菅義偉は総裁選に立候補するに当たって、あるいは当選してからも、メイン中のメインの政策として「自助、共助、公助」を国の基本政策に掲げると同時に「縦割りの打破」を勇ましくも掲げた。ご立派。
先ず2020年9月2日の「総裁選出馬会見」から「縦割りの打破」についての発言を見てみる。
冒頭発言。
菅義偉「世の中には、数多くの当たり前でないことが残っております。それを見逃さず、国民生活を豊かにし、この国がさらに力強く成長するために、いかなる改革が必要なのか求められているのか。そのことを常に考えてまいりました。
その一つの例が、洪水対策のためのダムの水量調整でした。長年、洪水対策には、国土交通省の管理する多目的ダムだけが活用され、同じダムでありながら、経済産業省が管理する電力ダムや農林水産省の管理する農業用のダムは、台風が来ても、事前放流ができませんでした。このような行政の縦割りの弊害をうちやぶり、台風シーズンのダム管理を国交省に一元した結果、今年からダム全体の洪水対策に使える水量が倍増しています。河川の氾濫防止に大きく役立つものと思います」
質疑
記者「菅義偉首相として目指す政治は、安倍晋三政権の政治の単なる延長なのか。違うのであれば、何がどう違うのか」
菅義偉「今私に求められているのは、新型コロナウイルス対策を最優先でしっかりやってほしい。それが私は最優先だと思っております。それと同時に、私自身が内閣官房長官として、官房長官は、役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣だと思っていますので。そうした中で私が取り組んできた、そうした縦割りの弊害、そうしたことをぶち破って新しいものを作っていく。そこが私自身はこれから多くの弊害があると思っていますので、やり遂げていきたい、こういうふうに思ってます」――
「日本記者クラブ自民党総裁選立候補者討論会」(産経ニュース/ 2020年09月12日)
菅義偉「最初のこの危機(コロナ禍)を乗り越えて、デジタル化やあるいは少子高齢化対策、こうした直面する課題の解決に取り組んでいきたい。このように思ってます。私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助、そして絆』であります。まず自分でやってみる。そして地域や家族がお互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします。さらに縦割り行政、そして前例主義、さらには既得権益、こうしたものを打破して規制改革を進め、国民の皆さんの信頼される社会を作っていきます」
「本日、自由民主党総裁に就任いたしました」で始まっている、菅義偉オフィシャルサイト(意志あれば、道あり/2020-09-14)
菅義偉「私自身横浜の市会議員を2期8年経験しています。常に現場に耳を傾けながら、国民にとっての当たり前とは何か、ひとつひとつ見極めて仕事を積み重ねてきました。自由民主党総裁に就任した今、そうした当たり前でない部分があれば徹底的に見直し、この日本の国を前に進めていきます。
特に、役所の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義を打破し、規制改革をしっかり進めていきます。
そして国民のために働く内閣というものをつくっていきたい、その思いで自由民主党総裁として取り組んでまいります」
「首相就任記者会見」(首相官邸/2020年9月16日)でも、同じことを言っている。
菅義偉「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする。こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います。そのためには行政の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたものを打ち破って、規制改革を全力で進めます。国民のためになる、ために働く内閣をつくります。国民のために働く内閣、そのことによって、国民の皆さんの御期待にお応えをしていきたい。どうぞ皆様の御協力もお願い申し上げたいと思います」
要するに「役所の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義を打破」することが「国民のために働く内閣」に繋がっていくと請け合っている。
結構毛だらけ猫灰だらけである。菅義偉は機会あるごとに「縦割りの打破」を叫んでいるが、安倍晋三も「縦割りの打破」を言ってきた。数々言っているけれども、お題目で終わっている事例としていくつかを拾い上げてみる。
2013年1月4日「安倍晋三年頭記者会見」(首相官邸)
安倍晋三「昨年、就任最初の訪問地として迷わずに福島県を選びました。先般の視察では、事故原発の現状といまだに不自由な暮らしを余儀なくされている被災者の皆様の声に触れました。復興を加速しなければならないとの思いを強くいたしました。これまで縦割り行政の弊害があり、現場感覚が不足をしていました。根本大臣の下で除染や生活再建などの課題に一連的に対応し、スピーディに決定、実行できる体制を整えました。経済対策においても、復旧・復興に思い切って予算を投じ、福島再生、被災地の復興を加速させていきます」
「縦割り行政の弊害」が被災地復興のスピードアップの阻害要因として横たわっていることを認識している。当然、あらゆる知恵を動員して、行政組織に向けたその打破に心砕き、実効ある措置を講じる姿勢を見せたことを意味する。
当然、その成果如何は何らかの形を取らなければならない。
「安倍晋三東日本大震災二周年記者会見」(首相官邸/2013年3月11日)
安倍晋三「現場では、手続が障害となっています。農地の買取りなど、手続の一つ一つが高台移転の遅れにつながっています。復興は時間勝負です。平時では当然の手続であっても、現場の状況に即して復興第一で見直しを行います。既に農地の買取りについては簡素化を実現しました。今後、高台移転を加速できるよう、手続を大胆に簡素化していきます。これからも課題が明らかになるたびに、行政の縦割りを排して一つ一つきめ細かく手続の見直しを進めてまいります」
改めての「縦割りの打破」の宣言ということになる。「縦割り」が如何に根深く巣食っているか証明するものの、その根深さに対抗する意志を同時に露わにしているのだから、それなりの「縦割りの打破」の成果を上げなければならない。
「第3次安倍改造内閣発足記者会見」(首相官邸/(2015年10月7日)
第2次安倍内閣発足から3年近く経過している。
安倍晋三「本日、内閣を改造いたしました。この内閣は、『未来へ挑戦する内閣』であります。
・・・・・・・・・・
誰もが結婚や出産の希望がかなえられる社会をつくり、現在1.4程度に低迷している出生率を1.8にまで引き上げる。さらには、超高齢化が進む中で、団塊ジュニアを始め、働き盛りの世代が一人も介護を理由に仕事を辞めることのない社会をつくる。
この大きな課題にチャレンジする。そのためには霞が関の縦割りを廃し
、内閣一丸となった取組が不可欠です。大胆な政策を発想する発想力と、それらを確実に実行していく強い突破力が必要です。司令塔となる新設の一億総活躍担当大臣には、これまで官房副長官として官邸主導の政権運営を支えてきた加藤大臣にお願いいたしました。女性活躍や社会保障改革において、霞が関の関係省庁を束ね、強いリーダーシップを発揮してきた方であります」
「縦割りの弊害」が生じているのは被災地と連絡を持つ行政だけではなく
全ての官公庁に横たわる、つまり霞が関全体に亘る問題だと、病根の根深さを仰っている。
当然、腰を据えて「縦割りの打破」に取り組んできたことになる。
8日後の2015年10月15日、安倍晋三は一億総活躍推進室を発足させ、看板掛けと職員への訓示を行っている。参考までに画像を載せておく。
安倍晋三「今日から、この『一億総活躍推進室』がスタートしたわけでございます。皆様方には、その一員としての未来を創っていくとの自覚を持って、省庁の縦割りを排し、加藤大臣の下に一丸となって、正に未来に向けてのチームジャパンとして頑張っていただきたいと思います。
名目GDP600兆円も、希望出生率1.8の実現も、そしてまた、介護離職ゼロも、そう簡単な目標ではありません。しかし、今目標を掲げなければならないわけでありますし、目標を掲げていくことによって、新たなアイデアも出てくるわけでありますし、新たな対策も生まれてくるわけであります。どうか皆様方には、知恵と汗を絞っていただきたいと思います」
如何なる政策の遂行も、その実効性、その成果にしても、全ては「縦割りの打破」にかかっていることを示唆している。
第2次安倍政権の7年8ヶ月の間、安倍晋三はかくまでも「行政の縦割りの打破」に執心し、安倍内閣の全面継承を掲げた菅義偉は痩せ馬の先っ走りよろしく、首相就任前から早々に「行政の縦割りの打破」を言い立てた。
では安倍晋三は任期7年8ヶ月の間にどれ程の成果を「縦割りの打破」に関して収めたのだろうか。
先ず既に触れているように菅義偉は「総裁選出馬会見」質疑の対記者答弁で、「官房長官は、役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣だと思っています」と大胸を張っている。あるいは鼻を高くしている。
菅義偉は第2次安倍内閣2012年12月26日発足と同時に内閣官房長官に就任、菅内閣2020年9月16日発足前に官房長官を辞任、安倍晋三の首相就任期間と同じく7年8ヶ月を官房長官として務め上げた。7年8ヶ月もの間、「役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣」として務めてきた上に自民党総裁選立候補の段階から、「縦割りの打破」を言い立ててきた。
この言い立てが何を証明しているかと言うと、安倍晋三が第2次安倍政権の7年8ヶ月の間に掲げてきた「縦割りの打破」が「役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣」として課せられていた菅義偉の力量及ばず、お題目で終わってしまったということであろう。
安倍晋三にしても、「縦割りの打破」に役立てる程には菅義偉を使いこなす力量がなかったことになる。
お題目で終わっていたから、菅義偉は再度、「縦割りの打破」を掲げなければならなかった。だとしても、7年8ヶ月もの間役立たなかった力量が新規蒔き直しで役立つ保証をどこに求めることができるのだろうか。
菅義偉は2020年9月25日に首相官邸で「復興推進会議」を開催している。(首相官邸/)
菅義偉「来年3月で、東日本大震災の発災から10年の節目を迎えます。これまでの取組により、復興は着実に進展している、その一方で、被災者の心のケアなどの問題も残されております。そして福島は、本格的な復興・再生が始まったところであります」
安倍晋三も東日本大震災の被災に触れる際には2015年3月頃から、「健康・生活支援、心のケアも含め、被災された方々に寄り添いながら、さらに復興を加速してまいります」などと、「心のケア」について何度も言及してきている。だが、2020年9月25日の時点で2011年3月11日の発災から9年半も経過していながら、まだ、「被災者の心のケアなどの問題」が残されている。それがどのような心のケアに関わる問題点として横たわっているのか、復興政策そのものに問題があるのか、国と自治体、あるいは国と被災者の間に存在する何らかの利害が心のケア解消の阻害要因となっているのか、国民の前に明らかにすべきだろう。明らかにせず、安倍政権が「心のケアの解消」を言い、安倍政権継承の菅内閣が「心のケアの解消」までをも継承したかのように同じことを言う。どこかがおかしい。
「心のケアの解消」の明確な進展が見えないばかりか、堂々巡りの感さえする。
上記2020年9月25日の復興推進会議を受けて、新しく官房長官に就任した詭弁家加藤勝信が同じ9月25日に「記者会見」を開き、復興推進会議、その他について説明している。ここでは復興推進会議についてのみを取り上げる。
加藤勝信「本日閣議後、組閣後初となる復興推進会議を開催いたしました。会議では、平沢復興大臣から復興の状況についての説明があり、総理から、『東北の復興なくして、日本の再生なし』との方針を継承し、引き続き『現場主義』に徹して、復興を更に前に進める。『閣僚全員が復興大臣である』との認識の下、行政の縦割りを排し、前例にとらわれず、被災地再生に全力を尽くすとの指示がありました」
加藤勝信は菅義偉の「指示」として「行政の縦割り排除」に言及した。これも結構毛だらけ、猫灰だらけだが、加藤勝信は2015年10月15日の一億総活躍推進室発足に合わせた安倍晋三の職員への訓示の際、「省庁の縦割りを排し、加藤大臣の下に一丸となって」云々を直接耳にしていたばかりか、第1回一億総活躍国民会議の際、議長安倍晋三のもと一億総活躍担当大臣として議長代理を務めていて、次のような遣り取りをしているのである。
高橋進日本総合研究所理事長「お役所から出てくる施策はどうしても縦割りになりがちです。また、せっかく政策を打ち出しても、他の施策や制度がネックになって効果が上がらないといったことがしばしばあります。これを防ぐためには政策体系全体を俯瞰しながら、政策をパッケージ化していく必要があると思います。次回以降、必要に応じてテーマごとに民間委員から連名で提案をさせていただくというようなことをさせていただければと思います。以上でございます」
加藤勝信「ありがとうございます」(議事要旨)(首相官邸・2015年10月29日)
要するに加藤勝信は一億総活躍担当大臣として務めた2017年8月3日 から2018年10月2日の1年2ヶ月間、安倍晋三の指示のもと、「縦割りの打破」に関わっていたはずであるし、厚労相だった2019年9月11日から 2020年9月16日の約1年間、「縦割りの弊害」が
霞が関全体に亘る問題だとしている以上、同じく厚労省内の「縦割りの打破」に関わっていたはずである。
だが、2020年9月25日の復興推進会議での菅義偉の指示である、「縦割りの打破」をそのまま右から左に流しているのは、自身が一億総活躍担当大臣としても、厚労相としても、「縦割りの打破」に何ら功を奏していなからこその惰性行為であろう。
もし「縦割りの打破」に役立つ何らかの方策で一億総活躍に関わる内閣府内の職員をコントロールできていたなら、あるいは厚労省内をコントロールできていたなら、「私はこのような方策を「縦割りの打破」に役立てています」と菅義偉に進言しているだろうし、進言する前に役立つ方法として各省庁の「縦割りの打破」の参考に供する方策とすることができていて、菅義偉が自内閣のメイン政策として「縦割りの打破」を掲げる必要も生じないはずである。
加藤勝信も、「縦割りの打破」を担いながら、お題目としていたということである。さすが東大の経済学部を出ている秀才だけあって、お題目としていながら、平然と「縦割りの打破」を口にすることができる。
NHK NEWS WEB記事が伝えている加藤勝信の2020年9月20日NHK「日曜討論」の発言。
加藤勝信「国民のために働く、仕事をする内閣を目指して、まず第一は、新型コロナウイルス感染症対策と、社会経済活動の両立を図っていく。行政サービスの受け手である国民の視点に立って改革を進め、前例の踏襲や役所の縦割りを打破して、デジタル化の推進をはじめ、一つ一つ課題に答えを出していきたい」
自身がお題目で終わらせていることにお構いなしに重要な政策ですとばかりに真面目臭った顔で「縦割りの打破」を繰り返す。詭弁家ならではの発言であろう。
菅義偉が「役所の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義を打破」することが「国民のために働く内閣」に繋がっていくとの論理に立ちながら、自身が「役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣」として7年8ヶ月もそのぶち壊しに関わってきたにも関わらず、今以ってお題目で終わらせていることからすると、「国民のために働く内閣」もお題目で終わる可能性が高い。
「縦割り」とは、「組織に於ける意思疎通が上から下への関係で運営されていて、上下の双方向性を持たないばかりか、それゆえに他組織との間でも左右水平の双方向性の意思疎通を持たないこと」をいう。このような上から下への関係は上が自らの権威によって下を無条件に従わせ、下が上の権威に対して無条件に従う権威主義性が深く関わり、成り立っている。
下が上の権威を恐れずに自由に意見を言い、上が下の意見に自らの権威によって抑え込まずに耳を傾けて、その有効性に応じて採用する度量を持ち合わせる、上から下への関係とは無縁の対等な意思疎通の関係にあったなら、「縦割り」は生じない。
なぜなら、一つの組織で上下の意思疎通が力関係を問題とせずに対等に築く上下双方向性を持たせることができていたなら、他組織、他省庁との間の意思疎通にしても、双方向性を持たせることができるからである。
上下・自他の双方向性の意思疎通の関係を持たないことによって、「縦割り」が生じて、それぞれの組織やメンツを守るために縄張りという形を取ることになる。結果、「縦割り」と縄張りは同義語の関係を取る。
当然、上下の双方向性も、左右水平の双方向性も持たない権威主義性が深く関わった「縦割り」は下の上に対する批判、あるいは左右水平からの批判に対して不寛容な態度を取ることになる。それゆえの「縦割り」である。
ときには下からの如何なる批判も受けつけない強固な権威主義性で固めた「縦割り」組織も存在する。
行政組織を始め、日本の色々な組織が「縦割り」を存在様式としているのは大方の日本人が戦前の色濃さは薄めたものの、今以って権威主義性を行動様式として残しているからであろう。
例を挙げてみる。中央省庁を上の権威として地方官庁を下の権威として扱う、現在も色濃く残っている上下の中央集権制は上下の権威関係で捉える権威主義性を骨組みとして成り立っている。当然、中央側は地方側に対して「縦割り」を以って臨みがちとなる。
現在も残っているキャリア官僚とノンキャリア官僚の権威主義性からの上下価値関係も、「縦割り」の形成に深く関わっている。ノンキャリア官僚の意見も批判も受け付けない、殿様然と構えているキャリア官僚もいると聞く。
東大出身者が東大卒を贔屓にして東大閥で固めるのも1つの「縦割り」である。東大卒を最大の権威として、他大卒を下の権威に置いて、上下の価値観で人物・仕事を計る。
就職シーズンになると、男女の就活生が一斉に黒のリクルートスーツを纏うことになるのは企業を上の権威とし、就活生自身を下の権威と看做して、上の権威に無条件に従う権威主義性が醸し出すことになる風物詩であろう。
ネットで調べた情報によりと、アメリカの就活生は一定程度の常識に従うが、その範囲内で自己を主張する服装を纏うとある。決して日本みたいに一色にはならないということである。アメリカの就活生は「自分を持っている」ことになり、世の風潮に一様に従う日本の就活生は「自分を持っていない」ことになる。
もしそこに抵抗感すら感じずに「自分を持っていない」ことに疑問も何も持たなかったとしたら、最悪である。
地位が上の人間も、下の人間も、地位に応じてそれぞれに自分を持っていたなら、上下の権威主義性を物ともせずに主張すべきは主張するようになり、上下・自他の垣根を超えた双方向性の意思疎通の関係を持つに至って、「縦割り」は生じない。
だが、逆の状況にあるから、「縦割りの打破」はお題目で推移することになる。
2009年11月30日の「ブログ」に書いたことだが、『総合学習』が学校教育に導入される前に文部省(当時)が発表した段階で授業が学校の自由裁量に任されるのは画期的なことだと持て囃されたものの、自由裁量に反して「何を教えていいのか、示して欲しい」と校長会などから文部省に要望が相次いだため、文部省が「体力増進」、「地域の自然や文化に親しむ」等を例示すると、各学校の実践が殆んどこの枠内に収まる右へ倣えの画一化が全国的に起こったという。
この状況は学校・教師自体が第三者に頼らずに何を教えたらいいのか、『総合学習』のテーマである「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する」自己決定性の能力を持ちあわていなかった、考える力がなかったことの証明にしかならない。
この現象も文科省を上の権威とし、学校や教師を下の権威として、上の権威に無条件に従う権威主義性がつくり出している。学校としての権威・教師としての権威をそれぞれに持していたなら、、いわば自分を持っていたなら、『総合学習』をどうのように授業するのか、自己決定性に従った才覚を働かせていたはずである。
日本の暗記教育自体が日本人の思考様式・行動様式となっている上が下を従わせ、下が上に従う権威主義性を成り立ちとしている。上に位置する教師の教える知識・情報を下に位置する生徒が上から教えられるままに機械的になぞり、教えられたとおりに頭に暗記する知識・情報の授受は権威主義性の構造そのものである。
この構造は生徒が自ら考える思考プロセスを介在させない。逆に生徒が自ら考える思考作用は暗記教育の阻害要因となる。そしてこのような思考作用に慣らされることによって、批判精神が育ちにくくなる。不毛な批判精神は付和雷同の精神に結びついていく。
日本の教育が今以って暗記教育で成り立っているというと、そんなことはないと批判されるが、暗記教育となっていることの資料がある。
「我が国の教員の現状と課題–OECD TALIS 2018結果より」
2018年の調査である。
教師が批判的に考える必要がある課題を与える
小学校11.6%
中学校12.6%
参加48か国平均 61.0%
教師が児童生徒の批判的思考を促す
小学校 22.8%
中学校 24.5%
参加48か国平均 82.2%
これはあくまでも教師の教育態度を現している統計ではあるが、この教育態度自体が日本人がどうしょうもなく行動様式としている権威主義性の反映としてある暗記教育であろう。
勿論、受け手の児童・生徒が統計どおりに教育されるとは限らない。また、教師が批判的思考=自分から考える力を養う教育を施さなくても、両親から、あるいは両親のいずれかからか批判的思考=自分から考える力を受け継いで行く場合もあるし、読書や友達関係から学ぶ場合もある。
だが、おしなべて日本の教育が権威主義性に基づいた暗記教育で成り立っているのは事実そのもので、否定し難い。保育園・幼稚園の時代から、小中高大学と学校教師を上の権威とし、児童・生徒を下の権威に置く権威主義性は社会に出て、いずれの組織に属しても、同質の権威主義性を備えているゆえに、日本の多くの組織に蔓延している「縦割り」に組み込まれていくことになる。
要するに保育園・幼稚園、小中高大学の時代から、各自それぞれが知識と情報収集の自己決定性に基づかない、上に従うだけの権威主義性の虜となって、「縦割り」の予備軍に育てられているということであろう。
要約すると、「縦割り」は上が下を従わせ、下が上に従うよう慣習づけられた日本人の権威主義性に従った人間関係に起因している。
このことに気づかなければ、「縦割りの打破」はお題目で終わる宿命を当初から抱えることになる。そもそもの学校教育から変えなければ、「縦割りの打破」は覚束ない。
「行政の縦割り打破」が危うければ、既得権益の打破も、悪しき前例主義の打破も難しくなって、いくら規制改革をぶち上げても、たいした結果は望み難くなる。
河野太郎のように自身のウェブサイトに実態に合わない規制や「縦割り行政」の弊害に関する情報を集める仕組みの「縦割り110番」という名称を併設した「行政改革目安箱」を設けて、「投稿が4000件を超えた」とさもたしたことをしているような態度を見せているが、根本原因に気づかない、表面をいじくっているだけの作業に過ぎない。この仕組を内閣府に移したとしても、いずれは元の木阿弥に戻るだろう。
大体が河野太郎は2015年10月7日から2016年8月3日までの9ヶ月間、規制改革担当の内閣府特命担当大臣を務めている。例え短い間だったとしても、のちに生きてくる規制改革に関わる何か有意義な足跡を残したのだろうか。残していたなら、河野太郎がいなくなっても、職員が跡を継いで、規制改革に務めるはずだが、「行政改革目安箱」と仰々しく打って出ること自体が、足跡を何も残さなかった証明でしかない。