国土交通省が今年1月1日時点での土地取引の指標となる08年の地価公示価格を発表した。知人の便宜に役立てようと我が住む街の「公示価格」をインターネットで調べてみた。
いつも思うことだが、省庁関係のHPの殆どが1ページに纏めることができる情報を何ページにも分けてハイパーリングでつなげて提供する方法を取っている。クリックして何ページも開くのが面倒なだけではなく、一画面に情報が一括提示してないために一度に情報全体を俯瞰することができず、情報を細部まで把握し、理解するためには頭が悪い私などは前のページに戻ったり、後ろのページに戻ったりして理解が足りない部分を埋めていかなければならない。下手にページ数が多いと、読書していて、たまにしか登場しない人物がどのような背景を持っていたか咄嗟に理解できず、どのページに説明があったか分からない前のページを何ページも探して調べるのと似た面倒が生じることもある。
例えば安倍内閣の目玉だった「美しい国づくりプロジェクト」の「トップページ」は伝統工芸である着物の柄の絵を描いている職人(らしい)写真と新幹線、多分岐阜の高山の茅葺の民家、そして現代日本の高度成長を象徴しているのだろう、東京都庁の建物を中心に据えてその近辺の高層ビルが写っている写真、合計4枚の写真とリングで表示できる次のような各ページの案内が続いている。
「プロジェクト概要」
「この人に聞く」
「発見!みんなの日本『らしさ』」
「『美しい国、日本』資料室」
「『美しい国づくり』推進室」
そして説明文。<四季折々の風景、伝統が織り成す技や文化、日々の生活の中にある日本の美しさ。私たちの国、日本には、様々な分野で本来持っている良さや「薫り豊かな」もの、途絶えてはいけないもの、失われつつあるもの、これから創っていくべき美しいものがあります。私たちの国の未来を確固たるものにするため、私たち一人ひとりの「美しい国づくり」へのきっかけを創ろうとするのが、「美しい国づくり」プロジェクトです。>・・・
これだけで1ページの体裁となっている。他のページにリンクさせると、さらにリンクしなければならないページが枝分かれして、それぞれの情報量も「トップページ」と似たり寄ったりの字数でしかない。
それぞれのページは写真や様々な絵柄で体裁を凝らしているが、全体の情報が1ページに纏め切れない量というわけではないのに何ページにも分割してある。当然のことで提供されている情報全体を一度に俯瞰することができないから、俯瞰できない分、情報理解に時間的な手間がかかる。
国土交通省の「地価公示」にしても、我が市は49件の表示を十分に1ページに纏めきれる情報量であるにも関わらず、20件ずつ3ページに分割してある。各ページの1件ずつをさらにリンクしていくと、以下の「詳細説明」のページに行き着く
「国土交通省地価公示」
標準地番号 清水9-2
所在ならびに地番 静岡県静岡市清水区日の出町101番外
住居表示 日の出町3
調査年 2008年
価格(円/m2) 108,000
地積(m2) 7637
形状 間口:奥行き 2.5:1.0
利用区分、構造 建物などの敷地 RC(鉄筋 コンクリート造) 1F
利用現況 倉庫
周辺の土地の利用現況 倉庫が建ち並ぶ臨海の流通業務地域
道路方位、区分 西22.0m 国道
その他の接面道路 四方路
給排水状況 水道 下水
最寄り駅名、距離 清水 2,100m
用途区分、高度地区、防火・準防火 工業地域 準防火地域
森林法、公園法、自然環境等
建ぺい率(%)、容積率(%) 60 200
都市計画区域区分 市街化区域
これを日本全国に当てはめた場合、目が飛び出る程のページ数になるに違いない。
断るまでもなく、情報はページ数が多い程全体俯瞰が困難となり、そのことに比例して素早い情報理解が困難となる。
ではなぜ、ページ数を減らす方向にないのだろうか。考え得るHP制作側のメリットはページ数で単価を決めているからではないか。
その辺の経緯は以前内閣府主催ヤラセ教育タウンミーティングで有名となった、その高額な経費算定方法が証明するのではないだろうか。民主党の蓮舫議員が03年12月に岐阜市で開催したタウンミーティングに関する内閣府と広告代理店との業務契約内容に関して06年11月22日に国会質問を行っているが、それ相応の会場を借り、文部大臣が来て教育について話し、一般市民が質問をする、たったそれだけの役にも立たない儀式に1千万円もの経費を計上している。因みに蓮舫議員が質問中明かした情報だが、平成13年度前半の1回当りの開催経費が2200万円もかかっていたという。
延長料金を入れても一人頭5万程度のストリッパーにも変身する便利なスペシャルコンパニオンを100人集めて宴会したとしても500万円+宴会費用である。2200万円とは驚きの金額となる。
岐阜の教育タウンミーティングの場合、落札業者の「単価内訳書」は100項目前後に亘っていて、その一つ一つに単価が提示されていた。例えば空港での閣僚送迎に1万5千円、車で到着した閣僚を会場で出迎え、エレベータまで案内するのに4万円、エレベーターを運転するのに1万5千円、エレベーターから控え室までの案内が5千円といった具合に事細かに仕事を分けて、それぞれに単価をつけていた。
このようにすることのメリットは仕事の項目を示さずに高額な全体の金額を示した場合、相手に高いと思わせるが、たくさんの項目を並べて、それぞれにいくらかかる、全体としてこれだけになりますと合計を示した場合、仕事項目の多さによって高額だと感じさせない一種の詐術を行うことができる。
それと同じで、HPのページ数の多さが経費を納得させる心理を利用してページ数を多くしているのではないのか。勿論、この手の金額算定方式は1ページいくらの契約を前提としていなければならない。
だが、情報を受け取る側の人間が1ページの情報量を少なくしてページ数を増やす情報伝達方法に慣らされ、それを習慣とした場合、そのことと併行して一度に情報全体を俯瞰する習慣を失うこととなり、当然の成り行きとして情報把握能力、もしくは情報解読能力に支障を来たすことにならないだろうか。少なくとも情報解読時間能力に影響することになるように思える。素早い情報解読に不慣れとならないだろうか。全体の起承転結の把握に時間がかかるからだ。杞憂であるならいいが、そのような危惧を抱えてしまう。
確実に言えることは少ないページで情報全体を把握できるよう処理してない情報は情報理解を手間取らせる不便を情報の受け手に与えているのは確かな事実だと言うことである。さらに言うなら、情報の受け手に不便を与えるような情報伝達を許していること自体が役所の情報という事柄に対する理解能力の拙劣さを証明していると言えるのではないか。業者に任せているという弁解は通用しない。
ムダ遣いではないかと疑えるのは各情報を小出しにしてページ数を多くしていることだけではない。国土交通省の「地価公示」ページにはそれぞれに「空中写真」のページがリンクされていて、それを開くと、「国土画像情報(カラー空中写真)閲覧機能(試作版)」と銘打って、最初に「解像度50pdi」(サイズ「490×444」)の空中写真が提示される。さらに「100 pdi」(サイズ「980×888」)、「400 pdi」(サイズ「3921×3552」)の写真へのリンクが可能となっている。
「地価公示」価格の提示は土地取引の指標を目的としている。だが、いずれの空中写真も建物の種類や密集度は確認できても、それぞれの建物の種類・業務目的が理解できるわけのものではなく、何を目的に決して安くはない空中写真まで添えたのか理解に苦しむ。例え「試作版」であっても、決して安く収まるわけではない「空中写真」であろう。役に立たないとなったなら、壮大なムダ遣いとなる。その疑いが濃厚ということなら、マスコミにしても野党議員にしても追及しなければならない役所行為となる。
参考にそれぞれの写真をサイズ「250×250」に切り取って左から「50pdi」、「100pdi」、「400pdi」の順に画像を記載。写真のどこから土地価格が把握できるというのだろうか。
政治の権威失墜をつくり出した安倍晋三
08年度予算案が与野党逆転の参院否決を受けて両院協議会で協議、衆議院議決優先の憲法60条の規定に従って昨夜21時頃、言ってみればすったもんだの末に成立の運びとなった。
昨日29日朝のNHKテレビ。
大島自民党国会対策委員長(声を張り上げ、憤懣やる方なしの体で)「この混乱の最大の、元は国会の参議院の権威すら傷つける歳入法案を4週間もほったらかにした民主党の姿であると・・・・」
対する民小党山岡国対委員長「参議院で審議拒否しているのは与党であってですね、それを如何にも野党や我々が審議拒否をしたり、協議に応じない、宣伝を言う。非常に悪質です」
すべてのすったもんだの原因は参議院の与野党の力関係の逆転からスタートを切っている。それを見事演出したのが安部晋三前首相であろう。それをキッカケとして、「参議院の権威」どころか、政治全体の権威を貶めてきたのである。
いわば日本の政治の権威失墜の病状進行は参議院選挙の与野党逆転と共に始まっている。となると、安倍内閣の置き土産に過ぎない政治の権威失墜なのだが、大島は物事を表面的に見る目しか持っていないらしく、何も気づいていないらしい。07年参議院選挙での野党大勝利・自民党大敗北の国民の審判が下されながら、安倍晋三は首相の地位にしがみつくことで現在の政治混乱に於ける政治の権威失墜に手を貸す人となった。
参院選挙敗北後の臨時国会の所信表明演説で「職責を全うする」などと勇ましく決意を述べながら、そのたった2日後に退陣表明の記者会見を行う君子豹変の見事な離れ業を見せたが、それは政治の権威失墜の上塗りに過ぎない。それに対して与党は何ら手を打つことができなかった。いわば自民党にしても公明党にしても与党として政治の権威失墜の共犯者の立場に自らを立たしめたのである。
安倍前内閣の涙がチョチョ切れる程の有難い置き土産である参院与野党逆転状況の歴史的大功績ではあるが、衆議院を通過したが参議院で否決された新テロ特措法を衆議院に差戻して異例の3分の2以上の多数決で再議決・再可決を行ったことも、小沢民主党が言っていた「7月の参院選の結果が直近の国民の意思表示。政を行う人たちはきちんと認識しなくてはならない」を裏切る、政治の権威を失墜させる政治行為であった。
参議院で否決、衆院に戻されて再議決、与党賛成多数で成立したことに対して民主党の鳩山由紀夫幹事長は「直近の民意は参議院だから、再議決は暴挙」と非難。伊吹自民幹事長は「参議院も民意、衆議院も民意」だと、再議決を肯定。
「過去の事実」に過ぎない「衆議院与党絶対多数」なる民意は「参議院与野党逆転」の直近の民意を否定する政治に対する権威失墜以外の何ものでもない。そのことに気づかずに政治空白をつくることは許されないを口実に政権にしがみつき、次々と政治の権威を失墜する愚行を積み重ねてきた。
その何よりの証明は、世界に信用されるかされないかの問題にもつながる一国の中央銀行のトップ人事である与党の提案による日銀総裁人事が参議院で否決されて空白状態に曝され、仕方なく副総裁を総裁代行に宛がわなければらなかった事態に典型的に現れている。
この日本の政治の権威を失墜せしめている数々の無様な政治停滞は衆議院の民意以上に参議院の民意が強力であることの証明であり、と同時に衆議院の民意が過去の事実でしかないことを提示している。そして何よりも伊吹の「衆議院も民意」がこじつけでしかないことを曝すこととなった。本人及び自公の面々が気づいていないだけのことである。
再可決に供する数の力には役に立っても、政治の権威失墜の防止には何ら役に立たないからだ。いわば政府・与党が「衆議院の民意」にしがみつくほどに、そのことと比例して政治の権威は失墜していく泥沼の比例関係にあるにも関わらず「衆議院の民意」にしがみつく倒錯にどっぷりと浸っている。
そして道路特定財源の一般財源化問題と暫定税利率廃止問題。福田首相は3月27日に道路特定財源制度を廃止して2009年の来年度から一般財源化するなどの踏み込んだ提案を行なったが、参議院与野党逆転状況がなければ行わなかった提案であろう。そうせざるを得なくて止むを得ず行った提案であった。対して結果の是非はともかく、民主党以下の野党は参議院の民意を背景にその提案を拒否、3月31日期限切れのガソリン税などの暫定税率の時間切れ一時失効は確定的となり、その回復に福田内閣及び与党は参議院での否決を計算の上衆議院での3分の2以上の再可決を視野に入れているが、このもたつきも政局の混乱に拍車をかける政治の権威を失墜させる予定行動と言う他ない。
町村信孝官房長官「確かに25円、一旦下がるんでしょうけれども、一刻も早く、その、参議院で否決でも可決でもいいです。それをいただいた上で、もう一回、ええ、大変恐縮でありますが、ご迷惑おかけいたしますが、また25円、上げさせていただきたい」(29日NHKニュース)
法案可決をキャッチボールし合うようなこのような政治の権威を失墜させるもたついた政治プロセスから抜け出すには衆議院を解散、総選挙を行い、過去ものである「衆議院の民意」を「直近の民意」に問い替える以外に他には方法があるのだろうか。
勿論自民党と公明党が総選挙で勝利したとしても、参議院与野党逆転状況は今後とも続くが、参議院の民意を「直近」から「過去」へと後退させ、衆議院の民意を「過去」から「直近」へと昇格させる効果を見い出すことができる。衆議院の民意こそ直近の民意だと、それを葵の印籠とした場合、例え議席を減らして3分の2以上の賛成多数の力を失っても、政権運営の主導権・主体性は握れるはずである。
昨年7月の参議院与野党逆転の民意を受けた時点で、我々政治に素人ではない現役の政治家たちは今日の政治混乱・政治停滞を見越して早い時期に衆議院を解散・総選挙で政権の主体選択の民意を問うべきだった。
だが、参院選で「私か小沢さんか、どちらが首相にふさわしいか」と有権者に政権選択を迫る態度を取りながら、歴史的敗北を受けても「私か小沢さんか」の舌の根が乾いてもいないはずなのに安倍晋三は折角手にした戦後生まれ初の首相という地位にしがみつく自己保身のみしか頭になかったらしく、参院敗北を受けた内閣改造後程なくして理解していなければならないテロ対策特別措置法の扱いでつまずき、政権を投げ出す政治混乱を自らつくり出す政治の権威失墜を演じることとなった。
安倍晋三が為すべきことは政治の権威を失墜させることではなく、衆議院を解散して一度口にした「私か小沢さんか」に決着をつけることだった。例え民主党に政権が移ることになったとしても自民党が野党に下ることとなるが、日本の政治の権威失墜開始の幕上げとはならなかったろう。
実際にやったことは野党に下る恐れから逃げることばかりを考えて政権にしがみつき、結果として後継の福田内閣共々日本の政治の権威失墜を演じることとなった。
当然のこと安倍晋三の罪は議員辞職に相当する。だが、今以て議員の地位にしがみついている。
民主党の小沢代表はガソリン税などの暫定税率の期限切れ等によって福田内閣の政権運営が行き詰まり、早期解散の可能性が出たと選挙準備に入ったことをNHKのニュースが伝えていた。
福田内閣は政権運営が行き詰まるところまで政治の権威が失墜するのを野放しにするのではなく、逆に自分から衆院解散・総選挙の手段に打って出て、例え野に下ることになっても、より重要なことである現在以上の政治の権威失墜の防止に努めることであろう。
中国政府が3月26日(08年)にチベットラサの現地取材を一部の外国報道機関に許可した。一部に制限したのは大挙して押しかけられたのではその多人数に応じて取材監視の官憲も私服・制服合わせて多人数配置するか、取材範囲を極端に限定するかいずれかの措置が必要となるからだろう。
どちらの必要性を選択しても、その光景から何を隠蔽しようとしているのか、その意図を読み取られることになる。自由な取材を許可することこそが、少なくとも包み隠さなければならない不都合は何もないことをアピールすることができる。
だが、中国政府の現実はその逆となっている。欧米やアジアなどの外国メディア9社と台湾、香港のメディアが許可を受けたと「時事通信」が伝えている。
もしも中国側に正義があるなら、騒動が起きているさ中でも外国報道機関に取材を許可したであろう。いや、許可・不許可といった手続きを不要とし、自由に現地入りさせていたに違いない。
制限を設けない自由な取材と自由な報道に耐え得ることによって、例えそれが政策に間違いが生じて展開されることとなった事態であっても、民主度を計ることができる。
アメリカは世界から多くの批判を浴びているとは言え、イラクの報道を制限したであろうか。隠そうとすること自体が既に民主主義に反する政治の秘密体質を現している。
取材を許可された報道各社は中国当局に対して「なぜこれまで取材を禁止していたのか、報道の許可を出したとは言え、なぜ許可制としたのか」と最初に問うべきだが、果たして問うことをしたのだろうか。
ブッシュ米大統領が3月26日に中国胡錦涛主席に電話してチベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世との対話を求めたと言う。どのような言葉が交わされたのか、その経緯を知るために「朝日」と「読売」の記事を参考にしたいと思う。まずは「朝日」から。
胡錦涛主席は今回の騒乱は「ダライ・ラマ一派が吹聴する平和的デモ、非暴力行動といったものではな」く、「ひどい暴力犯罪活動」であり、「いかなる責任ある政府も座視できなかったもの」で、我々の対応に間違いはなかったと正当化した。ダライ・ラマとの対話の条件としては「暴力犯罪活動や北京五輪に対する破壊活動の扇動、画策をやめること」と「チベット独立の主張を正真正銘放棄する」ことを挙げた。
「読売」記事は胡主席は「対話再開ができない責任はダライ・ラマ側にあるとの原則的立場を米国に明確に主張し」、対話条件に「チベットなどでの暴力犯罪の扇動・策謀と北京五輪破壊活動の停止」と「チベット独立放棄、祖国分裂活動の停止、チベットと台湾を中国の一部と承認」することを挙げたとしている。
事実の提示は「朝日」も「読売」もほぼ同じだが、解説が「読売」の方が理解しやすい内容となっている。
胡主席の条件提示姿勢を「ダライ・ラマ側が受け入れ不可能な条件を突きつけた」ものと分かりやすく解説している。
胡主席がブッシュ大統領に伝えた上記姿勢はこれまでもダライ・ラマと世界に向けて発信してきたもので、そのことから判断すると、「ダライ・ラマ側が受け入れ不可能な条件」だと十分に知りつつ、いや「受け入れ不可能な条件」を敢えて掲げることでこれまでどおりに「対話」を介さない中国側ペースでチベットの抗議を抑えつけていく対チベット中国化政策を選択すしていくことは間違いないだろう。
対話を行った場合、対話の模様とその内容からどちらの要求に妥当性があるか、ダライ・ラマの口を通して全世界に知れることとなり、その要求を全面的に排除した場合、厄介なことになるからだ。中国が言う「一つの中国」が対等の中国ではなく、中国が支配して一つにする中国だと知れない保証はない。共産党一党独裁を維持する以上。磁石のN極がS極に限りなく吸い付けられていくように決定的にその方向に進むことだろう。それが対チベット中国化政策ということだろうし、当然の経緯としてある現状と言うことだろう。
中国がチベットに必要としているのは「チベット仏教最高指導者」といった存在ではなく、チベット人の上に中華人民共和国主席(=国家主席)を据えつけることなのである。ダライ・ラマとの対話は自らの対チベット中国化政策に反して対話の間、彼を「チベット仏教最高指導者」として扱うこととなり、一時的にであっても「チベット」を突出させることになる。
現在でも暴動を手段にチベットは世界に突出してしまっている。それを武力で抑えつつある今、武力では抑えることができない存在の世界に向けた突出に中国側から手を差し伸べるはずはない。
胡主席がブッシュ大統領と電話会談する前から相手が飲み込めない条件を突きつけることでダライ・ラマとの対話を回避する姿勢を中国の対チベット政策としていて、ブッシュ大統領との電話会談でも同じ姿勢を通したのだから、今後とも同じ姿勢を取り続けるだろう。胡錦涛の訪日時の姿勢も洞爺湖サミットに出席した場合の姿勢も、例え洞爺湖サミットの首脳会議のテーブルにチベット問題が議題として取り上げられようと、同じ姿勢を取り続けるに違いない。
チベット非難、ダライ・ラマ非難が読売記事が伝えているように、「中国による一方的断罪」であったとしても、チベットとダライ・ラマを一貫して悪者に仕立て、中国を善玉に位置づける。例え世界が信用しなくても、また北京オリンピックを滞りなく開催し、滞りなく終了させることができたなら中国にとってはベストだが、例えオリンピック開会式で何らかの支障が起きようと、これまで見せてい姿勢を押し通して「中国絶対」の事実を打ち立てるに違いない。
中国にとって、オリンピックの失敗よりも対チベット中国化政策の失敗の方が遥かに恐ろしいことだろうからである。チベット問題はオリンピックが終了しても引き続いて未解決の問題として横たわるだろうし、対チベット中国化はそこにチベット人が存在する限りどのような手段を以ってしても出口のない支配化となる危険性を残すことになりかねないことぐらい中国当局は百も承知しているに違いない。
中国がチベットとダライ・ラマを悪者とする「中国による一方的断罪」を続けるなら、世界はそれが事実かどうかの検証を行わなければならない。単に今回の暴動の実態を検証して終わるのではなく、対チベット中国化政策がチベット人の精神を抑圧していないか、中国人によるチベット人支配へと進んでいないか、世俗社会に於いて中国文化のチベット文化侵食が強制的に行われていないかを検証すべきだろう。
ダライ・ラマは中国の主権下での外交・国防を除く「高度な自治」を求めているという。あくまでも独立を追求する勢力も存在するだろうが、「高度な自治」とはチベット人をチベット人足らしめる「自治」を言うはずである。強制によるものではない、自然な形でのチベット的なすべてをチベット的なすべてとして維持する「自治」のことであろう。
そのことに反する強制的な中国化が検証の結果世界に知れたとき、「中国による一方的断罪」の正否が暴かれることとなり、悪者の烙印はチベット及びダライ・ラマから中国に移ることになる。オリンピックの失敗があったとしても、遥かに小さな問題と化すに違いない。「高度の自治」でダライ・ラマと今のうちに手を打つ方が賢明ではないか。それが成功したなら、中国内の他の自治区との関係の手本となる。そのような関係を築くことによって、中国にしても少しは民主化していく。
そういう方向に持っていくためには何にもまして実際にどちらが「悪者か」の世界の検証にかかっている。
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≪米大統領、胡主席に対話促す チベット問題≫(asahi.com/2008年03月27日12時01分)
ブッシュ米大統領は26日、中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席に電話し、中国チベット自治区などで起きた騒乱をめぐり、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世側との対話を迫った。胡氏はチベット人の行為を「ひどい暴力犯罪活動」とし、とダライ・ラマがチベット独立の主張を「正真正銘放棄」するなどした場合には対話が可能、と応じた。
ハドリー大統領補佐官(国家安全保障担当)によると、ブッシュ氏はチベット自治区での「暴力」に懸念を示し、治安当局が自制的に対応する必要があると強調。さらに、「チベット人の苦悩に対処する中国政府の取り組みの一環」として、現在中断中の中国とダライ・ラマの特使による協議を再開する必要がある、と呼びかけた。
これに対し、中国外務省によると、胡氏は今回の騒乱は「ダライ・ラマ一派が吹聴する平和的デモ、非暴力行動といったものではなかった」と指摘。「いかなる責任ある政府も座視できなかったものだ」と対応を正当化した。対話の条件としては「暴力犯罪活動や北京五輪に対する破壊活動の扇動、画策をやめること」も挙げた。
ブッシュ氏はチベット騒乱についてこれまで目立った発言を控えており、チベット支持者の間では失望感も生まれていた。ハドリー氏は台湾総統選が終わったことなどを受けて電話したと説明したが、批判をかわすために電話会談に踏み切った可能性がある。
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≪胡主席がダライ・ラマと対話に条件、米大統領と会談で表明≫(2008年3月27日22時25分 読売新聞)
【北京=杉山祐之】中国の胡錦濤国家主席は26日に行ったブッシュ米大統領との電話会談で、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世との対話再開について、「チベットなどでの暴力犯罪の扇動・策謀と北京五輪破壊活動の停止」をはじめとする条件を示した。
対話に前向きな姿勢を国際社会にアピールしつつ、ダライ・ラマ側が受け入れ不可能な条件を突きつけた形だ。チベット暴動に関する胡主席の発言が公表されたのは初めて。
胡主席は、「実質的対話」を促したブッシュ大統領に対し、「我々は忍耐強くダライ・ラマ側と接触を保ってきた」と強調。条件を満たすことを前提に、「ダライ・ラマとの接触、対話を続けていきたい」と語った。対話再開ができない責任はダライ・ラマ側にあるとの原則的立場を米国に明確に主張したものだ。
ただ、胡主席が対話再開条件で指摘したダライ・ラマ側の「暴力犯罪扇動、五輪破壊活動」は、中国による一方的断罪といえ、ダライ・ラマ側が「罪」を認め、その「停止」に応じることはありえない。
胡主席は、<チベット独立放棄、祖国分裂活動の停止、チベットと台湾を中国の一部と承認――という従来の条件も繰り返し、中国側から歩み寄る姿勢は一切見せなかった。
都議会の予算特別委員会は26日に新銀行東京への400億円の追加出資を与党自公の賛成多数で可決し、28日の本会議で可決・成立する見通しだと言う。
朝日新聞の電話世論調査によると、400億追加出資に
「反対」―73%、
「賛成」―17%、
「清算すべき」―61%、
石原知事の責任に関しては、
「大いにある」―44%、
「ある程度ある」―49%、
「あまりない」―4%、
「まったくない」――1%、
石原知事の説明
「不十分」―83%、
「十分」――6%、
読売新聞の世論調査では、
「やめる方がよい」―65%、
「存続」――21%、
中小企業支援の設立目的を果たしているか否かについては、
「大いに」「ある程度」肯定―21%で、
「あまり」「全く」否定―64%、
都側の追加出資理由の説明は
「納得できない」―76%、
「納得できる」――13%、
石原都知事の支持率
「支持する」―51・1% (1999年調査より-6ポイント)
「支持しない」―40・1% (1999年調査より+14・3ポイント)
「読売」の調査では支持率が1999年調査より-6ポイント下落しているとは言うものの、依然50%を上回っている。現在の日本株と比較した場合、より堅調と言えるが、都知事選で投票した手前のアンビバレンスということもある。
「時事通信」によると、追加出資案可決で石原慎太郎日本政治希望の星は「良識が働いて、この結果を出していただいた。(追加出資を認める)現実論が制してくれてありがたかった」と安堵した表情で語ったという。
都議会での自公賛成多数が「良識」の為せる業だとすると、世論調査を介して発した都民の声は「反良識」の為せる仕業ということになる。
だからだろう、石原都知事が「世論調査を気にしていたら政治などできない」(27日早朝「日テレ24」)と記者団を前にして堂々と公言できたのは世論調査で示した拒絶反応の民意を良識ある声と認めていないからだ。
昨07年4月の都知事選では石原 慎太郎は2811486票を獲得。対抗馬の浅野史郎の1693323票に110万票も大差をつけて当選を果たした。石原は当選後、「都民の常識がこういう結果をもたらした」、「都民の意識の高さの結果だ」と有権者の政治センスを褒め称えている。
と言うことは、この281万都民の石原選択は「良識」ある投票行動だと見做していたことになる。その「良識」が「政策」の重視を抑えて32%のトップの割合で「人柄」を重視した選択基準(NHK)で3選目を石原慎太郎にもたらした。
朝日新聞の当時の出口調査でも、有権者は投票基準に「公約や政策」を上回って「候補者の資質・魅力」――いわば「人柄」を第一番に挙げ、「資質・魅力」と答えた有権者の6割以上が石原慎太郎に1票を投じたというのだから、如何に人柄が見込まれていたか分かろうというものである。
言ってみれば、石原が3選目を果たした当時、石原と都民は最も濃密な蜜月の関係にあったと言える。
しかしここへきて有権者と都知事の間に亀裂が生じた。都知事選挙のときはあれ程に「人柄」に惚れ込んで入れあげたのに、初期出資1000億円を含めたプラス400億円の追加出資が都民1人当りの負担が約1万1千円と計算され、これから先どれ程膨らむかも分からない不安にカネの切れ目が縁の切れ目とばかりによそよそしい態度を取るようになったのだ。
「朝日」の世論調査では追加出資は「反対」―73%、「賛成」―17%、「読売」では経営存続は「やめる方がよい」―65%、「存続」――21%、説明責任については、「朝日」は「不十分」―83%、「十分」――6%、「読売」は「納得できない」―76%、「納得できる」――13%と、特に人柄を見込んで1票を投じた知事選当時の蜜月関係もどこへやら、すっかり忘却の彼方に沈めてしまった冷たい仕打ちを露骨に見せるようになった。
それでも「支持する」―51・1%で「支持しない」―40・1%というのは、家庭内離婚状態と言うべきか。
対して男の方は「女の不満を気にしていたら、男の仕事はできなくなる。良識のない態度だ」と、一度は持ち上げていた「女の常識」、「女の意識の高さ」をバッサリと切り捨てて両者の関係を見限る発言を憚らずに口にする。
今朝27日のNHKのニュース。
男性記者「(追加出資)無駄にならないですか?」
石原「当然」(ぶっきらぼうに)
女性記者「もしムダになったら、どうされますか?」
石原「そのときは責任は取らなくちゃならない」
女性記者「どういうことですか?」
石原「ムダになるとかならないとか、黙って結果を見てください、ほんとに。今から水をぶっ掛ける
ようなこと言ったってダメですよ、そんな――」
相当に苛立っていた。冷たくなった女に対する男の苛立ちと殆ど同じだと言ったら、こじつけに過ぎるだろうか。
何事も先走って大袈裟に取り上げ、事実を実体以上に膨らませて報道するワイドショー風に解説するなら大見出し付き、写真付きで「石原慎太郎と都民、ついに破局を迎えて離婚!」と言うことになるのではないか。
例え離婚ということになったとしても、石原慎太郎に3選目も期待して投票した有権者には一度は結婚した責任が残る。その慰謝料が石原から支払われるのではなく、都民1人当たり1万1千円を女の方から払わなければならない責任ということなら、離婚に於ける滑稽な倒錯劇と言うことになる。新銀行東京が破綻したなら、最初から石原を都知事に選ばなければよかったと言うことになるのではないか。
サイコロの目はカタストロフィに向かうのか、はたまたカタルシスを与えてくれるのか、スリルとサスペンスのワクワク、ドキドキの日々が待ち構えている。
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≪新銀行東京 追加出資に73%反対 本社世論調査≫(asahi.com/2008年03月24日22時00分)
<朝日新聞社が22、23日、東京都民を対象に実施した世論調査(電話)で、経営難に陥っている新銀行東京に石原慎太郎知事が400億円を追加出資する考えについて、「反対」が73%にのぼり、「賛成」は17%にとどまった。新銀行東京は「清算するべきだ」が61%に達した。経営悪化について石原知事の責任は「大いにある」が44%、「ある程度ある」が49%で、合わせて9割を超えた。
新銀行東京は石原知事が選挙公約に掲げ、都が1000億円を出資して設立したが、今年度末に累積赤字が1016億円に膨らむ見通し。石原知事は経営再建を目指し、追加出資案を都議会に提出している。
追加出資について男女とも7割以上が反対し、すべての年代で6~8割が反対した。石原知事の支持層でも58%が反対し、石原都政を支える自民の支持層で62%、公明支持層でも大半が反対した。民主支持層では82%が反対だった。
都が銀行経営に参入したことについては「うまく経営する方法はあった」が54%、「もともと無理があった」が35%で、中小企業支援という当初の目的に一定の理解がうかがえる。しかし、新銀行東京の今後は「経営再建を図るべきだ」は26%にとどまり、「清算するべきだ」が61%を占めた。
新銀行東京の経営悪化に対する石原知事の責任は「あまりない」が4%、「まったくない」が1%で、大半が知事に責任があると見ている。特に50代以上では「大いにある」が「ある程度ある」を上回り、視線はより厳しい。新銀行の経営難や再建策に関する石原知事の説明が「不十分だ」は83%にのぼり、「十分だ」は6%にすぎなかった。
新銀行の経営悪化について、都議会がこれまでチェック機能を「果たしてこなかった」が85%で、「果たしてきた」の4%を大きく上回り、都議会への不信感が示された。
石原知事の支持率は47%(前回07年7月は53%)で、不支持率は39%(同32%)。不支持率はこれまでの調査で最も高かった。
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≪新銀行東京 追加出資「反対」73%≫(2008年3月25日 読売新聞)
本社世論調査「知事不支持」急増
読売新聞社は21~23日、経営難に陥っている新銀行東京(東京都千代田区)に関して、都民を対象に世論調査を実施した。それによると、新銀行の経営支援策として、都が都議会に提案した400億円の追加出資案に反対する人は73%に上り、賛成は17%だった。都議会(議員125人)の過半数を占める与党の自民、公明両党は追加出資案に賛成の方針を固めており、今月28日の本会議で可決の公算が大きいが、都民は厳しい評価を示している。
新銀行の事業継続については「やめる方がよい」が65%で、「存続」は21%にとどまった。中小企業支援という設立目的を果たしているか否かについては、「大いに」「ある程度」と肯定する人が21%で、「あまり」「全く」と否定する人は64%に達した。都側による追加出資理由の説明も、76%が「納得できない」とし、「納得できる」は13%だった。
来年夏に予定される都議選の投票で、追加出資案に対する政党や議員の対応を判断材料にするかどうかを尋ねたところ、「する」と答えた人は58%で、「しない」の33%を上回った。
石原慎太郎・都知事の支持率は51・1%となり、昨年7月の参院選時の調査より6ポイント下落して、1999年の調査以降、最低を記録。支持しないとした人は14・3ポイント増えて40・1%となり、不支持が急増している。
調査は、都内の有権者を対象に、無作為に作成した番号に電話をかける方法で行った。有権者在住が判明した1612世帯のうち1060人から回答を得た(回答率66%)。
ごく当たり前のことを言うに過ぎないが、「基本的人権」とは人間が生まれながらにして与えられている人間が人間として生きていく上ですべての面でベースとなる、決して欠かすことのできない基本的な権利であって、憲法の保障があって初めて獲得する権利ではない。
なぜなら人間生命の十全な発露は基本的人権を共にして初めて可能となるからだ。基本的人権の制限を受けたり、否定されたりした場合、人間生命の十全な発露は様々な制約を受け、制約に伴う障害を来たすことになる。
いわば基本的人権が生まれたときから本来的に備わっている権利であることによって、人間が人間として生きていく人間のあるべき存在性が満足のいく形を取ることが可能となる。
憲法の保障は人間が生まれながらに持っている基本的人権を条文によって担保したに過ぎない。時に国家権力によって侵害される危険に曝されるからである。
基本的人権は自然権に入る。自然権とは、国家及びその法律に先立って個人に本来的に備わっているものであるとするゆえに国家によって侵されることのない、あるいは侵されてはならない権利を言い、基本的人権はその代表格としてある。
そのように位置づけなければならないにも関わらず、基本的人権が生まれながらに与えられた人間のあるべき存在性を保障する権利であることを無視して国家権力を用いて侵害する国があるが、それは国家権力による人間のあるべき存在性に対する愚かで僭越な挑戦としか言いようがない。しかしそのような否定されるべき挑戦が多くの国で蔓延している。
基本的人権が人間が生まれながらに与えられている自然権である以上、その権利は国籍や民族によって制約を受けない普遍性を本来的に備えているはずである。それはチベット人であろうとミャンマー人であろうと、北朝鮮人であろうと変わりはない人類普遍の権利であって、国家権力・政治体制のみが制限を設け、あるいは否定する。
もし基本的人権が国籍や民族によって制約を受けるとするなら、人間に違い、あるいは差別を設けることとなり、如何なる個人も国家権力もそうする権利はないはずである。
基本的人権が人間が生まれながらにして与えられている人間生存の権利であり、且つ国籍や民族によって制限を設けてはならない人類普遍の権利である以上、基本的人権に国境は存在しないことになる。
すべての国のすべての国民が等しく享受しなければならない国家主権を超えた権利であって、国家体制によって制限や違いを設けてはならないとしなければならない。当然の帰結として、基本的人権に関してはそれぞれの国家の内政問題から切り離され、《内政不干渉の原則》には抵触しないことになる。
逆説するなら、国家権力による国内的な基本的人権の侵害に対する外国からの干渉を拒絶・無視する国家権利としての「内政不干渉の原則」は基本的人権の問題に限って無効化させなければならない。
いわば、基本的人権はそれぞれの国家によって恣意的に扱われてなならない。如何なる場合も国家権力の犠牲となってはならない。
人間が生まれながらに与えられている人間生存の権利である基本的人権を国家権力によって認めない国は法治国家とは言えない。法治国家とは「国民の基本的人権の保障を原則とし、国民の意志によって制定された法に基づいて国家権力が行使される国家」(『大辞林』三省堂)を言うのだから、思想・信教の自由、言論の自由等、基本的人権の一つでも欠いた国は法治国家とは言えない。
中国、イラン、北朝鮮、ミャンマー等はどのような法律を抱えていようとも、決して法治国家とは言えない。
基本的人権に関わる「内政不干渉の原則」の無効化は特に国連加盟国に於いてその遵守を原則としなければならない。なぜなら国連憲章は「前文」で次のように規定しているからである。
「我々連合国の国民は我々の一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益を追求する場合を除いて武力を用いないことを原則とする方法の受諾設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、我々の努力を結集することに決定した。」
すべての国連加盟国はこの規定に従う義務と責任を負うはずだが、果たして中国は特に常任理事国の地位にありながら、上記義務を果たしていると言えるのだろうか。
大相撲はそれ程大層な「伝統・文化」を備えているのか。国技と呼ばれるにふさわしい内容、あるいは全体的な人間性を備えているのか
脚本家・横綱審議委員会委員の内館牧子が01年3月17日の『朝日・論壇』に下記一文を寄稿している。
寄稿の動機は大阪場所の優勝力士に当時の大田房江大阪府知事が府知事賞を自ら土俵に上がって手渡したいと希望したのに対して土俵は女人禁制だからと断った相撲協会の主張を支持する目的からのもので、その主張が如何に矛盾に満ちているか、自分に都合がいい、我田引水の論理展開となっているか証明するために先ずは全文を引用しておく。重要と思われる箇所は下線を引いておいた。
≪土俵の「女人禁制」維持は妥当≫
<「私は長いこと大企業に勤務し、男社会の悲哀をいやというほど味わってきた。当然ながら男女差別には反対である。
ただ、「伝統」というジャンルに関しては、芸能であれ祭りであれ工芸であれ、現代の考え方や様式にあわせていじる必要はないと思っている。それは、当時の文化が伝承されているものであり、もとより現代の考え方や様式に合うはずはない。それを『現代』と重ねて変革を望む発想はあまりにも短絡的だ。むろん、伝統の数々は継承の途中で、少しずつ形を変えてきている。その時代のままということは不可能に近く、必要に迫られた変革もあれば、外から要求された場合もあるだろう。
ただ、その伝統の「核」を成す部分の変革に関しては、広範な人々が大いに意見を言うことは当然として、その決定は当事者にゆだねられるべきものと私は考えている。
その核は、部外者からすれば笑止なことでも、当事者にとっては譲れない部分なのである。大相撲に限らず、すべての伝統に関して言えることだが、当事者はその核を連綿と守り抜き、結束してきたのである。当事者の出した結論を尊重するのが部外者の見識というものだろう。
たとえば歌舞伎の女形宝塚歌劇のあり方に関し、現代の考え方で「男女差別に怒りを覚える。男女平等に舞台に上げよ」という訴えがあったとする。そしてもしも、それが受けいれられたなら、その時点で歌舞伎ではなくなり、宝塚歌劇ではなくなる。伝統文化においてその核となる部分をいじった場合、それはまったく別ものの誕生ということになるだろう。勿論、当事者が容認した場合は問題ない。
私は、今回、大田房江大阪府知事を土俵に上げないとした相撲協会の決定を妥当だと考えている。それは伝統文化の領域であり、現代の男女差別には当たらない。また、「男だけで担う」ことは、大相撲の核を成す部分だと私は考えている。この点について、相撲協会と話したことはないが、ここまで必死に女人禁制を貫こうとするのは、やはりそこを核の一つと考えているからにほかなるまい。
断られた知事は「どうしてなんだという思い」とコメントしているが、私はかくも強硬に土俵にあがりたがる知事に「どうしてなんだという思い」を持っている。何よりも理由に説得力がない。
知事は「21世紀は女性の時代と言われている。(協会が)新しい形を目指すのにいい時期だ」(3月1日付本紙)と述べているが、それでは理由にならない。
伝統文化に「現代」というメスを入れようとするなら、相当な覚悟と明確な理由が必須である。そしてそれ以前に、部外者が伝統文化の「核」に触れることへの畏怖があってしかるべきだろう。それを「新しい形を目指すのにいい時期だ」などと言い切るのは、あまりにも軽くはないか。知事の仕事ではあっても、前述程度の理由でその核となる部分にいじることに恐れを感じないだろうか。断られてもなお、説得力のない理由のもと、「優勝力士にわたしの手で渡したい思いに変わりはない」(3月8日付東京スポーツほか)と言うのは、あまりにも幼くはないか。
ただ、知事のコメントから、協会の回答にも説得力がなかったことはうかがえる。その中で「協会の意向を尊重」して断念した知事の強い不満は当然だろう。
大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ、芸能性を持つ伝統競技である。人気低迷が言われる中、変革すべき点は多々ある。変革すべき点と保守すべき点に関しては、慎重な議論が必要だ。大相撲に限らず、伝統文化の何を打ち破り何を守るべきかは冷静に冷徹に考えたいと思う。>・・・・・
先ず最初に言いたいことは、「部外者が伝統文化の「核」に触れることへの畏怖があってしかるべきだろう」と言う程に、大相撲は大層な競技なのだろうか。いくら歴史があるからと言って、それ程にも勿体振らなければならない競技なのだろうか。自分たちをさもたいした人間に見せるために自分たちが関わっている物事を持ち上げる権威主義民族日本人に特有のハコモノ思想からの勿体振りではないか。
それぞれの競技はその競技特有の技術を限定保有している。大相撲に限った話ではない。大相撲に特有の技術とは四十八手の「技」ということになるが、それぞれの競技が面白い・面白くないはその技術(技)の決して固定的に発揮されるわけではない優劣の表現に応じた勝ち負けの争いによって決定される。
いわば勝ち負けを演出する技術(技)の優劣という極めて個人の能力に負うところが大きい。そのことは大鵬や柏戸、千代の富士、貴乃花といった強い力士(=個人)が出現するかしないかで人気が左右されることが証明している。ただそれだけの話である。決して「伝統」が競技の面白さを決定する要因とはなっていない。
野球は明治以降たかだか140年程度の歴史しかないし、プロ野球となると90年そこそこの伝統しか持たないが、その人気が大相撲を遥かに抜いている現状が競技の人気が伝統によって決まるとは限らないことを物語っている。
大体が内館は自らが言っていること自体に矛盾を犯していながら、そのことに何ら気づいていない。
「伝統」なるものが「当時の文化が伝承されているものであり、もとより現代の考え方や様式に合うはずはない。それを『現代』と重ねて変革を望む発想はあまりにも短絡的だ」」と言いながら、その主張に反して、「伝統の数々は継承の途中で、少しずつ形を変えてきている。その時代のままということは不可能に近く、必要に迫られた変革もあれば、外から要求された場合もある」と「伝統」の時代の変化に応じた「変革」性を平然と謳い上げている。
言っていることのどちらが事実なのだろうか。伝統とされる物事が「現代の考え方や様式に合うはずはない」となったなら、どのような形を取ろうとも、後世に受け継がれることはないとしなければならない。「現代の考え方や様式に合う」からこそ、時代の違いに応じた人間の考え方の変化に遭遇しても「伝統の数々は継承の途中で、少しずつ形を変え」ながらも時間や時代を超えて受け継がれていくのである。それが伝統の継承と言うことであろう。当時の姿のままの「伝統」は存在しないはずである。
だからこそ、「伝統の『核』を成す部分の変革」に関しては「当事者にゆだねられるべき」だとする主張を、それが正しい正しくないは別に導き出すことが可能となる。「現代の考え方や様式に合うはずはない」とする無変革を前提とせずに「伝統の変革」を前提としているからだ。
だが、「伝統」が「現代の考え方や様式に合うはずはない」を絶対前提とするなら、特に「『核』を成す部分の変革」となると、現代の「当事者」にしても埒外の立場に置かれることになるはずだが、そうは考えないらしい。時代の変革性を考慮に入れたとしても、「当事者」としたら、逆にどのような「変革」も畏れ多いということになるだろうからである。
内館が言いたいことは、「伝統継承」の「当事者」のみがその変革の資格があり、部外者にはない。「当事者」が「変革」したなら変革したなりに、変革しなければ変革しないままに従え、受け止めよと言うことなのだろうが、矛盾の上に矛盾を重ねた主張を繰返しているに過ぎない。
伝統の変革関与は当事者にのみ許される。「1200年の歴史に裏打ちされ」た「大相撲の伝統」ともなると、それは絶対的当然事項としなければならないと言うのが内館牧子の結論であろう。
「大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ」とは何とも勇ましいぶち上げだが、相撲の競技自体のどこに「1200年の歴史」が反映されていると言うのだろうか。塩を撒くにしても、仕切りにしても、横綱の土俵入りにしても、単に受け継ぎ、取り決めた型(=形式)に過ぎない。取り決めた型を役目上真摯に行うだけのことだろう。伝統を意識して行っている者が一人としているのだろうか。
仕切りは取組自体がごく短い時間で決着がつくから、時間を持たせるという意味合いもあるのだろうが、その間、取組力士同士の心理面の戦いが既に始まっていて、それが表情や仕草に何とはなしに現れ、どう勝敗に影響していくか窺うのが面白いと言う向きもある。だが、それは野球も同じで、次打者としてネクストバッターサークルに立ったときから心理面の戦いは始まっているし、バッターボックスに立ってからも、カウント次第で打者の方がプレッシャーとなる場合もあるし、ピッチャーの方がプレッシャーを感じる場合も出て、勝敗を競う競技には常に心理面、あるいは精神面の葛藤は付きものとなっている。相撲だけにある場面ではない。
果して内館が「大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ」ていると言う程、大袈裟な伝統・文化を抱えているのだろうか、調べてみた。
3月大阪場所・内館牧子「私の中で引退した人」朝青龍が目出度くも優勝(2)に続く
関係するキーワードを『日本史広辞典代』(山川出版)から拾ってみた。
【相撲】「日本の国技と称される格闘競技。争う・あらがう意味の動詞「すまふ」の連用形「すまひ」が名詞化したもので、本来は格闘・力くらべを意味したが、のちに特定の様式の格闘競技をさして用いた。古来各地で行われていたさまざまな格闘が、平安時代に全国各地から相撲人(すまいびと)を徴発して行われた相撲節(すまいのせち)を通じ、同一性を持つ格闘競技として形成され、相撲節に付随した儀式的な要素とともに地方に普及したと考えられる。相撲節の廃絶後も、各地の寺社を中心に祭礼時の奉納や勧進などの目的で、相撲が芸能の一種として行われ、遅くとも中世後期には各地に職業的な相撲人集団も発生した。これらの相撲興行は江戸中期頃までに、江戸・大阪・京都を中心に組織化されて幕府の公認を得、各地の相撲組織を傘下に収める。また吉田司家(つかさけ)を頂点とした故実体系に組み入れられて、確固たる地位を築いた。現代の大相撲組織はその系譜に連なる。」
「相撲節の廃絶後」、「各地の寺社を中心に祭礼時の奉納や勧進などの目的で、相撲が芸能の一種として行われ」た。ここには「当事者はその核を連綿と守り抜き、結束してきたのである」とする姿は見えない。
【相撲節】(すまいのせち)「平安朝廷の年中行事として催された相撲会(すまいえ)。各地から召集した相撲人(すまいびと)を左右近衛府に分属させ、対抗戦の形で行われた。式日は、初めは7月7日、のちに7月下旬となった。年の後半の開始にあたり、豊凶を占い豊穣を祈る年占(としうら)神事と、地方から強者を集めて天皇に奉仕させる服属儀礼との両面を持ったが、のちには娯楽の意味合いが強くなる。『日本書紀』は、野見宿禰(のみすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の力くらべを相撲節の起源説話として載せる。」
【吉田司家】「相撲の家元を称する家。当主は代々「追風(おいかぜ)」を号す。家伝に寄れば、聖武天皇の頃の志賀清林を祖とし、のち京都五条の目代を勤めたといい、近世には熊本藩細川家の家臣となった。各地の行事の組織化に務め、18世紀頃から江戸相撲会所との結びつきを強めた。力士・年寄・行司らを故実門人とし、横綱免許を発給するなど故実を媒介とする相撲組織の統合を進め、近代に至るまで相撲の家元として重んじられた。」
要するに「吉田司家」は茶道で言えば裏千家とか表千家、華道で言うなら、池坊とか小原流に当たるのだろう。組織化し、団体とすることで格式化し、由緒を持たせた。権威主義社会日本である。格式化することで価値を大いに高めたことであろう。
【故実】「古いしきたりを先例にそって学ぶこと。儀式において、先例の中でも環境に応じた特定の日時の行動作法が故実となって定着する。故実は年来の例と相違しても、行事の進展に相応する場合もあり、前例がなくても後代の先例となることがある。近世に入ると、前例遵守の慣行を故実と称するようになる。」
この「故実は年来の例と相違しても、行事の進展に相応する場合もあり、前例がなくても後代の先例となることがある。近世に入ると、前例遵守の慣行を故実と称するようになる。」としている経緯は受け継がれていく「伝統」と言うものの姿・性質を如実に示している。「行事の進展に相応」して手を加える変化が行われたり、ある時期「伝統」の中にないものが新たに付け加えられ、それが先例となって時代が下ると伝統の一部分と化す。そういった柔軟性が近世に入って失われ、杓子定規の格式優先・形式遵守の「伝統の受け継ぎ」が主流を成すようになった。いわば「前例遵守の慣行を故実と称するようにな」ったと言うことなのだろう。
【勧進相撲】勧進を名目に掲げた相撲興行。寺社や道橋などの造営・修復の費用を調達するために喜捨(金銭・物品の寄付)を募ることを勧進という。鎌倉末期以降は、能・猿楽などの芸能興行による収益をあてる勧進興行が広く行われた。相撲も芸能の一つとして、15世紀初めから勧進興行が行われ、職業的な相撲人集団の活躍の場となった。近世には、江戸・京・大阪の三都を中心に盛んとなり、営利目的の興行も行われるようになった。幕府は当初は、風紀統制の意図もあり、そうした興行には抑制的で、しばしば勧進相撲禁令を発したが、18世紀半ばには三都で四季一度ずつの営利興行が公認され定着した。現代の相撲はこの系譜につながる」
ここで相撲がどう変遷したか見ることができる。平安時代に全国各地から相撲人(すまいびと)が徴発され、「豊凶を占い豊穣を祈る年占(としうら)神事と、地方から強者を集めて天皇に奉仕させる服属儀礼との両面を持った」相撲が春分や秋分といった季節の変わり目の祝い日に相撲節(すまいのせち)として行われ、その廃絶後、各地の寺社を中心に祭礼時の奉納や勧進などの目的に行われた。次第に勧進の姿が消え、純然たる営利目的の興行へと姿を変えていった。
「勧進」にしても、現在の政治家が政治パーティを開いて、その会費から政治資金を捻出するのと同じ構造の、相撲入場料を取って、そこから相撲取りの人件費等諸々の経費を除いた剰余金を寺の造営・修復に当てた(「収益をあてた」)のだろう。相撲を見る愉しみがなかったなら、勧進に応じる人間がいたかどうかである。富くじにしても、当選金を当て込む射幸心を満たせたから寺の救済や神社仏閣の造営・修復に協力できたのであろう。何しろ寄付文化後進国日本である。
【日本相撲協会】「唯一の職業相撲団体。近代になると東京と大阪の職業相撲の興行組織として東京相撲協会・大阪相撲協会があり、合併が懸案となっていた。1925年(大正14)摂政杯(のちの天皇賜杯)の制定を契機に、両協会が合併して財団法人大日本相撲協会が設立され、58年(昭和33)日本相撲協会に改称された。協会の運営の中心となる評議員は定数105人(他に一大年寄り2人)の年寄りに、行事代表2人、力士代表4人を加えて構成される。協会の主な事業は年6回の本場所の開催である。」
日本相撲協会が設立したのは1925年(大正14)。たかだか80年そこそこの歴史である。前身があったと言え、合併によって運営方法に影響を受けたはずで、同じ姿を取った運営とは考えにくい。伝統も運営方法によって、少なからず姿を変える。当事者が東京相撲協会と大阪相撲協会が二つあったのだから、それぞれに利害の対立・相違もあったろうから、「当事者だから変革は許された」と簡単には片付けるわけにはいくまい。
【国技館】日本相撲協会が維持・管理する常設相撲場。日露戦争後、梅ケ谷・常陸山両横綱の対戦が人気を呼び、ナショナリズムの高揚の気運にものって相撲興行は好況を呈した。その機に合わせて大日本相撲協会は、天候に左右されていた興行を安定させるため、東京回向院境内に常設館を建設。1909年(明治42)6月に開館し、国技館と命名した。以後、相撲は広く国技と称されるようになった。失火や関東大震災による消失・再建を経て、第2次大戦後占領軍に接収された。1950~84年(昭和25~59)には浅草の蔵前国技館が使用され、85年1月、新たに両国国技館が開館した。」
国技館を東京回向院境内に建設したのは勧進相撲の名残なのだろうか。例えそうであっても、入場者から見たら、当初の勧進相撲の内容をすべて失った寄進意識のない、営利に協力するだけの相撲となっているのである。寄進という意味では、伝統は隔絶していると言える。
また日露戦争(1904~1905/明治37~38)後のナショナリズム高揚を受けた「国技」呼称ということなら、国技意識の伝統も僅か100年程度で、「大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ」ていると大上段に振りかぶることができる程の格式・由緒を備えているとは到底思えない。
多分、ロシアに戦争して勝ったという大国意識を日本古来の競技であることと相撲取りの身体の大きさ、その力の強さに仮託して日本人自身の力の表現とすることでナショナリズムを充足させた、その結果の相撲人気だったのではないのか。
ナショナリズム高揚の時代背景を持った「国技」呼称だからこそ、それが通用したが、その背景を失った今の時代、相撲取り一人ひとりの姿が見えて、「国技」呼称にふさわしい内容を備えているとは見えない現在の大相撲といったところだろう。
他のスポーツと同様に勝ち負けの面白さ、個人の技の優劣で持っているに過ぎない。「大相撲は1200年の歴史」
だとか「伝統」だとか、大上段に構える程のことはないスポーツと言うことである。
最後に「土俵女人禁制」がいつ頃から始まったのか、「1200年」前の相撲発祥時期からなのか、【女相撲】なるキーワードを紐解いてみた。
【女相撲】「女の力士が取る相撲のこと。近世には、女が座頭などを相手に取る興行もあり、競技というよりも見世物的な色彩が濃かった。1872年(明治5)男女の取組は禁止されたが、女同士の相撲は、その後も各地の社寺の縁日の催しとして巡業が行われた。女相撲が興行すると雨が降るという俗信もある」。
女相撲が「各地の社寺の縁日の催しとして巡業が行われた」ということなら、勧進の役目も担った時期もあったはずである。普通の男と対戦すると力劣りがするから、目の見えない「座頭」を相手にさせて、そこそこの勝負としたのだろう。しかし、女でありながら、「1872年(明治5)男女の取組は禁止され」るまで寺社の土俵に上っていた。そして現在も女だけの対戦に限られている女相撲は続いている。
男相撲と同列には扱うことができないとしても、「大相撲は1200年の歴史」自体が怪しいのである。所詮利害損得の生きものたる人間が主催する勝ち負けの競技に過ぎないのだが、中身を形成するそのような人間の現実を無視して外側に纏っているに過ぎない伝統や歴史を振りかざし格式や由緒を示そうとする。
野球やサッカーはそうしなくても、大勢の人間が惹きつけられる。大相撲は伝統や歴史を振りかざして格式・由緒を前面に押し出さなければ、大相撲としての、あるいは「国技」としての体裁を保つことができないのだろう。伝統や歴史を勿体振ることで今ある実態を価値づけようとすることにどれ程の意味があるのだろうか。
現在の停滞した日本の政治を日本は2600年の歴史がある、日本は素晴らしい歴史と文化と伝統に満ちた美しい国だ、万世一系の天皇を国民統合の象徴としていると、そういったことで価値づけようとすることと同じ意味のない試みではないか。
「土俵の女人禁制」もそうすることで大相撲の格式・由緒をもっともらしく見せようとする同じ類の勿体振りなのだろう。「女人禁制」が「大相撲の核を成す部分の一つ」などとはどこから出た発想なのだろうか。
国技館の土俵を借りてストリップショーでも開催されたなら、大相撲は伝統だ、歴史だといった勿体振りを借りずに、相撲の興行そのもので勝負する姿を取り戻すのではないだろうか。
3月20日の「北京週報」が「一部の国がチベット問題を口実にしての五輪ボイコットしようとする行為を非難した」とする記事を載せている。
首都イスラマバードで羅照輝中国大使と会談したパキスタンのイナム・ウル・ハク外相――
「このほど、一部の者は、チベットで次々と暴力事件を起こし、社会の安定を乱し、中国の領土保全と北京オリンピックを破壊しようとしているが、パキスタンはこの行為を強く非難する。オリンピックは世界の人々にとって重要な競技の盛典であるため、北京オリンピックを撹乱しようとすることは、中国ひいては世界の人々の利益を損なうことだ」
オーストラリアオリンピック委員会のハービー副議長は20日記者のインタビューに答えて――
「如何なる北京オリンピックをボイコットしようとする企みも無駄なことである。北京オリンピックは予定どおりに開催されるものと信じている」
韓国華人中国平和統一促進連合総会、中国在韓同郷聯誼総会、韓国ソウル中国華僑協会など15の団体が共同声明を発表――
「ダライ・ラマ一味が世界の反中勢力と結託して、国を分裂させ、オリンピックを撹乱しようとする行為を強く非難する」
中国政府側の立場に立つなら、当然の記事内容である。北京オリンピックを何の支障もなく平穏無事に開催に漕ぎつけて平穏無事に終了することのみを至上命題としている中国政府の代弁者に過ぎないだろうから。そのためには是が非でもチベット問題を切り離さなければならない。
裏を返すなら、一国でもチベット問題で抗議の北京オリンピックボイコットといったことが起これば、人権問題でチベットに得点を与えて自らの汚点となる事態へと進むばかりか、自らの威信を傷つけ、内外に中国の失態を記憶させかねない。そのための国家を代表するわけでもない、事実かどうか分からないが「15団体」まで持ち出して張り巡らした必死なまでのボイコットの動きに対する予防線であろう。
ボイコットは中国の対チベット人権抑圧と共に現代史に消すことのできない出来事として記録され、多くの人間に記憶されて、以降のオリンピック開催のたびにその記憶は新たにされかねない。当然のこととして中国の人権抑圧政策への圧力ともなり得る。
そのことだけでもボイコットは意義がある。
3月21日付の「VOICE OF INDIA」インターネット記事≪【チベット問題】暴力では何も解決できない≫が暴動の経緯とボイコットを諫める記事を載せている。
< 作者 Sushil Kumar Singh (VOI)
昨年10月、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に、アメリカでは民間人に贈られる最高の栄誉であるとされる米国議会名誉黄金勲章が贈られた。ダライ・ラマがこの賞を受けたことは、チベット人にとっても大変名誉な出来事であった。この賞の受賞を祝うために、ラサのジョクハン寺院など、チベットでも祝賀会が催された。
チベット僧が何かを祝う時は、寺院にしっくいを塗るのが通例だ。しかし中国の当局これを禁止した。僧侶たちは抗議した。
そして今回の暴動である。チベット人たちは、3月10日を暴動の日と定めた。抗議活動は暴力へと発展し、1989年以来の大規模なものとなった。
89年当時は、まだ携帯電話やパソコン、インターネットなどは一般的ではなかった。チベットを訪れる観光客も少なく、中国人、いわゆる漢族もわずかであった。しかし中国政府は一連の経験から、計画的にチベット自治区に漢族を流入させ、また観光が禁止されていた一部地域を外国人観光客に開放した。
これによって、チベットでも携帯電話やパソコンが普及し始めた。また、北京の政府は青海省の西寧とラサを結ぶ鉄道を開通させた。このような状況下で、チベット人たちが文明の波に押されるのを回避する手立てはない。
今回の暴動では、テクノロジーが重要な役割を果たした。旅行者や地元民が暴動の様子を携帯で撮影し、MMS(Multimedia Messaging Service)で国外の友人に送信し、ネット上に配信された。チベットからの映像素材が他になかったため、これらの映像が20カ国以上のニュース番組で放映された。中国政府の報道官が行った記者会見も、ダラムシャーラーの暫定政府はライブで観ていた。
ダライ・ラマ14世のいるダラムシャーラーの本部では、今回の暴動の正確な被害者数を把握しようとしている。暴動参加者の多くが投降するなかで、ダライ・ラマは、もしこのまま暴力が続くのであれば、指導者の座を降りるとの声明を発表した。引退を示唆することで、彼は自身の支持者と北京政府双方をけん制した。
チベット人は、非暴力を貫かなければならない。暴力を抑制しなければ自身の信仰の尊厳を失いかねない。暴力で対抗すれば、中国側の暴力をも正当化することになってしまうからだ。
一方、中国はチベット人の人権について考えなくてはならない。チベット人は過去7年間、国連人権委員会で協議することを求め続けている。しかしこの訴えは過去7年連続で、投票によって拒否され続けてきた。
実はインドもこれに反対票を投じている。インドを含め多くの国が、この問題は中国内部の問題だと認識している。
また別の大きな問題は、今年8月に開催予定の北京オリンピックである。しかしオリンピックは政治と切り離して考えられるべきだ。誰かがゲームをボイコットするようなことがあれば、次のオリンピックでもまた別の問題のために別の国がボイコットするということもあり得る。そして、ついにはオリンピックが開催されなくなってしまうかもしれない。
しかし、北京オリンピックはチベットにとっても中国にとっても良い影響を与えるはずだ。チベット人が耐える様子を、世界の人々に訴えることができる。中国もオリンピック開催までに、人権問題への取り組みなどの姿勢を世界に示すことができる。北京を開催地に決定した国際オリンピック協会もまた、中国が人権問題を改善することを期待している。
結局のところ、この問題はチベットと中国との話である。解決法も彼らの間でしか見出せないだろう。対話の際は、両者が信頼できる第三者を交えての会談が望まれる。暴力は何も生み出さない。冷静な交渉が有益なのは明らかだ。>・・・・
「結局のところ、この問題はチベットと中国との話である」
記事の筆者は「インドを含め多くの国」がチベットの人権問題を「中国内部の問題」だとしていることと同一歩調を取って、国家を超えてあるべき人間の存在性を国内問題だと矮小化する主張を行っている。ミャンマーの軍政による自国民に対する人権の抑圧も中国政府の立場と同様にミャンマーだけの国内問題としているのだろう。
「チベット人は、非暴力を貫かなければならない。暴力を抑制しなければ自身の信仰の尊厳を失いかねない」とする主張は正当性を獲ち得るかどうかは判定は難しい。ミャンマーの暴動もそうだが、暴動があって、そのことによって露わな姿を取ることとなる抑圧する側の暴力と抑圧の経緯を世界に知らしめることができるからだ。
既にその時点で、国内問題ではなく、国際的な問題となっている。厳密に国内問題とすることができるなら、誰が世界に向けて報道するだろうか。
「国内問題」とする主張に添うなら、日本人ジャーナリスト長井健司さんがミャンマー官憲に至近距離から武力弾圧の意図を働かせた銃弾を撃ち込まれ死に至らしめられたことも、単に外国人が政府と国民との争いに巻き込まれた国内問題として片付けられたろう。
尤もそうであった方が日本政府にとっては厄介事を背負わなくて済んだと思わせたに違いない。しかし長井さんの銃撃死によって日本政府はミャンマーの人権抑圧と向き合わなければならなくなった。それも形だけの向き合いで終わりかねない形勢にある。何一つ解決に向かわず、一度波紋を描いた水面が元に戻ってそこに何も残さないように記憶が風化しつつあるからだ。
外(=国際社会)が騒がなければ、人権抑圧は100%内輪のことで片付けられてしまう。政治体制を維持するための道具でしかなくなる。
そうさせないためには人権問題は国内問題にとどめてはいけないということであろう。それに基本的人権の保障は国籍や民族で違いがあっていいはずはない。人間の本来的な存在性を思想の形に表現したものが基本的人権であって(決してその逆ではない)、その保障は国籍を超えてすべての人間に与えられなければならない。
この指摘が正しいとなれば、基本的人権の保障はすべてに優先する人類存在の原則としなければならない。指摘が正しくないということなら、それまでである。
スポーツに政治は持ち込むべきではない、五輪はスポーツの祭典なのだから、同じように政治を持ち込むべきではないともっともらしい言葉でスポーツを擁護する主張が根強く存在する。だが、それはスポーツと人権問題と天秤にかけた場合、スポーツを優先させる主張であって、基本的人権の保障はすべてに優先するという原則に反することになる。
少なくともそう主張する人間は基本的人権よりもスポーツを優先させている。そのことを自覚すべきだろう。
例え北京オリンピックをボイコットしても、次善の解決策を見い出せないことはない。アテネやシドニー、アトランタ、バルセロナといった過去にオリンピックを開催した都市がオリンピックを開催できる競技場を残していた場合、陸上競技は陸上競技、水上競技は水上競技といった具合に分散開催したなら、時間や余分の予算をそれ程かけなくとも済むだろうし、また訪れる観光客も分散できて、現在あるホテルでほぼ収容可能ではないだろうか。
ボイコットによってではなく、大災害とか戦争とかが勃発して主催者側が急遽中止を余儀なくされる場合を想定して、危機管理の一環から一度分散開催を学習・経験しておくのもいいのではないだろうか。
北京オリンピックボイコットは歴史への記録、人間への記憶を通して対チベットに限らず、対ミャンマー、対自国民に向けた中国の人権抑圧政策に対する圧力に効果を持たせるだけではなく、オリンピックが突然中止された場合の危機管理対応にも役立足せようというわけである。
だが、実際問題としてボイコットする国は一国も現れないに違いない。口ではチベット問題を取り上げながら、世界の大勢はボイコットしない方向を示しているからだ。残る期待は開会式で胸や背中に「ノーモア・チベット」とか「ノーモア・人権抑圧」の文字を描き入れたゼッケンを貼り付けて入場行進をするか、国旗大の布に書き入れてそれを振りかざしながら入場して抗議の姿勢を示す選手が現れることだが。その姿をテレビカメラを通して全世界に知らしめ、中国の人権抑圧政策が然らしめた突発事態として記録させ、記憶させる。
果して何人現れるか。人権意識の薄い日本人にはマネのできない芸当だろうが。
そう、「古い自民等をぶっ壊す」と言って有権者を惹きつけた小泉元首相の向こうを張った「ムダ遣い自民党政治をぶっ壊す」である。
自民党政府は「道路特定財源」の「一般財源化」反対と「暫定税率の廃止」反対の既得権益にしがみついていたが、参議院の与野党逆転状況の芳しくない形勢に加えて道路特定財源を打ち出の小槌とした政治家たちの政治道路に費やしたムダ遣いと官僚や天下りたちの自分の仕事を作るためだけの採算を度外した各種事業にばら撒いたムダ遣いが次々と明るみに出てなお形勢が悪くなり、自民、公明両党は暫定税率維持はそのままに道路特定財源09年度から一般財源化し、10年間で最大59兆円を投じる道路整備中期計画の見直しを打ち出した。
全国知事会もその辺の事情は飲み込んでいるらしく、これまでは政府案におんぶに抱っこで「道路特定財源」の一般化と「暫定税率の廃止」反対を主張していたが、暫定税率維持を前提に与野党に対し(1)10年間の暫定税率延長期間の短縮(2)10年間で59兆円を投じる道路整備中期計画の見直し(3)一般財源化枠の拡大と地方への重点配分―などについて協議するよう(≪全国知事会 一般財源化拡大協議を 与野党に要請へ 道路財源で主張を転換 暫定税率は維持≫2008/03/21付 西日本新聞朝刊=)、やはり政府の動きにおんぶに抱っこの、止むを得ずのだろう、提起をするとしている。
だがである。何もムダ遣いは国交省やその関連法人、かつての道路公団やそれらとつるんだ道路族の政治家ばかりの生業ではなく、国民の税金から出た予算を裏ガネの原資とした飲み食い、旅行、あるいは随意契約を手口とした利益の遣り取り・私腹肥やし、さらに天下りを利用した私利私益の獲得に費やされたムダ遣いはすべての省庁、その関連法人に亘っていたといっても過言ではなく、その手のムダ遣いを日本の政界・官界の美しい歴史とし、美しい伝統・文化としていたのである。
昨年12月に発生した海上自衛隊横須賀基地停泊中の護衛艦「しらね」の火災の修理にかかる損害額60億円にしても、隊員が事前申請せずに無許可で持ち込んだ家電が艦内の電圧と異なるにも関わらず変圧器を取付けずに使用して発生させた火災だと言うから、ムダ遣いに当たる60億円であろう。
イージス艦「あたご」の漁船との衝突も見張り員が規定の見張り任務と連絡任務を行っていなかったことが主原因だと言うことだから、行方不明者の捜索や漁船や漁協に対する損害賠償にかかる費用にしても乗務の責任と義務を果たしていたなら払わずに済む「ムダ遣い」に入るだろう。
年金特別便等、年金の記録回復に必要とした億単位のカネも(特別便の関連経費だけで07年度補正予算案に155億円を計上したということだが)社保庁職員その他が通常任務の責任と義務を果たしていれば出費せずに済んだムダ遣いとしなければならない。
そういった諸々のムダ遣いがなかったなら、とっくの昔に「暫定税率」など廃止できたであろう。消費税さえも設けなくてよかったかもしれない。国民が消費税を含めて各種税金を納める形で国の予算を形成しているが、自民党・官僚のムダ遣い体質が国の経営に関わる金銭感覚をも麻痺させていて、国民の納税だけでは手当てすることができず、国の借金は増えるばかりとなっている。
ムダ遣いする人間が満足な金銭感覚を持ち合わせるはずはないからである。
しかもムダ遣いをやめずに、いや、ムダ遣いの方式を温存させたまま、さらに消費税率のアップを狙っている。
親が金遣いが荒くて人からカネを借りてまわる息子の借金を返してまわる話はよく聞くが、それと同じで、この日本国では親に相当する政府がムダ遣いばかりして国家経営の採算を度外視しているから、子である国民がどんぶり勘定で生じた経営の破綻の手当てに追われることになる。
自民党と官僚のムダ遣いによって生じた不採算・非効率を国民はこれまで税金を無駄に払い続けることで完全には埋め合わせし切れないながらも埋め合わせてきた。
長期政権によって日本の政界と官界の美しい歴史・伝統・文化と化した自民党と官僚のムダ遣いをぶっ壊さない限り、日本の将来はない。暫定税率の廃止も覚束ない。自民党と官僚のムダ遣いをぶっ壊すとは、政権交代を意味するのは言を俟たない。
自民党と官僚のムダ遣いに目をつぶり、その存在を許している公明党も、その代表者は冬柴だが、ぶっ壊さなければならない。
次の総選挙の民衆等候補者は選挙カーに自民党・官僚のムダ遣いの前科を一覧表にして書き付けた同じ看板を取り付ける統一させた選挙スタイルを展開させることで如何にムダ遣いしてきたかを有権者に知らしめ、「ムダ遣い自民党政治をブッ壊す」を合言葉に、そのことが日本の将来にとって如何に大切かを、日本の政治にとって如何に必要かを訴えたらどうだろうか。
選挙カーに取付けることが可能な大きさの看板では書き切れない程の前科がある恐れがあるから、巨大フリップに仕立てて、街頭演説のたびに車に立てかけて、その前で「ムダ遣い自民党政治をぶっ壊す」街頭演説を行えばいい。「こんなにもあるんですよ。これ以上ムダ遣い自民党政治をぶっ壊さずに許せるんですか?」と。
ムダ遣い自民党政治をブッ壊さずして日本の明日はない――
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しらね 無許可家電付近から火(NHK/08.3.21)
この火災は、去年12月、海上自衛隊横須賀基地に停泊中の護衛艦「しらね」でCIC=戦闘指揮所から火が出て、およそ8時間にわたって燃えたものです。事故調査委員会の調査結果によりますと、現場の焼け方から、CICの中の冷蔵庫の上に置かれていた缶コーヒーなどを保温する家電製品の付近から初めに火が回った疑いがあることがわかりました。この家電製品は、隊員が事前の申請をせずに無許可のまま持ち込んでいたほか、艦内の電圧と違うのに変圧器を使っていなかったということです。焼け方が激しいため出火した場所や原因を断定することはできなかったとしていますが、海上自衛隊では、家電製品の艦内への持ち込みや使用について審査などを徹底するほか、これまでCICに取り付けていなかった火災感知器の設置を検討して再発防止を図るとしています。「しらね」は修理をして再び運用される予定ですが、修理にはおよそ60億円かかる見通しです。
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イージス艦 見張り配置つかず(NHK/08.3.21)
千葉県の房総半島沖でイージス艦が漁船と衝突した事故で、通常はデッキなどに出て船の見張りに当たる隊員らが事前に雨が降ったために艦橋内にいたことや、レーダーを監視する隊員の一部が事故の10分ほど前までは常時配置についていなかったことが、事故調査委員会の中間報告でわかりました。
今回の事故で、海上自衛隊の調査委員会では、イージス艦「あたご」のおよそ300人の隊員のうち、およそ70人から当時の状況について聞き取りを行いました。
公表された中間報告によりますと「あたご」は、事故が起きる30分ほど前の時点で前方に複数の漁船がいることを確認していました。
この時点では、距離が10キロ前後あり衝突の危険がないと判断していたということです。
その後も複数の漁船を認識していましたが、結果的に「清徳丸」とみられる漁船を確認したのは衝突の1分前でした。
隊員の1人は、当直責任者の当直士官が「この漁船近いなあ」と話したのを聞いて窓から見たところ、清徳丸とみられる漁船が進行方向の右70度ほどの方角の100メートル先付近に近づいていたということです。
この時点で当直士官が、あたごを停止させ後ろ向きに進む措置を取りましたが、衝突したということです。
海上衝突予防法では、「清徳丸」を右側に見ていた「あたご」側に回避する義務があったことになり、海上自衛隊では「あたご」が取った措置は十分でなかった可能性が高いとしています。
事故直後の調査で見張りの隊員が、事故の12分前に「清徳丸」とみられる船を確認し、2分前には「緑色の明かりを見た」と証言した内容については、今回は確認出来ていないとしています。
一方、監視態勢については、通常、艦橋の左右のデッキなどで、周辺の船の監視に当たる隊員らが事前に雨が降ったために、事故当時は、いずれも艦橋の中にいたことがわかりました。
また、CIC・戦闘指揮所で通常7人いる当直の隊員が、事故の10分ほど前までは3人か4人しかおらず、レーダーを監視する2つの機器のうちの1つには、常時、隊員が配置されていませんでした。
さらに、こうした当直体制の変更は、責任者の許可を得ずに勝手に行われていました。
結果的にレーダーでは清徳丸を認識できておらず、こうした状況から海上自衛隊では「あたご」全体として見張りが適切に行われていなかったとしています。
元護衛艦長“当直体制は厳しく”
イージス艦の衝突事故に関する海上自衛隊の中間報告で、事故当時、見張りの隊員が艦橋の外ではなく中にいたことがわかったことについて、護衛艦の艦長の経験がある海上自衛隊の元幹部は「太平洋の真ん中など周りに船がほとんどいない海域で、大雨のときなら見張りの隊員を艦橋の中に入れることもあるが、事故現場付近など日本の沿岸まで近づいたときは相当な理由がないかぎり、視界も広く周りの音も聞こえる艦橋の外で見張るのが通常の判断だと思う」と話しています。
また、CIC・戦闘指揮所で当直の隊員が通常より少なく、2つあるレーダー画面のうち1つには常時、隊員が配置されていなかったことについては「2つあるレーダーは、1つを長距離の監視用にして、もう1つを短距離の監視用に使いわけることで、周りへの注意をよりきめ細やかに行うことができる。当直の態勢は責任者が厳しく管理するもので、なぜ少ない人数で当直に当たっていたのか詳しく調べる必要がある」と話しています。
防衛省 事務次官ら88人を処分
石破防衛大臣は、閣議のあとの記者会見で、イージス艦と漁船の衝突事故など海上自衛隊で相次いだ一連の問題を受けて、増田事務次官や吉川海上幕僚長ら幹部を含む関係者88人に対する処分を明らかにしました。
石破防衛大臣は、21日イージス艦「あたご」が漁船「清徳丸」に衝突した事故やイージス艦についての情報流出事件、それに護衛艦「しらね」の火災の3つの問題について関係者の処分を発表しました。
それによりますと「あたご」の衝突事故では、11人の幹部が対象となり、事故が起きたことの責任と、事故発生の大臣への1報が遅れるなど、事故後の対応が不十分だったとして、増田事務次官や吉川海上幕僚長らを減給や訓戒などにしています。
そして、イージス艦に関する情報流出事件と、護衛艦「しらね」の火災をあわせた処分の対象者は、あわせて88人に上ります。
その一方で、「あたご」の乗組員については、事故の原因が明確になった時点で処分を行うとして、今回の対象から外れています。
また、石破大臣は、みずからの責任として大臣給与の手取り分2か月を国庫に返納するとしています。
これを受けて、吉川海上幕僚長は、来週24日付けで退職することにしています。
石破大臣は「あってはならない事故や不祥事が起きたことについて深くおわびしたい。対症療法ではなく、問題の背景に何があるのかよく考え、実効性のある再発防止策を速やかに着実に実行したい」と述べました。
また、この記者会見で、石破大臣は「あたご」の衝突事故について、海上自衛隊の事故調査委員会による調査の中間報告を公表しました。
この中では、見張りの態勢について、艦船中枢部の戦闘指揮所の当直員は、7人いるべきところが、事故の12分前まで4人しかいなかったことや、通り雨があったため見張り員は艦橋の外から中に移っていたことを明らかにしたうえで、全体として見張りが適切に行われていなかったと指摘しています。
そして、「清徳丸」は「あたご」の右側から近づいた可能性が高く、「あたご」は回避の義務があったにもかかわらず、適切な措置をとっていなかったなどとしています。
その一方で、中間報告では「事故の12分前に『清徳丸』に気づいていた」などとしていた当初の防衛省の説明について「情報が得られていない」として、正しかったかどうか確認できないとしています。
こうした点について、石破大臣は、海上保安庁の捜査に配慮する観点から、すべての乗組員に調査ができているわけではないと説明し「裏付けがとれたものから説明責任を果たすべきだと考えた」と述べました。
今回のチベットの暴動の収拾のため、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は中国政府との対話を求めているが、対する温首相は「ダライ・ラマが独立を支持せず暴力を放棄するなら、対話に入る用意がある」としている。
あるいはチベット自治区ラサで起きた暴動が北京五輪開催への影響と台湾総統選(08年3月22日)で有権者の心理に影響を及ぼす可能性に絡ませた温首相の言葉を「毎日jp」記事≪チベット暴動:北京五輪への影響を警戒 温首相が会見で≫が紹介している
「ダライが独立の主張を放棄し、チベットが中国の領土の不可分の一部と認め、台湾が中国の領土の不可分の一部と認めれば、門戸は終始開かれている」
「中国の領土の不可分の一部」が領土のみの「不可分」で終わっているかどうかが問題となる。<ダライ・ラマは中国との対話を通じて外交・国防を除く「高度な自治」を求めているのに対して活動家グループは批判的で、チベット独立を主張している>(08.3.20「asahi.com」記事≪ダライ・ラマ「胡主席と会う用意がある」≫)ということからすると、ダライ・ラマ自身は「領土の不可分」がチベット本来の文化や歴史・宗教・制度といった生活に関わるチベット的なもの・本来的な社会意識まで中国の「不可分」とされることを認めていない。
しかし中国の対チベット政策は中国人の入植、公用語を中国語とする強制によって、チベット的なのものに対する「中国化」が進んでいる。いわゆる「チベットの中国化」である。
中国の対チベット政策が「高度な自治」に向かう、少なくともその予感を持たせたプロセスを歩んでいたなら、チベット人の中国政府に対する不満は例え独立を求める活動家が仕掛けた抗議行動であったとしても、暴動にまで至らずにデモの形態で収まっていたろう。「高度な自治」どころか着々と進められている「チベットの中国化」の逆流に業を煮やした暴動と言える。
温首相は「チベットは発展している。ダライ・ラマの言う『中国はチベット文化の虐殺を図っている』というのはうそだ」(08.3.19「毎日jp」≪チベット暴動:中国・温首相の会見要旨≫)と記者会見で述べたというが、中国化を纏った「チベットの発展」であり、そのような「発展」の裏でチベット本来の文化や歴史・宗教・制度といった「チベット的なもの」の抑圧・否定が進んでいると言うことなのだろう。
中国は台湾に関して「一つの中国」を掲げている。西欧諸国はそれを認めた。だが、香港に対して「一国二制度」の政策を示しながら、その急速な民主化は望まず、中国と同一歩調を取ることを求める実質的には「一国一制度」の態度を取っている。最終的には香港は「中国化」されることになるだろう。その時点で中国自体が民主化されていたなら問題はないが、民主化されていなかったなら、香港は「民主化されていない中国」を纏うことになる。
同じことは台湾についても言える。「一国二制度」と言いつつ、それは幻想を与える類でしかなく、国家体制に関しては「一つの中国」のみしか認めないに違いない。台湾の現在の民主主義を許容するほど寛容な態度を取ることはできないだろう。寛容であったなら、中国本土の国民に対しても民主主義に関して寛容でなければ二重基準の矛盾を犯すことになる。もし国民がその二重基準におとなしく従わなかったなら、共産主義体制は不安定なものとなる。いわば「一国二制度」と言いつつ、民主主義制度の認知は自己存在形式の否定となることから、それを避けるための実質「一国一制度」=「一つの中国」を要求しているというわけである。
後の祭りに過ぎないが、イギリスが租借し、その返還の経緯を辿った香港・マカオはともかく、「台湾は中国の一部である」とする中国が掲げた「一つの中国」論を西欧社会は撤回すべく根気よく説得を試みるべきだったのではないか。
私自身は「台湾独立容認」派の一人である。その考えに立って、05年3月11日に≪中国は一つ。台湾も一つ≫をHPにアップロードしている。
2005年という年は1月17日に天安門広場に集結して行われた民主化を求める学生中心のデモを人民解放軍が武力弾圧したいわゆる「天安門事件」(1989.6.4)でデモを支持し党を分裂させたとして失脚させられた中国の民主派政治家趙紫陽が死去している。
そして同じ年の3月14日、中華人民共和国全国人民代表大会は台湾が独立を宣言した場合、台湾独立派分子に対する「非平和的手段」を取ることを規定した「反国家分裂法」を採択している。
何が動機で≪中国は一つ。台湾も一つ≫を書き上げたかすっかり記憶の彼方だったが、読み返してみて、「反国家分裂法」採択の動きが動機となった文章だったらしいことに気づいた。
今後の中国とチベットの関係、中国と台湾の関係を考える上で何らか参考になって欲しいという願いを込めて(全然参考にならない駄文の可能性もあるが)改めてブログ記事としてみることにした。
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≪中国は一つ。台湾も一つ≫
中国は台湾に対して、「一国 二制度による平和統一」を掲げる一方、台湾が独立を目指した場合、「非平和的な方式やその他の措置を取る」と、武力侵攻を選択肢とする内容の『反国家分裂法』なる法案の成立を意図している。
果たしてそのことは中国のみで見た場合であっても、国際的に見た場合であっても、正当なことなのだろうか。
台湾の歴史を簡単に振返ってみよう。
◆オランダ、1622年に明朝領土の澎湖列島を占領。明王朝との合意で澎湖列島からの撤退を条件に、明朝領土ではない台湾を領有。先住民の抵抗に遭う。それ以前は、明朝を含めて、中国の如何なる政権も台湾を領有していたわけではなく、台湾自体も国家の体裁を成すまでいかない、複数の部族社会レベルの先住民と、移住してきた少数の漢民族の生活空間を形成していたに過ぎなかったという。
◆1661年、明王朝終焉の後、明の家臣鄭成功が艦船を率い、同年4月に澎湖列島を占領、その後オランダの城塞を攻め、翌年2月にはオランダが降伏、台湾から撤退。オランダによる38年間の台湾支配が終わる。
◆清国軍の攻撃を受け、1683年9月、三代、23年にわたった鄭氏政権は正式に降伏、清国の領有するところとなる。清国の台湾領有は212年間。
◆1841年9月、清とイギリスがアヘン戦争。
◆漢族系住民の移住が進み、先住民は少数民族化していく。平地系先住民と漢民族系
移住民との混血が進む。
◆1874年、台湾住民による日本漁民殺害を理由とした日本軍の台湾出兵。清国政府から賠償金を得て、台湾から撤退。
◆1894年8月日清戦争勃発
◆1895年3月、下関での日清講和会議のさなかに、日本軍、澎湖列島を占領。
◆1895年4月17日、日清講和条約調印。台湾と澎湖列島、日本に割譲され、日本の領 有するところとなる。
◆台湾の住民の抵抗。全島鎮圧に5ヶ月要する。
◆1930(昭和5)年霧社(むしゃ)事件――台湾山地、霧社地区の原住民高山族が日常的差別や強制労働などに抗して起こした抗日蜂起。日本人110数名が殺害され、軍隊が出動して2ヵ月後に鎮圧。翌年の報復事件(第2次霧社事件)などを含めて、住民側は約1000名が殺害された。(「大辞林」三省堂)
◆1945年8月15日、日本敗戦。台湾の中国(国民党政権)への返還。
◆1949年、国共内戦に敗れた国民党政府が移住、現在に至っている。
台湾のそもそもは中国の領土ではなかった。国家の体裁は成していない、主として、漢民族とは異なる先住民の生活空間として存在していた。
それをオランダ、明の旧臣鄭氏三代、清国、日本と領有し、1949年に国共内戦に敗れた国民党政府が領有するに至った。このように繰返された台湾に於ける領有(支配)と統治の歴史そのものを否定するとなると、時計のネジを最初に戻して、台湾は元々の生活権者たる先住民の領有に帰さなければならなくなる。
譬えて言えば、アメリカ合衆国を先住民たるインディアンに、その領有権を返還しなければならないとすることと同列のことを意味する。そのような展開は、台湾に関して言えば、先住民以外の殆どが行き場所のない台湾人の、アメリカに関して言えば、インディアン以外の住民に新たな混乱をもたらし、その上社会機能自体を麻痺させ、 世界までも混乱に陥れて、実現は非現実的、不可能そのものである。
逆に台湾に於ける領有(支配)と統治の歴史そのものを肯定するとなると、真の領有の正統性は台湾の先住民にのみ所属し、先住民以外の誰の領有物でもなかったゆえに、オランダ以下のそれぞれの領有(支配)と統治に仮の正統性を与えて、そのような正統性の変遷の上に現況――現在の台湾――を俯瞰する必要が生じる。
もしオランダの領有(支配)と統治の仮定的正統性を否定するなら、明の旧臣鄭氏三代、清国、日本、さらに、国民党政府の領有(支配)と統治の、同じく仮定的正統性をも否定して、さらに進んで、中国が台湾を領有することになったとしても、その正統性をも仮定的としなければならず、最終的には台湾先住民の領有に回帰させなければならないという堂々巡りを犯すこととなり、肯定という前提そのものが崩れる。
台湾が当初から中国の領土であったなら、このような面倒な詮索は不必要なのだが、今となっては歴史の推移を受入れ、オランダ以下のそれぞれの領有(支配)と統治に仮の正統性を与えて、台湾に於ける領有(支配)と統治に関する歴史の全体そのものを肯定するしか道はないのである。
当然、現在の台湾の領有(支配)と統治は、現在の台湾国民と彼らが選択した政権の管轄にあり、そこに仮の正統性を与えなければならなくなる。
いわば、そもそもからして台湾は中国の領土ではなかったばかりか、中国に於ける正統政府であった清国が1683年から212年間、台湾を領有(支配)・統治する仮定的正統性を確保していたが、その仮定的正統性は日本によって奪われたのである。
さらにそのような正統性は国民党政府の後継たる現政権と台湾国民によって受け継がれ、その領有(支配)と統治は彼らに帰属することとなった。
厳密に言うなら、現在の台湾に関しては、中国は中国から出ることなく一つを形成し、台湾がそれ自体で一つを形成しているのである。それが現在までの歴史の帰趨であり、現在までの歴史の厳然たる事実なのである。
それを、中国は台湾は中国の領土だという。中国の領土とするには、現在台湾に帰属する仮定的正統性を譲渡させるか、奪うかして、中国の所有とするしかない。
具体的に言うなら、交渉によって現在の台湾の住民とその政府の許可を受けるか、許可を受けることができなければ、過去の台湾に於ける領有(支配)と統治の歴史的性格に則って、武力で侵攻し、領有(支配)と統治の権利を確立することで台湾の現在の仮定的正統性を打ち砕き、自らの獲得物とするか、二つのうち一つしか道はない。
しかし、現在の台湾に於ける領有(支配)と統治の正統性が、それが仮定的なものであっても、現在の台湾政府と台湾国民に所属する以上、話し合い・武力、いずれの方法によっても、その領有(支配)と統治の権利を中国に委譲するとは思えない。特に中国の言う「非平和的な方式」(=武力)による台湾に於ける領有(支配)と統治の確立は、かつてのサダムイラクがクウェートに武力侵攻したように、国際社会の承認を得るどころか、反撥を招き、武力に対抗するに武力によって侵略を打ち砕かれることになる。
世界はグローバル化が進んでいる。グローバル化とは、市場経済と民主主義を柱とした国家の存在形式に、それぞれが独立国家でありながら、国境を超え、国を超えて、国際的な相互性を持たせることを言う。
現在の台湾に於いても、独立した国家の体裁のもと、その存在形成に既に十分に国際的な相互性を持たせているのである。
独立国家としての体裁を既に備え、なおかつグローバル化に応じた国際的な相互性を十分に備えた台湾が、国民の意思として独立を望むなら、と言うよりも、独立国家としての扱いを世界に求めるなら、中国領土とするといった仮定的正統性の新たなページをめくるまでもなく、台湾領有の正統性を、仮定的であることの条件を外して、真正なものと認知して、独立国家として国際社会に迎えることをしてもいいのではないのか。
中国がそれに反対するとしたなら、中国が経済活動に関してはグローバル化を果たしていたとしても、民主主義に関しては未だグローバル化を果たしていないことによる、国家存在の国際的相互性に無理解であることと、台湾が元々中国の領土ではなかったという歴史的事実を認めない誤魔化しを働かせているからだろう。
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≪チベット暴動:中国・温首相の会見要旨≫(「毎日jp」08年3月19日 東京朝刊)
18日に行われた中国の温家宝首相の会見要旨は次の通り。
一、チベット暴動はダライ・ラマ(14世)一派が企て扇動した。
一、チベットは発展している。ダライ・ラマの言う「中国はチベット文化の虐殺を図っている」とい
うのはうそだ。
一、暴動を扇動した集団は北京五輪を破壊しようとしている。五輪を政治問題化してはならない。
一、台湾問題は敏感な時期にある。「一つの中国」の前提で早期の対話回復を望む。
一、台湾名義での国連加盟の賛否を問う住民投票は台湾海峡の平和を破壊する。
一、今年は中国経済で最も困難な1年になる。経済発展とインフレ抑制の均衡が重要だ。【中国総局】
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≪「抗議デモ行進中止を」 ダライ・ラマ、急進派に要請≫(asahi.com/2008年03月19日18時58分)
(※新聞記事は、「急進派」が「活動家」に表現を変えている)
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は19日、亡命政府のあるインド北部ダラムサラで、中国チベット自治区ラサを目指してデモ行進を続ける活動家グループの幹部と会談し、行進の中止を求めた。亡命政府報道官が明らかにした。
ダライ・ラマが、中国との対話を通じて外交・国防を除く「高度な自治」を求めているのに対し、活動家グループは批判的で、チベット独立を主張している。抗議行動が過激化してチベット人社会が分裂するのを避ける狙いとみられる。会談に出席した活動家の一人は「要請への対応を決めるには少し時間がかかる」と語った。
会ったのは、ダラムサラに本拠を置く「チベット青年会議」のリグジン代表ら。同会議を含む5団体が10日にダラムサラを出発、ラサを目指すデモ行進を主催している。参加者約100人が13日、インド警察に逮捕されたが、15日、約50人で中国国境に向け行進を再開した。
ダライ・ラマの要請の背景には、対話路線に「成果がない」との不満が広がっていることへの懸念がある。自身も16日、「多くのチベット人が批判的なのは知っている」と語った。
これに対し、リグジン代表は17日、「路線の見直しを望む。チベット人は独立を支持している」と発言。ダライ・ラマが北京五輪開催に賛成する姿勢も批判している。