北朝鮮問題議論に「独裁者の存在自体が脅威」という認識がない

2008-06-30 09:59:14 | Weblog

 昨日曜日午前中の各テレビ局の報道番組は「米国の北朝鮮テロ指定解除で拉致もしくは核問題はどうなるのか」をテーマに高村外相と識者の討論が行われていた。拉致問題に関しては北朝鮮のこれまでの「解決済み」の姿勢を変えて示した再調査の「約束」に応じて日本側が提示した一部制裁解除の是非に議論が集中した。

 一部制裁解除は時期尚早、あるいは間違いではないかという指摘に対して高村外相は日本政府の立場から、勿論のことこれを正しい判断だと抗弁した。間違っていたと言うはずはない。言ったとしたら、政権がひっくり返ってしまう。

 (NHK「日曜討論」)

 司会「先日日本と北朝鮮の日朝協議、再調査の実施を北朝鮮がお約束(「お」をつける必要がなぜあるのだろうか。)をしたと。あの日朝協議、そちらの評価の問題ですが、ちょっと話を移してみたいんですけども、これ今回の日朝協議で官房長官も前進があったと、全体として前進があったと、いうような評価をしているわけですが、大臣もその点は揺るぎなく一定の評価ということで北朝鮮の出方を、ま、前向きのものと受け止めているとご理解してよろしいでしょうか」

 高村正彦外相「言葉の上では前向きですね。行動を見ていくと。今まで解決済みと言ってたんですね。それを生存者を発見し、そして、それを帰国させるための調査を行うと。こういう約束をしたわけですから、言葉の上では前向きだと、行動を見ていくと、そういうことですね

 渡辺利夫・拓殖大学学長「私はこの今回の日朝協議の合意に、内容に、まあ、日本人の一人として極めて不満だと、いう気分は拭えないでおります。おっしゃったように拉致問題は解決済みだと、という今までの主張に対して再調査すると、まあ、いうふうに言っただけで、この制裁の一部を解除を公言する、というのは如何にも相手を甘く見過ぎているのではないかというのが私の気分ですね。

 まあ、私は8人の方々が北朝鮮の中で生存していると信じております。しかし金正日自身がですね、もう死亡だと、まあ証拠は随分杜撰でしたけどもね。死亡しているということをトップ自身が公言しているものを、再調査によって覆すなどということがあり得るだろうかと、残念ながらそう思わざるを得ないですね。ですから、テーブルについただけで、それが前進であるかのように伝えられているというのは、実は残念だと。相手は犯罪国家なんであってですね、国際的なルールゲームに従う国家ではないという基本的な認識に立って、やはり対応を考えていかないと、この問題は解決しないんじゃないかと思いますね」

 (テレビ朝日「サンデープロジェクト」)

 高村「今、誰一人として亡くなったという日本政府が納得できるような説明はないんです。もし亡くなったと主張されるんであれば、亡くなったということを私たちが納得できるような資料をきっちりと整えてくださいと――」

 「死亡したという納得のいく報告がないから、全員が生存していると私たちは確信している。生存者がおるんであれば、生存者全員を帰してくれと言っている」といったことも言っていた。

 高村外相が殆どの番組で言っていたことは、「言葉対言葉、行動対行動」であった。北朝鮮は拉致再調査を約束した。まだ言葉の段階である再調査の約束に対して制裁一部解除にしても言葉で約束した段階に過ぎないというなら、「言葉対言葉」だと言えるし、再調査の行動の経緯、あるいは結果に連動させて日本側も制裁解除の行動を前進させていくというなら、「行動対行動」と付け加えることも可能である。

 だが、昨29日の時事通信社インターネット記事≪制裁解除、拉致進展が条件=対北朝鮮で中山補佐官≫は29日の午後に埼玉県川口市で講演した中山恭子首相補佐官(拉致問題担当)の言葉を解説と共に次のように伝えている。

 <政府が先に決めた北朝鮮に対する経済制裁の一部緩和について「拉致した人を探し出し、帰国させる動きがはっきりするまで解除してはいけない」と述べ、拉致問題の再調査に北朝鮮が誠実に対応し、被害者帰国に向けた動きが具体化しない限り解除すべきでないとの考えを示した。>――――

 拉致問題担当の首相補佐官が経済制裁の一部緩和について<「解除してはいけない」>と言っている。と言うことは、日本政府は再調査の行動の具体化を見ないうちに――いわば未だ言葉の約束の段階に過ぎないにも関わらず、それが言葉上の約束であっても、経済制裁の一部解除という行動を伴わせる決定を行ったということで、高村外相の言う「言葉対言葉、行動対行動」はマヤカシとなり、実態は「言葉対行動」となっているということではないだろうか。

 多分、北朝鮮は日本側からの何らかの譲歩(=見返り)がなければ再調査の約束はできないと出たのではないのか。それが一部解除となって現れた?

 尤も「言葉対行動」の措置であることは高村外相自身が6月20日の時点で既に述べている。

 <高村正彦外相は20日午前の記者会見で、日本が独自に科している対北朝鮮制裁の一部解除について、「拉致問題の再調査に着手して、真摯(しんし)な調査と判断した場合、一部制裁解除を行う」と語り、再調査開始で解除がありえるとの認識を示した。

 また、ライス米国務長官が北朝鮮が核計画を申告した場合、テロ支援国家指定を解除すると明言したことについては「北朝鮮に早期の核計画申告を呼びかけたものだ。米国の立場が変わったということではない」と述べた。【古本陽荘】>(毎日jp/2008年6月20日≪北朝鮮制裁:一部解除は拉致調査着手で--高村外相≫

 日朝協議が開催されたのは6月11日、12日の両日で、8日後の20日の高村外相の言葉である。「真摯な」は結果に対する形容詞ではなく、態度や姿勢に対する形容詞であって、態度や姿勢が予定した結果に結びつく保証はない。人間、いくらでも「真摯」に見せかけることができるからである。

 「再調査を行います」という「言葉」に対して、それを「真摯な」態度で着手した時点で、予想通りの結果に結びつく保証がないにも関わらず、行動を伴わせなければならない制裁一部解除を約束したということなのだろう。

 そして結果が高村村外相の言葉を借りて言うなら、「納得のいく」ものでなければ、一部解除した制裁を元に戻すということなのだろう。

 但しそういった経緯を踏んだ場合、日本政府の見通しの甘さを批判されることになる。金正日相手では日本側が望む結果を得ることができるかどうかは危険なカケに近い。カケにも色々あって、意図的に仕掛けたイカサマ勝負ということもある。

 例えば金正日のこれまでの態度からすると、再調査の約束といっても、全員死亡したと納得させることのできる捏造した報告書を既に用意している可能性も否定できない。あるいは制裁一部解除の取引が成立した早々に全員死亡の報告書の捏造の着手にかからせたということも考え得る。

 あるいは一種のアメとして、金正日独裁体制維持に差し障りのない1人~2人を生存していたとする報告書をつくり、その者だけを帰国させて拉致問題をクリアさせ、国交正常化に漕ぎ付ける可能性も疑える。

 その場合、例え1人~2人の生存者づくりであっても、なぜもっと早くに調査し、帰国させる手を打たなかったと、金正日・北朝鮮の不誠実さが日本国にとどまらず国際的に非難を受ける危険性を生じせしめることもあり得る。その非難を受ける覚悟で敢えて生存者づくりに走るだろうかの可能性も考えなければならない。

 また、1人~2人でも生存者がいたとする報告書を提出できるなら、とっくに提出していただろうから、現実問題として提出できない理由――例えば金正日自身が命令した拉致といった事情から最後まで提出できない状況に縛られて、提出しない可能性。

 2006年6月と日付は2年前になるが、<韓国の情報機関・国家情報院が、北朝鮮による韓国人拉致被害者を489人と認定し、うち103人の生存を確認している>と「読売」インターネット記事≪韓国人拉致被害者489人、生存確認は103人≫が伝えていることから考えても、国家の指導者の関与なくして不可能な拉致数であろう。

 あるいは北朝鮮による拉致の疑いが否定できない「日本人特定失踪者」は250人以上いるというから、日本の世論が1人~2人帰国させただけで満足せず、再調査が延々と繰返される危険性を避けるための全員死亡とする可能性。

 最も高い可能性は全員死亡したとの報告書づくりが生存者がいたとすることで受けることになるかもしれない金正日・北朝鮮の不誠実さに対する非難を避ける有効な手段となる可能性どころか、「アリの穴」の譬で拉致被害者を国外に自由に放つことで金正日拉致主導がどこからともなく洩れて独裁体制そのものに綻びが生じかねない危険性を避ける最善の方法となり得る可能性であろう。

 核問題にしても核施設の冷却塔爆破を行い、6カ国協議参加国メディアに現地取材を許可して撮影させたが、北朝鮮が26日に提出した核申告書には核兵器の記述はなかったというし、北朝鮮が6者協議に提出した核計画の申告書には06年10月に行った核実験でのプルトニウム使用量を2キロとしていることに対して、<「たった2キロで起爆できるのか」と疑う見方や、「予想以上に核兵器の小型化技術が進んでいるのかも」との憶測が出ている。>と6月28日の「asahi.com」記事≪北朝鮮、核実験プルトニウム「2キロ」申告 予想下回る≫ が伝えているが、「予想以上に核兵器の小型化技術が進んでいる」と疑心暗鬼を駆り立て、その疑心暗鬼を交渉を有利に運ぶカードとする目的の過少申告ということもあり得る。

 間違いなく言えることは核兵器を含めた核問題の打開も拉致問題再調査が誠実に履行されて生存者が判明し、帰国という段階への進展も、そのカギを握っているのは独裁者金正日の態度如何ということだろう。そのことはそのまますべての問題を支配しているのはブッシュでも福田でもなく、金正日という独裁者そのものであることを示していて、金正日という独裁者の存在自体が世界に対する脅威だと言える。

 だが、テレビも新聞も問題の措置の妥当性、交渉の先行きの如何を論ずるばかりで、独裁者の存在自体が世界の脅威の源であるという視点を欠いたものとなっている。

 このことを逆説すると、金正日という独裁者が北朝鮮という国を支配する間は自身の地位を保持するためにも先軍政治を変えるはずはなく、国民支配の都合から国民に対しては今までのように自身を偉大な指導者だと印象付けるために最強の軍隊という体裁を欲し、独裁体制維持の都合から国際社会に対しては軍事的に侮りがたい指導者だと思わせるために核兵器所有への衝動を止み難くするだろうから、世界は常に疑心暗鬼に駆られて、例え実際に核放棄を行っていたとしても北朝鮮の核問題は終わらないことになる。サダム・フセインは大量破壊兵器を持っているように思わせ、そのことが自らの墓穴を掘ることとなった。

 世界の安全に脅威となる核兵器等の大量破壊兵器状況はあくまで「子」に当たる存在であって、生みの親は独裁者であることを忘れてはならない。いわば独裁者を支配の場から除かない問題解決は真の解決足り得ないと言うことである。その存在自体が世界の脅威であり続ける。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄全戦没者追悼式河野洋平挨拶/「疑念」と「事実」との距離

2008-06-28 12:04:43 | Weblog

 沖縄戦終結の日に合わせて6月23日(08年)の沖縄県糸満市の平和祈念公園行われた沖縄全戦没者追悼式に福田首相、河野洋平衆院議長、江田五月参院議長等が参列、その中で河野衆院議長が次のように挨拶したと6月24日(08年)『朝日』朝刊≪河野議長 軍の責任に言及≫に出ている。

 (追悼式で黙祷する(右から)福田首相、河野衆院議長、江田参院議長=23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園(「47NEWS」から引用)

 河野洋平「私たちは、軍が沖縄の住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない、という疑念からも目をそらせてはならない」

 「国家の指導部が戦争の適切な早期終結を図ることができなかったことが、沖縄の大きな犠牲を生んだ」

 「長期的に東アジアに平和な外交環境をつくりだし、安全保障情勢を変え、今のような大規模な米軍の駐留を不必要なものとしていくことを目指すべきだ」

 記事は「旧日本軍の責任に踏み込んだのは初めてだと言う。」と解説している。

 「国家の指導部」が「図ることができなかった」のはゴール地点を導き出す「戦争の適切な早期終結」のみではなく、アメリカと戦争した場合の勝敗の見通し、戦争に関わる「適切な」状況判断そのものであって、スタート地点での態勢そのものに問題があったのではないだろうか。そしてそれを生じせしめたのは日本民族優越意識に根ざした傲慢さであった。その傲慢さがアメリカの国力・軍事力を過小評価させしめ、自己を不遜なまでに過大評価させるに至った。

 客観的な自己省察能力を欠いた民族性ゆえに日本民族優越意識に侵されて戦争を仕掛けたものの玉砕や捨石といった形でしか戦争を維持できなくなっていたにも関わらず日本民族優越意識を引きずったままでいたことの客観的な自己省察能力の欠如に阻害されて「戦争の適切な早期終結を図ることができなかった」――。

 果して河野洋平が言うように「軍が沖縄の住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない」状況は「事実」としてあった状況ではなく、単なる「疑念」に過ぎないのだろうか。

 もしそれが「疑念」ではなく、正真正銘の「事実」としてあった「国家と国民」の関係、軍による国民観であったなら、「疑念」だとすることは沖縄集団自決の「軍強制」は事実ではなく、軍強制は単なる「疑念」に過ぎなかったとする無罪判決の構図に準ずる罪薄めの構図を取ることにならないだろうか。

 「軍が沖縄の住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない」国家と国民との関係・国民観は河野が言うが如く「疑念」に過ぎない事柄だったのだろうか。

 大日本帝国軍隊は天皇の軍隊という存在性を背景に国民に対して絶対的権力者の地位にあった。そして軍の組織に於いては軍上層部はその命令を忠実に受命させることを通して兵士に天皇への絶対的忠誠を求める絶対的権威主義の上下関係を構成していた。

 「戦陣訓」の「本訓 其の二 第八 名を惜しむ」は次のように規定している。

「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ愈々(いよいよ/ますます)奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」

 「郷党家門の面目を思ひ」にしても、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」にしても、軍が兵士を権威主義的行動で縛っていたことを示している。個人としての行動ではなく、地域や一族――いわば世間の評価に合わせた行動を絶対とし、上官の命令を無条件に絶対規範とさせ、兵士個人の行動、あるいは規範をその下に置いたのである。

 大城晴則元硫黄島日本軍兵士「捕虜になったら、国賊って言われ、戸籍謄本に赤いバッテンが書かれるらしいんです。そういう教育を受けとったんです」(NHKスペシャル≪「硫黄島玉砕戦」・~生還者61年目の証言~≫07年8月5日再放送)

 自らの存在性は他者との関係で決まる。大日本帝国軍隊は天皇の兵隊として自らを絶対的存在とし、国民に対して絶対的君臨者の位置に立たしめていた。と同時に軍は兵士に対して「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」と投降・捕虜を許さない絶対的権威主義者として君臨していた。

 そのような軍と国民及び軍と兵士の二重の人間関係を受けて、兵士と国民との関係は兵士を絶対者として国民をその下に置く権威主義関係を築いていたのは当然の帰結としてある上下関係であったろう。

 交通取締まりの単なる巡査でさえも国民に対して「おい、こら」と頭ごなしに命令し、その命令をいとも簡単に成立させることができる絶対権力者の地位にいた。そしてその頂点に立っていたのは反体制の思想・言論を情け容赦なく取締まり、弾圧した特別高等警察であった。拘引した者に「国民の生命」を考えない過酷な拷問を加え、その命を絶つ小林多喜二等の拷問死まで引き起こしている。

 国家と国民のこのような上を絶対とし、下を絶対従属させる権威主義的上下関係が「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の名のもと、兵士の投降を許さず、投降を試みた兵士を上官が拳銃で撃ったり日本刀で首を斬り落としたりして阻止した上の者の「生きて虜囚の辱を受けず」の絶対信念が可能とした硫黄島の戦い等で見ることができる玉砕もしくは捨石(兵士=国民の命の軽視)であり、その「生きて虜囚の辱を受けず」に付き合わせることとなったサイパン島守備隊の日本軍からサイパン島日本住民に出した「玉砕命令」が可能としたスーサイドクリフ及びバンザイクリフからの海への投身によるそれぞれに1万人にも及ぶと言われている集団自決の形を取った軍の「住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない」出来事であり、それは決して「疑念」として存在したのではなく、正真正銘の「事実」として存在した「国民の命」の軽視だったのではないか。

 勿論、この「住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない」軍行為の中に沖縄の軍強制による集団自決を加えなければならない。

 将校の敵前逃亡・戦線離脱も(「俘虜たちは彼らの現地指揮官、とくに部下の兵士たちと危険と苦難とをともにしなかった連中を口をきわめて罵った。彼らは特に、最後まで戦っている令下部隊を置去りにして、飛行機で引きあげていった指揮官たちを非難した」・『菊と刀』R・ベネディクト著))兵士の命を「第一に考えていたわけではない」「事実」としてあった敵前逃亡・戦線離脱であり、それを可能としたのは上官を絶対とする軍の権威主義性だったはずである。

 そしてそのような命の軽視の反映としてあった軍の撤退に「足手まとい」といった理由で、あるいは赤ん坊の泣き声が米軍に知れて居場所をかぎつけられるからの理由で母親に赤ん坊を殺させた「住民の安全を第一に考えていたわけではない」「国民の命」の軽視であり、それを可能としたのはミャンマーの現在の軍政と同じように自分たちだけを絶対的存在者に位置づけていた権威主義的絶対性であり、それは「疑念」として存在していたのではなく、やはり「事実」そのものとして存在していたはずである。

 以前にもブログで使ったが、1993年8月14日の『朝日』≪比で敗走中の旧日本軍 日本人の子21人殺害≫は次のような記事を載せている。

 <【マニラ13日=共同】第二次大戦末期の1945年にフィリッピン中部セブ島で、旧日本軍部隊が敗走中、同行していた日本の民間人の子ども少なくとも21人を足手まといになるとして虐殺したことが明らかになった。フィリッピン国立公文書館に保存されていた太平洋米軍司令部戦争犯罪局による終戦直後の調査記録による。
 記録によると、虐殺を行ったのは南方軍直属の野戦貨物廠(しょう)の部隊。虐殺は4月15日ごろにセブ市に近いティエンサンと5月26日ごろその北方の山間部で二度にわたって行われた。
 一回目は10歳以下の子ども11人が対象となり兵士が野営近くの洞穴に子どもだけを集め、毒物を混ぜたミルクを飲ませて殺し、遺体を付近に埋めた。二回目は対象を13歳以下に引き上げ、さらに10人以上を毒物と銃剣によって殺した。部隊司令官らは「子どもたちに泣き声を上げられたりすると敵に所在地を知られるため」などと殺害理由について供述している。
犠牲者の親は、戦前に九州や沖縄などからセブ島や南パラオ諸島に移り住み、当時セブ市に集まっていた人たち。長女ら子ども3人を殺された福岡県出身の手島初子さん(当時35)は米軍の調べに対し「子どもを殺せとの命令に、とっさに子どもを隠そうとしたが間に合わなかった」などと証言。他の親たちも「(指揮官を)殺してほしい」などの思いを伝えている。>

 ここに見ることのできる「住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない」軍の対応は決して単なる「疑念」ではなく、「事実」として存在した出来事である。

 すべてが天皇の威光を背景として軍が身に纏い、軍全体で上から下に伝えていた絶対的権威主義性が国民観とすることとなった軍の体質の「住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない」間違いようのない「事実」なのである。

 この「事実」は当然、沖縄の日本軍にも反映されて「住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない」絶対的権威主義性を発動させていたはずである。

 そしてそのような軍の絶対的権威主義性が沖縄住民をして集団自決を可能ならしめた。

 河野洋平が言うように日本軍の「住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない」軍の体質・国民観を単なる「疑念」だとすると、現実にあった「事実」との間に距離があり過ぎ、ゴマカシの類とならないだろうか。

 自民党の政治家として「事実」を「疑念」として提示するのが限界だと言うなら、やはりそこにゴマカシを存在させていることになる。

 尤も日本軍の存在性を「住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない」と把える考え方は紛れもなく「疑念」に過ぎないとする歴史認識に立っているとしたら、何をか言わんやである。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳩山法相、『朝日』素粒子を「政治家の言い訳」と言うなら同罪

2008-06-26 12:39:36 | Weblog

 鳩山邦夫法相が1993年3月に一時中断していた死刑執行を3年4か月ぶりに再開して以降、最多となる13人の死刑執行を「2ヶ月間隔」で命令、歴代法相に比較したその多さを『朝日』夕刊コラム「素粒子」が羽生善治王将の第66期名人戦七番勝負を制して十九世名人の資格を得、史上初の「永世6冠」を与えられることとなった一般人には得がたい名誉ある「永世」の称号を鳩山法相にも冠してその死刑執行数の多さを祝福した。
 
  対する鳩山邦夫は有難くない「祝福」と受け止め怒り心頭に発し、記者会見で抗議、『朝日・素粒子』は鳩山法相の抗議には直接答えず、社の方に寄せられた抗議への回答の形を取って釈明。その釈明を鳩山邦夫は「政治家の言い訳」だと追い討ちの批判を浴びせ、「全国犯罪被害者の会」(あすの会)も昨日25日に「犯罪被害者や遺族をも侮辱する内容」だと朝日新聞社に「抗議および質問」と題する文書を送付した。

 あすの会「確定死刑囚の1日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は、法相と同様に死に神ということになり、死刑を望むことすら悪いことだというメッセージを国民に与えかねない」(MSN産経)

 あすの会「感情を逆なでされる苦痛を受けた。犯罪被害者遺族が死刑を望むことすら悪いというメッセージを国民に与えかねない」「法相の死刑執行数がなぜ問題になるのか」と抗議と回答の要求(毎日jp)

 私自身は死刑制度賛成論者だが、死刑制度反対論は死刑制度賛成の立場を否定することでもあるのだから、「死刑を望むことすら悪いことだ」と主張したとしてもある意味当然のことであり、双方の主義・主張上の利害の衝突は予定事項と受け止めなければならない。例えば死刑制度絶対反対論者からしたら、「死刑執行にサインした奴は死神だ」という非難も成り立つわけである。何となく問題を大袈裟にしているように思える。ならばと、当方も話を大きくすることにした。

 事の発端の6月19日『朝日』夕刊<素粒子>を見てみると、

 <永世名人 羽生新名人。勝利目前、極限までの緊張と集中力からか、駒を持つ手が震え出す凄み。またの名、将棋の神様。
   ×        ×
 永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神。
   ×        ×
 永世官製談合人 品川局長。官僚の、税金による、天下りのためのを繰り返して出世栄達。またの名、国民軽侮の疫病神。>・・・・・

 「自信と責任」なる文言の由来は宮崎勤死刑執行を発表した6月17日(08年)の午前の記者会見で鳩山法相が「妙な言い方だが、自信と責任を持って、執行できるという人を選んだ」(08.6.18/『朝日』記事)と述べことからで、宮崎勤は鳩山法相に特別指名を受けたとも言える。世間を震撼させた事件の残虐性を特別に考慮したかの質問に、「検討の外にあるとは思わない」と言い切る程のたっぷりの自信だったらしい。

 鳩山法相の6月20日の閣議後の記者会見での抗議。

 「死刑囚にだって人権も人格もある。(表現は)執行された方々に対するぼうとく、侮辱でもある」(読売記事)

 「(死刑囚は)犯した犯罪、法の規定によって執行された。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だと思う」
 「私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」(MSN産経)

 「宮崎さんは恐ろしい事件を起こした人。でも、彼は死に神に連れて行かれたんですか? 違うでしょ」(テーブルを拳でドンと叩く)
 「そりゃ心境は穏やかでないですよ。人の命を絶つ極刑を実施するんだから。でも、どんなにつらくても社会正義のためにやむを得ないと思ってきた」
 「(死刑囚にも)人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した」
 「私に対する侮辱は一向に構わないが、執行された人への侮辱でもあると思う。軽率な文章が世の中を悪くしていると思う」(スポーツ報知)

 「マスコミは(執行数を)野球の打率のように論評するが、私は粛々と正義の実現のために法相の責任を果たしている」(毎日jp)

 鳩山邦夫の抗議に一つだけ問題があるとしたら、果して「正義」を口にする資格のある政治家なのかという点である。

 6月21日(08年)夕刊の『朝日・素粒子』の釈明記事。

 <鳩山法相の件で千件超の抗議をいただく。「法相は職務を全うしているだけ」「死神とはふざけすぎ」との内容でした。
   ×        ×
 法相のご苦労や被害者家族の感情は十分認識しています。それでも、死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです。
   ×        ×
 風刺コラムはつくづく難しいと思う。法相らを中傷する意図は全くありません。表現の方法や技量をもっと磨かねば。>・・・・・

 これでは「死刑執行の数の多さ」を「死刑執行人」あるいは「死に神」の基準とすることになる。死刑に関わるどのような主義・主張に立って「永世死刑執行人」、あるいは「死に神」と断じたのか、堂々と論ずるべきだったろう。また「被害者家族」のことに思いを馳せた場合はその「感情は十分認識」できたとしても、「法相のご苦労」は例え皮肉であっても「永世死刑執行人」あるいは「死に神」の名称を与えたのである、「認識してい」たならできないことで、弁解を超えてゴマカシの類に入る言葉いじりに過ぎず、鳩山邦夫から「政治家の言い訳」と批判されても仕方がない。
 
 「政治家がよくやる言い訳に似ている。新聞社も政治的な言い訳を学んだのか。見苦しい言い訳をしない政治生活を送りたい」≪鳩山法相、朝日の釈明は「政治家の言い訳」≫サンスポ/2008.6.25 05:01)
鳩山邦夫如き政治家からから「政治家がよくやる言い訳に似ている。新聞社も政治的な言い訳を学んだのか」と言われたら、おしまいである。もし「政治家の言い訳」でないなら、『朝日』はそうでないことを論ずるべきであろう。

 いずれにしても鳩山邦夫は『朝日・素粒子』の釈明記事を「政治家の言い訳」と見た。だとしたら、政治家と『朝日・素粒子』は同罪と言うことになる。

 但し「政治家の言い訳」と批判するからには自分自身が「政治家の言い訳」からは無縁でなければ、批判する資格を失う。本人は「見苦しい言い訳をしない政治生活を送りたい」と言っているが、「これまでと同様に」といった断りが何もないのだから、これは将来的課題であって、今まで「見苦しい言い訳」をしてこなかったことの証明ではなく、そうである以上、「政治家の言い訳」と批判する資格を持っているかどうかの証明ともなり得ない。

 鳩山邦夫法相は昨07年10月の日本外国特派員協会での講演で「私の友人の友人が(国際テロ組織の)アルカイダ」だと前置きして当時を基準に5年前にインドネシア・バリ島で起きた爆弾テロ事件に言及、「彼は事件に絡んでおり、私は『バリ島の中心部は爆破するから近づかないように』とアドバイスを受けていた」(サンスポ/2007年10月30日 更新≪鳩山法相、また問題発言「私の友人の友人がアルカイダ」≫)とさも事前に爆破計画を知っていたかのように発言し、知っていたなら法務大臣の立場としてなぜ報告しなかったという話になって、「予告を聞いたのは友人で、私がその友人から話を聞いたのは事件の3、4カ月後だった」と前言を全面訂正、「舌足らずだったと反省している」と陳謝した(同「サンスポ」)が、これなどは政治家という、それも法務大臣という公人中の公人でありながら、一旦口にした自分の言葉に何ら責任を果たしていないという点で「政治家の言い訳」に入らないだろうか。

 その「責任」とは例え「3、4カ月後」の見聞だったとしても、日本政府が「テロとの戦い」を掲げている以上、政府の主要な一員たる法務大臣なのだから、直ちに報告し暗々裏に調査を開始するよう持っていく責任であり、それが解決を見ないうちは決して軽々しく口にしない責任であろう。

 その責任を果たさずに単なる釈明で幕降しを図ったのである。「政治家の言い訳」でないとしたら、何と形容したらいいのか。

 「サンスポ」の記事題名の「また問題発言」の「また」とは、同じ07年の9月に死刑執行について<「法務大臣が絡まなくても自動的に行われる方法を考えたらどうか」などと発言し、物議を醸したばかり。>と同記事が解説している。

 法務大臣がサインの手続きを経ずに最高裁が死刑を確定したなら自動的に死刑を執行させるといった考えこそが「死神」に魂を売る独裁思想だと批判されても仕方があるまい。鳩山邦夫らしい発想だとしたら、元々「死神」の気(け)を放つ政治家と言える。

 鳩山邦夫は07年の自民党総裁選では麻生候補の選対部長を務めている。麻生太郎と言えば、「政治家の言い訳」の名人である。麻生は政調会長時代に「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」と発言して、発言自体は撤回せず、「『言葉が足りず、真意が伝わらなかったことは誠に残念だ。遺憾な発言であり、韓国国民に対して率直におわびを申し上げる』と謝罪」(2003.06.02朝日新聞)している。

 発言自体は撤回しなかったということなら、「言葉が足りず、真意が伝わらなかった」は「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」の主張自体に間違いはないとする釈明となるのだから、「言葉が足り」ない分を補い、「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」とする麻生の「真意」が韓国人や多くの日本人を納得させるよう努めるのが公人としての責任のはずだが、謝罪の言葉で済ませたのは口先だけの「政治家の言い訳」を弄んだということなのだろう。

 つまり鳩山邦夫は自分自身が「政治家の言い訳」を使いまわす政治家であり、当然のこととして「見苦しい言い訳をしない政治生活を送りたい」などといったことは将来的課題としても掲げる資格はないいけ図々しい奇麗事の自己美化に過ぎず、総裁選の選対部長まで引き受ける同志とも言える仲間とも類は友を呼ぶ関係からか、「政治家の言い訳」を得意とするムジナ関係まで結んでいる。

 「政治家の言い訳」という点で『朝日・素粒子』と同罪どころか、それ以上の重罪ではないか。

 と言うことなら、そのような「政治家の言い訳」人間を閣僚の一人に加えている福田首相の任命責任まで言及しなければならなくなる。いや、「政治家の言い訳」の問題ではすべての政治家の特許と言ってもいい状況にあるのだから、政治家自身から「政治家の言い訳」を持ち出さない方がいいのではないのか、邦夫クン。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過疎地への郵便と新聞

2008-06-24 01:23:16 | Weblog

 毎日新聞が8月末で北海道の夕刊発行を中止すると6月15日(08年)の『朝日』朝刊≪夕刊 変わる環境 毎日新聞、北海道で廃止へ≫が伝えていた。朝刊を増ページし、そこに記事を集約することで夕刊廃刊をカバーするそうだ。夕刊廃刊への移行は毎日新聞だけの問題ではなく、新聞各社とも道内の夕刊販売部数は長期低落傾向にあると、次のように減少状況を伝えている。

 95年下期と07年上期では
 北海道新聞77万5千部――63万3千部 (-14万2千部)
 読売新聞  9万1千部―― 6万1千部 (-3万部)
 朝日新聞  8万部  ―― 5万2千部 (-2万8千部)

 北海道は地元紙と全国紙を合わせた主要紙の普及率(世帯数に占める朝刊発行部数)が約66%(07年)と首都圏よりも10ポイント低い上に首都圏よりも配達地域が広く、山間部や農村では次の配達先まで1キロあることもざらで北海道で戸別配達を維持するのは大変なことだそうだが、「夕刊は朝刊の2、3倍のエリアを配ることもある」という新聞専売所の従業員の言葉から窺うと、朝夕刊セットなら配達エリアに違いが生じるはずはないから、夕刊のみ購読している世帯がかなりあり、それも都市部から農村部・山間部、いわば過疎地域に向かうにつれて夕刊のみ購読世帯が多いということなのだろう。

 このような状況は「農作業や移動中にラジオなどで情報を得る傾向が本州よりも強い」と道内勤務の長い記者の言葉を伝えているものの、日本の主要都市圏に対する北海道の経済的地位と北海道全体を基準とした場合の都市部と山間部及び農村部との経済格差の反映でもあるに違いない。安い夕刊のみで生活防衛の一部を果たしていた世帯が生活防衛を強めるざるを得なくなって夕刊購読まで廃止するところまで追い詰められているといったところではないか。
 
 もう一つ過疎地の問題として日本郵政グループの郵便局会社が過疎地の簡易郵便局を維持するために運営の一部を警備最大手のセコムに委託することにしたことを6月12日(08年)の「毎日jp」記事≪郵便局会社:簡易局の一部運営、セコムに委託 JR東などとも協議≫が伝えている。

 セコムが全国に2200カ所ある警備員などの待機拠点を活用し、過疎地での郵便物引受けや貯金の取次ぎなどの業務を受託するというもので、年内から3~4カ所で運営を始めるという。日本郵政はセコムだけではなく、2月に包括提携したローソンやJR東日本にも簡易郵便局運営を委託する方向で協議しているそうだ。

 簡易郵便局とは日本郵政グループの郵便局会社の委託を受け、個人や農協・漁協などが郵便、貯金などを扱う小規模郵便局で、全国に5月末時点で4296局あるとのこと。

 毎日新聞は夕刊を廃止し、その分朝刊に記事を集約するという以外に新聞制作と輸送及び配達方法は従来どおりとしているようである。日本郵政にしても簡易郵便局の委託先を新規開拓していくという話のみで、郵便も貯金も従来どおりの取次ぎ方法・配達方法を採るようである。

 新聞も郵便も業務面で何か改良点はないのだろうか。例えば新聞の場合は現在の紙面の大きさに拘ると印刷も輸送も配達も従来どおりの方法に頼らなくてはいけないが、過疎地用新聞として夕刊だけではなく朝刊も現在の新聞1面の2分の1の大きさのタブロイド版とし、現在パソコンで行っている記事作成とレイアウトを完成時点で新聞社の印刷部門にまわして輪転機を回して印刷するのではなく、北海道なりの各専売所のパソコンにメール送信し、パソコンとセットにした小型印刷機で自動印刷させるようにして、新聞の体裁を取り次第配達員が配達していく方法にしたら、輸送費、印刷費等のコストを下げ、新聞代そのもののコストも下げることができないだろうか。

 原稿をタブロイド版に印刷し、自動的に折り出す印刷機があるようだが、その中間で中折れ線に2~3箇所程度ホチキスを打ってから折り出して冊子状にする機械とセットにした印刷機を、なければ開発したなら、過疎地に多い高齢者には扱いやすい新聞となるメリットも打ち出せる。

 パソコンに送信させた記事原稿をタブロイド版新聞に完成するまで自動化できれば、それを行うのは専売所に限らずとも、郵便局会社の簡易郵便局一部委託方式のように「次の配達先まで1キロあることもざら」といった過疎地ではその地域の軽トラック程度は運転でき、尚且つ配達の時間が取れる住民に初期投資はいささかかかるが、パソコンと印刷機をその住宅に置き、原稿がメール送信されると同時にすべて自動的に印刷・タブロイド版新聞完成まで行えば配達を委託できることになる。少なくとも配達所からの配達時間とガソリン代と人件費を節約可能となり、その金額換算した節約コストを委託費に回したらどうだろうか。

 タブロイド版とした場合、広告は記事ページとは別に業種別に纏めて後ろに回して、最終ページにテレビ欄を設けることにしたら、レイアウトが簡単にでき、紙面全体の体裁を簡潔にすることができるように思える。購読者の方は見ておく必要のある広告にのみ目を通すことになるが、閲覧が必要な広告はないか意識的にページをめくることになって、場合によっては見ておく必要のない広告にまで目を向けることになって記憶にぼんやりと残り、その広告情報が必要になったとき思い出すといったことも生じるに違いない。

 郵便の考え得る改良点はファクスと包装機をつなげて自動化し、ファクスで送信した原稿を最終的に郵便の形に包装して、それを配達する形式にしたら、投函局から最終配達局までの列車やトラック等を使った運搬費と運搬にかかる時間、さらに切手が不要になって切手製作費などが節約でき、その合計分から郵便代を何がしか値下げできるかもしれない。

 ファクスと包装機をつなげた機械を小型化できれば、郵便の発信と受信場所は郵便局やコンビニだけではなく、公民館やクリーニング受付店にも委託できる。投函者はそういった場所まで出かけて所定の大きささの紙に印字もしくは手書きした手紙の内容原稿とそれとは別の封筒にするために指定した大きさの紙に印字もしくは手書きした宛先原稿をファクスで送信する。送信ファクスは受付日時を自動的に印刷して、いつ受付けたかの証明とする。郵便局、コンビニ、その他の受信局はファクスを通して文書化した手紙原稿と宛先原稿を自動的に包装機械に通して手紙原稿を宛先原稿が包装し、手紙の形に整える。

 手紙に完成するまで人目にも触れない、手に取ることもできないような形式にすれば、信書の秘密を守ることができる。但し、葉書の場合はその限りではないはずである。包装し終わった手紙を配達員が配達先まで届けるのは従来どおりである。

 葉書は別々の普通紙に書いた宛先と内容原稿を送信し、受信局で葉書用の厚紙に裏表印刷したらいい。

 そういったファクスとセットにした包装機械の開発は現在の包装技術からしたら難しい問題ではないだろう。

 ダイレクトメールの場合はダイレクトメール専用の上質紙に原稿どおりにカラー印刷し包装して形式を整える。ファクスにダイレクトメールだと指定できる機能をつけて、その指定に従ってダイレクトメール用の上質紙が自動的に選択できるようにすればいい。

 もしこの方式を日本全国に広めたなら、郵便物の輸送に必要とするガソリンや軽油等の燃料の節約となり、地球温暖化防止にも役立つのではないか。

 但し小包類は直接輸送しなければならない。郵便物と小包類は同時に送るから輸送費に左程違いはないと言うかもしれないが、日本通運と提携していることもであり、小包は小包で集約して郵便類を省いた場合、その扱い作業時間の省略と重量自体の軽量化によって、それがわずかなものであっても、その分、使用燃料の少量化も可能となるはずだと思うが、どうだろうか。

 問題は過疎地での小包の受付けや郵便貯金や簡易保険である。この地域は月の何日と決めて郵便局員が各家庭を回って郵便貯金や簡易保険の入金・引出しを引受け、小包の場合は前以て郵便局やその委託先に電話して月の何日と決めてある同じ日についでに回収して貰うしか方法はないのではないだろうか。

 新聞は事件や事故、その他の出来事を知るだけならテレビやラジオ、インターネット情報で間に合う。だが、そういった事件や事故、その他の出来事に関わるコラムやエッセイ、主張や意見をも含めて新聞が記事全体で伝える時代や社会、あるいは世界を新聞を通して把握してこそ、事件・事故・出来事には詳しい単なる消息通であり続けることから免れることができるのではないだろうか。
    * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 ≪郵便局会社:簡易局の一部運営、セコムに委託 JR東などとも協議≫(毎日jp/2008年6月13日 東京朝刊)

 日本郵政グループの郵便局会社は12日、過疎地の簡易郵便局を維持するため、運営の一部を警備最大手のセコムに委託することを明らかにした。郵便局会社が簡易郵便局の運営を民間企業に委託するのは初めて。年内にもセコムが3~4カ所の運営を始める。日本郵政は2月に包括提携したローソンや、JR東日本にも簡易郵便局運営を委託する方向で協議している。

 セコムは全国に2200カ所ある警備員などの待機拠点を活用し、過疎地での郵便物引き受けや貯金取り次ぎなどの業務を受託する。

 日本郵政からの受託料収入が見込めるうえ、地域との密着度が高まり本業の警備業務の新規獲得にもつながる利点がある。

 簡易郵便局は日本郵政グループの郵便局会社の委託を受け、個人や農協・漁協などが郵便、貯金などを扱う小規模郵便局。全国に5月末時点で4296局ある。【前川雅俊】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天窓からの児童落下死亡事故を受けた防護柵設置反対

2008-06-22 09:52:35 | Weblog

 反対、反対ばかり言う私はかつての社会党を髣髴させます
 
 6月18日(08年)東京都杉並区立杉並第十小学校の6年生男子が校舎屋上の天窓から転落、死亡する事故が起きた。天窓は人間が乗ることを想定していない設計で、「毎日jp記事」によると、<アクリル製の覆いは約750キロの荷重に耐える設計だが人が乗り1点に力が集中すると壊れる可能性があ」>り、<強度は10年で約1割劣化するため、ホームページで防護柵や天窓内側の下に落下防護ネットを設置するよう求めていた。>としている。

 6月19日日付の「中日新聞インターネット記事」≪天窓割れ小6転落死 授業中、屋上から12m≫を参考に事故の経緯を見てみると、

 普段は屋上はカギがかけてあって出入り禁止の状態になっていたが、屋上を授業で使用する場合に限って立ち入ることができるようになっていた。その日は6年生の2学級を3グループに分けたうちの25人のグループに所属していた一人として女性教諭(49)の引率のもと歩幅の平均値を計算する算数の体験授業を受けていたという。

 事故は授業が終わって教室に戻る途中のことで、女性教諭は児童を誘導していて、生徒が天窓に上ったことも転落の瞬間も目撃していなかった。

 杉並区教育長「女性教諭が目を離したすきに男子が天窓に上った。屋上での授業は好ましくなかった」

 杉並第十小学校校長「児童に危ないと指導したことはなかった。危険性を十分予見できなかった」・・・・・

 次は≪天窓の安全点検、全国に通知 転落死事故で文科省≫(2008.6.20 21:06/MSN産経)から。

 文科省は事故を受けて20日に天窓が設置されているすべての小中高校の安全点検を実施するよう全国の教育委員会などに通知、近くで授業などを実施する場合は事前に危険がないか確認し、防護柵を設置することなどを要望した。――

 確かに「防護柵設置」は安全対策としては万全であるが、「防護柵設置」によって「安全」果実を手に入れる一方のメリットのみで片付くとしたら何も問題はない。果して失うものは何もないだろうか。物事には大体に於いてプラスマイナスがある。

 被害児童はグループ活動(集団活動)中であった。「目を離した隙に」というが、子どもはグループ活動中である以上、グループ活動に従う責任を有し、単独行動は許されない。例え屋上授業が終えたあとであっても、教師の直接的な指示があってもなくても 次に取るべきと予定されている教室に戻る行動を実行する責任を有する。

 そのような責任を全うするには教師の目の届く範囲にいることによって可能となる。教師の注意監視にしても生徒が教師の目の届く範囲内にいることによって機能する。

 普段の教室での授業を考えれば理解できる。教師が黒板に書き物をしていて生徒たちに背を向けている隙に生徒の誰かが後ろの入り口から物音を立てずにそっと教室を抜け出し、そのことを誰も教師に告げなかった場合、教師の目は届くはずはない。

 教室を抜け出した生徒が校外に出て自動車事故に遭った場合、「目を離した隙に」という弁解は必要としないはずである。勝手に教室を抜け出し、勝手に校外に出たのである。屋上での授業でも、生徒は勝手にグループ(集団)を断りなく抜け出して、天窓のところに行った。抜け出す瞬間に教師の目に入れば注意し、生徒はその注意に従って思いとどまっただろうが、その場合でも取るべき行動を取るだけの責任意識を有していたなら、教師に無断でグループを抜け出そうとはしなかっただろうから、自らの判断で思いとどまる行動を取ったのではなく、その責任を果たさず、教師の指示に機械的に従った思いとどまりに過ぎないことになる。

 天窓は750キロの重量に耐えるのだから、そっと乗るだけだったなら突き破る事態は生じなかっただろ。反動をつけて飛び乗ったか、乗った後、その場でジャンプでもして一点に重力をかけることになったのだろう。

 事の本質は例え天窓に近づかないように注意を受けなくても、また授業形式が教室内外を問わず、教室への移動を含めて生徒が取るべき授業態度、授業中に示すべき生徒に与えられた役割を自ら踏み外した点にある。

 確かに珍しい形をした物に触れたい誘惑に負けても仕方のない年齢であり、未発育にある分別から言うと役割に忠実であることだけを求めるのは無理があるとする意見もあるに違いない。だが、防護柵の設置によって子どもに安全に対する注意を喚起してその行動を見守り、それに制限を加えるのは防護柵そのものであり、あるいは教師が目を離さないでいる「監視」によって可能となる子どもの危険行為に対する頻繁に発する注意の言葉であって、子ども自身が教師の注意や監視を記憶に甦らせて危険を読み取る情報解読的な判断でもなく、あるいは状況を把握して自ら危険を察知する経験から学習した判断ではないことになる。

 この場合の防護柵は教師の「目を離」さない注意・監視に対するこれ以上入ってはいけませんよの物理的注意・監視の役目を負う。

 防護柵や危険を知らせる看板、教師や親の口うるさいヒステリックなまでの注意等の「指示」、あるいは「監視」を受けて危険を察知する。そういった危険予知の「指示」あるいは「監視」に慣らされ、それらに機械的に従うことが当たり前の行動様式となって、いわば習性とするようになると、逆にそういった「指示」・「監視」を予定することになり、それがないと危険に対する防御能力、あるいは安全確認能力が働かない恐れ生じる。

 と言うことはそれらの能力を育んでいないことによる機能不全現象でもある。

 いわば安全に関わる行動を大人たちの「指示」・「監視」で何でもかんでもお膳立てしてやると、そのお膳立てに頼る習慣を育むだけで、それを習性とさせる代わりに自分自身の判断で危険を察知する能力の発動機会を奪うこととなって、自らの判断に従って自らの行動を自ら決める自律的主体性の育みを期待不可能とすることになる。

 「防護柵設置」によって「安全」果実を手に入れる一方で失うものとはこのことである。ただでさえ家では親が、学校では教師がああしなさい、こうしなさい、それはしてはダメ、これはしてはダメと注意の指示を連発して子どもの行動を監視し、制約することで子どもが自らの行動を自ら判断して自ら決める自律的主体性を発揮する頭を抑えているところへ持ってきて、「防護柵」でご丁寧にも危険だと知らてやって自分で安全か危険か判断させ、危険だと判断したなら、その判断に従って自分から回避行動を取る主体的行動性(=自律的主体性)を発揮しなくて済むように省いてやる。

 また防護柵とか注意看板、注意貼紙、口頭の注意といった「危険指示」・「危険監視」の何でもかんでもの前以てのお膳立ては「危険指示」あるいは「危険監視」を受けた回避行動をパターンとすることになって、自己責任行為を他者の「危険指示」・「危険監視」に委ねることになる。その結果として保護者たちの「なぜ防護柵を設置しなかったのか」の非難が生じることとなった。

 生徒のこのような行動性は他者の指示に従う権威主義性を満足させるが、主体的行動性を元々あればの話だが、逆に奪うことになる。

 幼い頃から家では親の指示、学校社会では教師の指示で動かされているから、見るべき主体的行動性を身につけているとは思えない。このことは親や教師の同じ注意が頻繁に繰返されることに現れている。しかも教師は放課後の生徒の校外の行動まで監視し、「注意指示」まで発している。注意の指示、監視を受けての行動となるから、そのような生徒の行動に対して教師側は常に注意の指示を与え続け、監視し続けなければならなくなる。それが悪循環だとは誰も気づかない。

 その悪循環を断ち切って、安全確認のみならず、自らの判断に従って自らの行動を自ら決める主体的行動性(=自律的主体性)を子どもに植え付けるにはどうしたらいいのか。

 少なくとも小学4年生以上になったなら、一度の口頭の注意であとは生徒自身の判断で行動を取らせるのが理想であろう。

 「天窓の構造はこうなっている。落下して死亡事故も起きている。危険だから上らないように。注意を守らず上ってもし落ちて死んでも、死んだ人の責任ですよ」

 屋上もカギをかけずに4年生以上は普段でも出入り自由とする。

 防護柵の設置などせずにこのような一度の注意のみでいい。守る守らないは生徒自身の判断に任せる。自らの判断に従って自らの行動を自ら決める主体的行動性(=自律的主体性)のみに期待をかける。守らなければ守らない人間の責任とする。

 逆説的に言うと、注意指示を守らずに落下して死亡する生徒が続出する程、教師の口頭注意に対する生徒の集中力は育つと同時に物事に対す注意力が育まれ、何事も自分の判断に則って行動しなければならない主体的行動性(=自律的主体性)を否応もなしに学ぶことになる。

 安全注意のみならず、すべての注意を口頭による一度を原則とし、その繰返しのみで一切の監視をやめ、すべての行動を生徒自身の判断に任せて主体的行動性を育む。授業に於ける教師から生徒への知識授受に於いても、そこに生徒自身の判断が介在することとなって、暗記式の知識授受であることから免れることができるようになる。知識に関しても行動に関しても自己判断を原則としたとき、生徒は自律(自立)した存在へと変身可能となる。
     * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 ≪天窓割れ小6転落死 授業中、屋上から12m≫(中日新聞/08年6月19日 朝刊)

 18日午前9時25分ごろ、東京都杉並区和田3、区立杉並第十小学校の3階屋上で、6年生の中村京誠(きよまさ)君(12)が、明かり取り用の強化プラスチック製の天窓に乗ったところ、天窓が割れた。中村君は内側にあるガラスも突き破って、約12メートル下の多目的ホールの床に転落。全身を強く打ち、約4時間後に死亡した。警視庁杉並署は、学校や区側の施設管理に問題がなかったか、関係者から事情を聴いている。

 同署や区教育委によると、天窓は直径1・3メートルのドーム状で厚さ4ミリの強化プラスチック製。内側には厚さ7ミリの金網が入った平面状のガラスが敷いてあった。天窓の周りに柵はなかった。

 中村君は当時、歩数から歩幅の平均値を計算する算数の体験授業で、他の児童とともに屋上に出ていた。授業が終わって教室に戻る途中、中村君が天窓に上った。指導していた女性教諭(49)は屋上の出入り口付近で、3階の教室に戻るため児童を誘導していて、転落の瞬間は目撃していなかったという。

 天窓は3年に1回、目視で点検する決まりだが、2006年10月の点検では異常はなかった。区教委は、天窓のある区内の小中高校計13校に緊急点検を指示した。

児童が落下する事故があった杉並第十小学校の屋上で、割れた天窓を調べる捜査員ら=18日午後3時58分、東京都杉並区で

 ◆校長「危険予見せず」

 「女性教諭が目を離したすきに男子が天窓に上った」。同校の宮山延敬校長とともに18日、区役所で記者会見した井出隆安教育長は沈痛な面持ちで頭を下げた。

 中村君が受けていた授業は、少人数指導として6年生の2学級を3グループに分けていた。中村君は屋上を使った25人のグループの1人。周りの教室に迷惑がかからないように、3階の教室から近い屋上を使ったという。

 宮山校長によると、屋上は通常入り口が施錠され、児童は出入り禁止だった。同校長は「児童に危ないと指導したことはなかった。危険性を十分予見できなかった」と悔やんだ。井出教育長は「屋上での授業は好ましくなかった」と安全管理の甘さを認めた。

 区教委は天窓に必要な強度はあったとみているが、人が乗ることを想定していなかったという。文部科学省の小学校施設整備指針では、天窓について「地震時の破損・落下等について留意して計画することが重要」だとしているだけで、具体的には定めていない。
     * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 ≪天窓の安全点検、全国に通知 転落死事故で文科省≫(MSN産経/2008.6.20 21:06)

 東京都杉並区立杉並第十小学校で6年生の中村京誠君(12)が天窓から転落死した事故を受け、文部科学省は20日、小中高校に設置された天窓の安全点検を実施するよう全国の教育委員会などに通知した。

 通知は天窓が「人の体重を支える強度がない」として、近くで授業などを実施する場合は事前に危険がないか確認し、防護柵を設置することなどを要望。児童生徒に対し「天窓の上に絶対に乗らないよう周知徹底」するとともに、学校全体の安全管理も求めている。

 渡海紀三朗文科相は同日、都道府県教委の学校施設担当者が都内に集まった会議で「学校が安全で安心な場となるよう協力してほしい」と要請。校舎を設計する際の市町村などの留意事項をまとめた施設整備指針について、より具体性のある記述に見直すことも表明した。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死刑制度反対論」に反対する

2008-06-20 12:55:34 | Weblog

 20年前に4人の連続幼女誘拐殺人事件を起こした宮崎勤(45)が17日(08年6月)に他の2人と共に死刑執行された。

 他の2人は95年に双子の兄(無期懲役確定)らと共謀、勤務先の風俗店経営者=当時(32)=ら2人を殺害、約20万円を奪うなどした陸田死刑囚(37)と共犯者と共に85年に宮城県の主婦=当時(49)、90年に香川県の食品販売業の男性=当時(48)=をそれぞれ殺害。最初の事件では、支払われた保険金から約700万円の報酬を得た山崎死刑囚(73)。(≪宮崎勤死刑囚の刑執行 東京・埼玉 4幼女連続誘拐殺人 確定から2年4ヵ月 他に2人、鳩山法相13人目≫西日本新聞ワードBOX/2008年6月17日から)

 西日本新聞の見出しにあるように鳩山邦夫法相になり、4回目計13人の死刑執行で、93年3月の執行再開以降の法相では最も多い執行数だそうだ。こういったことぐらいでしか名の残すこをはない政治家だと思う。

 早速というか、立場上の履行行為なのだから早速なのは当然のことだが、<超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーが同日、東京都内で記者会見し、会長の亀井静香
衆院議員(国民新)は「死刑によって、国民の幸せにつながるものが生まれるのか。ベルトコンベヤーのように自動的に処刑していくのは異常事態だ」と強く抗議した。>(≪「自動的処刑は異常」 亀井氏ら死刑廃止議連≫47NEWS/2008/06/17 18:14【共同通信】)

 同記事は亀井氏の次の言葉も伝えている。

 「秋葉原でも悲惨な事件があったが、国家が人の命を大切にしないのでは、凶悪犯罪は防げない。死刑による犯罪抑止論は現実離れしている」

 「法務省は死刑囚が(拘置所で)どういう生活していたかも開示すべきだ。こんな凶悪犯罪をやったとだけ詳細に発表し、国民の共感を得ようとするのはおかしい」――――

 では死刑廃止によって「国民の幸せにつながるものが生まれるのか」という反論も成り立ち、その反論に対する答――死刑を廃止したらかくかように「国民の幸せにつながります」との主張をも併せて公にし、自らが掲げる「死刑廃止論」を国民に納得させる手段とすべきだろう。

 だが、そうしていない。

 被害者家族にとっては死刑によってつけることのできる一つの区切りは死刑が執行されないまま区切りがつかない状態と比較した場合、安堵感を手に入れることができるかどうかの点である意味「幸せ」をもたらす出来事と言えないだろうか。

 また「人の命を大切」にすることは国家に求める要求事項ではあるが、同時に個々人にも求めなければならない要求事項であって、個人がそのことを免罪されているわけではない。「国」にだけ要求するのは片手落ちと言うものである。個人に「人の命を大切」にすることを要求してこそ、「凶悪犯罪」の抑止につながるのではないのか。個々人が「人の命を大切」にすれば凶悪犯罪は出番を失い、国家の死刑制度は意味を失う。そうなれば当然のこととして、如何なる死刑廃止運動もその存立理由を失う。

 だが「人間は犯罪を犯す生きものである」。すべての個人が「人の命を大切」にすることは永遠に実現しないだろうし、凶悪犯罪は時間を置いて起こることになるだろう。

 亀井静香は「死刑による犯罪抑止論は現実離れしている」と言っているが、賛成・反対に関係なく、死刑を犯罪抑止の観点から把えることが理解できない。どのような刑罰も犯罪抑止につながらないことは如何なる時代の如何なる人間社会も自らの刑罰を以って犯罪をなくすことができないできた人類の歴史が証明している。

 イスラム社会が伝統としている石石打ちの刑や泥棒を働いた者を二度と泥棒が働けないようにと右腕を切り落とす刑、中国の重大犯罪を犯した者に対する公開銃殺刑が犯罪抑止につながったのだろうか。

 世界のそれぞれの宗教はその発生当時から殺人や盗み、姦淫等の犯罪を戒めてきたが、現在の人間世界の犯罪状況は宗教の教えにしても犯罪抑止につながらなかったことを証明している。

 NTTや新日鉄などの大手企業100社が年会費として1998年だけでも総額7千万円を支払っていた暴力団とのつながりのある右翼団体の理事に名を連ねていたこと(≪右翼トップの財団に資金 大手100社・・・・≫00年5月22日『朝日』朝刊)や帝京大学から千代田区の高級マンションの一室を10年間も無償で提供を受けていたことなど、政治活動上の悪臭紛々たる過去の疑惑から考えると、亀井静香の死刑廃止論はそのような疑惑を隠す目的の世間向けの奇麗事の装いに見えて仕方がない。

 ではなぜ犯罪はなくならないのか。それは何よりも人間が利害の生きものであり、自らのみの利害に拘って社会のルールを無視してまで無理に押し通そうとするからであろう。

 また刑罰は犯罪を犯した者には痛みとなるが、犯罪を犯さない者にとって痛みでも何でもなく、抑止としての意味を成さないからだ。犯罪を犯して刑罰を受けるのはバカらしぞと「威嚇効果」とされる要素を頭では理解していても、実際に受けた痛みではないから、往々にして利害が「威嚇効果」を相殺・抹殺して無化してしまう。犯罪がなくならない所以である。

 さらに犯罪を犯すことになって刑罰の痛みを受けたとしても死刑の判決を受けた者は例外として社会復帰時は二度と犯罪を犯すまいと刑罰の痛みからの「抑止効果」・「威嚇効果」を共々に自らの身に引き受けているだろうが、その痛みは時間の経過と共に薄れ、社会に出て生きていかなければならない利害が遠い過去のものとなって薄れた痛みより優先事項となり再び犯罪を犯す再犯者がよく辿る道は刑罰が「抑止効果」も「威嚇効果」も一時期は効き目はあったとしても最終的には効き目がないことを証明して余りある。

 裁判には冤罪が生じることからの死刑廃止を訴える主張があるが、人間のやることだから、冤罪にしても犯罪と同様になくなることはないだろう。冤罪がなくならないことを前提とすること自体、そのことを裏返すと不完全な生きものである人間に完璧さを求めていることにもなり、土台無理な話となる。

 理由はどうであれ、冤罪がなくならない以上、死刑に相当する罪を犯した者に対する死刑は廃止すべきとした場合、殺人等の凶悪犯罪にある意味免罪符を与えることになる。その免罪符を水戸黄門の葵の印籠に変えて凶悪犯罪を正当化する者も出現するに違いない。

 刑を受けた者が無実を主張し、冤罪だとするなら、再審請求の道を開きやすくすべきだろう。2008年2月13日日付≪日弁連 - 「足利事件」再審請求棄却決定に関する会長声明≫なるHPによると、1990年に栃木県足利市で発生した幼女誘拐殺人事件(足利事件)で一審の宇都宮地裁は無期懲役、二審の東京高裁は控訴棄却、2000年7月に最高裁の上告棄却決定により被告の無期懲役が確定したのに対して、同年12月に刑確定者は再審請求を申し立てた。

 再審請求理由を幼女の衣類に付着していた精子のDNA型が一致するとした科警研のDNA鑑定はDNA型判定のものさしとなるマーカーに狂いがあったことが判明して現在は使用中止となっている初期の方式による不正確な精度だったとする主張に置いている。

 その再審請求を1990年2月13日、宇都宮地方裁判所が棄却している。裁判所が刑を確定し、裁判所が再審請求を審査し、受理もしくは棄却を決定する。判断に固定観念が作用しない保証はどこにもない。情実による身内庇いも同じであろう。

 ≪狭山事件 主張&声明≫(2002年9月)というHPに冤罪に関して「イギリスでは、1996年に再審請求を審査する独立した委員会を設置し、この委員会に検察官などへ証拠開示命令できる強い権限を認め、弁護側が新証拠を収集できるよう保障している。」と書いている。これは日本はそうなっていないと言うことなのだろう。

 冤罪はなくならない。不完全な人間のやることだからだ。再審請求に対しては裁判所が審査するのではなく、独立した第三者機関を設けて、そこで行うことと同時に警察の取調べの視覚化を早急に実現することを以って、再審請求への道を開きやすくし、少しでも冤罪を防止する方策とすべきではないか。

 ≪宮崎死刑囚 猟奇殺人、20年前震撼 45歳、遺族に謝罪ないまま≫(6月17日15時48分配信 産経新聞)に吉岡忍のコメントを載せている。

 「時代が生み出した異常な精神状態を背景に犯行を繰り返した最初の人物だったのではないか。にもかかわらず、裁判所の判決は通り一辺の凶悪事件として片付け、世間から隔離し、死刑という厳罰で終わらせたといえる。このため、その後に続いた事件も社会の病理を検証することなく、個人の問題として、死刑で終わらせてしまう風潮を作り出してしまった。(宮崎勤死刑囚を)司法がもっと掘り下げて検証しておけば、その後の事件の手がかりをつかめたかもしれない。司法が複雑なものを複雑に考えなければ教訓にはならない」――――

 「社会の病理を検証」できたとしても、犯罪抑止には無力で、再び起きた犯罪の再度の検証に役立つに過ぎないだろう。なぜなら、「社会の病理」は何らかの形で存続し、なくなることはないからだ。それを消滅させる程の力を人類は持たない。利害の葛藤・鬩ぎ合いが様々な場面で歪んだ形を取り、それが一般化したとき、社会は歪み、社会の病理と化す。

 私の死刑容認は応分の責任履行の観点からのものである。人を一人殺したら、自分の命で償う。だから、自動車事故で人間を一人殺した場合でも死刑に処すべきだと思っている。車で人一人を轢き殺したなら、死刑を方法として自らの命で償う。その覚悟で車を運転しなさい。人一人を殺したなら、死刑を方法として自分の命で償う。その覚悟で人間関係を持ちなさい。その覚悟で自らの利害を優先させなさい。人を一人殺したなら、死刑を方法として自らの命で償う覚悟を社会の一員して引き受けるべき社会のルールとしなさい。ただそれだけである。
     * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 「自動的処刑は異常」 亀井氏ら死刑廃止議連(47NEWS/2008/06/17 18:14 【共同通信】)

幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(45)ら3人に対する17日の刑執行に対して、超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーが同日、東京都内で記者会見し、会長の亀井静香衆院議員(国民新)は「死刑によって、国民の幸せにつながるものが生まれるのか。ベルトコンベヤーのように自動的に処刑していくのは異常事態だ」と強く抗議した。

 事務局長の保坂展人衆院議員(社民)らは法務省を訪問し、鳩山邦夫法相に面会を申し入れたが断られ、刑事局長に執行を抗議したという。

亀井氏は「秋葉原でも悲惨な事件があったが、国家が人の命を大切にしないのでは、凶悪犯罪は防げない。死刑による犯罪抑止論は現実離れしている」と批判。「法務省は死刑囚が(拘置所で)どういう生活していたかも開示すべきだ。こんな凶悪犯罪をやったとだけ詳細に発表し、国民の共感を得ようとするのはおかしい」とも述べた。

保坂氏は「国連でも日本の死刑執行に懸念が表明されているのに、増えていくのは国際社会で異常だ。(7月の)サミットでも話題にならないはずはない」と語った。
     * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 ≪宮崎死刑囚 猟奇殺人、20年前震撼 45歳、遺族に謝罪ないまま≫(6月17日15時48分配信 産経新聞)

 連続幼女誘拐殺人事件を引き起こした宮崎勤死刑囚(45)。約20年前、幼女4人の命を次々と奪い、猟奇的な手口で日本中を震撼(しんかん)させた。公判では不可解な言動を繰り返したが、本心だったのか、精神障害を装うためだったのかは不明のままだ。結局、17日の刑執行まで謝罪や反省の言葉が拘置所の外に聞こえてくることはなかった。

 宮崎死刑囚が犯行当時住んでいた自宅は、東京都五日市町(現・あきる野市)にあった。自室は母屋の横にあった「離れ」。その中には、6000本ものアニメや特撮もののビデオテープがあった。この自室で当時26歳だった宮崎死刑囚が東京都江東区の幼女の遺体をのこぎりで切断し、自宅裏庭で埼玉県入間市の幼女の遺体を焼いた。

 平成2年3月の初公判では「覚めない夢の中でやったような感じだ」。色白の宮崎死刑囚は殺意を否認。「女の子が泣きだすとネズミ人間が出てきた…」などと意味不明な言動が続いた。弁護士との接見では「何人かの人が自分をいじめる相談をしているのが聞こえる。『針で(死刑囚の)目を刺すのは自分がやる』と話し合っている」と訴えたり、独房で「起きろ」と突然、大声を上げたりすることもあったという。

 宮崎死刑囚の父は印刷工場を持ち、月4回発行の地元紙を発行する裕福な家庭だったが、その父も宮崎死刑囚の公判中の6年1月に「疲れた」と遺書を残し投身自殺。しかし、宮崎死刑囚は法廷で「死んでくれてスッとした」と述べただけだった。

 一方で自身の「無罪」だけは強く主張していた。月刊誌の編集者や心理学者などと手紙のやり取りを続け、「自分は無罪」と記し、死刑判決確定後に面会した臨床心理士に「何かの間違いです。そのうち無罪になります」と語った。この約1カ月後に出版した2冊目の著書では、最高裁判決を「『あほか』と思います」と批判。判決が大きく報道されたことに触れ「やっぱり私は人気者だ」と感想を語り、「良いことができてよかったです」と事件を振り返った。

 事件から公判中まで終始、奇妙で、つじつまの合わない言動を繰り返した宮崎死刑囚。最後まで彼の「心象風景」は判然としないまま、45年の生涯を閉じた。
     ◇
 土本武司・白鳳大法科大学院教授(刑法)の話「確定した死刑判決については、特別な事情がない限り執行に問題はない。当然のことで支持されるべきだ。日本の場合、死刑の執行について極力秘密にしようという傾向があった。鳩山邦夫法相になってから死刑囚の名前、執行場所、犯罪の概要を公表するようになった。今後導入される裁判員制度の対象となる事件は法定刑が死刑や無期刑を含んでおり、一般市民も死刑に立ち向かわなければならない。国民も実態を知った上で、死刑制度への賛否を決める必要がある。その点で鳩山氏が従前より死刑執行に関する情報を公開していることは歓迎すべきことだ」
     ◇
 宮崎勤死刑囚を描いた「M 世界の、憂鬱(ゆううつ)な先端」の著書がある作家、吉岡忍さんの話「時代が生み出した異常な精神状態を背景に犯行を繰り返した最初の人物だったのではないか。にもかかわらず、裁判所の判決は通り一辺の凶悪事件として片付け、世間から隔離し、死刑という厳罰で終わらせたといえる。このため、その後に続いた事件も社会の病理を検証することなく、個人の問題として、死刑で終わらせてしまう風潮を作り出してしまった。(宮崎勤死刑囚を)司法がもっと掘り下げて検証しておけば、その後の事件の手がかりをつかめたかもしれない。司法が複雑なものを複雑に考えなければ教訓にはならない」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国交省北海道開発局官製談合/福田・冬芝の間違ったコメント

2008-06-18 10:24:58 | Weblog

 06年7月から北海道開発行政トップの北海道局長として国土交通省本省勤務となった品川守(58)が北海道開発局出先機関石狩川開発建設部部長時代の05年に地元の建設会社に天下った開発局OB2人と共謀、自ら主導して特定の業者に落札させる談合の調整を行った「官製談合」で16日札幌地検に逮捕された。


 談合内容と経緯を6月18日(08年)の「毎日jp」記事≪国土交通省 官製談合の体質と決別せよ≫(「毎日新聞」社説」)から見てみる

 <官側が談合を主導する官製談合の体質が国土交通省の隅々にまで染みわたっているのではないか。本省の現職局長が、出先機関の北海道開発局の部長時代に官製談合に関与していたとして競売入札妨害容疑で札幌地検に逮捕された事件だ。

 直接の容疑対象は、開発局が05年に発注した2件の河川改修工事。指名競争入札だったが、地元の建設会社に天下りした開発局OB2人と共謀し、特定の業者に落札させる談合の調整をしたという。このうち1件の予定価格に対する落札率は96.01%と極めて高い。

 発注側が談合を主導し、業者に公共工事を高値で落札させ、見返りにOBを天下りで受け入れさせるという典型的な官製談合の構図だ。その分、税金が余計に業者の懐に流れ、つけは納税者である国民に回ってくる。税の無駄遣いがこれほど問題になる中、国民の怒りを買う許し難い犯罪だ。

 逮捕されたOBの一人はかつて同じ部長も務め、「部長の間で代々、談合の手法が引き継がれていた」と供述しているという。北海道開発局では5月、別の部の元部長や現職課長ら3人が農業土木工事をめぐる官製談合の疑いで逮捕されたばかりだ。これでは、局ぐるみで違法行為が日常的に行われているのではないかと疑わざるを得ない。この際、地検には徹底した捜査を尽くし、うみを出し切ることを望みたい。

 今回の事件がとりわけ深刻なのは、国の公共事業の8割を扱い、かつ談合防止へ向け入札制度改革に率先して取り組むべき国交省で官製談合が起きていたことだ。しかも、官製談合の弊害が叫ばれて官製談合防止法が制定された02年以降も官製談合が恒常的に繰り返されていたというのでは、言語道断だ。

 北海道開発局では02年、鈴木宗男元北海道・沖縄開発庁長官の受託収賄事件の背景として、検察側から官製談合の問題が指摘され、これを受けて公正入札調査委員会の設置など再発防止策を導入していた。しかし、逮捕された局長もこの委員を務めていたというから、とても防止効果が期待できる代物ではない。

 事件の背景には、公共工事の比重が高い北海道の事情もあるだろうが、一出先機関の不祥事ととらえるべきでないのはもちろんだ。公正取引委員会は昨年、中央省庁では初めて国交省に対し、水門設備工事で官製談合防止法を適用する措置を取った。今年春には、同省のキャリア職員2人が予定価格を漏らした疑いなどで大阪地検に逮捕された。国交省の不正続出は目を覆うばかりだ。

 「再発防止の対策を講じることが、地に落ちてしまった省の信頼を回復する唯一の道だ」冬柴鉄三国交相は17日の記者会見でそう語った。国交省が官製談合体質を断ち切ることは、もはや待ったなしだ。>・・・・・・・・・

 福田首相は17日付『朝日』記事で次のようにコメントしている。

 「幹部職員がそういう事件を起こしたことは誠にけしからん。こういうことがどうして起こるのか。本当に残念に思う」

 冬芝国交相は「最も信頼している本省の局長(の1人)。非常に驚いた。省への信頼が落ちることを大変憂慮している

 このコメントを読んだとき、二人の認識能力はどうなっているのかと疑った。「こういうことがどうして起こるのか」だって?、省への信頼」だって?何ら不都合のない間違っていないコメントだと思って口にしたのだろうか。

 一国の総理大臣を務めていて「こういうことがどうして起こるのか」ぐらい理解できないとは何ともお粗末な脳ミソだ。自民党が戦後以来ほぼ一貫して長期に亘って政権に居座ることができたのは政策づくりでも制度設計でも国会答弁でも官僚におんぶに抱っこの恩恵があったからで、そうでありながらすべての手柄は政治家が独り占めしてマスコミ・国民の注目を浴びるのも政治家ばかり、その上政治献金だ、口利きだで懐を肥やしていい思いをするのも政治家だけ、官僚はいつもいつも裏方の黒衣の役割しか与えられてこなかった。

 その上長期政権の弊害の常で長期政権慣れが緊張感を失わせ、そのぬるま湯にどっぷりと浸ることにエネルギーを注ぐばかりで官僚依存が当たり前の政治習慣となって官僚は見えないところでの自らの重要性を歴史・文化・伝統とすることとなった。

 自分の方に働きがあり、その働きによって政治家を成り立たせることができているというのに見返り・報酬が少ないとなれば、官僚でなくたってバカらしくなるのは人間の自然な姿であって、政治家がいくらお国のための奉仕の精神を説こうと、自分たちが範を垂れているわけではない奉仕の精神だから効き目があろうはずはなく、じゃあ俺たちだってと考え出したのが天下りと談合を手段としたいい思い――見返り・報酬といったところだろう。

 政治家たちが官僚の恩恵を受けて成果としている諸活動を表の姿とし、諸活動をエサに政治献金や口利きでいい思いをしている私腹行為を裏の姿とするなら、官僚たちの政治家を支える裏方の仕事が表の姿であり、いい思いとなる天下り・談合漁りが裏の姿ということになって、両者のそれぞれの表裏の姿は対応しあってバランスを取っているだけのことで、官僚から言わせたら、どこに不都合があるかということになるだろう。

 要するに官僚たちの天下り・談合は長期政権慣れして緊張感を失った政治家たちの官僚頼り、官僚におんぶに抱っこがつくり出している現象だということである。長期政権に胡坐をかいて政権慣れした緊張感の喪失が官僚依存にも慣れ、そのことに麻痺し、政治家の成果に対する俺たちの成果だと正当化させる口実を官僚に与え、付け上がらせる結果を招いている。

 日本の政治家の無能を世界の政治家が陰で笑っているのに対して官僚たちは政治家の無能を陰で笑っている。日本の官僚の違うところは、ただ笑ってばかりいるのでは面白くないということで、自分たちも陰で政治家同様にいい思いをすることとなった。

 このことに気づかずして、「こういうことがどうして起こるのか」などと気の抜けたことを言う。一国の総理大臣の言葉である以上、的を得たコメントとはどうしても思えない。

 長期政権による自民党政治家の緊張感の喪失が官僚依存慣れを増長・麻痺させているということなら、政権交代のある政治の姿が最良のクスリとなる。支持率を下げているのに政権にしがみついているばかりが能ではないだろう。

 冬芝国交相は「省への信頼が落ちることを大変憂慮している」と言っているが、胡散臭げな連中の寄り合い所帯である公明党の中でも胡散臭げが突出している北側、冬芝と続いて国交相に就任した時から「国交省への信頼」はこれまで以上に落ちようがなく、今さら「信頼が落ちる」どころではない。似た者夫婦ならぬ、似た者同士の政治家がトップに座ったに過ぎない。

 とてもまともなコメントに入れることはできない。

 冬芝は「談合はあってはならないこと。官が関与することは言語道断で誠に遺憾だ。国民に心からおわびする」(≪官製談合陳謝 国交相、給与3カ間返納へ≫MSN産経/2008.6.17 12:30)と陳謝し、大臣給与を3カ月返納するということだが、公明党幹部だけのことはあって認識が大甘にできている。

 「談合はあってはならないこと」は極当たり前のことであって、極当たり前のことを極当たり前にコメントしたに過ぎない。公明党の政治家だから仕方がないことかもしれないが、その「あってはならない」談合が極当たり前のようにあったのはなぜなのか、そのことの方をこそ問題とすべきだろう。

 例えどのように強烈なショック療法を施しても消滅させる保証はない悪質化した談合や天下りといったところだが、そういった認識を持つことができたなら、大臣給与3ヶ月返納で追いつく話ではないことも認識できたはずである。

 但し「談合はあってはならないこと」こととする考え得る最大のショック療法は管轄大臣の即辞任以外にない。

 省の人間が下手なことをするとその省を管轄する大臣のクビが飛ぶ、大臣のクビで始末をつけなければならなくなるとの前例をつくり、それをルールとする。そのような覚悟によって管轄大臣にしてもおんぶに抱っこの官僚依存に浸ってばかりはいられないぞと、官僚は大臣のクビを飛ばすことになるから下手なことはできないぞと双方共に緊張感を強いることとなって、少しばかりはシャキッとさせることができるのではないだろうか。

 勿論大臣辞任によって少しばかりシャキッとさせることができても、行き着くところまで悪質化した天下り・談合が完全になくなる保証はない。だが、それでも責任を取って辞任する。そのような最大限の責任の取り方の繰返しが双方の緊張感の持続に少しずつ役立っていくはずである。

 ところが折角手に入れた大臣の椅子だとばかりに何ら責任を取らずに後生大事にしがみつくばかりの政治家はいるが、官僚側にも襟を正させることになる辞任という形で潔く責任を取る政治家はまずいない。追い詰められて辞任する政治家はゴマンといる。

 談合で国家予算を無駄にした金額から比較しても、冬芝の給与返納はその場凌ぎのゴマカシでしかない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手・宮城内陸地震/福田首相の「人命救助が一番」の危機管理は口先だけではないか

2008-06-16 17:38:38 | Weblog

 6月14日(08年)発生の岩手・宮城内陸地震を受けた政府の初動対策の迅速さを各マスコミは伝えている。今朝16日のTBS「みのもんたの朝ズバッ」では宮城県の栗原市の市長だかが女性記者のインタビューに「市の立ち上がりも早かったし、県の立ち上がりも早かった。政府の立ち上がりも早かった。災害対策会議も2時間おきに開いた。特に自衛隊・警察が協同して迅速に災害救助に動いてくれた」といったようなことをカメラに向かってというよりも、スタジオのみのもんたに直接話しかけるように力強く誇らしげに語っていた。

 いくら「災害対策会議も2時間おきに開いた」としても、中身が問題である。単なる各被害地域から上がってくる被害状況、あるいは救助の進捗状況が報告され、それを受けて会議主催者が「行方不者の人命救助は一刻も猶予はありません。今後とも万全を期して救助に当たってください」といったことを指示するだけの会議なら誰だってできる形式に過ぎない。閣議にしたってその程度だろう。

 15日日曜日の『朝日』朝刊≪広域連携 初動は迅速≫なる記事では、<地震発生の1分後の午前8時44分、警察庁は災害警備本部を立ち上げ、さらに1分後には東北、関東、中部地方の警察本部に広域緊急救助隊の待機を指示した。50分には首相官邸の危機管理センターに「対策室」が設置された。8時59分、陸上自衛隊のヘリコプター1機が偵察派遣され、その4分後、総務消防庁は東北各県の消防本部と東京消防庁、札幌市消防局に出動準備の状況確認を始めた。>云々、初動対応の見事なまでの迅速さを伝えている。

 但し同記事は<大きな揺れが来る前に地震発生を知らせる緊急地震速報は、システムの問題で住民に情報が届かないなどの新たな課題を浮き彫りにした。>と問題点を指摘している。

 福田首相は支持率回復のチャンスにしたいという思惑もあるのだろう、「被災状況の入念な把握」や「救出活動への全力の尽力」、「人命救助が一番」、「行方不明者の捜索に全力投入」といった指示を次々と出し、その様子は迅速な初動対応にも助けられて概ね好意的に受け止められているようだ。

 だが、16日の『朝日』朝刊の土砂水の崩落に襲われて倒壊・埋没した宮城県栗原市の「駒の湯温泉」の1階部分に生き埋めとなった7人の行方不明者の捜索の模様を伝える≪救出「手作業しか・・・・」≫の記事を見て、初動対応の迅速さに反して福田内閣の危機管理体制がホンモノでないような気がしてきた。前以てそれ相応のマニュアルを用意しておきさえすれば間に合う初動対応は迅速に済ますことはできても(阪神大震災のときはマニュアルがなく、自己判断による臨機応変且つ創造的な動きが取れなかった。)その迅速さとは裏腹の本体の災害救助活動自体がこの機械化の時代に「手作業」という時間がかかり、当然救助が困難を極めることになる非効率的な方法を取っている。

 危機管理とは事が起きてからの適切な対応のみを言うのではなく、それを可能とするのは発生前の何も起きていない危機を事前に様々に想定・予知し、そのことに適切に備え得る体制を用意しておく対応をも言うはずで、事前の体系的な備え――システムを構築していてこそ、発生事後の危機管理対応も適切に機能するはずである。

 上記『朝日』記事は伝えている。

<「手作業しか手段がない」
 捜索2日目となった15日、宮城県栗原市の旅館「駒の湯温泉」で救出に当たった消防隊員や自衛隊員らは進まぬ作業にあせりをのぞかせていた。>――――

 みのもんたの「朝ズバッ」も「重機が入れないので手作業で救出作業を行っている」と伝えていた。番組の終了間際に安否は確認できないが、行方不明者の1人が発見されたという報告が入ったばかりとのことで、発見者を見守るためか、作業をしていたオレンジ色の作業服の消防署のレスキュー隊員と迷彩色の自衛隊員が手を止めて一ヶ所に集まっていると伝えて、その映像をヘリコプターから映し出していたが、その場が彼らに占領されたような頭数ばかり大勢な光景に見えた。

 「重機が入れないので手作業で救出作業」とは、重機を必要としているが、その必要を満たす条件が道路の通行止め等で整っていないということであろう。 

 昼前のインターネット「毎日jp」記事は発見行方不明者は死亡していたと伝えている。これで死者は10人に達し、行方不明者が未だ12名にのぼると言う。「人命救助が一番」が「一番」になっていない。これは不可抗力なのだろうか。

 果して絶対的に手作業でなければならなかったのだろうか。

 家屋倒壊とライフラインの広範な寸断を伴う大きな地震が起こるたびに水道と便所の問題が持ち上がる。1995年1月17日発生の阪神大震災のときもそうだったし、つい最近の2004年10月23日発生の新潟県中越地震のときもそうだった。

 新潟県中越地震発生を受けて自作HP≪「市民ひとりひとり」第71弾 井戸の活用による地震後の避難生活の改善≫(04年11月2日Upload)で紹介した「備え」を07年7月18日の掲載の当ブログ≪地震のたびに繰返される断水と給水車からの補給≫でも改めて紹介したが、それは2007年3月25日発生のマグニチュード6.9の死者1名の能登半島地震、さらに4ヵ月後の同じ2007年の7月16日の東京電力柏崎刈羽原子力発電所3号機変圧器から火災を発生させたマグニチュード6以上 死者15名の新潟県中越沖地震にしても多くの家屋が全壊、半壊を来たし、各地でライフラインを寸断させる被害によって被害住民が飲料水とトイレの問題に苦労したことを受けた記事であったが、そこに水道水に代わる井戸の掘削による井戸水の活用(最近は安価で短時間で掘削できる)と浄化装置を取付けたタンクローリーを利用した移動浄化槽式便所の利用を提言した。
次のように書いている。<井戸を掘削しておくことで、水の確保が可能となったなら、便所の問題は片付くはずである。これまで水を運んでいたタンクローリーのタンクを移動式浄化槽とするのである。地震発生後、タンクローリーを走らせて、避難場所の近くに止める。そのすぐ横に、上記のへたくそな画像のようにタンクローリーのタンクの吸入口よりも少し高い位置に足場を設けて、そこに水洗式の簡易便所を置き、簡易便所の排泄口とタンクの給水口をホースでつないで、排泄物が流れるようにしておく。排泄物を流す水はゴムホースでも何でもいい、水が引ける管(くだ)状資材を使って井戸から導水すれば問題はない。

 タンクローリーのタンクがただのタンクのままだったなら、たちまち満杯状態になってしまう。浄化槽のように濾過装置を取付けて、水は外に排出、固形物だけ残せば、かなり長い間使えるはずである。無害状態で排水できる濾過器の設置など、技術大国ニッポンにしたら、お手の物であろう。
満杯となったなら、稼動している最寄の下水処理場までドライブして、空にして戻る。長い時間かかる距離なら、予備を数台用意しておいて、離脱した場所に備えて使い回せばいい。

 そのように改良して用途を特定した〝浄化槽ローリー車〟を国は各県ごとに数10台ずつ配備しておき、そのような車が必要と予想される地震が起きたなら、直ちに出動して、現場に近づけるだけ近づいて待機し、市町村の対策本部の指示に従って、各避難場所に出向く。道路が寸断されて、孤立した地域には運転していけないというなら、自衛隊のヘリコプターに吊り下げて運べばいい。旧ソ連の軍隊のヘリコプターが戦車を吊り上げて移動するテレビ映像を記憶しているが、できない話ではないと思う。自衛隊の訓練にもなるだろう。
また2005年4月25日の107名の死者を出したJR宝塚線列車脱線転覆事故を扱った05年7月18日uploadの≪「市民ひとりひとり」第91弾 救助活動・最善だったのかの検証≫の中で、阪神大震災で上水道・工業用水道の寸断によって消火栓が使えなくなり、消防車は火災が広がるのを手をこまねいて眺めるばかりでいたずらに死者を増やしていた危機管理無能力(地震発生直後の建物の倒壊を受けて多くは圧死していたと弁解していた)に対して、勿論その計算は難しいものがあると断った上で、<救出作業の迅速化及び効率化によって「死なせてしまう」だろう人間の数と、救助作業の遅滞によって「死なせてしまう」だろう人間の数を予想して、その差引き計算によって、より少ない死者数の救出方法を選択するという考えを救出活動に取り入れ専門家や政府関係者の判断に任せるという危機管理を主張した。

 阪神大震災では消防当局はヘリコプターからの放水はその重力で倒壊家屋に閉じ込められたまだ生きているかもしれない人間を圧死させるかもしれないからと、その方法を取らなかったと弁明したが(阪神・淡路大震災から約1年前のロサンジェルス大地震では消防当局は効果があったと証言している。)例え圧死者を出すことになったとして、消火が成功して延焼を防ぐことができ、より多くの人間が救出できたなら、その方法を取るべきではないかと考えた経験から、その具体例として消火用の水が使えない場合は江戸時代の大火災の消火に習って、火災地域の風下に位置する倒壊家屋の生存者の有無の調査を遠隔操作の小型カメラを使用して先行させて、生存者の存在が確認できなかったなら、実際には生存者が確認できない位置で存在していたとしても、、さらに死者及び確認できない生存者を圧し潰すことになる恐れがあったとしても、大型ブルドーザーを使用して倒壊家屋ともどもに可能な限り延焼を免れることのできる場所に寄せ集め、緩衝地帯を設けて延焼を防止し、より多くの生存者を救出する方法を最善と看做洲危機管理・救出方法を応用して、脱線転覆して重なり合ってぺしゃんこになった電車の車体を手前から順にエンジンカッターなどで切り開いていくのではなく、例えレッカーで吊り上げることによって車体がしなり瀕死の重傷者を圧迫して死をもたらすことになっても吊り上げて車両を一台ずつ引き離し、すべての車両に同時に救出にかかることができるようにすることによってより多くの生存者を見い出すべきではないかと主張したが、それは危険で人命尊重に反する方法だとお叱りを受けた。

 そのときは記事では指摘しなかったが、倒壊家屋を掻き集めるには「手作業」では追いつくはずはなく、重機を使用するしか方法はないが、ヘリコプターで運ンで吊り降ろす場所がなければ直接倒壊家屋の上に降ろしてから、重機オペレータを吊り降ろす方法がある。

 そういった自衛隊の大型ヘリコプターを活用して災害発生時には重機や浄化槽トイレに改良したタンクローリーを、もし道路が土石流や橋の崩落等で寸断されていたなら運んで利用することを危機管理の一つの方法とする。

 既にそういった遣り方を政府は危機管理の方法に入れて、訓練も行っているのだろうかとインターネットを検索したら、≪大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する≫が「災害時緊急支援体制検討委員会」によって起草されていることを知った。

 そこには<要請の趣旨
 我が国は、昔から世界に知られた地震国であり、前世紀末からでも、阪神淡路大震災、中越地震、福岡地震があり、地震学者からも、近く東海・東南海・南海、あるいは関東大震災などの可能性が予想されております。
 私どもは、11年前の阪神淡路大震災、中越地震などにおいて、瓦礫の下敷きになった人の救済が捗らず、また、無残に焼死したり、仮設住宅も十分でなく寒さに震えている方々の映像が、しばしばテレビや新聞・雑誌などで報道されるたびに、こうした報道が続くと、それは、時の政府への不信感につながることを憂え、平成17年1月7日、時の細田博之内閣官房長官にお目にかかり、数本の要請書を提出した中の一本、『国家の将来にとって喫緊の課題については、内閣府に特別予算枠を設け執行いただきたき要請』の1項目として、こうした大震災(特にマグニチュード5以上)に当っては、地方自治体や省庁ではなく、まず、内閣府が直接、救援の指揮と直接の対応をとっていただきたい旨、要請をいたしました。>という書き出しで、<(1)瓦礫に埋もれている人を出来る限り短時間に救出するため、自衛隊所有の大型ヘリコプターで(組立てなしの)12㌧前後のハサミ重機を、被災現場に空輸する。>自衛隊の大型ヘリよる重機運搬の活用を説いている。

 要するに重機運搬可能な大型ヘリコプターを自衛隊は所有している。ではなぜ活用しなかったのか。なぜ手作業なのか。「駒の湯温泉」の救出作業の場合はすぐ近くに川だか沢だかが流れている。重機はガソリンエンジンではなく、ディーゼルエンジンのため、マフラーに水が入らなければ運転可能で水深の浅い場所なら自由に動ける。工事現場でマフラーから排気ガスを撒き散らして周辺で手作業で仕事している作業員が排気ガスを吸わないように10センチ~15センチ直径の排気マフラーを蒸気機関車のように空に向けて突き立てていた重機もあるから、大概の水深の川でも降ろせるはずである。

 だが、残念なことに情報能力に優れた日本の政治家・官僚の例に漏れず、いつの提案なのかそのHPには日付が入っていない。それで検索を続けていくと、≪安倍晋三内閣官房長官と面談、要請書を提出≫なるHPに行き当たった。

 <平成18年2月22日午前10時、首相官邸に安倍晋三内閣官房長官を訪ね、4本の要請書を提出しました。
 要請書した4本の要請書は以下のとおり>として、<≪大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する≫>と前記HPと同じ提案書名となっている。

 今から2年4ヶ月前に安倍内閣官房長官に提案した危機管理対策だが、安倍官房長官が安倍総理大臣になっても、さらに福田総理大臣になっても「重機が入れずに手作業」と言うことなのだから、具体化されていない危機管理対策案ということになる。

 それとも検討したが不可能な提案で立ち消えになったと言うことなのか。そこで中国・四川省大地震で堰止め湖の排水作業に何台もの重機が活躍していたテレビ映像を思い出して「グーグル」で「四川省大地震 ヘリコプター」で検索してみると、簡単に見つかった。

 ≪中国・四川大地震:せき止め湖、いつ決壊するのか 住民、高台に逃れても消えぬ恐怖≫毎日jp /08年5月29日東京夕刊)

 <【江油(こうゆ)(中国四川省)庄司哲也】中国・四川大地震で出現した北川県の巨大せき止め湖、唐家山(とうかさん)ダムの決壊の恐れが強まっている。下流に位置する江油市では低地の住民の多くが既に避難。市街地は、まるでゴーストタウンのようだ。高台で暮らす避難民は「いつ決壊するのか」と、おびえながら暮らしている。

 せき止め湖が決壊すれば、水が押し寄せる可能性が高い江油市青蓮鎮(せいれんちん)では、21日から住民が避難を始め、6920人が周辺の高台などに逃れている。市街地の通りには人影は全くなく、商店のシャッターも下ろされたまま。地震で家を失った住民のテントが、無人のまま取り残されていた。

 青蓮鎮は唐時代の詩人、李白の居住地とされる。今回の地震で山門が崩壊した観光名所「李白故居(こきょ)」にも、湖が決壊すれば水が流れ込む。
地元紙「成都商報」(27日付)によると、全面決壊という最悪の事態になれば、さらに下流の綿陽市の住民を含む約130万人が、避難することになるという。
 
 唐家山ダムに排水路を敷設して水を抜くための工事が進められており、作業用の重機を運ぶ大型ヘリコプターが北川県の上空を往復している。
 
 唐家山ダムのすぐ下流にある北川県通口鎮(つうこうちん)では、約7000人の住民が避難し、一部の住民は近くの高台に設けられたプレハブの仮設住宅で暮らしている。周軍さん(36)は「決壊すれば、この高台は孤立してしまう」と、不安げに話した。>・・・・・・・・・

 「上空を往復」が中国にできて日本にできないはずはない。コウノトリを中国から貰い受けて人工飼育し日本の空を飛ばすだけが能ではあるまい。平成18年2月22日までには大型ヘリによる重機運搬が提案され、安倍官房長官に提案書が提出された。既に触れたように河川敷もあることだし、また水深の浅い河床も吊り下げ可能だから、「駒の湯温泉」周辺で降ろす場所がないわけではないはずだから、提案するだけの危機管理意識はあったが、実現化するだけの危機管理意識は持ち合わせていなかったということではないだろうか。

 いくら福田首相が「人命救助が一番」と言おうが、父親の福田赳夫氏は首相時代、連合赤軍日航機ハイジャックで人質となった乗客救出で「人命は地球より重し」の名言を吐いたが、最善の方法を尽くしても「人命救助」を具体化させることができなかった場合は不可抗力と言えるが、最善の方法を尽くさずして「人命救助」を言うのは単なる言葉だけ、口先だけの「人命救助」と化す。

 自衛隊大型ヘリコプターによる重機運搬の可能性を検証することによって福田首相の「人命救助が一番」が口先だけの言葉かどうかの検証を行うことができる。是非とも知りたい日本の総理大臣が口にした「人命救助が一番」の真偽ではないか。
      * * * * * * * * * * * * * * * *
 ≪泥の海、手作業の救出阻む 駒の湯温泉≫(記事はasahi.comから引用/2008年6月15日23時2分)

 <「手作業しか手段がない」
 捜索2日目となった15日、7人が生き埋めになった宮城県栗原市の旅館「駒の湯温泉」で救出にあたった消防隊員や自衛隊員らは進まぬ作業にあせりをのぞかせていた。

 沢の水を含んだ土砂が一面に広がり、傾いた2階部分だけが露出している。1階部分は土砂が流れ込んで、完全に埋まっていた。前日は2階の内部を捜索したものの、家財道具や土砂にふさがれ、奥まで入れずに終わっていた。

 ぬかるんだ現場に足場をつくるため、消防、警察、自衛隊員が約100人で丸太や畳を運び込み、敷き詰めた。道路が寸断されて重機を運べない。スコップで土砂を除き、バケツで屋内から水をくみ出し、家財道具を運び出した。

 「ドン」と響くような余震でも、一瞬手が止まる程度で作業はすぐ再開された。

 水をくみあげるポンプが空輸されて届くとようやく作業は進み始めたが、行方不明者がいるとみられた1階部分の捜索に入るまでに、作業開始から約4時間を要した。

 「1人発見」

 午後1時20分過ぎ、救出現場を取り囲む消防隊員からの声が届いた。
しかし、隊員らに歓喜の声はなかった。

 土砂で埋まった1階部分から土砂をかき出し、チェーンソーではりや柱を切り開いた。「もう1人」。数分間に、計3人の発見の報告が飛び交った。いずれも、土砂のなかの1.3メートルほどの間に続けて見つかったという。全身を毛布でていねいにくるまれた担架が運び出された。約1キロ離れた場所に待機するヘリコプターで市内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。

 残る4人は見つからないまま、この日の捜索活動は午後7時で終了した。現場の消防隊によると、生き埋めになった人たちは1階部分のほか玄関周辺など屋外にいた可能性もあるという。

 3人の遺体は同日夕、栗原市栗駒保健センターの一室に運ばれた。身元確認のために呼ばれた親族たちが、ひつぎの前に通された。扉を開いて顔をみると、ハンカチで目をおさえて泣き崩れた。>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本社会の権威主義的価値観が生み出し、マスメディアが増幅させた「誰でもよかった」無差別殺人?(1)

2008-06-14 00:57:31 | Weblog

 犯行の背景は私の場合はどうしても日本人が行動様式にしている権威主義性に行き着いてしまうんですね。バカの一つ覚えで。自分なりに原因を探ってみたが、戯言で終わる可能性あり。悪しからず。

 世界有数の電気街、若者文化の街――秋葉原の6月8日(08年)日曜日の歩行者天国で殺す相手は「誰でもよかった」無差別殺人が発生した。まず2トントラックで車両進入禁止の交差点内の歩行者の群れに猛スピードで突っ込み、何人かを撥ねて30メートル程走ってから車を停止させると、ナイフを持って交差点に引き返し、次々と歩行者と車に撥ねられて倒れていた者を刺していったという。

 死者7人、重軽傷者10人。加害者は最近とみに職業的「残酷物語」の対象とされている派遣職等を転々としてきて、最後も派遣社員の職にあった25歳の若者。あるべきだった「歩行者天国」があるはずもない「歩行者地獄」へと一瞬にして暗転させた逆説性は人間社会に常に潜んでいる危険な不確実性をある意味象徴させた事件となった。

 11日水曜日のNHKの朝のニュースが、殺人未遂の疑いで逮捕された男は「歩行者天国が始まるまで現場近くでトラックを止めて待っていた」と供述していることが分かったと報じていた。

 無差別殺害の現場となった歩行者天国は毎週日曜日正午から開始されるということだが、12時半頃に凶行に及んでいるから、30分以上は待機していたことになる。事件の惨状から考えると、人通りが増えるのを待ちながら、その間憎悪をない交ぜた狂気を淡々と維持し、その憎悪混じりの狂気をトラックのアクセルを踏み車の加速に合わせて一気に臨界状態を跳び超え、爆発、破局へと持っていったに違いないと想像したが、13日金曜日の「asahi.com」インターネット記事≪事件直前「ためらった」、加藤容疑者、30分周辺回る≫は、周辺道路沿いに設置したいくつかの防犯カメラが犯行に使用した2トントラックが走行している映像を映し出していたと伝えていた。その理由は8日午前11時45分に「秋葉原についた」あと、凶行着手の歩行者天国開始から30分過ぎた午後0時半頃までの間トラックを一ヶ所にずっと停めて待機していたのではなく、「ためらい」があって車を走らせていたと供述しているいう。

 あれだけの被害規模と凄惨な性格を持たせた事件である、どのような人間にしても「ためらって」当たり前の自然な行為であろう。カミソリで手首を切って自殺する人間のためらい傷に等しく、犯行結果からしたら、そのためらいは何程のこともない一過性の迷いでしかなかった。

 いずれにしても反抗意志はためらいを遥かに上回った。誰に向けた憎悪混じりの狂気だったのか。自分と同じ年代の若者に向けたのか。あるいは年代に関係なしに社会のすべての人間に向けてなのか。犯罪を予告し、実行スケジュールを書き込んだのとは別のインターネットの掲示板に「勝ち組はみんな死ねばいい」と書き込んでいることから考えると、自分を社会の「負け組」に位置づけていて、社会の成功者に向けた多分嫉妬も混じっていた憎悪と怒り、苛立たしさが抑えきれずに殺意への狂気と化し、歩行者天国に集う人間を社会の幸福ゾーンに位置した成功者「勝ち組」に見立て、身代わりの生贄としたといったところだろうか。

 この見方があながち間違っていなければ、「勝ち組」を罪ある存在と看做し、その罪の責任を秋葉原歩行者天国の歩行者である他者に転嫁し、断罪したことになる。それは自分にとって転嫁可能だったからだろう。本質的には八つ当たりに相当する行為だが、あまりにも代価の大き過ぎる慰藉となった。多分瞬間的な慰藉で終わって、時間の経過と共に後悔に取って代わられることになるのだろう。

 衝動的ではなく、計画的であればある程、用意周到さを招いて目的行為は徹底化される傾向にある。

 インターネットの掲示板に書き込んだという「勝ち組はみんな死ねばいい」「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」、それにの言葉、さらい母親への家庭内暴力の可能性が彼をして反抗を犯す人間に仕立てた原因を解くカギになるような気がする。

 その前にマスコミが伝えている各識者の解説の言葉を紹介してみたい。

 NPO法人・東京自殺防止センター創設者西原由記子「書き込みは、誰かに気付いてほしいという思いの表れだ」≪クローズアップ2008:「予告・実況」、東京・秋葉原殺傷 ゆがんだ自己顕示≫(毎日jp/2008年6月10日)

 小宮信夫・立正大教授(犯罪社会学)「予告で、強いメッセージを発し自分も盛り上がる。若者の街の秋葉原を現場に選んでおり、社会への復讐や反撃の意味が込められている」(同上記記事)

 福島章・上智大名誉教授(犯罪心理学)(自己顕示性を指摘したうえで)「携帯やネット社会の発達で、自分の存在を簡単に伝えられるようになった」(同情記事)

 人間が社会の生きものであり、その一員である以上、自己を他者によりよく知らしめたい欲求は本能として持っている意識成分である。常によき理解者の出現を待っている。当然そのような意識の線上で書き込みを行うのだから、西原由記子「書き込みは、誰かに気付いてほしいという思いの表れだ」は極当たり前のことを言っているに過ぎない。だが、実社会で自己にとってのよりよき理解者に恵まれていたなら、私のブログトップページの「恋人募集」と同じようなもので、わざわざインターネット上の仮想社会に自分という人間に「気づいて欲しいという思い」をぶつける必要は生じないのだから、仮想社会で理解者を知り得るかどうか、知り得たとしても実社会に取り込むことができるかどうか、それができなければ、期待した分、その反動が苦々しさを誘って実社会での空虚さを深めることになりかねない。

 6月11日(月)の深夜から12日にかけてマスコミ各社が掲示板の書き込みに気づいて止めてくれる人間の出現を期待していた供述があったことを報じ始めた。時間の早い順に並べると、

●「犯行予告を書けば、誰かが通報して止めてくれるかもしれないと思った」 
 (時事通信社/2008/06/11-23:59)
●「ネットの犯行予告に気づいて、だれかが止めてくれればよかった」
 (MSN産経/2008.6.12 01:08 )
●「通報されるなどして、誰かに止めてほしかった」(中日新聞/2008年6月12日 03時56分)
●(「秋葉原で人を殺します」など)ネットの犯行予告に気付いて、誰か止めてくれればよかった」
 (サンスポ2008.6.12 05:11))
●「掲示板を見ている誰かに犯行を止めてほしかった」(NHK/12日4時45分)

 これら供述は生活上の出来事の書き込み内容から自分という人間を理解して欲しいといった種類の「気づき」への期待もしくは願望を示した言葉ではなく、犯行自体への他人による制止を願った言葉であろう。

 但し「時事通信社」「誰かが通報して止めてくれるかもしれないと思った」と他の3社の「誰か止めてくれればよかった」「止めてほしかった」とは意味内容が決定的に違う。前者は書き込み時点から先の時間に向けた思いであって、後者は犯行後の時点から犯行前の時間に遡って向けた前者とは正反対の思いとなっている。

 どちらが正確な供述か現時点では分からないが、凶行直前に一時的に迷いは生じたものの、それを振り払って計画通りに着々と実行していき、自分で頭に描いた予定通りのクライマックスへと一直線に自分を持っていったその激しい勢いを持った展開には計画への実行と共に進行形で存在するに違いない誰かが止めに入ることを願う葛藤や迷いを何一つ窺わせない。「ためらい」は凶行直前に周囲の道路を車を走らせるだけで終わっているのである。

 犯行を犯してしまってから結果の重大さに気づいて、誰かが書き込みを警察に通報して止めてくれていたらこのような犯罪を自分は犯さずに済んだのではないかという後悔から生じた「誰か止めてくれればよかった」あるいは「止めてほしかった」という後付けの願望なら、自分の意志で決定し、自分の意志で実行する、当然のこととして自身の全面的な責任行為となる自らの主体性への認識を欠き、そのことを棚上げすることで可能とすることができる制止行為の他者依存であって、その心理プロセスには半ば責任転嫁意識が存在するようにも思える。

 自分を「負け組」に位置づけて「勝ち組」への攻撃を歩行者天国に集う人間に代償させたことと軌を一にする責任転嫁と言えないだろうか。

 福島章・上智大名誉教授が言うように「携帯やネット社会の発達で、自分の存在を簡単に伝えられるようになった」としても、またどこの誰と本名を名乗ったとしても、よりよき理解者が出現しなければ、仮想社会に於いても実社会でいやと言うほど経験済みのその他大勢の存在であることから免れることができるわけではない。

 また犯行が「社会への復讐や反撃の意味」があったとしても、加害者と社会との関係――社会とどう向き合っていたのか、どのように向き合わされていたのか、その人間が置かれていた社会的制約を読み解かなければ、「復讐や反撃」が社会的制約を受けて生じた社会に対するどのような思いの反動なのかは理解できないのだから、社会との相互関係性まで踏み込む発言を発すべきだったろう。

 西原由記子もそうだが、小宮信夫にしても福島章にしても、事実として現れた一連の経緯を表面的になぞって解説したに過ぎないコメントのように思える。

 大沢孝征弁護士「(容疑者は)誰も出来ないことをやってやろう、土浦の通り魔や池田小以上の事件を起こして後世に名を残そうという気持ちがあったのではないか」(≪「正社員はこんなことしない」のか? 秋葉原事件巡る論争)(スーパーモーニング:J-CAST テレビウォッチ/2008/6/10)

 10日午後の「朝日テレビ」だったと思ったが、犯人を「ああいった手合い」とか「ああいった奴」とか呼んでいたが、何だか人間を見たような気がした。果して「後世に名を残そうと」したのだろうか。

 作家・室井佑月「将来いつまで働けるか不安がある状況から這い上がれない世の中になってる。そこが一番の問題」(同記事)

 森永卓郎・獨協大学教授「(事件が起きた)1番の原因は彼の置かれた雇用状況」
「彼女がほしかったと思うんですけど、まったく恵まれなかった」
「非正社員の場合は結婚も恋愛も難しい」

 室井佑月森永卓郎は犯行の背景を社会との関係性から読み解こうとしている。「非正社員の場合は結婚も恋愛も難しい」は低所得者の未婚率の高さが既に統計されている。11日の昼のTBSで掲示板なのかチャットなのか、犯人と若い女性とのインターネット上の書き込みを紹介していたが、そこで学歴や見た目、職業で男を選ぶといった女に於ける異性選択の条件を、客観的な意見としてではなく、自身に欠けていて不当な扱いを受けているとった抗議の意味合い、社会に対する不満として述べていた。

 この遣り取りを裏返すと、学歴や見た目、職業、そしてその成果としての社会的地位や財産等に恵まれないことは社会の「負け組」の条件というわけである。勿論彼自身の価値観からすると、「負け組」に属していた。

 下田博次群馬大学特任教授「掲示板に悩みを書き込むことで孤独を解消しようとしたが相手にされず、自分を認めようとしない社会への不満が強まっていったことが読み取れる」
 「学校や職場での挫折感を掲示板で他人とつながりを持つことで癒やそうとしたのだろう」
 「掲示板でも相手にされなかったことで、かえって孤独感が募り、自分の存在を否定する書き込みが多くなっている。自分を認めようとしない社会への不満が強まって、無差別殺人を予告するような書き込みにつながっていったのではないか」
 「他人とのつながりを持ちたい人たちが集まる携帯サイトで、逆に孤独感を募らせていった典型的なケースだ。容疑者に1人でも心を通わせることができる生身の人間がいれば、事件は起きなかったかもしれない」(≪孤独感 掲示板で癒やされず≫/NHK/6月10日 19時24分 )

 既に指摘したように「容疑者に1人でも心を通わせることができる生身の人間」=よりよき理解者を現実社会に取り込むことができなければ、仮想は仮想でしかなく、実生活に反映されないその手応えのなさに空虚感は反動を伴って増殖する。これも表に表れた事件の経緯をなぞった表面的解説で終わっている。

 最後に6月11日朝のTBS「みのもんたの朝ズバッ」に出演していた大澤孝征弁護士に再びご登場を願って彼の事件真相に向けた慧眼を取り上げてみる。

 大澤孝征「実際にこれを取締るとなると、なかなか捜査上難しい点があると、いうことなんですね。今年に入ってから『殺人予告』などの書き込みで17人逮捕・補導されている(「今年1月~5月」のテロップ)。

 現実に犯罪があるのをどうにもできないという、そのこと自体が社会や警察、あるいはその他の取締まり機関に対する信頼性を失わせる元ですからね。ますますそういう世界が野放しになっていくってことになって、そうすると全体として社会の、その治安状態が悪化すると、そういう点からこれは把えなきゃいけないんじゃないかと,いうふうに思いますね。

 今回のケースで言うと、彼はこの書き込みで半分はどこかで見つかってくれないかなあ、という意識も半分ぐらいはある。もう一つはですね。こういうことをずっと書くことによって、将来自分は捕まる。どうせ死刑になるんだと。で、その間の分を全部書いておこうと気もあったと、だろうと、いうふうに思います。

 だって、あそこに彼が書いている、ワイドショーを独占したいということを書いているわけで。と言うことは、彼は色々とワイドショーも見ていて、自分は多分犯行したあとどうなるか、どういうふうに書かれるか、あるいは報道されるかってことも読み込み済みで今回の犯行をやったんじゃーないか。まあ、そういう意味では自分を主人公にした犯罪劇を彼なりに企画・演出、実行したって言っていいんじゃないかという気がします。

 土浦の事件を下敷きにしている。彼はあれを参考にしている。彼はあれに触発されている可能性、非常に大きいと思います。年代がほぼ一緒で、不満を持つ内容が同じ。誰でもいいから殺したいっていうことから見ても、似た心理傾向があったと。彼がやったんだから、自分だってできるだろうというふうに心理的なハードルを下げている可能性があるんですよ。

 で、こういう無差別殺人っていうのは戦前からあるんですよね。津山の30人殺しみたいなことから始まって、あの、いつでもあるんですけれこも、最近特に増えているのは、その、人を殺すってことに対するハードルの低さですね。それはもう極端に低くなっているので、自分がやりたいと思ったら、すぐ実行できてしまう。

 また、道具もですね、すぐ入手できる。しかもその手段・方法、あのインターネットを見ればですね、どういうとこで手に入れて、凶器を。そしてどういうふうに刺せば人を殺しやすいかまで、わざわざ指導しているわけでしょう。そういうふうに情報を入手しやすいってことも、ハードルを低くしている、その一つの要因になっているんじゃないかと思いますね」――――――

 ≪日本社会の権威主義的価値観が生み出し、マスメディアが増幅させた「誰でもよかった」無差別殺人?≫(2)に続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本社会の権威主義的価値観が生み出し、マスメディアが増幅させた「誰でもよかった」無差別殺人?(2)

2008-06-14 00:34:48 | Weblog

 大澤孝征は言う。「彼はこの書き込みで半分はどこかで見つかってくれないかなあ、という意識も半分ぐらいはある。」

 その一方で「こういうことをずっと書くことによって、将来自分は捕まる。どうせ死刑になるんだと。で、その間の分を全部書いておこうと気もあったと、だろうと、いうふうに思います。」と言っている。

 前者は中止を求める他人の出現に向けた期待を前提とした書き込みで、後者はやり遂げること、完遂に向けた意志を前提とした書き込みだとの指摘であるが、その中間にあってもいい迷い・ためらいの意識の存在を指摘して初めて前者から後者への行為展開が可能となるが、各新聞のインターネット記事を検索したところ、そういった迷い・ためらいの言葉を散りばめた書き込みを探すことができなかった。

 8日の事件当日に書き込んだのとは別のサイトへの計画段階から実行段階に向けた書き込みを08年6月10日03時04分の読売インターネット記事≪ナイフ購入など、数日前から携帯サイトに…加藤容疑者≫から参考引用してみる。

●4日午前0時58分/「俺(おれ)がなにか事件を起こしたら、みんな『まさかあいつが』って言うんだ
          ろ」

 4日午前5時32分以降/「親が書いた作文で賞を取り」「親が周りに自分の息子を自慢したいから、
          完璧(かんぺき)に仕上げたわけだ」
等々。
 4日午後5時7分/「土浦の何人か刺した奴を思い出した」
●5日/職場で自分の作業服を、周囲が隠したと思い込む記述。
●6日未明/解雇を覚悟した投げやりな記述。
 6日午前10時7分/名古屋市にいることとその後、ナイフを買いに福井県に来たとの書き込み。
 6日午前11時14分/「買い物 通販だと遅いから福井まででてきた。
 6日午後8時49分/「ナイフを5本買ってきました」
●7日/ソフトを売りに秋葉原へ行ったが、買い取り価格への不満。「買取32000(円)は舐(な)めて
          るだろ」
 7日午後1時14分/「レンタカーに空きがなかった トラックじゃ仕方ないかも」
 7日午後1時43分/「さあ帰ろう 電車に乗るのもこれが最後だ」
 7日午後4時1分/沼津市でトラックの予約。「小さいころから『いい子』を演じさせられていたし、
          騙(だま)すのには慣れてる 悪いね、店員さん」

 7日午後4時3分「無事借りれた 準備完了だ」――――

 そして事件当日直前の8日早朝から正午過ぎ、携帯電話サイトの掲示板に、今回の事件を予告する書き込み部分を6月9日の「毎日jp」記事から採ってみた。

 <◇携帯電話サイトに書き込んだ内容(原文のまま)
午前 5時21分 秋葉原で人を殺します 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います
          みんなさようなら

・午前 5時21分 ねむい
・午前 5時34分 頭痛が治らなかった
・午前 5時35分 しかも、予報が雨 最悪
・午前 5時44分 途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな
・午前 6時00分 俺(おれ)が騙(だま)されてるんじゃない 俺が騙してるのか
・午前 6時02分 いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される
・午前 6時03分 大人には評判の良い子だった 大人には
・午前 6時03分 友達は、できないよね
・午前 6時04分 ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれてた奴(やつ)らがいる
・午前 6時05分 全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中にまだ入っていることが、少し
          嬉(うれ)しかった
・午前 6時10分 使う予定の道路が封鎖中とか やっぱり、全(すべ)てが俺の邪魔をする
・午前 6時31分 時間だ出かけよう
・午前 6時39分 頭痛との闘いになりそうだ
・午前 6時49分 雨とも
・午前 6時50分 時間とも
・午前 7時12分 一本早い電車に乗れてしまった
・午前 7時24分 30分余ってるぜ
・午前 7時30分 これは酷(ひど)い雨 全部完璧(かんぺき)に準備したのに
・午前 7時47分 まあいいや 規模が小さくても、雨天決行
・午前 9時41分 晴れればいいな
・午前 9時48分 神奈川入って休憩 今のとこ順調かな
・午前10時53分 酷い渋滞 時間までに着くかしら
・午前11時07分 渋谷ひどい
・午前11時17分 こっちは晴れてるね
・午前11時45分 秋葉原ついた
・午前11時45分 今日は歩行者天国の日だよね?
・午後 0時10分 時間です
 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *  
 「午前5時21分」に殺人予告を出した。決行まで約7時間、 その間「誰かが通報して止めてくれるかもしれないと思った」といった期待を滲ませる言葉、あるいは迷いやためらいの言葉は何一つ窺うことはできない。

 そのことは「途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな」なる書き込みが証明している。これはそういった場面はご免だよと拒絶し、そうならないように願う気持から発する言葉であって、「誰かが通報して止めてくれるかもしれない」可能性への願望は一切含まれていないはずだ。
 
 「俺(おれ)が騙(だま)されてるんじゃない 俺が騙してるのか」は別サイトのナイフを買ったときの「小さいころから『いい子』を演じさせられていたし、騙(だま)すのには慣れてる 悪いね、店員さん」の書き込みと同じく、はっきりと意識していたわけではないだろうが、無差別殺人を計画した悪逆さへの言及であろう。計画はつい騙されて考えついたことではなく、身近な人間や世間の目に実際は殺人を犯そうとしているのに殺人を犯しそうにもない人間を演じて見せている猫かぶりとなる「騙り(かたり)」(4日午前0時58分の書き込み/「俺がなにか事件を起こしたら、みんな『まさかあいつが』って言うんだろ」)を冷ややかい振返った言葉であって、その思いを受け継いで、「いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される」「大人には評判の良い子だった 大人には」という書き込みが触発されたのではないのか。

 大澤孝征弁護士「朝ズバッ」「土浦の事件を下敷きにしている」と言っているが、もしそうであるなら、その事件を調べて文化包丁を凶器として1人を殺害し、7人に重軽傷を負わしたのに対して、自分はトラックで人混みの中に突っ込み何人か轢き、そして「車でつっこんで、車が使えなくなったら(殺傷能力の高いダガー)ナイフを使」う計画を立てていたのだから、何人ぐらい殺害可能か比較検討したはずで、そのことに反して犯行当日の予告とは別のサイトに書き込んだ4日午後5時7分の「土浦の何人か刺した奴を思い出した」は刺した人数もはっきりとは思い出せない曖昧な記憶であることからも「比較検討」とは相矛盾する書き込み時点で思い出した記憶であることを物語っていて、決して「下敷きにしてい」たと言えないことが分かる。

 大澤孝征弁護士「土浦の事件を下敷きにしている」と言っていたのは6月11日朝のナマ番組であって、その2日前の10日03時04分には上記読売記事が「土浦の何人か刺した奴を思い出した」の書き込みを伝えている。

 「人を殺すってことに対するハードルの低さ」に関しても、前々から指摘されている殺人に関する常套句ともなっている「最近は簡単に人を殺してしまう風潮」の体裁のいい言い直しに過ぎない。

 土浦の事件が今回の事件に意識下に全然影響しないわけではないだろうが、「土浦の事件を下敷きにし」たと解説した方が事件の衝撃性を高めると同時にそのように洞察したコメンテーター自身の価値をも高めることができることからの願望がなさしめた牽強付会に思えて仕方がない。

 この記事の冒頭部分で<「勝ち組はみんな死ねばいい」「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」、それに「親が書いた作文で賞を取り」の言葉、そして母親への家庭内暴力の可能性が彼をして反抗を犯す人間に仕立てた原因を解くカギになるような気がする。>と書いたが、これらをキーワードに日本人が行動様式としている権威主義性から事件の起因を窺ってみる。

 大澤孝征弁護士「朝ズバッ」「あそこに彼が書いている、ワイドショーを独占したいということを書いているわけで。と言うことは、彼は色々とワイドショーも見ていて、自分は多分犯行したあとどうなるか、どういうふうに書かれるか、あるいは報道されるかってことも読み込み済みで今回の犯行をやったんじゃーないか。まあ、そういう意味では自分を主人公にした犯罪劇を彼なりに企画・演出、実行したって言っていいんじゃないかという気がします。」と胸を張って言っているが、ワイドショーにしても日本社会が行動価値観としている権威主義性を反映し、反映すると同時にその権威主義性を牽引し、普及する役目を担う相互性によって自らの存在理由を成立させている。

 日本社会の価値観を反映していなければ、社会的に受入れられないことになる。社会的価値観(=権威主義性)を基盤として、その土台の上に濃縮させた、あるいは膨張させた権威主義の味付けで大衆を惹きつける。

 確かに「彼は色々とワイドショーも見てい」ただろうが、ワイドショーは何も犯罪とそれを犯し「負け組」と位置づけられることとなる犯罪者だけを大々的に取り上げるわけではない。スポーツ界や芸能界、あるいは企業の世界で成功して活躍する人間とその活躍を取り上げ、ときにはその裕福な生活ぶりを紹介し、ヒーローと持ち上げ、セレブと持ち上げ、否応もなしに勝ち組に祭り上げる。

 いわばその時々で話題となる「勝ち組」と「負け組」を適宜交互に取り上げ、「勝ち組」は徹底的に誉めそやし、「負け組」は徹底的に叩く。犯罪者を対象とした取材では親兄弟だけではなく、学校時代の同級生や近所の人間にまで取材の範囲を広げて、犯罪者の生い立ちを決定的に暴き立てようとする。

 ワイドショーのこのような二面的態度は日本社会の権威主義性を受けた権威主義的価値観から発した態度であろう。権威主義的価値観とは地位や財産、容貌・スタイル、家柄、学歴、職業等の上下で人間の上下を決め、価値づける思想なのは言を俟たない。

 学校社会に於いてはテストの成績でたくさん点を取った生徒がいい生徒・できる生徒とされ、生徒はそのような価値観を受けて大学までの学校社会全体を通していい生徒・できる生徒であるべく、その証明となるテストの成績を成果とする学歴の獲得にいそしむこととなる。当然のこととして東大・京大等の卒と地方の名もない定員も少ないちっぽけな大学卒とては人間の価値、人間としての扱いに雲泥の差がつけられる。

 各新聞社が発行する週刊誌が毎年大学受験の合格者発表に合わせて出身校別の東大やその他国立・私立の有名大学合格者名を特集記事で発表するのも権威主義的価値観を刷り込むワイドショー並みの貢献を果たしている。

 青森の有名な進学高校を卒業しながら、自動車整備士を養成する短大に進学したものの希望していた4年制大学への編入も適わなかった、いわば権威主義性から判断した学歴に関しては「負け組」に属する秋葉原無差別殺人の加害者にとって「夢…ワイドショー独占」は橋下大阪府知事やそのまんま東宮崎県知事、あるいは大リーグのイチローや結婚して騒がれたニューヨークヤンキースの松井、その他のように「勝ち組」として独占できない逆説として願ったアンビバレントな願望であったに違いなく、大澤孝征弁護士が言うように単に凶悪な犯罪者としてワイドショー独特の報道で大々的に取り上げられることを願ったといった単純な話ではないだろう。

 母親が自分が書いた作文で子供が賞を取ったことも、子供の感性を問題にしたのではなく、あるいは感性の育みを問題にしたのでもなく、作者が誰でならないかを無視して作文の成績だけが上位に位置づけられ、頭のいい子と褒められる(=評価される)ことを狙った権威主義的価値観に囚われた出来事と言える。

 母親の能力に頼った成績だったから、それが「学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられた より優秀な弟に全力を注」ぐ望みもしない状況を招いて、その恨みから母親への家庭内暴力に発展した?・・・・・・。

 誰にしてもそうだが、彼だって「勝ち組」として「夢…ワイドショー独占」>を果たしたかったに違いない。だが、そうなることもワイドショーが表現してくれることになる権威主義的価値観に自己の存在を委ねることに変わりはない。権威主義性に囚われていても、その力学を力として曲がりなりにも「勝ち組」のメンバーに迎えられることになれば問題はないが、権威主義性を力とし得ずに「負け組」を居場所としてしまった場合は自分自身も囚われていたことに反して逆に権威主義的価値観を批判することになり、そのような価値観で動く社会を最終的には自己とは相容れない敵と看做し、社会そのものを憎悪するようになる。

 このことこそが秋葉原の日曜日の歩行者天国で7人を殺し、10人に重軽傷を負わせることとなった彼が採った道ではないだろうか。大澤孝征に言わせれば、「ああいった手合い」、「ああいった奴」が採った道ということになるが。

 権威主義的価値観の呪縛から逃れてそこから自由の身になるには学歴がなくても自分は自分で自分なりの人生を築いていく。たいした職業に就いていなくても自分は自分で自分なりの生活を築いていく。恋人がいなくても40歳50歳で相手に恵まれる男もいるのだから、自分は自分で自分なりの夢を追いかけるというふうに、辛くはあっても自身を主体的存在へと持っていく以外に逃げ道はないと思うのだが、そうなり得なかったところに彼の悲劇があるように思える。最後まで権威主義的に上位の価値に拘っていた。このことは決して「分を弁えろ」と言うことではない。「分を弁える」とは権威主義的に自己を下位の位置に立たせることで、権威主義の呪縛にかかっていることに変わりはない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする