私自身は従軍慰安婦に対する拉致紛いの強制連行はあったという立場からこの問題に触れてきた。
だが、イ・ミョンバク韓国大統領が自身の竹島上陸を慰安婦問題等の歴史認識を理由の一つとしたことから、日本国内で慰安婦の強制連行肯定・否定の議論が再度浮上、今のところ否定の議論が際立ち、肯定している「河野談話」まで攻撃されて、その見直しを求める声が高まっている。
参考までに「河野談話」をここに引用しておく。 慰安婦関係調査結果発表に関する河野洋平内閣官房長官談話 平成5年(1993年)8月4日
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。 |
日本軍・官憲指図の慰安婦連行強制性説に対する否定派代表選手は安倍晋三元首相であろう。
その発言の一例を2007年3月5日の参院予算委員会から見てみる。
小川敏夫民主党参院幹事長「アメリカ合衆国の下院に於いて慰安婦をされていた方が、そういう強制があったという証言をしている。だから、下院で決議案が採択されるかどうかってことになってるんじゃないですか。そうした人権侵害について、きちんとした謝罪なり対応しないと、日本のですね、国際的な信用を損なうことになってるんじゃないかと思います。強制性はなかったと、いうような発言をされたんじゃないですか」
安倍首相「ご本人がそういう道に進もうと思った方は恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。また間に入って業者がですね、事実上強制をしていたという、まあ、ケースもあった、ということでございます。そういう意味に於いて、広義の解釈に於いて、ですね、強制性があったという。官憲がですね、家に押し入って、人攫い(ひとさらい)の如くに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかったということではないかと」
要するに軍の意向を受けた売春業者が直接民家に押し入って力尽くで拉致同然に強制連行していくといった広義の意味での強制性はあったかもしれないが、軍や官憲自身が自らの手で同じ事を行う狭義の意味での強制性はなかったと言って、従軍慰安問題に於ける日本側の正当性を訴えている。
8月28日も産経新聞のインタビューを受けて、慰安婦強制連行と河野談話否定を行なっている。《単刀直言・安倍晋三元首相 多数派維持より政策重視》(MSN産経/2012.8.28 00:49)
8月27日午後のインタビュー。題名の「多数派維持より政策重視」は次期総選挙後の政権の枠組みを指している。
安倍晋三「橋下さんは慰安婦問題についても河野談話を批判した。強制連行を示す資料、証拠はなかったと言った。私は大変勇気ある発言だと高く評価している。彼はその発言の根拠として、安倍内閣での閣議決定を引用した。戦いにおける同志だと認識している」
橋下大阪市長は記者会見でも否定派の立場から発言しているが、本人のツイッターから、関係する発言を拾ってみた。
橋下ツイッター「今回の問題提起でよく分かったのは、やっぱり93年の河野談話について日本政府はロジックの再整理をしなければならないということ。従軍慰安婦について国の強制連行を認めたような93年河野談話に対して実は2007年、安倍内閣は重要な閣議決定を行った。
軍や官憲が慰安婦を強制連行したという証拠はないと安倍内閣は2007年に閣議決定した。これが日本政府の見解である。僕は日本人だから、日本政府のこの見解に拠って立つ。また僕は歴史家でもないから、日本政府の閣議決定をわざわざ覆すような資料収集の作業はしない。
だから韓国側に、日本国が強制連行したという証拠があるなら示して欲しいと言ったのです。韓国側の主張を一切認めないと言うことではなくて、証拠を出してよ、ということ。そしたら韓国メディアは、証拠は河野談話だと来た。完全なトートロジー(同義語反復)。
ここを日本国民はしっかりと認識して韓国と正面から議論しなければならない。こういう一番肝要なところを、93年河野談話は逃げた。それで日韓の信頼はがた崩れ。これこそ政治の責任だ。口から泡飛ばして激論したらいい。何が問題で、相手の立場のどこに配慮をしてあげるべきなのかを真剣に考える」
「僕は歴史家でもないから、日本政府の閣議決定をわざわざ覆すような資料収集の作業はしない」と言っているが、政治家であるなら、正確を期すために安倍閣議決定が間違いないと断言できる「資料収集の作業」を歴史家に指示してもいいわけである。
だが、「作業はしない」まま、閣議決定を正しいとしている。ここに矛盾と無責任があるが、「僕は日本人だから、日本政府のこの見解に拠って立つ」としている無条件な安倍閣議支持も合理性を欠いた無責任な付和雷同であって、無責任そのもの姿勢と言える。
日本人であっても河野談話を肯定し、安倍閣議決定を否定する者も存在するのだから、日本人であることはこの場合の賛否の基準にもならないし、理由にもならない。あくまでもどう考えるかである。
結果として、「韓国側に、日本国が強制連行したという証拠があるなら示して欲しい」と正しいか否かの検証を韓国側に丸投げしている。
これも無責任さを基軸とした丸投げであろう。
石原都知事も安倍晋三、橋本市長に連なっている。《【慰安婦問題】石原知事「河野のバカが日韓関係ダメに」 橋下氏とともに河野談話批判》(MSN産経/2012.8.25 00:54)
8月24日の記者会見。
石原知事「訳が分からず認めた河野洋平っていうバカが、日韓関係をダメにした。
ああいう貧しい時代には売春は非常に利益のある商売だった。貧しい人たちは仕方なしに、しかし決して嫌々でなしにあの商売を選んだ」
すべて一緒くたに一括りする短絡観がここにある。河野談話を否定するためにはこういった理屈が好都合だからだろう。
橋下市長(8月24日記者会見)「(河野談話は)証拠に基づかない内容で最悪だ。日韓関係をこじらせる最大の元凶だ。
(19年の安倍晋三内閣による「強制連行を示す資料はない」との閣議決定が法的に優先されると指摘)閣議決定と談話では天と地の差がある。韓国側が談話を根拠として主張するのは間違っている」
2012年8月27日参院予算委員会で、「国民の生活が第一」の外山斎(とやまいつき)参議院議員(36歳)が「河野談話」否定の立場から質問を行った。その質問とそれに対する答弁が否定派の姿勢をほぼ集約していると見ることができる。
「国民の生活が第一」を支持している立場にあるが、外山議員の主張がごく限られたもので、党の全体的な主張でないというなら構わないが、その逆と言うことなら、たった一人の支持だが、見直さなければならないことになる。
外山議員は李明博大統領の竹島上陸、さらに天皇謝罪発言を非礼な態度だとする批判から質問に入るが、河野談話に於ける慰安婦の強制性の問題に限って取り上げる。 外山議員「過去何度も何度も、この慰安婦問題については韓国から主張がされてきております。1993年に宮沢内閣の河野洋平官房長官の談話で日本の関与を認め、お詫びと反省を表明する談話が発表されました。
私はこの河野談話が歴史を歪め、そしてさらに言えば、今日の日韓関係を間違った方向に導いたのではないかというふうに感じております。
そしてこの河野談話を踏襲されるのかどうか、それをお聞かせください」
藤村官房長官「いわゆる従軍慰安婦問題にについての政府の基本的立場ということで、あー、委員の仰ったとおり平成5年8月の4日の当時河野官房長官談話を継承しているというのが、現政府の姿勢でもございます。
で、この談話について、これに先立つ日本政府による調査に於いて、軍や官憲による組織的な強制連行を直接的に示す公文書等は発見されなかった。これは事実であります。
その一方で強制的な連行があったとする証言等も既に存在していたところでありました。
えー、そのときの政府に於いて各種証言集に於ける記述を含めて、それから韓国に於ける聞き取り調査を総合的に判断された結果、甘言・強圧による等、本人の意志に反して集められたケースもあったという心証を得て、同談話による記述ぶりとなったと、このように指摘をされています。
ご指摘の、あっ、そういうことで、引き続き、今、その談話を覆すものではないということで、引き続き継承をしております」
外山議員「この河野談話の背景にある、慰安婦の強制連行という証拠というものは今官房長官もお答えになったように、ないんですね。
で、櫻井よしこさんが当時、石原副官房長官にインタビューしたときに石原信雄さんが、当時、まあ、彼女たちの名誉が回復されるということで強制性を認めたんです。
で、補償、その後韓国政府が補償を求めないというのであったから、その強制連行を認めたっていうふうに言われていますが、どうして証拠もないのに、この河野談話というものを野田内閣は踏襲されるのか、お答えください」
藤村官房長官「今聞かれました、石原当時官房副長官が当時なぜ強制性を認めたのかという問いに対して日本側としてはできるだ、できれば文書、あるいは日本側の証言者が欲しかったが見つからなかった。
で、えー、当時の加藤官房長官の談話で、強制性の認定が入っていなかったが、それで韓国側が納得せず、で、元慰安婦の名誉のために強制性を認めるように要請していた。
えー、そしてその証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきた、ということで、先程お答えをした、あの、その当時の、オー、日韓の関係も含めた総合的なご判断が河野談話ということになったということでございます。
その後に於いて、それを大きく覆すものがないとうことで、その後の政府がずっと継承されているというのが現状であると思っています」
外山議員「まあ、証言でってというお話をされましたが、旧日本軍の方で、これを証言されたっていうのは、あの、あるんでしょうか。ないんですよね。
まあ、韓国側の従軍慰安婦と言われる方々の証言だけを基に日本政府はこの河野談話を発表した。
私はこれは大変な問題だというふうに思っております。
委員長、当委員会に河野洋平氏とそして石原信雄氏の参考人招致を求めます」
委員長「後刻理事会で協議を致します」
外山議員「それで松原大臣にお尋ねをいたしますが、大臣は過去に『超人大陸』というネット番組で軍隊が売春婦をですね、まさに強引に、おカネではなく、暴力でどっかから集めてきてやったというのが従軍慰安婦という話ですが、それは実際なかった、軍隊の不名誉を我々は払拭しなければならないと力強く話をされておりますが、大臣は河野談話を踏襲されるんでしょうか」
松原国家公安委員長(ただ、ただひたすら原稿を読み上げる)「えー、いわゆる河野談話については平成5年に発表した宮沢内閣以降、細川内閣、羽田内閣、村山内閣、橋本内閣、小渕内閣、森内閣、小泉内閣、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣、鳩山内閣、菅内閣、という歴代内閣が継承してきたと承知を致しております。
こうした流れの中で現政府もその考えを受け継いでいるわけであります。
従って、いわゆる河野談話についても、私も内閣の一員である国務大臣の立場としては、内閣の方針に従わざるを得ず、官房長官のお答えになったとおりだと申し上げているところであります。
一方、一政治家、松原仁の見解について述べることは、それが国務大臣としての発言ではないかという誤解を招く恐れがあるところから、差し控えたいと思います。
なお、今後私としてはいわゆる河野談話のあり方について、平成9年に談話発表当時の官房副長官であった石原信雄氏は日本側のデータには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも強制に当たるものはなかった旨を新聞の取材に対して述べているところであります。
また、平成19年に閣議決定された答弁書に於いて政府資料の中には軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述も見られなかったところである、としていることなどを踏まえつつ、閣僚間で議論すべきということを提案することも含め、考えてみたいと考えております」
外山議員「あんまり認めているのか認めていないのか、ちょっと分からない感じなんですけども、じゃ、大臣は強制連行があったということを認めてるっていうことでよろしいでしょうか」
松原国家公安委員長(ふたたび原稿の読み上げ)「えー、私はかつて発言をしてきたところでありますご指摘の発言は、私が内閣の一員として制約のない状態に於ける一政治家として行ったところであります。
今は内閣の一員である国務大臣に任命されており、ご指摘の発言に関する私の現在の立場をこの場で述べることは、それが国務大臣としての発言ではないかという誤解を招く恐れがることから、差し控えたいということを申し上げます」
外山議員「内閣の一員だから、自分の考えを言えないというのは私は間違っていると思います。政治家なんですから。政治家として、大臣はこの慰安婦問題の強制連行があって、河野談話を踏襲する立場っていうことでよろしいでしょうか」
松原国家公安委員長「常にご答弁を申し上げておりますが、こういった石原信雄氏のその後の発言、平成19年の閣議決定された答弁書に於いて政府が発見した資料の中には、いわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったということを踏まえて、閣僚間で議論すべきということを提案したいということを考えていただきたいというふうに申し上げております」
外山議員「 じゃあ、是非、大臣の方から内閣にですね、この河野談話を踏襲しないように、本当に否定すべきだと言っていただきたいと思っておりますので、どうぞ閣議の方でもですね、お願いしたいと思います。
じゃあ、それでは総理の方にお尋ねをしますが、証拠もないのに強制連行を認め、それからですね、玉虫色的な内容でですね、国際社会が我が国が恰も、この慰安婦に関して強制連行をしたかのようなイメージを植えつけております各国から、この慰安婦問題に対する決議案なども各国議会で出されているわけでありますが、私は今回のこの李明博大統領の竹島上陸の背景にある慰安婦問題、この背後にあった河野談話というものを内閣としてはっきりと撤回、もしくは否定すべきだというふうに思っておりますが、総理はどのようにお考えでしょうか」
野田首相「あのー、大統領の竹島上陸の背景にこの、いわゆる従軍慰安婦があるという、その報道は、またそういう言葉があったということは承知しておりますが、私はそれは、結びつける話では本来ないんです。
領土の問題は領土の問題なんです。
で、そんなことを理由に上陸したとは、なおさらおかしな話だと、あの、思っているということを前提にですよ、申し上げさせて頂きますけども、この問題については、李明博大統領に明確に申し上げましたけども、1965年に法的には決着ついてるんです。
この姿勢ということはこれからもずっと言い続けていきたいというふうに思います。その上で河野談話については、これは先程も官房長官の答弁もありましてけども、あの、いわゆる強制連行という事実を文章で確認できないし、日本側の証言もありませんでしたが、いわゆる従軍慰安婦と言われる人たちの聞き取り等を含めて、、あの談話ができたという背景があります。
それを歴代政権が踏襲してきておりますが、我が政権としても、基本的にはこれを踏襲するということでございます」
外山議員「えー、お答え有り難うございます。ただですね、この談話の中には甘言・強圧によるなど、本人たちの意思に反して集められた事例があり、更に官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになったっていうふうに書かれています。
要はこれは強制連行を示しているというふうに思いますが、どのようにお考えでしょうか」
藤村官房長官「あのー、このことは、これは河野官房長官の談話ですが、平成19年3月に閣議を決定したいわゆる答弁書に於きましては、あの、しっかりと否定しているはずなんですが、ちょっと待って下さい。
いわゆる政府に於いて、平成3年12月から平成5年8月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これを全体として判断した結果、この官房長官のとおりとなったものであるけれど、しかし政府が派遣した(?)資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらない、このことをはっきりと申し上げているところであります」
外山議員「時間がきたのでやめますけども、ただこの河野談話の発表の後に甲の長官が記者会見の中でですね、記者が『強制連行の事実があったという認識でよろしいわけでしょうか』という記者の問いかけに対して、『そういう事実があったと、結構です』と明確に答えられているわけです。
私はこの河野談話は我が国と韓国の関係を危うくするのだというふうに思いますので、これを否定をして頂きたいとお願い申しあげまして、私の質問に変えさせて頂きます」 |
「Wikipedia」によると、外山議員の「親族」の項目に、〈祖母の父が笹尾源之丞(第一駆逐艦隊司令・殉職・海軍大佐)、高祖父は伊東祐麿(すけまろ)海軍中将・貴族院議員・子爵。祐麿の弟、初代連合艦隊司令長官の伊東祐亨(すけゆき)海軍大将元帥・伯爵は高祖叔父にあたる。〉の記述がある。
慰安婦強制性否定の主張には親族の職業が背景にあるように思える。大日本帝国軍隊の名誉を守りたい余りに従軍慰安婦の日本軍及び官憲の強制連行は認めがたい感情に支配されているのかもしれない。
だが、否定の合理性が問題となる。
外山議員の従軍慰安婦強制連行物的証拠無存在説に対して政府側の答弁は、従軍慰安婦の軍や官憲による組織的な強制連行を直接的に示す公文書等は存在しなかったし、組織的強制連行を裏付ける日本側関係者の証言を得ることができなかったとする点に於いては外山議員の物的証拠無存在説と同じ立場に立っているが、韓国従軍慰安婦の証言と韓国との関係で強制連行を認めた河野談話を踏襲するという二重基準を置いた姿勢となっている。
いわば日本軍は正しい、間違ったことをしていないとしながら、外交上は正しくなかった、間違っていたとしている二重基準である。
但しこの二重基準は正反対の両面価値を置くことで成り立たせている以上、自己欺瞞を基盤としていることになる。自己欺瞞を働かせつつ、公式見解としているということである。
安倍晋三にしろ、石原都知事にしろ、橋本市長にしろ、外山議員にしろ、また政府側にしろ、それぞれの言い分に共通して抜け落ちている重大な事実がある。当時の日本政府及び日本軍が各部隊や地方自治体に対して戦争に関係する書類の焼却を命じたという事実である。
このことを伝えている2008年4月4日の記事がある。参考までに全文を参考引用してみる。 《「御真影」など焼却命令 旧海軍、戦争責任を意識か 英公文書館で暗号解読文書》(共同通信/2008.4.4)
1945年に日本が敗戦受け入れを決定した後、旧海軍が天皇の「御真影(写真)」などを含む重要文書類の焼却を命じた通達内容が4日までに、連合国側が当時、日本の暗号を解読して作成された英公文書で判明した。戦犯訴追に言及したポツダム宣言を念頭に、昭和天皇の責任回避を敗戦決定直後から意識していた可能性をうかがわせる希少な史料という。関東学院大の林博史(はやし・ひろふみ)教授(現代史)が英国立公文書館で見つけた。
研究者によると、当時の日本軍が出した文書類の焼却命令は現在、旧陸軍関係の原文が防衛省防衛研究所にわずかに残っているほか、米国立公文書館で旧陸軍による命令の要約史料として若干見つかっている。旧海軍関係の個別命令が原文に近い形でまとまって確認されたのは、今回が初めてとみられる。
重要文書類の焼却は、45年8月14日の閣議決定などを受け、連合国軍進駐までの約2週間に、政府や旧軍が組織的に実施。研究者らは、焼却は戦犯訴追回避が目的で、御真影などの焼却も、天皇と軍の密接な関係を可能な限り隠し、天皇の責任が追及されるのを避けようとした可能性もあると指摘している。
今回発見されたのは、45年8月16日から22日までの間に、東南アジアや中国などで連合国側に傍受された通達で、計35の関連文書のうち天皇関係は4文書。
同17日の第23特別根拠地隊司令官名の命令は「すべての兵器などから(菊花)紋章を外せ」と指示。第十方面艦隊司令長官は翌18日に御真影、紋章などを神聖なものとして「最大限の敬意を払い、箱に安置」するよう指示し、敵に渡る恐れがある場合は処分を命じた。さらに、21日のスラバヤ第21通信隊の命令は「御真影は敵の手に渡らないように扱うべし。必要ならば、その場で厳粛に火にささげ、海相に報告せよ」と、焼却を具体的に指示した。
ほかの焼却命令は、暗号帳や軍艦に関する文書、個人の日記などを細かく指定し、今後の「外交関係に不利となる恐れ」のある文書はすべて焼却するよう繰り返し指示していた。(ロンドン共同)
英公文書の要旨
旧日本海軍の暗号による文書焼却命令を解読して作成された英公文書の要旨は次の通り。
▽1945年8月16日、第17警備隊より
一、ポツダム会談の××(判読不明)、帝国は以下の手順で機密文書を処分することになった。
一、現在使用中の暗号帳、機密文書を除き、すべてを完全に焼却せよ。作戦終了後、残りも完全に焼却せよ。命令了解後、この通達も焼却せよ。
▽同、大本営海軍部第三部長より(海軍)学校長あて
一、捕虜や尋問に関する全文書は、敵に口実を与えないように、この通達とともにただちに確実に処分せよ。
▽同17日、海軍より第九特別根拠地隊あて
一、軍艦旗、機密に関する本、資料、帳面、日記といった作戦の目的を敵に知らせる恐れがあるものはすべて即刻焼却せよ。この電文を内容理解後すぐに焼却せよ。
▽同、第23特別根拠地隊司令官より同隊分遣隊などあて
一、すべての兵器などから(菊花)紋章を外せ。
▽同18日、クパン分遣隊第6警備隊より
一、わが国の外交関係に悪影響を与える恐れのあるすべての暗号通信文や文書を焼却し、その旨を報告せよ。
▽同、第十方面艦隊司令長官より同艦隊などあて
一、天皇陛下の御真影、勅命、紋章などは最大限の敬意を払い、箱の中に安置せよ。敵の手に渡る恐れがある場合は処分せよ。
▽同二十一日、スラバヤ第21通信隊より第六警備隊などあて
一、天皇の御真影と××(判読不能)は敵の手に渡らないように扱うべし。必要ならば、その場で厳粛に火にささげ、海相に電報で報告せよ。 (ロンドン共同) |
軍が焼却命令を出していたことは認識していたが、具体的根拠をと思って、インターネット上から探し出した。
要するに簡単な言葉で言えば、天皇の軍隊である大日本帝国軍隊とその帝国軍人に都合の悪い書類は焼却を手段として隠蔽を謀ったということである。
この焼却・隠蔽の書類の中に日本軍に不利となる従軍慰安婦関係の書類が含まれていたとする証拠はない。但し、含まれていなかったとする証拠もないはずだ。誰かの証言を待つしかないが、証言については後で述べる
どちらも証拠立てることができない以上、藤村官房長官のように焼却・隠蔽を免れた文書のみを基にして、「軍や官憲による組織的な強制連行を直接的に示す公文書等は発見されなかった。これは事実であります」として、慰安婦強制連行は否定できないはずだ。
あるいは松原国家公安委員会委員長のように焼却・隠蔽を免れた文書のみを基にして、「平成9年に談話発表当時の官房副長官であった石原信雄氏は日本側のデータには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも強制に当たるものはなかった旨を新聞の取材に対して述べている」としていることを全面的に正当化することも、あるいは焼却・隠蔽を免れた文書のみを基にして、「平成19年に閣議決定された答弁書に於いて政府資料の中には軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述も見られなかった」として強制連行を全面的に否定することはできないはずだ。
東京裁判で、「人道ニ対スル罪」は、「即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。
上記犯罪ノ何レカヲ犯サントスル共通ノ計画又ハ共同謀議ノ立案又ハ実行ニ参加セル指導者、組織者、教唆者及ビ共犯者ハ、斯カル計画ノ遂行上為サレタル一切ノ行為ニ付、其ノ何人ニ依リテ為サレタルトヲ問ハズ、責任ヲ有ス」(Wikipedia)と規定しているが、東京裁判を待つまでもなく、甘言・強圧による暴力的な拉致同然の強制連行の事実が一人、二人の女性が対象であっても、非戦闘員たる民間人虐待に相当する罪であることぐらいは承知していたはずで、当然、焼却・隠蔽の対象となったろうことは容易に想像できる。
もし事実というものに対して正確を期す態度が少しでもあったなら、「焼却・隠蔽を免れた政府資料の中には」と言うべきだろう。
但し、「いわゆる強制連行を直接示すような記述も見られなかった」とする事実は相対化され、絶対事実ではなくなる。
更に抜けている事実はインドネシア占領後の1944年2月に日本軍が設けたオランダ民間人収容所に日本兵士がトラック二台に分乗してやってきて、18歳から28歳までのオランダ人女性を理由も告げずに選別、慰安所に連れ去って2カ月近くに亘って強姦・虐待を繰返すことになった、強制連行に当たる非人道行為である。
「Wikipedia」に次のような記述がある。
〈自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖した。(小田島大佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司令部に移管したためのものである。しかしながら、日本軍は、当事者を軍法会議にかける事も処罰も行なわなかった。〉――
小田島大佐はこの事件を大本営に報告しなかったのだろうか。少なくとも現地軍司令部に記録を残さなかったのだろうか。
大本営に報告もせず、現地軍司令部に記録も残さなかったとしたら、慰安所閉鎖のみ処罰で、首謀者たちの責任はウヤムヤとし、だからこそ、〈当事者を軍法会議にかける事も処罰も行なわなかった。〉ということなのだろう。
もし報告し、記録を残していたにも関わらず、「政府資料の中には軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述も見られなかった」ということなら、焼却・隠蔽の対象となったということになる。
インターネット上にこの事件を日本軍上層部の方針に逆らった末端将兵の勝手な犯行であり、首謀者たちは既に死刑を含む厳刑に処されているからと免罪とする主張が流布しているが、厳刑に処したのはオランダ軍が1948年に設置したのバタビア(ジャカルタのオランダ植民地時代の呼称)臨時軍法会議である。
「Wikipedia」によると、BC級戦犯として11人が有罪。責任者である岡田慶治陸軍少佐は死刑宣告。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦となっている。
この事件を可能とした背景は敵国捕虜に対して体現していた大日本帝国軍とその軍人の強圧性・強制性であろう。
政府はこの強制連行をごく一部の例外と見做しているのだろうか。
見做していたとしたら、日本軍とその軍人が担っていた、天皇の権威を笠に着た横暴な強圧性・強制性を理解していないことになる。
軍上層部や政府首脳は国体護持を最優先とする権威主義に凝り固まっていたのである。上の為すところ、下これに倣う。下が下なりの権威主義をひけらかして、軍が体現している強圧性・強制性を表現しても不思議はないし、当然の成り行きでもあろう。
この権威主義が同じ日本人でも民間人に対してその生命(いのち)を軽視し、始末する強圧性・強制性を発揮させしめた。撤退時に足手まといになるからと子供たちを毒殺したり、集団自決を実行させたりした強圧性・強制性である。
次に慰安婦強制連行を証拠立てる日本側の証言がなかったとしていることについての判断を述べる。
河野談話の発表は1993年8月4日。調査開始は前年の1992年12月から。
1945年8月の敗戦から47年も経過している。
都合の悪い書類・文書等の焼却・隠蔽を謀って罪や責任を免れ、戦後無事を手に入れた軍人、あるいは慰安所業者が戦後47年も経ってから、自身の汚名となるばかりか、日本軍の汚名となる事実を今更の感がして、果たして自分の口から喋るだろうか。
あるいは罪を免れることができずに刑に服して社会復帰した軍人であっても、改めて罪となることを証言するだろうか。
黙ってさえいれば、慰安婦問題に関しての日本軍と自身の名誉を守ることができるのである。
しかも強制連行を証拠立てる政府関係の文書が存在しないことが勇気づけの後押しをしてくれる。内心、焼却・隠蔽を謀って正解だったなと胸を撫で下ろした軍人や慰安所業者がいたかもしれない。
いわば軍の書類や文書の多くが焼却・隠蔽に回されて残された少ないそれらの中に従軍慰安婦強制連行を証拠立てるものがないからといって、その事実を否定することができないことと併せて、証言を得ることができなかったからといって、その事実は否定できないということである。
勿論、事実の肯定にしても断言できないが、肯定・否定何れにしても軍関係の書類の焼却・隠蔽の事実を抜きにした政府の検証方法では把握できないはずだ。
大日本帝国軍隊とその軍人が体現していた強圧性と強制性の面から検証してみる。
既に触れた未成年女子まで含めたオランダ人に対する慰安婦狩りはまさしく敵国捕虜に対して体現していた大日本帝国軍とその軍人の強圧性・強制性が可能として見事な働きであるはずである。
HP――《「従軍慰安婦」問題 陸軍中尉「オハラ・セイダイ」ノ陳述書》(真実が知りたい/2012/07/11)に次のような証言が記載されている。
まずは冒頭の解説。〈下記は、「東京裁判ー性暴力関係資料」吉見義明監修(現代史料出版)に収められている資料30、『陸軍中尉「オハラ・セイダイ」の陳述書(S・オハラ(日本軍中尉)陳述モア島における原住民殺戮および原住民婦人の強制売淫)Ex.1794』の全文である。
現地女性を連行し、慰安所に入れて性交渉を強いた理由を「モア」島ノ指揮官であった陸軍中尉「オハラ・セイダイ」は「彼等ハ憲兵隊ヲ攻撃シタ者ノ娘達デアリマシタ」と語っている。
当時は女性の人権そのものが否定されがちだったが、現地女性、特に敵方の女性の人権はこれを全く認めない、こうした考え方が、当時の日本軍にはあったということであろう。〉・・・・
陳述書の一部を参考引用してみる。 問 或ル証人ハ貴方ガ婦女達ヲ強姦シ、ソノ婦人達ハ兵営ヘ連レテ行カレ、日本人達ノ用ニ供セラレタト言ヒマシタガソレハ本当デスカ
答 私ハ、兵隊達ノ為ニ娼家ヲ一軒設ケ私自身モ之ヲ利用シマシタ
問 婦女達ハソノ娼家ニ行クコトヲ快諾シマシタカ
答 或者ハ快諾シ或ル者ハ快諾シマセンデシタ
問 幾人女ガソコニ居リマシタカ
答 6人デス
問 ソノ女達ノ中、幾人ガ娼家ニ入ル様ニ強ヒラレマシタカ
答 5人デス
問 ドウシテ、ソレ等ノ婦女達ハ娼家ニ入ル様強ヒラレタノデスカ
答 彼等ハ憲兵隊ヲ攻撃シタ者ノ娘達デアリマシタ
問 デハ、ソノ婦女達ハ父親達ノシタ事ノ罰トシテ娼家ニ入ル様強ヒラレタノデスネ
答 左様デス
問 如何程ノ期間ソノ女達ハ娼家ニ入レラレテヰマシタカ
答 8ヶ月間デス
問 何人位コノ娼家ヲ利用シマシタカ
答 25人デス |
6人の女性を慰安婦とし、その内の5人を強制連行しながら、「或者ハ快諾シ或ル者ハ快諾シマセンデシタ」とは巧妙・狡猾なゴマカシとなっている。
この強制連行は安倍晋三が「官憲がですね、家に押し入って、人攫い(ひとさらい)の如くに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかった」と言っていることを真っ向から否定する事実となっている。
例え軍人や官憲が直接「家に押し入って、人攫い(ひとさらい)の如くに連れていくという、まあ、そういう強制性」は少なかく、多くが慰安所業者等が行った強制連行だったとしても、軍人・官憲の責任・罪を免れるものではない。
例えば、悪代官の虎の威(=権威)とヤクザの親分の虎の威を笠に着たヤクザの三下(手下)が悪代官の意向を受けたヤクザの親分の命令で大店(大きな商店)に玄関から堂々と入り、祭りとかの法外な寄付を強要したとする。
勿論祭りにはそのほんの一部しか寄付せず、一部をヤクザの親分の資金とし、大部分を悪代官に上納する構造の寄付であるのは商家の旦那は分かっていたとしても、断った場合は色々な厭がらせを招いて後々の商売に差し障りが出るからと寄付に応じた場合、ヤクザの三下が乗り込んだ強要行為であり、ヤクザの親分の直接的な強要行為ではないし、ましてや悪代官やその部下の役人が商家に直接乗り込んだ強要行為ではなかったからといって、悪代官の寄付強要の強制性はなかったと無罪放免した場合、正当性を得ることができるだろうか。
商家の主(あるじ)はヤクザの三下の強要に直接応じる形を取るが、その背後の頂点に最終的に控えている悪代官の権力を見据えて、三下の行為を悪代官、もしくはヤクザの親分の代理行為と見做して、三下に法外な寄付を渡したのである。
心理的には悪代官が直接商家に乗り込んできたのと変わらなかったはずだ。
ヤクザの三下にしたら、悪代官の意を汲んだ代理行為をその中間にヤクザの親分を介して働いたに過ぎない。悪代官の側から言うと、自身の地位・権力を利用してヤクザの親分を介し、さらに親分は三下を介して代理行為の遠隔操作をしたのである。
慰安所業者やその関係者が慰安婦に仕立てるために女性に対して強制連行を行った場合の代理行為は、勿論、日本軍とその軍人が担っていた強圧性・強制性が可能とした行為であったはずだ。
当然、軍人や官憲が直接「家に押し入って、人攫い(ひとさらい)の如くに連れていくという、まあ、そういう強制性」は、例え極稀であったとしても、自らが体現している強圧性・強制性を背景として慰安婦募集の指示を出している以上、慰安所業者等の慰安婦強制連行の罪や責任はないとは決して言えないことになる。
以上が軍の強制連行はあったとする根拠である。