野田佳彦の共産党との選挙協力「魂を売るわけではない」発言の民進党を受け身に置いた勿体振りの滑稽さ

2016-11-29 08:52:12 | 政治

 民進党幹事長野田佳彦(59歳・早大政経学部卒)の次の衆院選に向けた共産党との選挙協力についての発言を11月27日付「asahi.com」記事が伝えている。

 発言は11月27日地元・千葉県船橋市での支持者向けの会合でだそうだ。

 野田佳彦「握手くらいは、やらないといけない。魂を売るわけではないが、どういう協力をするかは真剣に考えていく。

 野党がバラバラで一つの選挙区で自民党、公明党の候補者と戦うにはまだまだ力不足。ビジネスでは握手だけでなく、カラオケに行って一緒にマイクを握ることもある。だが、魂を売るわけではないし、一緒に住む話でもない」

 後段の「野党がバラバラで一つの選挙区で自民党、公明党の候補者と戦うにはまだまだ力不足」は野党連携の必要性を訴えたもので、「ビジネスでは握手だけでなく」以下の発言は幹事長就任前の6月に民進党を血液型のA型、共産党をB型に譬えて、「輸血して貰ったら、死んじゃうかもしれない」と両党の共闘を批判した発言を振り返ったものだと記事は解説している。

 要するに輸血を受けても、「魂を売るわけではない」と言うことなのだろう。

 「握手くらいは、やらないといけない」と言っている。つまり握手するだけにとどめておくということなのだろう。だが、「どういう協力をするかは真剣に考えていく」と矛盾したことを平気で言っている。

 野田佳彦は感心するくらいに非常に譬え・比喩に長けている。素晴らしいと拍手を送りたい。これ程長けている政治家は他にはいないのではないか。

 だが、考えが浅いことに自分自身は気づいていないようだ。考えが浅いままにやたらと譬え・比喩を口にする。

 一般的に“魂を売る”は弱い立場にある人間が強い立場にある人間に対して行う自分を売る行動様式であって、強い立場にある人間はそうする必要性はどこにもない。逆に弱い立場の人間に魂を売らせる側に立っている。

 例えば2012年の大統領選共和党候補のロムニーは今回の大統領選でトランプを「ペテン師で大統領になる資質も判断力もない」とコキ下ろしていながら、トランプから国務長官候補として会談を求められると、コキ下ろしたことをケロッと投げ捨てて、「大統領になる資質も判断力もない」トランプに国務長官として雇われるべくいそいそとシッポを振って会いに行き、和気藹々の会談の末に笑顔で握手して別れている。

 ロムニーがトランプから国務長官に採用すると言われて引き受けたとしたら、批判してきたトランプの軍門に下ったことになる。

 これなどはロムニーがトランプに節操もなく魂を売った例であろう。トランプは次期大統領という強い立場に立っていて、魂を売る必要性はどこにもない。

 トランプはもしかしたらトランプを批判してきた人間たちの、その政治方面の才能は認めていたとしても、批判というものが如何に当てにならないか、世間に知らそうとしている可能性は否定できない。

 みながみな魂を売れば、批判はウソっぱちだとすることができる。例えそれぞれの人間の節操の無さが浮き彫りになったとしても、無節操から出た批判に過ぎないと片付けられる可能性も生じる。
 
 野田佳彦は「魂を売るわけではない」と譬えることによって気づかないままに民進党を共産党よりも弱い立場の政党に置き換えたのである。

 大体が連携を求められている側が連携を求めている側に「魂を売る」などと言うことはあり得ない話でありながら、あり得ない話で連携というものを解釈している。

 この程度の頭の政治家が民進党の幹事長を務めている。

 また、「輸血して貰ったら、死んじゃうかもしれない」と発言していたそうだが、この場合の輸血とは一般的には健康な身体の人間がその血液を病気の身体の人間に注入して健康体に戻す種類の治療行為であって、その逆はあり得ない。

 勿論、適合しない血液を輸血されたなら、死ぬ危険性が生じない保証はないが、あくまでも輸血は健康体から非健康体に向けた血液の移動である。

 要するに野田佳彦は民進党を非健康体に擬え、健康体に擬えた共産党から輸血を受ける両者の関係とした上で、政策的に非適合ゆえに「輸血して貰ったら、死んじゃうかもしれない」と警戒心を見せた。

 「魂を売る」の譬えにしても、「輸血して貰う」の譬えにしても、野党連携の必要性を言いながら、全て民進党を受け身に置いた野田佳彦の発言となっている。

 曲がりなりにも野党第一党の幹事長でありながら、第一党なりの積極性、闘争心をどこからも窺うことができない。

 巨大与党に如何に対抗して、その勢力を殺ぎ、自らの勢力を伸ばすためにはどうしたらいいか、譬え話にのみエネルギを注いでいるせいか、その迫力がどこにも見えない。

 野党第一党である民進党の政策を如何に優先させて、野合批判を招かない連携とするか、長期的・全体的展望に立った戦略次元の課題として主体的に立ち向かって行動しなければならない話を野党連携を魂を売るとか売らないといった次元の低い話とすること自体が間違っている。輸血次元の話とすること自体が見当違いを犯している。

 野田佳彦は一度は総理大臣を務めた人間でありながら、降格した形で幹事長を務めることで魂を売り、それ以前にも民主党が政権を取る前は「マニフェストに書いてない消費税増税はしない」と言いながら、民主党が政権を獲って自分に首相のお鉢が回ってくると、消費税増税法案の国会通過を図って成功させて、一度ならず魂を売っている。

 このようにも魂を簡単に売る政治家が「魂を売るわけではない」といった譬えを用いる。滑稽な限りである。

 結局のところ、共産党を交えた野党連携を行わなければ巨大与党に一定程度対抗させる形で民進党を立ち行かせることができないことを承知しているからこそ、あるいは蓮舫を新代表に迎えたものの、党を取り巻く状況が変わらないからこそ、野党連携の必要性を訴えているはずである。

 いわば現状を脱するためには野党連携は実際のところは共産党よりも民進党の方がその必要性は高いはずである。

 にも関わらず、「魂を売るわけではない」とか、「一緒に住む話でもない」とか、「輸血して貰ったら、死んじゃうかもしれない」とか勿体ぶっている。

 その勿体ぶりが民進党を共産党に対して受け身の形に置いた関係性を実態としていることに気づかなければ、民進党がリーダーシップを握った野党連携はできないだろうか。

 支持者向けの上記発言自体がどのようなリーダーシップも窺うことのできない言葉で成り立っている。

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百田尚樹が男子大学生強姦事件警察名前非公表を「犯人が在日外国人たちだから」としたことは人種差別か否か

2016-11-28 12:23:54 | Weblog

 2016年5月に東大工学部4年生たちが飲み会に参加していた2人の女子大生のうち1人をメンバーの自宅マンションに連れ込み、全裸にして強制ワイセツを働いて逮捕されたばかりなのに、今度は9月下旬、千葉大医学部男子学生3人が飲食店で飲み会を開き、酔った女性を介抱と偽ってトイレに連れ込み、強姦に及んで千葉県警に逮捕された。

 こういったことは既に珍しい光景ではなくなったということなのだろう。

 確か慶大生もこの種の事件に名乗りを上げていた。早大生も何年か前に名乗りを挙げている。事件化されずに闇から闇に葬る去られる例も幾多あるに違いない。

 この手の事件の多くが居酒屋等飲食店で複数の男子大学生が女子大学生等女性を交えてアルコールをしたたかに体内に取り入れた後に起きている。アルコールは時として複数状態を形成した人間の理性のタガを外して判断能力を失わせ、理性の代わりに付和雷同の傾向を生み出す。

 但し最初から酔わせた上で女性に対して性行為に持っていくことを目的に飲み会をセッティングしている例もあるから、仲間内ではシラフの状態でも既に付和雷同を発動させていた可能性がある。

 要するに元々付和雷同の傾向にある大学生同士が類は類を呼ぶ形で集団となって、と言うことは、理性の働きを欠いている大学生たちが一定の集団となってアルコールを取り入れることで理性を完全に麻痺させ、逆に元々の付和雷同の性格を強めて、みんなで犯せば怖くはないとばかりに性犯罪に走らせることになるのだろう。

 つまりアルコールのせいにはできない。自分たちが気づかずに抱えている付和雷同の性格が本質的には性犯罪要因となっていると見なければならない。

 学校のイジメも、イジメ側が集団を成している場合に於ける集団のボスと成員との人間関係はボスに対する成員の付和雷同を力学として成り立っていることが多い。

 学校は中学校ともなると、中学生に対して様々な人間関係を例に挙げて付和雷同とは何かを教える必要がある。付和雷同の回避もしくは抑制は自分が自分なりの意見を持つことが大きな力となり、それが理性となって育ち、理性は個人の自律に繋がっていく。

 千葉大医学部男子学生3人を若い女性に対する強姦容疑で逮捕した千葉県警は3人の容疑者の身許を公表しなかったらしい。余り興味はないから、記事題名を目に触れただけで、その内容を確かめもしなかった。

 この公表しなかった理由を作家の百田尚樹が自身のツイッターに投稿し、その投稿に対しての賛否論がネットを賑わしていると各マスコミ記事が伝えていた。その内容の方にこそ、興味がある。

 11月27日付「The Huffington Post」記事を参考にその発言を見てみる。  

 11月24日の百田尚樹の投稿。

 〈千葉大医学部の学生の「集団レイプ事件」の犯人たちの名前を、県警が公表せず。

 犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする。

 いずれにしても、凄腕の週刊誌記者たちなら、実名を暴くに違いないと思う。〉

 対してジャーナリスト津田大介(43歳)がその投稿に参戦、11月25日の投稿で批判している。

 〈この人この種の発言懲りずに何度も繰り返してるし、単にツイッターの利用規約違反 https://support.twitter.com/articles/253501 なので、ツイッター社は然るべき警告した上でそれでもやめないようなら、この人のアカウント停止すればいいんじゃないかな。〉2016年11月25日 20:27

 この批判に反論している百田尚樹の同じ11月25日の投稿。

 〈千葉大の集団レイプの犯人が公表されない理由について、「犯人が在日外国人だからではないか」と呟いたら、多くの人から「ヘイトスピーチ」「差別主義者」と言われた。私は犯人が公表されない理由の一つを推論したにすぎない。しかも民族も特定していない。こんな言論さえヘイトスピーチなのか。〉

 この応酬に元検事で弁護士の矢部善朗が参戦している。

 〈百田氏は、「私は在日外国人たちではないかという気がする。」と言った。これは、犯人が公表されない理由について述べたものではなく、犯人を何の根拠もなく在日外国人であると憶測した文章だ。〉

 百田直樹の「私は在日外国人たちではないかという気がする」という発言は千葉県警が容疑者の名前を非公表としたことに対して単に「犯人が公表されない理由の一つを推論したにすぎない」のか、ネットの批判のように人種差別発言なのか、とちらなのだろうか。

 上記記事は千葉県警捜査1課が名前を非公表とした理由を記載している。

 (1)被害者の特定につながる可能性があり、嫌がらせなどが懸念される
 (2)共犯関係などの捜査に支障が生じる、としており今後も報道発表の予定はないという。

 もしこの非公表にウラがあると疑うとしたら、容疑者の中にこの地域に対して相当な影響力のある何らかの有力者の息子(ネットで騒がれている大物政治家の息子か、警察幹部の息子)がいるからではないかと疑うのが一般的であって、「在日外国人たちではないかという気がする」と推測するのは特殊な例に入る。

 しかも「在日外国人たち」と、男子学生3人共に在日外国人にしている。

 在日外国人に何か含むところがなければ、いわば何らかの悪意がなければ、こういった推測は出てこない。

 勿論、それが実生活上の面識だけではなく、ネットや出版物等で得た情報上の何らかの面識ある在日外国人のある個人に対して、それが複数の人間であっても、悪意を持つことはあり得るだろうが、その悪意が「在日外国人たち」と、多分面識もない3人共に向けられている言葉となっている以上、個人性を離れて、集団に対する悪意と見なければならない。

 当然、そこには特定した「在日外国人たち」に対する人種差別が存在することになる。言葉上は民族を特定していなくても、人種差別主義者は心の中では特定しているはずである。

 また、例えその発言が「犯人が公表されない理由の一つを推論したに過ぎない」としても、あるいは「民族を特定していない」としている釈明の正当性を100%認めるにしても、百田尚樹は千葉県警が犯罪が起きて、“犯人が在日外国人”の場合は公表しない規定にしていると決めつけたことになる。

 つまり容疑者が日本人の場合は公表する規定となっていると決めつけていることにもなる。

 そのような規定は存在するはずもないが、百田尚樹の中ではそのような規定を存在させているとしたら、考え得る理由は日本人女性が日本人の強姦に遭うならまだしも、在日外国人の強姦に遭うのは恥だとして容疑者が在日外国人であることを隠す必要からの非公表という規定としていると考えていると見る他ない。

 もし百田直樹の中でそのような精神的葛藤があるとしたら、その恥意識は日本民族優越論に立った他民族蔑視論から発している意識ということになって、このような意識からも人種差別を窺うことができる。

 但しである。容疑者がパチンコ産業を全国展開して財を成した在日外国人の息子である場合、警察はパチンコ店の営業許可、パチンコ機の違法性審査、換金許可等々の権限を握っている関係から、パチンコ業界団体や関連企業、パチンコの景品を扱う商社等が警察官の主要な天下り先となっていることから、パチンコ産業と警察の濃い結びつきは否定できないゆえに、もし百田尚樹が警察と通じていたなら、非公表の理由を把握していた上で「在日外国人たちではないかという気がする」と投稿した可能性はあり得る。
 
 しかしそういった事情から把握した情報に基づいた「在日外国人」との言及であり、実際に容疑者が在日外国人であったとしても、そういった事情も明かさずに、あるいは個別の在日外国人の性犯罪であることを指摘もせずに「在日外国人たちではないかという気がする」という表現で言及することは、どの民族か言葉で特定していようがいまいが、個別の在日外国人の性犯罪であることから離れて、その民族全体の犯罪性であるかのように匂わせていることになる。

 性犯罪を民族全体の問題とすることは日本民族を優越的位置に置いた人種差別以外の何ものでもない。

 前者・後者、いずれのケースから見た発言であっても、人種差別絡みの発言となる。

 そもそもからして百田尚樹は人種差別主義者である

 2015年6月25日に安倍シンパの若手議員約40人が出席した「文化芸術懇話会」で講師役を務めたときの発言。

 百田尚樹「自衛権、交戦権を持つことが戦争抑止力につながる。軍隊を家にたとえると、防犯用の『鍵』であり、しっかり『鍵』をつけよう。

 世界には軍隊を持たない国が26カ国ある。南太平洋の小さな島。ナウルとかバヌアツとか。ツバルなんか、もう沈みそう。家で例えればクソ貧乏長屋。獲るものも何もない。

 アイスランドは年中、氷。資源もない。そんな国、誰が獲るか」

 軍隊を持っているか持っていないかを基準にして、持っていない国を「クソ貧乏長屋」と表現、見下している。国家を見下すということはその国の国民を政治家を含めて見下していることになる。

 一方に見下す民族を置くことは自らの民族を誇っているからに他ならない。どのような民族もそれぞれの価値を認めて対等に見ることができない。

 そのような精神性は日本民族優越論と向き合わせた他民族蔑視の人種差別を巣食わせていることによって成り立つ。

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櫻井よしこの天皇をその権威の絶対化を通して絶対的存在としたい天皇退位等検討有識者ヒアリング

2016-11-26 12:42:06 | 政治

 天皇が自身の高齢を理由に退位を望んだビデオメッセージを使った、いわゆる「お言葉」を受けて政府は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設け、議論を重ねている。

 11月14日、その第4回会合を首相官邸で開き、歴史の専門家等6人を招き、2回目のヒアリングを実施している。

 その6人とは上智大学名誉教授渡部昇一、ジャーナリストの岩井克己、慶應義塾大学教授の笠原英彦、ジャーナリスト櫻井よしこ、元内閣官房副長官石原信雄、帝京大学特任教授の今谷明である。

 それぞれの意見は「第4回 天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議 議事次第」のページでPDF記事で紹介しているが、なぜか退位反対・摂政代行の渡部昇一の記事だけが載っていない。  

 保守派ジャーナリストの櫻井よしこも退位反対・摂政代行の立場を取っている。古臭い頭の彼女が望んだからだろう、PDF記事は縦書きで、しかも縦書きが横書き式に表記してあるから、首を左右どちらかに捻らなければ読むことができない。コピー&ペーストもできない。なかなか親切な記事に仕上がっている。

 マスコミ記事によると、6人のうち4人が退位に反対、もしくは慎重、2人が退位に賛成を示したと言う。

 ここでは櫻井よしこがどのような理由で退位反対・摂政代行の立場を取っているのか、そのことが何を意味しているのか自分なりの解釈を施してみたいと思う。


 天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」ヒアリング 櫻井よしこ
 
 今上天皇のお言葉があり、ご方向の負担軽減等に関する有識者会議が設置され、改めて私たち国民は皇室と日本国の在り方について、根本から考える機会を得ました。この重要な問題について、私見を述べる機会をいただいたことに感謝します。

 私の考えを、天皇と皇室の役割、譲位についての二点に絞って申し上げます。その中で自ずと、ここに問われている質問の多くに答えることになると思います。

 (1)天皇と皇室の役割

 長い歴史の中で、皇室の役割は、国家の安寧と国民の幸福を守るために祈るという形で定着してきました。歴代天皇は先ず何よりも祭祀を最重要事と位置づけ、国家・国民のために神事を行い、その後にはじめて、他の諸々のことを行われました。穏やかな文明を育んできた日本の中心に大祭主としての天皇がおられました。

 しかし、戦後作られた現行憲法とその価値観の下で、祭祀は皇室の私的行為とされました。皇室本来の最も重要な役割であり、日本文明の粋である祭祀をこのように過小評価し続けて今日に至ったことは、戦後日本の大いなる間違いであると、ここで強調したいと思います。

 他方で、政府も国民も本来の皇室の役割から考えれば、重要度の低い多くの事案で両陛下にご苦労をかけてきました。国事行為に加えて多くの機会に地方への行幸啓をお願いし、過重なご公務となっています。  

 ご負担を軽減するために、祭祀、次に国事行為、その他のご公務にそれぞれ優先順位をつけて、天皇様でなければ果たせないお役割を明確にし、その他のことは皇太子様や秋篠宮様に分担していただくような仕組みの構築が大事だと考えます。また、ご公務の多くが、各省庁を通じて宮内庁に申請される国民の要望から産まれている現状を見れば、ご高齢の両陛下のご負担を、政府、政治家、国民の側の自制によって減らしていく努力も欠かせません。

 陛下のなされるお仕事を整理し直す際には、日本の深い歴史と文明の中心軸をなしてきた天皇のお役割は国家国民のために祭祀を執り行って下さることであり、それが原点であることを再認識したいものです。

 権力から離れた次元で、国民の尊厳やあたたかい気持ちの軸となる存在であり続けてきたのが皇室です。天皇は何をなさらずとも、いて下さるだけで有り難い存在であることを強調したいと思います。その余のことを、天皇であるための要件とする必要性も理由も本来ありません。

 (二)譲位について

 誠に申し上げにくいことではありますが、賛成いたしかねます。

 長い鎖国が破られ、弱肉強食の厳しい国際環境の中に日本が立たされたとき、皇室は何百年か何十年かに一度のお役割を果たしました。政治が機能せず、国家の命運が危うくなったとき、天皇が政治、軍事、経済という世俗の権力の上位に立ち、見事に国民の心を統合しました。それが明治維新でした。

 その折、先人達は皇室と日本国の将来の安定のために、従来比較的頻繁に行われていた譲位の制度をやめました。日本国内の事情を見ていれば、事は収まった時代は去り、広く国際社会を見渡し、国民を守り続けることのできる堅固な国家基盤を築かなければならない時代では、皇室の在り様についても異なる対応が必要だったことは明白です。国民統合の求心力であり、国民の幸福と国家安寧の基盤である皇室には、何よりも安定が必要です。そのような考えで先人達は譲位の道を閉ざしたのではないでしょうか。

 また歴史を振りかえれば譲位は度々政治利用されてきました。そのようなことは現時点に日本では考えらなくとも、100年、200年後にはどうでしょうか。国の在り方については、長い先までの安定を念頭に置き、あらゆる可能性を考慮して、万全を期すことが大事です。眼前の状況支店に過度な影響を受けることは回避しなければなりません。

 天皇は終身、天皇でいらっしゃます。その役割は、すでに申し上げたように深い日本文明の歴史に基づいて国家国民のために祈ってくださることです。今上天皇がそうした思いを抱かれ祭祀を大切になさっておられることは、国民の一人として感謝するばかりです。加えて陛下は御自身なりの象徴天皇のあり方を模索なさる中で、常に国民と共のありたいと願われ、日本各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅を大切なこととして実践してこられました。自然災害に苦しむ地域、戦争の傷跡が残る内外の戦跡、病む人々の収容されていた施設など分け隔てなく訪れて下さいました。これらすべて行幸啓、そこに込められた誠実な御心と国民全般に広く注がれる愛もまた、国民の一人として深く心に刻み感謝しています。

 このような理想的な天皇としての在り方が、ご高齢となって難しくなり、従って譲位なさると仮定して、同様の天皇像を次の世代に期待することは果たして妥当でしょうか。はたまた可能でしょうか。おひとりおひとりの天皇はこれまでも、これからも、自らの思いと使命感で自らの天皇像を創り上げていかれるはずです。そのときに求められる最重要のことは祭祀を大切にして下さるという御心の一点に尽きるのであり、その余の要件ではないという気がしてなりません。

 昭和天皇のお姿を思い出します。特別なお立場ゆえの責任は比類なく重く、孤独でもおられたことでしょう。わが国敗戦の折には、昭和天皇は命をかけて国民と国家を守る気概を示されました。戦後は国民を励まし続けられました。そして病を得て、ご病状が国事行為やご公務のお務めを許さないときでも昭和天皇は御世の最後まで譲位なさいませんでした。天皇は終身、天皇でいらっしゃる。ただお一人にしか果たせないその責任を完うなさった。

 今上天皇もかつて仰いました。
 「日本国憲法には、行為は世襲のものでありまた天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であると定められています。私はこの運命を受け入れ、象徴としての望ましいあり方を常に求めていくよう務めています。したがって皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません」。

 このように強烈な使命感と責任感によって理想の天皇像を作られてきた今上陛下が直接国民に語りかけられました。憲法に抵触しかねないお言葉の背景には、余程の思いがあったと感じます。国民として、如何に陛下の御心に応え得るのかを真剣に考えました。すべての理屈を抜きにして、逡巡、懸念、疑問をも横に置いて、ご希望を叶えて差し上げたいと切望するのは、両陛下のお幸せを願う一国民としての純粋かつ素朴な感情です。圧倒的多数の国民がご希望を叶えて差し上げたいと考えているのも同様の思いからでしょう。

 しかし、ここは慎重の上にも慎重でありたいと思います。全身全霊で祭祀やご公務打ちこまれるご高齢の陛下への配慮は当然ですが、そのことと国家の在り方の問題は別であることを、指摘したいと思います。両陛下に対する国民の圧倒的な親愛の情と尊敬の思いを基盤にしてご譲位を実現する場合、憲法に抵触する恐れのある決定に踏み込む可能性はないのか。今回のお言葉の持つ重い意味に心を残すばかりです。

 従って、多くのことを考えれば、ご譲位ではなく摂政を置かれるべきだと申し上げざるを得ません。皇室典範第十六条二項に「又はご高齢」という五文字を加えることで、可能になるお思います。

 ここでも昭和天皇のご下問を思い出します。四方目の内親王、厚子さまがお生まれになった直後の昭和六年三月二十六日、昭和天皇は元老西園寺公望に、皇室典範を改正して「養子の制度を認める可否」をご下問なさいました。ご自分は四方のお子さまがいらしても、内親王に皇位を継承されるのではなく、あくまでも男系男子による継承を願われてのご下問でした。ご自分の都合で皇室の本質を変えてはならない、二七○○年近く続く、長い伝統を守ろうと、心を砕かれた証ではないでしょうか。

 もう一つ考えさせられる事例があります。昭和天皇は、昭和三年の張作霖爆殺事件に関して田中義一首相に怒りをぶつけて辞任を求めました。独白録ではそのことを「若気の至りである」と振かえられ、その後は立憲君主として発言を慎まれたと語っておられます。天皇として矩(のり=則)を守ることを心砕かれたのです。

 こう申し上げながら、私の心の中に憂いと申しわけなさがつもります。両陛下の御心の安かれと願いながらも、ご譲位に賛成できないがゆえの思いです。

 皇室の存在意義が日本と国民のために祈り続けることにあると、私は繰り返し述べました。そのお務めも、ご体調によっては代理を立ててこられました。国事行為や公務の一部を摂政にお任せになるのに、支障がないではないかと思うのはひとえに、私の利害が足りないためです。

 皇室と日本国の安定のために、終身天皇でいらっしゃることが肝要でありますが、摂政制度の活用を軸に多くの工夫を重ね、でき得る限り陛下のお気持ちに沿う方向での制度の改訂を急ぐことが大事だと再度申し上げ、私の意見陳述を終わります。

 平成二十八年十一月十四日

 櫻井よしこが言わんとしていることは、先ず天皇は歴史上政治的権力であった試しはなく、神事を執り行う大祭主であって、「戦後作られた現行憲法とその価値観の下で、祭祀は皇室の私的行為とされ」たが、このことは「戦後の日本大いなる間違い」であって、元々の「皇室の役割は、国家の安寧と国民の幸福を守るために祈る」ことにある、あるいは「皇室の存在意義」は「日本と国民のために祈り続けることにある」と、天皇を祭祀の役目に置き、その祈りによって皇室は「国民統合の求心力であり、国民の幸福と国家安寧の基盤」となっていると言うことであろう。

 祭祀が「皇室の私的行為」とされたことは「戦後日本の大いなる間違い」としている以上、櫻井よしこは天皇制度を戦前に戻したい願望を抱えていることになる。

 天皇という存在が「国家の安寧と国民の幸福を守るために祈る」ことにある、あるいは「日本と国民のために祈り続けることにある」と、それ程にも価値あることとしていることは、その「祈り」は実際に「国家の安寧と国民の幸福」を創り出す力を有していなければならない。

 まさか役に立たない「祈り」と見ていながら、天皇の役割を「国家の安寧と国民の幸福を守るために祈る」ことにある、あるいは「日本と国民のために祈り続けることにある」としているわけではあるまい。

 いわば「国家の安寧と国民の幸福」は天皇の「祈り」によって成り立っている。

 このことを裏返すと、日本という国は「安寧を守るために」、日本国民は「幸福を守るために」天皇に祈られる存在となっていて、「安寧」と「幸福」は天皇の「祈り」によって与えられているということになる。

 この関係構造は天皇の権威の絶対化に他ならない。天皇の権威を絶対化することによって、このような考えが生まれてくる。

 櫻井よしこがこうだと見ている祭祀としての天皇と日本国家・国民の関係は櫻井よしこがヒアリング後記者団に語った言葉が端的に説明してくれる。「産経ニュース」が伝えている。文飾は当方。 
 櫻井よしこ「譲位は過去に何十回も行われてきました。明治以降はなくなったわけですけど、それは日本国がそれ以前、国内の問題だけで事足りていたのが、非常に激しい国際情勢の中に投げ込まれて、国としての安定性を保たなければ国が続かないという状況のとき、国家の安定の根底は、やはり皇室の安定だと考えます。そのための制度として、譲位というよりは、終身天皇であらせられるほうが安定度が高いのではないかと思います」――

 「国家の安定の根底は、やはり皇室の安定だと考えます」

 「皇室の安定」があって、「国家の安定」があるという天皇対国家・国民の関係を描き出している。

 その関係をつくり出している種子が「祈り」と言うことであろう。

 それ程にも日本国家と日本国民は非主体的存在なのだろうか。祈られて安定的に存在し得る受動的存在なのだろうか。

 「国家の安定の根底」は国民生活の安定、あるいは国民の存在的安定でなければならないはずである。

 国民に関わるそのような安定は国民自らの社会活動・経済活動、及び国民が選挙を通して政治を委託する国と地方の政治家が政治の力によってつくり出していくものであって、そうであってこそ国民は責任ある主体的存在となり得る。
 
 だが、櫻井よしこのような天皇主義者は「天皇の祈り」が「国家の安寧と国民の幸福を守る」とすることによって国家と国民を天皇に対して非主体的存在とし、天皇を主体的存在とした、その影響下に置こうとしている。

 ここにも櫻井よしこの天皇の権威の絶対化願望が潜んでいる。

 その権威を絶対化したいからこそ、「天皇は終身、天皇でいらっしゃます」という発想となる。天皇となって一旦身に纏った権威を終身守らせることによってその権威を増幅させ、絶対化できる。

 天皇が高齢となり、男系の子、あるいは男系の孫に天皇の地位と権威を譲って退位し、天皇で無くなった高齢者として生存し続けることは天皇であった間の権威を自ら剥ぎ取った、権威も何もないタダの老人に見える恐れも出ることから、許し難いのだろう。

 死ぬまで天皇であることによって、天皇としての権威と存在はその威厳を保ち得る。

 要するに退位に反対し、摂政を置くことで終身に亘って天皇の地位に置こうという天皇論は天皇の権威を絶対化し、その絶対化を終身に亘って維持したいからで、そのような権威の絶対化を通して天皇の存在そのものを絶対化したいからであろう。

 このような絶対化が、「政治が機能せず、国家の命運が危うくなったとき、天皇が政治、軍事、経済という世俗の権力の上位に立ち、見事に国民の心を統合しました。それが明治維新でした」といった歴史上の事実誤認を生み出す。

 王政復古と称したものの薩長勢力が徳川家打倒の正統性、その大義名分の旗印として天皇を担ぎ出したに過ぎない。明治天皇が武家から権力を取り戻すために薩長勢力を糾合したわけではない。決して「世俗の権力の上位に立」っていたわけではない。

 上位は形式に過ぎず、明治政権の正統性と国民統治の装置としての役割を与えられていたのみである。その役割は大正、戦前昭和と続いた。

 戦前回帰と天皇の絶対化願望満載の櫻井よしこの意見陳述となっている。

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蓮舫の11月24日参院TPP特別委員会対安倍晋三質疑、自分では鋭い追及をしたと思っているのだろうか

2016-11-25 14:07:12 | 政治

 2016年11月24日午後の参院環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)特別委員会で民進党代表の蓮舫が11月17日(日本時間18日)にニューヨークのトランプタワー・トランプ自宅で行われた安倍晋三と次期大統領に当選したにトランプとの会談内容を追及した。

 蓮舫は質問に当たって各マスコミが報道している会談結果についての主な内容を押さえておかなければならない。

 各マスコミ報道から会談の経過を窺ってみる。

 会談前、安倍晋三は「人間関係を如何につくっていくかが大切だ」と人間関係づくりに主眼を置いていることを示唆していた。

 だが、各国首脳の国益に対する立場の相違や政策の相違が深層の人間関係に否応もなしに影響する。国益や政策で対立した場合、内心に抱くに至る信頼できかねる対人感情が表面的な和気藹々の人間関係を阻害し、不快感を誘い、一歩距離を置く要因とならない保証はない。

 安倍晋三の対ロシア接近策がオバマ大統領やオバマ政権の閣僚をして不快感を滲ませるに至り、一歩距離を置くことになっていたことは記憶に新しい。

 11月17日からのアルゼンチンで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の場でオバマ大統領の任期中の最後となる安倍晋三との二人の顔合わせが、両者共にAPECを代表する主役であるべきはずなのに単なる立ち話で終わったことはこの不快感が影響している可能性は否定できない。

 尤もオバマ大統領が安倍晋三に不快感を感じていても、日米関係の基軸としている日米同盟がアメリカをして日本から離れることを踏みとどまらせている。

 つまり、人間関係が絶対的価値を担っているわけではない。当然、トランプが選挙中公言していたTPPからの離脱を思い止まらせるためにその効用――アメリカにとっても日本にとっても非常に有意義な国益となることの説得を試みたはずだ。

 試みずに人間関係の構築のために単に顔合わせしただけだとしたら、木偶の坊の使いとなる。

 安倍晋三はトランプとの約1時間半に亘った会談後、「2人で本当にゆっくりと、じっくりと、胸襟を開いて率直な話ができた。大変温かい雰囲気の中で会談を行うことができた。共に信頼関係を築いていくことができると確信の持てる会談だった。私はトランプ次期大統領は信頼できる指導者であると確信した」(NHK NEWS WEB)と記者団に発言している。

 「胸襟を開いて率直な話ができた」、「共に信頼関係を築いていくことができると確信の持てた」、「トランプ次期大統領は信頼できる指導者であると確信した」

 余程の好感触を得たのでなければ、こういった発言は出てこない。この好感触には肝心要のTPP問題が入っていなければならない。「胸襟を開いて率直な話ができた」と言っているところにも、TPP問題で忌憚なく話し合ったことが含まれていなければならない。

 話し合わずに「胸襟を開いて」は意味はないし、話し合わずに好感触を得ても、役に立たない好感触となる。

 つまり、TPP問題で先行きの明るさを得た。

 だからこそ、「共に信頼関係を築いていくことができると確信の持てた」ということであるはずだ。

 安倍晋三が「会談は非常にうまくいった。これは大丈夫だなと感じた。彼は人の話をよく聴くタイプで、うまくやっていけると思った」(産経ニュース)と発言したことも報道されている。

 この「大丈夫だなと感じた」にもTPP問題の先行きの良好な見通しが入っていなければ意味はない。

 トランプは「人の話をよく聴くタイプ」だとの性格分析と「うまくやっていけると思った」という感触からもTPP発効の有意義な国益性についての安倍晋三からの話が通っていなければならないはずだ。

 もし安倍晋三がTPPの話題を持ち出した途端にトランプから「離脱する考えに変わりはない」と剣もホロホロの態度を示されたなら、「人の話をよく聴くタイプ」いった性格分析は、例え他の話はよく聞いたとしても、ケースバイケースということになって、統一的性格とすることはできない。

 だが、APECの首脳会議が「あらゆる保護主義に対抗する」と宣言した翌日11月22日にトランプはビデオメッセージで大統領就任初日にTPP協定から離脱することを宣言した。

 トランプとの会談後に安倍晋三が紹介した信頼に足るかのようなトランプの人物像、好感触を得たかのような会談の雰囲気は全部とは言わないが、少なくとも主たる用件としたであろうTPP問題に関しては的外れだったことになる。

 この的外れを解くとしたら、トランプはTPP問題に関しては安倍晋三に対して外交辞令的態度に終止したという答しか見い出すことはできない。肝心な用件であるはずなのに、その目的を満足に果たすことができなかった。

 蓮舫は安倍晋三との質疑に当たって、こういったことを押さえておかなければならなかったはずだ。

 では質疑の様子をその詳報伝えている「産経ニュース」から見てみる。  

 先ず蓮舫の発言から。

 蓮舫「さて、今日はTPPに関して総理の率直な考え方を窺わせてください。11月8日、米国の大統領選でドナルド・トランプ氏が当選をされました。選挙戦を通じた、さまざまな言動を含めてトランプ氏に対する、11月8日の総理の印象はどういうものでしたか」

 蓮舫は「今日はTPPに関して総理の率直な考え方を窺わせてください」と言った以上、トランプとの会談で話題にしないはずはないTPP問題でどういう遣り取りがあったかに絞って日本時間11月8日のトランプ会談での印象のみを尋ねるべきを、今後の日米関係を考えて否定的な言葉は口にするはずもない選挙戦中の発言から受けた印象まで店を広げて尋ねるヘマを犯している。

 案の定、安倍晋三は当たり障りのない答弁に終止した。

 安倍晋三「米国が民主的な手続きによって次期大統領を選出し、その意味で祝意を表したところでございます。米国のリーダーというのは、世界において大きな責任を持ち、自由世界のリーダーでもある。その責任もしっかり果たしていただきたいと、期待をしているところでございます」

 蓮舫「どういう印象を持っていましたか?」 

 安倍晋三「他国の選挙の結果についての印象を、総理大臣として述べるのが適切かどうか。私は適切ではないと考えている次第です。日米同盟はわが国の外交安全保障の基軸であり、その認識のもとに、米国の大統領として対応をしていただくように期待をしたい」

 もうこの辺で同じ質問はやめるべきを、自身の否定的印象を述べて、同じ印象を持たなかったか迫っている。

 蓮舫「私は選挙戦を通じた、トランプ氏の物言いには大きな懸念を抱いてきました。自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の下の平等…日米関係の基本理念がもしかしたら揺らぐのではないか。トランプ氏がお話になられた、宗教、民族、性差、特定の国を挙げて『レッテル張り』をする非難と批判の応酬。私は、この方が大統領になられて日米関係の共通理念が共有できるか非常に心配したんです。総理はお感じになりませんでしたか」

 安倍晋三「ここで次期大統領の選挙中の発言について、批判的にコメントを述べるのは生産的ではない。なるべくはやくお目にかかって、自由や民主主義、基本的人権といった普遍的価値を共有する国同士の同盟である日米同盟は揺るがない。そのことを確認をする必要があると考えたわけです」

 堂々巡りでしかない。このことに気づいたのかどうか分からないが、蓮舫はやっと会談での印象に移ることになった。但しトランプが大統領就任前の異例と言われている安倍晋三との会談となったのは既に触れたようにトランプが選挙中公言していたTPPからの離脱が米国にとっての、さらには日本にとってもその非国益性を訴える必要があったからなのは明らかなのだから、なぜならトランプがTPPの米議会承認にイエスを言えば、オバマの任期中の批准も可能となるからだが、会談後に安倍晋三が記者団に話した肯定一色のトランプの印象、あるいは感触から誰もが受けることになるTPP問題に関わるトランプの反応とトランプのTPP離脱宣言の大きな落差を追及すべきなのに、そうはなっていなかった。

 蓮舫「『共に信頼を築ける。そう確信の持てる会談だった』。トランプさんとお会いになった後、総理は発言されました。何をもって信頼関係を築けると確信したのか」

 安倍晋三「先程申し上げたように日本と米国は自由や民主主義、基本的人権、法の支配といった普遍的な価値を持つ同盟である。そして、わが国が他国から侵略された際に、共同対処する唯一の国であります。この同盟関係について、しっかり堅持できるかが大きな観点であります。と同時に、人間としてですね…。

 (議場からヤジが飛ぶ)

 すいません、ヤジを飛ばすのは止めていただけますか。大切な時間を使って、審議しているんですから。答弁しにくいんで、少し静かにしていただきたい。

 大切なことは、やはり人間として信頼できるかどうかということであります。この会談を設定するにあたり、現在の大統領はオバマ大統領であり、現職大統領にしっかり敬意をお互いに示していくことが大事だと考えたわけです。そういった中、首脳会談という形式をとらずに、トランプ氏は『私の家に立ち寄ってくれたことにうれしく思う』という表現を使っている。現職の大統領に対する敬意をこの人はしっかり持っている。米国に2人の大統領が存在することを世界に示してはならないという考え方を示していただいた。こういう姿勢を私は高く評価をして、信頼あると考えたところです」――

 埒の明かない質疑となっているが、各マスコミが報道していた会談結果についての主な内容を確実には押さえておかなかったからだろう。

 蓮舫の以下の質問が一見質疑で見せるべき本筋に見えるが、会談で受け、記者団に述べることになったトランプに対する安倍晋三の印象とトランプのTPP離脱宣言の大きな落差を突いているわけではない。

 蓮舫「ぜこれだけ急いだのかと思えば、TPPは安倍総理の成長戦略の要として推進し、国会でも強行採決を繰り返している。選挙期間中にTPP脱退を公約に掲げたトランプ氏には、なんとか翻意してもらおうと。それで急いで入ったと私は認識している。TPPについてはきっちりとトランプ氏の本音を聞くことはできたのですか」

 安倍晋三「同盟の意義について話をしたのは、まさに日米関係の原則であり、(蓮舫氏が)同じ質問をしたから同じ答弁になったわけでありまして。現職大統領がいるなか、(トランプ氏とは)国と国との関係においてのやりとりということは避けようと一致をしたところでございます。信頼関係というのは、約束関係をしっかり守っていくところから始まるのではないか。こう思うわけです」

 蓮舫「トランプ氏は、TPPを脱退すると明言されたか」

 安倍晋三「信頼を裏切ることは、2人だけにしておこうということを、相手がペラペラしゃべり、信頼を損ねるわけです。トランプ氏が何をしゃべったか申し上げれば、信頼を裏切る。まだ(大統領に)就任していない、スタッフが付いていない中の発言で、私が紹介することは適切でない」

 結局のところ、蓮舫の追及は答弁を拡散させる役にしか立っていない。安倍晋三が話すトランプの印象・感触とトランプのTPP離脱発言との落差から、少なくとも安倍・トランプ会談で脱退を翻意させることはできなかったと推測はできる。

 当然、安倍晋三がトランプから受けたその好印象・好感触は何だったのか、判断に間違いがあったからではないのかと追及して、その判断能力の不出来を印象づけることはできる。

 だが、やはりマスコミ報道を押さえていなかったからだろう、追及しきれないで質疑は推移することになった。

 またトランプはTPPから脱退すると明言しただけで、来年1月20日の大統領就任後にできる脱退の最終決定を下したわけではない。安倍晋三が「かつて、北米自由貿易協定(NAFTA)などについても、米国の大統領が選挙中の発言と、結果が違ったこともある」と発言しているにも関わらず、トランプが最終決定を下したかのような事実誤認を前提に質問を繰返す間抜けさ加減を演じている。

 蓮舫「総理が誰よりも先んじて、トランプ氏に会い、そのこと(TPPからの脱退)を知っていたかどうかは、その直後のアジア太平洋協力会議(APEC)を大きく左右します。APECが始まるときに、ペルーのクチンスキ大統領は『米国抜きの似たような協定で代用できる』、ニュージーランドのキー首相も同じようなことを言っている。

 APECは『TPPをどうしましょう…』という議論になってしまった。トランプ氏の脱退について確認したのであれば、APECは米国抜きの経済連携のあり方を話し合う会議に、日本主導で持っていくことができたのに。なぜやらなかったのか」

 安倍晋三「キー首相、ペルー大統領が言われているのは、残りの11カ国で直ちにやろうという考え方です。しかし、それでは、バランスが崩れてしまう。そして、米国とそれぞれがバイでやるのかという話にもなってくる。われわれは腰を据えて考える必要があると私は思います。トランプ氏発言があったからといって、右顧左眄するべきではない。まさに日本は自由貿易の旗手として意思を示す必要がある。

 APECは、TPPに入っている国だけではない。『自由貿易の持つ意義について、今こそしっかり発信していくべき。TPPも意義がある』ということを申し上げた。TPP首脳会議では、トランプ氏と話したうえにおいても、TPPについてしっかり国内手続きを進めていくべきだということで一致をしたところです。他の多くの国々の指導者も電話で話をして、しっかりとTPPを進めていこうと一致をしたところです」

 次の発言もトランプがTPP脱退を最終決定したかのような事実誤認を前提とした発言となっている。

 蓮舫「発効しないものにいつまでも引きずられるのではなく、日本がリーダーシップを持って、新たな経済連携のありかた、自由貿易のありかたをしっかり各国に確認するAPECを使えなかったのは残念。総理はトランプ氏とお会いになった。何を確認したかをすべて言わなくても、『こういうものまでは話ができた』との姿勢を全くお示しにならない。総理とトランプ氏の会談で、お土産に持っていた高級ゴルフのドライバーだけが放送されて、非常に悲しくなる。このドライバーのお土産は、総理の発案ですか」

 蓮舫の質問こそ、聞いていて、「非常に悲しくなる」

 安倍晋三が話すトランプの印象・感触とトランプのTPP離脱発言との落差から、少なくとも安倍・トランプ会談で脱退を翻意させることはできなかったと推測はできる。

 安倍晋三「よく首脳間では、お土産の交換がございます。値段についてはここで申し上げることは、控えたいと思いますが、トランプ氏はまだ大統領に就任していない。公職ではないわけです。先方からもお土産をいただきましたが、公職ではなく、当然私費で払います。私もポケットマネーでお支払いをしたわけです。それと、プレゼント交換について、プレゼント自体をここでやり取りするのはどうかなという気がします」

 蓮舫はいくらでも言い抜けることができる質問をしたに過ぎない。

 蓮舫「つまり米国が脱退したらTPPは発効しない。トランプ氏は脱退すると公約し、ビデオメッセージでも脱退すると明言した。なぜ、ここで、貴重な時間、税金を使って、審議を進めるのか」

 TPPへの米国の参加を切望する者からしたら、来年の1月20日が過ぎるまでは一縷の望みまで断たれたと考えてはいまい。それまでに様々な働きかけを行うはずだ。当然、安倍晋三の立場からしたら、TPP協定の必要性をアピールするためにも審議を進めて、国会承認を得なければならない。

 要するに「貴重な時間、税金を使って」とは考えていない。蓮舫の方こそ、「貴重な時間、税金を使って」生ぬるい質問しかできていない。

 最悪なのは質問時間切れ前に副官房長官の萩生田光一が民間のシンポジウムで強行採決だと称して採決を強制的に邪魔をする野党は「田舎のプロレスだ。茶番だ」だと発言したことを追及した後の質問である。

 蓮舫「もっと大切なことも言っています。戦後70年の首相談話。日本人はものすごく素直な国民。悪くないと思っていても、その場を謝ることで(その場を)収める。結果として、納得してもらうのが日本の価値観だと。

 首相談話は、先の大戦、痛切な反省、心からのおわびを表明し、植民地支配、侵略について、わが国の姿勢を内外に示すものです。それが、その場を謝ることで収める程度の認識ですか」

 萩生田光一「どの部分を確認されて質問しているのか分かりませんが、私は、70年談話でのお詫びが、その場凌ぎのお詫びだと発言した事実はございません」

 蓮舫「発言を確認された方がよいと思います。同じ流れで、あなたは、『山本(有二・農林水産)大臣のため、何回頭を下げたかわかりません。政府の一員として、申し訳ありませんでした』。これもその場を謝ることで収める、という文脈で話しています」

 萩生田光一「申し上げたのは、国際社会でお詫びすることの重みと、日常生活で日本人が頭を下げる文化には、解釈の違いがあると説明しました」

 蓮舫「謝罪と発言撤回を求めたい。安倍内閣の閣僚は、発言が軽すぎる。国会を軽視しすぎ。何度もお伺いしても、答弁を答えない。もう少し、立法府に敬意を持ってもらいたいことを申して、質問を終わります」――

 この発言の情報源は「asahi.com」らしい。但し無料部分には載っていない。ネットでこの発言が同じ情報源で既に広く拡散されているから、有料部分の記載なのだろう。

 ネットでは次のように紹介されている。

 萩生田光一「戦後70年の首相談話を出す時にも、本当にみんなで悩みました。日本人は物凄く素直な国民、民族でありますから、例えば悪くないと思っていることでも、その場を謝ることで収めるということをみなさんもするじゃないですか」

 要するに個人的な謝罪と首相談話での日本の戦争に対する謝罪を同レベルに置いている。

 意味は「悪くないと思っていることでも、その場を謝ることで収めるということをみなさんもやっているように日本の戦争にしても悪くはないが、首相談話でその場を謝って収めている。安倍晋三の70年首相談話は、いわばその場凌ぎのお詫びに過ぎない」となり、そのよう発言したことになる。

 対して萩生田は「私は、70年談話でのお詫びが、その場凌ぎのお詫びだと発言した事実はございません」 と否定し、「国際社会でお詫びすることの重みと、日常生活で日本人が頭を下げる文化には、解釈の違いがあると説明しました」と釈明している。

 安倍晋三の談話は過去の一時期の日本という国に対する安倍晋三自身の歴史認識に深く関係している。「日常生活で日本人が頭を下げる文化」は一般的には歴史認識に関係しない。

 「解釈の違いがある」のは当然のことで、そのような両者を同じレベルに置いて対比させること自体が、その認識能力の程度の低さを疑わないわけにはいかない。

 後者だけを取って、「日本人は物凄く素直な国民、民族でありますから、例えば悪くないと思っていることでも、その場を謝ることで収めるという」誤り方・謝罪の文化が何を指しているかと言うと、その場の平穏無事のみを願う事勿れ主義への言及に他ならない。

 正しいと信じていることは正しいと主張し、悪いと思っていることは悪いと謝罪するのが的確な自己主張をなしうる人間であり、そういう態度こそ、「物凄く素直な国民、民族」と言うことができる。

 萩生田が指摘している、その場を収めるために謝らなくてもいいことを謝る人間性は自分に対しても相手に対しても過ったメッセージを発することになり、狡い国民・狡い民族でなければなし得ない態度であろう。

 蓮舫はいくら時間切れ前だとしても、萩生田の他の発言にまで手を広げたことで萩生田の釈明を許し、批判して然るべき肝心の発言の意味を的確に追及することができなかった。

 蓮舫は自分では鋭い追及をしていると思っているかもしれないが、何を問題としなければならないか的確に把握していない、それゆえに焦点が定まらない、自身こそが「貴重な時間、税金を使って」と批判を受けなければならない追及に終止していた。

 安倍晋三の巧みは言い抜けを超えることができなければ、いつまで経っても民進党の政党支持率は上がらないに違いない。

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前防衛相中谷元の言論NPO発言「米への感謝の念希薄」は見事なまでのゴマすりべったりの卑屈な対米追従根性

2016-11-24 07:26:54 | 政治
 
 前防衛相の中谷元(59歳・防衛大卒)が2016年21日の言論NPOの会合での発言で見事な見事な対米追従ゴマすりべったり根性を見せた。

 《米国の存在に「日本国民、感謝の念は希薄」》毎日新聞/2016年11月21日 21時37分)       

 言論NPOの会合で

 衆院憲法審査会の与党筆頭幹事を務める自民党の中谷元(げん)前防衛相は(11月)21日、言論NPOの会合で、トランプ次期米大統領が大統領選中に在日米軍駐留経費の負担増を主張した背景について「日本国民は米国の存在にどれだけ関心を持っているのか。感謝の念は非常に希薄だ。そういうことがトランプ氏に伝わり、米国が日本を守るならもっと感謝しろ、カネを出せという発言につながる」との見方を示した。

 そのうえで中谷氏は日本が世界の安全保障により自覚的に関与すべきだと指摘。「憲法に国の安全保障をしっかり規定しなければならない。自衛隊のさまざまな規定を書かなければならない」と述べた。9条改正には直接言及しなかった。【中田卓二】

 この発言がなぜ“見事な見事な対米追従ゴマすりべったり根性”なのか、その理由は2016年5月25日の当ブログ、《翁長知事が跡を絶たない米軍関係者沖縄女性暴行事件を日米地位協定の特権的な状況からの占領意識と見る理由 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で既に触れている。   

 2016年4月、沖縄うるま市で夜ウオーキングにに出かけていた20歳の女性が32歳の黒人の米軍属に襲われ、殺害された。沖縄で再び繰返された米軍関係者による性犯罪絡みの事件である。

 〈翁長知事「日米地位協定の特権的な状況があり、そこで働いている軍人・軍属が大変、ある意味で占領意識を持ちながら県民を見ているところも大きい」

 「日米地位協定」が不平等条約であり、米側に特権的な協定となっているのは、少なくともアメリカの地位を上に置いて日本の地位を下に置いた(あるいは低く見た)日米差別的な協定となっているということであって、その根拠は日本の安全保障(=日本の防衛)に関してその軍事力からして米側の役割(=負担)が特に大きいと見ていることや、「日米安全保障条約」第5条によって、アメリカは日本を防衛する義務を負っているが、日本側はアメリカに対してその義務を負っていないとする片務性等の反映であろう。

 いわば日本は自らの地位を自分の方からアメリカの下に置いている。

 だが、アメリカの日本防衛はアメリカ本土防衛の前段階に位置づけているはずだ。特に1950年6月25日の朝鮮戦争勃発以降、冷戦時代を受けた旧ソ連や中国の軍事的脅威(共産主義の脅威)に対抗する必要性からマッカーサーが憲法9条に反して朝鮮戦争勃発の翌月の1950年7月に日本政府に対して7万5000人の警察予備隊の結成を指令したのも、日本をアメリカ本土防衛の防波堤の第一歩とする目的からであろう。

 警察予備隊は保安隊等を経て、1954年(昭和29年)7月1日の自衛隊発足へと向かった。

 有事に際して安保条約第5条に反してアメリカが日本の防衛に困難になった場合、アメリカは日本の防衛に主力を注ぐことを放棄、防衛戦を太平洋上に下げてアメリカ本土防衛を最優先させた軍事行動に専念するはずた。

 もしロシア軍が、あるいは中国軍が、あるいは北朝鮮軍が日本に上陸、アメリカ本土攻撃の拠点とした場合、アメリカは上陸軍を壊滅させるまで日本本土に軍民区別なしにミサイルを数限りなく撃ち込むだろうし、爆撃機を日本本土上空に数限りなく飛ばして、軍民区別なしにそれぞれの頭上に数限りない爆弾を落とすだろう。

 そうしなければアメリカ本土防衛が覚束なくなるからだし、アメリカ本土防衛に集約した軍事行動とするためには勢い、そのような遠慮のない攻撃とせざるを得ないからだ。

 このように日米安全保障条約がアメリカにとっては究極的にはアメリカ本土防衛に最終利益を置いた差し当たっての利益に過ぎない日本防衛なのだから、ある意味日米対等であっていいはずだが、米軍の負担・義務を特別視してそこに片務性を見てアメリカの地位を上に置く恩義的な意味づけを罷り通らせている。

 このことが「日米地位協定」をアメリカに対して特権的にさせている理由であり、元となっている日米安全保障条約の信じられている片務性が在日米軍の軍人・軍属に日本を守ってやっているのは俺達だという特権意識を植え付けて日本に対して支配者意識(翁長知事が言うある意味での占領意識)を芽生えさせていたとしても、無理はない極く自然な感情とも言える。

 このような支配者意識(あるいは占領意識)は往々にして被支配者としての沖縄県民を軽んずることになる。この軽視が女性を暴力的な性的対象とすることを許す素地となっているとする翁長知事の主張は決して間違っても、見当外れでもないはずだ。〉――

 要するに日米安全保障条約は日本防衛のみに資する軍事同盟条約ではなく、と言うことは、日本の国益のためにだけ存在しているのではなく、アメリカの防衛にも資する、その国益のために締結されている軍事同盟条約であって、そこに双務性を求めることはあっても、片務性のみを見るのは間違っているということである。

 具体的な根拠を挙げると、1990年8月2日のイラクのクウェート侵攻をキッカケに1991年1月に開始された湾岸戦争でも、2003年3月に米軍のイラク首都バグダッドへの空爆で開始されたアメリカ主体の有志連合国によるイラク戦争でも、三沢基地、嘉手納基地、岩国基地等が米軍の爆撃機の発進基地となっているし、ハワイに司令部を置き、他の所属基地の艦船を束ねて艦上に司令部を置く旗艦を置いている米横須賀海軍基地から発進した米第7艦隊空母がイラク空爆の主役を担っている。

 大体が米第7艦隊の任務区域はハワイから西は喜望峰までだと言うから、いわば日本の安全保障範囲を遥かに超えた米国の安全保障範囲となっている。このことが米国の国益と言うことであろう。

 と言うことは、日本の防衛・日本の安全保障に限った在日米軍駐留ではなく、あるいは在日米軍の行動ではなく、アメリカの国益をも考慮に入れた在日米軍駐留であり、在日米軍の行動であって、そこには双務性を見なければならない。

 だが、片務性が罷り通っている。中谷元にしても、その片務性に頭から支配されて、米国の存在に対して「感謝の念は非常に希薄だ」などと言う。

 対等であって然るべき米国との関係であるにも関わらず、自らをアメリカという存在の下に置く卑屈さに呪縛されている。

 米国に対する感謝の念が希薄であることが「トランプ氏に伝わり、米国が日本を守るならもっと感謝しろ、カネを出せという発言につながる」と言っていることは中谷元自身が日本国民に言わんと欲している言葉をトランプという存在を借りて言わしめているからであって、そこまでアメリカという存在にゴマをするが如くにへり下り、感謝しなければならないのだろうか。

 このようにへり下った前防衛相中谷元の人間性からは卑屈な対米追従根性のみしか見えてこない。

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蓮舫の民進党の貧相な現状打破の打開策もなしに共産党提案「野党連立政権構想」を恋愛に譬える危機感の無さ 

2016-11-22 11:13:08 | 政治

 2016年11月16日、民進党代表蓮舫が神奈川県小田原市で記者団に対して志位共産党委員長が実現を求めている野党連立政権構想について、「共産党の片思いの話」と語り、応じない考えを示したとマスコミが伝えていた。

 「共同通信社」の配信で、どの記事も同じ内容となっていて、これ以上の詳しい発言を伝えていない。

 確かに「片思いの話」とは蓮舫らしい簡潔かつ的確に言い当てた表現で感心はしたが、恋愛話に譬えて民進党の姿勢としていい問題なのだろうかと、その危機感の無さ・たわいの無さに逆の意味で感心した。

 つまり蓮舫は共産党と組むことは国民に受け入れられないと考えて、組まないままの現状を選択し、そのような現状でいくことを党代表として民進党の姿勢とすることにしたことになる。

 大いに結構なことである。

 共産党の野党連立政権構想を恋愛話に譬えるのは蓮舫だけかと思ったら、幹事長の野田佳彦までが譬えたことに驚いている。鳥取県米子市で記者団に語ったそうだ。

 11月20日付「asahi.com記事」   

 野田佳彦「蓮舫代表が『片思い』と言っている。それに尽きる。片思いと言われているところから、来年、党大会の案内というラブレターが届いてしまったので、どうするか、党執行部で議論したい」

 いやはや。

 自分では軽くユーモアを効かせた気の利いた発言をしたと内心得意になっているのかもしれない。

 共産党が野党連立政権構想を民進党に持ちかけるなんざあ、相手の気持を考えない片思いに過ぎない。民進党はこれポッチの思いもない。

 野田佳彦が「それに尽きる」と言っていることはそういうことであろう。

 代表・幹事長共に共産党と組まないままの現状を民進党として選択している。

 では、その現状を見てみよう。

 蓮舫が民進党代表に就いたのは2016年9月15日。

 共同通信社が9月17、18両日実施の全国電話世論調査。

 「蓮舫新代表期待する」56.9%
 「蓮舫代表に期待しない」38.4%

 9月17、18両日実施の産経・FNN合同世論調査での民進党に対する政権担当期待度。

 「民進党が政権を担う政党になると思うか」

 「思う」16・5%
 「思わない」75・8%

 NHKが10月8日~10日実施の全国電話世論調査による政党支持率。

 自民党37.1%(前回比-3.1)
 民進党 9.9%(前回比+1.6)
 公明党 3.9%(前回比-0.4)
 共産党 3.9%(前回比+1.4)
 日本維新の会 1.1%(前回比-0.8)
 生活の党 0.1%(前回比+0.1)
 社民党 1.1%(前回比+0.7)、
 支持政党なし 37.8%(前回比+0.8)

 蓮舫が新代表になっても民進党の支持率は1.6しか増えていない。支持政党なしは逆に0.8増えている。

 共同通信社「蓮舫新代表期待する」56.9%はご祝儀相場に過ぎなかったようだ。もし真に期待していたなら、支持政党なしが減って、民進党支持に回っていていいはずだ。

 毎日新聞が11月5、6両日に行った政党支持率

 自民32%
 民進 9%
 公明 4%
 共産 4%
 維新 4%
 無党派層34%

 蓮舫が代表になる前の支持率に戻ってしまっている。

 NHKが11月11日~13日に行った最新の政党支持率。

 自民党38.8%
 民進党 9.3%(以下略)

 国民の民進党に対する支持は以上のような惨憺たる状況にある。

 こういった民進党不人気が次期総選挙に向けた候補者擁立が11月時点で295選挙区中、212選挙区で成功しているものの、83選挙区もの空白区を招いていることになっているのだろう。

 衆議院の議席過半数は238議席。全員当選するわけはないが、全員当選を仮定したとしても、過半数には届かない。

 2014年12月14日投開票の衆議院議員選挙では民主党は198人立候補して当選が73議席。当選率は37%。政党支持率はほぼ変わらないから、現在擁立が決まっている212議席に37%の当選率を掛けると、78人。比率計算上は議席増は5人程度と言うことになる。

 同じ選挙で自民党は352人擁立して、291人が当選。約83%の当選率。

 共産党の「野党連立政権構想」に対して基本的な政策の相違が民進党をして「片思いの話」とさせている理由だろうが、片思いだからと袖にして選択することになる組まないままの現状たるや変わり映えがしない数値で推移している政党支持率や次期総選挙の予想当選者数から見ると、貧相そのものと言わざるを得ない。

 当然、蓮舫と野田佳彦には共産党提案の「野党連立政権構想」を断る以上、民進党が現在置かれているこの貧相そのものの現状を打開する責任が民進党支持者に対して有している。

 どのような現状打開策があると言うのだろうか。打開策を構築し、それを提示しなければならない。

 蓮舫が2016年8月5日午後に党本部で民進党代表選への出馬会見を行ったとき、「私たちは批判ばっかりだと思われている。私は代表として、ここを変えたいと思う。私たちには提案がある、提言がある、対案がある」と勇ましく宣言した。

 批判も提案も提言も対案も、ある政策に対する反対を前提として成り立つ。それが例え部分的であっても、反対だから、批判する。提案し、提言する。対案を出すことになる。

 いつ解散し、総選挙が行われるか分からない差し迫った現状に於いて第1野党としての選挙結果を残し得る現状打開策を提示できずに民進党に対する共産党提案の「野党連立政権構想」を共産党の「片思い」として反対してしまうことは蓮舫が民進党の新たな姿勢にするとした約束に自ら反則を犯すことになる、単に反対だけしていることになる。
 
 民進党が現在置かれている貧相な現状を打開する策を提示してこそ、自身が言っているとおりの“批判ではない対案・提言・提案の創造”に努めている姿勢を表現可能とすることができる。

 だが、どのような打開策も提示できないで、貧相な現状の推移に流されている。

 他に打開策がなければ、共産党の「野党連立政権構想」に乗るしか手は残されていないのではないのか。

 少なくとも野党連立政権に向けた政権協議だけはしてもいいはずだ。

 現在の民進党と共産党の衆参の議席数は民進党146議席に対して共産党は35議席。民進党が4倍の議席を確保している。当然、主導権を握ぎらなければならない民進党がそれゆえに民進党側から見た場合の、どれだけ現実的な政策を取れるかの議席の比率に応じた取捨選択を共産党に対して要求する資格を有していることになる。

 それを実現できるかどうかは蓮舫と野田佳彦、その他の執行部の腕の見せ所である。

 それさえもできない、貧相な現状を打破する打開策もない。その危機感の無さにも感心するが、座して死を待つような無策のまま現状に流されるだけということなら、安倍政権が余程の失敗を演じない限り、選挙後に備えて首を洗っておくしかない。

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安倍晋三が日露首脳会談後に領土交渉を平和条約締結の70年間の不可能性と継続させた発言にその成果が見る

2016-11-21 09:09:18 | 政治

 APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議出席のためペルーの首都リマを訪れていた安倍晋三が2016年11月19日午後(日本時間11月20日午前7時半頃)から、ロシアのプーチンと1時間余会談した。

 この首脳会談で第1次安倍政権時代から数えて15回目だそうだ。会いにも会ったものだが、安倍晋三がプーチンとの信頼関係を言うだけのことはある。

 産むつもりで逢っていた男と女なら、そろそろ子どもが産まれていても良さそうなものだが、領土返還の芽も出ていないことが首脳会談後にぶら下がりの形で記者団に発した発言から窺うことができる。

 11月20日付「産経ニュース」記事がその発言を伝えている。  

 記者「会談の手応えは」

 安倍晋三「(経済協力)8項目について具体的な進捗(しんちょく)を二人で確認し、12月のプーチン大統領の訪日、長門市での会談に向けていい話し合いができたと思います。

 勿論、今日も平和条約問題も含め議論を行いました。平和条約についていえば70年間できなかったわけで、そう簡単な課題ではないわけであります。この平和条約の解決に向けて道筋が見えてくる、見えてはきてはいるわけですが、一歩一歩、山を越えていく必要があります。

 一歩一歩進んでいかなければいけない。そう簡単に、これは大きく、大きな一歩をですね、そう簡単に大きな一歩を進めるということはそう簡単ではないわけですが、着実に一歩一歩前進をしていきたいと思っています」

 記者「後半、少人数になる場面があったようだが」

 安倍晋三「プーチン大統領と二人きりで平和条約交渉、平和条約について腹蔵ない意見交換を行うことができました。これはやはり二人の信頼関係の上でなければ前進していかないと思います。今日は二人でしっかりと話をすることができたことは意義があったと思っています」(以上)

 後段の発言から見えてくる光景は要するに会談の後半は通訳だけを交えて安倍晋三とプーチンがサシで話し合った結果、「平和条約について腹蔵ない意見交換を行うことができた」と何らかの「前進」が仄(ほの)めかされていることである。

 その仄めかしがなければ、「やはり二人の信頼関係の上でなければ前進していかないと思います」という言葉は成り立たない。

 「前進」の要因として、「二人の信頼関係」があったからこそだと、その効用を挙げ、話し合いそのものを「意義があった」とすることができる。

 だが、前段の発言を振り返ると、肝心な領土問題に関しては「前進」は何も見えてこない。見えてくるのは8項目の経済協力に関してのみである。

 発言の最初に8項目の経済協力を持ってきて、領土交渉と一体不可分としている平和条約問題の話し合いをしたことについては、「勿論」と強調しなければならない。

 本来なら“主”である領土問題を先に持ってきて、“従”である経済協力を後に持ってくるべきを、後先逆転させて、“勿論、話題にのぼりましたよ”といった意味合いで「勿論」と強調させなければならないこと自体にどの程度の「前進」があったのかはおおよその予想はつく。
 
 もし領土問題で何らかの「前進」があったなら、あくまでも領土問題が“主”なのだから、後先逆転させることはなかったろう。

 このことは後の発言にも現れている。

 「平和条約についていえば70年間できなかったわけで、そう簡単な課題ではないわけであります」――

 70年間の不可能性を持ち出して、「そう簡単な課題ではない」と現在の状況の困難性に言及している。

 である以上、前者の状況を現在の状況に継続させていることになって、そこには如何なる「前進」も見ることはできない。

 その結果、「着実に一歩一歩前進をしていきたい」と願望を示すことになる。この願望は停滞に対する意思表示であろう。

 もし一歩でも前進していたなら、「そう簡単な課題ではない」とは言わないだろうし、70年間の不可能性に対して何らかの光明を見い出した種類の言葉を発していたはずだ。

 だとすると、8項目の経済協力のみが「前進」していることになり、「いい話し合いができた」、あるいは「今日は二人でしっかりと話をすることができたことは意義があった」と言っていることは、実際には、“特にプーチン側にとっては”という注釈付きを実態としていなければならないことになる。

 だが、その実態を隠して、「平和条約について腹蔵ない意見交換を行うことができた」としている。

 意見の一致点を何ら見ないままに「腹蔵ない意見交換を行うことができた」としたら、神業である。平行線を辿ることを「腹蔵ない意見交換」とは言わない。

 安倍晋三が14回の首脳会談でプーチンとの間に「信頼関係」をコツコツと築き上げた成果は15回目の首脳会談でも、少なくとも領土交渉に関しては何ら「前進」を見ることはなかったということであり、8項目の経済協力に関しての話し合いのみが進んだということは、プーチン側の思惑の土俵内で勝負した首脳会談に過ぎなかったことになる。

 このことを裏返すと、安倍晋三は自身の思惑の土俵に立たせても貰わなかった。

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松野博一の原発避難イジメが問題点を示していながら、それを理解していないイジメ防止の「大臣メッセージ」

2016-11-19 11:42:16 | 教育

 文科相の松野博一(54歳・早大法学部卒 )が2016年11月18日、イジメはいけないことだ、悪いことだといったことを教師が一方的に教えるこれまでの道徳教育からイジメについて「考え、議論する道徳」教育に転換、そのような授業を通してイジメ防止に繋げるべく、具体的例まで示した「大臣メッセージ」を公表した。   

・どのようなことが、いじめになるのか。
・なぜ、いじめが起きるのか。
・なぜ、いじめはしてはいけないのか。
・なぜ、いじめはいけないと分かっていても、止められなかったりするのか。
・どうやって、いじめを防ぐこと、解決することができるのか。
・いじめにより生じた結果について、どのような責任を負わなくてはならないのか。

 こうったことを自分のこととして考えさせ、議論させる。

 何のことはない、かつて文科省が「総合的な学習」として掲げた、〈変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てる〉としたテーマと何ら変わらない。

 だが、「総合的な学習」への注力が学力低下を招き、早々に元々の知識重視、いわば詰め込み教育に先祖帰りさせてしまった。

 原因は「総合的な学習」を教える能力が知識・情報を伝達するだけの暗記教育に慣れきった教師に備わっていなかったことと、主体的自己思考能力・主体的自己判断能力を育むには時間がかかることを考えて我慢すべきを政治家や教育関係の役人たちが学力低下に我慢し切れすに痺れを切らしてしまったからだ。

 要するに学校教師も政治家・役人も考える能力を欠いていた。

 だとしたら、いくらイジメ防止という大義を掲げたとしても、「考え、議論する道徳」教育への期待は「総合的な学習」の二の舞いを演じない保証はないことになる。

 「考え、議論する道徳」教育がイジメ防止にたいして役に立たないことの理由はもう一つある。

 学校のイジメは主として考える力を持たない児童・生徒か、考える力が未発育の児童・生徒がやる。

 いくら日本一成績が優秀な東大に入学したとしてもワイセツ事件を起こす生徒もいる。あるいは法学部卒業という名誉を担ったとしても、悪事を働く人間もいるということは満足に考える力を備えないままに学歴を過ごしたことになる。

 学校教師が道徳教育を通して児童・生徒に対してイジメについて活発に議論させ、考える力をつけさせていく能力を備えていることを前提にそのような道徳教育をいくら施そうとも、学校のイジメは考える力を持たない児童・生徒か、考える力が未発育の児童・生徒が専ら専門能力とすることだから、考える力を持たないないままに、あるいは考える力が未発育のままに学校生活を送ることになる児童・生徒には猫に小判となりかねない。

 そのような児童・生徒には「考え、議論する道徳」と銘打とうとも、決定的な解決策となることは期待できないだろう。

 人類は大昔から偉大な道徳教育に恵まれていた。宗教という名の道徳教育。聖書、コーラン、仏典、その他その他は様々な道徳を人類に示し、説き、教えようとしてきた。

 だが、悪事はなくならない。折角考える力を身につけながら、時と場合に応じて考える力を失わせて悪事に走る人間もいる。

 学校教師が「総合的な学習」を教える能力を欠いていたように「考え、議論する道徳」教育を教える能力を欠いていたなら、このような能力の欠落性と対面することになる児童・生徒にとっては「考え、議論する道徳」教育のより良い機会になり得るかという問題が生じるばかりではなく、学校のイジメが主として考える力を持たない児童・生徒か、考える力が未発育の児童・生徒によって起こされる由々しき出来事であるなら、そのような児童・生徒が無くならずに存在し続けることに対応してイジメにしても無くならずに存在し続けることになる。

 このような能力の欠落性と対面することになる児童・生徒にとっては「考え、議論する道徳」教育のより良い機会になり得るかという問題が生じるばかりではなく、学校のイジメが主として考える力を持たない児童・生徒か、考える力が未発育の児童・生徒によって起こされる由々しき出来事であるなら、そのような児童・生徒が無くならずに存在し続けることに対応してイジメにしても無くならずに存在し続けることになる。

 手っ取り早く言うと、イジメは決して無くならないということである。

 この理(ことわり)を常に十二分に弁えていなければならない。特に学校教師は。

 イジメが無くなることはない以上、イジメが起きることを防ぐことは不可能なことで、その時々に起きているイジメにいち早く気づいて、そのイジメが決定的に陰湿化・凶悪化する前に摘発し、進行を食い止めることが児童・生徒が喜怒哀楽の感情で常時表現している生きて在る自然な生命(いのち)に不当な力を加えられて歪められてしまわないためのより有効な解決策となるはずである。

 病気の治療で言うと、病気がなくならないことを前提に早期発見・早期治療に努めることと同じである。

 となると、イジメの陰湿化・凶悪化への早期発見・早期防止のためには学校教師はせめて1日に1度はこの学校のどこかで今現在、イジメは進行中なのかもしれないと自身に警戒を促す危機管理を発動させていなければならない。

 それが1日に1度であっても、習慣とすることによってイジメに警戒し、それを見つけようとするアンテナの感度を鋭くすることになる。

 現在問題となっている原発避難いじめ問題で小学校はそのような対応――早期発見・早期防止の危機管理を機能させていたのだろうか。

 原発事故が起きた福島県から横浜市へ両親と自主避難した男子6年生が転校先の小学校でイジメを受けた。現在中1になったが、不登校が続いているという。

 イジメが当然の権利として持つ自然な生命(いのち)としてある6年生の喜怒哀楽の感情を歪め、当たり前の感情の発露を奪ってしまった。

 彼がイジメについて書いた手記には、原発事故で賠償金があるだろうから、カネを持ってこいと脅されたことやに蹴られたり、殴られたり、階段から押されたりの厭がらせを受けたことが書かれている。

 小学校がどんな対応をしたか、2016年11月18日付「NHK NEWS WEB」から先ず見てみる。   

 2014年6月ということだから、小学校5年生のときになるが、男子生徒の両親が「遊ぶ金として同級生に合わせて150万円ほどを渡した」と学校に被害を訴えた。同じ年の11月には警察が同様の情報を学校に寄せたと記事は書いている。

 「いじめ防止対策推進法」は心身や財産に重大な被害が生じた疑いがある場合は「重大事態」として調査するよう規定しているが、横浜市教育委員会も小学校も「重大事態」に当たらないと判断し、調査は行わなかった。

 横浜市教育委員会は今月中にも担当者への聞き取りを始め、当時の対応を検証することにしているという。

 記事はなぜ「重大事態」に当たらないと判断したのか書いてないが、NHKの11月18日7時のニュースで、学校が被害者・加害者双方から聞き取りを行ったところ、加害者側は「おごってもらっただけだ」と説明したために学校も横浜市教育委員会も「いじめ防止対策推進法」で調査が求められている「重大な事態に」には当たらないと判断したと説明していた。

 つまり加害者側がタカリを否定した、その言い分を学校は鵜呑みにし、その報告を横浜市教育委員会も鵜呑みにしたといった経緯を取ったのだろう。

 タカリ(金銭要求)、殴打、パシリ、過度の無視等は類型化されたイジメの手口となっている。そのような手口でイジメる側がイジメを受ける側に対して支配と従属の権威主義的関係を強要する。

 そしてまたイジメる側もイジメを受ける側も、イジメが露見して教師や親に尋ねられたとき、イジメを否定することも類型化した反応となっている。

 親の幼い子どもに対する児童虐待もイジメの一種だが、児童相談所が家庭訪問して子どもの身体につけた傷について親に尋ねると、親は階段から落ちた、自転車で転んだとウソをついて虐待を否定することも、その言い逃れを真に受けて幼い子供を死なせてしまうという事例も既に類型化の内に入れることができる。

 1994年に愛知県西尾市立中2の大河内清輝君がイジメ自殺した件でも、脚に怪我をして尋ねられたとき、自転車で転んでつけた傷だとウソをついた。イジメグループに多いときで6万円、少ないときでも3万か4万円とカネをせびられ、合計100万円以上も強請られていながら、遺書に「僕からお金をとっていた人たちを責めないでください。僕が素直に差し出してしまったからいけないのです」と書いて、逆に自分の非としている。

 例え親か教師に「金を取られていないか」と尋ねられたとしても、否定した可能性は高い。

 過去のイジメ自殺事件からイジメは無くならないゆえに肝心なことはイジメが陰湿化・凶悪化しない前に今起きているかもしれないイジメの早期発見・早期防止に努めるしか手はないのだという危機管理を学習していたなら、あるいは類型化しているイジメの手口とイジメ側がイジメではないと装う類型化した言い分、更にイジメられる側の正直に話したらなおイジメが激しくなるのではないかと恐れて、イジメの被害を隠す類型化した態度を学習していたなら、強請りの聞き取りに対して加害側の生徒が「おごってもらっただけだ」と金銭要求を否定したとしても、鵜呑みにせずに聞き取りを他の生徒にまで広げて、確認の上に確認する努力を行ったはずだ。

 だが、何も学習していなかった。

 イジメがなくならない以上、ここにこそ問題点がある。

 文科相の松野博一も教育行政を与りながら、過去のイジメ自殺事件から何も学習せず、何も理解せず、それゆえにどこに問題点があるか気づかずに、だからだろう、それでイジメが解決するとでも思っているから、やれ「考え、議論する道徳」教育だと、見当違いの「大臣メッセージ」を発したはずだ。

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安藤裕の11月17日憲法審査会発言に見える事実誤認から発した時代錯誤と復古主義の天皇の権威の絶対化 

2016-11-18 12:58:41 | 政治

 2016年11月17日付「asahi.com」記事が、2016年11月17日に開催の衆義院憲法審査会での自民党議員安藤裕(51歳・慶応経済学部卒)の天皇の権威を絶対化しようという衝動を抱え込んだ発言を伝えている。 

 安藤裕自民衆院議員(天皇陛下の退位をめぐる皇室典範のあり方について)「旧憲法(明治憲法)のように国会の議決を経ずに、皇室の方々でお決め頂き、国民はそれに従うというふうに決めた方が日本の古来の知恵だ。

 天皇の地位は日本書紀における天壌無窮に由来するものだ。日本最高の権威が国会の元に置かれている」――

 記事は、〈旧皇室典範は明治憲法と並ぶものと位置づけられ、制定や改正に帝国議会の関与はなかった。一方、現行憲法では天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」として、皇室典範は国会で定めるとしている。〉と解説している。

 「天壌無窮」とはご存知のように「天地と同じように永遠に続くこと。」を意味する言葉であり、この言葉自体が天皇の権威の絶対化を表現している。

 要するに安藤裕は皇室の在り方を明治から戦前時代までの規定に戻すべきだと主張している。いわば皇室典範を日本国憲法の上に置けと。

 そうすることで天皇の地位が「天壌無窮」の存在であることを保証せよと。

 具体的にどう発言したのか、衆議院インターネット審議中継にアクセスして、安藤裕の発言個所を文字化してみた。

 安藤裕「早急に変えなければならないのは憲法2条だと思う。現行の憲法第2条では、『皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。』と規定されている。

 先の天皇陛下のお言葉をキッカケに皇室典範や天皇陛下の譲位についての議論が始められている。有識者会議も設置され、その議論についても様々な報道がなされている。

 私は皇室の在り方や譲位について国民的議論の対象になること自体、少し違和感を感じています。皇位継承の在り方について、天皇陛下の譲位について私たちが口を挟むべき内容なのか。

 我々はそれに口出しをする程、日頃から熟考し、長い皇室の歴史について熟知しているのか。そのことについては甚だ疑問を感じるのです。

 一番問題であると考えるのは憲法第2条の『国会の議決した皇室典範』という規定です。国会で議決をするとなると、私たち国会議員も、当然皇室典範について発言をしなくてはならなくなります。国会議員として発言するとなると、当然にそれぞれの議員の信条や価値観に基づいて発言が出てくる。

 これは極めて自然なことです。しかし私たち政治家が発言をするとなると、当然にこれは政治問題となってきます。様々な集会で政治家が発言をすればする程、大きな政治的課題となり国論を分離するような議論に発展していく恐れがある。

 これが結果的に皇室の政治利用につながっていくのではないだろうか。

 長い日本の歴史を顧みても、世界最古の王朝である皇室がなぜこれ程長い間続いてきたのか。それは国の権威と権力が分離をしており、皇室は日本最古の権威を保ち、国を統治する国家権力は武家等が統治をしてきました。

 だからこそ、どのような権力者も天皇に取って代わろうとは考えなかった。(中国の)易姓革命のようなことはこの日本では起きることはなく、神話の時代から連綿と続く皇室が今でも継続している権威を権力と分離させておくことが結果的には国の統一を保ち、今の象徴天皇制に繋がっているのではないかと思う。

 これからも天皇陛下の権威と国家の権力は分離させておくべきである。それが今後も国家を継続させていく大切な要素であると考えます。

 ところが今第2条では『皇位は世襲のものであって、国会が議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。』と規定されている。つまり日本の最高権威が国権の最高機関である国会の下に置かれている。

 先人たちが長い間培ってきたチエである権威と権力の分離が現憲法では成されていない。本来皇室の地位は日本書紀に於ける天壌無窮の神勅に由来するものであり、憲法が起草される遥か昔から存在するものであります。

 これを後から憲法に文章として規定をし、そこに国の権力の源泉を入れ込んだために権威と権力の分離ができなくなってくる。

 私は皇室典範については旧憲法のように国会の議決を経ずに皇室の方々でお決めを頂き、国民はそれに従うというふうに決めた方が日本の古来の知恵であった権威と権力の分離が図られるものと思います。

 皇位継承や天皇陛下の譲位について政治問題と化し、政局となってしまうことを避けることができると思います。だからこそ、早急に改正すべきは憲法第2条であると思います。

 皇室は憲法以前から存在をしており、我々が手を出せないところにあるからこそ権威なのです。それを忘れてはならないと思います。以上です」

 恐れ入った旧態依然の時代錯誤・復古調の思想である。

 先ず知っている人には失礼に当たるが、言葉の意味から。

 「易姓革命」(えきせいかくめい)について。

 「易姓」は、主に中国で王室の姓を易(か)える意。王朝が変り、新王朝が興ること。革命を意味する。

 「易姓革命」は儒教の政治思想の基本概念の一つ。天子は天命により天下を治めているのであるから、天子の家(姓)に不徳の者が出れば、天命は別の有徳者に移り(いわば命が革(あらた)まって、)王朝が交代することを意味する。

 中国の易姓革命観による革命の一方式として「放伐」(ほうばつ)というのがある。徳を失った悪逆な君主を徳のある者が武力で討伐・追放して、新王朝を建てること。

 「神勅」 神のお告げ。神の命令。

 天照大神(あまてらすおおみかみ)が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原(あしはら)の中つ国に降(くだ)す際に神宝とともに授けた言葉。

 全部ネットで調べた情報。

 天皇家の起源を今以て神話に過ぎない天孫降臨(日本神話で、瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと) が、天照大神 (あまてらすおおみかみ) の命を受けて葦原の中つ国を治めるために高天原 (たかまがはら) から日向 (ひゅうが) 国の高千穂峰に天降 (あまくだ) ったこと。)に置いている。

 安藤裕は「皇室の在り方や譲位について国民的議論の対象になること自体、少し違和感を感じ」、「私たちが口を挟むべき内容なのか」と警告している。

 これは天皇を畏れ多い存在とする考え方であり、その考えには特別な絶対的存在であるとする意思を含ませている。

 だから、「国民的議論の対象」とすべきではなく、政治家が「口を挟むべき」ではないとすることができる。

 皇室の在り方や譲位について政治家が発言をして政治問題と化し、政局となって、「国論を分離するような議論に発展」しようと、マスコミが監視し、国民が監視している。

 「結果的に皇室の政治利用」に繋がり、それをのさばらしたなら、マスコミや国民の監視が行き届かなかったことを意味することになり、最終的には国民の責任となる。

 安藤裕は「長い日本の歴史を顧みても、世界最古の王朝である皇室がなぜこれ程長い間続いてきたのか。それは国の権威と権威が分離をしており、皇室は日本最古の権威を保ち、国を統治する国家権力は武家等が統治をしてきました」と言っている。

 このそもそもの認識が事実誤認で出来上がっている。

 貴族や武家等の時々の世俗権力者たちは天皇の権威を利用して国家権力を握っていたのであり、決して「国の権威と(国家)権力が分離」していたわけではない。

 当然、天皇の権威を上に置き、世俗権力者たちの国家権力を下に置いているようにみえるが、利用する立場から言うと、実際には世俗権力者たちは国家権力を上に置き、天皇の権威を下に置いていたのである。

 その最も象徴的な一例が飛鳥時代に権勢を振るった蘇我一族であろう。敏達天皇のとき大臣に就き、 以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年にわたり権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた蘇我馬子の子蘇我蝦夷と蝦夷の子蘇我入鹿は、『日本史広辞典』によると、「甘檮岡(あまかしのおか)に家を並べて建て、蝦夷の家を上の宮門(みかど)、入鹿の家を谷の宮門と称し、子を王子(みこ)と呼ばせた。」

 宮門とは宮城の門を意味するが、門に住むわけはないから、天皇の居宅としての宮城を指していたのだろう。いわばそのような居宅に住む人物として自らを天皇に擬(なぞら)えさせ、当然、その権勢を誇った。

 もし天皇の権威と国家権力を分離させていたなら、天皇の権威を自らに纏わせる必要性はどこにもない。

 蘇我入鹿は大化の改新(646年)で後に天智天皇となる中大兄(なかのおおえ)皇子に誅刹され、その親蘇我蝦夷は邸宅に火をかけ、自害したという。

 安藤裕が言うように「天皇の権威と国家権力が分離」していたなら、中大兄皇子自らが剣を握って世俗的な国家権力に刃を向けることはなかったろう。

 中大兄皇子が一見蘇我入鹿を倒したように見えるが、この誅殺に中臣鎌足(なかとみのかまたり)が背後にいて助勢している。

 中臣鎌足は後の藤原氏台頭の基礎を築いた人物である。この経緯を見ただけで、中臣鎌足が蘇我氏に取って代わろうとする権力争いに正統性を与えるために、皇族の権威を前面に立たせる仕掛けとしての中大兄皇子という構図を見ることができる。
 
 鎌足の次男である藤原不比等(ふじわらのふひと)がムスメの一人を天武天皇の夫人とし、後の聖武天皇を設けさせ、もう一人のムスメを明らかに近親結婚となるにも関わらず、外孫である聖武天皇の皇后とし、後の孝謙天皇を設けさせている。

 このようにして藤原不比等は歴代天皇の外祖父として、いわば天皇の権威を笠に着て権力を掌握していき、代々この遣り方を踏襲して、後に「この世をば我が世とぞ思ふ」と謳わせる程の権勢を確かなものとした藤原氏全盛期の道長(平安中期・966~1027)を輩出するに至った。

 だが、自分の娘や孫娘を天皇や皇子に嫁がせて天皇家の権威を我がものとしていく権力掌握の方程式は蘇我氏も踏襲していた。

 いわば天皇の背後に隠れて、天皇を動かしていた。当然、「天皇の権威」たるや、世俗権力者たちが国家権力掌握と国家権力行使に正統性を与える道具に過ぎなかった。

 このことは明治以降から敗戦までの国家権力を見れば十分に理解できる。かつての自分の娘を皇族に嫁がせて天皇家の権威を我がものとしていく権力掌握の方程式は武家時代以降廃れたものの、天皇の権威をバックに天皇の名に於いて、あるいは「天皇陛下のために」と号令をかけて、国民を天皇の権威と関連付けた国家権力の思うままに動かした政治体制は明らかに国家権力による天皇の権威の利用そのものであって、決して「天皇の権威と国家権力は分離」していなかった。

 時代によって権力掌握と権力遂行の方程式は違っていても、常に国家権力側が天皇の権威を利用して、そこに権力掌握と行使の正統性を置いていた。

 当然、天皇家が存続しなければ、国家権力掌握と国家権力行使の正統性は途切れてしまう。世俗権力のレベルでは封建時代前は中国のように易姓革命の形式で権力者は倒されてきたが、取って代わった世俗権力者の権力掌握と権力行使の正統性の裏付けとして天皇家の権威のみが生き続けることになった。

 その必要性からの天皇家の存続であり、天皇家の歴史に過ぎない。

 このような構図からすると、安藤裕が「本来皇室の地位は日本書紀に於ける天壌無窮の神勅に由来するものであり、憲法が起草される遥か昔から存在するもの」と言っていることは天皇の権威を絶対化する思想そのものに当たる。

 さらに皇室の地位を「後から憲法に文章として規定をし、そこに国の権力の源泉を入れ込んだ」と、戦前と同様に国家権力を天皇の権威と関連付けているが、戦前なら許されることであっても、「国の権力の源泉」は主権者としての地位を与えられた国民であり、「国の権力」を規定するのも国民である現代に於いては許されない安藤裕の最たる事実誤認であろう。

 当然、「皇室典範については旧憲法のように国会の議決を経ずに皇室の方々でお決めを頂き、国民はそれに従うというふうに決めた方が日本の古来の知恵であった権威と権力の分離が図られるものと思います」と言っていることも、国民主権を無視した乱暴な論理に過ぎない。

 事実誤認に始まって事実誤認で終わっている11月17日憲法審査会発言となっている。

 安藤裕の内心では安倍晋三と同様に今の民主主義の時代の針を戦前に戻したい激しい衝動が渦巻いているようだ。


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安倍晋三のプーチンとトランプに寄せる国益よりも信頼関係第一主義の単細胞、その尖閣と北方領土への影響

2016-11-17 09:27:26 | 政治

 2016年11月15日のTPP協定に関する参議院の特別委員会での安倍晋三の発言を11月15日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。   

 石井章日本維新の会議員「アメリカのトランプ次期大統領は、以前からTPP=環太平洋パートナーシップ協定に悲観的であり、アメリカが批准しない可能性も高いが、どう交渉するのか」

 安倍晋三「普遍的価値を共有する日米が中心となって、多くの同志的な国々と、アジア太平洋地域に世界のGDP=国内総生産の4割の経済圏、自由で公正な経済圏を作っていくことは、地域の経済と発展、安全保障においても極めて有意義だ。

 日米同盟関係は日本の安全保障・外交の基軸であり、今週17日のトランプ氏との会談を、しっかりと信頼関係を築いていく第一歩としたい。TPPをどうするかは、アメリカの議会で判断され、次の政権ではトランプ氏が判断されることだが、日本、アメリカにとっても極めて有意義であり、理解が広がっていくことを期待したい」

 大統領選と同時に行われた米議会上下院選挙で共和党が両院とも過半数を占め、共和党上院トップのマコネル院内総務が「TPP法案の年内承認はない」と明言したことを受けてオバマ大統領は任期中のTPP承認を事実上断念している。

 こういった情勢に対して安倍晋三はトランプ政権成立後のアメリカ議会でTPP承認を促すためにはトランプとの信頼関係の構築が第一番と見た。

 いわば構築した信頼関係がトランプに対してTPP承認に向けて力になるとしていることからの発言であろう。

 このことは既にロシアのプーチンで例を見ている。

 北方領土返還のためにはプーチンとの信頼関係の構築が優先と考え、西欧各国首脳がロシアの人権状況に忌避反応を示して、その抗議の意思表示として2014年2月7日のソチ・オリンピック開会式をボイコットしたのに対してプーチンとの信頼関係の構築を優先させ、先進国では唯一出席したのを始め、5回だか6回、プーチンと会談している。

 安倍晋三としたら、プーチンと相当に信頼関係を構築できたと考えているはずだ。

 だが、プーチンの方は国後島と択捉島の軍事化と経済開発を着々と進め、しかも返還交渉の前提として掲げていた「第2次大戦の結果、北方四島はロシア領となったことを認めるべきだ」としている条件を一向に下げずに主張し続けている。

 日本側がロシア領と認めることは返還というプロセスを不必要化する危険性が伴う。ロシア領となれば、返す必要はなくなるからだ。

 当然、「第2次大戦の結果」という論理とその論理を返還交渉の前提とすること自体が矛盾することになる。

 安倍晋三は信頼関係が単なる精神的な繋がりだけでは相手に通じないと見て、何かしら実体性を備えたいと思ったのだろう、信頼関係の上に「新たな発想に基づくアプローチ」なる名称で、その具体的項目として「8項目の経済協力プラン」を提案した。

 この提案にプーチン以下ロシア側は飛びついたが、北方四島の主権を譲り渡さないという姿勢を変えていない。

 いわば安倍晋三がいくらプーチンとの信頼関係を優先させようと、プーチン以下のロシア側はそのような信頼関係以上に北方四島をロシアの領土とすることの国益を優先させている。

 安倍晋三がトランプに対して狙っている信頼関係構築がこの二の舞いにならなければ、結構毛だらけ猫灰だらけで、これ程結構なことはない。

 一方トランプは安倍晋三の参議院特別委員会上記答弁の前日(記事からでは時差の関係が分からない)の11月14日にプーチンと電話会談を行っている。

 11月15日付「NHK NEWS WEB」から見てみる。   

 記事はロシア大統領府が11月14日、プーチン大統領がアメリカのトランプ次期大統領と電話会談し、改めて祝意を示したうえで、「対等で互いに尊重し合い、内政問題に干渉しないという原則のもとで、パートナーとして対話を行う用意がある」と伝えたことと、両国関係について「正常化に向けて、幅広い問題で建設的な協力を進めていくことで一致した」ことを明らかにしたと書いている。

 一方のトランプの政権移行チームは、「トランプ氏は、ロシアとの間で強く、永続的な関係を築くことを非常に楽しみにしているとプーチン大統領に伝えた」と、電話会談の内容を伝えている。

 プーチンの「内政問題に干渉しないという原則」の主張とトランプの「強く、永続的な関係」を願う対ロ姿勢を考え併せると、トランプはウクライナの主権と国際法を踏みにじったウクライナからのクリミアのロシアへの併合を問題視しない姿勢を窺うことができる。

 つまり問題視しないことを自らの考える国益と目していることになる。

 問題視しなければ、力による現状変更を用いたその併合に対する欧米各国のロシアに対する金融・経済制裁のうち、アメリカの制裁は自ずと立ち消えていくことになる。

 国益のために制裁を取り下げることあり得る。

 このことは当然、オバマ政権が必ずしも賛成していなかった安倍政権の経済援助を力とした対ロ接近に対しても問題視しない姿勢となって現れるだろうから、トランプの姿勢に便乗して、誰に対しても気兼ねなく対ロ接近を図ることができる絶好のチャンスとなる。

 但しウクライナの主権と国際法を問題視しないトランプが優先する国益とは、アメリカ国家だけのことを考えた国家主義からの国益となる。

 この国家主義的な国益が安倍晋三が考えている国益に合致する。

 但しその国益が北方領土返還の国益に繋がる可能性は現在のところ非常に低いと言わざるを得ない。経済という餌だけ取られて、領土という大魚を逃がす結末も否定できない。

 中国の習近平主席も、「中国はアメリカの雇用を奪っている」と選挙中非難していたトランプと電話会談をしている。11月14日付「NHK NEWS WEB」から見てみる。    

 国営中国中央テレビの報道を引用して、トランプの大統領選挙での勝利に祝意を伝え、「協力は両国の唯一の正しい選択で、重要なチャンスと巨大な潜在力がある。私は両国関係を非常に重視しており、アメリカとともに関係を推し進めたい」と米中関係重視の姿勢を強調したのに対してトランプは、「私は習主席の米中関係に対する考え方に賛同する。中国は偉大で重要な国だ。両国は互いにウィンウィンの関係を実現できる」と伝えている。

 オバマ政権の米国と中国は中国の南シナ海に於ける海洋進出で対立していた。もしトランプがアメリカの経済を豊かにするために中国との経済関係を優先させて南シナ海問題を等閑に付すことを国益としたなら、その国益は海洋進出や領土問題で中国を刺激しないよう心掛けることを注意点とすることになるから、尖閣問題にも影響してくることになる。

 トランプの米国の国益からの対ロ姿勢が安倍晋三の対ロ接近の国益に役立ったとしても、トランプの対中姿勢に関しては安倍晋三の尖閣死守の国益に逆効果となる可能性は否定できない。
 
 所詮、国と国の関係、外交は国益と国益の駆引きである。北方四島返還交渉で安倍晋三とプーチンの信頼関係が役立っていないようにトランプといくら信頼関係を築こうと、日本の国益に適う保証はない。

 だが、安倍晋三は国益よりも信頼関係第一主義の立場を取っている。その単細胞は素晴らしい。

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