シベリア抑留と靖国神社の裏と表の関係

2010-05-27 09:34:40 | Weblog

 「NHK総合」5月25日放送の《クローズアップ現代『シベリア抑留 終わらない戦後』》が改めて日本の国の姿を教えてくれた。

 NHKのHPでは番組を次のように案内している。

 〈太平洋戦争終結後、57万人以上の人々が強制労働を強いられたシベリア抑留。酷寒や飢餓により少なくとも5万5千人が命を落としたとされるが、その多くが身元など死亡状況さえ不明のままだった。今回、ロシアで新資料が見つかり、戦後65年を経た今、ようやく遺族に抑留時における死の通告が行われ始めた。遺族にとってはようやく戦後の句読点を打てたという一方で、帰国した抑留者たちには、これまで補償を受けることも出来なかったことへの不信感が高まっている。今回NHKが独自に入手した政府の内部文書によって、なぜ今までシベリア抑留者に対しての補償がなされなかったのか、初めて明らかになってきた。戦後65年をむかえ、解明が進み始めたシベリア抑留の新事実を伝える。〉――

 抑留中に死亡した5万5千人のうち、2万1千人については身元が確認できていないという。また、帰国した46万人を超える元抑留者のうち生存者は7万~8万人。生存者の平均年齢は87歳。抑留中の未払い賃金を求めて国や裁判所に訴えてきたが、すべて斥(しりぞ)けられている。番組では取り上げていなかったが、南方から帰国した捕虜には労働賃金が支払われている。この差別の原因はどこにあるのだろうか。

 但しここに来て、これも民主党へ政権交代したお陰か、自民党政権時代は実現しなかった、1人当たり25万円から150万円の「特別給付金」を一時金として支払うことを定めた救済の立法が行われる見通しとなった。《シベリア特措法が参院通過 全会一致、今国会成立へ》(47NEWS/2010/05/21 12:00 【共同通信】)

 21日の参院本会議で全会一致で可決され、直ちに衆院に送付、今国会で成立する運びだという。

 これは特別措置法案だと言うことだが、なぜ“特別”の措置なのだろうか。国の責任として当たり前に行うべき補償ではなかったろうか。

 記事は、〈対象は日本国籍を持つ元抑留者に限られ、韓国など旧植民地出身の元抑留者への対応は今後の課題だ。〉と書いている。

 もう一つの差別である。

 財源は、〈抑留された期間に応じて元抑留者を5段階に分類。独立行政法人「平和祈念事業特別基金」の約200億円を取り崩し〉て行い、〈元抑留者が死亡した場合は相続人が請求でき〉、さらに〈抑留の実態解明が不十分として、総合的な調査を行うための基本方針作成を政府に義務付け〉ている。

 「クローズアップ現代」はかつての西ドイツでは300万人の国民が旧ソ連に捕虜となり、強制労働に従事させられた補償を戦後間もない早い時期に行っていることを伝えて、日本との差を炙り出しているが、これは西ドイツという国の姿を示していると同時に日本という国の姿を示す一つの象徴的出来事でもあろう。

 このドイツの補償に関しては、《シベリア抑留補償 戦後65年とは遅すぎる》岩手日報Webnews/2010.5.23)が日本の「シベリア特措法」と比較したドイツの素早い救済を同じく伝えている。

 〈シベリアなどに200万人以上が抑留されたドイツは、56年に元ドイツ人捕虜の補償に関する法律を制定、補償金の支払いや住宅などの生活基盤確立制度を整えた。加えて、40万人の元兵士からの証言をもとに抑留・捕虜の歴史を検証している。〉――

 やはり国の姿、姿勢の現れであり、その違いであろう。

 番組では、戦後60年を経過して、新たにロシアで抑留者の個人情報を記した大量のカードが発見されたことがキッカケとなって、抑留の実態が僅かながら分かりかけてきたと伝えている。このことは「NHK」がニュース記事でも伝えている。

 《シベリア抑留死者 新たに確認》(10年 5月25日 4時35分)

 終戦直後、シベリアに抑留され死亡した約5万3000人のうち、名前が確認できず埋葬場所が不明の2万1000人の中で421人の名前、その他がロシア側から取り寄せた資料で新たに確認され、厚生労働省が明らかになった情報を順次、遺族に伝えていると書いている。

 これは厚生労働省がロシア側と協議し、去年から今年にかけて約70万枚に上る資料を取り寄せ、分析作業を進めてきたものだという。

 厚生労働省業務課・馬場孝男調査資料室長「資料は、ロシア人が当時記録したものなので、氏名のつづりがまちがっていたり、ロシア独特の専門用語が使われたりしていて、解読や分析に時間がかかっている。戦後65年がたち、遺族も高齢化しているので、できるだけ早く作業を進めたい」

 言っていることが狂っている。「解読や分析に時間がかかっている」ことよりも、「戦後65年がた」つまで実態解明が殆んど進んでいなかった事実の方が遥かに大きな問題なのだが、そのことの認識がないままに表面的な事情のみを述べている。

 いくら時間がかかろうと、「解読や分析」は既に過去のものとしていなければならなかったはずだ。それを「戦後65年がた」った現在、進行中の課題としている。恥ずかしさを感じないらしい。

 番組では、モスクワにあるロシア国立軍事古文書館に保存されていた、今までないとされていた抑留者の記録で、ロシアと日本政府との交渉の中で、去年の秋存在が確認されたと紹介している。 
 
 記録には、連行日、収容所名、死亡日、死亡原因等が記されているという。戦後6ヶ月を経過してから栄養失調で死亡したと厚労省から伝えられた遺族の女性は、「終戦後6ヶ月で栄養失調で死なせてしまうなんて、随分酷い国ですねぇ」と言っていた。

 兄を亡くした弟「日本政府がなぜ助けてくれなかったという思いがあります。何とかならなかったのかと思います」

 旧ソ連に連行されたのは軍人ばかりではなく、民間人も混じっていた。しかも、16歳という未成年の身で。当時旧制中学校4年生、16歳だったシベリアからの帰還生存者阿部順造氏。

 中学生だった自分がなぜ抑留されなければならなかったのか、現在も疑問に思っているという。戦後直後の旧満州の同級生と一緒に暮らしていた宿舎に突然ソビエト兵と一緒に日本軍の大尉がやってきた。大尉が当時16歳の彼らを集めて伝えたことを阿部順造氏は次のように証言している。

 阿部順造氏「大尉が今から君たちを内地(日本)へつれて帰ってやると。年齢を聞かれたら、18歳と言えよと指示された。何でこんなことを言われるんだと、という具合に感じていた」

 ところが阿部順造氏と同級生の合せて25人が連れて行かれたのは日本ではなく、シベリアだった。これは国際法上許されない民間人の抑留だと番組は言っているが、国際法違反であると同時に日本軍隊の自国民間人に対して行った国家犯罪そのものであろう。

 旧満州に駐留していた日本軍人が旧ソ連に抑留された理由は関係者の今までの調査で旧ソ連に対して日本軍人を労働力として提供する目的の役務賠償(「労力を提供することによって相手国に与えた損害を賠償すること」『大辞林』三省堂)である疑いが濃く出ているが、日本の大尉自らが16歳を18歳と言わせたことから明らかに分かるように、労働力として差し出した役務賠償の民間版と言える。

 日本の軍隊はかくかような醜悪、破廉恥としか言いようのない犯罪まで犯した。

 (この役務賠償に関しては、2009年10月29日エントリーの当ブログ《民主党は日米核密約だけではなく、シベリア抑留に関わる『役務賠償』も解明すべき 》
にも書いている。参考までに。)

 阿部順造氏は厚労省に電話し、旧ソ連資料に自分が何歳生まれと記されているか問い合わせるが、「死亡者以外はまだ調べておらず、分からない」との回答を得たという。

 生存抑留者からしたら、それぞれが解けないナゾを抱えていても、役所からしたら、抑留者の中の1名に過ぎないのだろう。少なくとも侵略戦争という国家犯罪の被害者の一人だという意識すらないに違いない。

 民間人の抑留には電話交換手や日本語教師、通りすがりの女性まで含めて30数名の民間女性も含まれていたとゲストの辺見じゅん(歌人・ノンフィクション作家)が言っている。

 さらに実態解明の遅れについても語っている。

 辺見じゅん「ヨーロッパでは、例えば3人委員会(?)とか、色んな、フランスなんかを中心とした、それからドイツが、そういう運動が起きていた。しかし日本人はしなければならないと口では言っていたが、行動力に移さなかった」

 キャスター国谷「それは政府ですか、それとも人々ですか」

 辺見じゅん「先ず政府。それから何も知らなかった私たち国民。先ず政府、及び官僚、政治家。その方たちが一番ある意味、ニュースを早く知るわけです。その方たちが動かなかった。一般は分からなかったと思います」

 番組は抑留帰還者のソ連抑留時に於ける強制労働未払い賃金請求に政府が応じてこなかった理由を今回入手したという政府の内部文書から明らかにする。

 内部文書とは、『戦後処理問題懇談会』が遺した資料のことで、戦後処理の政策を方向づけた会議の内容となっているという。

 会議開始は昭和57年(1982)で、当時はシベリア抑留者や原爆被爆者等、戦争被害者から補償を求める声が全国的に高まっていた時期で、会議を前に進行役となる5つの省庁の官僚たちが準備会を開催。シベリア抑留者の補償を認めると、その他の戦争被害者に波及、国家財政に大きな影響を与えるとする懸念が支配的であったという。

 外務省課長の発言記録「外務省としては懇談会で取り上げ、検討することすら、すべて反対する」

 内閣審議室長の発言記録「パンドラの箱をぐっと閉める方向に持っていきたい」

 シベリア抑留者に対する補償を開けるとありとあらゆる災いが起きるという箱に譬えている。何という見事な発想だろうか。

 解説が、官僚たちは戦後処理はすべて終わっているという認識に立っていたと解説している。

 メンバーは7人、財界の有力者、学識経験者、各省庁の元高官等有識者による第一回『戦後処理問題懇談会』が昭和57年6月30日に開催。

 元内閣法制局長官(当時)吉国一郎委員の発言記録「空襲などを含めて、あまり対象を広げると、寝た子を起こすことになる」

 三菱総研副社長(当時)牧野昇委員の発言記録「あまり突つくと、広がり過ぎることになる」

 当時の委員の殆んどが死亡している中で生存している深谷隆司総理府総務副長官(当時)(自民党前衆議院議員)「シベリアへ不法に持っていかれた人たちが、それこそ本当に寒い中を苦労しながら労働をやってきた。それは耐え難いご苦労をなさって、本当に同情してますけれど、それを動かすことによって、もっともっとほかに広がりがあるんですよ。例えば原爆の被害を受けた人たちにしたって不満が起こっているし、色んな形でさらに、こう傷口を広げていくという懸念があったかもしれませんね」

 「懸念があったかもしれませんね」と第三者的に距離を置いた言い方をしているが、同じ考えに立っていなかったという証明にはならない。

 また「傷口」を国民の間に補償を受ける者と受けない者との間で、あるいは金額の違い等で亀裂が生じるという意味で使っているが、番組が伝えているこれまでの官僚たちの発言からすると、実質的には財政上の「傷口」のことで、日本の国の都合を優先させた事情であることを深谷は巧妙狡猾にも隠している。

 さらに、「シベリアへ不法に持っていかれた人たち」との言い方は、「持ってい」った主語がソ連となっていて、ソ連を「不法」行為者としているが、日本側が役務賠償として差し出したシベリア抑留であったなら、「不法」行為者は日本となって、重大さと意味が違ってくる。少なくとも民間の未成年者でありながら、16歳を18歳と偽らせてソ連に差し出した旧制中学生の抑留、民間版役務賠償については明らかに日本側の「不法」行為であろう。

 深谷は悪者を旧ソ連のみに定めて、日本の悪事、国家犯罪については認識すらしていない。

 会議では西独が自国民のシベリア抑留者に行った補償の資料を取り寄せて、補償する場合の金額算出方法や予想金額の検討を行ったという。

 日本貿易会会長(当時)水上達三委員から、補償を求める団体の意見を聞いたらどうかと言う意見が出たが、官僚から反対の声が上がる。

 内閣審議室長(当時)の発言記録「先方に過大な期待を与える恐れがあり、また、すべての団体から聞くということは事実上困難である」

 日本の官僚らしく、決して困難ではないことを、「困難である」とする。国家財政を守るために聞く耳を持たなかったに過ぎないと言うことであろう。

 当時日本の抑留者への補償額は数千億円規模に上るとされていたという。

 深谷隆司「何かやるにしても、おカネがかかることですから、役人の側からいけば、もう具体的にいくらかかって、出てきますし、どう配るか落ちこぼれがないようにどう配るかということ、今の年金と一緒ですよ。それだけ容易なことじゃありませんから、そういうことも含めて、すべてそれだけにという思いがあったんでしょう」

 国家の都合を優先させて、国民個々の事情を犠牲にした。

 第9回『戦後処理問題懇談会』(昭和58年(1983)7月1日)

 解説が、議論は官僚たちが描いた筋書きに戻っていたとしている。

 元自治事務次官小林與三次の発言記録「ただ要求が強いからやるというのは筋が通らない。遣り出したらキリがない」

 元大蔵事務次官河野一之委員「もう30年以上も経って、戦争とは関係のない世代の税金でやってもらうということには疑問を感じる」

 「戦争とは関係のない世代」は戦争と関係した世代の事績や経験の上に、それが反面教師としての参考材料であったとしても、それを受け継いで自分たちの社会を築いているはずだから、歴史を否定しているだけではなく、税金だけの問題として扱っている。人間が酷薄に出来上がっているからだろう。

 結局、最終報告書で、もはやこれ以上国に於いて措置すべきものではないと結論づけられたというが、官僚たちは日本の官僚らしく、国家の財政を守ったことで国を守ったと自負したに違いない。

 補償を認めない代わりに、抑留者に慰労金(他の記事によると10万円)と慰労する賞状と銀の杯(銀杯)、旅行券などを贈呈したという。国家財政からしたら、ポケットマネー程度の金額だったに違いない。

 シベリア抑留が国の犯罪に相当する役務賠償の疑いが出ていると書いた。16歳の旧制中学校4年生の日本軍の指示で行われたシベリア抑留と強制重労働はシベリア抑留が役務賠償の疑いの強力な傍証となる事実であろう。

 日本の政府は国家の犯罪が暴かれることを恐れてか、役務賠償であったかどうかの調査すら行っていない。

 例え役務賠償ではなくても、シベリア抑留は日本の政府が行った戦争の結末として招いた事態である。その責任があるばかりか、南方から帰国した捕虜に対しては労働賃金を支払いながら、シベリア抑留者に対しては支払わない差別を演じている。さらに国家財政の維持を優先させて、特段の補償を何ら行わない二重、三重の犠牲を強いている。

 一方でシベリア抑留や原爆被害、沖縄戦集団自決、あるいはバンザイ・クリフの集団投身自殺といった国家犯罪に等しい醜悪な仕打ちを国民に対して招いておきながら、そういった醜悪な裏面をさも存在しない出来事であるかのように隠して、もう一方で靖国神社という表の舞台では、戦死した軍人を、「国のために尊い命を捧げた」、「尊い命を投げ出した」と政治家自らが先頭に立って顕彰し、英霊として祀る。

 靖国神社の英霊顕彰を日本国家、日本民族には過ちはないとする無誤謬証明の装置だとこれまでは言ってきたが、このように日本という国、日本民族を立派な佇まいと見せる靖国神社参拝、英霊顕彰は戦前と戦後の国家が国民に対して行ってきた醜悪な数々を常に裏に位置させカムフラージュする表の位置に置いた日本の姿ではないだろか。


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1 コメント

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Unknown (諸熊明彦)
2020-04-11 11:04:25
シベリア抑留は旧ソ連の犯罪です。ソ連の国際法違反を糾弾すべきでも。
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