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民主党の宮城県議選2議席減と政党支持率低迷から岡田代表と所属議員の政策と相互関連し合う言葉の力を見る

2015-10-31 10:54:47 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」
 
      《10月30日「生活」機関紙第29号(電子版)発行のご案内》    

      【今号の主な内容】
      ◆来年の参院選に向け、連携を深める野党5党
      ◆スペシャルレポート 山本太郎代表
      ◆第189回国会「生活」が取り組んだ主な議員立法
      ◆小沢一郎代表が「日韓親善友好の集い」で来賓挨拶
      ◆TPP大筋合意を受けて(談話) 玉城デニー幹事長

 10月25日投票の宮城県議会議員選挙で自民党が31議席から27議席へ4議席減らしたものの、民主党も7議席から5議席へ2議席減らすことになった。他は維新が2から1、社民が4から1へと右へ倣えで減らして、無所属が7から13。

 政党単位では共産党のみが4から8へと倍増させている。

 この結果から、マスコミは民主党が安倍政権の批判票の受け皿になり得ていないと批評している。このことは民主党の岡田克也代表も認めている。

 岡田克也「安倍政権への批判票が共産党に行き、民主党は風を受けきれていないことは事実だ。そこはしっかり踏まえて、これからのことを考えていかなければならない」(NHK NEWS WEB

 どういうふうに踏まえているのだろうか。今後風を受けきることのできる目算を立てることができると考えているのだろうか。

 民主党が自民党批判票の受け皿足り得なかったということは民主党の訴えが宮城県民の胸に届いていなかったことの証明以外何ものも意味しない。訴えるだけの言葉の力を持たなかった。

 このことは何も宮城県民だけのことではないだろう。NHK世論調査の2015年1月から10月までの政党支持率は自民党が35%前後から41%前後の間であるのに対して民主党は10%を11%に届かない範囲で超えたのは3回、あとは10%以下で低迷している。

 この政党支持率は民主党の国会質疑や街頭演説や記者会見での発言等の日常的な政治行動に対する国民の評価の反映であり、このような全国的な支持率の状況が宮城県に於いても民主党への評価となって反映した選挙結果でもあるはずだ。

 だが、何よりも選挙期間中に各党を代表して宮城県入りして行った直接の訴えが県民の選挙行動により影響していると見なければならない。

 自民党は林芳正農相と石破茂地方創生担当相が応援に入りし、主要都市を回ったそうだが、民主党は岡田代表や枝野幹事長を投入している。共産党は志位委員長が直接乗り込んでいる。

 だが、民主党は日常的な政治行動によって政党支持率を獲得できないでいただけではなく、そうである以上、選挙戦での訴えで政党支持率を上回る支持を得なければならなかったはずだが、岡田代表も枝野幹事長もそれだけの能力を発揮することができず、結局のところ政党支持率を超える支持を獲得するどころか、逆に2議席減らすことになった。

 志位共産党委員長の選挙戦での訴えが日常的な共産党の政治行動と共に相乗効果を出し合って宮城県民の多くに共産党候補への投票を駆り立てたといったところなのだろう。

 国民の目に最も映りやすい民主党の日常的な政治行動の主たるものは国会質疑で野党第1党として最も多くの時間を与えられた質問にあるはずだ。1日の質疑で民主党は3人、4人と質問に立て、共産党は1人か、2人、しかも合計の質問時間は民主党と比較して遥かに少ない。

 だが、政党支持率が1年を通して自民党の約3分1の10%前後に低迷し、宮城県議選では2議席を減らしたということは野党第1党として最も多くの時間を与えられていた国会での質問に関しても国民に強い関心を持たせる程には生かし切れていなかったことになる。

 つまり質問に立った民主党議員は全体的に見るべき程の言葉の力を持たなかった。だから、安倍晋三以下、各大臣たちを論破できなかった。 

 さらに岡田克也が代表就任後最初となる2015年6月17日の安倍晋三との党首討論にしても、有権者にインパクトを与える絶好の議論の機会であったはずだが、安倍晋三の例の如くの尤もらしげな独断に満ちた、だが、その独断を押し通すことを許す巧みな言説にかわされて、これといった得点を上げることができなかった。

 いわばインパクトを与える議論とすることができる程に自身の言葉に力を与えることができなかった、与えるだけの能力がなかったことになる。

 こういったことが重なっての1年間を通した低い政党支持率であり、宮城県議選の結果となって現れたということであろう。

 岡田克也が宮城県議選の結果を受けて「民主党は風を受けきれていないことは事実だ。そこはしっかり踏まえて」と言っていることは、当然、民主党議員のみならず、肝心の代表たる自身の言葉の力のなさをも踏まえていなければならないことになる。

 踏まえるとしたなら、民主党の桜井充元政調会長(参院宮城選挙区)が10月29日付のメールマガジンで2017年9月末まである岡田代表の任期に関して、「安倍政権と戦う真の野党をつくるために早期に野党再編を行い、併せて代表選挙を行うべきである」と、野党再編と代表戦前倒しを主張していたと「時事ドットコム」記事が伝えていたが、その主張も無理なからぬこととなる。

 大体が岡田克也の言葉は国会の質問の言葉にしてもし記者会見の言葉にしても面白味がない。代表が面白味がないから、質問に立つ民主党議員の言葉にしても面白味がないのかどうか分からないが、先ずは代表の言葉を面白みのあるものにしなければならないはずだ。

 言葉は勿論政策と相互関連し合う。政策に関して見るべき言葉を創造できれば、政策自体にしても見るべき内容を抱えることになる。見るべき政策を創造できれば、見るべき言葉は自ずと内包していることになって、言葉にしても政策にしても見るべきインパクトを備えることになる。

 多くの国民が安倍晋三の新安保法制に反対し、集団的自衛権憲法解釈行使容認を憲法違反だと見ていて、安倍晋三が景気対策のアベノミクスを鳴り物入りで大々的に掲げたものの、それが実現させた好景気の恩恵は所得上層部の所得をより飛躍させ、所得中・下層部の生活を円安物価高でより苦しくさせる格差拡大を招いている状況にある。

 こういった状況を考えた場合、日本の安全保障に関しては集団的自衛権の行使容認に向かいたいなら、憲法改正を手段とすること、国民の生活に関しては富裕層に対する税負担の拡大、消費税の軽減税率の幅広い導入、最低賃金1000円等を政策手段とした所得中・下層部の可処分所得の拡大を通した見るべき格差是正策を創造することが代表以下の言葉に力を与える方法となるはずだ。

 だが、安保政策にしても格差是正策にしても、今以て民主党の政策がはっきりとした形で見えてこない。

 現在の1強多弱のままではジリ貧状態に陥るだけだからだろう、来年の参院選挙には他野党との選挙協力を考えているが、松野維新が野党再編を視野に入れているのに対して岡田克也は野党再編に不熱心で、与党に対してどういった野党の形を取るのか、国民には今以てはっきりとした形を見せることができないでいる。
 
 これでは言葉に力を見い出すこともできないし、国民に対して見るべき言葉の力を示すこともできない。

 野党との連携にしても、あるいは野党再編にしても、その内容次第で以後の言葉に力を得るか、得ることができないかに影響していく。

 共産党が野党が協力し合った「国民連合政府」の樹立を提案している。だが、岡田克也にしても民主党にしても共産党の政策に対するアレルギーが強く、選挙協力はできるが、政府を組むことができないと反対して、共産党との選挙協力も進んでいない。

 例え共産党と政権を組んだとしても、世論の欲している政策を睨んで民主党が現実的としている政策に共産党が現実的としている政策を如何に引きずり込むか、言葉の力にかかっているはずだ。

 言葉は世論によっても力を得て、見るべき言葉の力へと高めることができる。

 どうも岡田克也には政権獲得に向けた貪欲さを感じ取ることができない。その貪欲のなさが言葉の力にも影響を与えているのだろう。

 ドラスティックな手を打って、今までにない言葉の力を獲得しない限り、現在の政党支持率の低迷をのちのちまで引き継いでいくことになるに違いない。

 こういった状況を打破できる一つの手が桜井充元政調会長が提案した代表選の前倒しであろう。

 野党再編か、単なる選挙協力か、共産党提案の「国民連合政府」なのか、いずれの形で進むのか、このことのみを争点として代表選を行い、結果を総意として、総意としての見るべき言葉を創造していくべきだろう。

  そうすることができたなら、少しはましな状態に持っていくことができるかもしれない。

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宮崎市歩道暴走車人身事故は道交法だけでは防げない 法律の谷間を埋める本人・周囲の学習・監視が重要

2015-10-30 10:33:18 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《10月29日都内開催「解放同盟・人権政策確立要求第2次中央集会」主濱副代
      表挨拶》
    

     「安倍政権下で格差が拡大、貧困と差別がより深刻化している。この政権下では人権
     政策の確立は実現できない」

 2015年10月28日、宮崎市中心部の大通りで73歳男性運転の軽乗用車が歩道を約700メートルに亘って暴走、50歳と60歳の2人の女性を死亡させ、17歳女子高生を含む4人に重軽傷を与えた。

 73歳男性は車を横転させて頭を打ち、外傷性クモ膜下出血で病院に運ばれたが、意識はあるという。事故当時警察が「車道と歩道を間違えたのか」と質問すると、「ハイ」と答えたという。

 警察が「間違えたのか」と問えば、間違いとすることができた場合、より罪を軽くすることができるから、助け舟となる一種の誘導となって、「ハイ」と答えるのが人情である。あくまでも、「どうして歩道を走ったのか」と聞くべきで、歩道を走った理由を本人に喋らせるべきだったろう。

 例え本人が「車道と歩道を間違えました」と答えたとしても、そういった間違いはあるにしても、700メートルも走って、その間、歩道と車道の違いに気づかなかったというのは尋常ではない。バックミラーやルームミラー、あるいは目視で周囲の確認を怠っていたことになる。

 周囲確認の不注意が700メートルの間だけではなく、それ以前から続いていたから、歩道を車道と間違えて歩道に乗り入れることになったに違いない。

 後に73歳男性には癲癇(てんかん)の症状と認知症の症状があることが分かった。後者の場合、数年前から認知症の治療を受けていて、事故当日2日前の10月26日まで認知症の治療で入院していたという。

 何日から入院していたのかどの記事も触れていないが、数年前から治療が始まり、現在入院しなければならない治療ということなら、軽度の認知症ではなく、重度と見なければならない。

 入院した病院の主治医は男性が普段車を運転していることを把握していたのだろうか。あるいは認知症という診断が出ると同時に運転免許証を所持しているか否かを尋ねて、所持していた場合、日常生活の中で車の運転を習慣としているかどうか確認したのだろうか。

 前者・後者いずれであっても、それらのことをカルテに記録していたのだろうか。

 癲癇の治療に当たり、その薬を処方する医師にしても、患者が自動車免許証を所持し、車の運転を生活の一部としていることを把握し、その事実をカルテに記録しているのだろうか。

 と言うのも、認知症の場合、今年6月成立・2年以内施行の改正道路交通法が75歳以上高齢者が運転免許更新の際の検査で「認知症の疑いがある」と判定された場合、医師の診断を義務づけることを盛り込み、診断次第で免許更新を禁止することができたとしても、認知症が期限を区切って発症したり、軽度から重度に進行するわけではなく、突発性発症や若年性認知症といったことも考慮すると、否応もなしに次の更新までの間に法律の谷間が生じるケースも出てくる。

 現在、過去5年間に一度の違反もない70歳未満の免許更新期間は5年、70歳は4年、71歳以上は3年間だそうだが、その間の免許取消しを決定できる監視は本人か医師であって、法律は確実な監視機能足り得ない。

 例えば改正道路交通法第101の6は、医師は認知症や癲癇も入るはずの発作により意識障害又は運動障害をもたらす病気に該当すると認め、その者が免許を受けた者であるときは診断の結果を公安委員会に届け出ることができるとしているが、あくまでも任意であって、義務とはなっていない。

 だが、認知症患者や癲癇病患者が万が一事故を起こした場合、特に人の命を預かる医者の立場にある人間は人命に関わることと危機管理しなければならないのだから、法律の谷間を埋める者として、例え法律は義務としていなくても、積極的に届け出る責任を負っているはずだ。

 特に癲癇の場合、医者が処方した通りに定期的に薬を服用していれば、体内の薬の量を一定に保つことによって発作を抑えることができるということであるにも関わらず、服用忘れでこれまでも人身事故が何度か起きている。

 2009年3月、トラックを運転中に癲癇の発作で意識を失い、中学2年男子をたった14歳で死亡させ、さらに働き盛りであるはずの45歳男性を死亡させた事故も薬の服用を怠ったことが原因であった。

 勿論、服用は自己責任だが、患者は定期的に病院を訪れ、薬の処方を受けるのだから、医師はその都度服用を怠ることのないよううるさく注意喚起する責任ぐらいは負うべきだろう。

 まだ記憶に新しいと思うが、2011年4月18日に栃木県鹿沼市国道で10トンクレーン車が集団登校中の小学生の20~30人の群れに突っ込み、6人を死亡させた事故も癲癇薬の服用忘れが原因だったし、2015年8月16日東京都豊島区東池袋のJR池袋駅近くで歩道に乗用車が乗り上げて5人を跳ね、意識不明の41歳女性を病院で死なせ、他の4人に重軽傷を追わせた53歳の医師は医師でありながら、癲癇薬の服用を怠って一時的に意識を失ったことが原因であった。

 本人は「気づいたらビルにぶつかっていた」と供述している。

 これは本人の過去の事故を学習せずに自身に対する監視の不注意から起きたことだが、月に1回通院し、癲癇の症状を抑える薬を処方して貰っていたというから、患者が医師であっても、やはり病院の医師自体が患者を監視し、服用を忘れないように注意喚起する必要はあるはずだが、果たしてそういった責任を果たしていたのだろうか。

 高齢者の認知症の場合は最近特に高速道路の逆走が頻繁に起き、人身事故も発生させている。2014年の全国の警察が把握した高速道路での車の逆走は224件で、運転手が認知症だったケースが12.1%に当たる27件に上り、そのうちの人身事故は22件で、その22.7%(5件)は認知症だったと、《日経電子版》が伝えている。   

 全体では67.9%の152件が65歳以上の高齢者。70代が74件で最も多く、80代が60件、40代が18件。内認知症は70代が14件、80代が9件、60代が4件。

 認知症ではなくても、高齢になると判断能力が劣る。

 本人はもとより、家族も、そして医師にしても高齢者の以上のような症状の事故の多発を認識すると同時に学習して、運転者本人は事故を起こさないように自己を監視し、家族は運転する者を監視し、医師も患者を監視してそれぞれが常に注意喚起を心掛けなければ、法律の谷間を埋めて事故で人の命を失わないようにすることはいつまで経ってもできないのではないだろうか。

 今回の宮崎市の73歳男性の事故にしても、認知症治療のために入院までしていたのだから、家族か医師が事故の学習と日常的な監視を生かして、認知症のその具合に応じて運転免許証の返納を迫っていたなら、応じなかった場合は、警察に伝えるなりの強制力を働かせていたなら、結果論かもしれないが、2人の女性の命を奪うことはなかったかもしれない。

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橋下徹も松井一郎も従軍慰安婦に関わる誤った歴史認識を植え付けるべく、高校生に触手を伸ばそうとしている

2015-10-29 11:58:55 | 政治


 大阪府教育委員会が「『慰安婦』に関する補助教材」と題したA4判8ページの教材を高校の日本史で用いると、10月28日付「産経ニュース」が伝えている。 

 この補助教材は松井一郎大阪府知事が「朝日が誤報だと認めたことで強制連行の証拠がないと分かった」ことを根拠に補助教材配布を明言、このことを受けて大阪府教委が戦後70年談話等を踏まえて作成したものだと記事は解説している。

 記事の解説通りだとすると、松井一郎の発言そのものから補助教材の内容・趣旨を窺うことができる。

 「朝日誤報」=「日本軍従軍慰安婦強制連行否定証拠」の発言構造を取っていることになる。

 この歴史認識は松井一郎の親分、松井一郎からすると腰巾着の対象としている大阪市長の橋下徹自体の従軍慰安婦に関わる従来からの歴史認識と軌を一にしている。腰巾着らしく、橋下徹の歴史認識をそのまま受け売りしているのかどうかは分からないが、双子の顔形や性格のようにそっくり似ている。

 橋下徹の日本軍の従軍慰安婦に関する最近の言説を見てみる。

 2015年7月、サンフランシスコ市議会が慰安婦の碑または像の設置を支持する決議案の審議を開始した。

 サンフランシスコ市が大阪市と姉妹都市を結んでいる関係からか、市長の橋下徹は早速反応した。

 2015年7月23日の定例記者会見。

 橋下徹「先の戦争で女性の人権が蹂躙されたのは事実。今も紛争地帯で苦しんでいる女性がおり、二度とやってはいけないと表明するのは当然。先の大戦時に世界各国がどうしていたのか。日本だけ特別に非難することはあってはならない。

 (決議案が旧日本軍だけを取り上げているのが事実なら)アンフェアだ。おかしい。(碑か像に)刻み込む文言によっては姉妹都市や日米関係に影響する」(産経ニュース

 そして決議案の内容を確認し、見解をただす文書を送る方針を明らかにしたと伝えている。

 その方針通りに橋下徹は2015年8月27日の日付でサンフランシスコ市宛に公開書簡(公開質問状のこと)を送付し、その内容を2015年9月3日付の「産経ニュース」 記事が伝えている。 

 この公開書簡の中で橋下徹は「戦時という環境において、日本を含む世界各国の兵士が女性の尊厳を蹂躙する行為を行ってきた、という許容できない『普遍的』構造自体をこそ、私達は問題にすべきなのです」と、過去の戦争、過去の戦場でどの国の軍隊でも女性の人権を蹂躙する性の問題は起こっていたことだとして、日本の従軍慰安婦問題を他の国の兵士が犯した人権蹂躙と同レベルで扱って普遍化し、さらにその普遍化を「残念なことに今日に於いてもなお、戦場における女性、子供への性暴力が行われているとの報道が多くなされています」との表現で今日の世界にまで広げた上で、〈ただし日本の事例のみをとりあげることによる矮小化は、世界各国の問題解決につながらない〉との小見出し付きで、さらに普遍化を深化させている。

 橋下徹「一方で、戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次世界大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました」――

 いわば日本軍だけではなく、どの国の軍隊も犯してきた女性に対する人権蹂躙だとすることで、日本軍の従軍慰安婦問題と他国軍隊の対女性人権蹂躙問題と質を同じくさせる普遍化を試みている。

 だが、何よりも問題なのは他国軍兵士が行ったことが日本軍がしたように慰安婦を中には募集して集めた場合があるものの、元従軍慰安婦の証言にあるように少なくない未成年を含む若い現地人女性を日本軍兵士が力尽くで拉致し、連行して監禁同様に慰安所に閉じ込め、従軍慰安婦に仕立てるといった日本の軍隊そのものが直接関わった歴史的出来事であったのか、兵士個人が売春婦を利用したり、あるいは現地人女性を襲って強姦したりした人権蹂躙だったのかどうかである。

 他国軍隊が日本軍のように直接関わっていなければ、決して普遍化はできない。韓国軍はベトナム戦争で従軍慰安所を経営したとされているが、日本軍の従軍慰安婦と同レベルで扱うためには韓国軍が慰安所で働く女性を強制連行したとの証拠を挙げなければならない。

 だが、知る限りでは強制連行の情報に接していない。

 もし韓国軍も日本軍同様の強制連行を行っていたなら、同罪となるが、日本と韓国以外の他の国迄含めた普遍化はやはり不可能となる。

 橋下徹は公開書簡で朝日新聞の誤報も取り上げている。
 
 橋下徹「従前から慰安婦問題を報道してきた朝日新聞も、2014年8月5日に、吉田清治氏の告白を虚偽と判断し、多くの朝鮮の女性を慰安婦として『暴行加え無理やり』『狩り出した』とする一連の記事を取り消し、日本国内でも衝撃的な大問題となったのは記憶に新しいところです」

 橋下徹が言っている「衝撃的な大問題」とは、自身も右へ倣えし、多くの日本人が次のように即座に解釈した「朝日誤報」=「日本軍従軍慰安婦強制連行否定証拠」の歴史認識に他ならない。

 記者会見等で見せる橋下徹の饒舌通りの長文の公開書簡となっていて、さらに長々と続くが、途中で従軍慰安強制連行否定の一つの結論を出している。

 橋下徹「慰安婦問題に関しては、現在までのところ、国家が組織をあげて人さらいのような強制連行を行なっていたというような確たる証拠は何も出てきておらず、そうである以上、日本の立場としては、法的責任はやはり認められないという結論にならざるを得ません」

 橋下徹が「確たる証拠」とは第1次安倍内閣が2007年3月16日に閣議決定した答弁書で「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と言っている、その「資料」のことである。

 当時まで生存していた、あるいは現在も生存している元従軍慰安婦たちの証言は含まれていない。いわば彼女たちの証言を検証の対象とすることもなく、無視している。
 
 かくこのような橋下徹の従軍慰安婦に関わる歴史認識に追従した、あるいは軌を一にする松井一郎の歴史認識を受けた大阪府教育委員会の高校生歴史教科書に対する「『慰安婦』に関する補助教材」ということなのだろう。

 「産経新聞」も、「朝日新聞が大誤報を認めたことで、日本の慰安婦問題の核心(強制連行)は崩壊している」と、「朝日誤報」=「日本軍従軍慰安婦強制連行否定証拠」の同じ歴史認識に立っている。

 このような産経新聞の歴史認識に対して当「ブログ」に、〈「吉田証言」が「証言」とは名ばかりで、架空の元従軍慰安婦を登場させて架空の証言をデッチ上げた日本軍による強制連行・強制売春の“架空話”(=フィクション)に過ぎず、その“架空話”(=フィクション)に基づいて書いた朝日記事が結果的に誤報となったことを以って、今後共、現実に存在した、あるいは今なお現実に存在する元従軍慰安婦の証言を無視して、〈朝日新聞が大誤報を認めたことで、日本の慰安婦問題の核心(強制連行)は崩壊している。〉とする、従軍慰安婦に関わる歴史修正主義が罷り通るに違いない。

 罷り通らせるためには現実に存在した、あるいは今なお現実に存在する元従軍慰安婦の証言までをも“架空話”(=フィクション)であるとする検証・証明が必要だが、それすら行わずに強制連行否定説を高々と掲げる。〉と書いた。 

 いわば松井一郎も橋下徹も、「朝日誤報」=「日本軍従軍慰安婦強制連行否定証拠」とする決して正当とは言えない、過去の歴史の事実を抹消する偏った歴史認識を大阪府の高校生に植え付けるべく触手を伸ばそうとしている。

 安倍晋三の登場で日本の社会が右傾化に進んでいる。他の自治体からも大阪府に倣った歴史認識を高校生に植え付ける動きが出てこない保証はない。

 触手は合理的な思考能力を奪う大きな一歩となるに違いない。

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中国南シナ海人工島12カイリ領海主張へのオバマの艦艇介入と安倍晋三の中国尖閣海域領海侵入への口先介入

2015-10-28 09:53:13 | 政治


 オバマ・アメリカ大統領が中国が南シナ海の南沙諸島(英語名スプラトリー諸島)海域内に埋め立て造成した人工島から12カイリ(約22キロ)内に米海軍のイージス駆逐艦を派遣、2~3時間航行させた。

 オバマのこの行動に中国は軍艦2隻で追跡・警告を発したという。

 ご存知のように中国は当該海域内の浅瀬を埋め立て人工島を造成、滑走路まで建設して、自国領土だと主張、人工島周囲12カイリ以内を自国領海だと見做し、許可なく外国の艦船、航空機が侵入した場合、中国の主権侵害に当たるとしている。

 対してアメリカを始め多くの国が国連海洋法条約に基づいて中国の主張を認めていない。NHKがニュースで解説していたから、その記事を見てみると、中国が人工島を造成した土台部分のスービ礁やミスチーフ礁は中国が埋め立てる前は満潮時に水没する「低潮高地(暗礁)」であって、国際法上は領海の主張ができないとしている。

 つまり、満潮時に海の下に潜ってしまう岩礁は、その上にどう埋め立てをしようと領土の一部と見做すことはできないし、その埋め立て周辺を起点に12カイリの領海を設けることも国際法上は不可能であるということなのだろう。

 当然、アメリカとしたら、国連海洋法条約に則って自由に航行できることになり、中国の主張が無効であることの証明として人工島12カイリ内にイージス駆逐艦を派遣、航行させた。

 アメリカは今後も繰返し航行させる予定だというから、中国の領海でも領土でもないことを既成事実化させることを意図しているということなのだろう。

 勿論、中国は猛反発している。

 陸慷中国外務省報道官「アメリカの軍艦『ラッセン』は、中国政府の許可を得ずに中国の南沙諸島に近接した海域に不法に進入した。中国の関係部門が法に基づいて監視、追跡、警告した。

 どの国であっても航行や飛行の自由を名目に中国の主権と安全を損なうことには断固反対する。我々は関係する海域と空域の状況を引き続き厳しく監視し、必要に応じてすべての措置を取る。

 繰り返し、この地域で緊張をつくり出し、故意に問題を起こすのなら、中国は1つの結論を出さざるを得ないかもしれない。即ち、我々の建設を強化、加速する必要があるだろう。アメリカには、策を弄してまずいことにならないよう忠告する」(NHK NEWS WEB)  

 米中の緊張関係が一気に高まることになる。

 日本も安倍晋三の歴史認識や尖閣諸島領有権問題で中国と緊張関係にある。米国のこの行動に安倍晋三はどう関心を持つのか、10月27日午後(日本時間同日午後)、現在訪問先のカザフスタンで記者団に答えている。

 安倍晋三「開かれた自由で平和な海を守るため、米国を始め国際社会と連携していく。(今回の米軍の行動について)一つ一つにコメントは控えたい。

 国際法に則った行動であると理解している。(中国の人工島造成について)現状を変更し、緊張を高める一方的な行動は国際社会の共通の懸念だ」(毎日jp) 

 相変わらず抽象的なことしか言わない。

 今回、オバマは中国の領土拡張主義的行動に対してその牽制の一歩となる具体的な行動を取った。その具体性にどう連携していくということなのだろうか。「米国を始め国際社会と連携していく」と、日本を米国と国際社会の後ろに置いた従属性を持たせた共同行動を意思表示しているが、常々女性の人権や科学技術で世界をリードすることを広言している割には不明確で積極性に欠けることを言っている。

 特に日本は中国との間に尖閣諸島の領有権問題で南シナ海の人工島問題と似た状況を抱えている。中国は日本の「尖閣諸島は歴史的に見ても国際法上も日本固有の領土である」とする主張に対抗して中国領土であることを主張、そのデモンストレーションとして海警局の巡視船に領海侵犯を繰返させている。

 この繰返しの領海侵犯に対して日本政府は日本の巡視船に領海外退去の指示と警告を行わせ、同時に首相官邸の危機管理センター設置の「情報連絡室」を「官邸対策室」に格上げして情報収集と警戒に当たる、領海侵犯が繰返されている以上、何ら役に立っていない、既に儀式となっているその場凌ぎの対応に終止することと、安倍晋三が「中国の力による現状変更は認めるわけにはいかない」と機会あるごとに発言する口先介入の繰返しで終わらせている。

 尖閣諸島問題に関わる日本の正当性と領海侵犯を繰返す中国の不当行為との間に横たわる双方の関係と、中国の南シナ海の人工島が国連海洋法条約に違反した領土・領海の主張である不当性とそのことに対する米国の正当行為との間に横たわる双方の関係は逆転した状況にあり、アメリカが行動を起こした以上、後ろにくっついて「米国を始め国際社会と連携していく」のではなく、安倍晋三はこの逆転を正す、何らかの行動を取らなければならないはずだ。

 そうしてこそ、真の連携となる。

 これまでの場凌ぎの対応に決別し、オバマと同様に中国の領土拡張主義的行動に牽制の一歩を踏み出すためにも、領海侵犯した海警局巡視船に対して拿捕なり、銃撃して退去させるなりして、勿論相手も武器を装備しているから、銃撃戦が展開されることになるが、領海侵犯に対して強い態度に出て日本に主権があることを示す必要があるはずだ。

 だが、安倍晋三は口先介入だけで済ませている。

 安倍晋三「16年前の8月15日、宮崎県の新田原基地に、夜明け前の静寂を切り裂く、サイレンが鳴り響きました。

 国籍不明機による領空接近に、近者明宏2等空佐と、森山将英3等空佐は、F4戦闘機でスクランブル発進しました。

 稲妻が轟く悪天候も、上昇性能ぎりぎりの高い空も、二人は、まったく恐れることはありませんでした。

 そして、『目標発見』の声。『領空侵犯は決して許さない』という、二人の強い決意が、国籍不明機を見事に追い詰め、我が国の主権を守りました」――

 2015年10月18日の海上自衛隊観艦式での訓示での発言である。

 「我が国の主権を守りました」とスクランブル発進の航空自衛隊員を褒め称えながら、自身は中国が好きなときに好きなだけ繰返している尖閣諸島海域での領海侵犯に「中国の力による現状変更は認めるわけにはいかない」の口先介入のみで、具体的な行動に関してはなす術もない。

 この矛盾を平気で遣り過ごしている。

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日本の台湾統治時代のインフラ整備は台湾住民の幸福と利益が直接の目的ではなく、日本の国益獲得が主目的

2015-10-27 10:01:54 | 政治


 馬英九台湾総統が10月24日、国防部(国防省に相当)が新たに建設する軍事博物館の起工式で展示内容は軍事史だけでなく、「慰安婦など軍事に関連した迫害の史実」を加えたものとする意向を表明したと「産経ニュース」が伝えていたから、馬英九総統は日本に対して厳しい歴史認識で臨む姿勢を示したのかと思ったら、10月26日付「ロイター」が一方で台湾統治時代の日本の功績を認める姿勢を示したことを伝えた。

 《日本統治がもたらした恩恵も記憶を=台湾総統》2015年 10月 26日 14:11)

 10月25日の日本による台湾統治終了から70年を記念する今年の「光復節」での演説の中で述べたという。

 馬英九総統日本が統治時代に行った悪いことを忘れない一方、良いことを記憶するのも重要だ。日本の侵略により多くの命が奪われたことも、いわゆる「従軍慰安婦」などの問題が今日も大きな痛みをもたらしていることも事実である。

 (嘉南大シュウや烏山頭水庫など日本が監督した2つの水利事業を挙げて)日本の統治は台湾に建設事業をもたらした。これにより台湾の農家は恩恵を受けており、それは当然肯定すべきことだ。

 今後は双方が『恩と恨みを区別する』態度を持ち、議論していくことが必要だ」(下線箇所は解説文を会話体に直す)

 非常に公平な態度に見える。いや、多分、公平且つ合理的な歴史認識の持ち主なのだろう。

 《日本統治の功績》(桜の花出版)に次のような讃歌が刻まれている。   
 
 〈台湾には濁水渓という大きな川があります。この川は、濁った水と清水とが右左に分かれて流れ、どんなに嵐が来ても大水が来ても決して混ざり合わないのです。昔、老人たちはよく言っていたものです。濁水渓の水が澄んだら天下泰平になる、と。そして、その濁水渓の水が、日本軍が台湾を接収しに上陸した時、五日間だけ綺麗になったと伝えられていました。五日間澄んだので、人々は日本の統治はきっと五十年だろうと噂していました。

 日清戦争に勝利し清国から台湾を接収した日本は、新領土である台湾を素晴らしい島と思い、日本と同じ、いや、それ以上のものを台湾に作ろうとしたように思えます。台湾総督府は、「百年計画」という都市計画に則って台湾の産業や生活の基礎を築いていきました。

 それがどれほど優れているものだったかという証拠に、現在の台湾の都市計画は、日本時代の都市計画に基づいているのです。台北を走るMRT(地下鉄)や、上下水道、台湾の南北を繋ぐ縦貫鉄道や縦貫道路、等々全てです。

 それらの中には戦後に台湾に来た中国人が作ったと言われているものもありますが、それは間違いです。全部日本人が設計して作ったものです。鉄道の台南駅、新竹駅、台中駅、高雄駅などはどれも芸術的にも優れています。高雄駅などはまるでお城のように立派に建てられ、あまりに素晴らしいので、狭くなって建て替えた時も、壊すにはもったいなくて、下から掘り起こして移築したほどでした。

 また、日本人は教育にも力を入れていて、新しい土地に行くと必ず学校を作りました。台湾でも大学から中学校(現在の中学と高等学校を合わせたものに相当)、小学校、幼稚園まで作り、しかも、当時の日本よりも立派な建物でした。台湾大学も東大をモデルに作られています。〉・・・・・・・

 1895年(明治28年)4月17日、日清戦争の結果下関条約によって台湾が清朝から日本に割譲されて日本の国土となったものの、日本人ではない台湾住民を台湾住民ではない日本人が統治するのだから、植民地以外の何ものでもなく、台湾の開発、産業振興や教育振興は日本の国益獲得を主体とした台湾のそれらであって、台湾住民自体の幸福と利益を目的とはしていない。

 具体的にはインフラ開発や産業振興・農業振興は日本国家に利益をもたらすことを目的とし、教育振興は開発や振興に役立たせる知識が必要だったからである。

 但しいくら教育振興に貢献したと言っても、台湾住民の教育機会は日本本土の日本人の教育機会を上回ることはなかったはずだ。上回ったとしたら、奇妙な事態となる。

 戦前の日本人の教育機会を見てみる。《日本の学校制度 ~小学校を卒業したら…~》

 先ず参考までに記すと、尋常小学校は数え年6歳から10歳までの義務教育4年間。高等小学校数え年10歳から14歳までの4年間の非義務教育。昭和16年の学制改革によって尋常小学校は国民学校と名を変え、数え年6歳からの国民学校初等科1年から12歳の国民学校初等科6年まで6年間義務教育、12歳から14歳まで国民学校高等科1年から2年間の非義務教育が行われていた。

 〈複雑ながらも多様な学校の存在した戦前の学校制度ですが、当時、ほとんどの人々は義務教育課程の尋常小学校か、高等小学校が最終学歴(中途退学者も多く含みます)でした。中学や高等女学校など中等教育機関を卒業した人々はおよそ10人に1人か2人程度に過ぎません。そのわずかな卒業生のうち、さらに高等学校を卒業した人となると、ほんの一握りです。
 時代の推移とともに高等学校の数も増加しますが、戦前を通して高等学校に進学・在籍した人の割合は同世代人口の1パーセントを越えることはありませんでした。また、基本的に上級学校への進学機会が閉ざされていたため、高等学校や大学で学んだ女性は極めて希なケースとして存在するのみです。〉――

 昭和16年で見ても、義務教育が6歳から12歳までの国民学校初等科6年間が義務教育期間で、12歳から14歳までの国民学校高等科の2年間は非義務教育機関ということなら、「職人の子は職人の子、学問は必要ない」とする一般的風潮が強かった時代であり、その風潮は戦後も暫く続いていたことを考え併せると、国民学校の6年間で終了した生徒が多かったと見ていいはずだ。

 そういった傾向を受けた〈戦前を通して高等学校に進学・在籍した人の割合は同世代人口の1パーセントを越えることはありませんでした。〉、その他の傾向であろう。

 要するに当時機械化されていない手作業中心の農業や末端の工場労働者、あるいは職人等の下級労働者として必要な知識を植え付ける教育を主体としていた。

 植民地下の台湾に於いても推して知るべしである。あくまでも日本の国益を計算して行った開発、産業振興・農業振興であって、台湾が生み出す農産物や工業製品を台湾住民への直接的恩恵に結びつけることを目的としたのではなく、日本の利益に還元することを目的としていたはずだ。

 このことは次のネット記事が証明する。《毎日新聞社「決定版昭和史 別巻1 日本植民地史」 日本にとって植民地とは何であったか》 

 〈台湾では、米作と砂糖業が順調に成長した。朝鮮でも、台湾ほどではないが、米作が一定の伸びを示した。これらの米や砂糖は、日本本土に輸出された。1930年代後半には、本土の砂糖輸入の9割以上が台湾からであり、米の輸入の殆ど全部が朝鮮と台湾からであった。しかし朝鮮人と台湾人の食糧事情は、悪化していった。一人当たり産米消費量(年平均)は、朝鮮人の場合、1911~12年に100キログラム、1937~38年に75キログラムまでと減り、台湾の場合でも同じ時期に、130キログラムから100キログラムに減少している。

 不足分は、台湾ではいも類、朝鮮では粟・麦などで補った。台湾でも、台湾人用の外米を輸入したし、朝鮮は外米と粟などの雑穀を輸入した。農業振興によって、米の生産が増えたが、現地の人びとの食べる米は減っていた。食糧生産は増えたが、しかし食物は減った。土地所有でも、次第に日本人地主が増えていた。 〉・・・・・

 日本国内でも1937年(昭和12年)に始まった日中戦争の決定打のない一進一退の膠着状態が兵員の増強を必要としたこと、関係悪化した対米戦争に備えた兵器増産に偏った軍備増強が軍需工場要員を必要としたことなどから、兵士及び工場労働者の一大供給地の農村が人手不足と資材不足に陥って米の生産量が需要を大幅に下回り、その補充に朝鮮と台湾から米を移入しているが、それでも追いつかずに日本人の主食たる米は昭和14年秋から地域を限って、昭和16年4月からは六大都市を対象に麦まで加えて本格的配給割当制が実施されていたのである。

 台湾や朝鮮半島の住民が十分に食べることができる食糧などあろうはずはない。あれば搾取されて、内地の日本人や外地の日本兵の食糧として送られていただろう。

 「欲しがりません勝つまでは」、「ぜいたくは敵だ!」のモノ不足は、日本のモノの供給基地であった台湾や朝鮮からの提供があっても、解消不可能の状態に陥っていた。

 にも関わらず、日本は1941年(昭和16年)12月12日に対米戦争を開始している。

 こういったことのための、あるいは既に触れたように日本の国益獲得を主目的とした「嘉南大シュウや烏山頭水庫など日本が監督した2つの水利事業」に過ぎない。

 それを馬英九台湾総統は「日本の統治は台湾に建設事業をもたらした。これにより台湾の農家は恩恵を受けており、それは当然肯定すべきことだ」と、まるで日本の統治が台湾の住民自体の幸福と利益を目的としていたかのように言う。

 外国人に征服された国がその住民の多くを奴隷として連れて行かれ、征服した国で宮殿か教会等の巨大な建築物の建築に満足な食事も与えられずに従事させられ、それが時代が下がるに連れて優れた建築物として世界的に有名となっていき、世界各国から大勢の観光客が訪れて、その国のバカにならない収入源の一つとなって、かつて征服された歴史を抱えている国の今のリーダーが、あの建築物は我々祖先が建築したのだと誇るようなこととほぼ同じことを馬英九総統は言っているようなものである。

 安倍晋三も似たところがあるが、なぜこうも一国のリーダーは単細胞にできているのだろうかと思う。

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安倍晋三は2020年東京五輪の自動運転車走行ではなく、言うべきは水素技術の車や光熱面での普及

2015-10-26 11:16:05 | Weblog


 安倍晋三が2015年10月4日、「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム」で挨拶し、自動運転車の実現について次のように発言している。

 安倍晋三「私はまた日本を、イノベーションが次々と起こる国にも変えたいと思っています。

 では私ども、何をすべきでしょうか。

 必要なのは『エコシステム』です。知と知が出会い、イノベーションが更なるイノベーションを生む場です。去る4月にシリコン・バレーを訪れた折、それが大事なのだと再確認しました。

 日本でも、エコシステムを作らなくてはなりません。そうすることを、今後5年の重点施策といたしました。

 例えば、車のような、私たちがよく知っているものを例に挙げましょう。

 車というのは一方で、120万人からの人命を、世界で毎年、事故で奪っています。

 一方、車は偉大なイコライザー(格差を埋めるもの)でもあります。人間の動きを『民主化』してくれるものですから、障害をお持ちの方であれ、お年を召された方であれ、万人に、その恩恵を及ぼせるものであるべきです。

 日本にはこの両方、すなわち車の持つ安全と、便益の双方に、持ち前の技術で取り組んでいく使命がある。そして正にこの点で、今いろいろ日本の自動車メーカーが開発している、自動運転技術が重要になってくるのです。

   ・・・・・・・・・

 2020年には、東京でオリンピック・パラリンピックがありますから、どうか是非見に来てください。『一つ買ったらオマケに一つ』ではありませんが、2020年の東京には、自動運転車がきっと走り回っています。皆様には、動き回るのにお使いいただくことができるでしょう」(首相官邸/2015年10月4日)

 「知と知が出会い、イノベーションが更なるイノベーションを生む場」に位置づけている「エコシステム」について、その意味を知らなかったから、ネットで調べてみたら、「複数の企業が商品開発や事業活動などでパートナーシップを組み、互いの技術や資本を生かしながら、開発業者・代理店・販売店・宣伝媒体、さらには消費者や社会を巻き込み、業界の枠や国境を超えて広く共存共栄していく仕組み」と出ていた。

 要するに様々な業種の協調関係による情報の相互提供と相互共有等に基づいた新技術の開発とその促進を言うのだろう。

 そのようなシステムを自動運転車開発に利用する。

 そして高邁な理想を掲げる。

 「車は偉大なイコライザー(格差を埋めるもの)でもあります。人間の動きを『民主化』してくれるものですから、障害をお持ちの方であれ、お年を召された方であれ、万人に、その恩恵を及ぼせるものであるべきです」

 民主主義は自由・平等を原則としている。その点、車は障害者であれ、高齢者であれ、自身が運転できれば自身の運転で、できなければ、タクシー等、運転を他者に依頼することで、「人間の動き」を、いわば移動に関して自由・平等を保証するという意味なのだろうか。

 確かにそのとおりだが、所得に応じて移動に遠近が生じたり、自身で運転できない場合の他者依頼の回数に増減が生じたりするから、車自体は「イコライザー(格差を埋めるもの)」としての役目を担っていて、「人間の動きを『民主化』してくれる」道具であったとしても、人それぞれの生活を背景とした場合、恩恵は必ずしも自由・平等の民主主義でいかないこともある。

 例え自動運転車が普及して、多くの人間が当り前のように利用する時代を迎えることになったとしても、生活を背景とした場合の条件はさして変わらないことになる。

 ただ安倍晋三だけは2020年の時代を迎えれば、自動運転車が「イコライザー(格差を埋めるもの)」としての役目を十分に果たし、「人間の動きを『民主化』してくれる」十分な道具足り得ると信じているのだろう。

 だが、2015年10月15日付の次の記事、《自動運転、2020年へ向け自動車メーカーとベンチャー企業の異なる戦略》オートックワン/2015年10月15日)を読むと、そうはうまくいかないようだ。   

 DeNAとロボット関連ベンチャーZMPの合弁事業であるロボットタクシーは完全無人化を目標としていて、都市部周辺の住宅地の「買い物難民」や地方の山間部等の「高齢者の日常の足」として「無人自動運転車」の活用を考えているという。

 日本の技術のみならず、世界の技術を参考にすれば、完全無人化も夢ではないだろうが、技術は完全無欠ではない。特に山間部から都市部に向かう往路は勾配が急な個所、曲がりくねっていて、両側、あるいは片側が深い谷を形成している個所が多い。常に事故のない完全走行が実現できるのだろうか。

 あるいは時折の事故は止むを得ないとするのだろうか。

 同じ条件なら、ゴルフ場で利用している電磁誘導式ゴルフカートの応用であっても、「買い物難民」や「高齢者の日常の足」として十分に間に合い、その方が実現は手っ取り早いのではないだろうか。

 電磁誘導式ゴルフカートは走行路に予め複数個の永久磁石を地表にN極、あるいはS極を向けて埋め込み、その上をカートが走行する際、N極またはS極のパターン信号がカートに取り付けたコイルなどを用いたマグネットセンサーによって検出され、埋め込まれているパターン信号によってカートの目標速度を変更して、減速させたり加速させたり、あるいはカーブを切ったり、自動制御する方式だという。

 ゴルフ場でのカートの速度程度なら、ヘルメット着用とシートベルト着用、さらにアメリカで開発された、現行のガードレールに装着できる衝撃吸収装置「クオッドガード(Quad Guard)」を全ての走行道路に取り付けたなら、万が一の事故にも人体への影響を少しでも小さく抑えることができるのではないだろうか。

 上記記事はベンチャー企業の完全無人化の自動運転車と違って、トヨタが2020年に量産化を目指す自動運転は「無人化」を想定していないと解説している。運転席には常時運転者が座っていて、高速道路等で一時的に運転操作を行わない自動運転モードを想定していて、自動運転モードが何等かの事情で続行不可能になった場合、手動モードに切り替得て、運転者自身が直接運転するのだという。

 この際の具体的な懸念が自動運転時に寝てしまった運転者に手動運転への切り替えを通知する場合、「運転者の意識は何秒で運転する状態に復帰できるのか?」、その時間だそうだ。

 現在、自身で運転していて居眠り状態に入ったとき、カメラが顔認識と瞳孔検出してアラームを発する居眠り防止装置があるそうだが、この場合は運転者がハンドルを握っていることに変わりがないから、アラーム音と同時に目覚めれば、そのままハンドル操作は続行できるが、自動運転車の場合、ハンドルから離れた状態で安心しきって居眠りした場合、目覚めた瞬間、自分が今どこにいるのか錯覚を起こすこともある。

 特に両側が高い防音壁で仕切られていて景色が何も見えず、防音壁とアスファルト路が延々とした状態で単調に続く高速道路は運転していない状態だと、簡単に眠気に襲われる。

 こういった懸念ばかりではなく、完全無人化ではなく、自身も手動運転手する機会もあるということなら、重度の障害者や身体に不自由なところのある高齢者は自動運転車から除外されることになり、安倍晋三が言っていることに反して、全ての人に恩恵を及ぼす「偉大なイコライザー(格差を埋めるもの)」としての役目も、「人間の動きを『民主化』してくれる」道具ということでもなくなる。

 また記事が、〈自動運転時に事故が起こった場合、「過失責任は自動車メーカーになるのか。それとも、手動から自動に切り替えた運転者にあるのか?」といった法解釈や倫理規定の分野で議論を続けていく必要がある。〉と解説している以上、事故をあるいはあるかもしれないこととして想定していることになる。

 完全無欠な技術など存在しない以上、当然のことであろう。

 現在、最も必要としている「エコシステム」を利用した車の技術発展は、2012年7月31日に閣議決定している「『日本再生戦略』について」で2015年度の中間目標に掲げた「燃料電池自動車の市場投入」と2016年から目指すとした「家庭用燃料電池の自立的普及開始」の更なる普及であろう。

 トヨタは水素を利用した燃料電池車「MIRAI」を2014年12月15日、世界に先駆けて発売した。二酸化炭素を排出しないことから、「究極のエコカー」と言われている。当然、この普及は二酸化炭素排出抑制と地球温暖化防止と非常に深く関わることになる。

 確かに国も「MIRAI」723万6000円価格に対して約200万円の補助金を出してその普及に協力しているが、特に2020年東京オリンピック・パラリンピックを時代転換点の象徴にさせようとしているとき、地球環境に深く関係していくことになる水素技術の活用・発展は重要性という点で、自動運転車の比ではないはずだ。

 だが、安倍晋三は2020年のオリンピック時、自動運転車を走らせることを日本のイノベーションの象徴にしようとした。 

 水素を利用した「家庭用燃料電池の自立的普及」はまた、電線の地中化とも深く関わっている。自民党は電線の地中化に熱心で、現在はどうか知らないが、安倍晋三はかつて電線地中化の議員連盟の会長をしていたが、家庭用の燃料電池の普及は2008年頃から、住宅団地単位で開始していて、これが一町内単位で普及していけば、水素供給のパイプのみで、電柱も電線も必要なくなる。電線を地中化した、家庭用燃料電池の普及で電線は必要がなくなったでは、地中化した電線を資源保護の観点から、また掘り出さなければならない。

 勿論、全面普及までに相当な時間がかかる。だとしても、二重の手間になることに変わりはない。燃料電池車の普及がその技術の改善に役立ち、改善された技術が家庭用燃料電池の技術に応用されていくという循環を生めば、普及も加速化されていく。

 昨今、世界規模で大災害時代を迎えている。豪雨、洪水、それらに伴う河川の堤防の決壊や大規模な土砂災害、あるいは豪雪等々が頻繁に発生するようになっていて、地球温暖化の影響が言われている。

 やはり先んずるべきは二酸化炭素排出の抑制のための技術開発とその促進・普及でなければならないはずだ。2020年を日本の新しい時代の目標としたなら、一国の首相であるなら、抑制のための技術をどれ程に普及させるか、言うべきだったろう。

 参考までに。2009年4月11日記事――《安倍会長「電柱議連」発足/時代は無電線化の方向に向かうべき - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》 


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アンジー監督作「不屈の男 アンブロークン」が「反日」だとしても、歴史に於ける基本の事実は見るべき

2015-10-25 10:07:34 | 政治


 実在した米国オリンピック代表選手ルイス・ザンペリーニの半生を描いたアンジェリーナ・ジョリー監督作の「不屈の男 アンブロークン」が2016年2月、ミニシアターの東京のシアター・イメージフォーラムで初上映、順次全国上映が決まったという。

 大手配給会社ではなく、ミニシアターが初上映というのは非常に象徴的である。

 旧日本軍に捕虜となった米兵が日本兵の執拗な虐待に強い意志で耐えぬく物語だとかで、2014年に全米公開されてヒットし、第87回アカデミー賞では撮影賞など3部門にノミネート、50カ国以上で公開されたが、日本では特にネット上で反日の批判が沸き起こって上映反対・上映ボイコットの動きも出ていたということだからだ。

 次の記事がネット上の批判を取り上げている。《反日映画?捕虜虐待描いたアンジー作品 上映阻止の運動》asahi.com/2015年3月17日07時41分)   

 「日本貶(おとし)め映画」

 「事実無根」

 「どんどん抗議の声を上げていくべきだ」

 フェイスブック上には「アンジェリーナ・ジョリーの反日映画を阻止しよう!」名のページが開設され、1200人以上が参加、連日、映画批判が投稿されていると伝えている。

 記事は「アンブロークン」は米国で昨年末から3千館以上で上映。興行収入は1億ドルを超え、「ラスト・サムライ」を上回ったと解説、一方で、〈虐待場面の長さから「意味のない拷問マラソン」(ニューヨーク・ポスト)「中国で反日感情をあおる可能性も」(ロサンゼルス・タイムズ)といった評もある。〉といったマスメディアの映画評、その他を伝えている。

 戦後米国に帰国し、「日本兵に復讐(ふくしゅう)するため、金を貯めて日本に行く」と復讐心に燃えるが、次第に許しの心境に達していく経緯を、「毎日jp」《ハリウッド万華鏡:(9)映画よりドラマチックなザンペリーニの生涯》(2015年01月09日)が詳しく伝えている。

 「Wikipedia」に捕虜となったルイス・ザンペリーニが知名度があったことから、日本軍がアメリカへの宣伝に利用することを立案、1944年11月に対米宣伝放送に自ら用意した原稿を読み上げたが、再度の放送で日本側のプロパガンタ原稿を読むよう求められたことを拒否し、1945年3月に直江津捕虜収容所(東京俘虜収容所第四分所)に移送され、そこで終戦を迎えたとの記述がある。

 プロパンダ原稿の読み上げを拒否したことが虐待に繋がったのだろか。

 イラク戦争後、連合軍の統合尋問・聴取センターの管理下に入ったイラクのアブグレイブ刑務所で米兵によるイラク人拘留者に対する虐待が行われていた。

 キューバにある米グアンタナモ基地ではブッシュ政権時代収容していたアフガニスタン侵攻やイラク戦争で捕虜としたアラブ人やアフガン人の捕虜に対する拷問、コーランを侮辱するなどの差別が行われていた。

 確かに実体験のノンフィクション化や映画化には手を加えられて誇張や創作が混じることがあるが、例えそれが「反日」を目的にしていたとしても、歴史の事実を「反日」か、「親日」かを基準に評価し、日本人に不都合な歴史を全て「反日」で一括りして基本の事実から目を背けた場合、歴史を見る目を歪めることになる。

 いわば基本の事実は確かに存在したこととして基本の事実としなければ、歴史から何も学ばないことになる。

 日本軍の虐待は敵捕虜に対してだけではなく、新兵に対するイジメも虐待に入る。当時一般兵の供給源は満足に食えない農村が主で、食えないゆえに軍隊に流れていく傾向が生じていた。赤紙で都市の住民が入隊してくると、特に上流の生活者の部類に入るインテリに対するイジメ=虐待は、多分、妬みが憎しみに変じてのことだろう、執拗を極めたという。

 そして日本軍は敗戦期を迎えると、海外の日本軍は、沖縄でもそうだったが、邦人保護の役目を放棄、部隊の維持のみを考えた撤退に終始したケースもあった。撤退部隊の中に民間人が混じっていたとしても、幼い子は撤退に支障があるからと母親に命じて殺させたりした。

 中国に進出していた日本軍の日本兵が民間人である中国人住民に対して暴虐の限りを尽くしたことを伝えている記事、《元日本兵が伝える戦場の現実 「命の限り、語り続ける」》asahi.com/2015年10月19日20時35分)がある。  

 「抵抗する住民は時にその場で殺し、家を焼いた。日本軍の通ったあとは焼け野原になった。それを中国のあちこちでやった」――

 例えここに誇張や創作が混じっていたとしても、歴史に於ける基本の事実は見逃してはならないはずだ。

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元体罰教師の馳浩、体罰の本質的な意味を理解するまでに成長していなければ、文科相の資格は失う

2015-10-24 11:07:48 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

     《10月24日(土)小沢一郎代表のテレビ出演のご案内》    
     
     ◆番組名:TOKYO MXテレビ『淳と隆の週刊リテラシー』
     ◆日 時:平成27年10月24日(土)午後5:00~5:55
     ◆番組詳細

 第3次安倍改造内閣で文科相として初入閣した元プロレスラーの馳浩が高校教師時代体罰教師であったことが話題となっている。ネット上でも色々と取り上げられている。

 最初に断っておくが、体罰とは一言で言うと、言葉による威嚇・身体的な若しくは物理的な威嚇を用いた自身の考え・価値観の一方的な強制である。

 元体罰教師であったとしても、心改めていたなら、それが事実であるなら、何も問題ではなくなる。大阪市長の橋下徹も過去に体罰容認発言を行っていたが、それを改め、体罰はいけないことだと宣言することで、過去の発言に免罪符を与えることに成功している。

 殺人を犯したとしても、刑務所で刑期を務めたなら、出所後の生き方が全てとなる。

 2015年10月9日付の「LITERA」記事が、保守論壇誌「正論」(産経新聞社)2008年6月号所収の馳浩とヤンキー先生こと義家弘介参議院議員とのそれぞれの教師時代を振返ってそれぞれが関わった体罰を述べた対談記事を紹介している。  

 義家弘介「生徒指導で大切なこと。これは一旦引いた線は絶対死守することに尽きる。

 いじめの指導で放課後4時間教室から(生徒を)出さなかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々言われました。(中略)口で『いじめはダメですよ』と説くのは誰でもできる。でもこれはそんな次元で済ましてはダメで態度で示す以外ない。教室の用具はボコボコになり、最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度といじめないことを誓ったので終わりにしましたけど、これは仲間内の教職員から散々に言われました」

 「教室の用具はボコボコになり」と言っているから、生徒が泣いて詫びたのは言葉を使った説得ではなく、自身の身体を使った説得――態度で示したということなのだろうか。いわば直接殴ったのではなくても、取調べの刑事が容疑者が座っている椅子を蹴飛ばしたり、二人の間の机を叩いたり、便所へも生かせず、眠らせもせず長時間取調べて自白を強要するように生徒が座っている椅子や机を蹴飛ばしたり叩いたりして、つまり教室の用具がボコボコになるまでして、ついに相手を泣かせて謝らせたということなのだろうか。

 これは明らかに言葉を使って相手を納得させるのではない、身体的・物理的な威嚇を用いて相手を恐怖させる強制そのものであって、教育という言葉で片付けることはできない。

 馳浩「私は朝7時前には必ず学校に行き、職員会議が始まるまでの時間を校門に立って口うるさくやりました。爪、スカートの丈、髪型など。私の場合は終始怒鳴らなくても済んだんですね。というのは私が教員になってすぐに五輪の代表に選ばれましたし、私の身体を見れば生徒は『馳は怒らせると怖い』と分かるのです。生徒は逆らったら怖いとビビっているから、むしろ『怒らせると怖いけれども、そうでなければ普通に話せる』と思わせるよう、授業の始まりにいろいろな話をして気をつかっていましたね。

 では殴ったことがなかったかと言えば、必ずしもそういうわけでもない。私は高校のレスリング部の監督を務め、石川県で強化委員会をやってましたけど、私の高校はそう強いチームではなかったのです。ですから一週間に一本ぐらいは竹刀が折れていましたよ。

 理由はハッキリしている。短期間でチームをまとめ、強くするには基礎体力をつける以外にない」

 朝7時前に出勤して、毎日校門に立ち、登校してくる生徒を出迎え、そして口うるさく指導した。但し終始怒鳴らなくても済んだのはがっしりした身体をよりいかつく見せ、その身体で問題生徒には強面を見せる、いわば暗黙の威嚇を用いた強制が功を奏していたと言うことなのだろう。

 教育と威嚇は決して両立しない価値観である。前者は言葉を武器とし、後者は言葉を無力としている、もしくは必要としていないことによって成り立つ、双方共に成り立たない相反する価値観として存在する。

 教師時代の義家も馳浩もそのことに気づいていなかった。教師でありながら気ついていないという逆説は教師としての失格を告げる証明以外の何ものでもない。

 だから、馳浩は自身が部活顧問をしていたレスリング部を強くするために短期間で部員の基礎体力をつけるために竹刀で叩く体罰を必要とすることになった。

 例えそのことをチームを強くするためだ何だと、どう正当化しようと、暗黙のであろうと、言葉や身体表現を取ったものであろうと、威嚇を使った強制としての体罰はそこに上の者が下の者を従わせ、下の者が上の者に従うだけの権威主義の力学が作用して、部員は部活顧問の指示を一旦自身の思考を濾過させた上で自身の考えでどう動くか、どう戦うかの技術を身につけていく自律的行動からではなく、それらの考えは全て馳浩に任せて、部員たちは何も考えずに馳浩の考え通りに動き、戦う他律的行動に終止することになる。

 つまり学校教育者でありながら、生徒自身の思考を奪う行為をしていた。

 だから、日本のアスリートはプロの世界に入ってからも、「考えるプレーをしろ、考えるプレーをしろ」と喧しく言われることになる。あるいはチームに対して「考える」をテーマに据えることになる。

 このような現象は生徒自身の思考を奪い、他者の思考に従属させる、いわば自分では考えないで済ませることができる権威主義的行動に慣らし、育てたことの裏返しであるはずである。

 要するに馳浩も義家弘介も教育者の資格もなく教師をしていた。

 馳浩が文科相に就任した10月13日の文科省での記者会見で高校教師時代の体罰について質問を受けているということだから、何日か前に文科省のサイトにアクセスしてみた。記者会見の映像は掲載されているが、テキスト版は「後日、アップロードします」と書いてあるのみで、そのうち掲載されるだろうと待っていたが、今日現在(10月24日)今以て掲載されていない。

 10月9日の義家弘介以下の副大臣の共同記者会見も、2週間も経過していながら、「後日、アップロードします」のままとなっている。体罰のことを広めたくないから、テキスト版を怠っているのではないかと疑いたくなる。

 仕方がないから、文字起こししてみた。なかなか調子のいい出だしをしている。 

 馳浩(にこにこして)「ハイ、おはようございます。座る椅子、決まってるの?いつもそこにいるじゃない。(記者の返事は聞き取れない。)ハイ、分かりました。ではよろしくお願い致します(深く頭を下げる。)

 昨日は10月11日(12日の間違い)、みなさんもスポーツに励んで頂きましたでしょうか。(ニコニコして)まあ、象徴的な1日でありますけれども、私もナショナルトレーニングセンターでスポーツ祭りに参加せせて頂きました。

 準備体操も参加させて頂きまして、バランスが悪くなったなあと、実感を致しました。国民、1億総活躍社会の中に於いてもね、健康とスポーツ、まさしく重要だなあということを実感したことでありまして。

 体育の日だけスポーツをすればいいってというわけではありませんで、特にこの記者クラブに於いてですね、ダンベルまで持ち込むわけにはいきませんが(記者たちが笑い声を上げる)、みなさんも少しはストレッチをしたりですね、ストレッチをしたり、深呼吸したりしながら、気持を新たにしながらですね、大臣に対する厳しい質問を考えたりして頂きたいと思いますが、冒頭はこんなところにしたいと思います。

 じゃあ、よろしくおねがいします」

 丁寧に頭を下げる。

 過去の体罰について一体どこの新聞社が聞くのかと思っていたら、大手ではなく「インディペンデント・ウェブ・ジャーナル(略称:IWJ」と言う名のインターネット報道メディアの佐伯という記者であった。

 名乗りまではどうにか聞き取れたが、質問内容までは聞き取れなかった。

 馳浩「体罰は絶対反対です。その『正論』ですか、多分それは全体を読めばお分かり頂けると思いますが、自戒・反省・謝罪を込めてですね、そのような発言をしたと思っています。

 昨日、教員時代、特に部活動、あるいは朝の登校、カバン見たら、カバンの中に何も入っていない高校生のカバンを取り上げてですね、『なんだこれは』、なかったとはいいません。それはもうやられた高校生はよく覚えていると思います。

 しかしそれはダメだ、そういうことを教職員してはいけない。特に身体の大きい声のこのようなデカイ私がですね、教員として、そのことをしたことの謝罪と反省を踏まえて、そのときに申し上げた意味に記憶していると。

 まあ、兎に角私も国語の教員でありましたので、国語の古典と漢文の授業を担当しておりましたので、文学作品、古典作品を読み解く授業をする。肝というのはエッセンスでありますから、そんなとき、先生が怖かったり、先生の大きな声にビビっていたりしたら、授業にならないんですね。

 そう言うことについては本当に配慮しながらですね、また部活動に於いても、本当はそういった態度というのは絶対してはいけないのですが、私が未熟であったばっかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことに本当に反省をしているという意味で、あのー、そのときに、あのー、多分発言をしたと記憶しております。

 改めてですね、あのとき、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪をしたいと思います。で、体罰はあってはならないし、してはいけませんし、そのどのような形に変えてでもね、例えばこうしますね、心の準備をしてくださいね(左手の平でテーブルを叩く。大して大きな音はしない)。

 教壇で教員が(再び叩きながら)こう叩く。(今度は背後の『文部科学省』とロゴを入れた壁一面のパネルを振返って叩く。記者たち笑い声を上げる。)パーンと感情に任せてやるだけで、高校生、特に小・中・高生はやっぱり萎縮して、本来の自らの気持を、先生に伝えようとする、その気持すら、なくなってしまうんですね。

 そのことについては改めて私も、反省と共に、謝罪と共にですね、そういうことは絶対してはいけない、そういう授業、あるいは生徒との日常の関わりでは、やはり子どもたちが教職員の魅力に、それを引いてね(「惹かれて」という意味か)、先生と話をしたくなる。授業で分からなかったことを質問したくなる。
 
 そういう教職員にならなくてはいけないと、改めて今ご質問を頂いて、そう思っておりますし、星陵高校の教員時代の授業に於いてはそのように常に気をつけていたつもりでありますが、部活動でそういったことがあったのは事実でありますが、改めて申し上げました」

 記者会見が終了する。

 暗黙の威嚇であったとしても、生徒が「萎縮して、本来の自らの気持を、先生に伝えようとする、その気持すら、なくなってしまう」、それは間違っていると言ってはいるが、体罰が教師と生徒の間に権威主義的な上下関係を構築していることによって可能とする言葉による威嚇・身体的な若しくは物理的な威嚇を用いて上の考え・上の価値観を下の者に押し付ける強制であり、その強制が下の者の思考・自律性を結果として奪って、他者の思考に従わせ、他律性を当り前とさせることを原理としていることに元学校教育者として気づいていなければ、生徒の萎縮は表面的な理解にとどまり、当然、日本の教育行政を引き受ける文科相を役目とする資格を失う。

 気づいていないことは、「星陵高校の教員時代の授業に於いてはそのように常に気をつけていたつもりでありますが、部活動でそういったことがあったのは事実でありますが、改めて申し上げました」と言っている言葉に現れている。

 授業で気づいていて気をつけていたなら、部活動でも気づいていることを実行しなければならないからだ。逆に部活動で自己の価値観を絶対として、その価値観を問答無用に押しつけるために竹刀で叩く体罰を行い、生徒自身の思考を奪っていたなら、授業でも怒鳴ったり、教壇を叩いたり、生徒の席に近づき、座っている椅子の脚を蹴飛ばしたりの威嚇を行って生徒たちの思考を奪っていた可能性を疑うことができる。

 しかし過去は過去である。但し文科相となっていながら、自身が体罰を行ったことのある元学校教師として体罰の何たるか、その本質的な意味を理解するまでになっていなければ、理解していないことは長々とした回りくどい弁明にも現れているが、教育者として成長していないことになって、文科相として致命的である。

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安倍晋三の「自衛隊応募者7倍の競争率」発言が映し出す恒常的な買い手市場の積極的入隊ばかりは誤情報発信

2015-10-23 08:57:21 | Weblog


 興味ある記事に出会った。《長期雇用の自衛官 今年度応募者が20%減》NHK NEWS WEB/2015年10月22日 6時48分)

 自衛隊には幹部自衛官以外に現場部隊の中核として長期間雇用される自衛官と2年から3年の任期で短期間雇用される自衛官の2つのタイプがあって、最も肝心な人材ということになるのだろう、前者の長期雇用の自衛官の今年8月から9月にかけた募集に対する応募者は昨年度の3万1145人から約20%落ち込んだと伝えている。

 記事は一方で内閣府の今年1月調査で自衛隊に良い印象を持つ国民が92%になっていると、そのギャップをも伝えている。

 この92%は昭和44年の調査開始以降最も高い数値だそうだ。

 なぜこの記事に興味を持ったかと言うと、安倍晋三が徴兵制が必要がないことの理由の一つとして「自衛隊に応募する方、実は7倍の競争率なんですね」と、自衛隊が隊員募集に関してさも恒常的な買い手市場にあり、そのような状況下での積極的入隊ばかり、いわば引く手あまたであるかのように言っていたからだ。

 但し今回の応募者減は2015年8月から9月にかけの応募に関してであって、安倍晋三の発言は自民党が圧勝した2015年7月21日投開票の参院選を前にした2015年7月6日夜、自民党のトーク番組『CafeSta』に出演の中でのことだったから、時間差はある。

 だが、同じ恒常的な買い手市場であっても、安倍晋三が応募者の中身をどのように認識していたのか――積極的入隊であったか否かの認識に関しては時間差は問題でなくなる。

 このことは最も肝心な人材と見られているはずの将来の自衛隊の現場部隊の中核を担う応募者が減ったことについての防衛省の理由に現れている。

 防衛省「民間企業の採用が増え、募集に影響したことが考えられる」

 この言葉を即座にそっくりと裏返すと、民間企業の採用が少ないとき、いわば不況のとき、自衛隊に対する応募が多くなるということになる。

 と言うことは、民間企業に就職できないないために生活費を得る必要上、仕方なく自衛隊に入隊するという消極的選択の応募者がかなり存在していたと考えることができる。

 それが2015年8月から9月にかけの募集では、全部が全部そうではないだろうが、少なくとも20%近くが消極的選択を免れることができて、本来の希望先である民間企業に就職できた。

 勿論、安倍晋三や中谷元がいくら否定してもリスクが伴わないはずはない、今後増えると予想される自衛隊の海外活動への忌避から民間企業を志向した者も少なくないだろうが、それでも尚、不況で民間企業の採用が少なければ、いくらリスクを忌避しても、次善の策として自衛官募集に応ぜざるを得ない消極選択を強いることになる。

 また例え好景気から企業の採用が多くなったとしても、希望の企業に就職できなくて、同じく次善の策としての消極的選択から自衛官に応募というケースも多々あるはずだ。

 「Wikipedia」によると、長期雇用の自衛官は一般曹候補生(いっぱんそうこうほせい)と言い、陸海空自衛隊に於いて将来、曹(下士官)になるために訓練される非任期制隊員たる士のことだと解説している。

 会社で言うと、中間職と言うことになるのだろうか。上からも突かれ、下からも何やかんやと言われながら、現場では先頭に立って部隊を指揮し、ときには敵部隊の前面に立たなければならない。当然、部下の命を直接預かることになり、最も精神的負担の大きい役割を与えられることになる。

 安倍晋三と中谷元が自衛隊を海外派遣してもリスクは高まらないと言っているから、そのことの証明も同時に担わなければならない。証明できなかったときの安倍晋三と中谷元に対する腹立たしさは想像に難くない。

 記事が2年から3年の任期で短期間雇用される自衛官とは、同じく「Wikipedia」によると、自衛官候補生(任期制隊員)略称「自候生」)と言い、陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊において平成22年度から採用される任期制隊員(2等陸・海・空士)のうち、教育期間中の身分を自衛官の定数外とし、任期制自衛官として任官された隊員の初任期は自衛官候補生の期間を含め陸は2年、海・空自衛隊は3年(2任期目以降は現行任期制隊員と同じく陸海空いずれも2年)となると解説している。

 任期途中で退官する自衛官も存在するだろうが、工場の期間工のように任期毎の採用と言うことなら、長期雇用の一般曹候補生と比べたなら、精神的にも立場上も遥かに責任は軽い。

 自衛隊の海外派遣が頻繁化し、なお且つ民間企業の採用が活発な状況にあったなら、任期制隊員の中からも任期切れを待って退官する自衛官が増えるかもしれない。自衛隊で何年間と激しい訓練に耐えてきた根性・精神力を“売り”にして。日本の企業は特に根性・精神力を“買い”の価値ある対象とする。そのことに便乗もできる。

 一般曹候補生の2015年8月から9月にかけの募集で昨年度の3万1145人から約20%落ち込んだ理由が防衛省が説明しているように民間企業の採用が増えたことにあるとしたら、恒常的な買い手市場であることに変わりはなくても、不景気の時代を過ごしてきたのだから、現在自衛官として勤務している内、積極的入隊者の中に相当数の消極的入隊者も混じっていることになる。

 応募者の中にも好景気に反して希望の企業に就職できずに消極的な選択としての応募ということもある。

 と言うことなら、安倍晋三は自衛隊最高指揮官として徴兵制が必要がないことの理由の一つとして「自衛隊に応募する方、実は7倍の競争率なんですね」と言っていたその「7倍」の難関を経て入隊した自衛官の全部が全部自衛隊でなければならないとした積極的入隊者ばかりではなく、20%かそこら、あるいは不況である程そのパーセンテージは増えることになるから、30~40%は不況で集まった消極的入隊者の可能性があると分析していなければならなかったはずだ。

 だが、恒常的な買い手市場での積極的入隊者ばかり、引く手あまたであるかのような情報を発言した。

 これは分析能力を欠き、自衛隊最高指揮官としてのその資格を疑わざるを得ない国民への誤情報の発信に当たる。

 当然、徴兵制の必要がないことの理由の一つと見ていることに関しても、消極的入隊者の自衛隊のリスクが増大した場合の退官の予想と考え併せると、極めて疑わしいことになる。 

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三原じゅん子は国会質問「八紘一宇」が支配と被支配を生み出す危険性を抱えていることに気づいていない

2015-10-22 10:52:56 | Weblog



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《10月21日 小沢一郎代表、「日韓親善友好の集い in Seoul」来賓者代表挨拶》    

     「韓両国が傲慢さや偏見を捨て、謙虚に誠意をもって」(日韓国交正常化50周年を記
     念して)

 ネット記事か何かで知ったのか、あるいはNHKの国会中継で知ったのか定かではなくなったが、自民党参議院議員の三原じゅん子が参議院の予算委員会で第2次世界大戦中の日本が中国,東南アジアへの侵略を正当化するためにスローガンとして用いた「八紘一宇」の言葉を持ち出して、言ってみればその理念で平等な社会を築くべきではないかといった質問をしていた。

 三原じゅん子は現在51歳だそうだが、戦後生まれの彼女が戦争のスローガンを亡霊のように持ち出したことに驚いたが、文字化する元気もなく、20日ぐらい経過したら国会会議録検索システムに記載されるだろうからとそのまま放置していたら、すっかり忘れてしまっていた。

 思い出させてくれたのはネットで他の情報を集めていたとき、偶然目に入った、《だから私は「八紘一宇」という言葉を使った》という題名の東洋経済オンライン記事である。

 そこで国会会議録検索システムにアクセスして2015年3月16日の参議院予算委員会質疑をダウンロードした。

 質問の趣旨は多国籍企業や富裕層が法人税や所得税等の優遇税制を設けているタックスヘイブン(租税回避地・ヘイブンは「避難所」の意だそうだ)に資産を移したり隠したりして不当な利益を得ていることで不平等な弱肉強食の世界をつくっている、こういった不平等世界を改める基本的理念が「八紘一宇」ではないのかというものである。

 このことに関連する三原じゅん子の質問の幾つかを取り上げてみる。

 三原じゅん子「今日、皆様方に御紹介したいのが、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。八紘一宇というのは、初代神武天皇が即位の折に、天の下覆いて家となさむとおっしゃったことに由来する言葉です。

     ・・・・・・・・・・・

 八紘一宇とは、世界が一家族のように睦み合うこと。一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強い者が弱い者のために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。

 現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族を虐げている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度ができたとき、初めて世界は平和になるということでございます。

 これは戦前に書かれたものでありますけれども、この八紘一宇という根本原理の中に現在のグローバル資本主義の中で日本がどう立ち振る舞うべきかというのが示されているのだと私は思えてならないんです」

 三原じゅん子「税のゆがみは国家のゆがみどころか世界のゆがみにつながっております。この八紘一宇の理念の下に世界が一つの家族のようにむつみ合い助け合えるように、そんな経済及び税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを安倍総理こそがイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思うんですが、いかがでしょうか」

 そして質問の最後に次の発言を行っている。

 三原じゅん子「八紘一宇という家族主義、これは世界に誇るべき日本のお国柄だと私は思っております。この精神を柱として、経済外交に限らず、我が国の外交、国際貢献、こういったもの、総理には力強く今後とも進めていただけますことを最後にお願いして、質問を終わらせていただきたいと思います」

 三原じゅん子は相当に「八紘一宇」にゾッコン惚れ込んでいるようだ。「八紘一宇」という言葉を思い出すだけで全身に快感の震えが走るのではないだろうか、

 三原じゅん子にとっての「八紘一宇」の理解は「世界が一家族のように睦み合うこと」であり、「八紘一宇」の「一宇」とは、「一番強い者が弱い者のために働いてやる」「一家の秩序」ということになっている。

 但し「一宇」という言葉から「一番強い者が弱い者のために働いてやる」「一家の秩序」を意味するのだといったことをどう導いたのか、不明である。最後に「八紘一宇」を家族主義と言い、日本の国柄としていることから、日本の家族は助け合いを精神として秩序を保っているとしていて、そこから導き出したのかもしれない。

 だが、すべての家族がそういった理想の姿を取っているわけではない。

 三原じゅん子のこの国会質問に幾つかのマスコミが戦時中のスローガンを持ち出したことを批判した。対してなのだろう、三原じゅん子はインタビューに答えて自己発言を正当化している。

 それが《だから私は「八紘一宇」という言葉を使った》東洋経済オンライン/2015年04月05日)と題した記事である。   

 三原じゅん子「そもそも『八紘一宇』の本来の意味は何なのでしょうか。この語源は、神武天皇が即位された際に作られたとされる「橿原建都の詔(みことのり)」に遡ります。
 『八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦可(またよ)からずや』

 つまりは『世界の隅々までも、一つの家族のように仲良く暮らしていける国にしていこうではないか』という建国の理念です。この詔を編入した日本書紀が完成したのは720年で、実に1300年以上も前に、国民を「おおみたから」と呼んで慈しみ、自分より他人を思いやる利他の精神、絆を大切にするこころや家族主義のルーツが記されていたのです」

 三原じゅん子「さらに『八紘一宇』は二・二六事件の『蹶起趣意書』にも記載されていたために、軍事クーデターの原因となったとみなされがちですが、この事件が勃発するきっかけになったのも、農村の貧困問題でした。特に東北で長年農業恐慌が続いたことに加え、1931年と1934年に大凶作が起こり、少女の身売りや欠食児童問題が深刻になりました。

 これらを見ると、多くの人々が困窮して国が疲弊している時こそ『八紘一宇』の重要性が叫ばれていたという歴史的事実が浮かび上がります。『八紘一宇』は混乱の時代にあって、人々を救済するスローガンだったと思うのです」――

 そこで多国籍企業や富裕層の跋扈を許していることで現代世界を形成している不平等な弱肉強食の世界を公正化する理念、いわば「世界の隅々までも、一つの家族のように仲良く暮らしていける」精神的力学足り得る理念として「八紘一宇」を持ち出したというわけである。

 言っていることは豪華なバスタブの香水風呂に首までゆったりと浸かってうっとりとした満足感に覆われているかのような理想主義にたっぷりと満ち満ちていて、夢のように素晴らしい。

 確かに「八紘」は「四方八方、全世界」を意味し、「一宇」の「宇」は軒、屋根の意であって、「一宇」は「屋根を同じくすること。一つの屋根の下に暮らすこと」の意となって、三原じゅん子が言うように「八紘一宇」は「世界の隅々までも、一つの家族のように仲良く暮らしていける国にする」意味であるとしても、日本開国の祖と言われている神武天皇が、神話上の人物とされていて、実在したのかどうかは分からないが、統治者の立場から発した言葉である以上、平等社会を装っているものの、国民を支配するための便宜(ある目的や必要なものにとって好都合なこと。便利がよいこと)として編み出し言葉だということである。

 もし実在しない神話上の人物であるなら、後の天皇が統治者としての正統性を自身に置くために考え出した神話と理念であり、やはり自身が日本を統治する者としての支配便宜化の目的で編み出した言葉ということになる。

 皮肉なことに歴代天皇は有力豪族によってその実権を奪われ、豪族たちの支配正統性の道具とされ、その名前だけが利用させる存在に成り下がっていた。明治に於いては薩長閥が、戦前は軍部が実権を握っていた。

 「八紘一宇」が天皇(実際には天皇を操って陰で実権を握っていた豪族)を統治者、あるいは支配者として上に置いた国民支配のための便宜的なロジックであり、そのことは戦前、日本国を支配国として「世界を一つにする」という意味を込めた侵略と植民地化によって現れ、その実現のための戦意高揚のスローガンに利用された歴史を抱えている以上、その歴史的経緯を無視して、「世界の隅々までも、一つの家族のように仲良く暮らしていける国にする」平等世界実現の理念だとの理解には無理がある。

 大体が「八紘一宇」には日本国統治者の地位に置いた天皇、あるいはアジアの盟主に置いた日本国という主語があった。いわば支配者が上の価値観で下の価値観を統一することで可能となった「全世界が一つの屋根の下に暮らす」とする、正義を装った支配の論理であった。

 支配の論理は支配側を常に正義とする。被支配側には正義を見ない。支配に従属して初めて被支配側の正義が認められる。

 三原じゅん子の「八紘一宇」にしても、例えそこに支配者や支配国を置かなくても、あるいはいくら平等社会を謳ったとしても、「世界の隅々までも、一つの家族のように仲良く暮らしていける国」にするために何らかの価値観で他の価値観を統一しない動きに出ない保証はどこにもない。

 価値観を統一しようする衝動を発した途端、そこに支配と被支配の関係が生じることになる。そして支配側の正義を被支配側に受入れさせようとする。

 三原じゅん子は歴史の経緯を無視して「八紘一宇」の正義を持ち出して平等社会実現の理念にしようとしたが、「八紘一宇」自体に支配と被支配の構造を生み出す危険性を抱えていることに気づかなければならない。

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