最初に同一選挙区での立候補を制限するという案は05年9月11日の郵政選挙の刺客選挙区での勝敗が、その無効性を証明している。郵政選挙で小泉は郵政民営化法案に反対票を投じたことから離党させた、いわゆる造反元自民党議員の選挙区に、その選挙区をジバンとしていなかった落下傘候補(=刺客)を新規に放ち、ジバン・カンバン・カバンを既に確保していた彼ら造反議員の殆どを破って、当選を果たした。
刺客はテレビが騒ぐことで短時間に知名度を上げてカンバンを確保し、ジバン・カンバンは党が公認を与えることでお膳立てしてくれて、元々そこを選挙区としていた議員のジバン・カンバン・カバンをたちまち打ち砕いてしまったのである。
いわば世襲議員を別の選挙区に移したとしても、党公認を与えて自民党が全面的にバックアップすることでジバンを保証したなら、残るカンバンは世襲議員としての元々の知名度がどの選挙区でも通用するだろうし、カバンは自民党からの資金と親の財産でお釣りがくる程の額を確保できるに違いない。
最初の立候補時に限って党公認をしないという案は親が築いたジバン・カンバン・カバンはいささかも損なう要素とはならず、無名立候補者より有利となる状況を崩すには至らないだろうから、公平さの確保という点で不備が残る。マスコミが既に指摘しているように当選後、追加公認を与えたなら、無所属立候補は一時的形式で終わることになる。最初は無所属立候補だったのだよという話題は勲章とさえなる可能性もある。
公募制にしても、その選考過程で親が築き上げた人脈をフルに使えば、有利に事を運ぶことに変わりはないだろう。小泉元首相が次男進次郎を後任に指名したが、誰が彼の対抗馬に名乗りを上げるだろうか。山崎拓が言っている。
「刺客を立てるのが筋だがなり手がない。そんな勇気あるヤツはいない」(asahi.com)
それ程にも祖父・父親と三代で築いた小泉純一郎のジバン・カンバン・カバンは磐石だということであろう。
5月9日(09年)の「asahi.com」記事《「世襲」133人 次期総選挙立候補予定、自民は33%》が、伝えているが、〈次期総選挙に立候補を予定している881人(7日現在)のうち、親や親族から地盤を引き継いだ「世襲」は133人(15%)にのぼることが、朝日新聞社の調査でわかった。民主党では立候補予定者の8%だったのに対し、自民党は33%と約4倍。予定者のうちの世襲の割合より、現職議員や閣僚のうちの割合の方が高く、当選や出世に影響していることもうかがえた。・・・・親や親族の地盤を引き継いでいない人も含めると、計176人になり、立候補予定者の20%にあたる。 〉
世界に例を見ない世襲議員の多さだという。一旦権威を獲得すると、その権威を周囲の者も錦の御旗とし、後生大事に扱う日本人の権威主義の行動様式が生んだ世襲現象であろう。
既に触れたが、親などの選挙区を引き継いでいる世襲議員が閣僚17人中10人もいる上に町村といった党幹部に位置している者もいることを考えると、彼らの世襲議員としての既得権を打ち破るのは並大抵のことではないことは予想できたことである。
世襲議員の世襲制限反対の声を拾ってみた。
浜田防衛大臣(パパは浜田幸一)「世襲議員は楽に当選できるといわれるが、決してそんなことはない。常に父親などという見本が目の前にあり、それを超えなければならない。『申し訳ございません、世襲でございます』という意識は私の中にはあまりない」(NHK)
中曽根外務大臣(パパは中曽根康弘)「私は二世ではあるが、世襲ではない。私と父の中曽根元総理大臣は、18年間衆参両院で議員を重ねてやっており、父が亡くなったから跡を継ぐとか、引退したから跡を継ぐということではない。私は自分を世襲だと思っていないし、悪いと思っていない」(同NHK)
中曽根康弘が築いた知名度としての“中曽根ブランド”(=カンバン)も親が援助したに違いないカバン(=資金)も、人脈を駆使して支援したに違いないジバンについても言及がない。
麻生は中曽根を外務大臣に起用するとき、「中曽根というブランドを利用しない手はない」といったことを言っている。世界に通用する“中曽根ブランド”と言うわけである。
石破農林水産大臣(パパは故石破二朗・元自治相)「あらゆる人に立候補する機会が平等に保障されるべきだ。『私はあの人を選びたい』という有権者の権利は一体どうするのか。憲法との間で無用な議論を惹起しないことが大事だ」(同NHK)
鳩山邦弘(パパは鳩山一郎元首相)「私も兄の民主党幹事長も『超』のつく世襲政治家だ。民主党は『次の選挙に小沢代表も鳩山幹事長も出ないから、麻生総理大臣も鳩山邦夫も出るな』と提案しなければ中途半端だ」(同NHK)
世襲制限を言うなら、世襲議員は次期総選挙は立候補するなと不可能を言って、制限反対の論拠としている。要するに選挙で有利な思いをしたことなどケロッと忘れて、世襲の有利さで存在しているのではない。自らの努力、有能性で存在しているのだと言いたいのだろう。
町村前官房長官(パパは町村金吾)「有権者を信用すればよいだけの話であり、有権者を信用していない人が世襲などを制限しようとしている。有権者を信用するのであれば、世襲がよいとか悪いとか、大きな争点として取り上げること自体がナンセンスだ」(NHK)
石原伸晃(パパはあの国家主義者石原慎太郎)「党内合意が得られないものをマニフェストに盛り込むべきではない」(毎日jp)
非世襲議員の反対論も根強い。
大島理森「民主主義はどなたでも立候補できるという根本がある。根本論を分からずして選挙制度を議論してはいけない」(同毎日jp)
同大島「出自によって立候補の自由を奪うことには、慎重でなければならない」(NHK)
どれも尤もらしい言い分だが、世襲議員が既得権としている選挙条件の有利性への言及をすべて省いている。
「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた、大和民族が日本の国を統治してきたということは歴史的に間違いない事実。日本は極めて同質な国」だと、日本民族及びその同質性を絶対とする独裁意識を内に隠した(独裁者は自民族優越と自らの政治への同質的賛同を求める)伊吹文明に至っては、その同質性嗜好に反して同質でない態度を平然と曝している。
伊吹文明「国民の税金から歳費や政党助成金をいただいている国会議員みずからが、身を切らなければならないのはあたりまえだ。憲法や法律とのバランスを考えて、世襲制限や定数削減、それに歳費カットなどの問題を考えていかなければならない」(NHK)
〈「法律的に制限するのは、憲法上難しい。世襲候補の特権をすべてはく奪したらいい」。具体的には国会議員が引退する場合、関係する資金管理団体や政党支部が集めた資金を党に寄付し、子や孫などが引き継げないようにすべきだとの認識を示した。〉(<毎日jp)
「親が代議士だから、バカ息子でも代議士になるのは感心しないが、息子の方が政治家として立派なのに公認してはいけないというのも無理がある。・・・・公募制を厳密にやり、結果的に息子さんやお孫さんになれば構わない」(asahi.com)
「バカ息子」かどうかはどこで判断できるのだろうか。麻生の場合、総理大臣になってから「バカ息子」と判断できたのであって、遅きに逸した判断としか言いようがない。政治行動の実際を見なければ判断不能なのであって、この点に関しては世襲であっても世襲でなくても同じである。
「関係する資金管理団体や政党支部が集めた資金を党に寄付し、子や孫などが引き継げないようにす」るにしても、親がせっせとためた財産を受け継いで選挙資金とする、あるいは親に献金してきた企業や個人の寄付を親が不必要になったからと息子が新たに設置した政治団体に振り替えて寄付したなら、伊吹の提案はさして力を持たない。
要するに伊吹は世襲反対の拳を勇ましく振り上げたものの、公募自体が親の人脈(=ジバン)やカネ(=カバン)に影響を受けないわけはなく、カンバンは親の子供と言うことで元々知名度が高く、「結果的に息子さんやお孫さんになれば構わない」と自ら抜け道を容認したのである。
森喜朗「誰が議員にふさわしいかは有権者が選ぶことであり、世襲制限は有権者をバカにしているということだ。議員の子どもだろうと孫だろうと、選挙区ごとに予備選挙を行って候補者を決めれば良い」(NHK)
公募を「予備選挙」と名前を変えただけで、世襲の有利性を排除するものではない。
我が麻生太郎はどうかと言うと、「毎日jp」記事《首相VS記者団 国会議員の世襲制限「麻生太郎はどうなります?」4月22日午後7時38分~》がその辺の消息を伝えている。
〈Q:あの今、自民党内でですね、国会議員の世襲制限を設けることを次の衆院選のマニフェストに盛り込むことを目指す動きがありますけども、総理はこうした動き、こうした議論がですね、今出ている理由とか背景について、どうお考えですか。
A:背景。背景はご本人に聞いていただかないと分かりませんね、それは。ただ世襲制の話っていうのは、これは被選挙権の話にかかってきますんで、その意味ではあの、なかなか難しい話だと思いますよ。だからちょっと今この段階で、その背景と聞かれても、ちょっと聞く相手を間違っておられると思います。
Q:いや、あの、なぜ世襲制限すべきか、賛否両論ありますけども、世襲制限すべきだという意見が出てくる、その理由についてですね……。
A:だからその世襲制限すべきだと言っておられる方に聞かれるのが筋であって、私に聞かれても、私は世襲制限のこと何ひとつ言ってませんから、聞く相手を間違っておられるんじゃないですかと申し上げております。
Q:総理、テレビ東京からですが。
A:はい。
Q:では一般的に現職の国会議員で、世襲と言われる方々の比率が高いことについては。理由についてはいかが……。
A:あの世襲の定義っていうのがよく分かんないんですが、親が亡くなって、後を継いだ。すっと麻生太郎はどうなります? だから定義が分かんない話はちょっと。もう少し調べてからしたほうがいい。笹川尭(たかし)はどうなります? ね。その世襲の定義がよく分かんないんですよ、私には。だから、じゃあどなたさんがご養子になられた、それも世襲だとか、そりゃいろいろあるじゃない。だからちょっと私に世襲の話をされる方、むかーしからありますから、この話は。ですからちょっと定義が分かりませんので。私の場合、親がやめてやってから25年ぐらい空いてますんで、ちょっと正直、分かりません。〉――
本人の考え、どのような認識を持っているのかを聞いたにも関わらず、「私は世襲制限のこと何ひとつ言ってませんから、聞く相手を間違っておられるんじゃないですか」と相変わらず単細胞なことを言っている。麻生は自分の考えを持っていたのだが、明らかにするのは不利と見たのか、隠していたことが6月10日の「asahi.com」《首相「親の跡継いで悪いこと何もない」都議選応援で》が明らかにしてくれる。
6月9日の夜品川区の自民党都議の事務所で次のように発言したそうだ。
「親の跡を継いで悪いことは何もない。間違いなく親の背中を見て子どもが育つ。親の背中を見て、『おれもああなりたい』と思ったおやじは良いおやじだ」
また石原慎太郎都知事の三男宏高衆院議員が麻生に同行していたのか、事務所にいて、麻生は彼の名前を引き合いに出し、
「みんな、おやじさんの代から、その教えを受けてここまでやってきた・・・(さらに、都議の小学生の息子を見かけると、肩をたたきながら)お前も跡を継ぐのか。世襲頑張れ」――
問題となっていること、あるいは問題としていることは世襲と言うだけでジバン・カンバン・カバンを受け継いで有利となる選挙を保証されていることであって、相変わらず単細胞にもその問題を一切抜きにして、 日本国憲法は職業選択の自由を保証しているのだから、言わずもがなのことであるにも関わらず、単に職業の親子継承の面からのみの発言となっている。
世襲制限は民主党が先に言い出したことで、先を越された自民党が選挙に不利になるからと急遽マニフェストに盛り込むことにした政策だということだが、このことを裏返すと、世襲議員の存在とその多さに後ろめたさがあることを証拠立てている。世襲に関して正々堂々としていられなら、民主党さん、一省懸命にやってください、他にやるべき肝心なことはないのですか、我々は高みの見物といきますと余裕しゃくしゃくのところを見せることができたに違いない。
腰を据えて取り掛かった世襲制限導入ではない上に相当数を占める世襲議員の既得権擁護の動きに阻止されてのことだろう、次期衆院選からの導入を目指していた当初の世襲制限案は〈適用時期を明記しないだけでなく、「厳正な選抜」を経れば世襲議員も公認する〉(asahi.com)後退した答申案となった。
〈次から適用した場合、対象になるのは小泉純一郎元首相の次男進次郎氏(神奈川11区)と臼井日出男元法相の長男正一氏(千葉1区)だけ。しかも、無所属で出馬して当選後に追加公認するとの「抜け穴」がかえってクローズアップされる事態となり、党内には冷めたムードが漂った。〉(時事ドットコム)
積極推進派であったにも関わらず、菅義偉選対副委員長は〈首相に会った際、「政治家の品(格)は1代では築けない」と漏らし、見送りを容認する考えを伝えたという。〉(同時事ドットコム)
菅の「政治家の品(格)は1代では築けない」なる発言を字義通りに解釈すると、「政治家の品(格)は世襲議員でしか築けない」という意味になるばかりか、自らを世襲制限派から世襲積極推進派に転じさせたことになるが、本人は何も気づいていないに違いない。
大体が麻生を見ても町村を見ても、ご都合主義の御託を並べるだけで、世襲2代目として築いていたはずの「政治家の品」がどこにも感じられないではないか。小泉に至っては3代目だから相当に「政治家の品」を全身から放っていていいはずだが、物事には何事にもプラスマイナスがあること、絶対正義は存在しないという真理を省みず、市場原理一辺倒を絶対正義として推し進めた結果、様々な格差をつくり出して品のない社会にしてしまった。本人自身に「品」のある考えを持たなかったことのその反映としてある数々の社会的矛盾であろう。
結局は当座の間は「親の跡を継いで悪いことは何もない。間違いなく親の背中を見て子どもが育つ。親の背中を見て、『おれもああなりたい』と思ったおやじは良いおやじだ」とする麻生の意に叶ったというわけである。自民党に限って言うと、結果として世襲候補がジバンカンバン・カバンという点で選挙に有利であるという不公平は残ることとなった。
自民党の先送りに対して民主党の世襲制限案は国会議員の3親等以内の親族が同一選挙区で続けて立候補することを禁止、党内規でそのことを決めて次期衆院選のマニフェストに盛り込む(msn産経)内容だとのこと。
但し民主党案でも親の引退後選挙を1回見送ってからの出馬は可能で、党内で観測されている小沢一郎前代表らが子息に地盤を継がせる(asahi.com)こともできることになるとのこと。当て馬を宛がってジバンを維持し、その次を息子に継がせるという方法も可能となる。
この1回見送り案も抜け道の一つだが、他選挙区の立候補にしても世襲の有利さを削ぐものではないことは既に触れた。大体が当選を果たしさえすれが、選挙区はさして重要な要素ではない。親の贔屓、党内外の親の人脈の後押しを受けて実力者へとのし上がっていくことがより重要な問題であろう。
親のジバン・カンバン・ジバンを受け継いで選挙を有利に戦わせることができるだけではなく、実力者への名乗りに於いても有利な条件となる。
立候補「予定者のうちの世襲の割合より、現職議員や閣僚のうちの割合の方が高く、当選や出世に影響していることもうかがえた」とする「asahi.com」記事がこのことを証明している。
こういった有利性を排除するには公募制も同一選挙区での立候補禁止も十分な効果が出る保証がないということなら、立候補者本人の政治能力・政治的創造性を知る機会(バカ息子なのか、バカ息子でないかを知る機会)を選挙民に提供する以外に方法はないのではないだろうか。
政治に関わる本人の言葉を知るということである。勿論、広い意味での政治性を問わなければならない。人種、民族、戦争、人権、自由、男女意識、教育、労働観、福祉等々。
これらに関してどれくらい自分の言葉――党が政策として並べ立てた言葉ではなく、あくまでも自身の考えに従って解釈した自前の言葉、他とは違う自分独自の考えを持っているかを知るには一方的に党の政策やそのことについて自分の考えを述べるだけの奇麗事の儀式にしかならない従来の選挙活動では不可能で、お互いに政治全般に関わる言葉を闘わす討論の機会を提供する以外に道はないのではないだろうか。
政治からカネの力を奪うをテーマとしたブログで討論形式の選挙運動を既に提案したが、討論の場での言葉の闘わせはジバン・カンバン・カバンの力が及ばない自己存在証明の平等な機会となり得る。武器は言葉のみである。
このことを麻生と小沢民主党代表との08年11月28日党首討論がよりよく証明している。党首討論の直後の11月29、30の両日に実施した「FNN合同世論調査」は「麻生首相と民主党の小沢一郎代表のどちらが首相にふさわしいか」でこれまでの劣勢をはね返して1ポイント差ながら小沢代表が麻生31・5%に対して32・5%と初めての逆転を果たしている。
党首討論で展開した小沢一郎の言葉が麻生の言葉を上回った結果の逆転現象であることは言を俟つまい。以下、
「主張に説得力がある」
麻生首相――27・9%
小沢代表――51・5%
「政策がよい」
麻生首相――28・3%
小沢代表――36・4%
党首討論という言葉の闘わせがなかったなら、こうも明確な差は出なかったに違いない。
麻生に対する「評価しない」では、
指導力――71・9%
言動 ――78・4%
「指導力」も「言動」も言葉によって表現される。お互いの言葉をよりよく知るには言葉(=議論)を闘わすことによってより可能となる。
党首討論が11月28日。日本経済新聞社とテレビ東京が11月28―30日に共同で実施した世論調査でも、有権者は両者の言葉から「FNN合同世論調査」と同様の判断を示している。
麻生内閣支持率――31%(10月末の前回調査から17ポイント低下)
政党支持率では民主党30%に対して自民党39%と9ポイント上回っているにも関わらず、内閣支持率では17ポイントも下げたのはやはり両者の言葉の差が影響した結末であろう。
言葉の闘わせの効用、その力を見抜けない代表格は自民党細田幹事長であろう。11月28日の小沢・麻生党首討論の勝敗を聞かれて――
「麻生太郎首相に軍配が上がった。圧勝だった」(サンスポ)
贔屓の引き倒しとは恐ろしい。
アメリカ大統領選でも、予備選では党別の候補者同士、本選では党候補者同士の討論が行われる。本選の討論会の直後には世論調査が行われて、世論調査の結果自体が投票の参考材料となる。やはり武器は普段から鍛え上げた言葉のみである。
各選挙区で立候補者同士の討論会を各選挙管理委員会の主催で開催する。あるいは選挙後も1区、2区等の各選挙区を纏めた都道府県単位の与野党現職議員を出席者とした政策に関わる言葉の闘わせを定期的に行う討論会を開く。市民からの質問を受ける形式を挟むのもいいだろう。既に与野党主要議員が言葉を闘わせる討論会は、内容自体は目を見張るケースは少なくても、実際に各テレビ局が実施し、我々は議員判断、あるいは政策判断の材料としている。それを各選挙区の一般議員にも広げる。
例えその討論会に直接足を運ばなくても、あるいはテレビが実況中継しなくても、その模様を要約し伝える新聞の地方版・テレビの地方局の報道を通じて、議員、あるいは立候補者の政治、あるいは政治的創造性を判断する材料になるはずである。
そこで力となるのは各自が発する政治全般に関わる言葉のみで、ジバン・カンバン・カバンは何ら力にならない。いわば世襲の有利性を排除するだけではなく、政治からカネの力さえ奪うことが可能となる。かき集めたカネにモノを言わせて夜の銀座や赤坂の高級料亭にたくさんの議員を接待し、大盤振舞いのご馳走、高級な酒を飲ませて親分風を吹かす時代錯誤の政治家も力を失っていくに違いない。
また、いくら党首が選挙の顔として力があり、選挙ポスターを華やかに彩ろうとも、候補者自体が討論会で見るべき言葉を発しなかったなら、ポスターに大枚のカネをかけたとしても意味を失う。大々的に後援会を組織し、定期的に貸し切りバスを連ねて東京の有名劇場に歌謡ショーだ、歌舞伎だ、有名芸能人の座長公演だに連れて行って人脈(=ジバン)を確かなものにしても、言葉を臨機応変に発信することができなければ、人脈(=ジバン)は徐々に力を失っていくに違いない。
世襲にしても、基本はジバン・カンバン・カバンではなく、言葉としなければならないだろう。言葉の獲得、言葉の切磋琢磨はジバン・カンバン・カバンを力とはし得ない。
東国原「私は、あの、至って、真剣に、ええ、真面目に、言わせて戴いているので、あのー、ふざけているとか、おちょくっているとか、ああいうようなことからありますけれども、そういうことは一切ございません。ハイ、すこぶる、極めて、あのー、真剣に、取り組ませていただいております。(自分から二度三度頷く)」
――自民党からの返事は?
東国原「あのー、今のところございません。麻生総裁の次は、私がならなければ見たいな、ただトーンでございますけども、私が提案させていただいたのは、あくまでも総裁選に出る資格?そのォ候補として考えられるかどうかということですからね」
東国原は自分は総裁の椅子を求めたのではなく、いわば「総裁選に出る資格、候補として考えるかどうかを提案させていただいた」に過ぎないと主張している。
そういうことなら、6月24日の当ブログ《東国原からもダメだと死刑宣告された麻生太郎日本国総理大臣》で、〈選挙後、自民党総裁にするなら、出馬してもいいよと言ったのである。まさか東国原も含めて何人か総裁候補を立て、選挙後、その候補による総裁選を行うという話ではないだろう。国政の経験・実績の裏打ちもないまま大衆人気だけを根拠として総裁に任じたなら、世間の笑いものになるだけだろうから、総裁になることのできる確率は限りなく低くなり、「次期総裁候補」として担ぐ意味を失うからだ。
つまり、東国原は自分一人を「次期総裁候補」に見立てて選挙を行うことを要求した。〉との解説は全く見当外れもいい下司の勘繰りとなる。
古賀から出馬要請を受けた後の記者会見で述べた東国原の言葉を改めて記してみる。
「自民党から出馬要請がありました。私としても、提案・提言――、いくつか。わ・た・く・し・が(ゆっくりと一語一語噛んで含めるように言い)、次期、総裁、候補、として、次の選挙を、自民党さんは、お戦いになる、お覚悟が、あるかと言うのを、お伺いいたしました――」(TBS動画から)
この発言を東国原は総裁の椅子を求めたのではない、「総裁選に出る資格、候補として考えるかどうかを提案させていただいた」に過ぎない発言だと言っている。
ただこれだけのことで記者会見の場まで持ち、自分を「次期総裁候補として次の選挙を自民党は戦う覚悟があるか」どうかまで求めなければならないことだったのだろうか。
逆に、出馬要請を承諾した、本人は当選して次の総裁選に候補として名乗りを挙げるそうだ。東国原も記者会見を開いて、当選したなら、次の総裁選に候補として名乗りを挙げたいと宣言する。そういった個人的希望ということなら、選挙の“ウリ”、あるいは目玉になることなのだから、「戦う覚悟」どころか、お祭り騒ぎで選挙戦に臨めるだろう。少なくともマスコミは総裁になるかもしれない候補者として東国原の選挙活動の尻を追っかまわすに違いない。他候補者の応援活動にまで付き纏って、センセーショナルに報じることになるだろう。小泉以来、選挙権のない女子高生までがキャーキャー言いながら東国原の周りに群がるかもしれない。
その様子をマスコミが面白おかしく大々的に伝える。まだ群がっていない女子高生もがその大騒ぎに加わって人生の勲章にしたい一心で、私も私もと、なお一層群がる。それをまたマスコミが伝え、大騒ぎが相乗的に増殖していく。「戦う覚悟」を求める程の重大な事柄ではないはずである。
いわば自民党の総裁候補に名乗りを上げたいだけのことなら、総裁選に立候補したいという希望が伝えられたという自民党側には予期しない事態が生じたとしても、その希望を拒絶して衆院選出馬要請を取り消すことはできないのだから(取り消したことが世間に知れたなら、却ってその了見の狭さが取り沙汰されることになるだろう。)東国原は次期衆院選出馬要請に応えるだけで済んだはずである。
いわば総裁選に立候補は希望とはなり得ても、条件とはなり得ない。衆議院でなくても、参議院であっても、当選して自民党議員の資格を得た者は誰でも総裁選に立候補を表明する資格が生じるからだ。何期当選者とか、何年勤めたとかの要件は求められていない。但し、正式に立候補者と認められるには党議員から20人の推薦人を集めなければならない。それが難しいことなのは20人集められなくて立候補を断念する若手が何人かいたことでも理解できる。
いわば議員であること、20人の推薦者を必要とすること以外の資格は条件としていない。
あるいはこうも言える。選挙前に総裁選に立候補したいという希望は言えても、実際の総裁選立候補、その他の推薦人集め等は選挙後の問題であり、そうである以上、選挙前の何らかの条件付けは不可能だと。
それをわざわざ記者会見まで開いて、「次期総裁候補として」と言葉では「候補」と位置づけているが、「次の選挙を自民党さんはお戦いになるお覚悟があるか」と自分を総裁候補と条件付けた「戦い」を求めている。
また「自民党さんは」とわざわざ自民党の名前を持ち出したのは党としての立場からの「戦い」を求めた言葉であろう。例えば、「私が自民党から次の衆議院選挙に出馬したいと言ったなら、自民党さんはお認めになりますか」と言ったとき、それは訪ねた相手に諾否を求めたのではなく、党として認めるかどうかを求めた言葉であろう。それと同じである。
と言うことなら、自民党が東国原英夫を総裁候補者と条件付け、それを前面に押し出して衆議院選を戦うことがあったとしたら、もし当選を果たしたなら、次の総裁選で東国原を総裁に指名すると言うことであろう。指名しなかったなら、自民党が党として総裁候補者と条件付けて衆議院選を戦ったことと矛盾することになるからだ。
だから、多くの自民党議員やマスコミ、その他が“総裁の椅子”を求めたと解釈したとしても間違いではないはずだ。
だが、現実にはそのような展開は不可能であろう。東国原は後でそうではないと言い繕っているが、現実には不可能な展開を求めたに過ぎない。但し、当選を果たした選挙後の次の総裁選に立候補を表明するという展開に進むことは100%可能である。問題は20人の推薦人を集められるかどうかである。古賀と密約があって、20人ギリギリの推薦人の提供があり、正式に立候補者となれたとしても、それは選挙の結果、当選には届かないという確実な保証があっての密約であろう。
昨夜のNHKテレビだったと思うが、高村元外相が「党の方で推薦人を20人集めろと言うことですか。そんなバカなことはしないでしょう」といったことを言っていたが、「バカなこと」をする可能性は否定できまい。
果たして当選には届かない確実な保証があるかどうかが問題となる。この密約は両刃の剣となりかねない。地方の一般党員が東国原の人気に反応した場合、第二の小泉を演じかねない逆の保証が生じるかもしれないらだ。一般党員の投票を拒否して国会議員だけの投票とすることができるかどうかだが、閉ざされた党との批判、あるいはご都合主義との批判を浴びることになるだろう。
もし当選を果たしたなら、東国原と言う人間に自民党は乗っ取られることを意味する。そのとき政権を維持していたなら、総理となる可能性は考えられる。
但し衆参両院での首班指名選挙のとき、政権を維持していてもいなくても自党の代表者を立てる慣習から、東国原総裁を立てたとしても、必ず自民党から造反議員が出てくる場面が生じるに違いない。最初の造反議員は総理の座から蹴落とされることになる我が日本の麻生太郎だろう。そのほかには――
「このような者を我が党の候補者にすること自体にも私は反対したい」(NHK)と、「このような者」扱いをした山崎拓も反対票を投ずる可能性大と言える。
伊吹文明もその一人に入れることができる。
「自民党に新しい血を入れ、自民党のチエを、血を入れ替えて、しまわないと、私も、あの、そういう部分あると思いますがー、私はね、血液型が合わない者をね、輸血したら、頓死しますからね」(同NHK)
山崎拓も伊吹文明もなかなかの拒絶反応振りである。
松浪健四郎「東国原君、顔を洗って出直してきなさいと言いたい」とか言っていたから、一票投じることはあるまい。
例え政権を維持していたとしても、与野党伯仲の勢力であったなら、首班指名に於ける自民党議員の造反が民主党代表の首班指名といった捩れを引き起こした場合、東国原の総理の夢は水の泡と帰す。
町村「東国原知事が自民党に応援しようかと、いうことであるならば、これは大歓迎でありますし・・・」(同NHK)
町村は麻生を支えている手前、出馬要請も総裁選立候補問題も批判したなら、麻生批判となって撥ね返ってくることを承知しているから、「大歓迎」しかできない。
細田博之幹事長(出馬要請について)「党として正式に決定したということではない。・・・・ジョークのような感じで答えられた。衆院選出馬の意思がない、という言い方が、ふるった言い方になったということだと思う」(asahi.com)
東国原本人は「私は、あの、至って、真剣に、ええ、真面目に、言わせて戴いているので、あのー、ふざけているとか、おちょくっているとか、ああいうようなことからありますけれども、そういうことは一切ございません。ハイ、すこぶる、極めて、あのー、真剣に、取り組ませていただいております」と言っている。総裁選立候補問題が自民党の無様さ、自分たちの愚かさをさらけ出すことになったから、「ジョーク」としたい切なる願望が言わせた牽強付会に過ぎないだろう。相変わらずの自省心のないゴマカシ名人の細田である。
だから、鳩山・麻生党首討論でも、麻生を100点満点の勝ちだと平気で言える。
また「党として正式に決定したということではない」としても、麻生も承知していた古賀の東国原次期衆議院選出馬要請なのである。「党として正式に決定したということではない」で誤魔化せないにも関わらず、恥知らずにも誤魔化しにかかる。
「毎日jp」記事――《「首相VS記者団」“骨抜きの方針”批判は「難癖の付け方に無理ある」 6月23日午後6時7分ごろ~》(2009年6月23日)が麻生が知っていたことを次のように伝えている。
「“骨抜きの方針”批判」とは政府の「骨太の方針2009」が小泉の「骨太の方針2006」を骨抜きしたものとの批判を指しているが、東国原問題についても聞いている。
Q:TBSです。まず東国原(英夫)宮崎県知事……。
A:はい?
Q:東国原宮崎県知事……。
A:はいはいはいはい。
Q:についておうかがいします。今日、古賀(誠)選対委員長が東国原知事に出馬要請を行いました。これは事前に総理の了解を得て行ったものなんでしょうか。
A:東国原さんに会いに行くという話は知ってました。
Q:今回の要請について総理はどのようにお考えになりますでしょうか。
A:要請についてどう考えるか? あの、これは選対委員長のところで、いろいろな候補者に当たっておられる話の一つだと思ってますけど。
Q:今回、この要請に対して、東国原知事は「私を次期総裁候補として選挙を戦う覚悟があるのか」というふうに答えまして、回答を保留しています。これは麻生総理への挑戦とも受け取れると思うんですけれども、どのようにお感じに……。
A:あの、知事を辞めてそれなりにいろんなことをやる。これは人の去就の問題ですから、そんなおちょくったような気持ちで言っておられるとは思いませんけれども、ちょっと詳細を把握しておらないので、コメントのしようがありません。(以上)
衆議院選挙の人気取り、麻生がならなければならない選挙の顔に、その代役にと東国原を当てにして衆議院選出馬を要請したものの、そのこと自体が滑稽で醜悪な自分を見失った行動なのに、逆に総裁選候補者に据えて総選挙を戦う覚悟を求められると右往左往し、人気取りに走ったことの責任逃れに「ジョークのような感じで答えられた」とか、東国原に会ったことを古賀は「個人的判断で、党や麻生首相には相談していない」(「asahi.com」)などと平気で誤魔化しを働く。まさしく多くの人間が言っているように「末期症状を呈している」としか言いようがない。
いや、それ以前の問題として、麻生も古賀も細田も町村も、一個の政治家としての姿を整えていると言えるのだろうか。
お笑いタレント上がりで一時テレビ出演から遠ざかっていたが、知事当選後、再びテレビ出演の機会が増え、大衆人気を磐石なものとしたお笑い時代の芸名がそのまんま東だった東国原英夫(51)――その大衆人気を当て込んだ出馬要請なのは目に見えているが、片や麻生の人気は6月半ばのマスコミ各社の世論調査で、毎日新聞は麻生内閣支持率が19%、不支持が60%、朝日新聞の支持が同じく19%、不支持65%、読売新聞が支持22・9%、不支持67.8%の危険水域を遥かに割る凋落ぶり、溺れかかった麻生内閣が溺れまいとなり振り構わずに必死になって掴もうとしたワラが東国原英夫宮崎県知事と言うわけなのだろう。
東国原と会談後の古賀の言葉がこの東国原ワラ説を証明している。
「総選挙で民主党に政権を渡すわけにはいかないと。私も誠心誠意お願いしたつもりだし、真面目に受け止めていただけるものだと、結果はどうあれね」(NHK動画から)
「総選挙で民主党に政権を渡すわけにはいかない」最後の頼みの綱が東国原だとワラに縋ったのである。逆説するなら、自民党政権維持の最終手段をいくら大衆人気が高いと言っても、自民党国会議員の中から人材を求めずに一県知事の東国原に求めた。
勿論、東国原の知名度・人気を当て込んで立候補ついでに各候補者の応援に駆り立て、一人でも当選者を増やそうと目論んだののは事実だが、自民党政権維持のために他に手段はないからとワラに縋る気持で出馬要請したわけではないという反論も成り立つが、古賀は会談後の記者会見で「ズバリ、自民党からの出馬を、ご要請致しました」と会談の目的を打ち明け、記者から「知事の反応はどうだったでしょうか?」と聞かれて、次のようにも答えている。
「そうですね。若干びっくりされたのかも、しれませんでしたけどね。今の自民党にないね、新しいね、エネルギーを、率直に言って欲しいと。結果については、記者会見でお話しすると、言うことでしたんで・・・・」(FNNニュース動画から)
「今の自民党にない新しいエネルギーを率直に言って欲しい」とは、戦後ほぼ一貫して政権を握ってきた歴史ある自民党なのだから、本来ならば自民党国会議員の中にこそ「新しいエネルギー」のコマを求めるべきを、それが「今の自民党にない」から求めようがないという事情は、それだけ危機的状況にあるいうことであって、そのことを認識しつつ、東国原を「新しいエネルギー」のコマと見立てたのである。これを以て“ワラ”と形容しなくて、他に何と形容すべきだろうか。
麻生太郎に話しを通してないはずはない。23日の「時事ドットコム」記事が「(古賀氏が東国原氏に)会うという話はしていた。選挙対策委員長がいろんな候補者に当たられている中の1つだと思う」と麻生が承知していたことを伝えている。
いわば麻生太郎も承知していた東国原次期衆議院選出馬要請だったということだが、古賀が東国原出馬要請の理由に挙げた「総選挙で民主党に政権を渡すわけにはいかない」の思いは麻生太郎に古賀に劣らず、あるいは古賀以上に強迫観念化していただろうから、古賀一人ではなく、麻生も古賀共々、ワラにも縋る思いで東国原に縋ったのである。
だが、そんな思いは口に出すわけにはいかない。「選挙対策委員長がいろんな候補者に当たられている中の1つだと思う」とワラではないことを装いざるを得なかった。
東国原英夫ワラは出馬要請を受けて、二つの条件をつけた。一つは全国知事会でまとめた地方分権に関する方針を自民党のマニフェスト(政権公約)に盛り込むこと。二つ目は会談後の記者会見で自ら述べている。
東国原「自民党から出馬要請がありました。私としても、提案・提言――、いくつか。わ・た・く・し・が(ゆっくりと一語一語噛んで含めるように言い)、次期、総裁、候補、として、次の選挙を、自民党さんは、お戦いになる、お覚悟が、あるかと言うのを、お伺いいたしました――」(TBS動画から)
選挙後、自民党総裁にするなら、出馬してもいいよと言ったのである。まさか東国原も含めて何人か総裁候補を立て、選挙後、その候補による総裁選を行うという話ではないだろう。国政の経験・実績の裏打ちもないまま大衆人気だけを根拠として総裁に任じたなら、世間の笑いものになるだけだろうから、総裁になることのできる確率は限りなく低くなり、「次期総裁候補」として担ぐ意味を失うからだ。
つまり、東国原は自分一人を「次期総裁候補」に見立てて選挙を行うことを要求した。だが自民党には昨08年9月の民主党代表選で当時の小沢代表が対立候補もなく無投票で3選を果たしたとき、選挙を行わなず、政策を競い語る機会を持たない代表選を行う民主党は民主的ではない、独裁的だと批判した前科を持つ。1日遅れの08年9月22日の麻生を総裁に選出した自分たちの総裁選では、それが出来レースだったことは衆目の一致するところで、有権者のそのような認識が総理大臣就任後の支持率がご祝儀相場を加えても福田首相就任時よりも低い40%台半ばとなって現れたのであり、そして今のザマとなっているのだが、5人も候補を立てて、政策論争を繰り広げる場を持った、民主的だ、これぞ国民に開かれた政党だと自慢した経歴さえ持つ。
そのような前科・経歴の手前、一人だけを総裁候補に据えて、自民党が自画自賛している開かれた民主的政党としての政策論争を伴った総裁選を経ずに総裁に横滑りさせることは逆立ちしてもできない芸当のはずだが、東国原はそのような事情を知らずに自民党総裁の椅子を要求した。それとも鉄面皮にも前科・経歴をきれいさっぱり水に流してしまう何でもありの自民党を再度演ずると言うのだろうか。
いずれにしても、麻生太郎は自民党総裁としてはもはやダメだと死刑宣告されたことを意味する。麻生では自民党再生は無理だし、ダメだから、私を総裁にしなさい、と古賀誠に衆院出馬要請の条件としたのである。
対して死刑宣告された麻生の反応(首相官邸のぶら下がり記者会見から)。
「選対委員長のところでェー、色々な候補者が挙がっている一つだと思っておりますけれども。そんなおちょくったような気持で言っておられるとは、思っておりませんけれども、(浮かない顔で首をひねり)ちょっと詳細を把握しておられないので、コメントのしようがありません」(TBS動画から)
浮かない顔になるのは理解できるが、「そんなおちょくったような気持で言っておられるとは、思っておりませんけれども」と相変わらず合理的な認識力を欠いた単細胞なことを平気で口にしている。天下の総理・総裁に対して死刑宣告することになる発言をおちょくった気持で言われるのも問題だが、ごくごく真剣な気持で言われたなら、それだけ死刑宣告は重いものとなる。止どめを刺す刃(やいば)としての鋭利さを増し、フランスのギロチンに劣らない一撃で倒す力を備えかねない。
却っておちょくりであった方が僅かながらではあるが、救いは残る。きっと麻生太郎は切実な願望から、昨夜は東国原が「総理、あれはギャグ、ギャグ。つい調子に乗ってからかってすみません」と例の如く腰を低くし、ぺこぺこ頭を下げて謝罪する夢でも見たのではないだろうか。
松浪 健四郎がマイクを向けられてテレビで言っていた。
「東国原知事に依存しなければならない程自民党は落ちているのかと思うと、情けなくなる」
松浪権四郎は逆の認識に立つべきだが、そのことに気づいていない。自民党が麻生太郎総理大臣のお陰を蒙って落ちに落ちているという認識を最初に持ち、その認識の上に「東国原知事に依存しなければならない」ワラに縋らざるを得ない状況にあったことの次なる認識に至るという逆コースを悟るべきだった。
同じく鳩山前総務相。
「総裁だったらやってやると言う。完全にコケにされたの?」
マイクを向けていた記者に逆に聞き返した。そう、麻生が総裁では自民党はもうダメだからと死刑宣告されたのだから、「コケにされ」たも同然の死刑宣告であって、鳩山前総務相の解釈は立派な上に正しい。
麻生も古賀も東国原衆院選出馬要請は次期総裁就任の条件を突きつけられなかったなら、溺れないために縋る“ワラ”だったのは確かだが、実利として求めた目的は客寄せパンダの役割を超えるものではなかったろう。正確に言うなら、票寄せパンダ。自民党候補の応援に駆り立てて票を積み上げる票寄せパンダを期待した。
だが、麻生首相こそが選挙の顔でなければならない。選挙の顔として票寄せパンだの役目を果たさなければならない。にも関わらず「麻生が首相では選挙は戦えない、総裁を代えろ」の声が湧き上がってきて、票寄せパンダとして機能しなくなった。そのような中で東国原に票寄せパンダの役割を求めたのである。
いわば選挙の顔を求めのと同じことをしたのである。反対給付として次期総裁にの答が返ってきたとしても、それ程見当違いの要求ではあるまい。厳密に言うと、自民党に於いては総理・総裁こそが選挙の顔でなければならないからだ。
既に触れたように古賀は会談後、「誠心誠意お願いしたつもりだし、真面目に受け止めていただけるものだと、結果はどうあれね」と言っていたが、「真面目に受け止めていただける」かどうかの最初の検討は次期総裁就任要求に応えるかどうかの麻生自民側にこそ必要なプロセスであって、応えない回答なら、東国原側の自民側からの出馬要請の「真面目に受け止めていただけるもの」かどうかの検討は不必要化する。
いわば古賀は最初に必要な検討プロセスとして「東国原知事の要請を党に持ち帰って真剣に検討してみます」と言わなければならなかったのだが、それを省いて東国原知事側のみの検討にとどめた。その時点で検討する価値はないと打ち捨てたからだろう。メンツを装う必要から総裁要請はなかった扱いとして、「真面目に受け止めていただけるものだと、結果はどうあれね」と言った。
だとしても、地方自治体の首長に麻生ではダメだと死刑宣告を受けた事実は残る。コケにされた事実は残る。
臓器移植法(「臓器の移植に関する法律」)の改正案採決が6月18日衆議院本会議で行われ、年齢制限を撤廃した上で本人の意思がなくても家族の承諾を条件に臓器提供を認めるとする「A案」が賛成多数で可決、参議院に送られた。
6月18日付の「NHKニュース」が詳しく報じていた。インターネット記事――《臓器移植法改正案 A案可決》を参考にすると――
臓器移植法をめぐっては、4つの改正案が提出され、今の法律では認められていない15歳未満の脳死段階での移植を認めるかどうかが焦点となっていたという。
▽「A案」は、年齢制限をなくしたうえで、本人の意思がわからなくても家族が承諾すれば、臓
器提供を認める。
▽「B案」は、臓器提供ができる年齢を12歳以上に引き下げるとしている。
▽「C案」は、年齢制限は変えず、脳死の定義をより厳格にする。
▽「D案」は、年齢制限はなくすものの、15歳未満からの臓器提供は、家族の承諾に加え、第3
者機関が適切かどうか判断する。
議員個人の死生観にかかわる問題だとして、特定の投票行動を求める「党議拘束」を共産党を除いて各党共に外した採決がA・B・C・D案の順に開始され、「A案」が、263票の賛成を得て、投票総数の過半数を得て可決。
共産党は「審議がまだ不十分」といった理由でいずれの案の採決も棄権する方針で臨んだ。最初に採決が行われた「A案」が投票総数の過半数を得て可決されたことから、残りの3改正案は採決が行われず、「A案」が参議院に送らた。
記事は「A案」の成立を求めてきた移植を必要とする患者や家族で作る団体の代表で、自らも腎臓の移植を受けた経験のある大久保通方氏の声と日本移植学会の高原史郎副理事長の学会としての声明を伝えている。
大久保通方「可決されたのはうれしいが、ここまで来るのに12年もかかったことが悔しい。移植を望んでもほとんど受けられない臓器移植の現状を変えるには、A案しかないと思っている。海外に行くことすらできずに亡くなる患者がいることを考えて、参議院では時間をかけずに結論を出してほしい」
高原史郎副理事長「絶望的な闘いを強いられた多くの患者や家族にとって、今の法律を改正することは生きるための唯一の望みであり悲願だった。A案が可決されたことは、一筋の光明であるのは確かだが、参議院では日本人を国内で救うため、速やかにA案を採決するよう強く要望する」
両者の言っていることからも分かるように、「A案」は臓器移植を国内で行うことを必要とする者の利害をより多く代弁している。
記事は逆の利害に立つ2氏の声も伝えている。一人は臓器移植法改正に反対する市民団体の川見公子事務局長。もう一人はノンフィクション作家で、脳死や臓器移植の問題に詳しい中島みち女史(と年齢的に言っていいかどうかは分からない。)。
川見公子事務局長「難しい問題で、国会議員のなかでも十分理解されたとは言い難いのに、わずかな時間の審議で採決されたことに怒りを覚える。参議院では、脳死がほんとうに人の死なのかといったことを含め、慎重に審議して、弱い立場の人の命を奪うことにならないようにしてほしい」
「脳死を人の死」と認めることができない立場からの声だが、「A案」が採決されて「やったー」と喜んでいる者がいる一方で、利害を相反させて「怒りを覚える」者が存在する現実まで直視しなければならない。
中島みち女史「今の法律を根底から覆す法案で、本来ならば、新しい法律として慎重に議論すべきものだ。脳死からの臓器移植は、提供者の家族が一生、あれでよかったのかと重荷を背負うような過酷な医療であり、家族は同意するかどうかをわずかな時間で十分なサポートもないまま決めなくてはいけないのが現状だ。今回の法律ができてしまうと、医療の現場にも、治療を早く打ち切ろうという雰囲気ができてしまうのではないか」
脳死者本人の脳死段階での臓器提供の生前意思表示がない場合に於ける残された家族の死者本人の意思を確認できないままに決定することの心理的負担を言っている。果して本人は望んでいたのだろうか。望んでいないにも関わらず、残された家族が自分の判断で決めてしまうことになったなら、本人の意思に反した家族の独断ということになって、何よりも本人の意思に添う死を叶えさせなければならない残された者の務めを残された者自身が裏切ることになる。
どのチャンネルだったか、テレビでも、若い娘を脳死段階で本人の生前意思のないまま臓器提供に応じた4~50代の父親が、「『私は望まなかったのに、お父さん、なぜ移植したの?』と娘に言われているようで、この重荷は一生背負い続けていくことになるだろう」といったことを口にして、自らの判断に確信を持てない迷いを見せていた。
この父親は人間はこの世で死んでも、別の世で生きているとする思いを基本的な死生観としているから、生きていたときのままの状態にしておくべきではなかったのではないかという迷いを生じせしめることになったのではないだろうか。
私などはこの世の存在がすべてだと思っていて、死んだら痛覚を初め、一切の感覚・意識を失い、修理の効かない状態で壊れたパソコン同様、一切が停止して無に帰すとする即物的俗物に出来上がっているから、死者の生前に於ける私自身の判断の是非を問うことはあっても、それは現実にはあるはずもない死者からの問いかけや、あるいは生前にはなかった死者との対話によってではなく、あくまでも一切無に帰した死者には通じない私自身からの問いかけから生じた迷いに過ぎないとことと幸いにも片付けている。
そもそもが今回国会が臓器移植法の改正に動いたのは日本の臓器移植が海外移植に頼っていて、その現状に対する国際的批判が高まっていたことと、世界保健機関(WHO)が海外移植を原則禁止することの検討に動いたことに止むを得ず後押しされた新たな展開であろう。
4月4日の「asahi.com」記事――《心臓移植実現は必要患者の3割、半数以上は海外》が海外移植(渡航移植)の現状を詳しく伝えている。箇条書きにしてみる。
1.日本循環器学会心臓移植委員会が97年4月~08年10月、心臓移植を希望する524人を対象に
移植が可能(適応)かどうかを検討し、08年11月現在の患者の状況を調査、503人について
分析した。
2.適応と判断した432人のうち、実際に移植を受けることができたのは3割の136人しかいなか
った。
3.136人のうち、国内で移植を受けたのは43%(58人)にすぎず、半数以上は海外だった。ア
メリカが50%(69人)、ドイツ、カナダと続いた。
4.15歳未満だと、今年3月10日までに移植が適応と判断された73人のうち、国内で移植できた
のは1割に満たない3人のみ。臓器移植法では、臓器提供者は15歳以上に限定されており
、38人は海外で受けていた。
5.移植の適応とされながら、実現していない患者の半数を超える164人が死亡。129人が移植を
受けずに生活していたが、8割は階段を上るといった日常生活も難しい状況。
6.移植を受けた患者の10年生存率は約9割。そのうち約7割は、職場や学校に復帰できるまで
回復していた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
6.の状況は移植適応者の移植生存への願望を強める要因となっているに違いない。だが、移植適応者432人のうち国内で移植を受けることができたのは58人、アメリカで69人、ドイツ、カナダと合わせて136人のみで、残りの移植適応者296人のうち半数以上の164人が死亡、移植を受けることができないまま困難な生活を強いられている者が129人という、移植生存への願望を満足に満たさない状況にある。
15歳未満で言うと、臓器提供者は15歳以上とする臓器移植法の規定に影響されて移植適応者73人のうち国内移植は3人、海外移植が12倍強の38人、残りの32人は移植を受けることができないまま、移植生存への願望を少なくとも現状は断たれているか、あるいは既に断たれてしまった状況にある。
政治は国民のそれぞれの立場に応じて異なる利害の調整を重要な任務としている。調整なくして、社会はよりよく機能しない。臓器移植に於いても同じであろう。脳死を人間の死と認める立場と認めない立場とのそれぞれに異なる利害、他者の臓器を自己の生存条件として求める者と生前の身体のまま死を迎えたい・迎えさせたいとする死生観の持主との間に横たわる利害の相違、あるいは臓器提供の年齢で限を撤廃することによって生じる利害の食い違い等々を調整して、双方の生と死の利害をより公平化するすることも政治の役目なのだが、1999年12月に改正された現行法の見直しが3年後と決めていたにも関わらず10年近くも放置されてきたのは、臓器提供する者と提供を受ける者にとっては解決すべき切実な利害であっても、人口全体に占める移植希望者の数の少なさが政治家の利害を切実にすることから遠ざけていたことによる政治の怠慢・不作為が生み出した海外移植への過度な依存、臓器提供の少なさであろう。
このことは「脳死になったら臓器提供する」とサインした臓器提供意思表示カードを所持した者が約4%だった(08年の内閣府調査)ことと、その結果の脳死での臓器提供が年に10件前後だったことに見ることができる情報普及の不徹底に現れている。
いわば臓器移植に関わる国民の利害調整に日本の政治が試されていたにも関わらず、政治は応えることができずにいたと言える。
A案はカードがなくても近親者の承諾によって臓器提供が可能となるが、「脳死は人の死ではない」とする立場からすると、近親者の承諾にまで至らないケースが多々生じることになるのではないだろうか。
政治の怠慢・不作為は麻生のぶら下がり記者会見での発言(《世襲候補の立候補「いいとも悪いともなかなか…」4月15日午後6時25分~》毎日jp/2009年4月15日)に如実に現れている。
記事題名は議員の世襲問題となっているが、臓器移植に関わる応答のみを引用してみる。
Q:次です。臓器移植法の改正案についてですが、総理の見解をお願いします。
A:臓器移植はこれは、議員立法じゃなかった? 従って、内閣としてというのはなじまないと思いますけどね。議論として。
Q:総裁として、議員立法出されて、党の総裁としてはいかがですか?
A:あの、今の段階でこの法案がいいとか悪いとか、あれ、確か三つか四つか案が出てたと思いますけども。あのー、その中についてどれがいいというようなことを今の段階でコメントすることはありません。・・・・
例え少数であっても、同じ日本国民が政治的に早期に決着し、命の取扱いの社会的なルールとして欲しいと願い、その実現によって国内での臓器生存への道を広げることになる臓器移植に関わる切実な問題を「議員立法」だから「内閣としてというのはなじまない」と言う。あるいは「今の段階でコメントすることはありません」と言う。
例え少数派を形成しているに過ぎなくても、すべての国民のありとあらゆる利害を少なくとも脳裏に刻み込んでいなければ、総理大臣という一国のリーダーの立場から果たすべき国民の利害調整という政治上の重要な任務を放棄することになる。ましてやそれが議員立法であったとしても、国会で審議される段階に達したなら、議員立法であることを超えて、例え賛成の立場らであっても、反対の立場からであっても、それぞれの案が表現することになる利害に深く関わるべきであろう。関わって、国民がどれに一番満足するか、あるいはもっと満足する案はないか、政治的想像性(創造性)を働かすべきだろう。
少なくともこういったことを言うべきだったのではないのか。
「臓器移植の海外依存からの脱却は勿論、脳死を人間の死と把えるか否かの問題等のすべては国民の生命・財産に関わる基本的な認識に直接影響する問題なのだから、より多くの国民がそれぞれにより公平に自らの利害を満たすことができる調整・問題解決を望むし、私も総理大臣の立場から、利害調整に尽力したい」と。
世界保健機関(WHO)はジュネーブで5月18日から開催の総会で予定していた海外に渡り臓器移植を受けることを規制する決議の採択を来年の総会以降に先送り決定したという。理由は新型の豚インフルエンザ感染対策に時間を割く必要からとのことらしい。
海外移植、特に15歳未満の海外移植禁止の猶予期間が1年延びたと受け止める政治家がいるとしたら、政治の怠慢・不作為をさらに重ねることになるだろう。
麻生首相は年齢制限をなくしたうえで、本人の意思が分からなくても家族が承諾すれば、臓器提供を認める「A案」に反対を投じ、「A案」が賛成過半数を得て結果的に採決が行われなかったうちの、年齢制限はなくすものの、15歳未満からの臓器提供は家族の承諾に加え、第3者機関が適切かどうか判断する「D案」に投票するつもりでいたという。《臓器移植法改正と解散日の関係「ない」18日の首相》(asahi.com/2009年6月18日16時7分)から見てみる。
――よろしくお願いします。
「はい」
――先ほど衆院本会議で臓器移植法の改正案が採決され、脳死を一律人の死とするA案が可決しました。総理の受け止めをお願いします。
「総理として聞かれてるんでしたら、お答えはできません」
――政治家麻生太郎個人としてうかがいます。
「一議員としてということで、今回は党議拘束ないということで、それぞれ投票して、されたんだと思います。今回は、臓器移植によって人の命を救うって話と、人の死をどう考えるかっていうことの選択を迫られた話だと思っていまして、色々、悩んだ方も多かったと思いますけれども、少なくとも、臓器移植を望んでいる方々にとって、立法府としての結論を出したというのは良かったんではないかと思ってます」
――総理はA案には反対を投じていましたが、その理由と、もしA案が過半数に届かなかった場合には、他のB、C、D案のどれに賛成を投じる……。
「私はD案に入れるつもりにしていました」
――その理由というのは。
「今お答えしたように、人の命を救う臓器移植っていう話と、人の死をどう考えるかというんで、これは正直、あー、んん、まあ私だけでは(なく)多く悩まれた方が多いと思いますが、臓器移植という、いうのを道を開く傍ら、脳死については、これは色々、まだ、よろななかか(世の中?)の意見というものがきっちりまだ固まっていないのではないかなぁと、私自身はそう思っていましたんで、私はD案、いうのを考えていました」 ・・・・
「臓器移植によって人の命を救うって話と、人の死をどう考えるかっていうことの選択を迫られ」る臓器提供を行う側と受ける側にとっては切実で重要な利害に「総理として聞かれてるんでしたら、お答えはできません」と総理の立場からは関わろうとしない。国民のためにとその利害調整に自らリーダーシップを発揮しようとする意欲すら見せない。臓器移植に関わる国民の利害から距離を置いているからできる非自発性、高みの見物なのであろう。
「脳死については、これは色々、まだ、よろななかか(世の中?)の意見というものがきっちりまだ固まっていない」と言うなら、「きっちり」と「固」めるべきリーダーシップを発揮するのが総理大臣の役目と言うものだが、麻生は例外らしい。まさしく「我が辞書にはリーダーシップなる文字は存在しない」である。
総理大臣の立場にありながら、それを裏切る麻生の臓器移植に関するこのような言葉はこれまでの政治の怠慢・不作為を最も色濃く代弁している。
「D案」の「年齢制限はなくすものの、15歳未満からの臓器提供は、家族の承諾に加え、第3者機関が適切かどうか判断する」は第三者機関の承認を葵の御紋とすることで家族の心理的負担の軽減を図ろうとするものであろう。
これも一つの利害調整の方法であるが、物事を自らが決定する責任意識から自己を遠ざけて他力本願を姿勢とすることにならないだろうか。ただでさえ外国人から、日本人は上から言われたことはそつなくこなすが、自分から考えて行動することは苦手だと言われている。自分自身の考えに従えば、心理的負担を抱え込むだけではなく、責任も重くなるが、上の指示に従うとことによって、自分からの行動ではないから、その責任を軽くすることができる。集団主義・権主義の行動様式が阻害原因の責任回避意識なのは言うまでもないが、医者の立場の側からの脳死かどうかの厳密な判定と家族の承諾のみを条件とすることによって、生と死の利害に自発的に立ち向かうべきではないだろうか。
勿論、医者の誤判定と言うこともあるが、これは脳死判定だけに限った問題ではない。
尤もこういったことは言葉では簡単に言える。確実に言えることは臓器移植の利害に関係なく生涯を過ごすことができたとしても、その生涯に亘って自らの健康と生活の維持・保全に現代医学が確立した技術・情報・知識から日々多大な恩恵を受けているということである。
そしてそれらは外科手術を含む臨床医学や実験医学、解剖医学、その他の経験から得た必要は残し、不必要は排した取捨選択による歴史的集積の総体としてある技術・情報・知識であろう。
どの病気はどのような外科手術によって全治するという現代医学が確立した技術・情報・知識からも安心して生活できる恩恵を受けているはずであるし、臓器移植からも何らかの形で我々は恩恵を受けているはずである。
臓器移植をも含めて、医学全般から我々は恩恵を受け、医学あっての我々(我々の生)であり、我々あっての医学である相互性を確立している。医学を全く欠いたなら、水や食料を欠くのと同様に、生を成り立たせることは不可能だろう。例え医者にかかることはなくても、医学の知識や情報を生活の糧、健康維持の糧としていない者はいないはずである。
そのような相互性を「脳死は人の死ではない」からと言って、一律に遠ざけてもいいだろうか。あくまでも個人の価値観、個人の判断に任せて、死者の生前の意思表明がなかった場合の臓器移植に応じるかどうかは自らの決定事項とすべきではないだろうか。
安倍晋三は「A案」に棄権し、麻生と同じく「D案」支持で、その理由は「子どもに臓器移植を可能にすることには賛成だが、脳死を一般的な『人の死』とすることには問題があると思った」(YOMIURI ONLINE)としているが、個人の価値観としてはそれは許されるが、政治家の立場として、より多くの国民の利害調整となり得るかどうかも考えるべきだろう。
参議院の民主・社民両党の有志議員11人が「脳死は人の死」を前提とした臓器移植法改正の「A案」が衆院で可決されたことを受けて週明けに「子ども脳死臨調」の設置を求める独自案を提出する方針を固めたと「asahi.com」記事――《移植法独自案参院へ 民主議員ら「子ども脳死臨調」盛る》(asahi.com・2009年6月20日3時1分)が紹介している。
〈A案では、「脳死は人の死」とみなすことで提供者の生前同意を必須条件から外し、家族の同意があれば0歳から臓器提供できる。しかし、子どもの脳は回復力が強く、小児の脳死判定基準は専門家の間でもなお議論がある。親の虐待で脳死状態になる子どももおり、A案は移植を望む患者団体が支持しているが、大幅な要件の緩和には批判もある。
こうした声を踏まえ、独自案では、衆参両院の同意を得て、首相が任命した15人以内の有識者で構成する脳死臨調を設置することを盛り込む。
(1)子どもの脳死判定基準
(2)子どもの自己決定や親の関与が認められる範囲
(3)虐待を受けた子どもからの臓器摘出を防ぐ仕組みなどを検討する。
世界保健機関(WHO)が来年の総会で渡航移植の規制を目指した指針改定をする見通しで、子どもの渡航移植は難しくなっており、施行後、1年以内の答申を求める。
提出者の森ゆうこ議員(民主)らは当初、脳死判定基準を厳格化するC案を基に独自案の提出を検討していた。しかし、C案は「要件が厳しすぎる」と移植学会などの批判があり、子どもの脳死など異論が強い問題は、最新の科学的な知見を基にした脳死臨調の検討に委ねることにした。
参院には、脳死を人の死とは認めない宗教団体などと関係が深く、移植を推進するA案に抵抗感のある議員も多いとされる。(南彰、北林晃治) 〉(以上参考引用)――
「首相が任命した15人以内の有識者で構成する脳死臨調を設置すること」を求めている。一国の総理大臣でありながら、麻生が言うように「内閣としてというのはなじまないと思います」といったことでは決してない。政治が試されているという認識を持つべきであろう。
障害者向け郵便の割引制度を悪用してダイレクトメールを郵送、差額を不正利得していた活動実体のない偽称障害者団体の求めに応じて割引制度を受けることができる偽の証明書を発行したとして逮捕された厚労省雇用均等・児童家庭局長の村木厚子容疑者(53)の職場を大阪地検特捜部が家宅捜索したところ、総務課職員の机の中に現金で400万円が保管してあったと言うもの。
400万円の出所を厚労省の説明として記事は次のように伝えている。
有志の職員約10人でつくる研究会メンバーが業務時間外に法令に関する民間の出版物を校閲した際の報酬として出版社が研究会の代表者となっている職員名義の口座に複数の職員の分を纏めて振込み、代表者が引き出してプールして置いたカネだという。
使途は例の如くと言うか、よく目にする事例で、メンバーらの私的な飲食費に充てていたという。「あてられていた」と書いてあるが、「あてるつもりだった」とは書いてないから、既に充てていた分を含めると、400万円以上の報酬を受けていたことになる。
ここまで読んで、何年か前に同じような記事があったことを思い出した。
各自の収入は職員がそれぞれ確定申告で税務処理していたと説明しているらしいが、当てにはならない。口で言っているだけかもしれない。そういった例が多いから、直ちに信用はできない。〈会の名称や出版物は「私人としての代表者と出版社の契約なので答えられない」としている。 〉こと自体が怪しい。省の規則、あるいは公務員一般の規則に何ら触れない、それゆえ疚しいことも後ろめたいことも何一つなければ、公表は構わないはずだからだ。省からの公表はできないというなら、代表者本人に公表させればいい。
〈同局総務課は、職員が出版物への執筆や校閲で報酬を受け取ることについて
(1)報酬が作業量に見合う
(2)公費による出版物の買い上げが限定的
(3)職員の所属分野で普及・啓発になる――などの要件を満たせば「問題ない」と説明。今回もそれにあたる〉として、何ら就業規則に触れないとの見解だが、いくらこのように規則を並べ立てようとも、省の政策を啓発、もしくは広報する出版物・冊子の類ではなく、「民間の出版物」の「監修」によって得た報酬の使途が公的性格を一切持たない「私的な飲食費」に振り向けられていたということなら、公務員の副業禁止規定違反に当たらないだろうか。
現金を保管していたことについては、〈代表者の職員は「長時間勤務で極めて多忙なため、現金を管理していたことを失念していた」と釈明し〉、〈総務課は「多額の現金を職場に保管していたことは好ましくない」とし、この職員を口頭で注意した〉と言うが、「監修」が例え公務員の副業禁止規定違反に当たらないとしても、簡単に私的な飲食費として消費できる、その惜しげもないカネ離れは「長時間勤務で極めて多忙な」合間の「業務時間外」の労働で得た貴重さに反する。
ここまで日本の公務員が熱心になれるなら、もっと生産性が上がってもいいはずだが、欧米と比較した日本の公務員の生産性の低さが問題となっている。この矛盾はどう解いたらいいのだろうか。
こういった相反する価値意識や矛盾に妥当な答を与えるとするなら、「有志の職員約10人」の報酬分として「400万円」もプールできて、それを私的な飲食費として惜しげもなく散財できるということなら、余禄、もしくは余得、あるいは役得として得たカネと言うものはムダ遣いをしても惜しくないという通念を当てはめるしかなく、その報酬を余禄、もしくは余得、あるいは役得と見る以外に答は見つけようがないのではないだろうか。
各自の収入は職員がそれぞれ確定申告で税務処理していたとしているが、飲み食いに使ってしまう別収入のカネを確定申告というのも日本の公務員からしたら正直過ぎて、眉に唾をつけたくなる。
最初に何年か前に同じような記事があったことを思い出したと記したが、「asahi.com」記事は最後にそのことを伝えている。
〈厚労省では04年10月、職員が03年度までの5年間で書籍やビデオなどの「監修料」7億5千万円を受け取っていたとして、幹部ら約400人が約1億3千万円を自主返納したと発表したことがある。監修料には補助事業や大量の買い上げで公金が還流しており、関係した職員は延べ1475人にのぼった。同省は05年12月、職員22人を国家公務員法上の懲戒処分にあたる戒告処分にするなどの対応をとっている。 〉――
04年8月1日『朝日』朝刊――《厚労省 30人、監修料1.8億円受領》から見てきる。
厚労省外郭団体関連の出版社などの約20法人が研修ビデオや冊子、パンフレットなどを製作する場合、厚労省が補助事業として補助金を交付、20法人は監修料名目で同省国民保険課職員30人に03年までの4年間に監修料名目で1億8千万円を還流していたと言うもの。
この構図を可能とする方法は十分過ぎる補助金の流れが保証されなければならない。4年間に1億8千万円も還流していたことがこのことを証明する。当然、還流は十分過ぎる補助金を手に入れる担保としての意味も持つことになる。言ってみれば、十分過ぎる補助金を手に入れるためのワイロの側面を持たせた監修料名目のキックバック(=還流)であろう。
〈監修料については、同課では歴代の庶務係長が、法人との間で窓口となり、報酬は一括して現金で受取る場合が多かった。受領した現金はそのままプールしていたといい、同課の宴会費や職員の深夜帰宅のタクシー代などに充てていたほか、職員たちに現金を分配する場合もあったという。〉・・・・・
この惜しげもないバラ撒きに近い私的流用を可能としている要因はそのカネが余得、余禄、役得の類だからだろう。給与として計算される仕事から生み出されたカネであった場合、余程の浪費癖の持主でない限り、遊興費にこうも偏った使い方はしないだろう。
そしてこの記事に現れている「監修料」名目で還流された報酬の扱い方は最初の記事の総務課職員の扱い方とほぼ同じパターンを踏んでいる。プール、そして主として飲食費に充当――
「法令に関する民間の出版物」の校閲・監修だと言っているが、その出版社が04年当時のように厚労省の外郭団体の関連会社と同じ地位にあり、厚労省の補助金を受けて書籍や冊子、パンフレットの類や研修ビデオの製作を行っていたとしたら、監修・校閲で補助金の一部を還流して利益を遣り取りするのは一度露見していることだからと、報酬を正当付けるために名目を「法令に関する民間の出版物」の校閲・監修に変えていたとしたら?
前科ある者は疑われる。
08年9月に発覚した事故米を食用米として転売した事件で出先機関がいい加減な調査をして問題となったばかりの農林水産省で、同じく出先機関の職員が減反量策定のために農家を一軒一軒訪ねて米や麦の在庫量を調べて報告する数量を訪ねもせずに当てずっぽうに書き込みデーターを捏造していたとして56人が処分されたと6月19日の各マスコミが伝えていたが、日本の公務員である、みな同じ穴のムジナだと思えば、何も驚くには当たらない。
鳩山民主党代表「私は国民の代表の思いで、政府の、代表の総理に対して、議論いたしたいと、思います。その中で、民主党と、自民党の政策の違いというものを明らかにして参りたいと思います。
まず最初に、実はこの話をすることを、必ずしも民主党の同僚議員からは止められているのでありすが、敢えて国民のみなさんの最大の関心事に触れないわけにはいきません。日本郵政株式会社の西川社長さんの続投問題でございます。
この件に関して、私は、国民のみなさま方の総理に対する支持率が大変落下した大きな原因をつくった。なぜならば、判断できない、判断がぶれる、判断が間違える、この三つに、国民にとって見れば、ついて、一国の、総理大臣が、重要な判断に対して、なかなか結論が出せなかった。そして途中で、判断が変わった。そして、私から見れば、国民の多くから見れば、間違った方の首を切ったのではないか、そう思っておるのでございます。このような判断、国民のみなさま方にとって、これでは総理の器として、いかがなものかと、思われるのは、当然ではないでしょうか。反論があれば、お聞かせ願いたい。
麻生「我々も国会議員であればみな国民の代表、選良だということをまず最初にお断りしておきたいと思います。
(一言余分。形式としては、つまり形の上では「国会議員であればみな国民の代表、選良」だが、すべての「国会議員」がその役割を十分に果たしているとは限らない。「代表、選良」という形式から一歩も出れない輩もたくさんいるはず。
そういったことも認識できずに形式を単に表面的に把えて、「国会議員であればみな国民の代表、選良」だと言う。理念なき形式主義者だから、それぞれの存在性を問わずに、国家主義・民族優越主義の立場からだが、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」といった民族や国家の表面的形式だけを把えたことが言える。
大体からして総理・総裁としての役割を果たしていない自らの無能を棚に上げて、「国会議員であればみな国民の代表、選良」などと言って恥じない。)
郵政民営化のお話、に関しての話が、郵政会社に関するお話がありましたけれども、私は郵政株式会社っていうか、郵政会社は、これは郵政民営化という民営化された会社です。100%、政府が株を持っているとは言え、間違いなくこれは株式会社でありますんで、そういうような、株式会社、民営化された株式会社に対して政府の介入というものは最小限にとどめるのは、当然だと私はそう思っております。
民間会社というのは、民営化というその趣旨からしても、人事に介入するというのは特に慎重であるべきだと思っております。従いまして、日本郵政の人事に、いろいろな点で問題があると、いうのであれば、これは明らかに業務改善命令と、いうものを、等々を出されておるわけでありますから、それに基づいて、郵政株式会社が、結論を出されるのは、これは取締役会で出されることになりますんで、それに基づいて、取締役会までに結論をおろされておかれるべき、ということで、早い時点からこの点を申し上げておきましたけども、残念ながら、その対応は、できなかった、ということだと、私はそう理解を致しております。
した、従いまして、このような状況の中に於いて、混乱を招いているような感じ、はいかがなものであるかと、思いましたので、私どもと致しましては、総理総裁としての人事権が及んでおりますの、これは郵政会社ではなくて、間違いなく内閣側にありますんで、この問題に関しては、担当大臣という者の辞表を受理したということであります。
また西川社長につきましては、今後、新任されました総務大臣の下で業務改善命令に、従って、対応していかれるということになりますんで、この改善状況を見た上で、よく判断をしたいと思っております。少なくとも総務大臣というものは、事実を踏まえて、事実を踏まえて、法律に基づいて、きちんと対応されて、然るべきなんだと、私は基本的にそう思っておりますので、ぶれておるとかぶれていないとか、結論が、出るまでの間(かん)、いろいろなご意見を聞くのは当然のことだと思いますが、結論が出た後は速やかに実行するんだと思っております。
(この主張に関しては、後で同じ主張を展開しているから、そのとき纏めたいと思う。)
鳩山代表「もし最初からそう思っておられるならば、なんでこんなに時間がかかったのか、という話になります。もっとあっという間に結論を、出しても、よかったのはずではないかと思います。
一時は、少なくとも、2月の段階では『私はもともと郵政民営化には賛成ではなかった』みたいな発言があったりした。そのリストがどうのこうのと、あまりこの中に入り込むつもりは毛頭ありませんが、国民の、みなさま方、との期待のずれというものが、あまりにも大きかったということは指摘しておかなければなりません。
特にかんぽの、宿の問題、を初めとする大変な、あー、不祥事、あるいは不祥事に極めて近いような、状況、に対して、私どもは、既にほかの野党、国民新党さん、そして、社民党さんと、共に告発を西川社長さんにしているところでございます。従いまして、私どもが政権を獲得した時には、西川社長さんにはお辞めになっていただくしかないなと、そのように感じているところでございまして、これは当然、国民のみなさま方の世論というものを、しっかり受け止めた中で、政権、連立政権を樹立したあかつきには、そのような行動というのを取りたい。であるとするならば、今のうちに、お辞めにさせておかれたほうがよろしいのではないか、そのように敢えて申し上げておきます。
(「私どもが政権を獲得した時には、西川社長さんにはお辞めになっていただくしかないなと、そのように感じている」は、麻生は気づきもしないだろうが、各マスコミの世論調査で西川続投に納得できない、及び鳩山前総務相罷免に反対がそれぞれ60~70%も占める状況を逆手に取って、辞めさせたいなら、民主党に投票して政権交代を実現させるのが一番早道だというメッセージを有権者に送ったものだろう。尤もマスコミが既にこのことを指摘しているかもしれない。)
私は続いて、申し上げておきたい、あるいは、これは大変大きな問題でありますだけに、総理の方からお尋ねがあるのではないかと思いますので、私の方から先に、申し上げておきたいことがございます。
それは北朝鮮の、核実験、ミサイル発射の問題を把えた国連安保理1874に対する採択の問題でございます。私は採択がされたことは、大いに歓迎すべきことだと、国際社会の中で何としても北朝鮮に、少なくとも、慎重に行動をしてもらわなければならないわけでございまして、その、意味に於いては、一方では厳しく行いながら、他方では熟慮をうまく行うと、いう外交が求められている。日米韓のしっかりとした連携プレーというものが必要であるということを、私は先般、韓国に参りまして、イ・ミョンバク大統領にも、そのことを強く申し上げてきたところでありまして、これは総理もご異存がないところだと思います。
(「日米韓のしっかりとした連携プレー」は誰もが言っていることであり、イ・ミョンバク大統領も承知しているはずなのだから、「イ・ミョンバク大統領にも、そのことを強く申し上げてきたところでありまして」などとさも自分独自の意見のように言うのは不遜以外の何ものでもなく、「日米韓のしっかりとした連携プレー」を確認し合ってきたとでも言うべきだろう。思い上がると、麻生みたいな愚か者に成り下がる。政権を獲らないうちに、来年の参院選で民主党のみで過半数を取り、単独政権を目指すような発言をラジオ番組でしたそうだが、例え次の衆院選で単独過半数を取ったとしても、参院選までの間に何が起こるか分からない。
輿石東参院議員会長に「名古屋、さいたま、千葉と市長選で3連勝したが、浮かれている場合ではない。執行部のひとつの発言で世論が急変する状況もある。お互いに気をつけないといけない」(msn産経)と言われたそうだが、忠告する者がいなくなったら、見放されたときだろう。)
従いまして、いわゆる、貨物審査、に関する新法が必要だと、いうことであれば、大いに議論をしたい、そのように思っておりますので、早く法案を出していただきたい。白紙委任は、いくらなんでも、それはするわけにはいきませんので、是非早く、法案をご準備いただければ、我々としても、できるだけ早く、結論を出すことをお約束を申し上げたい。
麻生「先ず、先ず最初に、あの、政権を獲られたときには郵政会社が、社長の、首を解任させると、まあ、解任させるというご意見でしたが、世論だから、ということをおっしゃっておられましたが、私は、民間会社の人事というものを世論で決めるべきかと、ましてや、それを政府が世論をバックに介入すべきかと、いうことに関しましては、極めて慎重であらねばならぬと、最初に申し上げております。迂闊にやるべきものではないと私は基本的にそう思っております。まずこれが第一点です。
加えて、この、西川さんという方の行状、またはいろいろな問題点につきましては、いろいろあるんだと思いますよ。行状という言葉が正しいと思いますが。私につきましては、いろいろあると思いますからあえて行状という言葉を使わせていただきますが、はい。
私はこの方のしておられたことに関して、いろいろご意見は、多々ありますのは十分、あの、私どもとしても知っております。ただ、基本的には仮にも民間会社になったというんであれば、その会社の行動というものにつきましては、会社の中において、きちんと対応すべきが筋なのであって、我々としては、それは少なくとも取締役という会の決まる、前までに、いろいろ株主として発言をする、またそれに対していろんな話をするというのは、決して、間違ってないと思います。
しかし、決まった、取締役会で既に決定された、後にということになるのは問題だというので、早めの対応を、ということを申し上げておりましたが、やっておるということでございましたが、なかなかそこに結論が至らなかったがゆえに、長引いたという形になっているという点もご理解いただきたいと思います。
〈日本郵政は2008年12月26日、2009年4月に全て一括でかんぽの宿《首都圏の社宅9件を含む。日本郵政算出の純資産総額:約93億円》をオリックス不動産に約109億円で売却することを発表した〉と『Wikipedia」に出ている。鳩山前総務相がその余りにも安過ぎる一括売却に異議を唱え、白紙撤回となった。
一方日本郵政は5月の取締役会で指名委員会が西川社長続投を決定。6月の株主総会で再任か否か決定する。麻生は「少なくとも取締役という会の決まる、前までに、いろいろ株主として発言をする、またそれに対していろんな話をするというのは、決して、間違ってない」が、「取締役会で既に決定された、後にということになるのは問題だ」と言う。
では、なぜ既に一括売却の不透明性・不純が問題となっていながら、このことを何ら問題とせずに株主である政府は取締役会に臨んだ、しかし何も発言しなかったのだろうか。それとも出席しなかったのだろうか。
「私はこの方のしておられたことに関して、いろいろご意見は、多々ありますのは十分、あの、私どもとしても知っております」と言いながら、一括売却に関わる西川社長の行動を何ら瑕疵として見ていない。
また「取締役会で既に決定された」ことであっても、100%株主なら、臨時取締役会開催を要求できるのではないだろうか。開催にこぎつけて、人事をひっくり返すこともできると思うが、売却を瑕疵と看做さず、人事を決定したこととしていることから、すべてを「取締役会で既に決定された」こととしているに違いない。)
北朝鮮のお話がありましたが、北朝鮮のことに関しましては、これは、この極東というか、朝鮮半島に限らず、この、アジア、勿論のこと、世界の平和と安定にとっても極めて危惧すべき重大な案件、ましてや隣国の日本にとりましては、重大な、案件であります。従いまして、これに対応するためには、核実験が、2回目に行われた後には、私としてはブッシュ大統領に、また国連安保理のP5(常任理事国)のメンバーであります方々に電話をし、もちろん韓国にも、いろんな電話連絡などなどいろいろさせていただいて、今回のP5の1874に関しましても、少なくとも、時間はかかりましたけれども、前回の決議文に関しては、はるかに厳しいものが出された、というのは、それなりの成果だと思います。
(アメリカは未だブッシュの時代らしい。オバマはまだ登場していない。登場する頃、日本で登場していた麻生は退場という場面転換を迎えているのではないだろうか。)
少なくとも圧力、というものを以ってして、初めてー、世界の、メッセージ、世界の、世論というものが先方に、伝わるんだと、思っております。従って今回の対応、というものは、全会一致で1874が、執行された、あー、決議されたということは、これを受けて、我々としては、その中で世界各国に要請をされていることを含めまして、我々はそれに真摯に応えていくと、いう必要があろうかと思いますんで、今ご提案のありました、いわゆる船舶検査とかいろんな表現がありますが、船舶法だけを直せばいいという話ではなくて、いろいろな問題が関連いたしますけれども、ぜひ早急に、これを提出されていただきたいと、我々もそう思っておりますので、是非この件に関しましては、両党一致して、与野党一致して、このもんに関しましての早急な結論を得られ、得たいものだと、私どももそう思っております。
(事実の表面的解説から一歩も踏み出ていない。だから、前回のミサイル発射のときとほぼ同じ言葉の展開となる。制裁の形式とその形式に従った対応を形式的に述べているに過ぎない。)
《09年6月17日鳩山対麻生党首討論/理念と形式主義との闘い(2)》に続く
今日、これから申し上げたいことは、私どもの政策と政府あるいは与党の、政策との、違いというものを、できるだけ際立たせていくために、いくつかの、論点で、議論申し上げたいと思います。その一つは医療問題でございます。
私は一人の命も粗末にしない、そんな日本(ニッポン)の社会を作らなければならないと、思っています。ところがどうでしょうか。もう医療関係にまつわるさまざまな事件・事故が相次いでいます。
つい、先般も、出産中に重体となられた、妊婦さん、19カ所、病院に断られて、ついに亡くなられて、しまわれた。ご案内かと思います。同じような事件、事故は、たくさんございます。
自宅でお生まれになった未熟児の赤ちゃんが、7カ所、病院を断られて、しまって、で、最終的に新生児の集中治療室のない、その病院に連れて行かれて、結局亡くなってしまったと。こういう事故が、事件が絶たないわけでございます。
これを、色々と、当然、政府のみなさんも、ご苦労されていることだとは思いますが、私はこういったことがなくなるような、社会を、何としてもつくり上げていくことが、最優先の課題ではないかと、そのように思っておるのでございます。
そしてそのことを、様々勉強して参りますと、やっぱり、決定的なのは医師の数が不足をしているということ、それから看護師の数も不足をしているということ。私どもはやはり、医学部の定員を、例えば5割増しするというようなことなど、早急に手当てをしなければ、ならないことだと思います。
さらには、あの2006年からでしょうか、社会保障費、これも聖域ではないと、発言の中で2200億円が、どんどん削られて、しまったということ。これは大変な、国民にとっての、災難であったと、そのように思います。
診療報酬もずっと暫くの間、下がり続けていたわけで、あります。私共も、診療報酬に対して、すべてとは言いませんが、平均して2割上がるくらいの、診療報酬に戻さないと、厳しいのではないか、そのようにも感じているところでありまして、都合8000億円程度は、どうしても、今緊急に手当てをする必要があるのではないか、そのように私共は、計算をいたしております。
このような医療の問題、最優先しなければならない人の命の問題に関して、麻生総理はどのように考えているのか、お聞かせを願いたい。
麻生「我々として、えー、今―、医者の数が足りない、看護婦の数が足りない、という事態、特に地域、――に於いては、格差がある。看護師、医者、色々地域によって差がございます。そういった点はこれは大きな問題だと思っております。地域格差が出ておるという点だと思います。昔は医者は余っておると思われた時代がありました。その時に合わせて、色々、医学部の定員を削減したりも致しましたが、今は逆に足りない、という事態になっております。
それに合わせて我々としても、当然対応いたしておりますが、その問題に関しましては、我々も、同様に医者の数を増やさねばならない、看護師も、ということを当然考えておるわけですが、同時に考えなければならんのは、医者を新たに養成するのには10年ぐらいの年数がかかります。その10年間、どうするのかと。ただ、今医者を、学部の数を増やして、医者だけ、医者の卵を今から、インターンから始めてということをやるのには、かなりの時間差ができると、いう点が、我々としては考えねばならぬ大きな問題なんであって、そのためにはどういう対応ができるかということも含めて、今検討を致している最中であります。
これは正直申し上げて、現実問題としてはかなり厳しい話でありまして、辞めた方も、是非もう一回、というお話をしてみたり、結婚をされて退職をされた看護師、看護婦、に対して、是非再就職をやる気はないか、という話を致してもおります。ただいずれにいたしましても、これは毎年1兆円ずつ増えて参ります、社会保障関係の中の、中で、我々はそれに対する、財源の、手当てもしなければならん、私は基本的に、これは大きな問題だと思っております。
少子高齢化と、いうのが間違いなく現実、ということになってきておる、今の中に於いては、この財源問題の話をなくして、我々は、この問題は対応できないと思っております。従いまして、我々としては、今、こういうような状況下にあっては、財源の手当てとしては少なくとも広く、薄く、国民に負担をお願いせざるを得ないと、そう思って、3年後、景気が、少なくとも回復してきたと、いう状況に於いて、経済が好転を示したという、段階に於いては、消費税を含めて、税の抜本改正というものを、やらせていただき、そういった、新たに増えます分に関しての対応、新たに増えました社会保障関係の対応に関しまして、個別、勘定科目を分けると言うんですが、そういうようなことをきちんとさせていただいて、いわゆる社会保障関係がきちんとできるようにする、そのための財源というものに対して、消費税というものは、我々としては避けて通れないと、思っておるんですが、鳩山代表のお話を聞いておりましたら、こないだ、党首討論で、岡田代表、代表じゃない、岡田、当時代表候補者とのお話に於きましては、少なくとも、消費税の話はしないと、いうお話になっておるように聞こえましたけど、消費税の論議、というものを避けて通るというのは、財源を避けて通るということになろうと思いますけれども、この点に関しましては、どうように財源を考えておられるのか。
なぜならば財源がなければ、少なくともこういう話は極めて無責任なことになると、財源というものをきちんと提示してこそ、初めて、政策が実現しうると、我々はそう思っておりますので、是非、この財源という問題についてのご見解をお聞かせいただければと存じます。
(「消費税の論議、というものを避けて通るというのは、財源を避けて通るということになろうと思います」とは、最たる形式主義の表れであろう。自分たちがつくり上げた形式に過ぎないことに気づかない。
麻生のこの言い分が正しいとなると、財源を議論するとき、必要なくても、消費税を議論しなければならなくなる。麻生内閣は財源に消費税増税を必要とする。民主党は政権を取った場合でも、4年間は財源の手当に消費税増税を当てないと言っている。それが可能かどうかの問題で、可能なのかどうかを徹底的に追及すべきだが、消費税増税による財源手当てという自分側の形式に囚われ、それを正当化したいがために杓子定規なことしか言えない。)
鳩山代表「私は今、お話を伺って、人の、命より、財源の方が大事かなと、やはり、私は、人の命をまず大事にする政治というものを、つくる、そのためには、財源、貴重な財源をやはり投入すべきじゃないですか。それを、最初から財源の制約というものを、財務省にいわれてつくった、社会保障費と言えども、聖域ではないという、間違った論理の中で、2200億円、毎年増えるべきものがカットされてきたと、それがこんなありさまになってしまったんじゃないですか。
財源、財源の議論を、私はするなという積りはありません。しかし、人の命というものを、もっともっと大切にする、それが政治のあり方で、官僚任せにする政治が、どうしてもですね、コンクリートの方が大事で、人の命というものを粗末にしてしまう政治に成り下がってしまっているここを、変えなければならないと申し上げています。
財源、財源のお話をされました。そのご質問いただいたものですから、私から、お答え申し上げたいと思います。財源の手当て、というのはご案内の通り、3種類、あります。一つは増税をすること、一つは借金をすること、一つはムダ遣いをなくすことです。私どもは、その優先順位を、先ずムダ遣いをなくすという、徹底的にムダ遣いをなくしたいという方向からスタートしたいんです。
今の政府はですね、官僚任せにされているものですから、この財源論の、すぐ話に、なって、本来ならば消費税を上げないで済む話なのに、即ち、ムダ遣いを徹底的に見直すという部分を官僚主導でやられてるもんだから、どこもムダがありませんという話になって、ならば、減らせませんねと、減らせないからしょうがありませんねと、借金をしましょう、借金でも足りなければ、あとは消費税の増税ですね、そういう話にすぐ変わってしまうので、私どもは、その前にやることがあるでしょうと。
私どもは政権を取った時に、まず4年間、消費税の議論に、すぐ答えを出すんではなくて、これは官僚の抵抗がものすごく予想されますから、それに対して、各省庁、事業仕分け、今お互いにやっておりますけれども、事業仕分けなどを徹底的に行って、どのぐらいムダがあるかということを点検をしなければいけない。我々が政権を取れば、あの川辺川ダムとか八ッ場ダムとか、もう、もう古くなった、今のご時世に合わないような、大型の公共事業というものは、基本的にやめようと思っております。そういうことをしながらですね、財源を生みだしていく、ムダ遣いを減らしていく、不要不急のものは後にしたっていいじゃないですか。
私どもは、何ですかそれ?私どもはですね、20兆円ぐらい新しいですね、新しい、政策というものに、予算を計上したいと思っているんです。それをみなさん方から言うと、そんな財源どこにあるんですか、必ずそういう話になるんです。だから、お話を申し上げたいと思っています。一般会計と特別会計、合わせると210兆円、あります。この210兆円中で社会保障費、国債費、こういったものは、どうしても削れないのは分かっています。
費目をいろいろと検討した中で、公共事業、施設費、人件費、補助金、こういったですね、合わせると70兆円になるんです。その70兆円の中の10兆円程度、私どもは、例えば随契を見直すとか、不要不急のものを、後に回すとかして、当然の話で我々は10兆円ぐらい削減できると、考えているんです。
それをやるかやらないかは、官僚任せにしている、政権はできない、でも、官僚任せではない国民のみなさんと一緒に歩む民主党ならできる。その発想で、私どもはやらせていただくんです。だから、このようなことを行っていけば、決して今すぐに消費税の増税の議論に、陥る必要はないんです。即ち4年間の間、我々が政権を取っても消費税の増税はしないということをここに明言をしておきます。これでよろしいでしょうか。
(鳩山代表は「人の命をまず大事にする」政策のためには社会保障費関係に「貴重な財源をやはり投入すべき」だと主張している。麻生の言っている「勘定科目を分ける」ということなのだと思うが、麻生のそれは社会保障費関係のみに関する仕分けであって、鳩山代表は全省庁に亘るすべての政策の「事業仕分け」によって財源配分の多寡及び注入先を変え、尚且つムダを削って必要予算額のバランスを取るべく策している。ここが形式主義者麻生との大きな違いだろう。)
麻生「鳩山代表は前回の党首討論の中に於いても、4500の団体に2万5000人の天下りOBがいて、そこに12・1兆円のいわゆる国の予算が流れていると主張されておられました。12兆1000億の殆どというものは、よく調べていただかなくてはいかんことだと思いますが、国立大学、私立大学などなど教育に1兆2000億、出しております。また独立行政法人に3兆7000億出ておりますが、この中には住宅金融支援機構に3000億、などいろいろ例を挙げて出ておりますが、我々はこの、こないだのお話を聞いておりますと、全部足して申し上げてもいいですよ、これ。
時間が、もったいないなと思って申し上げないだけなんですが、民主党は12兆1000億がすべて天下りOBの、人件費かのごとき話をされておられますが、これは、12兆1000億のうち人件費は0.8%。0.8%しか使われてないんで、残りの部分につきましては今申し上げたような例をずっと挙げれば、キリなく出てきますけれども、学校の、問題に関しましても、少なくともこういった、資源というものをきちんと、私立大学なり、国立大学にしなければ、国立大学の授業料は今50万円だと思いますが、直ちに5倍、250万ぐらいにならないと計算が合わない。そういったようなことができるんでしょうか。私は基本的にそういった点を一つ一つ私どもも詰めた上で申し上げておりますんで、如何にも2000、12兆1000億がすべて人件費かのごとき話をされるといかがなものかと、いう形をいたしております。
また210兆円の話が出ましたけれども、ご存じのように、これは国債費が80兆、ご存じの通りです。また社会保障関係費70兆、これで150兆であります。また地方交付税関係で20兆出ております。従ってこれで170兆、そして財投に約10兆です。残り約30兆、ということになりますが、その30兆の中には勿論文教関係、なんかに、これは6……ええ5兆といくらか出ておりますんで、そういったものを足していきますと、この中か、らいきなり、210兆からこうやっていったら(身体の前で篩〈フルイ〉を振るうジェスチャー)20兆出てくるかの如き話には、私共としては、とてもではないけど、そういった話は現実を変えておるのではないかと、私共はそう思っております。
少なくともこういったようなことをきちんと精査していただかないといかん話であって、現実論を言っていただかないと、どこがどういう具合なのか、という点をきちんと言っていただかないと、今申し上げたような極めて不安感を我々持たざるを得ない。そういうことを思っております。
(今ある実体の表面をなぞることしかできない形式主義者だから、金額のプラスマイナスの話しかできない。自民党政治がムダをなくすことができず、事あるごとに目に余るムダ遣いが跡を絶つことなく世に現れることとなる。一度徹底してムダ遣いの根絶ということをやらないと、いつまで経ってもムダ遣いはなくならない。自民党政治が蔓延らせてきたままの状態が今後とも続くことになる。
また、ムダ遣いとは単に金銭的なロスをだけを言うのではなく、必然的に非効率な仕事を付き纏わせ、結果として非効率・不毛な生産を成果とすることになる。生産上のロスを生むということである。いい例がかつての社保庁で、1年か2年勤めて1人頭1億円を超える退職金を懐することができる社保庁長官の天下り殿様待遇に対して、その弱みからだろう、長官と一般職員が交わすこととなった仕事内容・仕事量の「確認事項」が約束した職員1人1日のパソコン・キータッチは最高5000タッチ以内、あるいは年金や健康保険の保険料6070万円を財源とした職員用マッサージ器の購入(04年)といった殿様待遇を生むこととなったが、そういったことの成果が保険記録の改竄、記録漏れ・記録不備が約5000万件、その修復を図る照合作業でも4割に当たる2025万件〈08年4月当時〉が依然として持ち主が特定されていなかった情けない状況であろう。
ムダ遣いのあるところに、満足のゆく効率的な仕事など望みようがないのである。日本の公務員の欧米先進国に比較した生産性の低さはムダ遣いが原因ではないだろうか。
逆説するなら、ムダ遣いがなくなれば、仕事も効率的になるということになる。いわば鳩山代表が言っていることはムダ遣いの排除だけではなく、そのことを通して予算の有効・効率的な配分と運用をも主張しているのである。麻生はそのことに気づかない。精々、「12兆1000億のうち人件費は0.8%。0.8%しか使われてない」といった数字をなぞることぐらいのことしか言えない。「0.8%」がさらに大きなムダをつくり出していることなど、考えることもできないに違いない。)
《09年6月17日鳩山対麻生党首討論/理念と形式主義との闘い(3)》に続く
それを我々が点検をした中で、210兆円の中で、70兆はそれで積み上げることができると。この70兆の中の10兆円程度ならば、十分にムダを、ムダだと考えて、なくしたり、あるいは今、急がなくてもいいから後回しにしたっていいだろうと、いうものを見い出すことができると。先程からそう話をしたのに、いわゆる官僚任せにする、そのペーパーをそのまま棒読みされるから結果として、まあ、間違った認識をそのまま持ってしまわれるのではないか、そう指摘をせざるを得ないんであります。
それからですね、前回の、党首討論のときに、確かに私が申し上げました。トータルで12兆1000億円、4500の天下り団体に2万5000人が天下ってる。で、そのことを指摘を申し上げたら、こともあろうに、細田幹事長から質問、公開質問状が来ました。ちょっとこれはね、いくら何でも失礼な話でね、今まさにこの麻生総理と私との間のこういった議論を通じて解明すればいいのに、何ですか、この顔も見ないでペーパーだけ出して、これいつまでに答えてくれなければいけません。これは大変失礼な話だな、ご無礼なことだなと思っておりますので、二度とこういうことは、なさらないでいただきたい。私の方からきちんとお答えしますから。
あの中に書いてあることを私は政府の、調べていただいて、それをペーパーにして、その中で読んだわけでありますので、その数字は正しい数字でありまして、決して間違っているわけではありません。一つ一つ、それを政府答弁として、私が、国民のみなさま方にこの党首討論で、お話しした数字は、決して間違っているわけではありません。
その12兆1000億円の中でよく聞いていただきたい。8兆4000億円だと、思いますが、その中の半分、以上、随契なんです。随意契約であります。すなわち随契、防衛装備なども入ってますよ、当然のことながらそれだって減らせない話ではないでしょう。かなり相当高く見積もったものがいろいろ出てきたことは指摘されているじゃあ、ありませんか。こういうですね、一つ一つをチェックをしていけば私共すれば、すべて12兆1000億円全部がムダなんてことは言ってませんよ、一言も言ってませんよ。でも、その中にかなりの部分、削減できるものがあるんではないですかと言ったんです。人件費なんて言葉も、一言も使った覚えはありません。人件費ごくごくわずかであることは十分に理解しています。だからこそ随契とか、そういう話を申し上げているわけじゃありませんか。
(上記の感想と重なるが、天下りで2~3年居座るだけで高額の給与、高額のボーナス、高額の退職金を手にする。そのような人間を上層に抱える組織は決して効率的な仕事は望めない。上層部の人間のみが報酬の面でいい思いをする組織、人件費を効率的・公平に配分できない組織が全体として満足に機能するはずはない。かつての社会保険庁同様に下の者はバカらしくて真面目に仕事などできないからだ。)
是非そのところはですね、もっと、政府なんですから、我々は予算を組める状況ではない。みなさん方が予算を組んでおられるわけだから、もっと一つ一つの中身を点検して本当にムダがないのかどうかをチェックをしてくださいよ。政権を取れば、当然我々がチェックを致しますから、政権を取る前はあなたがたがチェックするしかないんです。じゃあ、あなたがたは、例えば河野太郎先生などが中心となって事業仕分けで、例えばアニメの殿堂はムダなんだとかいう話が出てきましたけど、そういう議論は政府の中では真面目にされていないんですか。ムダ遣いはないと、本当に麻生総理は思っておられるのかどうか、お聞きしたい。
(なぜ「チェック」できないかと言うと、自民党政治の不作為・非効率を同時に暴くことになるからだ。)
麻生「まず最初に随意契約の話から入られましたが、随意契約というものは、約12兆円の約半分が随意契約という表現を使っておられました。今も重ねて使われましたが、これは、計算をしてみますと競争入札以外はすべて随意契約と、いう計算で、これは出来上がったんだと理解をいたしております。しかし財政投融資資金なんかの貸し付けなんてものは、これはそもそも随意契約であろうはずがありませんから、これはいくらなんだってそれを全部入札と言われるのはいかがなものかと。随意契約としてカウントしておられるのはちょっと、正直申し上げておかしいんじゃないかと思って、思っております。
随意契約に、また色々な、色んな意味で、例えば防衛施設庁なんかのライセンス契約というようなものも、これは、随意契約ということになりますんで。我々の計算では正直申し上げて、にゅう、えー、きょう、えー何て言ったっけ、えー随意契約と言われるものが、約2兆円ございますが、約2兆円ありますが、我々の言う随意契約、世間一般で言われる随意契約というもんだと思います。これが約2兆円ありますが、そのうちの約半分が防衛施設庁関係の、防衛庁関係のものだという点で、ありますんで、まず如何にも随意契約が半分以上は勝手に役人がやってるかのごとき印象を与えるのは間違っていると思います。それがまず第一点であります。
またムダ、ということに関しましては、我々は当然のこととしてムダが、まったくないと、一つもないと言う程、私はすべての人間が完璧だと思ったことはありません。しかし我々としては、極力ムダをなくすように努力し、続ける、不断の努力をし続けるのは当然なんであって、これは選良として、政府側にいる人間としては当然のこととして、この種のものに対しては目を光らせる義務、責任というものは、みな一様に負ってる。なかんずく、そこに担当いたします、閣僚ともなれば当然のことに、それをやらざるを得ない、またやらねばならん大事な大事な仕事だと私どももそう思っておりますんで、如何にも何となく民主党になったらすべてのムダがなくなるかの如き話は、とてもでないけれど、我々としてはそんな簡単にいくもんでもありませんし、双方この点はムダだと言われるご指摘をいただければ、それは我々としてもそれを受け入れる、そういったものを調べて対応していくもんだと思っております。
(人間は完璧とか完璧ではないという問題ではない。完璧でないのは当り前の話で、完璧ではないことを前提に、それを埋め合わせる努力を人間は義務づけられている。自民党政治ではムダ遣いが蔓延り続け、いつまで経ってもなくならない。それを「我々としては、極力ムダをなくすように努力し、続ける、不断の努力をし続けるのは当然なんであって、これは選良として、政府側にいる人間としては当然のこととして、この種のものに対しては目を光らせる義務、責任というものは、みな一様に負ってる」などと言う。ムダ遣いがなくならないことが口先だけであることを証明している。
いわば一番完璧でないのは麻生自身で、尚且つそれを補って努力することもせず、口先だけ、言葉だけで補って済ましているのが麻生太郎、その人であろう。)
またアニメの殿堂の話を具体例としてされましたけれども、これは何も思いつきで、私の段階で出たわけでもなんでもない。これは前々に、安倍内閣の時にこれがスタートし、福田内閣でこれを企画をし、私の時に実行させていただいたという、それまでの経緯がございます。少なくとも、我々は、今これからの日本のソフトパワーとしては、少なくとも今日本で約14兆円ぐらいのものがありますけれども、14兆、世界では150兆、のコンテンツ関係のものがあり、これはこれからもさらに伸びるといわれる部門であります。
(確かにマンガ・アニメの中には優れた作品があるが、これらが国民の読書離れ、活字離れの進行過程で広範囲に場所を占めてきたことも事実。そのこととの関連で考えるべきだろう。
また「14兆、世界では150兆のコンテンツ」のさらなる後押しに「マンガの殿堂」がどう役立つかの説明がない。「マンガの殿堂」なくして、ここまでの市場を獲得したにも関わらず。)
我々としては映画、写真、色々、アニメ以外にも一杯ありますが、こういったものをきちんとして、我々としては系統立てて、我々はそれを支援していく。役人が、政治家が、この種のことに秀でていると思ったことはありません。従って、これは、運営、等々は民間に、基本的にやってもらうのが筋だと、いうことを申し上げてきておりますんで、思いつきで何もやってるわけではまったくないということだけは、私としては誤解を、招かれるような話になり過ぎていると思っております。
鳩山代表「私は12兆すべてが問題だと言っているわけではありません。その中の8兆のうちの半分が随意契約だと申し上げたんですよ。ちゃんと、しっかりと聞いていただかないといけません。
その随契、私どもの、計算では随意契約が4兆、となっています。ですから今の、どちらが正しいのかを、私共も政府からの、計算をもらったデータでありますので、どっちかが間違っているんでしょう。それは一つ正しいものにしていかなきゃなりませんが、我々とすれば半分程、随意契約あるなと、いう思いは様々ですね、今までの経験から感じています。
それからアニメの殿堂の話がございました。私がアニメの殿堂のことを申し上げたのは、河野太郎先生がそれは不要だということで申し上げた。自民党の中から不要だという話が出たということで、そのことを、政府としてどう考えているのか、ということを申し上げたので話であります。
そこに117億円かける。今、安倍総理の時からという話がありましたけれども、補正予算ですよ。補正予算で組むのは、緊急的に、本予算が終わった後、緊急的に必要に、なるところに、組まれる、予算でなければいけないのに、何で安倍総理の時から、問題が起きて、考えられていたものが、突然補正予算に組まれるのか、ということが、どう考えたっておかしいでしょ。これは私でなくたって、このおかしさは分かるはずであります。
私が、ただ論点を変えて申し上げればですね。こういった箱物ですよ。30兆が土地だと承ってますし、そのうち70兆がハコモノ。そこで100兆……100億。ごめんなさい。30億と100億、あ、合計100億、ということでありますが、そのことで私が申し上げたいのは、コンクリートから人の方が大事じゃないかと申し上げたい。
即ちですね、この3月、4月、自殺どのくらいおられたと思われますか。自殺の数がですね、毎日100人です。日本です。そんな国、先進国ではどこにもありません。特に20代、30代の、若い方々が自殺をされてしまっている。死因のトップですよ。亡くなった原因の20代は49%が自殺ですよ。49%、ほぼ半数が、自ら命を絶たれてしまっている。30代も36%。3人に1人以上が自ら命を絶たれてしまっている。こんな国ないんです。先進国の中でこんな若者の自殺が第1位なんていう国、ないんです。
そういう人たちを救うことが政府の役割じゃないですか。私は一人の命も粗末にしないと言うのは、まさにそういう意味で申し上げているんであります。そのことを、もしお分かりになっているのならば、なぜですね、生活保護、母子家庭の母子加算、4月にカットしちゃったんですか。200億くらいでしょ。そのくらいのお金でできる話で。
私は色んなところから聞きましたよ。小学校に入りたてのお嬢ちゃん、お母さんが生活保護、母子家庭、2万円切られてしまった。そこで、もう私は高校に行けないのね。その話、聞いたら涙が出ましたよ。高校に行けないのね。勉強したいのに。高校に行っている男の子3人の兄弟のトップが高校1年生。彼も母子家庭。その方も修学旅行、行きたい。でも、ぼく修学旅行、行かなくていいよとお母さんに言ったそうです。修学旅行に行きたくても行けない、高校行きたくても行けない。そういう人たちがたくさん今いるんです。これが日本の現実なんです。
自ら毎日命を絶たれる方も毎日100人おられるんです。こういう方を救おうじゃないですか。居場所を見い出せるような国にしようじゃないですか。そのため何で一方で、私はアニメの殿堂を全部悪者にしたいと思っていない。アニメの殿堂のお金があれば、何で生活保護の家庭の母子加算に戻してあげないんですか。そういう政治をやりたいんです。やろうじゃないですか。
麻生「まず、さい、最初に、あの、二つ問題、分けておられましたけども、これ時間も限られてますんで、あの、母子家庭の加算の話をされましたけれども、母子家庭が置かれております状況は実に様々、であります。従って先程の、一日100人とおっしゃいましたが、これは正確に言いますと、過去10年間で毎年約3万人を超えております。それが実数でありまして、ずーっと、毎年3万人を超えるのは異常だと、私も確か最初、去年のうちに、所信かどっか、本会議でこの数字を触れたと、記憶をいたしますが、明らかに、鳩山代表、これは誰が考えてもおかしいです。
(相変わらず自殺の現実状況の表面をなぞる説明しかできない。「これは正確に言いますと、過去10年間で毎年約3万人を超えております」と単なる表面的な解説で終わっている。〉
しかも1997、8年のあの、あのー、アジアの経済金融危機、あの時ぐらいが数字的には、日数としては合ってるんだと思いますが、その頃ぐらいから急激に増えてきたというのが、実数として我々が把握しているところであります。
従ってこの問題は非常に大きな問題なんであって、これは裕福か裕福じゃないかに関わらず出てきておるというところも、加えて問題なとこです。
(ずうっと政府側の人間であり続け、現在政府の代表者として、歴代内閣と自らの内閣がどのような手を打ってきたのか、打ってきたが、なかなか解決できず、自殺者の数を減らすことできない、どこに問題があるのか、毎年3万人を越える自殺者を出して、命を失わせてしまっているといったことを話すべきなのだが、総理大臣でありながら、形式主義者であり続けているから、それができない。)
従いまして、我々は、母子家庭というものを、一つ例に引かれましたけども、我々はこれを一律、というような今までのやり方ではなくて、少なくとも、これまで月額2万3000円というものを一律母子加算というものを廃止をしましたが、しかし高校に行っておられる方々とか、いうのに関しましては2万円、またご存じのように、働いておられる、いわゆる、何て言うの? うん、就労している場合1万円、いうのをきちんと出さしていただいておりますし、また、さらに今回の補正予算に於いて、職業訓練期間中などに於きましては、生活費の支援と、いうものは、職業訓練の間生活、働けませんから、そういった意味では生活費の支援として、我々として最大3年間では限らしていただきましたが、14万円、というものの制度も創設した、わけでありまして、はっきり母子家庭を支援していくという視点ははっきりしておる、はっきりしておると思います。
時間なんですか? あっ、そう。あと1分だということなんで、これで終わらせていただきますが、話が途中になっているということもありますし、我々、我々としては、間違いなく安全保障の問題、何となく、隣の朝鮮半島の話など、色々、あの、伺っておりますと、どう考えても第7、かん、機動、艦隊さえいれば大丈夫だ、とね? 第7艦隊だけいれば、十分だという話が出てきてみたり、我々としては日米安全保障条約を確固たるものにするのが今、我々に最も大事なことなんじゃないかと、私は基本的にそう思っております。
第7艦隊だけで日本の安全が守れるであろうかということに関しましては、我々としては明らかに偏っておると思っておりますので、是非、そういう意味では我々としては、こういったことをきちんと対応するために、是非委員長に、時間だと思いますが、次回、早急に、この問題に関しまして、財源の問題、是非財源を話さない政策などというものは無責任だと、思っておりますから、財源の問題、そして安全保障の問題、この二つに関して、改めて党首討論を開催していただくように、是非よろしくお願いを申し上げます。ハイ。
鳩山代表「あの、ご提案ありましたから、まったく異論はありません。何か、突然に安全保障の話を最後に振られて、聞いておられる国民のみなさんも唖然とされたんではないかと思いますが、私どもは、民主党と自民党の政策の違いというものを分かりやすく説明しようかとして、思いまして、今日は参りました。その意味で、コンクリート、ではなくて、人を大事にする政治だと。官僚任せまかせではない、国民のみなさんの視点に合った、そういう政治をつくりたい、縦の利権型社会ではなくて、横の絆の社会をつくりたいんだと。中央集権ではなくて、地域主権の世の中に変えたいんだと。そういう議論を大いにこれからやりながら、国民のみなさんがなぜ麻生政権に対して、残念ながら愛想を尽かしておられるのか、そういったことも、明らかにして参りたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手、終了)
(結局のところ、麻生は自分たちが今行っている政策の形〈=形式〉を表面的になぞる説明しかできない。予算の財源に関わる過不足を数字でのみ把える政治の形〈=政治の形式〉から逃れることができないまま終わった。麻生だけが国民の期待に応えない党首討論だった。)
「自由民主党は間違いが一つもないなんて言うつもりは全くありません。是非みなさん方ん中にも、色々ご意見があんだと思いますが、自由民主党という政党をもう一回、冷めた目で見ていただければと・・・・」
そのあと、松本市に移って、同じ内容の演説をしたらしい。“らしい”とは、3つの「FNN」記事があって、移動の経緯がはっきりしない。松本市の演説は2つある。その一つ目。
「自民党という政権は、100%なんてことは絶対ない。問題点は、一杯あるよ。我々だって、思うことありますから。しかし、それは問題あるのは直す。それが当り前でしょ」
2つ目。
「自民党という政権は、100%なんてことは絶対ない。問題点は、一杯あるよ。それを悪(わる)ったら、悪かったら、それを直す。改善する・・・・」
同じ趣旨の演説を14日(6月)の「47NEWS」記事《首相「都議選負けると深刻」 首都決戦応援で》が伝えている。
〈14日午後、東京都議選(7月12日投開票)応援のため自民党立候補予定者の事務所を訪れ、「首都決戦」での敗北は自らの政権運営にとって致命的になりかねないとの危機感を示した〉そうだ。そのとき言っている。
「会社だって政党だって間違いはある。しかし、改善し努力し変えていこうとしている点は、他党に比べて圧倒的に優れている」
人間が極楽トンボに出来上がっているから、自分がどれ程バカなことを喋っているのか気づかない。知らぬが仏――気がつかないから、幸せでいられる。
確かに自民党の金権体質、利益誘導体質、政官財癒着体質、族益・省益優先体質等々、挙げればキリがない問題点はあるが、
与党の一部、野党の殆ど、国民の多くが現在最も問題にしているのは麻生太郎という総理大臣の資質――リーダーシップの欠如、その延長にある決断力のなさ、いわゆるぶれていると言われる一貫性のない態度、このような欠陥と重なる政策立案に於ける貧弱な創造性と政策遂行能力の不徹底、失言の形で現れることとなっている人格の劣りなどであって、それを「自民党という政権」、あるいは「会社」の矛盾に置き換えて、「100%なんてことは絶対ない」と言っている。
いわば一国の総理大臣であるなら決して許されない、国民から見たら目を覆うばかりの欠陥・問題点を反省するどころか、自分から棚に上げて、それを他の矛盾にすり替えるマヤカシを働いている。人間が狡賢くできていなければできない責任転嫁であろう。
逆説するなら、「100%なんてことは絶対ない」という抽象的な一般論の中に麻生自身の具体的な欠陥・無能力を紛れ込ませることでその免罪を図ろうとしているのである。
大体が政策立案・遂行当事者が「自民党という政権は、100%なんてことは絶対ない」などと自分から言うべきことだろうか。一国の政治を推し進めるとき、「100%なんてことは絶対ない」という考えを基本姿勢とされたのではたまったものではない。「100%なんてことは絶対な」くても、万全を期すべく最大限の努力を払うのが責任ある立場にある者の姿勢のはずだからだ。
責任逃れに目を向けるあまり、自分のマヤカシに気づかない。
結果、「自民党という政権は、100%なんてことは絶対ない」は愚かしいばかりの開き直りそのものと化す。こんな男を自民党は総理大臣に選んだ。選んだばっかりに、国民は麻生を総理大臣と看做さなければならなくなった。その責任だけでも、もはや政権を維持する資格を失う。
もう一人、麻生の前の前の総理大臣安倍晋三。
6月14日の「HNK」インターネット記事《首相判断支持 郵政改革続行を》
〈埼玉県秩父市で講演し、日本郵政の社長人事をめぐって鳩山前総務大臣が辞任したことについて、麻生総理大臣の判断を支持するとともに、郵政民営化を着実に進めていくべきだという考えを示し〉たそうだ。
安倍「鳩山さんと西川さんの、この対決で、蒸し返されてしまったんです。しかし、みなさん。これは正義と悪の対決、――ではないんですよ。
ちゃんと、新しい民営化された会社が経営されているかどうか、――この判断なんですね。政府は基本的に人事に介入しない。やはり改革を進めなきゃいけない。――」(動画から)
どちらが正しいのか、間違っているのか程度で、「正義と悪の対決」だと大袈裟に把えた者はまずいないだろう。それを「正義と悪の対決ではない」とことさらに言うことによって、狡賢くも問題を小さく見せようとしている。たいした問題ではないですよとばかりに。
経営形態は民間会社でも、100%政府出資で社長人事に関わる許認可権が総務相にあると言うことなら、一般の民間会社とは言えない。にも関わらず「政府は基本的に人事に介入しない」を原則とするなら、政府総務相の社長人事に関わる許認可権限は形式に堕す。許認可権限を政府が握っている意味を失う。人事権を放棄し、すべてを日本郵政に任せるべきだろう。
また純粋に全株主が民間人で、経営陣も全員民間人であっても、株主が社長人事に介入することがある。民間会社に準ずるということなら、例え100%政府出資であっても、人事への介入に不都合はないはずである。
安倍晋三は単に西川続投賛成派に属する自己都合から、「政府は基本的に人事に介入しない」と言っているマヤカシに過ぎないだろう。
4月5日(09年)放送のNHK番組「NHKスペシャル シリーズ・JAPANデビュー 第1回『アジアの“一等国”』」が反日的だと町村派会合で問題、安倍晋三は国家主義者にふさわしく、「週刊新潮も取り上げたが、番組はひどすぎる。関心を持ってこのシリーズを見てほしい」(msn産経)と他に呼びかけたそうで、結果として思想・言論の自由に対する口先介入を行っているし、2001年のNHK教育テレビの「戦争をどう裁くか」にも、その介入が問題となった。
自己の国家主義を優先させるためなら、憲法が保障する基本的人権を平気で破ることさえして介入するのに、介入があっても不都合はない政府出資100%の民会会社に対しては「政府は基本的に人事に介入しない」などと言う。まさしく自己都合からのマヤカシ以外の何ものでもない。
アメリカ政府は今回の金融危機で破綻の危機に瀕した民間金融機関などに政府出資した、もしくは資本注入した企業トップの高額すぎる報酬・ボーナスに取り過ぎではないかという介入を行っているが、安部晋三のルールからしたら、間違ったことになる。
そもそこからして西川社長自身が安倍の「政府は基本的に人事に介入しない」を否定している。
「(日本郵政は)政府100%出資の会社、株主構成はそうなっている。通常の民間会社の通りにはならない。その点は心得ている」(日テレNEWS24 )
ごく最近の元首相安倍とこれもごく最近の前首相福田の共に任期1年も満たないうちに政権を放り出した無責任は麻生の言う「自民党という政権は、100%なんてことは絶対ない」で片付けることができる問題ではないだろう。安倍、福田、麻生と政権を続けて一度も国民の審判を受けていない不備も「自民党という政権は、100%なんてことは絶対ない」で済ますことはできない。
それを麻生は自身の無能・無策まで含めて「自民党という政権は、100%なんてことは絶対ない」で免罪しようとしている。狡猾なマヤカシとしか言いようがない。
免罪できないよという答が世論調査の数値であろう。
毎日新聞が13、14日(6月)実施全国世論調査で、麻生内閣の支持率が前回調査(5月16、17日)から5ポイント減の19%、不支持は60%の最悪状態に達している。
この支持率のどこからも麻生の無能・無策まで含めて「自民党という政権は、100%なんてことは絶対ない」と免罪する国民意識を見て取ることはできない。麻生は「自民党という政権は、100%なんてことは絶対ない」を口実に自分自身の無能・無策まで免罪させようと、愚かにも溺れる者藁に縋っているに過ぎない。
「JNN」の世論調査でも、同じ答が返ってきている。
調査日 ――6月13・14日
対象 ――全国20歳以上の男女
有効回答 ――1201
最大誤差率 ――±2.8%
麻生内閣
支持できる ――24.4%(前回比-7.5ポイント
支持できない ――74.5%(前回比+8ポイント余り
日本郵政・西川社長の続投に反対して辞任した鳩山氏の行動について
支持する ――57%
支持しない――34%
西川社長の身体について
続投すべき ――16%
すべきでない――73%
西川社長の進退問題を巡る麻生首相の対応について
評価できる ――17%
評価できない ――81%
首相にふさわしい人
麻生氏――25%(5↓)
鳩山氏――40%(3↑)
その他――35%(2↑)
民主党の小沢代表代行・岡田幹事長の新体制について
評価できる ――49%
できない ――48%
政権交代について
必要だし、次の選挙で実現すべき ――48% (自民支持層――20%)
いずれ必要だが、まだその時期ではない ――32% (自民支持層――45%)
必要性を感じない ――18% (自民支持層――33%)(以上)
鳩山前総務相は15日午後の退任記者会見で、〈日本郵政の社長人事をめぐって、ことし春ごろ麻生総理大臣から手紙をもらったことを明らかにし〉て、
「その中には、『西川社長の後継人事で悩んでいることと思います。自分なりの考えで、後継にふさわしい人が何人かいますので、リストを同封します』と書いてあり、リストをもらった。麻生総理大臣も社長交代は既定路線と考えているものと、わたしが安心しきっていたのがバカだったのかもしれないが、その時点では麻生総理大臣もそういう考えだったことはまちがいない」
「わたしは『不透明なことをやってきた日本郵政の今の経営陣は認められない』と言って辞表を書かされた訳だから、今の内閣は西川社長の続投を認めるのだろう」
「日本郵政は、民営化されても公的な性格が強く残っているのだから、まちがっていると思ったら、当然政府として口を挟んで誤りを正していかなくてはならない。民間会社に政府が口出しをするのはおかしいという考え方には、まったく正当性がなく、誤った考えだと思う」――
「この件についての麻生総理大臣の判断は完全に誤りであって、国民はその評価として、支持率を下げる形で示してきているのではないか」――等々述べたと15日の「NHK」《“今は離党 新党の考えない”》が伝えている。
麻生内閣が今後の展開でもし西川続投を否定したなら、どう辻褄を合わせて自己正当化に走ろうとも、鳩山総務相更迭は何だったのかと麻生はさらに恥を欠くことになる。
鳩山「手紙」暴露発言に対する麻生の態度を「NHK動画」から。
――事実関係をちょっとお教えください。
麻生(質問を笑い飛ばす仕草で頭を右斜め後ろに反らし、左右に首を振ってから)「コメントありません」
――今年春の時点で、総理がその西川社長の交代を考えていたということなんでしょうか?
麻生(深刻さのかけらもなく笑いながら)「今お答えしたとおりです。コメントありません」――
なぜ、「否定しないということは事実だった証拠になりますが」ぐらいは言えなかったのだろうか。
小泉や安倍、町村等の町村派の圧力を受けて「自民党という政権は、100%なんてことは絶対ない」を自己正当化の免罪符に態度豹変のマヤカシを平然と見せたといったところなのだろう。
任命権者の首相が自らが任命した総務大臣に辞表を提出したなら面白い展開が見れたのだが、任命した者と任命された者の関係上、そうはいかず、常識的な辞任の流れで終わった。
いずれにしても、任命された者が不適切発言とか不適切行動とかの不祥事を起こしたなら、辞任にとどまらず、説明責任が付随するが、主張が受け入れられないことからの辞任である以上、辞任させた任命権者側に自らの主張の正当性を明らかにする説明責任が生じたことになる。
「NHK」インターネット記事《首相“鳩山氏は事実上更迭”》 (09年6月12日 19時11分)は辞任が題名どおりに「事実上更迭」だったことを伝えている。
鳩山(午後2時過ぎの記者会見)「今、辞表を提出して参りました。と言うか、その場でサインしました」(NHK動画)
前以て辞表を用意して首相との話し合いの場に臨んだなら、サインはしてあっただろうから、首相の方から辞表を用意しておいて、そこにサインさせたと言うことだろう。
いわば辞表提出の形を取った詰め腹――更迭だったと鳩山邦夫の言葉からも推測できる。
麻生「民間の事業に対して、国が色々なことを介入したり、するということは、努めて避けるべきだと、私は基本的にはそう思って、おります。業務の改善等々、色々ありますけれども、そういった問題を法律と事実に基づいて、新しい大臣のもとに、その問題をどう解決していっていかれるか、その判断がきちんと出た上で、判断させていただきます」(同NHK動画)
「判断させていただきます」の「判断」とは、西川社長を“続投”の「判断」だと動画にテロップが入っていた。
麻生の言っていることに例の如くにウソがある。
先ず最初に「民間の事業に対して、国が色々なことを介入したり、するということは、努めて避けるべきだ」と言っている。日本郵政が5月の取締役会指名委員会で西川社長続投を既に決定していて、6月末の株主総会で総務相の認可を待つ段取りを踏んでいる以上、国のそこへの「介入」はないと言っているに等しい。
つまり再任ありきなのである。再任を前提としていながら、総務省が日本郵政に対して出した業務改善命令の回答を「法律と事実に基づいて」精査した上で、続投か否かを最終決定すると、さも今後の展開が決定要因となるかのように言うのはウソの装いを凝らしているとしか言いようがない。
その証拠が6月9日付の「東京新聞」インターネット記事《スコープ 混乱深まる郵政『鳩の乱』 首相、勝算なく動けず》の中に示されている。
「首相は西川氏を続投させる方向で、河村氏と与謝野馨財務相に調整を委ねている。河村氏らは、日本郵政が業務改善命令に対する報告書などで改革姿勢を示すことを条件に、鳩山氏に西川氏続投を容認させる構えだ」
6月9日の時点で、首相から調整を任された河村官房長官が業務改善命令に対する日本郵政側の回答報告書で「改革姿勢を示すことを条件に、鳩山氏に西川氏続投を容認させる構え」を示していたのである。
当然、麻生が言った「そういった問題を法律と事実に基づいて、新しい大臣のもとに」云々は取ってつけたウソの対応策に過ぎないことになる。
6月13日の「YOMIURI ONLINE」記事《首相、当初は「西川交代」…竹中・小泉コンビが封じ込め》は 麻生首相は当初、日本郵政の西川社長を交代させる意向を持っていて、その意向を受けて鳩山総務相が動いたが、その動きを察知したのが竹中平蔵、親分の小泉元首相にご注進に及んで、その威光のもと、交代劇を封じ込めたと伝えているが、だとしても、人事の認可権限を握っているのは総務相なのだから、麻生太郎は自らの当初の交代意向を押し通してもいいはずだが、当初の意向に反して総務相辞任に持っていったのは小泉の党内への根回しに屈したと言うことなのだろう。
なおさらのこと、「そういった問題を法律と事実に基づいて、新しい大臣のもとに」と云々するのは二重三重にも取ってつけた、答は既に見えている大ウソ八百と言うことになる。
要するに鳩山総務相が問題としてきた「かんぽの宿」や社宅等79施設の総務省独自の不動産評定価格148億円を基にした売買評価額250億円に対して08年8月の日本郵政の鑑定額133億円。日本郵政が提出した79施設の固定資産税評価額857億円に対してオリックス不動産提示一括譲渡額109億円の余りにも開きがあり過ぎる叩き値を生じせしめた不透明な鑑定経緯、及び実体のない架空障害者団体が計画・実行し、厚労省職員や日本郵政職員までが手を貸し、大手通販や大手電気店、大手広告会社までが利用し、日本郵政から差額約49億円(そう、約49億円も不正に利益を上げていたのである。)を不正獲得したとして請求することとなった障害者団体向け割引郵便制度悪用の違法ダイレクトメール問題に関わる業務管理能力・人事管理能力を業務改善命令の回答で「改革姿勢を示すことを条件に」不問に付すということである。
大体が回答報告書に「改革姿勢を示すこと」が「条件」となっているという業務改善命令とは何を意味するのだろうか。形式の自己目的化以外、何も意味しないだろう。
勿論、鳩山総務相は不問に付さない姿勢を示していた。
「代表的なのは『かんぽの宿』でございますけれども、ガバナンス全体のことを考えますと、立派な経済人であっても、日本郵政の社長としては、いかがなものかという思いを抱(いだ)いているということでございます」(NHK動画)
西川社長のガバナンス能力そのものに疑問符をつけ、業務改善命令の回答の内容を問題点としていない。
麻生も河村官房長官も、それ以外の西川社長続投支持の閣僚及び自民党議員、さらに小泉元首相も竹中平蔵も、「業務改善命令に対する報告書などで改革姿勢を示すことを条件」は形式で、社長再任を既定路線として「かんぽの宿」の叩き売りに近い不適切な売買価格設定や障害者団体向け郵便割引制度悪用問題に現れた業務上の不透明性、管理無能力を不問に付すというわけである。
この経緯はブログで機会あるごとに書いていることだが、不適切発言や不適切行動を起こした閣僚等の責任を“職務の遂行”、あるいは“職務能力”に代えて免罪とする自民党が自らの歴史・伝統・文化としてきた内閣組織及び党組織の維持・保身に符合する。
いわば業務改善命令に対する日本郵政側の回答報告書に改革姿勢を見ることができたとして西川社長の再任を最終的に認めさせることを以って完成させる自民党が自らの歴史・伝統・文化としてきた組織的保身を国民は追認するのか、「総額で約 2400億円をかけたとされるかんぽの宿など79施設で、売却額は約109億円」(asahi.com)のナゾ、不透明性、あるいは障害者団体所管役人と日本郵政職員も関わって差額約49億円の不当利益を供与するまで野放しにしてきた障害者団体向け郵便割引制度の悪用に関わる西川社長の民間企業トップとしての業務上、人事上のガバナンス(=管理能力)の是非を問うことを国民を求めるのか、どちらかの選択が必要となる。
もし前者の選択なら、麻生のウソを並べ立てた保身術に任せておけばいい。後者なら、鳩山前総務相の西川社長再任拒否の言い分に対して自らを正しいとすることのできる説明を果たすことを麻生に求めなければならない。
最後に与謝野財務相がマイクを手に握って言っていたことを取り上げてみる。
与謝野「なかなか面白い話がないんで、大きく取り上げられておりますけれども、政府としては小さな問題ですから、ご心配なく」(NHK動画)
確かに「政府としては小さな問題」に違いない。不始末・失態を矮小化もしくは隠蔽して責任回避を専らとしている自民党政府代々の責任のルールからしたら、「小さな問題」とするのはごく自然な把え方である。
だが、国民の側から見たら、果して「小さな問題」で済ますことができるだろうか。与野党問わない相当数の国会議員や大方のマスコミが首相のリーダーシップや内閣管理能力を問題にしたということは同じ目線に立つ国民も相当数いたことを示す。それを「小さな問題ですから」と言う。
「かんぽの宿」等の叩き値でのオリックス不動産一括販売計画や障害者団体向け郵便割引制度の悪用への加担を批判したのは鳩山総務相やマスコミだけではなく、与野党議員も加わっていたし、勿論国民も多くが加わっていた批判だったのである。
そういったことまで考えを及ぼすことができずに、「政府としては小さな問題ですから」と平気で言う。客観的・合理的な認識能力を持ち合わせていないから、そう言えるのだろうが、そういった単細胞人間が財務省と金融相と経済財政担当相の重要な三役を務めている。
この倒錯的事実を解くとしたら、官僚に手を取って貰って各政策をこなしているとしか答えはないのではないだろうか。だから民主党から、官僚内閣制だと言われる。