《生活の党PR》
《4月25日(金) 畑浩治生活の党総合政策会議議長 法案提出並びに衆議院本会議討論》
【法案提出】
『畑総合政策会議議長、TPP情報提供促進法案を提出』
4月25日、畑浩治総合政策会議議長が、民主党、みんなの党、結いの党、社民党の野党5党共同で、海外との通商交渉に関する情報提供について定める内容の、「国民経済及び国民生活に重大な影響を及ぼす恐れのある通商に関わる交渉に関する情報提供の促進に関する法律案(TPP情報提供促進法案)」を衆議院に提出しました。
また、同日衆議院本会議にて、政府提出の「農業の担い手に対する経営安定のための交付金の交付に関する法律の一部を改正する法律案」並びに「農業の有する多面的機能の発揮の促進に関する法律案」の討論が行われ、生活の党を代表して畑浩治総合政策会議議長が反対の立場から登壇しました。
法案の詳細、および討論全文は党ホームページからご覧いただけます。 是非ご一読ください。
アメリカとEUと日本がロシアに対して追加制裁を発表した。4月17日(2014年)のスイス・ ジュネーブで行われたウクライナとアメリカ、ロシア、EU=ヨーロッパ 連合の外相級4者協議によるウクライナのすべての武装集団を武装解除し、政府庁舎等を占拠 している建物などからの退去を求めるとした合意を受けて、OSCE= ヨー ロッパ安全保障協力機構は4月22日から文民100人構成の監視団をクリミアを除いたウクライナに順次派遣したが、武装集団の占拠に対してロシアは影響力を何も発揮せず、占拠が続き、逆に武装集団は監視団メンバーをスパイ口実で拘束、ロシア軍はウクライナ国境近くに約4万人の部隊を集結、軍事的圧力を強める不穏な動きを停止しなかったことが4月26日の先進7カ国(G7)の追加制裁合意へと至った経緯となっている。
そもそもの発端が先刻ご承知のようにウクライナ憲法が認めていない、クリミア自治共和国住民による3月16日のロシアへの編入の是非を問う住民投票が実施され、90%以上の賛成可決と、それを受けてプーチンが翌3月17日、クリミア自治共和国を独立国として承認する大統領令に署名、翌3月18日にはクリミアをロシアに編入する条約に署名、ウクライナ憲法と国際法に違反してウクライナの主権と領土の一体性の侵害を強行したことから始まっている。
如何なる国に於いても主権と領土の一体性は守られるべきであって、その侵害は許されるものではない。このことは日本の場合の尖閣諸島についても言えることであり、北方四島についても言えることであろう。
もし他国の主権と領土の一体性が例え少しのことであっても、侵害された場合、他国のことだからと目をつぶったとしたら、尖閣諸島や北方四島で主権と領土の一体性を訴えることはできなくなる。
日本政府が「尖閣諸島は日本固有の領土であり、歴史的にも国際法的にも認められている」、あるいは「北方四島は外国の領土になったことがない日本固有の領土である」と主張している政府見解の「日本固有の領土」という言葉は“主権と領土の一体性”を隠し言葉としている。
主権と領土の一体性の侵害を認める国が例え一カ国でも存在したなら、普遍的性格を有すべき領土の固有性を危うくすることになるだろうことは言を俟たない。
アメリカは4月28日、ロシア政府高官7人とプー チンの側近につながるロシア企業17社のアメリカ国内所有資産凍結などの追加制裁実施を発表した。
EUもアメリカに追随、ロシア政府や軍の要人を含む15人の資産凍結やEUへの渡航禁止措置を科した。
これまでの欧米の対ロ制裁で、ロシアから第1四半期だけで630億ドルの資金が流出、これらによって景気の急速な悪化と設備投資の一段の落ち込みを見込み、今年の経済成長率の予測を見通しより2ポイント引き下げて0.5%のプラスに修正しているが、ロシア財務相は、「経済成長率が0.5%という予測は楽観的だ」(NHK NEWS WEB)と発言、0%前後にとどまる厳しい見方を示したという程にもロシアは経済的な打撃を受けている。
この打撃が大手格付け会社「スタンダード・アンド・プアーズ」による4月25日のロシア国債の「BBB」から「BBB-」への1段階引き下げとなって現れた。
この水準は投資適格とされる格付けの中で最も低く、今後さらに格下げが実施されれば、ロシアの国債の格付けは投機的とされる水準に陥ることになると、「NHK NEWS WEB」 が伝えている。
対してG7の一員たる日本の追加経済制裁はロシア政府関係者ら計23人に対する査証(ビザ)発給の当面停止である。
これが第2弾目で、第1弾はビザ発行手続き簡略化協議の凍結と、開始予定の投資協定締結交渉の凍結程度の、打撃と言う程に打撃とはならない範囲の制裁であり、今回のビザ発給の当面停止にしても同列の範囲内に収めることのできる制裁でしかない。
日本政府の追加制裁発動の理由は、「ウクライナ情勢の緊張緩和で合意した声明をロシアが履行せず、ウクライナの主権や領土の一体性を侵害する動きが続いている」(MSN 産経)からとなっている。
主権と領土の一体性の侵害は国際秩序を大きく乱す重大な国際法違反であるばかりか、尖閣諸島や北方四島に於ける主権と領土の一体性を基準とした日本の領土固有性に降りかかってくる危険性を抱えかねない重大問題である。
にも関わらず、ウクライナの主権と領土一体性の侵害を追加制裁の理由としながら、追加制裁の内容はその侵害を思い知らせることとなるロシアの政治や経済に打撃を与えるレベルのものとは決してなっていない、それゆえに主権と領土一体性の侵害を理由として掲げるのも恥ずかしくなる、痛くも痒くもない、当り障りのないものでしかなかった。
これでは尖閣諸島や北方四島を声高に「日本固有の領土である」と主張する資格を失う。他国の主権と領土の一体性の侵害に厳しい態度を取ることができずに自国の領土に対して向けられている主権と領土の一体性侵害の動きに異を唱えることは二重基準の矛盾を犯すことになるからだ。
安倍晋三は4月29日午後、欧州6カ国歴訪に向けて羽田空港を政府専用機で飛び立つ際、記者団にウクライナ情勢について、「話し合いを通じた平和的解決に向け、どのような協力をしていくべきか、率直な意見交換をしたい」(MSN 産経) と発言しているが、「話し合いを通じた平和的な解決」の望みを見い出せないからこそ追加制裁に出たのであって、アメリカとEUが追加制裁を手段として平和的解決の話し合いを答として引き出すべく、その模索をプロセスとしていることを理解できずに同じプロセスを踏まずに日本だけが痛くも痒くもない、当り障りのない追加制裁で済ませる事勿れな態度を取っている。
将来に亘る日本の主権と領土の一体性のためにも、国際秩序を守るという点からも、ロシアに対して厳しい態度を取るべきだが、取ることができない安倍政権は恥ずかしくならないのだろうか。事勿れな態度を取ることが安倍晋三の言う「積極的平和主義」ではないはずだが、そうはなっていないところを見ると、「積極的平和主義」は単なる仮面に過ぎない疑いが生じる。
――大体からして、「日本国、国民の繁栄、平和と安寧」の実現を自らの全面的な政治責任行為とせずに明治神宮に祈る幼稚で時代錯誤的な政治性は安倍晋三ならではの単細胞的な発想と言わざるを得ない。
少なくともその祈りは心の内に秘めておくべきで、他言したということは政治の神頼みを自ら暴露したことになるはずだ。――
天皇主義者安倍晋三が明治天皇の后(きさき)昭憲皇太后没後100年に合わせて明治神宮を参拝したという。次の記事 ――《首相 昭憲皇太后の没後百年で参拝》(NHK NEWS WEB/2014 年4月28日 11 時39分)から見てみる。
4月28日午前9時、昭恵夫人を連れ立ったスーツ姿の安倍晋三は訪れていた参拝者に手を上げて応えながら境内を進み、記帳を行ったあと本殿の前にある拝殿で玉串を捧げ、2礼2拍手1礼の神道方式で参拝した。
神社側の説明によると、安倍晋三は「内閣総理大臣 安倍晋三」と記帳、私費で玉串料を納めた。
参拝後、記者団に。
安倍晋三「ことしは昭憲皇太后百年祭に当たり、参拝した。2年前にも明治天皇百年祭に当たり、参拝した。日本国と国民の繁栄、そして平和と安寧を祈ってきた」――
記事は安倍晋三は総理大臣として第1次内閣の平成19年と去年も明治神宮に参拝していると解説している。
別の記事にはこの日は1952年にサンフランシスコ講和条約が発効した「主権回復の日」にも当たると書いてある。
NHK NEWS WEB記事には私人としての参拝なのか、公人としての参拝なのか書いていないが、他の記事には、首相周辺は「公務ではなく、私人としての参拝」と説明していると書いてある。
玉串料は私費で収めたとしても、「内閣総理大臣 安倍晋三」と記帳した以上、公人としての姿勢で祭神として祀ってある明治天皇と昭憲皇太后に向き合い、2礼2拍手1礼の神道方式で参拝したことになり、憲法が規定する政教分離の原則に明らかに反する。
「内閣総理大臣 安倍晋三」 と記帳していながら、私人としての姿勢で明治天皇と昭憲皇太后に向き合ったとは到底考えにくいし、不可能であるはずだ。
もし私人として向き合ったのだとしたら、「私人」として「日本国、国民の繁栄、平和と安寧を祈った」ことになり、些か滑稽な情景と化す。なぜなら、祭神に祈るという行為は祈った物事の実現を祭神に願い、それをご利益とする経緯を踏むことで成立する、極めて私人的性格を有するのに対して、極めて公人として行わなければならない、一国の首相を最終責任者とする政治責任行為である「日本国、国民の繁栄、平和と安寧」の実現を私人的立場から祭神に祈ったという矛盾が生じるからである。
「日本国、国民の繁栄、平和と安寧」の保障はまた、日本国憲法 第3章国民の権利及び義務に於ける第13条、25条、29条等で規定し、国家の役目としている「国民の生命・財産の保障」に相当する。
「国民の生命・財産」を守ることができなければ、国民の繁栄もないし、日本国自体を守ることができていないことになり、平和と安寧は覚束なくなる。
公人として行わなければならない「国民の生命・財産の保障」を私人の立場から祭神として祀ってある明治天皇と昭憲皇太后に祈ったとするのは自身の立場を弁えない矛盾としか言いようがない。
もし安倍晋三の中で元天皇である神に祈ることと一国の首相として現実世界に政治を行うことが矛盾なく存在するとしたら、その精神は限りなく神道に基づいた政教一致を思想としていることになって、危険な思想の持ち主と看做さざるを得ない。
果たして安倍晋三は天皇なるものと現実の政治を一致させようと意志しているのだろうか、安倍晋三の天皇観を見てみる。
ブログに何度でも書いてきたが、安倍晋三は自著『美 しい国へ』で、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」と書き、2012年9月2日日テレ放送の「たかじんのそこまで言って委員会」で、「皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、 真ん中の糸は皇室だと思うんですね」と言っている。
いわば天皇は古の世界から今日まで日本の歴史の中心を成し、日本の歴史に組み込まれている「日本の伝統と文化」は皇室の存在に基づいて生成されてきたと主張している。
より分かりやすく言うと、代々の天皇が中心となって日本の歴史を形づくり、同じく代々の天皇が中心となって日本の伝統と文化が生成されてきたということになる。
このような皇室による国家生成の歴史・日本の伝統と文化の確立を長大なタペス リーに譬えた。
い わば歴史生成と伝統・文化生成=日本国家生成の中心から世俗政治及び国民営為が外され、脇役に追いやって、天皇をすべての中心に据えている。
このことは日本国憲法が保障している国民主権を蔑ろにしているばかりか、国民の負託を受けた国政を天皇の下に置いていることになる。
安倍晋三が思想としているこの天皇対国家・国民の関係は紛れもなく戦前の絶対主義的天皇制下に於ける天皇対国家・国民の関係そのものとなる。
安倍晋三は戦後、日本憲法が保障する国民主権の民主主義の時代になっても、戦前の天皇対国家・国民の関係を政治的な思想としていることになる。
ここから否応もなしに窺うことのできる光景は、神々に窺いを立てて政(まつりごと)を行う祭祀政治の影である。
少なくとも安倍晋三は祭祀政治の血を少なからず自らの精神としている。
安倍晋三の天皇対国家・国民の関係思想は、これも以前ブログに書いたことだが、政府の「国体明徴」声明に添い、文部省が独自に国体論の教材として1937年(昭和12年)に作成した『国体の本義』がその一節で謳っている思想と一致する。
〈かくて天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神(あきつみかみ)であらせられる。この現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔(しんえい・神の子孫)であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、 限りなく尊く畏き御方であることを示すのであ る。 帝国憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、又第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、天皇のこの御本質を明らかにし奉つたものである。従つて天皇は、外国の君主と異なり、国家統治の必要上立てられた主権者でもなく、智力・徳望をもととして臣民より選び定められた君主でもあらせられぬ。〉――
文飾を施した個所が特に安倍晋三の思想となって現れている。皇室、あるいは歴代天皇は「永久に臣民・国土の生成発展の本源」であるとしているが、国家・国民の生成発展のすべてが大本の祖先と一体の天皇を源として発し続けているとする思想は安倍晋三が常々主張している、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」、あるいは「皇室の存在は日本の伝統と文化そのものだ」とするの思想――天皇を全ての中心に据えて、その下に国家と国民を置く思想とそっくり合致する。
『国体の本義』にも現れている安倍晋三のこのような天皇観を背景とした明治神宮参拝だったからこそできた、祭神明治天皇と昭憲皇太后と向き合った、「日本国、国民の繁栄、平和と安寧」の祈りだったはずだ。
天皇を日本の歴史生成と文化・伝統生成の中心に据えているということは天皇から全てが発していると看做しているということであって、天皇なるもので日本国と日本国民を包み込もうとする思想に他ならない。
天皇主義者安倍晋三のホンネはここにあり、そのホンネの行き着く先は戦前回帰である。戦前の「大日本帝国」という名の日本を取り戻そうと、己の精神を疼かせている。
――安倍晋三の他国の人権侵害に物申さずに「人権侵害が起こらない21世紀にするための貢献」を言うキレイゴトの胡散臭さ――
4月23日(2014年)夕刻訪日のオバマ大統領が25日午前中離陸、次の訪問国韓国に向かい、同日午後、パク・クネ韓国大統領と首脳会談、会談後共同記者会見を開いている。そこでオバマ大統領は、多分、日本人の誰もが思ってもいなかっただろう発言をした。
《米大統領 “従軍慰安婦問題”に言及》(NHK NEWS WEB/2014年4 月25日 21時44分)
先ずパク・クネ大統領が、安倍晋三が先月従軍慰安婦の問題について政府の謝罪と反省を示した河野官房長官談話を見直す考えはないと表明したことなどに触れて次のように発言したと伝えている。
パク大統領「安倍総理大臣が約束したことに関して誠意ある行動が重要だ。今後、日本が大きな力を傾けてくれればと思う」
オバマ大統領「(慰安婦の問題は)甚だしい人権侵害で衝撃的なものだ。安倍総理大臣も日本国民も、過去は誠実、公正に認識されなければならないことは分かっていると思う。
日韓両国はアメリカの重要な同盟国だ。過去のわだかまりを解決すると同時に未来に目を向けてほしいというのが私の願いだ」――
オバマ大統領は安倍晋三も日本国民も、過去を誠実、公正に認識していないとして、日韓関係修復に関して日本側により重い責任を課した。
少なくともオバマ大統領はそのように認識している。と同時に米政権共通の認識としている。
安倍晋三の靖国神社参拝に関しても、過去を誠実、公正に認識していない行動と見做しているはずだ。昨年12月26日の安倍晋三の靖国神社参拝に対してただ単に近隣諸国との緊張を悪化させる行動だからとの理由で在日米大使館に引き続いてサキ国務省報道官が「失望している」との声明を発表したわけではあるまい。
もし安倍晋三の靖国参拝や河野談話・村山談話、さらには従軍慰安婦問題に関わる安倍晋三自身の歴史解釈が過去を誠実、公正に認識し、成り立たせていると見做していたなら、非は日本にはないことになって、中国・韓国の批判をこそ抑える役目に回っていたはずし、米韓共同記者会見でのオバマ大統領の「安倍総理大臣も日本国民も、過去は誠実、公正に認識されなければならないことは分かっていると思う」という発言も出てこなかったはずだ。
このオバマ大統領の発言に対して安倍晋三は4月27日午後、視察先の岩手県岩泉町で記者の質問に答えている。《首相「慰安婦思うと胸が痛む」》(NHK NEWS WEB/2014年4月27日 16 時41分)
安倍晋三「筆舌に尽くし難い思いをされた慰安婦の方々のことを思うと、本当に胸が痛む思いだ。20世紀は女性を始め、多くの人権が侵害をされた世紀だった。
21世紀はそうしたことが起こらない世紀にするために日本としても大きな貢献をしていきたい。今後とも国際社会に対して、日本の考え方、日本の方針について説明していきたい」
強制連行と暴力的な強制売春を強いた従軍慰安婦に関わる日本軍が犯した個別的な人権問題を、安倍晋三は「20世紀は女性を始め、多くの人権が侵害をされた世紀だった」と、20世紀全体の中の一つとする矮小化を伴わせた相対化の手法によって従軍慰安婦の人権に関わる罪を狡猾・巧妙にも希薄化・曖昧化しているに過ぎない。
いわば人権侵害の20世紀の中に従軍慰安婦問題を埋没させようとする一種のゴマカシを働かせた。
例えば殺人事件の裁判で個別の殺人問題を扱っているにも関わらず、被告が俺はたった1人殺しただけで、世の中には2人も3人も殺した奴がいるのではないかと全体の殺人事件の中の大したこともない一つとする矮小化を伴わせた相対化の手法によって自身の殺人の罪を希薄化・曖昧化しようとするのと同じ手法を安倍晋三は用いた。
安倍晋三の20世紀を人権侵害の世紀だとする相対化を用いた日本の戦争に関わる諸悪の罪薄めの手法は常套手段となっていて、今回が初めてではない。
2007年7月30日に米下院本会議で日本政府に謝罪を求める従軍慰安婦決議が採択された。
決議の主たる内容。
日本政府は1930年代から第2次世界大戦にかけて旧日本軍が「慰安婦」として世界に知られる、若い女性に性的な奴隷状態を強制した歴史的な責任を明確な形で公式に認め、謝罪し、受け入れるべきである。この制度の残虐性と規模は前例がなく、20世紀最悪の人身売買事件の一つである。
日本の教科書の中には慰安婦の悲劇などを軽視しようとするものがある。最近、日本の官民の要職にある者は河野洋平内閣官房長官が93年、慰安婦に対し謝罪し後悔の念を表明した談話の内容を、弱めるか撤回してほしいと要望している。
首相が公式の謝罪声明を出せば、日本の誠意と従来の声明の位置づけに対する一向に止まない疑いを晴らすのに役立つ。
日本政府は、旧日本軍のために慰安婦が性的な奴隷状態にされ、売買されたという事実はなかったという主張に明確に反論すべきだ。
日本政府は、慰安婦に関する国際社会の声を理解し、現在と将来の世代にこの恐ろしい犯罪について教えるべきだ。(以上、朝日新聞/2007年8月1日朝刊>
当時の日本の首相は安倍晋三だった。当然、米下院本会議決議案に対する発言を余儀なくされている。7月31日、首相官邸で記者団に次のように発言している。
安倍晋三「20世紀は人権が侵害された世紀だった。21世紀は人権侵害がない、世界の人々にとって明るい時代にしていくことが大切だ。これからもよく説明していくことが大切だ」(MSN産経/2007/07/31 13:35)
米下院本会議が従軍慰安婦の守られるべき人権を日本軍が抑圧・強制した個別の問題として取り上げているのに対して安倍晋三はそのことには直接何も答えずに20世紀を人権侵害の世紀と位置づけることで、20世紀全体の人権侵害の中に埋没させる相対化の手法を用いて、従軍慰安婦に関わる人権を個別問題の舞台の背景から遠く退かせて矮小化し、日本軍の罪と日本政府の責任を希薄化・曖昧化している。
安倍晋三はこの手法を7年後の現在も用いているということである。
大体からして安倍晋三には「21世紀はそうしたこと(人権侵害)が起こらな い世紀にするために日本としても大きな貢献をしていきたい」と言う資格も、米下院本会議従軍慰安婦決議採択を受けて、「21世紀は人権侵害がない、世界の人々にとって明るい時代にしていくことが大切だ」と言う資格もない。
中国の現在の人権侵害諸々に対して安倍晋三は直接的には何一つ批判していないし、欧米各国首脳がロシアの「同性愛宣伝禁止法」やその他の人権抑圧政策を問題視してソチオリンピック2月7日開会式欠席を決めたのに対して、安倍晋三は先進国の首脳では習近平中国国家主席と共に(と言っても、同席することはなかったが)出席することで、欧米各国の首脳と同じレベルの認識に立つことはなかったし、メドベージェフ政権やプーチン政権が欧米では正当な権利とされている様々な言論を手段とした政権批判を許さずに逮捕・拘束に至る強権的統治を行っていることに対しても何らの危惧を示すことすらなかった。
何度となく起きている政権批判のジャナーリスト暗殺は言論の自由を許さないロシアの風土がもたらしている陰惨な事件であるはずだ。
にも関わらず、安倍晋三は、「21世紀は人権侵害がない、世界の人々にとって明るい時代にしていくことが大切だ」と言い、「21世紀はそうしたこと(人権侵害)が起こらない世紀にするために日本としても大きな貢献をしていきたい」と言う。
具体的行動は取らずに口では言う有言不実行の最たる見本に過ぎない。安倍晋三の胡散臭さが象徴的に現れているキレイゴトと言わざるを得ない。
当然、人権侵害の20世紀全体の一つとする相対化を用いている以上、「筆舌に尽くし難い思いをされた慰安婦の方々のことを思うと、本当に胸が痛む思いだ」の言葉にしても、本心からのものではない、キレイゴトということになる。
確かにオバマ政権も日本を必要としている。経済的にも安全保障の面でも、政治的にも大国日本は米国にとって不可欠の存在であろう。だが、人間性という点で、オバマ大統領は安倍晋三を信用していない。この不信用が、「安倍総理大臣も日本国民も、過去は誠実、公正に認識されなければならないことは分かっていると思う」という言葉になって現れた。
2013年8月6日当ブログに、《安倍晋三の自己の靖国参拝正当化のためにはオバマ大統領の訪日時の靖国参拝を実現しなければならない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》と題する記事を書いた。
安倍晋三は靖国神社参拝の自己正当化理由として、「国のために命をささげた戦死者を参拝するのは国のリーダーの当然の行為であり、各国のリーダーが行っていることだ」とした趣旨のもと、アメリカに於いては大統領が奴隷制度維持を目論んだ南軍兵士を祀ってあっても、兵士の戦争の目的に関係なくアーリントン墓地を訪れて全ての戦死者の死を悼んでいると、靖国神社とアーリントン墓地を日米それぞれの国の代表的な戦死者墓地だと同格に置き、それぞれに於いて行う死を悼む行為は同じだとする相互性を根拠として、自身も訪米すると、アーリントン墓地に参拝して献花するといったことをしている。
安倍晋三のこの論理が合理的正当性を持つためにはアメリカ大統領が訪日した際、靖国神社を参拝し、献花して戦死者を悼まなければならないし、悼んで初めて、靖国神社とアーリントン墓地を同格に置いた、それぞれの参拝は同じだとする相互性は根拠を得て、「各国のリーダーが行っていることだ」とすることができる。
だが、オバマ大統領は靖国神社を参拝しなかった。訪れたのは明治神宮であった。このことが何を意味するにしても、少なくともオバマ大統領はアーリントン墓地を訪れて献花し、戦死者を弔う行為を日本に於いては靖国神社であると同格視してはいなかったことを意味する。両者の参拝に相互性を持たせて、「各国のリーダーが行っていることだ」とする安倍晋三の正当性は根拠を失うことになる。
要するに安倍晋三の靖国参拝はオバマ大統領の理解を得ることができなかった。
にも関わらず、安倍晋三はオバマ大統領との共同記者会見の終了間際に記者に問われて、自身の靖国参拝を相も変わらない同じ論理で正当化している。
NHKの共同記者会見中継から、文字に起こした。
外国人女性記者「安倍総理、アジアには歴史的な対立があり、これがアジアの不安定につながってきました。あなたや他のアジアの指導者は靖国神社の参拝など、さらにこのような緊張が高まるのを防ぐためにどのようなことをすべきだとお考えでしょうか」(日本人女性通訳)
安倍晋三「先ず私の歴史に対する基本的な考え方は、えー、政治家は歴史に対して常に謙虚でなければいけないということであります。日本は70年前のときの大戦、終戦した、あー、ときに、我々は多くの、人々、特にアジアの、人々に多大な損害と苦痛を与えたことを反省し、そして戦後の歩みを始めたわけであります。70年間ひたすら平和国家としての歩みを進んできたのが日本であり、日本人でもあります。そして、その考え方の下で、日本はまだ貧しい時代からアジアの国々の発展に貢献すべく、最大限の努力を積み重ねてきたところでございます。多くのアジアの国々からは日本のその歩みを評価されていると、えー、思います。
そして安倍政権に於きましても、歴代の日本の政権と全く考え方に変わりがあるわけではありません。
昨年末の私の、お-、靖国神社への訪問については、国のために戦い、傷つき、倒れた方々に対して、手を合わせ、そして、えー、冥福を、ご冥福をお祈りするため、でもあります。そしてそれは世界の多くのリーダーに共通する姿勢ではない、かと考えます。
そして同時に、靖国神社の中にある鎮霊社、という社にお参りを致しました。ま、このことは あまり報道されていないのでありますが、この鎮霊社には、えー、世界中の、おー、戦没者、の霊が祭られているところでございまして、その鎮霊社にお参りいたしまして、えー、二度と人々が戦禍で苦しむことのない、世界を作っていくとの決意の下に、ま、不戦の誓いをしたところでございます。
こうした考え方を私は参拝をした際、総理の談話として発出したところでございますが、この私の基本的な考え方について、えー、これからも説明し、理解を得る努力を積み重ねていきたいと。このように思います。
日本は戦後、自由で、民主的な国を作るために努力をし、汗を流してきたわけであります。人権を尊重し、そして法の支配を尊ぶ国をつくってきたわけでございまして、さらに、えー、日本だけではなく、世界に於いても、えー、そういう地域を、おー、少しでも増やしていくべく努力を重ねていきたいと、えー、思うわけで、えー、ございます。平和で繁栄した世界をつくっていくために貢献していくことによってですね、多くのえー、国々の人々の理解を得ていきたいと、このように思っております」(記者会見終了)――
確かに日本という国は戦後、安倍晋三が言うような歩みをしてきた。但しアメリカという大国に守られてという条件付きである。
だが、安倍晋三が「私の歴史に対する基本的な考え方は歴代の日本の政権と全く考え方に変わりがあるわけではない」と言っていることは100%マヤカシに満ちている。2013年5月の産経新聞のインタビューで、「政権復帰したら、もう村山談話や河野談話に縛られることはない」と発言しているし、2012年9月16日の自民党総裁選討論会では、「河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込 み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている。安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」と発言して、歴代政権と違う姿勢を示していることが何よりの証明となる。
第2次安倍政権発足1年を機会に2013年12月26日に靖国参拝したとき、「私の参拝の意味について理解をして頂くための努力を重ねていきたいと思います」と言い、今回の共同記者会見でも、この時の参拝を取り上げて、「私の基本的な考え方について、これからも説明し、理解を得る努力を積み重ねていきたい」と同じことを言っている。
この経緯は理解を得ていない同じ地点にとどまっていることを意味しているが、安倍晋三の靖国参拝自己正当化理由からしたら、同じ地点にとどまる停滞を破り、中国や韓国、あるいは国内の反対意見の口を封じることにも役立つ最大の理解を得るチャンスがオバマ大統領の靖国参拝であるはずであるにも関わらず、オバマ大統領到着前に大統領が靖国神社ではなく、明治神宮参拝の予定であることが既に分かった時点で、いわば共同記者会見前にその予定を把握した時点で安倍晋三の靖国神社参拝の自己正当化理由が既に破綻していることを認識しなければならないはずだが、共同記者会見で「理解を得る努力」を尚も言い立てる非合理性は如何ともし難い。
安倍晋三は今後とも破綻している靖国参拝自己正当化の理論を持ち出し、理解の努力を言い続けることになるだろう。靖国参拝が大日本帝国国家を体現して命を捧げた戦死者を通した参拝者自身の大日本帝国国家体現儀式であるにも関わらずである。
《生活の党PR》
《主濱 了生活の党副代表ニコニコ超会議 3「言論コロシアム」生出演》
内容:ニコニコ超会議に全政党が集結
政党トップが党として今一番国民に訴えたいこと、ユーザーから寄せられた質問にズバリ答えます。
《村上史好生活の党国会対策委員長代理 「たかじんのそこまで言って委員会」出演》
日 時:平成26年4月27日(日)13:30~15:00
内 容:打倒安倍政権!野党対抗・法案グランプリ(仮) ・放送エリア:読売テレビ系列(関東地方他一部地域を除く)
昨日のブログで、安倍晋三がオバマ大統領を招待した4月23日東京銀座高級寿司店「銀座 すきやばし次郎」 での非公式夕食会で、寿司米に福島産米を使い、寿司種に福島産魚介類を使って風評被害払拭のチャンスとする発想のないことを批判したが、4月24日首脳会談で安倍晋三はオバマ大統領へのプレゼントとして、地元選挙区山口の純米大吟醸「獺祭」(だっさい)と江戸切り子の酒器を贈ったと「時事ドットコム」記事が伝えていた。
一度あることは二度ある。
福島を忘れて、地元を売り込むことを優先した。
東日本大震災から3年目となる2014年3月11日の前日3月10日に行った首相官邸記者会見での発言。
安倍晋三「『福島の復興なくして日本の再生なし』、私は繰り返しこう述べてきました」――
繰り返し述べるということは、そのことを自らの信念とするということを意味する。福島の復興になることは何でもするということであり、そのための強い意志を自らに課すということである。
だが、自らの精神に「福島の復興なくして日本の再生なし」と言う程にはその信念を染み付かせていなかったようだ。いや、自らの精神に染み付かせる程の信念とはなっていなかった。
強い意志で口にした「福島の復興なくして日本の再生なし」ということではなかったということなのだろう。
福島の放射能風評被害払拭と福島を元気づけるまたとないチャンスを二度も逃した。
口は達者だが、達者な口だけではどこかが抜け落ちることになる。
「獺祭」(だっさい)という言葉が難しかったから、インターネットで調べてみた。
「獺祭」とはカワウソの別名で、取った魚を岸に並べる習性が人間が農水産の収穫物を祭りとして神社等に供えるときに三方に並べる仕来たりと似ていることから、「獺」に「祭」の字をつけてカワウソの別名としたということだそうだが、「コトバンク」には、「獺祭」が日本酒の名前としても載っている。
〈だっさい 【獺祭】
山口の日本酒。酒名は、正岡子規の別号「獺祭書屋主人」と蔵のある地名をかけて命名。精米歩合は全量50%以下で、造る酒は純米大吟醸酒か純米吟 醸酒。精米の極限ともいえる23%まで磨いた「磨き二割三分」は純米大吟醸酒の最上級ブランド。原料米は山田錦。仕込み水は蔵内の井戸水。蔵元の 「旭酒造」は昭和23年(1948)創業。所在地は岩国市周東町獺越。 〉――
どのくらいの値段なのか、蔵元のHPを覗いてみた。
「獺祭 磨き その先へ」720ml/32,400円
「獺祭 磨き その先へ」720ml/37,800円
【特 徴】
常識的な純米大吟醸で踏み出せない酒質を目指しました。美しい香りと両立する味の複雑性・重層性と長い余韻を持っています。――
相当に売れているらしく、次のような記述もある。
〈誠に申し訳ございませんが、現在、商品のお届けまでに約2ヶ月かかっております。 皆様のお手元になるべく早くお届けしたいと思っておりますが、 その旨、ご理解いただきますようお願い申し上げます。〉――
値段や売れ行きの点から言っても、高級品であることは分かる。しかし値段や売れ行きで人を感心させても、福島産の銘酒をプレゼントした場合の国民に与えるインパクトは遥かに後者の方が大きいはずだし、プレゼントされる側のオバマ大統領にしても、後者の方が遥かに感銘深いはずだ。
何しろ東大日本震災ではトモダチ作戦を展開した米軍側の最高指揮官だったのだから。オバマ大統領を招いた4月24日夜の宮中晩餐会では、天皇がオバマ大統領に対してトモダチ作戦に感謝の言葉を述べてもいるし、オバマ大統領も返礼のスピーチで大災害から立ち直る日本国民の力強さに言及している。
安倍晋三だけが心福島にあらずだったようだ。
4月23日夕方7時前にオバマ米国大統領が大統領専用機「エアフォース・ワン」に乗って羽田空港に到着した。2009 年、2010年に続いて3回目の訪日だそうで、今回は初の「国賓」待遇だが、夫人同伴なしの国賓は異例だという。
そのミシェル夫人は3月10日(2014年)から1週間、北京を訪れている。オバマ大統領は訪日は夫人同伴なしで中国とのバランスを取ったのではないかとの穿った見方もある。インターネット上には夫婦不仲説を取り沙汰した記事もあった。
オバマ大統領は23日夜に羽田空港到着後、東京銀座の高級寿司店「銀座 すきやばし次郎」で行われた安倍晋三主催非公式夕食会に参加した。出席者は両者以外に日本側谷内国家安全保障局局長、佐々江駐米大使。アメリカ側ライス大統領補佐官、ケネディ駐日大使の少人数だという。
同店は格付けガイド本「ミシュランガイド東京」で最高評価三つ星7年連続受賞の有名店だそうだ。
安倍晋三は日米首脳会談のあと共同記者会見で、オバマ大統領の寿司評価を次のように話している。
安倍晋三「バラク、あなたは昨夜のおすしを『人生の中で一番おいしかった』と評価し ていただき、私たちは胸襟を開いて1時間半にわたり日本やアメリカ、世界の課題について語り合った。日米の絆と役割を確認し、日米関係のさらなる可能性について語り合う非常に充実した時間だった」(NHK NEWS WEB)――
大いなる自画自賛である。クリミア問題も尖閣問題も北方四島問題も北朝鮮拉致問題も、そう簡単にはいい方向には向かない。
安倍晋三は寿司をつまみながら、両者が抱えている各難問題を他処に大いなる高揚感を味わったようだ。世界の頂点に立ったような高揚感だったかもしれない。オバマ大統領を遥か下に見降ろした高みに自らを持ち上げていたといったこともあったかもしれない。
だが、オバマ大統領は「人生の中で一番おいしかった」と最大評価した寿司を出された量の半分しか食べなかったという報道もある。まあ、どうでもいいことだが。
半分で十分に腹一杯になったのかもしれないし、少々遠慮したのかもしれない。但し安倍晋三はホストの立場からだろう、全て平らげたそうだ。 ホストが残したら、ゲストは全て食べ尽くしたくても、食べづらくなる。
ニュースの画面で、一般的な徳利とは異なるガラス製の角小瓶とワンショットグラス程度の大きさの、これもガラス製の盃が映し出されていたから、日 本酒を出したのだろう。
安倍晋三は官民共同での日本酒の世界への売り込みを図っている。
だが、疑問が湧いたことが一つ。安倍晋三は3月8日(2014年)、1ヶ月半前である。東日本大震災で津波などの被害を受けた福島県いわき市に建設中の災害公営住宅や小名浜港の商業施設を視察している。小名浜港商業施設ではイカなどの海産物を試食。
安倍晋三「おいしい。風評被害を払拭させるために頑張りたい」(TOKYO Web)――
要するに2011年3月11日の福島第1原発事故以来今日に至るまで、以前程ではないにしても、福島では無視できない風評被害が続いていて、売上が芳しくない、あるいは価格低迷を強いられる状況下に依然としてあることを示している。
このことは安倍晋三が今回だけではなく、昨年2013年10月19日も相馬市松川浦漁港を訪れて、近海で採れたタコ、イカ、試験的な漁が始まったシラスを試食していることが証明している。
いわば風評被害が払拭できずに続いているから、試食も続けざるを得ない状況にあるということを示している。この時の発言。
安倍晋三「試験的とはいえ漁が再開し、検査の結果、すべて安全であることが明らかになった。
一方、事実に基づかない風評によって被害を受けているのも現実で、福島の水産物や農産物は安全だという正確な情報をしっかりと発信していきたい」(NHK NEWS WEB)――
最近の風評被害の状況を伝えている記事がある。最初の部分を紹介する。《原発風評被害 正確な情報の共有がカギ》(公明新聞/2014年3月19日)
記事冒頭解説。〈東京電力福島第1原発事故による風評被害が依然、福島県の農林水産業や観光業に重くのしかかっている。
農林水産省によると、津波被害を受けた東北3県の農家や農業法人の営農再開率は、岩手が 54%、宮城が65%にまでこぎつけたが、福島は23%にとどまる。再開できない理由の9割は「原発事故の影響」、つまりは「風評被害」だ。コメや野菜の市場価格の低迷も続いている。
福島県商工連合会が昨年12月、首都圏の消費者を対象に実施した調査でも、福島県産食品を 「買わない」と答えた人が3割を超えた。消費者庁が11日に公表した風評被害調査結果でも、同県産食品の購入を「ためらう」人は15.3%に上っている。〉――
安全とされた食品のみを市場に出していながら、現在も風評被害は払拭できていない状況にある。
安倍晋三は次のような発言も行っている。
2012年12月26 日の首相就任記者会見――
安倍晋三「被災地の心に寄り添う現場主義で、復興庁職員の意識改革、復興の加速化に取り組んでいただきます」
2013年1月1日、年頭所感――
安倍晋三 「忘れてはならないのは、二度目の冬を迎え、未だに仮設住宅などで不自由な生活を送られている被災地の皆さんのことです。就任最初の訪問地として、私は迷うことなく福島を選びました。未だ故郷に戻れない方々の厳しい状況に正面から向き合い、被災者の心に寄り添っていかなければなりません」
2013年1月7日、政府与党連絡会議・冒頭挨拶――
安倍晋三「東日本大震災の被災地は、2度目の寒い冬を迎えることになりました。被災地の皆様の心に寄り添う現場主義で、 復興の加速化に取り組んでまいります」――
風評被害払拭に関しても、「被災地の心に寄り添う現場主義」で臨まなければならないし、臨んでいるはずだ。
だとしたら、東京銀座の高級寿司店「銀座 すきやばし次郎」で行われたオバマ大統領との非公式夕食会を福島放射能風評被害払拭のまたとないチャンスとなぜしなかったのだろうか。
「すきやばし次郎」の寿司米は《宇佐美 伸氏(書籍『すきやばし次郎 鮨を語る』)》(日本著者販促センター )によると、「今は東日本橋(東京・中央区)の米屋さんに、各産地の状態を見てもらいながらブレンドした米を使っています」とインタビューに答えている。
安倍晋三が直々に頼み込んで、非公式会食のみに限って福島産の最高級米の使用をなぜ願わなかったのだろうか。安倍晋三自らが「風評被害払拭にお力添えを願いたい」と申し込んで、断られることがあるだろうか。
寿司種にしても、福島産魚介類を使用することをなぜ頼み込まなかったのだろうか。
振舞った日本酒にしても同じことを言うことができる。インターネットで調べてみた。今更ながらに情報に関しては便利な世の中になったものであると改めて感心させられた。使用された日本酒の醸造元が宣伝のためにだろう、自らのHPで紹介している。
《ニュース・イベント情報 広島の酒 賀茂鶴酒造》
安倍晋三がオバマ大統領の盃にお酌する写真付きである。
次のように書いている。
〈昨日来日したオバマ大統領。
安倍首相と会食した際の写真が、
今日の朝刊各紙に掲載されていました。
カウンターに座りお酌をする姿が日本的で目を引く写真でした。
大変光栄なことに、この時のお酒は「賀茂鶴」でした。
「大吟醸・特製ゴールド賀茂鶴180ml角瓶」
東京・銀座のすし店「すきやばし次郎」での約1時間40分の会食。
瓶の表面の細かな水滴から、適温に冷えている様が窺えます。
このような会食でご利用いただいたことを、大変うれしく思います。〉――
ガラス製の徳利に見えた瓶は180ml角瓶だったようだ。
なぜ、福島産米を使って福島の醸造元で醸造した吟醸酒を振舞わなかったのだろうか。福島の風評被害払拭の一大宣伝となったはずだ。
だが、そういった発想は安倍晋三にはさらさらなかった。1ヶ月半前の3月8日に福島県いわき市小名浜港商業施設を視察して、イカ等の海産物を試食し、「風評被害を払拭させるために頑張りたい」と言っていたにも関わらずである。
だとすると、言っている「被災地の心に寄り添う現場主義」は単なる口先だけのキレイゴトでしかないことになる。
福島を訪れての農水産物の試食は風評被害払拭の努力をしていますというアリバイ作りでしかないことになる。
福島の現場では、なぜ福島産を使ってくれなかったのだと歯噛みしている県民もいるに違いない。安倍晋三には何も期待できないと。
《生活の党PR》
《「東日本大震災復興特別区域法の一部を改正する法律」成立小沢一郎生活の党代表談話》
本日、生活の党が主導し成立を目指していた「東日本大震災復興特別区域法の一部を改正する法律」が、参議院本会議を全会一致で可決、成立しました。 これを受けて、下記の通り小沢一郎代表の談話を発表しました。 談話は党ホームページでもご覧いただけます。
『東日本大震災復興特別区域法の一部を改正する法律の成立に当たって』
平成26年4月23日 生活の党代表 小沢一郎
本日、東日本大震災復興特別区域法の改正により、復興整備事業について土地収用法の特例を設けることなどを内容とする法律が成立しました。被災地での復興が遅れているとされる大きな理由は、住宅再建やまちづくりがなかなか進まないことにあります。その原因は、住宅整備事業が50戸以上の規模でなければ収用対象となっていないこと、及び、事業予定地には多くの手続を要する相続手続未処理や多数共有の土地が数多くあり通常手続での早期着工は困難であることにあります。
我々は、当初から、被災地の声を受けて、このような問題に対応するためには、先に工事着工を行い、権利の調査、補償金の支払い等については、工事と並行して行えるような制度が必要であると主張し、率先して議員立法の案を作成して、野党各党を含む関係方面に働きかけてまいりました。一方、政府与党は、従来、支援人員の増大、運用の簡素化等の措置で十分対応可能という理由から、立法上の措置による解決に消極的であったところです。最終的には、被災地や関係方面からの声の高まりを受けて、与党も含めた形で調整が行われ全会一致で可決され成立しました。
この法律成立は、官僚機構が反対する内容のものを、少数野党である我々がリーダーシップを発揮して全党の理解と賛同を得て、議員立法で成立させたという、国会が立法機関としての本来の役割を果たした議会制民主主義の典型的な成功例であるという重要な意義があります。この役割を中心になって果たすことができたことを誇りに思います。
今後、用地取得が迅速かつ円滑に進むかどうかは、法律の趣旨を踏まえた運用が適切になされるかどうかにかかっています。法律の運用方針をあらかじめできるだけ明確化、具体化しつつ、運用を最大限柔軟に行うべきであるとの認識の下、我が党が中心になってとりまとめた委員会決議も、本法律成立と併せて行われたところです。今後の政府の運用を厳格に監視してまいります。
我々は、これからも、「国民の生活が第一」の理念の下、官僚機構の既成概念にとらわれることなく、そして、単なるパフォーマンスに終わることなく、現実を見据えつつ必要なことを筋を通して提案、実現していくために全力を尽くしていく所存です。最後になりますが、本法律の作成に当たって様々な建設的提言をいただいた関係機関の皆様、調整等にご協力いただいた関係政党の皆様に心より感謝申し上げます。
元々安倍晋三お仲間の国家主義者・全体主義者の文科大臣だから、当然と言えば当然だが、図らずも己の教育勅語観を曝すことになった。
「教育勅語」の原本と見られる文書が50年ぶりに発見され、文部科学省が「軍国主義教育の象徴のように使われたが、重要な文書だ」として公開していくことを決めたと、《「教育勅語」の原本発見か 公開へ 》(NHK NEWSWEB/2014年4月8日 11時47分)が伝えている。
記事解説。〈文部科学省によりますと、教育勅語は明治23年に発布され、親孝行や法令順守、それに緊急事態が起きた時は身をささげて国のために尽くすことなどが示されていて、戦中にかけ、国民道徳の基本として全国の学校で朗読されていました。
戦後、国家主義的、軍国主義的な教育を一掃するために、衆参両院が教育勅語の排除や失効を確認する決議を行っています。
教育勅語の原本は昭和37年以降、所在が分からなくなっていたということですが、おととし、50年振りに東京国立博物館にある文部科学省の保管庫から原本とみられる文書が見つかったということです。
文書は茶色に変色していて、当時の担当者のメモには、関東大震災で文部省庁舎が焼けた際、 金庫の中に入れていた教育勅語が熱で劣化したと記されているということです。
文部科学省は今後、この文書を国立公文書館に移して原本かどうか確認するとともに修復し、公開することにしています。〉――
〈親孝行や法令順守、それに緊急事態が起きた時は身をささげて国のために尽くすことなどが示されていて、戦中にかけ、国民道徳の基本〉としていた。要するに国家奉仕を義務づけ、それを以て国民道徳とするバイブルとされていた。
国家奉仕を国民道徳とする基本が子の親に対する様々な徳目に基づいた孝行であり、親は同じく様々な徳目に従って大人として社会に尽くし、社会に尽くすことを通して国家に尽くすことが天皇の名に於いて要求されていた。
記事は当然のこととして安倍晋三お仲間の国家主義者・全体主義者の文科大臣である下村博文の発言を伝えている。4月8日の閣議後の記者会見。
下村博文「教育勅語は軍国主義教育の象徴のように使われたことが問題だったが、戦前の教育に於ける重要な文書であり、国民が教育勅語の位置づけを学ぶことは大切だ」――
どうも意味不明である。「教育勅語は軍国主義教育の象徴のように使われた」ということは、「教育勅語」は戦前の日本に於いて軍国主義教育の教科書として位置づけられていたことになる。
だとしたら、「戦前の教育に於ける重要な文書」とするのは否定的視点からの価値づけでなければならないことになる。
国家主義者・全体主義者の下村博文が果たして戦前日本を否定的視点で俯瞰することがあるのだろうか。
首相官邸NPを覗いてみた。《下村博文文部科学大臣記者会見テキスト版》(文科省HP/2014年4月8日)
記者「賛否両論というか、教育勅語の中で義勇奉公という側面ばかりが戦後教育の中で強調されていた面はあるかもしれませんけれども、一方で、非常に常識的なといいましょうか、夫婦相和ですとか親孝行とかという現在にも通じることも書いてあるとは思うのですけれども、その原点に触れられるということの意味を、大臣はどのように捉えているかお聞かせ願えますか」
下村博文「教育勅語そのものの中身は、至極全うなことが書かれているというふうに思いますし、当時、それを英文、あるいは独文等にして、ほかの国でもそれを参考にしたという事例があるということも聞いておりますが、その教育勅語のその後の活用のされ方ということについて、軍国主義教育の更なる推進の象徴のように使われたということが問題ではないかというふうには思います」
要するに「中身は、至極全う」ではあったが、使われ方に問題があったということになって、使われ方に否定的視点を向けていることになる。
と言うことは、戦前の日本の戦争を例え侵略戦争と位置づけていなくても、戦争への駆り立てに役立ってもいた軍国主義教育でもあるだろうから、国民教育にそのような使い方を仕向けた国家体制(=国体)そのものを否定しなければならないはずだが、下村博文が政治家の立場からの靖国神社参拝者である以上、戦前の日本を否定する考えに立っていないことは明らかである。
昨年2013年8月2日の記者会見発言。
記者「8月15日ですが、これは前後も含めて、大臣は靖国神社に行かれる予定はありますでしょうか」
下村博文「私は、毎年8月15日には、『下村博文と靖国神社を正式参拝する会』というのがありまして、5、60人の方々と参拝をしております。ただ今回は、モスクワに世界陸上で14日から行く予定になっておりますので、この夏に靖国神社を参拝する予定はございません」
記者「前後も含めて、大臣として参拝しないのでしょうか」
下村博文「私は既に参拝をしておりますが、大臣としても参拝をしておりますが、いつどういう形でしたということは、ここでは申し上げません」――
戦前の軍国主義国家・全体主義国家日本を否定していない以上、教育勅語の使い方に問題があったとする認識はタテマエ上のものであって、戦前の日本の教育を支配した「教育勅語」に関しては「中身は、至極全うなことが書かれている」ことを理由に肯定する立場であることが分かる。
下村博文の認識に妥当性があるかどうか、次のHP――《教育勅語と現代語訳》から、勅語全文はアクセスして確認して貰うとして、勅語に書いてある各社会的立場に基づいた守るべき徳目を並べてみる。漢字以外は片仮名を用いているが、平仮名に変え、旧漢字は現代漢字に変更、()内に意味を書き添えた。
子の守るべき徳目。
「父母に孝」(親に孝行を尽くせ)
「兄弟に友」(「けいていにゆう」兄弟仲良くせよ)
「朋友相信じ」(友達同士相信じ合え」
「学を修め」(学問に邁進せよ)
夫婦の守るべき徳目。
「夫婦相和し」(夫婦は仲良くせよ)
社会人としての大人たちの守るべき徳目。
「朋友相信じ」(友達同士相信じ合え」
「恭儉己れを持し」(「きょうけんおのれをじし」人に対しては恭しく、自分自身は慎み深く振る舞うことで自分を維持せよ)
「博愛衆に及ぼし」(博愛を衆人に及ぼせ)
「学を修め」(学問に邁進せよ)
「業を習い」(仕事に習熟せよ)
「智能を啓發」(無知な人の目を開いて、真実に気づかせよ)
「器を成就し」(人間としての徳行と器量を成就させよ)
「進で公益ヲ広め」(自ら進んで社会一般の利益を広めよ)
「世務を開き」(「せいむをひらき」世の中の務めを学び開け)――
以上は子や大人が自律的に行うべき務めとして国家からの要求となっている。
「常ニ國憲を重んじ」(常に大日本帝国憲法を重んじよ)
「國法に遵い」(国の各種法律を遵守せよ)
「一旦(いったん)緩急あれば義勇に奉じ」(差し迫った事態が発生したなら、正義と勇気を捧げよ)
「以って天壤無窮の皇運を扶翼すべし」(「もっててんじょうむきゅうのこううんをふよくすべし」天地と共に永遠に続く皇室の運命を助け守れ)
以上は国民の自律的務めとして上に働きかける上からの要求と言うよりも、上の国家による下の国民に対する従属すべき務めとしての要求となっている。戦前に於ける国家と国民との関係からの上下の方向性で言うと、前者は国民という下の場所から国家という上の場所への方向性を持たせた徳目であり、後者は上の国家から下の国民への方向性を持たせた徳目と言うことができる。
この上下が合わさり、良好に機能したとき、国家による国民統治が破綻なく成就する。要するに国民統治装置としての役目を教育勅語に持たせていた。
このことは教育勅語の最後の言葉が証明している。
〈是(かく)の如きは独(ひと)り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以て爾(なんじ)祖先の遺風を顯彰するに足らん。
斯(こ)の道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の共に遵守すべき所、之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外(ちゅうがい)に施して悖(もと)らず。朕爾(なんじ)臣民(しんみん)と共に拳々服膺(けんけんふくよう)して、咸(みな)そのを一(いつ)庶幾 (こいねが)う。〉――
「これらの徳目を守ることはあなた方臣民が忠義心に厚く、善良であるということを意味するだけではなく、汝らの祖先の風習や教えを讃えて広く世間に知らせることです。
そして祖先の風習や教えを臣民が忠義心に厚く、善良であるために伝統として守る、この関係は実は歴代の天皇が天皇の始祖の遺訓を伝統として守る関係に合致し、このような関係を心がけることによって臣民は古今を通じて過つこともないし、この関係を国内外に施せば、道理に適うことになる。
朕は臣民と共にこのことを常に心中に銘記して忘れず、臣民全員が皆んなしてこのような徳目を一つに合わせて行っていくことを切に願う」――
要するに教育勅語に掲げた徳目を用いて、それが天皇家の遺訓に重なる先祖代々の遺風であるとすることで守り従わせて、国民を馴致させる関係を国民統治の装置とし、国家に奉仕させる手順が描かれている。
この国民の徳目遵守に始まる国家奉仕のメカニズムこそが、教育勅語が既に全体主義・国家主義を含んでいることを示している。
確かに教育勅語が書いている徳目は表面的に見ると、下村博文が言っているように「中身は、至極全うなことが書かれている」とすることができる。
だが、全体主義・国家主義からの国民統治装置としての役目を持たせている以上、このような認識がないままに「戦前の教育に於ける重要な文書であり、国民が教育勅語の位置づけを学ぶことは大切だ」とするのは、掲げてある徳目だけに目を奪わせる偏った認識を招く上に、内包している全体主義・国家主義を気づかせないままに刷り込ませかねない、非常に危険で時代錯誤の教育勅語観を広めることしか役立たないはずだ。
下村博文は自らの単細胞に助けられて、教育勅語を立派な教育観に彩られている文章だと看做すことができ、そのような認識で以って文部科学大臣を務めている。単細胞、万々歳と言ったところか。
《生活の党PR》
《4月18日(金) 鈴木克昌生活の党代表代行・幹事長定例記者会見 》
『米大統領訪日を理由にTPP交渉決着を急いではいけない』
【質疑要旨】
・鹿児島2区補選、小沢代表応援入りについて
・参議院原子力協定採決における民主党の動きについて
・議員歳費削減問題について
・地方教育行政法改正案の対応について
・選挙制度改革について
安倍晋三が4月21日靖国神社に真榊を奉納した。4月23日のオバマ大統領訪日や中韓に対する外交的配慮からの靖国参拝に代わる真榊奉納だという。
閣僚では総務省の新藤義孝が4月12日に、拉致担当相・国家公安委員長の古屋圭司が4月20日朝に既に参拝している。オバマ訪日前の駆け込み参拝だと伝えている報道もある。
新藤は参拝後、「国のために働いた人に尊崇の念を込める行為は、どの国でもなされている」 (TOKYO Web)と言い、古屋は「国のために命を捧 げた英霊に哀悼の誠をささげることは当然のこと」(毎日jp)とコメントを発表している。
自民党政調会長の高市早苗も昨年8月15日に靖国に参拝し、「国家国民を守って公務死された方々の死を悼みながら、国民として感謝の気持ちを捧げてきた。世界中どこにおいても、国家のために命を捧げた方を悼み、尊崇の念を捧げる行為は行われている」(asahi.com)と言っている。
安倍晋三の場合にしても、参拝理由を「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされた兵士に尊崇の念を捧げる」ためを常套句としている。。
いわば安倍晋三等々の参拝者は戦没兵士の「国のために戦い、尊い命を捧げた」犠牲行為・国家奉仕行為を最大限に讃えている。
参拝者がそのように讃える以上、兵士自身が自らの尊い命を捧げる自己犠牲の対象とした、あるいは自己奉仕の対象とした戦前日本国家=大日本帝国国家を参拝者自身にしても讃える対象としていなければ、整合性を失って矛盾が生じることになる。
勿論、戦前の大日本帝国軍隊兵士が大日本帝国国家を自身の命を犠牲にする価値ある国家、あるいは身命を賭して奉仕するに価値ある国家だと認めていたことは、ごく少数の例外はあっても、その大多数に於いて疑いの余地のないことだが、戦後の参拝者にしても、犠牲の価値があった戦前日本国家であると、あるいは奉仕の価値があった戦前日本国家としていなければ、兵士に対する賞賛は成り立たないことになる。
いわば国のために戦った兵士を讃えるということは戦わせた国家を讃えることに他ならない。
また、兵士が国のために戦い、命を捧げるということは全身全霊で自らの身を以って国家を体現することを意味する。兵士個々が国家を一身に背負い、国家の戦争意志を国家に代わって貫徹するという意味での国家の体現である。
「天皇陛下のために・国のために」という思いと言葉こそが兵士たちの国家の体現を証明し、命を厭わない玉砕が国家体現の究極の最終表現としてあった。
そのように大日本帝国国家を体現して国のために戦い、尊い命を犠牲にした兵士たちを讃えるということは、参拝者にしても戦死者を通して大日本帝国国家を自ずと体現していることになる。
何しろ大日本帝国国家を自らに体現させ、戦い、尊い命を犠牲にした戦死者に尊崇の念を持って厳粛に向き合うのである。参拝者自身が戦死者を通して大日本帝国国家を体現しなければできない参拝行為であろう。
戦死者と参拝者が、前者がかつて持ち、その死せる魂の中に失わずにいると信じ、後者が戦死者を通して持つことになる大日本帝国国家体現を響き合わせてこそ、後者の前者に対する尊崇の念を持たせた厳粛な賞賛が可能となる。
戦前の大日本帝国国家を否定していたなら、戦死者が生前一身に背負っていた大日本帝国国家体現をも否定することになって、「国のために戦った」という口実の賞賛は成り立たなくなる。
要するに安倍晋三やそのお仲間たちの靖国参拝者たちは、自分たちは気づいていなくても、戦死者を讃える行為を通して大日本帝国国家を体現しているのである。
彼らは決して戦前時代を日本の歴史の暗部と見ていない。
だからこそ、国家指導者の立場から大日本帝国国家を自らの一身に体現して悲惨な戦争を指導し、国内外に膨大な戦死者を出したA級戦犯をも尊崇の念を持って哀悼の意を捧げることができる。
「子どもの貧困対策の推進に関する法律」 が昨年の2013年6月26日施行、 政府は新たに設けた有識者らでつくる検討会で教育支援や保護者への就労支援などの議論を進めて、今年7月をメドに政府の大綱を取り纏める方向だとマスコミが伝えている。
記事が対策会議を今月開いていると書いていたから、首相官邸HPを調べてみた。「子どもの貧困対策会議」のことで、4月4日、首相官邸で開催している。
安倍晋三「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、また、貧困が世代を超えて連鎖することのないよう、必要な環境整備、教育の機会均等を図る子どもの貧困対策は極めて重要です。
政府においては、今年度から高校生等を対象とする返済不要の奨学のための給付金制度を導入しています。
また、一人親家庭・生活困窮家庭への相談支援や就労支援、子どもへの学習支援などの取組みを進めています。今後、このような施策をさらに強化していく必要があります。
年央の大綱取りまとめに向けて、関係閣僚各位におかれては、全ての子どもたちが夢と希望を持って成長していける社会の実現に向けて、子どもの貧困対策について一丸となって取り組んでいただきたいと思います」――
「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、また、貧困が世代を超えて連鎖することのないよう」と言っている言葉の意図は阻止の意志のアピールとなっているはずである。
この意図の裏を返すと、子どもの将来が環境による「左右」も、世代を超えた「連鎖」も、まだ始まっていないか、あるいはその恐れが出てきた状況にあるとしていることを示していることになる。
いわば、子どもの貧困に関わる安倍晋三の認識はこの程度の危機感しか持っていないことになる。
実際は「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右される」日本の社会に既になっているのであり、「貧困が世代を超えて連鎖する」日本の社会に既になっているのが実態である。
厚労省の《相対的貧困率の推移について》を見てみる。
全体の相対的貧困率 子どもの相対的貧困率
1997年(1998年調査) 14.6% 13.4%
2000年(2001年調査) 15.3% 14.5%
2003年(2004年調査) 14.9% 13.7%
2006年(2007年調査) 15.7% 14.2%
2009年(2010年調査) 16.0% 15.7%
2003年に少しは下がるが、2006年から再び上昇に転じている。
親の貧困を受けた子どもの貧困という否応もなしの構造的な相関関係は世代間連鎖の、少なくともハシリを示していて、それが子どもの相対的貧困率という指標の形を取って全体的に上昇傾向にあるということは明らかに継続的な世代間連鎖に向かっている状況を示しているはずだ。
だからこその「子どもの貧困対策の推進に関する法律」の施行であり、大綱の取り纏めということであるはずだが、安倍晋三の危機感は待ったなしといった状況にはないようだ、
断るまでもなく、そもそもからして大人の貧困を受けた子どもの貧困という構造を取っている以上、この構造自体が経済格差が拡大傾向にある社会に於いて世代間格差のメカニズムを既に内包していることを認識しなければならないはずである。
である以上、大人の貧困を止めなければ子どもの貧困は阻止できない構造となっているということでもあるのだから、ストップ・ザ・大人の貧困にこそ政治が心血を注ぐことを第一義的解決策としなければならないはずだが、安倍晋三が掲げた「一人親家庭・生活困窮家庭への相談支援や就労支援、子どもへの学習支援などの取組み」等は原因根絶ではなく、貧困に手当を加える程度の対処療法に過ぎない。
このパターンは日本の政治が一方に貧困を置く経済格差拡大の社会をつくっておいて、そこに必然的な副産物として生産されることになる子どもの貧困を部分的な手当でしかない各種政策で繕う政治の限界を示しているはずだ。
勿論、他の国も似たり寄ったりの形式を取っているだろうが、他の国はどうであれ、日本の国のトップリーダーがそのことを認識しているかどうかの危機感の有無が政治の限界を狭めもし、広げもする。
だが、安倍晋三の危機感は政治の限界を浮き立たせることのみに役立っているようだ
例えば、「全ての子どもたちが夢と希望を持って成長していける社会の実現」を訴えているが、「全ての子どもたち」を対象とした場合、子どもの貧困が親の貧困を受け継ぐ相関的な構造を取る以上、全ての大人たちが夢と希望を持って生き、活動できる社会の実現を大前提としなければ解決不能となるはずだが、そういった危機感を滲ませていないところに政治の限界を見ないわけにはいかない。
安倍晋三はこのような後手の対処療法に、あるいは泥棒を捕まえてから、急いで泥棒を縛る縄をなうような泥縄式な政治の遣り方に政治の限界を感じて虚しくならないのだろうか。あるいは政治家という生きものは虚しさを感じないツラの皮の厚さを必要としていて、安倍晋三もご多分に漏れずにツラの皮を厚くしているということなのだろうか。
安倍晋三は一方で経済格差拡大政治を専らとしていながら、その一方で子どもの貧困が経済格差の被害者の位置にいる親の貧困に根本的な原因があるにも関わらず、その根本原因を根絶する政治ではなく、単に部分部分に手当を施す政治に終始しようとしている。
安倍晋三に危機感を感じないのは当然のことなのだろう。
2月発表のアメリカ国務省「2013年版米国務省人権報告書」は中国政府のインターネット監視強化や対汚職抗議弾圧の動き、憲法に基づき人権擁護などを訴え る「新公民運動」の活動家29人の逮捕、その他の人権弾圧の拡大を取り上げ、批判している。
これは中国国民の人権意識の高まりからの抗議活動や政治批判の拡大に対応した中国当局の取締まりの強化という形を取っているはずだ。
活動家29人逮捕の「新公民運動」は市民の政治参加や社会変革を訴える活動を言い、昨年、広がりを見せたもので、その市民運動を提唱した弁護士の丁家喜氏や民主活動家の趙常青氏ら4人に対して北京の裁判所が4月18日、懲役2年から3年半の判決を言い渡したと、次の記事――《中国「新公民運動」に厳しい判決》(NHK NEWS WEB/2014年4月18日 15時55分)が伝えている。
問題はその判決理由である。「運動を提唱し、公共の秩序を乱した罪」と書いてある。
記事は、政府高官の資産公開を求める街頭デモに参加した市民30人以上が逮捕されたり、拘束されたりしたと伝えているから、4人以外の市民が運動提唱の煽動に乗って「公共の秩序を乱した罪」といった理由で次々と判決が出る次以降の場面を最も容易に想像することができる。
裁判自体も不当な形式となっていて、証人の申請が認められなかったばかりか、判所所周辺は大量の警察官が動員されて厳戒態勢が敷かれ、支援者が連行されたほか、海外メディアも強制的に排除されたとしている。
記事は最後に次のように解説している。〈中国では腐敗のまん延や所得格差の拡大などを背景に、社会の変革を求める声が水面下で広がっていますが、習近平指導部は言論や思想の統制を強めていて、共産党の一党支配を揺るがしかねない動きを力で抑え込む姿勢を崩していません。〉――
政府や企業の不正行為や不法行為に対する市民の集団を手段とした抗議活動は政府や企業が大きな権力を有するのに対して市民個人のないに等しい権力を暴力的でない範囲に従った集団化によって対抗させる得ることに根拠を置いた正当な権利であるはずだが、正当であるはずのその権利を取締まり、逮捕や拘束をして不利な裁判を強いて、不当な判決を下す。
当然、「公共の秩序を乱した罪」としている判決理由が指す「公共の秩序」とは国家権力側が決めた、自らの利益確保・権力確保に好都合とする「公共の秩序」であって、国民・市民の利益に基づいていない、逆に不当を強いる「公共の秩序」を裏返しとしていることになる。
いわば「公共」という名前を用いて、国家権力が国民・市民の権利を制約し、ときにはその社会生活に不当な圧力を加え、捻じ曲げ、剥奪する。
2012年に決定した「自民党憲法改正案」も、言葉自体は違っても、その趣旨に於いて中国と同様に国民・市民の権利の保障要件に「公共の秩序」を用いている。
改正案から、その箇所だけを拾い出してみる。当てはまる言葉に文飾を施した。
〈(国民の責務)
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。〉――
〈(人としての尊重等)
第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。〉――
〈(表現の自由)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。〉――
以前ブログに用いた、誰もがしているであろう解釈を再びここに記してみる。
〈 「公益及び公の秩序」 は時代によっても性格や内容が異なり、当然、時の国家権力の考え方一つで、「公益及び公の秩序」 は異なる姿を取る。当然、何を以て「公益」とするか、何を以て「公の秩序」とするかは、時代時代の社会的風潮や時代時代の権力の性格によって異なり、その絶対的決まりはないことになる。
いわば「公益及び公の秩序」 はその時代の国家権力が決めことができることになって、「公益及び公の秩序」を優先させた場合、そのことへの縛りは国民の権利を制限することによって完成するのだから、自民党「日本国憲法改正草案」が国民の基本的人権を制限する条文を含んでいないと確証を与えることはできない。〉――
自民党「日本国憲法改正草案」に於ける基本的人権の保障要件となっている「公益及び公の秩序」を守ること規定した具体的な危険性を奇しくも中国が証明していることになる。