野田首相の問責可決でも「やるべき仕事を静かに粛々と進める」は支持率の高い首相が言うこと

2012-08-31 11:22:49 | Weblog



 ――片山さつきを見れば、財務官僚の程度が分かる――

 野田首相がブログで問責決議可決を受けて挫折感を味わうどころか、ますますヤル気が出して意気軒昂なところを表明している。全文引用。 

 《今やるべきことを粛々と》総理のブログ/2012年08月30日 (木曜日) 20:06)

 我が国の周辺海域で主権にかかわる事案が相次いでいることを受け、先週、記者会見をいたしました。一人でも多くの国民に歴史的な経緯を知っていただきたいですし、世界に対し我が国の「理」を訴えていくきっかけにしたいと思っています。

 もちろん、当事者がお互いに冷静さを失うことは、避けなければなりません。言うべきことは言い、進めるべきことを粛々と進める、という姿勢で、引き続き、大局観を持って取り組んでまいります。

 昨日、南海トラフ地震の新たな被害想定について中川防災担当大臣から発表をいたしました。多くの死者が生じるという想定ですが、これは「必ずそうなる」という予想ではなく、「これからの取組み次第でいくらでも被害を減らすことができる」という想定です。東日本大震災の教訓を踏まえた全国的な防災対策の強化にも、本腰を入れて取り組んでいかなければなりません。

 昨日、参議院で私に対する問責決議が可決されました。立法府の一つの院の意思として、厳粛に受け止めたいと思います。他方、その理由には、一体改革関連法などを三党合意に基づき成立させたことについて、議会制民主主義が守られていないかのような記述もありました。しかし、国会議員同士の議論により、当初の案にこだわらず一致点を見出すことが認められないとすると、「ねじれ国会」のもとで、国会は何も決められないことになってしまわないでしょうか。

 我が国の領土・領海を守り、災害から国民のいのちと生活を守ることをはじめとして、直面する様々な課題があります。

 どんな政治状況であっても、こうした課題への取組に一瞬の空白も作らず、それらを全力で乗り越えていくことこそ、内閣総理大臣として果たすべき最大の務めであると信じてやみません。

 今やるべき私の仕事を、静かに粛々と一つずつ進めていく決意です。

平成24年8月30日
内閣総理大臣 野田佳彦 

 問責決議提出理由について、「一体改革関連法などを三党合意に基づき成立させたことについて、議会制民主主義が守られていないかのような記述もありました」と述べ、「しかし、国会議員同士の議論により、当初の案にこだわらず一致点を見出すことが認められないとすると、『ねじれ国会』のもとで、国会は何も決められないことになってしまわないでしょうか」と反論を加えて、さも国会が決めたようなことを言っている。

 確かに3党合意は「国会議員同士の議論」に基づいていた。但し3党合意と銘打っている以上、3党以外の野党を除いた、3党のみの「国会議員同士の議論」であって、3党合意の議論の場も、「国会は何も決められないことになってしまわないでしょうか」とは言っているが、3党以外の野党が出席していない場での決着であったのだから、正確には国会が法案の内容を決めたわけではなく、単に採決の場としての用しか果たさなかった。

 要するに狡猾な言い抜けに過ぎない。

 しかも国会で決めたように装っている3党合意にしても、主となる決定は消費税増税率と増税時期のみで、低所得者対策としての逆進性策を具体化したわけではないし、民主党がマニフェストに掲げた社会保障制度改革に関しては国民会議に先送りしている。

 この先送りにしても、野田首相は狡猾な言抜けをして、先送りではないとしている。

 野田首相「最低保障年金の創設や後期高齢者医療制度の撤廃にしても、マニフェストの旗は捨てておらず、今後は『国民会議』で実現したい。修正協議の最終段階なので、会期を延長するしないは申し上げる段階ではない」(NHK NEWS WEB

 消費税増税率と増税時期を先に決めておいて、社会保障制度改革の必要な法制上の措置はこの法律の施行後1年以内に国民会議の審議結果を踏まえて実施するとして国民会議設置を後に持ってきたこと自体が先送りとなっていることを誤魔化している。

 ねじれ国会だからと言って、多数決を得るために中小野党の議論参加を排除した3党合意に正当性を置いているが、その3党合意が消費税増税率と増税時期決定以外は与党としての主体性を放棄した妥協と先送りの産物となったのは同じねじれ国会がつくり出している参議院に於ける民主対自公の力関係が起因しているのだから、3党合意という多数決に拘ったこと自体が戦術の間違いであったはずだ。

 当初予定していた社会保障制度改革の形が変わっても構わないということなら話は別だが、ねじれ国会であっても、形をほぼ変えずに維持した形で成立させる有効な方法として内閣支持率があったはずである。

 勿論、消費税増税という国民に不人気な政策の提示に内閣支持率は一般的には望めない状況にあるが、当初は増税に半数をほぼ超える数字で賛成多数であったのが、次第に賛成の数を減らしていき、反対が半数をほぼ超える逆転現象を見せたのは、2009年民主党総選挙マニフェストに書いてない消費税増税であったということよりも、衆院任期内の消費税増税法案成立であるにも関わらず、実際の増税時期は衆院4年任期後の2014年8%、2015年10%だから、マニフェスト違反ではないと誤魔化したことに対する拒絶反応があったはずである。

 しかも政権交代前の野党時代に、「シロアリがたかってるんです。それなのに、シロアリ退治しないで、今度は消費税引き上げるんですか?消費税の税収が20兆円になるなら、またシロアリがたかるかもしれません。 鳩山さんが4年間消費税を引き上げないといったのは、そこなんです」と言っておきながら、あるいは、「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。 書いてないことはやらないんです。それがルールです」と言っておきながら、その舌の根が乾かないうちに消費税増税を口にした。

 また、消費税増税はマニフェスト違反ではないと強弁を働かせていたにも関わらず、8月10日(2012年)、消費税増税案が成立した直後の記者会見で「マニフェストには明記してございません。記載しておりませんでした。このことについては、深く国民の皆様にこの機会を利用してお詫びをさせていただきたいと思います」と法案を成立させてから国民に対する謝罪を持ってくる巧妙さに国民は内閣低支持率の拒絶反応を示したはずだ。

 なぜ最初からマニフェストに書いてなかった、マニフェスト違反になるけれど、消費税増税しなければならない財政事情だと、謝罪した上で国民に理を尽くして説明しなかったのだろう。

 そのような手続きを踏んでいたなら、内閣支持率も違ったものになっていたはずだ。

 内閣支持率を高い数字で獲得できていたなら、次の総選挙の勝利が約束され、例えねじれ国会であっても、野党は下手には反対できない。

 30%前後で推移する内閣低支持率と野党自民党よりも低い位置につけている民主党支持率によって野党自公に足許を見られた「社会保障と税の一体改革」の消費税増税先行の妥協と先送りの結末であろう。

 当然、「どんな政治状況であっても、こうした課題への取組に一瞬の空白も作らず、それらを全力で乗り越えていくことこそ、内閣総理大臣として果たすべき最大の務めであると信じてやみません」いう資格は支持率の高い首相にしか与えられていないことになる。

 内閣支持率が低いまま、ねじれ国会のもとで単に野党協議に頼っていたのでは足許を見られた妥協の政治しかできないからなのは改めて断るまでもない。

 要するに野田首相は戦術を間違えた。国民に「社会保障と税の一体改革」を理解して貰うためと称して何億という大金をかけて新聞広告や全国各地で説明会を開催したが、一旦逆転した消費税賛成と反対が再度逆転することはなかったし、内閣支持率が上がることもなかった。

 消費税増税反対派としては野田内閣の低空支持率は大歓迎だが、戦術を間違えるような指導力と判断能力を欠いた首相は退陣を願うしかない。

 果たして消費税増税して、財政健全化に向かうのだろうか。
 
 内閣府が2015年消費税10%増税によって同年度には国と地方の基礎的財政収支赤字半減目標の達成可能の見通しを纏めたことが8月30日に判明したと、「MSN産経」(2012.8.30 16:04)が伝えていたが、8月27日月曜日の朝日テレビ「ビートたけしのTVタックル」を見た目には俄には信じ難く、財政赤字の問題点は予算編成の手法にあるように思えて、予算編成の手法を改めない限り、いくら増税しても、増税が役に立たなくなってくるのではないかと疑うようになった。

 疑うことになった問題の個所のみを取り上げてみる。

 元大蔵官僚であり、大蔵省が財務省に編成替えになった後も財務官僚として務めた片山さつき自民党参議院議員が出席して、発言していた。 

 阿川佐和子(司会者)「片山さん、元財務省?」

 片山さつき「私は財務省って言うよりも、大蔵省はホント、プライドを持って生きてきたんですよ。名前は変えられちゃって、金融は切り離される前は。

 そのときは自分たちは国のためと思って、国のために死んだっていいという国士意識?

 どの役所よりも働いて、他の役所が言ってくる、あれをくりょ(「くれ」の方言)、これもくりょ。全部整理して、団体が言ってきたのを一つ一つ説得してって、それが生き甲斐――」

 ビートたけし「変な意味、(財務省は)やたら敵になってるけど(嫌われ者になってるけど)、官僚の人が要するにね、国の懐だから、それを如何にうまく配分して成り立つかってことなのに、やっぱり配り方ばおかしんですかね」

 古賀茂明大阪市統合本部特別顧問「配るときにね、要するに自分たちの力っていうものを見せることが大事なんですよ」

 ビートたけし「うちのカアチャンみたいなんだ。(カネを配る手つきをして)トウチャン、いらないんだってことを」

 古賀茂明特別顧問「そう。だから、大体予算要求してから、11月ぐらいまでは、『くっだらない予算だな、こんなのゼロだよ』って。

 で、12月になって、もう殆どそんとこ決まってるんですけど、一生懸命通ってですね、足繁く通って、『お願いします。お願いします』ってやるじゃないですか」

 阿川佐和子(司会者)「財務省に?」 

 古賀茂明特別顧問「ええ。そうすと、(顎に手を当て、顔を下に向けて考えこむ仕草となり)『うーん、やあ、そこまで言われると』とかね。

 それで最後に一寸ずつ、『じゃあ、これだけ付けますよ』って言うと、(感謝で頭を下げる仕草)『ありがとうございます』ってなるじゃないですか。

 例えば10億要求してたのを5億で決着するときに、先ず、『ゼロですよ』って言うんですよ。で、『やあ、熱意に負けました、3億です』、『もう一寸頑張ってきます』とか言って、『4億まで取れました』とか言うと、もうみんなありがとうと――」

 ビートたけし「昔の太田プロみたいなもんだ。お前のギャラ上げないよ。(頭を下げて)お願いしますって(と駆引きの様子を見せる。)――」

 片山さつき「ネゴ(ネゴシエーション=交渉)でしょ。折衝でしょう。調整では私も丸5年遣りましたけど、それなんですよ」 

 片山さつきの大蔵省と財務相に在籍していた者としての身贔屓は恐ろしい。大蔵省から財務省への再編は大蔵省の金融業界からの接待とその接待の見返りに業務に関わる検査情報を漏洩していた等のスキャンダルが原因であった。

 当時、接待方法の一つとして金融機関のノーパンしゃぶしゃぶ店への接待が有名になった。

 また、省の中の省として、天下りにしても人数、報酬共に随一を誇っているはずだ。

 他の省庁の役人と比較して能力に関して優れていたかもしれないが、私欲・我欲の点でも優れていたにも関わらず、「自分たちは国のためと思って、国のために死んだっていいという国士意識」を持っていたと称えることができる。

 殆ど合理的判断能力を失った最大限の評価としか言いようがない。東大出だというから、尚更恐ろしい合理的判断能力の喪失した身贔屓である。

 財政悪化は政治家と官僚の共犯の部分もあるはずだ。

 【国士】「身命をなげうって、ひたすら国事を憂え奔走する人。憂国の士」(『大辞林』三省堂)

 片山さつきの経歴と大蔵省の接待と情報漏洩のスキャンダルを時系列で見てみる。

 1982年に東京大学法学部を卒業、同年4月大蔵省入省。
 1984年にフランス国立行政学院に留学。
 1998年大蔵省接待汚職事件発覚。 
 2001年1月大蔵省廃止、財務省新設
 2004年に女性で初めて主計局主計官就任。主に防衛関連の予算を担当。
 2005年7月に国際局開発機関課長就任、翌月財務省退官。

 20年余も在籍していて、予算も担当した。にも関わらず、古賀茂明氏が描く財務官僚とは似ても似つかない輝きを持たせてその姿を評価する。程度の低い判断能力しか持ち合わせていないから、身贔屓ができる。

 古賀氏が指摘している財務官僚の予算折衝は単なる金額の駆引きとなっているに過ぎない。値切られる一方であったなら、予算額は減少し、赤字とはならないはずだが、値切られる方も、値切られることを承知していて、この手の予算はどのくらい、別の予算はこのぐらいと値引き額を予想していて、前以て予算額を底上げしている、あるいは水増ししているだろうから、落とし所が決着して、「有り難うございますっ」と深々と頭を下げて大感激の様子を見せたとしても、相手に花を持たせる演技に過ぎず、相手にしても予算は自分が取り仕切っていると思い込んで虚栄心を痛く満足させることができるだろうが、財政再建とは無関係の力学を取って予算額は減少せず、増額一方となり、赤字予算で手当しなければならなくなるといった経緯を踏んでいると解釈しなければ、年々増加していく赤字国債額と先進国随一の赤字国という説明がつかない。

 要するに事業の必要性と費用対効果、あるいは国民生活に対する利益寄与の面から議論・折衝して予算額を決定づけていく予算編成ではなく、単なる金額交渉に堕しているから、こういった現象が起きるのだろう。

 財務官僚は優秀だと言われているが、あくまでも他省庁の官僚との比較であって、この程度の頭しかないらしい。他の省庁は推して知るべし。

 この程度なのに、片山さつきは「国士」だと持ち上げる判断能力を示した。察するに片山さつきを見れば、財務官僚の判断能力程度が分かる、片山さつきと財務官僚とは頭の程度が共通項を成しているということでなければならない。

 古賀氏が指摘している財務官僚の予算編成手法・予算編成能力ではいくら消費税を増税しても追いつかないということになる。当然、消費税増税後の財政再建化は当初はその気になって努力して少しは改善されるかもしれないが、金額交渉に堕した予算編成を習慣としている以上、元の木阿弥、財務官僚は虚栄心を満足させるメリットを取って、自分を偉く見せたいばっかりに金額交渉に後戻りしない保証はない。

 逆に予算折衝が金額交渉から脱することができ、事業の必要性と費用対効果、あるいは国民生活に対する利益寄与を厳密に検証する折衝となった場合、予算額自体を減らすことができて、消費税増税の必要性は減少させることができる可能性が生じる。

 野田首相が言っている「やるべき仕事」とは消費税を第一番に増税することではなく、官僚を政治主導のもとに置き、予算編成の手法を変えさせることということになる。

 この点でも野田首相は指導力と合理的判断能力を欠いていたことになる。

 結果、口では聞こえのいい発言を繰返すことになる。

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慰安所業者の従軍慰安婦強制連行は日本軍・官憲の権威・権力を笠に着た代理行為

2012-08-30 12:25:27 | Weblog

 私自身は従軍慰安婦に対する拉致紛いの強制連行はあったという立場からこの問題に触れてきた。

 だが、イ・ミョンバク韓国大統領が自身の竹島上陸を慰安婦問題等の歴史認識を理由の一つとしたことから、日本国内で慰安婦の強制連行肯定・否定の議論が再度浮上、今のところ否定の議論が際立ち、肯定している「河野談話」まで攻撃されて、その見直しを求める声が高まっている。

 参考までに「河野談話」をここに引用しておく。 

 慰安婦関係調査結果発表に関する河野洋平内閣官房長官談話 平成5年(1993年)8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 日本軍・官憲指図の慰安婦連行強制性説に対する否定派代表選手は安倍晋三元首相であろう。

 その発言の一例を2007年3月5日の参院予算委員会から見てみる。

 小川敏夫民主党参院幹事長「アメリカ合衆国の下院に於いて慰安婦をされていた方が、そういう強制があったという証言をしている。だから、下院で決議案が採択されるかどうかってことになってるんじゃないですか。そうした人権侵害について、きちんとした謝罪なり対応しないと、日本のですね、国際的な信用を損なうことになってるんじゃないかと思います。強制性はなかったと、いうような発言をされたんじゃないですか」

 安倍首相「ご本人がそういう道に進もうと思った方は恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。また間に入って業者がですね、事実上強制をしていたという、まあ、ケースもあった、ということでございます。そういう意味に於いて、広義の解釈に於いて、ですね、強制性があったという。官憲がですね、家に押し入って、人攫い(ひとさらい)の如くに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかったということではないかと

 要するに軍の意向を受けた売春業者が直接民家に押し入って力尽くで拉致同然に強制連行していくといった広義の意味での強制性はあったかもしれないが、軍や官憲自身が自らの手で同じ事を行う狭義の意味での強制性はなかったと言って、従軍慰安問題に於ける日本側の正当性を訴えている。

 8月28日も産経新聞のインタビューを受けて、慰安婦強制連行と河野談話否定を行なっている。《単刀直言・安倍晋三元首相 多数派維持より政策重視》MSN産経/2012.8.28 00:49)

 8月27日午後のインタビュー。題名の「多数派維持より政策重視」は次期総選挙後の政権の枠組みを指している。

 安倍晋三「橋下さんは慰安婦問題についても河野談話を批判した。強制連行を示す資料、証拠はなかったと言った。私は大変勇気ある発言だと高く評価している。彼はその発言の根拠として、安倍内閣での閣議決定を引用した。戦いにおける同志だと認識している」

 橋下大阪市長は記者会見でも否定派の立場から発言しているが、本人のツイッターから、関係する発言を拾ってみた。

 橋下ツイッター「今回の問題提起でよく分かったのは、やっぱり93年の河野談話について日本政府はロジックの再整理をしなければならないということ。従軍慰安婦について国の強制連行を認めたような93年河野談話に対して実は2007年、安倍内閣は重要な閣議決定を行った。

 軍や官憲が慰安婦を強制連行したという証拠はないと安倍内閣は2007年に閣議決定した。これが日本政府の見解である。僕は日本人だから、日本政府のこの見解に拠って立つ。また僕は歴史家でもないから、日本政府の閣議決定をわざわざ覆すような資料収集の作業はしない。

 だから韓国側に、日本国が強制連行したという証拠があるなら示して欲しいと言ったのです。韓国側の主張を一切認めないと言うことではなくて、証拠を出してよ、ということ。そしたら韓国メディアは、証拠は河野談話だと来た。完全なトートロジー(同義語反復)。

 ここを日本国民はしっかりと認識して韓国と正面から議論しなければならない。こういう一番肝要なところを、93年河野談話は逃げた。それで日韓の信頼はがた崩れ。これこそ政治の責任だ。口から泡飛ばして激論したらいい。何が問題で、相手の立場のどこに配慮をしてあげるべきなのかを真剣に考える」

 「僕は歴史家でもないから、日本政府の閣議決定をわざわざ覆すような資料収集の作業はしない」と言っているが、政治家であるなら、正確を期すために安倍閣議決定が間違いないと断言できる「資料収集の作業」を歴史家に指示してもいいわけである。

 だが、「作業はしない」まま、閣議決定を正しいとしている。ここに矛盾と無責任があるが、「僕は日本人だから、日本政府のこの見解に拠って立つ」としている無条件な安倍閣議支持も合理性を欠いた無責任な付和雷同であって、無責任そのもの姿勢と言える。

 日本人であっても河野談話を肯定し、安倍閣議決定を否定する者も存在するのだから、日本人であることはこの場合の賛否の基準にもならないし、理由にもならない。あくまでもどう考えるかである。

 結果として、「韓国側に、日本国が強制連行したという証拠があるなら示して欲しい」と正しいか否かの検証を韓国側に丸投げしている。

 これも無責任さを基軸とした丸投げであろう。

 石原都知事も安倍晋三、橋本市長に連なっている。《【慰安婦問題】石原知事「河野のバカが日韓関係ダメに」 橋下氏とともに河野談話批判》MSN産経/2012.8.25 00:54)

 8月24日の記者会見。

 石原知事「訳が分からず認めた河野洋平っていうバカが、日韓関係をダメにした。

 ああいう貧しい時代には売春は非常に利益のある商売だった。貧しい人たちは仕方なしに、しかし決して嫌々でなしにあの商売を選んだ」

 すべて一緒くたに一括りする短絡観がここにある。河野談話を否定するためにはこういった理屈が好都合だからだろう。

 橋下市長(8月24日記者会見)「(河野談話は)証拠に基づかない内容で最悪だ。日韓関係をこじらせる最大の元凶だ。

 (19年の安倍晋三内閣による「強制連行を示す資料はない」との閣議決定が法的に優先されると指摘)閣議決定と談話では天と地の差がある。韓国側が談話を根拠として主張するのは間違っている」

 2012年8月27日参院予算委員会で、「国民の生活が第一」の外山斎(とやまいつき)参議院議員(36歳)が「河野談話」否定の立場から質問を行った。その質問とそれに対する答弁が否定派の姿勢をほぼ集約していると見ることができる。

 「国民の生活が第一」を支持している立場にあるが、外山議員の主張がごく限られたもので、党の全体的な主張でないというなら構わないが、その逆と言うことなら、たった一人の支持だが、見直さなければならないことになる。

 外山議員は李明博大統領の竹島上陸、さらに天皇謝罪発言を非礼な態度だとする批判から質問に入るが、河野談話に於ける慰安婦の強制性の問題に限って取り上げる。 

 外山議員「過去何度も何度も、この慰安婦問題については韓国から主張がされてきております。1993年に宮沢内閣の河野洋平官房長官の談話で日本の関与を認め、お詫びと反省を表明する談話が発表されました。

 私はこの河野談話が歴史を歪め、そしてさらに言えば、今日の日韓関係を間違った方向に導いたのではないかというふうに感じております。

 そしてこの河野談話を踏襲されるのかどうか、それをお聞かせください」

 藤村官房長官「いわゆる従軍慰安婦問題にについての政府の基本的立場ということで、あー、委員の仰ったとおり平成5年8月の4日の当時河野官房長官談話を継承しているというのが、現政府の姿勢でもございます。

 で、この談話について、これに先立つ日本政府による調査に於いて、軍や官憲による組織的な強制連行を直接的に示す公文書等は発見されなかった。これは事実であります。
 
 その一方で強制的な連行があったとする証言等も既に存在していたところでありました。

 えー、そのときの政府に於いて各種証言集に於ける記述を含めて、それから韓国に於ける聞き取り調査を総合的に判断された結果、甘言・強圧による等、本人の意志に反して集められたケースもあったという心証を得て、同談話による記述ぶりとなったと、このように指摘をされています。

 ご指摘の、あっ、そういうことで、引き続き、今、その談話を覆すものではないということで、引き続き継承をしております」

 外山議員「この河野談話の背景にある、慰安婦の強制連行という証拠というものは今官房長官もお答えになったように、ないんですね。

 で、櫻井よしこさんが当時、石原副官房長官にインタビューしたときに石原信雄さんが、当時、まあ、彼女たちの名誉が回復されるということで強制性を認めたんです。

 で、補償、その後韓国政府が補償を求めないというのであったから、その強制連行を認めたっていうふうに言われていますが、どうして証拠もないのに、この河野談話というものを野田内閣は踏襲されるのか、お答えください」

 藤村官房長官「今聞かれました、石原当時官房副長官が当時なぜ強制性を認めたのかという問いに対して日本側としてはできるだ、できれば文書、あるいは日本側の証言者が欲しかったが見つからなかった。

 で、えー、当時の加藤官房長官の談話で、強制性の認定が入っていなかったが、それで韓国側が納得せず、で、元慰安婦の名誉のために強制性を認めるように要請していた。

 えー、そしてその証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきた、ということで、先程お答えをした、あの、その当時の、オー、日韓の関係も含めた総合的なご判断が河野談話ということになったということでございます。

 その後に於いて、それを大きく覆すものがないとうことで、その後の政府がずっと継承されているというのが現状であると思っています」

 外山議員「まあ、証言でってというお話をされましたが、旧日本軍の方で、これを証言されたっていうのは、あの、あるんでしょうか。ないんですよね。

 まあ、韓国側の従軍慰安婦と言われる方々の証言だけを基に日本政府はこの河野談話を発表した。

 私はこれは大変な問題だというふうに思っております。

 委員長、当委員会に河野洋平氏とそして石原信雄氏の参考人招致を求めます」

 委員長「後刻理事会で協議を致します」

 外山議員「それで松原大臣にお尋ねをいたしますが、大臣は過去に『超人大陸』というネット番組で軍隊が売春婦をですね、まさに強引に、おカネではなく、暴力でどっかから集めてきてやったというのが従軍慰安婦という話ですが、それは実際なかった、軍隊の不名誉を我々は払拭しなければならないと力強く話をされておりますが、大臣は河野談話を踏襲されるんでしょうか」

 松原国家公安委員長(ただ、ただひたすら原稿を読み上げる)「えー、いわゆる河野談話については平成5年に発表した宮沢内閣以降、細川内閣、羽田内閣、村山内閣、橋本内閣、小渕内閣、森内閣、小泉内閣、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣、鳩山内閣、菅内閣、という歴代内閣が継承してきたと承知を致しております。

 こうした流れの中で現政府もその考えを受け継いでいるわけであります。

 従って、いわゆる河野談話についても、私も内閣の一員である国務大臣の立場としては、内閣の方針に従わざるを得ず、官房長官のお答えになったとおりだと申し上げているところであります。

 一方、一政治家、松原仁の見解について述べることは、それが国務大臣としての発言ではないかという誤解を招く恐れがあるところから、差し控えたいと思います。

 なお、今後私としてはいわゆる河野談話のあり方について、平成9年に談話発表当時の官房副長官であった石原信雄氏は日本側のデータには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも強制に当たるものはなかった旨を新聞の取材に対して述べているところであります。

 また、平成19年に閣議決定された答弁書に於いて政府資料の中には軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述も見られなかったところである、としていることなどを踏まえつつ、閣僚間で議論すべきということを提案することも含め、考えてみたいと考えております」

 外山議員「あんまり認めているのか認めていないのか、ちょっと分からない感じなんですけども、じゃ、大臣は強制連行があったということを認めてるっていうことでよろしいでしょうか」

 松原国家公安委員長(ふたたび原稿の読み上げ)「えー、私はかつて発言をしてきたところでありますご指摘の発言は、私が内閣の一員として制約のない状態に於ける一政治家として行ったところであります。

 今は内閣の一員である国務大臣に任命されており、ご指摘の発言に関する私の現在の立場をこの場で述べることは、それが国務大臣としての発言ではないかという誤解を招く恐れがることから、差し控えたいということを申し上げます」

 外山議員「内閣の一員だから、自分の考えを言えないというのは私は間違っていると思います。政治家なんですから。政治家として、大臣はこの慰安婦問題の強制連行があって、河野談話を踏襲する立場っていうことでよろしいでしょうか」

 松原国家公安委員長「常にご答弁を申し上げておりますが、こういった石原信雄氏のその後の発言、平成19年の閣議決定された答弁書に於いて政府が発見した資料の中には、いわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったということを踏まえて、閣僚間で議論すべきということを提案したいということを考えていただきたいというふうに申し上げております」

 外山議員「 じゃあ、是非、大臣の方から内閣にですね、この河野談話を踏襲しないように、本当に否定すべきだと言っていただきたいと思っておりますので、どうぞ閣議の方でもですね、お願いしたいと思います。

 じゃあ、それでは総理の方にお尋ねをしますが、証拠もないのに強制連行を認め、それからですね、玉虫色的な内容でですね、国際社会が我が国が恰も、この慰安婦に関して強制連行をしたかのようなイメージを植えつけております各国から、この慰安婦問題に対する決議案なども各国議会で出されているわけでありますが、私は今回のこの李明博大統領の竹島上陸の背景にある慰安婦問題、この背後にあった河野談話というものを内閣としてはっきりと撤回、もしくは否定すべきだというふうに思っておりますが、総理はどのようにお考えでしょうか」

 野田首相「あのー、大統領の竹島上陸の背景にこの、いわゆる従軍慰安婦があるという、その報道は、またそういう言葉があったということは承知しておりますが、私はそれは、結びつける話では本来ないんです。

 領土の問題は領土の問題なんです。

 で、そんなことを理由に上陸したとは、なおさらおかしな話だと、あの、思っているということを前提にですよ、申し上げさせて頂きますけども、この問題については、李明博大統領に明確に申し上げましたけども、1965年に法的には決着ついてるんです。

 この姿勢ということはこれからもずっと言い続けていきたいというふうに思います。その上で河野談話については、これは先程も官房長官の答弁もありましてけども、あの、いわゆる強制連行という事実を文章で確認できないし、日本側の証言もありませんでしたが、いわゆる従軍慰安婦と言われる人たちの聞き取り等を含めて、、あの談話ができたという背景があります。

 それを歴代政権が踏襲してきておりますが、我が政権としても、基本的にはこれを踏襲するということでございます」

 外山議員「えー、お答え有り難うございます。ただですね、この談話の中には甘言・強圧によるなど、本人たちの意思に反して集められた事例があり、更に官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになったっていうふうに書かれています。

 要はこれは強制連行を示しているというふうに思いますが、どのようにお考えでしょうか」

 藤村官房長官「あのー、このことは、これは河野官房長官の談話ですが、平成19年3月に閣議を決定したいわゆる答弁書に於きましては、あの、しっかりと否定しているはずなんですが、ちょっと待って下さい。

 いわゆる政府に於いて、平成3年12月から平成5年8月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これを全体として判断した結果、この官房長官のとおりとなったものであるけれど、しかし政府が派遣した(?)資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらない、このことをはっきりと申し上げているところであります」

 外山議員「時間がきたのでやめますけども、ただこの河野談話の発表の後に甲の長官が記者会見の中でですね、記者が『強制連行の事実があったという認識でよろしいわけでしょうか』という記者の問いかけに対して、『そういう事実があったと、結構です』と明確に答えられているわけです。

 私はこの河野談話は我が国と韓国の関係を危うくするのだというふうに思いますので、これを否定をして頂きたいとお願い申しあげまして、私の質問に変えさせて頂きます」

 「Wikipedia」によると、外山議員の「親族」の項目に、〈祖母の父が笹尾源之丞(第一駆逐艦隊司令・殉職・海軍大佐)、高祖父は伊東祐麿(すけまろ)海軍中将・貴族院議員・子爵。祐麿の弟、初代連合艦隊司令長官の伊東祐亨(すけゆき)海軍大将元帥・伯爵は高祖叔父にあたる。〉の記述がある。

 慰安婦強制性否定の主張には親族の職業が背景にあるように思える。大日本帝国軍隊の名誉を守りたい余りに従軍慰安婦の日本軍及び官憲の強制連行は認めがたい感情に支配されているのかもしれない。

 だが、否定の合理性が問題となる。

 外山議員の従軍慰安婦強制連行物的証拠無存在説に対して政府側の答弁は、従軍慰安婦の軍や官憲による組織的な強制連行を直接的に示す公文書等は存在しなかったし、組織的強制連行を裏付ける日本側関係者の証言を得ることができなかったとする点に於いては外山議員の物的証拠無存在説と同じ立場に立っているが、韓国従軍慰安婦の証言と韓国との関係で強制連行を認めた河野談話を踏襲するという二重基準を置いた姿勢となっている。

 いわば日本軍は正しい、間違ったことをしていないとしながら、外交上は正しくなかった、間違っていたとしている二重基準である。

 但しこの二重基準は正反対の両面価値を置くことで成り立たせている以上、自己欺瞞を基盤としていることになる。自己欺瞞を働かせつつ、公式見解としているということである。

 安倍晋三にしろ、石原都知事にしろ、橋本市長にしろ、外山議員にしろ、また政府側にしろ、それぞれの言い分に共通して抜け落ちている重大な事実がある。当時の日本政府及び日本軍が各部隊や地方自治体に対して戦争に関係する書類の焼却を命じたという事実である。

 このことを伝えている2008年4月4日の記事がある。参考までに全文を参考引用してみる。 

 《「御真影」など焼却命令 旧海軍、戦争責任を意識か 英公文書館で暗号解読文書》共同通信/2008.4.4)

 1945年に日本が敗戦受け入れを決定した後、旧海軍が天皇の「御真影(写真)」などを含む重要文書類の焼却を命じた通達内容が4日までに、連合国側が当時、日本の暗号を解読して作成された英公文書で判明した。戦犯訴追に言及したポツダム宣言を念頭に、昭和天皇の責任回避を敗戦決定直後から意識していた可能性をうかがわせる希少な史料という。関東学院大の林博史(はやし・ひろふみ)教授(現代史)が英国立公文書館で見つけた。

 研究者によると、当時の日本軍が出した文書類の焼却命令は現在、旧陸軍関係の原文が防衛省防衛研究所にわずかに残っているほか、米国立公文書館で旧陸軍による命令の要約史料として若干見つかっている。旧海軍関係の個別命令が原文に近い形でまとまって確認されたのは、今回が初めてとみられる。
 重要文書類の焼却は、45年8月14日の閣議決定などを受け、連合国軍進駐までの約2週間に、政府や旧軍が組織的に実施。研究者らは、焼却は戦犯訴追回避が目的で、御真影などの焼却も、天皇と軍の密接な関係を可能な限り隠し、天皇の責任が追及されるのを避けようとした可能性もあると指摘している。

 今回発見されたのは、45年8月16日から22日までの間に、東南アジアや中国などで連合国側に傍受された通達で、計35の関連文書のうち天皇関係は4文書。

 同17日の第23特別根拠地隊司令官名の命令は「すべての兵器などから(菊花)紋章を外せ」と指示。第十方面艦隊司令長官は翌18日に御真影、紋章などを神聖なものとして「最大限の敬意を払い、箱に安置」するよう指示し、敵に渡る恐れがある場合は処分を命じた。さらに、21日のスラバヤ第21通信隊の命令は「御真影は敵の手に渡らないように扱うべし。必要ならば、その場で厳粛に火にささげ、海相に報告せよ」と、焼却を具体的に指示した。

 ほかの焼却命令は、暗号帳や軍艦に関する文書、個人の日記などを細かく指定し、今後の「外交関係に不利となる恐れ」のある文書はすべて焼却するよう繰り返し指示していた。(ロンドン共同)

 英公文書の要旨

 旧日本海軍の暗号による文書焼却命令を解読して作成された英公文書の要旨は次の通り。

▽1945年8月16日、第17警備隊より
一、ポツダム会談の××(判読不明)、帝国は以下の手順で機密文書を処分することになった。
一、現在使用中の暗号帳、機密文書を除き、すべてを完全に焼却せよ。作戦終了後、残りも完全に焼却せよ。命令了解後、この通達も焼却せよ。

▽同、大本営海軍部第三部長より(海軍)学校長あて
一、捕虜や尋問に関する全文書は、敵に口実を与えないように、この通達とともにただちに確実に処分せよ。

▽同17日、海軍より第九特別根拠地隊あて
一、軍艦旗、機密に関する本、資料、帳面、日記といった作戦の目的を敵に知らせる恐れがあるものはすべて即刻焼却せよ。この電文を内容理解後すぐに焼却せよ。

▽同、第23特別根拠地隊司令官より同隊分遣隊などあて
一、すべての兵器などから(菊花)紋章を外せ。

▽同18日、クパン分遣隊第6警備隊より
一、わが国の外交関係に悪影響を与える恐れのあるすべての暗号通信文や文書を焼却し、その旨を報告せよ。

▽同、第十方面艦隊司令長官より同艦隊などあて
一、天皇陛下の御真影、勅命、紋章などは最大限の敬意を払い、箱の中に安置せよ。敵の手に渡る恐れがある場合は処分せよ。

▽同二十一日、スラバヤ第21通信隊より第六警備隊などあて
一、天皇の御真影と××(判読不能)は敵の手に渡らないように扱うべし。必要ならば、その場で厳粛に火にささげ、海相に電報で報告せよ。  (ロンドン共同)

 軍が焼却命令を出していたことは認識していたが、具体的根拠をと思って、インターネット上から探し出した。

 要するに簡単な言葉で言えば、天皇の軍隊である大日本帝国軍隊とその帝国軍人に都合の悪い書類は焼却を手段として隠蔽を謀ったということである。

 この焼却・隠蔽の書類の中に日本軍に不利となる従軍慰安婦関係の書類が含まれていたとする証拠はない。但し、含まれていなかったとする証拠もないはずだ。誰かの証言を待つしかないが、証言については後で述べる

 どちらも証拠立てることができない以上、藤村官房長官のように焼却・隠蔽を免れた文書のみを基にして、「軍や官憲による組織的な強制連行を直接的に示す公文書等は発見されなかった。これは事実であります」として、慰安婦強制連行は否定できないはずだ。

 あるいは松原国家公安委員会委員長のように焼却・隠蔽を免れた文書のみを基にして、「平成9年に談話発表当時の官房副長官であった石原信雄氏は日本側のデータには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも強制に当たるものはなかった旨を新聞の取材に対して述べている」としていることを全面的に正当化することも、あるいは焼却・隠蔽を免れた文書のみを基にして、「平成19年に閣議決定された答弁書に於いて政府資料の中には軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述も見られなかった」として強制連行を全面的に否定することはできないはずだ。

 東京裁判で、「人道ニ対スル罪」は、「即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。

上記犯罪ノ何レカヲ犯サントスル共通ノ計画又ハ共同謀議ノ立案又ハ実行ニ参加セル指導者、組織者、教唆者及ビ共犯者ハ、斯カル計画ノ遂行上為サレタル一切ノ行為ニ付、其ノ何人ニ依リテ為サレタルトヲ問ハズ、責任ヲ有ス」(Wikipedia)と規定しているが、東京裁判を待つまでもなく、甘言・強圧による暴力的な拉致同然の強制連行の事実が一人、二人の女性が対象であっても、非戦闘員たる民間人虐待に相当する罪であることぐらいは承知していたはずで、当然、焼却・隠蔽の対象となったろうことは容易に想像できる。

 もし事実というものに対して正確を期す態度が少しでもあったなら、「焼却・隠蔽を免れた政府資料の中には」と言うべきだろう。

 但し、「いわゆる強制連行を直接示すような記述も見られなかった」とする事実は相対化され、絶対事実ではなくなる。

 更に抜けている事実はインドネシア占領後の1944年2月に日本軍が設けたオランダ民間人収容所に日本兵士がトラック二台に分乗してやってきて、18歳から28歳までのオランダ人女性を理由も告げずに選別、慰安所に連れ去って2カ月近くに亘って強姦・虐待を繰返すことになった、強制連行に当たる非人道行為である。

 「Wikipedia」に次のような記述がある。

 〈自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖した。(小田島大佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司令部に移管したためのものである。しかしながら、日本軍は、当事者を軍法会議にかける事も処罰も行なわなかった。〉――

 小田島大佐はこの事件を大本営に報告しなかったのだろうか。少なくとも現地軍司令部に記録を残さなかったのだろうか。

 大本営に報告もせず、現地軍司令部に記録も残さなかったとしたら、慰安所閉鎖のみ処罰で、首謀者たちの責任はウヤムヤとし、だからこそ、〈当事者を軍法会議にかける事も処罰も行なわなかった。〉ということなのだろう。

 もし報告し、記録を残していたにも関わらず、「政府資料の中には軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述も見られなかった」ということなら、焼却・隠蔽の対象となったということになる。

 インターネット上にこの事件を日本軍上層部の方針に逆らった末端将兵の勝手な犯行であり、首謀者たちは既に死刑を含む厳刑に処されているからと免罪とする主張が流布しているが、厳刑に処したのはオランダ軍が1948年に設置したのバタビア(ジャカルタのオランダ植民地時代の呼称)臨時軍法会議である。

 「Wikipedia」によると、BC級戦犯として11人が有罪。責任者である岡田慶治陸軍少佐は死刑宣告。罪名は強制連行強制売春(婦女子強制売淫)強姦となっている。

 この事件を可能とした背景は敵国捕虜に対して体現していた大日本帝国軍とその軍人の強圧性・強制性であろう。

 政府はこの強制連行をごく一部の例外と見做しているのだろうか。

 見做していたとしたら、日本軍とその軍人が担っていた、天皇の権威を笠に着た横暴な強圧性・強制性を理解していないことになる。

 軍上層部や政府首脳は国体護持を最優先とする権威主義に凝り固まっていたのである。上の為すところ、下これに倣う。下が下なりの権威主義をひけらかして、軍が体現している強圧性・強制性を表現しても不思議はないし、当然の成り行きでもあろう。

 この権威主義が同じ日本人でも民間人に対してその生命(いのち)を軽視し、始末する強圧性・強制性を発揮させしめた。撤退時に足手まといになるからと子供たちを毒殺したり、集団自決を実行させたりした強圧性・強制性である。

 次に慰安婦強制連行を証拠立てる日本側の証言がなかったとしていることについての判断を述べる。

 河野談話の発表は1993年8月4日。調査開始は前年の1992年12月から。

 1945年8月の敗戦から47年も経過している。

 都合の悪い書類・文書等の焼却・隠蔽を謀って罪や責任を免れ、戦後無事を手に入れた軍人、あるいは慰安所業者が戦後47年も経ってから、自身の汚名となるばかりか、日本軍の汚名となる事実を今更の感がして、果たして自分の口から喋るだろうか。

 あるいは罪を免れることができずに刑に服して社会復帰した軍人であっても、改めて罪となることを証言するだろうか。

 黙ってさえいれば、慰安婦問題に関しての日本軍と自身の名誉を守ることができるのである。

 しかも強制連行を証拠立てる政府関係の文書が存在しないことが勇気づけの後押しをしてくれる。内心、焼却・隠蔽を謀って正解だったなと胸を撫で下ろした軍人や慰安所業者がいたかもしれない。

 いわば軍の書類や文書の多くが焼却・隠蔽に回されて残された少ないそれらの中に従軍慰安婦強制連行を証拠立てるものがないからといって、その事実を否定することができないことと併せて、証言を得ることができなかったからといって、その事実は否定できないということである。

 勿論、事実の肯定にしても断言できないが、肯定・否定何れにしても軍関係の書類の焼却・隠蔽の事実を抜きにした政府の検証方法では把握できないはずだ。

 大日本帝国軍隊とその軍人が体現していた強圧性と強制性の面から検証してみる。

 既に触れた未成年女子まで含めたオランダ人に対する慰安婦狩りはまさしく敵国捕虜に対して体現していた大日本帝国軍とその軍人の強圧性・強制性が可能として見事な働きであるはずである。

 HP――《「従軍慰安婦」問題 陸軍中尉「オハラ・セイダイ」ノ陳述書》真実が知りたい/2012/07/11)に次のような証言が記載されている。
  
 まずは冒頭の解説。〈下記は、「東京裁判ー性暴力関係資料」吉見義明監修(現代史料出版)に収められている資料30、『陸軍中尉「オハラ・セイダイ」の陳述書(S・オハラ(日本軍中尉)陳述モア島における原住民殺戮および原住民婦人の強制売淫)Ex.1794』の全文である。

 現地女性を連行し、慰安所に入れて性交渉を強いた理由を「モア」島ノ指揮官であった陸軍中尉「オハラ・セイダイ」は「彼等ハ憲兵隊ヲ攻撃シタ者ノ娘達デアリマシタ」と語っている。

 当時は女性の人権そのものが否定されがちだったが、現地女性、特に敵方の女性の人権はこれを全く認めない、こうした考え方が、当時の日本軍にはあったということであろう。〉・・・・

 陳述書の一部を参考引用してみる。 

  或ル証人ハ貴方ガ婦女達ヲ強姦シ、ソノ婦人達ハ兵営ヘ連レテ行カレ、日本人達ノ用ニ供セラレタト言ヒマシタガソレハ本当デスカ

 私ハ、兵隊達ノ為ニ娼家ヲ一軒設ケ私自身モ之ヲ利用シマシタ

 婦女達ハソノ娼家ニ行クコトヲ快諾シマシタカ

 或者ハ快諾シ或ル者ハ快諾シマセンデシタ

 幾人女ガソコニ居リマシタカ

 6人デス

 ソノ女達ノ中、幾人ガ娼家ニ入ル様ニ強ヒラレマシタカ

 5人デス

 ドウシテ、ソレ等ノ婦女達ハ娼家ニ入ル様強ヒラレタノデスカ

 彼等ハ憲兵隊ヲ攻撃シタ者ノ娘達デアリマシタ

 デハ、ソノ婦女達ハ父親達ノシタ事ノ罰トシテ娼家ニ入ル様強ヒラレタノデスネ

 左様デス

 如何程ノ期間ソノ女達ハ娼家ニ入レラレテヰマシタカ

 8ヶ月間デス

 何人位コノ娼家ヲ利用シマシタカ

 25人デス 

 6人の女性を慰安婦とし、その内の5人を強制連行しながら、「或者ハ快諾シ或ル者ハ快諾シマセンデシタ」とは巧妙・狡猾なゴマカシとなっている。

 この強制連行は安倍晋三が「官憲がですね、家に押し入って、人攫い(ひとさらい)の如くに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかった」と言っていることを真っ向から否定する事実となっている。

 例え軍人や官憲が直接「家に押し入って、人攫い(ひとさらい)の如くに連れていくという、まあ、そういう強制性」は少なかく、多くが慰安所業者等が行った強制連行だったとしても、軍人・官憲の責任・罪を免れるものではない。
 例えば、悪代官の虎の威(=権威)とヤクザの親分の虎の威を笠に着たヤクザの三下(手下)が悪代官の意向を受けたヤクザの親分の命令で大店(大きな商店)に玄関から堂々と入り、祭りとかの法外な寄付を強要したとする。

 勿論祭りにはそのほんの一部しか寄付せず、一部をヤクザの親分の資金とし、大部分を悪代官に上納する構造の寄付であるのは商家の旦那は分かっていたとしても、断った場合は色々な厭がらせを招いて後々の商売に差し障りが出るからと寄付に応じた場合、ヤクザの三下が乗り込んだ強要行為であり、ヤクザの親分の直接的な強要行為ではないし、ましてや悪代官やその部下の役人が商家に直接乗り込んだ強要行為ではなかったからといって、悪代官の寄付強要の強制性はなかったと無罪放免した場合、正当性を得ることができるだろうか。

 商家の主(あるじ)はヤクザの三下の強要に直接応じる形を取るが、その背後の頂点に最終的に控えている悪代官の権力を見据えて、三下の行為を悪代官、もしくはヤクザの親分の代理行為と見做して、三下に法外な寄付を渡したのである。

 心理的には悪代官が直接商家に乗り込んできたのと変わらなかったはずだ。

 ヤクザの三下にしたら、悪代官の意を汲んだ代理行為をその中間にヤクザの親分を介して働いたに過ぎない。悪代官の側から言うと、自身の地位・権力を利用してヤクザの親分を介し、さらに親分は三下を介して代理行為の遠隔操作をしたのである。
 
 慰安所業者やその関係者が慰安婦に仕立てるために女性に対して強制連行を行った場合の代理行為は、勿論、日本軍とその軍人が担っていた強圧性・強制性が可能とした行為であったはずだ。
 
 当然、軍人や官憲が直接「家に押し入って、人攫い(ひとさらい)の如くに連れていくという、まあ、そういう強制性」は、例え極稀であったとしても、自らが体現している強圧性・強制性を背景として慰安婦募集の指示を出している以上、慰安所業者等の慰安婦強制連行の罪や責任はないとは決して言えないことになる。

 以上が軍の強制連行はあったとする根拠である。

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野田首相の竹島・尖閣日本固有領土学校教育は自律性排除の短絡的全体主義発想

2012-08-28 10:19:18 | Weblog

 野田首相が8月27日午前の参院予算委で竹島・尖閣を日本の領土だと教える学校教育の必要性に言及したという。

 《【参院予算委】野田首相「わが国固有の領土と教育現場で伝えていく」 竹島、尖閣の歴史教育強化》MSN産経/2012.8.27 11:15)

 野田首相「竹島、尖閣はわが国の固有の領土であると、きちっと教育の現場で子供たちに伝えないといけない。

 相手国の主張の根拠のなさも合わせて伝える努力をしなければいけないので、態勢の整備に努めていきたい」 

 記事は松原国家公安委員長が、〈日本の官憲による慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官(当時)による「河野談話」の在り方に関し「談話発表当時の石原信雄官房副長官が『日本側のデータに強制連行を裏付けるものはない』と述べていることなどを踏まえ、閣僚間で議論すべきだと提案したい」と述べた。〉とする紹介も併せ伝えている。

 確かに竹島・尖閣は日本の領土ではないと主張する日本人が増えたら、外交交渉はやりにくくなるが、かくまでもマスコミがテレビで、ワイドショー番組も含めて、どのチャンネルを回してもといった状態で各局共に連日報道していて、氾濫状況を呈出しているのである。

 そういった情報を親を含めた大人が単に鵜呑みにするのではなく、あるいはみんなが日本の領土と言っているから、自分も日本の領土だと言っていれば間違いはないからと考えもなく大勢に流されるのではなく、自ら考え、判断すべき問題であって、親を含めた大人がそういった自ら考え、判断する思考習慣を備えていたなら、自ずと子供たちも自分から考え、判断する習慣を受け継いで、自身で決定するはずである。

 だが、教育現場で児童・生徒に竹島・尖閣は日本の領土だと教えることは、最初からそのように教え込むことを単一の目的とした教育となり、そのような目的に添うことが児童・生徒の役割となって、そこに竹島・尖閣は日本の領土だと教師・大人が提供する知識・情報に対する機械的な受容(=暗記)が生じる危険性が入り込むことになる。

 機械的な知識・情報の受容(=暗記)は考えるプロセスをそこに置かないことによって成り立つ。いわば自分で考え、判断する自律的思考性を却って阻害することになって、知識・情報の機械的従属人間だけを生産することになり、機械的従属人間の対極にある、生産性向上や新規産業創出、あるいは新技術創出に寄与する自律的・創造的人間の育成を逆に抑制することになって、全体的な国力増強にマイナスとなるはずだ。

 また、国の教えをそのまま正しいと記憶させる教育は戦前の日本が経験したことであり、戦後中国の対日愛国教育と本質のところで通底する。

 国の意に添う考えの児童・生徒が育つことは国にとって満足であろうが、このような教育の何よりもの問題点は基本的には個人の考え・主張を国家の考え・主張に規制する全体主義に則っているということである。

 日本人が殆ど一人残らずと言っていい程に同じ考え・主張に立って、全体主義教育は完成する。

 竹島・尖閣が日本固有の領土だとする考え・主張に日本人が一人残らず立ってどこが悪いと声を上げる者もいるだろうが、あくまでもそういった考え・主張に立つまでのプロセスが問題となる。

 自らの考え・判断に立った自律性に基づいた結論であるのか、国の教えに機械的に従ったままの自律性なき結論であるのかの違いである。

 国の教えに機械的に従った考え・判断の正当化は中国の愛国教育も正当化しなければ整合性を失うことになる。

 大体が領土問題が起きたからといって、児童・生徒に教育をして、日本の領土だという考えを持たせるというのは短絡的なツケ焼刃に過ぎない。問題は政治家の外交交渉術であろう。自分たちの無能を児童・生徒に対する教育に託すというのは一種の責任放棄であり、責任不作為に当たる。

 機械的教育によって国民に同じ声を持たせるというのはデモを通して政府の意思を伝えるという政府動員のデモと大して変わらない。

 野田首相が竹島・尖閣を日本の領土だと教える教育の必要性を感じたのは保守の側に位置する人間として、殆どの児童・生徒に「竹島は日本の固有の領土である」、「尖閣諸島は日本固有の領土である」と同じことを言って欲しい全体主義についつい駆られたからだろう。

 8月10日(2012年)日本テレビ放送の「ネプ&イモトの世界番付」で教育について興味深い遣り取りがあった。

 学習塾に通う国ランキング

 1位 ベトナム    90・6%
 2位 ギリシャ    86.4%
 3位 インドネシア 78.3%  

 11位 日本     47.3%
 最下位 フランス 1.8%

 ネプチューンのリーダー名倉潤が世界の学習塾事情について出演の外国人タレントにそれぞれ聞いた。

 ベトナム女性「ベトナムは経済が発展していて、物凄く教育の競争が激しくなっている。幼稚園をやめさせて、塾に通わせている親もいる」

 番組解説「受験戦争が加熱している」

 韓国男性1「塾に行っている学生は成績が高く、塾の先生は学校のテストに出そうな予想問題を準備して、みんな成績が高い」

 韓国男性2「予想問題が本当に試験に出たら、予想が当たるということで、その塾が物凄く流行る」

 タイ男性「タイも塾が多い。有名な大学に何々塾から何人入ったといった新聞記事が毎年載ったりする」

 アジアの学習塾事情は同じアジアに位置しているからなのか、日本のそれと似通っている。

 イギリス男性「イギリスは家庭教師はいるけども、塾へ行くこと自体は滅多にない。日本の教育自体が詰め込む教育じゃないですか。勉強が足りないんだったら、本当に意味が分からないんですよ。塾に行くこと自体」

 パックン(ハーバード卒)「アメリカはやっぱり自分の考えていることをうまく表現しなければいけない。アメリカの試験はそういうのがメインですよ。色々なことを知っているのじゃなくて、あなたはどう思っているのか。

 これができると、後々凄い有利になるんですよ。日本の教育は確かにデータは一杯習得するんだけど、自己主張ができない、交渉ができない、議論ができない。

 だから、日本はいつも外交で圧倒されちゃうんですよ

 番組解説「主張できない日本人は世界でも有名。常に協調を大事にする文化が裏目に出ているようです」

 次の文字がキャプションで表示される。 

 影の仕切りは米・中

 存在感、日本は薄く

 首相、影薄く


 パックンは日本の教育は詰め込みの暗記教育だと言っている。沢山のデーター(知識・情報)は持っていて色々なこと知っているが、それは機械的なデーター(知識・情報)で終わっていて、自分の考えを持っていないと。

 自己主張も交渉事も議論も、「どう思っているのか」の自分の考え・判断が基本だと。

 個々のデーター(知識・情報)を結びつけて新たなデーター(知識・情報)を創造する教育性には無縁だと。

 データー(知識・情報)の結びつけと発展・創造は自身の考えがあって初めて可能となり、自分なりの考えを原動力とする。

 次の警句もパックンの説を裏付けている。

 「国際会議を成功させるコツは、インド人を黙らせて、日本人を喋らせること」

 この警句は2006年12月28日当グログ記事――《アイルランド人の「知と個性」が映し出す改正教育基本法の「国を愛する」 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で用いた。 

 その時次のように自分の考えを述べた。

 〈「国際会議を成功させるこつは、インド人を黙らせて、日本人を喋らせること」という冗談はまさに的を射た本質的な日本人論となっている。

 「会議」は常に何らかの“決定”を目的としている。〝決定〟を目的としない会議は会議とは言えない。その「会議」が一度打ち合わせたことを確認する集まりであったとしても、その確認した事柄が最終決定事項となり、そこには“決定”が絡んでくる。日本の閣議が議論らしい議論もなく、単なる顔合わせで終わることがあるということだが、日本だから許される“決定”不在の、会議とは言えない時間潰しであろう。

 「会議」の“決定”に向けて議論に加わらないことは、“決定”の内容如何を問わずに無条件の従属を専らとすることを意味する。それを可能としているのは日本人が行動様式としている上が下を従わせ、下が上に従う権威主義を下地とした従属性以外にあるまい。おとなしく従う日本人というわけである。だからこそ「ものを言う日本人」が求められたりしたのだろう。

 「国際会議を成功させる」ために「インド人を黙らせて、日本人を喋らせ」たとしても、“従属”に慣らされている日本人は他人の議論の焼き直しや機会的な積み重ねといった新たな〝“従属”を展開するのが精々で、創造的な議論は望めないのではないだろうか。言われているところの戦略性の欠如は創造的議論の欠如の言い替えであろう。〉・・・・・・

 自己主張という点で、状況は現在も変わらないようである。領土問題が起きたからといって、野田首相のように学校で領土教育を行うといった全体主義に駆られた短絡的・単細胞的発想ではなく、自己主張できる日本人教育が日本の経済にとっても政治にとっても外交にとっても、より国益に適うはずだ。

 そのためには大量の機械的データー(知識・情報)取得の暗記教育を脱却して、自律性に則った自己主張・交渉・議論可能な、パックンの警告の逆を行く思考教育に向かわなければならないだろう。

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非国民・国賊の提案『竹島なんか、韓国にくれてやれ!』

2012-08-27 12:18:50 | Weblog

 8月26日のあさひテレビ「サンデースクランブル」で、竹島問題で次のような発言があった。

 下條正男(拓殖大学国際学部教授)「韓国と仲良くしない限りですね、アジアの安定ということはありません。一番喜ぶのは中国やロシアや北朝鮮ですよ。

 韓国と仲良くすること――」

 テリー伊藤「敵が違いますよ」

 下條正男「そう。相手を、相手を間違える――」

 テリー伊藤「もう一つ、韓国を最終的に助けるのは日本だと思ってるんですよ。例えば韓国が厳しい状況のときに中国が助けますか?

 助けないですよ。そこんところを韓国は本当はね、大人になって考えないと、ダメだと思いますねえ」

 時間が来たからなのだろう、女性キャスターが、「下條さん、今日は大変有難うございました」と挨拶、このコーナーは終了。

 下條正男教授は日韓友好論を唱えているが、あくまでも竹島日本領の立場からの日韓友好論である。韓国が歴史認識で事実と異なることを言ってきた場合は、日本は強く主張しなければならない、政治家は毅然とした態度を取るなどと言っているが、それを行動で示さなければ何もならない、日本領だと説明できるだけの勉強をしてから、韓国へ行くべきだといった発言を展開していた。

 下條正男教授の発言は竹島に関わる日本の国益からのもので、日本人なら、誰しも当然と言える国益行動主義とでも名付けることができる。

 問題はテリー伊藤の発言である。本人は気づいているかどうか分からないが、テリー伊藤にしても日本の国益に立った発言である。

 但し日本の国益に立っていたとしても、韓国側が考える韓国の国益を、日本側から見た場合、それが正しかろうと正しくなかろうと、視野に入れた主張でなければ、説得力を持ち得ないはずだ。

 視野に入れていない主張となっているから、「韓国を最終的に助けるのは日本だと思ってるんですよ」といった思い上がったことが言える。

 余程韓国を見下した発言となっている。経済力から言って、日本の方が上であっても、ギブアンドテークの関係にあるのであって、例え日本側のギブが上回っていたとしても、韓国は日本と日本側の一方的なギブアンドギブの関係を築いているわけではない。

 ギブアンドテークの関係である以上、韓国とは政治的関係を断つことができたとしても、韓国との経済関係を完全には無視できない。無視した場合、日本も経済的にそれ相応の打撃を受けるだろう。

 勿論、日本の打撃以上に韓国の経済が打撃を受けたとしても、竹島を日本に売り渡すことは韓国民は許さないだろうから、韓国は日本との関係修復による経済のマイナス回復を図るのではなく、中国との関係を強化することによってマイナスを補う行動を自らの国益とするはずだ。

 そうしなければ、誰が大統領となっても、その地位を一時たりとも安泰に保つことはできないだろう。

 韓国に対して自ずと強いることになるこのよう行動は日本の歴史認識が大きく影響してもいるだろう。

 いわば日本の歴史認識も手伝うことになる中国接近となるということである。

 また、中国自身も日韓が領土問題で対立することは、それが激しい対立である程、中国の対尖閣領土問題で有利な材料とな利用し得るから、日韓領土問題対立からの韓国の経済的窮状を黙って見過ごすことはせず、何らかの経済的恩恵を施すことで、領土問題を共通国益とした関係構築の政策を取ることが考えられる。

 中国が韓国の竹島領有の正当性をバックアップし、韓国が中国の尖閣領有の正当性をバックアップする。対日領土問題のこの共同戦線にロシアが加わる可能性が当然、浮上する。

 歴史認識に関しても中韓は手を握って対日共同戦線を張ることが可能となる。

 韓国にとって問題となるのは、アメリカとの関係であろう。経済的にも政治的にもアメリカとの関係を疎遠にすることはできない。政治的、軍事的には韓中、韓米のつかず離れずの綱渡りの関係を国益とするはずだ。

 例えば米韓合同演習を引き続いて行いながら、韓国軍の首脳が中国を訪問といった事態の発生も考えることができる。

 あくまでも日韓対立の激化によって韓国を経済的に追い詰めた場合の考え得る韓中接近の予想シナリオである。

 緊急時にドルなど外貨を融通し合う日韓通貨交換(スワップ)協定にしても、韓国経済の安定が日本の国益につながるギブアンドテークを構造としていたはずだが、李明博大統領竹島上陸に対する対抗措置としてスワップ凍結を検討しているという。

 また、安住財相が8月24日の閣議後記者会見で、今年5月合意の日本による韓国国債購入を当面見送る考えを明らかにしている。

 さらに、日韓シャトル外交を当面凍結し、野田首相の年内訪韓見送りの検討に入った。

 韓国が放棄するはずもない竹島領有を放棄させるために次々と打ち出す経済的圧力は韓国を確実に追い詰める材料として事欠かない。

 中国はその外国がどれ程に政治的に独裁体制であっても、どれ程に人権抑圧の国家であっても、その国が豊かな資源に恵まれていた場合、その資源を自国資源とすべく、人権抑圧を無視して独裁体制を外から支える、ルールなき自国国益追求至上主義国家である。

 またシリアでアサド政権がシリア国民にどれ程に残虐な弾圧を行い、国民の命を無残に奪おうとも、国連安保理対シリア制裁決議案をロシアと共に3度も拒否権を行使をしている人命軽視国家である。

 そのような手段を選ばない中国が、例え日韓通貨交換(スワップ)協定を凍結したとしても、韓国国債の買い入れを見送ったとしても、韓国が不利となる日韓対立のその間隙を中国が狙わないはずはない。

 すべて国益に代えるはずだ。

 竹島問題で韓国を追い詰めることによって中国に韓国が取り込まれた場合の日本の領土問題上の国益と経済上の国益の損得を考えた場合、竹島を放棄、中国大陸側の領土問題は尖閣諸島に限って集中し、韓国の外交的支援も得て、尖閣諸島を当たり前の日本の国土の一部に持って行き、周辺海域の海洋資源の開発に早急に着手することの方が日本の国益にプラスとならないだろうか。

  以上が、《非国民・国賊の提案『竹島なんか、韓国にくれてやれ!』》の理由である。

 中国人の中にも資料を示して、尖閣諸島は日本の領土だと主張している中国人が存在しているそうだ。広東捷盈電子科技・取締役会林凡(女性)副主席。

 《広東の企業幹部が「尖閣諸島は日本領土」、中国版ツイッターで発言、人民日報記事など証拠挙げ、賛同広がる》MSN産経/2012.8.25 01:14)

 8月24日、中国広東省民間企業幹部の中国版ツイッター「微博」投稿の発言だそうだ。

 林凡女史「1949年から71年まで中国政府は釣魚島(尖閣諸島)を日本の領土と認めていた」

 記事題名に示している日本領有を示す1953年1月の中国共産党機関紙・人民日報記事以外にも複数の公式地図などを根拠に挙げているという。

 中国国内からの感情的な反論は当然予想されるとしても、賛同投稿もあったという。そのいくつかの例。

 賛同意見1「知識のない大衆が中国共産党に踊らされたことが分かった」

 賛同意見2「中国政府はこれでも釣魚島はわれわれの領土だと言えるのか」

 賛同意見3「資料をみて(尖閣諸島が)日本領だったことが明白に分かった」

 賛同意見4「(当局に)タダで使われて反日デモを行う連中には困る」

 林凡女史は、〈微博の運営会社、新浪微博から「実名」の認証を受けており、10万人以上の読者をもつ。〉と言うから、その発言は多くの中国人によって信頼性を持って受け入れられているはずだ。

 同じ内容を扱った「毎日jp」記事によると、〈投稿は次々に転載されているが当局が削除し続けている。〉と書いているが、それが中国人口13億人分の10万人プラスアルファの読者数であったとしても、新聞記事や複数の公式地図は強力な証拠となるはずである。

 日本政府は既に在中日本大使館に対して情報収集の指示を行なっているはずだし、あるいは指示が来る前に日本大使館が既に率先して情報収集に当たっているかもしれないが、尖閣領土帰趨決着の一大チャンスではないだろうか。

 少なくとも「尖閣省都に領土問題は存在しない」と言っている間は、現状を見る限り、尖閣海域の開発は着手不可能となっている。どの国の異論も許さない形で領土帰趨の決着をつけてこそ、周辺海域の開発は可能となる。

 中国に対してこの戦いを挑むとき、韓国の外交的支援が中国に向かうのと日本に向かうのとでは、やはり違いが生じるはずだ。

 尤も領土問題が決着を見たとしても、歴史認識の乖離は別の問題である。この決着は国際社会から正当性を得ることのできる日本人自身の戦争総括以外に方法はないのではないのか。

 参考までに。

 2008年7月19日当ブログ記事――《日本民族優越論そのままに日本人が優秀なら、竹島は韓国領有とせよ》

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脱原発反対派はイノベーション(技術革新)に対するチャレンジ精神に期待をかけない者たち

2012-08-26 12:45:11 | Weblog

 森ゆうこ「国民の生活が第一」参議院議員の事務所から、『<どうする?原発>徹底討論!容認派vs反対派
~127万人ユーザーアンケートから考える日本のエネルギーと未来~』
と題して8月23日(2012年)22時30分~24時、ニコニコ動画で放映されるという連絡が来た。

 夜遅くて時間が時間で、翌朝視聴しようと思ったが、ニコニコ動画は一定の時間が経過すると無料会員は視聴できなくなり、プレミア会員のみの視聴となるのを忘れていたため、見損なってしまった。

 だが、案内メールに原発反対派の森ゆうこ議員や飯田哲也ISEP環境エネルギー政策研究所所長等に対して原発容認派として名を連ねていた池田信夫アゴラ研究所所長の名を見たとき、経済合理性からのみの賛成派だろうと推測した。

 もし原発が火力発電と比較した場合、二酸化炭素の排出量が格段に少ないということを以って原発賛成だとすると、二酸化炭素排出削減が原発以外に技術的に他に方策がないことを前提としていることになる。

 このような前提は日本の技術に信頼性を置いて研究者たちのイノベーション(技術革新)に対するチャレンジ精神に期待をかけるといったことを一切しない考えに基づいていると言える。

 このことは後に触れるとして、先ず脱原発反対派の代表選手たる池田信夫氏の「脱原発反対」をテーマとしたブログ記事を見てみる。

 《原発再稼働と全体最適》BLOGOS/池田信夫/2012年04月14日 21:16)  
 主なところを拾ってみる。

 〈(原発の)燃料費は約1円/kWh。3~4円の火力より圧倒的に安い。逆にいうと原発を止めて火力を動かすと、2~3円/kWhの機会費用が出ることになる。

 その結果、昨年の燃料費の増加は4兆4000億円。GDPの0.9%の損失で、日本は31年ぶりに貿易赤字になった。だから問題は、大飯原発が絶対安全かどうかではなく、そのリスクが機会費用より大きいかどうかである。福島事故の風評被害5兆円を(苛酷事故のリスクは)IAEA基準の確率(10万炉年に1度)で割り引くと、54基ある日本では約2000年に1度だから25億円/年。日本の実績に合わせて50年に1度としても、1000億円/年である。どう計算しても、年間4兆円以上の機会費用よりはるかに小さい。〉

 私自身が「機会費用」という言葉を知らなかったから、辞書を引いてみた。

 【機会費用】「あることを行った結果、犠牲とされた利益。」(『大辞林』三省堂)

 〈問題は、大飯原発が絶対安全かどうかではなく、そのリスクが機会費用より大きいかどうかである。〉

 その根拠として、過酷事故のリスクは〈日本の実績に合わせ〉たとしても、〈50年に1度〉だと割り切っている。

 経済効率一辺倒の経済合理性以外の何ものでもない。

 池田信夫氏は続けて次のように言っている。

 〈・・・と書くと「命の問題は金に代えられない」という類の反論があるだろうが、OECD諸国では過去50年以上の歴史で原発事故による死者は(福島を含めて)1人も出ていないので、これは経済問題である。むしろ毎年5000人を殺している自動車の社会的費用のほうがはるかに大きい。

 ・・・・・・・

 今後も原発を止めたたまにしておくと、日本経済はGDPの数%の損失を出し続け、製造業は日本を出て行く。そのコストは、最終的には電気代の値上げや雇用喪失として国民に転嫁される。〉――

 日本の経済のためには一にも二にも原発を続けろと言っている。

 経済合理性に凝り固まっている。勿論、正当性を得る経済合理性なら構わない。

 野田首相が大飯原発再稼働の決定方針を示した時の記者会見(2012年6月8日)も経済合理性に立っている。

 「国民の生活を守る」、それが野田首相の「唯一絶対の判断の基軸」だと断言。いわば経済合理性を「唯一絶対の判断の基軸」としているわけではないと、経済合理性を否定してはいる。

 「国民の生活を守る」ということは経済的な生活可能性のみを言うのではなく、生理的・肉体的・精神的生活可能性をも含めて、初めて守ることになる。

 いくら経済的に豊かであっても、人間としての生理的・肉体的・精神的存在性を抑圧されたり圧迫を受けたりしたら、豊かな経済性は、その価値を失う。

 それらは放射能の不安一つで損なわれることになる。一人ひとりの不安を足した総量は膨大なものになるはずだ。
 
 野田首相「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています」

 絶対安全を保証しているが、大飯原発再稼働決定前から、関西電力の調査によって活断層ではないとしてきた大飯原発地下の破砕帯が「近くの活断層に引きずられて動く可能性を否定できない」とする専門家の指摘を無視した安全保証であった。

 「国民の生活を守る」と言いつつ、経済合理性を優先させていたjからなのは次の発言が証明している。

 野田首相「計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません」

 経済的な生活可能性の面からのみの「人間らしい暮らし」の言及となっていることが経済合理性に立っていることの証明に他ならない。

 政府は6月16日に再稼働を正式決定。

 それから2カ月後。再稼働政府決定の強引さに対する国民の批判が和らいだと見たのかどうか分からないが、原子力安全・保安院は福井県敦賀原発と大飯原発、青森県東通原発、石川県志賀原発の4カ所の地下破砕帯の調査を指示した。

 少なくとも大飯原発に限って言うと、順序は逆である。順序の逆を許したのはあくまでも経済合理性に立った再稼働決定であり、人間としての生理的・肉体的・精神的存在性の保証まで含めた「国民の生活を守る」ではなかったからだろう。
 
 日本の技術に対する信頼性を先に持ってきていたなら、時間はかかるだろうが、原発代替に火力発電を持ってきて、経済合理性の観点にのみ囚われて二酸化炭素排出量やコストの比較で論ずるのではなく、風力発電や太陽光発電のみならず、より安定したクリーエネルギーの供給が可能と言われている、日本が遅れている海の波を利用した海洋発電、さらには水素と酸素利用の燃料電池まで含めた、原発以外の方策を論じたはずだ。

 例えば海洋発電。

 ティム・ヨウイギリス・エネルギー・気候変動委員会会長「私たちは2020年までに自然エネルギーを全電力の15%にします。短期的には風力ですが、長期的には海洋発電でまかなおうと考えています。

 なぜなら、信頼性が高く、電子力や化石燃料と同じ安定した電源として使えるからです」(NHKクローズアップ現代「海から電気を作り出せ」/2012年5月10日(木)放送) 

 野田首相は8月24日の記者会見で、「わが国は世界に冠たる海洋国家である」と誇ったが、海洋発電に関しては格段に後発国となっていて、緒に就いたばかりらしい。

 次にクリーンエネルギーとしての水素原料を利用する燃料電池を調べてみた。

 先ずは家庭用燃料電池。

 この仕組みは都市ガスなどに含まれる水素を取り出し、空気中の酸素と化学反応させる過程で、電気と熱を生み出すそうだ。

 エネルギー利用効率は火力発電所で作った電気を家庭で使う場合に比べ約2倍とされている。

 但し、例え水素利用であっても、二酸化炭素を一切排出しない完全なクリーンエネルギーとまではいかない。1年間使用で、石油、天然ガスといった一次エネルギーの使用量を23%削減させることはできるが、CO2削減量1,330㎏の38%削減のみが可能だという。

 但し1台の価格が約280万近く。対して国の補助が平成23年4月8日~平成24年1月31日が上限額105万円。

 昨年度は130万円だったというから、年々減額傾向を辿るのかもしれない。

 だが、JX日鉱日石エネルギーが2015年をメドにドイツで家庭用燃料電池事業に参入、技術開発や量産効果で価格を従来型の5分の1の約50万円に下げた最新型を売り込むと伝えている記事がある。

 《JXエネ、独で家庭用燃料電池販売 価格5分の1》日経電子版/2012年4月20日)

 〈ドイツで販売するのは従来型よりも発電効率が3割程度高い、最新型の固体酸化物型燃料電池(SOFC)。1台あれば一般的な家庭で7割の電力をまかなえる。

 発電装置の主要部材の素材を見直したり、人手で組み立てているのを自動化することなどで、今の270万円から約50万円に引き下げる。ドイツだけでなく、日本も含む世界市場での価格にするとみられる。

 ドイツの電気料金は1キロワット時あたり約24円なのに対し、都市ガスを電気換算すると同約7円と安い。余剰電力を電力会社に販売でき、燃料電池購入後に数年でもとが取れる見通し。20年に5万~6万台の販売をめざす。〉・・・・・

 記事は、〈11年度末で累計約2万台が普及している。〉と書いているが、実際に50万円まで下がったなら、飛躍的に普及が可能となるはずだ。

 次に水素を燃料とした燃料電池車を調べてみた。

 2006年8月1日の「日経ビジネスオンライン」記事――《燃料電池車の時代は当分来ない》と題して、〈コスト以前に、どうやって水素を製造するかという問題がある。水素を燃料とした燃料電池車は確かに走行時にはCO2(二酸化炭素)を発生しない。しかし燃料である水素は自然界に十分に存在するものではないため、人工的に製造しなければならない。そのためにはエネルギーが必要である。

 自然エネルギーや原子力を用いない限り、製造段階でCO2が発生してしまう。その量は一般的にはガソリンや軽油を精製するよりも多いと言われる。現在は燃料電池車の台数が限定的なので問題にならないが、可能な限りCO2を排出せずに効率よく水素を製造する方法を確立しなければ、燃料電池車は地球温暖化の解決策にならない。〉

 このように伝えて、見かけ上の二酸化炭素ゼロのクリーンエネルギーだと解説している。

 1台の値段がどのくらいするか、昨年の記事――《トヨタ、「燃料電池車の価格は現状で1000万円」》Response/2011年8月8日(月) 12時15分)が教えてくれる。

 2011年時点で燃料電池車1台1000万円という値段は、燃料電池車本格的開発の2000年代初頭は1台2億円とも言われていたことから比べると、この10年間で価格は20分の1まで下がった値段だという。

 〈2015年の市販時には、価格を5万ドル(約390万円)まで下げるのが目標とも伝えられている。〉と記事を結んでいる。

 この結びは技術の発展に対する期待を抱かせる。この期待は日本の技術に対する信頼性を裏打ちとしているはずである。

 2006年時点で「燃料電池車の時代は当分来ない」としていた期待不可能値は、堂免一成(どうめん かずなり)東京工業大学資源化学研究所教授の、〈太陽の光を当てるだけで水から水素が取り出せる画期的な触媒(光触媒)を東京工業大学資源化学研究所・堂免一成教授が開発しました。可視光で水を分解することは、これまで不可能に近いと見られていましたが、その壁を見事に突破した世界に誇れる成果です。水素がブクブク出るレベルにまではまだいっていませんが、夢の水素製造法の実現に一歩近づきました。今後5年間かけて実用性を実証する計画です。 〉と伝えているHP記事が期待値へと導いてくれる。

 研究者のコメント「光触媒による水素生産は、太陽電池による水素生産よりシステムが簡単になります。したがって、広大な面積に展開するのに向いていると思います。光触媒の寿命としては、劣化せずに1年位使えるのが目標です。実用化までには、もう一つブレークスルーが必要と思いますが、10~15年後には水素がある規模で取り出せるようになると見ています」

 「10~15年後」に実現できたなら、2030年目標の発電量に占める原発比率をどうするかの2030年とほぼ肩を並べる。

 堂免教授は開催日2011年3月9日の三井化学 第5回 触媒科学国際シンポジウム「持続可能な社会を実現する触媒科学」で講演している。その案内のHPには、教授を次のように紹介している。

 〈堂免教授は不均一系光触媒を用いた水の分解による水素製造研究の第一人者であり、太陽光で水を分解し、太陽エネルギーを効率良く水素エネルギーに変換するための光触媒の開発を推進している。この研究分野では、チタン、タンタル、ニオブなどの酸化物が幅広く研究されてきたが、堂免教授はガリウムやゲルマニウムなどの(酸)窒化物を光触媒材料開発の主なターゲットとし、太陽光の大部分を占める可視光を利用した水の水素と酸素への完全分解に成功した。

 本講演では、GaN-ZnO及びZnGeN2-ZnO固溶体系光触媒や、緑色植物の光合成を模倣したZスキーム系光触媒による、可視光を利用した水分解反応の技術及び将来課題について述べられた。〉・・・・・

 尤もこの研究は堂免氏一人ではなく、国内、国外に相当いるようである。

 日本の技術に対する信頼性を確固としていたなら、多くの研究者のイノベーション(技術革新)に対するチャレンジ精神に期待をかけることになり、二酸化炭素排出抑制を伴った原発代替エネルギーが経済合理性からも決して実現不可能ではないとする立場に立てるはずだ。

 この前提に立った場合、原発稼働の経済合理性という基準は意味のないものとなる。

 日本学術会議が使用済み核燃料から発生する高レベル放射性廃棄物を地下300メートルより深い場所に数万年以上埋めて処分するとする国の計画に対して地震や火山が活発な日本で、数万年以上に及ぶ長期にわたって安定した地下の地層を確認することは、現在の科学では限界があることを自覚すべきだとして、国の計画の白紙撤回・見直しを求める報告書案を8月23日に纏めている(NHK NEWS WEB記事から)。

 この報告にある思想は原発稼働の経済合理性を打ち砕く。

 あるいは経済的な生活可能性のみで価値づけるべきではない、結果的に人間としての生理的・肉体的・精神的存在性の価値観をより重要視し、その価値観に軍配を上げる思想の発現とも見ることができるはずだ。

 日本の技術に信頼を寄せて、脱原発に邁進すべきではないだろうか。

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野田首相は「尖閣には解決すべき領有権問題は存在しない」というマヤカシはもうやめるべき

2012-08-25 10:26:16 | Weblog

 2010年9月7日の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件以来、民主党政権が頻繁に口にし、野田首相もその閣僚も引き続いて口にしていることだが、韓国大統領の竹島上陸、香港民間団体の尖閣諸島・魚釣島上陸を受けて、昨日8月24日(2012年)記者会見した中でも野田首相はその常套句となった言葉を発言している。

 《【首相記者会見】詳報(2)「韓国の賢明なみなさん。礼を失する言動は、お互いを傷つけ合うだけだ」》MSN産経/2012.8.24 19:33)
  
 野田首相「尖閣諸島については、歴史的な経緯や状況が竹島とは異なり同一には論ずることはできませんが、これもまた、日本固有の領土であることに疑いはありません。そもそも、解決すべき領有権の問題が存在しないという点が大きな違いです

 「そもそも、解決すべき領有権の問題が存在しない」なら、大戦末期に起きた疎開船遭難事件の慰霊祭開催のために政府に魚釣島上陸の許可を求めたが、不許可としたのはなぜなのだろう。

 そもそもからして日本の領土であり、「解決すべき領有権の問題が存在しない」と言うなら、自由な往来が可能なはずだが、日本国憲法が保証する「居住・移転の自由」に反して自由な往来が禁止され、何故に政府の許可を求めなければならないのだろう。

 東京都が尖閣諸島購入を巡ってその土地調査の上陸許可を政府に求めなければならないのはなぜなのだろう。「平穏かつ安定的に維持・管理するため」という口実を設けているが、日本固有の領土でありながら、特別な許可以外は誰も上陸させない、誰も近づけさせないという「平穏かつ安定的に維持・管理」とはどういった性質の規制なのだろうか。

 東京都の上陸許可申請に直ちに許可を与えないのはなぜなのだろう。

 「解決すべき領有権の問題が存在しない」にも関わらず、尖閣諸島周辺の海域に埋蔵されている豊富な地下資源をなぜ開発しないのだろうか。

 すべては「解決すべき領有権の問題が存在しない」とする宣言に反する行政措置となっている。

 「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土」であることを事実としていたとしても、北方四島と同様に、「北方四島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土」としていながら、そこにロシアとの間で領有権の問題が障害として立ちはだかっているように、尖閣諸島についても「解決すべき領有権の問題が存在」しているからこそ、自由な移動を禁止し、海底資源も開発できずに眠らせた状態に放置しているはずだ。

 「Wikipedia」に、〈1969年(昭和44年) - 国際連合アジア極東経済委員会による海洋調査で、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告される。〉という記述がある。

 〈2010年末国別石油埋蔵量トップ10〉(OPEC統計 vs BP統計)を見てみると、OPEC統計では次のような順位となっている。

 ベネズエラ 2965億バレル
 サウジ    2645億バレル
 イラン    1512億バレル
 イラク    1431億バレル
 クウェート   1015億バレル
 アラブ首長国連邦(UAE) 978億バレル

 イラク以下の埋蔵量のクェートでは、300万人前後の人口という少なさもあるが、在日クウェート国大使館HPにはクウェート経済として、〈莫大な石油収入を背景として、国民に対する社会福祉が充実していることと国民の生活水準が高いこともまた、クウェート経済の特徴である。クウェートの社会福祉水準の高さは世界でも群を抜いており、いまだに公共の医療施設の医療費と学校の教育費は無料のままである。その他、電気、水、電話料金なども政府の補助金制度により低く抑えられている。 〉と記述されている。

 またクウェートに次ぐ石油埋蔵量のアラブ首長国連邦(UAE)は「Wikipedia」に、〈教育や医療は無料で、所得税もない。〉と書いてある。

 アラブ首長国連邦の人口は約460万人。イラクと同程度の海底埋蔵石油資源を開発、活用したとしても1億3千万の国民すべての医療費・教育費を無料とまで持っていくことはできないだろうが、クウェートのGDPの半分が石油収入だという記述がインターネットにある。

 クウェートの2011年のGDPは1766億ドルを70円換算すると、12兆3620億円、その半分が約6兆円だが、日本の場合は技術を活用して付加価値をつけるだろうから、10兆やそこらの経済効果は見込めるはずである。

 2015年(平成27年)10月1日、消費税を10%に引き上げると、約13・5兆円の増税となるそうだが、尖閣諸島に「解決すべき領有権の問題が存在しない」なら、もっと早くから海底資源を開発していたなら、消費税を10%まで引き揚げなくて済む可能性すら浮上する。

 これまで国際的な様々な影響を受けてエネルギー無資源国の日本は石油高騰に苦しめられてきたのである。石油資源は豊富にある、技術もあるで、「失われた10年」だ、格差社会だ何だと国民の誇りを奪う事態も回避できたかもしれない。

 尖閣に関して「解決すべき領有権の問題が存在しない」が真正な事実なら、直ちに海底資源の開発に取り掛かるべきである。

 もし直ちに取り掛かることができなければ、「解決すべき領有権の問題が存在しない」の御託はマヤカシそのものとなる。

 記者会見冒頭の次の発言もマヤカシそのものとなる

 野田首相「わが国は世界に冠たる海洋国家であることを確認したいと思います。わが国は国土面積でいうと、世界で61番目の国ですが、領海と排他的経済水域を合わせた管理する海の広さでは、世界第6位の大国となります。海の深さを計算に入れた体積では実に世界第4位に躍り出ます。わが国を広大な海洋国家たらしめているもの、それは竹島や尖閣諸島も含めまして、6800を超える離島の数々であります。

 わが国固有の領土である離島の主権を確保するということは、海洋国家日本の壮大なフロンティアを守るということに他なりません。今求められているのは、こうした離島に託されているわが国にとっての重要性をしっかりと見据えることです。そして、与党、野党の垣根を超えたオールジャパンで、わが国として主張すべきことを主張し、進めるべきことを粛々と進めるという姿勢であります」(同MSN産経

 「海洋国家日本の壮大なフロンティアを守る」も、「わが国として主張すべきことを主張し、進めるべきことを粛々と進めるという姿勢」も、領土問題に関わる政府対応の実態を見ると、すべて虚しく聞こえる。すべて虚(うつ)ろに聞こえる。

 言葉は立派に並べ立てるが、菅前無能と同様、言葉の人、言行不一致の政治家に過ぎないようだ。

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小沢一郎「生活」代表の領土問題認識と野田首相の同じ問題に於ける認識的怠慢

2012-08-24 12:09:48 | Weblog

 「国民の生活が第一」の小沢代表が8月20日(2012年)の記者会見で竹島と尖閣諸島の領土問題で次のように発言している。

 《8月20日小沢一郎代表 記者会見要旨》山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!
 
 記者「韓国のイ・ミョンバク大統領が竹島を訪問し、香港の活動家が尖閣諸島に上陸した。そして、今、日本からもそれに対して地方議員の方が尖閣に上陸するなど、今後、対立がエスカレートする可能性も指摘されている。

 小沢代表としては外交、防衛に関しては政府、国の責任でしっかり対応すべきだという主張をしていると思うが、今回のことをどのように捉え、日本政府は今後どのように対応すべきと考えるか。

小沢代表「二つの点からきちんと議論を進めなくてならない。

 一つは、領土そのものの歴史的な事実を踏まえ、きちんと領土としての認定をした上での議論でなくてはならない。尖閣にしても、竹島にしても、歴史的な事実関係をきちんと確認した上での議論でないとただの政治的な駆け引きの問題に陥ってしまう。私は、尖閣も竹島も日本固有の領土であるという立場に立っているが、そう主張する場合でも改めてきちんと確認した上で議論すべきだ。

 そういう前提に立ってのことだが、もう一つは政府の対応だ。以前、尖閣列島で中国の船が巡視船に故意に衝突させたということがあった。その時も政府は政府自身としての明確な対応をしないまま、こともあろうに沖縄県の検事正の判断ということで船長を結果として送り返しただけに留まった。今度のことも、領土に不法に侵入し、また、海上保安庁等の指示にも従わなかったとするならば、政府として、法治国家として、対応をしっかりとなすべきなのが本当だ。これを直ちに送還するというだけで、事を急いだというのはちょっと理解に苦しむ。

 いずれの案件もただひたすら事なかれの、日中、日韓の間で波風立たないように、二国間の議論にならないようにというまったくの官僚任せの官僚的対応だ」――

 小沢代表は言っている。明確に確認した歴史的な事実関係を武器の議論でなければ、問題解決はないと。

 このことと違って、政府の対応は「ただひたすら事なかれの、日中、日韓の間で波風立たないように、二国間の議論にならないようにというまったくの官僚任せの官僚的対応」となっていると。

 8月20日の記者会見から3日後の8月23日外交・安全保障に関する衆院予算委集中審議は竹島と尖閣諸島の領土問題が集中的に取り上げられた。

 偶然の一致だろうが、小沢代表が主張する線に添って共産党の笠井亮議員が政府を追及した。「国民の生活が第一」の議員が小沢代表の意に応えて同趣旨の追及をして欲しかったが、NHK総合テレビの最近の国会中継は昨日が初めてで、沖縄選出の瑞慶覧長敏議員は異なる取り上げ方をしていた。

 笠井亮共産党議員「尖閣諸島の問題は歴代の政府が1972年の日中国交正常化以来、本腰を入れて日本の領有の正当性を中国側にも国際社会にも主張してこなかったのではないのか。

 このことについて菅総理は『正しい理解を得られるように今後共努力をする』と答弁。前原当時外務大臣も『これまでで言えば、歴代で大いに反省するところがある』と答弁。

 野田総理、あれから2年経つわけだが、日本政府としてこの問題の正当性について主張するという点で、どういう努力をしてきたと総括するのか」

 野田首相「これは委員のご指摘のとおりですね、尖閣については歴史上も国際法上も我が国固有の領土であるということは明々白々でございます。従って、解決すべき領有権の問題はないというのが基本認識でありますけれども、そうした自分たちの主張ということは例えば尖閣諸島に関する中国特有の主張に基づくことを行った場合は我が国の立場というものを一貫して明確にして参りました。

 加えてですね、(原稿を読み上げる)こうした立場については国の内外で正しい理解を得るべく、政府HPを含めて対外発信。外交ルートを通した働きかけに加えて、累次の機会に外国メディアへの反論、あるいは書簡掲載や申し入れを実施してきているところでありまして、今後共、そういう努力を続けてまいりたいと思います」

 官僚の書いた作文だから、「累次の機会」といった堅苦しい言い回しを用いたり、どのような書簡なのかという説明もなく、いきなり「書簡掲載」と言ったりする。

 笠井議員「伝えている、そして主張していると言われたんですが、尖閣問題でどこまで突っ込んで遣り取りしているかっていうのは問われていることになると思う。一番肝心の領有権の歴史的・国際法的な根拠について、改めて整理をして、確認していきたい。

 先ず尖閣諸島の存在というのは古くから日本にも中国にも知られていたけど、いずれの国の住民も定住したことがない無人島だった。そして1895年の1月14日、閣議決定によって、日本側に編入されたけれども、それが歴史的に最初の領有権行為であって、それ以来、日本の実効支配が続いていると。

 所有者のいない土地に対しては国際法上先に占有していた、先占(せんせん)と言いますが、これに基づく収得、実効支配が認められていると。

 この尖閣諸島を巡っては、中国政府が日清戦争に乗じて、戦略によって日本が奪ったなどと言っているが、そういうものではなくて、そういう点ではそこはよろしいでしょうか」
 
 玄葉大臣が答弁に立ち、当時の国際法である「無住地先占の法理」に則った領有だと、笠井議員の主張に則って肯定する。 

 笠井議員「中国側は尖閣諸島の領有権を主張しているが、1895年(閣議決定)から(日中国交正常化2年前の)1970年までの75年間を見ると、一度も日本の領有に対して異議を唱えていない。抗議も行なっていない。

 まさに日本の領有と実効支配は正当だということでよろしいでしょうか、総理」

 野田首相「ご指摘のとおり、今の1895年から1970年台の初めまで、およそ80年近く、明確に中国が我が国の領土であると意思の表示は全くありませんでした」

 笠井議員「そういう歴史的な問題について、国際法上の問題についても、私はやっぱり中国に対しても国際社会にも突っ込んで遣り取りする必要があるということを考えている。

 この2年間で言うと、菅総理から野田総理に代わった。そして外務大臣、松本大臣、前原さんのあとなられて、玄葉大臣ということで、その間に日中の間で言うと、首脳会談、外相会談、電話を含めて、もう、30回以上やってるですかね。

 そういうことで遣り取りされていると思うんですが、その尖閣問題を巡って、こうした突っ込んだ遣り取りをやってきたのかという問題について、どうでしょうか」

 玄葉外相元々尖閣には領有権の問題が存在しないという立場なものですから、我々は我々からそのことを特にですね、外相会談で具体的に歴史、国際法上の根拠を説明するということは私はむしろしない方がよいところがあります。

 ただ、例えば、領海を侵犯された、侵入があったとかですね、そういうときに中国が独自の主張が出てきたときには、それは当然、且つ具体的にしっかり我々の立場というよりは、我々の立場というのは、もうさっきおっしゃって頂いたとおりなんですけど、具体的に話をする。

 そういうことだと思います。

 これは実は尖閣だけじゃない。例えば国際法上の根拠というものを南シナ海でも何ででもそうだが、きちっとやっぱり言っていくっていうことは、やっぱり大事なことだと思うんです。

 力によって物事が全て決まったり、力による支配というのではなく、きっぱり法の支配、国際法上の根拠とか、そういうことをきちっと示していくというのは一般論で言えば、非常に大事だと思う」

 この答弁にはゴマカシと矛盾がある。最初に「元々尖閣には領有権の問題が存在しないという立場なものですから、我々は我々からそのことを特にですね、外相会談で具体的に歴史、国際法上の根拠を説明するということは。私はむしろしない方がよいところがあります」と言った。

 だが、領海侵犯された場合は、具体的に話すと。首脳会談や外相会談で黙っていた「歴史、国際法上の根拠」を領海侵犯した中国漁船や香港抗議船に説明してどうなるというのだろう。

 あるいは在日中国大使や中国の外交当局に説明してどうなるのだろう。

 先ずは説得しなければならない対象は会談の場での相手国の首脳であり、外相である。

 誤魔化し、矛盾した答弁だから、「南シナ海」の問題まで持ち出して多弁となったばかりか、「法の支配、国際法上の根拠」の提示を「一般論で言えば、非常に大事だと思う」と、その重要性を一般論に貶めてしまった。

 笠井議員「きちっと言っていくことは大事なんだけど、玄葉大臣。中国の問題で突っ込んでこちらからやると、つまり領土問題は存在しないと言ってるのに認めることになると。存在しないと言っているのに。

 そういうことで踏み込んだ議論ができないということになって、中国に対しても国際社会に対しても歴史的にも、国際法的にも日本の領土であって、解決すべき領有権の問題は存在しないという主張をやっているというが、それじゃあ、やっぱり弱いんじゃないだろうか。

 そこはやっぱり踏み込んで言わないと。そして本当にこのことについては正当性ということにならないんじゃないか。

 日本政府が尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、やっぱり国際社会や中国政府に対して理を尽くして主張するという、この冷静な外交努力を率直に言って、怠ってきたと。

 存在しないということを以ってですよ、そのことは今回のような事態が繰返される根本にないものかどうか。つまり、そういう点で言うと、日本政府としての日本の領有の正当性について理を尽くして説くという点についてはさらに本格的な外交努力が必要ではないかと思うが、総理、如何でしょうか」

 野田首相「尖閣の問題について、何か我が国が問題があるかのような問題提起をして議論するということは、それはやっぱりふさわしくないと思うんですね。基本的には領有権の問題は存在しないということでありますから。

 但し領有権の問題が存在しないと言うことによって理を尽くして議論をする、相手を納得させるというところが思考停止になってはいけないと思います。

 そこはちょっとやっぱり、これまで歴代の政権を含めて私共の政権を含めてです、どうするかというのは総括を進めなければいけないと思います。

 例えば私も首脳会談のときにですね、先方の方から核心的な利益と重大な関心があると言われて、重大な関心の部分で尖閣に触れてきたときがありました。

 私共の立場はしっかりと伝えました。
そして伝えた上に、もう少し理を尽くして議論を突っ込んでいても良かったかもしれない気もします。

 あの、そういうことも踏まえてですね、あの、状況によっては更に時間をかけて理を尽くすというような、そういうことも必要ではないかと思います」

 笠井議員「まさに理を尽くして言うところが外交で言うと、一番添うところであり、一番大事なところだと思います」――

 竹島問題へと質問を変える。

 なぜ笠井議員は野田首相が「私も首脳会談のときにですね、先方の方から核心的な利益と重大な関心があると言われて、重大な関心の部分で尖閣に触れてきたときがありました。

 私共の立場はしっかりと伝えました」
と言ったことに対して、「どのような言葉を使って、日本政府の立場を伝えたのか」と問い返さなかったのだろう。

 玄葉外務大臣の発言からも、野田首相発言の前後の脈絡から言っても、特に「伝えた上に、もう少し理を尽くして議論を突っ込んでいても良かったかもしれない気もします」と言っていることからして、「尖閣諸島は歴史上も国際法上も我が国固有の領土である」と原則的なことを伝えただけなのは明白だが、野田首相の口から直接言わせるべきだった。

 いわば日本側の「尖閣諸島は歴史上も国際法上も我が国固有の領土である」とする原則的な主張に対して中国側が「釣魚島は中国固有の領土である」と応じ、中国側が先に「釣魚島は中国固有の領土である」と主張した場合は、そのことに応じて日本側が「尖閣諸島は歴史上も国際法上も我が国固有の領土である」とする原則的な主張の形式的・義務的なその場限りの応酬で済ませてきたということであろう。

 結果、小沢代表が言うように、「いずれの案件もただひたすら事なかれの、日中、日韓の間で波風立たないように、二国間の議論にならないようにというまったくの官僚任せの官僚的対応」で終始したということになる。

 野田首相の何という認識的怠慢であろう。

 菅前無能も同じ認識的怠慢を繰返してきた。一例を挙げると、2010年10月4日(日本時間5日未明)、ブリュッセルで行われたASEMのワーキングディナー(仕事の話をしながら摂る夕食)終了後の温家宝中国首相と25分間の“会談”。

 菅首相「だいたい同じ方向に歩いていたんですが、『やあ、ちょっと座りましょうか』という感じで、わりと自然に普通に話ができました。・・・・温家宝さんの方から原則的な話があったもんですから、私の方も領土問題は存在しないという原則的なことを申し上げた」(あさひテレビ記事

 要するに菅前無能にしても野田首相にしても、小沢代表が主張するように「歴史的な事実関係」に立った領有権正当性の議論を前面に持ってくるのではなく、「尖閣諸島は歴史上も国際法上も我が国固有の領土である」という原則的な立場を述べるだけの議論にとどまっていた。

 ひたすら波風が立たない平穏無事を祈りながら。

 原則論にとどまっている限り、中国漁船や香港抗議船の領海侵犯の同じ繰返しを続けることになり、一向に前へは進まない場所に逡巡することになる。

 結果、尖閣諸島周辺の海域には膨大な量の石油資源・天然ガス資源埋蔵の可能性が言われていながら、エネルギー無資源国日本のエネルギーの問題解決にはつなげることができない宝の持ち腐れを延々と続けることになる。

 野田首相は笠井議員の指摘を受けて、「もう少し理を尽くして議論を突っ込んでいても良かったかもしれない気もします」と今頃になって気づいたが、中国側はしたたかな外交術を身に着けている。野田首相が果たして実行できる指導力を発揮できるかどうかにかかっているが、他人の指摘で今頃気づくようでは、真っ当且つ積極的な判断能力を欠いていたということであり、そのような判断能力は指導力の第一番の資質としなければならない以上、それが欠けているようでは指導力は期待できないことになる。

 折角の貴重な指摘を受けても、今後共、「尖閣諸島は歴史上も国際法上も我が国固有の領土である」の原則的立場を形式的・義務的に口にする、その場凌ぎが演じられる可能性の方が強い。

 勿論、自民党政権、自公政権の日本の領有権正当性の議論に関わる認識的怠慢も非難されるべきだが、特に尖閣諸島中国漁船衝突事件以降の菅・野田政権の認識的怠慢は大きいものがあるはずだ。

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李明博韓国大統領の天皇の「お言葉」の勘違いと日本の誤った反応

2012-08-23 10:54:25 | Weblog

 ――韓国が日本の歴史問題を解決したいなら、日本人自身による戦争総括とその公式文書化を求めるべきだろう。総括の正当性・妥当性は世界の検証を受けることになる――

 その正当性・妥当性の程度に応じて、歴史に向き合う日本人の真摯さ、その知性・教養が計られることになる。

 8月10日(2012年)に竹島(韓国名・独島=トクト)を訪問した李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領が日本の植民地支配からの独立記念日の8月15日の前日8月14日、忠清北道(チュンチョンブクト)の大学で天皇の訪韓に関して次のように発言したことが報道された。

 《被害者は忘れず、ただ許すだけ…李大統領》YOMIURI ONLINE/2012年8月15日22時33分)

 全文引用。

 李明博韓国大統領「(竹島上陸は)2、3年前から考えていたことだ。思いつきでしたことではなく、深く配慮し、(日本の反発などの)副作用がありうる点も(検討した)。
 日本は今や世界最高の国家ではないか。中国が大きくなったと言うが、中身を見れば日本は(世界)第2の強国だ。我々とはるかな差がある。科学技術、社会システムなどいろいろ……。(日本は)加害者と被害者の立場をよく理解していないので、(私が)目を覚まさせようとしている。

 私は、日本には(国賓としては)行っていない。シャトル外交はするが。日本の国会で私の思うままにしたい話をさせてくれるなら、(国賓訪問を)しよう。(天皇も)韓国を訪問したいならば、独立運動をして亡くなられた方々のもとを訪ね、心から謝罪すればいい。何か月も悩んで『痛惜の念』などという言葉一つを見つけて来るくらいなら、来る必要はない。

 私は2年前に訪日し、テレビ局で100人の学生らと生放送で質疑応答した。若者が『大統領は未来志向で行くと言って過去より未来に向かっていくと言うのだが、過去を全て忘れるということか』と尋ねた。私は実際にあった話をした。

 小学生だった頃、暴力的な子がいて私をよくいじめた。その子のせいで学校に行くのが嫌だった。ひどく殴られた。小学校を卒業してから40~50年たったある集まりに、この友人が来た。この友人は(自分との再会を)どれほど喜んだことか。これは私がソウル市長時代の話なのだが、私の名前を呼びながら近づいて来たので、『あいつ、俺をいじめたやつだ』との考えが頭をよぎった。この話を(若者に)した。

 加害者は忘れることができるが、被害者は忘れず、ただ許すだけだ。忘れはしない。日本の加害行為は、許すことができるかわからないが、忘れることはないと話した。うまく答えたのではないか。

 日本とは多くのことで協力していかなければならない。ただ、問いただすべきことは、ただしていかなければならない」(ソウル 中川孝之)――

 発言の趣旨は戦争被害者と戦争加害者の歴史認識の違いに対する不満となっている。

 日本のマスコミは主として、「(天皇も)韓国を訪問したいならば、独立運動をして亡くなられた方々のもとを訪ね、心から謝罪すればいい。何か月も悩んで「痛惜の念」などという言葉一つを見つけて来るくらいなら、来る必要はない」の発言部分のみを取り上げ、そこに焦点を当てている。 

 李明博大統領は勘違いしている。天皇の「お言葉」は天皇自身による作成によるものではなく、内閣が作成した言葉を天皇の「お言葉」としてアナウンスするに過ぎない。

 このことは多くが承知していることであろう。天皇の役割に対する日本国憲法の規定がそうさせている。 

 先ず、「日本国憲法第1章天皇第4条 天皇の機能」は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定している。

 天皇による政治的行為の禁止である。

 さらに、「日本国憲法第1章天皇第3条 天皇の国事行為に対する責任」は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と規定している。

 いわば外国訪問という天皇の国事行為に於いて、「お言葉」を含めた「すべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」こととしているために、内閣が作成した「お言葉」を天皇が自身の言葉としてアナウンスするという奇妙なことが起こる。

 問題は天皇が戦前の日本の戦争に関わった特定の外国を訪問して日本の過去の歴史が外国に与えた影響を謝罪を含めて発言することは、そのこと自体が両国関係だけではなく、他の戦争関係国にも影響を与えることであるゆえに極めて政治的行為に当たるはずだが、それを政治的行為に当たらない国事行為だと括っているところにあるはずである。

 要するに日本の政治行為者は自分たちが作った言葉を天皇の言葉としてアナウンスさせることで、かつての戦争関係国との友好関係を維持する政治利用を天皇に課してきた。

 例え外国訪問時の「お言葉」であっても、国内統治に深く関わる言葉でもあるゆえに外交関係のみならず、国家統治に対する政治利用でもある。

 ここに現在に於ける天皇の日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるオモテの顔と政治利用に関わる実際には天皇に政治的な権限は何もないウラの顔の権力の二重構造(=権力の二重性)を見ることができる。あるいは現実の為政者は天皇の権力に二重性を持たせている。

 この政治利用をかつての中曽根康弘首相が露骨に自慢、自ら暴露している。以前ブログに利用したが、1984年(昭和59年)に全斗煥韓国大統領が来日した際の昭和天皇の「お言葉」作成に関してである。

 《84年の昭和天皇「お言葉」 中曽根氏が決断》朝日新聞/1990年5月22日)

 5月21日午後、都内の事務所で記者団と懇談。〈1984年(昭和59年)に韓国の全斗煥大統領(当時)が来日した際に昭和天皇がお述べになった「今世紀の一時期に於いて(日韓)両国の間に不幸が存在したことは誠に遺憾」とする「お言葉」は政府部内で検討を重ねた上で最終的には、首相だった中曽根氏自身の決断で決まったものであることを明らかにした。〉という。

 昭和天皇が過去の植民地支配などにどう言及されるのが適当か、ということで外務省や宮内庁などの間で様々な議論があり、このため首相官邸を中心に政府部内で、それまで諸外国に対して述べられた「お言葉」の先例を参考にしながら文案づくりが進められた。

 中曽根首相「全大統領は政治生命をかけて日本にやってくる。大統領が(ソウルの)金浦空港に帰ったとき、韓国国民が喜ぶような環境づくりをすることが日韓親善促進の上で、キーポイントだ。ついては私に一任させてほしい」

 いわば昭和天皇が84年9月6日、皇居開催の歓迎夕食会の席上で述べた「お言葉」は過去の「お言葉」を参考にしたものの、肝心要の部分は最終的には中曽根康弘作成によるものだったと自慢、お言葉の正体が政治利用であることを暴露した。

 例え天皇自身が心から痛惜の念を抱いて内閣作成の「お言葉」をアナウンスしようとも、あくまでも天皇自身による言葉ではないことと、「痛惜の念」だとか、「両国の関係の永きに亘る歴史に於いて多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました」とか、各国が受けた実際の戦争被害の悲惨さから比べたなら当り障りのない常套句を用いて日本の失点とならないよう配慮した作成となっているから、何らかの心理的な乖離が生じないでは済まないはずだ。

 心理的な乖離を何も感じなかったとしたら、他人の言葉を機械的な抑揚をつけて喋るロボットそのものと化していることになる。 

 このような政治利用のカラクリがある以上、李明博大統領が天皇に対して心からの謝罪を求めたり、「何か月も悩んで『痛惜の念』などという言葉一つを見つけて来るくらいなら、来る必要はない」などと言うのは無理な要求であり、天皇の政治利用を政治利用と思わない勘違いとしか言い様がない。

 天皇の「お言葉」が内閣作成である以上、歴史認識上その言葉に不満があるなら、内閣に抗議を申し込むべきだが、李明博韓国大統領の発言は直接天皇に向けたもので、この点でも勘違いしていると言える。

 尤もいくら内閣に抗議をしようとも、憲法の制約上、天皇の「お言葉」が天皇の言葉となることはないはずだ。憲法を改正しない限り。

 李明博大統領の発言に対する日本側の反応を見てみる。

 藤村官房長官「わが国政府から、韓国政府に対し、天皇陛下の韓国ご訪問を取り上げたことはない。

 そうしたなか、イ・ミョンバク大統領がきのうのような発言をしたのは理解に苦しむことであり、極めて遺憾だ。韓国側には強く抗議している」と述べました。

 日韓両国は、きょうまで難しい問題があっても大局的な観点から冷静に対応するよう努めてきた。そうしたなか、韓国側が非建設的な発言をすることは、国際社会において韓国自身のためにもならないと考えている」(NHK NEWS WEB

 安倍晋三「常軌を逸している。そもそも天皇陛下が訪韓される環境がない中にあって、大統領の発言はあまりにも礼を失している」(YOMIURI ONLINE

 安倍晋三「一国のリーダーの資格そのものに疑いを持たざるをえない。天皇陛下の権威は日本国の権威だ。それを汚すような発言は許すことができない。

 政府も強く抗議をして、何らかの処置をすべきだ」
 
 古賀誠「遺憾の一語につきる。大統領の発言で日韓関係が良い方向に向くとは到底思えない。むしろ悪い方に逆行していく」

 山口公明党代表「この時期にどうしてああいう発言をされるのか非常に驚いている。2国間の関係の大きな基礎が揺るがないような双方の努力が必要だ」(以上MSN産経

 李明博大統領の被害者と加害者の歴史認識の違いについての発言の正当性・妥当性の面から把えて批判を加えるのではなく、天皇に関わる発言のみを俎上にして批判を加える謝った反応を示している。

 尤も誤った反応しかできないだろう。実質的には天皇の「お言葉」ではなく、時の内閣作成の言葉だから。いくら言葉で「不幸な一時期」と言おうと、「痛惜の念」と言おうと、政治家自らが作った言葉でありながら、歴史認識上、言行不一致の姿を曝したのでは加害国を満足させることはあるまい。

 従軍慰安婦の日本軍の強制的関与を認めた河野談話の撤回を求める動きもある。もし撤回が日の目を見ることになった場合、
金大中元韓国大統領が訪日時、「20世紀に起きたことは全て20世紀に終わらせよるために一度文書で過去について謝罪してくれれば、韓国政府としては二度と問題にしない」と言いながら、再度問題にしていると批判していることの日本側の二の舞となる。

 最初に書いたように、韓国が日本の歴史問題を解決したいなら、日本人自身による戦争総括とその公式文書化を求めるべきだろう。総括の正当性・妥当性は世界の検証を受けることになる。

 その正当性・妥当性の程度に応じて、歴史に向き合う日本人の真摯さ、その知性・教養が計られることになる。

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橋下大阪市長の「慰安婦が(日本)軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない」の事実性

2012-08-22 12:11:41 | Weblog

 李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領が日本の強い反対にも関わらず8月10日、日韓両国領有権主張の竹島に上陸・訪問したのは旧日本軍の従軍慰安婦問題の対応に関わる日本政府への不満が背景の一つにあったと報じられていた。

 この背景について、橋下徹大阪市長が“見識ある”発言を行なっている。8月21日(2012年)の大阪市役所記者会見。

 《「慰安婦、強制連行の証拠ない」 橋下大阪市長が言及》MSN産経/2012.8.21 14:26)

 橋下徹大阪市長慰安婦が(日本)軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない。そういうものがあったのなら、韓国にも(証拠を)出してもらいたい。

 (慰安婦の)強制連行の事実があったのか、確たる証拠はないというのが日本の考え方で、僕はその見解に立っている。

 (竹島問題は)近現代史についての日本の教育に問題があったんじゃないか。国と国の利害が対立したときにどのように解決策を導くのか、基礎となる教育的な知識が不十分だ」 

 李明博大統領の竹島上陸・訪問の背景に慰安婦問題があったとしても、領有権問題と慰安婦問題は全く別個の問題である。教育の問題と言うよりも、日本政府の対応の問題であろう。

 8月19日日曜日NHK日曜討論『尖閣・竹島 日本外交を問う』でも高村正彦自民党議員が橋本市長と同じ趣旨の発言を行なっていた。

 高村議員「李明博さんのね、大統領の言葉をそのまま受け止めればですよ、それは日本政府が慰安婦に対して誠実な態度を取ってこなかったからだと。こういうことを言ってるわけですよね。

 ただ、この問題は日韓基本条約で法的には完全に解決したと。そしてただ、気の毒な面もあるから、えー、強制連行なんていう事実はないんだけれども、気の毒なものがあるから、えー、世界、えー、アジア、えー、女性基金、ですか、あれをつくって、それなりの措置をしたと。

 それから1998年に、イー、金大中大統領が日本に来られたときに、『20世紀に起きたことは全て20世紀に終わらせようじゃないか。一度文書で過去について謝ってくれれば、それは韓国政府としては二度と問題にしない』と。『だから、一度謝ってくれ』と。

 で、小渕総理はそれを良として、文書で謝ったんですよ。そこで過去については法的に日韓基本条約で、政治的には完全に決着したんですよ。

 決着したことをね、政府同士でね、蒸し返しちゃいけないんですよ。それは当たり前のことでね、このことはちゃんとしないと。日本政府も蒸し返してもいいのか如くの態度を取ったことが一部民主党政権にあったんですね。

 それが呼び込んだんじゃないかということですね」(以上)

 金大中の約束は、それが外国との約束であっても、政権が代われば反故にされる例は多々あるはずだし、あるいは約束に大きな影響を及ぼす新たな事実が判明した場合、あるいは重大な事実を隠して約束を結んだことが露見した場合等々、変更されたり、約束自体が成り立たなくなるケースもあるはずだ。

 一例を挙げると、あとでも触れるが、オランダ領インドネシアを舞台に戦ったオランダと日本は1956年に「日蘭議定書」を締結。オランダ政府は以後の賠償請求権放棄を謳った。

 だが、この締結に反して2001年に「アジア女性基金」のような形でオランダ人女性に対して合計2億5500万円の償いを行なっているが、このことも国家間の約束の変更に入るはずだ。
 
 また日韓基本条約締結(1965年6月22日)時点に於いて、いわゆる韓国人女性の従軍慰安婦問題は外に現れていなかった、話題とされていなかった出来事であって、このことが念頭になかった、対象外とした締結であったという指摘もある。

 だが、ここでは従軍慰安婦の「強制連行なんていう事実」はあったのかなかったのかに焦点を当てる。

 先ず当時の大日本帝国軍隊及び軍人自身が特別の強圧性・強制性を備えていたことを前提としなければならない。天皇陛下の軍隊として大日本帝国憲法に規定した天皇の絶対性を自ら体現していたのである。

 大日本帝国軍隊内に於いて上官の命令は絶対だとして、どんな無理も通ったと言われているが、対外的にも自らを絶対的存在と見做して国民に君臨していた。

 例を挙げてみる。《比で敗走中の旧日本軍 日本人の子21人殺害》朝日新聞/1993年8月14日)

 〈【マニラ13日=共同】第二次大戦末期の1945年にフィリッピン中部セブ島で、旧日本軍部隊が敗走中、同行していた日本の民間人の子ども少なくとも21人を足手まといになるとして虐殺したことが明らかになった。フィリッピン国立公文書館に保存されていた太平洋米軍司令部戦争犯罪局による終戦直後の調査記録による。

 記録によると、虐殺を行ったのは南方軍直属の野戦貨物廠(しょう)の部隊。虐殺は4月15日ごろにセブ市に近いティエンサンと5月26日ごろその北方の山間部で二度にわたって行われた。

 一回目は10歳以下の子ども11人が対象となり兵士が野営近くの洞穴に子どもだけを集め、毒物を混ぜたミルクを飲ませて殺し、遺体を付近に埋めた。二回目は対象を13歳以下に引き上げ、さらに10人以上を毒物と銃剣によって殺した。部隊司令官らは「子どもたちに泣き声を上げられたりすると敵に所在地を知られるため」などと殺害理由について供述している。

 犠牲者の親は、戦前に九州や沖縄などからセブ島や南パラオ諸島に移り住み、当時セブ市に集まっていた人たち。長女ら子ども3人を殺された福岡県出身の手島初子さん(当時35)は米軍の調べに対し「子どもを殺せとの命令に、とっさに子どもを隠そうとしたが間に合わなかった」などと証言。他の親たちも「(指揮官を)殺してほしい」などの思いを伝えている。〉――

 天皇の威光を背景として軍が身に纏い、軍全体で上から下に伝えていた絶対的権威主義性が国民観とすることとなった軍の体質が可能とした民間人の命よりも軍人の命のかくまでもの絶対性である。

 《ルポ沖縄戦 語り部の50年 集団自決 家族も手にかけ・・・・》朝日新聞朝刊/1994年6月27日)

 〈「赤ん坊の声が敵に聞こえると居場所が分かる。殺せ」と命令された、などの悲惨な話もある。アメリカ側の従軍記者は「歴史上最も残酷で見難い戦闘」と恐怖を込めて報告している。〉――

 《落日の満州3 教え子探し、帰国に尽力》朝日新聞/1994年10月9日)

 ソ連の侵攻を受けて日本人開拓団は満州から撤退することになった。

 〈旧満州東部の哈達河(ハタホ)開拓団は、豪雨を突いて夜通し歩き、麻山(まさん)というなだらかな丘にたどり着いた。前方にはソ連軍が迫っていた。敗走する関東軍に護衛を頼んだが、「任務ではない」と冷たく突き放された。根こそぎ動員で男はわずかしかいない。

 「自決の道を選ぶのが、最も手近な祖国復帰だ」

 団長の提案が通り目隠しの布が配られた。家族ごと輪になり、夕日に染まる陸に座った。

 仲間の銃口が火を噴き、数時間の間に、四百数十人の命が奪われた。>

 いわゆる麻山事件である。

 ここにも軍人の絶対性、軍人の命の絶対性を見て取ることができる。国民は止むを得ずそれを許容していた。天皇の権威を背負い、天皇の軍隊・天皇の兵士だったのである。軍隊・軍人は自分たちを絶対的場所に置いていた。そのことを忘れてはならない。国民の命よりも先ず自分たちの命だったのである。

 現在の自衛隊に対するのと同じ認識でかつての大日本帝国軍隊と軍人を解釈したのでは何も見えてこない。

 沖縄の集団自決を可能としたのも日本の軍隊の絶対性であったはずである。自分たちを絶対的場所に置き、県民を非絶対的場所に置いていたからこそ可能として集団自決の強制であろう。

 集団自決者にしても、天皇及び大日本帝国軍隊の絶対性を受けて自決を受け入れたはずだ。

 上記記事――《ルポ沖縄戦 語り部の50年 集団自決 家族も手にかけ・・・・》を見てみる。

 上陸してきた米軍の圧倒的な猛攻にさらされ、(渡嘉敷)島全体がたちまち玉砕の危機に追い込まれていた。軍陣地近くに終結せよと日本軍から命令が出され、「自決せよ」と命令が出たと情報が伝えられ、軍からあらかじめ渡されていた手りゅう弾を握り締める。家族が固まりを作る。幼い子に因果を含める声。むずかる赤ん坊を必死でなだめる押し殺した声が聞こえる。一瞬の静寂。そして突然手りゅう弾の爆発。人間の断末魔の悲鳴。

 〈金城少年も手りゅう弾を手にした。母親、妹、弟がにじり寄る。教わった通り、爆発させる。が、発火しない。方法を誤ったのか不発弾だったのか、とにかく爆死は失敗に終わった。

 ぼうぜんと立ちつくす少年は不思議な光景に目を奪われた。一人の男がすごい形相で木の枝を折っている。そして次の瞬間、折り取った木を頭上に振り上げ、そばにうずくまる妻や子をむちゃくちゃに殴り始めた。

 それが導火線になった。爆死に失敗した人々は、かまで、こん棒で石で、肉親を撲殺していった。〉

 軍人の命の絶対性から見たら、何と粗末な扱われ方をしたのだろうか。

 次に日本軍と強制的関与についての記述に移る。

 《日本軍と業者一体徴集・慰安婦派遣・中国に公文書》朝日新聞朝刊/1993年3月30日)

○文書は1944年から45年にかけて、日本軍の完全な支配下にあった天津特別市政府警察局で作
 成された報告書が中心で約400枚。

○日本人や朝鮮人が経営する売春宿の他に中国人が経営する「妓院」は登録されただけでも300
 軒以上あり、約3000人の公娼がいた。

○日本軍天津防衛司令部から警察局保安科への命令
  
 1河南へ軍人慰労のために「妓女」を150人を出す。期限は1カ月。
 2金などはすべて取消して、自由の身にする。
 3速やかに事を進めて、二、三日以内に出発せよ

○指示を受けた警察保安科は売春業者団体の「天津特別市楽戸連合会」を招集し、勧誘させ、22
 9人が「自発的に応募」(とカッコ付きで記事は書いている)。性病検査

 後、12人が塀を乗り越え逃亡。残ったうちから86人が選ばれ、防衛司令部の曹長が兵士10人と共にトラック4台で迎えに来る。

○その後の6月24日付の保安科長の報告書は86人のうち半数の42人の逃亡を伝えているとのこ
 と。

○1945年7月31日の警察局長宛て保安科の報告書添付文書

 「軍方待遇説明」には、徴集人数は25人、「身体が健康、容貌が秀麗であることをもって合格とする」とし、期間は「8月1日から3ヶ月間」

○日本軍からの派遣の指示が出たのは7月28日で、準備期間は4日しかなかった。

○待遇――本人に1カ月ごとに麦粉2袋。家族に月ごとに雑穀30キロ。慰安婦の衣食住・医薬品・化粧
 品は軍の無料配給。

○花代――兵士「一回十元」・下士官「二十元」・将校「三十元」

○「この報告書には、山東地方の日本軍責任者と業者、警察局の三者が7月30日に会議を開き
 『万難を払いのけ、一致協力して妓女を二十五人と監督二人を選抜することを決めた』と記述。

 また、防衛司令部の副官が『日本軍慰労のための派遣は大東亜全面聖戦の成功に協力するもので、一地域にこだわってはいけない。すみやかに進めよ』と業者に対して訓示したことも記録されている」――

 日本軍の完全な支配下にあった地域で、期限は1カ月以内で、150人を出せ、集まり次第、2、3日以内に出発せよ――

 大日本帝国軍隊と大日本帝国軍兵士が体現していた権威主義的強制性・強圧性と併せ考えて、以上の期限を短く切った命令に何ら強制性はなかったと果たして言えるだろうか。

 229人が「自発的に応募」とは書いてあるが、時代劇の水戸黄門でよくやる悪代官の無体な命令に逆らうことができずに泣く泣く言うことを聞く村人といった構図がここにあったはずで、抵抗不可能と観念した状況が前提の「自発的」と見なければならない。

 このことは「自発的に応募」した229人のうち、12人が塀を乗り越え逃亡、残ったうちから86人を選抜、軍用トラック移動中に86人のうち半数の42人が逃亡していることでも、「自発的に応募」が自発的ではない、相手の意思に反した強制性・強圧性を担っていた命令だったののである。

 軍の命令を受けた売春業者団体「天津特別市楽戸連合会」はその命令に逆らえなかったのであり、「天津特別市楽戸連合会」から軍の命令だとして伝えられた妓女にしても、その命令に逆らうことができなかった構図があったはずだ。

 ソ連の侵攻を逃れて撤退する民間人が日本軍の集団自決の命令に逆らうことができなかったように、あるいはセブ島から日本軍と共に撤退する民間人が子どもは足手纏いだとして日本軍に虐殺されるに任せて抵抗することができなかったように、同じ強制的・強圧的力学が働いていたのである。

 大日本帝国軍隊と大日本帝国軍人は絶対者であった。絶対者であることの強制性・強圧性はあるまい。

 この強制性・強圧性が如何なく発揮されたもう一つの顕著な例が日本がインドネシアを植民地としていたオランダと戦闘、制圧・占領して捕虜としたオランダ人女性を、1944年2月、その収容所から拉致、慰安婦とした強制性(橋下市長が高村議員が云う「強制連行」)であろう。

 オランダ政府のHP「日欄歴史調査研究 アンバラワ抑留所「強制慰安」のページの最初に次の日記が記載されている。(久しぶりにアクセスしてみたが、削除されている。)

 〈モドー

 1944年2月23日

 今日の午後3時一杯の日本兵を乗せて二台の車がやって来た。全バラックリーダー達が歩哨の所に来させられ、そこで18歳から28歳までの全女子と女性は即申し出なければならいと聞いた。この人達に質問されたのは、何歳か、そして結婚しているか子供達は居るかという事だった。その間彼女達は大変きわどく見られた。今又それはどういう意味を持つのだろう?又17歳の二人の女子達が紳士達のリストの中に18歳として記述されていた為率いられた。私達は忌まわしい憶測をしている」――

 そもそもからして大日本帝国軍とその日本軍人は敗者のオランダ側に対して勝者としての強制性・強圧性を表現していた。

 目的を告げられていなかったとしたら、不安と怪訝を感じながらも、選別を受けるままに従ったろうが、目的を隠していること自体が日本軍側が本来的な強制性・強圧性の上にさらなる強制性・強圧性を既に持たせていたこと意味する

 目的を告げられていた上での選別・拉致であるなら、本来的な強制性・強圧性に何層倍もする強制性・強圧性を持って事をなしたことになる。

 大体が17歳の2人の女性を18歳偽って連行したこと自体、表面は何気ない仕業であっても、そこに強制性・強圧性を隠していなければ可能とならない“戦争犯罪”であろう。

 幾つかのオランダ人収容所から女性を強制連行しているが、この事件を日本軍上層部の方針に逆らった末端将兵の勝手な犯行であり、首謀者たちは既にオランダの軍事法廷で死刑を含む厳刑に処されているからと、そのことを以てして日本軍全体の慰安婦強制連行を免罪とする主張が流布しているが、末端将兵の犯行であったとしても、その強制性と強圧性は天皇の軍隊としての大日本帝国軍隊の威光を背景とした確信犯行であろう

 これでも橋本市長にしても高村議員にしても、「強制連行はなかった」と言えるだろうか。

 言うことができるとしたら、戦前の大日本帝国軍隊とその軍人たちを性善説で把えた場合のみであろう。

 日本はオランダとの間で1956年に「日蘭議定書」を締結。日本側は当時の金額で1千万ドルを(1ドル360円の時代で、36億円にものぼる)「見舞金」名目で元捕虜や民間人へ支払っている。

 日蘭議定書第3条「オランダ王国政府は、同政府又はオランダ国民が、第二次世界大戦の間に日本国政府の機関がオランダ国民に与えた苦痛について、いかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことを確認する」

 「日蘭議定書」を以って、個人賠償請求も含めて以後の賠償請求の放棄を謳った。

 以下「Wikipedia」記事より。

 ところが、1990年にオランダで「対日道義的債務基金(JES)」をが結成されて、日本政府に対して法的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を求める運動が開始され、アジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施し、2001年オランダ人女性に対する「償い事業」をと、日本は国民的な償いの気持という形で2億5500万円を支払い、2001年に「償い事業」を終了させている


 さらに2007年、オランダ議会下院で、日本政府に対し「慰安婦」問題で元慰安婦への謝罪と補償などを求める慰安婦問題謝罪要求決議がなされた。2008年に訪日したマキシム・フェルハーヘン外相は「法的には解決済みだが、被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。オランダ議会・政府は日本当局に追加的な意思表示を求める」と述べ、日本側の償い事業の継続を求めたという。

 2007年、一元オランダ人慰安婦が米国議会での慰安婦聴聞会で証言している。

 ジャン・ラフ・オハーン「当時19歳だった42年、日本軍占領後、収容所に入れられ、日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれた。 彼は刀を抜いて‘殺す’と脅した後、服を破り、最も残忍に私を強姦した。その夜は何度強姦されたか分からない。

 一緒に連行されたオランダ人少女らと3年半、毎日こうした蛮行に遭い、飢えて苦しみ、獣のような生活をした。

 日本は95年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱である。日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない。

 日本人は私たちが死ぬのを待っているが、私は死なない」(同Wikipedia

 従軍慰安婦の強制連行を否定する立場の日本人及び日本政府は、この発言を証拠のない個人の証言だと言うに違いない。

 だが、言っていることは大日本帝国軍隊とその軍人が体現していた強制性・強圧性に合致する描写となっている。

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戦時国家指導者たちの責任不作為を構造的に引き継ぐ現代日本の統治構造

2012-08-21 12:30:16 | Weblog

 8月15日(2012年)NHK総合テレビ放送、NHKスペシャル『終戦 なぜ早く決められなかったのか』は戦時中の日本の国家指導者たちの自らに課せられた責任を積極的に引き受けない組織全体の姿、責任不作為を抉り出したが、この構造的問題点を今もなお引き継いでいると、同番組内で姜尚中氏が指摘している。

 日本が既に戦争継続能力を失っている状況にありながら、大本営が策定した本土決戦による米一撃後の和平交渉に拘り続けたことと、対ソ和平交渉仲介の交換条件を決めることができず、全てが手遅れになった結果を踏まえて、徹底抗戦から早期戦争終結へと「なぜ方針転換を決断できなかったのか」を歴史学者の加藤陽子、外交評論家の岡本行夫、姜尚中の各氏が論ずる中で出てきた発言である。

 姜尚中(カン・ザンジュン)氏の肩書きは自身のHPプロフィールに、「東京大学大学院情報学環 現代韓国研究センター長」となっている。

 私自身は不勉強ゆえ、彼の主張に関しては知識はない。

 加藤陽子「今回のVTRや調査で明らかになった6月22日、これは天皇がかなりリーダーシップ取っておりますね。

 だから、私も非常に不明だったんですが、8月の二度のいわゆる天皇による聖断ですね。あれでガッと動いたと思ったんですが、その前に(6月)22日の意思がある。一撃しなくても、講和はあり得るでしょうねってことが天皇が確認したことが一件あった。

 なーんで組織内調整、じゃあ6人の会議の中に天皇が参加したときの組織内調整ができないのかっていうのが、どうでしょうか。仲間意識とか、そういうことで言うと、姜さんは」

 姜尚中「6人ともやっぱ官僚ですよね。必ずしも官僚は悪いとは思わないけど、やっぱり矩(矩)を超えずっていうところにね、とどまったんじゃないかと。自分の与えられた権限だけにね、

 だからそこに逃避していれば、火中の栗を拾わなくても済むと。それはやっぱり優秀であるがゆえに逆に。

 で、これは今でも僕は教訓だと思うんです」

 岡本行夫「それにしてもねえ、ヤルタでの対日ソ連参戦の秘密合意についての情報が天皇にまで伝わっていれば、それは歴史変わっていたと思いますね。

 6月22日の御前会議のもっと早い段階で天皇は非常に強い聖断、指示をしていたのではないかと。

 そうするとね、沖縄戦に間に合っていたかどうか分かりませんが、少なくとも広島、長崎、そしてソ連の参戦という部隊は避けられていた可能性はありますねえ」

 加藤陽子「だけど、本当のところで、終戦の意志を示す責任はあるというのは内閣なんだろうってことを、自分が背負っている職務って言うんでしょうか、一人、こんな私が日本を背負っているはずがないというような首相なり、あの、謙遜とか、非常に謙虚な気持で思っているかもしれない。

 でも、そうは言っても外交なんで、内閣が輔弼する、つまり外務大臣と内閣総理大臣、首相なんですよね」

 姜尚中「やっぱ減点主義で、だから、何か積極的な与えられた権限以上のことをやるリスクを誰も負いたくないわけ。

 その代わりとして、兎に角会議を長引かせる。たくさんの会議をやる。(笑いながら)で、会議の名称を一杯つくるわけですよね。

 で、結局、何も決まらない。いたずらに時間が過ぎていくという。会議だけは好きなんですね、みんな」

 加藤陽子「日本人はそうかもしれない」

 姜尚中「たくさん会議をつくる」

 岡本行夫「戦争の総括をまだしていないんですよねえ。日本人自身の手で、誰が戦争の責任を問うべきか、どういう処断をすべきかってことは決めなかった。

 そして日本人は1億総ザンゲ、国民なんて悪くないのに、お前たちも全員で反省しろ。

 で、我々はもうああいうことは二度としませんと。だから、これからは平和国家になります。一切武器にも手をかけません。

 そう言うことでずうっと来ているわけです。本来は守るべき価値、国土、自由っていうのがあるんですねえ。財政状況だって、あれ、村荘まっこと今とおんなじで、財政赤字、国の債務のレベルになると、GDPの、戦争の時200%、今230%ですよね。

 それは本当にね、我々は勇気を持って、戦争を題材に考えるべきことだと思います」

 姜尚中「岡本さんのとことにもし付け加えるとすると、やっぱり統治構造の問題ですね。

 で、やっぱり原発事故、ある種やっぱり、その戦争のときの所為とその後の、ま、ある種の無責任というか、それはちょっとやや似ている。

 それで、やっぱり現場と官邸中枢との乖離とか、それから情報が一元化されていない。

 で、どことどこの誰が主要な役割を果たしたのかもしっかりと分からない。それから、議事録も殆ど取られていない。

 で、そういうような統治構造の問題ですね、これをやっぱりもう一度考え直さないといけない。で、まあ、そういう点でも、変えるべきものは変えないといけないんじゃないかなあと、気は致しますね」(以上)

 加藤陽子氏が「6月22日、これは天皇がかなりリーダーシップ取っておりますね」と言っていることは、前日のブログに触れたが、番組が伝えていた、中国視察後帰国した陸軍参謀総長梅津美治郎から、「支那派遣軍はようやく一大会戦に耐える兵と装備を残すのみです。以後の戦闘は不可能とご承知願います」という、中国に於ける日本軍が残している戦力の実態の上奏を受けて、異例にも天皇自らが内閣総理大臣鈴木貫太郎、外務大臣東郷茂徳、陸軍大臣阿南惟幾、海軍大臣米内光政、陸軍参謀総長梅津美治郎、海軍軍令部総長及川古志郎の国家指導トップ6人を招集した会議の際の天皇の態度を指している。

 番組が伝えていた会議での発言を改めてここに記載してみる。

 天皇「戦争を継続すべきなのは尤もだが、時局の収拾も考慮すべきではないか。皆の意見を聞かせて欲しい」

 海軍大臣米内光政「速やかにソ連への仲介依頼交渉を進めることを考えております」

 東郷外務大臣がこれに同意を示した。

 天皇「参謀総長はどのように考えるか」

 陸軍参謀総長梅津美治郎「内外に影響が大きいので、対ソ交渉は慎重に行った方がよいと思います。

 仲介依頼は速やかなるものを要します」

 天皇「慎重にし過ぎた結果、機会を失する恐れがあるのではないのか。

 よもや一撃の後でと言うのではあるまいね」

 陸軍参謀総長梅津美治郎「必ずしも一撃の後とは限りません」(以上)
 
 本土決戦対米一撃後の和平交渉(講和)というシナリオは中国大陸配置部隊との連携を重要な想定の一つとした一撃だと番組が紹介していたが、そうである以上、中国に於ける日本軍が一度の戦闘に耐える戦力を最早維持していないということなら、シナリオ自体が破綻していることになり、和平交渉の相手がソ連でろうとアメリカであろうと積極的に実現するのが戦争終結に対する国家指導者の責任であるはずだが、誰ものそのことに向けた積極性を示していないばかりか、陸軍参謀総長の梅津美治郎に至っては、「必ずしも一撃の後とは限りません」と破綻しているシナリオを選択肢として残している。

 いわば一撃という選択肢を外した和平交渉を急がなければならない緊急事態にあったにも関わらず、天皇はトップ6人に対してそれぞれの責任を引き受けさせるべく意見集約するリーダーシップを発揮できず、彼らの責任不作為を許し、見逃した。

 加藤陽子氏はその上、歴史学者を名乗っていながら、「自分が背負っている職務って言うんでしょうか、一人、こんな私が日本を背負っているはずがないというような首相なり、あの、謙遜とか、非常に謙虚な気持で思っているかもしれない」などど、訳の分からないことを言っている。

 6人とも公式的なことしか発言しないのは、自分が言い出しっ屁になって、失敗した場合の批判や責任追及を恐れる自己保身を働かせているからこそであろう。

 いわば自己保身優先の事勿れ主義が招いている責任不作為と言える。

 この会議が開かれた1945年6月22日は沖縄戦終結(1945年6月23日)の前日である。敗北は確定していたはずで、敗北確定的状況下での会議開催であったはずである。自己保身に走ってなどいられない緊急事態下にありながら、自己保身に陥って、積極的な発言を差し控え、実現可能性を失ったはずの本土決戦の一撃後という選択肢をなおも残している。

 姜尚中氏は「6人ともやっぱ官僚ですよね。必ずしも官僚は悪いとは思わないけど」と言っている、要するに悪しき官僚主義に侵された官僚だとの指摘であろう。

 【官僚主義】とは、規則に対する執着、権限の墨守、新規なものに対する抵抗、創意の欠如、傲慢、秘密主義などの傾向を持った官僚や組織の特権階層に特有の気風や態度・行動様式を言うのであって(〈『大辞林』三省堂〉から)、要するに従来の権限や慣習を引き継ぎ、その中に閉じ込もることを自己存在証明とし、結果として柔軟な思考を欠き、変化に対する嫌悪、変化や責任に対する自己保身を相互対応の態度としているということであろう。

 それが「自分の与えられた権限だけ」を守る「矩(のり)を超えず」という態度として説明されている。

 これは権限のハキ違えに過ぎないのだが、戦時の国家指導者層に取り憑いて、統治構造そのものを染め上げていたこのようなハキ違えた権限墨守・責任不作為の悪しき官僚主義が現在の国家指導者にも受け継がれて、統治構造の骨格となっていると姜尚中氏は警告している。

 但し統治構造の骨格をつくり出すのは政治家であり、官僚である。政治家や官僚の行動様式の総体的反映として生じることになる統治構造であるはずだ。

 姜尚中氏が戦争のときの所為と原発事故対応の所為と似ていると言っていることは菅前首相のことを頭に置いていたはずで、当然、菅前首相の福島原発事故対応に象徴的に現れていた権限墨守・責任不作為の悪しき官僚主義が統治構造そのものを支配していたと見なければならない。

 官僚も関わっているだろうが、国家指導者としてトップに立つ政治家という名の人間の資質が問題となっていると言うことである。

 姜尚中氏は最後に、「で、そういうような統治構造の問題ですね、これをやっぱりもう一度考え直さないといけない。で、まあ、そういう点でも、変えるべきものは変えないといけないんじゃないかなあと、気は致しますね」と言っているが、何が原因で責任不作為の体制(責任回避の体制と言うこともできる)が構造化しているのかは指摘していないし、どう変えるのかの方法論にも言及していない。

 拙い観察眼で推察するに、原因は律令の封建時代以来、上が下を従わせ、下が上に従う権威主義的行動様式を伝統としていたことから、判断に関わる自発性も責任に関わる自発性も他者との上下関係の中で把える慣習が体質化して、そのような自発性自体が既に抑制する力を内包しているからではないだろうか。

 結果として姜尚中氏が言うように、「積極的な与えられた権限以上のことをやるリスクを誰も負いたくない」ということになる。

 もし戦時に於いて、例え権力の二重性を装置させていたとしても、天皇という上の存在がなければ、国家指導者たちは自分たちのみで構成している上下関係の中で責任のなすりつけ合いや責任回避、責任不作為、あるいは自己保身を働かすことはあっても、否応もなしに自分たちで国の運命を決める最終判断・最終責任を負わなければならなかったはずだ。

 だが、国家権力者たちは天皇と自分たちを上下関係で把え、国家の命運を決めるといった重大な決定となればなる程、実現可能性もない本土決戦の対米一撃後の和平交渉という案を決めた手前もあって、責任と判断を上に預けて自己の責任は回避する自己保身を働かせたということではないだろうか。

 少なくとも精神面に於いては職業上の地位の上下を離れて相互に自律(自立)した対等な存在として他者との関係を築いていたなら、他者との関係の中での判断や責任の提示ではなく、一個の独立した人間としての判断や責任を提示し得たはずだ。

 現在のように政治的に天皇を上の存在として戴かなくても、自己存在を他者との上下関係で把える権威主義に侵されていた場合、いわば真に自律(自立)した存在となり得ていない場合、既に触れたように判断に関わる自発性も責任に関わる自発性も他者との関係で決めることとなって、真の自発性とは似ても似つかないものとなり、そこに自ずと自身による判断回避や責任回避が生じることになる。

 福島原発事故を受けて住民避難を決めるとき、官邸に派遣されていた武黒東電フェローが8月6日公開の東電テレビ会議システムの映像で次のように発言している。

 武黒東電フェロー「昨日も、退避・避難の区域を決めたときに、最初は菅さん(菅首相)とかに呼ばれて『どうすんだ』『どうすりゃいいんだ』って言うわけですね。私と班目さん(班目春樹原子力安全委員長)が説明すると、『どういう根拠なんだ!』『それで何かあっても大丈夫だといえるのか!』とさんざんギャーギャー言うわけです」(MSN産経

 決定の最終責任は自身が負わなければならない一番上の立場にいる以上、最終判断にしても自身が負わなければならないにも関わらず、判断に間違いが生じたときの責任追及を恐れて、下の者の判断に大騒ぎし、責任を追及されない絶対安心の判断を求めている。

 いわば野党や国民との関係の中で自身の判断や責任を把えているから、責任追及を恐れることになる。

 その程度の自発性しか発揮できないということである。

 結果、責任回避を基準とした行動となる。

 ここには一個の政治権力者としての自律(自立)した姿は見えない。

 こういったことが伝統的に日本の統治構造となっているということであろう。

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