イスラム過激派に拘束邦人が長い間解放されなければ、安倍晋三が身代金交渉に応じず見殺しの予定と見るべし

2016-05-31 12:22:14 | 政治


 マスコミが伝えたところによると、シリアで行方不明になっているフリージャーナリスト安田純平(42)さんらしきヒゲぼうぼうの人物が「助けてください これが最後のチャンスです 安田純平」と三段に書いた、胸を十分に隠すことのできる大きな紙を身体の前に掲げ持った画像が5月29日夜、ネット上に公開された。

 「これが最後のチャンスです」は赤文字で書いてあって、「安田純平」は一回り大きな字で記している。文字全体の文飾を当方。

 安田純平さんは昨年2015年6月に取材でシリア国内に入ったあと行方が分からなくなっていた。ほぼ1年が経過する。

 政府の対応を5月30日付「NHK NEWS WEB」記事から見てみる。  

 5月30日午前の官房長官の記者会見。

 菅義偉「政府としては、邦人の安全確保は、最も重要な責務であるという認識のもとに、さまざまな情報網を駆使して、全力で対応に努めている。本人かどうかについては、画像の分析に努めているところだ。ただ、これ以上は、事案の性質上、お答えは控えたい」

 「邦人の安全確保は政府の最も重要な責務」だとしている。

 この言葉をウソにしないためには如何なる手段を使っても、邦人の解放(=最終的な安全確保)を最終目的としなければならない。

 いわば安田さん解放に最大限努力することを宣言したことになる。

 記者政府は安田さんを拘束しているとされる国際テロ組織アルカイダ系の武装組織『ヌスラ戦線』と接触しているのか」(下線は解説文を会話体に直す)

 菅義偉「そうしたことも含めて、事案の性質上、答えることは控えたい」

 5月30日午前10時半頃、外務省で記者団の質問に対して。

 岸田文雄「画像は安田さん本人と思われるが、それ以上は控えたい。引き続き画像の分析を続けている。日本人の安全確保は政府の重大な責務であるという認識のもとに、様々な情報を駆使して全力で取り組んでいる」

 「日本人の安全確保は政府の重大な責務」だと菅義偉と同じことを言っている。

 当然、岸田文雄にしても同じ政府の一員として安田さん解放に最大限努力することを宣言した。その努力達成のために「様々な情報を駆使して全力で取り組んでいる」と言うことなのだろう。

 但しこういった安田さんの解放(=最終的な安全確保)に向けた最大限の努力は安田さんが昨年2015年6月に行方が分からなくなってから始めていなければ邦人の安全確保に課せられた政府の最も重要な責務を怠っていたことになる。

 当然、この1年間最大限の努力を払い続けてきたことになる。

 ご存知のようにネット上の公開は今回が初めてではなく、今年の3月16日に動画が公開されていて、2度目である。

 3月16日の動画では安田さんは用意された文章を読み上げる形で次のように話している。「asahi.com」/2016年3月17日09時58分) 

 〈こんにちは。私はジュンペイ・ヤスダです。そして今日は3月16日、私の誕生日です。

 彼らに自由に話しても良いと言われ、メッセージを送ることができます。

 私は妻、父、母、きょうだいを愛しています。いつもあなたたちのことを考えています。あなたを抱きしめたい、あなたと話がしたい。しかしもうできない。私が言えることは、どうか体に気をつけてください。

 42年間の私の人生は、おおむね良かったです。特にこの8年間は幸せでした。

 私は、私の国に対して言わなくてはならないことがあります。

 どこであれ暗い部屋に座り、痛みに苦しんでいても、そこには誰もいない。答える者も、反応する者もいない。目に見えないし、存在しない。気にかける者もいない。〉――

 「私は、私の国に対して言わなくてはならないことがあります」と言って、「どこであれ暗い部屋に座り、痛みに苦しんでいても、そこには誰もいない。答える者も、反応する者もいない。目に見えないし、存在しない。気にかける者もいない」と自分が置かれている状況を伝えている。

 実際にそういった状況に置かれているかどうかは分からないが、「私の国に対して言わなくてはならないことがあります」と前置きしている以上、少なくともそういった状況を伝えることで暗に解放を求めていたことになる。

 いくら「彼らに自由に話しても良いと言われ」たとしても、過激派が動画を流すには流すなりの目的がある。過激派の目的を巧みに隠した彼らの意思を言葉に反映させていると見なければならない。

 その意思とは安田さんが解放を求めていると思わせて、実は解放を求めさせている、一種の遠隔操作を構成しているはずだ。

 でなければ、動画を流す意味もないし、彼らの目的も意思も安田さんを苦しめる以外ないことになる。安田さんを苦しめ、動画を流して、楽しんでいるとでも言うのだろうか。 

 安田さんに解放を求めさせる動画だとしたら、当然、対価を要求していることになる。だが、身代金について何も話していない。この矛盾は過激派が前以て日本政府に秘密裏に身代金の要求を行っていると見ると、自ずと解けてくる。

 身代金要求を公にすると、過激派に身代金を支払わないことを申し合わせている2013年主要国(G8)首脳会議(英ロックアーン・サミット)の方針上、払いにくくする。身代金の受け渡しを秘密裏の取引とすることによって払いやすくする狙いがあるのかもしれない。

 だが、2015年6月の行方不明から3月16日の時点まで、政府の最重要な責務の一つとしての安田さんの解放に向けた努力は途上にあって、未だ解放を実現できていない状況にあったことにある。そして同じ状況が今日まで続いている。

 最初の動画公開の翌日の3月17日の午前の記者会見。

 菅義偉「本事案については、これまでも安倍総理大臣の指示を受けて体制をしっかり整えて対応してきているが、今般の映像の公開を受けて、改めて、安倍総理大臣からは『引き続き、邦人の安全確保を最優先で対応するように』という指示があった。内閣危機管理監のもとで必要な体制をとり、さまざまな情報収集をして、対応に全力で取り組んでいく」

 記者「映像に映っている男性は安田さん本人か」

 菅義偉「人物は安田氏本人と思われるが、それ以上の答えは控えたい」

 記者「政府や家族に身代金の要求があったのか。また、拘束している集団と接触はしているのか」

 菅義偉「身代金の要求は承知していない。接触については事柄の性質上控えたい」

 岸田文雄(5月17日午前の参議院外交防衛委員会)「政府は、現在、映像の分析や情報の収集を行っている。政府として邦人の安全確保は最大の責務であり、さまざまな情報網を駆使して全力で対応に努めている」(以上NHK NEWS WEB

 菅義偉が「これまでも安倍総理大臣の指示を受けて体制をしっかり整えて対応してきている」と言っていることは2015年6月に安田さんの行方不明が伝えられてから安倍晋三の「邦人の安全確保最優先の対応」の指示を受けて安田さんの解放に向けた最大限の努力を払っているということを意味しているはずだ。

 だが、菅義偉は「身代金の要求は承知していない」と言っている。

 では、過激派はどのような意思、どのような目的があって安田さんに解放を求めさせたのだろう。

 考え得ることは秘密裏に身代金の要求があったが、2014年8月に「イスラム国」に拘束され湯川遥菜さんや2014年11月に同じく「イスラム国」に拘束された後藤健二さんに対して解放の条件として安倍政権に人質1人につき1億ドル、計2億ドル(約230億円)の身代金を要求したが、安倍晋三はG8首脳会議の方針をきっちりと守って2人を見殺しにしたように今回もテロリストとは身代金交渉はしない方針で臨んでいるためにあくまでも身代金については知らぬ存ぜぬを押し通すつもりでいるということである。

 この疑問を解く鍵となる一つの記事がある。最初の動画が公開された3月16日の翌日の日付、2016年3月17日 21時07分付の発信の「NHK NEWS WEB」記事である。残念ながら既にネット上から削除されていて、アクセスできない。

 NHKが動画をネット上に公開したシリアの反政府勢力の活動家を名乗るシリア人男性にインタビューした内容となっている。

 男性は3月17日にトルコでNHKのインタビューに応じて、動画を自身のフェイスブックに投稿した理由を述べている。

 安田さんを拘束しているとされるアルカイダ系の武装組織ヌスラ戦線と直接接触している仲介役の人物から映像を受け取り、公開するよう指示された。

 シリア人男性「仲介役の人物が3か月前に会ったとき、安田さんは体調を崩していたということだが、映像が撮影された16日の時点では健康状態は良好だと聞いている。

 (仲介役の人物から安田さんの解放に向けた交渉は行われていないと聞いているとしたうえで)仲介役の人物は、ヌスラ戦線の目的は安田さんが無事なことと、彼らが拘束していることを日本政府に伝えることだと話していた」

 そして記事は、〈ヌスラ戦線が映像を撮影した理由は、日本政府と交渉したいためだと説明しました。〉と解説している。

 シリア人男性は〈仲介役の人物はシリアの武装勢力に拘束された人を解放するための交渉の仲介を請け負っているシリア人のグループのメンバーだと明かした〉という。

 要するにヌスラ戦線は安田さん拘束を日本政府に伝えて日本政府と交渉するために動画を公開した。

 だとすると、交渉は、日本政府にその気があればの話だが、動画公開の3月16日以降と言うことになり、〈仲介役の人物から安田さんの解放に向けた交渉は行われていないと聞いている〉とする、3月16日以前の話となる交渉は矛盾することになる。

 武装組織ヌスラ戦線が秘密裏に日本政府に安田さんの拘束を伝え、その解放の条件に身代金要求をしたが、日本政府から何の反応もないために〈安田さんの解放に向けた交渉は行われていない〉との説明があったとする方が遥かに辻褄が取れる。

 例え過激派が交渉開始の日時を3月16日以降と定めていたとしても、それが拘束した日本人の解放を取引する交渉という性格を持つのは当然のことだから、何らかのカネの取引がそこに介在したとしても極く自然な解放交渉であろう。

 過激派を相手にカネの取引が介在しない解放交渉など存在するだろうか。

 一見、話し合いに応じて人質を無条件に解放することがあっても、そこに何らかの利益がなければ、拘束したこと自体の意味を失う。

 NHKが動画公開のシリア人男性と接触しているのである。当然、日本政府にしても事情を知っているシリア人男性と接触してもいいはずだが、政府の情報からは接触の事実は全然見えてこない。

 5月29日夜の画像公開後も、NHKは3月17日にトルコでインタビューしたシリア人男性に対して今回は電話取材しているが、「asahi.com」/2016年5月30日11時34分)も取材していて、こちらの方がシリア人男性の発言をより詳しく、より具体的に伝えている。  

 発言は画像の公開を依頼した交渉仲介者からの伝言の形を取っている。

 シリア人男性「6月28日でヌスラ戦線が安田さんの身柄を拘束して半年になる。身代金1千万ドル(約11億円)を要求したが、日本政府や関係者が交渉に動かないので、期限を切ることにした。身代金支払いに1カ月の猶予を与える(と言われた)」

 記事は〈日本側が応じなければ、過激派組織「イスラム国」(IS)と人質を交換するため安田さんを引き渡すだろう、とも述べたという。実際にヌスラ戦線が安田さんを拘束しているのかどうかは不明で、別の組織が名前を利用している可能性もある。〉と解説しているが、「イスラム国」に渡すとは、交渉に応じなければ、即死刑だ、それでいいのかと最後通告の威しを持たせたつもりなのだろう。

 例え別の組織が名前を利用しているにしても、この記事ではっきりしたことは安田純平さんが2015年6月に行方不明となってからそう遠くない時点で日本政府に安田さんの解放の条件に身代金を要求したが、日本政府は一切応じていないということである。

 NHKと朝日新聞が(他のマスコミも接触しているのかもしれない)動画公開のシリア人男性と接触していながら、日本政府が発信する情報からシリア人男性と接触した事実が全然見えてこないのは、交渉に応じていないのだから、当たり前のことであった。

 安倍晋三はどうもヌスラ戦線に対して身代金交渉には一切応じずに拘束された安田純平さんを湯川遥菜さん、後藤健二さんと同様に見殺しにするつもりらしい。

 一旦イスラム過激派集団に邦人が拘束された場合、その解放交渉に身代金の要求が表に現れようと現れまいと、いつまで経っても解放されなければ、また人質の邦人が最終的に殺されようとも、その双方の事実共に安倍政権が身代金要求交渉に応じる意志のないことを示していたゆえの結末と見なければならない。
 
 それはそれでいいが、そのことを正当とする説明を国民に示すべきだ。示しもせずに「邦人の安全確保は、最も重要な責務」だとか、「邦人の安全確保」とは人命第一を意味するのだから、湯川さん、後藤さんの拘束事件時も安倍晋三は「人命第一」を言い続けてきているが、これらの言葉を口にしながら逆の行動を取るのは国民に対する虚偽行為そのものとなる。

 国民に対して二重の態度を取る政権は信用できない。

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消費税増税再延期で早速上昇した安倍内閣支持率 アベノミクス失敗の安倍晋三を見る国民の目

2016-05-30 11:00:21 | Weblog


 「西日本新聞」が伝えているとろこによると、共同通信社が5月28、29両日実施の全国電話世論調査は既にマスコミが安倍晋三の増税再延期の動きを伝えていたことを受けてのことだろう、「増税再延期」に70.9%の圧倒的多数が賛成し、「増税再延期反対」は24.7%の少数派を占めることになった。 

 新聞記事の「世論調査の主な結果」の画像を貼り付けておく。

 「内閣支持率]

 「支持」  55.3%(前回比+7ポイント)
 「不支持」33.30%(前回比-7.3ポイント)

 この内閣支持率の大幅な上昇と消費税増税再延期に圧倒的多数の賛成70.9%と関係ないことはあるまい。

 内閣支持率が下がらずに再延期に応じて内閣支持率が7ポイントも上昇したということは、多くの国民はアベノミクスは失敗したと見ていないことを示すはずだ。

 このことは政党支持率にも現れている。

 「自民党」44.4%(前回比+7.2ポイント)
 「民進党」 8.7%(前回比-0.5ポイント)
 
 アベノミクス失敗と見ていたなら、参院選挙が来月と言うことで近づいているのだから、少しぐらい政党支持率に影響してもいいはずだが、逆に伸ばしていることも、失敗と見ていない国民が多いことになる。

 沖縄でウオーキングに出た20歳の日本人女性を元米海兵隊員の軍属が暴行し、殺害した事件で翁長沖縄県知事が日米地位協定の改定を求めたのに対して安倍晋三は改定に応じず、運用面の改善で対応する方針を示し、地位協定の改定が俄にクローズアップされた。

 世論調査は国民が関心を持っているだろうこの問題についても質問している。

 「日米地位協定の改定」

 「改定するべきだ」71.0%
 「改定する必要はない」17.%

 71.0%もの国民が「改定するべきだ」としていながら、改定に後ろ向きな安倍晋三に対する拒否意識は働かせず、逆に支持する国民が多数を占めている。

 「消費税増税再延期」賛成が70.9%、「日米地位協定改定」賛成が71.0%とほぼ肩を並べている。

 このことと内閣支持率7ポイント上昇を併せ考えると、「消費税増税再延期」賛成派が内閣支持率を押し上げる原動力になったと視ることができるはずだ。

 安倍晋三が2017年4月に予定していた消費税8%から10%への増税を2019年10月までの2年半再延期することを5月28日夜に麻生や谷垣に伝えたとマスコミが一斉に報道している。

 確かに多くの国民にとって消費税増税延期は生活を助ける歓迎すべき政策であり、生活の余裕を得ることに一定の猶予を与えられることとして感謝し、有り難く受け取るにしても再延期の正当性を問題にしなければならないはずだ。

 なぜなら、内閣が掲げる政治の成功か失敗かを厳しく審判する責任を国民は負っているはずだからだ。その審判が、絶対的ではないにしても、選挙での1票を投じる規準にすべき場合もあるし、ゆくゆくはその行方が国民生活に影響を与えることになる。

 民主党野田政権末期の民主党・自民党・公明党の3党合意によって従来5%の消費税率を2014年4月1日から8%、2015年10月1日から10%とすることがスケジュールに乗せられた。

 第2次安倍内閣は2012年12月26日に発足、安倍内閣下で2013年2月26日に成立した安倍内閣初となる2012年度補正予算は総額13兆1054億円で、10兆3000億円の緊急経済対策費を柱として、総額の殆どを占めていた。

 補正予算としてはリーマンショック後の2009年度に次ぐ過去2番目の大規模なもので、来る2013年度予算と共に2014年4月1日からの消費税8%増税に備えた内容の予算案であったはずだ。

 そして2013年度予算案は約総額92兆6千億、公共事業費が民主党2012年本年度予算よりも+15.6ポイントとなる5兆2853億円も占めていたことも、2014年4月1日からの消費税8%増税に備えた景気対策費であったはずだ。

 さらに安倍晋三が2013年春闘で経団連・日本商工会議所・経済同友会の経済3団体トップに対して業績が改善した企業の賃金引き上げを要請したのもアベノミクスの好循環を軌道に乗せて消費税増税への備えの一つとするものであったはずだ。

 だが、「厚労省」発表の2013年民間主要企業春季賃上げ要求に対する妥結状況を見ると、平均妥結額は5,478円、前年(5,400円)に比べ78円の増。現行ベース(交渉前の平均賃金)に対する賃上げ率は1.80%、前年(1.78%)に比べ0.02ポイントの増という僅かな成果しか上げることになった。

 この苦い教訓からだろう、2014年、2015年、2016年と、各春闘でさらに経済団体に圧力をかけて、2014年は平均妥結額は6,711円、前年(5,478円)に比べ1,233円の増。現行ベース(交渉前の平均賃金)に対する賃上げ率は2.19%、前年(1.80%)に比べ0.39ポイントの増 。賃上げ率が2%を超えるのは平成13年以来という成果を獲得することができた。(「厚労省」/2014年7月29日)  

 そして2015年賃上げ率は2.38%、平成10年以来17年ぶりの水準を獲得している。

 安倍晋三が賃金が上がった、上がったと宣伝するのも無理はない。

 だが、同時に物価が賃金以上に上がって、実質賃金は大企業が軒並み最高益を得ていながら、2016年2月8日発表の厚労省の統計によると、2015年の実質賃金は0.9%減で4年連続のマイナスを記録している。

 ここにGDPの6割を占める個人消費が伸びない原因があるが、もう一つカラクリがあることがネット記事から判明した。

 《春闘の変遷と今後の展望~2015年およびその後の賃上げ動向を予測する~》三菱UJFリサーチ&コンサルティング/2014/12/17 )なる記事に次のような下りがある。
    
 〈雇用の非正規化の動きもあって、労組の組合員数は減少し組織率は低下している。2013年時点で雇用者5人のうち4人以上が労組に加入しておらず、春闘で賃上げが行われても、それは一部の労働者に限定されたことであり、労働者全体でみた賃金は上がりにくい状況になってきている。〉・・・・・・

 では、安倍晋三が経済団体に要請して賃金を上げた、賃金を上げたとアベノミクスの宣伝文句の一つとしていたことは何だったのだろう。

 安倍晋三は消費税増税に公共事業費や経済対策等の予算で備え、経済団体に対する賃上げ要請で備えた。

 にも関わらず、2014年4月1日の消費税5%から8%への増税を乗り超えることができず、2014年11月18日の「記者会見」で増税の延期を告げることとなった。  

 安倍晋三「9月から政労使会議を再開しました。昨年この会議を初めて開催し、政府が成長戦略を力強く実施する中にあって、経済界も賃上げへと踏み込んでくれました。ものづくりを復活させ、中小企業を元気にし、女性が働きやすい環境をつくる、成長戦略をさらに力強く実施することで、来年の春、再来年の春、そして、そのまた翌年の春、所得が着実に上がっていく状況をつくり上げてまいります。国民全体の所得をしっかりと押し上げ、地方経済にも景気回復の効果を十分に波及させていく、そうすれば消費税率引き上げに向けた環境を整えることができると考えます。

  ――(中略)――
 
 来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる。私はそう決意しています」

 安倍晋三は「ものづくりを復活させ、中小企業を元気にし、女性が働きやすい環境をつくる、成長戦略をさらに力強く実施する」と約束し、「ものづくりを復活させ、中小企業を元気にし、女性が働きやすい環境をつくる、成長戦略をさらに力強く実施する」と約束し、さらに「国民全体の所得をしっかりと押し上げ、地方経済にも景気回復の効果を十分に波及させていく」と約束した。

 そのような成果を以てして「消費税率引き上げに向けた環境を整えることができる」と、消費税を増税できる「経済状況をつくり出すことができる」と、成果を疑いなきものとして国民の前に提示してみせた。

 このことは記者会見の質疑で「景気条項」を外したことに現れている
 安倍晋三「私たちは、先の総選挙において、3党合意に従って3%、そして2%、5%から10%へ引き上げるということをお約束してまいりました。18カ月間の延期、さらには29年4月には景気条項を外して確実に上げる、これは重大な変更です。そうした変更については、国民の信を問う、当然のことであり、民主主義の私は王道と言ってもいいと思います」――

 消費税増税の実施に当たって「附則第18条」は「消費税率の引上げに当たっての措置」、いわゆる「景気条項」を義務づけている。

 〈消費税率の引上げに当たっては、経済状況を好転させることを条件として実施するため、物価が持続的に下落する状況からの脱却及び経済の活性化に向けて、平成23年度から平成32年度までの平均において名目の経済成長率で3%程度かつ実質の経済成長率で2%程度を目指した望ましい経済成長の在り方に早期に近づけるための総合的な施策の実施その他の必要な措置を講ずる。 〉云々――

 いわば名目経済成長率3%以下であっても、あるいは実質経済成長率が2%以下の景気悪化を招いたとしても、2017年4月には再延期せずに10%に増税すると公約した。

 このことを裏返すと、一度の増税延期でアベノミクスを成功させることができると、自信満々でいた。

 だが、自信満々に反して2017年4月が近づいていながら、景気を一向に良くすることができない。そこでかねてから「消費税はリーマンショックあるいは大震災のような事態が発生しない限り、予定どおり引き上げていく」との公約を利用、5月26日からのG7伊勢志摩サミット「首脳宣言」で取り纏めた世界経済の状況に関わる共通認識を破って、「現在の世界的な経済状況がリーマンショック前と似た危機的状況にある」との安倍晋三一人の認識を記者団に発信、記者団を通して国民に発信したのち、2019年10月までの2年半の再延期の方向に動くことになった。

 以上を以てして国民は安倍晋三がアベノミクスを成功させたと見ることができるのか、失敗としか見ることができないのか、西日本新聞が伝えていた共同通信世論調査の内閣支持率を見る限り、失敗とは見ていないことになる。

 失敗と見ていながら、消費税増税再延期を歓迎する点のみで安倍内閣支持に回ったとしたなら、国民が負っているはずの内閣が掲げる政治の成功か失敗かを厳しく審判する責任を自己都合を再優先させて放棄するに等しい。

 前者後者いずれであっても、結局はいつかはツケが国民に回ってくるはずだ。

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安倍晋三:戦前日本の戦争を肯定、核保有欲求を持ちながら、オバマと広島へ同行、核廃絶を訴える滑稽

2016-05-29 10:51:37 | 政治


 日本で開催のG7先進国首脳国会議のために開催地三重県志摩市賢島を訪れていたオバマ米国大統領が5月27日(2016年)夕方、現職のアメリカ大統領として初めて被爆地・広島を安倍晋三と共に訪問し、安倍晋三と共に核兵器の廃絶を訴えた。

 安倍晋三にその資格があったのだろうか。

 ご存知のように安倍晋三は戦前日本国家を理想の国家像としている。

 このことはブログに何度も書いてきたことだが、靖国神社参拝が証明している。

 安倍晋三は第1次安倍内閣(2006年9月26日 - 2007年9月26日)の間、中国との関係を考えて靖国参拝を控えてきた。

 その抑圧が相当あったのか、2012年12月26日の第2次安倍内閣発足約1カ月半後の2013年2月7日の衆議院予算員会で次のように答弁している。

 安倍首相「私の基本的な考え方として、国のために命をささげた英霊に対して国のリーダーが尊崇の念を表する、これは当然のことだろうと思いますし、各国のリーダーが行っていることだろう、こう思っています。

 その中で、前回の第一次安倍内閣に於いて参拝できなかったことは、私自身は痛恨の極みだった、このように思っております」(2013年2月7日衆議院予算員会)

 「国のために命をささげた英霊に対して国のリーダーが尊崇の念を表する」――

 安倍晋三は「痛恨の極み」を解き放つために第2次安倍内閣発足満1年を期した2013年12月26日に靖国神社参拝を決行した。

 そのことの正当化のために「恒久平和への誓い」と題した談話まで出している。 

 要するに平和を誓うための靖国神社参拝であって、批判されているように戦前の日本の戦争を美化するためではないとの含意を含ませたということなのだろう。

 そこには冒頭、次のような言葉が記されている。

 「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました」

 この言葉は安倍晋三のみならず、高市早苗や稲田朋美、山谷えり子、その他その他、同類の国家主義者が靖国神社参拝を正当づけるときの常套句となっている。

 「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊」の命を犠牲にする対象は戦前日本国家を措いて他にない。命を犠牲にするとは命を捧げることを意味する。

 このような国家を対象として国民の命の奉仕は戦前の日本国家という空間で演じられた国家と国民との間の関係性として存在した。いわば戦前日本国家と国民の関係性を肯定し、理想としているからこそ、犠牲になった場合、「哀悼の誠を捧げる」価値が生じ、「尊崇の念を表す」価値を認めることができる。

 当然、靖国神社参拝とは靖国神社を舞台として戦死兵に対する鎮魂の姿を借りた戦前日本国家と国民の関係性を理想とする戦前日本国家称揚の儀式でしかなく、このような儀式を政治の次元で重要としているのは戦前日本国を理想の国家像とし、そのような国家像を戦後日本国家に連続させたいと欲しているからに他ならない。

 だからこそ、安倍晋三は自著の『この国を守る決意』で、「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」と戦後の日本国家でも命の奉仕をキーワードとした同じ関係性を求めることになる。

 以前ブログに書いたことだが、同じ安倍著『美しい国へ』にも特攻隊を美化した箇所で同じ関係性を求めている。

 〈国のために死ぬことを宿命づけられた特攻隊の若者たちは、敵艦に向かい何を思い、なんといって、散っていったのだろうか。かれらの気持を次のように語る人は多い。

 《かれらは、この戦争に勝てば、日本は平和で豊かな国になると信じた。愛しきもののために――それは、父母であり、兄弟姉妹であり、友人であり、恋人であった。そしてその愛しきものが住まう、日本であり、郷土であった。彼らはそれを守るために出撃していったのだ。》

 私もそう思う。だが他方、自らの死を意味あるものにし、自らの生を永遠にしようとする意志もあった。それを可能にするのが大義に殉じることではなかったか。彼らは「公」の場で発する言葉と、「私」の感情の発露を区別することを知っていた。死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつ、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである。

 今日の豊かな日本は、彼らが捧げた尊い命の上に成り立っている。だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどうむきあってきたのだろうか。国家のために進んで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。

 たしかに自分の命は大切なものである。しかし、ときにはそれを投げ打っても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。〉・・・・・・

 安倍晋三という政治家が戦前の日本国家を如何に理想視しているかが手に取るように伝わってくる。安倍晋三の意識の中では戦前日本国家は最大の理想の国家像として描かれ、鎮座しているはずだ。

 「今日の豊かな日本は、彼らが捧げた尊い命の上に成り立っている」と戦前日本国家と戦後日本国家に連続性を持たせて止まない。戦前の国民の国家に対する奉仕を眼目とした国家と国民の関係性を戦後の日本国家でも見ようとしている。

 安倍晋三が戦前日本国家を理想の国家像としているからこそ、そのような国家の戦争を侵略戦争と認めるわけにはいかない。認めた場合、理想と相反することになるからだ。理想とする戦前の国家と国民との関係性を戦後の日本に持ち込むことに矛盾が生じることになるからだ。

 安倍晋三はかくこのように命の奉仕を軸とした国家と国民の関係性を構造とした戦前の日本国家を理想の国家像とし、その戦争を侵略戦争だと否定はせず、侵略戦争ではないと肯定している。

 安倍晋三が戦前の日本国家を理想の国家像としているのはその国家の世界に対する政治的・経済的・軍事的影響力に偉大性を見ているからに他ならない。第一次世界大戦後、大日本帝国はアメリカ、イギリス、フランス、イタリアと共に5大列強の一強に加えられる程に世界的な大国とされていた。

 安倍晋三はかつてのその偉大性を求めて、経済の点のみならず、政治的にも軍事的にも世界に大きな影響を与え得る、戦前日本国家を理想とする国家像を戦後の日本国家によって打ち立てようと強く意志している。

 その手始めが憲法解釈による集団的自衛権の行使と自衛隊の海外派遣を手立てとした世界への軍事的進出であろう。

 だが、決定的な軍事大国の資格を得るには現在の世界で日本に欠けている軍事性は核を保有していないという点であろう。

 現在の世界の軍事大国は全て核を保有している。いくらオバマが広島で核のない世界の実現を主張しようとも、アメリカは核に守られた最大の軍事大国であるという側面を有している事実は否定できない。

 但し安倍晋三が戦前日本のように戦後日本の軍事大国化を目指し、他の軍事大国と遜色なく肩を並べる資格を得るために果たして核の保有まで欲しているかどうかである。

 2016年3月18日の参院予算員会。

 横畠裕介内閣法制局長官「憲法上、あらゆる核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない。(但し)核兵器に限らず、武器の使用には国内法、国際法上の制約がある」(時事ドットコム

 安倍内閣は2016年4月の鈴木貴子の質問主意書に対して「憲法9条は一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではない。しかし核拡散防止条約及び非核三原則に基づき、一切の核兵器を保有し得ない」(Wikipedia)とする答弁書を閣議決定している。

 日本国憲法と核拡散防止条約と非核三原則の中で最大の優越的法規範は憲法にある。

 このことは核拡散防止条約が第10条第1項で、〈各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。〉と規定し、核拡散防止条約よりも国家の安全保障を上に置いていることが何よりも証明している。

 当然、日本国憲法9条を「一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではない」と解釈している以上、第9条は核の保有と使用を欲した場合の国家意志の妨げとはならないないことを示している。

 国家と国民の関係性に於いて命の奉仕をメカニズムとした戦前の日本国家を理想の国家像とし、それゆえにその戦争が侵略戦争であることを否定、この否定は原爆投下を侵略戦争が一因となっていることは認めずにアメリカの責任のみとする責任転嫁を形成することになっているはずだが、さらには戦前の日本国家が5大列強の一強として体現していた政治的・経済的・軍事的大国としての偉大性を戦後日本にも体現させることを意志し、日本国憲法第9条は「一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではない」と解釈する安倍晋三がオバマに同行し、核兵器のない世界の実現を訴えた。

 これ程の皮肉、滑稽は存在しない。

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安倍晋三の「世界経済リーマン前に類似」は消費税増税延期のハッタリだったと証明する「伊勢志摩首脳宣言」

2016-05-28 09:25:19 | 政治


 安倍晋三は5月26日のG7伊勢志摩サミットで午後4時3分から午後5時56分までG7首脳による討議を行い、サミット会場となっているホテルで午後4時37分から午後4時40分まで記者たちに一応の「報告」なのだろう、行った。   

 そこで安倍晋三は「8年前の洞爺湖サミットは、リーマンショックのわずか数か月前だった」と、当時のリーマン・ショックを持ち出した上で、G7各国首脳と「世界経済は大きなリスクに直面をしているという認識については、一致することができた」と、さも現在の世界的な経済状況がリーマンショック前と似た危機的状況にあるとの認識を共有したが如くに記者たちに発言した。

 そして取り纏めた「伊勢志摩経済イニシアティブ」に基づいて「アベノミクス『三本の矢』を、正に今度は世界へ展開をしていきたい。G7で展開をしていくこととなった」と世界経済に向けたアベノミクスの出番を宣言した。

 世界経済のリーマンショック前と似た危機的状況下での消費税増税はアベノミクス成功の阻害要因となるから、これらの発言を来年2017年4月からの消費税10%増税の延期を前提とした発言ではないかと昨日の「ブログ」に書き、実際の現在の世界経済は安倍晋三が言うようにリーマンショック前と似た危機的状況にあるのか、そうではなく、〈安倍晋三が自己都合で各国首脳の目の前に大袈裟に描き出した危機に過ぎないとなると、消費税増税を延期させてアベノミクスを成功させる正当性ある口実を創作するためにG7と言う舞台で「世界経済が大きなリスクに直面」という状況を自作自演した疑いが出てくる。〉と書いた。  

 5月26日のG7伊勢志摩サミット首脳討議の翌日の5月27日午前中も首脳討議を行い、午後2時から行った議長国としての「記者会見」でも世界経済がリーマンショック前と似た危機的状況にあることを盛んに力説している。  

 安倍晋三「今世紀に入り、世界経済を牽引してきたのは、成長の活力あふれる新興国経済です。リーマンショックによる経済危機が世界を覆っていた時も、景気回復をリードしたのは、堅調な新興国の成長。いわば、世界経済の『機関車』でありました。しかし、その新興国経済が、この1年ほどで、急速に減速している現実があります。

 原油を始め、鉄などの素材、農産品も含めた商品価格が、1年余りで、5割以上、下落しました。これは、リーマンショック時の下落幅に匹敵し、資源国を始め、農業や素材産業に依存している新興国の経済に、大きな打撃を与えています。

 成長の糧である投資も、減少しています。昨年、新興国における投資の伸び率は、リーマンショックの時よりも低い水準にまで落ち込みました。新興国への資金流入がマイナスとなったのも、リーマンショック後、初めての出来事であります。

 さらに、中国における過剰設備や不良債権の拡大など、新興国では構造的な課題への『対応の遅れ』が指摘されており、状況の更なる悪化も懸念されています。

 こうした事情を背景に、世界経済の成長率は昨年、リーマンショック以来、最低を記録しました。今年の見通しも、どんどん下方修正されています。

 先進国経済は、ここ数年、慢性的な需要不足によって、デフレ圧力に苦しんできましたが、これに、新興国の経済の減速が重なったことで、世界的に需要が、大きく低迷しています。

 最も懸念されることは、世界経済の『収縮』であります。

 世界の貿易額は、2014年後半から下落に転じ、20%近く減少。リーマンショック以来の落ち込みです。中国の輸入額は、昨年14%減りましたが、今年に入っても、更に12%減少しており、世界的な需要の低迷が長期化するリスクをはらんでいます」――

 冒頭発言内で「リーマンショック」という言葉を6回も繰返している。それ程にも安倍晋三は世界経済の現状に対して危機感を露わにしている。

 当然、リーマンショッククラスの世界経済の危機的状況はG7首脳討議での共通認識を受けた、その反映でなければならない。

 このことは次の発言にも現れているし、ここで消費税増税の是非についての検討に触れている。是非であっても、世界経済がリーマンショック前と似た危機的状況にあることを散々に触れ回った以上、このような環境下でアベノミクス成功の阻害要因となる消費税増税の延期を視野に入れた是非の検討と見なければならない。

 安倍晋三「当然、日本も議長国として、今回のG7合意に従い、率先して世界経済の成長に貢献する。世界経済が『危機』に陥るリスクに立ち向かうため、あらゆる政策を総動員して、アベノミクスのエンジンを、もう一度、最大限に吹かしていく決意であります。日本として何を為すべきか、消費税率引上げの是非も含めて検討し、夏の参議院選挙の前に明らかにしたいと考えています」

 アベノミクスのエンジンが最大限に吹かすことができた状態になったことなど一度とてない。日銀の金融政策以外、常に空吹かしで推移した。円安・株高に助けられた雇用の増加等々であり、物価の値上げに追いつかない僅かながらの賃上げに過ぎない。
 
 安倍晋三がアベノミクスをどう誇ろうと、実質賃金を上げることができないから、個人消費が増えないという悪循環をつくり出したアベノミクスを現状とすることになっている。

 議長国記者会見で「リーマンショック」という言葉を6回も繰返して強調しなければならなかった程にも世界経済がリーマンショッククラスの危機的状況にあることをG7首脳討議の共通認識となっていた。

 この共通認識こそが、安倍晋三は「消費税はリーマンショックあるいは大震災のような事態が発生しない限り、予定どおり引き上げていく」と常々発言していたのだから、消費税増税延期に正当性を与える得る理由となる。

 当然、そのような共通認識を持つに至っていたのか、確かめなければならない。2016年5月27日に発表された「G7伊勢志摩首脳宣言」を見れば、一目瞭然となる。 

 〈世界経済の状況

 世界経済の回復は続いているが,成長は引き続き緩やかでばらつきがあり,また,前回の会合以降,世界経済の見通しに対する下方リスクが高まってきている。近年,世界的な貿易のパフォーマンスは,期待外れの状況にある。弱い需要及び未対応の構造的な問題が,実際の及び潜在的な成長に負荷を与えている主な要因である。〉・・・・

 「リーマンショック」なる言葉はどこを探しても見つからない。単に世界経済は回復過程にあるものの、その成長は力強さを欠いてばらつきを見せ、そうであるがゆえに下方リスクを抱えるに至っているとの状況を解説しているのみで、世界経済が危機的状況にあるとする認識はどこにも描かれていない。

 Ḡ7首脳の共通認識はこのようなものであった。

 このことはオバマ大統領とメルケル独首相の発言が証明する。

 〈5月26日、オバマ米大統領は記者会見で、伊勢志摩サミットでは米国での経済成長を維持する必要性や、欧州経済に進展がみられはじめたことなどを討議したと語った。〉と「ロイター」記事は伝えている。   

 要するにオバマ大統領は米国が力強く経済回復を続けていて、その回復基調を維持する必要性があることの認識を示し、〈イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長は5月27日、経済成長が想定通り継続し雇用創出が続けば、FRBは今後数カ月に利上げすべきとの認識を示した〉と、別の「ロイター」記事が伝えていて、利上げできる程に経済の現状が順調であることを示している。   

 また、メルケル独首相は、〈世界経済に安定成長の兆候があるがリスクは残るとし、コモディティ価格安は多くの国にとって問題だとの見解を示した。〉とこれも別の「ロイター」が伝えているが、リーマンショッククラスの危機を想定しているわけではない。 

 「コモディティ価格」とは、商品先物取引などで取引される「商品」のこと。商品といっても「goods(製品)」ではなく、原油やガスなどのエネルギー、金・銀・プラチナなどの貴金属、小麦・大豆・とうもろこしなどの穀物、銅・アルミといった非鉄金属などのことを指すとネットで紹介されている。

 このように安倍晋三一人がリーマンショック前と似た危機的状況を振り回していた。

 勿論、安倍晋三の認識が正しく、他の首脳の認識が間違っているということもある。

 だからと言って、伊勢志摩サミットで決めた「首脳宣言」と異なる認識を振り回したのではサミットそのものが意味を失う。共通認識づくりの作業そのものを形骸化させることなる。

 所詮、世界経済の危機的状況を多数意見とすることができなかったということであろう。

 にも関わらず、リーマンショックを振り回す。「消費税はリーマンショックあるいは大震災のような事態が発生した場合は増税の延期もあり得る」としたことから、アベノミクスの成功は消費税増税延期を必要絶対条件とし、消費税増税延期は世界経済悪化を必要絶対条件とする関係を作り上げたことになって、である以上、どうしても消費税増税延期に持っていきたい、そのための必要絶対条件として世界経済の危機的状況を描かなければならない意図的作為と見ないと、G7各国首脳と「世界経済は大きなリスクに直面をしているという認識については、一致することができた」と記者たちにウソをついてまで行うことになった、このウソは国民に対するウソともなるが、責任ある議長国でありながら、安倍晋三の「G7伊勢志摩首脳宣言」の共通認識からの逸脱は到底理解できない。

 ウソをついてまでして共通認識から逸脱し、リーマンショックを振り回す。消費税増税延期の正当性ある理由づくりを目的としハッタリでなくて何であろう。


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安倍晋三は伊勢志摩サミットを消費税増税延期を演出する舞台として利用している

2016-05-27 10:16:04 | 政治


 安倍晋三がG7伊勢志摩サミットの協議で世界経済の現状について「2008年に起きたリーマンショック前の状況に似ている」との認識を示し、その後の記者団への発言で各国首脳と世界経済は「大きなリスクに直面している」との認識で一致したと明らかにしたという。「TBS 」記事の動画から記者に対する発言を見てみる。   

 安倍晋三「8年前の洞爺湖サミットはリーマンショックの僅か数か月前でありましたが、しかし経済については殆んど議論されなかったわけであります。今回、世界経済についてしっかりとした議論を行い、世界経済は大きなリスクに直面しているという認識については一致することができたわけでございます――」

 誰が読んでも来年2017年4月からの消費税10%への増税のそれとない延期の予告と受け止めるに違いない。

 但し記事は、〈安倍総理は経済の現状について「リーマンショック前に似ている」という考えを示すことで、来年4月に予定される消費税率の10%への引き上げについて、これまで以上に慎重な姿勢をにじませたものとみられます。〉と、安倍晋三の現時点での増税判断を控え目に読んでいる。

 安倍晋三が増税延期の判断に傾いていたことは、「アベノミクスの果実を全国津々浦々に届ける」を最近言わなくなったことが既に証明している。

 最近の経済状況と2017年に向けて予想し得る経済状況を合わせた上で、「アベノミクスの果実を全国津々浦々に届ける」と言ったなら、10%増税に障害とならない経済状況であることを示すことになって、増税は予定通りに行われることになる。

 だが、逆にこれらの経済状況下での増税はアベノミクスの足を引っ張ると予想したなら、「アベノミクスの果実を全国津々浦々に届ける」と言うことはできなくなる。

 もし言ったとしたら、経済状況の判断と矛盾した発言となる。

 要するに「アベノミクスの果実を全国津々浦々に届ける」と言うことができるかどうかが増税判断のリトマス試験紙となっていると言うことができる。

 今年2016年1月22日の施政方針演説。

 安倍晋三「アベノミクスによって、来年度の地方税収は、政権交代前から5兆円以上増加し、過去最高となりました。この果実を全国津々浦々にお届けする」

 2016年度予算案成立を受けた2016年3月29日の記者会見。

 安倍晋三「アベノミクスの温かい風を全国津々浦々に広げていく」――

 今年3月29日の時点でも、「全国津々浦々に」が何ら障害とはならない現在と将来に向けた経済状況であると見ていた。

 但し同じ記者会見で、「市場や国際社会の信認を確保するためにリーマンショックあるいは大震災のような事態が発生しない限り、来年、予定どおり引き上げていく考えには変わりはございません」と経済状況が悪化した場合の予防線を張っているが、まだ大丈夫な経済状況と見ていた。

 上記TBS記事の対記者団発言が行われた日時は5月26日夜、場所はG7伊勢志摩サミットの会場となっているホテルだそうで、他の発言を次の「NHK NEWS WEB」記事からより詳しく見てみる。
 
 安倍晋三「世界経済は大きなリスクに直面しているという認識については一致することができた。そのリスクに立ち向かうために、『伊勢志摩経済イニシアチブ』の取りまとめに合意できたことは大きな成果だった。

 『伊勢志摩経済イニシアチブ』に基づいて、アベノミクスの三本の矢をまさに今度は世界で展開していきたい。G7で展開していくことになった」

 記事はこの発言を、〈財政政策、金融政策、それに、構造改革からなるアベノミクス三本の矢をG7=主要7か国で展開し、持続的な成長を目指していく考えを示し〉たものだと解説している。

 「世界経済は大きなリスクに直面している」が、「アベノミクスの三本の矢をまさに今度は世界で展開していきたい。G7で展開していくことになった」と国内発進にとどまらない世界発進を強調している。

 この強調は消費税増税延期を前提とした発言と見なければならない。

 なぜなら、リーマンショックあるいは大震災の発生時のような世界経済が悪化した状況下での消費税増税をアベノミクス成功の障害と見ているからなのは断るまでもないからである。
 
 「世界経済が大きなリスクに直面している」にも関わらず予定通りに消費税増税をしてアベノミクスが失敗した場合、失敗したアベノミクスを世界で展開する、あるいはG7で展開することができるだろうか。

 いくら安倍晋三が鉄面皮にできていても、恥ずかしくてとてもできまい。

 要するに安倍晋三はアベノミクスの成功を消費税増税延期を必要絶対条件とし、消費税増税延期は世界経済悪化を必要絶対条件とする関係に置いた発言を行った。

 当然、消費税増税を延期しアベノミクスを成功させるためには安倍晋三の言葉通りに現在の経済状況が「2008年に起きたリーマンショック前の状況に似ている」が事実でなければならない。

 ところがこの記事は、安倍晋三が〈言及した「危機」という表現に対し、一部の国から「その表現は強すぎるのではないか」という指摘が出されたことから、首脳宣言の取りまとめに向け、文言の調整を行うことになりました。〉と解説している。

 実際に安倍晋三が言う程に「危機」なのか、あるいは安倍晋三が言う程には「危機」でないのか。

 安倍晋三は「世界経済が大きなリスクに直面している」ことの事実提示に一つの資料を用いたと別の「NHK NEWS WEB」が紹介している。  
 
 〈IMF=国際通貨基金のデータなどを基にまとめた資料を示し、食料や素材など世界の商品価格が2014年以降、およそ55%下落し、2008年のリーマンショックの前後の下落幅と同じになったことや、去年、新興国への資金流入がリーマンショック後に初めてマイナスになったことなど〉を挙げたと。

 このような根拠を以って「2008年に起きたリーマンショック前の状況に似ている」という認識の披露に及んだということなのだろう。

 但し安倍晋三が世界経済悪化の説明に用いた資料自体が経済官庁の幹部から「恣意的だ」との怒りの声が上がったと2016年5月26日付「TBS」記事が伝えている。  

 もし危機が事実でないとすると、いわば安倍晋三が自己都合で各国首脳の目の前に大袈裟に描き出した危機に過ぎないとなると、消費税増税を延期させてアベノミクスを成功させる正当性ある口実を創作するためにG7と言う舞台で「世界経済が大きなリスクに直面」という状況を自作自演した疑いが出てくる。

 IMFのデータを基に纏めた資料を根拠とした「食料や素材など世界の商品価格が2014年以降、およそ55%下落」がもし正しいとすると、安倍晋三が常々言っている「デフレではないという状況を作ることはできたが、デフレ脱却には至っていない」という状況は少なくとも日本の物価をそれなりに守っていることになって前者と矛盾することになり、消費税増税の国内的障害とはならないことになるばかりか、増税しなければ成功させることができる程度の世界経済の危機的状況に過ぎないことになる。

 だが、世界経済の悪化を強調し、消費税増税の延期を前提としたアベノミクスの日本展開にとどまらない世界展開の風呂敷を広げている。

 どう考えても、安倍晋三が伊勢志摩サミットを消費税増税延期を演出する舞台として利用しているとしか見えない。

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自民神奈川県議小島健一の「基地外」発言が「気狂い」の意味か否かは思想・信条の自由に関わる論理が証明

2016-05-26 09:01:08 | Weblog


 自民党神奈川県議の小島健一(53)が 東京都千代田区九段の靖國会館で開催の「沖縄県祖国復帰44周年記念 日本民族団結靖國集会」で挨拶、沖縄の米軍基地の周囲で基地反対のデモを行っている人々を「基地外」と形容して呼んだことが現在、ネットで話題となっている。

 話題となったイキサツはネットで調べてみると、主に政治・社会・環境問題を扱う週刊誌『週刊金曜日』がこの発言を取り上げ、沖縄の2紙その他が続き、「基地外」を「キチガイ」(=気狂い)の意味で把えて報道したことからであるようだ。

 小島健一は果たして基地反対派を他意はなしに漢字通りに「基地外」と表現したのか、「気狂い」の意味を持たせて口にしたのか、各マスコミ報道からどちらなのか見てみる。

 先ず「47NEWS」記事が伝えている挨拶での発言。

 小島健一「沖縄の基地の周りには基地反対やオスプレイ反対と毎日のように騒いでいる人がいる。基地の外にいる人ということで私は『基地外の方』と呼んでいる」

 共同通信の取材に対する発言。

 小島健一「『基地外』のイントネーションに気を付けており、差別発言ではない」

 例え「基地外」が漢字通りの意味であったとしても、基地反対派を「騒いでいる人」と表現するのは自分たちの思想・信条のみを立派だと価値づけ、反対派の思想・信条を蔑んでいるに等しく、そこには否応もなしに排除の論理を存在させている。

 排除は行き過ぎると、独裁に行き着く。自分たちの思想・信条に反する思想・信条への弾圧となって現れる。

 もし基地反対派を「騒いでいる人」と表現することが許されるなら、小島健一自身にしても何かに反対した場合、「騒いでいる人」と表現されても許さなければならないことになり、何かに賛成した場合でも、反対派から「騒いでいる人」と表現されても許さなければならないことになって、それぞれの思想・信条が持つ正当性は秩序を失うことになる。

 民主主義は多数決を原則としているが、多数を形成することができなかったからといって、その思想・信条まで否定されたわけではない。否決と否定は非なるものである。

 要するに小島健一は基地反対派の思想・信条の自由を、それを否定することができるわけでもないにも関わらず、「騒いでいる人」と表現することによって、少なくとも否定の意図を露わにした。

 このように基地反対派を「騒いでいる人」と表現している関連から言っても、「基地外」は同じ読みの「気狂い」を意味させていた疑いが濃い。イントネーションに気をつけたこと自体が「気狂い」を頭に置いていた証拠となる。

 当然のことだが、本人は否定している。

 小島健一「基地の中の方は『基地内の方』で、その反対のことを言っただけ。(『基地外』という)漢字表記の意味で発言しており、差別的な意図は全くない」(産経ニュースニュース/2016.5.25 07:42)  

 小島健一は「沖縄の基地の周りには基地反対やオスプレイ反対と毎日のように騒いでいる人」――いわば基地反対派を「基地外の方」と形容したのである。

 基地反対派の対義語は基地賛成派となる。それを「基地内の方」と形容する。位置的用語に過ぎない「基地内」という言葉のどこに基地賛成の意味を含んでいると言うことができるのだろうか。

 もし米軍基地内に存在する米軍兵士、軍属、日本人従業員全てを基地賛成派――「基地内の方」だとするなら、このこと自体無理があるが、基地外に存在する全ての人間を基地反対派――「基地外の方」だとしなければ整合性を得ることができない。

 だが、実際には基地外にいる人間の中には基地賛成派も存在する。基地内の人間にしても基地には反対だが、生活上止むを得ず職業としているというケースも存在するはずだ。

 「気狂い」の意味に誤解されれないようにイントネーションに気をつけたに過ぎないと強弁するかもしれない。

 ではなぜ無理な用語でしかない「基地外」という言葉を基地反対派に当てたのだろうか。極く一般的に「基地反対派」と表現すれば十分に通じるにも関わらず、わざわざ 「基地外」という漢字を当てた。それもイントネーションに気をつけながら。

 意図的な用法でなければ使うことのできない言葉であるはずだ。 

 小島健一は基地反対派を気狂いと断罪することによって日本国憲法が保障する思想・信条の自由ばかりか、集会の自由まで否定しようとしたのである。

 単に「基地外」の表現は「気狂い」を意図した言葉なのかどうかの問題で終わらない。

 「The Huffington Post」/2016年05月24日 12時22分) が各新聞が取材した小島健一の発言を伝えている。

 小島健一「『基地外』と言っている。ちゃんとイントネーションを変えて発言している。どう想像するかは別だが、差別的な発言はしないように考えている。失言とは考えていない」(神奈川新聞

 小島健一「私は差別主義者ではない。基地の外で反対運動しているのは好ましいとは思わないし、批判の対象だと思っている。それ以上の意味はない」(沖縄タイムス

 そして5月8日投稿の小島健一自身のフェイスブックの発言を伝えている。

 小島健一「あまり言うと差別と言われるかもしれませんけれども、沖縄には沖縄の琉球新報と、そして、沖縄タイムスという、非常にその、明らかにおかしい新聞がございますが、これを、『潰れろ』と言って非常に非難を浴びた有名な作家の方もいらっしゃいますが、これは本当に、潰れたほうがいいと思っております。神奈川にも、神奈川新聞という三流左翼新聞がございまして、これと私、今戦っているところであります」――

 自身の思想・信条に反するからと言って、「潰れたほうがいい」と、思想・信条の自由に深く関係するマスメディアに保障された表現の自由・報道の自由に対する抹消願望を露骨に見せている。

 小島健一がこういった思想の持ち主であるからこそ、その思想の反映として、沖縄の基地反対が思想・信条の自由、更には集会の自由に基づいた基本的人権行為であるにも関わらず、反対派を「騒いでいる人」と蔑視することができ、一般的ではない無理な用語まで使って、実際は「気狂い」を意味させた「基地外」という表現を基地反対派に当てることができたと見ないことには、小島健一の思想そのものが終始一貫しないことになる。

 小島健一がどう言いくるめようと、どう言い逃れようと、「基地外」は「気狂い」の意味を持たせた言葉でしかない。

 「気狂い」とすることによって、自身の思想・信条に反する思想・信条に対して排除の論理を働かせていることの証明がつく。

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翁長知事が跡を絶たない米軍関係者沖縄女性暴行事件を日米地位協定の特権的な状況からの占領意識と見る理由

2016-05-25 09:58:32 | 政治


 5月23日午前、翁長沖縄県知事が米軍属沖縄女性暴行・殺人事件を受けて抗議と要請のために安倍首相・官房長官の菅義偉と首相官邸で面会したが、そのときの発言を「琉球新報」から見ることにする。  

 記事は私自身が考えたこともない、気づいたこともない翁長知事の発言を紹介している。

 先ずは面会時の様子を記事から取り上げてみる。

 〈「日米地位協定の下では日本国の独立は神話であると思いませんか」。首相や官房長官との会談で翁長知事はこう強い言葉で語り掛けた。この日、知事は記者団にも終始冷静な受け答えだったが、日米地位協定の改定やオバマ米大統領との会談への働き掛けなど、再発防止に向けた具体的な「結果」を出すよう政府に要求。感情は抑えつつも、表情には再び起こってしまった米軍関係者による事件に対し、それを防ぐ手だてを示さない日本政府への憤りがにじんでいた。〉

 日米安全保障条約に基づいて在日米軍の権限などを定めている「日米地位協定」は不平等条約であって、日本は真の独立国家とは言えない、独立国家と言うのは神話に過ぎないのではないのかと抗議し、地位協定の日米対等となる改定を求めたということなのだろう。

 「日米地位協定」の特に問題となっている米軍人・軍属の対日本人犯罪行為発生時の警察権についてどう定めているか、「コトバンク」から見てみる。

 〈日米地位協定 日米安全保障条約に基づいて、在日米軍の権限などを定める。 米軍基地内での管理権(第3条)や基地の外での警察権(第17条)を認め、米兵らの犯罪について日米両国の裁判権が競合する場合の第1次裁判権は公務執行中の場合は米軍が、その他は日本側が持つこと(同)――などを規定。〉

 今回の事件は公務外の事件のために日本側の警察権が認められて逮捕に至った。

 記事は翁長知事の抗議と要請に対して政府側がどう対応したのかは取り上げていないが、他の記事によると、安倍晋三も官房長官の菅義偉も、米側も改定ではなく、運用面の改善で既に足並みを揃えている。

 いわばアメリカは「日米地位協定」の基本的な優位性を維持することになる。日本側から言うと、「日米地位協定」の基本的な優位性をアメリカに維持させることになる。

 例えば在ドイツ米軍基地では公共秩序や安全が危険にさらされた時にはドイツの警察が基地内で警察権を行使できる(しんぶん赤旗/2016年3月19日(土))、(59rg7aのブログ/2014-09-25 19:34:32)としているが、日本の米軍施設・区域内では米軍が警察権を行使し、施設・区域外では米軍は日本との取り決めに従い警察権を行使するとの規定(59rg7aのブログ/2014-09-25 19:34:32)を日本側がドイツ並みに米軍施設・区域内で警察権を行使でき、施設・区域外では日本側の警察権に全面的に委ねると改定して、その優位性を崩さない限り、いくら運用面の改善が行われたとしても、優位性自体を残すことになって、基本のところで変わらないことになる。      



 翁長沖縄県知事は安倍晋三・菅義偉への抗議と要請後に開催された沖縄振興審議会に出席、委員から「性犯罪に於いては女性が絶対的な弱者。官民一体の取り組みが必要ではないか」との提言が行われたそうだが、ただでさえありきたりの提言に過ぎないが、審議会の終了後に口にした翁長知事の発言と比べると、そのありきたりが陳腐なな色合いさえ帯びることになる。

 翁長知事「日米地位協定の特権的な状況があり、そこで働いている軍人・軍属が大変、ある意味で占領意識を持ちながら県民を見ているところも大きい」

 「日米地位協定」が不平等条約であり、米側に特権的な協定となっているのは、少なくともアメリカの地位を上に置いて日本の地位を下に置いた(あるいは低く見た)日米差別的な協定となっているということであって、その根拠は日本の安全保障(=日本の防衛)に関してその軍事力からして米側の役割(=負担)が特に大きいと見ていることや、「日米安全保障条約」第5条によって、アメリカは日本を防衛する義務を負っているが、日本側はアメリカに対してその義務を負っていないとする片務性等の反映であろう。

 いわば日本は自らの地位を自分の方からアメリカの下に置いている。

 だが、アメリカの日本防衛はアメリカ本土防衛の前段階に位置づけているはずだ。特に1950年6月25日の朝鮮戦争勃発以降、冷戦時代を受けた旧ソ連や中国の軍事的脅威(共産主義の脅威)に対抗する必要性からマッカーサーが憲法9条に反して朝鮮戦争勃発の翌月の1950年7月に日本政府に対して7万5000人の警察予備隊の結成を指令したのも、日本をアメリカ本土防衛の防波堤の第一歩とする目的からであろう。

 警察予備隊は保安隊等を経て、1954年(昭和29年)7月1日の自衛隊発足へと向かった。

 有事に際して安保条約第5条に反してアメリカが日本の防衛に困難になった場合、アメリカは日本の防衛に主力を注ぐことを放棄、防衛戦を太平洋上に下げてアメリカ本土防衛を最優先させた軍事行動に専念するはずた。

 もしロシア軍が、あるいは中国軍が、あるいは北朝鮮軍が日本に上陸、アメリカ本土攻撃の拠点とした場合、アメリカは上陸軍を壊滅させるまで日本本土に軍民区別なしにミサイルを数限りなく撃ち込むだろうし、爆撃機を日本本土上空に数限りなく飛ばして、軍民区別なしにそれぞれの頭上に数限りない爆弾を落とすだろう。

 そうしなければアメリカ本土防衛が覚束なくなるからだし、アメリカ本土防衛に集約した軍事行動とするためには勢い、そのような遠慮のない攻撃とせざるを得ないからだ。

 このように日米安全保障条約がアメリカにとっては究極的にはアメリカ本土防衛に最終利益を置いた差し当たっての利益に過ぎない日本防衛なのだから、ある意味日米対等であっていいはずだが、米軍の負担・義務を特別視してそこに片務性を見てアメリカの地位を上に置く恩義的な意味づけを罷り通らせている。

 このことが「日米地位協定」をアメリカに対して特権的にさせている理由であり、元となっている日米安全保障条約の信じられている片務性が在日米軍の軍人・軍属に日本を守ってやっているのは俺達だという特権意識を植え付けて日本に対して支配者意識(翁長知事が言うある意味での占領意識)を芽生えさせていたとしても、無理はない極く自然な感情とも言える。

 このような支配者意識(あるいは占領意識)は往々にして被支配者としての沖縄県民を軽んずることになる。この軽視が女性を暴力的な性的対象とすることを許す素地となっているとする翁長知事の主張は決して間違っても、見当外れでもないはずだ。

 当然、日米安全保障条約に対して日本側が恩義的な意味を付与することで自分たちから信じている片務性を打ち破ると同時に「日米地位協定」を日米の地位を対等とする内容に改定、その対等性を在日米軍の軍人・軍属に徹底的に知らしめることが性犯罪防止の一つの方法とすることも可能となる。

 だが、安倍晋三も菅義偉も米側も改定には消極的で、米側の地位の基本的な優位性を守ろうとしている。「日米地位協定の下では日本国の独立は神話であると思いませんか」と言った翁長知事の指摘をそのまま放置する。

 在日米軍の軍人・軍属がこの優位性を体現し、自らを日本人に対して心理的にも態度の上からも優位的な位置に置いた場合、日本人の人間としての存在性を下に見ることを意味することになって、特に女性に対して人格を有した一個の存在と見ずにあしらう対象とすることも起こり得る。

 このような心理・態度が女性に対する暴力的・突発的な性衝動として表現されない保証はどこにもない。

 「日米地位協定」改定に消極的であることからしても、所詮、安倍晋三の米軍属の性犯罪を受けた「非常に強い憤りを覚える」は口先だけの憤りに過ぎないことが分かる。

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安倍政権・自民党の和歌山県御坊市長選二階俊博長男応援は国政の私物化

2016-05-24 10:25:59 | 政治


 5月22日投開票の和歌山県御坊(ごぼう)市長選は現職で無所属の柏木征夫(いくお)(75)が自民党総務会長の二階俊博(77)長男で二階俊博の地元秘書だった二階俊樹(51)=無所属、自・公推薦=を破り、現役市長では全国最多の7選を果たした。

 投票率は前回58.25%に対して78.10%。それぞれの得票数は柏木9375票に対しして二階俊樹5886票。その差3489票。

 和歌山県御坊市は人口は約2万6千人(2010年)程度でありながら、自民党のドン二階俊博の出生地であり、住居と地元選挙事務所を構えていて、自身の衆議院小選挙区・和歌山3区を田辺市(人口約7万5千人)、新宮市(人口2万9千人)、有田郡、日高郡、西牟婁郡、東牟婁郡と共に形成する、その一つであり、いわば選挙の本拠地としている。

 そのお膝元の市長選であるが、柏木征夫の御坊市長初当選は1992年6月11日で、県職員をしていた柏木征夫を二階俊博が担ぎ出して無投票で当選を果たした。

 対抗馬が現れなかったことが二階俊博の御坊市での影響力の一つを示しているはずだ。

 柏木征夫は以来二階俊博のバック宜しく今回の市長選前まで6選を果たしていた。現役市長では全国最多当選だそうだ。

 この市長選では柏木征夫は立候補せず、引退を考えていたそうだが、二階俊博が自身の地元秘書を務めていた長男の二階俊樹を担ぎ出すことを画策、二階俊樹が2月18日に立候補の意向を表明すると、一転して引退の考えを翻し、出馬を決意したという。

 この決意は断るまでもなく、いわば市長にしてくれて、しかも6選24年間市長職を支えてくれた恩人に、柏木征夫からしたら市長職に対して生殺与奪の権を握っているとも言うことができる二階俊博に謀反の矢を放つに等しい裏切り行為となる。

 だが、敢えて裏切り行為となる出馬を選んだのは態度が横柄で地元の評判が芳しくない二階俊樹の市長は絶対反対だという強い思いからだとマスコミは伝えている。

 どの程度の横柄な性格なのか、ネットを調べてみると、かなり傲慢で、市の職員に暴言を吐いたり、横柄な態度を取ると出ている。

 このことが事実とすると、二階俊樹の性格は相当に性悪(しょうわる)と言うことになる。傲慢でいられるのは二階俊博の長男であり、秘書であったからだろう。20年も二階俊博の秘書を務めていて、二階俊博の何様を自ずと受け継いで自身も何様を装うようになった。虎の威を借りる狐タイプの人間に見えてくる。

 二階俊博は地元選挙区に二階バイパスとか、二階トンネルとか二階道路とか名づけられている公共建設等の利益誘導を行っている。自民党ドン二階俊博が持っているそのような地元への強い影響力を以てすれば大差で勝てるはずの長男の市長選で多選の批判と恩知らず、あるいは恩を仇で返すのかといった批判が出ないことはない、当選すれば7選目となる77歳の柏木征夫に対して26歳も若い51歳の二階俊樹が3489票もの差をつけられたことは、政治能力はまだ未知数だから、御坊市有権者の彼に対する性格評価の反映であり、そのこと以外に理由を考えることはできない。

 父親の二階俊博も長男二階俊樹の性格とその評判を知っていたのかもしれない。市長選に限って言えば、御坊市は人口は約2万6千人、有権者数約2万人(御坊市2010年高齢化率26.4%・少子化率13.0%のかなりの少子高齢化地域となっている)の小規模都市に過ぎないのだから、1983年12月の初当選以来、当選回数11回を誇る二階俊博の力を以ってすれば、柏木征夫の市長6選への貢献・その影響力によって既にその実力を証明しているのだから、有権者を二階俊樹で固めることができないことはないはずだが、5月15日告示前に 自民党政調会長の稲田朋美や公明党中央幹事会会長の漆原良夫らが応援に駆けつけていたとマスコミは伝えている。

 そして5月15日の告示後の出陣式には林幹雄経産相のほか公明党国会議員らが支援を呼びかけたという。

 さらに告示後には森山裕農林水産相、自民党農林部会長の小泉進次郎等々の国会議員が次々と御坊入りして、二階俊樹への支持を訴えたという。

 稲田朋美「(二階俊樹は)二階会長という素晴らしい指導者の下で多くを学ばれた。私の政治信条は伝統と創造。良いものを守るには変えないといけない。俊樹さんは御坊を変えようと立ち上がった。二階会長の血を受け継いだ俊樹さんに御坊を任せよう。大接戦を制することが今後、政治家として大きな力になる。最後の最後まであきらめない熱意、気持ちが大事だ」(紀州新聞/2016年5月14日)

 小規模自治体の市長選に過ぎないにも関わらず、しかもちょっと調べれば分かるはずの得票差が物語ることになる二階俊樹という立候補者の性格の悪さにも関わらず、自民党の大物国会議員の地元で、その長男が立候補している、「二階会長の血を受け継い」でいるからと自民党の大物国会議員や安倍政権の閣僚までが応援に駆けつけ、御坊市民に二階俊樹への支持を訴えた。

 安倍政権・自民党のたかが市長選でありながら、市長選を舞台に演じることとなった国政の私物化でなくで何であろうか。

 もしそうでないと言うなら、二階俊樹が当選することによって、あるいは当選しないことによってどのような国政への影響があるか、明らかにすべきである。

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アイドル女性ストーカー事件:警察の最悪の事態も最悪に近い事態も想定でない危機管理という逆説の滑稽さ

2016-05-23 13:19:58 | 事件


 5月21日午後5時過ぎ、アイドル活動をしている20歳の女性がライブ活動をするために東京都小金井市本町のそのハウスのある建物の敷地内で27歳のファンの男に首や胸などを20カ所以上刺された。

 病院に搬送されたが、意識不明の重体に陥っているという。

 男は現行犯逮捕された。

 以下、各マスコミ記事を纏めてみる。

 犯行の動機はプレゼントした腕時計などが送り返されてきたため、その理由を問い質すためにライブハウスに向かう彼女の後をつけて問い質したところ、曖昧な答だったためにカッとなり、用意していた刃渡り8.2センチの折り畳式ナイフで何回も刺した。

 尾行の様子はJR武蔵小金井駅周辺から現場付近まで一定の距離を置いて歩いてつけていく様子が防犯カメラに写っていたという。

 しかしこの凶行は必ずしも予期できない出来事ではなかったようだ。

 女性のブログやツイッターに男からの執拗な書き込みが続いていた。女性は5月9日、武蔵野署を訪れて男の名前や住所を伝えて、その書き込みをやめさせて欲しいと相談した。

 武蔵野署は書き込みが本人かどうか調査し、確認すると対応、但し確認できたのかどうか、本人に接触していなかった。 

 女性は事件前日の5月20日、武蔵野署に翌5月21日のイベントについて伝えたという。

 と言うことは、万が一の事態を予想していたことになる。

 対して武蔵野署は会場を管轄する小金井署に「女性から110番があれば対応するように」と依頼したという。

 要するに110番があってからの対応のみを決めていた。それで十分と考えていたのだろう。

 当然、ライブ会場には警察官を派遣していなかった。

 このような対応を決めたことに合理的な根拠がなければならない。

 女性が5月9日に武蔵野署を訪れて男の名前や住所を伝えて、女性のブログやツイッターへの執拗な書き込みをやめさせて欲しいと相談し、警察が調査・確認を約束してから、凶行に及ぶまで12日経っている。

 警察は確認が取れたのだろうか。ツイッターは本名を名乗っている場合と名乗らずに自分の好きな言葉や自身を他の物に譬える等の場合がある。ネットを調べてみると、5月21日午後5時過ぎに事件が起き、その夜テレビなどが事件を伝えてから、ネット利用者が検索をかけて見つけ出したのだろう。

 どのようなアカウント名であるかということと5月23日朝の時点で刺された女性との関連でかなりの数の記事が紹介されている。

 アカウント名は現代歌人の和歌の、その名前の歌集まで出版されている一節を使用している。

 つまり2日か3日そこらで見つけ出した。実際には数時間で見つけ出すことができたのかもしれない。

 と言うことなら、警察にしても女性から5月9日の日に男の名前と住所を知らされているのだから、男の書き込みの正確な文言を聞き出していさえすれば、例えアカウント名に本名を名乗っていなくても、時間がかかったとしても何日かで男のツイッターに辿り着くことができたはずだ。

 あるいは書き込みがどれ程の危険性があるかを捜査するためとTwitter Japanに問い合わせれば、元々公開されているツイッターなのだから、もっと手っ取り早く知ることができるのではないだろうか。

 当然、女性の相談からストーカーを疑って、男のツイッターを監視しなければならない。

 果たして監視していたのだろうか。

 5月3日が最後のツイートとなっていて、「震災とかテロとか、関係ない人たちの幸せな暮らしのつぶやきを見ると、嬉しいね。下衆な人間らしくて嬉しいね笑」と書いている。

 関係ない人たちであっても、震災とかテロを真剣に考える人間もいる。だが、人間はそのような状況に置かれなければ、そのことを四六時中考えることはできない。テロや震災の状況下で一日中生活しているわけではないからだ。自身が置かれている状況に応じて考えたり悩んだりする生き物である。

 本人にしても4月27日に刺すことになる女性への返信で、「井上直久さん28日から5/4まで東武百貨店池袋店6階美術画廊で新作発表の個展です。16歳の時に17万円の版画を買って以来、200万以上買ってる作家さん。暇潰しに見に行ってみ?」と、「震災とかテロとか、関係ない」ことを呟いている。

 こういった人間の限定された存在性を思い遣ることもできずに一緒くたに「下衆な人間」と蔑む。

 余程自分が不幸な状況に置かれていて、その反動からか、そうでない人間――社会一般を恨んでいる節がある。

 これは危険な兆候の一つであろう。

 そして5月1日からそれ以前の日付けで、刺すことになった女性に対して『全部返せ』と伝えてね(・ω・)ノまだ返してもらってないものがあるんで、一部しか返って来てないんで、全部返してくださいm(__)m」、「『全部返せ』と伝えてください。『全部返せ』それだけです」、「名前くらい書きなよ。詐欺かと思ったじゃん。お菓子とかお花も返すん?そのうち送られてくるんかな〜。楽しみにしてますね(●^ー^●)時間もお金も返す気なら、ほんまもんの悪意だね。素敵すぎて嬉しいね」と続けて綴っている。

 相手の女性がプレゼントを望んだわけでもないし、二人が様々な物をプレゼントし合うことを許し合っている関係になっているわけでもないし、少なくとも相手がプレゼントし合うことを許し合う関係を望んでいるわけでもないのに時計やその他をプレゼントして、時計を送り返されたからといって、相手が受け取っていいフアンなのか、受け取ってはいけないフアンなのか判断しての返却なのだと考える冷静さを失っていたとしても、相手の女性へのツイートで「時間もお金も返す気なら、ほんまもんの悪意だね。素敵すぎて嬉しいね」と、返却を皮肉っぽい屈折した感情で悪意とのみ解釈している。
 
 当然ここにも恨みの感情がある。それが一過性で消えていく感情なのか、エスカレートしていって、恨みが憎しみに変わっていく感情なのか見極めなければならない。

 プレゼントした物を「時計だけではなく、全部返して下さい」と一度だけ相手のツイッターかブログに書けば済むものを、相手の女性のブログも含めて何度も書き込む執拗さからは後者の疑いが強い。

 4月27日の女性へのツイート 。「今回は何もプレゼント貰えなかったのかな(´-ω-`)yでもまあ欲しくないものを貰ってもまったく嬉しくないよな!(相手の女性は)欲しいものは自分で手に入れたいタイプの人だから、勝手に変なものを渡されても迷惑なだけなんだよな。何も貰えなくて良かったね」

 本心を偽りながら、偽りを恨みの感情で満たしている。4月27日の時点で既に恨みの感情の頭をもたげさせていた。そして全部返させることに拘って、執拗に同じ書き込みを続けた。

 ここに僅かながらだが、エスカレートを見ないわけにはいかない。

 2月3日のツイートは本人の性格が顕著に現れている例の一つであろう。「僕が見ている世界と同じ世界を彼女は見ているのだという過敏な自意識もだらしない程にまた空虚」

 その証明ができないから、「空虚」なのだろうが、どんなに親しい関係にある男女であっても、見ている世界を同じと見ることも欲することも一種の強要であり、自身の見ている世界に相手の女性を独占して、自身と同じ世界を見させようとする自己中心以外の何ものも窺うことができない。

 この自己中心は断るまでもなく、他者存在性の無視によって成り立っている。独占欲そのものが他者存在を無視しなけば、成り立たない。

 他者は他者として尊重することができずに自己中心的で独占欲があり、恨みの感情に取り憑かれやすく、女性のブログやツイッターに執拗な書き込みが続ける。

 例えツイッター等の言葉の表面に現れなくても、その内心に一過性ではなく、十分にエスカレートさせていく余地を見なければならなかったはずだ。

 女性が万が一の事態を予想して武蔵野署にイベントがあることを伝えた以上、最近の若者が簡単に殺意を抱き、簡単に人を殺してしまう社会的傾向をも考え併せて、110番があってからの対応ではなく、イベント会場に一人や二人の警官を張り込ませる方法をなぜ取らなかったのだろう。

 刺された女性自身が最悪か最悪に近い事態を想定して警察に知らせておきながら、警察自体が最悪に近い事態も最悪の事態も想定できなかった、その危機管理という逆説は余りにも滑稽に過ぎる。

 危機管理とは最悪の事態を想定して、想定した最悪の事態が起きないよう、その予防に前以て備えることを言うが、そのためには例え空振りになろうと過剰に反応することが求められる。

 だが、今回のストーカー事件では過剰な反応どころか、110番があるまで待つという最悪の事態想定から程遠い、危機管理とは言えない“ぬるい”危機管理ととなっていた。

 これまでも三鷹ストーカー事件、館林ストーカー殺人事件、市川市ストーカー事件等々、警察は相談を受けていながら、満足に危機管理を機能させることができず、多くの若い女性を犠牲にしてきた。

 ストーカーに関わる危機管理について何も学習していなかったことになる。何度同じことを繰返すのだろうか。

 (青文字個所、5月23日13:19加筆)

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舛添要一のカネの使い道は自己愛性パーソナリティ障害から発し、自己偉大性証明の表現なのか

2016-05-22 12:12:26 | 政治


 「自己愛性パーソナリティ障害」(自己愛性人格障害)とは、「ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害(人格障害)の一類型」だと「Wikipedia」に紹介されている。

 ありのままの自分とはかけ離れているにも関わらず、「自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならない」という強度の内的欲求を持った場合、自ずと自己が偉大であることの証明(=自己偉大性の証明)を何かで表現することになる。

 例えば事業を起こして成功して、何十億という資産を得た。成功という結果を得て、自分なりの偉大性の証明としてこれくらいの家に住んでもいいのではないのかと周囲から見ると目を見張るような豪邸を建てて住む。いわば豪邸は成功の一つの形、その証明であって、そこに住む自身の成功を、あるいは成功した自身そのものを豪邸によって表現させたことになる。

 但しこのような場合は事業の成功を原因として豪邸生活を結果としていることになって、あくまでも原因と結果が吊り合っている。

 だが、自身の職業で成功もしていないのに親のカネやあるいは借金で豪邸を建て、その豪邸や豪邸での生活を自己の偉大性を証明するための表現の一つとした場合、ありのままの自身の姿を受け入れることができずに自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在だと見せかけているに過ぎない、明らかに自己愛性パーソナリティ障害」(自己愛性人格障害)からの何ら根拠も何もない自己偉大性の証明ということになる。

 舛添要一の場合は自民党時代に厚労相を2年程務め、それなりの実績を残し、野党自民党の谷垣禎一総裁時代の2010年、「総理大臣を任せたい国会議員」の世論調査で鳩山首相8%、谷垣1%に対して舛添13%と堂々の1位の期待を掛けれれていたが、総裁選に立候補できず、その後自民党離党等を経て2014年2月9日投開票の都知事選に当選、都知事となったものの、何らかの職業や技能でそれなりの資産を得ているわけではない。

 このことは政治活動の主原資を親からの遺産でもないし、自身のカネでもないし、政党交付金に置いていることが証明してくれるが、政党交付金依存を5月20日付「毎日jp」記事が伝えている。

 2010年から2014年の政治資金収入。

 国からの政党交付金1億3400万円
 企業献金+個人献金約790万円
 政治資金パーティー券収入約1931万円

 記事は桝添の個人献金の少なさの比較として「生活の党と山本太郎となかまたち」共同代表の山本太郎参院議員の政治団体の2014年1年間に限った個人献金額約1978万円を挙げている。

 親の遺産を受け継いでいないことは、「Wikipedia」「舛添要一」が証明してくれる。

 〈「生い立ち」

 福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に父・彌次郎、母・ユキノ(母は長野県駒ケ根市の小池家の出身)の長男として生まれた。4人の姉がいる。

 父は戦前、鞍手で炭鉱を経営するなど様々な事業を手がけ、昭和5年の若松市議会選挙に立憲民政党陣営から立候補したこともあった(次点で落選)。戦争で零落したものの、要一の幼少時は青果店を経営し、比較的裕福な家庭に育ったが、小学2年の時の火災をきっかけに父が病臥(要一が中2の時に死去)、家業も傾き、以後は貧困の中で苦学した。〉――

 だが、苦しい生活の中で勉学に励み、東大に合格、入学・卒業して、東京大学法学部政治学科助手や東京大学教養学部政治学助教授等を経て、国際政治学者として活躍、その後政治家の道に進むことになる。

 苦学して東大に入ったということだけで、かなりの自尊意識を持つに至ったとしても不思議はない。舛添要一が相当な自尊意識の持ち主であることは舛添要一の公式サイト「ますぞえ要一」に書いてあるプロフィールの中の一節が明らかにする。 

 「舛添家は江戸時代から続く庄屋の家系」・・・・・

 この一節のあとに東大までの学歴やその学歴によって得た職業上の経歴が続く。

 いわば唯の家系・家柄ではない。舛添家は江戸時代から続く庄屋の家系であって、東大卒や東大教養学部政治学助教授といった経歴も都知事としての現在の経歴もそれ相応の背景があるのだと、自らの出自と現在の経歴の双方を相互に価値づけて、暗に自己偉大性の証明としている。

 いわば生まれと言い、現在の東大やその他を経た経歴と言い、自分はただ者ではないぞと自己の偉大さを証明しているのと同じで、家系や学歴・経歴をその証明の表現としているということであって、その自尊意識は相当なものがあるはずだ。

 但し自己偉大性の証明の一つとしている自尊意識の元々の根拠としている「江戸時代から続く庄屋の家系」は個人性とは関係のない単なる格式に過ぎない。格式と個人性が常に一致して格式が優秀な個人性を保証するとなったなら、格式のない家からは優秀な個人性を持った人間は出ないことになる。

 格式が個人性と一致しなければ、その格式は単なる形式に堕す。

 東大入・卒等の経歴にしても、単なる格式に過ぎない。実質的には自己偉大性の証明とすることはできない。その経歴が人間の生存に役立つ何かを創造する力を発揮し得たとき初めて格式を抜け出し、学歴や経歴は実質性を獲得して優秀な個人性へと繋がって自己偉大性の証明の表現とし得る。

 発揮し得なければ、格式は唯の空虚な形式を表すだけとなる。

 要するに桝添は自身のサイトのプロフィールに「舛添家は江戸時代から続く庄屋の家系」だと紹介した時点で既に形式に自尊意識の根拠を置き、形式を以って自己偉大性証明の表現としたことになる。

 家系や学歴や経歴といった格式が個人性と結びつかないとき、それらは実質的には確かな有意義性を与えてくれないし、当然、自己偉大性証明の表現とはなり得ない。

 高い自尊意識を持ちながら、自尊意識の根拠としている形式が確かな有意義性を与えてくれないとき、人間は他の何かで自尊意識を満足させ、自己偉大性証明の表現としようとする。

 この記事の最初の方で、〈ありのままの自分とはかけ離れているにも関わらず、「自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならない」という強度の内的欲求を持った場合、自ずと自己が偉大であることの証明(=自己偉大性の証明)を何かで表現することになる〉と書いたが、このことの言い替えである。

 その何かが舛添要一にとってはそのカネの使い道に現れていると言うことのように思えて仕方がない。

 都民の税金でありながら、2015年にはパリとロンドン7日間の海外出張に総勢20名で5000万円もかけた豪勢さに自己存在の有意義性を見い出し、自己偉大性証明の表現としていたのではないのだろうか。

 正月の家族旅行の宿泊代16、7万円もするホテルに宿泊し、そこで会議も行ったからと政治活動費から支払っているが、自身のカネを節約するだけには見えない。

 人間はカネのかかる豪華なホテルに泊まると、誰しも偉い人間になった気がする。問題はその偉さが実質性を備えているかどうかである。備えてもいずに豪華なホテルに泊まることで自身の偉さの表現手段とし、そこに有意義性を見い出そうとする場合、高額なホテル宿泊代は自己愛性パーソナリティ障害から発した満たされない自己偉大性証明の表現で終わる。

 公用車で湯河原の別荘まで自身を送らせたのも、ガソリン代の節約だけではなく、後部座席に都知事として座ることで、湯河原に到着するまでの時間、自身の地位を特別なものと味わい、自己偉大性証明の表現としたかったからではないだろうか。

 
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