橋下徹の日韓慰安婦問題合意解釈その他の自己絶対性からのいつもの独善的自己評価と産経の彼へのヨイショ

2015-12-31 11:09:02 | 政治


 産経新聞が《「河野談話の書き換えだ!」橋下氏やはり吠えた ツイッターで慰安婦日韓合意を解説 かつての発言「正当性」を自負》(2015.12.30 11:35)と題する橋下徹持ち上げ記事を書いている。 

 橋下徹が12月29日付で自身のツイッターに投稿した発言に対しても、〈自らの慰安婦発言の正当性を一貫して訴えてきただけに、現役さながらの〝橋下節〟で今回の合意の背景を解説してみせた。〉とヨイショしている。

 〈〝天敵〟?朝日新聞批判も〉と小見出して橋下徹の朝日批判を正当化しているが、同じく朝日新聞を天敵としている産経新聞という立場上からか、橋下徹に対して仲間意識を持った記事をこれまでも多く書いている。

 記事は橋下徹の多くの批判を浴びた従軍慰安婦に関わる2013年5月の発言を紹介、その発言の正当性を訴える弁解・釈明をも紹介して、〈一連の説明を通じて慰安婦発言の正当性を理解、支持する声も広がったが、橋下氏は今回の日韓合意に、やはり一言、モノ申さずにはいられなかったようだ。〉との表現で橋下徹の言動を全面的に擁護しているが、記事題名の〈橋下氏やはり吠えた〉との文言からして、従軍慰安婦問題に関わらず橋下徹の政治的存在自体を支持していることが理解できる。

 では、記事が紹介している従軍慰安婦に関する橋下徹の一連の発言を列記してみる。文飾は当方。

 先の大戦中の従軍慰安婦に関わる2013年5月13日午前の大阪市役所での記者会見発言。「あれだけ銃弾が飛び交う中、精神的に高ぶっている猛者集団に慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」
 「発言の一部が文脈から切り離され、断片のみが伝えられた」

 「かつて日本兵が女性の人権を蹂躙(じゅうりん)したことについては痛切に反省し、慰安婦の方々には謝罪しなければなりません。同様に、日本以外の少なからぬ国々の兵士も女性の人権を蹂躙した事実について、各国もまた真摯に向き合わなければならないと訴えたかった」

 「あたかも日本だけに特有の問題であったかのように日本だけを非難し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざすのはフェアな態度ではありません」

 「戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました」(記事紹介の過去の発言は以上。)

 批判を浴びることになったそもそもの発言、銃弾が飛び交う戦場での必要物を「慰安婦制度」だと、「制度」の形式で慰安婦利用の必要性と正当性を主張した間違いに気づいていない。

 実際には旧日本軍は海外占領地の未成年を含む現地人の若い女性を暴力的に拉致・誘拐して軍慰安所に監禁、売春を強制することを軍ぐるみの一種の「制度」としていたのだが、橋下徹はこのことを認めていないものの、軍の慰安所を設立してそこに集めた慰安婦を兵士に利用させることが日本軍全体の一般的な決まり事(=制度)となっていたことを認めていることから口にすることになった「慰安婦制度」なる認識であろう。

 だから、上記大阪市役所での午前の記者会見後の午後の記者会見で自ら明らかにしたことだが、「米軍普天間飛行場に行った時、司令官にもっと風俗業を活用して欲しいと言った。司令官は凍り付いたように苦笑いになってしまって。性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にはあるわけだから」と司令官に提案ですることができた。

 米軍兵士が風俗業を利用する利用しないは軍の制度とは無縁の極めて個人的な問題である。だが、米基地司令官に提案して司令官が受け入れて軍の立場から利用するよう指示し、兵士が軍の指示として従う場合、その利用は個人性から離れて、軍を背景とした軍の決まり事としての行動となり、それが基地全体で一般化した継続性を持つようになると、その決まり事は軍の制度の一つへと変容することになる。

 旧日本軍に於いて強制性の有無は別にして、従軍慰安婦を軍運営の慰安所に狩り集めて兵士の用に供することを旧日本軍は軍が直接関わった「制度」としていた。

 当然、日本の兵士たちは個人性を離れて、軍が全てを用立てているがゆえにある種の軍の制度となっていた軍慰安所の慰安婦の利用を、軍を背景とした兵士の一人として軍の決まり事に則って行った。

 例え強制性がなかったとしても、軍が慰安婦を狩り集めて、軍が設置した慰安所に住まわせて多くの兵士の利用に供することを「制度」としていた軍隊は旧日本軍以外に存在したのだろうか。

 各国軍隊も制度としていたと証明し得たとき初めて、橋下徹は「あたかも日本だけに特有の問題であったかのように日本だけを非難し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざすのはフェアな態度ではありません」と言うことの正当性も、「戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました」と言うことの正当性も全面的に獲ち得ることができる。

 韓国政府がベトナム戦争参戦時、現地に韓国軍兵士のためにベトナム人女性を集めて慰安所を経営していたと言われているが、その女性たちを未成年者まで含めて旧日本軍のように暴力的に拉致・誘拐して慰安所に監禁、売春を強制させる制度とまでしていたのだろうか。

 風俗利用であっても、売春宿利用であっても、それが合法であるなら、あくまでも個人的な利用に限られるべきで、国家組織の一部である軍が、そうであるがゆえに組織的な「制度」にして兵士たちにその「制度」を、例え職業としている女性相手であったとしても、利用させることは、勿論そこに強制性があった場合、女性の人権侵害に深く関わることになるが、強制性がなかったとしても国家組織の一つとしての倫理性が問われることになるはずだ。

 だが、橋下徹は旧日本軍が「慰安婦制度」としていたことに何の拘りも見せず、自身の倫理観を何ら刺激しない、その程度の合理的判断能力を欠いた分別しか示すことができないようだ。

 上記記事が持ち上げている橋下徹の日韓従軍慰安婦問題合意をどう解説しているのか、持ち上げる程の解釈なのか、橋下徹の12月29日書き込みのツイッターを覗いてみた。順番を投稿時間順に直した。

 「慰安婦問題の日韓合意。『強制』の言葉が外れれば、これは河野談話の書き換えだ!メディア、特に朝日、毎日新聞は大騒ぎしているが、彼らは自らの主張が否定されたことに気付いていない」

 「慰安婦問題の日韓合意。『強制』の文言が外れ、『軍の関与』についての反省とお詫びであれば、世界各国も反省とお詫びをしなければならない。軍が関与した戦場と性の問題は日本だけの問題ではない」

 「国家が大きな政治決断をするには国民がその問題意識を持っていることが大前提。激しい批判を受けた3年前の僕の慰安婦問題についての発言で、慰安婦問題とは何か、河野談話の問題点、朝日新聞の大誤報記事の取り消しなど国民に問題意識を持ってもらったと自負している」

 「『軍の関与』という文言が入っても、それは強制連行を指すものではないという意が現在国民の多くに浸透している。これまで自称インテリは慰安婦問題を口に出すのも悪だという雰囲気を作っていたが今は違う。こういう状況の下、安倍首相は政治決断に踏み切れた」(以上)――

 橋下徹は「『強制』の言葉が外れれば、これは河野談話の書き換えだ!」と言っているが、安倍晋三は元々「河野談話」が間接的に指摘している「官憲が家に押し入っていって人を人攫い(ひとさらい)の如く連れていく」(2007年3月5日の参院予算委員会)といった狭義の(限られた意味での)特殊な強制性を否定し、その強制性に関して「(第1次)安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定(2007年3月16日)をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」(2012年9月16日の自民党総裁選討論会)と、2007年3月16日の時点で安倍晋三個人、あるいはその仲間たちは既に「河野談話」を修正したとしているのである。

 勿論、日韓外相会談で合意し日本「軍の関与」の認定はその後の記者会見で「従来から表明してきており、歴代内閣の立場を踏まえたものだ」と述べているように「河野談話」に則った認定ではあるが、安倍晋三たち2007年3月16日に既に強制性を修正した「河野談話」のことであって、今回の日韓外相会談の合意に向けて策した「河野談話の書き換え」でも何でもない。

 当然、「『軍の関与』という文言が入っても、それは強制連行を指すものではないという意が現在国民の多くに浸透している」とさも理解しているようなことを言っているが、その根拠については何ら指摘しないままの理解に過ぎないし、その根拠を信じない多くの国民が存在することも理解していない。

 橋下徹はまた、「軍が関与した戦場と性の問題は日本だけの問題ではない」と日本軍の行為を逆説的に正当化しているが、旧日本軍のように慰安婦の利用を軍が組織的に「制度」としていたのかどうかの比較する視点を欠いた「日本だけの問題ではない」とする、これまた満足な分別を示すべき合理的判断能力をどこかに置き忘れた同列性の提示に過ぎない。

 このようにも的外れな橋下徹の従軍慰安婦論、従軍慰安婦問題の日韓合意解釈であるにも関わらず、「激しい批判を受けた3年前の僕の慰安婦問題についての発言で、慰安婦問題とは何か、河野談話の問題点、朝日新聞の大誤報記事の取り消しなど国民に問題意識を持ってもらったと自負している」と、自らの正当性を自己評価できる。

 自己絶対性に取り憑かれていなければできない、それゆえに相変わらずの独善的自己評価ということであるはずだ。

 そしてまた橋下徹の独善的自己評価満載の言説であるにも関わらず、産経新聞は「橋下氏やはり吠えた」と最大限の賛辞を送ることができる。

 的外れという点で、ヨイショ以外の何ものでもない。

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安倍晋三の慰安婦問題「後世代の子らに謝罪し続ける宿命を背負わせてはいけない」とは何ともトンチンカンな

2015-12-30 09:39:24 | 政治


 安倍晋三が12月28日、日韓外相会談での慰安婦問題解決合意を受けて朴槿恵韓国大統領と電話会談、その後官邸で記者団に次のように発言したと「産経ニュース」(2015.12.28 19:47))記事が伝えている。 

 安倍晋三「先程、朴槿恵大統領と電話で会談を行い、合意を確認致しました。今年は戦後70年の年に当たります。8月の首相談話で申し上げてきた通り、我々は歴代の内閣が表明してきた通り、反省とお詫びの気持を表明してきた。その思いに今後も揺るぎありません。

 その上で、私たちの子や孫、その先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない。今回、その決意を実行に移すための合意でした。この問題を次の世代に決して引き継がせてはならない。最終的、不可逆的な解決を70年目の節目にすることができた。今を生きる世代の責任を果たすことができたと考えています。

 今後、日韓は新しい時代を迎えます。日韓両国が力を合わせて新しい時代を切り開いていくきっかけにしたいと思います」――

 相変わらず合理的・客観的認識能力を欠いたトンチンカンなことを平然と言ってのけている。

 「歴代の内閣が表明してきた通り、反省とお詫びの気持を表明してきた」と言っているが、反省とお詫びという行為の正当性を歴代内閣に置いている。歴代内閣が表明してきた通りに表明してきたんですよ、どこに間違いがあるのですかと。

 いわば自身の正当性を表現するのに歴代内閣の正当性を借りなければならない。

 「先祖代々やってきたことを私は立派に遣り遂げています」と言うのと共通している。

 両者共に例え慣例を踏襲する行為であったとしても、そこに自己自身から発した自己独自の正当性の表現――自分ならではの正当性の表現を見ることができない。

 安倍晋三について言うと、安倍晋三自身から発して安倍晋三独自の正当性を持たせた反省とお詫びの気持が見えない。

 もしそのような反省とお詫びの気持があったなら、その気持は自ずと見えてきて、「歴代の内閣の表明」を借りる必要は生じない。

 見えてこない理由は安倍晋三自身から発した安倍晋三独自の正当性を別のところに置いているからである。

 2007年3月5日の参院予算委員会。従軍慰安婦を集めるのに強制性はなかったと発言しているのではないのかとの質問に答えて、安倍晋三は次のように答弁している。

 安倍晋三「その件につきましても昨年の委員会で答弁したとおりでございまして、この議論の前提となる、私がかつて発言をした言わば教科書に載せるかどうかというときの議論について私が答弁をしたわけでございます。

 そして、その際私が申し上げましたのは、言わば狭義の意味においての強制性について言えば、これはそれを裏付ける証言はなかったということを昨年の国会で申し上げたところでございます」

 「狭義の意味においての強制性」について追及を受けると、

  安倍晋三「ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人攫い(ひとさらい)の如く連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます」

 そして存在した強制性を次のように説明している。

 安倍晋三「この国会の場でこういう議論を延々とするのが私は余り生産的だとは思いませんけれども、あえて申し上げますが、言わば、これは昨年の国会でも申し上げましたように、そのときの経済状況というものがあったわけでございます。御本人が進んでそういう道に進もうと思った方は恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。また、間に入った業者が事実上強制をしていたというケースもあったということでございます。そういう意味において、広義の解釈においての強制性があったということではないでしょうか」――

 つまり従軍慰安婦になる場合の業者がカネづく・力づくで狩り集める一般的とされている種類の強制性は認めているが、「官憲が家に押し入っていって人を人攫い(ひとさらい)の如く連れていく」といった狭義の(限られた意味での)特殊な強制性はなかったと発言している。

 多くの元従軍慰安婦が証言している、日本軍兵士に若い女性限定の人間狩りさながらに力づくで拉致・誘拐同然に連れ去られて日本軍の従軍慰安所に閉じ込められ、性奴隷とされた、確かに存在した“狭義の強制性”、日本軍が関わったその特殊性を無視して、ときには暴力事例もあった業者の手による一般的な募集だとするところに安倍晋三は自身に独自の正当性を置いているから、反省やお詫びの気持など湧いてくるはずもなく、歴代内閣の表明を借りなければ、反省とお詫びの気持を表明できないということになる。

 従軍慰安婦に関してこの程度の認識しか持つことができないから、後段の発言につなげることができる。

 「私たちの子や孫、その先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない。今回、その決意を実行に移すための合意でした。この問題を次の世代に決して引き継がせてはならない」・・・・・・

 従軍慰安婦に関わる日韓の現在の確執を生じせしめた主たる理由は日本側の「狭義の強制性」の否定説にあるはずである。最近では従軍慰安婦報道の朝日の誤報を以って「狭義の強制性」説は崩れたとする議論を展開している。

 確かに朝日新聞は「吉田証言」が「証言」とは名ばかりのフィクションに基づいて日本軍による強制連行・強制売春を歴史の事実とする誤報をやらかした。だが、吉田清治なる人物が韓国済州島等で日本軍の軍令で900人だかの朝鮮人慰安婦狩りをしていたとする証言がフィクションであることを以って、それ以外の韓国の地域、あるいは当時日本軍が占領していた海外各国の従軍慰安婦の「狭義の強制性」を裏付ける証言をフィクションとすることは牽強付会そのものとなる。

 それが証拠に今回の日韓合意を受けて中国政府や台湾政府が現地の元従軍慰安婦に対する謝罪や賠償を求め、フィリッピンでは元従軍慰安婦支援団体が日韓合意と同じ内容の合意を求めている。

 旧日本軍が犯した人道の罪に相当する「狭義の強制性」であり、それを否定することによって自分たちが確執の種を散々撒いてきたのだから、謝罪は政府が行うべきであって、一般国民でもないし、その「子や孫、その先の世代の子供たち」ではない。

 彼らにまで謝罪の対象に加えるのは罪とその謝罪に巻き込む無責任な企みに他ならない。

 謝罪しなければならない第一番は「狭義の強制性」否定説を撒き散らして日韓確執の主たる要因をつくった安倍晋三であろう。この点に関して安倍晋三は頭を丸坊主にして頭を下げても足りない。
 
 一般国民が謝罪する必要も謝罪しなければならない責任もないが、外国及びその国々の国民との関わりで生じた、特に罪に値し、その罪によって相手に被害を与えた歴史的事実から目を背けずに、「子や孫、その先の世代の子供たち」であっても学び続けなければ、歴史は自分たちに都合のいい記録のみとなって、事実を見抜く公平・公正な客観的にして合理的な視野・判断能力を身につけることができなくなる。

 自分たちに都合のいい記録のみで自国の歴史を満たした場合、ときには自分たち民族は絶対正しいと思い違いをする独善的な自尊意識を自らに植え付け、民族優越意識に侵されない保証はない。

 安倍晋三は謝罪する必要のない世代を対象に「謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない」と合理性を全く欠いたことを言い、歴史の事実を見抜くために必要とする歴史の直視・歴史の学習については一言も無い。

 だから、最初に相変わらず合理的・客観的認識能力を欠いたトンチンカンなことを平然と言ってのけていると書いた。

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日韓慰安婦問題合意は安倍晋三が岸田を背後から操り韓国にペテンを仕掛け、韓国がそれにまんまとはまった

2015-12-29 09:13:47 | Weblog


 日本の外相岸田文雄とユン韓国外相が2015年12月28日、韓国ソウルで両国間に横たわっていた従軍慰安婦問題で会談し、合意に至ったとマスコミ各紙が報道した。

 外相会談で合意したことを共同記者発表(外務省HP/2015年12月28日)から見てみる。日韓間で対立した問題点の一つとなっていた女性を従軍慰安婦に仕立てていった事例に日本軍の関与があったかどうかについて言及した個所のみを抜粋する。 

〈1 岸田外務大臣

 (1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。

 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。〉――

 〈慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。〉との言葉は一見すると今回初めて日本軍の強制連行と強制売春を事実認定し、この点について同じく初めて公式的に日本政府の責任を受容したように見えるが、会談後記者団に語った発言はニュアンスを異にする。

 岸田文雄(日本政府の責任を認めたことについて)「慰安婦問題は、当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるということは従来から表明してきており、歴代内閣の立場を踏まえたものだ。これまで責任についての立場は日韓で異なってきたが、今回の合意で終止符を打った」(NHK NEWS WEB/2015年12月28日 17時31分)  

 「従来から表明してきており、歴代内閣の立場を踏まえたものだ」と言って、安倍内閣として今回初めての事実認定でもなく、初めての公式的な責任の受容でもないことを明らかにしている。

 従軍慰安婦問題に関して安倍内閣が「従来から表明し」、「歴代内閣の立場を踏まえ」てきた歴史認識は「河野談話」以外にない。

 今年2015年1月5日、三重県伊勢市の伊勢神宮参拝後に神宮司庁で年頭記者会見を行った。  

 安倍晋三「従来から申し上げておりますように、安倍内閣としては、村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます。そしてまた、引き継いでまいります」

 「村山談話を含め」と言って、安倍内閣として「河野談話」をも継承している「歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と言っている。

 2014年3月14日参議院予算委員会。

 有村治子自民党議員「河野談話の内容、かなり強い表現が河野談話には出てくるわけですが、その内容の一つ一つを歴史的事実として安倍内閣、受け止めていらっしゃるのでしょうか、お答えくださいませ」

 安倍晋三「 歴史認識につきましては、戦後五十周年の機会には村山談話、六十周年の機会には小泉談話が出されています。安倍内閣としては、これらの談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます。

 慰安婦問題については、筆舌に尽くし難いつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛みます。この点についての思いは私も歴代総理と変わりはありません。この問題については、いわゆる河野談話があります。この談話は官房長官の談話ではありますが、菅官房長官が記者会見で述べているとおり、安倍内閣でそれを見直すことは考えていないわけであります」――

 ここで言ったことを2015年1月5日の年頭記者会見で同じ趣旨で繰返したことになる。

 何のことはない、岸田文雄は慰安婦問題合意の「共同記者発表」で歴代内閣が引き継いでいて、安倍内閣としてもその立場を全体として引き継いでいる「河野談話」を利用して、そのレベルで日本軍の関与を事実認定し、その関与に対して日本政府の責任を受け容れたことを発表したことになる。

 だから、日本軍の関与を事実認定する発言個所が「河野談話」の文言と重なることになったのだろう。「河野談話」から日本軍関与の個所のみを抜粋する。その個所に文飾を施した。

 《河野内閣官房長官談話》(外務省HP/1993年〈平成5年〉8月4日)  

 〈慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。〉――

 文飾を施した、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」〉と同じ言葉を岸田文雄は「共同記者発表」で使っている。

 少し前の所で〈「河野談話」を利用して、そのレベルで日本軍の関与を事実認定し〉と書いたが、〈そのレベルで〉と書いた意味はご存知のように安倍晋三自身は「河野談話」を否定しているからである。

 「河野談話」を否定していながら、「河野談話」を安倍内閣として引き継ぐといったレベルの日本軍の関与と日本政府の責任を認めた、その程度の日韓従軍慰安婦問題合意でしかないということである。

 安倍晋三の「河野談話」否定発言を改めて見てみる。

 《衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書》(平成19年3月16日閣議決定)(抜粋)   

 2007年3月8日提出の〈安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書〉に対して安倍内閣は2007年3月16日の答弁書で、〈お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。〉

 〈官房長官談話は、閣議決定はされていないが、歴代の内閣が継承しているものである。

 政府の基本的立場は、官房長官談話を継承しているというものであり、その内容を閣議決定することは考えていない。〉と答えている。

 要するに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」として、「河野談話」が認めた「軍の要請を受けた業者」が「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例」に「官憲等が直接これに加担した」事実・強制性を否定している上に、「河野談話」は閣議決定されていないとして政府非公式の歴史認識に格下げし、この答弁書を閣議決定された政府公式の歴史認識だとの位置づけを行っている。

 このような取扱いが2012年9月16日の自民党総裁選討論会での安倍晋三の発言にそのまま現れているのだろう。

 安倍晋三「河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている。安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」――

 閣議決定は内閣としての公式の行事であるから、2012年9月16日当時、安倍晋三が一議員の身分に過ぎなくても、2007年の答弁書を政府公式の決定だとしていることを前提にしていることになる。

 そのことを前提に「河野談話」は答弁書の閣議決定によって「修正したことをもう一度確定する必要がある」と、ここでも政府公式の歴史認識から外すことで「河野談話」そのものを否定している。

 このように「河野談話」を否定していながら、従軍慰安婦問題を協議する日韓外相会談で体よく「河野談話」を利用、改めて安倍内閣として引き継いでいくという形を取った日本軍の関与と日本政府の責任を認めることを問題解決の日本側の条件とし、韓国側も受け入れて、両者の合意とした。

 いわば安倍晋三が岸田文雄を背後から操って韓国にペテンを仕掛け、韓国側がそのペテンにまんまとはまった。安倍晋三のペテンの勝利である。

 但し並大抵な勝利ではない。この合意を村山富市が素直に歓迎し、アメリカ政府も支持・歓迎、米紙ワシントン・ポスを始め、米紙ニューヨーク・タイムズ米紙ウォール・ストリート・ジャーナル等が「歴史的合意」などと評価している。メデタイことである。

 安倍晋三の一国の指導者としての株が上がるだろうから、大勝利も大勝利、安倍晋三のペテン、侮り難しである。

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安倍晋三は「引き分け」を引き合いにするよりも、プーチンに北方四島の開発を止めるように求めるべき

2015-12-28 12:01:43 | Weblog

 
 2015年11月、トルコ・アンタルヤで20カ国・地域(G20)首脳会議が開催され、11月26日夜(日本時間16日未明)、会議の合間に安倍晋三はロシアのプーチンと約30分間首脳会談を行った。

 通算12回目の首脳会談だそうだ。会いにも会ったものだが、2012年12月26日の就任から3年。1年間に4回の割合となる。会う目的はプーチンとの信頼関係を深めて北方四島返還交渉の促進に役立てる。

 プーチンの訪日要請も、信頼関係構築の一環で、ロシアの力による現状変更を用いたクリミア併合、シリア空爆等の障害にもめげずに訪日要請に血道を上げているが、その努力の甲斐もなく年内訪日実現はならず、来年延ばしとなった。
 
 これ程にも安倍晋三は信頼関係構築に格差是正対策はそっちのけで取り組んでいながら、首脳会談の回数を重ねるだけで、交渉は一向に前に進まない。

 安倍晋三はトルコでの首脳会談でプーチンに対してプーチンが用いた「引き分け」という言葉を引き合いにして、四島返還を含めた平和条約締結交渉の進展には双方の柔軟な対応が必要だと説くと共に前向きな姿勢を促したと、日ロ外交筋の話として「47NEWS」が伝えていた。 

 プーチンが大統領、首相と歴任して、再度大統領選に立候補、2012年3月4日の選挙執行で当選を果たしたその前日の2012年3月3日、外国メディアを集めて記者会見を開いた。

 プーチン「「北方領土問題を最終的に解決したいと強く願っている。 私が大統領になったら、一方に日本の外務省、もう一方にロシアの外務省を置き、彼らにこう言います。始め!」(NHK「クローズアップ現代」) 

 柔道家のプーチンが柔道の試合開始の合図の言葉、「始め」を使って、領土問題の解決に意欲を見せたということなのだろう。

 この記者会見で「You Tub」に載っているANNニュース(2012/03/03)によると、次のような発言も行っている。 

 プーチン「私たちが目指すべきは何らかの勝利ではない。私たちは妥当な譲歩を目指すべきだ。いわゆる『引き分け』みたいなものですね」

 この発言は北方四島の択捉島・国後島・歯舞・色丹のうち、平和条約締結後に歯舞・色丹の引き渡しを明記した1956年12月12日発効の「日ソ共同宣言」に言及した上でのものだと解説している。

 再び柔道用語を持ち出して、「引き分け」――いわば痛み分けを提案した。

 だが、歯舞・色丹は四島全体に対して僅かな面積しか占めていない。とても痛み分けのレベルとは言えない。

 当時の野田首相がこの「引き分け」の言葉を歯舞・色丹の二島返還とは受け止めていない。2012年3月8日の衆議院予算委員会。

 野田首相「引き分けの意味、これは恐らく双方が納得できる結果、一定の結果という意味だとは思うんですが、今、東委員おっしゃった56年のあの路線でいくならば二島返還です。二島返還というのは、四島のうちの二島だから、半分だからいいという話ではなくて、歯舞、色丹というのは面積でいうと7%です。残り93%来ないということは、引き分けにはなりません。あのときは、主権のあり方等々、詰めた話になっていません。したがって、それは引き分けではないんですね。

 それ以上のことを考えているのかどうかは、真意として分かりません、まだ分かりません。したがって、この間、3月5日、大統領当選確実というときに祝意の電話をさせていただきました。あくまで祝意の電話ですから詰めた話はしていませんけれども、そういうことを踏まえて、領土問題については英知ある解決をしよう、知恵を出し合っていこう、そういう意味の話をして、実務者においては柔道用語で申し上げました、『始め』ということを、もうスタート、声をかけようじゃないかと言ったら、笑ってはいらっしゃいました。

 というところから、まさにこれからスタートだというふうに思います」(衆議院予算委員会会議録)  

 「引き分け」とは、「双方が納得できる一定の結果」を意味する言葉だと言っている。

 だとすると、安倍晋三がトルコでのプーチンとの首脳会談で「引き分け」という言葉を引き合い出して交渉の進展を促したことに関しても日ソ共同宣言が触れている歯舞・色丹二島返還を頭に入れた「引き分け」ではないはずだ。

 それとも歯舞・色丹二島返還のみを頭に置いて言及した「引き分け」だったということなのだろうか。そうであるなら、それが現実的な解決方法法だとしても、敗北主義と批判される。通算12回目の首脳会談も重ねてきた意味も失う。

 だが、現実にはロシアが北方四島を実効支配し、着々とロシアの領土化を進めている。

 いや、ロシアの領土であることを前提に急ピッチで開発を進めている。色丹島が拠点のロシアの国境警備局が同島に最新型の警備船などを来年の春をメドに配備する計画を進めているというし、日本にとって何よりも悪い知らせは、北方領土を含めた極東地域の人口増加に向けて国民に土地を無償で提供する制度を来年5月から始める方針である。

 どのような制度かと言うと、希望する国民に1人当たり1ヘクタールを無償で貸し出し、農地として5年間利用するなどの実績が認められれば所有を認めるものだという。

 しかもロシア政府は2017年から2026年までの10年間に日本円で1300億円規模の資金を投入してインフラ整備等を行う方針だという。

 どのようなインフラ整備かと言うと、択捉島と国後島に最新式の軍事施設地区が建設され、そこには軍人及び家族用の集合住宅、学校、文化施設などを含む392施設が建設されるという。

 これは上記インフラ整備とは別物なのだろうか、一昨年から択捉島中心部の紗那に建設してきた200席の映画館や温水プールなどを備えた複合施設が完成し、12月26日(2015年)に記念式典が開かれたと「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 建設費13億ルーブル(日本円で22億円余り)、総床面積1万平方メートル。映画館と温泉プール以外に体育館、図書館が常備されているという。

 このような択捉島の開発、あるいは国後島の開発は否応もなしに活気と変貌していく島の様子を思い浮かべないわけにはいかない。

 そしてこの活気と島の変貌はもしプーチンが歯舞・色丹のみを返還の対象とした「引き分け」であるなら、妥当性ある開発の結果と言えるが、日本政府が考えているように「双方が納得できる一定の結果」を「引き分け」の意味に把えているとしたら、日本政府はその妥当性を決して認めるわけには行かないはずだ。

 であるなら、安倍晋三が先ず為すべきは、「引き分け」を引き合いに出すことよりも国後島と択捉島の開発の中止をプーチンに求めることであるはずだ。

 なぜなら、択捉島、あるいは国後島を返還の対象に入れていながら、せっせと開発に勤しむのは矛盾そのものだからである。マスコミが北方四島開発の記事を発信する度に四島をロシアの領土であることを示す狙いがあるとか、北方領土をあくまでもロシアの領土の一部として開発を進める姿勢を重ねて示したものだとか伝えているのは、そこに矛盾とは逆の整合性――択捉島、あるいは国後島を返還の対象に入れていない開発と見ているからでもあるはずだ。

 中止要請に応じるか応じないかで、プーチンが「引き分け」をどこに置いているかが明らかになる。

 プーチンは2012年3月3日に「始め」を言いながら、3年以上経過しても開始していない。開始されない以上、それがどのような内容のものであっても、「引き分け」の状態に持っていくことは不可能であり、プーチンが自ら説明しない以上、どのような状態の「引き分け」であるのかも明らかになることもない。

 野田首相がプーチンに対して「『始め』ということを、もうスタート、声をかけようじゃないかと言ったら、笑ってはいらっしゃいました」と、笑うだけで応じなかったことを考え併せると、「引き分け」の正体が明らかになることを避けるために「始め」の合図をしないのであって、「始め」とか「引き分け」といった言葉は日本政府に気を持たせて時間稼ぎする言葉に過ぎないのではないかとの疑いが出てくる。

 日本の経済支援や技術支援を得るための時間稼ぎであり、北方四島を開発してロシアの実効支配を確実化するための時間稼ぎである。

 安倍晋三が四島開発の中止を求めないまま、プーチンとの信頼関係構築に過度に依存したり、あるいはプーチンの柔道用語に期待をかけてばかりいると、安倍政権の3年間でもあるが、領土返還交渉が何ら進展がない状況のままに推移したプーチンの3年間がこのままズルズルと引き継がれていくように見えるが、どんなものだろうか。

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歴史検証機関「歴史を学び未来を考える本部」立ち上げは安倍晋三の「歴史認識は歴史家に任せる」を裏切る

2015-12-27 11:14:19 | 政治


 自民党が着々と歴史修正の作業を進めようとしている。これは安倍晋三の歴史修正欲求を受けた作業であるはずだ。

 歴史認識に於いて安倍晋三と常に添い寝し合っている自民党政調会長稲田朋美の2015年6月18日の自民党本部での記者会見。  

 金友記者「共同通信の金友です。GHQの占領政策の検証を始められるという報道がありますが、具体的にはどういった検証を、どういった目的で始めようとお考えなのか、教えてください。

 稲田朋美「GHQということに限らず、党内でいまやっております日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会であったり、4月28日を主権回復記念日にする議員連盟であったりの参加議員から、何を日本として反省するかということを含めて、1928年すなわち不戦条約以来の日本の歩みについてきちんと検証することが必要だという意見があったり。

 また4月28日の議連はサンフランシスコ平和条約が発効した4月28日までの6年8カ月の占領期間において何が行われ、また憲法の制定過程も含めて、そういったことをきちんと検証をする必要があるという提案をいただいていますので、そういったことをきちんと検証することが必要であろう、というふうに思っております」

 金友記者「いつ頃どういった形で、というのは現時点で何かありますでしょうか」

 稲田朋美「やはりいま日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会で、これは特に慰安婦の問題を中心に取扱っているんですけれども、この提言がまとまって以降に考えています」――

 「6年8カ月の占領期間において何が行われ、また憲法の制定過程も含めて、そういったことをきちんと検証をする必要があるという提案をいただいていますので」と言っているが、安倍晋三も2012年4月28日自民党主催「主権回復の日」に寄せたビデオメッセージで同じ趣旨のことを発言している。

 安倍晋三「皆さんこんにちは。安倍晋三です。主権回復の日とは何か。これは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を終えて、日本が主権を回復した日です。

 しかし同時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはしませんでした。本来であれば、この日を以って日本は独立を回復した日でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。

 それをやっていなかったことは今日、おーきな禍根を残しています。戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをして、その上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を(右手を拳を握りしめて、胸のところで一振りする)取り戻すことであります」――

 安倍晋三の占領政策や占領軍に関わる歴史認識を反映させた稲田朋美の占領期間の日本に対する歴史修正的な検証精神か、あるいは双方の歴史認識を相互に反映させ合った双方の歴史修正的な検証精神と言うことができる。

 稲田朋美が「占領軍によって作られた憲法」と言って、否定性を持たせた検証対象に加えていることも安倍晋三の歴史認識と相互関連し合っている。

 安倍晋三「憲法を戦後、新しい時代を切り開くために自分たちでつくったというのは幻想だ。昭和21年に連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」(2013b年4月25日産経新聞インタビュー)

 日本国憲法を「たった8日間でつくり上げた代物だ」と、日本国憲法を卑しめる言葉を使って占領時代の日本の歴史に対する修正欲求を露わにしていて、歴史認識に於いて安倍晋三と稲田朋美が一心同体だと分かる。

 稲田朋美の2015年7月30日の自民党本部での記者会見。  

 他の記者会見でも同様の質問を受けているのかもしれないが、変わるわけではない稲田朋美の歴史認識に基づいた検証の説明だから、左程発言内容に違いはないはずで、新聞記事を案内とした記者会見以外はチェックの対象から外している。

 以下の記者の質問は稲田朋美が6月18日の記者会見で占領政策の検証は慰安婦の問題を中心に扱っている「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」の提言が纏まってからスタートさせると発言していたことを受けて行われている。

 福田記者「読売新聞の福田です。慰安婦が終わった後も、GHQ政策についても議論を行う予定と伺っているのですけれども、議論の進捗状況を教えていただけますか」

 稲田朋美「まず、特命委員会の提言をまとめるということは、非常に重要だと思っています。あとGHQに関係なく、私は、いわゆる戦争に関わる東京裁判で認定された事実関係を、きちんと日本人自身が検証して、反省すべきことを反省して、将来に活かしていくことが、必ずしもできていないと思います。また、占領期間のことに関しても、きちんと総括をするための党としての機関というのは、作るべきだというふうに考えております。ただ、その構想ですとか、人選ですとか、時期ですとかについて具体的に考えているわけではありません」――

 占領期間を総括する党の機関を立ち上げると言っている。

 自民党は2015年11月15日に立党60年を迎えた。そしてその式典を11月29日に開催、その日に歴史検証の機関、自民党総裁安倍晋三直属の「歴史を学び未来を考える本部」を立ち上げた。本部長は幹事長の谷垣禎一。

 立党60年を機会に自民党総裁としての安倍晋三直属の歴史検証党機関を発足させたと言うことは非常に象徴的である。何を象徴させているかと言うと、歴史修正の強固な意思と強固な決意、強固な使命感、全党的姿勢をであり、そして安倍晋三がそれを主導する地位に鎮座したということは、一方で稲田朋美等の強力な支援を受けて安倍晋三自身からの意向といった形を取り、他方で周囲自体が力を得ている安倍晋三の意向に添うという形を取るなどして相乗的な同調を見せることになって、安倍晋三自身の歴史修正観の支配を受けるであろうということの象徴としてである。

 立党60年式典で安倍晋三は次のように挨拶している。

 安倍晋三(60年前の立党の目的について)「憲法改正、教育改革、行政改革といった占領時代につくられた様々な仕組み、その仕組みを改めなければならない。こう決意を致しました」(asahi.com)  

 立党以来の歴史修正の悲願であり、立党60年を機会に安倍政権で歴史修正の悲願を成就させる。

 2015年12月3日の自民党本部での稲田朋美の記者会見。  

 橋本テレビ東京記者「テレビ東京の橋本です。立党60年式典と同じ日に立ち上げられた『歴史を学び未来を考える本部』についてお伺いします。政調会長は、国家の名誉を守るというのが政治家としての原点と伺っていますが、『歴史を学び未来を考える本部』はそのような政治信条につながるようなものなのでしょうか。今回の組織をなぜ立ち上げたのか、というところについてお考えを教えていただけますか」

 稲田朋美「私は、歴史というのは客観的な事実が全てだと思うんです。客観的事実が何であるかということに則って、歴史の認識の問題は、それぞれが発信をすべきだというふうに思っています。私は弁護士時代から、違うこと、事実でないことについて、事実ではないということはしっかりと言うべきであると、それが名誉を守ることであると、そういう趣旨で発言をしてきたところです。

 今回、立党60年を機に、『歴史を学び未来を考える本部』というのを、党の中の正式な機関として作ったわけです。戦後70年ということで、総理も有識者会議を開かれて、しっかりと世界の中の日本というものを認識したうえで、今回談話を出されました。

 それは政府だけではなくて、やっぱり党の国会議員それぞれが、客観的な事実、そして世界の中で日本がどういう歩みをしてきたかということをしっかり勉強したうえで、未来に活かしていくことが、本当の反省をするという意味においても、私はすごく重要なことだというふうに思っております。

 わが党は、ご承知の通り、独立を回復してから3年後に立党した党でもありますし、『党の使命』の中にも、占領政策の中で得たもの、そして失ったものもある、その中で日本を取り戻していこう、ということも書いてあるわけです。私はそういった歴史を、それぞれ党の国会議員が勉強したうえで、そしてそれぞれ何を活かすかということを考える。そういう本部になればと思っています」――

 「歴史というのは客観的な事実が全てだ」と言っているが、歴史を紡ぎ出す人間営為の全てが客観的事実に基づいて歴史を紡いでいるわけではない。ときには主観的な解釈を忍び込ませて歴史を紡ぎ出すから、人によっては歴史の解釈が異なるという歴史の始末の悪さが生じることになる。

 だからこそ、安倍晋三たちは自分たちの歴史解釈で占領時代を検証して、それを公式的な歴史認識にすべく熱望しているということであろう。

 人間はときには客観的事実を主観的に解釈して客観的事実に基づかない行動に走り、ときには主観的事実を客観的事実と勘違いして正しいこととして行動する。

 だが、このようなことを理解せずに「歴史というのは客観的な事実が全てだ」と主張して歴史を自分たちの解釈を通して検証した場合、検証した歴史を全て客観的事実だと装わせることになって、それを以て日本の歴史だと強制することも可能となり、非常に危険な状況をつくり出さない保証はない。

 このことは日本軍による従軍慰安婦の強制連行と強制売春は歴史的に存在しない事実だとしていることに既に現れている。

 問題は安倍晋三直属の「歴史を学び未来を考える本部」がしようとしていることは安倍晋三の総理大臣としての国会答弁等の発言を真っ向から矛盾しているということである。

 2013年4月26日衆院内閣委員会。

 安倍晋三「私は歴史認識に関する問題が外交問題、政治問題化されることは勿論、望んでいない。歴史認識については政治の場に於いて議論することは結果として外交問題、政治問題に発展をしていくわけで、だからこそ歴史家・専門家に任せるべきだろうと判断しています

 2013年5月15日参議院予算委員会。

 安倍晋三「いわば私は行政府の長としてですね、いわば権力を持つ者としてえー、歴史に対して謙虚でなければならない。このように考えているわけでありまして、えー、いわばそうした歴史認識に踏み込むことは、これは抑制するべきであろうと、このように考えているわけでございます。

 つまり、えー、歴史認識については歴史家に任せるべき問題であると、このように思っているわけでございます」

 2015年3月18日参議院予算委員会。

 安倍晋三「まさに今委員が指摘をされました、先の大戦に至る日本の歴史自体を総括すべきではないか、私はそのとおりだろうと考えています。しかし、それはあくまでも基本的には有識者、学者、歴史家にまずは委ねるべきだろうと、このように考えるわけでございます。政府にいる我々がそうしたことについての発言は直ちに政治・外交問題化するわけでございまして、結果として、言わば歴史的な、冷静な、冷徹な分析に至ることは難しいということになってしまうと」

 ここで「政府にいる我々が」と断って、歴史を検証すべきではない行為者を政府の人間に限っているが、党と政府が一つの認識に関して一体となる場合は党の人間もすべきではない行為者の内に入れなければならない。

 主として占領時代の歴史検証を目的とした「歴史を学び未来を考える本部」はアドバイザーに「安倍晋三戦後70年談話」作成に関わった有識者懇談会の大学教授などをメンバーに加えているようだが、安倍晋三直属であり、本部長が自民党総裁の谷垣禎一としていることと、「安倍晋三戦後70年談話」がそうであったように安倍晋三の歴史修正観が支配的に働くことは目に見えていることを考え併せると、明らかに政治家主導の歴史検証機関であり、純粋に歴史家・専門家に任せた機関と言うことはできない。

 いわば歴史、あるいは歴史認識は「歴史家・専門家に任せるべきだ」との原則を常に言い続け、なおかつ政府と党の政治家を歴史検証の行為者から外すべきだとしていながら、政治家主導の歴史検証の組織を立ち上げたことは自身がこれまで発信してきた自らの言葉・自らの原則の裏切りを示す証明としかならない。

 一国の指導者である。このように言ってきたことと矛盾する行動は国民に対する裏切でもあり、許されるはずはない。安倍晋三は歴史認識は歴史家に任せるのか、政治家に任せるのかはっきりさせてから、歴史検証を始めるべきだろう。

 もし後者であるなら、党が検証し、決めた歴史とするのではなく、自ずとそうなるのだから、自らの歴史修正観を反映させていることを認めなければならない。

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安倍政権はテロ集団に邦人が人質となり、身代金を要求された場合の解放交渉の原則を国民に示せ

2015-12-26 09:39:31 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《2月25日「生活」機関紙第31号(電子版)発行の案内》   

     【今号の主な内容】

     ◆小沢一郎代表 巻頭提言

     「ベストでなくてもベターな選択をするのが民主主義。
      そして野党は、民主主義を機能させるために何としても、その受け皿を作るべき。」 

     ◆2016年の抱負 山本太郎代表  
     ◆第190回国会に向けて 主濱了副代表、谷亮子副代表、玉城デニー幹事長
     ◆連合・逢見事務局長の訪問を受ける
     ◆中国広州市の中山大学を訪問し特別講義を実施

 フリージャーナリストの安田純平氏が今年6月、取材でシリア国内に入ったあと行方が分からなくなっていることについてジャーナリストの国際団体がシリアの武装組織が安田さんを拘束し身代金を要求しているという情報があるとして、日本政府に解放のため努力するよう求めたと12月24日付のマスコミ各紙が伝えている。

 このことについて外相の岸田文雄が12月24日午前、外務省で記者団から質問を受けている。

 岸田文雄「報道は承知している。事案の性質から詳細についての答えは控えたいが、政府としては『邦人の安全確保は政府の重要な責務である』という認識の下、さまざまな情報網を駆使して全力で対応している。政府の具体的な体制は、今後の対応に支障を及ぼすおそれがあるので答えは控えたい」

 記者「身代金の要求は把握しているか」

 岸田文雄「事案の性質上、答えは控える」(NHK NEWS WEB)  

 安倍政権は湯川遥菜氏と後藤健二氏の2邦人が2014年8月と2014年11月に「イスラム国」に拘束され、「イスラム国」が2015年1月20日に人質1人につき1億ドル、計2億ドル要求の映像をインターネット上に流すまで身代金のことは明らかにしなかったし、それ以降も身代金要求に対して政府としてどう対応しているかを明らかにせず、「人命第一」言い、政府対応を「イスラム国」と直接交渉せず、関係国やその情報機関、宗教関係者、部族長等々のルートを活用して救出に当たると決めて、その通りの説明を記者会見や国会答弁を通じて繰返した。

 要するにどのように解放へと持っていくのかは身代金の扱いを含めて関係国やその情報機関、宗教関係者、部族長等と「イスラム国」の交渉に任せたと言うことになる。

 当然、2邦人救出に関わる安倍政権の対応を検証した《邦人殺害テロ事件対応委員会 検証報告書》(2015年5月21日)にしても、政府が決めた対応策を記すことになる。 

 〈外務省、特に現地対策本部及びトルコへの出張者は、邦人の安全のために何が最も効果的であるかという観点から、湯川氏・後藤氏と関係があったと見られる人物や現地の事情に通じた人物、部族長や宗教関係者を含め、あらゆるチャンネルを活用して、情報収集及び働きかけを行った。〉 

 そしてそのような対応が有効に機能したかどうかという点に関して、〈関係省庁は、在外公館を通じて、あるいは出張等により平素から構築した緊密な関係を活かし、関係国政府(治安・情報機関を含む。)、部族長等への働きかけを行い、情報収集体制を構築し、積極的な協力を得ることができた。〉と検証している。

 だが、報告書は身代金については一言も触れていない。安倍政権が「イスラム国」の身代金要求に対してどう対応したのか、対応しなかったのか、検証の対象としていない。

 岸田文雄も「政府としては『邦人の安全確保は政府の重要な責務である』」と人命第一を宣言しているものの、身代金の要求に関しては明らかにしていない。

 「イスラム国」の身代金要求の日から4日後の2015年1月24日に湯川遥菜氏の遺体の映像がインターネット上に流され、それから8日後の2015年2月1日に後藤健二氏殺害の映像が流された。

 同じ日(2015年2月1日)の官房長官の午前の記者会見。

 菅義偉「この事案発生以来、これまで『人命第一』で、可能な限り、ありとあらゆる手段を行使しながら、全力で取り組んできた。そういう中で、湯川さんに続いて後藤さんが殺害されたとみられる映像が配信された。ご親族のご心痛を思えば、言葉もない。誠に残念で、無念だ」

 解放に向けて「『人命第一』で、可能な限り、ありとあらゆる手段を行使」したと言っている。

 記者「日本政府からイスラム国への接触は。試みていないとすれば、なぜか」

 菅義偉「今度の事案について、何が最も効果的であるか、そういう観点から対応してきた。関係諸国、あるいは部族長とか、宗教の指導者とか、ありとあらゆる方の中で、日本としては協力を要請してきた」

 記者「日本から接触していないという理解でいいか」

 菅義偉「接触もなかったし、接触することはどうかということも含め、一番効果的なことを政府としては考えて対応してきた」(産経ニュース)       

 全体の趣旨は人質解放に向けて「人命第一」で当たったが、「イスラム国」に対してはこういった場合の対応として安倍政権が決めたとおりに日本政府が直接接触するといった形で対応はせず、解放のための一番効果的な方法として関係諸国、あるいは部族長とか、宗教の指導者への協力要請に任せたと言うことになる。

 しかしこの協力要請への任せ方にしても、身代金の支払い抜きであることが同じ日の午後の記者会見を伝える2015年2月2日付マスコミ報道によって明らかになる。

 首相官邸サイトの官房長官の記者会見動画に直接アクセスしてみたが、音量を最大に上げても、記者の質問が聞き取れない。仕方なく、記事を利用することにする。

 記者「身代金を用意していたのか」

 菅義偉「それは全くない。100%ない」(動画では、「それは全くありません、100%ありません。明快に否定します」)

 記者「『イスラム国』と交渉する気はあったのか」

 菅義偉「全くなかった」(ロイター) 

 「イスラム国」と直接交渉しないことは最初から安倍政権が決めていた対応だから当然としても、身代金を最初から支払う意思を持たず、関係諸国や部族長、宗教の指導者等への人質解放への協力要請にしても、身代金についての交渉は抜きにした要請だったことになる。

 身代金目的の誘拐事件の誘拐犯に身代金の話には応じることはできない、人質だけを解放するよう要求して欲しいと解放交渉を警察任せにした場合の構図と同じになる。

 これでは「人命第一」の姿勢とはなっていない。「人命第一」は国民向けのポーズに過ぎなかったことになる。

 菅義偉が身代金に関する安倍政権の対応を明らかにしたのは「イスラム国」によって日本政府が身代金を払おうとしなかったから、湯川遥菜氏を殺し、後藤健二氏に関してはヨルダンに拘束されているサジダ・リシャウィ死刑囚との人質交換に変えたが、ヨルダン政府が応じなかったから殺害するに至ったといつかは曝露される可能性を前以て判断したからなのかもしれない。

 だが、「邦人殺害テロ事件対応委員会」は安倍政権が「人命第一」を掲げていながら、身代金を支払わない対応が果たして妥当であったかどうかの検証は一切していない。

 但し検証報告書の次の記述が身代金に対する安倍政権の姿勢を示唆している。

 〈1月22日、中田考氏(日本のイスラム法学者のこと)が、日本外国特派員協会において、日本政府がISIL支配地域に2億ドルの人道支援を行うという具体的提案を示し、日本政府が受け入れれば同提案をISIL側につなぐ用意がある旨述べた。しかしながら、中田氏の提案はISIL支援にもつながりかねないものであったほか、一般論として、こうした事案については様々な協力の申し出が寄せられる中で、当然取捨選択をしなければならず、また、他のチャンネルにおける信頼関係への影響という要素も考える必要もあった。こうした観点から、政府としては、中田氏の提案については受け入れなかったものである。〉――

 〈中田氏の提案はISIL支援にもつながりかねない〉。当然、2億ドルの身代金支払いはそれがISIL支援の資金になりかねないから支払うことはできないという安倍政権の姿勢だのだろう。

 それなら、それでいい。「人命第一」を掲げないことだ。身代金要求に応じなかった場合、人質の人命を犠牲にすることもあり得るし、犠牲にする確率は決して低くはないだろうからである。

 身代金を支払わないことは「人命第一」と相矛盾する命題だということである。

 「イスラム国」に人質にされたと判明した段階から、あるいはテロ集団に誘拐された場合の取り決めとして身代金要求に応じる意思がない姿勢でいたことを、「人命第一」を掲げながら国民に隠し続けた。

 いわば相矛盾する命題でありながら、相矛盾しないかのように装い続けた。

 国民を騙す遣り方である。

 アメリカはテロ集団のアメリカ人の人質に対する身代金要求に対して政府として応じない姿勢を決めていて、人質とされたアメリカ人の家族が身代金を支払うことも禁じ、支払った場合、罪に問うた。

 だが、2015年6月、オバマ大統領は国民から批判を受けてテロ集団に対する身代金の支払いや人質の交換に応じない方針は堅持するものの、家族による身代金の支払いを今後は容認すると発表した。

 今回再び邦人がテロ集団に拘束され、人質となって身代金を要求されているとの情報をマスコミは伝えている。安倍政権はテロ集団に拘束されて人質となった邦人に対して身代金を要求された場合の解放交渉の原則を国民の前に明らかにすべきだろう。

 それとも明らかにせず、湯川遥菜氏や後藤健二氏のケースのように身代金要求に応じるつもりもなく、掲げた「人命第一」に添った解放に最大限努力しているかのような、国民を騙すポーズを取り続けるのだろうか。

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安倍晋三の慰安婦少女像撤去要求は元慰安婦証言を歴史の事実から排除、自らの歴史認識を変えないことの証左

2015-12-25 09:23:58 | Weblog


 安倍晋三が2015年11月2日の朴韓国大統領との日韓首脳会談で早期解決を目指し協議を加速させることで一致した日韓間に横たわる従軍慰安婦問題の解決に向けて日韓の外務省で局長クラスの協議を続けてきたが、自ら指導力を発揮するつもりになったのか、外相の岸田文雄に対して年内に韓国を訪問するよう指示したとマスコミが伝えていた。

 だが、安倍晋三がいくら解決に向けた指導力を発揮しようと、従軍慰安婦に関わる自らの歴史認識を根本から改めて、元慰安婦の証言が描出することになる歴史の事実とその信憑性を認めなければ、真の解決を見い出すことはできないだろう。

 その歴史の事実とは、数多くの証言が証明することになる、日本軍兵士が未成年の女性を含む若い現地人女性を暴力的に拉致・強制連行して慰安所に監禁し、強制的に売春を強いて性奴隷とした日本軍による組織的な犯罪のことである。

 こういった日本軍の組織的な犯罪を日本が当時占領していた韓国、中国、フィリピン、台湾、インドネシア等々で行った。
 
 韓国世論に影響力を持つ元慰安婦の支援団体は公式の謝罪や法的賠償を迫っているというが、公式であろうと非公式であろうと、謝罪は歴史的事実を認めるところから始まる。歴史の事実を認めない謝罪は見せかけでしかなく、公式の謝罪にも非公式の謝罪にもならない。単にパラドックスを延々と引きずっていくだけである。

 安倍晋三が従軍慰安婦に関して歴史の事実としている歴史認識は、辻元清美が2007年3月8日に第1次安倍内閣に提出した従軍慰安婦に関わる質問主意書に対する答弁書で、「河野談話」が認めている日本軍による強制連行に関して、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」と、日本軍による組織的な強制連行を否定、この答弁書を閣議決定したものであることを以って政府公式の歴史認識として錦の御旗の如くに振り回し、「河野談話」を閣議決定されたものではないからと歴史の事実から遠ざけ、政府非公式の見解に貶めた歴史認識となっている。

 安倍晋三の自身の歴史認識に於けるこの正当性を成り立たせている根拠は、断るまでもなく、強制連行を直接示す資料を政府は発見できなかったという一事に過ぎない。日本軍が軍慰安所を構えていた海外の各占領地で強制的に従軍慰安婦にされた女性たちの多くの証言は強制連行を直接示す証言とは一切認めず、歴史の非事実とする非合理性を自らに背負わせたままで、そのような歴史の事実と、それによって成り立たせた歴史認識を以後の発言の出発点としている。

 2012年9月12日の自民党総裁選挙立候補表明演説。

 安倍晋三「河野洋平長官談話によって強制的に軍が家に入り込み女性を人浚いのように連れていって慰安婦にしたとという不名誉を日本は背負っている。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」

 2012年12月16日執行第46回衆議院選挙前の日本記者クラブ主催の2012年11月30日11党党首討論会。

 安倍晋三「河野談話については、これは閣議決定されたものではありません。安倍政権において、それを証明する事実はなかった、ということは閣議決定しています。そもそも星さんの朝目新聞の誤報による古田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように、これは目本中に伝わっていったことで、この問題がどんどん犬きくなっていきました。

 その中で、果たして人を人攫いのように連れてきた事実があったかどうかということについては、それは証明されていない、ということを閣議決定しています。

 ただ、そのことが内外にしっかりと伝わっていないということを、どう対応していくか。ただ、これも対応の仕方によっては、真実如何とは別に、残念ながら外交問題になってしまうんですよ。

 ですから、新聞社の皆さんにも、そこは慎重になってもらいたいと思います。

 そこで、我々はこれをどう知らしめていくかということについては、有識者の皆様の知恵も借りながら、考えていくべきだろうと思っています」――

 日本軍が組織的に関わった従軍慰安婦の強制連行は吉田清治の虚偽に基づいて報道した朝日新聞の誤報だと断じているが、以前ブログに次のようなことを書いた。

 〈「吉田証言」が「証言」とは名ばかりで、架空の元従軍慰安婦を登場させて架空の証言をデッチ上げた日本軍による強制連行・強制売春の“架空話”(=フィクション)に過ぎず、その“架空話”(=フィクション)に基づいて書いた朝日記事が結果的に誤報となったことを以って、今後共、現実に存在した、あるいは今なお現実に存在する元従軍慰安婦の証言を無視して、朝日新聞が大誤報を認めたことで、日本の慰安婦問題の核心(強制連行)は崩壊しているとする、従軍慰安婦に関わる歴史修正主義が罷り通るに違いない。

 罷り通らせるためには現実に存在した、あるいは今なお現実に存在する元従軍慰安婦の証言までをも“架空話”(=フィクション)であるとする検証・証明が必要だが、それすら行わずに強制連行否定説を高々と掲げる。〉・・・・・・・

 果たして安倍晋三は以上のような従軍慰安婦に関わる自らの歴史認識を根本から改めて、日本軍による組織的な強制連行こそが従軍慰安婦に関わる歴史の事実だと認めて、謝罪することができるだろうか。

 いや、決してできない。自らが歴史の事実としている従軍慰安婦の各断片を改めることもしないし、それらによって成り立たせた自らの歴史認識をも改めず、日本軍の正当性のみを前面に押し立てるはずだ。

 その根拠は、安倍晋三は11月の日韓首脳会談でソウルの日本大使館(現在建て替え工事中)前に設置された慰安婦の被害を象徴する「少女像」の撤去を求めたとマスコミは報道しているし、今回の日韓の交渉を最終的な決着の機会とし、少女像の撤去を求める方針だとしているからである。

 もし安倍晋三が日本の代表者として元慰安婦の証言によって踊り出てくる歴史の事実――強制連行と強制売春を真正な事実と認めたなら、少女像の存在は誰からも歴史の事実の象徴として認知を受けることになって、少女像設置は自ずと幅広い正当性を得ることになる。

 それを逆に撤去を要請するということは元慰安婦証言を歴史の事実から排除、自らの歴史認識を変えないことの証左でしかない。

 安倍晋三のことである、自分たちの歴史認識はそのままに見せかけの謝罪とカネで解決しようということなのだろう。

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民主党は維新に対して国家公務員給与法改正案の扱いで議論の段階から絶対的二者択一の態度を取るべきでない

2015-12-24 08:42:13 | 政治
 

 
 今年2015年8月、人事院が国家公務員一般職(行政職)の2015年度月収を0.36%、ボーナスを0.1カ月分の引き上げを勧告した。平均年収にして5万9000円の増額になるという。

 政府は勧告の完全実施を決め、国家公務員給与引き上げの給与法改正案を年明けの1月4日招集の通常国会に提出するという。

 この給与法改正案を巡って、12月18日(2015年)、衆議院で統一会派結成した(参議院での統一会派は来月以降に先送り)ばかりの民主党と維新の党の間で対立が起きていると2015年12月23日付「YOMIURI ONLINE」記事が伝えている。  

 維新の党は公務員給与削減を看板政策に掲げている関係上、改正案への反対が根強い。

 民主党は官公労(官公庁にある労働組合の総称)から支援を受けている都合上、賛成に回らなければならない利害を抱えている。

 12月22日、維新の党は国会内で両院議員懇談会を開き、改正案への対応を協議。

 井坂信彦衆院議員「社民党に憲法改正に賛成しろと迫るのと同じくらいの内容だ」

 今井幹事長(記者会見で)「知恵を出して良い解決策を見い出すべきだ」

 これは民主党側に柔軟な対応を求めた発言だそうだ。

 民主党幹部「嫌なら統一会派を出ていけということだ」――

 記事は〈民主党が(法案への)賛成を求め「踏み絵」を迫っている。〉と書いているが、要するに統一会派を維持できるかどうかは法案の賛否にかかっている、賛成か否かの「踏み絵」を迫っている状況となっていると見ているということなのだろう。

 以上の経緯を見る限り、民主党と維新の党が来夏参院選の共通公約づくりを議論した結果、民主党が維新の党の看板政策の「身を切る改革」を受け入れ、国家公務員の給与2割削減を明記した上で国会議員の定数削減も盛り込む方針となったという10月初旬の報道は間違いか、あるいは民主党がこの報道を受けた官公労の抗議で方針転換した、いわば豹変したか、いずれかということになる。

 いずれにしても民主党のように議論の段階で自分たちを絶対者に仕立てて賛成を全てとするか、あるいは反対を全てとするかといったオール・オア・ナッシングの絶対的二者択一を迫って異論を排除していたなら、会派の統一という共闘体制は名ばかりで、支配の形を取ることになるのだから、統一会派を組むこと自体が土台無理な話だったということになる。

 こういった支配的な遣り方はそもそのからして民主的方法とは決して言えず、民主党という名に恥じることになるし、自民党や公明党から、やはり談合に過ぎなかった、野合に過ぎなかったと批判の格好の餌食になりかねない。

 統一会派を結成した以上、今井幹事長が言うように「知恵を出して良い解決策を見い出す」しかないはずだ。つまり民主党も維新の党もオール・オア・ナッシングの絶対的二者択一を持ち出すことがないよう相互に戒め合わなければならない。

 改正案は月収0.36%、ボーナス0.1カ月分の国家公務員の給与引き上げを謳っている。

 国家公務員と言っても、ピンからキリまであり(「ピン」はサイコロの目の一のことで、最上の意味。「キリ」は最低の意味)、上は月収300万円以上、ボーナスを加えると5千円以上と言われている最高裁長官や、月収200万円ちょっと、夏冬で1千万円近くのボーナスが手に入って年収が3千万円を超える内閣総理大臣、この収入にほぼ同じの省庁最高職の事務次官の月収200万円近くからボーナスを加えて年収3千万円超、そして年収ベースで総額は2200万円程になるとされている国会議員の歳費を加えた年収、下は省庁一般職の月収30万~40万までと様々である。

 このような違いを無視して、全ての給与に同じ割合が加算される。多く得ている者はより多く得ることになるし、少ない給与者は雀の涙程しか上積みされないことになって、格差は拡大していく。

 民主党にしても、アベノミクスは格差ミクスと断じて格差是正を政策に掲げている。もし一定の年収を限度に、それ以上の年収に対しては人事院勧告を無視すると、それ以下の年収に対しては勧告通りに適用するとすれば、政権を取りさえすれば、何年か後に、あるいは十数年掛かるかもしれないが、維新の党公約国家公務員給与2割削減に近づいていくし、民主党が掲げる格差是正の約束を一定程度果たすことができる。

 この方法が官公労に反対されたり、抗議を受けたりしたら、安倍晋三の格差拡大政策に賛成するのかと反論すれば、何も言えなくなるはずだ。

 維新の党にしても、統一会派の維持を重視するなら、この方法に納得しなければならないし、両党共に支持者に対しての言い訳も立つ。

 特に労働組合とかの組織に所属せず、また公務員でもない一般有権者に対しての理解は得やすくなるはずだ。

 もし民主党が安倍内閣の人事院勧告通りの改正案に賛成を投じた場合、民主党支持の一般有権者の中には失望して離れていく可能性も否定できない。

 このような方法論が妥当性あるものかどうか分からないが、少なくとも民主党という名の政党が議論の段階から自分たちを絶対者に仕立てて賛成を全てとするか、あるいは反対を全てとするかといったオール・オア・ナッシングの絶対的二者択一を迫って異論を排除しようとする政策決定の方法論を取るべきではないことは確実に言うことができる。

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自民幹事長谷垣と選対委員長茂木の野党候補1人区一本化批判は安倍晋三の右翼国家主義を念頭に置いていない

2015-12-23 08:36:00 | Weblog


 自民党選対委員長の茂木敏充が2015年12月21日行われた都内での講演で来夏参院選挙での野党候補一本化の動きを批判したと、同日付「NHK NEWS WEB」記事が取り上げていた。  

 記事には書いてないが、毎日新聞社が各界に呼びかけてアジア諸国の調査研究等を目的に設立した一般社団法人アジア調査会主催の講演会の講演だそうで、アジア調査会のサイトにアクセスしてみると、講演内容は2016年3月号の「アジア時報」に掲載されるなどと、スピードが重視されるこの情報化時代に悠長なことをしている。

 ご存知のように民主党や他の野党は定員1人の「1人区」などで野党候補の一本化を検討している。

 茂木敏充「平和安全法制の廃止という一点では共通していると思うが、外交・安全保障や経済などで共通の公約を掲げない限り、国民に対して選挙の時点からウソを言っていることになる。

 『もしかしたら勝てるかもしれない』と、各党の候補者を下ろして1人にするのは、究極の談合選挙ではないか。国民不在の究極の談合には負けない」――

 次に翌12月20日に自民党幹事長谷垣禎一が自民党本部での記者会見で野党候補一本化を批判したとマスコミは伝えている。この記者会見のテキスト版は「自民党オフィシャルサイト」に載っている。 

 マスコミ記事を利用した方が簡潔で理解しやすいが、具体的にどう言ったかを知るために自民党のHPを利用することにする。読みやすいように適当に行を変えた。

 天野読売新聞記者「読売新聞の天野です。安倍総裁からのご挨拶にもありましたが、年が明けて、参議院選挙を党としてどういう位置づけで臨まれるお考えですか」

 谷垣禎一「当然のことながら、今まで参議院ではしばしばねじれというものを体験してまいりました。やはり安定した政治を作っていくということが我々の使命だと思うのですね。ですから、今、自民党だけで過半数というわけにはいっていないのも実情でございますから、やはり安定した政治を作るという観点からしますと、参議院選挙を勝っていくというのは必要不可欠なことだと思います。

 加えて、これは私が度々申し上げていることですが、今、野党の間でもどのように選挙協力をするかという議論が進んでおります。ただ、私の見るところ、そういう選挙協力の議論は進んでおりますが、どうしてこの党とこの党が組めるのだろうかというような疑問を感じさせる、つまり政治の進む方向を共にしない方々が、アンチ自民党というだけで協力をするといういびつな姿も見えないわけではないわけですね。

 そういう勢力が強くなるとまた政治も安定しない。ちょうど今の政治のありようを見ますと、やはりこの参議院選挙にきちんと勝利をしていくということが我々の目指す安定した政治には必要なのではないか、基本的に言うとそういう位置づけだと思います」――

 他の新聞社の何人かの質問後に再び天野記者が同じ趣旨の質問をしている。

 天野記者「読売新聞の天野です。参議院選挙について、先ほど野党の連携についてお話がありましたが、例えば民主党と共産党、それに今、平和安全法制に反対する団体が連携して統一候補を模索するような動きがありますが、こういう動きは自民党にとって参議院選挙を戦ううえで戦いやすいのか、逆に戦いにくいのか、幹事長のお考えはいかがでしょうか」

 谷垣禎一「 短期的に見ますと、統一候補を作るというのはやはり我々は警戒していかなければいけない。統一候補が力を合わせてくることに対して、我々もそれを上回るパワーで圧倒しなければならない課題だと思います。

 しかし長期的に見ると、そういう表現は公党に対して必ずしも適切かどうか分かりませんが、ちょっと言葉を選んで申し上げますが、雷が鳴ったといってみんな抱き合うような、そういうのを『雷同』というのだと思いますが、ちょっと用語が適切かどうか分かりませんが、そういうものが野党の再結集に果たして適切なのかどうか、これは私が論評すべきものではありませんが、日本の政党政治のためにはやはり『ああ、こういう党はこっちを目指しておられるのだな』ということが受け止められるような形が望ましいだろうと私は思っていますが、他党のことですからこれ以上触れることは差し控えます」

 茂木敏充は野党候補一本化は外交・安全保障・経済等々で共通の公約を掲げない限り、国民にウソをつく行動であり、勝つことだけを目的とした選挙は国民不在の究極の談合選挙だと手厳しく批判している。

 谷垣禎一は政治の方向性が異なる勢力がアンチ自民党ということだけで協力をするのはいびつな姿であり、長期的に見ると付和雷同の集団に過ぎないとミソもクソもなく批判している。

 谷垣は最初の発言で、「この参議院選挙にきちんと勝利をしていくということが我々の目指す安定した政治には必要なのではないか」と言っているが、これは自民党の人間が自民党の都合のみに立った発言に過ぎない。

 今年12月のNHK世論調査は「安倍内閣を支持する」46%に対して「支持しない」が36%を占めていて、支持一辺倒というわけではないし、確かに政党支持率は民主党の8.5%に対して自民党は37.5%と圧倒的な確率で支持者を集めているが、時には大きな勢力となって選挙を左右することもある支持政党なしが自民党の政党支持率に迫る34.3%もあるということは国民が自民党の勝利だけを願っているわけではない状況を示している。

 同じ12月の朝日新聞の世論調査は「安倍内閣を支持する」38%に対して「支持しない」40%と「支持しない」が2%上回っていて、政党支持率自民党33%に対して民主党8%に過ぎないが、支持政党なしは42%と自民党33%よりも9ポイントも優勢なのは同じく自民党の勝利だけを願っているわけではない状況を示している。

 共産党が1人区の候補を立てないことを提案して野党一本化を図ろうとしていることも、野党第1党の民主党や第2党の維新の党が何らかの方法で野党候補一本化を図ろうとしていることも、単に選挙に勝つことだけを目的としているわけではない。

 安倍晋三の天皇を頂点に置いた戦前の国家主義体制の日本国家を理想の国家像と見て、そこへの回帰を内心に疼かせている右翼国家主義が日本の将来にとってこの上なく危険だと見て、その野放しを一刻も早く阻止したい必要性を目的の一つとしている野党の一本化でもある。

 世界の多くの人間がヒトラーの出現や戦前日本軍部の出現の危険性を学習した。同じ臭いを持つ者の出現の阻止の必要性は政治の方向性よりも優先させなければならない価値を見なければならない。

 国家主義とは国民の存在性・在り様よりも国家の存在性・在り様を優先させる思想を言う。それゆえに国家の存在性・在り様を偉大ならしめる組織やそのような組織に所属した国民に優先価値を置き、それ以外の国民は優先的価値から除外される。

 価値があるとされるのは国家を偉大ならしめるための奉仕を求め、その奉仕に応じたときである。一般国民の勤労も個人の幸せのためであることよりもこの線上で価値を計られる。

 安倍晋三の女性の活躍も同じ線上の発想から出ている。正規雇用者の約7割を男性、約3割を女性が占め、非正規雇用者の約3割を男性、約7割を女性が占めているそうだが、正規雇用でも男女賃金格差が存在し、正規雇用と非正規雇用間にも生涯賃金に直すと1億円にもなる大きな賃金格差があり、非正規雇用に於ける男女間にも賃金格差が存在していて、人件費の抑制のための女性の雇用が大勢を占めていることに目を向けずに「女性の活躍」を言うことができるのも、国家の存在性・在り様を優先させる国家主義に根付いた「女性の活躍」となっているからである。

 憲法を改正せずに砂川事件最高裁判決を集団的自衛権の合憲説とする根拠もない牽強付会を駆使して新しい安保法制を成立させたのも日本を経済大国のみではなく、軍事大国をも目指して戦前の日本の偉大さに少しでも近づけようとしている国家主義に基づいている。

 「積極的平和主義外交」のスローガンも「国民の命と暮らしを守る」のスローガンも、軍事大国化の願望や戦前日本国家回帰願望を生み出している国家主義を見えなくする隠れ蓑に過ぎない。

 ブログに何度か書いてきたが、2012年4月27日の自民党憲法改正草案の前文の冒頭は、〈本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。〉となっているが、日本国は天皇を国民を統合する存在として頭に戴く国家だと価値づけて、国家の一番上に置いていることも国家主義の表れであり、国民主権は立法、行政及び司法の三権分立への関与に限定して、天皇を特別な存在として分けているところにも戦前と同様の国家主義が現れている。

 安倍晋三の経済政策アベノミクスが安倍晋三の国家優先の国家主義を反映して国家の上層部に位置する国民には大いなる恩恵を与え、下層部に位置する国民にはさしたる恩恵は与えない格差拡大を生じさせているにも関わらず安倍内閣はそこそこの支持率を獲得し、自民党は政党支持率で30%以上を獲得している。

 いわば国家主義を巧妙に見えなくする隠れ蓑が功を奏している現状にあって、その国家主義を阻止するのは至難の業である。だが、政治の方向性や政策の一致を犠牲にしてまでも、阻止しなければならない。

 その唯一の方法と見ている野党候補の一本化でもある。安倍晋三の危険極まりない右翼国家主義を念頭に置かない批判は、その国家主義を野放しにしかねない逆の危険性を抱えることになって、有益な意味は何もない。

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文科相馳浩の教員削減数の閣僚折衝後の発言は言葉の能力・政治家の能力を疑わせる大臣失格者となっている

2015-12-22 08:29:12 | Weblog


 12月21日午後、文科相の馳浩が国のカネを握っている財務相の麻生太郎お大尽(大金持ち)に対して来年度予算案の閣僚折衝に臨んで交渉、来年度の公立小中学校の教職員定数を決めたと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 麻生太郎の主張、と言っても、財務省の役人が算出した人数を単に麻生太郎が口にしているだけなのだろう。

 少子化を理由に今後9年間で3万7000人の削減、初年度に当たる来年度は約3400人削減とする。

 馳浩側の主張。これも文科省の役人が求めた人数なのだろう。

 9年間で5500人程度の削減、来年度は60人の削減。

 財務省側の今後9年間3万7000人に対して文科省側の今後9年間5500人程度と、求める教員の削減数にあまりにも開きがあり過ぎる。

 9年間の削減数がどう決まったかは記事は書いていないが、来年度の削減数から推測できる。

 馳浩が求めていた来年度60人の教員削減数に対して少子化等による学校や学級数の減少を踏まえて定数を4000人削減。

 一方、貧困による教育格差等の課題への対応として特別配置の教職員を525人増の採用。差引き3475人の削減に決まった。

 少子化が進んでいくと、年度を追う毎に削減幅が拡大していくだろうから、文部省側の9年間3万7000人の削減に近づいていくことになる。

 記事は、〈この結果、教職員の給与などに充てる来年度の義務教育費国庫負担金は、今年度より13億円少ない1兆5271億円となりました。〉と解説している。

 以上の顛末を見ると、馳浩が麻生太郎に完全に押し切られたように見える。何しろ教員削減要求数90人対削減決定数3475人である。勝負あった、麻生太郎の大勝ちといったところだろう。

 だが、記事が紹介している閣僚折衝後の馳浩の発言は麻生太郎の大勝ちとは趣を異にすることになる。

 馳浩「現場からの声を踏まえた措置だと考えている。再来年度以降の教職員の定数は、データを活用した学術研究や他国との評価も出して議論していきたい」

 この「現場」とは教育現場のことを指すはずだ。

 つまり来年度の特別配置の教職員525人増と差引き3475人の教員削減は財務省の公立学校関係の予算を扱う部署による教育「現場からの声を踏まえた措置」と言うことになる。

 その部署が日本全体を通して教育現場を様々に調査、それら現場の声や状況を集約して決めたという意味であろう。

 もし文部省側が調査した教育「現場からの声を踏まえた措置」と言うことなら、9年間で5500人程度の削減、来年度60人削減か、それに近い削減ということでなければならない。

 本来、馳浩が踏まえなければならないのは文部省側が調査した教育「現場からの声」でなければならないはずだが、それが財務省側が調査した教育「現場からの声」となっていて、その声を受入れ、その声にある意味正当性を与えている

 いわば自らの正当性をいともあっさりと放棄している。でなければ、「我々が調査した現場の声を踏まえて貰えなかったのは甚だ残念だ」、あるいは「我々の主張が認められなかったのは遺憾だ」といった趣旨の発言をしたはずである。

 このような財務省側の主張に立った自らの正当性のいとも簡単な放棄は閣僚折衝の場で単に文科省を代表する馳浩が財務省を代表する麻生太郎に簡単に押し切られたということでは決してなく、閣僚折衝とは単なる形式であって、財務省側と文部省側との間で既に教員削減数を取り決めていて、それを公表する場が閣僚折衝ということであるはすだ。

 馳浩は財務省側と文部省側との間で教員削減数を取り決める前に文部省側が決めていた9年間で5500人程度の削減、来年度は60人の削減という人数とスケジュールを発表済みであったために仕方なく掲げることになったのだろう。

 だから、財務省側と削減数に大きな開きを見せてしまうことになった。

 もし取り決めていなかったとしたら、財務省側の削減数はとても受け入れることも、簡単に押し切られることもできない数字となる。

 要するに閣僚折衝とは名ばかりで、前以て取り決めたことを公表する馴れ合い芝居の場であった。

 そのことを容易に理解させてしまう馳浩の発言となっていたということになる。

 簡単に底が割れてしまう発言をするということは言葉の能力の問題であり、そのことはそのまま言葉を武器とする政治家としての能力に関係していく。

 当然、言葉を理解し、自らの言葉と相互に響かせて新たな言葉を創造する教育にも通じる政治家の言葉の能力を欠如させているということは、欠如とまでいかなくても、未成熟、あるいは不完全であるということは特に言葉に関係する教育全般を扱う行政に携わる文科相という職に相応しいとは決して言えない大臣失格者と見做さないわけにはいかない。 

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