菅直人の復旧・復興を投げ出し被災者を置き去りにしたまま慰労会を開く神経と野田首相以下の参加者の感覚

2011-09-30 10:29:18 | Weblog

 9月27日(2011年)夜、菅仮免前が都内の日本料理店で首相当時の閣僚メンバーと慰労会を開いたという。《菅内閣の閣僚慰労=前首相》時事ドットコム2011/09/27-22:08)

 記事は、〈前首相が慰労目的で呼び掛けたもので、財務相だった野田佳彦首相や、鹿野道彦農水相、玄葉光一郎外相、枝野幸男経済産業相らが参加した。〉と呼びかけに応じて参加した菅内閣当時の閣僚でもあり、現内閣の閣僚でもある名前を挙げている。

 菅仮免前「(衆院議員の任期が満了するまで)あと2年間は首相をやってほしい」

 野田首相「これからよろしくお願いします」

 〈頭を下げたという。〉と書いている。

 任期の長短も優秀か無能かのバロメーターとされるのだから、内心、自分の任期を越えることに面白からざる複雑な気持を持っているはずだが、そこは本心に反することを言わざるを得なかったに違いない。

 だが、そういったことよりも2010年6月8日首相就任して1年経過する前の2011年6月2日の民主党両院議員総会で「一定のメドがついたなら」との条件付きで退陣表明、その後居座って2011年8月末に辞任表明、15ヶ月弱で首相を辞職せざるを得なかった主たる原因が何よりも東日本大震災の被災者に対する各種支援の初動対応の遅れ、初動に引き続く二次対応としての復旧・復興の遅れが命取りとなった退陣だったはずだ。

 表面的には菅降しを受けて抗し切れずに首相の座を去った形を取っているが、内実は一国の首相として遂行すべき責任を、その中でも特に復旧・復興の責任を遂行能力なしと断罪されて拒絶され、投げ出さざるを得なかったのである。

 総理大臣記者会見で「この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」と自らの使命を「宿命」とまで意義づけながら、菅首相の存在自体が政治空白であり、復旧・復興の障害だとまで言われ、被災自治体の各首長だけではなく、被災者からも震災対策の遅れ・不備を批判されて、退陣を余儀なくされた。

 「政治は結果責任」を果たすことができなかったばかりに自らの責務を有名無実化し、進めるべき政治を投げ出し、復旧・復興を投げ出す羽目に陥った。

 いくら自身の無能が招いたこととは言え、進めるべき政治を投げ出し、復旧・復興を投げ出した結果、被災者自体をも復旧・復興のスタート地点から程近い混乱の途上に置き去り状態に投げ出すことになったのである。

 具体的には未だ避難所に取り残されている被災者の存在にしてもそうだが、仮設住宅に移ってプライバシーが守れるからと一息ついたものの、避難所被災作同様に家を失い、財産を失い、職を失い、あるいは家族・近親者を失って将来の不安に押しつぶされようとしている状態への被災者の置き去りを言う。

 置き去りにし、次ぎの内閣に任せるしかなかった。

 特に福島の放射能汚染地の本格的な除染はこれからで、10年、20年帰ることができないと予想される避難地域もあり、避難住民を帰宅できない状態で置き去りにした。

 もしこの自覚があったなら、あるいは少しでも責任意識があったなら、慰労会だと菅内閣当時の閣僚を集めて日本料理店で酒で喉を潤し、料理に舌鼓など打っていられるだろうか。

 9月2日に正式に野田首相と交代してから、1カ月も経たないうちの慰労会である。多くの被災者を未だ慰労されることのない不安な状況に置き去りにしたままの復旧・復興に責任を果たさなかった内閣の慰労会という逆説、あるいは倒錯演じることのできる菅直人と言う政治家の感覚・神経を疑わざるを得ない。

 慰労の呼びかけに応じて駆けつけた野田首相や、鹿野農水相、玄葉光一郎外相、枝野幸男経産相等の面々の感覚・神経はどうなっているのか、首を傾げざるを得ない。

 被災地に派遣された自衛隊は被災住民から感謝の気持と言葉で慰労された。派遣から戻った自衛隊は自らを慰労する資格を有する。

 被災地、あるいは被災住民から慰労を受けるだけの責任を果たさなかった内閣が責任を果たさなかったことの自覚もなく自らを慰労する。

 こういった数々の自覚の欠如も責任感の欠如も、合理的判断能力を元々欠いているからこその結果的推移であろう。

 今朝のNHKニュースが、駐日中国大使が29日夜都内で開かれた中国の建国記念日「国慶節」のレセプションで、去年の尖閣諸島沖の漁船衝突事件をきっかけに悪化した日中関係を立て直し、日中両国の戦略的互恵関係をより一層充実させたいと挨拶したと伝えていたが、菅仮免は横浜APEC首脳会議の際の2010年1月13日日中首脳会談後の国会答弁でも、居座り後の国会答弁でも、「日中関係は尖閣諸島沖での漁船衝突事件以降、ギクシャクした状態が続いていたが、今回の首脳会談で私の就任時の原点に戻ることを確認した。マイナスからゼロになったことは大きな前進だ」と一旦はギクシャクした日中関係を自らの力で修復し、もやは波風立たない関係に戻ったかのように菅内閣の外交成果に挙げていた、その自身の評価と現実的実態との乖離はやはり合理的判断能力を欠いていることが原因となっている、歪んだ思い込みがなせる外交成果に過ぎない。

 リーダーたる資格の中核をなす認識能力自体が欠陥品にできているからこそ、被災者を置き去りにしていることに目を向けることができずに慰労会を開けるということなのだろう。


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小宮山洋子厚労相の官僚答弁無能と古巣NHK擁護の狡猾な情報操作の誤魔化し

2011-09-29 11:54:25 | Weblog

 同じ民主党の櫻井満参議院が昨日(2011年9月28日)の参院予算委員会の質問に立ち、最後に保険料負担の不公平について追及した。所管省庁として答弁に立った小宮山洋子女史は殆んど官僚が書き上げたと分かる原稿を機械的に読み上げるだけの無能を見せたばかりか、古巣NHKに関する質問に対しては狡猾な情報操作で誤魔化しを見せた。

 果たして大臣の資格ばかりか、国会議員の資格があるのか疑わせる無能ぶりに見えたが、どんなものだろうか。

 櫻井議員が追及した問題提起は記憶しておくべき政治課題に思える。但し野田首相が実現するだけの能力と意志を発揮できるかは疑問符をつけざるを得な熱意ない答弁となっていた。

 NHKテレビの中継から文字化した。

 棒グラフのフリップを示すが、棒グラフの画像をうまく切り取ることができなかったので、数字のみ書き写すことにした。要は給与報酬が多い層程、本人負担は少なくなっている反比例の関係を示している。 

 《保険料を100とした場合のサラリーマンの本人負担》

   総報酬額階級           平均44.4%
            
          800万円以上  組合数(72)   最低22.1%

     750~800万円未満  組合数(54)    

     700~750万円未満  組合数(74)

     650~700万円未満  組合数(133)

     600~650万円未満  組合数(222)

     550~600万円未満  組合数(245)

     500~550万円未満  組合数(244)

     450~500万円未満  組合数(251)

     400~450万円未満  組合数(163)

     350~400万円未満  組合数(93)

         300万円未満  組合数(33)

     政管健保(平均384万円)     50%

 「政管健保」とは櫻井議員が中小企業加入の健康保険組合だと後で触れている。

 櫻井議員「今回の社会保障と税の一体改革の中で、定額支払い、患者さんの窓口支払いがまた増えるようなアイデアが出てきております。で、こういったことをやる前に、財源がないからだと言われるわけですが、先ず大事な点は不公平を是正して、財政的に僕は財源生み出せると思っているので、提案させていただきたいと思います。

 あのー、これ(フリップのこと)、保険料を100とした場合、要するに本人負担ですから、50%が最大だとは言えませんが、政管健保、中小企業の方々が加入しているところは50%です。平均所得がいくらかと言うと、384万円の方は50%です。

 尚且つですね、他のところはどうなっているかと言うと、800万円以上のところは40%弱ぐらいで、大体年収に応じて負担割合が増えているという、逆の構造になっているんですね。

 (注) (言い方が悪い。年収と負担割合は逆比例となっているから、「大体年収に応じて負担割合が少なくなっているから」と言わなければならないが、「逆の構造になっている」と言うことで、逆比例であることを表現している。)

 本来であれば、社会保険というのは、あの、所得配分機能を持たせてるわけですから、保険料率、せめて保険料率は全部同じにならないと、僕はおかしいんじゃないかと思いますが、この点について如何でしょうか」

 分かっている、余計なお世話だと思うかもしれないが、参考までに。

 【保険料率】「契約者が保険会社へ支払う金額に対する保険料の割合のこと」

 【保険料】「各種損害保険や生命保険へ加入した際、加入者が納める料金のこと」

 小宮山議員「あの、お示しいただいている図は社会保障費2200億円削減のシーリング対策として旧政管健保の国庫補助を1千億円削減して、財政力のある健保組合と共済組合から支援金を強制するために大企業程サラリーマン本人負担割合が低く、格差が大きいことを示すためにつくった資料だと理解しております。で、これが現在は、これは平成16年ですが、えー、22年度の決算見込みでは、本人負担割合の平均が44.8%、最低が25%となっております。

 今、あの、ご指摘ですけれども、国民皆保険の仕組の中でやはり、加入する制度によって給付や負担の水準に大きな差が生まれないよう、給付の平等と負担の公平を図るということ。これは大変重要なことだと考えております。

 一方で健保組合の保険料率を協会健保の水準まで引き上げる。このことにつきましては健康保険組合の保険料率は労使協調の枠組みの中で、自主自立の運営で決めているということ。

 それから、厳しい保険財政の中で効果的な実施や医療費の適正化など、保険者機能の発揮が重要ですが、一律に保険料率が設定されることになると、その意義が失われかねないということ。

 また協会健保には公費を投入しているなど、財政力の格差を是正した上での保険料率であること。

 そういったような論点がございまして、保険料を負担する被保険者や事業者や関係者のご意見を聞きながら、検討をしていく必要があると言うことを考えております」

 櫻井議員は社会保険が年収に応じて不公平が生じている、是正すべきではないかといった趣旨の質問を行った。当然、小宮山議員本人が公平と看做しているか不公平と看做しているか、いずれかの自身の認識を吐露すべきを、時折り顔を上げるだけで、殆んど下を見て原稿丸読み状態となっていたのだから、自身の認識を官僚文章の読み上げで代えていたことを窺わせるのみである。

 いわば自らの認識を持たない無能を曝したも同然と言える。

 櫻井議員「与党の質問だと言われていたんですけどねえ。あの、民主党のマニフェストの中では医療保険一元化って謳ってたんじゃないですか?

 そうするとですね、一元化するということは、みんな保険料率一律になるんだと、私は思いますよ。違いますか」

 桜井議員が「与党の質問だと言われていたんですけどねえ」と言っていることは、与党議員の追及はどうせ馴れ合い、ヨイショに終始すると看做されているということの言及であろう。小宮山の官僚答弁で、そのとおりになってしまったと暗に揶揄?した。

 小宮山議員「それは政策集の中に入ってきたものかと思いますが、えー、もう一つですね、やはり、そのー、えー、えー、その、保険料率が低いところは比較的、その、被保険者一人当たりの保険料が高くなっている、そのような実情もございますので、色々と実情をしっかりとチェックしながら、マニフェストの方は、政策集の方はどういうふうに見合った形で進めていけるのか、しっかりと検討をさせていただきたいと思っています」

 民主党に所属しながら、2009年総選挙に合わせて作成した『民主党政策集INDEX2009』に謳っている政策を「政策集の中に入ってきたものかと思いますが」と、「かと思いますが」と推定しかできない。

 今後の推移に関しても、紋切り型の発言しかできていない。

 調べたところ、次のように謳っている。

 〈後期高齢者医療制度の廃止と医療保険の一元化

後期高齢者医療制度は廃止し、廃止に伴う国民健康保険の財政負担増は国が支援します。国民健康保険の地域間の格差を是正します。国民健康保険、被用者保険などの負担の不公平を是正します。

被用者保険と国民健康保険を段階的に統合し、将来、地域医療保険として、医療保険制度の一元的運用を図り、国民皆保険制度を守ります。〉――

 櫻井議員「あの、こういう不公平があるにも関わらず、実はマスコミは書きません。なぜかと言うと、マスコミは物凄く恵まれているからです。

 ちょっと数字を比較させていただきたいんですが、あの、ご答弁いただきたいと思いますが、中小企業のサラリーマンの方々の労使での保険料率はいくらでしょうか。国家公務員の保険料率はいくらでしょか。

 これはあの、通告してあります。私、そして答弁を頂いております。それが、NHKの、NHKの、保険料率はいくらでしょか」

 小宮山議員「えーと、日本放送協会、NHKの保険料率は5.35%です。国家公務員の共済の、えー、保険料率は6.71%。協会健保の保険料率は9.34%となっています。

 ただ、一方でですね、先程申し上げたように被保険者一人当たりの保険料が日本放送協会は、55.7万円。国家公務員共済が、えー、44.1万円。そして協会健保が34.6万円となっているということもございます」

 要するにNHKや国家公務員は保険料率で優遇されているが、被保険者一人当たりの保険料が高額となっていることで平等性が確保されていると言っている。

 櫻井議員「あまりそういう答弁されたくなかったんですが、それではですね、今、給料は高いんだという話(ヤジ、もしくは不規則発言)がありました。各々の平均給与、出していただきますか」

 小宮山議員「えーと、日本放送協会の平均報酬は1041万円、国家公務員の保険料の基礎となる平均報酬658万円。協会健保が371万円となっています」

 櫻井議員「しかもですね、もう一度、一つ大事なことがありまして、NHK、あの、保険の負担はですね、事業主負担62、本人が38なんですよ。

 こんなに恵まれているんですねえ。これで受信料上げようとかですね、みなさまのNHKが。

 所得の低い方々は本当に苦労されてるんです。こう、保険料支払ってですね、低い給料から。こういうことは放送されないんです。だから、私は厭がられることを覚悟で放送中にあります(拍手でよく聞き取れないが、「放送中に発言することにした」とでも言ったのか)

 保険負担は非常に不公平なんです。こういうことをちゃんと是正していくのが私は民主党だと思いますよ。不公平を直すことは。

 すみません、総理。不公平だと思いませんか」

 小宮山はNHKや国家公務員が報酬で厚遇されていることと、NHKの場合はその上に事業主負担との間に本人負担が優遇されている割合といった都合の悪い情報を隠して、「保険料率が低いところは比較的、その、被保険者一人当たりの保険料が高くなっている、そのような実情もございます」と、いわば一種狡猾な情報操作の誤魔化しを行って平等性は担保されているとさも偽ろうした。

 野田首相「今の数値を聞く限り、今随分と開きがあるなと、不公平感があるなというふうに思いました」

 お気楽に軽く笑いながら答弁したが、『民主党政策集INDEX2009』に「医療保険の一元化」政策を掲げるについては各健康保険組合加入被保険者の年収と保険料率の関係等を知らべた上で民主党政策としたはずだ。漫然と「医療保険の一元化」を謳ったわけではあるまい。

 それを「今の数値を聞く限り」と今知った「不公平感」としている。

 だとしても、野田首相は「不公平感」を認めた。当然、『民主党政策集INDEX2009』に掲げた「医療保険の一元化」政策である以上、それを実現させ、不公平を是正する改めての責任を負ったことになる。

 だが、そういった認識もなく、軽く笑いながら「不公平感があるなというふうに思いました」とあまり心にピンと響かなかったのだろう、あっさりとした答弁で終わらせている。

 櫻井議員「有難うございます。こういう不公平を是正すればですね、おカネはまだまだ出てまいります。そうすると、窓口負担を増やすなどということをやらなくてもいいんでよ。きちんとやっていただきたい。そして私が話をすると、この組合健保の方々が意見が強くてどうしようもないんだと言うんですが、そういったことこそ政治主導で、政治家が身体を張って、変えさせていくとくことが私は民主党の役割だと思いますよ」

 医療と介護分野の雇用問題に移る。

 櫻井議員は「政治主導で、政治家が身体を張って」不公平是正に立ち向かうべきだと熱意を見せているが、その熱意は伝わっていない野田首相の答弁となっていた。

 小宮山厚労相に関しては不公平という認識とは遥かに縁遠い官僚答弁と紋切り型の発言、古巣NHK擁護の狡猾な情報操作を展開したに過ぎないのだから、櫻井議員一人相撲の熱意といったところかも知れない。

 最悪、櫻井充民主党議員の熱意はドンキホーテの熱意で終わる可能性すら考えることができる。

 民主党が2009年11月の事業仕分けで一旦建設凍結と決めた埼玉県朝霞市の国家公務員宿舎の建設工事が今月1日(9月)に野田財務大臣(当時)が判を押して再開された問題で、安住現財務相は「私もNHK時代には、給与では生活できず社宅に住んだ。多少宿舎の便宜供与もあってしかるべきだと思う」(MSN産経)と建設擁護の発言を行っているが、NHKHPの『NHKキャリア採用情報:採用情報:待遇・福利厚生』に大学卒(22歳)初任給213,360円、大学院(修士)卒(24歳)初任給227,210円と書いてあり、小宮山女史が明かしたNHKの平均給与高待遇と併せると、安住の発言も一種の情報操作による誤魔化しに過ぎないことが分かる。

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古賀茂明氏の有能な人材・有能な能力不活用と閑職1年9ヶ月は民主党ムダ根絶政策違反の税金のムダ遣い

2011-09-28 09:19:42 | Weblog

 改革派官僚として名を馳せていた経産官僚の古賀茂明氏が9月26日に辞職した。その経歴を「Wikipedia」から大まかに見てみる。

 〈1955年生れ

 1980年、東大法学部を卒業し、通商産業省(現経済産業省)に入省。

 2006年には大腸癌の手術を受け抗がん剤の投与を受けるようになる。この年、公務員改革に力を入れていた渡辺喜美行政改革担当内閣府特命担当大臣から、大臣補佐官の就任の要請を受けたが、癌による体調悪化から辞退し、代わりに経産省の同僚だった原英史を紹介し、原が大臣補佐官に就任した。

 2007年には独立行政法人の産業技術総合研究所に飛ばされたものの、渡辺大臣が福田康夫首相の反対を押しきる形で2008年に霞ヶ関に復帰させ、内閣官房に設置された国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に就任。当時の渡辺喜美行政改革担当相の下で、「年功序列人事の廃止」「天下り規制の強化」「事務次官廃止」など急進的な公務員制度改革に取り組んだ。

その後、就任した仙谷由人行政刷新大臣は、当初は公務員改革への意欲をみせ古賀を補佐官に就かせ行政改革を続けさせるつもりでいたものの、そのような人事は財務省が認めないとの古川元久内閣府副大臣や松井孝治内閣官房副長官ら官僚出身議員からの進言を受け断念。

 2009年12月、唐突に国家公務員制度改革推進本部の幹部全員が解任され、古賀も内閣事務官の任を解かれ、経済産業省に戻ったが、それ以降は仮置きの部署である「経済産業省大臣官房付」に長期間留め置かれる異例の人事措置が取られる。この間、数度にわたりマスコミを通じて政府の公務員制度改革案を批判し、広く名を知られるようになった。官僚批判の著書も出版し、ベストセラーになっている。

 2011年6月、7月15日までに辞職届を提出するよう海江田万里経済産業大臣及び松永文夫経済産業事務次官から通達されるが、これに応じなかった。同年7月には事実上の退職勧奨である民間出向の打診も受けたがこれも拒否した。しかし、枝野幸男経産相の就任後に同省の立岡恒良官房長から「枝野大臣は辞める手続きを進めてくれと言っている」と連絡があったため、9月26日付で辞職することを明らかにした。ところが枝野経産相は「私が直接対応すべき事務次官級幹部官僚人事ではない。事務次官以下に任せる」との発言があったため、古賀は「これは民主党が提言した党主導で行う官僚人事のひとつであり、官僚である事務次官以下で決めるのはおかしい。辞表を撤回して再度(枝野に)大臣としての判断を求める」としていたが、経産省の官房長から退職を促されたために9月22日、同月26日付で辞職する内容の辞表を提出した。

 メディアで公務員改革の主張や、東京電力批判などをするようになってからは、川崎市の自宅玄関前に血を流したハクビシンの死体が置いてあったり、近所の家や街灯には電気が通っているのに古賀の自宅のみが停電するなどの事態が生じているが、人為的ではなく偶然の可能性もあり、被害届等は出していない。〉・・・・・

 以上のことは新聞・テレビでも報道されていたことで、ほぼ間違いないと思う。約30年の官僚生活となる。

 《2009年民主党の政権政策(マニフェスト)》から「ムダ」という言葉を検索し、主なところを拾い出してみた。

 「税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の立て直しに使う。それが、民主党の政権交代です。」

 「『税金のムダづかい』を再生産している今の仕組みを改め、新たな財源を生み出す。」

 「税金のムダづかいと天下りを根絶します。」

 「ムダづかいをなくすための政策」

 「ムダづかい、不要不急な事業を根絶する」

 ●天下りのあっせんを全面的に禁止します。特別会計、独立行政法人、公益法人の仕事を徹底的に見直しま
  す。
 ●官製談合と不透明な随意契約は一掃します。
 ●国家公務員の総人件費を2割削減します。
 ●国が地方に使い途を指定する「ひもつき補助金」は廃止します。
 ●企業団体による献金、パーティー券購入を禁止します。
 ●国会議員の世襲は禁止します。
 ●衆議院の比例代表定数を80削減します。

 「こんなにあるムダづかいの恐れ(平成21年度補正予算)」

 「メディア芸術総合センター建設(国営マンガ喫茶、117億円)
 官公庁の施設整備(2兆9000億円)
 雇用対策と称して天下り法人に渡した基金(7000億円)
 効果の疑わしい農地集積事業(3000億円)」

 「このマニフェスト政策各論は、『税金のムダづかい』を一掃し、明日の日本を切り開く具体的処方箋です。」

 「政策コスト、調達コストの引き下げで税金のムダづかいを根絶する。」

 「年金保険料のムダづかい体質を一掃する。」(以上)

 マニフェストが謳っている「ムダづかい、不要不急な事業を根絶する」の各項目は古賀茂明氏が取り組んでいた公務員制度改革にほぼ重なる。「事務次官廃止」の改革は民主党が掲げていた脱官僚主導・政治主導による政策コストの引き下げを目的としたもので、カネのムダ削減につながる改革と言える。

 だが、民主党は自らがムダ遣いをなくすために改革するとした各政策づくりに一度は有能と見ていた古賀氏の起用を思い立ちながら、断念、古賀氏という有能な人材を活用しなかったことと併せて1年9ヶ月間、死蔵することとなった。

 有能な人材・有能な能力の不活用、あるいは死蔵は裏返して言うと、無能な人材・無能な能力の活用もムダ遣いに入るはずだ。そこに生産性の無視、労働貢献度の軽視を介在させていることになるからであり、生産性の無視、労働貢献度の軽視自体がムダを生むことにつながることになるからだ。
 
 民主党は「国家公務員総人件費2割削減」、「衆議院比例代表定数80削減」の政策を掲げているが、数字上の削減のみで、無能な人材・無能な能力を蔓延(はびこ)らせたままであったなら、仕事の高度で密度の高い、尚且つ迅速な成果は期待不可能となり、その分のカネに換算した場合のムダだけではなく、無能な人材・無能な能力に投資する人件費も相当部分ムダに位置づけることができる。

 と言うことは、ムダ削減の基本は先ずは有能な人材・有能な能力の活用を出発点としなければならないことになる。有能な人材・有能な能力の活用を出発点として、より質の高いムダ削減の政治改革の迅速な到達点が期待可能となるはずである。

 民主党は古賀氏という有能な人材・有能な能力を活用しなかったばかりか2009年12月から9月26日までの1年9ヶ月、何ら活用もせず閑職に置いた。いわば有能な人材・有能な能力を死蔵させた。

 【死蔵】「活用しないで、ムダにしまっておくこと」(『大辞林』三省堂)

 譬えて言うなら、東京ジャイアンツ時代の松井秀喜を身体の故障があるわけでもないのに1年9ヶ月もベンチに置くようなものだろう。

 松井秀喜を1年9ヶ月もベンチに死蔵させた場合の損失額は膨大な金額に達するに違いない。

 古賀茂明氏に対する1年9ヶ月もの間のこの人材・能力の不活用、死蔵によって生じているはずの目には見えない、金銭に換算した場合の相当額のカネのムダ遣いと、入省から約30年勤続、56歳(?)のキャリア官僚にその人材・能力を活用しないままに支払っている報酬を併せた場合、国は、あるいは政府はかなりの無視できないムダ遣いをしていたことになる。

 マニフェストで「税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の立て直しに使う。それが、民主党の政権交代です。」を掲げていながら、人材・能力を活用できない税金のムダ遣いを垂れ流してきた。

 現在経産相に就任した枝野幸男は古賀氏という有能な人材・有能な能力の不活用、死蔵によって生み出していた税金のムダを、不活用から活用への人事転換によって回収するチャンスがありながら、そのチャンスさえ自ら潰してしまった。

 有能な人材・有能な能力の不活用、死蔵が税金のムダ遣いだという認識さえ持つことがなかったからだろう。

 枝野がいくら口達者だとしても、このような認識を持つことができない政治家でいる以上、ムダ削減の政治改革は期待できまい。


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野田首相の外国人地方参政権慎重姿勢の根拠憲法第15条は憲法9条と同じ解釈でクリア可能

2011-09-27 10:48:35 | Weblog
 野田首相が昨日(2011年9月26日)の衆院予算委で稲田朋美議員の在日外国人への地方参政権付与についての質問に対して付与に慎重な姿勢を示した。私自身は賛成の立場で、賛成の立場からブログ等の記事を書いてきた。先ずNHKの国会中継からその質疑だけを取上げてみる。

 稲田議員「さて、外国人地方参政権についてお伺いいたします。

 たった2ヶ月前、財務金融委員会で、当時財務大臣の総理に、もし総理になられたらという前提で、外国人地方参政権について質問をいたしました。総理は、明確に反対ですとお答えになったんです。

 では、民主党の党是である、外国人地方参政権の早期実現という政策目標は撤回されますね」

 野田首相「永住外国人参政権について、民主党が党是にしているということはございません。あの、民主党内の中にも様々な議論がございます。あの、多様な議論があって、その議論をしているプロセスの中にあったというふうに、私は理解をしております。

 その中で、色んな意見のある中で、財務金融委員会で私の立場を申し上げさせていただきましたけども、あの、決して党是ではありません。各党でも色々なご意見があると思いますので、そういう各党・各会派のご議論というもの、その推移を見守っていきたいと思います」

 稲田議員「党是と言っていいんですよ。総理がですね、代表質問に対するお答えで、平成10年に結党時の基本政策、基本理念があると。それについて基本政策の中にですよ。結党時の基本政策の中に外国人の地方参政権の早期実現が書いてあるんです。

 まさしく自民党の憲法改正と同じように結党時の基本政策、これを党是と言って、どこがおかしいんですか。それをお変えになりますか。また総理は外国人地方参政権付与に反対ということでよろしいですね」

 野田首相「基本理念の中に項目として位置づけられていることは承知をしております。けれども、そのあとのマニフェストであるとか、あるいはインデックス、これは色々な意見の集約状況の中で、明確にその方向性を打ち出しているわけではございませんので、時代によって変化をしてきて、党内でも色んな意見が出てきているというのは率直な、あの、私の把え方、感触でございます。

 先程申し上げたとおり、私の立場としては慎重な立場であるということであります」

 稲田議員「結党時の基本理念に含まれていることを党是だと言うのだと思います。

 さて、総理は既に結論を出しておられます。2ヶ月前、重要閣僚として国会の場で外国人地方参政権付与に反対だと結論を出されております。しかもその理由として、憲法上の疑義があるとおっしゃいました。総理のおっしゃる憲法上の疑義とは具体的に何を指しますか」

 野田首相「憲法15条に則ると、そこに疑問があるのではないかというふうに思います」

 稲田議員「私も同感です。憲法15条に違反をする。日本は主権国家であることに違反をする違憲の政策なので、これは絶対にやっていただきたくないと思います」(以上)

 憲法論議は後にして、先ず野田首相は「基本理念の中に項目として位置づけられていることは承知をしております。けれども、そのあとのマニフェストであるとか、あるいはインデックス、これは色々な意見の集約状況の中で、明確にその方向性を打ち出しているわけではございませんので」と言っているが、マニフェストには一言も触れていないが、《民主党政策集INDEX2009》には次のように記載されている。

 〈政治改革

 永住外国人の地方選挙権

 民主党は結党時の「基本政策」に「定住外国人の地方参政権などを早期に実現する」と掲げており、この方針は今後とも引き続き維持していきます。〉――

 党として「この方針は今後とも引き続き維持していきます」と宣言しているのである。これを以て“早期実現”という明確な方向性の提示でなくて何と言ったらいいのだろうか。誤魔化しを言っているに過ぎない。

 憲法15条の条文。

 第3章 国民の権利及び義務

  第15条 公務員の選定及び罷免の権利、普通選挙と秘密選挙の保障

 (1)公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 
 (2)すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。 
 (3)公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。 
 (4)すべての選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

 いわば日本国民固有の権利だと規定している。

 日本国民とは断るまでもなく、日本国籍を有した者を言う。だから、外国人地方参政権付与に反対する勢力は参政権が欲しければ日本国籍を取れと言う。

 確かに『日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第15条 公務員の選定及び罷免の権利、普通選挙と秘密選挙の保障』を厳格に解釈するなら、日本国籍を有していない外国籍者に例え地方に限ったとしても参政権を付与することは疑問や疑義を超えて、まさしく憲法違反と言える。

 しかし憲法とて絶対ではない。憲法は改正できるし、例え憲法を改正しなくても、一般法の改正によって憲法をクリアできる場合もある。

 『日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第10条 国民の要件』「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」 と規定している。

 この規定を受けて、一般法としての『国籍法』が制定された。日本国民の国籍の取得及び喪失に関して血統主義なのか出生地主義なのか、あるいは帰化による国籍取得要件等を定めた法律だが、ご承知のように帰化以外は父または母の国籍が自動的に与えられる血統主義に基づいた国籍法となっている。

 この国籍法を改正して、帰化以外に日本に定住何年以上は日本国籍を獲得しなくても準日本国民と看做すとして、地方参政権を与えてもいいわけである。

 要は長年日本に暮らした外国人を日本人同様に受け入れることができるかどうかの感覚が問題であろう。あるいはできるかどうかを思想・信条とすることができるかどうかにかかっている。同じように暮らし、同じように日本の社会をつくり上げていく共生の意思を持てるかどうかということである。

 さらに言うなら、国籍法を改正しなくても、先に挙げた『日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第15条 公務員の選定及び罷免の権利、普通選挙と秘密選挙の保障』が規定している「(1)公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 を解釈によって「国民」の中に外国人永年定住者を紛れ込ますことも不可能ではないはずだ。

 例え『国籍法』が外国人永年定住者について何も触れていなくても、既に第15条の中に含まれているとの解釈を施すことによってクリアできないわけではない。

 もし憲法は常に厳格な解釈に従って運用されるべきだとするなら、憲法9条に関しては厳格な解釈に反した柔軟な解釈に基づいて武器を装備した軍隊組織が運営されている事実はまさしく憲法違反としてその事実を抹消しなければならなくなる。

 また憲法第9条は柔軟な解釈が許されて、憲法第15条は柔軟な解釈が許されないとするなら、二重基準を犯すことになるばかりか、憲法に対するご都合主義の蔓延(はびこ)りの証明としかならない。

 『日本国憲法 第2章 戦争放棄 9条 戦争放棄、軍備及び交戦権否認』は次ぎのように規定している。

(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇叉は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 

(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 多分、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇叉は武力の行使」を伴わない、あるいは「国の交戦権」認めない戦力は保持できるとの解釈に立って、あるいは自衛権まで否定しているのではないといった解釈に立って陸海空の自衛隊に各種兵器等の戦力を保持させているのだろうが、そこに殊更な解釈が存在する事実は誰も否定できない。

 現在は第9条の交戦権を認めないことと戦争放棄の規定に従っているが、憲法第9条改正論者は、私自身もその一人だが、戦力を保持した自衛隊自体を集団的自衛権という名の「国の交戦権」を認めよとする主張の前提として存在させ、そこにつなげている以上、解釈の介在そのものを証明している。

 外国人に地方参政権を付与すると、小さな町に外国人が退去して住民票を移し、選挙という正当な方法でその町を支配する恐れが生じるといった懸念が喧伝されているが、どのような法律・制度もプラスとマイナスがある。マイナスが生じた場合、それを防御する改正案を講じることでプラスに転じることは可能であるし、可能とする知恵は備えているはずである。

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前原・石破の沖縄依存安保論は首都東京の福島・柏崎刈羽両原発依存と同根の論理

2011-09-26 12:28:34 | Weblog

 前原誠司民主党政調会長と石破自民党政調会長が9月25日のフジテレビ「新報道2001」で普天間の辺野古移設問題についてそれぞれ発言していた。

 平井文夫(フジテレビ解説副委員長)「辺野古移設は無理なのに民主党は無理なのは分かっていて、沖縄にやりますと言っていて、見ていてイライラする」

 石破「無理だとしたら、普天間がこのまま残る。それしかない。ホンートにそれでいいんですかということですね。

 私はね、辺野古移設は絶対無理だというふうに決めてかかるべきだとは思わない。敢えて思いますね。先ずやるべきことは沖縄の理解を求めるとか、そんな話じゃない。沖縄の理解じゃなくて、日本の国民全員がなぜ沖縄に海兵隊が必要なのか、その説明していないですよ、今まで。

 鳩山さんもしない、菅さんもしない。我々の時代も十分ではない。なぜ必要なのだということをきちんと説明をすることから始めれば、沖縄以外にないってことが分かる。

 そして普天間が世界で一番危険な基地である以上、一番危険なものから少しでもいいところへ移す。それが名護だと苦しんだ中で受け入れるという奇跡の判断をしたということ。そこへもう一度賭けてみるということを私はすべきだと思いますよ。

 今は辺野古は無理だと決めてかかるのではなくて、だって、日本に海兵隊はないんですよ。それはアメリカがやるしかないんでしょ。朝鮮半島で台湾で何か起こったとき、真っ先にどこが駆けつけますか。

 日米安全条約というものは日本だけのものじゃない。アジア・太平洋全体のものなのですよ。そのために沖縄にあるのだということを本当にみんなが理解していますか。

 そして世界で一番危険な基地をこのままでいい。誰も思っていない。もう一度、日本国民に向けて分かってください、いうお願いをすること。そして沖縄の負担を減らすということで単におカネをガンガン入れればいいってもんじゃない。日本全体が本当に沖縄に有難うという気持を持つか持たないか。そのことの詰めとかやらないでですね、辺野古はダメだというのは、それは私は敗北主義だと思いますね」

 前原「私は本心で日米合意を履行するために頑張るべきだと思っています。仮にまた政権交代があっても、自民党政権に戻ったとしても、それでお願いしていく。沖縄にお願いするしかない。

 二つポイントを申し上げれば、このパッケージを追求していけば、名護市に新たな基地をお願いすることになって、その局部では負担を増やすことになりますけども、このパッケージが動き出していけば、グアムにかなり移動する。そして嘉手納以南の基地が相当返還されるということで、沖縄をトータルとすると、かなりの私は基地負担軽減につながると思いますし、それをやっていかなくてはいけないと思う。

 やはり沖縄のみに、沖縄の面積っていうのは日本の面積の0.6%。その0.6%に74%の米軍の施設が集中しているというのはやはりこれは過大な負担をお願いし過ぎていますよね。

 よくこの頃、基縄のみなさん方から聞こえてくる言葉っていうのは、差別性って言葉です。なぜ沖縄だけにこれだけ負担があるのかということですから、新たな負担、施設は名護にはお願いしますけでも、沖縄トータルとしては負担軽減のためにしっかり努力していく。

 これは基地負担のみならず、これから我々は話をしていく中で地位協定の中身の問題だとか、あるいは沖縄から今言われている外来機飛来の問題だとか、様々な問題についてしっかりと日米間で話をして、そして沖縄のみなさん方の不安にお答えしていくということは大事だと思います。

 もう一つは、石破さんがおっしゃったことと重なるんですけども、戦略的環境の変化の中でこの日米同盟が占める重要性っていうのは私はさらに増して行くと思いますね。

 勿論、ソ連というものがあって、そして冷戦を防ぐために防波堤として、その日米同盟、共産化しないための日米関係というものがあった。しかしソ連は崩壊をし、そして今何が必要なのかと言うと、少し前までは朝鮮半島の不安定さというものがあった。中台の問題があった。

 しかしこれからはこの地域の中でどんどん台頭する国家があり、そして安全保障環境が大きく変わってきた。例えば中国なんかは21年間で20倍も国防費の伸びを示していて、空母まで持ち始めたという中で、日本の努力は自衛隊ですけども、それを補完する形での日米同盟がある。

 これは石破さんもおっしゃるように日本の安全保障だけではなく、この地域全体のための公共財なんだということを沖縄のみなさん方にもお話しすることは、日本全体にもお話をし、このパッケージが動き始めると、沖縄だけじゃなくて、他の所にも色んなお願いをしていかなくてはいけないわけです。

 第7艦隊の空母のベースを移していくとか、あるいはこの訓練をどこに持っていくとか、これは沖縄以外の色んなところでお願いをしていかなければならない。

 そういう意味での説得力と言うのは政治に求められると思います」――

 石破は 「日米安全条約というものは日本だけのものじゃない。アジア・太平洋全体のものなのですよ。そのために沖縄にあるのだということを本当にみんなが理解していますか」と言い、前原は日米同盟は「日本の安全保障だけではなく、この地域全体のための公共財なんだ」と言っている。両者の共通するこの主張を両者とも絶対認識としている。

 日米安全保障条約がアメリカと日本の利益だけのためにあるのではなく、「アジア・太平洋全体のもの」「この地域全体のための公共財」であるなら、これらの地域に所属し、米国と軍事同盟を結んでいる国々の安全保障条約も、「アジア・太平洋全体のもの」「この地域全体のための公共財」でなければならない。

 もしアメリカと日本だけが負担と義務を負わなければならないこの地域に於ける日米安全保障だとしたなら、「アジア・太平洋全体のもの」、あるいは「この地域全体のための公共財」だとする論理自体が破綻することになる。

 アメリカは韓国と米韓相互防衛条約を締結し、米軍基地も置いている。フィリッピンとは米比相互防衛条約を締結しているが、基地自体は撤去している。

 但し米軍は韓国だけではなく、フィリッピンと合同演習を定期的に行っている。また、軍事同盟を結んでいないが、かつての戦争当事国であったベトナムとも対中脅威を想定した軍事演習を行っている。

 韓国やフィリッピンやベトナムとは地理的にはやや遠いが、アメリカはオーストラリアやニュージーランドと太平洋安全保障条約を締結し、軍事同盟国となっている。

 もし日米安全保障条約が「アジア・太平洋全体のもの」「この地域全体のための公共財」であるなら、米韓相互防衛条約や米比相互防衛条約、太平洋安全保障条約も「アジア・太平洋全体のもの」、あるいは「この地域全体のための公共財」でなければならない理屈となる。

 この構造ゆえにそれぞれの当事国が軍事的負担、安全保障上の義務と負担をそれぞれに負うこととなっていて、「アジア・太平洋全体のもの」だとする、あるいは「この地域全体のための公共財」だとする論理が初めて成り立ち可能となり、その公平性が初めて担保可能となる。

 このことを安全保障上の受益者負担の応分性と表現できる。

 この構造を日本一国に当てはめるとすると、日米安全保障条約を日本「全体のもの」、あるいは日本「全体のための公共財」とするためには沖縄のみの過重な安全保障上の負担とするのではなく、当然のように日本全体で公平・平等に負わなければ、「全体のもの」、あるいは「全体のための公共財」だとする論理は破綻することになり、受益者負担の応分性に反することになる。

 このように「全体のもの」、あるいは「全体のための公共財」だとすることによって担わなければならないアジア・太平洋地域に於ける安全保障上の受益者負担の応分性から言っても、日本一国に限った場合の安全保障上の受益者負担の応分性からしても、普天間の移設先の基地は「沖縄以外にない」とすることは著しく公平性・平等性に反することになる。

 米軍基地は九州であっても、四国地方であってもいいわけであるし、ベトナムやフィリッピンに米軍基地建設を求めてもいいわけである。

 そこから相互の連携が一段と期待され、予想し得る全体としての安全保障上の即応性が敵対国をして一層警戒させることになる。

 もし「沖縄以外にない」として、前原が言っているように「日本の面積の0.6%。その0.6%に74%の米軍の施設が集中している」負担現状から少しぐらい負担を軽減したとしても、巨大都市東京が自らの電力を自らが生産せずに福島・柏崎刈羽両原発に放射能の危険を担わせたまま依存する論理と同根の構造を取ることになる。

 電力が「全体のもの」、あるいは「全体のための公共財」だとするなら、原発の危険も応分に負担することによって初めて「全体のもの」、あるいは「全体のための公共財」だとする論理が成り立つはずである。

 この論理を安全保障として言い替えるなら、首都東京は米軍から返還された立川基地を再度米軍のための基地として提供してもいいはずだ。横田基地を拡張、米軍規模を拡大してもいいはずだ。沖縄に負わせた過大な負担からも首都東京の安全保障を得るとする考えは自分勝手に過ぎる。

 要は前原にしても石破にしても、日米安全保障条約は「全体のもの」、あるいは「全体のための公共財」だとするなら、アジア・太平洋地域全体の負担、あるいは日本全体の負担とすべきを、「沖縄以外にない」を固定観念として特定地域沖縄に安全保障上の負担を集中させる矛盾した意志を面の皮厚く図々しくも働かせている。

 このことこそ、石破の言う「敗北主義」ではないだろうか。


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野田首相の脱「脱原発」の原発推進宣言となっている国連ハイレベル会合のスピーチ

2011-09-25 06:52:39 | Weblog

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 「原子力安全及び核セキュリティに関する国連ハイレベル会合」(2011年9月22日)での野田首相のスピーチ。首相官邸HPから採録してみた。 

 《野田首相スピーチ》
 事務総長、議長、ご列席の皆様、

1.東京電力福島第一原発の事故は、人類が原子力にどのように関わっていくべきかという深淵な問いを我々に改めて投げかけています。各国代表の参集する国連総会の機会に、この会議の開催を主導された事務総長の慧眼に敬意を表します。

2.巨大地震と津波に被災した日本国民は、世界中から心温まる励ましと支援を頂きました。全国民を代表して、改めて深い感謝の意を申し述べます。

3.科学技術は人類の進歩を助け、世界の隅々に繁栄をもたらしてきました。我が国は、最先端の科学技術を用い、1957年に原子力の平和利用に一歩踏み出して以来、半世紀以上にわたって、懸命にその安全な活用の方途を研究・応用し、原子力産業を育成・発展させてきました。それだけに、今回の事故は、日本国民に深い衝撃を与えました。

4.事故発生から半年間あまり、我が国は、事故の早期収束のため、国家の総力を挙げて取り組んできました。私は、その対応の総責任者として、今月の総理就任直後に、東京電力福島第一原発の敷地内で、原子炉建屋を間近に視察しました。この事実が、事故収束に向けた取組の着実な進展を物語っています。

5.関係者のひたむきな努力によって、事故は着実に収束に向かっています。事故当初に比べれば、放射性物質の放出量は、最新の推計で、400万分の1に抑えられています。原子炉の冷温停止状態についても、予定を早めて年内を目途に達成すべく全力を挙げています。事態の改善は、被曝と熱中症の危険にさらされながら、黙々と作業を続ける、2000人を超える作業員の献身的な取組に支えられています。そのことを決して忘れることはできません。

6.高さ15メートルに達した巨大津波の想像を絶する破壊力は、今も現場に痕跡を残しています。少なくとも、津波への備えに過信があったことは疑いがありません。非常用の電源やポンプが、津波で水没するような場所に設置されるべきでなかったことは明らかです。実際に炉心損傷に至る過酷事故を想定した準備も不十分であり、ベントの作業に手間取り、貴重な時間を失いました。本格的な事故原因の究明は今後も続きますが、既に判明している「過ち」とそこから導かれる「教訓」があります。何よりも急がれるのは、それらに基づき、内外で原発安全性の総点検を進めることです。

7.日本は、この事故の全てを迅速かつ正確に国際社会に開示します。既に二度にわたり、事故経過報告書をIAEAに提示しました。従来の行政から独立した事故調査・検証委員会が、中立・客観の立場から包括的に事故を検証中であり、来年には最終報告を示します。同じく来年には、IAEAと共催の国際会議を我が国で開催し、総点検の結果や原子力の安全利用への取組の方向性を国際社会と共有します。

8.日本は、事故の教訓を世界に発信します。既に国際社会に対し、各国の規制機関同士の連携、事故時の国際支援体制の強化、IAEA安全基準の再検討などを提案してきています。国際社会がこれに応え、G8首脳はドーヴィルで、更に多くの諸国はパリで、原子力の安全性を世界最高水準に高める決意を表明し、本日、IAEA総会において、原子力安全の行動計画が確定したことは、実に喜ばしいことです。

9.日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます。既に講じた緊急的な措置に加えて、「規制と利用」を切り離すべく、原子力安全・保安院を経済産業省から分離して、来年4月を目途に「原子力安全庁」を創設し、規制の一元化と安全文化の徹底を図ります。さらに、原子力安全規制自体についても、根本的に強化します。

10.日本は、原子力利用を模索する国々の関心に応えます。数年来、エネルギー安全保障や地球温暖化防止のため、新興諸国を始め、世界の多くの国々が原子力の利用を真剣に模索し、我が国は原子力安全の向上を含めた支援をしてきました。今後とも、これらの国々の我が国の取組への高い関心に、しっかりと応えていきます。

11.日本は、再生可能エネルギーの開発・利用の拡大も主導します。官民が持つ先端技術を結集し、再生可能エネルギーの開発・利用を拡大する努力を倍加します。我が国の中長期的なエネルギー構成のあり方についても、来年の夏を目途に具体的な戦略と計画を示します。

12.日本は、核セキュリティ確保にも積極的に参画します。原子力施設などへのテロ攻撃への対処、各国関連当局間の情報交換なども重要な課題です。来年の核セキュリティ・サミットに参加し、国際社会の共同作業に積極的に参画するとともに、我が国として、核物質や原子力施設に対する防護の取組を強化します。

13.エネルギーは、経済の「血液」であり、日常生活の基盤です。広くは、人類の平和と繁栄を左右します。我々の世代だけでなく、子々孫々の幸福の礎石です。次なる行動について長く迷い続ける余裕はありません。科学技術を最大限に動員し、合理性に立脚し、そして、早急に次なる行動を定めなければなりません。

14.私は、確信いたします。人類が、その英知によって、今般の事故の突きつけた挑戦を必ずや克服することを。福島が、「人々の強い意思と勇気によって、人類の未来を切り拓いた場所」として思い起こされる日が訪れることを。そして、本日の会議が、原子力安全を最高水準に高めるため、我々が共に次なる行動をとる一里塚となることを。日本は、今回の事故の当事国として、全力でその責務を担い、行動することをお誓いして、私の挨拶といたします。

ご清聴ありがとうございました。

 ここでは「原子力の安全性を世界最高水準に高める」とする日本と国際社会とが相互に呼応した「原子力安全の行動計画」を取上げてみる。

 先ず、〈8.日本は、事故の教訓を世界に発信します。既に国際社会に対し、各国の規制機関同士の連携、事故時の国際支援体制の強化、IAEA安全基準の再検討などを提案してきています。国際社会がこれに応え、G8首脳はドーヴィルで、更に多くの諸国はパリで、原子力の安全性を世界最高水準に高める決意を表明し、本日、IAEA総会において、原子力安全の行動計画が確定したことは、実に喜ばしいことです。〉とする発言によって、国際社会が「原子力の安全性を世界最高水準に高める決意を表明し」、「原子力安全の行動計画」を確定したことを歓迎している。

〈9.日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます。既に講じた緊急的な措置に加えて、「規制と利用」を切り離すべく、原子力安全・保安院を経済産業省から分離して、来年4月を目途に「原子力安全庁」を創設し、規制の一元化と安全文化の徹底を図ります。さらに、原子力安全規制自体についても、根本的に強化します。〉

 国際社会の「原子力の安全性を世界最高水準に高める」「原子力安全の行動計画」に呼応して、野田首相は「日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます」と、国際社会と同質の「原子力安全の行動計画」の推進をある意味二人三脚で行うことを宣言した。

 二人三脚と言って悪ければ、国際社会と競う形でと言い直すこともできる。日本独自に「原子力発電の安全性を世界最高水準に高め」る技術を発揮し得るとする自信を持っていたなら(過信していたなら?)、必然的に競う形になる。

 どちらであっても、「日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます」は日本の原子力技術に対する信じて疑わない確信性を高らかに謳い上げた言葉となっている。

 かくも野田首相をして確信させている根拠は何なのだろうか。

 〈10.日本は、原子力利用を模索する国々の関心に応えます。数年来、エネルギー安全保障や地球温暖化防止のため、新興諸国を始め、世界の多くの国々が原子力の利用を真剣に模索し、我が国は原子力安全の向上を含めた支援をしてきました。今後とも、これらの国々の我が国の取組への高い関心に、しっかりと応えていきます。〉

 「安全性を世界最高水準に高め」た「原子力発電」で以って世界各国の「原子力利用」に応える用意があること、応える決意であることを宣言している。

 〈13.エネルギーは、経済の「血液」であり、日常生活の基盤です。広くは、人類の平和と繁栄を左右します。我々の世代だけでなく、子々孫々の幸福の礎石です。次なる行動について長く迷い続ける余裕はありません。科学技術を最大限に動員し、合理性に立脚し、そして、早急に次なる行動を定めなければなりません。〉

 長く迷い続ける時間的余裕のない、早急に決めなければならない、「科学技術を最大限に動員し、合理性に立脚し」た「次なる行動」に「再生可能エネルギーの開発・利用の拡大」を特定しているわけではない。
 
 「原子力発電の安全性を世界最高水準に高め」ることについても「科学技術を最大限に動員し、合理性に立脚」が絶対条件となる。

 「次なる行動」が「再生可能エネルギーの開発・利用の拡大」に重点を置いたものなのか、「安全性を世界最高水準に高め」た「原子力発電」に重点を置いたものなのかは次の発言項目が答を出している。

 〈14.私は、確信いたします。人類が、その英知によって、今般の事故の突きつけた挑戦を必ずや克服することを。福島が、「人々の強い意思と勇気によって、人類の未来を切り拓いた場所」として思い起こされる日が訪れることを。そして、本日の会議が、原子力安全を最高水準に高めるため、我々が共に次なる行動をとる一里塚となることを。日本は、今回の事故の当事国として、全力でその責務を担い、行動することをお誓いして、私の挨拶といたします。〉・・・・・

 「本日の会議が、原子力安全を最高水準に高めるため、我々が共に次なる行動をとる一里塚となることを」。

 「次なる行動」とは「原子力安全を最高水準に高める」ための行動であり、「安全性を世界最高水準に高め」た「原子力発電」を以って「経済の『血液』」とし、「日常生活の基盤」として「人類の平和と繁栄」を目指す行動のことだと。

 そのような行動を以ってして、「我々の世代だけでなく、子々孫々の幸福の礎石」とすることを大目標としている。

 「福島が、『人々の強い意思と勇気によって、人類の未来を切り拓いた場所』として思い起こされる」という言葉には二つのイメージを描くことができる。

 単に原発事故を克服し、除染に成功して住民が生活の原状回復を果したでは、福島を「『人類の未来を切り拓いた場所』として思い起こされる」記念地点とした場合、大袈裟に過ぎる。
 
 一つは原子力発電を一切廃止、ゼロにして、国家「経済の『血液』」たる国家エネルギーを原子力以外のグリーンエネルギー等で成り立たせる新しい国家像を「切り拓」き、このことが国際モデルとなって世界から原子力発電をなくした、そのような「人類の未来を切り拓いた場所」として福島が出発点となったとするイメージ。

 もう一つは、福島の原発事故を収束させた上で「原子力安全を最高水準に高め」た原子力発電を開発、そのような「世界最高水準」の「安全性」を持った「原子力発電」を普及させることで原発事故の恐怖を克服、国家「経済の『血液』」たる国家エネルギーを成り立たせていくことによって「人類の未来を切り拓いた場所」として福島が出発点となったとするイメージ。

 だが、「次なる行動」が「原子力安全を最高水準に高め」た「原子力発電」によって「人類の平和と繁栄」を切り拓いていくことを理想として掲げていることとの整合性、「10」の「世界最高水準」の「安全性」を持った「原子力発電」で以って世界各国の原子力利用に応えるとする国家意志との整合性を併せ考えると、「福島が、『人々の強い意思と勇気によって、人類の未来を切り拓いた場所』として思い起こされる」とするには、どうしても後者のイメージ以外に考えることはできない。

 菅仮免の「脱原発」が計画性も見通しも何もないその場限りの発言だったとしても、その発言に対する野田首相の脱「脱原発」の原子力推進の意志としか読み取ることはできないスピーチとなっていると解釈したが、果たしてどんなものだろうか。

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オバマ大統領の野田首相評価「I can do business with him」に見る価値判断の主体

2011-09-24 09:19:06 | Weblog

 ニューヨークで行われた9月21日の日米首脳会談終了後、オバマ大統領が日本の誇る野田首相を、「I can do business with him」と評したと大統領周辺から首相同行筋に伝えられ、このことを首相同行筋は9月22日に記者団に明かしたとマスコミ各社が伝えている。

 「彼となら一緒に仕事がやれる」という意味だそうで、協調行動を取る相手としてオバマ大統領に信頼感を与えたということだろうが、あくまでも予想と期待から発した信頼感であって、首相就任時の世論調査と同じく、何らかの成果が証明した信頼感ではない。

 成果次第で信頼感は簡単に失望感に姿を変える。鳩山、菅、元・前首相が証明した経緯でもある。いわば思い違いだったと落胆させる可能性も否定できないオバマの「I can do」であって、首相同行筋がわざわざ公表したのは両者が初対面で良好な雰囲気の内に話し合いを持ったとアピールする狙いがあるのだろうが、信頼を得たとする価値観のみで判断するのは甘いと言わざるを得ない。往きはよいよい、帰りは怖いといった場面が待ち構えていないとも限らない。

 だが、何よりもの問題は価値判断の主体がオバマ大統領となっていることである。オバマ大統領が野田首相をどう評価するかに重点が置かれていて、野田首相がオバマ大統領をどう評価するかは問題外となっている。

 いわば日本の野田首相をマスコミも首相同行筋も、また野田首相自身もだろう、当然の如くに従の関係に置いている。この価値判断のどちらを主とし、どちらを従とするかの関係はそのまま全体としての日米関係を反映した、その象徴としてある日本側の受け止めであり、オバマ大統領の自らを主とした態度であろう。

 アメリカにどう価値判断されるかで行動するとき、アメリカの価値観の範囲内の行動となる。当然、アメリカの主体性のもと、その主体性に付き従う日本の主体性なき従属的な行動となる。

 アメリカにどう価値判断させるかで行動したとき初めて、日本は自らの価値観に従った主体的行動を取ることができ、アメリカの価値観の範囲内の行動を打破することができる。

 勿論、そうなったときアメリカの価値観と日本の価値観との闘いが生じることになる。ときには自らの価値観を引っ込める妥協も必要となるが、あくまでも自らの主体性を貫いていく過程で取引きを成り立たせるための、主体性をバックとした妥協であって、最初から主体性なき、従属ありきの妥協とは異なる。

 日本の首相がアメリカの大統領にいつの日か「I can do business with him」と言うことができるときがくるのだろうか。言うことができる主体性、自らの価値判断を示すことができる時が。日本人が持つ強い者に対する権威主義的な従属性からすると、絶望的かもしれない。


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天気次第・降雨量次第の被害任せとなっている危機管理を改めるときがきていないか

2011-09-23 10:38:02 | Weblog

 台風が持ってくる長時間の大雨や突発的な集中豪雨による河川の洪水・氾濫、このような水害を受けた土地の冠水、家屋の浸水は止めることはできないかもしれない。だが、止めることはできないからと言って、天気次第・降雨量次第の被害任せでは技術の生きものたる人間である手前、芸がなさ過ぎるように思える。被害を可能な限り抑えるチエを働かすべきではないだろうか。

 少なくともこれまで長時間降雨、集中豪雨がもたらす水の攻撃になす術もなく手をこまねいているといったところが実情となっている。

 民主党は《民主党政策集INDEX2009》で次のように公約している。

 《国土交通》

〈治水政策の転換(みどりのダム構想)

「ダムは、河川の流れを寸断して自然生態系に大きな悪影響をもたらすとともに、堆砂(砂が溜まること)により数十年間から百年間で利用不可能になります。環境負荷の大きいダム建設を続けることは将来に大きな禍根を残すものです。自然の防災力を活かした流域治水・流域管理の考え方に基づき、森林の再生、自然護岸の整備を通じ、森林の持つ保水機能や土砂流出防止機能を高める『みどりのダム構想』を推進します。

なお、現在計画中または建設中のダムについては、これをいったんすべて凍結し、一定期間を設けて、地域自治体住民とともにその必要性を再検討するなど、治水政策の転換を図ります。」――

 政権担当2年、「みどりのダム構想」はどれ程推進できていて、推進によって「森林の持つ保水機能や土砂流出防止機能」をどれ程に高めることができたのだろうか。「みどりのダム構想」の具体化の程度に応じて「自然の防災力を活かした流域治水・流域管理」の応用性が決まってくる。

 だが、今回の台風12号に対しても15号に対しても「自然の防災力を活かした流域治水・流域管理」は無力で、水が暴れるに任せたといったところではなかったろうか。東日本大震災で被災した住民が仮初めの安住の地とした仮設住宅でも床上浸水が見舞い、二度の苦難を味わわせることになったが、「流域治水・流域管理」は体をなしていなかったはずだ。

 以前HPに書き、2007年7月18日当ブログ記事――《地震のたびに繰返される断水と給水車からの補給 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》の文中に取上げた『ダムに代る治水としての井戸』の一文を、専門家から見た場合、役に立つかどうか分からないが、天気次第・降雨量次第の水害任せとなっている状況が少しでもおかしいのではないかと気づいて貰うために再度ここに取上げ、井戸掘削よりもより簡単で、コストも済むのではないかと考えた方法を提案したいと思う。

 先ず『ダムに代る治水としての井戸』をそのまま書き写してみる。 

 『ダムに代る治水としての井戸』

 ダム見直し論への言及が目立つ。その皮切りは長野県の田中康夫新知事で、ダム建設推進派が占める議会と敵対関係を生じせしめている。公共事業を利権としている業界、その業界を重要な支持母体としている議員としてはダム廃止は死活問題であろう。国政の場では民主党が自党の政策として、『ダム見直し論』を掲げた。

 だが、ダム見直し派はダムに代る有効で具体的な治水対策法を提示しているわけではない。頭の中で考えたことで、役に立つかどうかは分からないが、井戸がダムに代る治水対策の方法とはなり得ないだろうか。従来の井戸は地下水を汲み上げ、それを飲料・その他に供する目的のものである。だが、「ダム代用の井戸」は雨水や川の水を地下に導水して地下水に戻す機能を付加した役目を持たせることとする。

 具体的には、直径1メートルか2メートルの井戸を、家庭排水や工場排水を流さない雨水専用の側溝脇に必要本数だけ地下水脈に届く深さで掘り、それまで河川や海に流しっぱなしにしていた雨水を側溝から、それと接続させた井戸を経由させて地下水として戻す。掘削場所としては、雨水専用の側溝を公園内や河川沿い、低地帯に設けて、それに附属させる。河川が汚染されている場合は、中間に浄化装置を設け、水位が一定の高さに達したなら、井戸に誘導される構造のものとする。ただでさえ工場などで地下水を利用するために、全国的に地盤沈下傾向にあり、そのような状態を食い止める役目も果たせる。

 井戸は常に水質検査して、飲用に供することが可能なら、上水道を川の水としないで、井戸から取水することも可能となる。少しぐらいの汚れなら、浄化装置によって濾過・消毒してから、飲料水とすればいい。あるいは消火用の水、農業用水にも利用可能となるだろう。その他公園の散水、ガソリンスタンドの洗車、プールの水にも利用できる。

 (下線部分は割愛。飲料水用は飲料水用の井戸と別にする。)

 河川流域のすべての市町村にそのような井戸を可能な限り掘削 させたなら、大雨が降っても、あるいは短時間の降水量が急激だった場合、従来の側溝が許容量を超えて雨水を道路に溢れさせてしまうといった現象を抑えて、雨水は井戸に貯水される分、河川への垂れ流しが防止可能となり、それに比例して水位の上昇も低く抑えることが可能となるはずである。このような方法が可能だったとしても、予算の問題が残る。但し、「井戸方式」はダム建設に伴う自然破壊を免れることは確実である。

 広い敷地を持つ会社や工場に、その敷地面積と年間雨量を掛けた体積の雨水を自らの地下に収納できる本数だけの直径1メートル程度の井戸を掘るよう法律で義務付けたなら、自治体がカネをかけずに井戸の本数を増やすことができる。

 この掘削方法はキャタピラ付のオーガ掘削機という重機を使うのだが、直径1メートル程の螺旋状の大型の長い錐を回転させて土を上に吐き出しながら掘っていき、ある程度掘ったら、錐の外形よりもほんの少し大きな鋼管を穴に吊り下ろして、再びオーガを降ろして土を掘りながら、その掘削に合わせて鋼管を必要な長さに溶接等で継ぎ足しながら降ろしていき、目標の深さまで掘っていく。

 鋼管の下部先端から長さ2メートル程上部まで直径2センチ程の穴を可能な限り前以て開けておけば、導入された雨水は鋼管底部に溜まり、その重量で次第に穴から地下に滲み出していく。

 クレーンとオーガ掘削機の2台があれば、他は必要な人員のみで、それ程大掛かりな工事とはならない。

 いわば雨水を地下に導入する井戸を用意し、一方で地下水を汲み上げて、その水を生活用水とする井戸を設けることで、地下水をバランスよく維持して、その減少を防ぐ方法である。

 この方法なら、一本ごとの井戸掘削が短期間の工事で済み、さしてカネもかからない。その分工事主体にかかる財政的負担が少なくて済むが、読み直して果たしてこの方法でうまくいくのだろうかと疑問を抱いた。
 
 今回オーガ掘削機の写真を添付したが、螺旋状の刃を回転させて掘削していきながら、掘った土は螺旋状の刃の上に載せられて回転しながら上に押し上げられていき、地表に吐き出す。

 電動ドリルで木工用錐を先端に取り付けて木材に穴を開けると、螺旋状の切り屑が穴から外に向かって押し出されてくるようにである。

 但し、地下水脈に到達させるためには一本の錐では長さが不足する場合、つないでいく方法を採らなければならないが、錐が長くなると、それに応じてより大きな回転力を必要とする。写真の重機では力不足が生じたからといって、より大型の重機に変更した場合、カネがかかることになるばかりか、工期も長期間化することになる。水を注入して土を液状化しつつ掘削していけば、より少ない回転力で掘削可能となるはずである。

 とは言っても、液状化した土は螺旋状の刃に乗せて地上に吐き出しにくくなるゆえ、錐を一旦取り出してポンプで泥状の水を吸い出す必要が生じる。当然時間が余計にかかることになり、工期が長くなり、人件費その他のカネも余分にかかることになる。

 そこで思いついた方法が家庭や自治体が放射能の除染に使っているう高圧洗浄機である。コンプレッサーで水を圧縮して、ノズル先端から勢いのある水を噴き出させる。この工業用の高圧噴射水を利用して掘削していく方法である。

 ビルの土台杭(コンクリート製)を打ち込むとき、オーガ重機で掘削していくのではなく、杭の先端部から高圧水(ウォータージェット)を噴射して土を液状化して杭を上から押さえつけることで土中に収めていく工事方法もあるそうである。

 インターネットを調べたところ、岩盤掘削にも利用できる「超高圧水ジェット」というものもあるらしい。

 先ずオーガ掘削機で直径1メートル~2メートル、深さ2メートル程度穴を掘削し、そこに4メートルの鋼管を突き刺す。鋼管の中に高圧噴射水のホースと高圧噴射水が液状化(泥状化)した土を吸引するバキュームホースを入れ、高圧噴射水が土を液状化しつつ、バキュームホースが液状化した土を吸引していく。

 高圧噴射水による土の液状化に応じて、鋼管は自重で下に下がっていくが、高圧噴射水が鋼管の内径の範囲内の掘削に収まるよう、ある程度の圧力を上からかける必要があるかもしれない。

 鋼管の長さまで掘削が進んだら、次ぎの鋼管を、太さ3センチ程、長さ1メートル程の鉄筋を周囲に何本か沿わせて鋼管と鋼管をつなぐ形で溶接していく。

 鋼管同士を溶接するよりも、引き離すときより簡単に引き離すことができるからだ。

 地下水脈に到達したなら、ホースを引き上げ、鋼管の内側にすっぽりと入る直径のコンクリート製のヒューム管を最初のヒューム管には直径5センチ程度の穴をそこから水を押し出していけるように無数に開けておき、地表に到達するまで次々と押し込んでいく。

 高圧噴射に使う水はバキュームで吸引した水を循環させ、不足分は水道水、工業用水等で補って使えば、水道代は少なくて済む。東電福島第一原発で原子炉の冷却に放射能汚染水を浄化しながら循環させて使っているようにである。

 コンパートメント(部屋)がいくつかある横長の水槽を上段、中段、下段と高さを違えて何個も並べて泥状の水を通すことで土はコンパートメントごとに下に落ちていき、段階的に澄んだ状態となり、最終的にはかなり澄んだ水とすることができる。

 最初に書いたように長時間の降雨や突発的な集中豪雨による河川の洪水・氾濫は完全には防ぐことはできないかもしれない。当然、土地の冠水、家屋の浸水は覚悟しなければならない。

 だが、何らかの方法で被害を最小限に抑える工夫、チエを働かせなければならないはずだ。民主党のマニフェストが「自然の防災力を活かした流域治水・流域管理の考え方に基づき、森林の再生、自然護岸の整備を通じ、森林の持つ保水機能や土砂流出防止機能を高める『みどりのダム構想』を推進します」と言っていることの、あるいはその他の方法による具体化である。

 この「ダムに代る治水としての井戸」がどれ程役に立つ方法かどうかは分からないが、今回の台風12号の農林水産関連の被害額が現時点で600億円近くにも達するそうである。

 橋梁や道路の公共物、住民の住宅や家財を含めたなら、相当な被害額に達するはずである。すべてムダになるカネであって、ムダにするぐらいなら、ムダをなるべく抑える治水の方法、雨管理の何らかの方法を構築しなければならないはずだ。

 年々大雨化し、氾濫・洪水の回数が多くなり、その規模も大きくなっている。当然、被害の規模も拡大化している。

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沖縄県要請の補助金使途自由な一括交付金化に見る民主党政権の政治主導とマニフェスト違反

2011-09-22 11:56:54 | Weblog

 野田政権の沖縄振興策基本方針が明らかになったと、《沖縄に一括交付金 野田政権、普天間進展狙い提示へ》asahi.com/2011年9月22日3時3分)が伝えている。

 基本方針に「より自由度の高い沖縄の一括交付金を創設する」と明記してあるという。

 但し、〈具体的な金額や制度の仕組みは「予算編成過程において全国ベースでの制度設計を踏まえ、国の責務としての沖縄振興のあり方を勘案しつつ、検討する」としている。〉と解説。

 すべての自治体に対して必要予算を一括交付金化したなら、一律化を要求することになる「全国ベースでの制度設計」は必要なくなる。「全国ベースでの制度設計を踏まえ」てということは、その設計過程で一括交付金化できる事業とできない事業の仕分けが行われる可能性は否定できない。

 仕分けが行われた場合、そこに他県との兼ね合いが生じない保証はない。いわば沖縄県だけ特別扱いするわけにはいかないとの理屈づけである。

 自治体相互に特別扱いはできないとそれぞれの一括交付金化のレベルを下げていって国の関与を残した場合、当然、役所の権限を温存する力学が働くことになる。

 国の責任が関与しない形の、いわば沖縄に責任を全面的に任せる「沖縄振興のあり方」にはできないということだから、沖縄が要求している3000億円どおりの金額となるのか、使途自由度が沖縄の思惑通りの自由度なのかは予断は許さない。

 記事は狙いを、〈県側の要望に応えることで、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題の進展を図る〉ことだと解説している。要するに辺野古移設実現のエサということだろうが、仲井真知事はあくまでも移設と沖縄振興とは別問題だという態度を取っている。

 そういった態度の仲井真県知事に9月26日の沖縄政策協議会の部会で提示するということだが、仲井真知事がブレない限り、魚にエサだけ獲られる事態が待ち構えることになるが、辺野古移設反対派は沖縄がエサだけ獲る魚となることを願っているに違いない。

 記事は最後にこのように至った経緯について解説している。〈菅前政権は今年度当初予算で沖縄関連予算として計2300億円を計上。このうち321億円が、他の都道府県と同じ一括交付金だった。ただ、使途が一部の事業に限られるため、県は予算全体を3千億円まで増額し、全額を自由に使える「沖縄振興一括交付金」とするよう要望している。〉

 菅政権は20011年度当初予算で計2300億円の沖縄関連予算を計上、うち沖縄県が自由に使うことができる一括交付金はたった14%の321億円。

 これは明らかにマニフェスト違反であろう。マニフェスト違反常習政党の民主党だからさして驚かないものの、違反している事実だけは指摘しておかなければならない。

 尤もあちこちでこの手の指摘が既に氾濫しているかもしれないが、遅ればせながら、指摘の尻馬に乗ろうかと思う。

 指摘する前に全額使途自由の「沖縄振興一括交付金」が実現できるかどうかは政治主導、あるいは官僚主導、何れかにかかっていることを伝える記事がある。

 仲井真知事も強気に出たものだが、これは普天間基地の辺野古移設を果してアメリカにもいい顔を見せたい政府の足許を見て駆引き材料とした強気かもしれない。果たしてどちらに軍配が上がるか。

 《一括交付金 問われる政治手腕》沖縄タイムズ/2011年9月20日 13時36分)

 この記事も上記記事と同様に20011年度当初予算沖縄関連予算計2300億円を3000億円まで増額、全額を自由に使える「沖縄振興一括交付金」とするよう要望と書いている。

 その上で、〈今月末にも予定される2012年度予算の概算要求を前に、内閣府沖縄担当部局予算(沖縄振興予算)の一括交付金化をめぐる国と県の動きが活発化している。〉と駆引きがヒートアップしている様子を伝えている。
 
 駆引きの存在は勿論すんなりと一致しない、相違点の存在を証明する。駆引きのヒートアップは相違点の大きさを証明する。

 菅仮免「一括交付金、県が主体となる計画への支援、跡地利用に関する法律の制定、出先機関の見直しなど、地元の方々の声に耳を傾けながら実現してまいります」

 慰霊の日の6月23日(2011年)、糸満市摩文仁で催された全戦没者追悼式に出席した菅仮免(当時)が県の要望実現に意欲を表明した発言だと記事は書いている。

 さらに記事は、〈女房役の枝野幸男官房長官(同)も近く発表される2012年度予算の「概算要求基準」で、一括交付金化に関して一定の方向性を出すとの見通しを示していた。〉と解説。いわば政府主導(=政治主導)で沖縄一括交付金の実現を沖縄県に対して、当然沖縄県民に対して公約した。

 〈ところが菅氏は東日本大震災への対応などをめぐり急速に求心力を下げ、8月26日に退陣を表明。その後新たに就任した野田佳彦首相は菅内閣の基本的な政策を継承する考えを示したが、概算要求が迫りながらも一括交付金化の具体的な進展は見えてこない。〉――

 政府主導(=政治主導)で沖縄一括交付金の実現を約束しておきながら、野田政権にバトンタッチ後も具体的な進展はない。当然、その経緯には政府主導(=政治主導)に対する官僚主導の干渉、もしくは抵抗による停滞を考えなければならない。まさか政府自体が政治主導を忘れて怠けているわけではあるまい。

 記事はこのことを次のように解説している。〈これまで各省庁から予算をかき集めて「沖縄振興予算」として一括計上してきた内閣府沖縄担当部局は、関係省庁との調整が付いていないことなどを理由に挙げ、明確な返答を避けている。

 また、これまでルールだった各事業ごとの予算の積み上げになっていない県の要望を「ブラックボックス」と指摘し、県の要望通り計上することを困難視している。〉・・・・

 全額使途自由の一括交付金なのだから、すべての事業は県が主体となると言うことであって、もはやすべての省庁は蚊帳の外に置くことになるのだが、「関係省庁との調整が付いていない」と言う。

 “全額使途自由”ということはどのような事業を行うか、行う事業ごとの予算を県がどう予算計上するかはすべて沖縄県が自らの責任のもと行うことであって、それを従来どおりのルールから外れて「各事業ごとの予算の積み上げになっていない」、これを以て「ブラックボックス」だとして忌避している。

 要するに何にいくらどう使ったか、費用対効果はどうだったか、最終的な精査に任せるべきを前以て個別に精査して、妥当か否かを国が判断して、妥当ではない事業、予算付けは撤回させたり、改めさせたりするということだろうが、そうすればそうする程、一括交付金という性格から離れることになる。

 一括交付金と言いながら、一括交付金の体をなさないことになる。

 予算決定に関わるこの構造はあくまでも国を地方の上に置き、地方を国の下に置く態度から成り立っている。地方を国に対して独立した存在、あるいは自律した存在と認めまいとする態度でもある。

 対する沖縄県側の対応。〈こうした内閣府の対応について、仲井真弘多知事も早い段階から「ゼロ回答に近い」と認識。政治主導による決着に望みを託し、民主党幹部との接触を重ねてきた。〉

 9月6日に上京、〈岡田克也最高顧問や前原誠司政調会長らとひそかに接触し、沖縄側の意向を伝えている。〉と記事は書いている。

 要するに根回しである。その成果としての「asahi.com」記事が伝えている「沖縄振興策の基本方針」ということなのだろうが、その内容からすると、そこにあくまでも国の関与を残そうとしている節があることから、使途自由な一括交付金化の実現は予断を許さない印象を消すことができないように「沖縄タイムズ」記事も似た結論で締め括っている。

 〈しかし、概算要求基準に県の要望を盛り込むことは前例もないため、事務レベルでは依然として官僚の抵抗が強く、野田内閣や民主党の政治手腕が試されているといえる。〉――

 だが、一括交付金化は2009年マニフェストにも菅仮免が作成した2010年参院選マニフェストにも明記し、公約としたことなのだから、民主党が政権を獲って2年経過していることからして、政治手腕が試される段階は最早卒業して、実行していく段階にきているはずである。

 《民主党政策集INDEX2009》を見てみる。

 「地域主権の確立」

 〈ひもつき補助金の廃止と一括交付金化〉

 〈地方向けの補助金等は、中央官僚による地方支配の根源であり、さまざまな利権の温床となっています。これらの補助金等をすべて廃止して、基本的に地方が自由に使える一括交付金に改めます。真の地方自治を実現する第一歩を踏み出すため、「ひもつき補助金廃止法」を成立させます

 一括交付金のうち、現在の義務教育や社会保障等に関する補助金等に対応する部分は、必要額を確保します。現在の公共事業等の補助金等に対応する部分については、格差是正の観点から財政力の弱い自治体に手厚く配分します。

 中央・地方ともに補助金等に関わる経費と人件費を大幅に削減して、財政の健全化にもつなげます。〉云々。

 次に2009年マニフェスト。

 《2009年民主党の政権政策(マニフェスト)》 

 〈27.霞ヶ関を解体・再編し、地域主権を確立する

 【政策目的】

○明治維新以来続いた中央集権体制を抜本的に改め、「地域主権国家」へと転換する。
○中央政府は国レベルの仕事に専念し、国と地方自治体の関係を、上下・主従の関係から対等・協力の関係へ
 改める。
 地方政府が地域の実情にあった行政サービスを提供できるようにする。
○地域の産業を再生し、雇用を拡大することによって地域を活性化する。

【具体策】

○国から地方への「ひもつき補助金」を廃止し、基本的に地方が自由に使える「一括交付金」として交付す
 る。義務教育・社会保障の必要額は確保する。
○「一括交付金」化により、効率的に財源を活用できるようになるとともに補助金申請が不要になるため、補
 助金に関わる経費と人件費を削減する。

 次に2010年参院選マニフェスト。

 《2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)》(テキスト版)

 〈地域主権

 地方が自由に使える「一括交付金」の第一段階として、2011年度に公共事業をはじめとする投資への補助金を一括交付金化します。引き続き、さらなる一括交付金化を検討します。

 国直轄事業に対する地方の負担金廃止に向けて、引き続き取り組みます。〉云々。

 ちょっと簡単過ぎるが、2009年マニフェストに十二分に書き尽くしていることからの簡略化であろう。

 特に菅仮免はその短い在任中に一括交付金化を実現させる責任を有していた。なぜなら、恐れ入ったことに各政策提示の要所要所に次ぎの宣伝文句が入っている。

 「菅 直人HISTORYNAOTO KAN

 市民運動から、総理へ。

 ついに政権交代、そして総理に」・・・・

 テキスト版には5箇所も入れている。

 かくまでも自己宣伝に何様だと熱意・執心を示した以上、菅仮免は在任中に実現させて置かなければならなかったはずだ。

 だが、依然として民主党政権は「国と地方自治体の関係」を「上下・主従の関係」に置き、沖縄が他の自治体に先駆けて行った使途自由な一括交付金化の要求に対してマニフェストどおりにストレートに応える政治主導を既に発揮し終えていていいはずが、発揮し終えることができないばかりか、普天間の辺野古移設実現に絡めて(内閣自体は直接的には否定するだろうが)持ち出すマニフェストどおりの政治主導に反する不純な行動に出ている。

 これが「ドジョウ」の泥臭い粘り強さということなのだろうか。


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菅仮免のウソを言い、誤魔化しているとしか思えない時事通信インタビューのベント遅れと避難指示の妥当性

2011-09-20 10:57:53 | Weblog

 菅仮免が9月〈17日までに〉応じたとする時事通信のインタビュー記事がある。読売新聞のインタビューは9月5日。NHKのインタビューは9月11日。このうち、時事通信のインタビュー記事が一番詳しく載っている。

 インタビュー記事ではないが、「前首相の証言をもとに構成した」とする「毎日jp」記事―― 《検証・大震災:菅前首相の証言 国難、手探りの日々 「日本がつぶれるかも」》(2011年9月7日)を昨日知ったが、これもかなり詳しく菅仮免の証言を集めている。リンクをつけておいたから、まだ触れていない人はアクセスしてみてください。

 但し証言だからといって事実を言っているとは限らない。時事通信のインタビュー記事を読んで改めてそう思った。特に避難指示を自らは正当化しているが、ウソと誤魔化しで成り立たせているとしか思えなかった。

 記事は全文参考引用した。他のインタビュー記事を取上げてエントリーした当ブログ記事と重なる箇所が出るが、主にベント作業の遅れと避難指示を俎上に乗せたいと思う。 

 《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2011/09/17-19:58)

 菅直人前首相のインタビューの要旨は次の通り。

 -東京電力福島第1原発事故では全電源が喪失した。

 全電源喪失が何を意味するかは私なりに理解していた。原子炉の冷却機能が停止し、メルトダウンにつながる重大な危機と分かっていたので、大変な事故が発生したというのが最初の印象だ。

 -ベントをめぐる東電と政府の連携の悪さが指摘された。

 早い段階から東電の責任者に首相官邸の危機管理センターに来てもらい、海江田万里経済産業相(当時)、原子力安全・保安院、原子力安全委員会の責任者が状況把握に努める中、格納容器の圧力が上がっているからベントが必要だという意見では、関係者は全員一致していた。

 だから東電の責任者に「それでいきましょう」というと「分かりました」とのことになったが、しばらくして「どうなりましたか」と聞くと「まだやれていません」という繰り返しだった。現地を含めた東電社内の意思決定の問題なのか、技術的な問題なのか、その原因はよく分からない。

 いずれにせよ現地とコミュニケーションができないと物事は進まない。それが3月12日に(自らが)第1原発に行く最大の要因だった。そして吉田昌郎所長と会って直接状況を聞き、話をすることができた。ここでやっとコミュニケーションのパイプがつながったという思いだった。

 -12日には1号機が水素爆発したが。

 ちょうど野党と党首会談をやっている時だったが、東電からの報告がなかなか上がってこなかった。そもそも水素爆発という認識がなかったからではないか。当時は格納容器内に窒素を充填(じゅうてん)しているから水素爆発は起きないということで、実際そうした説明を聞いていた。後で分かるが、現実にはその時点でメルトダウンを起こして水素が格納容器の外に漏れており、それが爆発を起こすわけだが、東電、保安院、原子力安全委といった原発関係者には当時はそうした判断はなかったと思う。

 -東電は「撤退したい」と言ってきたのか。

 経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに「東電が現場から撤退したいという話があります」と伝えに来たので、「とんでもない話だ」と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う。

 -3月17日に自衛隊ヘリコプターが上空から原子炉に放水したが。

 日本の最大級の危機に対してしっかり対処していく意思を象徴的に示してくれた場面だった。その後は東京消防庁も頑張ってくれたし、警視庁もやってくれた。いろいろな機関が、危険を乗り越えて行動で示してくれた。そういう意味で重要な行動だったと思う。

 -原発事故は「想定外」の事故と考えるか。

 本来は想定すべきことを考えてこなかったことは否定できない。危険性への対策をするのではなく、危険という議論をいかに抑え込むかをやってきた。原子力の安全神話は、「生まれた」のではなく「つくられた」と思う。そういう意味では人災だと言わざるを得ない。

 -避難区域を半径3キロ、10キロ、20キロと拡大させた対応について。

 複数の原子炉がシビア・アクシデントを起こした経験はどこの国にもない。夜中に、機械的にやっても逃げられるのか。一軒一軒の戸をたたいて、誰が起こすのか。逃げられるような段取りを含め、結果として段階的に広げた。間違っていたとは思わない。

 -3月16日に「東日本がつぶれる」と発言したと伝えられた。

 そんなことは言っていない。最悪のことから考え、シミュレーションはした。(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら、放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、当時の判断として適切だと思う。

 -中部電力浜岡原発に停止要請した経緯は。

 経産相が止めた方がいいと意見具申してくれた。マグニチュード(M)8程度の東海地震が87%の確率で30年以内に起きるという指摘があった。そうなったときに福島第1のようにならないように、という判断を経産相がして、私も同意見だった。地震の可能性が突出して高いということで他の原発とは別次元だった。その後、九州電力玄海原発再稼働の問題が起こる。

 基本的に私が言った考え方は一つだけ。つまり、保安院だけで追加の安全措置を「こうしてください」、「はい結構です」と合格点を出すのはおかしい。今の法律がそうなっているからといって、保安院だけで判断したら国民は納得しない。それで、原子力安全委員会を関与させ、国際原子力機関(IAEA)の考え方を取り入れたストレステスト(耐性評価)の話になっていった。

 -7月に「脱原発依存」を宣言した背景は。

 3月11日以前は安全を確認し、それを踏まえ原子力を活用するという姿勢だった。しかし3月11日を経験し、本当に最悪の事態を想定したら、そのリスクをどれだけの安全性の考え方でカバーできるのか。車なら一度の事故で亡くなるといってもそう多くはないが、原発事故では最悪、国が広範囲に汚染され、国としての機能が動かなくなる。一番の安全性は原発依存から脱却することだ。それが私の結論で、7月に私なりの考え方を言うと同時に、政策的にも「エネルギー・環境会議」で原発依存の低減という方向性を出した。

 -保安院を経産省から分離する閣議決定を8月に行った。原子力行政の見直しは進んだか。

 かなりやったと思っている。保安院が(原発)推進官庁の経産省の中にあって(原発政策をめぐる)「やらせ」まであった。誰の目から見ても経産省の中に置いておくわけにはいかなかった。6月末に(細野)原発事故担当相を置いたのが大きかった。野田佳彦首相も細野担当相を留任させ、その方向を進めている。もう逆行することはないと確信している。

 -野田首相は菅氏ほど「脱原発」を鮮明にしていない。

 原子力への依存を低減させていくというのは、言い方の強弱は別として、私の内閣のときのエネルギー・環境会議の表現とほぼ同じで、踏襲されている。それよりも先のことは国民の選択だ。

 -退陣直前の8月27日に福島県の佐藤雄平知事に「中間貯蔵施設」の県内設置を要請した。

 (放射能の)除染を進めているが、一方でかなり長期間、帰ってもらうことが不可能な地域もある。それについては3月11日の時点で責任者だった私が、厳しいことも含め、申し訳ないがこういう状況だと伝えておくことが必要だと(判断した)。併せて、帰るときには除染が必要で、除染した土などは中間貯蔵という形で福島県内にためておく必要があるということも理解を求めたいと思った。

 -核燃料サイクルはどうすべきか。

 個人的考えを言えば、液体ナトリウムを(冷却剤として)使った高速増殖炉はほとんどの国が撤退していて、難しい技術だ。これが本当にできるかを含め、本格的な見直しの時期ではないか。最終処分の問題も、世界中で方向性が定まっていない。まさに今、考える必要がある。

 -今後の活動は。

 大きな事故を体験した責任者として、原発に依存しない社会の実現に向け、再生可能エネルギーの促進などに積極的に役割を果たしていくべきだと感じている。


 先ずはベント作業の遅れについて。

 記者「ベントをめぐる東電と政府の連携の悪さが指摘された」

 菅仮免「早い段階から東電の責任者に首相官邸の危機管理センターに来てもらい、海江田万里経済産業相(当時)、原子力安全・保安院、原子力安全委員会の責任者が状況把握に努める中、格納容器の圧力が上がっているからベントが必要だという意見では、関係者は全員一致していた。

 だから東電の責任者に『それでいきましょう』というと『分かりました』とのことになったが、しばらくして『どうなりましたか』と聞くと『まだやれていません』という繰り返しだった。現地を含めた東電社内の意思決定の問題なのか、技術的な問題なのか、その原因はよく分からない。

 いずれにせよ現地とコミュニケーションができないと物事は進まない。それが3月12日に(自らが)第1原発に行く最大の要因だった。そして吉田昌郎所長と会って直接状況を聞き、話をすることができた。ここでやっとコミュニケーションのパイプがつながったという思いだった」云々。

 「『どうなりましたか』と聞くと『まだやれていません』という繰り返しだった」――

 上に立つ者が「どうなりましたか」と言うだけで、実施されないことの理由なり原因なりを子どもの使いみたいに聞かないことがあるだろか。

 また東電の関係者も、「まだやれていません」と繰返すだけで、実施されないことの理由なり原因なりを説明しないということがあるのだろうか。

 このことは菅仮免が言うように同じ遣り取りの繰返しを文字で描写すると理解できるだけではなく、滑稽極まる遣り取りだったことを炙り出すことができる。一回の遣り取りの間に一定の時間経過を見て欲しい。

 菅仮免「どうなりましたか」

 東電関係者「まだやれていません」

  (暫くして)

 菅仮免「どうなりましたか」

 東電関係者「まだやれていません」

  (暫くして)

 菅仮免「どうなりましたか」

 東電関係者「まだやれていません」

  (暫くして)

 菅仮免「どうなりましたか」

 東電関係者「まだやれていません」・・・・

 いくらでも続けていいが、この辺で。

 ごくごく常識的に言って、理由や原因を尋ねる“なぜ”を菅仮免は入れて然るべきだが、入れていなかった。入れていたなら、「『どうなりましたか』と聞くと『まだやれていません』という繰り返しだった」とは言えなくなる。

 また東電関係者の「まだやれていません」は東電本社を仲介させた間接的情報だとしても、福島第一原発の現場と情報交換が機能していことを示していなければならない。現場がもし実際にベント操作にかかっていたなら、手間取る原因がなんであるか、あるいは原因不明の理由かは把握しているはずだから、その情報は東電本社、あるいは官邸に伝達されていなければならなかったはずだ。

 こういった経緯を取るのが常識的だとすると、菅仮免の説明は極めて常識に反した、ウソとしか思えない描写ということになる。

 菅仮免は福島第一原発視察を「吉田昌郎所長と会って直接状況を聞き、話をすることができた。ここでやっとコミュニケーションのパイプがつながったという思いだった」と言っている。国会答弁等では、「現場の状況把握は極めて重要だと考えた。第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」と言っている。

 「その後の判断に役だった」とは意思疎通を継続的に図ることができたことを言うと以前のブログに書いたが、「コミュニケーションのパイプがつながった」も同じ意味を取る。

 菅仮免が福島第一原発を視察したのは3月12日午前7時11分から3月12日午前8時04分までで、同じ3月12日午後6時以降の1号機の海水注入問題でのゴタゴタは視察によって「その後の判断に役だった」とする、あるいは「コミュニケーションのパイプがつながった」とする継続的意思疎通を裏切る状況を示している。

 原発現場は実際には注入を中断せずに本社にも隠れて続行していたことが後になって判明するのだが、ごたごたの原因が菅自身にないことを示すために国会答弁で次のように発言している。

 菅仮免「注入のときも、それをやめる時点も含めて私共には直接には報告上がっておりませんでした」

 すべては東電の独断であって、官邸の指示ではないと言っているが、そう言うこと自体が視察から10時間経ったか経たないうちの舌の目も乾かないうちに「その後の判断に役だった」、あるいは「コミュニケーションのパイプがつながった」をウソとする両者関係であったことを暴露するもので、視察に関わるインタビューの発言を著しく疑わせる。

 次に避難指示の妥当性について。

 記者の「避難区域を半径3キロ、10キロ、20キロと拡大させた対応について」の質問に対して菅の「複数の原子炉がシビア・アクシデントを起こした経験はどこの国にもない。夜中に、機械的にやっても逃げられるのか。一軒一軒の戸をたたいて、誰が起こすのか。逃げられるような段取りを含め、結果として段階的に広げた。間違っていたとは思わない」は論理的な整合性をどこにも見ることができず、答になっていない。

 避難対応は、それが例え半径3キロ、10キロ、20キロと段階的に拡大させていったものであったとしても、放射性物質の飛散中の濃度と飛散距離を計算して、それを基準に行われるのが常識でありながら、そのような基準によってではなく、「逃げられるような段取り」を基準として行ったことになるからだ。

 「逃げられるような段取り」を基準としたということは逆に放射能物質の飛散中の濃度と飛散距離を無視したことになる。これ程の矛盾があるだろうか。

 自身の避難指示を正当化するために「夜中に、機械的にやっても逃げられるのか。一軒一軒の戸をたたいて、誰が起こすのか」と言っているが、誰が「一軒一軒の戸をたたい」たりするものか。市の広報を最大限ボリュームを上げて何度でも伝えれば済むことである。後はパニックを引き起さないような配慮が必要となるのみである。

 また記者との間の次の遣り取りが「逃げられるような段取り」を基準として避難指示を出したことをウソだと暴露してくれる。

 記者「3月16日に『東日本がつぶれる』と発言したと伝えられた」

 菅仮免「そんなことは言っていない。最悪のことから考え、シミュレーションはした。(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら、放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、当時の判断として適切だと思う」――

 東電が撤退する・しないの話が持ち上がったのは3月15日の早朝である。「放射能が放出され、200キロも300キロも広がる」は3月15日以降の東電が撤退した場合の菅自身の想定であって、半径3キロ圏内避難、3~10キロ圏内屋内退避の指示を出した3月11日午後9時23分時点での想定ではないはずだ。

 当然、3月11日時点では「初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない」という想定自体が出てこなかったはずだ。3月11日時点でそのような想定でいたとしたら、東電が撤退した場合、最悪の危険性として200キロ、300キロどころか、あるいは500キロ、5000万人どころか、1000キロ、2000キロ、8000万人、1億人といった数字を想定しなければならなくなる。

 時間的ズレを無視して、東電撤退の場合の最悪の想定を持ってきて、それ程にもひどかった、正解はなかったとすることによって避難指示ばかりか自身のすべての対応を比較正当化する薄汚い誤魔化しを働いている。

 避難区域は最初は半径3キロ指示で十分と思われたが、その後の事故の推移から10キロ、20キロと拡大せざるを得なかったとした場合のみ、ウソも誤魔化しもない放射能物質の飛散中の濃度と飛散距離を基準にして避難区域を指示したことになる。

 正当性は正当化を図る言葉によってではなく、その時々の的確な行動によって証明されるはずだ。

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