どうも防災先進国日本の国際緊急援助隊派遣は「生存限界」の72時間以内を問題外とした派遣に見える

2015-04-30 11:26:16 | 政治


 現地時間の2015年4月25日正午前(日本時間の午後3時過ぎ)、ネパール中部を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生、死者5266人に達したと今日30日朝のNHKテレビがニュースで報じていた。

 ネパールはアジアで最貧国の一つとされている。「Wikipedia」は、〈IMFの統計によると、2013年のネパールのGDPは193億ドル。一人当たりのGDPは693ドルであり、非常に低い水準である。 2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は2200万人と推定されており、国民の70%を超えている。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国に分類されている。〉と、ネパールという国と国民の貧しさを記述している。

 2011年ネパール人口2649万人のうち貧困層が2200万人。その貧しさを窺うことができる。

 当然、防災インフラ整備が殆ど進んでいないと見なければならない。地震を伝えるマスコミが、「耐震性を考慮していない建物が多い」と報じ、なお且つ「山岳地帯で地滑りも起きやすい」と自然災害に対して劣悪な状況下にあることを知らせていた。

 こういった劣悪な防災状況の中、海底を震源とするのではなく、陸地型で震源地が足下のマグニチュード7.8の大きな地震が発生した。地震発生と同時に倒壊した建物に多くの住人が下敷きとなり、多くの死者や多くの怪我人が出ることを、少なくとも予想しなければならない。

 家の倒壊に遭いながら、無事であった住人、あるいは家の倒壊を免れて無事であったとしても、巨大地震に対してかなり震度の大きい余震は付きものだから、一度は倒壊を免れたとしても、2度目、3度目の保証はないから、避難所として使う耐震性を備えた学校の体育館等の存在は最貧国であることことから期待できないことを考えると、無事であった住人は外に放り出され、外で暮らすことになる。

 こういった予想されうる被害状況、あるいは予想しなければならない被害状況から、被災者にとっての差し迫った必需品は食糧、外で暮らすためのテント、医薬品、昼間の気温は約25度前後だが、雨が降ると夜は10~12度前後に下がるというから、毛布やその他の暖房用具ということになる。

 インドは4月25日正午前の地震発生当日、25日夜から26日早朝にかけてネパールの被災者500人以上を空軍機でニューデリーに運び、多分並行してのことだろう、個別に行うことは考えられないから、日付は4月26日となっているが、26日早朝からだと思うが、航空機10機で飲料水や食料などを空輸すると共に陸軍の医療チームやインフラ復旧の工兵部隊、救助隊を首都カトマンズに派遣して、倒壊した建物の下に閉じ込められている住人の捜索と救助活動を開始している。

 インドが捜索と救助活動に迅速に取り掛かることができた事情はインドがネパールの隣国であるという地理的な近さもあるが、地理的な遠近は誰も変えることができない要件なのだから、国際的支援に関しては距離を問題とするのではなく、捜索と救助活動に向けた本国出立等の行動の開始時間自体が問題となる。

 行動の開始時間を問題とする理由は倒壊建物等に生き埋め状態になった場合、生存率が一挙に下がる72時間(3日間)が「生存限界」とされていることから、捜索と救助活動開始は可能な限り72時間(3日間)以内を目指す時間との戦いを負うことになるからだ。

 と言うことは、被災地が遠い距離にある程、迅速な捜索と救助活動開始を可能とするためには行動の開始自体を早くしなければならないことになる。

 インドは地震発生の当日夜から行動を開始した。

 生存に関わる緊急性を必要とする活動以外の瓦礫の撤去、あるいはインフラ再建、重症ではない怪我人に対する医療活動、食糧支援等はさして時間との戦いを強いられるわけではないから、海外からの支援活動の開始時間は1日2日の余裕を持たせることはできる。

 中国も行動の開始が早かった。地震発生翌日の4月26日早朝、捜索・救助隊員のほか、医療関係者、地震専門家ら計62人、6頭の捜索犬を伴った国際救援隊が北京を発って被災地に向かい、同4月26日夕方に現地に到着、捜索や救助活動を開始した。

 日本政府はネパール政府の要請に基づいて国際緊急援助隊救助チームを派遣することを決定、その派遣をJICAに依頼し、団長(外務省)、副団長(警察庁、総務省消防庁、海上保安庁、JICAから各1名)、救急救助要員44名、救助犬ハンドラー5名、通信隊員2名、医療関係者5名、構造評価専門家2名、業務調整員7名の計70名の構成要員で、4月26日午後5時50分過ぎ、チャーター機で成田空港を出発。タイのバンコクを経由してカトマンズ到着は日本時間4月27日午後3時40分の予定。

 ところが現地の空港が混み合って、着陸許可が下りなかったために一旦インドのコルカタに引き返すことになった。

 このこと自体は不測の事態ゆえに仕方のないことだが、行動の開始自体を見ると、インドの4月25日正午前地震発生翌日4月26日早朝の被災地救援に向けた空軍機の出立、さらに中国の地震発生翌日の4月26日早朝の国際救援隊の北京出立と比べて、日本は成田出立は4月26日午後5時50分過ぎと、10時間前後の差がついていることになる。

 防災先進国を自ら任じる日本が生存率が一挙に下がる「生存限界」とされる72時間(3日間)の時間との戦いに加わらないとしているなら、何ら問題はない。

 但し日本の政治家は「国民の生命・財産を守る」などと言う資格を失う。他国民の生命・財産を思い遣らない自国民の生命・財産は如何わしい限りとなる。

 アメリカは中国や北朝鮮国民の生命・財産を思い遣るから、中国や北朝鮮の人権状況にモノ申すはずだ。だが、日本政府は殆ど批判することをしない。

 防衛省は被災状況や支援ニーズを把握するために調査チーム3人をJICAの国際緊急援助隊救助チームに同行させた。
 
 「アジアの最貧国の一つ」、「耐震性を考慮していない建物が多い」、「山岳地帯で地滑りが起きやすい」、「防災後進国」といったキーワードで調査チームを派遣せずとも被災状況と支援ニーズを把握できる想像力を持たないらしい。

 大体が被災国の国情に応じた地震の大きさのみで、支援ニーズは把握できるはずだ。食糧、水、医薬品、防寒用具、重機等々、定番化している。

 だが、被災状況や支援ニーズを把握するために調査チームを派遣した。

 調査チームの報告を受けてのことか、中谷防衛相が医療援助チーム約110人と空輸部隊約160人で構成の270人の自衛隊部隊を国際緊急援助隊として約派遣する方針を決め、27日夜、自衛隊に対して派遣を伝えた。

 翌4月28日、日本政府は270人を国際緊急援助隊として同国に派遣すると発表、第1陣の部隊21人が同4月28日深夜に首都カトマンズに向けて日本を出発。

 第1陣21人は4月29日深夜(日本時間30日未明)、首都カトマンズに到着。

 「医療援助」だから、倒壊した建物に閉じ込められた住人の人命救助活動そのものには関わらないと言うことなのだろう。「生存限界」とされる72時間(3日間)が過ぎていても、何ら問題はない。

 どうも日本政府は防災先進国を自ら任じながら、自然災害を受けた外国への国際緊急援助隊派遣は生存率が一挙に下がる「生存限界」とされる72時間(3日間)の時間との戦いを問題外とした派遣に見える。

 そんなこと関係ねぇ、関係ねぇったら、関係ねぇ、オッパピーとばかりに。

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安倍晋三のホロコースト記念館訪問、「悲劇も善意の勇気も風化させず記憶にとどめ」の見事な歴史修正の演出

2015-04-29 06:45:02 | Weblog




      「生活の党と山本太郎となかまた ち」

       《4月28日 新日米防衛指針等について(談話) 小沢一郎代表》

      《ネパールにおける巨大震災を受けて(談話)  小沢一郎代表》    

 安倍晋三が訪米した。日本時間4月28日朝早く、オバマ大統領に案内されてエイブラハム・リンカーン記念館を訪れたという。

 オバマ大統領はなぜリンカーン記念館に安倍晋三を案内したのだろう。その意味は?

 リンカーンは奴隷解放の父と呼ばれている。いわば人種平等主義者に当たる。

 安倍晋三は天皇なるものを熱烈に信仰する熱烈な天皇主義者である。天皇は日本民族優越性を証明する象徴的存在となっている。「万世一系」、あるいは「男系」、「2600年の歴史」という名によってその優越性を担保している。

 当然、安倍晋三は他民族、特にアジア人種やアフリカの黒人種等を差別とは言わずとも、人種的に日本民族の下に見ている。他民族を下に見ることによって、自民族の優越性を成り立たせることが可能となる。

 安倍晋三の日本の戦前国家――大日本帝国肯定も日本民族優越主義に基づいている。

 オバマ大統領は安倍晋三が日本民族優越主義を血としていることを知っていて、人種平等の大切さを訴えるためにリンカーン記念館に案内したのだろうか。

 その後、安倍晋三は訪米の度にそうするようにワシントン郊外のアーリントン国立墓地を訪れて、例の如く献花を行った。アーリントン国立墓地は南北戦争の戦死者に始まって、その後のアメリカの戦争の戦死者を祀っている。

 安倍晋三はこの戦死者を祀っている点に於いて靖国神社と同列の施設とすることで、そこを訪れることに何の問題もないことを以って靖国神社参拝が何の問題もない単に戦死者を追悼しているに過ぎないとする正当性の付与に利用している。

 しかし靖国神社参拝は「お国のために戦い、尊い命を捧げた」と戦死者を称揚することで、戦い、命を捧げる対象としたお国――戦前日本国家をも称揚しているのである。

 「よくぞお国のために戦った」と言うとき、その「お国」を称揚していないということがあるだろうか。

 アメリカ人がアーリントン国立墓地を訪れて「お国のために戦い、尊い命を捧げた」と戦死者を称揚し、その称揚を通して歴史上のいずれのアメリカ国家をも称揚しようとも、何の問題もないはずである。

 奴隷制度はアメリカの歴史の暗部を成すが、南北戦争は奴隷解放の戦争であり、アメリカは独裁国家の歴史を持たない。

 だが、日本の戦前の国家は天皇独裁の形式を取り、その形式を利用した政府もしくは軍部独裁の国家であった。そのような国家を安倍晋三たちは称揚する。

 当然、アーリントン墓地と靖国神社を同列の施設とすることはできないし、それぞれの参拝を同列に置くことはできない。

 その後安倍晋三はナチス・ドイツがユダヤ人を大量虐殺した資料を展示している「ホロコースト記念館」を訪れて、そこで第2次世界大戦中、リトアニアの日本領事館に勤務していた外交官の杉原千畝が発給したビザによって命を救われたユダヤ人と面会したとマスコミは伝えている。

 「ホロコースト記念館」視察後、待ち構えていたのだろう、記者団に発言している。

 安倍晋三「悲劇も善意の勇気も風化させず記憶にとどめ、日本としても、世界の平和と安定のために、より積極的に貢献しなければならないとの決意を新たにした」(NHK NEWS WEB

 発言も含めて、なかなか小憎らしい見事な歴史の演出である。

 今年は戦後70年の節目の年である。第2次世界大戦の戦勝国はそれぞれ記念行事を行う。日本は敗戦国であって、記念行事はない。その70年の節目の年に自由の国アメリカを訪れて、一国の首相として「ホロコースト記念館」に足を伸ばしたということはマスメディアを通してナチス・ドイツという戦前のドイツの“悪の歴史”を改めて世界に提示したことになる。

 一方、安倍晋三はナチス・ドイツが虐殺の対象としたユダヤ人のうち、日本人杉原千畝がその虐殺から救ったユダヤ人の一人と面会することで、戦前日本の“善の歴史”を提示した。

 それ以外に戦前日本の歴史は一切提示していない。

 当然、記者団に語った「悲劇も善意の勇気も」の「悲劇」はナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺=戦前ドイツの“悪の歴史”を指し、「善意の勇気」は杉原千畝の善行=戦前日本の“善の歴史”を指す。

 そのl両者を「風化させず記憶にとどめよう」と言ったのである。

 日本の戦前の侵略戦争や植民地主義、天皇独裁の名を借りた軍部独裁等々を「風化させず記憶にとどめよう」と言ったわけではない。これらを抜きにしていたのだから、アメリカを訪れて「ホロコースト記念館」に足を運び、杉原千畝が助けたユダヤ人と面会することで歴史修正主義者の名に恥じない歴史修正を見事に演出したのである。

 しかも戦前日本の“悪の歴史”を遙か歴史の彼方に遠ざけ、透明化しようとして、「世界の平和と安定のために、より積極的に貢献する」という口実で目を前に向けさせる演出まで施している。

 安倍晋三はこれら歴史修正を巧妙に施した前日、4月27日午前(日本時間4月27日夜)、米ボストン郊外のハーバード大ケネディスクールで講演したあとで慰安婦問題に関して学生から質問を受けている。

 安倍晋三「人身売買の筆舌に尽くしがたい思いをされた方のことを思うと今でも胸が痛む。この思いは歴代の首相と変わりはない。

 この問題を巡り謝罪と反省を示した河野官房長官談話を継承するということは今まで何回か申し上げてきた。日本は、これまで慰安婦の方々の現実的救済の観点からさまざまな努力を積み上げてきた」(NHK NEWS WEB

 各国の様々な元慰安婦が証言しているのは、従軍慰安婦とされたその多くが日本軍による暴力的拉致と変わらない強制連行を手段とした軍慰安所への強制監禁とそこでの強制売春であるにも関わらず、安倍晋三は「人身売買の犠牲」だと、売春業者に罪をなすりつけて日本軍を無罪とする狡猾な狡賢い歴史修正をここでも施している。

 当然、「河野官房長官談話を継承する」も歴史修正に彩られていいなければ、発言の整合性を失うことになる。
 
 2012年9月12日、自民党総裁選挙立候補表明演説。

 安倍晋三「河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込み女性を人浚いのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」

 これが安倍晋三の「河野談話」に関わるホンネ――歴史認識上のホンネであって、「継承」は歴史修正主義者ではないことを装う偽りの歴史修正に過ぎない。

 「河野談話」の「継承」だけではない。「村山談話」の「継承」にしても、偽りの歴史修正であることを証明することになる発言を行っている。

 2012年12月26日産経新聞インタビュー。 

 安倍晋三「自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ」

 かくこのように安倍晋三は歴史修正を精神に根付かせ、精神そのものとしている。

 アメリカのマスメディアが安倍晋三の訪米に当って、その歴史認識に懸念を示し、批判している。戦後70年の節目の年ということだけではなく、アメリカマスメディアの安倍晋三に対する人物観も念頭に置いた訪米に於ける歴史修正の演出でもあるに違いない。

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安倍晋三の広島土砂災害時ゴルフはやはり人命軽視だったことを4月25日放送「報道特集」が証明

2015-04-28 10:33:43 | 政治


 4月25日放送、TBS「報道特集」 が入手した昨年2014年8月20日発生の広島土砂災害時の広島県警無線交信記録を元に一コーナーを設けている。ネット上の動画から、文字に起こしてみた。  

 TBS番組のHPには、〈去年夏に74人の命を奪った広島の土砂災害。JNNは広島県警の無線交信記録を入手した。記録的な豪雨で次々と土砂に飲み込まれる住宅。住民は救助を要請するが、警察や消防はあふれる水に阻まれ、現場にたどりつけない。広島土砂災害の過酷な現実を警察無線の交信記録から明らかにする。〉との案内が載っている。

 主に無線記録と各当事者の発言を取り上げてみる。無線の発着はほぼ時系列通りになっているが、なっていない一部は時系列に直した箇所もある。

 広島県警本部通信司令部では大家律子警部補が司令無線を担当していたという。ゆえに県警本部発着の無線の女性の声は全て大谷律子警部補の声ということになる。 
 
 住民からの通報が相次いだのは1時間に100ミリを超える猛烈な雨が降った午前3時頃から。

 県警本部(午前3:21)

 「道路が冠水しており、車両内に水が入った状況

 現在、ドア付近まで冠水

 社内から退避するよう指示済み

 司令大屋 どうぞ」

 大家律子警部補「3時過ぎから一辺に110番の着信音が鳴り響き出して、もう全く途切れることはありませんでした。当時の勤務員が全員で対応に当たったのですけど、入電してくる数が物凄くて、全てに対応し切れない状況でした」

 災害に関する110番通報は午前4時からの1時間で100件を超えたとナレーション。画面には115件の字幕。県警本部の110番回線が全て埋まり、待機状況を告げるプルッ、プルッという待機音まで鳴り出していて、広島県警が初めて経験した状況だったという。

 消防署も同様の混乱状態にあったとしている。

 県警本部(時間は出ていない)

 「119に架電するも、つながらない状況

 平番号253 司令大屋 どうぞ」

 大家律子警部補「当初は何が起きているか分からなかったんですけども、本当に次々と110番が入電してくることで、今まで経験したことがないような、本当に甚大な災害が起きているということは思いました」

 番組は入手した警察無線を全て文字に起こして時間帯別に多く使われている言葉を抽出、その通報傾向から緊急状況の切迫化への推移を割り出している。

 午前3時台

 「増水」 「氾濫」(大雨に関する言葉)

 午前4時台 

 「土砂崩れ」 「土石流」(土砂災害に関する言葉)

 午前5時台

 「人命」 「危険」 「倒壊」(人命の危険に関わる言葉)

 道路が大雨によって排水機能が麻痺、道路冠水に至り、川の氾濫や山からの鉄砲水を受けてのことだろう、濁流化によって交通不能となり、救助活動が殆どできなくなっていく。

 現場警察官(午前3:30)

 「現場へ向かう途中 己斐(こい)峠の山を超えた付近、土砂崩れ起きています

 道路を塞いでおります なお、現在の当車の位置です

 完全に車が通行できない状況になっております」

 県警本部(午前3:30)

 「広島本部 了解

 全止め状態 これでよろしいのか? どうぞ」

 現場警察官(午前3:30)

 「その通り 当車の現在の位置の道路 上り下り 全止め どうぞ」

 8分後
 
 現場警察官(午前3:38)

 「道路が100メートル程度、土砂およびがれきにより封鎖状態です

 なお、山水(やまみず)が流れ出しており、今後も危険な状況です どうぞ」

 西警察署(午前3:38)

 「西了解 なお、西83(パトカー)にあっては安全な場所まで退避されたい どうぞ」

 県警本部(午前4:17)

 「当車が通っている道路、これは土手道路になると思われますが、これ以外に左右の平地、これ全て水没しております

 車両または徒歩にて現場、これは非常に危険な状態と思われます

 市もしくは安佐南区の町内放送で自主的に非難するよう指示

 これ以外に現場に向かうことは非常に危険 このように判断します どうぞ」

 大家律子警部補「どうしても無線ですので、直接現場を見ているわけではありませんので、どんな司令をすれば、いいのかと。

 住民の方を助けて、現場に向かう警察官が災害に巻き込まれないためにどういう司令をすればいいのか、それをずっと考えながら、司令をしていました」

 午前5時過ぎ、無線交信の内容がさらに緊迫度を増し、41人が犠牲となった安佐南区八木3丁目からの通報が集中。

 県警本部(午前5:12)

 「広島本部から安佐南区へ 一方的に司令

 場所八木3丁目 同家の住人が自室の屋根に上がり、何か叫んでいる状況」

 「一方的司令」とは通常の無線の遣り取りができない場合の本部からの一方的な発信を言う言葉だと番組が解説。

 県警本部(午前5:17)

 「八木3丁(目)の関係ですが、本件にあっては胸まで浸水あり、非常に危険な状態です

 本件にあっては近づけません 

 なお八木3丁目付近の急訴あっても、全く近づけないものと考えておいてください どうぞ」

 県警本部(午前5:21)

 「人命が危険に及んでいる事案

 土砂崩れ 場所 緑井7丁目

 約30分前に土石流様の土砂崩れが発生

 家ごと流されている家あり

 生き埋めの可能性もあるとの通報

 マル通(通報者)はマル目(もく)(目撃者)の付近の住人」

 県警本部(午前5:27)

 「広島本部から安佐西へ一方的に司令

 人命に危険が及んでいる事案 司令番号419

 場所 八木3丁目

 現在同家の1階が倒壊しそうな状況で、自宅が既に半分倒壊している状況

 現在も鉄砲水が流れており、同自宅には母親がおり、脱出が不可能な状況」

 県警本部(午前5:29)

 「場所、八木3丁目34の1 県営緑丘住宅付近 同付近が現在土砂崩れをしている状況」

 県警本部(午前5:37)

 「広島本部から安佐南へ一方的に司令

 場所八木3丁目、土砂崩れており、自宅等へ土砂が流れ込んでいる状況」

 大家律子警部補「あのとき本当に110番通報というのは住民の方たちの警察に何とか助けてほしいという本当に必死の電話だったと思うんです。現場の警察官も混乱を極めている状況でしたし、警察官も本当に行きたいけれど、行くことができない・・・・」

 大家律子警部補「あのときどうすればよかったんだろう、どうやったら一人でも多くの人を助けて、不安を取り消すことができただろうかと、今でも考えます」

 番組は当時救助に関わった多くの警察官がどうすればよかったのかと自問自答を続け、そこから抜け出れない姿を伝えている。

 誰もが考えていることだが、人間は大自然災害には無力なのだから、それが発生する前に避難する以外に最善策がないことを痛感している。広島市が適切に避難勧告も避難指示も出さなっかことが影響した警察や消防の混乱であり、無力であったことを今では悟っている。

 番組は最初の110番通報が午前3時21分であったのに対してツイッター等のSNSでは午前1時台に災害の前触れを知らせる投稿があったことを伝えている。

 01:08

 「ガチ音がヤバそうw 地鳴りが凄い」

 02:50

 「川を石がゴロゴロ転がるときみたいな音がずっとしている」

 「土の臭がする」という、土砂災害時の現象の一つを伝えるツイッターも映像で紹介している。

 既に市に災害専用のツイッター等を登録、市民からの投稿を災害発生に備える動きが出ている。

 番組は午前5時台になると、警察無線が人命に危機が切迫している状況を如実に映し出していた。

 安倍晋三は広島土砂災害が発生、74人が死亡した2014年8月20日当日、夏休み中の山梨県鳴沢村の別荘を警察無線記録が危機的状況を映し出していた午前5時台から約2時間後の午前7時22分に出発、8時26分に富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」に到着、それからゴルフを楽しんでいる。

 政府が首相官邸危機管理センターに情報連絡室を設置し、情報収集に当たったのは8月20日4時0分。

 広島の現場で午前5時台に既に人命の危機が発生している状況より1時間早い迅速な立ち上げであるが、首相官邸危機管理センターは24時間体制なのだから、当然の動きであろう。

 情報連絡室が自らの役目としている情報収集にはリアルタイムに現場の災害状況を刻々と伝えてその進捗状況を映し出す広島県警の110番通報及び広島市消防局の119番通報も含んでいるはずだし、含んでいなければならない。

 もし含んでいなければ、「危機管理センター」とか、「情報連絡」の名前に反し、首相官邸の危機管理、もしくは情報処理に不備・欠陥が存在することになる。

 当然、県警と消防局の通報状況の把握は情報招集の絶対要件となる。

 広島市消防局には8月20日午前4時過ぎ頃から土砂崩れと住宅が埋まって行方不明者が出たという通報が相次いで寄せられ、午前5時15分頃 、午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち1人が午前5時15分頃心肺停止の状態で発見されたと発表したとマスコミは伝えている。

 人命に関わる危機的状況が現実の姿を表した第一歩でもある。

 110番通報及び119番通報の状況、更に消防当局のマスコミ発表等の情報は入手して、「国民の生命・財産」を預かる安倍晋三に昼夜別なく報告を入れなければ、「国民の生命・財産」を預かっていることにはならない。

 だが、安倍晋三は現場の情報如何に関係なしにゴルフのプレーに取り掛かった。

 古屋防災担当相「最終的に死亡者が出た8時37分とか8分に総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてます」

 要するに死亡者が出るまで安倍晋三への報告を待ったと言うことなのだろうか。それとも「国民の生命と財産を守る最終責任者」であることを第一に考えて、警察や消防の無線記録が描き出す様々な状況から午後5時台には人命の犠牲を伴う甚大な災害発生を予測して収集した情報を首相に刻々と報告していたにも関わらず、安倍晋三が死亡者が出たら官邸に戻るとでも言ったのだろうか。

 安倍晋三は午前9時19分にゴルフ場を離れて別荘に向かい、午前10時59分に官邸に戻っている。

 但し8月20日午後5時54分、公邸を発って再び別荘に戻っている。官邸関係者は「資料などを取りに行くためで、休暇を切り上げることは既に決めていた」と説明したが、実際には葛西敬之JR東海名誉会長と別荘で食事を摂ってから、東京に戻っている。

 資料取りに戻るだけなら、秘書官なりに任せるのが国民の生命と財産を守る最終責任者としての配慮としなければならない。だが、資料を取りに行くは口実で、葛西敬之JR東海名誉会長と別荘で食事を摂るのが目的であった。

 安倍晋三が再び別荘に向かうべく公邸を発つ午後5時54分を26分遡る午後5時28分の発信時間で、「NHK NEWS WEB」が警察の発表として、「32人死亡9人不明」を伝えている。

 官邸情報連絡室は警察発表よりも前にその情報を把握していなければならない。警察が前以て官邸情報連絡室に報告を入れるだろうからである。
 
 4月25日放送のTBS「報道特集」 が改めて安倍晋三の広島土砂災害時のゴルフが人命軽視だったことを証明、暴露することになった。

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安倍晋三の拉致解決手法、同じ言葉を繰返し言うだけなら、録音して渡せば、済むことではないのか

2015-04-27 08:09:49 | 政治


 4月26日午後、拉致被害者家族会や支援団体「救う会」が主催する「国民大集会」が安倍晋三出席のもと、東京都千代田区の日比谷公会堂で開かれ、主催者発表で1800人が参加したという。

 安倍晋三「大切なことは『拉致問題を解決しなければ、北朝鮮が未来を描いていくことはできない』ということを、北朝鮮にしっかりと理解させていくことだ。ご家族と被害者の方々が抱き合う日が訪れるまで私の使命は終わらない。『対話と圧力』『行動対行動』の原則を貫き、引き続き全力を尽くす」(NHK NEWS WEB/2015年4月26日 17時42分)

 2015年3月20日、参議院予算委員会外交・安全保障集中審議。

 中原自民党副幹事長「国際社会で北朝鮮の人権侵害問題に注目が集まれば拉致問題への関心も高まる。北朝鮮が拉致問題を解決しないかぎり、国際圧力は続くということを理解させるべきだ」

 安倍晋三「すべての拉致被害者のご家族がご親族をその手で抱きしめる日がやってくるまで、われわれの使命は終わらない。国際的にも拉致問題に対する理解が深まるなかで、この問題を解決しなければ、北朝鮮の未来を描くことはできないという認識に北朝鮮側が立つよう強く求めていく。北朝鮮の特別調査委員会が正直かつ迅速に調査結果を日本側に報告するよう強く求めていく」(NHK NEWS WEB/2015年3月20日 12時50分)

 2015年4月4日、安倍晋三は拉致被害者家族と首相官邸で面会している。

 安倍晋三「大切なことは、拉致問題を解決しないと、北朝鮮は未来を描くことが困難だと認識させることです。すべての拉致被害者が再び日本の地を踏むことができるよう全力を尽くしたいと思います。

 拉致問題が解決しない限り我々の使命は終わらない。家族も被害者も高齢化しており、一刻の猶予もゆるさないとの認識のもと交渉していきたいと思います」(救う会全国協議会) 

 言っていることは全て同じである。違いがあるとしたら、単に言葉の後先のみである。

 昨年2014年10月28日・29日の両日、安倍政権は北朝鮮が拉致問題の調査を約束しながら報告が遅れていることに関して北朝鮮側に拉致解決が最重要課題であることを伝えるために日本政府代表団を北朝鮮に派遣、ピョンヤンで日朝政府間協議を開催することになった。

 この派遣について安倍晋三は10月22日、首相官邸でのぶら下がりの対記者発言を行っている。

 安倍晋三「今回の派遣は、特別調査委員会の責任ある立場の人に対して、われわれは拉致問題を最重要課題として考える、拉致問題の解決が最優先であるということをしっかりと伝えるために派遣すること、それが目的です。まさに調査をする責任者に私たちの一番大切な目的は何かということをしっかりと伝えなければならないということです。そして、この調査に直接関わる方々、責任者から進捗状況について話をしっかり聞く。そして先方に対して、正直に誠実に対応しなければならないということを先方に、責任者に伝えることが今回の派遣の目的です。
 
 そして、我々はこの(派遣の)決断をするに際して、私は基本的に拉致問題を解決するためにはしっかりと北朝鮮に圧力をかけて、この問題を解決しなければ北朝鮮の将来はないと、そう考えるようにしなければならないと、ずっと主張し、それを主導してきました。その上において対話を行っていく。まさにその上において今対話がスタートしたわけです。北朝鮮が『拉致問題は解決済み』と、こう言ってきた主張を変えさせ、その重い扉をやっと開けることができました」(産経ニュース

 「北朝鮮の将来はない」から「北朝鮮の未来はない」に変わっただけで、言っていることは同じである。
 
 2012年12月26日首相就任前の2012年8月30日にフジテレビ「知りたがり」に生出演。

 安倍晋三「金正恩氏はですね、金正日と何が違うか。それは5人生存、8人死亡と、こういう判断ですね、こういう判断をしたのは金正日ですが、金正恩氏の判断ではないですね。

 あれは間違いです、ウソをついていましたといっても、その判断をしたのは本人ではない。あるいは拉致作戦には金正恩氏は関わっていませんでした。

 しかしそうは言っても、お父さんがやっていたことを否定しなければいけない。普通であればですね、(日朝が)普通に対話していたって、これは(父親の5人生存/8人死亡発言を)否定しない。

 ですから、今の現状を守ることはできません。こうやって日本が要求している拉致の問題について答を出さなければ、あなたの政権、あなたの国は崩壊しますよ。

 そこで思い切って大きな決断をしようという方向に促していく必要がありますね。そのためにはやっぱり圧力しかないんですね」

 「こうやって日本が要求している拉致の問題について答を出さなければ、あなたの政権、あなたの国は崩壊しますよ」と言っていることは、言葉の使い方の違いはあっても、「北朝鮮の将来はない」「北朝鮮の未来はない」と同じ意味を成し、言っていることは何も変わらない。

 2012年9月12日に自民党総裁選への出馬表明後の2012年9月17日の「MSN産経」のインタビュー。

 安倍晋三「金総書記は『5人生存』と共に『8人死亡』という判断も同時にした。この決定を覆すには相当の決断が必要となる。日本側の要求を受け入れなければ、やっていけないとの判断をするように持っていかなければいけない。だから、圧力以外にとる道はない。

 金正恩第1書記はこの問題に関わっていない。そこは前政権とは違う。自分の父親がやったことを覆さないとならないので、簡単ではないが、現状維持はできないというメッセージを発し圧力をかけ、彼に思い切った判断をさせることだ。

 つまり、北朝鮮を崩壊に導くリーダーになるのか。それとも北朝鮮を救う偉大な指導者になるのか。彼に迫っていくことが求められている。前政権よりハードルは低くなっている。チャンスが回ってくる可能性はあると思っている」――

 「日本側の要求を受け入れなければ、やっていけないとの判断」とは、「国としてやっていけない」という意味であり、「北朝鮮を崩壊に導くリーダーになるのか。それとも北朝鮮を救う偉大な指導者になるのか」にしても、表現は違っても、「北朝鮮の将来はない」、あるいは「北朝鮮の未来はない」と同じ意味を持たせた言葉に過ぎない。

 安倍晋三は拉致解決について被疑者家族会の集会や記者会見、あるいはテレビ出演で、さらに国会答弁で、同じ意味の言葉を繰返し言うのみで、金正恩に対して一向に「北朝鮮の将来はない」「北朝鮮の未来はない」と認識させることができないでいる。

 あるいは金正恩に対して一向に「北朝鮮の将来はない」「北朝鮮の未来はない」と認識させることができないままに拉致解決について被疑者家族会の集会や記者会見、あるいはテレビ出演で、さらに国会答弁で、同じ意味の言葉を繰返すことに終始している。

 安倍晋三が4月20日にBSフジ『プライムニュース』に出演して、「安倍晋三戦後70年談話」について発言している。

 安倍晋三「いわば村山総理は村山総理として書かれたわけで、それは閣議決定しているが、小泉総理は小泉総理として書いた。しかし小泉総理のときは村山談話を下敷きにしているという感じはある。

 私の場合はそうではなくて、まさに安倍政権として、総理大臣である私としてどう考えているのか、日本の過去、そして、まあ、過去に於いて先の大戦に対する反省、その反省を元にした今後の平和国家としての歩み。そしてこれからも地域や世界のために貢献していくという決意、70年、80年、90年、100年に向けて日本はどういう国になっていくのか、世界をどういう世界にしていこうと思っているのかと言うことを発信していきたい。

 そういう文脈で考えているわけですから、そこに用いる用語を同じ単語を使うかどうかということは私は殆どですね。

 私の考え方はどのように伝わっていくかどうかということが大切なんだろうと思います。同じ言葉を入れるんであれば、談話を出す必要はないんじゃないですか」  

 反町司会者「菅官房長官がおっしゃってたけど、同じものを出すんだったら、出す必要ないとおっしゃってた」

 安倍晋三「コピーして渡せば、名前だけ変えればいいんだという話になりますよ」・・・・・・・・

 「安倍談話」が「村山談話」と「同じ言葉なら、談話を出す必要はない。コピーして渡せば、名前だけ変えればいい」と言うことなら、自身が唱えている拉致解決の手法についても同じ言葉を繰返し言うだけのことになっているのだから、録音して渡せば、済むことではないのか。

 そうすれば集会に顔を出さなくてもいいし、テレビに出演しなくてもいいし、わざわざ記者を回りに集めてぶら下がりを行わなくてもいいし、何なら国会答弁も録音したテープなり、CDなりを再生すれば、何しろ同じことを言うだけのことだから、安倍晋三のムダな労力を省くことができる。

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麻生太郎の4月3日会見、中国人女性記者への大人気ない態度は中国なるものに対する欲求不満が原因か

2015-04-26 09:37:13 | 政治


 あまり話題にならなかったが、2015年4月19日付「ライブドアニュース」《麻生氏、会見で海外メディア嘲り「爆笑」 世界に恥さらす》と題して記事を配信していた。 

 どんな恥を曝したのか。〈筆者は会見に出ていないので、これは李さんから見せてもらった録画の内容だ。〉と断り書きを入れているから、事実から外れた麻生太郎の態度というわけではあるまい。

 4月3日の記者会見で、〈問題のやりとりは、香港・フェニックステレビの李ミャオ記者との間で交わされた。手を挙げて、自分の所属を告げると、麻生氏は「あ? フェニックス?」と言って大爆笑。記者や財務省の官僚も一緒になって笑い、その場で問題視する記者はいなかった。〉とその嘲笑の発端を伝えているが、偉い人が笑うと、下の者がその笑いの程度に応じた笑いで以って機械的に追従笑いするのは日本人が上が下を従わせ、下が上に従う権威主義的な行動様式を習い性としているからで、態度の合理性に正当性の判断を置いて笑うわけではないから、何の不思議もない。

 但し麻生太郎を筆頭に一緒になって笑った連中は記者が女性であることに敬意を表していなかったことから起きた態度であるのは事実だから、安倍内閣の「女性の活躍」も案外身についた女性尊重の立場からの心からの願望ということではないらしい。

 李ミャオ記者はアジアインフラ投資銀行(AIIB)に日本が参加しないことに野党から批判が出ている点についてコメントを求めた。

 麻生太郎「うちは野党が何でも言う。うちは共産党ではないから。共産主義ではありませんから。中国と違って何でも言えるいい国なのです、日本は。それでパクられることもありませんし、いい国なのだと私は思っていますよ」

 このような前置きのあとで、不参加の理由を述べたという。

 果たして麻生太郎の言うように言論や表現の自由に関して「いい国なのです」と断言できるのだろうか。安倍晋三は自身が気に入らないマスコミの情報発信に対して陰に陽にあれこれと言論の圧力や情報統制を試みている。

 いわば安倍政権下で日本の言論の自由・表現の自由は非常に危うい状況になっている。にも関わらず、麻生太郎は「中国と違って何でも言えるいい国なのです」と言う。

 李ミャオ記者はこの遣り取りの動画をSNCに投稿すると、麻生の失礼な態度に中国のネット上で話題を呼んでいるという。

 記事だけでははっきりしたことが分からないから、財務省のHPにアクセスしてみたところ、4月3日の記者会見が掲載されていた。

 《麻生副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣閣議後記者会見の概要》(外務省/2015年4月3日)  

 HPでは「問)」とあるところを「李ミャオ記者」に替え。「答)」とあるところを「麻生太郎」に替えた。

 李ミャオ記者「AIIBのことについてお尋ねしたいと思います。先日大臣が日本の立場が極めて慎重な態度を取らざるを得ないとコメントがありましたけれども、今AIIBの参加表明の国が50カ国を超えています。そして日本の中でも、野党から批判の声があります。例えば維新の党の江田代表が、これが日本外交の完全な敗北だと。共産党の志位委員長が参加すべきだというふうにコメントしています。大臣どのように見ていますか」

 麻生太郎「うちは野党が何でも言うのですよ。うちは共産党ではありませんからね。共産主義ではありませんから。中国と違って何でも言える国ですから、いい国なのです、日本は。直ちにそれで逮捕されることもありませんし、いい国なのだと、私はそう思っていますよ。

 しかし問題は、私がこれまでもずっと言っていることは同じで、1年半ぐらい前ですかね、これが始まって。大分前からこの話は来ていたと思いますけれども、私共はガバナンスをはっきりしてくれと。どういう基準で貸すのか、理事会の構成はどうするのだ、案件の審査は誰がするのだ、いつやるのだということを教えてくださいと。そういうことをしない限りは、我々はそれに対してガバナンスがしっかりしない限りはとてもではないけれどもそれに参加することはできない、それが1つ。

 ほかにもいろいろ言ってきましたけれども、同じようなことで、我々としてはインフラストラクチャーの投資によって環境にどういう影響を与えるかとか、いろいろなことを全部調べた上でADB(アジア開発銀行)も世界銀行もみんな同じルールでやっているのですから、それと同じルールでやられるのですかということを申し上げて、言い続けていますけれども、返事はまだもらったことは1回もありません」・・・・・・

 以上以外にも参加しない理由をいくつか挙げている。

 要するに、「確かに参加を表明していないことについて野党から批判が上がっていますが」と前置きした上で、現状では参加表明ができないことは正当だとする自らの理由を述べれば済むことを、全体的な解釈としては社会の矛盾や政治の矛盾は共産主義国家のみに存在し、民主主義国家には存在しないかのような非合理的な、しかもここで問題となっているわけでも、問題としなければならないわけでもない言わずもがなの趣旨のことを言って、冷静な発言で応じるべきところを問題外のことに言及する大人気ない態度に走った。

 一般的には言わずもがなのことを言うについてもそれなりに理由があるはずだが、「香港・フェニックステレビの李ミャオ」だと自身の所属と名前を告げた時点で、いきなり〈「あ? フェニックス?」と言って大爆笑。〉したとなると、中国なるもの自体に不快感を感じていて、そのことに触発された失礼な態度の可能性がある。

 AIIBが中国主導であること。例え日本が参加しても、中国主導であることに変わりはないこと。日本の参加がAIIBの信用性や利用価値、さらにはその存在感を高めたとしても、最終的には創始国としての中国を利し、中国の存在と名を確かなものとすること。

 いわばただでさえ日中のGDPの差は広がっていて、面白くないと思っているだろうところへもってきて、日本がAIIBに参加しても参加しなくても、ここはと言う肝心要の美味しいところは中国の取り分となって、中国の名誉とすることになる。

 こういったことの不快感が麻生太郎の腹の底に欲求不満となって渦巻いていたところへ女性記者が質問に立ち、所属と名前を告げたことで中国人と知っただけで、本人とは関係ないのに大笑いして、「うちは共産党ではありませんからね。共産主義ではありませんから」といった言わずもがなの大人気ない失礼な発言を曝してしまった。

 長い政治生活の中で各大臣を歴任しながらのこの人間的な軽さは今に始まったことではないが、客観的な合理性を持たせた発言ができない大物政治家という逆説はなかなか説明をつけることはできないに違いない。

 最後に一つ、「ライブドア」記事は「中国と違って何でも言えるいい国なのです、日本は。それでパクられることもありませんし」と麻生太郎の発言を伝えているが、〈筆者は会見に出ていないので、これは李さんから見せてもらった録画の内容だ。〉と断りを入れいる以上、事実その通りに発言したはずだが、財務省HPには「それでパクられることもありませんし」の発言はなく、「直ちにそれで逮捕されることもありませんし」と、「パクられる」が「逮捕される」に変えられている。

 確かめようとして動画を探したが、探すことができなかった。但し麻生太郎が高名な政治家でありながら、言葉の汚さも有名となっていて、「パクられる」という言葉を使ったとしても、何の違和感もないが、「パクられる」を大臣の品性を考えて口にしたわけでもない「逮捕される」に入れ替えたとしたら、正直な姿を隠蔽する情報操作に当たる。

 決して小さなことではない。

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安倍を含めて山谷等の「国のために戦い、尊い命を捧げる」ことを日本国民のあるべき姿としている靖国参拝

2015-04-25 09:16:57 | 政治


 ――しかも、戦前の大日本帝国に対するのと同じように――

 4月23日、在特会シンパ山谷えり子と総務相の高市早苗と女性活躍担当相の有村治子、女性右翼閣僚三羽ガラスがそれぞれ春の例大祭中の靖国神社を参拝した。

 山谷と有村は「国務大臣」の肩書、高市は「総務大臣」の肩書で記帳・参拝、玉串料は3人共私費。

 つまり、安倍内閣の閣僚として誇らしげに戦死者の前に立った。

 安倍晋三は今回はインドネシアで開催のバンドン会議に同じく参加する中国の習近平主席との首脳会談が行われる可能性から、中国の反発と反発を受けた会談消滅を回避するために参拝は自粛し、4月21日に真榊を供えて代用としていた。内心は「内閣総理大臣」と記帳して、内閣総理大臣としてこの上ない誇らしい気持で直接参拝したくてウズウズしていたに違いない。

 もし参拝していたなら、日中首脳会談を望みながら、あまりにもツラの皮が厚過ぎるということになったに違いない。

 そして2人は4月22日、昨年11月以来の2回目となる日中首脳会談を行った。

 会談終了で、もはや会談の開催を左右する障害とはならなくなったと見たからだろう、目の上のタンコブが取れたとばかりにその翌日の4月23日、女性右翼閣僚三羽ガラスが一斉に靖国神社に駆けつけたといったところに違いない。

 参拝後それぞれ記者に気持を問われて。

 山谷えり子「国のために戦い、尊い命を捧げられたご英霊に感謝の誠を捧げてきた。『国務大臣山谷えり子』と記帳した」

 有村治子「戦地に赴かれ、かけがえのない命を捧げた方々や、塗炭の苦しみを味わったご遺族の皆さんを思い、参拝した」

 高市早苗「1人の日本人として、国策に殉じられた皆さまのみ霊に対し、尊崇の念を持って感謝の誠を捧げてきた。あわせてご遺族の皆さまの健康をお祈りしてきた」(以上NHK NEWS WEB

 国のために国策に殉じ、尊い命、かけがえのない命を捧げた。感謝の誠を捧げなければならない。感謝の思いを致さなければならない。尊崇の念を持たなければならない。

 安倍晋三も、その他その他も、バカの一つ覚えさながらに同じ思いで参拝している。

 戦死者の戦前日本国家に対するこのような姿勢に馳せる右翼政治家たちのかくこのような熱い思いは国家と国民との関係の理想をそこに見、理想をそこに置いているからに他ならない。

 国のために戦って捧げる命こそ尊く、美しいとしているからに他ならない。国家との関係で尊崇の念に値する尊く、美しい命の捧げであると価値づけているからに他ならない。

 このように国家と国民の関係を理想のものだと価値づけている以上、その国家を理想の国家像と見、理想の国民像と見ていることになる。

 当然、安倍晋三にしても、山谷えり子にしても、有村治子にしても、高市早苗にしても、その他のその他にしても、現在の日本国民に対しても同じ関係性を理想とすることになる。

 2004年発売の安倍晋三と岡崎久彦との対談集『この国を守る決意』に安倍晋三は「命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」と語っているという。

 ここで言っている「国のために汗や血を流す」とは、「命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」と前置きしていることとの関連で、国のために戦って命を捧げる戦死を意味させている。

 靖国神社参拝で表現させている関係性と同様に、対談集でもこのような国家と国民との関係を理想としていたということである。

 断るまでもなく、このような関係性を自身の血とし、精神としているからであり、それが言葉となって奔る。

 平和な時代ゆえ、直接的な表現で「国のために戦って尊い命を捧げる人がいない限り、国家は成り立ちません」と言うことができないから、「命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り」と言い、その命の投げ打ちを「汗や血を流す」などと比喩的に言い替えているに過ぎない。

 戦前日本に於ける国家と国民の理想の関係を再々確認する儀式が靖国参拝であり、戦前日本のその理想の関係を戦後日本に於いても求めている。

 安倍晋三の憲法改正はこの文脈で見なければならない。

 安倍晋三がかつて唱えた「戦後レジームからの脱却」にしても以上の文脈から解釈すると、占領政策とそれが日本と日本人の精神に与えた欧米化からの脱却を意味し、戦前的日本への回帰を意味する。歴史修正主義者と言われる所以である。

 戦前的日本への回帰こそ、「国のために戦い、尊い命を捧げる」理想の国家と国民の関係が再現可能となる。再実現可能となる。

 2001年発売の『餓死した英霊たち』(藤原彰著)は戦死者の6割以上を餓死としているという。

 著作の中に次の記述があるという。

 「この戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行動による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。『靖国の英霊』の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである」・・・・・

 単純計算で当てはめると、靖国神社に祀られている第2次世界大戦の戦死者の6割以上が餓死による惨めな惨憺たる戦死となる。

 だが、安倍晋三にしても、山谷えり子にしても、有村治子にしても、高市早苗にしても、その他のその他にしても、「国のために戦って尊い命を捧げた」とすべてを一緒くたに理想の国家像に対する理想の国民像の関係性で把えて、同じ関係性を戦後の国民に求めている。

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安倍首相官邸の危機管理は、ドローン侵入を安々許したことから見て、どうなっているのだろう

2015-04-24 09:28:33 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

       《4月21日(火)小沢代表の定例記者会見要旨党HP掲載ご案内》    

      4月21日に行われた小沢一郎代表の定例記者会見要旨を党ホームページに掲載しました。
      この中で小沢代表は、「国連未承認の反撃行動はリンチであり、日本は参加してはならない。
      国連の警察的な平和維持活動には積極的に協力すべき」と指摘。また、安保法制、戦後70年談話、
      18歳選挙権、候補者公募等についても言及。ぜひご一読ください。

      【質疑要旨】
     ・安全保障法制について
     ・戦後70年談話について
     ・18歳選挙権に向けた取り組みについて
     ・候補者公募について

 4月22日午前10時20分頃、首相官邸屋上で官邸職員がひっくり返った状態となっていた小型無人機「ドローン」を発見し、警視庁に通報した。

 各マスコミ記事を纏めてみる。

 官邸職員は異動してきた職員に施設を案内するために屋上に上がったのだという。要するに屋上にヘリポートがあるから、これこれこのとおりと見せただけのことだろう。先月の3月22日にヘリポートが利用されてから今回の4月22日午前施設案内まで、誰も屋上には登ってはいなかった。

 と言うことは、首相官邸屋上に何か異変が持ち上がっていたとしても、一定程度の離れた場所からでも認識できる特大の物音や特大の何らかの発光・発火が生じていない限り、あるいは異変の正体が遠くからでも視認できる大きさの物体でない限り、誰かが屋上に上って、その人目に頼らなければ異変に気づかない危機管理的な環境にあった。

 そして今回、そのようなことが起きた。

 つまり首相官邸自体は警察官による24時間態勢の厳重な警備が行われていたが、首相官邸の屋上に関してはその程度の危機管理となっていた。屋上を突破口とすれば、国家の中枢そのものに混乱を与えることが不可能ではなかったし、混乱はときには中枢を麻痺状態に陥らせないとも限らない。

 少なくとも危機管理はそういったことまで想定しなければならない。

 だが、そういった想定にはなく、空からの侵入路となる屋上ヘリポートに赤外線センサーも監視カメラも設置していなかった。

 果していつ侵入したのか。ドローンには発煙筒と容器が取り付けられていて、容器から人体に影響はないレベルのセシウムが検出されという。しかも機体は本来の白色から黒色に塗り替えられていて、警視庁は目立ちにくい夜間を狙って飛ばした疑いもあると見ているという。

 要するに首相官邸を狙って計画的にドローンを飛ばした。

 4月23日付12時50分発信の「産経ニュース」は、〈東京都千代田区永田町の首相官邸にドローンが侵入した事件で、発見時に機体が乾いていたことが23日、捜査関係者への取材で分かった。20日に降った雨にぬれなかったとみられ、警視庁は数日内に飛来した可能性があるとみて、防犯カメラの解析や関係者への聞き取りを進める。〉と伝えていたが、同じ4月23日付17時42分発信の「NHK NEWS WEB」記事は、〈機体に雨水とみられる水がたまっていたことが分かりました。警視庁は、雨が降っていた21日の午前中にはドローンがすでに屋上にあったとみて、飛ばした人物や時期の特定を進めています。〉と逆のことを伝えている。

 関東地方は4月20日夕方から4月21日明け方にかけて強い風を伴った激しい雨が降ったはずである。最初「NHK NEWS WEB」記事はひっくり返った状態で発見されたからなのだろう、ドローンが落下したという趣旨で伝えていたが、首相官邸屋上は地上よりも強い風が吹くはずだから、正常に着陸したものの、下からの風に煽られてひっくり返った可能性も考えることができる。

 この可能性からすると、エンジン不調を起こして偶然首相官邸屋上に落下したのではなく、やはり屋上を目標にしてそこに着陸させたことになる。

 例え正常な態勢で着陸させることができずにひっくり返ったとしても、発煙筒や放射能を入れた筒を取り付けていたことから、首相官邸を目標地点とした侵入を狙ったことに変わりはないはずだ。

 「イスラム国」に2人の日本人が拘束され、身代金を要求された。安倍晋三は国民には隠して「テロリストとは交渉せず」の態度を堅持し、身代金要求を無視して2人の命を犠牲にした。

 最初に1人が殺害され、2015年2月1日にもう1人の殺害映像がネット上に投稿されて、「日本政府は愚かな同盟国や、邪悪な有志連合と同じように『イスラム国』の力と権威を理解できなかった。我々の軍はお前たちの血に飢えている。安倍総理大臣よ、勝てない戦争に参加した向こう見ずな決断によってこのナイフは後藤健二を殺すだけでなく今後もあなたの国民はどこにいても殺されることになる。日本の悪夢が始まる」との声明流した。

 その3日後の2月4日は東京マラソンが行われた。その警備は2013年4月のボストンマラソン爆弾テロと類似のテロ発生の警戒と2020年東京オリンピック・パラリンピック時に想定しなければならないテロへの備えのために警備の経験を提供する学習機会とするものであったが、「イスラム国」声明の「日本の悪夢」への備えも含めていたはずで、4500人の警察官を動員、参加選手と共にマラソンコースを走る 警視庁1チーム8人・8チーム編成の 「ランニングポリス」という新しい手まで設けていた。

 だが、国家の中枢を脅かすテロの空からの突破口となる、その危険性に備えなければならない首相官邸屋上の危機管理に関しては丸裸同然に警戒を怠っていた。

 政府は重要施設の警備態勢の強化を進めると共に規制強化に向けた法整備を検討する考えを示し、今日、4月24日関係省庁による連絡会議の初会合を開くという。

 菅義偉「東京オリンピック・パラリンピックが行われるにあたり、小型無人機などを利用したテロの発生が懸念される。公的機関が関与するルール作り、関係法令の整備の検討などを早急にやらなければならない」(NHK NEWS WEB

 異常事態を受けて慌てて対応する後手の印象を否め得ない。

 ドローンの製造元はこの侵入を受けて、官邸上空と皇居周辺の上空を飛行禁止区域に追加し、半径1キロ圏に入ると自動的に着陸し、離陸はできないようプログラムを改め、今後販売する機種に導入するほか、既に販売された機種でも利用者にプログラム更新を促すと、「asahi.comj」記事が伝えている。

 2020年前後にはオリンピック会場周辺も、プログラムまでそのように書き換えられるかどうか分からないが、少なくとも飛行禁止区域に加えられるに違いない。

 例えプログラムを書き換え、進入禁止区域を様々に設けたとしても、書き換えたプログラムを自分たちの望み通りにさらに書き換えるプログラミング技術の発揮も習得も不可能の保証がなければ、飛行禁止区域を楽々と侵入できることになる。

 今回のドローン侵入を受けて首相官邸屋上に侵入察知用の監視カメラや赤外線センサーを取り付けることになるだろうが、取り付けたとしても、海外のテロリストに首相官邸屋上にヘリコプターで強行着陸、首相官邸内に侵入可能なことを学習させたはずだ。

 民間のヘリコプターを何らかの調査と偽ってチャーターし、飛行途中で操縦士を威して、用意した場所に着陸させて、隠しておいた武器・弾薬、あるいは爆弾を携行、再び飛行させて首相官邸に向かわせて、その屋上に着陸する。

 そこまで想定した危機管理が必要となる。

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安倍晋三がバンドン会議で「植民地支配と侵略」に触れずに述べた「先の大戦の深い反省」は単なるご都合主義

2015-04-23 10:24:38 | 政治


 安倍晋三が4月22日(2015年)、インドネシアのジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議で演説した。2005年、当時の小泉純一郎が先の大戦の反省と心からのお詫びに触れたのに対して安倍晋三が触れるかどうか、今夏発表予定の「安倍晋三70年談話」との関係でマスコミが取り沙汰していたが、先の大戦への「反省」に言及する一方で、「おわび」には触れなかったと伝えていた。

 小泉純一郎がどう触れたか、首相官邸HPにアクセスしてみた。

 《アジア・アフリカ首脳会議における小泉総理大臣スピーチ》  

 小泉純一郎「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。今後とも、世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを、改めて表明します」・・・・・・

 対して今回の安倍晋三。《アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議における安倍晋三スピーチ》 

 卑劣なテロリズムの世界での蔓延、感染症や自然災害の常態化した猛威等に関して、「強い者が、弱い者を力で振り回すことは、断じてあってはなりません。バンドンの先人たちの知恵は、法の支配が、大小に関係なく、国家の尊厳を守るということでした」と言い、「どの国も、一国だけでは解決できない課題です」と言って、「共に立ち向かう」ことを誓った上で、【日本の誓い】と題して次のように発言している。

 安倍晋三「日本は、これからも、出来る限りの努力を惜しまないつもりです。

 “侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない。”

 “国際紛争は平和的手段によって解決する。”  

 バンドンで確認されたこの原則を、日本は、先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも守り抜く国であろう、と誓いました。

 そして、この原則の下に平和と繁栄を目指すアジア・アフリカ諸国の中にあって、その先頭に立ちたい、と決意したのです」・・・・・・

 要するに日本の「植民地支配と侵略」を小泉純一郎のように直接的に取り上げて「深い反省の意」を改めて表明して、その上で今後の日本の進むべき道を示すのではなく、「“侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない。”」、そして「 “国際紛争は平和的手段によって解決する。”」と確認したバンドンの原則を守り抜いていくことを今後の日本の進むべき道とする決意を述べ、その決意は「先の大戦の深い反省と共に」あるとすることで、原則と反省を一対のものとする同時進行形の形を取らせているが、侵略等の軍事的脅威はあくまでも今後の備えとする、そのことにウエイトを置いた位置づけとなっている。

 このような位置づけをマスコミは中国の海洋進出が念頭にあるのは間違いないと伝えているが、中国の海洋進出と可能性として想定される侵略を牽制するためには日本がかつて起こした戦争について一言反省の文言を入れなければ整合性が取れないための「先の大戦の深い反省」であるなら、単なるご都合主義からの方便と化す。原則と反省の一対化も形式に過ぎないことになる。

 日本の「植民地支配と侵略」を直接的に言及しなかったことも頷くことができる。

 大体がバンドンの原則を掲げて、「“侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない。”

 “国際紛争は平和的手段によって解決する。”」と言い、今後の日本の進むべき道だ決意としていること自体がご都合主義で成り立たせている。

 ロシアが国際法とウクライナの主権と領土の一体性を軍事力で以って侵害し、2014年3月18日にロシアに併合する以前の3月7日、アメリカは敏感に反応してロシアとウクライナの個人、企業対象の制裁を発動する大統領令に署名している。

 同じ3月7日、安倍晋三はオバマ大統領と電話会談、ウクライナの主権と領土の一体性を尊重することが重要だという認識を一致させたものの、対ロシア制裁に関しては支持する発言を回避したと伝えられている。

 安倍晋三は中国に対して常日頃から“力による現状変更”に警告を発していた。ロシアがクリミアにウクライナ政府に対する反政府軍に装わせたロシア軍を派遣して軍の活動を活発化させ、クリミアを事実上掌握して“力による現状変更”を着々と進めているにも関わらず、そのことに対する拒絶反応は鈍かった。

 安倍政権が2014年3月11日の親ロ派武装勢力によるクリミアのウクライナからの独立宣言後は口では、「ロシアがクリミア自治共和国の独立を承認したことはウクライナの統一性、主権 及び領土の一体性を侵害するものだ」、「力を背景とした現状変更の試みを決して看過でない」と抗議をしたものの、ロシアに対して制裁を科したのは6日後の3月17日になってからで、その内容も日ロ間の渡航者のビザ発給手続きを簡略化するための協議停止、新投資協定や宇宙協定、危険な軍事活動防止に関する協定などの日ロ間の新たな交渉開始を見合わせるといった、アメリカ、EUがロシア政府やロシア政府高官、ロシア企業、あるいはロシアと深い関係を持ったクリミア企業に対してビザ発給停止や貿易停止、資産凍結、投資停止等と比較して直接的な打撃とはならない当り障りのない格落ちの制裁に過ぎなかった。

 だから、マスコミから欧米とは周回遅れの欧米に形だけ追随した実効性の薄い制裁と言われることになった。

 ロシアの“力による現状変更”に、プーチンとの深い関係からだろう、普段口で言っている通りに素早い反応で原則を貫くのではなく、逆に原則を投げ捨て、事勿れな形式的な対応で応じるご都合主義に終始したのである。

 にも関わらず、アジア・アフリカ首脳会議では、「“侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない。”」ことと、「 “国際紛争は平和的手段によって解決する。”」としたバンドンの原則を掲げて、その原則を守り抜いていくことを今後の日本の進むべき道とする決意を宣言した。

 この決意宣言を言葉通りには受け止めることができるだろうか。ご都合主義の前科がある。
 
 「“国際紛争は平和的手段によって解決する。”」としていることも、日本国憲法第9条を厳格に守ってこそ掲げることのできる原則であって、憲法解釈による集団的自衛権行使の法制化を進め、自衛隊の海外派遣を策し、米軍やその他の外国軍隊の後方支援を自衛隊の任務とすることを考えている関連から言うと、原則を原則としないケースも想定されることになって、想定が事実となって現れた場合、原則はその時々の都合によって原則を離れるというご都合主義の形を現すことになる。

 安倍晋三のバンドン会議での演説はかくかようにご都合主義で成り立っている。もし安倍晋三が小泉純一郎のように日本の「植民地支配と侵略」を直接的に取り上げて「お詫び」や「深い反省の意」を言葉にしたなら、それがご都合主義からの発言であっても、そのようには解釈されずに後世にまで言葉にしたままに事実と解釈されて記録されることになるだろう。

 そのことを避けるためにその言葉を巧妙に回避して、今後の侵略の脅威を前面に出した文脈で「深い反省の意」を潜り込ませたご都合主義なのは間違いないと見たが。

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安倍晋三の自身の談話が村山談話等と同じ言葉を使うかどうかが問題ではないことに気づかない不誠実

2015-04-22 08:35:01 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

       《4月21日 小沢一郎代表記者会見動画 党HP掲載ご案内》

      小沢代表は4月21日、国会内で記者会見を行い、安全保障法制、70年談話、18歳選挙権、
      岩手県議選候補者公募などについて見解を述べました。    

 安倍晋三が4月20日夜8時からのBSフジ『プライムニュース』に出演して、「安倍晋三戦後70年談話」について発言したとマスコミが伝えていたから、動画にアクセスしてみた。

 宣伝文句が凄い。『安倍首相が久々に登場 大型外交前に何を語る 戦後70年と対東アジア』と4月26日からの訪米を「大型外交」だと宣伝している。拉致問題や北方四島外交、対中国外交といった肝心な外交は手も足も出ない。 

 反町理司会者「(訪米しての)米議会の演説は今夏出す70年談話と密接にリンクすると思うが、50年の村山談話、60年の小泉談話、70年の安倍談話というこの流れの中で、安倍さんとしては全体として受け継ぐとはおっしゃっているが、例えば言葉として、『侵略』、『植民地』、『国策を誤った』、『痛切な反省』とか、『心からのお詫び』、そういう言葉が入るかどうか、そこのところの議論は、総理が出された後は検証しなければならない部分はあるが、言葉の一つ一つを盛り込むかどうかについてはどういう気持ですか」

 安倍晋三「いわば村山総理は村山総理として書かれたわけで、それは閣議決定しているが、小泉総理は小泉総理として書いた。しかし小泉総理のときは村山談話を下敷きにしているという感じはある。

 私の場合はそうではなくて、まさに安倍政権として、総理大臣である私としてどう考えているのか、日本の過去、そして、まあ、過去に於いて先の大戦に対する反省、その反省を元にした今後の平和国家としての歩み。そしてこれからも地域や世界のために貢献していくという決意、70年、80年、90年、100年に向けて日本はどういう国になっていくのか、世界をどういう世界にしていこうと思っているのかと言うことを発信していきたい。

 そういう文脈で考えているわけですから、そこに用いる用語を同じ単語を使うかどうかということは私は殆どですね(問題としない)。

 私の考え方はどのように伝わっていくかどうかということが大切なんだろうと思います。同じ言葉を入れるんであれば、談話を出す必要はないんじゃないですか」  

 反町「菅官房長官がおっしゃってたけど、同じものを出すんだったら、出す必要ないとおっしゃってた」

 安倍晋三「コピーして渡せば、名前だけ変えればいいんだという話になりますよ」

 男女司会者二人と安倍晋三は笑い合う。  

 反町「そこの部分は安倍カラーをどれだけ出すかということになりますね」

 安倍晋三「今まで談話が出ている50年、60年と談話が出ている。これは基本的認識に於いては、この基本的考え方は継いでいくということはもう申し上げているわけですから、そこに書かれていることについては引き継いでいくんですから、引き継いでいくと言っている以上、もう一度書く必要はないだろうを思いますけどね」

 日米ガイドラインの話題に移る。

 安倍晋三は言っている。50年談話、60年談話を「基本的認識に於いては、この基本的考え方は継いでいくということはもう申し上げているわけですから、そこに書かれていることについては引き継いでいくんですから、引き継いでいくと言っている以上、もう一度書く必要はないだろうを思いますけどね」・・・・・

 だから、「同じ言葉を入れるんであれば、談話を出す必要はないんじゃないですか」、あるいは「コピーして渡せば、名前だけ変えればいいんだという話になりますよ」と結論づけることになる。

 果たしてそうだろうか。

 戦後の日本の出発点は戦前の反省から始まり、戦前を反面教師として戦後に立ち向かった。そして総じてそのような歴史認識の上に戦後の歴史を成り立たせてきた。

 だからこそ、村山談話も小泉談話も戦後の日本の歩みを語る上で戦前の日本について語ることを欠かすことができなかった。

 戦前のような歴史を二度と繰返さない戒めのためにも戦後の日本の歩みを語るだけでは許されない歴史的責任を自らに課したということであろう。

 日本の歴史が戦前があってこその、その反動としての今日までの戦後という構成を取っている以上、総理談話が同じ構成を取るのはごく自然な責任であって、誰の総理大臣談話であっても、戦後日本の歩みとこれから先の歩みを語る構成を取るなら、戦前に対する歴史認識をそこに加えなければ、歴史的一貫性を持たせた構成とは言えなくなる。

 安倍晋三にしてもこのような構成を責任づけられていると認識しているからこそ、「日本の過去、そして、まあ、過去に於いて先の大戦に対する反省、その反省を元にした今後の平和国家としての歩み。そしてこれからも地域や世界のために貢献していくという決意、70年、80年、90年、100年に向けて日本はどういう国になっていくのか、世界をどういう世界にしていこうと思っているのかと言うことを発信していきたい」と言っているのであって、村山談話と小泉談話の「基本的考え方は継いでいく」と言っているはずである。

 一方で50年談話は村山総理として書き、60年談話は小泉総理として書き、70年談話を安倍晋三として書くと言って、自らの独自性を主張しようとしているが、その独自性がどのような内容であったとしても、同じ構成を持たせた談話であることから少なくとも大きく逸脱することはできない制約を受けていることになる。

 そのような制約を受けていない主張するなら、自らの上記言葉を自ら真っ赤なウソにすることになり、内心、ペロッと舌を出していると疑われても仕方がないだろう。

 いわば村山談話や小泉談話の「侵略」、「植民地」、「国策の誤り」、「痛切な反省」、「心からのお詫び」等々の同じ言葉を使わなくても、日本の戦前の戦争や植民地政策等の国策、それらを日本の歴史に生み出した戦前日本の国家体制をどう歴史認識しているのか、そしてそのような自らの歴史認識に立って戦後日本をどう関連づけようとしているのか、戦前に対置させた戦後という構成を持たせた談話としなければならない。

 そうである以上、同じ言葉を使うかどうかはさして問題ではなく、総理大臣として義務づけられている、と言うよりも、日本の戦後の歴史が義務づけられている構成を踏襲するのかどうかの問題となる。

 そして戦前の日本の国家体制は総理大臣談話がこのような構成を義務づけられるだけの甚大な人的被害や物的被害、そして被害に相当する精神的苦痛をアジアの国々に対してだけではなく、日本に対しても与えた。

 にも関わらず、「同じ言葉を入れるんであれば、談話を出す必要はないんじゃないですか」と、自身の歴史認識がかかっている談話をかかっていることを抜きに同じ言葉を入れるかどうかの問題に矮小化する認識しか示すことができない。

 「コピーして渡せば、名前だけ変えればいいんだという話になりますよ」と、自身の歴史認識をどう示すかの文脈で語るべき談話を、そういった文脈を取ることもできずに良質の冗談を言ったとでも思ってのことだろう、男女司会者二人と面白そうに笑い合う。

 このことだけで安倍晋三の歴史認識に取り組む姿勢の不誠実を指摘できるが、村山談話や小泉談話が「侵略」、「植民地」、「国策の誤り」、「痛切な反省」、「心からのお詫び」等の言葉で表している歴史認識を指して「同じ言葉」かどうかで扱い、「名前だけ変えればいい」レベルで見ているのだから、このことを加えた不誠実は計り知れないものとなる。

 もし逆であるなら、つまり真摯なまでの歴史認識と見ていたなら、上記不誠実な扱いはできないはずだ。

 安倍晋三は決して両歴史認識を真摯なものとは見ていない。

 そしてこの不誠実は自民党が政権復帰する前の自民党総裁だった安倍晋三の2012年5月11日の産経新聞のインタビュー発言に既に現れていて、その発言に対応した不誠実と言うことができる。

 安倍晋三「自民党も下野してずいぶん歯がゆい思いをしてきたが、ムダではなかったと思ってるんですよ。

 例えば先日まとめた憲法改正草案は平成17年の新憲法草案よりはるかに良くなったでしょう。前文に『日本国は国民統合の象徴である天皇を戴く国家』と記し、国防軍も明記した。やはり与党時代は現行憲法に縛られ、あらかじめ変な抑制を効かせちゃうんだな…。

 それにかつて自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ」――

 「村山談話」や「小泉談話」の「基本的考え方は継いでいく」と、視聴者という国民に向けて発信した言葉自体が内心ではウソ八百の姿を取っていることが分かる。

 この「村山談話」否定・「小泉談話」否定は安倍晋三の談話が戦前に対置させた戦後という、日本の総理大臣として責任を負った構成を持たせない歴史認識によって成り立たせることを何よりも物語っている。

 安倍晋三が戦前日本の歴史認識に真摯であろうわけはない。真摯とは正反対の不誠実な歴史認識で70年談話を世界に向けて発信しようとしている。

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自民党憲法前文に安倍晋三の「積極的平和主義」と日本固有文化優越性の「国柄」を盛り込むことの危険性

2015-04-21 05:23:55 | Weblog


 自民党の船田元・憲法改正推進本部長が4月18日、〈沖縄県宜野湾市で講演し、憲法改正をめぐり憲法前文に安倍晋三首相が掲げる「積極的平和主義」を盛り込むことに意欲を示した。〉と、同日付「asahi.com」記事が冒頭で伝えている。

 船田元「我々は『憲法古着論』と言っている。背広をずっと着ているとほころびや汚れが出る。それをクリーニングできれいにしようというのが我々の方向性だ。

 積極的平和主義も前文に書かれても良いのではないか。

 日本の『国柄』を前文に反映させるため、日本固有の文化が優れていることを絶対に載せたい」(下線部分は解説文を会話体に直す)

 確かに背広は長く着ているとほころびや汚れが生じて、そのうち着ることができなくなる。だが、事は憲法である。これこれの理由で時代に合わなくなった個所・条文があると言うなら理解できるが、憲法そのものを「古着」に譬えるのはその時代に於いては存在していたはずの時代の道標(みちしるべ)となっていた記憶にとどめておくべき先進的な理念や時代を超えて生きる理念をも古着とすることになって、憲法に対する僭越そのものの態度となる。

 安倍晋三の「積極的平和主義」を盛り込むことに反対するのは日本が世界に対して軍事的影響力を高めるため、そのことによって招く周辺国の危惧を払拭するスローガンとしての側面を持たせた「積極的平和主義」だからである。
 
 安倍晋三は経済大国としてだけではなく、軍事大国としても世界に於ける日本の地位・影響力を高めようと狙っている。戦前の日本国家のようにである。

 その背景には戦前の日本国家を理想の国家像とする歴史認識があり、それゆえに戦前の日本の戦争を侵略戦争だと認めない立場を取ることになっている。

 憲法に安倍晋三の「積極的平和主義」を一旦盛り込むことになると、今度はその文言を楯に取り、口実として益々軍事的影響力を高めることを狙う動きに出ることを危惧する。

 日本の『国柄』を前文に反映させることは日本の憲法だからと当然視する向きもあるだろが、憲法は自国の存立性のみを謳うのではなく、国家相対主義とも言うべき関係性を持たせた自国の存立とする構造を持つゆえに日本の憲法であっても、日本国家及び日本国民は世界との関連で存在する、あるいは存在させる関係性を持たせなければならない。 

 日本国憲法前文も、憲法の確定に当たって「諸国民との協和」を求め、「平和のうちに生存する権利」にしても等しく「全世界の国民の権利」であると規程して世界との関連で成立する権利としているのは自国の平和は自国のみで成り立たないし、自国の他国に対する平和を脅かす動きは、当然、対象国の平和を脅かす相互関連性を免れることができないからであって、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と謳い、「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」と、自国の存立性のみを謳うだけではなく、日本を世界との関連で様々な価値観の併立・共存を認め合って存在する、あるいは存在させる国家相対主義とも言うべき関係性を求めている。

 また2012年4月27日決定の自民党日本国憲法改正草案前文にしても、〈平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。〉と謳って、国家相対主義の姿を取っている。

 だが、「日本固有の文化が優れている」と自国憲法に盛り込むことは世界共通の価値観として一般化されている文化相対主義にそもそもから反することになるだけではなく、結果的に憲法の姿としなければならない国家相対主義から外れて、自民族優越性を描く危険性を孕むことになる。

 【文化相対主義(Cultural relativism)】「全ての文化は優劣で比べるものではなく対等であるとし、ある社会の文化の洗練さはその外部の社会の尺度によって測ることはできないという倫理的な態度と、自文化の枠組みを相対化した上で、異文化の枠組みをその文化的事象が執り行われる相手側の価値観を理解し、その文化、社会のありのままの姿をよりよく理解しようとする方法論的態度からなる」(「Wikipedia」

 特に日本人は権威主義的傾向が強いから、「日本固有の文化が優れている」のは日本の「国柄」だと憲法に謳ったとき、文化の優越性を民族の優越性に結びつけて、その「国柄」を権威として振りかざして、戦前の日本のようにいとも簡単に日本民族優越性の頭をもたげさせないとは限らない。

 この危険性である。

 そもそもからして自民党日本国憲法は天皇を頂点として国民をその下に置く権威主義で成り立たせようと意志している。

 〈日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。〉

 「国民主権」と謳いながら、「天皇を戴く国家」とする国体を思い描いている。

 「戴く」とは国民に対して天皇を上に位置させた関係性を言う。天皇は国民統合の象徴として敬う関係にあるが、国民主権である以上、国民を下に置いて上下で位置づけていい関係性にあるわけではない。

 だが、天皇を上に置こうとしている。

 読みようによっては、「立法、行政及び司法の三権分立に基づい」た「統治」は「国民主権の下」行われるが、国体自体は国民が天皇を頭に戴いた国の形を取ると言っているように読み取ることができる。

 天皇を国家の頂点に置くだけで、日本民族優越性を滲ませることになる。天皇なる存在に日本民族優越性の最たる象徴・最たる武器としているからだ。

 律令時代以降、ほぼ足利幕府時代まで中国や朝鮮半島の文化を移入・模倣・アレンジして日本の文化とし、それ以降の織豊時代から幕末までポルトガルやオランダの文化を移入・模倣・アレンジして日本の文化とし、幕末以降は西欧の文化を移入・模倣・アレンジして日本の文化とすることを伝統としてきたから、何が日本固有の文化かは知らないが、例え日本固有の文化が優れているとしたとしても、それぞれの国の文化にしても優れている点があるという相対主義の姿勢、あるいはそれぞれの国々との共存・共栄があって自国が成り立つとする国家相対主義の姿勢を採らずに日本文化優越性、あるいは日本国家優越性を憲法に込めた場合、どのような言葉で平和主義を謳おうと、世界各国との共存・共栄を謳おうと、全ての言葉をウソにすることになる。

 自民党憲法が日本固有の文化の優越性を憲法に盛り込む姿勢でいること自体、自分たちでは気づいていないとしても、日本民族優越性を精神の血とし、その血に毒されていることの証左となる。

 そのことが〈天皇を戴く国家〉という国の形となって現れることになった。 

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