鳩山由紀夫という男、こいつバカではないのか

2010-03-31 06:17:26 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――

 鳩山首相はアメリカ軍普天間基地移設の政府案を3月中に纏めると自分から言ってきた。いわば国民向けの宣言でもあり、約束に当たる。

 当然首相は自ら3月中に纏めるとした考えを関係閣僚に指示、関係閣僚は首相共々首相の指示に従った3月中の政府案完成を行動計画としたはずである。いわば3月中に纏める予定で行動した。有能であるなら。無能なら、計画通りに行動できなくても、無能であることが理由となって止むを得ないということになる。

 だが、総理大臣及び内閣が無能であることは許されない。

 3月29日夕方の首相官邸でのぶら下がり記者会見。

 《普天間「『今月中』と法的に決まってない」29日の首相》asahi.com/2010年3月29日21時22分)

 (普天間問題のみの抜粋引用)
 
 【普天間基地の移設問題】

 ――米軍普天間飛行場の移設問題について、岡田外務大臣は対米交渉前に一つの案に絞り込む必要はないとの考えを示した。総理は「最終的には一つにまとめなければ交渉はうまくいかない」と述べていたが、政府案を3月中に一つにまとめる考えに変わりはないか。これは閣内不一致と呼ばれる現象ではないか。

 「え(苦笑い)。そういうわけではありません。当然いろんな選択肢の中から当然最終的には一つにして交渉をまとめていくと、当たり前で最後に二つもある、三つもあるわけはありません。ただ当然のことながらいろいろとアメリカやあるいは日本の中でも、交渉をしていく中で当然、必ずしも表だけの交渉ではなくて意見のすり合わせというものを行う必要があると。その中でいくつかの案が最初はあることはこれは当然かもしれません。しかし当然、政府案として最後に交渉してまとめていくにあたっては複数あるはずもありません」

 ――まとめていくのは3月中という考えに変わりはないか。

 「3月中にまとめていきながら、当然まあ、いつまでに全部やんなきゃいけないとかそういう話じゃなくて、大体のスケジュールから行けばあと残り2カ月あまりですから、もうそろそろしっかりとした政府案をまとめて交渉を成立させていきたいとそう思ってます」

  ――(中略)――

 【普天間その2】

 ――政府案をそろそろしっかりまとめたいというのは一つの政府案を今月中にまとめるという考えでよろしいか。

 「まあ、今月中じゃなきゃならないとかいう、そういう、ことは別に法的に決まっているわけじゃありません。ただこの、あと2カ月という時期でありますから、そのような判断の中でまとめていきたいと思っていますし、そのような時期になってきていると思います」

 3月中に纏めるという法律を国会で通して法的に規制したわけではないから、「法的に決まっているわけじゃありません」は子どもでも分かる当たり前のことで、NHKテレビで同じことを言っているのを聞いて、こいつバカではないのかと思った。

 法的に決まっていないからといって、自分から言い出した3月中の政府案完成の約束を果たさなくてもいいということにはならないのはこれもまた至極当然のことであろう。約束の実現こそが自身の言葉を裏切らない責任の履行となる。約束を実現し、責任を履行するには自身の事を成就する能力ばかりか、関係閣僚を指示して約束どおりに事を成就させるリーダーシップの能力が深く関わってくる。

 いわば何々しますと言葉を一旦口にした途端に実現能力とリーダーシップと責任意識が問われることになる。その自覚がない。自覚があったなら、「法的に決まっているわけじゃありません」などと言い逃れの口実めいた理由にはならないことは言わないだろう。

 自分自身が言い出して、指示したであろう政治スケジュールである。その一つ一つに総理大臣としての存在自体が問われる国民の審判の前に立たされている自覚を持つべきだろう。

 持たないところに実現能力もリーダーシップも責任意識も相互に関連し合う能力ゆえに何一つ育たないことになる。

 大体が2009年暮れの12月に政府は普天間移設の結論を年内決着と言っていたにも関わらず、年明け以降に先送りしているのである。そして政府案を3月一杯に纏めると、3カ月の時間的余裕までつくった。その約束を違えたなら、これでは『狼と少年』の“少年”状態となりかねない。だからこそ、麻生太郎に劣らずにブレると言われる。

 そこへきて昨30日に平野官房長官が午後の記者会見で米海兵隊は沖縄に必要だと言い出したという。 《米海兵隊は沖縄に必要=普天間移設、「抑止力」を重視-官房長官》時事ドットコム/2010年3月30日(火)18:03)
 
 平野「今の北朝鮮の動向を含め、沖縄の皆さんの負担を頂きながら米海兵隊が沖縄にいることは、わが国の安全保障、抑止力、初動態勢を含めて必要だ」

 とうとう本音を明かしたかといった印象である。なぜなら、今更ながらに分かったことではないはずだからだ。今更ながらに分かったことなら、理解能力が相当欠けることになる。こいつ、バカかと言われても仕方がないだろう。

 バカであることを免れるためには既に分かっていたことだが、隠していたということでなければならない。但し、バカではないことを証明できたとしても、相当に質の悪い狡猾な人間と言うことになる。平野のこれまでの言動からも証明できる狡猾さではある。

 また平野のこの発言を裏返すなら、日本の「安全保障、抑止力、初動態勢」に欠陥が生じることと抱き合わせになることを承知していながら、そのことを口には出さずにもっともらしげに閣僚間で国外・県外移設を言っていたことになる。

 「沖縄の皆さんの負担を頂きながら」も、負担軽減を言ってきたことを裏切る図々しい要求、もしくは押付けであろう。

 『狼と少年』の“少年”状態は鳩山首相だけではなく、平野官房長官も同類と看做さなければならない。

 少なくとも鳩山内閣が一旦言い出したことを遣り抜く責任意識を欠いるということは確実に言える。責任意識の欠如は相互に関連し合う能力ゆえに実現能力、リーダーシップの欠如を必然的に伴う。

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新卒でなければ正社員になりにくい現状という権威主義

2010-03-30 08:00:19 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
 
  大学生の就職のあり方について議論している日本学術会議の「大学と職業との接続検討分科会」が新卒でなければ正社員になりにくい現状を問題視して、「卒業後、最低3年間は(企業の)門戸が開かれるべきだ」とする報告書案を纏め、文部科学省に提出すると、「asahi.com」記事――《卒業後3年は新卒扱いに 大学生の就職、学術会議提案》(2010年3月29日5時33分)が書いている。

 結婚したら、3年間は新婚扱いにしようと取り決めるようなものかもしれない。だが、そう取り決めたとしても、以前は新婚旅行から帰国と同時に別れる夫婦を譬えた成田離婚などといった言葉も流行ったし、それ程最悪ではなくても、新婚賞味期間の3年を経たずに離婚するカップルもいるだろうし、逆に結婚後10年を経過しても新婚状態を保つ夫婦が稀には存在するだろうから、新婚状態を維持できるか否かは当事者それぞれの意識の問題だが、就職の場合、新卒で就職の機会を逃した大学生がその後も新卒賞味期間を維持していたとしても、企業側が新卒年のみしか賞味期限を認めない就職制度を自らの意識とし、そのような意識を少なくとも戦後日本の就職制度に於ける歴史と伝統と文化としていたということなら、大学生側には太刀打ちできない双方の意識の断絶ということになる。

 記事は次のように解説している。

 〈日本の企業は、大企業を中心に、新卒者を採用する傾向が強い。中途採用はあるものの枠は狭く、希望の企業に採用されなかった学生が「新卒」の肩書を持つために、留年するケースもある。 〉――

 だからこそ、このような現状を改めるべく検討された「卒業後3年は新卒扱い」という意識面での新たな制度の設定ということなのだろうが、企業が新卒者にほぼ限定して採用に値する価値を置くのは新卒・既卒に関係なく個々の人柄や能力に価値や権威を置くべきを、このことから較べたら形式に過ぎない新卒にある種の権威を与えて、上の存在と価値づけているからだろう。その逆として、新卒で就職できず、次の就職シーズンに再度のチャンスを求める既卒者に権威を置かず、新卒者の下の存在と価値づけていることから生じている採用傾向に他あるまい。

 日本の社会は家柄や血筋、職業、卒業した大学の有名・無名を上下の価値で権威づけているように、就職時の卒業時点に関してまで、新卒を既卒に対して上の価値で権威づける権威主義に支配されているということである。

 かなり前だが、一頃、家や大学の寮から通う女子大生は世間ずれしていない、アパートやマンションを住まいとしている女子大生は親に内緒で男をいつでも連れ込むことができる、外泊も自由で世間ずれしているからと、企業が住まいを採用時の条件としたといったことがあったと聞いたが、人間の価値はそういったことで決まるわけではないはずだし、試験の成績で決めれば済むことだが、採用し、使用する企業側が世間ずれしている女子大卒は扱いにくい、世間ずれしていない女子大卒は扱いやすい、素直に言うことを聞くに違いないといった意識があったからではないだろうか。

 そもそも権威主義とは上が自らを絶対として下を従わせ、下が上に無条件に従う行動様式を言う。上の指示・命令に対する下の同調・従属に狂いがあってはならない。狂いを生じせしめる条件を持った採用対象は疎外されることになる。それがかつての親から離れてアパートやマンションを借りていた女子大生であり、かなり前から現在まで引き続いている新卒時に就職できなかった既卒者というわけなのだろう。

 そしてこのような権威主義的採用条件は当然のことだが、大学の有名・無名を権威主義的に上下に権威づけて採用に差別を設ける制度と相呼応している。すべてが日本人の意識としてある権威主義的な価値観、権威づけから発生して、社会制度とまでなっている採用の仕組みをそれぞれに構成しているからだ。

 だが、このような権威主義に則った日本の社会的制度とまでなっている権威主義的意識からの採用制度を裏返すと、企業側は自らの人事管理能力に頼って部下を採用・使用するのではないことを何よりも証明している。

 権威主義の原理に頼って採用・使用することとなっているから、人柄や能力に価値を置くことよりも、有名大学卒か否か、新卒か既卒かといった自分たちがつくり出した形式に過ぎない権威に価値を置くことになる。

 住まいで女子大生の就職に差別をつけたのと同じく、権威主義の行動様式に照らして、新卒の方が既卒と比較して世間ずれしていない、純粋だ、言うことを聞かせやすいといった権威主義的な人事管理からの行動意識が理由となっている“新卒志向”といったところなのだろう。

 これは三昔か四昔、男女とも女性は処女であることに絶対的価値、絶対的権威を付与した“処女信仰”にも相当する、日本の権威主義的思考が招いている大学生に対する一種の“新卒信仰”と言えないだろうか。

 新卒であるか否かが学生の人間価値の決定要件はないのと同じように処女か否かがその女性の人間的価値を決定する資格要件ではないにも関わらず、かつての日本人は処女に人間的価値を置く権威主義に囚われていた。今以て囚われている日本人もいるに違いない。

 分科会は問題点を新卒でなければ正社員になりにくい現状のみに絞って議論したわけではなく、他にも問題点を取り上げている。

 就職活動の早期化で、大学4年間で学ぶ時間を確保できにくくなっている弊害や企業の「新卒一括採用方式」が特定の世代に景気変動の影響を与えやすい点等を取り上げ、問題視している。

 後者は“新卒信仰”が強く関係している問題点であろう。一旦景気変動の影響を受けて新卒の資格を失うと、例え景気が回復して有効求人倍率が上がっても、新卒でないことが本人の努力や能力に関係なしに後々の就職にも影響していく。

 何とも哀しい権威主義の価値づけであり、権威づけと言わざるを得ない。このことを避けるために、〈希望の企業に採用されなかった学生が「新卒」の肩書を持つために、留年するケース〉が本人にとっては深刻な問題だろうが、滑稽にも発生することになる。

 分科会は具体的対策を次のように提案している。

 企業に対する新卒要件の緩和の要求。経済団体の倫理指針や法律で規制するのではなく、既卒者を新卒者と同じ枠で採用対象とする企業の公表。

 これは同じ枠で採用しない企業の社会的評価を落とす懲罰になると同時に同じ枠で採用する企業への社会的評価を高める報償とすることで同調を促そうとする提案であろう。

 政府に対しては卒業後も大学の就職支援を受けられるように法律を改正するなど速やかな対応の要求している。

 就職活動で学生が学業に打ち込みにくくなっている現状については大学4年間、あるいはさらに大学院での在学年の間、学生を社会から隔離するのではなく、インターンシップ等の制度を整備、そのような制度に則った機会を通して大学在学中から社会に交わることが重要だと提案している。

 さらに記事の最後で、〈大学が就職活動のスキルやノウハウを伝え、資格をとるよう促す動きについては大学教育全体で職業的な能力を育て、成績評価を社会でも意味を持つよう改善することなどを求めた。〉と解説しているが、大学生が在学中に得た職業的な能力の「成績評価を社会でも意味を持」たせることができたとしても、それ以前の問題として、大学間で大学の価値を上下差別する価値づけ、権威づける日本人の権威主義的意識を取り上げなければならないはずである。

 例えば大学在学中に国家公務員上級職試験に合格した。だが、学んだ大学が違っても、国家試験という同じ土俵に立って獲得した資格であるにも関わらず、卒業した大学の有名・無名によって採用後の地位・給与の待遇に上下の違いが生じる。

 このような差別を受けた場合、例え大学生が在学中に得た職業的な能力の「成績評価を社会でも意味を持」たせることができたとしても、その評価は出身大学による待遇差別によって相殺されることになる。

 大学の有名・無名に従って与えた価値・権威をそのまま大学生個人の能力として価値づけ、権威づける。あるいはそのような権威主義的な価値観を在学中に得た資格にまで広げる。何とも如何ともし難い日本人の権威主義の行動様式ではないだろうか。

 以下参考引用――

 《卒業後3年は新卒扱いに 大学生の就職、学術会議提案》asahi.com/2010年3月29日5時33分)

 大学生の就職のあり方について議論している日本学術会議の分科会は、新卒でなければ正社員になりにくい現状に「卒業後、最低3年間は(企業の)門戸が開かれるべきだ」とする報告書案をまとめた。最終報告書は近く、文部科学省に提出される。同会議は、今の就職活動が、学生の教育研究に影響しているとして、新しい採用方法の提案などで大学教育の質についての検討にもつなげたい考えだ。

 日本学術会議は、国内の人文社会・自然科学者の代表機関で、文科省の依頼を受けて話し合っている。報告書をもとに同省は議論に入る。

 今回、就職にかんする報告書案をつくったのは「大学と職業との接続検討分科会」で、就職活動早期化で、大学4年間で学ぶ時間を確保できにくくなっている弊害などが出ていることから、対策を考えてきた。

 日本の企業は、大企業を中心に、新卒者を採用する傾向が強い。中途採用はあるものの枠は狭く、希望の企業に採用されなかった学生が「新卒」の肩書を持つために、留年するケースもある。

 報告書案では、「新卒一括採用方式」について、特定の世代に景気変動の影響が出やすい点を問題視。卒業後すぐ採用されなければ正社員になるのが難しいことから、卒業後最低3年は在学生と同様に就職あっせんの対象にすべきだとした。

 企業側にも新卒要件の緩和を求め、経済団体の倫理指針や法律で規制するより、既卒者を新卒者と同じ枠で採用対象とする企業を公表することを提案。政府にも、卒業後も大学の就職支援を受けられるように法律を改正するなど速やかな対応を求めている。

 また、就職活動で学生が学業に打ち込みにくくなっている現状についても、規制のみで対応することには限界がある、と記述。大学が学生をできるだけ長く社会から隔離するのではなく、インターンシップなどの機会を早くから整備することが重要とした。

 大学が就職活動のスキルやノウハウを伝え、資格をとるよう促す動きについては大学教育全体で職業的な能力を育て、成績評価を社会でも意味を持つよう改善することなどを求めた。
 

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枝野「中国や朝鮮半島の植民地化、歴史の必然」ではなく、日本国家の意志

2010-03-29 06:12:41 | Weblog

   

 《「中国や朝鮮半島の植民地化、歴史の必然」講演で枝野氏》asahi.com/2010年3月27日22時37分)

 枝野行政刷新相が3月27日に松江市で講演して、政権交代を契機に「新しい政治をつくらないと大変になる」といった演説趣旨を説明する譬えに明治維新を引き合いに出してアジアの歴史に新解釈を施す、次のような歴史家顔負けの立派な歴史観を述べたという。

 「日本は明治維新ができ、近代化したが、中国や朝鮮半島は近代化できなかった。日本は植民地を広げる側で、中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然だった」

 「ペリーが来て『国を開け。日本が油断したら植民地にするぞ』と。日本は明治維新が早くできたからその後の100年くらいの中で一定の優位性を保つことができた。同じ環境に中国や朝鮮半島もあった。日本の明治維新をみながら近代化しようと頑張った若い方がいたが、結局進まなかった」

 「日本が明治維新できていなければ日本も中国や朝鮮半島と同じように、欧米列強の植民地や半植民地にされていただろう」

 記事は一連の発言を、〈植民地支配を正当化したとも受け取られかねない発言だ。〉と批判している。

 講演後、朝日新聞の取材に枝野歴史政治家は次のように答えたという。

 「日本が植民地支配する側に回ったのはおかしいと思っている。誤解を招く発言で率直におわびする」

 簡単に「おわび」されたのでは、勇ましく断定した 「歴史的な必然」がどこかに吹き飛んでしまう。枝野歴史政治家が言っていることは、記事の題名で書いているように中国、朝鮮半島に対する植民地化が「歴史的な必然」であるということにとどまらず、「中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然だった」と言っているように“植民地化”と表裏一体をなしている「侵略」と被侵略そのものを「歴史的な必然」であり、歴史が招いたことだとしていて、その点にこそ問題がある。

 さらに「近代化」と「非近代化」が侵略する側と侵略される側を分ける分岐点だと看做している。「近代化」こそが国家的な侵略性を備える必然的要素であり、「非近代化」こそが被侵略性を担う必然的要素だと。

 いわば「近代化」は歴史的“善”であり、「非近代化」は歴史的“悪”だと価値づけている。

 日本は明治維新という近代化ができたから、中国、朝鮮半島を侵略し、植民地化できた、中国、朝鮮半島は近代化ができなかったから、日本に侵略され、植民地化された。だからこそ、「日本が明治維新できていなければ日本も中国や朝鮮半島と同じように、欧米列強の植民地や半植民地にされていただろう」という発想になる。という結論になる。

 日本は「近代化」という“善”を担ったわけである。

 大体が自民党政治が自ら招いた失政によって墓穴を掘ったことから幸運にも飛び込んできたに過ぎない政権交代を明治維新に譬えること自体がおこがましい歴史観なのだが、政権交代したものの政策遂行にもたついていることから歴史的偉業に擬(なぞら)えて自他の尻を叩こうとして持ち出した明治維新といったところなのだろう。

 日本の中国、朝鮮半島、その他のアジアへの侵略、植民地化は欧米列強の植民地主義を見倣った日本国家の意志が成さしめた歴史上の動向に過ぎない。自らをアジアの強国と看做して、欧米先進国のマネをし、後に続く意志を自らつくり出した。

 但し欧米先進国のマネをし、後に続いたものの、侵略した中国に関しては反撃を食らい、完全には植民地化することはできず、日本の敗戦まで泥沼の交戦状態を続けることになり、侵略を完結させることはできなかった。

 侵略・植民地化が「歴史的な必然」ではなく、単に侵略国の意志に過ぎないことは日本の敗戦後、ソ連が北海道と東北、アメリカが関東や中部等、イギリスが九州、中国地方といった具合に戦勝国が日本を分割統治する案が一度は立てられたことが何よりも証明している。ソ連の朝鮮半島に引き続いた日本をも分割一部占領の意志は強いものがあっただろうが、米ソによる朝鮮半島南北分割統治による両国の対立と冷戦がソ連が加わった日本の分割統治を阻むアメリカの意志を形成せしめたはずである。

 中国、韓国の近代化は日本の近代化よりも遥かに遅れた。中国に対してそれを阻害した原因はイギリスの中国に対する干渉と日本の侵略であろう。朝鮮に対しては日本は侵略したが、朝鮮の近代化に貢献したと功罪相半ばさせて侵略の罪薄めを図る勢力が存在するが、単に統治上の便宜的措置の範囲内に限られた近代化に過ぎないはずだ。

 「日本は明治維新が早くできたからその後の100年くらいの中で一定の優位性を保つことができた」かもしれないが、中国、韓国は近代化は遅れたものの、政治の意志や経済の発展に向けた意志の点で日本を今や追い越しつつある。これは主として日本の政治の意志が招いている「優位性」の喪失であって、決して「歴史の必然」が招いている日本の“衰退”ではあるまい。

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岡田外相の「財源なければ政権公約修正すべき」は間違いではないのか

2010-03-28 07:10:07 | Weblog

 《衆院選で民主投票「参院選は別」3割 朝日新聞世論調査》
       (asahi.com/2010年3月24日3時1分)――(部分抜粋)

●参院選比例区の投票先は「いま投票するとしたら」

  民主37%
  自民29%

●衆院選で民主に投票したと答えた人(全体の45%)

 参院選でも民主党に投票する――67%
  参院選は自民党に投票する――11%
 参院選みんなの党に投票する―― 8%

●衆院選で自民に投票した答えた人(全体の25%)

 参院選でも自民党に投票する――83%
  参院選は自民党に投票する―― 7%
  参院選みんなの党に投票する―― 4%

●参院選の投票先を決める基準

 1.「政治とカネ」の問題を「大いに重視する」――48%

 内、自民党に投票――34%
 内、民主党に投票――30%

 2.政党に対するこれからの期待を「大いに重視する」――24%

 内、民主党に投票――46%
 内、自民党に投票――27%

●今、どの政党を支持しているか

   民主党――34%
   自民党――22%
   公明党―― 4%
   共産党―― 2%
   社民党―― 2%
 みんなの党―― 4%
  国民新党―― 0%
  改革クラブ―― 0%
   新党日本―― 0%
その他の政党――0%
支持政党なし――32%


 岡田外相が27日、三重県四日市市での会合で、夏の参院選に向けた政権公約(マニフェスト)の実現可能性に向けた見通しを述べたという。

 《マニフェスト大幅修正を=税収減で「相当無理」と指摘-岡田外相》時事ドットコム/2010年3月27日(土)18:03)

 「(税収が減った)現実の収入を見たとき、順番を付けて重要なものからやっていき、場合によっては、あきらめるものもあるとはっきり参院選のマニフェストで示した方がいい」

 「(昨年の衆院選前に)マニフェストを作った時に比べ、税収が10兆円近く減った。マニフェストに書いてあることを全部やろうとすると相当無理があるのは間違いない」

 マニフェスト(政権公約)とはその政権の重点政策の国民向け提示であり、尚且つこのような政治を行いますという国民向け約束事の提示であろう。言ってみれば、マニフェスト(政権公約)に掲げた重点政策こそがその政権を性格づけている。

 当然のことで、マニフェスト(政権公約)に掲げた重点政策を一切取り払ったなら、国民に対する約束違反になるだけではなく、その政権の性格そのものを失う。

 また、その約束を以ってして、政権担当可否の国民の審判受けた。

 これらのことを逆説するなら、マニフェスト(政権公約)を掲げて国民の審判を仰いだ末に政権担当の任を与えられなら、マニフェスト(政権公約)は可能な限り守り、可能な限り実行する責任と義務を負うことになる。

 そうでなければ、何ためにマニフェスト(政権公約)を作成し、国民にこういった政治を行いますと掲げ、国民との約束事とし、政権担当を任されたのか、一切の手続きは意味を失う。

 大体が「100年に一度の金融危機」の真っ只中で選挙を戦ったのだから、税収減はある程度予測できたことで、それが現実のものとなったからと言って重点政策の変更を言うのは、それが例え重点政策の半分、あるいは3分の1の縮小であったとしても、政権の性格付けはさして変わらないかもしれないが、国家経営の危機管理能力不足、先見性の欠如を指摘されても仕方があるまい。

 もし税収減による財源不足が原因で「マニフェストに書いてあることを全部やろうとすると相当無理があるのは間違いない」という状況が避け難いというなら、逆に「マニフェストに書いてある」、その政権を性格づけている重点政策を可能な限り実行し、マニフェスト(政権公約)に掲げてなかった前政権から引き継いだ政策、予算事項に対して「あきらめる」選択をすべきではないだろうか。

 いわば「修正」の重点をマニフェスト(政権公約)に掲げた政策に置くのは間違いであって、それ以外の政策に置くべきだともうが、どうだろうか。

 以下参考引用――

《マニフェスト大幅修正を=税収減で「相当無理」と指摘-岡田外相》時事ドットコム/2010年3月27日(土)18:03)

 岡田克也外相は27日、三重県四日市市で開かれた会合で、民主党のマニフェスト(政権公約)見直しについて「(税収が減った)現実の収入を見たとき、順番を付けて重要なものからやっていき、場合によっては、あきらめるものもあるとはっきり参院選のマニフェストで示した方がいい」と述べ、財源確保が困難な政策は大幅に修正すべきだとの見解を示した。
 同党のマニフェスト見直し作業に関しては、2011年度から子ども手当を満額支給することや、ガソリン税などの暫定税率廃止を修正するかどうかが焦点。岡田氏は「(昨年の衆院選前に)マニフェストを作った時に比べ、税収が10兆円近く減った。マニフェストに書いてあることを全部やろうとすると相当無理があるのは間違いない」と指摘し、公約見直しの必要性を強調した。

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鳩山首相、丸川珠代の「労働なき富」批判に今後の労働への投資ではと答えるべきではなかったか

2010-03-27 06:29:19 | Weblog

 《衆院選で民主投票「参院選は別」3割 朝日新聞世論調査》
       (asahi.com/2010年3月24日3時1分)――(部分抜粋)

●参院選比例区の投票先は「いま投票するとしたら」

  民主37%
  自民29%

●衆院選で民主に投票したと答えた人(全体の45%)

 参院選でも民主党に投票する――67%
  参院選は自民党に投票する――11%
 参院選みんなの党に投票する―― 8%

●衆院選で自民に投票した答えた人(全体の25%)

 参院選でも自民党に投票する――83%
  参院選は自民党に投票する―― 7%
  参院選みんなの党に投票する―― 4%

●参院選の投票先を決める基準

 1.「政治とカネ」の問題を「大いに重視する」――48%

 内、自民党に投票――34%
 内、民主党に投票――30%

 2.政党に対するこれからの期待を「大いに重視する」――24%

 内、民主党に投票――46%
 内、自民党に投票――27%

●今、どの政党を支持しているか

   民主党――34%
   自民党――22%
   公明党―― 4%
   共産党―― 2%
   社民党―― 2%
 みんなの党―― 4%
  国民新党―― 0%
  改革クラブ―― 0%
   新党日本―― 0%
その他の政党――0%
支持政党なし――32%

 こんな記事があった。《「労働なき富、首相は懺悔を」丸川氏、母の資金提供批判》asahi.com/2010年3月25日22時38分)

 元アナウンサー、自民党の丸川珠代議員が3月25日の参院厚生労働委員会で鳩山首相が施政演説で触れたマハトマ・ガンジーが社会的大罪とした「労働なき富」への言及を取り上げて、母親からの資金提供はまさしく「労働なき富」ではないかと迫り、「大罪を省みて国民に告白し、懺悔(ざんげ)して頂きたい」と求めた。

 対して鳩山首相は「丸川さんからのようなご批判を覚悟で演説した。決して臆面(おくめん)もなく(『労働なき富』を)盛り込んだわけではない」、「母からの資金提供は全く知らなかった」と答弁したと伝えている。

 それだけの記事だが、「母としたら、日本の政治家として大成して欲しい。自民党政権がつくり出す日本では日本をダメにしてしまう。将来首相になって、民主党政治で日本をよくして欲しいと切に願って、その意味をこめた“今後の労働への投資”だったのではないのか。国民の思いは勿論、母の思いにも応えて、日本の発展のために尽くす政治の労働に従事していく所存です」といったふうになぜ答えなかったのだろうかと思った。

 具体的にどのような遣り取りだったのか、《参議院インターネット審議中継》にアクセス、「子ども手当」関連のその部分の質疑を確認してみた。
 
 丸川珠代「残念ながら総理は事実をご存じないかもしれませんが、控除が廃止されて、児童手当が廃止されたことによって、差引きで、年収900万、1千万の世帯が最も多くの実質的な手取りを得ることができ、且つ、え、子どもが二人、え、小学生がいて、という家庭でありますと、えー、年収が、三、中程、キューヒャク、500万、700万、ちょうど中間層と言われる人たちが、一番貰いが少なくなるんですね。えー、どうしてこうした制度設計のミスを放置したまま、それを直すのは23年度でいいと、お考えになるのか。まーったく理解ができません。

 選挙の前にどうしても支給したいから、という以外の理由が全く見つけられないのです。えー、加えて、総理大臣に、は、施政方針演説の中で、マハトマ・ガンジー氏の慰霊碑に刻まれました、七つの社会的大罪について、お触れになられましたが、総理大臣がお母さまからお受けになられた子ども手当は、まさに一般人の感覚からいたしますと、『労働なき富』そのものでございますが、ご自身が、国会の場で何の、臆面もなく、『労働なき富』という言葉を口になさったからには、自分がどれだけの大罪を犯したか、よく省みて、私共に、つまり国民の代表、国民に告白していただき、懺悔をしていただきたいんですが、大罪を犯した自覚がありませんか」

 誰が「大罪を犯した自覚があります」と答えるだろうか。誰が「懺悔します」と答えるだろうか。仮にその自覚があったとしても、巧妙に言い抜けると相場は決まっている。マスコミが興味本位で取り上げる以外は実質的に無意味な質問に過ぎない。

 また「年収900万、1千万の世帯が最も多くの実質的な手取りを得る」と言っているが、それが事実なら、自民党に席を置く以上、喜ばしい制度設計となる。なぜなら、自民党は伝統的に大企業優先・高額所得層優先政治を自らの基本的政治理念としてきた。その行き着いた先が小泉構造改革の弱者切捨て政治であり、弱者を切り捨てることによって浮かせた利益を回りまわって企業や高額所得層に還元する大企業優先・高額所得層優先政治を成り立たせてきた。その一つと看做して、喜びこそすれ、批判する謂れはないはずである。

 鳩山首相「先ず先程の900万、1千万の方々が一番、あー、ある意味でメリットを享受されるというお話でございますが。それは、いわゆる児童手当というものの差額ということになるからでありまして、根っこの部分から、お話を聞いていただければ、決してそういう話ではありません。

 それから、今お尋ねの、えー、『労働なき富』ということでございます。このマハトマ・ガンジーの七つの大罪とうものを敢えて施政方針演説に盛り込むことに決意をいたしました。必ず丸川委員のような、ご批判をいただく覚悟の中で、敢えて、私は、だからこそ、盛り込ませていただいたところでございます。

 決して臆面もなく、このようなものを盛り込んだというわけでは、ありません。ご批判は覚悟の上で、エー、しかし、私自身、今回母からの資金提供というものを、全く存じ上げてなかったということも、真実であるものでありますから、それを国民の皆様方にご理解をいただくことを、これからも努力をして、参ることが、最も、求められていることではないかと、私はそのように考えております」

 丸川珠代から公明党の山本博司議員に質問者交代――

 子ども手当は育児に対する親への手当ではあるが、その手当は親から子どもの生活上の諸々の経費に消費される。いわば間接的には子どもに支給される手当であろう。親が子どもに使うべき子ども手当をパチンコに使ってしまうのではないかと心配する発言もあったが、このことは実質的には親への手当ではなく、子どもに使われるべき子どもへの手当であることを逆に証明している。

 だとしても、子どもは労働者ではないから、子どもの労働に対する手当とは言えない。勉強や運動は労働の分類に入る行為ではないはずである。いや、勉強や運動そのものに対する手当でもないはずである。丸川珠代議員の「子ども手当」に絡めた鳩山首相の母親からの資金提供を『労働なき富』だと批判する文脈からすると、労働もしていないにも関わらず、子ども手当を間接的にではあっても受けるということになって、子ども自体は『労働なき富』を得ると言えないことはない。

 では理不尽かと言うと、将来社会の発展、国の発展に尽くす、広い意味での労働を成す固体形成への投資という側面を持ち合わせているはずだから、そういった意味で決して理不尽でも何でもないはずである。

 鳩山首相の母親からの“子ども手当”にしても、『労働なき富』であったとしても、首相として、あるいは有為な国家議員として日本の社会や国の発展に尽くす意味合いの“今後の労働への投資”と見ることもできるはずである。

 社会一般の母親が子どもを塾に通わせる、あるいはピアノや外国語を習わせる、あるいはサッカー教室や野球教室に通わせる、ゴルフを習わせる等々も子どもの将来のより有利な労働形成に向けた投資そのものであろう。

 丸川珠代議員の質問は文字化した部分に関しては収穫が堂々巡りのみの内容ではあったが、アナウンサー経験がそうさせたのか、切れのいい言葉遣いで攻めの姿勢を演じることができていた。マスコミの興味本位の取り上げにうまく便乗することができたなら、自民党が政権与党に返り咲くという条件付きながら、将来の首相候補になり得るように思える。舛添が首相になりそびれる時間が長引くと、下手をすると丸川珠代に追い越されかねない懸念さえ抱いた。

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「普天間県外移設」をマヤカす“県外一部移設”

2010-03-26 07:09:02 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――

 《平野官房長官の寝ぼけた顔を叩いても始まらない》

 政府は米軍普天間飛行場移設先として県内2案と一部県外案をセットとする方向で米側、沖縄県など関係自治体との調整に入る方針を固めたと言う。

 《普天間移設:県内2案提示へ 一部「県外」とセット》毎日jp/2010年3月26日2時30分)
 
 県内2案とは――

 (1)米軍キャンプ・シュワブ陸上部(同県名護市)に500メートル級滑走路を建設。

 (2)米軍ホワイトビーチ(同県うるま市)沖合に人工島を建設。
 
 県外案とは――

 訓練や基地機能の一部を徳之島(鹿児島県)など県外に移転する。

 これで連立与党ないが纏まったわけではない。平野官房長官が25日、社民党の阿部知子政審会長、国民新党の下地幹郎国対委員長と会って3月末までに政府案を纏める方針を説明したが、海上を埋め立てるホワイトビーチ沖合案には両党が反発したと記事は伝えている。

 一方、〈防衛省と国民新党を中心に、暫定的にシュワブ陸上部に移設したうえで将来的にホワイトビーチ沖合かグアム移設を目指す2段階案も浮上している。〉ことも記事は紹介している。 

 但し案に含まれている沖縄県も鹿児島県も反対姿勢を示している。

 仲井真沖縄知事は那覇市を訪れた北沢俊美防衛相と会談後、記者団に語っている。

 「シュワブ陸上案であれホワイトビーチ沖合案であれ難しいと伝えた」

 県外案の伊藤鹿児島県知事と徳之島など関係市町の首長らも平野官房長官に反対を申し入れたという。

 だが、そういった反撥などまるきりないかのような反応を防衛相幹部は示している。

 幹部「5割以上を県外に移せるかがポイントだ」

 要するに「5割以上」が県外移設の約束(=公約)を果たすことができる分岐点だと言うわけである。何月何日にきっちり返済するからと言って100万円借りていき、約束の何月何日に返しに来たが、60万円で半分以上なのだから、100万円返したことにしてくれと言うようなものである。

 沖縄県及び沖縄県民側からすると、5割以下で県外移設と同じにしてくれと言われるようなものであろう。

 記事は最後に、県内と県外の“別居状態”では困ると、そのままの言葉を使ったわけではないだろうが、〈一体運用を重視する米側が反発しそうだ。〉と、いわば同居に拘る姿勢を示しそうだと書いている。

 同じ内容を扱った「asahi.com」記事――《普天間、県内段階移設案を検討・提示へ 合意困難な情勢》(2010年3月26日3時0分)は県内2案の困難な点を挙げている。

 〈移設案は、まずシュワブ陸上部に、500メートル四方のヘリポートを建設し、そこに普天間に常駐するヘリコプターを暫定的に移す。ただ、近く配備予定の垂直離着陸輸送機MV22「オスプレイ」の離着陸に支障をきたすため、この段階では、普天間の継続使用も必要になると見られる。〉こと。

 〈そのうえで、米軍ホワイト・ビーチのある勝連半島の沖合に人工島を造成し、滑走路や港湾施設を建設する。これには環境影響評価を一からやり直す必要があり、実現には10~15年かかるとみられるため、完成した段階で基地機能を全面的に移す計画 〉で、遠い話であること。

 そして米側の姿勢を次のように伝えている。やはり県内・県外の別居をネックと見ているのだろう。

 〈米国政府は、今回の移設案が日本政府案として提案されても拒否するとみられる。首相が期限とする5月末までに移設先が決まらなければ、鳩山政権は普天間移設断念に追い込まれそうだ。 〉ということと、〈米政府は、名護市辺野古沿岸部にV字滑走路を新設する現行計画が最善との姿勢だ。〉ということ。

 さらに上記「毎日jp」記事が伝えていた防衛相幹部の「5割以上を県外に移せるかがポイントだ」と同じ趣旨の閣僚の発言を誰なのか、オフレコ発言だと断りが入ったのだろう、名前を明かしていないが「閣僚の一人」の発言として紹介している。

 「沖縄からどれだけ危険性と騒音を除去できるかだ。100のうち、沖縄から50以上出せれば御の字だ」

 鳩山首相が先頭に立って、「県外移設に県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない」、「沖縄のみなさんの気持ちを大切にする」と、“トラスト・ミー県外”を暗黙の了解事項として発信し続け、沖縄から100すべてを出すようなことを言ってきたにも関わらず、「100のうち、沖縄から50以上出せれば御の字だ」とは恐れ入る。

 小沢幹事長が連合沖縄の代表団と一昨日24日午後国会内で会談、鳩山首相の“トラスト・ミー県外”に触れている。 

 《小沢氏 県民は約束と受け止め》NHK/10年3月24日 19時0分)

 小沢幹事長「『普天間基地は最低でも県外に移設する』とした、さきの衆議院選挙での鳩山総理大臣の発言を聞けば、県民は自分たちへの約束だと受け止めるだろう」

 但し民主党沖縄県連代表団と会談したときは微妙に言葉を変えている。

 小沢幹事長「鳩山総理大臣のさきの衆議院選挙での発言は聞いているが、私は党の側にいるので、この問題で何か言うことはできない。皆さんの思いをしっかりと政府側に伝えたい」――

 これらの発言を勘繰ると、内閣に対する牽制ともなり得る発言と受け取れないこともない。県外は鳩山首相の公約であり、特に沖縄県民に対する公約だとのお墨付きを与える補強剤となる発言なのだから、閣僚が小沢批判を続けるなら、内閣を立ち行かなくすることもできるのだぞという牽制ともなり得る言質として自らも利用できるからだ。

 「閣僚の一人」が口にしたという「御の字」とは大体がどういうことなのか。「御の字」という言葉には限られた状況下では最高の結果を得るという意味が含まれている。確かに全面的県外移設が困難な状況にあるなら、「100のうち、沖縄から50以上出せれば御の字」だろうが、その「御の字」は自分たち政府にとっての「御の字」であって、沖縄県及び県民にとって「御の字」では決してない。いわば自分たちの「御の字」を沖縄県及び県民の「御の字」として押し付けようとしているに過ぎない。

 いわば自分たちの「御の字」をすべてとし、沖縄の意思を無視している。

 記事は解説している。

 〈鳩山由紀夫首相が主張してきた「県外移設」をある程度実現したと説明し、沖縄県内や社民党の理解を得たい考えからの発言と見られる。 〉――

 要するに政府がやっている一部県外移設案は「50」で「100」を誤魔化そうとするペテンに過ぎないということであろう。成算もない県外移設の空約束だったから、最終場面にきてペテンを働かざるを得なくなった。

 あるいは“トラスト・ミー県外”を一部のみの県外移設に取り替えて“トラスト・ミー”とするマヤカシと言うこともできる。

 こういった状況下、平野官房長官が昨25日午前、首相官邸で県内移設反対の連合沖縄の仲村信正会長と会談。沖縄県議会で国外・県外移設を求める意見書が全会一致で可決されたことなどを踏まえて次のように要望したという。

 《移設 “たたかれようが決断”》NHK/10年3月25日15時13分)

 仲村会長「沖縄県内への移設を断念し、県外や国外への移設を目指すとともに、普天間基地を早期に閉鎖し、沖縄への過重な基地負担を軽減すべきだ」

 平野「連合の立場はわかっている。・・・・とにかく決断するときは、政府の責任で、私も何をされようが、たたかれようが決断する」――

 連合沖縄の仲村信正会長が県内移設全面反対、県外・国外全面移設を求めたのに対して、平野官房長官の「政府の責任で、私も何をされようが、たたかれようが決断する」は、県外・国外全面移設は無理ですと言ったも同然の言葉であろう。

 だが、県外・国外全面移設否定は、「私も何をされようが、たたかれようが」といった平野個人の問題で済む事柄ではない。例え基地問題が鳩山首相辞任、内閣総辞職といった責任問題に発展する激震を招こうとも、「100のうち、沖縄から50以上出せれば御の字」だと同じく、「何をされようが、たたかれようが」はあくまでも政府側の事情に過ぎない。

 言葉を替えて言うなら、平野や内閣が“どうされるか”の問題ではなく、沖縄が“どうされるか”の問題だということである。

 いわば沖縄にとって「御の字」であるのかどうかであるのと同様に、結果として沖縄が「何をされようが、たたかれようが」構わない状況に置かれるのかどうかの問題であって、それを平野個人の問題と把えて、「私も何をされようが、たたかれようが」などとたわけたことを言っている。

 沖縄県民の多くは平野の寝ぼけたような顔をいくら叩いても始まらないと思っているに違いない。

 民主党、及び鳩山内閣が行っているこの普天間基地移設問題には最初から最後までいかがわしいばかりにマヤカシを巣食わせている。それを演じている代表格は鳩山首相もさることながら、第一番に挙げなければならないのは平野官房長官ではないのか。

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「21世紀枠敗戦は末代までの恥」と言う高校野球指導者の資質

2010-03-25 08:54:58 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――

 春の選抜高校野球第2日目、第1試合目中国地区代表開星高校―21世紀枠近畿地区代表向陽高校は1―2で21世紀枠向陽に軍配が上がった。「21世紀枠」とは、〈「一般選考枠」のほかに、秋季都道府県大会8強以上で、恵まれない環境、他校や地域に良い影響を与えているなどの理由で認められた高校が2校もしくは3校選出される。〉と「はてなキーワード」が解説している。

 いわば実力があって勝ち進んでもぎ取った代表高ではなく、実力は足りないものの模範となる戦い方を示してより優れた成績を上げ、出場を認められた高校ということではないのか。言葉を替えて言うと、真の代表校ではなく、準代表校と言えないこともない。

 当然、真の代表高ではなく、準代表校なのだから、自らの実力の程度を弁えていると見るべきである。甲子園で一試合でも勝つためには実力不足を補う真摯な精一杯のプレーが必要であることを認識していたはずである。しかも相手の開星高校は夏の01年、02年、06年、07年、08年、春の09年、そして今年10年と最近では甲子園常連の実力校でもある。

 一方の向陽高校野球部は「向陽高校HP」によると、戦前の〈1939年、1940年と夏の大会を連覇、戦後の初出場は1965(昭和40)年の選抜。以降9年間で4度選抜に出場するが、夏は甲子園までたどり着けない。そして春の出場も1974(昭和49)年を最後に途絶えてしまった。〉ということで、戦前という遥か過去には夏の大会2連覇の栄光を担っていたものの、現在は斜陽著しく、2010年春の大会で「21世紀枠」でやっと甲子園出場の機会に恵まれた。

 心して戦うことを求められたはずであるし、そのことをチーム一丸となって戦うモチベーションとすることができた場合、実力不足を補ってプラスアルファの力をいやが上にも発揮する。

 試合結果は既に触れたように実力校開星に対して準出場校の「21世紀枠」向陽が勝利した。その勝敗よりも、負けた開星高野球部58歳野々村直通監督の敗戦の弁がマスコミに一斉に取り上げられた。

 《「21世紀枠に負け末代までの恥」 開星高監督が発言》asahi.com/2010年3月22日23時26分)

 「21世紀枠に負けたことは末代までの恥です」

 「もう立ち上がれない。私の指導力が失格。やめたい。こんな恥をかくことは二度としたくない」

 問題発言とされて、58歳野々村直通監督は朝日新聞の取材に次のように答えている。

 「向陽を侮辱するつもりはまったくなかった。中国地区代表として他校の気持ちを背負って出てきている学校がこんなところで負けちゃいかんと、悔しさや情けないという気持ちから言った。相手校に不快な思いをさせたなら、おわびします」

 記事は「21世紀枠」について解説している。

 〈21世紀枠の出場校は秋季大会の成績に加え、困難の克服、他校の模範となる活動などを考慮して選ばれる。 〉

 監督は58歳にもなっている大の大人である。先ずは技術面、精神面でどこに敗因があったか、冷静、客観的に分析し、分析結果を次に備える学習材料とすると同時に選手たちの経験を補強する学びに供するべきだと思うが、冷静、客観的に分析する科学的な態度を取ることができずに敗戦を「恥」の概念で把える感情的な態度に支配された。

 確かに勝つことは名誉なことではあり、負けることは不名誉ではあるが、しかしそれ以前の問題として、試合は技術の戦いであり、精神の戦いでもある。その反映としてある名誉・不名誉である以上、反映させている基本体である技術・精神をこそ問題にすべきを、それを抜きに一足飛びに名誉・不名誉で試合結果を把えるのは、冷静、客観的に分析する態度を欠いていることからも分かるように、58歳にもなっていながら、精神面の能力の欠如を物語るもであろう。

 まさか名誉・不名誉を基準価値として試合を戦っているわけではあるまい。敗因を冷静、客観的に分析して敗戦の理由が納得できれば、注意点、あるいは反省点に思いを馳せることはあっても、「末代までの恥」といった不名誉で試合を括ることはないはずである。

 「中日スポーツ」記事――《開星・野々村監督がご乱心 21世紀枠向陽に負け「末代の恥」》(2010年3月23日)が開星の4番、キャッチャーの出射徹捕手(3年)が3日前から急性肺炎に罹っていて38度8分の高熱を出し、体調を崩していたことが試合に影響したかに書いている。

 〈後輩である投手・白根には「オレの体のことは気にせず、投げてこい」と声をかけたものの、体はフラフラ。4回には暴投で決勝点を失ったが、「体調のせいにはしたくない」と視線を落とした。試合後は点滴を受けるために病院へ。肺炎を患った選手が甲子園でフル出場するのは異例のことだった。〉――

 だが、この「暴投」とはインターネット記事を漁って確かめてみると、出射徹捕手が招いた暴投ではなく、開星白根投手が自ら招いた牽制悪送球や暴投だそうで、9回表の開星の攻撃では死球でノーアウト1塁に出た4番出射が次打者5番白根の左中間を破るツーベースで一塁から一気にホームベースを踏んでいるのだから、それ程悪影響したとは思えない。

 開星は向陽を上回る6安打を放ったそうだが、対する向陽投手藤田は緩急を巧みに使った投球をするそうで、6安打を放ちながら8回まで「0」(ゼロ)で押さえられ、最終回の9回表になってやっと最少得点の1点しかもぎ取ることができなかった。

 このことは緩急織り交ぜた投球にある意味翻弄され、9回まで修正を施すことができなかったということを物語っているはずである。

 しかもその1点はより緊張が強いられる9回表の相手方の攻撃の場面で先頭打者として迎えた主軸打者である4番出射に死球を与えた直後に被った主軸に次ぐ5番白根の2塁打で与えた1点である。最終回という場面での緊張の上に先頭打者の主軸に死球を与えたことでより緊張した精神状況が招いた失点と言えないこともない。

 向陽投手藤田はなおもノーアウト二塁、一打同点の緊張をなおも強いられる場面で6番打者を打ち取るが、7番打者への2球目にワイルドピッチ、ランナーを三塁に許す最悪のピンチに立たされる。なお一層の緊張を強いられる場面だが、向陽投手藤田は緊張に負けることなく最後の最後に踏ん張って7番、8番とニ打者連続の空振り三振に仕とめ、三塁残塁で終わらせる。

 このような試合展開から浮かんでくる開星打者の9回まで修正が利かなかった理由は向陽高校の、戦前の遠い過去はいざ知らず、戦後の成績と較べた自分たち開星の遥かに上回る上り調子の最近の成績、さらに相手は「21世紀枠」の準代表校であると見た場合の成績の違いを根拠とした自信が打ち崩せることができると各打者を打席に立たしめたが、自信に反して打てなかったことから生じた焦りが冷静さを失わせて、それが回を追うごとに深まっていったことによる零点の積み重ねだったということではないだろうか。

 修正を利かすことができずに零点を重ねていくことが逆に相手投手に自らの投球に自信を与え、リズムよく投げさせることになるし、守備にもリズムを与えて、好守備を誘うこととなって、ますます点が入りにくくなる。

 要するに開星高校は向陽高校を「21世紀枠」だと見て、油断してかかったのではないろうか。逆に向陽高校が開星を強豪と見て腹を括ってかかたとしたら、基本的な実力が少しぐらいの差であるなら、開星の油断がマイナスアルファの力として作用するのに対して向陽の心して戦おうという強い決意がプラスアルファの力を生み、プラスマイナスが働いて実力が接近、もしくは僅かであっても逆転することになる。

 そこに向陽投手の回を追うことに地に足をつけていく自信とその自信に影響された向陽守備陣の試合の手応えが働き、開星の回を追うごとに地に足がつかなくなっていく焦りがォバーラップした。

 技術面の少しの実力差なら簡単にその逆転を許す精神面の力の働きであろう。

 58歳の監督の精神面の能力欠如が各選手の精神面への管理不足をもたらし、それが原因の油断や焦りだとしたら、監督時代の成績は勝利至上主義のハードトレーニングがもたらした技術面のみで積み上げた成績の疑いが濃い。

 監督の指示・命令を絶対とした集団的なハードトレーニングは権威主義の行動力学によって成り立つ。但し権威主義の行動力学は常に指示・命令に絶対的に従うことを要求するがゆえにそこに集団内の個々の成員に対して自ら考えるプロセスを許さない。集団一丸となって何も考えずに言われたことを言われたなりに従っていくことによって、集団のハードトレーニングは成り立つ。

 この点からも選手が個別に考えて修正を利かせていくといったことができなかった原因があるのではないだろうか。 

 問題は決して「21世紀枠に負けたことは末代までの恥です」とか、「こんな恥をかくことは二度としたくない」といったことではないということである。

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生方議員の小沢幹事長辞任要求意志に反する副幹事長続投容認

2010-03-24 05:58:21 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――

 民主党に元気がなくなったのは、自由に議論する場がなくなったからだ。党に政策責任者がいないから、衆院選マニフェスト(政権公約)の実行が思うようにできていない。首相が10年前に呼びかけた「1人1政策作ろう」を政権交代を機に実現しようと思ったら、議員立法も制限されて、政治主導には程遠くなった。民主党の運営はまさに中央集権で、今の民主党は権限と財源をどなたか一人が握っている。党の代表である鳩山さんは、小沢さんを呼んで党が中央集権になっていることをきちんと注意すべきだ。1年生議員は民主党に入ったときから強度の管理体制下に置かれていて、自由な発言ができない。民主党の信頼低下は小沢幹事長の「政治とカネ」が原因で、圧倒的多数の国民は今までの説明に納得せず、幹事長をお辞めになるべきだという意見が多い。小沢幹事長は然るべき場所できちんと説明すべきで、それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかない。国民は小沢幹事長が不起訴になったからといって全部シロだとは思っていない。おそらく説明できないのではないのか。幹事長は前よりだいぶ権威づけられてきたというか、権力者になってきた、云々。(以上《【単刀直言】生方幸夫民主副幹事長「党の“中央集権”、首相は小沢氏を呼び注意を」》msn産経/2010.3.17 00:40)から)――

  民主党の生方幸夫副幹事長が「msn産経」のインタビューの中で小沢幹事長の党体制と「政治とカネ」の問題を批判した上に、圧倒的多数の国民は今までの説明に納得せず、幹事長をお辞めになるべきだという意見が多いと、国民の声を代弁する形で間接的に辞任を求め、尚且つ再度の説明を求めて、それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかないと直接的にも幹事長辞任を要求した。

 しかも小沢幹事長は然るべき場所できちんと説明すべきだと言いながら、おそらく説明できないのではないのかと、小沢幹事長クロ説に立った辞任要求であって、かなり強い確信に立った意思表示となっている。

 鳩山内閣支持率低下の元凶は「政治とカネ」の爆弾を抱えた小沢幹事長だと名指ししたに等しい批判と言える。

 対して民主党は高嶋筆頭副幹事長が生方副幹事長に対して 「党内で自由に意見を言う場はいくらでもある。執行部の一員が、外部に対して執行部を批判するのはまちがいであり、責任を取るべきだ」(NHK)と辞任要求。

 生方副幹事長は辞任を拒否。

 「党をよくしようと思って発言したのであり、辞める理由にはならない」

 「発言一つを取り上げて、よい悪いを言い出したらきりがなく、このままでは、民主党は言論の自由がない党になる。元秘書らが3人起訴されても役職を辞めない人もいる。筋の通らない話であり、辞任しない」(同NHK

 辞任を拒否したばかりか、「元秘書らが3人起訴されても役職を辞めない人もいる。筋の通らない話だ」と小沢批判をやめない。ならば解任だと決めて、昨23日昼の常任幹事会で副幹事長解任の了承、正式解任の運びとする手筈だったが、マスコミが中心となって党内外から批判が続出、閣僚からも批判が相次ぎ、マスコミも伝えていたが、これ以上の党のイメージダウンを避けるためということなのだろう、党側は小沢一郎幹事長の日程を理由に常任幹事会の開会の延期に動き、午後になって小沢幹事長が生方議員を呼んで会談。その続投要請を受けて、生方議員が続投を了承、取り敢えずの、だが、簡単には静まりそうにもない一件落着を見た。

 そのことは「msn産経」記事題名の、《生方氏の解任撤回 小沢氏も支持率低下、世論の批判にたえられず》(2010.3.24 00:37 )、「時事ドットコム」記事題名の、《小沢氏、世論反発に逆らえず=求心力低下を露呈-生方氏続投》(2010/03/24-00:07)が現している。

 但し波乱含みかというと、仔細に眺めてみるとそうでもないようだ。

 昨3月23日夜の「NHKニュース9」が小沢・生方会談後の両者の発言を伝えている。

 生方議員「まあ、幹事長から、えー、もう一度、一緒にやってくれないかっていう話で、まあ、そういう断る理由もございませんので、分かりましたというふうに、よく、お答えしました」

 小沢幹事長(解任撤回理由)「自分が考えるに参議院選挙も控え、党の、オー、団結と、オー、協力が、あー、大事なときでもあるから、是非、生方君も、オー、みんなと仲良く、本来の副幹事長の職務に全力を挙げてくれと、オー、いうふうに、イー、申し上げました」

 解任の方針から解任撤回の軌道修正を受けて、鳩山首相も発言の修正を行っている。先ずは解任の方針を受けたときの発言から。

 鳩山首相「副幹事長の中でしっかりと議論されるべき話で、あって、それは、党の中では黙っていて、党の外で様々な声をあげると、いうことになれば、党内の規律はなかなか守れないと言うことになります――」(同「NHKニュース9」

 谷垣自民党総裁の党執行部批判の声に向けた言葉と同趣旨となっている。

 解任撤回後の発言。

 鳩山首相「まあ、色々と幹事長も考えられての、末の、結論だと、思っておりまして、党の中でしっかりと、議論するということになるわけですから、むしろよかったじゃないかと思っております」

 だが、首相が言っているように「党の中でしっかりと、議論するということになるわけですから」とはいかない反応を生方議員は小沢幹事長との会談後に記者団に示している。

 生方議員「やめろと言われて、戻れと言われて、理由がはっきりしないんで、釈然としないと、今ここにいるのは非常に居心地が悪いですよ、いうふうに(小沢幹事長には)申し上げましたけどね。まあ、参院選に向けて、一致団結も大事だし、党内で自由に言うことも、これまた、私は大事だというふうに思っておりますし、自由な発言は勿論させていただく、というふうには思っています」(同「NHKニュース9」

 上記「時事ドットコム」記事――《小沢氏、世論反発に逆らえず=求心力低下を露呈-生方氏続投》によると、撤回劇を演じたのは鳩山首相の指示となっている。
 
 〈小沢氏がそんな強硬姿勢を転換したのは、鳩山由紀夫首相の指示があったからだ。自身と首相の政治資金問題に加え、北海道教職員組合の違法献金事件でも民主党への批判が強まる中、世論の一層の反発を恐れた首相の意向に小沢氏も従わざるを得なかった。首相は23日昼、衆院本会議場で「お騒がせしています」と声を掛けてきた生方氏に「穏便に収めるようにします」と説明した。〉――

 さらに鳩山首相の「党の中でしっかりと、議論するということになるわけですから」の期待どおりにはいかない様子を記事は同時に伝えている。
  
 〈もっとも、生方氏を続投させても、小沢氏に対する党内の批判が収まる気配はない。高嶋良充筆頭副幹事長は記者会見で「雨降って地固まるだ」と強調したが、生方氏は小沢氏との会談後、記者団に「雨が降ったら、ぐじゃぐじゃになる。そんなに簡単に固まらない」と語り、今後も小沢氏に説明責任を果たすよう求める考えを示した。〉――

 〈今後も小沢氏に説明責任を果たすよう求める考えを示した〉としても、「国民は小沢幹事長が不起訴になったからといって全部シロだとは思っていない。おそらく説明できないのではないのか」と自ら小沢幹事長クロ説と看做しているから、再度の説明責任が実現されないまま辞任要求のみが続くことになることは本人も予想しているはずである。

 予想していなければ、「おそらく説明できないのではないのか」と説明責任の実現を否定的に把えたりはできない。

 いわば小沢幹事長は限りなくクロだとする自身の確たる断罪意識があったからこそ、それを根拠として圧倒的多数の国民は今までの説明に納得せず、幹事長をお辞めになるべきだという意見が多いと、国民の声を代弁する形で間接的に辞任を求め、尚且つ期待していないものの再度の説明を求めて、それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかないと幹事長辞任要求の最後通牒を突きつけることができはずだ。

 最後通牒が満たされることによって自らの小沢幹事長辞任要求意志が果たされることになるからこそ、解任の方針が示された後も小沢幹事長批判をやめなかったということだろう。

 「もう一度国民に説明すべきだ。(世論調査などで)『辞めるべきだ』との意見が減らない場合、辞めない限り次期参院選は戦えない」(《【民主・生方氏:改めて小沢幹事長辞任求める》毎日jp/2010年3月19日 10時35分)

 要するに生方議員は国民に対する再度の説明責任を条件に掲げる婉曲法に立っているものの、実際には「おそらく説明できないのではないのか」と小沢クロ説を掲げていることから説明責任は実現不可能とする前提に立たざるを得ず、結果として小沢辞任要求が繰返されることになっている。

 言葉を替えて言うなら、自身の主たる主張項目は小沢辞任以外を置いてほかにはないということであろう。辞任要求の意志を掲げて小沢幹事長を批判し、その仕返しに副幹事長解任の方向となったが、それにもめげずにその後も小沢幹事長を批判して辞任要求の意志を頑固に守り通した。

 だが、辞任要求の意志を抱えて批判した当の小沢幹事長に解任撤回、そして続投を依頼されると、あっさりと容認した。これは相手の解任撤回に応じた自身の小沢幹事長辞任要求意志の撤回でもあったことになる。撤回することによって、小沢幹事長辞任要求意志に反する副幹事長続投容認を成り立たしめたとも言える。

 このことは上記「時事ドットコム」記事が、〈23日午後、国会内の幹事長室で生方氏と向き合った小沢氏が副幹事長にとどまるよう要請すると、生方氏も「分かりました」と応じた。ただ、続けて「ちょっと話したいことがある。風通しを良くしないと…」と言いかけると、小沢氏は「今は時間がない」と告げ、席を立った。会談はわずか1分間。小沢氏は終始、硬い表情だったという。〉と書いているが、「風通しを良く」するという“改善”を求めようとしたものの、主たる主張項目であるゆえに最初に持っていくべき辞任要求を最初にも最後にも持っていかなかったことからも窺うことができる。

 いわば主たる主張項目であった小沢幹事長辞任要求から続投容認へと目的のすり替えが行われたとも言える。
 
 小沢幹事長辞任要求意志に忠実に則るなら、なぜ小沢幹事長辞任を交換条件として続投要請に応えなかったのだろうか。「いですよ。続投を引き受ける代わりに、あなたが幹事長に居座っていたのでは党のためにはならないから、幹事長を辞任してください。辞任したなら、続投を引き受けます」と。

 小沢辞任要求に立っているなら、その意志を変節を避けて貫く絶好のチャンスだったはずだ。
 
 鳩山首相や小沢幹事長が解任撤回で党のイメージダウン避ける妥協を図ったのに対して、生方議員側も、「まあ、参院選に向けて、一致団結も大事だし」と、解任決定が参院選に不利となる悪影響を避ける妥協を図ったといったところなのだろう。

 「自由な発言は勿論させていただく、というふうには思っています」とは言っているものの、その「発言」は内閣支持率との関連で辞任要求意志の強弱を使い分ける機会主義的な色彩を帯びる変節を見せるに違いない。参議院選挙がどうにか戦える支持率状況にあるなら、「一致団結」を大事にし、支持率がとても戦えない最悪の危険水域に達したなら、辞任要求を再度掲げる情勢に応じたご都合主義の態度を取るだろうということである。

 いわばこの程度の波乱含みの一件落着ということではないのか。

 マスコミや世論の批判を受けてたちまち軌道修正を計る民主党も骨がないが、生方議員も、自民党与謝野馨が「文藝春秋」2010年4月号に『新党結成へ腹はくくった』と意気込んで題した論文を寄稿したことでマスコミに、すわっ、新党結成かと騒がれながら、その意気込みを「腹を括った」と言う割には直ちに行動には移さず、谷垣自民執行部に新党結成なら不要事項でしかない総裁以外の執行部人事の刷新を求める“腹を括った”変節に転換したように、主目的たる小沢辞任要求を交換条件とすることもできずに続投をあっさりと容認する変節を見せた分、骨のない男だと言わざるを得ないのではないだろうか。

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「6年生は粗大ごみ」発言は生徒を非自律の存在に閉じ込めていることの証明ではないか

2010-03-23 07:31:04 | Weblog

   

 《「6年生は粗大ごみ」 福岡・香春の小学校、教諭が発言》asahi.com/2010年3月17日12時49分)

 福岡県香春町(かわらまち)の小学校で3月12日行った5、6年生合同の卒業式練習。5年の担任で同校生活指導担当の52歳の男性教諭が訓示。生活指導意識からの発言だったのか。

 「6年生は粗大ごみ。先生にとって卒業式は大掃除であり、クリーン作戦だ」

 その場にいた教頭が「不適切な発言」と注意。その上、子どもたちに謝罪。「君たちは粗大ゴミなんかでは決してない」と言って謝罪したのかどうかは記事には書いてない。「有為な社会人へと向かって発育途上にあるかけがえのない存在だ」と言ったかどうかも書いていない。

 但し、「校長、教頭、以下すべての先生こそが粗大ゴミだ」といった自覚性に立った発言は行わなかっただろうことは想像できる。

 52歳男性教諭「卒業式の練習をしっかりやってもらおうと気合を入れるためだった。申し訳ない」

 「気合を入れる」ことと「6年生は粗大ごみ」だ、いわば不要になった邪魔だけの存在だと表現する感覚とどうつながるのだろうか。

 生徒たちは「6年生は粗大ごみ」だと言われて、どう反応したのだろうか。ギャグだと受け取って、ワァーッと笑ったのだろうか。それとも言葉通りの意味で把えて、不愉快な気分に支配されたのだろうか。

 教諭が生徒たちのテンションを上げるためにギャグとして発したとしたら、「気合を入れるためだった」は整合性を持ち得ないことはない。但し、「そうだ、俺たちは粗大ゴミだ、とっとと出て行こうぜ」と中学校3年生ならいざ知らず、小学校6年生の子どもが自覚的にそう把えるかどうかだが、感覚的にはそのように意識させる異質な巣立ちを促すことになりかねない。

 いわば卒業式が与える厳か、神妙といったこととは無縁の感覚を混入させることになる。

 尤もリハーサルに過ぎない。本番になれば、誰もがいよいよこの学校とも小学生であることともお別れだなあと神妙な気持になるものだから、取り立てて深刻に把えることはないという解釈も成り立つ。

 だが、大人がそこに意地悪な理解を付け加えるとしたら、いくら冗談だったとしても、その小学校の6年間は粗大ゴミを育てる6年間だったのかという解釈を成り立たせることもできる。

 兎に角生活指導担当の52歳の男性教諭を注意し、生徒に謝罪した。そして学校はその日に町教委に経緯を報告。素早い事後処理に動いた。町教育長は「6年生は粗大ごみ」発言した教諭のみならず、そのような発言をさせることとなった校長の管理責任も問い、「何たることか」と言ったかどうかも記事には書いてないが、口頭で注意。

 教育長「このような発言は誠に遺憾。教諭らに対しても人権教育を徹底させたい」

 これで教育長が「6年生は粗大ごみ」を人権侵害発言と看做したことが分かる。

 そして卒業式リハーサルの次の日から校長ら3人が6年生全員の自宅を順次訪ねて保護者に謝罪してまわった。しかも19日の卒業式に件の教諭を出席させるかどうかは「子どもや保護者の状況も含めて検討中」と記事は書いているが、どうなったのか、その後については《52歳小学教諭が卒業式練習で暴言「6年生は粗大ゴミ」》スポーツ報知2010年3月18日06時02分)が次のように書いている。

 〈あすの出席を拒否する声も

 卒業式は19日に予定されているが、この教諭の参加については賛否両論。学校は「みんなでいい卒業式にしたい」と参加させる方向だが、一部の保護者や児童から「出てほしくない」との声も出ているため、17日に全校生徒の保護者を学校に集めて理解を求めた。18日に校長が判断を下すという。〉――

 19日が過ぎたが、出席が許されたのかを伝えている記事は見当たらない。上記記事は発言にショックで泣き出す複数の女子児童も出たと書いているが、「6年生は粗大ごみ」発言に生徒共々傷ついた父兄が存在したことを明らかにしている。

 「スポーツ報知」記事は、全校生徒89人、1学年1クラスの構成、卒業式のリハーサルは5年生と6年生の児童計29人で行われ、うち6年生は16人だと書いている。

 我々の時代は卒業式のリハーサルなどしたのだろうか。60年も前のことで、全然記憶にない。しなかったから、記憶にないのか、したのに忘れてしまっていて記憶にないのか、どちらなのかもはっきりしない。

 言えることは、我々の時代と違って、時代の経過と共に権利意識が遥かに強くなっている。だからこそ、「6年生は粗大ごみ」発言を人権問題と看做したのだろう。権利意識は自身の立てた規律に従って正しく行動する自律性を身につけていることによって正当性を得る。自律的に正しく行動できない者が権利ばかり主張することはできないはずだ。

 小学生の場合、6年生になる以前の段階で6年生を送る卒業式に参加し、それがどう執り行われるか、目、耳を通して経験し、頭に記憶しているはずである。6年生となって卒業する段階となったとき、卒業式に必要とされる行動を誰が管理・指示するのではなく、何度となく繰返し、積み重ねた経験の記憶に従わせてそれぞれの責任で自律的に行わせてこそ、時代的な権利意識に見合う自律性を要求し得るはずである。

 例え卒業式に少しぐらいの滞りが生じたとしても、そのことよりも自らの判断に従わせる自律的な行動の要求を優先させ、そのように訓練づけ、慣習とさせることによって、権利意識に見合う自律的行動性が育っていくはずだが、それを練習、リハーサルと称して管理・指示して行動させる。

 これは自律的行動性の育みに逆行する指示に従って行動する機械的行動性を育む訓練とはなる。

 とすると、今の子どもは権利だけを言うとしている状況は子どもの責任と言うよりも、育み訓練づけるよりも、指示・管理で生徒を動かす大人(親や教師)の責任がより強いのではないだろうか。

 生徒の自律的行動性に任せる教育訓練を長年をかけて施し、自律性を育んでいたなら、卒業式の練習も必要でなくなり、当然のこととして生徒の自律性を否定する言葉となる「6年生は粗大ごみ」なる教諭の発言自体も意味を失う。

 「6年生は粗大ごみ」の記事を読んで、人権侵害ということよりも、教師一人だけではなく、学校全体が生徒を非自律の存在として扱い、生徒自身も非自律の存在のままとどまっているように見えて、そのことの方が気になった。

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普天間移設案、アメリカが「ベスト」に囚われるのは当然

2010-03-22 10:33:31 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――

 《“米も幅広い考え持っている”》”(NHK/10年3月21日14時47分)

 鳩山首相が沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設問題で、アメリカ側が名護市辺野古のキャンプシュワブ沿岸に移設する現行案が最善だという姿勢を崩していないことについて21日、次のように記者団に発言している。

 「頑固に現行案がベストだと、それは思っておられると、思いますけど、それだけには、囚われない、幅広い考え方というものを、私はアメリカも持ち合わせていただけるものだと、そのように思っております」(NHK動画から)

 記事の中で次の発言も伝えている。

 「日本とアメリカとの同盟関係のなかで、ある意味での抑止力というものを満たすために必要な基地の展開なのだから、われわれの考え方を、これからアメリカに理解してもらえるよう努力したい」――

 例え「ある意味での抑止力というものを満たすために必要な基地の展開」だとしても、安全保障全体に関係していくことなのだから、アメリカが「ベスト」を求め、「ベスト」に囚われるのは当然の姿勢でであろう。

 一旦決まった現行案を鳩山政権が変更を迫った以上、アメリカが「ベスト」だとしている現行案に「囚われない、幅広い考え方を持ち合わせて頂」くためにはアメリカが「ベスト」と考えている現行案以上に「ベスト」の適地案を示すか、少なくともアメリカが「ベスト」としている現行案と同等の「ベスト」の案を選択をする義務がある。

 いわば、行動でアメリカ側の「ベスト」に代る、アメリカも納得する「ベスト」を日本側が示しさえすれば、「頑固に現行案がベストだと、それは思っておられると、思いますけど、それだけには、囚われない、幅広い考え方というものを、私はアメリカも持ち合わせていただけるものだと」云々は言わずもがなのことではないのか。
 
 もし行動で「ベスト」を示すことができなければ、自分たちの力不足、行動力不足をご勘弁願うしかない。

 どうも鳩山首相の言葉は軽いという点で麻生太郎に負けない「ベスト」さを競っているように思えて仕方がない。

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