TPP参加は農業を林業衰退の二の舞とする説の正当性を問う

2011-10-31 11:36:42 | Weblog

 ここのところの報道番組はTPP参加問題か厚生年金支給開始年齢引き上げ問題に集中している。昨日(2010年11月30日)の日曜日の朝日テレビ「報道ステーションSUNDAY」もご多分に漏れずと言うか、一方のTPP参加問題を取り扱っていた。

 賛成派に福山哲郎前官房副長官、古賀茂明改革派元経産官僚、反対派に山田正彦前農水相と森永卓郎獨協大教授を配していた。

 この番組で森永卓郎がTPPに参加し、関税ゼロに持っていくと、日本の農業はかつての林業の二の舞になると力説していた。その力説の正当性を問うために林業に触れた箇所を取り上げてみる。

 メインキャスター長野智子が古賀茂明改革派元経産官僚にTPP参加の農業に対する影響を尋ねた。

 古賀茂明改革派元経産官僚「私は、あのー、消費者の立場に立ってみるとですね、とにかく今、何だかよく分からないんですが、例えばワーキングプアでね、一生懸命働いている、年収200万しかないなんていう人がたくさんいるんですよ。

 で、そういう人たちは可哀相だって、何か貰えるわけじゃないんです。だけど、農家は可哀相だからとゆって、関税を物凄く高くしてね、ものすごい高いコメを買わされていてですね、ものすごーく高い小麦を買わされ、ま、小麦は買わないけど、パンを買わされ、牛乳も高い。

 で、もうギリギリの生活をしてるんですよ。で、えー、今度ね、交渉をするっていうと、その関税をね、下げるのは困るって言うと、我々から見れば、下げてくださいと。とにかく下げてくれないと、もう生活できませんよと。

 で、しかもそこでね、またたかーい物を買わされて、払った消費税の一部が、またね、戸別所得補償で、しかも強い農家も弱い農家もね、一緒くたになって、えー、兼業農家でね、あのー、ちょっと片手間にやってるなんていう人でも、おカネ、配っちゃうわけでしょ。

 で、それはね、もう続かんですよ。もうおカネないんですから、我々は。あのー、政府は。

 で、それをね、ずうっと続けてくれって。で、もう、今始めるという段階で、始めたら、もうこれだけ、じゃあ、これだけカネを寄こせみたいな話になってるでしょ?

 で、先ず、関税も下げて、安くして貰って。そうすると、今だって、あの、(米60kg当たりの生産コスト)1万3千円とか言ってますけど、6500円で作れる農家も一杯いるんですよ。だから、そういう農家を育てて貰って、で、どうしても守んなきゃいけないところについては税金でやって欲しいんですね。税金だったら、ワーキングプアの人たち、そんなにたくさん払わなくてもいいですよ。お金持ちが払えばいいんだから。

 で、ちゃんと目に見える形で、そういうね、どうやって農業を強くするとか、ちゃんとやって欲しいんだけど、反対する人たちは、そういうことを全然言わないですよね」

 古賀氏はワーキングプアの生活の成立を基準にTPPを論じている。

 森永卓郎獨協大教授「でもね、これもう、TPP参加して、関税もゼロにしたらどうなるか、農水省既に出していて、米9割壊滅。小麦も酪農も畜産も、砂糖も、全部壊滅するんですよ。

 で、食料自給率40%から14%に落ちるんですね。で、国内の農地が荒れ果てるんです。

 私は林業で先に起きたと思ってるんですけど、やすーい木材がどんどん入ってきて、今日本の山が壊滅状態になりつつあるんです。手を入れなくなるからなんですよ。で、日本中を荒地にしていいのか。

 で、古賀さんは6500円で作れる農家もある。でも、それよりもさらに半分ぐらいの値段で入ってくるわけです。だから、農水省の推計というのは正しいと思いますよ。

 で、それでいいんですかっていう話なんですよ」

 森永氏は農水省の推計を基に「半分ぐらいの値段で入ってくる」と自らの判断に置き換えているだけのことで、客観的且つ具体的な根拠を示してその推計を証明しているわけではない。にも関わらず、農水省の推計は正しいと合理性に反したことを平気で言っている。

 但し外国産木材が輸入関税ゼロとなったことから壊滅状態となった日本の林業がTPPに参加した場合の日本の農業の将来を占う先例だとする主張には一見、説得力を持つように見える。

 古賀氏「前提になる数字は相当いい加減でね。で、農水省はだから3000円というのを使っていますけど、今、中国では、今中国のお米って、どんどん上がってるんです。直近ではもう1万円超えてるんですね。

 ですから、それを、あのー、殊更にね、あのー、もう自分の都合のいいような推計を、これは役所っていうのは必ずやる」

 ここで福山前官房副長官が農水省の数字は極端だとか、農水省の数字は若干無理があるとか強調した。経産省にしても農水省にしてもそれぞれが擁護する分野に関して擁護の根拠とすることができるように数字を弾くから、農水省だけではなく、TPP参加賛成派の経産省にしても、若干極端で無理がある数字が踊ることになっているに違いない。

 山田前農水相「先程森永さんが、大変大事な話をされたんだけど、林業はですね、もう何十年か前、関税ゼロにしましたね。で、そのあと、本当に山は荒れ果てました。で、それが木材市(いち)も倒産、倒産です。

 そうなったんですが、それに20年間、日本は回復せずに1兆円、地方と国を併せて注ぎ込んできたんです。ところが、未だに、全く、あのー、回復できない」

 古賀氏「遣り方が悪いんです」

 山田前農水相「遣り方が悪いんじゃないんです。大分手立ても20年間やってきたんです」

 司会の長野智子が林業の話から農業の話に持って行くべく、軌道修正を図ろうとしてコマーシャルに入るが、コマーシャルを終えると、山田氏はTPP反対の重要な根拠となると見て食らいつこうとしたのか、再度林業の話を持ち出す。

 山田前農水相「さっきの話の続きですがね、木材のこれくらいの丸太(胸の前で両手で円を作って木の太さを表す)、あの、杉1本ですね、200円なんですよ。大根1本の値段です。

 これはですね、今度本当に、このTPPで関税ゼロにしてしまったら、それこそ日本の農業も、漁業も、いくらおカネを注ぎ込んでもね、おカネさえつぎ込めば、何とかなるんだっていう言い方しますが、絶対そうはなりません」

 そのあと森永氏がTPP参加ではなく、日銀の資金供給強化政策で円高を是正することで輸出振興を図るべきで、アメリカの圧力で円高方向に誘導する金融政策を取ってTPP賛成の根拠としているといったふうな円高アメリカ陰謀説を持ち出したりする。

 日本の輸出産業が1円円高に振れるたびに20億円、30億円と損失を被っているのに、あるいは政府の為替介入時には2兆円、3兆円の資金を投入しなければならないのに、TPP参加の根拠づくりにアメリカの圧力に素直に従って円高誘導をしているとする主張は眉唾としか言いようがない。

 確かに木材の関税がゼロになってから、国産材は外国産材に駆逐状態化した。インターネットで調べたところ、1964年に丸太原木と柱や土台、梁、桁等の基礎材に使う米栂(べいつが)や米松の加工材(製材し終わった木材)は関税ゼロになっている。

 また木材輸出国は原木に付加価値をつけ、雇用を創出するために丸太原木の輸出を徐々に禁止していき、加工材のみの輸出を許可することになっていった。特にインドネシアやマレーシアからラワン原木を日本に輸入し、ベニア合板としていたが、原木が輸出禁止となってから、それまで丸太原木の輸入を一手に手がけてきた日本の商社は製材機械一式付きでベニア工場を現地に輸出、そこでベニア合板を製造して、日本に輸出する商法に切り替えた。

 結果、現地国は原木に付加価値をつけて税収を増やすと同時にベニア工場での雇用の創出を果たし、雇用の面でも税収を増やすことができた反面、輸入ベニアに関税はかけてあっても原料自体が安いために日本の木材では太刀打ちできず日本のベニア工場がバタバタと倒産に追い込まれていき、雇用喪失を連動させることになった。

 この丸太原木輸出禁止はベニア合板だけではなく、柱や梁、土台といった基礎材でも同じ現象をもたらした。ほとんどすべてが現地で加工されるために日本の製剤で加工する工程を必要としなくなって、一般の製材所も次々と倒産に追い込まれていった。

 殆どの製材所は広い敷地を必要としていたために倒産した跡地は大型ショッピング施設や大型パチンコ店に利用されていった。

 安い外国産剤に押されて国産材が売れなくなって、すべての山がそうであるわけではないが、伐り出しても赤字となるだけであるために植林した杉・檜の類が放置されることになり、山は荒れることになった。政府が補助金を出して間伐だけ行わせ、間伐した木は切り倒したままの状態にしている山が多い。

 森永卓郎獨協大教授も山田前農水相も事実を言った。だが、もう一面の事実を語らなかった。意図的に隠したわけだはなく、反対にのみ目がいって、気づかなかったのだろう。

 既に触れたように丸太原木を含めた主たる木材の関税が撤廃され、ゼロとなったのは1964年である。

 1964年は1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月にかけた日本が豊かになっていった日本の高度成長期の中頃に当たる。

 また自分の持ち家を持ち、自分の家庭を築くという「マイホーム主義」の現象は1960年代初頭から1970年代初頭にかけてのことで、高度成長期に重なるが、高度成長スタート期にやや遅れたのは豊かさへの憧れを持っていたが、多くの国民にとってそれを自分のモノとすることに時間がかかったということなのだろう。

 戦争による国土荒廃を受け、尾を引いていた日本の住宅不足を解消すべく、高度成長に合わせて日本住宅公団が設立されたのは1955年のことであり、日本住宅公団が提供する2DKといった団地住宅が刺激剤ともなったに違いない、その設立から約5年程度遅れで「マイホーム主義」に傾斜していき、次々と建売住宅、その他を自分の持ち家としていった。

 この時代、多くの中間層が20年、30年とローンを組んでのことであっても、自身の持ち家をより困難なく持つことができたのは安い外国産材の存在を抜きに考えられなかったに違いない。

 いわば輸入木材関税撤廃が安い外国産材の流入を招いて高い国産材の著しい利用減少をもたらし、林業の衰退、山の荒廃化を結果とした一方の事実に対して当の安い外国産材が多くの国民の自分の家を持ちたいという欲求を叶えさせるべく家を持ち易くしたというもう一方の事実を否定し難く調和させていたのである。

 林業関係者や関連産業側には認めがたい調和であったとしても、高い国産材ではなく、安い外国産材が約束した国民の持ち家に対する幸福を叶えさせた調和であった。

 この調和がまた、日本の高度成長を加速させるエンジンの役割の一つを担ったはずだ。

 もし安い外国産材が存在せず、住宅建設の当時の伸びを低く見積もることになった場合、当然、高度成長全体を抑制する要因となったことは十分に考えることができる。

 住宅市場が活況を呈するか低迷するかで景気に与える影響は大きく、無視できないからなのは断るまでもなくい。

 何事もプラス・マイナスがある。プラス・マイナスを差し引きして、全体として国益に適うか、国民の生活に適うかを見るべきで、産業を一つ一つ見て、プラスだマイナスだと論じても無理があるように思えるが、どんなものだろうか。

 間伐して放置したままの樹木が大雨が降った場合、流れ出して洪水の原因ともなると言っていたが、だったら、間伐せずに自然な状態に放置しておけばいい。人間の手を入れない山はいくらでも存在する。

 2009年10月13日の記事に木材搬出単価を抑え、雇用を創出するための方法として、《林業に自衛隊を投入して雇用創出は不可能だろうか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》を書いた。

 役に立つかどうかは保証の限りではない。だが、誰かが林業再生の役に立つアイデアを出さなければならない。

 勿論農業再生の方策もである。

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菅前首相の国家公務員給与削減法案に関する古賀連合会長との密約と情報隠蔽

2011-10-30 12:21:27 | Weblog

 野田政権は復興財源捻出を目的として平均0.23%の引き下げを求めた人事院勧告を見送り、国家公務員の給与を平均で7.8%削減する国家公務員給与削減法案を国会に提出している。

 輿石民主党幹事長はこの削減は国家公務員のみで、地方公務員に反映させないとしている。

 《民主・輿石氏「給与下げ、教職員など波及せず」》YOMIURI ONLINE/2011年10月28日)

 輿石民主党幹事長(10月27日の記者会見)「地方公務員に波及させると決めたわけでもないし、ましてや義務教育(の教職員給与)に影響することはあり得ない」

 教員出身、日教組出身であることから日教組、教員を支持母体としている利害が言わせている、地方公務員まで給与削減は困るの発言であろう。

 記事の解説。〈輿石氏は日教組傘下の山梨県教組出身。仮に国家公務員給与削減法案が成立しても、教職員など地方公務員は給与を大幅削減する必要はないとの考えを示したものとみられる。〉――

 記事が結びで、〈教職員を含む地方公務員の給与は、国家公務員に準拠して地方自治体が決めることになっている。〉と書いている地方公務員給与決定の一般基準は今回は作用しないと発言したことになる。

 尤も民主党の実力者がそう発言したからといって、直ちに決定事項となるわけではない。 

 「地方公務員の給与改定の手順」は次のようになっている。

 〈人事委員会が置かれている団体(都道府県、指定都市及び特別区等)においては、人事院勧告の内容及び当該団体の民間賃金動向等を総合勘案して人事委員会が勧告を行い、国の勧告の取扱いに関する閣議決定を受けて、具体的な給与改定方針が決定される。

 人事委員会が置かれていない団体(一般市町村)においては、国の取扱いや都道府県の勧告等を受けて、具体的な給与改定方針が決定される。

 いずれの場合でも、議会の議決により、給与条例を改正することとなる。〉――

 「人事委員会」とは、〈道府県、指定都市および人口15万人以上の市が地方公務員法に基づいて設置する、地方公務員のための人事行政機関。国家公務員に対する人事院と同種の機関。〉――
 
 問題は地方公務員給与が国家公務員給与に準拠して地方自治体の裁定がルールとなっているなら、民主党が2009年マニフェストで「国家公務員総人件費2割以上削減」の政策を掲げた時点で、その政策が地方公務員給与に影響することになることも視野に入れていなければならなかったはずだ。

 地方公務員の団体を支持母体とし、利害としている民主党議員は最初から地方公務員への波及に抵抗するつもりで、「国家公務員総人件費2割以上削減」の政策に目をつぶったということなのだろうか。

 また、地方自治体が決める国家公務員給与に準拠した地方公務員給与であるなら、地方自治体に任せるべきことで、国政の立場にある者が口出しすべき問題ではないはずだ。

 国が口出しできることは、その準拠が妥当か否かの範囲内の事柄のみのことで、準拠しなくてもいいということではないはずだ。あるいは人事院勧告を受けた国の取扱いの閣議決定に対する地方自治体の対応の的確性についてのみ口出しできるということであるはずだ。

 だが、逆の意味で前原民主党政調会長が口出ししている。 《前原氏、地方公務員人件費削減も 復興財源で》47NEWS/2011/10/23 11:59 【共同通信】)

 10月23日のNHK「日曜討論」。〈東日本大震災の復興財源を捻出するため、国家公務員と同様に地方公務員の人件費削減も検討する考えを示した。〉

 前原政調会長「国、地方に関わらずやっていかなければならない」

 地方公務員給与が国家公務員給与に準拠を基準としているなら、自ずと波及する法律であるはずであって、そのことを言えば済むことを、さも国が地方を支配しているようなことを言う。

 先の「YOMIURI ONLINE」記事に戻るが、輿石幹事長の発言も問題だが、より問題な点は同じく取り上げている古賀伸明連合会長の発言である。同じ10月27日の記者会見。

 古賀伸明連合会長「国家公務員の給与削減が自動的に地方公務員につながることはないと、前政権と確認している」

 もし菅前首相がこのことを約束していたなら、「準拠」を無視する発言であるということだけではなく、この情報を国民の前に明らかにしていたのかどうかを問わなければならない。

 この記事の中で明らかにしていたことを取り上げていないし、もし菅前首相が情報公開していたなら、マスコミのどの記事もそのこととの関連で国家公務員給与削減法案を報道しているはずだ。

 だが、調べた限りでは、そういった報道に触れることはできなかった。

 支持母体であることからの利害関係にのみ立って古賀連合会長に約束し、本来なら、国民にも利害の検討を提供すべきを、その約束を国民に関知させないまま放置した。

 いわば古賀会長が言うこの“前政権との確認”は国民に何ら説明を果たさない情報隠蔽によって成り立たせることができる密約に当たり、菅前首相は国民に説明責任とは正反対の情報隠蔽を働いたことになる。

 このことはいくら政権を離れたとしても、責めて然るべき情報隠蔽であろう。

 国家公務員と地方公務員の平均収入を見てみた。平成23年度の地方公務員の給与が見当たらないので、平成22年度で合わせた。

 《平成22年国家公務員給与の実態の結果》(人事院給与局)によると、国家公務員の報酬な次のようになっている。 

 平均給与月額――408,496円
 平均給料月額――340,005円

 また、《平成22年地方公務員給与の実態》(総務省)によると、地方公務員の報酬な次のようになっている。
  
 平均給与月額――427,227円
 平均給料月額――343,335円

 地方公務員の方が2万円程度高くなっている。

 同じく平成22年度の民間給与を見てみる。

 《平成22年分民間給与実態統計調査結果について》(国税庁/平成23年9月)  

 平均給与
 412万円(対前年比1.5%増、6万1千円の増加)

 12ヶ月で割ると、34,3333円

 但し男女の内訳は、

 男性507万円
 女性269万円

 男女の格差が大きすぎることが民間給与の平均を下げている理由の一つとなっているのかもしれない。

 男女とも12ヶ月で割ると、 

 男性42,2500円
 女性22,4200円(四捨五入)

 国家公務員平均給与月額408,496円から7.8%削減すると、376,634円。
 地方公務員平均給与月額427,227円から7.8%削減すると、393,904円。

 地方公務員給与の場合、あくまでも「準拠」だから、7.8%以下の削減になるのかもしれない。7.8%以下なら、差は更に広がる。

 平均で行くと、7・8%削減しても、民間給与よりも高い収入を得ることになる。

 もし輿石幹事長や古賀連合会長が言うように国家公務員給与7.8%削減が地方公務員給与に準拠・波及させないとしたら、大きな不公平が生じる。

 この不公平は菅前首相の密約・情報隠蔽が国民にプレゼントすることになる不公平とも言える。

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野田首相の国難との対峙と克服に必要な自覚と認識を欠いた第179回国会所信表明演説

2011-10-29 11:52:43 | Weblog

 昨日(2011年10月28日)午後、野田首相の所信表明演説が行われた。

 野田首相は9月13日の就任後初の所信表明演説のあと、その感想を次のように発言している。

 野田首相「所信表明演説は、聴いている方々の顔を見て対応を変えられないだけに、ちょっと不自由でした。その場の雰囲気を読んで、アドリブを入れて自由に発言できるものではない。原稿を事前に閣議決定し、読むときも原稿から一字一句離れてはならないことになっている」(時事ドットコム

 原稿に殆ど目を落としっ放しで作文を読み上げていく体裁を取ったのはそのためなのだろう。だとしても、問題は作文の内容である。何をする、これをするは誰にでも言うことができる。

 昨日の当ブログで10月25日付朝日新聞朝刊の片山前総務相と宇野重規東大教授の対談記事――「政治時評2011」を取り上げて、片山前総務相が野田首相の最初の所信表明演説を「殆どが官僚が書いたとされる」と周囲の一致した見方を伝えていたが、例え官僚の作文であったとしても、書いてあることに対して首相がどのような姿勢で対峙できているかが重要な問題となる。

 姿勢は認識と自覚を決定要素とする。

 書いてあることに首相個人としての格段な認識と自覚を持って対峙できなければ、官僚の作文は官僚の主導のもと首相が操り人形同然の演技で演じるための官僚のシナリオそのものと化す。官僚のレールに乗って“安全運転”の政治が展開することになることになる。

 所信表明演説の内容は首相官邸HPより再録した。最初に全文を掲載し、最後にほんの少し批評を加えたいと思う。野田政権が取り組もうとしている政策や認識や自覚に関係する言葉を強調しておいた。

 第179回国会に於ける野田内閣総理大臣所信表明演説(2011年10月28日)

(はじめに)

 第179回国会に当たり、私の所信を申し上げます。

 東日本大震災からの復興に歩み始めた被災地で、改革に情熱を傾ける全国各地の農村や漁村で、歴史的な円高に立ち向かう中小企業の街で、そして、欧州に発した嵐が吹き荒れる国際金融市場で、今、私たち政治家の覚悟と器量が問われています。

 この国会が成し遂げなければならないことは明確です。被災地の復興原発事故の収束、そして日本経済の建て直しを大きく加速するために、一日も早く第三次補正予算その関連法の成案を得て、実行に移すことです。これは、政府与党と各党各会派の皆様との共同作業にほかなりません。この苦難の日々を懸命に生き抜く現在の日本人と、この国の未来を託す将来の日本人への責任を、共に果たしていこうではありませんか。

 苦しむ人々の力になりたいという願いは、日本中にあふれています。何よりも、被災者の方々自らが救援物資を分け合い、避難所で支え合いました。そして、これまでに延べ約八十万人の方々が被災地での支援活動にボランティアとして参加していただき、集まった義援金は三千億円以上に上っています。どんな困難の中でも他者をいたわる心は、世界に誇るべき日本人の気高き精神です。

 しかし、それだけでは、未曽有の大震災から被災地が立ち直り、日本経済を建て直していくことはできません。被災地の街や暮らしを元どおりにし、復興に向けて歩む道を確かなものとしていくためには、少なくとも五年間で二十兆円近くが必要になると試算されています。これだけ巨額の資金は、国会が決断しなければ手当てすることはできません。

 「国会の決断」を担うのは、国民を代表する国会議員の皆様であり、ほかの誰でもありません。これまで積み重ねてきた議論を成案として仕上げ、今の私たちにしかできない、国家国民のための大仕事を共に成し遂げようではありませんか。

(被災地の復興を大きく加速するために)

 歴史に輝く世界遺産、平泉は、平安末期に、争乱で荒れ果てた東北の地を復興する営みの中で生まれました。明治期の大火災で町を焼かれた川越や高岡の人々は、耐火建築として「蔵造り」を広め、風情ある町並みを後世に残しました。関東大震災のがれきは海に埋め立てられ、横浜の名所としてにぎわう山下公園に姿を変えています。繰り返す戦禍や災害に打ちのめされながらも、先人たちは、明日に向かって「希望の種」をまき、大きく育ててきたのです。今般の東日本大震災も、その例に漏れません。

 住民との膝詰めの話合いを繰り返し、独自の復興プランを必死に作り上げようとしている被災自治体に対して、まずは財源面での確かな裏付けを行います。地域主権改革の理念に沿って、被災自治体に使い勝手のよい交付金を創設するとともに、自主事業を思い切って支援し、各種の補助事業でも自治体の負担分を実質的にゼロにします。

 仮設住宅に移られた被災者の方々の多くが、働く場の確保に次なる不安を感じておられます。道路や港湾といったインフラを本格的に復旧し、雇用創出の基金中小企業グループ化補助金の積み増し就職支援策の強化などにより、被災者のこれからの暮らしの安心を支えます。また、津波を浴びた農地から塩分を洗い流し、漁船や養殖場を取り戻すことにより、土を愛し、豊饒(じょう)な海と共に生きてきた被災地の農林漁業を力強くよみがえらせます。

 杓(しゃく)子定規な国の決まりごとが復興プランを邪魔してはなりません。大胆な規制緩和や税制の特例を認める復興特区制度を創設し、復興を加速するとともに、被災地の強みをいかした最先端のモデル地域づくりを制度面で応援します。また、「復興特区」において法人税を5年間無税にするといった前例のない措置によって、新たな企業の投資を内外から呼び込みます。

 新設する復興庁には、霞が関の縦割りを排する強い調整・実施権限を持たせ、各被災地に支部を置き、ワンストップで要望に対応します。被災地に寄り添う優しさと、前例にとらわれず果断に実行する力強さを併せ持った機関とし、国と被災地を太い絆で結び付けます。

 また、今般の大震災で得た教訓をいかし、自然災害に強い地域づくりを被災地のみならず全国に広めていくため、まずは、津波防災地域づくり法案の成立を図ります。

(原発事故の一日も早い収束のために)

 福島の再生なくして、日本の再生なし。この切なる願いと断固たる決意を、私は何度でも繰り返します。一日も早く原発事故を収束させるため、原子炉の年内の冷温停止状態の達成を始め、工程表の着実な実現に全力を尽くす国家の意思は、揺るぎありません。

 これまでに、放出される放射線量は事故当初より大きく減少し、緊急時避難準備区域も解除に至っておりますが、周辺住民の方々が安心して故郷に帰り、日常の暮らしを取り戻す日まで、事故との戦いは決して終わりません。

「早くお外で鬼ごっこやリレーをしたい」

「お友だちとドングリ拾いやきれいな葉っぱ集めをして遊びたい」

前歯が抜けたままの顔で屈託なく笑う福島の幼稚園児たちの言葉が、私の脳裏から離れません。

 それぞれの地域で、公共の場だけではなく、住民の皆様の生活空間も含めて、除染を徹底的に進めることが急務です。政府を挙げて取り組む体制を整備し、適切な実態把握と大規模な除染を国の責任として進め、周辺住民の方々と国民全体の抱く不安を少しでも早く解消してまいります。

 また、福島再生のための独自の基金を設け、国際的な医療センターの整備といった新たな構想を、地元と一体となって推進します。

 この三次補正を実行し、「ふるさと福島で生まれ、一生を過ごす」という当たり前の人生を、若者が「夢」として語らなくてすむ未来を必ずや取り戻そうではありませんか。

 政府は、放射性物質の飛散状況や健康に関する情報など、持てる情報を徹底的に開示します。根拠ない風評が被災地の復興を阻むことのないよう、私たち政治家が率先して国民の皆様の心ある対応を促していこうではありませんか。

(経済を建て直すために)

 歴史的な円高に伴い、産業空洞化の危機が続いています。大企業が海外に拠点を移せば、その取引先である中小企業も後を追い、本来この国に残すべき貴重な雇用の場が失われかねません。そうした事態を防ぐため、先般の「円高への総合的対応策」に基づき、日本銀行とも連携して、円高自体への対応を含め、あらゆる政策手段を講じます。

 産業空洞化を阻止する国の決意を行動で示すべく、これまで措置した累計額の約三倍となる五千億円の立地補助金を用意します。また、二千億円規模の節電エコ補助金によって最先端技術の先行需要を生み出し、日本の優れた環境エネルギー技術力を更に高めます。円高で苦しみながらも、それを乗り越えようとする企業には、雇用調整助成金の要件を緩和するとともに、金融支援の拡充を中心とした総額約七千億円に上る中小企業対策を実行します。

 この三次補正を実行し、産業空洞化の圧力に抗して、歯を食いしばって日本での操業にこだわり続ける経営者と、現場を支える労働者の方々に、確かな希望を感じてもらおうではありませんか。

(責任ある復興を実現するために)

 これまで申し上げた支援措置や、先に和解が成立したB型肝炎問題への対応など、3次補正の歳出総額十二兆円を超える規模に及びます。その実行のためには、裏付けとなる財源を確保しなければなりません。

 まず何よりも、政府全体の歳出削減と税外収入の確保に断固たる決意で臨みます。

 国家公務員の人件費削減を進めるため、公務員給与の約八パーセントを引き下げる法案を既に国会に提出しており、その早期成立が欠かせません。朝霞住宅の取扱いを含めた公務員宿舎の抜本見直しにも着手しました。行政刷新会議においては、行政の無駄や非効率の根絶に粘り強く取り組むだけでなく、政策や制度に踏み込んだ国民目線での「提言型政策仕分け」を行います。

 郵政改革関連法案の成立を期した上で、日本郵政やJTの株式など、売却できる政府資産は売却し、あらん限りの税外収入をかき集めます。

 地域主権改革は、地域のことは地域で決めるための重要な改革であり、国の行政の無駄削減を進めるためにも有効です。地方の意見をお伺いしながら、補助金等の一括交付金化や出先機関の原則廃止に向けた改革を進めます。また、効率的で質の高い行政サービスを提供するための公務員制度改革を具体化すべく、関連法案の成立を図ります。

 政治家自身も自ら身を切らなければなりません。江戸時代の儒学者である佐藤一齋は「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛(つつし)む」と説きました。国民を代表して政治と行政に携わる者に求められているのは、この「秋の霜のように、自らの行動を厳しく正していく」心です。私と政府の政務三役の給与については、公務員給与引下げ法案の成立を待つことなく、自主返納することといたしました。また、この国会で憲法違反の状態になっている一票の較差を是正するための措置を図ることや、定数の削減と選挙制度の在り方についても、与野党の議論が進むことを強く期待します。

 次に、経済成長を通じた「増収の道」も追求します。

 古来、財政改革を成し遂げた偉人は、創意工夫で産業を興し、税収を増やす方策を探りました。人口減少に転じた日本において、数年で経済と税収を倍増させるような奇策はありません。日本経済を長く停滞させてきた諸課題を一つひとつ地道に解決し、足下の危機を克服した後に日本が進むべき道を見極め、それを実行していくだけです。

 その先駆けとして、21世紀の成長産業となりうる農林漁業の再生に向けて、次世代を担う農林漁業者が安心して取り組めるよう、先に策定した「我が国の食と農林漁業の再生のための基本方針・行動計画」を政府全体の責任をもって着実に実行します。

 新たに設置した「国家戦略会議」では、年内に日本再生の基本戦略をまとめ、新産業の創出
や世界の成長力の積極的な取り込みなどを一層推進します。また、原子力への依存度を最大限減らし、国民が安心できるエネルギー構成を実現するためのエネルギー戦略の見直し地球温暖化対策新たなフロンティア(広い可能性を秘めた開拓対象領域)の開拓に向けた方策など、中長期的な国家ビジョンを構想し、産官学の英知を結集して具体化していきます。

 成長するアジアへの玄関口として高い潜在力を持つ沖縄の振興については、最終年度を迎えた振興計画の総仕上げを行うとともに、新たな振興策の一環として、使い道を限定しない自由度の高い一括交付金を創設します。

 そして、「歳出削減の道」「増収の道」では足らざる部分について、初めて「歳入改革の道」があります。復興財源案では、基幹税である所得税や法人税、個人住民税の時限的な引上げなどにより、国民の皆様に一定の御負担をお願いすることとしています。

 国家財政の深刻な状況が、その重要な背景です。

 グローバル経済の市場の力によって、「国家の信用」が厳しく問われる歴史的な事態が進行しています。欧州の危機は広がりを見せており、決して対岸の火事とは言い切れません。今日生まれた子ども一人の背中には、既に700万円を超える借金があります。現役世代がこのまま減り続ければ、一人当たりの負担は増えていくばかりであり、際限のない先送りを続けられる状況にはありません。

 復興財源の確保策を実現させ、未来の世代の重荷を少しでも減らし、「国家の信用」を守る大義を共に果たそうではありませんか。

(確かな外交・安全保障のために)

 先の国連総会では、大震災での世界中の人々の支援に感謝し、人類のより良き未来に貢献することで、「恩返し」をしていく我が国の決意を発信しました。その決意を確実に行動に移していきます。

 まずは、大規模な洪水に見舞われているタイ、地震により多数の死傷者が出ているトルコなど、自然災害で被害を受けた国々に必要な支援を行います。「アラブの春」と呼ばれる大変革を経験している中東・北アフリカ地域の改革・民主化努力にも、総額約十億ドルの円借款を含めた支援を具体化していきます。南スーダンでの国連平和維持活動については、これまでの現地調査団による調査結果を踏まえ、自衛隊施設部隊の派遣について早急に結論を出します。

 国と国との関係は、人と人との関係の積み重なりの上に築かれるものです。既に、オバマ大統領を始め主要各国の首脳と国連総会の場でお会いし、先般の韓国訪問では李明博大統領と政治家としての信念に基づき語り合うなど、各国首脳との個人的な関係を取り結ぶ、良いスタートを切ることができました。

 秋は、外交の季節です。来るべきG20では、欧州発の世界経済危機の封じ込めに、日本としての貢献を示します。米国主催のAPEC首脳会議では、アジア太平洋地域の将来像を示した「横浜ビジョン」の理念を実現するために更なる一歩を踏み出し、その成果を日米間の絆の強化にも活用します。ASEAN諸国との諸会合にも参加し、豊かで安定したアジアの未来を共に拓くための関係強化の在り方を議論します。

 より幅広い国々と高いレベルでの経済連携を戦略的かつ多角的に進めます。先般の日韓首脳会談では、経済連携協定の実務者協議を加速することで合意しました。更に今後、日豪交渉を推進し、日EU、日中韓の早期交渉開始を目指すとともに、環太平洋パートナーシップ協定、いわゆるTPP協定への交渉参加についても、引き続きしっかりと議論し、できるだけ早期に結論を出します。

 普天間飛行場の移設問題については、日米合意を踏まえつつ、沖縄の負担軽減を図ることが、この内閣の基本的な姿勢です。沖縄の皆様の声に真摯に耳を傾け、誠実に説明し理解を求めながら、普天間飛行場の移設実現に向けて全力で取り組みます。

 先日、拉致被害者の御家族の方々とお話をして、国民の生命や財産、そして我が国の主権を守るのは、政府の最も重要な役割であるとの思いを新たにしました。全ての拉致被害者の一刻も早い帰国を実現するため、政府一丸となって取り組むことを誓います。また、自然災害だけでなく、テロやサイバー攻撃への対策を含め、危機管理対応には万全を期し、常に緊張感を持って対処します。

(結びに~確かな希望を抱くために~)

 三次補正とその関連法は、大震災から立ち直ろうとする新しい日本が明日へ向かって踏み出す、大きな一歩です。

 「嬉しいなという度に 私の言葉は花になる だから あったらいいなの種をまこう 小さな小さな種だって 君と一緒に育てれば 大きな大きな花になる」

 仙台市に住む若き詩人、大越(おおごえ)桂(かつら)さんが大震災後に書き、被災地で合唱曲として歌われている詩の一節です。障害を抱え、声も失い、寝たきりの生活を続けてきた彼女が、筆談で文字を知ったのは十三歳の時だったといいます。それから十年も経ず、彼女は詩人として、被災地を言葉で応援してくれています。

 誰でも、どんな境遇の下にいても、希望を持ち、希望を与えることができると、私は信じます。

 「希望の種」をまきましょう。そして、被災地に生まれる小さな「希望の芽」をみんなで大きく育てましょう。やがてそれらは「希望の花」となり、全ての国民を勇気づけてくれるはずです。

 連立与党である国民新党を始め、ここに集う全ての国会議員の皆様。今こそ「希望づくり」の先頭に立って共に行動を起こし、全ての国民を代表する政治家としての覚悟と器量を示そうではありませんか。

 私は、日々懸命に土を耕し、汗と泥にまみれながら、国民の皆様が大きな「希望の花」を咲かせることができるよう、正心誠意、命の限りを尽くして、この国難を克服する具体策を実行に移す覚悟です。

 国会議員の皆様と国民の皆様の御理解と御協力を改めてお願いして、私のこの国会に臨む所信の表明といたします。


 どのような演説であっても、“結び”にこそ、その人の自覚と認識、いわば国家建設に賭ける姿勢がより色濃く現れる。

 野田首相は国家建設という「希望づくり」の先頭に全国会議員が立つことを求めている。自身は、「正心誠意、命の限りを尽くして、この国難を克服する具体策を実行に移す覚悟です」 と言って、決意は示しているが、文言全体からは全国会議員の先頭に立つのは何よりも一国のトップリーダーである自己自身だという自覚、あるいは認識を窺うことができる言葉はどこを見渡しても見当たらない。

 いわば求めるのみで、自分こそが先頭に立って国難に立ち向かい、それを克服するという強い姿勢とはなっていない。自らを恃(たの)む矜持、自負心を感じ取ることができない。

 このことは冒頭部分で、「被災地の復興原発事故の収束、そして日本経済の建て直し」を実効させるための「第三次補正予算その関連法」の成立と実行は「政府与党と各党各会派の皆様との共同作業にほかなりません」と言っていることにも現れている。

 「政府与党と各党各会派の皆様との共同作業」であっても、主体的位置に立ち、主体的指導性を持って事に当たるのは 「政府与党」、いわば野田内閣であって、そのことへの強い自覚と認識を欠いていたなら、「政府与党」として担わなければならない強力なリーダーシップ(=指導力)は期待できない。

 そして「政府与党」の中にあって、最も主体的位置に立ち、何よりも主体的指導性を発揮する義務と責任、使命を担っているのは野田首相自身である。

 だが、「共同作業」「政府与党と各党各会派」に求めているのみで、その先頭に立ってリードするのは野田首相自身だというトップリーダーとしての濃密な存在性を感じさせる情報発信とはなっていない。

 現在の国難と対峙し、それを必ず克服するという自覚と認識を保持していたなら、官僚の作文であることを許さず、自分自身の言葉で発信しないと満足しないはずで、当然、野田首相自身のトップリーダーとしての濃密な存在性を窺わせる情報発信となっていたはずである。

 このような国難との対峙と克服に必要な自覚と認識の欠如はあるべき行政組織の姿に対する自覚と認識に関しても同じ欠如となって現れている。(被災地の復興を大きく加速するために)の項目で、「新設する復興庁には、霞が関の縦割りを排する強い調整・実施権限を持たせ、各被災地に支部を置き、ワンストップで要望に対応します。被災地に寄り添う優しさと、前例にとらわれず果断に実行する力強さを併せ持った機関とし、国と被災地を太い絆で結び付けます」と言って、さも結構な政治的措置だと思わせているが、復興庁だけではなく、すべての省庁から「霞が関の縦割り」を排斥し、効率性と実効性を持たせた姿を本来の行政組織としなければならないはずである。

 いわば復興庁のみ、「霞が関の縦割りを排する強い調整・実施権限を持たせ」ればいいというわけではない。

 野田首相が言っている情報発信のみの文脈からすると、大自然災害といった緊急のときだけ「縦割りを排する」機関とするように解釈できないこともない。

 復興庁がいくら新設であっても、そこに集める人材は日本人の権威主義の行動性に発した縦割り体質を本来的に染み付かせている。新設だからと言って、縦割り体質を属性としていないと断言できるわけではない。

 もし復興庁に、「霞が関の縦割りを排する強い調整・実施権限を持たせ」ることができるなら、すべての省庁に於いても持たせることを可能としなければならない。

 だが、現実には可能とすることができていないために、復興庁に関しては「霞が関の縦割りを排する強い調整・実施権限を持たせ、」云々と言わなければならない。
 
 一つの省庁であっても、縦割り体質を廃止できた行政組織があっただろか。このことからすると、復興庁に於いても似た経過を辿る運命にあると言うことができる。少なくとも簡単には片付かない相当な困難を伴うはずだ。

 確かに所信表明演説には成すべきことを並べ立てている。最初に断ったように、何をする、これをするは誰にでも言うことができる。

 必要とすることは自らが課題とする事柄にどのような自覚と認識を持って如何に対峙するかの姿勢だと。

 残念ながら、強い決意と覚悟を持って誰よりも先頭に立って国難と対峙し、それを克服するとする、自らの存在性を賭けるどのような自覚も認識も感じさせない所信表明演説であった。


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野田首相の“安全運転”とは官僚運転の車に乗って行先きまで任せることなのか

2011-10-28 12:03:43 | Weblog

 自民党議員の中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」(2011-10-25 14:02:13)から知り得た情報だが、10月25日朝日新聞朝刊の「政治時評2011」なる記事に菅前政権の片山前総務相が民主党及び野田首相批判を展開していることを知った。 

 記事の全文を知りたいと思ってインターネットで件の記事を探したが、その記事は有料で、貧乏人には手が届かない。あるブログに記事の写真が載っていた。その写真を拡大に拡大を重ねて、やっと読み取り、文字化した。

 菅首相のオハコで、どのような批判も「それぞれ見方がある」として、単なる一つの見方に貶めて批判を葬ってきたように野田首相も同じ手を使うかもしれないが、片山前総務相の野田批判から窺うことのできる首相像はどう贔屓目に見ても、野田首相がモットーとしている“安全運転”が官僚任せ(=官僚主導・官僚依存)とすることによって獲得可能となる安全確保に見えて仕方がない。

 記事は片山前総務相と宇野重規東大教授(政治思想史)の対談形式となっている。

 以下全文参考引用――

 「改革の一丁目一番地」はどうなった?

  野田さんは「分権お休み中」


 宇野「かつて自治官僚だった片山さんは、古巣の総務省(旧自治省)に厳しい指導をされてきました。菅政権で総務相として戻り、変革することができましたか」

 片山前総務相「1年は短かったですが、これだけはやりたいと思っていたことはできたと思います。力を入れたのは総務省の体質改善です。組織として仕事をしようと思えば、トップである大臣と官僚がミッション(使命)を共有しなければいけません。その気になってもらうために、官僚たちと徹底的に議論しました」

 宇野「『官僚組織の腐敗の原因はミッション感覚の喪失である』と指摘してきましたね」

 片山前総務相「その通りです。一義的には官僚に責任はありますが、ミッションを与えなかった政治家にの問題があった。

 政治家のミッションは国民の意識、感覚を官僚組織に注入することにあるのに、それを怠った。その空白に乗じて、官僚たちの間に組織の論理がはびこりました」

 宇野「総務官僚には、自治体の代弁者と自任する反面、自治体を半人前扱いにしている印象があります。総務省のミッション感覚もどこかでおかしくなったのでしょうか」

 片山前総務相「日本を民主的は国にする基盤として地方自治は重要で、中央の権限や裁量を自治体に移し、運営を任せなければいけないという感覚は総務官僚にあります。ところが、その権限を自治体が行使するときに、住民が方向付けすることに本能的に抵抗がある。住民ではなく、総務省を向いてくれないと居場所がなくなるのではという不安があるのです」

 宇野「民主党政権は『地域主権は改革の1丁目1番地』と唱えましたが、大きく前進した印象はありません。補助金の一括交付金化や国の出先機関の自治体への移管はどのくらいすすんだのでしょうか」

 片山前総務相「補助金は各省の縦割りで使途が決められ、年度内に使い切る仕組みです。使い勝手が悪く、無駄も生じる。こうした弊害をなくそうというのが一括交付金化で、まず都道府県のハード事業を対象に行いました。私が就任した時点で決まっていたのは28億円で分でしたが、菅前首相の強い指示、馬淵国土交通相、鹿野農林水産相などの協力を得て、5120億円まで積み上げました。

 国の出先機関には民主主義の不足が顕著です。同じ仕事をする場合、地方議会に監視される自治体がやるのと、国会の監視はあるものの非常に縁遠くなっている出先機関がするのとでは、民主的な統御の面で出先機関は劣ります。九州や関西などブロックの受け皿にごっそり移譲する構想を進めてきましたが各省の抵抗が強まっている。後退しないようにしなければいけない」

 宇野「20日に野田首相が『もっと進めろ』と指示しましたが、地方分権については、鳩山、菅政権より腰が入っていないように思えます」

 片山前総務相「山登りに喩えれば、今は3合目あたりか、先に進むか、一旦休むか、引き返してしまうのか。そういう段階です。状況証拠からすると、野田内閣は『分権お休みシフト』で、あまり熱心ではない。官僚組織の要である事務の内閣官房副長官に国交省の現役次官を起用しました。国交省は、馬淵大臣が一括交付金化や出先機関の移管を進めようと指導力を発揮してきましたが、基本的には抵抗の立場です。その頭目を起用するというのは、いずれも進める気がないとうことでしょうね」

 宇野「民主党らしさとは何かと考えると、ひとつは鳩山さんがこだわった『新しい公共』だと思うのです。更に地方分権も民主党の本質的な部分だと見ていたのですが、違うでしょうか」

 復興=増税 財務省言いなり

 片山前総務相「役所や官僚を介さずに社会が必要とする公共空間を形成する。それが民主党らしさだと思います。地域主権改革とは国が物事を決めて、自治体に押しつけるベクトルを断つことだし、『新しい公共』における寄付優遇税制は、官僚が税金を使って提供してきた公共サービスを、個々人が価値を認める民間団体にお金を出して進めるという発想に立ちます。農家の戸別所得補償も子ども手当も、官僚の裁量や恣意を排する政策です。こうした改革や政策を官僚は本能的に嫌います。

 殆どが官僚が書いたとされる野田首相の所信表明演説で『新しい公共』への言及がなく、地方分権もおざなりな点に、官僚の本音がにおいます。

 宇野「野田政権は官僚に全面的に屈し、これまで取り組んできた民主党らしさが大幅に後退した、という評価になるんでしょうか」

 片山前総務相「野党時代の民主党がマニフェストに掲げた政策には、官僚と一体化した自民党政権との対抗軸として官僚組織を介さない仕組みを拡大する意味合いがあった。これが『新しい公共』であり、地方分権改革でした。本当にそういう社会を目指そうという人もいるが、政権を取れたのでもう必要はない、官僚と仲良くやるほうが安全でいいという人もいる。野田さんは後者の典型でしょう」

 宇野「官僚と手を組んで政治をしてきた自民党にすれば、野田政権が官僚と一体化すると、存在意義が脅かされることになりますね」

 片山前総務相「自民党は野田政権にお株を奪われました。古女房のように思っていた官僚たちがある日、突然離れていった。人情の薄さを痛切に思っているでしょう。でも、政と官の間には適切な間合いがあるべきです。不実をなじるより、官僚とはそんなもの、冷たく薄情なものだと客観視していくほうがいいと思います」

 宇野ところで、東日本大震災をきっかけに、地方分権の有り様が変わることはないでしょうか」

 片山前総務相「被災した自治体の多くが住民と意思疎通を図って復興計画をつくろうとしているのはいいことです。阪神大震災で神戸市が住民の意見を聞かずに復興計画をつくり、結果として住民の孤独死を招くなどしたことへの反省があります。財政支援の仕組みは国が決め、自治体が主体的に計画を決めるという道筋です。が、肝心の国の対応が鈍い。

 この国会の争点である第3次補正予算案なんて4月にでもつくるべきだったのです。早く決めましょうと私は言い続けましたが、財務省が震災を機に増税することにこだわり、進みませんでした。

 復興事業はお金のあるなしで左右される代物ではない。国債を使って1日も早く補正予算を組まないといけないのに、復興のためなら国民も増税に応じるはずと、復興を人質にしたのです。

 宇野「民主党内には地方分権こそが大事という考えと、増税なくして復興なしという財務省的な考えが緊張関係にあった。野田政権では財務省側にシフトしたのでしょうか」

 片山前総務相多くの与党議員が財務省にマインドコントロールされているとしか思えなかった。メディアも同じです。救急病院に重篤な患者を運び込まれているのに、治療費の返済計画を家族が提出するまで待たせておくよなもので、異様です。世の中がそれを異様だと言わないところがまた、異様だと思います」

 宇野「復興のための増税のはずなのに増税自体が自己目的化しているわけですね」

 片山前総務相「赤字国債を年40数兆円出しているのに、財務省はその返済財源について口にしない。ところが、復興予算とB型肝炎の関連予算には執拗に財源を求める。異様です。閣議などで私がそう指摘すると、『財源なしに予算を組むのは無責任だ』と主張したのが、当時の野田財務相と与謝野経済財政相でした。財務官僚の論理を野田さんが代弁し、与謝野さんが補強し、菅首相までもがのんでしまった。

 復興の遅れを、菅さんの6月2日の辞意表明のせいにする人がいますが、それは的外れです。真の原因は、財務省のヘンテコな論理を菅さんがとがめなかったところにある。その意味では、菅首相は判断を誤ったと言えるでしょう」

 宇野「政権交代から鳩山、菅政権を経て野田政権に至って民主党らしさが曖昧になり、政権交代そのものへの失望感が広がっています」

 片山前総務相「野田政権になって、ほとんど自民党時代に戻ってしまいました。野田さんとは菅内閣で1年間付き合いましたが、財務官僚が設定した枠を超えられませんでした

 宇野「政権が変わっても中身が同じというなら、政権交代の意義はなくなりはしませんか」

 片山前総務相「鳩山、菅両政権の激しさに辟易(へきえき)してか、バック・トゥー・ノーマルシー、いわば平常への復帰を望む空気が、官僚、民主党だけではなく、国民の間にもある。いまは波乱万丈の後の癒しの時代で、安全運転がいいという雰囲気が漂います。そういう時代ではダメだということで、政権交代があったはずですが」

 宇野「社会の現状を打破するために政権交代をテコに使うとか、本来の趣旨に戻らないといけません」

 片山前総務相「事業仕分けで凍結されたのに、野田財務相が着工を容認した埼玉県朝霞市の国家公務員住宅が現状を象徴しています。世論の反発を受け、財務省の検討会で中止も含めて判断することになったが、最終的にどうなるか。目を離したら元の木阿弥になる可能性が相当ある。マスコミが野田さんに『王様は裸だ』と言えるかどうか、『ドジョウ』で騙されてはいけません
 少なくとも片山前総務相は野田首相の政治姿勢を、事故を恐れて自分から運転するのではなく、官僚が運転する車に乗って、行先きまで任せる“安全運転”志向に徹した官僚主導・官僚依存に陥っていると、そういった“見方”をしている。

 だが、1年間、近くにいて観察していたのである。単なる“見方”で終わらせることはできないように思える。

 その象徴的な指摘の一つが、野田首相は演説が得意が一般的な評価となっているが、その得意を押し殺して所信表明演説を官僚の作文で済ませたと言っているところに現れている。

 片山前総務相は地方分権について、「日本を民主的は国にする基盤として地方自治は重要で、中央の権限や裁量を自治体に移し、運営を任せなければいけないという感覚は総務官僚にあります。ところが、その権限を自治体が行使するときに、住民が方向付けすることに本能的に抵抗がある。住民ではなく、総務省を向いてくれないと居場所がなくなるのではという不安があるのです」と言っている。

 いわば権限や裁量を国から地方に移してもいい。だが、住民がその行使を方向づけるのは反対だ、あくまでも総務相に顔を向けながら、いわば総務省の顔を窺いながらということなのだろう、行使して貰わないと自分たちの存在意義を失いかねないからと、そこに制限を設ける意志を働かせているという趣旨に違いない。

 ここから見えてくる答は国は地方分権だと言いながら、あるいは国から地方への権限委譲だと言いながら、中央が地方を支配する中央集権意識から完全には脱却することができない姿である。

 このことを別の言い方をすると、いつまでも子どもを自身の管理下に置こうとして子離れできない親が子どもに対して自律(自立)できない姿を実体としているように地方自身がこれまでと違って自律(自立)しようと働きかけているのに反して、国がいつまでも地方離れが決断できない自律(自立)不可の姿を実体としていると言える。

 このミスマッチが地方分権や一括交付金化がすんなりと進まない無視できない原因の一つとなっているということではないだろうか。

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玄葉外相の、普天間移設「国外、最低でも県外」の鳩山発言は「誤りだった」とする狡猾な責任回避

2011-10-27 12:53:58 | Weblog

 玄葉外相が昨日(2011年10月26日)の衆院外務委員会で鳩山元総理の普天間移設「最低でも県外」発言は「誤りだった」と、自民党の河井克行議員の質問に対して答弁したという。

 《外相 “最低でも県外”は誤り》NHK NEWS WEB/2011年10月26日 19時57分)

 玄葉外相「選挙中にあの発言を聞いて、鳩山政権が誕生すれば、おそらく、この問題で終わるんじゃないかと思った。現実のものになってしまったというのが率直なところだ。あの時点で、ああいう発言をされたのは誤りだったと思う。

 鳩山元総理大臣自身も、『あのときの発言は間違っていた』と認めたから、総理大臣をみずからお辞めになり、責任を取ったと理解している」

 この質問箇所を「衆議院インターネット審議中継」からダウンロードして聞いてみた。上記玄葉外相の発言の後半部分は河井議員が普天間問題の挫折・行き詰まりで日米同盟が揺らいだ、民主党が国益を毀損した今、責任を衆院を解散することで取るべきではないかと迫ったの対して鳩山元首相の辞任を以て責任は果たしたとする発言である。

 河井議員はこの答弁に対して首相一人の責任ではない、民主党全体の責任だと反論するが、このことに関しては深く追及せずに次の質問に移っていく。

 前半の答弁を取り上げてみる。玄葉外相は「あの時点」でと、鳩山元首相が衆院選前の選挙応援で沖縄に訪れた2009年7月の時点のことを言っている。要するに他の時点ならいいがという意味であろう。

 玄葉外相の前半部分の発言のあと、河井議員は鳩山元首相の「県外」発言を誤りだとする玄葉外相の評価との関連で2008年7月8日策定の《民主党・沖縄ビジョン2008》にも普天間の県外・国外移設が書いてあるとして、このことに対しても玄葉外相の評価を追及している。

 《民主党・沖縄ビジョン2008》には普天間移設に関して次のように謳っている。

 〈在沖縄米軍基地の大幅な縮小を目指して日本復帰後36年たった今なお、在日駐留米軍専用施設面積の約75%が沖縄に集中し、過重な負担を県民に強いている事態を私たちは重く受け止め、一刻も早くその負担の軽減を図らなくてはならない。民主党は、日米安保条約を日本の安全保障政策の基軸としつつ、日米の役割分担の見地から米軍再編の中で在沖海兵隊基地の県外への機能分散をまず模索し、戦略環境の変化を踏まえて、国外への移転を目指す。〉――

 玄葉外相「安保環境っていうのは変わると思うのですね。戦略環境も変わると、いうふうに思います。(2009年の)総選挙の時の安保環境というのは、もう既に、今に近い、そしてさらに私は安保環境は厳しくなっているというふうに思っております。

 そういう意味ではですね、あのー、私自身が、安保環境を持ち出すのは、まさに今の文脈からであると。

 じゃあ、2008年はどうだったかと、オー、言うと、まさにそれは恐らく戦略環境がどこまで変わっていくかということによるのではないかと。あるいは将来ですね、えー、ちょっと私、手元に、その文書がないものですから、どこまで正確にですね、申し上げられるかということがありますけれども、ただ同時にですね、恐らく、沖縄の負担軽減というものをですね、当時の鳩山代表は考えて、先程申し上げたように私自身誤りだったと言うふうに思ってましたけど、何とか県外移設の試み、検討っていうのをやろうっていう、ま、そう意図だっんだろうというふうに。

 当然ですけれども、そういうふうに解釈をしております。ですから、ちょっと2008年の話をですね、出来れば、改めて文書をチェックさせていただいて、お答えさせていただければというふうに思っております」・・・・

 玄葉外相が「あの時点で」と言ったのは安保環境の時期的変化の文脈で発言したことが分かる。

 要するに玄葉外相は2008年の《民主党・沖縄ビジョン2008》策定当時と比較した戦略環境の変化、あるいは安保環境の変化を挙げて、普天間の県内移設を正当化していると同時に戦略環境の変化、あるいは安保環境の変化前の策定だと、《民主党・沖縄ビジョン2008》で謳った県外・国外移設をも逆に正当化している。

 菅前首相も既にご存知のように野党時代、普天間の県外・国外移設を掲げていて、首相になるや、安保環境の変化を理由に県内移転を正当化している。

 2001年7月21日の那覇市での記者会見。

 菅幹事長(当時)「海兵隊はいろんな軍事情勢、極東情勢を勘案してみて、沖縄に存在しなくても日本の安全保障に大きな支障はない。(海兵隊は)アメリカ領域内に戻ってもらうことを外交的に提起すべきだ」

 2010年8月5日の参議院予算委員会。

 菅首相「過去の発言について、色々言うことは控えたいと思いますが、えー、私なりの、今現在の、おー、日本の要請、あるいは、あー、アジアを巡る情勢、えー、そういったことを含めての、オ、判断であります」

 いわば情勢の変化――安全保障環境の変化を挙げて、「過去の発言」とは異なる県内移設を正当化している。

 このことは逆に「過去の発言」の正当化でもある。

 だが、菅前首相にしても玄葉外相にしても、この自己正当化の論理には矛盾がある。特に安全保障政策となると、長期的展望に立って策定する責任を負っているはずである。

 玄葉外相自身、「(2009年の)総選挙の時の安保環境というのは、もう既に、今に近い、そしてさらに私は安保環境は厳しくなっているというふうに思っております」と、安保環境の年々の急激な変化を口にする以上、そのことを念頭に置いた長期的展望を《民主党・沖縄ビジョン2008》にデザインして置かなければならなかったはずだ。

 突然変異のように今までなかったものが急激に現れたというわけではない。

 だが、長期的展望をも含むはずの《民主党・沖縄ビジョン2008》は2008年から1年経過しただけの2009年のより厳しくなった安保環境の変化に《民主党・沖縄ビジョン2008》策定の安全保障政策は追いつくことができなくなった、適応しなくなったということになる。

 このことは沖縄の米軍基地に関係するだけではない、他の安全保障にも関係することになる安全保障政策の立案の能力を民主党自体が欠いていることの、至って滑稽なことだが、証明としかならない。

 この証明は単に鳩山前首相が長期的展望を欠いた安全保障政策に基づいて普天間基地の国外・県外移設を主張したという個人的な政治的資質の問題にとどまらず、民主党全体の政治的資質の問題となるはずだ。

 安全保障環境の変化の中には当然の如くに北朝鮮と中国の軍備増強を入れている。だが、北朝鮮がミサイル実験をしたのは第1目回が1993年、2回目が1998年、三回目が2006年であり、核実験は2回目は《民主党・沖縄ビジョン2008》策定2008年の1年後、2009年ではあっても、第1回目は《民主党・沖縄ビジョン2008》策定2年前の2006年である。

 また北朝鮮の韓国に対する直接的な敵対行為のうち、2010年3月の韓国哨戒艦「天安」に対する北朝鮮の魚雷攻撃による沈没と2010年11月の韓国のヨンピョン島に対する砲撃事件は《民主党・沖縄ビジョン2008》策定の2008年以後のことではあっても、1983年の韓国政府要人を狙った北朝鮮工作員によるビルマのラングーン爆破テロ事件、1987年の金賢姫他1人の北朝鮮工作員を使った大韓航空爆破事件は《民主党・沖縄ビジョン2008》策定以前のことであり、敵対行為の規模、あるいは惨劇の規模・衝撃としては後者の方が遥かに大きい。

 こういったことを踏まえた北朝鮮に対する長期的展望に立った《民主党・沖縄ビジョン2008》でなければならなかった。

 また中国に関しては21年連続2桁増の巨額な軍事費、その内容の不透明性から、1990年代後半には既に中国脅威論が台頭していた。《民主党・沖縄ビジョン2008》策定の10年近く前である。

 前原誠司が民主党代表時代の2005年12月にワシントンで講演、中国の軍事力増強を「現実的な脅威」と発言したのは、この中国脅威論に彼なりに基づいていたはずだ。

 安全保障は軍事力だけに負うものではなく、経済力や政治力(=外交能力)によっても左右される総合力として構築しなければならない政策であるゆえに軍事力のみから見た「中国脅威論」には私自身は与しないが、中国の海洋進出が例え新たに現れた最近の安全保障環境の変化であり、危険な徴候であったとしても、以前から経済政策や外交問題と共に長期的展望に立って備えていなければならなかった対中国安全保障政策であり、在沖海兵隊基地の県外・国外移転の《民主党・沖縄ビジョン2008》でなければならなかった。

 だが、玄葉外相はたった3年しか経過していないのに、《民主党・沖縄ビジョン2008》で民主党が構築した安全保障政策は現在の安全保障環境下では状況的に合わないものになっていると、長期展望の必要性と矛盾したことを言っている。

 この矛盾は民主党全体の問題であるにも関わらず、普天間基地移設先の「国外、最低でも県外」の鳩山発言を「誤りだった」と鳩山元首相のみの責任に帰している矛盾と同様、あまりにも狡猾に過ぎる責任回避に当たらないだろうか。

 玄葉外相は河井議員との質疑応答の中で沖縄の安全保障上の地理的優位性・地理的特性を挙げて沖縄県内の施設でなければならないと主張しているが、だとすると、軍事費削減の理由からだが、アメリカ国内にも存在する米軍海外基地の米本土移転の主張はどう説明するのだろうか。

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前原民主党政調会長の「TPP、撤退はあり得る」発言の真意

2011-10-26 11:22:11 | Weblog

 前原民主党政調会長の環太平洋経済連携協定(TPP)の「交渉に参加しても、国益にそぐわなければ、撤退はあり得る」の発言が、可能・不可能の両論を誘発して波紋を広げている。

 10月23日日曜日、NHK「日曜討論」

 前原政調会長「交渉というのは、ルール作りに参加して、いかに世界の仕組みを作るかということだから、交渉に参加した結果、国益に全然そぐわないものであれば、撤退はあり得るのは当然だ」(NHK NEWS WEB

 TPP交渉に関しては関税原則ゼロの自由貿易推進を目標としているため、日本の農業・漁業が壊滅的打撃を受けるだけでなく、医療等のサービス分野までマイナス影響を受けるとして反対する声が大きい。

 野田首相自身は11月12~13日に米国で開催のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議でTPP交渉の参加を表明する意向だとされている。

  前原発言の翌日の10月24日午前の記者会見で、まず藤村官房長官が同調した。

 藤村官房長官「党の政策調査会長の発言なので、当然、重く受け止めている。一般的に、外交交渉で、交渉が決裂すれば離脱するわけで、そういうことはあり得る」

 前原政調会長が「撤退」と言い、藤村官房長官が「離脱」と言っていることは交渉段階での態度、言ってみれば交渉途中の退席のことを言っているのであって、条約締結後の態度としているわけではないことは断るまでもない。

 この途中退席可能性にTPP交渉に前向き姿勢の玄葉外相が異論を唱えた。10月25日、閣議後の記者会見。

 玄葉外相「交渉に参加したあとに撤退するということが起きた場合にどういう国益を損なうのかを、よく考えないといけない。論理的にはあり得るが、簡単な話ではない」(NHK NEWS WEB

 理屈としては離脱は可能だが、現実問題として困難だと言っている。

 野党も黙っていない。野次馬人間としては賛否両論、賑やかな方がいい。

 石原自民党幹事長「交渉に参加するかどうかの決断は難しく、決めていない段階での言及は、全く外交センスがない。「『交渉に参加して、気に入らないからやめます』ということは、外交上できない。日米間の貿易量は多く、交渉に参加したうえで『ダメだ』となれば、アメリカがどういう対応をするのか、想像すれば分かる」(NHK NEWS WEB

 発言の前半は必ずしも正しいようには思えないが、後半はほぼ妥当な判断を示しているのではないだろうか。

 次は公明党。10月25日の記者会見。

 山口公明党代表「(離脱可能性の議論に関して)政府の対応としてあまりにも不十分だ。政府は国民的議論ができるような状況をつくるのが責任の一つだ。まずは政府がどう臨むのかを国民に説明することが重要だ」(MSN産経

 国民的議論が先だと主張して、離脱可能性に関しての言及はない。国民的議論なくして交渉参加なしといったところなのだろう。

 次に経済界。10月25日午前記者会見。

 米倉経団連会長「離脱というのは非常に不穏当な表現だ。まず、TPPの交渉に参加して、それが国益にかなうのかどうか国会で徹底的に議論して協定に入るかどうか決めればいいわけで、交渉の途中での離脱は絶対にあり得ない」(NHK NEWS WEB

 米倉会長も交渉途中の退席は「絶対あり得ない」と否定、交渉は最後まで行なって、締結の最終判断は国会の議論に任せるべきだと主張している。

 TPP交渉積極参加の前原政調会長と反対派急先鋒の山田正彦元農水相が10月25日が国会内で会談、山田元農水相が前原「撤退」発言を無責任な発言だと批判、その撤回を求めたのに対して、前原政調会長は自説を押し通して、会談は平行線を辿ったという。

 《前原氏と山田氏が激論 撤退発言「無責任」vs「できる」》MSN産経/2011.10.25 18:52)
 
 山田元農水相「外務省は交渉に入ったら抜けられないと言っている」

 前原政調会長「外交交渉だから、撤退しようと思えばできないことはない。撤退できる」

 前原政調会長が言うように交渉事だから、交渉途中の撤退は、玄葉外相の言葉で言うと、「論理的にはあり得る」。「国益にそぐわない」からと、穏やかに丁重に断って交渉の場から途中退席することも可能であるし、こんなこと、やってられるかとばかりに席を蹴って立つこともできるはずだ。

 敗戦間際、日本政府と軍部は国益を国体護持(=天皇制維持)の一点に絞り、国民の生命・財産は「国益にそぐ」うか否かを一切考慮せずにポツダム宣言と向き合い、一旦は席を蹴って立つが如き反応を示したためにご丁寧にも原爆を2発も落とされて、国益の計算に入れていなかったものの、多くの国民の命を犠牲にした。

 いわば不可能ではない途中退席と言える。

 但しTPP交渉は交渉参加国が相互の国益に適う自由貿易の構築を目的とする交渉である以上、その相互性ゆえに交渉に参加した場合、構築達成に向けた責任を相互に負うことになる。

 構築達成は参加国それぞれに自由貿易を通した国益の実現を約束する。

 日本が交渉に参加した場合、参加国の中で米に次ぐ大国である以上、その責任も大きく、「一抜ーけた」と、相互性から外れる「離脱」、もしくは「脱退」は許されるだろうか。

 交渉に参加したなら、日本の国益に適わない分野がある場合でも、参加国相互の全体的な国益との兼ね合いの中でねり強く妥結に向けて努力し、参加国全体でバランスの取れた国益を相互に担保することが参加国それぞれの責任であり、日本が米国と共に負わなければならない大国としての特別な責任となる。

 その責任を果たさずに「国益に全然そぐわない」からと途中退席の「撤退」を見せた場合、当然、信用を失うことになる。国家の信用失墜という外交的損失・国益喪失を代償としなければ不可能な「撤退」であり、「離脱」であるはずだ。

 これが玄葉外相の言う「どういう国益を損なうのか」ということに当たり、石原幹事長が言う「交渉に参加したうえで『ダメだ』となれば、アメリカがどういう対応をするのか、想像すれば分かる」に相当するはずだ。

 前原政調会長がいくら口先番長であったとしても、こういった道理ぐらい承知しているはずだ。いや、口先番長だからこそ、承知していながら、口先だけで言ったに違いない。

 交渉参加に強硬に反対する勢力を宥めて参加に持っていく方便として、途中離脱できるのだから、とにかく交渉に参加して、日本の国益にそぐわないということなら、交渉から撤退すればいいのだからと口先では可能となることを言ったといったところが真意ではないだろうか。

 交渉に参加しさえすれば、こちらのものだと。

 交渉途中の撤退、離脱の類が口先では可能なことであっても、実質的な責任上、不可能なことだから、当然異を唱える者が現れる。多分に対抗上の意味合い――ライバル意識を含んでもいるからだろう、与党の中からも現れることになる。

 前原政調会長の方は一旦口にしたことだから、発言を撤回させるわけにもいかず、唯一残されている口先を維持する戦術に縋っているといったところではないだろうか。

 下手に前言を撤回したなら、発言に一貫性を欠く、政治家の言葉は重いはずだが、言葉が軽いと新たな批判を招いて、政治家としての評価を確実に下げることになるからだ。

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中2虐待死に見る過去の児童虐待死を相変わらず何ら学習しない児童相談所の不作為とも言える危機管理

2011-10-25 12:41:44 | Weblog

 ほんの3日前の10月22日(2011年)朝、名古屋市名東区の市営住宅で部屋に出入りしていた母親の愛人の酒井なる男に胸を殴られて中学2年の服部昌己(まさき)君(14)が殺された。

 《名古屋・中2暴行死:日常的に虐待か…児相に通報5回》毎日jp2011年10月23日 1時45分)から経緯を時系列で追ってみる。

 二人の交際は09年夏頃からだと、これは「MSN産経」記事が伝えている。

●市児童福祉センター ――2009年8月と2011年1月、「家庭の養育環境が不十分」などとして、昌己君
 を2週間~1カ月間、一時保護.
●2011年6月8日――昌己君が当時通っていた市立田光中学校(同市瑞穂区)から最初の通報。「昌己君
 が左頬にけがをし、酒井容疑者が暴行を認めた」
●6月14日――市立田光中学校から2回目の通報
●6月14日家庭訪問。市児童福祉センター(児童相談所)職員、昌己君の自宅家庭訪問。
 酒井容疑者「言葉遣いが悪くカッとなって殴った。しつけのつもりだった
●6月19日――近所の住人「虐待されているのではないか」と3回目の通報。
●7月――市立田光中学校、額のケガを4回目の通報。
 同センター家庭訪問。母親友己「(昌己君が)転んで階段の手すりにぶつけた」
●10年7月――母親から県警瑞穂署に「酒井容疑者に腕を殴られた。別れたい」と通報。
●10月11日――親族の知人、通報。
●10月14日、市児童福祉センター家庭訪問。「虐待を疑う要素はない」と判断。

 羽根祥充・市児童福祉センター主幹「酒井容疑者も反省している様子で、指導はうまくいっていると思っていた。援助の力が足りなかった」――

 市児童福祉センターが昌己君を2009年8月と2011年1月の2回、2週間~1カ月間、一時保護した時期は既に男が出入りしていた時期と重なるはずで、昌己君の記録を取っていたなら、学校から虐待の通報を最初に受けた時点で、児童福祉センターは男も加わった「家庭の養育環境が不十分」と学習しなければならなかったはずだ。

 いわば男にしても家庭的ではない人格を有していると見做して、家庭訪問以降、虐待死防止の危機管理上、要注意人物として取り扱わなければならなかった。

 6月8日の最初の通報があったあと、児童福祉センターが直ちに家庭訪問したかどうか、他の記事を見ても分からない。家庭訪問したと伝えている記事もあるかもしれない。

 だが、学校は「昌己君が左頬にけがをし、酒井容疑者が暴行を認めた」からこそ、虐待を疑って通報したはずである。児童相談所の家庭訪問によって酒井容疑者がどう釈明し、その釈明に対して児童相談所がどう判断したのか、最終的に「虐待を疑う要素はない」と判断したのだから、日常的虐待と判断したわけはないが、だとしたら、一過性と判断したのか、結末の提示があって然るべきだが、ないところを見ると、家庭訪問自体が行われなかった疑いが濃い。

 6月14日の2回目の通報と同じ日に児童福祉センターは家庭訪問している。酒井は「言葉遣いが悪くカッとなって殴った。しつけのつもりだった」と釈明した。いわば虐待ではないと否定したということである。

 この釈明に対する児童福祉センターがどう判断したのか、記事は書いてない。他の記事も触れていないようだ。

 「しつけ」だと称することが虐待の自己正当化の常套句となっている過去の例に鑑みたなら、記者はどう判断したのか尋ねるべきだったろう。

 児童相談所がどう対応したか、取り立てて説明がなかったことからすると、相手の言い分を言葉通りに素直に解釈して、感情に任せた一時的な発作行為だと見做したということなのだろう。

 ここから窺うことができる児童相談所の姿は相手の言い分に疑うことを知らない無邪気さを纏った姿である。実際は無邪気さではなく、面倒を避ける意識が相手の言葉をそのまま虐待ではないことを証明する言葉としてストレートに受け入れる狡猾さへを誘導させたのかもしれない。

 また、学校から4回目の通報を受けて児童相談所が家庭訪問したとき、母親は「転んで階段の手すりにぶつけた」と言って、ケガは虐待によるものではないことを間接的に否定しているが、子ども自身による“転倒”をケガの原因だとする説明も虐待を誤魔化す常套句として虐待者が頻繁に利用していることも学習していなければならないはずだ。

 虐待を「しつけ」だと誤魔化す例を挙げてみる。

 2006年7月、福島県泉崎村北平山の40歳の夫と33歳の妻が三男の広ちゃん(当時3)を日常的な虐待と食事を満足に与えない育児放棄によって低栄養状態で死なせたため保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されている。

 他の二人の兄姉にも暴行と食事を与えない育児放棄の疑いが出ていた。

 両容疑者「朝のあいさつをしなかったから、しつけの範囲だ。衰弱には気づかなかった」

 衰弱に気づかないことはないだろう。懲らしめのために食事を満足に与えず、衰弱は言うことを聞かないことの結果と見ていたに違いない。そうでなければ、衰弱を放置しない。

 兄姉が通っていた大戸祐一村立泉崎第二小学校校長「両親からは『自分の子は自分でしつけるので手を出さないでくれ』と言われたこともあった」

 2010年1月24日死亡した東京都江戸川区の小学1年生岡本海渡君(7)は両親から日常的な暴行を加えられる虐待を受けて死亡している。前年、歯の治療で通院していた歯科医院の歯科医が「虐待の疑いがある」と江戸川区子ども家庭支援センターに通報、センターが学校に通報。担任教諭らが家庭訪問。

 父親しつけで殴ったが、暴力はよくない。もう二度としない

 しつけで殴ったのであって、虐待から殴ったのではないと否定している。

 江戸川区子ども家庭支援センターは東京都墨田児童相談所に文書で連絡。

 東京都墨田児童相談所「学校で対応し、親も従ったということなので、それ以上の対応はしなかった」

 だが、親の虐待は続き、海渡君は親を含めた大人たちの犠牲となって死に追いやられた。親の言い分はすべて事実に反していた。事実に反していた親の言い分を学校も江戸川区子ども家庭支援センターも東京都墨田児童相談所も信じた。

 特に子どもを扱う機関は学習すべきことは多々ある。

 2011年4月に内縁の妻の2歳の長女に暴行を加えて死亡させ、警察に逮捕された23歳の男は次のように言っている。

 「言うことを聞かないので、しつけのつもりでやった」

 「しつけ」だと称して暴力を加える虐待は枚挙に暇がないくらい、他にもいくらでも例を挙げることができるはずだ。自分自身に対しても、「しつけ」だと誤魔化して、あるいは自分自身にも嘘をついて、暴力を振るい続け、虐待を繰返す。

 親自身はしつけだと思い込んで殴ったとしても、言うことを聞かないことに対する、あるいは言った通りのことをしないことに対する憎悪の感情からの発作的な爆発が暴力という形を取らせるのであって、子どもが親とは別人格であることから何から何まで親の思い通りとはなり得ない存在であり続けるその反復性が逆に思い通りにしようとして思い通りにならない親の憎悪の感情の発作的爆発をも反復化させて、暴力を習慣化させ、常習化させることになって、最終的に取り返しのつかない子供の死という結末を迎えることになるのである。

 こういった経緯を取った「しつけ」を口実とした虐待の自己正当化の横行が過去に多く存在している以上、学校も児童相談所も学習して自らの危機管理上の項目に付け加えて置かなければならないはずだが、今回の虐待死を見るかぎり、学習して危機管理の備えとしていた様子は窺うことができない。

 ケガの原因を“転倒”だとする虐待死の例を見てみる。

 2007年1月、千葉県松戸市で2歳の長女が母親と同居の男(共に24歳)から暴力を受けて死亡した。柏児童相談所は虐待を把握していて、女児が死亡する5日前に家庭訪問して虐待の可能性を認識したにも関わらず、一時保護などの措置を取らなかった。

 母親と男(児童相談所の調べに対して、顔の傷は)「台所で手伝いをしようとして前のめりになり、蛇口にぶつけた」

 母親(左ほおのかさぶたや、右目の脇の内出血に対して)「アパートの階段から落ちた」

 2010年2月、兵庫県三田市で27歳の継母が5歳の長女に暴行を加えて急性硬膜下血腫で死なせている。

 継母(救急隊員に)「長女はベランダで遊んでいて転んだ」
 
 2010年5月、静岡県函南町で11歳5カ月の長女を床にたたきつけて頭にケガをさせ、意識不明の重体に陥れた21歳の母親。

 母親(救急隊員に)「階段から転落した」

 ここでは取り上げないが、子ども自身が自転車に乗っていて転んだとか、階段から落ちたとか、机の角に膝をぶっつけたとか、親の虐待によって受けたケガを自分から話したことが親に知れた場合、なおひどい虐待を受ける恐怖から隠すケースもあるのはご存知のはずである。

 また、今回の虐待死で児童福祉センター主幹が「酒井容疑者も反省している様子で、指導はうまくいっていると思っていた」と、「反省している様子」を以てして虐待否定の根拠としているが、あるいは反省して、「二度と殴らない」と約束することもあるが、このような反省にしても約束にしても一度暴力を振るうと、先に触れたようにそれが憎悪の感情に触発されるゆえに常習性を持つ傾向があるという同じ理由から、最悪の虐待死を防ぐという一点に賭けて、学校や児童相談所は疑ってかかる危機管理を学習していなかればならないはずだ。

 先に例を挙げた岡本海渡君に暴行を加えて虐待死させた父親にしても、「もう二度としない」」と約束している。

 児童問題を専門に扱う児童相談所にしても、児童虐待死を防ぐのは確かに至難の業であるかもしれない。だが、その至難さを差し引いたとしても、過去の虐待や虐待死から肝心要なことを何ら学習していない姿があまりにも浮かんでくる。

 学習しないことによって、至難であることを至難なままに放置する危機管理の不作為を生じせしめているのではないだろうか。そう思えて仕方が無い。

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やらせメール事件の九電から甘く見られた政府・枝野経産相の当然の展開

2011-10-24 12:40:56 | Weblog

 教育基本法改正等をテーマに行われた小泉内閣時代の教育改革タウンミーティング。賛成趣旨の発言がヤラセだと露見しないように言葉遣いの注意まで付けたシナリオを前以て与えて、5000円の謝礼付きでサクラを雇い、自分たちに都合のいい結果を出すための世論操作を紛れ込ませていたヤラセでもあったように、九州電力玄海原子力発電所2、3号機の運転再開に向けた経産省主催佐賀県民向け説明会は九電が関係会社社員に運転再開支持のメールを投稿させて世論操作を紛れ込ませていたヤラセを含んでいた。

 この〈佐賀県民向け説明会は原発立地県として運転再開の是非を判断するため古川康知事が国に開催を要請していたもの〉(Wikipedia)だという。

 自ら説明会の開催を国に要請し、その説明会で運転再開支持の大勢意見をニセメールでつくり立て、再開に漕ぎつけようとした。まさしくマッチポンプな世論操作、情報操作と言える。

 ヤラセが露見すると、九州電力取締役会は問題の検証と再発防止策の検討を行う第三者委員会を設置。委員長に名城大学教授、コンプライアンス研究センター長、弁護士の肩書ある郷原信郎を指名。

 9月8日、第三者委員会は〈佐賀県知事古川康が6月21日に九電幹部と会談した際の発言が発端となって、やらせ問題を誘導したことを会談参加者の発言メモなどを元に認定〉した中間報告書を九電に提出。対して〈古川康知事は「真意とは異なる形で発言メモが作られた」「私が責任を取ることにはならない」などと反論〉(Wikipedia

 古川佐賀県知事「九電側の受け止めの問題。私の真意と違う形で受け止めたことで、私自身の責任は発生しない」(MSN産経

 私の発言が発端となったやらせメールではないと否定。 
 
 九電(コメント)「知事発言の真意とは異なる懇談メモが発端となったと認識している」(同MSN産経

 歩調を合わせたのか、知事の発言が発端ではないと否定。

 9月30日、第三者委員会は6月21日の古川佐賀県知事の発言は会談参加者の発言メモ通りの趣旨に相違ないとし、〈「『民意』が賛成に向けられるように九電が動いた」と断定〉する最終報告書を九電に提出。

 九電側は10月14日、〈この問題に関する最終報告書をまとめ、経済産業省資源エネルギー庁に提出。報告書は古川康知事の責任や関与をほとんど記述せず、第三者委員会の認定を事実上否定した。また、同日の臨時取締役会は真部利応社長が松尾新吾会長に提出していた辞表の取り扱いを議論し、全会一致で続投を決めるとともに、関係者の減俸処分を決定したが、更迭や異動はなかった。〉(Wikipedia)――

 いわば第三者委員会報告書に全面的に反旗を翻した。

 九電が自らの責任を否定し、古川知事の責任と関与を無視したのは原発稼動に関して利害を同じくすることから、共犯関係にあったことからの態度ではないかと疑うこともできる。

 九電の反旗に対して、第三者委員会の郷原委員長が九電が報告書を出した同じ日の10月14日に早速批判のコメントを出している。

 郷原委員長「第三者委の指摘に対する認識が示されず、全く内容がない。まやかし。

 形だけ(第三者委の)提言の受け入れを強調して社会的批判をかわそうとするもので、本質に向き合い、透明で公正な事業活動を行う姿勢は見受けられない

 (第三者委が示した2005年の公開討論会での「仕込み質問」への佐賀県側の関与について最終報告書が一切触れなかったことを問題視して)九電が置かれた環境と経営陣の認識のずれがいっそう深刻化している」(MSN産経

 九電としたら古川知事とは原子力発電に関して癒着という名の長年の共犯関係にあったから、古川知事を庇わないわけにいかず、庇うとなると、九電だけ責任を取るのはおかしな形になるため、共々無罪という同じ立場に置いて一件落着としなければならない苦しい事情もあるに違いない。

 以下、所管大臣の枝野詭弁家経産相の反応を見てみる。

 枝野経産相(10月14日、中国の広州で記者団に対して)「続投以前の問題だ。最終報告書には、みずから委託した第三者委員会が先月まとめた調査報告に記載のあった項目が載っていないと聞いている。第三者委員会に検証してもらい、それを踏まえて対応するのが趣旨なのに、報告書のつまみ食いをするようなやり方は公益企業としてありえるのか。深刻な問題で、何を考えているのかと思う」(NHK NEWS WEB

 「公益企業としてありえるのか」――公益企業の資格はないと厳しく批判している。だが、この男は九電側の反旗がどのような理由からであっても、その反旗への視点は持ち得ても、第三者委員会の報告書が受けた無視に向ける視点は持ち得ていない。

 なぜ無視したのかの理由を明らかにすることも大事だが、なぜ無視されたのかの理由も明らかにしなければ、検証・報告内容の妥当性の責任は無視されることになる。

 枝野経産相(10月16日のNHK「日曜討論」で)「みずからの検証が信用されないので、調査をお願いした第三者委員会の報告を前提とするのが普通で、理解不能だ。

 こうした会長、社長の行動に、住民の理解は得られない。今の状況では、原発の安全性について何を言っても信用されるとは思えない」(NHK NEWS WEB

 この枝野発言に対して古川佐賀県知事が反論している。

 記者「経産相の発言をどう受け止めたか」

 古川知事「(経産相は)なぜ『自分の理解』と言わないで、『地元の理解』と言うのか、理解できない」

 要するに勝手に住民をダシに使って、「住民の理解は得られない」などと決めつけないでくれとイチャモンをつけた。自身の「理解」を言うべきだと。

 地元は原発補助金や雇用の関係で原発稼動と利害を同じくしているとの自信が言わせたのか、なかなかの強気の発言となっている。

 中央が地方を支配する中央集権国家日本では考えられない強気のイチャモンと言わざるを得ない。中央に位置する枝野経産相は水戸のご老公とまではいかなくても、それに準ずる地位にいる。片や古川知事は地方の一大名に過ぎない。時代劇だったなら、何を言われても、「ハ、ハ、ハアー」と畳に額を擦りつけんばかりに平身低頭しなければならない上下関係に支配されていて、それが現代日本にもかなりの色彩で影を落としている。

 当然、平身低頭までいかなくても、恐縮してもいい立場にあるはずだが、恐縮どころか、今に残る上下関係の地位を無視されて、対等以上の対抗心を見せつけた。

 相互の地位が規定していた場合の対人関係に於ける相手に対する敬意は地位を取り払った場合、地位に替わってその存在性の軽重が規定することになる。

 だが、枝野経産相は地位を無視され、存在自体も軽く見られた。古川知事は「理解できない」と枝野経産相の発言を跳ねつけるについては、内心、「何言ってやがんだ」という思いがあったからこそできたに違いない。

 九電会長も古川知事同様に無視の態度に出た。第三者委員会の最終報告書に対しても批判を繰返す枝野経産相に対しても軽んじる気持があるからこその無視であろう。

 10月22日夜、九州電力の会長が社長の続投に含みを持たせる発言をしたという。

 松尾新吾九州電力会長「今、最適な社長は眞部だ」

 責任を取る必要はないとの宣告であり、自発的辞任の責任を取らせたい政府に対する反旗でもあろう。

 対して枝野経産相。10月23日の記者会見。

 枝野経産相「いろいろな報道は拝見しているが、まさかそのとおりではないだろうなと思っている。

 私には九州電力の人事権はないし、人事に介入するつもりはない。しかし、例えば原発が再稼動という話になるとしても安全性のチェックだけではなく、住民に安心してもらえるような企業体かどうかもかなり重要度の高い要素として判断したい」(NHK NEWS WEB

 これは間接的な威嚇である。「人事権はないし、人事に介入するつもりはない」なら、また、「住民に安心してもらえるような企業体かどうか」の企業信頼性に対する地元の判断を再稼働の条件とするなら、原発自体の安全性のチェックと地元の判断を基準として粛々と厳格に裁定を下せば済むことだが、「人事権はないし、人事に介入するつもりはない」と言いながら、間接的な威嚇まで用いて、社長は責任を取って辞めろと人事に介入している。

 もし菅前内閣が福島原発事故対応に於いても、被災地に対する復旧・復興対応に於いても、さらには被災住民に対する生活支援対応に於いても、その他諸々の政治行動に於いて厳格にきっちりと責任を果たしていたなら、枝野経産相の批判を待つことなく、第三者委員会の報告書はそれなりの厳粛さを持って受け入れられたはずである。

 責任を果たすということはいい加減な対応で済まさないということであり、そのような姿勢は当然、周囲に対してもいい加減な対応は許されないと学習させることになる。

 厳格な責任遂行こそが指導力の生みの親であり、逆は指導力欠如を生むということであろう。

 内閣としての責任遂行に厳格さを欠いた姿勢に対応させた軽んじる気持、あるいは甘く見る気持が仕向けた報告書や枝野批判に対する、当然の展開としてある無視、あるいは軽視と見るべきであり、イコールとしてある指導力が行き届かない状況ということではないだろうか。

 「自分たちがやるべきことをやらないで、人のことをとやかく言うな」というわけである。

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野田首相が日本再生の最優先課題に福島の再生を置くことの大いなる勘違い

2011-10-23 12:01:02 | Weblog

 民主党は日本の農業の再生を喫緊の課題とした。再生というテーマには自立という要素を含む。国の援助漬けによる自立というのは二律背反そのものであり得ない。

 喫緊の課題としたことは2009年のマニフェストに「農業再生」を高らかに謳っていることが証明している。

 と同時に農業と両立させるか形でEPA及びFTA構築の積極的推進を掲げている。2009年マニフェスト、あるいは民主党政策集INDEX2009に次のように書いてある。

 〈農林水産物の国内生産の維持・拡大及び農山漁村の再生と、世界貿易機関(WTO)における貿易自由化協議や各国との自由貿易協定(FTA)締結の促進とを両立させます。〉

 〈アジア・太平洋諸国をはじめとして、世界の国々との投資・労働や知的財産など広い分野を含む経済連携協定(EPA)、自由貿易協定(FTA)の交渉を積極的に推進する。

 その際、食の安全・安定供給、食料自給率の向上、国内農業・農村の振興などを損なうことは行わない。〉云々。

 いわば民主党は日本の農業の再生と併行させて日本の農業を損なわない形の自由貿易推進を公約とした。菅前首相が「開国と農林漁業の活性化の両立」を掲げたのはマニフェストに従ったまでのことで、当然の措置であろう。

 また日本の農業の再生・自立と自由貿易推進は全体としての日本再生を意味したはずだ。逆説するなら、日本再生の最重要条件として日本の農業の再生・自立と自由貿易構築を欠かすことのできない必須項目として位置づけていたことになる。

 民主党は農業再生の主たる方法論として「戸別所得補償制度」の創設を掲げ、6次産業化(生産・加工・流通の一体的)を掲げた。

 例えば、〈「戸別所得補償制度」の創設により、農業を再生し、食料自給率を向上させます。〉、〈農林水産業、医療・介護は新たな成長産業です。農業の 戸別所得補償、医療・介護人材の処遇改善などにより、魅力 と成長力を高め、大きな雇用を創出する産業に育てます。〉、〈農山漁村を6次産業化(生産・加工・流通までを一体的に担う)し、活性化する。〉等々の約束を見ることができる。

 そして民主党は2009年8月30日の総選挙で圧勝、政権交代を果し、鳩山内閣が発足した。マニフェストに掲げた、政権を担った場合の4年間の公約を満を持して実現させるべく、 2009年9月16日の鳩山内閣発足と同時に具体化に向けてスタートさせ、具体化の蓄積を目指したはずだ。

 具体化が道半ばであったとしても、菅内閣がそれを引き継ぎ、さらに2011年9月2日に発足した野田内閣が引き継いで、10月20日(2011年)、「我が国の食と農林漁業の再生のための基本方針・行動計画(案)」を纏めると言う経緯を辿った。

 勿論、「行動計画案」には日本の農業の競争力向上策、体質強化策としてマニフェストの公約としたように農業の「6次産業化」を含み、持続可能な力強い農業の実現を約束、農業の成長産業化を目指すとする内容となっている。

 この「行動計画案」を纏めるに当って、菅内閣は「食と農林漁業の再生実現会議幹事会」の第1回会議を2010年12月7日に開催し、「持続可能な経営実現のための農業改革のあり方」、「消費者ニーズに対応した食品供給システムのあり方」、「戸別所得補償制度のあり方」、「農林水産業の成長産業化のあり方」を論点として有識者に対してヒアリングを開始している。

 幹事会は2011年2月23日まで7回開催。幹事会と併行させて「食と農林漁業の再生実現会議」を2010年11月30日の第1回会議から、東日本大震災3月11日発災以後、3月、4月、5月を休んで、6月から再開、7、8月と開催して9月は代表選で忙しかったからなのか、休会、野田内閣の10月20日第7回会議で「行動計画案」を纏めるという経緯を取っている。

 会議の構成員は首相以下関係閣僚ばかりではなく、民間有識者も参加している。資料から見てみると、大泉 一貫 宮城大学事業構想学部長・加藤登紀子 歌手、元国際連合環境計画(UNEP)親善大使・川勝 平太 静岡県知事・小林 栄三 伊藤忠商事株式会社 取締役会長・相良 律子 栃木県女性農業士会 会長・生源寺 眞一 名古屋大学大学院生命農学研究科 教授・深川 由起子 早稲田大学政治経済学術院 教授・佛田 利弘 株式会社ぶった農産 代表取締役社長・三村 明夫 新日本製鐵株式会社 代表取締役会長・村田 紀敏 株式会社セブン&アイ・ホールディングス代表取締役社長・茂木 守 全国農業協同組合中央会 会長の面々。

 野田首相は各回の会議に財務大臣として加わっている。

 官僚もバックアップしていたはずだ。東日本大震災が未曾有の大災害ではあっても、菅首相をトップとして内閣全員が復旧・復興にかかりきったわけではあるまい。官僚にしても、農水省の官僚全員が復旧・復興に手を取られたというわけではないはずだ。

 確かに復旧・復興は重要課題ではあっても、それが成功したとしても、民主党政権としては日本の農業の再生・自立と自由貿易の推進を日本再生の切り札とした以上、TPP参加が思惑通りに“日本の開国”につながるかどうかは現在のところ不明だとしても、日本の農業の再生・自立と自由貿易の推進に成功しなければ、日本の再生は叶わないことになるはずだ。

 だとすると、少なくとも復旧・復興と併行させて日本の農業の再生・自立と自由貿易の推進の具体化に力を入れなければならなかったはずだ。

 だが、野田首相は9月2日(2011年)の首相就任記者会見で「福島の再生なくして日本の再生はございません」と言い、9月13日の所信表明演説で、「東日本大震災からの復旧・復興は、この内閣が取り組むべき最大、かつ最優先の課題です」と復旧・復興を最優先課題と位置づけているが、大いなる勘違いでしかなかったということではないだろうか。

 しかも日本の農業の再生・自立に寄与し、日本再生の片方の条件を満たすはずの「食と農林漁業の再生実現会議」を、手の空いている閣僚と民間有識者で進めてもいいはずだが、多分大震災が理由となったのだろう、3、4、5月と休会し、代表選と組閣や党人事が理由なのだろう、9月を休会に付している(8月は8月2日開催)。

 いわばこの間、最優先から外している。少なくとも3、4、5月は日本再生最優先から復旧・復興最優先へと変更している。

 この経緯から見えてくることは、本来なら日本再生へとつなげるべく最優先順位としなければならなかった日本の農業の再生・自立と自由貿易推進作業を例え百歩譲って最優先順位から外したとしても、震災からの復旧・復興作業と同時併行させて取り組まなければならなかった重要課題だったはずだが、逆に震災からの復旧・復興作業を最優先課題とし、前者を後回しにした失態である。

 野田首相自身も財務大臣として第1回会議からメンバーとして加わっていながら、「福島の再生なくして日本の再生はございません」、あるいは東日本大震災からの復旧・復興は、この内閣が取り組むべき最大、かつ最優先の課題です」と復旧・復興作業を最優先課題に位置づけたのだから、この失態に責任はないとは言えない。

 「我が国の食と農林漁業の再生のための基本方針・行動計画(案)」は今後5年間の工程表である。現在から5年以内に実現させる今後の課題としている。

 待ったなしの日本再生の最重要条件の一つである農業再生・自立の実現化に5年の年月を要することは必要不可欠な止むを得ない年月だとしても、待ったなしであることからすると、「行動計画案」を2009年総選挙のマニフェストに掲げてから2年余の経過を待ってからではないと纏めることができなかった決して早いとは言えないスピードと、以上見てきた経緯からすると、日本再生に向けた決意の本気度、緊張感を欠いていたように見えて仕方がない。

 この本気度、緊張感の欠如が二つの日本再生作業を同時併行の形で取り掛かることを忘れさせたばかりか、日本の農業の再生・自立と自由貿易推進作業のみならず、復旧・復興をも遅らせた原因となったといったことではないだろうか。


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野田首相のカダフィの死に見る拉致解決の本気度

2011-10-22 09:47:15 | Weblog

 リビアの独裁者、カダフィが遂に斃れた。反体制派兵士によって射殺された。生かしておいて、裁判にかけ、表面的には強気を装って怒鳴ったり吠えたりするだろうが、自由の効かない囚われの身であることに変わりはなく、独裁の非道を暴く過程で本人自身に独裁者の末路の惨めさを厭という程、長い時間に亘って味わわせるべきだったという思いもするが、既にこの世にない。

 主要各国首脳がカダフィの死を受けて声明を発表している。

 キャメロン英首相「カダフィ大佐の死亡を確認した。多くのリビア人が、この凶暴な独裁者の手によって殺害されたことを忘れてはならない。リビアの人々には、今後、強く民主的な将来を築くチャンスが訪れるだろう。イギリスがこれまで果たしてきた役割を誇りに思う」(NHK NEWS WEB

 受けた苦難を記憶し、同じ道を後戻りしてはならないことを暗に警告している。

 サルコジ仏大統領「大佐の死は、40年余りに亘ってリビア国民を苦しめてきた独裁的かつ暴力的な体制からみずからを解放する闘いにおける重要な一歩だ。リビア国民にとって、団結と自由のもとでの和解という新たなページが開かれた」

 過去の記憶に基づいた過つことのない新生リビアへの期待を示している。

 EU=ヨーロッパ連合のファンロンパイ大統領とバローゾ委員長の共同声明。

 共同声明「大佐の死亡という報道はリビアの国民が長期にわたって経験してきた独裁と抑圧の時代の終えんを意味する。リビアは歴史の新たなページをめくり、民主的な将来に向けた歩みを始める。国民評議会には、すべてのリビア人による和解を進め、民主的、平和的、かつ透明性の高い政権への移行を求める」(NHK NEWS WEB

 「透明性の高い政権」とはカダフィの独裁政治を反面教師とした、「独裁と抑圧」を伴わない国民に開かれた政権、情報公開と説明責任を常に果たす政権のことであろう。

 首脳ではないが、中国報道官。

 姜瑜中国外務省報道官「リビアの歴史に新たな一ページをめくった。(スムーズな政権移行や民族の団結を促し)社会の安定や経済再建の早期実現を望む」(MSN産経

 「社会の安定や経済再建の早期実現」は最重要に必要なことではあるが、各国もリビア国民自体も求めていることで、記事の扱いからそうなっているのか、当たり前のあるべきことを当たり前に求めている印象しか受けない。

 リビアの42年を経てここに至った変遷はカダフィの独裁が発端であり、多くの国民にとって独裁の反対給付である自由の抑圧を苦しい道のりとして、そこからの解放を結末としたのである。自由の抑圧というその長い苦難と苦難からの解放に向ける視線があって然るべきだが、感じ取ることができない。

 マスコミはオバマ米大統領の声明を最も多く扱っている。いくつかの記事から取上げてみる。
 
 オバマ米大統領「リビアにとって歴史的な日となった。独裁者の暗い影は取り除かれた。リビアの人々はすべての国民を取り込み、寛容で民主的なリビアをつくる大きな責任がある。

 (リビアに対するNATO=北大西洋条約機構の軍事作戦について)1人のアメリカ兵も上陸することなく目的を達した。21世紀は各国が一体となった行動が成果を挙げることを示した」(NHK NEWS WEB

 ここでもやはりカダフィの独裁を反面教師とした、反面教師とする故にこそ新生国家建設に向けて後戻りの効かない大きな責任を負っていることの自覚を求めている。

 オバマ米大統領「専制の暗い影が取り除かれた。今日の出来事によって、鉄拳支配は終末を迎えると再び証明された。人間の尊厳を否定する指導者は成功しない。

 (評議会など反カダフィ勢力を支えたリビア市民に対して)「あなたたちが革命を勝ち取った」

 そして、〈すべての勢力が対立を超えて参加する「包括的で民主的」な国家の建設に責任を持つよう求め、暫定政府の早期樹立と自由で公正な選挙の実施を呼びかけた。〉(asahi.com)と伝えている。

 オバマ大統領の「人間の尊厳を否定する指導者は成功しない」の言葉を記事は中東やアフリカで民主化を弾圧する政権に対する警鐘だと解説しているが、カダフィを一つの例として独裁者一般を指し、警告を広く世界に発信したということであろう。

 当然、政治改革を求めてデモを繰り広げている一般市民を軍事力を以って弾圧・殺傷しているシリアのアサド大統領もそういった「指導者」の内に入るし、国民を飢餓・餓死に追いやり、言論の自由、その他の基本的人権を認めず、国民を政治的にも経済的にも抑圧している北朝鮮の独裁者金正日も、その一人に祭り上げなければならない。

 キャメロン英首相、サルコジ仏大統領、オバマ米大統領の3人の声明に共通して窺うことができる感情は独裁政治と独裁者に対する嫌悪、もしくは憎悪であろう。

 対して独裁政治と独裁者を心の底から憎む民主国家日本からの発信。

 玄葉外務大臣「リビア政府が進める新しい国造りにとって、重要な出来事だ。リビアにおける武力衝突が収束して、治安状況が一刻も早く安定するとともに、暫定政権が一体性を保持した形で早期に立ち上がるなど、本格的な復興に向けた環境が整うことを期待している。わが国の知見や技術を活用しながら、リビアの新しい国造りを支援していきたい。

 (具体的な支援の在り方について)「国民評議会側は、武力衝突で負傷した人の義手・義足などの支援を日本に求めており、当面は、医療関係で、無償資金協力の形でしっかりと対応していく。もちろん環境や治安状況が安定していけば、投資の話が出てくる可能性は十分あるだろう。現在、日本大使館の開設に向けて調査を進めている」

 藤村官房長官「リビア政府の新しい国造りにとって極めて重要な一つの通過点だと思う。日本としては、リビアでの武力衝突が収束し、治安状態が一刻も早く安定するとともに、一体性を保持した暫定政権が早期に立ち上がることなど、リビアの本格的な復興に向けて環境が整うことを期待したい。今後も、国際社会と協力しながら、すべてのリビア人が参加する新しいリビアの国造りに向けた取り組みを支援していきたい」(NHK NEWS WEB

 二人の発言は姜瑜中国外務省報道官の発言に似ている。国家建設への視点からのみリビア問題を取り上げている。自由の抑圧を長いこと経てきた国民の、経てきたこととそこからの解放に些かも目を向けていない。

 国家の歴史は国民一人ひとりが自らの歴史として抱える。リビア国民の場合、それぞれの思考や感情が、少なくとも当面は独裁、あるいは自由の抑圧という歴史の影響を受けることになる。日本が独裁の歴史に直接的に関与しなかったとしても、歴史に対する理解を欠いたなら、信頼関係は満足に築くことはできないだろう。

 いわばあって然るべき視点だったが、持つことができなかった。

 日本の首脳である野田首相の声明を探したが、今のところお目にかかることができないでいる。次の記事がある。

 《【カダフィ大佐死亡】野田首相、コメントせず》MSN産経/2011.10.21 23:50)

 昨日(2011年9月21日)朝、首相官邸への出邸時に記者団から質問を受け

 記者団「リビアのカダフィ大佐が死亡しましたが、一言お願いします」

 野田首相「・・・」

 〈何も答えずに立ち去った。〉と記事は書いている。

 記事冒頭の解説。〈大産油国である同国の情勢は安全保障や世界経済に影響を与えるため、米英仏など主要国は首脳の談話を発表しており、日本政府の感度の鈍さが露呈した。〉

 欧米の声明は「大産油国である同国の情勢は安全保障や世界経済に影響を与えるため」だけの発信ではないだろう。日本や中国の声明を除いて、何よりも独裁政治の終焉、リビア国民の独裁政治からの解放、自由の獲得を祝った声明であったはずだ。

 但し、「日本政府の感度の鈍さが露呈した」は独裁政治や自由の抑圧に対する反応という点では妥当な批判と言えるはずだ。

 記事結びの解説。〈原則として毎日、首相が記者団の質問に答える「ぶら下がり取材」を拒否する首相は、記者から声をかけられても無視することがほとんど。この日は首相談話も発表せず、オバマ米大統領がホワイトハウスで「圧政の暗い影は取り除かれた」と声明を読み上げたのとは対照的だった。〉――

 野田首相はオバマ大統領が「人間の尊厳を否定する指導者は成功しない」と他の独裁者とも結び付けて警告を発したようにカダフィの末路を金正日と結びつけていると思わせる趣旨の声明を欧米の首脳に遅れることなく直ちに発信すべきではなかったろうか。

 独裁政治や自由の抑圧を激しく嫌悪する気持を当たり前の感情として持っていたなら、そうするだろうということだけではなく、金正日によって日本人が北朝鮮に拉致され、囚われの身となっているという特殊な事情を抱えているからである。

 拉致首謀者の金正日と金正日擁護の立場に立つその一族の打倒こそが拉致被害者解放のより早期な解決のキッカケとなり得る可能性を孕むからだ。

 だが、野田首相はカダフィという独裁者の死、その末路を好機として金正日という独裁者の存在と結びつけるどのような情報発信も行わなかった。

 ここから窺うことのできる野田首相の姿勢は拉致解決の本気度である。

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