鉄道路線の廃止や商業施設の閉店となると、その間際は衰退期の閑古鳥状態がウソのように大勢の人が訪れ、賑わうものですが、私の場合はそんなことはないでしょうが、自己満足を死までの時間潰しとして今後とも続けます。死に欲が出て、有料「まぐまぐメルマガ」(100円)で1ヶ月に1度、尾木直樹の書籍、2013年2月発売の、《尾木ママの「脱いじめ」論 子どもたちを守るために大人に伝えたいこと》を批判する記事を書く予定です。題名は仮題ですが、『醜悪なる教育者尾木直樹のニセモノ性を剥ぐメルマガby手代木恕之』といったところを考えていて、6月末か、7月末から月一作で始める予定ですが、メール文面にHTMLタグを自分で一定程度書き入れなければならず、文章を思い通りに整えることができなければ、ライブロアブログに移行する予定です。
上の画像の書籍、最初は「まぐまぐメルマガ」で出す予定でしたが、タグ入力が満足にできなかったことと、メールマガジンには文字数が多過ぎたことで断念、電子書籍出版にした次第です。暇がありましたら、是非一読を。
最後に尾木直樹が如何に"ニセ物の教育者"であるか、そのニセ物ぶりが如実に現れている一端を紹介することにします。
第5章 本気でいじめをなくすための愛とロマンの提言 唯一できるのは「いじめない子育てと教育」です 子どもの世界から、いじめを完全になくすことはできません。子どもが発達していく過程で必ず「いじめ」は起こるものだからです。いじめというのは生きものである限り続く。その前提に立つことは必要です。 ただし根絶はできなくても、いじめを防ぐ、あるいは克服することはできるのです。それには学校の文化や家庭の文化、そして世の中全体の人間関係が、お互いを尊重するいい関係であるかということが問われてきます。 そう考えると、私たちの社会は、今どれほどいじめっ子を生みやすい環境になっていることでしょうか。 |
先ず最初にイジメの根絶不可能宣言を出している。既にここで矛盾を曝け出している。見出しで「本気でいじめをなくすための愛とロマンの提言」と大見得を切っているのだから。イジメ根絶不可能の根拠は、〈いじめというのは生きものである限り続く。〉から。いわば誰かが誰かをイジメるという衝動は人間が本来的に本能として抱えているものということになる。だったら、「本気でいじめをなくすため――」などと大見得を切るべきではない。尾木直樹にとって「なくす」という言葉は根絶を意味させてはいないらしい。
根絶不可能でも、イジメを防ぐか克服はできると退路を用意している抜け目なさはさすがです。そうするための方法として、〈学校の文化や家庭の文化、そして世の中全体の人間関係が、お互いを尊重するいい関係〉の実現を前提条件として掲げている。当然、後段の「お互いを尊重するいい関係」の「世の中全体」での確実・完璧な実現可能方法の提示がなければ、「イジメを防ぐか克服はできるのです」と保証することはできないことになる。
だが、尾木直樹はその方法の提示もなく、イジメの防ぐ・克服可能性を平然として請け合っている。一方で、「私たちの社会は、今どれほどいじめっ子を生みやすい環境になっていることでしょうか」と、「お互いを尊重するいい関係」が全然実現できていない状況を暴露している。「いい関係」をつくる方法も提示もせずに、「いい関係」ができていない社会の現状を突きつけ、にも関わらず、「いじめを防ぐ、あるいは克服することはできるのです」と保証する。この一連の矛盾は恐ろしいまでに底なしである。
要するに尾木直樹は綺麗事を並べたに過ぎない。如何に"ニセ物の教育者"であるかがこの一点を見ただけで説明がつく。「世の中全体の人間関係が、お互いを尊重するいい関係」が実現できるなら、戦争も民族紛争も、殺人も、詐欺事件も発生することはないだろう。社会に数ある様々な矛盾も消滅に向かい、尾木直樹が教育者でございますと存在する理由もなくなるだろう。
元々胡散臭い人間だなと思っていたが、この著作を読んでみて、その胡散臭さを確信するに至った。教育者でございますと名乗る資格もないのに名乗っている。これこそが社会の矛盾であり、この矛盾を個人的には広く知らしめなければならないと思っている。
色々とお世話になりました。6月末以前に次の時間潰しの執筆先が決まったなら、このブログで紹介したいと思います。