【お断り】 つまらない衝動に促されてセルバンテスの『ドン・キホーテ』もどきの真似事をすべく、2017年1月1日から1月31日の間、ブログを休みます。 “もどきの真似事”ですから、話にならないくらい似ても似つかない試み程度と言うことになりますが・・・・・・。よろしく。 |
共産党などが戦争法案と呼び習わしている自衛隊の海外派遣や憲法違反の集団的自衛権行使を認める安倍晋三の新安保法案が2016年3月に施行されたことを受けて、武器使用を可能とする「駆け付け警護」等の新任務を付与された陸上自衛隊PKO部隊が任務終了帰国の部隊と入れ替わる形で2016年11月21日、南スーダンの首都ジュバに到着した。
「駆けつけ警護」とは離れた場所にいる国連や民間NGOの職員が武装集団などに襲われた場合に救援に向かう任務を言い、他国の軍人はより高い危険性が生じることが予想されるからだろう、救援対象から現在のところ外している。
但し安倍政権は現地PKO部隊が対応できる範囲内の任務としている。部隊長が対応できないと判断したなら、駆け付け警護を行わない。
PKO参加5原則は(1)で、「紛争当事者間で停戦合意が成立」している場合という条件を付与している。不成立となった場合、撤収しなければならない。
2016年7月、政府軍(大統領派)と反政府軍(副大統領派)が南スーダン首都ジュバで武力衝突し、停戦とは言えない状況――自衛隊のPKO部隊を派遣してはいられない状況となった。
どの程度の武力衝突であったか、《南スーダンの首都ジュバ、戦闘は終わったけれど・・》(日本国際ボランティア/2016年7月21日)の記事から見てみる。
記事は南スーダン政府は両派の戦闘による死者を270人と発表したと伝えている。
270人となると、もはや武力衝突という表現を超えている。武力衝突と言うよりも一段階も二段階も激しい、この記事が伝えているようにまさに戦闘状態にあったと見るべきだろう。
そのことは使用武器の種類が証明する。
〈戦闘は、戦車や武装ヘリコプターが動員され、ロケット砲など重火器が使用された激しいものでした。ジュバ西郊にそびえる「ジェベル・クジュール」(魔女の山、の意)の裾野にある副大統領派の拠点を中心に、戦闘は空港付近や市内各所で行われ、避難民が駆け込んだ国連の保護施設までもが巻き込まれました。〉
両派の衝突は単に政治利害のみを背景としているだけではなく、民族紛争とその衝突にまで発展、始末の悪い憎悪の段階にまで達しているらしい。
〈避難民の多くは、副大統領と同じ民族グループ、ヌエル人です。これに対して、大統領派の兵士の多くはディンカ人。「保護施設の中に副大統領派が逃げ込んでいる」として、大統領派は保護施設に砲弾を撃ち込み、多くの死傷者が出ました。避難民には、もはや逃げ場もありませんでした。〉
いわば軍同士・兵士同士の戦闘のみに飽き足らずに軍・兵士が一般市民を民族の違いを理由に一方的に殺傷する目的の武力行使にまで足を踏み込んでいる。
反政府軍にしても、敵対民族に対する一方的殺傷を黙って見過ごすことはないはずだ。目には目の報復に出るのが相場となっている。
当然、こういった民族間の殺傷を目的とした憎悪行為を紛れ込ませているとなると、政府発表の死者270人という数字が果たして事実そのものなのかとの疑いが出てくる。
記事は書いている。〈欧米メディアのインタビューに答えたあるNGOスタッフは「犠牲者は千人に達するのでは」と話していました。〉――
熱帯に属する南スーダンの7月は雨季で腐敗が早く、死体を見つけると早々に埋めてしまうといった事情も正確な死者数の把握を妨げているらしい。
両派の衝突によって政府機能が麻痺し、経済は悪化、財政難による公務員・兵士への給与の遅配・未払いが常態化していて、よくあることで、〈一部の地域では兵士が住民を襲撃・略奪する事件も発生してい〉ると治安の悪化を紹介している。
こういった状況下でも日本政府は自衛隊のPKO部隊を派遣し続け、同じような衝突の再度の発生の危険性を否定できないにも関わらず、武力行使を可能とする「駆け付け警護」の任務を付与した自衛隊PKO部隊を首都ジュバに派遣した。
安倍政権は二つの理由を掲げている。
一つ目は、南スーダンに於ける政府軍(大統領派)と反政府軍(副大統領派)の衝突は国内の勢力間の争いであって、国家又は国家に準ずる組織の間の武力衝突のみを戦闘行為と解釈している日本政府の戦闘行為の定義には当てはまらない。
安倍晋三も防衛相の稲田朋美もこの政府の定義に則って国会答弁している。
いわば戦闘行為ではないのだから、たいした武力衝突ではなかったと思わせている。
いくら国内の勢力間の争いであっても、戦車や武装ヘリコプターを動員して、ロケット砲などの重火器を使用した武力衝突を戦闘行為から外して大したことのない武力衝突だとする絵を描く。
二つ目は7月に武力衝突(いわゆる大したことはないと安倍政権は見ている両派の衝突)は起きたが、現在首都ジュバの治安は比較的穏やかで、PKO派遣五原則に反しない。
問題は二つの理由に合理性を与えることができるかどうかである。現在のところ首都ジュバの治安状況が比較的穏やかであっても、再び首都ジュバでの両派の武力衝突が起きない保証はどこにもない。起きた場合、安倍政権が政府の戦闘行為の定義に則って戦闘行為ではない、大したことのない武力衝突だと言っている戦車や武装ヘリコプターを用いてロケット砲などの重火器を駆使した戦いが再度繰り広げられる可能性は否定できない。
となると、合理性は将来的な保証まで与えることはできないことになる。確実な保証とするためには、単に両派が衝突しないように祈るのではなく、国際的な干渉によって和平を含めて衝突できないような状況に持って行かなければならない。
2016年12月1日付の「NHK NEWS WEB」記事は、11月30日、南スーダンの人権状況について10日間に亘り現地調査を行っていた国連人権専門家の調査団メンバーが政府軍と反政府勢力の双方が子どもを含めた民間人らを戦闘員として強制的に動員し、「次の戦闘の準備をしている」と指摘したと伝えている。
と同時に、「南スーダン全体でかつてないレベルで民族間の緊張が高まり、暴力が広がっている」と説明したとしている。
同じ内容を伝えている「asahi.com」記事は、「民族間の緊張と暴力が、全土で前例のないレベルに達している」と、「NHK NEWS WEB」が「かつてないレベル」としているところを、「前例のないレベル」と分かりやすく伝えている。
だとすると、現在のところ首都ジュバの治安状況が比較的穏やかとしていることの将来的保証の合理性は些か怪しくなる。特に民族間の緊張は激しい憎悪を動機とした敵対民族の抹消衝動を相互に誘発しやすく、限りなく危険な地点に向かう可能性を考慮すると、将来的保証の合理性は益々影が薄くなる。
2016年12月2日付の「NHK NEWS WEB」記事は同じ国連の調査団の発言として、「特定の民族出身の女性を集団で暴行したり、集落を焼き打ちしたりするなど、各地で民族浄化が進行している」と伝えている。
民族浄化は民族抹消を最終目的とする。
アメリカが国連安全保障理事会に南スーダンへの武器禁輸を含む制裁決議案を提出したのは南スーダンの両派が民族浄化を色濃くした戦闘行為に走るのを前以て予防する目的を持たせていたはずだ。
だが、2016年12月23日の採決で米英仏スペインなど7カ国が賛成したが、日本、ロシア、中国、エジプトなど8カ国が棄権し、否決された。
日本は自衛隊PKO部隊を南スーダンに派遣している。武器禁輸が実施されて、何が不都合なのだろうか。
日本が棄権した理由は武器禁輸が却って混乱を招き、陸上自衛隊PKO部隊のリスクが高まりかねないと判断したためだとマスコミは伝えている。
だが、南スーダンで武力衝突が起き、その衝突が現地自衛隊PKO部隊の対応可能範囲を超えた場合はPKO参加5原則に照らして撤収することを前以て決めているのだから、リスクが高まれば、撤収すれば混乱は回避できる。
武器禁輸による混乱と、相手の軍備よりも自らの軍備をより強力に装備すべく相互に競争し合って武器を掻き集めて生じる混乱とどちらが危険なのだろう。
後者の混乱の方が一般市民に対する危険は高いはずだ。戦いを有利に進めるための兵力の増強を図るとき、兵器だけの増強では済まない。増強した兵器に応じた兵員を必要とする。
そのために少年まで狩り集める。
だが、武器禁輸がある程度の抑制効果として働くはずだ。
武器禁輸が却って混乱を招くという日本の棄権理由に合理性を認めることができるだろうか。
考え得る理由は安倍晋三は南スーダンを駆け付け警護の実験場として選んだ。もし日本がアメリカ提案の武器禁輸を含む制裁決議案に賛成票を投じたなら、そのことだけで南スーダンが武器を禁輸しなければならない程の危険な治安状況に差し迫っていることを自ら認めることになって、南スーダンでは戦闘行為は行われていない、首都ジュバは比較的に治安は守られているとしていた安倍政権が説明してきた自衛隊PKO部隊派遣の理由を直ちに失うことになる。
実験を成功させて、更に実験を各地に拡大し、積み重ねていって、自衛隊の存在を世界に知らしめたい安倍晋三の思惑に反して実験そのものを中断させなければならなくなって国民の批判を受けた場合、自衛隊海外派遣の正当性さえ失いかねない。
要するに武器の禁輸ではなく、現在の状況のままの方が自衛隊のリスクは高まらないとすることで、自衛隊の海外派遣の正当性を擁護できる。
ただただそのことを考えた国連安保理棄権ということなのだろう。