11月消費支出から読み解く民主党スローガン「国民の生活が第一」の菅内閣景気対策

2010-12-31 08:12:59 | Weblog


 

   正月三ガ日は休みます。予告する程のブログではありませんが。

 11月消費支出の記事。12月28日(2010年)総務省発表の11月家計調査を伝えている。
《11月消費支出、実質は前年比0.4%減 たばこは半減》asahi.com/2010年12月29日1時43分)
 
 1世帯あたりの消費支出(単身世帯を除く)は前年同月比0.2%減の28万4212円。3カ月連続マイナス。

 物価変動を除いた実質では同0.4%減。無視できない動向となっている単身世帯を加えたなら、さらに下がることになると考えることができる。

 総務省(個人消費の基調判断について)「緩やかながら回復を続けているものの、先行きには注視が必要」

 傾向。天候不順の影響で高騰した野菜等への支出が減った一方、消費刺激策が続いている薄型テレビなどの支出が伸びがみられる。

 支出項目別傾向。

 10月に税率が引き上げられたたばこが前年同月比で実質48.0%減少。交際費などが同10.3%減。エコポイント制度の変更直前の駆け込み需要で、薄型テレビなどの教養娯楽用耐久財は同128.4%支出増。

 調査から窺うことができる構図は、天候不順による値上がりの影響で野菜など生鮮農産物に対する支出は所得余裕層にはさして影響はないだろうことを考えると、全体的消費支出減は中小所得層、特に所得非余裕層の消費動向が影響を与えた減少だということができる。

 逆に政府が財政出動して支援したエコ家電やエコカー減税、住宅エコポイント制度等が恩恵した支出増は所得余裕層の関与によるもので、中小所得層、その中でも所得非余裕層がほぼ関与できなかった支出分野と見ることができる。

 もしもエコ家電やエコカー減税、住宅エコポイント制度等が所得非余裕層をも含めて恩恵を与える景気刺激策であったなら、当然の如くに1世帯当たりの消費支出はプラスとなっていいはずだ。

 要するに民主党政権、菅内閣の経済対策、あるいは景気刺激策は「国民の生活第一」を掲げながら、国民全体にバランスよく利益が渡る政策とはなっていなかったことになる。

 まあ、この程度が菅首相が繰返し言っている「有言実行」の程度・中身といったところなのだろうが、全体的に言えることは中小所得層、所得非余裕層まで含めて消費活動が活発化しなければ、1世帯当たりの消費支出は大きくプラスに転じないと言うことであろう。このことは断るまでもなく、国全体の景気動向に深く関わってくる。

 要は政府の景気対策は中小所得層、所得非余裕層にまで恩恵が波及する効果を持たなければならないということである。大企業等の上が儲けっ放しとなる景気対策では、下まで含んだ全体的な景気の回復は見込めないということを教えてくれる。

 このことを証明する同じ「asahi.com」記事がある。《米企業、貯め込む手元資金 162兆円、高失業率の一因》2010年12月30日13時25分)

 米企業が総資産に占める割合が半世紀ぶりの水準となる利益を上げていながら、巨額の内部留保を溜め込む一方で、先行き不安から設備投資や雇用増に向けた利益の再配分を怠り、そのことが高い失業率や経済回復が遅れる一因になっているという内容の記事である。 

 米連邦準備制度理事会(FRB)が今月発表した米資金循環統計。金融機関を除く米企業は今年9月末時点で現預金や短期で現金化できる証券などの手元資金を1兆9300億ドル(約162兆円)保有。前年同期から14%増の過去最高。 だが、〈米企業の手元資金は2008年秋のリーマン・ショック以降、急速に増加した。金融危機で資金調達が難しくなった経験から自己防衛に動いたとみられるが、景気が緩やかに回復して各社の業績が改善している今も傾向は変わらない。〉

 ニール・ヘネシー米投資運用会社会長「経営者は単純に、先行きへの自信をもてないでいる。だからコストがかかる雇用増や設備投資に踏み込むことができない。日本が最近経験してきた状況とまったく同じことが起きている」

 資金循環がどの程度か統計を試みたところ、資金循環が満足な状態で機能していない、不全状態にあると分かったという調査。

 アメリカも日本と同様に車や住宅購入に対する減税等の様々な財政出動を伴った景気対策を講じた。その結果が日本同様に上が儲けっ放しとなる景気対策で終わっていて、国全体としての確かな景気回復を実感できなく同じく日本同様に国全体の活気を見い出せないでいる。

 企業の内部留保に向けたこの動向は2010年の冬のボーナスの使い道にも現れている。

 楽天リサーチ株式会社が全国の20~69歳の男女計1000人を対象に11月19日から21日まで行ったインターネット調査「冬のボーナスに関する調査」

 「支給される予定」       ――65.5%
 「支給される予定はない」    ――22.3%
 「支給されるかどうか分からない」――12.2%

 ボーナスの使い道(順位は昨年調査と同じ)

 「預貯金」    ――54.0%
 「生活費の補填」 ――30.1%
 「旅行・レジャー」――26.1%

 昨年調査の使い道。

 「預貯金」    ――53.0%
 「生活費の補填」 ――32.2%
 「旅行・レジャー」――25.2%

 記事は小見出しで、「出費の“引き締め感”はやや後退」、「預貯金予定額は、『30万円未満』が6割超」と解説している。

 こういった傾向から窺うことができる光景はやはり所得余裕層と所得非余裕層の収入に対する姿勢の違いがそれそれの統計数値に反映されていると同時に、そのような姿勢を強いているのは政府の景気対策が所得非余裕層にまで恩恵が行き渡っていないことが原因しているということであろう。

 特に「支給される予定はない」の22.3%と「支給されるかどうか分からない」の12.2%で、余程不景気が直撃した大企業は別にして、厳しい不景気と言うだけでボーナスを支給しない大企業は先ず考えることができないから、「支給される予定はない」と「支給されるかどうか分からない」の34.5%の大部分は中小零細のうち、特に小零細企業が占めていると考えることができる。彼らには政府の景気対策は何ら恩恵しなかった。いわば「国民生活が第一」を裏切る景気対策となっていると確実に言える。

 上の儲けっ放しを許す景気対策とは上の十全な生存を許すのみの経済対策であって、下の生存を窮屈な状態、あるいは苦しい状態に置きっ放しの経済対策ということであって、そういうことなら下の消費活動を活発化させることに主眼を置いた景気政策が必要とされていると言うことなのではないだろうか。

 この考え方が間違っていないとしたら、ブログにも前々から書いてきたように、法人税減税も消費税増税も国全体の景気を回復させる経済政策足り得ないことになる。逆に消費税を一時的に停止する思い切った政策で広く厚く消費を刺激し、先ず小零細企業の売り上げに貢献する景気対策が必要ではないだろか。

 金持から貧乏人までよりよい正月を迎えることができるように。

 だが、今年も家と職を失い、年越しを当たり前の人間として越せない生活者が多く存在する。

 それとも国家権力にとっては大企業が生存できて国際収支とかが恥ずかしくない統計内容を獲得でき、国家としての体裁をそれなりに維持できさえすれば、所得非余裕層を一部国民のみのことと看做してたいした問題ではないとしているということなのだろうか。元市民派、変身して明らかに国家主義者としての姿に身を任せている菅首相からは下を無視する姿勢しか窺うことができない。だから前以ての十分な準備も説明も議論もなく消費税の話ができた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅首相の生活困窮者年越し対策に見る元市民派にふさわしい誠実さの正体

2010-12-30 07:49:06 | Weblog

 
 職・住を失った生活困窮者の年越しのための最初の年越し派遣村はNPOや労働組合組織の実行委員会によって2008年12月31日から2009年1月5日まで東京の日比谷公園に開設された。そして民主党政権に移行したその年の暮れの12月28日、政府の要請を受けて都が渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターに公設派遣村として開所、736人がそこで越年、1月3日には833人に増員。4日終了予定が生活再建のめどが立たない入居者が多く、562人を大田区の都の施設に移動させ、そこに収容し、支援継続、1月18日に閉所。

 だが、今年の開所を政府は見送った。その理由を《派遣村なき年越し 国は「通年支援に移行」というが…》MSN産経/2010.12.27 23:19)が伝えている。

 今冬、国が派遣村を開催しない理由――

 酒光一章・厚労省労働政策担当参事官は「役所が閉まっている年末年始にできることは限られている。年末年始に困る人は現在も困っているはずで、今年一年を通じて年末に派遣村を開かなくてもよいような対策を講じてきた」
 
 例え生活に困窮していても、年末に派遣村を開設しないで済む対策を取った。何とも頼もしい菅内閣有言実行である

 その対策とは――

 全国のハローワークに計263人の住居・生活支援アドバイザーを派遣、就職及び生活相談を受付ける体制を整備。住居喪失者対象の賃貸住宅家賃補助制度の開設。一部ハローワークは30日まで窓口を開設予定。

 このような対策を以って万全の態勢だというわけなのだろう。

 記事は今年中止の理由を昨年の公設派遣村生活者の騒動を挙げている。

 〈昨年の公設派遣村には860人が入所。しかし、就職活動のための交通費として2万円が支給されると、その夜に200人以上が戻らないといった問題が発生。無断外泊や飲酒など、一部の入所者のモラルが問題視され、都には多くの否定的な意見が寄せられた。〉

 厚労省幹部「あの失敗で国が派遣村を開くという選択肢はもう無くなった」

 懲罰主義に出たということなのか。有効求人倍率が半分にも満たない中で住まいを持たない生活困窮者が就職活動をしても、彼らに対する有効求人倍率はさらに下がるだろし、就職活動自体がムダだと既に彼ら自身が身を以て体験しているに違いないだろうから、就職活動交通費2万円を当てにもならない就職活動で空費するよりも他に有効な使い道をと考えた可能性もある、就職活動を求めたこと自体土台無理な要求ではなかったのかと以前ブログに書いた。(アドレス後出)

 「MSN産経」には書いてなかったが、《「派遣村」今年はなし ハローワーク30日まで相談窓口》asahi.com/2010年12月29日19時1分)では、都内5カ所のハローワークが住居喪失者に4日朝までのカプセルホテルと食事代7千円を提供と書いてある。

 このことは酒光一章・厚労省労働政策担当参事官が「今年一年を通じて年末に派遣村を開かなくてもよいような対策を講じてきた」と言っていたことに反する対策となる。カプセルホテルと食事代7千円の提供は公設派遣村に代る、その形態を取った支援だからである。

 「asahi.com」はさらに、〈自治体によってはハローワークに職員を派遣し、宿泊場所も提供する。〉と書いているが、各自治体の支援にしても政府が講じてきたという「年末に派遣村を開かなくてもよいような対策」が何ら役に立っていなかった、その非有効性を反映した措置ということになる。

 平松大阪市長が12月29日に年末年始に身を寄せる場所がない日雇い労働者の年越し用の臨時の宿泊施設を視察している。《平松市長 年越し宿泊施設を視察》毎日放送/2010年12月29日(水) 23時34分)

 臨時の設置場所は大阪・住之江区の南港。対象者は年末年始に仕事が途切れ生活が困窮するあいりん地区の日雇い労働者。寝る場所と食事を無償で提供。設置期間は12月29日から来年の1月5日まで。

 記事は書いている。〈プレハブの中には2段ベッドが置かれ、利用者にはスリッパやタオルなどが入ったセットが手渡されます。

 ピーク時の98年には2,800人が利用しましたが今年は、600人にとどまると見込まれていて、その数は年々減っています。〉

 平松大阪市長「生活保護という行政(サービス)に流れてきている、そちらで居宅生活する人が増えた」

 要するに土木建築の仕事が減って、毎日日雇い仕事にありつけるわけではない。仕事休みの12月29日から来年の1月5日まで過ごすだけのカネを蓄えることができなかったからと、あるいは少しのカネを持っていても、年明けの仕事始め早々に仕事にありつける保証はないからと手をつけずに市提供の無償施設を頼るといったことなのだろう。

 「asahi.com」記事は東京以外で窓口を開設しているハローワークを紹介している。各ハローワークが宿泊施設と食事代まで提供するのかどうかは書いてないが、政府が「今年一年を通じて年末に派遣村を開かなくてもよいような対策を講じてきた」なら、ハローワークを年末に臨時開設する必要性も生じなかったはずだ。

 ▽ハローワークプラザ札幌
 ▽ハローワークプラザ大宮
 ▽ハローワークちば駅前プラザ
 ▽ハローワークプラザよこはま
 ▽ハローワーク川崎
 ▽ハローワーク浜松
 ▽キャリアアップハローワークあいち
 ▽ハローワーク西陣烏丸御池プラザ
 ▽ハローワーク梅田
 ▽ハローワークプラザ難波
 ▽ハローワーク堺
 ▽ハローワーク神戸
 ▽ハローワークプラザ福岡
 ▽ハローワーク小倉。

 菅首相が29日(2010年12月)、首相公邸で細川厚生労働相と会談、職・住のない生活困窮者の年越しについて指示を出していることも政府が「今年一年を通じて年末に派遣村を開かなくてもよいような対策を講じてきた」ことに反する事柄となる。

 《生活困窮者に支援を…首相、厚労相に指示》YOMIURI ONLINE/(2010年12月29日19時20分)

 菅首相「生活や住居(の確保)が困難な方に対し、自治体と協力して、しっかりと支援してほしい。年末年始にかけて情報を集め、様々な状況に対応できるよう注視してほしい」

 〈細川厚労相は、ハローワークが29、30の両日に都市部で年末の緊急職業相談を実施していることなどを報告した。〉――

 菅首相は「生活や住居(の確保)が困難な方」の年越しを気遣っているふうに一見見える。だが、年の瀬が詰まった29日の指示ということはどういうことなのだろう。政権交代後の鳩山前政権が都に依頼して公設派遣村を開所したのは1日前の12月28日。12月28日に開所するについてはかなり前からの計画と準備を必要とする。

 大阪市が開設した臨時宿泊施設の入所は12月29日から。同じくかなり前からの計画と準備を経た開所であろう。

 菅首相の指示にしてもより早い時期にあって然るべき措置ではなかったろうか。特に市民派出身の総理大臣である。生活困窮者の年越しとなると自身にとって極々敏感な問題となっているはずだ。生活困窮者の特に年始年末に襲ってくる最悪の生活破綻を当然思い遣るだろうし、首相と言う立場上、その思い遣りは行動を伴わせなければならない。その行動が暮れも押しつまった29日になって「生活や住居(の確保)が困難な方に対し、自治体と協力して、しっかりと支援してほしい」の指示のみであった。

 対して細川厚労相の反応は、現在の厳しい就職難の状況下で特に住いを満足に持たない、年齢が若ければいいが、生活困窮が集中している中高年層には就職の機会が排除されがちな特殊性を何ら考慮に入れていないハローワークが29、30の両日に都市部で年末の緊急職業相談を実施していることなどの報告だった。

 いわば殆んど当てにもならない就職保証を行うという、マヤカシに近いその場凌ぎの対応であり、このことは同時に菅首相の指示の有効性がどのようなものか如実に物語っている。

 指示の有効性とは菅首相の元市民派にふさわしい誠実さの有効性に即そのまま直結するはずである。「今年一年を通じて年末に派遣村を開かなくてもよいような対策を講じてきた」と言っていることを無効とする上に暮れも押し詰まった29日になって指示を出す、その誠実さ。特に就職の機会から遠ざけられている生活困窮者に当てにもならないハローワークの緊急職業相談でよしとしている誠実さ。このような誠実さに菅首相自身の元市民派にふさわしい誠実さの正体が現れているはずである。

 参考までに――

 《有効求人倍率に反した無意味な「公設派遣村」- 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 《幕が下りた公設派遣村騒動の成果》


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅内閣の政務三役会議への次官陪席は情報処理能力無能の証明

2010-12-29 09:10:29 | Weblog

 
 日本の政治決定を官僚主導で担ってきた機関である事務次官会議を官僚主導から政治主導への転換を掲げてきた民主党が政権獲得後の鳩山前政権下で廃止し、大臣・副大臣・政務官の政務三役による「政務三役会議」を各府省の最高意思決定機関として代替させ、政治主導による政治決定へと持っていった。

 だが、菅内閣はこの政治主導路線を修正、大臣・副大臣・政務官の「政務三役会議」に省側からの事務次官らの陪席を要請した。《政務三役会議に次官も 官房長官、「脱官僚」を修正》asahi.com/2010年12月28日15時1分)

 昨12月28日(2010年)に首相官邸で開催の各府省事務次官に対する年末訓示で仙谷官房長官がその要請を行い、年明けにも実施する考えだという。

 仙谷官房長官「(政務三役会議に)次官や官房長が可能な限り出席、陪席するようお願いしたい」

 記事はこの発言を以って、〈政務三役会議は民主党政権が政治主導の象徴と位置づけていたが、官僚トップの事務次官の出席容認は「脱官僚」路線を大きく軌道修正するものだ。〉――

 軌道修正とは言っているが、菅首相は有言不実行内閣の看板を高々と掲げたのである。軌道修正と見るよりも既定路線への進入と見るべきかもしれない。

 仙谷官房長官「民主党政権になり政治主導の行政を進めているが、政治主導とは事務方が萎縮したり、政治に丸投げしたりすることではない。政務三役と官僚が適切に役割分担し、緊密な情報共有、意思疎通を図りながら、国民のために一丸となって取り組むことだ」

 仙谷官房長官「政務三役会議で事務方を排除することによって、意思疎通が図られないようではいけない。次官・官房長が出席、陪席するようお願いしたい」

 要するに政務三役会議で事務方を排除したために政務三役と事務方の役割分担が適切に行うことができなくなってしまった、両者間の「緊密な情報共有、意思疎通」が実現できていなかったと言っている。

 言い換えると、脱官僚、政治主導を掲げて事務次官を排除した「政務三役会議」は欠陥組織だったとの白状である。一度追い出した女房だが、家庭がうまくまわらなくなったから戻ってこいと強制するようなものである。

 記事は解説している。〈民主党政権は事務次官会議を廃止し、週に数回開いている政務三役会議で意思決定や各省間の調整をしている。こうした仕組みの導入は、省庁の縦割りの弊害を廃し「省益」にとらわれず速やかに政策判断を進める狙いがあった。

 ただ、主要課題の判断から官僚を排除したため、各府省が抱える情報を政務三役と官僚が共有できず、省庁間の調整がスムーズに進んでいないとのデメリットを指摘する声も出ていた。〉――
 
 戻ってこいと言われた女房の方は、そら見たか、私なしではやっていけないではないかと立場を強くし、いつ主導権を確立しないとも限らない。官僚主導への逆戻りである。 

 政策決定とは情報決定である。それぞれの政策の構築に必要な様々な方面から収集した様々な情報の中から何をどうすべきかの情報を最終的に決定する。それが政策であろう。

 組織に於ける情報発信を受けた情報収集と情報決定はピラミッド型の段階構造を取る。頂点に立つのが菅首相であり、最終的情報決定者として君臨している。

 大臣・副大臣・政務官の政務三役は首相の下に位置し、さらにその下に各省の次官たちが位置している。首相が政務三役が持つ情報を如何に発信させ、それを如何に収集し、如何に情報決定するかは偏に首相の判断能力にかかっている。

 勿論、政務三役も自分たちが収集して持つ情報を自分たちの方から首相に対して如何に発信し、首相の最終的な情報決定に如何に資するかはやはり偏に政務三役たちの判断能力にかかっている。

 このような形式を踏むなら、政務三役にしても自分たちの段階で次官たちが持つ情報を如何に発信させ、それを如何に収集し、如何に情報決定し、その決定した情報を首相の最終的な情報決定に資するかの判断能力は役目上常に問われることになる。

 要するに政務三役が政務三役会議以前の段階で執り行うべき次官たちとの「緊密な情報共有、意思疎通」だったはずである。政務三役会議に次官の参加を排除したということなら、他の方法で図るべき三役側からの情報収集であり、次官側に仕向ける情報発信でなければならなかった。

 情報収集のために下部機関から情報を発信させて、発信させた情報の中から中間的に自ら情報決定する能力を発揮できなかったということは、いわばそれらの能力を欠いていたということは例え政務三役会議に次官の出席を要請したとしても、次官たちが発信する情報を単になぞる形の情報招集と情報決定しか期待できないことになる。元の木阿弥、官僚主導への回帰そのものとなる可能性である。

 政治家側と官僚側の「緊密な情報共有、意思疎通」について、《仙谷氏、次官同士の調整も容認 政官の連携重視へ転換》asahi.com/2010年12月29日2時5分) が書いている。

 先ず記事は政務三役会議への次官の陪席要請を〈大臣・副大臣・政務官の政務三役を軸とした政策立案・調整は十分機能しなかったと自ら認め、官僚との連携重視に踏み出した。〉と、前の記事の発言を含めた仙谷官房長官の発言に添った解説を施している。

 仙谷官房長官(28日)「政務三役会議に事務方の陪席を認めないところもあると聞いているが、政務三役会議の決定事項が円滑に実施されない弊害もある。陪席を認めても差し支えない案件では次官や官房長らの陪席を認めるなど、各府省の運用を見直してほしい」

 「政務三役会議に事務方の陪席を認めないところもあると聞いているが」は陪席を認めている省もあることになる。政治家側と官僚側の「緊密な情報共有、意思疎通」の必要上からの措置であろう。当然と言えば当然だが、陪席云々ではなく、政務三役会議以前の段階で政治側が次官側に対して日常普段的に情報を収集し、情報を発信させる関係を構築していなければならないはずであるし、そういう関係でなかったなら、政務三役自身による時間をかけた満足な情報解読と情報決定は望み薄となり、逆に次官たちの解読と決定を経た情報に依存した政務三役の情報決定となりかねない。いわば従来どおりの官僚主導による情報決定である。

 仙谷官房長官(閣議後の記者会見)「事務次官レベルの協議の場が必要であれば適宜、私の方から提起していく」

 とは言っても、実際には事務次官たち自身が政務三役に向けた情報発信をどうしたらよりよい形に持っていけるか、そのことを機能させる方法・機能させる場を自分たち設定すべきことで、それが持ち場持ち場に於ける役目であり責任であろう。それができなければ、自分たちの情報招集と情報決定も満足に機能させることはできるはずもなく、当然政務三役に向けて発信する情報も満足な内容は期待できないことになる。

 持ち場持ち場の役目と責任を十分に果たすべく意志を働かせたなら、いわば各自が持つ情報をより完璧な状態に持っていく意志を持っていたなら、他省庁との情報の交換も必要不可欠となり、必然的に縦割りを排することになる。
 
 結局のところ、情報処理全般に亘って理想的な方法で機能させる力を持たなかったということであろう。

 この時期に時間陪席に踏み切った理由。

 仙谷官房長官「一年の締めくくりだと思ってやった」

 機能していないということなら、機能していないと分かった時点で機能するよう適宜軌道修正を図るべきだから、「一年の締めくくり」は意味を持たない理由となる。機能していないにも関わらず、軌道修正は「一年の締め括り」とするために年末まで待ったことになる。この危機管理は官房長官としての役目上素晴らしい危機管理となる。

 記事は政治主導のそもそもの出発点とその破綻を次のように書いている。

 〈民主党政権は「政策の決定は、官僚を介さず、政務三役が担う」(鳩山由紀夫前首相の所信表明演説)としていたが、官僚との「融合」を強調することになった。〉

 その理由。

 〈背景には、細かいデータを持たない政治家だけで判断を一手に引き受けて混乱を招いたことへの反省がある。「本来は官僚のやる仕事まで政務三役がこなし、役割分担がはっきりしなかった」(民主党の政務官経験者)というわけだ。「政治主導を振りかざす政務三役と事務方とのかたくなな関係」(法務省幹部)は官僚排除につながった。〉

 〈細かいデータを持たない政治家だけで判断を一手に引き受けて混乱を招いた〉としていたこと自体が政治側の次官側からの情報収集と次官側の政治側に向けた情報発信を満足な形で機能させる全般的な情報処理能力を欠いていたことになる。「細かいテータを持たない」まま政務三役段階での情報決定を行っていたと言うのである。当然最終的情報決定者である首相に満足な情報発信は期待できない。首相側から言うと、三役側からの満足な情報収集は不可能ということになる。

 その混乱の典型が外交――特に尖閣諸島沖中国漁船衝突事件以降の対中外交を襲った。

 仙谷官房長官「中国政府がどう反応するのか、外務省から情報が上がってこない」

 この発言は菅首相の「首相官邸は情報過疎地帯だ。役所で取りまとめたものしか上がってこない。とにかく、皆さんの情報や意見を遠慮なく私のところに寄せてほしい」(YOMIURI ONLINE)とそっくりそのままである。

 仙谷官房長官のこの発言は、「外務省から情報が上がってこない」ままに任せていたということになる。日常普段から情報が上がってくる構造の組織を構築していなかったばかりではなく、「情報が上がってこない」ままに任せていたと言うことは官房長官の役目と責任、あるいは危機管理を果たしていなかったことになる。

 何とも情けない菅内閣の女房役である

 仙谷官房長官「総理も私と共通している」

 独断であろうはずはないから、菅首相承知の政治主導有言不実行官僚主導回帰であろう。最終決定は政治主導だといくら抗弁しても、官僚側に情報発信させ、それを収集して決定する全般的な情報処理能力のこれまでの機能不全を考えると、記事が書いている、〈肝心な情報を事務次官に集約する仕組みを変えられなかったため、政務三役主導は十分機能しなかった。〉――いわば事務次官集約から三役集約に仕組み変更をできなかった力不足を考えると、官僚が収集し、発信した情報に依存した情報決定となるのは目に見えている。

 仙谷官房長官が「総理も私と共通している」と言った当の菅首相がまた馬鹿げたことを言っている。

 菅首相「省庁には膨大な仕事があり、政務三役だけですべてやろうと思ってもオーバーフローする」 

 一国の総理大臣でありながら、組織に於ける情報発信を受けた情報収集と情報決定(=情報運用・情報活用)はピラミッド型の段階構造を取るということを何ら認識していないようだ。各省庁の情報処理自体がピラミッド型の段階構造を採り、最終的に省庁のトップが決定した情報の発信を受けた政治側の情報処理へと進むのだから、情報は各段階で集約された内容を取る。

 にも関わらず、「政務三役だけですべてやろうと思ってもオーバーフローする」と言うことができるのは、省庁に於ける情報処理に関わる人数から言っても、全体の情報量から言っても、不可能を不可能と理解する頭を持たず、省庁の多人数による膨大な情報の処理を省庁に変わって少人数の政務三役がすべてこなすと解釈しているからだろう。それが政治主導だと。

 要するに脱官僚だ、政治主導だと偉そうに言っていただけのことで、情報運用、情報活用、情報処理、情報発信、情報決定すべてに亘る情報処理に関して無能だったと言うことに尽きる。特に内閣のトップである菅首相とナンバーツーの仙谷官房長官のその発言から正体がすぐ分かる情報に関する認識不足は如何ともし難い。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

70歳の誕生日にツイッター一部纏め

2010-12-28 06:23:36 | Weblog


 今日2010年12月28日、70歳の誕生日。1940年生れ。70年生きていたが、振り返ってみると、何のために生れ、何のために生きてきたのか不明。強いて言えば、自分自身の生活をするために生きてきた。侘しい話だが、ただそれだけ。

 勝手ながら少し楽をさせてもらいために12月25日~12月28日朝5時までのツイッターを纏めてみた。悪しからず。

2010年12月28日(火) 6 tweets

菅首相「来年1月召集の)通常国会が始まるまでに、いかに強力な体制をつくるかということは、しっかり考えなければと思っている」(時事ドットコム)と内閣改造検討の考え。指導力なき首相がどう足掻いて内閣改造を行ったとしても、強力な体制は築きようがない。そろそろ自身の限界に気づくべし。(posted at 05:16:05)

④言い忘れました。沖縄焼酎、泡盛の話、逸話などもどうですか?@satokukku(posted at 05:20:39)

③タイトルは「沖縄」の文字を入れて、テーマは「沖縄を隈なく知らせる」。とっつきやすく、親しみやすい情報の発信。ツイッターだと短い文章で読みやすく、広範囲な伝達力があります。情報の遣り取りもできます。既に始めているかもしれませんが。@satokukku(posted at 05:08:32)

②総合すると沖縄の全体的情報発信となる各話題を取り上げたツイッターを始めては?小学校で運動会、変わった祭り、沖縄の生活習慣、伝統的習慣。何々の食べ物がおいしい季節になったとか。サトウキビの収穫、基地の話題、県議会の活動。変わった犯罪。@satokukku(posted at 05:06:34)

①まあ、そんなところでしょう。政治に於ける辻褄合わせは日常茶飯事。117人だか住民を噛み付いた三島の噛みつきざるを知っていますか。ツイッターを始めました。@satokukku「琉球新報の力ある社説」(posted at 05:03:47)

RT @satokukku: 本日の琉球新報の力ある社説を、読んでいただきたい。2011年度の政府沖縄関係予算が0.1%(3億円)上回ったことに、「沖縄への特別な配慮」は「過剰演出」で「詐術」と分析、指摘する。このような沖縄側の分析・評価が重要であり、次の政治につながるのだ。(posted at 04:45:20)

2010年12月27日(月) 19 tweets

平沼どっこいしょ たちあがれ 日本代表「日本を救う大義名分がない」と菅内閣要請の連立を一刀両断。と言うことは、菅首相はたちあがれに「大義名分がない」連立を求めたことになる。その説明責任は果たすべき。恥をかいたまま終わらせるわけにもいくまい。(posted at 22:58:27)

菅首相の耳に直接届いて直接噛みつくことができる噛みつき拡声器みたいな便利な機械はないものだろうか。@Yomiuri_Online 「静岡県三島市の観光施設「楽寿園」の“かみつきザル”「らっきー」が、ツイッターを始めました」(posted at 21:50:43)

菅首相は参院選敗北後、ねじれ国会乗り切り策に「党をこえた合意形成、国民の合意形成、熟議の民主主義が必要」と言い続けてきた。一度言った以上、理念のない無節操な数合わせに走るのではなく、最後まで熟議で押し通すべきだ。小沢氏に約束を守って欲しいと言う前に自身の約束を守れないでどうする。(posted at 21:31:45)

西東京市議選、自民石原幹事長、みんなの党渡辺代表、公明山口代表が応援に入った。民主党劣勢が前以て分かっていたのだろうから、蓮舫議員や首相夫人の投入ではなく、菅首相自身が自らの責任を示すために応援に駆けつけるべきだったのでは?駆けつけても勝ち目はないだろうが、責任感の問題。(posted at 18:29:14)

菅総理大臣(民主役員会)「今の厳しい状況は私の未熟さにも原因があるが、来年の通常国会での予算案や関連法案の審議に障害となることを1つずつ取り除いていきたい」(NHK)。この前言った「仮免許」には許されるという意識があり、「未熟さにも」の言い回しには原因の一部とする言い逃れがある。(posted at 17:59:59)

小沢氏の政倫審出席要請議決、民主「通常国会までに」 小沢氏を首に縄をつけてでも政倫審に引っ張り出そうとするなら、その前に菅首相は縛り首だ。日本の国を助けることになる。(posted at 17:11:42)

気分不良を訴えたが、練習は続行。男性指導者「根性をつけるために練習を続けた」。体調管理を無視した大人たちの愚かしい精神主義が今尚繰返され、何人かの子供の命を奪うか重度の障害者にしてきた。柔道練習中に小1意識不明、1週間後に死亡 大阪(posted at 16:53:29)

インド人学生自殺「いじめ否定できない」 追手門学院 個人的には日本人を超えるインド人が多数輩出していて、国としてもインドがそう遠くないうち日本を超えるかもしれないという状況にありながら、インド人イジメなとしていられる場合ではない。(posted at 16:34:04)

たちあがれ日本、連立入り拒否を決定 参院選前の消費税発言にしても朝鮮有事を想定した拉致被害者救出にしても、今回の連立にしても、外側の形式だけで中身を詰めないままの公表先行が菅首相のパターン。構想を練る力が決定的に欠けているのでは?(posted at 16:25:16)

西東京市議選民主惨敗、民主落選現職森氏(51)「地方選は政党ではなく個人を選ぶ選挙と有権者に言い続けてきたが、国政への不満がそのまま結果に結びついた。統一選に向けて逆風の中でどうしたら勝てるのか党本部はしっかり考えてほしい」(毎日jp)ちっとやそっとの不満なら地方にまで及ばない。(posted at 15:00:55)

③死とは今まで活動していた肉体のその活動の永遠の停止と今まで笑ったり、喜んだり、おこったり、べそをかいていたりしていた喜怒哀楽の感情の永遠の停止を言う。それが自分によってではなく他者によって引き起こされる不条理は人間の理解を苦しめる。なぜなんだ、と。(posted at 09:21:09)

②同日、大田区都道で乗用車歩道に乗り上げ歩行者をはね、栃木県下野市水島亮(りょう)さんの長男光偉(みつより)君(9)が死亡。(asahi.com)(posted at 09:19:42)

①26日新潟県田上町で同県加茂市会社員高橋賢志さん(34)の乗用車が道路右側の土手下約5メートルの民家の敷地に落下、後部座席に乗っていた次女珠杏(みあん)ちゃん(5)が首を強く打つなどして間もなく死亡。(asahi.com)(posted at 09:18:41)

今日12月27日は我がバースデイイブ。明日12月28日は70歳のバースデイ。焼酎4ℓ2本とトリスウイスキー4ℓ1本と日本酒2リットル3本を用意、どれも安酒だが、今夜から1月3日まで朝昼晩と呑み続けるのが毎年の我が行事。不思議と1月3日でピタッとやめることができるが、今回自信なし。(posted at 08:33:07)

ブログ更新>《仙谷官房長官の小村寿太郎と松岡洋右はご都合主義からの譬え話》 #goo_goo21ht (posted at 07:53:26)

2010年12月26日(日) 13 tweets

Reading:NHKニュース 官房長官 小沢氏は自発的離党も日本の政治を前に進め、菅首相が言う「20数年来の日本の閉塞状況」を打破するために菅首相と仙谷官房長官、前原外相は自発的辞任しその後日本のために議員を引退すべきだと思うが。(posted at 18:53:03)

あなたは私にとって記念すべきちょうど100人目のフォロワーです。ありがとうございます。但し、記念品は出ません。悪しからず。@Paix2_Megumi(posted at 18:27:34)

たちあがれの立党趣旨「打倒民主党」「日本復活」「政界再編」(asahi.com)。政策―自主憲法の制定。集団的自衛権容認。永住外国人への地方選挙権付与反対。夫婦別姓反対。中に抱え込むことによって、その維持のために民主党はたちあがれの政策に歩み寄る必要に迫られる。小が大を動かす。(posted at 16:30:50)

たちあがれ与謝野氏の結党以降の発言を拾ってみた。参院選について「民主党の過半数割れのために戦い、健全な批判勢力を構築する」(MSN産経)。「民主党には哲学も思想もない。自民党には野党として働く気がない。私たちは反民主・非自民で国民のために戦っていく」(日経電子版)。(posted at 16:23:37)

サンデーフロントライン出演の仙谷の話を聞いていて、菅政治の悪妻は本妻以上に仙谷第二夫人と前原第三夫人に違いないと確信した。仙谷だけではなく、前原も内閣から外さないと菅内閣は持たなくてもいいが、民主党が持たなくなる。(posted at 13:38:03)

大掃除しながら、サンデーフロントライン出演の仙谷の話を聞いた。相変わらず小村寿太郎と松岡洋右の例を持ち出して、今批判されてもあとになって評価されることもあると菅政治の正当化を図っていた。如何に狡猾な詭弁であるか、一度ブログに取り上げたが、明日のブログにもう一度取り上げる予定。(posted at 13:30:23)

 訂正 あとで録画を聴き直して、小沢氏を持ち上げる譬え話だと気づいた。《仙谷官房長官の小村寿太郎と松岡洋右はご都合主義からの譬え話 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》
http://blog.goo.ne.jp/goo21ht/e/1030bfbe42da58c492e5b1603732fcc2を参考。)


大掃除していてラックと襖の間に500円玉見つけた。今年最大唯一の幸運。人生に於ける最大唯一の幸運かもしれない。(posted at 13:24:21)

②35歳の男は生れて僅か2年の女児に対してその存在すべてをほしいままに支配する暴君、暴力的な絶対的支配者として君臨することができた。そして得た勲章が2歳女児に対する暴行死であった。殺された女児には何の慰めにもならない記録言葉だが。(posted at 09:50:12)

同居の2歳女児を暴行・殺害容疑 35歳の男を逮捕 (posted at 09:49:35)

指導力同様に自己省察能力を欠いていて自分は優秀だと信じているからアドバイスは無理でしょう。自己の無能を「これまでは仮免許だ」と誤魔化せる自己欺瞞は誰も太刀打ちできない。@orionstar1192 「菅直人に誰かアドバイスして下さい この人に任せたら、日本は本当に大変な事になる」(posted at 09:01:05)

そんな夫と別れてしまいなさい。不機嫌の代償を知ることになるでしょう。そうならずに喜んで離婚に応じたとしたら、他に女性がいる可能性を疑うことができる。@yhlee 「夫を起こすと機嫌悪くなって、手伝ってもらうよりめんどくさいから起こさない。」(posted at 08:52:06)

ブログ更新《岡田幹事長の菅首相擁護一辺倒の愚かしい指導者論》 (posted at 08:18:40)

2010年12月25日(土) 17 tweets

③ジンギスカンは民主党の言い替えなのか、自身をなぞらえたのか。自身をなぞらえたとしたら、不遜。鳩山・小沢退陣で作り出した有利な状況を壊して不利な状況に変えてしまったのは菅首相自身。そのことへの自戒がない。自戒がないから、ジンギスカンなどと歴史上の人物を大袈裟に持ち出すことになる。(posted at 18:42:44)

②今日25日に行われた小沢氏との会談での発言。「20年間の停滞を打ち破るための議論が必要だ」と目標を体裁のいい言葉で掲げるが、ではどうしたら打ち破ることができるかの具体的実施論を自分から創り出すことはしない。常に言うだけで終わっている。(posted at 18:34:03)

①菅首相「ジンギスカンは(政権奪取に向け)馬に乗っている間は良かったが、降りた後は大変だった。日本の現状は極めて厳しい。社会保障にしても財政にしても地域主権にしても、20年間の停滞を打ち破るための議論が必要だ。予算案の決定を踏まえ、元気な日本をつくりたい」(時事ドットコム)(posted at 18:32:46)

父親が母親に幼児期の子供の育てを任せっきりにするように、母親は(ときには父親も)勉強の指導や社会的しつけを学校の先生に任せる傾向が強くなっているのだろうか。Reading:NHKニュース 精神的病気で休職の教員 過去最多 (posted at 17:31:21)

“どっこいしょ”たちあがれ日本への連立要請は会社ぐるみという言葉があるが、菅内閣ぐるみの理念なき数合わせ野合。菅首相の入閣要請に理解 野田財務相(47NEWS)(posted at 17:06:19)

大使更迭 ロシアメディア「菅政権の失態、責任転嫁」 ロシア独立系新聞「東京は大使を『上役の代わりに罪を着せられる人』にした」――。ロシアメディアの方が駐ロ日本大使館や菅政権よりも情報収集能力は上と言うことか。事実を見通している。(posted at 17:00:49)

体当たり転覆 中国船員を引き渡し 韓国、外交に配慮 韓国も日本も、中国が強く出たら中国の言いなりになるという悪しき前例をつくることになる。(posted at 16:50:34)

北沢防衛相、名護市への米軍再編交付金不交付で、「(辺野古移設を)反対をしている人たちが、賛成することを前提にした交付金を出さないといけないという意味が分からない。反対は(不交付という)覚悟の上でやるものだ」。賛成で出すということはカネで基地を釣ろうと政府が魂胆していることを示す。(posted at 10:34:29)

菅首相、小沢氏国会招致で「国会の場で説明すると言っていた。政治家として国民に対する約束をきちんと果たして貰いたい」。国民との約束マニフェストを散々破っておいて、「国民に対する約束」を言う資格があるのか。小沢氏はマニフェストを守ると言っている。国民はどちらの「約束」を取るのか。(posted at 09:38:59)

92.4兆円予算案決定 首相、消費増税年明けに道筋 参院選前に消費税の話を持ち出して選挙大敗に懲り、膾を吹いて消費税発言の封じ込め、財源不足でにっちもさっちもいかなくなってからの消費増税年明けに道筋だから、指導力が原因の方針とは言えない(posted at 08:38:52)

RT @NakamuraTetsuji: 小沢さんに最近会った時に聞きました。財源不足を起債でまかなうことは否定していませんでした。ただ本質的には根本的に資金配分変えることにより財源不足は解消できるという考え方でした。 RT @fpofpo…小沢グループは積極財政を主張されているという理解でよろしいでしょうか。(posted at 07:57:05)

ブログ更新《元反天皇主義者菅首相の現天皇主義者平沼赳夫への奇妙な抱きつき》 (posted at 07:28:09)

菅首相の“どっこいしょ たちあがれ日本”への連立打診は政策ごとに話し合って決めると散々言っていた「熟議」を投げ捨て、数合わせに走る方向転換。既に社民党福島党首と会談して協力を要請した時点で数合わせに走っていた。(posted at 04:45:00)

外相 危険性の除去考慮は当然 前原「基地の固定化と継続使用は似て非なるもの」。前原発言は「代替地を決めるまでは使用され続ける」だった。辺野古決定まで普天間は継続使用の物言いなのだから、沖縄が辺野古受入れ拒否の場合は限りなく固定化に近づく。(posted at 02:49:57)

久しぶりにジャズを聴いた。十数年来の比較で言うと、たっぷりと。尤もテレビで。昨夜のNHK総合テレビ、7:30~8:45。「日本最高峰のジャズマンが名古屋に集結」と銘打った『ナゴヤスーパージャズナイト』。クールジャズあり、ホットジャズあり。(posted at 02:32:46)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙谷官房長官の小村寿太郎と松岡洋右はご都合主義からの譬え話

2010-12-27 07:22:15 | Weblog


 昨26日曜日、大掃除と言う程でもない小掃除程度の年末の掃除をしながら、朝日テレビの『サンデーフロントライン』を仙谷官房長官が出演すると言っていたから、録画しながら聴いていた。

 トイレ掃除をしていたとき、仙谷官房長官が以前国会答弁で言い、ブログにも取り上げたポーツマス条約全権の小村寿太郎と国際連盟脱退時の日本全権松岡洋右の名前を口にしていたから、てっきり菅政治正当化論に小村寿太郎と松岡洋右を以前と同じく再度持ち出したのかと固定観念の早トチリをしてしまった。

 今朝録画を聴き直して見ると、意外と小沢元代表の人柄を肯定的に説明するための引用であった。だが、国会招致に応じるべきだとの主張の中での人格評価なのだから、外交辞令か、あるいは穿って受け取った場合、野党が菅内閣不信任案を提出した場合、小沢派が乗らないことを願った予防線といったところかも知れないと最初は思った。

 野党、特に自民党は小沢派が乗るかもしれないチャンスが窺えたなら、不信任案を出す可能性は高い。

 仙谷官房長官の国会招致に関する発言と件の発言の箇所を文字化してみた。

 仙谷官房長官「やっぱり一度はね、おっしゃっていたように国会で然るべきというか、政治倫理綱領とか、我々持っていますから、それに伴う説明をいただけたらなあと、もう、それを冀って(こいねがって)おります。

 確かに刑事事件になることがはっきりしていますから、そういうプロセスの中に入っていますから、刑事被告人であれば、供述拒否権というものはどなたにもあるわけで、そういう微妙な段階ですから、話しにくいということなんでしょうけど、できない部分はできないということをおっしゃっていただくしかないんじゃないかと思うんです、僕は」――

 海千山千の政治家にしてはお目出度いばかりの性善説に立った楽観主義なことを言っている。「できない部分はできないということをおっしゃっ」た場合、国会招致終了後、やれ隠した、事実を述べていない、十分な説明になっていないと批判し、あるいは叩きまくり、ありもしない疑惑を膨らまして、結果的に国会招致前よりも疑わしき人物に仕立てているといった始末の悪さは前例、パターンとしてあるわけで、それを抜きにした自身に都合がいいばかりの供述拒否のススメとなっている。

 野党はともかく、特に菅首相始め仙谷、前原、野田、蓮舫といったところは率先して説明になっていなかったと小沢叩きの先頭に立つことは目に見えている。

 小村寿太郎と松岡洋右に関する発言の箇所――

 小宮悦子「小沢さんという人物は、仙谷さんがご覧になって、どういう人物ですが」

 仙谷官房長官「政治家としては批判しない人。もうちょっと泥臭く言えば、泥をかぶってでもやり抜くという、そういう強さはお持ちですよね。そこはやっぱり政治というものはいつの時代も、大衆的というと、大袈裟かもしれませんが、色んな世の中の人から、とある時期は批判を受けるということは当然のことながらあるわけですね。特に損得というのが出てくる場合とか、金銭に触れる事態は、そういうことがあるわけですが、やっぱりあとから振り返ってみると、それが正しかったんだというか、あるいはそれしかなかったんだということは、よくある話で、僕はよく例に出すのは、例の日露戦争のあとのポーツマス条約の小村寿太郎が日比谷焼き討ち事件を以って迎えられたという話と、あの松岡洋右が当時国連、国際連盟を脱退して帰ってくると歓呼の声で迎えられたということの象徴的な事例だというのは、よく申し上げているのだけども、そこのところは多少遠望する眼差し、中長期的な視点の元に物事を決めて、非難、批判を浴びても動じないという姿勢があることは必要だと思っているけれども、小沢先生はそういう部分はやっぱり強いところがあるなと、いう気がしますね。物ともしないと」――

 【物ともせず】「障害を無視して立ち向かう様。」(『大辞林』三省堂)

 言っていることが矛盾している。小村寿太郎と松岡洋右の例を出したのは直後の評価・判断が必ずしも正しいとは限らない、事後の評価・判断の方が正しい場合があると言うためだったはずだ。それを「とある時期は批判を受けるということは当然のことながらある」が、「あとから振り返ってみると、それが正しかったんだというか、あるいはそれしかなかったんだということは、よくある話」という言葉で直截に説明した。そしてそのことの備えとして、「遠望する眼差し、中長期的な視点」の必要性を説いた。

 ここまでは立派である。だが、小沢氏自身の行動様式を「多少遠望する眼差し、中長期的な視点の元に物事を決めて、非難、批判を浴びても動じないという姿勢」が「小沢先生はそういう部分はやっぱり強いところがある」とするなら、小沢氏の「政治とカネ」の問題にしても、国会招致を求める側は現在の否定要素が将来の肯定要素に転ずる可能性を考慮して、いわば「とある時期は批判を受けるということは当然のことながらある」が、「あとから振り返ってみると、それが正しかったんだというか、あるいはそれしかなかったんだということは、よくある話」なのだから、ここは「遠望する眼差し、中長期的な視点」を働かせて強制裁判を待つべきとすべきを、小村寿太郎と松岡洋右の例を出してまで言っていたことをすべて無視して、「遠望する眼差し、中長期的な視点」も糞もなく、早急に国会招致に応ずることを求める矛盾を平気で犯している。

 要するに国会招致を一方的に求めるだけでは小沢氏を一方的に悪人と決めつける印象を与えることになるから、現在の非難、批判が将来霧消する可能性もあるのだからと国会招致を納得させるご都合主義で持ち出した程度の譬え話だったのだろう。

 「とある時期は批判を受けるということは当然のことながらある」が、「あとから振り返ってみると」、それが覆されることが「よくある話」だとするなら、国会招致を求めるのではなく、逆に小沢擁護に回っていいはずだが、そうなっていないところはやはり海千山千の食わせ者としか言いようがない。

 以前ブログに取り上げたと書いた、10月15日(2010年)参議院予算委員会でみんなの党の小野次郎議員が尖閣諸島沖中国漁船衝突事件以降の菅内閣の対中外交を、「中国に対する柳腰外交、今後も忍従、弱腰の対応を続けるつもりですか。もしご感想があればお伺いいたします」と質問した際の小村寿太郎と松岡洋右を例に出した仙谷官房長官の答弁を参考のために再度記載してみる。(《仙谷官房長官の参議院予算委員会答弁に見る日本国民“愚民論”》

 仙谷官房長官「外交への評価というのは(一語一語ゆっくりと強い口調で話す)、松岡洋祐が、国際連盟を脱退して帰ってきたときに、日本国民の殆んどが、歓呼の声を以って迎えた。小村寿太郎が、ポーツマス条約を、締結して帰ってきたときには、焼き打ちに遭ったという、この二つの日本の歴史は、これを教訓として、とりわけ政治家はこの二つのことは、拳々服膺して(常に心中に銘記し、忘れないこと)、自らの言動を、相対的に、いつも客観的に点検しながら、そのときの国民が、大いに喜んでいただける、大いに歓呼の声を与えてくれる、そういうとき程、自戒をして、行わなければならないと、いうことを思っているわけであります。

 (一段と大きな声で)そこで、今回のことについては、世論調査の結果もそうでありますし、みなさん方も、かなり多くの方がよわ、弱腰だ何だ、もっと中国と、強く闘えという、ある種のナショナリックな、雰囲気が多いわけでありますけれども、政治家はそのことをじっくりと考えて、自ら判断しなければいけない。

 そういう例として、ポーツマス条約のときのことと、満州事変後、満州建国をして、国際連盟を脱退したこの二つのことを、記者のみなさん方に、掲げて、お話をしているだけの話であります」――

 小村寿太郎と松岡洋右はここでも多くの場合がそうであるように直近の評価・判断の間違いの譬え話となっていて、その上で仙谷官房長官は国民受けのする外交を自戒すべきだと訴えている。 

 要するに菅内閣の中国人船長処分保留のまま釈放で下がっていた支持率をさらに下げることになった世論調査の結果から国民受けする対中外交とはなっていないが、国民受けする外交の危険な例を挙げることで逆に菅内閣の対中外交の正当化、世論調査の結果に対する異議申し立ての主張となっている。

 だが、前のブログにも書いたが、当時の日本国家は天皇絶対主義の体制のもと、天皇の名で自らも絶対主義体制にあった。そのような体制の下で日本国民は情報統制下に暮らしていた。情報統制は国家権力に都合のいい情報のみを流し都合の悪い情報を隠蔽する情報操作を必然的属性として伴う。いわば国民の国家権力が展開する政治・外交に対する行動・評価は国家権力の行動・評価と一致させられる宿命にあった。

 このことは現在の金正日独裁体制下の北朝鮮国民を見れば一目瞭然のはずである。

 だが、民主化した現在の日本に暮らす国民はどのような情報にも自身の選択に応じて自由に触れることができ、自らの判断・評価に従って自由に解読することも可能となった。また国民自身も自由に表現した自身の情報を自由に発することができる。

 いわば国家権力が発する各種情報に対する判断能力・解読能力は小村寿太郎や松岡洋右の時代と比較して情報に触れる自由度に比例して飛躍的に向上しているはずだ。

 それを情報統制下、情報操作下にあったかつての国民と現在の国民を同列に置く。これを以て日本国民愚民論だとした。

 最初の小村と松岡の譬え話は小沢氏に国会招致を納得させるご都合主義、次の譬え話は外交を含めた菅政治の正当化と世論調査の結果をノーとするご都合主義と言える。大体が食わせ者というのはご都合主義者と相場が決まっている。

 沖縄の民意を何ら考えない、仙谷の基地「甘受」発言にしても、国家と菅内閣の都合だけを考えたご都合主義で成り立たせていた。

 こういったご都合主義な食わせ者を影の総理大臣としなければならない菅総理大臣の政治家としての資質はその依存性から言って極めて貧困状況ににあると言わざるを得ない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田幹事長の菅首相擁護一辺倒の愚かしい指導者論

2010-12-26 07:20:55 | Weblog


 昨25日、民主党最大支援組織である連合古賀会長取り持ちの挙党態勢の構築を求める会合が菅首相、小沢元代表、鳩山前首相、輿石参議院議員会長、岡田幹事長等が出席して行われたが、それを扱った「NHK」記事の中の岡田幹事長の発言が菅首相擁護一辺倒の愚しい指導者論となっていた。

 先ずは「NHK」記事――《菅首相と小沢元代表らが会合》2010年12月25日 16時33分) からどういった会談だったか見てみる。

 古賀会長「政権交代は実現したが、国民の目線は非常に厳しい。党の一致結束が必要で、党幹部が腹を割って意見交換してほしい」
 
 そのほか、〈連合側から、来年の統一地方選挙に向けた危機感の表明や、党の結束を求める意見が相次〉いだと書いてある。

 菅首相(来年度予算案を説明した上で)「これからは政策を推進して国民の信頼を得ていきたい。いろいろ前進してはいるが、十分アピールできておらず、今後、情報発信していきたい」

 相変わらず合理的認識性を欠いている。一国の首相として存在しているだけで常にマスメディアの情報発信の対象となり、マスメディアを通して直接的・間接的に常時情報発信しているのであって、今後の課題とすること自体が洞察性を欠いていることになる。

 菅首相は「1に雇用、2に雇用、3に雇用」と雇用創出・雇用拡大の重要性を訴えてきた。しかし大学生・高校生の就職率は悪化状況にあり失業率も改善されていない。菅首相としたら菅政権発足から半年しか経過していない、仮免許の状態だったと言っているが、不況時代に於いては雇用確保・雇用創出、いわば景気回復はいずれの政権にとっても喫緊最大の政策としなければならない課題であって、菅内閣だけの問題ではなく、前自民党政権にとっても、また鳩山前政権にとっても喫緊最大の政策であったはずだから、民主党政権の課題として自民党政権から問題点を鳩山前政権が受け継ぎ、さらに民主党政権に一貫した課題として菅政権がバトンタッチして1年以上経過しているのだから、菅政権発足後半年しか経過していないと言う弁解は成り立たつはずはなく、何らかの改善を実現させる責任があるはずだが、それを「これまでは仮免許」だったと言い逃れる感覚は首相とは言えない責任回避となっている。

 「十分アピールできておらず、今後、情報発信していきたい」は自分だけが言っていることであって、菅首相は雇用情勢に関して見るべき改善はできていないという「情報発信」を行い、現在の状況に至っているのである。

 参考までに次の雇用調査を挙げておく。

「労働力調査(基本集計) 平成22年10月分(速報)結果」

●10月の就業者数は6286万人と1年前に比べ15万人増加
  就業者数は2か月連続の増加
 
 主な産業別就業者数は,1年前に比べ「医療,福祉」などが増加
 (主な産業別就業者数及び1年間の増減数)
  医療,福祉・・・・・・・・ 676万人と,46万人増加
  宿泊業,飲食サービス業・・ 390万人と,11万人増加
  卸売業,小売業・・・・・・ 1055万人と,9万人増加
  製造業・・・・・・・・・・ 1057万人と,7万人増加
  サービス業(他に分類されないもの)・・ 469万人と,1年前と同数
  建設業・・・・・・・・・・ 493万人と,23万人減少

●10月の完全失業者数は334万人と1年前に比べ10万人減少
  完全失業者数は5か月連続の減少

●10月の完全失業率(季節調整値)は5.1%となり,前月に比べ0.1ポイント上昇
 
 15万人増が民主党政権の努力の跡であるが、財政出動を受けた住宅エコポイントや家電エコポイント、そしてエコカー減税とその終了等の状況下での完全失業率が前月比0・1ポイント増加と最大の増加雇用先が医療・福祉関係の46万人であることから考えると、雇用全体の決定的な増加と言うよりも、財政支援に依存した見せ掛けの増加と人余りの場所から人手不足の場所に流れていった、いわば平均化の傾向を伴った15万人増であろう。

 就業者数増加最大の医療・福祉関係で福祉分野は特に政府の財政支援に頼った人件費の確保下にある。これが国民負担に回った場合、逆に消費抑制につながらない保証はない。

 小沢元代表「国民の期待に応えられておらず、不徳を恥じている。来年の通常国会や統一地方選挙に向けて、菅総理大臣を筆頭に頑張らなければならない。政権交代できたのは、みんなの気持ちが一つになったからで、それが大切だ。民主党政権の一員として、政策の実現に頑張りたい」

 鳩山前首相「小沢氏は政権交代の立て役者であり、政治倫理審査会に出す出さないといった問題を乗り越えて、挙党態勢を築くべきだ」

 記事は、〈小沢氏の国会招致を巡る具体的な議論には至〉らなかったと書いている。

 この会談について野田財務相と出席した岡田幹事長の二人が感想発言を行っている。

 野田財務相「いろんなものを乗り越えて党内が固まっていかないといけない。菅総理大臣と小沢元代表が複数回会うということは、お互い求めていることだと思うので、何とか結論を出してほしい。私は小沢元代表が政治倫理審査会に出た方が、国会対策上だけでなくて、ご本人のためにもいいのではないかと思う。ただ、これは本人しだいなので、意見交換の中で、その辺をちゃんとうまく、小沢元代表がすとんと心に落ちるように、執行部は説明したほうがいい」

 菅首相の方は小沢元代表を求めてはいないはずだ。排除して、自身の指導力を自由に発揮したいと思っているだろう。だが、排除に成功したとしても、元々指導力を欠いている人間に指導力の発揮は望むことはできない。

 岡田幹事長の場合は三重県川越町での記者会見の発言を伝えている。

 岡田幹事長(25日の会合について)「どういう経緯で行われたのかよく分からない。民主党と連合が話し合う場であればそれでいいが、メンバーがどういう基準で選ばれたのかもよく分からない。ただ、それぞれから、お話を聞けたことはよかったと思う」

 会合に出席していたのだから、「どういう経緯で行われたのか」、「メンバーがどういう基準で選ばれたのか」、聞き質せばよかったのではないのか。

 岡田幹事長「代表選挙で選んだ菅総理大臣の下で、しっかり一致結束していくことが本当の意味での挙党態勢だ。『今は挙党態勢ができていない』と連合から指摘を受けたのは、それが貫徹されていないからではないか。国民は、民主党は本当に一本なのかと心配している」――

 現在の民主党の混乱状況を述べた発言だが、これが菅首相擁護一辺倒の愚かしい指導者論となっている。

 「NHK」の動画では少し発言が違っている。

 岡田幹事長「代表選挙で、サポーターも参加して、菅、代表、総理を選んだわけです。選んだ総理の元でしっかり一致結束していくと、いうのが本当の意味での挙党態勢であると。今、挙党態勢できていないというふうに連合の皆さんから、アー、それぞれご指摘を受けたと、いうことは、まあ、そのことが貫徹されていないと、いうことではないかと――」

 「代表選挙で、サポーターも参加して、菅、代表、総理を選んだ」のだから、「選んだ総理の元でしっかり一致結束していくと、いうのが本当の意味での挙党態勢」だと言っている。

 これは選挙での選択を理由に一致結束を周囲に求めている発言であって、その選択を受けて党及び内閣に於ける指導者の地位に就いた菅代表・首相には求めてはいない発言となっている。

 だが、周囲に一致団結を求める前に指導者自らが一致団結を作り出すことが指導者に求められるリーダーシップであるはずである。その能力があるかないかで指導者としてのリーダーシップの真価が決まってくる。

 組織の一致団結を作り出すことができない指導者、リーダーシップということは考えられない。裏返して言うと、指導者の属性としなければならない一致団結能力、あるいは挙党態勢能力、求心能力ということになる。

 岡田幹事長は一致団結を周囲に求めるだけではなく、それ以上に菅首相自身に求めなければならなかった。勿論、岡田幹事長は幹事長として自身も組織の一致団結を図る役目を担っているはずだから、その責任も果たさなければならない。

 岡田発言には菅首相自身の指導者としての一致団結に向けた責任と自身の役目上の責任への言及がすぽっと抜けている点、二重に愚かしい指導者論になっていると言える。

 周囲にのみ一致団結を求めても、無能なリーダーなら、一致団結を作り出せないのだから、無能なリーダーが作り出した不一致団結となって、やはり指導者のリーダーシップにかかってくる

 菅首相を党員、サポーター、国会議員が選んだにしても、多くが世論の影響を受けて、菅首相に一票を投じたはずだ。特にサポーター、党員はその影響をより強く受け、サポーター、党員の世論に影響を受けた動向に地方議員も影響を受けた投票動向だったはずである。

 2010年9月民主党代表選前の朝日新聞が8月7、8日に実施した全国世論調査を改めて見てみる。

 《朝日新聞社全国世論調査》

◆菅内閣を支持しますか。支持しませんか。

 支持する   37(37)
 支持しない  43(46)

◇支持・不支持の理由(選択肢から一つ選ぶ=択一)

 支持する 
  首相が菅さん   17 
  民主党中心の内閣 41
  政策の面     20
  実行力の面     9

 支持しない
  首相が菅さん    2
  民主党中心の内閣 16
  政策の面     30
  実行力の面    49

◇続投

 続けた方がよい 56
 交代した方がよい 27

◆菅首相は、小沢一郎さんと距離をおいた方がよいと思いますか。連携した方がよいと思いますか。

 距離をおいた方がよい 69
 連携した方がよい 16

◆小沢さんが民主党内で影響力を強めることは、好ましいと思いますか。好ましくないと思いますか。

 好ましい   10
 好ましくない 78

 菅内閣を支持しないが6ポイント上回っていながら、小沢氏と距離を置くべきだ、影響力が強まることは好ましくないの世論の後押しを受けたサポーター票、党員票、地方議員票で小沢元代表を圧倒的に上回った。いわば世論が選ばさせしめた要素が大分ある当選のはずである。もし選んだときの状況のままに一致結束して菅首相を支えなければならないと言うなら、世論にしても現在菅首相を支持している状況になっていなければならないことになる。岡田幹事長の言葉で説明してみる。

 「世論は代表選挙で、菅、代表、総理を選んだわけです。世論は選んだ総理の元でしっかり一致結束していくと、いうのが本当の意味での挙党態勢維持の基本になるのです」――

 だが、このようなことを求めるのは無理難題・不可能であって、見てのご覧の通り現在の世論はまるきり逆の方向に向いている。菅直人を民主党代表に選び、首相の座に推し進めたときの世論自体が既に破綻している。世論の影響を受けて菅首相に一票を投じたサポーター、党員、地方議員は投じたことを後悔している者も大分いるに違いない。来春に統一地方選を控えて菅首相では戦えないという声が地方で高まっていることがこのことを証明している。

 勿論、世論が間違っていたわけではない。菅政権発足以来、菅首相の党運営、政権運営を見て、岩がそれらの情報発信を受けて態度を改めたに過ぎない。

 疑問は小沢氏に対するアレルギーを変えない点にある。

 世論の破綻は岡田幹事長の発言自体が既に矛盾を来たし、破綻していることをも証明するはずである。民主党議員にしても菅首相の党運営、政権運営を見て、態度を変えざるを得なかったことからの不一致団結、挙党不一致であるだろうからである。l

 菅首相が組織の一致妥結に関して自ら行ったことは小沢排除であった。誰かを排除することで一致団結、挙党態勢を図ること自体が自己矛盾でしかないが、代表選での菅首相支持要素が指導力や政策からではなく、首相がコロコロ変わるのは良くないということと小沢アレルギーといった消極的選択であった成功体験に縋ったのだろう、だが、小沢排除によって得た成果は今日のゴタゴタであった。

 にも関わらず、危険水域を越えた低支持率を修復したいがためになお小沢排除の成功体験に縋っている。例え小沢排除の有力な機会となる国会招致に成功したとしても、それで菅首相の指導力が解決するはずもなく、党運営、政策運営にしても好転するとは思えない。

 小沢排除が前原や仙谷の指示・命令で行ったことであったとしても、部下の地位にあるメンバーに指示・命令を受けてその言いなりになること自体が既に指導力の欠如を証明して余りある。

 菅首相擁護一辺倒の愚かしい指導者論しか振り回すことができない岡田幹事長はリーダーシップもない、愚かしいばかりの菅首相あっての岡田幹事長ありといったところに違いない。

 一人の指導者の周りには似た才能の者が集まるということである。類は友を呼ぶ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元反天皇主義者菅首相の現天皇主義者平沼赳夫への奇妙な抱きつき

2010-12-25 07:00:36 | Weblog


 昨夜のNHKニュースが次のことを伝えていた。菅首相が先月11月18日と今月12月4日(2010年)、総理大臣公邸や都内のホテルで「たちあがれ日本」の与謝野共同代表と会談して連立政権への参加を打診、拉致問題の解決を目的に平沼代表ら党幹部の入閣を要請したと。

 最初に抱いた印象は奇妙な組み合わせだな、だった。元反天皇主義者の菅首相の天皇主義者平沼赳夫への抱きつきである。菅首相が全共闘世代の元学生運動家だったと知っている者にとってはこの抱きつきに大方が奇妙に思ったのではないだろうか。

 菅直人が元反天皇主義者だからと言って、現在天皇主義者に転向したのかどうかは分からない。過去と現在の立場や責任の違いを口実に態度変節の転向を平気で繰返す日和見主義者・ご都合主義者だから、反天皇主義を投げ捨てたのか、単に天皇制に拒絶感をなくしたのか、腹の底深くに反天皇主義の炎を僅かに残しているのかは探りようがない。

 天皇主義者に転向したと言うなら、平沼赳夫への抱きつきは奇妙な現象ではなくなるが、天皇主義者にまで行き着く無節操そのものの転向を見せているとは思えない。

 いずれにしても学生運動華やかし頃、東工大で、どの辺に位置していたのか、学生運動を行っていた全共闘世代の一人だった。

 尤も学生運動出身者だからと言って、首相になって悪いと言うことではない。「政治は結果責任」である。結果を残す資質と才能さえあれが、誰にだって首相になる資格はある。はるな愛にだってある。

 《たちあがれ日本に連立を打診》NHK/2010年12月24日 19時30分)

 菅総理大臣の直々の連立打診後、自分だけの申入れでは心もとないと思ったのか、岡田幹事長が22日、都内のホテルで平沼・与謝野両氏と会談。今後の政権運営について協力を要請したという。

 “どっこいしょ ”たちあがれ 日本内では賛否両論があると記事は書いている。

 賛成:社会保障と税制の一体改革や保守の再生などの結党の精神が尊重されるのであれば、前向きに検討すべきだという意見。

 反対:先の参議院選挙や臨時国会で、野党の立場から菅政権を追及してきたことを考えると、支持者への説明がつかないとする意見。

 今朝のMY Twitter

 菅首相の“どっこいしょ たちあがれ日本”への連立打診は政策ごとに話し合って決めると散々言っていた「熟議」を投げ捨て、数合わせに走る方向転換。既に社民党福島党首と会談して協力を要請した時点で数合わせに走っていた。

 そこに政策調整があったとしても、「熟議」よりも頭数を優先させる動きであることに変わりはないはずである。なぜなら、「熟議」は例え一部の党、あるいは単独の党との間の成立であっても、初期的には野党全体を対象とした協議のことを言うはずだからだ。

 “どっこいしょ ”たちあがれ 日本の勢力図。衆議院議員3人、参議院議員3人。

 記事は最後にこの打診を解説している。〈菅総理大臣が、この時期に連立政権への参加を打診した背景には、衆議院と参議院で多数派が異なる「ねじれ」の状況で、来年の通常国会でも厳しい政権運営が予想されるなかで、政権基盤の安定に向けて、野党側の勢力を一部でも切り崩し、連立の枠組みを広げたいというねらいがあるものとみられます。〉――

 熟議排除の数合わせだということである。

 平沼赳夫について「Wikipedia」は次のように書いている。〈皇室への尊崇の念はとりわけ強いもので、本来反天皇論者の言葉であるとして天皇制という言葉は口にせず、必ず「御皇室」という言葉を口にする。〉――

 コチコチの天皇主義者だと言っている。この天皇主義が言わしめた、その反映としての2006年2月の、例の有名となった発言なのだろう。当時皇太子妃雅子は病気による次子出産の希望が薄れたことで女性天皇、あるいは女系天皇の可否の議論が沸き起こっていたが、2006年2月の秋篠宮妃紀子の妊娠、検査で男子と分かった頃と同じ時期の発言である。

 平沼赳夫「愛子さまが天皇になることになって、海外留学して青い目の外人ボーイフレンドと結婚すれば、その子供が将来の天皇になる。そんなことは許されない」
 
 2006年2月8日の「asahi.com」記事は「そんなことは許されない」が「断じてあってはならない」と、より強い口調で紹介している。

 万世一系の血に拘り、万世一系の血に絶対的価値を置く。それ程までの天皇主義者であることを証明する発言となっている。この天皇主義は「青い目の外人ボーイフレンド」を排斥する意識から人種差別主義を抱き合わせていることを自ずから炙り出している。

 人種差別主義者であることをあらわにした発言。《2001年版「アイヌ民族は同化していなくなった」という発言に関するアイヌ・ウィルタ民族からの抗議文・質問書など》から参考引用――

 平沼赳夫「(日本は)小さな国土に、1億2600万人のレベルの高い単一民族でぴちっと詰まっている」(札幌市内で開かれた中川昭一参議院議員(自民党)の「政経セミナー」)

 紀子妊娠以後、女性天皇、あるいは女系天皇議論は急速に沙汰止みとなっていった。

 平沼赳夫の人種差別意識は2009年11月13日の民主党事業仕分けでの蓮舫議員の「スパコンは世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか」の発言に対する批判にも現れている。

 平沼赳夫「言った本人は元々日本人じゃない。キャンペーンガールだった女性が帰化して日本の国会議員になって、事業仕分けでそんなことを言っている。そんな政治でいいのか」(Wikipedia

 人種差別批判に対して反論している。

 平沼赳夫「テレビ受けするセンセーショナルな政治は駄目だということ。彼女は日本国籍を取っており人種差別ではない」(同Wikipedia

 いくら蓮舫議員が現在日本国籍取得者であるからと言っても、「言った本人は元々日本人じゃない」と民族レベルで人間存在を否定する認識自体が、そう言うこと自体が既に人種差別となっている。さらに 「キャンペーンガールだった女性が帰化して日本の国会議員になって」には職業差別、職業蔑視の意識が否応のなしに浮かび上がってくる。

 人種差別と職業差別は同じ権威主義を母親とした双子の関係にある。人種であっても民族であっても、職業であっても家柄であっても、何事もそこに優劣のモノサシを置いて、その優劣で以て人間の価値までも測るからだ。人種・民族の優劣に人間の優劣を一致させ、職業の優劣に人間の優劣を一致させ、家柄の優劣に人間の優劣を一致させる。

 元反天皇主義者菅首相の“どっこいしょ ”たちあがれ 日本の天皇主義者、人種差別主義者平沼赳夫への数合わせのための抱きつきは数合わせが主眼であるゆえに平沼の天皇主義、人種差別主義を無視した、あるいは見て見ぬ振りをした抱きつきということなのだろう。例え第三者から見た場合、奇妙な印象を奇妙な印象のままに置き去りにすることになったとしても、菅首相にとっては取るに足らない事柄に違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅首相の《KAN-FULL BLOG》を斬る その情報処理能力を斬る

2010-12-24 09:30:18 | Weblog

 
 菅首相がブログを11月17日に開設してから、1カ月以上経つ。サイト名は《KAN-FULL BLOG》

 ブログテーマを次のように説明している。

 〈日本の元気を回復する「カンフル剤」たるべく、カン総理がフル回転。KAN-FULL BLOG(カンフル・ブログ)は、本人直筆で、動画出演で、更にスタッフ証言等で、立体的に発信しています。〉――

 菅首相は言う事に関しては常に立派な言い回しを見せる。

 どうせたいした情報発信はできないだろうと最初から高を括っていた。指導力のない政治家は満足な情報把握能力を同時に欠くからだ。満足な情報発信能力は満足な情報把握能力の裏打ちに支えられる。満足な報把握能力は満足な合理的判断能力、あるいは満足な合理的な認識能力があって初めて担保される。

 周囲からの情報、あるいは下から上がってくる情報を的確、必要な内容で合理的に把握する判断能力、認識能力を欠いたなら、自分自身の判断を加えて情報処理を施した発信を行ったとしても、処理した情報自体が合理的判断、合理的認識を欠いたものとならざるを得ないし、そういった情報発信では人や組織を満足に動かすことは期待できない。

 役にも立たないブログ開設で、菅内閣が一方で行政のムダを省くと言いながら、一方でムダ遣いをしている疑いが濃い。

 ブログがムダ遣いではないとするためには「日本の元気を回復する『カンフル剤』」というテーマに常に的確・忠実な記事とする制約を守らなければならない。いや、テーマを決めてブログを開設した時点でその制約を認識し、覚悟しなければならない。

 もしその制約を外したなら、《KAN-FULL BLOG》の名前(=テーマ)を裏切ることになり、当然、発信した情報の選択、あるいは間違えた解釈の情報発信となる。

 「カンフル剤」とは即効的回復効果に効能を置いた薬剤を意味する。決して活動を停止させる睡眠薬の効能であってはならない。要するに首相官邸に設置した《KAN-FULL BLOG》は日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信に限られ、その制約を負うことになる。

 では菅首相肝いりの《KAN-FULL BLOG》が開設趣旨に添って日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信となっているのかいくつかの記事を見て、全体を推し量ってみる。

 《KAN-FULL BLOG》には「KAN-FULL TV」と名付けた動画コーナーがある。

 11月27日(土曜日)の「KAN-FULL TV」は「第4話【危機管理】 北朝鮮砲撃事件…官邸はこう動いた」は国会で初動対応が遅れたと批判されたことに対して後付で決して遅れていないと題名どおりに証明する記事となっていて、日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信とは縁のない、単に北朝鮮攻撃に対する菅内閣対応の正当性を訴える内容に過ぎない。

 11月24日(水曜日の「KAN-FULL TV」の「第3話【雇用】 補正予算審議 大詰め ~経済成長政策、先送りせず!」は「1に雇用、2に雇用、3に雇用!」と菅首相はここでも強調、補正予算が雇用創出・雇用拡大に重点を置いた予算編成となっていることを訴えている。

 だが、「カンフル剤」とすることをテーマとし、《KAN-FULL BLOG》に記事として取り上げている以上、菅首相が補正予算に盛り込んだ雇用創出・雇用拡大策は即効的回復効果を約束する政策、予算付けでなければならない。

 一方で「一歩一歩 政策解説のページ」なるコーナーで12月20日(月曜日)の記事として「仕事がない、家がない方への年末年始の支援策」を取り上げているが、住居・生活困窮者に対する年末年始に向けた宿泊や炊き出し等の政府広報に手軽に触れることができるよう、その情報カードをコンビニに置いた、繁華街でホームレスの方が販売している雑誌「ビッグイシュー」は表紙の側を通行人に見せながら売っている、ホームレスが見るのは常に裏表紙だから、そこに政府広報の広告を打ち出したといったことや、ハローワーク1か所訪ねるだけで、既に行っている就職相談・住居相談・生活相談をまとめてできる「ワンストップ・サービスデー」や就職面接会の実施などの紹介記事となっている。

 確かに生活困窮者の救済は政府の仕事として必要だが、後追いの一時的救済策でしかなく、「1に雇用、2に雇用、3に雇用!」と言っている以上、先行的な救済策である即効的回復効果を約束する雇用拡大・雇用創出政策の紹介を持ってきて初めてブログテーマに的確・忠実に添った記事と言えるはずである。

 いわば雇用拡大・雇用創出に即効的効果を約束するこれこれの政策を考案し、現在このように実施中ですと発信する情報でなければならなかった。選択を過った情報の発信となっていた。年始年末の救済策は別立ての情報として扱わなければならなかった。

 どう見ても、見当違いの情報発信に過ぎない。

 11月18日(木曜日)の《KAN-FULL BLOG》の「第1話【外交】 APEC 菅議長 成果報告」は記者会見で既に報告済み。同日の「第2話【農業】 APEC終了~農業再生、待ったなし!」は菅首相持論の「農業の再生」と「開国」の両立話で、耳にタコをつくる何度でも繰返し聞かされているスローガンであって、日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信とは決して言えない。

 以上見てきた記事すべてが日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信、日本が失った元気を急速・急激に回復させるカンフル剤となる情報とならないムダな発信となっている。

 全部の記事を見たわけではないが、元々合理的認識能力・合理的判断能力を欠いていることからすると、一事が万事、同じと見て間違いはあるまい。

 次の記事がこのことを何よりも証明してくれる。《「官邸は情報過疎地帯」菅首相ぼやく》YOMIURI ONLINE/2010年11月2日(火)21:16)

 11月2日の国会内で開かれた菅氏支持の民主党議員グループ会合での発言――

 菅首相「首相官邸は情報過疎地帯だ。役所で取りまとめたものしか上がってこない。とにかく、皆さんの情報や意見を遠慮なく私のところに寄せてほしい」

 首相官邸を情報過疎地帯とするのも情報活発・有効遅滞とするのも偏に菅首相自身の情報収集能力と情報処理能力にかかっているはずだが、それを「首相官邸は情報過疎地帯だ」と言う低劣・稚拙な認識能力・判断能力は如何ともし難い。

 政治を行う中で何が知りたい情報なのか、求めるべき情報の決定は自分自身で判断すべき事柄であって、第三者がわざわざ何が必要ですかと聞く類のものではない。

 例えば地震が発生した場合、危機管理部門の関係者の方から首相が求めないうちに被害状況と対応策を伝えた場合、首相がその情報を第一番に必要とするという暗黙のルールに則っているからであって、間接的には首相自身が選択した情報となる。

 首相自身が求めていない情報を第三者の方から伝えた場合、必要としていないゆえにその情報は意味を失う。例え後刻必要な情報となったとしても、記憶の中から自分から求めて引き出した情報ということになるだろう。

 単なる世間話からも自分が求める情報が混じっていることもあるし、求める情報が混じっていながら、求めないことによって聞き逃してしまう場合もある。

 情報とは自分で求めて、自分の判断に従って取捨選択の解釈・解読を行って、自身の情報とし、そのときどきの状況に応じて発信するプロセスを踏んで、初めて情報が生きてくる。このプロセス全般に於いて、的確・適正な合理的判断能力・的確・適正な合理的認識能力を欠かすことはできないことは言うまでもない。

 菅首相の「首相官邸は情報過疎地帯だ」からは情報の遣り取りを満足に扱うことができない人柄が浮かぶのみである。情報の遣り取りは良好な人間関係にかかっている。内閣を率いる最高責任者でありながら、情報の交換が満足にできない、良好な人間関係を築けていないというのでは、何のための最高責任者であるか意味を失う。

 日本の元気を回復する「カンフル剤」たるべくと銘打ったブログ、《KAN-FULL BLOG》を開設したものの、扱う情報が日本の元気回復に即効的回復効果を約束する情報発信とはなっていない的外れ、見当違いな認識性、あってはならないことなのに、「首相官邸は情報過疎地帯だ」と言って憚らない幼稚にして愚昧な認識性を菅首相は資質としている。

 一国の総理大臣でありながらのこの逆説性は素晴らしい。

 首相になったときサラリーマンの息子だと盛んに自慢した。何の子だろうと、妾の子だろうと出自に価値があるのではなく、今後何を成すかの結果にこそ価値・意味を置くべきをそうすることができなかったのを見て、合理的判断能力・合理的認識能力を欠いた男だなと思ったが、その判断に間違いはなかったはずだ。

 当然、満足な情報の扱いなどできようがない。指導力の欠如もこのこととの予定調和として存在することになる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅首相が言っている「食料自給率60%の目標達成のイメージを持ちたい」の情報発信の愚かさ

2010-12-23 08:34:53 | Weblog

 菅首相は臨時国会閉幕(2010年12月3日)後、経営が成功しているいくつかの農業法人や農家グループを視察している。その一つの視察について10日程前の地方新聞が紹介していた。短い記事ゆえ、全文を参考引用してみる。

 《首相「自給率60%どう達成」 コメ農家で意見交換》茨城新聞WEB記事/2010年12月12日(日) 11時34分 共同通信社)

 菅首相は12日、山形県鶴岡市と三川町で地元からコメを集荷し、加工や販売に取り組む農家グループを視察した。経営者らとの意見交換では「若い人が参加できる農業の在り方や、食料自給率60%の目標をどうやればできるのか。いろんな話を聞いてイメージを持ちたい」と述べ、農業改革への積極姿勢をアピールした。

 視察は、環太平洋連携協定(TPP)参加も念頭に、集約化などの成功例を把握するのが目的。同じ農家が経営する2社の精米センターなどを見学した。

  グループは約120戸の農家からコメを集め、外食産業などに販売。味の良い農家には60キロ当たり200円を上乗せして買い取る競争原理を導入している。自前の設備を使い生産コストを全国平均の約6割に抑えているという。

 「食料自給率60%の目標をどうやればできるのか」が既に矛盾した情報発信となっている。

 「食料自給率60%」を言うからには闇雲、適当、いい加減に60%という数字を打ち出したわけではあるまい。こうすれば達成できるという、それなりの具体的な実現可能性、具体的成算あって「食料自給率60%」と掲げた数値だったはずであり、そういった数値でなければならないはずだ。にも関わらず、「いろんな話を聞いてイメージを持ちたい」と、目標達成方法の構築を今後のイメージ作りに置いている。

 では、どのような成算があって「60%」という数値を弾き出したのだろうか。

 民主党は2009年総選挙のマニフェストで既にこの「食料自給率60%」を掲げている。「食料自給率」の単語が書き込んである箇所を選んでみた。 
 
《民主党政策集INDEX2009》

【農林水産政策】

農業者戸別所得補償制度の導入

米、麦、大豆等販売価格が生産費を下回る農産物を対象に農業者戸別所得補償制度を導入します。この制度は、食料自給率目標を前提に策定された「生産数量目標」に即した生産を行った販売農業者(集落営農を含む)に対して、生産に要する費用(全国平均)と販売価格(全国平均)との差額を基本とする交付金を交付するものです。交付金の交付に当たっては、品質、流通(直売所等での販売)・加工(米粉等の形態での販売)への取り組み、経営規模の拡大、生物多様性など環境保全に資する度合い、主食用の米に代わる農産物(米粉用、飼料用等の米を含む)の生産の要素を加味して算定します。これにより、食料の国内生産の確保および農業者の経営安定を図り、食料自給率を向上させ、農業の多面的機能を確保します。

国家戦略目標としての食料自給率向上

食料安全保障の観点から、国家の戦略目標として「食料自給率目標」を設定します。

食料自給率は、米、麦、大豆等の農産物に加え、牛肉、乳製品等の主要農畜産物の生産数量目標を設定し、10年後に50%、20年後に60%を達成することを目標とします。

最終的には「国民が健康に生活していくのに必要な最低限のカロリーは、国内で全て生産する」ことが可能となる食料自給体制を確立します。

農地総量の目標設定

農地は、現在および将来の国民のための貴重な資源として不可欠なものです。食料自給率目標を達成するとともに、有事においても必要最低限の食料を国民に供給し得る食料自給力の指標として、確保すべき農地面積の目標となる農地総量を設定します。

 そして2010年の参院選>《民主党Manifesto マニフェスト 2010》には「農林水産政策」のうちの農業政策について主だったところは次のようになっている。 

●2010年度に開始したコメの戸別所得補償制度のモデル事業を検証しつつ、段階的に他の品目および農業以外の分野に拡大します。

●農林漁業について製造業・小売業などとの融合(農林漁業の6次産業化)により生産物の価値を高めることで、農林漁業と農山漁村の再生を図ります。

●食品の原料原産地などの表示およびトレーサビリティ(取引履歴の明確化)の義務付け対象を拡大します。

●学校や老人ホームなどの給食における「地産地消」を進めます。

 「農林漁業の6次産業化」は中身は知っていたが、勉強不足で初めて聞く単語だが、「Wikipedia-第六次産業」に次のように書いてある。
 
 〈六次産業(ろくじさんぎょう)とは、農業や水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売にも業務展開している経営形態を表す、今村奈良臣(いまむら ならおみ)が提唱]した造語。また、このような経営の多角化を6次産業化と呼[〉び、〈農業、水産業は、産業分類では第一次産業に分類され、農畜産物、水産物の生産を行うものとされている。だが、六次産業は、農畜産物、水産物の生産だけでなく、食品加工(第二次産業)、流通、販売(第三次産業)にも農業者が主体的かつ総合的に関わることによって、加工賃や流通マージンなどの今まで第二次・第三次産業の事業者が得ていた付加価値を、農業者自身が得ることによって農業を活性化させようというものである。

ちなみに六次産業という名称は、農業本来の第一次産業だけでなく、他の第二次・第三次産業を取り込むことから、第一次産業の1と第二次産業の2、第三次産業の3を足し算すると「6」になることをもじった造語である。〉――

 今村氏がいつ頃提唱したのかインターネットを調べてみた。

 2010年8月28日の日付となっている《今村奈良臣先生と農業の6次産業化》(2段目の記事)を見つけた。

 〈いつの間にか今民主党政権が喧伝している農業の6次産業化〉、〈この提唱者は今村先生。すでに15、6年前から提唱し、実践の指導をしているのです。〉――

 いわば「15、6年前から提唱し、実践の指導をしている」継続状態にあり、尚且つ民主党が農林水産政策に取り入れているとなると、ある程度か、それ以上のかなり充実した実質と内容を備えるに至っている農業生産活動ということになる。上記記事の言葉を借りると、「集約化などの成功例」を相当数見ることができるということであろう。

 であるなら、菅首相が今さら視察するまでもないことで、そのような活動を如何に全国に拡大するかの政策に取り掛かっていなければならないことになる。

 それを菅首相は「食料自給率60%の目標をどうやればできるのか。いろんな話を聞いてイメージを持ちたい」などとイメージ作りに第一歩の仕事を今後のこととして置いている。

 「農業の6次産業化」には「農業生産法人化」が手段として含まれているはずである。法人化によって作業効率を高めることができる。法人化しなくても、農家のグループ化は欠かすことはできない。

 また食料自給率向上については民主党の前農林水産大臣山田正彦が野党時代の2007年8月21日に「農業者戸別所得補償制度」を基本とした具体的な方針をインターネット上に記事にしている。《食料自給率を39%から60%にアップするためのプラン山田正彦試算》
 
 「10年後に50%、20年後に60%」の達成時期についての言及はないが、「60%」アップを目標とした内容となっている。

 民主党は「農業者戸別所得補償制度の導入」や「農業生産法人化」、あるいは農家のグループ化を手段とした「農業の6次産業化」等の各政策によって食料自給率を「10年後に50%、20年後に60%」とするスローガンを前々から掲げて、目標達成の方策を既に立てていた。

 具体化の過程で様々な障害が生じて微調整に迫られるケースも生じるだろうが、実践の第一歩、第二歩の段階に入っていなければならない。まさかこれまでは仮免許の段階だから、まだ何も手をつけていないということはあるまい。TPPの問題も生じていて、待ったなしの状況にある。仮免許とすることは逃げることを意味する。

 仮免許発言については昨12月22日、Twitterに次のように書いた。

 〈菅首相の「これまでは仮免許」発言は、これまでの政治は仮免許だから許されるとする責任転嫁、責任回避。責任意識がないからこそ出てきた「仮免許」発言。posted at 19:01:07〉――

 実践段階に進んでいなければならないはずなのに、「若い人が参加できる農業の在り方や、食料自給率60%の目標をどうやればできるのか。いろんな話を聞いてイメージを持ちたい」と、政策の「イメージ」作りはこれからの課題とすることは政策責任者でありながら2009年衆院選マニフェスト及び2010年参議院選マニフェストに掲げた農業政策を否定する、あるいは裏切る行為となる。

 裏切りでも否定でもないということなら、この「60%」は実現可能性を具体的に検討した上で掲げた数値ではなく、まあ、この程度は上げなければならないのではないかと掲げた大まかな数字と言うことになる。

 但し、山田前農水相の《食料自給率を39%から60%にアップするためのプラン山田正彦試算》の「60%」も同じ性質の数字だと道連れとしなければならなくなって、弾き出した数字の無責任さは菅首相にとどまらず、民主党全体の無責任さと発展していくことになる。

 実際には逆で、具体的な検討を経て、2009年衆院選マニフェストや2010年参院選マニフェストに掲げ、掲げた方針に向けて実践段階に入っているのだろう。このことは「農業者戸別所得補償制度」の、既に支払いが進んでいる状況を見れば理解できる。

 とするなら、菅首相の「若い人が参加できる農業の在り方や、食料自給率60%の目標をどうやればできるのか。いろんな話を聞いてイメージを持ちたい」はマニフェストを裏切り、否定する間違った情報発信となる。

 例え間違いだとしても民主党の重要政策として掲げた以上、その情報発信を間違えていいという理由はどこにもないし、無責任ということだけではなく、首相としての資質に疑問符がつくことになる。それも一大疑問符が。

 菅首相は支持率低迷について、「現在進んでいることや、進める準備をしていることを国民の皆さんに伝える発信力が足りなかったかなと考えている。『もう少し肉声で語れ』などといろいろと言われているので、今後は、いろいろな機会に国民の皆さんに積極的に私の考え方を伝えていきたい」と解説していた。

 だが、今後情報発信の頻繁化に務めたとしても、発信する情報を間違える程度の発信能力――「発信力」であるなら、何をどう発信しようと、「発信力」自体に欠陥、あるいは故障があることとなって、菅首相は問題点を穿き違えて把握していることになる。

 マニフェストの政策を否定したり裏切ったりすることになる情報「発信力」に欠陥、あるいは故障がある、問題点を穿き違えて把握する――このような一国の指導者がどこに存在するだろうか。存在すること自体が国民にとっての不幸、あるいは悲劇であり、存在させてはならないはずだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄に対して誠心誠意を欠いた日米合意を掲げて沖縄と誠心誠意話し合うとする矛盾

2010-12-22 08:05:33 | Weblog

 菅首相は17日(2010年12月)の沖縄訪問を控えた16日夜、記者団に発言している。《首相、17日から沖縄訪問=普天間で打開糸口探る》時事ドットコム/2010/12/16-20:16)

 菅首相「いろんな問題を話し合ったり、沖縄の現状を見て、誠心誠意丁寧に進めていきたい」

 菅首相は「誠心誠意」の上に「丁寧」という言葉まで付け加えて、そのような謙虚さと善意を全面に出した姿勢で交渉に臨むことを宣言した。

 仙谷官房長官の同じ日の記者会見。

 仙谷官房長官「沖縄に米軍基地を押し付けて、本土(の国民)が観客的に見てきたのは自省的に考えなければならない。そう簡単に成果の出る話ではない」

 言っていることに矛盾と誤魔化しがある。「本土(の国民)が観客的に見てきたのは自省的に考えなければならない」と言いながら、沖縄に基地を押し付けるのは「本土(の国民)」の基地に関わる傍観的態度をそのまま見逃すことを意味し、見逃すことによって今後とも傍観的態度に任せることになる政府としての不作為を政府の重要な一員である官房長官が自ら許したことになるからだ。

 「本土(の国民)が観客的に見てきたのは自省的に考えなければならない」と言うなら、政府自らが「本土(の国民)」の傍観的態度を改めさせる努力をし、「本土」が基地を受け入れるよう図って初めて矛盾と誤魔化しを避けることができる。だが、そう仕向ける意志は持たないようだ。

 要するに仙谷官房長官は沖縄に基地を受け入れさせるために体裁のいいことを言ったに過ぎない。菅首相の「誠心誠意」と不一致のこの態度と言いたいが、仙谷官房長官のこの発言は菅首相が17、18両日(2010年12月)の沖縄の訪問と視察を終えて現地で記者会見したとき、基地問題を「全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならない」と発言しながら、「全国民の課題」を具体化させる政府の責任を放置し、米軍基地を沖縄への集中的且つ過重な負担のままに推移させている無責任な不作為に対応していることからすると、菅首相の「誠心誠意」にしても、初めから分かっていたことだが、そう言わざるを得ない口先だけの態度と見るべきだろう。大体が同じ政府の一員同士である。

 菅首相は交渉に当たっての姿勢として規定づけた「誠心誠意」なる言葉を他でも使っている。

 12月6日(2010年)の臨時国会閉幕に当たっての記者会見。

 菅首相「今後のこの問題(基地移設問題)の考え方については、5月28日の日米合意を踏まえながら、沖縄に於ける基地負担をいかに軽減していくことができるのか。更には、知事からも要請のありますいろいろな沖縄の経済振興、またはそのための会議を年内にも開くようにということの要請もいただいております。そういうものと併せながら、誠心誠意、沖縄の皆さんに理解が得られるよう努力をしてまいりたいと、このように考えております。」

 そして沖縄訪問と視察後の沖縄県うるま市での記者会見でも「誠心誠意」の言葉を使っている。《「小沢元代表にお会いした方がいいと」17日の菅首相》asahi.com/2010年12月17日19時59分)

 ――仲井真知事との会談の中で「辺野古移設はベストではなくベターな選択なのでお願いしたい」と発言したが、知事は終わった後のインタビューで「勘違いだ」との認識を示した。さらに日米合意の辺野古移設に対する総理の説明に対しては「県民が納得していないのではないか」といった認識を示した。今日の総理の説明は、県民や知事に対して納得のいく説明と考えるか。もしそれが厳しいとの認識であれば、今後どのように理解を求めていくのか。

 菅首相「知事はじめ多くの沖縄の皆さんにとってはやはり、県外、あるいは国外が望ましいとお考えだというのは直接にも聞かせていただきました。で、同時に私は、普天間が今の形のままで残るということは何としても避けたいと思っております。そういう中で、何とか沖縄の危険除去、あるいは負担の軽減のために、どういう選択があるかということで、私なりの考え方を申し上げさせてもらいました。あの、もちろん知事や多くの沖縄の皆さんとの意見の隔たりはありますけれども、これからもですね、「誠心誠意」、話し合っていきたいと、こう思っています」――

 昨21日に沖縄を訪問して仲井真県知事と会談した前原外相も「誠心誠意」を交渉態度とすることを宣言している。次の首相に推したい政治家として国民の多くが認め、自身も認めているに違いない評判の高さからいって、言葉にウソ偽りない「誠心誠意」を絵に描いたような人格者に違いない。

 《前原外相も沖縄訪問に意欲》日本経済新聞電子版/2010/12/3 20:22)

 12月3日の記者会見。

 前原外相「首相が訪問した後、前回の衆院選で『少なくとも県外』と訴えたことをおわびするのが大事だ。(日米合意が)沖縄の負担軽減につながることを説明し、理解いただけるよう誠心誠意、話をしたい」――

 民主党が政権を獲得して自民党と米国が決めた辺野古現行案を白紙に戻し、普天間基地移設を「国外、最低でも県外」へとシフトさる方針を掲げたとき、アメリカ側は地元沖縄の合意のない案については協議できないとの立場を取り、鳩山前政権は地元沖縄と3党連立政権及びアメリカとの3者合意を基地移設の前提条件とした。

 但し、米側は地元の合意が前提で、地元との調整は日本政府の責任としていたが、辺野古現行案が最善とする姿勢を終始一貫させ崩すことはなかったから、地元沖縄の合意を前提としながら、日本政府は現行案で地元沖縄と合意せよの態度を示していたことになる。

 アメリカのその一貫した態度が功を奏したのかどうか分からないが、5月28日(2010年)に日米は現行案回帰となる辺野古移設で合意、これがいわゆる「日米合意」となった。

 だが、この日米合意には前以て基地決定条件とした沖縄地元合意が抜けたものだったことは誰もが見ての通りだが、3者合意の前提を破った時点で政府もアメリカも「誠心誠意」を裏切っていたのである。

 政治に「誠心誠意」を期待することの方が間違っていると言われればそれまでだが、だとしたら、菅政権は鳩山前政権が取り決めた「誠心誠意」の裏切りの上に築かれた日米合意を引き継いでいる以上、もはや「誠心誠意」を口にする資格はないはずだが、「誠心誠意」を口にして止まない。

 これは破廉恥、鉄面皮と非難を受けても仕方のない態度ではないだろうか。それとも菅首相や前原外相、仙谷官房長官だからできる「誠心誠意」な態度ということなのだろうか。

 沖縄に対して「誠心誠意」を欠いた決定となった日米合意を掲げて昨21日に沖縄を訪問した前原外相にも「誠心誠意」を窺うことができる。

 全文参考引用――
 

《沖縄知事発言要旨》時事ドットコム/2010/12/21-22:33)

 仲井真弘多沖縄県知事の21日の記者団に対する発言の要旨は次の通り。

 -前原誠司外相が会見で、普天間飛行場の周辺施設の移動について言及したが。

 (外相は)小学校のことが頭にあったんだろうが、なぜあの(普天間第二)小学校が移転しないであのままなのか、(歴史的な)経緯があるはずだ。危険性の除去というのは何も周辺の何かを移動するだけではなく、飛行場の使い方など、いろいろなことがあり得る。もっともっと深く掘ってほしい。

 -外相は来年1月も沖縄県を訪問し、辺野古移設に理解を得たい考えだが。

 理解(を得る)と言っても、現実に辺野古はできない。周辺の人たちが考えを変えない限り、いくら私がOKと言っても、何も実質的に前へ進まない。そういうときに、固定化の話がいつでも顔を出しかねない。それ(固定化)は駄目だ。一日も早い危険の除去というのは、最終的には(普天間飛行場を)移設するかクローズ(閉鎖)するしかない。移設は県内どこを探しても簡単ではない。時間がかかるから、県外しかない。

 -外相は普天間の継続使用にも言及している。

 それは駄目だ。(普天間移設問題は)危険だから動かす、ということから始まっている。危険を覆ったままというわけにはいかない。では辺野古かと言ったら、(名護)市長も皆反対している。現実にできないものを紙の上で取り決めても進まない。

 周辺施設の移動はあくまでも辺野古移設との交換条件であって、危険除去を初期的な目的としたものではない。そうであったなら、とっくの昔に完遂していなければならなかった周辺施設の移動であり、危険の除去であったはずだ。

 周辺施設の移動を辺野古容認との交換カードに持ち出す程度の「誠心誠意」だということである。

 あるいは普天間周辺の危険をその程度にしか考えていない「誠心誠意」だと言うこともできる。

 国民の多くが次の首相にふさわしい政治家としてその名前を挙げるのも理解できる。「誠心誠意」を絵に描いたような人格者と見ているからだろう。

 日米合意を振り出しに戻して、最初の約束どおりに沖縄地元の合意を入れた3者合意を果してこそ、初めて「誠心誠意」なる言葉は生きてくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする