安倍晋三の「拉致問題を解決しなければ北朝鮮の将来はない」の圧力を金正恩は鼻にも引っ掛けていない

2014-10-31 09:54:02 | Weblog



      生活の党PR

       《非正規労働者の希望に応じた正規への転換推進法案骨子を取り纏め》    

      一昨日10月29日、政策審議会との雇用安定化対策本部の合同会議のを開催
      非正規労働者の現状と課題について有識者からのヒアリングを実施し、非正規労働者の希望に応じた正規労働者へ
      の転換の推進、労働者の職務に応じた待遇の確保に重点をおいた法案の骨子を取りまとめました。詳しくは生活の党HP
      をご覧ください。

 安倍政権は北朝鮮が拉致問題の調査を約束しながら報告が遅れていることに関して北朝鮮側に拉致解決が最重要課題であることを伝えるために10月28日・29日の両日、日本政府代表団を北朝鮮に派遣、ピョンヤンで日朝政府間協議を開催することになり、2日間の協議を終えた。

 協議内容は政府に報告、後日発表されることになった。

 北朝鮮が拉致問題の調査を約束して以後の経緯を日本の対北朝鮮外交の程度を見るために振り返ってみる。

 北朝鮮が「特別調査委員会」を立ち上げて、拉致被害者を始めとするすべての日本人に関する包括的かつ全面的な調査を約束したのは2014年5月26日から5月28日までスウェーデン・ストックホルムで開催の日朝政府間協議である。

 ところが安倍政権は北朝鮮が約束した調査の実効性を疑い出して、「特別調査委員会」の組織や権限等について説明を受けるための局長級による日朝政府間協議開催を北朝鮮側と協議、2014年7月1日に中国・北京で日朝政府間協議の開催に漕ぎつけた。

 つまりスウェーデン・ストックホルムでの日朝政府間協議では「特別調査委員会」の組織や権限等について細部まで詰めていなかった。

 安倍政権は中国・北京での日朝政府間協議で調査の実効性が確認できたとして経済制裁の一部解除に踏み切った。「あなたを信じて待つ」というわけである。

 7月1日北京日朝政府間協議の2日後の7月3日、菅義偉官房長官が記者会見で、最初の調査結果の通報時期について「夏の終わりから秋の初めごろ」との見通しを示した。

 要するに7月1日の協議で北朝鮮側からそう伝えられたのだろう。

 菅官房長官の記者会見の7月3日と同じ日、安倍晋三と同じ単細胞な古屋拉致問題担当相が夜のBS日テレの番組で次のように発言している。

 古屋圭司「拉致被害者はある程度中身は揃っているはず。日本人の遺骨問題、日本人配偶者は拉致と比べて時間がかかるかもしれない」(時事ドットコム

 拉致に関する調査・報告はそんなに時間はかからないだろうとの見通しである。拉致の場合、「中身は揃っている」ことと報告できるかどうかは別問題だとは考えていない。報告できる問題であり、中身が揃っているなら、とっくに報告して、援助という実利を得ていただろう。

 古屋の見通しに物の見事に反して、菅官房長官は9月18日記者会見で北朝鮮側から、「調査は全体で1年程度を目標としており、現在はまだ初期段階にある。現時点でこの段階を超えた説明を行うことはできない」(NHK NEWS WEB)という連絡があったことを明らかにした。

 あなたを信じて首を長くして待ったが、物の見事に裏切られた。美しい若い女に翻弄される男の姿が日本の対北朝鮮外交から見えてこないことはない。

 安倍政権は「夏の終わりから秋の初め」とした初回報告が遅れた理由の説明を受けるための日朝政府間協議を交渉、9月27日に中国・瀋陽で開くことにした。
 
 当日、日本側は拉致問題の調査を最も重視していること、調査を迅速化と迅速な結果報告を求めたのに対して北朝鮮側は再調査は初期段階であり、具体的な調査結果を報告できる段階にはない、進捗状況は日本側が平壌を訪れ、担当者から直接説明を受けるよう求めたという。

 いわば更に待たせる手に出た。しかも日本側がノコノコとピョンヤンに出掛けざるを得ない状況をつくり出しまでして。調査して報告しなければならないのは北朝鮮でありながら、こちらに出掛けてこいとしたのである。

 安倍政権は現段階での調査の現状について詳細な説明を受けるため、北京の「大使館」ルートを通じて調整を行い、今回の10月28日・29日両日の北朝鮮・ピョンヤンでの日朝政府間協議開催ということに相なったというわけである。

 以上見てきた日朝政府間協議の経緯から窺うことのできる安倍対北朝鮮外交で分かったことがある。

 北朝鮮当局が10月29日午前の日朝協議の冒頭取材をTBS記者に限って拒否した「47NEWS」記事が伝えている。報道陣が宿泊先のホテルから協議が行われる特別調査委員会庁舎へ移動する際、北朝鮮側がTBS記者の車への乗り込みを認めない形で取材拒否が行われたという。

 北朝鮮関係者「10月28日夜に放送された番組の一部に、北朝鮮の体制を批判するような不適切な表現が含まれていた」(同47NEWS)   

 この出来事から窺うことのできる事実は、北朝鮮は日本のありとあらゆる動向を逐一監視しているということであろう。そしてありとあらゆる動向の中から北朝鮮に関わる動きや情報を抽出、利害損得に応じてそれら動きや情報を分析・蓄積して、日本に対して自分たちの取るべき行動の主たる決定要件としている。

 その一つがTBSの北朝鮮批判報道に対して取材拒否という行動となって現れた。

 と言うことは、このことの裏を返すと、北朝鮮側の事情――経済困窮とか日本の経済援助の必要性等は自分たちにとっての利害損得上の取るべき行動の主たる決定要件となっていないことを示す。

 もしなっていたなら、一報道機関に過ぎないTBSの北朝鮮批判報道など無視するはずだ。

 いや、こういった問題が起こるよりも前に、既に触れたように拉致問題を解決して、経済の実利を手に入れていただろう。

 安倍晋三の対北朝鮮外交の基本は「圧力と対話」であるが、圧力により重点を置いている。その主な柱は経済制裁であるが、安倍晋三は日本の圧力に北朝鮮国家の命運を左右する決定的な意味を持たせている。

 10月22日の首相官邸でのぶら下がり対記者団発言。

 安倍晋三「今回の派遣は、特別調査委員会の責任ある立場の人に対して、われわれは拉致問題を最重要課題として考える、拉致問題の解決が最優先であるということをしっかりと伝えるために派遣すること、それが目的です。まさに調査をする責任者に私たちの一番大切な目的は何かということをしっかりと伝えなければならないということです。そして、この調査に直接関わる方々、責任者から進捗状況について話をしっかり聞く。そして先方に対して、正直に誠実に対応しなければならないということを先方に、責任者に伝えることが今回の派遣の目的です。 

 そして、我々はこの(派遣の)決断をするに際して、私は基本的に拉致問題を解決するためにはしっかりと北朝鮮に圧力をかけて、この問題を解決しなければ北朝鮮の将来はないと、そう考えるようにしなければならないと、ずっと主張し、それを主導してきました。その上において対話を行っていく。まさにその上において今対話がスタートしたわけです。北朝鮮が『拉致問題は解決済み』と、こう言ってきた主張を変えさせ、その重い扉をやっと開けることができました」(産経ニュース

 「(拉致の)問題を解決しなければ北朝鮮の将来はない」
 
 安倍晋三のこの発言が金正恩にとっての取るべき行動の決定要件になる程の圧力とならなければ、意味を有しないことになる。しかも「(拉致の)問題を解決しなければ北朝鮮の将来はない」とする安倍晋三のこの発言は、本人自身が「ずっと主張し」と言っているように今回が初めてではない。機会あるごとに発信している。その都度、北朝鮮側はその情報を把握、自分たちの取るべき行動の主たる決定要件となり得るかどうか考慮・検討して、いざというときのための抽き出ししまい込んでいたはずだ。

 ブログに何度か利用したが、2012年8月30日、フジテレビ「知りたがり」

 安倍晋三「ご両親が自身の手でめぐみさんを抱きしめるまで、私達の使命は終わらない。だが、10年経ってしまった。その使命を果たしていないというのは、申し訳ないと思う。

 (拉致解決対策として)金正恩氏にリーダーが代わりましたね。ですから、一つの可能性は生まれてきたと思います」

 伊藤利尋メインキャスター「体制が変わった。やはり圧力というのがキーワードになるでしょうか」

 安倍晋三「金正恩氏はですね、金正日と何が違うか。それは5人生存、8人死亡と、こういう判断ですね、こういう判断をしたのは金正日ですが、金正恩氏の判断ではないですね。

 あれは間違いです、ウソをついていましたと言っても、その判断をしたのは本人ではない。あるいは拉致作戦には金正恩氏は関わっていませんでした。

 しかしそうは言っても、お父さんがやっていたことを否定しなければいけない。普通であればですね、(日朝が)普通に対話していたって、これは(父親の拉致犯罪を)否定しない。

 ですから、今の現状を守ることはできません。こうやって日本が要求している拉致の問題について答を出さなければ、あなたの政権、あなたの国は崩壊しますよ。

 そこで思い切って大きな決断をしようという方向に促していく必要がありますね。そのためにはやっぱり圧力しかないんですね」――

 安倍晋三自身が認識していようがいまいが、拉致問題解決か、金正恩政権の、あるいは北朝鮮国家の崩壊か、二者択一を迫る情報を北朝鮮に向けて発信した。

 自民党総裁選への2012年9月12日の出馬表明後の2012年9月17日の「MSN産経」のインタビュー。

 安倍晋三「金総書記は『5人生存』と共に『8人死亡』という判断も同時にした。この決定を覆すには相当の決断が必要となる。日本側の要求を受け入れなければ、やっていけないとの判断をするように持っていかなければいけない。だから、圧力以外にとる道はない。

 金正恩第1書記はこの問題に関わっていない。そこは前政権とは違う。自分の父親がやったことを覆さないとならないので、簡単ではないが、現状維持はできないというメッセージを発し圧力をかけ、彼に思い切った判断をさせることだ。

 つまり、北朝鮮を崩壊に導くリーダーになるのか。それとも北朝鮮を救う偉大な指導者になるのか。彼に迫っていくことが求められている。前政権よりハードルは低くなっている。チャンスが回ってくる可能性はあると思っている」――

 北朝鮮の崩壊か、北朝鮮の救出か、生殺与奪の権を握っているのは安倍政権だと言わんばかりの情報を発信している。

 2013年9月16日の『すべての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会』での発言。

 安倍晋三「私達の使命はすべての拉致被害者のご家族の皆様が、自分のお子さん達を、そしてご親族を、自らの手で抱きしめる。その日を目指して、そしてそのことが可能になるまで、安倍政権の使命は終わらない。こう決意を致している次第です。

 何としても安倍政権の間にこの問題は何とか解決をしていく決意であります。安倍政権におきましてはこの問題に精通をしている古屋圭司議員に担当大臣を務めてもらっております。そして古屋大臣の下で、まさに今日も出席をしておられる松原仁さんや多くの各党の皆さんにも参加をしていただいて党派を超えて、オールジャパンでこの問題を何とか解決をしていきたいと思います。まさに知見を集めて、情報を集めていかなければこの問題は解決をしません。

 私は総理に就任をいたしまして、すでに20カ国訪問をしているわけですが、必ず拉致問題について説明をし、各国首脳の理解と支持を訴えているところです。幸い、国連にも新たな調査委員会ができて、カービーさんがこの前、日本へやって来られました。

 しかしまだまだ、世界各国のこの問題に対する理解は十分と言えないわけですから、我々もさらに、しっかりと、国際社会と私達の認識を、共通の認識を持てるように努力を重ねながら、北朝鮮に対する圧力を強めていかなければならないと思います。

 この問題を解決をするためには、何と言っても北朝鮮側にこの問題を解決をしなければならないと、この問題を解決をしなければ国家として今後繁栄をしていくことはできない、と認識させなければならない。まさに圧力をかけながらなんとか対話に持ち込みたいと思っている次第です」(首相官邸HP

 果して北朝鮮国家の崩壊か、北朝鮮国家の将来の繁栄か、全ては日本との関係にかかっているとする、あるいはその命運を日本が握っているとする言葉の圧力が金正恩にとっての取るべき行動の主たる決定要件となり得ていたのかどうかは10月28日・29日両日の日朝政府間協議の結果が教えてくれる。

 《徹底した調査と誠実な報告 粘り強く求める》(NHK NEWS WEB/2014年10月31日 4時17分)

 記事によると、安倍晋三は10月30日夜、岸田外相らと共に首相公邸で北朝鮮による拉致被害者らの調査を巡ってピョンヤンで北朝鮮の特別調査委員会との協議を行った外務省の伊原アジア大洋州局長から協議の内容の報告を受けた。その後、記者団に発言している。

 安倍晋三「拉致問題解決に向けた日本の強い決意を北朝鮮の最高指導部に伝え、迅速な調査と一刻も早い結果の通報を要求した。北朝鮮側からは、過去の調査結果にこだわらず新しい角度からくまなく調査を深めていくとの方針が示された。特殊機関に対しても徹底的に調査を行うとの説明もあった」 

 要するに北朝鮮は調査を約束してから5カ月も経っていながら、報告の約束の時期を違えて何一つ結果を出さずに新たな調査方針を示し、当初からそういう姿勢でなければならないはずだが、今更ながらに徹底的な調査を約束したというのは異常である。

 記事が1回目の調査結果の報告の時期なども示さなかったと伝えているが、このことも異常である。最初の報告の時期、「夏の終わりから秋の初めごろ」は適当に口にしただけのことだったことになる。カラ約束は一度は通用しても、二度目は通用しなくなる。そのための時期提示の回避と見ることもできる。

 どれもこれ異常に見えるが、安倍政権は異常とは見ていないようだ。

 政府「北朝鮮側から『過去の調査にこだわらない』という言質を引き出せたことは半歩前進だ」――

 5月末から10月末まで時間だけが経過した状況にありながら、「半歩前進だ」と言うことができる。自分たちの無力をカモフラージュして、これまでの経緯を正当化する騙しのテクニックに過ぎない。

 古屋圭司が「拉致被害者はある程度中身は揃っているはず」と言っていたが、拉致犯罪が金正日の国家犯罪であることを拉致被害者自身の口から直接的に世界に知れないよう、監視下に置いておかなければならないはずだから、報告する気があるなら、既に報告済みとなっていただろう。

 いわば父親の金正日から父子継承する形で独裁権力を受け継いた金正恩は継承権力の正統性を父親金正日の正義を根拠としなければならないから、その正義を一片足りとも暴くことはできない。

 金正日の正義が崩れたなら、金正恩の正義も崩れる。

 もし金正恩自らが父親の金正日の正義を暴くとしたら、北朝鮮国家の崩壊を選ぶか、それとも北朝鮮国家の将来の繁栄を選ぶか、その選択の全ては日本との関係にかかっているとする安倍晋三の言葉の圧力が金正恩にとって取るべき行動の主たる決定要件となり得たときであろう。

 当然、その徴候は拉致解決の進捗度に応じて現れることになる。現実には先延ばしの上に先延ばしということは、何ら決定要件足り得ていない無力の証明としかなっていないことになる。

 言葉を替えて言うと、安倍晋三の北朝鮮の命運をさも左右するかのように見せかけた言葉の圧力を金正恩は鼻にも引っ掛けていないということに他ならない。

 その程度の北朝鮮外交に過ぎない。「私は総理に就任をいたしまして、既に20カ国訪問をしているわけですが、必ず拉致問題について説明をし、各国首脳の理解と支持を訴えているところです」と言っている「理解と支持」にしても、無力の証明としかならないことになる。

 安倍晋三の外交は対北朝鮮外交も含めて、言葉の先行で成り立っている。国内政治に於いても、その兆候にある。

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安倍晋三の宮沢洋一外国人企業献金問題、「実態を承知していなかった」からと言って免罪されるわけではない

2014-10-30 08:50:45 | Weblog



      生活の党PR

       《10月28日(火) 玉城デニー幹事長代理 衆議院本会議質問》    

       10月28日衆議院本会議にて、塩崎厚生労働大臣から労働者派遣法改正案の趣旨説明が行われ、これに対し党を代表
       して玉城デニー幹事長代理が質問に立ちました。

       質問全文は党ホームページからご覧いただけます。
       是非ご一読ください。

 宮沢洋一経済産業相が10月27日、経産省で記者団に外国人が株式の過半数を持つ広島県の企業から、2007年と2008年に計20万円の政治献金を受けていたことを明らかにしたという。

 宮沢洋一本人が利用しのか、秘書が利用したのか、本人が行っていないと言っているだけのことで、本人による言葉の否定が実際の事実の否定と常に合致するとは限らないのが世の中であるが、SMバーへの支出問題を受けた調査の中で判明したとのこと。

 宮沢洋一本人は企業名を明らかにしなかったが、宮沢事務所がマスコミの問い合わせに広島県福山市のパチンコ店経営の企業だと答えたという。

 宮沢洋一「事務所としては、日本の企業であり問題ないとの認識だった。企業に直接照会し、外国人の保有比率が過半数であることが判明した」〈47NEWS

 寄附を受けたカネは返したという。

 政治資金規正法は外国人もしくは外国企業が株式の過半数を保有する企業から政治献金を受けることを原則として禁止しているという。

 SMバー問題を受けて、他に政治資金規正法の禁止事項に抵触するケースがないか改めて政治資金収支報告書を精査した。寄附企業を全社照会したのだろうか。全社照会したなら、「日本の企業であり問題ない」とした認識は理解できる。もしその企業だけの照会なら、企業名だけで外国人経営ではないかと疑ったことになる。

 後者なら、寄附を受けた時点で、照会しなければならなかったことになる。

 前者、後者、果たしてどちらなのだろうか。

 安倍晋三が10月28日午後の衆院本会議で宮沢洋一のこの件について、辞任は不要だと発言したという。《倍首相、宮沢経産相の辞任不要=政治とカネ、民主追及》時事ドットコム/2014/10/28-15:40)

 菊田真紀子民主党議員が民主党政権下の田中慶秋当時法相の外国人献金問題で安倍晋三が自民党総裁として辞任を求めたことに言及して、「宮沢氏にも閣僚辞任を促すかどうか」と尋ねたという。

 安倍晋三「法人名からは外国人が過半数の株式を保有することは分からず、経営者本人と個人的な関係がなく、実態を承知していなかった」

 安倍晋三のこの擁護発言からすると、宮沢洋一の政治資金管理団体が何社の企業から寄附を受けているか分からないが、全社照会して、経営内容の実態を確認したことになる。

 だったら、問題を起こす前に寄付を受けた時点で一社ずつ政治資金規正法の禁止事項に抵触するかしないか、なぜ照会しなかったのだろうか。「補助金等を受けている会社であるかどうか」、「赤字会社であるかどうか」、「日本の企業であっても、外国人もしくは外国企業が株式の過半数を保有する企業であるかどうか」等々、秘書等が寄付を受ける都度照会しなかったのだろうか。

 寄附に関するだけではなく、政治資金収支報告への記載その他を含めた秘書等の仕事上の対応のルールを一覧表等に作らせて厳格に守るよう指示するのは政治家・議員の責任であって、政治家・議員の指示に応じて厳格に仕事をこなしていくのが秘書等の責任であり、両者間にそのような関係構造を築くことができて初めて政治家・議員は人事管理上の責任を果たすことができることになるし、同時に政治資金の管理の点に於いても責任を果たすことができる。

 だが、そのようなルールを作ったのか作らなかったのか、作ったが機能しなかったのか、作らなかったから、当然のように失態へとつながったのか分からないが、いずれにしても遺漏が生じて、国会で追及を受けることになった。
 
 この点に政治資金に関わる政治家の危機管理の欠如とその責任の欠如を見ない訳にはいかない。

 だとすると、安倍晋三が言っている意味で「実態を承知していなかった」からと言って、危機管理の欠如とその責任の欠如は免罪されるわけではない。宮沢洋一を擁護すること自体、このようなルールに則るべきであるとする政治資金規制法に関わる危機管理を安倍晋三にしても弁えていないことになり、内閣の長としてのその責任欠如は重大である。

 両者共にこのザマであるということは、安倍晋三と宮沢洋一は危機管理の欠如とその責任の欠如の点に於いて、同じ穴のムジナだと言うことができる。


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望月環境相の政治資金収支報告書の虚偽記載疑惑国会追及は辞任によって一段落つける以外に方法はない

2014-10-29 09:16:40 | Weblog



      生活の党PR

       《10月24日(金) 鈴木克昌代表代行・幹事長定例記者会見要旨》

       『課題山積の今国会において、政府は緊張感に欠けている』
 
       【質疑要旨】
       ・宮沢経産大臣の問題について
       ・労働法関係議員立法について    

 今問題となっている望月義夫環境相の政治資金収支報告書虚偽記載疑惑は、主として政治団体「望月義夫後援会」の新年の賀詞交歓会への支出が大会費として平成20年と21年合わせて約660万円の金額で政治資金収支報告書に記載されているということによるものだという。

 「賀詞交歓会」とは「関係者が名刺交換などを行なって挨拶を交わす新年の催し」だと『大辞林』(三省堂)が解説している。

 両年の内訳は平成20年に「食事代」や「会場使用料」など合わせて305万円、平成21年に359万円。但しこの支出が計上されているのみで、両年共収入の記載はないという。

 要するに名刺を交換し合うだけではなく、会場を借りて、支持者を集めて飲んだり食ったりした。大体が飲み食いなしの正月は考えられないから、当然と言えば当然だが、では、約600万円のカネはどこから出てきたのか。

 これを後援会活動とするためには会費を取らなければならない。一人いくら、何人の出席で合計いくらとなって、その収入が1円の狂いもなくそのまま支出となって、初めて金銭的にも後援会活動としても帳尻が合うことになって、収支報告書としての体裁を整えることになる。

 だが、収入の記載がなかった。会費を取らずに会場を借りて、支持者を集めて飲んだり食ったりした、ということではなく、会費を取らずに会場を借りて、支持者を集めて飲ませたり食わせたりしたことになって、利益供与、もしくは買収となって、公職選挙法違反に当たることになる。

 望月義夫としたら、公職選挙法違反で折角手に入れた環境相という大事な大事な大臣の椅子を失いたくないから、収入の欄に記載がないことの合理的な説明を行って辻褄を合わせなければならない。

 望月義夫の政治資金収支報告書の記載は4年前に亡くなった妻が当時、経理の実務をしていて行っていたという。

 10月28日の衆院環境委員会で、交歓会の名称が「望月義夫後援会新春賀詞交歓会」で、主催は後援会ではなく、「実行委員会」だと答弁したと「asahi.com」が伝えている。

 望月義夫「後援会の事業と誤解されぬよう、実行委に注意を促したい」(同asahi.com

 要するに実際は実行委員会形式で飲んだり食ったりして名刺交換を行ったのだとすることで、本人なりの合理的な説明とした。

 名称は「望月義夫後援会新春賀詞交歓会」とし、主催は実行委員会だという。

 実行委員会形式とは、「Wikipedia」によると、〈イベント等を実施する場合に、行政、企業、市民団体その他が資金や人的資源を出し合ってひとつの実行委員会を結成し、その実行委員会が主催者となって運営する形式のこと。〉だという。

 ではなぜ望月義夫は自身の政治団体「望月義夫後援会」の政治資金収支報告書の「政治活動費の内訳」の「支出の目的」の項目に大会費と記載したのだろうか。

 記載する必要などなかった。もし望月義夫が自身の一人分の会費を出していたなら、その金額の記載のみで済んだ。

 10月28日未明の記者会見。

  望月義夫実際には交際費に当たる別の会費や会合費だったのに、4年前に亡くなった妻が賀詞交歓会の開催費に付け替え、事実と異なる記載をした。

 当時、この種の支出が社会的に批判されていたこともあり、そのまま計上することを妻がはばかり、その額に見合う支出であった賀詞交歓会の支出を計上した。

 (別の会費や会合費に関しては領収書がすべて廃棄されていて)内容がはっきりとさだかでない。だいぶ前の話だ」(NHK NEWS WEB)(下線部分は解説文を会話体に直す)

 これ以上、調査する考えはないとしたという。
 
 同じく10月28日の衆院環境委員会。

 望月義夫「当時、社会的に国会議員が会合費などに領収書を出すのはいかがかとおもんばかって賀詞交歓会に付け替えて一括して上げたということではないか。

 自分自身に責任はないと思っている。不正なお金の使い方はしていないと信じているが、妻が亡くなったため事実関係が確認できず、法令違反の成否は分からない」(NHK NEWS WEB

 要するに賀詞交歓会は実際に行ったが、収入の記載がないのは後援会活動に関係しない実行委員会形式の開催だったからで、賀詞交歓会の代金を大会費として支出項目に記載したのは、「当時、この種の支出が社会的に批判されていたこともあり、そのまま計上すること」は憚りがある、あるいは「当時、社会的に国会議員が」「領収書を出すのはいかがかとおもんばか」られる「別の会費や会合費」を亡くなった妻が「その額に見合う支出であった賀詞交歓会」に「付け替えて一括して上げたということではないか」と推測する説明を行った。

 これらを以って合理的な説明とすることができるだろうか。非合理性しか浮かび上がってこない。

 付け替えだけ取っても、重大な虚偽記載に当たる。付け替えましたで終わりにすることはできない。

 付け替えの元となった「別の会費や会合費」が国会議員が「領収書を出すのはいかがかとおもんばか」られる性格のものであって、あるいは「社会的に批判され」る性格のものであって、そのために賀詞交歓会の支出代金として付け替えなければならなかったと言うことなら、表に出すことができない「会費や会合費」であったということになり、政治活動に名を借りて不正活動を行っていたということになるばかりか、当然、政治資金規正法に触れることになる。

 決して問題は小さくはない。

 当時、経理の実務をしていた「妻が亡くなったため事実関係が確認でき」ないと言っていながら、「当時、社会的に国会議員が会合費などに領収書を出すのはいかがかとおもんばかって賀詞交歓会に付け替えて一括して上げたということではないか」と「付け替え」の事実関係を推測できるのも辻褄の合わない不思議な話である。

 実際に実行委員会形式の賀詞交歓会であったなら、「どうして収支報告書にこのような記載があるのか分からない」と言うだろう。「望月義夫後援会新春賀詞交歓会」が実行委員会主催であることを認めるとしても、何しろ表に出すことはできないカネを賀詞交歓会の支出代金として付け替えたのではないかと推測する説明を行ったことで表面化した不正操作の疑惑、あるいは虚偽記載の疑惑に関しては望月義夫は、経理の実務をしていた「妻が亡くなったため事実関係が確認でき」なかろうと何であろうと、国民誰もが理解し、納得し得る合理的説明を尽くす責任を果たさなければ、選挙活動や政治活動で不正を行っていた色々とゴマカシのある政治家が国会議員となり、大臣になったとされても仕方がない。

 但し説明責任を果たすことができるなら、既に果たしていただろうし、できないからこその記者会見や国会答弁での矛盾や非合理的な辻褄であって、野党が国会で国民に対して説明責任を尽くせという追及を止める方法は大臣辞任によってしか一段落つけることはできないだろう。

 一段落というのは大臣を辞任したからといって、政倫審等への出席が求められて、新たな追及が始まらない保証はないからだ。

 表に出すことができないから付け替えたと説明した時点で、却って墓穴を掘ってしまったようだ。  

 菅官房長官(10月28日午前記者会見)「亡くなられた大臣の奥さんが経理を仕切っていた2008年、09年当時の問題であり、現在の政治資金、関係政治団体では適正に収支報告がなされている」(時事ドットコム

 過去に何らかの重大な犯罪を起こして、罪に服することもなく、現在は真面目に暮らしているからと、過去の犯罪を問わないような発言である。 

 立場を変えたなら、このような発言は出てこない。立場を同じくした身内に対しては目をつぶって、擁護する。選挙活動や政治活動で不正を行っていた、色々とゴマカシのある政治家が国会議員となり、大臣になった経緯とその人間の大臣職を養護することを意味する。

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有村治子の「女性の登用・女性の活躍」の安部政権で確実に前進は労働生産性向上が伴わなければ意味なし

2014-10-28 09:32:26 | Weblog

 
 有村治子右翼女性活躍担当相が10月17日(2014年)閣議後に記者会見を開いて、「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案」(女性活躍推進法案)を閣議決定したことを伝えた上で、国や民間企業等の女性登用の数値目標やら数値結果やらを上げて、それらがさも大きな成果であるかのように発言している。

 と言うのも、女性の登用の人数を上げたに過ぎないからだ。人数が活躍を意味するためには女性本人の能力に基づいた、能力以外に誰の力も借りない自然な形の登用でなければならないはずだ。

 数値を設定して、設定した数値に合わせた登用は必ずしも登用される女性本人の活躍を意味しない。数値目標に関係なしに女性の活躍に応じた登用が登用後の活躍を見通すことができることになる。

 国にしても企業にしても数値目標に関係なしに女性の活躍に応じて幹部や役員に登用しなければならないはずだが、国が省庁や独立法人に対しては数値目標を掲げ、民間企業には各企業に数値目標の設定を任せて、それらの数値に従わせることにした。

 当然、数値目標に応じて登用した女性の場合、登用後の活躍を必ずしも約束するものではないことになる。

 どことなく矛盾するような気がする。

 有村治子の記者会見発言は、《有村内閣府特命担当大臣記者会見要旨》内閣府HP/2014年10月17日)に拠った。部分的に抜粋。文飾は当方。  

 有村治子「政府は、女性の活躍を成長戦略の中核として位置付けており、社会のあらゆる分野において、2020年までに指導的地位に女性が占める割合を、少なくとも30%程度とする目標の達成に向けて、様々な分野で取組を強化してきております。

 その一環として、今年3月、特殊法人と認可法人を含む独立行政法人等について、平成27年度末までに、役員に占める女性の割合を全体として6%程度としたい、管理職に占める女性の割合を全体として13%程度としたい、という目標を設定するとともに、計142の法人に対して目標設定を要請いたしました。

 お手元に配付してある資料のとおり、各法人の目標設定状況等が出そろいました。各法人が設定した目標値を集計しました結果、27年度の時点において、全体で、女性の占める役員の割合が11.3%、管理職で13.8%となる見込みであり、当初設定をしていた全体目標、すなわち役員で6%、管理職で13%を上回る見通しとなりました。それぞれの法人において御協力をいただいた方々、各府省の関係者の方々に敬意を表し、感謝したいと存じております」

 独立行政法人等が「役員に占める女性の割合を全体として6%程度」、「管理職に占める女性の割合を全体として13%程度」と政府から尻を叩かれて、予算に影響するかもしれないと考えたかもしれない、27年度時点の登用目標を政府要請を上回って各法人合計で、「役員の割合が11.3%、管理職で13.8%」となった。

 このことを以って有村治子は敬意と感謝を示して成果としている。

 まさしく人数ありきである。 

 有村治子「女性公務員の登用状況についてです。

 9月1日現在の指定職に占める女性職員の割合は、今年の夏の人事を踏まえまして、昨年10月から0.6ポイント増の2.8%で、過去最高になりました。安倍政権になってから、指定職に占める女性職員の登用は確実に前進していると数値が示しています。頑張ってこれからも右肩上がりにしていければと考えております」

 ここでも人数だけのことを言っている。

 「指定職」とは府省の審議官以上の幹部職員だと「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 民間企業の女性登用については以下の発言をしている。

 有村治子「経団連が今年4月に女性活躍アクションプランを策定され、7月には経団連の会員企業の女性の役員、管理職登用に関する実施行動計画をホームページに掲載開始されたことについて敬意を申し上げました。

 また、自主行動計画の策定に当たっては、各企業がそれぞれの実態に即して可能な限り具体的な目標設定をしていただくことに御期待申し上げておりますとお願いしてまいりました」――

  女性活躍推進法案は従業員301人以上の大企業に対して採用者や管理職に占める女性の割合等について各企業が独自に数値目標を設け、公表するよう義務付けているのみで、その時々の達成度の公表まで義務づけていない。

 このような法案の性格が有村治子の発言に現れた。

 要するに民間企業の女性登用の数値目標は国の機関に対する一種の上からの指示とは反対に企業の自主性に任せるとした二重基準となっているために国の機関の努力を成果としていた発言と違ってトーンダウンさせざるを得なかった。

 政府は経済界に対して一律の数値目標の設定を求めたが、反対されている

 10月6日の記者会見。

 榊原定征経団連会長「数値目標の形式や項目については、企業の自由度が確保されることが望ましい」

 有村治子の民間企業の数値目標に関わるトーンダウンが質疑で釈明に近い発言となって現れている。
 
 中村日本テレビ記者「本日閣議決定された法案について、女性登用の実現については、実質企業にお任せする形になるかと思いますが、本当に女性活躍推進に効果があるとお考えでしょうか」

 有村治子「今回の新法案に関しましては、数値目標を301人以上でやっていただける企業にということになります。

 今ご指摘がありましたように、企業任せという向きもあることは承知しておりますが、そもそもどのような情報を、どのような目標数値で挙げられるかということも含めて、確かにこれは、それぞれの民間企業の御判断になります。

 しかし、どの数値をどのように発表されるかも含めての経営判断でございますし、強制的に、一律この数値で、ということではなく、経団連を始め民間企業もそれを競争力にしたい、あるいは特色を打ち出したい、あるいはそれを新商品の開発につなげたいという思いでやってくださっている方々、その今までの取組に敬意を表して、これからも加速をするとおっしゃっていただいています。

 その主体性を尊重して、気持ちよくこの大きな理念に向かって賛同していただけるための、非常に妥当なラインで合意ができたと思っております」――

 数値目標設定に関しては、「それぞれの民間企業の御判断」、「どの数値をどのように発表されるかも含めての経営判断」と、同じ趣旨の言葉を二度繰返して、企業の主体性尊重を言っているが、だったら国の機関や地方公共団体に対してもそれぞれの主体性を尊重してそれぞれの運営判断に任せるべきを、上からの指示という一種の強制を柱としている二重基準となっていることが否定し難いために上記のような釈明に近い発言となったはずだ。

 確かに日本という国に於ける女性の登用の少なさは日本の伝統としている男尊女卑の精神文化の影響を受けているだろうが、そのことと相俟って結局、人数ありきとしているから、コスト最優先の企業から反対されて、二重基準を内容としなければならなくなる。

 このことを裏返すと、予算という名の税金で賄っている国の機関や独立行政法人等はコスト最優先に走る必要がないために、政府の指示に従って早々に数値目標を掲げることができるし、その目標に従って、女性の登用もできることになる。

 安倍内閣策定の女性活躍推進法案はそういった性格の法案だということである。

 多くの女性が指導的地位に就くのは結構なことである。反対する筋合いはない。但し指導的地位に就いた女性の下で働く者が指導的地位に就いていた男性の下で働いていた者の労働生産性と比較して同等か、それ以上でないと、最初から最後まで人数ありきとなって、そこに女性の真の活躍を見い出すことができなくなる。

 〈2012年の日本の労働生産性は、購買力平価で換算して71,619ドル(759万円)であった。これは、OECD加盟34カ国の中でみると第21位にあたる(図3-3参照)。日本の労働生産性をOECD加盟諸国と比較すると、イスラエル(64,430ドル/683万円)や ニュージーランド(63,611ドル/674万円)、韓国(62,403ドル/661万円)といった国を上回るものの、米国(112,917ドル/1,197万円)の約3分の2の水準にとどまっている。〉(《労働生産性の国際比較》)(日本生産性本部

 特に製造業に於ける労働生産性は世界と比較して遜色ないが、ホワイトカラー、特に公務員の労働生産性が国際的に低いと言われていて、そのことが足を引っ張っている全体的な労働生産性の低さであろう。

 公務員のムダ意識の希薄性がそのまま反映したコスト意識の低さから見て当然の労働生産性と言えるが、すべての分野に於ける広範囲な女性の活躍によって日本の労働生産性が高まることを期待するしかない。

 以下ムダな余談――

 もし若かったら、逞しい女性上司の元で働く機会を得て、見えないムチで働け、働けと尻を叩かれたいマゾヒズムは十分に備えている。

 宮沢洋一はSなのだろうか、Mなのだろうか。顔からだけ判断すると、どうしてもMに見える。

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大阪市の重篤な問題行動児童生徒の出席停止や「個別指導教室」への隔離は教育上の真の解決策足りうるのか

2014-10-27 10:32:27 | Weblog


 大阪市教育委員会が市立小・中学校の子どもの問題行動を5段階に分け、段階に応じて対応、ワースト2の「レベル4」とワースト1の「レベル5」のケースは最悪出席停止、あるいは一般生徒から分離し、「個別指導教室」(仮称)を設けて、そこで個別指導する教育案を市教委の事務局が教育委員に示したという。

 案自体は《「安心ルール」に基づき子どもの安全・安心と教育を受ける権利を守る学校づくり(案)》と題して、2014年年6月10日に発表している。

 一種の隔離政策である。勿論、教育上、「隔離」とか「分離」とかの言葉は使っていない。出席停止の場合は、〈出席停止期間中においては、当該児童生徒に対して保護者が責任を持って指導に当たることが基本〉だとして、親に教育を丸投げ、出席停止以外は、〈この課題を解決するため、重篤な問題行動を起こす児童生徒に対し、それぞれのニーズを考慮しつつ、手厚い個別指導を行うための専用の施設として「個別指導教室」(仮称)を整備し、様々な専門性を持った常勤・非常勤のスタッフを置き、在籍校や関係機関と連携しながら、手厚い個別指導を行う組織体制を整えることとする。〉としている。

 このことの裏を返すと、隔離政策を持ってこなければならない程に多くの教室が重篤な問題行動を起こす児童生徒に支配されている状況にあることになる。

 このような状況を受けて市教委をして個別指導政策策定に向かわせた『背景』を次のように説明している。文飾は当方。

 〈・平成25年3月に改訂した大阪市教育振興基本計画は、大阪市教育行政基本条例に基づき、「全ての子どもたちが学力を身に付けながら健やかに成長し、自立した個人として自己を確立し、他者とともに次代の社会を担うようになること」をめざすべき目標像として掲げたところである。

 ・しかしながら、学校現場の実態を見たとき、授業中の立ち歩きや大声・騒音による妨害、教室から飛び出しての校内浮遊や無断外出、教職員に対する反抗・暴言・暴力行為、児童生徒間暴力、いじめ、喫煙等、依然として「荒れ」の状態に陥っている学校も少なくない。その陰では、静穏かつ明るい教育環境の中で、生き生きと授業に参加し、学びを深め、友だちと交流しながら、心身ともに健全に成長できる、当たり前の学校生活を望む児童生徒や保護者の願いが踏みにじられている実態がある。

 ・社会で許されない行為は、学校内であっても許されるものではない。換言すれば、学校は、社会の法秩序が及ばない治外法権の閉鎖空間であってはならない。また、学校は、学習の場であり、他の児童生徒の教育を受ける権利の侵害も許されない。同時に、重篤な問題行動を起こす児童生徒は、様々な背景・要因を抱えていることも多く、問題行動の克服と立ち直りはもとより、社会の構成員として立派に成長していけるよう、手厚い個別指導を必要としている。〉――

 この一種の強制策、あるいは強攻策は元々強権的体質を持つ橋下徹大阪市長の強い影響もあり、橋下徹の強権体質を反映した強制策、あるいは強攻策といった性格を有しているに違いない。

 重篤な問題行動を起こす児童生徒に対して出席停止か、「個別指導教室」(仮称)に移して別カリキュラムの授業を行う。

 “個別指導案”の『背景』から次のような状況が浮かび上がってくる。教育の「目標像」として掲げた〈全ての子どもたちが学力を身に付けながら健やかに成長し、自立した個人として自己を確立し、他者とともに次代の社会を担うように〉するとした目標を市教委・学校・教師は達成できていない状況にあるということ。

 〈授業中の立ち歩きや大声・騒音による妨害、教室から飛び出しての校内浮遊や無断外出、教職員に対する反抗・暴言・暴力行為、児童生徒間暴力、いじめ、喫煙等〉、児童生徒に対して教師が制御能力を欠いている状況にあるということ。

 結果、市教委・学校・教師は学校を〈社会の法秩序が及ばない治外法権の閉鎖空間〉〉の状況にしているということである。

 このことは市教委・学校・教師の教育能力を欠いていることから発生している状況なのか、児童生徒に社会のルールに反した行動を強いる無秩序な性格が市教委・学校・教師の教育能力を上回って制御不能となっているのか、どちらなのだろう。

 果たして子どもは小学校に入学して、いきなり問題行動を起こすのだろうか。保育園・幼稚園時代に問題行動を覚えて、小学校入学後、引き続いて問題行動を起こすという例もあるだろうが、例えそのような子どもであっても、入学早々から問題行動を起こすのは極めて稀であるはずである。

 だが、極めて稀な例であるにも関わらず、そのうち教室の秩序が保てない程の重篤な問題行動が蔓延(はびこ)るようになる。

 このパターンは小学校を卒業して中学校に入学する際も同じように繰返されることになるはずである。小学校で重篤な問題行動を繰返す問題児であったとしても、中学への入学早々に小学校の時と同じ態度に出るのは極めて稀で、あるいはゼロかもしれない、そのうち徐々に程度の軽いものから程度が悪質なものへと問題行動を起こしていって、小学校の時と変わらない姿を見せていくのが一般的な傾向であるはずである。

 このような傾向を描くのは上級学校への入学といった人生の新しい局面に遭遇したとき、小学生と言えども、あるいは中学生と言えども、クラスメートや教師、さらには教頭や校長までも含めて自身を取り囲む周囲の人間が自身にとって危険か、安全か、意識的、あるいは無意識的に探ることになって、当初の間は問題行動を内に隠す形を取るからであろう。

 勉強ができる子どもでも、自分より勉強ができる子がどのくらいいるのだろうか、担任は教えるのが上手だろうかと、様々に様子を見るはずだ。その子にとって教えるのが上手である担任なら、子供心なりに尊敬の念や親近感が湧くだろうし、教えるのが下手な教師と映ったなら、それなりに蔑む気持が芽生えたとしても不思議はない。

 児童生徒は誰もが、例外はあるが、一般的には自身に危険がなく、安全と見たクラスメートと仲間をつくっていく。いわば無危険・安全を仲間を構成する場合の相互基準とする。

 問題行動を起こす児童生徒にしても、問題行動を起こしても無危険・安全であることを基準に仲間をつくっていく。但し、そのようにしてつくった仲間同士が無危険・安全を相互基準とするとは限らない。ごく大人しい生徒や気の小さい児童生徒を仲間に引き込む形を取ることもあるからだ。そのような児童生徒にとって、仲間になることを断った場合、危害を加えられる恐れから、一緒にいるのは危険であるにも関わらず、嫌々仲間となっているという側面を有することになる。

 問題行動を起こす児童生徒が無危険・安全を相互基準とすることができるのは自分と同じ勉強が嫌いで、授業時間を落ち着いて過ごすことができなさそうな、あるいは教師の言うことなど聞いてはいられないような、自身の支配下に置くことが可能と想定できる、あるいは逆に支配下に入ってもいいと思える児童生徒に対してであろう。

 そのような彼らが仲間をつくってクラスに対して支配的地位を築き得たとき、あるいは単独であったとしても、身体の大きさや腕力、あるいは怖そうな態度を利用したコワモテを武器にクラスの支配者として君臨できる状況を招き得たとき、初めて教師のいる前で問題行動を起こすことができ、それが徐々にエスカレートして重篤な問題行動へと発展していく。

 問題行動はそれを起こす児童生徒のクラスメートや教師に対して自身を一個の存在と見せる対抗手段であろう。勉強のできる児童生徒はテストの成績で自己を立派な一個の存在であることを証明することができる。

 と言うことなら、問題行動を起こす児童生徒は自身に強みとなるプラスの要素では証明できない、弱みとなるマイナスの要素を抱えていることになる。その弱みを隠してクラスメートや教師に対して自身を一個の存在と見せかける対抗手段としているということになる。

 考え得るマイナスの要素は勉強ができない、貧乏である、父親が呑んだくれである、母親の男出入りが激しい、その他その他といったところだろうか。

 心理学者でも何でもないが、問題行動は何らかのコンプレックスの裏返し行動、コンプレックスを解消するための代償行為でもあるはずだ。

 問題行動を起こす生徒が周囲の人間を見てから仲間をつくったりして問題行動を起こすからと言って、それを阻止するために教師が強権的であっていいという理由にはならない。強権的であった場合、その教師の教育は威嚇を手段とした独裁的教育となって、真の意味の教育ではなくなる。

 阻止する方法として、もし可能なら、問題行動を起こす生徒以外の生徒が全員で問題行動に毅然とした態度を取ることであろう。だが、皆恐れて、見て見ぬ振りの傍観的態度を取る。

 教師は問題行動が起きない入学早々の頃に、あるいはクラス編成後の早いうちにクラス全員に対して、何らかの問題行動が起きたなら、残る児童生徒全員がそれはいけないんだ、社会のルールに反することだと、毅然とした何らかの意思表示を示して貰いたいと何度も言っておくべきだろう。例え言われた児童生徒が問題行動が起きたとき、それを阻止する意思表示ができなくても、できなかったことを考えることになるはずだ。

 勿論、教師にしてもどんなに小さな問題行動であっても、してはいけないという毅然とした意思表示を示さなければならない。最初は小さくても、無視した場合、エスカレートしていかない保証は何もない。

 問題行動が起きたとき、あるいはクラス全員のテストの成績が悪かったとき、単にヒステリックに騒ぐことしかできな教師は生徒に馬鹿にされる傾向にあるように思える。

 論理的な言葉を駆使して、なぜいけないのか説明できる教師は問題行動を起こす児童生徒ばかりか、起こさない児童生徒に対しても考えさせる力を植えつけることができるはずである。

 どうしても授業についていけない生徒がいる。何らかのコンプレックスを抱えていて、それを隠して、それしかできない社会のルールに反した方法で自己を一個の存在と見せなければ収まりのつかない児童生徒がいる。

 教師の言うことが何も理解できず、何も頭に入ってこないにも関わらず時間がくるまで椅子に我慢して座っている苦痛を甘んじて受ける程に権利意識を麻痺させることができすにいる児童生徒がいる。

 そのような児童生徒にとって自由を縛る檻でしかない教室という場所に問題行動を起こさせずに閉じ込めておくためには、代償として椅子に座ったままの状態で勉強する自由・知識を得る自由とは異なる何らかの自由を与えることで解消できないだろうか。

 例えば、頭髪や服装の色・形は自由とする。自由とすることによって、勉強やスポーツではできない、自己を一個の存在と証明する機会を提供する。

 但し学校は一つの集団社会であて、集団としての行動が必要だから、時間厳守、遅刻厳禁、授業時間中の席立ちは禁止とする。その代わり、授業が面白くなければ、自席で授業に関係のない本や漫画を読むのは自由とする。

 スマホ等を使ったゲームは音が周囲の生徒に迷惑をかけるために禁止する。イヤホンを付けさせたとしても、うまくいったとき、声を上げるだろうから、イヤホーンを付けたとしても禁止とする。

 その授業に関わるテストで成績の良し悪しは自己責任とするが、社会に出た場合、テストの成績やスポーツの能力だけが生きていくための可能性の全てを決めるわけではないことを教える。社会に出て生きていく可能性を今から見つけるように勧める。

 漫画が好きで、漫画を描くことができなくても、漫画の原案で生きていくことも可能であるし、絵も勉強して漫画家としてやっていく可能性も否定できない。

 もし漫画や本を読むようなら、どんなストーリーだったのか、どこが面白かったのか、感想文を書かせるぐらいはすべきだろう。

 重篤な問題行動を起こした生徒を出席停止させて家庭で保護者に指導させるのも、「個別指導教室」に隔離するのもいいが、勉強にどうしてもついていけない児童生徒をどう指導していくというのだろうか。

 出席停止や「個別指導教室」に隔離されたこと自体が新たなコンプレックスとなって、それを解消するためにより過激な形を取らない保証はない。

 刑務所から出所した人間が「俺は刑務所帰り」だと変にワルぶって、刑務所帰りを勲章とする虚栄心を見せる人間がいるが、多分刑務所帰りだと見られる前に自分から言うことで刑務所に入っていたことのコンプレックスを解消しようとする行為だと思うが、一度ワルぶると、それを維持せざるを得なくなって、実際に何らかの悪事を働いてしまうということもある。

 学校・教師は勉強ができない児童生徒であっても、人に知られると恥ずかしい程に貧しい家の児童生徒であっても、その他何らかのコンプレックスを抱えている児童生徒であっても、勉強のできる児童生徒やスポーツの能力に恵まている児童生徒と同様に自己を一個の存在と思うことができる機会の提供に常に心がけなければ、教育者とは言えないし、学校を教育の場と言うこともできないはずだ。

 少なくとも教室という場で全ての生徒に対して平等に自己を一個の存在と思うことができる機会を提供してから、それでも重篤な問題行動を起こした児童生徒を出席停止や「個別指導教室」への隔離を行うべきだろう。

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安倍晋三の「地方創生」は中央集権体制を背後に隠した国と地方の関係を基本としている

2014-10-26 09:28:59 | Weblog


 安倍晋三が10月24日(2014年)、共同通信加盟社編集局長会に出席、地方創生を熱く語った。発言全文が「首相官邸HP」に載っている。

 「地方創生は待ったなしの課題」だと言い、待ったなしとしたのは自民党政治であることを棚に上げて、「人口減少、超高齢化、そして過疎化。地方が直面する課題は更に深刻化を増しています」と、自民党内閣というヤブ医者が見立てを間違えて、見立てを間違えたなりに身体のあちこちをやたらといじくり回し、却って病状を悪化させて始末に負えないところにまで追い込んでしまったことを反省もなく分析している。

 安倍晋三「私は、東京にいる人間が一つの方向を決めて、金太郎飴の様な地方をつくるという発想に限界があったと考えています。その地方にとって、『何が強みか?何が必要か?』を知っているのは、そこに住む人々であります。

 東京にいる人間が机の上で考えても思いつくこともできません。

 だから、国があらかじめ枠を決めて、『これに従え!』と言うのではなく、やる気あふれる地方の自発的な取組みが先にあって、国はそれを応援をしていく。

 『東京目線』から『地方目線』へと発想を大きく転換したいと考えています。『具体的な制度改革に着手しないと駄目だ』、『地方分権が足りない』といった御批判があります。
 もちろん、制度改革は大いに進めたいと思います。

 しかし、それは、あくまで『地方目線』でなければならないと考えています」――

 言っていることの本質は如何に中央集権的に政策を推し進めてきたかということであるが、日本の政治がどれ程までに中央集権体制をガチガチの体質としていたか、その本質を強く認識していないと、そこから抜け出る意識にしても強く働かないことになる。

 このことは「地方の自発的な取組みが先にあって、国はそれを応援をしていく」という言葉に既に現れている。地方の自発性を言ってはいるが、国が「地方の自発的な取組み」を促し、国がそれを「応援」する。いわば国は地方を国の下に置き、下の存在として国の関与を残している。

 譬えるなら、親子一緒に一つ屋根の下の同じ部屋で寝起きを共にしていたが、そろそろ年頃だからと、同じ一つ屋根の下に独立した部屋を与える親子関係とその距離感しか窺うことができない。

 当然、「『東京目線』から『地方目線』へと発想を大きく転換」していくと言いながら、あくまでも「東京目線」の支配下での「地方目線」と言うことになって、それぞれの地方がそれぞれに独立独歩の主体的な動きを許されるわけではない。

 いわば地方の主体性は国の主体性に準じることになる。

 そして安倍晋三は次に矛盾したことを言う。

 安倍晋三「私は、東京にいる人間が一つの方向を決めて、金太郎飴の様な地方をつくるという発想に限界があったと考えています。その地方にとって、『何が強みか?何が必要か?』を知っているのは、そこに住む人々であります。

 東京にいる人間が机の上で考えても思いつくこともできません。

 だから、国があらかじめ枠を決めて、『これに従え!』というのではなく、やる気あふれる地方の自発的な取組が先にあって、国はそれを応援をしていく。

 『東京目線』から『地方目線』へと発想を大きく転換したいと考えています。『具体的な制度改革に着手しないと駄目だ』、『地方分権が足りない』といった御批判があります。
 もちろん、制度改革は大いに進めたいと思います。

 しかし、それは、あくまで「地方目線」でなければならないと考えています」――

 「東京にいる人間が一つの方向を決めて、金太郎飴の様な地方をつくるという発想に限界があった」と中央集権体制の手による地方分権の失敗を言い、否定しながら、にも関わらず、「これまでも地方分権を何度もやってきました」と肯定する文脈で発言する矛盾を犯している。

 地方が金太郎飴状態となった理由は「地方分権」と思えたものが、中央集権体制の手の平の中の「地方分権」に過ぎなかったからこその画一性であろう。このことを深く認識もせずに、言葉通りの地方分権を実施してきたかのように言う。

 だから、後段で「ただ、東京の役所が『これなら地方に移しても大丈夫』と考える権限だけを渡されても、自治体の事務量が増えるだけになります。ただ、地方分権すればよいという単純なものではありません」と、地方分権についての認識の程度を曝すことになる。

 安倍晋三の頭の中にある「地方分権」とはこの程度の認識に過ぎないと言うことである。安倍晋三がいくら地方創生を言っても、国の中央集権体制から抜け出ることのできない地方創生となる恐れが大きい。

 このような恐れを前にすると、安倍晋三が、「先月、国家戦略特区が本格的にスタートしました」と言おうが、「安倍内閣として、『地方の、地方による、地方のための制度改革』を大胆に進めてまいります」と言おうが、「予算、税、制度改革。あらゆる政策手段を駆使して、安倍内閣は、これまでとは発想もやり方も次元の異なる地方創生を進めてまいります」と言おうが、以後も中央集権の息のかかった状況に変わりはない地方創生となりかねない。

 このことは10月10日(2014年)の「まち・ひと・しごと創生本部」第2回会合での発言が証明してくれる。

 第2回会合で議論した論点を踏まえて11月の本部会合で纏める「将来展望を示す『長期ビジョン』と5か年の施策の方向性を示す『総合戦略』」の骨子決定と予算編成、中長期的な構造問題の取り組みに関して次のように発言している。

 安倍晋三「今国会での議論も踏まえ、地方の目線で地方のやる気を引き出す内容としていくよう検討をお願いします」(首相官邸HP)――     

 ここで言っている「地方の目線で」の主体は地方ではなく、国となっていて、「地方のやる気を引き出す」主体も国となっている。「やる気」は地方自身が自ら引き出さなければならない課題であるはずだが、国に「やる気を引き出す」誘導の役を担わせている。

 当然、共同通信加盟社編集局長会での上記発言、地方創生は「あくまで『地方目線』でなければならないと考えています」の「地方目線」にしても、主体は国ということになって、考えることも行動することも地方を主体に据えて、「地方の目線」を尊重し、任せるということではなくなる。

 安倍晋三は同じく共同通信加盟社編集局長会で地方創生策の一つとして公設民営学校の設立を戦略特区で認可する方針についても発言しているが、そこに現れているのはやはり国家主体・地方従属の姿である。

 安倍晋三「公設民営学校は、長年実現できなかった課題ですが、今回、踏み出すことといたしました。

 安倍内閣として、『地方の、地方による、地方のための制度改革』を大胆に進めてまいります。

 国による支援策も同じです。やる気のある地方に対しては、自由度の高い、新たな支援策を講じたいと考えています」――

 地方がその地方に即した制度改革を直接主体的に独自性を持って実施するのではなく、国が推し進める形を取っている。結果、改革された同じ制度が全国金太郎飴のように画一的に施行されることになる。当然、「自由度の高い、新たな支援策」と言っているその「自由度」にしても、国家と地方の間に国の力がかかったワンクッションを置いた自由度にならざるを得ないはずだ。

 安倍晋三の中央集権体制を背後に隠した国と地方の関係、あるいは国に準じる形で把えている地方の自立性・主体性に関わる以上のような認識との関係で印象的な自民党の政策転換を「47NEWS」記事が伝えている。

 10月24日、自民党道州制推進本部の佐田玄一郎本部長が都道府県廃止を前提とした道州制推進基本法案を「現実的でない」と事実上白紙撤回して、道州制から複数の県による広域連合に体制変更、そのような体制で地方の機能強化を図る方針にしたという。

 県の広域連合は各県に今までと同様に一人ずつ首長を置くことになる。道州制は各自治体ごとに一人の首長。当然、前者は後者よりも独立性は低くなる。基本のところに県という形をそのままに維持して、独立性を道州制程には確保できないとなると、従来通りの中央集権体制――国に準じる地方の関係が残る余地を許すことになる。

 このような構造はまさに安倍晋三の央集権体制を背後に隠した国と地方の関係、あるいは国に準じる形で把えている地方の自立性・主体性に関わる認識とまさに一致する。

 真の地方の自立性・独立性に基づいたそれぞれの地方なりの地方創生は望むことは困難なようだ。

 安倍晋三は国家の形を第一義とする国家主義者である。地方の自立を言いながら、中央集権体制を背後に隠していても不思議はない。当然過ぎる程当然と言うことができる。

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安倍晋三が言っている犯罪面での「世界一安全な国の創造」から日本人の権利意識を考える

2014-10-25 10:49:38 | Weblog


 安倍晋三が10月23日、都内で開催の全国殉職警察職員・警察協力殉難者慰霊祭に参列、追悼の辞を述べた。警察協力殉難者とは、犯罪阻止などで警察に協力して命を犠牲にした市民だけではなく、単に犯罪を阻止しようとして命を犠牲にした市民も入るのだろうか。

 安倍晋三「全国殉職警察職員・警察協力殉難者慰霊祭に当たり、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 このたび新たに祀られた7柱の御霊は、自らの危難をも顧みず、治安維持のため職務に殉じた警察職員と、人の命を救おうとして殉難された方々です。皆様が身をもって示された誇り高き精神と勇気は、私たちの誇りです。

 一方で、愛しい家族を失われた御遺族の皆様の悲しみ、無念さを思うと、悲痛の念に堪えません。御遺族の皆様に対し、心からお悔やみ申し上げます。

 ここに祀られた6781柱の御霊を前にして、国民を守るという、その職務に対する強い使命感と覚悟に、あるいは他者をいたわる深い人間愛に、衷心より敬意と感謝の意を表します。

 私たちは、御霊の尊い御遺志を受け継ぎ、犯罪や災害から国民を守るという国としての責務を全うし、『世界一安全な国、日本』の創造に全力で取り組んでまいります。

 ここに改めて、御霊安かれと、心よりお祈り申し上げますとともに、御遺族の皆様の御平安を切に祈念いたします」(首相官邸HP/2014年10月23日)  

 警察官が職務で殉職するのはある意味宿命としなければならない。宿命の反対給付として、それを可能な限り避けるために拳銃所持が許されているはずである。いわば拳銃所持は宿命に対する安全確保の手段であり、安全確保の象徴となっている。

 軍人が武器で身を固め、身の安全を図るようにである。警察官と軍人の所持する武器のパワーの違いが宿命の切迫度の違いを現している。一旦戦場に立った軍人の職務に殉じる殉職の危険性の確率は警察官の比ではないだろう。

 問題は一般市民が武器も持たず、警察官の職務に協力して犠牲となった「警察協力殉難者」である。その場にいた警察官の、あるいはその場にいなかった場合にしても、警察組織としての社会的な治安維持の行政作用が満足に機能しなかったことを意味する。

 言ってみれば、警察協力者の殉難は止むを得ない状況にあったとしても、警察組織が関わっている治安維持の犠牲と言うこともできる。

 安倍晋三は「世界一安全な国、日本の創造」を公約とした。全国殉職警察職員・警察協力殉難者慰霊祭での公約だから、犯罪の面で「世界一安全な国、日本の創造」と言うことになる。
 
 だが、元来から日本は犯罪の少ない国である。2014年7月9日付「Rocketnews24」が海外サイト「Lifestyle9.com」のFBIデータを参考に「犯罪率」を中心として選出した「世界安全な国トップ10」を伝えているが、日本は犯罪率(13.11%)、安全率(86.89%)共にトップを占めている。

 いわば日本は世界の中で犯罪面で既に最も安全な国となっているから言うことができる「世界一安全な国、日本の創造」ということであり、カラ手形とならずに済むということであるはずだ。

 但し日本人は一つのことを目標にすると、その目標にのみ視野が囚われて、他の物が目に入らず、物事を複合的に捉えることが不得手な傾向にあると言われている。

 確かに犯罪面では世界各国と比較して既に「世界一安全な国」となっている。だが、生活面で、生活の安全・安心という点で日本は「世界一安全な国」と言うことができるのだろうか。

 世界保健機関(WHO)の2012年推計による日本の人口10万人当たりの自殺者数は1位北朝鮮の39.5人、2位韓国の36.6人、日本は9位の23.1人となっていて、西欧先進各国と比較した場合ダントツの1位となっている。

 自殺は何らかの理由で生活の安全・安心から見放されたことによって起こり、生きる権利の自らの放棄を示す。いわば権利意識の消滅が死を引きよせる。

 人口が日本の2倍以上もあり、銃犯罪による年間死者数が10000人以上と言われている犯罪多発国の米国の人口10万人当たりの自殺者数は41位、13.7人である。

 いわば日本とアメリカの自殺と犯罪の発生状況は逆の関係にある。

 犯罪面の治安に関しては日本の安全は保障されているが、生活面の安心・安全に関しては日本国民は必ずしもその安心・安全を保障されていはいない。

 当然、犯罪面でのみ、「世界一安全な国、日本の創造」とは言っていられないということである。

 安倍晋三が自殺者数によって表される生活面の安心・安全が必ずしも保障されていない状況を視野に入れて、犯罪面で「世界一安全な国、日本の創造」を口にしたのなら問題はないが、中国や韓国との関係改善を満足に進めることができずに、訪問の受入れという点で、相手国の首脳のスケジュールとの関係以外何ら問題のない国々を訪問して、訪問国数や首脳会談数を根拠に「地球儀を俯瞰する外交」だと自らの外交能力を誇る単純視野からすると、犯罪面の安全のみ視野に入れた「世界一安全な国、日本の創造」を主張したとしか思えない。

 もう一つ、犯罪は物質的な欲求や精神的な欲求を法律等によって規定されている社会のルールを無視して充足させようとすることによって起こるが、その充足願望の背景は権利意識を動機としていることが多い。

 金持ちたちの多くは天下りだ、渡りだ、あるいは多額のワイロを手に入れたり、談合したり、巨悪を基に得たカネで豊かな生活を送っている、正直者がバカを見る世の中だ、カネがなくて生活に困っている俺が銀行強盗をしたって、巨悪に比べたら、大した犯罪ではないと自己を正当化して銀行強盗を試みるのも、一種の権利意識を動機としている。

 勿論、歪んだ権利意識の発露以外の何ものでもないが、全体的な国民の性向として権利意識が希薄であると、このことと比例して犯罪という形を取る歪んだ権利意識の発露も少なくなる。

 当然、権利意識の高さを国民的性向としていると、その国の犯罪の発生率は高くなることになる。俺がこのように虐げられた生活を強いられているのは社会が悪いからだと歪んだ権利意識から自身の権利を証明しようとして不特定多数に向かって銃を乱射したりする。

 西欧各国の若者をイスラム国に向かわせる動機にしても、自国で充足させることのできない権利意識をイスラム国が充足させてくれると信じ込むに至っているからだろう。自国では果たすことができない自己実現、あるいは自己存在証明をイスラム国は実現させてくれるとばかりに。

 日本人は上は下を従わせ、下は上に従う権威主義を行動様式・思考様式としている全体的性向が原因となって、希薄な権利意識を伝統的な国民性としている。但し戦後民主主義を植えつけられて、基本的人権というものを教えられ、それなりの権利意識を持つようになったが、先進欧米各国と比較した権利意識はまだまだ未成熟な面がある。

 結婚して妊娠した女性を会社側が会社を辞めさせようとするのも上が下を従わせる権威主義を動機としていて、会社の指示に不満があっても従うのは下は上に従う権威主義からの決定であって、この構図には会社側の権利の一方的な主張を見ることができるても、女性側の自らの権利を尊重して主張する姿勢を見ることはできない。

 上は下を従わせるばかりではなく、下にしても上に従うばかりではなく、相互に折り合いをつけて、それぞれの権利意識を満足させる柔軟な関係に持っていこうとする相互の権利に立った思考と行動を欠くことになっている。

 犯罪面で「世界一安全な国」日本という状況は国民の権利意識が未成熟な状況を背中合わせにしているということである。

 当然、日本人の権利意識が西欧各国並みに高くなったとき、このことに応じて特に凶悪な犯罪が多発化していくことが予想される状況に対して国の治安――犯罪防止は、犯罪という形を取る歪んだ権利意識の歪んだ成長の阻止に重点を置かなければならないことになる。

 このような犯罪防止は警察という行政機関のみならず、学校教育の関わりも必要となるはずである。

 日本国民が全体として権利意識を高めたなら、政治への関心も現在以上に高まり、政治を監視し、権利意識の正当な発露として必然的に政治に物申すことになって、国民が政治をリードするようになれば、自殺者数も西欧各国並みに少なくなっていくのではないだろうか。

 西欧各国にしても、その他の国にしてもそれぞれが政治の力を駆使して社会の公正化を推し進めたなら、現在の自殺者数の水準や犯罪発生数の水準をもより低くしていけるはずだ。

 安倍晋三は全国殉職警察職員・警察協力殉難者慰霊祭の追悼の辞で、「私たちは、御霊の尊い御遺志を受け継ぎ、犯罪や災害から国民を守るという国としての責務を全うし、『世界一安全な国、日本』の創造に全力で取り組んでまいります」と誓ったが、社会的なそれぞれの課題を重層的に関連づけて把えるのではなく、それぞれに独立した問題として把握するだけでは創造的にして有効な政治は望むことはできない。

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宮沢洋一経産相資金管理団体「宮沢会」SMバー政治活動費支出に見る幾つかの疑問

2014-10-24 09:14:13 | Weblog


 小渕優子が政治資金収支報告書の一部収支の記載に公職選挙法違反や政治資金規正法違反を疑われる個所が発覚、説明できずに10月20日経産相を辞任した後を受けて翌日の10月21日に就任したばかりの宮沢洋一が、翌々日の10月23日に同じ政治資金で再びマスコミの槍玉に上がることになった。

 宮沢洋一の自らが代表を務める政治資金管理団体「宮沢会」が2010年9月6日、下着姿の女性をロープで縛り、客も参加する広島市内のSMバーに交際費の名目で1万8230円を支出していたというものである。

 宮沢洋一本人は行っていないと言っているが、あくまでも顔の印象としては行って似合う表情に見えないことはない。

 地元の秘書が友人から紹介され、情報交換のために利用したものだと記者会見で明らかにしたとマスコミは伝えている。

 地元の秘書がSMバーで政治活動の一環として行う情報交換とはどのような情報の交換なのだろうか、先ずその疑問が頭に浮かんだ。

 SMバーとは一般的にロープやムチを用意していて、希望する客は女性スタッフにローブで縛って貰って、軽くムチで打って貰うことができるという。

 要するにエロテックなSMのコスチュームに身を包んだ若い女性にムチで打たれることにそれなりの快感を味わうことができる場所と機会ということであるはずだ。

 そのようなシーンを横目に見ながら、政治活動、あるいは選挙活動の一環として情報交換をした。

 例えSMショーに興じなくても、そのような場所を選んだこと自体に疑問を感じない訳にはいかない。

 SMバーを利用する理由自体想像すらできないのに、交換したとする情報にしても、頭に思い受けべることができない。

 情報交換を口実とした接待だと言うことなら、悪い頭を以てしても簡単に理解できる。サドかマゾの性的嗜好のある有力な支持者を選挙の時の票に結びつけるために接待し、ショーを以って饗応とした。

 但し接待・饗応の類は選挙期間中か否かに関わらず、「買収及び利害誘導罪」に当たり、公職選挙法違反となる。宮沢洋一は政治資金収支報告書を訂正すると言っているが、訂正では済まない。

 もしSMバーに行ったのが本人の否定に関わらず本人だとしたら、使うべき対象ではない対象に使った不適切な支出に当たる。

 同じ10月23日付マスコミ記事が宮沢洋一の対記者団発言として次のような釈明を伝えている。

 宮沢洋一「SMバーには地元の秘書が行った。誤って政治資金として支出してしまったようだ。

 政治活動としては、いろんな情報交換をしておったと聞いております。ショーをあまり、見るつもりで行ったわけではなくて、たまたま、そういう店が割合安くて、話もできるということで使ったというようなことを言っております」

 記者「辞任の考えは?」

 宮沢洋一「ございません」(FNN

 しかしこの発言には矛盾がある。

 先ず第一に、いくら安価だとしても、SMショーの見学、もしくは参加以外の目的で利用していい店ではないはずだ。にも関わらず地元秘書の言い分を額面通りに受け取っているところに矛盾を感じない訳にはいかない。

 次の矛盾は「誤って政治資金として支出してしまった」と言いながら、政治活動としての情報交換だと言っている点である。事実、政治活動としての情報交換であるなら、「政治資金として支出」して、どこに間違いがあると言うのだろうか。地元秘書が身ゼニを切るケースではなく、政治資金管理団体「宮沢会」から堂々と支出すべきケースとなる。

 大体が「誤って政治資金として支出してしまった」という釈明自体が通用しない。地元秘書は政治資金管理団体「宮沢会」の名前で領収書を書かせて、その領収書の支出目的と支出金額を政治資金収支報告書に記載し、尚且つ領収書の写しを添付したはずだ。

 このことはこの経緯を逆に辿るとよく理解できる。

 政治資金収支報告書の「政治活動費の内訳」の「支出の目的」の項目に「交際費」と書き、その金額を「18,230」と記して、記述通りに間違いありませんとその領収書を添付したのはSMバーの利用を政治活動上の情報交換=交際としていたからであり、その趣旨でSMバーに利用代金の支払先として政治資金管理団体「宮沢会」の名前を告げて書かせ、その領収書を受け取ったからだろう。

 全て意図して行った行為であって、誤ってしたこととすることはできない。

 例えSMバーに行き、代金を支払った地元秘書と政治資金収支報告書を書いた人物が別の地元秘書であったとしても、領収書に「宮沢会」の名前を書かせたのであり、その領収書を政治活動関係の領収書を保管しておく紙箱か抽き出しに入れておいたからこそ、別の秘書なりが政治資金収支報告書に書くことができたはずだ。

 一連の経緯が全て政治活動としての体裁に則って推移しているのは、地元秘書が、一人か複数か分からないが、政治活動の一環としての装いを持たせていたからだろう。

 もし地元秘書が政治活動上の情報交換でも何でもなく、単に本人か、知人と何人かでSMバーで楽しんだごく私的な遊興費を政治資金管理団体「宮沢会」の名前で領収書を書かせて、政治資金の中から支払ったとしたら、「誤って政治資金として支出してしまった」でも何でもなく、意図して行った政治資金の私物化以外の何ものでもない。

 宮沢洋一の矛盾した釈明のその矛盾だけではなく、地元秘書による政治資金の私物化なのか、公職選挙法違反の「買収及び利害誘導罪」に当たる接待という名の利益供与なのか、明らかにしなければならない。

 宮沢洋一の後援会に対する人事管理能力=管理監督責任能力に関係してくる。心ある野党は徹底的に追及しなければならない。

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高村正彦の「政策論争を疎かにすると国民が傷つく」の愚かで自己都合な野党批判

2014-10-23 07:57:33 | Weblog
 


 政治資金規正法、あるいは公職選挙法違反に触れる疑いを受けて小渕優子と松島みどりが辞任した問題で、辞任で幕引きを図りたい政府に対して野党は辞任だけでは済まない、国会の政治倫理審査会等で説明せよ、安倍晋三は任命責任をどう果たすのか、新大臣の所信表明が先だと政府追及の態勢に入り、これらが果たされなければと審議拒否の姿勢さえ見せている。

 当然、予定していた国会審議が停滞することになる。10月21日の衆議院本会議で予定されていた土砂災害防止法の改正案の審議入りが23日に先送りされ、与党側が今週中に審議入りしたいとしていた労働者派遣法改正案の衆議院本会議での審議入りも、来週28日に先送りされる影響が既に出できているとマスコミは伝えている。

 審議先送りは来月30日までの今臨時国会会期中の成立を予定している地方創生関連法案や派遣労働の期間制限一部撤廃の労働者派遣法改正案等の成立を危うくする。

 こういった国会運営の予定表を狂わす混乱は政府にとって不都合な事実で、高村自民党副総裁が野党批判に出た。

 高村正彦「(二人が辞任したことに関して)政府与党は襟を正し、緊張感を持って対応しなければならない。(但し)野党側からは『政策論争よりもスキャンダルを徹底的に追及せよ』という声も聞こえてくるが、政策論争を疎かにすると国民がキズつく」(NHK NEWS WEB

 国民をダシに野党の動きを牽制しようとしている。

 高村正彦は小渕優子の政治資金収支報告書の記載問題が上る前、松島みどりが地元の祭りで支持者に配ったうちわ問題と江渡聡徳(えと・あきのり)防衛相の資金管理団体の政治資金収支報告書訂正問題で民主党が国会追及していることにもイチャモンをつけている。

 高村正彦「閣僚に対するあら探しだ。火のないところに煙を立てようとする行為は目に余る。野党第1党の資質の問題だ」(時事ドットコム

 この発言に対する反論。

 川端達夫国対委員長「(閣僚の資質問題に)力を費やさざるを得ないような人がいっぱいいることが問題だ。与党や内閣は胸に手を当てて反省し、けじめをつけてほしい」(同時事ドットコム) 

 何日か前のブログに議員自身の政治資金管理は人事管理だと書いた。秘書等に任せて資金管理を行う。適正な資金管理は如何に秘書等を人事の面で管理できるかどうかにかかっている。人事管理能力のない政治家に省庁の人事管理が満足にできるはずはない。資金管理を秘書任せにしていて、秘書がいい加減な収支報告書を作成していたというなら、人事管理ができていなかったということであって、大臣となっても人事の掌握に関しても職務に関しても所管する省庁の官僚任せとなる。

 もし政治家が秘書に指示して収支報告書の金額を操作させていたということなら、決定的に資質の問題となる。

 前者、後者どちらであっても、大臣の資格はないと言うことになって、資格のない大臣を大臣に据えておくことはできない。決して「あら探し」ではない。

 野党は江渡聡徳の政治資金収支報告書訂正問題で審議拒否に出た。このことに麻生太郎も批判発言を行っている。

 麻生太郎「集団自衛権含めた安保法制についてあれだけ徹底した議論をやれとしつこく言ってこられた民主党が、こういう行動をとられて違和感を覚える。ぜひ政策で議論を戦わせていただきたい。

 1年生議員の方々が、国会ってこんなものか、いかがなものかとなるので、しっかり対応していただきたい」(時事ドットコム

 政策を担う資格のない大臣と議論をしても始まらない。議論に応じたなら、政策を担う資格があると認めることになる。

 民主党を始め野党の多くは「低賃金労働者を増大させかねない」、あるいは「格差拡大を招く」と労働者派遣法改正案に反対し、成立阻止に全力を挙げる方針でいる。いわば労働者派遣法改正案が成立したなら、中低所得層の生活が“キズつく”と考えている。

 高村正彦は「政策論争を疎かにすると国民がキズつく」と言っているが、野党の多くは少なくとも労働者派遣法改正案に限って言うと、政策論争を疎かにした方が国民はキズつかないと考えているということである。

 野党が素直に政策論争に応じて労働者派遣法改正案の国会成立に結果的に協力することになった場合の先にある中低所得層の「国民がキズつく」場面よりも、逆に政策論争を疎かにして小渕優子と松島みどりの「政治とカネ」の追及に全力を注ぐ戦術を貫けば、時間切れによって最良の成立阻止の方法となる可能性が生じる高等戦術という側面を持たないでもない。

 あるいは野党はこのことを意図的に狙って審議拒否の姿勢でいる可能性が高い。だとしたら、高等戦術も高等戦術、絶妙な高等戦術と言うことができる。

 要するに高村正彦が対象にしている「国民」と、労働者派遣法改正案反対の野党が対象にしている「国民」とは生活階層を異にしているということである。

 このことは労働者派遣法改正案に対する産業界の賛否の態度を見れば理解できる。大企業代表の経団連は賛成し、労働者代表の連合は反対している。悪法と見るかどうかはそれぞれが置かれている利害上の立場に応じる。経団連はコストカットの妙味、あるいはメリットがなければ、賛成しないはずだ。

 こういったことを考えもせずに高村正彦は愚かにも「政策論争を疎かにすると国民がキズつく」と言っている。安部政権と自民党の利益を代弁した自己都合な批判に過ぎない。

 野党は国民の生命に直結する土砂災害防止法の改正案等の審議には応じるべきだろう。

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安倍晋三は女性2閣僚辞任の任命責任が言葉だけではない証明に「女子力開花内閣」の標榜を撤回、年俸減額を

2014-10-22 08:53:38 | Weblog

 


      生活の党PR

       《10月17日(金) 鈴木克昌代表代行・幹事長定例記者会見要旨》

      『労働者派遣法改正、反対だけでなく対案を出していきたい』

      【質疑要旨】
      ・小渕経済産業大臣、松島法務大臣の問題について
      ・労働者派遣法改正案について
      ・文書通信交通滞在費への対応について
      ・地方創生法案について

      《110月20日(月) 小沢一郎代表定例記者会見要旨》    

      昨日10月20日、幹事会後に小沢一郎代表が定例の記者会見を行いました。
      会見要旨全文は党ホームページからご覧いただけます。

      『正規雇用推進法案を議員立法で成立させたい』

      【質疑要旨】
      ・小渕経産大臣、松島法務大臣辞任ついて
      ・生活の党雇用安定化対策本部設置について

 法相の松島みどりが自らの選挙区の祭りで「うちわ」を配ったことが公職選挙法禁止の寄付に当たるのではないかと国会で追及を受けて辞任、経産相の小渕優子の場合は、後援会員から会費を集めて催した観劇会の政治資金収支報告書の会費収入が実際に集めた会費よりも少なく記載されていることと、観劇主催者側に支払った支出金額が会費収入金額とプラスマイナスゼロではなく、桁違いにプラスとなっていることの不明朗会計を公職選挙法禁止や政治資金規正法の裏金作りや利益供与、あるいは買収に当たるのではないかと国会で追求を受けたものの満足に説明できずに10月20日の午前、松島みどりと共に辞任した。

 松島みどりは野党の追及にのらりくらりとした態度で抵抗していて、辞任の気配はなかったのだから、国会審議停滞を回避するために安倍晋三から嵐は一度に済ませた方がいいとばかりに因果を含まされ、ある意味詰め腹を切らされた形の辞任だったのではないだろうか。

 同じ10月20日の午後になって、安倍晋三は首相官邸で記者団に答えている。

 安倍晋三「2人から『自らの問題で政治、行政に遅滞をもたらすことは許されない。よって辞任したい。経済再生、女性が輝く社会をつくっていくうえで貢献できずに大変申し訳なかった』という話があった。2人の意思を尊重して辞表を受理した。任命したのは私であり、任命責任は首相である私にある。こうした事態になったことを国民のみなさまに深くおわびする。政治、行政に難問が山積している。まさに政治の遅滞は許されない。後任を急ぎ選定し、そうした課題に新たに取り組んでいきたい」(毎日jp

 任命責任を認め、国民に謝罪している。だが、具体的にどのような形で任命責任を示すのか、明らかにしていない。任命責任を具体的な形で表して初めて、国民に対する謝罪が生きてくる。

 言葉だけの任命責任は不要である。また、後任として任命した大臣がそれぞれの職務を受け継ぎ、与えられた政策を進捗させ、国民の期待に応えることで責任に代えるということも許されない。

 なぜなら、安倍晋三は女性の活躍推進を成長戦略の中核と位置付けて、現在1割未満という貧弱な状態にある指導的地位の女性の割合を2020年までに3割以上に引き上げる挑戦的とも言える目標を掲げていて、その目標の象徴的先鞭として2014年9月3日の改造内閣では5人の女性閣僚を任命したはずで、当然、小渕優子にしても松島みどりにしても、先鞭たる役目を担っていたのであり、そうである以上、1カ月半かそこらで別の議員に交代させるということは先鞭的役目を担う人材としては小渕優子や松島みどりに次ぐことになって、政策の進捗の点についても国民の期待に応える点についても、安倍晋三は所期の思惑を貫徹できずに自ら裏切ったことになるからだ。

 いわば任命責任という点に於いて最初の人事と後任人事は別問題であって、別個に扱わなければならない。

 その証拠として、安倍晋三の次の二つの発言を挙げることができる。

 2014年9月3日の改造内閣発足記者会見。

 安倍晋三「女性が輝く社会の実現も、安倍内閣の大きなチャレンジであります。『先ず隗より始めよ』。今回は5人の女性に入閣していただきました。党四役の一人、政調会長も女性の稲田さんにお願いしました。いずれも重要政策を担うポストであります。人数ありきではありませんが、適材適所、いずれの大臣も十分、そのポストに就く能力のあるメンバーであると確信しています。総務大臣、経済産業大臣、防災担当大臣については、初の女性閣僚。是非とも、女性ならではの目線で、新風を巻き起こしてもらいたいと思います」

 「女性が輝く社会の実現」を目標に内閣で手本を示す(=「先ず隗より始めよ」)重要な第一歩として5人をそれぞれの行政部門に「適材適所」として任命した。

 安倍晋三は5人の起用を「女性が輝く社会の実現」と結びつけていたのであり、「適材適所」への起用をそのような社会実現の象徴と見定めていた。

 だが、どのような理由であれ、二人の側の不名誉な事情によって辞任という形で安倍晋三の「適材適所」とした人事が崩れた。いわば人事に失敗したということであって、その責任はやはり後任人事とは別問題ということになる。

 安倍晋三は9月4日午後、夕刊フジのインタビューに次のように答えている。

 安倍晋三「(改造内閣は)私の感覚では『女子力開花内閣』かな(笑)。安倍内閣は『女性の輝く社会の実現』も掲げている。荒波を乗り越えていくにはベテラン航海士の経験と中堅船員の技量、ボイラーに石炭をくべる若手のパワーなどが必要ですね。まさに、そういうみんなが(内閣という船に)乗り込んで力を発揮できる内閣、党の態勢になった」(MSN産経

 内閣全体として「女子力開花」の組織となったという意味であったとしても、初めてとなる5人の女性閣僚の起用は何よりも5人それぞれが職務を通して「女子力」を開花して、「女性の輝く社会の実現」の象徴となることを、あるいは先導的役割を担うことを期待したはずだ。

 だが、5人のうち2人に関しては公職選挙法や政治資金法に触れる疑いを引き起こして安倍晋三の「女子力」に期待した人事を狂わせた。2人の問題ではあっても、2人の問題で済ます訳にはいかないはずで、安倍晋三の閣僚任命に関わる人事の責任でもある。

 この任命責任は2人を起用し、1カ月半そこらで辞任という結果を招いた個別事情に関わるものであって、まずはこの件に関しての任命責任をそれなりに果たさなければ、「任命したのは私であり、任命責任は首相である私にある」という言葉を言葉だけで終わらせることになる。

 では、どのような責任のとり方が相応しいのだろうか。初めてとなる5人の女性閣僚の起用を含めて「女子力開花内閣」と標榜した。その象徴的代表者の5人のうち、2人も不名誉な事情で辞任したのである。記者会見を開いて、「女子力開花内閣」標榜を撤回し、2014年4月現在国家公務員特別職内閣総理大臣の俸給月額205万円のかけるカ月の年俸額のうち、2カ月分か3カ月分を自ら減給を申し出て、その上で国民に謝罪するぐらいでないと、「任命責任は首相である私にある」という言葉を具体的な形としたことにはならないように思える。

 多くの女性有権者に何がしか期待させたはずである。男性有権者の中にも女性閣僚に期待した者もいたはずである。それを裏切った。裏切ることになる女性議員を閣僚に据えた

 任命責任を決して口先だけで終わらせてはいけない。

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