2023年6月30日を以ってgooブログ退会します

2023-06-04 10:57:50 | 社会
 2023年6月30日を以って当「gooブログ」を退会することにします。理由は「記事公開停止」に納得のいく説明を得られなかったからです。これまでアクセスして頂いた方に感謝します。「ブログ開設から6293日」、約17年。大した反響もなく、自己満足で終わることになりました。退会後、全記事は配信停止になります。「ライブドアブログ」に移行すれば、gooブログの記事を受け継ぐこともできますが、現在83歳。あの世に行くか、記事が書けなくなれば、配信停止となって、この世から消滅するのは同じですから、例えライブドアに移行しても、記事は受け継がないままにすることにします。

 鉄道路線の廃止や商業施設の閉店となると、その間際は衰退期の閑古鳥状態がウソのように大勢の人が訪れ、賑わうものですが、私の場合はそんなことはないでしょうが、自己満足を死までの時間潰しとして今後とも続けます。死に欲が出て、有料「まぐまぐメルマガ」(100円)で1ヶ月に1度、尾木直樹の書籍、2013年2月発売の、《尾木ママの「脱いじめ」論 子どもたちを守るために大人に伝えたいこと》を批判する記事を書く予定です。題名は仮題ですが、『醜悪なる教育者尾木直樹のニセモノ性を剥ぐメルマガby手代木恕之』といったところを考えていて、6月末か、7月末から月一作で始める予定ですが、メール文面にHTMLタグを自分で一定程度書き入れなければならず、文章を思い通りに整えることができなければ、ライブロアブログに移行する予定です。
 
 上の画像の書籍、最初は「まぐまぐメルマガ」で出す予定でしたが、タグ入力が満足にできなかったことと、メールマガジンには文字数が多過ぎたことで断念、電子書籍出版にした次第です。暇がありましたら、是非一読を。

 最後に尾木直樹が如何に"ニセ物の教育者"であるか、そのニセ物ぶりが如実に現れている一端を紹介することにします。

 第5章 本気でいじめをなくすための愛とロマンの提言

 唯一できるのは「いじめない子育てと教育」です  

 子どもの世界から、いじめを完全になくすことはできません。子どもが発達していく過程で必ず「いじめ」は起こるものだからです。いじめというのは生きものである限り続く。その前提に立つことは必要です。

 ただし根絶はできなくても、いじめを防ぐ、あるいは克服することはできるのです。それには学校の文化や家庭の文化、そして世の中全体の人間関係が、お互いを尊重するいい関係であるかということが問われてきます。

  そう考えると、私たちの社会は、今どれほどいじめっ子を生みやすい環境になっていることでしょうか。

 先ず最初にイジメの根絶不可能宣言を出している。既にここで矛盾を曝け出している。見出しで「本気でいじめをなくすための愛とロマンの提言」と大見得を切っているのだから。イジメ根絶不可能の根拠は、〈いじめというのは生きものである限り続く。〉から。いわば誰かが誰かをイジメるという衝動は人間が本来的に本能として抱えているものということになる。だったら、「本気でいじめをなくすため――」などと大見得を切るべきではない。尾木直樹にとって「なくす」という言葉は根絶を意味させてはいないらしい。

 根絶不可能でも、イジメを防ぐか克服はできると退路を用意している抜け目なさはさすがです。そうするための方法として、〈学校の文化や家庭の文化、そして世の中全体の人間関係が、お互いを尊重するいい関係〉の実現を前提条件として掲げている。当然、後段の「お互いを尊重するいい関係」の「世の中全体」での確実・完璧な実現可能方法の提示がなければ、「イジメを防ぐか克服はできるのです」と保証することはできないことになる。

 だが、尾木直樹はその方法の提示もなく、イジメの防ぐ・克服可能性を平然として請け合っている。一方で、「私たちの社会は、今どれほどいじめっ子を生みやすい環境になっていることでしょうか」と、「お互いを尊重するいい関係」が全然実現できていない状況を暴露している。「いい関係」をつくる方法も提示もせずに、「いい関係」ができていない社会の現状を突きつけ、にも関わらず、「いじめを防ぐ、あるいは克服することはできるのです」と保証する。この一連の矛盾は恐ろしいまでに底なしである。

 要するに尾木直樹は綺麗事を並べたに過ぎない。如何に"ニセ物の教育者"であるかがこの一点を見ただけで説明がつく。「世の中全体の人間関係が、お互いを尊重するいい関係」が実現できるなら、戦争も民族紛争も、殺人も、詐欺事件も発生することはないだろう。社会に数ある様々な矛盾も消滅に向かい、尾木直樹が教育者でございますと存在する理由もなくなるだろう。

 元々胡散臭い人間だなと思っていたが、この著作を読んでみて、その胡散臭さを確信するに至った。教育者でございますと名乗る資格もないのに名乗っている。これこそが社会の矛盾であり、この矛盾を個人的には広く知らしめなければならないと思っている。

 色々とお世話になりました。6月末以前に次の時間潰しの執筆先が決まったなら、このブログで紹介したいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽天Koboから電子書籍「野田市児童虐待死:父親の人物像・支配性向と父娘共依存を読む」を出版してみた

2019-03-19 12:28:57 | 社会


   2019年7月28日任期満了実施参院選で

   安倍自民党を大敗に追いつめれば

   政権運営が行き詰まり 

   2019年10月1日の消費税10%への増税を

   断念させる可能性が生じる


 楽天Koboから評論形式の電子書籍「野田市児童虐待死:父親の人物像・支配性向と父娘共依存を読む」を出版してみた。

 (※この作品の「購入ページ」です。)

 初めてのことで、なかなか大変な思いをした。前以ってネットで原稿を楽天Koboにアップロードするまでの手順を調べておいたのだが、事はスムーズに進んでくれなかった。理由は自分の操作の下手さもあるのだが、各取扱いごとを紹介するサイトはあるものの、全体を通した取扱いを紹介するサイトがあるのかないのか、見つけることができず、各取扱いで前に進めることができなかった。出てきた警告指示をネットで検索したり、あるいは前に進めなかった事情を検索窓に書き込んで、やっと出版にまで漕ぎつけることができた。

 そこで今後楽天Koboから電子書籍を初めて出版する人が、この記事を目にし、かつ役に立つだけの内容になっていれば話だが、スムーズに出版できるように全体を通した取扱いを紹介させて貰うと同時にちゃっかりと宣伝も便乗させて貰うことにした。

 先ず「楽天会員登録」から。因みにAmazonから電子書籍を出版する場合はこちらから。「Amazonアカウント登録」

 次に「楽天Koboライティングライフ・ユーザー登録」。あとは原稿を書き上げてから、アップロードする手筈を残すだけだと思った。

 この手の原稿にしても、ブログ記事にしても、当てる時間は、基本、午前中のみで、午後はネット上からマスコミ記事の収集、それが夕食中から、それ以後も続くことがあるが、殆どは録画しておいた明石家さんまや他のバライティー番組、水谷豊の「相棒」等のテレビドラマ、外国映画とかの鑑賞に当てている。必要に応じて国会審議の文字起こしに夕食後の時間を当てる場合もある。聞き取りにくくて、嫌になって途中で投げ出してしまうと、次の朝、再び文字起こしに掛かって、午前中までにブログ記事に仕上げるといったこともある。

 そんなこんなでブログ記事作成の日を挟んで400字詰め原稿用紙換算94枚となった作品に取り掛かったのが‎2‎月‎9‎日の朝8時頃、脱稿が約1カ月を間に置いた‎3‎月‎10日。推敲に12日と13日の午前中2日を掛けて仕上げ、3月14日の木曜日はブログ記事、3月15日金曜日の午前中にアップロードして、早く肩の荷を降ろしたいと思った。だが、肩の荷は背後霊に取り憑かれたのか、簡単には降りなかった。

 「新しい作品の詳細情報入力」ページにアクセス、会員登録がしてあるから、既に著者名は入っているが、表紙の画像やタイトル、必要なら、サブタイトル、出版社は「楽天Kobo」、「任意」と書き入れてある枠は抜かして、ジャンルは、そのボタンを押して、一覧から適宜選択して、私の場合は「人文・思想・社会 一般」としたが、次に「内容紹介」の欄に、いわばキャッチフレーズ的な、用意した一文を貼り付けた。

 〈野田市小4少女10歳が父親から虐待を受けて死亡した。新聞報道、児童相談所所長の記者会見等から、事件の経緯を掴み取って、児童相談所、小学校、市教育委員会は加害保護者である父親の言動からその人物像と支配性向を読んで、次の行動を予測する力が欠けていた。児童相談所の全ての児童心理司・児童福祉司必読!!〉

 気の利いた文章ではないが、まあ、この程度がせいぜいと言ったところなのだろう。

 最後に「保存して続ける」ボタンを押して、トントン拍子に前へ進むと思った。ところが、ここから試練が待っていた。「作品の詳細情報入力」後は「作品を入稿」、「出版権を設定」、「価格を設定」、「電子書籍を出版」という段階に進むのだが、「作品を入稿」のボタンをいくら押しても、次に進まない。何度押してもダメで、「作品の詳細情報入力」を新規に遣り直して見たが、それでもダメ。

 仕方なく、楽天KOBOの「ヘルプページ」を見つけて、〈作品の詳細情報の入力は済んだのですが、「保存して続ける」のボタンを押しても、「作品を入稿」のページに進むことができません。〉と書き入れて、「次へ」ボタン、名前やメールアドレスや本のタイトル、発生時刻は適当に、その他必要事項を書き入れて、送信。「お問い合わせありがとうございます。近日中に、お問い合わせへのご回答をお送りいたします。混雑具合によって長くお時間を頂く場合がございます。予めご了承ください」との表示。返信を待つしかないと腹をくくることにしたが、根が気が小さいから、簡単には腹をくくれはしない。

 あとになって、次の日は土曜日、次が日曜日で、混雑していなくても、休日で仕事を休んでいた場合は月曜日以降になる、それまで落ち着かないなと思ったら、段々腹が立ってきて、他のことがなかなか手につかなくなって、土曜日の昼近くから「作品の詳細情報入力」を最初から遣り直すことにしたが、やはり前へ進むことができない。ただ、「保存して続ける」ボタンの下に「保存して作品一覧に戻る」ボタンがあり、何かの拍子にそれを押したら、登録した表紙の画像が貼り付けてあって、それをダブルクリックしたら、「作品の詳細情報入力」に飛んだのを思い出して、「作品一覧ページ」にアクセス、その画像をダブルクリックして、「作品の詳細情報入力」を新規に遣り直したら、「作品を入稿」のボタンにポイント合わせると、下線が付いてボタンが有効になっていて、前へ進むことができた。

 但しここからも試練が待っていた。楽天電子書籍の場合はEPUBファイルのみの受付となっていることは前以ってネットで調べておいたから、Word原稿をEPUBファイルに変換するフリーソフト「Calibre - E-book management」をダウンロード、インストールと手順よく処理して、ソフトを開き、上部メニュー一覧の中から、「本を追加」→「本を変換」→「ディスクに保存」の中から、「EPUBフォーマットのみをディレクトリに保存」を選択。保存したフォルダからEPUBファイルを入力、アップロードしたが、「エラー」表示が出て、アップロードできなかった。何度試しても、出るのは「エラー」表示ばかり。

 人生エラー続きだったなと嫌なことまで思い出させられて、EPUBファイル変換ソフトでエラーが出るようなら、お手上げだなと思いつつ、ネットでこのような場合の対処方法を検索してみたら、「Calibre - E-book management」ファイルの保存フォルダに「ebook-edit」という名の文章校正ソフトが自動保存されている、それを使って文章校正をする必要があるとの情報を得て、「ebook-edit」をインストールして、それを開き、「ファイル」メニューから「本を開く」をクリック、「Calibre - E-book management」でEPUBに変換したファイルフォルダを選択して、そのファイル開くと、Html化した文章が左欄に、右欄にはプレビュー画面がそれぞれに現われた。

 右欄を見ると、Word原稿にあるはずもない改行が相当数出ていた。仕方なく最初から不必要な改行を一つ一つ潰していき、完成させたとこで、「ファイル」メニュー→「保存」で、上書き保存。それを再度、作品入稿ページから、今度こそと思い、アップロードしてみたものの、やはりエラー続きであることに変わりはなかった。

 確かこのページに、「EBUB-Checker」で、「原稿をチェックしてから、アップロードすること」と出ていたと思うが、あるいは検索して探り当てたのかも知れないが、記憶力が悪いからよく覚えていない。「EBUB-Checker」をダウンロード・インストールして、それを開き、指示通りに左空間にファイルをDrag & Dropすると、たちどころに「5件のエラーが検出されました」の表示。内訳は「html要素の名前空間が 'http://www.w3.org/1999/xhtml' になっていません」とか、「ファイル解析時の致命的なエラー: 要素タイプ"p"に関連付けられている属性"class"には、開始引用符が必要です」、あるいは「ファイル解析時のエラー: elements from namespace "" are not allowed」等が個別的に表示されていた。但し「/index.html (line 1, col 7)」との表示は本文1行目・17文字目のエラーだとネットで調べておいていたから、一度「EBUB-Checker」を閉じることにして、「ファイル」メニュー→「展開されたソースフォルダから生成されたEPUBファイルは適切なもののみ保存する」をクリックして保存。

 「Calibre - E-book management」に改めてEPUBファイルを呼び出して、エラー箇所を直すことにした。だが、指示通りに直してから、そのファイルを改めて「作品入稿」ページからアップロードしてみたが、やはりエラー表示のお土産しか貰うことができなかった。2度、3度試してみたが、ダメなものはダメの事実しか目にすることができなかった。

 そこで最初から、「Calibre - E-book management」でやり直すことにした。Word文書を読み込んで、EPUBファイルに変換、保存、保存したファイルを「ebook-edit」を開いて、展開してみると、必要ではない改行が直っていない箇所が2箇所あり、さらに文章を開始するに当たって必要なhtmlタグがきっちりと書き込んであって、最初の校正ではそれを間違えて消去してしまっていたことに気づかずに校正していたことが分かった。文章の最初のタグの中に「'http://www.w3.org/1999/xhtml'」が記入されていたかから、それが「html要素の名前空間が 'http://www.w3.org/1999/xhtml' になっていません」の警告に当たるようである。

 保存した文章を「EBUB-Checker」に賭けると、「エラーゼロ」の表示が出た。だが、油断はできない。「作品入稿」ページにアクセスしてアップロード。成功。「出版権を設定」、「価格を設定」ページに進んで、最初は500円程度がいいとこではないかと踏んでいたが、なかなかアップロードができなくて腹が立ってきて、自分の中で勝手に600円に値上げし、さらに腹が立って、最後には1冊も売れなくていい、800円にしてしまえとばかりに800円に最終決定することにした。70%のロイヤリティ率で560円が手に入るということなのだろが、1冊も売れなければ、0円。ロイヤリティ率に目を奪われてばかりはいられない。

 どうもクドクドと書いて、電子書籍出版を始めようとする読者に役立つのかどうかは皆目検討もつかない文章になってしまったようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京目黒5歳児虐待死:大人の子どもの生命(いのち)に対する想像力の貧困さが虐待死やイジメ自殺を招いている

2018-06-09 13:01:53 | 社会
 安倍晋三:従軍慰安婦強制連行否定2007年3月16日閣議決定

「政府が発見した資料の中には、軍や官憲がいわゆる強制連行を
直接示すような記述も見当たらなかった」
とする
“政府発見資料”とは如何なる資料か、公表すべき

 6月6日(2018年)、5歳の女児に様々な虐待を加えて死に至らしめた保護責任者遺棄致死容疑で東京・目黒区のアパートに住む両親が警視庁捜査1課に逮捕されたとマスコミによって一斉に報道された。

 マスコミ報道を纏めてみると、日常的に顔を殴るなどの身体的暴行と満足な食事を与えないこととひらがなの勉強の強要、さらに電灯のない部屋での生活の強制等々の精神的・肉体的苦痛を5歳の女児の精神と肉体に日々与え、病院に連れて行くなどの措置を取らずに3月2日に低栄養状態などで起きた肺炎による敗血症で死亡させた。

 死亡時の体重は約12キロ。5歳児の平均体重が約20キロとの報道があるが、精神的・肉体的苦痛が8キロの差を女児に与えた。

 各報道から死に至らしめるまでの経緯を見てみる。

 父親は33歳。母親は25歳。5歳女児と1歳の長男の4人家族で香川県善通寺市に住んでいた。但し両親の実子は1歳の長男のみで、5歳女児は母親の連れ子であった。

 5歳女児は昨年2月と5月の夜に屋外で1人放置されている姿が2回目撃されていて、「父親に叩かれた」などと話していたために警察は父親を傷害容疑で書類送検、その後不起訴処分となったが、県内の児童相談所が両親に対して児童福祉法に基づく指導を行った。

 子どもが母親の連れ子で、父親にとって継父という家族関係は虐待が起こりやすいパターンの一つとなっている。思うに母親が5年前の20歳という若さで自分以外の男とのセックスで生んだ子だという思いに一旦囚われ、その思いに支配されると、疎外したい方向に気持が動くのではないのだろうか。

 疎外感が何も相手にしない無視か、それとは逆の過剰な干渉による無視という関係を招く。多くが日々顔を合わせるなると、無視よりも過剰な干渉を手段とした無視に走って、それが様々な虐待の姿を取ることになるといったところではないだろうか。

 特に男の方がセックス経験が遅く、少ないと、女のセックス経験の年齢的な早さと豊富さに囚われた場合のコンプレックスの防御反応としてその他の男とのセックスで生まれた子どもに対して何らかの攻撃行動を取ることで手に入れることができる優越性で以って心理的なバランスを取るといったことが起きるように思える。

 33歳の父親は香川県生まれで香川県善通寺に住み、食品会社に1年半程勤めてから昨年12月に退職。同月、単身で東京の目黒区に引っ越した。年が明けた1月23日に25歳の母親と5歳の女児、1歳の実子である長男が移り住み、家族4人の生活が始まった。

 香川県内の児童相談所は今年1月に児童福祉法に基づく指導措置を解除した。但しこの児童相談所は品川児童相談所に引き継ぎを行っていたということだが、指導措置対象者が地元から離れたから地元の児童相談所としては指導措置を解除したという意味なのか、虐待の恐れがなくなったと評価・判断して指導措置を解除し、このことを含めて品川児童相談所に引き継いだという意味なのか、各記事を読んだ限りでは頭の悪い当方には理解できない。

 但し2018年3月5日付「毎日新聞」記事が、専門家の発言として「香川の児相が警戒レベルを下げたため、転居先の児相の危機感が薄れた可能性がある」と伝えているところを見ると、虐待の恐れがなくなったと評価・判断して指導措置を解除したことになる。

 だとしても、品川児童相談所自身は何ら想像力を発揮せずに香川の児童相談所の解除に対して機械的に対応していたことになる。

 実際に品川児童相談所が機械的に対応していたかどうかを見てみる。

 品川児童相談所は今年2月9日に家庭訪問を実施している。この訪問について2018年6月6日付「NHK NEWS WEB」は品川児童相談所は母親から「関わってほしくない」などと言われたと伝えている。

 他の記事によると、品川児童相談所は5歳女児に合うことができなかった。このことと「関わってほしくない」という母親の発言を繋げると、口調や態度の強弱は別問題として母親から面会を拒否されたことになる。

 品川児童相談所は「関わってほしくない」という言葉で5歳女児との面会を拒否されたことをどのような想像力を以ってしてどう解釈したのだろうか。

 5歳女児は今年4月から小学校に入学予定だったというから、もし児童虐待が行われていなかったなら、「関わってほしくない」などと言った拒絶的態度を示さずに、「私たちは立ち直りました。子どもも元気で小学校の入学を楽しみにしています」ぐらいは口にしたはずで、その証明として面会も受け入れたはずだ。

 だが、そのような態度は示さなかった。それに今までの例から言うと、子どもとの面会拒否は多くの場合、虐待を隠すことが目的となっている。

 児童虐待は子どもの肉体と精神へのあるまじき残酷な変化として傷跡や衰弱や怯え等の犯行の痕跡を残し、こういったことが面会を嫌い、拒否する態度となって現れることぐらいは児童相談所の人間なら知っているはずで、母親の態度にそういった想像力は働かせなかったようだ。

 同「NHK NEWS WEB」記事は品川児童相談所の「香川から引き継がれて虐待のリスクが高いかどうか、判断している最中に事件が起きた。今後、対応が適切だったか調査していきたい」との発言を伝えている。

 母親によって目の前で示された拒絶的態度を直近の基本的情報と看做して児童相談所として持っている最大限の想像力を働かせて直ちに判断しなければならないにも関わらず、「香川から引き継がれ」た情報に基づいて「虐待のリスク」を判断しようとしていたが、その「最中に事件が起きた」としている。

 責任感の質だけではなく、直ちに判断できなかった貧困な想像力は目に余る。

 品川児童相談所は2月9日の家庭訪問から11日後の2月20日に目黒区内の小学校の入学説明会にも様子を確認しにいったが、参加したのは母親だけだと、2018年6月7日付け「時事ドットコム」記事が伝えている。

 要する品川児童相談所が入学説明会で5歳女児の様子を確認しようとしたということは保護者と新入生が一緒に出席していることを期待したからだろうが、5歳女児は出席していなかった。

 単に子どもを連れて行かずに母親だけが出席したということかもしれないが、2月9日の家庭訪問で母親が「関わってほしくない」と言って面会を拒否したことと考え併せると、児童相談所の立場上、虐待を疑うことのできる新しい情報の可能性の一つに加えなければならなかったはずだ。

 だが、子どもの生命(いのち)に対してそこまでの想像力を働かせることができなかった。

 父親は昨年12月に退職して東京に引っ越しする前は食品会社に1年半程勤めていて、それなりの給与を手にし、そのカネで生活していたことになる。母親がパートか何か勤めをしていたのかはマスコミは伝えていない。

 東京に引っ越ししてから、木造アパートに居を構えたが、地元の不動産関係者の話として、「間取りは2DK(35平米)で家賃は8万5000円相当が相場で、税金の支払いの滞納がたくさんあり、生活保護を受給していたという話を聞いている」と、「AERA dot」記事が伝えている。

 仕事に就いていなくて生活保護を受け、保護費を生活を始末することで浮かせて税金の支払いに回さずに滞納している生活態度となっている。児童相談所はこういった情報を入手していたのだろうか。

 育児不安や生活不安、あるいは生活困難、夫婦仲といった何らかの危機的状況がもたらす親の精神的ストレス・苛立ちが子どもに対する虐待という攻撃の形を取り、そのことによってストレス・苛立ちを解消するパターンが多く存在するが、自身の実際の生活態度に反して自尊心だけが高い人間はより弱い存在である妻や子どもへの虐待で自らの優越性を手に入れ、その優越性で以って自らの自尊心を満たすケースを見受ける。

 上記「AERA dot」記事が近隣の飲食店関係者の話として父親が「メディア関係の仕事をするために以前勤めていた食品会社を辞めて東京にきたと話していた」と伝えているが、このエピソードは父親の自尊心の高さを伝えて余りある。勿論、児童相談所が感知できない情報であったとしても、父親の生活態度だけは虐待のリスクを判断する情報として手に入れていなければならなかったはずだ。

 目の前の出来事から虐待のリスクを判断する想像性を働かさなければならないにも関わらず働かせることができず、機械的対応しかできない。 大人たちの子どもの生命(いのち)に対する想像力の貧困さが招いている虐待死の一例以外の何ものでもないだろう。

 最後に5歳女児はしつけと称して、毎日午前4時頃に自分で起きて体重を測ったり、ひらがなを書く練習をしたりすることを命じられていて、ノートには次の書き込みが残されていたという。対して約には断たないが、当ブログに記録しておくために[NHK NEWS WEB」記事から転載しておく。

 「もうパパとママにいわれなくても
 
 しっかりとじぶんから

 きょうよりはもっともっと 
  
 あしたはできるようにするから 
 
 もうおねがいゆるしてください おねがいします 

 ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして

 きのうぜんぜんできてなかったこと

 これまでまいにちしてきたこと なおします

 あそぶってあほみたいだから

 ぜったいぜったいやらないから やくそくします」

 自身の存在を認めようとしない父親に対して5歳の女の子が自分を認めさせようと自分ができる精一杯の努力をしている。

 だが、その精一杯の努力は潰えることとなった。大人たちの子どもの生命(いのち)に対する想像力の貧困さがこれからもイジメ自殺や児童虐待死を招いていくに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閉鎖的社会、このニッポン 同性愛を巡る内外二つの記事

2016-08-11 10:18:08 | 社会

 当時一橋大ロースクール3年生の男子学生が同じクラスで毎日のように一緒に食事する仲の男子学生に恋愛感情を抱くようになり、2015年4月に告白。相手の男子学生は応じることはできないが、友人関係は継続すると伝えたという、8月5日付「弁護士ドットコムニュース」に出会った。  

 ところが、相手の男子学生はその2カ月後、ロースクールの同級生でつくるLINEのグループで男子学生が同性愛者であることをアウティング、男子学生も当然ライングループの仲間だったのだろう、「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」と謝罪の言葉が書いてあったという。

 同性愛者のこの男子学生はそのメッセージに対して「たとえそうだとして何かある?笑」、さらに「これ憲法同性愛者の人権くるんじゃね笑」と返信したという。

 暴露された男子学生は心身に不調を来たし、心療内科に通院するようになり、暴露した男性と顔を合わせると緊張や怒り、悲しみで吐き気やパニック発作が起こるなどの症状が出るようになったため学内のハラスメント相談室や教授らに自身の体調問題を含め、複数回相談。大学側ともクラス替えや留年など、被告男性と距離を取れないか話し合っていたという。

 だが、2015年8月24日、必修の「模擬裁判」に出席するため登校した男子学生は建物の6階のベランダを乗り越え、転落。搬送先の病院で死亡が確認された。

 男子学生の両親が暴露した同級生と一橋大を相手に計300万円の損害賠償を求めて裁判を起こした。担当弁護士の一人は生前の男子学生からメールで相談を受けていた。

 メールには暴露され、「人生が足元で崩れ落ちたような気がする」と書いてあったという。

 「アウティング」の意味は、「ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)などに対して、本人の了解を得ずに公にしていない性的指向や性自認等の秘密を暴露する行動のこと」と「Wikipedia」に出ている。

 同性愛者の男子学生は自身が同性愛者であることを余程秘密にしておきたかったのだろう。だが、いつも一緒に食事する男子学生に恋愛感情を抱いてしまい、我慢できずに告白した。

 断られたが、友人関係は続けると言ってくれた。男性が女性に、あるいは女性が男性に恋をし、断られても、心は苦しいが、傍にいることができるだけでも幸せだ、あるいは顔を見ることができるだけで幸せだといった矛盾した感情に陥ることがある。

 このような感情に見舞われたのかもしれない。だが、何の心の準備のないままに複数の友人にラインで一気にアウティング(暴露)されてしまった。

 そのショックは相当なものがあったに違いない。頭を何かでガーンと殴られ、顔から火が噴き出す程の恥ずかしさに襲われ、手足が震えた可能性すら考えられる。

 なぜ友人は男子学生に自身の口からカミングアウトすることを勧め、同性愛者としての市民権をグループ内で獲得させて、誰とでもという訳にはいかないかもしれないが、より多くの友人たちと隔てのない関係が築けるように努めなかったのだろうか。

 グループ内での市民権の確立がグループ内外の誰かの口コミ等によってその市民権は徐々にグループ外に広がり、大学の中ばかりか、大学の外のいずれかの世界に広がっていく可能性も否定できない。 
 
 だが、友人は男子学生の当事者であるがゆえに同性愛者であることを秘密にしておきたい強い気持に加担し、秘密として抱えたものの、自身が当事者ではないことから、当事者としてのその気持の強さを思い遣ることもできず、加担が長続きせずに本人に何の断りもなくアウティング(暴露)してしまった。

 「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」

 自分が秘密の肩の荷を降ろすことだけを考えたのかもしれない。

 「たとえそうだとして何かある?笑」

 推測するに、「断りもなくアウティング(暴露)して、お前には何があるというのだ」と、友人自身の人間性を笑ったということではないだろうか。

 「これ憲法同性愛者の人権くるんじゃね笑」

 「同性愛者も一個の個人・国民なのだから、日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないにくるんじゃね(関係してくるんだね)」と、ロースクールの学生らしく日本国憲法を持ち出して、第14条に抵触していることに気づかない友人を諭し、笑ったということではないだろうか。

 男子学生の自身の秘密が知られることを恐れる閉鎖性は社会の閉鎖性に対応した閉鎖性であり、友人の長続きしなかったものの秘密にすることに加担したことも社会の閉鎖性に対応した閉鎖性であろう。

 なぜ日本にはこういった閉鎖性が存在するのだろうか。一度男はこうあるべきだ、あるいは女はこうあるべきだと役割分担を決めてしまうと、その役割を権威とし、それ以外を社会から排除しようとする閉鎖的な権威主義社会が長く続き、今以て権威主義社会を引きずっている。

 個人の意義・価値を強調し、個人の自由・独立を尊重する生き方を言う外国の個人主義のようには自由になれない、権威主義の閉鎖性に21世紀の今日に於いても囚われている。

 確かテレビ東京配信のフジテレビ放送「Youは何しに日本へ?」だったと思うが、日本に外国旅行に来たアメリカ人の4人だか5人のうちの2人が同性愛のパートナーだそうで、何の抵抗感も見せずにインタビューした記者に自らを紹介し、その二人が健常者の中に仲間として溶け込んでいて、お互いに分け隔てなく冗談を言い合い、笑い合い、日本の旅行を愉しむシーンがあった。

 食事のときは自分が注文した食べ物の中から一部を相手にお裾分けし、相手も自分の食べ物の中から一部をおすそ分けする、仲の良いところを見せ合っていた。
 
 同性愛者が同性愛者の世界に閉じ込もるのではなく、健常者と何のてらいもなく仲間を組むこと、グループを作ることを当たり前の光景とすることができる。

 日本でも最近になって同性愛者が市民権を一応得ることができるようになったが、社会的な権威主義性を欧米やタイ程には個人主義へと解き放つことができないでいる。

 そのいい例が一橋大ロースクール3年生の男子学生と友人の閉鎖性であり、欧米に見る逆の例、個人主義を当たり前に演じることができる「CNN」記事が紹介している例であろう。 

 8月8日、リオ五輪で初めて正式種目に採用された女子7人制ラグビーの決勝戦がオーストラリアとニュージーランドの間で行われてオーストラリアの優勝が決まったあと、9位で終わったブラジル代表チームのイサドーラ・セルロ選手(25)に2年前から交際を続けていた相手の女性マルジョリエ・エニヤさん(28)がピッチに立ち、決勝が終わって多くの観客は既に立ち去った後だったが、マイクを握ってプロポーズし、受け入れられて、記事は、〈チームメートの歓声に包まれた涙とキスの場面は試合に負けないほどの感動を呼んだ。〉と紹介している。

 マルジョリエ・エニヤ(英BBCテレビのインタビューを受けて)「五輪は終点に見えるかもしれないが、私にとっては誰かと新たな人生を始める出発点。愛の勝利を人々の前で示したかった」

 権威主義性の一かけらもない個人主義満開の世界が見えるのみである。

 もしこのような世界が日本に存在していたなら、カミングアウトといったことは深刻な問題ではなく、アウティングといったことも殆んど意味もないことになって、一橋大ロースクール3年生の男子学生が友人を好きになって告白し断られたとしても、友人は「いつの日かきっと受け入れてくれる君にとってのタイプの男性が現れるよ」と言うことができ、男子学生も、「君を忘れるまで辛い時間を過ごさなければならないが、いつかは見つけなければならない」と、拘りを残さない会話の遣り取りはできたはずだ。

 だが、日本の社会には権威主義からくる閉鎖性が未だ色濃く残り、その閉鎖性の犠牲となって6階のベランダを乗り越え飛び降りさせて、生きて在るべき一個の命を失わさせてしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする