安倍・菅内閣の「感染拡大防止と社会経済活動の両立」の相互矛盾の国民騙しとPCR検査体制の欠陥

2021-01-25 11:09:19 | 政治
 「感染拡大防止と社会経済活動の両立」は相互に矛盾するテーマであって、安倍内閣も菅内閣もそのことを認識せずに「両立」を進めていたのか、認識していたが、感染拡大を無視して社会経済活動を優先させたいばっかりに前者を無視していることを隠すために体裁よく「両立」を掲げたのか、どちらなのだろう。

 認識していなかったとしたら、鈍感過ぎるということになって、政権担当能力に疑問符がつくことになる。矛盾していることを認識していながら、「両立」を言っていたとしたら、国民を騙していたことになる。現実問題としても感染拡大が経済を圧迫しているのだから、両立の矛盾を認識していて、国民騙しの手として使っていたに違いない。

 「ある程度の感染拡大を無視して社会経済活動を推進する。感染拡大が一定限度を超えるようなら、社会経済活動にブレーキを掛けて、感染を抑える政策に転換する」としていたなら、国民を騙す相互矛盾を曝け出すこともなかったはずだ。

 新型コロナウイルスの感染の増加が止まらない状況を受けて、安倍政権は政府は2020年4月7日に緊急事態宣言を発令した。対象地域は感染が拡大している東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県。宣言の効力は5月6日までと決めた。安倍晋三は緊急事態宣言発令当日の記者会見で、「人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます」と請け合った。

 感染が7都府県にとどまらず、全国に拡大する気配に2020年4月16日に対象地域を全国に拡大、当初の7都府県に北海道、茨城、石川、岐阜、愛知、京都の6道府県を加えた13の都道府県を「特定警戒都道府県」に指定した。

 「人と人との接触機会の削減」とは外出自粛という名目の人の移動制限に他ならない。人の移動制限こそが密閉・密集・密接の3密回避の否応もなしの実現をもたらし、最大のコロナ感染拡大防止策となると見做した。緊急事態宣言によって3密回避の人の移動制限を全国に掛けたことになる。

 人の移動制限は当然、感染拡大の防止に役立ったものの、同時に消費活動を停滞させ、消費活動の停滞は当然、生産活動の停滞を招き、両活動の停滞=需要と供給双方の停滞は結果として社会経済活動の縮小を道理とすることになった。

 具体的にはこの人の移動制限によって倒産件数の増加や生産活動に於ける収入の減少等の社会経済活動の縮小と同時にコロナ感染が抑えられるに至り、2020年5月14日に39の県で緊急事態宣言の解除決定を下し、5月21日に大阪府、京都府、兵庫県について緊急事態宣言を解除、5月25日に全国的に解除決定を下した。人の移動制限の解除である。マスクをすること、手洗いをすること、3密を回避することの条件は維持したままだったが、3密は人の移動と増減関係をなす。人の移動が活溌になれば、3密は緩くなる。

 3密をなし崩しにするこの再びの人の移動の活溌化に伴って社会経済活動も活溌化することになって、2020年7始めから8月中旬までの第2波と言われる、第1波よりも感染者数が圧倒的に多い感染拡大期が訪れることになった。「両立」など元々あり得なかった。

 第2波を迎えてから、飲食店の営業時間の短縮や不要不急の外出の自粛(=移動制限)を呼びかけ、その呼びかけに生活者もそれなりに応じたこともあって、感染者数が下降線を取り始めた。

 ところが安倍内閣は相変わらず「感染拡大防止と社会経済活動の両立」の名の下、コロナ感染の第1波と第2波の影響で低下した社会経済活動の回復、消費と生産の需要と供給の喚起事業として感染拡大防止とは逆行することになる人の移動を積極的に促すことになるGo Toトラベル、Go Toイート、Go To イベント、Go To 商店街等のGo Toキャンペーンを繰り広げることになり、先行して政府のカネで一定金額の割引やクーポン券を与えるGo Toトラベルが2020年7月22日以降からの旅行に適用されることになった。

 この人の移動の積極的呼び掛けが感染拡大に効果テキメンだったことは当然の成り行きであった。最初に断ったように「感染拡大防止と社会経済活動の両立」など相互矛盾するテーマだからだ。

 2020年12月25日記者会見の冒頭発言の最後に菅義偉は感染の急拡大を認めつつ、「国、自治体のリーダーが、更なる市民の協力を得るべく、一体感を持って、明確なメッセージと具体的な対策を提示することが必要で、こうした急所を国、自治体、国民、事業者が一体となって行えば、私は、今の感染状況を下方に転ずることは可能だと思っています」と見通しを述べ、質疑で、「緊急事態宣言についてであります。緊急事態宣言については尾身会長からも、今は緊急事態宣言を出すような状況ではない、こうした発言があったことを私は承知しています」と尾身茂が会長を務める政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の主張に同調することを明らかにしている。

 ところが、「今は緊急事態宣言を出すような状況ではない」と言っていながら、2週間も経たない2021年1月7日になって、東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏4都県を対象として期間は8日から2月7日までの1カ月間とした緊急事態宣言の再発令、さらに1月13日に栃木、岐阜、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡の7府県を再発令の区域に加えることになった。主な柱は飲食店に対する営業時間午後8時まで、酒類提供は午前11時から午後7時まで。午後8時以降の不要不急の外出自粛等となっている。

 要するに人の移動制限に他ならない。感染防止にはそれしか手がないからであり、この点からも「両立」は相矛盾するテーマであり、夢物語とさえ指摘することができる。

 東京都の場合、緊急事態宣言の再発令の2020年1月7日に初の2000人超えとなり、8日、9日と2000人を超え続けて、それ以降、1500人前後か、1000人前後で推移している。人の移動制限が厳格に実施されれば、そのまま3密回避となって現れ、消費・生産両活動の低迷による社会経済活動の低下を招きながらも、感染の減少に向かうはずだ。

 但し人の移動制限が反映されず、3密回避に繋がり得ない老人施設や介護施設、一般家庭の場合はPCR検査を頻繁に行って、感染者をピックアプ、3密回避可能な場所に収容して、他への感染を防いでいくしかない。2021年1月21日の時点で新型コロナウイルスに感染した自宅療養者は関東の1都6県で2万2410人に上っているとNHK NEWS WEB記事が伝えていた。大邸宅に住んでいるなら兎も角、一般家庭でどう人の移動制限・3密回避を可能にできるというのだろうか。
大体が家庭内感染が最多となっていて、濃厚接触者の内訳も「家庭内」が最多、それ以下「会食」、「施設内」、「職場内」が上位を占めている。

 特に菅内閣は「社会経済活動」の名の下、Go toキャンペンで人の移動を推奨しながら、感染の有無を判定して感染者をピックアップ、隔離に導くことで次なる感染の芽を潰して感染拡大防止の繋げていくためのPCR検査の回数増加を怠ってきた。2020年4月28日時点でちょっと古いが、経済協力開発機構加盟国36カ国中、1000人当たりの日本のPCR検査数は1.8人で、最小のメキシコ0.4人に次ぐ下から2番目となっている。

 なぜこうも少ないのか、ネットを探る内にPCR検査に関する尾身茂の講演記事に出会った。ここに記事全文を拝借することにした。 
 
 「無症状者にPCR検査しても感染は抑えられない」と尾身氏(日経ビジネス/2020年10月16日)
  
 橋本 宗明 日経ビジネス編集委員 日経バイオテク編集委員

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の尾身茂氏(地域医療機能推進機構理事長)は10月14日、横浜市で開催されたBioJapan2020というバイオ産業のイベントで基調講演を行った。日本の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策は「準備不足の状態で始まったが、医療関係者、保健所スタッフ、一般市民の協力のおかげで何とかここまでしのいできた」と語った。

 講演で尾身氏が特に時間をかけて説明したのはPCR検査に関してだ。「今よりもっとPCR検査を充実させるべきだというコンセンサスはできている。ただし、増やしたキャパシティーをどういう目的で使うのかという点にはコンセンサスができていない。費用負担の問題や、感染者が見つかった場合にどうするかなど、国民的なコンセンサスを得るべきだ」と指摘した。

 PCR検査に関して尾身氏が強調した点は、「PCR検査を増やした結果、感染を抑えられたという証拠がない」という点だ。まずPCR検査の性質として、感染3日後から約3週間は陽性が続くが、実際に感染性を有するのは感染3日目から12日間程度で、PCR検査で陽性が出る期間のうち感染性があるのは半分程度、つまり、誰にでも検査を行った場合、陽性者の約半分は感染性がないと考えられることを紹介した。

 その上で、「症状がある人が検査を受けられないという状況はあってはならない。有症状者には最優先で検査を行うべきだ。また、濃厚接触者や発生したクラスターに関わっている人など、症状がなくても感染リスクが高いと考えられる人に対しても、徹底的に検査をすべきだ」と述べた。

 検査数増で、感染を抑え込めた証拠はない

 感染リスクが低い無症状者が検査を受けることに関しては、「経済活動に参加できるよう、安心のために検査を受けるというのは理解できる」としながらも、「感染拡大の防止には役立たない」と指摘。各国における検査数と感染者数の比較や、経時的な変化を分析したデータを示しながら、次のように述べた。

 「検査数と感染者数に相関は見られるものの、検査数を増やしただけで、感染を抑え込めたという証拠はない。検査は重要なツールだし、私自身ももっと増やすべきだと思っているが、リスクが低いところに検査をしても実効再生産数(1人の感染者から何人に感染するかを示す指標)を下げる効果はない。メリハリの利いた検査を行うことが重要だ」

 一方で、各国の人口当たりの累積検査数を累積死亡数で割った数字を示した上で、「死亡者数当たりの検査数で見れば、日本は比較的多くの検査をやってきた」とも語った。

 PCR検査に関しては、このところ希望者に自費で実施する医療機関も増えている。安心のためにこうした検査を受診すること自体を否定するものではないが、公衆衛生施策の一環で、希望者全員に検査を行うことには改めて否定的な考えを示した格好だ。

 5人の感染者のうち4人は他人に感染させない

 この他尾身氏は、日本が行ってきたクラスター対策について、以下のように語った。

 「新型コロナウイルスは5人の感染者のうち4人は他人に感染させないが、1人が多数に感染させるという性質を持つ。だから感染者が見つかったときに、その濃厚接触者が発症しないかを追跡するだけでなく、感染者の行動を遡って調査して、共通の行動があったかを突き止めて、クラスターが見つかればその周辺をしっかりと検査することをやってきた」

 「このクラスター対策は、日本や台湾など一部の国でしかやっていないが、小さなクラスターを見つけて早い段階で対策して次に広がらないようにすることが重要だ」

 今後の対策としては「検査体制のさらなる強化」「冬に備えた医療体制の準備」とともに、「クラスター発生時のより迅速な対応」が重要だと述べた。

 さらに、今後の不安解消の要因として、治療薬やワクチンの他に、重症化するか否かを見分ける方法の重要性に言及。国立国際医療研究センターが発表した「CCL17」という物質を挙げて、「早い時点で治療できるという点で、安心につながる研究成果だ」などと語った。

 国立国際医療研究センターは9月に、「重症・重篤化へ至る患者は、新型コロナウイルスに感染した初期から、血液中のCCL17の濃度が基準値以下になることが分かった」と発表している。

 PCR検査に関しての尾身氏の強調点。〈「PCR検査を増やした結果、感染を抑えられたという証拠がない」という点に集約することができる。ここにPCR検査回数の増加に不熱心な姿勢が現れている。勿論、理由・根拠があってことなのだろう。

 〈まずPCR検査の性質として、感染3日後から約3週間は陽性が続くが、実際に感染性を有するのは感染3日目から12日間程度で、PCR検査で陽性が出る期間のうち感染性があるのは半分程度、つまり、誰にでも検査を行った場合、陽性者の約半分は感染性がないと考えられることを紹介した。〉

 PCR検査の成果について纏めてみる。

1.PCR検査で陽性が出る期間のうち感染性があるのは半分程度。
2.誰にでも検査を行った場合、陽性者の約半分は感染性がないと考えられる。
3.陽性は約3週間持続するが、持続期間中の1日目・2日目は無感染性の陽性。
3.感染3日目~12日目程度の約10日間は有感染性の陽性。
4.陽性持続期間の約21日目までの残り9日間は無感染性の陽性。
 
 と言うことは、感染3日目~12日目程度の約10日間のみが有感染性の陽性ということになる。

 にも関わらず、〈感染リスクが低い無症状者が検査を受けることに関しては、「経済活動に参加できるよう、安心のために検査を受けるというのは理解できる」としながらも、「感染拡大の防止には役立たない」〉という結論に至ったことを示すことになる。この結論が、「PCR検査を増やした結果、感染を抑えられたという証拠がない」の次なる結論に繋がっていることになる。

 要するに感染リスクが低い無症状者にPCR検査を実施するよりも、咳や発熱や、味覚症状の異変が出た有症状者を重点にPCR検査を実施しないことには感染拡大の防止には役立たないと主張していることになる。
 
 PCR検査に関わるこの主張の具体的な説明が次の発言となる。

 「検査数と感染者数に相関は見られるものの、検査数を増やしただけで、感染を抑え込めたという証拠はない。検査は重要なツールだし、私自身ももっと増やすべきだと思っているが、リスクが低いところに検査をしても実効再生産数(1人の感染者から何人に感染するかを示す指標)を下げる効果はない。メリハリの利いた検査を行うことが重要だ」

 要するに感染リスクが低い無症状者に対するPCR検査よりも、既に発症した感染リスクが高い有症状者に対するPCR検査を重点的に行うか、老人ホームや介護施設、あるいは飲食店等で感染者が出た場合、その濃厚接触者が無症状であっても、積極的にPCR検査を行って、感染の有無を判定、感染していた場合は特に高齢者は重症化の危険性を抱えているゆえに即入院・治療に備えるための「メリハリの利いた検査を行うことが重要だ」としている。

 この方法論が次の発言に繋がっている。「新型コロナウイルスは5人の感染者のうち4人は他人に感染させないが、1人が多数に感染させるという性質を持つ。だから感染者が見つかったときに、その濃厚接触者が発症しないかを追跡するだけでなく、感染者の行動を遡って調査して、共通の行動があったかを突き止めて、クラスターが見つかればその周辺をしっかりと検査することをやってきた」
 
 だが、尾身氏のこれらの主張は濃厚接触者以外の無症状者全員に対して陰性を前提としていることになって、「誰にでも検査を行った場合、陽性者の約半分は感染性がないと考えられる」との自身の指摘が意味することになる、残りの約半数は有感染性があるとしていることと矛盾することになる。

 具体的にはPCR検査を実施することで判明することになる陽性無症状者の感染3日目~12日目程度の約10日間の有感染性を問題外、あるいは小さな問題としてPCR検査は必要ないとしていることの矛盾である。

 尾身茂は政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長を務めている。新型コロナウイルス感染症対策本部の下に新設され、2020年7月3日廃止の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の副座長も務めていた。当然、政府のPCR検査に関わる対策に影響することになる。

 尾身茂の上記2020年10月16日の横浜市での講演6日前の2020年6月10日の衆議院予算委員会。

 志位和夫(共産党委員長)「この緊急提言の考え方というのは、これまでのような強い症状が出た有症者に対して受動的な検査を行うのではなくて、発想を転換して、無症状者も含めて検査対象者を適切かつ大規模に拡大し、先手を打って感染拡大を封じ込める攻めの戦略を行おうというものです。

 総理に伺いたい。私は、第二波に備えて、再度の緊急事態宣言を回避しなきゃならない、回避するためには、この緊急提言は積極的で合理的提案だと考えます。受動的検査から積極的検査への戦略的転換を政府として宣言し、断固として実行に移すべきではありませんか、総理」

 安倍晋三「PCR検査については医師が必要と判断した方や、あるいは、症状の有無にかかわらず、濃厚接触者の方が確実に検査を受けられるようにすることが重要であると考えています。

 また、医療・介護従事者や入院患者等に対しても、感染が疑われる場合は、症状の有無にかかわらず検査を行うこととしています」

 共産党委員長志位和夫の「受動的PCR検査から無症状者も含めた積極的PCR検査への戦略的転換」を行うべきではないかという提案に対して安倍晋三は「医師が必要と判断した方」と「濃厚接触者」と「感染が疑われる場合」の3ケースにPCR検査を限定している。「医師が必要と判断した方」とは既にコロナ感染の症状が出ていて、感染が疑われるケースで、PCR検査は当然としなければならない。「濃厚接触者」は症状が出ていなくても、感染者と密な関係性にあったことからウイルスを吸い込んでいる危険性が疑われるケースで、これもPCR検査で感染の有無の判定が必要となる。

 この2ケース以外の「感染が疑われる場合」とはコロナ感染のいずれかの症状が出ていることを指すのだろう。でなければ、感染を疑われることはない。いずれの場合も経験的な因果関係から感染の可能性が目や頭で判断できるものばかりで、感染の疑わしい状況が発生するまでを待つ、待ちの姿勢のPCR検査でしかない。それ以外はPCR検査から除外されている。

 安倍晋三のPCR検査を必要とする対象は尾身茂が「感染リスクが低い無症状者」に対してPCR検査をしても「感染拡大の防止には役立たない」と指摘していること、「リスクが低いところに検査をしても実効再生産数(1人の感染者から何人に感染するかを示す指標)を下げる効果はない」と指摘していること、「メリハリの利いた検査を行うことが重要だ」と指摘していることと対応している。

 東京都の場合、PCR検査による感染判明者のうちの約半数前後が感染経路不明者である。つまり誰が感染源となったのか不明の、感染者の半数前後を占めるウイルス保有者が市中に存在していることになる。中には一定時間の経過後に発症するケースもあるだろうし、無症状のまま、ウイルスが消滅する場合もあるだろう。

 発症した場合、自らPCR検査を受けることになって、陰性と判断された場合は隔離されることになるが、そのような陽性者の全てが感染経路が判明するとは限らず、やはり感染経路不明者が出てきて、感染源となったウイルス保有者が一定期間は無症状のまま、あるいはウイルスが抜けるまで無症状のまま市中に存在する状況は続く。

 但し尾身茂が指摘したようにPCR検査の結果、陽性と判断された感染者のうち約半分は感染性がないという知見からすると、感染経路が不明のままのウイルス保有者が一般人と混じって生活していたとしても、他人に感染させることはないから心配することはないが、残りの半数の感染性を有する陽性者の場合は感染3日目から12日目程度の約10日間はその感染性を維持するとしているとしていることと、「新型コロナウイルスは5人の感染者のうち4人は他人に感染させないが、1人が多数に感染させるという性質を持つ」点からして、その半数が感染性がない陽性者であるものの、残りの半数は感染性のある陽性者で、そのうちの何人かが無症状のまま推移して誰かに感染させるという循環を繰り返すことになっていないと断言できないことになる。

 そしてこういった陽性者に対してはPCR検査の対象から除外されている。例えそうであったとしても、緊急事態宣言を使って人の移動に制限を掛けた場合、それが3密回避の条件となって、有感染性の無症状者による感染拡大を難しくすることになるが、緊急事態宣言を解除して人の移動が活溌になると、3密の条件が自ずと崩されて、再び感染が拡大する。これが今までの推移であったはずだ。

 そう遠くない時期にワクチン接種によって感染が終息することになるだろうという予測は許されない。2021年1月23日時点でコロナ感染による死者は全国で5000人を超えて5064人となっている。安倍晋三も菅義偉も「国民の命と暮らしを守る」と言いながら、守ることができていない上に暮しを維持できなくなって、倒産や廃業に追い込まれる事例が多発している。10年連続で減少していた自殺者数は2020年に増加に転じて、速報値で2万919人にも上ったとマスコミは伝えている。女性や若年層の増加を特徴としているとのことだが、増加の原因を新型コロナウイルスの感染拡大に伴う外出自粛や生活環境の変化が影響した恐れがあると報道されている。どの年代の自殺であっても、その全てがコロナと無関係とは言い切れない。

 要するにコロナ感染が「命と暮し」に現在進行形で影響を与えている以上、その現在進行形を無視して、未来の期待を述べることは許されない。

 PCR検査費用が医師の判断により感染が疑わしい場合と濃厚接触者の場合のみが行政検体として公費で受けることができるということも政府のPCR検査の重点的な対象範囲から当然のことだが、自費検査の場合は3万円前後もかかるという費用の点からも、有感染性の無症状者を野放しにしてきて、「命と暮しを守る」ことができなかったことの結果としてある、死者や生活破綻者を世に送り出してきた状況も当然ということになる。

 現実も教えていることだが、両立するはずもない「感染拡大防止と社会経済活動の両立」を掲げてきた国民騙しを続けてきたこととPCR検査対象を網羅的にして、徹底的に感染抑止に持っていく強い意志を示すことができなかった不備は尾身茂や安倍晋三に限ったことではなく、菅義偉の姿勢にも当然のことながら見受けることができる。

 衆議院本会議代表質問2020年10月29日。

 志位和夫「日本のPCR検査の人口比での実施数は世界152位。必要な検査がなお実施されていません。総理にはその自覚がありますか。

 無症状の感染者を把握、保護することを含めた積極的検査への戦略的転換を宣言し、実行に移すべきではありませんか。国の責任で、感染急増地、ホットスポットとなるリスクのあるところに網羅的な検査を行うこと、病院、介護施設、保育園等に対して社会的検査を行うことを求めます。感染追跡を専門に行うトレーサーの増員など、保健所の体制強化を求めます。

 多くの自治体が独自にPCR検査の拡充に乗り出していますが、行政検査として行う場合、費用の半分が自治体負担となることが検査拡充の足かせとなっています。全額国庫負担による検査の仕組みをつくるべきではありませんか」

 菅義偉「検査の国際比較についてお尋ねがありました。

 我が国と他国では感染状況などが異なることから、PCR検査の実績の人口比で一概に評価することは難しいと考えております。

 その上で、我が国における1週当たりの検査数としては、4月上旬に約5万件あったのが、感染者数のピーク時における8月上旬には17万件を超え、直近の一週間でも約15万件となっており、全体として検査体制は向上していると認識しており、今後、冬の季節性インフルエンザの流行期も含めて、必要な方が迅速、スムーズに検査を受けられるよう、引き続き検査体制を強化してまいります。

 新型コロナウイルス感染症に係る検査の拡充についてお尋ねがありました。

 医療機関や高齢者施設等に勤務する方や入院、入所者、さらには感染者の濃厚接触者等に対しては、既に、無症状であっても行政検査の対象とするなど、積極的な検査を実施しているところです」

 1週当たりの検査数を「4月上旬に約5万件」、「感染者数のピーク時における8月上旬には17万件」、「直近の一週間でも約15万件」とその検査数をいくら誇ろうとも、検査対象を「医療機関や高齢者施設等に勤務する方や入院、入所者、さらには感染者の濃厚接触者等」に限定して、感染者の約半数を占める感染経路不明の、その多くが無症状と考えられるウイルス保有者を放置していたままでいた結果、決定的な感染防止に向かわずに緊急事態宣言の再発令となったのだから、、何の意味もない。

 この意味のないことに意味がないと気づかずに現在に至っているという点では尾身茂にしても、安倍晋三にしても、菅義偉にしても同罪であって、その罪は重い。

 2021年1月20日の衆議院代表質問での共産党委員長志位和夫の質問に対する菅義偉の答弁も何も変わらない。

 「志位和夫質問」(しんぶん赤旗/2021年1月20日)

 志位和夫「総理は、『緊急事態宣言』の発令にさいして、飲食店への時間短縮要請など「四つの対策」を呼びかけましたが、そのどれもが国民に対して努力を求めるものとなっています。その一つひとつは必要なものだと考えますが、それでは、政府として感染抑止のためにどのような積極的方策をとるのか。それがまったく見えません。私は、ここに政府の対応の深刻な問題点があると考えます。

 いま政府が何をなすべきか。私は、三つの緊急提案を行うものです。

 第一はPCR等検査を抜本的に拡充し、無症状者を含めた感染者を把握・保護することによって、新規感染者を減らすことです。

 新型コロナの厄介な特徴は、無症状感染者が知らず知らずのうちに感染を広げてしまうことにあります。ところが政府は、検査によって無症状感染者を把握・保護するという、積極的検査戦略を一貫して持ってきませんでした。

 本庶佑氏、山中伸弥氏らノーベル医学生理学賞を受賞した4氏は、1月8日、声明を発表し、『PCR検査能力の大幅な拡充と無症候感染者の隔離を強化する』ことを提言しています。本庶氏は、『現在の最大の問題は無症候感染者だ』と強調し、日本の検査数が国際的にみて、『いまだに少ない。感染者の早期発見と隔離は医学の教科書に書いてある。なぜ厚労省が教科書に書いてあることをしないのか理解に苦しむ』と述べました。さらに、1日2000検体を処理できる完全自動のPCR検査機器を搭載したコンテナトレーラーが開発されていることも紹介し、『なぜやらないのか』と厳しく指摘しました。

 総理、この指摘をどう受け止めますか。政府として、無症状感染者を把握・保護する積極的検査戦略を持ち、実行すべきではありませんか。答弁を求めます」

 菅義偉の答弁はにPCR検査関してのみ取り上げる。

 菅義偉「無症状感染者の把握についてお尋ねがありました。感染者を早期に把握し、入院やホテル等の療養等の対応を行い、感染拡大を防ぐことが基本です。

 この為これまでも地方自治体と連携し、一応の検査を受けられるように検査体制の拡充を図ると共に感染拡大地域では症状のない方も含めた大規模集中的な検査を実質的に国の費用負担で実施できるようにしてきたところです。無症状、または軽症の30代以下の若年層が知らずしらずの内に感染を広げていると指摘されていることから、こうした方への呼び掛けを強化してまいります」

 本庶佑氏、山中伸弥氏らノーベル医学生理学賞を受賞した4氏が「PCR検査能力の大幅な拡充と無症候感染者の隔離を強化する」ことへの要請と本庶氏が、「現在の最大の問題は無症候感染者だ」と強調していることは尾身茂や安倍晋三、菅義偉の姿勢とは真っ向から異る。「最大の問題」である無症候感染者の隔離の強化はPCR検査の網を無差別・広範囲に掛けなければ、ウイルス保有の無症候感染者であるかどうかの判定は不可能とある。

 菅義偉は無症状感染者の早期の把握に関して、「感染者を早期に把握し、入院やホテル等の療養等の対応を行い、感染拡大を防ぐことが基本です」と、把握できた場合の無症状感染者の扱いの方法論を述べているのみで、どう「早期に把握」するのかの、出発点となる把握の方法論には何も触れていない。

 この無症状感染者を把握する方法論を確立しない限り、このことが出発点である限り、「感染拡大地域では症状のない方も含めた大規模集中的な検査を実質的に国の費用負担で実施できるようにしてきたところ」であったとしても、これまでと同様にコロナ感染の症状が現れて病院に検査に訪れるか、濃厚接触者の分類に入れられた場合のみのPCR検査となり、疑わしい状況が発生するまでを待つ、待ちの姿勢のPCR検査であることに変わりはない。

 待ちの姿勢に徹しているなら、「感染者を早期に把握し、入院やホテル等の療養等の対応を行い、感染拡大を防ぐことが基本です」としていることは従来の状況と何も変わらないことの説明にしかならない。

 「無症状、または軽症の30代以下の若年層が知らずしらずの内に感染を広げていると指摘されていることから、こうした方への呼び掛けを強化してまいります」
にしても、どういった方法を採用するのかの説明が一切ない。ウイルス保有者となっていながら、無症状のため、自分は感染しているとは思ってはいない30代以下の若年層が積極的にPCR検査に応じる自身に対する動機づけに対して感染して会社や周囲に迷惑がかかることになって自分のマイナス点となると考える、PCR検査に応じない自身に対する動機づけの優劣の問題が横たわっている。

 例え感染していたとしても、無症状であるなら、感染性の有無は半々で、有感染性の半数に入ったとしても、感染性が維持されるのは10日間程度で、それ以後はウイルスは抜けていくという情報を手に入れていた場合、後者の動機づけが優って、検査を受けない可能性が大きくなる。当然、自身は無症状のまま、他に感染させて、有症状に至らしめる事例も発生することになる。

 こういった事例を招かないためには会社単位や自治会単位で行政検査として公費負担で行えば、ウイルス保有の無症状者の多くが把握可能となる。この方法をまだ感染者数が少ないときの行っていたなら、感染拡大が現在のようにならなかっただけではなく、現在問題となっている病床逼迫の状況をも避けることができたはずである。

 安倍晋三と菅義偉のコロナ対策に関わる無策とその責任は重い。

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安倍晋三のペテンで獲ち取った2015年12月従軍慰安婦日韓合意 最大のペテンは「政府が発見した資料の中には」云々

2021-01-18 09:51:18 | 政治
 日本政府は1965年の日韓請求権・経済協力協定で慰安婦問題を含めて日韓間の財産・請求権の問題は完全かつ最終的に解決済みであるとの態度を取ってきた。だが、交渉過程での「日本側文書」に交渉に於ける日本側の基本的姿勢を証明することになる、当時の日本外務省の伊関アジア局長の構想が記録されている。

 「新規開示文書を参考にした日韓請求権問題の考察」 (李洋秀/2014.1.20補筆)から。

「日本としては補償金を支払うが如きことはできないが、韓国帰還と直接関連する形ではなく、例えば住宅の建設の如き間接的に帰還者のesettlement(再定住)の援助になる事業に対しては韓、日、米が3分の1ずつ金をcontribute(提供)する。ただし日本は日韓会談がまとまり、国交を正常化してからでないと支払わないから、それまでは米国側で日本の分を立替え支払うという構想」

 補償金とは犯した罪に対して支払う金銭を意味する。当然、補償金の支払いに応じることは何らかの罪を認めることを意味するだけではなく、どのような罪に対していくら補償したのかが記録され、その記録を後世にまで残すことになる。韓国側が要求した補償金支払いの補償項目は慰安婦や徴用工の未払給与や人的被害補償、あるいは精神的苦痛に対する補償となっている。そしてこの被徴用者には日本軍に徴用された韓国の軍人軍属を含んでいる。

 日本側は韓国側の要求を飲んで補償に応じ、補償金を支払った場合、慰安婦や徴用工等に関わる一大汚点を日本の歴史に残すことになると考えて、補償金という形ではなく、韓国側の徴用工の未払給与や人的被害補償その他の補償要求をすべて抑えて、無償3億米ドル、有償2億米ドルの合計5億米ドルと民間融資3億米ドルの経済協力協定という形に持っていき、経済協力の背後に汚点の全てを隠す一大ペテンに成功し、なおかつ韓国に対して経済援助という形の施す側に立った。

 全ては「日本としては補償金を支払うが如きことはできない」という最初からの基本姿勢を貫き通した結果である。

 だが、日本側が1965年の日韓請求権・経済協力協定で慰安婦問題を含めて日韓間の財産・請求権の問題は完全かつ最終的に解決済みであるとしているにも関わらず、韓国に於いて元徴用工らが日本企業を訴える賠償請求訴訟だけではなく、元慰安婦女性による日本政府を相手取った謝罪と損害賠償を求める訴訟が相次いだ。

 つまり日本側が1965年の日韓請求権・経済協力協定で慰安婦問題を含めて日韓間の財産・請求権の問題は完全かつ最終的に解決済みであるとしていることに効き目がないと見たのか、安倍晋三は2015年12月に日韓慰安婦合意という新たな一大ペテンとなる協定を結んで、改めて日韓慰安婦合意によって慰安婦の問題は完全かつ最終的に解決済みであるとの態度を取るようになった。

 この2015年日韓慰安婦合意がなぜ安倍晋三による一大ペテンなのかは後で証明する。

 2021年1月8日付NHK NEWS WEB記事が次のようなことを伝えていた。ソウルの地方裁判は韓国の元慰安婦女性12人が「反人道的な犯罪行為で精神的な苦痛を受けた」として日本政府を相手取って損害賠償を求めていた裁判で原告側の訴えを認め、日本政府に対して原告1人当たり1億ウォン、日本円にして約950万円の支払いを命じる判決を言い渡したと。

 この記事は触れていないが、2021年1月12日付「Newsweek」記事には今回の判決に至るまでの経緯が出ている。

 元慰安婦女性12人は2013年8月当初は慰謝料を求める民事調停を申し立てが、日本政府が訴訟関連書類の送達を拒絶したため調停が行われることはなかった。原告側は正式裁判への移行をソウル中央地裁に要請、地裁は2016年1月に正式裁判に移行。日本政府が訴訟関連書類の送達を再度拒絶したため、地裁は訴訟関連書類を受け取ったと見なす「公示送達」の手続きを取った。多分、日本政府が見ようが見まいが、訴訟関連書類をソウル中央地裁のサイトにでも掲示し、見たことにして裁判を開始したのだろう。「公示送達」は訴訟関連書類の送達を拒否したり、相手方が所在不明であったりした場合は裁判で広く認められている方法だという。

 5年をかけた裁判の結果が今回の判決ということになるが、日本政府が訴訟関連書類の送達を拒絶した理由は、上記NHK NEWS WEB記事によると、主権国家はほかの国の裁判権に服さないとされる国際法上の「主権免除」の原則を持ち出して訴えは却下されるべきだとしていた、つまり裁判そのものを認めなかったことによる。

 「主権免除」とは「コトバンク」の解説を借りると、〈主権国家およびその機関が、その行為あるいは財産をめぐる争訟について、外国の裁判所の管轄に服することを免除されること。国家の活動をその機能により主権的行為と私法的・商業的な性格をもつ業務管理的行為に分け、前者についてのみ裁判権免除が認められるとされる。〉ということになる。

 勿論、「主権免除」だけではなく、1965年の日韓請求権・経済協力協定と2015年日韓慰安婦合意が関連していることは同NHK NEWS WEB記事が伝えている加藤勝信の2021年1月12日午前記者会見発言からも明らかに読み取ることができる。

 加藤勝信「国際法上の主権免除の原則から、日本政府が韓国の裁判権に服することは認められず、本件訴訟は却下されなければならないとの立場を累次にわたり表明してきた。

 慰安婦問題を含め、日韓間の財産・請求権の問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定で、完全かつ最終的に解決済みであり、2015年の日韓合意において『最終的かつ不可逆的な解決』が両政府の間で確認もされている。それにも関わらず、このような判決が出されたことは極めて遺憾であり、日本政府として、断じて受け入れることはできない。極めて強く抗議した。

 韓国が国家として国際法違反を是正するために適切な措置を講じるよう強く求める。また今月13日に判決が予定されている類似の訴訟においても、訴訟は却下されなければならず、韓国政府が日韓合意に従って適切な対応をとることを強く求める」

 一大ペテンの上に成り立たせた1965年日韓請求権・経済協力協定であり、2015年日韓慰安婦合意となると、話は別である。

 同記事は加藤勝信が言っている「国際法上の主権免除の原則」についてのソウル中央地方裁判所の見解を載せている。〈「主権免除」の原則について「計画的かつ組織的に行われた反人道的な犯罪行為であり、適用されないとみるべきだ」〉と。

 つまりかつての日本軍の反人道的な犯罪行為に対する徹底的な断罪の必要上、主権免除は認められないとしていることになる。このソウル中央地裁の主権免除否認の理由は「[全訳]慰安婦訴訟についてのソウル中央地裁報道資料」(Yahoo!ニュース/2021/1/8(金) 12:37)によって詳しく知ることができる。

 先ず主権免除とはどういうことかの説明とその適用の例外の存在を述べてから、〈この事件の行為は日本帝国に依り計画的、組織的に広範囲にわたり恣行された反人道的犯罪行為として国際強行規範を違反したものであり、当時日本帝国に依り不法占領中だった韓半島内でわが国民である原告たちに対し恣行されたものとして、たとえこの事件の行為が国家の主権的行為であるとしても、国家免除を適用することはできず、例外的に大韓民国の法院に被告に対する裁判権があると見る。〉と裁判の正当性を主張している。

 この記事はまた「原告たちの請求要旨」についても触れている。

 〈原告たちは日本帝国が侵略戦争中に組織的で計画的に運営してきた'慰安婦'制度の被害者たちで、日本帝国は第二次世界大戦中、侵略戦争の遂行のために組織的・計画的に'慰安婦'制度を作り運営し、‘慰安婦’を動員する過程で植民地として占領中だった韓半島に居住していた原告たちを誘拐や拉致し、韓半島外へと強制移動させ、原告たちを慰安所に監禁したまま常時的な暴力、拷問、性暴行に露出させた。このような一連の行為(以下、‘この事件の行為’と通称する)は不法行為であることが明白で、このために原告たちが深刻な被害を負ったため被告にその慰謝料の一部として各100,000,000ウォンの支給を求める。〉

 ここに取り上げるまでもなく、この種の裁判に向けた訴訟理由は強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)に対する損害賠償で共通している。そして受けた扱いそのものについては韓国人元慰安婦女性だけではなく、インドネシア人元慰安婦女性も、台湾人元慰安婦女性も、フィリッピン人元慰安婦女性も、インドネシアで日本軍に民間人収容所に収容された、その多くが未成年であるオランダ人元慰安婦女性も証言している。

 では、2015年日韓慰安婦合意を見てみる。2015年12月28日、日本の外相岸田文雄と朴槿恵(パククネ)政権のユン韓国外相が韓国ソウルで両国間に横たわっていた従軍慰安婦問題で会談し、合意に至った。合意に至るについては安倍晋三ブレーン国家安全保障局長谷内正太郎と当時の大統領秘書室長李丙琪(イビョンギ)元駐日大使との間で秘密交渉が重ねられたとマスコミは伝えている。

 合意内容は「共同記者発表」(外務省HP/2015年12月28日)に記載されている。

〈1 岸田外務大臣

 (1)慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。

 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。〉――

 多数の女性を慰安婦という立場に貶めて、その名誉と尊厳を深く傷つける行為に当時の日本軍が関与していたという意味解釈となる。名誉と尊厳を深く傷つける行為とは、当然、元慰安婦女性の立場からしたら、強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)を内容としていることになる。

 あれ程日本軍の関与・日本軍の責任を認めてこなかった安倍晋三が到頭認めるに至った。日本国内の右翼及び右翼系政治家は安倍晋三の豹変に反発した。当時日本のこころ代表の中山恭子も同じである。

 2016年1月18日の参議院予算委員会

 中山恭子「今回の共同記者発表は極めて偏ったものであり、大きな問題を起こしたと考えております。共同記者発表では『慰安婦問題が当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本の責任を痛感している』。

 すべての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復の代替として日本のために戦った日本の軍人たちの名誉と尊厳が救いのない程に傷つけられています。さらに日本人全体がケダモノのように把えられ、日本の名誉が繰返しがつかない程、傷つけられています。

 外務大臣にお伺い致します。今回の共同発表が著しく国益を損なうものであることに思いを致さなかったのでしょうか」

 対して岸田文雄は、この合意は「従来から表明してきた歴代の内閣の立場を踏まえたものであり」、「この立場は全く変わっておりません」と答えている。

 この答弁に納得せず、中山恭子は質問を安倍晋三に変えて、なお追及している。

 中山恭子「安倍総理は、私たちの子や孫、その先の世代の子供たちにいつまでも謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかないと発言されています。私も同じ思いでございます。しかし、御覧いただきましたように、この日韓外相共同記者発表の直後から、事実とは異なる曲解された日本人観が拡散しています。

 日本政府が自ら日本の軍が元慰安婦の名誉と尊厳を深く傷つけたと認めたことで、日本が女性の性奴隷化を行った国であるなどとの見方が世界の中に定着することとなりました」

 安倍晋三「海外のプレスを含め正しくない事実による誹謗中傷があるのは事実でございます。性奴隷 あるいは 20万人 といった事実ではない。この批判を浴びせているのは事実でありまして、それに対しましては政府としては、それは事実ではないということはしっかりと示していきたいと思いますが、政府としてはこれまでに政府が発見した資料の中には、軍や官憲による所謂強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったという立場を辻本清美議員の質問主意書に対する答弁書として平成19年、これは第1次安倍内閣の時でありましたが、閣議決定をしておりまして、その立場には全く変わりがないということでございまして、改めて申し上げておきたいと思います。

 また 当時の軍の関与の下にというのは、慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであること、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送について旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与したこと、慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主にこれにあたったこと、であると従来から述べてきている通りであります。

 いずれにいたしましても重要なことは今回の合意が、今までの慰安婦問題についての取り組みと決定的に異なっておりまして、史上初めて日韓両政府が一緒になって慰安婦問題が最終的且つ不可逆的に解決されたことを確認した点にあるわけでありまして、私は私たちの子や孫そしてその先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかないと考えておりまして、今回の合意はその決意を実行に移すために決断したものであります」――

 中山恭子が「日本政府が自ら日本の軍が元慰安婦の名誉と尊厳を深く傷つけたと認めたことで、日本が女性の性奴隷化を行った国であるなどとの見方が世界の中に定着することとなりました」と言っていることは「共同記者発表」を素直に読めば、そのとおりの文脈になるのだから、当然なことだが、安倍晋三は日本軍の関与は「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送」と慰安婦募集を業者に要請したことに限定、強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)に関しては日本軍の関与を全面否定している。このことが一大ペテンとしている何よりの理由でなる。

 朴槿恵韓国大統領が元慰安婦の意思を無視してこのような結論でなぜ同意したのかは想像するしかないが、当時の韓国は経済低迷期にあった。2014年の4月からの経済成長率は3四半期連続の0%台で、2015年も同様の傾向が続くと予想されていた。経済苦境打開のために中国に接近したが、韓国経済は一向に改善しなかった。さらに大統領支持率が2014年4月16日の大型旅客船「セウォル(世越)」の転覆・沈没事故に対する救助活動の不手際や政府の危機管理能力に対する信頼低下を境にして40%台後半にまで一気に低下したこと、2014 年 12 月の大統領の元側近による国政介入疑惑を受けた人気低迷、さらに財閥支配の経済構造からの様々な矛盾の噴出と世界的な景気後退を受けて国家経済が低迷する中、歴史認識の違いを言っているどころではなくなり、日韓関係の改善を力とした政権運営の建て直しと国家経済の建て直しの背に腹は代えられない必要性に迫られて、「当時の軍の関与の下に」云々が強制連行と強制売春が行われたことを認めたものではなく、慰安所の設置や管理及び慰安婦の移送のみを意味しているに過ぎないことを弁えていながら、日本側の思惑に乗って2015年12月28日の従軍慰安婦日韓合意に至ったという可能性は否定できない。

 安倍晋三は強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)への日本軍関与否定のフレーズに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」を常に根拠としている。

 だが、このフレーズ自体が一大ペテンを用いて成り立たせているに過ぎない。

 当時民主党の辻元清美が安倍内閣に対して2013年5月16日に「バタビア臨時軍法会議の証拠資料」についての安倍首相の認識に関する質問主意書」を提出した。内容を簡単に纏めてみる。

 先ず安倍晋三の「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」という2007年3月1日の発言と「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」とする3月5日の参議院予算委員会での発言を取り上げてから、日本軍がインドネシア占領後に民間人収容所に強制入所させた民間オランダ人のうち、「Wikipedia」によると17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を強制的に慰安所に連行、日本軍兵士の強制売春相手とした蛮行に対して日本敗戦後、インドネシアを再度占領したオランダ軍が蛮行を主導した日本軍兵士をバタビア臨時軍法会議で裁くことになった。

 裁判資料はオランダ政府戦争犯罪調査局がオランダ人慰安婦女性の証言や日記、それ以外の証言に基づいて「強姦」、「強制的売淫のための婦女子の誘拐及び売淫の強制」、「抑留市民又は被拘禁者の虐待」等々の39の犯罪事項が列挙されていて、バタビア臨時軍法会議に証拠資料として提出され、採用されているとしている。

 この犯罪事項は韓国人元慰安婦女性の訴えの内容と共通している。

 そこで質問。最初の一点は省くが、軍法会議に提出された証拠資料のうち、〈日本軍の憲兵が女性を集める指示に直接的に関与していたことを示して〉いる箇所は〈軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」であると考えるか。政府の見解を示されたい。〉が一点。

 同資料の内、〈女性がその意志に反して強制的に連行されたことを示して〉いる箇所は〈「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」であると考えるか。政府の見解を示されたい。〉がもう一点。

 〈総じて当該資料は「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」資料であるという認識か。〉が一点。

 さらに別に当該資料に対する安倍自身の認識について質問している。

 資料が〈憲兵が女性を集める指示に直接的に関与していたことを示し〉ている箇所は、〈「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性」を示したものであると考えるか。〉

 〈女性がその意志に反して強制的に連行されたことを示して〉いる箇所は〈「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性」を示したものであると考えるか。〉

 〈安倍首相は、総じて当該資料は「当初、定義されていた強制性を裏付けるもの」であるという認識か。〉の三点。

 対する「答弁本文」(2013年5月24日)

 〈お尋ねについては、先の答弁書(2007年6月5日内閣衆質166第266号)一及び二についてでお答えしたとおりである。〉

 では、2007年6月5日の辻元清美の質問主意書に対する安倍内閣「答弁書本文」のみを見てみる。

 〈一及び二について

 連合国戦争犯罪法廷に対しては、御指摘の資料も含め、関係国から様々な資料が証拠として提出されたものと承知しているが、いずれにせよ、オランダ出身の慰安婦を含め、慰安婦問題に関する政府の基本的立場は、平成5年8月4日の内閣官房長官談話(河野談話)のとおりである。

 三について

 連合国戦争犯罪法廷の裁判については、御指摘のようなものも含め、法的な諸問題に関して様々な議論があることは承知しているが、いずれにせよ、我が国は、日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)第11条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。〉

 内容はこれだけとなっている。要するに辻元清美の「日本軍関与による強制連行なのかどうなのか」、「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性があったのかどうなのか」等の質問に直接的には何も答えていない。質問に直接答えないという姿勢は国会答弁でも頻繁に見せる安倍晋三十八番の手である。この遣り方も一種のペテンであろう。

 最後の文言から日本軍関与による人攫い同然の強制性の有無について安倍晋三自身がどう考えているのか探るしかない。再度その文言を改めて取り上げる。

 〈連合国戦争犯罪法廷の裁判については、御指摘のようなものも含め、法的な諸問題に関して様々な議論があることは承知しているが、いずれにせよ、我が国は、日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)第11条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。〉

 意味していることは連合国戦争犯罪法廷の正当性については法的な諸問題の面から様々な議論があるがと、その正当性に否定的態度を一応は示しているが、〈我が国は、日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)(サンフランシスコ平和条約のこと)第11条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。〉と述べて、裁判の過程と判決を受け入れたという態度を取っていることになる。つまり裁判そのものを、渋々だろうが、厭々だろうが、面従腹背だろうが受け入れた。

 裁判そのものを受け入れたということは当該裁判に対する原告の訴えの内容とその内容に対する判決を受け入れたことを意味する。訴えの内容はオランダ人慰安婦女性の証言や日記を元にして裁判所が証拠として取り上げ、罪状とした、主として「強姦」、「強制的売淫のための婦女子の誘拐及び売淫の強制」である。

 それが罪名となって、「Wikipedia」によると、BC級戦犯として11人が有罪とされた。軍人だけではなく、慰安所を経営していた日本人業者も入っていた。責任者である岡田慶治(出生地は広島県福山市)陸軍少佐には死刑が宣告、中心的役割をはたしたと目される大久保朝雄(仙台出身)陸軍大佐は戦後、日本に帰っていたが軍法会議終了前の1947年に自殺。慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定された。

 「強姦」、「強制的売淫のための婦女子の誘拐及び売淫の強制」の判決そのものを受諾し、安倍内閣が、あるいは安倍晋三自身が〈国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。〉としている以上、当該裁判の判決に反して、あるいは韓国人元慰安婦女性の裁判意思に反して、「官憲が家に乗り込んで人攫いのように連れて行くような強制性はなかった」とか、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による所謂強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とか、「日本軍の関与は慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送と慰安婦の募集を業者に当たらせたぐらいだ」といったことを国会その他で口にすることはバタビア臨時軍法会議を受諾しているとしていることに違反するペテンとなって、許されないことになる。

 大体が「政府が発見した資料の中には」云々自体がペテンでしかない。なぜならバタビア臨時軍法会議が慰安婦とされたオランダ人女性の証言や日記に基づいて証拠採用した裁判記録そのものを資料の中に入れていないからだ。

 要するに軍や官憲による強制連行を直接示すような記述のない資料だけを発見したことにして、強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)の事実を抹消するペテンをやらかした。そもそもからして韓国のみならず、台湾、フィリッピン、インドネシア等々、元慰安婦の証言が資料として残されているにも関わらず、政府発見の資料の中には入れないペテンを弄した。架空の事実を拵えて、「政府が発見した資料の中には」云々としてきた。強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)が事実として存在していたことの裏返しのペテン行為であろう。
まさしく最大のペテンである。

 かくまでも強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)の歴史的事実を認めまいとしている。かつての日本軍とかつての日本国家の不名誉となることを恐れている以外の理由を見つけることはできない。要するに戦前の日本国家を名誉ある偉大な存在と看做している。だから、「政府が発見した資料の中には」云々とする最大のペテンを働かざるを得なかった。

 日本政府の慰安婦に関わる資料発見が如何に恣意的に行われた最大のペテンだったのかを証明できる2013年10月15日付「asahi.com」記事、《慰安婦記録出版に「懸念」 日本公使がインドネシア側に》がある。

 内容は、〈駐インドネシア公使だった高須幸雄・国連事務次長が1993年8月、旧日本軍の慰安婦らの苦難を記録するインドネシア人作家の著作が発行されれば、両国関係に影響が出るとの懸念をインドネシア側に伝えていた。〉というもので、〈朝日新聞が情報公開で入手した外交文書などで分かった。〉としている。

 以下、記事の内容。〈日本政府が当時、韓国で沸騰した慰安婦問題が東南アジアへ広がるのを防ぐ外交を進めたことが明らかになったが、高須氏の動きは文学作品の発禁を促すものとみられ、当時のスハルト独裁政権の言論弾圧に加担したと受け取られかねない。

 当時の藤田公郎大使から羽田孜外相(細川内閣)宛の1993年8月23日付極秘公電によると、高須氏は8月20日にインドネシア側関係者と懇談し、作家の活動を紹介する記事が7月26日付毎日新聞に掲載されたと伝えた。

 この記事は、ノーベル賞候補だった作家のプラムディア・アナンタ・トゥール氏が、ジャワ島から1400キロ離れた島に戦時中に多数の少女が慰安婦として連れて行かれたと知り、取材を重ねて数百ページにまとめたと報じた。公電で作家とインドネシア側関係者の名前は黒塗りにされているが、作家は同氏とみられる。〉――

 ここで確認しておかなければならないことは「政府が発見した資料の中には」云々のフレーズを用いることになったキッカケを辻元清美が提出した質問主意書に対する2007年3月16日の 「政府答弁書」から見つけ出すことができる。

 〈お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成3年12月から平成5年8月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月4日の内閣官房長官談話(「河野談話」のこと)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。〉

 要するに「河野談話」を1993年8月4日に発表するに備えて政府が事実関係を調べるために漁った慰安婦関係の資料の中には強制連行と受け取れる箇所はなかったとの説明であって、この説明が強制性を否定するフレーズとして用いられるようになったということになる。

 では、上記「asahi.com」の記事に対する解釈に戻る。

 当時の駐インドネシア公使高須幸雄が「河野談話」発出の1993年8月4日から19日後の1993年8月23日に日本とインドネシアの関係悪化への懸念を持ち出して、作品の発禁を謀ったのは「政府が発見した資料の中には」云々のペテンでしかない歴史認識との調和を崩すわけにはいかなかったからだろうが、このことは同時に「政府が発見した資料」が「軍や官憲による所謂強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする歴史認識に都合よく合わせた恣意的な「発見」だったことを証明して余りあることになる。

 つまり「政府が発見した資料の中には強制性を示す記述はなかった」としているペテンを事実であるかのように維持するためにはそのペテンを崩す強制性を証拠立てる事実が入ってきては困ることになるから、出版を阻止しなければならなかった。

 インドネシア共産党の影響を受けたインドネシア国軍部隊が1965年の9月にクーデーター未遂事件を起こし、陸軍戦略予備軍司令官だったスハルトがスカルノ大統領から事態収拾の権限を与えられて鎮圧、同年10月16日に陸軍大臣兼陸軍参謀総長の任を与えられると、共産党弾圧に乗り出し、共産党関係者と疑った一般住民までを虐殺したり捕らえたりして、逮捕者をB級政治犯の流刑地であるブル島に送った。

 「asahi.com」が紹介しているプラムディア・アナンタ・トゥール氏はインドネシア共産党関係者と疑われて逮捕され、スカルの跡を継いで1968年にインドネシア大統領となったスハルト政権下の1969年にブル島送りとなり、そこでの生活が10年以上に及び、スハルト政権下(1967年3月12日~1998年5月21日)では氏の作品は事実上の発禁処分をうけていたと「Wikipedia」が紹介している。

 氏の日本語訳作品『日本軍に棄てられた少女たち ――インドネシアの慰安婦悲話――』は氏の流刑地となったブル島には政治犯の流刑者以前に島外から住人となっていた者がいたことが描かれている。他の場所で日本軍の従軍慰安婦にされてブル島に連れて来られたり、ブル島に連れて来られてから日本軍の従軍慰安婦にされたりした過去を経て、日本の敗戦後にブル島に置き去り同然に棄てられて年を取ることになった元少女たちである。彼女たちの方から近づいてきたり、流刑者の方から移動の自由によって行動範囲を広げていく内に彼女たちの存在を知り、身の上話を聞く関係にまで発展していった。

 物語は自身が聞いた身の上話や仲間の流刑者が聞いた身の上話で構成されていて、それらの身の上話には少女たちが数人で家の庭で遊んでいたところ、幌付きの軍用トラックが庭に乗り付け、幌をかけた荷台から歩兵銃を持った十人近くの日本兵が飛び降りてきて、少女たちを捕まえては荷台に放り込み、また走って、少女たちを見つけると、トラックを停めて少女たちを捕まえていき、荷台がほぼ一杯になると慰安所に連れていき、泣き叫び暴れる少女たちを力づくで押さえつけて姦していき、それが毎日続くことになったという内容や、あるいは留学話で釣り、日本に向けて船出はするものの、昭南島(日本軍占領時期のシンガポール)に連れて行って強制的に慰安婦にしたり、あるいはブル島に連れて行って、暴力的に慰安婦の境遇に投げ込むといった内容が取り上げられている。

 これらの慰安婦だった元少女たちの身の上話として語られた証言の全てが「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による所謂強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」としている歴史認識を最大のペテンであると暴き立てることになる慰安婦の現実となっている。「政府が発見した資料の中には」の云々のフレーズの背後に強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)といった慰安婦の真正な現実を隠したがっている勢力にとっては外交的圧力をかけて発禁を願うことでしか、ペテンをペテンとして最大限に守ることができないと考えたのだろう。

 1965年の日韓請求権・経済協力協定にしても、2015年12月の日韓慰安婦合意にしても、かくかように一大ペテンで成り立たせた日本と韓国の約束である以上、国際法上の主権免除の原則は成り立つはずはなく、ソウル中央地裁が被告を日本政府とした元慰安婦女性12人の訴えを認めて、日本政府に対して原告1人当たり1億ウォン、日本円にして約950万円の支払いを命じる判決を言い渡したとしても、日本政府側が国際法上の主権免除の原則を楯に韓国政府を批判したり抗議したりする資格はない。

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夫婦別姓反対派主張の日本の伝統的な家族の在り方・伝統的家族観を守るは男尊女卑の権威主義を核のところで擁護する思想

2021-01-11 11:00:54 | 政治
 2020年12月半ば前後のマスコミ記事によると、菅内閣は選択的夫婦別姓導入に前向きな第5次「男女共同参画基本計画」案を作成、自民党に提示したが、自民党は賛成派と反対派が激しく対立、菅内閣は計画案を3回も修正し、最終的に選択的夫婦別姓に関わる文言を削除した修正案で自民党内が纏まり、その修正案を閣議決定するに至ったと報じていた。

 この経緯は選択的夫婦別姓に関しては菅内閣は善玉、自民党は悪玉に映る。だが、菅内閣が善玉役を演じ、自民党が悪玉役(ヒール役)を引き受けることで、菅内閣に差し障りが生じないように選択的夫婦別姓の文言削除を成功させたと見ることもできる。

 5次「男女共同参画基本計画」を閣議決定したのは2021年12月25日。この日を遡ること1ヶ月半余の2020年11月6日参議院予算委員会での共産党小池晃の菅義偉に対する追及を見ると、なる程なと頷いて貰えるかもしれない。

 小池晃は最初は法相の上川陽子に対して2001年11月当時、自民党議員有志の立場で選択的夫婦別姓制度導入に向けた民法改正について早急かつ徹底した党内議論を進めること、速やかに今臨時国会に当該問題についての閣法が上程され、審議に付されることという提案を党三役に申し入れを行ったことに併せて、2008年1月の財団法人市川房枝記念会出版部発行の「女性展望」に「私も選択的夫婦別姓については賛成で、そのために議員として活動してきました」、政治家としての信念はと聞かれて、「言行一致、つまり、言ったことには自分で責任を持つことが大切だと考えています」と答えているが、ならば選択的夫婦別姓導入を「言行一致」でやったらどうかと追及。

 対する答弁。

 上川陽子「私の個人として、政治家としてのこれまでの意見については、先生今御紹介をして頂いたとおりであります。

 この問題については、それぞれ家族の在り方についての考え方について様々な意見があるということで、世論調査におきましてもその意見の幅が表れているというところも確かであります。

 今回、第5次男女共同参画基本計画の中に、こうしたことについての調査を、意見的な、パブリックコメントでありますとかヒアリング等に応じて、特に若い世代の皆さんに聴取をしているということも事実でございます。

 そういう意味で、国会が非常に大事な役割を果たしていくというふうに思っておりまして、そうした動向も踏まえまして検討に当たってまいりたいというふうに思っております」

 要するに上川陽子は内閣の一員である法相の意見と政治家個人としての意見を別物に扱っていて、法相という立場上、世論調査に現れている家族の在り方についての様々な意見を考慮の内に入れなければならないといった趣旨の答弁をしている。至極尤もな答弁ではあるが、いつの世論調査なのか明らかにしていない。

 小池晃の前に質問に立った矢田わか子に対しては上川陽子は「希望すれば結婚前の姓を名のれる選択的夫婦別氏制度の導入の問題は、我が国の家族の在り方に深く関わる事柄であると考えております。直近の平成29年(2017)の世論調査の結果を見ましても、いまだ国民の意見が分かれている状況にございます」と、選択的夫婦別姓導入に関しての昨今の状況変化を無視して3年前の世論調査を持ち出すペテンを働かせている。
 
 このペテンにまずいと気づいたから、小池晃についてはいつの日付か分からない世論調査とする新たペテンを働かせたのだろう。

 朝日新聞社2020年1月25、26日実施の全国世論調査(電話)では選択的夫婦別姓「賛成」69%、「反対」24%。自民支持層「賛成」63%、「反対」31%。このように1年前に賛成が反対を大きく上回る状況となっていたにも関わらず、3年前の世論調査を持ち出して、「いまだ国民の意見が分かれている状況にございます」とヌケヌケと言うことができるペテンは流石である。

 2020年12月12日毎日新聞と社会調査研究センター実施全国世論調査ではる選択的夫婦別姓導入「賛成」49%、「反対」24%、「どちらとも言えない」27%。夫婦別姓が認められた場合の対応、「夫婦で同じ名字を選ぶ」64%、「夫婦で別々の名字を選ぶ」14%、「わからない」22%。

 例え夫婦同姓選択が64%と大きく上回ったとしても、夫婦別姓を認める意識が3年前と違って、国民の間に大きく浸透していることを示している。

 小池晃は上川陽子に対してと同じように続いて菅義偉に対しても過去の選択的夫婦別姓に関わる姿勢を取り上げている。

 小池晃「総理、総理もこの2001年の自民党有志議員の申入れに名前を連ねていらっしゃることを覚えていらっしゃいますか。覚えていらっしゃいますか」

 菅義偉「確かそうだったと思います」

 小池晃「それだけではない。2006年3月14日の読売新聞。自民党内で別姓導入に理解を示す菅義偉衆議院議員は、『例外制でも駄目ならもう無理という雰囲気になってしまった、しかし、不便さや苦痛を感じている人がいる以上、解決を考えるのは政治の責任だ』

 別姓導入を求めてきた方が総理になり、法務大臣になったんですよ。政治の責任を言行一致で果たすべきときではありませんか。総理、どうですか」

菅義偉「夫婦の氏の問題は、我が国の家族の在り方に深く関わる事柄であり、国民の間に様々な意見があり、政府として、引き続き、国民各層の意見を幅広く聞くとともに、国会における議論の動向を注視しながら対応を検討してまいりたいというふうに思います。

 ただ、私は、政治家としてそうしたことを申し上げてきたことには責任があると思います」

 小池晃が菅義偉のかつての発言として伝えている「例外制」とはネットで調べてみると、夫婦は同じ氏を名乗るという現在の制度を原則としつつ、家庭裁判所に許可を得た場合のみ別姓を例外的に認める考え方のことだそうで、この考え方で法案を纏め、議員立法で通すことを目的として2002年7月16日に自民党内でグループを発足させたが、立法に至るまでに自民党内を纏めることができず、法案提出は見送られたという。

 法案提出が見送りに対して菅義偉が2006年3月14日の読売新聞にインタビューで発言したのか、単に発言が取り上げられたのか、「例外制でも駄目ならもう無理という雰囲気になってしまった」云々の言葉が紹介されたということなのだろう。

 「夫婦の氏の問題は、我が国の家族の在り方に深く関わる事柄」であることは菅義偉の発言を待つまでもなく、別姓導入反対派は古くから同様のことに反対の根拠を置いてきた。「我が国の家族の在り方に深く関わる事柄」だから、下手に手を付けてはいけないというタブーに祭り上げてきた。

 但し菅義偉自身は「我が国の家族の在り方」に深く関係するものの、過去に於いて政治家個人としては別姓導入に理解を示していたと言うことは「我が国の家族の在り方」よりも選択的夫婦別姓導入を優先させる姿勢でいたとことを示す。だが、「国民の間に様々な意見がある」を現在の姿勢としているということは、この文言も夫婦別姓反対派が便宜的に頻繁に使っていることから、選択的夫婦別姓導入よりも「我が国の家族の在り方」を優先させるニュアンスの発言となる。

 当然、国会に於いて、あるいは与党内に於いて「我が国の家族の在り方」を重視する勢力が優位にある情勢に対して「国会における議論の動向を注視しながら対応を検討したい」は選択的夫婦別姓導入に距離を置く発言となる。つまりかつては個人的立場から理解を示していた選択的夫婦別姓導入であるにも関わらず、小池晃に「別姓導入を求めてきた方が総理になり、法務大臣(上川陽子のこと)になったんですよ。政治の責任を言行一致で果たすべきときではありませんか。総理、どうですか」と促されたものの、首相となったことが導入に向けて手に入れたリーダーシップ発揮のチャンスだとは捉えていなかったことになる。

 要するに2020年11月6日の参議院予算委員会の時点で菅義偉がチャンスだ捉えていなかったことが菅内閣が一旦は選択的夫婦別姓導入に前向きな第5次「男女共同参画基本計画」案を作成していながら、自民党の抵抗に遭って前向きな箇所を削除、削除したままの修正案で2021年12月25日に閣議決定したという経緯を踏むことになった。

 当然、菅義偉が選択的夫婦別姓導入に向けてリーダーシップを発揮するチャンスと最初から見ていなかったのだから、導入に前向きな文言を削除させた自民党側が単純に悪玉と割り切ることはできないばかりか、文言を削除させられた側の菅内閣が単純に善玉と看做すこととができなくなって、最初に触れたように菅内閣が善玉役を演じ、自民党が悪玉役(ヒール役)を引き受けることで、菅内閣に差し障りが生じないようにそれぞれの役割を演じたと見ることができるとしたことがあながち的外れだとは言えなくなる。

 ただ確かに言えることは第5次「男女共同参画基本計画」案に一旦は導入に前向きな文言を入れたのだから、菅義偉にはその文言どおりに持っていくだけのリーダーシップは発揮できなかったということである。もし最初からリーダーシップを発揮する気はなかったということなら、かつては夫婦別姓導入に理解を示していたとする姿勢をウソにすることになる。

 選択的夫婦別姓導入反対派の先ず第一の理由は既に挙げたように伝統的な家族の在り方・伝統的な家族観と深く関わる問題だとすることで、暗に簡単には壊すことはできない夫婦同姓制度だとしている点にある。

 安倍晋三もこの考え方に立つ答弁を行っている。2019年10月8日の安倍晋三の所信表明に対する立憲民主党長浜博行の質問に対する答弁。

 安倍晋三「夫婦の別氏の問題については、家族の在り方と深く関わる問題であり、国民の間に様々な意見があることから、この対応についてはSDGsの議論とは別に慎重な検討が必要と考えております」

 「SDGs」とは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称だそうで、「貧困ゼロ」、「飢餓ゼロ」「不平等ゼロ」、「平和と公正さの平等の実現」、「公平・平等で高質な教育機会の実現」などの17の目標の中に「ジェンダー(社会的性差)解消と社会的に男女平等であることの実現」を掲げているという。

 もう一つの反対理由。家族の一体感の喪失とその喪失による子どもへの影響。「夫婦の姓が違うと、子どもが混乱する」という言葉を使っている。この点について山谷えり子が朝日新聞の「インタビュー」(asahi.com/2020年12月12日 16時30分)に答えている。

 ――選択的夫婦別姓制度の導入の是非をどう考えていますか。

 山谷えり子「導入に慎重な立場です。社会の基礎単位は家族だと思っています。選択的夫婦別姓というのは、ようするにファミリーネームの廃止。氏が、個人を意味するものに変化する。家族が、社会の基礎単位ではなくて、個人の寄り集まったものみたいに変化していく可能性は大きいのではないでしょうか。色々なギクシャクも予想される部分もあるし、子どもは混乱すると思いますね」

 確かに選択的夫婦別姓制度は氏に意味を置かず、個人に意味を置く。個人に意味を置いた男女が夫婦となれば、従来のように氏に意味を置いたのとは異なる家族を形成し、子どもができれば、その子どもを加えた家族という形を取る。そしてそのような家族が社会の基礎単位となる点に於いて従来と何も変わらない。

 「色々なギクシャクも予想される部分もある」と言っていることは家族の一体感の喪失を指しているが、夫婦同姓であったとしても、「ギクシャク」している夫婦、家族はいくらでも存在する。要するに氏の問題でも、姓の問題でもなく、個人対個人の問題である。

 氏、あるいは姓が、現実が物語っているように夫婦、あるいは家族のカスガイの役割を果たすわけではない。カスガイの役割を果たすのは夫が妻を、妻が夫を個人的に尊敬できる存在であるかどうかの意思であって、相手に対しての個人的尊敬の意思を失えば、家庭内別居、離婚という破局となって現れる。

 この破局は当然のことながら、氏や姓が防いでくれるわけではない。子どもが父親か母親に対して個人的な尊敬を失うことになれば、反抗という形で現れる。反抗が最悪、父親殺し・母親殺しという形で現れてしまう例もあるはずだ。中には個人的に尊敬できない父親・母親を反面教師として社会的に人間的な成長を遂げていく子どもも存在するはずだ。

 夫婦別姓に於いても然り。氏や姓に意味を置かず、個人に意味を置いた男女関係・夫婦関係にしても、親子関係にしても、相手に対する個人的尊敬が男女・夫婦の一体感を生み、持続させ、親の姓が異なっていても、父親と子の、母親と子の一体感を育んでいく。個人的尊敬という要素さえ手に入れることができれば、子どもが混乱するどのような要素があると言うのだろうか。子どもができなく血の繋がっていない子どもを自分の子どともして引き取り、育てる父親・母親にしても、その子に対する個人的尊敬の気持ちが持てなければ、逆に引き取られた子が引き取られて以降感覚的に、そして物心ついて以降、実感的に父親・母親に対して個人的尊敬の気持ちを持つことができさえすれば、血の繋がりは問題ではなくなる。

 要するに山谷えり子は古い人間にふさわしく、氏や姓といった形式に価値を置いて、中身の人間の在り様に価値を見ないでいる。

 安倍内閣で総務相を務めていた安倍晋三の秘蔵っ子右翼高市早苗が自身の「サイト」に2020年12月1日付で自民党の法務部会(奥野信亮部会長)に対して『婚姻前の氏の通称使用に関する法律案』を提出したことを報告している。選択的夫婦別姓の法律化に反対しているがゆえの婚姻前の氏の通称使用を認める法制定に向けた動きである。氏の通称使用の法律化によって選択的夫婦別姓の法律化を葬り去ろうとする魂胆を前提としているはずだ。

 法案の概要と通称使用に関わる自身の主張や別姓に関わる経緯等を載せているが、主張のところをピックアップしてみる。

 「高市早苗Column」

 夫婦同氏制度は、旧民法の施行された明治31年に我が国の法制度として採用され、我が国の社会に定着してきたものです。

 氏は、家族の呼称として意義があり、現行民法の下においても、家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ、その呼称を一つに定めることには合理性があります。

 そして、夫婦親子が同じ氏であることは、家族という一つの集団を構成する一員であることを、対外的に公示し、識別する機能を有しています。
 
 各種手当や相続をはじめ、戸籍を基に運用される多くの法制度も存在します。

 特に、婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服することを示すために、子が夫婦双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があります。
  
 「戸籍上も夫婦別氏」となってしまうと、「子供の氏」は両親のどちらかと異なることとなり、婚姻届や出生届の提出前に、子供の氏を両親が奪い合うようなトラブルも想定されます。
 
 (『夫婦別氏法案(民法の一部を改正する法律案)』が平成14年に自民党法務部会で審査された)当時も「兄弟姉妹の氏が異なることは、子に対して悪影響がある」という世論調査結果を受けて、「複数の子の氏は統一する」こととされていましたが、これでは「家名を絶やさない」という別氏推進派の希望も叶わない上、婚姻届提出時、出生届提出時、成人後など、子の氏が度々変更される可能性があります。

 私は、「子供の氏の安定性」は、損なわれてはならないと考えます。

 また、夫婦親子別氏の御家族に対して、「第三者が神経質にならなければならない煩雑さ」も懸念しています。

 仮に民法改正が実現したとして、経過措置期間中に別氏に移行した夫婦や親子を認識していなければ、例えば年賀状の宛名書きでも、相手に対して大変な失礼をしでかすことになります。

 結婚披露宴に招かれて「ご両家の皆様に、お慶びを申し上げます」と祝辞を申し上げてしまった場合、新郎と新婦のご両親が別氏を選択していたなら、「ご4家の皆様」と言わなければ失礼にあたります。

 今や殆どの専門職(士業・師業)など国家資格においても、届出により、戸籍氏名と婚姻前の氏を併記することが認められており、マイナンバーカードでも同様です。

 総務大臣在任中には、『公職選挙法』を所管する立場から、議員の当選証書も併記を可能にしました。

 先ずは、婚姻前の氏の通称使用が可能な場面を増やすことによって、婚姻に伴う氏の変更による社会生活上の不便を解消し、我が国の優れた「戸籍制度」や「ファミリーネーム」は守り抜きたいと考えます。

 議員立法の場合、党内で法案を審査していただけるか否かは、内閣提出法案の数や国会日程など様々な事情を勘案しながら、政調会長や法務部会長が判断して下さることだと思いますので、先行きは見えませんが、私の法案は、今後の議論の叩き台にはなると思います。

 「氏は、家族の呼称として意義がある」と言っているが、一般的に氏で家族を呼称した場合、その多くが夫を家族の代表と見做して、妻を夫の次に置いた意識の元の呼称となる。例え夫が婿入りして妻の氏を名乗っていることを知っていたとしても、妻が家庭内に於いても、家庭外に於いても余程の実権を握っていない限り、夫を家族の代表と看做す意識で家族というものを認識することになる。

 夫婦別姓であっても、一つの家族を構成する。その家族を認識する際、夫婦別姓であると知った以降は必要に応じて夫の氏で認識したり、妻の氏で認識することになるだろうが、夫の氏で認識する場合は夫をより個人としての存在で見ることになり、妻の氏で認識する場合は妻を夫の付属物でも、従属物でもなく、より個人としての存在で見ることになって、個人対個人の独立した人間関係で認識せざるを得なくなり、日本国憲法第3章国民の権利及び義務に於ける〈すべて国民は、個人として尊重される。〉の第13条に近づくことになるのだから、どこに不都合があるのだろうか。

 例えばママ友同士が氏(名字)で呼び合っていた関係が名前で呼び合う関係に進む場合があるが、個人的により親しくなった関係となったことの証明以外に何ものでもないはずだ。氏よりも個人により価値を置くという点で夫にとっても、妻にとっても、夫婦別姓は意義のある制度となる可能性を孕んでいる。勿論、子どもがどちらの氏を選んだとしても、夫と妻が相互に個人対個人の独立した人間関係を築いていれば、夫も妻も子どもに対して選んだ氏の関係物ではなく、個人対個人の関係性で子どもを捉えることになるだろう。

 兎角日本人は個人よりも集団に価値を置く。どこそこの有名大学を出たと評価することも集団に価値を置いているからで、勤めている会社の規模で評価を違えているのも集団に価値を置いているからで、その集団の一員であることを自己に対する評価とする。どのような大学を出ようと、どのような会社に勤めうよと、自分という個人に価値を置いて自らを自律させる例が少ない。

 当然、「家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ、その呼称を一つに定めることには合理性がある」としても、その「集団単位」そのものの中身の構成員が相互に独立した個人としての関係を築けていなければ、その集団は意味がない。「その呼称を一つに定めることには合理性がある」としていること自体にしても、その「合理性」は単なる便宜的なものと化す。

 また、「夫婦親子が同じ氏であることは、家族という一つの集団を構成する一員であることを、対外的に公示し、識別する機能を有する」にしても、内部の構成員が相互に独立した個人の関係を築いていない、単に「集団」を主体とした「対外的公示・識別」であるなら、さして意味のある「公示・識別」とはならない。

 「婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服することを示すために、子が夫婦双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があります」

 夫と妻同士、夫・妻と子供同士が相互に個人対個人の独立した人間関係を築けていなければ、「夫婦間の子が夫婦の共同親権に服すること」は単なる夫婦間の関係物に成り下がるだけである。

 「『戸籍上も夫婦別氏』となってしまうと、『子供の氏』は両親のどちらかと異なることとなり、婚姻届や出生届の提出前に、子供の氏を両親が奪い合うようなトラブルも想定されます」は国家権力が国民を愚民扱いするのに似て、夫や妻の理性や良識を疑ってかかっていることになる。

 夫婦別姓は夫・妻・子ども共に相互に個人対個人の独立した人間関係を築くことによって始まるから、子どもが主体的に氏を選択できる年齢になるまでは夫か妻の氏を仮の氏と定めて、その年令に達したなら、子ども自身が主体的に選択して、本氏とするよう法律に規定したなら、「子供の氏を両親が奪い合うようなトラブル」も起きないし、子どもが混乱することもない。却って子供の自律心・自立心が幼い頃から育まれることになる。

 「『夫婦別氏法案(民法の一部を改正する法律案)』が平成14年に自民党法務部会で審査された)当時も「兄弟姉妹の氏が異なることは、子に対して悪影響がある」という世論調査結果を受けて、「複数の子の氏は統一する」こととされていましたが、これでは『家名を絶やさない』という別氏推進派の希望も叶わない上、婚姻届提出時、出生届提出時、成人後など、子の氏が度々変更される可能性があります。

 私は、『子供の氏の安定性』は、損なわれてはならないと考えます」

 兄弟姉妹の氏が例え異なったとしても、尊重されるべき価値は兄弟姉妹が相互に独立した個人として存在することができているかどうかであって、同じ氏であっても、独立した個人として存在できていなければ、いわば氏に単に所属しているだけなら、同じ氏であることは意味を成さないし、氏という集団の一員であるという意味しか持たないことになる。

 「夫婦親子別氏の御家族に対して、『第三者が神経質にならなければならない煩雑さ』も懸念しています」と言っていることは氏ではなく、名前で呼び合う習慣を身につければ解決する。欧米の映画では初対面同士のどちらが呼びかけようとして、「ミスター・・・」と口にすると、相手がファーストネームを口にして、「ファーストネームで読んでくれ」と申し出ると、親しい関係になっていなくても、お互いがファーストネームで呼び会う関係に持っていくシーンをよく見かける。

 あるいは会社の重役がお抱え運転手をファーストネームで呼び、お抱え運転手も重役をファーストネームで呼ぶという映画のシーンに出会ったことがある。

 年賀状の宛名書きにしても、夫婦別姓と決めて結婚した際に結婚の案内状に夫婦別姓であることを告げておけば、迷うことはない。案内状を出さない相手から一つの氏で夫婦双方に年賀状が届いた場合は返書に夫婦別姓であることを告げれば、何の問題があるだろうか。

 要するに高市早苗の夫婦別姓に対する懸念は戦前右翼の血を引く高市らしく、集団の中で個人個人が独立した関係を持ってそれぞれに能力を発揮し、その総合性に価値を置くよりも、集団を個人よりも上の価値に置いて、すべての個人がそれぞれの能力を集団に捧げ、そのことによって集団と個人が一体関係を築くことにより価値を置いていることから発生している。結果、集団主義は個人が独立した存在であることを忌避する。

 大体が夫婦別姓反対派の政治家は日本の伝統的な家族の在り方・伝統的家族観の正体を何だと思っているのだろうか。

 日本の伝統的な家族の在り方は男尊女卑の権威主義が歴史的にも文化的にも支えてきた。このような男尊女卑の権威主義が夫は妻を従え、妻は夫に従う上下関係・序列を作り出し、それが家族だという考え方が伝統的家族観となった。

 夫を上の価値に起き、妻を下の価値に置くこの権威主義は妻に育児・子育て、家事・洗濯は任せっ放しで、自分は何もしないという形で現在も残っている。この任せっ放しは夫と妻が相互に独立した個人を築くことができていない社会的未成熟から来ているはずである。日本の伝統的な家族の在り方や伝統的家族観を守るということは伝統的な男尊女卑の権威主義を核のところで擁護することに通じる。

 また集団主義は権威主義が持つ序列・階級を骨組みとして成り立っているゆえに前者は後者を入れ子構造の関係に置いている。

 夫婦別姓は夫・妻・子どもそれぞれを相互に独立した関係に導く機会となり、そのような関係を確固と築くことができたとき、夫が妻に何でも任せっ放しにするのではなく、妻が夫に何でも任せっ放しにされるのではなく、子どもが何でも親に頼りっ放しになるのではなく、相互に協力し合う関係で家族というものを成り立たせる関係に進むはずである。

 夫婦別姓はいいことづくめではないか。戦前右翼の血を引いていない限り、選択的夫婦別姓制度を忌避する理由などどこにもない。

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安倍晋三の持つべき常識からして事後の会計処理のみならず、一人宛会費を5千円に値引きの意図的な利益供与への関与は当然視される

2021-01-04 11:29:45 | 政治

 安倍晋三主催の「桜を見る会」前夜の安倍後援会事務所主催懇親会は一人宛会費5千円となっていたが、野党は会場となったホテルの規模から言って5千円では安過ぎる、安倍晋三側が差額分を補填した疑いがあることと懇親会の収支が政治資金収支報告書に記載がないことから、政治資金規正法に違反しているのではないかと2019年11月から国会で追及を始めた。補填した場合、選挙区内の有権者に対する利益供与となる寄附に該当、公職選挙法違反となる。

 対して安倍晋三は最後の最後までホテル側から5千円分のサービスしか受けていないと補填を否定し続けた。

 政治資金収支報告書に記載がないことについての追及に対しては安倍晋三は「収支報告書への記載は収支が発生して初めて義務が生じるが、懇親会の会費はそのままホテルに渡していれば収支は発生しないので、政治資金規正法上の違反には全く当たらない」と一人宛5千円の会費の遣り取りで終わったと主張、政治資金収支報告書記載義務違反の指摘を否定した。

 以上のことを明らかにするために野党側は見積明細書や請求明細書といった類いの明細書の提出を要求したが、ホテル側は発行しなかったと主張、いわば無い袖は振れないの形で押し通した。

 但し安倍晋三の「桜を見る会」に関する一連の国会答弁についてマスコミの世論調査では「納得できない」、「信用できない」が70%前後を占めるに至った。結果、弁護士グループや市民団体、憲法学者等が安倍晋三自身と政策秘書等を政治資金規正法違反などで検察に告発、東京地検特捜部が捜査に入った。

 「桜を見る会」国会追及から約1年経過した2020年11月下旬頃からマスコミが主に特捜や自民党内部からのリークなのだろう、関係者の話として「桜を見る会」前夜の安倍晋三後援会パーティ(懇親会)一人宛5千円会費に不足があり、その不足分を後援会側が補填していたと報道。その事実を安倍晋三の政策秘書等が認めるに至った。つまり野党の追及は的を得ていた。但し一連の国会審議を通して安倍晋三自身を政治資金規正法違反や公職選挙法違反で追い詰めることはできなかった。

 2020年11月25日付「asahi.com」記事に2015年から2019年までの5年間の「夕食会の費用総額と会費及び補塡額の内訳」が記載されている。ちょいと拝借して、画像にしてここに載せておくことにした。

 「桜を見る会」前夜の懇親会は2013年から一人宛会費5千円で開催してきたとマスコミは報道している。常識的には2013年から補填されてきたはずだが、2015年以降の補填額しか出ていない。不足分の補填額は150万円以上から約250万までの間となっている。不足分は議員会館にある事務所の金庫から集金に訪れたホテル担当者に現金で支払っていたとマスコミは伝えている。

 要するに一人宛会費の5千円は見せかけで、ホテル側から5千円以上の一人宛サービスの提供を受けていた。一人宛会費を一人宛サービスよりも安く見積もっていた。それを毎年続けていた。当然、意図的な利益供与となる。5千円で安倍晋三の「桜を見る会」前夜祭と銘打った懇親会に参加できたことの虚栄心と満足感で後援会員の安倍晋三支持をしっかりと固める意図があったことからの豪華な格安サービスといったところか。

 安倍晋三は昨年末に国会答弁に備えるために秘書に「5千円以外に事務所が支出をしていないか」と尋ねたところ、秘書は「懇親会が始まった2013年に政治資金収支報告書に会の収支を記載していなかったため、事実と異なる内容を安倍氏に答弁して貰うしかないと判断」、「5千円以上の支出はない」とウソの説明をしたと報道している。

 秘書というものは雇い主に対して従属関係にある。雇い主が秘書に対して従属関係にあるということは聞いたことはない。秘書が持つ神経は雇い主に対する従属性に馴染んでいなければならない。ところが安倍晋三の政策秘書はいくら安倍晋三に長年忠実に仕えてきたとしても、天下の総理大臣に国会でウソの答弁をさせることのできる、従属性を蔑ろにした神経を有していたとは俄には信じられない。

 信じられないことだが、秘書は安倍晋三に国会でウソをつかせた。そのウソの報告に基づいて安倍晋三自身は事実と異なる国会答弁を繰り広げていただけという本人の説明となる。見積明細書や請求明細書といった類いの明細書に関する答弁も伝聞形式で発言しているから、秘書のウソの報告に基づいて発言していたことになる。当然、安倍晋三自身は会費に関わる意図的な利益供与に関わっていなかったということになる。

 この本人の説明は一人宛会費5千円を上回る一人宛サービスがホテル側から提供されていたことも、その差額をホテル側に支払っていたことも、収支報告書に記載の必要が生じていながら、記載していなかったことも自身は一切関知していなかったという説明にまで広げていることになる。

 勿論、説明と事実が異なるケースがゴマンと存在することは周知の事実となっているが、説明と異なる具体的な事実を見つけ出さない限り、説明が事実という体裁を取り続ける。
 
 安倍晋三は特捜の任意聴取に対して同様の説明をしたのだろう。結果、公設第一秘書は政治資金収支報告書に約3000万円の懇親会の収支を記載しなかった政治資金規正法違反の罪で略式起訴されたものの、真の標的である安倍晋三本人に対する告発は不発に終わり、「不記載を把握していたり、共謀していたりする証拠は得られなかった」、つまり全ては秘書たちがやったこととして嫌疑不十分で不起訴、無罪放免となった。政治資金規正法違反も犯していなかったし公職選挙法違反も犯していなかった。

 安倍晋三は一連の報道を受けて、2020年12月24日午後6時から事実と異なる答弁を続けてきたことに対する釈明記者会見を開き、翌12月25日には衆参議院運営委員会で虚偽答弁修正の機会を与えられた。記者会見の発言を「産経ニュース」(2020.12.24 18:39)記事から安倍晋三が目的としている発言を取り敢えずは一つまみして、後で明細書に関しての発言を見ることにする。

 安倍晋三「こうした会計処理については、私が知らない中で行われていたこととはいえ、道義的責任を痛感しております。深く深く反省するとともに、国民の皆さまに心からおわび申し上げます」

 要するに秘書が全てやったことで、私は一切関知していなかったとのこの発言に記者会見の全目的を置いているはずだ。勿論、「私が知らない中で行われていた」は安倍晋三自身の事実に過ぎないが、誰もが認める既成事実化に向けた意図の元の発言なのは当然のことである。

 安倍晋三「事務所に幾度も確認をし、当時の私の知る限りの認識の限りのご答弁させていただいたつもりであります。しかしながら、結果としてこれらの答弁の中には、事実に反するものがございました。それが故に国民の皆さまの政治の信頼を損なうこととなってしまった。

 このような事態を招いてしまったことに対し、当時の行政府の長として、また政治資金については本来、率先して襟を正さなければいけない自民党の総裁として、そして何より国民を代表する一国会議員として、国民の皆さまに、そして野党全ての国会議員の皆さまに対し、深く深くおわび申し上げたいと思います」

 「事務所に幾度も確認をし、当時の私の知る限りの認識の限りのご答弁させていただいたつもりであります」も、「秘書が全てやったことです」の言い替えに過ぎない。だから、「それが故に国民の皆さまの政治の信頼を損なうこととなってしまった」という繋がりとなる。政治の信頼を国民に損なわせることになった責任は秘書の雇い主である安倍晋三自身が負うべきであって、その自覚もなく、責任を秘書のウソの報告に置いているから、「政治の信頼」の失墜をその結果とさせているに過ぎない。

 一般的ケースなら、他人のウソを鵜呑みにしてきた場合は自身の常識の程度(世間知らずと言い替えることができる)に恥じ入るものだが、安倍晋三にはそれが一切ない。秘書と共謀して補填が必要となる格安の会費設定を承知の上で懇親会を開いてきたとしたら、秘書のウソを鵜呑みにした自身の常識の程度に恥じ入るプロセスは生じない。

 このことは衆参議院運営委員会終了後に記者に問われて、「説明責任を果たすことができた。来年の選挙には出馬をし、国民の信を問いたい」と述べていることにも現れている。いくら記者に「来年の総選挙には出馬するのか」と問われて応じた発言だとしても、今後、何回当選しようと、「桜を見る会」だけではなく、森・加計疑惑、黒川検事長定年延長等々の疑惑がついて回ることを頭に置くこともできず、地元有権者の支持を受けた当選を確実視して、その当選を以って地元有権者からの信任を国民からの信任に替え、潔白の証明に使う。

 裏を返すと、自身も関わっていた利益供与であるから、自らの常識の程度に恥じ入る理由はなく、よくあることで政治の行いとカネの使い方を別次元に置いていることから政治の信頼を損なっていると自らを省みることもなく、その上、全てを秘書がやったこととしている公の理由があるからこそ可能となる変わり身の早さなのだろう。

 安倍晋三のように一つや二つの失敗や間違いがあっても、全体としての自己は優秀だと信じ込んでいる自己愛性パーソナリティ障害の傾向があり、その思い込みから、自分が原因となって起きた不都合な事実であっても、なかったことや人のせいにするウソを自分に事実だと信じ込ませる才能を有していて、会計処理に安倍晋三自身が関わっていたとしても、国会で答弁したり、記者会見で発言する内に全ては秘書がやったという事実にすり替わっている可能性もある。

 それを明らかにする方法はないが、マスコミ報道では2020年12月25日の衆参議院運営委員会での態度は12月24日午後の記者会見と同様、全て秘書がやったこととする確固とした姿勢に何ら変わりはなかった。結果、野党側から言わせると、埒は明かなかったことになる。報道記事から主な発言を一つ拾ってみる。

 安倍晋三「会計処理などは私が知らない中で行われていたこととはいえ、当然、道義的責任はある。今回の反省の上に立って、国民の信頼を回復するためにあらゆる努力を重ねていきたい。身を一層引き締めながら、研鑽を重ねていきたい」

 秘書がやったことを前提としている発言が報道されている以上、いわば安倍晋三が立ち往生する状景説明となっていない以上、安倍晋三自身の説明による安倍晋三関与なしの安倍晋三の事実を突き崩すことはできなかった。関与なしが事実なら、「道義的責任はある」の反省は生きた言葉となるが、実際は関与していたなら、道義的責任すら感じず、腹の中でせせら笑っている心の風景が見えてくることになる。

 以下、「桜を見る会」前夜の安倍後援会事務所主催懇親会の一人宛会費5千円が補填が必要な格安設定だったという事実、秘書がその事実を隠して、安倍晋三にウソの報告をし、そのウソの報告を鵜呑みにして事実とすることができた安倍晋三自身の常識の正当性という観点から、2020年2月17日の衆議院予算委員会で立憲民主党の辻元清美との「桜を見る会」懇親会についての遣り取りを参考にして、果たして安倍晋三自身は事後の会計処理に関与していただけはなく、一人宛会費を一人宛サービスよりも安く見積もって5千円とする意図的な利益供与そのものの会費設定にも関与していたかどうかを探ってみることにする。

 辻元清美は冒頭、安倍晋三に対して明細書と領収書を出したら、この問題は終わるのではないかと、それぞれの提出を求めた。

 安倍晋三「まさに政治資金の出入りは、これは透明化しなければならないわけでありますし、まさにその考え方に則って私は政治資金の処理をしているということははっきりと申し上げておきたい、このように思います。

 そして、夕食会の主催者は安倍晋三後援会であり、同夕食会の各段取りについては、私の事務所の職員が会場であるホテル側と相談を行っております。事務所に確認を行った結果、その過程において、ホテル側から見積書等の発行はなかったとのことであります。

 そして、参加者一人当たり五千円という価格については、8百人規模を前提に、その大多数が当該ホテルの宿泊者であるという事実等を踏まえホテル側が設定した価格であり、価格以上のサービスが提供されたというわけでは決してなく、ホテル側において当該価格設定どおりのサービスが提供されたものと承知をしております。

 なお、ホテル側との合意に基づき、夕食会の入り口において、安倍事務所の職員が一人5千円を集金し、ホテル名義の領収書をその場で手交し、受け付け終了後に、集金した全ての現金をその場でホテル側に渡すという形で参加者からホテル側への支払いがなされたものとしておりまして、安倍事務所には一切収支は発生していないということでございます。

 また、既に御報告をさせていただいておりますが、明細書につきましては、ホテル側が、これは営業秘密にも関わることであり、お示しをすることはできない、こう述べている、こういうことでございます。

 そして、領収書につきましては、これは一部新聞等にそのときの領収書が写真つきで出されているということを承知をしておりますが、これはまさに、出席者とホテル側との間で現金の支払いとそして領収書の発行がなされたものであり、私の事務所からこれは指図できるものではない、こういうことでございます」

 安倍晋三の発言のほぼ全てが虚偽答弁だったことになる。一人宛会費設定は5千円であったとしても、補填していたのだから、ホテル側が宿泊のサービスも引き受ける点を考慮して格安に5千円に設定したという話にしても、秘書のウソの報告に基づいて行った安倍晋三の虚偽答弁の一つということになる。
 
 但し秘書のウソの報告に基づいて行われた、結果的に虚偽答弁となってしまったというのが安倍晋三自身の事実ということになる。尤も何度となく繰り返してきた答弁に過ぎないが、この中に明細書や領収書の発行、一人宛価格5千円決定の経緯が全て含まれている。

 一人宛会費5千円については既に触れているように安倍晋三が昨年末に国会答弁に備えるために秘書に「5千円以外に事務所が支出をしていないか」と尋ねていて、それに対して秘書が「5千円以上の支出はない」と答えていることを安倍晋三自身が明らかにしていて、この遣り取りが事実とすると、一人宛会費が表向きは5千円となっていることは承知していた。

 では、このことをいつ承知したのだろうか。「桜を見る会」とその前夜の懇親会が国会で問題視される昨年末以前でなければならない。一般的にパーティ等の一人宛の会費を決める場合には主催者側が一人宛会費の目安を決めて、場所と飲食等のサービスを提供する側の業者に目安とした一人宛会費でのパーティを申し込む。対してサービス提供側の業者は一般的には提供する飲食やその他の各サービスと各サービスに応じたそれぞれの単価を書き入れた見積明細書を作成して、それを顧客側に示して、明細書に記してある各サービスに関わる提供の可否・承認を問い、契約に至った場合はそれを証拠として残しておくのために顧客側に発行、業者側はこれも証拠とするための控えとして残しておくのが社会一般的なごくごく当たり前の常識的な手続きであろう。

 勿論、契約後にこの料理は別のに変えてくれとか、飲み物にワインを付け加てくれといった顧客側からの申し出があれば、会費に上乗せ金額を求めるか、料理の量を減らすかして、目安の会費相応に押さえる等の調整は行う。

 そして一人宛会費と会費に応じたサービス内容に基づいた契約終了後、安倍後援会事務所の例を取ると、事務所は公設第一秘書が代表を務めていたとしても、主(ぬし)そのものは安倍晋三であり、懇親会は安倍後援会事務所が主催者であったとしても、安倍晋三を頭に置いた懇親会である以上、社会一般的なごくごく当たり前の常識からすると、安倍晋三に報告し、了解を得ているはずである。

 一人宛会費額もサービス内容も安倍晋三に報告せずに懇親会を開くということは、安倍晋三が主催者である安倍後援会事務所の主(ぬし)であるという立場上も、安倍晋三を頭に置いた懇親会であるという関係性からも、社会的常識上、先ずあり得ない。少なくとも2013年に最初に行った際には報告したはずである。

 その際、そもそもからの初っ端に秘書は一人宛会費は5千円ですとウソをついたのだろうか。

 秘書にしても報告し、了解を得る際、社会一般的なごくごく当たり前の常識から言っても、5千円でもない一人宛会費を5千円ですとウソをつく理由はない。立憲民主党の黒岩宇洋が12月25日の衆議院議院運営委員会で特捜部発表数字を用いて、20016年~20019年の一人宛5千円会費総額が1157万円、1157万円を一人宛会費5千円で割ると、同時期の懇親会参加者数合計は約2300人、同時期補填金額708万を参加人数2300人で割るとほぼ一人宛補填金額が3000円ずつとなる。この3000円に一人宛会費5千円をプラスすると、実質会費は8千円になると発言していた。

 と言うことは、最初から一人宛会費を8千円見当と目安を付けていて、そのまま8千円ということに落ち着いたのか、あるいは1万円見当と目安をつけた上でホテル側は宿泊のサービスも引き受けることになり、その分の利益を見込める点を考慮して1万円のサービスはそのままに会費だけ勉強してくれと要求されて、8千円と決めたのか、いずれかが考えられる。

 どちらであったとしても、ホテル側との価格交渉の時点では一人宛会費5千円の目は最初からなかった。その目が出てきたのは実質会費から値引きする際であった。勿論、5千円という目に決めたのはホテル側の事情からではなく、安倍後援会事務所側の事情によるものなのは断るまでもない。懇親会に関わる安倍後援会事務所側の事情というのは事務所の主(ぬし)であり、安倍晋三を頭に置いた懇親会である以上、秘書の一人や二人によって決められる事の次第ではなく、最終的には安倍晋三自身が決める事の次第なのは社会一般的なごくごく当たり前の常識であろう。

 このような常識からすると、答えは一人宛会費を5千円と決めたのは安倍晋三を措いて他にないということになる。このような答にすることで、実際には天下の総理大臣に国会でウソの答弁をさせていなかったことが分かって、秘書というものが備えるべき雇い主に対する従属性に添っていたことになり、全てに納得がいく。

 要するに安倍晋三も関与していた値引きの事実と値引きに対する補填の事実を隠蔽するために政治資金収支報告書には記載できなかった。未記載の事実と利益供与や寄付行為となる事実をさらに隠蔽する必要上、秘書のウソの報告に基づいた安倍晋三の国会答弁に仕立てた。結果、政治資金収支報告書未記載による政治資金規正法違反で秘書のみが略式起訴される責任転嫁が、秘書の雇い主に対する従属性から自身への責任転嫁を快く引き受けるか、自ら責任転嫁を申し出たかしたのだろうが、成功、安倍晋三自身は嫌疑不十分で不起訴、無罪放免となった。

 このことは単なる勘繰りではない。既に取り上げた辻元清美の安倍晋三に対する次の発言が証明する。

 安倍晋三「明細書につきましては、ホテル側が、これは営業秘密にも関わることであり、お示しをすることはできない、こう述べている、こういうことでございます」

 ホテル側にとって個々の品物や個々のサービスに対する単価や内容といった明細は他社には知らせたくない「営業秘密」かもしれないが、だからと言って、これらの明細を顧客側に営業秘密を口実に明細書の形で渡しておかずに口頭のみで知らせた場合、万が一にも品数が足りない、単価相応ではないといったクレームがついたときにホテル側に控えておいた、サービス内容とその単価を書き込んだ明細書だけでは、クレームに対抗できる証拠能力は有しないことになる。あくまでも顧客側にも同じ内容の明細書を発行するという形で渡しておくことで業者側と顧客側との間に契約内容に関わる証拠能力は生きてくる。

 この証拠能力の確保という点でも、明細書を発行しないという選択肢は先ずない。全日空ホテルという大きな企業は特にないはずだ。だからこそ、明細書の発行は社会一般的なごくごく当たり前の常識的な社会慣行となっている。

 サービスを提供する側の業者が営業秘密を楯に明細書を発行しないというのは社会慣行に逆らうだけではなく、安倍晋三後援会事務所側からしても、ホテル側の営業秘密を口実に明細書を受け取らずじまいでいた場合、クレームが発生した場合のそれを裏付ける証拠を最初から持たないことになるだけではなく、領収書だけでは全体の金額の記載はあるが、個々のサービス内容とその内容に応じた個々のサービス単価の記載がないことから、安倍晋三後援会事務所の行事としての記録に残し、他日の参考にすることも不可能となるだけではなく、秘書のそのようなウソの報告を鵜呑みにして、何ら疑いを挟まなかった安倍晋三自身の社会的常識にますます正当性を与えることは難しくなる。

 総理大臣として欠いているはずはないこの手の常識を実際には欠いていないと説明するためには安倍晋三自身も承知していて秘書に指示して設定した格安会費であり、その結果の毎年の150万円以上から約250万までの間の補填ということでなければならない。

 辻元清美は安倍晋三から「明細書の発行はなかった」という答弁を改めて引き出してから、ANAインターコンチネンタルホテル東京(以下全日空ホテルと表記)に対して「2013年以降の7年間に貴ホテルで開かれたパーティー・宴席について」「4問の問い合わせ」を行い、得た回答を安倍晋三にぶっつけている。ここでは第1問の見積書、あるいは請求明細書に関してのみ取り上げる

 第1問 「貴ホテルが見積書や請求明細書を主催者側に発行しないケースがあったでしょうか」
 (回答)「ございません。主催者に対して、見積書や請求明細書を発行いたします」
 
 4問の問い合わせ全てに安倍晋三の答弁を否定することになる「ございません」の回答となっているが、第1問に対して次のように答弁している。

 安倍晋三「それは、安倍事務所にということですか」

 辻元清美「2013年から7年間に開かれた全日空ホテルでのパーティー、宴席全てについてでございます」

 安倍晋三「それは安倍事務所との間でどうなっていたかということについてお問合せを頂きたい、こう思うわけでございまして、その場においては、事務所から、それはいわば人数が多いものでありますから取りまとめを行ったということでございますが、明細書は頂いていない、こういうことでございます」

 質問通告してあったはずだから、前以って用意しておいた答弁なのだろうが、言っていることは安倍晋三後援会事務所との間では特別な取り決めがあった特別扱いであるとの宣言である。裏を返すと、安倍晋三後援会事務所は特別扱いだから、明細書の発行は受けていないが、特別扱い外の一般的な顧客に対しては明細書は発行されるという意味を取ることになる。

 辻元清美は最後に全日空ホテルが辻元清美の問い合わせに対してこのような回答を文書で出したのかどうか、「午後の委員会までに確認をして頂きたい」と要求、安倍晋三が「事務所に当たらせる」と約束、両者の質疑は終わるが、確かめなければならないことは辻元清美にどう回答したかではなく、全日空ホテル側と安倍晋三後援会事務所との間で明細書の発行はなしとするといった特別扱いの取り決めをしていたのかどうかであったはずだ。

 午後に質問に立った同じ立憲民主党の小川淳也が、「事務所に当たらせる」とした確認内容を早速問い質した。

 安倍晋三「私の事務所の方から全日空ホテルに連絡を致しまして確認を致しました。それをお答えさせて、纏めてお答えをさせて頂きたいと思います。

 私の事務所が全日空ホテルに確認したところ、辻本議員にはあくまで一般論でお答えしたものであり、個別の案件については営業の秘密に関わるため、回答には含まれていないとのことであります。桜を見る会前日の夕食会は、平成25年、26年及び、28年の3回は全日空ホテルで実施。私の事務所の職員がホテル側と事前に段取りの調整を行ったのみであり、明細書等の発行は受けてないとのことでした」

 「個別の案件については営業の秘密に関わるため、回答には含まれていない」と言っていることは個別案件は営業の秘密に関係することから、全日空ホテルとしては回答することはできないと言っていることになる。だから、辻元清美の問い合わせに対して一般的案件のみの回答であって、安倍晋三後援会事務所主催の懇親会等の個別案件は全て回答には含まれていないと言っていることに一致することになる。そして一般的案件に対して個別案件を置いているということは全日空側は個別案件を特別扱いしていることになって、安倍晋三が「それは安倍事務所との間でどうなっていたかということについてお問合せを頂きたい」と言っていることと符合する。

 要するに一般的には明細書等の発行は行うが、安倍晋三後援会事務所主催の懇親会は個別案件待遇となっていて、そのような待遇の一つとして営業の秘密に関わることとして明細書等の発行は行わないことになっているという意味を取る。

 当然、全日空ホテル側からしたら、明細書の発行は社会一般的なごくごく当たり前の常識的な社会慣行であるはずだから、明細書の未発行は全日空ホテル側の必要性からの営業の秘密ではなく、安倍後援会事務所側の必要性からの営業の秘密ということになる。そのために全日空側が協力して明細書を「営業の秘密に関わる」こととして発行していないという安倍晋三の発言ということでなければならない。

 このことは実質会費から5千円に値引きしたのはホテル側の事情からではなく、安倍後援会事務所側の事情によるものであることとマッチする。安倍晋三の持つべきから常識からすると、こういった経緯を取るということを理解できないはずはないが、全ては秘書のウソの報告に基づいていると仕立てた手前、「明細書は頂いていない」、「明細書等の発行は受けてない」を証明するためには社会一般的なごくごく当たり前の常識からは理解し難い営業の秘密を持ち出さざるを得なかったのだろう。

 このようなカラクリを考えた場合、安倍晋三は「問うに落ちず語るに落ちる」形で自身が指示して関与することになった会費値引きであり、その値引きを埋め合わせる補填であって、政治資金規正法違反も公職選挙法違反も承知していたことをうっかりと喋ってしまったと見ざるを得ない。

 そうでなければ、全日空側が営業の秘密に関わるからとの口実で明細書を発行しないという常識的な社会慣行に反することをすることの説明がつかない。

 安倍晋三が秘書と共謀して補填が必要となる格安の会費設定と収支報告書への未記載を承知の上で懇親会を開いてきたとしたら、秘書のウソを鵜呑みにして何も疑わなかった常識の程度に納得がいくし、一般的には他人のウソを鵜呑みにする自身の常識の程度に恥じ入るものだが、。安倍晋三にはそれが一切ないことにも納得がいく。

 但し安倍晋三は安倍晋三後援会事務所主催の懇親会の場合は個別案件として特別扱いされていると直接口にしたわけではない。答弁がそういう意味を取ると言うだけで、実際に特別扱いとなっていたのかどうかは本人に問い質して答えさせる以外に、答えればの話だが、見えてこない。

 安倍晋三の答弁どおりに特別扱いが存在していた場合、どのように具体的に取り決めた特別扱いなのかは推測しようがないが、両者の関係性から特別扱いに至った経緯に関しては容易に推測できる。

 相手が安倍晋三の後援会事務所というだけで、心理的な上下の力関係が生じる上に2019年の懇親会参加人数は800人規模だったことから考えても、多人数分の売上が見込めることからのより丁寧なサービスを心がけることによって発生する利益上の力関係、さらに宣伝効果を手にすることができることによって発生する力関係が懇親会を個別案件化していったに違いないと推測可能となる。

 そしてその個別案件化によって安倍後援会事務所側の必要性から「営業の秘密に関わる」こととして明細書を発行しないことになった。

では、安倍晋三「桜を見る会」国会虚偽答弁釈明会見から「明細書」関する発言を纏めてみる。

 「安倍晋三2020年12月24日記者会見」(産経ニュース/2020.12.24 18:39)

 記者「国会でホテル側からの明細書などの発行はなかったとも答弁しているが、真偽は」

 安倍晋三「明細書につきましては、私の事務所に確かめたところ、その明細書は残っていないということでありました。そして、事務所の者に確認したところ、『明細票を見たという記憶はない』ということでございました。

 ただ、ホテル側は、明細書といえば請求書ですから、恐らくそれを2枚紙か何枚か分からないんですが、そうした形で渡しているということを、ホテル側がもし言っているということ、そういうことを言ってるのではないかということでありますが、それは、そうであれば、そういうことだったのかもしれませんが、事務所の者は請求書を見たけれども、それで支払いを行ったという認識であったということでありました。

 先ほど申し上げましたのは、そういうホテル側の認識はそうであったというふうに私は承知をしているんですが、ホテル側の認識がそうであれば、そうかもしれないと私は思っております」

 記者「昨年11月8日の参院予算委員会で共産党の田村智子議員の質問に対し、各個人がそれぞれの費用で上京し、ホテルに夕食会の会費を直接払い込んだと答弁した。このとき、前夜祭の会計処理について具体的に言及したのはなぜか。ホテルの明細書に関し、国会でホテルから回答を文書で得るように求められたが、応じなかった理由は何か」

 安倍晋三「その段階においてですね、私自身は5000円の会費を徴収してると、そしてそれで賄っているという認識がございましたので、そのようにお答えをさせていただいたということであります」

 記者「ということは、前夜祭の会計処理が法に触れる可能性を認識していなかったのか」

 安倍晋三「それは先ほど来、答弁しているようにですね、全てそれで賄っているというふうに認識をしておりました。でありますから、5000円の領収書を発行し、個々の参加者にその飲食代と書いてですね、領収書をお渡しをしているということでありましたから、そこで完結しているという認識を持っておりましたので、そのようにお伝えをさせていただいたということでございます。

 明細書につきましてはですね、先ほど答弁させて、お答えをさせていただいたんですが、明細書については、事務所には明細書がなかったということであります。そして、事務所の秘書が明細書を見たというですね、そういう認識がなかったということでありました。

 勿論、請求書に対して支払いをしているわけでありまして、それに今から思えば、それにあれが、私は思えばですよ、恐らくついていたものをですね、私どもの責任者は請求書だけを見て支払ったのかもしれないと、これは想像でございます。今ちょっとお答えさせて、その上においてですね、その上において、いわばホテルが、この明細書についてはですね、ホテル側はそれを公開を前提にするのであれば、営業の秘密にもかかわるので出せないということであります。これは国会で答弁をさせていただいたわけであります。それはその通りでございます」

 記者「ホテル側に明細書の控えを保管する義務があるが、なぜ確認しなかったのか」

 安倍晋三「私がですか? 明細書、そのとき、私はなんとお答えしたのかな?」

 記者「事務所に明細書はなかったと言っているが、明細があるかどうかなぜホテルに確認しなかったのか」

 安倍晋三「明細書はあるんですよね。明細書はホテルにあるけども、ホテルの明細書はですね、営業の秘密があるから出せないということであったと」

 記者「営業の秘密は中身のことだと思うが、明細書があるかないかというのは答えられると思うが」

 安倍晋三「明細書があるかないかということについては、明細書はあるんだろうと思います。それは先ほど来申し上げておりますように」

 記者「国会では明細書はないと…」

 安倍晋三「明細書がないのは、事務所にないということです。明細書がないということは、私が答えられるわけないのであって、ホテルにあるかないかということであって、普通は明細書はあるんだろうと。しかし明細書は、今お答えしたのは、明細書がないというのは、私の事務所には明細書が残っていないということであるのと、秘書が明細書を見たという認識がないということを申し上げている。明細書がないということを申し上げたことはないというところだと思います」

 記者「なぜホテルに確認しなかったのか」

 安倍晋三「いや、だから、その確認というのはですね、確認というのは、明細書を出してもらいたいということですから、明細書は営業の秘密にかかるから、公開を前提とする上において明細書を出すことはできないというふうにお答えをしていると。明細書がないということではなくて、というふうにお答えをしているということです」

 「ホテル側は、明細書といえば請求書ですから、恐らくそれを2枚紙か何枚か分からないんですが、そうした形で渡しているということを、ホテル側がもし言っているということ、そういうことを言ってるのではないかということでありますが、それは、そうであれば、そういうことだったのかもしれませんが、事務所の者は請求書を見たけれども、それで支払いを行ったという認識であったということでありました」

 「先ほど申し上げましたのは、そういうホテル側の認識はそうであったというふうに私は承知をしているんですが、ホテル側の認識がそうであれば、そうかもしれないと私は思っております」

 安倍晋三は雇い主として秘書に事実関係を聴取しているはずだが、全てが非常に曖昧な発言となっている。秘書自体は記憶がはっきりしないことに関しては曖昧な言い方となるが、「秘書の記憶曖昧なもんですから」と断れば済む。殆どの発言が曖昧になっているのは安倍晋三自身に曖昧な言い方をしなければならない事情があるからだろう。もし秘書と共謀して格安会費を通した利益供与に関与していなければ、曖昧な言い方をする必要は何一つない。

 このような曖昧な言い方一つを取っても、心証的には安倍晋三の関与は確実視される。

 ホテル側は安倍後援会事務所側に1枚形式なのか、2枚綴りなのか、前者なら明細請求書、後者なら、別々となっている明細書と請求書を発行した。ところが「事務所の者は請求書を見たけれども、それで支払いを行ったという認識であったということでありました」と言い、「明細書については、事務所には明細書がなかったということであります。そして、事務所の秘書が明細書を見たというですね、そういう認識がなかったということでありました」と言っているから、1枚形式の明細請求書ではなく、2枚綴りのうちの請求書は見た覚えはあるが、明細書は見ていないということになる。

 全日空ホテルに発行する場合の請求書と明細書は1枚形式なのか、2枚綴りなのか問合せなければならない。1枚形式なら、安倍晋三と秘書の言っていることは、何らかの必要性がある虚偽発言となる。安倍晋三も虚偽発言者として付け加えたのは下の発言による。

 「事務所の者は請求書を見たけれども、それで支払いを行ったという認識であったということでありました」

 「けれども」の接続詞は逆説、あるいは否定の文章を続けることで文脈を成り立たせる。だが、そういう繋がりとはなっていない。いずれにしても、1枚形式の請求明細書か2枚綴りの請求書と明細書なのかが発行されて、事務所側はそれらに基づいて支払いを行った。ところがその支払いに補填分が含まれていた。秘書単独で行ったことなら、何も安倍晋三が言葉の繋がりを間違える必要性は生じない。淡々と秘書の発言を伝えれば済む。

 安倍晋三はここでも、「明細書はあるんですよね。明細書はホテルにあるけども、ホテルの明細書はですね、営業の秘密があるから出せないということであった」と言い、「明細書は営業の秘密にかかるから、公開を前提とする上において明細書を出すことはできないというふうにお答えをしている」と述べて、「営業の秘密」を持ち出して全日空ホテル側の公開できない理由としている。

 確かに安倍後援会事務所は極上の特別扱いで、サービス単価を飛び切りに安くしていたら、公表がマスコミを通して世間に知られて、全日空が困ることになる予想から、「営業の秘密」を口実に「出せない」としている場合もあるだろうが、国会では「営業の秘密に関わる」ことを理由に安倍事務所側が明細書の発行を受けていない趣旨の発言となっていた。発言の趣旨を変えること自体がやはり既に触れたように全日空側の必要性からの営業の秘密ではなく、安倍後援会事務所側の必要性からの営業の秘密ということでなければならないし、記者会見での曖昧な発言を併せ考えると、安倍後援会事務所側が不都合な事情を抱えていることからの「営業の秘密」を口実とした明細書の隠匿としか受け取ることはできない。
 
 2020年12月25日衆参議院議院運営委員会での共に立憲民主党の辻元清美と福山哲郎の追及を見てみる。両者の追及の目的は秘書一人が犯した政治資金規正法違反(未記載)ではなく、また罪に問われなかったが、安価な一人宛会費を通した利益供与による公職選挙法違反ではなく、安倍晋三も承知をしていて共謀した政治資金規正法違反であり、公職選挙法違反であることを立証することにあるはずだ。

 ところが、午後1時から行われた衆議院議院運営委員会での立憲民主党辻元清美は冒頭から追及の目的から外れて、民間の企業の社長が公の場で虚偽・ウソの説明を100回以上やって、社員に騙されましたと言い訳して、通用するか、民間の企業の場合はコンプライアンス失格だ、社長は辞職だと関係もない、意味もないことに追及の時間を費やした上で、やっと本題に入り、「明細書がホテルにあるなら、ホテルにこの明細書を請求して、本委員会に提出して下さい」と要求。

 対して安倍晋三は全日空側の「営業上の秘密」を口実に「明細書を渡さないと言うふうに私は承知をしております」と要求を拒否、「明細書ということについても恐らく検察側もですね、そうした説明等についてはしっかりと把握した上に於いてですね、今回の判断を下しているものとこう考えるところでございます」、「明細書の中がどうあれですね、それは今回の検察側の判断が変わらないわけでございまして、私たちがことさら明細書を隠さなければいけないという立場では当然、ないわけでございます」云々と明細書の提出はもはや意味がないことだとばかりの発言をしている。

 対して辻元清美はホテルニューオータニ開催の懇親会を取り上げて、安倍事務所側から領収書等紛失届が出ているにも関わらず政治資金収支報告書には補填金額が端数まで細かに出ているのは裏帳簿が存在するのではないかと追及、安倍晋三からそんな帳簿はないと一蹴されてしまう。

 確かにパソコンに記載できない収支報告を裏帳簿の形で隠している場合もあるが、表に出せる金額の場合はパソコンに整理して残しておくはずで、それを参考にしたと言えば、領収書を紛失したとしても、パソコンを参考に端数まで取り出すことができる。

 追及の目的が安倍晋三の関与の証明である以上、検察の判断は秘書一人の犯行となっているが、安倍晋三の関与を疑っているからこそ、その証明のために明細書の提出を求めているとなぜ重ねて言わなかったのだろうか。

 大体が質問冒頭から民間企業の社長を取り上げて、安倍晋三の虚偽答弁に重ねるなど、無意味な追及に、これでは安倍晋三を立ち往生させることはできないなと最初から期待はしていなかった。そしてそのとおりに終わった。

 参議院議院運営委員会は3時5分から始まっている。自民党の質問に続いて福山哲郎が追及に立った。最後のところだけを取り上げる。

 福山哲郎「総理はですね、ホテルからの明細書についてのきのうの会見、極めて曖昧なんです。ずっと国会では明確に明細書は発行されていない、受け取っていないと言われたんです。ところがきのう、突然、明細書はあるけど、事務所にはなかったと言い出したんです。

 あるでいいんですか。ホテルにあるんだったら、じゃあ、ホテルから取り寄せれば良かったじゃないですか。そしたらいきなり(営業の)秘密の話が出ているんですけど、それはホテルが本当に本当に言ったかどうか証明できません。

 それから5千円の設定も何度も答弁されてるんんですけど、この(政治資金収支報告書の)修正だと完全に安倍後援会がホテルと契約しているから、一人対一人の契約というのは本当に(聞き取れない。「虚構」と言うことか)だったということが明らかです。この設定、ホテルが決めていなければ、誰が決めたんですか。短く答えて下さい。

 じゃあ、もう言ってから(「自身が質問を終えてから」か)、答えて下さい。時間がないので申し訳ありません、ホントーニ疑惑ばかりです。何も総理は真摯に答えていません。あなたの政権になってから、あなたの尻拭いのために人生を変わってしまった人はたくさん出てきました。森友学園の財務局職員の赤木さん。改竄を強要されて自死されました。佐川さんも改竄の主犯格にさせられた。今度は安倍晋太郎先生の時代からの(秘書の)石田さん(?)。しかし実際は東京の秘書だと言われている。

 でも、その東京の秘書は今回の事件ではお咎めなし。じゃあ、国民は納得ができないじゃないですか。それで何であなたは議員に居座り続けられるんですか。今日の質疑で疑惑がさらに深まっているいます。前総理の不誠実な姿勢もはっきり見えました。来年の通常国会では今度は今日みたいな誤魔化しのできない証人喚問の場に出てきて頂きたい。そして初心に返った姿をお示し頂きたいと思います。司法判断が出たとしても、あなたの政治的道義的責任は免れません。この国会を蔑ろにした行政府の元長としての責任は決して小さくない。極めて大きいということを申し上げ、もしお答頂けるなら、お答え下さい。終わります」

 安倍晋三「あの、明細書はないと言ったのはですね、私の事務所にはないということを申し上げたわけでございまして、そして秘書はですね、明細書は、あの請求書は見ておりますが、明細書を見たという記憶はないということについて秘書から聞いたことをお伝えをさせて頂いた。それは今でも変わらないのでございますが、ホテル側はですね、明細書、請求書と恐らく2枚カンテキ(?記者会見で述べた「2枚紙か何枚か分からないんですが」ということなのだろう)に秘書に見せていると言うことでございましたから、それはそうかも知れないということでございます。

 ですから、私は明細書は存在しないと言ったことは一度もないわけでございまして(オーというような声が上がる)、いや、いや、明細書は、明細書はホテルにはですね、ホテルにはあるかも知れないということは申し上げてきているわけでございます。

 (福山席から何か言う)そこは間違いないんだろうと。だって、それをですね、私が、だって、ホテル側がないということを私が、それをですね、私が(ヤジ)申し上げたのはですね、私が申し上げたのはホテル側はですね、営業の秘密で公開を前提としては出すことはできないということを、私は答えているわけでございまして、それはしっかりと見て頂きたいと思います」

 時間切れで終了。福山哲郎は終了時間が迫っているのが分かっていたのだから、安倍晋三には痛くも痒くもない森友問題など持ち出して「あなたの政権になってから、あなたの尻拭いのために人生を変わってしまった人はたくさん出てきました」などと、安倍晋三自身の関与を追及するには役にも立たないことを長々と続けずに最後の最後まで安倍晋三自身も関与していたのではないのかとなぜ追及しなかったのだろう。
 
 福山哲郎は明細書が、秘書が単独で行った利益供与や政治資金収支報告未記載ではなく、あなた自身も関与していたことを裏付ける証拠となると見ているから、提出を要求しているのですと単刀直入になぜ追及しなかったのだろうか。

 追及するには安倍晋三が「桜を見る会」懇親会問題で国会で虚偽答弁を続けてきたことが秘書のウソの報告を鵜呑みにしていたことを理由としているが、鵜呑みにすること自体が安倍晋三が総理大臣として備えているはずの社会一般的なごくごく当たり前の常識と大きく食い違っていることに焦点を当てて、それを突破口にする以外に方法はないように思えるが、どうだろうか。

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