田原総一郎の貧困な客観性は日本人全体のものなのか

2007-03-31 08:44:41 | Weblog

 今日土曜日の早朝(07.3.31)、朝日テレビの「朝まで生テレビ」で「日中同時生放送」と題して日中の識者が議論する番組を放送していた。歴史認識とかの日中の対立点をテーマとしていたようだが、パソコンを叩きながら、聞くともなしに聞いていた。

 その中で田原総一郎が、「アメリカもイギリスもフランスも植民地をつくっていた。日本はその真似をした。今から言えば、悪いが、その当時は常識だった。日本の植民地は悪いが、アメリカやイギリス、フランスの植民地は悪くない。どうしてなのか」といった質問を例の小賢しげな表情で出席者にぶっつけていた。

 質問自体がバカげていることと、中国側にもたいした論者はいないようだったこと、もうひとつパソコンがフリーズするばかりで、前日一端空にして再セットアップしたものの、バックアップしておいた単語登録の一括入力がうまくいかず、仕方がないから一つ一つ登録していこうと思って試してみたら、「登録できませんでした」のメッセージが繰返されるばかり。単語登録のソフトが収めてあるフォルダを調べてみると、自動認識すべきファイルのうち、文字が壊れているファイルがあるから、削除を試みたが、今度は「他の人が使用しているか、ファイルが開いている状態にあるために削除できません」のメッセージ。他人が使用しているわけでもない、開いているわけでもないのに削除できないのは怪しいファイルと思って、「レジストリ」を開いて、同じ名前のファイルを削除したが、収めてあるフォルダからは消えていなくて、再度削除を試みたが、不可。しかし試しに単語登録を試みてみると、登録ができた。さらに試しに一括登録してみると、3分の2程度成功。ところが文章を書いていて、登録した単語が出てこない。それではと、一旦パソコンを閉じて、電源を入れて立ち上げ直してみると、やっと登録した単語まで出てくるようになった。ついルンルン気分になって、焼酎の水割りを一杯。朝から飲むのは暮れから正月にかけてと、あと年に数回だが、その回数で今後とも続くかは保証の限りではない。

 そんな具合で、田原の愚かしい質問に対する中国側の答を聞いてもいなかったが、田原の言う「その当時は常識」は、大国の「常識」であって、侵略され、経済の点だけではなく、人間性に関しても搾取される小国及び小国の国民にとっては「常識」どころか、〝悲劇〟そのもの、あるいは如何なる神の存在も疑わしくなる〝無慈悲〟そのもので、それは当時の中国及び中国人にとっても同じ状況にあっただろう。だから中国人は執拗に抵抗し、日本は泥沼にはまり、無様な結末を迎えることとなった。

 日本が無条件降伏を受けて終戦に至る1945年8月15日を1ヶ月も遡らない1945年7月末の満身創痍の状況下でも、軍は「軍人慰労」と称して兵士の性処理に女性を狩り集めるエネルギーをせっせと費やしていて、有効活用している。そのようなエネルギーの有効活用は国家経営にはたいした能力を発揮できないが、各種裏ガネをプールして自分たちの「慰労」のために飲み食いしたり天下って、甘い汁を吸う現在の日本の官僚の生業となって現れているのではないだろうか。いわば美しい歴史・伝統・文化として受け継いでいるということではないのか。

 現在の日本の官僚世界は戦前の旧大日本帝国軍隊と武器を持たないだけで、そっくり入れ替わった集団・組織と思えて仕方がない。日本人の民族性としてある権威主義性が最も色濃く現れていた組織・集団がかつては旧軍隊であっただろうし、現在は国会議員の世界と官僚世界に最も色濃くあらわれているのではないだろうか。

 ジャーナリズムを職業としていながら、田原の雑な頭の中には大国が小国を翻弄する関係力学を歴史は自らの悪意としてきた、そして今なおし続けているといった認識はさらさら思い浮かばないらしい。いわば田原は大国意識、上の意識に立って、自分の常識を常識として疑わない、そこから一歩も出ない感覚で自らの言葉紡ぎ出し、それを正当な主張だと思い込んでいる。

 05年11月3日の朝日新聞朝刊の『近隣外交を問う』の記事の中で「ジャカルタ・ポスト編集局長エンディ・バユニ氏」は次のように言っている。(何度も例にしてすみません。)

 <「戦後、日本は東南アジアに対し、十分に経済的に償ってきた。大半のインドネシア人は日本の過去について、すでに忘れているし、許してもいる。だからといって日本の3年半の統治が残酷なものだったという事実は変わらない。オランダの3世紀半の植民地時代よりもひどかったという人もいる」>

 この言葉のどこにも、戦前の植民地主義が「その当時は常識だった」とする正当性は存在しない。立場を変えて考えることのできない客観的認識能力を欠いた人間がテレビで売れっ子のジャーナリストとしてもてはやされ、本を書けば、多くの人間が買い求める。日本人の精神性に受け入れる素地があるということなのだろうから、多くの日本人が客観的認識性に関して同じレベルか、それ以下ということにならないだろうか。

 もう一つ、田原は「日本は戦後戦争を放棄し、交戦権は認めていない。中国はどうです」と、そうでないから答に困るだろうと承知した聞き方で詰め寄るように小賢しげな得意顔で聞いていた。

 その質問に一人の中国人出席者が「田原さんはコーディネーターでなくなり、自分の意見を言うようになった」と言い返されていたが、田原の質問は日本のジャーナリストだからそうなるのか、中国が置かれている国防上に於ける地政学と日本の国防上の地政学とでは違いがあるとする客観性を欠いた質問となっている。

 まず一度侵略を受けた国は再度の侵略に用心深くなる。これが人間の自然である。中国は満州事変以降15年もの間生半可ではない被侵略状況にあった。侵略した側と侵略を受けた側の事後措置に違いが生じるのは当然な事態であろう。

 一方の侵略した側の日本の戦後の「戦争放棄」・「交戦権否認」は戦争に対する平和と同じく、侵略に対する反対概念から生じた事象であって、それも侵略の手痛いしっぺ返しに懲りながら、羹に懲りて膾を吹く程度の反対概念であたったから、軍隊もどきの自衛隊を早々に準備することになったのだろう。最近では核武装論まで飛び交っている物騒な状況を考えると、他国に対して、「日本は戦後戦争を放棄し、交戦権は認めていない。中国はどうです」などと偉そうな口を叩ける立場にはないはずである。しかも戦前的国家主義の立場から〝9条〟を変えようとしている国家主義者・安部晋三が後に控えている。ということは田原の「日本は戦後戦争を放棄し、交戦権は認めていない。中国はどうです」という言葉自体がいつ賞味期限切れするかわからない状況にあるということで、そのことにも気づかない、先を見る目もない議論に過ぎないということになる。まあ、田原の頭では仕方のないことか。

 さらに言うなら、戦後から現在までの「戦争放棄」・「交戦権否認」を可能としたのは世界一の経済大国・世界一の軍事大国であるアメリカの経済的及び軍事的庇護があったからこそで、憲法で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と謳いながらの自衛隊の存在、さらに朝鮮戦争でもベトナム戦争でも間接的に関与している「戦争放棄」・「交戦権否認」でもある。あくまでも正々堂々と言える「戦争放棄」・「交戦権否認」ではない。

 中国はベトナムやインド、そして同じ社会主義国の先輩格である旧ソ連とも軍事衝突を繰返した、他国と国境を接している地政学と違い、日本はどの国とも国境を接していない島国である。そういった有利な地政学も条件に入れて、軍事問題も語らなければならない。

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石原慎太郎「犯罪DNA論」からも読み取れる日本人の血の絶対性

2007-03-29 07:16:27 | Weblog

 かの有名な石原「犯罪DNA論」。一頃横行した中国人犯罪の共通した手口から、犯罪手口が中国人の民族的DNAの中に組み込まれているとする主張は中国人のDNAそのものを悪性とする、中国人の根幹に関わる中国人蔑視・中国人劣等視であって、日本人の血を絶対的位置に置いているからこそ展開可能とすることができる比較対照であろう。

 そこには日本人の犯罪性との相対化が一切存在しない。相対化させるだけの認識性を欠乏させているからに他ならない。相対化の阻害要件は自己(=日本人・日本民族)の絶対化なのは言うまでもない。自己絶対化が相対的認識性を抹消してしまう。

 石原慎太郎は自己絶対視の基準を日本人としての自己個人に置いたとき、差別・蔑視は同じ日本人でも身体障害者や高齢女性といった社会的弱者に向かい、日本人全体(=日本民族)に置いた場合、中国人やその他の国の人間に向かうことを可能とする。

 差別・蔑視の標的を特に中国人に集中させるのは、昨今の中国の目覚しい経済発展・経済膨張及び外交能力が優秀だと信じている日本民族の全体性を上回った場合、自己の精神の核としている日本民族優越意識を損ないかねなことへの苛立ち、日本民族の優秀性を裏切ってその失われた10年からの脱却が中国の経済発展・中国特需に力を借りた他力本願であることへの苛立ちが言葉での貶めとなって現れているのではないか。言葉の貶めで中国人そのものを過小評価し、そうすることで苛立った精神のバランスを取るという図式である。

 日本の官僚の水増し請求偽装による裏ガネ作りと、そのカネでの自分の懐を痛めない卑しいばかりの飲み食いにしても、官民談合にしても 省庁の随意契約によるキックバックにしても、天下りによる私腹肥やしにしても、日本の政治家の政務調査費の不正使用にしても、不正な迂回政治献金にしても、政治献金されたカネの政治資金収支報告への意図的な記載隠しにしても、それらの手口は多くの省庁に亘る官僚にほぼ共通し、国会議員から市町村議員にまで亘る多くの日本の政治家に共通することだから、石原「犯罪DNA論」に照らしたなら、それらの薄汚い日本の官僚行為・日本の政治家行為は「日本人のDNA」が仕向けている薄汚いコジキ犯罪と位置づけなければならくなる。

 日本の政治家・官僚はその殆どが大学までの高等教育を受け、中には東京大学・京都大学といった最高学府中の最高峰の卒業生までいる。そういった高度な教養と常識を抱え、人格的にも行い正しい行為が求められる国の機関に携わる人間のコジキ行為と在日中国人が犯す強盗・殺人等を比較した場合、どちらを悪質とし、どちらを低劣とすることができるだろうか。

 中国にも政治家・官僚の汚職・犯罪はあるが、もし石原慎太郎が日本の政治家と日本の官僚のこのような嘆かわしいばかりのコジキ行為の蔓延と中国人犯罪と比較した場合のその低劣さ・悪質さに少しでも目を向ける認識性を持つことができたなら、犯罪手口が中国人の民族的DNAの中に組み込まれているといったことは言えなかったろう。

 このような認識能力のない人間が都知事に当選することは許されるだろうか。

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石原慎太郎が持つ日本人の血の絶対性

2007-03-28 10:23:46 | Weblog

 あるブログ記事に次のような興味を引く一文があった。石原慎太郎に関する文章である。

 <弟の石原裕次郎が結婚した時には、裕次郎を自分の部屋に呼びつけて、「在日の女なんかと結婚するのはお前の勝手だが、絶対に子供だけは作るなよ! この石原の家系が在日の血でけがされちゃかなわんからな!」って恫喝したことでもオナジミの石原慎太郎だけど、選挙のたびに、その弟の石原軍団を勢ぞろいさせて、自分の応援をさせてたんだから、まったくもって、厚顔無恥とはこのことだろう。>

 「この石原の家系が在日の血でけがされちゃかなわんからな!」

 「石原の家系」だけではない。日本のすべての家系が、日本人のすべての血が朝鮮人や支那人の血で汚されてはならないのです。それ程までにも日本人の血は純粋・絶対・優秀なのです。民族的にも日本民族の血は最優越の位置にある。日本人の多くが自らの意識に抱えている日本民族優越の思い・日本民族優越意識は日本人自らが創り出しだ日本の歴史と伝統・文化の美しさ・素晴しさによって裏打ちされ、完成させた確信・信念なのです。

 何と言っても、日本民族の起源である天皇が日本の美しい全歴史を通して自らの血を男子による万世一系の形で継承してきたのは、日本人の血が優秀であり、絶対的なものであったからで、そうでなければ、万世一系は無意味・無価値となり、万世一系なる言葉自体も担わせてきた輝き・勲章を失う。日本人・日本民族の優秀性・絶対性の凝縮された表徴が天皇であり、万世一系なのです。

 当然天皇・万世一系と日本人・日本民族の優秀性・絶対性は相互対応関係にある。

 1946(昭和21)年1月1日に発した『新日本建設に関する詔書』で、天皇は「朕ト爾等國民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい=物と物、人と人とを結び付ける役割を果たす大事なもの)ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ旦日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ(ひいて=その結果)世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニ非ズ」と言っているが、「日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有スト」する観念は決して「架空ナル」ものとはなっていなく、今以て多くの日本人の血の中に信念として、日本民族優越意識として生きづいている。意識の上で日本民族を世界の上に置く「世界支配」を健気にも日々果たしている。

 世界一美しい富士山も日本人・日本民族の優秀性・絶対性の大事な上に大事な表徴の一つとなっている。その美しさを日本人の血に反映・注ぎ込んで、富士の美しさと響き合わせている。日本人が日本には美しい富士山があると誇るとき、日本人をも美しいとイコールに位置づけることになるのはそのためです。

 だからこそ、何が何でもだからこそ、日本人の血が他民族の「血でけがされちゃかなわんからな!」なのです。難民を受け入れないもの、外国人労働者受入れに日系優先なのも、日本人の血・日本民族の血を優秀・絶対と価値づけて、他民族の血を、特に白人種以外の血を劣る血としているからなのです。

 従軍慰安婦問題で旧日本軍といった国家機関の関与を否定するのは日本民族の優秀性・絶対性に綻びを与えて自己否定の矛盾をきたすことになるのを防ぐためなのです。右翼政治家・下村博文官房副長官が「直接的な軍の関与はなかったというふうに私は認識している」としているのも、優秀・絶対の日本民族の代表格たる大日本帝国軍人が従軍慰安婦に強制的に関わって、浅ましい性欲の鬼と化していたなどとしたら、誇るべき優秀・絶対を失うからです。日本の美しい歴史・伝統・文化が美しくない歴史・伝統・文化となってしまうからなのです。安倍晋三以下、彼ら国家主義者は日本の美しい歴史・伝統・文化を守ろうと必死です。隠すことでしか、守ることができないからです。

 優越民族のファーストクラスにどっかりと踏ん反り返りながら、譬えるなら白人が登場した途端にファーストクラスを譲ってエコノミークラスにコソコソと退却する、日本民族優越意識を真っ向から裏切る、薄れたとは言うものの、まだまだ引きずっている白人コンプレックスは、日本民族優越意識が内弁慶か井の中の蛙が誇る程度の優越性となってまずいが、そこまで認識する客観的な目を持ち合わせていないことが、持ち合わせていないからこそ「家系が在日の血でけがされちゃかなわんからな!」の日本民族優越意識を振りまわすことができるのだが、日本人にとって優秀であると信じ込む上での救いとなっている。客観的認識能力ゼロ民族、バンザイ!!

 国籍法が血統主義なのも、日本人の血・日本民族の血を優秀・絶対と価値づけているからこそです。天皇に見習って、日本人の血は日本人の血で永遠に万世一系と同形式を貫き通さなければならない。貫き通すことによって、日本の歴史と伝統・文化は美しさ・純粋さを守り通すことができる。「美しい国」日本は永遠の命を獲得することができるのです。

 安倍晋三「美しい」首相が「ポストという名前に大変抵抗を感じる。匿名で子どもを置いていけるものをつくるのがいいのか。大変抵抗を感じる」と赤ちゃんポストに反対なのも、同じ日本人の子と分かっていても、父親と母親がどこの誰か知れないことと他人が育てることが血の優秀性・絶対性を損なうと考えているからです。血の優秀性・絶対性は産んだ父親と母親が直接育て、社会に送り出すことによって、初めて些かも損なうことなく維持できる。どこの誰とも知れない子であってはならないのです。

 血というものは本人だけに関係する事柄ではなく、純粋培養的に受け継ぎ・受け継がれる継承によって日本人性・日本民族性を獲得し、血としての価値を高め、優秀性・絶対性を獲得して万世一系へとつながっていくのです。これが日本人の持つ〝血〟観です。〝痴漢〟ではありません。〝血液〟観という言葉を使ったら、優秀だ、絶対だといった精神的価値づけを入り込ませる余地を失うから、どうしても〝血〟観になってしまう。困ったものだ。

 石原裕次郎夫妻に子供ができなかったのは、妊娠する機会がなかったからなのか、兄石原慎太郎の厳しいお達しを守って子どもをつくらなかったからなのか、どちらかなのかと考えたが、当然兄慎太郎の厳しいお達しを守った結果でなければならない。そうであってこそ、血は裕次郎個人を離れて、日本人である兄慎太郎の「在日の血でけがされちゃかなわんからな!」の血を同じく引いて、「在日の血でけがさ」れないことを守った弟裕次郎となることができるからである。石原慎太郎が今回の都知事選で当選したなら、東京都民は今後4年間、優秀・絶対の日本民族の血を引いた小天皇を頭に抱くことになる。名誉なことではないか。

 但し、「在日の血」を引き、「在日の血でけがされ」た都民は石原慎太郎当選の暁には同じ4年間を石原都知事のいつ噴き出すことになるかもしれない差別の目を恐れ、差別の目を逃れ、コソコソと過ごすことを覚悟しなければならない。そのときは優秀・絶対の日本民族の一員ではないのだから、仕方のないことと諦めるか、ただただ石原が落選することを願うか。まあ、浅野史郎に頑張ってもらうしかないが。

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NHK番組『インドの衝撃』から見る安倍教育再生・2

2007-03-27 11:29:09 | Weblog

 (「MR・ラビシャンカルさん 技術サービス部統括」のテロップ)
 ラビシャンカル「ここで行っているのは未来の製品開発と言えます。この頭脳を利用したいという企業が世界中にいます」

 男性解説「ここは最先端の開発を行っているソフトウエア工学技術研究所です(その映像)。独自の技術を開発し、世界の顧客に提案しようとしています。400人の技術者たちが10年20年先を見越した研究を行っています」

 ラビシャンカル「これには小さなコンピューターが搭載されています(タバコのケースの2倍ほどの大きさ。アンテナがついている)」

 男性解説「今取り組んでいるのは小型無線センサーです。温度や湿度、振動などを感知し、互いに無線でメッセージを交信し合います。異変があれば、直ちに警報を発して知らせます」

 ラビシャンカル「担当者のところにすぐにメッセージが届きます」

 男性解説「より高度なソフトウエアと組み合わせることで原子力発電所から地震や津波の監視まで、幅広い利用の仕方を提案しようとしています。培ってきた技術と専門知識によって、これまでI T企業を超えた新しいビジネスモデルをつくるというのです」

 (「去年11月」のテロップ)

 男性解説「今インフォシスでは、より多くの頭脳の獲得に乗り出しています。この1年間で採用した社員は2万5千人。2週間に一度入社式が行われています。社員たちは130万人の応募者から選ばれました。IITを初め、いずれもインドトップの大学を卒業した人材ばかりです。次々と湧き上がってくる若い頭脳に最新のテクノロジーを吸収させ、かつてない規模の頭脳集団をつくるといいます」

 インフォシス社長「私たちが目指すのは次世代のI Tサービスとコンサルティングを両方兼ね備えた企業になることです。最高の頭脳と世界規模の実行力を組み合わせれば、解決できない問題はありません。そうすれば世界で誰もできない仕事ができるのです」

 (アメリカサンフランシスコ プラカードを片手に掲げた街頭デモの映像)

 女性解説「インドの頭脳は先進国に脅威を与える存在になりつつあります。アメリカではこの数年仕事を失うI T技術者が増えています。背景の一つに大容量のデータを高速遣り取りできる通信網の整備が進み、インドが世界と結びついたことがあります。インドは英語を話せる多数の技術者を武器にソフトウエアの開発など欧米から様々な仕事を獲得するようになりました。変貌するインドの姿を通して今世界で何が起きているのかを描き、ベストセラーになった本があります。(『The World Is Flat』と題名のついた書物の映像)『フラット化する世界』です。40カ国で300万人に読まれています。このフラットが均一化した世界では地球規模の一つのネットワークがあり、世界中の人々が初めて同じ土俵で平等に競争できるようになったのです。この本を書いたのはピュリッツァ賞を3度受賞したアメリカのジャーナリスト、トーマス・フリードマンさんです」

 フリードマン「すべては頭脳で決まるのです。もはや地理的概念も距離も意味をなさなくなりました。テクノロジーもインフラも、どこでも誰でも同じよう物を持っています。では、違いは何かと言えば、頭脳だけです。世界がフラットになったことで、インドの多くの頭脳が突然世界とつながり、パワーが爆発したのです」

 女性解説「フリードマンさんがこの本を書いたのは2004年にインドを訪れ、インフォシスのムラカニ社長に会ったことがキッカケでした。頭脳を武器に世界にビジネスを展開する姿に衝撃を受けたと言います。科学者や高度な技術者を生み出すには長い時間がかかる。アメリカは国を挙げて、科学や工学の教育に無制限の予算を組み、直ちに行動を起こさなければならない。これはこっそりと忍び寄る、しかし本物の危機なのだ」

 フリードマン「フラット化によって新しい仕事を手にするには十分に頭脳を磨いておかなければなりません。少年時代は私は両親にいつも言われていました。ご飯を残さず食べなさい、インドの人たちはおなかを空かせているのだ。しかし今、私は孫たちにこう言います。しっかり勉強しなさい。インドの人たちは君たちの仕事をおなかを空かせて狙っているのだからだ」

 男性解説「頭脳だけで世界をリードし始めたインド。しかし11億の国民の中には自分の名前を書くことのできない人も大勢います。識字率は65%です。子どもたちは働き手とされ、学校に通えない子供も少なくありません。(「インドの進学率」のテロップと進学率を示した表)11歳から14歳の子供のうち学校に通っているのは61%。高校生の年齢になるとさらに減ります。大学まで進む人は7%。日本の7分の1です。(「18~24歳――7%」のテロップ)政府は2015年までに大学進学率を倍にしたいとしています。しかしそれだけの教育費を払える人はまだ限られています。インド北部にあるセパール州。インドでも特に貧しい地域です。そのビハール州で頭脳の力で貧しさから脱け出そうと若者たちが集まる場所があります。理工系大学の受験塾。(番組の最初の場面に戻る)ラマヌジャン数学アカデミーです。インドが生んだ天才数学者に因んで名づけられました。(一方の壁は吹き抜けていてなく、天井にいくつもの扇風機。生徒はスシ詰め状態)トタン屋根の吹きさらしの教室で毎日1000人の生徒が学んでいます。朝10時から7時間。土日も休みなしで数学・化学・物理の授業が行われています。授業料は1年半で1万円。普通の塾と比べて格段に安くなっています。(机のない生徒もいる。膝にノートを置き、書き込んでいる)この学校を始めたのはアーナンド・クラル先生、34歳です。優秀な成績でケンブリッジ大学に合格しながら、学費が払えないために留学を断念しました。若者たちに同じ思いをして欲しくないと5年前にこの塾を始めました」

 アーナンド・クラル先生「大学を諦めたときは本当に悲しかったです。エンジニアになる夢も叶わなくなり、もう人生が終わったと思いました。その痛みは今でも忘れません。ですから、貧しい者でも学べる場所を何とかつくりたいと思ったのです」

 男性解説「アーナンド先生は夕方の時間を使って特別な授業を行っています。IITインド工科大学を専門に目指す特選クラス『スーパー30』です。授業料は無料です。優秀であるにも関わらず、家が貧しくて授業料を払えない生徒30人を選抜して行われています。全員のIIT合格を目指し、高度な問題に取り組ませています。去年は30人中28人が合格しました。インド各地に数ある塾で最も高い合格率です。アーザード・クマールさん19歳。スーパー30に選ばれた一人です。アザードさんはたちは学校が借りているアパートに住み込んで勉強しています。4畳半一間に2人の生徒が暮らしています。IITを目指しているアーザードさんは家が貧しいため、高校卒業後2年間働きながら勉強しなくてはなりませんでした。スーパー30の生徒は家賃も食費も塾から援助されているため、勉強に専念できるといいいます。スーパー30の生徒たちの家は殆どが農家や露天商などです。生徒たちは家計を助けるために働かなければなりませんでした。好きなでき勉強できる環境は生徒たちにとって願ってもないことです。毎日16時間勉強に打ち込みます」

 アーザード・クマール「物心がついたときから家の貧しさばかりを見てきました。お祭りのとき、周りのみんなは新しい服を買ってもらっているのに、うちだけは買って貰えませんでした。IITに入り、立派なエンジニアになって会社を興したいです」

 男性解説「IITの受験を半年後に控えた去年11月、アーザードさんは受験勉強が本格化する前に久しぶりに村に帰りました。アーザードさんの村は電気も水道もありません。村人は500人です。全員が小規模な農業で生計を立てています」

 (家族の紹介)

 男性解説「家族は両親・祖父・二人の弟、それに妹の合わせて7人です。アーザードさんの家族は人から土地を借りて小麦や菜の花を栽培しています。(鍬を使って、腰を曲げながら土を掘り起こしている裸足姿の映像)1年間の収入はおよそ5万円。アーザードさんがIITに合格することは一家にとって貧しさから脱け出すことを意味するのです。IITに合格すれば、学費の融資を受けられます。今一家はIITの受験料3000円だけは何とか工面しようと80歳の祖父まで家族総出で働いています」

 父親「生活が苦しく、じいちゃんの薬代にも事欠きます。スーパー30がなかったら、IITの受験など諦めるしかありませんでした」

 男性解説「アーザードさんがIITを目指したのは自分や家族のためだけではありません。村には小学校しかなく、アーザードさんは毎日2時間かけて別の村の中学校に通っていました。こうした状況を何とかしたいと思ってしたのです」

 父親(アーザードさんに)「IITに必ず合格するんだよ。お前は貧しさを身を以て知っているのだから。村のみんなのためにも頑張りなさい」(カースト制度に縛られているのか)

 祖父「孫が合格して外国で働くようになれば、村の道路もよくなりますよ。事業もしたら、村も変わりますよ」

 男性解説「アーザードさんはIIT入り、成功したら村に中学校を建てて、子どもたちに学ぶチャンスを与えたいと考えています」

 アーザードさん「お金を稼いで、家族の暮らしも村のみんなの暮らしもよくしたいと思っています。スーパー30のみんながIITに合格し、それぞれの村をよくしていけば貧困もなくなり、インドはきっと素晴しい国になると思います」

 (雨が降っている。ラマヌジャン数学アカデミー・受験塾。壁のない側の席に陣取った生徒は吹き込む雨を避けるためにこうもりを差しかけて授業を受けている)

 男性解説「今、若者たちは貧しさから脱け出し成功を掴むために真剣に頭脳を磨き始めています。インドでは人口の半分が25歳以下の若者です。その数は5億4千万人。インドがもつ最大の資源・頭脳が大きなパワーとなって湧き出そうとしています」

 (ムンバイ・IITの映像)

 男性解説「先月ムンバイでIITインド工科大学の総会が開かれました。(「IIT年次総会」の字幕)総会にはカラム大統領も出席しました。自らも化学者である大統領はインドの将来は頭脳立国戦略の更なる発展にかかっていると訴えました」

 カラム大統領「IITのみなさんの力でインドの若者を刺激し盛り立ててください。2020年にまでにインドを先進国にしましょう」

 男性解説「総会には卒業生5千人が世界中から集まりました。卒業生たちはインドの発展に力を合わせようと世界規模のネットワークを結成しています。これまでにI T産業の将来や貧困、インフラ整備の問題などについて話し合い、政府に提言を行ってきました」

 コンサルタント会社社長「IITで培った頭脳は我々の強みです。インドに変化を起こすために政府に掛け合い、政府と協力して物事を前進させます」

 I T関連企業会長「インドにはエネルギーが漲っていますが、同時に問題も抱えています。卒業生たちはIITで受けた恩を今こそインドのために返したいのです」

 男性解説「インドの頭脳パワーはどのような発展の道を辿るのか。インフォシスのニレカニ(?)会長はネールが始めた技術エリートによる国づくりの裾野を大幅に広げようと訴えました。

 ニレカニ会長「インドのすべての若者が教育を受けられる環境をつくることは私たちIIT卒業生の重大な責務です。若者たちが平等に競争に参加し、大きな夢を見ることができるようにしなければ、インドに富という野望をもたらすことはできないのです」

 男性解説「総会ではIIT卒業生たちが国や社会に積極的に働きかけて頭脳大国を目指していくことで一致しました。独立から今年60年目を迎えたインド。困難な状況の中で頭脳立国を目指してきました。生み出されてきた人材はインドの成長を支え、世界を揺るがす力にもなろうとしています。わき上がるインドの頭脳パワー。その勢いはさらに加速しようとしています」

 「第1回 わき上がる頭脳パワー」――
 * * * * * * * *
 インドの全てが優秀な価値状況にあるというわけではない。この「第1回 わき上がる頭脳パワー」でも貧困の存在を取上げているが、07年2月6日NHK放送「インドの衝撃 第三部」でも、インドには1日1ドル以下の生活者が3億人いると紹介しているし、06年の1年間で100人を超える貧しい農作業者が借金苦で自殺している村があるという農村の貧困問題や3人に1人が字を読めないといった深刻な問題も抱えている。

 だが、「世界で最もソフトウエアエンジニアが多いのはインド」であり、「NASAでは技術者の10人に一人がインド人」と紹介されているようにインド人の多くが優秀な頭脳の持ち主であり、そのような優秀な頭脳がインド国内は愚か、世界中で活躍しているという状況は紛れもない事実であろう。NASAで何人の日本人科学者が活躍しているのだろうか。

 そのようなインド人の「優れた頭脳を生み出しているのは建国以来の頭脳立国戦略」だと解説は言っている。具体的な方策としては大学では「学生に徹底的に考えさせる」思考重視を中心に据えた教育の実施であり、そのことを実現させるために試験では「時間内に多くの問題を解くのではなく、一つ一つの問題を時間をかけて考え」、「答に辿りつくまでの思考過程」を重視する方法が採られているとしている。

 小学校の数学授業でも、計算式と答の関係に何らかの法則を見い出すことができる計算方法を訓練づけているが、それは法則を見い出そうと全体を見る目(=全体を考える目、全体を知る目)と同時に、全体を法則によって成り立たせている原理(=基本)を見る目(=基本を考える目、基本を知る目)を相互関連的に養って合理的思考能力を高めさせようと図る教育目的からのものだろう。その成果が小学校のチラグ・アガルワール女教師が言ってたように、「子どもたちは自分で解き方を発見することもあります。考えることの面白さを知るのです」ということなのだろう。

 日本のコマ切れ知識をそのままになぞって暗記して自らの知識とする従属的な思考形式では全体を見る目を養われることはないだろう。ここからよく言われる日本人の視野の狭さ、多角的ものの見方の不足がきているのは言うまでもない。、

 インドの教育に於ける物事を成り立たせている法則とその原理を知ろうとする思考の働き(=知の働き)は訓練づけられることによって数式計算だけではなく、人間の営為や自然界の現象にも自然と向けられるだろうから、国語の授業や歴史の授業でも活用され、それが数学の授業にも撥ね返って、相互に高めあう働きをしているに違いない。音楽を学べば、学び始めた早い段階で、単に歌うだけで終わるのではなく、それぞれの曲を成り立たせている音の動き・音符の動きには一定の法則があり、何らかの原理に則っているということを知るのではないだろうか。

 小学校や中学校での法則と原理を学ぶ思考訓練と大学での「学生に徹底的に考えさせ」、「模範解答を覚えさせること」よりも、「答に辿りつくまでの思考過程が最も重視され」る思考一辺倒の授業プロセスとが必然的に対応し合い、相互刺激しあってより高度な思考の質を獲得することとなり、小学校から大学まで通した総合的な成果と発展が「インドの頭脳」ということではないだろうか。

 とすると、単に縦横に如何に早く足し算・引き算するか、あるいは掛け算・割り算するかで成績を競わせる百ます計算が日本の教育の現場で持て囃されているが、そこにあるのは数字の全体的な配列を見てそこに何らかの法則や原理を見い出そうとするインド式の思考訓練教育とは正反対の、思考過程をまったく排除した機械的計算教育を主眼としたものに過ぎないということにならないだろうか。

 既に取上げた「時間内に多くの問題を解くのではなく、一つ一つの問題を時間をかけて考え」、「答に辿りつくまでの思考過程」を重視する方法は百ます計算のどこにも存在しない。

 いわば機械的に素早く計算する能力は獲得できても、計算に思考の働きを添わせて身につけていく想像性(創造性)は養うべくもない機会提供で終わっていると言えるのではないだろうか。

 番組に紹介されていた小学校3年生の姉と未就学の妹が盤を挟んで対戦していたインドで人気のゲームにしても、百ます計算のように単に足したり引いたり、あるいは掛けたり割ったりするだけではなく、左右の計算式の答がイコール(=)を挟んで等しくなるように兼ね合いを考えることを覚えさせる仕組となっている。そこに足し算や掛け算を入れたら、左の式の数字よりも大きくなってしまうから、引き算が割り算で対応して、左の式の答えに近づけ、最終的にイコールになるよう計算式を立てるべく考えることを否応もなしに求められることになる。繰返すうちに、自分なりの計算の法則を打ち立て、それがどのような原理を持っているか考え至るのではないだろうか。

 機械的計算能力を養う百ます計算が持て囃されるのも、元々日本の教育が詰め込み暗記式教育を日本の美しい歴史とし、伝統・文化としているのだから無理もない話だが、インドの小学校では「子どもたちはノートも鉛筆も一切使わずに頭の中だけで計算します」と女性解説者が解説していたのとは逆に日本ではゆとり教育の導入で教科授業が減らされ教科書が薄くなったことが問題化し、内容を増やす動きがあるが、日本の教育が暗記教育だから暗記するための材料を必要とするからで、暗記量を増やして学力を上げようとする方向に対応して教科書を厚くしなければならないことから起こっている当然の事態でもあろう。

 考える教育なら、問題となるのは教師の思考能力のみで、極端なことを言えば、教科書がなくても考える素材を一つ提供するだけで、教師の思考能力・想像性(創造性)に応じて素材を如何ようにも応用して生徒の思考能力に反映せしめ、それを高めることができるし、授業時間を充実した状態で埋めることもできる。いわば教科書の有無、あるいは薄い厚いは教育を行う上での絶対的な必要不可欠条件ではない。インドの教育がそれを証明している。

 しかしこの不思議の国、「美しい国」日本では教科書の「薄い・厚い」が問題となる。

 敗戦後日本の国家主義教育を改革すべく日本に乗り込んできたアメリカの教育使節団はその報告書の第一章「日本の教育の目的及び内容」で、「高度に中央集権化された教育制度は、仮にそれが極端な国家主義と軍国主義の網の中にとらえられていないにしても、強固な官僚政治にともなう害悪を受ける恐れがある。教師各自が画一化されることなく適当な指導のもとに、それぞれの職務を自由に発展させるためには、地方分権化が必要である。
 斯くするとき教師は初めて、自由な日本国民を作りあげる上で、その役割を果たし得るであろう。この目的のためには、ただ一冊の認定教科書や参考書では得られぬ広い知識と、型通りの試験では試され得ぬ深い知識が、得られなくてはならない」(文部省・学制百年史 資料編 [一 教育法規等 (一) 米国教育使節団報告書])としているが、「地方分権化」云々以前に、60年後の日本の教育の現実は国定教科書制度から脱し得たものの、検定制度でそれを補い、その影響下で学校及び学校教師は似たような教科書を用いて年々似たような授業で大学のテストに合わせた似たような項目的知識を暗記させる、思考過程を剥ぐことによって成り立たせることができる「画一化」教育を専門としているのみである。

 このことは「自ら考え、自ら判断して、自ら決定する」思考過程を備えたゆとり教育を結局のところ根付かせることができず、ゆとり教育とは逆行した本来的な教育形式である暗記知識強化による学力向上教育への一斉回帰現象が証明している。その顕著な表れが全国一斉テストの復活であり、テスト成績の発表による学校評価であろう。

 「自ら考え、自ら判断して、自ら決定する」思考能力はテストの点数では一律的には計れない。

 現在テストの点数教育を加速させているのは安倍教育再生政策である。個人の権利・自由を国家に画一的に従属させたい衝動を抱えている国家主義者にとっては、従属思考を基本原理とした暗記教育は従属人間を育てるには好都合で、暗記式従属思考から離れて自由な発想を求める思考能力教育は却って国家主義の障害となるからである。

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NHK番組『インドの衝撃』から見る安倍教育再生・1

2007-03-27 10:01:07 | Weblog

 もう大分前のことで、視聴した人もいるだろうが、07年1月29日NHKスペシャル『インドの衝撃 第1回わき上がる頭脳パワー』。

 「インド・ビハール州」(テロップ)
 男性解説「インド北部のビハール州。インドの中で特に貧しいこの州で、大学の合格を目指し懸命に学ぶ若者たちがいます。(乗客で混雑する駅のコンコードかプラットフォーム、あるいは澁谷か新宿の最も人混みの多い時間帯のスクランブル交差点の人混みのみたいにスシ詰め状態になった生徒の映像)およそ1000人が吹きさらしの教室で毎日7時間勉強しています。貧困から脱け出し、成功へのキップを手にしようとしています(どの目も真剣に黒板に向けられている)。若者たちを駆り立てているのは頭脳を武器に世界中に活躍するインド人の存在です」

 (NASAの噴煙を噴き上げてロケットが宇宙に向けて打ち上げられていく瞬間の映像・「2003年6月」のテロップ)

 男性解説「4年前、アメリカのNASAが打ち上げた火星探査機。初めて火星(の表面の映像)に水が存在していたことを確認した歴史的プロジェクトを支えたのはインド人でした。NASAでは技術者の10人に一人がインド人です(飛行管制センターの中なのか、打ち上げの成功をだろう、白人女性と抱き合い大きく左手を振りながら喜び合う色の黒いインド人女性。)

 「アミーゴ・ゴーシュ博士 火星探査チーム」(テロップ)
 博士「私たちインド人は化学や物理では誰にも負けません」

 「WindowsVista」のテロップ。

 男性解説「明後日世界で同意発売される最新の基本ソフト。この開発にも大勢のインド人が関わっています。世界で最もソフトウエアエンジニアが多いのはインドです。その数160万人。今やインドの頭脳は世界をリードし始めています。

 (小学校教室風景)

 女教師「333333×333333は?」(数字を読み上げながら黒板に書いていく。黒板に
   33333×33333
  333333×333333 の文字。

 男性解説「優れた頭脳を生み出しているのは建国以来の頭脳立国戦略。(「頭脳立国戦略」のテロップ)子どもたちが算数を好きになるために様々な工夫がインドにはあります。」

 (小学生が席から立ち上がってまで競い合うように手を上げ、口々に答を言い合っている。次に大学キャンパスの映像。歩いている大学生の殆どがノートか教科書を持ち、見ながら歩いている大学生もいる。)

 男性解説「さらにインド最先端の理工系大学では60倍の競争率を勝ち抜いた学生たちに独自のエリート教育を行っています。インドが生み出す膨大な頭脳。今、世界を圧倒しようとしているのです」

 (「トーマス・フリードマンさん ジャーナリスト)のテロップ」
 アメリカ白人男性・フリードマン「国境が消え、時代が変わり、突然インドの頭脳が世界とつながり、爆発したのです」

 男性解説「広大な国土に11億人が暮らすインド。今、苦難の歴史を超え、21世紀最も成功する国と言われています。インドの衝撃。第1回は世界で台頭する頭脳パワーの秘密に迫ります」

 『第1回 わき上がる頭脳パワー』(テロップ)

 (近代的なショッピングモールの光景。客で混んでいる。列になった客を乗せて動くエスカレーター)

 男性解説「年率8%の高い成長率に湧くインド。街中のショッピングモールは商品を買い求める人々で賑わっています。(ファッショナブルな服装を身に纏った若いインド人女性がサンダルを選んだり、指輪を選んだりしている購買光景の映像)

 男性解説「2005年のインドのGDPは7885億ドル。およそ94兆円です。この20年間で3倍以上になりました。25年後には日本を超える経済大国となり、およそ40年後にはアメリカに迫ると言われています。(山積みされたハイカラなシャツの山の映像)この好景気を支えているのがI T産業です。(「バンガロール」のテロップ)その中心地ガルタカタナ州の中心都市バンガロール。国内で最もI T技術者が多く、インドのシリコンバレーと呼ばれています。この町だけでソフトウエアエンジニアが20万人もいます。今、バンガロールでは世界の企業が優秀な人材を求めて、研究開発の拠点を次々とつくっています」

 (DELL Microsoft の商標看板・社名看板をつけた建物の映像)

 男性解説「その数は100を超えます。殆どが欧米の大手企業です。アメリカのインテルもその一つです。(「インテル・インド」のテロップ。インテルの社名看板のついた建物の映像から社内にカメラがパン。無数のセクションで仕切られた一つ一つのコンパートメントでパソコンに向かっている社員)現在3000人の技術者がコンピューターの心臓部であるCPUを初め、最先端の技術の開発を行っています。インドに進出して7年。質の高い技術者を大勢採用してきたことで今や最も重要な研究開発の拠点の一つとなりました。

 (「フランク・ジョーンズさん インテル・インド社長」のテロップ)
 ジョーンズ「インドに進出した理由はインドにある莫大な人材の金脈を発掘するためでした。もはやインドの頭脳なくしてわが社は1日も成り立ちません」

 男性解説「このバンガロールの郊外(空から見た光景の映像)に近代的なビル群が建ち並ぶ一画があります。敷地面積32万平方メートル。インドを代表するI T企業・インフォシス・テクノロジーズの本社です(「インフォシス・テクノロジーズ)のテロップ。敷地内の一画にピラミッド型の青々とした建物の映像」。世界39箇所に拠点を広げ、急速な成長を続けています。この1年間の売り上げは3600億円に達する見込みです。従業員はおよそ7万人で、その94%がI T技術者です。平均年齢27歳。インドの若い頭脳が世界の企業を相手にソフトウエアを開発しています。明後日世界で同時発売されるマイクロソフトの次世代基本ソフト・ウインドウズビスタ。(「Winndowsvista」の商標映像)インフォシスはこの開発に深く関わっています。マイクロソフトとインフォシスの共同開発センターです(その光景映像)。両者は技術的な協力関係を結び、ソフトウエアの開発に当たってきました(社内風景)。ビスタの開発でこの会社が行ったのはシステムの詳細な検証です。従来よりも多機能になったこのソフトがスムーズに作動するかどうか確認し、その上で具体的な改善策を提案してきました。アメリカとインドにはおよそ半日の時差がありました。アメリカが夜の間はインフォシスの技術者たちがソフトウエアの開発に取り組みます。こうした開発が可能なのは高い技術力があるためです。インフォシスはこの技術力を武器に世界の500社とビジネスを展開しています」

 (「ナンダニ・ニレカニさん インフォシス社長」のテロップ) 
 ニレカニ「何より重要なのは頭脳なのです。優秀な頭脳がさらに最先端のテクノロジーを身につければ、非常に高い競争力を発揮できるのです。私たちはそうすることで、世界の中で誰にも負けない存在になるのです」

 男性解説「質が高く、豊富なインドのI T技術者たちは一体どこから生まれてくるのか。(「ムンバイ」のテロップ)インドでは毎年およそ40万人もの理工系の学生が卒業します。中でも最も優秀な学生を輩出するのがIIT(アイ・アイ・ティ)インド工科大学です。(大学キャンパス風景)ムンバイの他、ニューデリーやチェンナなど全国に7つのキャンパスがあります。学生はおよそ2万6千人です。(英語での授業風景)コンピューターサイエンスや都市工学、宇宙工学などについて高度な内容の授業や研究が行われています。IITには厳しい試験に合格した選りすぐりの学生たちがインド各地から集まってきます。(食堂内の映像)化学工学を専攻するジッタールター・ジョーシさん(男性)です。ジョーシさんはインド北部の町の出身です。町でIITに合格したのはジョーシさんが初めてでした。IITの競争率は60倍。世界で最も高い倍率です。毎年30万人が受験しますが、合格できるのは5000人です。インドのトップエリートとしての自覚が生まれます。

 (「ジッタールター・ジョーシさん IIT化学工学専攻」のテロップ)
 ジョーシ「IITに合格することは大きな喜びであり、達成感を与えてくれます。そして次はもっと大きなチャレンジをしたくなります。高い目標を定め、そこに向かって全力で頑張ろうと思うのです――」

 (授業風景)

 男性解説「IIT教育の特徴は、学生に徹底的に考えさせることです。授業では答に辿りつくまでの思考過程が最も重視されます。この日、ジョーシさんは化学工学の授業を受けました。教授は模範解答を覚えさせることはしません。常に答に辿りつく方法を自分で、しかも複数考えるように指導します。

 授業中の教授「みなさんがよく使う方程式の他にも、実は3種類の方程式があります。すべての場合について、自分で方程式を完成させて置いてください」

 男性解説「IITでは基礎的な実験が重視されます。(化学実験室の映像)ジョーシさんは実験で得られたデータをどのように応用すれば高度な問題を解くことができるか考えています。

 (「サンジャイ・マルジャニさん IIT科学部助教授」のテロップ)
 助教授「産業界は非常に複雑で、化学の知識がなければ解けない問題がたくさんあります。こうした複雑な問題を物理や化学や数学を用いてどのように解決するのかを身につけさせるのです」

 男性解説「この日ジョーシさんは期末試験に向かいました。試験にも特徴があります。短時間内に多くの問題を解くのではなく、一つ一つの問題を時間をかけて考えます。1科目につき3時間、この日の試験問題は10問。すべて技術式です。難しい問題でも最後まで考えることが重視されます。例え答を出せなくても、その過程が論理的で、独創性に富んでいれば評価されます」

 (夜、学生寮の外観)

 男性解説「IITでは学生たちは大学内の寮で暮らしています。(1人部屋の映像)部屋にはパソコンとベッド以外は何もありません。毎日出される膨大な課題。ジョーシさんはこの日も化学問題に関する課題と10時間向き合っていました。学生たちは互いに独創的な解き方を競い合います。(ジョーシの部屋に二人の学生が訪れている)自分一人では気づかない問題点が明かになり、新たな発想が生まれるといいます」

 学生1(ジョーシに)「この二つの気体は互いに影響し合うはずだ。他の条件も考える必要があるよ。反応があるかないかで違ってくるはずだ」
 学生2(ジョーシに)「君の解き方だと、ちょっと違うと僕は思うよ。気体を別々に分けて考えなければならないはずだ」
 ジョーシ「なる程、そういう方法もあるかもしれないね」

 男性解説「いつでも調べ物ができるよう、図書館は夜中の1時まで開いています。(図書館内の映像)授業料は寮費も含めて年間7万5千円。他の理工系大学の6分の1です。インド政府はIITに年間75億円を投じて、将来のインドを支えるエリートを育成しています。

 ジョーシ「私たちは自分や家族のためだけに勉強しているのではありません。誰もが国のために貢献したいと考えています。他の人たちが受けられない教育を受けているのですから。IITの出身者の名にふさわしい活躍をして、期待に応えたいと思っています」

 男性解説「IITが設立されたのは1951年、インドが独立してから4年後のことでした。最初にキャンパスが設置されたのは西ベンガル州のカラグプル。独立運動の盛んな地域でした。設立当初から教壇に立つサミュアル名誉教授は当時の教授や学生たちの意気込みをはっきりと覚えています。

 (「G.S.サミュアルさん IITカラグプル校名誉教授」の字幕)
 名誉教授「インドを発展させるためには私たちが頑張らなければ、一体誰がやるんだとみんなが思っていました」
 
 男性解説「IITが校舎として使ったのは植民地時代イギリスが政治犯を収容した刑務所の跡でした。収容されていたのは独立運動のために戦ったインドの知識人でした。ここにIITを設立することを決めたのはインドの初代首相ネールです。インド建国の父といわれるネール。(当時の映像。人力車が走る)200年に及ぶ植民地支配の間に大きく立ち遅れたインドを発展させなくてはならない。そのためには産業の基盤を一からつくり上げる技術エリートの養成が急務だと考えたのです。長年独立のために使ってきたエネルギーと優秀な頭を国家の発展のために生かして欲しい。(IIT第1回卒業式の記念写真。かなりの年齢に達しているネールが教授や学生に囲まれて正面に座っている)」

 男性解説「資金や設備も乏しい中で頭脳さえあれば成果をあげられる数学や化学に特化した教育が行われました。ネールからインドの将来を託されたIIT。頭脳によって国を興す。インドの頭脳立国戦略が始まりました」

 サミュアル名誉教授「自分の将来のためでなく、インドの未来を作るのだといつも励まし合ってきました。私たちはこの場所から世界のトップレベルを目指してきたのです」

 男性解説「この決意どおり、卒業生たちは世界中で活躍しています。NASAで火星探査に携わるアミタープ・ゴーシュ、(と次々と顔写真つきで照会されていく)企業向けコンピューター大手サンマイクロシステムズ創業者ビノット・コースラ、世界最大規模の携帯電話会社ボーダフォン最高経営責任者アルン・サリン、大手航空会社USエアウエイズ元社長、ラケシュ・ガングワールなど、その舞台は多岐に亘ります」

 (「IITボンベイ校学長 アショーク・ミシュラさん」字幕) 

 学長「IITでは何もないところから考えて、新しいアイデアを生み出せる人材、そしてリーダーにもなれる人材を育ててきました。だからこそ、卒業生たちは科学の分野は勿論、ビジネスの世界で成功し、トップに上り詰めることができるのです」


 男性解説「IITの学生を獲得しようと今、世界中の企業が殺到しています」

 教室での企業説明「今わが社はアジアで急速に業務を拡大しています。優秀なみなさんに是非とも来ていただきたいのです」

 男性解説「世界大手のI T企業から金融やコンサルティングの会社など(ヒューレッドパッカードやマイクロソフトの商標が映し出される)160社が今年求人の訪れました」

 (「ニシャド・カマートさん ヤフー技術責任者」の字幕)
 インド人らしき風貌のカマート「わが社なら、あなたの能力を十分に発揮できます。デザインの開発責任者として大いに活躍できます」

 男性解説「ジョーシさんも今年4年生。大手金融機関への就職を希望しています。欧米の企業の中には初任給1千万円を提示するところもありますが、しかし最近ではインド国内で就職したり、自分でビジネスを起こす学生が増えています。インド経済の活況を受け、これまで海外に流出していた卒業生たちもインドに戻り始めています」

 ジョーシ「IITで学んだあらゆる物事を深く考え、分析する姿勢はどんな分野でも役立ちます。社会に出てからも、それを大いに役立てたいと思います」

 男性解説「インド最大の資源である人材で国を興そうというネルーの頭脳立国戦略。世界が求める優秀な頭脳を次々と生み出しています」

 (「小学校の教室風景」

 女性解説「インドでは子どもたちが算数を好きになるような様々な工夫をしています。小学校では算数の授業は毎日必ずあります。3年生の授業では先生は黒板を使わずに口頭だけで計算問題を出しています」

 女教師「5505÷は?」

 女性解説「子どもたちはノートも鉛筆も一切使わずに頭の中だけで計算します」(日本の教科書が薄くなったは無意味と化す)

 子どもたちが一斉に「1101」と答える。

 女性解説「毎日10分間繰返すうちに桁数の多い数字でも頭の中で計算できるようになるといいます」

 (別の女教師、黒板に
     3×3=9
      33×33=1,089
     333×333=110,889
     3333×3333=1,110,889と書いた紙を張る。
 女性解説「こちらは5年生の教室です。算数に興味を持たせるための授業が行われていました。掛け算に現れる不思議な法則です」

 女教師「33×33は1,089です。よく見比べてみてください。法則がありますよ。333×333は110,889になりますねえ」

 女性解説「33×33の答1,089と333×333の答を比べると、1の前に1を、8の前に8を足せば答が出ることが分かります」

 女教師「それでは33万3333×33万3333はいくつになりますか?」

 女性解説「この法則さえ覚えれば、例え何桁になっても答を出すことができます。(子どもたちが手を上げ、椅子から立ち上がって口々に答をいう)子どもたちは他にも法則がないか競って計算するようになります」

 女子生徒「数字で遊べるから、とても楽しいの」
 男子生徒「簡単じゃないし、楽しくもないけど、算数は世界で一番素晴しいと思う」
 男子生徒「頭を鍛えてくれるし、算数ができれば他の教科は何でもできるから」

 チラグ・アガルワール女教師「子どもたちは自分で解き方を発見することもあります。考えることの面白さを知るのです」

 女性解説「インドでは学校から帰った後も、家庭で算数を愉しんでいます。小学校3年生のビドゥシちゃんの家で、家族団欒の時間にも算数は欠かせません。これはインドでは人気のゲームです。手持ちのコマで上下か左右に計算式を成り立たせるのがルールです」

 (両親に見守られながら、姉妹で対戦している。碁盤よりも一回り程度大きな升目のついた盤上に=(イコール)で挟んだ左右、あるいは上下の数式の答が同じになるように数字や記号を書き入れたコマを使って足し算や引き算、あるいは掛け算や割り算を複雑に組み合わせて数式を組み立てていく。組み合わせが多い程、升目を早く埋めていくことができる。そのようなゲームのようである)

 女性解説「1年生の妹とこのゲームをするのが日課になっています。ゲームに勝つためにビドゥシちゃんと妹は競って計算します。4×3=12-0」

 ビドゥシちゃん「18×3=8+16-2・・・・」

 女性解説「ビドゥシちゃんはまだ学校で習っていない掛け算と足し算を組合わせた計算ができるようになりました」

 母親「下の子もまだ掛け算を習っていないのに3×4は12だと、ゲームで自然に覚えてしまいました」
 父親「興味を持って楽しみながらやるのが一番なので、どんどん新しい計算の仕方を身につけていきますからね」

 (「インフォシス25周年記念式典 去年78月」の字幕)

 男性解説「インドの頭脳立国戦略は今、企業にまで広がっています。優秀な頭脳をさらに磨き上げて成長を続けているのがインドのI T企業インフォシスです。創業者のエレカニ社長、ムルティ名誉会長。二人は共にIITの卒業生です。1981年、二人はIITの卒業生の仲間と共にソフトウエア会社を立ち上げました。元手は借金して集めた250ドル。当時の金額で5万円程でした」

 ムルティ名誉会長「インドでは長年紙とペンだけで考えるしかありませんでした。だから、物理や数学には自信があったのです。幸いにしてソフトウエアの開発なら、多額の投資は要りません。必要なのは頭脳だけです。それならいくらでもありましたからね」

 男性解説「頭脳の重要性を知る創業者たちは人材戦略に大きな力を入れてきました。5年前総工費360億円をかけて巨大な研究センターを造りました。(インフォシス研究センターを空から俯瞰した映像)70万平方メートル。この研究センターでは一度に6千人が学ぶことができます。ここには様々な設備が整えられています。スポーツジムからビリヤード、ボーリングやロッククライミングの練習場(ロッククライミングをしている社員の映像)まであります。能力を最大に発揮させるにはゆとりある環境も必要だという考えからです。この日は採用されたばかりの新入社員の研修が行われていました。研修は16週間に及びます。大学で身につけた専門知識をビジネスの現場でどう生かすかが教え込まれます」

 女性研修教師「私たちインド人によくありますが、会話の途中に少しでも間があると、すぐに話し始めます」

 男性解説「顧客が抱えている問題を聞き出すための訓練です。ここでも考える姿勢が重視されます。相手の表情や声の調子、契約内容まで様々な情報を分析し、顧客にとって最適な解決策を考え出します」

 同女性研修教師(新入社員に)「相手の話を積極的に聞いてください。そしてしっかりと理解することです。行間も読まなければなりません。相手が言わないことまで想像力を働かせてください。口に出して言うことよりも、言わないことの方が大事なこともあるからです」

 男性解説「頭脳こそが競争力の要だとするこの会社では、新入社員に限らず、頻繁に研修が行われます。人材育成に投じられる費用は年170億円。最新の情報とテクノロジーを吸収していくためには欠かせないといいます」

 ニレカ・インフォシス社長「わが社ではアウトソーシングの受け手だけはなく、世界規模で変革を起こすためのパートナーになりたいと考えています。私たちはテクノロジーの分野で何が起きているか分かっていますが、本当の挑戦はその知識を生かして、最高の解決策を生み出すことなのです」

 男性解説「インフォシスでは社員の専門性を高めることにも力を入れています。社員は航空・運輸・金融・エネルギーなど業種別に17の分野に分かれ(「航空・運輸・自動車・金融・流通・通信・エネルギー・保険・生命科学など」のテロップ)、担当を変えることは殆どありません。専門知識を蓄えることで、より高度な仕事ができるようにするのが狙いです。その成功例の一つが最新鋭の航空機エアバスA380(空飛ぶ映像)です。世界初の総2階建て。ヨーロッパが威信をかけて造り上げた超大型機。中でも重要な主翼の設計にインフォシスは関わりました。A380を担当したチームは航空機の構造に関する専門知識を持つ技術者で構成されています。その高い分析力とシュミレーションソフトを組み合わせることで殆どの工程をコンピューター上で検証できるようにしたのです。これは翼構造の内部構造です(その映像)。様々なパーツを複雑に組み合わせるため、従来は試作品をつくり何度もテストを繰返さなければなりませんでした。しかし、シュミレーションによってその回数を大幅に減らし、製品開発の在り方を大きく変えました。画面の赤い部分は強い圧力がかかっていることを示します。それぞれの部部にかかる圧力を高度や速度など様々な条件に応じて詳しく分析し、設計することができます」

(「NHK番組『インドの衝撃』から見る安倍教育再生・2」に続く)

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臨界事故隠しを石原DNA論で読み解く

2007-03-25 04:55:57 | Weblog

 北陸電力が志賀原発1号機(石川県志賀町)で1999年6月18日に臨界事故を起こしながら、発電所長以下の会社ぐるみの組織的臨界事故隠し。東京電力の福島第1原発の臨界事故隠しの可能性と福島第2原発3号機(1993.6)と柏崎刈羽原発1号機(2000.4)の定期検査中の制御棒脱落トラブル。東北電力女川原発1号機(1988)の同じく定期検査中の制御棒脱落トラブル。静岡県の中部電力浜岡原発3号機の1991年のこれも検査中の制御棒脱落トラブル。

 制御棒脱落のみで臨界には至らなっかたケースは国への報告義務対象外で、報告していなかったと言うことだが、臨界には至らなかったと言うことは逆に臨界に至るケースも起こり得るわけで、制御棒の脱落自体を重大事故と位置づけなければならなかったのではないだろうか。

 このことは東京電力の福島第1原発での臨界事故を起こしていた可能性が制御棒脱落が原因となっていることが証明している。

 2007年3月23日の『読売新聞』インターネット記事によると、<東京電力は22日、福島第1原子力発電所3号機(福島県)で1978年の定期検査中に臨界事故が起きていた可能性が非常に高いと発表した。
 停止中の原子炉から、出力を抑える制御棒137本のうち5本が脱落した。臨界は最長7時間半も続いたとみられている。
 国には報告しておらず、法令違反だった疑いがある。本店への報告の有無は不明だが、運転日誌に記録はなく、隠ぺいした可能性が高い。国内初の臨界事故だったとみられる。
 この後にも、5号機で79年に、2号機で80年に制御棒1本が脱落するトラブルが起きていたことが判明。福島第2原発3号機と柏崎刈羽原発1号機と合わせ、東電の制御棒脱落トラブルは計5件となった。いずれも北陸電力志賀原発1号機の臨界事故を受けた社内調査で判明した。(後略)>

 上記例は制御棒脱落が臨界事故に発展しない危険性は決してゼロとは言えないどころか、逆に臨界事故と隣り合わせることとなる重大事故、あるいは臨界事故一歩手前の局面と見るべきで、電力各会社はそうと知っていながら、制御棒脱落までは国への報告義務の項目に入っていないからと積極的には報告しない一種の隠蔽を行った、隠蔽とまではいかなくても、偽装もどきのことをしたと受け取られても仕方がないのではないだろうか。

 少なくとも東京電力は福島第1原発3号機で臨界事故の可能性を把握しながら、制御棒脱落までは報告義務の項目に入っていいないからと「臨界事故の可能性」を隠して、事故を制御棒脱落までとする隠蔽を行い、国に報告しなかったと十分に疑うことができる。

 いくら国への報告義務がないからと言って、臨界事故に至る危険性を抱えた制御棒脱落を知らされない周辺住民は、耐震偽装された建物であることを知らされずに住み続けているマンションの住民と同じ状態に置かれていると言えるのではないだろうか。一般世間にしても何も知らされないことによって、原子力発電は安全であるという思いを無意識下に植えつけれらることになる。このことを裏返すと、電力会社は何も知らせない隠蔽を行うことによって、一般社会に対して仮想の安全をつくり上げる偽装を働いていたと言えるのではないだろうか。

 我々は重大な臨界事故を過去に経験していることを常に記憶しておかなければならない。その一つは1999年の放射能被爆によって2名の死者まで出した茨城県東海村JCO臨界事故である。「現地では事故現場から半径350m以内の住民約40世帯への避難要請、500m以内の住民への避難勧告、10km以内の住民への屋内退避/換気装置停止を呼びかけ、現場周辺の県道、国道の閉鎖、JR東日本の常磐線水戸 - 日立間、水郡線.水戸-常陸大子・常陸太田間の運転見合わせ、常磐自動車道東海パーキングエリアの閉鎖、陸上自衛隊への災害派遣要請といった措置がとられた。(以上の措置は全て日本で初めて)」(東海村JCO事故――Wikipedia)

 危機管理とは常に最悪の事態を想定して、そのことに万全の体制で備えることを言うとするなら、臨界事故に至る危険性を抱えている制御棒脱落を国への報告義務なしとした国の姿勢、及びその危険性を常時認識していなければならない電力各社が危険性を無視、あるいは過小評価して国の決定に無条件に追従していた怠慢とも言える姿勢は国民に対してある意味隠蔽行為を働いていた、先程の例で言い換えるなら、仮想の安全をつくり上げる偽装を働いていたとすることができるのではないだろうか。

 JCO事故では国家が憲法で国民の生命・財産の保障を約束していながら、政府の事故対策本部の設置が報告を受けてから約4時間後という遅すぎる危機管理対応も〝約束〟を偽装に貶める国家による国民に対する重大犯罪ではなかったろうか。

 このような国の偽装は一つや二つにとどまらない。1999年のJCO事故に2年を遡る1995年1月17日の阪神大震災では自衛隊の出動遅れや政府の危機管理対応のまずさは代表的な〝約束〟の偽装と言えよう。

 原子力発電所に関わる過去に於ける記憶しておかなければならない直接的な隠蔽・偽装を例に挙げるとしたら、敦賀市にある当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の高速増殖炉「もんじゅ」の1995年12月8日のナトリウム漏れ火災・爆発事故では、撮影した事故現場ビデオを編集して公開する悪質な隠蔽・偽装工作を行っている。

 さらに性懲りもなくというべきか、動燃は1997年3月11日に起きた茨城県東海村の東海再処理工場の火災・爆発、放射能被爆112人の大事故でも、保存すべき事故現場を一人の担当責任者が飛散物の回収と清掃を作業員に指示し、それを知った別の担当者責任者が<現場保存の必要性があると判断、作業中止と現場状況を元に戻すよう指示した>(「朝日」1997.5.1)、証拠隠滅とまでいかなくても、事故の物凄さを和らげようとしたのではないのか、隠蔽・偽装に相当する行為を働き、その上現場を写真撮影しながら、そういった写真はないと報告した後、写真とネガを裁断機にかけて処分する度重なる偽装・隠蔽を行っている。

 作業員に撮影を指示した<主査は「爆発物対応に追い回され、この写真の存在を忘れていた。今さら出すと隠していたと思われると、とっさに考え、なかったことにしようと思った」と話している>(同「朝日」記事)。

 「爆発物対応に追い回され、この写真の存在を忘れていた」ことが100%事実だとしたとしても、思い出した時点で提出せずに、その逆の「なかったことにしようと」裁断機にかけた行為は隠蔽・偽装に相当する無責任行為以外の何ものでもない。

 このような過去の隠蔽・偽装の歴史を受け継いでいで伝統・文化としているかのような今回の各電力会社の隠蔽・偽装を石原慎太郎がいみじくも言った「民族的DNA」論から解くとすると、「民族的DNAを表示するような隠蔽・偽装の蔓延」と言えないこともない。

 隠蔽・偽装が電力会社だけの専売特許ではないことが、「民族的DNA」化していることを証明しているとも言える。耐震偽装あり、食品の産地偽装あり、カネボウの巨額粉飾や日興コーディアルグループの粉飾決算に於ける偽装、古くは旧日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の粉飾決算偽装、政治家の収賄や政治資金虚偽報告といった隠蔽・偽装、官僚のカラ出張・カラ手当・経費水増し・キックバック等の隠蔽・偽装etc. etc、枚挙に暇がないとはこのことを言うのではないか。

 石原慎太郎が「民族的DNA」論を展開したのは産経新聞の隔日連載エッセー「日本よ【内なる防衛を】」の中でのことだが、同じ文章の中で、日本の「失われつつある美風の一つに、かつては外国人が称賛していた治安の良さがあるが――」と言っているように、日本は犯罪の少ない国と思われていたが、その〝犯罪〟とは殺人とか強盗といった身に危険が及ぶ強力犯罪のことで、会社や組織の中で地位や立場を利用して不正な利益を上げたり、会社、あるいは組織自体の利益を談合や虚偽によって図る、あるいは過失や不始末によって生じた会社・組織の不利益や責任を隠蔽・偽装する知能犯罪、いわゆるモラルハザード(倫理欠如)犯罪は強力犯罪を上回って社会に蔓延し、日本の歴史・伝統・文化としてきた。身の危険を受けることは少なかったが、その陰で好き勝手な不正を横行させてきたのである。 

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学習能力の欠如は児童相談所だけのものなのか

2007-03-23 06:38:16 | Weblog

 母親(24)とその内縁の夫(24)に虐待を加えられて長女(2)が内臓破裂で殺されてしまう今年1月まで3回の面談まを行いながら、虐待の事実を見逃し、死を防ぎ得なかった、再び繰返された児童相談所の不手際問題(今回は千葉県柏児童相談所)――。TBS「みのもんたの朝ズバッ」(07.3.19)の途中からの録画から。

 県柏児童相談所・石井宏明所長「何か問題があったのか、あるいは落ち度があれば、それを検証委員会の方で(調査)していただければ、今後の指導の対応にしていきたいと思っています」
 
 みのもんた、フリップを持ち出す。

 去年7月頃
 夫と別れた大竹香菜(かな)容疑者、長女美咲ちゃんとと
 もに吉野陽士(ようじ)容疑者と同棲
 12月11日
 東京新宿で吉野容疑者の車に放置されていた美咲ちゃんを
 警察が保護

 (「時事通信」/07/03/18によると、「通報を受けた相談所が両容疑者を呼び、事情を聴いたのに対し、吉野容疑者は『車の中で寝てしまったので毛布をかぶせておいた。仕事の合間に様子を見ていた』と釈明。美咲ちゃんが2人にまとわり付く様子も見られ、相談所側は『不自然な感じはないが、育児に不安がある』と判断した。
 この後、同(12月)14日と1月16日に児童相談員2人が家庭を訪問。美咲ちゃんの右目脇にあざなどがあったが、母親は虐待を否定したため、継続して様子を見ていたという。」

 事務所費問題で松岡農水相本人が「今の法律制度で定められた必要な報告を致しております」と不正付け替えを否定したから、それを鵜呑みにして不正はないと判断するのと同じ構図であろう。民主党は追及側だから、当然鵜呑みにしないが、安倍首相は鵜呑みにして済まそうとしている。)

 12月12日
 「虐待の疑い」があるとして、美咲ちゃんは柏児童相談所
 に送られる
 美咲ちゃんは頭にけがをしていたが、容疑者2人は「台所
 でぶつけた」「虐待していない」と主張
  →〝一時保護〟せず、美咲ちゃんを帰す
 12月14日 柏児童相談所が家庭訪問。新しいけがはなかっ
 た。
  →しばらく様子を見ることに
 今年1月16日 柏児童相談所が家庭訪問。
         美咲ちゃんの頭に新しい傷があった
         大竹容疑者「階段で転んだ」「虐待してい
        ない」と主張
  →美咲ちゃんの全身は調べず
 1月21日 美咲ちゃんは内臓破裂で死亡

 (3月18日「朝日」朝刊によると「調べでは、女児は1月下旬、家族に市内の病院に運ばれ、約1週間後に死亡した。腹などに殴られたような跡があったことから、病院が『虐待の疑いがある』と警察に通報していた」とある。)

 みの「いいですか。打撲とか何とか、以上の内臓破裂という、そんな形で死んでいる――。(コメンテーターの末吉竹二郎に)児童相談所って、何のためにあるんです」

 末吉「今のね、僕は所長さんの弁明聞いていて、もう腹立たしいですよね。人が何か注意したら、それで自分たちが改めますと、そういう態度、本当に許せませんよね。それから多分、その、プライバシーに踏み込み過ぎるのはよくないとかっていう発想があるんでしょうけども、人の子供の命、赤ちゃんの命を救うんであれば、多少の踏み込んだケースがあってもですね、そのことで児童相談所が非難を受けることがあったらですね、社会にオープンにしたらいいじゃないですか。そうしたら社会はオーバーラン気味でもいいから介入して赤ちゃんを救おうとする児童相談所、みな支持しますよ。サポートしますよ。それをですね、自分たちが何か非難を受けるんじゃないかっていう発想でね、過少に過少に自分たちの介入を考えて、こういった態度では本当に救えませんよ」――

 「プライバシーに踏み込み過ぎるのはよくないとかっていう発想がある」とかの問題ではなく、先ずは学習能力が機能していないことから起きている同じことの繰返しではないだろうか。

 日本全国の過去の児童虐待例及び虐待死例の情報をすべての児童相談所は共有していていなければならないはずであるし、当然共有しているはずである。またそういった共有だけからではなく、児童相談所等関係機関の不手際・失態・無策から〝防ぎ得た虐待死〟を防ぎ得ずに招き寄せてしまった重大事例は新聞・テレビ等のマスメディアが連日取上げ、それらが発する情報からもどう対処すべきだったか、何が間違っていたかを学習するはずであるし、学習しなければならない児童相談に関わる者としての責任と義務を課されているはずである。

 当然学習することでどう対処すべきかを学んだ情報が次の事例に対して臨機応変に具体的な形を取って活用されるプロセスを踏まなければならない。そのようなプロセスを踏むことによって、自らが役目とする責任と義務を果たすことになる。

 ところが、最初は「台所でぶつけた」「虐待していない」、次は「階段で転んだ」「虐待していない」等の否定句は過去の虐待例の中に虐待常習者が虐待を言い逃れるためによく使う常套句であるとする情報を学習して知識として持っていなくてはならず、疑ってかかるべき場面であったはずであるが、大の大人が、しかも児童問題を扱う児童相談所が頭からまったく学習能力がないとするわけにはいかず、そのことに反して二度までも相手の言葉どおりに受け取る事務的対応で済ませてしまったのは学習自体が機能しなかったか、学習した情報を行動に生かすことができなかったか行動不全のどちらかだろう。

 一人や二人の問題ではない児童相談所のこのような学習に関わる欠陥・不備と、そのことがもたらす責任不履行はどこから来ているのだろうか。やはり日本人が行動様式としている権威主義を抜きには説明できないのではないだろうか。

 美しい国家主義者・安倍晋三が防衛大卒業式でその資格があるのか、「右と左とを足して2で割る結論」を戒める訓示を垂れたということだが、「右と左とを足して2で割る」も裏を返せば過去の事例を情報として創造的に生かすことができない学習能力の欠如からの機械的対応状況への指摘だろう。単純細胞の安倍国家主義者がそこまで気づいて言ったかどうか分からないが、日本人は学歴の上下とか地位の上下、財産の上下、職業の上下とかで人間を上下の価値に分けて上は下を従わせ、下は上に従う権威主義を主たる行動様式としている関係から、上から言われたことはする、あるいは上が決めたことはする機械的対応を主行動としているが、そこから脱して誰に言われたことでもなく、また決められているからということでもなく自分で学習して、学習した情報を自分なりに行動に移す学習性能力発揮に深く関わる自己判断性は逆に権威主義の上は下を従わせ、下は上に従う機械的関係力学に阻害されて行動に於ける欠陥要因としている。

 マニアル思考とか横並び思考と言われる日本人性も、自己判断性を剥いで機械的に従う形式の思考性を言うのであって、自ら学習して、それを自分なりの情報に臨機応変させて行動に移す「右と左とを足して2で割る」式ではない自己判断性とは対立項をなす価値形式を言うはずである。

 自己判断性が学習能力に深く関わるとなると、自己判断性の欠如は学習能力の欠如と対応し合う構造を取ることとなり、それは児童相談所だけの問題ではなく、また防衛大生にとどまらず、権威主義性に支配されているゆえに発症させている日本人全体の問題、日本民族性としてある双方の欠如ということになる。

 そして何と言っても児童相談所に於ける児童保護に関わる逆説でしかない自己判断性の欠如が、虐待が与える恐怖心がどれ程に幼い子供の生命(いのち)を怯えさせるか、生命(いのち)を如何に蝕むか、そのことへの怒りと思い遣りの人間による人間に対する想像性のなさによってもたらされ、それが学習能力の欠如を加速させている要因となっているのではないかということである。

 幼い命が虐待を受けているとしたら、あまりにも痛々しい、虐待を受けているようなことはあってはならない、受けているとしたら子供を救い出さなければならないという怒りと思い遣りの一点で行動していたなら、誰に言われなくても否応もなしに自己判断性に衝き動かされることとなって、活性化された学習能力を身につけていくだろうからである。そのような人間に対する想像性の不備が機械的、事務的、型どおりの対応となって現れて、そのまま同じことを繰返す不手際・失態につながっているのだろう。

 幼い子どもを一個の生命(いのち)と見ることができず、単に他人の子供としか見ることができない人間による人間に対する想像力のなさが虐待がどれ程の恐怖心と痛みを味わわせることになるだろうかということへの思い巡らし(=自己判断性)を妨げ、学習能力の育みを阻害する。

 自分の子どもが学校でいじめられていると分かったなら、親は激しい怒りに駆られて、いても立ってもいられない気持ちに衝き動かされるに違いない。そのような切迫した衝動が他人の子供には働かない。子供という人間に対する想像力が自分の子どもにまでしか働かない限界を日常性としている。当然大人の場合でも、自身か、ごく身近な近親者に対してのみ働く限界を抱えることとなる。

 離婚した若い母親が生活も苦しく、子育ても大変で、イライラが子供に当たるようになって、それが習い性となって歯止めが利かなくなる。あるいは離婚女性が新しい男を見つけたものの、子供が男になつかなかったり、男の方が自分の子供でないということで疎んじたりしてしつけを口実に邪険に扱い、次第にエスカレートしていく。女は男の機嫌を損ないたくないっばかりに自分も子どもに厳しいところを見せざるを得なくなり(「何でお父さんの言うことを素直に聞けないの?」)、男と同調して子供に当たる。そして双方して子供が憎らしい、邪魔な存在となっていく。

 家の中では子供を乱暴に扱っているから、そのことに気づかれないように外では変に優しいところを見せる。顔や腕といった人目に触れる部位に傷の跡があれば、「転んだ」とかこじつける。

 過去の児童虐待、あるいは児童虐待死から学習し、教訓とすべき情報例は多くの共通項を導き出すことができる。それを生かすことができない児童相談所の対応の不手際・失態・無策にしても、面談すべきを怠ったり、面談しても、面談しましたとする通り一遍の事務作業、役目のための役目で終わらせたり、電話のみの対応で済ます省略があったり、面倒を厭う気持が無意識にあって、相手の言い逃れを疑うことなく鵜呑みにしたり、自己判断性と学習能力を欠いた形で多くの共通項を抱えている。

 子供を虐待する人間が家の中では子供を乱暴に扱っていることのカムフラージュに外で演じる優しい態度・優しい姿は、自己を美しい人間に見せることになる日本語の敬語や丁寧語と対応しあっている装いではないだろうか。言葉で自己を美しく見せなければならない。それは上下の価値で上が下を従わせ、下が上に従う権威主義性・権威主義的人間関係が自律的相互関係ではないこと、真に大人としての行動ではないことをカモフラージュして美しい装いを与える必要からの言葉の美しさではないだろうか。

 このことは政治家を見ればよく理解できることである。国民を下に置き、自身は高みに置いて党利党略、族益、選挙利害を自らの主たる行動様式としながら、そのことに反する「国民の皆様」なる丁寧語の乱発がさも国民利害で行動しているかのように見せかけるカモフラージュとなっているからである。

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安倍国家主義思想に反するゼネコン起訴

2007-03-21 10:12:02 | Weblog

 今朝の朝日朝刊。『ゼネコン5社を起訴』(07.3.21)

 「名古屋市の地下鉄工事をめぐる談合事件で、名古屋地検特捜部は20日、公正取引委員会から告発を受けた大手ゼネコン大林組など法人としてのゼネコン5社と、独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑で逮捕した大林組名古屋支店元顧問の柴田政宏容疑者(70)ら各社業務担当者5人を同罪で起訴した」

 名誉のために大林組以下の他の4社を名前を銘記すると、「大手ゼネコン『鹿島』『清水建設』。、準大手ゼネコン『前田建設工業』『奥村組』」(同記事)となっている。

 かつてゼネコン幹部が「談合は江戸以来の日本の美風」と喝破したが、人間の現実の姿から鑑みたなら、「江戸以来」どころが、「談合」なる生業(なりわい)は人間が集団生活を営み、そこに売買取引が組み込まれるようになって以来行われていたことだろうから、皇紀2667年の日本の歴史・伝統・文化そのものとして受け継いできた日本の偉大な勲章行為の一つに相当するはずである。

 安倍国家主義者は国家主義者である立場上、日本の歴史・伝統・文化を絶対善と価値づけ、そこに揺るぎのない不動の絶対性を付与しているはずである。国家主義者でありながら、日本の歴史・伝統・文化を否定したなら、自己否定を同時に犯すことになる。

 だからこそ、A級戦犯を「日本の国内法で裁かれていないのだから、犯罪人だとか犯罪人でないだとか言うのは適当ではない」という無罪放免の論理展開となるのだろう。日本の歴史・伝統・文化を絶対善と位置づける以上、「日本の国内法で裁」いてはいけない。裁くことは日本の歴史・伝統・文化を破綻させかねない危険行為となる。そこに戦前の戦争の総括を棚上げしてきた理由が存在する。

 安倍のA級戦犯論理からすると、福岡一家4人殺害事件の中国人留学生のうち、中国に逃げ帰って中国で代理処罰によって起訴され死刑となった楊寧と無期懲役判決の王亮は「日本の国内法で裁かれていないのだから、犯罪人だとか犯罪人でないだとか言うのは適当ではない」、微妙な宙ぶらりんのどっちつかずの存在とならないだろうか。

 浜松市で女子高生を自動車事故で死なせてブラジルに逃げ帰った日系ブラジル人と同じ浜松でレストラン経営者殺害して強盗を働き、同じくブラジルに逃げ帰った日系ブラジル人は日本政府の要請を受けて代理処罰で起訴されたが、例え有罪となったとしても、「日本の国内法で裁かれていないのだから、犯罪人だとか犯罪人でないだとか言うのは適当ではない」ことにならないだろうか。

 中国人にしても日系ブラジル人にしても、犯罪人であるかどうか決定づけることができないという点でA級戦犯と同列に置く名誉を獲得することになる。できることなら死刑となった楊寧を靖国神社に祀ってもらいたいと思う。

 安倍国家主義者が自著『美しい国』で「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっとも大切なことではないか」と言っているそうだが、そのことも日本の歴史・伝統・文化を絶対善と価値づけている自らの思想・哲学からの主張であろう。

 「その時代に生きた国民の視点」は戦前に於いては〝天皇陛下バンザイ・大日本帝国バンザイ〟、〝天皇のため・、お国のために命を捧げる〟に一致協力・国民総動員で向けられていたのであり、それを日本の「歴史」としてきたのだから、「国民」は間違っていたとも言えないし、そのような「視点」を受けた国家も間違ってはいない、正しい「歴史」だったのだとする絶対善への価値づけであろう。

 安倍国家主義に於ける日本の歴史・伝統・文化が絶対善の構図を取り、談合が美しい日本の歴史・伝統・文化の一つとして連綿として引き継がれてきた入れ子関係にある以上、起訴は安倍国家主義思想への反旗、日本の歴史・伝統・文化の真っ向否定となる。逆に「談合」を日本の歴史・伝統・文化の勲章とすることによって、安倍国家主義との論理的整合性を獲得することができるというものではないだろうか。

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イラク内戦/ブッシュの間違いとは?

2007-03-20 05:19:36 | Weblog

 知性溢れる美しいばかりの軽量外務大臣麻生太郎はイラクの混乱を「ドンパチやって占領した後のオペレーションとして非常に幼稚なもので、なかなかうまくいかなかったから今ももめている」と鋭いばかりに分析して見せた。自民党は野党に対して、「反対してばかりいないで、反対なら、対案を出せ」といったことを常套句としている。その常套句をそっくり麻生太郎に返そう。「もめ」なくて済む対案を出せ。

 軽量麻生は単に混乱状況に陥っている現在のイラクの表面のみを把え、表面どおりになぞる解説をしただけのことで、それ以上を出ていない。いわば言おうとするなら、誰だって言えることを外務大臣でありながら言ったに過ぎない。どうこうすればいいという考えがあって言ったことなら、安倍晋三共々拉致問題で、「圧力と対話」を繰返すバカの一つ覚えからとっくの昔に脱け出して、もう少しましな政策を展開できていただろう。

 本来なら外務大臣でなければ言えないことを言うべきであるが、そこは安倍晋三共々日本の軽量中の軽量大臣である、背伸びしても、精々「ドンパチ」程度なのだろう。

 ブッシュが軍事力で独裁者サダムを倒したのは間違っていない。アメリカの軍事攻撃以外に独裁者サダム・フセインを誰が倒し得ただろうか。あの軍事攻撃がなかったなら、今頃はサダムは自らの後継者を息子のウダイかクサイに決めて、サダム一族の王朝独裁支配が息子の代・孫の代まで強固な安泰状況で維持できるよう、自国軍を一層強化・整備すると共にますます国民を締め付けていたに違いない。

 ウダイは自らが望むイラクの名誉とする勝利の結果を出さないスポーツ選手に対して暴行・虐待を加えるような暴力的人間である。ウダイが後継支配者となったなら、サダム・フセインの独裁的恣意性はそこにウダイ特有の暴力的恣意性が加味されて見事なまでの形で引継がれ、なお陰湿・堅固な暴力と恐怖による国民支配・国民統制(=自由の抑圧)に向かったことだろう。

 イラク国民はサダム・フセインの独裁政治に30年間無力であったように、世襲された独裁恐怖政治に30年に倍する期間無力であったに違いない。

 イラクのすべての事柄はイラク人自身の問題である。アメリカの問題である前に、あるいはブッシュの問題である前に、何よりもイラク人自身の問題であることにイラク人は愚かにも気づいていない。

 アメリカがサダムを倒し、イラクの将来が別の形でイラク自身の問題へと移行後も、イラク人の多くは「アメリカ軍は占領軍、信じていない」と言い続けてアメリカ軍に対するテロを起こし、それがさして効果がないと分かると、外国民間人の拉致・誘拐に戦術を変えて身代金要求や軍の撤退を要求する愚かさを演じ、イラクの民主化どころか、却って混乱の泥沼に自ら引きずりこんでいった。

 反米・反戦マスメディアにしても、サダム後のイラクがイラク人自身の新しい問題だと突き放すこことができず、そう考えることもできず、アメリカ軍に対するテロの続発に便乗してイラク人同様の愚かさで、「大義を誤魔化すな」とか「問われ続ける大義」とか大義のみに拘り、大義一点張りから一歩も踏み出さないバカの一つ覚えの教条主義を振りまわすことしか知らなかった。「自衛隊の派遣にも反対、人道目的でも占領軍だ」とするイラク人指導者の声の紹介を通して、間接的に一切の外国軍隊の存在性を否定した。自衛隊のどこが「占領軍」だと言うのだろう。

 『朝日』の編集委員・定森大治なる人間は小賢しくも『イラクのインティファーダ』と題して、「これはもうれっきとした民衆蜂起である。イラクの治安を守るはずの米軍がパレスチナを占領するイスラエル軍と同じようになってきた」とさえ言い放っている。「民衆蜂起」はイラクなりの民主主義国家建設に向けて発揮されるべきエネルギーでなければならないことにイラク人共々気づかずに、破壊と消耗を生むだけの愚かなエネルギー発揮でしかない「民衆蜂起」の肩を持っている。そして今以てイラク人は「インティファーダ」をスンニ派はシーア派に向けて、シーア派はスンニ派に向けて性懲りもない熱意と愚かさでせっせ繰り広げている。

 さらにはカタールのアラビア語衛星テレビのアルジャジーラが行った電話調査の「イラク人は占領に抵抗するために(民間人の)人質を拉致する権利を持つか」の質問に対して、「米軍は一方的に多数の無実のイラク人を殺している。拉致も一つの抵抗方法として止むを得ない」とした「イラク拉致『賛成』一時94%」との結果を反戦・反米マスメディアは自分たちの反対の意志を代弁させる形で紹介。「拉致・誘拐がアメリカ占領の終結に役に立つと思うか」という、その有効性を問う肝心な質問が抜けている電話調査であるにも関わらず、それを無視して調査に正当性を与えている。

 もし電話調査の質問項目に「拉致・誘拐がアメリカ占領の終結に役に立つと思うか」という質問が加えられていたなら、イラク人はほんの数秒ぐらいは立ち止まって考えたのではないだろうか。

 拉致・誘拐が役に立ったのはおたおたと周章狼狽して対応した日本人やフィリピン人、スペインに対してだけで、肝心のアメリカ人やイギリス人には役に立たなかった。だからだろう、拉致・誘拐は次第に姿を消し、最近は宗派対抗の自爆テロの応酬合戦と化している。それが国家建設の貴重なイラク人材の破壊につながることにも気づかない視野狭窄に陥った血眼なまでのテロの応酬である。自爆テロオリンピックなる祭典があるとしたら、イラクの自爆テロは予選なしでオリンピックに出場できる優秀な自爆テロを展開しているのではないだろうか。勿論表彰台にはイラク国旗が一番高い位置に掲げられることになるだろう。金メダル獲得である。

 その自爆テロの応酬が激化し、手に負えない状況に陥ると、反戦・反米マスメディアは自らが認知し、正当性を与えたテロ行為でもあることを棚に挙げて、「アメリカ軍による力で抑えることの破綻は明白な事実で、イラク人によるイラク再建をもっと優先させるべきだ」といった論調を掲げ始めた。「イラク人によるイラク再建」なる言葉の論理矛盾に気づかないままにである。

 「イラク人によるイラク再建」のプロセスを可能とするなら、サダムをイラク人自身が30年も待たずに打倒していたことだろう。「イラク人によるイラク再建」なるロジックはイラク人には存在しない。だからこそ、「イラク人によるイラク再建」をイラク人自身が妨害するという逆説と倒錯が起きているのである。

 ブッシュの間違いを上げるとしたら、戦争の大義を大量破壊兵器に置かずにサダムという独裁者自身におくべきだったろう。大量破壊兵器の存在が否定された途中からではなく、最初から独裁者の排除によるイラク国民の抑圧からの解放と自由の獲得を目標とすべきだった。サダムが存在する限り、大量破壊兵器はついてまわるからだ。

 それは北朝鮮の金正日が存在する限り、核問題が尾を引くのと同じである。核施設を廃棄したとしても、どこに秘密施設を隠しているか分からないし、また秘密裏に開発を再開始しないとも限らないからだ。

 しかし大量破壊兵器のみを問題にしたのはブッシュだけの間違いではない。前国連総長アナンにしても、ブッシュの大量破壊兵器への拘りに同調・追従して、その存在の有無・発見にエネルギーを注いだ。

 ブッシュはサダム政権を打倒してバクダッドを占領した時点で、「アメリカ軍はイラクが民主化されたなら、いつでも撤退する用意がある」と宣言すべきだったろう。「後はイラク人自身の問題だと」突き放すべきをそうすることができなかった。

 この指摘が後付でないことを証明しなければならない。2006年9月6日の当ブログ記事『自民党総裁選・消費税論争の美しくない日本の風景』で既に一度引用しているメーリングリストの私自身のメール『「Re: [kokkai2] イラク戦争への反対は今から』(2003年5月18日 18:15)を再度用いることにする。一部分引用。

 「私はアメリカのイラク攻撃を支持した人間の一人ですが、イラクのフセイン政権崩壊は既に既成事実となった出来事であり、その事実の上に事態を進展させる他はありません。フセイン政権崩壊後のイラクがどう転ぶかは、イク人自身の問題です。利権争い、主導権争い・宗派闘争・個人的名誉欲等に打ち勝って、平和で民主的な新生イスラム国家の基礎をつくれるか否かは自己決定案件であって、(アメリカの)最終的関与はアメリカの手から離れたところにあります。
 世界のマスメディアが大量破壊兵器が未だ発見されないことを以って、イラク攻撃の大義の不在をあげつらうばかりなのをやめて、イラクの将来はイラク人自身の問題であることをすべてのイラク人に伝えなければ、私欲や雑念から離れた国づくりの自覚を促すことはできないと思います」――

 アメリカは2003年3月20日にバクダッドに航空攻撃を開始した。マスメディアが「大義、大義」とバカの一つ覚えで言い募っている最中だったが、攻撃の2ヵ月後に私はイラク人の問題だとしていた。

 ブッシュのさらなる過ちは武装反米派の急先鋒のサドルの攻撃を受け反撃しながら、徹底的に壊滅して逮捕するか戦死させるまで追いつめずに、停戦による妥協を図ったことだろう。その結果、サドルのシーア派武装集団は現在敵対宗派であるスンニ派に対する最大の攻撃集団と化している。

 私は以前自作HPで「サドルは自己の私兵集団でしかない『マフディ軍団』を、反米闘争の役目を終えたとして、イラク国軍への編入を認めたとしても、自己権力の温存・強化のために彼らの意志をサドル自身への忠節で統一し、軍隊の中の軍隊としてその集団性を維持し、その力を背景に自らの発言力を高めようとするに違いない。そして間違いなく、軍隊の中の軍隊を背景としたサドルは自己の政治意志・権力意志を実現させるために独裁者の道を少なくとも探り、機会さえあったなら、それを実行に移そうと行動を開始する可能性は高い」と書いている。サドルに胡散臭さを嗅ぎ取っていたからだが、嗅ぎ取っていたとおりになっている。

 現在アメリカが為すべきことは、遅すぎる感はあるが、イラク人がどれ程に劣る国民であるか、どれ程に程度の低い人間集団であるか、気づかせることだろう。少なくともイラク人が非難しているアメリカ人よりもはるかに劣る国民であることを。

 イラク人は自らの力で独裁者サダム・フセインを倒す力はなかった。その一つをとっても、どれ程に無能・無力であったかを証明できるが、アメリカの軍事力によってだが、サダム・フセインを打倒・排除し、イラク民主化の折角のチャンスを与えられながら、それを有効に生かす能力もなく、アメリカ軍を占領軍と非難して攻撃まで仕掛け、それだけでは足りずに宗派同士が主導権争いの自爆テロの応酬までして、大量の死者を出す生産に関しては効率よく大いなる能力を愚かしくも発揮している。

 イラクが非難の対象としているアメリカの民主主義にも様々な矛盾を抱えているが、アメリカ人は宗派が異なるからと、あるいは人種が異なるからと、武器を持って宗派の異なる者同士がお互いに、あるいは人種の異なる者同士がお互いに戦いあうことも、自爆テロを仕掛けて大量に殺し合うこともしていない。ところがイラク人は同じイラク人同士でありながら、宗派が異なるという理由だけで、自爆テロを仕掛け合って国家建設の大切な人材を殺し合い、抹殺し合う、アメリカ人よりもはるかに劣る愚かしい残虐行為に明け暮れている。どこにアメリカを非難する資格があると言うのか。どのような民主主義も打ち立てることができないでいるのではないか。再度のサダムの登場がなければ、いわば自由と引き換えの国民統制を手段としなければ、秩序を回復できないと言うのか。サダムがいなければ、宗派を超えた国民規模の秩序を打ち立て得ないというのか。サダムを自らの力で倒せなかったように、自らの力で秩序を打ち立て、民主主義を獲得できない。屈服と宗派闘争の両極端の場面しか表現できないとは、何という非生産的で愚かな国民であることか。それ以外の場面にはイラクではイスラムのお教えは何ら役立たない無力の・蒙昧の宗教となっている。まったく以て愚かしい話である。何という愚かしい国民であることか。何という愚かしい宗教であることか。

 アメリカの多くの有力な政治家が声を揃えて警告を発するべき。いや世界の著名な政治家が一大合唱して、その愚かさを知らしめるべきだろう。おまえたちはバカだと。いつまでもバカを続けるつもりかと。

 それでも宗派間の武力闘争・自爆テロの応酬が収まらなければ、アメリカ軍を初めとしてすべての外国軍がイラクから撤退し、「イラク人によるイラク再建」は徹底的な宗派間の武力闘争・自爆テロの応酬による決着に任せるべきだろう。内戦の帰趨に任せると言うことである。

 サダムの独裁政治とその抑圧から何一つ学ぶことができなかった愚かで程度の低いイラク人たち。

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安倍晋三の「美しい」言行不一致

2007-03-19 07:57:29 | Weblog

 『足して2で割る結論ダメ』

 今朝の朝日朝刊(07.3.19)の見出し。副題は「防大卒業式 首相場訓示」

 「諸君が将来直面するだろう危機に臨んでは、右と左とを足して2で割る結論が、真に適合したものとはならない」と「18日、防衛大学校(神奈川県横須賀市)の卒業式でこう訓示した」ということである。自分で直接指揮して、北朝鮮に攻め入りたいと思っていたかもしれない。

 日本の世界に誇る多額の防衛費をかけた自衛隊、その将来を担う人材育成の防衛大学卒業式でも、平然と単細胞を曝して自らを疑うことを知らない「美しい」資質の持ち主であることの証明を果たしたというわけである。

「右と左とを足して2で割る結論が、真に適合したものと」なる場合もあるだろう。絶対「ならない」は言い切れない。人間の考えることに絶対は存在しないのだから。絶対と思えたことが、ちょっとした状況の変化で絶対からたちまち不確実へ転落することもあり得る。戦前の頭から信じ込んだ神国日本の絶対性が如何に当てにならなかったか、頭から信じることの恐さ、疑うことの大切さを記憶し続けておくべきである。

 こう言うべきではなかったか。「導き出した結論が、常に適合したものとなるとは限らない。結論まで順を追って可能な限り考えられるありとあらゆる場面を想定し、その中から最善と信じた対策を講じる。疑うことと信じることがこのようなプロセスを可能とする要素となる」と。

 安倍晋三の多々ある欠点のうち最大の「美しくない」欠点は疑うことを知らないことだろう。疑うことによって、人間は考える。疑うことを知らず、考える力がないから、戦前日本を自らを拠って立たしむる思想・哲学、政治信念の基軸とすることができる。

 「自らの信じるところに従って的確な決断をすることが必要」とも訓示したと記事には出ているが、要は周囲の意見に振りまわされてすべてを納得させようと「右と左とを足して2で割る結論」に走ったことが支持率低下につながったとの反省から、例え周囲の反対があっても自分自身の考えに従うことが必要と自分にも向けた訓示ではなかったか。

 記事にも「このところ顕著になってきた『安倍カラーの原点回帰』をここでもうかがわせた」と出ている。

 だが、周囲の意見に振りまわされて中途半端な策に走る経緯にしても、その正反対の周囲の反対を無視して自分自身の考えのみに従う経緯にしても、両方とも疑うという必要成分を欠いた経緯となっている。

 とすると、安倍晋三の姿勢は周囲の意見に振りまわされて支持率が下がったことに懲りて、今度は闇雲に自分の考えを押し出そうとしたというだけのことで、これも単細胞的反応と言わざるを得ない。

 まあ、どちらでもいいことだが、問題は「右と左とを足して2で割る結論」とは日本の伝統的な暗記教育がもたらしている思考形式であって、自らの教育改革で自分で考え、自分で判断して、自分で決断するという自律(自立)思考の育成を主眼とした総合学習の時間を減らし、従来の「右と左とを足して2で割る」暗記思考強化の授業形式への回帰を図りながら、そのことに正反対に矛盾する「右と左とを足して2で割る結論」を否定する、これ程までに如何ともし難い「美しい」言行不一致である。

 まあ、疑うことを知らな単細胞安倍晋三だから可能とすることができる言行不一致なのだろう。自らの教育改革思想を否定していることにも気づかずに得々として訓示を垂れる安倍晋三のカエルの面にショウベンといったシラッとした顔だけが浮かぶ。

 参考までに記事の全文引用。

 『足して2で割る結論ダメ』

 「諸君が将来直面するだろう危機に臨んでは、右と左とを足して2で割る結論が、真に適合したものとはならない」

 「防大卒業式 首相場訓示」
 
  阿部首相は18日、防衛大学校(神奈川県横須賀市)の卒業式でこう訓示した。将来の自衛隊幹部に危機管理の心得を説いたものだが、与党内に反発の強い郵政造反議員の復党にせよ、国民投票法案成立への強い指示にせよ、このところ顕著になってきた『安倍カラーの原点回帰』をここでもうかがわせた。
 卒業式には小泉前首相も出席。安倍首相が「自らの信じるところに従って的確な決断をすることが必要」と続けた言葉に、じっと聴き入っていた。

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