安倍晋三の国連安保理米提案対南スーダン武器禁輸等制裁決議案日本棄権は自衛隊海外派遣正当性擁護が目的

2016-12-31 10:48:53 | Weblog

【お断り】

 つまらない衝動に促されてセルバンテスの『ドン・キホーテ』もどきの真似事をすべく、2017年1月1日から1月31日の間、ブログを休みます。

 “もどきの真似事”ですから、話にならないくらい似ても似つかない試み程度と言うことになりますが・・・・・・。よろしく。

 共産党などが戦争法案と呼び習わしている自衛隊の海外派遣や憲法違反の集団的自衛権行使を認める安倍晋三の新安保法案が2016年3月に施行されたことを受けて、武器使用を可能とする「駆け付け警護」等の新任務を付与された陸上自衛隊PKO部隊が任務終了帰国の部隊と入れ替わる形で2016年11月21日、南スーダンの首都ジュバに到着した。

 「駆けつけ警護」とは離れた場所にいる国連や民間NGOの職員が武装集団などに襲われた場合に救援に向かう任務を言い、他国の軍人はより高い危険性が生じることが予想されるからだろう、救援対象から現在のところ外している。

 但し安倍政権は現地PKO部隊が対応できる範囲内の任務としている。部隊長が対応できないと判断したなら、駆け付け警護を行わない。

 PKO参加5原則は(1)で、「紛争当事者間で停戦合意が成立」している場合という条件を付与している。不成立となった場合、撤収しなければならない。

 2016年7月、政府軍(大統領派)と反政府軍(副大統領派)が南スーダン首都ジュバで武力衝突し、停戦とは言えない状況――自衛隊のPKO部隊を派遣してはいられない状況となった。

 どの程度の武力衝突であったか、《南スーダンの首都ジュバ、戦闘は終わったけれど・・》日本国際ボランティア/2016年7月21日)の記事から見てみる。  

 記事は南スーダン政府は両派の戦闘による死者を270人と発表したと伝えている。

 270人となると、もはや武力衝突という表現を超えている。武力衝突と言うよりも一段階も二段階も激しい、この記事が伝えているようにまさに戦闘状態にあったと見るべきだろう。

 そのことは使用武器の種類が証明する。

 〈戦闘は、戦車や武装ヘリコプターが動員され、ロケット砲など重火器が使用された激しいものでした。ジュバ西郊にそびえる「ジェベル・クジュール」(魔女の山、の意)の裾野にある副大統領派の拠点を中心に、戦闘は空港付近や市内各所で行われ、避難民が駆け込んだ国連の保護施設までもが巻き込まれました。〉

 両派の衝突は単に政治利害のみを背景としているだけではなく、民族紛争とその衝突にまで発展、始末の悪い憎悪の段階にまで達しているらしい。

 〈避難民の多くは、副大統領と同じ民族グループ、ヌエル人です。これに対して、大統領派の兵士の多くはディンカ人。「保護施設の中に副大統領派が逃げ込んでいる」として、大統領派は保護施設に砲弾を撃ち込み、多くの死傷者が出ました。避難民には、もはや逃げ場もありませんでした。〉

 いわば軍同士・兵士同士の戦闘のみに飽き足らずに軍・兵士が一般市民を民族の違いを理由に一方的に殺傷する目的の武力行使にまで足を踏み込んでいる。

 反政府軍にしても、敵対民族に対する一方的殺傷を黙って見過ごすことはないはずだ。目には目の報復に出るのが相場となっている。

 当然、こういった民族間の殺傷を目的とした憎悪行為を紛れ込ませているとなると、政府発表の死者270人という数字が果たして事実そのものなのかとの疑いが出てくる。

 記事は書いている。〈欧米メディアのインタビューに答えたあるNGOスタッフは「犠牲者は千人に達するのでは」と話していました。〉――

 熱帯に属する南スーダンの7月は雨季で腐敗が早く、死体を見つけると早々に埋めてしまうといった事情も正確な死者数の把握を妨げているらしい。

 両派の衝突によって政府機能が麻痺し、経済は悪化、財政難による公務員・兵士への給与の遅配・未払いが常態化していて、よくあることで、〈一部の地域では兵士が住民を襲撃・略奪する事件も発生してい〉ると治安の悪化を紹介している。

 こういった状況下でも日本政府は自衛隊のPKO部隊を派遣し続け、同じような衝突の再度の発生の危険性を否定できないにも関わらず、武力行使を可能とする「駆け付け警護」の任務を付与した自衛隊PKO部隊を首都ジュバに派遣した。

 安倍政権は二つの理由を掲げている。

 一つ目は、南スーダンに於ける政府軍(大統領派)と反政府軍(副大統領派)の衝突は国内の勢力間の争いであって、国家又は国家に準ずる組織の間の武力衝突のみを戦闘行為と解釈している日本政府の戦闘行為の定義には当てはまらない。

 安倍晋三も防衛相の稲田朋美もこの政府の定義に則って国会答弁している。

 いわば戦闘行為ではないのだから、たいした武力衝突ではなかったと思わせている。

 いくら国内の勢力間の争いであっても、戦車や武装ヘリコプターを動員して、ロケット砲などの重火器を使用した武力衝突を戦闘行為から外して大したことのない武力衝突だとする絵を描く。

 二つ目は7月に武力衝突(いわゆる大したことはないと安倍政権は見ている両派の衝突)は起きたが、現在首都ジュバの治安は比較的穏やかで、PKO派遣五原則に反しない。

 問題は二つの理由に合理性を与えることができるかどうかである。現在のところ首都ジュバの治安状況が比較的穏やかであっても、再び首都ジュバでの両派の武力衝突が起きない保証はどこにもない。起きた場合、安倍政権が政府の戦闘行為の定義に則って戦闘行為ではない、大したことのない武力衝突だと言っている戦車や武装ヘリコプターを用いてロケット砲などの重火器を駆使した戦いが再度繰り広げられる可能性は否定できない。

 となると、合理性は将来的な保証まで与えることはできないことになる。確実な保証とするためには、単に両派が衝突しないように祈るのではなく、国際的な干渉によって和平を含めて衝突できないような状況に持って行かなければならない。

 2016年12月1日付の「NHK NEWS WEB」記事は、11月30日、南スーダンの人権状況について10日間に亘り現地調査を行っていた国連人権専門家の調査団メンバーが政府軍と反政府勢力の双方が子どもを含めた民間人らを戦闘員として強制的に動員し、「次の戦闘の準備をしている」と指摘したと伝えている。

 と同時に、「南スーダン全体でかつてないレベルで民族間の緊張が高まり、暴力が広がっている」と説明したとしている。

 同じ内容を伝えている「asahi.com」記事は、「民族間の緊張と暴力が、全土で前例のないレベルに達している」と、「NHK NEWS WEB」が「かつてないレベル」としているところを、「前例のないレベル」と分かりやすく伝えている。   
  
 だとすると、現在のところ首都ジュバの治安状況が比較的穏やかとしていることの将来的保証の合理性は些か怪しくなる。特に民族間の緊張は激しい憎悪を動機とした敵対民族の抹消衝動を相互に誘発しやすく、限りなく危険な地点に向かう可能性を考慮すると、将来的保証の合理性は益々影が薄くなる。

 2016年12月2日付の「NHK NEWS WEB」記事は同じ国連の調査団の発言として、「特定の民族出身の女性を集団で暴行したり、集落を焼き打ちしたりするなど、各地で民族浄化が進行している」と伝えている。

 民族浄化は民族抹消を最終目的とする。

 アメリカが国連安全保障理事会に南スーダンへの武器禁輸を含む制裁決議案を提出したのは南スーダンの両派が民族浄化を色濃くした戦闘行為に走るのを前以て予防する目的を持たせていたはずだ。

 だが、2016年12月23日の採決で米英仏スペインなど7カ国が賛成したが、日本、ロシア、中国、エジプトなど8カ国が棄権し、否決された。

 日本は自衛隊PKO部隊を南スーダンに派遣している。武器禁輸が実施されて、何が不都合なのだろうか。

 日本が棄権した理由は武器禁輸が却って混乱を招き、陸上自衛隊PKO部隊のリスクが高まりかねないと判断したためだとマスコミは伝えている。

 だが、南スーダンで武力衝突が起き、その衝突が現地自衛隊PKO部隊の対応可能範囲を超えた場合はPKO参加5原則に照らして撤収することを前以て決めているのだから、リスクが高まれば、撤収すれば混乱は回避できる。

 武器禁輸による混乱と、相手の軍備よりも自らの軍備をより強力に装備すべく相互に競争し合って武器を掻き集めて生じる混乱とどちらが危険なのだろう。

 後者の混乱の方が一般市民に対する危険は高いはずだ。戦いを有利に進めるための兵力の増強を図るとき、兵器だけの増強では済まない。増強した兵器に応じた兵員を必要とする。

 そのために少年まで狩り集める。

 だが、武器禁輸がある程度の抑制効果として働くはずだ。

 武器禁輸が却って混乱を招くという日本の棄権理由に合理性を認めることができるだろうか。

 考え得る理由は安倍晋三は南スーダンを駆け付け警護の実験場として選んだ。もし日本がアメリカ提案の武器禁輸を含む制裁決議案に賛成票を投じたなら、そのことだけで南スーダンが武器を禁輸しなければならない程の危険な治安状況に差し迫っていることを自ら認めることになって、南スーダンでは戦闘行為は行われていない、首都ジュバは比較的に治安は守られているとしていた安倍政権が説明してきた自衛隊PKO部隊派遣の理由を直ちに失うことになる。

 実験を成功させて、更に実験を各地に拡大し、積み重ねていって、自衛隊の存在を世界に知らしめたい安倍晋三の思惑に反して実験そのものを中断させなければならなくなって国民の批判を受けた場合、自衛隊海外派遣の正当性さえ失いかねない。

 要するに武器の禁輸ではなく、現在の状況のままの方が自衛隊のリスクは高まらないとすることで、自衛隊の海外派遣の正当性を擁護できる。

 ただただそのことを考えた国連安保理棄権ということなのだろう。

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稲田朋美の2016年12月29日戦前日本国家正当化の靖国神社参拝は安倍晋三の真珠湾慰霊と和解の口直し

2016-12-30 09:24:31 | 政治

 安倍晋三がハワイを訪れ、日本時間2016年12月28日午前(現地時間12月27日午前)、オバマと共に真珠湾のアリゾナ記念館で献花を行って、日本軍攻撃によ米側犠牲者を慰霊、その後日米和解のスピーチを行った。

 そして翌日の2016年12月29日、安倍晋三と歴史認識に於いて近親相姦関係を密かに結び合っている防衛相の稲田朋美が靖国神社を参拝した。そのときの記者団に語った発言を2016年12月29日付「産経ニュース」記事が伝えている。

 記者「記帳は?」

 稲田朋美「『平成28年12月29日 防衛大臣 稲田朋美』と記帳いたしました」

 記者「玉串料は」

 稲田朋美「玉串料は私費です」

 記者「公人としての参拝か」

 稲田朋美「防衛大臣である稲田朋美が一国民として参拝したということです」

 記者「このタイミングとなった理由は」

 稲田朋美「いつも申し上げていることですけども、今の平和な日本は、国のために、祖国のために命を捧げられた方々の、その貴い命の積み重ねの上にあるということを私は忘れたことはありません。

 戦後70年に安倍晋三首相が談話を発表され、また今年は原爆を投下した国の大統領が広島を訪問され、また、真珠湾に首相が行かれ、慰霊の言葉を述べられました。私も同行したわけですけども、最も熾烈(しれつ)に戦った日本と米国が、いまや最も強い同盟関係にある。

 どのような国であったとしても、敵方として分かれた方々、国であっても、例えばミズーリ号には私は行きましたけれども、たくさんの特攻の青年たちの遺書と写真が飾ってあります。また、飯田房太中佐の慰霊碑は米国方が建てたものであります。その飯田さんは真珠湾攻撃で引き返して、基地に撃墜した方ですけれども、米国方でしっかり慰霊をしております。そういったことなども報告をし、未来志向に立ってしっかりと日本と世界の平和を築いていきたいという思いで参拝をしました」

 記者「中国や韓国の反発が予想される」

 稲田朋美「私は、如何なる歴史観に立とうとも、いかなる敵味方であろうとも、祖国のために命を捧げた方々に対して感謝と敬意と追悼の意を表するのは、どの国でも理解をして頂けるものだと考えております」

 記者「参拝について首相と真珠湾で話をしたか」

 稲田朋美「しておりません」

 記者「真珠湾での慰霊と靖国神社参拝は意味合いが異なる」

 稲田朋美「私自身は、先程も申し上げました通り、いかなる歴史観に立とうとも、また敵味方として熾烈に戦った国同士であったとしても、祖国のために命を捧げられた方々のその命の積み重ねの上に今の平和な日本がある、そして、そういった方々に感謝と敬意と追悼の意を表するということは理解いただけると思います」

 記者「心の中には特攻隊員で訓練中に亡くなったおじへの思いもあるのか」

 稲田朋美「そうですね。おじは21歳で、しかも、終戦直前の5月25日に特攻隊員として訓練中に亡くなり、そして靖国神社に合祀(ごうし)されております。そういった将来ある青年たちが、決して日本は勝つと思っていたわけではないけれども、自分たちの出撃したことによって、日本の未来を、平和な日本というものを描いていたと思います。そういった青年たち、また戦争で家族とふるさとと国を守るために出撃した人々の命の積み重ねのうえに今の平和な日本があるということを忘れてはならないし、忘恩の徒にはなりたくないと思っています」

 記者「8月15日に参拝できなかったことへの後悔もあるのか」

 稲田朋美「それはありません。私は今までも海外視察を優先して8月15日に参拝しなかったのは、今までも、8月15日に拘っていたわけではありません。そして、このタイミングでというのも、真珠湾の訪問のことや、また、さまざま公私ともにあったことなども報告をしてきたところです」

 記者「真珠湾訪問が今回の訪問のきっかけになったのか」

 稲田朋美「いえ、そういうことではないです。ただ、真珠湾や飯田房太さんの慰霊であったり、またミズーリ号にも行ってきましたが、そういったことなども報告をしたということです」

 記者「大臣になって初めての参拝か」

 稲田朋美「そうです」(以上引用終わり)

 「防衛大臣稲田朋美」と記帳しながら、「一国民として参拝した」と例の如くの詭弁を用いている。一国民としての参拝なら、「一国民稲田朋美」と記帳して初めて整合性を内外に示し得る。

 尤も防衛大臣として参拝しようが一国民として参拝しようが、稲田朋美の右翼国家主義の歴史認識に変わりが出るわけではない。

 稲田朋美は参拝の基本的な理由を、「今の平和な日本は、国のために、祖国のために命を捧げられた方々の、その貴い命の積み重ねの上にある」ことへの「感謝と敬意と追悼の意を表する」ためだと言っている。

 だが、安倍晋三はアリゾナ記念館でのスピーチでは、「戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいたとき、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、アメリカ国民でありました。

 皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。

 そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。
 
 敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。

 私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう」と、今の平和な日本のその平和と繁栄へのスタートが米国の支援に多くを負っていることを切々と訴え、米国なる国家と国民に対して切々と感謝している。

 にも関わらず、稲田朋美は今の平和な日本はA級戦犯を含めて靖国神社に英霊として祀られている戦死者の貴い命の積み重ねの上にあると、日本の平和と繁栄の大本(おおもと)に旧日本軍兵士の国家への犠牲に置いている。

 安倍晋三と稲田朋美のこの違いは安倍晋三が日本の平和と繁栄の構築に米国の関与を重視していることへの口直しと見るべきだろう。

 いや、米国ではないんだ、英霊たちの「貴い命の積み重ねの上にある」んだと。

 安倍晋三の真珠湾でのスピーチが報道によって現在の日本があることへの米国関与に重点性を置いていることが流布し、定着したら困る。それで帰国早々に参拝して、改めて日本の平和と繁栄の基礎を築いたのは誰なのかを知らしめた。

 尤も安倍晋三にしても、現在の日本の平和と繁栄の精神的土台を靖国神社に祀られている英霊に置いている点では稲田朋美と考えに違いはない。

 安倍晋三は第2次安倍内閣発足から満1年となる2013年12月26日午前、靖国神社を参拝し、談話を発表している。    

 安倍晋三「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります」――

 「今を生きる人だけ」ではないと断っているものの、靖国の英霊たちの「尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります」と、彼らの国家への犠牲に日本の平和と繁栄の基礎を重点的に置いている。

 だが、真珠湾でのスピーでは今日の日本の平和と繁栄に関しては米国の役割のみを言い、靖国の英霊たちの国家への犠牲を代償とした役割については一言も触れなかった。

 日本の平和と繁栄の礎に靖国神社の英霊たちの国家への犠牲を置く発想は稲田朋美も同様だが、安倍晋三たち国家主義者の慣例となっている。当然、ホンネはここにあるはずだが、安倍晋三の日本国内での発言とアメリカでの発言が異なるということは内と外で発言を使い分けていることになる。

 だから、真珠湾のスピーチを息をするようにウソをついたスピーチだと昨日のブログに書いた。

 靖国の英霊たちは侵略戦争の「礎」となり、日本国家を敗戦の破滅に導いた「礎」となったのであって、日本の平和と繁栄の礎とはなっていない。

 戦争で生き残った敗戦直後の大半の日本人は戦死兵士たちが「尊い犠牲」となったとの思いから日本の再建を誓ったわけではない。彼らは国に騙されたと戦争を憎み、国を恨んで自分たちを戦争被害者の境遇に置いていたからである。

 当然、靖国の戦死者を「尊い犠牲」だなどと思っていたはずはない。思っていたら、国に騙されたという思いと矛盾することになる。戦争を憎んだ気持とズレが生じる。

 敗戦翌年の1946年5月19日の「飯米獲得人民大会」と名づけられた「食料メーデ-」は25万人もの参加者を集め、彼らが掲げたプラカードの一つには「詔書、国体はゴジされたぞ、朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね、ギョメイギョジ」(『昭和史』有斐閣)と、戦争中だったなら不敬罪でたちまち逮捕されてしまう不可能なことが書いてあったそうだが、国に騙されたという意識があったからこその天皇と国民との対比であったはずだ。

 生き残った日本人の多くは戦後の食糧危機の時代を兎に角生き抜くことしか頭になく、そういったエネルギーの総体が日本の経済を発展に向かわせる契機、あるいは礎となったということであるはずだ。

 経済的に苦しい時代は朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日休戦)が始まって数ヶ月するまで続いた。米軍が朝鮮半島に展開するに必要な物資を日本からも調達され、それは戦争特需としてたちまち国の経済と国民の生活を潤す僥倖となって現れた。

 その一例が、経営が瀕死の状態となっていたトヨタの息を吹き返させたところに現れている。

 兎に角食べていくことができる境遇を手に入れると、アメリカから発信されてくる様々な情報が伝える各種電化製品を用いたり、ハイカラな衣服を着飾ったりしている、いわゆる文化生活に憧れ、そこに一歩でも二歩でも近づこうと必死に働いた。

 戦後に生きた日本国民のこのような上昇志向を持たせた勤労と憎む気持からの戦争への反省が日本の平和と繁栄を築いていく、継続され、高まっていくエネルギーとなったというのが実際のところであろう。

 安倍晋三や稲田朋美が日本の平和と繁栄の大本に靖国神社に祀った戦死者たち(=英霊たち)の国家への犠牲を置くのは戦前の日本国家を正当化する方便に過ぎない。
 
 このことは稲田朋美の靖国神社を参拝して戦没者を慰霊することは「如何なる歴史観に立とうとも、また敵味方として熾烈に戦った国同士であったとしても」「理解頂ける」という発言に現れている。

 稲田朋美は歴史観に関係なく、あるいは敵味方に関係なくとご都合主義を働かすことによって歴史観と敵味方のいずれも区別せずに無視して、同等の価値観を置いている。その無視があるからこそ、正しい戦争だったとする自分たちの歴史観に立つことができ、そのような歴史観を前提としているからこそ、靖国参拝は理解できるとすることができるからである。

 もし間違った戦争だとする歴史観に立っていたなら、相互の歴史観も敵味方の区別も無視することはできない。当然、「如何なる歴史観に立とうとも」といったこじつけの理由で参拝は理解されるとするどのような言葉も口をついて出ることはない。
 
 安倍晋三と稲田朋美、その他の同類たちの国家への犠牲の顕彰を名目とした靖国参拝は戦前日本国家を正当化する儀式に過ぎない。
 
 戦前日本国家を正当化していてこそ、そのような国家への犠牲に対して「感謝と敬意と追悼の意を表する」ことが可能となる。

 当然、戦没者を日本の平和と繁栄の礎に置いて、彼らの国家への犠牲を忘れる「忘恩の徒にはなりたくない」という稲田朋美の思いにしても、戦前日本国家を正当化していてこそ可能となる発想に過ぎない。

 何のための戦前日本国家の正当化なのかと言うと、その線に添った歴史修正を自分たちの思い通りに謀ろうとしているからである。その重要な儀式の一つが靖国参拝であり、その道具にしようとしているのが第1次安倍内閣時代の教育基本法改正であり、2016年3月の安保関連法の施行であり、そのような道具の重要な一つとして見据えているのが日本国憲法改正である。

 全て戦前日本国家に近づけようとしている。靖国参拝がそういった類いの儀式であることを忘れてはならない。

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安倍晋三の12・28真珠湾日米和解:政治史に名を残すために“息をするようにウソをついた”スピーチ

2016-12-29 11:16:13 | 政治

 ――なぜ今更ながらに日米和解なのか―― 

 安倍晋三が「息をするようにウソをつく」と批判したのは民進党代表の蓮舫なのは承知のことと思う。

 安倍晋三が2016年10月17日の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に関する衆院特別委員会で「我が党は結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」と発言、恰もTPP承認案・関連法案を強行採決しないが如くに見せかけた。

 だが、過去に於いていくらでも強行採決してきた例に違わず、2016年11月4日の衆院TPP特別委員会で強行採決の挙に出た。

 このことを批判して蓮舫が2016年12月7日の安倍晋三との党首討論で「息をするようにウソをつく」と言う言葉をぶつけた。

 但しウソは正直な人間もウソつきの人間も、誰彼の区別なしにつく。正直な人間がウソをついて、それを批判された場合、謝罪したり、ウソをつかないように反省したりするが、ウソつきの殆どは自分がウソをついているとは思っていない。大抵は自分は正直な人間だと信じているから、いつまでも平気でウソをつき続ける。

 安倍晋三がハワイを訪れて、2016年12月28日、オバマ大統領と共に旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊、不戦の誓いと和解のスピーチを行った。

 スピーチは胸打つ美しい言葉で綴(つづ)られているが、それが“息をするようにウソをついた”スピーチなのかどうかは安倍晋三の過去の発言との整合性が決め手となる。

 スピーチ全文は各マスコミが報道しているが、首相官邸サイトから引用することにした。    

 安倍晋三と元外交官、安倍晋三と同様の右翼国家主義者岡崎久彦(2014年10月26日死亡)との2004年1月27日発売対談集『この国を守る決意』で安倍晋三は次のように発言している。

 「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」

 この「命を投げ打ってでも」という行為の場面は国家という単位が「その人の歩みを顕彰する」という報奨との関係から、戦争という場面での行為ということになる。

 いわばこの発言は戦争という場面を想定して、そういった場面が生じた場合は命を投げ打て、投げ打たなければ国家は成り立たない、命の犠牲の代償として国家は顕彰すると国家を優先させた戦争観の示唆となる。

 と言うことは、安倍晋三は内心では日本が戦争という場面に遭遇した場合は国家を成り立たせる国家優先を目的に命の投げ打ち――犠牲を国民の義務としたい衝動を抱えていることになる。

 これは戦前の戦陣訓に於ける「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の思想と何ら変わらない。

 戦争で守るべき対象は自由や民主主義、国土、国民の生命財産、自らの命であって、戦死は守ろうとした行為の不幸な最終場面に位置づけなければならないはずだ。

 いわば兵士の命は自身にしても、軍にしても、国家にしても、大事に大事に扱わなければならない。

 だが、安倍晋三は戦陣訓同様に国家を成り立たせるためには「命を投げ打ってでも」と、命の犠牲――戦死を最初の場面に持ってきている。

 安倍晋三は自身では気づかないところでヤクザ集団の出入りのように戦争を命の遣り取りと見ているのかもしれない。

 戦争で戦う兵士に対して国家優先のこのような生命観を持っている安倍晋三が真珠湾では日本軍の攻撃で戦士した米軍兵士に対してどのような生命観を示しているか見てみる。

 「パールハーバー、真珠湾に、今、私は、日本国総理大臣として立っています。

 耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江。
 
 私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。

 あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。

 そこは、私に、沈黙をうながす場所でした。

 亡くなった、軍人たちの名が、記されています。

 祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、様々な地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮(ぐれん)の炎の中で、死んでいった。

 75年が経った今も、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。

 耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。

 あの日、日曜の朝の、明るく寛(くつろ)いだ、弾む会話の声。

 自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。

 最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。

 生まれてくる子の、幸せを祈る声。

 一人ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子供たちがいたでしょう。

 それら、全ての思いが断たれてしまった。

 その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は、言葉を失います。

 その御霊(みたま)よ、安らかなれ――。思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました」――

 戦争で止むを得ず亡くなった米軍兵士たちの命を愛(いと)おしむ魂の込もった静かな言葉の響きとなっている。安倍晋三の国家を成り立たせるために兵士の犠牲を求める国家優先の生命観・戦争観とはどう逆立ちしても、どのような整合性も見つけ出すことはできない。

 当然、後者の生命観・戦争観こそが安倍晋三のホンネなのだから、前者はタテマエでしかない綺麗事となる。

 一見、魂の込もった言葉に見えるが、この場合のタテマエは「息をするようにウソをついた」言葉の羅列に過ぎない。

 安倍晋三は2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」にビデオメッセージを寄せている。

 「皆さんこんにちは。安倍晋三です。主権回復の日とは何か。これは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を終えて、日本が主権を回復した日です。

 しかし同時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはしませんでした。本来であれば、この日を以って日本は独立を回復した日でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。

 それをやっていなかったことは今日、おーきな禍根を残しています。戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをして、その上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を(右手を拳を握りしめて、胸のところで一振りする)取り戻すことであります。

 教育基本法は改正しました。教育の目標に道徳心を培い、伝統と文化を尊重し、郷土愛、愛国心を書き込むことができました。

 まさにそれは憲法に、憲法とは私たち日本人が日本をこういう国にしていきたい、その思いを、その理想を込めたものです。自由民主党は憲法改正草案を作りました。いわば国民の皆さん、これから憲法論議に参加をして貰いたいと思います。

 特に若い皆さん、一緒に仲良くしながら日本をこのような国にしていきたい、日本をしていきましょう。

 まずは憲法の96条を私は変えていくべきだと思います。これは改正条項です。国会議員の3分の2ファ賛成しなければ国民投票できない。これは国民から憲法を引き離している、とおざけている厚い大きな壁です。これを皆さんと共に打ち破っていきたい、こう思います。

 共に一緒に前進していこうじゃありませんか。宜しくお願いします。ありがとうございました」――

 発言の趣旨は次のようになる。

 日本が戦争に負けて受け入れた占領軍は大日本帝国という日本国家を改造し、大日本帝国が歴史的に培ってきた日本人の精神に悪影響を及ぼした。日本が占領軍の手を離れて独立した現在、占領軍の手によって日本国家を改造した諸々の制度を改造以前に戻さなければならない。

 諸々の制度の内、その一つ教育基本法は改正し、戦前同様に、だが、そう思わせない形で愛国心の涵養を盛り込むことに成功した。同じく占領軍によって作られた日本国憲法も改正しなければならない。

 それが安倍晋三の掲げる戦後体制からの脱却=戦後レジームからの脱却であって、意味するところは占領軍政策の否定、あるいは抹消であり、占領軍による改造以前の日本国家に戻すことを意図していることになる。

 安倍晋三は日本国憲法を占領軍憲法だからと、次のようにも否定している 

 2013年4月25日の産経新聞のインタビュー。

 「憲法を戦後、新しい時代を切り開くために自分たちでつくったというのは幻想だ。昭和21年に連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」

 ここで使っている「代物」という言葉は程度の低さを意味させた言葉であろう。いわば占領軍がつくった憲法だからと侮蔑している。

 2015年11月28日の右翼政治家の集まり「創生日本」での安倍晋三会長のスピーチ。

 「憲法改正をはじめ占領時代に作られた仕組みを変えることが(自民党)立党の原点だ。そうしたことを推進するためにも、来年の参院選で支援をお願いしたい」(毎日jp/2015年11月28日 22時28分)

 かくまでも占領軍政策を真っ向から否定し、嫌悪している。

 では、対占領軍否意思・嫌悪意思は真珠湾でのスピーチにどう現れているのか見てみる。

 「戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいたとき、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、アメリカ国民でありました。

 皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。

 そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。
 
 敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。

 私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。

     ・・・・・・・・・・・

 私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、改めて、ここに、心からの感謝を申し上げます。

 あの『パールハーバー』から75年。歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました」――

 占領軍に対する否定意思・嫌悪意思など影さえもなく、何と言う褒め上げようなのだろうか。敗戦から現在に至る米国への感謝の思いが溢れに溢れた言葉の連続となっている。

 日本人が「未来へと、命をつなぐことができた」のも米国の寛容の心であり、「日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた」のも米国の寛容心であり、「敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています」と、褒めちぎっている。

 これらの原点に立っていたのは占領軍である。米国は占領軍を通して日本を物質的に支援し、教育基本法を通して全体主義の呪縛を解き、日本の教育の民主化を図った。更に安倍晋三が「日本は改造し、日本人の精神に悪影響を及ぼした」と言い、「全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」と否定し、軽蔑している日本国憲法を通して日本の民主化、基本的人権の保障を確立させた。

 いわば諸々の現在はそのような原点を経て、長い年月の末に成り立っている。

 安倍晋三は原点を否定していながら、その先にある諸々の現在に感謝の言葉を述べている。

 このようにもホンネとタテマエを使い分けて、真珠湾で尤もらしい悲痛の表情を見せて、臆面もなくと言うか、鉄面皮にもと言ってよいのか、タテマエを堂々と披露した。

 まさしく息をするようについたウソ満載のスピーチと見ないわけにはいかない。

 大体が安倍晋三は日本の戦争を侵略戦争だと歴史認識していない。オリバー・ストーン監督らが2016年12月25日に出した「真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状」The Huffington Post/2016年12月26日 10時48分)には安倍晋三が侵略戦争を否定している下(くだ)りがある。   

 〈あなたは、1994年末に、日本の侵略戦争を反省する国会決議に対抗する目的で結成された「終戦五十周年議員連盟」の事務局長代理を務めていました。その結成趣意書には、日本の200万余の戦没者が「日本の自存自衛とアジアの平和」のために命を捧げたとあります。〉――

 要するに安倍晋三自身、侵略戦争であることを否定し、自存自衛の正しい戦争だったと歴史認識している。

 日本の自存自衛の正しい戦争を打ち破ったのはアメリカと言うことになる。

 この文脈からすると、日米戦争をした者同士である「私たちを結びつけたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、『和解の力』です」という言葉も、「日本と米国の同盟は、だからこそ『希望の同盟』なのです」も、自身の歴史認識と整合性を持ち得ていない以上、心にもないタテマエを用いて一大芝居を打ったに過ぎないことになる。

 但し安倍晋三が真珠湾で見せた“日米和解”の演出は日本の政治史に特筆されるに違いない。政治史に名を残すために“息をするようにウソをついた”スピーチが正体だと言うことである。

 安倍晋三のように日本軍の真珠湾攻撃を日米和解の道具としたら、幻想でしかない日本民族の優越性を根拠に勝ち目のない戦争に走った日本軍と日本の政治家の愚かしさまでをもどこかに雲散霧消させてしまうことになる。和解などで誤魔化さずに愚かしさの象徴としていつまでも残しておくべきだろう。

 最後に一つ。戦後75年を経て、なぜ今更に日米和解なのか。真珠湾攻撃を今以て日本に対する不信感の種としている一部アメリカ人を対象とした、極く狭い範囲の和解でしかないことを肝に銘ずるべきであろう。

 とっくの昔に多くの日本人、多くのアメリカ人が日米和解を果たしているはずだ。安倍晋三に対して歴史修正主義者の疑いの目を向けている日米の多くの人間からしたら、真珠湾攻撃に限った日米和解は意味もないことであるはずだ。

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安倍晋三の「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」を侵略だと認めた発言とするコメントの真偽

2016-12-27 11:45:46 | 政治

 2016年12月26日付《The Huffington Post》記事が安倍晋三の真珠湾訪問に対してオリバー・ストーン監督ら53名の著名人が2016年12月25日付で、「真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状」を出したことを伝え、その全文を紹介している。

 この記事に対して次のコメントが寄せられていた。

 〈Ken Makita

 >2013年4月の国会で「侵略の定義は定まっていない」と答弁したが、連合国およびアジア太平洋諸国に対する戦争を侵略戦争とは認めないということか

 親愛なる(笑)ハフィントンポスト編集部=朝日新聞別働隊殿 

 その答えは、既に出ているぞ。この答弁の直後の国会答弁で安倍首相は、「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」と述べて、事実上の訂正・修正を図っている。〉

 このコメントに対しての理解を問うコメントが載っていた。

 〈Nanae Chimes

 つまり安倍首相は、大東亜戦争を日本によるアジア太平洋諸国に対する侵略戦争だと認めたということで宜しいでしょうか?〉――

 最初のコメントが罷り通って、安倍晋三が日本の戦争を「侵略戦争だと認めたということで宜しい」が通説となっては困るから、これまではブログに、〈侵略だと言わないまま、「日本が侵略しなかったと言ったことは一度もない」と言っているのだから、侵略を認めないまま相手を納得させるギリギリの仄(ほの)めかし程度の詭弁に過ぎない。〉と言ったことを書いてきたが、改めて安倍晋三が言っている意味を考えてみた。

 安倍晋三は正確には「私は今まで日本が侵略しなかったと言ったことは一度もないわけでございますが」と言っているが、コメントに書いてあるとおりにする。

 「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」という言葉は二つの脈絡に分けることができる。

 「あの戦争は侵略ではない」

 そうであるとは「一度も言っていない」

 最初に侵略を否定した脈絡となっていて、最初の否定の脈絡を更に否定する脈絡を経て、全体として肯定の脈絡を形成している。

 しかし二重否定の結果のその肯定は、安倍晋三は「私はあの戦争は侵略だと言っている」とは一度も発言していないのだから、侵略戦争の真正面からの肯定とは言えない。

 強いて言うなら、遠回しの肯定に過ぎない。

 どのような理由を用いた戦争の性格であろうと、戦前の日本国が始めた日中・太平洋戦争でありながら、真正面からの肯定ではない遠回しの肯定という関係性を用いているところを見ると、「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」という遠回しの肯定を「あの戦争は侵略だと言っている」という真正面からの肯定に変え得る可能性はゼロとなる。

 安倍晋三の中で変え得る歴史認識であるなら、二重否定を構造とした遠回しの肯定としかならない言葉の用法を用いずに最初から「あの戦争は侵略だ」と素直に真正面から肯定していたろう。

 但しこの逆の関係性は可能となる。

 「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」の遠回しの肯定としかならない二重否定を、「あの戦争は侵略ではない」と単純直截に真正面からの否定にあからさまに持っていく歴史認識への変更である。

 なぜなら、「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」の歴史認識は現況に於ける諸々の事情の制約を受けたゆえの遠回しの肯定を意味させた二重否定に過ぎないからである。

 戦前の日本の戦争を侵略戦争ではないといくら否定したくても、否定していい雰囲気に現在の日本はなっていない。 

 このような雰囲気が歴史認識に関わる制約となっていると言うことである。

 最近は「日本の戦争は侵略戦争であったか否か」を問う世論調査を見かけなくなったが、2000年9月付の「先の戦争と世代ギャップ」なるPDF記事に2000年5月に行った侵略戦争か否かの調査を載せている。  

 調査対象は、〈戦無世代が34%、戦後世代が37%を占め、先の戦争の当事者である戦中・戦前世代は29%と3割を下回っている。〉状況下での全国16歳以上の男女約2000人。
 
 「侵略戦争」     全体51% 戦無世代48% 戦後世代54% 戦中・戦前世代50%
 「侵略戦争ではない」 全体15% 戦無世代16% 戦後世代13% 戦中・戦前世代15%

 この戦前の日本の戦争に対する歴史認識に関わる現在の心理傾向は当然、戦前の日本国家を理想の国家像とする現在の政治家の表向きの歴史認識を制約することになる。

 現在の多くの政治家が戦前の日本国家を理想の国家像とすしていることは散々ブログに書いてきた。安倍晋三もそうだが、安倍晋三と歴史認識に於いて近親相姦関係を密かに結び合っている稲田朋美は防衛相に就任する前は8月15日終戦の日とサンフランシスコ講和条約発効、日本の主権回復の4月28日の靖国神社参拝の常連であった。

 今年は4月28日は参拝を済ませていたが、防衛相就任が8月3日であった関係からだろう、8月15日は例年の慣行を破って参拝をしていない。

 ここにも歴史認識に関わる制約が現れていることを見て取ることができる。

 靖国参拝が戦死者を「お国のために命を捧げた」、あるいは「お国のために殉じた」と顕彰する儀式となっているのは戦前の国家と戦死者、広くは国民の関係を奉仕を受ける側と奉仕をする側に位置づけ、「捧げた」、あるいは「殉じた」とその奉仕を改めて認識することを通して戦前の国家を暗黙のうちに奉仕の対象として相応しい国家と見做す心理作用を施しているからに他ならない。

 この心理作用は相応しい国家と見做している以上、靖国神社での参拝行為を通した戦前の日本国家を理想の国家像とする心の働きに他ならない。

 だから、安倍晋三にしても稲田朋美にしても侵略戦争だったと真っ向から否定することができない。

 かくこのような歴史認識に関わる制約を受けていることは稲田朋美が防衛相就任後の8月15日に靖国参拝を避けたことにだけではなく、防衛相就任初の防衛省での記者会見発言での発言にも現れている。

 記者から戦前の日本の戦争は侵略戦争かと問われて、本来なら安倍晋三と同様に戦前の日本国家を理想の国家像としているのだから、侵略戦争ではないと真っ向から否定すべきなのだが、安倍晋三同様にホンネの歴史認識を回避することになる。

 記者「大臣は、日中戦争から第2次世界大戦に至る戦争は、侵略戦争だと思いますか。自衛のための戦争だと思いますか。アジア解放のための戦争だと思いますか」

 稲田朋美「歴史認識に関する政府の見解は、総理、官房長官にお尋ねいただきたいと思います。防衛大臣として、私個人の歴史認識について、お答えする立場ではありません」

 記者「防衛大臣としての見解を伺いたい」

 稲田朋美「防衛大臣として、お答えする立場にはないと考えております」――

 この記者は後になっても同じ質問を繰返している。

 記者「侵略戦争ですか」

 稲田朋美「侵略か侵略でないかというのは、評価の問題であって、それは一概に言えないし、70年談話でも、そのことについて言及をしているというふうには認識していません」

 記者「大臣は侵略戦争だというふうに思いますか、思いませんか」

 稲田朋美「私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います」

 記者「防衛大臣として極めて重要な問いかけだと思うので答えてください。答えられないのであれば、その理由を言って下さい」

 稲田朋美「防衛大臣として、その問題についてここで答える必要はないのではないでしょうか」

 記者「軍事的組織のトップですよ。自衛隊のトップですよ。その人が過去の戦争について、直近の戦争について、それは侵略だったのか、侵略じゃないか答える必要はあるのではないですか。何故、答えられないのですか」

 稲田朋美「何度も言いますけども、歴史認識において、最も重要な事は、私は、客観的事実が何かということだと思います」

 記者「侵略だと思うか、思わないかということを聞いているわけです」

 稲田朋美「侵略か侵略でないかは事実ではなく、それは評価の問題でそれぞれの方々が、それぞれの認識を持たれるでしょうし、私は歴史認識において最も重要なことは客観的事実であって、そして、この場で私の個人的な見解を述べる立場にはありません」

 記者「防衛大臣としての見解ですよ」

 稲田朋美「防衛大臣として、今の御質問について、答える立場にはありません」

 記者はなおも食い下がるが、稲田朋美はとうとう答えずじまいであった。

 以上書いてきたことで、安倍晋三が「私はあの戦争が侵略でないとは一度も言っていない」という発言が侵略戦争だと認めて言った発言なのか、ホンネでは認めないまま、表向きの歴史認識――タテマエに過ぎない発言なのか、私自身の見立ては理解できるはずだ。

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安倍晋三が考える北方四島「共同経済活動」とは、日露共同治外法権もどきの形式なのか

2016-12-26 09:40:49 | Weblog

 安倍晋三は2016年12月15日に第1回日露首脳会談、翌日12月16日に第2回日露首脳会談を行い、その第2回会談の夜、「NHKニュース9」に出演して、プーチンと首脳会談で合意した北方領土での「共同経済活動」は、「ロシア法でもなく日本法でもない特別な制度で、これから専門家が協議を行っていく。国際的には例がないかもしれないが、両国でしっかり交渉する」と述べたとマスコミが伝えていた。

 安倍晋三は日露首脳会談を終えた16日夜のこのNHKの番組の出演を含めて、18日にかけて在京キー4局の番組に出演したという。

 この立て続けのテレビ出演は国政選挙の投開票日を除けば異例だそうだ。

 なぜそんなに続けて出演する必要があったのだろうか。安倍晋三が国会答弁で見せる安倍晋三自身の性格が影響しているはずだ。

 自身に不都合・不利な質問をされると、都合よく解釈した統計や関係ない事柄まで持ち出して、ムキになって反論し、自身を正当化する。

 マスコミは日露首脳会談に於ける平和条約締結交渉と領土問題について「進展なし」、「成果なし」と報じた。そこで安倍晋三は対露経済協力の進展を主役に引き立てて、本来は主役であるべき平和条約締結と領土問題を目立たなくさせることで自身の外交術を正当化すべく、立て続けにテレビ番組に出演する必要性に迫れたのだろう。

 テレビ局を何局ハシゴしようと、国会答弁が政策毎に似たり寄ったりであるのと同様、番組発言にしてもほぼ同じであるはずだ。12月16日のNHK出演の2日後の12月18日出演のフジテレビ番組「Mr.サンデー」出演でのキャスターと安倍晋三の発言を「産経ニュース」が伝えている。  

 安倍晋三とキャスターの平和条約と領土交渉についての遣り取り。 

 キャスター「日本のメディアは希望と落胆、両方報じている。経済協力の話題が多く、ロシアに食い逃げされるのではないかとのという報道もある」
 安倍晋三「全体の会談は6時間半行われたのですが、一番大切な、私とプーチン大統領2人だけの膝詰めの会談は95分。その殆どは、平和条約、領土交渉、問題についてじっくり話をしました。しかし、そこは解決をしたときにしか出せない。中身については。残念ながら、表に出すことはできませんから」

 そして「本格的な領土交渉には入ったと私は思っています」と言い、プーチンは「経済の協力だけを進めて(平和条約の締結を)後回しにすることはない、とおっしゃった」とも言っている。

 膝詰めの会談の95分間は殆ど平和条約と領土交渉の問題についてじっくり話をした。つまり日露の経済協力の話題に費やした時間は少なかった。

 平和条約と領土交渉の問題は例え「解決をしたときにしか出せない」としても、2人だけの膝詰めの会談の95分の殆どを平和条約、領土交渉の問題に費やし、「じっくり話をし」、「本格的な領土交渉には入った」と言うことなら、解決に向けて、ああします、こうしますといった方向性への議論を抜きに「95分」を費やしたということはできない。

 だが、「共同経済活動に関するプレス向け声明」だけが発表され、平和条約と領土交渉の問題についての共同声明は発表されていない。

 と言うことは、平和条約と領土交渉の問題については方向性を打ち出すところにまで議論が進んでいなかったということになる。

 いわば経済協力問題だけが進み、平和条約と領土交渉の問題は置き去りにされたと見るべきだろう。

 安倍晋三にしたら、常々自身の外交能力を誇示している手前、その誇示が何カ国を訪問した、外国首脳と何回会談を開いたといった回数を基盤としているに過ぎないが、置き去りを公表することができないから、経済問題で平和条約と領土交渉の問題をカモフラージュしようということなのだろう。

 この番組で安倍晋三は「共同経済活動」について次のように発言している。

 キャスター「経済共同活動での特別な制度とは。将来的に日本人とロシア人が共存する、一緒に住むという世界初めてのような特区、経済特区、居住特区みたいなものを考えているのか」

 安倍晋三「イメージとしては、大体言われたイメージなんですね。これは世界でもあまり例がないと思います。それを私たちはやっていこう。

 今までお互いが、4島について口角泡を飛ばしていた。その4島において、一緒に協力をしていく。

 例えば、かつてはそこにはシャケの加工工場があった。今はもう無くてさびれています。そこにもう1回、じゃあ日本の会社や人々が行って工場を作るよ。そこで島民も一緒に働く。雇用も生まれる。でこれはじゃあ、今まであまり北海道には売れなかったけども、北海道や極東に売っていく。

 それはまさに、共存共栄の姿が見えます。そこから4島解決の、様々な姿が見えてくるんだろう。解決策が私は見えてくると思います」

 キャスター「領土問題というのがどのように絡むのか分からないが、一緒に住みながら発展させていくイメージなのか」

 安倍晋三「ポイントが3つあるんですね。1つは『4島』です。これ、書き込みましたから。歯舞群島、色丹、国後、択捉、全部4島でやりますよと。一部ではないんですから。特区と言って一部ではない。歯舞、色丹だけではありません。4島で。それが一つです。

 もう一つは、ロシア法にも、日本の法律にも寄らない、新しいものを作っていく、ということ」

 キャスター「4島で何か日本人がトラブルに巻き込まれたときにロシアの法律で裁かれるということはないということか」

 安倍晋三「例えばそこで会社を設立して、利益も出ますね。経済活動において、さまざまな向こうの経済にかかる法律、税制がありますね。どうするんだと。上がった利益を一体どうするんだという問題もありますし、そこで働いている人々のですね、所得税とか、ありますね。さまざまな面において、これからしっかりと、専門的な協議が必要だと思います。そして、これを両国の了解のもとに作る。

 もう一つは、この中にも書き込んだのですが、国際約束の締結を含むものを、新しく作っていこうと。

 この3つのポイントが重要なんですが、今までにないことをやることによってですね、これが新しいアプローチで、これが領土問題の解決に私は必ず結びついていくと思います」――

 北方四島に於ける共同経済活動での特別な制度とは、「ロシア法にも、日本の法律にも寄らない」新しい法律を基盤とした、尚且つ「国際約束」として成り立たせ得る法律と言うことであろう。

 これらの発言から浮かんでくるイメージは北方四島共に一定の地域内にロシアの法律を外し、外したからと言って日本の法律を適用するのではなく、日露の従来の法律・統治権の支配を受けない「国際約束」となり得る新法を制定して共同の経済活動を行う「特区」の設定と言うことであって、日露の従来の法律・統治権の支配を受けないという点で一定地域に限った治外法権もどきの「特区」を意味することになるはずだ。

 もしこの一定地域の「特区」が北方四島全体に亘るとしたら、ロシアは領有権と主権を、それが日本側に移譲されるわけではないが、放棄しなければならない。放棄したなら、ロシアは2016年11月に国後島と択捉島に最新鋭の地対艦ミサイルを配備しているが、配備の理由を失い、それらを撤去しなければならなくなる。

 また、首脳会談後の共同記者会見でのプーチンの発言を見ると、「第2次世界対戦の結果ロシア領となった」という趣旨で北方四島に於けるロシアの領有権と主権に固執している点も、共同経済活動が北方四島全体に亘って「特区」とする種類のものではないことの証明となり得る。

 もしこ手の治外法権もどきの「特区」であるなら、日本人がその「特区」に自由に出入りでき、そこでの生活が許され、自由に経済活動を行うことができたとしても、少なくとも元島民は故郷に帰れば実家が存在するにも関わらず、実家で生活することは許されず、ホテルに泊まって生活するような焦燥感を常に味わわされるに違いない。

 また、そこに出入りする日本人が元島民でなくても、ロシアの領有権と主権を骨組とした鉄製の頑丈且つ巨大な檻の支配を受けた日露共同の治外法権もどきとなるはずだ。

 そういった共同経済活動がいくら進んでも、日本側にとっての領土問題の真の解決にはならないと言うことになるし、安倍晋三がいくら否定しようとも、マスコミ報道通りに首脳会談での平和条約締結と領土問題は何の進展も成果もなかったが事実そのとおりだと言うことになるはずだ。

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党首討論:安倍晋三の「有効求人倍率全国1」に問題点はないのか、蓮舫の「地方に仕事がない」は事実なのか

2016-12-24 10:38:56 | Weblog

 2016年12月7日付 「産経ニュース」が12月7日の安倍晋三と蓮舫の党首討論を取り上げて、〈厚顔無恥とは、こういうことを言うのだろう。民進党の蓮舫代表は7日、初の党首討論に臨み、安倍晋三首相への批判を繰り返したが、議論の前提となる質問は間違いだらけだった。

 蓮舫氏は「有効求人倍率は改善されたかもしれないが、東京に一極集中しているからだ。地方に仕事がない」と決めつけた。だが、安倍政権で有効求人倍率は初めて全都道府県で1以上を達成した。「地方に仕事がない」とは言えない。〉と批判、蓮舫は間違いだらけの質問ばかりすると断じた。   

 有効求人倍率が2016年6月に1963年1月に統計を取り始めてから初めて全ての都道府県で1を超えたとマスコミが報じていた。

 このことが果たして仕事があることを示しているのか示していないのかということなのだろう。

 先ず党首討論でのこの個所の安倍晋三と蓮舫の遣り取りを見てみる。

 蓮舫は、「いつ景気がよくなるのか、アベノミクス4年目で税収が2兆円下振れすることになった」と、アベノミクスは失敗したという文脈の追及を行った。

 対して安倍晋三は例の如くに100万人の雇用を作り、税収は21兆円増えた、有効求人倍率は全ての都道府県で1倍を超えた、企業は過去最高の収益を挙げている、現役世代生活保護世帯は9万世帯も減っている等々の統計を持ち出してアベノミクスは失敗していないという文脈で反論した。

 ここで産経ニュースが批判している蓮舫の発言が飛び出す。

 蓮舫「総理よく分かりました。総理は良いときは自分の功績、悪い時は人のせいだということで。4年前に敏感になるのは分かりますが、そろそろ今に、今に、敏感になって下さい。総理は4年前に敏感で今に鈍感すぎます。確かに雇用は広がって有効求人倍率は改善されたかもしれませんが、それは東京に一極集中で出てきているからじゃないですか。地方に仕事がないんじゃないですか」

 そして、「今広がっている雇用は非正規雇用であり、不安定雇用が広がっているに過ぎない」と断じてから、過剰な残業時間を強制されて過労自殺した24歳の東大卒高橋まつりさんという名前を覚えているか安倍晋三に問い質した。

 安倍晋三「先ず色々ご指摘されましたから、これは討論ですからそれに対しても反論はさせて頂きます。いわば有効求人倍率がですね、各県で回復したのは東京一極集中が進んだせいではありません。例えばそれだったらですね、沖縄の有効求人倍率、上がるはずないじゃないですか。

 人口が増えているんですから。人口が減少すればですね、消費者が減るということです。生産者が減るということです。いわば、役所以外はすべてこれは商売ができなくなるということにつながっていくんです。人口が減少すれば、有効求人倍率が良くなる、これ間違ってます。この考え方でですね、経済政策を進めて行けば、これ間違えますよ。各県で有効求人倍率が1倍になったことを喜ばないということにつながっていくわけでありますから、驚くべき私は議論だな、こう思った訳であります」

 この後、蓮舫が聞いた高橋まつりさんについて知っていることを答えている。

 これらの答弁に対する蓮舫の発言。

 蓮舫「中学から母子家庭で、お母さんを楽にさせたい、勉強して東大に行きました。大学を出て、大手広告代理店電通に入社をした。日本のトップの企業に入って、社会に貢献したい。未来ある若者でした。

 去年のクリスマスに自殺をしました。直前にお母さんにメール。心配になったお母さんが電話をして、死んじゃだめと説得をした。その直後の出来事でした。今年の秋、過労死認定されました。過労死認定の長時間基準は、最低基準は80時間超です。高橋さんは140時間を超えていました。1週間で10時間しか寝てない」・・・・・・・

 要するに蓮舫は長時間労働の是正を訴えるために高橋まつりさんを持ち出した。

 確かに蓮舫は頭の回転が早い。だが、臨機応変さがなく、空回りすることが多い。

 安倍晋三が「人口が増えているんですから」と言い、「人口が減少すれば、有効求人倍率が良くなる、これ間違ってます」と言っていることになぜ食らいつかなかったのだろうか。

 日本の人口は減少している。2016年2月26日、2015年国勢調査の人口速報値が公表され、2015年10月1日時点で日本の総人口(外国人を含む)は1億2711万47人、1920年の調査開始以来のことだが、5年前と比較して94万7305人(0.7%)減少している。

 12月17日党首討論5日後の2016年12月22日付の「NHK NEWS WEB」記事だが、今年一年間の子どもの推計出生数は約98万1000人、初めて100万人を下回るという厚労相の推計を伝えている。

 但し2015年の出生数は5年ぶりの増加で100万5677人だったそうだが、2016年推計死亡者数は129万6000人、2016年の推計出生数約98万1000人を差し引くと、31万5000人の人口減少となる。

 今後出生数が横這い、あるいは減少し、死者数が出生者数を上回る人数で増加していくと、人口は着実に減少しいく。

 当然、この人口減少は若者人口の推移に影響を与える。

 「第1節 若者を取り巻く社会経済状況の変化」厚労省)のサイトから、若者の人口推移を見てみる。 

 〈若者の数は、1970年に約3,600万人、2010年に約3,200万人だったものが、2060年にはその半分以下の約1,500万人になると推計されている。また、全人口に占める若者人口の割合を見ると、1970年の35.0%(約3人に1人)から2010年には25.1%(約4人に1人)へと減少しており、2060年には更に17.4%(約6人に1人)にまで減少することが見込まれている。〉――

 安倍晋三が「人口が増えているんですから」と言っていることはアベノミクスの失敗を隠す強弁に過ぎない。
 
 2016年12月17日の党首討論5日前の2016年12月12日付「asahi.com」記事が、安倍政権が2014年末に打ち出した東京圏(東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県)一極集中策がピンチに陥っていることを伝えている。   

 安倍政権は「2020年までに人口の転出入を均衡させる」という目標を打ち立てた。具体的には地方に10万人分の雇用をつくり、地方から東京圏(東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県)への転入者を6万人減らし、東京圏から地方への転出者を4万人増やすという青写真である。

 但し2015年の東京圏への転入は48万7千人。東京圏から地方への転出は36万7千人。12万人も転入が上回っている。

 記事は、〈転入超過は20年連続で、2012年以降、超過幅の拡大が続く。〉と書いている。

 では、政府統計から、「2015年年齢5歳階級別転入超過数」から、東京都のみの転入超過数を見てみる。

 15歳~19歳 1万5815人 
 20歳~24歳 4万9785人   
 25歳~29歳 1万9949人  
 30歳~34歳 2万0826人
 35歳~39歳     312人
 40歳~44歳 1万0398人
 45歳~49歳 1万0265人

 若者から働き盛りまで、転入超過数(=転入者-転出者)が合計で11万1535人となっている。この数字はちょっとした市の人口に相当する。
 
 日本の人口の全体数が減少し、その中でも労働力人口の重要な一翼を担う若者人口が減少し、若者から働き盛りの年齢層の東京への一極集中が止まらない。

 当然、若者人口の減少と若者から働き盛りの東京一極集中は地方程、その影響を受けることになる。

 その影響は求職数の減少となって現れる。

 言わずもがななことだが、有効求人倍率は有効求人数÷有効求職者数で計算される。有効求職者数が減少する程、有効求人倍率は上がる。有効求人倍率1は安倍晋三が意味させている1とは限らないことになる。

 当然、安倍晋三が言っている「有効求人倍率がですね、各県で回復したのは東京一極集中が進んだせいではありません」を全面的に正しいとすることはできず、その影響も受けている1と見なければならない。

 また「人口が減少すれば、有効求人倍率が良くなる、これ間違ってます」と言っているが、景気回復期にある以上、間違っているのは安倍晋三自身と言うことになる。いい加減なことを口にしてアベノミクスを擁護しているに過ぎない。

 東京一極集中は給与格差の影響でもあり、給与格差に拍車をかける。「都心vs地方の最大格差は2割!地域別年収差を徹底比較」Tech総研)なるサイトに次の記述が載っている。    

 〈平均年収を地域別にみると、トップは関東の523万円。以下、関東を100とした場合のパーセンテージで順位を並べると、東海(96%)、関西(93%)、中国・四国(84%)、北信越(80%)、北海道・東北(79%)、九州(78%)と続く(パーセンテージが高いほどトップからの格差は小さい)。最も高い関東と最も低い九州との格差は113万円で、九州の平均年収はざっくり関東の2割弱ということがいえる。〉――

 この東京対各地方の給与格差の構造は各地方対各地方内各地域(各地方の都市圏を離れた小都市)の関係にも同じ姿を取って現れていると見なければならない。地方に行く程、若者が自らが生まれた土地を離れて、その空洞化=過疎化が進んでいるのはそのためであろう。

 と言うことは、安倍晋三が言っている有効求人倍率全国1以上は出生数の減少を受けた地方の若者人口そのものの減少や給与格差等の影響からの若者の地域外流出によって母数の有効求職者数を小さくした1ということで、母数を小さくしているそれぞれの原因が不治の難病状態の問題点として残っていることになる。

 また、蓮舫が「有効求人倍率は改善されたかもしれないが、東京に一極集中しているからだ。地方に仕事がない」と言っている発言にしても必ずしも正しくない。「東京一極集中が有効求職者数を減らす結果となっていることから、有効求人倍率を限りなく1かそれ以上に近づけている」と言うべきだったろう。

 上記「asahi.com」記事が伝えているように安倍政権が2014年末に打ち出した「2020年までに人口の転出入を均衡させる」とする政策は2年経過後の現在に至っても東京一極集中に何もストップを掛けることができないばかりが、逆に転入超過が続いている。

 このことが地方の有効求職者数に影響を与えていないはずはないのだが、にも関わらず、単に統計の数字だけを見て、「有効求人倍率は全ての都道府県で1倍を超えた」と単純にアベノミクスを誇ることができる。

 全体は個々の総合であるが、全体の結果が良くても、個々の全ての結果が良いとは限らない。国は栄えても、すべての国民が栄えるとは限らないのと同じである。

 安倍晋三にはこの視点を持ち合わせていないようだ。全体さえ良ければいいのだろう。

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二つの記事を読んで、体罰と日本人の生産性の欧米と比較した低さとの関係を改めて思う

2016-12-23 09:59:14 | 政治
 
 何度も書いてきたことを最近の例に照らして再び書くことにした。

 先ず2016年12月18日付「NHK NEWS WEB」が名門高校相撲部顧問が部員に対して体罰を働いていたと伝えた。  

 一応リンクをつけておくが、何日かしたら、記事は削除されると思う。

 相撲部が強豪校で角界にも多くのOBが入門、名門とされるその高校とは全国高校総体出場14回を誇る福島県郡山市の日大東北高校だそうだ。顧問は20代の若さを誇る教諭。その顧問が今年4月以降、稽古中に1年生の男子部員に対して平手で叩いたり、蹴ったりしたほか、ゴム製のハンマーで頭を叩くなどの暴力行為を繰返していた。

 12月18日の学校の記者会見で明らかになったということらしい。

 他の記事ではデッキブラシで殴ってケガを負わせたと書いている。1年生男子はケガで通院。その後転校。

 怪我を負わせたくらいだから、デッキブラシのヘッドのナイロン製等のブラシ(刷毛)の部分で殴ったのではなく、長方形の木の部分で殴ったのだろう。

 ヘッドを横向きにして長方形の長い辺の部分で殴るよりも、ヘッドを縦にして短辺部分で殴ると、面積がコンパクトになる分、食い込む力が大きく働き、怪我の程度はひどくなる。

 ゴム製のハンマーとは画像で示しておいたが、、ヘッドも柄も中空のビニール製で、特にヘッドが蛇腹状になっていて、叩くと蛇腹が収縮して打撃の衝撃を吸収することから左程の痛みを伴わない、よくテレビでお笑いタレントが相方や他の出演タレントの頭を叩く、いわゆるピコピコハンマーではなく、土木作業等に使う硬質ゴム製のハンマーのことだろう。

 モルタルを塗った上に置いたブロックの高さを上から叩いて調整するときなどに使うハンマーで、ヘッドが鉄製のハンマー程ではないが、かなりの衝撃力を持っている。

 7月に保護者が学校に相談。問題が明るみになった。学校の調査に対しての教諭の申し開き。
 
 20代教諭「強くするため行き過ぎた指導をしてしまった」

 学校は体罰と判断せずに過度の指導と判断したのか、世間に知れて学校の評判を落とすことを恐れてのことか、自宅謹慎にとどめて顧問の解任や処分を行わなかった。

 前者の判断は熱血指導がちょっと行き過ぎたと考え、後者の場合だとしたら、穏便に事を済ますためのなあなあの事勿れ主義に走ったことになる。
 
 18日の会見で、今後処分することを検討していると明らかにしたという。
 
 体罰は20代の教諭ばかりではなく、50代の男性コーチも同じ部員に対して体の下にノコギリを置いた状態で腕立て伏せをさせていたことが分かったという。

 記事は、このコーチは今年9月に自主的に退職したと伝えている。

 要するに相撲部は体罰を慣習とし、他の部員も体罰を受けていたが、その部員が特に体罰の標的となっていたということであろう。

 なぜなら、デッキブラシは相撲部部室の床の掃除等に使うから用意してあったとしても、土俵に置いておくものではないから、わざわざ手近に置いていたことと、一般生活では使わないゴム製のハンマーを持っていたこと自体が、使う目的を体罰仕様としていたはずだ。

 松井弘之校長「学校として指導力が不足し申し訳ありません。今回の問題について職員や生徒などに十分に説明して再発防止を徹底したい」

 今年の4月以降、20代の相撲部顧問が特に一人の部員に厳しい体罰を繰返し、ケガを負わせた。

 7月に保護者が学校に相談。

 9月に同じ部員に身体の下にノコギリを置いた状態で腕立て伏せをさせていた50代コーチが自主退職した。
 
 12月18日に学校は記者会見を開いて事実を明らかにした。

 4月から7カ月以上経過している。校長が言っている「学校として指導力が不足し申し訳ありません」と言っている「指導力」とは相撲部顧問やコーチに対する「指導力」であって、学校としてどう的確に対応すべきかを決定する「指導力」は抜け落ちている。

 公表が必要なのは、例え学校の恥を曝すことになったとしても、体罰を起こしてしまったことへの反省と共に体罰は一つや二つの中学校や高校、あるいは大学の問題ではなく、隠された状態で広く行われている可能性と、今行われていなくても、自然発生的にいつ起きてもおかしくない可能性への教育上の警告を担うことになるからであろう。

 学校がどういうキッカケで記者会見を開いて公表したのか、その事情は記事は書いていないが、学校教育が担うべく役目を満足に果たさなかった。

 相撲部名門校の顧問の体罰に関連すると私自身は見ている、題名を〈労働生産性 日本は主要7か国の中で最下位〉だとする記事を「NHK NEWS WEB」が発信していた。       

 「日本生産性本部」が、OECD=経済協力開発機構に加盟する35カ国の従業員が1時間当たりに生み出すモノやサービスの値を示す2015年の労働生産性を分析した調査結果だそうで、日本は小売り業や飲食業などで業務の効率化が進んでいないことなどから、主要7カ国中で最下位だという調査結果が出たとしている。

 1位は金融業が経済の中心を占めるヨーロッパの小国・ルクセンブルク。主要7カ国ではアメリカが5位、フランスが6位、ドイツが7位。

 調査した木内康裕上席研究員の発言。

 「ドイツの企業は短い労働時間でむだなことせずに成果を上げようとしており、日本も見習うところがある。また、受注や発注の業務を機械や人工知能に任せることで生産性は向上できる」

 要するに日本は低い生産性を長時間労働で補って、工業先進国としての生産量を挙げていることになる。

 上記記事に誘導されて「日本生産性本部」のサイトにアクセス、調査報告書の「日米産業別労働生産性水準比較」(2016年12月12日)を入手してみた。 

 NHK記事は2015年の報告となっているが、この記事は2010~2012 年の報告となっている。 

 確かにこの記事は、〈産業別にみた日本の労働生産性水準(2010~2012年平均)は、製造業で米国の7割、サービス産業で5割であった。日米格差は、1990年代後半と比較すると製造業で3.2%p 縮小したものの、サービス産業では0.9%p 拡大している。リーマン・ショック前と比較しても、製造業では日米格差が6.0%p 縮小しているのに対し、サービス産業では1.8%p 拡大している。サービス産業の労働生産性水準は、1990 年代後半から米国の5 割程度にとどまる状況が続いている。〉とその格差を伝えているが、個別の産業で見た場合、2010~2012 年平均で、〈化学(143.2%)や機械(109.6%)で米国を上回り、輸送機械(92.7%)でも遜色ない。一方、サービス産業をみると、運輸(44.3%)や卸売・小売業(38.4%)、飲食宿泊(34.0%)などの主要分野で格差が依然として大きい。〉と書いてある。

 日本の化学産業や機械産業の生産性が米国のそれをなぜ上回っているのだろうか。

 化学産業は装置産業と言われているらしい。化学製品を生み出す装置さえ優秀なら、その装置が生産の殆ど全てをこなし、人手は装置を監視する要員のみで済む人の要素の最小限化が逆に装置に頼って従業員が1時間当たりに生み出す生産性を高めているということではないのか。

 いわば人自身がその要素によって生産性を高めているのではないことになる。

 機械工業にしても、機械装置に頼る要素が大きく、人自身の要素が少ない分、化学産業と同様に機械が生み出す生産に頼った日本の高い生産性ということなのだろう。

 だが、人の要素に殆どを頼らなければならないサービス産業は米国の5割、製造業にしてもまだまだ人の要素が多いゆえに7割という生産性しか生み出すことができていない。

 いわば生産性の差は人の要素の差ということになる。

 では、なぜアメリカなどの先進国と日本の労働に於ける人の要素に差があるかというと、人から言われて動くのではなく、最初はそうであっても、後は自分から考え、自分から判断して自分で行動するという自律的な独自性がより低い、あるいはより欠けているということであるはずだ。

 上から言われたことは言われたとおりに忠実に行う。だが、言われないことはしない。上が言うことが常に最善であるなら、自分で判断しないという点以外は何も問題はないが、常に最善だとは限らない。

 その齟齬が生産性に影響していく。

 部活での顧問等による体罰は部員の、教室での教師による体罰は生徒の自律的な独自性に任せることができず、顧問や教師が自身の遣り方を絶対として、それを押し付け、望む結果を出さないと苛立って暴力で言い聞かそうとすることによって起こる。

 それが熱血指導とか行き過ぎた指導とか言われている。

 勝利至上主義に拘るあまり、教育者として部員や生徒が自分から考え、自分から判断して自分で行動するという自律的な独自性を育むことに些かも頭が回らない。即席に勝利に結びつかないからだが、学校教育が自律的な独自性を育む教育を忘れたなら、そういった部員や生徒が社会人になったとしても真の労働生産性を高めることは難しい。

 体罰のように尻を叩かれて動くだけの生産性となりかねない。 

 あるいは既に触れたように低い生産性を長時間労働で補って、工業先進国としての生産量を上げる同類としかなり得ない。

 体罰は体罰だけの問題ではない。深く労働生産性にも関係する。二つの記事を見て、改めてそう思った。

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安倍晋三のプーチンの平和条約発言が北方四島の日本への帰属を意味させているかどうか理解できない頭の悪さ

2016-12-22 10:07:46 | 政治

 戦後71年を経てもなお日露間で締結されていない平和条約に関する日本の立場は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することを基本方針としている。

 要するにロシアが自国領としている北方四島の領有権を日本側に手渡し、日本の領土だとなったとっきに初めて平和条約の締結交渉に日本側は入ることができることになる。

 と言うことは、平和条約締結は北方四島の領有権のロシアから日本への移行を前提としている。

 つまり、北方領土が日本領とならない限り平和条約は締結しないことの宣言でもある。

 このことは誰もが認識していることであり、誰もが認識していなければならない将来的経緯と言うことになる。

 であるなら、これは当然のことだが、安倍晋三は平和条約、もしくはその締結に言及する場合は、その発言は常に領有権の日本への帰属を見越していなければならない。

 と同時にプーチンが平和条約、もしくはその締結に言及する場合にしても、その発言は常に領有権の、少なくとも将来的には日本への帰属を見込んだ内容となっていなければならない。

 そうでなければ、プーチンはこれまで通りに北方四島がロシアの領土であることを前提とした平和条約に関わる発言、もしくはその締結に触れた発言ということになって、安倍晋三は平和条約締結の交渉にすら入ることができないことになる。

 2016年12月19日付「産経ニュース」が12月18日夜に出演したフジテレビ番組「Mr.サンデー」での発言を伝えている。
   
 司会者「(日露首脳会談の結果について)日本のメディアは希望と落胆、両方報じている。経済協力の話題が多く、ロシアに食い逃げされるのではないかとのという報道もある」

 安倍晋三「全体の会談は6時間半行われたのですが、一番大切な、私とプーチン大統領2人だけの膝詰めの会談は95分。その殆どは、平和条約、領土交渉、問題についてじっくり話をしました。しかし、そこは解決をしたときにしか出せない。中身については。残念ながら、表に出すことはできませんから」

 今回の安倍晋三とプーチンの首脳会談は16回だそうだが、これまでもプーチンと何回首脳会談を開いたと、その回数によって信頼関係を構築できたと誇っていたのと同じ線上の発言となっている。会談で取り決めた結果が証明することになる成果を会談時間の長さが証明するかのような言い回しの合理性の欠如は相変わらずである。

 安倍晋三はこの後、「本格的な領土交渉には入ったと私は思っています」と断言している。

 要するに「共同経済活動」だけを本格的に話し合ったわけではなく、領土交渉に関しても本格的な議題としたと言うことなのだろう。

 当然、安倍晋三の以下の平和条約の締結に関する言及は話し合ったはずの領有権の帰属問題を含んでいることになる。

 司会者「共同会見で平和条約がない異常な状態に私たちの手で終止符を打たなければならない、とおっしゃった。プーチン氏も『私たちにとって一番大事なのは平和条約の締結です』とおっしゃった。プーチン氏は2018年に大統領選がある。おそらく再選し、長期政権になるので大統領選まで待ってくれと。その後に平和条約、二島返還、4島返還という工程表が両首脳の間で交わされているのでは」

 安倍晋三「(プーチン氏の『最も重要なことは平和条約の締結だ』という発言は)一番重要な発言なんですが、95分間、膝詰めで話しあった結果でもあるんです。

 今まで、プーチン大統領が『一番大事なのは、平和条約の締結』と発言したことは1回もありません。平和条約に触れる際は非常に慎重です」

 この発言は北方四島の領有権を、少なくとも将来的には日本に帰属させることを前提としたプーチンの発言だと安倍晋三が受け止めていることを意味する。

 だから、「95分間、膝詰めで話しあった結果でもある」と誇ることができ、プーチンの発言を「一番重要な発言」だと意義づけることができる。

 ロシアの領有権を前提としたプーチンの発言だと見ていたなら、膝詰めの話し合いを誇ることも、「一番重要な発言」と位置づけることもできない。

 以上のフジテレビでの安倍晋三のプーチンとの首脳会談に対する評価は安倍晋三がそうだとしている評価であって、プーチンの評価が加わっているわけではない。プーチンがどう評価しているか、2回の会談後の共同記者会見でのプーチンの発言を記者との質疑から見る他ない。

 質疑の遣り取りを「産経ニュース」が伝えている。   

 プーチンは質疑の最後の方で確かに「もし誰かが、私たち(ロシア側)が経済関係の発展だけに関心があり、平和条約の締結を二次的なものだと考えているというのであれば、それは間違いです。私たちにとって一番大事なのは平和条約の締結なのです」と発言している。

 この「一番大事な」平和条約の締結が安倍晋三の解釈どおりに北方四島の領有権を将来的には日本に帰属させる意図を含んだ発言なのか、その解釈に反してロシア側に帰属させたままの発言なのかが問題となる。

 記者「平和条約締結に関しては、先日の日本メディアとのインタビューで『我々のパートナーの柔軟性にかかわっている』とも述べた。かつては『引き分け』という表現も使った。大統領の主張は後退しているような印象があるが、日本に柔軟性を求めるのであれば、ロシア側はどんな柔軟性を示すのか」

 プーチン「その質問に満足に答えるためには、まずとても短く歴史の問題に触れる必要があります。 日本は先ず1855年にその島々(北方四島)を受け取った。プチャーチン提督がロシア政府と皇帝の合意のもとづき、これらの島々を日本の施政下に引き渡した。それまでは、ロシア側はクリル諸島はロシアの航海者によって発見されたため自国の領土と認識していました。

 条約を締結するためロシアはクリル諸島を日本に引き渡しました。ちょうど50年たって、日本はその島だけでは満足できないように思うようになった。

 1905年の日露戦争のあとに、戦争の結果としてサハリンの半分を取得しました。あの時、国境は北緯50度の線で決められたのちに日本はサハリンの北半分も獲得しました。
 ちなみにポーツマス条約のおかけでその領土からロシア国民を追放する権利もありました。40年後の1945年の戦争の後にソ連はサハリンを取り戻しただけでなく南クリル諸島も手に入れることができました」

 わざわざ1855年2月7日(安政元年)の日露和親条約の締結にまで遡って歴史を紐解き、その締結以前は北方四島はロシア領であったこと、その後歴史の変遷を経たのち、第2次大戦の結果、サハリンだけではなく、北方四島はロシア領となったと、ロシアは領土を回復させたのだという文脈で北方領土を語っている。

 つまりサハリンにしても北方四島にしても、元々からロシア領だと主張しているに等しい。

 だとすると、プーチンが「最も重要なことは平和条約の締結だ」と言っていることは安倍晋三が解釈しているような北方四島の領有権の将来的な日本への帰属を意図した発言ではなく、ロシアの領有権を前提とした平和条約の締結が「一番大事」だと主張していたことになる。

 と言うことは、ロシアの魂胆は先ず北方四島で共同経済活動を発展させて、日露が経済的に切っても切れない関係を築いてから、平和条約締結交渉に取っ掛かる。日本側は北方四島の領有権の日本への帰属を前提に条約の締結を図ろうと交渉を進めるのに対してロシア側は領有権をロシアに置いたままの締結に持っていこうと交渉を進めることになる。

 だが、安倍晋三の頭の中は日本と同様にロシアも日本への領有権の帰属を前提とした交渉を思い描いている。

 このことは12月20日午後、東京都内のホテルで開催した「内外情勢調査会」での安倍晋三の冒頭のスピーチにも現れている。発言は12月20日付「産経ニュース」からの引用。   

 安倍晋三「結果として日露首脳会談が行われた直後、来週には歴史的な真珠湾訪問を控えて、絶妙なタイミングになったと言ってもいいと思います。『政治で最も重要なのは勘だ』これは小泉純一郎元首相がよく私に言っていたことでありまして、私の勘も捨てたものではないと思います。どうでしょうか?」――

 もしプーチンの平和条約締結に関わる発言が北方四島の領有権をロシアに帰属させたままの締結を意図していると安倍晋三が解釈できていたなら、日露首脳会談直後の真珠湾訪問を「絶妙なタイミング」とすることなどできるはずはなく、「私の勘も捨てたものではない」などと言った言葉は間違っても口にすることはできなかったろう。

 頭の悪い男。

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オスプレイ早期訓練再開は機体システム原因の墜落ではなく、訓練の際の不測の事態と思わせる隠蔽工作か

2016-12-20 13:06:43 | 政治

 2016年12月13日夜9時半頃、夜間の空中給油訓練中のアメリカ軍米軍普天間飛行場所属輸送機オスプレイが沖縄県名護市沿岸の岩礁の頭が波の上に見える浅瀬に大破した状態となった。

 墜落と紛う機体の散乱状態だったが、米軍は乱気流が生じて給油ホースがオスプレイのプロペラに接触し、ホースを切断、その際プロペラも損傷を受けてバランスを失い、普天間基地に帰還しようとしたが、住宅地に囲まれた世界一危険とされている普天間飛行場へ帰還した場合の万が一の住宅街への不時着の危険性を考え、帰還先を沖縄県名護市辺野古の海沿いにあるキャンプシュワブに変更、海沿いの飛行中に飛行不可能となり、浅瀬に不時着したのであり、機体システムの欠陥そのものが原因した墜落ではないといった趣旨の発表を行った。

 但しこれは米軍側が発表し、日本政府が追随した“事故原因”であって、その発表が事実通りであるとは常に限らない。陸上での万が一の不時着を避けて海岸沿いに移動したということは兎に角も飛行可能な状態であったのだから、飛行可能な最終段階に達する前に、その段階を察知してヘリコプターの状態で浅瀬に舞い降りたなら、それ程に大破することはないはずだが、片方のプロペラが損傷を受けただけなのに大破し、機体各部が広範囲に散乱したのはなぜなのだろう。

 特に機体が大きく損傷したケースはこれまでにない言われているにも関わらずオスプレイが大破したという点に大きな疑問、というよりも発表に大きな疑惑が残る。

 疑惑はこればかりではない。12月13日夜9時半頃の不時着に対して翌日の12月14日午前5時前には機動隊が規制線を張り、迷彩服の米兵30人以上が報道陣に安全のために近づかないように警告してから、満潮で機体の大部分が海中に沈んだ状態になっているにも関わらず機体の回収を始めたと、12月14日付「時事ドットコム」記事が伝えている。 

 “不時着”から7時間かそこらしか経過していない、しかも暗いうちから機動隊が規制線を張って、30人以上の米軍兵士が機体回収作業を開始した。乗組員の内2人が怪我をしたものの5人共救助されているのだから、乗組員たちが経験した事故の実際を聴取できていたはずで、もし米軍の発表が聴取どおりの機体システムの欠陥ではないなら、乗員の救助だけならまだしも、機体回収作業まで“不時着”から7時間かそこらしか経っていない暗い内から開始したのはなぜなのだろう。

 その部屋に親しく出入りしていた男が相手の女を部屋の中で殺してしまった後、部屋中を動き回って指紋を消して回ったり、物的証拠とされる自身の衣服や歯ブラシ、湯呑み等々の自身の痕跡を掻き集めてゴミ袋かスーツケースに詰め込む慌ただしさに似ている。

 いわば、隠す必要性があったからこその性急な回収作業開始ではなかったかという疑惑である。

 フライトレコーダーは12月14日の回収作業から早い時間に回収されたようだ。航空事故原因の解析に必要な各飛行データを記録する装置なのだから、フライトレコーダー回収班といったその発見に特化した役割を担わされた複数の兵士がいて、その回収にのみ時間を掛けた結果かもしれない。

 いずれにしても回収したフライトレコーダーには飛行高度や飛行速度の刻々とした変化等が記録されている。墜落の場合は墜落に特有な記録の急激な変化が現れると思うが、それに対して今回のオスプレイのように前以て危険性を想定していたであろう(想定していなければ、普天間に向かった)不時着の場合は、少なくとも不時着に迫られるまでは速度にしても高度にしてもどうにかコントロールできる状態にあっただろうから、機体を曲がりなりにも維持できるだけの余裕はあったはずで、フライトレコーダーの記録の急激な変化は不時着の態勢に入って以後の浅瀬への着地までのいずれかの時点で起こることになる。

 こういった違いによってフライトレコーダーの記録は機体システムの故障による墜落なのか、損傷を受けたプロペラの羽根の回転に不具合が生じて一定の飛行の後に迫られた不時着なのかを教えてくれるはずである。
 
 だが、最終的な大破の状況から考えると、エンジが停止したといった故障ではないのだから、墜落にはない、着陸態勢に入るだけの余裕があり、当然速度を減速に向けてコントロールしていく不時着とは見えない無残な光景を曝け出していたのはどういうことなのだろうか。

 このことを解き明かしてくれるのはフライトレコーダーの記録と乗員の証言であろう。

 ところが、第11管区海上保安本部が事故原因の究明のためにアメリカ軍に対し任意で機体を調べたり乗組員から事情を聴いたりしたいとして捜査協力を求めたが、回答はなく、機体の撤去を完了させてしまった。

 これは明らかに証拠隠滅に当たる。

 残るは回収したフライトレコーダーの記録の開示と乗組員に対して海上保安本部への証言を認めることのみとなるが、どちらも行われることなく、アメリカ軍側は事故は機械的な問題ではないとして飛行再開を日本側に打診し、日本政府はそれを認めて、12月19日午後2時以降、空中給油を除いた訓練を全面的に再開したと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。   

 記事は防衛省が伝えているアメリカ軍からの報告を載せている。

 〈空中給油を受ける夜間の訓練の際に給油が終わったあと、乱気流などによって給油ホースとプロペラが接触し、プロペラが損傷したことから飛行が不安定になったもので、機械系統や機体構造などが原因ではない。〉

 その上、〈普天間基地に所属するすべてのオスプレイについて機体構造や電気系統など飛行の安全上、重要な部分を確認した結果、問題は発見されず、不測の事態が起きた際の手順を再確認するため、搭乗員に教育を行った。〉

 つまり機体そのものに問題はないから、訓練を早期に再開したということなのだろう。

 だが、この報告は言葉のみによる報告に過ぎない。
 
 右翼国家主義の防衛相稲田朋美の発言を12月19日付の「NHK NEWS WEB」が伝えている。  

 稲田朋美「防衛省・自衛隊の知見、専門的見地などから、(訓練再開は)合理性があるということだ。今回の事故で最も不安を感じている沖縄県民の皆様や地元の方々にしっかり説明していくことに尽きる。

 オスプレイは機動力、速度、飛行距離など、優れたところがあり、配備が抑止力の向上につながるということに間違いはない。ただ、安全性が大前提であるということも申し上げてきたところだ。

 空中給油については詳細な検証のもとで、二度とこのような事故が起こらないように、安全確認や教育などをやる必要があることはアメリカ側も認めており、具体的な情報をしっかりと提供してもらい、透明性を持って情報を提供していきたい」

 防衛省はアメリ軍から言葉のみの安全性の報告を受け、稲田朋美は言葉のみのその報告に「合理性がある」と見做し、アメリカ軍の言葉を安全性の証拠として沖縄県や沖縄県民への説明の道具にしているに過ぎない。

 稲田朋美が言っている空中給油の安全性に関わる「具体的な情報をしっかりと提供してもらい、透明性を持って情報を提供していきたい」にしても、第11管区海上保安本部が求めた、飛行機事故の原因解明にフライトレコーダーの記録解析は必須の条件だから、フライトレコーダーの調査を含めているはずの機体調査と乗組員からの事情聴取の要請に米軍は最後まで応じないままの訓練の再開なのだから、言葉の遣り取りで自己完結させようとしている情報の提供に過ぎない。

 要するに事故原因の解明に物理的方法や事故当事者からの事情聴取という手段がありながら、そのような手段を活用できる側が自分たちのみ活用して、その手段の活用を要請している側に対して活用させずに言葉のみで機体システムのトラブルではない、乱気流を受けた単なる事故だから、安全だ、安全だと安全性の証明にしようとしているに過ぎないのだから、実際には乱気流といった不測の自然現象が原因の不時着ではなく、そうと思わせるために早期訓練の再開に出た隠蔽工作ではないかという疑いが当然出てくるはずである。

 隠蔽工作でなければ、米軍は海上保安本部の捜査協力の要請に快く迅速に応じるべきであった。

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北方四島の先住民はアイヌ民族だから、彼らの返還要求が「第2次大戦の結果ロシア領」の論理を破る

2016-12-19 07:07:13 | Weblog
 
 2009年9月20日、《北方四島返還の新しいアプローチ/先住アイヌ民族と現住ロシア人との共同独立国家とする案 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》を書いた。 

 内容は、日本政府は「北方四島は日本固有の領土」としているが、北方四島の先住民はアイヌ民族だから、現在ロシアが不法占拠しているからとして日本に返還を求めるのは整合性を欠く、「北方四島はアイヌ民族固有の領土」だから、アイヌ民族に返還すべきだとするなら、歴史的にも整合性を得るし、アイヌ民族に返還した上で現住ロシア人との共同独立国家としたらどうかといったものである。

 上記ブログではアイヌ民族への北方四島返還がロシアが主張している「北方四島は第2次大戦の結果ロシア領となった」とする論理を破る方法とは書かなかったが、このことをよく知られている事実を基にこのブログで書こうと思う。

 2008年6月6日、国会の衆参両議院は「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を全員一致で採択た。

 決議の内容は以下のとおりである。

  アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議案(第169回国会、決議第1号)

 昨年9月、国連において「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が、我が国も賛成する中で採択された。これはアイヌ民族の長年の悲願を映したものであり、同時に、その趣旨を体して具体的な行動をとることが、国連人権条約監視機関から我が国に求められている。

 我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない。

 全ての先住民族が、名誉と尊厳を保持し、その文化と誇りを次世代に継承していくことは、国際社会の潮流であり、また、こうした国際的な価値観を共有することは、我が国が21世紀の国際社会をリードしていくためにも不可欠である。

 特に、本年7月に、環境サミットとも言われるG8サミットが、自然との共生を根幹とするアイヌ民族先住の地、北海道で開催されることは、誠に意義深い。

 政府は、これを機に次の施策を早急に講じるべきである。

 一 政府は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を踏まえ、アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること。

二 政府は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されたことを機に、同宣言における関連条項を参照しつつ、高いレベルで有識者の意見を聞きながら、これまでのアイヌ政策をさらに推進し、総合的な施策の確立に取り組むこと。

 右決議する。

 要するに2007年9月13日、ニューヨークの国連本部開催の国際連合総会に置いて採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に促されて、多分仕方なく、アイヌ民族を東北以北の先住民と認めると決議したのだろう。

 動機はどうあれ、日本の国会はアイヌ民族を先住民とするに至った。

 では、国連宣言はどのような内容の採択を行っているか見てみる。 


 「先住民族の権利に関する国際連合宣言」         

 第28 条 【土地や領域、資源の回復と補償を受ける権利】

1. 先住民族は、自らが伝統的に所有し、または占有もしくは使用してきた土地、領域および資源であって、その自由で事前の情報に基づいた合意なくして没収、収奪、占有、使用され、または損害を与えられたものに対して、原状回復を含む手段により、またはそれが可能でなければ正当、公正かつ衡平な補償の手段により救済を受ける権利を有する。

 先住民が後発住民によって武力等の手段で収奪された土地・領域・資源は原状回復の救済を受ける権利を有すると謳っている。

 北方四島の択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島は、元々は共にアイヌ民族が先住していた。それをロシア人や日本人が駆逐し、現在ではロシア人の土地となっている。

 当然、アイヌ民族は北方四島に対する原状回復を要求する権利を有する。「我々こそが返還を求める権利を有する」と。

 勿論、アイヌ民族の血を引く人間はロシア極東にも今以て生き続けているだろうから、彼らと糾合して北方四島原状回復(=その土地でのアイヌ民族としてのありとあらゆる権利回復)の声を挙げるべきだろう。

 声を挙げ、運動を起こすことによって、「第2次世界大戦の結果」遥か以前の状態に戻すことの要求となるためにプーチン・ロシアが主張している「北方四島は第2次大戦の結果ロシア領となった」とする論理は無効となる。

 いわば返還を拒否する正当な理由はなくなる。

 プーチンが直ちに応ずるとは考えられないが、「北方四島は第2次大戦の結果ロシア領となった」とする論理を無効化させることができる以上、アイヌ民族は勿論、日本政府もロシアに対して「ロシアは北方四島を不法占拠している」と、その烙印を正々堂々と押すことができる。

 「平和条約締結後にソ連は日本に歯舞群島と色丹島を引き渡す」と決めた1956年日ソ共同宣言についてプーチンが「どのような条件の下で引き渡されるのか、どちらの主権下に置かれるのかは書かれていない」と言おうが言うまいが、すべて無関係事項とすることができる。

 北方四島の先住民は日本に住むアイヌ民族だけではなく、その血を引く生活者はロシア極東にも今以て生き続けているだろうから、彼らと糾合し、国連宣言に基づき、北方四島原状回復(=アイヌ民族としての権利回復)の声を挙げて、北方四島をアイヌ民族と現住ロシア人、そして元島民等の日本人を含めた共生国家樹立の構想を打ち立てたなら、国際的な世論を喚起できるように思えるが、どうだろうか。

  少なくとも安倍晋三がそうさせているようにプーチンを北方四島返還問題に絡ませてこうまでものさばらせることはなかったろう。


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