安楽死から考える人間の尊厳に関わる生き死にの線引 個人個人が行うべきものであり、他人は行い得ない

2020-07-27 09:52:29 | 政治
 80歳という年齢が理由なのか、ブログを書くのがときどき面倒臭くなってきて、そろそろやめようか、それとも2週間に1度に減らそうかと考えることが多くなった。最近はどうでもいいことを書いている感がしていて、そのうち思っていることを実行に移すかもしれない。

 大した生き方をしてきた人間ではないから、生き方の総体としての個々の命については偉そうな口は利けないが、命の本質性に関しては誰もが平等であると考えると、最近話題となっている尊厳死について一言できる資格はあると思う。

 「尊厳死」とは人間としての尊厳を失う前に、つまり人間としての尊厳を維持できている間に自らの意思と自らの力に基づいて死を迎えるか、自らの意思に基づくものの、他者の力を借りて死を迎えることを言うはずである。つまり許される、許されないは別にして、あくまでも自らの意思からの発現でなければならない。

 これが他者の意思と力に基づいて行う場合は「命に対する尊厳」という形は取らずに「命に対する蔑視」に基づいて強制的に死を与えるという形を取ることになる。

 尊厳死に於ける前者は自殺という形を取り、後者は安楽死が認められていない日本では自殺幇助か嘱託殺人といった形を取る。

 そして「安楽死」とは、その多くは尊厳死の方法論の一つを指す。 

 れいわ新選組から2019年の参院選に立候補して落選した大西恒樹(56歳)なる人物が高齢者から「命の選別」をすべきと発言したと、2020年7月8日付「IWJ Independent Web Journal」記事が伝えている。その発言を纏めてみる。

 大西恒樹「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ。介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます。

 こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ。

 だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」

 記事は「高齢の方から逝ってもらうしかないです」の発言に対して、〈高齢者に先に死んでもらうしかないと明言したのである。〉、〈「逝ってもらう」とは、寿命が来る前に、まだ生きている人を「殺す」ということである。高齢者の組織的大量殺戮を堂々と宣言したようなものだ。こんなことを「政治」の仕事だと公言する人物が、一度は国会議員を目指して立候補したということ自体に、寒気を感じる。〉と解説している。

 「命の選別」に関して「高齢の方から」と言っていることは「高齢の方」が「順番として」最初であって、その次があることになる。大西恒樹が考えていることはさしずめ身体障害者ということなのだろう。

 「逝ってもらう」方法が安楽死という形を取ったとしても、「命の選別」の線引は他人が決定権を一括して握ることになり、このことはそのまま個人個人が行うべき人間の尊厳に関わる生き死にの線引をも他人の決定権に委ねることになる。

 このような経緯の具体化の一つがヒトラーの優生思想に基づいてユダヤ人等を劣等人種と看做し、その絶滅を謀ったナチスのホロコーストであろう。つまり他者の意思と力に基づいて行う命の選別は「命に対する尊厳」という形を取ることはなく、「命に対する蔑視」という形を取って、最悪、強制的に死を与える儀式と化す必然性を往々にして担う。

 往々にして担った例として「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させたほうがいい」という思想のもと、2016年7月26日未明に自身が勤めていた障害者施設「津久井やまゆり園」に侵入、入所者19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた植松聖(当時26歳)の他人が関わることができないにも関わらず関わった「命の選別」、人間の尊厳に関わる生き死にの線引を身勝手に行った例を挙げることができる。

 植松聖は自らの思想を自らの手で具体化したが、れいわ新選組から2019年の参院選に立候補して落選した大西恒樹は自らの思想を国の政策として具体化したいと欲している点、ナチス・ヒトラーに近い。

 大西恒樹の発言が報道されたのは2020年7月8日。半月後の2020年7月23日の報道は2019年11月30日に当時51歳のALS女性患者が2人の医師に安楽死を依頼し、医師はその依頼に応じて、腹に開けた穴からカテーテルを使って直接胃に薬物を投与し、嘱託殺人の疑いで逮捕されたというものであった。

 既に触れているが、安楽死は日本では認められていないし、このことは周知の事実となっている。だが、事の良し悪しは別にして、女性は人間の尊厳に関わる生き死にの線引を自らの意思に基づいて行った。もはやこれ以上生きたとしても、人間として抱えている自らの命の尊厳を守ることはできないと命に終止符を打つことを考えた。

 終止符を打つことがギリギリのところで自らの命の尊厳を守る唯一の方法だとした。

 あくまでも自己の命の尊厳に限定した線引であって、他人の命の尊厳にまで土足で踏み込んで、好き勝手に線引したというわけではない。例え日本で安楽死制度が成立したとしても、あくまでも希望者が対象であって、年齢や身体上の機能を一律的条件として課す制度とはならない。なぜなら、最初に触れたように人間の尊厳に関わる生き死にの線引は個人個人が行うべきものであり、他人は行い得ないからであって、民主主義体制を維持する限り、優生思想に基づいて国家や他人が線引する理不尽・不条理な抹殺・排除の類いのつくりとは決してならない。

 もし日本で制度として安楽死が認められることになった場合、命の尊厳の自分なりの維持に見切りをつけて制度を利用する人間が増える一方で見切りをつけずに人間としての自らの尊厳の線引を、少なくとも生命維持装置が必要となる瞬間まで自然の摂理(自然界を支配している法則 「goo国語辞書」)に任せて制度を利用しない人間が多く存在することになるはずである。

 利用しない人間が多くの人間が利用するのに自分が利用しないのは肩身が狭い、悪口を叩かれているのではないかと気に病み、あるいは周囲の人間が利用すべき人間でありながら、利用しないのは国に迷惑をかけていることになるなどと批判したり悪口を叩いたりするのは双方共に個人個人として自律していない人間ということになる。

 自律していれば、生き死にに関して人間の尊厳をどの辺りに置くかの線引は個人個人が行うべきものとの認識のもと、人は人、それそれが決める個人的な認識の問題として距離を置いて冷静に眺めることができる。戦前の日本人は相互に自律していなかったから、個人の尊厳を全く無視した、国家への従属一辺倒の「天皇のため・お国のため」の全体主義一色となることができた。特に介護が必要な身体の機能に障害がある場合は強い自律心を持って自らの生き死についての尊厳の線引は自分自身に委ねられているものと自覚していなければならないはずである。 
 
 65歳以上の要介護者が親族に殺される老老介護殺人は年に20件から30件起きていると言う。介護疲れから先行きが見通せなくなったり、共倒れしてしまうのではないのかといった恐れから自発的に殺人を犯す場合と、苦しがるあまり、見るに忍びないと同情心から殺してしまうケース、殺して欲しいと頼まれて止む得ず殺してしまうケース。

 もし安楽死制度があったなら、人間としての尊厳を自ら守る生き死にの線引を前以って要介護の程度に置き、その程度を超えた場合は安楽死を以って自らの人間としての尊厳を維持したまま生に終止符を打つと登録しておくケースも出てきて、老老介護殺人の何件かは殺人という形を取らずに済むことになる可能性は生じる。

 2019年10月25日再放送のNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」は安楽死制度が認められていて、外国人の安楽死を受け入れているスイスに行き、2018年11月に安楽死を遂げた52歳の女性の、2人の姉との関わりを含めて、そこに至るまでの経緯を取り上げていた。彼女は、死の2ヶ月前にスイスの安楽死団体に登録を行った。英文の希望理由の一部を番組は字幕で伝えている。

「私が私であるうちに安楽死をほどこしてください。確実に私が私らしくなるんです」

 「私が私であるうちに」とは彼女が考えている彼女なりの人間としての尊厳を維持できている命である間にという意味を取るはずである。そしてそういった命である間にその命を閉じることが彼女にとって「確実に私が私らしくなる」、つまり「確実に私は私らしい命の尊厳を守り通すことができる」ということなのだろう。

「私が死を選ぶことができるということは私のどうやって生きるかということを選択することと同じくらい大事なことだと思うんです。安楽死をみんなで考えることは私の願いでもあるんです」 

 「私が死を選ぶ」とは、勿論、安楽死を指す。「どうやって生きるか」は彼女が置かれている状況から考えると、人間としての尊厳の線引をどこに置いて生きるのかの選択ということになり、その選択が安楽死であって、「どうやって生きるかということ」と安楽死=「私が死を選ぶこと」はイコールの関係にある「大事なこと」という意味を取るのだろう。

 彼女にとって安楽死が自分自身の命の尊厳、あるいは人間としての尊厳を守る切迫した、唯一の手段となっていた。

 番組はスイスの安楽死団体に日本人の登録は2016年から始まり、2018年には8人、2019年には6人の合計17人に上ると伝えていた。

 命の尊厳、あるいは人間としての尊厳の線引をどの辺りに置くかは人それぞれが自らの意思で任意に決めることであって、人それぞれによって異なる。但し日本では人間としての尊厳を維持するためには死以外にないと考えた場合は自殺か、自殺幇助や嘱託殺人以外の方法はないことになる。老老介護殺人の悲劇も減らないことになる。
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安倍政権の何も教訓とせず、被災者に悪戦苦闘のみを押し付けて毎年繰り返す、無能な家庭災害廃棄物処理光景

2020-07-20 11:21:33 | 政治
 2016年3月31日付「環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部廃棄物対策課災害廃棄物対策チーム」といった仰々しい主催者名で、題名《災害廃棄物対策の基礎~過去の教訓に学ぶ~》の記事は、〈災害廃棄物対策の初動対応に関係する以下の項目について、過去の事例から得られた教訓をもとに解説します。〉とあり、〈通常業務と並行して対応する職員が3名程度であり、迅速な廃棄物の収集体制が組めなかった。 ・ 「がれき混じり土砂、建築物の倒壊・解体により生じたがれき及び土砂」の収集運搬処分の担当課が明確ではなかった。〉とか、〈仮置場における災害廃棄物の排出方法の周知や対応者を満足に配置できず、分別の乱れと便乗ごみを食い止めることができなかった。〉、〈• 災害の翌日が土日であったため、短い期間で一気に片づけごみが排出され、仮置場を設置してもすぐに満杯になってしまった。 • 水害、土砂災害では、土砂流出が多いため、発災当初に確保した仮置場だけでは足らず、急遽市有地や民有地を選定した。 • 港湾部に仮置場を設置したが、漁業者から「さんま漁が始まるので邪魔になる」と言われ、移動した。〉、〈周辺住民から臭気・車両渋滞等の苦情が発生して使用継続が困難になり、すぐ次の用地選定に迫られた。〉等々の「過去の事例」を挙げて、今後の迅速かつ適正な対処法の教訓とすべき案内としている。

 要するに自治体の業務遂行迅速化を優先させた過去の事例に学ぶ「災害廃棄物対策」であって、被災者の立場に立ち、災害時に於ける家財道具等の災害廃棄物の後片付けに関わる効率化の教訓とするために過去の事例を学ぶという内容は一切取っていない。

 被災者が自宅の1階にまで浸水した、2階にまで浸水した、土砂が流入した等々で使えなくなった家財道具等を廃棄場所に持っていって処分し、使える家財道具は邪魔にならない場所に移動して、先ずは家の中をほぼ空っぽ状態にしてから水や泥を掻き出して、可能な限り短期に家の姿を元に戻し、以前通りに住むことができるよう、被災者を対象に過去の事例を原状回復の用に供するといった体裁の案内はネットのどこを探しても見つからなかった。
 見つからないのは当然である。大規模災害が発生するたびに後片付けに翻弄される被災者の悪戦苦闘は、それが当たり前であるかのように何も変わらない光景で毎年毎年繰り返されているからである。

 この何も変わらない光景の繰り返しは災害後に被災者が後片付けに悪戦苦闘する姿を災害と一対のものと見ているから起こる。つまり悪戦苦闘を当たり前の光景としているからである。当然の結果として政治の側も行政の側も、被災者の悪戦苦闘に対して過去の事例になど学ぶ必要を持たない。だから、災害が襲うたびに被災者が後片付けに悪戦苦闘する同じ光景が毎年のように延々と続くことになる。

 同じ光景の繰り返しは被災者の悪戦苦闘に対して政治側・行政側が何の工夫も芸も凝らしていないことを示す。

 日本国憲法第3章「国民の権利及び義務」第14条で、〈すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。〉と規定している以上、この悪戦苦闘は解消されなければならない繰り返される光景でありながら、その解消に向けた努力を安倍晋三等政府側の人間も自治体の人間も払おうとはしない。

 結果的にこの悪戦苦闘という同じ光景の繰り返しは悪戦苦闘が歴史そのものとなっていることを示す。前々年もそうだった、前年もそうだった、今年もそうだったは歴史化以外の何ものでもない。

 この歴史化に無頓着な発言を防災担当相武田良太の2020年7月12日のNHK「日曜討論」で行っている。
 
 武田良太「『コロナ禍』で気を抜けない状況の中で、ボランティアの出足が非常に悪く、絶対的なマンパワーが足りない。流れ込んだ土砂やゴミの除去には、ボランティアをはじめとしたマンパワーが必要だ。新型コロナウイルス対策をしながら、多くの方々の手を借りるシステムをどう作り上げるかが大きなテーマだ」(NHK NEWS WEB)

 豪雨に襲われた熊本県では県内自治体によって受け入れボランティアを県内在住者に限るというものや、県内被災地近隣に限るなどの条件をつけていて、ボランティアの人数が圧倒的に不足しているという。このような状況を受けた武田良太発言で、政治家らしく「マンパワー」などと体裁のいいことを言っているが、あくまでもボランティアの人力頼りであることに変わりはない。

 流れ込んだ土砂やゴミの除去に限らず、使えなくなった家財道具等の片付けに何の工夫も芸もないから、ボランティアの人力に頼る以外になく、コロナだ何だとボランティアが不足すると、たちまちお手上げ状態となる。歴史化した同じ光景の繰り返しを延々と続けることになる。

 武田良太のどこまでいってもボランティアの人力頼りはボランティアや被災住民の悪戦苦闘を気にもかけていないからこそ可能としている意識の現れであろう。ボランティア不足は人力不足そのものとなって現れるから、悪戦苦闘の程度はひどくなる。だが、「多くの方々の手を借りるシステムをどう作り上げるかが大きなテーマだ」と、あくまでも人力頼りで、何らかの工夫や芸の必要性を示す意志を持たないから、悪戦苦闘は脇に置いていることになる。武田良太自身が悪戦苦闘を味わうわけではないから、涼しい顔をしていられるのだろう。

 政府側の人間で何らかの工夫や芸の必要性を感じることなく涼しい顔をしているのは武田良太だけではない。

 2020年7月15日衆議院予算委員会閉会中審査

 共産党衆議院議員藤野保史は梅雨前線による九州各地の豪雨被害を取り上げ、熊本県人吉市や球磨村の惨状を訴えてから、次のように質問している。

 藤野保史「政府が分散型避難を呼びかけている。そのことで自宅や親戚宅に避難されている方がたくさんいらっしゃいます。しかしそこに物資や医療の支援が届いていないという現状であります。12日の人吉市(写真パネルを示す)。ご覧頂いたら分かりますように2階まで水に浸かっていたいうことがたくさんあるわけでございます。

 親戚宅に身を寄せているある男性は『自分は1週間車中泊だけども、家族は親戚だ』と。自宅の2階にいるという方は『1階にあった冷蔵庫も洗濯機もやられた』と。『風呂にも入れない。車も使えなくなったので、遠くのスーパーに歩いて買い物にいかなければならない』って言うんですね。

 『病院で肺の検査をする予定だったけども、キャンセルになった』と。山間地帯で孤立が続いている、そういう集落も複数あります。防災担当副大臣、平副大臣に聞きたいんですが、内閣府は7月10日にですね、こうした親戚宅などに身を寄せている被災者に対するプッシュ型の支援を求める通達を実際出されていると思います。

 しかし現状のままではですね、この折角の通達が掛け声倒れになりかねない。これ、どう改善されていくんでしょうか」

 平将明「委員ご指摘のとおりですね、うちの武田大臣(内閣府防災担当特命担当大臣)と御党の志位局長、連絡を密にされてですね、今月10日にですね、災害救助法の適用を受けた件に関して在宅避難者への物資・情報等適切に提供して頂くように通知を発出したところでございます。

 委員、そのあと、現地に入られたということだというふうに思いますが、被災地に於いてはですね、例えば圧倒的人手不足の中でありますが、この熊本県球磨村に於いては自衛隊により支援ニーズのある、確認をされた在宅避難に対しては在宅避難者に対しては医薬品を含め、あのー、支援物資を配布をしておりますし、人吉市に於いては要支援者名簿を活用して避難者の状況を把握し、必要な支援物資を届けていると聞いています。ただ、まだ足りないところがあるというご指摘であります。

 ただ、目詰まりしているのが物資なのか、人手なのか、情報なのかということですが、物資はプッシュ型でですね、在宅避難者の分まで供給するようにしています。で、多分人手のボランテアのところと、あと情報ですよね、どこに誰がいるのか全部把握しきれていないということだと思います。

 基本的に元気な方はですね、避難所に来て頂いて、ご連絡を頂いたり、物資を持って帰って頂いたりということだと思いますが、要支援者の方はそうはいかないと思いますので、こちらはですね、本来、リスト化をして行動計画を作ることになっていますが、避難所の分散化にそれがついてきていない可能性をありますので、今後自治体とよく連携を取りながら、今の状況を解消して参りたいと思っています」

 藤野保史「是非きめ細かな対応を求めたいと思います」

 「目詰まりしている」一つが「人手のボランテアのところ」、つまり防災担当相の武田良太がNHK「日曜討論」で発言していたようにコロナの影響でボランテア不足を来してる。その不足に対して何か工夫をするか、芸を見せるといった意志はサラサラ見せず、ただ単に役人が作った作文を読み上げている。

 「この熊本県球磨村に於いては自衛隊により支援ニーズのある、確認をされた在宅避難に対しては在宅避難者に対しては医薬品を含め、支援物資を配布をしている」

 つまり自衛隊は自らが任務としていることを行い、ボランティアは自らが行うことを行う。自衛隊によってボランティア不足を補うという発想はなく、相互に領域を侵さないという固定観念に囚われているから、ボランティア不足を「目詰まりしている」の一言で片付けることができる

 政府のこの相互に領域を侵さないという姿勢は2020年7月17日付「NHK NEWS WEB」が伝えている、防衛相河野太郎の7月17日閣議後発言に如実に現れている。NHK NEWS WEB記事添付の画像を載せておいた。

 7月16日に陸上自衛隊のヘリコプター1機が土砂災害で孤立している熊本県球磨村の淋地区にある養豚場から地元のブランドになっている豚の種豚27頭を現地で獣医師が鎮静剤を注射したあと「フレコンバッグ」と呼ばれる大きな袋に1匹ずつ入れて吊り下げ、およそ300メートル離れた広場まで輸送したことを明らかにしたという。

 河野太郎「普通の豚なら、こうはならないかもしれないが、今回はここにしかいない、養豚業にとって価値の高いものだというので要請を受けた」(NHK NEWS WEB)

 「普通の豚」なら、自衛隊の任務外で、自分たちでどうにかして欲しい、あくまでも例外中の例外だとする言葉の趣旨によって、自衛隊と民間の領域を相互に侵さないとする姿勢を見せている。「普通の豚」であろうと何だろうと、孤立していて民間ではどうにもできないことなのだから、何でも引き受けますよといった両者の垣根を外した臨機応変な姿勢とはなっていない。

 当然、ごく希な例外を除いて、決められた自衛隊の任務のみを行うという姿勢・発想はボランティア不足に対して臨機応変、かつ機動的に機能しないことを示すことになる。結果、被災者やボランティアの悪戦苦闘光景は毎年毎年、延々と繰り返されることになる。
 被災者やボランティアの悪戦苦闘は義務とされている宅地内からの土砂や瓦礫等を決められた集積場にまで撤去することのみならず、交通の障害となることから、左に掲げた画像のように自治体が行うべき道路の土砂や瓦礫等の撤去まで行っていることによっても生じている。ところが、今回の豪雨災害でボランティア不足から熊本県は国と調整を行い、市町村が必要性があると判断した住宅の場合は委託を受けた業者などが住民に代わって集積場への撤去を行う事業を進めて行くことになったと2020年7月17日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 要するに業者が行う作業は住民が宅地内から道路にまで出した土砂や瓦礫等の集積場までの運搬であって、宅地内から住宅前の道路までの土砂や瓦礫等の撤去そのものは依然として被災者とボランティア任せということになる。確かに被災者とボランティアの悪戦苦闘は一定程度解消されるが、ボランティアの人数が差し引かれた場合、どれ程変わるだろうか。

 使えなくなった家財道具類を集積場にまで運んだり、床を剥がして床下の泥濘をスコップで掬って土嚢袋に詰め込み、その土嚢を住宅前の道路際に運ぶのも決して楽な仕事とは言えない。被災歳者にとっていくら自分の家だからと言って、ボランティアの手を借りて、家を元に戻そうとする原状復帰の悪戦苦闘は決して生易しくはないはずである。

 だが、大規模災害の被災者は、例え人が変わったとしても、生易しくはない悪戦苦闘を当たり前のように宿命づけられる。行政側が基本のところであくまでもボランティア頼み・人力頼みで少しでもその負担を軽くしよう務めないからなのは断るまでもない。

 いくらボランティア頼みであったとしても、人力頼みを少しでも軽減したなら、軽減の度合いに応じて悪戦苦闘も少しは軽減できるのだが、その発想はない。

 安倍晋三は「2020年7月豪雨非常災害対策本部会議(第3回)」で次のように発言している。

 安倍晋三「被災地では発災直後から、警察・消防・海上保安庁・自衛隊による懸命の救命救助活動を進めておりますが、昨日から今日にかけて九州の広いエリアに被害が拡大していることも踏まえ、現在、8万人体制に拡充し、何よりも人命第一で取り組んでいます」

  警察・消防・海上保安庁・自衛隊が8万人体制でいくら臨もうとも、人命救助と道路復旧等に力を注ぐが、被災者の家の原状復帰にかかる悪戦苦闘にまで手を伸ばすわけではない。

 安倍晋三「各位にあっては引き続き、被災自治体としっかりと連携し、被災者に寄り添いながら、先手先手で対応に万全を期してください」

 被災者の悪戦苦闘にこれといった工夫がないままに"被災者に寄り添う"は安倍晋三らしく口先だけとなる。

 いつまでも被災者とボランティアの人力に頼り、その悪戦苦闘をごく当然のように大規模災害と一対のものとするのではなく、工夫や芸を加えて、悪戦苦闘を可能な限り和らげた光景へと持っていくべきだろう。
 
 例えばYou Tubeの動画を載せておいたが、手で押して運転する日立歩行型ミニローダーML20-2は雪かきや土砂撤去に使用する機械で、これを使えば、バケットに土砂や瓦礫だけではなく、土や泥濘を詰めた土嚢袋も不用品となった冷蔵庫や箪笥や畳といった家財道具をそれぞれに積み方を工夫すれば、バケットにいくつかに纏め乗せにして集積場にまで悪戦苦闘なしで運んでいける。

 価格をネットで調べてみると、落札価格が80万円前後で取引きされている。正規価格は823万円とかで、どうも個人で雪かき用や災害時の土砂除去用に購入するには高過ぎて、売れなかったからなのか、生産終了となり、中古品としてセリにかけられているらしい。

 運転資格は「小型車両系建設機械(整地・運搬・積込み用及び掘削用)の運転業務に系る特別教育」の受講修了証の取得が必要ということだが、この中には重機の運転講習も入っている。但し日立歩行型ミニローダーは資格講習の要らない手押しタイプの耕運機に毛を生えた程度の運転技術で済むはずだから、安倍晋三のお得意の規制改革でそれ程難しくない講習で運転できるようにすればいい。

 個人で所有するのは大変だから、毎年、恒例行事さながらに大規模災害が襲い、被災者とボランティアの悪戦苦闘が例年化している以上、令和の時代はビューティフルハーモニーだなどと気取ってはいられない、国の補助で自治体が十数台程度ずつ所有して、被災地に無料で貸し出す制度にすれば、被災者が見舞われることになる生半可ではない肉体的な労苦を軽減できる。肉体的な労苦を軽減できれば、少しは精神的な労苦も和らげることができる。

 だが、悪戦苦闘が毎年変わらずに繰り返されるのは政府も自治体もその悪戦苦闘を目にしていながら、何とかしなければという切実な思いで受け止める想像力を欠いているからだろう。

 道路脇の災害ゴミ集積場にゴミがビニール袋に入れられて山積みされている場所があるが、自治体が手が回らずにいつまで放置されていて、臭いがし出した、新たに集積場を設けなければ、これ以上捨てられないといった状況も、何の工夫も芸もなく毎年繰り返される光景だが、「横浜市」のホームページは、〈先の東日本大震災で生じた廃棄物を広域処理するにあたって輸送用コンテナの確保(製作)に時間を要したことが広域処理の遅れにつながったこともあり、今後、発生が予測されている巨大地震発生時に備えるためにも、このコンテナの利用が有効と見込まれるので、コンテナを自治体で保管してもらいたいという依頼が環境省からあった〉ことから、長さ371.5cm×高さ250.0cm×幅245.0cm・内容積約16立方メートルのコンテナを47基保管し、〈横浜市内で大規模災害が発生し、災害廃棄物を他都市等で広域処理する場合にコンテナを使用し他都市へ廃棄物を搬送します。また、他の自治体で大規模災害が発生し、災害廃棄物を広域処理する場合にもコンテナを提供し、迅速な災害廃棄物処理及び復興に協力していきます〉と謳っているが、最終的にトラックにコンテナを乗せてきて、重機でゴミをコンテナに投入、それを直接廃棄物処理場か、あるいは貨物列車に乗せてどこかの廃棄物処理場に運ぶ段取りとなっているのだろう。

 だが、幅1メートル×高さ85センチ×幅80センチの目の大きい金網でできたメッシュパレットというものがあって、ビニール袋に入れた、いわゆる燃えるゴミ程度なら、満杯になっても4、5人がかりで2段に積み上げることができる。メッシュパレットは金属や食品、書籍などの荷物を輸送・保管する際に使われるということだから、大抵の物流倉庫に空いているメッシュパレットが保管してあるはずである。

 災害時に借り出す契約を交わしていて、それを借りて集積場所に置けば、整理はかなり付くはずである。使い終わったなら、自治体が業者に依頼して洗浄してから返却すれば、何も問題はない。メッシュパレットでゴミを予め整理させておけば、集積場所から廃棄物処理場に運び出す際も手間を省くことができる。

 色々と工夫をすれば、被災者やボランティアのゴミ出しにしても、土砂除去にしても、整理や整頓が付く。その分悪戦苦闘を和らげることができる。工夫も芸もないままに何も教訓とせず、相も変わらぬボランティア頼み・人力頼みで毎年毎年の自然災害を迎えることになるから、悪戦苦闘の同じ光景が繰り返されることになる。工夫もない、芸もないということは頭を無能状態にしておくことを意味することになる。

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安倍晋三、菅義偉、小池百合子の「PCR検査数の増加が陽性者増加に繋がった」とする薄汚のペテン 社会経済活動停滞阻止がホンネ

2020-07-13 11:30:17 | 政治
 東京都の新型コロナ感染者数が2020年5月25日の緊急事態宣言解除後、増減を見せながらも全体的に徐々に増加を見せ、6月19日の県をまたぐ移動解禁後はさらに増加に転じて、7月2日に100人を超え、7月9日には200人を超えて、224人の感染者数を数えるに至った。緊急事態宣言下の4月17日に206人を数えて以来の200人超えだそうで、7月10日、243人。7月11日、206人。7月12日、同数の206人。4日連続で200人を超えた。

 この急激な増加を東京都知事小池百合子や政府側安倍晋三、官房長官の菅義偉がそれぞれに解釈している。

 小池百合子に関しては7月9日の記者団に対する説明を動画から。

小池百合子「検査を行った数が過去最高で、3千件を行ってるんです」

 要するにPCR検査を過去最高の3千件も行った結果の224人であって、3千件も行わなければ、感染者は224人も出てこなかったということになる。

 但し検査するしないに関係なしにこの224人は感染していたのであって、その事実は変えることはできないのだから、3千件の検査を行わなければ、224人という人数で感染者数が表には出てこなかっただけということになる。

 つまり検査を2千件で済ませていたなら、224人のうちの何人かはPCR検査検査を新たに受けて感染者と認定されるまでに隠れ感染者として存在し続けて、他者に二次感染、三次感染の形で感染を広げていくコロナウイルス保菌者とならない保証はない。つまりさらなる感染拡大である。

 である以上、224人の感染を3千件のPCR検査検査の結果だとする小池百合子のこの主張は見え透いたマジックに過ぎない。勿論、マジックの種は感染者数を少なく見せようとするペテンにある。

 2020年7月9付「SankeiBiz」記事が伝えている7月9日の東京都の新型コロナウイルス感染症対策本部会議での小池百合子の発言にしても、同じマジックを使っている。。

 小池百合子「3400件に上るPCR検査を行った上での224人の陽性者数ではある。PCR検査の件数も増えていることも影響しているが、感染者数の動向についてはさらなる警戒が必要である」

 当然のことで、感染者の増加傾向に警戒は必要としているものの、あくまでもPCR検査件数が224人という数の陽性者を炙り出したという趣旨の発言となっていて、裏を返すと、検査数を増やさなければ、224人は出てこなかったというマジックとなる。

 このマジックは官房長官の菅義偉が6月29日午前の記者会見で既に使っている。2020年6月29日付「NHK NEWS WEB」記事からその発言を見ている。 

 6月28日、東京都で新型コロナウイルスの新たな感染者数が緊急事態宣言解除後最多の60人確認された。

 菅義偉「東京を中心として、一定の新規感染者が継続して確認されているが、症状の有無にかかわらず、濃厚接触者などに、積極的な検査を行っている結果も含まれている。直ちに再び緊急事態宣言を発出する、あるいは県をまたいだ移動の自粛を要請する状況に該当するものとは考えていないが、引き続き自治体と緊密に連携し、地域の感染状況を注視しながら、感染拡大の防止、社会経済活動の両立に取り組んでいきたい」

 東京を中心とした感染者の増加は「症状の有無にかかわらず、濃厚接触者などに、積極的な検査を行っている結果も含まれている」

 裏を返すと、感染している事実は変えることはできないにも関わらず、積極的な検査を行わなければ、感染者はこれ程多くは出てこなかった、もっと少なかったとする、少なくとも、出てきた感染者数は驚くに当たらないと見せかけるマジックを使っている。

 菅義偉のこのマジックは東京都で感染者が3日連続で200人を超えていた2020年7月11日の北海道千歳市で行った講演でさらに腕を磨いた状態で発揮されることになる。「NHK NEWS WEB」

 菅義偉「今は陽性者のうち約8割が39歳以下の人だ。政府としては、徹底してPCR検査をして陽性の人を探すという攻めの姿勢で今は対応している。

 新たな感染者が増えることにより、『また緊急事態宣言を出すのか』と聞かれるが、今の社会経済活動を進めていくという方針に変わりはない。政府の基本方針は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐと同時に、社会経済活動を徐々に復活させていくことだ。

 これ以上の感染拡大を防ぐために、東京やそれぞれの区と連携しながら今、取り組んでいる。この問題は圧倒的に『東京問題』と言っても過言ではないほど、東京中心の問題になってきている」

 「この問題は圧倒的に『東京問題』と言っても過言ではないほど、東京中心の問題になってきている」と言ってるが、東京都と往来が頻繁な神奈川県、埼玉県、千葉県でも感染者数は増加している。「東京中心の問題」とすれば、全国的に見た場合、大したことはないという意味を取るマジックとすることができる。

 つまり、政府の問題であり、日本の問題でありながら、「東京問題」だと、矮小化のマジックを見せている。

 「政府としては、徹底してPCR検査をして陽性の人を探すという攻めの姿勢で今は対応している」

 言っていることは小池百合子と同じである。攻めの姿勢のPCR検査の結果、出てきた感染者数であって、驚くに当たらない数だという趣旨となる。このように見せかけたいマジックとしてPCR検査数の増加を用いている。
 もし感染拡大の事実がなければ、どのようにPCR検査を増やそうと、東京都のように3400件も行ったとしても、感染者数は200人を超えることはないはずだが、そういった事実を捨て去って平気でいる。

 PCR検査はそれを行った対象者から既に感染している人間を拾い出す作業に過ぎないのだから、PCR検査の対象外の感染者数までさもたいしたことがないかのようにみせかける矮小化のマジックは薄汚いペテンとしか言いようがない。

 一方で、「政府の基本方針は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐと同時に、社会経済活動を徐々に復活させていくことだ」と言っているが、実際には感染拡大を防ぐことはできず、感染拡大の状況にあるのだから、少しぐらいの感染拡大よりも社会経済活動の復活をより優先させますというサインとなる。

 要するにこれがホンネであって、このホンネのために大した感染拡大ではないと見せかけるマジックを必要としていることになる。

 「今は陽性者のうち約8割が39歳以下の人だ」と言っている。その多くが夜の街の若者ということだが、社会経済活動を優先させることによって人の移動が頻繁化した場合、あるいは広範囲化した場合、夜の街から昼間の街に感染機会が場所を変えて、若者から中高年に感染していく事例が増えない保証はない。

 安倍晋三も2020年6月18日の時点で感染者数の増加を積極的なPCR検査の結果と結びつけるマジックを既に見せている。「新型コロナウイルス感染症対策本部(第38回)」

 安倍晋三「5月25日に緊急事態措置を解除してから、3週間あまりが経過いたしました。この間、新たな感染は一部の自治体にとどまっており、東京都では新規陽性者数が増えていますが、これは、二次感染防止の観点から、これまで集団感染が確認された夜の街で積極的なPCR検査を行った結果であり、しっかりと対応できている状況です。このため、先般改定した基本的対処方針にのっとり、明日、社会経済活動のレベルをもう一段引き上げます」

 勿論、感染者の数を数字で人目に明らかにするためにはPCR検査は欠かすことはできないが、安倍晋三にしても、新規陽性者数の増加を積極的なPCR検査の結果だとするマジックを平然と用いる薄汚いペテンを恣にしている。例え積極的なPCR検査が新規感染者数の増加を明らかにすることになっていたとしても、その増加はそれまでPCR検査は受けずにいた感染者が検査を受けたことによって引っかかった結果であり、当然、検査を受けずにいる不特定多数が今以って存在する以上、積極的なPCR検査の結果のみで隠れ感染者まで大したことがないように見せかけるのは、感染拡大よりも社会経済活動を優先させる、その正当化に用いるためのマジックであって、そのようなマジックを小池百合子まで巻き込んで、政府一丸となって振り回すのは薄汚いとまで非難できるペテンそのものである。

 この社会経済活動優先は感染拡大傾向にあるにも関わらず、感染拡大は大したことではないというマジック・ペテンのもと、移動の自粛は必要ないとしている政府の態度に一貫して現れている。

 小池百合子は感染拡大下で一旦は都民に対して不要不急の移動の自粛を要請したが、菅義偉が記者会見で「移動自粛を要請する必要はない」と反論、経済再生担当相の西村康稔が小池百合子に電話を入れて、発言の修正を求めた結果、小池百合子は自らの発言を「特に体の具合が悪い方」と後退させている。

 2020年2月6日付の厚生省健康局結核感染症課国際感染症対策室のサイト、「新型コロナウイルス感染症の退院基準の見直しについて」には、〈無症状病原体保有者の入院期間については、世界保健機関(WHO)から発表された知見も参考に、退院までの日数に当たっては10日間としているところ〉、〈WHOから発表された最新の知見も参考に、無症状病原体保有者の入院期間については、10日間から12.5日間に変更することといたしましたので、お知らせいたします。〉とある。

 そして「退院基準」に関しては、〈無症状病原体保有者については、12.5日間の入院の後、核酸増幅法の検査を行い、陰性が確認され、その検査の検体を採取した12時間以後に再度検体採取を行い、陰性が確認された場合とする。〉となっている。

 無症状病原体保有者でさえも、人に感染させる危険性を有する者として一定期間の入院を要請し、二度の陰性確認を以って退院を許可する。

 PCR検査を可能な限り増やして、隠れ感染者を炙り出し、炙り出した順に入院という手続きを取って、感染者を隔離していかなければ、感染拡大の連鎖をいつまでも断ち切ることができないことになるのだから、積極的なPCR検査は行政側が行わなければならないごくごく当たり前のことである。にも関わらず、安倍晋三にしても菅義偉にしても、小池百合子にしても積極的なPCR検査を何かの手柄であるかのように得々と吹聴する結果となっている。この薄汚いペテンも如何ともし難い。

 安倍晋三はマジックやペテンを薄汚く用いずに一定程度の感染者が増加することがあっても、社会経済活動を優先させますと正直に言うべきだろう。そのようにに正直に言わないことによって必然的にマジック・ペテンを必要とすることになっている。
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安倍晋三が言う「強靭なふるさとづくり」に国民が確かさを感じ取るのはいつのことか そうさせないうちに「人命第一」を言う鉄面皮

2020-07-06 12:06:19 | 政治
 第2次安倍政権発足の2012年12月26日の翌年2013年1月11日に安倍政権は「日本経済再生に向けた緊急経済対策」を閣議決定している。

 東日本大震災からの復興・防災対策に関わる対策を羅列してから、「事前防災・減災のための国土強靭化の推進、災害への対応体制の強化等」と題して、〈命と暮らしを守るために緊急に必要とされるインフラの再構築のため、老朽化対策、事前防災・減災対策を抜本的に強化し国土強靭化を推進する。また、東日本大震災の経験を踏まえ社会の重要インフラ等の防御体制の整備を進めるとともに、子どもの命を守る学校の耐震化・老朽化対策等の防災対策を推進する。さらに、緊急に必要な大規模な災害等への対応体制を強化する。〉と謳い上げている。

 「事前防災・減災のための国土強靭化の推進、災害への対応体制の強化」とは自然災害に強い国土造りを目標に置いていることになる。

 この対策に基づいてなのだろう、2013年12月11日に「国土強靭化基本法」が公布・施行された。その前文は次のように謳っている。

 〈我が国は、地理的及び自然的な特性から、多くの大規模自然災害等による被害を受け、自然の猛威は想像を超える悲惨な結果をもたらしてきた。我々は、東日本大震災の際、改めて自然の猛威の前に立ち尽くすとともに、その猛威からは逃れることができないことを思い知らされた。〉

 そのため大規模自然災害等に対する国家危機管理として、〈今すぐにでも発生し得る大規模自然災害等に備えて早急に事前防災及び減災に係る施策を進めるためには、大規模自然災害等に対する脆弱性を評価し、優先順位を定め、事前に的確な施策を実施して大規模自然災害等に強い国土及び地域を作るとともに、自らの生命及び生活を守ることができるよう地域住民の力を向上させることが必要である。〉

 この法律に基づいて2014年6月3日に国土強靱化基本計画を策定、閣議決定し、3年間を国土強靭化集中期間(第一段階)と目標設定して、15兆円の追加投資を決めている。

 2018年9月20日、安倍晋三は自民党総裁選3選を受けて自民党本部で記者会見している。告示は9月7日、開票は9月20日。

 安倍晋三「あわせて、この夏は猛暑による熱中症も相次ぐなど、全国の皆さんが、近年の急激な気象の変化、それに伴う自然災害の増加に、大きな不安を抱えておられます。この総裁選挙でも、全国で、防災・減災、国土強靭化のための緊急対策を、3年間で集中的に実施することをお約束させていただきました。

 強靭なふるさとづくりは、待ったなしの課題です。直ちに着手いたします。被災地の復興を加速することとあわせ、小・中学校へのクーラー設置やブロック塀の安全対策など、急を要する対策について、来たる臨時国会に補正予算を提出する考えであります。速やかに編成作業を開始します」

 2014年6月3日に国土強靱化基本計画を策定、閣議決定した国土強靭化集中期間の3年間は2016年6月に期限切れとなっている。当然、3年間が過ぎて、新たに3年間を期限とした国土強靱化基本計画を策定していなければ、安倍晋三の発言は出てこない。

 自民党総裁選から約2ヶ月半後の2018年12月14日に「防災・減災、国土強靱化のための3か年緊急対策」を閣議決定している。自然災害に触れている箇所を一箇所拾ってみる。
  
〈(1)大規模な浸水、土砂災害、地震・津波等による被害の防止・最小化

 突発的又は広域かつ長期的な市街地等の浸水、大規模な土砂災害、火山噴火、地震による住宅、建物等の複合的・大規模倒壊や不特定多数が集まる施設の倒壊、広域にわたる大規模津波等のほか、密集市街地等における大規模火災により多くの人命・財産が失われる事態や、農地・森林等の被害による国土の荒廃に伴い複合災害・二次災害が発生する事態を回避する必要がある。

 このため、これらの自然災害による被害を防止・最小化するために必要な対策のうち、近年の自然災害発生状況に鑑み、特に緊急に実施すべき対策を実施する。〉
 
 この国土強靱化基本計画を前以って念頭に置き、総裁選挙で、「全国で、防災・減災、国土強靭化のための緊急対策を、3年間で集中的に実施することをお約束させていただきました」と言ったことになる。

 だが、初めに口にすべきは最初の「お約束」をどの程度果たすことができたか、できなかったかであって、その成果の程度に応じてどのような見直しを行ったのかの説明であろう。その説明がないのは矛盾を通り越して、誤魔化しそのものとなる。実効性ある、3年間という期間を置いた国土強靱化基本計画だったのか、どうだったのか。

 安倍晋三は新しい「お約束」を「直ちに着手いたします」と言っているが、「直ちに着手」は最初の「お約束」も同じであって、そうである以上、なおさらに前の3年間の「お約束」の果たし具合を明らかにしなければならない。

 「国土強靱化の経緯」(総務省)を見ると、このページの作成日は表示されていないが、「国土強靱化基本計画(2014年6月)」と、「国土強靱化基本計画の見直し(2018年12月)」の2事例しか載っていない。この見直し以外の見直しはないことになる。3年間という期限から見ても、2018年12月からの3年間は2020年12月となるから、新たな見直しは2020年12月以降となることになって、余すところ5ヶ月という、新たな3年間の最終局面にかかっていることになる。

 2018年11月27日に首相官邸で第2回重要インフラの緊急点検に関する関係閣僚会議が開催され、安倍晋三は2018年12月の見直しについて前以って発言している。

 安倍晋三「近年、災害が激甚化する中、国民の命を守る防災・減災・国土強靱化を進めることは重要かつ喫緊の課題であると痛感しています。このため、重要なインフラが災害時にしっかりとその機能を維持できるよう、洪水や土砂災害対策のためのインフラのほか、災害時に拠点となる病院など防災のための重要インフラについて、また電力や交通インフラのほか、水道や食料に関する施設など国民経済、生活を支える重要インフラについて、総点検を実施し、本日取りまとめました。

 この総点検の結果などを踏まえ、特に緊急に実施すべきものについて、達成目標、実施内容、事業費等を明らかにした防災・減災・国土強靱化のための3カ年緊急対策として年内に取りまとめます。国土強靱化基本計画にも位置付けた上で、3年間集中で実施してまいります。各大臣におかれては、強靱な故郷(ふるさと)、誰もが安心して暮らすことができる故郷をつくり上げるために、総力を挙げて対策を講じるようにお願いいたします」

 安倍政権下の「国土強靭化」=「強靭なふるさとづくり」は2018年12月14日から新たな3カ年が始まり、前の3カ年に加えて、現在、4年半を経過したことになる。「国土強靭化」=「強靭なふるさとづくり」は相当に進んでいると見てもいいのだろうか。
 
 新たな3年間の2018年12月14日から前の3カ年をプラスして4年近く経過した、現時点から9ヶ月前の2019年10月6日から2019年10月13日にかけた台風第19号と前線の影響を受けた記録的な大雨は関東地方や甲信地方、東北地方などに洪水、土砂災害をもたらし、死者91人という甚大な被害を発生させた。

 マスコミ報道によると、91人の死者の7割が60歳以上だそうで、常に災害弱者を直撃する。河川の決壊は西日本豪雨の際は25河川37か所だったそうだが、今回は国と県管理の河川で5倍強の合計140箇所となっている。

 その他、水道管破裂や浄水場浸水により断水が各地で起こった。これもマスコミ報道だが、浸水した面積は2018年7月の西日本豪雨の約1万8500ヘクタールを超えて、約2万3000ヘクタールに達したという。農林水産業の被害については安倍晋三が2019年10月25日夕方の首相官邸開催の「非常災害対策本部」で、「現時点で1000億円余りに上る」と発言したそうだ。

 かくかように台風19号と前線の活発化は甚大なまでの記録的な被害を広範囲に与えた。この状況は自然の猛威に対して無力であることを思い知らすことになる。大きな自然災害に襲われるたびに改めてのように人間の無力を突きつけられる。

 但しこの人間の無力は安倍晋三も、以下の政権閣僚も、「国土強靭化基本法」の策定に関わった役人も十分に承知していた。前のところで既に触れているように2013年12月11日の「国土強靭化基本法」の前文で、〈我々は、東日本大震災の際、改めて自然の猛威の前に立ち尽くすとともに、その猛威からは逃れることができないことを思い知らされた。〉との認識に立っているからである。

 但しこのような認識に立ちながら、なおかつ安倍政権は「国土強靭化」=「強靭なふるさとづくり」に果敢に挑戦した。つまり大規模自然災害に対して人間は無力ではあるが、それでもなおかつ人知・人力を尽くして自然の猛威を少しでもコントロールすべく、自然災害に立ち向かう姿勢を見せた。

 それが最初の3カ年であり、3カ年経過後の、2021年12月に終了期限を迎える、既に1年半を経過した新たな3カ年であった。安倍政権の国土強靭化対策に、あるいは強靭なふるさとづくり対策に込めることになった人知・人力は自然の猛威に対してどれ程に楯突く力を備えることになり、その力が人間は無力だという思いをどれ程に削ぎ、逆にどれ程に希望を与える力となっているのだろうか。

 2020年7月3日から熊本県、鹿児島県を中心に九州南部を襲った豪雨は熊本県内を流れる球磨川を氾濫させ、多くの人命を奪うことになった。2020年7月6日2時18分発信のNHK NEWS WEB記事は熊本県で24人が死亡、16人が心肺停止、12人が行方不明と伝えている。心肺停止12人と行方不明12人はこれまでの自然災害時の経験からすると、限りなく死者の数に入れられることになるだろう。

 さらに球磨川などの2河川11カ所で氾濫等を発生させ、広い範囲での浸水、土砂災害を多数発生させているという。濁った水が家屋を、その屋根部分を残して飲み込んでいる様子や、水が引いたあとの流木が道路や家の敷地を所構わずに乱雑に積み重なって埋め尽くしている様子をニュース映像で見る限り、同じくニュース映像でこれまで見てきた自然災害の爪痕と何ら変わりなく、安倍政権の国土強靭化対策が、あるいは強靭なふるさとづくり対策が自然の猛威に楯突く人知・人力となり得ていない光景しか見えてこない。

 特に球磨川の支流である「小川」が氾濫して、1階部分が完全に水に浸かった特別養護老人ホーム「千寿園」では入所者の51人の生存が確認された一方で、14人もが心肺停止となったとマスコミは報道しているが、「千寿園」は球磨川とその支流である「小川」の合流点からは約400メートル離れた距離であることから、球磨川が増水によって得た水嵩と流れの勢いが支流の本流よりもより弱い水の流れを遮る壁の役目を果たして、その流れを押し返す「バックウォーター現象」によって支流の増水を招き、その増水がついには支流自身の堤を越える氾濫を誘った可能性が高い。

 「バックウォーター現象」による支流の氾濫は本流との合流点から約1キロ以内で発生する危険性が高いという。「千寿園」は既に触れているように球磨川との合流点から約400メートルしか離れていない支流のすぐ脇に位置している。

 事実は「バックウォーター現象」が招いた氾濫でなくても、「バックウォーター現象」は既に広く知られている知識なのだから、その危険性がある場所として何らかの人知・人力を以ってそれ相応の対策を施すべき場所ではなかったろうか。

 だが、何も対策を施していなかった。施していたとしても、役に立たない対策だったことになる。

 安倍晋三は7月4日の午前11時23分から同38分まで、熊本、鹿児島両県などの大雨に関する「関係閣僚会議」を開いている(時事ドットコム「首相動静」)。

 「政府として、今回の大雨を踏まえ、何よりも人命第一に地元自治体と連携し、被害状況の把握、応急対策に万全を挙げています」と発言し、「各位にあっては、国民の皆様に対し、避難や大雨・河川に関する情報提供を引き続き適時、的確に行うとともに、被害が発生している地域においては、地元自治体と連携しつつ、政府一体となって、人命第一で応急対策に万全で取り組んでください。また、各地で開設されている避難所に対しては、新型コロナウイルス感染症対策も十分に考慮の上、必要な物資をプッシュ型で提供してください」等、発言している。

 千寿園の14人の心肺停止は蒲島郁夫熊本県知事が7月4日午後5時前に記者団に対して明らかにしたということだから、安倍晋三は7月4日午前11時23分からの関係閣僚会議では把握していなかった情報だろうが、大きな自然災害が起きるたびにいつも、いつも「何よりも人命第一」を言い、避難所に避難している住民に対してはいつもいつも必要な物資のプッシュ型提供を口にする。

 但しこういった発言は安倍政権下の「国土強靭化」対策、「強靭なふるさとづくり」対策がある程度の成功を収め、自然の猛威に対しての人間の無力感を少しは和らげ、「国土強靭化」と「強靭なふるさとづくり」に関わる安倍政権の人知・人力を国民が少しは感じ取る状況にあることを前提としていなければならない。

 前提とすることができずに大規模な自然災害が発生するたびに何ら変わらない被害光景が繰り返しているなら、少なくとも被害地域に於いては対策が力となっていないからこその同じ光景でり、そうである以上、「何よりも人命第一」の発言は空疎そのものとなるだけではなく、同じく対策が力となっていないことの延長線上にある避難所の開設であり、必要な物資のプッシュ型提供にしても同じ線上にある結果論に過ぎないことになる。

 対策より自然災害の猛威の方が常に上回ると言ってしまったなら、人知・人力に賭ける人間の意志力を自ら放棄することになって、自然災害対策は後追いの形を取ることになり、自然災害の猛威に追いつき、追い越すことのない永遠の追っかけっことなる。

 確かに自然災害は場所を選ばない。自然災害の猛威に対してそれを防ぐ公共土木事業をいくら積み重ねても、自然災害発生場所が一歩違うと、対策は空振りに終わって、何ら変わらない被害光景を曝け出すことになる。その一方で、国土強靭化の防災・減災の公共土木工事を以ってして日本国土の全てを残らずカバーすることはカネの面(予算の面)で不可能なことも常識としているはずである。

 であるなら、カネをかけない防災・減災の国土強靭化を国土を可能な限りより広く、そして可能な限りより短時間に覆う人知・人力を発揮する必要が生じる。

 例えば先に例を挙げた球磨川本流から支流沿いに合流地点から僅か400メートル程離れた千寿園が支流の氾濫によって1階部分が水没、14人が心肺停止状態となったことは「バックウォーター現象」が発生しやすい場所として前以って川堤の嵩上げが必要箇所となるが、そのような場所は日本全国至るところにあって、川堤の造り替えから始めていたなら、全ての箇所の工事を終えるには気が遠くなるくらいの時間とカネを必要とし、その間に工事前の場所が大雨によって氾濫し、多くの死者を出す事態を招くことも否定できない。

 但し造り替えずに強度を十分に保つ工事方法は存在する。

 左側の画像は2019年10月の台風第19号で長野市千曲川の堤防が約70メートルに亘って決壊した箇所を、土木工事の土留めに使う鋼板製のシートパイルで工事終了までに新たな水害を阻止するために決壊箇所を塞いだもので、産経ニュースは「本堤防と同程度の強度がある」と伝えている。

 ニュース写真で見ると、千寿園の脇を流れる支流は単なる土手で、コンクリート製ではない。コンクリート製なら、鉄筋を繋ぎにして新たに同じ幅のコンクリートを打つことで嵩上げはできるが、土手の場合は単に上に新たに土を盛っただけでは強度を保つことができず、強度を足すためには新たにコンクリート製の堤に造り変えるかする方法しかなく、工事費がかかることになる。

 但し画像にあるようにシートパイルを並べて土中に打ち、現在の土手の表面からシートパイルの頭を1メートルか2メートル、大雨の際に予想される水位の高さにまで覗かせる形にすれば、嵩上げした川堤の役を果たすことになるし、シートパイルは大型重機に吊るして振動で打ち込むだけだから、さして時間がかかる工事とはならないし、シートパイルに溶融亜鉛めっきを施せば、錆びや腐食を発生しにくくして、長持ちさせることができると言う。土手から鉄板が出ていて見栄えが悪ければ、蔦を這わせるなりすれば、見栄えの悪さをカバーできる。あるいは溶融亜鉛めっきを施した場合は表面が白銀色になるから、そのまま放置しておいても、見栄えはさほど悪くならない。

 さらに川の堤防決壊や増水による河川の氾濫の原因の多くは大雨による山の土砂崩れが樹木を根こそぎにして、その樹木を土砂と共に山の麓にまで滑らせ、さらに増水した川に押し流して流木とし、その流木が橋脚に引っかかって水をせき止める役目を果たすことになって、川の水を更に増水させて氾濫や堤防の決壊を誘うことにある。

 このような状況を防ぐ方法は橋脚のない橋に架け替えることが最善の方法となるが、どの自治体も寿命が来た橋をすべて架け替えるだけのカネがなくて、補修、補修で誤魔化している状況にある。

 となると、新規に架け替えるよりも安価に済む方法で橋脚を撤去するしかない。左側画像は2020年6月20日に開通した、周辺の渋滞緩和と東京オリンピック・パラリンピックの開催の際には選手などの輸送ルートとする目的の「海の森大橋」で、長さが250メートル、アーチ橋であって、橋脚は存在しない。

 画像にあるようなアーチ部分と既存の橋に橋桁から下に出る長さで上からすっぽりかぶせることができる広さで側板をアーチの左右下部に取り付けてから、その側板を橋桁を両脇から挟む形にアーチ全体を吊り降ろす状態にして、橋脚部分を除いて、H鋼で橋桁の下から左右の側板を繋いで、アーチ全体を既存の橋に固定して、それから橋脚を抜けば、新しく橋を架け替える間の交通遮断も1日か2日で済み、仮の橋を架ける必要もなく、安価でより短時間で橋脚のない橋に架け替えることができる。

 山の斜面に道路が走っていて、その道路のすぐ脇に川が流れているような地区の橋が山崩れによって発生した流木が川に流れ込んで橋脚箇所で堰を造ってしまう危険性を避けるためにはこのような方法で橋脚をなくしていくことが求められているはずである。

 今回の大雨がやんだあと、住民が建物の中に流れ込んだ泥濘や道路の泥濘をスコップで掬って、ネコ車に積み、片付けるいつものシーンにお目にかかったが、再び雨が降り出してきて、遣り直さなければならないことを思い遣ってのことなのだろう、疲れて落胆した様子を見せていたが、10トンクラスの泥濘をホースで吸い取るバキュームカーを用意していれば、例え雨が降ってきて作業を中止しなければならなかったとしても、雨が止めば、人力よりも短時間で労力も使わずに泥濘を片付けることができる。

 自衛隊に兵器を何百億と掛けるだけではなく、災害対処部隊の役目も負っているのだから、兵器に掛けるカネをバキュームカーにも回して、災害のたびに出動させたなら、家が流された、水に浸かったとタダでさえ落胆している被災者の労苦を軽くすることができるはずである。

 安倍政権は「国土強靭化だ」、「強靭なふるさとづくり」だ、「人命第一だ」と言う割に防災・減災に向けて人知・人力を最大限に尽くしていると言えるだろうか。

 毎年毎年、大雨が降る時期になると、今年もどこかで大きな被害が出ると予想しなければならないことが証明しているように、少なくとも「国土強靭化」にしても、「強靭なふるさとづくり」にしても、国民は確かさを感じ取ることができないままでいる。にも関わらず、自然災害で大きな被害が発生するたびに「人命第一」を言うのは、明らかに鉄面皮に過ぎる。
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