(お断り)麻生内閣が支持率を下げる程に元気が出ていいはずなのだが、年齢が原因なのか、最近集中力をなくし、人生、倦怠期に入ったようです。今年はこの記事を最後に、来年は5日から始めます。元々少ないアクセス数に合わせて、3~4日間隔のペースに落とします。よろしく――
「麻生太郎です。麻生内閣成立の暁には臨時国会の冒頭、堂々と私とわが自民党の政策を小沢民主党代表にぶつけ、その賛否を質したうえで国民に信を問おうと思います」
「麻生太郎です。麻生内閣成立の暁には私は決断する。本来なら内政外交の諸課題にある程度目鼻を付け、政党間協議の努力も尽くした上で国民の信を問うべきかもしれない。だが、政局優先の姿勢を崩さない民主党を前にして、強い政治を取り戻す発射台として、まず国民の審判を仰ぐのが最初の使命だと思う」
「麻生太郎です。麻生内閣成立の暁には国民の信を問うべき総選挙は私と小沢氏のどちらがそれに足る国のトップリーダーなのかを国民に審判していただく戦いです。世論調査では次の首相に誰がふさわしいかで常に私、麻生太郎が2倍以上の差をつけている。小沢氏に言いたい。堂々の戦いをしようではないか」
「麻生太郎です。国民の審判をいただいた上で直近の民意を背景に政党間協議を主導し、安倍元首相も福田前首相もなし得なかった不毛な対立に終止符を打つことを、この麻生太郎がお約束します」
「麻生太郎です。私は逃げない。勝負を途中で諦めない。強く明るい日本を作るために」
(以上≪冒頭解散考えてた 月刊誌に首相寄稿、情勢変わり修正≫(「asahi.com」/2008年10月9日23時37分)から脚色。)
「麻生太郎です。100年に1度と言われる経済危機を迎えて、政局よりも経済です。選挙している余裕はありません。森フィクサー・ドン元首相に『福田さんは国民受けする話し方はしない。無味乾燥な話より麻生さんの面白い話が受けるに決まっている』と言わしめたこの麻生太郎の国民的人気からして、まさか麻生内閣成立直後の世論調査が福田内閣成立直後の世論調査よりも支持率を低くつけるとは予想もしていませんでした。福田では選挙は戦えないと政権を投げ出したのに、支持率が福田以下ではこの麻生太郎だって選挙は戦えない。政局よりも政治です。経済です」
「100年に1度と言われる経済危機」が麻生太郎を助けるためにだけやってきた。麻生太郎を首相の首につなぎとめておくだけのためにアメリカ発で日本に上陸した。だから麻生太郎は嬉しさのあまりと選挙逃れの正当化のために、「100年に1度と言われる経済危機」を連発する。
その煽りで、非正規労働者が次々と首を切られることとなった。「定額給付金」だ、「生活防衛対策」だ、「生活対策」だと次々と政策を打ち出してはいるが、首をつなぎとめることのできる有難さが勝った対策に過ぎないから、場当たり、思いつきのバラマキで終わっている。
「麻生太郎です。一部には、選挙だ、連立だ、政界再編だといった議論があるのは承知していますが、100年に1度と言われる経済危機のまっただ中で、そんなことを言っている場合ではないし、あり得ません。この麻生太郎が言うのだから、間違いはありません。ここで選挙をやったら、首相でなくなっちゃうじゃないですか。自民党政権を手放した首相だと名を歴史に刻むことになる」
「麻生太郎です。100年に1度と言われる経済危機から私は逃げない。勝負を途中で諦めない。強く明るい日本を作るために」
「『生活防衛のための大胆な実行予算』。私は09年新年度の本予算を、こう呼びたいと存じます。世界が100年に1度と言われるような不況に見舞われています。異常な経済には異例な対応が必要です。日本もまた、この世界不況の津波から逃れることはできません。この不況こそがこのような大胆な予算を組むチャンスを与えてくれました。そう、この不況は“チャンス”なのです。予算を組めるチャンス。予算を組めるとは政権を維持している何よりの証拠であり、首相であることの証明。選挙はそれらを喪失するチャンスとなり得る」
「麻生太郎です。麻生内閣の支持率が景気悪化のスピードに優るスピードで下げています。支持率は気にしていません。支持率から私は逃げない。勝負を途中で諦めない。支持率よりも景気対策です。強く明るい日本を作るために。大胆な景気対策を打つことで、世界で最初にこの不況から脱出することを目指します」
「麻生太郎です。経済も貿易も金融も政治も外交もアメリカにおんぶに抱っこの日本だから、アメリカが立ち直ってくれなければ日本の景気再生はあり得ません。アメリカが一刻も早く不況から立ち直ることが何よりも一番望まれますが、日本は麻生経済対策のもと、アメリカよりも早く世界で最初に100年に一度のこの大不況から脱出します。日本が外需中心の産業構造だからこそ可能な世界に先駆けての景気回復です。アメリカに先んずる不況からの脱出です。世界で最初に100年に一度の不況から脱出した日本の首相として、この麻生太郎の名は世界に記憶されるでしょう」
「麻生太郎です。所信表明演説では『私、麻生太郎は』と麻生太郎なのは誰でも分かっているのにわざわざ『麻生太郎』だと断り、アキバでの凱旋演説でも『今晩は麻生太郎です』と他の誰でもない麻生太郎であることを印象づけていましたが、最近やめたのは支持率低下で麻生太郎と名乗る意味を失ったからではありません。わざわざ『麻生太郎です』と名乗らなくても、麻生太郎である存在感を国民のみなさんすべてにご理解いただけているからです。名乗る意味を失えば、その存在感はあってもなきが如し、その存在自体が意味を失う。私の場合は名乗らずとも存在感ありの日本国総理大臣です。100年に一度と言われる経済危機から決して逃げません。政局よりも景気対策の麻生太郎です。私自身の気持ちとしては衆議院議院の任期一杯まで選挙を持ち越して、せめて在任期間が短くなるのを防ぎたい。いや、任期自体を永遠に無視したい。政局より景気対策です」
「100年に一度と言われる経済危機」が麻生の首をつなげ、「100年に一度と言われる経済危機」が非正規労働者を生活危機に陥れる。「100年に一度と言われる経済危機」が助かる者と助からない者を振り分ける。
「アキバが生んだ総理大臣」――「私、麻生太郎です」
08年12月17日の「サンスポ」記事≪橋下知事、文科省を「バカ」連呼で猛烈批判≫が橋下大阪府知事の対文科省「バカバトル」を次のように伝えている。
文科省が来年のテスト実施要領に「市町村別の成績は必要ないという都道府県教育委員会には特定のデータを提供しない」との内容を盛り込むことを検討していることに対して、「教育委員会の要請があれば(データを)出さない、と責任をなすり付けている。文科省のバカさ加減に感心する」と記者会見で批判。何度も「バカ」と繰り返したと。
「府教委が『データは要らない』と言うと思っているのか。文科省は本当にバカだ。バカですよ。感心するくらいバカだ。・・・日本の教育のためには(文科省の)官僚は全部入れ替わった方がいい」
対して国の教育を預かる塩谷文科相「テストは学力の把握が目的で公表は目的ではない」
この文科相の批判と橋下知事の再反論を12月16日の「NHK」インターネット記事≪橋下知事 文科相発言に再反論≫で見てみると、
塩谷文部科学大臣「過去に成績を序列化した際、成績の悪い人を休ませたり先生が答えを教えたりする事態が起きて失敗し、テストをやめた経緯を知らないのではないか」
橋下知事「大半の市町村別データを公表した大阪で過度な競争や序列化になっているか、大臣にはきちんと説明したいし、そういう問題は起きていないと思っている」
「かつてのまちがいを引きずったまま、何もやらないというのでは光は見えないが、大阪はそこを乗り越えようと取り組んでいる。今回の件では行政の諸悪の根源を見せつけられた」・・・・・
橋下知事は「大半の市町村別データを公表した大阪では過度な競争や序列化になっていないと思っている」と言っているが、全国の小学6年生と中学3年生約232万人を対象とした「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)が今回行われたのは08年4月22日、都道府県の順位と平均点を公表したのが08年8月29日。昭和30年代の学力テストで自治体間や学校間の競争が過熱した反省から、文部科学省は市町村別や学校別のランキングは公表せず、都道府県のデータ公表にとどめたという(「msn産経」)。
大阪府が成績を開示したのは2カ月前の10月16日、府内43市町村のうちの32市町で、公表について態度を決めていない11の自治体については非開示扱いしたと「毎日jp」記事(08年10月17日)が伝えている。
いわば府内43市町村のうち11市町村を残して32市町の自治体の成績を開示して2カ月経過したのみで、「過度な競争や序列化になっていないと思っている」と言っている。
その後府内すべての自治体で開示したのだろうか。だとしても、最初に一部公表した時点から、たった2カ月という時間経過に変りはない。
前回のテストですべての分野で平均正答率が41~45位と低迷した大阪府の成績に対して橋下徹知事は「教育委員会には最悪だと言いたい。これまで『大阪の教育は…』とさんざん言っておきながら、このザマは何なんだ」と府教委を厳しく批判した(「msn産経」)ということだが、「このザマは何なんだ」と罵られたテストの点のみに関する教育無能力の責任は各市町村教委及び所属市町村立小・中学校に降りかかってくるわけで、なお且つ成績開示を受けた32市町村及び市町村立小・中学校の殆どは「このザマは何なんだ」を確認する開示でもあったろうから、その責任の回復(「このザマ」からの脱出)は来年の学力テスト成績で証明するしかないのは分かりきったことで、各市町村教委及び所属市町村立小・中学校は当然テストに出た問題の傾向を研究して、そのことに重点を置いたテストの点を上げ、順位を上げるためのテスト教育に力を注がざるを得なくなる。
そのキッカケをつくったのは文科省の都道府県別の順位と平均点の公表であり、橋下府知事の「このザマは何なんだ」であろう。
そして次回テストの成績公表を受けて、順位の上がり具合で学校・教委の責任がどの程度果すことができたか、果たせなかったかが判明する。大阪府教委が再び橋下府知事から「このザマは何なんだ」と罵られるかどうかも順位が決める。
順位が上がればさらに上の順位を目指し、順位が下がったなら、それ以上下がらないために力を注ぐ。教委・学校共に常に順位の圧力を受けることとなって、その強迫意識から順位を中心に学校教育が動く。責任の有無は順位が決定権を握ることとなる。
教育の目標が順位に向けられることになれば、当然の結果として学校教育は順位競争を自己目的化することになる。
塩谷文科相が言った、「過去に成績を序列化した際、成績の悪い人を休ませたり先生が答えを教えたりする事態が起きて失敗し」たという状況は自己目的化した順位競争を背景として起こる事態であって、そのことへの懸念であろう。
成績発表を受けて既にそれぞれの学校現場内では特別補習だ何だと順位を上げる、あるいは上位学校は順位を維持することのみを目標としたテストの成績底上げの授業が始まっているかもしれないが、学校間の「過度な競争や序列化」が表に現れるのは改めて順位を知ることになる1年後、さらに2年後であって、年を追うごとにそれが加速していった場合、学校教育が順位競争を自己目的化した泥沼ににっちもさっちもいかない状態ではまり込んでいることが疑いようもなく判明することになる。
それを都道府県別の順位公表から4カ月、府知事が府内43市町村のうちの32市町で市町村別の成績を開示してから2カ月しか経過していないにも関わらず、橋下府知事は「過度な競争や序列化」は起きていないと言う。自分自身がテストの成績の順位を都道府県間及び学校間の学力を計る基準とし、その順位を以って教委・学校の教育責任の基準とした以上、学校教育を順位を中心に動かしめ、順位競争の自己目的化に向けて既にムチを振るったことになるのだが、そのことに考え至らない客観的認識性を欠いた物言いはさすがだと言いたい。
大体が「バカ呼ばわり」は自己を絶対善と位置づけることによって成り立つ。08年10月28日投稿の当ブログ≪橋下府知事光市母子殺害弁護団懲戒請求に見る独裁者キャラ≫で次のように書いた。
<元々自信過剰の性格なのではないのか。それがタレントで人気を獲得し、その虚名で大阪府知事に若くして大量票を獲得して当選したが、実力だと思い込んだがために手に入れた府知事の権力を自らがつくり出したものとし簡単に自己をより絶対化させてしまった。マスコミがチヤホヤすることもあって、自信過剰が膨張し、自己の絶対性に大確信を持つに至った――自分自身を絶対的存在、絶対的正義の存在とするあまり、独裁的になっていることに気づかない。
自己を絶対化・正義化する人間は必然的に独裁化する。独裁性が主たる人格となる。何しろ自己は間違うことのない絶対的人間、正義の人間、王様だと看做しているのだから、自分のどのような判断も正しいということになるからだ。
自分のどのような判断も正しいということになれば、その絶対値に逆らう判断は橋下にとってはすべて排除すべき間違った主義主張となる。>・・・・・
最後の一節は次のように書き換え可能となる。
<自分のどのような判断も正しいということになれば、その絶対値に逆らう判断は橋下にとっては「バカ」ということになる。>・・・・・
今回実施(08年4月22日)の「学力テスト」の小学校の成績は一昨年の前回と同様に秋田県がすべてで1位を占めた。2年連続の小学校1位である。その秋田県が25日、一昨年と今年の全国学力テストの秋田県内の各市町村別平均正答率などのデータを公表した。
大阪府が情報公開請求に応じる形で市町村別のデータを一部公開しているが、県内すべての市町村のデータを公表したのは秋田県が全国で初めてだと25日夕方7時からの「NHKニュース」が伝えていた。
ニュースは先ず街の声を拾っていた。
女の子連れの若い母親「いいと思いますけれどもねえ。特別隠す必要もないし――」
中年男性「子供たちにあんまり差をつけちゃあいけないからね、あんまりそういうことをしない方がいいと思うな――」
30代後半(?)女性「学力を向上させるためには、ある程度いいと思う」
公表に踏み切った秋田県寺田知事「私は純粋に公表することはですね、エー、秋田県の教育向上につながると思って、そういう一途にものを考えて、公表させていただいています。公教育はプライバシーを除いて私は公開は基本だと思います」
公表に反対の教委の意見。
八峰町千葉良一教育長「まさか公表されるとは思っていなかったんで、そういう点ではちょっと、動揺しています。公表されたってことは非常に残念だなと、率直にそう思いますけども――」
秋田市高橋健一教育長「数字が一人歩きをするということを、大いに懸念をせざるを得ない。序列化や競争激化と、いうことで、教育現場に対してはいい影響を与えない。平均正答率の公表は、好ましくない、すべきではない――」
こういった反対の指摘に対する寺田知事の主張。
「子供たちにとって序列化、過度の競争とかってことについてですね、私はそれはないと思っています。他の市の良さ、よその学校の良さ、をですね、理解してですね、自分たちの教育の向上につなげることが私は、あのー、やるべき姿だと、思っていますが――」
「市町村別データを公表した大阪で過度な競争や序列化になっているか、そういう問題は起きていないと思っている」とする橋下府知事と同じ考え・同じ主張に立っている。確かに公表したくらいで「子供たちにとって序列化、過度の競争」はないかもしれないが、それが子供発ではなくても、全国学力テストの成績を各学校間の学力の指標とする以上(都道府県別順位の公表によって秋田県は小学校の成績で2年連続1位だと既に指標化を受け、なぜ1位なのかの分析が始まっている。)、親発、学校発のそれぞれに教育責任を負う立場もあってより上の指標に向けた成績欲求は抑え難く、「序列化・過度の競争」を必然化する可能性は限りなく大で、そうなった場合、子供も巻き込まれて当事者の立場に置かれることになるが、そうなるとは考えられないらしい。
何しろ教委にしても学校・教師にしても、また親にしても教育に向けた責任は子供のテスト能力を介したテストの成績で評価する基準をそもそもから設定済みで、自分の子供は自分の子供ですという態度を取れない裏返しなのだが、その基準を文部科学省が全国一斉の学力テストを行って都道府県別順位でその成績を公表することによって都道府県(=全国)に広域化した指標としてしまったのだから、少なくとも大学入学を迎えるまではそれぞれのクラス内、あるいは学校内で済んだ順位競争が全国を点取り合戦の戦場とすることとなり、そこに直接立たされる子供たちを「序列化・過度の競争」に否応もなしに巻き込まずには済むはずはない。
寺田知事の「他の市の良さ、よその学校の良さの理解」とは、成績順位の高い市、学校はどういう授業を行っていて、テストの成績向上にどう役に立っているかといったことに視点を置いた「良さ」であり、その範囲内の「理解」に成績公表が役立つと言っているに過ぎない。小学校2年連続1位の余裕からの態度でもあるだろうが。
大体が定期的なテストの成績で測る学力とは真の学力と言えるのだろうか。あるいは定期的なテストで生徒の学力のすべてを測ることができるのだろうか。学力とは学校の授業によって身につける知識だけではなく、社会が様々に伝える情報の中から自分のものとした知識を応用して新しい知識・情報へと向けて創造し、発展させる能力をこそ言うはずである。
だが、教師が与え育む学力はテストの回答に役立つだけのことにとどまっている。このことは経済協力開発機構(OECD)実施の国際学習到達度調査(PISA)といった国際テストで日本の生徒の読解力や思考力、文章表現能力の欠如が常に指摘されることが証明している。
与えられた知識を応用・発展させ、創造していく学力に欠けるとされているのである。文部科学省が12月22日に高校の新学習指導要領案を公表したが、12月23日付の「毎日jp」記事は、経済協力開発機構(OECD)が実施する国際学習到達度調査(PISA)で明らかとなった、日本の生徒は「覚えた知識を取り出す力はあっても、セオリーに当てはまらないひねった問題は苦手」という結果を示すこととなった成績が大きく影響した「思考力や表現力の養成を重視した」改定だと解説している。
「覚えた知識を取り出す力」と「思考力や表現力」の二つの能力を相互に相反する能力として把え、欠けているとする「思考力や表現力」により重要性を与える高校新学習指導要領案となっているとの指摘である。
「覚えた知識を取り出す力」とは知識を暗記したままの段階に踏みとどまらせていて、暗記したままの状態で活用する限定的な能力のことを言うはずである。暗記した知識をテストの設問に暗記したままの形で機械的に応用し、機械的に当てはめる能力は備えているが、新しい知識に向けて創造的に応用し、創造的に発展させるプロセスを欠いているがゆえに「思考力や表現力」に進化することもなく、その養成に重点を置かなければならないということであろう。
だからこそ小・中学校の全国一斉テストで基礎学力・基礎知識を問う「A」問題と読解力や思考力、文章表現能力等へと活用できているか否か、その活用力を問う「B」問題とに分けて試験を行い、より成績の劣る後者により重点を置くことになっている。
またゆとり教育の導入で授業時間を減らし、それに合わせて教科書を薄くした結果、学力の低下を招いたことにも、その学力が真の学力ではなく、機械的に植えつけた暗記学力であることを証明している。
譬えて言うと、5あった授業時間を3に減らした。それで学力が落ちたということは、1+1+1+1+1=5と1を機械的に5個積み上げる授業だったからであろう。3に減らした結果、1+1+1=3のやはり1を3個機械的に積み上げる授業しかできなかったことが逆に5-3=2の学力が落ちたということではないのか。
いわば1+1として与えた知識が生徒に考えさせ、発展させてイコール2にも3にも4にもなる構造の創造性を植えつける授業となっていたなら、授業時間が3に減っても、1+1+1=3が4にも5にも6にもなったろうから、5より落ちないはずである。
1を授業時間に合わせて単に機械的に積み上げていく授業形式の知識授受とはなぞることを基本原理とした暗記教育だからこそ可能となる。
文部科学省は22日に発表した高校の新学習指導要領案で英語の授業に関して基本的に英語で行うと規定し、「使えない英語」から「使える英語」へとの転換を図る方針を打ち出した。
中学、高校、大学と10年通して英語の授業を受けながら、殆どの生徒が「使えない英語」であったこと自体が発展への有機性を持たない、当然新たな創造に向かうことのない、単になぞってテストの回答で終わらせてきた学力に過ぎないことを物語っている。
このことは「使えない英語」だけの問題ではない。国語も社会も歴史も数学も知識がそれぞれの科目だけの暗記学力(=暗記知識)にとどまっていて、相互につなげ、応用と発展を経て創造的な学力・創造的な知識へと高まることがなく、いわば「使えない知識」となっているからこそ、「思考力や表現力」に欠けるという状況を招くこととなっている。
このことの分かりやすい証明として、元タレントの飯島愛(36)が東京都渋谷区のマンションで今月の24日に死因不明で死亡していたことから思い出したのだが、出演していたフジテレビ系番組「ウチくる!?」の飯島愛は芸能界引退のために2007年4月8日放送分を以って降板、NHK出身の久保純子(36)が後釜に坐ったが、機知、機転、アイロニー、ユーモアの点で飯島愛は久保純子を遥かに凌いでいた。
学校教育から得た学力という点では「Wikipedia」を参考にすると、久保純は小学校4年間をイギリス、高校時代をアメリカで過ごし、東京都立調布北高等学校入学後、ウィスコンシンの高校を経てニューヨークパイオニア・セントラル高校、上智大学比較文化学部比較文化学科を経て、慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。1994年にNHKへ入局という経歴が示すようにホステス出身らしい飯島愛よりも遥かに上を行くだろうが、小・中学校、あるいは高校を通して(高校を卒業しているのだろうか)社会や周囲の人間が発信する情報から学び、それを発展させて自分の言葉(=自分の情報)へと応用し創造する学力の点では飯島愛の方が遥かに上回り、久保純子が自らの高い学歴に反して十分に「使える日本語」を駆使しているとは言えないのに対して、十分に「使える日本語」を話していた。
このことは私一人の感想ではなく、多くの視聴者、さらに番組スタッフが共有していた感想であろう。
飯島愛が降板するまでは中山秀正と二人でゲストを向かえてトークショーを繰広げていたが、久保純子が07年4月15日放送分から出演、その半年後の10月7日放送分よりお笑いタレントの青木さやか司会側に加わったと「Wikipedia」に書いてあるが(私は久保純子に代わって何回か観た後、殆ど観なくなった)、久保純子一人では飯島愛一人分の役を果たしていなかったことの措置からだろう。少なくとも飯島愛と同等、あるいはそれ以上の機知、機転、アイロニー、ユーモアを発揮して場を盛り上げ、視聴者を喜ばせていたなら、もう一人を必要としなかったはずだからである。
かくかように学力とは学校教育が与える知識を言うとは限らない。それが暗記学力に踏みとどまったままなら、学力とは似て非なるものに過ぎないだろう。
上記NHKニュースで街の声として母親たちが秋田県知事の成績の公表を「学力向上のためにはいい」と答えているが、その学力が単に暗記能力を試す学力――「覚えた知識を取り出す力」に踏みとどまった学力に過ぎないことに気づいていないことがそもそものボタンの掛け違いとなっている。
尤も暗記学力であっても、兎に角高校を出て大学に進学し、大学卒業後に成績に見合った会社に就職できれば問題はないとするなら話は別である。文部科学省はそれでいいかどうかの統計を取って、それでいいとする意見が多数を占めたなら、読解力に欠けるだの、思考力に欠けるだのはやめた方がいいかもしれない。
言われているところの学力が応用・発展させることができ、創造的な読解力や思考力、文章表現能力に結びつく学力であるなら、全国一斉・一律の試験で試す必要もそもそもからしてないだろう。試さずとも、生徒は教師のアドバイスを受けて自ら応用・発展させて、自らの知識を創造していくだろうから。
そのように仕向けた教育とはなっていないから、全国一斉・一律のテストが必要となる。
また、生徒たちの学力が全国的に統一的な暗記学力だからこそ、全国一斉テストが可能となる。もしそれぞれの学校がそれぞれに独自の教育を行ない、それぞれに独自性を持ち得ていたなら、一律性から離れるゆえに全国一斉学力テストでは学力は測ることができなくなる。
それが北は北海道から南は沖縄まで、簡単に一斉テストで一律的に測ることができる学力となっている。
いずれにしても大阪府の橋下知事や秋田県の寺田知事のように学力テストの各市町村別平均正答率データを公表するのが「過度な競争や序列化」を招くこととなる「バカ」な遣り方なの、「過度な競争や序列化」は丸っきりの杞憂に過ぎず、公表すべきでないとする文科省が「バカ」なのかどちらがバカであっても、どちらもバカであっても構わないが、先ずは文科省が全国学力テストの都道府県別成績を公表することでそれぞれの成績を都道府県単位の各学校間の学力の指標としてしまったパンドラの箱を開けてしまった以上、だから橋下府知事の「これまで『大阪の教育は…』とさんざん言っておきながら、このザマは何なんだ」の罵りがあるのだが、例え文科省が来年のテスト実施要領に「市町村別の成績は必要ないという都道府県教育委員会には特定のデータを提供しない」方針を確定したとしても、各学校共に“指標”から受ける学力向上の強迫意識に囚われて生徒をしてテストの成績底上げの尻を叩くことになるだろうから、ただでさえ日本の教育が暗記教育であることから欠いている生徒たちの自発的学びの姿勢を身につけさせる機会は限りなく期待不可能な獲得に向かうに違いない。
自発的学びとなっていないからこそ、日本の生徒の国際比較した場合の学習意欲が低い数値となって現れる。「国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)」で分かったこととして、成績の良い国ほど勉強を面白くないと思う傾向にある(「YOMIURI ONLINE」)ということだが、勉強がテストの成績を上げるための強制的なものとなっている、あるいは自分からそう仕向けていることの証明ではないだろうか。
暗記教育は生徒が暗記することに忠実でありさえすれば、テストの成績は上がる。その機械性のみが必須条件となり、知識の創造的な応用も発展も活用も必要条件とはしない。
裁判員制度は法律自体の施行は来年(09年)5月1日からだが、実施はその2ヵ月後の7月下旬からだという。
最高裁が来年1年間の裁判員候補者約29万5千人に辞退の希望などを確認する調査票を11月28日に一斉に送付、該当する項目がない場合は返送する必要がないとしているのに対して4割に当たる約11万8500人から返送があったと「asahi.com」が12月20日伝えていた。
全部が「辞退希望」なのかどうかは年明けからの内訳の集計と2月下旬の整理を待って判明するらしい。
その多くが「辞退希望」のように思えるが、12月20日の「毎日jp」記事は見出しで≪裁判員制度:候補者の3人に1人「辞退したい」≫と早々に「辞退希望」に入れている。
いずれにしても回答しなかった17万6500人が裁判員を承諾したことになる。許される辞退理由は上記「asahi.com」記事が、<(1)病気や高齢など1年を通じて認められる辞退の理由があるか(2)1年間のうち特に忙しいため裁判員になることを避けたい月があるか>などとしている。
但しこの記事からは17万6500人の裁判員承諾者のうち、進んで承諾したのか、辞退できる理由を持たないために止むを得ず承諾としたのか、積極的参加者か消極的参加者かの比率は見えてこない。
06(平成18)年12月に内閣府が行った「裁判員制度に関する特別世論調査」による「裁判員制度における刑事裁判への参加意識」は次のようになっている。
●該当者数1795人
●「参加する」(小計)65.2%
「参加したい」5.6%
+
「参加してもよい」15.2%
+
「義務であるなら参加せざるを得ない」44.5%
●「義務であっても参加したくない」33.6%
●「わからない」1.2%
この調査に於ける積極的参加者は「参加したい」の5.6%+「参加してもよい」の準積極的参加者の15.2%を含めて20.8%のみで、この数値を最高裁が調査票を送付した総数29万5千人に当てはめてみると、6万人強で、消極的参加者である「義務であるなら参加せざるを得ない」の44.5%は約13万1千人。合計すると19万1千人と回答返送のあった約11万8500人を引いた未回答の裁判員承諾者17万6500人に近い数字を得ることができる。
「義務であっても参加したくない」の33.6%を調査票を送付した総数29万5千人に掛けてみると、9万9624人となって、回答返送のあった約11万8500人から引くと、その答の約1万8千人が辞退できる理由を持たないために止むを得ず承諾して、「参加せざるを得ない」方向に移動した――未回答を選択したということではないだろか。
整理すると、最高裁が調査票を送った29万5千人のうちの裁判員承諾の17万6500人の内訳は、積極的参加者が約6万人強のみで、仕方なしの消極的参加者が「義務であるなら参加せざるを得ない」の44.5%の約13万人と「義務であっても参加したくない」33.6%から辞退できる理由を持たないために止むを得ず承諾して「参加せざるを得ない」方向に移動した1万8千人を合計した14万8千人といったところではないだろうか(計算方法が間違えていたらゴメンナサイ)。
何という非積極性と言うべきか、評判の悪さと言うべきか、80%近い人間が裁判員アレルギーにあると言える。
これが戦前の出来事で「お国のためだ」と言われたなら、内心厭々でも、拒否する者は健康に問題がない限り一人として出てこないに違いない。健康に問題があって国の要請に応えられなかった者は「お国のために我が身を役立てることができなかった」と自らを恥じたかもしれない。中には自分を非国民と貶めたり、不特定の第三者からも非国民の謗りを受けた可能性も生じる。
だが、戦後、民主主義の世の中となった。国家権力による有無を言わせない強制力は排除された。とは言っても、会社勤めをしていて、経営者がワンマンで常々「国民の義務として喜んで引き受けるべきだ」と言っていたなら、私は断りますと正々堂々と宣言できる者がどれ程いるだろうか。
例え内心は引受けたくないと思っていても、多くが自己保身上ウケをよくするために経営者の意を迎えて「当然、積極的に引受けるべきです」と同調するのではないだろうか。例え民主主義の世の中になったといっても、権威主義的行動様式から完全に免れているわけではないから、心理的な強制が働いただけで自己判断を捨てて追従(ついじゅう)の方向への意識が働く。
マスコミが最高裁の調査票送付の回答状況を伝えたのは12月20日だが、翌12月21日の「asahi.com」記事≪裁判員候補3人、制度反対訴え実名会見「裁きたくない」≫が裁判員候補者に指名された3人の裁判員にはなりたくないとする記者会見を都内で開いたと報じている。
主催者は弁護士や学者らが呼びかけてできた団体「裁判員制度はいらない!大運動」で、3人はいずれも60代の男性、裁判員法は罰則規定はないものの裁判員やその候補者について名前や個人を特定する情報を公開してはならないと定めているが、それを敢えて侵す実名で記者会見に臨んだと言う。
3人の理由と「大運動」事務局長の佐藤和利弁護士の言い分を列記してみる。
会社員「人は裁かないという信条を持っており、裁判所から呼ばれても裁判員になることは拒否する」
元教員「通知はそのまま最高裁に送り返した。残りの人生はつつましく暮らしたいと思っており、いまさら人を裁いて嫌な気持ちを抱いてあの世に行きたくない」
ITコンサルタント「法律の目的も理解できず、国会で真剣に議論されたかも疑問だ」
佐藤和利弁護士「私たちは制度自体が違憲だと思っており、あえて候補者が実名で会見することで制度廃止を求める声を表に出したいと考えた」
3人のうちのITコンサルタントを除いた2人は自らの思想・信条に立った拒否となっている。
憲法で保障している思想・信条の自由ではあるが、精神的な自己利害が深く関係した2人の思想・信条であろう。元教員の「残りの人生はつつましく暮らしたいと思っており、いまさら人を裁いて嫌な気持ちを抱いてあの世に行きたくない」などというのはまさしく精神上の自己利害を前面に押し出した主張となっている。
完璧に正当な裁きというものは存在しないかもしれないが、犯罪者を裁くという行為は社会の秩序を維持する行為でもある。人に迷惑をかけるいたずらや悪いことを行った子供を叱るのも、広義に解釈するなら、裁く意味を伴った社会秩序維持行為であろう。
犯罪を構成することによって社会的な治安を乱した者を社会の秩序維持のために罰する“裁き”に自ら関わり、微力ながら秩序維持に協力することが、なぜ「嫌な気持ち」を誘うことになるのだろうか。
それとも人任せでいい、自分だけが秩序が維持された心穏やかな安全地帯に生活でき、嫌な気持ちを抱かずにあの世に行きたいということなのだろうか。
「人は裁かないという信条を持」ち続けることができる人生に恵まれた者は幸せである。凶悪な犯罪の被害に遭い、無残にも生命(いのち)を絶たれた者の家族――無謀な飲酒運転によって自動車事故に遭い、殺されていった者たちの親や性犯罪被害に遭い、無謀にも殺されてしまった幼い娘の親たちは自らが犯人を直接裁きたい強い怒りに駆られるに違いない。中には犯人に飛び掛って両手で首を絞めるシーンを想像する親もいるかもしれない。それが不可能であることの代償に「極刑に処して欲しい」という死刑への願いがある。
それが血のつながった家族のごく自然な精神的利害感情であろう。特に自分たちが設けて慈しみ育ててきた子供が理不尽な犯罪によって幼い生命(いのち)を奪われた場合は、親の怒り、憎しみは計り知れないものがあるに違いない。
理不尽な暴力的犯罪で身内を殺された者が肉親としての精神的な利害感情から離れて「私は死刑制度反対論者だから、自分の身内が無残に殺されたとしても、死刑反対の立場を変えるつもりはない」と言える人間はどれ程いるだろうか。
こう見てくると、「人を裁かない」という心情(思想・信条)は裁かなくて済む精神的利害・精神的環境を自らがものにしているからだと言えないだろうか。
2006年8月25日に福岡市東区の海の中道大橋で、飲酒運転をしていた福岡市職員今林大(ふとし・当時23歳)が会社員の乗用車に追突、追突された車は博多湾に転落し、同乗者の3児が死亡した事故の裁判で、一審福岡地裁判決は危険運転致死傷罪・懲役25年の検察側求刑に対してより刑の軽い業務上過失致死傷罪と道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)を適用、懲役7年6月の判決を言い渡したが、その量刑に対して罪が軽すぎると世論は沸騰した。
そのときの世論に組していた者は心理的には裁判に参加して裁判員となって、最も重い懲役25年の危険運転致死傷罪で裁いていなかったろうか。そう望んで裁判を見守っていただろうから。実際にも、「俺が裁判官だったなら、あんな奴は懲役25年にするな」と口に出して言った者も多くいたに違いない。
私自身は1人でも他人の命を奪った場合は原則的に自らの命で償うべきだとする生命代償論から死刑とすべきとブログに書いた。
「人は裁かないという信条を持っており、裁判所から呼ばれても裁判員になることは拒否する」とする会社員にしても、「通知はそのまま最高裁に送り返した。残りの人生はつつましく暮らしたいと思っており、いまさら人を裁いて嫌な気持ちを抱いてあの世に行きたくない」と主張する元教員にしても、心理的にも精神的にも一度も人を裁いたことがないに違いない。
幼い女の子を拉致・誘拐して暴行して殺してしまって逮捕されたといった残忍・理不尽な犯罪加害者の裁判で死刑の判決が出ても当然の判決だなとも思わず、どう裁かれようと、判決が何であろうと、何ら関心を払ったことがないのだろう。
もし強い関心を持って心理的あるいは精神的に裁判に臨んで多くの犯罪者を裁いて社会秩序維持意識を働かせていながら、そのことに反して実際の裁判では自らの思想・信条から裁きたくないと言うなら、それはキレイゴトの類に入る。精神的にも心理的にも人を裁いたことがない人間のみが“裁きたくない”とする思想・信条を発揮する資格を有すると思う。
つまりこういうことではないのか。生活が安定していて、世の中の矛盾にも怒りを感じない。どのような格差にも不公平を感じない。派遣切り・中途解雇にも不当性を抱かない。もし感じたなら、派遣切り・中途解雇を行った側に対してそれは不当行為だと心理的に、あるいは精神的に裁いたことになる。例え役に立たなくても。
そんなことは一切なく、世の中の矛盾、不公平に無関係の安全地帯に生活しいて “裁く”利害から無縁でいられた。
確かに裁判の場で実際に裁くことと裁判の土俵外で裁くこととは前者は責任が伴い、後者は責任とは無関係に振舞えることから心理的負担・精神的負担に大きな違いがあるだろうが、だからと言って、そのような負担を恐れて自分自身は裁くことから遠い場所にいたいと言うのはやはり利己主義的な自己利害からだと言われても仕方がないように思える。
社会秩序維持は警察官や裁判官のみが負う使命・役目ではなく、基本的には国民一人ひとりが負うべき使命・役目でもあるはずである。国民一人ひとりが犯罪を犯さず、社会のルールを破らずを守って社会の秩序は維持できる。社会の秩序を破った者に対しては国民が全員で裁くべきだろう。例え裁判の場に裁判員として立たなくても、裁判を注視することで心理的・精神的に裁きに加わることになる。勿論、判決に裏切られることもあるだろうが。
日本人は例え裁判員制度に参加しても権威主義を今以て色濃く行動様式としていることから、自分の考えで状況を把握するのでもなく、当然結論を自分の判断を力として、それを基本に導くといったことはせず、他人の判断や過去の判例に従うだけの自己判断決定しかできず、お互いに同調し合って無難な結論を出すことになるのではないだろうか。
お互いに無難な結論こそが責任を限りなく免れる最良の方法だからだ。
だが、他の裁判をも参考に試行錯誤を重ねることによって、他者に従う権威主義から少しは離れて、自分で事件を考え、相応の刑罰を自己判断する訓練になるのではないだろうか。そういった面で私は裁判員制度に賛成している。
「総合学習」の趣旨ではないが、自分で考え、自分で判断し、自分で決定するというプロセスの注入こそが権威主義の行動様式から脱する重要な要素だからだ。
12月8日の「毎日jp」記事(21時36分)に、同日夕方、林幹雄幹事長代理が週末の首相の九州視察を自民党役員会の前に国会内で紹介、「離島回りは手応えがあった。今日、内閣支持率を見て、がっかりしたが……」と「手応え」に水を差されたというわけなのだろう、そう話すと、大島理森国対委員長が憮然とした表情で「支持率のことは言わんでいい」と遮ったという。その場では黙って聞いていた麻生首相が役員会開催後、「支持率の急落はすべて私の責任だ」と言ったというが、事実は事実として誤魔化せないから、一言言わざるを得ない最も体裁のいい言葉が、「すべて私の責任だ」だったのではないか。
もしも一言も触れなかったなら、だんまりを決め込む程に相当ショックを受けていたなどと冷笑混じりの意地の悪い噂がどこからともなく洩れかねない。
大島理森の「支持率のことは言わんでいい」との言葉からは麻生内閣の支持率の低下に相当に苛立っている様子を窺うことができる。
大島理森は12月14日「NHK「日曜討論」でも支持率低下にナーバスな姿を曝していた。野党側が麻生内閣の支持率低下を取り上げて民意が離れているといったことを言うと、大島は「麻生内閣の支持率の低さを言うべきではない。自民党と民主党の支持率はそう変りはないではないか」と言って、両党の支持率の違いのなさで麻生内閣の支持率失墜を相殺しようと企み、続けて他の野党に対して、「みなさんも(という言葉を使ったと思うが)3%とか1%とかの支持率しかないじゃないか」といった言葉遣いで、それぞの支持率が低いのに麻生内閣の支持率の低さを言う資格はないとばかりのことを言い立てていた。
麻生内閣は支持率を急激に下げているが、その分の支持率が各野党に反映されているかと言うと、必ずしもそうなっていない現実を突きつけられたからなのか、大島の言葉に民主党以下の野党は口を閉ざしたまま何も反論できなかった。反論しなかったことによって大島の言い分に正当性を与えることとなった。
麻生内閣は与党を経営母体として日本の国を政治を通して経営する、麻生首相をトップに据えて各閣僚と一体となった経営陣であり、内閣支持率とはそのような経営陣に対する支持率であって、経営に対する国民の信任を決定的に失ったとき、経営陣の首をすげ替えることで経営母体自体の与党の立場を守ることも可能だから、経営陣である内閣自体に対する世論が政党支持率に必ずしも反映するとは限らない。
例えばプロ野球の球団が成績が悪くて監督やコーチの人気を失っても、球団自体に対する人気を失わないことが多いが、それと同じである。球団は監督以下の経営陣を入れ替えることで、ファンの信任を引きとめようとする。
言ってみれば、内閣と与党とは常に運命共同体と言うわけではない。このことは自民党と自民党内閣の歴史が証明している。
自民党を譬えるとプロ野球の阪神や巨人みたいなものだが、経営陣(=監督)の首を挿げ替えるだけで済む問題ではなくなっている。
また、政権与党たる自民党の支持率も、与党ではない野党の支持率と趣を異にするはずである。自分たちの党に所属する国会議員の中から総理大臣を始め、各大臣、内閣スタッフを選出している表向きは責任共同帯なのだから、内閣の支持率低下が与党たる自分たちの支持率に影響がない場合でも、その支持率を楯に責任の関連付けを免れることができないはずだし、与党の立場にいる以上、野党の支持率が低いからと、そのことを以って自分たちの正当性を言い立てる関連付けともならないはずである。
このことは毎日新聞が12月6、7の両日に行った全国電話世論調査での政党支持率が自民党23%に対して民主党24%で1ポイント下回っているほぼ同等なのに対して、次の総選挙で「自民と民主のどちらに勝ってほしいか」では、民主党46%に対して自民29%と17ポイントも民主が圧倒していることと「麻生太郎首相と小沢一郎民主党代表のどちらが首相にふさわしいと思うか」で麻生首相21ポイント減の19%、小沢一郎が3ポイント増の21%と逆転したことが示している自民党支持率を楯とすることの根拠のなさを証明している。
いわば自民党の支持率だけですべてを律することができるわけではないし、また首相のクビをすげ替えることで片付くときもあるから、内閣支持率だけですべてを律することができるわけではないということであろう。
上記毎日世論調査では「どちらが首相にふさわしいか」で「どちらもふさわしくない」が14ポイント増の54%だという調査結果に対して、毎日記事は<9月は麻生首相42%、小沢氏19%、10月は麻生首相40%、小沢氏18%だったことから、麻生首相と答えた層が「どちらもふさわしくない」という回答に流れたことがうかがえる。>と解説しているが、要するに政権交代の危機(自民党野党化の危機)をつくった麻生首相に失望し、自民党国会議員のように「麻生では選挙は戦えない」と早々にふさわしくない首相と評価づけたものの、自民党支持の立場から民主党の小沢代表を「ふさわしい」とするわけにはいかないことをも含んだ両者に対する拒絶反応であり、また共産党支持者や社民支持者の中にも政治的立場上、両者を選択できないとした要素もある「どちらもふさわしくない」といったところなのだろうから、やはり自民党支持率と世論調査の他の項目が機械的に反映し合うわけではないことを示している。
だが、大島国対は自民党が国家経営の経営母体であり、自分たちの仲間から国家経営の経営陣を出していながら、数パーセントの支持しかない小政党は自民党の支持率と大差があることを以って内閣支持率を非難する資格がないかのように言う。大島の詭弁家たる所以がここに象徴的に現れている。
2005年(平成17年)9月11日の郵政選挙は与党が歴史的勝利を収めて3分の2以上の議席を獲得したものの、「小選挙区」と「比例区」の両方に重複立候補して小選挙区で落選しても、比例区で返り咲くといった変動や1人当選のみの小選挙区であることから死票が生じやすいといった事情からだと思うが、与野党得票差は「小選挙区」・「比例区」とも200万程度でしかなく、獲得議席数と獲得票が相互反映の形を取らなかったが、基本的には選挙時の政党支持率と各政党の当選議席数は左右対称の関係にあるはずである。
そうでなければ政治や社会の状況によほどの変動がなければ、選挙以降の世論調査で所属議員数にほぼ応じた支持率が出るといったことは起きないはずである。
また国民の支持が少なくて国会に議席を少数しか占めることができない少数政党は国民の支持の少なさの結果ではあるが、選挙以降の世論調査でも支持の少なさが対応し合っているのも当然の左右対称の関係からであろう。
つまり選挙時の獲得議員数が選挙時の支持率に対してほぼ比例関係にあると同様に選挙以降の世論調査に於ける支持率も獲得議席数(=所属議員数)から逆算した比例値を一般的には示すとしていいはずである。
だとしたら、選挙以降の世論調査での少数野党の支持率の少なさは当然の結果値なのだから、大島が少数野党の支持率の少なさを改めてのように取り上げたこと自体が既に詭弁の範疇に入る。
選挙に於ける国民の支持の少なさがつくり出した少数野党ではあり、選挙以降の世論調査でも国民の支持の少なさが政党支持率に反映した数パーセントという左右対称の支持の低さではあるが、選挙時及び選挙以降の世論調査時の政党支持率が獲得議席数とほぼ比例関係をなすなら、国民の支持の多い・少ないを無視して各党支持率をそれぞれの所属議員数で割って1人当たりの支持率を算出して比較したなら、比例関係の破り具合から健闘しているか否かを計ることができるのではないだろうか。
我々は各マスコミの世論調査に現れた政党別支持率に対して各政党の支持率の増減や最も支持を獲得している政党はどこかといった順位は見るが、その支持率が所属議員数を反映させているかどうかは見ない。支持率を所属議員数で割った所属議員1人当たりの支持率を計算したなら、支持と各党の健闘ぶりをのより公平・正当に知ることができるように思えるが、どんなものなのだろうか。、
試しに計算してみることにした。
「毎日jp」の世論調査を最初に持ち出したのは各マスコミが12月初旬に続いて発表した世論調査はほぼ似た傾向を示したから、どの世論調査を使ってもいいようなものだが、極端に右だ、左だとは見られていない(と私自身はそう思っている)ことを理由からだが、「朝日」、「毎日」、「読売」が調査した麻生内閣の支持率でも、朝日22%、毎日21%、読売20・9%となっていて、毎日は中間につけている。
参考までに最初に麻生内閣の支持率を見てみる。
◆麻生内閣を支持しますか。
全体 前回 男性 女性
支持する 21 (36) 21 22
支持しない 58 (41) 62 54
関心がない 19 (21) 16 21
次に政党支持率。
全体 前回 男性 女性
自民党 23 (24) 27 21
民主党 24 (27) 28 21
公明党 5 ( 5) 3 6
共産党 3 ( 3) 3 4
社民党 1 ( 2) 1 2
国民新党 1 ( 0) 1 0
改革クラブ - ( 0) - -
新党日本 0 ( 0) - 0
その他の政党 1 ( 2) 1 2
支持政党はない 37 (36) 34 39
次に政党別所属議員数(「Wikipedia」から」
自民党(衆議院306/480――参議院83/242)
公明党(衆議院 31/480――参議院21/242)
民主党(衆議院109/480――参議院110/242)
共産党(衆議院 9/480――参議院 7/242)
社民党(衆議院 7/480――参議院 5/242)
国民新党(衆議院 5/480――参議院 5/242)
所属議員1人当たりの支持率(少しの増減は無視する。)
自民党――支持率23%÷389(衆306人人+参83人)=7.5%/1人当たり
公明党――支持率 5%÷52(衆 31人+ 参21人)=9.6%/1人当たり
民主党――支持率24%÷219(衆109人+参110人)=10.9%/1人当たり
共産党――支持率 3%÷ 16(衆 9人+参 7人)=18.75%/1人当たり
社民党――支持率 1%÷ 12(衆 7人+参 5人)= 8.33%/1人当たり
国民新党―支持率 1%÷ 10(衆 5人+参 5人)= 10%/1人当たり
(以上)
共産党は衆参合わせて16人の国会議員しかいないにも関わらず、3%の政党支持率を獲得している。この16人:3%の割合を自民党の衆参合わせた389人に当てはめてみると、72%の支持率が必要だが、実際は23%しか支持を獲得していない。
こう見てくると、「毎日」の世論調査では政党支持率では自民党23%に対して民主党24%でほぼ互角ではあるものの、自民党は衆参合わせて389人の所属議員を抱えていながら、1人当たりの支持率は衆参合わせて219人の民主党の1人当たりの支持率10.9%に対して3.4ポイントも低いし、数パーセントの支持しかない少数野党は自民党の支持率と大差があることを以って内閣支持率を非難する資格がないかのように言ったことに反して、共産党は勿論、社民党や国民新党にも劣る1人当たりの支持率となっている。
いわば少数野党は少数野党なりに健闘してる状況を示しているのに対して自民党(公明党は無視する。)が政権与党であり、最も多い議席数を獲得していながら、そのことに反して少数野党と比較して1人当たりの支持率が最も低いポイント数となっている状況は健闘値の弱体を示すものであろう。
このことは1人当たりの支持率は所属議員数を無視して政党支持率が低いから少数野党は内閣の支持率の低さを言う資格なしとすることはできないことを示している。
詭弁を得意とする大島国対にとっては詭弁操作の都合からそんなことは「関係ねぇ」だろうが。
非正規労働者は今回の虫けら同然の虐待・待遇を怒りを持って記憶し、チャンスを見て復讐せよ
最初に12月15日の当ブログ記事≪ド素人経済考(2)/失業派遣社員の雇用機会に「平成の北海道開拓団」≫で「北海道開拓団」の建設財源を政府予算と企業の融資からとしたが、直接的財源は定額給付金を廃止して、その2兆円の中から、必要金額を捻出したらどうだろうか。東京湾アクアラインの総工費は約1兆4,409億円だということだが、定額給付金2兆円の半額を使ったとしても、相当に使い勝手が出る額となると思う。
非正規社員が解雇されても引き続いて社員寮に住めるよう、政府は補助金を代償に人材派遣会社に求めてはいるが、既に社員寮に入居していて解雇と同時に社員寮から退去させられた、あるいは解雇通知を受けて引き続いて社員寮に住めずに解雇と同時に近々社員寮から退去して住む場所を失うこととなる派遣社員の住まいの受け皿に厚労省所管の独立行政法人雇用・能力開発機構が運営し、21年度までに全廃される雇用促進住宅(約14万戸)の13000戸もの空室に政府が受入れることとしたニュースをマスコミ各社が連日伝えている。
昨日17日朝のNHKのニュースも鉄筋コンクリート建て築45年の3LDK、家賃28000円の部屋を紹介していた。畳は新しく替えるものの、壁等のキズは入居後に入居者の希望があれば修理する意向だと厚労省側の対応を伝えていた。
実情は21年度に廃止する手前なるべく金をかけたくない気持がそうさせた、住む場所さえ確保できれば、文句を言う者はいまいと高を括った入居後への後回しといったところではないのか。
いずれにしても住む場所を失う非正規労働者が真冬の寒さへと向かう中で路頭に迷うことなく政府や自治体の補助を受けて雨露を凌ぐことができる場所を確保できるということなら、職と住まいを失うショックは地獄にでも落とされた思いだろうが、地獄に仏といった当座の一安心を与えてくれるに違いない。雇用促進住宅14万戸のうち13000戸の空室が与えてくれた僥倖とも言える。
だが、例え解雇非正規社員にとっては僥倖であっても、政府予算のムダが許されない有効な使い道から考えた場合、14万戸のうち13000戸も空室を抱えていた事実は見過ごせない問題ではないだろうか。知る人は知っていたのだろうが、一般的には非正規社員の突然解雇で世間にあからさまに顔を曝すこととなった13000戸の空室である。
14万戸のうちの1万3千戸は10%に満たない空室率ではあるが、2万8千円の月家賃12ヵ月分の33万6千円の年間家賃×13000戸は年間43億6千8百万円の収入を生み出すべきを生み出さない状態のままとなっていた。
その間、管轄主体の独立行政法人雇用・能力開発機構と尚一層天下りを増やして利益を遣り取りすることができるように下請けの形とした組織に違いない、実際の管理・運営を担わせた財団法人雇用振興協会に天下った元官僚たちは13000戸といった空室がもたらすはずの幻の利益など何のその、多分気にもかけなかったに違いない、高額の給与・ボーナス、高額退職金を確実な形、確実な実感で自らの利益としてきた。
確かに21年度廃止だから、退去した部屋はそのまま空室としたという事情を含んだ13000戸といった事情もあるだろうが、21年度廃止自体が利用価値の喪失・採算割れを前提とした措置であろう。
「雇用促進」を掲げた住居施設なのだから、入居対象者は職探しの失業者といったところなのだろうと思ってインターネットで検索してみると、雇用促進事業団関連だと思うが(作成者の名前も作成の期日も記入してないPDF記事)、1968年(昭和43年)7月に帯広市で建設に着工、翌1969年(昭和44年)11月に最初の「雇用促進住宅」が完成したらしいが、「雇用促進住宅-Wikipedia」は「設立の経緯と役割」に関して次のように解説している。
<雇用促進事業団は移転就職者用宿舎(雇用促進住宅)の建設を開始したが、設置当時は炭鉱の合理化により大勢の離職者が発生し、炭鉱の閉山により移転を余儀なくされた雇用者に当面の居住の地を提供する役割を果たしていた。その後、炭鉱だけではなく造船業界を始めとする構造不況業種からの移転就職者のための役割も持っていた。>・・・・・・
とは言うものの、<1973年(昭和48年)10月からは、移転就職者に準ずる者(移転就職者以外の者であって、住居の移転を余儀なくされたことなどに伴い、職業の安定を図るために宿舎の確保が必要であると公共職業安定所長が認めた者)にまで入居対象が拡大された結果、移転就職者の入居割合は、1975年(昭和50年)度末の89%をピークに、1981年(昭和56年)度末では32%まで低下した。さらに2003年(平成15年)度には、その他職業の安定を図るため住宅の確保を図ることが必要であるとされた者も対象者に加えられた。>と解説している。
つまり最初の「雇用促進住宅」が完成した1969年(昭和44)年11月からたった4年後の1973年(昭和48年)10月には入居対象者を「移転就職者」から「移転就職者に準ずる者」にまで拡大しなければ部屋を埋めることができなくなっていた。このことは最初の建設趣旨・住宅提供趣旨に対する違反が4年後に既に始まっていたことを示す。
もし当初の趣旨を維持していたなら、1981年(昭和56年)度末時点で空室率は68%(移転就職者の入居割合32%)に達していたことになる。
この状況は入居期間にも現れている。上記「Wikipedia」によると、入居期間は2年間、入居手続きは公共職業安定所で行ったが、契約期間満了と同時に住宅を返還しなければならない2年終了後も運営する雇用振興協会は応募状況等を勘案して再契約することがあるとして2年以上の入居を許可、その結果、2年以上の長期入居者が1981年(昭和56年)度末で67%に達していたという。
いわば、当初の契約趣旨どおりに厳格に2年を守っていたなら、単純計算ではあるが、移転就職者のみで占める33%の入居率しか確保できなかったことになる。
この33%の入居率は上記の移転就職者の入居割合の32%にほぼ合致するが、移転就職者と「移転就職者に準ずる者」とがどの割合で占めていたかは不明であるが、中には健康の関係で仕事に就けずに生活保護受給者もいたとしても、すべての入居者が2年以上も職探しの状態(=失業状態)にあったとは考えにくいから、仕事を得ていながら、入居を続けていた。
雇用振興協会が言う「応募状況等を勘案して」は一旦空室となったら、新たな入居者がなかなか現れない状況のことなのは明らかである。
勿論空室率増加に対応した趣旨変えはある意味必要ではあるが、たったの4年で趣旨変えが必要となる見通しの破綻は時代を見る目――社会の状況に対する洞察能力にも関わってくる。政治家・官僚たちが時代を見る目、時代的な洞察性を欠いていたということではないだろうか。
全国各地に約1500団地あるという雇用促進住宅を4年の間にすべてを建設し終えたはずはないだろうから、最初の建設年の1968年(昭和43年)から4年経過後に入居対象条件を変える必要が生じながら、それを無視して1973年(昭和48年)以降も建設し続けて約1500団地・140万戸にまで達した。
日本で「マイホーム」なる言葉が飛び交い、「いつかはマイホーム」の合言葉で会社人間化していったのは日本の経済が1955年から1973年(昭和30~48年)のほぼ20年間というもの年平均10%を超える高度成長期に入ってからのことだという。
雇用促進住宅の建設趣旨変えが必要となった1973年(昭和48年)とマイホーム時代突入の高度成長最終年の1973年(昭和48年)が重なるのは国民の住宅に対する考え方の変化を受けた一致であろう。
多数の落ちこぼれが存在したものの、日本の国民の多くがマイホーム化を目指している時代に逆らって、経済発展を考えに入れない時代的先見性を発揮していたと言わざるを得ない。
多分気づいていたのだろうが、天下り機会創出のための自分たちの仕事作りとして一旦走り出したために、その機会を失いたくなく建設し続けたのかもしれない。だが、国費のムダな浪費であることに変りはない。
計算した利益が入らない状態を放置しておくことも当たり前のことだが、ムダな浪費に入る。
この不合理を埋め合わせて辻褄を合わせるために入居資格もない公務員の入居まで認めたのだろう。2008年4月21日の「msn産経」記事。
≪「雇用促進住宅」に公務員124人居座り≫(2008.4.21 00:20 )
<厚生労働省所管の独立行政法人「雇用・能力開発機構」が所有する雇用促進住宅に、入居資格のない国家・地方公務員が3月末現在で計124人も入居を続けていることが分かった。住宅には、昨年3月末時点で計302人の公務員が無資格で入居し、その後、会計検査院から「不適切な入居」と指摘されていた。機構側は退去を促しているが、地方では雇用促進住宅並みの安価な賃貸物件が少ないとの事情から、完全退去の見通しは不透明だ。
厚労省によると、雇用促進住宅は全国各地に約1500団地あり、3月末現在で約14万世帯が入居している。このうち、雇用促進住宅に入居している公務員は計124人に上る。内訳は、国家公務員3人、市町村職員や教員など地方公務員121人。
入居対象は雇用保険の被保険者で、入居条件は公共職業安定所の紹介により失業者が就職する際、再就職先が遠隔地のために転居に迫られ、一時的な仮住まいが必要となる場合-などに限られている。家賃は1万1500円から10万2300円(平均約3万円)で、「民間の賃貸住宅より比較的安い」(厚労省職業安定局)という。
雇用保険料を負担していない公務員は入居の対象外だが、雇用・能力開発機構は「空き室対策」として一部で例外を認めてきた。だが、平成17年に公務員の無資格入居の問題が表面化していた。
雇用・能力開発機構は今後も文書や戸別訪問などを通じて「速やかな退去」を求めていく方針だが、「地方公務員の場合、周辺に民間アパートなど適当な物件がない」(同省)などの理由で退去が困難な事情もあるという。>・・・・・・
家賃が平均3万円で13000戸の空室と言うことなら、計算上の逸失利益は家賃2万8千円で計算したのと違って、43億では済まなくなってくる。
また公務員の不法入居に関しては安倍首相時代の2006年12月に首相任命の政府税制調査会会長本間正明が周辺同クラスの家賃が50万円前後の東京・原宿の国家公務員官舎(3LDK)に月約7万7000円の格安家賃で本妻とは異なる親しい女性と不法同居していた問題が持ち上がった。
入居契約を本間自身の名前で行ったのではなく、女を囲っていたから、それができなかったに違いない、大阪大学をダミーに使って契約するゴマカシを働いていた事実が明らかになっていながら、その人間性を無視して安倍首相は「見識を生かして、あるべき税制の姿を作っていく、議論していくことによってですね、まとめていただくことによって職責を果たしていただき、責任を果たしてもらいたいと思っています」(「日テレ24」インターネット記事/06年12月19日2:16)と辞任の必要なしとして庇ったが、野党からの抗議・批判が止まず、結局本人の申し出という形を取って辞任することとなった。
雇用促進住宅の場合は利用率の低さを誤魔化し、補填するための公務員入居なのだろが、法人の準公務員を含めた公務員同士で利益を交換し合っていた。あるいはうまい汁を吸い合っていた。
21年度廃止を言うからには、運営・管理に於いても赤字経営、あるいは採算割れとなっていたことの証明そのものなのだが、赤字経営・不採算割れは雇用促進住宅に限らない。グリーンピア、東京湾アクアラインや本四架橋、その他の高速道路、かんぽの宿、駐車場経営、地方空港等々枚挙に暇がない。
国費のムダの多くは政治家や官僚及び天下りとそれらと癒着する一部民間人を贅沢に食わせるために役立ってはいるだろうが、教育予算の対GDP比で見た場合の低さ、あるいは社会保障費の圧縮等々、様々な形で国民生活を圧迫する要因となっている。決してその責任を見逃していい13000戸の空室ではないはずであって、ムダの象徴と見なければならない。
今回解雇された非正規労働者及び再度来襲する就職氷河期の生贄となって(既に内定取消しが始まっている)期待した就職を望むことができずに低所得の社会的弱者の地位に甘んぜざるを得なくなる若者が再び出来するだろうから、自らが受けた、あるいは受けることとなる「企業の論理」なる情け容赦のない冷遇を怒りを持って記憶し、後に続く非正規社員のためにも不況時には価値を失い、好況時に価値が高まっていく価値循環構造を利用して景気が回復して再度期間社員、あるいは派遣社員として雇用価値が生じたとき、それが最も高まったときを狙って、そのときは企業の生産が最も高まる時期と重なるはずだから、自らの価値に付加価値をつけて自身が置かれた社会的地位を高めるためにかつての情け容赦のない冷遇に対する復讐を行うべきだろう。
具体的方法は給料が例えストップされても3か月は生活ができるカネを貯めて、他の企業の非正規社員と手を組んで生産が最盛期の時期に合わせて職場放棄の長期要求貫徹ストライキを打つことである。
企業は早急には回復できない新たな従業員の補充不能状態に陥って生産遅れが生じ、それが販売停滞につながることを恐れていやでも非正規社員の待遇改善要求を飲まざるを得なくなる。
同じ仕事をする正規社員と同等の給与、同等のボーナス、同等の失業手当、同等の退職金――満たすべき要求は多々ある。
◇日系派遣社員の解雇急増=浜松では救済団体設立へ(ニッケイ〈日系〉新聞/08.11.22)
◇日本IBM:1000人規模、正社員削減 リストラ拡大、本格化(毎日jp/08.11.26)
◇正社員にもリストラの波 業種を問わず広がる(asahi.com/2008年11月27日)
◇日本綜合地所:学生53人の内定取消し…労働局が調査へ(毎日jp/08.11.28)
◇「解雇無効」申し立てへ いすゞ自動車の期間従業員(47NEWS/08/12/02)【共同通信】)
◇3万人リストラ 格差を広げてはならない(山陽新聞社説/2008年12月2日)
世界的な景気後退を背景に、国内の雇用が急速に悪化している。厚生労働省の調査によると、今年十月から来年三月までに企業のリストラで失業したり、失業する見通しの派遣や期間従業員などの非正規労働者が3万人を超えたことが分かった。
◇派遣 2009年問題 契約期限切れで大量失業の恐れ(YOMIURI ONLINE/08.12.2)
◇自動車 1万1000人余削減(NHK/08年12月4日)
トヨタ――3000人
日産 ――1500人
マツダ――1400人
いすず――1400人
三菱 ――1100人
ホンダ―― 270人
スズキ―― 600人
この人数で打ち止めという保証はない。
◇米次期政権、大型刺激策準備か 景気後退は長期化の観測(asahi.com/08.12.4)
◇キヤノン、大分の子会社2社で非正規従業員1100人削減へ(AFB/08.12.5)
◇キヤノン・東芝:大量人員削減 県内で1500人失業の恐れ/大分(毎日jp/08.12.5)
◇ソニー、人員削減は1万6000人以上09年度末まで(asahi.com/08.12.10)
◇日立子会社が派遣250人削減へ プラズマ部材撤退で(47NEWS/08/12/07【共同通信】)
◇村田製作所、派遣700人超を削減 3県子会社 一部ライン停止も(日本経済新聞/08.12.11)
◇製造業600人削減へ 米沢市、近く対策本部(河北新報/08.12.12)
◇トヨタ系部品メーカー、派遣9割を削減 トヨタ紡織九州(asahi.com/08.12.12)
◇シャープ、天理と三重でライン一部閉鎖=非正規労働者380人削減へ(時事通信社/08/12/12)
◇マツダ防府工場、非正規従業員200人を追加削減(YOMIURI ONLINE/08.12.13)
◇トヨタ下期赤字 販売不振と円高、通期は8割超す減益か(asahi.com/08.12.13 )
◇契約打ち切られ、生活保護申請次々 マツダの元派遣社員(asahi.com/08.12.13)
◇広島で派遣13人が生活保護申請 マツダの契約打ち切り
(47NEWS/08.12.13/12/13【共同通信】)
◇自殺志願:「派遣切り」4人、NPO先月保護10月はゼロ--福井・東尋坊(毎日jp/08.12.14)
一部を除いて派遣切りに関係する目立った記事の見出しを書き出してみた。書き漏らした記事もあるに違いない。
対して麻生内閣が失業派遣社員に対して様々な対策を講じている。社員寮を無償提供する派遣企業に補助金給付、同じく住まいを失った非正規労働者に半年で最高180万円の住宅・生活支援金を貸付ける方針(12月12日決定)、今日12月15日からハローワーク187カ所に相談窓口を設けて退職させられて住まいを失った派遣社員等の非正規労働者の相談の受付、住居の斡旋等々。
だが、どれも次の仕事の確保につながる対策とはなっていない。
全国に約1万3000室ある雇用促進住宅への入居に関しては入居条件を緩和して許可するということだが、期間は6ヵ月。
製造業の2009年問題もあって、来年に向けて非正規労働者が大量に解雇させられていくと予想されている。そういった中で、「6ヵ月」で自力で退去できる状況を生み出すことができると考えているのだろうか。新たに仕事が見つからない限り、元々住む場所がなかったのだから、屋外に投げ出すことになる。ホームレスか自殺かの選択を迫るようなものだろう。
製造業の2009年問題とは製造業での派遣労働者受入れを解禁する労働者派遣法改正が04年に成立。06年に偽装請負が社会問題化して企業の多くが請負から派遣へ切り替えたが、同一業務での派遣可能期間は最長3年で、06年から計算して多くの派遣労働者が09年に契約期間の満了を迎えることとなった。当初は戦後最長の好景気を受けて各企業とも大量に派遣社員を採用したが、景気の悪化で逆に大量解雇に向かうこととなった。必要なときには我先に採用し、必要なくなると我先に解雇する。企業の論理というやつ。
だが、使われる者はこのことを承知していなければならない。今に始まった企業の論理ではないからだ。人手に頼っていた労働が機械化(ライン化)されて人手が余り、余剰人員としてどれだけ解雇されてきただろうか。経済発展と共に各企業の経営の拡大が人員の採用を広げて働く場を提供していったが、石油ショック等の不況時期は経営自体を守るために臨時雇いやパート、期間工といった不定期労働者が先ず解雇されていった。
解雇のニュースばかりが目についていたとき、インターネットで「3年で100万人雇用創出へ」の見出しが目に入ったとき、「おお」と思った。
≪3年で100万人雇用創出へ=事業規模1兆円超-与党原案≫(「時事通信社」/2008/12/03-13:37)
<景気悪化に伴うリストラや新卒者の内定取り消しなどの増加を受けて、与党の新雇用対策プロジェクトチーム(座長・川崎二郎元厚生労働相)がまとめた雇用対策の原案が3日、明らかになった。雇用保険などを原資に事業規模は1兆円超とし、3年程度で100万人の雇用創出を目指している。
原案によると、派遣労働者を正規社員などで採用した企業に対し、労働者1人当たり最大100万円を支給。経営が悪化しても雇用を継続した企業などに支給する雇用調整助成金について、新卒内定者も対象に加えた上で、助成要件を現行の雇用保険加入「6カ月以上」から「6カ月未満」に緩和する。
また、内定を取り消された新卒者を採用した企業には特別奨励金を支給する特例措置を実施。悪質な内定取り消しをした企業名を公表する。>・・・・・・
「派遣労働者を正規社員などで採用した企業」に助成する「100万円」は非正規労働者の一ヵ月の給与を20万円とすると、適当に庭の草むしりをさせていても、企業側は5ヵ月は相殺できる金額だが、不況がさらに悪化していった場合、追いつかない「100万円」となる。
つまり、「与党の新雇用対策プロジェクトチーム」は5ヵ月で景気が回復するという確信を持っていなければ弾き出すことができない「100万円」だが、5ヵ月で景気が回復するなら、3年を待たずとも済むのだから、「3年で100万人雇用創出」の「3年で」は矛盾する期間となるし、麻生首相の言う「全治3年」とも矛盾する。
それとも5ヵ月経過したなら、失業者に対してはこの大量解雇時代に反して自分で仕事を捜せ、企業側に対しては正規に解雇してもいいというサインなのだろうか。
大体が「雇用創出」と言うからには、職を失った非正規社員に新たな職を与える政策でなければならないはずだが、「雇用創出」ではなく、“雇用維持”が目的となっている。
例え“雇用維持”が目的でも、非正規社員の解雇が企業数・人数共に増加し、加速していく中で、原案で示した内容で「3年で100万人」はちょっと大袈裟すぎるが、正規社員へ振り向ける採用形式で“雇用維持”を可能とすることができると思っているのだろうか。
それとも天下の与党なのだから、親船に乗った気持ちで任せておけば、すべてがうまくいき、雇用不安は解消されるということなのだろうか。何しろ麻生太郎を総理大臣に担ぎ出している与党なのだから。
「雇用創出」と言う場合は、どのような事業を以って雇用を創り出すのか、具体的な内容を示さなければならないはずである。政府の景気対策は全体で40兆円を投入する規模にのぼるそうだが、総事業規模約27兆円の「生活対策」だとか、同じく総事業費2兆円規模の雇用対策だとか、公的資金注入だとか、項目と金額を並べ立てただけで、具体的に何をどうするか、そのことによって雇用機会がこう創られていくという詳しいデザインがどこにも示されていない。
そんな中で民主党が「250万人の新たな雇用を生み出す『緑の内需』(日本版グリーン・ニューディール)構想の検討に着手した。」という記事にお目にかかった。
≪緑の内需」で250万人雇用創出=オバマ氏の政策参考に-民主≫(時事通信社/2008/12/11-20:30)
<民主党は11日、地球温暖化対策などへの投資を通じて250万人の新たな雇用を生み出す「緑の内需」(日本版グリーン・ニューディール)構想の検討に着手した。オバマ次期米大統領が掲げる政策を参考にしたもので、同党は「われわれこそがオバマ氏の考えに対応した政策を打ち出すことができる」と意気込んでいる。
同日は、オバマ氏の環境・エネルギー政策について、有識者を招いて勉強会を開催した。今後、党内にプロジェクトチーム(PT)を設置し、次期通常国会中の構想取りまとめを目指す。
民主党の「次の内閣」メンバーがまとめた素案では、石油依存から脱却し、自然エネルギーや次世代バイオ燃料など再生可能なエネルギー事業や、リサイクル事業への投資を拡大することを打ち出した。また、エコカーやエコハウスの導入を推進し、環境技術の研究開発などに取り組むことで、「緑の雇用」を生み出すとしている。
オバマ氏の構想は、今後10年間で1500億ドル(約15兆円)をクリーンエネルギー分野に投資し、500万人の雇用創出を目指すとの内容。同党としては、「チェンジ」を合言葉に大統領選で圧勝したオバマ氏にあやかり、政権交代の機運を盛り上げる狙いもありそうだ。(了)>・・・・・
「再生可能なエネルギー事業や、リサイクル事業」と確かに事業の種類を具体的に提示してはいるものの、何をどうするの具体的な内容にまで踏み込んでいない。今後の検討課題だと言うことなのだろうか。
契約を切られ、解雇された派遣社員等の非正規社員を大量に一挙に吸収できる雇用機会は創り出せないものだろうか。
似たようなアイデアを既に誰かが思いついて雑誌やインタネット上に発表しているかもしれないが(インターネットは一応調べてみたが、見つけることができなかった)、「平成の北海道開拓団」と言うのはどうだろうか。
場所は広大な土地さえ確保できるなら北海道でなくてもいいが、政府資金や企業にも融資を呼びかけて、東京ドーム何個分といった広大な一大開拓地を確保し、解雇された非正規社員、その他若者を募ってバイオ燃料化と飼料化を目的としたトウモロコシ、及び食用を目的とした小麦の大型機械を使った大量栽培事業に乗り出す。
トウモロコシ栽培の場合はトウモロコシだけを栽培だけではなく、それを原料としてバイオ燃料に加工・生産する工場を建て、販売、輸送まで自分たちで行う一環事業とする。小麦も栽培だけで終わらせるのではなく、小麦粉工場を建て、業務用・家庭用小麦粉までをそれぞれ生産して、販売、輸送まで行う。
販売はインターネット上に販売会社を設立して、インターネットを通して行う。
インターネットで調べたところ、日本での小麦栽培量は平成17年に875000トン、平成18年に837000トンで、食糧用・飼料用として平成17年に外国から輸入した小麦は約5倍相当の4787000トンだという。
既に広く知られていることだと思うが、2007年時点での三菱総合研究所のHPの≪小麦相場の高騰~国際相場よりさらに高い国内流通価格~(森重彰浩)≫は小麦に関して次のように解説している(図を除いて全文引用)。
<日本は、小麦の国内消費量の90%(約500万トン)を海外からの輸入に頼っている。その輸入方法は特殊だ。民間の商社が買い付けた小麦を、政府が一度全て買い取った上で、製粉業者などの国内需要者に「政府売渡価格」で売りさばく方式をとっている(*)。2007年10月、この政府売渡価格が10%引き上げられたことが、今回の一斉値上げの背景にある。
ではなぜ、小麦の輸入に政府が関与する必要があるのか。その主な目的は、国内消費量の約10%を生産する国内小麦生産者の保護である。政府は、1トン25,000円程度の国際相場で輸入小麦を買い取った上で、45,000円程度で国内需要者に売り渡し、その差益(1トンあたり20,000円程度)を国内生産者の補助に充てている。国産品と競合する輸入小麦の価格を吊り上げると同時に、そのマージンを原資に国内農家を助ける仕組みである。
ただ、上述の通り、国際小麦相場の高騰で買入価格が大幅に上昇していることなどから、農林水産省は平成19年度より、政府売渡価格を国際相場の変動に合わせて年3回改定する方針を打ち出した。とはいえ、年間固定で1トンあたり16,868円が買入価格に上乗せされることとなっており、国内需要者が、国際相場よりも高い価格で買わざるを得ない状況に変わりはない。
2008年4月には、国際相場の動向次第では、さらに40%の値上げも見込まれている。食料の安定的供給は重要な政策課題ではあるが、小麦相場の高止まりが予想される状況下で、国際相場の1.5倍近い価格で日本国内に流通させる仕組みは、家計消費への影響も考えた場合、賢明とは言えまい。小麦農家への所得補償のあり方やその財源について再考する好機ではないだろうか。
(*)民間業者が直接輸入することも可能であるが、関税が高く、政府売渡価格のほうが割安となっているため、実際にはほとんど行われていない。 >・・・・・・
開拓団の小麦とトウモロコシの大量栽培が軌道に乗れば、徐々に小麦とトウモロコシの外国からの輸入量を減らしていくことができて、日本の小麦とトウモロコシの自給率アップにつながるし、特に飼料用トウモロコシを機械化農業方式で大量生産して価格を下げれば、飼料を必要とする酪農家、肉牛飼育農家、鶏卵生産者の飼料にかかる経費を抑えることができる。
国内で小麦を大量生産して安い小麦及び小麦粉として大量販売されると、輸入小麦でないために政府は価格を上乗せできないため、既存の国内小麦生産者に打撃を与えるが、選挙の票稼ぎに少数の小麦農家を保護するために、先進国と比較してただでさえ諸物価の高い中で大多数の国民に高い小麦を買わせるのはもうやめたらいい。
小麦農家には補償金を出して転作を進めるか、北海道、その他の開拓団による小麦・トウモロコシ一大栽培地に呼び寄せ、退職して農業従事者となった非正規労働者の栽培教師とするといった救済方法を採用してはどうだろうか。
政治家が国民目線とか国民生活第一、消費者保護を言うなら、絶対多数を占める生活者の立場に立つべきである。
派遣労働者にしても、工業品の製造ラインでほんの一部の生産に携わるよりも、種植えから育成・成長・収獲、そして製品化、購入者の手元まで届ける輸送と事業の全般に関わることの方に遣り甲斐を見出せるのではないだろうか。遣り甲斐は達成感に結びつく。
このド素人の雇用機会創出は何ら役に立たない机上の空論に過ぎないだろうか。
先ずは一昨日(08年12月12日)行われた首相官邸HPから、記者会見の内容を全文引用。肝心と思われる箇所は太字にしてみた。≪素人経済考(1)/麻生総理「生活防衛のための緊急対策」を考える(2)≫で自分なりの考えを述べることにしている。
【麻生総理冒頭発言】
急なことではありますが、是非国民の皆様にお話ししたいことがあり、記者会見を開らかせていただきました。内容は、生活防衛のための緊急対策についてであります。
アメリカの金融危機、これは尋常ならざる速さで実体経済、実物経済へ影響し始めております。これまで、第一次補正予算に続いて、生活対策の策定をさせていただき、そして生活者の安全保障、そして金融の安定を最優先に対策を講じてきたところです。
しかし、その後も、経済の悪化は予想を超えるものとなっております。今日も御存知のように、証券市場は株価が下落、為替も円高に大幅に振れておりました。そのため、次のような果断な対策を第二次補正予算及び平成21年度の当初予算において、是非、対策を打ちたいと考えております。
特に年末を控え、国民生活を防衛するため、雇用と企業の資金繰りを最重要課題といたします。これらの対策の規模は、第一に、財政上の対応として10兆円、これには平年度で住宅減税や設備投資減税などの総額約1兆円規模の減税も含まれております。
第二に、金融上の対応として、保証・融資枠の設定が13兆円となります。
政府としては、国民生活の不安を取り除く、そして(1)少なくとも先進国の中では、最も早く今回の不況から脱出することを目指して、あらゆる努力を行いたいと考えております。
まず、急がなければならないのは、雇用対策だと存じます。特に年末までに急がなければならない。年度末ではありません。年末までに急がなければならないことは、雇止めや解雇された方々の住宅問題、住居問題です。社宅を追い出されると住む場所がなくなる。この方たちのためにも、直ちに引き続き社員寮などは住み続けられるよう、事業主へ要請します。そして後日、事業主の方々には助成をいたしたいと存じます。
1万3,000戸ある雇用促進住宅、ここにおいての受入を行います。また、住宅入居費用を貸し付けたいと存じます。
加えて、内定取り消しの対策として、企業名の公表を含めて指導を徹底したいと存じます。
また、第二次補正において、職を必要とする非正規労働者などに、地域において雇用機会というものをつくるために、既に生活対策で発表したものと合わせて、過去最大4,000億円の基金を創設いたします。
21年度におきましては、雇用保険料の引き下げと給付の見直し、そして非正規労働者などの雇用維持対策、再就職への新たな支援を行いたいと存じます。
これらは合計で約1兆円の追加となります。
さらに21年度において、地方交付税を1兆円増額いたします。これによって、地方が実情に応じて自主的に雇用創出の事業などを実施できるようになります。
次に、21年度予算において、1兆円の経済緊急対応予備費を新設いたします。先日、閣議決定をいたしました予算編成の基本方針におきまして、世界の経済金融情勢の急激な変化を受け、状況に応じて果断な対応を機動的かつ弾力的に行いましたのは、御存じのとおりです。今後、予期せぬ新たな事態に備えて、この予備費を新設しておきたいと存じます。
その使途としては、雇用、中小企業金融、社会資本整備などを考えております。
三番目が、金融市場・資金繰り対策であります。この年末、中小企業では資金繰りを心配しておられる方々も多いことと存じます。まず政府は第一次の補正予算において6兆円の緊急信用保証枠と、3兆円の政府系金融のセーフティーネットの貸し出しと、併せて9兆円を用意しております。ここ一両日を見ましても、1日に1,000億円前後の保証を実施しております。まだ4兆円以上の保証枠が残っております。営業日日数で約30日、この間の話です。年末に向けて十分な資金を用意してあるということです。
これに加えて、おかげさまで、本日、金融機能強化法が成立をいたしております。これに基づきまして、貸し手側の対策、前から申し上げておりましたが、政府の資本参加枠を現在の2兆円に10兆円追加して12兆円といたします。これによって企業への貸し渋りや貸しはがしが生じることがないよう、金融機関が安心して地域経済や中小企業に対して資金供給ができる環境が更に整備されることになります。
借り手側の対策であります信用保証枠の拡大と合わせて、貸し手側の対策によって中小、小規模企業の金融対策に万全を期してまいりたいと考えております。
次に中堅・大手企業の資金繰り対策として、政策金融による危機対応業務の発動を行います。これは、一時的に資金繰りが悪化を来している中堅企業に対して、政策投資銀行や商工中金を通じて資金繰りを支援するものであります。
企業の短期約束手形、通称コマーシャル・ペーパーと言うんですが、このCPの市場において起債環境が悪化しております。企業の資金繰りが結果として厳しいものになっております。
そこで、この危機対応業務を活用して、政策投資銀行などを通じたCP、コマーシャル・ペーパー買い取りのスキーム(事業計画)を設けることといたします。本年度中に危機対応業務として3兆円の融資枠を設定します。
さらに日本銀行において、市場への潤沢な流動性供給のための施策を実施していただけるよう、政府として期待をしているところであります。
金融機関に対しては、年末並びに年度末の企業金融に対する特段の配慮を要請することといたします。
さらに住宅、不動産市場対策です。特に住宅、不動産市場では、健全な事業につきましても、金融の目詰まりが見られます。そのため、住宅、不動産事業者に対する政策金融のいわゆる危機対応業務に加え、住宅金融支援機構が住宅、不動産事業者に対して事業資金の調達の支援を行います。住宅機構からの時限的な融資は年内に開始します。
また来年度の税制改正においては、過去最大の住宅ローン減税を行うとともに、自己資金、自己資本で住宅を購入する場合などの減税も新設することにより、住宅を購入しやすくいたしたいと存じます。
以上のような内容を、政府・与党政策責任者に指示し、ここにお見えの与謝野大臣に取りまとめをお願いしました。政府・与党は、予算編成作業を急ぎ、年末までにその全体像をお示しいたします。
今回の世界の大不況は、100年に一度の規模とも言われております。日本もこの大きな津波みたいなものから、枠外にいるまたは逃れるということはできないと存じます。しかし、的確な対応を早急に打つことで、被害を最小限に抑えるということは可能だと存じます。
次に、この対策の実行について申し上げます。これらの対策を実現するためには、第二次補正と、その関連法案、そして税制改正も含めて、平成21年度当初予算と、その関連法案を早急に成立させ、切れ目なく実行する必要があります。そのため、異例なことではありますが、年明け早々1月5日に通常国会を召集し、これらを審議していただこうと考えております。
民主党の小沢代表には、先日の党首討論におきましても、審議に協力し、早急に結論を出すとお約束をいただいております。国民生活を守るため、是非これらの予算と関連法案の一刻も早い成立に御協力いただくことを改めてお願いをする次第です。
最後に、社会保障、税財政の中期プログラムについて申し上げます。大胆な財政出動をするからには、中期の財政責任もきちんと示さなければなりません。また、財政責任の在り方をきちんと示すからこそ、大胆な財政出動が可能となる。これが責任政党の原点であり矜持だとも存じます。
私は、大胆な行政改革を行った後、経済状況を見た上で3年後に消費税の引き上げをお願いしたいと過日申し上げました。この立場は全く変わっておりません。
その前提条件として大胆な景気対策をやる一方で、社会保障の安全強化のため、消費税負担増の準備をやらなければならないと考えております。
経済状況を見ながら、与党税制改正大綱の考え方の範囲内で、2011年度から消費税を含む税制抜本改革を実施したいものと存じております。
そのため、必要な作業を政府内で始めるよう、与謝野大臣、中川大臣に指示をいたしたところです。色々と批判が出ることは承知をいたしております。それでも責任与党として、最後はご理解いただけるものと信じております。逃げずに、正直に、社会保障の安心強化というものを進めてまいりたいと考えております。国民の皆さんの一層のご理解をお願いさせていただければ幸いであります。
以上です。ありがとうございました。
【質疑応答】
(問)
先ほど言われました消費税の問題についてお聞きしたいんですけれども、総理は、今、3年後に経済状況を見ながら引き上げを実施するという考えには変わりがないとおっしゃったんですけれども、しかも、与党の税制大綱の範囲内とおっしゃいましたが、本日決まった与党の税制大綱の方では2010年半ばまでということで、消費税の引き上げの実施時期の明記はされていないんですけれども、それでも政府の今後の中期プログラムには、はっきりとその実施時期を明記する考えがおありなのか。それと、与党をどのように説得していくおつもりなのか。それをお聞かせください。
(総理)
与党の税調の書かれた紙を見ましても、消費税を含む税制抜本改革を経済状況の好転の後に速やかに実施と書いてあります。ご存じのとおりです。2010年代半ばまでに持続可能な財政構造を確立すると書いてある。私も昨晩でしたが、お話がありましたので、今、申し上げていることは、それに反しているわけでもありませんし、基本的には3年後に消費税を引き上げるという方針でやっていき、それまでに景気回復ができているということをやらなければならないということです。そのために、今、大胆にやろうとしているんですから。景気対策が3年、3年間が向こう全治3年と申し上げているのは、その理由の一つでして、大胆にやるためには、後のものがきちんとされていなければ、そういった大胆なことはできないと存じますので、私どもは、今、申し上げたとおり、この与党の税調の話にもそんなに反しているわけでもありませんし、今、申し上げたのが答えです。
(問)
解散総選挙に関してなんですけれども、民主党の小沢代表は、話し合い解散ですとか、選挙管理内閣を作ってでの解散などについて言及しています。また、予算の成立などに絡んで、麻生総理は解散時期について小沢代表と話し合うつもりはあるのか。それと、現段階で麻生総理が解散総選挙の時期についてどのように考えているのかをお聞かせください。
(総理)
政策について民主党と話し合うというのは政党間協議、前から申し上げておりますので、大歓迎であります。ただし、解散の方につきましては話し合うつもりはありません。
また、時期というものの御質問でしたけれども、私が判断をさせていただきたいと存じます。
(問)
財源問題についてお伺いいたします。総理は、社会保障費の抑制枠2,200億円の見直しについて、既に限界に達しているという発言を再三されていますが、たばこ増税が見送りとなったことで、依然、財源の問題は決着していません。この間、保利耕輔政調会長にも指示をされたと伺っていますが、この問題の決着の見通しと、何かお考えがあるんでしょうか。
(総理)
社会保障の2,200億円につきましては、いろいろ取りざたされておりますのは、知らないわけではありません。厳しい状況であろうと思いますけれども、これはあと約1週間少々ありますので、その間にぎりぎり努力をしてもらいたいと考えております。対応いたします。
(問)
今日発表された緊急対策ですけれども、二次補正と来年度の当初予算ということですけれども、具体的にどのように振り分けてやられるお考えですか。 それと、もう一つは財源ですけれども、こういう対策を取るためには財源が必要ですが、埋蔵金等、どういったところから捻出しようとお考えですか。
(総理)
財源につきましては、まず基本的に、いわゆる生活対策の財源につきましては、赤字公債に依存しない。前回も申し上げたとおりです。雇用保険特別会計の活用とか、また、財政投融資特別会計の金利変動準備金の活用など、いろいろ考えられております。
21年度の当初予算につきましては、今年度、平成20年度の予算の内容が、多分、これだけの法人税の減収が予想される中におきましては、いわゆる減額補正をしなければならぬという状態になる可能性は極めて大きいと考えております。したがって、スタート台が極めて低いところから始まりますので、いろいろなことを考えて、今後、よく検討しなければならぬと思っております。
(問)
消費税のことをもう一度確認したいんですが、総理は与党の大綱に反しているわけではないとおっしゃるんですが、総理が冒頭におっしゃった、2011年度から消費税を含む抜本改革という点については、与党、とりわけ公明党は明確に反対をしているんですが、これでも政府の方針として中期プログラムで閣議決定をされるということでしょうか。
(総理)
私としては、2011年、今から3年ありますけれども、3年後、我々は今の不況というものから脱却をしていたい。私は基本的にそう考えております。したがって、何回も申し上げましたように、短期的には景気対策が一番だ。そして、全治3年と申し上げたのも、それが背景です。したがって、2011年に私としては、是非やりたいということに関しましては、変わっておりません。
(問)
先ほどの質問の中で、補正予算と当初予算とかの生活防衛緊急対策の仕分けをもう少し詳しく説明していただきたいんですが、要するに生活対策を除く部分については赤字国債に頼らざるを得ない部分もあるのか。それと、当初予算に持っていく分については、どちらかというと、赤字国債に依存してやることになるのかということと、1兆円の予備費というのは余り過去に例がないと思うんですけれども、国会でいろいろ質問、追及されるような気もしますが、それについて理解を得られると思われているのか。その辺についてお聞かせいただけますか。
(総理)
今の話の緊急の予備費につきましては、少なくとも100年に一度で何が起きるかわからぬと私どもは正直申し上げて、そこが一番の問題。大体、今までに予想しているものではない形になっていますので、そういう意味では、異常事態に対しては、異例な対策を取らざるを得ないということで、あらかじめきちんとした予備費を持っていないと、これまでは過去5,000億ぐらいの予備費はあったそうですけれども、過去の前例にとらわれていると、正直、更に何かが悪化するとか、いろんなことを考えておかなければならないと思って、我々、責任政党としては、ここはきちんとした予備費を持っておかないと、いろいろな対応ができない、極めて緊急に起きる可能性というのは、それは何を想定しているのかと言われれば、私どもとして、それが想定できるんだったら、勘定科目に挙げているんであって、そういったことを申し上げれば、社会保障とかいろんなことが考えられると思います。更に雇用とか、いろんなことが考えられると思います。
したがって、予備費と申し上げているのは、そういうことでして、いろいろ御意見もあるところだと思いますけれども、予想がしにくい今の状況において、私としてはこういったものを持っておくということが、少なくとも安心につながっていくものなんだと、私自身はそう考えております。
(問)
緊急対策の中で、地方交付税を1兆円増額するという項目が入っておりますが、総理はかねがね地方が自由に使えるようにすることが大切だとおっしゃってきたかと思うんですが、今回を付けているのは、どういうことなんでしょうか。
(総理)
基本的には、その内容は地方交付税というものを申し上げた中で、地方交付税というのは、御存じのように地方が一番自由裁量の多いところです。そこで、過日の道路特定財源のときに、約1兆円の新しく交付金という形になっておりますが、いわゆる地方が自分でそれをやろうと思った場合、もともとその道路事業をやるときに、地方が負担しなければならない分、通常、裏負担とかいろんな表現が皆様方の業界ではありますけれども、あの部分。あの部分を我々としては、地方を見ていますとそこが負担できる資金、財力がないからこの公共工事は請けられないということになって、毎年3%の公共工事の減、プラス1.5ぐらいになっているというのが、昨年、一昨年ぐらい、大体それぐらい減っていると思います。
その理由は、地方に公共工事がないんではなくて、それを負担する財力が地方の自治体にないというのが一番の問題。したがって、今、申し上げたようなものが地方交付税として付くことによって、そこに仕事ができることになります。何も道路に限りませんよ。はっきり申し上げて、電柱の地下埋設というものも大きいでしょうし、いろんな意味で、この間来た山の方は間伐が全然できなくてどうにもならぬとか、地方からお見えになる方の要望は実にさまざまです。
そういった方々に自由に使えるということは、イコール雇用を創出しますから、今ごろ、そういったものを使って自分の人件費の穴埋めにするような自治体は考えられませんけれども、そういうのではなくて、新たに雇用を創出する。雇用を創出するというのは、正直言って、今、植林で言ったから木で言えば、木の間伐をずっとやっていく、そういったものを新たに、市営でやっているもの、町営でやっているもの、いろいろありますけれども、そういったところに人を入れるイコールそれは雇用にもなりますし、同時にそこは緑が、植林が、治水が、治山が維持される。そういった意味で、今、申し上げたような交付税というものを、あえて雇用という名前を使わせていただきましたけれども、それは主にそういったものに使えるという意味で、公共工事といえば公共工事かもしれませんけれども、それは単なる公共工事の部分が小さなところでちょこちょこ出てきますと、それは地元の人たちの雇用につながっていくということで、大きな大企業がどんと乗り込んできて何とかかんとかするようなものとは違った意味での小さな工事、イコール雇用が発生するという意味で、今、言ったようなことを申し上げさせていただいているわけです。これは改めて総務省なりにきちんとした指示を明確にしていかなければならないと思っております。
以上です。
≪ド素人経済考(1)/麻生総理「生活防衛のための緊急対策」を考える(2)≫に続く
記者会見の内容を大まかに纏めると、
【財政】分野
1.雇用対策 ――約1兆円
2.地方交付税 ―― 1兆円
3.経済緊急対応予備費―― 1兆円
4.政策減税 ――約1兆円
5.追加経済対策 ――約6兆円
【金融】分野
1.資本注入枠 ――10兆円
2.政策金融 ――3兆円 ・・・・・・・
アメリカ発の金融危機が世界規模に発展、日本の実体経済・実物経済に想定外にして最悪の悪影響を及ぼしている。そのために来年早々に提出する第二次補正予算と平成21年度の当初予算で果断な対策を打ちたいと言っている。その計画内容の発表である。
「対策」には対応型と準備型とがある。例えば予想される首都直下型地震や東海地震等に対する対策は準備型であるが、今回の対策は既に発生し、なお且つ激しく進行中の出来事(経済危機)に対するものだから対応型に入る。準備では遅い。
ところが、過激に現在進行形の「尋常ならざる」経済の悪化に備えるのは一次補正予算では追いつかないからだろうから、埋め合わせるべくそこで打ち出した対策(=対応)が現在進行形に合わせるべきを年明けに開始する。「尋常ならざる」現在進行形は12日の東京金融市場の円相場が一時88円台に急騰したことに集中的に現れている。トヨタは海外での販売が多い関係で、円高が1円進むと、対ドルで 400億円、対ユーロで60億円も減少するという(「asahi.com」)。
このことは麻生首相も「今日も御存知のように、証券市場は株価が下落、為替も円高に大幅に振れておりました」と記者会見の中で触れているとおりに承知事項となっている。
いわば対策が即効性を必要とする対応型であるべきを欠いて、半ば準備型の対策となっている。来年早々に開催される臨時国会を待ち、法案が成立するのを待たなければならないからだ。それまでに準備しておくという後手型となっている。一部を除いてだが、法律として成立・施行した時点から、対策は効果に向けた機能を発揮することになるから、実質的な効果はさらに先送りされる。
このことは「尋常ならざる速さで実体経済、実物経済へ影響し始めて」いるとか、「経済の悪化は予想を超える」といった言葉に反する手回しの悪さではないだろうか。
解雇と同時に社宅からの退去を求められ住まいを失う非正規社員の救済に雇用主に対して労働者1人当り月6万円で3ヵ月から半年の期限付きで助成金を支給する条件で引き続いての社宅入居の要請、受入れ企業に対して年内の無償貸与も対象となるよう遡って助成する条項を二次補正予算に盛り込む。
この点に関しては即効性ある対応型の対策となっているが、「3ヵ月から半年」が条件では、派遣切りが広範囲に深刻化していく状況下でその間に果して新しい雇用機会に恵まれるかといった問題が生じる。
そのためには今回麻生首相が唱えた「生活防衛のための緊急対策」が雇用機会創出に向けた即効性ある対応型の対策ともなっている必要がある。当然、そうなっているか検証しなければならない。
麻生首相は今回の不況は全治3年だと言っている。だが、全治に向けた重症期間がどのくらいかは言っていない。社員寮無償提供要請に期間が「3ヵ月から半年」だということは重症期間がほぼ同じ「3ヵ月から半年」で、それ以降経済が回復曲線を描いてくれないことには、現在は派遣切りが増加傾向にある中で新規雇用創出は簡単には見込めないことになる。
それ以上仕事がないまま収入がないままなら、再度社員寮無償提供を要請し、労働者1人当たり6万円ずつの助成を続けていかなければならないが、それ以上の問題として、仕事が見つからない労働者はどうして生活していくのかということになる。
重症期間が「3ヵ月から半年」以降も続き、1年も2年も続くということになったなら、非正規社員ばかりか、既に始まっている正規社員に対する希望退職募集がさらに加速されて、当然の結果として非正規社員の再雇用の機会はさらに遠のく。
自動車メーカー「マツダ」から契約を打ち切られた派遣社員17人が広島市に生活保護を申請(広島市「今回のように派遣社員の生活保護申請が相次いだ例は過去にない」「asahi.com」)、そのうちの7人に既に支給を開始しているというニュースをマスコミ各社が今日13日に伝えているが、自力では生活できない派遣社員が既に発生しているとなると、社員寮に引き続いて住めることができるケースのみならず、社員寮に残れなかった者に対しては敷金・礼金等の住宅入居に必要な初期費用の貸付制度を整備するケースで、あるいは1万3000戸ある雇用促進住宅への入居を促進する計画といったケースでそれぞれに住まいの点で救済されたとしても、そのことだけでは問題解決しないことを「生活保護申請」は教えている。寝る所があるということだけで人間は生活していくことはできないからだ。
いわば雇用機会創出こそが問題解決に向かう最短の方法であって、住まいの斡旋は一時凌ぎでその場限りの間接的な救済に過ぎない。住まいがあっても、新しい収入がなければ、生活保護に頼るか、年齢が若いからダメだと言われたら、最悪ホームレスになるしかないといった者も出てくるに違いない。
いや、最悪のケースとして自殺を問題解決の手段とする者が出てくる可能性もある。
また、内定取り消し対策ではハローワークに特別相談窓口を設置し、悪質な場合は企業名を公表すると言っているが、企業側からしたら業績悪化を受けて発生した人員過剰に対応した緊急措置であって、契約違反だと言うなら、人員過剰を抱えたまま最悪倒産も視野に入れた業績悪化の加速を覚悟するしかないだろう。
業績悪化が新卒者採用後の4月以降に発生したなら、内定取消しに替えて希望退職者募集に変わるだけのことで、人員整理の対象は違えても派遣切りと同様、企業が雇用機会創出の余裕を失っていることを示している。企業自体がその余裕を回復しないことには問題解決とはならない。
雇用機会創出については麻生首相は「職を必要とする非正規労働者などに、地域において雇用機会というものをつくるために、既に生活対策で発表したものと合わせて、過去最大4,000億円の基金を創設」することと、「21年度において、地方交付税を1兆円増額」し、「これによって、地方が実情に応じて自主的に雇用創出の事業などを実施できるように」することを提案しているが、問題はその有効性である。
断るまでもなく、雇用機会創出は勤め先に仕事があって可能となる。そこに生産がなければ、雇用機会は創り出されない。誰もが承知しているイロハであろう。企業に仕事が創り出されない限り、雇用機会は生み出されない。企業に仕事あっての「雇用」、生産あっての「雇用」である。
つまり、すべての問題解決に向かう真の原因療法となる政策は社会に仕事を創り出すことに結びつく政策であって、政策がそのことに有効であった場合、雇用機会創出はその結果生じる果実に過ぎない。仕事が創り出されることによって、景気も回復する。
「住宅入居費用の貸し付け」も、「内定取り消しの対策として、企業名の公表を含めて指導を徹底」も、「雇用機会創出」のためのに「過去最大4,000億円の基金の創設」も、同じく地方が雇用機会が創出できるように「地方交付税を1兆円増額」も、「雇用維持対策、再就職への新たな支援」も、社会に仕事を創り出し、それが各企業に反映される政策として有効でなければ、バラマキで終わる。
同じく金融対策として並べ立てたどのような政策も、社会に仕事、もしくは生産を創り出す政策でなければ、バラマキで終わることになる。「危機対応業務として3兆円の融資枠」も、仕事が出てこなければ、あるいは生産が上向かなければ、融資は返済困難に陥って、貸し倒れ・借り倒れとならない保証はない。
麻生首相は「少なくとも先進国の中では、最も早く今回の不況から脱出することを目指して、あらゆる努力を行いたいと考えております」と記者会見冒頭部分で請合っているが、この言葉に矛盾はないだろうか。
日本は内需型の経済構造ではなく、外需型中心、輸出産業型の経済構造となっている。このことのためにアメリカの金融危機の直撃とドル不安からの日本円買いによる円高という二つの要因を受けた日本の輸出の鈍化が主としてもたらした日本の今回の不況ということで、世界のトヨタでさえ、「下期(10-3月)の営業損益は1000億円規模の赤字に転落する見通し」(「msn産経」)で、「金融危機以降、トヨタが『ドル箱』にしてきた米新車市場の落ち込みが止まらない。これまで競争力の高かった日本車も販売減を余儀なくされており、トヨタの11月の米新車販売台数は前年同月比34%減の13万307台となった。また、中国やロシアなど新興国市場も減速が著しい」(同「msn産経」)と、日本を代表し、日本経済の牽引役を担ってきたトヨタが外需型中心の企業であり、そのことが原因した“赤字転落”だと伝えている。
その影響が早くもトヨタ系部品メーカーの「トヨタ紡織九州」の派遣切りとなって現れている。「トヨタ自動車系の部品メーカー、トヨタ紡織九州(佐賀県神埼市)が来年3月までに派遣社員の9割に当たる約100人を削減することが分かった。10月から順次、契約期間が終わった人について契約を打ち切っている。」(≪トヨタ系部品メーカー、派遣9割を削減 トヨタ紡織九州≫「asahi.com」/2008年12月12日20時27分)
外需型中心の経済構造から抜け出して内需型経済構造に早急に転換できるとは考えにくいから、アメリカの金融危機を受けた外需型疾患としての日本の景気悪化なら(麻生首相は次のように言っている。「今回の世界の大不況は、100年に一度の規模とも言われております。日本もこの大きな津波みたいなものから、枠外にいる、または逃れるということはできないと存じます)、その性質上、アメリカの景気回復を待って、日本の外需型経済が動く、輸出(=外需)が回復するという手続きを踏んだ不況からの脱出、いわば世界の殆どがそうなのだが、アメリカの景気回復頼みの不況脱出のシナリオということになるから、アメリカの景気回復の後についた日本の景気回復とならざるを得ない。
いわば日本の経済構造が外需型中心であり続ける以上、日本の景気回復はアメリカの景気回復を待たなければならず、「少なくとも先進国の中では、最も早く今回の不況から脱出することを目指」すは合理的認識を欠いた矛盾語となる。当然、社会に仕事を創り出させるかどうかも、アメリカの景気回復にかかっていることになる。
また住宅ローンや設備投資などで1兆円の政策減税を行って住宅建設需要の掘り起こしを計画しているということだが、住宅需要もマンション需要も大きく冷え込んでいる。マンション分譲大手の「日本綜合地所」(本社・東京都港区)が一旦採用を決めた大学生53人全員の内定を取り消したこと、東証2部上場のマンション分譲のモリモト(東京)が11月28日に東京地裁に民事再生法の適用を申請したこと、マンション大手の大京が事業縮小に伴い、40歳以上を対象に社員の1割強にあたる450人の希望退職を募る予定だということ、中堅ゼネコンの若築建設もマンション事業から撤退し、社員の1割強にあたる100人の希望退職に踏み切る等々、悪化の一途を辿っているマンション不況を政策減税のみで軌道修正できるのだろうか。バブル崩壊期と同様に住宅やマンション購入層である正社員でさえ、希望退職の対象となっている今回の不況なのである。住宅ローンを抱えているから、希望退職の募集に応じることはできませんと断ったとしても、企業にとってはそのことを必要人材の基準としているわけではない。仕事で貢献度が低いとなれば、無視される基準となるだろう。
住宅不況、マンション不況と言うことなら、「地方が実情に応じて自主的に雇用創出の事業などを実施できるように」する21年度の「地方交付税を1兆円増額」の使途を麻生首相は道路建設や電柱の地下埋設、あるいは地方の荒れた山林整備(「緑が、植林が、治水が、治山が維持される」と自信たっぷりに言っている。)を考えているようだが、道路建設にしても電柱の地下埋設にしても緊急に必要があっての工事ならいいが、さして必要ではなくても、雇用創出を目的として仕事をつくる必要から工事を考えた場合、これまでのムダな公共事業、ムダな道路建設と同様に雇用創出を果たせたとしても、バラマキに終わらない保証はない。
例えそういう結果にならないとしても、土木工事・建設工事は機械化されていて、一昔、二昔前程には人員は必要としない。専門の土木作業員で賄えるとしたら、畑違いの職を失った者の雇用創出にはさしてつながらず、土木会社・建設会社を潤すだけで終わる可能性もある。
「緑が、植林が、治水が、治山が維持される」と請合った山林整備にしても、日本の山が荒れた原因は安い外材が建設資材として利用・輸入されて日本材を市場から、そして建設現場から駆逐したからであろう。売れない状況が山林業者をして手入れをするだけ赤字となる構造を強いた結果であって、先頃の原油価格高騰時は価格差が縮まったと言うものの、不況によって原油価格の下落と円高で国内外価格差は再び開いているだろうから、国産材・外材の使用状況にさして変わりはあるまい。
このように日本の山が荒れていった経緯は木造住宅に於ける内地材の占める一般的な割合が目に見える柱等を中心に20%、残り80%は外材が使用されているということに現れている。日本材には「間伐補助金」が1ヘクタールにつき23万円が支払われているにも関わらずである。
そもそもからして「間伐補助金」が支払われている上に「1兆円の地方交付税」の使途目的の一つに間伐を挙げる。山の維持に必要であっても、基本的には住宅建設不況からの脱出と価格の逆転を条件として、なお且つ外材に取って代わって日本材が主たる建設資材、あるいは家具材等の需要に間に合う程に山林が整備されていることを条件としなければならないが、この三つの条件を充足するまでに時間がかかるとなると、地方交付税の一部が山の維持にのみ消費されて、このことは決して小さなことではないが、それ以上の発展はなかなか望めないことになる。
京都府のHPだが、面白い記事を見つけた。日付は「平成20年8月8日」となっているから、最近の記事である。記者会見の模様らしく、「主な質疑」と最初に記されている。以下全文引用。青文字は内容を私自身が項目化して付け加えたもの。
<記者 :
先日の森林県連合による要望活動では、主にどういうことを強く求められて、それに対する国や、公庫の反応はどのようなものであったか。
山田 啓二京都府知事:
(負債額/「1兆円超」)この問題は、実は34都道府県にわたっておりまして、林業公社が今抱えている負債、赤字は1兆円を超えております。そして1兆円を超えているだけではなくて、このまま事業を続けていきますと、この赤字というのは楽に2兆円を超えるレベルになってまいります。ただ、林業公社という性格上、非常に長いスパンで木の生育を支援しておりますので、問題が顕在化した時にはとんでもないことになっている。したがって、今でもたいへんな問題なのですけれども、将来に責任を持つ者としては、今のうちにしっかりとした対策を講じて、これ以上赤字が増えていかないような対策を講じる必要があるのではないかというのが、まず基本的な問題意識であります。
(赤字原因)その上で、なぜこうした赤字が出てきたのかと申しますと、もちろん都道府県の事業責任というのもあるのですけれども、この事業自体は国策といたしまして、林業振興、環境の保護という観点から、民間が入れないような奥地を中心に、林業公社によって山林地主さんとの間で分収林契約というのを結んで、それぞれ行っている。そういう形で行ってくださいという農林水産省からの通達に基づいて行われているものでありまして、国策という面がございます。
今、環境問題が大きな問題になっている中で、まさに国策として進めてきたこの事業について、どういう形で収支の改善を図っていくかというのは、単に都道府県だけの問題ではなくて、国にとっても非常に大きな問題ではないかという点をまず国に訴えてまいりました。そして、その負債のうち多くの部分を実は融資という形で担っているのが公庫でありまして、その公庫との関係で非常に切羽詰まった状態になっているのが滋賀県ということになります。これは一括債務返済も含めて、重畳的契約に問題があるとされていることもありまして、その解決が早急に求められているということであります。
(解決策)しかも、これは34都道府県にわたるたいへん大きな問題であります。今申しましたように、国の施策として遂行してきた面があり、もう一度みんなで協力してこの解決策を探っていこうとしている時なので、公庫におきましてもそうした事情を考慮のうえ、その制度の枠組みの中でできるだけ柔軟に対応していただきたいとお願いしてまいりました。
(赤字の付け替え。赤字の押し付け)一方、国としても農林水産省につきましては、国有林野には公費を投入して赤字部門を消していったという事実があります。そうした面も踏まえて、では都道府県分についてはどのような形で解決をしていくのか。総務省につきましては地方財政の観点から、このままでいくと地方財政にとって非常に大きな暗雲になりますので、この問題の解決についても乗り出していただきたいと、財務省につきましては、全体を通じての財政的な問題としてお願いをしてまいったところであります。
国におきましても林野事業の必要性、さらに一連の経緯を踏まえて国としての対応を考えていきたいということの中で協議の場を設けて、都道府県とも話をしていきたいという合意をしたわけであります。もちろん、両方とも非常に財政が苦しい中ですから、すぐに有効な解決策が出てくるかどうかはわかりませんけれども、国と地方とがこの問題について真っ向から向かい合ってテーブルに着く、そういう条件ができたことが大きな進展ではないかと思っています。
(「分収林契約」の方式)もう一つあります。実は、分収林契約に関しては、全く知らない方が多いと思います。要するに、森林整備にかかった費用を全く度外視して、売った場合の売り上げを地主さんと公社が分けるという契約であります。しかし、今までにたいへんコストがかかっておりますので、そうすると当然ながら赤字になってしまいます。
滋賀県さんは、琵琶湖の水源涵養ということで、ヘリコプターで苗木を運んだような時代もあったそうですから、売り上げを分けるとすると、利益などはとても出ない。そういう中で、各府県とも分収林契約の見直しを行っているわけです。
ところが、戦後60年がたち、この制度が始まってからも長い年月がたっておりますので、相続関係が複雑になっておりまして、契約の変更自体もままならない状況になっていると思います。分収林契約の変更方法という問題についても統一的な処理をしておかないと、いたずらに人件費と手間と時間だけがかかってしまうことになりますので、そうした問題についても私どもは話し合いをしていきたい。ですから、今ある負債の処理の問題、今後の事業展開の問題、分収林契約の問題、そしてさらにそれを通じて公庫の対応の問題といったところが、これから協議の中身として出てくることになると思います。>(以上引用)
麻生首相は「市営でやっているもの、町営でやっているもの、いろいろありますけれども、そういったところに人を入れるイコールそれは雇用にもなりますし、同時にそこは緑が、植林が、治水が、治山が維持される」と言っているが、ことはそう簡単な問題ではない。
34都道府県の林業公社が20年8月8日時点で抱えている「負債、赤字は1兆円を超えていて、このまま事業を続けていくと、楽に2兆円を超えるレベルとなる。」
ヘリコプターで苗木を運んだのが祟ったのか、全国最大の1000億円の債務を抱える林業公社が滋賀県だそうだが、1兆円増額分の地方交付税の一都一道二府四三県で割ったその一部を間伐に割いただけでは片付かない問題であることが分かる。
麻生首相は「自分の人件費の穴埋めにするような自治体は考えられませんけれども」と言っているが、雇用創出にまで手が回らずに、林業公社負債の「穴埋め」にまわらない保証はない。例え雇用創出にまわったとしても、「負債、赤字は1兆円を超えていて、このまま事業を続けていくと、楽に2兆円を超えるレベルとなる」状況にさして変化はないだろうから、元気のない雇用となるに違いない。儲けが出てこそ、元気な雇用となる。
こう見てくると、日本の製造業が息を吹き返して退職させられた派遣社員の再雇用へとつながり、住まいや生活の問題を含めた彼らの問題が片付くためには外需型産業構造の宿命としてアメリカの景気回復を受けた日本の外需型経済の復活を条件としなければならないように思えるし、アメリカの景気回復こそが住宅建設不況やマンション不況の強力な助っ人になるということではないだろうか。
そして日本がこのような手続きを踏んで景気を回復したとしても、日本の全体的な産業状況は元に戻るだけのことで、工業の生産活動の高さに比較した農林漁業の生産活動の低さは旧態のまま推移することになるのではないだろうか。
いわば麻生首相が今回提案した「生活防衛のための緊急対策」はアメリカの景気回復の味方なしには有効とはなり得ず、単なるバラマキに終わることになりかねない。正直にこのことの視点を持った政策こそがより確かな効果を見るのではないだろうか。
「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」――
「タバコを値上げされてまで、タバコを吸わない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」
たばこ税増税は自民党税制調査会が見送りを決めた。反対の理由を各メディアがそれぞれに伝えている。
党税調幹部「たばこ税を社会保障の特定財源にする考え方は間違っている」(「asahi.com」)
党幹部「喫煙者だけに大きな負担を押し付けるのは理屈が立たない」(「毎日jp」)
町村信孝前官房長官「たばこ税をあげても税収が増えるかどうか、まったく定かではない。消費の減退もあるし、値段をあげれば過去の経験値では何%か売り上げが減る」(「asahi.com」)
与謝野経済財政相「社会保障費というのはたばこを吸う人たちだけに背負わせていいのかという問題がある」(「asahi.com」)――
「たばこ税を社会保障の特定財源にする」としたら、揮発油税や石油ガス税、自動車重量税等を道路特定財源とする税方式と重なる。
しかしこの「考え方は間違っている」と言えるのだろうか。喫煙と健康被害の関係で言うと、HP≪喫煙と健康について≫(ウスイ内科クリニック/かかりつけクリニック)が次のように教えてくれる。
<◇ どの様な害があるのですか!?
タバコと健康の害と言うと、”タバコ=肺がん”というイメージだけを持つ方が多いと思いますが、”非喫煙者”と比較した場合、喫煙者においての死亡率の増加割合を見ると、全部の癌において1.7倍、クモ膜下出血で1.8倍、口腔癌で2.8倍、喉頭癌で32.5倍!、食道癌で2.2倍、肺癌で4.5倍!、虚血性心疾患で1.7倍、肝臓癌で1.6倍、胃潰瘍で1.9倍、胃癌で1.4倍、膵臓癌で1.6倍、膀胱癌で1.6倍、子宮頸癌で1.6倍の死亡リスクの増加を示しています。
◎ちなみに、禁煙係数と呼ばれるものがあり、禁煙係数:一日の平均喫煙本数×喫煙年数であり
、400を超えると、“肺癌にかかる確率が飛躍的に上がる”とされています。
喫煙と発癌の因果関係に関しては、ニコチンの直接作用ではなく、火を着けて吸引するタバコの煙に、発癌物資が含まれるとされており、タバコの煙中には発癌性物資が既に40種類以上は検出されています。
また、心筋梗塞や脳血管障害の危険因子としては、その血管収縮の作用や、HDL-コレステロールという善玉のコレステロールを減らす点、さらには抗酸化物質を破壊し動脈硬化を促進する為によるとされています。
男女比では、各疾患の罹患危険率に大きな変化は認めないものの、妊娠と喫煙に関しては、早産をする方が、喫煙者は非喫煙者に比べて3.3倍、生まれた時の赤ちゃんの体重の少ない低出生体重児の割合が2.4倍、先天性異常の確率も1.3倍とされており、はっきりと因果関係が疫学的に証明されている先天性異常では、”口蓋裂”との関係があり、先天性心疾患にもかなりの確率で影響があるとされています。>――――
また、非喫煙者の喫煙者からの「受動喫煙」と言う問題もある。
「Wikipedia-受動喫煙」――<受動喫煙とは、喫煙者の周囲の人が、自分の意思とは無関係に環境たばこ煙(environmental tobacco smoke:ETS)に曝露され、それを吸入することである。ときに「間接喫煙」、「不随意喫煙」、「不本意喫煙」ということもある。対義語は能動喫煙(のうどうきつえん)。
環境たばこ煙とは、副流煙(喫煙者が直接吸う主流煙に対し、たばこの先から立ち上る煙)と、呼出煙(喫煙者の吐き出す煙)が混じり合った煙である。
副流煙は主流煙よりも多くの有害物質が含まれており、非喫煙者であっても喫煙者の煙を吸うことで、健康に悪影響を及ぼす危険性が増大する。>――
喫煙はかくも人間の健康に害を与えている。重大な病気に罹る危険率が高いとなれば、当然のことに病院で診察・治療する機会も多くなるのは必然の結果であろう。
医者にかかる機会が一般的に非喫煙者よりも多く、それがより重い病気となる傾向が高いということなら、喫煙者に対する医療保険に於ける公費負担の占める割合も大きくなる。
道路特定財源制度が道路の維持・整備によって歩行者や自転車も、あるいは商店や会社も利益を受けないわけではないが、より多くの利益を得る自動車利用者がその費用を自ら負担すべきとする「受益者負担の原則」に基づく制度だと言うなら、病院での診察・治療の機会が多いことから喫煙者を公的医療保険制度の公的負担によって一般的には非喫煙者よりも多くの利益を得る「受益者」に位置づけることも可能で、そうであるなら、道路特定財源の精神を社会保障制度にも応用して、「受益者負担の原則」を喫煙者に当てはめて、より多くの利益に対する応分の負担として喫煙を通じて税の形で捻出させても、それほど不都合なことではないに違いない。
この指摘が間違っていないとするなら、「たばこ税を社会保障の特定財源にする考え方は間違っている」とは言えなくなる。
あるいは党幹部の「喫煙者だけに大きな負担を押し付けるのは理屈が立たない」とする考え方も、与謝野経済財政相の「社会保障費というのはたばこを吸う人たちだけに背負わせていいのかという問題がある」も、的から外れた主張と言うことにならないだろうか。
また町村信孝前官房長官は「たばこ税をあげても税収が増えるかどうか、まったく定かではない。消費の減退もあるし、値段をあげれば過去の経験値では何%か売り上げが減る」と言っているが、増税によって喫煙者が減るなら、そのことによって「税収が増え」なくても、禁煙によって病気にかかる確率が減ることになれば、社会保障費の抑制につながって増税の効果は違った形で現れることになる。
たばこ税増税が禁煙の機会につながって社会保障費の伸びを抑えるか、あるいは一時的な消費の減退はあっても、さしたることはなく一応の消費が続いて税収が増えて社会保障費の財源手当てに役立つプラスの利益が確保可能なら、そのことによって増税反対派が唱えている「(たばこの)店や農家が、場合によっては廃業せざるをえない所も出る」(「TBSニュース」インターネット記事)とするマイナスの利益が生じたとしも、その分のある程度の生活補償をすることで補い、社会保障に関わるプラスの利益と生活補償経費との差引きによって上まわる利益の方を採るべきであろう。
禁煙が国民の健康を守る一因となるということなら、農家やタバコの販売を扱う店への補償と比較して、その利益は計り知れないものがあるのではないだろうか
1本で3円(1箱60円)程度の引き上げなどとケチ臭いことは言わずに、社会保障費の抑制を目指して1箱1000円に上げてもいいのではないのか。
勿論、麻生太郎が愛用しているという葉巻も大幅に税をかけるべきである。
下記「毎日社説」記事は当ブログ記事とは違って高邁な内容となっているが、主旨はほぼ似ていて、「喫煙と健康」の関係からたばこ税増税を解説している。参考までに引用。
≪社説:たばこ増税 見送りで一件落着にするな≫「毎日jp」2008年12月12日 0時17分)
政府・与党がたばこ増税見送りの方針を固めた。「喫煙者だけに負担を押しつけるのは理由が立たない」「総選挙の前に増税はしたくない」など、与党内から反対が強まったためだ。
政府・与党内で、財源論や総選挙を意識した議論だけが先行し、たばこと健康についての冷静な議論が深まらなかったのは残念である。
たばこ増税の議論が社会保障の財源論に矮小化(わいしょうか)されてしまったのが、そもそも誤りだった。「増税でたばこ消費が減れば税収は増えない」という反対論だけでは、喫煙が健康に与える悪影響を食い止める方向に議論は広がらない。
政府は社会保障費の伸びを2200億円抑制する方針を決め、その財源としてたばこ税を1本3円(1箱60円)程度引き上げ、千数百億円を充てようと検討が始まった。これまでも旧国鉄債務の肩代わりなどのために1本1円の増税が行われてきたが、今回も安易な議論に終始した。たばこと健康の問題や「たばこ煙ゼロ環境」の実現に向けて、広く国民的な議論をするチャンスだったのに、それができなかった。
世界保健機関(WHO)は、20世紀中に喫煙を理由とする疾病で1億人が死亡し、今世紀には10億人が亡くなると予測している。
禁煙が広がっていけば、健康被害が防止でき、医療費や職場の環境対策に使われる費用も節減できる。たばこ増税を行う最大の理由は、喫煙者の健康や環境問題を考えてのことであり、増税による財源を社会保障費に充てることが主目的ではない。
日本も締結している「WHOたばこ規制枠組み条約」は、たばこ消費を減少させて疾病や死亡を減らすこと、たばこ税の引き上げや禁煙指導の実施--などを各国に求めている。日本で今、議論しなければならないのは、同条約に沿ってどう対応するかだ。目先の財源論に目を奪われると、大局を見失ってしまう。
日本のたばこ税と価格は主要国に比べて相当に低い。たばこの価格を主要国並みに上げることの是非について議論し、合意を目指すのが政治の仕事である。
麻生太郎首相は、自民党税制調査会に、たばこ税の引き上げを要請したというが、結果的には見送られた。首相の求心力低下を指摘されても仕方ないだろう。たばこ規制枠組み条約に沿って禁煙対策に積極的に取り組んでいく意気込みが必要であり、強いリーダーシップを発揮してもらいたい。
来年度のたばこ税増税は見送りの方針だが、これで一件落着ではない。考えようによっては、1本3円増税などという、つじつま合わせの財源対策が見送られてよかったという面もある。たばこと健康問題についての議論を新たに始めるチャンスと考えればいいのではないか。
我らの自民党は笹川尭総務会長(73)が12月6日午後、松江市でのパーティーで聴衆100万人を前に(そんなに集まっていないか。)挨拶をし、その中で小渕優子少子化担当相(34)の就任理由に関して次のようなセンスある名言を吐いたという。
「なぜ(大臣に)なれたか」
何でだろう?、何でだろう?、何でだろうの何でだろう?
「子供を産んだからですよ。もし、結婚して子供がいなければ“オマエ(少子化対策の)方法は分かっているのか”と言われますよ」(サンスポ/2008.12.7 05:00)
出産によって得た経験が少子化対策に関わる政策を創造し、推進する能力に必ずしも結びつくとは限らないはずである。小渕優子がどのような子育てをしているか知らないが、例え母親が職業を持っていたとしても、夫と合わせた収入が世の平均収入よりも遥かに高くて、お手伝いさんを雇って家事を行わせ、子供が生まれると育児専用にベビーシッターを雇い入れて、母親が外に出ている間は育児を任せることができる女性と、収入が十分ではなくても、同居している母親、あるいは義母に留守中の子の面倒を見てもらって安心して外で働ける女性と、同じく収入が十分ではないために公的な保育所に預けたいが空きがなく、仕方なく私営の高い保育施設に預けて、その分生活費を削って生活している女性とでは、子育て環境の理想形に対する思いは自ずと違ってくると思うのだが、そうではないだろうか。
笹川尭は「人口は努力しないと増えませんよ。近ごろの若い人は努力が足りない」(「毎日jp」)ともお説教を垂れたということだが、金銭的な面も含めて精神的にも肉体的にもそのあまりの苦労に努力が追いつかず、早々に2人目を断念した女性が多くいることも一因となっている少子化現象のはずである。
また子育ての社会的にあるべき姿への思いが違えば、その不足分の解消に向けた欲求、あるいは満足な形の実現に向けた欲求にも強弱・濃淡が生じるに違いない。
但し自分が子育てにあらゆる面で不足を味わわされた女性がその解消を図る政治的創造性に恵まれているかというと、その保証もないはずである。
尤も政治は一人で決める作業ではない。多くの人間の意見を活用して、それらの意見から自らが理想と判断した方向に掬い(すくい)上げて政策に変えていく創造性と、それを様々な利害と闘って一定の制度の形に実現させていくリーダーシップ(麻生さんみたいに丸投げはいけない)こそが政策決定者に必要な資質であって、この二つを兼ね備えていたなら、実際的な経験を欠いていたとしてもさして問題はないはずだし、逆に両方の資質を欠いていたなら、いくら実際的経験が豊富でも、社会的な制度づくりに役立てることもなく、単に個別的な経験で終わるに違いない。
とすると、少子化問題に関わる政治家の役目は第一義的には結婚や出産の経験、あるいは育児の経験を持つことではなく、一般女性が安心して出産でき、安心して子育てができ、なお且つ子供を抱えながら安心して働くことができる社会的環境を時代に合わせて十分な形に整えていくことであろう。
誰でもが分かるこんな簡単なことが我れらの笹川尭には理解できないようだ。理解できないままに国会議員をしている。自民党の総務会長様でございますと名乗っている。
では、今の日本の社会が何人も子供を産んでもいいと思える程に女性に優しい社会になっているかと言うと、待機児童の問題が片付いていないことだけを見ても、決して優しくはなく、出産をためらわせる社会のままとなっている。
このことだけを取っても、笹川尭の発言が、そんなことはどうでもいいことじゃないかと言うことになって、如何に愚かしく馬鹿げたことかが分かる。
待機児童に関して厚生労働省は次のような実行計画をHPに載せている。
≪「新待機児童ゼロ作戦」について(概要)≫(厚生労働省)
趣旨
働きながら子育てをしたいと願う国民が、その両立の難しさから、仕事を辞める、あるいは出産を断念するといったことのないよう、
○ 働き方の見直しによる仕事と生活の調和の実現
○ 「新たな次世代育成支援の枠組み」の構築――の二つの取組を「車の両輪」として進めていく。
希望するすべての人が安心して子どもを預けて働くことができる社会を目指して保育施策を質・量ともに充実・強化するための「新待機児童ゼロ作戦」を展開
目標・具体的施策
希望するすべての人が子どもを預けて働くことができるためのサービスの受け皿を確保し、待機児童をゼロにする。特に、今後3年間を集中重点期間とし、取組を進める。
<10年後の目標>
・保育サービス(3歳未満児)の提供割合20% → 38% (※)
【利用児童数100万人増(0~5歳)】
・放課後児童クラブ(小学1年~3年)の提供割合19% → 60% (※)
【登録児童数145万人増】
当面、以下の取組を進めるとともに、集中重点期間における取組を推進するため、待機児童の多い地域に対する重点的な支援や認定こども園に対する支援などについて夏頃を目途に検討⇒ この目標実現のためには一定規模の財政投入が必要。税制改革の動向を踏まえつつ、「新たな次世代育成支援の枠組み」の構築について速やかに検討。
(※)「仕事と生活の調和推進のための行動指針(平成19年12月)」における仕事と生活の調和した社会の実現に向けた各主体の取組を推進するための社会全体の目標について、取組が進んだ場合に10年後(2017年)に達成される水準
集中重点期間の対応
当面、以下の取組を進めるとともに、集中重点期間における取組を推進するため、待機児童の多い地域に対する重点的な支援や認定こども園に対する支援などについて夏頃を目途に検討
○保育サービスの量的拡充と提供手段の多様化〔児童福祉法の改正〕
保育所に加え、家庭的保育(保育ママ)、認定こども園、幼稚園の預かり保育、事業所内保育施設の充実
○小学校就学後まで施策対象を拡大小学校就学後も引き続き放課後等の生活の場を確保
○地域における保育サービス等の計画的整備〔次世代育成支援対策推進法の改正〕
女性の就業率の高まりに応じて必要となるサービスの中長期的な需要を勘案し、その絶対量を計画的に拡大
○子どもの健やかな育成等のため、サービスの質を確保(以上全文引用)――
2007年(平成19年)12月の「行動指針」策定から目標達成を10年後の「2017年」の12月、暮れに置いている。しかも「保育サービス」にしても、「放課後児童クラブ」にしても100%の充足を目標に置いているわけではない。当然のこと、2017年の暮れまで100%充足するところまで行かない達成状況を見ながら、世の女性は出産を控える方向での出産調整を余儀なくされるということになるのではないだろうか。
まさしく大臣になれたのは「子供を産んだからですよ。もし、結婚して子供がいなければ“オマエ(少子化対策の)方法は分かっているのか”と言われますよ」何てことを言っている場合かよ、である。
子供を出産すれば、教育費の問題も生じる。将来の生半可ではない教育経費に備えて、まだ子供が幼い頃から教育資金を積み立てていく親も大勢いるに違いない。それも日本は国が負担する学校教育費の対GDP比の水準は低く、世界で第20位以下の経済大国にふさわしい名誉ある位置につけている情けない状況にあるし、公的負担の比率が低く、逆に私的負担が高いことが反映したGDP比水準の低さでもあるから、教育費の面からも出産する子供の数を抑制する方向に影響しないわけはない。
2008年10月16日の「asahi.com」記事≪世帯年収の3分の1、教育費に 半分超える層も≫が次のように日本の教育費負担を伝えている。要旨を箇条書きにする。
1.年収が低い世帯ほど在学費用の負担は重くなり、年収200万円以上400万円未満の世帯では年収の半
分以上を占めている
2.世帯の年収に対する在学費用(小学校以上に在学中の子どもにかかる費用の合計)の割合は平均で
34.1%。200万円以上400万円未満の世帯では55.6%に達した。
3.在学費用自体は年収が高い世帯ほど多く、900万円以上の世帯は平均で221万1千円。200万円以上
400万円未満の世帯より57万円余り多かった。
4.高校入学から大学卒業までにかかる費用は、受験費用、学校納付金などを合わせて子ども1人あた
り1023万6千円必要とする。
高校入学から大学卒業までの7年間の教育総経費が「1人あたり1023万6千円」。年間150万弱。月に約12万円。小中高の学習塾経費等も含めると、どのくらいかかるのだろうか。
子供の教育に熱心であろうとするなら、2人目の出産を十分にためらわせる「費用」である。その上、収入の多寡が教育機会の均等を損ない、不平等を生じせしめることとなっている。
高学歴であることによって高収入の機会に恵まれた富裕層が自分と同等、あるいはそれ以上の学歴を自分の子供たちに与えるべく教育に余裕を持って十分な投資を行い、親のそのような十分な資金を活用して子供たちは親同様の高学歴を手に入れ、その高学歴を武器に高収入の機会を手に入れる高所得層の高学歴と高収入の独占の循環によって教育機会の不均衡とそれがもたらしている生活機会の不均衡が日本社会を覆い、絶対多数を占める中低所得層の生活の余裕を奪って子供を産めなくしている状況といったこともあるに違いない。
麻生首相が「小渕さんが子供を産んだから大臣になったわけではない。指名した(私)本人が言っているんだから」(時事通信/2008/12/07-15:34)と笹川発言の間違いを指摘したということだが、相変わらず「KY」(空気が読めない)麻生太郎だ。
事実認識の間違いを正せば片付く問題ではなく、政治家にしてはそのように事実認識を間違うセンス自体が余りにもお粗末、余りにも粗雑で問題なはずだが、センスのお粗末で粗雑なことは放ったままである。
小渕優子が9日の閣議後記者会見で笹川発言に関して、「子供を持つ立場でしっかり少子化担当大臣をやってくれという気持ちでおっしゃったのではないか」(「毎日jp」)と取りなすようなこと言ったそうだが、「子供を持つ立場」とか持たない立場とかいった辺りで逡巡させていてもいい問題ではなく、少子化が続けば、各種年金の保険料負担の問題に関係してくるし、国を支える労働力の問題にも関わってくる。
但し次のようにも言っている。「子供がいるいない、男性女性にかかわらず、少子化問題は、誰もが考え行動に移していかなければならない待ったなしの状況。皆さんで考えていく課題だ」(同「毎日jp」)
もっともらしくは聞こえるが、「待ったなし」どころか、遅過ぎて既に多くの女性に経済大国に似つかわしくない負担と犠牲を強いているのである。その影響は少子化や労働力不足といった形で簡単には修復できないところまできている。将来的にはもっとひどくなるだろう。
それを「待ったなし」だなどとこれからの問題のように言う。何となくコップのような狭い中で己の立場を主張し合っているようにも思えるが、政治家がそんな体たらくでは厚労省が掲げた≪「新待機児童ゼロ作戦」≫も、その実現は覚束ないようにも思えてくる。
笹川尭は9日昼の記者会見で「子供を産んでないとなれないかのような印象を与えたのは大変申し訳ない」と陳謝し、「小渕先生は群馬県の宝で、少子化対策基金を積み、すばらしい業績を残している」と持ち上げたと「毎日jp」記事≪笹川自民総務会長:小渕氏への「出産経験」発言で陳謝≫(08.12.9)が伝えているが、先の問題発言に続けて「わたしは男の子が5人、孫が14人。(少子化担当相には)わたしの方がよかったかもしれない」と言ったとの報道(「時事通信社」/2008/12/07-00:48)もあるが、事実としたら、二人は共に群馬県選出衆院議員だということだから、笹川尭は自分が自民党の総務会長ではなく、一度も坐ったことがない大臣の椅子を同じ選挙区の若い女が先に陣取りしてしまったその悔しさが言わせた難癖、ケチの類といった疑いが濃くなるが、だとしても、センスのなさ、程度の低さに変りはない。
日本だからこそ通用する政治家のセンス、程度の低さと言うことなのだろうか。要するに我が笹川尭は若い女性が出産・育児・就業の面で置かれている日本社会の状況を全体に亘って見る目を持たない視野狭窄者に過ぎないということなのだろう。 g