民主党がマニフェスト戦争を勃発させた。戦争当事者は小沢前幹事長対菅現執行部。マニフェストは守るべきだ、修正があってもいいの両勢力による正面衝突だが、まさに戦争にまでエスカレート。守るべきだが小沢前幹事長、修正があってもいいが菅現執行部。
なかなか見所のある戦争となっている。
《「約束、実行しなきゃ駄目」 小沢氏、菅執行部を批判》(asahi.com/2010年6月28日22時2分)
民主党は子ども手当の満額支給断念、高速道路無償化の修正、ガソリン税暫定税率廃止の断念等々、衆院選のマニフェスト中身を替えている。
愛媛県今治市での会合――
小沢前幹事長「約束は実行しなきゃ駄目だ。政権取ったら、カネがないからできません、そんな馬鹿なことがあるか。・・・・公然と政党が約束し、政権を与えられたのだから、やればできる。必ず私が微力を尽くし、約束通り実現できるよう頑張りたい」
次は菅首相の「消費税10%」発言を攻撃目標に据えて――
小沢前幹事長「一生懸命無駄を省き、最終的に4年たって、社会保障費などがどうしても足りないという場合は検討しなければならないが、(昨年の衆院選で)上げないと言ったんだから約束は守るべきだ」
自身も民主党の一員でありながら、「民主党は約束を守れっ!!民主党は約束を守れっ!!」とシュプレヒコールを上げている。
記事は最後に、〈会合後も収まりがつかない様子で、〉と解説を加えながら、記者団に語った発言を伝えている。
小沢前幹事長「国民の皆さんと約束したことは、何としても守らなければ社会は成り立たない。これでは結果としてうそをついたことになる」
そっちが小沢外しなら、こっちはマニフェスト違反攻撃の仕返しだといったところか。
対して菅現執行部の反撃。戦争は攻撃に対する反撃が付き物となっている。
《【参院選】割れる民主、公約混乱 幹部「小沢氏の発言分からない」》 (MSN産経/2010.6.29 23:40)
最初にこの戦争の理非についの解説。〈民主党は選挙の重要政策をめぐる混乱をさらけ出した格好だが、政党がわかりやすい公約を掲げて有権者に選択を求めるマニフェスト選挙の基礎を崩す恐れさえはらんでいる。(榊原智)〉――
反撃のトップバッターは枝野幹事長。
枝野幹事長「硬直的な考え方は結果的に国民に迷惑をかける無責任な大衆迎合だ」
要するにマニフェストに政策として掲げたからといって、掲げたとおりに杓子定規に政策を推し進めなければならないとするような「硬直的な考え方は」、「無責任な大衆迎合」に過ぎないと言っている。
裏を返すと、柔軟な発想、柔軟な政策遂行が必要だ。それが国民の利益に適う責任ある政権運営だということなのだろう。
また枝野幹事長は〈小沢前幹事長時代に公約に反してガソリン税暫定税率の実質維持を決めたことに触れ〉――
枝野幹事長「もう、お忘れになったのか」
自分こそマニフェスト修正主義者じゃないかと、レッテルを投げ貼り返す。我々をマニフェスト修正主義者呼ばわりするとは片腹痛いとばかりに。
マニフェスト修正主義者という点では、どっちもどっちも、五十歩百歩だと思うが、枝野はそのことに気づいていないらしい。
〈菅首相が小沢氏について「しばらく静かにした方がいい」などと述べたことに関連し〉――
枝野幹事長「普通『しばらく』と言ったら、もう少し長い期間を言うのかなと思う」
小沢外しの戦争を仕掛けられた側は常に反撃の機会を狙う。その絶好の機会が訪れたにも関わらず、「しばらく静かにした方がいい」と言われたからと、それを「硬直的」に受け止めて忠実に従っていたのでは折角の反撃の機会を失ってしまう。機を見て敏なる者こそ、効果的な反撃をものにすることができる。
枝野幹事長は自分では気の利いた皮肉を言ったつもりだろうが、人間の心理に詳しくないらしい。
二番バッターは玄葉公務員制度改革担当相(民主党政調会長)。29日の記者会見。
玄葉「マニフェスト見直し作業は、(党所属)全国会議員、総支部の声をかなり集約しながら、確かなプロセスで進められた。前執行部の下で進んだとも理解している」
党内の大勢的意見を「集約し」、「確かなプロセスで進められた」なら、「マニフェスト見直し」は許されるとマニフェスト修正主義を正当化している。さすがマニフェスト修正主義者の面目躍如とした発言だが、「前執行部の下で進んだとも理解している」ということは、マニフェスト修正に関しては小沢幹事長共々自分たちをも共犯の立場に置いていることになる。
共犯なら、共犯じゃないかと言った方が早い。「お前と俺は一緒に人殺しをやった仲じゃないか。仲間割れしている場合か?」と。
三番バッターは野田財務相。
野田「(小沢氏の発言は)意味がよく分からない。参院選公約は鳩山由紀夫前首相、小沢前幹事長の下での企画委員会を中心にまとまってきた。ご自身が見ていたはずだ」
これも共犯説。主犯は前執行部かもしれないが、マニフェスト修正という犯行を受入れたのだから、共犯であることから免れることはできない。そして現在は主犯としてマニフェスト修正を敢行しつつある。
記事は、〈仙谷由人官房長官も会見で公約修正は当然との考えを示した。〉と書いているが、発言そのものは伝えていない。
《民主党:小沢氏の公約修正批判に広がる警戒感》(毎日jp/2010年6月29日 20時29分)がその発言を載せている。
〈小沢氏が批判した子ども手当の満額支給断念などについて〉――
仙谷「限定的だが、実現した」
そう、「限定的」であっても、「実現」しさえすれば許されるとの立場――マニフェスト修正主義者の立場を露にしている。
最初100と言ったとしても、「限定的」に50の実現であっても構わないとするなら、では、最初の100は何だったのか。
仙谷「現実の財政、経済運営に責任を持たなければならない政府として、約束したことは約束したことで一生懸命やっていく」
前後の発言に矛盾がある。「約束したことは約束したことで一生懸命やっていく」は修正主義の否定である。「現実の財政、経済運営に責任」があると同時にマニフェストにも「責任」があると言っていることになる。
尤も、「一生懸命やっていく」とは言ったが、「実現させる」とは言っていないということなら、発言の矛盾を解くことはできる。「限定的だが、実現した」は修正主義の観点から言うなら、結構毛だらけの首尾となる。
上記「MSN産経」記事は現執行部対小沢反撃に対する小沢対現執行部再反撃を、〈一方、小沢氏は閣僚らの反発などどこ吹く風だ。29日、遊説で訪れた山形県鶴岡市の山間部の集落でビールケースの上に立ち、約30人の住民と約15人の報道陣を前に持論を繰り返した。〉紹介している。
聴衆約30人に対して報道陣がその半分の約15人、相当野次馬根性の溌剌気分に満たされていたのではないのか。
小沢前幹事長「皆さんと選挙で約束したことは、どんなにしんどいことであってもやり遂げなければ、本当に信頼を勝ち取ることはできないと、私は思っております」
これだけの発言を録るために山形県鶴岡市の山間部にまで15人もの報道陣が押しかけた。押しかける1人になりたかった。野次馬気分が思う存分に味わえただろうから。
しかし、記事が後半で纏めた解説は意味ある指摘となっている。
〈参院選での民主党の公約はもちろん今の参院選マニフェストや首相、幹事長らの選挙戦での発言の中にある。しかし、前執行部の実力者で、党内最大グループを率いる小沢氏が異論を唱えるのでは、公約自体の重みが問われてしまう。
有権者の一部には今も民主党の最高実力者としての小沢氏のイメージが残っている。それだけに、小沢氏の発言は、有権者に「執行部と小沢氏のどちらを信じればいいのか」と戸惑わせるのに十分だ。参院選後の9月には民主党代表選があり、小沢氏が党の主導権を握ったり、発言権を強めたりする事態もあり得る。有権者が民主党の目玉政策や消費税への態度は再変更されるかもしれないと感じたとしても不思議ではない。
党執行部や閣僚らの小沢氏への反論は、こうした有権者の民主党不信を懸念したものだ。〉――
だとしても、問題は選挙公約として掲げた、あるいは政権を獲った場合の国民との契約書となるマニフェストの内容を政権を獲ったのちに修正しても許されるのか、許されないのかであろう。
その辺りの事情の変化によって、〈公約自体の重みが問われ〉ることになる。
〈小沢前幹事長時代に公約に反してガソリン税暫定税率の実質維持を決め〉る修正主義をやらかしたとしても、現執行部のマニフェスト修正主義に反撃の機会を見つけた。そこが出発点となっている最近の小沢前幹事長対現執行部マニフェスト戦争なのだから、修正の是非、修正主義の当否に立ち返ってくる。
小沢前幹事長は例えマニフェスト修正の前科があろうと、反マニフェスト修正主義の立場に立っている。例え野田が言うように「参院選公約は鳩山由紀夫前首相、小沢前幹事長の下での企画委員会を中心にまとまってきた」としても、修正マニフェストの実行者は現執行部なのだから、現執行部はマニフェスト修正主義者の立場を取っている。
このことは以前ブログに書いたことだが、現執行部の重要な一員を占めている玄葉公務員制度改革担当相(民主党政調会長)の6月17日に行われた民主党2010年参院選マニフェスト発表記者会見での発言が証明している。
玄葉 「マニフェストと言うのは生きものであり、常に手入れが必要なものだというふうに認識をしております。従って、環境や状況の変化に柔軟に対応することが重要だということで、改めるべきは改めるという観点から書かれているということです」
マニフェスト修正主義者の面目が如実過ぎる程にまで現れた素晴らしい言葉となっている。
「マニフェストと言うのは生きものであり、常に手入れ」などされたのでは、有権者は政策判断の第一義的基準をどこに置いたらいいのだろうか。
玄葉は、マニフェストなるものは政策判断の第一義的基準とはならないものだと宣言したのである。現執行部は例えマニフェストを修正したとしても、国民の生活に役立てばいい、国民の利益に供すればいいと、そこに正当化の口実を置いているだろうが、修正が常に前身の形を取るとは限らない。後退、もしくは問題解決の遅滞の形を取る場合もある。
例えば子ども手当の20011年度からの2万6千円満額支給を断念、現物給付にまわすとしているが、現物給付は現物給付で可能な限り満足に解決のいく政策を別立てで打ち立てていたはずである。打ち立てていなかったとしたら、不作為を為すこととなり怠慢の謗りを免れない。
それを現物給付にまわすと修正、長妻厚労相が「満額支給は財政上の制約もあり難しい。現物、現金問わず、2万6千円という水準について確保するのが難しい」と言っているように、まわした分を合わせて予算支出額が1人当たり2万6千円に満たないということなら、まさしく後退そのものであろう。
要するに玄葉が言っていることは政策をマニフェストどおりに実行できないことの正当化口実につくり上げた薄汚いばかりのご都合主義の開き直りに過ぎない。
大きな真ん丸い目をして一見利口そうな目の輝きをしているが、小賢しさがそう見せている目の輝きのようだ。
マニフェストの修正は年金月額7万円最低保障の公約にまで、その修正主義の魔の手が伸び、当初の姿を一変させようとしている。子ども手当に関して、「限定的だが、実現した」と平気で誤魔化すことができる仙谷官房長官がその方針を29日午前の記者会見で明らかにしている。
《年金:月額7万円こだわらず制度設計 仙谷官房長官》(毎日jp/2010年6月29日 13時08分)
仙谷「あの時点では7万円程度が財源等の関係で望ましいし妥当かなという判断で書いたが、今後それが上がることも、より低い金額が設定されることもあり得る」――
〈政府の新年金制度に関する検討会がまとめた「基本的考え方」で、年金財源に触れなかったことについて〉――
仙谷「消費税が大きな役割を果たすことは疑いようがない。この原則を作った方々の頭の中にも当然、共有、共通の認識としてある」――
増税した消費税を充てると言っている。衆院選マニフェストでも、この「最低保障年金」制度は消費税を財源とすると明記しているらしいが、では、なぜ財源は消費税を充てると正直に書かないのだろうか。自分たちだけ、「共有、共通の認識」としている。だが、そこに国民を加えていない。国民には、「共有、共通の認識」とはなっていない。
6月11日の菅内閣総理大臣所信表明演説で菅首相は、「広く開かれた政党を介して、国民が積極的に参加し、国民の統治による国政を実現する」と言っていたが、国民が「共有、共通の認識」の輪に入ることができない状況下では、民主党は「広く開かれた政党」とは決して言えず、当然、国民の積極的な政治参加は不可能となる。「国民の統治による国政」の実現はお題目で終わる。
仙谷は“国民の積極的な政治参加”など頭にも耳にも気にも留めていないようだ。
29日のTwitterに、「仙谷官房長官、29日午前の記者会見。民主党マニフェストに掲げた年金月額7万円最低保障。『あの時点では7万円程度が財源等の関係で望ましいし妥当かなという判断で書いたが、今後それが上がることも、より低い金額が設定されることもあり得る』。そんなにあやふやな基準で決めたことなのか」と投稿した。
要するにマニフェストに掲げ、国民との契約とした「7万円」は財源等から見た妥当性で弾き出した金額であって、最低限7万円の生活費が必要ではないかという「国民の生活が第一」、「国民のいのちを守る」視点からの妥当性で弾き出した金額ではなかったと暴露したのである。
何とも心強い話だが、あくまでも財源が基準の捻出額だから、マニフェストに掲げたどのような保障額も、すべて「今後それが上がることも、より低い金額が設定されることもあり得る」財源次第の変数となる。
これ程見事なマニフェスト修正主義は他に類を見ないに違いない。子ども手当にしても、財源が基準の満額2万6000円と捻出した。親が子どもを養育するに1人当たり2万6000円は必要だろうという妥当性からの捻出額ではなかった。
財源から弾き出した2万6000円であるにも関わらず、財源不足だと言って、満額支給は断念だと言う。ここに矛盾はないか。
それとも子ども手当に関しては、財源を基準とした金額の捻出ではなかったというのだろうか。これだけは必要だろうという妥当性から捻出した。だが、財源不足から止むを得ず満額支給を断念せざるを得なかった。
どちらであっても、自己都合の二重基準となる。
仙谷は、「今後それが上がることも、より低い金額が設定されることもあり得る」と言っているが、上がることはあるまい。マニフェストに掲げた保障額を財源次第の変数としているのだから、子ども手当の前例からしても、ほぼ答は出ている。「より低い金額が設定」ということになるだろう。
財源不足は続くし、財政健全化も待ち構えている。
それを解決するのが消費税増税だということなのだろうが、年金月額7万円最低保障の財源に消費税増税による歳入増に実際に置いていたなら、先に消費税増税を持ってこなければならないはずだが、逆の手順となっている。この矛盾をどう説明するのだろうか。
この問題について年金を所管する長妻厚労大臣の発言を、《最低保障年金、月7万円巡り閣内で温度差》(日本経済新聞電子版/2010/6/29 12:49)が伝えている。
題名が示している記事の趣旨は、〈民主党が昨年の衆院選のマニフェスト(政権公約)で掲げた「月額7万円の最低保障年金」の扱いなどを巡り、29日の閣議後の記者会見で閣僚の意見の違いが明らかになった。〉というものである。
長妻「7万円をかえるわけではない。マニフェストにも明記している」――
鳩山政権の閣内外で子ども手当の満額支給見直しのアドバルーン(観測気球)が打ち上げられている中で、所管大臣の長妻議員一人のみが、「日本は、ほかの先進諸国と比べて現金支給のレベルは低く、満額の支給でようやく一定のレベルが確保される」と言って、満額支給を主張し続けた。だが、政権内で主流となった満額支給断念に最終的に歩調を合わせた前科がある。
これは所管大臣が率先して断念を主張するわけにいかず、いわば外堀を埋める形で外から断念の包囲網を作り、最終的に内堀に当たる長妻厚労相が止むを得ずの形で断念をして完成形とする連携プレーだと疑っている。
なぜなら、2011年度からの満額支給の場合、5.4超円の財源が必要だが、その手当がつかないといったことをマスコミが散々に書いていたことだから、所管大臣の長妻が最も知っていていい情報だったはずだ。にも関わらず、満額支給を主張し続けた。
既に“オオカミ政治家”を演じたのである。
「7万円最低保障」のサイコロの目はどう出るか分からない。消費税増税の目自体が選挙情勢、支持率状況に従って、どう変化するのか分からないときている。
いずれにしても民主党は有権者がマニフェストに置いている政策判断の基準、投票判断基準を民主党自らの修正主義によって無効にしている、あるいは台無しにしている。このことは確実に言える。
民主党のマニフェストは政策判断の基準にも投票判断の基準にもならない代物だということである。民主党上層部が寄ってたかって、マニフェストをそういうふうに劣化させた。
誰もが同罪だと言うべきだろう。
6月25日から開催、26日閉幕のカナダ・トロントG8(主要国首脳会議)では我が日本の菅直人首相は日本の首相にふさわしくない強烈な存在感を示すことができたようだ。大体が我が日本が今以てG8の一員であること自体が怪しくなっている状況にありながら、日本の首相が存在感を示し得たことは世界7不思議にもう一不思議付け加える必要が出てきたに違いない。
首脳宣言に韓国哨戒艦沈没事件に対する北朝鮮非難を盛り込むことができたのも、我が日本の菅首相のリーダーシップが物を言った。
《「北朝鮮非難」明記は成果=成長戦略にG8が理解―菅首相》(The Wall Street Journal/2010年 6月 27日 12:16)
「時事通信社」記事からの転載で、26日午後(日本時間27日朝)、トロント市内で記者団に語ったという。
菅首相「わたしがリードスピーチを行い、非難すべきは非難するよう申し上げ、宣言に盛り込まれた」
自身の経済政策について――
菅首相「成長と財政再建の両立が主要8カ国(G8)すべてに重要だ。雇用を軸にした経済成長を訴え、G8各国から一定の理解を得た」――
そう、我が日本の菅首相の「リード」なくして、首脳宣言に北朝鮮非難を盛り込むことは永久にできなかったろう。G8から帰国した菅首相を日本国民はちょうちん行列で迎えてもいいくらいだ。
尤も我が菅首相の卓越した「リード」にしても、何ら障害なく結末を見たわけではなかった。難色を示すロシアをアメリカの力を借りてということはないだろうから、アメリカを従えて説得、自らの「リード」を実らせた。
但し、我が菅首相の卓越した「リード」であるにも関わらず、首脳宣言に盛り込まれた北朝鮮非難はロシアの要求にあって微妙に弱められることになった。
《G8の北朝鮮非難、日米主導で難色の露を説得》(YOMIURI ONLINE/2010年6月28日09時53分)が、「北非難の文言」を載せている。
〈韓国が主導し、外国の専門家が参加した軍民合同調査団は、天安(ちょんあん)の沈没は北朝鮮に責任があるとの結論を出した。我々はこの文脈で、天安の沈没につながったこの攻撃を非難する。我々は、北朝鮮が攻撃を行わないこと、また、韓国に対する敵対行為を控えるよう要請する。〉――
「この文脈で」がミソなのだそうだ。「この文脈で」の一言を入れることによって、ロシアは賛成したのだそうだ。
調査団が出した結論の文脈に従って非難するのであって、あるいは調査団が出した結論を背景として非難するのであって、結論を真正なる事実としたわけではないと二重基準を設けたわけである。
この辺の事情について、韓国の「中央日報」記事――《日本の官僚「北を強く非難できなかったのはロシアのせい」》(2010.06.28 10:59:26)が参考となる。
会議を終えたあとの日本の官僚の発言。
日本の官僚「北朝鮮をもっと直接的で力強く責めることができなかったのはロシアのためだった。ロシアが唯一の反対国だった」
ロシア代表団官吏「ロシアは天安艦事件の調査結果をまだ最終的なものと見做さない。北朝鮮を強く責めるのは否定的な結果を生むこともあり得る」――
正義もそれぞれの利害に従う。結果として、自分たちの正義が相手の正義であるとは限らない事態が生じる。当然、相手の正義が自分たちの正義であるとは限らない事態も起こり得る。自正義≠相手正義は相互性として存在している。
日本の官僚はロシアを批判するだけではなく、ロシアに対する自分たちの説得力の限界をも省みるべきだったろう。
だが、我が菅首相にとってはロシアの障害は自らの自尊心を何ら傷つけはしなかったし、自らのリーダーシップにいささかの疑問符もつけることもなかった。何しろ、「わたしがリードスピーチを行い、非難すべきは非難するよう申し上げ、宣言に盛り込まれた」のだから、大いなる偉業を成し遂げ、大いなる存在感を示したと自らを誇っていさえすればいい。
菅首相は存在感ある自らの「リード」で、G8への中国の参加を提案してもいる。《中国のG8参加提案 菅首相、取り込み狙う?》(日本経済新聞電子版/2010/6/26 20:21)
記事は菅首相の提案の狙いを、〈中国を巻き込み、北朝鮮問題や中国の軍拡問題で「大国」の自覚を持った行動を促す狙いだ。中国抜きの国際会議での実効性に限界を感じている面もあるとみられる。〉と解説している。
G8の夕食会で20カ国・地域(G20)サミットの枠組みに疑問の声があがったとき、我が菅首相が存在感あるトップリーダーにふさわしく発言に出た。
菅首相「中国に一層責任感を高めてもらうため、時には中国をG8に呼ぶことを考えてもいいのではないか」
記事は夕食会に於ける会話の内膜を次のように書いている。〈ある首脳が中国を念頭に「G20は金融危機では大きな役割を果たしたが、今後は意見をどう収れんさせていくかが課題だ」と発言。それを受け、会場内には中国抜きのG8を「価値観を同じくする国が率直に意見交換」できる場として評価する声が相次いだ。それだけに、首相の突然の発言は異彩を放った。〉――
我が日本の首相の中で、これまで異彩を放つ指導者など存在しただろうか。菅首相が初めてに違いない。ギネスに名をとどめるべきだろう。
記事は首相に近い政府筋を登場させて菅首相の異彩を放った発言を解説させている。
首相に近い政府筋「事前に調整した発言ではなかった。・・・・中国の存在が入らない会議は意味がない。中国に国際社会で責任ある振る舞いをしてほしいからだ」――
G8といった国際会議でも、事前に調整する発言もあるらしい。事前にそれぞれの発言を調整して、それぞれの役割分担に応じて発言し合い、対立する主張・意見を抑え込むべく策動するといったことが。
だが、「事前に調整した発言ではなかった」。自らのリーダーシップに則った中国招請発言であった。
この招請を記事は次のように解説している。〈中国抜きで決めた方針が国際社会でどの程度の効力を持つかは疑問だ。いっそ中国自身を当事者に変え、中国依存を強める北朝鮮や東アジアの軍事バランスの問題も責任を持って考えさせる――。「敵」を内側に取り込む発想ともいえる。〉――
問題は、こういったプログラムが可能かどうかにかかってくる。既に安全保障理事会は毛沢東が蒋介石国民党政府を中国大陸から放逐して以来、共産党中国をメンバーとして取り込んでいる。だが、韓国哨戒艇事件だけではなく、ミサイル発射、核実験に関しても、中国の対北朝鮮ガードを完全には突き崩せずにいる。それをG8で可能とできる前提の我が日本の菅首相の発言となっている。
記事は中国取り込みの効用を解く一方で、中国をG8のメンバーに加えたとしても、事はそう簡単には進まないこと、中国と西欧諸国との国益・利害調整の限界を伝えている。
〈韓国の哨戒艦沈没事件を踏まえ、日米韓は北朝鮮への制裁強化を打ち出したが、考え得る制裁は実施済み。北朝鮮の強硬姿勢を覆すだけの圧力にはなっていない。一方で、北朝鮮の国家崩壊に伴う難民流入などを恐れる中国は制裁論議が本格化するにつれ、北朝鮮への融和色を強めている。〉
〈イラン問題でもG8にはイランへの軍事力行使を辞さない構えをみせた1年前の迫力はない。北朝鮮問題と構図はほぼ同じで、背景には、両国に強い影響力を持つ中国の制裁への消極姿勢がある。国際経済だけでなく、国際政治でもG8の影響力の限界を見せている。〉――
〈北朝鮮の国家崩壊に伴う難民流入などを恐れる中国〉については、既に久しい以前から言われていることだが、このことだけではなく、共産党一党独裁体制を取る中国が近親相姦的に他国の独裁体制に寛容、国益重視の姿勢を取る以上、例え大国中国を取り込んだどのような国際会議も実効性を伴わない恐れを常に抱えることになる。
中国抜きでも同じ、取り込んだとしても同じのジレンマに絡め取られるといった光景を世界は既に経験している。
結果として、中国の正義は西欧諸国の正義とはならない現状をつくり出している。また、この現状が益々中国を無視しては何事も前に進まない、中国の必要性を逆説的に高めている。
記事はもう一つの無視できない重要な問題点を挙げている。
〈日本にリスクもある。中国が協調姿勢をとらなければ、G8の発信力は弱まる。途上国支援をめぐっても、派手なアフリカ外交で知られる中国がG8に加われば、日本の存在感が薄れかねない。〉――
ただでさえ世界経済の中で、日本の存在感は中国の存在感の前に影を薄くしつつある。政治に関しては前々から政治三流国という名誉ある地位を与えられ、西欧諸国にとっては手を上げてくれてカネさえ出してくれさえすれば、申し分ない同盟国とされている。
そこへ来て、近年存在感著しい政治大国中国に現在以上に政治的に活躍可能な国際舞台を与えたなら、我が日本の菅首相の存在感、あるいはリーダーシップを以てしても太刀打ちできない日本の国際政治的存在感の限りない希薄化を招きかねない。
では、存在感とリーダーシップを兼ね備えた我が日本の菅首相が主導して提唱した、「中国に一層責任感を高めてもらうため、時には中国をG8に呼ぶことを考えてもいいのではないか」の発言に対して中国はどのような態度で応じたのだろうか。
《中国、G8に「興味なし」 菅首相の提案に否定的》(日本経済新聞電子版/2010/6/27 19:51)
要するに、シカトされた。昔風に言うと、肘鉄砲を喰らった。
中国外務省馬朝旭報道局長「G8の文書は知っているが、中国はG8でなくG20のメンバーだ」
記事は解説している。
〈温家宝首相は3月の全国人民代表大会(国会に相当)で、中国がG20を重視する方針を明確にしている。途上国代表としてG20を足場に国際的な発言力を強める中国にとって、「G8入り」といわれて先立つのはむしろ警戒感。外交や安全保障政策での自由度を失うことにもつながりかねず、請われてもG8に加わるつもりはないようだ。(トロント=高橋哲史)〉――
となると、中国の対北朝鮮ガードはもとより、対ミャンマーガード、対イランガード、あるいはアフリカの対独裁体制ガード等のみならず、安保理での韓国が望む制裁通りには進まない哨戒艦沈没事件に対する中国の対応等を考慮すると、中国の国際政治的な立ち位置を一切認識しない我が日本の菅首相の「わたしがリードスピーチを行い、非難すべきは非難するよう申し上げ、宣言に盛り込まれた」であり、「中国に一層責任感を高めてもらうため、時には中国をG8に呼ぶことを考えてもいいのではないか」の発言であったことになる。
いわば、甘い認識に立った自画自賛の役に立つだけの発言に過ぎなかったということになる。
当ブログ冒頭で菅首相自身の経済・財政政策に関して、「成長と財政再建の両立が主要8カ国(G8)すべてに重要だ。雇用を軸にした経済成長を訴え、G8各国から一定の理解を得た」と自ら評価する発言を取り上げたが、トロント市内のホテルでの記者会見でのその発言は《「参院選、人事つくすことに全力」 政懇で菅首相》(asahi.com/2010年6月27日22時18分)では次のようになっている。
菅首相「まあ、そんな中で、特にこのG8、G20のサミットにおいては、私が申し上げてきた経済成長と財政再建というものの両立が必要だという、この意見、ある意味では、他の参加国も基本的には同様な認識を示されてきていると思います。そういう点で、このサミットにおいても、一つの方向性を打ち出し、これから各国それぞれがんばるわけですが、そういった形で、一つの提起ができたこともよかったのではないかと、思っております。私からはとりあえず以上です」――
「経済成長と財政再建というものの両立が必要だ」――
誰もが痛感していることだが、それがなかなかできないから、どこの国も誰もが苦労している。それを菅首相は手品師がシルクハットから鳩を出すようにいとも簡単に実現可能なことのように言っている。
その両立策とは、国内外の資源の活用及び医療・介護、農業、観光等の分野への集中投資によって需要を生み出し、雇用を拡大して、そこから経済の拡大(強い経済)、財政の再建(強い財政)、社会保障の充実(強い社会保障)という好循環をつくり出してそれらを一体的に実現させる「第三の道」と称するいいこと尽くめに彩られた菅直人経済・財政政策のことであるが、あくまでもこれから着手する政策であって、まだ計画書の段階にあるに過ぎない。
モノづくりなら、計画書どおりにつくることはできる。だが、それぞれに相反する、あるいは相異なる利害が絡む政策となると、モノづくりのように計画書どおりには進まない。特にいいこと尽くめにつくり上げた政策は多分に現実世界の利害損得を無視しているから言いこと尽くめに彩ることが可能となるのであって、いいこと尽くめが矛盾を伴わずにいいこと尽くめで推移し、いいこと尽くめの結果にソフトランディングできる確率は限りなく低い。
これはあくまでも結果の予想ではあるが、予想通りであるかどうかは結果を見ないことには菅首相にしても、いくら目を見張るばかりの存在感があり、世界の指導者に劣らないリーダーシップの資質を備えていたとしたとしても、どういう姿を取るか分からないはずだ。
自らが考える経済・財政政策のG8の場での「提起」は自らも具体的に着手していないことの計画の提起に過ぎない。「提起」は結果、成果に至る以前の段階の状況での出来事であって、結果に至るまでの中間に困難な長い道のり、あるいは様々な障害が控えている。
ここで断るまでもなく、政治は結果責任である。結果を見ないうちからの「提起」の段階で、「G8各国から一定の理解を得た」とか、「一つの提起ができたこともよかった」と自ら評価する。
我が日本の菅首相には存在感やリーダーシップ同様に、物事を全体的に把える合理的・客観的認識能力にしても相当なものがあるようだ。
なぜかくも政治家にはご都合主義が多いのか
5月末の各マスコミの内閣支持率世論調査で鳩山内閣は軒並み20%を切り、朝日新聞では17%の最悪状態を呈した。
これは「政治とカネ」の問題が響いたと言うよりも、何よりも普天間基地移設問題の迷走が招いた支持率の危険水域への突入であった。国民の多くから、その指導力に疑問符をつけられた。
内閣支持率低下と時を同じくして、民主党内では参議院側を中心として、これでは参院選が戦えないとの危機感から首相退陣論が表面化。輿石参議院幹事長を交えて、小沢幹事長と鳩山首相が会談を重ね、6月2日、民主党両院議員総会を開催して、鳩山首相は退陣を表明、特に「政治とカネ」の問題を抱えた小沢幹事長とW辞任となった。
そして6月4日、民主党代表選挙。菅副総理兼財務大臣が291票、対立候補の樽床衆議院環境委員長が129票。菅直人を新代表に選出。
そして主だったマスコミが早くも6月6日配信の朝刊で菅新内閣の世論調査を発表。「菅首相に期待」が60%前後から、60%半ばまで達し、民主党支持率も参院選比例区投票先も5ポイント前後から10ポイント前後の間にまでプラス回復した。これを以て、マスコミは「V字回復」と呼んだ。
要するに民主党にとっては参議院選挙を戦うには絶好の世論動向を示すに至った。勿論、野党は逆の状況に追い込まれた。野党は参院選を少しでも先延ばししたいがためにだろう、菅内閣の方針を質すとして全閣僚出席の予算委員会開催を要求、そのための日時獲得に会期延長を求めたが、民主党は拒否、会期延長が見送られ、6月16日に通常国会は150日間の会期を終えて閉会。
閉会後の臨時閣議で、やることが早いと言うべきか、参院選の24日公示、7月11日投開票の日程を決定。郵政改革法案の採決まで見送られるトバッチリを受けた国民新党代表、亀井静香郵政改革・金融相が「公党間で約束している法案をやった上で信を問うのは当たり前だ。そこから逃げ出して、『支持率が高いうちに選挙をやっちゃえ』なんて考える人は立候補する資格はない」と批判、抗議の大臣辞任のオマケ一騒動がついたが、民主党としては「支持率が高いうちに選挙をやっちゃえ」とばかりに、予算委開催拒否、会期延長拒否、郵政改革法案採決先送りで参院選に向けてひた走った。
ところが、通常国会閉会翌日の6月17日の民主党マニフェスト発表の記者会見で、菅首相が消費税増税発言。〈与党の立場上、消費税増税に関わる世論誘導の主導権を握らなければならない地位にいながら、〉と少し前のブログに書いたが、主導的立場を示さずに税率は「自民党10%案参考」発言。
早くもその効果が現れて、21日付の新聞世論調査では菅内閣は発足時の成果とした支持率回復を5ポイントから10ポイント近くの間に下げる新たな成果を打ち立てることになった。
NHKが6月18日から行った世論調査では、菅内閣を「支持する」と答えた有権者は先週の調査の61%から12ポイントも下がって49%、「支持しない」と答えた有権者は23%から6ポイント上昇の29%となっている。
それでも菅首相はめげなかった。参院選応援の街頭演説で消費税増税を訴えた。大阪市での街頭演説。
《各党党首 街頭で支持を訴え》(NHK/10年6月24日 12時22分)
菅総理大臣「日本経済を20年間低迷させてきたのは、まちがった政策によるもので、必ず経済を立て直し、日本を成長軌道に乗せていくことを約束する。財政再建には、第一がむだの削減、第二が並行して行う経済の強化だが、それだけで十分なのかという議論を行わなければならない。わたしが消費税を取り上げると、税金を上げることを言ったのでは応援できないと言われるが、毎年40兆円程度の国債を発行すると借金が増え続け、2~3年でギリシャのようになるという人もいる。それを避けるために自民党など他党との話し合いを呼びかけている。去年の政権交代以来、試行錯誤を繰り返してきたが、今度は危ういリーダーシップではなく、約束したことを実行できる力を与えてほしい」――
少なくとも消費税増税に向けた指導力を与党首相として発揮する意志を見せた。
そして参議院選挙の民主党の勝敗ラインについて菅首相は24日のNHK番組で次のように発言したと、《民主 勝敗ラインで駆け引き》(NHK/10年6月26日 6時47分)が伝えている。
菅首相「現有議席が54なので、それを超えることがまず目標であり、できるだけ大きく超えたい」
その上で、54議席以上を獲得できなくても総理大臣を直ちに辞任する考えはないことを明らかにしたと記事は書いている。
「勝敗ラインで駆け引き」の相手は小沢前幹事長と小沢派の高嶋参議院幹事長。
小沢前幹事長「政党である以上、政権を担うことが最大の目標なのだから、常に過半数が目標というのが筋道だ」
〈非改選を含め単独で過半数となる60議席を目指すべきだという考えを示〉したと記事は解説している。
高嶋「国会運営を考えれば、参議院選挙で単独過半数を目指すことは当然だ」
菅首相の「現有議席が54なので、それを超えることがまず目標であり、できるだけ大きく超えたい」は、半月少しの間で内閣支持率を下げた世論調査を受けた慎重さからきた発言なのは明らかではあるが、現有議席から「できるだけ大きく超えたい」と言ってはいるものの、「現有議席」の54に当選ラインの基準を置いている以上、責任の基準も54議席に準ずることとなる。54議席でも責任は回避できるし、55議席なら、1議席上回ったことになり、責任におつりがくる。
いわば小沢前幹事長の、多分に揺さぶりの意図が込められているように思えるにしても、「常に過半数が目標というのが筋道」からいくと、否応もなしに自身を安全地帯に置いた議席目標と看做さざるを得ない。高いところに目標を置いて、そこに達しなかった場合の自身に降りかかる責任を回避できる安全地帯に当初から自身を退避させたのである。
ここには選挙を戦い、議席を獲ち取るという内閣の責任者としての強い決意は見えない。見えるのは責任回避の自己保身のみである。だから、低いところに目標を置くことになった。
指導力は強い決意によって裏打ちされる。選挙での指導力を放棄したと言い換えることもできる。
そして25日夜、菅首相はG8出席のためカナダのトロントに向けて政府専用機で羽田空港を出発。《G8サミット:菅首相外交デビュー 日本の存在感回復に躍起》(毎日jp/2010年6月26日)によると、現地時間25日午前(日本時間同25日夜)、日本の参議院選挙についてカナダのハーパー首相と次のような遣り取りをしたと書いている。
菅首相「56議席を得ることで与党が過半数を確保できる。非常に厳しい戦いだが、全力を尽くす」
この与党過半数目標発言は、「現有議席が54なので、それを超えることがまず目標であり、できるだけ大きく超えたい」と言っていたことと1日程度で違えた発言となっている。しかも、「非常に厳しい戦いだが、全力を尽くす」と、言葉に強い決意を忍ばせている。
これは責任回避の自己保身を図るべく退避していた安全地帯から一歩踏み出し、より高いところに目標を置いてそれなりに率先して選挙を戦う決意を表した発言であり、指導力を打ち出そうとした意思の現われでもあろう。
だが、このそれなりの決意、指導力の発揮表明も2日程度しか続かなかった。「56議席を得ることで与党が過半数を確保できる。非常に厳しい戦いだが、全力を尽くす」とカナダのハーパー首相にに語ったのは現地時間25日午前(日本時間同25日夜)。約2日後の26日夜(日本時間27日昼)にカナダ・トロント市内のホテルで同行記者団と記者会見を開き、次のように発言している。
《菅首相:発言要旨》(毎日jp2010年6月28日)
菅首相「現有議席54をいかに確保し、それを超えていくことができるか。その考えは変わっていない。人事を尽くして天命を待つ気持ちで、人事を尽くすところに全力を挙げたい。(衆参がねじれた場合)政権運営上難しい状況で、その場合は他党ともいろんな形で話し合うことが必要になるだろう。(選挙後の内閣改造の可能性については)54を超えていけるよう全力を尽くす。それ以外は考えていない」――
当初の責任回避可能な安全地帯に自身を再び退避させる発言へと後退させている。カナダ首相に語った発言に秘めたそれなりの決意表明、指導力発揮意思は何だったのだろう。しかも過半数維持ができなかった場合を早くも想定して、「政権運営上難しい状況で、その場合は他党ともいろんな形で話し合うことが必要になるだろう」と早くも連立模索に走っている。
選挙情勢を見て、政権維持の危機管理から政権の滞りない運営維持のために計画上、連立、あるいは連携を模索するのは当然な動きだとしても、選挙中はあくまでも議席獲得に強い決意と指導力を示し、選挙の結果を見てから、過半数に達しなかった場合、連立、あるいは連携の模索にかかるべきを、選挙中から、連立・連携意思を見せている。
首相の決意や指導力が選挙の情勢に少なからず影響を与えるからだ。何ら影響を与えなくなった決意や指導力は国民から口先だけのものと足許を見透かされるに至っているからだろう。
また実際の話、選挙を終えてからではないと連立や連携に向けたどのような具体的な動きもできない。にも関わらず、前以て過半数割れの敗北を予想する。これは一種の敗北主義であろう。
カナダ首相に示した“56過半数確保”意思から、記者会見での「現有議席54」確保意思への回帰は、その2日の間に行われた日本の新聞の参院選情勢の世論調査が影響した豹変以外に理由を考えることはできない。
いずれの世論調査も、与党過半数微妙、50議席程度とか、50議席台前半と出している。
もしも世論調査結果からの回帰だとしたら、世論調査に振舞わされる首相という印象を拭うことはできない。世論調査を受けた回帰ではないとしても、2日程度で変わる発言のブレからは指導力を窺うことはできない。指導力が確固としていないから、発言がブレたり、世論調査に振り回されることになる。
上記「毎日jp」記事は触れていないが、同じカナダでの記者会見を扱った「NHK」記事――《首相“人事尽くし天命待つ”》(10年6月27日 14時47分) は菅首相の目標議席についての発言を次のように伝えている。
菅首相「わたしが代表に選ばれる前の段階では、民主党の置かれた状況はたいへん厳しかった。そうしたなかで、まず考えたのは現有の54議席をいかに確保して、それを超えていこうというもので、その考え方は今も変わっていない」――
この発言には狡猾なまでのゴマカシがある。
「現有議席54」に目標を置いたことの理由に鳩山前内閣末期の内閣支持率に置き、菅内閣発足時の内閣支持率V字回復、「支持率が高いうちに選挙をやっちゃえ」と野党要求の予算委開催拒否、会期延長拒否、国民新党要求の郵政改革法案採決先送りで通常国会を予定通りに閉会、参院選に向けてひた走ったものの、自身の消費税増税発言で折角V字回復した内閣支持率を後退させた途中の経緯をご都合主義にも一切省略している。
政治家というものは狡猾なご都合主義者ばかりに見えてくる。
この省略も自身に降りかかる責任を回避できる安全地帯に自らを置こうとする作為が働いた省略であろう。
このような作為からも、菅首相には指導力というものを感じ取ることはできない。
菅首相の連立模索意思に呼応したのか、枝野幹事長も27日夕方の都内での記者会見で同じ意思を示している。《“政策面で連携呼びかけたい”》(NHK/10年6月27日 21時24分)
枝野幹事長「参議院選挙が終わったら、民主党の議席数にかかわらず、政策が一致したり、近い部分では、どの党とも協力できるところは協力できるし、その流れになるように努力したい。・・・・少なくとも、みんなの党とは行政改革や公務員制度改革のかなりの部分で一致していると思う。政策的な判断としては、いっしょにやっていただけると思う」
「民主党の議席数にかかわらず」とは言っているが、過半数を割る可能性を考えた発言であろう。割らなければ必要ない発言だからだ。
選挙の結果が出ないうちの選挙中でありながら、過半数を割った場合の対策に取り掛かる。この首相にしてこの幹事長ありの相互対応した敗北主義と言える。
対してみんなの党渡辺代表の突き放した発言を記事は伝えている。
渡辺代表「みんなの党は、アジェンダ=政策課題が明確だ。民主党とどこが一致できるのか。みんなの党の重点アジェンダである公務員制度改革は、まるっきり別だし、郵政民営化も、われわれは完全民営化を主張している。民主党のマニフェストと全然違うので、どこがいっしょにできるのか教えてもらいたい」――
例え内心に連携の意思があったとしても、選挙終了後の情勢を見てから、国民に納得のいく説明を用意した上での連携となるだろう。そうでなければ、選挙前、選挙中の与党民主党批判がウソになる。
いわば、すべては選挙が終わって各党の議席獲得状況を見てからでないと、何事も始められない。何事も始まらない。にも関わらず、民主党は選挙中から始めている。
さらに国民新党下地幹事長の発言。
下地幹事長「今は与党で過半数を超える議席を得ることを目指すべきで、選挙後の連携のあり方を模索する時期ではない。そのような発言は過半数をとれないと認めるメッセージにもなるだけに、選挙戦を戦っている候補者にも失礼だ」
首相、幹事長とも、この程度の指導力しか見せることができない。後ろ向きの指導力と言ってもいい。何とも頼りない内閣ではないか。
このような民主党を支持した覚えはないが、私の支持など目もくれていないか。
民主党は5月10日午後、夏の参議院選挙の比例区に柔道のオリンピック金メダリストの谷亮子選手(34)の擁立を発表、党本部で記者会見を行っている。《民主、参院選比例区に柔道・谷 亮子選手の擁立発表 谷選手「現役はもちろん続けます」》(FNN/10/05/10 17:34)
記者会見に立ち会った小沢幹事長(当時)と谷亮子の記事が伝える発言は次のとおり。
谷亮子「小沢先生からお話がありました通り、参議院選挙に比例代表で立候補させていただくことになりました。小沢先生からお話をいただきました経緯についてお話させていただきますと、小沢先生には、本当に長きにわたり応援をしていただいております。ことし(2010年)3月に入りましてから、今度の参院選に立候補して、国政に携わってはどうかというお話をいただきまして、4月下旬なんですけど、わたしの中でやってみようという決断をいたしました。また、民主党のほうで、先生方にいろいろ教えていただきながら、また、小沢先生の強いリーダーシップのもと、わたしも一生懸命頑張っていきたいと決意いたしました。これから皆さまのご支援、ご協力、よろしくお願いいたします」と決意表明した。
(谷選手が当選した場合、どのような活動を期待している?)
小沢幹事長「今、ごあいさつの中で申し上げました、3つの点について、私は日本の未来にとって、大変重要な大事な要件であろうと思います。谷さんは、ご案内の通り、長年にわたって、チャンピオンとして今日までやってこられております。それは、ただ単に漫然として、そういう偉業を達成してきたわけではないと思います。非常に厳しい自己努力と、自己犠牲、そして普段の努力によって達成した。自分の理想、目標に向かって全力で立ち向かっていく、努力する。そういう生きざま、生き方、それが今日の日本の社会で希薄になっていると感じます。その意味で、谷さんの精神を、さらに政治を通じて、日本国民に広く培っていただくよう努力をしていただきたい、そのように思っています。2点目の子育ての問題についても、同様でございます。私はその意味で、特に民主党は、日本の未来、将来を考えた時に、子ども手当の話もありますけど、あらゆる意味で子育て、教育に力を注いでいますので、そういう面で、ぜひ今までのご自身の経験を生かしながら、政治の場でいっそう活躍してもらいたい。そう思っています」
(当選した際、どのような活動をしていきたい?)
谷亮子「今、小沢先生が言われた通りで、わたし自身が柔道を小さいころから続けてきまして、これまで中学のころから、いろいろな国に行きました。そこでやはり、国際交流ですとか、スポーツのあり方、そういったことを今日まで学んでいる最中です。そこで、微力ながらも、自分自身で何か伝えたい、何かできることはあるのではないかというようなところから、スポーツにおいて、何かスポーツ振興であったり、スポーツの環境を整えたりだとか、そういったことに携われたらいいなという希望が1つ。あとはやはり、子育てをしながら、現在、いろいろなことにチャレンジをしているんですが、その中で、国民の皆さまが誰もが望むような国造りができていったらいいなという希望も持っています。そして、現役はこれまで公言してきた通り、もちろん続けます。そして、ロンドンオリンピックで金メダルを目指します。また、国政にも携わって、政治の方にも一生懸命、同様に頑張ってまいりたいと思います」
このいわゆる現役続行宣言が不評を買った。「政治は片手間でできる仕事ではない」とか、「柔道を引退もせずに両立できるのか」とか、「柔道と政治の二足のワラジが履けるのか」とか、「国会議員の仕事を舐めているのか」とか等々――。
こういった批判は物事を全体的に見る目を欠いた人間のタワゴトに過ぎない。
谷亮子が国会議員に当選もしないうちから、あるいは国会議員の仕事に就かないうちから、片手間にしか政治に携わることができないとなぜ断言できるのだろうか。
柔道が本職だから、政治家は片手間仕事になると最初から決めつけること自体が固定観念に囚われている。全体を見る目がないから、固定観念に取り憑かれることになる。
柔道に関わる物理的時間と議員として関わる物理的時間を差引き予想して、それを以て「片手間」だと言うなら、物事を機械的にしか判断できない非合理な頭の持主と言わざるを得ない。
柔道は個人競技だが(団体戦もあるが、基本的には個人戦の総合成績)、政治はチームプレーによって成り立っている。秘書が提供する新聞・テレビ、その他から収拾・整理した必要的確な知識・情報の手助けを受けて、あるいは共通の政策を勉強し合う同僚議員との議論から情報的な触発を受けて(議論には様々な知識・情報が含まれている)、短時間の内に個々の政策に関わる自らの知識・情報を組み立て、整理することも不可能ではない。様々な勉強ができる。
自身が直接目を通す新聞やテレビの朝夕のニュースからも、政治や社会に関わる様々な知識・情報を得ることができる。
いわば議員となった場合、秘書や同僚議員からの知識・情報、あるいは自身が直接目に触れた知識・情報を谷亮子がどう解読・料理し、自らの知識・情報とし得るかの自らの創造性とそれを具体化するための行動力に自らの政治家としての才能がかかることになる。
また、秘書からの知識・情報の提供にしても、あるいは共通の政策を勉強し合う同僚議員との様々な知識・情報を含んだ議論にしても、直接的に知識・情報の提供を受ける場合もあるだろうし、時間と場所を同一としなくても、今の時代はメールによって別の時間・別の場所で受け取り可能とすることができる。
極端なことを言うと、柔道の合間の休憩時間でも、携帯のメールを開くことで可能となる。さらに極端なことを言うと、練習中に中座したトイレで便座に座りながらであってもできる。
谷亮子が柔道の練習に励んでいる時間も、秘書の活動は谷亮子の代理の活動であるのは勿論のことだが、共通の政策を勉強し合う同僚議員の活動にしても、共通の政策を勉強し合う関係で、一定部分は谷亮子の代理の活動をしているとも言える。
直接的な議論や直接的な知識・情報の提供、あるいはメール等を通した間接的な提供を受けることによって、それは谷亮子の活動の一部となる。
肝心なことは、谷亮子が他から提供を受けた知識・情報を鵜呑みにし、その知識・情報をなぞるだけで自らの知識・情報を付け加えて自分なりの解釈を何ら施さず、機械的に自分の知識・情報として発信するだけの創造性しか持たないことである。
そうであった場合、片手間であろうと両手間であろうと関係なしに単なる頭数でしかない議員に成り下がる。そこに彼女独自の存在性を認めることができないゆえに秘書からも同僚議員からも軽蔑されることになるだろう。
尤も似た者同士なら、軽蔑は起こらない。
断るまでもなく、柔道選手としての谷亮子は彼女独自の存在性を持って存在している。
問題は個々の政策に如何に自分自身の創造性を発揮できるかどうか、それを自らの存在性とすることができるかどうかにかかっているということである。
二足ワラジとか片手間とかの問題ではない。
また、スポーツの練習に於いて日本人は長時間のハードトレーニングが得意だが、長時間のハードトレーニングをしたからと言って、優秀な成績を残せる保証があるわけではない。短い時間に集中することによってモチベーションは高まる。このことは政治活動に関しても同じことが言えるはずである。いわば片手間であっても、短い時間に集中できれば、政治活動のモチベーションを高めることは可能である。
大体が、「二足のワラジ」批判は政治を専門にしている“一足ワラジ”の政治家はすべて優れているとすることになる。それとも、本職の国会議員でさえ、単なる頭数としかなれない連中がゴロゴロ転がっているのだから、ましてや「二足ワラジ」ではまともな政治はできないということなのだろうか。
だが、日本の最高学府である東大を卒業し、総理大臣にまでなる程に政治を本業としながら、何ら指導力を発揮できなかったという手合いもいる。本職であることが有能の絶対条件というわけではないことが証明されるなら、二足ワラジでは満足に仕事はできないが例え事実だとしても、政治を本業としている“一足ワラジ”の仲間入りはできることになる。
少なくもとゴロゴロと転がっている頭数にしかなれない連中の仲間入りはできるはずである。それが税金の無駄遣いだというなら、ゴロゴロと転がっている頭数に対しても同じ批判を浴びせるべきだろう。
スポーツはその場その場で決着していく勝敗、あるいは成績によって自身の能力、あるいは自らの存在性を証明していく活動であるが、政治は自らの知識・情報に依拠した活動と時間の積み重ねを経て頭角を現していく。自らの存在性を現していく。谷亮子にしても、現在34歳なのだから、年齢的に選手生命は次の2012年のロンドンオリンピックまでだろう。柔道に注いだ積極的な自己表現、積極的な自己存在証明が政治活動にのみ振り向けられたとき、柔道の練習と試合の経験を通して自身も様々な知識・情報を積み上げているはずだから、きっと本業の政治家とは違う政治的な自己表現、政治的な自己存在証明を発揮する可能性は否定できない。
その可能性を潰すも潰さないも、やはり他からの知識・情報を如何に料理・吸収して自らの知識・情報とし、それを自らの政治活動に如何に具体的・有機的に結びつけていくかの本人の創造性にすべてはかかっている。
本人にしても「二足ワラジ」批判を承知している。それを乗り越えてやろうという決意は心に秘めているはずである。
すべては結果責任である。行く末を見守るしかない。
乱闘国会となって、誰かを投げつけて大活躍をしたといったことだけで終わる議員になるとは思えない。
どちらも約束できないことを約束している
《進次郎氏来県 “小泉フィーバー”再び》(山梨日日新聞/2010年06月14日(月))
どの程度のフィーバーか、記事はこう書いている。
〈参院選応援 女性らにもみくちゃ
自民党の小泉進次郎衆院議員が13日、県内入りし、多くの聴衆が演説に詰め掛けるなど、“小泉フィーバー”を巻き起こした父の純一郎元首相譲りの人気ぶりをみせた。〉――
進次郎は参院選山梨選挙区に同党から立候補する宮川典子の応援のため山梨入り、JR甲府駅前など3カ所で街頭演説したという。かつての小泉首相の人だかり人気を髣髴させたというわけである。
〈民主党の主要政策である子ども手当や高速道路無料化に反対した上で、〉と書いているが、自民党の面々は「バラマキ」で口をそろえているから、進次郎も、「バラマキだ」と批判したのだろう。
小泉進次郎「政治のリーダーが不幸が前提の社会を叫んで、国民が一緒に頑張ろうと思うか。・・・最小不幸社会と、自民党が目指す最大幸福社会のどちらをつくるか、選ぶのは皆さんだ」――
民主党菅首相は6月8日の記者会見で、「最小不幸社会」について次のように述べている。
「私は、政治の役割というのは、国民が不幸になる要素、あるいは世界の人々が不幸になる要素を如何に少なくしていくのか、最小不幸の社会をつくることにあると考えております。勿論、大きな幸福を求めることが重要でありますが、それは、例えば恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、そういうところにはあまり政治が関与すべきではなくて、逆に貧困、あるいは戦争、そういったことをなくすることにこそ政治が力を尽くすべきだと、このように考えているからであります」――
菅首相は「最小不幸の社会」を約束し、小泉進次郎は自民党の政策として「最大幸福社会」を約束した。
菅首相の「不幸になる要素を如何に少なくしていくのか」の営為が、“最小不幸社会”実現の条件と必ずしも一致するわけではない。例えば現在日本は年間3万人を超える自殺者数を12年連続で抱えているが、景気回復政策の成功、生活に関わる様々なセーフティネットの構築、社会制度の改革によって「不幸になる要素」をある程度社会から削ぎ落とすことができ、自殺者数を年間3万人を切ることに成功したからといって、“最小不幸社会”を実現したとは決して言えない。
ひとり親家庭の貧困率は54%だそうだが、これを40%以下に抑えたからといって、“最小不幸社会”の実現とは言えない。
いわば「不幸になる要素を如何に少なくしていくのか」ではなく、「不幸になる要素」をなくすこと、最低限、限りなくゼロに近づけることが「最小不幸の社会」実現の条件となる。少なくしただけで、限りなくゼロに近づけなければ、“最小不幸社会”とはならない。
自殺者数で言うなら、ゼロに近い数字としなければならない。
菅首相は実現の条件とはならないことを言って、“最小不幸社会”の実現を約束した。国民との契約とした。
一方の小泉進次郎は、「政治のリーダーが不幸が前提の社会を叫んで」いると言っているが、目指す社会の成立条件に不幸を置く政治家など存在するはずはない。不幸を少なくすることを前提にしているのであって、それをさも不幸そのものを前提に置いているかのように情報操作して吹き込む点は、さすが父親譲りと言うべきだろうか。
いずれにしても、“最大幸福社会”を約束した。まさか野党の気軽さで言ったわけではあるまい。あるいは菅首相が“最小不幸社会”を掲げたことへの対抗心から、対立概念としての“最大幸福社会”を持ち出したに過ぎないというわけではあるまい。
首相在任中、各種規制緩和を強力・強引に推進することによって日本の社会を“最大幸福社会”とは対極にある格差社会に染め上げるに最大限貢献のあった小泉純一郎元首相を父親とする小泉進次郎が“最大幸福社会”を口にするとは奇異な感じもするが、好意的に解釈するなら、父親が成し遂げた格差社会に対する罪の意識から、“最大幸福社会”実現に肩入れすることになったということなのだろうか。
だとしても、“最大幸福社会”とは大風呂敷に過ぎる。小泉純一郎も大風呂敷なところがあった。大風呂敷なところも血として受け継いでいるのかもしれない。
“最大幸福社会”とは“最小不幸社会”の遥か上に位置し、社会の構成員全体がカネに困らない、生活に困らない、物質的にも精神的にも豊かな生活を送ることができる社会を言うはずである。
例えそこに収入格差が存在していたとしても、今まで社会の最下層に位置していた貧困層が“最大幸福社会”だと認識できる程に収入が恵まれる社会、収入が保証される社会でなければならない。最も低い年収で、500万円の保証がなければ、“最大幸福社会”とは言えまい。
いわば格差が金額的に今まで以上の高い場所で存在することになる。当然、生活苦からの自殺は限りなくゼロに近づき、健康上の理由からの自殺も精神的理由からの自殺も限りなく少なくなっていかなければならない。
だが、一方で中小零細企業まで従業員に年収500万円を保証した場合、当然製品単価に撥ね返っていく状況が生じ、競争力の問題に響くだけではなく、500万円の保証が500万円という金額どおりの生活を保証するか疑わしくなる。
だとしても、社会のマイナス要素の払拭に関しては“最小不幸社会”が目指す場所と重なるが、“最大幸福社会”が目指す違う点は、マイナス要素をすべて払拭した上で、それを“最大幸福”に転換することを目的としていることであろう。
その一つの転換が年収100万や200万から最低限500万円への転換であるが、人間社会はこういったことを可能とするだろうか。
中国の小平は改革開放の過程で毛沢東時代の平等主義を排除して、豊かになれる者から豊かになり、豊かな者を増やしていって最終的には国全体を富ませる『先富論』を政策として打ち出した。
言ってみれば、“最大幸福社会”を約束した。だが、現実は富める者と貧しき者との数と収入が極端な格差社会をつくり出したに過ぎない。最近、強制的な過重労働から、自殺する労働者も出ている。
いずれの国の社会に於いても、人間社会では、社会の利益循環はトリクルダウン(trickle down=〈水滴が〉したたる, ぽたぽた落ちる)を方式として成り立っている。企業が利益を上げて好景気を形づくり、それが社会の下層に向かって、上の段階により多く配分しながら順次下の段階に先細りする形で流れ落ちていく利益配分を骨組みとしている。ときには最下層に雀の涙程度しか届かない場合もあるし、全然届かないこともある。非情だが、矛盾そのもののこのような構造自体が厳然とした社会の利益配分のルールとなっている。
2008年9月のリーマンショック以前の02年2月から07年10月まで続いた「戦後最長景気」では、大手企業は軒並み戦後最高益を得たが、利益の多くを内部留保にまわして、一般労働者に賃金として還元せず、その結果個人消費に回らず、国民の多くには実感なき景気と受け止められるに至ったが、これなどは最下層にまで全然したたり落ちなかった口の最悪のトリクルダウン方式の利益配分となっていたことを証明している。
いわば戦後最長景気時には上層部で富の独占が起きてそこに利益を滞留させることとなって、下層部に通じる利益配分のパイプを空にしてしまった。
トリクルダウン方式とは平等な利益配分の否定を前提としている。いや、平等の概念そのものを否定し、差別そのものを基本概念としている。
今春の内閣府令改正によって日本企業に於ける報酬総額1億円以上の役員名の有価証券報告書への記載義務付けが定められたが、日産カルロス・ゴーン社長が8億9000万円、ソニーのハワード・ストリンガー最高経営責任者(CEO)が8億1700万円、野村HD社長が2億9900万円、大手企業の総会が開催されるたびに1億円以上が次々と公表されている。
他方で派遣を切られ、再就職先を見つけられずに生活の手立てを失い、カネを切らせ、食べ物を切らして餓死する者、ホームレスとなってその日その日の食べ物を拾い漁って食いつなぐ者、生活保護を得て、どうにか最低限の生活を維持する者の存在は人間社会の利益配分構造が、利益分捕り構造と言い直してもいいが、トリクルダウン方式となっていることを如実に物語っている。
少なくとも平等の否定、差別の肯定によって成り立つこととなった社会状況であろう。
政治家の多くがこの常に正確に作動するとは限らない、また決して逆の構図を取ることはないトリクルダウン方式となっている社会の利益配分構造をより平等な形に手直しすべく挑戦してきたが、一人が多くを得て、その多くの内から少しを他に配分するという構造そのものは人間社会の利益配分の否定することのできない基本形として存在するためにすべて部分的手直しで終わり、基本形そのものを変えることはできずにいる。
また幸福への欲求は人間の本能としてあるもので、手に入れる量に制限があるわけではないから、機会と才能に恵まれた者が幸福を獲得できるだけ獲得する。当然、多くを手に入れる者と程々にしか手に入れることができない者と、少ししか手に入れることができない者と、全然手に入れることができない者との差別が生じる。
幸福の獲得量に応じて生じた利益にしても、人間社会の利益配分の公式となっているトリクルダウン方式を受けて下層に向けて滴り落ちていくのみであり、そこに平等は決して生じない。
人間社会が厳然としてこういった利益構造となっているにも関わらず、一方は“最小不幸社会”を約束し、他方は“最大幸福社会”を約束した。
どう贔屓目に見ても、菅首相にしても小泉進次郎にしても、約束できないことを約束した大風呂敷に思えて仕方がない。“最小不幸社会”だとか、“最大幸福社会”だとか言わずに、スローガンとしては結構毛だらけだが、社会の矛盾点のここを改める、あそこを改めると具体的、堅実に一つ一つの手直しを政策によって図っていくべきではないかと思う。
それでも人間の利害は立場や生活環境に応じてそれぞれに異なるから、一つの有効な政策でもプラスマイナスがあり、マイナスの利益しか受けない層が存在することになる。労働者派遣法の改正が下層労働者に利益となっても、経営者の利益にならないことから反対するように、常にプラスマイナスが付き纏う。
かくかように厄介な人間社会だということを厳に認識した上で政策に取り掛かからないと、約束できないことまで約束することになる。
下記記事が伝えている発言の範囲内で、相変わらず悪い頭で舌足らずの読み解きをしてみようと思う。
昨24日、第22回参議院選挙が公示。「来月11日の投票日に向けて選挙戦に突入」――とまあ、この手の表現が各マスコミ上踊ったに違いない。《各党党首 街頭で支持を訴え》(NHK/10年6月24日 12時22分)が各党党首の街頭での演説を伝えている。
菅首相(大阪市)「日本経済を20年間低迷させてきたのは、まちがった政策によるもので、必ず経済を立て直し、日本を成長軌道に乗せていくことを約束する。財政再建には、第一がムダの削減、第二が並行して行う経済の強化だが、それだけで十分なのかという議論を行わなければならない。わたしが消費税を取り上げると、税金を上げることを言ったのでは応援できないと言われるが、毎年40兆円程度の国債を発行すると借金が増え続け、2~3年でギリシャのようになるという人もいる。それを避けるために自民党など他党との話し合いを呼びかけている。去年の政権交代以来、試行錯誤を繰り返してきたが、今度は危ういリーダーシップではなく、約束したことを実行できる力を与えてほしい」
自民党の谷垣総裁(甲府市)「参議院選挙は、この10か月間の民主党政権の採点と、自民党がもう1回、皆さんに信頼してもらえるかどうかを試す選挙だ。自民党がチャレンジャーとして生まれ変わり、日本のため、ふるさとのために命を捨てて頑張ることがいちばん大事なことだ。民主党のバラマキでは雇用や成長はできず、自民党がその道筋を示す。マニフェスト違反や政治とカネの問題で、国民の政治に対する信頼を壊してしまった民主党政権に歯止めをかけるのが、自民党に課せられた使命だ」
失礼な話であることは分かっているが、公明党以下は省略。特に「どっこいしょ たちあがれ日本」や「新党改革」、「新党日本」等は数が力となる政治世界で自らの少数を補って政界再編、あるいは合従連衡の餌にありつき、自らの少数を大きな力に変えることができるかどうかの運命は民主党、自民党の二大政党の運命如何にかかっているから、どうしても従の扱いとなる。
菅首相は消費税増税の理由に相変わらず“ギリシャの威し”を用いている。ギリシャみたいになるぞ、ギリシャみたいになるぞ、と。
だが、微妙に表現を変えている。6月17日午後の民主党参議院選マニフェスト発表記者会見では“ギリシャの威し”は次のように表現されている。
「ご承知のように、今の日本の財政の状況は債務残高がGDP比で180%を超え、この間の水準で国債発行を続けていれば、あと数年、3年4年という数年の間にはGDP比で200%を超えることが確実だという、そういう状況に今日本があるということを、これは多くの国民のみなさんもご理解をしていただいていると思います。
そして特に、あのギリシャの財政破綻から始まるヨーロッパの動揺は問題が決して対岸の火事ではなくて、我が国自身がこのことをしっかりと財政再建を取り組まなければ、例えばIMFといった国際機関が我が国の主権と言うべき財政運営にそれこそ、箸の上げ下ろしまでコントロールするようなことにもなりかねない。過去に於いて多くの国がそういう経験をし、社会が非常に荒んだということもあるわけでございます。
そういう意味で、我が国が、そして国民のみなさんが、そして私たち政治家が、自分たちの他国に頼らない、自分たちの力で財政再建を実現をする。強い財政をつくることが、同時に強い財政、強い社会保障をつくる、こういう道筋に持っていくために消費税について、これまでも議論を長くタブー視する傾向が政治の社会でありましたが、ここでは思い切ってですね、このマニフェスト、今申し上げたような形で書かせていただいたところであります」――
6月21日の首相官邸での記者会見ではほぼ同じ用い方となっている。
「そして、こうした経済成長を支えるためには、強い財政が必要であります。日本の現状は、多くの方が御承知のように、債務残高がGDP比で180%を超えているわけであります。これ以上借金を増やすことが本当に可能なのか、あのギリシャの例を引くまでもありませんが、財政が破綻したときには、多くの人の生活が破綻し、多くの社会保障が、多くの面で破綻するわけでありまして、そういった意味では、強い財政は成長にとっても社会保障にとってもなくてはならない大きな要素であることは、言うまでもありません」
「消費税の議論の中で、私もこの場でも申し上げたんですが、その前提になっている現実というものを是非、国民の皆さんにも御理解をいただきたいと思うんです。決して私は増税がいい、消費税を引き上げることがいいと言っているのではないんです。そうではなくて、今は税金ではなく、赤字国債でもって多くの社会保障に関わる費用が賄われている。その結果、GDP比180%を超える、いわゆる債務残高が累積しているわけです。
この状態を同じように、毎年赤字国債、一部建設国債を含めて発行していって、果たして持続可能性があるのか。あと100年持続できるということをどなたか保証してくださるのであれば、それはそういう道筋もあるでしょう。しかし、もし持続できなかったときに何が起きるかというのは、これはギリシャの例を見ても、まず起きることは福祉の切り下げであり、場合によっては人員整理であり、あるいは給与の引き下げであるわけでありまして、そういうことにならないために、強い財政を復活するにはどうするかということを申し上げているんです」――
ギリシャの政治家や国民はこのような使われ方をしているとは気づいていないと思うが、菅首相にとっては消費税増税に持っていくためには財政破綻したギリシャは“様々”となっているようだ。
だが、マニフェスト発表記者会見でも、首相官邸記者会見でも、ギリシャの財政破綻が日本に起きた場合の各種制度の破綻や生活の破綻といった悪影響を自身の主張として断定的、直接的に表現している。いわばギリシャを悪者にして、こうなるぞ、こうなるぞ、と断定している。
ところが、大阪市の選挙遊説では、「2~3年でギリシャのようになるという人もいる」と、自身の主張としてではなく、第三者が主張していることだとし、直接的表現から間接的表現に変えている。
なぜ直接的表現から間接的表現に変えたのだろうか。
「ギリシャ、ギリシャ」とバカの一つ覚えのように繰返し威しをかけたとしても、またかとなって効果を失う。あるいは耳にタコができて、刺激効果が弱まる。しかし、“ギリシャの威し”に変わる適当な悪者を見つけて利用しているわけではなく、悪者をギリシャにしていることに変わりはない。違う点は制度破綻や生活破綻がいつ来るのか、これまでは明確に期限を提示していなかった。
但しマニフェスト発表記者会見では、「あと、数年、3年4年という数年の間には、GDP比で200%を超えることが、確実だという」とは言っているが、あくまでもGDPに関してであり、ギリシャ同様の財政破綻に直接触れた期限ではない。
だが、選挙遊説では、「2~3年」と区切っている。いわば間近なことだと威しを強めたのだが、それが事実でない場合に備えて、第三者の主張に変えたのだろう。「このままの財政状況が続いたなら、本当に2~3年内にギリシャのようになるのか?」と切り返された場合、「そのように主張する人もいる」と逃げることができる。
しかし、「2~3年」と区切って“ギリシャの威し”を強めたものの、自身の主張として、「こうなります」と断定するのではなく、匿名の第三者の主張として、「なるという人もいる」としたことで、逆に威しを弱めて強めた分を相殺する表現となってしまっている。
要するに消費税増税への衝動に反して万が一の場合の自己保身を先に立たせたことは、徹頭徹尾自身の主張だと断定して賭けに出るだけの覚悟、指導力を欠いていたことの証明とすることができるはずである。
「確実に2~3年でギリシャの財政破綻が日本にも起こることを私は硬く信じている。財政再建、税制の改革、悠長に構えてはいられない。これらの改革を早急に強力に推し進めなければならない。待ったなしです」と断定することができなかった。
尤も現実にはそうはならないということなら、断定のしようもなかったということになる。合理的理由を持ったギリシャ同様の財政破綻説ではない、消費税増税の分かりやすい口実に使っているに過ぎないということになる。
谷垣総裁も覚悟の言葉を述べている。
「自民党がチャレンジャーとして生まれ変わり、日本のため、ふるさとのために命を捨てて頑張ることがいちばん大事なことだ」
「命を捨てて頑張る」――
いわば日本古来からの文化である精神主義の発露を見ることができる。戦前の戦争で日本は精神主義で乗り切ろうとした。それが大和魂であり、一つの具体化が神風特攻隊であり、あるいは竹槍であった。
いくら戦艦大和だ、戦艦武蔵だ、ゼロ戦だとモノづくりに長けていても、合理的な戦略、合理的な戦術に則らずに精神主義に則っていたのでは短期戦は精神主義の勢いで乗り切ることはできても、長期戦となると、合理的に戦争を進めることができない。
精神主義は合理主義の対極にある。人は覚悟の譬えだと言うだろうが、精神主義が国民に受ける場合があったとしても、「命を捨てて頑張る」にあるのは自民党の覚悟という抽象性のみで、それ以外の合理的で明快な、どのような情報も含んでいない。自己が政治的に何を為そうとしているのかを他者に理解させ、他者の自己に対する理解の参考とさせる媒介としての合理的内容を備えた簡潔明快な情報の提示はそこにはない。
合理的に組み立てた情報(戦争なら、戦術・戦略)こそが双方の意志決定に供与する。
菅首相の“ギリシャの威し”も精神主義を多分に含んでいる。給付付き税額控除や軽減税率などに関する合理的に組み立てた簡潔明快な情報を提示しないうちから、あるいは消費税増税による税収を使途を例示はするが、具体的に決めないうちから、“ギリシャの威し”を多用して増税を納得させようと半ば強要している。
合理性を欠いている分、“ギリシャの威し”といった言葉の恫喝で増税を成し遂げようとする精神主義を入り込ませる隙を与えている。その非合理性に首相自身の資質まで疑問を感じるが、間違った指摘なのかもしれない。
《首相“負担軽減に取り組む”》(NHK/10年6月23日 14時35分)
記事は昨23日、菅首相が沖縄を初めて訪問。同日開催の沖縄全戦没者追悼式に出席、追悼の言葉を述べたことを伝えている。記事動画から、原稿を読みながらのその言葉を文字化した。
菅首相「悪夢のような、戦により、文字通り焦土と化してから65年が経ちました。沖縄は大きな悲しみを乗り越えて立ち上がり、ひたむきな努力を重ねてこられ、今日の姿を、築き、上げられました。
一方で、未だに沖縄には、米軍基地が集中し、大きな負担を、かけて、きたことに対し、全国民を代表して、お詫びを申し上げます。他方、この沖縄の、ご負担は、アジア・太平洋地域の平和と安定につながって、きたことについて、率直に、お礼の気持も、表させていただきたいと思います。
今後、米軍基地に関わる、沖縄の負担の軽減と、危険性の除去に、一層、真剣に取り組んで、参りますことを、お約束をさせていただきます」――
一見、謙虚に聞こえるが、相反することを言っている箇所がある。
「未だに沖縄には米軍基地が集中し、大きな負担をかけてきたこと」
「この沖縄のご負担はアジア・太平洋地域の平和と安定につながってきたこと」
まさか相反する発言ではなく、「この沖縄のご負担はアジア・太平洋地域の平和と安定につながってきた」から、負担と相殺すべきだ、あるいはある程度の負担は我慢しろ、あるいは負担を誇りに思え等々の意味で言ったわけではあるまい。
鳩山前首相が5月28日の記者会見で、「日本の国土のわずか0.6%の沖縄県に駐留米軍基地の75%が集中するという偏った負担がございます」と言っていた、沖縄及び沖縄県民にとっての「大きな負担」が日米の安全保障に貢献しているということの相反性への言及であるはずである。
だからこそ、「お詫びを申し上げ」た。
対して本土は国土の99.4%を占める中、25%のみの米軍基地という小さな負担で済ましている。
いわば沖縄と本土を比較した場合、沖縄は大きな負担で大きな貢献、本土は小さな負担で小さな貢献という構図となっている。但し、日本が現在、平和と安全を享受しているゆえに沖縄も本土も等しく恩恵を受けていることになるが、人口比率から言っても国土面積から言っても、沖縄は大きな負担で小さな恩恵、本土は小さな負担で大きな恩恵となる。
沖縄の本土と比較したこの格差・不平等は少々の「米軍基地に関わる沖縄の負担の軽減と危険性の除去に一層、真剣に取り組んで、参」ったとしても、格差解消・不平等解消の構図を取ることになるのだろうか。
菅首相の「未だに沖縄には米軍基地が集中し、大きな負担をかけてきたことに対し全国民を代表してお詫びを申し上げます」が心底から発したウソ偽りのない心情であるなら、さらに、「今後、米軍基地に関わる沖縄の負担の軽減と危険性の除去に一層、真剣に取り組んで参りますことをお約束をさせていただきます」がウソ偽りのない約束の申し出であるなら、本土と面積比で平等とまでいかなくても、面積0.6%の沖縄県にせめて4分の1の25%、本土が逆に75%を引き受けることとし、現在の75%から50%の負担軽減を図って初めてウソ偽りない約束と言えるのではないだろうか。
もし真正な平等ということなら、沖縄の米軍基地負担も国土面積に応じて0.6%、本土は99.4%の国土面積に応じて99.4%を引き受けて初めて、応分・平等な負担と言えるのだから、4分の1の25%でも多過ぎる負担と言える。
沖縄海兵隊8000人のグアム移転が可能なら、沖縄を中心点としてグアムまでの距離を半径とした円を描いて、その円内に入る本土内も、沖縄に25%を残して米軍基地の移転は論理上可能となるはずである。
東は青森までがすっぽりと入る距離にある。
本土の国民にしても、菅首相が「未だに沖縄には米軍基地が集中し、大きな負担をかけてきたことに対し全国民を代表してお詫びを申し上げます」と言っていることがウソ偽りのない言葉であるなら、沖縄に「大きな負担をかけてきたことに対し」て「お詫び」の気持を持っているとことになり、沖縄の「大きな負担」を引き受けるにやぶさかではないはずである。
もしも「全国民」が沖縄に「大きな負担をかけてきたことに対し」て「お詫び」の気持を持っていないとしたら、菅首相の「全国民を代表して」はウソ偽りの気持の代弁となる。
いわば、「全国民を代表」も何もしていないことになる。「代表して」いないにも関わらず、「代表して」いるとウソをついたことになる。「代表して」もしていないのに、「代表して」いるかのように事実を装ったことになる。
もしそうだとしたら、これ程のマヤカシはないだろう。
「全国民」が沖縄に「大きな負担をかけてきたことに対し」て「お詫び」の気持を持っていてこそ、菅首相の「全国民を代表してお詫びを申し上げます」はウソ偽りのない真正・真っ正直な事実だとすることができ、「お詫び」に関してウソ偽りのない「全国民」の気持の代弁者とすることができる。
但し、「全国民」が沖縄に「大きな負担をかけてきたことに対し」て「お詫び」の気持は持っているが、沖縄の負担を引き受けることはできないとするなら、本土の国民は自分勝手に過ぎるとことになる。あるいは無責任に過ぎることになる。
菅首相自身は自らの言葉がウソ偽りのない真正な事実だと証明するためにも、自らの指導力によって沖縄の現在の75%から25%を残して50%の負担の本土移転を果たすことぐらいを自らの責務とすべきだろう。
また本土の国民にしても、アジア・太平洋地域を含めた日本の安全保障に同等の責任を果たすためにも沖縄の負担を25%を残して50%は引き受けなければならないはずだ。
菅首相が副総理時の10年5月7日、普天間移設問題で、「内閣の中でも、関わりを、持って、おりません」とノータッチであることを発言していたことに対して、以前6月7日の当ブログで、〈米軍海兵隊が沖縄に駐留せずとも極東の安全・安定は維持できるとする考えに立っていたなら、副総理となった以上、普天間移設問題に積極的に関わってもよさそうなものだが、鳩山前首相が、「『国外、最低でも県外』と言ったのは党の公約ではなく、党代表としての私自身の発言」だと訂正したのは5月6日午前の記者会見でのことだから、その翌日の菅直人発言であることからすると、辺野古回帰が不可避な状況となって、それが自身の政治生命に傷がつくことを恐れて口を噤むことにしたのだろうか。
だとしたら、かなりのご都合主義となる。〉と批判した。
このノータッチ発言の経緯について6月14日付「毎日jp」記事――《菅首相:普天間問題ノータッチ、鳩山氏の意向で》2010年6月14日 22時33分)が触れていることに気づいた。
6月14日の衆院本会議の各党代表質問。
自民党谷垣禎一総裁「意図的に避けてきたように感じる。首相をわざと支えず、職場放棄、戦略的サボタージュを決め込んだのではないか」
菅首相「(昨年9月に)国家戦略担当相になった時、鳩山由紀夫前首相から『外交については負担をかけないから』との言葉を頂いていた」
鳩山前首相(6月11日のBS朝日の番組収録)「菅さんは、(普天間移設問題に)タッチをされたかったのではないか。ただ、副総理も財務相も大変忙しい。国の財政も大事な時期だったので、『この問題はこちらで引き取ります』ということにした」
このことを事実だとすると、一方に鳩山首相は自らの「国外・最低でも県外」の発言が人質となって窮地に立たされるより大きな事実が立ちはだかることとなっていた。
例え鳩山首相に「この問題はこちらで引き取ります」と言われたとしても、2003年の民主党代表当時、「海兵隊の基地と人員についてはですね、必ずしも沖縄にいてもらわなくても、極東の安全・安定は維持できるという、日本国内からの移転ということを基本的な方向として考えております」(《菅首相と会談した沖縄・仲井真知事「8カ月前の選挙公約と180度変えた。理解難しい」》FNN/10/06/24 00:26 沖縄テレビ)と発言していたことは鳩山首相が「国外、最低でも県外」としていた沖縄に於ける米軍の存在に対してほぼ主張を共有する内容であって、いくら「ノータッチ」の指示だからといっても、鳩山前首相は共に民主党を立ち上げた同志のはずである、その同志の窮地を菅直人は無視できたのだろうかいささか疑問となる。
何らかの助言ぐらいのタッチはあったはずだ。もし鳩山首相の窮地を無視、自身をあくまでも基地問題の外に置いてノータッチが事実とするなら、正直に鳩山首相の指示に機械的に従っていたと言うなら、鳩山首相の命取りとなることも予想できていたのだから、なかなかの冷酷な策士でなければできない無視と言うことができる。
この策士振りをいい方向に解釈できないこともない。《首相“直ちに着工はせず”》(NHK/10年6月23日 16時7分)
昨23日の沖縄県糸満市で記者団に語った言葉。
菅首相「日米合意を踏まえて進めるという方針に変わりはないが、閣議決定をしたように、沖縄の負担軽減にも同時並行的に全力をあげたいと思っている」
菅首相「専門家の間での検討が8月中の終了という日程で進められると理解しているが、検討が終了したから、問答無用で工事に着工するということには法律的にも政治的にもならない。十分に地元の皆さんとの議論を重ねていきたい」
しかし沖縄の理解は普天間の県内移設、辺野古現行案絶対反対である。
また、6月15日の参院本会議で、県知事が海域の埋め立てを許可しない場合に備え、埋め立て権限を国に移す特別措置法制定については「全く念頭にない」と否定的見解を示している。(《首相「在任中は靖国参拝せず」 改憲に慎重姿勢》(47NEWS/2010/06/15 17:14 【共同通信】)
沖縄の理解は普天間の県内移設絶対反対、菅首相の特別措置法は全く念頭にない、日米専門家協議が終了したとしても問答無用で着工はしないを考え併せると、どうしても行き着く先は未解決の袋小路としかならない。
先ずは基地問題を進退両難の場所に立ち往生させて、沖縄基地問題に関して政権を立ち往生させることでもあるが、これしかない打開策として県外、あるいは国外をアメリカ側に申し出る。日米合意の破棄ではなく、やり直しに持っていく。
いい方向に解釈した、このようなことを計画した一連の言動であるなら、菅首相の沖縄全戦没者追悼式で述べた「お詫び」が全国民の総意ではなくても、「未だに沖縄には米軍基地が集中し、大きな負担をかけてきたことに対し全国民を代表し、お詫びを申し上げます」と発言した意図自体はウソ偽りのない真正の事実とすることができる。
ウソ偽りが実体の口先だけの「お詫び」で終らせるのか、最終的に沖縄県民の納得を得ることができる「お詫び」となるのか、今後の展開が証明することになる。
菅首相が昨日(6月21日)夕方5時から首相官邸で記者会見を開いた。冒頭発言で、通常国会の閉幕を受けて行ったとしているが、通常国会が閉幕したのは6月16日、翌6月17日午後、民主党マニフェスト発表の記者会見に菅首相は民主党代表として出席、マニフェストの説明を行っている。6月19日、さいたま市と千葉市で国会閉会後初めての街頭演説。
6月20日の日曜日は「asahi.com」日別の《首相動静》によると、小田原市と横浜市で街頭演説。4時半以降、公邸で外務省官僚や党役員、その他と会談。
6月21日は内閣官房関係の高官、日銀総裁等と会談。夕方5時から通常国会の閉幕を受けて行ったとしている記者会見。終了後、地域主権戦略会議出席、その他で過ごしている。
通常国会閉幕の6月16日以降、17、18、19、20日と4日間ありながら(土・日は公人としての職務は休日に当たっているというなら、2日間ありながら)、マニフェスト発表や選挙遊説を優先させて、記者会見を開かなかった。スケジュールの関係で前以て21日午後5時からと予定していたのだろうか。
だとすると、6月21日のNHK総合テレビの番組表に載っていていいはずだが、載っていない。番組を差し替えて記者会見を生中継したのかもしれないが、前以て予定していた記者会見なら、番組表に載せていたはずである。
残る唯一推測できることは、急遽決定した記者会見だったのではないかということである。その理由はマニフェスト発表記者会見で、消費税の増税に触れて、「当面の税率は自由民主党が提案している10%を参考にさせていただく」と発言したことの反響の修正、訂正の類以外には考えられない。
「10%」発言に野党はほぼ反対や批判の合唱、民主党では賛成する閣僚もいたが、賛成が全員一致ではなく、国会対策委員長や参院側や閣僚の中からも軽率発言だといった批判が噴出したこと、何よりも菅「10%参考」発言を受けた「朝日」と「読売」の世論調査で、「読売」は「10%」発言を、「評価する」48%、「評価しない」44%と「評価する」が僅かに上回ったものの、「朝日」では、増税率「10%」に関しては、「評価する」42%、「評価しない」46%と僅かに「評価しない」が上回っり、来年3月までに政府の案をまとめる考えを示しことと「10%参考」発言については、「評価する」39%、「評価しない」50%と、こちらはかなり厳しい結果が出ている。
そして第一番の打撃は両新聞共、内閣支持率・政党支持率を同時に下げた調査結果を出していることだろう。それが僅かであっても(「読売」の内閣支持率は-4ポイント、「朝日」は-9ポイント)、参議院選の7月11日投票日まで20日間ある間に消費税増税と反対世論がどう一人歩きし、投票にどのような悪影響を与えるか予測はつかない。
この世論調査を載せた両新聞の記事は「朝日」のWEB版が、(2010年6月20日22時36分)の日時、「読売」がWEB版が、(2010年6月20日22時50分)の日時、新聞は6月21日朝刊として発行したはずだから、菅首相が両世論調査結果を知ったのは真夜中以降、確率としては21日朝ではなかったろうか。
例え首相本人が新聞に目を通さなかったとしても、側近、あるいは関係閣僚、党役員等が調査結果を知らせたことは容易に想像できる。
「総理、あなたの消費税発言が餌食になっています。新聞をもう見ましたか?マスコミの連中め、目敏いことをしやがって――」とか何とか。
「新聞が購読者に阿(おもね)るところは、政治家が国民に阿るところとそっくり瓜二つだあっー」とは言わなかったはずだ。
菅首相は内閣と選挙の最終指揮官として、当然、消費税増税世論の一人歩きへの危惧、そのことが投票に与える悪影響への危惧を持ち、関係閣僚及び関係党役員と対応策を協議した。
自分が撒いた種である以上、自分で刈り取らなければならない。それが通常国会閉幕を受けた記者会見だと名目した21日夕方5時からの記者会見ではなかったろうか。
その証拠、決定的とは言えないが、かなり有力と言える証拠を示すことができる。
《首相ぶら下がり1日1回 フリー記者に月1回会見開放案》(asahi.com/2010年6月9日15時2分)
記事は菅内閣が6月9日に内閣記者会に対して鳩山前政権下で原則1日2回行ってきた首相の「ぶら下がり取材」と官房長官の記者会見をそれぞれ1回ずつに減らす方針と併せて月に1回程度、フリー記者らも参加する首相会見を開く案を示したと報じている。
今後、記者会側と協議して、最終決定するそうだ。
官邸側提案の具体的内容は――
(1)首相ぶら下がりは1日1回、正式な会見は月に1回程度開く
(2)毎日午前の官房長官会見を副長官が代行。長官会見は午後だけとし、フリー記者にも開放して時間を
延ばす
副長官が代行することについては、〈官邸側は「誰が発言するかが大事ではなく、政府としてのメッセージが出ればいい」と説明〉したという。
記事はぶら下がり記者会見の回数を減らす理由について前日6月8日の菅総理就任記者会見での発言で説明している。、
菅首相「オープンにすることは非常にいいが、取材を受けることで政権運営が行き詰まるという状況もなんとなく感じている」
これは鳩山前首相が記者の呼びかけに気軽に応じて気軽に多く発言したものの、前の発言と違ったり、不用意な発言でありながら言質とされて、その発言に縛られることになったり、あるいは関係閣僚間の発言の違いを執拗に追及されたりした教訓から、マスコミに取材を受けることへの警戒心を募らせた反映としてある姿勢であろう。
《菅流アピール「現場重視」…宮崎視察→街頭演説》(YOMIURI ONLINE/2010年6月13日09時34分)では、記事の後半で、鳩山前首相と比較した記者会見数の減少を次のように描写している。
〈◆記者団への対応激減、鳩山時代から一変◆
一方で、首相の記者団とのやりとりは、鳩山前首相時代から一変している。宮崎では、口蹄疫問題以外の質問には、「また(別途)答える場面がある」とほとんど答えなかった。
平日に首相官邸などで記者団の質問に答える「ぶら下がり取材」も、前首相時代に比べ、大幅に時間が短縮。1回あたりの時間は鳩山前首相の約半分だ。就任後初の9日こそ約7分間だったが、10日は約3分間、11日は約4分間に縮んだ。
首相は、前首相が応じていた朝の取材も受け付けない。記者団が声をかけても、いちべつして「おはよう」と一言返すだけだ。
首相周辺からは「鳩山前首相が退陣に追い込まれた原因の一つは頻繁にぶら下がり取材に応じたことだ。首相本人が言ったことは修正できない。取材に応じて良いことなど一つもない」との声が出ており、「一方通行」の方が得策だと考えている様子がうかがえる。〉――
相当な記者会見アレルギーにかかっていることが看取できる。少なくともかなり過度の警戒心に支配されている。
そして6月21日22時11分の「asahi.com」記事――《菅首相、朝の「ぶら下がり」やめた 呼びかけにも無言》
〈菅直人首相の秘書官が20日夜、内閣記者会の幹事社に対し、鳩山由紀夫前首相が平日の朝に行ってきた記者団との質疑に応じない方針を通告した。 〉という。
首相秘書官「(首相は)どうせ答えないので、21日以降、朝の公邸前の取材は許可しない」
その通告に心挫けることなくだろう、21日朝、記者が「朝のぶら下がりをやっていただけませんか」と呼びかけたが、首相は無言だったと書いている。
すっかり記者会見を避けて通る嫌菅首相の姿を見て取ることができる。
20日夜に首相の秘書官が「21日以降、朝の公邸前の取材は許可しない」と通告。翌21日朝の記者の問いかけに首相は何も答えずに通り過ぎた。
だが、その日の午後5時から、発言の余波への警戒心から記者の問いかけに容易に応じなくなっていた首相が公の記者会見を首相官邸で自分から開くことになった。
この経緯は自分が撒いた「消費税率自民党10%参考」発言を自分で刈り取るための記者会見であることのかなり有力な証拠とならないだろか。
もしこの見方が当たっているとしたら、菅首相の消費税発言に国民も敏感に反応したが、菅首相も発言に対する世論調査に国民に劣らずに敏感に反応したと言える。
昨日の記者会見から、《首相官邸ホームページ》の動画を利用して、首相の冒頭発言全体と消費税に関係する記者からの質疑応答のみを文字化してみた。
所信表明演説やマニフェスト発表記者会見で発言したことと内容は殆んど変わり映えしない。ほぼ同じ発言の繰返しとなっている。このことも、単に記者会見を開く必要が消費税発言の釈明、もしくは訂正にあったことを窺わせる一つの証拠となり得る。
《菅首相、「消費税」発言原因の支持率下落に敏感に反応した記者会見なのか(2)》に続く
菅首相記者会見(2010年6月21日)
【菅総理冒頭発言】
エ、新内閣のスタートと、通常国会の閉幕に当たって、エー、国民の皆さんに、エ、こういう形で、私の考え方を、お伝えする機会が得られたことを、大変うれしく思っております。6月の8日に、イー、菅内閣が正式にスタートし、6月の16日に通常国会が閉幕いたしました。
鳩山前総理が、アー、政治とカネの問題、そして、エ、普天間の、オー、問題、の、責任を取る形で、エー、辞任をされたことは御承知のとおりであります。
私も鳩山内閣で、副総理として、また財務大臣としてぇ、エ、総理を支える立場に、あった者でありますので、支え切れなかったことについては、私自身、エー、強く責任を、感じて、いるところであります。
と同時に、イー、鳩山前総理は、・・・政権交代の、オー、原点に戻って、エー、再スタートしてほしい。ま、そういう思いを、エー、いろいろな形で伝えられたわけでありまして、その鳩山前総理の思いを大切に受け止めて、えー、この新しい政権で国民の皆さんの、オー、信頼を回復し、そして、エー、やるべきことをしっかりとやっていきたいと、このように思っております。
この内閣としての、抱負は、既に、イー、所信表明演説、更には、代表質問への答弁、等で、エー、申し上げたところでありますが、改めて基本的なことについて、申し上げたいと思います。私は、あー、この20年間、特にバブル崩壊からのこの間、日本は、経済的にも社会的にも、大きな行き詰まりの中にあった、閉塞状態にあったと思っております。イー、その閉塞状態の日本の、この閉塞を打ち破って、元気な日本を、復活させる。これが、私の、イー、内閣の、オー、やらなければならない、第一の、オー、方向性、取組みだと、考えております。
そのために、イー、具体的には、強い、経済、強い、財政、強い、社会保障、これを、一体として、強い、政治的なリーダーシップの下に、エ、実現していく、このことを所信表明でも、申し上げたところであります。
イー、簡単に、このことを、もう一度申し上げてみますと、強い経済については、エー、閉幕後の、6月の18日の閣議決ー、に於いて、新成長戦略を、閣議決定を、いたしました。これは、昨年12月の30日に、基本方針というものを、オー国民の皆さんにお示しをしてから、約半、・・・年の間、エー、各省庁、あるいは、各方面の意見を十分に聞きながら、取り纏めたものであります。
エー、最も大きな特徴は、課題解決型の、オー、政策、となっているわけであります。環境問題に対しては、グリーンイノベーション、そして、医療・介護、あるいは、アー、子育てといった問題に対して、ライフイノベーション、エー、アジアの、オー、経済の成長、に対して、エー、そうした成長を、日本も、共にできるような、そういう関係を構築すること。更には、地域や、観光という形で、新しい需要を、つくり出していくこと。そして、これを支える、科学技術、と人材・雇用、こういう形で、エ、構成されておりまして、エー、2020年度までに、これからの10年間の平均で、名目成長率を、3%、オー、そして、実質成長率を2%、これを上回る、ウー、そうした成長を実現する。そして失業率は、3%台まで、引き下げていく。こういう方向性を、示している、ところであります。是非とも、この内容については、もう、皆さんにお示しを、かなり詳しいものをお示ししておりますので、国民の皆さんも、関心のある方は、ホームページなどで、是非、ご覧をいただきたいと、このように思っております。
そして、こうした、アー、経済成長を支えるためには、強い、財政が、アー、必要であります。日本の現状は、多くの方が御承知のように、債務残高がヒャクハ――、アー、GDP比で180%を、超えて、いるわけであります。これ以上、借金を増やすことが本当に可能なのか、アー、あのギリシャの例を引くまでもありませんが、財政が破綻したときには、多くの人の生活が破綻し、多くの、社会保障が、多くの面で破綻するわけでありまして、そういった意味では、強い財政は成長にとっても、社会保障にとっても、なくてはならない、大きな要素であることは、言うまでもありません。
そこで、この強い、財政をつくり出すために、まず、第一にやらなければいけないことは、まさに無駄の、削減ということであります。この間、アー、こうした無駄の削減について、エー、手を緩めているのかというような御指摘も一部ありましたけれども、決してそうではありません。その、その証拠といっては、恐縮ですが、その証拠には、エー、このための、オー、事業仕分けに、最も強力な閣僚を配置をした。
つまり、蓮舫さんに、この責任者になって、いただいたこと、更には公務員人件費の削減には、エ、玄葉政調会長を、担当大臣となっていただいたこと、また、アー、国会議員の衆議院80名、参議院40名の削減などは、これは政党間の議論が、中心になりますので、枝野幹事長に、特にこの問題を取り組んでいただく、こういう形で、徹底した無駄の削減は、まさに、これからが本番だと、そういった意気込み、で取り組んで、まいらなければならない。
そして、エ、強い財政をつくるために、・・・成長、経済の成長が必要であることは、これもまた言うまでもありません。これは、先ほど申し上げたので、重複をしますので、具体的なことは、重複を避けるために、省きますが、・・・成長戦略を確実に、実行していく。
そして、それに加えて、えー、税制の、改革が、必要だと、このように、考えております。エ、既に皆様に、エ、お配りをした、マニフェストの中で、エー、オ、この財政再建のための、基本的な、アー、方向性を、ヲー、かなり具体的に、申し上げて、いるところであります。
・・・まず、ウー、1つの、財政出動の原則として、エー、いわゆるペイ・アズ・ユー・ゴー、新たな政策の財源は、既存予算の削減または、収入、収入増によって捻出することを原則、・・・とすると。
更には、2011年の、オー、11年度の国債発行額を、2010年度発行額をウマ、上回らないように全力を挙げる。更には、事業仕分けを、ヲー、活用した無駄遣いのさらなる削減。そして、早期に結論を得ることを目指して、消費税を含む、税制の抜本改革に関する協議を、超党派で、エー、開始をしたいということも、マニフェストに述べたところであります。
更に中期的には、2015年までの、オー、基礎的財政収支、いわゆるプライマリーバランスの赤字を、ヲー、対GDP比を、2010年度の2分の1以下にする。そして、2020年度までには、このプライマリーバランスの黒字化を達成する。
更に、ニー、ニジュウ、2021年度以降においては、長期債務残高の対、GDP比を安定的に、低下させる。こういった、方向性を、ヲー、マニフェストできちんと打ち出したところであります。
エー、消費税については、参議院の選挙が、終わった、アー、中で、本格的な、議論を、スタートさせたいと思っております。その折に、既に申し上げましたように、自民党から、アー、提案されている消費税率10%ということも、一つの大きな参考にしていきたい。また、ア、消費税の持つ、逆進性を、オ、改めるために、複数税率、あるいは税の還付といった、方式についても、併せてしっかりと、オー、議論をしていきたい。このように、考えております。
いよいよ、オー、この国会終了を経て、近くカナダに於いてG8、G20の、会合があり、私も初めて、それに参加させていただきます。エー、これまで財務大臣として、G7やG20の会合には、何度か出席をさせていただきました。その中で、やはり最大の、オー、課題となると思われるのは、・・・財政再建。ヨーロッパを中心にした今の、状況を、どのようにして打開するか。これが、アー、世界経済に、大きな影響を与えていますので、このことが大きな課題になろうと思っております。
私は、今日もこの場でも申し上げた、日本に於ける、ウー、・・・考え方、つまりは成長と、財政再建を、両立させるにはこうするやり方があるし、我が国日本は、その道を取ろうとしているんだ。このことをしっかりと、表明をし、他の国の、参考に、していただければ、ありがたい。このように思っております。
エ、こうした全体会議に加えて、エ、個別会談も極めて重要だと、思っております。既に私が、就任して以来、エー、オバマ米大統領、温家宝中国、ウー、の首相、始め、各国の首脳と、電話での会談は、アー、行ってまいりました。ま、しかし、直接お会いする会談は、アー、この、オー、カナダでのサミットが、初めてということになります。
まず、オバマ大統領とは、アー、電話会談の中でも、オ、確認いたしました、エー、日米同盟が、日本外交の、オ、基軸、基軸であるということを、オ、改めて確認するとともに、もっと大きな観点から、アー、この、日本とアメリカの関係について、意見交換をし、個人的にも、信頼関係が高められればと思っております。
私は日本は、太平洋、オー、・・・つまり海洋国家であると同時に、アジアに、属する国であり、また、アメリカも、太平洋を大変重視をし、アジアを重視しておられます。そういった意味で、ア、アジアと太平洋地域、ひいては、世界の平和と安全に、ともに取り組んでいく。こういう姿勢を、持って、日米の間に於ける信頼関係を、オ、しっかりとしたものにできるよう、この会談が、そういった会談になればありがたい、このように思って、いるところであります。
エー、胡錦濤主席、イー、とは、アー、私が総理になる前にも、何度かお会いしたケイケ(経験のことか)、ことがありますが、エ、戦略的互恵関係を、大事にするという、この原則も、改めて確認し合いたいと思っております。
また、ロシアのメドヴェージェフ、大統領とは、私自身、初めてお目にかかる、ことになります。エー、鳩山前総理が、アー、非常に力を入れられた、日露の、オー、多くの課題、最も難しいのは勿論、領土問題でありますけれども、・・・私の場合は、まだ初めての、初めてお目にかかるわけでありますから、まずは、個人的な、信頼関係を、しっかりしたものにする、オー、第一歩とできればと、このように考えております。
こういった形で、エー、この新しい政権、にとっても、そして、この日本にとっても、こうした、ア、国々との関係性を、しっかりとしたものに、イー、する第一歩として、このG8、G20に、臨んでいきたい。このことを申し上げて、私からの冒頭の発言とさせていただきます。
《菅首相、「消費税」発言原因の支持率下落に敏感に反応した記者会見なのか(3)》に続く