日本社会が「安心・安全」でない中でオリンピック・パラリンピックの開催だけが「安心・安全」という両者関係には合理性は見い出し難い

2021-05-31 10:08:09 | 政治
 日本の首相菅義偉は緊急事態宣言を発出するたびに、あるいはまん延防止等重点措置をいずれかの地域に適用するたびに「しっかり感染防止に努めていきたいと思います」、「一日も早く感染拡大収束に努めていきたい、このように思っています」等々と公約するが、実際に感染が一定程度収まって緊急事態宣言を、あるいはまん延防止等重点措置を解除すると、再び感染拡大が始まって、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の発出に逆戻りをする繰り返しとなっていて、菅義偉の「感染拡大防止」や「感染拡大収束」はその場凌ぎの「思い」だけで終わらせている。

 緊急事態宣言下にあってもなくても、まん延防止等重点措置下にあってもなくても、いずれの状況下ではマスクをし、手洗いに励んでいる点についてはほぼ変わりはないが、唯一の大きな違いは人流の抑制を受けているかいないかである。となると、緊急事態宣言、まん延防止等重点措置が解除されると感染が拡大する傾向は確かにマスク着用も手洗い励行もそれなりに感染防止に役立っているだろうが、決定的に役立っている要因は人流の抑制であって、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の解除と同時に人流の抑制が解除されることによって感染が再び拡大していく原因となっていることを示している。

 このことは誰もが承知していることだろうが、要するに緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の発出と解除が感染拡大と感染縮小のメカニズムを伴うことになっている。つまり発出から程なくして感染縮小が始まり、解除から程なくして感染拡大が始まる。新型コロナウイルス感染症対策担当大臣である西村康稔が2021年4月23日の衆議院議院運営委員会で緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の発出に際しての国会説明で、「この新型コロナウイルスは何度も流行の波が起こるわけであります。諸外国を見ていてもそうであります。そして起こるたびに大きくなってくれば、ハンマーで叩く。つまり措置を講じて抑えていく。その繰り返しを行っていく。何度でもこれを行っていくことになります」と発言していたことがこのことに当たる。

 このハンマーは感染拡大を叩くだけではなく、経済に打撃を与えるハンマーともなっている。

 当然、唯一の効果的な感染防止策は人流の効果的な抑制にかかっている。何のことはない、人流の抑制が自動的に3密回避という状況をつくり出すことに直結しているからである。人と人の出会う機会が減れば、感染の機会も減る。但し家庭内感染が感染場所の人数として一貫して多いのは家庭内は狭い空間の中に恒常的な人員で構成されていることが原因して人流の抑制が効かないからだろう。3密回避のためにカネ持ちなら、子どもをホテルでの生活に切り替えることができるが、一般家庭では、「感染から守るために外で寝ろ」と強制することはできない。

 新型コロナウイルス感染拡大を受けて東京、大阪、兵庫、京都の4都府県知事が要請、菅政権は3回目の緊急事態宣言を2021年4月25日に要請自治体に発出、発出期間を5月11日とした。だが、5月11日を前に感染が減らず、5月7日になって期限を5月31日まで延長。愛知県と福岡県を5月12日から対象地域に加えることを決定した。ところが思うような感染抑止に繋がらず、5月28日になって5月31日までの期限を6月20日にまで延長することを決め、さらに埼玉県、千葉県、神奈川県、岐阜県、三重県に発出していたまん延防止等重点措置も同じ6月20日までの延長と決めた。

 感染拡大を受けて発出した緊急事態宣言もまん延防止等重点措置も人流の抑制を基本的な重点策としていながら、感染抑止のハンマーとしての効果が出なかった原因は従来株よりも感染力の強い変異株の広がりと宣言慣れ(重点措置慣れ)、あるいは宣言疲れ(重点措置疲れ)から人流の抑制が思うように実現できなかったことだと言われている。

 但し変異株がいくら感染力が強くても、徹底的な人流の抑制を実現できていたなら、人から人への距離は遠くなって、その遠さに応じて感染の機会も減ることになるから、やはり感染防止の鍵を握るのは人流の抑制を如何に徹底できるかにかかっている。

 菅義偉が2021年5月28日、緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の延長決定を伝える「記者会見」を首相官邸で開いた。ここでは菅内閣のコロナの感染が広がる社会状況下での東京オリンピック・パラリンピック開催に向けた動きについて取り上げる。

 菅義偉は冒頭発言で「感染を防止し収束へ向かわせる切り札が、ワクチンです」と断言している。要するに菅義偉は西村康稔が緊急事態宣言や重点措置の発出と解除に合わせて感染拡大と感染縮小の波を繰り返すと国会で発言していた、その波を断ち切る「切り札」がワクチンだと宣言したことになる。

 ところが日本のワクチン接種率は低く、菅義偉自身、続けて「接種回数は1日に40万回から50万回となり、これまでに1,100万回を超える接種が行われました」と発言しているが、この回数は1回接種と2回接種が混じっていて、平均すると、500万人にしか接種していないことになる。中国は全体で6億回を超え、アメリカは約3億回に迫っている。

 菅義偉は東京オリンピック・パラリンピックの選手や大会関係者へのワクチン接種や一般の国民と交わることがないようにすること、つまり一般国民と選手や大会関係者との人流の抑制を図ることで「安心・安全の大会とする」と発言しているが、オリンピック・パラリンピックだけが「安心・安全」で、日本社会がコロナの感染によって「安心・安全」でなくてもいいという道理とはならないはずだから、当然、東京オリンピック・パラリンピック大会の開催はワクチン接種人口にかかってくることになる。日本社会が「安心・安全」の中でオリンピック・パラリンピックの開催が「安心・安全」という関係を取らなければならないということである。日本社会が「安心・安全」でない中でオリンピック・パラリンピックだけが「安心・安全」という両者関係には合理性は見い出し難い。

 勿論、ワクチン接種が進まなくても、緊急事態宣言とまん延防止等重点措置のみで感染を徹底的に抑えることができて、東京オリンピック・パラリンピックの開催期間中、日本社会が一定程度以上の社会経済活動が可能となる状況を獲得できていたなら、両者共に「安心・安全」ということになって、開催は一定程度の合理性を備えることになるが、緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の発出と解除が感染拡大と感染宿所の波を特性としている以上、今回の緊急事態宣言とまん延防止等重点措置を延長期限の6月20日に解除できて人流の抑制を解いた場合、オリンピック・パラリンピック開催期間の2021年7月23日から2021年9月5日までの約1カ月半の間に感染拡大の波が襲うことにならないかが問題となる。これまでの経緯から言っても、西村康稔の国会発言から言っても、感染拡大の波はどこかで襲うことになる。

 質疑応答から菅義偉の東京オリンピック・パラリンピック開催要件を見てみる。文飾は当方。

 清水東京新聞・中日新聞記者「東京五輪・パラリンピックについて伺います。IOCのコーツ調整委員長は、先週、緊急事態宣言下でも五輪を開催できると明言されました。開催国の総理大臣として、緊急事態宣言下でも五輪を開催できるとお考えでしょうか。

 また、各種世論調査では、この夏の五輪開催に反対の声が多数です。国民の命を守ることに責任を持っているのはIOCではなく日本政府ですので、国民が納得できるよう、感染状況がどうなれば開催し、どうなれば開催しないか、具体的な基準を明示すべきではないでしょうか。お考えを伺います。

 なお、記者会見での総理の御回答が正面からお答えいただけなかったり、曖昧なものが多くて、見ている国民の方が不満を抱いていたりしています。是非明確にお答えいただけるようお願い申し上げます

 菅義偉「まず、国民の命と健康を守るのは、これは当然、政府の責務です。

 オリンピックについて様々な声があることは承知しています。そうした声に耳を傾けながら、指摘をしっかり受け止めて取り組んでいるところです。まず当面は、緊急事態宣言を解除できるようにしたいと思います。そうした中で、選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていく、これがまずは前提です。

 そうした中にあって、具体的な対策を3点申し上げます。第1に、入国する大会関係者の絞り込みです。当初は18万人が来日する予定でしたけれども、オリンピックが5万9,000人、パラリンピックが1万9,000人まで絞っております。更に削減を要請いたします。

 次に、ワクチンの接種です。入国する選手や大会関係者の多くはワクチン接種が行われ、ワクチンが広く行き渡るよう日本政府の調整の結果として、ファイザーからIOCを通じて、日本人を始め各選手団にはワクチンが無償で提供されることになっています。

 そして、日本国民との接触、これの防止です。海外の報道陣を含めて、大会関係者は組織委員会が管理するホテルに宿泊先を集約し、事前に登録された外出先に限定し、移動する手段は専用のバスやハイヤーに限定します。また、入国前に2回、入国時に加え、入国後3日目までは全員毎日検査し、その後も定期的に検査いたします。こうした関係者と一般国民が交わることがないように、完全に動きを分けます。外出して観光したり街中へ出入りすることはない。こうした対策により、テスト大会も国内で4回開催いたしました。大会期間中、悪質な違反者については国外退去を求めたいと思っています。

 この3つの対策について、組織委員会、東京都、政府と、水際対策を始め国民の安全を守る立場から、しっかり協力して進めていきたい、このように考えています」

 清水東京新聞・中日新聞記者「緊急事態宣言下でもできるとお考えでしょうか」

 菅義偉「テスト大会も国内で4回開催しています。今、申し上げましたように、こうしたことに配慮しながら準備を進めております」

 菅義偉は「国民の命と健康を守るのは、これは当然、政府の責務」云々を決り文句として国民の命と健康の保障を常々謳っているが、必ずしも守ることができていないことに心砕いていない。入院先が見つからず、自宅療養中に亡くなる感染者は後を絶たないし、感染を恐れて家に閉じこもる結果、健康を害する高齢者も後を絶たない。2021年5月29日時点で日本国内のコロナ累計死者数は1万2931人だと「NHK NEWS WEB」は伝えている。警察庁発表の2021年3月10日時点での東日本大震災死者数1万5899人(「Wikipedia」)にあと3000人と迫る死者数となっている。単なる数字ではなく、それぞれに持っていた生身の命のそれぞれの生き場を奪われて全てが消滅して生成される無の積み重ねを数字で表している。その積み重ねを止めることができないでいる。

 清水記者の「緊急事態宣言下でもできるとお考えでしょうか」の問に対して菅義偉は4回のテスト大会の開催を挙げて、開催可能だとしている。だが、4回のテスト大会は緊急事態宣言に於ける感染拡大防止策の基本である人流の抑制の最大値である無観客で行われているから、外国人観客を受け入れないことを決めているが、日本人の観客にしても、入場させない、無観客で行うと答えて初めて合理的な整合性を持つが、整合性を与えずに発言する辺りは無責任そのもので、清水記者が言う通り、「正面からお答えない、曖昧な」答弁となっている。

 2021年5月28日「NHK NEWS WEB」記事は組織委員会会長の橋本聖子が5月28日の記者会見で、「延長された宣言期間中の状況を見なければ、観客の上限を決めることは難しい。できるだけ早い段階で決めたいという思いがあったが、政府が示す宣言が解除されたあとの基準に沿って考えなければならない」と述べたと伝えている。

 この入場を認める「観客の上限」を決めかねて、その決定を何度か延期させている。要するに東京オリンピック・パラリンピックの外の日本社会が緊急事態宣言やまん延防止等重点措置で人流の抑制を図っているのにオリ・パラの世界だけ人流を無制限にするわけにはいかなくて、そのバランスに苦慮しているということなのだろう。但し日本人観客を入場させる前提に立っていることに変わりはない。

 感染状況次第で再度延長を行うこともあり得るし、感染が縮小して6月20日に解除できたからと観客人数を決めたとしても、解除と同時に人流の抑制が解かれて感染拡大に向かう波が1カ月後の開催時にどれ程の大きさになるかによって、決めた人数通りにはいかない可能性も出てくるが、こういったことを念頭に置いた発言なのかは疑わしい。

 緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の発出と解除を受けた感染拡大と感染縮小の波を解消する役割を菅義偉以下、ワクチンの接種に期待している。そのための菅義偉の「ワクチンの接種です。入国する選手や大会関係者の多くはワクチン接種が行われ・・・」云々の言葉である。ワクチンの接種を受けて一定以上の人口が免疫を持つと、感染者が出ても他者への感染が減って流行を終わらせる集団免疫の構築は人口の約70%のワクチン接種が目安と言われているが、この記者会見の質疑で記者が感染率低下の線引を「日本国民の半分、50パーセントの接種」に置いて、50パーセント接種達成の明確な期限の提示を求めた。

 対して菅義偉はイギリスの例を挙げて、「1回目を5割打ったら大体ものすごい効果が出たということで、今、マスクなしにしていますけれども」と言いつつ、「日本はまずは高齢者の方にしっかり2回打ちたい」とその点を優先させることを強調して、50パーセント接種達成の時期は計算できないことはないはずだが、計算せずに「今、具体的に申し上げることは控えます」と体よく逃げている。

 ワクチンは2回の接種が必要となっているが、菅義偉がイギリスでは1回の接種のみで効果が出たと言っていることと新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の尾身茂もこの記者会見で接種が「半分ぐらいになると少しは効果が出てくる」と発言していることから、1回接種で50パーセント接種達成の時期を計算してみる。

 菅義偉は「現在、1日40万回から50万回でありますけれども、6月に入って中旬以降は、打ち手も含めて100万に対応できるような、そうした体制が中旬以降にはできてくる。このように思っています」と6月中旬以降、1日100万回の接種は可能だと請け合っている。これまでは接種は16歳以上としていたが、「NHK NEWS WEB」記事によると、ファイザーが海外の臨床試験(治験)で12~15歳に成人と同じ方法でワクチンを接種しても、有効性や安全性に問題はなかったとしたことを受けて、厚労省が国内治験は行われないまま、その年令での接種を承認したことから、12歳以上の接種となる。

 日本の2016年10月1日現在の推計全人口1億2693万3千人で、その50%は約6300万。この約6300万人の接種を12歳以上男女合計人口1億1453万7千人の中から行うことになる。7月末までに65歳以上高齢者3600万人+医療従事者400万人=4000万人の接種が完了していることを前提に計算すると、残る2300万人の接種が完了すれば、「日本国民の半分、50パーセントの接種」がほぼ達成できる

 この2300万人に対する1日100万回接種を65歳以上高齢者3600万人+医療従事者400万人に対する接種7月末完了後の8月初めから開始と計算すると、少なくとも8月23日頃には50%接種は達成が可能となる。但し東京オリンピックは7月23日から始まるから、1カ月遅い50%接種達成と言うことになる。但し東京パラリンピックには1日遅れで間に合うことになる。

 菅義偉の言うことをギリギリ信用して1日100万人接種を6月中旬以降達成可能だと見たとしても、「接種回数は1日に40万回から50万回となり、これまでに1,100万回を超える接種が行われました」の菅義偉の発言から5月28日時点で65歳以上高齢者だけで2500万人を残していることになり、1日100万回の接種となる6月中旬までの日数を20日間と多めに見て、1日50万回の接種で進めていった場合、50万回×20日間=1000万人の接種となるが、1500万人が残り、この1500万人を6月中旬から1日100万回で摂取していくと、必要日数は15日間で、かなり疑わしいが、6月中に65歳以上高齢者の接種は終えることができると見ることができる。7月初めから65歳以上高齢者以外の12歳からの半数と計算した残る未接種2300万人を1日100万回で接種を進めていくと、23日間で終えることになり、東京オリンピック開催の7月23日にギリギリ間に合うことができる。

 要するに菅義偉が自身の言葉に一分も違わずに「6月中旬以降ワクチン接種1日100万回」を厳格に実現できたなら、東京オリンピック開催の7月23日までに日本人口の50%の接種が達成できて、それなりの集団免疫が獲得可能となり、日本社会自体が「安心・安全」となり、オリンピック・パラリンピック開催の「安心・安全」と合理的な両立性を獲得しうる。つまり日本社会が「安心・安全」でないのにオリンピック・パラリンピックの開催に関しては「安心・安全」だという非合理性は解消できる。

 もし菅義偉が言う「ワクチン接種1日100万回」が「6月中旬以降」から大きくずれて、「日本国民の半分、50パーセントの接種」がオリンピック開催の7月23日までに間に合わなかったとしたら、延長した緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置の解除に伴う感染拡大に向けた波が東京オリンピック・パラリンピックの開催時期とかぶさらないように解除の時期自体をコントロールしなければならない。コントロールに失敗して、開催期間中に延長を、あるいは再発出をせざるを得なくなって、人流の抑制の観点から国民の社会経済活動を制約した中でオリンピックだけが「安心・安全」だからと言って開催するのはどのような合理性も見い出し難く、最悪である。

 とにかく質疑応答での菅義偉の答弁には誤魔化しが多い。記者が観客を入場させて競技を行った場合、人流の加速化を受けた新型コロナ感染拡大のリスクをどういうふうに分析してるのか問われて、「緊急事態宣言下でも野球やサッカーが一定の水準の中で感染拡大防止をしっかり措置した上で行っている」ことを例に感染者を出していないとする「事実」を以ってオリンピックでも入場制限をかけて行えば感染を防ぐことができる趣旨の発言をしているが、「人流」とは競技会場での観客のみを指すのではない。競技観戦のために飛行機やバスや電車等の交通機関で移動する、買い物に出かけることも「人流」に入り、オリンピック開催期間中、人を集めて競技の中継を観戦する「パブリックビューイング」会場が東京では11個所、各自治体で計15個所が設置されるということだが、このような会場設置自体が感染防止、あるいは感染抑止に抗う人流の促進に当たる。

 また野球やサッカーの観客の中から感染者を出していないとしている事実はどこで、誰から感染させられたか分からない感染経路不明者が感染者の約半数を占めていること、感染しても無症状の割合が、2割とか、3~4割とか、5割とか、色々な説があるが、このように一定でないことが状況次第で違いが出てくることを示していて、無視できない、気づきにくい感染機会となっていることを考えると、野球やサッカーの観客の中から感染者は出していないは必ずしも断言できる事実とは言えなくなる。

 菅義偉は2020年11月25日の衆院予算委員会で「先週(2020年11月)20日の日に専門家の分科会の提言においてGoToトラベルが感染拡大の原因であるとのエビデンスは現在のところは存在しない、こうしたこともご承知だと思います」と発言しているが、GoToトラベルに於ける観光地での人の密集だけではなく、出発点のまでの往復の交通機関での移動でも、人と人の接触の機会が多くなって、感染拡大防止の基本対策となっている人流の抑制に反する人流の促進――3密回避とは逆の人と人との接触機会の頻繁化となる以上、野球やサッカーの観客が置かれて状況と同じことを言うことができる。誰一人無症状者と接触していなかったと断言できないし、あるいは自身が無症状者として街のどこかで誰かに二次感染させていなかったとも断言できない。こういったことから感染経路不明の感染者が出てくることになるはずである。

 感染の拡大を受けて緊急事態宣言かまん延防止等重点措置を発出して人流の抑制を図り、その効果による感染の縮小を受けてこれらを解除、人流の抑制をも解除するが、人流の増加によって再び感染が拡大していくという循環を取る以上、どのような場所の人流も感染に無関係とすることはできない。
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安倍晋三のAERA・毎日大規模接種予約システム欠陥検証報道Twitter投稿「妨害愉快犯」は問題の本質から外れたお門違いな"報道妨害愉快犯"

2021-05-24 09:21:21 | 政治
 2021年5月17日付「AERA dot.」記事が自衛隊運営の「大規模接種東京センター」のワクチン予約システムに重大な欠陥があることをAERAdot.編集部の、いわゆる「検証予約」によって判明したと報道した。キッカケは「ワクチン予約に大変な欠陥が見つかった。システムのセキュリティが機能していない」との情報が防衛省関係者から飛び込んできたことだと記事は書いている。要するに杜撰過ぎるシステム設計を内部告発するリークがあったということなのだろう。

 予約の手続きは次のように案内している。防衛省の予約サイトにアクセス、地方自治体から送付された接種券に記載されている市町村コード(6桁)と接種券番号(10桁)と自身の生年月日を入力。終わって、「認証ボタン」を押すと、接種希望日時を選ぶ画面が出る。カレンダーから接種枠の空きがある日時を選び、予約完了。

 次に予約システムの欠陥の検証。6桁の市区町村コードも、10桁の接種券番号も、生年月日も、適当な数字を入れる。生年月日に関しては「1956年1月1日」としたのは接種対象者は65歳以上だから、65歳以上になるようにしたということなのだろうが、もし65歳下の年齢にしたとしても予約が取れたとしたら、滑稽だと思っていたら、同様の記事を書いた「毎日新聞」(2021/5/17 18:47)が、〈予約の対象は65歳以上だが、65歳未満となる生年月日を入力しても予約できることも確認。〉と伝えている。極端なことを言うと、0歳児の生年月日を入力しても予約は完成してしまうのかもしれない。

 要するに全て適当な数字入力であっても予約が取れてしまった。確認のために数字を変えてテストしても、予約が取れた。市区町村コードが6桁未満、接種券番号10桁未満の場合にのみエラーが出ると記事は書いている。
 
 記事はそのほかに予約システムの「セキュリティが機能していない」との内部情報を伝えた防衛省関係者の可能性として考えられるセキュリティ上の危険性を訴える発言等を紹介しているが、これらについては記事にアクセスしてご覧頂きたい。

 上記「毎日新聞」は、〈架空の数字を使って予約枠を「占拠」することもできるとみられ、予約システムの信頼性が問われそうだ。〉と危惧を示し、「AERA dot.」は、〈これでは北海道や沖縄、名古屋などどこに住んでいようが、何歳であろうが誰でも予約ができてしまう。〉と欠陥を検証している。

 この記事に対して岸信介の長男岸信和の家へ安倍晋太郎家から養子に入った、安倍晋三の実弟、安倍晋三よりもあくどさの点でずっとマシな防衛相の岸信夫が自身の Twitter に抗議の投稿を4回に分けて行っている。

 〈自衛隊大規模接種センター予約の報道について。

 今回、朝日新聞出版AERAドット及び毎日新聞の記者が不正な手段により予約を実施した行為は、本来のワクチン接種を希望する65歳以上の方の接種機会を奪い、貴重なワクチンそのものが無駄になりかねない極めて悪質な行為です。〉

 〈両社には防衛省から厳重に抗議いたします。

 不正な手段でのワクチン接種の予約は、本当に希望する方の機会を喪失し、ワクチンが無駄になりかねないと同時に、この国難ともいうべき状況で懸命に対応にあたる部隊の士気を下げ、現場の混乱を招くことにも繋がります。〉

 〈本センターの予約システムで、不正な手段による虚偽予約を完全に防止する為には、全市長区町村が管理する接種券番号を含む個人情報を予め防衛省が把握し、予約番号と照合する必要があり、実施まで短期間等の観点から困難かつ、全国民の個人情報を防衛省が把握する事は適切でないと判断いたしました。〉

 〈他方、今回ご指摘の点は真摯に受け止め、市区町村コードが真正な情報である事が確認できるようにする等、対応可能な範囲で改修を検討してまいります。〉

 「不正な手段」、「不正な手段」、「不正な手段」と3回も「不正」であることの印象操作を行っている。要するに「不正な手段による虚偽予約」を許し難い行為として断罪しているが、その断罪に正当性はあるのだろうか。

 防衛省側から見た「虚偽予約」を成功させてしまったことについての理由は3番目の投稿に書いてある。趣旨は「全国民の個人情報を防衛省が把握する事は適切でないと判断」した結果の止むを得ない見切り発車ということになる。具体的には上記「毎日新聞」が書いている、〈市区町村の予約システムと連結〉させていなかったことがシステムの欠陥の原因となった。住民台帳に基づいた接種券記載の氏名と市区町村コードと接種券番号と生年月日を防衛省予約システムに関連付けていなかったために市区町村コードも接種券番号も生年月日も、デタラメな数字入力であっても、承認してしまうことになった。自動販売機に10円を玉入れてもジュースがガシャンと落ちてくるような欠陥に例えることができる。

 但し防衛省側から見た虚偽予約だけが問題というわけではない。岸信夫にしても、あるいは防衛省にしても、問題の本質を見逃している。「毎日新聞」が防衛省人事教育局担当者の「入力する人の善意に頼ったシンプルな予約システム。いたずらで予約されては本来必要な人の予約が取れず、ワクチン接種ができなくなる。絶対にやめてほしい」と訴えている発言を伝えているが、役人にしては、あるいは役人だからこそなのか、単細胞な受け止め方をしている。「善意」が全て正しい予約に向かわせるわけではない。

 確かに両報道機関の防衛省側から見た「虚偽予約」は適当な数字を入力して成り立たせた意図的な行為ではあるが、故意に適当な数字を入力しても予約が成立するということは正規の予約でも数字の入力を間違えた場合は予約が成立してしまうという法則を取ることになる。ここにこそ問題の本質があるはずである。
 
 具体的には正規のワクチン接種者として接種を受ける目的で予約に臨んだものの市区町村コードや接種券番号、生年月日のうちいずれか数字の入力を1字間違えてもエラーが表示されないことから正しく入力したと思い込んでしまって、「認証ボタン」を押してカレンダーから接種希望日時を選ぶ。これで予約が成立したとホッとしてしまうケースが生じる可能性は否定できない。

 結果、既に触れているように接種会場に足を運んだとしても、予約情報と接種券情報との不一致によって接種を受けることができなくなる恐れが生じる。特に防衛省予約システムには氏名を記入する枠を設けていない結果、名無しでの予約登録となるから、持参した接種券の本人姓名で予約情報と照合することもできない。免許証か保険証を提示して、「これこれこのとおり接種券は私のものです」と証明できても、予約したのが本人かどうかの証明にまで行き着かないことになる。

 当然、数字の入力間違いによる予約成立のプロセスは「AERA dot.」や「毎日新聞」の防衛省側から見た「虚偽」の数字入力による「予約」成立のプロセスと同じ道を辿ることの証明、既に指摘した、故意に適当な数字を入力しても予約が成立するということは正規の予約でも数字の入力を間違えた場合は予約が成立するという法則の証明を果たすだけのこととなる。

「不正な手段による虚偽予約」だと大騒ぎしている場合ではない。

 正規の予約であっても、「善意」に裏付けされていたなら数字入力を間違えるケースがないと考えるのは、あるいは間違えることもあり得ることに気づかないでいるのは注意力散漫以外の何ものでもない。当然、故意の数字入力に備えた、あるいは数字入力の間違いに備えたシステムとすることが予約に関する危機管理の初歩中の初歩となる。

 だが、危機管理の初歩中の初歩を怠った。岸信夫は「全国民の個人情報」というプライバシーを防衛省が所有することの不適切性から止むを得ない見切り発車だといった趣旨の投稿をしているが、最初の投稿の不正手段の予約実施行為は、〈本来のワクチン接種を希望する65歳以上の方の接種機会を奪い、貴重なワクチンそのものが無駄になりかねない極めて悪質な行為です。〉と強く非難していたことに反して、4番目の投稿で、〈今回ご指摘の点は真摯に受け止め、市区町村コードが真正な情報である事が確認できるようにする等、対応可能な範囲で改修を検討してまいります。〉と、「不正な手段による虚偽予約」をシステム改善の思わぬキッカケとしている。

 でなければ、危機管理の初歩中の初歩を怠ったままでいることになる。怠らずに欠陥は欠陥と認めて、欠陥と向き合う危機管理を働かすことになった。

 だとすると、防衛省側から見た「不正な手段による虚偽予約」に対する強い非難の態度とその「虚偽予約」をシステム改善の思わぬキッカケとしている態度との間には大きな矛盾が生じることになる。前者の態度を基準として前後の態度に一貫性を与えるとしたら、危機管理の初歩を誤とうが何しようが、非難を維持して、システムの欠陥を放置し、システムの改善には手を付けないことであろう。

 放置した場合、非難を受けるのは「AERA dot.」や「毎日新聞」ではなく、防衛省であり、菅内閣ということになる。

 後者の態度を基準として前後の態度に一貫性を与えるとしたら、「不正な手段による虚偽予約」だとする非難はやめて、欠陥を素直に認めて、システムの改善のことだけを言うべきだろう。

 だが、一方で「極めて悪質な行為だ」と非難し、その一方で「今回ご指摘の点は真摯に受け止め・・・・対応可能な範囲で改修を検討してまいります」と矛盾した態度を見せている。言ってみれば、前者は自分たちのシステムの欠陥を棚に上げて報道機関を非難しているのだから、闇雲な自己正当化の態度であり、後者はシステムの欠陥を間接的に認めていることになるから、自己正当化の放棄ということになる。

 但しどちらの態度に重きを置いているかと言うと、明らかに前者である。「不正な手段により予約を実施した行為」、「本来のワクチン接種を希望する65歳以上の方の接種機会を奪い、貴重なワクチンそのものが無駄になりかねない極めて悪質な行為」、「本当に希望する方の機会を喪失させる」、「この国難ともいうべき状況で懸命に対応にあたる部隊の士気を下げ、現場の混乱を招くことにも繋がる」等々。

 自分たちのシステムに欠陥があるにも関わらずにかくまでも非難に重きを置いている。つまり自己正当化に重きを置いている。自衛隊大規模接種センターの予約がスムーズに進み、接種が滞りなく行われるか否かは菅内閣のコロナ対策の成果に関係することになるから、予約システムの自己正当化は菅内閣を守る手立ての一つとなる。逆に欠陥を決定的に認めたなら、菅内閣の失態の一つとなる。考えるに予約システムの欠陥がコロナ対策の不評判からただでさえ低い数字に喘いでいる菅内閣支持率のマイナス材料とされることを恐れて、「AERA dot.」と「毎日新聞」を強く非難することで菅内閣を守る目的で自己正当化に重きを置き、欠陥は最後にさり気なく認めたと見ることもできる。

 安倍晋三が2021年5月18日、〈岸信夫@KishiNobuo · 5月18日

 自衛隊大規模接種センター予約の報道について。

 今回、朝日新聞出版AERAドット及び毎日新聞の記者が不正な手段により予約を実施した行為は、本来のワクチン接種を希望する65歳以上の方の接種機会を奪い、貴重なワクチンそのものが無駄になりかねない極めて悪質な行為です。〉とするツイートに対して、〈「朝日、毎日は極めて悪質な妨害愉快犯と言える。防衛省の抗議に両社がどう答えるか注目」〉とリツイートした、

 岸信夫の「AERA dot.」と「毎日新聞」に対する非難をバカっ正直に取れば、「妨害愉快犯」と言うことができるが、「不正な手段による虚偽予約」と激しく非難するだけでは済まない欠陥を抱えている防衛省の予約システムであり、最終的には防衛省が「AERA dot.」と「毎日新聞」の「指摘」を「真摯に受け止め」て、システムの改善の乗り出さざるを得なかった事実と、システムの欠陥を放置したなら、菅内閣のコロナ対策の失態、ひいては菅内閣支持率のマイナス材料とされる蓋然性が高いことを考えると、「極めて悪質な妨害愉快犯」は問題の本質から外れたお門違いな表面的受け止めとしかならない。

 大体が防衛省のワクチン接種予約システムに欠陥があったからこその「AERA dot.」と「毎日新聞」の検証報道である。何ら欠陥がなければ、両報道機関の検証報道は成り立たない。その欠陥も岸信夫自身が改修を約束しなければならなかった程の性格のものである。「極めて悪質な妨害」どころか、「AERA dot.」と「毎日新聞」が伝えたことは単なる検証報道では終わらずに啓発報道となった。合理性を持たせた理解なしに「妨害愉快犯」と決めつけるのは却って安倍晋三の方こそが"報道妨害愉快犯"と非難されて然るべきである。
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菅義偉は五輪開催に向けた選手や大会関係者、観客の「安心」が国民の「安心」を奪う引き算となり得ることにも気づかずに開催を叫んでいる

2021-05-17 11:33:54 | 政治
 2021年5月10日衆院予算委

 立憲民主党の山井和則がコロナの感染状況如何に関係せずに東京オリンピック・パラリンピックを開催するのかと菅義偉に迫っていた。

 山井和則「今回、緊急事態宣言、解除できませんでしたが、私はこの間、ずっと思い増すのは菅総理の頭の中はオリンピックファーストで、結局コロナ対策、ワクチン接種、あるいは本当にコロナで苦しんでいる事業者や国民への対策が二の次になってしまっているとしか思えて仕方がないんです。

 そういう中で私も観光京都の地元でありますから、オリンピックを楽しみにしておりました。私の知り合いにもアスリートの方がおられます。しかし私の知り合いの介護施設でも、クラスターが発生し、そのために先頭に立ってクラスター対策に取り組まれた20代の介護職員の方がコロナでお亡くなりになりました。小さなお子さんを残してお亡くなりになりました。同僚の方々からはこれは戦死だと言われております。私の大切な、大切な方も感染され、集中治療室でコロナで入れられたということもありました。

 そういう中でオリンピックを優先と言っている場合じゃないんじゃないかと、自分自身のみならず、国民の命、あるいは、先程言いましたように多くのお店が潰れかかっている。多くの生活困窮者が残念ながら自ら命を絶つ事態にもなっているわけであります。そこで菅総理にお伺いしたいと思います。この(パネル『東京500人未満の宣言解除なら』)東京大学の専門家先生の予測ですね、今後、7(なな)月、8月に向かって再度リバウンドがあるかもしれない。感染拡大があるかも知れないという一つの試算です。

 つまり心配していますのはオリンピック、それは安全・安心できたらいいです。しかし二兎追うものは一兎も得ずという言葉がありますが、本当にこれは安心・安全なオリンピックってできるのか、ここにありますようにもしかしたら7(なな)月第1週に1500人を東京で超える感染拡大があるかもしれない。あるいは8月第3週に1800人を超える感染拡大があるかもしれない。こういう一つの試算もあるわけですね。

 そこで菅総理にお伺いしたいと思います。菅総理、これ、オリンピックが開催される7(なな)月8月、ステージ3の感染急増、あるいはステージ4の感染爆発、そういう状況でも、オリンピック・パラリンピック、これは開催されるんですか」

 山井和則は相変わらず無駄な質問が多い。質問の時間が持たないから余分なことをお喋りをする必要があるのかもしれない。「7月、8月にステージ3、ステージ4の感染状況に見舞われていても、オリンピック・パラリンピックは開催するのか」の一言で十分である。
 
 菅義偉「大変失礼だと思いますけども。わたしはオリンピックファーストでやってきたことはありません。国民の命と暮らしを守る、最優先に取り組んできています。そこは念入りに言わせて頂きます。オリンピック・パラリンピックですけども、先ず現在の感染拡大を食い止めることが大事だと思います。

 東京大会につていIOCは開催を既に決定を、各国にも確認をしています。開催に当たっては選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、安心の上、参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていくのが責務だと思っています。

 今般日本政府が調整をした結果、ファイザーとIOCを通じて各国選手にワクチン無償の提供が実現することになっています。これに加えて選手や大会関係者を一般の国民と交じらわないようにする。選手は毎日検査を行うなど、厳格な感染対策の検討を行っており、まあ、しっかり準備を進めていると、このように思っています」

 山井和則「菅総理、これ質問通告してるんですよ、先週金曜日。非常にこれ、基本的な質問です。感染急増のステージ3、感染爆発のステージ4。そのときにもオリンピックはやるんですか」

 菅義偉「今、私が申し上げましたけども、先ずは国民の命と健康を守っていくということが最優先で、そのために感染拡大は食い止めるために全力を上げていきたいというふうに思います。

 東京大会に於いて先程申し上げましたようにIOCは開催を既に決定し、各国にも確認をしており、開催に当たっては選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心して参加をできるようにすると共に国民の命と健康を守っていく、これが開催に当たっては基本的な考え方です。今申し上げたのが私の基本的な考え方です」

 山井和則「感染の爆発のステージ4、感染急増のステージ3でオリンピック開催ですか」

 菅義偉「開催に当たっては選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心して参加をできるようにすると共に国民の命と健康を守っていく、これが開催に当たっては基本的な考え方であります」

 山井和則「菅総理、これ国民の命がかかってるんです。かつ海外から来られるアスリートの方の命もかかってるんです。これだけ聞いても答えないということはこれ全国の医療従事者、コロナで苦しんでおられる方も見ておられます。感染爆発しても、菅総理はオリンピックされるというお気持ちなんですか」

 菅義偉「そんなことは全く申し上げておりませんよ。開催に当たって、よく聞いてください。選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心して参加をできるようにする。それと同時に国民の命と健康を守っていく。これが開催に当たっては私の基本的な考え方であります」

 山井和則「菅総理、そんな感染爆発でもやるんですかって聞いたら、そんなことは言ってませんよということは感染急増のステージ3とか、ステージ4の感染爆発ではオリンピックはやらないというふうに理解してもよろしいですか」

 菅義偉「私が今申し上げたとおりでございます」

 山井和則「いや、その日本語を分からないんです。その日本語の意味が。その答弁されていませんよ。これは誰もが不安に思ってるんです。日本中だけしゃなくて世界中が一歩間違ってオリンピックでクラスターが発生したら大変だとみんな心配して思っています。あと、多くの命が安心・安全だったら、オリンピックはやった方がいいと思っている人も多いと思います。しかしできないかもしれないから、こういう議論、私もですね、なかなかアスリートの方のことを考えると、(議論は)やりたくないけれども、これやっぱり私たち国民の命を守らないとダメですから。

 これ、今日の配布資料の中に4ページ、毎日新聞の調査で、毎日新聞がですね、全国47都道府県の知事さんに東京オリンピック・パラリンピック、アンケートされてるんです。その中に質問1、配布資料の4ページですね、『感染状況に関わらず開催すべきか』、つまり今言ったような感染急増とか、感染爆発であっても、開催すべきだなんて答えている人はゼロなんです。

 だから、感染爆発したら、オリンピックやらない、できない。これ当たり前ですよねということなんですよ。そしたら、菅総理お聞きします。感染状況に関わらず
オリンピック・パラリンピックは開催すべきですか」

 菅義偉「私、先程来申し上げておりますけども、開催に当たっては選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心をして参加をできるようにすると共に国民の命と健康を守っていく。これが開催に当たっては私の基本的な考え方です」

 山井和則「だから、オリンピックファーストだと言われるんじゃないですか。オリンピックありきだなんて言われるんじゃないんですか。47都道府県の知事だけじゃなくて、日本国民の、世界の方々の多くがオリンピックやって欲しいけども、感染拡大、爆発したら、無理だよねというのが普通の考え方だと思いますよ。にも関わらず、その一番の権限を持つと言われる菅総理が感染爆発しても、感染急増しても、オリンピックやるかやらないか、やらないとも言わない。

 私はね、感染爆発しても、感染急増してもオリンピックやるというのは、それは危険だと思います。あり得ない。オリンピックって、平和の祭典じゃないんですか。オリンピックでクラスターが出たり、日本中で医療崩壊、今のように50人、100人、1日で亡くなっているかもしれない中で平和の祭典できますか。できますか。菅総理、ここは私は菅総理の基本姿勢をお聞きしたいんです。

 勿論、オリンピック、人命、両方必要ですよ。でも、もし(両方必要という関係を)回避することになったら、人命、日本人の人命が失われているいるという状況に於いてオリンピックを菅総理は強行されるんですか、されないんですか。その基本認識ぐらいはお聞かせ頂きませんか」

 菅義偉「私はさっきから何回も申し上げております。開催に当たっては、よく聞いてください。選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心をして参加をできるようにし、国民の命と健康を守っていく。これが開催に当たっての私の基本的な考え方でありす」

 菅義偉から同じ答弁しか引き出すことができないから、この辺で質疑の取り上げはやめにする。この日午前中に衆院予算委、午後に参院予算委が開催されたが、2021年5月12日付「asahi.com」記事によると、衆参の1日を通じて「国民の命と健康を守っていく」を計17回も繰り返したと報じている。同じ答弁を17回も繰り返す根気強さは官房長官時代に培ったのだろうか。

 山井和則は菅義偉が同じ答弁を2度繰り返した辺りで別の角度からの追及を試みるべきだったが、際限もなく似たような追及に自らはまり込んでしまって、抜け出せなかった。菅義偉が開催可能とする理由づけは「開催に当たっては選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、安心の上、参加できるようにする」云々の答弁から伺うことができる。先ず海外からの観客を受け入れないことを決定していること、日本人観客数の上限決定の判断先送りは開催時のコロナ感染者数が把握しづらいことからだろう。当然、感染拡大状況次第で国内の大規模イベントで許可している観客数に応じて収容人数50%や、5000人制限、あるいは無観客といったそれぞれの制限を設けることで観客に対しては感染防止対策を徹底させやすいことが先ず一つ挙げることができる。

 選手に関しては行動できる範囲を宿泊施設や練習会場、試合会場に限定していること、大会関係者は移動時の公共交通機関の使用禁止、検査に関しては選手は毎日、大会関係者は4日ごととすること、違反行為があれば、選手に関しては大会の参加に必要な資格認定証を剝奪する罰則を、大会関係者に関しては菅義偉が2021年5月14日の記者会見で強制退去措置を現在検討していると発言していることから選手と大会関係者に関しては行動管理がかなり容易で、その行動をコントロール可能と見ていて、感染防止対策が有効に働くと計算、観客に関しても開催時の感染状況に応じた入場人員調節による社会的ディスタンスを取りさえすれば、感染はより効果的に抑えられると踏んで、そのような想定の上に開催は大丈夫だと理由づけているのだろう。

 ましてやIOC=国際オリンピック委員会会長バッハが東京大会と北京大会で希望する選手や大会関係者に中国製のワクチンを提供する考えがあることを表明し、実現すれば、選手や大会関係者から日本の社会に感染していくという構図は極端に限定されることになり、残る危険性は日本人観客から一般的な日本人へという日本人同士の感染の経路のみとなるが、この危険性は社会的ディスタンスやマスク着用、手洗いの徹底によって限定されると見ているのだろう。

 しかしこういった想定上の開催可能性はオリンピック・パラリンピックという祭典が一般社会と深い関わりを持っていることに反して東京オリンピック・パラリンピックに於ける考えられる感染の程度と一般社会に於ける現実の感染の程度を別々に補足していることによって成り立ち可能となる。

 なぜなら、菅義偉の「開催に当たっては選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心をして参加をできるようにする」の言葉そのものが社会の感染状況を置き去りにしていることになるからである。

 つまり一般社会の感染状況がステージ3だろうが、ステージ4だろうが、そのこととは関係なしに東京オリンピック・パラリンピックという場から一般社会に向けて感染が広がる危険性を最小限に抑えることができれば、開催は可能だとしている菅義偉の「基本姿勢」となっている。但し菅義偉は総理大臣である以上、一般社会の感染防止対策とオリンピック・パラリンピック開催時の感染防止対策の両方に最終責任を負う。オリンピック・パラリンピック開催の感染防止対策がしっかりしていさえすれば、一般社会の感染はどうであってもいいとするのは両方に責任を負っていないことになって、無責任となる。

 と言うことは、東京オリンピック・パラリンピックの場所だけ感染に関しては安心できるということだけではなく、社会の感染も極力抑えて、一通りの安心ができる場所にしておく必要がある。

 具体的には開催に当たって緊急事態宣言にもまん延防止法に頼らずに一般社会の感染者を大きく抑えた状態にしておく責任を負う。大きく抑えて、一定程度の社会経済活動を保証できていたなら、誰からも何も言われることなく心置きなく開催できる条件が整う。結果、菅義偉は社会に対しても東京オリンピック・パラリンピックに対しても、両方共に責任は果たしていることになる。

 勿論、ワクチンに頼ってもいいが、そのために65歳以上高齢者ワクチン接種の7月末完了を急いでいるのだろうが、7月末完了が間違いなく実現させることができたとしても、〈以下接種人数は「日本のワクチン接種シナリオ」(2021年2月26日)から〉65歳以上⾼齢者の接種完了⽬途が⽴ち次第、優先順位から基礎疾患保有者(820万⼈)+⾼齢者施設従事者(200万⼈)+60〜64歳(750万⼈)+その他16歳以上59歳まで(約5,200万⼈)の計6970万人のうち、接種せずがいたとしてしても、6000万人がとこの接種が待ち構えている。この6000万人を65歳以上高齢者3600万人から未接種者を差し引いて約1.4倍と見たとしても、65歳以上高齢者は4月12日接種開始から7月末完了予定の3カ月半の約1.4倍、5カ月近くかかることになる。東京オリンピック2020の2021年7月23日から8月8日の日程と東京パラリンピック2020の2021年8月24日から9月5日までの日程終了までに希望していながら多くのワクチン未接種者を残すことになる。

 要するに菅義偉はワクチン未接種残る65歳以上高齢者や65歳以下の一般国民6000万人うちの多くの国民の安心・安全を置きざりにして、「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心して参加をできるようにする」としている選手や大会関係者のみの「安心」を以って国民の安心・安全に代えることはできないにも関わらず、「それと同時に国民の命と健康を守っていく」としている言葉が示すようにさも代えることができるような物言いをするペテンを狡猾にも働かせている。

 第1波、第2波、第3波、第4波と続く感染の波を受けて積み重なっていく死者数、重傷者数を見ただけで、「国民の命と健康を守ってい」っている状況にはない。特に自宅療養中に体調が急変して医師に連絡しても、救急車を呼んでも入院先が見つからずに治療を受けないままに死に至らしめてしまう状況は「国民の命と健康を守っていく」の言葉が口先だけであることを暴露するのみである。2021年5月14日付「NHK NEWS WEB」記事は、コロナに感染して自宅などで療養中の患者が体調急変によって死亡したケースが4月は96人、前の3月の3倍だと伝えている。都道府県別では大阪が39人と最多、次いで兵庫21人、東京10人等としている。

 例えコロナに感染して自宅療養となり、体調が急変して重症化したとしても、望むままに病院に入院できて、万全な治療の提供を受けたものの、その甲斐もなく回復できずに死亡した場合は止むを得ないが、入院先を探したが見つからずにどのような治療を受ける機会も与えられずに亡くなっていく状況が継続・放置されているのだから、この1事例を取り上げただけでも、「国民の命と健康を守っていく」責任を果たしているとは決して言えない。

 要するに菅義偉は「国民の命と健康を守ってい」っていない場面が数々あることに目を向けることができないままにさも守っていっているかのように口先だけで言っているに過ぎない。 

 また、選手や大会関係者の「安心」の中には観客の「安心」も含めて、その一端を派遣要請を受けている医師200人、看護師500人が担うことになるが、国民へのワクチン接種とコロナ感染の入院患者治療の必要人員とされている関係から断る医師、看護師が出ている。つまり選手や大会関係者、観客の「安心」を引き受けることが逆に国民の「安心」を奪う引き算となることを弁えているがゆえの要請拒否である。

 菅義偉がこういった視点を持たないからこそ、守ってもいないのに「国民の命と健康を守っていく」と言うことができるのだろう。あるいは持っていても、持っていないフリをするのは総理大臣の責任行為としてある「国民の命と健康を守っていく」を禁句としなければならなくなるからだろう。

 上記衆院予算委員会開催日は2021年5月10日だったが、3日後の2021年5月13日に勤務医で作る労働組合「全国医師ユニオン」が厚労省を訪れ、東京オリンピック・パラリンピックの中止を求める要望書を手渡したと同日付「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 要請書には例え無観客であっても全世界から選手や関係者ら数万人が来日することになり、危険性を否定できないことと医療関係者が長時間労働を強いられている中で地域医療を崩壊させかねない大会を開催し、最前線で闘う医療従事者にボランティアを求めることは無責任だと中止要請の理由が述べてあると書いている。

 要するに国の要望に応えることによって国民の「安心」を奪う引き算はできないということである。記事には組合員の医師からは「多忙のためワクチン接種でさえ協力が難しいのに、オリンピックのボランティアまでとても手が回らない」といった声が相次いで寄せられていると書き添えている。

 「全国医師ユニオン」植山直人代表(記者会見)「選手にはつらい話だが、大会中止は誰かが言いださなければならない。医療従事者は声を上げることが求められていると思うので、あえて要請を行った。

 コロナと闘う気があるのか、という政府への不信感が医療現場の感覚だ。国は国民の生命と財産を守る重大な使命があり、はっきりした姿勢を示すべき局面だと思う」

 どうも医療従事者には菅義偉たち国のコロナ感染防止対策の腰が定まっていないように映っているようだ。一方で東京オリンピック・パラリンピックの開催に関しては「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心して参加をできるようにする。それと同時に国民の命と健康を守っていく」と頑なまでにねばり越しを見せている。

 要するに「全国医師ユニオン」の要請書は前者の「安心」が必ずしも「国民の命と健康を守っていく」ことに繋がらないことの証明を改めて示しているに過ぎない。となると、東京オリンピック・パラリンピック開催が国民の「安心・安全」を奪う引き算としないためには1日の新規感染者を極端に少なくして、国民の「安心・安全」を増加させる以外にない。医療も逼迫から解放され、余裕が出てきて、このような全体的な状況が与えることになる国民の「安心・安全」が選手や大会関係者や観客の「安心・安全」と一体性を持つことになって、開催に疑問符を付けられることはなくなる。

 2021年5月11日に東京都医師会の尾崎治夫会長が定例記者会見で東京オリンピック・パラリンピックを安全に開催するには都内での新型コロナウイルスの新規感染者数を100人以下とする必要があると発言したそうだが、となると菅義偉はただ「開催する、開催する」とバカの一つ覚えを繰り返すのではなく、東京オリンピック・パラリンピック開催の危機管理として、つまり国民の「安心・安全」と選手や大会関係者や観客の「安心・安全」に一体性を持たせるために、あるいはどこからも中止の横槍を入れさせないために1日の新規感染者数を何人とすることができたら、医師も看護師もその他のボランティアも協力の余裕が出て開催、できなかったら、国民の「安心・安全」を放置したまま開催することはできないからと中止を決定する計画書を作成すべきであろう。

 だが、山井和則との質疑でみてきたとおりに菅義偉にはサラサラその気はないようだ。「新型コロナウイルス感染症に関する菅義偉記者会見」
 
 江川紹子「フリーランスの江川紹子です。よろしくお願いします。

 オリンピックのことについてお伺いいたします。政府は、選手を守るということについてはすごくいろいろな工夫をされていると思うのですけれども、選手以外に、それよりはるかに多い最大9万人の外国人が来日するというふうに伝えられております。前回の記者会見でフランスのラジオ局の記者が海外の報道陣のことを挙げて、いろいろな取材をするつもりですと、行動監視は物理的に可能でしょうかというふうに質問されたのに対して、首相は、選手以外の方は様々な制約がある、水際も含めてありますとしかお述べになりませんでした。たとえ自主隔離を求めても守るとは限らないということもあります。五輪関係者、競技団体も含めて同じです。どうやってこの9万人もの人の行動をチェック、この人たちは一般ホテルに泊まるので、一般人と接触する可能性が大いにあるわけです。この問題をどういうふうにするつもりなのかを具体的に示していただきたいというふうに思います。

 そしてまた、尾身先生が国会で五輪に関して、感染リスクと医療の負荷について、前もって評価をしてほしいというふうに述べられたと思います。これについて政府はどう対応するのでしょうか。そういういろいろなケースを想定して評価するという場合には、それは国民にきちんと根拠とともに示していただけるのかと、このことをお伺いするとともに、尾身先生には、先ほどの感染リスクと医療の負荷についての評価が必要な理由についても教えてください」

 菅義偉「まず、私から申し上げます。前回の質問の際に、マスコミの方が確か3万人ぐらい来られるというような話があったと思います。今、そうした方の入国者というのですかね、そうしたものを精査しまして、この間出た数字よりもはるかに少なくなるというふうに思いますし、そうした行動も制限をする。そして、それに反することについては強制的に退去を命じる。そうしたことを含めて、今検討しております。

 ですから、一般の国民と関係者で来られた人とは違う動線で行動してもらうようにしていますし、ホテルも特定のホテルに国として指定しておきたい。指定して、そうした国民と接触することがないようにと、そうしたことを今、しっかり対応している途中だという報告を受けています」

 江川紹子「評価については」

 内閣広報官「すみません、自席からの御発言はお控えください」

 江川紹子「だって答えていただいていないので。

 感染リスクと医療の負荷についての評価をしてほしいというふうな尾身先生からのお言葉について、これを実行するおつもりはあるのかということを伺いました」

 菅義偉「この行動指針を決める際に、専門家の方からも2人メンバーになっていただいて、相談しながら決めさせていただきます」

 尾身茂「今の御質問は、なぜ医療への負荷の評価をしなくてはいけないかということですけれども、実は今、なぜこれだけ多くの人がオリンピックに関係なしに不安に思っているかというと、感染者が500行った、600行ったということよりも、今はやはり医療の負荷というものが、つまり一般医療に支障が来て、救急外来も断らなくてはいけない、必要な手術も断らなくてはいけない、しかも命に非常に直結するようなところまでという状況になっている。

 さらに、医療のひっ迫というのが重要なのは、これから正にワクチン接種というところに医療の人がまた、さらにいろいろな人が、オリンピックだろうが何だろうが多くの人が来れば、コロナにかかるかかからないかにかかわらず、多くの人が来ると一定程度必ず何か具合の悪いことになるというようなこともあるわけですよね。

 そういう中で私が申し上げた理由は、いずれ私は、関係者の方は何らかの判断を遅かれ早かれされると思うのですけれども、それは開催を仮にするとすれば、前の日にやるわけではないですよね。当然X週間、Xデー、Xマンスを、時間的余裕を持ってやるわけで、そのときの医療への負荷というものは、そのとき、分かりますよね、もう医療が本当にかなり良い状況、中くらいの状況、いろいろ分け方はあると思いますけれども、そのことの状況に応じて、仮にオリンピックをやるのであれば、そのX週間後にどのぐらいの負荷で、状況があれだけれども、更なる負荷ということになりますね。そのことをある程度評価するのは、オリンピックを開催する人たちの責任だと私は思います、ということで申し上げたということ」

 選手や大会関係者や観客の行動指針とコロナ感染者数のケースバイケースに応じた東京オリンピック・パラリンピック開催の是非の評価は似ても似つかない非なるものである。にも関わらず菅義偉は行動指針作成に専門家が2名加わっていて、相談していると誤魔化しの答弁をして平然としている。もし誤魔化しでなく、本当に混同していたとしたら、混同する程バカということになる。
 
 尾身茂は要するに東京オリンピック・パラリンピック開催に向けた「安心・安全」の確保のために国民の「安心・安全」を奪う引き算とならないよう、医療への負荷の程度を基準とした開催か否かの評価を政府の危機管理として作成しておくのが「オリンピックを開催する人たちの責任だ」と断言している。そして江川紹子は菅義偉に対してその評価は国民にきちんと根拠と共に示すべきだと要求している。

 尾身茂も江川紹子も当然のことを求めているに過ぎない。当然のこととしていないのは菅義偉のみである。安倍晋三のスピーチで獲ち取ったオリンピックと考えているのかどうか分からないが、開催に向けた選手や大会関係者や観客の「安心・安全」が国民の「安心・安全」を奪う引き算に早変わりする危険性には気づいていないことだけは確かなようである。

 山井和則は「東京オリンピック・パラリンピック開催期間中にステージ3、ステージ4の感染状況になって、治療やワクチン接種の医師・看護師が不足するようになったなら、東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて派遣養成していた医師・看護師を治療やワクチン接種に戻すことになるのか。それとも不足を放置したままでいるのか」と尋ねたら、別の展開を見い出せたかもしれない。

 いずれにしても菅義偉は国民の命と健康を守る危機管理の先頭に立つ資格はない。
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山尾志桜里のJR無料パス公務外私的利用釈明にウソがあったなら、不祥事・不正与党国会議員・閣僚と同じムジナと化す

2021-05-10 10:20:54 | 政治
 
 山尾志桜里(46歳)という現在国民民主党所属議員は東大法学部卒、検事を経て、2009年8月に民主党から初当選、2012年の選挙では落選しているが、2014年、2017年と当選、10年近く国会議員を務めていることになる。国会質疑中継の山尾志桜里を見ていると、頭の回転が鋭く、弁舌が立ち、小気味良い攻撃的な質問ができる女性で、高い教養と言葉の才能を窺うことができる。

 ところが順風満帆だった議員生活に最初の試練がやってきた。2017年9月初め、民主党の後継政党である民進党の前原誠司新執行部発足当初、党ナンバー2の幹事長に内定していた山尾志桜里が内定から外され、9月5日の党本部での両院議員総会で幹事長は他の人物に充てられることになった。その真相は2017年9月7日発売の週刊文春の既婚の弁護士男性との不倫報道が明らかすることになった。山尾志桜里自身も既婚者であった。W不倫ということで、マスコミの好餌となった。
 山尾志桜里は9月7日の夜、記者会見を開いたが、記者団の前で文書を読み上げたのみで、記者の質問を受け付けなかった。弁護士男性は山尾志桜里の政策ブレーンで、一人で会うときも、複数で会うときもあり、頻繁にコミュニケーションを取る関係だと説明した。ホテルに同宿したと週刊誌に書いてることについては「私一人で宿泊をいたしました」と言い、「相手の男性とは男女の関係はありません」と不倫関係を否定、「誤解を生じさせるような行動で様々な方々にご迷惑をおかけしたこと、深く反省しお詫び申し上げます」と謝罪、「そのうえで、このたび、民進党を離れる決断をいたしました」と民進党の離党を以って責任の形とした。

 このことは「当ブログ」に取り上げた。記者団の前で文書を読み上げたのみで記者の質問を受け付けなかったことは他党議員や閣僚の不倫に関しての説明責任が文書朗読だけで終えても、それ以上は追及できない前例となりかねない。少なくともそうした場合、民進党は説明責任を十分に果たしていないと非難することはできなくなる。自分たちが十分に説明責任を果たしてこそ、他者に対しても十分に説明責任を求める資格が出てくると書いた。
 もし事実男女の関係がなかったなら、不倫報道自体がプライバシーの侵害となる名誉毀損の虚偽事実の不法な社会的暴露に当たる。どこに離党しなければならない理由があるというのだろうかということも書いた。

 このブログでは触れなかったが、「誤解を生じさせるような行動」であったとしている言葉自体に不倫関係の否定を含んでいることになる。つまりホテルに一緒に入ったが、自分一人で宿泊した。但し男女関係にある二人がホテルに一緒に入ったとしても、ホテルに泊まるのはどちらか一人ということもある。男女の関係を済ませあと、一人は家に帰り、一人はそのままホテルに泊まる場合である。あるいは二人共宿泊せずにホテルを出ていくということもあるだろう。

 当然、二人でホテルに入っている以上、宿泊したのは自分一人だからとすることによって不倫否定の証明とはならない。
 この場合の「誤解」とは周囲が自身の事実とは異なる解釈をしているという意味を取ることになるから、報道が不倫だと伝えた事実に関して「誤解」だとするには報道の事実とはなる自身の事実を合理的な説明を駆使して周囲に納得させなければならない。なぜなら、不倫のみならず、他の不祥事に関しても事実でありながら「誤解」という言葉を武器に「誤解」であることを証明せずに自らを免罪して自己擁護に走るケースが多々あるからである。

 また、それが周囲の、広く言えば世間の誤解ではなく、真正な事実であったとしたら、「誤解」というフレーズのみで世間の解釈に罪をなすりつけることになるだけではなく、合理的な根拠が示されないままに自己免罪とその免罪を通した自己擁護の罷り通りを放置することになる。

 麻生太郎は2020年1月13日、福岡県直方(のおがた)市で開いた国政報告会で「2千年の長きに亘って一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ」と述べたという。この発言が批判を受けると、「誤解が生じているならお詫びする」と謝罪した。

 つまり自身が日本に関わる歴史認識を誤解していたとしたのではなく、周囲が自分の発言を誤解した。自分の発言に対して世間が異なる間違えた解釈をした。当然、自己免罪すると同時に自己擁護を果たしていたことになる。だから、同じような発言を何ら責任を取らずに繰り返すことになっているのだろう。

 山尾志桜里は報道が伝えていた男女関係を不倫ではなく、いわば世間に「誤解を生じさせるような行動」、つまり世間が事実を違えて不倫だと解釈する行動に過ぎないとするのみで、それを裏付ける合理的な説明は一切行わなった。

 山尾志桜里はその後夫と離婚し、相手の男性も報道から2カ月後に妻と離婚、その妻が不倫報道から3年後に自殺したという事実は、山尾志桜里が「誤解を生じさせるような行動」としたことが単に自己免罪し、自己擁護に走ったに過ぎなかったことの証明となると同時に周囲の誤解だと装わせることで事実とは異なる解釈をしたと報道や世間に罪をなすりつけたことになる。

 断っておくが、不倫が問題ではない。事実を隠して周囲の勝手な解釈に過ぎない「誤解」だと世間の解釈に罪をなすりつけることが問題となる。国会議員ともなると、国民の投票で選ばれている関係上、こういったことをタブーとする自己規制は社会一般よりも厳しくなければならないはずだ。

 山尾志桜里の2017年9月の不倫報道には続きがあった。2021年4月27日付の同じ「週刊文春」ネット記事が国民民主党衆議院議員山尾志桜里(46)の国会議員支給JR無料パスの公務外の私的利用を報じた。記事は、〈一般的に、選挙区内の移動や公務出張の際には、新幹線、特急、指定を含むJR全線を無料で利用できる。〉と書いているが、国から国会議員宛に支給される無料パスだから、当然公務以外の私的利用は禁じられることになる。

 週刊誌の記者は二人の関係はまだ続いていると睨んで、山尾志桜里に張り付いていたのだろう。ご苦労なことで、その執念に感服する。

 週刊文春が伝えている山尾志桜里のJR無料パスの使用状況。2021年4月3日土曜日に三鷹駅から吉祥寺駅まで議員パスを利用、駅ビルのマッサージ店で1時間程の施術。吉祥寺駅から新宿乗り換え恵比寿まで無料パス、駅ビルで総菜を買い、近くのラーメン屋で食事、酒屋に立ち寄ったあと、タクシーで不倫相手とされていた男性の自宅訪問。男性は妻と別れ、山尾志桜里自身も離婚しているから、どのような関係も、国会議事堂以外のどのような場所での関係も自由となるから、他人の口出しできることではないが、記事は、〈山尾氏はこの日以外にも、4月10日土曜日、4月17日土曜日など週末を中心に、マッサージや買い物などプライベートを楽しむ目的で議員パスを不適切に使用していた。〉と恒常的な公務外私的利用を伝えている。

 週刊文春記者は4月25日、都内で山尾氏を直撃した。
 ――お買い物やエステに行かれるときも議員パスを使用されていることを確認しているのですが。

「ごめんなさい、全部紙でいただけますか」

 ――国民の血税ですので。

「全部紙でいただけますか」

 改めて山尾事務所に事実関係の確認を求める質問状を送ったが、以下のように回答した。

「法規にのっとり対応しております」

 この最後の「法規にのっとり対応しております」の返事はJR無料パスの私的利用の否定、公務利用とする正当性の主張以外の何ものでもない。つまり私的利用とするのは「誤解」だとしていることに相当する。報道が自身の事実とは異なる解釈をしているに過ぎないと。

 個人的買い物やエステのどこが法規に則った対応、JR無料パスの私的利用ではなくて、公務利用なのだろうかと全く以って腑に落ちなかったが、週刊文春記者の直撃を受けた3日後の2021年4月28日に投稿した山尾志桜里自身のツイッターに答があった。
 「議員パスの件について。公私の別を大切にする自分として、その区別があいまいに見える行動はよくないと深く反省しています。今後このことがないように十分気をつけてまいります。本当に申し訳ありませんでした」

 「【今後の対応について】
 東京で喜らし東京で働く環境で、議員パスを通じた公私の曖昧をなくすためには、東京都内の移動にパスを利用しないこととするのが、今私にできる最善の対応と考えています。改めてお詫びするとともに、仕事を通じた信頼回復に努めていきます」

 要するに山尾志桜里は公私の「区別があいまいに見える行動」だったと言っているが、JR無料パスを利用して移動した山尾志桜里を週刊文春記者が尾行して確認した行動の中に私用ばかりで、公用とすることができる所用があったのだろうか、何を言っているのだろうかと最初は不審に思ったが、タクシーで向かった不倫相手とされていた男性は不倫発覚後に山尾志桜里が自身の政策顧問に起用していたことを思い出した。男性宅訪問を政策についての打ち合わせといった公務に入れていて(酒店で何かの酒を買ったことは男性宅で男女の関係に持っていくためのムードを醸し出すアイテムと解釈できないこともないが、こういったことは考慮外に置こう)、マッサージ店の利用や総菜の購入、ラーメン屋での食事までは公務に向かう途中の序での用事だから、JR無料パスを利用することになったということなのだろう。

 一見、許されるように見えるが、序でが一つ程度ならまだしも、三つも四つもとなると、私用と分かっていながら、序でを装ってJR無料パスを利用した確信犯と看做されても仕方がない。当然、男性宅訪問を除いたそれぞれの用事を公私の「区別があいまいに見える行動」とすること自体が一種の誤魔化しとなる。

 このことは自身を「公私の別を大切にする自分」としていながら、感情的にか衝動的に咄嗟に取ってしまった無考えな振舞いからというわけではなく、外出先のごく日常的な振舞いの中で公私の「区別」を失って、その「区別があいまいに見える行動」を取ってしまうというのは前提と結果の間に大きな矛盾が生じることからも証明できる誤魔化しであろう。

 要するに公務目的のJR無料パスを私用目的と分かっていて利用していたのを「区別があいまいに見える行動」とすることで罪薄めを図ったといったところなのだろう。

 全ては推測である。ゲスの勘繰りかもしれない。だが、「今後の対応」として「東京で喜らし東京で働く環境で、議員パスを通じた公私の曖昧をなくすためには、東京都内の移動にパスを利用しないこととするのが、今私にできる最善の対応」だとしている、そうまでする過剰反応が逆に本当は私用目的の利用だと自覚していたのではないのかという疑いを抱かせる。

 求められている「最善の対応」とは以後、公私の区別をしっかりとつけること以外にない。東京都内の移動にパスを一切利用しないということではない。要するに公務と公務序での私用を切り離して前者の場合はJR無料パスを使うが、後者については公私を厳格に区別する対応を取って一切使わなければ済むことを、そういった妥当な線引きをするのではなく、公務も公務序での私用も区別せずに一切JR無料パスを利用しません、それが「今私にできる最善の対応」だと極端な結論に走るのは一種の反動形成に当たる。この場合の反動形成は山尾志桜里自身がJR無料パスについて何か隠していることがあるから、その反動として必要もない極端に潔癖なことを言い出したというところに現れていると見ることができる。隠すための前提として公私の「区別があいまいに見える行動」だと体裁のよい定義付けをしなければならなかった。

 少なくともJR無料パスの用途を公私の「区別があいまいに見える行動」とすることで自己免罪し、免罪を通して自己擁護していることは否定できない。

 国会議員である以上、自身の言動の非は非と認めて、それ相応の責任を負うことをしないと、野党議員としての国家権力に対する監視役を損ない、不祥事を起こし、不正を働く与党国会議員や閣僚と同じムジナと化すことになる。山尾志桜里はツイッターの最後に「改めてお詫びするとともに、仕事を通じた信頼回復に努めていきます」と述べている。

 この手の発言の多くは責任の要素とは関係させずに発せられるケースが多い。内閣総理大臣といった任命権者が任命した閣僚が不祥事を起こした場合、何ら責任を取らせずに「職責を果たすことで信頼回復に努めて欲しい」と免責したり、官僚の誰かが組織の秩序と規律を混乱させる事態を引き起こしたとしても、組織の長を監督不行届で何らかの責任を取らせずのではなく、「再発防止を図ることで責任を果たして欲しい」と監督不行届に目をつぶったりする。あるいは組織の長自体が組織の「信頼回復に努めていくことが私に課せられた責任です」と信頼失墜を招くことになった自らの責任は不問に付したりする。

 つまり山尾志桜里は仕事を通じた信頼回復でJR無料パスの不明朗な利用に関わる責任を回避したとも言える。与党議員や与党閣僚と何も変わらない。

 最後に一つ。夫との性格の不一致が妻をして不倫に走らせるということもあるのだから、そもそもの離婚の原因が夫側にあるのか妻側にあるのかは他人には窺い知れないが、山尾志桜里は離婚後に旧姓に戻っていて、山尾姓ではなくなっているということだが、山尾姓を名乗り続けている。「山尾志桜里」名で投票を受け、国会議員として「山尾志桜里」名で人目に映る活動をし、その成果が「山尾志桜里」名と切っても切れない関係で結びついている損得の利害上からの理由で山尾姓を私的利用しているのだとしたら、山尾志桜里が自身を「公私の別を大切にする自分」としていることに反する公私混同ということになって、「公私の別を大切にする」は信用できないキャッチフレーズとなる。
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天皇絶対主義は見せかけで、国民統治装置とは知らずに天皇と国のために戦い、命を犠牲にした戦没者を「ご英霊」と祭り上げる安倍晋三たちの矛盾

2021-05-03 11:50:32 | 政治
 安倍晋三が2021年4月21日午前9時前、靖国神社を参拝した。参拝のあと、安倍晋三は記者団に対し「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた、ご英霊に尊崇の念を表するために参拝した」、そう述べたと2021年4月21日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 当ブログ記事のメインは安倍晋三の靖国参拝問題だが、「NHK NEWS WEB」記事のメインは首相の菅義偉が木札に「内閣総理大臣菅義偉」と記した真榊を奉納したことの情報の方となっている。こちらから先に取り掛かることにする。

 記事は菅義偉が総理大臣就任(2020年9月16日)後の10月に行われた秋の例大祭でも「真榊」を奉納しているとの情報を追加している。この真榊奉納について詭弁家の官房長官加藤勝信が午前の記者会見で「私人としての行動であり、政府としてそれに対してコメントを申し上げる立場にはない。靖国神社を参拝されるか否かは、菅総理大臣が適切に判断される事柄であると考えている」と発言しとを伝えている。

 木札に「内閣総理大臣菅義偉」と記した真榊を秘書官か誰かに持たせて靖国神社に奉納したのである。それを「私人としての行動」だと言う。詭弁とは「道理に合わない、言いくるめの議論」のことを言う。道理に合う言いくるめの議論など存在しないから、道理に合わないということになるのだが、なぜ言いくるめなのかは証明しなければならない。

 この「NHK NEWS WEB」記事は中国政府はこれまでのところ公式の反応を示していないとした上で中国国営新華社通信の報道を伝えている。

 新華社通信「日本の菅総理大臣が、内閣総理大臣の名義で靖国神社に『真榊』と呼ばれる供え物を奉納した。菅総理大臣は去年10月にも真榊を奉納したが、官房長官だった時期には奉納したことがなかったことから、安倍前総理大臣のやり方にならったとみられる。

 靖国神社には第2次世界大戦のA級戦犯がまつられており、中国は日本の政治家の誤ったやり方に断固反対するとともに、日本には侵略の歴史を直視して反省し、実際の行動でアジアの隣国と国際社会の信頼をえるよう求める」

 要するに菅義偉は官房長官時代は真榊の奉納はしていなかったが、首相就任後に去年10月と今回4月の真榊奉納を始めた。

 共同通信配信の2021年4月21日付「東京新聞」も、〈首相は官房長官時代は真榊を奉納していなかったが、首相就任後は安倍氏の首相在任時の対応に倣っている。〉と書いている。菅義偉本人は安倍晋三に倣っているわけではないと言うかもしれないが、官房長官時代にはしなかったことを首相になって始めたということは少なくとも安倍・菅政権は首相を仰せつかったなら日本国家を代表して内外の情勢が許すなら直接参拝を、許されないなら真榊奉納を習わしとするとしていることを意味することになる。

 このことを裏返すなら、菅義偉は首相になっていなかったなら、真榊の奉納はなかったことになる。となると、詭弁家加藤勝信が言うように「私人としての行動」と言うことはあり得ず、木札に記したように「内閣総理大臣菅義偉」としての奉納と言うことになる。それを「私人としての行動」とするのは加藤勝信が得意とする言いくるめの議論以外の何ものでもない。

 事実でないことを「事実です」と押し通せば、事実に変え得るという確信のもとに事実と装う薄汚い言いくるめを多々見受ける。詭弁家化加藤勝信は当然として、安倍晋三然り、菅義偉然り、接待疑惑で国会参考人招致された総務省官僚やその他の官僚然り。

 安倍晋三の場合は首相を退任して一国会議員の立場だから、何も問題はないだろうと見た靖国参拝かもしれないが、事実、上記「NHK NEWS WEB」記事もその他も菅義偉の真榊奉納に中国は既に触れたように「侵略の歴史への直視と反省」を求め、韓国は「深い失望と遺憾の意」を表すると同時に中国と同じく「歴史への直視」を求めているものの、安倍晋三個人に対しては直接的に非難する文言は見当たらない。

 と言うことは中国も韓国も、総理大臣として日本国家を代表する立場での参拝や真榊奉納に特段の疑義を持たせていることになる。安倍晋三自身もこのことを承知しているはずで、このことは総理大臣を辞任したあとの去年9月と10月に参拝していると上記「NHK NEWS WEB」記事が伝えていることからも窺うことができる。

 こういった点からも加藤勝信が菅義偉の真榊奉納を「私人としての行動だ」とするのは薄汚い言いくるめの議論に相当することが理解できる。

 安倍晋三が参拝後に記者団に述べた参拝理由を再び取り上げてみる。「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた、ご英霊に尊崇の念を表するために参拝した」

 この「国のために」の「国」とは断るまでもなく天皇絶対主義体制下の大日本帝国国家を指す。民主主義国家日本は戦前は一度も存在したことがないのだから、靖国神社の戦没者はそのような国のために戦うことも、尊い命を犠牲にすることもできない。

 要するに安倍晋三本人が事実でないと言いくるめようと言いくるめまいと、安倍晋三が言う「国のために」の「国」とは「天皇絶対主義体制下の大日本帝国国家」を指していて、参拝後の常套文句は「天皇絶対主義体制下の大日本帝国国家のために戦い、尊い命を犠牲にされた、ご英霊に尊崇の念を表するために参拝した」という意味を取ることになる。

 また、「天皇絶対主義体制下の大日本帝国国家が起こした戦争のために戦い、尊い命を犠牲にされた」ことを受けて「ご英霊に尊崇の念を表する」としているのだから、安倍晋三は、当然、その戦争を「戦い、尊い命を犠牲」にするにふさわしい戦争だったと肯定的に歴史認識していることになる。

 大体が「尊崇の念を表する」とは「尊(たっと)び崇(あが)める」という最大級の称賛で評価していることになるのだから、肯定的な歴史認識で捉えていなければ、こういった評価はできない。戦没者を偶像化の一歩手前にまで持っていっている評価と言えないことはない。

 では、天皇絶対主義体制下の大日本帝国国家とはどのような国家で、その国家の戦争を国民はどのように戦うことになったのだろうか。
 
 昭和天皇が敗戦翌年の1946年2月に侍従長藤田尚徳に語ったとされる<「立憲国の天皇は憲法に制約される。憲法上の責任者(内閣)が、ある方策を立てて裁可を求めてきた場合、意に満ちても満たなくても裁可する以外にない。自分の考えで却下すれば、憲法を破壊することになる」>(2006.7.13.『朝日』朝刊/『侍従長の回想』)ことを以って開戦を阻止できなかった理由に挙げているという。

 大日本帝国憲法第4章「国務大臣及枢密顧問」は次のように規定している。

 第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
      凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
 第56條 枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス

 【輔弼】「天子の政治を助けること。旧憲法で、天皇の機能行使に対し、助言を与えること」
 【諮詢】「参考として問い尋ねること」(以上(『大辞林』三省堂)

 要するに国務大臣(総理大臣を含む)は天皇の政治に助言を与え、その政治を助ける役目を負い、枢密顧問は天皇が意見を求めたことを審議する役目を負っている。この枢密顧問の役目は旧憲法下に存在した諮詢機関なる組織の役目を見れが理解できる。「天皇がその大権を行使するにあたって意見を徴した(求めた)機関」(同『大辞林』)とされていて、枢密院、元老院、元帥府などがこの機関に当たると言う。

 昭和天皇が侍従長藤田尚徳に語った言葉によると、国務大臣の天皇に対する助言も、枢密顧問の天皇の求めに応じた審議の結果も、「意に満ちても満たなくても裁可した」と言うことになる。このことが事実とすると、天皇は国務大臣や枢密顧問に対して従属的な立場に立たされていて、実質的な権限は天皇よりも国務大臣や枢密顧問の方が上と解釈しなければならなくなる。

 だが、大日本帝国憲法のどの条項を取っても、天皇は他の機関の上に位置していて、決して下には位置していない。求めた意見に対して「意に満ちても満たなくても裁可する以外にない」といった意志決定の構造はどこを探しても見当たらない。

 昭和天皇の言葉のように「憲法上の責任者」が内閣であるとすると、大日本帝国憲法の天皇に対する絶大なる権力の保障は見せ掛けと化し、天皇は単なるお飾りだったことになる。

 先ず大日本帝国憲法は前文に当たる箇所に、〈国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆(あやま)ラサルヘシ〉と規定している。要するに「国家統治ノ大権」は代々の天皇に付属した権利ということになる。そして「憲法ノ條章ニ循ヒ」とは主として以下の「條章」を指す。でなければ、「国家統治ノ大権」とは言えない。

 第1章天皇

 第1条  大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 第3条  天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
 第4条  天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬(統合して一手に掌握すること)シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
 第11条  天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
 第13條  天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス

 例え天皇が憲法に従って他の機関に助言や意見を求めることはあっても、大日本帝国国家の統治権者は天皇であり、「神聖ニシテ侵スヘカラス」絶対的な存在であり、大日本帝国国家の元首であると同時に統治権を一手に掌握していて、このような絶大な権能を妨げる憲法上の条項は見当たらない。見当たったなら、「神聖ニシテ侵スヘカラス」という絶対的な存在と自己矛盾を来すことになり、大日本帝国憲法から見た天皇の姿はとてものことにお飾りには見えないことになる。

 では、安倍晋三やその他が「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた」とする戦争の開戦を宣言した昭和天皇の実在の姿を2007年4月号「文藝春秋」掲載の『小倉侍従日記』から探ってみる。日記の掲載は昭和14年5月3日から始まり、敗戦1日前の昭和20年8月14日で終っている。開始の5月3日から4日後の5月7日の日記に対する歴史家半藤一利氏の解説には「天皇このとき38歳。皇太子5歳」とある。

 『小倉侍従日記』昭和14年5月11日の日記には大本営陸軍参謀付などを務めた1歳年下の弟宮秩父宮殿下が昭和天皇との御対顔の申し出があったのに対して昭和天皇が「困ったな困ったな」と困惑した様子が記されている。この様子を半藤一利氏は『昭和天皇独白録』を用いて解説している。

「それから之はこの場限りにし度いが、三国同盟に付て私は秩父宮と喧嘩をしてしまった。秩父宮はあの頃一週三回くらい私の処に来て同盟の締結を進めた。終には私はこの問題については、直接宮には答へぬと云って、突放ねて仕舞った」

 昭和天皇は日独伊三国同盟の締結には反対だった。

 『『小倉侍従日記』〈昭和14年10月19日「白鳥〔敏夫〕公使、伊太利国駐箚(ちゅうさつ・駐在)より帰国す。軍事同盟問題にて余り御進講、御気分御進み遊ばされざる模様なり。従来の前例を調ぶるに、特殊の例外を除き、大使は帰国後、御進講あるを例とす。此の際、却って差別待遇をするが如き感を持たしむるは不可なり。仍(よ)つて、御広き御気持ちにて、御進講御聴取遊ばさるるようお願いすることとせり〉――

 在イタリア白鳥敏夫公使が帰国し、慣例となっている天皇への御進講に昭和天皇は乗り気ではなかった。小倉侍従は慣例を破ると差別待遇のような印象を持たせることになるから、広い気持ちになって御進講を受けるようにお願いすることにしたという内容である。

 この内容について半藤一利氏が解説している。「側近が、どうか広い気持ちで白鳥大使に会ってくださいと天皇に頼まざるを得なかったのはなぜか。三国同盟問題で、特に自動的参戦問題(日独伊三国同盟第3条自動参戦条項はドイツまたはイタリアがアメリカから攻撃を受けた場合は日本が自動的に参戦することを規定していた)について内閣が揉めているとき、ベルリンの大島大使ともども、駐イタリア大使白鳥敏夫は、何をぐずぐずしているのか、早く同盟を結べ、といわんばかりの意見具申の電報を外務省に打ち続けていた。これに天皇は怒りを覚えていた」

 第3条「締結國中何レカ一國ガ、現ニ歐州戰爭又ハ日支紛爭ニ參入シ居ラザル一國ニ依リ攻撃セラレタル時ハ、三國ハアラユル政治的經濟的及軍事的方法ニ依リ相互ニ援助スヘキ事ヲ約ス」
 
 アメリカとは書いてないが、アメリカを念頭に置いた条項だと言う。昭和天皇はこの第3条の自動参戦条項に反対していた。アメリカとの戦争に反対していたことと整合する。

 半藤一利氏が『西園寺公と政局』(原田熊雄著)に記してある天皇の発言を紹介している。「元来、出先の両大使が何等自分と関係なく参戦の意を表したことは、天皇の大権を犯したものではないか。かくの如き場合に、あたかもこれを支援するかの如き態度をとることは甚だ面白くない」
 
 大使や公使の分際で天皇自身が反対している自動参戦条項に賛成するような口の挟み方は天皇の大権を犯すようなものではないかと立腹した。だが、この立腹は同時に天皇の大権の無力を証明して余りある。天皇の大権を「第1章天皇」で規定してある各条項の権限に基づいて行使すれば、日独伊三国同盟の協議を直ちに打ち切るよう命ずることができたはずだが、直接内閣に命じて打ち切ることはできずに大使、公使に腹を立て、八つ当たりした。

 さらに半藤一利氏は解説している。

 「9月7日ヒトラーの特使スターマーの来日、1週間後の14日には大本営政府連絡会議、16日の臨時閣議で決定と、三国同盟の締結が承認されるまで、あれよあれよという早さである。16日の近衛首相上奏のとき、参戦義務によって国際紛争にまきこまれるのを憂慮した天皇は、『今しばらく独ソの関係を見極め上で締結しても、晩くはないではないか』と最後の反対意見を言ったが、それまでとなった。この日の御前会議ですべてが決したのである」

 この解説がが記している、天皇が「最後の反対意見」を述べたこと自体が、「憲法上の責任者(内閣)が、ある方策を立てて裁可を求めてきた場合、意に満ちても満たなくても裁可する以外にない」としていた天皇自身に課せられた役目としている従属性に反する意思表示であろう。

 日独伊三国同盟に対する昭和天皇のそもそもからの反対意思が内閣の決定過程に何ら反映されなかったということは日本帝国憲法「第1章 天皇」で描く絶対権力者としての天皇の姿に反して現実には自らの意思を国策に反映させるだけの力を有していなかったと見るべきが自然ではないだろうか。つまり天皇は「第1章 天皇」の規定に似ても似つかないお飾りに過ぎなかった。

 『小倉侍従日記』〈昭和15年9月27日(金)本夜8・15、ベルリンに於いて、日独伊三国条約締結調印を了せり。直に発表、同時大詔渙発せらる。〉――

 【大詔】「天皇の詔勅。みことのり」(『大辞林』)
 【渙発】「詔勅を広く発布すること」(『大辞林』)

 半藤一利氏の解説「9月24日の天皇の言葉。

 『日英同盟のときは宮中では何も取行われなかった様だが、今度の場合は日英同盟の時の様に只慶ぶと云ふのではなく、万一情勢の推移によっては重大な危局に直面するのであるから、親しく賢所に参拝して報告すると共に、神様の御加護を祈りたいと思ふがどうだろう』(『木戸日記』)

 昭和天皇の「万一情勢の推移によっては重大な危局に直面する」はアメリカとの戦争を危惧しての言葉であり、その危惧自体がアメリカとの戦争に反対意思であることを物語っている。

 そして大詔の一説。

 「帝国の意図を同じくする独伊両国との提携協力を議せしめ、ここに三国間における条約の成立を見たるは、朕の深くよろこぶ所なり」〉――

 【賢所】(かしこどころ)「宮中三殿の一。天照大神 (あまてらすおおみかみ) の御霊代 (みたましろ) として神鏡を奉安してある所。」(goo国語辞書)

 半藤一利氏の解説による昭和天皇の言葉は天皇自身の無力を語って余りある。日本帝国憲法「第1章 天皇」に規定された絶大権力を以ってすれば、反対していた日独伊三国同盟を葬り去ることができたはずだが、そのような力を持っていなかったことが露見しただけではなく、この条約の第3条自動参戦条項によって日本がアメリカと戦争を起こすことを恐れて、そうならないように天照大神の御霊に頼んで日本の平安無事を祈る。つまり国家統治ノ大権を有しながら、内閣を動かすことができずに神頼みに縋るしかなかった。

 しかも、条約の成立に反対していたにも関わらず、自身の意に反した成立を詔勅で「朕の深くよろこぶ所なり」と迎え入れなければならなかった。天皇という存在に対して無条件に従属的であった一般国民は天皇のこの詔勅の言葉によって「天皇陛下バンザイ」の気持ちで歓迎したに違いない。

 では、昭和天皇がアメリカとの戦争にも反対していたことと、その反対意思を内閣の決定に反映させることができなかった無力を半藤一利氏の解説を混じえた『小倉侍従日記』から拾い出してみる。

 『小倉庫次侍従日記』〈昭和15年1月29日(月)「歌会始 御製 西ひかしむつみかわして栄ゆかむ世をこそいのれとしのはしめに」〉――

 「年の初めに当たって、西も東も心を交わし合って世界が栄えることを祈ろう」。日米戦争反対意思の現れ以外の何ものもでもない。


 『小倉庫次侍従日記』〈昭和16年9月5日(金)(前略)近衛首相4・20-5・15奏上。明日の御前会議を奉請したる様なり。直に御聴許あらせられず。次で内大臣拝謁(5・20-5.27-5・30)内大臣を経、陸海両総長御召あり。首相、両総長、三者揃って拝謁上奏(6・05-6・50)。御聴許。次で6・55、内閣より書類上奏。御裁可を仰ぎたり。〉――

 内大臣(ないだいじん)は木戸幸一。陸軍参謀総長は杉山元(げん)。海軍軍令部総長永野修身(おさみ)。

 半藤一利氏解説「あらためて書くも情けない事実がある。この日の天皇と陸海両総長との問答である。色々資料にある対話を、一問一答形式にしてみる」

 天皇「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」 
 杉山「南洋方面だけで3ヵ月くらいで片づけるつもりであります」
 天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時、事変は1ヶ月くらいにて片づくと申したが、4ヵ年の長きにわたってもまだ片づかんではないか」
 杉山「支那は奥地が広いものですから」
 天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いではないか。如何なる確信があって3ヵ月と申すのか」
 杉山総長はただ頭を垂れたままであったという。

 杉山元は陸軍参謀総長として海軍と協力して南洋攻略の戦略を立てていたはずである。その戦略を昭和天皇に丁寧に説明し、結論として導き出された作戦完了日数を「3ヵ月」と伝えなければならないはずだが、戦略との関連付けもなしに「3ヵ月くらい」云々のみで済ます。国家統治ノ大権を有し、「第1章天皇 第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の規定によって一般の国務から独立するとされた陸海軍の統帥権を握っている天皇に対する扱いとしては、言葉や態度は丁寧であっただろうが、粗略に過ぎる。対して天皇としても、陸海軍の統帥権者の立場から精通していなければならない戦略を聞かされていなかった疑いが出てくる。つまり重要な国策決定の場から昭和天皇は排除されていた状景が否でも見えてくる。この状景は大日本帝国憲法の天皇に関する各条項が単なる名目に過ぎないことを教えかねない。つまり益々お飾りだったことの色彩を色濃くすることになる。

 『小倉侍従日記』〈昭和16年7月29日(火)本日、日本軍、仏印に平和進駐す。〉――

 半藤一利氏解説「前日の28日に陸軍の大部隊がサイゴンに無血進駐をした。『好機を捕捉し対南方問題を解決する』という国策決定にもとづく軍事行動である。アメリカは、ただちに在米日本資産の凍結、さらに石油の全面禁輸という峻烈な経済制裁でこれに対応している。海軍軍務局長岡敬純(たかずみ)少将は『しまった。そこまでやるとは思わなかった。石油をとめられては戦争あるのみだ』といった。」

 仏印とは現在のベトナム・ラオス・カンボジアを併せた領域だが、無血進駐を可能にしたのは1940年6月にナチスドイツ軍がパリに到達し、フランスは6月22日にドイツと休戦協定を締結、国土の北部半分をドイツが占領、南半分はドイツ傀儡の政権が誕生したからである。つまり仏印のフランス軍は本国からの支援は望めない状況で日本軍と対峙しなけれならなかった。仏印フランス軍は無血降伏が犠牲を最小限にとどめる最良の作戦だったに違いない。

 中国大陸には日本だけではなく、アメリカもイギリスもフランスも進出していて相互に競合関係にあり、日本の関東軍が1931年に満州事変を起こして翌1932年(昭和7年)3月に中国の東北部に建国した満州国をアメリカは不承認を決めたことでアメリカと日本の間に緊張関係が生じていただけではなく、1940年(昭和15年)9月27日の日独伊三国同盟締結によって日米の緊張関係はさらに悪化、、日本軍の1941年(昭和16年)7月29日の仏印進駐は南シナ海を挟んだフィリピンがアメリカの植民地であるという関係上、アメリカの警戒は危機管理上の想定内とする戦略を立てていなければならなかったはずだが、海軍軍務局長岡敬純少将の「しまった。そこまでやるとは思わなかった。石油をとめられては戦争あるのみだ」はフィリピンにまで目を向ける危機管理まで組み込んだ戦略を立てていなかったとしか思えない。

 戦略とは長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の理論と実践方法を言う。国策には常に欠かすことができない方法論だが、陸軍参謀総長の杉山元と言い、、海軍軍務局長少将の岡敬純と言い、軍の中枢人物であるという事実に逆説する関係で戦略なるものに対する視点を欠いていたとは驚きである。こういった手合が日本軍の支配的位置に就いていた。

 日本はアメリカから在米日本資産の凍結や石油全面禁輸といった経済制裁を受けて、対米関係の修復に乗り出さざるを得なかった。1941年春から日本陸軍の中国大陸撤退を条件に、満州国の国家承認、日独伊三国同盟の是非、 日米通商関係の正常化などを論点とした交渉が野村吉三郎駐アメリカ大使とコーデル・ハル国務長官との間で開始された。(Wikipedia)

 『小倉侍従日記』〈昭和16年11月5日(水)第7回御前会議(東一の間臨御、10・35-0・30、休憩、再開1・30-3・10)(後略)〉――

 半藤一利氏解説「この日の御前会議で、11月末までに日米交渉妥結せずとなった場合、大日本帝国は『自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設するため、このさい対米英蘭戦争を決意』という『帝国国策遂行要領』を決定する。武力発動の時期は12月初頭と決められた」

 『小倉侍従日記』〈昭和16年12月1日(月)本日の御前会議は閣僚全部召され、陸海統帥部も合わせ開催せらる。対外関係重大案件、可決せらる。〉―― 
 
 半藤一利氏解説「開戦決定の御前会議の日である。『杉山メモ』に記されている天皇の言葉は、「此の様になることは已むを得ぬことだ。どうか陸海軍はよく強調してやれ」。杉山総長の感想は「童顔いと麗しく拝し奉れり」である」

 結局日米会談は決裂した。
 
 『小倉侍従日記』〈昭和16年12月8日(月)(前略)今暁、米、英との間に戦争状態に入り、ハワイ、フィリッピングアム、ウェーク、シンガポール、ホンコン等を攻撃し、大戦果を収む。前12・00(正午)防空下令、夕刻警戒官制施かる。〉――

 1941年(昭和16年)12月8日に日本海軍はハワイの真珠湾攻撃を決行、昭和天皇の意思に反して太平洋戦争に突入した。真珠湾攻撃の大戦果に国民は歓呼した。日米が開戦したことによって日独伊三国同盟の規定に従い、ドイツとイタリアはアメリカに宣戦布告し、その布告を受けて、アメリカは欧州戦線に自動的に参戦することとなった。日独伊三国同盟で昭和天皇が危惧したこととは反対の事態が発生した。イギリスのチャーチルはアメリカの参戦によってドイツの敗北を予想したと言う。
 
 かくこのように大日本帝国憲法に規定された天皇の国家統治の大権に反して天皇は国策決定に無力であった。その一方で一般的国民にとって天皇は大日本帝国憲法の規定とおりに絶対的存在であった。現人神であることを信じ、「神聖ニシテ侵スヘカラス」存在として奉り、天皇への無償の奉仕を心に決めていた。政治権力者たちは「天皇」と言う言葉を頭に置いて、国家権力が望む方向に国民を誘導していった。

 その典型的な例が井上毅や元田永孚らが起草して、天皇家と国家への奉仕を求めた『教育勅語』であろう。

 要するに軍部を含めた政治権力者たちは天皇を神格化し、その神性によって国民を統一・統制する国民統治装置として利用したが、国策の場では大日本帝国憲法で規定した天皇像が実在することを許さず、お飾りとも言える名目的な存在にとどめておく権力の二重構造で巧みに国家を運営した。あるいはそのような権力の二重構造によって憲法が見せている天皇の絶大な権限は国民のみにその有効性を発揮し、国民統治装置として機能していたが、軍部を含めた政治権力層には天皇の絶大な権限は通用させず、そのような権限の埒外に常に存在させていた。

 この二重の権力構造は律令の時代から日本の天皇制を覆って日本の歴史・伝統・文化としてきた。何度もブログに書いてきているが、物部氏から始まって、それ以降、歴代天皇を頭に戴いて権力を実質的に握ってきたのは蘇我氏、藤原氏、平家、源氏、足利、織田、豊臣、徳川、明治に入って薩長・一部公家、そして昭和の軍部であった。日本の歴史は常に権力の二重構造を描いていた。

 安倍晋三は「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」と言って、天皇を日本の歴史と文化の中心に据えているが、天皇は日本の歴史を通じて歴代の世俗的な権力者にとって国民を統治する影武者に過ぎなかった。

 日中戦争を含めた太平洋戦争で日本軍の兵士は大日本帝国憲法に規定された天皇の姿が国民を統治するために拵えられた便宜的なものであり、軍部を含めた政治権力者たちは天皇を憲法どおりには扱っていなかったとは知らないままに、なおかつ陸軍も海軍も戦略を立案する満足な才覚もなしに仕掛けた戦争を通して「国のために戦い、尊い命を犠牲にした」。或いは「天皇陛下バンザイ」と叫んで死地に飛び込んでいった。

 死後、安倍晋三がしてきたように靖国神社に祀られている「ご英霊に尊崇の念を表する」云々と参拝されたとしても、少なくとも歴史を学んでいるはずの現代の日本人は素直には受け取れず、矛盾を感じないわけにはいかないはずだ。

 当然、安倍晋三のようにはその戦争を「戦い、尊い命を犠牲」にするにふさわしい戦争だったと肯定的に歴史認識することもできないなずだ。
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