――なぜなら、「原発安全神話」ならぬ「集団的自衛権行使安全神話」に立つことになるからに過ぎないからだ――
安倍政権は自衛隊海外派遣を常時可能とする恒久法制定の方針と日本領海内に外国軍艦が侵入退去しない場合、首相の判断で自衛隊出動を可能とする安全保障法制制定の方針だとマスメディアが伝えいてる。
選挙前はこういったことは国民に言わず、選挙後に言い出す。売り手側が買い手側に対して商品売買の契約前には何も言わず、いざ契約という段階になって色々と条件を出してくるようなインチキ商売さながらである。
要するに安倍晋三は選挙に悪影響する情報は隠し、好影響な情報だけを出して国民を誘導する情報操作で選挙に臨み、まんまと成功して大勝した。
安倍晋三らしい陰険・狡猾な選挙戦術である。
日本領海内に外国軍艦侵入退去しない場合の首相判断による自衛隊出動は「日経電子版」が伝えているが、自衛隊海外派遣常時可能恒久法制定については次の記事から見てみる。
《自衛隊派遣 「非戦闘地域」見直す方針》(NHK NEWS WEB/2014年12月30日 7時11分)
これまでの自衛隊の海外派遣はその都度特別措置法を国会を通して成立させ派遣してきた。それを恒久法制定に代えて、簡単且つ迅速に自衛隊を派遣する仕組みに変えようということである。
ミタだとか、秋子さんだとか、信子さんだとか、要望があり次第家政婦を手早く派遣するようにである。
法案は来年の通常国会に提出する方針だという。
それはそれでいいだろう。但し自衛隊の活動地域を2014年7月1日集団的自衛権行使閣議決定の「支援する他国が戦闘行為を行っている場所では活動を行わない」ことを前提に「非戦闘地域」等限定のこれまでの考え方を見直す方針だとしていることについては問題なしとすることはできない。
前後相矛盾する方針のように見えるが、要するに「支援する他国が戦闘行為を行っていない戦闘地域」での活動を許可するということである。
進行形を取り入れたということを意味する。現在進行形の戦闘地域は自衛隊の活動は不可能とするが、過去進行形の戦闘地域は自衛隊の活動を可能とするということである。
「非戦闘地域」という概念を持ち出すと、過去の戦闘地域でも、それがわずか数日前の過去であったとしても、活動できなくなる窮屈さが生じて、それを取り除くために非戦闘地域限定を取り外すということなのだろう。現在進行形でなければ、何でもいいということなのだろう。安倍晋三が得意の最初は隠していて、後になって手の内を見せるマジックから判断して、少なくとも自衛隊の海外派遣が当たり前となっていく過程で、そういったことになるはずだ。
問題は過去進行形の戦闘地域であったとしても、再び現在進行形の戦闘地域とならない保証はどこにもないということである。停戦協定が成立した、成立した当座は停戦は守られていたが、数日して再び衝突し、戦闘状態に入ったという例は世界中、どこにもある。
その場合はどうするのだろう。7月1日の閣議決定を改めて見てみる。文飾は当方。
〈政府としては、いわゆる「武力の行使との一体化」論それ自体は前提とした上で、その議論の積み重ねを踏まえつつ、これまでの自衛隊の活動の実経験、国際連合の集団安全保障措置の実態等を勘案して、従来の「後方地域」あるいはいわゆる「非戦闘地域」といった自衛隊が活動する範囲をおよそ一体化の問題が生じない地域に一律に区切る枠組みではなく、他国が「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所で実施する補給、輸送などの我が国の支援活動については、当該他国の「武力の行使と一体化」するものではないという認識を基本とした以下の考え方に立って、我が国の安全の確保や国際社会の平和と安定のために活動する他国軍隊に対して、必要な支援活動を実施できるようにするための法整備を進めることとする。
〈(ア)我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない。
(イ)仮に、状況変化により、我が国が支援活動を実施している場所が「現に戦闘行為を行っている現場」となる場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する。〉――
過去進行形が再び現在進行形となった場合、「直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する」としているが、そうそううまくいくのだろうか。自衛隊部隊が敵勢力一体の勢力と見做され、追撃を受けない保証はない。
また、自衛隊の支援活動を「他国が『現に戦闘行為を行っている現場』ではない場所で実施する補給、輸送」等に限定しているが、補給を断つことが戦争に於ける勝利の大きな条件の一つとなっている。
食糧の補給を断つ、武器の補給を断つ、兵士の補給を断つ。断たれた側は戦闘能力を減退させていき、兵士は戦闘意欲を喪失していく。
当然、補給任務に関しても敵勢力と一体の勢力と見做され、そこが過去進行形の戦闘地域で尚且つ完全な非戦闘地域だろうなかろうと、補給の輸送を断つために攻撃を加えることになる。
例え補給・輸送任務が厳密には武力行使の一体化ではなくても、敵勢力にとっては敵部隊の武力行使を支援する任務と見做され、その意味に於いて武力行使の一体化ではないとする厳密さを失う可能性も否定できない。
そもそもからして非戦闘地域での補給・輸送を「当該他国の「武力の行使と一体化」するものではない」とすること自体無理がある。
補給・輸送は最終的には戦闘地域に向けたものとなる。日本が集団自衛権行使によって支援する国の部隊はその補給を現在進行形の戦闘地域で受け取るか、戦闘地域を出て、非戦闘地域で受け取るか、あるいは非戦闘地域の中継基地で一旦受け取って、支援国の別の部隊が戦闘地域の味方部隊に輸送するいずれかの方法を取らなければならない。
自衛隊側からすると、現在進行形の戦闘地域にまで輸送するか、前以て非戦闘地域で受け渡す取り決めをして、そこで受け渡すか、あるいは非戦闘地域の中継基地まで輸送するか、いずれかの方法を取ることになる。
集団的自衛権行使容認の厳密な要件に従って非戦闘地域での受け渡しを行うことにしたとしたとしても、敵勢力は相手勢力の戦闘能力と戦闘意欲を改めて注入することになる補給の受け渡しを座視し、むざむざと見逃すだろうか。
見逃すことは戦闘に勝利するための重要な戦術の一つを放棄することを意味するゆえに、見逃す確率は非常に低いから、そこが例え戦闘地域から離れた中継基地であったとしても、非戦闘地域が直ちに現在進行形の戦闘地域に早変わりする確率は逆に高くなる。
当然、自衛隊は支援国の部隊と武力行使の一体化を以って敵勢力部隊との戦闘行為に入らざるを得なくなる。
それとも、集団的自衛権行使の要件に入っていなからと言って、支援国部隊を置き去りにして自衛隊だけがその場から撤退するのだろうか。道義的に許されないだろうし、許されたとしても、敵勢力部隊の追撃を受けることになる。補給・輸送が高くつき、それを困難にする、あるいは断念させるためにである。
結果、武力行使の一体化は回避不可能となる。
安倍政権はこういった非戦闘地域が現在進行形の戦闘地域となった場合の武力行使一体化を想定して「非戦闘地域」の概念を見直す方針にしたのではないだろうか。
集団的自衛権行使のための武力行使が一旦許されたなら、単なる戦闘行為が膠着状態化し、その膠着状態を打破するための支援部隊の投入、戦闘の拡大化、そして戦争状態への突入といった段階を経ない保証はない。
この保証はアフガンやイラク、シリア、イスラム国の例を見れば、決して幻想で済ますことはできない。
要するに集団的自衛権憲法解釈行使容認を背景とした自衛隊海外派遣恒久法制定は日本が戦争する国になるということを前提としなければならない。
日本領海内に外国軍艦が侵入退去しない場合、首相の判断で自衛隊出動を可能とする安全保障法制制定にしても、外国軍艦がおとなしく退去する常なる保証はない。自衛隊機や自衛艦に向かって攻撃に出た場合、戦闘状態に入り、それが戦闘地域拡大という経過を辿った場合、戦争状態への突入という場面も想定可能となる。
もし安倍晋三が日本は決して戦争をする国にはならないと断言するなら、「原発安全神話」ならぬ「集団的自衛権安全神話」に立つことになる。一旦始まった戦闘行為が抜き差しならない状況に直面することは決してないと断言することであり、戦闘が決して戦争状態に発展することはないと断言することになって、アフガンやイラク、シリア、イスラム国の抜き差しならぬ状況を現実のものではないと否定することにもなるからだ。
こういったプロセスを想定した場合、当然、多くの自衛隊員の犠牲を覚悟しなければならない。国民の生命・安全を守る責任を負う一内閣が国民の過半数の納得を得る憲法改正に拠らずに閣議決定で集団的自衛権の行使を自ら容認し、国民である自衛隊員の生命・財産を奪ってもいいだろうか。その責任を取ることができるのだろうか。
あくまでも国民が憲法改正を決め、国民が責任を取る形式にしなければならない。
安倍晋三は日本を国民への説明がないままに自衛隊員の生命・財産を奪う戦争をする国にしようとしている。
安倍晋三が12月28日夜、横浜市で開催のサザンオールスターズのコンサートを昭恵夫人と共に鑑賞したという。SPを何人か引き連れて入場し、SPに囲まれて鑑賞したというわけなのだろう。
桑田佳祐がその物々しさに反応したのかどうか分からない。このことを伝える『時事ドットコム」記事は、〈ボーカルの桑田佳祐さんは曲目「爆笑アイランド」の中で、客席の首相を意識したのか、歌詞の一部を替えて「衆院解散なんですと無茶を言う」とアドリブの「風刺」を披露。これには首相も身をのけぞらせて驚いていた。〉と伝えている。
安倍晋三の方はこの驚いた時以外は、〈リズムに合わせて体を揺らし、桑田さんの軽妙なトークにも時折身を乗り出して聞き入った。〉と、その熱心なファン態度を紹介している。
当然の風景となっているが、コンサートが終了してSPに囲まれながら会場から出てきたところを追いかけ待ち構えてきた記者団がICレコーダーなどを差し出して感想を聞いたのだろう。
安倍晋三「楽しみましたよ」
満足した様子で答えたと書いてある。
短い記事だが、リズムに合わせて体を揺らして歌を愉しんだと言うことなら、かなり熱のこもったファン像を窺うことができる。
だが、事実だろうか。政治家は往々にして他人の人気にあやかって、自身の支持率を高めようとする打算を職業病の如くに抱えている。安倍晋三もその一人ではないのかと疑った。
桑田佳祐が「爆笑アイランド」の歌詞の一部を変えて「衆院解散なんですと無茶を言う」と謳ったこと自体を安倍晋三に敬意を表した単なるギャグだとでも思ったのだろうか。それとも批判の気持を込めたからかい、揶揄の類いとでも取ったのだろうか。
もし安倍晋三が事実桑田佳祐の熱心なファンなら、桑田佳祐の人となり(人柄)、その政治姿勢をある程度は詳しく知っていたはずだし、そうでなければ熱心なファンとは言えない。
勿論、どんな曲目を持ち歌としているか、曲目ごとのメロディと歌詞は、最低限、ある程度は頭に入っているものだろう。
また、コンサートに入場する時、通常は曲名入りや、中には歌詞まで付いているプログラムを渡されるから、前以てどんな曲目を歌うか、コンサート開始までにその順番まで把握していたはずだ。その中に「爆笑アイランド」が入っていたことも目にしたはずだ。
その歌詞の一節をアドリブで変えるということは、変えてもおかしくない歌の全体的内容でなければならない。いわば変えても、変えた部分の言葉と前後の言葉が一定程度つながりを持たなければ、歌としての全体的な整合性を欠くことになる。
安倍晋三が「爆笑アイランド」の曲名の由来や意味・内容をどの程度把握していたのかによって、そのファン度が理解できるし、アドリブをどう受け止めたのかも推測できることになるから、インターネットで調べてみた。
先ず発売年月日。1998年10月21日。16年前の発売だから、かなり古い。熱心なファンなら、当然曲の名前ぐらいは把握していることになる。
作詞・作曲:桑田佳祐、編曲:サザンオールスターズとなっている。タイトルの「爆笑アイランド」の「爆笑」とは漫才コンビ「爆笑問題」の「爆笑」から取ったということを知った。
「爆笑問題」は政治ネタ通して、笑いのオブラートに包みつつも、かなり辛辣な政治批判を披露している。そして爆笑問題の大田光は日本国憲法擁護者である。私自身は読んでいないが、太田光と中沢新一の対談集『憲法九条を世界遺産に』を出している。
つまり安倍晋三の政治姿勢とは正反対と言うことになる。当然、政治的に反安倍の立場を取っていることになる。
と言うことは、「爆笑アイランド」という曲名は「爆笑問題」から取っている以上、単なる“大笑いの島”といった意味ではなく、政治批判的な意味を込めた島を意味するはずだ。
政治的に笑ってしまう日本という島国とといった意味を込めているのかもしれない。
もしそうなら、曲を作った当時の時代背景も問題となる。発売年の1998年は小渕恵三が首相だった時代(任命期間1998年7月30日~2000年4月5日)である。
歌詞をネットで探し出して、調べてみた。かなり抽象的な歌詞だが、一節ごとに自分なりに解釈してみる。
「爆笑アイランド」
作詞:桑田佳祐
作曲:桑田佳祐
有名な抑止兵器と条約
民衆の群れは Blue…
“Baby, 安全なんです”と
長官は言う
(安全保障の名のもとに、あるいは国土防衛の名のもとにミサイル等の最新兵器と日米安全保障条約で戦争への備えをする。当然、相手国も対抗手段として備えをし、対抗手段が相互にエスカレートすることになるが、官房長官は国民に備えがある以上、安全ですと言う。だが、国民は相互の軍備増強状態に安全を信じることができずに憂鬱な気分となる。)
需要に満ちた天下の往来
欲望の花弁を売る…
“Baby, 援交なんです”と
少女は言う
(二節目の援交少女と一節目の歌詩の内容がガラリと変わって、異質である。だが、「援交」は深読みすると、在日米軍に対する思いやり予算や対米従属の象徴とも読み取ることができる。
あるいは戦争への備えをする国家の姿が一方にあり、その一方でカネで売り買いする肉体愛が需要と供給という形で渦巻いているという日本の社会を歌っているのかもしれない。)
Hold me, Call me
Why don't you understand?
Love me, Try me
嗚呼 極東 Plastic Island
(英語の歌詞は官房長官の呼びかけでもあり、援交少女の呼びかけでもあるのだろう。援交少女がアメリカに対する日本政府の姿を象徴していたとしても、言葉通りの意味であったとしても、桑田佳祐の価値観からしたら、両者共にあるべき姿を取っていないのだから、心にもない演技、信用できない呼びかけの意味となる。
そしてこういった二つの世界を持つ日本は極東のプラスチックで出来た島のように不確かな存在だと。)
夕方目に沁む東京タワー
Woo, 病める Neon Sign
“Japan-no More-rhythm”24 hours
Woo, 見えぬ Party Line
(「Party Line」は政党の方針等を意味する。残念ながら、パンティラインではない。日本の政治がどこに向かうのかその全体像が見えないことを無数の色がギラついたネオンや明るいだけの照明に譬えたのだろうか。)
奇妙な世捨て人の老若
娑婆に毒を振るう…
“Baby, 瞑想なんです”と
教祖は言う
(訳の分からないものまで含めて様々な宗教が蔓延り、それぞれに信じ群がる信者たちがそれぞれの教えを振り撒くことで実際には社会に毒を振り撒いている社会になっているという社会世相を伝えたのか。
但し、「奇妙な世捨て人の老若」とは、社会に関わりを持たないで自分たちの政治だけを進める政府の老若を問わない政治家たちを世の中から見たら「世捨て人」に譬えることができると解釈できないこともない。そういった政治家たちが社会に毒を振り撒いている。)
優能な内閣総理の表明
更多更詳盡歌詞在 ※ Mojim.com 魔鏡歌詞網
原稿を読み国家を救う…
“Baby, 行革なんです”と
ギャグを言う hey
(「Mojim.com 魔鏡歌詞網」とは調べたところ、「魔鏡歌詞網」という歌詞の検索サイトで、そのアドレスが「Mojim.com」であった。
「更多更詳盡歌詞在 」は更に多く、更に詳しく歌詞をそのまま紹介しているという意味なのだろう。
いわば内閣総理大臣は所信表明でも国会答弁でも原稿を読んで、「国家を救う」、「行革なんです」と言っているが、歌詞紹介サイトに載せてある歌詞の文字みたいなもので、国家を救うことにも行革にもなっていないのだから、言っていることはギャクでしかないと痛烈・辛辣に批判していることになる。そのような総理大臣こそが優秀だと評価されるということなのだろう。「Baby」扱いで呼びかけられたとしても仕方がない。)
Hold me, Call me
I think you'll understand
Love me, Try me
大爆笑 Plastic Island
(国民にどう呼びかけようと、「大爆笑」としかならない。日本は滑稽な「Plastic Island」だ。)
夕方目に沁む東京タワー
Woo, 滲む Space and Time
“Japan-no More-rhythm” against
Woo, 大往生に入りんさい
(「大往生に入りんさい」は日本を動かしている政治家たちへの願望といったところか。)
(セリフ)現下の最大の問題は国民の生の声を
私 内閣総理大臣としての責任を感じ真摯に受け止め
情報化 国際化 少子高齢化の問題に
全身全霊を打ち込みます
(このセリフの間に、「衆院解散なんですと無茶を言う」というアドリブが入ったのかもしれない。但し、「現下の最大の問題は 国民の生の声を私 内閣総理大臣としての責任を感じ真摯に受け止め」はこれまでの歌詞の意味からして、事実はそうはなっていない逆説の提示であろう。「全身全霊を打ち込みます」 は口先だけの言葉に過ぎないと。
実際にも「情報化 国際化 少子高齢化の問題」は小渕内閣以来続く未解決な課題となっている。インフラや経済活動では「情報化国際化」を果たしているかもしれないが、精神活動の面で必ずしも果たしているとは言えない。)
Oh… 夕方目に沁む東京タワー
Woo, 病める Neon Sign
“Japan-no More-rhythm”24 hours
Woo, 見えぬ Party Line
柔な身に沁む東京パワー
Woo, 無節操な人災
(「無節操な人災」は、日本の政治そのものが日本国民に対する人災と化しているという意味に違いない。)
もし安倍晋三が熱心な桑田佳祐ファンなら、熱心なファンであること自体滑稽な、気味の悪い倒錯以外の何ものでもないように思えるが、 「爆笑アイランド」という名前の由来や歌詞の意味、それらが伝えることになる桑田佳祐の政治的姿勢を最低限ある程度は理解していたはずだし、理解していなければならない。
そうでなければ、熱心なファンとは言えない。とにかく夫人と連れ立ってコンサートを鑑賞しに行ったのである。
当然、桑田佳祐の「衆院解散なんですと無茶を言う」というアドリブは会場にやってきた安倍晋三を多くの観客の前で狙い撃ちしたからかい、批判した言葉ということになる。
但しそれが批判であったとしても、前以て「爆笑アイランド」の歌詞の意味をある程度ではあっても理解していたなら、元々歌詞が政治的批判を趣旨としていた関係からも、アドリブが歌詞全体の整合性に添うという関係からも、さらに桑田佳祐という人間の政治的姿勢の関係からも、アドリブが発せられることは予期していなかったとしても、批判自体は発せられた意味・内容、それにアドリブを発した目的を咄嗟に理解して、ああ、やっぱりなと予測した反応としなければならなかったはずだ。
もしそうしていたなら、一般的には苦笑いを浮かべざるを得ない場面が待ち構えることになる。桑田佳祐の政治的姿勢、その反安倍の姿勢は受け入れ難いが、歌とその声が好きでファンとなっているということならの話だが、やっぱりなといった苦笑いの反応は見せずに、〈身をのけぞらせて驚いていた。〉と記事は伝えている。
諸々の事情から当然予測した反応としていいはずの批判の言葉と内容と目的を全然予測した反応とすることができなかったということである。
当然、桑田佳祐がファンであるというのはウソになる。
もしこれがさすが桑田佳祐だと、身をのけぞらせるまでして驚いて見せた予測した当然の反応であるとするなら、その政治姿勢や批判に関わらずに安倍晋三は歌が好きなファンであるという理由一つですべてを受け入れる度量を見せたことになる。
だが、安倍晋三を度量ある政治家、度量ある人間とすることができるだろうか。
既に周知の事実となっているように総選挙前の11月18日、安倍晋三はTBS「NEWS23」に出演して、番組が街の人にインタビューした声の殆どがアベノミクスを実感できないというものばかりだったのに対して、「街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら」とテレビ局の意図的な情報操作だと疑ったことなど、とても度量ある政治家・度量ある人間には見えない。
しかもその2日後の11月20日に安倍晋三の疑いに合わせたかのように萩生田光一筆頭自民党幹事長と福井照報道局長連名で選挙報道の公正・中立を求める「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題した要請文書を在京キーテレビ局に出している。
安倍晋三は自民党の総裁でもある。総裁が承知しないところでこのような情報統制そのものの圧力となりかねない文書を出すはずはないことから判断しても、こすからい反応としか言い様がなく、この点からも度量ある政治家・度量ある人間にはとてものこと見えはしない。
自身のフエイスブックまで使って、自身を批判する気に入らない人物に対して執拗な逆批判を繰返す執念深さから判断しても、如何なる度量も見ることはできない。
この度量のなさは桑田佳祐の安倍批判のアドリブに対して身をのけぞらせるまでして驚いて見せた姿勢を、結果的に批判を予測した当然の反応とした場合の度量とは真っ向から相反する。
答はただ一つ、桑田圭佑のファンでも何でもないということである。桑田佳祐の若者人気にあやかって、若者のその人気を安倍支持にまで振り向けようと打算したコンサート鑑賞といったところなのだろう。
だが、その見え透いた打算は片思いに終わった。まさか「衆院解散なんですと無茶を言う」といった内実は痛烈なまでの勢いを持った肘鉄砲を喰らうとは予測もしていなかったのだろう。
大体が安倍晋三が桑田圭佑ファンであることは桑田佳祐自身が迷惑に感じるはずだ。
2014年12月27日に閣議決定した日本創生「長期ビジョン・総合戦略」は今後5年間で地方での若者雇用30万人創出、5年目以降も年間10万人の安定的雇用創出を謳っている。
だが、安倍晋三はここに一つの情報を隠している。まあ、何を隠しているのか誰にも分かることだが、その情報とは安倍政権となって雇用が増え始めた当座から隠し、今回の選挙前も隠し続けて、選挙中も隠してきた延長線上の情報の隠蔽である。
断るまでもなく、情報の隠蔽とは隠蔽を目的とした情報操作を言う。
但し野党がその隠蔽を追及した場合にのみ、ゴマカシの論法で言い抜けてきた。言抜けに過ぎないのだから、隠蔽に変わりはなく、本質的には隠蔽と同質の情報操作を行ったに過ぎない。
例えば隠蔽に変わりはない言抜けを21月1日の日本記者クラブ主催の「8党党首討論会」での非正規雇用に関する発言にも見ることができる。
小沢一郎生活の党代表が、「非正規雇用が40%に達している。非正規の雇用では将来が不安定、待遇も悪い。若い人たちが結婚もできない、結婚しても、子どもを産んで育てることができない。非正規雇用については一定の限度を将来設けるべきではないか」と質問をした。
安倍晋三「我々が政権をとって雇用を100万人ふやしています。景気回復局面ではどうしても経営者が慎重になりますから、パートや非正規という形で雇用します。働き始める人たちも、それから始める人たちも結構多いのも事実であります。
しかし、民主党政権時代のことを言って、海江田代表、大変恐縮なんですが、民主党政権時代は、雇用そのものが減っていました。その中において100万人近く非正規がふえていたのも事実であります。
われわれは雇用全体のパイがふえている中において、やっとその中で7月、8月、9月、10万人、新規採用が、正規の雇用者がふえました。そして、正規の皆さんの有効求人倍率は、統計をとってきた過去最高です。そして、新規求人倍率、これから新たに正規で頑張っていこうという人たちに対して、正規の雇用を用意する会社、1人の求職者に対して1人の求人、これは新規です。これが1を超えた。
統計をとってきて最高であるということも申しあげておきたいと思いますし、また、パートやアルバイトの方々の時給も1,050 円になった。これも統計をとり始めて最高の額であると
いうこともお示しをしたい。
勿論、非正規労働者をふやそうという考え方は毛頭ないということは申しあげておきたいと思います」(以上)
「我々が政権をとって雇用を100万人ふやした」と言っているが、正規と非正規の割合とそれぞれの増減率の情報は隠蔽したままである。
さらに、「正規の雇用を用意する会社、1人の求職者に対して1人の求人、これは新規です。これが1を超えた」と言っているが、「正規の雇用を用意する会社」ばかりではなく、非正規の雇用を用意する会社も存在する以上、求人倍率が1を超えたとしても、1人の雇用=正規雇用とするのは非正規雇用の存在を隠す情報操作そのものである。
「景気回復局面ではどうしても経営者が慎重になりますから、パートや非正規という形で雇用します。働き始める人たちも、それから始める人たちも結構多いのも事実であります」と言って、経営者側は景気回復が軌道に乗れば、さも非正規から正規への雇用転換に応じ、働き手側も非正規から仕事を始めて、正規へと進んでいく、非正規から正規への雇用転換が可能となっている状況にあるかのような情景を描いているが、人手不足による囲い込みという形の非正規から正規への雇用転換は一部に見られたが、企業側が非正規から正規への雇用転換をルールとしていて、そのルールに則った自発的積極性に基づいた転換ではなく、あくまでも人手不足という状況に応じた、ルールとは無縁の臨時的措置に過ぎない。
このことに加えて、安倍政権が考えている非正規社員の新しい雇用形態は派遣会社(派遣元)が正社員(無期雇用)として採用している者を派遣先企業が非正規として雇用する場合は3年限度としていた非正規雇用期限を無期限に雇用可能とし、その無期限雇用の保障として派遣社員個人に関しては派遣限度3年の規制を残しつつ、業務単位での期間制限は廃止して、派遣先企業内の業務部署を変えることによって、いわば業務部署ごとに3年ずつ使い回すことによって無期限雇用を可能とするカラクリを用意しているのだから、こういった具体的な情報を隠した実体なき非正規から正規への雇用転換の思わせぶりの情報操作を駆使したに過ぎなり。
また、安倍晋三が考えている上記新しい雇用形態は企業の賃金抑制のメカニズムを背後に隠していることも情報隠蔽に当たる。
安倍晋三が経団連に対して賃上げ要請を行い、各企業が賃上げに応じたとしても、その恩恵は大企業とその周辺の企業の正社員に限られて、賃上げによる企業の人件費負担が逆に特に非正規雇用者に向かって賃金抑制の力となって働く確率は高い。
このことは企業が賃上げに応じた春闘以降、雇用が増加傾向にある中で正社員の減少・非正規社員の増加という状況の依然とした継続が何よりも証明している。
このことは、《労働力調査( 基本集計)平成26年(2014年)11月分(速報)》(総務省統計局/2014年12月26日)から見て取ることができる。
・就業者数は6371万人。前年同月と同数
・雇用者数は5637万人。前年同月に比べ18万人の増加
・正規の職員・従業員数は3281万人。前年同月に比べ29万人の減少。((雇用者全体に占める割合は約58%)
・非正規の職員・従業員数は2012万人。前年同月に比べ48万人の増加(雇用者全体に占める割合は約37%)
・主な産業別就業者を前年同月と比べると,「医療,福祉」などが増加,「製造業」などが減少
安倍晋三が言っているように正規従業員が一時的には増加した時期もあったが、正規従業員の減少・非正規従業員増加の基調に変化はない。
この状況は企業による賃金抑制の力学そのものの現れであって、春闘に於ける企業の賃上げや夏冬のボーナス金額の高い伸びといった状況は正規従業員の減少・非正規従業員増加によって企業が支払っている人件費の負担を平均化させて、雇用全体として見た場合、半ば無効化させているはずだ。
また、この平均化は企業が賃金抑制経営を専らとしている以上、常に平均値の減少方向への圧力を常態的に孕ませていることになる。
そうであるなら、この賃金抑制のメカニズムは安倍晋三の地方創生若者地方雇用30万人にも反映されることになる。賃金抑制と平均化のために都会から比較した地方の低い賃金水準を当てはめられるばかりか、正規と非正規の使い分けが行われることになる。
若者地方雇用30万人の実現は景気回復をバックにすることになるから、正規従業員の減少・非正規従業員増加の傾向は年々その割合を高める形で維持していくことになるが、2014年11月分の正規対非正規の割合を機会的に当てはめると、若者地方雇用30万人のうち正規は約17万4千人。非正規は約11万1千人の計算となる。
だが、安倍晋三はさも全てが正規であるかのように一口に30万人と言い、そこに多くの非正規が含まれる高い可能性を隠蔽する情報操作を行っている。
都合の悪い情報の隠蔽と言う情報操作は安倍晋三にとって国民の支持を得る最も得意とする政治手法であるようだ。
――優秀な人材はいつの時代も大都市を目指す――
昨日2014年12月27日、安倍内閣は《地方から日本を創生する 「長期ビジョン」「総合戦略」》を閣議決定した。
①2020年までの5年間で地方での若者雇用30万人分創出とその他で「地方の安定的雇用の創出
②2020年までに東京圏10万人転入超過の地方移住と企業地方立地促進等の均衡化による「地方への新しいヒトの流れの創出」
③「働き方改革」や様々な支援によって、「若い世代の結婚・出産・子育ての希望を叶える」
④中山間地域等、地方都市、大都市圏各々の特性に応じた時代に合った地域づくりと各地域の連携によって安心な暮らしを構築。
「5年間で地方での若者雇用30万人分創出」と謳っているが、日本は一都一道二府四十三県、占めて47自治体が存在する。「2020までに東京圏10万人転入超過の地方移住」とは具体的には東京圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)転出人口4万人増、転入人口6万人減の人口移動政策を内容としていると言うから、東京圏の4自治体を抜かして単純計算で43で割ると、一自治体で約7千人弱。
7千人としても、各自治体の市町村数で割ると、微々たるものとなる。一口で若者30万人の雇用創出というと大層な数字に思えるがそうではない。但し東京一極集中の例からして各自治体に於いても、その自治体で比較大都市の地位を獲得している県庁所在地やその近辺に人口移動にしても企業地方立地にしても集中することになるのだろう。
全国単位で格差はある程度是正されたとしても、地方自治体単位では格差は逆に拡大する可能性を残すことになる。例え農業が活性化されても、各自治体に於ける交通インフラが整備されていて交通の便も良い地方比較大都市とその近辺にほぼ集中することになって、辺境に位置する限界集落とか消滅集落予備軍といった状況は取り残されることになるに違いない。
また、「地方若者雇用30万人」と言っても、賃金が大きな動機づけとなる。企業がかつて人件費が超格安の中国を目指したように人件費が安いからと地方立地を進めようとしたら、より賃金の高い東京圏、その他を目指す流れを決定的には変えることができず、人手不足を招く可能性は否定できない。
人手不足解消に初任給を上げたとしても、地方立地の有利性確保のために非正規雇用を増やしたり、初任給のみを上げて、以後の賃金上昇率を抑える手に出たら、賃金に対する動機づけとしての意味を失って、企業の地方立地の魅力を損なうことになる。
特に優秀な人材はいつの時代もそうであるように賃金の高みを目指すから、余程の理由がない限り、賃金のより安い地方企業には目もくれない状況が生じない保証はない。
さらに言うと、高い賃金がより高度な文化の享受を約束する。都会と地方で同じ映画を見ることができるが、映画館の設備の違いで味わいは違ってくる。特に演劇やコンサートは大都会では頻繁に開催されて、いつどこでも鑑賞することができ、高度な芸術的雰囲気を堪能できる。
文化的環境の整備まで含めた地域づくりとなると、県庁所在地等の地方に於ける既成都会のある程度整っている文化的環境を基盤とすることになって、地方に於ける格差拡大の動因の一つに加えることになりかねない。
いずれにしても、閣議決定が謳っているように「地域づくりと各地域の連携によって『安心な暮らし』」を保障するためにも、賃金を東京一極集中の阻止及び地方雇用増加の動機づけの出発点としなければならないはずだ。だが、既に地方ごとに賃金格差が生じている。
《平成25年賃金構造基本統計調査(全国)の概況》によると、産業全体の平均で東京の賃金は364万6千円。最低の宮崎県が227万7千円で、136万9千円の格差があり、ついで沖縄県が228万4千円で、136万2千円の格差を頂いている。
初任給を、《平成25年賃金構造基本統計調査(初任給)の概況》から見てみる。
東京大学卒初任給、207万7千円。高卒初任給164万7千円。
最低の沖縄東京大学卒初任給169万5千円。東京100%にして、82%。
高卒初任給132万2千円。東京100%にして、80%。
この割合が生涯ほぼ付き纏うことになり、生涯賃金を決定づけていく。どのくらいの格差が生じるのだろうか。
さらにこの格差は正規雇用と非正規雇用間でも無視できない金額で決定的な違いを生じている。
当然、賃金格差がこのままの状態であるなら、能力と決断力と許される環境に恵まれさえすれば、若者は地方には目もくれずに大都市、特に東京を目指すことになる。
安倍政権は2015年度から地方就職大学生に卒業後地方で一定期間勤務を条件に自治体や産業界と共同で奨学金返済減免の基金をつくる方針でいるが、奨学金減免だけでは追いつかないだろう。
このような賃金格差の抹消に向け、尚且つ地方に於いても賃金を動機づけとすることができるようにするには先ずは最低賃金の全国一律1000円からスタートすべきだろう。最低賃金がより上の段階の賃金を決定づけていく基準となるからだ。
安倍政権は賃上げを行った中小企業に対して助成金を支援する方針でいるが、最低賃金1000円とすることによって生じる負担に対してこそ助成金を支援すべきである。でなければ、スタートの賃金はあくまでも最低賃金を基準とすることになって、中小企業が少しくらいの賃上げに応じたとしても、大企業と中小企業の賃金格差、そして大都市と地方都市の賃金格差の是正には役立たない。
多くが賃金格差是正を地方創生の条件としているが、11月25日発表の自民党の今衆院選挙の《重点政策2014》には「最低賃金」の言葉が一言も触れられていない。
賃金格差を念頭に置かないまま、あるいは賃金の動機づけを考慮しないまま、地方創生を語っているようだ。この方向の観点を失っていたなら、地方創生は絵に描いた餅で終わるに違いない。
安倍晋三は総選挙に勝利し、第3次安倍内閣組閣に向けて当初はアベノミクス推進継続性重視のため、全閣僚再任の方針でいた。12月24日(2014年)の第3次安倍内閣発足の記者会見。
安倍晋三「現在、7月に閣議決定した基本方針に基づき、来年の通常国会に向けて、(集団的自衛権行使を含めた)切れ目のない安全保障法制の準備を進めています。その担当大臣には経験豊かな江渡さんにお願いをしてまいりました。しかし、今回の組閣に先立ち、江渡大臣から、法案審議に遅滞をもたらすことのないようにと強い辞意があり、誠に残念ではありますが、その意思を尊重することといたしました」――
政治資金規正法は選挙活動を除いて資金管理団体が候補者個人へ寄付することを禁じている。防衛相の江渡聡徳(あきのり)資金管理団体「聡友会」が2009年と2012年に行われた衆院選挙の期間外に4回に亘って計350万円を江渡氏個人に寄付していることが政治資金収支報告書への記載によって発覚した。
江渡聡徳の釈明。
江渡聡徳「350万円は寄付ではなく、聡友会の複数の職員に支払った人件費だった。私から職員らに人件費を交付する際、私名義の仮の領収書を作成していたため)担当者が(私への)寄付と混同した」――
要するに資金管理団体「聡友会」から人件費を江渡聡徳が一旦受け取って、それを職員に渡したが、受け取る際自分名義の領収書を書いていたということになる。
なぜ給与を江渡聡徳を経由しなければならなかったのか。給料を払っているのは俺だと恩を着せるためか。経由したとしたら、複数の職員が受け取った金額を合わせて350万円相当となる領収書が出てこなければならないことになる。
自身は領収書を発行し、職員は発行しなかったでは辻褄が合わない。
「聡友会」は2010年は「渉外費」、2011年、2012年と「寄付金」名目で毎年6月に靖国神社に各1万2000円、計3万6000円の支出までしていた。これらの靖国神社への支払いが果して政治活動の一環と言えるのか。
さらに江渡聡徳が代表を務める「自民党青森県第2選挙区支部」へと同じ住所にある、政治資金規正法の対象となる「政治団体」の届け出がない任意団体「政経福祉懇話会」が2012年までの11年間で3285万円を寄付していることが判明した。
政治資金規正法は任意団体を収支報告書作成と提出の義務付けの対象外としている。
要するにカネの入りをいくらでも隠すことができるし、自身が直接使う場合、出も隠すことができる内緒の財布とすることができる。
江渡聡徳は国会で追及されて、釈明、言い逃れ、弁解、様々に形容できるが、どのように言葉を尽くしても満足な説明をつけることができなかった。
満足な説明をつけることができなかったとは、動いたカネを黒いカネに色づける一方だったことを意味する。
こういった経緯から防衛省関係の法案審議が遅れるなど影響が出た。
第3次安倍内閣で全閣僚再任ということになれば、江渡聡徳の一度も満足な説明をつけることができなかった「政治とカネ」の問題をそのままの状態で目の前に横たわらせることを意味するのだから、再び国会で追及されて、再び法案審議に遅滞が生じることは誰もが予測することであるし、安倍晋三も予測していたはずである。
野党としても追及をスケジュールに入れていただろう。
要するに予測と全閣僚再任は明らかに矛盾する。第1次安倍内閣では複数の閣僚が「政治とカネ」の問題で満足な説明をつけることができずに辞任に追い込まれ、一人は自殺という方法で満足な説明をつけることができなかったことの決着を付け、消えた年金問題も加わって安倍内閣は失速していき、ついには安倍晋三自身が辞任、内閣を投げ出すこととなった。
この矛盾を矛盾でないことにするためには、江渡聡徳が再び満足な説明をつけることができずに防衛相辞任に追い込まれる展開と、追い込まれた場合は安倍晋三自身が再任までしたことの任命責任まで追及されることになる展開、更にそれらの展開が第1次安倍内閣の二の舞いへと発展するかもしれない万が一の事態等々を前以て覚悟して、火中の栗を拾うリスクを負う必要が生じる。
このリスクはまた、折角手に入れることができる長期政権と言う甘い果実を失うリスクを道連れにしない保証はない。
要するに再任の方針を打ち出す時点で様々なリスクを予想して、負う人事上の危機管理に立っていなければならなかった
にも関わらず、安倍晋三の説明によると江渡聡徳本人から「法案審議に遅滞をもたらすことのないように」と辞意を表明し、安倍晋三は「その意思を尊重することとした」。
だが、この展開は全閣僚再任の当初方針を貫いた場合は負うかもしれないと心構えしていなければならなかったリスクに対する安倍晋三の当然の覚悟、予測していたであろう人事上の危機管理から見た場合、あまりにも矛盾した呆気ない結末となる。
逆に毒を喰らわば皿まで、とか、一蓮托生だと強く慰留して、再任に漕ぎつけてこそ、再任の方針を打ち出す時点で様々なリスクを予想し、そのリスクを負う覚悟でいなければならなかった危機管理と矛盾なく辻褄を合わせることができる結末となるはずである。
全閣僚再任の当初方針と江渡聡徳の辞任というこの結末の違いを読み解くとしたら、辞意は江渡聡徳本人の意思ではなく、全閣僚再任は江渡本人からの辞意という形に持っていくための演出で、その実態は安倍晋三本人からの因果を含めた戦力外通告と見て、初めて整合性を得る。
このことの証明は他にもある。12月24日の閣議後、江渡聡徳は防衛省で記者団に発言している。
江渡聡徳「人事はあくまでも首相の専権事項だ。首相がこの後でご判断される形になるのではないか」(産経ニュース)
自身の方から再任を辞退したなら、それなりの覚悟を持っていただろうし、辞表も持参して提出していただろうから、いわば辞任の心構えでいただろうから、安倍晋三から「少し考えさせてくれ」と言われたとしても、首相の判断にかかっているといった言い方をして、結論を先の形にすることはないはずだし、そうすること自体、辞任の心構えに反しすることになる。
安倍晋三の方から前以て因果を含められていた場合のみ、再任の期待を捨て切れずに結論を先の形にすることができる。
だが、結果は更迭そのものであった。
もう一つの証明。自らの資金管理団体の収支報告書への不明朗な記載や選挙区内でのカレンダー配布が問題となっていた御法川信英財務副大臣と外国人からの献金受領や女性への暴行で書類送検されたことが問題となっていた大塚高司国土交通兼内閣府政務官が再任を辞退したと「時事ドットコム」が12月25日の記事で伝えていたが、副大臣にしても国会で答弁を求められる。
当然、「政治とカネ」の問題や、カネの使い途、女性スキャンダル等々についての追及を受けることになる。だが、役職から一掃してしまえば、後顧の憂いはなくなる。第1次安倍内閣の二の舞いの危険性を限りなくゼロに持って行くことができる。
こうまでの徹底ぶりを見ると、国会に出席して答弁に立たなければならない立場にある三人もが「政治とカネ」の問題、その他で自分の方から辞任を申し出るという事態は偶然の一致にしては出来過ぎていることになる。
作り出した一致でなければ、納得がいかない。本人からの辞意という形であるなら、何のためにこれまで国会で追及をかわしてきたのか、意味を失う。
内閣改造を絶好のチャンスとして安倍晋三の任命責任に波及しない穏便な形で本人からの辞意を演出しつつ、因果を含めた更迭とすることで、全閣僚を全員再任と一旦は決めた方針にしても、その他にしても全ての納得がつく。
これが政治資金収支報告書虚偽記載疑惑の望月義夫と、外国人献金疑惑及びSMバーへの交際費名国での支出に関わる疑惑の宮沢洋一まで含めて、合計5人までが一斉に自分から辞意を求めたとなると、それが演出であったとしても、事実であったとしても、どちらも大問題となる。確実に安倍晋三の任命責任に波及する。
望月義夫の場合は会計責任者の妻が死亡していて、死人に口なしで逃げ切ることができると踏み、宮沢洋一の場合は経営者が外国人だと知らなかった、SMバーは本人の利用ではないとすることで逃げ切ることができると踏んだのだろう。
閣僚の場合は更迭は一人が最善の限度であるはずだ。しかも本人からの辞退と装わせることができた。
アルピニストの野口健が自身のツイッターに次のような言葉を投稿していることを私自身のツイッターにリツイートの形で紛れ込んでいて知った。
「日本って国は、“日本が大事”、“領土を守りたい”、“日本人のために政治をやって欲しい”って言うと、右翼扱いされる。いかに中心が左翼思想になっているかがわかります」
調べたところ、2014年12月9日8時50分の投稿となっている。
安倍晋三に対する国民の支持、支持を得た安倍晋三の鼻息から見ると、とても「中心が左翼思想になっている」とは思えない。
野口健は政治制度の集合体としての国家とそのような制度下の国民を論ずるとき、国家を「日本」という文脈で常に把え、自国民を常に「日本人」と把えて、その視点から物事の判断をしているようだ。
勿論、私自身も一般的な意味に於いて「日本人」という言葉は使う。例へば「基本のところで日本人は権威主義を思考様式とし、行動様式としている」といった具合に。但し政治制度の集合体としての国家及び国民を言うとき、野口健とは逆で、「日本」を国家という概念で把え、「日本人」を国民という概念で考える。
そして国民は常に国家に優先さるる存在だと位置づけている。だから、日本国憲法は国民に主権を与えている。日本国家に対して与えているのではない。
「日本人を」ではなく、「国民を」主体に位置づけて考えているから、野口健のように“日本が大事”という思想に立つことはなく、あくまでも「国民が大事」という思想を優先させることになる。
“日本人のために政治をやって欲しい”ではなく、「国民のために政治をやってほしい」と求めることになる。
“領土を守りたい”にしても、国を守るために領土を守るのではなく、国民を守るために領土を守るでなければならない。国を守るとしたとき、どのような政治制度の国家であったとしても守らなければならなくなる。
このことは戦前の天皇絶対主義・軍国主義の日本を国家権力によって無理やり守らせられ、結果として国民を守ることができなかった悲惨な結末が証明している。
国民を守るとは国民の基本的人権を守ることであって、基本的人権を保障する政治制度でなければならない。
断るまでもなく、基本的人権とは思想・信教の自由や言論の自由、表現の自由等の社会を生きていく上で人間が人間らしく生存するための権利ばかりではなく、生存権、教育を受ける権利、労働基本権、社会保障の権利等の社会権も同じく社会を生きていく上で人間が人間らしく生存するための権利として基本的人権の一つに数えられている。
いわば基本的人権の保障との兼ね合いで国民と国家の関係を考えなければならない。
“日本が大事”とか、“日本人のために”と言うとき、“日本”と“日本人”のみを限定することになって、そこに否応もなしに日本民族優先の思いが入り込んでいることになる。
多くが野口健の以上の言葉に民族優先の臭い嗅ぎ取って、右翼扱いするのではないだろうか。
日本という国を国家と国民の関係で認識した場合、日本限定ではないために、この認識は他国の国家と国民との関係にも視野が及ぶことになる。その国が国民を主体とし、国民の基本的人権を保障している政治制度の国家となっているかを問うことになる。
アメリカが常に中国に対して中国国内の人権問題に物申し、ノーベル賞作家劉暁波氏が共産党1党支配を批判して民主化を求める文章をインターネット上で発表したことで国家転覆扇動罪で懲役刑を受けていることに対して釈放を当初から求め、12月24日、判決後5年を受けてケリー長官がその釈放を改めて求める声明を出したのも、主体とした国民との関係で国家を把えているからだろう。
だが、日本では前民主党政権にしても安倍政権にしても、直接的には釈放を求める声明や発言を発したことはない。
如何なる外国に関しても常に国民との関係でその国家を把えた場合、基本的人権に国境は存在しないことになるが、少なくとも日本政府に関して言うと、そのように把える状況になっていないばかりか、日本という国で基本的人権が保障されていればいいと考えているから、他国の人権状況に鈍感でいられるのだろうとしか解釈できない。
経済だけではなく、文化の面でも、人間の往来に関してもグローバルな時代となった今日、民族のレベルで国家と国民の関係に言及するのは既に時代遅れとなっているはずだ。世界に共通させることができる国民という概念、基本的人権を軸として同じ線上に置いた国家という概念で把えるべきではないだろうか。
12月8日(2014年)、《政府主催拉致問題啓発「ふるさとの風コンサート」》を東京・渋谷区の「Bunkamura オーチャードホール」で開催した。「コンサートと啓発CMの費用は総額で1億円」と、「産経ニュース」が伝えていた。
冒頭の挨拶。
山谷えり子拉致問題担当相(特別調査委の立ち上げなど今年の日朝間の動きを紹介して)「この流れを、この動きを、日本の皆さまの声が後押しすることで解決につながっていく。これから結果を出さなければならない」(「産経ニュース」)
この発言だけで、安倍政権の拉致解決に関わる無能を証明して余りある。
日朝協議の流れ、動きを如何に解決の方向に着地させるかは安倍政権の外交能力にかかっている。当事者として交渉の舞台に登っているわけではなく、外野席に置かれている「日本の皆さまの声」にかかっているわけではない。
いわば何が肝心なのかは明らかに啓発コンサートではなく、安倍政権の外交能力である。
このコンサートは2012年に始まって、今年で3回目だそうだ。政府の「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」(12月10~16日)に合わせて毎年12月に開催しているそうだが、衆院選挙のドサクサに紛れ込ませたようにしか見えない。
なぜなら、交渉が行き詰まっていて打つ手がない手詰まりの状況下では往々にして肝心なことを離れた余分なことをして努力をしていますというところを見せるゴマカシを働くことがあるからだ。
啓発コンサート自体がそもそもからして政府が打つ手を失っていたことからの努力を見せる場としていた可能性は疑い得ない。
何しろ安倍政権は拉致解決に向けた対北朝鮮交渉で後手後手を踏んでいた。
2014年5月26日から5月28日までスウェーデン・ストックホルムで開催の日朝政府間協議で北朝鮮が「特別調査委員会」を立ち上げて、拉致被害者を始めとするすべての日本人に関する包括的かつ全面的な調査を約束した。
2014年7月1日の中国・北京での日朝政府間協議は北朝鮮が5月に立ち上げを約束した「特別調査委員会」の組織や権限等について説明を受けることを主たる目的としていた。
つまり5月の日朝政府間協議の際、「特別調査委員会」の組織や権限等の規模その他について細部まで詰めないポカをやらかせていた。そのために後から追いかけて細部を詰めるという後手を踏むことになった。
10月28日・29日の北朝鮮・平壌での日朝協議は当初北朝鮮側が「夏の終わりから秋の初め」と約束していた初回報告が遅れた理由を尋ねることと、「拉致が最重要課題だと責任者に伝える」ことを目的としていた。
安倍政権下で2014年5月26日~5月28日のスウェーデン・ストックホルムで開催の日朝政府間協議を始めてから同様の協議を何回か重ねていながら、「日本側は拉致を最重要課題とする」という姿勢を伝えていなかったということである。
ここでも後から追いかける後手を踏んでいる。
10月28日・29日の北朝鮮・平壌での日朝協議前の10月22日の首相官邸でのぶら下がり対記者団発言。
安倍晋三「今回の派遣は、特別調査委員会の責任ある立場の人に対して、われわれは拉致問題を最重要課題として考える、拉致問題の解決が最優先であるということをしっかりと伝えるために派遣すること、それが目的です。まさに調査をする責任者に私たちの一番大切な目的は何かということをしっかりと伝えなければならないということです。そして、この調査に直接関わる方々、責任者から進捗状況について話をしっかり聞く。そして先方に対して、正直に誠実に対応しなければならないということを先方に、責任者に伝えることが今回の派遣の目的です。
そして我々はこの(派遣の)決断をするに際して、私は基本的に拉致問題を解決するためにはしっかりと北朝鮮に圧力をかけて、この問題を解決しなければ北朝鮮の将来はないと、そう考えるようにしなければならないと、ずっと主張し、それを主導してきました。その上において対話を行っていく。まさにその上において今対話がスタートしたわけです。北朝鮮が『拉致問題は解決済み』と、こう言ってきた主張を変えさせ、その重い扉をやっと開けることができました」(産経ニュース)
「北朝鮮に圧力をかけて、この問題を解決しなければ北朝鮮の将来はないと、そう考えるようにしなければならない」を安晋三は自らが信じる拉致解決の絶対的手段としている。
だが、この絶対的手段そのものが言葉だけで後から追いかける後手となっている。
安倍晋三は2012年12月26日の首相就任前の2012年8月30日にフジテレビ「知りたがり」に出演、同じ趣旨のことを発言している。
安倍晋三「こうやって日本が要求している拉致の問題について答を出さなければ、あなたの政権、あなたの国は崩壊しますよ。そこで思い切って大きな決断をしようという方向に促していく必要がありますね。そのためにはやっぱり圧力しかないんですね」――
2012年9月12日に自民党総裁選への出馬表明後の2012年9月17日の「MSN産経」のインタビュー。
安倍晋三「金総書記は『5人生存』と共に『8人死亡』という判断も同時にした。この決定を覆すには相当の決断が必要となる。日本側の要求を受け入れなければ、やっていけないとの判断をするように持っていかなければいけない。だから、圧力以外にとる道はない。
金正恩第1書記はこの問題に関わっていない。そこは前政権とは違う。自分の父親がやったことを覆さないとならないので、簡単ではないが、現状維持はできないというメッセージを発し圧力をかけ、彼に思い切った判断をさせることだ。
つまり、北朝鮮を崩壊に導くリーダーになるのか。それとも北朝鮮を救う偉大な指導者になるのか。彼に迫っていくことが求められている。前政権よりハードルは低くなっている。チャンスが回ってくる可能性はあると思っている」――
2013年9月16日の『すべての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会』での発言。
安倍晋三「この問題を解決をするためには、何と言っても北朝鮮側にこの問題を解決をしなければならないと、この問題を解決をしなければ国家として今後繁栄をしていくことはできない、と認識させなければならない。まさに圧力をかけながら何とか対話に持ち込みたいと思っている次第です」(首相官邸HP)
そして最近では2014年12月1日の日本記者クラブでの衆院選に向けた8党党首討論会。
安倍晋三「拉致被害者のご家族、ご両親の皆様、年々年を重ねておられまして、現段階においても解決できない、私、本当に申しわけない思いであります。金正日政権から金正恩政権に政権が変わりました。彼らがこの問題を解決しなければ、国際社会においてやっていくことができない、そう判断させなければならない、こう思っています」
安倍晋三が拉致解決の絶対的手段だと信じている「北朝鮮に圧力をかけて、この問題を解決しなければ北朝鮮の将来はないと、そう考えるようにしなければならない」とする方法論は、「こうやって日本が要求している拉致の問題について答を出さなければ、あなたの政権、あなたの国は崩壊しますよ」と金正恩に対して「あなた」と呼びかけていることからしても、呼びかけている相手にも信じ込ませることができなければ、永遠に有効性を見い出すことはできないし、カラ手形を切り続けることになる。
これは誰もが理解可能なプロセスであるはずだ。
安倍晋三は先に挙げた2013年9月16日の『すべての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会』では次のようにも発言している。
安倍晋三「私は総理に就任をいたしまして、すでに20カ国訪問をしているわけですが、必ず拉致問題について説明をし、各国首脳の理解と支持を訴えているところです。幸い、国連にも新たな調査委員会ができて、カービーさんがこの前、日本へやって来られました。
しかしまだまだ、世界各国のこの問題に対する理解は十分と言えないわけですから、我々もさらに、しっかりと、国際社会と私達の認識を、共通の認識を持てるように努力を重ねながら、北朝鮮に対する圧力を強めていかなければならないと思います」――
金正恩にそう信じ込ませるなければならないことは20カ国を訪問して拉致問題について説明をして各国首脳に理解と支持を訴えることよりも肝心なことであるはずである。
だが、肝心なことに力を注がずに肝心でないことに力を注いでいる。この的外れが政府主催の拉致問題啓発コンサートを1億円も出して開催する力を生み出すことになっているに違いない。
北朝鮮と政府間協議を開催するたびに日本側から北朝鮮側にに安倍晋三が絶対的に有効だと信じている拉致解決の方法論を伝えているのかどうか分からないが、北朝鮮側の拉致解決に向けたのらりくらりとした姿勢からは相手に伝わっているようには見えないし、ましてやその通りだと信じ込ませているようにはさらさら見えない。
もし安倍晋三の方法論が北朝鮮側に届いていないとすると、安倍晋三は口先だけで終わらせている気の遠くなるような後手を踏んでいることになる。
もし届いていて、金正恩が鼻の先でせせら笑うがごとくに無視しているとしたら、安倍晋三が同じ方法論を拉致解決の絶対的手段と信じて繰返し発言し続けていることは悲劇そのものである。
いわば相手に届ける力もなく、届けることまでできたとしても、相手にそう思わせる力がないことを意味する。
どちらのケースであったとしても、こちらが絶対としていることに対する反応である以上、やはり気の遠くなる後手を踏んでいる状況に立たされていることに変わりはない。
拉致被害者家族会は第2次安倍政権の成立を歓迎した。小泉訪朝による5人の拉致被害者帰国に関わっていたからだ。だが、この暮に来て、歓迎は「年末までには解決を」と期待していたことが裏切られて、失望に変わっている。
拉致被害者家族会も安倍晋三が口先だけの政治家だともうそろそろ気がつかなければならない。
生活の党PR
《小沢一郎生活の党代表がラジオ番組生出演案内》
番組名:TOKYO FM(FM80.0)『タイムライン』
日 時:平成26年12月24日(水)19:00~※出演は19:10頃から25分程度
内 容:圧倒的多数を占める与党にどう対峙するか等、ジャーナリスト上杉隆氏との対談。
『タイムライン』番組サイト
12月23日は天皇誕生日。平成天皇は81歳の齢(よわい)を迎えた。23日に誕生日の記者会見を開くのかと思っていたら、勘違いで、19日に前以て開いていた。但し「NHK NEWS WEB」は23日早朝の発信で、その全文を記事にしていた。記者会見した日付通りに宮内庁のサイトから発言の一部を引用した。
《天皇陛下お誕生日に際し(平成26年)》(宮内庁/2014年12月19日)
天皇の参賀の言葉は勿論、会見の言葉も、それが公の場で発せられる以上、国民に対するメッセージである。例えそれが父親の昭和天皇の思い出を語る言葉であっても、国民に対するメッセージに擬せられる。
思い出は昭和天皇の生きていた姿の一コマであったとしても、あくまでも平成天皇の目を通した、その感性が把えた一コマであるゆえに、公の場で見せるその感性は国民に対するメッセージを含むことになる。
天皇が記者の最後の質問に答えて発言した最後の言葉はまさに国民に対するメッセージであろう。
記者「宮内庁が24年余りをかけて編さんし、この夏に両陛下へ奉呈された『昭和天皇実録』に関してのご感想とともに、昭和天皇についての思い出や、天皇としてのお姿から学び生かされていることをお聞かせください」
最後の発言のみを引用する。
天皇「昭和天皇から学んだことは多いと思います。
結婚前には葉山の御用邸に昭和天皇、香淳皇后と一緒に泊めていただくこともありましたから、そのような時に昭和天皇から学んだことが多くありました。
人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たるということは、昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています」――
「自分で責任を持って事に当たる」という行為は自分なりの思考力を背景とすることが絶対条件となる。他人の考えに頼るのではなく、自身の考えに従うのではなければ、いわばしっかりとした自らの考えなくして責任を持って事に当たることはできない。
では、この言葉は国民に対するどのようなメッセージなのだろう。
日本の親の最大公約数が自らの言動を通して「人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たる」生き方の必要性を、人間としてあるべき姿として自分たちの子供に当たり前のように伝え、学ばせていたなら、親から子に伝わる常識的な言動ということになって、昭和天皇から平成天皇に伝えられた「言動」は特別でも何でもなくなり、平成天皇は思い出とする特別な意味を失い、話すこと自体、滑稽とすらなる。
つまり、大抵の親がやっていることではないか、昭和天皇が特別と言うことではないと軽くあしらわれることとなって、国民に対するメッセージとしても、その価値を失うばかりか、そもそもからして特別な思い出とすること自体、その感覚が疑われることになる。
当然、この言葉は国民に対するメッセージとして意味を持っていなければならない。意味を持たせるためには何らかの意味を裏に隠したメッセージでなければならない。国民の多くがそういったことを学んでいないという構図を裏に隠して取り上げた昭和天皇から学んだ「言動」の思い出であり、人間としてあるべき生き方ではないかと見なければならない。
このことの有力な証拠に「総合的な学習の時間(総合学習)」を挙げることができる。文科省のサイトに「総合学習」についての説明が載っている。
〈総合的な学習の時間は、変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることなどをねらいとすることから、思考力・判断力・表現力等が求められる「知識基盤社会」の時代においてますます重要な役割を果たすものである。〉――
つまり、このような教えの時間を学校教育に取り入れなければならなかったということは、このような教えを子どもたちが身につけていないからに他ならない。
子どもたちが身につけていないということは、親自身が身についていなくて、自らの言動を通してそのような教えを子供に伝え、学ばせることができなかったことを意味する。
教えが身についていないということは教えを生き方として表現し、行動することができていないことを示す。
周知のように「総合学習」は2000年から段階的に始められたものの、生き方重視が学力を後回しにすることになって、学力低下という思わぬ産物を産み、そのことを受けて、2008年以降、日本の教育行政は「脱ゆとり教育」へと突っ走り、詰め込み教育へと回帰していった。
いわば平成天皇が記者会見で昭和天皇の思い出として発言した生き方は身につかないままに終わった。
多くの日本人が身についていない以上、それを学んだとする平成天皇の言葉は裏に何かの意味を隠した国民に対するメッセージだと解釈しなければならない。
日本人全体が「人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たる」自らの考えに立った自律性、あるいは主体性が求められる最近の出来事とは総選挙を措いて他にない。
当然、天皇のこの発言が裏に何かを隠している見る以上、安倍自民党圧勝に対して発した国民に対するメッセージであり、圧勝に導いた国民の投票行動、あるいは選択意思を昭和天皇の「言動」を通して学んだ生き方には適っていない、その裏返しの行動となっているという警告と見做すことができる。
平成天皇の裏に何かを隠した国民に対するメッセージとして例示できる他の発言もある。2001年4月発表の扶桑社の『新しい歴史教科書』の検定合格に対して韓国が修正を要求、日本側が2個所の修正に応じたが、韓国側がこれを不十分とし、日本文化開放の追加措置を中断する等の対抗措置を公表している。
そして靖国参拝問題。2001年8月13日、小泉純一郎は就任後初の靖国神社参拝を行った。「総理大臣小泉純一郎」として行った公式参拝である。
この参拝に対して中国では反日感情が起き、2005年の小泉参拝時には激しい反日デモが起きている。
韓国は金大中大統領が「韓国国民は確実な歴史認識を土台に、両国関係が正しく発展していくことを強く望んでいる」と発言、韓国外交通商省スポークスマンは「我が政府は小泉首相が我々の度重なる憂慮表明と日本国内の多くの反発にも関わらず、 本日、近代日本の軍国主義の象徴である靖国神社に参拝したことに対し深い遺憾を表明する」と激しく反発している。
そして同年12月23日昭和天皇誕生日に際しての12月18日の記者会見。翌年2002年5月31日から6月30日にかけて日韓共催のFIFAワールドカップを間近に控えていた。
記者「世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年、日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつ、,両国の市民レベルの交流も活発化していますが、歴史的、地理的にも近い国である韓国に対し、陛下が持っておられる関心、思いなどをお聞かせください」
昭和天皇「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。
こうした文化や技術が日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っています。私自身としては桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし残念なことに韓国との交流はこのような交流ばかりではありませんでした。このことを私どもは忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が,それぞれの国が歩んできた道を個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております」――
この国民に向けたメッセージが裏に隠している意味は「新しい歴史教科書」や小泉靖国参拝が日韓関係を損うことになっていることに対する憂慮ではなくて何であろうか。
平成天皇が昭和天皇の言動から学び、自身も一部経験した戦前の軍国主義に対する拒否感情は国民統合の象徴という立場からしても、人一倍強いはずだ。安倍晋三の国家主義が言われ、特定秘密保護法や集団的自衛権行使から窺うことができる日本の右傾化を指摘する声が絶えない。
どう見ても、「自分で責任を持って事に当たる」は自民党圧勝を選択した国民に対する憂慮を裏に隠しているとしか思えない。
と同時に特定秘密保護法や集団的自衛権行使、及び安倍晋三が狙っている憲法改正等々の先行きを睨んだ、国民が欠いていると見ているがゆえに「人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たる」ことの要請をも裏に隠しているのかもしれない。
勿論、稲田朋美のこのような心理構造は安倍晋三も同じ穴のムジナとして持っている。
「朝日新聞社慰安婦報道検証第三者委員会」(中込秀樹委員長)とでも言うのだろうか(「asahi.com」には、〈朝日新聞社による慰安婦報道を検証する第三者委員会(中込秀樹委員長)〉と形容されていた。)12月22日、検証結果の報告書を公表した。
戦前の韓国・済州島で軍令により若い韓国人女性を奴隷狩りのように追い回して狩り立て、従軍慰安婦に仕立てたとした「吉田証言」が虚偽の事実に基づいて書かれた創作と判明後も、「吉田証言」を根拠として書いた記事誤報を訂正もせずに長年放置し、取り消す対応などが遅れたことを「読者の信頼を裏切るもの」と検証、本年8月に過去の記事を取り消した際に謝罪をしなかったことは経営陣の判断で誤りであったと指摘、その他の検証が報告書は明らかにしているという。
この第三者委員会の報告書公表を受けて早速、自民党政調会長の右翼国家主義者であり、歴史認識に於いてすべての面で安倍晋三と精神的一卵双生児である稲田朋美が自民党本部で記者団に発言している。
稲田朋美「報道が国際社会に与えた影響は小さくない。朝日は日本の名誉回復へ、運動の先頭に立ってもらいたい。
報道の自由は国民の知る権利に資するとして尊重されている。そのため、真実(だとする報道)については厳しい検証が必要だ。朝日は長期間誤りを訂正しなかった。報道機関としての自覚が足りない」(中日新聞)
稲田朋美がこのように発言するのは、「1993年8月4日の調査結果(河野談話)の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(第1次安倍内閣・政府答弁書)ことを以って従軍慰安婦に関わる強制連行や強制売春、あるいは性奴隷(セックススレイブ)の事実は存在しないという歴史認識を絶対としていることに対応させて、虚偽の「吉田証言」に基づいて記事にした朝日の誤報が日本軍による従軍慰安婦強制連行の事実と強制売春、あるいは性奴隷(セックススレイブ)の事実を世界に振り撒き、日本の名誉を傷つけたとし、朝日が「吉田証言」を事実でないと認め、「吉田証言」に基づいて書いた記事を誤報と認めた以上、朝日新聞自らが日本の名誉を回復しなければならないという考えに立っているからだ。
勿論、政府答弁書を発した安倍晋三にしても同じ考えの同じ立場に立ち、朝日が先頭に立った日本の名誉回復という同じ趣旨のことを国会やその他で何度も発言している。
要するに安倍晋三や稲田朋美、その一派は従軍慰安婦に関わる自分たちにとってのそれぞれの非事実を朝日新聞の誤報が日本のみならず、世界に対して事実に変えて存在たらしめ、日本や世界の事実とした。その結果として日本の名誉を傷つけたとする論法を用いている。
特に朝日新聞がその虚偽・非事実を世界に広めるに役立った。日本の名誉を傷つけた罪は重大で、朝日新聞は自らの力で日本の名誉回復に務めなければならないと要求していて、朝日第三者委員会の報告書公表を受けて、稲田朋美は改めて要求した。
安倍晋三の意思をも受けているに違いない。歴史認識に於いて安倍晋三と精神的一卵双生児の関係にあるからなのは断るまでもない。
だがである。安倍晋三や稲田朋美、その一派が従軍慰安婦に関わる様々な事実を全面否定する根拠としている「政府発見資料」には強制連行を示す記述は見当たらなかったとしている論理には強制的に従軍慰安婦にされ、売春を強制されて性奴隷(セックススレイブ)とされた元従軍慰安婦の証言が抜けている。
いや、単に抜けているということだけではなく、一切見向きもしていない。
安倍政権が行った「河野談話」作成過程検証の報告書、《慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯》(2014年年6月20日報告書公表)には、「河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果について、裏付け調査は行っていない」と書いてあり、しかも検証は日韓間に於ける「河野談話」作成に関わる検証のみで、「検討チームにおいては、慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行っていない」と、従軍慰安婦の存在そのものに関わる事実究明には一切タッチしていない。
いわば「河野談話」作成過程検証チームは「河野談話」作成チームが裏付け調査を行っていなかったことを以って元従軍慰安婦の証言が証明している強制連行その他の従軍慰安婦に関わる様々な事実を無視しているばかりか、検証チーム自体も「慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討」を行わないことで、元慰安婦の証言を無視する二重の無視を行っている。
何度もブログに書いているが、当時日本軍が占領していたインドネシアでオランダ人民間収容所に収容していた20歳以下の若いオランダ人を十数名の日本軍兵士がトラックで乗り付けて拉致同然に連行し、慰安婦に仕立て、売春を強制した事実は戦後現地オランダ軍の軍事裁判に掛けられて主犯格の日本軍将校の一人が死刑の判決を受け、処刑されたことは、関わった日本軍兵士の様々な証言を含めて裁判記録として残されているし、強制的に従軍慰安婦にされたオランダ人女性の証言も残されている。
インドネシアではインドネシア人作家によって数々の聞き取り証言が記録され、日本人も聞き取りを行っている。歴史家の鈴木隆史氏は「私は決してあの苦しみを忘れらない、そして伝えたい」と題して元従軍慰安婦に対して2013年3月と8月に聞き取り調査を行い、紛れも無い強制連行と強制売春等々の証言を得て、記録に残している。
東南アジア社会史研究者であり、慶應義塾大学経済学部名誉教授の倉沢愛子氏は同じくインドネシア女性元慰安婦に対する聞き取りを《インドネシアにおける慰安婦調査報告》と題してPDF記事にしてネットで公開している。
その他台湾やフィリッピン、その他の地域で日本軍によって強制的に従軍慰安婦として狩り出され、セックススレイブとされた女性たちの多くの証言が残されている。
このような多くの証言に共通している構図は日本軍兵士によって身体的強制力を以って連行されて慰安所に監禁され、自由を奪われ、同じく身体的強制力を以って多くの日本軍兵士によって売春させられたという事実である。
単なる偶然の一致かもしれないが、著者の吉田清治自身がフィクションと認めた「吉田証言」に描かれた強制連行と強制売春の構図と共通している。
だが、安倍晋三と稲田朋美、その一派は裁判記録にまで残されているこのような証言を一切無視し、「政府発見資料」には強制連行を示す記述は見当たらなかったことの事実一つを以って従軍慰安婦に関わる全ての事実を否定し、朝日誤報によって日本の名誉が傷つけられたとしている。
さも、「吉田証言」と朝日誤報が従軍慰安婦の事実を歴史上に登場させ、世界に広めて日本の名誉を傷つけたたかのように朝日を非難し、名誉回復を要求している。
「吉田証言」と朝日誤報がなくても、日本軍兵士によって行われた従軍慰安婦に関わる数々の忌まわしい事実は戦争中の歴史に登場し、世界に存在足らしめていたのであり、それが元慰安婦の多くの証言によって戦後の歴史の中で明らかにされたという経緯を取っているに過ぎない。
安倍晋三や稲田朋美一派の数々の証言を無視し、「政府資料」の記述一つを根拠とした日本軍による従軍慰安婦強制連行や強制売春等の事実の否定は、物的証拠がなくても、多数の証言を前に無罪宣告するに似た乱暴な歴史的裁きであり、乱暴な対朝日名誉回復要求としか言い様がない。
戦前日本国家を肯定し、正当化したいがばっかりに従軍慰安婦の否定だけに終わらない安倍晋三や稲田朋美、その一派の数々の歴史の歪曲といったところなのだろう。
その程度の認識能力しかない。
12月20日のブログでは総選挙投開票の翌々日の12月16日に安倍晋三と報道各社幹部との会食を伝えたマスコミ各記事を読んで、マスメディアは国家権力監視を役目の一つとして負い、国家権力に対して一定の距離を置かなければならないのに対して国家権力側はマスメディアを手なづけたい欲求を常に抱え、独裁的国家権力程その傾向が強く、このような関係性から、安倍晋三は元々独裁的体質を抱えていることから、会食は安倍晋三がマスメディアを手なづけたい意思からの行動と見ない訳にはいかないといったことを書いた。
ところが、この報道各社との会食はかなり頻繁に行われていることを知った。
《2年間で40回以上 メディアと首相 危うい夜食会》(TOKYO Web/2014年12月20日)
有料記事で途中までしか読めないが、全文参考引用してみる。
〈衆院選直後の十六日夜、安倍晋三首相が全国紙やテレビキー局の解説委員らと会食した。首相は二年前の就任以来、大手メディア幹部と「夜会合」を重ねている。最高権力者の胸の内を探るのはジャーナリズムの大事な仕事とはいえ、連れだって夜の町に繰り出しているようでは、読者・視聴者から不信をもたれかねない。ましてや相手は、メディア対策に熱心な安倍政権だ。メディアは権力を監視する「ウオッチドッグ」(番犬)と呼ばれるが、愛嬌(あいきょう)を振りまくだけの「ポチ」になっていないか。 (沢田千秋、三沢典丈)〉――
要するに一歩距離を置くのを忘れて、権力監視の役目を麻痺させていないかと警告を発している。
2年間で40回以上。機会的に単純計算してみると、1年間で20回以上。1カ月に1回、あるいは2回の月も8カ月はある計算になる。
マスメディア幹部側から言うと、2度3度と会っているケースもあるはずだ。安倍晋三としたら、懇ろな関係性を見せない幹部とは2度3度とは会わないだろう。見せる幹部とは会う回数が増えるに連れて、懇ろの密度を増していくことになる。
なぜそんなに会う必要があるのだろうか。例え同じ相手ではないケースがあったとしても、いずれもマスメディアの幹部という立場にある人間が国家権力を最高の立場で握っている政治家と頻繁な会食を通して懇ろな関係を築いているということはマスメディアが国家権力に対して一歩距離を置いてそれを監視するという緊張関係を幹部たちは少なくとも会食の場では溶解させていることになる。
懇ろな関係性に向かう程にその溶解度は深まる。
“幹部”とは元々樹木の幹の部分を意味する。そこから物事や組織の基(もと)、中心を指す言葉となった。幹は枝を支える。幹が腐ると、枝から枯れてくる。
なぜなら、幹は栄養を大量に蓄えていて、少しぐらい腐っても見た目は変わらないが、栄養が少ない枝から、少ない分、腐敗の影響が出てくるからだ。
いわば幹部は枝に当たる部下に対して常に模範を示していなければならない立場と責任を負っている。国家権力監視の模範であり、常に国家権力に対して一歩距離を置くことの模範である。
幹部のあるべき模範が崩れた場合、その影響が部下にも現れて、部下が模範としてきた規準そのものが崩れない保証はない。
安倍晋三が12月21日の日曜日に4カ月ぶりにゴルフを楽しんだというネット記事を読み、誰とゴルフをしたのだろうかと「首相動静」記事を見て、部下たちの規準の崩れを疑った。
二つの新聞社のネット記事から見てみる。文飾は当方。
《首相動静―12月21日》(asahi.com/2014年12月21日22時21分)
【午前】7時41分、神奈川県茅ケ崎市のゴルフ場「スリーハンドレッドクラブ」。友人や秘書官とゴルフ。
【午後】2時58分、東京・富ケ谷の自宅。6時55分、東京・赤坂の飲食店「燻」。昭恵夫人、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らと食事。9時50分、自宅。
《首相動静(12月21日)》(時事ドットコム/2014/12/22-00:03)
午前6時43分、東京・富ケ谷の私邸発。同7時41分、神奈川県茅ケ崎市のゴルフ場「スリーハンドレッドクラブ」着。友人や秘書官とゴルフ。
午後1時50分、同所発。
午後2時58分、私邸着。
午後6時38分、私邸発。
午後6時55分、東京・赤坂の飲食店「燻」着。昭恵夫人や友人と食事。
午後9時31分、同所発。
午後9時50分、私邸着。
22日午前0時現在、私邸。来客なし。
「asahi.com」記事と「時事ドットコム」記事両方共、安倍晋三のゴルフ相手を全く同じ言葉で紹介、実名は記されていない。
この両方の「首相動静」記事を読んで部下たちの規準の崩れを疑ったのは、以前は実名で報道していたからだ。
4カ月前の多数の死者を出した広島土砂災害当日の、一報を受け取りながら予定通りゴルフを行った2014年8月20日と、2014年4月11日から4月13日にかけて熊本県多良木町の養鶏場で飼育中のニワトリ5万6000羽のうち約1100羽 が大量死し、県が鳥インフルの疑いで自衛隊の出動要請までして殺処分に入った4月13日の、やはり一報が既にゴルフのプレーを始めていた安倍晋三のところに入りながら、首相官邸に幾つかの指示を出しただけでプレーを続行した「首相動静」記事を時系列で見てみる。
但し「時事ドットコム」の「首相動静記事」は6月24日分までしか記載されていない。
《首相動静―4月13日》(asahi.com/2014年4月13日19時46分)
【午前】7時20分、山梨県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」。ヒッチンズ駐日英大使、日枝久フジテレビ会長らとゴルフ。
【午後】2時42分、報道各社のインタビュー。4時50分、公邸。51分、農水省の小林消費・安全局長。57分、外務省の斎木事務次官、杉山外務審議官、上月欧州局長。6時11分、東京・富ケ谷の自宅。
《首相動静―8月20日》(asahi.com/2014年8月20日20時25分)
【午前】7時26分、山梨県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」。森喜朗元首相、茂木経産相、岸外務副大臣、加藤官房副長官、萩生田光一自民党総裁特別補佐、山本有二同党衆院議員、笹川陽平日本財団会長、日枝久フジテレビ会長とゴルフ。9時22分、同県鳴沢村の別荘。10時59分、官邸。11時、危機管理センターで古屋防災相、西村内閣危機管理監。菅官房長官同席。23分、報道各社のインタビュー。
【午後】0時44分、北村内閣情報官。2時1分、公邸。5時19分、西村内閣危機管理監。7時42分、別荘。
《首相動静(8月20日)》(時事ドットコム/2014/08/21-00:04)
午前7時22分、山梨県鳴沢村の別荘発。同26分、同県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」着。森喜朗元首相、茂木敏充経済産業相、岸信夫外務副大臣、加藤勝信官房副長官、萩生田光一自民党総裁特別補佐、山本有二同党衆院議員、日枝久フジテレビ会長、笹川陽平日本財団会長とゴルフ。
午前9時19分、同所発。同22分、別荘着。
午前9時41分、別荘発。
午前10時59分、官邸着。
午前11時から同22分まで、危機管理センターで古屋圭司防災担当相、西村泰彦内閣危機管理監。菅義偉官房長官同席。同23分から同24分まで、報道各社のインタビュー。「広島市の土砂災害で政府の対応は」に「政府一体となって、救命救助の対応に当たるように指示を出しました」
午後0時44分から同1時22分まで、北村滋内閣情報官。
午後2時、官邸発。同1分、公邸着。
午後5時19分、西村内閣危機管理監が入った。
午後5時44分、西村氏が出た。
午後5時54分、公邸発。
午後7時42分、別荘着。
21日午前0時現在、別荘。来客なし。
「asahi.com」記事も「時事ドットコム」記事もゴルフ相手を実名で報道している。このように実名を伝える慣習から、記載されていない「時事ドットコム」の2014年4月13日の「首相動静」記事にしても実名を伝えていたはずである。
だが、この慣習は12月21日の「首相動静」記事では途絶えている。いわば自分たち新聞社の慣習に齟齬を来した非実名報道となっている。相手が誰か、特定していないままに動静記事を書くことはないはずである。
知ることは知っても、それを重要ではないという理由で伝えない、あるいは何らかの不都合から意図的に隠すということもあるだろうが、事実を知ろうとする姿勢は、そして知って、それを伝えようとする姿はそれが重要であろうとなかろうと、あるいはどんなに些細な事実であったとしても、常に変わらない姿勢として頑なに保持していなければならないからだ。
もしそのような姿勢を一時的にでも失ったとしたら、あるいは自ら放棄したとしたら、報道に携わる者としての資格を失うことになる。
4月13日も8月20日もマスメディア関係者として日枝久フジテレビ会長の名前が挙がっている。12月16日の報道各社幹部との会食では日枝久の名前は出ていないが、報道各社幹部との会食に続いてゴルフでも報道関係の誰かがプレーに関係していたなら、マスメディア関係者と2年間で40回以上もの会食という事実を国民に知られているだろう点からしても、安倍晋三とマスメディア関係者の親近性が権力監視の観点から好ましいこととは映らず、疑われることになって、安倍晋三にとっては都合のいい事実とはならない。
「友人」が誰か、マスメディアが伝えなければ、真相は分からないし、実名報道の慣習を破って非実名報道としたことの真相も分からない。
だが、国家権力側の安倍晋三にとって不都合な事実をマスメディアにとっても同じ不都合な事実として自主規制に出て意図的に隠したとしたら、あるいはは首相官邸から遠回しの要請があって、それに従って意図的に隠したとしたら、国家権力監視の役目を放棄することになるマスメディアと国家権力の癒着の始まりとならない保証はない。
いや、国民の目の届かない場所で既に始まっているのかもしれない。
国家権力に対する一つの迎合が、それが弱みとなって次の迎合を呼ぶことになるだろう。
国家権力の不都合をマスメディア側が共通の不都合とする利害の一致が両者間に生じて伝えないことを慣習とした場合、あるいは捻じ曲げて伝えることを慣習とした場合、断るまでもなく国民の知る権利が崩壊の危機を迎えることになる。
戦前の日本の二の舞いを迎えかねない。