自民党中川政調会長の「格差」論

2006-07-30 07:46:31 | Weblog

 今朝の朝日新聞(06.7.30)に広島市内開催の自民党広島県連政治資金パーティに出席した谷垣財務相と中川政調会長が「『格差』でさや当て」したと出ている。

 「中川氏は『格差にもフェアな格差とアンフェアな格差がある。プロ野球の1軍の選手と2軍の選手が給料が同じでなければならない、ということはない』と述べた」という。

 記事の中の言葉だけからの判断だが、先ず第1に、「プロ野球の1軍の選手と2軍の選手が給料」の違いは言われているところの格差でも何でもない既に合理性を備えている社会的合意事項として罷り通っていることであって、その合理性を逆手にとって、「同じでなければならない、ということはない」と逆説的に正当性を与えることで小泉改革がつくり出した〝格差〟にも正当性を与える口実にしようとする狡猾さは、さすが海千山千の政治家だけのことはある。

 第2に、「格差にもフェアな格差とアンフェアな格差がある」と前置きした以上、それぞれの格差にどんなものがあるか例示すべきを、特に社会的合意事項となっていない不合理な格差(=「アンフェアな格差」)を問題とすべきを、例示も問題もせずに見当違いな譬えを持ち出す想像性の貧しさとその貧しさに自分では気づかない鈍感さはさすが政権担当党の政調会長だと誉むべきことなのだろう。

 官庁に在職当時と変わらない高給と再度の高額な退職金を手に入れることができる天下りは、天下りを利権とすることができる人間の間では合理性を備えた合意事項とすることができるだろうが、決して社会的合意を得ることも与えることもできない「アンフェアな格差」事項であろう。だからこそ常に問題とされる。

 また試験が大部分の結果を占める旧帝大学歴獲得者の偏重や国家公務員1種合格者は1種合格者としてのレールが敷かれていて、2種以下を排除してそのコースが最初から保証される役人世界の約束事は果たして2種以下や一般社会との「格差」を示していないだろうか。例え能力がなくても学歴と試験合格の資格でそれなりの出世と職務に応じた高給を獲得できる。

 その他にも問題としなければならない社会的合意事項とすることのできない格差は無視できない数で存在するはずであるし、小泉改革と称して新たな格差を介護や年金、税制、その他の分野でつくり出している。だからこその〝格差社会〟批判であろう。

 新旧取り混ぜて様々な格差をつくり出し、許してきたのは自民党政治である。問題としなければならない格差の数々を例示せずに社会的合意事項となっているプロ野球の1軍選手と2軍選手の給料の違いの正当性を以て、社会的な格差問題をその正当性の範囲内に収め、韜晦しようとする。

 そうしなければならないこと自体が、既に小泉改革のいかがわしさを物語っていることにならないだろうか。

 参考のために谷垣財務相の言葉を記事から引用すると、「日本丸の行く末は、決して格差のある社会、弱肉強食の世界であってはならない」となっている。

 ここには中川政調会長のようなゴマカシはないが、当たり前のことを言っているに過ぎない。どのような格差社会となっているのか、弱肉強食の原理がどうはびこっているのか、それを改めるにはどのような政策が求められているのかを具体論で示すべきだろう。それが政治家としてのというだけではなく、日本の総理大臣を目指す人間としての説明責任と言うものではないだろうか。

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縦割りとセクショナリズムに寛容であろう

2006-07-29 10:57:24 | Weblog

 組織・社会に於いて各権威は常にピラミッド型を形成するが、権威主義を行動原理とした組織・社会の場合は権威関係は上下の一方向により強く働き、そのことが各権威関係間の水平方向への力を弱める。権威主義の上が下を従わせ・下が上に従うメカニズムが上は従わせる下を固定化し、下は従う上を固定化する方向性を支配的とするからだろう。

 権威主義に於けるそのような上下関係の固定化が〝縦割り〟業務となって現れ、意識の面でセクショナリズム(縄張り意識)を生じせしめる。いわば権威主義は〝縦割り〟とセクショナリズムを常に常態化し、両者は相互補完し合う運命共同体の関係にあると言える。

 日本人は歴史・伝統・文化的に権威主義を自らの行動原理としてきた。その関係からして、日本の社会、あるいは各組織が縦割りとセクショナリズムを制度・慣習としているのは何の不思議もないごく当たり前の光景である。権威主義を行動原理としていながら、縦割り・セクショナリズムを組織運営上の習わしとしていなければ、矛盾が生じて日本社会とは言えない。言い換えるなら、縦割り・セクショナリズムは日本人にとってごく自然な血としてある。

 奈良県明日香村の高松塚古墳(特別史跡)での01年2月の墳丘内工事で防護服を着用しなかったことから大量のカビが発生した問題と、02年1月に電気スタンドが接触して国宝の極彩色壁画を傷つけた不注意事故を起こしながら、それを公表せずに隠蔽した問題について、文化庁の調査委員会は前者を「特別史跡の墳丘を記念物課、国宝壁画を美術学芸課がそれぞれ所管し、意志疎通など図られなかった」「縦割りとセクショナリズム」、後者を「情報公開と説明責任に対する認識の甘さ」(06,6.16.『朝日』朝刊)を原因として挙げている。

 記事は後者の隠蔽に関しては「意図的隠蔽とは断定しなかったものの『情報公開の趣旨に対する認識の誤り』があり、『不手際の積み重ねが結果的に隠蔽の印象を与えた』とした。
 こうした事実関係の検証を踏まえ、組織の問題点に言及。『庁全体として情報公開への認識がほとんど欠如していた』と指摘し、『組織としての文化庁のあり方を基本的に見直す』ことを求めた」と記している。

 「縦割りとセクショナリズム」も「情報公開と説明責任」に反する隠蔽体質も、日本の社会・組織に於いては今に始まった事態ではない。日本人が本来的な体質として持っている態度傾向だから、文化庁の一部局かそこらに蔓延っている動きであるかのように言うのは的外れな指摘でしかない。

 指示と指示を受けた行動が上下方向に固定化されているための「縦割りとセクショナリズム」の体制を、責任に関しては上も下も本質のところで自律意識、あるいは主体性意識を欠いていることから自分の行動として把えることができず、その時点で既に責任意識を欠如させているのだが、上は全体のためにしたことだと自己責任を否定するか、下が指示通りに行動しなかったからだと下に責任転嫁する、下は上の指示に従っただけだと上に責任を転嫁し、結果として責任が宙に浮いて、誰も責任を取らない体制を相互性とするに至っている。

 責任の帰属を明確にする場合もあるが、上の者が自己の責任を回避するために下の者に強制的に責任を取らせるか、あるいは事件となって公になり、何らかの責任を取らなければ片付かないところに追いつめられたといった場合に限られる例外としてある場面であろう。

 戦前の戦争を日本人自らは誰も責任を取らなかったし、誰も責任を問わずに済ませた総括回避はこの民族性とも言える責任を取らない体制が国家全体の姿として現れた貴重な場面だったのだろう。

 責任を無化した無意識の体裁の悪さ・不愉快さが〝自存自衛の戦争だった〟といった言葉に代表される戦争正当化の牽強付会を生み出し、±ゼロ以上の精神浄化の役目を果たして日本人を救っている。

 責任を取らない先に隠蔽が生じる。隠蔽を責任を取らないで済ませる便宜の一つとなるからなのは言うまでもない。強制連行も慰安婦も存在しなかった、そのことを正当化するために証拠を隠蔽するか、自らは証拠を捜さない心理的な隠蔽を行って、証拠がないではないかと言い募る。

 今の時代で言うなら、昔からあったことだろうが、官僚の不祥事隠し、警察の捜査ミス隠し、あるいは警察官の犯罪に対する身内庇い、学校のいじめ自殺隠し、教師のワイセツ等の犯罪隠し、最近あった教育委員会のワイセツ教師の実名隠し、企業の不祥事隠し、リコール隠し、事故隠し、病院の治療ミス隠し等々、洗い出したら際限のないオンパレードに立ち至るだろうが、日本の社会の当然の姿としてあるオンパレードであって、酒飲みが酒を飲むのをやめたら、急に体調を壊すことがあるように、上記オンパレードが日本の社会から姿を消したなら、社会だけではなく、日本の国そのものが調子を狂わし、おかしなことになるのではないだろうか。

 文化庁の調査委員会の原因究明に従って文化庁自身が精々訓告か誡告、それ以上だったらスズメの涙ほどの減給といった方法で責任を取らせたとしても、上が決めたことだと従うだけで誰も責任意識を持たないだろうから、喉元通れば何とかやらで、元のモクアミに戻るだけだろう。最悪の場合、ハイ、改めますで済ませてしまうこともできる。かくして誰も責任を取らない体制は何事も起こらなかったように以前の健全な状態で推移するわけである。

 カネは有り難がられるが、出した金額ほどには信頼と言う見返りを獲得できない日本のODA(政府途上国援助)政策の弊害原因が、政治家や官僚の名声獲得や利権を守るための援助金額の実績づくりと日本企業の商機提供を主たる目的とするだけで、相手国民の必要性を理解する想像性(創造性)を伴ないために援助が単なるカネの提供で終わることになっていたのは周知の事実であったが(喜ぶのは援助を既得権益化して利益を得る日本と相手国双方の高官や企業だけだろう)、さらにODAを決定・実施する日本の縦割り体制やセクショナリズムが弊害を助長させていたという指摘も周知の事実だが、それが日本の組織の改めようがない本来的な体制であって、縦割りやセクショナリズム、既得権益や利権と言った夾雑物、それらの無駄があってこその社会の活力、日本の活力であって、それらをなくしたら何のための日本かということになるに違いない。

 小泉内閣は6年2月に外務省が担ってきた「無償資金協力」とJICA(国際協力銀行)が担っていた「技術協力部門」を統合し、そこに国際協力銀行が担っていた「国際金融業務」と「円借款部門」を切り離して、「円借款部門」を重ねて統合する新たなODA実施機関の一元化案をODA改革として纏めたが、縦割り意識にしてもセクショナリズムにしても、また無責任体制にしても日本の歴史とし、伝統・文化としてきた日本人性そのものの体質である以上、それを取り除こうとすること自体無謀な挑戦というもので、単なる椅子の並べ替えに終始するだけのことだろうから、小泉首相は無駄な抵抗を展開したに過ぎない一過性の改革を夢見たと悟ることになるに違いない。

 アスベスト対策の遅滞・不備にしても、その由って来る原因は縦割り行政と無責任体制だそうだが、関係省庁に於けるそれらの遺漏のない蔓延は日本人自体が体質としていることの厳粛な証明で、固有の体質である以上、思い遣りを以て受け入れなければならない結果性であろう。

 アスベスト政策が縦割りと無責任を原因としているとする05年8月27日の『朝日』朝刊記事を参考のために引用してみる。

 『時々刻々アスベスト対策検証 責任曖昧 救済も難問 関係省庁、なすり合い』   
                     
 「アスベスト(石綿)による健康被害の広がりを受け、政府は26日の関係閣僚会議で、過去の対策の検証結果をまとめ、救済のための新法制定の方針を打ち出した。しかし、閣僚から『決定的な失敗』とまで言われた行政の責任は依然曖昧なまま。縦割り行政のひずみと責任逃れの体質も滲む。これで実効性ある再発防止の体制が築いていけるのか。新法は被害に苦しむすべての人を対象にできるのか。難問も多い。
 『規制導入が欧州と比べて数年遅れたのは事実』『振返ればもっと早期に規制を講じることも可能だったという批判も行い得る』
 合わせて7省庁から出された検証内容の中で、環境省の報告内容には『反省の弁』らしきものが目立った。
 それは、自分たちは規制しようと思ったのに横やりが入った――。こんな他省庁への当てつけと裏腹でもある。
 同省OBへの聞き取り調査で、こんな話も出てきた。
 89年工場外への石綿の飛散を防ごうと基準を決めた大気汚染防止法改正の際、旧通産省の幹部から『これまでの濃度測定では、工場外では基準以下だった。そもそも何で規制が必要なんだ』『石綿製造工場は中小企業が多い。産業保護の観点からも問題がある』と反対された。
 旧労働省からも『工場内は当省で規制しているから外へは出ていないはずだ。なぜ屋上屋を架す規制をお考えなのか。御説明願いたい』と、やんわりと牽制された。
 その2年前、学校での吹きつけ石綿が社会問題となっていた。環境省の現幹部は『世論に救われた』と振返る。
 こうした霞ヶ関の縦割り行政のひずみは、報告書に明記されていない。
 しかし、当時の担当職員からの聞き取り調査として盛り込まれた『規制制度の立案過程に於いては、関係省庁それぞれの立場から調整は容易ではなかった』などの表現に、その一端が覗く。
 もっとも環境省も、77年から旧環境庁で大気中の石綿の濃度を調査していながら、89年まで大気汚染防止法による規制を行わなかった対応については、正当化に終始する。『測定された石綿濃度は非常に低く、国民への影響は非常に低かった』と理由を述べ、『当時としては妥当な判断だった』と結論づけた。
 報告書では、『省庁間の連携の不十分さ』の具体例として、90年に旧環境庁が中心となって開かれた『石綿対策関係省庁連絡会議』が、3年後に2回目を開いたきり有名無実化していたことも明らかになったが、この評価を巡っても省庁間の見解は異なる。
 厚生労働省は会見で、『8省庁の課長クラスが集まれば、かなりのことが話し合えたはず。回数を重ねていれば対策の連携もできたのではないか』とし、継続しなかった理由は『環境省が主催なので分からない』これに対して環境省は『昔の話を持ち出して、こちらの動きが悪いという話にしている』と反発。責任の押し付け合いを露呈した格好だ。(中略)
 
  対応に不備 首相認める

 小泉首相は26日夜、アスベスト(石綿)による健康被害に対する政府の責任について『反省すべき点もある。被害が起こっているわけだから、ないとは言えない。危険性を察知できなかった』と述べ、対応に不備があったとの認識を示した」――

 関係省庁の「責任の押し付け合い」は日本人性としてある当然の姿だから、大目に見なければならない責任回避であろう。それに対応するかのように「反省すべき点もある」と全部ではないことを強調する「も」という言葉を入れた小泉首相自身の態度にも責任回避意識が滲んでいるが、同じ体質を持った同じ日本人である。日本人であるための許容点であろう。もしも「反省すべき点は十分にある」、あるいは「多々ある」と潔く認めてしまったなら、日本人でなくなる。

 「政府の責任について」は「ないとは言えない」と責任薄めの言葉となっている点も、日本の首相だから自然な発言であり、自然な責任感覚と言わなければならない。

 記事全体から受ける各省庁・政治家の姿勢に<国民の生命・財産>に対する視点が完璧に欠如しているのは彼らの権威主義的人間関係が政治家と官僚の間か、あるいは省内・庁内で完結しているからだろう。勿論管掌事項が地方自治体にまで及ぶ場合はそこまで及ぶが、国民にまで及ぶことはない。及ぶのは自身の権限や権益を有効に擁護するためには国民に対しても便益を図らなければならない場合に限られる。優先事項は国民の利益ではなく、あくまでも自身の利益である。だから法外な給与や退職金を手に入れることになる天下りも、省庁と天下りとの間での私腹を肥やすだけの不正な利益の遣り取りも、族議員への便宜供与も役目とすることができる。国民への目を持っていたら、とでもできないだろう。元々責任意識はない民族なのだから、国民に対する責任などありようがない。誰が政治家・官僚になっても同じである。

 「石綿製造工場は中小企業が多い。産業保護の観点からも問題がある」
 「測定された石綿濃度は非常に低く、国民への影響は非常に低かった」

 権威主義の行動性は一旦決めた指示体制からなかなか抜け出せない。上にとっては従わせることに、下にとっては従うことに価値を置く構造上、一つの指示によって従わせ・従う関係が円滑な状態で推移する限り、そこに踏み止まろうとする力が働くからであり、そのような関係式にはそもそもからして自律性や創造性を欠いていることに対応した状況判断に関わる柔軟性の欠如が踏み止まろうとする力にどのような妨げともならないからである。

 阪神大震災やその他自然災害に見る国や地方自治体の危機管理の機能不全にしても、縦割りやセクショナリズムの先にある国民への視点の欠如や指示体制の膠着性が成果となって現れた一つの状況でもあるのだろう。

 「国民の生命」とは身体的に単に生きている状態の保証ではなく、人間としての尊厳を維持できる範囲内の生きてある状態の保証を欠いたなら、生命としての意味を半ば失う。

 だからこそ憲法で、「健康で文化的な」とわざわざ断った上で、「すべての国民は」「最低限度の生活を営む権利を有する」ことを「生存権」として認めているのだろう。単に生きている状態は決して「健康で文化的な」とは言えない。身体が丈夫であっても、社会的生きものとして社会に生きる部分に関して、その人なりの文化性を持たなければ、決して「健康」とは言えない。人間の尊厳につながらない。そのことを問題としない政治家・官僚の国民への視点の欠如は、やはり日本人が体制としている縦割りの到達範囲(=縄張り)が関わっていることで、このこともごく自然な流れとしてある光景と言える。

 現在騒がれているパロマ社製のガス湯沸かし器のガス漏れ多発事故にしても、湯沸かし器のエネルギー源がLPガスと都市ガスでは事故報告を扱う経済産業省の部署が異なり、情報を共有しなかったことが事故件数の全体数の把握と、全体数から割出される事故の広がりや頻度から判断すべき器具自体の危険性の把握を妨げていたということだが、指示体制を自分の部署にのみ固定化する権威主義の行動性からの縦割りとセクショナリズムの成果でもあろう。

 かくこのように日本のあらゆる組織・社会に蔓延する縦割りとセクショナリズムは日本人が血とし、体制としている切っても切れない関係にあるからこその蔓延なのであって、派閥という縦割り及びセクショナリズムが自民党を支えてきたように、日本を支えてきたのである。縦割りとセクショナリズムの弊害が指摘される場面に出くわしたなら、そういった場面が永遠に繰返されることから免れられない以上、日本人なのだからと確認するだけにとどめる寛容さ、あるいは止むを得ないと受け止める諦めが必要だろう。それとも大いに歓迎してやるべきか。

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〝脱派閥〟のマヤカシ

2006-07-27 05:50:02 | Weblog

 06年7月26日の『朝日』夕刊にこんな見出しの記事が載っていた。

 『安倍長官、森派離脱へ』

 「安倍官房長官は9月の自民党総裁選に立候補するに当たり、所属する自民党森派を離脱する意向を固めた。8月下旬に正式に出馬表明する際に表明する方針。
 総裁選では、福田康夫元官房長官が不出馬を表明しており、森派は安倍氏で候補を一本化する。ただし、派閥横断型の『再チャレンジ支援議員連盟』が安倍氏を後押ししていることもあり、安倍氏としては、派閥を超えて幅広く協力を仰ぐ方が得策と判断した。再チャレンジ議連の森派以外の中堅・若手にも、安倍氏の判断を歓迎する声が出ている。
 小泉首相も森政権時代には森派会長を務めていたが、01年4月の総裁選では『派閥の弊害を打破する』として、森派を離脱した。安部氏には、小泉首相の『脱派閥』路線を引き継ぐ思いもある。
小泉首相は6月中旬に森前首相と会談したときに9月の首相退任後は森派に復帰しない考えを示しているが、森派の若手の中には『脱派閥を明確にするために、安倍氏も首相退任後は森派に戻らないと宣言した方がいい』との声もある」――

 「派閥横断型の『再チャレンジ支援議員連盟』が安倍氏を後押ししていることもあり、安倍氏としては、派閥を超えて幅広く協力を仰ぐ方が得策と判断した」

 あくまでも計算上の「得策」、つまり自己利害からのご都合主義であって、自らの政治姿勢が必要とした脱派閥でないことはミエミエである。党所属の政治家でありながら、県知事選とか市長選に立候補する際、党派色を薄めると同時に無党派層からの支持を得る自己利害から党籍を離れて無所属で立候補するのと同じ線上にある「得策」判断に過ぎないだろう。

 記事には書いてないが、首相就任後の支持率獲得に影響することも計算に入れて、〝脱派閥〟のスローガンが国民受けがいいことも狙った国民向けのポーズでもある「得策」なのだろう。

 〝小泉政治継承〟を謳っている。「小泉首相の『脱派閥』路線を引き継ぐ」ことで、〝継承〟をより強く印象づけることができることを「得策と判断した」自己利害、あるいはご都合主義ということもあるに違いない。

 森派の前身であるかつての福田派(福田→安倍パパ→三塚→森)のプリンスと呼ばれ、岸元首相の娘婿でもあった安倍晋太郎を父親とする毛並みの良さから初選挙からして森派の世話になり、当選後は二世議員として大事に育てられ、売り出されてきているのである。いわば森派という派閥の産湯にどっぷりと漬かって現在の安倍がある。派閥の申し子みたいな存在であって、派閥と一心同体だった政治家が総裁選立候補という都合で「派閥離脱」を図る。これを自己利害からのご都合主義と言わずして、何と言ったらいいだろうか。

 大体が8月下旬の正式出馬表明まで待って離脱するということ自体がマヤカシそのもので胡散臭い。ご都合主義の自己利害からではなく、純粋に政治姿勢に促された「派閥離脱」なら、8月まで待たずに直ちに離脱するだろう。

 小泉首相が森派に戻らないのは、自分の息のかかった安倍晋三の後継者が確実視されている現状で、森派に戻るよりも、戻らずに直接安倍晋三に影響力を及ぼした方がマンツーマンの対応ができて効果的と見ているからではないか。森派に戻れば、森派の意向というクッションを通して働きかけなければならない場面が生じないとも限らない。一人の立場でいれば、その煩わしさを免れることができるし、自由自在に影響力を及ぼすことができ、望みどおりに操ることもできる。

 安倍晋三の〝脱派閥〟の「判断を歓迎する声が出ている」ということだが、無派閥議員なら「歓迎する」資格はあるが、派閥所属議員にはその資格はない。自分がいずれかの派閥に所属しながら、派閥の意向とは別に次期総理・総裁として支持する政治家の〝脱派閥〟は「歓迎する」では自ら矛盾を犯すマヤカシ行為となるからである。自らも〝脱派閥〟を実践してこそ、「歓迎」に整合性を与えることができる。

 派閥に片足を置いていながら総理・総裁候補の〝脱派閥〟にもう片方の足を置く――どちらを軸足としているのだろうか。総理・総裁は変わるから、軸足は当然派閥に置いた方の足だろう。来夏の参院選の結果次第では、安倍政権が1年も持たない短命政権で終わる可能性だってある。終わった場合、外に置いていた片方の足をそっと派閥に戻すのだろう。

 「森派の若手の中には『脱派閥を明確にするために、安倍氏も首相退任後は森派に戻らないと宣言した方がいい』との声もある」ということだが、首相を2期・3期と全うしたなら、小泉首相みたいに見せかけの実績をバックとして以後の活動を支障なくこなすこともできるだろうが、そこまで行かないうちに選挙の敗北以外にも何らかのアクシデントで任期途中で辞任に負い込まれるといった事態が生じた場合、実績もなしでは派閥をバックとしなければ何ができると言うのだろうか。

 「森派に戻らない」を「派閥離脱」と同様に「得策」と見て提案したことだろうが、安倍政権が誕生したとしても、小泉首相どおりにいく保証はどこにもない、先行きがどうなるかも分からない時点で「首相退任後」のことまで言うのは、まったくナンセンスな話だが、国会議員でありながら、そのナンセンスさに気づいてもいない。

 小泉首相の退任後の「森派に戻らない」にしても、〝実家〟は森派以外になく、精神的にも心理的にも血のつながりを失うわけではないだろうから、正確な意味での〝脱派閥〟を意味するわけではない。安倍晋三にしても、常に〝実家〟は森派とするだろう。

 国会議員でありながらのこのようなナンセンスさは他人の判断でしかない派閥思考に依存した行動を基本としていて、自律的・主体的な判断(=自分の判断)で行動する習慣がないことから発揮することとなった、深い考えもなしに「得策」ついでで思いついた先見の明なのだろう。

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日本人のDNAが生み出した派閥

2006-07-25 18:22:33 | Weblog

 06年7月24日の朝日朝刊社説の表題は、「自民党を『半壊』させた 小泉政権閉幕へ」となっている。後半部分を引用してみると、「逆戻りの兆しも」との小見出しで、「首相の破壊力は、どこまで自民党を変革したのか。選挙や人事の常識を覆し、そのあり方を変えたのは確かだ。
 くしくも、ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されてから、今月27日で30年がたつ。派閥や族議員が大手を振った田中型政治は遠くになりにけりだ。
 だが、そのDNAといえる利益誘導による集票システムは、決して消えたわけではない。旧来型の土建政治への郷愁なのか。来年の統一選挙や参議院選に向けて、公共事業の削減にストップをかける声が党内に高まっている。
 首相の秋の退陣を見越したように、党内には修復の声が立ち始めている。郵政造反組の復党もささやかれる。
 小泉政治は結局、自民党を『半壊』させただけで、壊しきれなかった。もっとぶっ壊していれば、もっと新しい政治が生まれたはずだ。
  (中略)
 ならば、今なお、自民党を壊すという『反自民』の構えが必要だろう。新首相がもし『伝統自民』に寄り添うなら、そのときは本来の反自民である小沢民主党の出番かもしれない。その戦いに公明や共産、社民党各党はどう絡むのか。
 まもなく小泉劇場の幕がおりる」――

 朝日新聞は06年4月18日朝刊の「小泉壊革 5年の軌跡(上) 派閥解体冷徹貫く」なる記事で、題名が示すとおり、自民党内派閥が「解体」したかのような論調の解説を展開している。それを直接的に表現した言葉を拾ってみると、「小泉政治の時代は、派閥溶解の5年だった」とか、「自民党内に派閥という『政党』がひしめく姿は消えた」とその〝消滅〟はっきりと謳っている。

 それが今回は〝消滅〟から「半壊」へと後退し、「逆戻りの兆しも」と、その蠢きがあることを伝えている。いわば「派閥」は息を引き取るどころか、なおしぶとく息をしている実態(復活ではなく、生存していた状態)を伝えている。

 ということは、「派閥解体」に見えた光景は小泉政治の間だけの一時的緊急避難に過ぎなかったということではないだろうか。

 もし一時的緊急避難との見方が当たっているとしたなら、例え「新首相」が「『伝統自民』に寄り添」わず、なお「自民党を壊すという『反自民』の構え」で突き進み、それが成功して、小泉政治に引き続いて派閥の論理・派閥の力学が通用しない政治磁場をつくり出したとしても、それは一見そう見えるだけのことで、小泉政治の間と同じように一時的緊急避難の状態がなお続いたと言うこと、派閥の側から言えば、なお続けさせざるを得ない状況にあったというだけのことで終わらないだろうか。

 記事は「伝統自民」(=派閥政治)への「逆戻りの兆し」として、「旧来型の土建政治への郷愁なのか。来年の統一選挙や参議院選に向けて、公共事業の削減にストップをかける声が党内に高まっている」としているが、単に財政再建を目的とした公共事業費の削減が予算上行われただけのことで、削減された状況の中で、削減されたからこそ、小さくなったパイを争わなければならなくなったからなのか、「旧来型の土建政治」は小泉改革のさ中でも、その裏側で正々堂々脈々と脈打ち、存続していたのであって、「逆戻り」でも先祖返りでも何でもない。防衛施設庁の官製談合事件、道路公団の橋梁談合、汚泥し尿談合その他その他。これらは官僚とゼネコンその他の企業だけの問題ではなく、道路族や各地元の政治家が絡んでいないことはないだろう。

 政治家や政治家秘書が口利きの見返りに報酬を得ることを禁止する「あっせん利得処罰法」が2001年3月から施行されたが、防衛施設庁の官製談合では発注工事や用地買収で国会議員や秘書ら14人から(14人もからと言うべきか)〝口利き〟を受けた事実が06年7月に発覚している。

 「あっせん利得処罰法」の制定・施行は〝口利き〟が無視できない醜悪な状態で横行していたからこそのストップをかけるための制定・施行であって、制定・施行にも関わらずストップをかけることができずに〝口利き〟が依然として横行状態にあることを示す発覚であろう。国土庁長官を務めたことがある伊藤公介衆議院議員が耐震偽装問題その他でヒューザーの小島進社長の依頼を受けて口利きをした疑惑、その他公共事業に絡んだ政治家や秘書の口利きは頻繁に耳にする事柄でもある。

 〝口利き〟でしか国会議員の先生としての自己存在証明を示すことができない政治家が多いことも、なくならない原因と言える。いわば、〝口利き〟を取り上げたら、国会議員として役に立たない、あるいは国会議員としての体裁を成さない政治家が多いということからの〝口利き〟が永遠の存在価値を与えているという側面もあるだろう。勿論カネになるということもある。

 このような〝口利き〟の不滅性は派閥の盛衰についても言えることではないだろうか。

 また「郵政造反組の復党もささやかれる」としているが、小泉首相自身が「政党ですから、よく現実の情勢を踏まえながら、対応するんじゃないでしょうかね」とその可能性を否定しなかった上に、「参院選の協力具合によって判断してもいいだろうという動きも出てくる。今ことさら決めることはない」と、〝今後のこと〟(=退任後)として容認する姿勢を示していることから既定事実化している「復党」(=「逆戻り」)と見なすことができるのであって、「ささやかれ」ている段階ではないのではないだろうか。

 どうも記事の事実認識が甘いように思える。少々ずれているのではないか。それとも当方の事実誤認なのだろうか。

 派閥は実際にはしぶとく存続していた。「解体」も「溶解」もしなかった。当然、「半壊」といったところまで行っていないから、「逆戻りの兆し」など、生じようがない。

 小泉純一郎自民党総裁の実現は当時の自民党最大派閥小渕派所属の元首相橋本龍太郎の返り咲きを狙った再立候補を破っての初当選であり、橋本龍太郎が決定的ダメージを受けて総理・総裁候補から退いたあと、それ以後〝選挙の顔〟となる人気の点で小泉首相に匹敵する人材が不作続きであったこと、特に最大派閥の小渕派を引き継いだ橋本派にこれといった総理・総裁候補が存在しなかったことが、自民党の各議員をして選挙を乗り切って議員を続けていく自己保身・自己利害のために従来の派閥依存から小泉首相の人気・支持率依存へと鞍替えする流れが生じた。

 もし小泉首相が当時最大派閥だった小渕派の力を借りて総理・総裁になっていたなら、派閥政治は大手を振って罷り通っていたことだろう。そういった事情が派閥状況を変えたに過ぎない。

 自己保身・自己利害のために力の強い者に従う事大主義・権威主義の血を発揮して靡くべき寄らば大樹の陰を派閥から小泉首相の個人的能力に対象を変えたということである。結果、当然の反映として小泉首相の個人的な力・指導力(あるいは権威性と言ってもいい)を高め、その代償として派閥の力と派閥をバックとした各議員の力を自ら殺ぐこととなった差引勘定が見せた相対的力関係(=絶対的ではない力関係)の推移が一見派閥の「解体」と見えた小泉首相の5年間ではなかったろうか。

 象徴的に表現するなら、舞台中央に堂々と立って両手を広げ、「派閥の論理が通用しない自民党総裁だ」と声高々と歌い上げる小泉首相の周りで、多くの自民議員が国民の受けもよい自己利害から、さも同調者であるかのようにあとについて唱和する情景が国民の目に映る前景を常に成していたということだろう。

 小泉首相の〝選挙の顔〟としての人気に頼って選挙を繰り返しているうちに、橋本派は最大派閥から転落し、小泉首相が所属する(首相になって派閥を離れたといっても形式に過ぎない)総理・総裁を抱える森派が強い組織に人が集まる権威主義の流れを受けて最大派閥化し、橋本龍太郎は2004年7月に日歯連からの1億円献金疑惑が浮上して派閥会長を辞任し、そのような衰退の経緯を受けて自民党はなおのこと小泉首相の独壇場と化していった。

 だが、派閥が幕の影に退いた一時的な状況で、派閥そのものがなくなったわけではないのは、9月の総裁選に向けた党内の動きを見てみれば一目瞭然である。

 自民党旧宮沢派(宏池会)の流れを汲む丹羽・古賀派、谷垣派、河野グループの3派の領袖クラスが6月初旬(06年)に会談したということだが、総裁選挙を控えて元の仲間が顔を合わせたということは、それぞれが小派閥として活動することよりも元の大所帯で一体となって活動することのメリットを模索する狙いがあったからであろうし、それは数の力(派閥の論理・派閥の力学)により効果を持たせようとするより一層の派閥行動への傾斜を示すものだろう。

 また福田康夫元官房長官が総裁選に立候補しない意向を自分が所属する派閥会長の森元首相に会って直接伝え、「森氏が『安倍君が出馬したとしても、派閥としてまとまっていかなければならない』と述べて安倍氏への支援を要請したのに対し、『それは分かっている。同じ派閥に所属する議員として見守っていきたい』と述べ、森派の一員として安倍氏を支持する考えを示した」(06.7.22.『朝日』朝刊)は、自らの安倍氏との政策の違いを棚に上げた、それとは無関係の派閥の論理・派閥の力学そのものに則った派閥行動の表明以外の何ものでもない。

 基本のところで派閥の論理・派閥の力学を自らの行動原理としていることから誰もが離れられない。

 つまり、こういうことではないだろうか。派閥は「解体」したわけでも「半壊」したわけでもなく、小泉首相の個人的な人気に頼った手前、その意向を重視せざるを得ず、結果として派閥活動は鳴りを潜めていただけのことで、影を潜めたわけではないといったところが実態ではなかったろうか。

 自民党は自民党議員のみで成り立っているわけではない。自民党議員及び自民党政治  と利害を同じくする組織と人間(官庁・官僚、企業・企業人、地方自治体・地方役人、その他地域の支持者・有力者、さらに不特定多数の一般支持者)によって成り立っている。それらの利害共有者にしても、日本という全体社会にあってはそれぞれが独立して生存しているわけではなく、その一員として何らかの相互関係を保ち活動している。

 いわば自民党支持という利害の点で大枠に於いて同質性を成してはいるが、同じ日本社会に生きる者として、それぞれの血がつくり出して総合化した社会の血を大本に於いては同質的に受け継いでいる。

 自民党が派閥政治を専らとしてきたと言うことは、他の政党に於いても似たり寄ったりの状況にあるが、自民党政治家のみならず、利害共有者である支持者をも含めて、派閥政治が持つ集団性・権威性を血としているからで、その反映を受けてもいる現象でもあろう。いわば両者の同質性が相互に反映し合って成り立つに至った派閥政治であるということである。

 つまり日本の社会が派閥を生み出したと言える。より厳密に言うと、日本人の血・日本人のDNAが生み出した。自民党社会が日本の全体社会を形成する下位社会の一つである以上、その相互反映性から言って、当然の帰結でもある。記事が言っているように、「利益誘導による集票システム」だけを「DNA」としているのではない。

 それは自律(自立)していないことによって数を頼み、集団を恃み、結果として大勢に順応する日本人の権威主義・集団主義のDNAであろう。そこから抜け出せない以上、派閥はなくならない。

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日本の明と暗

2006-07-23 06:13:23 | Weblog

 小泉プレスリー邸訪問と認知症母殺害被告に猶予付き判決

 06年7月21日の朝日新聞夕刊に「京都市伏見区の河川敷で2月、同意を得て認知症の母(当時86歳)を絞殺したとして、承諾殺人などの罪に問われた無職片桐康晴被告(54歳)の判決公判が21日、京都地裁であ」り、「『結果は重大だが、行政からの援助を受けられず、愛する母をあやめた被告人の苦しみや絶望感は言葉に言い尽くせない』と述べて、懲役2年6カ月執行猶予3年(求刑懲役3年)を言い渡した」と出ていた。

 判決を受けた瞬間の被告自身の光景と対極の位置に描き出すことのできる光景は、アメリカを訪問し、ブッシュ大統領との日米首脳会談に臨んだ後、大フアンだったという故プレスリー邸を訪れて、ブッシュ大統領から手渡されたプレスリーのサングラスまでかけ、プレスリーの歌を口ずさみ、そのポーズを真似てご機嫌にはしゃいだ小泉首相の姿ではないだろうか。

 首相在任のこの5年間、何もかもうまくいったと本人は思っていて、最後の日米両大国の(これも本人が思っていることだろうが)両首脳が会談を無事こなし、つい気分が緩んだのだろう。

 記事の続きは、裁判官が述べた言葉として「片桐被告が献身的な介護を続けながら両立できる職を探していた経緯にふれた上で、『福祉事務所を訪れたが相談に乗ってもらえず、生活保護は受けることはできず心身ともに疲労困憊となった』と指摘。『他人に迷惑をかけてはいけないとの信念と姿勢を、かたくなであると非難するのは正しい見方であるとは思われない』」と伝えている。

 「家で老人を介護するのは日本の昔からあった美徳だ」と在宅介護政策を擁護した政治家がいたが、何のことはない、社会保障費を削って財政再建を優先させたいばっかの考えから出た正当化の口実に過ぎないのは、そこに時代の違いを考慮する配慮を一切見せず、昔と今を一緒にする牽強付会(客観的認識性なしの態度)が証明している。小泉構造改革の財政再建は社会的弱者への財政配分を削った上に成り立たせている。その結果の老老介護風景の現出であり、介護疲れ殺人の頻発であろう。

 「福祉事務所を訪れたが相談に乗ってもらえず、生活保護は受けることはできず心身ともに疲労困憊となった」という指摘は、頻発する児童虐待に対して機能しない児童相談所の対応や、あるいは一人暮らしの老人の孤独死を長い期間見過ごしてしまう地域・世間の無関心、あるいは民生委員や生活指導員といった定期的家庭訪問者の不注意を思わせる。いくら制度や組織、あるいは法律を変えても、目指した方向で機能し、国民の福祉に役立たないことには改革は意味のないものとなる。

 また「献身的な介護を続けながら両立できる職を探していた」の介護と仕事との両立の難しさは少子化の大きな原因となっている育児と仕事の両立の難しさと無関係とは言えない日本の社会が抱えるその方面での閉鎖性(=包容力のなさ)を示すものであろう。

 改革がこれらのことに手を差しのべなかったなら、裏通りは放っておいて、表通りだけをきれいにする改革で終わることにならないだろうか。それが格差社会と言うことだろう。

 プレスリーのサングラスをかけ、プレスリーそっくりのジェスチャーで、プレスリーの歌をご機嫌に口ずさんだ小泉首相が日本の〝明〟を象徴するとするなら、各地で頻発する介護疲れからの近親者殺しは日本の〝暗〟を象徴する風景に思える。小泉首相には〝暗〟の風景がはっきりとは目に映っていないよう見えるが、どうだろうか。

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ドミニカ移民補償

2006-07-22 16:44:21 | Weblog

 国庫(税金)の使い回しだけで済ますのか

 ドミニカ移民訴訟問題で東京地裁は政府の不法行為を認める判決を出したものの、原告の損害賠償請求を〝除斥〟を理由に棄却し、国の勝訴とした。原告側は直ちに控訴したが、「国の違法」との指摘を受けて、政府が原告団に謝罪、損害賠償請求に対する「請求権消滅」判決の代わりに50万円~200万円の「特別一時金の支払い」、その他「農業などを営む移住者約130人へのJICA(国際協力機構)を通じた融資」については「急激な為替変動により過重になった債務負担を軽減する」とし、「融資した計11億円のうち為替変動で増えた4億円程度を軽減」(『朝日』)、「ODA(政府の途上国援助)などによる従来の支援も『更なる協力を積み重ねる』として拡充を明記。(1)日系人社会の拠点作りへの支援(2)高齢者や低所得者を支援する「移住者保護謝金」の拡充(3)移住者の子供らの日本での短期留学や研修――などの支援策も盛り込んだ」(『朝日』)

 『朝日』の7月22日の朝刊「時時刻刻」の〈キーワード:ドミニカ移民問題〉は、「『豊かな農地が与えられる』と政府が移住者を募ったのに応じ、1950年代後半、ドミニカ共和国に249家族1300人余りが入植した。だが、実際の土地は狭い上に耕作に適さない荒れ地だった。困窮した移住者の多くは60年代に国費で集団帰国した。
 残留した移住者が00年に提訴。帰国者も訴訟に加わった。今年6月、東京地裁は「請求権の消滅」を理由に請求を棄却したが、当時の国の移民施策については「違法」と断定した」と報じている。

 以上は当然の措置だろう。事もあろうに「豊かな農地が与えられる」と一国の政府が詐欺を働いたのである。だが、特別一時金の支払いも、債務負担の軽減も、新たな施策にかける資金にしても、すべて国庫(税金)からで、移民政策立案の過ちそのものに対する立案者の責任措置が何ら講じられていない。

 ハンセン病政策やエイズ対策の不作為・水俣病政策の過ち・アスベスト対策の遅れ、あるいは耐震偽装問題で建築基準法の不備を棚上げにした被害者への融資にしても、それぞれが予算を組んで賠償・救済等を行い、アスベストの場合は公共の建物からの除去費用まで賄わなければならないのに、議員・官僚の職務上の過ちそのものに対する責任はどのような形でも誰も取らない。

 あるいは利用者が少なく、維持費も賄えず赤字を膨らませるだけの高額のカネをかけて建てた観光施設・福利厚生施設等に予算という名の国民の税金を投入して赤字補填を行いながら、その政策の過ちに誰も責任を取らない。手に余って、二束三文で叩き売ったとしても、その差引の損失は帳簿に数字を書き込むだけで片付けられる。全体の予算額が不足すれば、新たに債券を発行して借金を増やすか税金を上げるかして補填し、同じことの繰返しを引き続き行う。

 政策の立案から具体化を経て、それが失敗した場合の賠償・補償まで国民の税金という他人の懐で勝負しているから、何ら痛みも後悔も感じず、そのような責任の無存在性が見通しをしっかり立てる政策上の創造性の育成を阻害し、結果として政策の過ちが性懲りもない形で日本の歴史・伝統・文化となって延々と繰返されることとなっているのではないだろうか。失敗が自分の痛みとなって撥ね返ってこないと、人間はなかなか自覚を持って事に臨むことができない。

 それが国の政策に関わる過ち・失態の場合は、その埋め合わせに必要とする賠償額・補填額その他の経費等の総額のせめて半額でも、すべての国会議員と国家公務員のそれぞれの給与から一律に0・1%とか1%とか徴収して支払わせる仕組みの痛みを与えたなら、厳しい姿勢で政策立案に臨むこととなって、否応もなく政策に関わる創造性の向上にもつながっていき、少なくともこれまでのような過ちの連鎖を断ち切ることができるのではないだろうか。

 あとの半額は、官僚を指揮監督する国会議員がいくら程度の低い者ばかりだといっても、そのような国会議員を国政の場に送り込んでいるのは国民なのだから、その選択に関わる責任として、税金から支払われる痛みを引き受けることを止むを得ないとすべきではないだろうか。

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昭和天皇合祀忌避と小泉首相のゴマカシ

2006-07-21 16:02:04 | Weblog

 昭和天皇が靖国参拝を中止した理由がA級戦犯の合祀にあったと記す、当時の富田朝彦宮内庁長官のメモの発見を受けて、小泉首相が20日(06.7.夜)首相官邸で記者団に次のように答えている。いくつかのテレビ番組から纏めてみた。

 メモが見つかったことについて、「詳細は分かりませんが、これは心の問題ですから。陛下自身に於かれても、様々な思いがおありになったんだと思いますね」

 総理自身の参拝の影響について、「これはありませんね。それぞれの人の思いですから、心の問題ですから。強制するものでもないし、行ってもよし、行かなくてもよし、誰でも自由ですね。あの人が、あの方が言われたからとか、いいとか悪いとかいう問題でもないと思っています」――

 記者団の質問は天皇の靖国参拝中止がA級戦犯合祀にあると思えることに対して、A級戦犯合祀を問題とせずに参拝を続けている総理大臣である小泉純一郎個人の考えを問うものであったと思うのだが、首相の答は天皇のそのような姿勢とは異なる自分自身の姿勢の是非を述べたものではなく、一般論を述べてかわしたに過ぎない。

 いわば天皇の参拝に関わる考えを一般論に潜り込ませるゴマカシを働いたのである。理由はどうであれ、開戦の詔書を発し、戦争終結の詔書を公布している当人であって、戦前は統帥権者であり、戦後は日本国民統合の象徴者たる天皇の理由・根拠を一般論扱いする歴史への客観性は手品師でもできない見事なゴマカシだが、そのことに居合わせた記者の誰も気づかなかったらしい。

 確かに一般論としては行くいかないはそれぞれの「心の問題」で、「強制するものでもないし」、「行ってもよし、行かなくてもよし、誰でも自由」ではあるが、だから私も参拝するのだと、そういった理由・根拠で小泉首相は参拝しているわけではないはずである。

 参拝することが小泉首相の「心の問題」なのである。参拝しないことを「心の問題」としているわけではない。いわば小泉首相個人に関して言えば、「いいとか悪いとかの問題」で参拝しているのではなく、〝いい〟として、つまり〝すべきである〟として、そのような問題意識で参拝しているはずである。

 昭和天皇はA級戦犯が合祀されたことに反対の意思を持ち、それを天皇自らの「心の問題」(「それが私の心だ」)として、それまで続けていた靖国参拝を中止した。

 一般論でとても扱えない天皇の「心の問題」を一般論で扱い、自らの参拝も一般論で片付けようとするゴマカシ。さすが日本の総理大臣と言うべきか。

 天皇はA級戦犯の合祀に不快感を示し、参拝を中止した。しかし小泉首相はA級戦犯合祀をいささかも問題とせず、「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯はすでに死刑という、現世で刑罰を受けている」として、A級戦犯共々、「尊い命を犠牲に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感謝の誠を捧げるのは政治家として当然」を自らの「心の問題」と決めて参拝を続けているのである。

 当然記者団の質問に、「天皇陛下はA級戦犯の合祀に不快感を示されたようだが、私自身の考えとしては、日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯はすでに死刑という、現世で刑罰を受けているのだから、合祀に問題はないと思っている。陛下は合祀をキッカケに参拝を控えられたようだが、私自身は合祀を問題にしていないのだから、今後の参拝に影響を受けることはない」と答えなければならなかったのではないだろうか。それが論理的対応というものだろう。

 だとしても、「亡くなるとすべて仏様にな」り、「死刑という、現世で刑罰を受けている」からといって、そのことを免罪符として戦争責任の問題まであの世に葬ってしまうのは(葬ってしまっているから、参拝ができる。葬っていなければ、少しは引っかかるだろう)、日本の歴史・日本の過去を曖昧にする冒瀆、あるいは改竄・歪曲に当たり、そのように歴史の都合の悪い部分を曖昧にすることは必然的に、本人は否定するだろうが、歴史の美化、あるいは過去の美化につながっていく。都合の悪い部分を曖昧にするのは、いいところだけを見せようとする意志の働き(=美化意識)によって生じるからである。

 結果として、靖国参拝行為が「亡くなるとすべて仏様になる」、「死刑という、現世で刑罰を受けている」、あるいは「尊い命を犠牲に日本のために戦った」という口実のもと、日本の戦前の負の歴史を葬り去る代替行為となっている。

 つまり、靖国参拝とは小泉純一郎演出による戦争美化のゴマカシ劇そのものであろう。そして安倍晋三が小泉首相の尻に引っついて、戦争美化の後押しをしている。

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大本営発表・IT日本世界トップ水準

2006-07-20 05:18:31 | Weblog

 国立教育政策研究所のHPで次のような文章に出会った。

 「国立教育政策研究所生徒指導研究センターでは、平成17年9月に文部科学省より出された「新・児童生徒の問題行動対策重点プログラム(中間まとめ)」を受けて、文部科学省初等中等教育局児童生徒課とともに昨年11月より本年3月にかけて「生徒指導体制の在り方についての調査研究」を行ってきました。
 このたび、調査研究報告書がまとまりましたので、別添のとおり全文を掲載します。
 製本冊子については、国立・公立・私立の小学校、中学校、高等学校等の学校分を含め、(今年平成18年の)7月中に各都道府県教育委員会等へ送付する予定です。」

 「別添のとおり全文を掲載します」は「『生徒指導体制の在り方についての調査研究』報告書」という題名でPDF化したファイルのことを指している。何も余分なカネと手間をかけずに、メールで各都道府県市町村教育委員会にPDFファイルのアドレスを伝えて、各教育委員会から各学校にさらにメールで知らせ、各学校でPDFファイルをダウンロードして必要部数を印刷すれば、時間もカネも手間も節約できると素人目には思えるが、わざわざ「製本冊子」にして送料までかけて「7月中に各都道府県教育委員会等へ送付する予定」だと言う。

 IT(情報技術)とは情報機器の技術性、あるいは高度性といったことや情報機器使用時の物理的環境設備といったモノの面だけを言うのではなく、情報機器を使って情報をどういう内容にしてどう伝え、どう役立たせるか、伝達を仲立ちとした情報の表現とその具体的実用化といった創造的活用面を併せた技術を言うのであって、そのことによって個々の仕事を含めた社会活動・社会生活の簡略化・効率化及び創造的な発展化を行うことを目的としているはずである。

 いわば「報告書」の中身とその中身を如何に役立てることができるかが重要な問題であって、その形式が「製本冊子」の体裁を取ろうが取るまいがさしたる意味はないはずである。それとも、金表紙にしたら、価値が出るとでも言うのだろうか。

 そんなことは誰に指摘されるまでもなく分かりきっていることで、「製本冊子」をOBが天下りしている下請けに随意契約で印刷依頼して、自分が天下りする先々のことを考え天下り役人に甘い汁を与えると同時に、監修料名目で契約金の一部をキックバックさせて自分も甘い汁を吸う、諸官庁十八番の私益交換を優先させているに過ぎないと言うことなのだろうか。

 だとしたら、政治や官庁のムダ遣いをもターゲットに入れた小泉構造改革は特に足元に於いてなお一層の不完全状態で推移することになり、財政改革は形式だけの覚束ないものとなる。尤も消費税率を余分に上げて国民にだけ痛みを分け与えれば、問題はあっさりと片付く。

 もしも「報告書」の中身は変わらないのだから、直接ダウンロードさせようが、「製本冊子」にして配布しようが構わないではないかといった考えでいるとしたら、簡略化・効率化及び創造的な発展化へより多く向けるべきエネルギー(=意識・視線)の欠落を示すもので、そのことは当然のこととして、情報の創造的活用へのエネルギー(=意識・視線)の欠落を表裏一体としなければならない。

 このことは文部科学省が、以前は文部省が学習指導要領にいくら立派な条文を並べたとしても、教育現場で条文どおりの世界を築くことができない情報の創造的活用面の機能不全となって現れているもう当たり前のこととなっている欠落と同じ構図に至る考えを示すものだろう。

 あるいは経産省が学歴優秀な人材を揃え、隙のない万全な職務規定を制定した一大組織であったとしても、パロマ側からパロマ製品の湯沸かし器事故に関わる報告を受け、事故の多くを把握していながら、有効な対応策を取ることも指示することもできずに結果としてパロマ側共々死亡事故及び死亡事故発生を放置してきた職務不全にしても、情報の創造的活用の欠落から来ている問題であろう。

 創造性と言えば、何度でも例に挙げることだが、佐々木正・元シャープ副社長をして言わしめ、その他にも多くの人間が指摘している、モノづくりは得意だが「独創的原理はしばしば欧米発で、明治以来の模倣ぐせが身についた日本の限界」(2001.3.24.「朝日」朝刊)だとする〝独創性〟(=創造性)の欠落は、IT(情報技術)のモノの面はカネ(研究費)と時間(研究時間)と人間(研究者)の投入によって解決できる問題であるが、IT(情報技術)の創造的活用面は、政治家・官僚に関しては各種法律や各政策に込める思想及びその具体的運用に関わる方法論と相互に影響し合う事柄でもあり、学歴やカネで解決することは決してできないことに対応した(カネで政治家を動かして自己に都合のいい政策を通そうとすることはできるが)日本(人)に於けるモノと独創性(=創造性)の関係から生じていることだろう。

 勿論のこと「模倣ぐせ」は「明治以来」ではなく、大和政権成立以来、あるいはそれ以前からのもので、日本の歴史・伝統・文化としている。

 またこの構図自体も大和政権成立以来、あるいはそれ以前から日本人が情報の創造的活用に関わる「原理」を歴史・伝統・文化的に自ら独創(創造)できていないことを示している。

 ところが、IT(情報技術)のモノの面と創造的活用面を区別できずに、区別できるだけの創造性もないのだろう、モノの面のみを誇って日本が世界の先頭に立っているとする新聞記事(03年7月4日『朝日』夕刊)がある。

 「IT『日本、世界を先導』情報通信白書、トップ水準を強調」

 「片山総務相は4日、03年版の『情報通信に関する現状報告(情報通信白書)』を閣議に報告し、了承された。携帯電話や携帯端末の普及により、米国が先導してきたパソコン中心の情報技術(IT)の拡大は『限界を露呈している』とする一方、日本が追いつく段階から先導役に移行しつつあると指摘。携帯端末などを通じて、どこでもインターネットに接続できる『ユビキタス』分野で、日本が世界をリードしていく必要があると主張している。
 白書は、ブロードバンド(高速・大容量通信)や第3世代携帯電話などITの先端分野で、日本がすでに世界のトップ水準に達していることを強調している。・・・・・」

 同記事によると、「主要国の携帯電話のインターネット対応率」では、日本が79.2%のトップに対して、韓国が74.9%の第2位、アメリカは8.9%の9カ国中の最下位にとどまっている。日本の79.2%に対するアメリカの8.9%――数字だけから判断するなら、これでは誇らずにいられないだろう。裏を返すなら、数字だけからしか判断できなかったと言うことでもある。

 上記「情報通信白書」で「米国が先導してきたパソコン中心の情報技術(IT)の拡大は『限界を露呈している』」と一蹴してから1年半も経過すれば、日本はアメリカの遥か先を走っていていいはずだが、世界経済フォーラム(WEF、本部ジュネーブ)の調査内容を報じた「IT競争力、日本『10傑』入り・技術力評価8位に上昇」(05.3.10.『朝日』朝刊)は、「IT『日本、世界を先導』」を否定する記事となっている。

 「世界経済フォーラム(WEF、本部ジュネーブ)は9日、インターネットなど情報技術(IT)への対応能力や普及度を指数化した04年の『世界IT 報告』を発表した。調査対象の104カ国・地域中、日本は初めて『10傑』入りして、8位となり、前年の12位、前々年の20位から続伸した。
 IT教育の質や環境整備まで総合的なIT社会の実力、競争力を国際比較したもので、報告は4回目。今回の1位はシンガポールだった。
 日本は、『企業の技術吸収力』『研究・開発への投資』で1位など、民間の技術開発分野で強さを維持した。さらに、政府へのITへの取組み優先度を問う項目が2位など、これまで全体の足を引っ張った『官』の積極的な姿勢が順位を上げた。
WEFは『技術革新の実績によって10傑入りした日本は注目に値する』と指摘。アジアでは日本を含む3カ国・地域が10傑以内に入ったほか、インド39位(前年45位)。、中国。41位(同51位)と大幅に順位を上げ、この分野でもアジア地域の『底上げ』が進んでいることを示した。
 前年、全5カ国が10位以内に入ったIT最先進地域の北欧は、今回も4カ国が10傑の地位を守った。前回首位だった米国は5位に後退した」

 「世界をリード」どころか、やっと「10傑入り」――モノの力である「技術力8位」である。「IT教育の質」といった創造性に関わる分野に関しては特筆されていない。いわば「『企業の技術吸収力』『研究・開発への投資』」と日本政府の「ITへの取組み」といったカネ(技術投資)が押し上げた「10傑」、「技術力8位」で、それは03年版「情報通信白書」で「携帯端末などを通じて、どこでもインターネットに接続できる『ユビキタス』分野で、日本が世界をリードしていく必要があると」するモノの面のみの強調に対応する地位であって、IT(情報技術)の創造的活用面は排除されている。当然のことだが、創造的活用面への意識・視線を欠いていることからのモノの面のみの突出現象であろう。

 問題は「どこでもインターネットに接続できる」ことが重要ではなく、「接続」してどういった情報を選び、それをどう生活面に応用するか、あるいは社会的な活動に振り向けるか、情報の選別と活用の創造性こそが重要なのであって、ところが携帯電話やその他の携帯端末を持ちさえすれば到達できる〝接続性〟を優先し、より重要と考えているのである。その浅はかさに気づかずに、「ブロードバンド(高速・大容量通信)や第3世代携帯電話などITの先端分野で、日本がすでに世界のトップ水準に達している」とモノの面のみの優秀さを誇って自己充足している。

 「どこでもインターネットに接続できる」ことが重要ではないとなれば、当然、「米国が先導してきたパソコン中心の情報技術(IT)の拡大は『限界を露呈している』」といった認識は必ずしも正当とは言えなくなる。パソコンが戸外でのインターネット接続に関して携帯端末に劣るとしても、そのことが対応的に情報の創造的活用面で劣る証明とはならないからだ。例え「主要国の携帯電話のインターネット対応率」では、日本が79.2%のトップに着けていて、アメリカがたったの8.9%で9カ国中の最下位だとしても、単にインターネット接続に携帯電話を使うか使わないかの違いを示す数値でしかない。

 客観的判断を働かせもせずに、あるいは働かすこともできずに機械的技術だけを誇って、的外れに自国は優れているとする。この自己充足は日本人は優秀であるとする意識(日本民族優越意識)に目を曇らせた過信であろう。戦争に勝利もしていないのに勝利したと虚偽の戦勝を〝大本営発表〟として流布させながら、なお日本の勝利を勇ましく言い立てていた虚勢と重なる客観的判断能力の欠落を示していないだろうか。

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トヨタ・パロマ・水谷建設の各不正

2006-07-19 06:27:40 | Weblog

 「企業の社会的責任」・「企業倫理」という言葉が虚ろに響く

 昨夕(06.7.18)中堅ゼネコン水谷建設(三重県桑名市)が法人税法違反(脱税)の疑いで逮捕されたのを受けて、静岡県が水谷建設を2ヶ月間の指名停止処分にしたとNHKの地方ニュースが流していた。

 2ヶ月は軽すぎる。法を犯す不正を働いたなら、その軽重に関わらず、永久停止するくらいでなければ、不正はいつまで経ってもなくならない。公共関係が指名永久停止したなら、民間も右へ倣えして、倒産に追い込まれることは確実となる。それが従業員を大勢抱える大企業であったなら、下請け関係も含めて影響も大きく社会不安を引き起こしかねない。そのことを予測して永久指名停止は厳しすぎる、行き過ぎだといった意見があるが、社会不安はあくまでも不正の結果であって、不正という原因をつくらなければ起きようがない二次的・三次的産物である。この原則こそを絶対的自覚としたら、企業の不正も起こらなければ、それを原因とした社会不安も発生しない。

 日本人は健忘症民族と言われていて、大企業の倒産による二度や三度の社会不安を経験しても、すぐ忘れてしまうかもしれないが、五度六度も経験したなら、少しは企業は不正を控えるようになるのではないだろうか。

 そもそも如何なる不正も行わないことが〝企業の社会的責任〟、あるいは〝企業倫理〟であって、実体的に自覚していなければならないその責任性を裏切って不正を行うのは、〝企業の社会的責任〟・〝企業倫理〟なる言葉が言葉で終わっていて、飾りに過ぎないことの証明であろう。

 巨額脱税は水谷建設だけの問題ではない。パロマの死者まで出していながらの事故隠しにしても世界のトヨタの、その地位を汚すリコール隠しにしても、2000年に三菱自動車のリコール隠しが発覚して企業イメージを落とし、自ら経営を苦境に追い込んだ失態を反面教師・他山の石とすることができない愚かな同じことの繰返しであろう。例え世界のトヨタが屋台骨を揺るがすことにはならなかったとしても、トヨタお前もかの似た者扱いを受けることには変わりはない。

 元トヨタ社長・会長を歴任し前経団連会長だった奥田碩氏は経団連会長だったときの各地の講演で〝企業の社会的責任〟・〝企業倫理〟なる価値観を企業が守るべき道義として盛んに主張し、「変わらないことが最も悪い」と警告を発してきているが、トヨタの上層部がそのような主張が講演で紹介されていることを知らないはずはなく(知らないとしたら、怠慢の謗りを免れない)、その主張に冷水を浴びせるリコール隠しをやらかしていた。

 奥田氏の発言に「リストラするなら経営者は腹を切れ」というのがあるらしいが、リストラしなくてもいい業績最高潮のトヨタ出身者だから言える言葉であって、経営苦しい企業に所属していたら、言えもしない自己都合からの言葉でしかないだろう。

 その他に、「拝金的な資本主義経済よりも、企業人は武士道精神のような心の規範を持つべきだ」という発言もあるらしい。出身企業という足元で不正が行われるとは夢にも思わなかったから言えた主張だろうが、そのように主張しなければならないこと自体がそういった精神を誰もが体現していないことの証明で、その哀しさに本人は気づいていないのだろう。

 企業の社会的責任・企業倫理を裏切る不正に対して厳罰を以て臨んだ結果として発生するかもしれない社会不安を却って高くつくことを知らしめる現実の教材となるぐらいの覚悟を持つことが企業の不正に対するブレーキの役目を果たす。

 再び小沢一郎「日本人は、心の豊かさ、モラルの高さでは西洋に負けないという誇りがあったが、どうして、こんなにすさんだ社会になってしまったのだろう」

 このような的外れで見当違いな認識では、企業の不正だけではなく、政治家・官僚の不正もなくならない。一般人の犯罪の抑制にも役立たない。政治家・官僚と企業・業界が絡んだ事件を以前自作HP『市民ひとりひとり』で発表した「第50弾 政治家・官僚たちの事件簿(第1部)」から抜粋して的外れなことを具体的に証明してみる。

 1997.11.4.「朝日」朝刊に載った記事の中の図表(「東京地検特捜部50年の歩み」)からの引用です。

 1948昭電疑獄

 復興金融公庫などから『昭和電工』への融資をめぐる疑獄事件。芦田均・元首相ら国会議員と、後に首相となる福田赳夫・大蔵省主計局長ら計64人が逮捕された。収賄側では栗栖赳夫・経済安定本部長官に執行猶予付きの有罪判決が確定したが、芦田均元首相、福田赳夫局長は無罪になった。

 1954造船疑獄

 造船業界に対する低利融資とその利子補給のための法案成立を目指した業界側の政治工作が発覚。自由党の有田二郎代議士らの逮捕を経て、同党の佐藤栄作幹事長に伸びるはずだった。しかし、犬飼健法相が佐藤幹事長の逮捕許諾をしないように指揮権を発動し、事件はしりすぼみになった。

 1957売春汚職

 売春防止法の成立を阻むため、売春業者の団体幹部らが自民党の真鍋儀十、椎名隆、須藤新八の3代議士にワイロを渡したとされた。真鍋、椎名両代議士は有罪、須藤代議士は無罪となった。

 1961武州鉄道事件

 武州設立認可をめぐり、同鉄道創立事務局代表が楢橋渡運輸相に計900万円のワイロを贈った事件。楢橋運輸相は有罪判決を受けた。

 1968日通事件

 政府所有の米麦を独占的に輸送する『日本通運』幹部が、国会質疑を封じようと贈賄した。日通労組出身で社会党の大倉精一参院議員が200万円の、自民党の池田正之輔代議士が300万円のワイロを受取ったとして起訴された。大倉参院議員は2審途中で死亡し公訴棄却、池田代議士は懲役1年6ヶ月の実刑判決が確定した。

 1976ロッキード事件 

 大型ジェット旅客機の売込みを図るロッキード社から5億円のワイロを受取ったとして田中角栄元首相が受託収賄罪で起訴されたのを始め、計16人が起訴された。田中元首相は1,2審で懲役4年、追徴金5億円の有罪判決を受けたが、上告中に死亡し、公訴棄却。95年2月に最高裁が贈賄側被告の桧山広・丸紅元会長らの上告を棄却したことで、『総理の犯罪』が確定した形になった。

 同じく受託収賄罪で起訴された橋本登美三郎自民党衆院議員は1、2審で有罪判決を受けたが、控訴審中に死亡し、公訴棄却。佐藤孝行同衆院議員は有罪確定。

 1986撚糸工連事件

 日本撚糸工連組合連合会側から200万円受取ったとされる横手文雄(民社)代議士が受託収賄罪で、500万円受取ったとされる自民党の稲村左近四郎代議士が収賄罪で起訴された。横手代議士は差戻し控訴審で執行猶予付きの有罪判決を浮け、上告中。」

 これは、日本撚糸工業組合連合会から、同会に有利になる国の事業の早期実現などの質問をするよう頼まれたというもので、横手代議士・稲村代議士共に有罪が確定している。

 1989リクルート事件

 リクルートの江副浩正会長らが、関連企業の『リクルートコスモス』の未公開株を政治家や官僚、財界有力者に譲り渡した。収賄側では藤波孝生元官房長官、池田克也公明党代議士、加藤孝元労働事務次官、高石邦男元文部事務次官らが起訴された。」

 藤波孝生元官房長官・池田克也公明党代議士・加藤孝元労働事務次官ら有罪確定。高石邦男元文部事務次官は1、2審で執行猶予付き有罪、往生際悪くと言うか、しぶとくと言うか、最高裁に上告中。しかし、懲役2年、3年、執行猶予3年、4年といった刑では社会的責任上、軽すぎる。高石邦男は学校と家庭の連携による新しい子育ての指針をわかりやすく解説したという、『親と教師の子育て読本』なる書物の編集代表さえ務めている。どちらから見ても、見事な倒錯である。

 1992共和汚職事件

 北海道のリゾート事業に絡み、鉄骨加工会社『共和』から8000万円受取ったとして、阿部文男・元北海道・沖縄開発庁長官が受託収賄罪で起訴され、2審の実刑判決を不服として上告している。

 1992東京佐川急便事件

 『東京佐川急便』の渡辺広康前社長ら経営陣が、広域暴力団稲川会の石井進元会長の関連会社などに巨額の融資・債務保証し、逮捕された。捜査の中で、自民党の金丸信元副総裁に5億円が渡ったことが発覚。東京地検は政治資金規制法違反に当たるとして略式起訴し、金丸元副総裁は罰金20万円を支払った。」

 「5億円」受取って、「罰金20万円」とは、〝3日やったら、やめられない〟乞食どころか、永久にやめられないおいしさである。だからこその、政治家・官僚たちの乞食行為なのだろう。

 1993金丸脱税事件

 自民党の金丸信元副総裁が、ゼネコン各社などから寄せられた献金を税務申告せずに金融割引債を購入し、所得税法違反で逮捕された。99年3月、金丸元副総裁は脳梗塞のため死去、控訴は棄却された。」

 機会あるごとに口にしていた「国家・国民のため」なる言葉は、自己権力欲充足・維持と、そのことを強力に可能とするカネに対する妄執をカモフラージュする勿体づけ(スローガン)に過ぎなっかったということなのだろう。

 1993ゼネコン汚職

 金丸脱税事件でゼネコン18社から押収した資料を基に捜査が行なわれ、石井亨仙台市長、竹内藤男茨木県知事、本間俊太郎宮城県知事が相次いで収賄容疑などで逮捕された。中村喜四郎元建設相が『鹿島』元副社長から公正取引委員会に圧力をかけ建設談合の告発を阻止するよう依頼されて1千万円を受取ったとして、94年3月、斡旋収賄罪で逮捕された。中村元建設相は懲役1年6ヶ月、追徴金1千万円を不服として控訴している。

 その他に、共和製糖の不正追及を日本ぶどう糖工業会に頼まれ、また、共和製糖からは、追及を緩めるよう頼まれ、双方から現金を受け取ったとして相沢重明社会党参議院議員が受託収賄罪に問われた共和製糖事件 (67年)。全国砂利石材転用船組合連合会の加盟業者が、有利になる内容の質問主意書を内閣に提出させ、見返りに現金を受け取ったとして公明党の田代富士男代議士が受託収賄に問われた砂利船汚職事件 (88年)では、田代富士男代議士の有罪が確定している。

 さらに、海上自衛隊の救難飛行艇開発・発注をめぐって、富士重工業に有利に計らって欲しいとの請託を受けて500万円を受取ったとして防衛政務次官だった中島洋次郎元衆院議員が受託収賄罪に問われ、1、2審共有罪判決を受けたが、上告中自殺した防衛庁汚職事件(98年)。中島被告はその他にも名義だけの政策担当秘書を雇い、国から給与分1千万円余をだまし取ったとして詐欺罪や、政党交付金を流用して虚偽報告した政党助成法違反、総選挙で、2千万円程度の買収資金などを陣営幹部らに渡した公職選挙法違反にも問われていた。

 さらにさらに、「ものつくり大学」の予算措置に有利となるケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)の方針に添った国会質問をするよう請託を受け、前KSD理事長の古関忠男被告(80)らから現金2000万円と私設秘書の給与を負担させたとして受収賄罪に問われた小山孝雄(自民)参院議員と、現金5000万円を受け取ったされる村上正邦元労相(前参院議員・68)が受託収賄罪で起訴されたKSD事件(01)等が記憶に新しい。

 小沢一郎は50年経っても、100年経っても、「日本人は、心の豊かさ、モラルの高さでは西洋に負けないという誇りがあったが、どうして、こんなにすさんだ社会になってしまったのだろう」と繰返していればいい。日本人のあったとする「心の豊かさ、モラルの高さ」をいくら当てにしても錯覚・幻想の類でしかないのだから、その言葉が繰返されることは政治家・官僚・企業の不正、あるいは凶悪犯罪がなくならず、それらの不正・犯罪の抑制にも何ら役に立たず、永遠の命を持ち続けていることの証明ともなるからである。

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奇麗事・美化からは満足な改革は期待できない

2006-07-18 06:17:44 | Weblog

 朝日新聞にこんな記事があった。「政態拝見 小泉氏のやり残し 『改革の先の日本』聞きたかった」(06.6.20.朝刊)

 「『小泉首相が好きな歌人がいる』とある閣僚から聞いて、その歌集を読んでみた。
 橘曙覧(たちばなのあけみ・1812~68)。江戸末期に、福井で清貧の生涯を過ごした国学者だ。岩波文庫から『全歌集』が刊行されている。首相は夜の宴席などで時折、話題にするという。
 『たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物くふ時』
 『たのしみは あき米櫃(こめびつ)に米いでき 今一月(ひとつき)は よしといふとき』
 『たのしみは まれに魚烹(に)て 児等(こら)皆が うましうましと いひて食ふ時』
 貧しくとも、家族が寄り添って、ほどほどの生活を楽しむ。そんな情景がほのぼのと描かれている」――

 人間の幸せの原点はこのような風景にこそあると言いたいのか。今の日本人は恵まれ過ぎている。格差社会だなどと、飛んでもないことだとでも。

 だがである、橘曙覧の時代の現実はこのような幸せの原点にさえも到達できない人間の方が多くを占めていたのではなかったか。「清貧」であろうとなかろうと、兎に角も自らの生活を保ち「生涯を過ご」すことができたのだから、そうできなかった不特定多数の人間から比べたら、橘曙覧はずっとましな「生涯」に恵まれていたのである。

 また、このような幸せの原点を現代社会に持ってくることには無理がある。モノが売れなければ、政治・経済が成り立たない、橘曙覧の時代とは異なる消費社会の時代となっているからである。小泉構造改革の財政再建策も、経済成長の度合いとそれに連動する税収と金利の推移それぞれの予想値を基本に国債利払いや償却費用を含めた歳入・歳出予算が計算可能となって初めて再建策としての体裁を持つのであって、先ずはモノが売れて経済が成長する前提に立っている。極論するなら、可能ならば国民全員に贅沢してもらわなければならない時代となっている。「米櫃」にいつも米が満杯状態でなければ国家運営上困るし、「まれに」ではなく、朝昼晩、毎日毎日「魚烹(に)て」、豚肉・牛肉焼いて食べてくれることによって経済発展が大いに期待できることになる。

 小泉首相の「郵政民営化なくして構造改革なし」の言葉を借りて説明するなら、「モノが売れずして経済成長なし」なのである。いわば小泉首相が一国の首相であるということは失われた10年から日本を脱出させるためにもモノが売れるべく陣頭に立って指揮を取っていたのであって、裏を返すと、日々橘曙覧の世界を否定し続けていたのである。否定することによって経済成長は可能となる。単に小泉首相がそのことに気づかなかっただけのことで、酒席でほろ酔いとなって橘曙覧の歌を披露し、幸せの原点ここにありと自分の感性・知識を誇りながら訳知り顔に解説して、俺は政治だけじゃないぞ、オペラの趣味もあれば、ロックの趣味だってある、そんな多趣味・多才な自分が好きと自らに酔い痴れていたといったところだろう。

 モノが売れて日本の経済が回復基調に乗ったものの、売れた利益が一部の人間のみに偏って、格差社会のおまけまでつけてしまった。そういった改革の結末には無関心・無頓着に、「たのしみは 妻子(めこ)むつまじく」などと経済成長至上主義時代には否定されるべき世界を肯定して素晴しい世界だと披露していたとしたら、その時代錯誤な自己陶酔は一国の首相としてはあまりにも倒錯的で、その奇麗事・美化は如何ともし難い。

 政治家が文学者の側面を持ったとしても、批判はされない。だが、政治家は当然のことだが、本質の部分で政治家を成し、大半の資質を政治家が占めていなければならない。小泉首相が真に政治的な人間であるなら、日本の歴史が一時代を画した江戸時代全体を俯瞰し、それを読み解く作業を先に持ってこなければならないはずで、そうしていたなら、橘曙覧の生活世界を他人が予想しない意外な趣味として臆面もなく紹介するといったことはできもしなかったろう。中途半端な独りよがりの文学的感性で馴染んでいるに過ぎない
 
 そのことの証明は橘曙覧が生きた時代を眺めるだけで可能である。このような幸せの原点にさえ到達できない人間の方が多くを占めていたのではなかったかと言ったが、橘曙覧が21歳から24歳にかけて、当時の時代からしたら、阪神大震災の何十倍にも匹敵する一大災害であった天保の飢饉(1833~36)に日本全体が見舞われているのである。それを『日本史広辞典』(山川出版社)の解説で見てみる。

 【天保の飢饉】「全国的飢饉。33年は天候不順で冷害・洪水。大風雨が続発。全国的に作柄が3~7分にとどまり、米価が騰貴。34、35年も不作に見舞われ、36年も全国的な凶作となり、翌年にかけて大飢饉となった。農村では農民が困窮・離散し、奥羽を中心に多くの餓死者が出た。江戸では物価が騰貴するなか、農村からの流入者や行倒れがやまず、各地で一揆・打ちこわしが続発した。幕府は米銭の賑給(しんきゅう)、御救小屋の設置、酒造の制限、小売値の引下げ、囲米(かこいまい)の売却、廻米・隠米の禁止などの施策を取ったが不十分に終わった。大塩平八郎の乱に代表される各地の騒乱とともに、幕府体制の基礎をゆるがす要因となった」

 「施策は不十分に終わった」――いつの時代も政治は十分には機能しない。小泉構造改革にしても然り。農民の困窮が飢饉が終了したからといって、すぐに改善されたわけではあるまい。あとを引いたはずである。天保の飢饉から約30年ちょっとで徳川幕府は瓦解している。
 
 敗戦後、日本人の絶対多数は貧しい生活を強いられた。それは個々の生活能力がつくり出した貧しさではなく、戦争とその結末ががつくり出した時代的な貧しさであった。橘曙覧の貧しさも町人の立場からしたら時代的なごく一般的な貧しさであったろう。しかし身分制度で武士に次いで第2位につけられた農民・百姓は〝貧しさ〟を超えていた。飢饉時ではなくても、江戸時代を通して多くの百姓が〝生かさず、殺さず〟の年貢政策に苦しめられ、借金に苦しめられ、食えなくなった百姓は妻子を売り、それでも凌げなければ土地を捨て、故郷を捨てて江戸やその他の都市に〝走り百姓〟となって吹き寄せられていった。
それらの情報を『近世農民生活史』(児玉幸多著・吉川弘文館)で見てみる。「江戸時代においてはわが国民の8割以上が農民であった」彼らの「生活は、大土地所有者である封建領主およびその家臣らの、全国民の1割ぐらいに相当する人々を支えるために営まれていた。飢饉の年には木の根・草の根を掘り起こし、犬猫牛馬を食い、人の死骸を食い、生きている人を殺して食い、何万何十万という餓死者を出したときでさえも、武士には餓死する者がなかったという」。

 「武士には餓死する者はなかったという」―― 一方が凄まじい生活を余儀なくされているというのに、見事な格差社会ではなかったか。「いつの時代も格差はあった」といった程度の格差ではなかった。

 『近世農民生活史』は人身売買に関して次のように解説している。「幕府でも諸藩でも人身売買を禁じ、十年季までの質入れを許しているが、一旦質に入れれば取り返すことの困難なのはこの時代も同じであった。また事実は江戸初期には人身売買も盛んに行われていて、年貢につまると子女を売り女房を質入れすることは通常であった。それらの証文もいくつか残っている。高知藩の如きはその場合の規定さえ設けている。会津藩では正保2年(1645)に、御林盗伐の過料金は例え妻子を売っても急度取り上げると達している」(同)
「江戸初期」でも飢饉とかに関係なく、人身売買で凌がなければ生活を成り立たせることができなかった。また、禁止令を必要とするのは人身売買がなくならない状況があり、それを受けての措置であろう。百姓側は法律を犯すことをしてまでも人身売買しなければならない状況が続いていたのである。

 支配者たる武士の側が一方で禁止していながら、その抜け道として「質入れ」を許可していたのは、厳格に禁止したなら、貧しい百姓の生活が成り立たなくなる現実があり、それを無視したなら、年貢取り立てに支障を来すといった、藩財政に直接関わってくる自己利害もあったからに違いない。このような日本の歴史的事実を学んでいたなら、餓死や餓死した死骸を食うといったところまでいっていない、とにかくも家族揃って食糧にありつける橘曙覧の世界が何だと言うことになる。

 人身売買は江戸時代を通して行われていただけではなく、明治の時代も、大正の時代も、戦前の日本社会でも、特に北陸・東北の寒村地帯で戦後の一時期まで、延々と続けられていた。当たり前のことだが、妻子を身売りした家では、「妻子(めこ)むつまじく うちつどひ」といった光景は望みたくても望めない情景となる。

 今の時代でも、時代なりの幸せの原点に到達できない人間が多くいる。望んでいながら、社会参加を拒まれている障害者、医療政策の不備によって、輸血を通してエイズや肝炎を発症させられ、病気や死の不安を抱えて日々の生活を送らなければならない人間、人命よりも企業優遇の産業政策によってアスベストによる中皮種や有機水銀中毒による水俣病といった公害病に苦しめられ、人生を縮めざるを得なかった者たち、無理やり長時間労働をさせられ、過労死に見舞われた者とその家族たち、その他その他――。

 当時の〝幸せの原点〟どころではない悲惨な生活を強いられた〝時代の被害者〟に向けることができる意識・視線が、比較対照を誘って今の〝時代の被害者〟へと照射させることができる。逆もまた同じ経過を辿る。目線をどこに据えるか、その人間の資質に関わっている。

 小泉首相が橘曙覧の世界に酔い痴れるだけで、そういった意識・視線を持つことができなかったから、小泉構造改革の負の成果として表れた格差問題を問われて、「人生色々」とか「いつの時代も格差はあった」とあっさりと言ってのけることができたのだろう。橘曙覧のつましい生活を愛でてはいても、小泉首相の実際の意識が何十万という餓死者を出した大飢饉の時代でも餓死することはなかった武士の意識と同質の場所に立っているからに違いない。

 『朝日』の記事は次のように続く。

 「9月の退陣を控えて、メディアでは『小泉首相ににとって最後の・・・・』という表現が目立つ。27日には『最後の訪米』に出発する。7月には『最後のサミット』に出席する。
 5月17日に開かれた『最後の党首討論』では、民主党の小沢一郎と小泉首相との間で、こんなやり取りがあった。
 小沢氏 日本人は、心の豊かさ、モラルの高さでは西洋に負けないという誇りがあったが、どうして、こんなにすさんだ社会になってしまったのだろう。
 小泉氏 先人が、何とか平和な時代に持っていこう、食べ物に困るような時代をなくそうと言っていた。そこに到達した今、想像のできない憂うべき事態が山積している。まさに心の問題、人間として何のために生きているのかが問われている。
 5月25日の参院行革特別委員会の質疑では、米国型の規制緩和社会を目指しているのかと聞かれ、首相は反論した。
 『私は米国型にしようとしていると、誤解か曲解する人が多いが、そうではない。日本はあくまでも日本型だ。民主主義も日本型だ』
 小泉氏といえば、構造改革、規制緩和、競争社会といった言葉が連想される。それが、橘曙覧の世界を愛し、『何のために生きるかが問題だ』『米国型社会をめざしていない』と語るのだから、意外に響く」――。

 小沢一郎の「日本人は、心の豊かさ、モラルの高さでは西洋に負けないという誇りがあったが、どうして、こんなにすさんだ社会になってしまったのだろう」といった独りよがりな言葉はどこを叩いたら出てくるのだろう。飢饉の時代、百姓だけを餓死させ、武士の間からは一人として餓死者を出さなかったモラルは、保守政治家が日頃非難している「自分さえよければ」の利己主義に相当し、日本の歴史・伝統・文化としてあるモラルであることを図らずも証明している。

 そのことを補強する証明を天保の飢饉を発端とした大塩平八郎の乱に関する『日本史広辞典』の解説の中に見ることができる。小沢一郎の認識が如何に独りよがりなものであるかが明確に分かる。

 「1837年(天保8)大阪町奉行所元与力で陽明学者の大塩平八郎らが起こした挙兵事件。前年の大飢饉は大阪市中にも大被害をもたらしたが、町奉行所は有効な施策を講じえず、豪商らも豪奢な生活を続けていた。平八郎は近隣農村へ檄を飛ばし、37年2月、門下の与力・同心や豪農とともに挙兵。一党は町に火をかけ、鴻池ほかの豪商を襲い、金銭や穀物を窮民に与えるなどしたが、二度の戦闘で鎮圧された。平八郎親子は約40日の潜伏後、発見されて自刃。天下の台所大阪でおこり、首謀者が元幕府与力で著名な学者だったため影響は大きく、各地で『大塩門弟』『大塩残党』と称する一揆・騒動がおきた」

 農民その他の困窮をよそに「豪奢な生活を続けていた」豪商らのモラルは日本の歴史・伝統・文化として現代の日本社会にも受け継がれているモラルであって、小沢一郎が言うかつてはあったとする「西洋に負けない」日本人のモラルは奇麗事・美化の幻想に過ぎないことが分かる。豪商たちは高騰した米価のお陰で面白いように大儲けすることができ、引き続いて大儲けできるという予測のもと、使い過ぎを心配することなく贅沢三昧できたに違いない。

 また例え払える状態になくても、それを無視して「過料金」を何が何でも取り立てる武士の利益目的のために百姓に対して「例え妻子を売っても急度取り上げると達」しを出せるモラルは、受診料を一旦全額自己負担で立て替えなければならない「被保険者資格証明書」を代理発行するものの、国保料長期滞者に一律保険証を返還させる(返還世帯05年度全国で32万世帯、00年度の3・3倍)払えない事情に考慮を払わない今の自治体のモラルに通じるものがあり、やはり歴史・伝統・文化的に連綿と続くモラルではないだろうか。

 一時全額立て替えさえもできない者が医者にかかることを控える「受診抑制」が原因で「00年度以降少なくとも21人」が死亡していたと朝日新聞の調査((06.7.14.朝刊記事)で判明したという。厚労省は「真面目に払っている者との公平を保つため」と言っているそうだが、保険料を払いたくても払えない、一時立て替えもできない事情を斟酌することも「公平を保つ」モラルに入るはずである。最低限の生活を保障している憲法の約束を裏切るモラルでもあろう。

 物価が高騰すれば、買いだめ・売り惜しみが江戸時代、いやそれ以前から存在し、そして現在にまでつながっている自分だけが儲かればいいの商モラルであろう。時代が違っても、人間の本質は変わらない。これらを以て日本人が歴史・伝統・文化としてきた「心の豊かさ、モラルの高さ」を示す姿だと言うなら、その客観的認識性こそ、どこの誰にも「負けないという誇り」を内外に示すことができる。

 戦後の自民党史をほんのちょっと振り返っただけでも、少なくとも政治家からは「心の豊かさ、モラルの高さ」をクスリにしたくてもとてもとてもクスリにすることはできないことが分かろうというもので、日本人だけではないだろうが、実態としては歴史・伝統・文化としてある〝心の貧しさ・モラルの低さ〟なのである。

 小沢一郎の奇麗事・美化は、小泉純一郎の橘曙覧を愛でる奇麗事・美化に通底する、政治家としたら犯罪にも相当する詐欺そのものではないだろうか。なぜなら、政治を職業とする人間の中でもその集団の上層に位置する政治家は現実を見る目、現実を読み解く目を特に備えていなければならないはずで、それがあって初めて時代が何を要求しているか、どのような社会を築くべきか、その方向性を見極めることができるからである。

 奇麗事・美化は現実の姿、あるいは人間の実態をありのままにではなく、美しく取り違えるズレを生じさせることであって、当然なことではあるが、ズレた認識からは有効な政策上の創造性を描くことはできない。

 小沢の問いに対する小泉の答自体が小沢のズレた認識を受けたものだから、これも当然なこととして、ズレた内容となっている。「先人が、何とか平和な時代に持っていこう、食べ物に困るような時代をなくそうと言っていた。そこに到達した今、想像のできない憂うべき事態が山積している。まさに心の問題、人間として何のために生きているのかが問われている」

 「想像のできない憂うべき事態」は何が原因して出来したことなのか。よく言われるように欧米化が原因だとしたら(実際には基本のモラルは時代を超えて変化しない姿を取るから、欧米化が原因ではないが)、小泉首相が目指している「日本はあくまでも日本型だ。民主主義も日本型だ」は〝欧米化原因説〟を否定するものとならなければならない。いわば『日本型』によって「想像のできない憂うべき事態」が改善されることを証明しなければならない。ところが出来原因に対する分析も改善可能の証明もない。小沢一郎の「西洋に負けない」という文言から、日本人の「心の問題」を対象とした認識だろうが、具体的に日本人の「心」のどこにどう「問題」があるのかの、一国の総理としての分析もない。

 別の言い方をすれば、二人共現代日本人に特殊な精神(=心の状態)を問題にしたのである。「人間として何のために生きるか」の指針を示した上で、それに外れて今の日本人は「何のために生きているのか」を解説することで、その違いから改めるべき方向が示される。言葉の遣り取りにそういったプロセスを持たせることで、初めて議論の体裁を持つ。それがないから、党首討論でありながら、時間の無駄でしかない意味不明の抽象論で終わる。

 記事の最後の部分は次のようになっている――。

 「構造改革という『手段』を通じて何を実現するのか。小泉政権の5年余、ともすれば改革自体が『目的』となり、改革の先にめざす日本の姿は、あまり語られなかったように思う。首相の『最後の国会』は将来の国のありようを論議するラストチャンスだったのだろうが、会期延長もなく、幕が引かれた。
 首相が思い描く橘曙覧のような『日本型の幸福』について、首相自身の肉声が聞かれなかったのが残念だ。『首相自身も将来の夢を語りきれなかったことは「やり残し」と感じているのではないか』と閣僚の一人は言う。『改革の先の日本』こそポスト小泉を含め、与野党の政治家たちが論争すべき大切なテーマだろう。
 ところで、橘曙覧の歌集にはこんなものもあって、思わず笑ってしまった。
 『たのしみは 銭(ぜに)なくなりて わびおるに 人の来たりて 銭くれし時』
 150年前の日本人には豊かなユーモアセンスがあった」――

 橘曙覧の世界と類似した世界を今の時代の「日本型の幸福」と言える記者のセンスのズレ。もし小泉首相自身が実際に橘曙覧の世界を今後の日本人が目指すべき「日本型の幸福」だと、少なくとも原型とすべきだと「思い描いていた」としたら、そのこと自体を問題にすべきだろう。消費社会にクビまでどっぷりとつかり、橘曙覧のつましさには満足できなくなっている「日本型の幸福」だからである。

 「たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物くふ」ために残業せずに定時帰宅を習慣としている家族で、家のローンを組み、子どもに多額の教育費を不自由なくかけることのできる家族がどれほどあるだろうか。遅く帰ってきて、家族の夕食に同席しない夫ほど、甲斐性ある頼れる夫なのである。大体がテレビのグルメ番組や食べ歩き番組、料理番組、あるいは旅番組などは行き場を失うだろう。日本経済の壊滅である。

 記者のズレは「150年前の日本人には豊かなユーモアセンスがあった」という小沢一郎の独りよがりに通じる独りよがりな解説からも証明できる。

 日本人すべてにユーモアのセンスがあったわけではない。一人の人間のセンスを民族全体の資質だと買いかぶることができる見事な客観性。そのような現実を美しく取り違える奇麗事・美化は真のジャーナリストならば備えていなければならない客観的認識性の欠如を示して、職業上の資格を疑わせる。民族全体の資質だとしたら、飢饉で一層の米価の高騰を狙って「隠し米」をした商人等は、きっと「豊かなユーモアセンス」からしたことなのだろう。

 また例えユーモアのセンスを持った人間であっても、生活の余裕を失ってもまだユーモアを発揮できる人間は多くはいない。あるいは江戸時代の水呑みと称された小作人の中には、生まれたときから極度の貧しい生活を強いられ、それを百姓の運命と諦め受け入れて生きてきた人間にとって、ユーモアと言うものを知らずに育ち、知らずに死んでいく者もいたに違いない。

 「たのしみは 銭(ぜに)なくなりて」云々にユーモアの感覚を見るとするなら、橘曙覧なる人間にとってはまだ生活に余裕を失うまでに至っていなかった幸せ者であったということだろう。妻を質入れし、娘を女郎に売らざるを得ない百姓のうち、「銭くれし」を「たのしみ」とすることができた者はどれ程いただろうか。恵めば、自分が困るギリギリの生活を誰もが送っていただろう。ギリギリの生活しかさせてくれなかった。それが〝生かさず、殺さず〟の生殺与奪性というものであろう。

 今の日本で自殺者が年間3万人を超えると言うが、人生途中でまさに死を選ぶ瞬間、そのような人間にとってユーモアは何程の効果があるだろうか。

 政治家に望む「改革の先の日本」は、厳格な意味での〝公平・公正な社会〟であろう。それ以外に何があるだろうか。それがどのような改革であっても、目指す先は誰もが〝公平・公正なルール〟に則らなければならな仕組みを持った、誰に対しても〝公平・公正なルール〟を誤魔化しなく機能させることができる構造の制度・組織・機構等とすることであろう。そうすることによって、〝公平・公正な社会〟の実現が可能となる。

 これは理想論であって、実現不可能な社会である。例え実現不可能であっても、常に改革の努力目標としなければならない。天下り・談合・不正取引・縁故取引・不正蓄財・不正手当て・脱税・ピンハネ・法の悪用・犯罪・公金流用・私腹行為・手抜き作業・怠慢・不作為・非効率・学歴差別・男女差別・人種差別・裏ガネ作り・贈収賄・リベート等々が一切ない社会への目指しである。

 すべての人間がそのような〝公平・公正なルール〟に則った経済活動、あるいは社会活動を行った上で生じた収入の格差・生活の格差は、誰もが受け入れなければならない止むを得ない矛盾であろう。

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