安倍晋三の行政の私物化・政治関与による加計学園獣医学部認可は事実そのものであることをシンプルに証明

2019-09-30 11:18:59 | 政治
 
 朝日新聞報道の加計学園獣医学部認可に関しての行政の不正行為を想起させる文科省の文書の存在に対して文科省側は当初はそのような文書の存在は確認できなかったとしていたが、文科相松野博一が2017年6月15日午後の記者会見で民進党が調査を求めていた19の文書のうち14文書の存在、未確認が2文書、3文書は「法人の利益に関わる内容」として「現時点では存否を含め明らかにできない」と公表した。

 民進党議員が公表した国会質問の際の参考資料や新聞記事等から当方が集めることができた、メールを含めた文科省文書を参考のために以下に記載、次に愛媛県今治市の国家戦略特区での獣医学部新設提案と国家戦略特区指定等の経緯に簡単に触れて、そのあと、このブログを書き進めるに当たって文科省文書の中から必要な文書を適宜抜き出すことにする。文飾は当方。

 「獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項」

○平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュール
 を作成し、共有いただきたい。成田市ほど時間は掛けられない。

 これは官邸の最高レベルが言っていること。山本大臣も「きち
 んとやりたい」と言っている。文科省メインで動かないといけない
 シチュエーションにすでになっている。

○国家戦略特区における獣医学部新設に係る方針については以
 下2パターンが考えられる。(今週、来週での対応が必要)

 ・内閣府・文科省・農水省による方針を作成(例:成田市「医学
  部新設」)

 ・国家戦略特区諮問会議による方針の決定(例:「民泊」)※諮問
  会議には厚労大臣も出席。

○今治市分科会において有識者からのヒアリングを実施すること
 も可能。
 
 (成田市分科会では、医師会は呼んでいないが、文科省と厚労省
 で選んだ有識者の意見を聴取(反対派は呼んでいない)。)

○獣医学部新設を1校に限定するかは政治的判断である。

 義家副大臣レク概要(獣医学部新設)

○平成30年4月開学で早くやれ、と言われている。手続きはちゃ
 んと踏まなければいけない。

○(国家戦略特区諮問会議決定について、)教育と民泊は違う。
 一緒にされては困る。

○農水省や厚労省は逃げているのか。

○官邸はどうなっているのか。萩生田副長官に聞いてみる。

やれと言うならやるが、閣内不一致(麻生財務大臣反対)をどう
 にかしてくれないと文科省が悪者になってしまう。

○農水大臣にも需給はおたくの話でしょ、と話してみる。

○本件は預かる。また連絡する

 大臣ご指示事項

以下2点につき、内閣府に感触を確認して欲しい。

◯平成30年4月に開学するためには、平成29年3月に
 設置認可申請する必要があるが、大学として教員確保や施設設
 備等の設置認可に必要な準備が整わないのではないか。平成
 31年4月開学を目指した対応とすべきではないか。

◯麻生副総理、森英介議員など獣医学部新設に強く反対して
 いる議員がいる中で、党の手続きをこなすためには、文科・
 農水・内閣府の部会の合同部会もしくはPTを設置して検討を行う
 べきではないか。少なくとも、衆院福岡6区補選(10月23
 日投開票予定)を終えた後に動くべきではないか。

※鳩山二郎氏(鳩山邦夫元総務相次男、全福岡県大川市長)、蔵
 内謙氏(日本樹医師会長長男、林芳正前農相秘書が候補者)

 義家副大臣のご感触

◯斎藤健農林水産副大臣は「そのような話は上がってきていない。
 確認をしておく」ということだった。

◯萩生田内閣官房副長官にも話をしたが、あまり反応がなかった。

◯大臣のご指示どおり、(内閣府への確認を)進めてほしい。

 大臣ご確認事項に対する内閣府の回答

◯ 設置の時期については、今治市の区域指定時より「最短距離で規
 制改革」を前提としたプロセスを踏んでいる状況であり、これは総理の
 ご意向だと聞いている。

◯ 規制緩和措置と大学設置審査は、独立の手続きであり、内閣府は
 規制緩和部分を担当しているが、大学設置審査は文部科学省。大学設
 置審査のところで不測の事態(平成30年開学が間に合わない)ことは
 あり得る話。関係者が納得するのであれば内閣府は困らない。

◯ 「国家戦略特区諮問会議決定」という形にすれば、総理が議長なの
 で、総理からの指示に見えるのではないか。平成30年4月開学に向
 け、11月上中旬には本件を諮問会議にかける必要あり。

◯ 農水省、厚労省への会議案内等は内閣府で事務的にやるが、前面
 に立つのは不可能。二省を土俵に上げるのは文部科学省がやるべ
 き。副長官のところに、文部科学省、厚生労働省、農林水産省を呼ん
 で、指示を出してもらえばよいのではないか。

◯ 獣医は告示なので党の手続きは不要。党の手続きについては、文科省
 と党の関係なので、政調とよく相談して欲しい。以前、官邸か
 ら、「内閣」としてやろうとしていることを党の部会で議論するな、と怒ら
 れた。党の会議では、内閣府は質疑応答はあり得るがメインでの対応
 は行わない。

◯ 官房長官、官房長官の補佐官、両副長官、古谷副長官補、和泉
 総理大臣補佐官等の要人には、「1、2ヶ月単位で議論せざるを得ない
 状況」と説明してある。

 10/4義家副大臣レク概要

◯ 私が萩生田長官のところに「ちゃんと調整してくれ」と言
 いにいく、アポ取りして正式に行こう。シナリオを書いてくれ。

◯ 斎藤健農水副大臣に、「農水省が需給部分、ちゃんと責任を持っ
 てくれないと困るよ」と話した際には「何も聞いていない。やば
 い話じゃないか。」という反応だった。

◯ 私が萩生田長官のところに「ちゃんと調整してくれ」と言
 いにいく、アポ取りして正式に行こう。シナリオを書いてくれ。

 10/7萩生田副長官ご発言概要 (取扱注意)

◯ 再興戦略改訂2015の要件は承知している。問題は、「既存の
 大学・学部では対応が困難な場合」という要件について、例えば
 伝染病研究を構想にした場合、既存の大学が「うちの大学でも
 できますよ」と言われると困難になる。

◯ 四国には獣医学部がないので、その点では必要性に説明が
 つくのか。(感染症も、一義的には県や国による対応であるとの
 獣医師会の反論を説明。)

◯ 平成30年4月は早い。無理だと思う。要するに、加計学園が
 誰も文句が言えないような良い提案をできるかどうかだな。構想
 をブラッシュアップしないといけない。

◯ 学校ありきでやっているという誤解を招くので、無理をしない
 方がいい。

◯ 福岡6区補選選挙(10月23日)が終わってからではないか。

◯ 文科省だけで、この案件をこなすことは難しいということはよ
 くわかる。獣医師会や農水関係議員との関係でも、農水省など
 の協力が必要。

◯ 私の方で整理しよう。

 10月19日(水) 北村直人元議員(石破元大臣同期)→専門教育課牧野

◯ 18日、石破元大臣と会って話をした。ご発言は以下の通り。
 ・ 党プロセスは今後どうなるのか。党プロセスを省くのはおかしい。
 ・ 総務会に上がってくるマターではないのか。もし話題に上がってこない
  なら、私が総務会の場で持ち出すことはやぶさかでない。タイミングを教えてく
  れ。
 ※総務会には、村上誠一郎議員や北村誠吾議員(自民党獣医師問題議連事務局長)が在籍。

◯ 政治パーティーで山本国家戦略特区担当大臣と会って話をした。ご発言は以下の通り。
 ・ 4条件きちんと守られるようウオッチする。ただ、(新設のための)お金が
  どうなるのか心配している。
 
◯ 麻生大臣は野田秘書に以下のように話をしていたとのこと。
 
  ・ 自分は総理から本件関係で何も言われていない。この話を持ち出されたこ
  ともない。だから、(もうやらない方向で)決着したのだと思ったくらいだ。
  ・(野田秘書から最近の状況を話し、)そうか・・・。

 「加計学園への伝達事項」

◯先日、ご説明いただいた構想につき、文部科学省として懸念している
 事項をお伝えする。
◯まず。公務員獣医師養成や人獣共通感染症研究、医学部との連携
 などは既存の獣医学部でも取り組まれでおり、日本再興戦略改訂201
 5との関係で、「既存の獣医師養成でない構想を具体化」や「既存の大
 学・学部では対応が困難な場合」という観点から、差別化できるよう、
 よく検討していただきたい。(表現ぶりの工夫が必要。その際、ハード
 ルを上げすぎないように注意)

◯「国際教育拠点」を形成する旨区域方針に書かれているが、先日の
 ご説明では国際性の特色を出す具体的な取組が十分に示されていな
 かったので、再検討いただきたい。

○需要について、先日の説明資料では、公移員獣医師の需要にしか言
 及がなかったが、毎年定員160名の学生の輩出に見合う応用ライフ
 サイエンス研究者等、獣医高度臨床医の具体的需要も説明が必要で
 あり、ご準備いただきたい。

◯獣医学部のない四国へ設置することにより、公務員獣医師の確保や
 地域の防疫・危機管理拠点を形成するとのことであるが、既存16大
 学では自地域内入学率・就職率ともに低いことから、四国における
 「具体的な需要」と、地元定着・活用のための具体策も検討が必要で
 ある。

◯設置申請に向けて、必要な教員確保や施設整備、資金計画など、万
 全な準備を行っていただきたい。特に資金については、確保できる額
 によって、構想の内容も変わってくると考える。確保できる資金と「既
 存の獣医師養成でない構想」の実現との関係で、十分な検討を行っ
 ていただきたい。   `

 10/21萩生田副長官ご発言概要
◯(11月にも国家戦略特区諮問会議で獣医学部新設を含む規制改革事項
 の決定がなされる可能性をお伝えし、)そう聞いている。

◯内閣府や和泉総理補佐官と話した。(和泉補佐官が)農水省とも話し、以
 下3点で、畜産やペットの獣医師養成とは差別化できると判断した。

 ①ライフサイエンスの観点で、ハイレベルな伝染病実験ができる研究施設
  を備えること。また、国際機関(国際獣疫事務局(OIE)?)が四国に設置
  することを評価している、と聞いたので、その評価していることを示すもの
  を出してもらおうと思っている。
 ②既存大学を上回る教授陣(72名)とカリキュラムの中身を増やすこと、ま
  た、愛媛大学の応用生物学と連携すること。
 ③四国は水産業が盛んであるので、魚病に特化した研究を行うとのこと。

◯一方で、愛媛県は、ハイレベルな獣医師を養成されてもうれしくない、既存
 の獣医師も養成してほしい、と言っているので、2層構造にする。

◯和泉補佐官からは、農水省は了解しているのに、文科省だけが怖じ気づ
 いている、何が問題なのか整理してよく話を聞いてほしい、と言われた。官
 邸は絶対やると言っている。

◯総理は「平成30年4月に開学」とおしりを切っていた。後期は24ヶ月でや
 る今年11月に方針を決めたいとのことだった。

◯そうなると平成29年3月に設置申請をする必要がある。「ハイレベルな教
 授陣」とはどういう人がいるのか、普通の獣医師しかできませんでし
 た、となると問題。特区でやるべきと納得でされるよな光るものでないと、で
 きなかったではすまない。ただ、そこは自信ありそうだった。

◯何が問題なのか、書き出してほしい。その上で、渡邉加計学園事務局長を
 浅野課長のところにいかせる。

◯農水省が獣医師会を押さえないとね。

 「藤原内閣府審議官との打合せ概要(獣医学部新設)」 ※取扱注意
1.日 時:平成28年9月26日(月)18:30~18:55
2.対応考:(内閣府)藤原審議官、佐藤参事官、(文科省)浅野専門教育課
長、■■補佐
3.概 要:
◯平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、
 共有いただきたい。成田市ほど時間はかけられない。これは官邸の最高レ
 ベルが言っていること(むしろもっと激しいことを言っている)。山本大臣
 も「きちんとやりたい」と言っている。
◯成田市の医学部新設の際には3省方針を作成したが、これは東北新設時に
 復興庁と方針を作成していたため、同じ形でやることとなったもの。内閣
 府としては方針作成が必要だと考えていないが、文科省として審査する際
 の留意点を出す必要があることは理解。
◯クレジットは、内閣府と直接の規制省庁である文科省がマスト。関係省庁
 が入らないとできないわけでもなく、農水省・厚労省を入れたいのなら、
 文科省が動く必要あり。ドライに、両省が協力しないなら「彼らがやらな
 かった」と責任を負う形に持って行けぱよい。いずれにしても第2回分科
 会で方針原案を決めるスピードでやる必要。
◯(今治市構想について、獣医師会から文科省・農水省に再興戦略を満たし
 ていないと指摘する資料が届いており、簡単ではない旨の指摘に対し、)必
 要であれば分科会に獣医師会を呼ぶ。成田市分科会に医師会は呼んでい
 ないが。有識者を呼ぶ回を作った方がよけれぱやる。
◯「できない」という選択肢はなく、事務的にやることを早くやらないと責
 任を取ることになる。早く政治トップの判断に持って行く必要あり。文科
 省メインで動かないといけないシチュエーションにすでになっている。
◯(他の新設提案者はどうするのか、との問に対し、)成田市の際には、3省
 方針に「1校」と記載。諮問会議としては3省が決めたことなど知ったこ
 とではないが、方針を出さないと省として持たないということで作った。
 裏では政治的なやりどりがあった。
◯3省方針ではなく、「民泊」(9月9日諮問会議資料2-2)のように、留
 意点や手当てを記載した1枚程度の方針を諮問会議として出すことも可能。
 ただ、当該会議の場には厚労大臣も出席して決定している。この方法は総
 理や山本大臣の負担になるが、こちらの方が手続きは簡単。要素さえもら
 えれば、内閣府はすぐこの資料を作れる。今週来週でペーパーワークしな
 いといけない。
◯今週とかそういう世界で早めに上に相談してくれ。

送信元: ■■■■/文部科学省
宛先:  ■■■■/文部科学省(文科省内のその他の部局)

日付:2016/11/08 11:59
件名:【情報共有・追加あれば】本日加計学園に伝達する事項ペーパー

設置室、私学部 御中 ← 高等教育局専門教育課 ■ (■)

 先日に加計学園から構想の現状を聴取したことについて、
昨日、大臣及び局長より加計学園からに対して文科省としては
現時点の構想では不十分だと考えている旨早急に厳しく伝えるべき、
というご指示がありました。
(局長からは先ほども、早く連絡して、絶対今日中、と言われたところです)

 そこで、私から先方の事務局長に添付内容をお伝えしようと思っておりますところ、
追加で指摘すべき事項や修正があれば、本日13時半までに教えて下さい。
14時に先方から電話が来る予定です。

 大臣レク3枚ものの懸案事項を引く形で作成しております。



よろしくお願いいたします。


D立証できないと、記載するのは難しいのではないか、と指摘あり。
修正案の前提については、
 (1)→了承。
 (2)→文科省と農水省で要相談。
 (3)→同上。
という状況です。
打合せの後の原委員とのWGについては、添付概要の通りとなります。

修正文案途中なことを踏まえた上で、あくまで惰報共有のためのWGといった体です)
その後、藤原審議官から再度文科省とのみ打合せ依頼がありましたので、
そのまま別室で打合せして、添付PDFの文案(手書き部分)で直すように指示がありました。
指示は藤原審議官曰く、官邸の萩生田副長官からあったようです。
現在、専門教育課は修正の通りに文章を修正し、15:00から文科大臣レクの模様です。
-応、レク後の修正文案を内閣府に報告するようにするとのことです。
 (浅野課長の感触では、文科省としてはこれでOKだと思うとのこと。)
【農水省の対応状況】(※農水省に内々に確認しただけなので、厳秘)

 2015年6月4日、今治市は国家戦略特区での「国際水準の獣医学教育」を志して、その提案書と資料を内閣府に提案。そして2015年12月15日の「第18回国家戦略特区諮問会議」で国家戦略特区の指定を受けることになる。

 2016年3月30日の「広島県・今治市国家戦略特別区域会議(第1回)」、2016年9月21日の「今治市分科会(第1回)」等で、「獣医学教育空白地域である四国への国際水準の大学獣医学部新設」の必要性について議論が行われ、2016年10月4日の「第24回国家戦略特別区域諮問会議」で民間議員全員の「異議なし」を受けて、今治市への獣医学部新設に向けた認定の手続きを進めることになった。

 あくまでも今治市への「獣医学部新設」であって、加計学園が獣医学部の事業主体として初めて顔を出すのは2017年1月4日の内閣府地方創生推進事務局による今治市新設の「獣医師養成系大学・学部」の事業主体公募に対して2017年1月10日に応募したことによってであり、10日後の2017年1月20日の「第27回国家戦略特別区域諮問会議」で「異議なし」とされ、加計学園を事業主体とした今治市への獣医学部新設に向けた「認定の手続き」に入ることになった。

 このことが安倍晋三の国会答弁に繋がることになる。例えば2017年7月25日の加計疑惑閉会中審査。

 安倍晋三「私は国家戦略特区諮問会議の議長として、国家戦略特区諮問会議にかかる際に、事務方から説明を受けるわけです。国家戦略特区制度が誕生した2年前の11月の段階で、私が議長を務める国家戦略特区諮問会議において、今治市の特区指定に向けた議論が進む中で、私が今治市が獣医学部新設を提案していることを知った。しかしその時点においても、またその後のプロセスにおいても、事業主体が誰かという点について提案者である今治市から説明はなく、もちろん事務方からも説明がなかったのであり、加計学園の計画は承知していなかった。1月20日の特区諮問会議で認定する際に、事務方から事前に説明を受けたわけでございます」

 安倍晋三は「事業主体が誰かという点について提案者である今治市から説明はなく」と言っているが、2017年8月6日付「asahi.com」が2015年6月5日開催の「国家戦略特区ワーキンググループ」(座長八田達夫)で獣医学部の新設提案について愛媛県と今治市からヒアリングした際、加計学園幹部が出席していたにも関わらず、名前も発言も議事録に記載されていないと報じたのに対してWG座長の八田達夫(大阪大学名誉教授)がその日のうちに早速反応、「説明補助のために加計学園関係者(3名)を同席させていました。特区WGの提案ヒアリングでは、通常、こうした説明補助者は参加者と扱っておらず、説明補助者名を議事要旨に記載したり、公式な発言を認めることはない」と、国家戦略特区サイトにPDF記事で反論している。

 確かに獣医学部新設に関わる議論が行われた国家戦略特区諮問会議全体を通して、加計学園が内閣府の事業主体公募に応じて応募したあとの今治市への加計学園を事業主体とした獣医学部新設に向けた「認定の手続き」に入ることになった2017年1月20日の「第27回国家戦略特別区域諮問会議」でさえも、加計学園の名前は最初から最後まで一度たりとも議事要旨に載っていないし、出席者の誰一人として口にしていないが、2015年6月5日の「国家戦略特区ワーキンググループ」に加計学園の幹部3人が出席して、新設を目指す獣医学部の規模・内容等について説明を行っている以上、このWGに事務方である内閣府地方創生推進室の室長代理や次長、参事官等5名が出席していたこと、次長の藤原豊が議事進行の役目を担っていたこと、さらに獣医学部の最終認可は文科省が関わることになる以上、少なくとも2015年6月5日開催の「国家戦略特区ワーキンググループ」以降、内閣府も文科省も、関係者全員が事業主体が加計学園であることは承知していたことになる。承知していながら、加計学園の名前は一度たりとも出さなかった。

 安倍晋三が裏で関わっていた加計学園への獣医学部新設認可だったからこそ、その不正行為が表に現れないようにする用心が過ぎて、最初から最後まで加計学園の名前を伏せることになったと疑うことができる。

 いわば表向きは事業主体は抜きに今治市への獣医学部新設で議論を進めて、最後の最後になって内閣府がその事業主体を公募、加計学園のみが応募して、初めて事業主体が加計学園であることを知るという経緯を取っているが、このことは2014年5月1日に関西圏(京都府、大阪府、兵庫県)が国家戦略特区の指定を受けると、京都府は規制改革に添う事業の提案を募集し、その募集に対して京都産業大学が2016年3月に獣医学部の開設を申請し、認められると、2016年10月17日の「国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリング」に京都府農林水産部の幹部職員と共に京都産業大学副学長と教授が獣医学部の事業主体として出席、「獣医学部設置構想について」ヒヤリングを受けているが、このように最初から事業主体として顔を出しているケースと明らかに異なっている。京都産業大学は途中で獣医学部新設を断念しているが、常識的には後者が正しい認定の進め方であり、前者は異常な進め方にしか見えない。

 先ず以下の文書を見てみる。

 「大臣ご指示事項」

以下2点につき、内閣府に感触を確認して欲しい。

◯平成30年4月に開学するためには、平成29年3月に
 設置認可申請する必要があるが、大学として教員確保や施設設
 備等の設置認可に必要な準備が整わないのではないか。平成
 31年4月開学を目指した対応とすべきではないか。

◯麻生副総理、森英介議員など獣医学部新設に強く反対して
 いる議員がいる中で、党の手続きをこなすためには、文科・
 農水・内閣府の部会の合同部会もしくはPTを設置して検討を行う
 べきではないか。少なくとも、衆院福岡6区補選(10月23
 日投開票予定)を終えた後に動くべきではないか。

 ※鳩山二郎氏(鳩山邦夫元総務相次男、全福岡県大川市長)、蔵
 内謙氏(日本樹医師会長長男、林芳正前農相秘書が候補者)

 この大臣とは文科相松野博一を指す。”>「松野博一文部科学大臣記者会見」(文科省/2017年6月16日)

 記者「14の文書のうち、大臣ご指示事項という文書があったのですが、それについて、御自身でお話になった記憶があるかとか、紙について、お伺いします」

 松野博一大臣「今から相当前のものでございますので、自分が話した内容が、全てあそこにあったとおりであったかどうかというのは、正直、記憶が確認できませんけれども、おそらく、多くの様々な事案に関して、指示、お話をした中で、聞き手の方が選択をして、あの字句を選んで残っているということではないかと思います」

 全体的には自分の発言は事実だとしている。発言自体は「平成30年4月に開学」は準備不足で間に合わない恐れがあるから、1年伸ばすべきではないか、「内閣府に感触を確認して欲しい」と部下に求めている。と言うことは、この文書作成時には開学のための準備不足を知っていたことになる。

 この松野博一の「感触確認」に対する内閣府からの返事が次の文書に当たる。

 「獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項」

○平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュール
 を作成し、共有いただきたい。成田市ほど時間は掛けられない。

 これは官邸の最高レベルが言っていること。山本大臣も「きち
 んとやりたい」と言っている。文科省メインで動かないといけない
 シチュエーションにすでになっている。

○国家戦略特区における獣医学部新設に係る方針については以
 下2パターンが考えられる。(今週、来週での対応が必要)

 ・内閣府・文科省・農水省による方針を作成(例:成田市「医学
  部新設」)

 ・国家戦略特区諮問会議による方針の決定(例:「民泊」)※諮問
  会議には厚労大臣も出席。

○今治市分科会において有識者からのヒアリングを実施すること
 も可能。
 
 (成田市分科会では、医師会は呼んでいないが、文科省と厚労省
 で選んだ有識者の意見を聴取(反対派は呼んでいない)。)

○獣医学部新設を1校に限定するかは政治的判断である。

 松野博一の「平成30年4月に開学するためには、平成29年3月に設置認可申請する必要があるが、大学として教員確保や施設設備等の設置認可に必要な準備が整わないのではないか。平成31年4月開学を目指した対応とすべきではないか」との内閣府への感触確認に対して内閣府から、「平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい。成田市ほど時間は掛けられない」との伝達を受けた。つまり「獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項」「大臣ご指示事項」に対する回答となっていて、当然、前者が指摘している内容は後者が指摘している内容に対応させた関係を取っていることになる。

 であるなら、「大臣ご指示事項」が指摘している内容は松野博一が全体的には事実であると認めている以上、この事実に対応させている関係にあることになる「獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項」が指摘している内容にしても、ウソの事実ではない、全体的には真正な事実ということになる。

 と言うことなら、内閣府側の「平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい」にしても、「これは官邸の最高レベルが言っていること」にしても、全体的な事実の中の一つ一つの事実と見做さないと、「獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項」「大臣ご指示事項」に対する回答という関係が崩れて、回答の目的を失い、内閣府から意味をなさない「伝達事項」を文科省に伝えたことになり、奇妙な事態を曝け出すことになる。回答としての整合性を保つためには双方の文書の内容を全体的には事実とする以外に方法はない。

 この「大臣ご指示事項」「獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項」の両文書が作成された日付は文科省内で遣り取りしたメールに添付してあった以下の文書から伺うことができる。

 「内閣府審議官との打合せ概要(獣医学部新設)」※取扱注意 

1.日 時:平成28年9月26日(月)18:30~18:55
2.対応考:(内閣府)藤原審議官、佐藤参事官、(文科省)浅野専門教育課
長、■■補佐
3.概 要:
◯平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、
 共有いただきたい。成田市ほど時間はかけられない。これは官邸の最高レ
 ベルが言っていること(むしろもっと激しいことを言っている)。山本大臣
 も「きちんとやりたい」と言っている。
◯成田市の医学部新設の際には3省方針を作成したが、これは東北新設時に
 復興庁と方針を作成していたため、同じ形でやることとなったもの。内閣
 府としては方針作成が必要だと考えていないが、文科省として審査する際
 の留意点を出す必要があることは理解。
◯クレジットは、内閣府と直接の規制省庁である文科省がマスト。関係省庁
 が入らないとできないわけでもなく、農水省・厚労省を入れたいのなら、
 文科省が動く必要あり。ドライに、両省が協力しないなら「彼らがやらな
 かった」と責任を負う形に持って行けぱよい。いずれにしても第2回分科
 会で方針原案を決めるスピードでやる必要。
◯(今治市構想について、獣医師会から文科省・農水省に再興戦略を満たし
 ていないと指摘する資料が届いており、簡単ではない旨の指摘に対し、)必
 要であれば分科会に獣医師会を呼ぶ。成田市分科会に医師会は呼んでい
 ないが。有識者を呼ぶ回を作った方がよけれぱやる。
◯「できない」という選択肢はなく、事務的にやることを早くやらないと責
 任を取ることになる。早く政治トップの判断に持って行く必要あり。文科
 省メインで動かないといけないシチュエーションにすでになっている。
◯(他の新設提案者はどうするのか、との問に対し、)成田市の際には、3省
 方針に「1校」と記載。諮問会議としては3省が決めたことなど知ったこ
 とではないが、方針を出さないと省として持たないということで作った。
 裏では政治的なやりどりがあった。
◯3省方針ではなく、「民泊」(9月9日諮問会議資料2-2)のように、留
 意点や手当てを記載した1枚程度の方針を諮問会議として出すことも可能。
 ただ、当該会議の場には厚労大臣も出席して決定している。この方法は総
 理や山本大臣の負担になるが、こちらの方が手続きは簡単。要素さえもら
 えれば、内閣府はすぐこの資料を作れる。今週来週でペーパーワークしな
 いといけない。
◯今週とかそういう世界で早めに上に相談してくれ。

 この文書が「平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい」と指摘している点は「大臣ご指示事項」「獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項」が開学に関して触れている事実と関連し、「これは官邸の最高レベルが言っていること」と指摘している点は後者の「獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項」が触れている事実と見事に符合する。

 と言うことは、前2文書は後者が作成された2016年9月26日近辺に作成されたことが判明するだけではなく、国会答弁で誰がどう否定しようとも、3文書共に共通する内容を抱えていることから、「大臣ご指示事項」が事実であることを出発点として、相互に事実を反映し合った文書、共通する事実によって貫かれている文書であることを証明することになる。

 2016年9月26日という日付は「獣医学教育空白地域である四国への国際水準の大学獣医学部新設」の必要性について議論が行われた2016年9月21日の「今治市分科会(第1回)」から5日後である。既にこの時点で「官邸の最高レベル」の指示で「平成30年4月開学」を目指していた。

 要するに「大臣ご指示事項」「獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項」、さらに「取扱注意」となっているメール添付文書である「内閣府審議官との打合せ概要(獣医学部新設)」の3文書に目を通しさえすれば、加計学園獣医学部認可が安倍晋三の行政の私物化・政治関与によって成し遂げた、安倍晋三がいいこと尽くめのように口にしていた岩盤規制打破であったことをシンプルに証明することができる。

 「10/21萩生田副長官ご発言概要」なる文書についても安倍晋三の腰巾着、当時副官房長官だった萩生田光一は2017年6月20日公表の「コメント」で「いわゆる加計学園に関連して、私は総理からいかなる指示も受けたことはありません」、「具体的に総理から開学時期及び工期などについて指示があったとは聞いていませんし、私の方からも文科省に対して指示をしていません」、「加計学園の便宜を図るために和泉補佐官や関係省庁と具体的な調整を行うとか、指示を出すことはあり得ません」等々否定しているが、文書に「官邸は絶対やると言っている」、あるいは「総理は『平成30年4月に開学』とおしりを切っていた」といった発言が記されている点は前記3文書と共通している指摘でありながら、コメントどおりに否定を認めることになると、否定することができない指摘の共通性まで否定するあり得ない事態を招くことになる。

 3文書に記されている指摘が事実を共通させている以上、「10/21萩生田副長官ご発言概要」に記されている萩生田光一の指摘にしても、3文書と共通している指摘であるという関係から、3文書と事実であることを共通させなければならない。「総理のご意向」のもと、「平成30年4月開学」に向けで内閣府と文科省の関係者が暗躍して実現させた、行政の私物化・政治関与の産物としての加計学園獣医学部認可であることは事実そのとおりだということである。

 以下2文書からも、加計学園獣医学部認可が安倍晋三の行政の私物化・政治関与の産物であることが事実そのものであることを証明してみる。

 「加計学園への伝達事項」

◯先日、ご説明いただいた構想につき、文部科学省として懸念している
 事項をお伝えする。
◯まず。公務員獣医師養成や人獣共通感染症研究、医学部との連携
 などは既存の獣医学部でも取り組まれでおり、日本再興戦略改訂201
 5との関係で、「既存の獣医師養成でない構想を具体化」や「既存の大
 学・学部では対応が困難な場合」という観点から、差別化できるよう、
 よく検討していただきたい。(表現ぶりの工夫が必要。その際、ハード
 ルを上げすぎないように注意)

◯「国際教育拠点」を形成する旨区域方針に書かれているが、先日の
 ご説明では国際性の特色を出す具体的な取組が十分に示されていな
 かったので、再検討いただきたい。

◯需要について、先日の説明資料では、公移員獣医師の需要にしか言
 及がなかったが、毎年定員160名の学生の輩出に見合う応用ライフ
 サイエンス研究者等、獣医高度臨床医の具体的需要も説明が必要で
 あり、ご準備いただきたい。

◯獣医学部のない四国へ設置することにより、公務員獣医師の確保や
 地域の防疫・危機管理拠点を形成するとのことであるが、既存16大
 学では自地域内入学率・就職率ともに低いことから、四国における
 「具体的な需要」と、地元定着・活用のための具体策も検討が必要で
 ある。

◯設置申請に向けて、必要な教員確保や施設整備、資金計画など、万
 全な準備を行っていただきたい。特に資金については、確保できる額
 によって、構想の内容も変わってくると考える。確保できる資金と「既
 存の獣医師養成でない構想」の実現との関係で、十分な検討を行っ
 ていただきたい。   `

 送信元: ■■■■/文部科学省
宛先:  ■■■■/文部科学省(文科省内のその他の部局)

日付:2016/11/08 11:59
件名:【情報共有・追加あれば】本日加計学園に伝達する事項ペーパー

設置室、私学部 御中 ← 高等教育局専門教育課 ■ (■)

 先日に加計学園から構想の現状を聴取したことについて、
昨日、大臣及び局長より加計学園からに対して文科省としては
現時点の構想では不十分だと考えている旨早急に厳しく伝えるべき、
というご指示がありました。
(局長からは先ほども、早く連絡して、絶対今日中、と言われたところです)

そこで、私から先方の事務局長に添付内容をお伝えしようと思っておりますところ、
追加で指摘すべき事項や修正があれば、本日13時半までに教えて下さい。
14時に先方から電話が来る予定です。

大臣レク3枚ものの懸案事項を引く形で作成しております。

 上の「加計学園への伝達事項」の作成日付は下の件名「【情報共有・追加あれば】本日加計学園に伝達する事項ペーパー」のメールによって、2016年11月8日の「13時半までに」作成されことがわかる。「14時に先方から電話が来る予定」だから、「追加で指摘すべき事項や修正があれば、本日13時半までに教えて下さい」と高等教育局専門教育課から文科省内の他の関係部署に「2016/11/08 11:59 」にメールを送信している。

 2017年7月25日参院予算委員会閉会中審査

 松野博一「繰返し答弁させて頂いておりますが、国家戦略特区に於いても大学の設置の事前審査相談は、これは受け付けております。しかしその中に於いてですね、当然前提であるとこが国家戦略特区がクリアできるところでございますから、その国家戦略特区をクリアするということは、先程来ございますけれども、4条件についての文科省としての考え方をお伝えをし、かつ大学の設置に向けてですね、事前に相談を受けたことに関してアドバイスをしているということで適切なものであると考えております。

・・・・・・・・・・・・

 今回公表した文書(「加計学園への伝達事項」のこと)およびメール(件名:「【情報共有・追加あれば】本日加計学園に伝達する事項ペーパー」というメールのこと)はあくまで事前相談であるということは答弁させてもらったとおりだが、加計からこの時期に国家戦略特区を活用した設置についての問い合わせがあった。担当者にヒアリングをしたところ、そういった状況の中で、どうして今、指摘があったような表現になったか、確たることは記憶にないが、11月8日の状況を勘案すると11月9日に追加規制改革事項が決定されることが見込まれるところ、たとえ追加改革事項が決定されても獣医学部の新設に関しては別途、設置認可のプロセスが必要であると。そのためにさまざまな課題をクリアする必要があることをこの時点で伝えることが必要あるということが事務方から、こういった意識が私に伝えられたので、そういう判断ならばそのようにしたらといったと思う」

 しかし加計学園が表に顔を出したのは2017年1月4日の内閣府地方創生推進事務局による今治市新設の「獣医師養成系大学・学部」の事業主体公募に対して2017年1月10日に応募したときが初めてである。このことは先に触れた安倍晋三の国会答弁が証明している。その国会答弁を再度、ここに記載してみる。

 安倍晋三「私は国家戦略特区諮問会議の議長として、国家戦略特区諮問会議にかかる際に、事務方から説明を受けるわけです。国家戦略特区制度が誕生した2年前の11月の段階で、私が議長を務める国家戦略特区諮問会議において、今治市の特区指定に向けた議論が進む中で、私が今治市が獣医学部新設を提案していることを知った。しかしその時点においても、またその後のプロセスにおいても、事業主体が誰かという点について提案者である今治市から説明はなく、もちろん事務方からも説明がなかったのであり、加計学園の計画は承知していなかった。(2017年)1月20日の特区諮問会議で認定する際に、事務方から事前に説明を受けたわけでございます」

 安倍晋三のこの国会答弁はほかの日も、あるいは他の委員会でも何度も発言しているが、この発言を事実そのものと解釈すると、当然、2016年11月8日の時点で文科省が加計学園に対して「大学の設置の事前審査相談」などできるはずはない。だが、今治市新設の獣医学部の事業主体が加計学園であることを前提に「事前審査相談」に応じていた。応じることができたのは、既に触れたように2015年6月5日の「国家戦略特区ワーキンググループ」(座長八田達夫)に加計学園関係者3名が出席していたにも関わらず、その名前と発言を「説明補助者名を議事要旨に記載したり、公式な発言を認めることはない」との理由で伏せていただけのことで、内閣府も文科省も事業主体が加計学園であることを知っていたからである。

 国家戦略特区諮問会議議長の安倍晋三が知らずに内閣府や文科省は知っていた。この矛盾を安倍晋三は2017年11月30日の参院予算委員会で明快に解消している。

 安倍晋三「この件についても閉会中審査で既に申し上げているところでございますが、今治市のこの提案についてはまさに今治市が提案者であったわけでありますが、最終的にこの公募に応じて、加計学園が公募に応じた段階で、我々が知る立場になる本年一月に、事業者の公募を行い、加計学園から応募があったその後、1月20日に諮問会議で認定することになりますが、まさに私が出席をするのは諮問会議でありますから、ワーキンググループ等に私は出席をしないわけでありますし、一々その状況について報告を受けることもありません。

 ですから、加計学園から応募があったその後、1月20日に諮問会議で認定することになりますが、その際に私は初めて加計学園の計画について承知をしたところであります」

 新設する獣医学部の事業主体がどこになるかは最重要な問題である。にも関わらず、「ワーキンググループ等に私は出席をしないわけでありますし、一々その状況について報告を受けることもありません」から、例えワーキンググループに加計学園関係者が出席していたとしても、国家戦略特区諮問会議議長である安倍晋三にまで報告が届くことはない。

 但し安倍晋三がこのように主張する“事実”は上に挙げた文書中の「官邸の最高レベルが言っていること」、「平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュール
を作成し、共有いただきたい」、「総理のご意向」等々の共通する事実と矛盾することになって、どちらかの事実を虚偽の事実と看做さないことには整合性が取れないことになる。

 もう一度、2016年11月8日11時59分送信で、件名が「【情報共有・追加あれば】本日加計学園に伝達する事項ペーパー」のメールに目を通して貰いたい。そのメールによると、「先日に加計学園から構想の現状を聴取した」ことになっている。いわば文科相松野博一の国会答弁によると、「大学の設置の事前審査相談」の一環として文科省の関係部署が加計学園が構想している獣医学部について聴取を行い、その構想では「不十分」だと指摘していた。

 その「不十分」な状況に対してメールの日付の2016年11月8日の「昨日」2016年11月7日」に「大臣及び局長より」「現時点の構想では不十分だと考えている旨早急に厳しく伝えるべき、というご指示があり」、「14時に先方から電話が来る予定」に合わせて「追加で指摘すべき事項や修正があれば、本日13時半までに」纏めるよう文科省内の関係部署に11時59分にメールで送信、纏めた内容を相手からの電話に対して「加計学園への伝達事項」として伝えたということになる。

 加計学園に対する構想聴取は何日なのかは不明だが、構想の不備の改善点を纏める時間の余裕は11時59分のメール送信から「本日13時半まで」のたった1時間半であり、「14時に先方から電話が来る予定」だから、30分の余裕は見ることができるが、余りにも慌ただしい遣り繰りとなっている。

 この余りにも慌ただしい遣り繰りは文科相の松野博一が部下に指示した「大臣ご指示事項」には、「平成30年4月に開学するためには、平成29年3月に設置認可申請する必要があるが、大学として教員確保や施設設備等の設置認可に必要な準備が整わないのではないか。平成31年4月開学を目指した対応とすべきではないか」との指摘が叶わなかったことに対する状況を示していることになる。松野博一の指摘どおりに「平成31年4月」の開学を目指していたなら、さらに1年の余裕が出て、たったの1時間半の間に構想の不備を纏める慌ただしい思いせずに済む。

 当然、この慌ただしさは安倍晋三の意向によって「平成30年4月に開学」とお尻を切られていた、いわば「平成30年4月開学」を絶対としていたことによる慌ただしさであって、加計学園に関わる文科省文書の全てが事実であることを証明することになる。

 文科省文書が事実であることは愛媛県文書も事実であることを証明することになる。

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徴用工韓国大法院判決は日本側が「日韓請求権協定」を日韓併合と戦争の悪事隠しをカラクリに成り立たせたしっぺ返し

2019-09-23 11:05:43 | 政治
  
 太平洋戦争中に日本及び韓国で徴用工として過酷な労働条件下で強制労働に従事させられたことから4人の韓国人が使用者側の現在の新日鉄住友金属(旧日本製鉄、現在名日本製鐵)を相手に損害賠償を求めた裁判で、韓国の二審に当たるソウル高等法院による控訴棄却を受けて原告が韓国の最高裁判所に当たる大法院に上告、大法院の原審差し戻しを受けてソウル高等法院が一人当たり1億ウオン(約1000万円)の賠償金の支払いを認め、これを受けて2018年10月30日に大法院が原告の訴えを正当とする判決を下して、原告の勝訴が原審通りに確定するに至った。

 大法院は原告の訴えの正当性を、原告らは被告に対して未払賃金や補償金を請求しているのではなく、日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権の行使に置き、その請求権を認めている。

日本政府が日本が韓国との間で1965年6月22日に締結した「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との聞の協定」(日韓請求権協定)の「第二条 財産・権利及び利益並びに請求権に関する問題の解決」、その1項で「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と規定している通りに「韓国人の請求権問題は協定により全て解決済み」との立場を取っていることに対して大法院判決は個人請求権に関しての解決済みは未払賃金や補償金問題であって、慰謝料の請求権は「日韓請求権協定」の外に置かれていたと見ていることになる。

 どちらに正当性があるのか、ネットで紹介されている交渉過程等のいくつかの資料を漁ってみることにした。

 外務省は「個人の請求権問題も含めて韓国人の請求権問題は協定により全て解決済み」とする日本の主張の正当性を裏付ける根拠とするためにだろう、2019年7月29日になって1965(昭和40)年6月22日に締結された日韓請求権協定の交渉過程で韓国政府が日本側に示した「対日請求要綱8項目」と請求に関わる日韓政府の「交渉議事録」の一部をマスコミに公開している。

 先ず韓国が第1次日韓会談 (1952年2月15日~1952年4月21日)に於ける請求権分科委員会(1952年2月21日)で「韓日間財産及び請求権協定要綱韓国側提案」、のちの「対日請求要綱」所謂「8項目」を提出しているが、その内容を見てみる。以下文色は当方。

 正式名「韓日間財産及び請求権協定要綱」

第1項 朝鮮銀行を通じて搬出された地金と地銀の返還を請求する。
     本項の請求は1909年から1945年までの期間中に日本が朝鮮銀行を通じて搬出していったものである。
 第2項 1945年8月9日現在の日本政府の対朝鮮総督府債務の弁償を請求する。
     本項に含まれる内容の一部は次のとおり。
1.逓信局関係
   ⒜ 郵便貯金、振替貯金、為替貯金等
   ⒝ 国際及び貯蓄債券等
⒞ 朝鮮簡易生命保険及び郵便年金関係
   ⒟ 海外為替貯金及び債券
   ⒠ 太平洋米国陸軍総司令部布告第3号によつて凍結された韓国受取金
   ⒡ その他
  2. 1945年8月9日以後日本人が韓国内銀行から引出した預金額
  3. 朝鮮から収入された国庫金中の裏付け資金のない歳出による韓国受取金関係
  4. 朝鮮総督府東京事務所の財産
  5. その他
 第3項 1945年8月9日以後韓国から振替又は送金された金員の返還を請求する。
     本項の一部は下記の事項を含む。
  1. 8月9日以後朝鮮銀行本店から在日本東京支店へ振替又は送金された金員
  2. 8月9日以後在韓金融機関を通じて日本へ送金された金員
  3. その他
第4項 1945年8月9日現在韓国に本社、本店又は主たる事務所があつた法人の在日財産の返還を請求する。
    本項の一部は下記の事項を含む。
  1. 連合軍最高司令部閉鎖期間例によって閉鎖清算された韓国内金融機関の在日支店財産
  2. SCAPIN1965号によつて閉鎖された韓国内本店保有法人の在日財産
  3. その他
 第5項 韓国法人又は韓国自然人の日本国又は日本国民に対する日本国債、公債、日本銀行券、被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済を請求する。
     本項の一部は下記の事項を含む。
  1. 日本有価証券
  2. 日本系通貨
  3. 被徴用韓国人未収金
  4. 戦争による被徴用者の被害に対する補償
  5. 韓国人の対日本政府請求恩給関係その他
  6. 韓国人の対日本人又は法人請求
  7. その他
第6項 韓国人(自然人及び法人)の日本政府又は日本人(自然人及び法人)に対する権利の行使に関する原則。
 第7項 前記諸財産又は請求権から生じた諸果実の返還を請求する。
 第8項 前記の返還及び決済は協定成立後即時開始し、遅くとも6ヵ月以内に終了すること

 第1項で返還を請求している「朝鮮銀行を通じて搬出された地金と地銀」は「1909年から1945年までの期間中に日本が朝鮮銀行を通じて搬出していったもの」としていることからすると、日本の韓国併合は1910年8月29日の「韓国併合ニ関スル条約」(日韓併合条約)締結に基づいた大日本帝国による韓国併合から1945年9月9日の朝鮮総督府による対連合国降伏までの35年間ということだが、それ以前から日本は韓国に進出していて、1905年の第2次日韓協約で日本は韓国を保護国とし、韓国の外交権を掌握し、内政に深く干渉する関係を構築、日韓併合の前年の1909年から日本は朝鮮銀行から地金と地銀を搬出していたということなら、第2次大戦中の補償だけではなく、日韓併合時の補償をも含めて請求していることになる。

 今回の韓国大法院判決に関係して日本政府が解決済みとしている「請求要項」は「第5項3」の被徴用韓国人未収金と「第5項4」の「戦争による被徴用者の被害に対する補償」ということになる。

 既に触れたように「第5項3」も「第5項4」も、両問題は大法院も日本政府同様に解決済みと見ている。

 外務省が一部マスコミに公開した「対日請求要綱8項目」関連の「交渉議事録」は1961年(昭和36)5月の交渉のものだという。

 日本側代表「個人に対して支払ってほしいということか」
 韓国側代表「国として請求して、国内での支払いは国内措置として必要な範囲でとる」

 韓国側からこのような要請を受けて、何度かの協議を重ねた上で最終的に韓国政府に日本政府が無償3億ドル・有償2億ドルの供与を行う内容の「日韓請求権協定」を締結、徴用工に対する未収金及び補償は韓国政府が無償3億ドル・有償2億ドルのうちから国内措置として行うべき問題であって、これを以って徴用工に関わる個人的な請求権の問題は全てが「完全かつ最終的に解決された」のであると、前記公開文書を用いて、日本政府の正当性をマスコミに対して訴えたということなのだろう。

 これを受けて、マスコミの殆どは「完全かつ最終的に解決された」との政府の立場を踏襲した報道となった。だが、これでは韓国大法院の「被徴用韓国人未収金」と「戦争による被徴用者の被害に対する補償」は「日韓請求権協定」によって解決している、いわば徴用に関わる補償は無償3億ドル・有償2億ドルに含まれているが、「慰謝料の請求権」に関しては「日韓請求権協定」は触れていないとする主張に対する答とはならない。

 当然、日本政府はかつての徴用工が経験した過酷な強制労働に対する慰謝料名目のカネにしても無償3億ドル・有償2億ドルの中に入っていると証明しないことには解決している・解決していないの平行線をいつまでも辿ることになる。ネットで調べてみると、「慰謝料」とは、「精神的苦痛を慰謝するための損害賠償」のことであり、「補償」とは、「損害賠償のために支払われる金銭のこと。補償金」のことだと出ていて、「被徴用韓国人未収金」にしても、「戦争による被徴用者の被害に対する補償」も後者の部類に入る問題ということになる。

 韓国側は1960年11月10日の第5次韓日会談第1次一般請求権小委員会で「対日請求要綱」8個項目それぞれの金額を提示、徴用工に関わる金額のみを見てみる。

 3.被徴用韓人未収金 約2億4千万円(推算)要求根拠確実(日本側も同調)
 4.戦争に因る人的被害補償 約132億(要再検討)

 韓国側からの「対日請求要綱8項目」を受けて、日本は在韓旧日本財産の請求権を主張、その相殺を狙ったが、韓国側はサンフランシスコ平和条約第2条(a)「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」を楯に在韓旧日本財産の請求権の消滅したこと、日韓併合による長年の日本支配で被った経済的損失と苦痛に対する膨大な補償を請求する予定だったが、在韓旧日本財産の消滅を考慮して「対日請求要綱8項目」に絞ったのであり、この「8項目」は在韓旧日本財産の消滅に何ら影響を受けない正当な請求だと主張、双方が長いこと対立することになる。

 そのような中、1953年10月15日の第3次韓日会談第2次請求権分科委員会で韓国側が「日本の請求権の要求は多分に政治的であり、もし日本がそのような政治的な要求をするのなら、韓国としては韓国併合36年間の賠償を要求する」と発言したのに対して日本側首席代表の外務省参与久保田貫一郎が「すなわち韓国が(韓国併合時の)賠償を要求するなら日本はその間、韓人に与えた恩恵、即ち治山、治水、電気、鉄道、港湾施設に対してまで、その返還を要求する。日本は毎年2千万円以上の補助をした。日本が進出しなかったらロシア、さもなくば中国に占領され現在の北朝鮮のように、もっと悲惨だったろう」(韓国側文書97)と発言、歴史論争に発展して、日韓会談自体が4年半の間、中断することになった。「新規開示文書を参考にした日韓請求権問題の考察」 (李洋秀/2014.1.20補筆)から。 

 日本が「治山、治水、電気、鉄道、港湾施設」等の各種インフラ整備にしても、「毎年2千万円以上の補助をした」としていることについても、名目上は韓国のため、韓国民のためを装ったのだろうが、直接的に韓国や韓国民のためではなく、韓国を日本の支配下に置いた植民地経営を通して韓国から様々な利益を獲得、日本の産業規模の拡大や鉱工業生産の拡大を図り、日本を大国化すること、日本の発展を策すことが直接的な目的だったはずだ。

 しかも久保田が言っている公共事業は何も日本のカネだけで行ったわけではない。1961年3月22日の第5次韓日会談予備会談一般請求権小委員会第7次会議で次のような遣り取りが行われている。「第5次韓・日会談予備会談一般請求権小委員会会議録」 

 韓国側-その当時韓国の郵便超過金を集めて日本大蔵省に集中させた。内容は郵便貯金、郵便換金、為替、逓信関係の税入金、逓信事業の収入金等、収入と支出の差額を超過金として大蔵省に集中させたので、これを請求するのである。

 日本側-当時大蔵省では超過金を貰い受け、これを還元させようと公共事業をした。そしてこのような貯金は総督府の債務ではなく、対個人との問題だと思うが、どう思うか。

 あるいは次のように発言している。

 日本側-大蔵省に預金されれば一般部に預金され、このようなお金は還元投資として公共事業で韓国の各地方に公共事業に投資されたのだが、これに対するものはどう考えるのか。

 韓国内の公共事業費として消費されたのだから、差し引きされてもいいのではないかとの日本側の趣旨だが、日本のカネだけを原資として行った公共事業ではないことが以上の発言に現れている。

 確かに日本は韓国の植民地経営を確かなものにするために優秀な韓国人を各役所や各企業で重要なポストを与えたが、一般的な韓国人に対しては二等国民扱いをし、支配者の立場に置いた日本人の、被支配者と目した韓国人に対する差別は目に余るものがあった。

 だから、韓国人労働者を日本に送り出すために逃げ回る韓国人を追いかけ回して拉致同然に送り出したり、食糧供出の際、相手の貧しさを考えずに殴打等の暴力を用いることができた。朝鮮人固有の姓を廃止して日本式の名前を名乗らせる、皇民化政策の一環としての創氏改名は任意だとしながら、1940年8月までに改名しない者には公的機関不採用、食糧配給対象からの除外の罰則を科してまで、先祖代々の固有の姓を奪うことができた。

 最終的には日本の発展を策すことが目的の韓国に対する各種インフラ整備を「韓人に与えた恩恵」だとする日本側首席代表の外務省参与久保田発言は頭から日韓併合性善説に立っていることになる。だが、この手の日韓併合性善説は安倍晋三以下、多くの保守政治家が抱えている。

 民主党政権時代の首相菅無能が2010年(8月10日)に日韓併合100周年を記念して発表した韓国に詫びる談話は安倍晋三以外の日本国首相経験者から同意を得たと「Wikipedia」が紹介していて、その説の出典となっている「【コラム】「複合骨折」の韓日関係(1)」 (中央日報/2014年08月13日10時22分)記事が、〈2010年8月、外務省副大臣として当時の菅直人首相の韓日併合100周年謝罪談話文作成に関与した日本民主党国会議員は「事前に歴代自民党首相の了解を求めたし、安倍現首相以外は全員同意してくれた」〉との事実を明かしていることが安倍晋三の日韓併合性善説を証明することになる。  

 この日韓併合性善説は歴史認識の連続性の観点からして、日本の戦争が侵略戦争ではなく、自存自衛の戦争であり、アジア解放の戦争だったとする歴史認識(=大東亜戦争性善説)と一体をなしている。そしてこのような歴史認識は日本民族優越意識をバックグランドとしている。安倍晋三にしても然り。

  「戦後70年談話」で安倍晋三は冒頭次のように述べている。

 「終戦70年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第1次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたり得なかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして70年前。日本は、敗戦しました。

 以上の発言には自存自衛の戦争・アジア解放の戦争であるとする大東亜戦争性善説の歴史認識を埋め込んでいる。

 もし日韓併合性悪説に立っていたなら、自存自衛の戦争・アジア解放の戦争とする大東亜戦争性善説は導き出し不可能な歴史認識の非連続性となる。戦前ばかりか、戦後に於いても、日本国民を一等国民とした支配下に韓国民を置いて二等国民扱いし、差別と蔑視の対象とすることができたこと自体、自存自衛の戦争でも、アジア解放の戦争でもないことを証明している。実際に韓国民に対してだけではなく、日本人が同じアジア人種でありながら、他のアジア国家の国民を一段低く見ていた。

 日韓併合性善説と大東亜戦争性善説を歴史認識に於いて連続性を持たせ、一体としている以上、韓国側の「韓国併合36年間の賠償の請求」に対しても、日本の戦争によって被った被害の補償請求に対しても、自ずと拒絶反応を以って対応することになる。

 「韓国併合36年間の賠償の請求」に対する日本側の拒絶反応の代表例が久保田発言に現れているということなのだろう。但し日韓請求権協定協議に於いて議論のもつれから韓国側が「韓国併合36年間の賠償の請求」を持ち出すことはあっても、公式的には在韓旧日本財産の消滅と相殺する形で戦争で受けた補償の請求、「対日請求要綱8項目」のみに絞っていたから、拒絶反応は主として韓国側の日本の戦争によって被った被害の補償請求に対して現れることになる。

 上出「新規開示文書を参考にした日韓請求権問題の考察」が公開された「日本側文書1556」に記されている「在日韓人の処遇問題」に関わる「補償金問題に関する日韓間話合いの経緯(1959年)9月9日伊関、柳私的会談」での伊関局長の私見を取り上げている。

 「日本としては補償金を支払うが如きことはできないが、韓国帰還と直接関連する形ではなく、例えば住宅の建設の如き間接的に帰還者のresettlement(再定住)の援助になる事業に対しては韓、日、米が3分の1ずつ金をcontribute(提供)する。ただし日本は日韓会談がまとまり、国交を正常化してからでないと支払わないからそれまでは米国側で日本の分を立替え支払うという構想」

 この私見は「在日韓人の処遇問題」に関係してのことだが、「日本としては補償金を支払うが如きことはできないが」としている「如きことはできない」なる言葉は「そんなことはできるもんか」との意を含んでいて、補償金の支払い根拠に対する拒絶反応が明らかに強度に現れている。でなければ、普通に「支払うことはできない」の表現で済ますことができたはずだ。

 日韓会談は久保田発言による4年半の中断を含めて、1951年(昭和26年)10月20日から約14年間に亘って交渉が続けられたが、当初は日韓の事務方によって韓国側が少しでも補償金を多く支払わせよう、日本側が少しでも支払いを少なくしようとする駆け引きの中で被害額や被害人数の算定根拠に関して議論を戦わせていたが、次第に韓国側の日本の戦争に関わる被害の補償請求権そのものに対して拒絶反応を徐々に露わにしていく経緯を公開された「日本側文書」と「韓国側文書」をベースとした解説文書、《日韓会談と[請求権問題] 》(日韓会談文書・全面公開を求める会 事務局次長 李洋秀〈イー・ヤンス〉)を適宜引用する形で見てみる。 

 上記1960年11月10日の第5次韓日会談第1次一般請求権小委員会で提示した「対日請求要綱」8個項目のうち、最初の日本政府当局が約5億6千万円の代金を国債等で支払って搬出し韓国の地金・地銀に関しては韓国が前記代金を払い戻して返還受けなければならないとしていることを除いて記してある請求金額を合計すると、305億2千万円となる。

 この金額は交渉の過程で変化することになるが、「韓国側文書786」にある、「朴正煕国家再建御前会議議長日本訪問」の228頁に、「韓国側が請求しているのは賠償的性質のものではなく、充分に法的根拠がある請求権であると説明し、地金銀、郵便貯金、保険金、徴用者に対する未収金、戦死者に対する補償金、年金等、相当な金額の請求権を韓国は持っているのに、日本側は5,000万ドル云々と言うのだから不当だと言ったところ、池田首相は小坂外相がそう言ったようだが、それは自分自身の意図ではないというような趣旨を話した」との記述を紹介している。

 池田勇人と朴正煕との会談は1961年11月12日に行われた。当時の円相場は1ドル360円の固定相場制で、5,000万ドル✕360円=180億円は305億2千万円の提示に対して60%程度を満たすだけとなって、韓国側にとって「不当」な金額ということになる。これも日本側の駆け引きの一つだろうが、朴正煕側が「賠償的性質のものではなく、充分に法的根拠がある請求権である」との表現で、日本の戦争で受けた被害に対して単に賠償を求めているのではなく、被害に関わる補償の請求に向けた正当な権利であるとしている。

 但し補償の支払い請求は日本が起こした戦争被害に対する韓国政府及び韓国民の正当な権利とした場合、自ずと日本の戦争を悪とする答が導き出されることになる。単にこれだけの被害を受けたから、その分の賠償を要求するとされた方が、日本の戦争を悪とする答を見えづらくすることができる。例えば「対日請求要綱8項目」の第5項で徴用工の未払金の請求と同時に戦争による被徴用者の被害に対する補償を請求しているが、未払金が広範囲で発生した状況は民間がしたこととして政府としての罪を免れることができたとしても、後者に関しては日本政府制定の国民徴用令が関わっている上に韓国内の徴用に於いて日本の官憲に命じられた韓国の官憲による暴力的な拉致・誘拐紛いの強制連行で日本に渡ることになった例もあって、そういった例を混じえたそのような結果としての未払い賃金や過酷な長時間労働、満足に与えられなかった食事等々を議論された場合、日本が起こした戦争の悪事が浮き彫りにされることになり、その悪事は大東亜戦争性善説に立つ日本の多くの政治家や役人にとっては不都合な事実となり、是が非でも避けたい議論ということになる。

 「韓国側文書に見る日韓国交正常化交渉第4回(大村収容所、北朝鮮帰還事業、そして個人請求権)」(翻訳・解説/李 洋秀)に徴用工に関して次のような記述が載せられている。  

 「第6次韓日会談請求権委員会会議録」(1961、10、27―1962、3、6)

 韓国側「そしてもう一つ指摘したいのは、日本側は戦時中動員した韓国人労務者を官斡旋、徴用等に区分しているが、官斡旋であれ徴用であれ当時韓国人労務者を日本に連れて行く方法はとても残酷だったということを知ってくれるように願う」

 日本側「行き過ぎた点があったかも知れないが、韓国人労務者だといってその当時特別に差別待遇したとは思わない」

 「行き過ぎた点があったかも知れないが」、日本人労務者とほぼ平等に待遇したと頭では信じている。日本側のこ発言は韓国併合性善説と同時に大東亜戦争性善説をまぶしている。

 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災時にその混乱に乗じて不逞朝鮮人が放火して回っている、井戸に毒を投げ込んでいるといったデマだけで一般民衆の日本人が数千人にのぼる朝鮮人と数百人にも及ぶ中国人を虐殺できたのは差別意識からごくごくつまらない者と過小評価している朝鮮人や中国人の不逞行為が飛んでもない大それた行為と映ったことへの怒りと共に、もしかしたら差別していることに対する復讐の可能性への恐れを不逞行為に見て、その恐れと相まっていたずらに掻き回すことになった虐殺という爆発的なエネルギーの放出だったはずだ。

 そしてこのような過酷な差別意識は、特に朝鮮人に対するそれは戦後も日本社会全般に亘って色濃く息づいていたのだから、韓国併合性善説や大東亜戦争性善説なくして、「韓国人労務者だといってその当時特別に差別待遇したとは思わない」といった朝鮮人差別を抹消する発言は出てこない。

 上記「韓国側文書786」で「韓国側が請求しているのは賠償的性質のものではなく、充分に法的根拠がある請求権である」と主張しているのに対して、この韓国側文書に対応する公開された日本側文書には、〈請求権という言葉がすべて黒塗りされています。〉と翻訳・解説の李洋秀氏は記している。韓国側が正当な権利であるとしている「請求権」という文字を日本側が黒塗りにして隠すこのような拒否反応は日韓間の議論の過程で日本の戦争を悪とされる事実が露出しかねないことに対する警戒感からであろう。

 かくこのように日本側は韓国側が正当な権利としている「請求権」を認めまいとしている姿勢を窺うことができる。この手の姿勢に対する答は韓国併合性善説、あるいは大東亜戦争性善説に立っている以外に答を見つけることはできない。逆に性悪説に立っていたなら、金額の決着は別問題として、韓国側の「請求権」に応える対応を取るはずだし、その言葉を黒塗りにする必要性も生じない。

 「第6次韓日会談第2次政治会談予備折衷本会議第1回会議」(1962年8月21日)に関わる「韓国側文書 736」

 杉道助日本側首席代表「請求権のみを使うのなら外相会談で言ったように7千万ドルになるが、この数字も大蔵省は1千5百万ドルにしかならないというのを、外務省がさまざまな理由をつけそういう数字を出したものだ。(中略)もし請求権と無償供与を同時に使う場合には、請求権には推定数字を入れることができないので、その金額が極めて少なくなるだろうし、3~4千万ドルにしかならないが、これは韓国側としても困難なものだと思う」

 発言者不明「日本側」「請求権で日本側が支払いを認められるのは、戦後の混乱や朝鮮動乱で関係書類を失くした等の事情を考慮して、納得が行く限度内で推定の要素を加味したとしても、やっと数千万ドルにとどまり、韓国側が期待していると伝えられる数億ドルとは、とても遠い距離にあります。(中略)日本側が到逹した結論を一言で言うと、請求権の解決とするとどうしても数千万ドルしか支払いできない。しかし請求権の解決からは離れて、韓国の独立を祝い、韓国においての民生安全と経済発展に寄与するための無償もしくは有償の経済援助という形態ならば、相当な金額を供与することについて、日本国民の納得を得ることができるだろう

 「日本側が到逹した結論を一言で言うと、請求権の解決とするとどうしても数千万ドルしか支払いできない。しかし請求権の解決からは離れて、韓国の独立を祝い、韓国においての民生安全と経済発展に寄与するための無償もしくは有償の経済援助という形態ならば、相当な金額を供与することについて、日本国民の納得を得ることができるだろう」の言葉に日本側の姿勢の全てが現れている。韓国側が正当な権利と主張している戦争補償に対する「請求権」には満足に応えることはできないが、「無償もしくは有償の経済援助」なら、韓国が満足する形で応えることができると、「請求権」への補償支払いから、経済援助の形での支払いへと巧みに誘導している。「ほ、ほ、ほたるこい、こっちのみずはあまいぞ」と呼びかけている。

 日本側はかくまでも「請求権」への補償支払い(戦後補償支払い)に対して拒絶反応を見せている。

 金鍾泌(キム・ジョンピル)韓国中央情報部長が1962年10月20日から22日まで日本を訪問、当時の大平正芳外相や池田首相と会談している。

 「大平・金鍾泌会談記録-1962年秋」(「人文研紀要」第65号抜刷2009年9月10 日発行)

 第1回目の会談は10月20日。

 「大平大臣・金鍾泌部長会談における太平大臣の発言要旨(案)」

1.一般請求権問題解決に関する日本側最終案
(1) 「金額」 無償供与2億5000万ドルとする。

(注)
(Ⅰ)先方が焦付債権4573万ドルの問題にふれてきた場合は,「これは別個の問題であるから,当然支払ってもらうものと考えている」との建前で応答する。
(Ⅱ)先方が「金額」に関連して「方式Jについて質問した場合は,「日韓双方が受諾し得る表現により解決することとし,具体的には今後の予備交渉において決定したい」と応答する。
(2) 支払方法 日本の資本財および役務の供与による。
(3) 支払期限 年2500万ドルずつ10年間均等払いとする。(年2500万ドルは,現在日本が支払っている賠償において年額最高のフィリピンと同額である。)
(注)先方が年額を増やし期間を短くしてほしいと希望した場合は,「無償供与のほか,国交正常化後には当然行なわれると考えられる各種の経済協力とともに,韓国の外貨消化能力をも考慮して検討してもらえば,年2500万ドルは決して少額に過ぎるものではないと思う。日本のみならず欧米諸国よりの援助も考慮に入れるときに特に然りである」と応答する。

 (4) 長期低利の借款(わが方よりは進んでふれざることとし,先方がとりあげた場合にのみ討議する。)

 無償供与の「金額」を大巾に増額することになるので,日本の国内与論をも考慮し,長期低利の借款は請求権問題の解決とは切り離すこととし,この際は論議しないこととしたい。しかしながら,国交正常化実現の暁には当然政府ベースの経済協力が実現するものと考えている。

 また,国交正常化前といえども,コマーシャル・ベースによる具体的事例があれば,延払いその他の面でできるだけ好意的に考慮する用意がある。

(注)先方が是非とも話し合いをしたいと強く主張する場合は, 「請求権の解決とは切り離すという建前をくずさぬ限度においてならば,今後話し合いをすることに異存はない」と応答する。(以下略)

 「一般請求権問題」に関しては「無償供与2億5000万ドル」の中にひとくくりにまとめている。日本側としては「被徴用韓国人未収金」にしても、「戦争による被徴用者の被害に対する補償」も、「無償供与2億5000万ドル」の中にひっくるめてしまおうというのだろう。ひっくるめることによって、韓国人徴用工に対する暴力的な拉致・誘拐紛いの強制連行も、低賃金労働も、過酷な長時間労働も、粗末な食事も、その他日本が戦争によって演じた残虐行為等の数々の悪事を隠すことができる。

 悪事を隠してこそ、日韓併合性善説にしても、大東亜戦争性善説にしても、保護することができる。

 金鍾泌韓国中央情報部長は1962年11月12日に再度来日、大平外相と二度目の会談を行っている。その会談の席で「無償3億ドル,長期低利借款2億ドル,民間信用供与1億ドル以上」のメモ(所謂「大平メモ」)を渡されたと言う。

 但し上記PDF記事の〈外務省アジア局「大平大臣・金鍾泌韓国中央情報部長第2回会談記録」〉には次のような記述がある。

 (2) 金額
(韓国側の提案は,真面白なものであるとは認められたが,本件に関しては未だ彼我の間に相当の懸隔があるので,日韓双方において各々総理および議長の指示を待つこととし,それまでは大臣および金部長問限りの宿題とし,双方の代表にも内容を明かさないことを約束した。)

 要するに「無償3億ドル,長期低利借款2億ドル,民間信用供与1億ドル以上」は隠したということなのだろう。但しこの金額で韓国側は日本側が素通りさせたい「請求権問題」で引き下がったわけではなかった。

 1.請求権問題

(1) 方式
韓国側の案として,「韓日間の請求権問題を解決し,かつ,韓日間の経済協力を増進するため,次の措置をとるものとする。、、、、、、、、、」との提案があり,予備交渉において討議を進めることとなった。

 「会談記録」でありながら、韓国側提案の「次の措置」を、「、、、、、、、、、」で表す辺り、「請求権問題」を如何に誤魔化し、如何に素通りさせたいか、日本側の気持が如実に現れている。

 「日韓請求権協定」が署名されたのも、この協定に関する「韓国との請求権・経済協力協定 第一議定書の実施細目に関する交換公文」が署名された日付も1965年6月22日である。この日を遡る2年5ヶ月前の1962年11月12日の「大平・金第2回会談」で日本側は既に協定の内容を決めていた。

 上記PDF記事の〈外務省アジア局「大平大臣・金鍾泌韓国中央情報部長第2回会談記録」〉の記述。

 〈冒頭,大臣より,予め準備した別添トーキング・ペーパーを提示した後,概要つぎのような討議を行った。

(2) 方式

国交正常化に関する取極等のうちに下記の趣旨の条項をおくことにより解決することを提案する。

第1項日本国は,日韓国交の正常化を祝し,両国間の友好親善を祈念し,韓国における民生安定と経済発展に寄与するため,◯億ドルに等しい円の価値を有する日本人の役務および日本国の資本財を供与することとする。

第2項両締約国は,平和条約第4条に基づく韓国または韓国国民の日本国または日本国民に対するすべての請求権が完全にかつ最終的に解決されたことを確認する。〉

 勿論、「完全にかつ最終的に解決された」とする「韓国または韓国国民の日本国または日本国民に対するすべての請求権」の中に「対日請求要綱8項目」を含む意図を有していたはずだ。1965年6月22日締結の正式の「日韓請求権協定」の正式文書には「1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と触れているのみだが、確認のためか、念押しする意味でか、同日締結の「韓国との請求権・経済協力協定 第一議定書の実施細目に関する交換公文」の中で、「完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、日韓会談において韓国側から提出された『韓国の対日請求要綱』(いわゆる8項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがつて、同対日請求要綱に関しては、いかなる主張もなしえないこととなることが確認された」との一文を入れている。

 しかも「日韓請求権協定」の本文に入れずに、「第一議定書の実施細目に関する交換公文」に「対日請求要綱8項目」の解決を記載する。これも「請求権」の問題を限りなく背景に退かせようとする姿勢の働きがあるはずである。

 いずれにしても、韓国側は日本からの経済協力問題とは別に「請求権」への補償支払いを求める姿勢を維持し、日本側は「請求権」問題を排除し、無償・有償の経済協力を以ってして、「完全かつ最終的に解決された」とする地点に向けて駆け引きすることになった。

 「請求権及び経済協力委員会第6次会議」(1965年5月14日)

 「韓国側文書1468」

日本側西山代表 : 韓国に対するわが側の提供は、あくまでも賠償のように義務的に与えるのではなく、それよりは経済協力という基本的な思考を持っている。
韓国側金代表 : 李・椎名合意事項を見れば、請求権及び経済協力となっていて、経済協力というのもあるが、請求権的な考えが厳然と表現されている。
西山 : われわれは賠償とは違い、経済協力という面が強いという考えだ。
韓国側李圭星首席代表 : われわれも提供が賠償ではなく、特殊なものという考えだが、その表現は請求権及び経済協力という表現にならなければならない。
西山 : 協定案文を作成する時には、二つ皆含まれるようになるが、ここで今しているのは経済協力に関するものだ。
金代表 : 経済協力のみをするというのはおかしい。請求権及び経済協力に関する導入手続きを討議しているのだ.
西山 : 請求権の意味が含まれてはいるが、韓国側では請求権の対価という意向があるようだが、わが側ではそのように考えていないし、したがって基本的な思考の差があるが、これは是正調整されなければならないと思う。日本の一方的な義務に立脚して提供することになったら困る。韓国側でこのお金はわれわれが貰わなければならないものだから、勝手にすると言ったら困難だ。
金代表 : 全然義務がないというのは話にならない。最小限度、請求権解決に経済協力という考えが加味され、結局請求権及び経済協力ということになるのではないか? 国民の感情が請求権を受け入れるという考えで一貫しているので、万一請求権という表現が変わったら、これは重大な問題が起きるだろう。
西山 : それなら韓国に対する提供は、政治的な関係が深い日韓両国間の友好的な関係のための経済協力だと言うのか?
李首席 : 請求権という言葉が入らなければならない。
金代表 : 日本側の考えは理解しにくいが、賠償ではなく、しかし請求権に縁由(由来)するということは認めなければならないのではないか?
日本側柳谷補佐 : 日本側の考えは、あくまで経済協力という考えだ。
韓国側鄭淳根専門委員 : 問題の始祖が請求権から始まったのであって、韓国の事情が苦しくて助けくれということから始まったのではないではないか?
柳谷 : それは知っている。
李首席 : 結局、日本側の立場は、純粋な経済協力というのか?
西山 : そうだ。
韓国側呉在煕専門委員 : そのように言うが、元来経緯を見たら請求権問題を解決するために交渉が始まったし、請求権を解決するにおいて経済協力という言葉が出るようになった。したがって政治的な経済協力として提供するというのはあり得ない。
西山 : この問題はあまり触れないで次に移ることにして、とにかくわれわれとしては早く協定文を作り上げるのが重要ではないか?

 日本側はなおも韓国側が主張する「請求権」を排除すべく、巧みに誘導しょうとしている。

 日本側西山代表が「賠償のように義務的に与えるのではなく」と言い、「日本の一方的な義務に立脚して提供することになったら困る」と言っていることは、「請求権」という形を取った戦争補償への支払い(戦後補償)への拒絶を示しているものであって、「韓国及び韓国民が日本の戦争で受けた被害に対しての補償支払いの義務は我々にはない」と言っているも同然である。そして最後には「この問題はあまり触れないで次に移ることにして、とにかくわれわれとしては早く協定文を作り上げるのが重要ではないか?」と逃げて、時間をかけて、日本の思い通りの形に持っていこうと策している。

 このことの成功が日本の戦争がもたらした数々の悪行を「経済協力」の背後に隠すことができて、日韓併合性善説と大東亜戦争性善説の破綻を防ぐことであろう。

 だが、協定署名まで1ヶ月少し残すだけとなった。勿論、日を切られていたわけではないが、結局は韓国側は押し切られることとなり、(無償3米ドル+有償2米ドル、民間融資3億米ドル)の経済協力支援で決着をつけることとなり、韓国側からしたら、「請求権」の問題はこれらの経済援助の背後に隠されることになった。日本側からしたら、背後に消したといったところなのだろう。日韓併合と大東亜戦争を通じて韓国や韓国民に行った数々の悪行を協定文の行間に隠して、滲み出てくるのを防いだ。「日韓併合性善説」と「大東亜戦争性善説」を無事な状態に置くことができた。

 だが、徴用工大法院判決は、「まず、本件で問題となる原告らの損害賠償請求権は日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権(以下「強制動員慰謝料請求権」 という)であるという点を明確にしておかなければならない。原告らは被告に対して未払賃金や補償金を請求しているのではなく、上記のような慰謝料を請求しているのである」、「旧日本製鉄の原告らに対する行為は、当時の日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した反人道的な不法行為に該当し、かかる不法行為によって原告らが精神的苦痛を受けたことは経験則上明白である」等々の日本の戦争の悪行を記録し、後世に残すことになった。

 安倍晋三を筆頭に安倍政権の面々は「大法院判決は韓国側によってつくり出された国際法違反」だと非難、徴用工等の「個人請求権」にしても、「日韓請求権協定」で「完全にかつ最終的に解決された」としている条文どおりに戻すことを狙って、韓国政府に問題解決を求めたが、韓国政府は三権分立を楯に無視している。

 安倍晋三としては日本が対韓協定交渉で折角守り通した「日韓併合性善説」と「大東亜戦争性善説」を壊す大法院判決は安倍晋三の歴史認識を逆撫でする悪夢として決して受け入れることができないだろうから、韓国に対する輸出管理強化と韓国の「ホワイト国」からの除外の報復に出た。

 徴用工大法院判決は安倍晋三たちの「日韓併合性善説」と「大東亜戦争性善説」に対する見事なしっぺ返しである。

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台風15号大規模停電:安倍政権の真の意味で「国民の命と生活を守る」とは言えない自衛隊を停電復旧に活用しない危機管理

2019-09-16 11:51:07 | 政治

 台風15号が2019年9月9日午前5時前に風速25メートル以上の強風を伴って千葉市付近に上陸し、関東を北上、千葉県を中心に広い範囲で停電を引き起こした。
千葉市では最大瞬間風速が57.5メートルにも達したという。

 この地域を電力供給エリアとしている東京電力の情報として「NHK NEWS WEB」が2019年9月9日午後3時現在の停電戸数を千葉県で約61万3300戸、神奈川県で約7万7900戸、茨城県で約7万2400戸、静岡県で約2万7700戸、東京都で約2000戸、合計、79万戸余りだと伝えていた。

 「経産相世耕弘成記者会見」(経産省記者会見室/2019年9月10日午前10時41分~)

記者「台風15号の影響について伺います。現時点でも62万戸余りの停電が続いていると言われています。また、今日も猛暑で熱中症の懸念も指摘されております。大臣の現状の認識と経産省としての対応をお聞かせください」

世耕弘成 「まず、台風15号で被害に遭われた皆さんに、心からお見舞いを申し上げたいと思います。

東京電力は、今、昼夜を徹して復旧に向けた作業を行っています。ただ、これは一つ一つ、電柱を建て直し、電線を確認し、安全を確認して通電をするという手作業的なことになりますので、残念ながら今朝9時の時点でも、いまだに62万件の停電が残っています。そのうち千葉県が57万件ということになっています。

東京電力には、これは私も指示をいたしまして、小まめに復旧計画をしっかり出すようにと、今、市町村単位で今日復旧するのか、明日なのかというようなことは、今ある程度わかるようにホームページ、ツイッターなどでしてもらっていますけれども、今日中に配電設備の修復を進めることで、少なくとも33万件の停電が解消される見込みであります。

残り27万件分は、複数の電柱の倒壊や倒木による電線の切断といったことによりまして、復旧に少し時間が掛かるものと見られますけれども、東京電力は早期復旧に向けて、他の電力会社の協力を得ながら最大限の取組を進めていただきたいというふうに思います。

これは私も関西、地元和歌山で去年の台風で停電が長期化した経験がありますが、例えば倒木の処置とか、そういったことに関しては、例えば電力事業者の手に余ることがあれば、これは関係機関、自治体ともしっかり連携をしたいというふうに思いますし、経産省としても、その間を取り持って、ともかく早く回復できるように頑張っていきたいと思います。

 「NHK NEWS WEB」は9月9日午後3時現在で約79万戸の停電、世耕弘成は東京電力の情報として9月10日午前9時時点で62万件の停電と伝えているから、差引き17万戸の停電は解消したと見ることができる。復旧率は約22%。

但しその62万件のうち千葉県が57万件ということだから、「NHK NEWS WEB」が伝えていた9月9日午後3時時点での千葉県で約61万3300戸の停電数から57万件を差し引くと、約4万件の復旧ということになり、復旧率は約6.5%のみとなる。

全体の復旧率が約22%であることに対して千葉県に限ると、約6.5%のみの復旧率。この復旧の遅さの原因を世耕弘成は「電柱を建て直し、電線を確認し、安全を確認して通電をするという手作業的な」復旧工事になっているからだとしている。それだけ電柱や架線を巻き込んだ強風による倒木が多かったということなのだろう。大木の種類に入る背の高い樹木が山際の道路上に散乱しているだけではなく、倒木の直撃を受けた形で電柱が根本から折れて、道路上に横たわっていたり、架線で持ちこたえて、倒れずに済み、斜めの状態になった電柱、あるいは倒木が架線にもたれかかった状態で、架線自体を地面に近い高さに押し下げている場所、倒木に関係なしに単独で根元近くから折れている電柱、真ん中よりも高い場所で折れている電柱などをニュースなどで見かけた。

つまり停電復旧には倒木関連の不通箇所は倒木の撤去から初めて、電柱を建て直しし、倒木に関係しない単独で電柱が倒れた不通箇所は電柱の交換から、架線が切れた不通箇所は架線の交換から始めなければならないから、その数が多くて、早急には復旧はできないということなのだろうが、いずれにしても、9月10日中には「33万件の停電が解消される見込み」であり、残り27万件は「復旧に少し時間が掛かる」と東電は見ていた。「少し」という時間は電気なしの不便な生活を強いられる生活者の感覚からしたら、二、三日ということであるはずだ。二、三日が伸びたとしても、四、五日でなければならない。

「復旧に少し時間が掛かる」残り27万件は全体の復旧率約22%と比較して復旧率が約6.5%と低い千葉県が中心ということになるが、その復旧率の低さからみても、時間の「少し」が二、三日ではなく四、五日の日数と「手作業的な」復旧工事を頭に置いていたとしても、残り27万件の停電を解消できると計算していたことになる。

ところが、2019年9月11日付「NHK NEWS WEB」記事によると、東電は9月11日夜の記者会見で、9月11日午後11時現在の停電戸数は千葉県の約38万100戸で、千葉市を含むエリアは12日中、成田市と木更津市を含む残りのエリアは13日以降になるという見通しを発表したと伝えている。

 世耕弘成は9月10日午前10時の記者会見で、9月10日中には「33万件の停電が解消される見込み」であり、残り27万件は「復旧に少し時間が掛かる」と東電の情報を伝えていた。9月10日時点で33万件の停電解消・残り27万件の予定が9月10日と9月11日の2日をかけて千葉県では依然として停電戸数が約38万100戸も残っていて、9月10日時点の残り予定戸数27万件よりも約11万件も多い停電戸数となっている。

これは停電解消が早く片付くことを印象づけるために解消戸数を多めに言ったものの、現実はそんなに甘くなかったということなのか、単純にそんなに日数はかからないだろうと軽く見た見通しの悪さからの計算違いなのか、どちらとも取ることができる。

 いずれにしても「復旧に少し時間が掛かる」日数は四、五日以上ということになる。

記事は〈東京電力は当初、11日中の全面復旧を目指していた〉と解説しているが、この予定が世耕弘成の9月10日午前10時41分からの記者会見発言「今日中に少なくとも33万件の停電の解消、残り27万件分は復旧に少し時間が掛かる」に反映されていない食い違いに説明をつけるとしたら、台風上陸・大規模停電発生の9月9日の1日を経過させただけで、全面復旧の予定日を投げ出してしまったと見るほかない。投げ出した結果が、世耕弘成の9月10日午前10時41分からの記者会見での東電情報となって現れ、さらにその東電情報が修正されて、2019年9月11日付「NHK NEWS WEB」記事での東電情報となって現れた。
 
つまり東電は日を追うごとに自らの停電解消情報を訂正していった。勿論、いたずらに情報を訂正したわけではない。電気不通箇所の復旧工事にかかるたびに復旧の困難さに直面して、復旧の停滞を余儀なくされ、情報を訂正せざるを得なかったのだろう。

 と言うことは、最初に採用した復旧の工事方法を何らかの手を打たずにそのまま採用し続けたことになる。NHKテレビが架線に引っかかって、それを大きく垂れさせている倒木や抱き重なる形で電柱と共に傾いている倒木を高所作業車のバスケットに乗った電気工事業者が二人か三人がかりしてチェンソーを使って、レッカーのワイヤーで吊り支えた樹木を邪魔になる枝を伐り払い、頭方向から幹を順次短くしていく伐採作業の映像を流していたが、伐採班はそういった場所を一箇所終えては次の場所に移って、同じ手順で伐採を行い、伐採を終えた場所は別の班が損壊した電柱の撤去と新しい電柱の取り付けを行い、二箇所終えたところで、その間の破損した架線の撤去・取替を行って、そのような繰返しで前に進んでいく方法を採り、この方法が予想外に時間がかかったために復旧の遅れを生じさせたということなのだろう。

官房長官の菅義偉が9月12日午後の記者会見で今後の復旧の見込みと自衛隊の追加派遣、復旧の遅れに対する検証の実施を発言したと、2019年9月12日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

菅義偉「千葉市、八千代市、四街道市、印西市、市原市の一部などはきょう中の復旧を見込んでいる。他方、千葉東部の成田市周辺や木更津、南房総などの電線の損傷が激しい地域は、さらに時間を要する。

 きょう中に可能なかぎりの復旧を進めるべく、成田市、木更津市など復旧作業が難航する地域には、自衛隊を追加で派遣する。また、千葉県庁や県内22の市や町に経済産業省の職員を常駐させ、自治体との連携を強化している。今後も、東京電力とともに一刻も早い復旧に全力を挙げていきたい。

今は何よりも、一刻も早い停電の復旧が重要で、今回の停電や復旧プロセスについては厳格に検証を行ったうえで、正すところは正していく必要がある。初動対応も含め復旧プロセスはしっかり検証すべきだ」

 確かに初動対応を含めた復旧プロセスの検証は必要だろう。だが、「今は何よりも、一刻も早い停電の復旧が重要」と言っているとおりに基本は停電の一日も早い復旧なのだから、復旧を現在以上に加速させる自衛隊の追加派遣でなければならない。当然、そのことを念頭に置いた9月12日午後の記者会見発言なのだろうが、基本を停電の一日も早い復旧に置いている以上、停電発生当初の9月9日から復旧の遅れが生じているのに対して9月9日から4日後の復旧の遅れに対する自衛隊の追加派遣云々は後手の対応に見えてくる。

もしこの間、追加派遣を何度か行っていて、さらに追加派遣の必要性が生じたと言うなら、同じ手順の復旧工事を繰返した結果、復旧の進捗度が見えてきて、初めて復旧の見通しが立つようになった東電とさして変わらない、追加派遣の結果を見て、新たな追加派遣の見通しを立てることになる、その場を見て分かる政府の判断ということになる。

但し停電復旧加速化のために自衛隊の追加派遣を何度か行っていたとすると、迷彩服の自衛隊員と薄いブルーの作業服を身に着けた電気工事業者が混じって倒木の伐採撤去や電柱の建て替え工事をしているニュース映像やニュース記事を目にしてもいいはずだが、一度も目にしていない。自衛隊が単独で道路を塞いでいる倒木を撤去している記事とニュースはお目にかかっている。

果たして停電の一日も早い復旧に資する自衛隊の派遣、さらに追加派遣となっていたのだろうか。既に触れたように基本はあくまでも停電の一日も早い復旧なのだから、検証を云々する前に一日も早い復旧に資する方策を見い出すことを優先させなければならないはずだが、そのような方策に則った自衛隊の追加派遣ということなのだろうか。

 このことを検証できる2019年9月14日付の「NHK NEWS WEB」記事がある。
  
 国交相の赤羽一嘉が台風15号の影響で停電が続く千葉県南部の地域を視察し、館山市では金丸市長から台風による倒木が復旧作業の妨げになっていることや電柱や電線が壊れる被害が相次ぎ、停電が復旧するには約2週間かかるという説明を受けてからの視察後の記者会見での発言。

赤羽一嘉「倒木を撤去する建設業者が不足していて復旧作業ができないケースが起きている。経済産業省とも連携して電力事業者に建設業者を紹介するなど、スピード感をもって復旧を進めたい」

 同じ内容を扱った「asahi.com」記事には、〈復旧現場では倒木が電線に絡まっている場所が多くあ〉り、〈東電だけでは倒木を撤去できる装備がなかったり、逆に建設業者だけでは電線に触れることができず、片付けが難しかったりするケースが相次いでいて、国交省と経産省は東電と建設業者がそれぞれどこの現場で連携し合う必要があるか情報を集約し、連携を強める。赤羽氏は「東電と建設業者のマッチングを進め、倒木の処理を加速化できるように取り組む」と話した。〉と伝えている。

但し赤羽一嘉のこの発言には電気工事業者と共同して復旧工事に携わっている自衛隊員の姿は見えてこない。菅義偉が9月12日午後の記者会見で、「きょう中に可能なかぎりの復旧を進めるべく、成田市、木更津市など復旧作業が難航する地域には、自衛隊を追加で派遣する」とした発言は停電復旧工事の電気工事業者と連携させる意味での自衛隊追加派遣ではなく、自衛隊が単独で倒木や土砂撤去・処理を行う目的の、停電復旧とは関係しない「復旧作業が難航する地域」への追加派遣ということになる。

勿論、自衛隊でなくても、建設業者の派遣であっても構わないが、東電と建設業者の連携は9月15日以降ということになる。東電は全面復旧の見通しを9月27日に置いているそうだから、9月15日以降でも遅いとは必ずしも言えないが、もっと早くになぜ気がつかなかったのだろうか。気づいていたなら、全面復旧の見通しを9月27日よりも前倒しができる。

とは言っても、「倒木を撤去する建設業者が不足していて復旧作業ができないケースが起きている」状況からすると、停電復旧工事向けに建設業関係からの人手をたいして手当できないことになる。十分に手当できるなら、建設業者が不足していることと矛盾することになる。

電気工事業者と連携させる形で自衛隊員を派遣することをなぜしなかったのだろう。上記「asahi.com」記事は、〈東電だけでは倒木を撤去できる装備がなかったり、逆に建設業者だけでは電線に触れることができず、片付けが難しかったりするケースが相次いでいる〉と伝えているが、自衛隊はこれまでの災害派遣で重機を扱うことは勿論、チェンソーを扱った倒木伐採に従事していて、電気工事業者よりも倒木の扱いと伐採処理に手慣れているはずで、その技術力は自衛隊員の方が上であるはずで、建設業者の不足を云々せずに十分に人手を手当できるはずである。

 総務省消防庁発表の2012年12月から2013年3月4日午前7時までの雪の被害で死亡が89人、内69人が雪降ろし中の屋根からの転落、あるいは除雪作業中の転倒のケースで、全体の6割に当たる53人が65歳以上の高齢者という記事を見て、2013年3月6日の当ブログ、「ブログ」に豪雪時の東北・北海道の屋根の雪降ろしになぜ自衛隊を派遣しないのだろうかと書いたが、それ以降もその目的に自衛隊を派遣したという記事を目にしていないから、公共施設以外の住宅などの個人の施設には自衛隊の派遣は禁止しているのかと思っていたが、2019年9月15日付「NHK NEWS WEB」記事が9月15日夜から16日明日朝にかけて大雨が恐れがあるということで15日午前9時頃から自衛隊員と屋根修理の専門業者と合わせて30人程が連携して、台風で損壊した屋根にブルーシートを固定するための土嚢を運んだり、ブルーシートで屋根を覆ってロープで固定する作業に従事したと伝えているから、住宅などの個人の施設であっても自衛隊を派遣する発想があるなら、より公共的な意味を持つ停電復旧工事に電気工事業者と連携させる形で自衛隊を派遣する発想があってもいいはずである。

 もし最初から自衛隊を派遣して電気工事業者と連携させて停電復旧工事に当たっていたなら、このようにも復旧の遅れが生じただろうか。遅れが生じたなら、その場その場の臨機応変の対応で復旧を加速することも自然災害に関わる危機管理に入る。こういった危機管理は停電や復旧プロセスに関わる検証よりも優先させなければならない。

 いくら正確な検証ができたとしても、役に立つのは次の同様の、あるいはそれ以上の自然災害が発生してからで、現在の被災者の生活の不自由を少しでも和らげる足しには何もならないからである。

 安倍晋三は9月13日の閣僚懇談会で停電の全面復旧に全力を挙げるよう関係閣僚に指示したというが、その場その場に応じた臨機応変の対応で復旧を加速化させる発想を発揮できなければ、真の意味で、「国民の命と生活を守る」危機管理とは言えない。

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安倍晋三の戦争を美化する特攻隊論:戦前の愛国心は天皇の名によって洗脳された精神的産物

2019-09-09 11:31:51 | 政治
 米国のタブロイド紙ニューヨーク・ポストが伝えたトランプ自身が紹介した安倍晋三との遣り取り。トランプが2019年8月9日にニューヨーク郊外で行った選挙資金集会で安倍晋三の訛りのある英語をからかいながら話したのだという。

 トランプ「(安倍晋三の父、安倍晋太郎が神風特別攻撃隊のパイロットだったことに)魅了された。神風特別攻撃隊のパイロットは酒に酔っていたのか、薬物を使用していたのか?」

 安倍晋三「違う、彼らはただ自分たちの国を愛していたのだ」

 トランプはここで選挙資金集会の聴衆に信じられないこととして語りかける。

 トランプ「想像してみてほしい、彼らがただ国を愛するがゆえに、タンク半分しかないガソリンで飛行機に乗り込み、軍艦に飛び込むということを!」

 特攻隊員たちが「ただ国を愛するがゆえに、タンク半分しかないガソリンで飛行機に乗り込み、軍艦に飛び込む」云々の知識はトランプが安倍晋三によって吹き込まれてモノにした感動的な歴史認識と言うことになる。つまり愛国心を唯一の精神安定剤として冷静沈着に軍艦に体当りしていき、愛国心と引き換えに自らの命を桜の花びらのように潔く散らしていくことを特攻隊の使命としていたという安倍晋三自身の歴史認識をトランプも共通項とすることになった。

 単細胞なトランプでさえ感動したのだから、単細胞であることから免れている人間にしても、安倍晋三から受け継いでいた場合の感動的な歴史認識を披露する際、涙を流しさえしたかもしれない。安倍晋三にしても、この感動的な歴史認識を同じ日本人にではなく、外国人に、しかもアメリカの大統領に刷り込んで、その単細胞の頭に国を愛するがゆえに自らの命を犠牲にすることによって輝きを放つ特攻隊という存在を共通項とさせることに成功したのだから、外国に於ける日本の戦前の戦争の悪評判を拭い去って、見直させる機会になった外交上の相当に高度な情報伝達になったと誇らしい気持になったに違いない。

 安倍晋三とトランプの以上の感動的なエピソードは《「酒もドラッグもなしに特攻するなんて!?」トランプ大統領が安倍総理の英語をネタに神風特攻隊を揶揄!旧日本軍が人間を兵器にするためシャブ漬けにした史実を安倍総理は「愛国」とすり換え!》(Independent Web Journal/2019.8.16)の記事から得た。

 記事題名は「トランプ大統領が安倍総理の英語をネタに神風特攻隊を揶揄!」となっているが、それが「揶揄」なら、安倍晋三自身が美しい歴史認識としている特攻隊論はガセネタだと、つまり安倍晋三はウソをついたと聴衆に披露したことになる。あくまでも安倍晋三に吹き込まれて、トランプは特攻隊に関わる歴史認識を同じくしたと見なければならない。

 ガセネタなのは安倍晋三が愛国心だけを頼りに特攻隊員たちが死地に赴いたとする特攻隊に関わる歴史認識、特攻隊論である。「旧日本軍が人間を兵器にするためシャブ漬けにした史実を安倍総理は『愛国』とすり換え!」と記事題名にあり、記事の中でも、〈人間を単なる兵器として扱う「特攻」という、無謀で非人道的で馬鹿げた作戦を遂行するためだけでなく、旧日本軍は兵士や軍関係の工場労働者を覚醒剤漬けにしていたのである。安倍総理は大日本帝國を賛美するために「違う、彼らはただ自分たちの国を愛していたのだ」と、トランプ大統領相手に虚構を語り、大統領自身はそれを虚構だと、実のところ見抜いていた、と考えるのが妥当ではないだろうか。〉と書いているが、特攻隊員たちが体当たりの任務を与えられた際、ヒロポンなる覚醒剤を前以って与えれて、恐怖心を麻痺させていた情報はネット上にいくらでも転がっている。

 だが、安倍晋三はガセネタであるという思いはこれポッチもなく、特攻隊員たちは愛国心のみを精神の糧として恐怖に打ち克ち、天皇陛下のため、お国のために自らの命を引き換えに軍艦に体当りしていったとする特攻隊論を信じて疑わない自らの神聖にして真正な歴史認識としている。

 記事は「wikipedia」の項目「特別攻撃隊」からの引用として戦後の参議院の予算委員会で特攻隊員だけではなく、軍の工場の工員も使っていたとする答弁が行われたことを紹介しているが、脚注からその質疑に行きつくことが出来たから、安倍晋三の特攻隊論、感動的な歴史認識がガセネタであることの証明としてここに書き出してみる。

 第6回国会 参議院予算委員会(1949年(昭和24年)11月30日)

 井上なつゑ「ちよっと厚生省の薬務局長さんに伺いたいのですが、実はこの頃浮浪者の少年の中で問題に可なりなっておりましたヒロポンでございますが、これは厚生省と大蔵省に伺わなくちやならんかと思うのでございますが、伺いますところによりますと、ヒロポンは製造上大変抑圧しておるように伺いますが、戰争中にヒロポンが可なり多く用いられて、それが貯蔵されておったというような話を聞いたのでございますが、これは厚生省としてどういうように譲り受けになりましたか。

 又それは大蔵省の国有財産の一部として拂出し(払い出し)になったのでございますか。その点明らかにして頂きたいと思います。実は製造を禁止いたしましても、この頃子供一人を掴まえると、40本、50本打っておるので、何処からか流れ出しておるのではないかという懸念がございますので、このことにつきまして厚生省並びに大蔵省から承りたいと思います」

 説明員慶松一郎「只今お話になりました覚醒剤でございますが、これは大体戦争中に陸軍、海軍で使つておりましたのは、すべて錠剤でございまして、飛行機乗りとか、或いは軍需工場、軍の工廠等におきまして工員に飲ましておりましたもの、或いは兵隊に飲ましておりましたのはすべて錠剤でございまして、今日問題になつておりますような注射薬は殆んど当時なかったと私は記憶いたしております。

 そうしてその終戦当時ございましたそれらの薬は、外の医薬品、或いは衛生材料と同様に、占領軍当局、進駐軍当局から厚生省に渡されまして、そうして外の薬と同じような方法によりまして各都道府県に配給いたしたと存じております。併し私、当時から全体の薬の配給等に関係いたしておりましたが、当時におきましては余りそのことが問題になっておりませんでしたので、果してどういうふうに配給されたか、ちよっと今分らないと思います。しかしいずれにいたしましても、今日問題になっておりました製薬は当時殆んどなかったということが言えると思います」

 ヒロポンの効能は眠気を去り、疲労感をなくし、気分を高揚させて多弁になり、行動的となることができるということだから、出撃前の特攻隊員に飲ませた場合、不安や恐怖を押し殺すことができて、「天皇陛下のために、お国のために」と愛国心一色で意気揚々と特攻機に乗り込むことができ、意気揚々と飛び立ち、全てを捧げる気持で敵艦に体当たりすることができたのだろう。
覚醒剤――ヒロポンは禁止薬物外として戦前は錠剤の形で軍兵士だけではなく、軍需工場などに勤労動員された大学生やその他の若年男女が過酷な長時間労働の疲労や眠気を取り去ってくれる有り難い薬として上層部から与えられ、利用されことはヒロポンの別名が「突撃錠」であり、「猫目錠」となっていることに名は体を表す言葉さながらに十二分過ぎる程に現れている。

 特攻隊員にとってはまさに「突撃錠」という名前にあやかったはずであり、一般兵士が夜襲に出かけた際に暗闇の中で敵兵を探すのに「猫目錠」の役目を果たしてくれたはずだし、勤労動員に駆り出された者にとっても、「猫目錠」は名前どおりの効き目を与えてくれたはずだ。

 ヒロポンは戦後は注射液に姿を替えて、広く利用され、幻覚症状や妄想を伴うヒロポン中毒患者を広く見受けるようになり、ときにはヒロポンを買うカネ欲しさから、あるいは禁断症状から突発的に犯罪を犯す者が現れ、反社会勢力の資金源にもなっていて、ヒロポンが製造禁止の他、売買禁止の薬物指定を受けることになったのは、〈覚醒剤製造業者がその業務の目的のために製造する場合及び覚醒剤研究者が厚生労働大臣の許可を受けて研究のために製造する場合の外は、何人も、覚醒剤を製造してはならない。〉とする覚醒剤取締法が1951年(昭和26年)6月30日に公布されてからだった。

 だが、法律で禁止されて、それで幕を引くということにはならない。現在の脱法ドラッグのように密造品が広まり、1945年(昭和20)から覚せい剤取締法公布4年後の1955年(昭和30年)を期間とした第1次覚醒剤乱用期には患者が最高5万5千人を記録したとされている。第2次覚醒剤乱用期、第3次覚醒剤乱用期と迎えることになるのだが、戦争中は軍に所属して服用していたことが戦中だけではなく、戦後の使用に対する抵抗感を希薄にさせ、戦後、軍がヒロポンを横流ししたことが簡単に手に入る要因にもなっていたというから、安倍晋三の特攻隊員を簡単に感動話に仕立てる歴史認識はまさに狂っているとしか言いようがない。

 大体が戦前の「愛国心」なる心情は天皇の名によって洗脳された精神的産物に過ぎない。このことは1937(昭和12)年3月刊行の「国体の本義」を見れば、簡単に理解できる。

 「国体の本義」は先ず西洋の個人本位の思想を排斥する。天皇全体主義を善とするためにである。そして次の一節が戦前の「愛国心」の性格をよりよく表していて、「愛国心」なるものが天皇への忠節=奉仕であることを説いている。

 〈敬神崇祖(神を敬い先祖を崇める)と忠の道との完全な一致は、又それらのものと愛国とが一となる所以である。抑々(そもそも)我が国は皇室を宗家とし奉り、天皇を古今に亙る中心と仰ぐ君民一体の一大家族国家である。故に国家の繁栄に尽くすことは、即ち天皇の御栄えに奉仕することであり、天皇に忠を尽くし奉ることは、即ち国を愛し国の隆昌を図ることに外ならぬ。忠君なくして愛国はなく、愛国なくして忠君はない。あらゆる愛国は、常に忠君の至情によつて貫かれ、すべての忠君は常に愛国の熱誠を件つてゐる(件のとおりに示している?)。固より外国に於ても愛国の精神は存する、然るにこの愛国は、我が国の如き忠君と根柢より一となり、又敬神崇祖と完全に一致するが如きものではない。〉

 天皇は日本国家の中心であり、中心の天皇と国民が一体となった一大家族国家を構成していて、国民が先祖を敬うように一大家族国家の中心である天皇を敬い、忠誠を尽くして天皇の繁栄のために奉仕する精神こそが「愛国心」であるとしている。

 つまり天皇の名のもとに国家によって洗脳された愛国心となっている。その結果の「天皇陛下バンザイ、日本バンザイ」であって、自らの自律的な判断に基づいた愛国心とは縁がない。

 「国体の本義」の〈「教育ニ関スル勅語」に「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼(助け守ること)スヘシ」と仰せられてあるが、これは臣民各々が、皇祖皇宗の御遺訓を紹述し給ふ天皇に奉仕し、大和心を奉戴(ほうたい―恭しく戴く)し、よくその道を行ずるところに実現せられる。これによつて君民体を一にして無窮に生成発展し、皇位は弥々栄え給ふのである。まことに天壌無窮の宝祚 (ほうそ―天子の位)は我が国体の根本であつて、これを肇国の初に当つて永久に確定し給うたのが天壌無窮の神勅である。〉云々と、天皇の位は国体の根本であるからとの理由付けで天皇への奉仕と天皇と国民との一体を求めている下りも、天皇への奉仕を通じた天皇と国民の一体が皇室繁栄の礎であることの説諭となっていて、「教育ニ関スル勅語」の本質がここに示されている。

 安倍晋三や稲田朋美が「教育ニ関スル勅語」に描かれている優れた道徳観は現代の道徳教育にも利用できると発言しているが、天皇への奉仕を目的とした道徳観であることは上記一節で明らかとなる。

 かくこのように安倍晋三が感動的な歴史認識としている特攻隊員が体していたとする「愛国心」一筋の敵艦体当たりなるものは天皇と国家から洗脳された精神的産物に過ぎない愛国心に塗りつぶされた行動であって、例えヒロポンの錠剤を飲まないままに特攻出撃に向かったとしても、洗脳された愛国心を頼みにしていたとなると、物悲しさだけを催すことになる。

 ましてや覚醒剤のヒロポンに頼った愛国心の発露となると、桜が散るように命の散り際が潔いとされている特攻隊員像はたちまち虚像化する。

 このような特攻隊員の愛国心の本質とその行動を可能にし、拠り所としていた糧が何であるかに気づかず、特攻隊員の行動を「愛国心」の発露とのみ決めつけることができる感動的な歴史認識は戦争の美化そのものと歴史の改ざんに当たり、恐ろしいばかりで、ガセネタのみとして排斥することはできない。

 安倍晋三が戦前の戦争を侵略戦争と認めず、国家存亡を賭けた自衛の戦争としている歴史の美化に繋がる一端が以上の特攻隊論からも見えてくる。

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鹿児島出水市4歳女児虐待死:安倍政権の虐待防止対策不徹底と野田市10歳女児虐待死から何も学ばなかった市と児相と警察

2019-09-02 11:56:41 | 政治
 【追記】(2019年9月3日 8:20)

 このブログ記事で親の虐待を受けて幼い子が死亡する事件について新聞で大きく扱われた範囲内でのことだが、今回の2019年8月31日の鹿児島県出水市での4歳の女児の虐待死が2018年3月2日の東京都目黒区で5歳女児が両親から虐待を受けて死亡した事件と2019年1月24日に千葉県野田市の小4の10歳女児の虐待死に続いての事件のように扱ったが、昨日9月1日夜のNHKニュースで、最近の虐待死事件として目黒区の事件と野田市の事件に続いて、2019年6月の札幌市での虐待死事件について伝えていた。

 札幌市の虐待死についてはすっかり頭から抜け落ちていた。そんな事件があったっけかという思いでPCに保存してある新聞記事を探してみると、この事件を取り扱った記事が確かに残っていたが、それでも思い出すことができなかった。21歳の母親の交際相手の24歳の男が母親の2歳の長女に日常的に暴行や食事を与えないなどの虐待を繰り返して衰弱させ、死なせてしまい、2019年6月5日に逮捕されている。

 当方の記憶から抜け落ちていたとしても、児童相談所や警察の虐待事案取扱部署の生活安全課は過去の虐待事案の全てを学習して、新たな虐待事案の参考資料としなければならない。札幌市の逮捕された24歳の男が21歳の母親の交際相手であったこと、死なせた2歳の長女と血が繋がっていなかったことは今回の鹿児島県出水市の逮捕された21歳の男が20代の母親の交際相手であり、死なせた4歳の女児とは血が繋がっていなかったことと両関係性は似ている。

 血が繋がっていない子供に対して父親の立場にある男、あるいは母親の立場にある女が全て虐待を働くわけではないが、そういった関係性で虐待を疑わせる事案が持ち上がった場合は、よくある例として特に気をつけて対応しなければならないはずだが、出水市の虐待事例では市や児童相談所、警察の動きからはマスコミ報道を見る限り、そういった注意深い対応を見て取ることができない。少なくとも虐待事案が持ち上がった際、実の父親なのか、母親なのか、特に注意して確認しなければならない。

 札幌市の事案では虐待通告受理から原則48時間以内に安全確認をする「48時間ルール」は守られていなかったし、虐待の緊急性を評価する「リスクアセスメントシート」も作成していなかった。児童相談所は北海道警が母子と面会した際、同行要請を断ってもいる。こういったことだけではなく、他の虐待事案での対応不足をも含めて、子どもの命というものを考えた場合、決して二度と繰り返してはならない反省材料としなければならないはずだが、今回の出水市の事案では過去と同様の対応不足が多々見受けることになる。

 マスコミが報道する虐待死事件を見る限り、市も児童相談所も警察も、一通りの仕事をこなすのみで、それ以上の、過去の虐待事案を参考にした臨機応変な対応への心がけは持ち合わせていないように見える。このことを裏返すと、一通りの仕事をこなすだけの市や児童相談所や警察では、虐待を把握しても、その虐待が度を越していた場合、虐待死にまで進んでしまうのを止めることができないように思える。

 親の虐待を受けて児童が死亡する事件が再び起きた。虐待死が起きるたびに政府は対策強化を叫ぶ。虐待の有無や程度の緊急点検を行う。政府の虐待防止対策が手ぬるいのか、対策は立派だが、虐待関係機関が立派な虐待対策どおりに十分な機動性(状況に応じて素早く活動できる能力。「コトバンク」)を発揮し得ないのか、政府が自らの虐待防止対策通りに関係機関を動かすだけの権威を欠いているのか、いずれなのだろうか。

 東京都目黒区で5歳女児が両親から虐待を受けて死亡した2018年3月2日から約3ヶ月半後の2018年6月15日、政府は「児童虐待防止対策の強化に向けた緊急総合対策」を題目に「児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議」を首相官邸4階大会議室で開いている。

 但し「時事ドットコム 首相動静」で見ると、午前7時56分から同8時7分までのたった11分間に過ぎない。

 安倍晋三「僅か5歳の結愛(ゆあ)ちゃんが死の間際どんな思いでノートにあの言葉をつづったのか。虐待を受けながらも両親の思いに応えようとする幼い心の中を思うとき、私は本当に胸が潰れる思いであります。

 虐待によって多くの幼い命が奪われています。こんな痛ましい出来事をもう繰り返してはならない。子供の命を守るのは私たち大人の役割であります。政治の責任にお
いて、抜本的な対策を講じます。子供たちの命を守ることを何よりも第一に据え、全ての行政機関があらゆる手段を尽くすよう、加藤大臣を始め、関係大臣は緊急に対策を講じてください」

 「こんな痛ましい出来事をもう繰り返してはならない」。当然、「もう繰り返してはならない」対策を講じる責任を政府は負う。

 なぜ「繰り返してはならない」かと言うと、上記2018年6月15日の「児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議」に引き続いて2018年7月20日に開催した「児童虐待防止対策に関する係閣僚会議」「児童虐待防止対策に関する係閣僚会議」の議事録には、〈児童相談所への児童虐待相談対応件数は2016年度には12万件を超えており、5年前と比べて倍増している。また、児童虐待により年間約80人もの子どもの命が失われている。〉と記載されていて、それ程にも深刻な事態となっているからだろう。

 〈年間約80人もの子どもの命が失われている。〉とすると、マスコミ報道されるのはほんの一部ということになる。

 最初に挙げた関係閣僚会議では、〈児童相談所間・自治体間の情報共有の徹底や児童相談所・警察・学校・病院等の関係機関の連携強化〉を謳っている。

 「もう繰り返してはならない」謳い文句も虚しく、目黒区の事件の2018年3月2日から約11ヶ月後の2019年1月24日、千葉県野田市立小4年10歳の女児が父親の虐待を受けて殺害された。この事件を受けて、2019年2月8日、安倍政府は「児童虐待防止対策に関する取組について」と題して、「児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議」を開いている。

 残念ながらと言うべきか、怠慢と言うべきか、7ヶ月も経過するにも関わらず、厚労省の「児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議」開催日記載ページには当該会議の「議事録」はまだ載っていない。「議事次第」には、「千葉県野田市において女児(10歳)が虐待により死亡した事案の経緯等について」、「千葉県野田市における児童虐待事案への対応状況等」と題した資料等、具体的には「配付資料1」、「配付資料2」、「配付資料3-1」、「配付資料3-2」、「参考資料1-1」、「参考資料1-2」、「参考資料2-1」、「参考資料2-2」と、8点も提出されている。

 8点の資料とその他を議論するのに「時事ドットコム」の2019年2月8日の「首相動静」を見ると、「児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議」は午前7時58分から同8時6分までのたったの8分。これだけの資料をもとに8分も議論したとすれば、相当熱のこもった遣り取りができたはずだ。でなければ、「こんな痛ましい出来事をもう繰り返してはならない」、「子供の命を守るのは私たち大人の役割であります」、「政治の責任において、抜本的な対策を講じます」は全て空回りしたことになる。

 政府も児童虐待に関わる専門家も、警察の役割の重要性、関係機関と警察との連携、時と場合に応じて警察が前面に出ること、その主導性への期待を頻繁に口にするようになった。

 2018年6月15日の「児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議」で、〈児童相談所間・自治体間の情報共有の徹底や児童相談所・警察・学校・病院等の関係機関の連携強化〉を謳い、虐待の防止に警察の力を一枚加えていることを既に紹介しているが、安倍晋三も野田市の虐待死事件の4日後の2019年1月28日の衆参本会議「施政方針演説」で、「何よりも子どもたちの命を守ることを最優先に、児童相談所の体制を抜本的に拡充し、自治体の取組みを警察が全面的にバックアップすることで、児童虐待の根絶に向けて総力を挙げてまいります」と、警察の全面的なバックアップの重要性を訴えているし、2019年2月7日の参議院予算委員会でも、「自治体の取組に対する警察の全面的バックアップなど、関係省庁が連携してやれるべきことは全てやるという強い決意で取り組んでいきます」と、虐待防止の重要なコマに警察を一枚噛ませている。

当然、警察が一枚噛むについては安倍晋三は自身が頭がいいだけではなく、頭のいい閣僚や官僚を大量に抱えているのだから、警察がどう関わったなら、虐待防止に最善・最大限の力を発揮し得るか、その連携方法を議論し、案出して、案出した方法の徹底を全警察に向かって指示したはずだ。

 2019年8月31日、鹿児島県警は鹿児島県出水市の20代の母親の交際相手の21歳の男を同居する4歳の女児を殴ったとして暴行容疑で逮捕した。

 マスコミ記事を纏めて見ると、女児への殴打は2019年8月27日の夜。翌8月28日に病院に搬送。その日の夜死亡。病院から「風呂で溺れたという女の子が死亡した」と警察に通報。司法解剖の結果、死因は風呂場での溺死とのこと。一体、どう溺死したのだろうか。

推測するに、病院に連れて行く前に既に溺死していたのだが、病院は心肺停止状態ということで、蘇生を試みたのだろう。だが、蘇生することはなかった。

21歳の男は2019年7月まで鹿児島県薩摩川内市に居住。鹿児島県出水市に居住を移している。

2019年3月18日、市から県警薩摩川内署に虐待が疑われると情報が寄せられ、18日と19日に署員や児童相談所の職員らが自宅を訪問。女児と母親に面会したが、体に傷などは確認されなかったという。その上、3月下旬から4月上旬にかけて同市内で「夜間に児童が一人で外出している」との通報が薩摩川内署に計4回あり、署員が自宅近くで璃愛来ちゃんを保護。ネグレクトの疑いで児童相談所に2回通告した。

薩摩川内市は発育状況に問題はなかった上に虐待は確認できないという認識のもと、母親に対し子どもの面倒をきちんとみるよう指導し、児童相談所などと会議を開き、同じようなことが起きた場合、一時保護する方針を決め、見守りの対象にしたという。引っ越しした際には出水市にも情報を引き継いだ。但し母親の交際相手で同居していた21歳の男に関しては「虐待が確認されなかったので、詳しい家庭環境まで踏み込めなかった」

 転居先の出水市も、顔などにあざがあるという情報をもとに21歳の男の暴行の前日に女児と面会したが、あざが確認できなかったことなどから、警察などに連絡しなかったという。

虐待の方法は殴打だけでない。発育状況に問題はなかったということだから、食事を与えない虐待はなかったのだろうが、野田市の虐待では体に傷跡を残さない方法としてなのだろう、冬に冷水シャワーを浴びせる虐待を行っていたし、目黒区の女児虐待死では母親から水を張った洗面器に顔をつける虐待でしかない練習をさせられ、頭を抑えつけられでもしたののだろう、「ママ、苦しい。やめて」と女児の声が外にまで洩れて、それが何日も続いたために住人に通報されたり、男から毎朝4時頃起床の平仮名を書く過酷な日課を課せられる虐待そのものの仕打ちを受けていただけではなく、最終的には食事を満足に与えられない虐待を受けて、死に至らしめられている。

だが、市も警察も児童相談所も殴打だけが虐待の方法だと決めつけて、体に傷が確認されなかったことを以って虐待の可能性をいとも簡単に排除しいる。

 交際相手、再婚相手、あるいは同棲相手、特に男の方が血の繋がっていない児童に対して虐待を振るう前例を多々あるのだから、それを学習して、21歳の男が女児と血の繋がりのないことを虐待を犯し得る危険な兆候の一つと見て、それ相応の対応を取らなければならなかったはずだが、虐待の可能性を簡単に排除しただけではなく、そのことを以って「詳しい家庭環境まで踏み込めなかった」と、自らの学習能力不足に思い至らないままに最悪の事態を想定することもしなかった。

野田市の虐待死は実の父親が犯したことだが、目黒区の虐待死の場合は女児が母親と元夫の間に生まれ子どもで、父親とは血縁関係がなかく、虐待を起こし得る兆候の一つと捉える、子供の命に対する危機管理意識すら働かすことはなかった。

2019年1月24日の千葉県野田市10歳女児虐待死から7ヶ月しか経過していないにも関わらず、市や児童相談所、特に役割の重要性を期待された警察の学習能力の欠如はどう考えたらいいのだろうか。安倍晋三等は関係機関と警察の連携の重要性を主張、当然、政府は警察はどう動くべきか、既に上に書いたとおりにその最善・最適な対処方法を考え出して、指示しているはずだが、どの機関も満足に対応できなかったところを見ると、「児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議」での議論も、安倍晋三の虐待防止に関わる国会答弁も、議論を済ますだけ、答弁を済ますだけで終わっていることになる。

野田市の虐待事件を取り上げた2019年2月5日の当「ブログ」で、〈ある児童に対する虐待の疑いが出てきたとき、その習慣性を考慮して、児童相談所の対応だけではなく、警察は隣近所の住人をより確かな情報源として確保、聞き込み等の接触を図った場合は虐待加害者に見咎められ、一悶着を起こされかねない危険性から、電話連絡で秘密裏に情報収集を図る必要があるのではないだろうか。〉と書いた。

今回の虐待死でも、全裸での自宅外放置されている、下着一枚の姿で玄関の外にいるといった通報は近所の住民からのもので、2019年9月1日付「NHK NEWS WEB」には、アパートの隣の部屋に住んでいる男性の話として、「引っ越してきたのは、この2、3か月ではないかと思います。毎日は帰ってきていないようでした。ここ1か月くらい、夜中に泣き声を聞くようになりました。結構大きな声でした。どなり声や悲鳴は聞いたことはありませんでした」と伝えている。

 隣の部屋で4歳の女児の鳴き声が聞こえるとしたら、かなり大きな声で泣いていたと見なければならないし、自身が1か月も放置して、通報も何もしなかったことから、どなり声や悲鳴は聞こえなかったことにした可能性を疑うこともできる。

 記事はこの証言の一方で近くに住む50代の男性の「家族が2、3日前に警察から『子どもの泣き声を聞かなかったか』と尋ねられました。日渡容疑者は自治会に入っていないので交流もありませんでした。児童虐待のニュースは最近よく聞くので、自分の周りでも起きていたとしたらショックです」との証言を伝えている。

つまり警察は隣近所の住人をより確かな情報源として聞き込みを行っていたが、それ以上に確かな情報源となるアパートの住人に対しては何ら接触は図っていなかったことになる。警察の方から情報源の厳格な秘匿を条件に承諾を取った上で相手の都合のいい時間に定期的に電話を入れて、「何か変わったことはないか」と情報を収集する方法は取らなかった。

関係機関の学習能力の欠如の上に、「こんな痛ましい出来事をもう繰り返してはならない」、「子供の命を守るのは私たち大人の役割であります」、「政治の責任において、抜本的な対策を講じます」は言っているだけ、対策を取っていますと言うだけで、その対策を生かすことも、関係機関に徹底させることもできないでいる。

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