは核兵器を益々使えない兵器とする一方で今回のプーチンみたいに西側の介入を阻止する目的であったとしても、核の使用もあり得るぞと拳を振り上て見せたが、その拳を核使用までいかずに無事着地させることができればいいが、強がりが過ぎた場合は計算外の食い違いが生じない保証はなく、振り下ろすに振り下ろせずに核の発射バタンを押してしまうという危険性は否定できない。当然、核に対するに核の報復を招く可能性が生じ、当事国同士の破壊と殺戮の連鎖は免れ得ない。報復合戦も程々のところで手を打つことができればいいが、一方が独裁者であった場合、国家という存在よりも自身という存在に対する評価が否定されることのみを恐れるあまり、事態の冷静な状況把握ができなくなって、核使用に関わる冷静なコントロール能力を失い、無計画に次々と核のボタンを押してしまう、簡単には取り返しのつかない破壊と殺戮の連鎖に至る要素も否定できない。

 例え"国民の命をどう守る"かを出発点とした何らかの核利用を計画に置いた安全保障であったとしても、特に自己の絶対性を固定観念としている独裁者が固定観念とした自己の絶対的強さや絶対的優秀さを世界に誇示する方法として何も恐れないとする心理をバックボーンとし、その心理が核の使用へと踏み切らせることはありうることであり、そうなった場合、核利用の安全保障としての有効性は最終的には何らかの妥協によって国家は守れたとしても、国土の相当規模の破壊と国民の相当規模の生命の犠牲は免れ得ず、"国民の命をどう守る"かの出発点は出発点としての意味を失うことになり、安倍晋三の発言は空手形としての役にしか立たない国民が相当数出てくることになる。

 大体が安倍晋三は戦前の天皇主義を現在も引き継ぐ国家主義者である。本質的には国民の命を守ることよりも国家を守ることに優先順位を置いていなければ、国家主義者とは言えない。もし国民を守ることに優先順位を置き、その先に国家を守る工夫を置いた安倍晋三の安全保障であるなら、可能性として国民の相当程度の犠牲を頭に置いていなければ成立しない核に対抗するに核を持ってくる安全保障は簡単には口はできないはずである。

 また、核の傘で踏みとどまるのか、核共有への道を進むのかの議論の必要性に触れながら、その一方で「核被爆国として核廃絶の目標に向かって進んでいくことは大切だ」と核廃絶を目標に掲げるのは矛盾していることを矛盾していないかのように見せかける安倍晋三一流の狡猾なレトリックに過ぎない。核の傘、あるいは核共有は核利用の有効性を認める地平に立つことであり、核廃絶は核の無効性を目指す地平に立つことだからであり、二者択一は可能だが、ニ者両托は論理的にも現実的にも不可能だからである。

 となると、既に述べてきたように核保有大国の独裁者の排除に取り掛かかることの方が得策ということになる。

 安倍晋三の発言によって「核共有」がクローズアップされることになった。先ず「核共有」について詳しく知るためにネットを調べてみたが、「Wikipedia」が最も簡潔に紹介しているようだから、要所を取り上げてみる。文飾は当方。

 「ニュークリア・シェアリング」

ニュークリア・シェアリング(英語:Nuclear Sharing)または核共有とは、核保有国が核兵器を同盟国と共有するという考え方、戦略。アメリカがNATOに供給する形で実現された核抑止における政策上の概念である。NATOが核兵器を行使する際に独自の核兵器を持たない加盟国が計画に参加することと、特に加盟国がその国内において核兵器を使用する為に自らの国の軍隊を提供することが含まれている。

ニュークリア・シェアリング参加国は核兵器に関する政策に対して決定力を持ち、核兵器搭載可能な軍用機などの技術・装備を保持し、核兵器を自国領土内に備蓄するものである。ソ連やその衛星国に配備された核兵器に対応する為にドイツ・イタリア・ベルギー・オランダは自国内にアメリカが所有する核兵器を設置している。核兵器使用の意思決定にはNATOが参加するが、最終決定権はあくまで米国にある。

参加国

NATO内の核保有国である3カ国(アメリカ・イギリス・フランス)のなかで唯一アメリカだけがニュークリア・シェアリングのための核兵器を提供している。現在ニュークリアシェアリングを受けている国はベルギー・ドイツ・イタリア・オランダ・トルコである。イギリスは自ら核保有国で原子力潜水艦にミサイルを積んで自国を防衛した上に、1992年までアメリカの戦術核兵器の提供を受けており、提供された核兵器は主に西ドイツ国内に配備されていた。

 核兵器の管理方法

平時においては非核保有国内に備蓄された核兵器はアメリカ軍により防衛され、核兵器を起動する暗号コードはアメリカの管理下にある。有事にあっては核兵器は参加国の軍用機に搭載され、核兵器自体の管理・監督はアメリカ空軍弾薬支援戦隊(USAF Munitions Support Squadrons)により行われることになっている。戦時に於いて核戦力の行使はNATOの総意とされるが、敵地領土への最終的な判断はあくまで核兵器提供国にある。その為たとえ他のNATO加盟国全てが同意しても、アメリカが拒否すれば敵領土へは核兵器は使用できない。侵略されて領土が敵軍に占領されている場合は逆にドイツ・イタリア・ベルギー・オランダで侵略された領土の政府の許可が必要である。

 主要な取り決めを箇条書きにしてみる。

① 核兵器を自国領土内に備蓄する
② 核兵器使用の意思決定にはNATOが参加するが、最終決定権はあくまで米国にある。
③ その為たとえ他のNATO加盟国全てが同意しても、アメリカが拒否すれば敵領土へは核兵器は使用できない。
④ 侵略されて領土が敵軍に占領されている場合は逆にドイツ・イタリア・ベルギー・オランダで侵略された領土の政府の許可が必要。

 ①の核兵器の自国領土内備蓄は「核共有」という意味・目的からも、即座の使用を可能にするためにだろう。但し備蓄場所は敵国による核の攻撃対象となる。有事の際、相手の核ミサイル攻撃によって備蓄場所が先に破壊されるか、相手が核ミサイルを発射する前に発射場所を核ミサイルで先制攻撃、破壊するか、発射後のいずれかの地点で迎撃ミサイルで撃ち落とすか、いずれかの局面を答とすることになるが、いずれの場合も核物質の拡散は免れず、住民の避難、普段どおりの生活の遮断、健康被害等に見舞われる危険性を危機管理としなければならない。

 ②の最終決定権が米国にあることと、〈戦時に於いて核戦力の行使はNATOの総意〉であり、〈敵地領土への最終的な判断はあくまで核兵器提供国にある。〉としていことは対を成している要件であることが分かる。そしてこの②と③は、最終決定権が米国にあることから、核共有国と米国の間に利害の不一致を見ることもあることを示唆している。要するに米国の利害が優先される。

 ④の要件は、米国自身が敵の被侵略領土内に核を打ち込んだ場合は領土内住民への放射能被害やミサイル着弾の直接の被害が避けられない関係からその責任を米国が負うのではなく、領土の政府に負わせるための取り決めということになる。

 こう見てくると、「核共有」はそう簡単ではないことが分かる。アメリカの核を日本に備蓄して置かなければならない点、監視対象兼攻撃対象として常に照準を定めれれていることになる。いわば核攻撃の誘い水の役目を自ずと担うことになる。場所は秘密にしておくだろうが、偵察衛星で特定されない保証はない。特定されても、特定したことを隠しておくだろうから、秘密が保持されているのかいないのか常に宙ぶらりんの状態に置かれたまま防御態勢を取り続けなければならないから、神経はそれなりに擦り減らさなければならない。場所を間違えていて、その場所に核ミサイルを打ち込まれた場合、想定外なことが被害と惨劇を大きくすることもありうる。独裁国家とは経済的関係を可能な限り断ち、軍備増強の資金を先細りにして、それと平行して民主派勢力に秘密裏に資金を提供し、その勢力拡大に手を貸し、独裁者を排除して、民主化できるように仕向けることが時間はかかるだろうが、核の報復合戦に向かいかねない危険性を残す核利用に頼るよりも賢明な安全保障であろう。

 独裁国家から外国が自国民主派勢力に資金を提供していると非難され、日本がその外国として名指しされたとしても、「我々は1円たりとも資金は提供していない」と知らぬ存ぜぬ通せばいい。事実を事実でないと言い立て、事実でないと言いくるめるペテン、あるいは外国人による虚偽の違反行為をデッチ上げて、非難の材料に当てるのは独裁国家がよく使う手であり、そのお返しに過ぎない。国民の基本的人権を尊重しない、あるいは認めないことによって独裁者に対する批判や反対行動を封じ込めて自らの独裁国家権力の地盤を強固にし、国民の生活は程々に維持するか、最悪国民の困窮は放置して、搾り取った富を独裁体制維持を目的に軍備増強の軍事費に回す一方で体制維持に協力的な企業集団に優先的に企業経営の便宜を図り、得た富の何がしかを見返りに体制に貢がせ、共存共栄を図って自分たちのみを国家に有益な集団として栄華を誇る。

 外に対しては軍事力や核の威嚇、内に於いてはプーチンとプーチンを支える集団だけが人間らしい生存を謳歌し、一般国民に対しては人間らしい生存の謳歌を抑圧するか制限する。独裁者の存在は世界平和を脅かす元凶そのもので、であるなら、基本的には独裁者の排除を世界平和の基礎に置くべきで、排除は核の脅威を薄れさせて、核を安全保障の重要な柱とすることの意味を縮小させ、逆に紛争解決には話し合いを決まり事とすることになる。

 安倍晋三の「核共有」発言は2022年2月27日だったが、その翌日の2月28日に日本維新の会代表松井一郎が早速肯定的な反応を示したと「時事ドットコム」(2022年02月28日17時10分)記事が伝えていた。

 松井一郎「『核共有』の議論をするのは当然だ。非核三原則は戦後80年弱の価値観だが、核を持っている国が戦争を仕掛けている。昭和の価値観のまま令和も行くのか。

 (対ロシアへ制裁によって国内のエネルギー供給量に影響が及ぶ可能性があるとして)原発の稼働に消極的な立場だったが、短期的には再稼働やむなしだ」

 「昭和の価値観」とは、いわば時代遅れだと独自の評価を下してはいるが、「核共有」の議論を進めるべきの点は安倍晋三と同じ姿勢を見せている。要するに安倍晋三と同様に非核三原則よりも核共有の方が核抑止により効果的だと見ている。多分、時代の先端を行く核政策と見ているのかもしれないが、より効果的であろうが、時代の先端を行こうが、あまりにも破壊力が強力なゆえに「使えない兵器」としての地位を与えられていたものが万が一発射された場合、発射された側の2発目、3発目を阻止する対抗措置として“報復”という軍事作用が存在する限り、また、報復という名目は正当性を得やすいことも手伝って、当然、核に対抗するに核という手段が躊躇なく取られるだろうから、「核共有」であったとしても、あるいは核そのものを所有していたとしても、完璧な核防御策となる保証はない。

 例えば日本では原子力発電事故はないという「原発安全神話」が罷り通っていた。だが、福島原子力発電所の事故が「安全神話」をものの見事に打ち砕いた。かと言って、原子力発電に対しての安全という概念が信用できないところにまで堕ち込んだわけではない。原子力発電事故が滅多に起きるわけではないことを多くが知っているが、と同時に絶対に起きないとは誰もが確信しているわけでは決してない。だから、事故発生がないように「脱原発」を主張する声が上がる一方で安全対策に日々取り組むことになっている。同じことが核使用についても当てはまる。「使えない兵器」となっていることは知識としているが、決して「使われることはない兵器」に達しているとまでの知識には至っていないはずだ。特に今回の独裁者プーチンの発言が「使われるかもしれない」という恐れを世界中に拡散させることになった。となると、安倍晋三にしても松井一郎にしても、「核共有」の議論をするのはいいが、ひとたび核が使われる恐れが生じた場合、その恐れが現実となって使わる危険性が高まってしまった場合、結果として報復合戦への発展が想定されるに至った場合、これらの過程を「核共有」は初期の段階で遮断する有効な手段となりうるのだろうか。なり得ずに福島原発事故後の1千倍、1万倍、あるいは10万倍、100万倍、それ以上の最悪の事態を招く危険性は否定できない。

 こういった最悪事態発生の予防措置は核の全廃が現在のところ現実的ではない実現性となっている以上、核を使う危険性の高い独裁者の排除に想像力を働かせることが懸命な選択となる。排除の方法は既に述べてきた。一番の懸念は独裁者プーチンがロシアの政治の舞台から排除される前に核の使用に走る危険性である。このウクライナ侵略でプーチンの戦略上の思惑が外れて、赤っ恥をかくようなことになったなら、世界の主要な国々の大半が侵略に反対し、非難していることから、反対と非難を打ち砕き、自らの正当性を打ち立てるだけのために核を使用する可能性は否定できない。独裁者は自らの思惑で、いわば独裁によって事を決め、事を始める傾向が強い。だから、独裁者として存在できる。他人の意見を尊重するのは民主主義者のすることである。ウクライナ侵略が独裁者プーチンの核使用を許さない西側の制裁が功を奏することを期待するのみである。

《安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(2)》に続く。

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安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(2)

2022-03-31 09:05:50 | 政治
 国会や政党代表の記者会見等でも安倍晋三の「核共有」発言が取り上げられることになった。万が一あるかもしれない核の使用に対してどのような想像力を働かせているのか、結果としての核の取り扱いをどう考えているのか、いわば核防衛体制についての考えを見てみる。先ず国民民主党代表玉木雄一郎が2022年3月1日の党記者会見で安倍晋三の「核共有」発言に対する反応をNHK NEWS WEB記事が伝えている。国民民主党のサイトにアクセスしてみたが、「冒頭発言概要」しか紹介しいない。あとはYou Tube動画のリンク付を行なっている。サイトを覗く人間が少ないのかもしれないが、マスコミが発言を伝えることで具体的な発言内容を知りたくなる数少ない機会にも応えることができないとなると、自民党みたいに元々政党支持率の高いところはお構いなしとすることはできるが、政党支持率が低いところは漏れのないサービスに不足することになると思うが、そこまでは考えていないようだ。仕方がないから、NHK記事を参考にする。

 玉木雄一郎「非核三原則や平和国家の歩みからすると、(安倍晋三の「核共有」は)一足飛びの議論だ。唯一の戦争被爆国として核廃絶という大きな目標を掲げてやっていくべきだ。

 どのような形であれば、憲法が掲げる平和主義と反せずに核抑止が機能するのか、現実的な議論を積み重ねていくことが大事だ。特にこれまで議論を避けてきた、非核三原則の『持ち込ませず』の部分が、一体何を意味するのか、日米の具体的なオペレーションの在り方を含め冷静な議論を始めるべきだ」

 安倍晋三と同様に長い目で見た核抑止策として核使用の危険性の高い独裁者の排除に視点は置いていない。あくまでも“核に対するに核”の考えに立っている。唯一の戦争被爆国としての核廃絶というのは「大きな目標」だと言っているが、この「大きな」とは「最終的な」という意味を取るはずだ。核廃絶はあくまでも「最終的な目標」であって、そこに到達するまでには現実にある核の脅威を取り除いていくために「憲法が掲げる平和主義と反せずに核抑止」を機能させる方策の追求に取り組まなければならない。その方策として「非核3原則の『持ち込ませず』の部分」に注目している。非核3原則とは核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」を指すのだから、非核3原則と核の傘の関係からすると、日本に核攻撃の脅威が迫った場合は核攻撃の脅威を与えている国への核に対抗するに核の予防策としてアメリカ本土からの核弾頭搭載大陸間弾道ミサイル(ICBM)、太平洋上の原子力潜水艦からの核弾道ミサイル発射等が従来型の、いわば日本の外からの運用を方法としているが、当然、非核三原則の「持ち込ませず」が「一体何を意味するのか」と言っている意図は「持ち込ませず」を言葉通りに解釈せずに持ち込ませる方向への何らかの含みをそこに期待していることになる。

 もし言葉通りに解釈していたなら、あとの言葉、「日米の具体的なオペレーションの在り方を含め冷静な議論を始めるべきだ」を続ける必要性は生じない。玉木雄一郎が想定している核を持ち込ませる方向へ何らかの含みを持たせていることはその含みの持たせ方によって核の取り扱いは大きく変わる。高市早苗の次の記者会見発言についても同じことが言える。

 自民党政調会長高市早苗2022年3月2日の記者会見(「You Tube」から) 

 高市早苗「いわゆる核シェアリングという問題でございますけれども、これは昨日も申し上げましたが、民主党政権下だった平成22年3月、当時の岡田克也外務大臣が核を搭載した米国の艦船や航空機の我が国への一時的な寄港や飛来ということも念頭にしながら、外務委員会で答弁をされました、そのような緊急事態に於いて非核3原則をあくまでも守るのか、ま、それでも国民の生命の安全を考えて、異なる判断をするのか、それはそのときの政府の判断の問題であって、今からそのことについて縛ることはできないと考えているということでございました。

 その後平成24年(2012年)12月に我が党は政権復帰させて頂きましたけれども、平成24年2月14日の予算委員会に於いても当時の岡田外務大臣が行なった答弁を引き継いでいると答弁をしておられます。そして同月ですけども、質問主意書への答弁書としてこの岡田克也外務大臣当時の、まあ、この方針を安倍内閣としても踏襲する旨、閣議決定をして、答弁書と致しております。

 日本国政府は民主党政権以来、自公政権になっても、国民の安全が危機的状況になったときに非核3原則をあくまでも守るのか、それとも持ち込ませずの部分については例外をつくるのか、それはそのときの政権の判断するべきことであって、将来に亘って縛ることはできないという立場を重ねて表明してきております。

 あのー、持たず、つくらず、持ち込ませず、この非核3原則は例えば『持たず、つくらず』の部分につきましてはこれも皆様ご承知の通り原子力基本法ですとか、核不拡散条約、まあ、これを批准しておりますので、『持たず、つくらず』というのは当然のことであります。ただ本当に有事になって、国民の安全が脅かされる危機的状況になったときに核を搭載した、例えば米国の艦船が来たときに日本に寄港させないのか、給油もさせないのかということになると、また別問題であり、領海を航行することもダメなんだとということでは実質的に日本は守れないのではないのかと私は考えました。

 あくまでも民主党政権時代、その後の安倍内閣の方針及び外務大臣の国会答弁、全く同じことを昨日申し上げました。で、今後党内でどうするのかということでございますけれども、きのう政調会の半沢(?)調査会長と私は遣り取りをしております。ま、今後は非常に重要な時期になりまして、国家安全保障戦略や中期防(中期防衛力整備計画)も含めて今後見直すという形の作業に入りますが、その中にあっても、この議論、全く封じ込めるということであってはならないと思っています。関係議員と相談しながら、今後この問題についての進め方、議論をするかしないかを含めて検討してまいりたいと思っています」

 民主党政権時代の岡田克也外務大臣の2010年3月17日衆議院外務委員会での非核3原則関連の発言は次のようになっている。

 笠井亮(あきら・日本共産党)「米国が有事と判断した際には核兵器を再配備することを宣言しているわけで、それでも核兵器は持ち込まれることはないと断言できますか」

 岡田克也「我々としては、非核三原則、鳩山内閣として堅持するという方針であります。しかし、日本自身の安全にかかわるような重大な局面というものが訪れて、そしてそのときに核を積んだ艦船が一時寄港する必要が出るというような、そういう仮定の議論は余りしたくありませんが、そういうことになったときに、我々は非核三原則を堅持いたしますが、最終的にはそのときの政権がぎりぎりの判断というものを政権の命運をかけて行うということだと思います。

 非核三原則というのは、これはやはり日本自身を核の脅威から遠ざける、こういう考え方に立って行われているものだと私は認識いたしますけれども、いざというときの、日本国民の安全というものが危機的状況になったときに原理原則をあくまでも守るのか、それともそこに例外をつくるのか、それはそのときの政権が判断すべきことで、今、将来にわたってそういったことを縛るというのはできないことだと思います」

 この答弁以前に岡田克也は自民党岩屋毅議員に対して「緊急事態ということが発生して、しかし、核の一時的寄港ということを認めないと日本の安全が守れないというような事態がもし発生したとすれば、それはそのときの政権が政権の命運をかけて決断をし、国民の皆さんに説明する、そういうことだと思っております」と答弁している。

 高市早苗は「いわゆる核シェアリングという問題でございますけれども」と言いながら、緊急事態発生時には実質的には非核3原則のうちの「持ち込ませず」に関して例外規定を設けるかどうかはときの政権の決断事項だとする民主党政権時代の考え方を自民党政権も引き継いでいて、引き継いでいることは答弁書に於いても閣議決定もしているし、このことに関しては議論を進めるのか進めないのかを含めて検討するとしているものの、「持ち込ませず」の例外規定が単純に核搭載艦船の一時寄港の許可に限定するなら、核はあくまでも米軍の掌中に置くことを意味し、核の使用に関しては日本の関与外となり、安倍晋三の「核共有」とは実質的には異なることになる。

 だが、玉木雄一郎の説明どおりに核を“持ち込ませる”方向に持っていくためには「日米の具体的なオペレーションの在り方」の議論を日米間に介在させる必要上、議論の行方によっては核の使用に日本政府の関与をも可能とする項目を設けた場合は核の所在を寄港した米艦船内に限ったとしても、そこに備蓄する形を取ることとなり、この双方の条件によって“持ち込ませる”は限りなく「核共有」に近づくことになる。もし核を陸揚げして、米基地内か自衛隊基地内に置くことにしたら、「核共有」そのものとなる。

 但し玉木雄一郎が安倍晋三の「核共有」を「一足飛びの議論だ」としているから、一見、「核共有」まで考えていないように見えるが、第1段階として“持ち込ませる”から始めて、安全保障環境の変化によっては第2段階か第3段階目に「核共有」に持っていくというふうに「一足飛び」ではなくても、段階を踏んでと考えている可能性は否定できない。「核共有」がこのような形式のものであっても、「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核3原則の「持たず」と「持ち込ませず」を限りなくなし崩しにする、より積極的な核関与政策となる。高市早苗の上記記者会見での“持ち込ませる”方向への議論の示唆も、何しろ安倍晋三とは思想的には双子の関係にあるから、手始めに“持ち込ませる”から始めて、「核共有」に近づけていく目論見を頭に置いていないとは言い切れない。

 では、安倍晋三の「核共有」議論推奨に総理岸田文雄がどのような姿勢を見せているのか、野党立憲民主党3氏の追及を見てみるが、追及自体に3人の核に関する考え方が反映されることになる。勢いと小賢しさだけの立憲小川淳也の「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」の言葉がそっくりと当てはまる追及となっているのかどうかも併せて見ることにする。

 2022年3月2日参議院予算委員会

 田名部匡代「先日、我が党の田島(麻衣子)委員から質問がありました。安倍前総理、民放の報道番組で、核保有についてまさに議論を呼びかけるような発言があったことについて田島議員から質問があったわけでありますけれども、そのときに総理からは、非核三原則を堅持するという我が国の立場から考えて、これは認められないと認識をしていますというふうにお答えになっております。

 改めて確認させていただきます。総理、核保有に関しては、これまで御答弁では検討という言葉が多かったんですが、検討ではない、検討もしない、議論も認めないということでよろしいでしょうか。

 岸田文雄「確か先日の議論は、核保有というか核共有の議論であったと思います。そして、その核共有ということについて、その核共有の中身ですが、この平素から自国の領土に米国の核兵器を置き、有事には自国の戦闘機等に核兵器を搭載運用可能な体制を保持することによって自国等の防衛のみの、防衛のために核、米国の核抑止力を共有する、こういった枠組みを想定しているというのであるならば、これについては、非核三原則を堅持している立場から、更に申し上げるならば、原子力の平和利用を規定している原子力基本法を始めとするこの法体系から考えても、政府として認めることは難しいと考えております。

 田名部匡代「大変失礼しました、核共有。

 実は、平成29年、我が党の白眞勲委員からも、当時の安倍総理にこのことについて質問されておられるんですね。当時の安倍総理は、やはりこれは非核三原則を堅持していくという立場だと、そして、この核シェアリングについては全く検討も研究もしていないわけでございまして、抑止力について向上、これ前段の話で、いろいろと議論する、研究することは、検討していくことは当然なのではないかということについて白眞勲議員が質問しているんですけれども、その発言は総理としての発言ではなかったので、総理としては、これは抑止力の向上ということについては核シェアリングは除くと、まさに非核三原則をしっかりとその立場を守っていくという御発言をされているんですね、当時、安倍総理は。

 しかし、この間、民放のテレビ番組において、その議論を呼びかけるようなことがあったわけです。

 総理は、こういったことについてどのような感想をお持ちでしょうか」

 岸田文雄「私はその番組の発言直接聞いておりませんので、そのどういった流れであったか、趣旨であったか十分承知していないので、私の立場から具体的にそれについて申し上げることは控えますが、いずれにせよ、核共有ということについては先ほど申し上げたとおり認識をしております。

 政府としてそうした考え方を認めることは難しいと考えておりますし、政府として議論することは考えておりません。

 田名部匡代「しっかりと私たちは非核三原則、堅持する立場を貫いていきたいと思いますし、難しいということではなくて、やっぱり……(発言する者あり)委員席からもありますが、あり得ない、しっかりとそれは守っていただきたいというふうに思います」 
 青木愛(立憲民主党)「自民党の元安倍総理がアメリカの核兵器を国内に配備して日米共同で運用する核共有政策の導入についてテレビで話をされました。この核共有に関する岸田総理の見解を私からもお聞きしたいと思います。そして安倍元総理、自民党の今でも有力な議員だと思いますけれども、自民党の中でもこうした日米共同で運用する核共有政策の導入、こうした考えが自民党の中にあるでしょうか。お聞きさせて頂きます」

 岸田文雄「安倍元総理の出演された番組、私ちょっと拝見していませんので、それについて直接言及することは控えますが、政府としては先程来申し上げているように自国の領土に米国の核兵器を置いて、有事にはこの自国の戦闘機等によって核兵器を搭載、あるいは運用可能な態勢を保持することによって自国等の防衛のために米国の抑止力を共有する、こうした枠組みを想定しているのであるならば、これは政府として非核3原則を堅持していく立場からも、また、原子力基本法を始めとする国内法をこの維持する見地からも認めることはできないと考えております」

 (答弁に不足があると見たのか、委員長に抗議、ほんの少し中断、答弁のし直し)

 岸田文雄「自民党のみならず、国内に於いて核共有について様々な議論があるということは承知しております。しかしながら、私の考え方、政府の考え方、これは先程申し上げたとおりでございます」

 青木愛「安倍元総理の発言、テレビを見ていないので控えると仰いましたけども、控えている場合ではないと思います。で、そういう議論がですね、核を共有するという議論が自民党の中で行われているという、率直なお話も聞こえてきたわけでありますけれども、冒頭申し上げましたように今、世界は三重の地球規模の危機に直面しているわけでありまして、岸田総理も仰ったように今こそ世界が一つになってこの地球からの、自然からの警告に立ち向かわなければならないときに安倍元総理の発言はですね、さらに危険を煽る、極めて遺憾で、危険であるとそういう発言があるということを指摘しておきたいというふうに思います。

 ウクライナ問題については以上で、また改めて、また機会を作ってですね、安倍元総理の発言についても追及していきたいというふうに考えます」 
 杉尾秀哉(立憲民主党)「さっそくですけれども、先程来、質問が出ております安倍元総理のニュークリアシェアリング、核共有について伺います。ちょっと確認させて頂きたいのですが、先程来、核共有は認めない、あるいは認めることは難しいということを総理、何度も仰っておりますけども、これは議論自体を認めない、こういうことですか。どうぞ」

 岸田文雄「政府としてこの核共有は認めないと申し上げています。政府として議論することは考えておりません」

 杉尾秀哉「これは先程来出ておりますけれども、党内で議論することはありますか」

 岸田文雄「党の内外でこの核共有について様々な意見があるということは承知しております。しかし政府としてこうした考え方は認めませんし、議論していくことは考えておりません」

 杉尾秀哉「政府の立場をこれまで仰ったならば、自民党の総裁ですから、党に対してもそうしたメッセージをちゃんと発して頂けませんか。安倍総理の発言、これ海外に伝えられてるんですよ。この発言をキッカケとしてですね、ある自治体の首長(くびちょう)さんはですね、『非核3原則は昭和の時代なんだ』と、『異物なんだ』と、こういうことを仰ってる。ネット見てください。今核保有論の議論がネットに溢れてます。こういう世論を煽るような遣り方っていいんですか、どうですか」

 岸田文雄「ハイ、自民党の党の内外、そして日本に於いて、そして世界に於いて核共有について様々な意見があることは承知しております。だから、政府の方針として政府に於いては核共有というものは認めない、議論は行わない。これを再三公の場で発言を、発言をさせて頂いております。その政府の方針をしっかりと確認をし、社会に対して、世の中に対して発信していくことは重要であると考えています」

 杉尾秀哉「自民党の総務会長(福田達夫)も、政調会長(高市早苗)も、やっぱりこの核共有について議論すべきだと、こういうふうにですね、三役の方が仰ってますよね。これはやっぱり世界に対しても、折角、党の、政府の立場をそこまで仰ってるんだったら、やっぱり党に対しても強く言うべきだ。少なくとも安倍総理の発言を確認していないという、そう言い逃れをしないでください。

 安倍さんも、聞く耳も持ってらっしゃるんでしょ?そしたら、安倍さんに言ってくださいよ。やっぱりこれは、我々はやっぱりこういう核共有を煽るような遣り方というのは認められませんし、非核3原則というのはやっぱり堅持していくべきであると、こういう立場を崩しちゃいけないと思うですよね。もう1回お願いします」

 岸田文雄「党の内外、世の中に様々な意見があることは承知しております。だからこそ、政府としての考え方、非核3原則の考え方、さらには原子力の平和利用を定めている我が国の原子力基本法を始めとする法体系との関係に於いてこうした考え方は認められないということは改めて政府として、そして総理大臣としてしっかり発信していくことが重要であるということで発信をさせて頂いております。これからもこうした政府の考え方はしっかりと発信を続けていきたいと考えます」

 杉尾秀哉「最後にしますけども、自民党総裁としての立場を使い分けないでください。同一人物でございますので」

 岸田文雄は非核3原則と原子力基本法等との関連から「核共有という考え方は政府としては認められない」、「政府として議論することは考えていない」と、一貫して「政府として」の立場を説明している。

 対して田名部匡代は「これまで御答弁では検討という言葉が多かったんですが、検討ではない、検討もしない、議論も認めないということでよろしいでしょうか」と聞き、青木愛は「そして安倍元総理、自民党の今でも有力な議員だと思いますけれども、自民党の中でもこうした日米共同で運用する核共有政策の導入、こうした考えが自民党の中にあるでしょうか」と聞き、杉尾秀哉は「先程来、核共有は認めない、あるいは認めることは難しいということを総理、何度も仰っておりますけども、これは議論自体を認めない、こういうことですか」と三者三様、アホなことを聞いている。

 岸田文雄が内閣総理大臣として政府としての正式な機関を設けて核共有の議論をする考えはない、と同時に自民党総裁としても党としての正式な機関を設けて同様の議論をする考えはないとしても、自民党議員が個々に仲間を集って、何らかの議連を名乗って議論することは内閣総理大臣としても、自民党総裁としても止めることはできない。断るまでもなく、誰もが思想・信条の自由を保障されているからだ。自民党内には核武装論者も存在する。閣僚が個人の資格で参加することもできる。政府に戻れば、閣僚として非核3原則堅持の立場は守ると言えば、閣内不一致という事態も避けられる。

 3人共が問題がどこにあるのか、誰も気づいていない。衆議院に関しては2021年10月31日投開票の総選挙で自民党は「絶対安定多数」を単独確保し、盤石な体制を敷いている。この当選議員の任期満了日は2025年10月30日までの約3年半後で、解散に打って出る、あるいは解散に迫られる状況とならなければ、暫くの間は盤石な体制を維持できる。但し次回の参議院選挙は4カ月後の2022年7月25日、すぐ目前にまで迫っている。前回2019年7月21日の参院選挙では自民党は改選議員を含めて単独で過半数に達せず、公明党を加えた与党で過半数を獲得できている状況にある。岸田文雄が言っている非核3原則堅持が揺るぎない信念となっているのか、安全保障環境の変化が非核3原則で行くことで足りるのか、核共有といった一歩進んだ核抑止策で行くべきなのか、思案しているのかどうかその内心は窺うことはできないが、ここで口にしてきた非核3原則堅持をぶち壊すような核共有議論を進めた場合、参院選にマイナスの影響を与えることは十分に計算できることで、最悪、自公過半数割れを起こしたなら、内閣の運営自体が困難となり、自民党政権という元も核に関係する安全保障という子も失くしかねないことは想定範囲内としているはずである。誰も危険な橋は避けるはずで、先ずは波風立たせないように配慮を重ねて、参院選勝利を喫緊の課題と位置づけているはずだ。

 安倍晋三は2014年12月14日投開票の衆院選挙では憲法解釈変更に基づいた集団的自衛権行使容認等を含めた安全保障関連法に関しては争点隠しを行い、消費税増税の延期で有権者の歓心を買い、選挙に勝利するや、国民の信任を得たと数の力で押し切って2015年9月19日に法案を成立させるウルトラCを平然と行なっている。仮に岸田文雄が安全保障環境をより強固とするために核共有といった一歩進んだ核抑止策の必要性を痛感していたとしても、参院選の争点とはせず、あくまでも非核3原則の堅持で押し通すはずだ。政策の実現はすべて選挙から始まる。第1党を保証する選挙で得た頭数が政策の推進力となる。

 もし、次回参院選で大きく勝利し、自民党単独で過半数獲得に落ち着くことができ、前回衆院選で躍進著しい日本の維新の会が同じ参院選で議席数を一定程度伸ばしたなら、代表の松井一郎が核共有議論推進を掲げていて、次の衆院選と参院選までに時間の余裕があることから国民に人気のない政策推進で有権者離れが少しくらい生じても、喉元通れば熱さ忘れるに期待して安倍晋三を筆頭とした自民党の核共有推進議員と維新の議員まで交えて核共有議論を進め、衆参両院で大勢意見とすることができたなら、岸田文雄がいくら非核3原則堅持を掲げようとも、政府内でも核共有に向けた議論を開始せざるを得なくなる道に進むことは容易に想像できる。

 この流れに岸田文雄が真実非核3原則堅持を頑なに掲げていたとしても、逆らうことは難しい。実際には「核共有」論者であったなら、(このことは最後まで隠し通すだろうが)、やむを得ないという態度を取りつつ、多数意見の尊重を掲げて、政府としても自民党としても正式な機関を設けて議論を開始する方向に動くに違いない。何しろ自民党政府は「憲法は防衛のための必要最小限の範囲内ならば核兵器の使用を禁じていない」という立場を取っているのである。

 あるいは“一足飛び”に核共有にまで進まずにその手始めに核の持ち込みというワンステップを暫くの間置いて、生じた場合の国民のアレルギーを冷ます冷却期間とすることも考えられる。こういった状況になったとき、当然、日本は非核3原則堅持の旗を下ろすことになるが、岸田文雄にとって止むを得ない妥協として受け入れるのか、広島を選挙区としているということもあるのだろう、核廃絶を掲げているものの、その旗を下ろす役目が自分に回ってきたことの皮肉を痛感しながら、時代の変化を受けた潮時と冷静に受け止めるのか、そういったことのいずれかであろうが、このような経緯を取るだろうと想定できるのは安倍晋三が元首相としての強かな影響力を持つと同時に自民党最大派閥のボスであり、岸田文雄は首相職を維持するためにも、選挙の顔であり続けるためにもその意向を無視はできない両者関係にあるからなのは論を俟たない。

 この両者関係は既に様々な場面に現れている。岸田文雄は2021年9月の自民党総裁選から自身が首相となった場合の安倍晋三のアベノミクスに代えるメインの経済政策として「新しい資本主義の実現」掲げた。だが、首相となって半年が経とうというのにアベノミクスのように何と何と何の「三本の矢」だといった具体像が未だ公表されていないのは異常な事態としか言いようがない。「新自由主義的政策からの転換」と「成長と分配の好循環」という抽象的な理念にとどまる中身だけは明らかにしている。

 安倍晋三は岸田文雄の「新自由主義的政策からの転換」に反応したのだろう、2021年12月26日放送のBSテレ東番組で次のように発言している。

 「(「新しい資本主義」を掲げる岸田文雄首相の経済運営について)根本的な方向をアベノミクスから変えるべきではない。市場もそれを期待している。ただ、味付けを変えていくんだろうと(思う)。『新自由主義は取らない』と岸田さんは言っているが、成長から目を背けると、とられてはいけない。改革も行わなければならない。社会主義的な味付けと受け取られると市場も大変マイナスに反応する」

 アベノミクスの味付けを変える程度ならいいが、非なるもであってはならないと警告した。いわば新自由主義経済アベノミクスからの決別に釘を差した。この釘は岸田文雄が自らが掲げた「新自由主義的政策からの転換」への自由な活動を縛ることになる。大企業や高額所得層を豊かにし、中低所得層を豊かさから取り残す不公平な分配を果実とした新自由主義経済アベノミクスからの決別ではない新自由主義的政策からの転換という、殆ど相矛盾する綱渡りを強いられることになるからだ。もし安倍晋三の釘(=意向)を完璧に無視できたなら、「新しい資本主義実現会議」を4回も開いているのだから、岸田文雄本人から具体的な中身の発表があっても良さそうだが、「具体像が見えない」、「道筋が見えてこない」がマスコミや評論家の今以っての専らの評価となっている。安倍晋三の意向を無視はできない両者関係に縛られた具体像の未確立としか見えない。 

 佐渡金山の世界文化遺産への登録を目指す新潟県などの動きに韓国側が韓国人強制使役被害の現場だからと反対、岸田政権は当初、登録推薦に慎重な姿勢を示していたそうだが、安倍晋三が2022年1月20日の安倍派総会で「論戦を避ける形で登録を申請しないのは間違っている。ファクト(事実)ベースで反論していくことが大切で、その中で判断してもらいたい」と発言、岸田政権の慎重姿勢に釘を差した。4日後の2022年1月24日衆院予算委、バックに常に安倍晋三が控えている高市早苗が佐渡金山の歴史を江戸時代のみに区切る歴史修正主義に立って、「これは戦時中と全く関係はない。江戸時代の伝統的手工業については韓国は当事者ではあり得ない」と推薦を強く迫ると、4日後の1月28日夜、岸田文雄はこれまでの慎重姿勢を一変させて首相官邸のぶら下がり取材で「佐渡島金山」のユネスコ推薦を正式表明、4日後の2月1日にユネスコへの推薦を閣議了解、推薦書を提出するに至った。安倍晋三の意向を無視はできない両者関係を窺うに余りある。

 岸田文雄が安倍晋三に対して鼻息を窺わなくても済む関係にあれば、安倍晋三の発言後に今まで見せていた姿勢・態度をその発言に見合う姿勢・態度に変える必要性は生じない。となると、立憲民主党三者は二人の間にこういったパターンが既に認められている以上、安倍晋三の「核共有」議論推奨発言に対して岸田文雄が非核3原則堅持を国会答弁としたとしても、岸田文雄にとって安倍晋三の意向を無視はできない両者関係と衆参両院選挙のいずれかが間近に控えている場合はそれがネックとなって、選挙に悪影響があると予想される政策や言動を選挙後までは控える前例を頭に入れて、7月の参院選で自民党が少なくとも議席を伸ばすことができたなら、自民党内から日本維新の会も巻き込んで、「核を持ち込ませる」議論か、「核共有」を議論する動きが出てきて、一定の勢力とすることができたなら、「核を持ち込ませる」に向けてか、「核共有」に向けて政府を動かすことになる次の段階を想定しなければならない。

 想定できたなら、参院選後に予想される展開を描く国会追及を行うことができて、岸田文雄をして少なくとも「選挙の結果に関わらずが非核3原則堅持に変わりはありません」の言質を取らなければならなかったはずである。その言質が安倍晋三の意向を無視できる動機となりうる可能性は否定できないし、予想される展開を描いておけば、逆に描いたとおりの動きを牽制する役目を持たせる可能性も出てくる。ところが青木愛も田名部匡代も、杉尾秀哉も、3人共に同じような質問をし、同じような答弁を引き出す非生産的な追及しか試みることができなかった。政治の動きというものを何も学んでいないことになる。小川淳也の「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」は夢のまた夢、手の届かない情けない状況にある。あるいは立憲の面々が追及の実力が伴わない状況にあるにも関わらず、小川淳也が「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と体裁のいいことを口にしたに過ぎないことになる。

 今までのパターンを例に上げることができれば、パターンどおりになる可能性の観点から安倍晋三の「核共有」議論推奨発言と対する岸田文雄の非核3原則堅持発言の参院選後の推移が非核3原則堅持を危うくする方向に進みかねない、考えられる成り行きを描き出して、参院選挙期間中に国民に警鐘を鳴らす訴えとすることもできる。ただ単に現在は政権内にいない安倍晋三の「核共有」議論推奨発言と自民党内や他野党内に同調者のいることを取り上げ、岸田文雄に「非核3原則堅持」を言わせるだけでは、核政策に限らず、どのような政策も党内勢力図の影響を受けて生じる主導権の所在が政策の決定権を担う関係から、政府追及としてはさしたるインパクトを与えることはできない。もしインパクトのある追及ができたと思っているなら、裸の王様もいいとこの滑稽な勘違いとなる。

 大体が安倍晋三はプーチンが核の使用も辞さなぞと見せかけるある種の"核の脅迫"に反応して"核共有"議論の必要性を口にした。このことを批判するなら、非核3原則の旗を掲げていさえすれば、プーチンや金正恩みたいな独裁者が日本に核を撃ち込みたい衝動を抱えたとしても、その衝動を抑えることができるとする妥当性ある答を示してからすべきで、答を示しもせずにただ「非核3原則」、「非核3原則」と言うのは論理性も何もなく、感情任せのマヤカシにしか聞こえない。

 それともウクライナは遠い国で、日本ではないのだから、核が使用されたとしても、見守るしかなく、日本の非核3原則は非核3原則としての立ち位置を損なうことはないと一国平和主義で行くのかもしれないが、プーチンが核の使用も辞さなぞと"核の脅迫"を一旦見せた以上、世界が独裁者によって核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱える状況に足を踏み入れることになった。少なくとも世界の多くの国がその危険性に警戒心を持つことになった。そのような場合、日本だけを蚊帳の外に置くことができるだろうか。

 だからと言って、核に対抗するに核を用意するどのような核抑止策も、振り出しの議論に戻るが、使うことが絶対ないと言い切れない状況にある核が世界のどこかで使われた場合、そして核に対するに核の報復は全否定できない以上、その世界のどこかは広範囲に目を覆うばかりの悲惨な破壊と壊滅、凄惨な死屍累々の状況に覆い尽くされる結末を出現させるかもしれない。百歩譲って核使用までいかずに核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱える不安定な状況が延々と引き伸ばされていくだけであったとしても、この両場面共に核という存在よりも独裁者という存在が核に関わる懸念材料としてより大きく立ちはだかっていることに
留意しなければならない。いわば核は使わなければ無害であるが、使う・使わないの決定権を持ち、使う可能性が少なからざる予想される(でなければ、世界は核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱えることはない)独裁者という存在自体に重大な関心を向けなければならない。

 考えられるこのような推移が自ずと導く答はやはり独裁者の排除以外にないことになる。独裁者の排除こそが、核の脅威を低下させることができる要因とする。時間的に遠回りになったとしても、独裁者の排除にこそ重点を置くべきだろう。独裁者の排除は民主体制への転換を意味する。軍事的な強硬手段ではなく、話し合いの問題解決を優先させる立ち位置を世界は取ることになる。核に対抗するに核を以ってするのは多くの国民の犠牲を決定事項としなければならない。

 プーチンという独裁者の排除については「独裁者」という言葉直接的には使わなかったが、2015年11月17日当ブログ記事《安倍晋三はプーチンとの信頼関係構築が四島返還の礎と未だ信じているが、リベラルな政権への移行に期待せよ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に北方4島返還はプーチンが大ロシア主義を血とし、ロシアを旧ソ連同様の広大な領土と広大な領土に依拠させた強大な国家権力を持った偉大な国家に回帰させようとしている限り、そしてそのことによってロシア人の人種的な偉大性を表現しようとしている限り、安倍晋三がいくらプーチンとの信頼関係構築を4島返還の礎に据えようが、あるいは平和条約締結の条件としようが、プーチンの大ロシア主義の前に何の役にも立たないはずで、プーチンに代わる、大ロシア主義に影響されていないリベラルな政権への移行に期待する以外にないとプーチンの排除を書いた。

 さらに2020年11月23日の当ブログ記事《北方領土:安倍晋三がウリにしていた愚にもつかない対プーチン信頼関係と決別した領土返還の新しい模索 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも、プーチンへの領土交渉進展期待は非現実的で、彼を政治の舞台から退場させる力は現在なくても、その強権的専制政治への反体制を掲げる民主派勢力がロシアの政治の表舞台に躍り出て来ることに期待をかけ、資金等提供、その実現に力を貸す方が現実的な領土返還の新しい模索とすべきではないかと書き、独裁者プーチンのロシアの政治の舞台からの排除の必要性を書いたが、プーチンのウクライナ侵略と核使用をチラつかせるに及んで、核使用の脅威を取り除くには独裁者プーチンの排除と民主派勢力への体制転換の必要性を改めて強く認識するに至った。

 核を使わない、通常兵器による戦争であっても、多くの国民が犠牲となり、住む土地を追われる。核戦争となると、犠牲や破壊は計り知れない。非核3原則と言うだけではなく、想像力を働かせて、核使用の機会を取り除く何らかの方策を見い出す時期に来ているように思える。

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安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(2)

2022-03-31 09:01:09 | 政治
 国会や政党代表の記者会見等でも安倍晋三の「核共有」発言が取り上げられることになった。万が一あるかもしれない核の使用に対してどのような想像力を働かせているのか、結果としての核の取り扱いをどう考えているのか、いわば核防衛体制についての考えを見てみる。先ず国民民主党代表玉木雄一郎が2022年3月1日の党記者会見で安倍晋三の「核共有」発言に対する反応をNHK NEWS WEB記事が伝えている。国民民主党のサイトにアクセスしてみたが、「冒頭発言概要」しか紹介しいない。あとはYou Tube動画のリンク付を行なっている。サイトを覗く人間が少ないのかもしれないが、マスコミが発言を伝えることで具体的な発言内容を知りたくなる数少ない機会にも応えることができないとなると、自民党みたいに元々政党支持率の高いところはお構いなしとすることはできるが、政党支持率が低いところは漏れのないサービスに不足することになると思うが、そこまでは考えていないようだ。仕方がないから、NHK記事を参考にする。

 玉木雄一郎「非核三原則や平和国家の歩みからすると、(安倍晋三の「核共有」は)一足飛びの議論だ。唯一の戦争被爆国として核廃絶という大きな目標を掲げてやっていくべきだ。

 どのような形であれば、憲法が掲げる平和主義と反せずに核抑止が機能するのか、現実的な議論を積み重ねていくことが大事だ。特にこれまで議論を避けてきた、非核三原則の『持ち込ませず』の部分が、一体何を意味するのか、日米の具体的なオペレーションの在り方を含め冷静な議論を始めるべきだ」

 安倍晋三と同様に長い目で見た核抑止策として核使用の危険性の高い独裁者の排除に視点は置いていない。あくまでも“核に対するに核”の考えに立っている。唯一の戦争被爆国としての核廃絶というのは「大きな目標」だと言っているが、この「大きな」とは「最終的な」という意味を取るはずだ。核廃絶はあくまでも「最終的な目標」であって、そこに到達するまでには現実にある核の脅威を取り除いていくために「憲法が掲げる平和主義と反せずに核抑止」を機能させる方策の追求に取り組まなければならない。その方策として「非核3原則の『持ち込ませず』の部分」に注目している。非核3原則とは核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」を指すのだから、非核3原則と核の傘の関係からすると、日本に核攻撃の脅威が迫った場合は核攻撃の脅威を与えている国への核に対抗するに核の予防策としてアメリカ本土からの核弾頭搭載大陸間弾道ミサイル(ICBM)、太平洋上の原子力潜水艦からの核弾道ミサイル発射等が従来型の、いわば日本の外からの運用を方法としているが、当然、非核三原則の「持ち込ませず」が「一体何を意味するのか」と言っている意図は「持ち込ませず」を言葉通りに解釈せずに持ち込ませる方向への何らかの含みをそこに期待していることになる。

 もし言葉通りに解釈していたなら、あとの言葉、「日米の具体的なオペレーションの在り方を含め冷静な議論を始めるべきだ」を続ける必要性は生じない。玉木雄一郎が想定している核を持ち込ませる方向へ何らかの含みを持たせていることはその含みの持たせ方によって核の取り扱いは大きく変わる。高市早苗の次の記者会見発言についても同じことが言える。

 自民党政調会長高市早苗2022年3月2日の記者会見(「You Tube」から) 

 高市早苗「いわゆる核シェアリングという問題でございますけれども、これは昨日も申し上げましたが、民主党政権下だった平成22年3月、当時の岡田克也外務大臣が核を搭載した米国の艦船や航空機の我が国への一時的な寄港や飛来ということも念頭にしながら、外務委員会で答弁をされました、そのような緊急事態に於いて非核3原則をあくまでも守るのか、ま、それでも国民の生命の安全を考えて、異なる判断をするのか、それはそのときの政府の判断の問題であって、今からそのことについて縛ることはできないと考えているということでございました。

 その後平成24年(2012年)12月に我が党は政権復帰させて頂きましたけれども、平成24年2月14日の予算委員会に於いても当時の岡田外務大臣が行なった答弁を引き継いでいると答弁をしておられます。そして同月ですけども、質問主意書への答弁書としてこの岡田克也外務大臣当時の、まあ、この方針を安倍内閣としても踏襲する旨、閣議決定をして、答弁書と致しております。

 日本国政府は民主党政権以来、自公政権になっても、国民の安全が危機的状況になったときに非核3原則をあくまでも守るのか、それとも持ち込ませずの部分については例外をつくるのか、それはそのときの政権の判断するべきことであって、将来に亘って縛ることはできないという立場を重ねて表明してきております。

 あのー、持たず、つくらず、持ち込ませず、この非核3原則は例えば『持たず、つくらず』の部分につきましてはこれも皆様ご承知の通り原子力基本法ですとか、核不拡散条約、まあ、これを批准しておりますので、『持たず、つくらず』というのは当然のことであります。ただ本当に有事になって、国民の安全が脅かされる危機的状況になったときに核を搭載した、例えば米国の艦船が来たときに日本に寄港させないのか、給油もさせないのかということになると、また別問題であり、領海を航行することもダメなんだとということでは実質的に日本は守れないのではないのかと私は考えました。

 あくまでも民主党政権時代、その後の安倍内閣の方針及び外務大臣の国会答弁、全く同じことを昨日申し上げました。で、今後党内でどうするのかということでございますけれども、きのう政調会の半沢(?)調査会長と私は遣り取りをしております。ま、今後は非常に重要な時期になりまして、国家安全保障戦略や中期防(中期防衛力整備計画)も含めて今後見直すという形の作業に入りますが、その中にあっても、この議論、全く封じ込めるということであってはならないと思っています。関係議員と相談しながら、今後この問題についての進め方、議論をするかしないかを含めて検討してまいりたいと思っています」

 民主党政権時代の岡田克也外務大臣の2010年3月17日衆議院外務委員会での非核3原則関連の発言は次のようになっている。

 笠井亮(あきら・日本共産党)「米国が有事と判断した際には核兵器を再配備することを宣言しているわけで、それでも核兵器は持ち込まれることはないと断言できますか」

 岡田克也「我々としては、非核三原則、鳩山内閣として堅持するという方針であります。しかし、日本自身の安全にかかわるような重大な局面というものが訪れて、そしてそのときに核を積んだ艦船が一時寄港する必要が出るというような、そういう仮定の議論は余りしたくありませんが、そういうことになったときに、我々は非核三原則を堅持いたしますが、最終的にはそのときの政権がぎりぎりの判断というものを政権の命運をかけて行うということだと思います。

 非核三原則というのは、これはやはり日本自身を核の脅威から遠ざける、こういう考え方に立って行われているものだと私は認識いたしますけれども、いざというときの、日本国民の安全というものが危機的状況になったときに原理原則をあくまでも守るのか、それともそこに例外をつくるのか、それはそのときの政権が判断すべきことで、今、将来にわたってそういったことを縛るというのはできないことだと思います」

 この答弁以前に岡田克也は自民党岩屋毅議員に対して「緊急事態ということが発生して、しかし、核の一時的寄港ということを認めないと日本の安全が守れないというような事態がもし発生したとすれば、それはそのときの政権が政権の命運をかけて決断をし、国民の皆さんに説明する、そういうことだと思っております」と答弁している。

 高市早苗は「いわゆる核シェアリングという問題でございますけれども」と言いながら、緊急事態発生時には実質的には非核3原則のうちの「持ち込ませず」に関して例外規定を設けるかどうかはときの政権の決断事項だとする民主党政権時代の考え方を自民党政権も引き継いでいて、引き継いでいることは答弁書に於いても閣議決定もしているし、このことに関しては議論を進めるのか進めないのかを含めて検討するとしているものの、「持ち込ませず」の例外規定が単純に核搭載艦船の一時寄港の許可に限定するなら、核はあくまでも米軍の掌中に置くことを意味し、核の使用に関しては日本の関与外となり、安倍晋三の「核共有」とは実質的には異なることになる。

 だが、玉木雄一郎の説明どおりに核を“持ち込ませる”方向に持っていくためには「日米の具体的なオペレーションの在り方」の議論を日米間に介在させる必要上、議論の行方によっては核の使用に日本政府の関与をも可能とする項目を設けた場合は核の所在を寄港した米艦船内に限ったとしても、そこに備蓄する形を取ることとなり、この双方の条件によって“持ち込ませる”は限りなく「核共有」に近づくことになる。もし核を陸揚げして、米基地内か自衛隊基地内に置くことにしたら、「核共有」そのものとなる。

 但し玉木雄一郎が安倍晋三の「核共有」を「一足飛びの議論だ」としているから、一見、「核共有」まで考えていないように見えるが、第1段階として“持ち込ませる”から始めて、安全保障環境の変化によっては第2段階か第3段階目に「核共有」に持っていくというふうに「一足飛び」ではなくても、段階を踏んでと考えている可能性は否定できない。「核共有」がこのような形式のものであっても、「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核3原則の「持たず」と「持ち込ませず」を限りなくなし崩しにする、より積極的な核関与政策となる。高市早苗の上記記者会見での“持ち込ませる”方向への議論の示唆も、何しろ安倍晋三とは思想的には双子の関係にあるから、手始めに“持ち込ませる”から始めて、「核共有」に近づけていく目論見を頭に置いていないとは言い切れない。

 では、安倍晋三の「核共有」議論推奨に総理岸田文雄がどのような姿勢を見せているのか、野党立憲民主党3氏の追及を見てみるが、追及自体に3人の核に関する考え方が反映されることになる。勢いと小賢しさだけの立憲小川淳也の「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」の言葉がそっくりと当てはまる追及となっているのかどうかも併せて見ることにする。

 2022年3月2日参議院予算委員会

 田名部匡代「先日、我が党の田島(麻衣子)委員から質問がありました。安倍前総理、民放の報道番組で、核保有についてまさに議論を呼びかけるような発言があったことについて田島議員から質問があったわけでありますけれども、そのときに総理からは、非核三原則を堅持するという我が国の立場から考えて、これは認められないと認識をしていますというふうにお答えになっております。

 改めて確認させていただきます。総理、核保有に関しては、これまで御答弁では検討という言葉が多かったんですが、検討ではない、検討もしない、議論も認めないということでよろしいでしょうか。

 岸田文雄「確か先日の議論は、核保有というか核共有の議論であったと思います。そして、その核共有ということについて、その核共有の中身ですが、この平素から自国の領土に米国の核兵器を置き、有事には自国の戦闘機等に核兵器を搭載運用可能な体制を保持することによって自国等の防衛のみの、防衛のために核、米国の核抑止力を共有する、こういった枠組みを想定しているというのであるならば、これについては、非核三原則を堅持している立場から、更に申し上げるならば、原子力の平和利用を規定している原子力基本法を始めとするこの法体系から考えても、政府として認めることは難しいと考えております。

 田名部匡代「大変失礼しました、核共有。

 実は、平成29年、我が党の白眞勲委員からも、当時の安倍総理にこのことについて質問されておられるんですね。当時の安倍総理は、やはりこれは非核三原則を堅持していくという立場だと、そして、この核シェアリングについては全く検討も研究もしていないわけでございまして、抑止力について向上、これ前段の話で、いろいろと議論する、研究することは、検討していくことは当然なのではないかということについて白眞勲議員が質問しているんですけれども、その発言は総理としての発言ではなかったので、総理としては、これは抑止力の向上ということについては核シェアリングは除くと、まさに非核三原則をしっかりとその立場を守っていくという御発言をされているんですね、当時、安倍総理は。

 しかし、この間、民放のテレビ番組において、その議論を呼びかけるようなことがあったわけです。

 総理は、こういったことについてどのような感想をお持ちでしょうか」

 岸田文雄「私はその番組の発言直接聞いておりませんので、そのどういった流れであったか、趣旨であったか十分承知していないので、私の立場から具体的にそれについて申し上げることは控えますが、いずれにせよ、核共有ということについては先ほど申し上げたとおり認識をしております。

 政府としてそうした考え方を認めることは難しいと考えておりますし、政府として議論することは考えておりません。

 田名部匡代「しっかりと私たちは非核三原則、堅持する立場を貫いていきたいと思いますし、難しいということではなくて、やっぱり……(発言する者あり)委員席からもありますが、あり得ない、しっかりとそれは守っていただきたいというふうに思います」 
 青木愛(立憲民主党)「自民党の元安倍総理がアメリカの核兵器を国内に配備して日米共同で運用する核共有政策の導入についてテレビで話をされました。この核共有に関する岸田総理の見解を私からもお聞きしたいと思います。そして安倍元総理、自民党の今でも有力な議員だと思いますけれども、自民党の中でもこうした日米共同で運用する核共有政策の導入、こうした考えが自民党の中にあるでしょうか。お聞きさせて頂きます」

 岸田文雄「安倍元総理の出演された番組、私ちょっと拝見していませんので、それについて直接言及することは控えますが、政府としては先程来申し上げているように自国の領土に米国の核兵器を置いて、有事にはこの自国の戦闘機等によって核兵器を搭載、あるいは運用可能な態勢を保持することによって自国等の防衛のために米国の抑止力を共有する、こうした枠組みを想定しているのであるならば、これは政府として非核3原則を堅持していく立場からも、また、原子力基本法を始めとする国内法をこの維持する見地からも認めることはできないと考えております」

 (答弁に不足があると見たのか、委員長に抗議、ほんの少し中断、答弁のし直し)

 岸田文雄「自民党のみならず、国内に於いて核共有について様々な議論があるということは承知しております。しかしながら、私の考え方、政府の考え方、これは先程申し上げたとおりでございます」

 青木愛「安倍元総理の発言、テレビを見ていないので控えると仰いましたけども、控えている場合ではないと思います。で、そういう議論がですね、核を共有するという議論が自民党の中で行われているという、率直なお話も聞こえてきたわけでありますけれども、冒頭申し上げましたように今、世界は三重の地球規模の危機に直面しているわけでありまして、岸田総理も仰ったように今こそ世界が一つになってこの地球からの、自然からの警告に立ち向かわなければならないときに安倍元総理の発言はですね、さらに危険を煽る、極めて遺憾で、危険であるとそういう発言があるということを指摘しておきたいというふうに思います。

 ウクライナ問題については以上で、また改めて、また機会を作ってですね、安倍元総理の発言についても追及していきたいというふうに考えます」 
 杉尾秀哉(立憲民主党)「さっそくですけれども、先程来、質問が出ております安倍元総理のニュークリアシェアリング、核共有について伺います。ちょっと確認させて頂きたいのですが、先程来、核共有は認めない、あるいは認めることは難しいということを総理、何度も仰っておりますけども、これは議論自体を認めない、こういうことですか。どうぞ」

 岸田文雄「政府としてこの核共有は認めないと申し上げています。政府として議論することは考えておりません」

 杉尾秀哉「これは先程来出ておりますけれども、党内で議論することはありますか」

 岸田文雄「党の内外でこの核共有について様々な意見があるということは承知しております。しかし政府としてこうした考え方は認めませんし、議論していくことは考えておりません」

 杉尾秀哉「政府の立場をこれまで仰ったならば、自民党の総裁ですから、党に対してもそうしたメッセージをちゃんと発して頂けませんか。安倍総理の発言、これ海外に伝えられてるんですよ。この発言をキッカケとしてですね、ある自治体の首長(くびちょう)さんはですね、『非核3原則は昭和の時代なんだ』と、『異物なんだ』と、こういうことを仰ってる。ネット見てください。今核保有論の議論がネットに溢れてます。こういう世論を煽るような遣り方っていいんですか、どうですか」

 岸田文雄「ハイ、自民党の党の内外、そして日本に於いて、そして世界に於いて核共有について様々な意見があることは承知しております。だから、政府の方針として政府に於いては核共有というものは認めない、議論は行わない。これを再三公の場で発言を、発言をさせて頂いております。その政府の方針をしっかりと確認をし、社会に対して、世の中に対して発信していくことは重要であると考えています」

 杉尾秀哉「自民党の総務会長(福田達夫)も、政調会長(高市早苗)も、やっぱりこの核共有について議論すべきだと、こういうふうにですね、三役の方が仰ってますよね。これはやっぱり世界に対しても、折角、党の、政府の立場をそこまで仰ってるんだったら、やっぱり党に対しても強く言うべきだ。少なくとも安倍総理の発言を確認していないという、そう言い逃れをしないでください。

 安倍さんも、聞く耳も持ってらっしゃるんでしょ?そしたら、安倍さんに言ってくださいよ。やっぱりこれは、我々はやっぱりこういう核共有を煽るような遣り方というのは認められませんし、非核3原則というのはやっぱり堅持していくべきであると、こういう立場を崩しちゃいけないと思うですよね。もう1回お願いします」

 岸田文雄「党の内外、世の中に様々な意見があることは承知しております。だからこそ、政府としての考え方、非核3原則の考え方、さらには原子力の平和利用を定めている我が国の原子力基本法を始めとする法体系との関係に於いてこうした考え方は認められないということは改めて政府として、そして総理大臣としてしっかり発信していくことが重要であるということで発信をさせて頂いております。これからもこうした政府の考え方はしっかりと発信を続けていきたいと考えます」

 杉尾秀哉「最後にしますけども、自民党総裁としての立場を使い分けないでください。同一人物でございますので」

 岸田文雄は非核3原則と原子力基本法等との関連から「核共有という考え方は政府としては認められない」、「政府として議論することは考えていない」と、一貫して「政府として」の立場を説明している。

 対して田名部匡代は「これまで御答弁では検討という言葉が多かったんですが、検討ではない、検討もしない、議論も認めないということでよろしいでしょうか」と聞き、青木愛は「そして安倍元総理、自民党の今でも有力な議員だと思いますけれども、自民党の中でもこうした日米共同で運用する核共有政策の導入、こうした考えが自民党の中にあるでしょうか」と聞き、杉尾秀哉は「先程来、核共有は認めない、あるいは認めることは難しいということを総理、何度も仰っておりますけども、これは議論自体を認めない、こういうことですか」と三者三様、アホなことを聞いている。

 岸田文雄が内閣総理大臣として政府としての正式な機関を設けて核共有の議論をする考えはない、と同時に自民党総裁としても党としての正式な機関を設けて同様の議論をする考えはないとしても、自民党議員が個々に仲間を集って、何らかの議連を名乗って議論することは内閣総理大臣としても、自民党総裁としても止めることはできない。断るまでもなく、誰もが思想・信条の自由を保障されているからだ。自民党内には核武装論者も存在する。閣僚が個人の資格で参加することもできる。政府に戻れば、閣僚として非核3原則堅持の立場は守ると言えば、閣内不一致という事態も避けられる。

 3人共が問題がどこにあるのか、誰も気づいていない。衆議院に関しては2021年10月31日投開票の総選挙で自民党は「絶対安定多数」を単独確保し、盤石な体制を敷いている。この当選議員の任期満了日は2025年10月30日までの約3年半後で、解散に打って出る、あるいは解散に迫られる状況とならなければ、暫くの間は盤石な体制を維持できる。但し次回の参議院選挙は4カ月後の2022年7月25日、すぐ目前にまで迫っている。前回2019年7月21日の参院選挙では自民党は改選議員を含めて単独で過半数に達せず、公明党を加えた与党で過半数を獲得できている状況にある。岸田文雄が言っている非核3原則堅持が揺るぎない信念となっているのか、安全保障環境の変化が非核3原則で行くことで足りるのか、核共有といった一歩進んだ核抑止策で行くべきなのか、思案しているのかどうかその内心は窺うことはできないが、ここで口にしてきた非核3原則堅持をぶち壊すような核共有議論を進めた場合、参院選にマイナスの影響を与えることは十分に計算できることで、最悪、自公過半数割れを起こしたなら、内閣の運営自体が困難となり、自民党政権という元も核に関係する安全保障という子も失くしかねないことは想定範囲内としているはずである。誰も危険な橋は避けるはずで、先ずは波風立たせないように配慮を重ねて、参院選勝利を喫緊の課題と位置づけているはずだ。

 安倍晋三は2014年12月14日投開票の衆院選挙では憲法解釈変更に基づいた集団的自衛権行使容認等を含めた安全保障関連法に関しては争点隠しを行い、消費税増税の延期で有権者の歓心を買い、選挙に勝利するや、国民の信任を得たと数の力で押し切って2015年9月19日に法案を成立させるウルトラCを平然と行なっている。仮に岸田文雄が安全保障環境をより強固とするために核共有といった一歩進んだ核抑止策の必要性を痛感していたとしても、参院選の争点とはせず、あくまでも非核3原則の堅持で押し通すはずだ。政策の実現はすべて選挙から始まる。第1党を保証する選挙で得た頭数が政策の推進力となる。

 もし、次回参院選で大きく勝利し、自民党単独で過半数獲得に落ち着くことができ、前回衆院選で躍進著しい日本の維新の会が同じ参院選で議席数を一定程度伸ばしたなら、代表の松井一郎が核共有議論推進を掲げていて、次の衆院選と参院選までに時間の余裕があることから国民に人気のない政策推進で有権者離れが少しくらい生じても、喉元通れば熱さ忘れるに期待して安倍晋三を筆頭とした自民党の核共有推進議員と維新の議員まで交えて核共有議論を進め、衆参両院で大勢意見とすることができたなら、岸田文雄がいくら非核3原則堅持を掲げようとも、政府内でも核共有に向けた議論を開始せざるを得なくなる道に進むことは容易に想像できる。

 この流れに岸田文雄が真実非核3原則堅持を頑なに掲げていたとしても、逆らうことは難しい。実際には「核共有」論者であったなら、(このことは最後まで隠し通すだろうが)、やむを得ないという態度を取りつつ、多数意見の尊重を掲げて、政府としても自民党としても正式な機関を設けて議論を開始する方向に動くに違いない。何しろ自民党政府は「憲法は防衛のための必要最小限の範囲内ならば核兵器の使用を禁じていない」という立場を取っているのである。

 あるいは“一足飛び”に核共有にまで進まずにその手始めに核の持ち込みというワンステップを暫くの間置いて、生じた場合の国民のアレルギーを冷ます冷却期間とすることも考えられる。こういった状況になったとき、当然、日本は非核3原則堅持の旗を下ろすことになるが、岸田文雄にとって止むを得ない妥協として受け入れるのか、広島を選挙区としているということもあるのだろう、核廃絶を掲げているものの、その旗を下ろす役目が自分に回ってきたことの皮肉を痛感しながら、時代の変化を受けた潮時と冷静に受け止めるのか、そういったことのいずれかであろうが、このような経緯を取るだろうと想定できるのは安倍晋三が元首相としての強かな影響力を持つと同時に自民党最大派閥のボスであり、岸田文雄は首相職を維持するためにも、選挙の顔であり続けるためにもその意向を無視はできない両者関係にあるからなのは論を俟たない。

 この両者関係は既に様々な場面に現れている。岸田文雄は2021年9月の自民党総裁選から自身が首相となった場合の安倍晋三のアベノミクスに代えるメインの経済政策として「新しい資本主義の実現」掲げた。だが、首相となって半年が経とうというのにアベノミクスのように何と何と何の「三本の矢」だといった具体像が未だ公表されていないのは異常な事態としか言いようがない。「新自由主義的政策からの転換」と「成長と分配の好循環」という抽象的な理念にとどまる中身だけは明らかにしている。

 安倍晋三は岸田文雄の「新自由主義的政策からの転換」に反応したのだろう、2021年12月26日放送のBSテレ東番組で次のように発言している。

 「(「新しい資本主義」を掲げる岸田文雄首相の経済運営について)根本的な方向をアベノミクスから変えるべきではない。市場もそれを期待している。ただ、味付けを変えていくんだろうと(思う)。『新自由主義は取らない』と岸田さんは言っているが、成長から目を背けると、とられてはいけない。改革も行わなければならない。社会主義的な味付けと受け取られると市場も大変マイナスに反応する」

 アベノミクスの味付けを変える程度ならいいが、非なるもであってはならないと警告した。いわば新自由主義経済アベノミクスからの決別に釘を差した。この釘は岸田文雄が自らが掲げた「新自由主義的政策からの転換」への自由な活動を縛ることになる。大企業や高額所得層を豊かにし、中低所得層を豊かさから取り残す不公平な分配を果実とした新自由主義経済アベノミクスからの決別ではない新自由主義的政策からの転換という、殆ど相矛盾する綱渡りを強いられることになるからだ。もし安倍晋三の釘(=意向)を完璧に無視できたなら、「新しい資本主義実現会議」を4回も開いているのだから、岸田文雄本人から具体的な中身の発表があっても良さそうだが、「具体像が見えない」、「道筋が見えてこない」がマスコミや評論家の今以っての専らの評価となっている。安倍晋三の意向を無視はできない両者関係に縛られた具体像の未確立としか見えない。 

 佐渡金山の世界文化遺産への登録を目指す新潟県などの動きに韓国側が韓国人強制使役被害の現場だからと反対、岸田政権は当初、登録推薦に慎重な姿勢を示していたそうだが、安倍晋三が2022年1月20日の安倍派総会で「論戦を避ける形で登録を申請しないのは間違っている。ファクト(事実)ベースで反論していくことが大切で、その中で判断してもらいたい」と発言、岸田政権の慎重姿勢に釘を差した。4日後の2022年1月24日衆院予算委、バックに常に安倍晋三が控えている高市早苗が佐渡金山の歴史を江戸時代のみに区切る歴史修正主義に立って、「これは戦時中と全く関係はない。江戸時代の伝統的手工業については韓国は当事者ではあり得ない」と推薦を強く迫ると、4日後の1月28日夜、岸田文雄はこれまでの慎重姿勢を一変させて首相官邸のぶら下がり取材で「佐渡島金山」のユネスコ推薦を正式表明、4日後の2月1日にユネスコへの推薦を閣議了解、推薦書を提出するに至った。安倍晋三の意向を無視はできない両者関係を窺うに余りある。

 岸田文雄が安倍晋三に対して鼻息を窺わなくても済む関係にあれば、安倍晋三の発言後に今まで見せていた姿勢・態度をその発言に見合う姿勢・態度に変える必要性は生じない。となると、立憲民主党三者は二人の間にこういったパターンが既に認められている以上、安倍晋三の「核共有」議論推奨発言に対して岸田文雄が非核3原則堅持を国会答弁としたとしても、岸田文雄にとって安倍晋三の意向を無視はできない両者関係と衆参両院選挙のいずれかが間近に控えている場合はそれがネックとなって、選挙に悪影響があると予想される政策や言動を選挙後までは控える前例を頭に入れて、7月の参院選で自民党が少なくとも議席を伸ばすことができたなら、自民党内から日本維新の会も巻き込んで、「核を持ち込ませる」議論か、「核共有」を議論する動きが出てきて、一定の勢力とすることができたなら、「核を持ち込ませる」に向けてか、「核共有」に向けて政府を動かすことになる次の段階を想定しなければならない。

 想定できたなら、参院選後に予想される展開を描く国会追及を行うことができて、岸田文雄をして少なくとも「選挙の結果に関わらずが非核3原則堅持に変わりはありません」の言質を取らなければならなかったはずである。その言質が安倍晋三の意向を無視できる動機となりうる可能性は否定できないし、予想される展開を描いておけば、逆に描いたとおりの動きを牽制する役目を持たせる可能性も出てくる。ところが青木愛も田名部匡代も、杉尾秀哉も、3人共に同じような質問をし、同じような答弁を引き出す非生産的な追及しか試みることができなかった。政治の動きというものを何も学んでいないことになる。小川淳也の「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」は夢のまた夢、手の届かない情けない状況にある。あるいは立憲の面々が追及の実力が伴わない状況にあるにも関わらず、小川淳也が「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と体裁のいいことを口にしたに過ぎないことになる。

 今までのパターンを例に上げることができれば、パターンどおりになる可能性の観点から安倍晋三の「核共有」議論推奨発言と対する岸田文雄の非核3原則堅持発言の参院選後の推移が非核3原則堅持を危うくする方向に進みかねない、考えられる成り行きを描き出して、参院選挙期間中に国民に警鐘を鳴らす訴えとすることもできる。ただ単に現在は政権内にいない安倍晋三の「核共有」議論推奨発言と自民党内や他野党内に同調者のいることを取り上げ、岸田文雄に「非核3原則堅持」を言わせるだけでは、核政策に限らず、どのような政策も党内勢力図の影響を受けて生じる主導権の所在が政策の決定権を担う関係から、政府追及としてはさしたるインパクトを与えることはできない。もしインパクトのある追及ができたと思っているなら、裸の王様もいいとこの滑稽な勘違いとなる。

 大体が安倍晋三はプーチンが核の使用も辞さなぞと見せかけるある種の"核の脅迫"に反応して"核共有"議論の必要性を口にした。このことを批判するなら、非核3原則の旗を掲げていさえすれば、プーチンや金正恩みたいな独裁者が日本に核を撃ち込みたい衝動を抱えたとしても、その衝動を抑えることができるとする妥当性ある答を示してからすべきで、答を示しもせずにただ「非核3原則」、「非核3原則」と言うのは論理性も何もなく、感情任せのマヤカシにしか聞こえない。

 それともウクライナは遠い国で、日本ではないのだから、核が使用されたとしても、見守るしかなく、日本の非核3原則は非核3原則としての立ち位置を損なうことはないと一国平和主義で行くのかもしれないが、プーチンが核の使用も辞さなぞと"核の脅迫"を一旦見せた以上、世界が独裁者によって核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱える状況に足を踏み入れることになった。少なくとも世界の多くの国がその危険性に警戒心を持つことになった。そのような場合、日本だけを蚊帳の外に置くことができるだろうか。

 だからと言って、核に対抗するに核を用意するどのような核抑止策も、振り出しの議論に戻るが、使うことが絶対ないと言い切れない状況にある核が世界のどこかで使われた場合、そして核に対するに核の報復は全否定できない以上、その世界のどこかは広範囲に目を覆うばかりの悲惨な破壊と壊滅、凄惨な死屍累々の状況に覆い尽くされる結末を出現させるかもしれない。百歩譲って核使用までいかずに核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱える不安定な状況が延々と引き伸ばされていくだけであったとしても、この両場面共に核という存在よりも独裁者という存在が核に関わる懸念材料としてより大きく立ちはだかっていることに
留意しなければならない。いわば核は使わなければ無害であるが、使う・使わないの決定権を持ち、使う可能性が少なからざる予想される(でなければ、世界は核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱えることはない)独裁者という存在自体に重大な関心を向けなければならない。

 考えられるこのような推移が自ずと導く答はやはり独裁者の排除以外にないことになる。独裁者の排除こそが、核の脅威を低下させることができる要因とする。時間的に遠回りになったとしても、独裁者の排除にこそ重点を置くべきだろう。独裁者の排除は民主体制への転換を意味する。軍事的な強硬手段ではなく、話し合いの問題解決を優先させる立ち位置を世界は取ることになる。核に対抗するに核を以ってするのは多くの国民の犠牲を決定事項としなければならない。

 プーチンという独裁者の排除については「独裁者」という言葉直接的には使わなかったが、2015年11月17日当ブログ記事《安倍晋三はプーチンとの信頼関係構築が四島返還の礎と未だ信じているが、リベラルな政権への移行に期待せよ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に北方4島返還はプーチンが大ロシア主義を血とし、ロシアを旧ソ連同様の広大な領土と広大な領土に依拠させた強大な国家権力を持った偉大な国家に回帰させようとしている限り、そしてそのことによってロシア人の人種的な偉大性を表現しようとしている限り、安倍晋三がいくらプーチンとの信頼関係構築を4島返還の礎に据えようが、あるいは平和条約締結の条件としようが、プーチンの大ロシア主義の前に何の役にも立たないはずで、プーチンに代わる、大ロシア主義に影響されていないリベラルな政権への移行に期待する以外にないとプーチンの排除を書いた。

 さらに2020年11月23日の当ブログ記事《北方領土:安倍晋三がウリにしていた愚にもつかない対プーチン信頼関係と決別した領土返還の新しい模索 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも、プーチンへの領土交渉進展期待は非現実的で、彼を政治の舞台から退場させる力は現在なくても、その強権的専制政治への反体制を掲げる民主派勢力がロシアの政治の表舞台に躍り出て来ることに期待をかけ、資金等提供、その実現に力を貸す方が現実的な領土返還の新しい模索とすべきではないかと書き、独裁者プーチンのロシアの政治の舞台からの排除の必要性を書いたが、プーチンのウクライナ侵略と核使用をチラつかせるに及んで、核使用の脅威を取り除くには独裁者プーチンの排除と民主派勢力への体制転換の必要性を改めて強く認識するに至った。

 核を使わない、通常兵器による戦争であっても、多くの国民が犠牲となり、住む土地を追われる。核戦争となると、犠牲や破壊は計り知れない。非核3原則と言うだけではなく、想像力を働かせて、核使用の機会を取り除く何らかの方策を見い出す時期に来ているように思える。

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