2012年9月の自由民主党総裁選挙で安倍晋三の推薦人に名を連ねた、その甲斐あってのことか2015年10月7日発足の第3次安倍第1次改造内閣で初入閣を果たした一億総活躍担当相の加藤勝信(60)が2016年7月26日に19人殺害、26人重軽傷の現場、障害者施設「津久井やまゆり園」を2016年8月29日に視察した。
献花台に花を手向けたあと、入所者らの様子などを視察したという。
加藤勝信(記者団に)「加害者が障害者の存在を否定するような発言をしたことは断じて許すことができない。一人一人、障害があってもなくても、尊重され、かけがえのない存在だ。
障害者に対し国民の関心が向き、理解が一層深まるような広報・啓発活動などを具体的に進めていきたい」(NHK NEWS WEB)
月並み・紋切り型の尤もらしいことしか言っていない。この手の尤もらしいことを発信するために視察したのだろうか。
国家公安委員長の河野太郎も2016年8月3日に「やまゆり園」を視察している。
学校現場で生徒一人ひとりはそれぞれが「かけがえのない存在」だといくら教えても、あるいはそのような存在だと理解を深め合う教育をいくらしても、イジメはなくならない。イジメて自殺に追い込む例は跡を絶たないし、イジメが激しい暴力にエスカレート、制御が利かなくなって殺してしまう例もなくならない。
イジメは多くの人間の目には自殺や殺人によって突発的に表面に荒々しい姿を現すが、姿を現すまでの潜伏期間はそれぞれが一定の長さを持っているもので、それゆえにその期間、イジメを加える側とイジメを受ける側の当事者のみの出来事として潜伏させることは難しく、例えそれが学校外で行われていたとしても、当事者以外の第三者の目に、それが少数であったとしても、何らかの形で触れるか映るかして潜伏する形を取ることが多い。
当然、学校内のイジメとなると、かなりの数の生徒の目に触れることにもなる。
イジメを受けていた上に2015年2月20日に川崎市の多摩川河川敷で3人のイジメ加害者から殺害された13歳の中学1年の場合も、その生徒がその年の1月から学校に登校していなかったことはその原因が何であるかは分からないままにイジメの潜伏期間中、長期欠席という形でその生徒の姿は少なくとも担任教師の目に映っていたはずである。
さらに学校に来なくなってから顔にアザができる怪我をしていたことを学校の複数の生徒が目撃していたということだから、それがイジメではないかと予想できたとしても、直接目にしたわけではないから断定できないものの、少なくとも顔のアザを目に触れていたことになる。
学校側は長期欠席に対して殺害されるまで生徒と接触したのは1度のみだったという。
要するに学校側は長期欠席を単なる長期欠席で片付けずにそこに必ずや含まれている生徒に関わる様々な情報を処理する責任があった。単なるズル休みで、ゲームセンターに入り浸っていただけが長期欠席に含まれていた情報だと判明したとしても、情報処理の姿勢があったなら、複数の生徒が目撃した顔の怪我の情報に行き当たる可能性は否定できない。
もし長期欠席の情報と顔の怪我の情報を結びつけることができたなら、殺害を避け得た可能性も否定できない。
だが、学校側はイジメの潜伏期間中にそういった情報処理を行うだけの能力を持たなかった。そのためにイジメが潜伏する形で進行していることに気づくことができなかった。
「津久井やまゆり園」の殺害も殺害犯植松聖(さとし・26歳)の中で障害者殺害の欲求が潜伏する形で進行していた。だが、その欲求の潜伏期間中、それが誰の目にも触れず、映りもしなかったかというと、そうではない。
2016年2月14日に衆議院議長の公邸に出向き渡そうとしたが果たせず、翌日の2月16日にも出向いて手渡すことができた手紙の内容は障害者殺害の予告とも言うべき情報を含んでいた。
〈衆議院議長大島理森様
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。
私は障害者総勢470名を抹殺することができます。〉云々で始まり、後の方で犯行方法を具体的に述べているが、その情報とほぼ同じ犯行方法で障害者殺害を決行している。
但し衆議院議長側が内容から衆議院の事務局を通して警察に通報、手紙を提供したが、殺害を予告する情報として処理するために通報したのかどうかは分からない。単に不穏な内容だからと警察に通報したのかもしれない。
警視庁が2月15日中に津久井警察署に情報を提供した。単に提供するだけの情報処理に終わったようだ。そして津久井警察署も単に情報の提供を受けただけで終わらせたようだ。
手紙には本人の名前も電話番号も勤務先も書いてありがなら、津久井警察署は本人に参考人として出頭を求めて事情聴取するといったことは一切していないからだ。
つまり警視庁も津久井警察署も手紙の内容から殺害予告の可能性を疑う情報処理を行わなかった。
警視庁が津久井警察署に情報提供した2月15日から4日後の2月18日、植松聖は勤務中に同僚職員に対して「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させたほうがいい」と発言。
職員は施設園長に報告。園長が植松聖に対して発言の真意を尋ねるためにだろう、面談することになった。
と言うことは、津久井警察署は植松聖が衆議院議長公邸に手渡した手紙の内容を「津久井やまゆり園」側に伝える情報処理を行っていなかったことになる。
そういった情報処理を施していたなら、園側は直ちに植松聖と面談しただろうからである。
面談のキッカケはあくまでも同僚職員に話した危険な発言となっている。
同僚職員に対する「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させたほうがいい」という発言は手紙の内容とその欲求に於いて一致している。
園側は植松聖が考えを改めなかったことから翌2月19日に警察に通報、津久井警察署は衆議院議長公邸に手渡した手紙の内容と合わせて「他人を傷つけるおそれがある」と判断し、相模原市に連絡、相模原市は緊急の措置入院を決め、植松聖は同日入院。
少なくともこの時点で初めて手紙の内容と同僚職員に対する発言双方を突き合わせて、殺害までは想定しない加害の危険性を読み取る情報処理を施すことになった。
病院側は入院から12日後の3月2日に症状の改善と容疑者本人の反省の言葉を受けて、医師が「他人を傷つける恐れがなくなった」と診断、相模原市に対して「措置入院者の症状消退届」を提出、承認を得て、退院の運びとなった。
だが、7月26日午前2時半過ぎに手紙や発言で自らの欲求として第三者の目に触れさせることになった情報とほぼ同じ障害者抹殺を決行した。
殺害を止めることができるかどうかの全ては植松聖の障害者殺害欲求の潜伏期間中にその欲求を目に触れるか目に映ったりしたかした各段階に於ける関係者の情報処理の能力にかかっていたはずだ。
緊急措置入院を引き受けた病院側も植松聖が衆議院議長公邸に手渡した手紙を読んでいたはずだから、同僚職員に対する発言と合わせて手紙の一言一句にどのような情報処理を施していたのだろうか。
10日やそこらで退院させたのだから、殺害欲求が潜在意識下に深く根づいた病的な疾患ではないかと疑う情報処理は行わなかった。
各段階に於いて関係者全てがもしも出発点を読み違えていたなら、情報処理は満足に推移しようがない。最初から不完全な情報処理のままで推移する。
加藤勝信にしても河野太郎にしても、その視察からは全ては情報処理の問題だと、そこに焦点を当てた節は見えてこない。当てるだけの頭は持ち合わせていなかった。そのような視察に果たしてどれ程の意味がるのだろうか。
全ては情報処理の問題だとすることによって、イジメにしても殺人にしても、よりよく防ぐ手立てを見い出すことができるはずだ。
リオデジャネイロ・オリンピックの閉会式と9月のリオ・パラリンピック閉会式で次回2020年東京オリンピックの東京をPRするための演出に掛けるカネが合わせて約12億円であることが明らかになったと 2016年8月26日付でマスコミが伝えていた。
オリンピックの方の閉幕式は8月21日の夜(日本時間8月22日午前)に既に終了している。約8分間のアトラクションが行われた。ざっと計算すると6億円が既に消費されたことになる。
もしパラリンピック閉会式の東京PRよりもオリンピック閉会式の東京PRの方により多くのカネを掛けたアトラクションを用意していたとなると、障害者の競技を下に見ていることになる。
例え競技への参加者数やそれぞれの競技の規模そのもの、あるいは競技全体の規模、さらには観客動員数(=人気)に差があったとしても、同等のカネを掛けるべきであろう。障害者の競技を下に見るなどという差別があってはならない。
但しこのことと合計12億円と言う大金を掛けることの妥当性は別の問題である。
約8分間のアトラクションの内容は安倍晋三を人気ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」のマリオに扮装させて登場させたこととドラえもんやキャプテン翼など日本が誇るアニメのキャラクターの紹介、最新の映像技術を駆使して約50人の日本人ダンサーが生出演して場を盛り上げたといったところらしい。
そして一番話題に上ったのが安倍マリオの登場の仕方だったという。マスコミはサプライズとして紹介した。
つまり閉会式場の観客の目のみならず、テレビを通して閉会式のアトラクションに目を凝らしていた世界中の多くの目が安倍マリオの登場をサプライズとして受け止め、注目した。
それがサプライズであればある程、人々の脳裏にサプライズが残像として残り、安倍晋三がその後映像や自身の言葉で東京を如何にPRしようとも、残像に邪魔されてサプライズ程の強い印象を与えないということが起こる。
街中で自分のタイプの美しい女性に突然出会い、そのまますれ違っていく。自分にとってのそのサプライズ(=衝撃)が強過ぎて、出会った瞬間の女性の顔以外は街の様子も人通りも、そしてその後のことも記憶から抜け落ちてしまっているといったことが起こるが、それと同様の現象である。
もし安倍晋三が説明する東京のPRが当たり前のように耳に入ってきたとしたら、マリオの姿で登場した姿はそれ程のサプライズ(=衝撃)を与えなかったことになる。例え与えたとしてもほんのいっときのサプライズに過ぎなかったことになる。
前後どちらであったとしても、東京をPRするということについては安倍晋三がわざわざマリオに扮して登場することにさしたる意味はなかったことになる。
あくまでも主目的は効果的な東京のPRであって、安倍晋三の登場の仕方に如何にサプライズを演出するかではない。
大体が各国共に東京オリンピック開催の2020年に向かってテレビや新聞で日本という国、東京という世界的な都市、そこでの日本人の暮らしや文化、歴史を紹介するものである。もし紹介されないようなら、日本という国も東京という都会も、そこでの日本人の暮らしも文化も歴史も興味をそそらない対象ということになる。
いわば日本人が気づかない外国でそれぞれの国のマスメディアが2020年を視野に入れて自国民向けに日本や東京を紹介していくだろうし、それらマスメディアは結果的に東京PRの役目を担うことになる。
日本人アスリートの陸上リレーのバトンタッチの高度の技術といったことも紹介されるかもしれない。
こういったそれぞれのPRの全体はより詳しい、よりバラエティーに富んだ幅の広い内容と合わせて長時間となるだろうから、リオ五輪閉会式で東京をざっと紹介する8分間のアトラクションよりも具体性があり、その分効果的であるだろうし、何よりも日本自らが東京をPRするのは当たり前のことだが、外国が日本や東京をPRするのはそれぞれの外国の目を通して日本や東京の魅力を探し当てる未知への探検の意味合いもあって、その分、それぞれの国の国民の興味を掻き立てる要素を持つことになる。
こういった先のことを見通すと、やはり閉幕式にわざわざ特別なサプライズを用意して12億円の2分の1まで掛けて東京をPRするまでもなく、当たり前の紹介で良かったはずだし、9月のパラリンピック閉会式も右へ倣えでいいはずだ。
肝心なのは2020年を頂点として如何にして盛り上げていくか、如何に外国が自ら進んで盛り上げ役を担ってくれるかであって、閉会式に特別なスポットライトを当てることではないはずだ。
内外のマスコミが、特に日本のマスコミが安倍晋三がマリオの扮装をして登場したこと自体を特別なサプライズとして印象づけている以上、安倍晋三個人の宣伝目的となったとは言うことができるが、そのような個人的なパフォーマンスをサプライズとするために12億円の2分の1を費やしたとなると、どう見てもムダ遣いにしか見えない。
こういった点からだけではない。安倍晋三がアベノミクスで国民に勇気や夢や希望を与えることができているならまだしも許されもするが、逆に失望を与えつつある現状にありながらカネを掛けて自分が目立つためのパフォーマンスを演じ、それをサプライズとするのは自身の役目の履き違えであると同時に現状そのもののゴマカシである。
ムダ遣いまでして役目の履き違えとアベノミクスの現状のゴマカシをマリオの扮装で演じた。
民主党政権時代の菅無能内閣で外相を務め、その他沖縄及び北方対策担当相や 国家戦略担当相を務めた京大卒の前原政治(54)が2016年8月26日、9月に行われる民進党代表選への立候補を表明した。
その模様の一部を8月26日付「産経ニュース」記事から抜粋してみる。
前原誠司「今回の代表選の出馬は、かなり悩みに悩み抜いた。一つは時流が女性であるということだ。英国の首相、ローマの市長、そして東京(都知事)の小池(百合子)氏。また米国の民主党大統領候補もクリントン氏という女性だ。また民進党として初めての代表選。刷新感とか、世代交代感があった方がいいのではないか。そういう意見もあったし、それもあっていい意見だと思う。
では、なぜ私が今回の代表選に出馬する決心をしたのかということについて、主に2つのことを申し上げたい。一つは、これは旧民主党であるが、あれだけ期待をいただきながら、全体として国民の落胆、失望を買ってしまった。私も戦犯の1人だ。この民主党政権の深い反省と後悔に立って、だからこそ、それを身にしみてわかっている人間がもう一度中心となって政権を目指すべきではないかということだ。
私はこの旧民主党政権、何を反省しているかということを申し上げたい。一つは人の好き嫌いで政治をしてしまった。本来、政権与党は国を預かる大切な役割であるにもかかわらず、仲間内で本気で殴り合いをしてしまって、そして結果的に党を分裂させる、壊すような状況になってしまった。
これはどちらも責任がある。稚拙な政権運営をしたということ、二度と繰り返してはいけない。新たに民進党となって新たなスタートを切るときに、この仲間だけはきっちりと結束を強めて、そして政権を目指すんだという思いを持たなくてはいけない。その思いを人一倍持っているのは、戦犯である私ではないか、そういう思いを私は強く持たせていただいている。
もう一つは旧民主党というものが目指した国家像というものは、方向性は間違っていなかった。しかし大きな国家像というものは、まだまだ生煮えでなかったか。つまり自民党政治に飽き飽きした国民が、民主党を後押ししたけれども、国家像とか具体的政策は生煮えではなかったか。こういう思いを強く持っている。
この2つの深い反省をしっかりと踏まえて、やることのできるのは、その戦犯であり、その反省を人一倍抱えている私ではないか。そして党をまとめることができるのではないかとの思いに至った」――
トップに立って政治的な役割を担う地位への女性の進出が目覚ましく、刷新感という点でも世代交代感という点でも女性が受け入れやすい時流となっているが、敢えて立候補することにした。
その理由は民主党が国民の期待を受けて政権を奪還、利益誘導で肥え太った戦後自民党一党支配からの打破を果たしながら、より良い国を目指す国家運営に専念、邁進するのではなく、「人の好き嫌いで(仲間内で相争う)政治をしてしま」い、党を分裂させてしまった。
私もその戦犯の1人だが、「その反省を人一倍抱えている私」こそがその反省に立って「党をまとめることができるのではないかとの思いに至って」立候補することにしたといった趣旨の発言となる。
民主党と維新の党が合流した民進党は2016年3月27日結党大会を開いて岡田克也代表が挨拶(asahi.com)に立っている。
岡田克也「我々は政権・与党として、十分な期待に応えられなかったこと。大事な時に結束できなかったこと。離合集散を繰り返したことを深く反省します。そのうえで不屈の精神で挑戦しなければなりません。民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスであるという認識を持たなければならない。その認識を共有し、力強く前に進もうではありませんか。
・・・・・・・・・・
先ず国民の声に耳を傾けましょう。国民と正直に率直に語りませんか。そして双方向で対話しましょう。国民と共に進む。国民と共に進む。これが民進党です。
夏の参院選挙、危機感を共有する多くの国民とともに戦い抜き、期待に応えましょう。ここで政治の流れを変える。私は代表としてすべて責任を負い、必ず結果を出す。安倍政権が衆参同時選挙をやるというなら、受けて立とうじゃありませんか」――
この認識対象の方向違いは甚だしい。
「民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスであるという認識を持たなければならない」――
国民の途轍もなく大きな期待を担って歴史的な政権交代を果たしたものの、期待が大きかっただけに失望も激しいものがあり、政権交代時の2009年総選挙では308議席獲得の大躍進を果たしたが、小沢派離党で選挙前議席は230議席、それを57議席へと173議席減らすことになった。
2012年選挙では余裕で当選できたが、2012年ではギリギリで当選できたといった例もあるはずだから、173議席減という数字以上の国民の信頼を失った計算になるとみなければならない。
そしてその失った国民の信頼を維新の会と合併して民進党と名を変えても取り戻すことができず、その状況は今日まで続いている。
合流後の産経新聞の世論調査では「民進党に期待しない」68・6%、「期待」27%。共同通信社の世論調査で、「民進党期待しない」67・8%、「期待」26・1%。
これ以降も政党支持率は自民党30%前後に対して民進党は10%を下回ることが多かった。
と言うことは、「民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンス」とするのではなく、国民の信頼を回復する「ラストチャンス」と認識しなければならなかったはずだ。
代表でありながらの認識対象のこの方向違いは決定的に致命的である。
以前、岡田克也のこの挨拶を取り上げて、ブログに国民の信頼回復を先決問題としなければならないのは、〈政権交代であろうと何であろうと、全ては民進党に対する国民の信頼にかかっているからだ。
政権獲得は国民の信頼の上に成り立つ。国民の信頼を取り戻し得て初めて政権交代可能な政治を実現するためのチャンスが訪れ、それをラストチャンスとすることなく、継続的なチャンスとしなければならない。
だが、反省はするものの、国民の信頼回復への視点を欠き、いきなり結党を政権交代可能な政治実現のラストチャンスとする。
つまり自分たちの政権獲得欲求のみを前面に押し出して、国民を自分たちのその欲求の背景に退けている。国民の声に耳を傾けていないのと同然である。〉と書いた。
要するに民進党の代表選に立候補する者は国民の信頼を如何に回復するかを立候補する者としての第一要件に置かなければならない。
但し蓮舫や前原がそのことに気づいて置いたとしても、前原にしても蓮舫にしても民主党をダメにした主たるメンバーであり、岡田克也もその一人だが、信頼を失わせた面々として国民の記憶に今以て強く残っているからこその国民の信頼を喪失した状況の現在進行形でもあるはずだ。
いわば国民の目から見た場合の政治家像として既に信頼喪失の手垢がついてしまっていて、新鮮味をなくしている。
安倍晋三も第1次安倍内閣で国民の信頼を大きく失い、それが民主党政権交代の大きな原動力の一つとなった。だが、その政権交代が安倍晋三に対するよりも倍する国民の信頼を喪失させる原因となったために安倍晋三は息を吹き返すことができた。
こういった機会が民進党代表となった場合の蓮舫や前原誠司に運良く訪れるなら、国民の信頼を回復し、再度の政権交代も夢でなくなる。
だが、そういった不確かな僥倖を求めるよりも、民主党政権失敗の手垢のついていない、国民の信頼喪失の“戦犯”たることを免れることができていた新しい顔を出すことの方が、その新鮮さと攻めの積極性によって国民の期待を掻き立てる契機となり得る可能性は否定できない。
新しい顔に変えることによって変わり映え(新鮮味)が出てくる。出てくるのは民主党政権失敗の手垢のついた面々のみで、変わり映えがしない印象を与えることが、また国民の信頼を回復できない一因ともなっているはずだ。
新しい顔を出す発想がないのだろうか。
民主党に失望し、民進党になっても期待できない国民にとって党の顔になる代表にも何らかのサプライズを求めているはずだ。
自民党幹事長二階俊博が何を血迷ったのか、東京都内で記者団に対して女性天皇に肯定的な考えを示したという。
何を血迷ったのかと表現したのは、安倍晋三、菅義偉、稲田朋美、高市早苗等々、現在安倍政権下で力を得ている面々が女性天皇反対の四面楚歌を奏でている中で突如として独り声を上げたからである。
2016年8月25日付「NHK NEWS WEB」記事からその発言を見てみる。
二階俊博「諸外国でもトップが女性の国がいくつかあるが何の問題も生じていない。日本にもそういうことがあってもよいのではないか。女性がこれだけ各界で活躍している中で、天皇だけが女性では適当でないというのは通らないと思う」
記者「先に天皇陛下が『生前退位』の意向がにじむお気持ちを表明されたことも踏まえて、女性の皇位継承も合わせて議論することが望ましいか」
二階俊博「この機会に一緒にやれればいいだろうが、やれなければ切り離して考えればいい」
この発言に対して官房長官の菅義偉が2016年8月26日午前の記者会見で物申している。「NHK NEWS WEB」(2016年8月26日 12時47分)
菅義偉「政府の立場でコメントすることは控えたい。安定的な皇位の継承を維持することは国家の基本に関わることであり、極めて重要な問題であると認識している。
男系継承が古来例外なく、今日まで維持されてきた。この重みを踏まえながら、安定的な皇位継承の維持について考えていく必要もある」――
記事は菅義偉の発言を慎重な対応の必要性を訴えたものとしているが、「古来例外なく、今日まで維持されてきた」「男系継承」のその歴史的な例外のなさを重いものだと価値づけたのである。
誰が例外をつくろうとするだろうか。安倍晋三等々のゆくゆくは非男系(=女系)となるゆえに女性天皇に反対する復古主義者たちは万世一系と称する男系のその例外のなさに最重要の優越的な価値を置いているのである。
菅義偉は慎重な対応の必要性を訴えるように見せかけながら、男系継承の歴史的な例外のなさ、それゆえの歴史的な重みを持ち出して女性天皇に実は反対したのである。
安倍晋三にしても、菅義偉、稲田朋美、高市早苗の親分として勿論、女系天皇反対派の最右翼の位置に立っている。
以前ブログに取り上げたが、2005年(平成17年)1月26日、当時の小泉首相が私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」を設置、同2005年10月25日、有識者会議は全会一致で皇位継承資格を「皇族女子」と「女系皇族」へ拡大することを決めたが、後任の安倍晋三は女系天皇反対の立場から、有識者会議が結論づけた「直系長子優先継承、女系継承容認」の報告を白紙に戻している。
「直系長子優先継承、女系継承容認」の「長子」とは第一子を指す。例え直系長子(=第一子)が女性であっても、優先的に皇位を継ぎ、その男系の女性天皇が一般男性と結婚して子どもを設けて、それが男性であれ、女性であれ、皇位を継げば女系天皇となるが、それを容認するとした。
また男系とは例え女性天皇であっても、父方(父の血統に属している側)の血を遡って行くと、皇祖神武天皇の血に繋がる系統を言う。
つまり皇祖神武天皇の血を父方を通して受け継いでいないと、例え男性天皇であっても、男系天皇とはなり得ず、皇位(=天皇)を受け継ぐ資格はないことになる。
このことが旧皇室典範と同様、現皇室典範に於いてもその「第1章 皇位継承 第1条」で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」との規定となって現れている。
有識者会議の報告に基づいて男系か女系かを現在の皇太子と雅子妃の子供である愛子内親王を例に取って説明すると、愛子内親王は直系長子(=第一子)として天皇の位を継ぐことができ、父は皇太子、祖父は今上天皇であって、父方の祖先を辿っていけば初代神武天皇につながる血統を有しているために女性天皇であっても男系の天皇ということになるから、問題はないことになる。
但し愛子内親王が結婚して子を設けた場合、その父が男系の皇族でない限り、いわば一般男性であったとき、その父方の祖先をどのように辿っても初代神武天皇に辿り着くことができない非男系となることになって、愛子内親王の子は例え第一子男性であっても現在の皇室典範では天皇を継ぐことができず、継ぐには当時の有識者会議の報告通りの改正を待たなければならない。
つまり皇祖神武天皇の血を父方を通して受け継いでいないことになるからである。
それ程にも皇祖神武天皇の血に最大・絶対の価値を置き、なおかつその最大・絶対の血は父方の血を通して受け継いでいることが皇位継承の絶対要件となっている。
安倍晋三が「皇室典範に関する有識者会議」の「直系長子優先継承、女系継承容認」の報告を白紙に戻した事実を取り上げるだけで、次の代で男系から外れる確率が高い女性天皇と男系とは無縁の女系天皇に猛反対、男系に拘っていることが理解できる。
男系に拘るということは皇祖神武天皇の血と、父方を通して連綿として受け継いでいるその代々の血に拘っていることを意味する。
だからこそ、日本民族の優越性を、あるいは天皇の絶対性を“万世一系”に置く。
安倍晋三のこのような姿勢は、私自身は読むのはカネと時間の問題となるから読んでいないが、2012年1月10日発売「文藝春秋」2月号に 『民主党に皇室典範改正は任せられない 「女性宮家」創設は皇統断絶の“アリの一穴”』と題する寄稿した一文に現れている。
当時民主党野田政権が議論していた「女性宮家創設」に反対する意向を示した文脈の中で述べている発言だという。
安倍晋三「私は、皇室の歴史と断絶した『女系天皇』には、明確に反対である」――
「皇室の歴史と断絶」とは、勿論のこと、父方を通した皇祖神武天皇の血の断絶を指す。
かくまでも天皇家が皇祖神武天皇に始まって代々受け継いている血に価値を起き、恭しいまでに尊んでいる。
安倍晋三と国家主義的歴史認識の点で近親相姦性にある、当時自民党政調会長だった高市早苗も、013年4月27日に読売テレビに出演、女性宮家の創設に関して「皇位継承の話なら明らかに反対だ。男系の皇統は堅持すべきだ」と述べたとマスコミが伝えていた。
最後に安倍晋三一派と歴史認識に於いて同じ穴のムジナである稲田朋美の男系への拘り・女系への拒絶意識を2006年1月7日付で産経新聞に「正論」として寄稿した一文から見てみる。
「『男系維持の伝統』は圧倒的に美しい」
稲田朋美「日本国の憲法である以上、国民統合の象徴としての天皇の存在(二千六百五十年以上も続くこの国の形である)は、成文憲法以前の不文の憲法として確立しており、これを改正することは革命でも起こさない限りできないのである」――
天皇を現人神とし、帝国憲法で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とした戦前ならいざ知らず、民主化した戦後日本で天皇の存在を「二千六百五十年以上も続くこの国の形」だとし、この「国の形」は憲法に優先する「不文の憲法」だから、永遠不変のものだとしている。
この考え方は国民は天皇あっての国民という存在形式を取ることになる。
安倍晋三の「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもので、日本は天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」とする認識、日本国の歴史の主人公を天皇に置いている考え方とそっくり同じである。
稲田朋美は上記「正論」で、「皇位の継承の本質が何かは男女の平等や、今はやりの『ジェンダー』論争とは何の関係もない。皇位の継承は、現行憲法や旧皇室典範が制定される二千五百年以上も前から厳然として存在した。これを伝統といわずして何を伝統というのか。そしてその伝統の中心は男系の維持にあった」と書き、「皇位の継承における最初のAは、二千六百五十年以上も厳然と続いてきた男系維持の伝統(父をたどれば神武天皇になる)である。私はこの理屈を越えた系譜を圧倒的に美しいと感じている一人であり、日本人とはこれを美しいと感じる民族なのである」と書いている。
稲田朋美が「皇位の継承の本質は男女の平等や、今はやりの『ジェンダー』論争とは何の関係もない」と言おうと、どう言おうと、「父をたどれば神武天皇になる」と書き、そのことを以て美しい「男系維持の伝統」だとしている以上、皇祖神武天皇の血と、それを父方を通して延々として受け継いでいる代々の天皇の血(=男系の血)に最大・絶対の価値観を置いていることの告白としかならない。
この男系の血の最大尊重は、それが天皇家に限定した価値観だとしても、遠い過去に於いて天皇家とその周囲の世俗権力者たちが女性の血よりも男の血に絶対的且つ優越的な権威を置いていたからこそ成り立たせることができた男系であり、その繰返しとしての伝統であって、男の血と女の血に同等の権威を置いていたなら、決して歴史に現れることはなかった男系の維持であったはずである。
いわば安倍晋三や菅義偉、あるいは稲田朋美や高市早苗等々の現代の天皇主義者であると同時に復古主義者たちは遠い過去の世俗権力者たちと同様に今以て男性上位・女性下位の価値観で天皇家を律しようとしている。
その点に天皇家の価値を最大限に置こうとしている。
だからこそ復古主義者なのである。その復古主義は天皇主義をベースに置いている。
安倍晋三夫人安倍昭恵が戦後75年目という節目の年に当たる2016年8月22日にハワイの真珠湾を訪問、アリゾナ記念館で日本軍の奇襲攻撃で亡くなった約2400名の犠牲者に祈りを捧げたという。
真珠湾攻撃は日本時間1941年12月8日未明、ハワイ時間12月7日だそうだ。
この訪問を「現代ビジネス」が、《安倍昭恵・首相夫人が単身パールハーバーを慰霊訪問した理由》と言う題名の8月22日付記事と、《昭恵夫人が語った安倍首相「真珠湾訪問の可能性」》と言う題名の8月23日付記事で取り上げている。
アリゾナ記念館を訪れたのは真珠湾攻撃が実施されたのと同じ午前7時55分だというから、なかなか念の入った訪問である。
「オバマ大統領が広島に訪問したことで、被爆地ヒロシマのこと、そしてあの戦争のことを改めて考える機会を持った方も多いはずです。パールハーバーについて、様々な議論や見方があるのは知っていますが、憎しみや怒りを超えて、次の世代にこの記憶を語り継いでいかなければならないと思っています。
犠牲者を悼むとともに、これまでの平和に感謝し、これからの平和を築いていくために、祈りを捧げました」・・・・・・・
「この一年、戦後70年ということで、戦争について考える機会がたくさんありました。今年5月には、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問し、17分間のスピーチで平和の尊さを訴えました。そのスピーチに感動を覚えながら、日本もアメリカも、お互いに過去を振り返り、そして、さらに前に進む時期に来たのだな、と気づきました」
「私たちには、次の世代に歴史の記憶を託していく義務があります。しかし、その歴史について、実際にふれて学んだものと、教科書で習ったものとでは、伝えられるものがまったく違うと思うのです」・・・・・・・
「一方で想像していた以上に、アメリカが冷静に歴史を振り返っていることも感じました。というのも、展示された資料を見ていると、日本軍が残忍だった、というようなことが書かれているわけではありません。正直に言うと、来る前はもっと″怒り″が全面に出された施設なのかと思っていました。
ところが、展示物を見ると、日本には日本の経済的な事情、国際社会の中での苦しみがあった、というような説明書きが随所にありました。『リメンバー・パールハーバー』という言葉が、怒りや憎しみの代名詞ではないと気づくとともに、アメリカが成熟した民主主義の国であり、そして日本とアメリカがそうした歴史を踏まえたうえで成熟した関係を築いている、ということをあらためて実感しました」・・・・・・・
「まず、私はこの世界で最も尊重すべきものは平和であると考えています。そこで、平和な世界を築くために、私にできることはなんだろう、ということはよく考えます。
主人は、日々世界各国の首脳と話し合う中で、国際協調に取り組んでいます。彼が日本の平和のため、世界の平和のために懸命に努力していることは、間違いありません。しかし、これは日本に限ったことではありませんが、権力者はなかなか理想ばかりを語っていられません。『平和、平和』と口にしても、国際政治では必ず利害が衝突してしまいますから。
だからこそ、私は理想を語るのです。平和な世界を築くためには、力なき人たちの横のつながりを強くしていくことが大事だと思っています。それは、女性や子ども、そして貧困に苦しむ人たちだったり、少数民族だったり、LGBTの人たちだったり、障害を持った方々だったり…。そうした人たちに会い、苦しみについて聞き、解決の手段を考え、同じように苦しんでいる人たちが手を取りあうきっかけをつくる。それが、私の役割だと思っています」・・・・・・・
多くの人を共鳴させる尤もらしい言い回しとなっている。
「憎しみや怒りを超えて、次の世代にこの記憶を語り継いでいかなければならない」と言い、「日本もアメリカも、お互いに過去を振り返り、そして、さらに前に進む時期に来たのだな、と気づきました」と言っている。
だがである、日本の現在の国家権力層を形成する多くが日本の戦前の戦争を侵略戦争とする歴史認識に立たず、自存自衛の戦争だと歴史認識している。
当然、「お互いに過去を振り返」ったとしても、それぞれに思い描いている過去は相互に異なることになる。
多分、本人は気づいていないのだろう、安倍昭恵は異なる過去を一緒くたにする詐術を用いた。
そもそも戦後日本の国家権力層が戦争を総括せずに放置してきたのは、総括して打ち立てるべきと思い定めている歴史認識が前者ではなく、後者と定めていて、それが世界の常識に受け入れられず、反発を受けることを知っていたからだろう。
望み通りの戦争総括ができないために仕方なく彼らは靖国神社参拝を通して「お国のために戦った戦争だ」と、その戦争を自存自衛の戦争として肯定し、戦争肯定を通して戦前国家を肯定する儀式に邁進することになる。
安倍昭恵にしても2015年5月21日に靖国神社を参拝し、「先の『大東亜戦争』は、我が国の自存自衛と人種平等による国際秩序の構築を目指すことを目的とした戦いでした」とする歴史認識を掲げている靖国神社内の遊就館にまで訪れている。
当然、アメリカが奇襲を受けたパールハーバーに建てたアリゾナ記念館の「展示物を見ると、日本には日本の経済的な事情、国際社会の中での苦しみがあった、というような説明書きが随所にありました」と言っていることはある種の免罪となって、自存自衛の戦争とする歴史認識に好都合となる。
だが、真珠湾奇襲作戦は日本海軍航空隊の航空機によって日本時間1941年12月8日未明に開始され、その日のうち午前9時前に終わった半日だけの攻撃であって、犠牲者は約2400名、それ以降の日米戦闘で日本軍と戦ったアメリカ軍の多くの兵士が犠牲とはなったものの、真珠湾攻撃に関しては日本の陸軍部隊がハワイに上陸してアメリカ国民を蹂躙したわけでもなく、それ以後もアメリカの如何なる国土にも上陸してはいないし、航空攻撃を仕掛けているわけではない。
その点、アメリカの国民は余裕を持って戦争を振返る余地があると見なければならない。
国土と国民を激しく蹂躙された中国や台湾、タイ、マレーシア、フィリッピン、インドネシア等々とはその罪深さの点に於いて大きく異なる。「日本の経済的な事情、国際社会の中での苦しみがあった」からと言って、他国の領土と国民を武力で暴力的に侵害していいという理由とはならない。
当然、如何なる免罪とすることもできない。
要するに安倍昭恵は、本人は気づいていなくても、安倍晋三と同様に侵略戦争とする歴史認識ではなく、自存自衛の戦争だとする歴史認識に立って、それゆえに可能としている戦争総括を抜きにほんの端っこの一部を手に触れただけで、戦争の全体と、その全体に基づいた未来を語ろうとしているに過ぎない。
オバマが広島を訪問したことの日本側の同種の行為として安倍晋三が真珠湾を訪問すべきだとの声が上がったが、訪問時のオバマとの首脳会談後の記者会見で「訪問の計画はない」と答えている。
この点について「現代ビジネス」の編集者は安倍昭恵に尋ねている。オバマ広島訪問後、広島平和記念資料館への訪問者が増えたという。
記者「それこそ安倍首相が真珠湾を訪問すれば、さらに注目が集まり、多くの日本人が訪れるようになるかもしれませんね。オバマ大統領が広島を訪問したことを受けて、安倍首相も真珠湾を訪問すべきだという声が聞こえてきます。昭恵さんは、その可能性についてどう思われますか?」
安倍昭恵「夫は夫、私は私ですから、行ったほうがいい、と進言したりはしません。でも、夫も訪問したいと思っているかもしれません。私が『パールハーバーに行ってきます』と伝えたところ、神妙な面持ちをしていましたから」
例え訪問することになったとしても、表面的にどのようなパフォーマンスを言葉とジェスチャーで演じて見せようとも、安倍晋三の精神そのものは戦争の総括を置き去りにすることで答を日本の戦争を侵略戦争とするのではなく、自存自衛の戦争だと成り立たせた歴史認識を見えない後光のように掲げて過去を振返り、翻って将来の平和を語る当り障りのない訪問とするに違いない。
民進党代表代行の蓮舫が2016年8月23日に日本外国特派員協会で記者会見し、民進党代表の岡田克也を評して「つまらない男」と発言したことがマスコミを賑わしている。
発言の全文一部を取り上げている8月23日付「The Page」から、その発言個所を見てみる。発言一部残りは有料となっていて、会員となって会費を払わないと読むことはできない。
蓮舫「あとは、民進党のイメージを思いっきり、私が代表にさせていただくことで変えたいと思います。ここが大事なので、ぜひ編集しないでいただきたいんですが、私は岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います。人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います。ぜひ、皆さんのご支援いただければ、このあとぜひ、質疑応答で議論させてください。ありがとうございました」
蓮舫はこの発言個所に関する朝日新聞デジタルの記事の取り上げ方について同日付の自身のツイッターで異を唱えていることを「J-CASTニュース」記事が伝えている。
蓮舫「この編集のされ方は残念すぎます。私は『編集しないでほしい』との前提で、岡田代表への敬意を表しました。その上で、ユーモアのない真面目さを現場で伝えたかったのです」――
「朝日新聞デジタル」が紹介している発言は次のようになっている。
蓮舫「民進党のイメージを思いっ切り、私が代表にさせていただくことで変えたい。私は岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて、本当につまらない男だと思いました。人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います。ぜひ、みなさんのご支援をいただければ」――
「ここが大事なので、ぜひ編集しないでいただきたいんですが」と発言した個所を抜かしているだけで、岡田が「本当につまらない男だ」と発言している肝心の箇所は何ら編集していない。
蓮舫が「1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います。人間はユニークが大事です」と言っている以上、「人間的にユニークさのない本当につまらない男だ」との意味となる。その上で、「私にはそれがあると思います」との表現で、「私は岡田克也と違ってユニークさある」と、そのような性格か資質のあることを自ら保証した。
要するに蓮舫は岡田克也はユニークさのない平々凡々な「本当につまらない男」に過ぎないと酷評したのである。
一見すると、日本外国特派員協会の記者会見では具体的には触れていないためにこのユニークさのなさを単なる人間的性格に関してのみ指摘したのか、岡田克也の政治的資質について言及したかが問題となるように見えるが、民進党代表選に立候補する政治家としての立場から現在の代表である岡田克也にはユニークさがない、自分にはそれがあると、自身が代表になった場合と岡田克也と言う現在の代表を見比べているのだから、否応もなしに政治的資質についての評価ということになる。
つまり、「政治的な資質の点に於いてユニークさのない本当につまらない男だ」と、岡田克也よりも蓮舫自身を政治的ユニークさの点で遥か上に置き、自分こそ民進党の代表に相応しいとした。
勿論、こういった批判も可能だし、許されもする。但し「1年半一緒にいて」と言っているが、第1次菅内閣の時、岡田克也は外相、蓮舫は内閣府特命担当大臣(行政刷新担等)を務め、それぞれに内閣の一員を形成していた。
また野田佳彦が最終的に選出された2011年8月29日の民主党代表選挙では幹事長だった岡田克也が野田の選対顧問を務め、蓮舫は野田の推薦人に名前を連ねている。
いわば菅内閣以降、岡田も蓮舫もお互いが執行部に所属していたか、あるいはどちらかが所属していなくても、執行部に近い人脈という関係を築き合っていた決して1年半やそこらの親しい関係ではない。
にも関わらず、岡田克也が代表を務めていたこの「1年半」で岡田の政治的資質のユニークさの欠如に今更に気づいたかのように言う。
このゴマカシは限りなく胡散臭い。
さらに自身のツイッターで、「岡田代表への敬意を表しました。その上で、ユーモアのない真面目さを現場で伝えたかったのです」と、「本当につまらない男だ」との発言をさも人間的性格に関してのみの言及だったと思わせるゴマカシも胡散臭い限りである。
政治的な資質の点でユニークさを欠いているとするニュアンスで評価した「本当につまらない男だ」が、「ユーモアのない真面目さ」とどう繋がるというのだろうか。
否定の肯定という経緯を踏む評価の方法がある。
一般的にこの方法に則った場合、「彼はユーモアのないただ真面目一方の本当につまらない男だが」と事実その通りの否定的評価を最初に持ってくるが、それと対比させて、「但し何々の仕事を任せたなら、彼の右に出る者はそうそうはいない」と、否定的評価と比較した高い肯定的評価で締めくくる方法である。
最後にこの高い肯定的評価を持ってきてこそ、「岡田代表への敬意を表しました」と正面切って言うことができる。
だが、日本外国特派員協会での発言はそういった経緯を一切踏んでいない。
大体が代表選に臨む立場の蓮舫が代表になった場合の自身の優越性を与党の政策と比較した自身の政策に置かずに岡田代表の政治的資質のユニークさのなさに置いてどうなると言うのだろうか。
どこを叩いても、小賢しさだけしか出てこない。
この小賢しさは今夏の参院選で岡田克也が進めた共産党との野党共闘についての発言にも見ることができる。
「asahi.com」(2016年8月23日22時36分)
蓮舫「1人区という特殊な選挙区で、野党がバラバラに出すことで勝てないという戦いでは、一本化するのは望ましかった。私自身が戦った東京選挙区では、社民党、共産党は敵だ。(共闘は)『路線』ではなく、選挙区事情と地域事情による一つの『戦術』だ」――
確かに1人区で民進党が社民党や共産党と共闘しながら、複数区で議席を争ったのでは与党自公から見たら、その整合性が疑われることになる。だが、反安倍政治に共通点を置いて、そこに整合性を与えたなら、後は有権者を納得させることができるかどうかは自身の言葉の問題である。
民進党は複数区だけで持ってるわけではないから、1人区での野党共闘は必要だが、複数区には悪影響が出るでは自分勝手が過ぎて、小賢しいだけの話となる。
大体からして安倍晋三の新安保法制反対闘争では社民党や共産党、生活の党などと共闘を組んだ。国会前の反対デモでも野党党首は揃い踏みしてそれぞれが反対演説を行った。
2015年9月当時の新安保法制成立期には参議院に安倍晋三に対する問責決議案を民主党が出して、野党揃って賛成の立場で戦い、衆議院には野党共同で内閣不信任決議案を提出している。
にも関わらず、複数区では「社民党、共産党は敵だ」といったあからさまな言葉を使う。「敵」という言葉の意味は相容れることのできないゆえに拒絶反応を感じざるを得ない相手、あるいはまるきり拒絶反応以ってしか対することのできない相手のことを言う。
当然、自公に対して使うべき言葉であって、共闘が必要となる関係からすると、「議席を争わなければならない相手だ」ぐらいのオブラートに包んだ表現こそが相応しいはずだが、それができずに拒絶反応を含んでいる「敵」という表現が口を突いて出たのは言葉のセンスの無さだけではなく、小賢しさからきているはずだ。
確かに蓮舫は頭が切れる。だが、そこに小賢しさが加わっていて、その小賢しさが勝ち過ぎると、逆に「本当につまらない女だ」という評価が行き渡らないとも限らない。
リオデジャネイロ五輪の閉会式は8月21日夜(日本時間8月22日午前)。安倍晋三は4年後の開催都市・東京を紹介すべく閉会式に出席を予定していた。
閉会式場への登場の仕方がなかなかのサプライズだということで大いに受けたらしい。
NHKが放送した動画だったと思うが、最近物忘れがひどい、リオ五輪閉幕式に映し出されたのだろう、日本の幾つかの場面が紹介された後、リオに届けるための赤いボールがアスリートからアスリートへ投げ渡され、最後に安倍晋三がリオに届けるべく受け取る。
次に国会議事堂を背景に安倍晋三が公用車で羽田空港に向かうべく後部座席に鎮座していて、腕時計を気にする。いわば時間が間に合わない設定となっいるが、右手に赤いボールを持ち、脇に赤い帽子を用意している。
字幕が現れる。「I will not make it to Rio in time!」(私は時間内にリオに辿り着くことができない!)
次がアニメ動画の場面となり、ファミリーコンピュータ用ゲームソフトの「スーパーマリオブラザーズ」の赤い帽子を被ったマリオが赤いボールを持って渋谷のスクランブル交差点なのだろう、駆け足で急いでいる。そこへオバケのQ太郎ではない、ドラえもんが空を飛んできて、緑色の大きな土管を交差点の真ん中にドンと置く。
すると土管の下から土管と同じ経の螺旋状の尖った巨大なドリルが地球を東京からリオに向かって掘っていく。その穴にマリオが赤いボールを持ったまま飛び込み、たちまちリオの閉会式場に到達する。
動画はここまでで、リオオリンピック閉会式場の真ん中に土管が置かれていて、その土管から赤い帽子を頭に被り、赤いボールは手に持ち、マリオの服装を擬えた赤とブルーの長いマントを肩に掛けた安倍晋三が登場する。
そして赤い帽子を左手に取って自己紹介宜しく掲げ、次に赤いボールを両手に持ち頭上に掲げた。
歓声が上がる。
これが東京とリオをつなぐ儀式だそうだ。
安倍晋三は閉会式後、マリオに扮装した理由を記者団に喋っている。
安倍晋三「日本のキャラクターの力を借り、日本のソフトパワーを示したかった」(産経ニュース)
しかし安倍晋三が示すべきはアベノミクスのパワーであるはずだ。そのパワーを国内に打ち立て、国外にその凄さを知らしめているなら、その余勢を駆ってどのようなパフォーマンスに興じようとも、アベノミクスのパワーの輝きがそのパフォーマンスをも輝かすことになるだろうが、いわば美人は何をやっても様になるのと同じだが、アベノミクスのパワーを一向に示すことができずに各方面からアベノミクス失敗の宣告を受けている。
アベノミクスがサプライズとなっていない状況下でマリオノの扮装をサプライズとする。そして大いに受けてニンマリとする。
何となく本末転倒の臭いがしないではない。大いに受けるべきはアベノミクスのパワーであるはずだが、そうはなっていないからだ。
尤もアベノミクスのパワーを国内外に見せつけて、安倍晋三ここにありの自身の存在をアピールすることがができないせめてもの代償にリオ五輪閉会式場でマリオに扮することで「日本のキャラクターの力を借り、日本のソフトパワーを示し」て、自身の存在をアピールしたと見ることもできる。
だが、自身の存在をアピールしなければならないのはアベノミクスの成果、そのパワーを以てしてでなければならないことに変わりはない。大いに受けるべきはマリオの扮装ではなく、アベノミクスの成果だということである。
現実は逆を行っている。
安倍晋三は4年後の東京五輪・パラリンピックや日本をPRする「ジャパンハウス」を訪問し、メダル総数が史上最多となった日本選手団と会って、その活躍を讃えたという。
安倍晋三「多くの日本国民が勇気や夢や希望を与えてもらった。心から感謝したい」(時事ドットコム)
確かに安倍晋三が言う通りにリオオリンピック参加の日本選手から、「多くの日本国民が勇気や夢や希望を与えてもらった」。それは事実その通りである。その活躍は4年後の東京オリンピックに大いなる期待をかける原動力となっているはずだ。
だが、多くの国民はアベノミクスから「勇気や夢や希望」を与えて貰えずにいる。与えられたのは一部の富裕層のみである。
人は「勇気や夢や希望」を与えられると、それを明日を生きる、あるいは次を生きる精神的な糧とする。例えそれぞれが与える「勇気や夢や希望」によって自らに植え付ける精神的な糧は種類が異なっていても、その人を明るくし元気づけるという点では共通しているはずだ。
安倍晋三自身が多くの国民にアベノミクスのパワーを以って「勇気や夢や希望」を与えることができていないのにリオオリンピックで活躍したアスリートたちに精神的糧となる種類は違っていても、「勇気や夢や希望」を与えたことを何の済まなさも恥ずかしさもなく感謝できる。
尤も演じるべきパフォーマンスを既に違えていたのだから、気に留めることは何もなかったのかもしれない。
大体がリオオリンピックの次は東京オリンピックだからと言って、安倍晋三がのこのこと閉会式場に姿を現す資格はない。
ブラジルは移民国家である。人種間同士差別は存在するだろうし、社会的格差・貧困の問題も多く抱えているだろうが、ブラジルには多くの他民族を移民として受け入れてきた長い歴史がある。
日本人の場合もブラジル政府が1892年(明治25年)に日本人移民の受け入れを表明、それ以来の移民だそうだから短くない歴史を抱えている。
特にブラジルは異人種間の混血が進んでいて、アメリカとは異なる人種間の融合を果たしているという。
人種に拘りが少ないからこその混血という選択であるはずだ。
そしてリオオリンピックのテーマの一つは「多様性」だそうだ。「多様性」を掲げる意味は「互いの違いを認める」という寛容性への訴えであるはずだ。
開会式なのか、閉会式なのか分からなかったが、女性歌手が「互いの違いを認め、みんな一つだ」とかといった歌を歌っていた。
そこへ移民も難民も原則として認めず、民族の多様性を遠くに置いた単一民族主義的な安倍晋三がマリオの扮装で登場した。
ブラジルの国会は同性婚を合法化していないが、ブラジル最高裁は認めていると「Wikipedia」が解説しているが、明治から続いている日本の歴史的な家族制度を尊び、そこから外れる選択的夫婦別姓や同性婚といったそれぞれの存在の「互いの違いを認める」ことから始まる多様性に拒絶的な安倍晋三が「互いの違いを認める」多様性をテーマとしたリオオリンピックの、例え閉会式であっても登場すること自体が独りよがりな一人夢舞台に過ぎず、既に場違いだったはずだ。
勿論、アベノミクスのパワーでサプライズを演じることができずにマリオでサプライズを演出したこと自体も自己満足の夢舞台であり、場違いそののものと言うことができる。
前地方創生担当相の石破茂が第3次安倍第2次改造内閣の閣外に出て早速アベノミクス批判で出た。閣内にいる間は批判は我慢に我慢を重ねてきたに違いない。
《政権の経済対策「負債になりかねない」 石破氏がクギ》(asahi.com/2016年8月19日20時17分)
8月19日TBS放送の番組収録での安倍政権が打ち出し、「未来への投資を実現する」と銘打った事業規模28・1兆円の経済対策についての発言だそうだ。
石破茂「公共投資がどれ程生産性を上げるか検証しないと、未来への負債になりかねない。総論はみんな賛成だ。じゃあ中身はどうなんだい。補正予算は下手すると財政規律をおかしくする。予算委員会で検証し、政府の行っていることは正しい、と多くの方に理解いただくことが大事だ。
(黒田日銀総裁主導の「黒田バズーカ砲」と呼ばれる異次元の金融緩和策について)軍事マニア的に言うと、バズーカは破壊力は強いが、射程は短い。金融緩和もいつまでも、どこまでもできるものではない」――
2012年12月26日第2次安倍内閣発足の翌年2013年1月11日の記者会見では、「規模の面では、(2012年度)補正予算による財政支出は13兆円、事業規模は20兆円を超える、リーマンショック時の臨時、異例な対応を除けば、史上最大規模となります。この対策によって、実質GDPをおおむね2%押し上げ、約60万人分の雇用を創出してまいります。経済再生への強い意思と明確なコミットメントを示す本格的な経済対策に仕上がっていると思います」と大規模な補正予算を打ち、そのうち景気対策としての公共事業費は財務省の記事によると2兆2500億円。2013年度の公共事業費は当初予算と補正予算を合わせて6兆1千億円程度。2014年度の公共事業費は当初と補正合わせて約6兆2千億円。
2015年度の公共事業費は当初と補正合わせて6兆3700億円程度。そして2016年度当初予算に於ける公共事業費は6兆円近くとなっていた。
そして今回の事業規模28・1兆円の「未来への投資を実現する」経済対策。「21世紀型」と体のいい名前をつけているが、インフラ整備(公共事業)に10.7兆円(財政措置6.2兆円)もつけている。
にも関わらず、石破茂は「公共投資がどれ程生産性を上げるか検証しないと、未来への負債になりかねない」と言っているのだから、28・1兆円以前の公共投資の成果の程が分かろうというものである。
だからこそ、石破茂は「公共投資がどれ程生産性を上げるか検証しないと、未来への負債になりかねない」と言わざるを得なかった。
このことは安倍内閣発足後後3年半で多額の経済対策と公共事業投資を打ちながら、打つについては2014年4月1日からの消費税5%から8%への増税を計算に入れ、さらに2015年10月1日からの8%から10%への再増税を睨んでいたはずだが、結局のところ2014年4月1日の消費税5%から8%への増税を乗り超えることができず、2014年11月18日の記者会見で増税10%の2017年4月への18カ月延期を決定、さらには2016年6月1日に首相官邸で記者会見を開き、消費税率10%増税を2019年10月まで再延期すると正式表明せざるを得なかったことが証明することになる。
2014年11月18日の記者会見では消費税増税延期によって、「消費税率引き上げに向けた環境を整えることができると考えます」と公約し、「再び延期することはない」、「3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその(消費税を10%に持っていくことのできる)経済状況をつくり出すことができる」と確約していながら、その舌の根も乾かぬうちの増税再延期を打ち出さなければならなかったのだから、これまでの多額のコストを掛けた経済対策と公共事業投資が如何に役立たなかったか物語って余りある。
更にこのことは内閣府8月15日発表の2016年4月~6月実質GDP=国内総生産が2期連続のプラスと言うものの、1月~3月比マイナス0.5の0.0%、年率換算でプラス0.2%のほぼ横這いに過ぎないパッとしない内容の内訳が証明することになる。
「NHK NEWS WEB」記事から見てみる。
安倍晋三は給与が上がった、ここに来て正規社員が増えたと盛んにアベノミクスを宣伝しているが、そういった状況に反してGDPの6割を占める「個人消費」が消費者の将来不安からくる節約志向が根強くプラス0.2%にとどまっていると分析されていることである。
国家の主人公は国民である。その過半を占める一般国民の消費活動が抑えられた状況にあり、その主たる原因が将来不安だというのでは政治が国民のより健全な生存状態を保証していないことの提示以外の何ものでもないし、国民がアベノミクスを信用していないことの何よりの証左でもあろう。
今回のGDPが精彩を欠いているもう一つの要因として「企業の設備投資」のうち生産設備への投資が減り0.4%のマイナスなったことだと挙げているが、これは個人消費の低迷がモノが売れない状況、さらに生産設備への投資減に繋がっていく悪循環が一因となっているはずである。
記事は「住宅投資」が日銀のマイナス金利政策で住宅ローンの金利が下がったことが後押しとなって前3カ月に比べて5.0%のプラスとなったと内訳を解説しているが、このことがGDPが全体としてマイナスに陥らずに兎に角もプラスを維持できた主たる原因であるはずだ。
だが、この「住宅投資」も、ロイター記事、《焦点:不動産に供給過剰懸念、マイナス金利で実需なき投資急増》を見ると、様相を異にする。
〈日銀のマイナス金利導入後、今年2月から新設住宅着工が急速に伸びを高め、ここ3年間、年率換算で80万戸台で推移してきた着工戸数は、6月には100万戸を超えた。〉が、〈増加の主体はアパートなど貸し家の動向。4─6月期の持ち家は前年比2.1%増だが、貸し家は11.0%増。分譲住宅は0.5%減〉で、〈「住宅ローン金利の低下で、個人が家を建てるという需要より、相続税対策でアパートを建てるといった不動産業者と変わらない動きの方が強い」〉と金融機関関係者の1人は指摘、貸し家市場におけるバブル的な供給過多現象が起きているという。
そのうえで、〈アベノミクスは供給と需要の好循環を目指しているが、実需が出てこない中で供給ばかり増えれば、かつてのバブル崩壊の二の舞になりかねない。〉と警告を発している。
要するに一部の富裕層を除いて国民が個人消費の低迷につながっている将来不安を投げ出して、そこに安心感を見い出すことができる程にはアベノミクスを信用していないし、そのことはこれまでのアベノミクス経済対策、公共事業投資の結果が招いていることであって、そのことは石破茂も気づいていて、閣外に去ったのを機にその不信用性に触れたということなのだろう。
と言うことは、いよいよ石破茂は反アベノミクスの旗を掲げることになったということなのだろうか。
但し国民の方は他にこれといった経済政策がないことから信用できないアベノミクスに期待するしかない逆説に陥り、だからこそ、消費を抑えて生活防衛に走るという個人の努力に頼ることになる。
そのような中で何よりも経済対策と公共事業投資が何の景気対策にもなっていないことがアベノミクスを国民が信用していない最たる背景となっているはずだ。
にも関わらず、今回事業規模28・1兆円の「未来への投資を実現する」経済対策を打ち出したものの、公共事業に約半分近い10.7兆円を投じる。
石破茂が反アベノミクスの旗を掲げたくなる気持も理解できる。
安倍晋三がオバマ政権が検討している核兵器の先制不使用政策についてハリス米太平洋軍司令官に対して「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」等の理由で反対の意向を直接伝達したと、米政府高官の話として米紙ワシントン・ポストが報じていると8月16日付の各マスコミが一斉に伝えていたが、案の定、この報道を否定した。
「時事ドットコム」記事から見てみる。
8月20日午後、リオ五輪閉会式出席のために向かった羽田空港で記者たちの質問に答えたそうだ。
安倍晋三「(オバマ大統領が考えているとされている核先制不使用政策について)米側はまだ何の決定も行っていないと承知している。今後も米政府と緊密に意思疎通を図っていきたい。
(ハリス米太平洋軍司令官と)核先制不使用に関するやりとりは全くなかった。どうしてこんな報道になるのか分からない。
オバマ大統領と共に広島を訪問し、核なき世界に向けて共に強いメッセージを表明した。今後、着実に前進するよう努力を重ねていきたい」
確かに安倍晋三は日本が唯一の戦争被爆国である悲劇を踏まえて核兵器のない世界に向けた努力の積み重ねを約束している。
そのような安倍晋三がハリス司令官にアメリカは核兵器の先制不使用宣言を行うべきではないと言うはずはない。
8月19日、国連の核軍縮作業部会がジュネーブで開かれた。核兵器禁止に向けた2017年の交渉会合招集を国連総会に勧告する報告書を採択したという。
その結果、新たな核兵器禁止条約づくりの議論が国連総会で今秋から開始されることになったという。
この動きを有効足らしめるためには各国が核兵器禁止で姿勢を一致させることが求められる。
つまり全会一致で勧告案が採択される必要があった。
だが、現実は全会一致は夢のまた夢であったようだ。
米ロなど核保有国は部会に欠席。唯一の戦争被爆国日本は他の12カ国と共に棄権。反対が22カ国。核兵器禁止の交渉会合を2017年に開くことには日独を含む24カ国が時期尚早だとして不賛同を表明したとマスコミは伝えている。
日本政府とは安倍政権を指す。
8月6日の広島平和祈念式典でも8月9日の長崎平和祈念式典でも、「唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、核兵器不拡散条約(NPT)体制の維持及び強化の重要性を訴えてまいります。核兵器国と非核兵器国の双方に協力を求め、また、世界の指導者や若者に被爆の悲惨な実態に触れてもらうことにより、『核兵器のない世界』に向け、努力を積み重ねてまいります」と同じことを約束しておきながら、核兵器禁止に向けた2017年の交渉会合招集を国連総会に勧告する報告書の採択には積極的に賛成するのではなく、禁止にブレーキをかけるような棄権に回った。
この棄権には日本が唯一の戦争被爆国だという強い自覚、だからこそ、核兵器禁止に立ち向かわなければならないという強い決意はどこにも見当たらない。
平和祈念式典での約束に悖(もと)るこのような二重基準からすると、ハリス司令官に対してオバマ政権が検討している核兵器の先制不使用政策に反対の意向を伝えたとしても、逆に二重基準に整合性を与える。
伝えなかったとする方が矛盾が生じることになる。
日本国憲法は核兵器の保有を禁止していないとする安倍晋三の憲法観とも整合性を見い出すことができる。
安倍晋三の核兵器禁止に向けて平和式典で言っていることと実際の行動に違いがあるのだから、平和式典での核廃絶に向けたどのようなメッセージも意味がないことになり、来年から広島の平和祈念式典にも長崎の平和祈念式典にも呼ぶのはやめた方がいい。
その二枚舌を好き勝手に野放しにしておくことはない。
民主党政権から第2次安倍政権が発足したのは2012年12月26日。翌年2013年3月7日の衆議院予算委員会。
安倍晋三「尖閣諸島周辺海域において中国公船による領海侵入が繰り返されている等、我が国を取り巻く情勢は厳しさを増しています。
このため、海上保安庁において、大型巡視船の新規建造や海上保安官の大幅な増員などにより専従の警備体制を確立し、その体制を強化するとともに、自衛隊の艦艇、航空機等を用いた警戒監視と適切に連携するなどして、その警戒警備に、現在、万全を期しているところであります。
そして前政権のこととはいえ、我が方の手のうちにかかわることでございますので、詳細について申し上げることは差し控えさせていただきたいと思いますが、あえて一言申し上げさせていただければ、前政権下においては、過度に軋轢を恐れる余り、我が国の領土、領海、領空を侵す行為に対し当然行うべき警戒警備についても、その手法に極度の縛りがかけられていたというふうに私は承知をしております。
このことは、相手方に対して誤ったメッセージを送ることにもなり、かえって不測の事態を招く結果になることすらある、私はそう判断をしたわけでございまして、安倍内閣を発足させた直後から、この危機的な状況を突破するために、前政権の方針を根本から見直しを行いました。そして、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示したところでございます」――
安倍政権になった以上、中国に対して誤ったメッセージを送ることになった前政権の軟弱な対応を改めて、冷静かつ毅然とした対応を以てして領海侵入を許さないとばかりに大見得を切ったものの、政権交代前後の時期に一頃は月20隻を超えていた領海侵入隻数は2013年10月以降は半分程度に減ってはいるが、それでも月10隻程度で推移していて、領海侵入を止めたという状況とはならなかった。
そこで安倍晋三は中国公船の日本の接続水域の航行、あるいは領海侵入を「力による現状変更の試み」だと批判、何らかの問題で緊張関係にない友好国、あるいは友好国といえる外国を訪れて、「法の支配」を訴えて回った。
安倍晋三は2013年7月25日から3日間の日程でマレーシア、シンガポール、フィリピンの東南アジア3カ国を訪問しているが、7月25日、出発に先立って、羽田空港で記者たちに訪問の抱負を語っている。
安倍晋三「成長著しいASEAN・東南アジア諸国連合の活力を、日本の経済再生に取り込んでいきたい。自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった普遍的価値を共有する国々との連携を強化をしたい」
2015年6月にドイツ・エルマウでG7サミット=先進7か国首脳会議が開かれた。日本時間の6月7日夜、最初のセッションで世界経済や成長などをテーマに意見を交わしたという。
安倍晋三「G7は、自由、民主主義、法の支配といった基本的価値に立脚して国際社会の秩序を支えてきたが、世界には、力による現状変更、暴力的な過激主義の脅威など、安全保障上の脅威が存在する。われわれには基本的な価値を守り、子孫にしっかりと引き渡していく責任がある」
Ḡ7各国首脳とそれぞれ個別首脳会談を行い、「自由、民主主義、法の支配といった基本的価値」の重要性を訴え、「力による現状変更の試み」の存在を批判した。
安倍晋三はこのような外交を「価値観外交」と名づけ、「積極的平和主義外交」と名づけた。第2次安倍政権となってから、このようにまわりまわった訪問国及び地域が63、延べ訪問国・地域が94だそうだ。
2014年11月9日から17日まで中国・北京行われたAPEC首脳会議出席のために一度中国を訪問し、習近平と首脳会談を行っている。
この会談そのものにしてもそうだが、安倍晋三のこのような外交が中国公船の尖閣沖周辺の日本領海への侵入の抑制に役立っているわけではない。
こういった状況に関して2013年7月28日の当ブログに、〈要するに中国以外の各国を回って価値観外交を訴えている安倍対中外交は一人の主婦が自分の価値観を押し通そうとして思い通りにならない近所の主婦に対する面白くない感情を晴らすために近所の別の主婦たちのところに回って、自分の価値観こそが正しい、相手の価値観は間違っていると訴えて同意を得て満足しているような外交に過ぎない。
いくら周囲の同意を得ても、肝心な相手との価値感の違いは解消できるわけではない。〉と書いた。
要するに安倍晋三は中国の日本領海侵入を「力による現状変更の試み」だと世界各国を回っては首脳会談で訴えたことで中国を「力による現状変更の試み」のヒール役に仕立てることに成功はした。
だが、プロレスで言うと、ヒール役のレスラーは正義役のレスラーに最後には退治される。ヒール役の暴虐はいつまでも許されることはない。
暴虐は息の根を止められ、最後はギブアップ――全面降伏する。
安倍晋三の場合はそのようには順調な展開を見せていない。ヒール役を許し続けている。
結局のところ、安倍晋三の「自由、民主主義、法の支配といった基本的価値」を訴える価値観外交や積極平和主義外交が成功しているのは対中国でも対北朝鮮でもなく、その多くが元々「自由、民主主義、法の支配といった基本的価値」を信奉、そのような価値観に基づいて国家を運営し、国民も社会活動している、改めて訴えることもない国々だということである。
現在、安倍晋三の自民党総裁任期延長問題が自民党内で議論されていると、今朝(8月20日)のNHKニュースで報じていた。
道路族のドンであった自民党幹事長の二階俊博が「安倍総理大臣は内政・外交ともに多くの実績を挙げている」ことを理由に党総裁としての任期の延長を検討する協議機関を党内に設けて、年内をメドに結論を得たい考えを示していると伝えていたが、個人消費は伸びずに低迷したままで格差拡大の歯止めがかからない内政とただ単に訪問外国数の多さと首脳会談開催数の多さだけで終わっている外交を以てして安倍晋三の内政・外交の「実績」としているのだから、余程お目出度い自民党に仕上がっているようだ。